先ほどの例でいいますと、「マイナスネジのカタチに似たものを思い出そうとしたがまったく思いつかなかった」というのは、どういうことなのでしょうか?
ひとつ考えられるのは、マイナスネジというカタチそのものが、次のものを思いつく前提になってしまっているということです。つまり、マイナスネジに似たものはないかと考えたとき、マイナスネジの大きいのとか小さいのとか、マイナスネジのバリエーションしか思いつかないのは当たり前です。どれもこれも同じマイナスネジでしかないのですから。
もうひとつの原因は、円と直径の平面図そのもののカタチを思い浮かべて、それに似たものを思い浮かべようとしたからということかもしれません。そのとき、たとえば、上から見てそう見えたのだから、横から見て同じように見えるものはと考えれば別の展開になったかもしれません。あるいは、それを面ではなく、球や筒として見たら、というように展開することもできたかもしれません。
どうしてそうできなかったのでしょうか?それは、一つ見えた形や思いついた視点から離れられなくなったからです。
どうしてそうなってしまったのでしょうか?それは、どうやってそれを思いついたかを考えようとしなかったからです。
スキルや方法は、いわばやり方についての知識です。自分がやったやり方を人に語れることです。子供の頃、ゲームでもプラモデルの出来不出来よりは、攻略本やマニュアルにない独特のノウハウを語っていた仲間がいたはずです。彼は、自分が成功した体験を自分なりの方法として完成させていたのです。ご自分で、どうやったかを振り返り、チェックし、人に語れるようにすることが、自分のスキルにするための大事な作業です。これを、自分の知識のメタ化と言います。
「マイナスネジ」にしか見えない状態は、どうやってマイナスネジを思いついたかが語れない状態です。それは無意識で思いついたことを、ぼんやり挙げただけなのです。
数を出すほどいいと言われている以上、「マイナスネジ」にこだわっていても仕方がないのです。
それを切り替えるには、大体次のようなタイプがあると考えていいでしょう。
@マイナスネジ似たカタチのものを、必死で思いつこうとする。
Aマイナスネジから離れて、同じ形を幅広く考えて見ようとする。
B平面としての円と直径から、立体や球に探索を広げようとする。
Cなぜマイナスネジに見えたのかを考え、それを他に広げて考えようとする
@とAは、大差ありません。BとCは、いずれから入っても、似たようにかなり展開できるはずです。
Bの場合なら、円として見ないで、円筒、球、円錐と見たらどうなるかに切り替えることですし、Cなら、円として見たのは、上から見てそう見えたのだ、ヨコから見たらどうなるか、下から見たらどうなるか、と切り替えていくことになるでしょう。Bは、Cの切替を無意識的に済ませてしまったと、言えるかもしれません。
大事なのは、@やAのように、もう行き詰まっていると分かっているのに、そこで無意味に頑張ったり、やみくもうんうんうなるのか、BやCのように、意識して別の見方はないかと、切り替えていけるかどうかの違いです。
もうお気づきの通り、「発想への引っ込み思案チェック」で確かめた発想のタイプがここに出ているのです。
たとえば、錠剤、マイナスねじの頭、駐車禁止の標識等々が浮かんでとまったとします。しかし、そのカタチにこだわっている限り、似たものを思いつくのを待っているだけなのです。数の多少は、そんなに違いはないはずです。似た形のものが並んでいるはずです。
しかし、早めに気づいた人は、いろいろ工夫を始めたはずです。たとえば、平面ではなく立体、球、あるいは凸状態なのか、凹状態なのか等々。いったん、
自分の見たものの形
自分の見ている視点
は何で、どうしてそう思いついたかをチェックすれば、それとは違う形を思いつくのは難しいことではないはずです。多分10個±αまではいくはずです。
しかしそれ以上出そうとすると、もっと別のタブー破りが必要になります。たとえば、
桃
と思いついたとします。普通は、それとは別の似たものへと移るはずですが、続けて、
スイカ
瓜
みかん
オレンジ
メロン
等々とつなげていく人がいたはずです。大体の人は、
「それはまずいだろう」
「それはずるい」
と待ったをかけるところです。そのまますすめるとしても、どこか照れ笑いを浮かべながら、後ろ暗い思いをしながらのはずです。
でも、なぜまずいのでしょう。そこにあるのは、経験から自分で作ったタブーです。それを破るには、これで良いのだという確信犯的な、自覚が必要です。でないと、そうは続けられないからです。
なぜ、そうしたタブーをつくるのでしょうか?この問題を先に解いておきたいと思います。(以下続く)