発想できる仕掛けをつくる-2-
〜新しい組み合わせを発見する手掛かり〜
発想できる仕掛けをつくる- 1-
前回述べたように,のように,既知の要素から異質な組み合わせを発見するためには,組み合わせる既知の要素の見え方を変えてしまうことが有効ではあるが,だからといって,それをただ組み合わせれば新たなパースペクティブが見えてくるわけではない。むしろ問題はここから始まるのである。
恩田彰氏によると,この「新しい組み合わせ」方には3つの水準があるという。即ち,
@非分割結合による創造 現にあるものをそのまま,または少し形を変えて新しい目的に適用したり,あるいは既存の素材を特に分割したり分析したりすることなく,全体としてもっている機能をほぼそのまま組み合わせて行う創造。恩田氏は,消しゴムつき鉛筆を例に挙げているが,例えば,ラジカセ,ラジカメ,冷暖房エアコン等,この類いのものはけっこう多い。
A分割結合による創造 現に存在するものを,その構成要素に分割または分析し,これらの諸要素を新しい目的に適用したり,あるいはいままでと違うやり方で組み合わせて,新しいものをつくりだす。恩田氏は,ホチキスを開いた形で鋲止め代わりに使うのを例示しているが,最近の例では,例えば,フィルムにレンズとシャッターをセットした「写るんです」や靴下に防菌コートした「通勤快足」,あるいはカセットテープレコーダーの再生機能に小型ヘッドフォンをセットした「ウォークマン」等も,これに該当する。
B飛躍結合による創造 現在あるものと質的に違ったものを,その組み合わせから作り出すこと。この方法としては,類比や等価変換理論を挙げている。この例としては,アモルファスヘッドのような化学的変質,高分子化学による新素材,あるいはマイコン内蔵によるエレクトロニクスによる新機構等が該当しよう。
ここでは新しい組み合わせを“モノ”そのものを例として挙げているが,むろん前述したように,モノのみではない。例えば,ラジカセは,確かにラジオ+カセットレコーダーというモノの結合のようにみえるが,それは,聴く機能+再生機能という機能の結合でもあり,またラジオ受信機という概念+カセットテープレコーダーという概念の結合でもあり,いってみれば情報+情報ということでもあるのはもちろんである。
ともかく,ただ既存のものを組み合わせるだけでも,枠組そのものを変えられる,というのであるが,カジカセ以降,カメラ+ラジオ(カジカメといった),懐中電灯+ラジオ等,亜流が次々と出たが,結局カジカセほどのブレークスルーとなるものはなかった。ただくっつけてもそうそううまくいくものではない。そこで問題は,分割して結合するところにある。
では,分割結合と飛躍結合との違いは何か。ただの組み合わせと質的飛躍をもたらす組み合わせとどう違うのか。
前述したように,分割することによって見え方が変わる。見え方の変わったもの同士を組み合わせることで,未知の見え方が可能となるのなら,組み合わせ方ではなく,分割の仕方,この異質化を徹底してみたらどうであろうか?つまり,恩田氏の組み合わせの水準を,次のように整理し直してみるのである。即ち,
第一水準 ただ集めて組み合わせる(まだ知識・経験の当てはめがきく)
第二水準 既存のものを分割・細分化して組み合わせる(知識・経験の当てはめが効かないくらいにバラバラにする)
第三水準 もっともっとバラバラにする。ただし,ただ細分化するだけではなく,1本線を書き加えるだけで図形の見え方が変わるように,質的にも変化させる(知識・経験がバラバラになる)
この鍵は,どうすれば,異質な組み合わせにつながる徹底した異質化ができるか,にある。
更に問題は,そうやって異質化すればするほど,知識の当てはめがきかず,集約がしにくくなることである。これについては,情報論の立場からKJ法のステップを整理した,次のような北川敏男氏の分析が参考になる(『情報学の論理』)。
@言語情報として単位情報への分割(この単位情報ということに意味がある)
A単位の集合に対していろいろのグルーピングの実施
Bこのグルーピングに対して与える代表情報の決定
C諸階層におけるグルーピングの導入
D以上のグルーピングを一貫して流れうる相接続した命題群の構成
つまり,分類→併合→流線の形成だというのである。さらに,それを「情報の論理の用語で嵌めこんで」,次のように要点をまとめている。
@単位情報ごとに紙切れに切る(切断)
A単位情報を一枚にする(自己保存=一定の形ないし型を保つことで,一定の意味を保持させる)
