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書評T


ポリフォニー

ミハイル・ミハイロヴィチ・バフチン『ドストエフスキーの詩学』を読む。

著者は,ドストエフスキーの小説を,

ポリフォニー小説,

と名づけたことで知られている。ポリフォニー (polyphony) とは,音楽用語で,

「複数の独立した声部(パート)からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。(中略)ポリフォニーは独立した複数の声部からなる音楽であり、一つの旋律(声部)を複数の演奏単位(楽器や男声・女声のグループ別など)で奏する場合に生じる自然な「ずれ」による一時的な多声化はヘテロフォニーと呼んで区別する。」

で,それに準えて,

「それぞれ独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識,それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる」

ドストエフスキーの小説の多声性をそう名づけた。あるいは,同じことだが,

対位法,

にも準える。つまり,ポリフォニー音楽についての理論である「対位法」とは,

「ポリフォニー音楽においては、それぞれの声部が奏でる旋律は独立性を持っている。そのため、和声法によるホモフォニー音楽よりも各声部の旋律の流れに重きを置いている。和声法が主に、楽曲に使われている個々の和音の類別や、それらの和音をいかに経時的に連結するかを問題にするのに対し、対位法は主に『旋律をいかに同時的に堆積するか』という観点から論じられる。」

であり,ドストエフスキーの小説の構造である,

多声性,
多重性,
多元性,

と,リンクしている,という考え方である。そこには,従来の小説を,

モノローグ小説,

として,対比させるというところにも通じる。

ドストエフスキーの小説は,対話で成り立つ。

「実際ドストエフスキーの本質的な対話性は,けっして彼の主人公たちの外面的な,構成的に表現された対話に尽きるものではない。ポリフォニー小説は全体がまるこど対話的なのである。小説を構成するすべての要素間に対話的関係が存在する。すなわちすべてが対位法的に対置されているのである。そもそも対話的関係というものは,ある構成のもとに表現された対話における発言同士の関係よりももっとはるかに広い概念である。それはあらゆる人間の言葉,あらゆる関係,人間の生のあらゆる発露,すなわちおよそ意味と意義を持つすべてのものを貫く,ほとんど普遍的な現象なのである。」

そして,ドストエフスキーの

「小説においては,その外面と内面の部分や要素の関係すべてが対話的な性格を持っている。つまり小説全体を彼は《大きな対話》として構成したのである。この《大きな対話》の内部では,構成的に表現された主人公たちの対話が,《大きな対話》を照らし出すとともに,凝縮するような形で響いている。そしてついにはこの対話は作品の奥深く浸透してゆく。それは小説の一つ一つの言葉に浸透して,それを複声的なものとし,また主人公たちの個々の身振りや表情の物真似に浸透して,それがぶつぶつ切れた,ヒステリックなものとするのである。これこそがドストエフスキーの言葉のスタイルの特性を規定する《ミクロの対話》である。」

と要約してみせる。そこにあるのは,外的な人との対話だけではなく,内的に,その人の身振りや口ぶりをなぞっての,内的な対話(自己対話)での内なる他人との対話という,対話の多重性なのである。その時ドストエフスキーにとって関心を引くのは,主人公の持つ

「世界と自分自身に対する特別の視点であり,人間が自身と周囲の現実に対して物意味と価値の立場」

であり,さらに,ドストエフスキーにとって大切なのは,

「主人公が世界において何者であるかということではなく,…主人公にとって世界が何であるか,そして自分自身にとって彼が何者なのか」

なのである。そして,ドストエフスキーが,

「そこで解明し性格づけるべきものは,主人公という一定の存在,彼の確固たる形象ではなく,彼の意識および自意識の総決算,つまり自分自身と自分の世界に関する主人公の最終的な言葉なのである。
 したがって主人公像を形成する要素となっているのは,現実(主人公自身および彼の生活環境の現実)の諸特徴ではなく,それらの諸特徴が彼自身に対して,彼の自意識に対して持つ意味なのである。主人公の確固とした客観的な資質のすべて,すなわち彼の社会的地位,社会学的・性格論的に見た彼のタイプ,習性,気質,そしてついにはその外貌まで―つまり通常作者が《主人公は何者か?》という形でその確固普遍のイメージを形成する際に役に立つすべての事柄が,ドストエフスキーにおいては主人公自身の内省の対象となり,自意識の対象となる。いわば作者の観察と描写の対象とは,主人公の自意識の機能そのものなのである。通常の場合には,主人公の自意識は単に彼の現実の一要素,彼の全一的な形象の一要素に過ぎないのだが,ここでは反対に現実のすべてが主人公の自意識の一要素となるのだ。そこでは,…作者…はすべてを主人公自身の視野に導入し,その自意識の坩堝に投げ込む。そして主人公の純粋な自意識もそっくりそのまま,作者自身の視野の内に観察と描写の対象として残るのである。」

そのとき,「描写される人物に対する作者の位置関係が根本的に新しいもの」となる。

「主人公自身の現実のみではなく,彼を取り巻く外的世界や風俗も,この自意識のプロセスに導入され,作者の視野から主人公の視野の中へと移し換えられる。それらはすでに,作者の単一の世界の中で,主人公と同じ平面上に,彼と並んで,彼の外部に置かれているのではなく,したがって主人公を規定する因果律的・発生論的要因でもあり得ず,作品の中で説明的機能をを担うこともできない。具象世界のすべてを自らに取り込む主人公の自意識と同じ平面にあって,それと並んで存在し得るものは,別のもう一つの意識のみであり,彼の視野に対しては別のもう一つの視野が,彼の世界への視点対しては別のもう一つの視点が,それぞれ併置できるのみである。すべてを飲み込む主人公の意識に作者が対置し得るのは,ただ一つの客観世界,すなわち主人公と同等の権利を持った別の意識たちの世界のみである。」

このことを,ドストエフスキー自身は,

「人間の内なる人間を見出す」

とし,それを「完全なリアリズム」と呼んでいる。それに向き合う作者は,語り手をも,その意識たちと併置される位置におく対話の相手でもある。それは,

「ひたむきに実践され,とことん推し進められれた対話的立場であり,それが主人公の独立性,内的自由,未完結性と未決定性を保証しているのである。作者にとっての主人公とは《彼》でも《我》でもなく,一人の自立した《汝》つまり(《汝あり》という言葉で語られる)もう一人の完全な権利を持つ他者の《我》なのである。主人公は,きわめて真剣な,本当の対話的呼びかけの主体であって,修辞的に演じられる,あるいは文学的な約束事としての対話的呼びかけの主体ではない。そしてこの対話―小説の《大きな対話》の全体―は,過去に起こったことではなく,いま,すなわち創作過程の現在において起こっていることなのである。(中略)
ドストエフスキーの構想の中では,主人公とは自立した価値を持った言葉の担い手であって,作者の言葉のもの言わぬ客体ではない。そして主人公についての作者の言葉は,言葉についての言葉なのである。作者の言葉は,言葉を扱うのと同じように主人公を扱う。つまり彼に対して対話的に向けられるのである。作者はその小説の全構成をもって,主人公について語るのではなく,主人公と語り合う。」

多少,作家と書き手,書き手と語り手をごちゃごちゃにしている嫌いはある(ドストエフスキーは,書き手の位置も,語り手の位置も意識的であるし,いま進行しているように現在進行形で,そこにいる,という設定を意図している[作品は書き終わったところが「いま」であるのだから])が,この作品世界への向き合い方は,的確である。(作家ではなく)語り手は,

主人公について語るのではなく,主人公と語り合う,

は,ドストエフスキーの小説の語りについて的確な言い方である。

対話の歴史的系譜を,もうひとつの概念である「カーニバル文学」を説明するために,「ソクラテスの対話」「メニッポス風刺」と言ったギリシャ由来の経緯をたどって見せるたあと,本書の圧巻は,「第五章 ドストエフスキーの言葉」において,自意識の自己対話,自意識の中の他者との対話,他者そのものとの対話へと転換していく,語りの重層性と,そこでの語りの転位についての分析である。先ず自己対話について,

「主人公の自分自身に対する関係は,彼の他者に対する関係および他者の彼に対する関係と不可分に結びついている。自意識はいつも自分自身を,彼についての他者の意識を背景として知覚する,つまり,《自分にとっての私》は《他者にとっての私》を背景として知覚されるのである。したがって主人公の自分自身についての言葉は,彼についての他者の言葉の間断なき影響のもとで形成されるのである。」

その対話は,

「主人公の自意識の中に彼についての他者の意識が入り込み,主人公の自己言表の中に彼についての他者の言葉が投げ込まれる。次に他者の意識と他者の言葉が,一方では主人公の自意識の主題論的発展やその逸脱,逃げ道,反抗を規定し,他方ではアクセント上の中断,統辞論的逸脱,繰り返し,留保,冗長性を伴った主人公の発話を規定することになるような,独特の現象を引き起こす」

その場合,ポリフォニーとは,自己対話に入り込んだ他者の言葉だけではない。その口ぶりや口癖,喋り方,といった意味でも,多層的なのであり,

「対話は自分自身の声に他者の声による代替を可能」

にしてしまう。たとえば,『分身』のゴリャートキンについて,

「ここでの対話的展開は,(『貧しき人々』の)デーヴシキンの場合より複雑である。デーヴシキンの発話では《他者》と論争していたのは首尾一貫した一つの声であったが,ここで《他者》と論争しているのは二つの声,自信のある,過剰なほど自信たっぷりな声と,過剰なほどびくついた,何事においても譲歩し,全面降伏しようとする声という二つの声だからである。
 他者を代替するゴリャートキンの第二の声,それに,初めは他者の言葉から身を隠そうとするが,(『俺だってみんなと同じさ』『俺は何でもない』),後になってその他者の言葉に降伏してしまう(『俺がどうしたって,そういうことなら,俺にも覚悟はあるさ』)彼の第一の声,そして彼の中で絶えず鳴り響いている純然たる他者の声―この三つの声は,非常に複雑な相互関係にある」

とし,この三つの声,つまり,

「他者と他者の承認なしにはやってゆけない《私のための私》の声であり,虚構としての《他者のための私》(他者の中に投影された私)の声,つまり他者を代替しようとするゴリャートキンの第二の声であり,そしてゴリャートキンの存在を承認しようとしない他者の声」

に加えて,語り手自身が,

「ゴリャートキンの言葉と思想を,つまり彼の第二の声と言葉を借用し,それらの中に装填されている挑発的で嘲笑的な調子を強化しながら,その強化した調子でゴリャートキンの言動の一挙手一投足をえがいている」

のである。語り手の声が,第二の声と融合してしまうことで,

「叙述は,形式的には読者に向けられているにもかかわらず,あたかもゴリャートキン自身に対話的にむけられており,ゴリャートキン自身の耳の中で彼を挑発する他者の声として,彼の分身の声として響き渡っているかのような印象が生まれることになる」

まさに,そこでは,ただ語り手の言葉が主人公に向けられているのではなく,

「叙述の志向性そのものが,主人公に向けられているのである。」

こうした自己対話は,他者との対話として,客体化されたときも,複雑な多声性を醸し出す。たとえば,『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフとアリョーシャを例に,

「二人の主人公がドストエフスキーによって導入されるときはいつでも,彼らは,お互いがお互いの声の直接的な化身になることはけっしてないとはいえ…,お互いに相手の内なる声と密かに親密の応答の急所を衝いたり,また部分的にはそれと重なり合ったりするのである。一方の主人公にとっての他者の言葉と,もう一方の主人公の内に秘めた言葉との間の深く本質的な関係あるいは部分的な一本化―それこそが,ドストエフスキーの本質的な対話すべてに不可欠の契機であり,基本的な対話はこの契機を土台として組み立てられている。」

と述べる。

この対話の関係性の中に現実があり,この対話の中にこそ自己がある,ということを,(社会構成主義という)時代に先駆けて,バフチンが,ドストエフスキーの中から探り出した,時代を切り開く視界,といってもいい。

「世界について語っているのではなく,世界を相手に語り合っている」

かのようなドストエフスキーの開いた世界は,いわゆる現実の世界ではない。

言葉のみで成り立っている対話の世界,

である。まさしく,バフチンが掘り起こしたのは,

会話が世界をつくる,

という時代の最先端である。

参考文献;
ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%83%BC

世界像

石川淳『森鷗外』を読む。

本書では,

「人物を論じない。伝記にたらない。官人としての事績をさぐらない。時代に係合を附けない。文学史に触れない。衛生学の仕事に係らない。芝居の仕事を追わない。美術の仕事を述べない。翻訳の仕事を記さない。」

と著者は書く。書いたのは,「小説とは何か」である。それは鷗外を語りつつ自らのそれを語っているかの如くである。

冒頭は,有名な書き出しである。

「『抽斎』と『霞亭』といずれを取るかといえば,どうでもよい質問のごとくであろう。だが,わたしは無意味なことはいわないつもりである。この二編を措いて鷗外にはもっと傑作があるとおもっているようなひとびとを,私は信用しない。『雁』などは児戯に類する。『山椒大夫』に至っては俗臭芬芬たる駄作である。『百物語』の妙といえども,これを捨てて惜しまない。詩歌翻訳の評判ならば,別席の閑談にゆだねよう。
 『抽斎』と『霞亭』と,双方とも結構だとか,撰択は読者の趣味に依るとか,漫然とそう答えるかもしれぬひとびとを,わたしはまた信用しない。この二者撰一に於いて,撰ぶ人の文学上のプロフェッシオン・ド・フォアが現れるはずである。では,おまえはどうだときかれるであろう。ただちに答える。『抽斎』第一だと。そして附け加える。それはかならずしも『霞亭』を次位に貶すことではないと。」

