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高沢公信"Critique"/1999.10.3

できる部下のOJT

 

  • できる”とは

 仕事ができる,という評価を上位者がするとき,確かに当該下位者が,その職務知識・職務態度及び職務遂行能力において,期待にふさわしい水準にあるという場合が多いが,反面上位者の期待をそつなくこなす能力であるかもしれない危険を伴っている。

 しかし逆に本人側から考えてみると,「自分が努力すれば環境や自分に好ましい変化を生じさせうるという自信や見通し」をもっているということにほかならない。この能力と自信(有能感・有効感)を“コンピタンス”という。そしてこの有能感の手ごたえには,努力の主体が自分であるとする自律性の感覚(自己決定感)が不可欠であるとされる。つまり「自分の考えを実現すればより効果的のはずだ」という自信にほかならない。

 問題は本当にそれが優れているのなら,OJTは不要だということだ。OJTは目的ではなく手段にすぎないのだから。

  • 上下の能力比較

 △で部下の能力を示し,□で上位者の能力とみなしたとして,上下の仕事能力を比較してみる。もし△が□を上回っていれば,上下の能力逆転,□が少しでも△を出ているところがあれば,そのはみ出し部分を教えていくことになる。

 もし,上位者の方が優れているところがあるなら,その面を見つけるとは,下位者の不足部分を見つけることである。それはOJTニーズの発見といっていい。しかし逆に,上位者に優れた箇所が全くない(あるいは当該職務に要めの専門能力に劣る)となれば,無理やり自分の上回っているところを捜し出すか,あるいは下位者の欠点やあら捜しをするか,さもなくば最後はおのれの肩書や職位に伴う権威に頼るほかなくなるのだろうか。

 しかしそれはOJTについての誤解と“有能感”への買いかぶりにすぎない。

  • OJTには2つある

 0JTを考えるとき,すぐ浮かぶのは,コーチング,マン・ツー・マン指導ということだ。いわゆるTWIでいう,習う準備をする→作業を説明する→やらせてみる→教えた後をみる,というステップが想定しているのも,スキルや技術といったパーソナルな能力・技量育成にすぎない。

 しかし,OJTには,次のように,パーソナルな指導とシチュエーショナルな指導の2つの面があることを忘れてはならない。

          属人的部分の指導(態度・スキル・知識)

 パーソナルな指導     

          役割的部分の指導(当事者意識・役割意識・使命感)

 シチュエーショナルな指導(場面や状況に応じた対応力・実践力)

 パーソナルとは,個人別という形態面の意味と,個別(パーシャル)という内容面の意味の両面がある。したがってシチュエーショナルという場合,そうした能力の各単位機能を,ひとまとまりの仕事を通して,トータルに使いこなすという意味を含んでいる。

 周知の通り,能力といった場合,それぞれの人が置かれた状況において,期待されている役割を把握して,それを遂行してその期待に応えていける能力(前述のコンピタンスにほかならない)と,英語ができるとか文章力があるとかといった個別の単位能力(アビリティ)がある。パーソナルな指導でカバーするのはその2面にほかならない。

 しかし,既にお気づきの通り,知識・技能もそうだが,ましてコンピタンスは,1対1という個別の応答的環境での実力は温室育ちにすぎない。むしろ実践を通して,現実の問題解決の経験を積み重ねてこそ,それが現実の実力となる。その意味では,1対1の指導の傘に支えられて“できる”能力は,まだ「〜について」知っているに留まる。現実の経験を通して「〜について,どうするか」を考え,達成することによって初めて,身についた自分の力となる。前者を所有型知識(knowing that),後者を遂行型知識(knowing how)という。

 後者を身につける機会・場を意識的に与えていくことが,シチュエーショナルな指導にほかならない。こうしてOJTは,知識を生きたものにするところまでいく。現実に仕事を完成させていくプロセスを通して,個別の能力をトータルに使っていく実力を身につけていける。

 たとえば,ただ企画する発想力だけではなく,自分を取り巻く状況を読み,上司・先輩を含めた周囲を説得し巻き込んでいく能力,実践上のリスクや障害を排除していく力など,現実に仕事を完成していくまでのさまざまな困難をも体験させていくことを含んでいる。そういう機会・場を意識的に与えていくということにほかならない。

  • 下位者の能力,上位者の能力

 だから,仮に下位者が,専門知識や新しい情報収集力に優れているとしても,上位者はシチュエーショナルな指導,つまり下位者に成功体験の機会を与えられる立場にいることを忘れてはならない。

 また上位者は,より上位の視点から,個々の能力を目標へと統括していく役割があり,目標への道筋とステップから外れないようにフォローしていく立場にもある。

 むろんそれには下位者の視点とは異なる俯瞰する視点を持っていることが前提となる。それがマネジメントにほかならない。たまたま下位者の方が優れているとしても,上位者としては,その下位者の仕事も含めて組織目標へと統括しなくてはならない。その面で,方向と里程の道しるべを示すこともまた,大事な役割だろう。

