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Critique Back Number 3


高沢公信"Critique"/2000.7.20

 

問題の見方・見え方

問題の見方・見え方2

 

  • 問題はすべて私的である

 認知心理学の知見では,“いまはこういう状態である”という初期状態を,それとは異なった別の“〜したい状態”(目標状態)に転換したいとき,その初期状態が“解決を要する状態”つまり“問題”となる。

 言い換えると,眼前の状態を“問題”とするかどうかは,目標状態をもっているかどうかによるということにほかならない。つまり目標がなければ,初期状態に問題は存在しない,ということを意味する。

 ここから3つのことが言えるだろう。

 第1は,問題とは,所与ではなく,当該の状態を問題と感ずる人にとってのみ存在するという意味で,「私的である」ということである。だから共通な問題が“ある”のではなく,私的な問題が共通な問題に“なる”あるいは共通な問題に“する”にすぎない。

 第2は,目標状態の中身を,いわゆる“目標”のほかに,例えば達成すべき課題水準,維持すべき水準,保持すべき正常状態,守るべき基準といったものに敷延して考えていくと,目標状態とは,自分に負荷している目的意識からくるものであり,それがあるからこそ現状に対して“問題”を感じさせるのだと言えるだろう。だから関心や興味があれば問題を感じるというのは誤解にすぎない。関心や興味が目的意識への端緒になるから,そのような錯覚を生むだけで,関心があってもそこから自分の目標を明確化していなければ,現状との“解決すべき”ギャップは鮮明でなく,ぼんやりした不安や不満といった情緒にとどまるだけだろう。

 更に第3に,目標と関わる心理状態を,「〜したい」(欲求)状態だけでなく,他に「〜しなくてはいけない」(使命・役割)「〜する必要がある」(役割)「〜すべきだ」(義務)「〜したほうがよい」(希望)といったものまで想定してみると,それは,初期状態を認知する人が,そこでどういう立場(視点)で状況に向き合っているかが鮮明になってくる。逆に言えば,どういう心理状態が目標を持たせるかがはっきりしてくる。

 よく問題意識という便利な言葉を多用するが,問題意識があるから問題が見えるのではない。問題が見える立場と意識があるから問題意識というものがあるように見えるだけだ。肝心なのは,どういう状態だと目標と総称できるものを持てるか,ということにほかならない。これだけが大事なことだ。

 以上から言えることは,目標もなく,問題の見方や解決法をいくら仕入れても,多分問題が見えてくることはないだろう,ということだ。大切なのは問題の見え方だ。だが,見え方には無自覚的なことが多く,だから,例えば「問題意識が強い」「弱い」というような言い方をしてしまう。そしてどうやったら問題意識を強化できるか,という逆立ちした発想になってしまう。問題意識とは,問題が見えやすい状態にいるということにすぎない。問題意識は教化できないが,問題の見えやすい状態を強化することはできるのである。それには目標をはっきりさせることなのだ。

  • 問題へのアクセスパターン

 「問題を解くとき,ひとりで解くよりも,グループで解くほうが問題をたくさん解くが,このようなグループの経験は,その後のひとりで問題を解く力を向上させない」と言われる。立花隆も,ひとりで解ける作業過程をわざわざ何人かに分割してやらせているにすぎないと,同じような趣旨で問題解決訓練に批判的なことを述べていた。

 それは,問題を与えられた(あるいは解くことを強制された)箱庭的状況が,はじめから問題とその解答があることが前提としてしまっていることがあるからにほかならない。現実には何が問題かは自明ではないし,それを問題とすべきかどうかでさえ一義的ではない。現にわれわれは,「問題外」「問題にならない」「問題にする必要もない」と,問題にすることを切り捨てることが多いし,逆に問題にもならないことを問題視して失笑されることも少なからず経験したはずだ。単に知識・経験がなくて未知なだけで,誰にとっても問題にもならないことを問題にしたり,見当違いのところに首を突っ込んでいるだけだったり,錯覚や幻想や勘違いは両手に余る程あるはずだ。まして今や問題がはっきりしないだけではなく,何が解答かさえ,あるいは解答があるかどうかさえわからないことが多いのである。