これは, 

「『澀江抽斎』に引きつづき『伊沢蘭軒』『北條霞亭』の三篇は一個の非凡の小説家の比類なき努力の上に立つ大業であって,とても傍観者などというなまぬるい規定をもって律しうるようなものではない。(中略)ひとが鴎外に期待したであろうとはちがったところに,努力が突き抜けて行った。したがって『澀江抽斎』以後の仕事に対して当時の世評は香しくない。青山胤通は『つまらぬものを書く』といったそうである。青山ばかりではなく,新聞社宛には悪罵の投書が殺到したという。肝腎の文壇批評家諸君は手のつけようを知らず,そっぽをむいていたかと見える。中には,あれは小説ではないといって,眼をつぶって安心していた小説家先生もあったかもしれない。おおかた自分の書くうすぎたない身上噺のほうがよほど斬新で深刻な芸術だとでも思っていたのであろう。」

等々という,ある意味鷗外の『澀江抽斎』以降の「世評は香しくない」鷗外観への挑戦状である,とも言える。それはまた,「小説とは何か」ということを問いかけてもいる。そして,言う。これは,

「小説概念に変更を強要するような新課題が提出」

されており,

「小説家鷗外が切りひらいたのは文学の血路である」

と。それは,

「鴎外の感動は怒号をもって外部に発散していく性質のものではない。それはひとに知れたとき云訣しなくてはならなかったほど,ひっそりと内部に沈潜する底のものであったが,そこからおこった精神の運動が展開して行ったさきは小宇宙を成就してしまった。なにか身にしみることがあってたちまち心あたたまり,からだがわれを忘れて乗り出して行き,用と無用とを問わず,横町をめぐり溝板をわたるように,はたへの気兼で汚されることのない清潔なペンがせっせとうごきはじめると,末はどんな大事件をおこすに至るか。仕合せにも『抽斎』一篇がここにある。出来上がったものは史伝でも物語でもなく,抽斎という人物がいる世界像で,初めにわくわくしたはずの当の作者の自意識など影も見えない。当時の批評がめんくらって,勝手がちがうと憤慨したのも無理はない。作品は校勘学の実演のようでもあり新講談のようでもあるが,さっぱりおもしろくもないしろもので,作者の料簡も同様にえたいが知れないと,世評が内内気にしながら匙を投げていたものが,じつは古今一流の大文章であったとは,文学の高尚なる論理である。」

鍵は,作品の「世界像」である。こう続けている。

「鴎外みずから『敬慕』『親愛』と称しているところの,抽斎という人間への愛情が作品においてどんなはたらきをしているか。鴎外はその愛情の中に自分をつかまえることによって書き出したのではあったが,またその中に自分を取り落すことに依って文章の世界を高次に築き上げている。(中略)
 抽斎への『親愛』が氾濫したけしきで,鷗外は抽斎の周囲をことごとく,凡庸な学者も,市井の通人も,俗物も,蕩児も,婦女子も,愛撫してきわまらなかった。『わたくし自身の判断』を支離滅裂の惨状におとしいれてしまうような,あぶない橋のうえに,おかげで書かれた人物が生動し,出来上がった世界が発光するという稀代の珍事が現出した。そして,このおなじ地盤のうえに,鷗外は文章を書く新方法を発明したはずである。」

しかし面白いことに,鷗外自身はその新地平について気づいていない。

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう。それはまたこの偉大な功業を立てた文学者の論説中小説論の見るべきものがない所以であろう。」

著者は,こう評する。

「『抽斎』『蘭軒』『霞亭』はふつう史伝と見られている。そう見られるわけは単にこれらの作品を組み立てている材料が過去の実在人物の事蹟に係るというだけのことであろう。いかにも史伝ではある。だが,文章のうまい史伝なるがゆえに,ひとはこれに感動するのではない。作品の世界を自立させているところの一貫した努力がひとを打つのみである。」

その小説観の一端は,「追儺」という作品について,こう書くところに表れている。

「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。文豪の処女作たるに恥じない。」

そして,鷗外の小説は,『追儺』から数える,という。そう考えて初めて,最後の作品『北條霞亭』について,こう評することと対になる。

「鷗外六十歳,一世を蓋う大家として,その文学的障害の最後に,『霞亭生涯の末一年』に至って初めて流血の文字を成した。作品の出来ばえ,稟質才能の詮議は別として,右は通常これから小説に乗り出そうというすべての二十代の青年が立つであろう地点である。」

それにしても,石川淳は,鷗外に対する敬愛なみなみならない。かつて,その愚作ぶりにあっけにとられた『大塩平八郎』についても,

「『大塩平八郎』は低級無力なる作品である。それにしても,不思議なことに,鷗外のような高い意識と強力な手腕とをそなえた傍観者の著実な仕事に俟たなければ,こう別誂えに低級無力には出来上らない。これは漫然と不思議だということにしておく。」

と評する。「低級無力」とは最大限の罵倒であるが,どこかでその底をみきわめたやさしさがある。かつて,

「むかし,荷風散人が妾宅に配置した孤独はまさにそこから運動をおこすべき性質のものであった。これを芸術家の孤独という。はるかに年をへて,とうに運動がおわったあとに,市川の僑居にのこった老人のひとりぐらしには,芸術的な意味はなにも無い。したがって,その最期にはなにも悲劇的な事件は無い。今日なおわたしの目中にあるのは,かつての妾宅,日和下駄,下谷叢話,葛飾土産なんぞにおける荷風散人の運動である。日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの,一箇の怠惰な老人の末路のごときは,わたしは一燈をささげるゆかりもない。」(「敗荷落日」)

と,痛罵したのと対比すれば,明らかである。著者は,リルケに準えて,

「鷗外もまた手の甲の強靭な,てのひらの柔軟な抒情詩人」

というのが,著者の鷗外像らしい。死の直前まで,おのれの血を流す羽目になりながら,「小説の血路」を開き続けた鷗外へのオマージュである,だけでなく,鷗外を出汁にして,石川淳自身の小説観そのものを再構築していくプロセスでもあるように見える。突飛なことを言うようだが,石川淳の『佳人』『普賢』は,どこやら,『澀江抽斎』のパロディにも見えなくもないのである。

参考文献;
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)

メタ小説

森鷗外『澀江抽斎』を再読。


以前読んだとき,恥ずかしながら,人の死が連ねられているという印象が強く残っていた。人との関わりのネットワークよりは,その終末に強く印象づけられていた。世の中では,この作品が,史伝の中にカテゴライズされているらしいことを,ほぼ疑わなかった。しかし,今回,ひどく面白く読んだ。前回とは全く印象が違う。これは,

書くことを書く,

というメタ・ポジションからのものだと,気づいたからだ。今日なら,おのれが書いているものについて,書くなどということは,奇異でも特異でもない。しかし鷗外が新聞連載(これが新聞連載されていたことに驚くが)当時はどうであったか。困り果てて,史伝とするしかなかったのではないか。

本巻の解説(小堀桂一郎)は,こう書いている。

「著者はこの伝記の稿に筆を下すに当たって,先ず如何にして自分がこの作品の主人公とめぐりあったか,どうしてその人に関心をいだき,伝記を立てる興味をおこしたか,そしてこの著述に如何にして着手し,史料は如何にして蒐め,また如何にして主人公に就いての知識を拡大して行ったか,その筋みちを詳しく説明してゐるのである。言ってみれば著者はここで伝記作者としての自分の舞台裏をなんのこだわりもなく最初から打ち明けて見せてゐるのであり,著述を進めてゆく途上に自分が突き当たった難渋も,未解決の疑問も,一方探索を押し進めてゆく際に経験した自分の発見や疑問解決の喜びをも,いささかもかくすことなく筆にしてゐる。これは澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法にもとづいて書かれた伝記である。」

伝記という概念から脱せられないから,「特異」といい,「特異の研究方法」(永井荷風)ということになる。しかしこの解説者自身がすでに書いている,

「澀江抽斎といふ人の伝記を叙述してゐると同時に,澀江氏の事蹟を探ってゆく著者の努力の経過をもまた,随筆のやうな構へを以て淡々と報告してゆく,さうした特異な叙述の方法」

こそが,書くことのメタ化ではないか。つまり,

書くことを書く,

である。これが鷗外の発明かどうかは知らない。しかし,鷗外は,短編『追儺』,未完の『灰燼』で,既に,小説を書く(書こうとすること)を書く,ことを試みている。だから,石川淳は,

「作者はまず筆を取って,小説とはどうして書くものかと考え,そう考えたことを書くことからはじめている。ということは,頭脳を既成の小説概念から清潔に洗っていることである。(中略)前もってたくらんでいたらしいものはなに一つ持ちこまない。…味もそっけも無いようなはなしである。…しかし『追儺』は小説というものの,小説はどうして書くかということの,単純な見本である。これが鷗外四十八歳にして初めて書いた小説である。」

と書いている。石川淳が,これを処女作としたのは,いかに書くかをめざして初めて書いた小説からだ。小説という既成の概念を前提に,物語を語るのではなく,

書くとはどういうことかを書きながら,書いていった,

という意味で初めての小説だ,という意味だ。『追儺』で,

「小説といふものは何をどんなふうに書いても好いものだといふ断案を下す」

と。それは,鷗外が,初めて自分の書く世界を,『追儺』で手掛りをえた,と言い換えてもいい。その先の試みの『灰燼』は失敗した。しかし,その上に,『澀江抽斎』がくる。

『澀江抽斎』を読んで,何気なく見過ごしていけないのは,鷗外は,初めから,シーケンシャルに,抽斎について調べていくプロセスをそのまま書くことを通して,澀江抽斎という世界を描こうと意図していたということだ。この方法は,意図されている。調べ終わってから,抽斎について書くことを書く,などという書き方ではないのである。最初から,抽斎を書こうとする自分自身を書き,そこで調べている自分を書き,さらに,調べ上げた抽斎について書く,ということ意図して,第一行から書き始めている。でなくて,こういう世界を描くということは,ほぼできないのである。鷗外は,意識して,書くことを書くとしたのかどうか,その方法を意識していたかどうかはともかくとして,『追儺』の方法をなぞるようにして,「書くことを書く」(書くを書く)を始めるつもりで書き出しているのである。

書くを書くとは,小説を書く書き手を書きつつ,作品世界の語り手をも書く,ということだ。そこでは,作家は,小説世界を構築する書き手を対象化しつつ,その書き手をして,小説世界を語らせる,そこまでを書く。それは,中里介山が,『大菩薩峠』の作中で,自分の小説が世界一の長さだなどと,ポロリをおのれの自慢を書きつらねたこととは,天と地ほどに,根本的に違う,小説をいかに書くかという小説の方法そのものを書くことなのだ,と僕は思う。しかし,

「鷗外自身は前期のいわゆる小説作品よりもはるかに小説に近似したものだとは考えていなかったようである。たしかに従来の文学的努力とは性質のちがった努力がはじめられていたにも係らず,そういう自分の努力と小説との不可分な関係をなにげなく通り越して行ったらしい点に於て,鷗外の小説観の一端がうかがわれるであろう。それはまたこの偉大な功業を立てた文学者の論説中小説論の見るべきものがない所以であろう。」

石川淳が書くように,鷗外自身は,史伝を書いていたつもりかもしれない。しかし,少なくとも,

澀江抽斎を調べている自分をも描くことを通して,明らかになっていく澀江抽斎像を書いていく,

ということを,方法論としては意識化しないまま,無意識のうちに,ある閾を,

なにげなく通り越して行った,

らしいのである。

『澀江抽斎』の冒頭は,こうである。

「三十七年如一瞬。学医伝業薄才仲。栄枯窮達任天命。安楽換錢不患貧。これは澀江抽斎の述志の詩である。想ふに天保十二年の春に作つたものであろう。弘前の城主津軽順承の定府の医官で,当時近習詰になつてゐた。しかし隠居附にせられて,主に,柳島にあつた信順の館へ出仕することになつてゐた。父允成が致仕して,家督相続をしてきから十九年,母岩田氏縫を喪つてから十二年,乳を失つてから四年になつている。」

この時,この文の語り手は,鷗外の設定した書き手である「わたくし」の設定した語り手である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし→語り手,

と,語りの構造(次元)は,厳密には,四層になっている。つまり,語られている中味から言うと,

語られている澀江抽斎←を語っている語り手←を語っている「わたくし」←を書いている書き手(←を書いている鷗外),

となる。鷗外は,自分の書こうとする世界を,

澀江抽斎の史伝的世界を語る「わたくし」と,その「わたくし」を語る書き手,

を,設定しているのである。書くということについて,そこまで自覚的であったかどうかは別にして,書く世界に向き合った時,作家と,大なり小なり,自分が向き合う「世界」をどう語るか,逆に言うと,「世界」とどう向き合って,その「世界」を独立した対象とするかを工夫する。鷗外は,この世界のあり方を,冒頭で,既に顕現しているのである。

石川淳は,こう評している。

「『抽斎』『蘭軒』『霞亭』はふつう史伝と見られている。そう見られるわけは単にこれらの作品を組み立てている材料が過去の実在人物の事蹟に係るというだけのことであろう。いかにも史伝ではある。だが,文章のうまい史伝なるがゆえに,ひとはこれに感動するのではない。作品の世界を自立させているところの一貫した努力がひとを打つのみである。」

「作品の世界を自立させている」仕掛けこそが,まさに,この語りの多次元化である。

他方,書き手が対象化した「わたくし」について書くとき,

「わたくしが抽斎を知ったのは奇縁である。わたくしは医者になって大学を出た。そして官吏になつた。然るに少い時から文を作ることを好んでゐたので,いつの間にやら文士の列に加えられることになつた。其文章の題材を,種々の周囲の状況のために,過去に求めるやうになつてから,わたくしは徳川時代の事蹟を捜つた。そこに武鑑を検する必要が生じた。」

