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強制、あるいは見たいようにみる
下図を見たとき、大体は、似て見えるものを探したはずです。「見たいように見る」とはどういうことでしょうか?ちょっと考えてみてください。
(行宗蒼一氏による)
いかがでしたか?
見たいように見るとは、「それはあんな角度ではないからだめだ」と、図の直径の角度の違いで捨ててしまうアイデアを、すくいあげる方法です。
たとえば、時計の時刻の3時50分を思いついたとします。「いや、角度からみると、4時50分か」と思い直したりしたことはなかったでしょうか?それをタブーというのです。
こういうカタチに見えるものはないか、という似たものを必死で思いつこうとするアプローチだけでは、受動的です。思いつくのを待っている形です。
ここで「見たいように見る」とは、図を見たいものにあわせるように動かすこと、変えることです。たとえば、
「6時を差している時計が傾いているところ」
「3時55分を差している時計が少し傾いているところ」
等々。実際に図を変えるのではなく、替えたように見てしまうということです。主体的な操作ができれば、数は格段にふやせるはずです。
図見ながら、思いつく限り、「見たいように見て」列挙してみてください。
どうでしたか?だいぶ感じが変わったと思います。
たとえば、手近のノートパソコンから、無理やり考えていくとこうなります。
後ろから見たマウスのセンターの切れ目
前から見たマウスのセンターの切れ目
罅の入ったCD−ROMディスク
罅の入ったDVD−ROMディスク
回転しているCD−ROMディスク
回転しているDVD−ROMディスク
キイボードのRの字
キイボードのSの字
キイボードのBの字
キイボードの「の」の字
等々。まだ、どこかカタチの似たものを探しているところがあります。知っている知識を当てはめたてるのでは、まだ、発想と呼ぶには自由度が少な過ぎる気がします。発想とは“何とかする”ことですから、知らない、わからない、どうにもならないという状態が、発想のスタートラインのはずです。そこで、こう考えてみます。
こういうカタチにするにはどうすればいいか
こういうカタチに見えるようになるには、どうなっていればいいのか
すると、たとえば、こうなります。
ワードの作図機能の円を描き出したところで間違って斜めラインを引いてしまった
マウスの裏側のボール止めをまわしかけたところ
廃棄処分にしたノートパソコンを両側から圧搾しているところ
プリンターの出力表示の文字化けした文字停止記号
キイボードのOの字についた汚れ
キイボードのDの字についた汚れ
キイボードのEの字についた汚れ
キイボードのUの字についた汚れ
キイボードのQの字についた汚れ
キイボードのかすれて消えかけた@マーク
等々。いくらでも出るはずです。具体的にノートパソコンを前にして考えみていただければ、まずは、目の前に似たものが見えますが、ついで、
こうしたらこうなるのではないか
こう見れば、こうなるのではないか
等々、といったものが次々に浮かんでくるはずです。いわば、こういうカタチに見えるものはないか、これに似たものはないか、という発想から、
こういうカタチに見えるためにはどうなっていればいいのか
こういうカタチに見たいのだがそのためにはどうすればいいのか
という発想に移っていくのです。
見える側、見えるものに合わせるのではなく、見えるもの、見ているものを、自分の見たいように変えてしまう、見たいように、あるいは見えるように変えてしまう、あるいはこうすれば、こう見えるようになる、こういう風になっていれば、こう見えると変えてみるのです。
発想の鍵は、そう見えるように、“強制する”ことです。あるいは見たいように見てしまうことです。
発想は、技法ではありません。技法は他人任せ、他人を当てにすることです。発想は、自分を頼むことです。知識ではありません。知識とは異なり、自分の中に答えを見つけ出すことなのです。
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シリーズで考える〜点から線へ
図を試みたとき、数がある程度出せた人は、シリーズ化という表現をしたかどうかは別に、「これは何とかシリーズだ」と、発想の連続性を考えたはずです。どんなシリーズを考えましたか?ちょっと考えてみてください。
具体的に、かつ見たいように見るということを意識的にする発想は、発想を展開するという意味では、まだ“点”展開にすぎません。こうしたやり方では、ひとつひとつの発想が単発で次へと有機的につながらず、ひとつ思いついては、また次に発想しなおすという、断続した作業にしかなりません。これを“線”展開にする必要があります。
たとえば、連想というのは、
道路→車→タイヤ→パンク→スペアタイヤ→ホイールキャップ→
