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Critique Back Number 7


高沢公信"Critique"/2002.2.20

 

続々・考えるとはどういうことか

考えるとはどういうことか
続・考えるとはどういうことか

 

  • 論理的思考のみが落し穴なのではない

 イメージが強調される反面で,われわれの言葉や文脈による表現が敵役とされてきた。それは正しいのだろうか?

 確かに,われわれがほとんど言葉,つまり意味や文脈で物事を考えたり,あるいは概念でモノを考えているため,「知っている」というとき,大体「その意味を知っている」「学んだ」「読んだり聞いたり知ったりした」ということである。その意味によってモノを見ている。更に,現実を,学んだ知識・経験(因果関係や法則)によって,ものごとを推理したり,類推したり,演繹したりする(こうすれば,こうなる。こういうときは,こうなるはずだ)。これが知識の力といっていい。こうなるのが当たり前,というわけだ。そしてその多くが,新しい発想の妨げとなってくるとされるのは,こうしたモノの見方がモノの見え方を決めてしまうからにほかならない。だから,そうした知識が問題だ,というのは意味がない。妨げているのは,知識ではなく,知識がこしらえる上げている枠組だからである。

 例えば,われわれは言葉の意味と文脈,論理でものを判断することに慣れ過ぎている,というより,それが科学的であるということを身に染みてしまっている,という点である。そのことがモノを別の角度(幻想や情緒で彩られたファンタジー)から見る,つまり別の視野をつかむのに妨げとなってくる,というわけである。

 その例として,P.ゴールドバーグ『直観術』(工作舎)におもしろい小話が出ている。

 ある心理学者は,ノミに「跳べ」といったら跳べるように訓練した。

 試みにノミの足を1本取ってみたが,まだノミは命令に従って跳べた。

 2本とっても,3本取っても命令に従って,跳びつづけた。

 やがて全部の足をとってしまったら,ノミは跳ばなくなった。

 そこで,この学者は,次の結論を出した。

 「足を全て失ったノミは聴覚をなくす」

 ある意味で論理的に推測していくときの戯画である。陥り易いマイナスを極端にひょうげんすればこうなるだろう。ある情報を理屈だけで考えると自分の手慣れたこじつけ解釈になりがちだ,というわけである。


 あるいは,3段論法でこういうばかげた結論を導くことはないか。例えば,

  すべてのおもちゃはディスカウントで売れる

  すべてのディスカウントは利益が低い

  すべてのおもちゃは利益が低い

 これをどうみたらいいのだろうか。もののとらえ方として,何が問題だろうか?思いつく限り,アトランダムに挙げてみれば,

 @すべてのとか,いくらかのとか,なにも〜ないといった言葉で結論づけられると容認しやすくなる。そういう言葉で表現されると,事実と受け止める傾向が強い。例えば,「この例(データ,現象等)では」「もしそうだとすれば」という条件を消してしまう。

 A確率として読んでいる。確率はありうる正解の1つにすぎないのに,正解=1つとするために,帰納のもっともらしさの危険性がもっと高くなる。

 B結論を否定してみていない(利益率の高いおもちゃはないのか)。逆はないのか,違う例はないのか,と想定してみない。

 Cすべてのおもちゃ販売=ディスカウント販売(ディスカウントのみ)と変換して読んでしまっている。少数事例(あるいは特筆例)を一般化し,すべてに敷衍してしまっている。“たまたま”を“そもそも”と読み変えてしまう。

 D特定モデルで納得している。そういえば某に,某にもは当て嵌まると,勝手に当て嵌まるものだけを思い起こして,それだけで小世界を形成してしまう。

 E意識的にそういうことはありうると考えてしまっている。先入観に合致するとそこから抜け出せない。

 F仮説形成において,それと矛盾する否定的な情報の獲得と使用が下手。負の情報を探そうとしない。合うものを探そうとして,合わないものを探そうとしない。

 等々。言語=論理的思考の陥りやすい傾向を,このように整理できるかもしれない。これは,われわれの思考が,わたしたちが知っていることあるいは知っていると思うことに則して推論しようとする,抜きがたい傾向があるからにほかならない。知識の枠組のもつステレオタイプ性を証拠立ててくれている。こうした過ちを防ぐには,一般には,