となる。あくまで,過去を題材に小説を書こうとする流れの中で,鷗外は,『澀江抽斎』を書いた。しかし,鷗外は,『興津彌五右衛門』『阿部一族』等々とは異なり,いきなり「物語世界」を現在化させる語り口を取らなかった。このときは,

(鷗外→)語り手,

という物語でしかない。しかし,そうして語るには,語りようのないほど複雑で錯綜した関係そのものが面白いせいかもしれない。このとき,書き手は,作家鷗外に設定された書き手が語っている「わたくし」である。このとき,

(鷗外→)書き手→わたくし

と,書く次元(構造)は,三層になっている。書き手(鷗外自身ではない)は,「わたくし」として,自己を対象化している。「わたくし」について語るところが,一見,史伝の書き手自身の随筆のように見えるが,そうではない。鷗外自身が,自ら書いているには違いないが,この『澀江抽斎』という作品世界に向き合っているのは,鷗外が立てた書き手である。その書き手が,自らを対象化して,「わたくし」をして語らしめていく。

「わたくしは直に保さんの住所を訪ねることを外崎さんにな頼んだ。保と云ふ名は,わたくしは始めて聞いたのでは無い。是より先,弘前から来た書状の中に,かう云ふことを報じて来たのがあった。津軽家に仕へた澀江氏まったく当主は澀江保である。保は広島の師範学校の教員になつてゐると云ふのであつた。わたくしは職員録を検した。しかし澀江保の名は見えない。それから広島高等師範学校長幣原坦さんに書を遣つて問うた。」

「わたくし」は,あくまで作家が立てた「書き手」の立てた「語り手」にすぎない。あるいは,少し約めれば,作家が立てた語り手としてもよい。小説とは,

別の世界への視界を開くこと,

言い換えると,作家が拵えた世界を,目前に見ることである。本書のラストは,

「牛込の保さんの家と,其保さんを,父抽斎の後嗣たる故を以て,終始『兄いさん』と呼んでゐる本所の勝久さんの家との外に,現に東京には第三の澀江氏がある。即ち下渋谷の澀江氏である。
 下渋谷の家は侑の子終吉さんを当主としてゐる。終吉は図案家で,大正三年に津田楓さんの門人になつた。大正五年に二十八歳である。終吉には二人の弟がある。前年に明治薬学校の業を終へた忠三さんが二十一歳,末男さんが十五歳である。此二人の生母福島氏おさださんは静岡にいる。牛込のお松さんと同齢で,四十八歳である。」

これを語っているのが,全体の語り手である,書き手の立てた「わたくし」である。

なお本巻所収の他の作品,『寿阿弥の手紙』『細木香以』『小嶋宝素』は,『澀江抽斎』の作品世界の衛星群である。もちろん方法は,『澀江抽斎』と同じである。

参考文献;
森鷗外『澀江抽斎』(鷗外選集第六巻 岩波書店)
石川淳『森鷗外』(ちくま学芸文庫)

江戸怪談

高田衛『日本怪談集〈江戸編〉』を読む。

江戸の怪異譚の系譜については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432575456.html

で,

堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』

を紹介したが,そこで,そのの特色を,

ひとつは,仏教唱導者の近世説教書(勧化(かんげ)本)のなかに類例の求められる,仏教的な因果譚としての側面,

として,

「檀家制度をはじめとする幕府の宗教統制のもとで,近世社会に草の根のような浸透を果たした当時の仏教唱導は,通俗平易なるがゆえに,前代にもまして,衆庶の心に教義に基づく生き方や倫理観などの社会通念を定着させていった。とりわけ人間の霊魂が引き起こす妖異については,説教僧の説く死生観,冥府観の強い影響がみてとれる。死者の魂の行方をめぐる宗教観念は,もはやそれと分からぬ程に民衆の心意にすりこまれ,なかば生活化した状態となっていたわけである。成仏できない怨霊の噂咄が,ごく自然なかたちで人々の間をへめぐったことは,仏教と近世社会の日常的な親縁性に起因するといってもよかろう。」

そうした神仏の霊験,利益,寺社の縁起由来,高僧俗伝などに関する宗教テーマが広く広まり,

仏教説話の俗伝化,

を強めて,宗教伝説が,拡散していった。

他方で,怪異譚は,結果として一族を滅ぼし,法力の霊験が効果がなかったことをも示しており,ある意味,宗教的因果譚の覊絆から離れていく傾向が,

「もはや中世風の高僧法力譚の定型におさまりきれなくなった江戸怪談の多様な表現を示す特色」

であり,説話の目的と興味が,

「高僧の聖なる験力や幽霊済度といった『仏教説話』の常套表現を脱却して,怨む相手の血筋を根絶やしにするまで繰り返される亡婦の復讐劇に転換するさま」

がみられ,それが怪異小説に脚色され,虚構文芸の表現形式を創り出すところへとつながっていくことになる。

本書は,その江戸怪談の中から,

『狗張子』『怪談登志男』『金玉ねじふくさ』『太平百物語』『御伽厚化粧』といった怪異小説集からの小品集,

と,いわゆる四谷怪談の種本となった,

『四谷雑談集』,

清玄・桜姫の怪談を清水寺子安観音の本地に結び付けて説いた勧化本の,

『勧善桜姫伝』,

いわゆゆる大南北の鶴屋南北の,

『怪談岩倉万之丞』,

初世林家正蔵の浄瑠璃『お半長右衛門』を取り入れた怪談咄,

『林乃河浪』,

そして上田秋成の『雨月物語』から,

「吉備津の釜」。

やはり,「吉備津の釜」の完成度が高いが,一番面白いのは,

『四谷雑談集』

である。この本は,作者不詳の実録小説とされたものだが,写本の奥付に,享保12年(1727年),元禄時代に起きた事件として記されている,という。これが鶴屋南北の『東海道四谷怪談』(初演 文政八年(1825))の原典とされた話でだそうだが,この話を下敷きにした作品としては、曲亭馬琴『勧善常世物語』(文化3年(1806年))や柳亭種彦『近世怪談霜夜星』(文化5年(1808年))があるという。

編者が言うように,内容は南北の芝居のようにおどろおどろしくはなく,もっと細かく江戸は御先手組組屋敷のあった四谷左門町を中心に,貧窮の与力・同心などの下級武士たちの生態を描いている。

話は,田宮伊右衛門だけではなく,御先手与力,伊東喜兵衛,同組秋山長右衛門の三家の絶滅までの因果話で,事は,
御先手同心田宮家の一人娘お岩の婿取り話から始まる。お岩は,疱瘡を患い,眼病も患ったため,

「かろうじて命はとりとめたものの,ひどいあとが残って,顔は渋紙のようにざらざらになり,髪は年(二十一歳)にも似ず白髪まじりに縮みあがって枯野の薄のようになり,声はなまって狼が友を呼ぶような音になり,腰は曲がって松屋叢考の枯れ木のようで,その上片目がつぶれて,たえず涙をながし,かわいそうだが,その見苦しさはたとえるものがないほどであった。」

とさんざんである。そのため,なかなか婿がきまらない。そこで伊右衛門という牢人を,半ば騙すようにして婿に仕立てる。伊右衛門は,三十一歳,

「すらりとした身体つきの,顔だちのよい男」

と,いわゆる四谷怪談とは筋立てが違う。伊右衛門は,伊東喜兵衛の妾の一人が懐妊したが,それを(その妾に惹かれている)伊右衛門におしつけるために,秋山,伊右衛門と語らい,お岩を自分から離縁を申し出るように仕組んで,まんまとお岩を追い出す。それを知ったお岩は,狂乱し失踪する,ということで,遺恨を返すという,件の怪談話になるが,しかし,お岩の幽霊も,亡霊もほとんど出ない。ただ,次々と病や不幸に見舞われ,結句,田宮,秋山,伊東三家は絶滅する。

しかし,四谷怪談の基本的なストーリー,

「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」

というものとはまったく異なる。むしろ,それなりに,伊右衛門は,若い妾に惚れ,伊東喜兵衛は懐妊した妾を厄介払いしたく,秋山長右衛門は金に目がくらんで加担するという,人間の欲からでた話として,むしろ通常の怪異譚よりは,何がしか身に覚えがあり,怖い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87

によると,

「田宮家は現在まで続いており、田宮家に伝わる話としてはお岩は貞女で夫婦仲も睦まじかったとある。このことから、田宮家ゆかりの女性の失踪事件が、怪談として改変されたのではないかという考察がある(小池壮彦「お岩」『幽霊の本』学研、平成11年)。」

という説もあるので,あくまで,これも志怪小説にすぎないのかもしれない。『四谷雑談集』のラストは,

「そもそもお岩の怨念というのは,伊東土快(喜兵衛)が妾の容色に迷い,邪を企てたことから発し,伊東,田宮,秋山,三人の家を絶やすことになった。その上多くの人の命がお岩のためにとり殺されて,後世の語り草となったわけだが,あながちお岩の怨みばかりでなく,この三人の心がけが邪であったからこんな事になったのである。」

と締めくくる。

小品集の中では,

「藪を借りた老人の話」

という,老人,つまり京都の古狐の話が,ほっとする。初世林家正蔵の『林乃河浪』は策に溺れて冗長,つまらない駄作である,と見た。


参考文献;
高田衛『日本怪談集〈江戸編〉』(河出文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E6%80%AA%E8%AB%87

パラレルワールド

種村季弘編『日本怪談集』をよむ。

本書は,折口信夫から,森鴎外,三島由紀夫,芥川龍之介,泉鏡花,正宗白鳥,岡本綺堂,佐藤春夫,森銑三,吉田健一,澁澤竜彦,吉行淳之介,柴田錬三郎,筒井康隆,半村良,藤沢周平等々明治以降の作家の怪異小説を集めたものだ。

「怪を志(しる)す」

のは,中国伝来で,以来,様々な妖怪譚がある。

「妖怪の基本は,…二種類以上の動物が一つになった場合で,《鵺(ぬえ)》にその一典型をみる。」

という説もあるが,幽霊,妖怪,魔物などを含めて,「妖怪」は,

「日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。」

と一括りにしておく。僕は,怪異との出会いは,

接近遭遇,

であり,異界は,

パラレルワールド,

だと思っている。宇宙論が,あの世や幽界・霊界とつながることについては,コナン・ドイルのスピリチュアリズムについて触れた,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441553477.html

や,あの世を量子論からアプローチした,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416694519.html

で触れた。なお宇宙論のパラレル・ワールドについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416793184.html

で触れている。

異界がパラレルワールドであることを示すのは,筒井康隆の「母子像」だろう。異界へ連れ去られた妻と子を,そこから引き出したのだが,身体だけは,こちらへ取り戻したが,首だけが異界に残り,

「妻の首は,そして赤ん坊の首は,ついに戻ってくることはなかった。首のない妻は,首のない赤ん坊を抱いたまま,一日中あの薄暗い茶の間で,今もひっそりとすわっている。もちろん,そとへでることもない。」

正確には,

「パラレルワールド(parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
『異世界(異界)』、『魔界』、『四次元世界』などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。SFの世界でのみならず、理論物理学の世界でもその存在の可能性について語られている。」

だそうだが,宇宙論の相互の宇宙は,出会うことはない。一説には,人が,何かをして,選択する度に,別の選択をした世界とは,平行線世界として分岐するという。これは,異世界とも同じだ。

吉田健一「化けもの屋敷」は,パラレルワールドそのものだ。同じ屋敷に,以前の家族と同居している。

「日が暮れると木山がゐる所にだけ電気を付けてさうすると電気が付いていない座敷の方で人の話し声が殊の外賑やかになるやうだつた。或は確かに賑やかになつてそこまでせ行つてみれば電気も付いてゐるのではないかといふ感じがした。併しそれで木山はその家にゐる何かとの最初の問題にぶつかつてそれは木山はその家にゐるのが自分だけではないことを知ってゐてもその何かの方は木山がそこに移つて来たことに気が付いてゐるのだらうかといふことだつた。もし気が付いてゐなければ他人でそれが集まつてゐなければ他人でそれが集まつてゐる中に挨拶もしないで入つて行くのは遠慮しなければならないことだった。又挨拶をするとしてその時に何と言つたらばいいのか。木山はそれまでただ簡単に人間か人間と見ていいものと考へてゐたのだつたがまだ木山はさういふものと付き合つたことがなかつた。」

この主人公の構えの何というか,ユーモラスさが,全体の特徴で,そこで老人を見かけるのだが,

「そこの家の家の人達は先づ眼に見えないでゐるのが普通のやうでその一人が木山の前に姿を現したのは好意からのこととしか思へなかつた。」

という感慨は,ちょっとユニークといっていい。それが「化けもの屋敷」というタイトルとは異なる和やかな雰囲気を醸し出している。

このアンソロジーの中の傑作は,稲垣足穂の「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」であろう。この元となったのは,堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/432575456.html)でも触れた,

「江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪。姓の『山本』は、『稲生物怪録』を描いた古典の絵巻のうち、『稲生物怪録絵巻』を始めとする絵巻7作品によるもので、広島県立歴史民俗資料館所蔵『稲亭物怪録』には『山ン本五郎左衛門』とある。また、『稲生物怪録』の主人公・稲生平太郎自身が遺したとされる『三次実録物語』では『山本太郎左衛門』とされる」

話が基ネタである。まだ元服前,十六歳の「稲生平太郎」が,我が家に出没する妖怪変化に対応し,大の大人が逃げたり寝込んだりする中,「相手にしなければいい」と決め込んで,ついに一ヶ月堪え切り,相手の妖怪の親玉,山ン本五郎左衛門をして,