 とすれば何を目標とし,目標とどう関わるから,何が問題となるかという,“問題”へ私的な関わり方を省略したのでは,“問題”そのもののもつ個人的な側面を欠いた奇麗事になってしまうのである。確かに協働することで,自分と違った視点の取り組み方から刺激や気付きを受けることがないとは言えないが,それは各自が自分の問題への関わりについて経験を積んだ後にこそ意味があるのである。

 熟達者は,問題の情報に含まれる既知の組み合わせによって,新しい知識を見いだせるような関係式(文脈)を考えて新しい知識を求め,それと既知とを組み合わせていく,という前向きの方法で問題を解くのに対して,素人は,まず問題情報から最終的に求める未知を見いだし,次にその未知を求めるのに適当な関係式を記憶から捜しだし,それに頼って最終的未知を求めるのに必要な何らかの下位目標を見つけだし,それを求めるのに必要な関係式をさがす,という後向きの方法で解く,とされる。その違いは,熟達者は,例えばチェスだと,50,000〜100,000のパターン化された知識ユニット(碁でいえば石と石の意味ある関係図式)をもっていて,問題の中から解決への手掛かりとなる意味ある図式(情報)を見付け出しやすいのに,素人はバラバラの断片的知識しかないため,意味のある情報を見付け出しにくいことによる,とされている。

 そうした関係づけられた知識が問題を見えやすくするということにほかならない。知識に差があるとしても(それは時間をかけて身につければいい),今の状況を既知の類似パターンに置き換え,状況に合わせて持っている知識を転換したり,組み合わせたりしながら,問題を既知化していくアプローチは学べるはずである。それは集団ではできない個人の認知プロセスなのである。

  • 解く問題だけではない

 情報化時代は,問題の解き方がわからないだけではなく,問題の意味そのものがわからない問題が増える。それはコードの解読をするような定量的情報よりは,モードの解説やコードの文脈を読み取る定性的情報の方がより重要化になるからにほかならない。

 情報は,一般に「不確実性を減少するもの」という意味で考えられている。そこでは,どこかにそういう価値ある情報があるものだという考え方が前提にされている。どこかにある情報を手に入れれば,正解が解けるというように,だ。しかし,ある価値が前提になっていた時代は終わっている。何が価値か何に意味があるかは不透明であり,正解はどこにもないとなれば,情報そのものから意味や価値を発見することがより重要になってくる。つまり,情報は単に「不確実性を減少する」ためにどこかから収集・集計してくればいいものではなく,「新たに見付け出す(出現してくる)」ものになったのである。

 それは,別の言い方をすれば,記号に概念(意味されるもの)を結びつけることにほかならない。記号と意味との出会いは全くの偶然でしかなく,そこで見付けた意味に価値があるのではない。価値は,同時に現れた前後に結びあっている他の記号との間に形成されるにすぎない。その文脈をどう読むかが情報の発見にほかならない。

 それは問題についてもいえる。今日目標そのもの(あるいは現状そのものすら)が曖昧で,問題そのものが不明確なことが少なくない。とすれば,問題はただ意味を解けばいいのではなく,意味を創り出さ(発見し)なくてはならないのである。

 解く問題にとっては,どう解くかの手続きを発見するにすぎない。例はまずいが,パズルを解くのと似ている。しかし創る問題は,価値と意味を見付けなければならない。それは目標そのものの発見といっていい。何を目標とするか,それにどう関わっているかにこそ,その人にとっての当該問題の意味と価値があるのだから。

 だが意味が発見できれば,その曖昧な問題は解く問題に転換する。あるいは3択4択といった選択問題に転換すれば,解く問題に変換する。問題の創出とは,解ける問題にどう転換するかということをも意味している。

 それには,事態を次のように組み替えてみることが有効になるだろう。

 @特徴の抽出・組み合わせによる知っている型はめ(知覚的な型はめ,関係構造の型はめ,文脈はめ)

