情報を異質化する-1-
情報を異質化する-2-
情報を異質化する-3-
通常情報で問題にされるのは,
まず第一に,集めてくる情報の量や質であり,
第二にその分析の正確さ,解読の正しさである。
しかしそういう情報のとらえ方には,情報とは外から集めて来るものであって,それを分析すれば正解が出てくる,という思い込みがある。情報とは外から集めてくるという考え方には,物真似が肌身に染み込んだ習い性がありはしまいか?もし発想という目で情報を眺めるなら,情報収集→分析へとストレートにはつながらず,その間に,情報そのものを疑い,ためつすがめつするプロセス,つまりいったん情報を解体→括り直す過程が入っていなくてはならない。そこで問題なのは,どれだけ正しい情報を集めるかではなく,手持ちの情報をどう新しい視野の中で見直すかにある。ここで集めるとは,外からの収集を意味していない。
情報を集めるためには,次のプロセスがある。
@外部からの収集 問題になっていること,テーマとなっていること,目標となっていることに関わるデータ(情報,事実,アイデア,着想)を,直接間接多角的に収集し,集約すること。
A内部からの収集 外からの収集だけ(それなら,正解を探しているだけ)でなく,それについての内からの視点,基準による評価,印象が問題となるし,手持ちの知識,体得したコツ,記憶の中の想い出,経験等の内部知識もまた集めるべき情報である。その場合,自分だけのこともあれば,組織やメンバーの知識・経験のこともある。
B情報の分解 以上の@,Aによって,収集,羅列,洗い出し,と同時に集めたデータをいかに分解するかが重要になる。それが単なる再現から再構成を可能にする鍵となる。
つまり,《集める》プロセスでは,@〜Bのどこまで踏み込めるかによって,集められたもののレベルが違うというふうに言い換えることができる。それは,目的(何のためにするか)によって左右されることである。地図づくりのように,情報を集めて事実を再現しようとする場合には,同一レベルのものをできるだけ細かく集めることが大事なのであって,異質化することは混乱するだけで無駄なことである。その意味では,発想のためには,AB,とりわけBのレベルの《集める》作業が重要であり,そのためには,同一コードや同一レベルのものを細分化するだけではだめであり,レベルも視点も形さえもバラバラにする必要がある。
できるだけそのまま再現しにくくなるまで,レベルも,質も内容もバラバラにして,種々雑多な情報を集めるためには,ジグソーパズルの例などでみたように,
@あたうるかぎり(最小単位ぎりぎりまで)細分化することで,元の輪郭,形態,文脈,意味,属性,枠組を留めなくすること,
A具体化・個別化(どういうときにどうした,誰がいつどうした,何がどうなった)することで,一般的な概念や意味から更に噛み砕き,ブレークダウンすること,
B一方向だけではなく多面的多角的なものにすることで,パースペクティブ(一定の見え方)を崩すこと,固定した視点や立場での見方を崩すこと,
Cタテ・ヨコ・ナナメ・十文字のつながりを拡大あるいは縮小,変形して,固定した脈絡をなくしてしまうこと,
Dもとの条件を変えてしまうこと,
等々,ただ細分化するだけでなく,1つのものを別の視点から見たり,具体化したり,逆に抽象化したり,置き換えたりすることで,そのまま1つひとつを集め直しても,破片のように全体を復元できないような分解・解体であり,だから情報の異質化なのであり,これを“情報のバラバラ化”と呼ぶ。これはまた,“既知のパースペクティブを崩していく”プロセスにほかならない。これによって,見慣れた見え方を崩し,知識・経験のアテハメを防ぐのである。
更に,大事なことは,このバラバラ化によって知識・経験の意味や輪郭から切り離され,
@自分のいつもの見方がしにくくなるだけでなく,
A自分の中に隠れていた知覚・イメージ・感覚が触発され,
B元の意味や形から切り離された,バラバラの素材同士に別のつながりが炙り出されてくる,