「扨々,御身,若年乍ラ殊勝至極」

と言わしめ,自ら名乗りをして,

「驚かせタレド,恐レザル故,思ワズ長逗留,却ッテ当方ノ業ノ妨ゲトナレリ」

と嘆いて,魔よけの鎚を置き土産に,供廻りを従えて,雲の彼方へと消えていく。この,肝競べのような話が,爽快である。

その他,「くだん」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/456407720.html

で触れたように,小松左京「くだんのはは」,内田百閨u件」と,妖怪「くだん」をめぐる話も面白い。掉尾を飾る,折口信夫の「生き口を問ふ女」は,未完ながら,関西弁の語り口が生き生きとして,さてどうなると,気にかかる。

参考文献;
種村季弘編『日本怪談集上・下』(河出文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%96%E6%80%AA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
阿部正路『日本の妖怪たち』 (東書選書 )
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(ぺりかん社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B6

パースペクティブ

石田英一郎『桃太郎の母―ある文化史的研究』を読む。

本書の今日的な評価は知らない。しかし,そのパースペクティブの射程の深さは,圧倒される。たとえば,タイトルになっている「桃太郎の母」は,その端緒を,柳田國男が,

小さ子(ちいさご),

と名づけた説話の系列,つまり,

「古くはスクナヒコナの神の神話をはじめ,一方で赫奕姫(かぐやひめ),瓜子姫,桃太郎,一寸法師等々,人口に膾炙するお伽ばなしに発展し,他方では奥州の座敷ワラシ,スネコタンパコ,カブキレワラシ,ウントク,ヒョウトク,信州の小泉小太郎,泉小次郎,鳥取の五分次郎などのような種類の地方的俗信や昔ばなしにのこる一連の伝承」

を端緒に,小童と水界とのつながり,その母神を糸口に,朝鮮半島を経てユーラシア大陸まで,さらに太平洋の島々の母子相姦による民族起源譚,豊穣神としての母像から,母子像を経て,ついに幼子キリストを抱くマリア像までたどりつく,その射程の幅と奥行きに驚かされる。

「わが国の一寸法師をはじめ,各種の小サ子物語の意義は,その背後にひそむ母性の姿を,消えゆく過去の記憶から引き出してこれと結びつけることによって,その隠微な一面が解明されていくのではあるまいか。私はここで文化の伝播とか,独立起源とかいう,言い古された用語を用いて問題をあげつらおうとするものではない。ただ,少なくとも本稿で取り扱った一群の信仰の根底には,かつて地球上ある広大な区域を支配した母系的な社会関係や婚姻の形式が,共通の母胎として横たわっていることを,今後の研究のための初次的な作業仮説として想定すればたりるのである。」

と締めくくる。その余韻で見ると,

「戦国時代に輸入されたキリスト教の聖母が《マリア観音》の称呼をもって迎えられたのも,悠遠の過去の共同の母胎から相分かれたまま,それぞれ別個の発達をとげた二つの信仰が,ふたたび文化の接触によってたがいに相結ぶにいたった一例を示すものとして興味深い。」

という一文は,なかなか意味深である。

方法は同じだが,個人的には,「桑原論」が面白い。「くわばら」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/412748051.html

で触れたが,雷など怖いものにであった時,

「くわばら,くわばら」

と,呪文のように唱える,あの「くわばら」である。今日では,あるいは死語に近いのかもしれない。その謂れは,

ひとつには,菅原道真の領地「桑原」にあるらしい。都には落雷が多かったが,この地だけは,被害がなかった。で,落雷除けのマジナイに使った,というのである。

ふたつには,大阪和泉軍の桑原の井戸に落雷後,すぐに蓋をして雷を出られなくしたので,雷神が「自分は桑の木が嫌いなので,桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った,という伝説によるともいう。この説には,異説もある。和泉の西福寺には雷井戸と呼ばれる井戸があるらしい。このお寺には奈良時代に道行と言う修行僧がいて,雷に遭遇したとき,慌てずに大般若経を浄写したところ雷がピタリとやんだという伝説があり,それ以来ここにある井戸には雷を封じ込める力があると言われるようになった。「くわばら くわばら」と唱えることで「ここは雷を封じ込めた雷井戸のあるクワバラですよ」と雷に教えると言うことになった,というもっと詳しい説明がついたものもある。

三つには,説話的な説で,桑原という人が落ちてきた雷さまを助けたという。そこで雷さまが「おまえとおまえの子孫の住む場所には雷を落とさない」と約束をしたのです。それ以来雷が落ちそうになると,誰もが桑原さんの子孫だと「くわばら くわばら」と言うようになったというものである。

四つには,昔から雷は何故か桑畑に落ちないといわれていて,そのために,雷がなると昔は桑畑に逃げたと言われている。そこから,雷が鳴り出すと「くわばら くわばら」と言って,雷を避けるようになったと言われています。

いずれも,「桑原」という言葉に関わる。「雷」と「桑」とのかかわりは,

「桑樹もしくは桑葉の呪能にもとづく」

とし,

「桑を何らかの形で霊怪視する思想は古くから分布する」

という。中国民間では,雷のみならず,

「古来山中より出没する独脚反踵(どくきゃくはんしょう)の怪山魈(かいさんしょう)も,また『最も桑刀を怕(おそ)れ,老桑を以て削って刀と成し,之を斫(き)れば即ち死す。桑刀を門に懸くるも亦避けて去る』といわれている。」

と,魔よけの効力をもつ。これは,桑を聖樹とする中国のきわめて古い信仰に起源があり,

「先秦以来の諸書に見える扶桑(榑桑)は,太陽の出入する所の神木と信ぜられた。『山海経』に,『湯谷(とうこく)の上に扶桑り,十日(じゅうひ)の浴する所,…大木有り,九日(きゅうひ)は下枝に居り,一日は上枝に居る』(海外東経)と言い,また,『湯谷の上に扶木有り,一日方に至れば一日方に出づ,皆烏を戴く』(大荒東経)とある」

ことから,

「古代の中国人は,一種の桑樹によって太陽の運行を考える《世界樹》的な信仰を有していたことがそうぞうせられないだろうか。」

とし,『呂史春秋』の,高誘注,

「桑林は,桑山の林,能く雲を興し,雨を作(おこ)し」

と,桑樹の霊能が水界と関係あるところへと至る。その桑樹神聖化の思想は,中国を故地とする養蚕へとさかのぼっていく。そして,殷墟の出土品と伝えられる,骨の蚕に行き着く。さらに,

中国で馬と蚕の,

「馬頭娘,馬鳴(ばめい)菩薩などの蚕の神として民間に祀られ,『蚕は馬と神を同じゅうす。本竜精にして首馬に類す。故に蚕駒と曰ふ』などともいわれている。」

という中国の俗信や説話は,そっくりそのままわが国各地の民間に広く分布している。

「両者が無関係に発達したものとはどうしても考えられない。常陸をはじめ関東一円から以西にかけては,養蚕の守護神としての馬鳴菩薩や馬頭娘信仰が普及している」

つまりは,

「わが『桑原々々』の呪語や俗信が,けっして単なる地名や人名にからんだ伝承ではなく,遠く禹域桑土の野の養蚕習俗から生まれた,ある種の呪的な信仰にその濫觴を有する」

とまとめる。語源的な「ことば」レベルの奥に,生活史があり,そこを手繰り寄せていかない限り,言葉の背景は見えてこない,とつくづく思い知らされる。

参考文献;
石田英一郎『桃太郎の母―ある文化史的研究』(講談社学術文庫)

非‐知

ジョルジュ・バタイユ『非‐知―閉じざる思考』を読む。

本書自体が,講演速記,草稿,等々からなる断片の寄せ集めのせいか,全体像を摑むのが実にむつかしい。「非‐知」について,バタイユは,こう述べる。

「この非‐知という言葉でわたしが言おうとしていることをもう少し厳密な言えば,ある命題の内容を根底まで掘り下げようとするとき,そしてそのことに何かひっかかりを感じるとき,こうしたすべての命題から結果するもののことを言っているのです。」

バタイユは,A=J・エアー,メルロ=ポンティらとの議論の中で,「人間が生存する以前に太陽はすでにあった」という命題を巡って,物理学者(アンブロジーノ)が「太陽は世界より先には存在しなかった」と言い,エアーが「人間が存在する以前に太陽はすでにあった」と言う,そういう発言に対して,

「どうしてそういうことが言えるのかわかりません。この命題は,道理に敵った命題が完全な無-意味を呈することがありうる,ということを示すものです。誰しもが共有しうる真理は,発せられている命題には原則として主題と対象とが潜在的にふくまれているという意味での,全体的意味を備えていなければなりません。ところがこの命題では,太陽はあったけれども人間はいない,つまり主題はあって対象がないわけです。」

ここでバタイユが言っている「ひっかかり」は,

「どこか精神的にひっかかり,不安定な気分にさせる。」

というものを指す。

このとき,バタイユがひっかかっているのは,訳者(西谷修氏)が,ヒロシマをめぐって(バタイユの『性の苦悩からヒロシマの不幸へ』を引きつつ)こう言っていることと照応する。

「核兵器についてもちうるさまざまな知識,それを生み出した知,その効能について,用途について,さらにその惨禍についての知と,実際には『ヒロシマ』を生きた人びとの置かれた『動物的な無知』(世界了解の構造が解体され,もはや,『人間的』反応を維持することさえ難しくなる)との暴力的な懸隔の前に茫然自失している。…ひとは何でも知的に理解することはできるが,それは極端な『無知』をともなって実現され,生きられるこの『無知』の闇の前には知は完璧に無力なのだ。
 非-知とはそういう事態であり,現代の知の,常に隠蔽される根本的な条件なのである。」

人のなかにある「ひっかかり」を無視すれば無視できる。しかし,その翳を,バタイユは徹底的に追い詰めようとしているように見える。

「わたしはかの問い,いうなればハイデガーの建てたあの問い(なぜ存在があって,無があるのではないのか?)の前に立たされるのです。わたしとしては,この問いは不十分だとずっと以前から考えていたので,もうひとつ違うかたちで問いを発してみようとしました。つまり,なぜわたしの知っていることがあるのか,という問いです。最終的にはこのことを完全なかたちで言葉にすることはできないと思っています。とはいえ根本的な問いは,いかなる定型表現も不可能となるそのときから,人が沈黙のうちに世界のうちに世界の不条理を聴きとるそのときからしか提起されえないものだと思います。
 わたしは何が認識可能かを知るためにあらゆる手立てを尽くしましたが,私が求めたのはわたしの奥深くある言い表わしえないものなのです。私は世界の中のわたしですが,その世界はわたしにとって気の遠くなるほど近づきがたいものだと認めています。というのも,わたしが世界と結ぼうとしたあらゆる絆の中に,何か克服できないものが残っており,そのことがわたしをある種の絶望にとり残すからです。」

それを,

「鍵をかけたトランクの中に何があるかを知らない,その鍵を開けることもできない者の立場」

になぞらえた。しかしサルトルは,

「何も知らないのなら,知らないと一度言えばそれでたくさんだ」

というだけだと,バタイユは,サルトルとの差を表現する。それは,

「何かを求めながらそれが手にはいにらないだけの絶望とは較べようのない完璧な絶望のうち」

と喩える。

「それはわれわれが通常味わう絶望,何かの企てが念頭にあってそれが実現できないとか,本質的には欲求の対象に執着するあまり欲求不満に苛まれるといったことに由来する通常の絶望より,遥かに深い絶望です。」

なぜなら,

「わたしが何も知らないと主張しうるのは,ただわたしがいっさいを知り尽くしたと仮定した場合だけであり,わたしが非‐知に辿り着いたと決定的に主張しうるのは,この言説的知(絶対知)をわたしが所有したときだけでしょう。事物を不正確にしか知らないうちは,いくら非‐知だと言い張っても,それは空疎な主張にすぎません。私が何も知らないのであれば,言うべきことは何もないわけです。わたしは口を閉ざすでしょう。」

であり,サルトルの言っている「知らない」とはこれを指す。これは,死,笑,戯れ等々に喩えられる。

「死を思い描いてみることはできます。思い描きながら同時にその表象が正確でないと意識することもできます。死に関しては,われわれが何を言おうとも何がしかの錯誤がついてまわります。とりわけ死に関する非‐知も,一般的な非‐知と同じ性質をもっているのです。」

「死にうるために生きる。歓ぶことを苦しみ,苦しむことを歓ぶ,もはや何も言わないために語る。『非』とは,知らないことの情熱的受苦を目的とする―ないしはみずからの目的の否定とする―ある認識の媒介項である。」
「大いなる戯れとは非‐知だということ―戯れは定義できない,思考の崩壊しえないものだ。」
「われわれが笑うのは,ただ情報や検討が不十分なためにわれわれが知るに到らないといった性質のもつ何らかの理由のためではなく,知らないものが笑いを惹き起こすからこそ笑うのです。」
「ただ少なくとも,笑うときにはいつでも,われわれは知っているもの,予測可能なものの領域から,知らないもの,予測不可能なものの領域に移行しているときだということを示すことはできるでしょう。」

等々,そしてバタイユは,

「まず笑いの体験から出発し,この特殊な体験からそれに隣接する聖なるものや詩的なものの体験に移るとき,笑の体験を手放さずにいることができるのです。そう言ってよければそれは,笑いという与件の中に,哲学の中心的与件,第一の,そしておそらくは最後の与件を見出す」

として,自分のやっているのが哲学とすれば,

笑の哲学,

だと言い切る。その背景にあるのは,

「知はわれわれを隷属させるもの」
「意識は限定された対象についての意識であり,したがって対象の限界が否定(あるいは破壊)されてしまえば対象意識はあり得ない。対象の限界,あるいは対象としての主体の限界が否定されてしまうと,そのときから意識は夜に入る。あるいはむしろ,意識は,対象の限界の否定(ないし破壊)を限界(定義)としてもつ対象意識となる。つまり,意識の作用が限界の不在を新たな限界に,対象の破壊の起こる場である対象を新たな一種の対象に,非‐意味を新たな意味に,取って代えるのだ」
「意識とは他でもない限界の意識だからだ。意識はまるまる規則の側にある。意識が欠落すれば,そのときはじめて哲学は端緒につくことができるだろう。」