 A経験的な文脈(状況・雰囲気)による解釈(つじつま)あわせ(文脈の異同比較による新しい文脈にあてはめる)

 B同型性の認知(構成要素を知っている世界へ対応させてみる)

 C縮小世界の再構成(ミニチュア化して全体の関係をつかむ)

 D極限への拡大(極端な状態を想定することで状況の境界を想定する)

 E視点の移動・転換(見る位置を変えることでパースペクティブを変える)

 F立場の転換(主客を変えることで見えるものを転換してみる)

 G視野の拡大・拡張(局所のアップ,細部の拡大によって景観を変貌させる)

 Hストーリーの創造(全く別の時空の中で自由に展開させてみることで,制約条件を解き放す)

  • 視点の移動

 問題の発見とは,過去の(既知の)知識の組み替えにほかならない。どうすればそれがしやすくなるかが発想法にほかならない。それは,過去の経験・知識をどうつかえば現状の意味をとらえることができるかの工夫にほかならない。

 組み替えという場合,型はめや要素の組み合わせで新しい意味を再構成する場合と,新しい文脈の中に並べることで新しい意味を発見する場合の2つのパターンがあるが,いずれも,現在の自分の視点と視野を変換することによってしか難しい。

 そのための方法は,列挙したが,それを整理すると,「視点の移動」「文脈の変換」「発想域(次元)の拡張」「ストーリー(起承転結)の構成」の4つになるだろう。


 視点の移動には,

  視覚の視点(視点)

  観念の視点(観点)

 の2つがある。いわば知覚的な視点と思考の視点ということができる。

 前者は,視角の変換,視野の転換・転倒などを含めた,まさにものを見る視点の移動・変動であり,接近したり遠ざかったり,分離したり統合したり,逆に見たり反対側から見たり,上下前後左右から見たり,横から見たり縦から見たり,といった視点を移動させていくことで,ものの見え方を変えていこうというものだ。

 視点ということから見れば,拡大とは視点の接近であり,縮小とは視点の後退である。分離とは視点の分散であり,統合とは視点の集約ということになる。視点の移動は移動に伴って物理的に見え方を変えてしまおうということにほかならない。

 われわれは,通常透視画法(一点を視点としての遠近法でみた画像)のような特定の視点から見た対象像でものをとらえていると考えがちであるが,われわれは一方の視点から見ている対象の別の局面についても,それが見えていないだけでどうなっているかを経験から知っていることが多い。例えば,立方体を描くとき,見えない側面をよく点線で描くように,別の局面の見え方を想像していることが多い。つまり,1つの視点からの対象を見ているときでさえ,その形が全体像の1局面であること,全体を見渡す途中の像であることを承知して見ているのである。

 視点の移動は,いろいろな局面に直面させることでそうしたさまざまな視覚像の経験を呼びさますことになるはずである。

 観点というのは,対象に意味(あるいは価値=機能)が固定されてしまっている場合が多い。例えば挟みは切るものと固定した結合ができてしまい,それ以外の視点でみなくなっている。それを,対象を変容(質)させるような,伸ばしてみる・縮めてみる,軽くしてみる・重くしてみる,薄くしてみる・厚くしてみる,といった転倒した視点や,代用・応用・転用といった敢えて異なる価値(意味)を見付け出させる視点に移動することで,見え方を転換させようとすることにほかならない。オズーボーンのチェックリストは多く視点の移動の範疇に入るはずである。

 また立場の転換も,視点を相手に置くという意味では,視点の移動の中に含めることができる。それは見る視点を移動することで,相手の立場に“なる”,相手の視野が自分のものに“なる”,相手の気持が自分のものに“なる”といった“なる”視点への転換とよぶことができる。


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高沢公信"Critique"/2000.8.20

 

