図は、マッハの自画像です。寝椅子に横たわるりながら、自分がどう見えるかを図示しています。マッハはこのデッサンを、「自己観察による私」と名づけています。ふさふさした髭が肩の突端になびき、下方にむかって短縮された遠近法で、胴、肢、足と順次つづいていく図は、科学的には多少眉唾ものでも、個人の視界の狭さと発想の限界のアナロジーと見ることができます。
キャッチボールを、こうした個人の限界を破る手段と考えます。ブレインストーミングを、そのツールとして使うことができるのです。
ブレインストーミングは、ブレイン(脳)のストーム(嵐)を意味します。他人のもっている異質性を生かして、自分の中に異質さを掘り起こす効果を上げるのです。この真意は、「発見は、自分の中でする」というところにあります。
人と会話する、人と雑談する、人に相談する、人を教える、人を指導する、人をコーチする、人をカウンセリングする、人をコンサルティングする等々、人との言葉によるやり取りの全てを、人から何か答えを教えてもらう意味だとすれば、間違っています。常に、「答えは自分の中にある」のです。
自分ひとりでは発想が狭いから、自分と違う発想の人からヒントをもらう、自分との違いを借りて、あるいはその違いを鏡として、自分自身の中に、自分の忘れていた記憶の中に、アクセスしないままに枯れかけていた感性の中に、薄れていた体験の中に、自分の気づかない異質さを見つけるのです。しかし気づくのは、自分であり、見つけるのは自分の中に、なのです。
Aブレインストーミングの原則
ブレインストーミングの原則を整理しながら、ブレインストーミングの原則そのものとキャッチボールしてみましょう。
ブレインストーミングの原則
1、メンバーの発言への批判禁止
2、自由奔放な発言
3、自由奔放な発言
4、他人の発言への相乗りOK
5、自己激励と相互激励の雰囲気で |
@メンバーの発言への批判禁止
出されたアイデアへの批判は最後まで控えることです。批判をしないことで、心の「制約」「妨げ」が排除されます。つまりタブー解除効果です。 会議やミーティングで、もっともらしい批判に頻繁に出会うはずです。
曰く、「その説はおもしろいが、こことここにボトルネックがある」「それは一般的には正しいが、当社の社風にあわない」「そんなものをやっても市場は小さい」云々。
こういうのを、論理的悲観主義というそうですが、「批判」は、往々にして、既存の価値や知見での評価でしかないのです。
ここでは、アイデアへの批判はカッコに入れます。こう自分に言い聞かすことです。「ダメなアイデアだと思うなら、ダメと言う代わりに、自分でダメでないアイデアをぶつけてみること」と。
A自由奔放な発言
これは、突拍子もないもの、奇抜なもの、風変わりなもの、乱暴なものほどよいという意味です。何でもあり、です。自由奔放な雰囲気が各自の「自制」の構えが消えるはずです。自由な雰囲気、自由な発想を保証するといっていいのです。
B質より量
この原則は、なかなか納得しがたいはずです。「質のいいものをたくさん」といいたくなるのが常識です。
しかし、新しい何かを創り出そうとしているのに、何が質が高くて、何が質が低いかがわかっているはずはないはずです。もし質の評価があるとすれば、既存の価値観であり、それはある意味では先入観にすぎません。
いま必要なのは、どんな制約にも、どんな知識にもとらわれずに、自由に、何でも、発想することです。多いほど発想への刺激となり、すぐれたものが見つかるチャンスがふえるはずです。
発言回数の多さは異質な発想のチャンスの出やすい機会をふやすことになるはずです。質より量は、発言機会の保証にもなるはずです。アイデアの量は、多ければ多いほどいい。それがいいアイデアに出会うための王道です。
C他人の発言への相乗りOK
これは、一番重要な原則です。これが、キャッチボール効果を高めるのに一番有効です。ポストイットの例は、いわば、相乗りの例と考えていいのです。
自分の限定された見方を崩すためには、異質な角度からの他人の発想に刺激され、「そういう見方があるのか」「それを、こういうふうにすれば、もっとよくなるのではないか」と、相手の発想を借りながら、あるいはそれ(の一部)と組み合わせながら、よりいいアイデアにつなげようと、ともかくアイデアと遊ぶゆとりが必要です。
