かつて,森前首相が,IT戦略会議で,「自分もパソコンのキーボードを叩ける」と自慢したところ,出井議長(ソニー会長)が,「あなたのすべきことはそんなことではない」とたしなめたそうである。「リーダーである」とは,組織(やチーム)の目的を達成するための指導者であり,目的達成の責任者として存在する。自薦他薦で「リーダーになる」ことは可能だが,メンバーにリーダーと認知されない限りリーダーではありえない。リーダーと認められなければ,仮に旗を掲げても,振りかえると誰もいないという体たらくになりかねない。いまリーダーであるからといって,いつまでもリーダーでありつづけられるわけでもない。常にメンバーから問われるのは,(あなたは)「何のために(何を実現するために)リーダーとして存在しているのか」である。その答は,リーダーである限り,自分で出さなくてはならない。その答が出せなくなったとき,リーダー失格である。 もちろん「リーダーである」ことは目的ではない。あくまで組織の目的を達成することが目的である。それにはたえず「組織の目的は何か」を明確にさせなくてはならないだろう。目的にかなわない「何か」を,自分もしくはメンバーがしたとすれば,リーダーの責任である。もちろん,時代の変化とスピードの中で,組織の目的は変わる。変わらざるをえない。だから,常にメンバーと共に“目指すに足る目的”を掲げ直さなくてはならない。それが今日「リーダーである」ことの最も重要な使命かもしれない。 リーダーは,一方では,自分は「何のために(何を達成するために),リーダーとしているのか」「(目的を達成するために)リーダーとして,何をしなくてはならないのか」「(目標を達成するために)リーダーとして,どういうやり方をすべきなのか」等々と絶えず自問しつづけなくてはならない。しかしそれだけに自己完結させれば組織維持そのものが目的化してしまうだろう。だから他方では,果してこの組織は存在する理由を,かつて持っていたようにいまもまだ持ちつづけているのかどうか,組織の使命そのものへの問い直しもまたリーダーにしかできないことである。 Leadership のshipは,Friendshipのような状態を示す意味と,Leadershipのようなスキルを示す意味をもっている。語源的な意味は別として,Leadershipとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキル(技量)と考えてよい。自ら何を(達成)するためにリーダーであるのかに答えを出し,それを実現していく力量である。もちろん保有能力ではない。環境変化,組織の内部変化に対応して,何のために何をなすべきかの旗幟(目的)を明確に立てて,そのためにメンバーを組織し実現していく実行能力である。当然,リーダーシップもまた目的ではない。リーダーだからといって,やたらとリーダーシップを振り回されてはかなわない。メンバーに徹底できない(徹底しきれない)まま目的や方針を振りかざし,報告がない情報が上がってこないと嘆いても,それはおのがリーダーシップのつけでしかない。 町工場の井深大と盛田昭夫は世界を掲げ,作り始めたばかりのオートバイで本田宗一郎はマン島TTレースを目指した。これがビジョンだ。それは,自分たちが日々達成する目標や労苦によって果されるべき未来を指し示すものでなくてはならない。それを実現するために,いまの戦略があり,目標がある。GEのウェルチは,21世紀への生き残りを掛けて,「ナンバーワン・ナンバーツー」「ワークアウト」「スピード,簡潔さ,自信」「スピード,高い目標設定,組織の壁のない企業」「シックスシグマに基づく品質改善」等々と,次々旗を掲げ,ダウ銘柄に百年を超えて唯一残り,なお最高益を更新しつづける。しかしウェルチは,次々と打ち出す旗を目的化することはない。それは「何かを達成するため」であって,理念やビジョンそのものではない。たとえば,織田信長の天下布武はビジョンだが,武田信玄の風林火山は戦略いや戦術でしかない。風林火山によって何を目指すのかが信玄にはなかった。それは戦略の問題ではあっても,ビジョンではなかった。 とった戦略や戦術,目指す目標が,何のためなのかを語れないリーダーは戦いや目標そのものを目的化している。そこに未来はない。構造改革も,規制緩和も,リストラも手段に過ぎない。それを達成しても,次々に新たな負荷が加わるだけなら,時代や状況に追い立てられているだけだ。 リーダーシップとは,リーダーである(状態を保つ)ためのスキルであり,組織は何のために存在するのか,その目的からみて目標・手段は適切か,あるいはその目的はいまも重要か,もっと別の目的を創れないか等々と,問いを続ける姿勢である。その答えがビジョンであり,旗幟である。組織の旗幟を鮮明に掲げ続けられるかどうかは,リーダーが組織の目的とどう格闘したかの結果であり,そこにこそリーダーシップが必要なのである。戦術・戦略を語るのはその後である。 誰がその立場に立っても与えられた役割しか果たさないなら,誰がリーダーになっても同じである。今日官民問わず日本の組織が硬直化しているのは,一人一人が,自分に与えられた役割と格闘し,目的達成のために,何をすべきか,何にウエイトを置くべきかを主体的に考えようとしないからだ。リーダーは,リーダーとしての立場と役割とは何かを自問しながら,何を目指すことが組織の未来を決することになるのかと,組織の目的と格闘し,その方向と行く末を描き出していく。下位者一人一人もまた順次,それを実現するために何をしたらいいか,それぞれの役割の目的と格闘しながら,主体的に考えていく。そういう組織が硬直化するはずはない。 その責は,ひとえにリーダーシップの硬直化そのものにある。ビジョンを掲げぬリーダーには説明責任どころか結果責任も果たせないだろう。リーダーシップに弁解はない。掲げたビジョンそのものがすべてを語るからだ。そのビジョンは,それを実現するために何をすべきかを,メンバー一人一人に考えさせ値打ちのあるものなのかどうか。リーダーはその是非で,おのれのリーダーシップを問われるだろう。しかしいま,問うに値するビジョンがどれだけ掲げられているだろうか。
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