“やる気”をどうカタチにするか
“やる気”は,一般には,「何にでもばりばりやる」「積極的に何でも取り組む」「困難なことでも根気よくやり遂げる」「何にでも進取の気持がある」というイメージが強いのですが,ある調査では,「静かに熟考する」「納得しないことはやらない」「感受性が強い」「生き生きしている」「仕事を楽しんでいる」「何かを達成しようとする意志が強い」「ユーモアがある」「心に余裕がある」「人中では目立たない」「やさしい配慮がある」と,かなり幅広いイメージだったようです。 これは,世代によっても,職位・職責・職種によっても違ってくるだろうことが当然予想できますし,業種や会社や職場によっても,違ってくると考えていいはずです。
ということは,どういう“やる気”を求めるかということは,どういう仕事のやり方を求めるかということでもあるということになるはずなのです。ですから,「あいつはやる気がない」と言っているとき,管理者が,どういう働き方を期待して言っているかが問題です。
「バリバリ動き回る」とか「根性がない」といった肉体的な表現のほかにも,「あんまり会議でも発言しない」「自分の主張がない」「チャレンジする気持がない」「言われたことしかしない」「高めの目標を与えてもそれをクリアしようと努力しない」「すぐできません,わかりませんと音を上げる」「自分でとことん考えようとしない」「仕事を掘り下げようとしない」「仕事の幅が狭く,積極的に努力したり勉強したりしない」といったイメージを指しているかもしれません。
しかし,そう言っている管理者が,自分の一方的な期待で“やる気”決め付けているとすれば問題です。自分ではそうしていないつもりでも,自分のそうしたイメージをつくってきたのは,自分の仕事のキャリア・経験であり,その会社なり組織のもっている価値観・規範を身につけてしてしまっているのであり,そのため,無意識でそれを自分のイメージとしてしまっているかもしれません。
例えば,「仕事に積極的に取り組む」というのが,“やる気”のイメージだとしましょう。その「積極的」という中には,「いつもいい方に前向きに考える」「どうしたらいいかとことん工夫する」「自分の責任でやろうとする」「何についても主体的に取り組む」「いつも先へ先へと読む」といった多様な意味があるはずです。上司は,「前向きに考える」というイメージだが,部下は「どうしたらいいかとことん工夫する」ことだと考えていたとすれば,部下にとって,取り組むまでには時間もかかるし,性格的に不安を一つ一つ除去してからでないと着手しにくいところがあればなおさら,上司をじりじりさせるかもしれません。「何をぐずぐずしているんだ」と上司が性急に催促すれば,部下は「この人は自分の業績のことしか考えていない」「早くやりさえすればいいと思っている」という受け止め方をし,それが度重なれば,上司との間に決定的な齟齬と反発を招くことになるかもしれません。
いまは,管理者側の“やる気”イメージの偏りを問題にしましたが,部下側が「やる気がない」「やる気をなくしている」というのは,どういうことで感じるのでしょうか?