 そして,むしろその部下が真に優れているのなら,彼を統括するチームにおける仕事遂行のモデルとし,自分たちの仕事の進め方の価値基準としていく姿勢もまた,マネジャーの取るべき態度であるはずだ。マネジャーがすべてを率先し,組織のモデルとならなくてはならないと思い詰めるのは,過去のマネジメントスタイルにすぎない。むしろ,今日のように複雑で変化の激しい時代に対応していくためには,いわゆるシンボリックマネジャーの,“シンボリック”な機能を下位者に譲ること,それによってチームとしての時代にあった規範を創り出すのも,統率者としての力量にほかならない。

 必要なのは,自分の統括範囲の目標を見失わず,それに向かってどう手段を総動員していけるか,ある意味ではそうしたプロデュース機能をもつことが,これからの上位者(マネジャー)の役割にほかならない。


  • 欠けているものは

 大体“優れた”と見なされる部下は,多く上位者から「仕事はできるが,態度が生意気」と,“出る杭”視され,逆に下位者側は上位者を「聞く耳を持たず,手続き的なあら捜しばかりする」と“小舅”視することが多い。それは,パーソナルな指導部分,属人的な部分と役割的な部分では優れているが,「どうやって実現していくか」という前述の遂行型知識に不足があることが多いからにほかならない。言い換えると,有能感は強いがそれを実現する手段に欠けている。それは下位者に限ったことではないかもしれない。「仕事ができる」と言われる人に共通の,自分の能力をたのみすぎる自信家の性癖といっていいかもしれない。とりわけ“組織の中において”どうやって実現していくか,という面をおろそかにするという意味では。

 ともかく,組織の中で何かを実現していくノウハウ(いわゆる“もっていき方”)については,上位者は,既に経験においても,人的ネットワーク,人的影響力においても,組織においては1日の長があるはずだ。それが有益なはずだ。

 しかし,それすら下位者が優れているとすれば(それほど優れているのか,劣っているのかは別として),おのれを知って,ただ黙って邪魔にならないように道を譲るほかはない。そうすることがより部門としての目標達成に有効なら,ただ見守ることもシチュエーショナルな機会づくりというべきかもしれない。それが人間としての魅力でもある。


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高沢公信"Critique"/1999.11.3

 

必要な人材の自己責任とは何か?

 

  • 自己責任をもたなかったのはどっちだ!

 人材を必要としているのは企業だ。いま,自己責任の時代だといわれる。しかし,良く考えると,最も自己責任を放棄し,もたれあってきたのは,企業そのものではないか。その責任を誰か取ったのか?

 たとえば,日産のゴーン革命云々と言われているが,冗談ではない。あんなことがずっと前にできなかった今までの日産経営陣とは,何だったのか?まあいい,それは百歩譲るとしよう。しかし,敗残経営の一体誰が責任を取ったのか?「世が世ならあんなところ(ルノーを指す)は相手にしなかった」と不用意に一言を漏らした旧日産経営者。こんな能天気な経営者に良いようにもてあそばれた社員こそ良い面の皮だ。
 たとえば,目標管理。一体何のために導入したのか不明のケースが多い。単なるノルマなら,完全ミッション制の方が理屈が合う。本来(何が本来かは議論があろうが)目標管理は,ドラッガーを引き合いに出すまでもなく,全社のベクトルあわせの意味合いがあったはずだ。とすれば,末端の目標達成の責任だけではなく,トップもまた同等以上の責任を取らなくてはならない。それがマネジメントと言うものだ。しかし,そういうことは例外としてしか存在しない。
 一体,こういう企業にとって必要な人材などあったのか?すくなくとも,こういう人材が必要という程度に意識的な企業戦略とまでいわないまでも,事業戦略があったのか?と言い換えてもいいが,まあ,それは言いすぎ,では必要な人材とは何だったのか?少なくとも,目的(それは何のために,つまり,どういう企業業務遂行のために)として,人材育成を考えたことがあったのか?このことを,きちんとおさえておかなくてはなるまい。
 そのときカケラもそんな思考がなかったとしたら,いまもどんな大義名分を掲げ,結局は社員のためだなどというおためごかしをのたまっても(これが一番のもたれあい現象だ。シビアなことをあいまいにするのはやさしさではなく自覚,つまり自己責任のなさだ),実は目先のことしか考えていいのだ。過去もそんなことを考えなかったように,いまも何も考えず,今度は自己責任と言って社員に責任転嫁しているだけなのだ。戦略(そんなものどこにもなかった?)は単なる手段でしかなかったのかもしれないなら,つまり,目的など考えたこともなかったのかもしれないとすれば,今度も,時代がどう変わっても,同様に,目的などなく,風潮(山本七平氏なら空気と言おう)自分は責任をとらないかもしれない,いや,絶対に取るまい。

 しかし,自己責任のない企業群,資金注入された金融機関もしかり,その金融機関に債務放棄を求めるゼネコン,百貨店もしかり,結局それはそういう会社で営々と働いてきた,いまやもたれあいのリーマンとさげすまれる社員たちが払ってきた税金で払っているのだ。いったい,そういう企業は,社員にどういう自己責任を求めるのか?