問題の見方・見え方

問題の見方・見え方1

  • 文脈の転換

 ものの見え方とは,ものの像の違いではなく,ものを視る視点の違いにほかならない。視点を変えることで,おのずと像が異なって見えてくること,それが視点の移動の意図である。それならば,対象そのものの状況・条件を組み替えてれば,視点を転換させ新たな意味が見えてくるはずである。それが文脈の転換にほかならない。

 例えば,「馬鹿やろう」という言葉も,男同士の睨み合った状況と男女の睦言では全く違ってくる。文脈を変えることで,異なった価値と意味が見えてくることを意図しているといっていい。文脈崩しには次のチェックリストが有効になる。

◇主体を変える

 これはどの視点から見るかということの転換でもある。相手から見たらどうなるか,例えば売る側でなく買う側(顧客側)からみたらどう意味が変わるかということでもあるし,更に掘り下げれば,何も人間の視点である必要はない。例えば細胞レベルでみたらどうなるのか,原子のレベルでみたらどうなるのか,でもいいし,逆に宇宙規模で考えてもいいし,神の視点で俯瞰してもいい。

◇対象を変える

 対象を固定する必要はない。別の相手だと違う状況になるかもしれない。人間の感情が状況を見えにくくすることは多い。また対象を不動のものと見ることで,状況を固定的にしてしまっていることも少なくない。

◇時間軸を変える

 これはまず,過去−現在−未来という時間を変えてみること。今でなく明日とすると見えやすくなることも多い。時間軸を直線とみなさなければ,映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の世界は成り立たないように,時間軸の設定が,文脈を変えるのである。

◇空間軸を変える

 ここ・そこ・あそこ・どこの転換である。場所だけではない。方向も位置(前後左右上下)も,内外も,遠近も,表裏もある。特にわれわれの対象識知は,上下を固定してみる姿に慣れており,逆さにするととたんに識知力が落ちることが知られている。逆に言えば空間軸を転倒するだけで,馴れた文脈が異質化することを意味する。

◇理由(目的)を変える

 前提としている価値・意味・基準・規範・目的・論理・感覚・感情を変えてみる。目的を下げただけで事態が急変することも少なくないはずだ。それにこだわらなくてはならないとしている自分の価値そのものを前提としないだけでも,違った見え方をするはずである。

◇方法(やり方=手段)を変える

 機能を変えて代用品を使う,スタイルを変えてみる,拡大したり縮小してみる,統合したり分離してみる,手順を変えて順逆を転倒してみる,人を変えてみる,仲間を変えてみる,担当をかえてみる,不必要な部分を削除してみる,優先順位を変えてみる,下位目標を変えてみる,といったことがある。

◇水準(レベル・ウエイト)を変える

 どれだけという評価基準を変えること。手段−目的を転倒することで,最終目標を先送りしたり,逆に前倒ししたりして,手段=下位目標で目標達成としたり,目標=下位目標とすることで目標水準をあげたりすることになる。また全体−部分−要素の構成を変えてみることは,目標を過小化したり逆に目標を過大化したりすることになる。

  • 発想閾(次元)の拡張

 視点の移動が見る位置によって見え方を変え,文脈崩しが状況を変容させることで見え方を変えたとすれば,通常だと自分が絶対発想しそうもない領域まで,自分の発想を拡張させてみる機会の設定が,仕事に関係ないとか日常生活に不用ということで,自分の境界外に埋もれていた,あるいは放置されていた発想領域へと発想のキャパシティを拡張することになるはずである。それはただ外に新しい意味を見付けるだけでなく,自分の内にも新しい可能性を見付けることになり,それが一層発想閾を拡大することになるはずである。そこでは,目的−手段の連続性や全体−部分−要素といった既知のつなげ方(既知のパースペクティブ)をいったん括弧に入れることが必要となる。そういう見え方をする自分の視点を括弧に入れることである。

 発想領域を拡張していく手近なものは“連想”である。これには,「意味的(論理的)なつながり」を広げていくものと,「イメージ的(感覚的)なつながり」で広げていくものとがある。