だから,

「神,聖なるもの,エロティックなもの,笑いを惹き起こすもの,詩的なもの,等々未知のものと同一視することが,いっさいの哲学的困難を解く鍵である。」

とするのである。それにしても,

「わたしの言う非‐知の体験の中に宗教的体験が残っているとしても,それは将来への配慮からはまったく切り離されており,その体験が命ずるような起こりうる威嚇的な苦痛からもまったく切り離されており,それはもはや戯れでしかないのです。」

とあるのを読むと,次元は異なるかもしれないが,どこか最後,非‐知は,知を突き抜けた愚になっていくように見える。そのとき,良寛のことを思い出した。しかし,バタイユは,

「(照らされた)明るみと(照らす)光の地帯について語ること,それが知と非‐知とを乗り越えること」

というような,メタ哲学を手放してはいない。そして,良寛は知を閉じて完結させているとすれば,バタイユのそれは,けっして閉じない,あるいは諦めない知,ではあるけれど。

参考文献;
ジョルジュ・バタイユ『非‐知―閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)
 

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読む。

何の間違いが,書棚の本を順次廃棄している中に,本書が出てきた。随分昔,『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と,初期の作品を読んだ記憶があり,その軽快さと,反面のうすっぺらさが嫌で,以降読むのをやめたつもりだったが,調べると,本書は,その次の作品らしい。ずいぶん間を置いて,気まぐれに買ったものだと勘違いしていたが,三作読んで,その次というつもりで購入したまま,放り出していたものらしい。

かなり前なので,或は評価が確立しているのかもしれないが,今日どんな評価になっているのか,僕は村上をほとんど読まないので,全く知らない。知らない上で,自分なりの感想を勝手に述べて見る。

正直,くどいところもあるが,ストーリーはおもしろい。ときにハードボイルド,ときにSF,ときにファンタジー。しかし,それだけだ。やはり,うすっぺらな気がしてならない。蟹はおのれに似せて穴を掘る,というから,結局自分が薄っぺらだけなのかもしれないが,何か薄い,という印象をやはり拭えない。それと,どこかで見たような既視感がつきまとう。

基本的にファンではないので,斜に構えて読んだせいかもしれないが,あまりにも,

閉鎖的な,

そして,

自己完結した世界観,

に思える。要は,自分の中を,

メタメタメタ…化,

して見せた感じである。だから,

喩の上に(の中に)喩を載せ(あるいは容れ),さらにその上に(の中に)…,

という感じである。それは,ある意味,

ファンタジー,

であるし,

メルヘン,

である。書評家の大森望氏が,あるところで,

「現実的で論理的なのがミステリー、非現実的で論理的なのがSF、現実的で非論理的なのがホラー、非現実的で非論理的なのがファンタジー」

と整理されているとか,というのを目にしたが,その意味で,

夢,

と同じなのかもしれない。だから,筋自体は破綻していても構わない。構わないが,こう自分の中に,メタメタと入り込んで行ってしまうと,読者はおいてきぼりを食う。

この小説世界に浸れる人と,すっと身を引く人とに分かれるに違いない。僕は,後者だろう。僕には,誤解を恐れず,あえて言うなら,

何か高を括っている,

というふうに見えて仕方がない。社会とはこんなもの,人生とはこんなもの,自己とはこんなもの,心とはこんなもの等々,僕も多少高を括る癖があるので,偉そうには言えないが,何に対してかは分からないが,

見縊っている,

ように見える。それは傲慢というのではない,そういう感じは一切しない。それよりは,

自己完結,

させていることが,そう見えるのかもしれない。その外の世界について,

その喩,

で語り尽くせるはずはない。「喩」は,

メタファー,

である。世界を「喩え」で語っても,世界は語り尽くせない。しかし,それで完結させようとしている,というふうに見える。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163200.html

で触れたが,茂木健一郎氏は,村上春樹に言及して,

「双方向の行き来が盛んになるにつれて,翻訳可能なものだけが事実上の普遍性を帯びていくということは実際的な意味で不可避のダイナミクスだといってよい。村上春樹の作品が,最初から翻訳可能な文体で書かれていることは,意識されたものであるかどうかは別として高度に戦略的である。」

と言っていた。その真偽は知らない。また,その当否は,ここではどうでもいい。しかし,あの頻度の高い直喩は,たとえば,

「彼女の体には,まるで夜のあいだに大量の無音の雪が降ったみたいにたっぷりと肉がついていた。」
「進化途上にある魚のような気分で暗闇の中を上流へと向かった。」
「ひきちぎられた空の切れはしが長い時間をかけてその本来の記憶を失くしてしまったようなくすんだだ」
「重機関銃で納屋をなぎ倒すような,すさまじい勢いの食欲だった。」
「彼女が一枚ずつ服を身にまとっていく様は,ほっそりした冬の鳥のように滑らかで無駄な動きがなく,しんとしたと静けさに充ちていた。」
「沈黙が銃口から出る煙のように受話器の口からたちのぼっていた。」
「インカの井戸クライアント深いため息をつき,」
「ウエイターがやってきて宮廷の専属接骨医が皇太子の脱臼をなおすときのような格好でうやうやしくワインの栓を抜き,」
「日曜日の朝の公園は飛行機が出払ってしまったあとの航空母艦の甲板みたいにがらんとして静かだった。」

等々,実に具象的なイメージが湧くように書かれている。それは,何語に置き換えても,クリアなはずだ。しかし,中には,その喩のイメージとその描写のシチュエーションがマッチしないものもある。あっても,たぶん気にならない。なぜなら,

喩の中の喩,

つまり,

現実からは切れた喩の中の喩,

でしかないからだ。それは,

現実の捨象の仕方,

と言ってもいい。

高を括る,

とは,この捨象の仕方を言っている。「計算士」「記号士」「組織(システム)」「工場(ファクトリー)」もすべて,喩である。その文脈の中では,「コンピュータ」も喩であり,「私」も「僕」も喩である。「博士」も「孫娘」も「図書館の女」も喩でしかない。何かについての喩えでしかない。しかし,喩えは,現実にフックがかかっていない限り,ただの抽象であり,肉体をそぎ落とした洗い晒した骨にすぎない。その意味で,

頭骨,

は象徴的である。しかし,そこに何かを深読みしても無駄である。すべては,洗い晒されているからだ。その意味でも自己完結している。それは,ある意味,

無国籍化した文体,

そのものが象徴している(この作品の文章を「文体」という言葉で表現するにはひどく抵抗あるが「文章」とは言えないので仕方ない)。

参考文献;
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)
茂木健一郎『思考の補助線』(ちくま新書)
 

ヘンリー・ジェイムズ『嘘つき』を読む。

「噓」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%98

によると,

「嘘とは事実に反する事柄の表明であり、特に故意に表明されたものを言う。 アウグスティヌスは『嘘をつくことについて』(395年)と『嘘をつくことに反対する』(420年)の二論文において、嘘について「欺こうとする意図をもって行われる虚偽の陳述」という定義を与えている。」

とある。その場合,「噓」つまり「事実に反する事柄の表明」だと,誰が認知するのか,ということで,話が違ってくる。神の位置から,真偽を判定するのでなければ,「噓」であるかどうか,誰に分かるのか。

本書は,「噓」について,考えさせる三作が載っている。

『五十男の日記』

では,書き手が,相手を魔女だと決めつけて,相手から身を隠した二十七年後,その娘と同じような関係にある青年を通して,自分が二十七年前,自身の思い込み(自分で信じた「噓」と言ってもいいし,先入観と言ってもいい)によって,目をくらまされたことに気づく。そして,ラスト,

「いやはや,なんと多くの疑問が次々と湧いてくることか! たとえわたしが彼女の幸福を損なったとしても,わたしだって幸福にはならなかったのだ。だがそうなれたかもしれないではないか。この年になってそんな発見をするなんて何ということだ!」

と述懐する。でもまだ,自分が決めつけた相手象から自由にはなっていない。

『嘘つき』

は,嘘つきだが,

「大佐の噓はさまざまな種類があったが,どれにも共通の要素があり,それは徹底的な無用性であった。それ故にこそ腹立たしかった。それは普通の会話の場に割り込んできて,貴重なスペースを占領し,その場を実体のないゆらめく蜃気楼のようなものにしてしまうのだ。これがやむを得ずつく噓であれば,丁度芝居の初日の夜,原作者から貰った無料入場券を持って劇場に現れた人に対してのように,それなりの場所が与えられよう。しかし無用な噓は入場券なしで現れた客のようなもので,通路に補助椅子を置いてもらう以上の扱いは受けられないのだ。」

という類で,その大佐の妻が,主人公がかつてプロポーズした女性であるだけに,彼女がどこまでそれを承知しているのか,を確かめたく思い,無理やり,大佐の肖像画を画くことを申し入れ,その大佐の本性を描きだそうと企む。

「大佐の本性を引き出して,…全体像を余すところなく描いてやろるのだ。凡人にはそれが分からないだろう。分かる者には見抜ける筈だ。柄を解する人びとは,きっとその肖像をく評価するだろう。それは意味深長な作品で,微妙な性格描写の傑作であり,合法的な裏切りともなるだろう。ライアンは,もう何年も前から,画家と真理研究家と両方の手腕を示すような作品を描いてみたいと望んでいたが,ようやくその機会が面前にあらわれたのだ。」

ほぼ完成したが,見せるのは休暇後と約束したが,旅先で,

「ふと,その絵を再び見て,二,三筆を加えたいという欲求」

にかられて急いで旅を切り上げて帰宅すると,そこに大佐夫妻が来訪し,絵を見ようとしているのに遭遇し,その様子を盗み見る。夫人は,叫ぶ。

「全部出てしまっているわ! 出てしまっていする!」
「一体,何が出ているっていうのだ?」
「あってはならぬものが全部ですよ。あの人が見たもの全部が出てしまっている!ああ,恐ろしい!」
「あいつが見たもの全部だって? それでいいじゃないか! 僕は好男子だものな。どうだい,いい男に描けているじゃないか」
(中略)
「あなたを変人にしてしまったのですもの! あの人は発見したんだわ! これでは誰にでもわかってしまう。」

そうした帰りかけて,大佐は戻ってくると,キャンバスを切り裂いていった。その一部始終を目撃したが,後日再会した折,二人は,作品が切り裂かれたというライアンに,

「何だって!」大佐が叫んだ。
 ライアンは微笑を浮かべて視線をそちらに向けた。
「まさかあなたがやったのではないでしょうね?」
「もう駄目ですか?」大佐は尋ねた。彼は妻と同じく何の疚しいところもないという顔をし,ライアンの質問を冗談と見なしているようだった。「わたしがやったとすれば,またはじめから描いてもらうためですね? それを思いつけば,きっと,やったところですよ!」
「まさか奥さまでもありませんね?」ライアンは尋ねた。
夫人が答える前に,夫はとてもよい答えを思いついたというように妻の腕をつかんだ。
「きっとあの女がやったんだよ!」

ライアンが,夫人が夫の嘘つきであることを知っているかどうかの答は出た。しかし,肖像画家として,本人は,かつて愛した女性の本音を引き出そうとしたのは,あるいは,ライアン自身の自分に対する嘘でもあるかもしれない。本音は,

「ヨーロッパ全体で,半ダースばかりのライアンが最高傑作と折紙をつけている肖像画」

の一翼に加わる絵を描くというのが,本音なのかもしれない。その意味で,『嘘つき』は,正真正銘の嘘つきである大佐を対象にしながら,その実,その嘘つきの,

「どんな鈍い人にも分かるよう,画の中ではっきり出るようにしよう」

という意図にあり,それは達成されたのである。

「彼は一部始終を目撃しながら絵を失いつつあるとは感じなかったし,たとえ感じても気にしなかった。それ以上に,確証を得たことを強く感じていたからだ。彼女はたしかに夫を恥じている。そしてこのぼくが恥じるようにさせたのであり,その意味で,たとえこの絵は切断されてしまっても,大成功を収めたのだ。」

ラストで,

「何しろ,彼女は今でも大佐を愛しているのだ。何とよく飼いならされてしまったことだろうか!」

とライアンは嘆くが,それは多分違うのだろう。ライアンは,画家であり,結局,「対幻想」の土俵に乗り,その幻想を共有するのではなく,それをメタ・ポジションから見る,ということしかできなかった,ということでもある。ここでは,ライアン自身が,自分の噓には気づけていない,と作家は描いているようにみえる。

『モード・イーヴリン』

は,その意味では,死んだ娘イーヴリンと共に生きる夫婦の幻想の世界に取り込まれた若い男女を描いている。その幻想を共有する土俵に乗らなければ,見えないものがある。語り手のエマ夫人は,徹頭徹尾部外者であり,その批判者であるが,その幻想についてのさまざまな思いを聞いてやる立場でもある。それを聞くものがいなければ,その幻想は自己完結しているので,外には漏れ出ない。エマ夫人は,意図せず,うつつと幻の橋渡し役になっている。

ここで,「噓」というものが,当事者にとって真実である限り,それを噓と決めつける根拠が失せるということを示している。

本書の著者は,『ねじの回転』等々で知られているが,丁度神の視点から,作中人物の視点へと,作品のパースペクティブを転換する先駆者と言われる。その意味では,「噓」という私的なパースペクティブで語るには,絶好の素材に見える。しかし,ところどころ,上の視点の作者がポロリと出てくるのはご愛嬌だろう。『嘘つき』の中に,

