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アフォーダンスな視界 |
| J・J・ギブソン(古崎敬訳)『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』を読む。

ギブソンは、
アフォーダンス(affordance)、
という概念を提唱している。
「すり抜けられるすき間」、「登れる桜」、「つかめる距離」はアフォーダンスである。アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである、
と、動物から見える環境の価値表現と言っていい。ギブソンは、
自然の提供するもの、またこれらの可能性ないし機会のすべて、
を、
アフォーダンス、
と呼び、
環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、よいものであれ、悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。アフォードする(afford)という動詞は、辞書に在るがアフォーダンスという名詞はない。この言葉は私の造語である。アフォーダンスという言葉で私は、既存の用語では表現しえない仕方で、環境と動物の両者に関連するものをいい表したいのである。この言葉は動物と環境の相補性を包含している。
とあるように、動物から見える環境は、彼らが、
知覚する世界、
なのであり、
物理学的世界、
物理学的空間、
とは異なる。当然、陸地の表面は、
支えることをアフォードする、
が、
崖っぷちは、
落っこちること、怪我をすることをアフォードする、
というように、
プラスのアフォーダンス、
もあるし、
マイナスのアフォーダンス、
もある。ただし、
プラスやマイナスのアフォーダンス、これらはすべて、観察者との関係で決まる対象の特性であって、観察者の経験の特性ではないことに留意してほしい。これらは主観的価値ではない。そしてニュートラルな知覚に附け加えられる快や痛みの感情ではない。
ともある。こうみれば、動物の視覚が、
物理的な「空間」、
が知覚されるわけはない。大事なことは、動物から見たとき、
環境はその中に観察点をもつ、
ので、移動に伴って、視界は変わる。本書が、
生態学的、
視覚論と言っている所以である。だから、
観察者自身の動きや対象の運動、
が、
知覚過程、
において、基本であり、よく心理学で実験される、静態での知覚実験は、現実の知覚からはかけ離れていることになる。その、視界を、
パースペクティブ、
と呼ぶなら、それは、
客観的な空間、
とは別物になる。必ず、
観察点、
がある。しかし、それは、
抽象空間の幾何学的点としてではなく、空虚な空間を考える代わりに、物質で満たされている生態学的空間の中の一つの位置を意味する、
し、それは、
観察者が存在するところであり、そして、そこから観察するという行為がなされるところである。抽象的空間が点から成るのに対し、生態学的空間は、場所あるいは位置から成り立っている、
のである。それは、具体的な、
ここ、
であり、
ここからのパースペクティブ、
である。そして、
観察点は、限定された場合を除けば、決して静止してはいない。観察する人は、環境内を動き回るし、観察は一般的には、動いている位置からなされる。
動けば、視界は変わり、見えていたものが見えなくなり、見えなかったものが見えたりする。そういう動的な状態での知覚を論じている。
このように、環境との関係を新たな視点で提起したギブソンではあるが、
ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』
で触れたように、ユクスキュルの描く環世界環から見ると、アフォーダンスは、人間の環世界のアナロジーにしかなっていないように見える。つまり、まだ、
人の環世界、
を当てはめているのではないのか、という疑問がわく。それについては、
環世界、
で触れたが、ユクスキュルは、主体と環世界との関係について、(行動主義を批判しつつ)こう書くところから始めている。
われわれの感覚器官がわれわれの知覚に役立ち、われわれの運動器官がわれわれの働きかけ役立っているのではないかと考える人は、それらの器官の組み込まれた機械操作系を発見するだろう。われわれ自身がわれわれの体に組み込まれているのと同じように。するとその人は、動物はもはや単なる客体ではなく、知覚と作用とをその本質的な活動とする主体だとみなすことになるであろう。
しかしそうなれば環世界に通じる門はすでに開かれていることになる。なぜなら、主体が知覚するものすべてその知覚世界になるからである。知覚世界と作用世界が連れだって環世界という一つの完結した全体を作り上げているのだ。
それは、人には人の環世界があり、ハエにはハエの、犬には犬の環世界がある、ということを意味する。
つまり、動物主体は最も単純なものも最も複雑なものもすべて、それぞれの環世界に同じように完全にはめ込まれている。単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しているのである。
生物から見た世界、
からみると、ギブソンのそれは、まだまだ、
人間の環世界、
でしかないようにみえるのである。
参考文献;
J・J・ギブソン(古崎敬訳)『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』(サイエンス社)
ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)
佐々木正人『アフォーダンス』(岩波書店) |
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民族的歌集 |
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伊藤博訳注『新版万葉集』を読む。

万葉集、
の名については、
万(よろず)の言の葉と見る(仙覚『万葉集注釈』)、
万代と見る(契沖『万葉代匠記』)、
万(よろず)の木(こ)の葉(衆多の歌)と見る(岡本正之『近江奈良朝の漢文学』)、
