グルーピング効果-3-
〜ラベリングのもたらすもの〜
グルーピング効果-1-
グルーピング効果-2-
ラベリングの重要性は,実はそれによって,そのメンバーである情報の見え方が決まってくるところがある点なのである。前述したように,ありふれた括り方をしてしまえば,そういう枠組で見てしまうということなのだ。
例えば,「日本語の使用の乱れ」と題して,「見(ら)れる」「来(ら)れる」と文法的には間違った「ら」抜きの使われ方が目につくいう新聞情報をファイリングするとき,「情報」というタイトルで括るか,「日本語」とか「言葉の使い方」で括るかで,その情報の見え方が変わってくる。例えば,「情報」として括れば,「見れる」は「ホコテン」「パンスト」と同じく情報短縮と見えるかもしれない。時代のスピードとこじつけて考えるかもしれない。しかし「日本語」とか「言葉の使い方」で括れば,例えば「取りて→取って」となるように,あるいは「新し」が(平安以降)「あらたし→あたらし」と変化したような,歴史的な「音韻変化」の一例にすぎないと見えるだけかもしれない。どちらが正しいかではなく,何も情報の見え方を限定する枠組を設定することはないのだ。
心理学の古典的な実験に,ある特定のものや状況への名前のつけ方が,時間経過後の再現度を左右するというものがある。例えば,次図(「ラベルが見え方を決める」を参照)のように,原型図が「窓とカーテン」と名づけるのと「四角の中のダイヤモンド」と名づけるのとでは違いが出てくるのである。つまり,ラベルが情報の「事後情報」の役割を果し,見え方の枠組をつくってしまうのである。その意味でも,何を言わんとしているかをきちんとラベリングすることが,重要になるのである。
こうした括り直しのための技法としてKJ法があるが,その他代表的なものとして,
・データに優先順位をつけながら整理・分類していく,クロス法
・因果関係で整理していく,特性要因図,連関図法,系統図法
・時系列で整序していく,PERT
等々がある(詳しくは,続・発想・創造性関連参考文献参照)。
しかし,このいずれもが,実は問題解決技法と呼ぶべきもののように思われる。解決すべき目標が明確であり,それを目指しての実現プロセスだからこそ,因果関係で括ったり,時系列で括ったりすることができるのだし,優先順位も明確にできる。目的そのものを探している発想段階でも,もちろん優先順位や因果関係が見えなくはないが,それは常識的あるいは既存の枠組であって,それで括ってしまうのでは,何のためにバラバラにして括り直そうとしているのかがわからなくなってしまう。見えてる基準ですぐ括ってしまうのではなく,見えない関係を見つけ出して括り直さなくてはならない。またグループ間の関係も,それを目印にして括り直すのではなく,あくまで括り直した結果グループ間に見い出せるものでなくてはならない。その意味では,KJ法を除いては,発想のための括り直しのプロセスとしては使いにくいのである。むしろ,新しい括り直しの基準として,いかに共通点を見つけるかの努力こそが大事なのであって,そのために前出のチェックリストはあるのである。
さて,こうしてグループ化した,各グループ間で,また共通性を発見し,更に大きなグループへと括っていく。ここでの共通性の発見方法は,最初のグルーピングの場合と同様である。
この括り直しのプロセスで大切なのは,括れないものだ。どうしても自分たちのもっている分類区分で括ってしまうことが多い。
そのため,グループ化できたものから,全体の構成を想定するのではなく,逆にグループ化できないものから,別のグループ化ができないか,別のパースペクティブが描けないか,別の順序づけができないか,と括り直してみることが大切になってくる。括れないものを,例えば,
@単独の1枚をメンバーとして包括できるグループを考えてみる。すると,それに含まれるものが,バラバラ化のプロセスで見落とされていたということがわかるかもしれない。
A逆に,それをグループとして考える。すると,これまではメンバーとして他のカードと比較するから,共通性が発見できなかったことに気づくかもしれない。つまり,類と種を混同しては比較使用がない。それを1グループ名として,クラスを上げることで,メンバーとの関係はみえなかったけれども,既に括った他のグループとの関係が見えてくるかもしれない。
