どれだけ爆発的な情報量が増えていても(たとえば,1985から1995で情報発信量は3倍),個人の情報消費量は1.5倍にすぎない。どれだけ情報流通(コミュニケーション手段)が増え,情報量が増えても,そのすべてを個人で使い切れないどころか,持て余す。ではどう情報と付き合うのか?大事なのは,キャッチボールと同様,自分の問題意識,何を「解決したいのか」が明確でなくてはならない。これが情報を必要とする目的である。 情報は集まるものではなく集めるものである。“ベイトソンの問い”にあるように,必要な情報は,集め手の“問い”の仕方に応じてしか集まらない。 ベイトソンの質問とは,こういうものであった。 「幼い息子がホウレン草を食べるたびにご褒美としてアイスクリームを与える母親がいる。この子供が,@ホウレン草を好きになるか嫌いになるか,Aアイスクリームを好きになるか嫌いになるか,B母親を好きになるか嫌いになるか,の予測が立つためにはほかにどんな情報が必要か。」 これが,情報を必要とする端緒である。つまり,そこから,次の姿勢が必要となる。 ・第一は,「何をしたいのか」「何をはっきりさせたいのか」「何を解決したいのか」がはっきりしなくては,海岸の砂から一粒の砂金を探すようなものである。 ・第二は,「どこが問題になるか」「どこがつぼになりそうか」「ここがあやしい」といった仮説が必要となる。上記の質問でも,自分なりに“当たり”をつけなくては情報の当たりもつかない。“問い”とは仮説なのである。「こういうときはどうなる」「こうならなかったらどうなっていた」等々,どうさまざまな視点,状態,角度を想定して「問い」が立てられるか。どれだけ当たり前を当たり前としない“問い”を繰り出せるかが重要となる。
少し古いが,次の記事を読んでほしい。 「科学技術庁長官の諮問機関である航空・電子等技術審議会(梅沢邦臣会長)は11日,同庁航空宇宙技術研究所が取り組んだ短距離離着陸機(ST0L)実験機「飛鳥」の研究開発プロジェクトを評価した報告書を山東長官に答申した。「わが国の航空技術を大幅に向上させた」と成果を強調しているが,実用化の時期を失してしまったことなど,計画の進め方への反省はないまま,386億円をかけた大型事業は,これですべて終了した。 古くても残念ながら,国家プロジェクトの体質と末路を典型的に示す記事である。H2型ロケットのプロジェクトも基本構造は変わっていない。この記事は,どこまでが事実なのか,どこまでが記者の判断なのか,どこまでが記者クラブで発表された報告書の判断なのか,開発当事者の判断はどこにあるのか等々。この記事へのアクセスの仕方で,情報への対応が分かれる。しかし,結論から言えば,事実は何かと問うこと自体がすでに情報とは何かが理解できていない証拠である。情報において事実など問題にならない。 なぜなら情報は,次のような構造をしているからだ。
新聞記事を例にすれば,
の3重の偏りがある。情報化時代に重要なのは,情報の量でも,質でもない。“誰が”発信した情報かが問われるのである。そして,それを分析するとき重要なのは,そこに何が伝えられているかがをつかむことではない。与えられた情報に,記事が書こうとしている(つまり記述者の主観)の枠組みを超える問いを立てることである。記述者が見逃したことをどう拾い上げるかなのだ。誰が発信者かが重要なのは,その発信者が権威者であるかどうかということではない。変化とスピードの時代である。過去の権威者は,いまの先入主でしかない。前にも触れたが,アーサー・C・クラークはこう言っている。「権威ある科学者が何かが可能と言うとき,それはほとんど正しい。しかし,何かが不可能と言うとき,それは多分間違っている」と。変化とは,新しさへの許容量が大きいということだ。逆にいえば“新しさ”とは変化の波である。そのとき,情報の読みは,問いの多角度そのもので決まる。正解は誰にも見えてはいないのだから。 たとえば,「飛鳥『実用性がない』として中止」という記事の,何を疑い,何を確かめたいと思うかだ。それは,この連載の冒頭で申し上げた“問題意識”そのものだ。「それでいいのか」「こうなったらどうなのか」「なぜこうしないのか」等々。つまり,