聞くこと(聴くと訊くのふたつ)が、ここでは重要になります。ブレインストーミングは目的ではありません。ここで必要なのは、自分の中に、自分の気づかない異質さを見つけることだからです。
D自己激励と相互激励の雰囲気で
キャッチボール効果はその場の全員の関わり抜きには成立しません。メンバーは違いに影響しあい刺激しあう。ひとりが何かひらめいたとき、まわりはいいアイデアが出るようアドバイスや励まして、盛り上げていく。
「アイデアは、心の中にあるだけではだめ、表現されてはじめて、誤りも正せるし、新しい意味や可能性がつけ加えられる」。その通りでしょう。
Bキャッチボール効果
大事なことは、ブレインストーミングもキャッチボールも目的ではないということです。キャッチボールを通して、自分の中に、発見を促すことです。「そうだった!」「そんなことがあった」「そう見ていいのか。とすれば、こうも考えられる」「自分にもこういうときがあった」「自分にもできる」等々。
自分の中で、当たり前としてきたこと、当たり前として見逃してきたこと、知っているつもりで疑いもしなかったこと、知ってるつもりで知らなかったことに、光を当てて、あるいは光の当て方を変えて、違った側面を見つけることです。そのためにキャッチボールをしているのです。
それは、言い換えれば、自分自身を異質化することといってもいいかもしれません。自分の知識、経験、スキル、ノウハウを異質化することです。自分では気づかなかったその価値を、発見することです。
そのために、人とキャッチボールする。人をコーチする、人とコミュニケーションする、人をカウンセリングする、人をコンサルティングする。異質性の交換は、すべてのキャッチボールの原則です。
相手が異質な、気づきもしなかったことを言ってくれることで、埋もれていた自分の回路を蘇らせることができます。そのとき、キャッチボールは、自分の発想のツールとなるのです。
Cキャッチボールが発想の質と量を増大する
発想の本で、下図を見かけたことはないでしょうか。そして、「正方形がいくつあるか」と、設問しています。
エドガー・ハーディ『「2+2」を5にする発想』(講談社)
せっかくですから、「正方形がいくつあるか」。みなさんも考えてみてください。
いかがでしたか?まさか16などという答えで満足されなかったでしょうね。30?ですって?例によって、答は巻末にとありでは、確かに「30」と出ています。
しかし、ここまで読まれた読者なら、こういう発想は、間違っていると気づかれるはずです。答がひとつなら、知識に過ぎないのです。知識なら、学べば手に入れられる、知っている人に聞けば直ぐ手に入る、あるいは、先達が必ずどこかにいる、ということです。
たとえば、図表2−12を見て、ためらわず、こういう人がいるのです。
「ラインの交差したところは正方形ではないか」
それに、どう反応されるでしょうか。
「そんなばかな」
「それは禁じ手だ」
「そんなことがOKなら……」
実は、こういう自由に考える人が、必ずいるのです。
学生時代でも、クラスでよく、こういう意表をつく発想をする仲間がいなかったでしょうか。大概は、それを押しつぶすか、無視してこなかったでしょうか。
こういう発想を、生かすも殺すも、聞き手側の“聞く耳”次第なのです。こういう発想をする人がいるから、キャッチボールに効果があるのです。問題は、それを生かす耳を、聞く側が持っているかどうかだけなのです。
聞く耳があれば、そうかこの枠組みにこだわらなくてもいいのか、それなら、立体と考えればいい、あるいは、シートが重なっているのを上から見ていると考えてもいい、格子状のものと考えてもいい等々、次々と制約を破れるのは、自分の中のタブーを崩せば、それに反応するものを自分の中に必ず持っているからなのです。
いまの例もそうですが、発案ないし問題意識を提供した人のほうが、発想としては、あるいはアイデア力としてはすぐれていたかもしれません。しかし、大事なのは、それだけなら個人の発想から出られないということです。それだけでは、ひとつの面白いアイデアにとどまるところを、拡大し、広げていけるのは、それに聞く耳をもった人とのキャッチボールによってだということなのです。
発想を妨げるのは、人のせいではありません。発想は、自分の中に答を見つけることだとしますと、発想を妨げるものは、自分自身の中にこそあるのです。(以下続く)