万(よろず)の紙数と見る(武田祐吉『万葉集全注釈』)、
とあるようだが、本書の注釈者(伊藤博)は、
万代集(万代の後までと願望し祝福する歌集)、
と見ており、全二十巻の成立の性格、構造から、
古今にわたる多数の歌を、古今の利用者のために見やすく美しくまとめて、末永く提供しようとする意図、
が読み取れ、
歌集を体系化することは、それ自体が文学のすぐれた営みであったと考えてよいが、それと同時に、万葉集が「ひとのこころ」の根源であるヤマトウタ(国風)の宣揚と定位とを通して、「万世」への厚い願いをこめた歌集、
と見る(伊藤博訳注『新版万葉集』解説)。そして、
持統朝から桓武朝に至る、心ある古代人たちが、多かれ少なかれ、また意識するといないとにかかわらず、常に日本人であろうとしつつ、総がかりで生み出した公的な歌集、
であり、まさに、
かけがえのない民族的歌集、
と位置付ける(仝上)。その、
漢文一、
漢詩四、
重出歌三、
を加えて、独立する形をとるもの、
全4541首、
のうち、個人的な琴線に触れたものを、
135首、
選んでみた。全体の数からみると、少ないのは、後述するように、
歌、
として、まだ自立していない歌(宴席、歌垣、等々の場面や状況の中で詠われたもの)が多いこと、帝や上位者を寿ぐ歌が多いこと、定型化した歌も目立つこと、等々から、そういうのを省いた結果である。
東(ひむがし)の野にはかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(柿本人麻呂)
葦辺行く鴨の羽交(はが)ひに霜降りて寒き夕(ゆふへ)は大和し思ほゆ(志貴皇子)
あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに(大津皇子)
三輪山の山辺(やまへ)真麻木綿(まそゆふ)短木綿(みじかゆふ)かくのみゆゑに長くと思ひき(高市皇子)
秋の田の穂向(ほむ)きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛(こちた)くありとも(但馬皇女)
後(おく)れ居(ゐ)て恋ひつつあらずは追ひ及(し)かむ道の隈廻(くまみ)に標(しめ)結へ我が背(仝上)
人言(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る(仝上)
ますらをや片恋せむと嘆けども醜(しこ)のますらをなほ恋ひにけり(舎人皇子)
嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我が結ふ髪の漬(ひ)ちてぬれけれ(舎人娘子)
岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸くあらばまた帰り見む(有間皇子)
かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標(しめ)結はましを(額田王)
やすみしし我が大君し夕されば見(め)したまふらし明け来れば問ひたまふらし神岳(かみをか)の山の黄葉(もみち)を今日(けふ)もかも問ひたまはまし明日(あす)もかも見したまはましその山を振り放(さ)け見つつ夕さればあやに悲しみ明け来ればうらさび暮らし荒栲(あらたへ)の衣(ころも)の袖は干(ふ)る時もなし(持統天皇)
秋山のしたへる妹なよ竹のとをよる子らはいかさまに思ひ居(を)れか栲縄(たくなは)の長き命(いのち)を露こそば朝(あした)に置きて夕(ゆふへ)は消(き)ゆといへ霧こそば夕に立ちて朝は失すといへ梓弓(あづさゆみ)音聞く我(わ)れもおほに見しこと悔しきを敷栲(しきたへ)の手枕(たまくら)まきて剣(つるぎ)大刀身に添へ寝(ね)けむ若草のその夫(つま)の子は寂(さぶ)しみか思ひて寝(ぬ)らむ悔(くや)しみか思ひ恋ふらむ時にあらず過ぎにし子らが朝露のごと夕霧のごと(柿本人麻呂)
天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ(仝上)
笥飯(けひ)の海の庭(には)よくあらし刈薦(かりこも)の乱れて出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船(仝上)
もののふの八十宇治川(やそうぢがは)の網代木(あじろぎ)にいさよふ波のゆくへ知らずも(仝上)
近江(あふみ)の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思(おも)ほゆ(仝上)
桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(ひ)にけらし鶴鳴き渡る(高市黒人)
志賀の海女(あま)は藻刈り塩焼き暇(いとま)なみ櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに(石川少郎)
いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野の榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ(高市黒人)
かく故に見じと言ふものを楽浪(ささなみ)の旧き都を見せつつもとな(仝上)
伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ(安貴王)
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(山部赤人)
見わたせば明石の浦に燭(とも)す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく(門部王)
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極(きは)まりて貴(たふと)きものは酒にしあるらし(大宰帥大伴卿)、
生ける者(ひと)遂(つひ)にも死ぬるものにあればこの世にある間(ま)は楽しくをあらな(仝上)
世間(よのなか)を何に譬へむ朝開(あさびら)き漕ぎ去(い)にし船の跡なきごとし(沙弥満誓)
塩津山打ち越え行けば我(あ)が乗れる馬ぞつまづく家(いへ)恋ふらしも(笠金村)