といった、いわば、思いつきの連鎖反応といっていいものです。これも、次に何が出てくるか、その日の気分次第で、数を出す保証にはなりません。そこで、これをもう少し意識的にやろうとしますと、線として連続して考えていく、シリーズを意識してみる方法が考えられます。たとえば、物の見方で、
上から見たものか、
下から見たものか、
ヨコから見たものか、
前から見たものか、
後ろから見たものか、
裏から見たものか、
等々と、強制的に視点を変えるだけで、いくつもの見え方ができます。あるいは、モノの形を絞って、丸いものとして連続して考えていくのは、先の果物シリーズといえましょう。その他、
何か似たものはないか
というのも、桃、柿、りんごと果物を思いつくためのシリーズとすると、そこから、次はひびの入った皿、どんぶり、茶碗等々と、食器シリーズにしていくことで、数につながるはずである。その他、
何かと関係するところはないか
分割するとどうなるか
と、他とのつながりや切口でシリーズ化していってみることもできます。特に、「分割する」はモノやコトだけではなく、時間の分断も加えますと、変化も表現できます。
例えば、
小田急百貨店のマークの点が落ちたところ(いまから書き入れるところ)
半分に切ったケーキの残った半分
沈みかけた船の船窓に見えた水(ここまで迫ってきた)
細胞分裂しかけたところ(あるいは細胞融合の直前)
中から生まれかけ、罅の入ったモスラ(その他何でも)の卵
シールを剥がそうとして失敗して半分だけ残った
絹糸がまかれつつある手鞠の一本目
半ば月に隠れた太陽
等々、何かが加わる瞬間、何かが分裂する瞬間、何かが加わろうとしている直前、何かが抜け落ちた直後等々。そうすると、知っているもの継起する時間的な変化が見えるようになります。その幅も明日や昨日、1年や十年に広げたり、どこかに場所を移したり、ひとを替えたり、と条件を掛け合わせていくと、もっともっと違った見え方になるはずです。こうすることで、少なくとも、点が線につながるはずです。
図を見ながら、思いつく限り、「シリーズ化」で列挙してみてください。
どうでしたか?だいぶ数がふやせる感触がつかめたのではないでしょうか。
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5W1H、あるいはストーリーで考える〜線から面へ
点から線へ、更に線から面展開へと、発想につながりとひろがりを持たせるには、いわゆる、5W1Hとか5W2Hといわれるもの有効です。つまり、
・何のために(WHY)
・何を(WHAT)
・誰が(誰に)(WHO)
・いつから(いつまで)(WHEN)
・どこから(どこまで)(WHERE)
・どうやって(HOW)
ですが、これは、具体化を状況や場面にまで広げて考えてみようとすることです。
5W1Hを考えるということは、できるかぎり、ピンポイントの、いま、ここ、あるいはそのとき、どこかに絞り込んでいこうとすることです。たとえば、
松井が打ったホームランが東京ドームの天井にぶつかって、外野席に飛びこんだボール
番町の青山屋敷で腰元が割った小皿の1枚
具体化を徹底するとは、こういうふうにピンポイント化、特定化することになります。たとえば、誰が、何時、何処で、どうしたの?と聞かないと、ものごとがはっきりしないのは、逆にいうと、ものごとを個別化、特定化するには、こういうことをしなくてはいけないということなのです。
それは、一種の物語の一場面を切り取るということに近くなります。たとえば、
ワールドカップ決勝で、へたり込んだカーンの前に転がっていた雨にぬれたボール
三都主のペナルティキックがゴールバーにぶつかってゆがんだボール
といった感じになりますが、これを、単発に終わらせず、ひとつのストーリーの中で連続して考えていくには、もう少し意識的な試みが必要になります。
それをステップ化するなら、次のよう
@具体的場面(シーン)を描いてみます
・どういう場所(場面)で
・どういうとき(機会、時間帯、経過時間の中)に
・何をしているのか
Aそれにふさわしい登場人物を設定してみます
・誰(と誰)がやっているのか、
・誰(と誰)が見ているのか、
・誰(と誰)がどんな関係にあるのか
Bその場面には、どんな仕掛け(舞台装置)がふさわしいかを列挙してみます
C状況設定と登場人物によって、ひとつのストーリーを描いてみます
次で、具体的に試みてみます。
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点から線へ、線から面へ
5W1Hでストーリーを描くことで、具体的なシチュエーションの、そのとき、その場所を思い描くことで、面として発想を出しやすくなるはずです。たとえば、下図で一緒に試みてみましょう。
思いつくままの、点発想なら、どんなものが出せるでしょうか?「具体的に考える」「見えるようにみる」を意識して、ちょっと考えてみてください。
いかがでしたか?意識的に試みてみましたか?それともあいかわらず、漫然と思いつくのを待っていましたか?
