九鬼周造『「いき」の構造』を読む。
著者は、「いき」を、
内包的構造、
外延的構造、
自然的表現、
芸術的表現、
に分けて、その構造を鮮明にした。「内包的構造」では、
媚態、
意気(意気地)、
諦め、
の三つの表徴に分解した。
「媚態」とは、異性に対する「媚態」である。
「異性との関係が『いき』の原本的存在を形成していることは、『いきごと』が『いろごと』を意味するのでもわかる。『いきな話』といえば、異性との交渉に関する話を意味している。」
「媚態」とは、
「一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして『いき』のうちに見られる『なまめかしさ』『つやっぽさ』『色気』などは、すべてこの二次元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。」
と。
「意気」すなわち、「意気地」とは、
「意識現象としての存在様態である『いき』のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児(えどっこ)の気概が契機として含まれている。(中略)『江戸の花』には、命をも惜しまない町火消、鳶者(とびのもの)は寒中でも白足袋はだし、法被一枚の『男伊達』を尚(とうと)んだ。『いき』には、『江戸の意地張り』『辰巳の侠骨』が無ければならない。『いなせ』『いさみ』『伝法』など共通な犯すべからざる気品・気骨がなければならない。『野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競べ、意気地くらべや張競べ』というように、『いき』は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強みをもった意識である。(中略)『いき』のうちには溌剌として武士道の理想が生きている。」
であり、
「理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていること」
が「いき」の特色であると、する。「諦め」は、
「運命に対する知見に基づいて執着(しゅうじゃく)を離脱した無関心である。『いき』は垢抜けがしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。」
とし、
解脱、
とする。
「『いき』は『浮かみもやらぬ、流れのうき身』という『苦界(くがい)』にその起源をもっている。(中略)『諦め』したがって『無関心』は、世智辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍のこころである。」
と。そして、この三者を、
「第一の『媚態』はその基調を構成し、(中略)媚態の原本的存在規定は二元的可能性である。しかるに第二の徴表たる『意気地』は理想主義の齎した心の強みで、媚態の二元的可能性に一層の緊張と一層の持久力を呈供し、可能性を可能性として終始せしめようとする。(中略)媚態の二元的可能性を『意気地』によって限定することは、畢竟、事由の擁護を高唱するにほかならない。(中略)媚態はその仮想的目的を達せざる点において、自己に忠実なるものである。それ故に、媚態が目的に対して『諦め』を有することは……、かえって媚態そのものの原本的存在性を開示せしむることである。媚態と『諦め』の結合は、自由への帰依が運命によって強要され、可能性の措定が必然性によって規定されたことを意味している。」
とまとめ、要するに、
「『いき』という存在様態において、『媚態』は、武士道の理想主義に基づく『意気地』と、仏教の非現実性を背景とする『諦め』とによって、存在完成にまで限定されるのである。」
と。さらに、「意気」の外延的構造では、「上品−下品」、「派手−地味」、「意気−野暮」、「渋み−甘味」の中で、位置づけなおしてみせる。しかし、著者自身が、「結論」で、
「『いき』を分析して得られた抽象的概念契機は、具体的な『いき』の或る幾つかの方面を指示するに過ぎない。『いき』は個々の概念契機を分析することはできるが、逆に、分析された個々の概念契機をもって『いき』の存在を構成することはできない。」
と言っているように、分解された要素を束ねても、「いき」とはどこかに乖離がある。読みながら感じた違和感は、それだけではなく、少しく「武士道」や「江戸ッ子気質」について、理想化され過ぎている感があった。
「いき」は、
意気、
と当て、
明和頃、深川の岡場所に流行し、のちに一般化した語。粋であること、あかぬけしていること、洗練された美があること、しゃれていること(江戸語大辞典)、
近世中期頃からの江戸の町人に主に発達した美意識の一。嫌味なくさっぱりした態度、垢抜けした色気、洗練された媚態などを意味した(古語大辞典)、
(心映えの「意気」とは区別し、「清爽」を当て)意気ある人の、風采(ふり)、瀟洒(さっぱり)したるより出づ、さっぱりとして、いやみなきこと、婀娜たること、粋なること(大言海)、
とある。「いなせ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%9B)で触れたことがあるが、「いき」は、
心意気の略、
ではないか。その意味は、
気持ちや身なりのさっぱりして垢抜けしていて、しかも色気をもっていること、
あるいは、
人情の機微に通じ、特に遊里や遊興に精通していること、
ということらしい。類語に「伊達」というのがある。語源は、
ひとつは、「取り立てる」の「タテ」で、目立つという意味。実際以上に誇示する。
いまひとつは、「タテダテシイ」の「ダテ」で、意地っ張りという意味だ。伊達の薄着、というように、言ってみると依怙地を張っている、というニュアンスである。だから、
ことさら侠気を示そうとすること、
とか
派手にふるまうこと、
とか
人目につくこと、
とあって、そこから、
あか抜けていきであること
とか
さばけていること
となっていく。しかし、どこかに、「見栄をはる」とか「外見を飾る」というニュアンスが抜けない。似たものに、「伝法」もある。「伝法な」は、
浅草伝法院の下男が、寺の威光を借りて、悪ずれした荒っぽい男であったのが、「デンポウ」なの由来、
とされる。転じて、無法な人、勇み肌という意になっていく。「鉄火肌」というのもその流れだろう。「鉄火」というのは、鉄火場、つまり博奕場である。しかし、「鉄火肌」の「鉄火」は、
鉄火(鉄が焼かれて火のようになったもの)、
という意味から来ているので、気性の激しさを言っている。
また「いさみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%8B%87%E3%81%BF)は、
市人の、気概(いきはり)を衒(てら)ふ者。其の気立てを、いさみ肌、きほいはだ、と云ふ(大言海)、