「この点についてのライアンの関心は愚かしくも独りよがりだと読者の目に映るかも知れないが,心に傷を受けている者はある程度大目に見てやらなくてはならない。」

とある。書き手(作家ではない)の声に聞こえる。

参考文献;
ヘンリー・ジェイムズ『嘘つき』(福武文庫)

concept of mind

ギルバート・ライル『心の概念』を読む。

今日のライルの評価は分からないが,ヴィトゲンシュタインと並ぶ,

日常言語学派,

に位置づけられる,という(訳者解説)。ライルは,本書の意図を,

「われわれが心についてもっている知見について,その論理的地図の改訂を試みようとするもの」

とし,

「心的行為の諸概念(memtal-conduct ckncepts)の論理的な振る舞いを吟味」

していく。それに,

カテゴリー錯誤(category-mistake),

と,ライル自身が呼ぶ概念によって,過去の哲学の理論構成を打破していく。対象となるのは,ライルの,

機械の中の幽霊のドグマ(the dogma of the Ghost in the machine),

と名づけた,デカルト流の心身二元論である。その誤りを,

「たんなる個々の誤りの集まりであるのはなく,一つの大がかりな誤りであり,同時にまた,ある独特な種類の誤りなのである。その意味において,これは『カテゴリー錯誤』(category-mistake)とがふさわしいと思う。」

と。そして,

「根本的なカテゴリー錯誤が二重生涯理論double-life theoryの源泉となっている」

と。それは,

「結局,デカルトは問題の論理を誤ったのである。彼は理知的な行動が現実にはすかなる規準によって非理知的な行動と区別されているかということを問うことをせず,むしろ『機械論的因果の原理がその両者の相異を明らかにすることができないとするならば,そもそも他のいかなる因果的原理がその差を明らかにすることができるのか』と問うたのである。彼はそれが力学の問題でないということは十分理解していた。そこで彼はそれが力学に対応する他の何ものかでなければならないと仮定した。(中略)
 ある二つの名辞が同じカテゴリーに属している場合には,その両者を含む連言的な命題を構成することは適切である。たとえば,買い物客が右手袋と左手袋を買ったと述べることは可能である。しかし,彼は右手袋と左手今日も袋と,そして一対の手袋とを買ったとのべることは出来ない。(中略)機械の中のドグマはまさにこの種の馬鹿げたことを現実に行っているのである。それは,身体と心との両者が存在し,物体的過程と心的過程との両者が生起しつつ,かつ,身体的な運動には機械的な原因と心的な原因との両者が存在することを主張するものである。(中略)私の主張は,『心的過程が生起する』という表現は『物的過程が生起する』という表現と同じ種類のことを意味しているのではないということであり,したがってその二つを連言ないし選言の形で結合させることには意味がないということである。」

ということである。そのことを,象徴的に示すのは,

knowing that(内容を知ること),
と,
knowing how(方法を知ること),

に分けた,「理知」(intelligence)の概念についての説明である。

「『愚かである』stupid ことと無知であることとは同じことではないということ,あるいは同じ種類のことではないということに注意することははわめて重要である。『物事をよく知っている』well-informed ということと『ばかな』silly ということは両立可能でありまた逆に議論や冗談に長けた人が案外事実を正しく知っていないということもありうるのである。」

それは,

「理知的であるということと知識を所有していることの区別が重要である」

ということでもある。その背景にあるのは,

「知識という概念によって他のすべての心的行為の概念を定義する傾向がある」

からである。要するに,

「そこでは理性的 rational であるということは真実を認識しうることであり,そしてさらに諸真理間の関連を認識しうることであると考えられたからである。」

しかし,とライルはも皮肉な言い方で批判する。

「『真理を理解すること』を理知によって定義するという方法をとらずに,逆に理知を真理の理解によって定義しようと試みる」

から,

「理論化という作業が心の主要な活動であるという仮定と,その作業が本来は私的で無言のあるいは内的な作業であるという仮定とは今日もなお機械の中の幽霊のドグマの中心的な支柱の一つとなっている。われわれは心というものが自分たちがひそかに思考を遂行している『場所』であるとみなしがちである。われわれは,自分の思考内容を胸の中に秘めておくためにこそ特殊な技巧を使用しているのであるということを理解せず,むしろ逆に,われわれが自分の思考内容を他人に知らせる方法に特別な神秘性があると考えるのである。」

で,ライルは言う。

「ある人が理知的であるか否かを表すために『鋭敏な』 shrewed あるいは『間抜けな』 shilly,『慎重な』 prudent,『軽率な』 imprudent などという形容詞が使われる。しかし,この場合,その人が何らかの真理を知っているということや知っていないということをわれわれは述べているわけではない。その記述は,その人にはある種の事柄を行う能力があるかないかということを述べているのである。」

それは,理論の本性,源泉,資格などにとらわれて,

「ある事柄を遂行する仕方を知っている knowing how ということはいかなることであるのかという問題をほとんど無視してきた」

からだ,と。

「日常生活においては,…われわれは,…人々の知識の貯蔵量に対してよりもむしろ彼らの認識の能力に対してより多くの関心をもっており,また人々が習得する真理そのものに対してよりもむしろそれを得るための作業に対してより多くの関心をもっているのである。事実,ある人の知的卓越や知的欠陥を問題にしている場合においてさえも,その人がすでに獲得し所有している真理の貯蔵量の多寡はあまり問題ではない。むしろ,みずからの真理を見出す能力,さらに真理を見出した後にそれを組織的に利用する能力こそがはるかに重要なのである。われわれはときにある人がある事実に関して無知であることを嘆く。しかし,それは実はたんにその無知を結果としてもたらす愚かさを嘆いているのである。」

当然,「機械の中の幽霊」の考えるような,

「自分が何ごとかを行うということはつねに二つの事柄を行うことなのである。すなわち,何らかの適切な命題ないし処方を考察することと,次いでこれらの命題ないし処方が要求するところのものを実行に移すことの二つを行うこと」

ではなし,

「外部に現れた行為はその心的過程の結果」

なのでもなく,

「何ごとかを理知的に行っているとき,すなわち自分の行っていることについて考えながらそれを行っているとき,私は唯一つのことをしているのであってけっして二つのことをしているわけではない。」

日常的な言葉によって分析していくライルのアプローチは,たとえば,思考 thought と考えること thinking の違いについて,

「ある人が何かを案出する think out ことに従事していると述べる場合と,これこれしかじかが彼の考えている内容であると述べる場合とにおける『考える』の意味を明確に区別しなくてはならない。すなわち,『思考』には熱心な hard,長引いた protracted,中断された interrupted,不注意な careless,成功した successful,効果のない unvailing,などと形容することが出来るような意味と,真の true,偽の false,妥当な valid,誤った fallaction,抽象的な abstract,退けられた rejected,共有された shared,公表された published,未公表の unpublished,などと形容することができるような意味とがあり,両者を明確に区別しなければならない。前者の意味における思考について語る場合には,われわれはある人がある時期においてある期間従事している作業について語っている。また,後者の意味における思考について語る場合には,そのような作業の成果について語っている。」

というような類別の仕方をする。これは,

われわれは持っている言葉によって見える世界が違う,

という,確か,ヴィトゲンシュタインの言葉を思い起こさせる。言葉をどう使っているかに徹底的にこだわるライルの手法は,ある意味,その言葉によって何が見えるかで境界線を引こうとしている,とも言えるのかもしれない。

参考文献;
ギルバート・ライル『心の概念』(みすず書房)

意識

ダニエル・C.・デネット『解明される意識』を読む。

二段組,六百頁を超える大著である。

少し前の本なので,本書の主張が,現在どの程度の位置を占めているかは分からないが,著者が,言うほど,明晰に意識が解明された,とは到底思えない。それにしても,この本はどうしてこんなに読みにくいのか。かつて,誰かが吉田拓郎のめんどくささを評して,手旗信号に準えて,ただ赤(旗)揚げる,と言えば済むところを,

赤揚げないで,白揚げないで,赤揚げる,

と言う,と言っていたのを思い出した。白挙げる,と言えば済むのを,

白揚げないで,赤挙げないで,白揚げないで…,

と延々と続け,その間にもさらに入子になった説明が入る。しかもその説明がまだるっこしくて,ついには,何を説明しているのかが,僕のような浅学の徒には,迷路に入り込むように,分からなくなる。

その迷路の果てに,著者は,最後の最後,掉尾に,こう書いている。

「意識についての私の説明は,とても完全なものとは言われない。それは,説明の手始めでしかなかったと言ってもよいだろう。けれどもそれが手始めであるのは,意識の説明を不可能と思わせた,魔法にかかった観念群の呪縛が,それによって断ち切られるからである。わたしは『カルテジアン劇場』という比喩的理論を,一つの〈非〉比喩的な(つまりは,『字義通りの,科学的な』)理論によって置き換えたわけではない。実際のところ,私がしたのは,『劇場』,『証人〔目撃者〕』,『中心の意味主体』,『空想の産物』などの観念を下取りに出して,その代りに『ソフトウエア』,『ヴァーチャル・マシーン』『多元的草稿』,『ホムンクルスたちのパンデモニアム』などの観念を立てることによって,一群の比喩とイメージに置き換えたことでしかない。それでは比喩同士の戦いにすぎないではないかと,あなたは言われるかもしれないが,比喩というのは,『単なる』比喩に『すぎな』いわけではない。それは,思考の道具だからである。誰も,比喩なくしては,意識について考えることは出来ないのだから,手に入る一式のもっとも優れた道具をそろえておくのが,肝腎である。私たちが自分の道具をつかってつくりあげてきたものに注目したらよい。はたしてあなたには,道具がなくても,それらを思い描くことが出来るだろうか。」

この一文に,この著者のめんどくささと,微妙に話をずらしていく手際がよくみてとれるだろう。「比喩」は自分が持ちだした。そのくせ,比喩なしで意識は語れない,と話をずらし,比喩の話へとずれていく。そして,何か肝腎なことが,ずらされていく,というか,ずれている,という感じを抱かせる。ここで問題にしていたのは,この本で意識が解明できたかどうかではないのか。

この一文に,象徴的に,読み手に苛立ちを与える一端が見える。

正直のところ,かつて,『脳のなかの幽霊』( V・S・ラマチャンドラン)等々,いくつもの脳に関わる本を読んだが,本署ほど,一向にワクワクもドキドキもしない本はない。なぜなのかは,上の一文に見える。本書は,ある種,

メタ哲学,

というか,さまざまな理論ををメタ・ポジションから,論ずるメタ理論というやり方のせいなのかもしれないが,それにしても,説明過多,,贅言が過ぎる。

著者の本書での方法は,

ヘテロ現象学,

と名づけた,

「客観的物理科学と三人称的視点へのこだわりから出発して,このうえもなく私的でこのうえもなくいわく言い難い主観的体験(原理的な)の公平を期しながらも,科学の方法論的疚しさをも同時に貫くことが出来るといった,そういった現象学的記述にまで到る〈中立的な〉道」

をとる。つまり,現象学の,

一人称パースペクティブ,

だけでなく,

三人称的パースペクティブ,

からも,併せて見ていこうとする。まさに,主観的アプローチ,客観的アプローチをも,メタ視点から見ようとするものである。

そこで槍玉に挙げられるのは,

究極の観察者,

を措定する,著者の言う,

カルテジアン劇場,

である。著者は繰り返し,

「脳は,究極の観察者がひかえる本部ではあるが,脳そのもののなかにも,そこに達することが意識体験の必要条件であったり十分条件であったりするような,何かさらに密かな本部やさらに内なる聖域があるのだと信じなければいけない理由は,どこにもはない。つまり脳のなかには,観察者などどこにもいないのである。」

と言い,脳の中にある最終的な集中するポイント,という考え方を否定し,代わりに,著者は,

多元的草稿モデル,

という仮説を提起する。それは,

「知覚をはじめ思考や心的活動はどのようなものも,脳のなかの,感覚インプットを解釈したり遂行したりする多重トラック方式にもとづくたがいに並行したプロセスによって,遂行されている。神経系統にに入ってくる情報は,絶え間なく『編集・改竄』に付されているのである。(中略)
 このような編集プロセスは一秒間の何分の一という時間の幅で起こっており,その間には,内容の付け足し,合体,修正,重ね合わせなどが,様々な形で,様々な順に生じることが,可能である。私たちは,自分の網膜,自分の耳,自分の皮膚の表面で起こっていることがらを,直々に体験しているわけではない。私たちが現実に体験しているのは,多くの解釈プロセス―実際には多くの編集プロセス−から生まれた,一つの帰結にすぎない。そうした編集プロセスは,比較的生で一面的な表象を取り入れて,それらに照合と改竄とレベルアップをほどこしているのであるが,それらの営みは,脳の多様な部分で生じている活動のの流れ全体を通じて行われている。(中略)ここで私たちは,特徴発見や特徴弁別は〈一度行われるだけでよい〉という,『多元的草稿』の新しい特徴に立ち合うことになる。つまりこれは,ある特徴についての個別的な『観察』がひとたび脳の特定の一部によって行われれば,そこで定着した情報内容は,さらにどこか別のところへ送られて,誰か『支配者づらした』弁別者の手で再び弁別されたりする必要はない,ということを意味する。」

と,「カルテジアン劇場」の観察者は存在しないことを強調している。しかし,それが,脳に構造として,臓器として特定の箇所がなかろうが,意識のポイントは,かつての,

即自・対自,

といったような,メタ構造を持っていると感じさせるところに本質があると思っている。意識の本質は,ここではないのか。その情報処理が,並行的になされていようと,それをメタ・ポジションで見るような感じを抱かせるのは,人類にとって,何か必要があったからこそなのではないか。そこを,否定してしまっても,何の解決にもならない気がする。そもそも,言葉は,意識のメタ化がなくては,生み出せないのではないのか(進化の部分で,自問自答に触れていたが,それがメタ化の話とはつながっていかなかったと,感じる)。