Bそれが見つからなくても,その少数派グループとの関係づけという目で,全体との関係を見直してみると,既に括ったグループ分けそのものを見直さなくてはならないことに気づくかもしれない。
要するに,グループに入らない情報こそ,ある意味では,われわれの既知のパースペクティブを崩す,もっとも異質化の要となる因子かもしれないのだ。どうしても手慣れた,あるいはよく知っている分類項目に当てはめて括ってしまっている。残ってしまったカードは,そうして安易にすすめてしまったグルーピング作業への,根本的な批判を秘めている可能性がある。なかなか軽率に扱うべきものではないのである。
こうして,共通性の発見→グループ化→共通性の発見→中グループ化………と,順次グループの括りを大きくしていく作業を通して,括った情報群のグループ間に大まかな構図を描かなくてはならない。関係が大まかな配置図として構成できることが望ましい。その目安としては,
@グループ相互の類似性に着目する 意味的・価値的類似性,形態的類似性(形,色,スタイル),性質的類似性(材質,重量),機能的類似性(働き,役割),構造的類似性(システム,流れ)
Aグループ間の文脈(脈絡)に着目 ひとつのシステム(組織,機構,機械),構造としてのつながり
Bグループ間の時間的な流れに着目 時系列,因果関係,歴史,出発点目的地
Cグループ間の空間的な関係に着目 配置関係,位置関係,順序関係,遠近関係
Dグループ相互のクラス関係に着目 全体と部分,階層,類と種,レベル,分類,系統,従属関係
Eグループ相互の依存関係に着目 補完関係,入子関係,依存関係,相関関係,対立関係
等々,ここではどれかに決定するのではなく,あり得る相関関係,位置関係をいくつも列挙しながら想定してみる段階である。ここでの構図づくりが,まとめの段階でのアナロジー形成の手掛かりとなる。
しかし,少し先走りして言えば,この共通性の発見とグループ化を通して見通せた構図によって,かなり先行が読めるはずである。先に,見え方を変える徹底したバラバラ化作業が,発想ブレークスルーの8割を決めるが,せっかくバラバラ化の成功で得た異質なパースペクティブを,既知の枠組の中に括り直すことさえしなければ,このプロセスを通して括り直されたものから,未知の枠組がもたらされる可能性は高いのである。
実際に後述する発想モデル(例えば,欠点列挙法)を使ってみると分かることだが,いざグループ化し始めると,われわれの中で慣性化した(見慣れた,使い慣れた)機能区分とか分類区分が根強く,せっかく別の見え方から新しくグルーピングし始めたはずなのに,結局いつもの括り方になってしまっているというケースが多い。
例えば,ユニットバスの見直しをしていく場合,よく見られるのが,せっかくいろいろな異質情報を手に入れているのに,それを括り直すとき,バス部分とトイレ部分という区分けに落ち着いてしまう例だ。それでは,それぞれの機能を改善する(もっと広くするとか使いやすくするとか)ということにしかならない。この慣性的な区分そのものが妨げなのである。
こうした慣性を避けるには,グルーピングした構図からそのまま見えてくる結論に飛びつくのでなく,一旦その構図を別のものにずらしていく(アナロジーを想定する)のがいい。例えば,今のバスとトイレという括り方でも,それと類似したもの,あるいはそれと似た関係にあるものはないか,とアイデアをスライドさせていくと,例えばシャワーと浴槽の共用,トイレの大小共用等々という似た区分にぶつかる。そこから,別々の機能のモノを一括するという着眼に手か掛かりをえる。そうすれば,初めから風呂とトイレは区別するもの,という前提を捨てることになる。即ち,トイレと浴槽の共用を可能にすることはできないか?である。笑ってはいけない。こういうばかばかしい矛盾や背理をクリアしようと発想する者にのみ,ブレークスルーは訪れる。ここから先は,見かけと実質の清潔をどう保つかという,実現のための問題解決の作業に入るのである。(了)
グルーピングについては,「アイデアづくりの基本スキル」を参照ください。
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