 意味的なものは,知識や経験で連想していくもので,言葉や概念,社会的通念が仲立ちとなっていく。感覚的なものは,音,香り,形態(図形),手触り,といった五感や知覚,感性が仲立ちとなるが,そこにはものの大小,軽重,長短,拡大・縮小,膨張・収縮,遠近,といったイメージの異同も仲立ちとなる。イメージ的なものには,空間的なものだけでなく,成長・孵化・脱皮といった時間的な変化・変質をも含めていい。

 連想はその中に,類似・類比・類推を含めて,ただ同質・同形だけでなく,対比的なものへもつながりを同心円のように広げていくが,それに対して,例えば,比喩はその典型だが,ただ類似性だけでイメージの連環の拡張と意味を膨らませていくことが可能である。比喩の場合,隣接性と相似性(類似性)の二つがある。前者は,「馬」に「走る」をつなげるのに対して,後者は,「馬」に「牛」を連想していく。

 確かに連想や類似性の連環によって,発想の枠は拡張していく面はあるが,これだけでは平面的で,同一レベルを尻取りゲームのように広げただけでしかない。それは結局自分のもともともっていた発想閾の限界を超えていないからという面もあるが,それ以上に,その連想のつながり方が,既知の文脈や意味のつながりからみつけたきたのだから,もともとの文脈や意味の脈絡を引きずっているからにほかならない。

 だから問題は,発想したものやそういう発想そのものに意味があるのではなく,1つ1つはバラバラで点でしかない発想を全く別のパースペクティブ(一定視点からの遠近法)に入れて整理し直してみることが重要なのである。

 その整理の仕方の,ポイントは,関連別やテーマ別,大小別,遠近別,優先度別という既知の意味での整理を排除することである。それはまとめることを前提としているから,どうしても整合性をつけようして,多数決で整理することになる。どうしても入り切らないものを捨てるか無理やり当て嵌めるかする。それではもともとの文脈と違いのない整序になるだけだ。むしろ入り切らないで残るデータの方から文脈を見付け,それに多数派を位置付づけ直してみるべきだ。多数決で見つかる意味では二番煎じにすぎない。

  • ストーリーの構成

 カードに書き散らした発想を整理するとき,大体は系統的な遠近法でまとめようとする。それが時系列であれ,因果系列であれ,親近度であれ,どのみち既存の意味に集約するしかない。それでは意味がない。まとめることが目的化しては,多数決になるだけだ。どうしてもはみ出すデータの方に,既存の系列には収まり切れない新しい意味が出現しているかもしれないのである。

 問題の意味が見えなくなるのも,“いま”“ここ”という制約の中で整合性のある説明(つじつま)を考えようとしているからのことが少なくない。思い切ってそういう制約を捨てた状況設定でストーリーを推測・想像してみるというのも有効である。文脈を換えると意味が変わる。異なる文脈に置くことで,別の意味が見えてくることも多い。

 場面設定(いつ,どこで)と役柄(誰と誰が)から話の流れをとにかくでっちあげてみる。それはありうる(ありえた)可能性の再構成という意味をもっている。「やりたい(やりたかった)こと」「なりたい(なりたかった)こと」「あのときこうすればよかったこと」の復権である。それは選択肢として気付かず捨ててきたものの復元でもある。そういう目で見直すと,過去の成功例ではなく,失敗例が蘇ってくるかもしれない。

 文脈崩しで触れたチェックリストが,ストーリーの切口として使えるはずである。

主体を変える 自分がやらなかったらどうなるか,自分が別の人格だったらどうなるか,上司や仲間がもっと助けてくれたらどうなるか,別の人だとどうするだろうか,上司ならどうするだろうか,別の会社だったらどうだろうか,誰ならいいのか

対象を変える あの人でなかったらどうか,あの人だったらどうか,別のイメージの客を考えたらどうなるか,誰にしたらいいのか

時間軸を変える 昨日だったらうまくいったのではないか,今ならうまくいくのではないか,明日ならどうなるか,1ヵ月後ならどう変わるか,1年後ならどうなるか,3年後ならどうか,いつならいいのか