「意識というのは,何かがある一点に到達する,ということをめぐる問題であるのではなく,むしろ何かが,大脳皮質全体もしくはその大部分にわたって活性化の閾値を越えることによって,表象となる,ということを巡る問題であるのではなかろうか。」

この言い換えて,僕には,何かがすり替えられて,その一点への集中の代替案として可なのか非なのかが曖昧のまま,ずるずると,贅言に引きずられてしまう感覚だけが残る。そのことは,人の,

「内的識別状態〈もまた〉,何か特別の『内在的』特性を,つまりは〈ものが私たちに見えたり,聞えたり,味を与えたりす〉るときのその見え方〈聞こえ方,味の仕方など〉を構成する,主観的で,私的で,いわく言い難い特性」

つまり,

クオリア,

についての,著者の見解にも,つながる。クオリアは,ない,と著者は断言する。そして,

「機械と人間という経験主体(…私が想像したワインの質を見分ける機械のことを思い起こされよ)の間に人々があると想像している〈ような〉違いを,私は断固否定しているのである。」

と。メタ化を否定するなら,当然の帰結かもしれない。そして,その究極は,意識の,

バーチャル・リアリティ仮説,

である。

「人間の意識という現象が『ヴァーチャル・マシーン〔仮想機械〕』の働き」

なのであり,つまりは,

「人間の脳の働きを形づくるある種の進化した(そして今なお進化し続けている)コンピュータ・プログラムの働き」

である,というのが結論である。

今日,どう評価されているかは分からないが,脳の活動=発火にともなう,ホログラフィックなものが,意識ではないか,と思っているので,別に脳がソフトウエアに準えられても驚かないが,肝腎のメタ構造を,説明してもらわないと,いまひとつ納得できない。


参考文献;
ダニエル・C.・デネット『解明される意識』(青土社)

サンクチュアリ

ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』を読む。

表題である,

サンクチュアリ(sanctuary),

は,訳者(加島祥造)によると,

「『聖所』『聖域』『逃げ込み場所』などといった意味をもっているが,ここでは後者の『隠れ家』という意味が強い。」

とある。それは,

密造酒をつくっていたグッドウィン一家たちの住んでいた場所,

を指すとも言えるし,

17歳の女学生テンプルを連れ込んだ曖昧宿,

を指すともいえるし,

冤罪で収監されたグッドウィンのいた刑務所の監房,

を指すともいえるし,

無実のグッドウィルを裁判で救えずリンチで焼き殺されるのを手を拱いているしかなかった弁護士ホレスが逃げ込んだ(そこから逃げ出したはずの)家庭,

を指すともいえる。あるいは,

グッドウィンを陥れる偽証をして父とともに逃げたテンプルのいるパリ,

を指すともいえる。さらには,

自分がしたのではない殺人の罪で処刑されたポパイの死そのもの,

を指すとも言えるのかもしれない。客観的なものではなく,主観的なそれ,あるいは,本人自身は気づいていないが,結果としてのそれ,という意味も含む。

本書を読みながら,対比のように,何十年も前に読んで圧倒された,ドス・パソス(ジョン・ロデリーゴ・ドス・パソス(John Roderigo Dos Passos)の『U・S・A』3部作を思い出していた。『U・S・A』3部作は,

「新聞の切り抜き(『ニュース映画』)・作者の意識の流れ(『カメラの目』)・登場人物たちそれぞれのドラマで、20世紀初頭の『アメリカ合衆国』を、虚実織り交ぜて、実験的手法で、眺望したもの」

とされ,ちょうど,1930年代のアメリカを俯瞰したものになっている。その実験的な手法に魅了された記憶がある。

対するフォークナーは,

「フォークナーが創造したヨクナパトーファ郡(ミシシッピ州)を舞台にし、時代設定は禁酒法(1933年)時代の1929年5月と6月」

と,アメリカ南部の(架空の)小さな町での出来事を,虫瞰的に稠密に,描く。その状況描写は,緻密な西陣織のように微に入り,細を穿つ。しかし,それに比べて,登場人物は,ちょうど,細密画の背景の前でヒラヒラおどる紙人形のように,ペラペラである。そのギャップに,驚く。存在感のなさを描いたという強弁もあるかもしれないが,僕には,そうは見えなかった。主役は,その背景の時代と,密閉された南部の街の気質,雰囲気そのものなのではないか。だから,登場人物は,その状況の付けたし,添え物にすぎないのかもしれない。

本書は,フォークナーの傑作には加えられない作品らしい。『怒りと響き』『八月の光』に比べると,作家自身も,

「私としてはこれは安っぽい思いつきの本だ。なぜならこれは金がほしいという考えから書いたものだからだ。」

と書いていたという。もっとも,

「初校の校正刷りを見て,これはひどい作品だと知り,(中略)書き直した。組み直し料を払わなければならなかったが,とにかく『響きと怒り』や『死者の床に横たわりて』をあまり辱めぬように努力し,その仕事はかなりうまくいったと思う」

と書いてはいる。しかし,筋の粗っぽさと,人物のぺらぺらさ(人物像だけではなくその行動の突飛さ),は救われていないと僕は見た。ただ,人物の空虚さ,存在感のなさが意識的なら,その意識的であることが文学空間に表現されているとは思えなかった。その証拠に,取ってつけたように,ラストでポパイの生い立ちの悲惨さを描きだす。それも唐突に,だ。


参考文献;
ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』(新潮文庫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

四次元

ルディ・ラッカー『四次元の冒険―幾何学・宇宙・想像力』を読む。

通常四次元と言うと,三次元空間プラス時間軸の意味で受け取られる。しかし,しかし著者は,冒頭で,

「実在レベルや色や時間によって第四次元を表現しようとするのは見当違いである。ここで実際に必要なのは第四次元空間の概念なのである。」

と言う。確かに,今日の「超弦理論」では,十次元だの六次元だの二十六次元だのと,折り畳まれた次元の話が出てくる。そのとき,次元は,時間ではない。その辺りは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/441553477.html

等々で触れたことがある。

しかし,そのような次元を「視覚化するのは難しい」ということで,著者は, 

「その主要なアイデアはアナロジーによって推論することである。つまり三次元を二次元空間で表すのと同様に四次元を三次元空間で表せばよい。4D:3D::3D:2D。この独特のアナロジーは人類に知られた最も古い頭のトリックである。プラトンは,有名な洞窟の比喩でそれを表現した最初の人であった。」

と言い,二次元世界の『フラットランド』というビクトリア時代の二次元世界の話を例に説明に入る。

「フラットランドは平面で,そこに住む動物は平面を這い回っているのである。それを机上に置かれたコインのようなものだと考えてもらってもよい。あるいは,シャボン玉の膜の虹色の模様だとか,紙面上のインクのシミだと考えることもできる。」

しかし,二次元にいる限り,三次元は理解できない。

「君が超空間(ハイパースペース)に引き上げられたものと想定しよう。この有利な地点から私たちの世界を見るとどのように見えるだろうか? 始めに,0Dの点が1Dの線分を二分し,1D線は2D平面を二分し,二D面は三D面空間を二分すると同じように,3D空間は4D超空間を二分することに注目しよう。ちなみに,点のことを零次元=0次元と称している。全空間が一点にかぎられる所では,運動の自由度は存在しないからである。
 私たちの空間によって二つに確定された超空間の各領域を何と呼ぶことができるだろうか。チャールズ・H・ヒントンは,ほぼ上と下という言葉のように使うアナ(ana)とカタ(kata)という言葉を提案している。アナを私たちの空間の上にあるものとして天国とし,カタを下にあるものとして地獄とすると考えやすいかもしれない。」

この時,視点は,超空間にある。あるいは,

「高次元空間のアイデアをまじめに心に抱いた最初の哲学者は,例の大イマヌエル・カントであった。(中略)カントは,晩年になって第四次元の着想に関係した有名なパズル,つまり,人間の片方の腕のほかには全空間が空っぽのとき,この腕が右腕であると明言することは意味をなすかどうか,というパズルを提案した。はっきりしていることは,答えがないということである。左とか右という概念は空虚な空間では意味をなさないからである。
 なぜかを理解する糸口として,そこが手相見の店であることを示す大きなプレキシガラスの看板を想像していただきたい。…手のひらの輪郭とシワが透明なプレキシガラスに描かれている。そこでその看板を一方の側から見れば右手に見えるだろうし,反対側から見れば左手に見えるだろう。ところがこの看板の二次元平面を外から眺めることができることを一度了解してしまうと,手のひらが本当は右手の方だというのは意味をなさないということに気づくはずである。
 同様のことは三次元空間でも正しい。四次元のどちら側から見るかによって,右手に見えたり,左手に見えたりする。別の表現をすれば,右手を四次元空間に引き上げてそれをひっくり返せば左手に変えることができるのだ。」

その意味で,次元は,人の視点を示している。

「空間は位置からできているのだ。そして時空は事象からできているのだ。事象とは,与えられた時刻における与えられた位置といったようなものだと考えられる。個々の感覚の印象はささやかな事象なのである。僕らが経験する事象は,自然な四次元的序列,すなわち東西,南北,上下,遅速といった序列に並ぶ。自分の人生をふり返ってみるときは,実際には四次元的時空パターンを見ていることになるのである。だから,内部から時空を見ているかぎりは,それに不案内だとかいって混乱することはない。」

では,外から見たらどうなるのか,著者はこんな説を提起する。

「普通,誰も,世界は時間の推移とともに変化する三次元空間であると考えている。過去は去り,未来はまだ存在せず,現在だけが現実のものである。しかし世界を見るもう一つの方法がある。すなわち,世界をブロックになった宇宙と見なすことができる。世界を一つのブロック宇宙と考えると,時間と空間が一緒になったものすべてが一つの巨大な物象となる。ブロック空間は一つの時空(spacetime)からなる空間の三次元と時間の一次元を加えたものだ。外から時空を眺めるということは,歴史の外に立って,永遠の相の下で事物を見るということなのだ。(中略)
 つまるところ,僕の世界は僕の感覚の総体である。こういった感覚は,四次元時空におけるパターンとしてごく自然に並べてみることができるものだ。僕の人生は,ブロック宇宙に閉じ込められている一種の四次元の虫というわけだ。(中略)永遠は当然,時空の外にある。永遠とは当然“いまただち”のことである。」

それは,

「ブロック宇宙には客観的に存在する現在がないという点である」

ということだ。だから「感覚の総体」なのである。しかし,それを外からの視点に切り替えたとき,別の世界が見える。

「地上の2D表面は私たちの3D宇宙の部分である。3D宇宙は4D超球体の表面であるかもしれない。4D超球体は,湾曲した5D時空のパターンの断面である。湾曲した5D時空は,たぶん空間と時間が交互に堆積した山の一層にすぎない。6Dの山はそれ自身歪んで,7D空間に織り込まれているかもしれない。さまざまな山の型はともに8D空間の入子になっているかもしれない。たぶん8D空間全体は九次元超時間軸に展開されることができる等々。」

つまり,第四次元は時間とは限らない。

「常に広さと呼んでいる空間の中に,一つの決まった方向があるわけではないのと同様,常に時間と呼んでいる一つの決まった高次元かある必要はないのである。第四次元について語ってきたことすべては,多様な高次元,たとえば空間から跳び出すことができる方向とか,空間が湾曲している方向とか,別の宇宙に達するために通るとかについて考えることを可能にしてくれる。(中略)時間は第四次元だというよりは,時間は高次元の一つであるという方が図と自然である。」

こうしてある種ペダンティックな知的な次元旅行の末,著者は,こう結論づける。

「私たちはなぜ私たちがここにいるか知らない―私たちが何であるかさえ知らないのである。しかし私たちは存在し,世界はこれからも存在し続けていく。私たちの通常の空間と時間の概念はただ便利な虚構にすぎないのである。いたる所が高次元なのである照明をあてる必要もない。第四次元ほど密着した,ただいまここが証明しているのである。」

とは,あまりにも大山鳴動してネズミ一匹に過ぎまいか。冒頭の方にあった,

「類推によって考えれば,四次元生物はどのようにしっかり施錠されたかにはかかわりなく,私たちの部屋であれ密室であれ入り込めることがおわかりいただけるであろう。」

は,ついに腑には落ちなかった。

参考文献;
ルディ・ラッカー『四次元の冒険―幾何学・宇宙・想像力』(工作舎)

ヒトの足

水野祥太郎『ヒトの足―この謎にみちたもの』を読む。

この本の目的は,「木に登るための足から,地面を走る足に変ろうとしている」という人類学者の主張に対し,整形外科医として,

「『走る』ためより『立つ』ためのヒトの足」

であることを主張するためと著者の言うように,その主張は,通奏低音のように,本書を貫いている。

その主張は,ルイス・リーキーの発見した「ジンジャントロープス」の化石(OH-8)の足に対しても,人類学者を批判して,

「この踝関節の内がえしに有利な距骨部の構造も,中足骨の外側に片寄ったヒトにはない大きな動き方も,なるほど木登りには適しているとしても,足をもって立ち,歩くうえでは,どういったものなのであろうか。このように動きやすい足は,荷重を受けたときにも動きやすく,形を保つのには適していない弱い足ということにも連なる。これはしたがって歩くときにも,硬い棒のような梃子としてよりは,力を受けたときに多少なりとも曲りやすくて弱い,能率のわるい梃子ということになりそうである。ヒトの足は固くて,強い足であって,…いくら長い距離を長い時間,あるいは長い年月のあいだ,歩き通すということもできるのであって,ケニアの原人には,それができるはずがなかった,ということになる。(中略)つまり,ケニアに見られる原人は,木の幹をかかえての木登りにはヒトよりもずっと上手であったにちがいないが,長くは立っておれなかったし,歩かせても走らせても,すぐに足に痛みが出やすくて,参ってしまうような状態であったであろうということなのである。」

