の渦巻きのようなイメージを浮かべることで,文字の列の特色をつかむことができるし,cとd,bとeが向き合った反射の関係とイメージしたりもできる(相良・前掲書)。その意味で,この直感とでもいうべきものは,イメージを想定することで全体像をつかまえやすくすることは事実である。
確かにこうした映像的な思考,つまりいわゆる右脳的思考は,コンピュータの最も不得意とするものであり,全体的な判別,認知という経験に即したわれわれにとっては利点というべきものではあるが,それがいわゆる右脳論以来過大評価されすぎているように思われてならない。空間情報の処理を右脳がやっているという常識化した見解に対して,全体をつかむイメージの形成には左脳が大きく関与しているとする実験結果も少ないがあるし,知識の枠組が全体を一括して把握するのを助けるとする,後述のハンソンの指摘もある。こうした視覚イメージを内部記憶によって総合するためには,左脳の機能が大きく作用するというのは,また当然考えられる反論なのである。
むしろ,大事なのは,右左で脳の機能を2分する発想自体が問題なのである。われわれがイメージを浮かべているとき,脳の活動部位は,右左といった単純な区分ではきかないくらい,後頭葉,前頭葉,下部側頭葉,頭頂葉,全体にわたっている,といわれる。しかも,イメージは受動的に画像を思い描くというようなものだけではなく,能動的に(先を読むというように)働かせており,その意味では常識的な左脳の「枠組」や「パラダイム」「予期図式」のようなものをもって,予測的予期的に描いてみせるという面ももっていることを見逃せないのである。「知っているものを見る」「見たいもの(しか)見えない」「見たいものをみようとする」というのは,こうした知覚イメージもまた,われわれにとって習得されたものだからだ。その意味では,直感もまた,一種の思考の慣性といっていいのである。