情報を編集することの効果4
〜アナロジーをどう見つけるか3〜
情報を編集することの効果1〜アナロジー発見効果
情報を編集することの効果2〜アナロジーをどう見つけるか1
情報を編集することの効果3〜アナロジーをどう見つけるか2
情報を編集することの効果5〜アナロジーをどう使うか
前回,アナロジーによる発想は,われわれが自分たちの思い描いているものを,一種の〜,〜を例に取れば,〜というように,といった具体像で表そうとするときの方法であり,それは,
1つは,言語による表現である“比喩”(アナロジーのコトバ化)
もう1つは,モノ・コトによる表現である“モデル”(アナロジーのモノ・コト化)
という,2つの方法で具体化することができる,と述べた。以下,それぞれについて,具体的に詳細に考えてみたい。
アナロジーの流れが,類似→関係→論理であるように,その表現スタイルであるモデルにも,類似→関係→論理の段階がある。モデルの表現レベルに合わせて整理すると,
・スケール(比例尺)モデル
・アナログ(類推)モデル
・理論モデル
と,アナロジーの流れと,対応している。スケール(比例尺)モデルは,類似性であり,アナログ(類推)モデルは関係であり,理論モデルは論理性である。
スケール(比例尺)モデルは,実物モデル,いわゆる,木型(モック・アップ)と呼ばれる,材質や媒体は違うが原寸大のものから,プラモデルや船舶模型,微生物の拡大図,スローモーション撮影,社会過程のシミュレーション等の,現物の縮小・拡大したものまである。これは,大きすぎるもの,小さすぎるものを,われわれに見えやすいレベルに合わせることであり,それによって,いわばどう見えるか,どう働くか,どんな仕組みか,どんな法則で動くか,を“モノ化した類似性”として,つかみやすくできる。当然必ずしも現物そのままではなく,むしろ,その特性の一部との同一性を模倣するかたちになる(その意味では相似的)。木型は形のみを真似て材質や機構は捨てているし,縮小(拡大)模型は大きさを犠牲にして,働きや機構を真似る。
アナログ(類推)モデルは,対象となるモノ・コトの基本構造や仕組みを表現したり,それを理解しやすくするために,“喩え”として創り出すもの。この場合も,サイズや媒体は同一である必要はなく,その仕組みや構造,機能を表現するために,別の関係(構造)を見立てる。例えば,水素原子を太陽系に見立てたり,電気回路を水流に見立てたりする(下図)のが,科学ではよくみられるが,両者の関係性によってアナロジーが立てられ,《構造》を発見するのに最も適している。これは“モノ化した関係性”と呼ぶことができる。
《水素原子のモデル》 《電子回路と水流モデル》
[原子構造] [太陽系システム] [水流モデル] [電子回路]
原子核 太陽 単位時間に流れる水量 電流
電子 惑星 水圧 電圧
電子の公転 惑星の公転 細い管 抵抗
太い管 回線
出典;M.ヘッセ著『科学・モデル・アナロジー』(培風館),山梨正明著『比喩と理解』(東大出版会)
理論モデルは,やはり関係性のモノ化であるが,形あるものとして実在化するよりは,関係性の実体化として,数学的モデルと理論モデルの2つにわけられる。
前者はいうまでもなく,数式や論理式という記号化によって,関係性そのものの機能と構造を表現する。そのいい例が,市川亀久彌氏の等価変換理論の“等価方程式”である。
出典;市川亀久彌『創造性の科学』(日本放送出版協会)
V iという適当な観点によって,Aο,Bτという既知の事象が,共通項сεによって等式が成立する,あるいは,既知であるAοという事象にviという適当な観点を導入することによって,Σaを廃棄し,新たなΣbを加えることで,AοからBτへと等価変換したことを意味している。つまり,両者を同じもとの見なす(同定する)観点によって,異なる両者を等号で結びつけられる新しいパースペクティブが開けることを,表現したのである。
理論モデルは,仮説を単純化した図式で表現する概念モデル(例えば,時空の虫食い穴によるタイムマシンモデル,あるいは素粒子が点ではなく広がりをもつとする,下図の超ひも理論のヒモモデル)やもっとイメージ豊かに構想された仮想的モデル(例えば,今日のコンピュータの出発点となった,記号で作動する装置を想定したチューリング機械モデル)がある。
出典;F・D・ピート『超ひも理論入門上下』(講談社),松田・二間瀬『時間の本質』(講談社)
われわれに重要なのは,モデルは,情報ビジュアル化のもっていたと同様に,アナロジーをよりビジュアルにしているだけに,具体的イメージが描け,思考を展開していく「案内人」としては最適であり,これを枠組として,新しい見え方が探りやすいという点なのである。