 @合理化しないこと=それでは既知のつじつまにあわせるだけ

 A理屈にあわないことをあわないままにする

 B矛盾は矛盾のままにする

 C否定的なものはそのまま受け入れてみる

 D結論を急がない

 E意味や論理だけでなく,感覚,イメージ,動き,経験も含めて考えてみる

 ということを意識的にすることが必要になる,と言われている。むろん,この分析自体にそれほどの誤りはない。実地に当たってみればすぐわかることだ。問題なのは,だから知識ではなく,イメージによる直観を使った方がいいのだ,ということが強調される点だ。実際に自分の経験ではどうなの?自分のイメージはどうなのか?しかし,それは本当だろうか?


  • 思考の枠組みをつくっているもの

 例えば,単純な例を出してみる。車の運転で,車幅が自分の躯のように感じて,車の動き=体感になって,自在に動かせるようになる。しかし,その慣れによって形成された枠組によって,われわれは大きな錯誤を犯すこともまた多いのだ。例えば,下図のように,

 道路の行方を経験から,点線のように読み込んでしまうことがままある。そのイメージで運転していくと,カーブに差しかかったとたん,ヘヤピンカーブなのに慌ててハンドルを切るという目にあったことも少なくないはずだ。

 前述したように,言葉や論理の形成のバックにあるのは,感覚論理的思考であり,イメージの思考であり,「思考を特徴づけている構造は,言語的事実よりも一層深い活動と感覚運動的メカニズムの中に,その根をのばしている」(ピアジェ)のであって,運動感覚的ないしイメージによって形成された思考の構造によって,既に言葉や論理の思考の受け皿が作られている。論理的思考を支えているのは言語的思考であり,それを支えているのが知覚イメージであり,それを左右するのが感覚運動思考なのであって,4つのパターンすべてが層を成していると考えるべきだと前述したのはそういう意味である。ただ,成人になれば意味や理屈の判断という形をとることが多くなるというだけのことなのだ。

 だから,イメージや感覚が大人の常識の枠組を外しやすいというのは誤解にすぎない。むしろ,イメージや感覚の枠組があるから,言葉や論理の制約を強化するといったほうがより正確なのである。そのいずれもが,ともかくわれわれの知識と経験の蓄積の上に形成されてきたものであり,モノを見る「枠組」として制約となっている,という意味では,同列だということなのだ。

 われわれの知識のネットワークは,基本的には,論理的組織ではなく,世界が私たちの経験の中で総合されるあり方を反映している。記憶は,ほとんどの場合実在の写しではなく,実在をもっともらしく再構成したものであり,典型的な事態に対する強調がつきまとっているのだ,ということが大事であり,その意味では,イメージや感覚こそが最も歪んでいるのかもしれないのだ。感覚やイメージが過大評価されるのと同様,知識を過小評価することに意味があるはずはないのである。

 問題なのは,右脳と左脳の機能区分を,効能の区分と同一視したところにある。どちらか一方が錯覚や錯誤に加担しているなどということはないのだ。“あれかこれか”は,脳機能においてもない。両者相俟って,われわれの発想を制約しているということを見失うと,ブレークスルーを,誤った感受性や感覚の強化にのみ走らせることになる。感覚だけを評価したり,知識のみを強化したりすることを,本書で取り上げることはない。よくも悪くも,われわれの発想に窓枠を嵌め,それが一方でパターンを直観させ,他方で発想を制約もするのは,われわれの形成・蓄積してきた思考の4軸そのものの結果なのである。(了)

考えるとはどういうことかは,ここ
続・考えるとはどういうことか
は,ここ


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