空間軸を変える あそこでなければどうか,どこでもいいのならどうか,別の状況だったらどうか,状況の配置が変わっていたらどうなのか,どこならいいのか

理由を変える 全くフリーハンドだとしたらどうか,何の価値もないのだとしたらどうか,目的が違っていたとしたらどうか,どういう理由ならうまくいくのか,このままほっておいたらどうなるか

やり方を変えてる いままで捨てられてきたものを再現してみる,問題外としてきたことをやり直してみる,失敗したやり方を再現してみる

 過去に捨てたり,過去には有益でなかった発想がいまあるいは明日なら有効であるということは多い。結局人間の発想のキャパシティは限界があり,そうそう突飛なことを思い付くことはない。いつか発想していたことを,別の文脈に刺激されて思い出すということも少なくない。とすれば,自分の過去をどう蘇らせるかということは存外重要である。その意味でも,“いま”という特定の文脈だけに合わせようとすることは,それ以外の可能性を捨てることに等しいというべきだろう。

  • ノイズからの遠近法

 僅かな情報からストーリーを描くということは,結局自分の経験・知識から見えるものを想定してみることにすぎない。そう考えれば,問題の見え方とは,問題を表現してみることにほかならない。既知のものをどう組み合わせて見えやすくするか,その表現力が問題へのアクセス力に差異を生むことになる。だが問題は,それをどういう位置からみているかだ。

 図と地,信号(情報)とノイズ,目標と手段,部分と全体,どういう言い方をしても同じだが,われわれは自分のパースペクティブにおいて必ず差異をつけている。それがものを見分ける根拠でもあり,またものを一色でしか見られない発想閾を狭めている理由でもある。図をみわけるのは,その中に自分の既知の図形を見分けるからだ。それを支えているのは,目標であり,知識であり,経験にほかならない。だから,新しい問題に出会ったとき,それを既知化することは,一種矛盾したものを孕んでいる。結局自分の知っているもので類推することは,自分の知っている範囲を出られない,というように。

 だから,視点の移動には,視点の位置を変えることだけでなく,焦点の移動(アップにしたり,無限大にしたり)もまた含まれている。図ではなく地に焦点を当てることで,信号がノイズになり,ノイズが信号になる。この転倒は意味だけでなく,価値を転倒する。そこまでいかなくても,信号の識閾を拡張する。情報が,どこかにあるものを探すのでなく,新たな意味を見付けるもの(発見するもの)になるとは,そういうことにほかならない。曖昧さが重要視されるとはそういうことにほかならない。

 目標と手段についても同じことがいえる。下位目標が上位目標の手段となる,目標−手段の連鎖は,1ステップずつ解決していけば目標に到達できる,という信念に基づく。それは原因−結果の連鎖と相関している。原因があれば結果がある,というのはすべては曖昧なところなく論理づけられるとする決定論にすぎない。いま情報の意味が変わったというのは,情報の一義的な意味ではなく多義的なものを受け入れなければ意味がつかめないからにほかならない。それは原因は特定できないということだ。とすれば結果も特定できない。目標は曖昧で,下位目標が最終目標の方が問題がよく発見できることもありうるということだ。

 これを敷衍してみると,情報は受信するだけのものではないということがいえるはずである。もし信号とノイズの境界が曖昧であるとすれば,発信者にとって多義的でなかったメッセージが受信者には多義的で脈絡の見えないものであること,あるいはその逆が生じえるし,現に生じている。ある定まったコードを受信し,それをコードブックで解読するだけではもはや情報は読めない。それをマイナスと見るかプラスとみるかで,問題が見えるかどうかがきまる。脈絡も意味も曖昧ということは,新たな意味を見付けられるチャンスなのだ。その意味で,第2回に否定した集団的問題解決の効果を再確認すべきだろう。つまり,いま問題の新たな意味を見付けるのが,人と人のコミュニケーションの中においてだ,という意味では重要だ,と。むろんそこでは,人によってパースペクティブが異なり,そこで整序される見え方も違っているということが前提となる。 

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