南極点到達を競ったアムンゼンとスコットのうち,海軍軍人の組織原理に拠ったのはスコット,各分野のプロフェッショナルによるプロジェクトチームに拠ったのがアムンゼンでした。勝つために非情になりきったのは,4人体制の装備・食糧計画を無視して,情緒的な「一緒に連れていってやりたい」という思いつきで極点隊メンバーを1人増やしたスコットではなく,橇犬すら食糧として計算し尽くしたアムンゼンでした。なぜなら,彼は何が目的達成に不可欠かのみに徹底してこだわりつづけたからです。 これを情報論から見れば,リーダーの情報が必ず正しいのではありません。情報の発信者という面からはリーダーもメンバーも同列なのです。それを徹底させれば,組織はネットワークになります。そこには先輩も後輩もありません。それを果たす能力と意欲だけが問題なのです。聞き及んでいるかぎりでは,たまごっち開発で威力を発揮したのは,組織の境界を越えた,こうしたグループウエアだったはずです。 象徴的に言えば,「この指止まれ」と誰でもが,目標を掲げてプロジェクトをスタートさせられる(起業家的)仕組みこそが望ましい。旗は管理者やキャリアのある者のものだけでなく,力あるもの誰でもが振れなくてはなりません。 思えば,百人寄れば百の個性があるのは当り前であり,もともと個性そのものに価値があるのではありません。とすれば,実は,集団から個への発想転換で求められているのは,どう個性を生かす(仕組みを創る)かなのです。そこでは,新しいリーダーシップこそ必要なのです。この点から考えれば,実は「集団主義」そのものがだめだったのではなく,“みんな”に寄りかかった(あるいは担がれた)だけのリーダーがだめだった,ということに気づくはずです。 そこで思い当たるのは,本論でも触れるが,勝海舟のことです。維新後,福沢諭吉が『痩我慢の説』で,勝の幕末の政権運営を,「予め必敗を期し,その未だ実際に敗れざるに先んじて自ら自家の大権を投棄し,只管平和を買わんとて勉めた」と痛罵したのに対し,送られた本に,勝はこう返事したのです。 「行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に与からず我に関せずと存じ候」 簡潔な,しかし痛烈な返答の後背にあるのは,勝の矜持です。今日ただいま(リーダーに)必要なのもこれではないでしょうか。よってたかって,ひたすら外からの毀誉褒貶に右往左往する現況に,いったん耳を塞ぎ,冷静に,自己の立場,状況を見直し,何が本当の強みなのかに確信を持つことではありますまいか。 バブルの中で学んだことがあるとすれば,世の中が一斉に右へならえしたとき,その流れに瀬をかけるだけの見識が必要だということではなかったでしょうか。もちろん,一つのパースペクティブ(遠近法)でしかものが見れないなら,時代の罠にはまるだけです。一つのパースペクティブにこだわるのは,ありうる無数のパースペクティブに盲目になることです。必要なのは多様なパースペクティブを手放さないことです。勝海舟の矜持の根拠はそこにあったはずです。 いま,実はバブルと同じ状況にあります。情報バブル,ネットバブルのことを言っているのではありません。一斉に,インターネットに雪崩を打っていることを問題にしています。インターネットの重要なことは論を待ちません。しかし,一体誰が,その重要性を,自分の力で,とことん考えて,判断したのか?が問題です。インターネットが儲かるから,インターネットに乗らないと乗り遅れるから,時代はインターネットにシフトしているから……。まったく十年前のバブルのときと同じではないのでしょうか? いったい,ネットとは何か,その特性,将来性,広がりについて,どれだけの企業が,とはつまり,企業のトップが冷徹に思考し,判断したのでしょうか?果たして,どれだけの企業が,ネット上で生き残れるのか。一体ネットで何をするのか。自社の資源はネットに向いているのか?いや,ネットに乗り遅れたら,本当に生き残れないのか?ネットに乗らないことでかえって生き残れるのではないか?いままた,リーダー シップが問われているのです。
※『最新医療経営 フェイズ・スリー』(日本医療企画)に連載(2002.8〜2004.7)したものです。
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