越(こし)の海の角鹿(つのが)の浜ゆ大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)貫(ぬ)き下(お)ろし鯨魚(いさな)取り海道(うみぢ)に出でて喘きつつ我が漕ぎ行けばますらをの手結(たゆひ)が浦に海人娘子(あまをとめ)塩焼く煙(けぶり)草枕旅にしあればひとりして見る験(しるし)なみ海神(わたつみ)の手に巻かしたる玉たすき懸けて偲ひつ大和島根(やまとしまね)を(仝上)
春日(はるひ)を春日(かすが)の山の高座(たかくら)の御笠(みかさ)の山に朝さらず雲居(くもゐ)たなびき貌鳥(かほどり)の間なくしば鳴く雲居なす心いさよひその鳥の片恋(かたこひ)のみに昼はも日のことごと夜(よる)はも夜(よ)のことごと立ちて居て思ひぞ我(あ)がする逢はぬ子故に(山部赤人)
雨降らば着(き)むと思へる笠(かさ)の山人にな着せそ濡れは漬(ひ)つとも(石上乙麻呂)
我がやどに韓藍(からあゐ)蒔(ま)き生(お)ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ(山部赤人)
ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを(大伴百代)
見えずとも誰(た)れ恋ひずあらめ山の端(は)にいさよふ月を外(よそ)に見てしか(満誓沙弥)
こもりくの泊瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ(柿本人麻呂)
八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(仝上)
君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く(額田王)
我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我がなけなくに(安倍郎女)
我が背子が着(け)せる衣(ころも)の針目(はりめ)おちず入りにけらしも我が心さへ(仝上)
来(こ)むと言ふも来(こ)ぬ時あるを来(こ)じと言ふを来(こ)むとは待たじ来(こ)じと言ふものを(大伴坂上郎女)
事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも(大伴百代)
黒髪に白髪交(しろかみまじ)り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに(大伴坂上郎女)
ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり(沙弥満誓)
我がやどの夕蔭草(ゆふかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも(笠郎女)
さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな(大神(おおみわの)郎女)
おしてる難波の菅(すげ)のねもころに君が聞こして年深く長くし言へばまそ鏡磨ぎし心をゆるしてしその日の極み波の共(むた)靡く玉藻のかにかくに心は持たず大船(おほぶね)の頼める時にちはやぶる神か離(さ)くらむうつせみ人か障(さ)ふらむ通はしし君も来まさず玉梓(たまづさ)の使も見えずなりぬればいたもすべなみぬばたまの夜はすがらに赤らひく日も暮(く)るるまで嘆けども験(しるし)をなみ思へどもたづきを知らにたわや女と言はくもしるくたわらはの音(ね)のみ泣きつつた廻(もとほ)り君が使を待ちやかねてむ(大伴坂上郎女)
言ふ言(こと)の畏(かしこ)き国ぞ紅(くれなゐ)の色にな出(い)でそ思ひ死ぬとも(仝上)
戀草(こひくさ)を力車(ちからぐるま)に七車(ななくるま)積みて恋ふらく我(わ)が心から(広河女君)
戀は今はあらじと我(あ)れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる(仝上)
夕闇は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我が背子その間にも見む(大宅女)
恋ひ死なむそこも同(おや)じぞ何せむに人目人言(ひとごと)言痛(こちた)み我(あ)れせむ(大伴家持)
世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(大伴旅人)
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何(なに)せむにまされる宝子にしかめやも(山上憶良)
……さ寝し夜のいくだもあらねば手束杖(たつかづゑ)腰にたがねてか行けば人に厭(いと)はえかく行けば人に憎(にく)まえ老(お)よし男(を)はかくのみならしたまきはる命惜しけど為(せ)むすべもなし(山上憶良)
梅の花夢(いめ)に語らくみやびたる花と我(あ)れ思(も)ふ酒に浮かべこそ(大伴旅人)
世の中を厭(う)しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(山上憶良)
若の浦に潮満ちくれば潟をなみ葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る(山部赤人)
士(をのこ)やも空しくあるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして(山上憶良)
天(あめ)の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ(柿本人麻呂)
片岡のこの向(むか)つ峰(を)に椎蒔かば今年(ことし)の蔭にならむか(よみ人しらず)
黙(もだ)あらじと言(こと)のなぐさに言ふことを聞き知れらくは悪しくはありけり(仝上)
暁(あかとき)と夜烏(よがらす)鳴けどこの森の木末(こぬれ)の上はいまだ静けし(仝上)
天雲(あまくも)のたなびく山に隠(こも)りたる我(あ)が下心(したごころ)木の葉知るらむ(仝上)
月草(つきくさ)に衣(ころも)色どり摺(す)らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ(仝上)
