監督機能を切り口にマネジメントを考える
一般に監督者の機能を,課長等の管理者のそれと比較して,
管理者の機能 戦略的 長期的
全体的 外部志向
監督者の機能 戦術的 短期的
個別的 内部志向
といった区別をすることが多い。しかし,この区別に意味があるとは思えない。戦略か戦術かは相対的な問題でしかない。組織全体の目標にとっては,すべては戦術にすぎない。個々の目標にとって,戦略とみなされることも,その上位目標からみれば,その戦術にすぎない。つまりどのレベルのことを問題にして戦略的なのか戦術的なのかを云々しない限り,まったく無意味なのだ。たとえば,個々のメンバーにとって,監督者の示す方向が,自分の仕事達成によって係としての目標達成に寄与し,それが課としての目標達成に寄与し,ひいては組織全体の目標達成の一翼を担っているものでなくてはならない。とすれば,その方針がメンバーにとって戦略的なものでなければならないのは当然ではなかろうか。
大事なことは,目標−手段の連鎖をきちんと抑えた上で,何が自分の役割・立場からの重要な戦略なのかを自覚することだ。とすれば,戦術的か戦略的かということは,個別の役割において考える必要のあることであって,課長には課長の戦略があるように,監督者は監督者としての戦略があると考えることが,問題に主体的に取り組むための前提のはずだ。
更に付け加えるなら,いまどき,監督者と課長の役割に差を設けて考える視点こそ不適切であって,そういう視点で自分の役割を自己限定する監督者は多分失格者となること疑いない。監督者といえど,その上位者の目標・戦略をきちんとふまえなければ自分の方針がブレークダウンできないという意味だけでなく,自分の方針が場合によっては上位者の戦略を修正させなくてはならない場合もありうるのであって,その意味で,監督者が戦術的であることに自己満足するようでは,課長になって突然戦略的な視野でものが見られるようになるとは考えられない。戦略的であることは,内部志向であってはならないし,長期的でなければならないのは,これまた当然のことだ。
そこで,あえて監督者という役職にこだわらず,今日一つの部署ないしチームを統括していくとはどういうことかを考えなくてはならない。その役割は,大きく分けて二つある。即ち,
@向かうべき方向と方針を提示する役割
Aその方向と方針に向け,メンバーを奮い立たせ集団としての力を盛り上げる役割
である。
前者を“旗降り機能”と言うなら,後者を“仕掛けづくり機能”と言うことができる。前者を外部志向,後者を内部志向と称してもいい。これを整理するなら,@は,「トップ方針の実践化(トップ方針のブレークダウンと自部門方針の確立)」「目標の設定とその実行計画の立案,およびその完全達成」「トップの意思決定への参画(戦略マインド)」「問題(課題)の探求(設定)と解決」等々“戦略”にかかわるもの,Aは,「コミュニケーションの円滑化」「協働体制づくり」「部下の育成・指導」「職場風土づくり」等々“戦術”にかかわるもの,ということになる。
これを完遂するためには,「状況の変化を読み取り,いま何をしなければならないかを自覚して,トップに意見具申する力があり,更にトップ方針の実践化に当たっては,それをきちんと自部門にブレークダウンし,メンバー一人一人の目標としてきちんと設定でき,その遂行のための実行計画を立案すると,どうしたらメンバー一人一人の力を最大限に引き出しながら,しかも一人一人の成長をサポートしながら,チーム全体として活気ある体制を形づくれるかに腐心し,目標を完遂しきること」というふうに表現できる。どのレベルがより戦略的で,より戦術的かという区別をつけることに意味があるとはいえないというのは,このことにほかならない。
周知のように,「情報化社会とは,重工業を中心とした世界からコンピュータを中心とした情報通信機器によるネットワーク化した社会」と呼ぶことができる。脱工業化というのは,工業が廃るということではなく,工業が情報によってあらたな結び付きの中に入るということにほかならない。工業化,つまり機械化は,
□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
という線形の工程で表現できる。その各工程ABCは,高度化しても,
A□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
B□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
C□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
各工程は短縮できても,A+B+C…の総和にしかならない。しかし,情報化では,
┌A□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
X┼B□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
└C□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□→□
1コンピュータシステムXにおいて,ABCの工程を同時処理することができる(もちろんフレキシブルに工程を組み合わせられる)。それは,更に集積すれば,いくつものXをZによって,いくつものZを,Yがというように,同時処理の集積度は高っていく。高度とはそういうことである。高度機械化では,生産手段の線型につないだ総和なのに対して,高度情報化では,生産手段は飛躍的に短縮される。
こうした多元的,多層的な展開が可能となる組織で必要なのは,上位者→下位者という仕事の流れや中心→周囲という仕事の格付けやピラミッド型の組織編成でないことは明らかである。必要なのは,多中心的に,個々が自立した動きを同時進行するのを統括していくための,長期的かつ戦略的な視野にほかならない。それをここでは戦略と呼ばなくてはならない。それがあってこそ必要に応じて結合・分離・再結合を柔軟にしながら,多元的な活動を統括することができる。
いま管理者に要請されるのは,どのレベルであれ,自分が集積度の高いセンターマシンとなれるかどうかだ。その下の層でもそうであり,個々のメンバーも別のネットワークのセンターとならねばならない。そうしてこそ,組織活動は多元的かつ多層的でありうる。それを統括すべき管理者が戦略的であるのはまず前提要件となったと知るべきであろう。
侃侃諤諤ページへ
【目次】へ
|