たとえば、安全帽の先端についている会社の社章、工場の受付にある防犯用の監視カメラのレンズ、襟から外れてしまった徽章、カメラのレンズを手で焦点を絞っているところ、ひっくり返したマグカップの底、シャツにボタンをかけたところ、逆にボタンを外そうとしているところ、鐘馗様の目、武者冑の前立て、自分に向けているビデオカメラのレンズ等々といった感じて出てくるでしよう。
次は、シリーズ化を意識して、線発想で考えてみてください。
いかがでしたか?どんなシリーズが思いつきましたか?大事なのは、ひとつにしがみつかず、次々とシリーズを変えてみることです。
たとえば、単発で出た、魚の目を発想連鎖の手がかりとして、シリーズ化すれば、金魚の目、フナの目、黒鯛の目、真鯛の目、めだかの目、鱶の目、金目の目、イカの目、蛸の目、イルカの目、鯨の目、蛙の目等々と、次々に意識的につなげてみることができます。
更にこれを、たとえば、「ローラーで伸ばしている」という状況設定から、連続化していくなら、パン生地、そばの生地、うどんの生地、ピザ生地、ケーキの生地、伸ばした餡、延びた飴といった連続性でもいいですし、あるいは、圧延で伸ばしている粗鉄、銅線、鋼、鍛鉄、塩ビシート、ポリエチレンシート、梳きあがったロール紙とつなげていけますし、あるいは、再生ヘッドと触れている、カセットテープ、VTRテープ、オープンリールテープ、8トラテープ、8ミリテープと、一種連想で、シークエンシャルな記録スタイルに関連するものを枚挙していくこともできます。これでも確かに点から線になっていますが、結局どこまでも、思いつきに頼るところがあり、“連続性の思いつき”にとどまっているのに変わりはありません。
そこで、ストーリーを描いてみるのです。面発想で考えてみてください。
どんなシチュエーションを描きましたか?
たとえば、鯉のぼりのイメージの連続になぞらえて、初節句を迎える子供のために、新しい鯉のぼりを発注した父親
が、じりじりしながら、鯉のぼりの届く日を待ちわびている、というストーリーを描いたとすると、
白い鯉のぼりの生地に初めて目が入ったところを思い描いている
鯉のぼりのウロコが描かれているところ
目に墨が入った鯉のぼりに、これから色づけしていくところ
働いているラインで、ベルトを巻き込むローラーが鯉のぼりに見えてしまった
鯉のぼりを見た我が子が思わず手で目を覆おうとしている
竿につけた鯉のぼりを立てようとして、からみついた鯉のぼり
となり、それを鯉のぼりが届いて、子供と一緒に見上げている場面、に想定すると、
棹にからみついたところを棹の先から見たところ
我が子に向けたビデオカメラのレンズキャップをとり忘れて慌てて外そうとしている
棹の前で、行きつ戻りつしている自分の歩いている軌跡
樋の先に去年見失ったボールが引っかかっていた
同じことを、たとえば、主人公を代えたり、立場を変えたり、場所を変えたり、時を変えたりすることで、出していくことができるはずです。これでストーリーにシリーズ化を加えたかたちになります。
ストーリー化が単発で思いつけるとは思え生ません。まずは、いろいろ単発で思いつく中で、シリーズ化や出来るなら、ストーリーを描いてみればいのです。ストーリーを描かなくてはならない、と思いつめるのは、発想とは無縁のことです。
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アイデアの出やすい状況を作り出す
アイデアは、待っていても自分の方へ訪れてはくれないのです。だからこちらからアイデアが出やすい状況を設定してやるだけのことです。アイデアの方から出てこなくてはならない状況を作ることなのです。具体的に考える、見えるように見る、シリーズ化、ストーリーも、そうしたほうが数を出しやすくなるからなのです。
シリーズ化は、ストーリー化の一歩直前まできているのです。上から見たという状況設定を描くことは、それを面に広げ、「誰が」「どこで」を加えるだけでのことで、子供が幼稚園で、子供がテーマパークで、とすることで、シリーズ化の延長線上に、具体的シチュエーションを加えているのです。
発想は具体的であるほどいいと述べましたが、他の3つは、具体化効果の延長線上にあるといってもいいのです。具体化とは特定化です。ストーリー化とは、具体化しやすい発想状況を作り出しているのだと言い替えてもいいのです。