紫の糸をぞ我(わ)が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて(仝上)
岩倉(いはくら)の小野ゆ秋津(あきづ)に立ちわたる雲にしもあれや時をし待たむ(仝上)
嘆きせば人知りぬべみ山川のたぎつ心を塞(せ)かへてあるかも(仝上)
朝なぎに来寄る白波見まく欲(ほ)り我(わ)れはすれども風こそ寄せね(仝上)
潮(しほ)満てば入りぬる磯の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き(仝上)
うち靡(なび)く春来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば(尾張連)
ひとり居て物思(も)ふ宵にほととぎすこゆ鳴き渡る心しあるらし(小治田広耳)
経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず娘子(をとめ)らが織る黄葉(もみぢば)に霜な降りそね(大津皇子)
咲く花もをそろはうとしおくてなる長き心になほ及(し)かずけり(大伴坂上郎女)
山彦の相響(とよ)むまで妻恋ひに鹿(か)鳴く山辺(やまへ)にひとりのみして(大伴家持)
君待つと我(あ)が恋ひをれば我がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く(額田王)
梅の花枝(えだ)にか散ると見るまでに風に乱れて雪ぞ降り来る(忌部K麻呂)
秋風に山吹(やまぶき)の瀬(せ)の鳴るなへに天雲(あまくも)翔る雁に逢(あ)へるかも(よみ人しらず)
さ夜中(よなか)と夜(よ)は更けぬらし雁が音(ね)の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ(仝上)
雪こそば春日(はるひ)消ゆらめ心さへ消え失せたれや言(こと)も通(かよ)はぬ(柿本人麻呂)
父母(ちちはは)が成(な)しのまにまに箸向ふ弟(おと)の命(みこと)は朝露の消(け)やすき命(いのち)神の共(むた)争(あらそ)ひかねて葦原の瑞穂(みづほ)の国に家なみやまた帰り来ぬ遠(とほ)つ國黄泉(よみ)の境(さかひ)に延ふ蔦のおのが向き向き天雲(あまくも)の別れし行けば闇夜なす思ひ惑(まど)はひ射(い)ゆ鹿(しし)の心を痛み葦垣(あしかき)の思ひ乱れて春鳥(はるとり)の哭(ね)のみ泣きつつあぢさはふ夜昼(よるひる)知らずかぎろひの心燃えつつ悲しび別(わ)る(田辺福麻呂)
春山の友うぐいすの泣き別れ帰ります間(ま)も思ほせ我(わ)れを(よみ人しらず)
黙(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思(ものも)ふ時に鳴きつつもとな(仝上)
隠(こも)りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出(で)よ朝(あさ)な朝(さ)見む(仝上)
天の川霧立ち上る織女(たなばた)の雲の衣のかへる袖かも(仝上)
秋萩の恋も尽きねばさを鹿の聲い継ぎい継ぎ恋こそまされ(仝上)
秋田刈る苫手(とまで)動くなり白露し置く穂田(ほだ)なしと告げに來(き)ぬらし(仝上)
我(わ)が背子が白栲衣(しろたへころも)行き触ればにほひぬべくももみつ山かも(仝上)
一日(ひとひ)には千重(ちへ)しくしくに我(あ)が恋ふる妹(いも)があたりにしぐれ降るみゆ(柿本人麻呂)
朝(あした)咲き夕(ゆふへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも(よみ人しらず)
我(わ)が袖に霰(あられ)た走(ばし)る巻き隠し消(け)たずてあらむ妹が見むため(柿本人麻呂)
沫雪(あわゆき)は千重(ちへ)に降りしけ恋ひしくの日(け)長き我(あ)れは見つつ偲(しの)はむ(仝上)
恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家(わぎへ)の門(かど)を過きて行くらむ(よみ人しらず)
眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我(われ)を(仝上)
敷栲の衣手(ころもで)離(か)れて玉藻なす靡きか寝(ぬ)らむ我(わ)を待ちかねて(仝上)
うつつには逢ふよしもなし夢(いめ)にだに間(ま)なく見え君恋に死ぬべし(仝上)
誰(た)そかれと問はば答へむすべをなみ君が使(つかひ)を帰しつるかも(仝上)
はねかづら今する妹がうら若み笑(ゑ)みみ怒りみ付けし紐解く(仝上)
梓弓引きみ緩(ゆる)へみ來(こ)ずば來ず來ば來そをなぞ來ずは來ばそを(仝上)
天飛(あまと)ぶや軽(かる)の社(やしろ)の斎(いは)ひ槻(つき)幾代まであらむ隠(こも)り妻(づま)ぞも(仝上)
山川に筌(うへ)を伏せ置きて守(もり)もあへず年の八年(やとせ)を我(わ)がぬすまひし(仝上)
み吉野の三隈(みぐま)が菅(すげ)を編まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや(仝上)
後(のち)も逢はむ我(あ)にな恋ひそと妹は言へど恋ふる間(あひだ)に年は経(へ)につつ(仝上)
確かなる使(つかひ)をなみと心をぞ使に遣りし夢(いめ)に見えきや(仝上)
天地(あめつち)に少し至らぬますらをと思ひし我(わ)れや雄心(をごころ)もなき(仝上)
立ちて居(ゐ)てたどきも知らず我(あ)が心天(あま)つ空なり土は踏(ふ)めども(仝上)
おのがじし人死にすらし妹に恋ひ日に異(け)に痩せぬ人に知らえず(仝上)
我(わ)が命(いのち)長く欲(ほ)しけく偽(いつは)りをよくする人を捕(とら)ふばかりを(仝上)
夢(いめ)かと心惑ひぬ月まねく離(か)れにし君が言(こと)の通へば(仝上)
魂合(たまあ)へば相寝(ぬ)るものを小山田の鹿猪(しし)田守(も)るごと母し守(も)らしも(仝上)
忘れ草我(わ)が紐に付く時となく思ひわたれば生(い)けりともなし(仝上)
赤駒のい行きはばかる真葛原(まくずはら)何の伝(つ)て言(こと)直(ただ)のにしよけむ(仝上)
おのれゆゑ罵(の)らえて居れば青馬(あをうま)の面高夫駄(おもだかぶだ)に乗りて來べしや(仝上)
