今日のリーダーシップにとって,コミュニケーション力も含めた情報力,もっとはっきり言えば,情報への向き合い方は,リーダーシップそのものの死命を制する重要なものである。
たとえば,文化人類学者のベイトソンは,学生にこんな質問をしている。
「幼い息子がホウレン草を食べるたびにご褒美としてアイスクリームを与える母親がいる。この子供が,@ホウレン草を好きになるか嫌いになるか,Aアイスクリームを好きになるか嫌いになるか,B母親を好きになるか嫌いになるか,の予測が立つためにはほかにどんな情報が必要か。」
ここにあるのは,何の問題意識を持たなければ,「幼い息子がホウレン草を食べるたびにご褒美としてアイスクリームを与える母親」という事態から何も見ないということだ。ここから何かを読み取るには,それにどんな問いが立てられるかにかかっている。ただ,上記@〜Bは,ベイトソンが,この事態を読み取るために立てた彼自身の問題意識からきた問いであって,現実にはこの問いが与えられているわけではない。
なぜなら,ここに情報の基本原則があるからなのである。つまり,情報は,第一は,「何をしたいのか」「何をはっきりさせたいのか」「何を解決したいのか」がはっきりしなくては,海岸の砂から一粒の砂金を探すようなものである。第二は,こちら側に問題意識,つまり出会っている事態の中で,「どこが問題になるか」「どこがポイントになりそうか」「ここがあやしい」といった疑問や仮説が必要となる。情報力とは,問う力なのである。とりわけリーダーシップにいま最も求められているのがこの設問力,仮説力である。
この重要性は,情報の構造からもたらされている。情報は,次のような構造をしているのである。
ある出来事を報ずる新聞記事を例にすれば,
発信者(目撃者,この場合は報告書)による主観(発信者に理解された範囲で意味付けられた情報)
報告者(伝聞者,この場合は記者)による主観(記述者に咀嚼された範囲でまとめられた情報)
受信者(読み手)による主観(読み手にわかる範囲で意味を読み込まれた情報)
の3重の偏りがある。目撃者はその位置と視点から,自分に理解できるものだけを見ている。一次情報を見ている場合も,その人の価値観と知識・経験によって読めるものだけを読み取る。これを,情報の向き(パースペクティブ)と呼ぶ。
たとえば,自分が目撃者になったとする。そのとき,自分が事実と出会っていると思ってはならない。自分が出会っているのは,自分の知識と経験から,自分なりにつかまえた体験,その事実についての体験「情報」にすぎない。その情報を,限りなく事実に近づけなくてはならない。それには,ひとつはさまざまな目から見たいろいろな目撃情報と比較考量し,共通している視点とそこから見えたことを拾い集めていくこと,いまひとつは,自分の体験情報そのものを,一つの情報として,それへの疑問を切り口に,問いを立て,情報を集めていくことである。
たとえば,関連する情報をつなぎ合わせれば,一定の文脈が見えてくるだろう。で,「よし,わかった!」と,結論を出せば,金田一探偵に笑われる磯川警部の安直推理となる。そこにあるのは,情報提供者のもたらした「情報の“向き”」に沿って,お膳立て通り推論したにすぎないからだ。
情報化時代に重要なのは,情報の量でも質でもない。“誰が”発信した情報かが問われる。それを分析するとき重要なのは,そこに何が伝えられているかがをつかむことではない。与えられた情報の向きを見抜くことだ。それには,記事が書こうとしている枠組みを超える問いを立て,記述者が見逃したことをどう拾い上げるかなのだ。情報の読みは,その情報の向きを崩せるような,問いの多角度そのもので決まる。正解は誰にも見えてはいないのだから。
リーダーシップに必要なのは,リーダー自身だけでなく,メンバーの多様な問いや問題意識をチームの意思決定へのベクトルにどう束ねていくかだが,そのときリーダーシップに求められているのが自身の問う力,仮説力である。そこで必要なのは,理詰めの構想力やロジカルシンキングではない。そうした現状分析の延長線上の発想を超える想像力こそが求められる。束ねられた情報から,目に見える形で全体像を描き出していく想像力である。もちろんそれは壮大な仮説でしかないかもしれない。しかし,それを実現しきったとき,仮説は事実に変わる。実現しきるのは,もちろんリーダーシップである。