ということなのである。それは,何かの意味のつながりの一部として,あるいは何かの輪郭の断片として,見分けるということではない。それ自体独立した素材として,既知の意味・理屈のスクリーンなしに,直接に記憶の中のバラバラの知覚,感覚,イメージへの刺激となるのである。バラバラのものがもつ異質性が,頭の中で文脈や意味のネットワークに収まっていた想い出・記憶の断片を直接刺激し,バラバラに切り離されて浮かび上げる。ちょうど,脳の一部に電気の刺激を与えられると,きれぎれに記憶のイメージが浮かぶのと同じように,意味のつながり経験のつながりとは切れた断片が直接引き出される。それが,まったく異質な情報の間の予期せぬ“つながり"を発見させるのである。いわゆる直観,ハッと思いつく,ハタと気づく,ひらめく,というのはこういう状態である。
通常,われわれは何かを想起するとき,既存の知識のネットワークを使って,過去に関する断片的な情報をつなぎ合わせ,一種の「物語を再構成」(つじつま合わせ)している。つまり,手掛かりになる情報を,既知の知識に合わせることで,紋切り型のものにしてしまう。
しかし,われわれが手に入れられる知識は,自分で気づいているよりもはるかに大きい,といわれる。無意識のネットワークは通常,意識的に明らかにできるよりも遥かに多くのことを知っているのである。われわれの「意識的システム」よりも豊かな知識・経験をもっている「無意識的システム」によって,意識的にしている以上の「現実との接触」をしている。意識は,忘れていることが多いのである。記憶の中の,思い出,エピソードに代表される個々人の経験,学んだ知識,身につけたスキルの多くは,意識からは埋もれてしまっている。それが,文脈から解かれたバラバラの情報からの刺激によって,開かれる,あるいは誘い出されるのである。それによって,バラバラの情報に更に別の情報との関連ができ,それが別の連想を生むというかたちで,情報の拡散(これこそ,言葉本来の意味での拡散である)をもたらすはずである。
しかも,記憶などの内部情報は,外部に出す(表現する)こと自体で,われわれにとって異質化なのである。文字にすることは,頭の中で感じたり考えていたことと微妙なギャップがある。書くだけでもやもやがはっきりすることもあれば,逆に表現しきれないニュアンス残ることもある。われわれの網膜像をもし他人が見ることができれば,壁に投影された2次元映像のような1つの画像であるといわれるが,もしそれを外部に見ることができるなら,自分の見方そのものを異質化する(こんなふうに見えているのかと)インパクトをもっているはずである。考えていること,感じたことを文章化したり図解したり写真化したりすること自体が,内部にあるときには意識していなかったインパクトとなりうるのである。
以上を整理すると,情報のバラバラ化は次の4つの異質化にまとめ直すことができよう。
@視点の異質化 上から見たもの,下から見たもの,横から見たもの,前から見たらもの,後ろから見たもの,等々,多様な視点(位置から)のものの見方であること。
Aカタチの異質化 大きさのレベル(細分化,巨大化),表現レベル(具体的,抽象的),スタイル(図表,数式,写真)等々,モノやコトがさまざまな形態・様式で表現されていること。
B意味の異質化 人ごとに勝手意味づけ,主観の交じった感情,文脈や意味を共有化しない,意味・価値のバラバラ化。あるいは連想,類比,具体例の列挙等々で,意味の中心から関連あるものへと広げて,意味をずらしていく。
C条件の異質化 過去現在未来,朝昼夜,条件設定がバラバラであること。いつ使うのか,誰が使うのか,どういう場所で使うのか,どんな使い方をするのか等々,条件,状況,つながりを変えてしまう。
つまり,われわれの見方(とらえ方)を形成している情報の,視点,見えるものの形,意味,条件,を変えていくことである。言い換えると,
@視点を動かす
Aカタチを変える
B意味を崩す
C条件をずらす
という4つのアプローチである。以下これを順次詳しくみておきたい。
以下続く
「情報分析のスキル」「情報探索のスキル」「言葉の構造と情報の構造」
「アクセス情報の基本スタンス「情報の向きをつくる」
等々を参照ください。
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