な行きそと帰りも來(く)やとかへり見に行けど帰らず道の長手(ながて)を(仝上)
直(ただ)に来ずこゆ巨勢道(こせぢ)から石橋(いしばし)踏みなづみぞ我(わ)が來(こ)し恋ひてすべなし(仝上)
さし焼かむ小屋の醜屋(しこや)にかき棄(う)てむ破(や)れ薦(ごも)を敷きて打ち折らむ醜(しこ)の醜手(しこて)をさし交(か)へて寝(ぬ)らむ君ゆゑあかねさす昼はしみらにぬばたまの夜(よる)はすがらにこの床(とこ)のひしと鳴るまで嘆きつるかも(仝上)
聞きしより物を思へば我(あ)が胸は破(わ)れて砕(くだ)けて利心(とごころ)もなし(仝上)
我(わ)が心焼くも我(わ)れなりはしきやし君に恋ふるも我(わ)が心から(仝上)
天(あま)飛ぶや雁(かり)の翼(つばさ)の覆(おほ)ひ羽(ば)のいづくに漏りてか霜の降りけむ(仝上)
二つなき恋をしすれば常(つね)の帯(おび)を三重(みへ)結ぶべく我(あ)が身はなりぬ(仝上)
百足(ももた)らず山田の道を波雲(なみくも)の愛(うつくし)し妻(づま)と語らはず別れし来(く)れば早川の行きも知らず衣手の帰りも知らず馬(うま)じもの立ちてつまづき為(せ)むすべのたづきを知らにもののふの八十(やそ)の心を天地(あめつち)に思ひ足(た)らはし魂合(たまあ)はば君来(き)ますやと我(わ)が嘆く八尺(やさか)の嘆き玉桙の道来(く)る人の立ち留まりいかにと問はば答へ遣(や)るたづきを知らにさ丹(に)つらふ君が名言はば色に出でて人知りぬべみあしひきの山より出づる月待つと人には言ひて君待つ我れを(仝上)
こもりくの泊瀬の川の上(かみ)つ瀬に鵜を八(や)つ潜(か)づけ下(しも)つ瀬に鵜を八つ潜け上つ瀬の鮎を食はしめ下つ瀬の鮎を食はしめくはし妹に鮎を惜しみくはし妹に鮎を惜しみ投ぐるさの遠ざかり居て思ふそら安けなくに嘆くそら安けなくに衣(きぬ)こそばそれ破(や)れぬれば継(つ)ぎつつもまたも合ふといへ玉こそば緒を絶えぬればくくりつつまたも合ふといへまたも逢わぬものは妻にしありけり(仝上)
相見ては千年(ちとせ)やいぬるいなをかも我(あ)れやしか思(も)ふ君待ちがてに(柿本人麻呂)
妹をこそ相見に来(こ)しか眉引(まよびき)の横山辺(へ)ろの鹿猪(しし)なす思へる(よみ人しらず)
妹が寝(ぬ)る床(とこ)のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも(仝上)
葦の葉に夕霧立ちて鴨が音(ね)の寒き夕(ゆふへ)し汝(な)をば偲(しの)はむ(防人)
わたつみの沖つ白波立(ち)ち来(く)らし海人娘子(あまをとめ)ども島隠る見ゆ(よみ人しらず)
天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)を恋ひ来れば明石の門(と)より家のあたり見ゆ(仝上)
山の端(は)に月かたぶけば漁(いざ)りする海人の燈火(ともしび)沖になづさふ(仝上)
夕されば葦辺(あしへ)に騒き明け来(く)れば沖になづさふ鴨すらも妻とたぐひて我が尾には霜な降りそと白栲(しろたへ)の羽(はね)さし交(か)へて打ち掃(はら)ひさ寝(ぬ)とふものを行く水の帰らぬごとく吹く風の見えぬがごとく跡も無き世の人にして別れにし妹が着せてしなれ衣(ごろも)袖片敷きてひとりかも寝(ね)む(丹比(たぢひの)大夫(まへつきみ))
ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁火(いざ)りは燈(とも)し合へり見ゆ(よみ人しらず)
恋ひ死なば恋ひも死ねとやほととぎす物思(も)ふ時に来鳴(きな)き響(とよ)むる(仝上)
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末(うれ)の白露思ほゆ(小鯛王)
橘のにほへる香(か)かもほととぎす鳴く夜の雨にうつろひぬらむ(大伴家持)
ほととぎすこよ鳴き渡れ燈火(ともしび)を月夜(つくよ)になそへその影も見む(仝上)
ひともとのなでしこ植ゑしその心誰(た)れに見せむと思ひそめけむ(仝上)
常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来(こ)ば担(にな)ひ堪(あ)へむかも(仝上)
春の園紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(で)る道に出で立つ娘子(をとめ)(仝上)
燕(つばめ)来る時になりぬと雁(かり)がねは國偲ひつつ雲隠り鳴く(仝上)
我がやどの萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも(仝上)
ふふめりし花の初めに来(こ)し我や散りなむ後(のち)に都へ行かむ(仝上)
松が枝(え)の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が籠り居(を)るらむ(石川郎女)
鴬の声は過ぎぬと思へども染(し)みにし心なほ恋ひにけり(大伴家持)
消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつとに摘み来(こ)な(仝上)
大(おほ)き海の水底(みなそこ)深く思ひつつ裳引(び)き平(なら)しし菅原の里(石川女郎)
万葉集の特徴として、
古今和歌集、
新古今和歌集、
に比して、
よみ人知らず、
が圧倒的に多いこと、
防人の歌、
東国の歌、
等々、後の七代集と比しても、歌い手のバリエーションが、貴族をはみ出して、庶人にが多いことが挙げられる。その意味で、貴族の歌集ではなく、
民族歌集、
というにはふさわしいが、
秋萩に置きたる露の風吹きて落つる涙は留めかねつ、
というような、テンプレートがあるような、定型化した歌も少なくなく、その割には、歌の内容や歌様にバリエーションは少ない。また、もう一つは、、
うたげ、
歌垣、
嬥歌(かが)ふ、
や、
宴席、
送別、
等々、
その場での歌、
場面、
シチュエーション
に依存して、
そのとき
その場、
そのひと、
そのもの、
なしでは成り立たない歌が多く、つまり、歌が、
文学的な空間、
として自立しておらず、その場に、依存した形、逆に言うと、
そのとき、
その場、
その人、
を抜きにしては、歌の意味がくみ取れないものも多い。それは、