比喩とは,ある対象を別の“何か”に喩えて表現することである。通常言葉の“あや”と言われる。その意味やイメージをそれによってずらしたり,広げたり,重層化させたりすることで,新しい“何か”を発見させることになる(あるいは新しい発見によってそう表現する)。これもアナロジーの構造と同様で,比喩には,直喩,隠喩,換喩,提喩といった種類があるが,直喩,隠喩が《類似性》の言語表現,換喩,提喩が《関係性》の言語表現となる。
1,直喩
直喩は,直接的に類似性を表現する。多くは,「〜のように」「みたいな」「まるで」「あたかも」「〜そっくり」「たとえば」「〜似ている」「〜と同じ」「〜と違わない」「〜そのもの」という言葉を伴う。従って,両者は直接的に対比され,類似性を示される。それによって,比較されたAとBは疑似的にイコールとされる。それは,
対比された両者が重ね合わせられることを意味する。ただし,全体としての類似と部分的な性格とか構造とか状態だけが重ね合わせられる場合もある。ただ,「コウモリは鳥に似ている」「昆虫の羽根は鳥の翼に似ている」等々,既知の類似性を基に「AとBが似ている」と比較しただけでは直喩にならない。「課長は岩みたいだ」「あの頭はやかんのようだ」といった,異質性の中に「特異点」を発見し,新たな「類似」が見い出されていなくてはならない。
2,隠喩
隠喩も,あるものを別の“何か”の類似性で喩えて表現するものだが,直喩と異なり,媒介する「ようだ」といった指標をもたない(そこで,直喩の明喩に対して,隠喩を暗喩と呼ぶ)。したがって,対比するAとBは,直喩のように,類比されるだけではなく,対立する二項は,別の全体の関係の中に包括される,と考えられる。AとBの類似性を並べるとき,
@ A
B
出典;佐藤信夫『レトリックの消息』(白水社)
@のようにAとBが重なる直喩と同じものもある(「雪のような肌」と「雪の肌」)が,Aとなると,先に挙げたハーヴェイの「心臓のポンプ」を想定すればいい,このとき「心臓」と「ポンプ」は両者を包括する枠組のなかにある。Bは,一般的な隠喩であり,「獅子王」とか「狐のこころ」といったとき対比する一部の特徴を取り出して表現している。
この隠喩は,日本的には,「見立て」(あるいは(〜として見なす)と言うことができる。こうすることで,ある意味を別の言葉で表現するという隠喩の構造は,単なる言語の意味表現の技術(レトリック)だけでなく,広くわれわれのモノを見る姿勢として,「ある現実を別の現実を通して見る見方」(ラマニシャイン)とみることができる。それは,AとBという別々のものの中に対立を包含する別の視点をもつことと見なすことができる。これが,アナロジーをどう使うかのヒントでもある。即ち,何か別のモノ・コトをもってくることは,問題としている対象(われわれにとっては,グループ化した情報群)を“新たな構成”から見る視点を手に入れることになる。
3,換喩と提喩
換喩と提喩は,あるものを表現するのに,別のものをもってするという点では共通しているが,直喩,隠喩とは異なり,その表現が両者の“関係”を表している(“言葉による関係性”の表現)という共通した性格をもっている。両者の表現する《関係性》は,換喩が表現する《関係性》が,空間的な隣接性・近接性,共存性,時間的な前後関係,因果関係等の距離関係(文脈)であり,提喩が表現する《関係性》が,全体と部分,類と種の包含(クラス)関係(構造)となっているが,この違いは,換喩で一括できるほどの微妙な違いでしかない。
換喩の表す関係は,「王冠」で「王様」,「丼」で丼もの,詰め襟で学生,白バイで交通警察,「黒」「白」で囲碁の対局者,ピカソでピカソの作品等々に代置して,相手との関係を表現することができる。そうした関係を挙げると,
・容器−中身
・材料−製品
・目的−手段
・主体−付属物
・作者−作品
・メーカー−製品
・原料−製品
・産地−産物
・体の部分−感情
等々,がある。いわば,その特徴は,類縁や近接性によって,代理,代用,代置をする,それが表現として《関係》を表すことになる。
一方,提喩となると,その代置関係が,「青い目」で外人,白髪で老人,花で桜,大師で弘法大師,太閤で秀吉,といった代表性が強まる。この関係としては,
・部分と全体
・種と類
・集団−成員
等がある。ただ注意すべきは,全体部分といったとき,
木→幹,枝,葉,根……
木→ポプラ,桜,柏,柳,松,杉……
では,前者は分解であり,後者はクラス(分類)を意味している。前者は換喩,後者が提喩になる。
4,比喩による推論
この《関係性》表現が,われわれに意味があるのは,こうした部分や関連のある一部によって,全体を推測したり,関連のあるものとの間で《文脈》や《構造》を推測したりすることである。対象となっているものとの類縁関係やその包含関係によって,その枠組を推定したり逆に構成部分を予測したりすることで,われわれは,隣接するものとの関係や欠けているものの輪郭や全体像の修復や補完をすることができるのである。これは,すでに推理にほかならない。