Bいくつかの単位情報をまとめる(部分集合)
C大きないくつかの部分集合にわける(階層化)
D諸階層のつながりを考える(システム化)
E全体をつながるような文章化(流れの導入)
ここでは,KJ法の性格から,言語情報に限定しているが,言語情報のみに限定する必要はないし,最後のEは全体としての構造ないし秩序を表現する,ということでいいと思う。そうすると,おおまかに,次のように整理できるだろう。
まず,北川氏の分析では当然のこととして,前提にされているが,われわれは,
1,情報を集める→われわれは手持ちの知識・経験も含めて,必要な情報を集めるところから始めなくてはならない。
2,要素の分解→対象に関する情報をできるだけ細分化・具体化して集約する。
ここまでが情報の分解である。こうやってバラバラにしたものを,次は再構成するために,
3,要素の図解→集約したデータをビジュアルにする。
4,要素の括り直し→要素のグルーピングによる組み合わせ操作が必要になる。ここで必要なのは,こうしたらどうなるか,こうならどうか,と次々と,新しい仮説を立てては試し,新しい視界がえられるかどうかを検証する。その繰り返しを通して,
5,要素群間の関係づけ→構造の発見。要素群全体の構造を見つけ出さなくてはならない。その鍵となるのが,その構造や仕組みを類推させるものの発見である。それを通して,情報の新しい組み合わせが見え,最終的に,
6,全体の枠組の再構成→新しい組み合わせをまとめることになる。
つまり,情報の見え方をどう変えるか,それをどう結びつけて,新しい見方のできる組み合わせを創り出すか,が発想のプロセスである。
前述の地図のところで触れた情報処理のように,ただ集めて分類・整理し直すだけでは,再現や復元であって,創造性にはならないのである。異質な組み合わせによって,知っているものを知らないものにするためには,ただ外から情報を集めてくるだけではだめである。それなら,再三述べたように正解を外に探すのと変わりない。また,新しく組み合わせるためには,(既知の基準で分類するのではなく)これまでとは異なる基準で括り直さなくてはならない。それを構成し直すには,新しい関係をつけ直し,新奇の見え方をもたらすことができなくてはならない。そうすると,発想のステップは,次のように整理することができる。
集める(バラバラにする) 《情報の異質化》ただ情報を集めても既知のものを再現・復元してしまう=見え方を変える
↓
括り直す(グループ化する)《共通性の発見》情報のビジュアル化して共通性性を見つけ出す=新しい基準でグループ化する
↓
構成し直す(組み替える) 《関係性の発見》新しい組み合わせによる新しい見え方を見つけ出す=新しい枠組の発見
このステップは,一般の発想法の解説書では,
発散(拡散)過程
↓
組み合わせ(収束)過程
↓
まとめ(評価)過程
と整理される。これを上記のように組み直した理由は少し説明を要する。この拡散(発散)思考というのは,J.F.ギルフォードの知的因子モデルを嚆矢とする「divergent
thinking」の訳語であるが,佐藤三郎氏も述べておられたように(トーランス『創造性の教育』訳者あとがき),単なる拡散,散開という意味だけでなく,分岐とか逸脱という意味を含めて(その点で,ケストラーの「交錯点」という,異質なものをつなぐ“特異点”を発見する,という考え方はなかなか意味深長なものがある)「異質化」「差異化」というニュアンスをもっているはずである。またそうでなければ,敢えて分解する意味もないし,それを結合したところで創造的なものになるはずもないのである。そこで,ここでは,前にも挙げたように,“異質化”という言い方をしたい。その意味は,後でも触れる。
同様なことは,収束的思考( convergent
thinking)についても言えるように思える。単なる収斂,収束というよりは,方々から「一点に集まる」という意味で,輻合的であると同時に,共通性をもつ,あるいは一致する「一点」をもっているから,「集中」すると考えるべきであり,その意味は,むしろその共通する「一点」に一致させていく,というところに注目すべきだと考えている。そこで,ここでは,“共通性の発見”という表現を使っている。
(了)
『発想力トレーニング』については,ここを御覧下さい。
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