気概を、
いきはり、
と訓ませ、意気地を張る、というニュアンスにし、それを衒う、つまり、
見せびらかす、ひけらかす、
という含意である。そういうのを喝采するひとがいるから、ますますいきがる、ということになる。
どうも、いきがっている本人ほど、周囲は、認めていず、だからいっそう伊達風を張る。その辺りの瘦せ我慢というか、依怙地さは、嫌いではないが、所詮、
堅気ではない、
のである。まっとうではなく、そういう男伊達というか侠気というのは、
戦国武将の気風の成れの果て、
らしく、そのことは、「サムライとヤクザ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-6.htm#%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%81%A8%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6)で触れた。
僕は、「いなせ」や「いき」は、気骨とは違うと思う。「気骨」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E6%B0%97%E9%AA%A8)は、
「気(気概ある)+骨(人柄)」
である。これこそが、サムライである。
容易に人に従わない意気、自負、
こそが、「いき」ではないのか。それは、「心映え」だから、見栄を張って、外に着飾るものでも、言い募るものでもないのである。
三田村鳶魚は、
「武士が単なる偶像化されたる『人間の見本』であったり、あるいは、『人間の理想化』であっては、『武士道』甚だ愚なるものである。」
と言っている。著者の「武士道」が理想化され過ぎているように感じるのは僻目だろうか。「武士道」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93)については触れたが、武士道の謂れについて、鳶魚は、
「戦国末期の『武辺吟味』というのは、弓馬・剣槍、あるいは鉄砲等の武器に関することで、主として戦場における働き、すなわち、軍事上における働きの場合に用いられたものであって、今日いうところの武士道ではなく、むしろ、兵書・兵学に属するものであった。吟味は今でいう研究という言葉に相応するものだ。それよりも、『男の道』の方が『武士道』には近い。『そうしては男の道が立たない』というようなことは、『武士道が立たない』というのと同一の意味で用いられた言葉だ。故に、もし『武士道』なるものの語原的詮索をするとしたならば、武士道の母胎は『男の道』であって、これから、武士道なる言葉が転化し発生したものだ、ということが出来る。」
とし、武士道とは、
義理、
すなわち、
善悪の心の道筋、
である、とする。もう少し突っ込めば、
倫理、
である。倫理とは、
いかに生きるか、
である。だから、
「武士が切腹をするということには、二通りの意味がある。その一つは、自分の犯した罪科とか過失とかに対して、自ら悔い償うためには、屠腹するということであり、今一つは、申し付けられて、その罪を償うということである。そして、そのいずれにしても、切腹は自滅を意味する。(中略)切腹は、…武士に対する処決の一特典にしか過ぎない
のである。ただ自らその罪に対する自責上、切腹して相果てるというその精神だけは武士道に咲いた一つの華と言っ
てもよいが、武士道の真髄ではあり得ない。」
したがって、他人の忖度とは無縁である。前に、
心映え、
といったのはその意味である「心映え」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%BF%83%E3%81%B0%E3%81%88)で触れたように、その真髄は、周りへの影響のニュアンスの、
心延え、
というではなく、何か一人輝きだしている、
心映え、
がいいのである。
ついでながら、著者の「江戸児」は、鳶魚に言わせると、現実とは異なるようである。「江戸ッ子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/436936674.html)で触れたことだが、「江戸ッ子」は、
「表通りには住んでいない。皆裏通りに住んでいた」
つまりは、
裏店(うらだな)、
に棲む。では、裏店とは何か。鳶魚曰く、
長屋と裏店とは違う、
という。
「長屋というのは建てつらねた家ですから、どんな場所にもあった。水戸様の百間長屋などというのは、今の砲兵工廠の所にあったので、その他大名衆の本邸には、囲いのようにお長屋というものがあって、そこに、勤番士もおれば、定府の者もおりました。長屋の方は、建て方からきている名称ですが、裏店の方は、位置からきている名称」
で、位置とは、場所を指す。
「裏店というのは、商売の出来ない場所」
で、ここに住んでいるのは、
「日雇取・土方・大工・左官などの手間取・棒手振、そんな
手合で、大工・左官でも棟梁といわれるような人、鳶の者でも頭になった人は、小商人のいる横町とか、新道とかいうところに住んでおりますから、裏店住居ではない。」
では、裏店に対して、表店とは何か。そのためには、町人とは何かが、はっきりしなくてはならない。
「町人という言葉から考えますと、武家の住っている屋敷地に居らぬ人、市街地に住んでいる人を、すべて言いそうなものなのに、町人といえば商人に限るようになっている」
のであって、そこには、裏店の人間は入らない。「江戸ッ子」の風体は、
半纏着、
で、
「明らかに江戸ッ子を語っているものは、半纏着という言葉です。半纏着では、吉原へ行っても上げない。
江戸ッ子というと、意気で気前がよくって、どこへ行ってももてそうに思われるが、半纏着だと銭を持っていても女郎さえ買えないんだから、ひどいものです。この連中は、普通の人の着物を長着という。羽織は見たこともない手合だから、長着は持っていない。持っているのは、半纏・股引だけだ。もし長着があるとすれば、単物に三尺くらいのものでしょう。」
と。いったいこの「江戸ッ子」は何人いるのか。
「大概 江戸の人口の一割くらい」
で、五万人、と鳶魚は見積もる。我々のイメージしている「江戸ッ子」は、町人かその使用人であったが、それを鳶魚は、「江戸ッ子」に入れないらしい。
なお、「野暮」については、「野暮天」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E9%87%8E%E6%9A%AE%E5%A4%A9)で触れた。
参考文献;
九鬼周造『「いき」の構造』(岩波文庫)
三田村鳶魚『武家の生活』(Kindle版)
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版) |