こうした比喩の構造をまとめてみれば,
[類似性] [関係性] [推論]
《直喩・隠喩》→《換喩・提喩》→《推理》
となるだろう。われわれは,“まとまり"としての類似性をきっかけに,似た問題を探すことができる。そして更にその中の《文脈》と《構造》の対比を通して,未知のものを既知の枠組の中で整理することができる。しかし,最も重要なことは,ひとつの見方にこだわるのを,比喩を通した発見によって,全く別の《文脈》と《構造》を見つけ出せるという,いわば見え方の転換にあるといっていいのである。
“新しい構成発見”の手掛かりとして,以上のアナロジー・モデル・比喩をどう活用するかを考えるためには,この3者の,補完関係を整理しておかなくてはならない。
[類似性] → [関係性]→[論理性]
直喩・隠喩→換喩・提喩→推理 (比喩)
類比→ 類推
→推論 (アナロジー)
スケールモデル →類推モデル →理論モデル
(モデル)
アナロジー・モデル・比喩の関係を,誤解を恐れず,簡略化すれば,上のようになる。「〜として見る」がアナロジーであるなら,それを比喩的に言えば,“意味的仮託”あるいは“意味の置き換え”であり,“価値的仮託”あるいは“価値の置き換え”である。モデル的に言えば,“イメージ的仮託”あるいは“イメージの置き換え”であり,“形態的(立体的)仮託”あるいは“形態の置き換え”である。仮託あるいは置き換えること(仮にそれにことよせる,という意味では,代理や代置でもある)で,ある“ずれ”や“飛躍”が生ずる。だから,それを通すことによって,別の見え方を発見しやすくなるということなのだ。なぜなら,前述したように,われわれの意味的ネットワークの底には,無意識のネットワークがあり,意味や知識で分類された整理をはみ出した見え方を誘い出すには,このずれが大きいほどいいのだ。
われわれが,アナロジーを使うのは,自分たちがテーマをもっていて,それをよりうまく表現するためでも,言いたいことをモデルによって新しい関係の中で表現してより的確に伝えるためでもない。大事なことは,われわれは,自分たちの関係づけた情報群に《意味》と《構図》を発見したいのだ。つまり「それがもっているはずの(隠れた)テーマ」を見つけたいのだ。そのために,アナロジーを下絵や隠し絵,あるいは手本にして,それをトレースすることで,隠されていたものを炙り出したいのだ,ということを忘れてはならない。
創造性のステップで言われる“あたため”というものがあるとすれば,この“下絵”の発見のための時間にほかならない。どういう下絵が,新しい見え方をもたらすのか,「そうか,そういう見方をすればいいのか」と気づく発見的認識をもたらす隠し絵を,アナロジーを使って見つけ出さなくてはならない。そのための時間が必要なのだ(アナロジーを通してモノを見ることを図
式化したのが,別図である)。
アナロジーを通じて(媒介にして)別の見え方をつかむという意味では,その媒介が言葉なら別の意味に,モデルなら別のモノ・コト(空間表現)に,似ていれば類似性が,つながれば関係性が,それぞれ見つかるはずである。では,そうしたアナロジーを見つけ出すにはどうしたらいいのか。
その鍵については,前述した通り,ゴードンが幾つかを,類比タイプを分類している。それをもう少し整理し直すと,考え方として,2つになる。
第1は,アナロジー(あるいは比喩表現,モデル表現)着眼点の整理である。どういう視点に立てば(どんな見方をすれば)どんなアナロジーが見えやすい(どんなアナロジーとなる)か,われわれの視点(見方)別にリストアップしておくアプローチである。ゴードンの挙げた擬人的類比,空想的類比はここに含まれる(アナロジーの見方チェックリスト参照)。
第2は,見えているものから想定できる(炙り出せる)アナロジーの基本パターンをチェックリスト化することである。それは,アナロジーの類似性,関係性の構図をできるかぎりリストアップし,それと対比することで,強制的にこちらの目にスクリーンをかけ,アナロジーを発見しやすくしようとするものである(アナロジーのパターンとなる,かくかくの見え方はないか等々)。これによって,見えているものの背後に隠されているアナロジー可能態を次々洗ってみることができる。ゴードンの挙げた直接的類比,象徴的類比は,ありうるアナロジーの構図(パターン)の1つと考えることができる(アナロジーの見え方チェックリスト参照)。
(以下続く)
アナロジーについては,ここを御覧下さい。
アナロジーの見つけ方については,ここをご覧下さい。
アナロジーの見方チェックリスト,アナロジーの見え方チェックリスト参照下さい。
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