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メラービアンによると,コミュニケーションにおいて,言語のもつ伝達力は7%,態度や表情,身振り・手振りといったボディランゲージが55%,声の調子や口調が38%という。通常,だから表情やしゃべり方が大事だと,コミュニケーションのテクニックに走る。しかしわれわれは言葉によってしか伝えられない。身振りや口調で中身を伝えられるわけではない。大事なことは装飾の部分ではない。その僅か7%の言葉でしかわれわれは自分の伝えたいことを伝えることはできないのだ。
とりわけ,リーダーシップで問題なのは,私的な会話ではない。組織や職場では,コミュニケーション自体が目的であることはない。多くは,たとえば,@ベクトルを合わせるために,A状況認識の刷り合わせのために,B正確な情報の共有の(不確かさを減らす)ために,Cノウハウの共有のために,Dメンバーの相互理解のために,Eメンバーの役割確認のために,F問題意識の刷り合わせのために,Gアウトプット(期待成果)を共有化するために,コミュニケーションをとる。
そこで,リーダーシップに必要なのは,話す力と聞く力だ。聞く力には,耳を傾ける「聴く」力と質問する「訊く」力が必要になる。
話す力に必要なのは,前にも触れたが,@何を言っているのか,指示対象・内容の明確さ(対象指示性)であり,A何のためにそう言いたいのか,自分自身の考え・思いを表現する力(自己表現性)である。リーダーシップにとりわけ必要なのは,後者の自己表現力である。「私は……と思う」「私は……と考える」「私は……判断する」等々。みずからを主語としてどれだけ語れるかだ。それがないとは,リーダーシップのおのれの旗がないということなのだから。
リーダーが言葉を発するのは,みずからの意思をキチンと伝えるためである。いくら指示が明確でも,意思のない言葉に力はない。意思の力とは,自己確信である。リーダーシップの信頼のバックボーンは,言葉なのである。もちろん,口調も態度も大事だ。しかし,それ以上に語られている言葉とその言葉への確信なのだ。といって聖人君主である必要はない。怒りも腹立ちもなくすことはできない。それならなまじ「バカヤロー」と言いたい気持ちを隠すよりも,「おれは,バカヤローといいたい気分だ」と,アサーティブに言葉にすることだ。それが,感情を直接ぶつけるのとは違う,言葉によるやり取りを可能にするはずだ。感情を感情としてではなく,言葉として表現しようとしたことで,@自分の感情との間合いが取れる,A相手の感情とも距離を取れる。感情のやり取りを感情のぶつかりあいでなく,感情を言葉にするコミュニケーションの土俵ができる。それが7%の確保なのだ。リーダーシップは言葉の機能しないところでは,単なる,右向け右の世界だ。変化の激しい今日,そうした均質化した組織に勝ち目はない。
われわれは,起きているときの72.8%はコミュニケーションに使う。そのうち45%は聞くことに,30%を話すことに使う(残り15%は読む,10%は書く)。しかも,話すスピードの5〜10倍を聴き取ることができる。「聴く」と「訊く」は別々にあるのではない。よく聴くことで,確かめ,訊くことが見えてくる。相手がどういう考え方,見方をしているのか,その枠組みをどうやって理解するかかのためにこそ聞き,そして確かめるために訊く。そこにリーダーシップの聞く姿勢が現れる。
それは,相手の,@経験(何が起きたのか),A行動(何をしたのか,しなかったのか),B情緒(どういう思い,感情をいだいたのか)を確かめ,明確にしていくことである。そのとき,相手の話を単なる他人事の情報や伝聞として聞くのではなく,相手が向き合っている状況や世界を,@そのとき相手が見たり,聞いたり,感じたり,味わったりする感情を受けとめ,Aそのとき相手がおかれた立場や役割に立って,その状態や心理を理解し,Bそうやって自分が相手の世界を理解したことを,言語的にも非言語的にも相手にきちんと伝える姿勢が必要となる,それを,共感性と呼ぶ。
コミュニケーションを通して,メンバーとの間で何が共有化されたか。たとえば,
@共通の土俵に立てたか。仕事の上での目的・目標が共有化されたか。
A共通の目標を担っているか。何を達成するための役割かが相互確認されたか。
Bテーマは共有化されたか。伝えるべきこと(聞かされること)についての土俵は共有化されたか。
C言葉は共有化されたか。相手と同じレベルの言葉・用語になったか。
D話は共有化されたか。話の展開は共有化されたか。
E話の結論は共有化されたか;結論は一方通行ではなく,相互確認できているか。
F話の目的は共有化されたか。何のための話し合いだったかが了解されているか。
等々が,リーダーシップにおけるコミュニケーションの成果となるはずである。
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