はしきよし今日(けふ)の主人(あろじ)は磯松の常にいまさね今も見るごと
といった、
帝や権力者への寿ぎ歌、
についても同様である。もちろん、歌として自立するための、
喩、
や、
序、
懸詞、
を駆使し、歌の世界を、それ自体として鑑賞できる歌も、少なくない。
月草(つきくさ)に衣(ころも)色どり摺(す)らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ、
紫の糸をぞ我(わ)が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて、
潮(しほ)満てば入りぬる磯の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き、
楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の浦の舟乗りに乗りにし心常忘らえず、
こと放(さ)けば沖ゆ放(さ)けなむ港より辺著(へつ)かふ時に放(さ)くべきものか、
言疾(ことと)くは中は淀ませ水無(みな)し川絶ゆといふことありこすなゆめ、
志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ立ちは上らず山にたなびく、
志賀の海人の釣舟の綱堪へかてに心思ひて出でて来にけり、
また、
仏(ほとけ)造るま朱(そほ)足らずば水溜まる池田の朝臣(あそ)が鼻の上(へ)を掘れ
と、
ざれ歌、
もある。いわゆる、
万葉調、
という、
家離(さか)り旅にしあれば秋風の寒き夕(ゆふへ)に雁(かり)鳴き渡る、
東(ひむがし)の野にはかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ、
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける、
のような、
叙景歌、
は、個人的には、存外少ない気がした。むしろ、
喩、
を駆使して、メタファによる表現の厚み、奥行きを広げようとする試みが随所に見られ、これが、
古今和歌集、
新古今和歌集、
百人一首、
という、歌世界の自立へとつながっていくように見えた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版 万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) |
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メタ化 |
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J・ピアジェ(谷村覚・浜田寿美男訳)『知能の誕生』を読む。

本書は、ピアジェの三部作、
『子供における知能の誕生』(本書)、
『子供における実在の構成』
『子供における象徴の形成』
の一冊である。ピアジェのいう、
知能、
の、
言語的知能(反省的知能)、
と、
実用的知能(感覚運動的知能)、
のうち、本書は、後者を扱っている。本書には、例によって、自分の子供たちの観察例が、200例ほど、克明で、緻密な行動観察をベースに論旨が展開されている。その是非を云々できるほどの知識はないので、一種の感想記になるが、いくつか気なることを述べておきたい。
本書も、二度目になるが、かつて、
『知能の心理学』(波多野、滝沢訳 みすず書房 1960)
『思考の心理学』(滝沢武久訳 みすず書房 1968)
『知能の誕生』(谷村、浜田訳 ミネルヴァ書房 1978)
『思考の誕生』(滝沢武久訳 朝日出版社 1980)
『模倣の心理学』(大伴茂訳 黎明書房 1988)
『遊びの心理学』(大伴茂訳 黎明書房 1988)
『表象の心理学』(大伴茂訳 黎明書房 1988)
と、ピアジェを読み漁ったことがある。その結論は、
考えるとはどういうことか、
でまとめたことがあるが、そのステップを、
感覚運動的知能の段階(0〜2歳)
前操作的思考の段階(2〜6、7歳)
具体的な操作的思考の段階(6、7〜11、2歳)
形式的な操作的思考の段階(11、2歳〜14、5歳で成人に近づく)
とみて(これはピアジェの発達理論の第二期にあたるらしいが)、本書も対象となる、
感覚運動的知能、
とは、
五感や動作を通して外部との関係を体得していく時期と考えることができる。ここでは、「対象物の不変性」つまり、そこに見えるものは、布で覆われようと遮られようとある、ということを知っていく段階だということができる。この時期を通して、われわれは自分が動くと見え方が変わること、自分が動けば近くなり遠ざかれば小さくなることを、暗黙のうちに身につけていくのではなかろうか。これによって、乳児のときに喜んだ「いないいない、ばあ」には反応しなくなる。そこにあるものが見えなくなっても、そこにあることがわかっていれば、再び現れたことに面白がったり驚いたりはしないからだ。
この時期の末には、例えば、手の平のコインを乗せ、それを布団の下に入れて隠し、空の手を見せると、子供はそこにコインがないとわかると、すぐに布団を剥がす行動をとる、ということをピアジェは実験している。既に子供は、目に見えないところ(布団のした)でモノが移って(隠され)も、それを追跡していくことができる。このとき、初歩的な推論をしているのである。ただし、子供は言葉ではなく、感覚運動的な活動(行動)によってそれを確認していくのである。
前操作的思考、
とは、表象的思考、つまり実物ではなく実物のイメージを描くことができること、言葉を使ってモノやコトを表現できることを意味する。それは、運動感覚的活動の内面化といっていい(一々行動で示さなくても、前述の例なら、言葉でその推測を説明できるようになっている)。それは、ままごと遊びで、はっぱを札とみなしたり、ごっこ遊びなどで、シンボルを自由に扱えるようになっているところに典型的に見いだすことができる。そこでは、そこに母親がいなくても、母親を表象しながら、母親のつもりになって、その行動をなぞることができる。感覚運動的活動では、その場やそのモノに依存していたのにそれなしで、既に頭の中だけで、活動することができるようになっていることを意味する。それは描画、工作といったことができるようになったり、言葉によっての表現も可能となる段階である。