ちょっと考えてみても,「仕事で失敗して自身をなくした」「自分の能力不足で自分がいやになる」「仕事が合わない,面白くない,興味がわかない」「自分の力が生かせない」「自分の意見が通らない」「上司・職場と合わない」「上司・職場に評価されない」「会社のシステムに納得できない」といったことが想像できます。
これは,おおざっぱにわけると,自分の内部要因と外部要因の二つあることが想定できます。しかも,自分の内部には,自分の努力といった側面と,自分の能力・感性といった側面の二つがあると考えられます。
心理学的には,それには「もう少し努力すればよかった」という努力不足に原因を帰属させる助言が,能力に原因を帰属させるよりも“やる気”育成に有効であると言います。が,問題は,それを援助する上司が,個人としてより以前に,職制として,もともと「もっと努力しろ」という姿勢を強いる環境として,組織の風土・制度・価値観を体現するものとして,部下の前にある,ということを見落としてはなりません。
有名な心理学実験に,繰り返し逃れられない電気ショックにあった犬が,別の場面で,逃れられるショックを避けようとしなくなる,という「無気力の獲得」を示したものがあり,自分の力ではいかんともしがたい事態を前にすると「無気力」に陥ることを現したものとされています。これは犬だけでなく,人間にも該当するとされています。
しかし,この外部的な不可避の力は,意識的でなく無意識的に行使しているときの方が多いのです。
例えば,「お前は努力が足りない奴だ」と,自分なりに全力を尽くして頑張ったつもりなのに,いつも及ばずに,上司から「努力不足」としかみられない人の場合,それを運のせいや自分の努力のせいにする人の方が,自分の能力のせいにする人よりは,無気力に陥りにくいとしても,度重なれば十分“やる気”をそぐ力になり,「この上司の下では芽がない」と感じてしまえば,ますます“やる気”を失うかもしれません。
そう考えてみますと,「努力がない」と評価するときも,それがどういう視点から何を問題にしているのか(自分がどういう期待をもっていて,その何が期待水準とギャップを生じているのか)をはっきりさせていなくてはならなはずです。そこから初めて,それまで組織そのもののように眼前にあった上司が,個人の顔をした上司某としての指導が始まると言えるのです。
そう考えれば,部下の仕事を評価する管理者の発言で最も嫌われるのが,「じゃあ,まぁいいか」「仕方ないか」「しょうがねえな」「そんなもんか」という言葉だと言われるのも当然のことです。
駄目だと言うには,何がどうまずいのか,どこがなぜまずいのか,をきちんと説明しなければなりません。それには「目標設定時に期待値を正確に明示したのか」「そのための計画立案においてシビアに予測させたのか」「途中でのチェックとフィードバックはしたのか」など,管理者側が,自分が仕事(課題)を与えたとき,期待水準と成果基準をきちんと明示し,部下と刷り合わせるという,しかるべきマネジメントをしたのかどうかがなくてはならないのです。そのためには,管理者の中に,どういう“やる気”=どういう仕事の仕方を求めているのかが,明確になっていなくてはなりません。もちろん発汗型仕事から発想型仕事に転換しているのに,発汗型やる気を強要している管理者は,知らず知らずに電気ショック型マネジメントを行使していることになります。
少なくとも,ある組織に入ってきた以上,“やる気”の中身は違っても,もともとその人なりに“やる気”をもっていたはずなのです。それをそいだり,低下させたのは,その組織と職場と管理者ではなかったかと,まず考えてみることが大事です。
例えば,部下のキャリア段階別にみてみますと,入社早々の時期は,組織内の一員として認知される期間と考えることができます。そのためには,組織の規範・価値観の受け入れ,職務遂行のための基礎知識・技能などの習得,同僚・上司など職場の人間との関係づけなどの経過を経て,しばらくすると,一員として何をすべきか,何を期待されているか,を自覚させられて,ようやくメンバーとみなされていくことになります。その時期を越えると,メンバーとしての役割・責務に応じた目標設定・遂行,意思決定への参画,自己能力の向上などが求められていくはずです。
心理学的には,その過程で,組織の中で,自分の能力に見合った目標を設定させ,小さな目標を段階的に踏ませていくことで,成功体験を積み重ねて,「自分の有効感・有能感と自己決定感」(自分がやった結果できた・役立ったという満足感)を味わわせていくことが重要であるとされています。