 今日の企業のこういうヒトを作ったのは,そのとき企業に必要があったからだ。自分で考えない人間が多いのは,企業が,ということはトップがということだが,自分の頭で考える人間を嫌ったからだ。その結果の責任も,企業にはあると言うことなのだ。だからと言って,むかしの私を返せなどと,被害者意識で言ってはいない。それに同意した以上,その責任は本人にもあるのだから。たとえば,日本軍が残虐なのではなく,ひとりひとりの将兵が残虐なのだ,というのと同じだ。


  • 政治を変える気概のある人材がこれから必要だ

 実は,この背景には,日本社会そのものの,都市におんぶした過疎,農村におんぶした都市,中央政治におんぶした地方政治,官僚は民におんぶし,民は官僚にすがり,親におんぶした子供,子供におんぶした老親等々,すべてが隅から隅まで,おんぶにだっこ,どっちかだかれているのかわからないくらいなのだ。それを支えているのは,ほかならぬ,企業と企業に働く人たちなのだ(農民は(多くは)税金を払わない)。

 極端な言い方をすると,人材かどうかは別にして,企業に関わる4〜5千万位の人々が払う税金で支えあっているというという構図になる。そうした構図を壊し,企業にも責任を取らせ,農民も過保護から開放し,学生も過保護からはずし,ひとりひとりが責任を取る仕組みを作らなくてはならない。政治家も,企業経営者も,官僚も,まず責任を取らせること。それには,そういう社会を戦後一貫して形成してきた自民党に責任を取らせることから始めなくてはならない。その片割れの社会党は,とっくに存在しなくなっているのだから。

 なぜ自民党の代議士が,国や公の開発した土地に利権をもち,民間同士の自己責任に基づく売買契約が成立と同時に,何のゆかりもなくその土地に利権(自民党に長く在籍し,大臣経験がある等々でうまれる?)をもっていたというだけで,売買成立の金額のうちなにがしか(何億〜何十億)を手にできる,なぜこんなことが可能なのか?ある意味で隅から隅まで網の目のように染みとおった既得権という利権のネットそのものの象徴だ。これはある意味で法的規制以上に自由なビジネスの足かせではあるまいか。

 一方でこんな構造を野放しにして自己責任が成立するはずはない。まず,この構造を,自分たちの責任で破壊すること。破壊して困るのは,既得権をもっていた輩だけだ。そういうところから,自己責任が成立する条件を,創り出さなくてはならない。


  • 結局自分の頭で考える人間になることしかない

 結局,自分の頭で,考える人間になること,それしかない。結果として割を食っても,それも自己責任と言うことだ。しかし,企業は,必要な人材を,今後どうやって育てていくつもりなのか。
 新卒から,営々と自分の色にそめていくのか。そんなことは,もう不可能だろう。ひとりひとりが,自分の頭で,自分の色を見つけて,自分の色に染めていく。そういう時代に,企業は,どう人材を調達するのか?必要なものは自分の手で,育て上げるしかないのか?それとも,人材として育ちあがったものを調達するのか?ではその損な役回りは誰がするのか?またぞろ,官か?税金か?

 どうも,間違っている気がする。

 育てることと,人材として機能することとは,別のことなのか?そうではないのではないか?いままで,こういう人材を育てたのは,そういう人材として機能することを(必ずしも意識的,目的指向的でなかったが)望んだからに他ならない。問題は,いつのまにか,目的と手段が入れ替わったことにある。企業は存続することに意味があるのではない。その企業が存在する意味が存続することに,意味がある。とすれば,どの企業も同じ人材を必要とするはずはない。必要な人材は,その企業の目的に合わせて,ということは,その企業のビジョンと文化とにあわせて,育て上げるしかないのである。

 しかし,目的や意味は永続するわけではない。まして,文化は永続するようではだめだ。いま,スピードと変化の時代といわれる。変化とは,“新しさ”の許容量が大きいということだ。それは絶えざる変身が求められると言うことだ。企業が変身しようとするなら,人材もまた変身せざるを得ない。そのとき,企業にも,トップにも,社員にも,自己責任が問われる。もちろん,そういう変身と,追い込まれての変身とは違う。前者の変身には痛みが伴うが,それをトップみずからが痛みを引き受けないことが問題なのだ。リストラで自分を真っ先にリストラしたトップは少ない。変身を迫られているとしたら,旧態のトップこそが不要だと言うことではないか。そうした当たり前のことをコントロールし,マネジメントすることが,リーダーシップなのではないのか?

 その意味で,いま戦略としての人材開発が必要であり,人材開発の戦略が必要となる。いや,既に先頭集団を走る企業は,とっくにそんなことは手を打っているし,その結果は企業価値の中に現れているのである。


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