ただし、まだ言葉は内面化されていないから、遊んでいるとき、誰に話しかけるというのでもなく独り言をしゃべっている。
4歳女の子「この木にはね、おサルが上るのよ。おサルさんかわいいね、すうっと登ってすうっとおりるのよ」
4歳男の子「ハイウェーだぞ。メルセデスベンツが走るんだぞ、大きいんだぞ」
お互いに誰かと話し合っているわけでないし、人に聞かれているというつもりもない。ただ自分で自分が考えていることをどんどんことばにして、それを刺激にしてまたしゃべっている。これを思考プロセスそのものが外面化しているとみることもできるだろう(相良守次編『学習と思考』)。
ここでピアジェが操作的といっているのは、言葉や記号を操作して思考できることを意味する。数を数えるのに指やモノで数えるのではなく、数字を操作することができること、あるいはスズメ>鳥>動物>生物といった類(クラス)の関係を頭の中で概念的に理解できること等々、われわれ成人が難なくこなしている思考における、抽象的概念的な働きを意味している。したがって、この段階では、イメージや表象はまだモノやコトといった具体的なものを媒介にしないと不十分なのであり、まだ知覚イメージ(知覚的図柄)に左右されてしまう。
例えば、同じ量でも、外観に欺かれて、大きい器の方が多いと答える。また一方から他方へ移すと、見かけに左右されて、量が変わったと判断する。高さと全体量の関係といった操作的思考ができていないから、視覚的な同値性が見られないと、同値と認めないのである。
具体的操作思考、
では、
具体的な事物についての概念ができ、モノを見たり扱っている限り、論理的な思考が働かせられるようになる。したがって分類や配列ができ、ここでは操作的思考として、スズメ>鳥>動物>生物といった類(クラス)の関係の分類や前述のコップの見かけに左右されたりせずに、全体量の同一性を理解できるようになる。
しかし、例えば5歳の子に水を入れたコップと穴の開いた50円玉を見せて、
「このお金を入れたら、浮くか、沈むか」
と聞くと、
「沈む」と答えた。その理由を聞くと、しばらく50円玉を見詰めて、
「穴が開いているから」と答えた。で、次に穴の開いていない50円玉を取り出して、同様の質問をすると、
「沈む」
「穴が開いていないから」と答える。奇妙な理屈だが、金属でできたものの沈む知覚経験が強く印象づけられていて、それに左右されているということができる。しかし、理由は説明できないのに、言語的概念を手に入れた8歳の子供になると、同じ質問をされると、「お金=鉄みたいなものは沈む、木の棒=木でできているもの浮く」という反応をする。重い軽いという概念で区別している。ただしまだそれは法則的な整理ができていないから、「鉄でできている船は浮くではないか」と問うと、「船の形にすると皆浮く」という形で答える。それに答えるためには、ものごとを統合的に説明し、仮説から演繹的に推論する論理体系を学ばなくてはならない。
またこの段階になると、通常は独り言は少なくなって、「………ここはうんと………」(ぶつぶつ口の中で言っているけれども、あまり聞き取れない)、というように、独り言が次第に聞き取れなくなっていく。それは、自分のためにしゃべっているのであって、別に文脈が整っている必要がないからであり、それだけ、自分の内的会話と人とのコミュニケーション(社会的会話)とが分離していくということでもある。こうして言語が内面化されていく(相良等・前掲書)。
形式的操作思考、
では、
具体的事物がなくても、頭の中で論理操作ができるようになる。とくに前段階でできなかった、「もし、こうなったらこうなる」といった形で推理できる、仮説演繹的な思考ができるようになる。既に成人の思考の段階にある、ということができる。いわば人間としての思考の枠組ができあがるのである。しかし、こうした論理的思考は、いわばそれまでの感覚運動的知能、表象的思考、形式的思考と、順次、言語だけでなく、動作・行動や知覚イメージ、映像を内面化してきたその積み重ねの結果として形成されている。
操作とは、内面化された活動である、
というのは、そのことであり、われわれの中には、感覚運動的活動がひょいと外面へ現れることがあるのだ。例えば、ゴルフのスイングを想定するとき、肱の恰好や腰の据わり方を、思わず躯を動かしながら、あれこれ考えている。これは、自分の躯の動きが頭の中にしまわれている(内面化されている)ものが顕在化したと考えられる。また、ソロバン上手が暗算に際して、そろばんがなくても、頭にそろばんのイメージをつかまえられる(イメージの内面化)し、同時に思わず右手で空を弾くような仕草をする(動作の内面化)。これらは、内面化された動作が、一瞬外へ滲み出た例ということができる。あくまで、操作的思考は、「内面化された活動」だというのは、そういうことを意味している。
その面で、特に付け加えておく必要があるのは、動作の内面化には重要な問題が含まれているという点である。「いないいない、ばあ」には反応しなくなる時期を通して、われわれは対象への距離と位置を学んでいく。それは、見え方が変わっても対象が存在しつづけること、しかし見え方は見方によって変わりうること、即ち、視点の問題である。そこから、「そもそも立体という考えは、人間が動けるから存在するわけです。もしたとえば私が植物としてこの場所に立っていただけだとしたら、つまり私が生まれてこのかたいままで全然移動していないとすると、私には立体という観念はないわけだ。立体は、自分と立体との間に相対的な運動が可能で、物体を上下、左右、前後から見ることができて、はじめてわかる」(森政弘)と、言えるのである。
感覚運動的知能を手に入れたとき、われわれきは、同時にどこから見たらどう見え方が変わる(見方を変えると見え方が変わる)か、ということをもつかんだということだ。それが、実はイメージを左右する重要な問題であることは、繰り返すまでもないだろう。と同時に、見ることに視点をもつことが、いかに根深くに関わっているかを示してもいるのである。
以上の4段階のステップを、
動作、行為およびそれらの内面化した過程(現実の見え方=視覚)