そのためには,肯定的な自己評価を下していけるように,不安や異和感を除去するきめ細かい上司からのフィードバックや励まし,ブレークダウンした目標の設定,上司・職場からのメンバーとしての承認,積極的な期待の表明,適切な支援・助言,肯定的な評価のフィードバック等によって,組織の中に自分の位置と役割を意識化していけるように,指導していくことが必要であると指摘されています。
ここまでは,常識的なマネジメント知識かもしれません。しかし近年それがうまく噛み合わなくなってきているのではないでしょうか。なぜなら,若手社員が,入社早々から,格段に「自己有能感と自己決定感」に対して,意識過剰になっている傾向が強いからです。これは衣食住といった生理的・社会的欲求が充足され,欠乏(充足)動機よりは,喜びや刺激や,いわゆる自己実現を求める成長(満足)動機の強まっている今日,やむをえない傾向ですし,両親のどちらかというと,過剰気味な応答的環境(“やる気”をもって自主的にやったことが現実に適合した望ましい方向に向いているようにお膳立てされた環境)で,一方的に“やる気”を助長されてきた結果ということができます。
子供の自主性を育てる“応答的環境”について,心理学者は,
@自由に探求できる環境
A行為の結果がすぐに知らされる環境
B自分のペースでことが運ぶ環境
C環境内の物事の規則性を発見するのに自分の能力がフルに活用できる環境
D規則性を他の場面にも応用できるように整理された環境
の5条件を挙げています。しかし現代の両親が,自分達の望む方向へ過剰な応答的環境によって形成された意識が問題なのです。多少パターン化した言い方になりますが,受験勉強を中心として,この条件を作り出している環境は,知識面に限定した管理された環境であること,自主選択の体裁を整えながら,その実引かれた軌跡をトレースしているだけであること,そのくせ「自分の個性や興味」を尊重する外面は保たれているのに,一人で準備し計画しやり遂げるという実行性を育てられる機会が少ないこと,現実の遊びや社会的な関わりから遠ざけられ,人間関係などを排除した温室的なものになっていること等によって,若手社員は過剰な(というより現実の中で試したことのない)“有効感と自己決定感”を抱き過ぎているのです。
自分の個性や興味を生かすことについて,強い主張があること自体は,むしろいいことなのです。それを,いままでのように組織内化だけに力点をおき過ぎると,“やる気”の低下につなげてしまう恐れがあります。「管理者ではなかったか,とまず考えてみる」と言ったのは,その意味です。いま“やる気”について考えることは,部下側に強いこうした自己意識と組織とにどう通路をつけるかなのです。
“自分”は「こういうことをしたい」「こういうことを生かしたい」「こういう面を伸ばしたい」「こういう仕事につきたい」という,人為的環境で形成された,イメージ的,ムード的な願望の場合,現実と衝突しながらそれを実現してきた経験が少ないだけに,結果に性急で,すぐやらせてもらえないと“やる気”をなくしてしまうし,ちょっとした失敗でも,それに対する耐性が小さく,内部より外部に原因を求めがちで,「この上司は何もしてくれない」「この上司はわかってくれない」と考え,転職に直結してしまう恐れすらあります。
上司・先輩からみると,必要なスキルもない,事態の困難性もわかっていない,現実面についてあやふやな理解しかない,「何を言ってるんだ」と言いたくなる場面も少なくないはずです。
つまり彼らに欠けているのは,“やる気”を実現していく手段的活動なのです。そういうものを自分で工夫してきた経験がないのです。通常はそういう手段を通して“有能感”を育てていくはずなのに,それを現実にクリアしないままムード的に“有能感”をもってしまっているのです。それを改めて味あわせてやる必要があるのです。
心理学者は,手段的活動を次のように整理しています。
@行為面での有効手段……情報収集法,いろいろ試してみるやり方,現実検証の仕方,自分の考えの表現方法・伝え方,できるまで訓練する仕方,効果をあげるために必要なものの準備の仕方,相談・援助の求め方
A精神面での有効手段……現在の課題設定の仕方,計画立案の仕方,実行前の予測方法,長期的な目標への取り組み姿勢,独自のやり方の工夫,状況に合わせた自分の行動選択の仕方,着手前のチェックの仕方
この全てに欠けているとは言えませんが,こうした現実化への手段が比較的苦手なことを理解して,彼らなりの“やる気”を生かす工夫が,いま必要のように思われます。
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