キャッチボールは、説明を要するかもしれません。それには、こういう意味を込めているのです。
例の3Mのポストイット開発をめぐる逸話があります。シルバーという人が、接着剤を開発していて、貼ってもすぐ剥がれてしまうものを創り出しました。彼はそれを「失敗」とはみなさず、社内の技術者同士のミーティングで、自分にはこの使い道が思いつかないが、誰かいい使い道があったら教えてくれないかと、言ったのです。その中に、いつも聖歌隊で、本に挟む付箋に不便を感じていたフライという人が、その使用方法として、ポストイットを発案したのです。
この、いわば自分の問題意識をぶつけることで、新しい何かを発見することにつながるやりとりを、キャッチボールと呼びたいのです。
カーネギーは、「2人の人間がいて、いつも意見が一致するなら、そのうち1人はいなくてもいい人間だ」(『人を動かす』)と、言っていました。ひとりひとり生まれも来歴も違う人間なら、モノの感じ方も考え方も違って当たり前です。それが自己表現できないのは、組織の中で、ひらめ状態のほうが生きやすいとか、下手に目立たないほうがいいとか、別の理由から、同じ意見にしているだけなのです。
こうしたキャッチボールの効果については、後で触れますが、キャッチボールをするために戒めとしたいことは、下表に、タブーとして挙げておきます。自己点検の材料としてみて下さい。
キャッチボールタブー10ヵ条
@話し手を、どうせろくな話はしない奴だと評価して締め出していないか
「あいつの話はおもしろくない」「どうせたいしたことじゃない」「いつもくだらないことしか言わない」「いつも言い訳ばかりだ」という態度をしていないだろうか。そうなるとほとんど聞いていないし、当方が聞いていないことは相手にわかるものだ。
Aそこまで聞けば分かったと早合点で結論づけていないか
「そこまで聞けばわかった」「よっしゃ」「まかせておけ」「みなまで言うな」と勝手に早呑込みしてしまっていないだろうか。相手は別のことをいいたいのかもしれないのに!
B相手の話に自分の期待を読みこんで聞いていないか
「おれのことは、わかってくれるはず」「あそこまで言ったんだ、きちんとやってくれるはず」「あれだけ教えたんだ、できるはず」という、一方的な思い込みはないか。それでは相手のことが見えてはいない。あるいは逆に、「そうだろう、よくわかる」「そうだ、それがおれの言いたいことだ」と、自分の期待や願望だけを聞き取っていることはないか。それでは、相手の本当に聞いて欲しいことは聞こえていない。
C自分の聞きたくない部分には耳をふさいでいないか
「そういうことを言いたいんじゃないでしょ」「そんなことは聞いていない」と、途中で遮ってしまっていないか?言いたいことを決めるのは、相手なのに。
D相手の話から自分のイメージを勝手に広げて聞いていないか
相手の話から勝手に自分のイメージを広げて、相手の言うことを聞いていない。勝手に解釈する。片言聞いただけで、勝手に自分の空想やアイデアを肥大させていく。そこには相手の気持も考えも全く入り込む余地はない。
E答えの予行演習をして聞いていないか
相手の話の途中から何を言おうかと一生懸命考えていて結局聞いていない。どう叱るかとかどう言い訳するかとか、自分の都合や事情にこだわっているいるだけ。それならコミュニケーションする必要はなくなってしまう。予想しない結論になるから会話がある。
F相手の言葉尻や態度に感情のカーテンをおろしてしまっていないか
後輩のくせに、新人のくせに、そういう生意気なことを言うのか。相手の言葉尻にこだわっているのは、結局自分の立場やプライドを傷つけない心地よい言葉を重んじているだけ。中身が自分の意向や趣旨に反すれば聞く耳をもたないのだと、相手は受け取るだけだろう。
G相手の話の中身よりは話し方や表現に目を奪われていないか
そういう言い方はあまりいい表現でない、言い方が間違っている、表現にミスがある、と口の利き方を問題にして、自分の価値観でつい説教を垂れる。たまたま表現スタイルで文句をつけているが、結局形式を理由に中身を聞く耳をもたず、自分の価値観を押し付けているだけ。
H相手の発言以上の意味を読みこんで聞いていないか
相手が意見や提案をしたとき、「君は何かね、僕のやり方に文句をつけているのか」「僕の考えは間違っているというのか」と悪意に解釈したり、単に私的に賛意を示しただけなのに、公に賛同したと触れまわったりしていないだろうか。相手の言葉の意味は相手のものだ。それを確かめて、自分と同じかどうかは確かめなくてはならない。
I聞きたいことや都合のいいことだけしか聞こえていないのではないか
聞きたいこと、おいしいことだけしか聞かない(人を選ぶ、情報を選ぶ)。おいしいことしか聞かない人には、おいしいことしか誰も言わないということにほかならない。とても相手の悩みに聞く耳をもてそうもない。
デビッド・アウグスバーガー、棚瀬多喜雄訳『聞く』(すぐ書房 1985)に加筆、アレンジしています。 |
エイコフの例が突破口となって、
上図について、いろいろなアイデアが浮かぶはずです。これも、エイコフ相手のキャッチボール効果とみなすことができるでしょう。
たとえば、縦の3点が互いに接触するほどに紙を折り曲げ、次にその3列の点を、横1列に並ぶように紙を折り曲げていくと1本の線で通ります。
また9点を描いたページを切り取り筒状に丸めれば、それを周回する線は1本ですむはずです。
その9点が地球規模の大きな球面におかれているとすれば、地表の9点など極細の1線で一回りできるでしょう。
逆に、9点を巨大化すれば、ほんの少し、例えば活字の2倍位の大きさにしただけで、縦3点を斜めにかすめさせれば、一筆で引けるはずです。その逆に、9点を点ほどに極小化すれば、一筆で塗り潰せてしまいます。
もっと極小な点なら、ペン先の1滴でも9点を通るでしょう。
もっと原始的に考えるなら、焼鳥の串でも鉛筆でも、1点ずつ順繰りに手繰って貫いても、1本で通せるはずです。
あるいは、太い筆で一筋に9点を塗りつぶせば、一本でとおったことになります。
こうした発想は、キャッチボールをすることで、もっともっとさまざまなアイデアに発展させることができるはずです。
仮に、エイコフのような一人がタブーをやぶると、「なんだ」「それでもいいのか」と、暗黙のうちに自分の中で作っていた制約を解いて、一斉にアイデアが涌き出てくるはずです。キャッチボールの効用は、エイコフのような、平然と常識を乗り越えるアイデアの持ち主とのやりとりがあることで、自分の中の足枷が取れ、発想のが楽しさを味わえることにあるのです。
与えられた課題を解くのは、どこかで習ったことはなかったか、知っていることはないかと、どこかに正解を探すことではないのです。自分なりに、課題を自分に解けるカタチに置き換えてみる工夫なのです。第1章でさんざんやっていただいた「何に見えるか」と、基本的には同じです。それをスキルとして、次に深めてみましょう。(以下続く)