したがって、当然ストーリー展開だけですべてよしとなるはずはありません。シリーズ化で、視点や対象をあれこれ考え、具体的シチュエーションを描いた方が出そうだったら、描いてみるし、だめなら、別の視点を想定してみればいいのです。
たとえば、モノの発想の場合、上から見たり、下から見たり等々と視点を設定した方が、出しやすいかもしれませんが、誰が、どこで、どんな使い方をするのかと、ストーリーを描くことで、より細部を詰めることができます。
たとえば、下図で、
棹にからみついたところを棹の先から見たところ
としたとします。これにシリーズ化で、上から見たところ、下から見たところ、と加えていくことで、厚みが増すはずです。
二階から見て、棹の周囲を行きつ戻りつ揺らいでいる鯉のぼり
竿の先の矢車が風でゆれて軌跡を描く
等々となり、単に点から線、線から面の一方通行ではなく、それを遡ることで、面を層へと、厚みを加えることができるはずです。当たり前ですが、何かひとつだけ、秘密の手法があるということはないのです。
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再度別の図でためす
以上のコツを元に、再度同じ図で、15分で考えてみてください。
具体性、見たいように見る、シリーズ化、ストーリーを、意識的に試みていただけたでしょうか?前回とは、出方が確実に違っているはずです。どうやって出したか、どうしいうやり方が出しやすかったか、それぞれを振りかえって、意識化してみることが大事です。
行宗蒼一氏より
次に、下図で、同じように「何に見えるか」を、15分の間で試みて下さい。
P.エヴァンス&G.ディーハン『創造性を拓く』より
いかがでしたか。間違いなく数が増えているはずです。問題は、ご自分がどうやってふやしたのかという自分のやり方を振り返り、自分でチェックして、それをご自分の方法として、人に語れるようにすることです。それがご自分のスキルとするコツです。
著者流に試みると、次のようになります。たとえば、“シリーズ化”を活用して、
皿の上に乗っている果物と思いつくと、皿の上シリーズとして、
「皿の上のリンゴ4つ」
「皿の上のみかん4つ」
「皿の上のカキ4つ」
「皿の上の桃4つ」
「皿の上のスモモ4つ」
「皿の上の瓜4つ」
「皿の上のトマト4つ」
「皿の上のオレンジ」
等々と、果物を次々羅列できるし、上に乗っているものを、果物や卵(それも鶉からダチョウまで)からごま、塩粒といった極小化することも、あるいは、巨大化して遊園地の回転カップへと連想していけるはずです。テーブルの上へと転想すれば、
「テーブルの上のコップ」
「テーブルの上の茶碗」
「テーブルの上のタンブラー」
「テーブルの上の湯呑」
「テーブルの上のお椀」
「テーブルの上の丼」
「テーブルの上の皿」
「テーブルの上の猪口」
等々と「テーブルシリーズ」として、更に食器をいろいろ置き換え、鍋や釜、更に果物や球、に置き換えられるはずです。
皿やテーブルを、どんぶり、お椀、茶碗、フライパン、なべ等々へとつなげられます。さらに「土管」や「井戸」「池」と変えて、「土管シリーズ」「井戸シリーズ」「池シリーズ」と考えますと、「土管にのぞくケーブル」「土管にのぞく水道管・下水管」や「井戸に浮かんだ果物シリーズ」になりますし、「池に浮いたシリーズ」にすれば、
「池に浮いた空き缶4つ」
「池に浮いたタイヤ4つ」
「池に浮いた竹筒4つ」
「池に浮いたゴムボール4つ」
「池に浮いた野球ボール4つ」
「池に浮いたバレーボール4つ」
「池に浮いた空き壜4つ」
等々、そこに浮かんでいるいろいろなモノに変えられますし、井戸や池を湖に海に宇宙へと広げていけば、4つの丸は島や惑星や島宇宙になりまようし、口の中と見立てれば、「口の中シリーズ」として、歯や飴玉とみなすこともできる。更に、中の円を凸部ではなく、凹部と見なせば、ボタン穴や車のホイールへと広がるでしょう。しかも、そこまでの発想が上からの視点と自覚していれば、同じものを下から見る(それは引っくり返したのと同じ)と、「脚シリーズ」として、
「丸テーブルの脚」
「丸椅子の脚」
「豚の脚」
「牛の脚」
「鹿の脚」
「豚の脚」
「牛の脚」
等々、机・テーブルから4足動物、更にはUFOといった別のシリーズへ発展させられるでしょう。これに、誰が、どこでと加えてみると、更に数を出しやすくなるはずです。
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常識を超える数を出すことの意味