によって,意識的に「問題」を掘り起こす。それは,記事のもつつじつま,整合性のある文脈,記事の背後に隠れているものを炙り出すことなのてある。たとえば,先の記事なら, どれだけ記事の枠組みとつじつま(実用性ないので実用化断念)を崩せるか どれだけ記事の領域(官費による技術開発の意味)を超えるか どれだけ記事の対象(航空技研,STOL)を超えるか どれだけ幅広い状況(航空だけでなく国の開発,行政)を背景として考えるか 等々を通して,STOLプロジェクトそのものを問う(計画は正しかったか) STOL機そのものを問う(機能や特徴,有用性は本当にあったのか) STOL参画の人,省庁を問う(誰が,何のためにやろうとしたのか) STOLのプロジェクトの進め方を問う(責任者,参加メンバー,プランは誰が決めたのか) STOLの技術力を問う(世界水準との差,ギャップはどれだけあったのか) STOLに官民の関係を問う(航空機メーカーの官需依存体質はなかったのか) 国の開発プロジェクトの在り方そのものを問う(予算,人員,位置づけは適切だったのか) 等々。「何を問うかで答えは変わる」のである。この分析は,H2プロジェクトの問題点にも通底するはずなのである。
バラバラ化が,ここでもそれが使える。つまり,
そうしてみると,ランダムに次のような問いが繰り出されてくる。 ・記事は,実用化断念の「どこ」を問題にしているのか(何をダメとしたのか)→もともと実用化を意識していない,予算配分は適切か,担当部署(官民)は適切か,プランニングの是非 ・どこからが「記事」の問題意識で,どこまでが「報告書」の問題意識なのか ・「実用化」の無意味は,「報告書」の反省なのか言い訳なのか,記事がそう断罪しているのか,どこからが記者の主観(意見)なのか ・「報告書」のどこからどこまでが事実経過の報告で,どこからが意見(総括)なのか ・「記事」は,どこまで報告書に依存し,どこからが「意見」なのか ・記者の独自取材の記事(記者が報告者である部分)はあるか ・「実用性がない」というのはどういう意味か ・実用化とは誰にとってのことか→航空機業界にとってか/顧客にとってか/行政にとってか→ジェット化対応の空港は,市街地からはなれている ・「短距離離着陸」「安い」に本当にニーズはないのか→もしニーズがないのなら,なぜ開発をはじめたのか?→技術者の個人的テーマ ・ユーザーとは誰のことか→航空業界のニーズとの乖離/運輸官僚,運輸族の利権との齟齬/アメリカ航空機業界からの圧力→航空機市場としてのアメリカには低騒音のニーズはない ・時機を逸したというのは本当か/時機とは誰にとっての時機か ・コミューター航空へのニーズがないというのは本当か→僻地で航空ニーズはある,では僻地の交通は何によるのか ・このSTOLプロジェクトの目的(何のために),目標(何を目指して),やり方(どうしようとしたか)は何だったのか ・この技術開発は本当に価値があるのか→飛鳥ができて(できなくて)どんなメリット・デメリットがあるか,国産化のメリット・デメリット ・この成果は,本当に成果なのか ・費やした「予算」は,航空機開発にとって高いといえるのか? ・国費による民間機の研究開発にメリットがないというのは本当か ・空港についての行政は一貫しているのか ・日本の交通システムをどう考えているのか→運輸行政,航空行政から考える,産業としての宇宙・航空機業界の将来像から考える,アメリカの独占状態の中で,航空機業界の未来を考える ・「実用化断念」の理由となったことは本当か ・国産化にこだわる必要があるのか 等々,この“問い”の中に,必要情報の中身と方向が炙られている。あとはどこに投網を投げるかだけだ。up
|
ご質問・お問い合わせ,あるいは,ご意見,ご要望等々をお寄せ戴く場合は,sugi.toshihiko@gmail.com宛,電子メールをお送り下さい。 |