そして,こう付け加える。

「足アーチがヒトの構造上の特徴として,たいへん重要なものであるにもかかわらず,解剖学のうえでも整形外科学のうえでも,その発育成長の道筋や,それを保ち,また作り育てるエージェント(作用力)についてはなんら記されていないか,漠然とよりほかは書かれていない。ヒトがヒトになってきたうえで,これこそもっとも重要なところであると思われるにもかかわらず。」

さらに,

「一日何時間も働いて,足にはほとんど何の変化も起こらないのである。これを驚きをもって迎えられない人は,よほど鈍感といおうか,分かりの悪い人なのである。
 これこそ足のアーチの潜め持った本当の意味なのであった。これこそがヒトがヒトとして地球のうえで存在を主張できることになった本当の理由なのであった。」

そして,こう皮肉まじりに書く。

「ヒトの足のアーチ構造は,地面に固定されているのではなく,いわば浮いており,単に立つばかりではなく,歩いたり,走ったり,跳んだりするのに,テコとして剛体のはたらきもしなければならず,凹凸不整の地面に対しても,三次元的にうまくなずませながら,重心の位置や,あらゆる運動にも妨害をあたえないための調整機能をはたしていくという重要な役割を仕遂げていくのである。
 不思議なのは,二本で立っているのを,ただちに『直立』と『歩行』とに結びつけるよりほか,考えられないらしい研究者のいることである。そういう研究者にかぎって歩行の研究といえば,矢状面内に投影された歩行(まっすぐに前にむかって歩いていくのを,単に横からのみ眺めた形にあたる―本当ははるかに複雑な三次元の運動をしているのに)のことに終始しているのである。近視眼といってよいのか,視野狭窄症といえばよいのか,これには少々ならず,おどろかされよう事実ではなかろうか。英語では『二本足の地上での生活 bipendal terrestrial』と,はっきり書かれる慣わしであるのに,日本語に直すときには,,奇妙にもすぐに『二足直立歩行 bipedal upright…』に化けてしまう。『歩行』にあたるところを,わざと…としたのは,ふつう英語ではここはlocomotionを使って,gaitとかwalkingを用いないからで,『移動』の意味はあっても,『歩行』の意味はちっともないからである。Loco-は場所を示しており,motionはいうまでもなく『運動』であって,ある場所から移動する運動,または力をさすと,辞書にははっきりでている。どうして日本中の研究者がみなlocomotionを『歩行』にしてしまって,そういう漢字をつかったばかりに,『まっすぐに前に向かって歩く』ことばかりをヒトの特徴と考えてしまうようになったのか,私にはどうしても分からない謎の一つではある。」

というのも,

「ヒトは一日の生活の中では,あまり『二足直立歩行』している時間のないことにも注意しなければならない。もちろん,ここで括弧でくくったような『歩行』は,『歩行研究』と称して行われてきたような『歩行』ということであって,一定の歩幅をそろえて,一定のリズムをもって,ただまっしぐらに,まっすぐにのみ歩くという動作を意味している。一日二十四時間中,起きている間の大きい部分は,そういう歩き方によってではなく,むしろ『立っている時間』によって占められている。座ったり,横になる時間をのぞくと,あとは立つか,歩くかと考えられがちであるが,実はこれは,完全な静止を意味する立ち方ではなく,何となしの立ち方,いわばブラブラ立ちと,ブラブラ歩きの時間が多い。二足生活ではあっても,二足直立歩行というほどのものではなかったのである。」

そして。こう結論づける。

「アーチの存在がヒトの足の特徴であり,ヒトそのものの特徴である以上は,ヒトの足の特徴を簡単に二足直立歩行などとは言って欲しくはないように思う。立つことの方がどう見ても重要であると考えられるからである。」

物を具体的に事実に即して考えるとは,「歩行」と「移動」を丸めたりすることではないはずである。言葉は見ている世界を,分化しているはずである。言葉を大切にするとは,見ている世界の分化にこだわることであると,つくづく教えられる。


参考文献;
水野祥太郎『ヒトの足―この謎にみちたもの』(創元社)

認知的不協和

レオン・フェスティンガー『認知的不協和の理論―社会心理学序説』を読む。

「個人は自分自身の内部に矛盾がないようにと努力する。」

と書きだされた本書で,著者は,

「<矛盾>という言葉を,論理的内包の少ない言葉,すなわち不協和(dissonance)という言葉に置き換えよう。同様に,<無矛盾>という言葉をもっと中立的な言葉,すなわち協和(consonance)という言葉に置き換えよう。」

と述べ,さらに,類語「葛藤」との違いを,

「決定にいたるまえには,人は葛藤の状況におかれている。しかし,ひとたび決定を下せば,かれはもはや葛藤の状態にはいない。かれは選択を終え,いわば,葛藤を解決したのである。かれは二つあるいはそれ以上の方向へ同時に突き動かされることはない。そこでかれは自分の選んだ行程を進んでいこうとする。このときはじめて不協和がうまれるのである。この不協和を低減しようとする圧力は,その個人を同時に二つの方向へと突き動かしてはいない。」

と書く。で,「認知的不協和」とは,

「二つまたはそれ以上の選択肢の取捨について行われた後には,ほとんどつねに不協和が存在する。選ばれなかった選択肢のポジティヴな性質に対応する認知要素と,選ばれた選択肢のネガティヴな性質に対応する認知要素とは,その行為〔決定〕を行ったという知識と不協和である。選ばれた選択肢のポジティヴな性質ならびに選ばれなかった選択肢のネガティヴな性質に対応する認知要素は,その行為を行ったということに対応する認知要素と協和的である。」

とある。そして,

「不協和の存在は,その不協和を低減させる圧力を生ぜしめる。」
「不協和を低減させる圧力の強さは,既存の不協和の大きさの函数である。」

と。しかし,

「二つまたはそれ以上の選択肢の取捨について行われた後には,ほとんどつねに不協和が存在する。」

という前提が正しいのかどうか,僕には疑問である。この前提が崩れると,実は,この仮説は意味をなさないのではないか。だから,本書の末尾で,著者は,急に,パーソナリティの問題を持ち出す。

「不協和の存在に反応する程度,および仕方について,人々の間にはたしかに個人差が存在する。ある人々にとっては,不協和は極端に苦しく耐え難いものであるが,他方,非常に大きな不協和に耐えることができる人々もある。<不協和へのトレランス(耐性)>の差異は,少なくとも大ざっぱに測定可能であるように思われる。不協和へのトレランスの低い人は,トレランスの高い人とくらべると,不協和の存在に対してより多くの不快を示し,不協和を低減させるためにより大きな努力を払うはずである。不協和を低減させる努力にこのような差異があるところを見ると,トレランスの低い人はいつも,かれと同等な,不協和へのトレランスのかなり高い人とくらべて,実際上相当少ない不協和しか持っていない,と考えるのはもっともなことである。不協和へのトレランスの高い人が,かれの認知のなかに<灰色>の部分を残しておくことができるのに対して,不協和へのトレランスの低い人は問題をよりいっそう<白か黒か>という言葉で理解する傾向があると期待してもよいであろう。」

これは,無残な仮説の破たんではないのか。結局認知的不協和はは,パーソナリティによって顕在化したりしなかったりする,ということなのではないのか。現在この仮説が,どの程度影響力を持っているのかどうかわからないが,決定の後の迷いを,あえて,認知的不協和と呼んだにすぎない気がしてならない。

人は,決定に当たって,いつも選択肢を明確に吟味するのではなく,ほぼ直観でする,とは,よく言われていることだ。つまり,

「目的を明示し,選択肢を探索し,妥当する目的に応じて選択肢の順位を位置づけ,そして好ましい選択肢を選ぶ」(『決定の本質』)

というようには,意思決定されない。だから決定後に迷う。だからといって,認知的不協和に立ち止まるとは思えない。一旦意思決定された時点で,既に現実は動いており,暇人でなければ,決定後の事態に対応するアクションに余念がないからだ。でなければ,決定自体がふいになる。それを,「不協和の低減」と呼ぶのはいささか,理解不能である。もし,決定が誤っているとするなら,不協和の低減ではなく,決定自体の取り消し以外にはない。

僕には,本書の仮説は,非常に狭い個人の中に閉じこもった,密室の仮説に思えてならない。たしか,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/438821677.html

で取り上げた,『社会心理学講義−〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉』(小坂井敏晶)は,

「閉じたシステムとして社会を把握したフェスティンガー」

と,呼んでいた気がする。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163239.html

でも取り上げたが,社会心理学という学問が,基本的に,どうにも好きになれない。

参考文献;
レオン・フェスティンガー『認知的不協和の理論―社会心理学序説』(誠信書房)

世阿弥編『花伝書(風姿花伝)』を読む。

「そもそも、花といふに、万木千草において、四季をりふしに咲くものなれば、その時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなはち、おもしろき心なり。と、これ三つは同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散るゆゑによりて、咲くころあればめづらしきなり。花と、おもしろきと、めづらしき能も住するところなきを、まづ花と知るべし。住せずして、余の風体に移れば、めづらしきなり。」

にある,

「花と、おもしろきと、めづら しきと、これ三つは同じ心なり。」

が気になる。「花」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/449051395.html

で触れた。『大言海』は,「はな(花)」について,

「端(はな)の義。著しく現れ目立つの意」

とし,「はな(鼻)」も,

「端(はな)の義」

とし,「はな(端)」つにいて,

初,

とも当て,「物事の最も先なるところ。まっさき。はじめ」と意を載せる。『古語辞典』も,「鼻」と「端」を同源としている。つまり,「はな(花・華)」は, 

「著しく目立つの意のハナ」

で,「はな(鼻・端)」は,ともに,

「著しく目立つ意の,ハナ」

で,顔の真ん中で著しく目立つ,ところからということになる。つまり,

「花と、おもしろきと、めづらしき」

の意は,「花」の原意からみても,通じるのである。

しかし,

「様あり。めづらしきといへばとて、世になき風体をしいだすにてはあるべからず。」

とある。見るものに「めずらしい」と感じさせるのであって,奇をてらうことではない。それは,

「花伝にいだすところの条々を、ことごとく稽古し終わりて、さて、申楽をせん時に、その物数を、用々に従ひてとりいだすべし。花と申すも、万の草木において、いづれか四季をりふしの、時の花のほかに、めづらしき花のあるべき。そのごとくに、 習ひおぼえつる品々をきはめぬれば、時をりふしの当世を心得て、時の人の好みの品によりて、その風体をとりいだす。これ時の花の咲くを見んがごとし。」

と。

「物数をきはめつくしたらんしては、初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望み、時によりて、とりいだすべし。物数を究めずば、時によりて花を失うことあるべし。たとへば、春の花のころ過ぎて、夏草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらんしてが、夏草の花はなくて、過ぎし春の花を、また持ちていでたらんは、時の花に合ふべしや。 」

と。意表をついて珍しいことをすればいいのではない。

「花とて別にはなきものなり。物数をつくして、工夫を得て、めづらしき感を心得るが花なり。」

と。それを,

巌に花の咲かんがごとし,

とも喩える。

「花といふは、余の風体を残さずして、幽玄至極の上手と、人の、思ひなれたるところに、思ひのほかに鬼をすれば、めづらしく見ゆるところ、これ花なり。しかれば、鬼許りをせんずるしては、巌ばかりにて、花はあるべか らず。」

と。

「そもそも、因果とて、善き悪しき時のあるも、公案をつくして見るに、ただめづらしき・めづらしからぬの二つなり。同じ上手にて、同じ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつることの、いままた、おもしろくもなき善きのあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、悪しと見るなり。その後、 また善き時のあるは、さきに悪かりつるものをと思ふ心、また珍しきにかへりて、おもしろくなるなり。 」


そして,

善悪不二、邪正一如。

に譬える。

「本来より、善き悪しきとは、なにをもて、さだむべきや。ただ時にとりて用足るものをば善きものとし、用足らぬを悪しきものとす。この風体の品々も、当世の衆人・所々にわたりて、その時のあまねき好みによりてとりいだす風体、これ用足るための花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ人々心心のはななり。いづれをまこと とせんや。ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。」

それは,

「幽玄と強きと、別にあるものと心得るゆゑに、迷ふなり。この二つは、そのものの体にあり。たとへば、人においては、女御・更衣、または、優女・好色・美男・草木には花のたぐひ。か様の数々は、その形、幽玄のものなり。また、あるは、武士・荒夷、あるひは、鬼・神、草木にも、松・杉、か様の数々のたぐひは、強きものと申すべきか。 
 か様の万物の品々を、よくし似せたらんは、幽玄のものまねは幽玄になり、強きはおのづから強かるべし。この 分見をばあてがはずして、ただ、幽玄にせんとばかり心得て、ものまねおろそかなれば、それに似ず。似ぬをば知らで、幽玄にするぞと思ふ心、これ弱きなり。されば、優女・美男などのものまねを、よく似せたらば、おのづか ら幽玄なるべし。また、強きことをもよく似せたらんは、おのづから強かるべし。 
 ただし、心得うべきことあり。力無く、この道は、見所を本にするわざなれば、その当世当世の風儀にて、幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強きかたをば、すこしものまねにはづるるとも、幽玄の方へはやらせたまふべし。」

と通じる。

「同じ能を、昨日今日見れども、おもしろやと見えつることの、いままた、おもしろくもなき善きのあるは、昨日おもしろかりつる心ならひに、今日はめづらしからぬによりて、悪しと見るなり。」

にも通じる。申楽は,当時,時代の観客と真剣なキャッチボールをしていたことがよく分かる。