知覚、経験およびその内面化したイメージ(心象としての見え方=イメージ)
言語およびその内面化した象徴過程
現実の因果関係の内面化した法則的論理
と、整理し直すことができる(相良等・前掲書)。
大人になると、操作的思考つまり言語と論理による思考だけが目につくが、それしか使わないのではない。前述したように、論理的思考は、感覚運動的知能、表象的思考、形式的思考と、順次、言語だけでなく、動作・行動や知覚イメージ、映像を内面化してきたその積み重ねの結果として形成されているのである。このすべての思考が、われわれの中で層となっていると考えなくてはならない。モノを考えるとき、われわれは、以上の4つの軸すべてを組み合わせているのであって、この4軸は思考形成のプロセスであると同時に、思考力の4つの要因でもあるとみなすことができる(丁度、マズローの欲求5段階説で、生理的欲求→安全欲求→所属の欲求→承認の欲求→自己実現の欲求の5つの欲求が、欲求の順位のステップであると同時に併存する欲求のレベルを示すものであるように)。
それは下のように構造化することができるだろう。
現実の関係性の内面化=論理的思考
言語、記号などの内面化=言語的思考
知覚、経験の内面化=表象(イメージ)的思考
動作、行動の内面化=感覚運動的思考
これは、別の言い方をすると、初期には個別具体的であったものが、言葉や理屈を通して、どんどんまとめた抽象化・一般化したものに昇華していくということでもある。それが知識を得るということになるのだろう。
ギルバート・ライル『心の概念』、
で触れたことだが、ライルは、「理知」(intelligence)の概念を、
knowing that(内容を知ること)、
と、
knowing how(方法を知ること)、
に分けた。
ある事柄を遂行する仕方を知っている(knowing how)、
とは、
みずからの真理を見出す能力、さらに真理を見出した後にそれを組織的に利用する能力、
を指している。つまり、
知っている、
だけでなく、
知っていること、
を、
知っている、
ことの積み重ねである。これを、
メタ化、
と一応呼んでおく。ピアジェの理論で気になるのは、
知っていること(knowing that)、
と、
それを使いこなして対応していくこと(knowing how)、
とが地続きになっているところだろう。たしか、ユングが、
ひとは言葉を覚える頃、空を飛ぶ夢を見る、
といった趣旨のことを言っていたと思うが、それはなかなか意味深で、要は、言葉を覚えるとは、
メタ化、
する能力を得るということを象徴的な言い方で表現したのに違いない。
感覚運動的知能の段階(0〜2歳)
↓
前操作的思考の段階(2〜6、7歳)
↓
具体的な操作的思考の段階(6、7〜11、2歳)
↓
形式的な操作的思考の段階(11、2歳〜14、5歳で成人に近づく)
というステップは、
感覚運動的知能
↓
操作的思考
と言い換えることができる。それは、
知っていいること(knowing that)
↓
どうするかがわかること(knowing how)、
だが、そこには、脳がそうなっているように、
層化、
されており、
知っていること、
見たこと、
感じたこと、
を、
メタ化、
しなくては不可能になる。
メタ化、
のエポックが、
言語化、
とするなら、
空を飛ぶ、
つまり、
上から見る、
あるいは、
対象化、
は、それまでとは地続きではなく、
次元を異にする、
といっていいのである。ちなみに、
メタ化、
を、
対象化、
の意味で使っているが、外山滋比古は、
具体的、即物的なものを一次的、
同種の一次的なものを集め、整理し、相互に関連付ける(抽象化させる)と二次的(メタ化)、
これをさらに同種の二次的なものを集め、昇華させると三次的(メタ・メタ化)、
としている(思考の整理学)。そう考えると、
表象(知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表す作用)、
が、
メタ化、
とするなら、
言語化、
は、
メタ・メタ化、
ということになる。
参考文献;
J・ピアジェ(谷村覚・浜田寿美男訳)『知能の誕生』(ミネルヴァ書房)
J・ピアジェ(波多野完治、滝沢武久訳)『知能の心理学』(みすず書房)
J・ピアジェ(滝沢武久訳)『思考の心理学』(みすず書房)
J・ピアジェ(滝沢武久訳)『思考の誕生』(朝日出版社)
J・ピアジェ(大伴茂訳)『模倣の心理学』(黎明書房)
J・ピアジェ(大伴茂訳)『遊びの心理学』(黎明書房)
J・ピアジェ(大伴茂訳)『表象の心理学』(黎明書房)
ギルバート・ライル『心の概念』(みすず書房)
森政弘「多角的に観る」(自在研究所 森政弘編『納得の工学』)
相良守次編『学習と思考』(大日本図書) |
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世界の対象化 |
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エルンスト・カッシーラー(生松敬三・木田元訳)『シンボル形式の哲学』を読む。

正直、読むのがきつい。
シンボル形式、
の意味が、最後までよくわからないだけでなく、枝葉が多く、論旨を追うのに、辟易させられる。僕なりに、全体像を整理すると、
認識とはもともとこの本質的な目標――特殊なものを一つの普遍的な法則と秩序にはめこむこと――にむけられている、
そして、
すべての真に厳密で精確な思考は、シンボル論と記号論のうちにはじめて、おのれを支えてくれる足場を見いだいことになる、
ということを前提に、いわば、著者の、
シンボル形式化、
とは、世界を捉える方法としての、
世界のメタ化(客観化)、
の手法なのだと理解した。冒頭の、
哲学的思索の出発点は、存在という概念によってしるしづけられる。存在という概念がまさしく概念として構成された瞬間に、つまり、存在者が多種多様であるのに対して存在するということはひとつであるという意識が目覚めた瞬間に、はじめて哲学固有の世界考察の方向が成立するのである、
ということに象徴されるような、
自立したメタ化世界を作っていく、
という、その手法として、著者は、
言語、
神話(的思考=概念)、
科学(的思考=概念)、
をキイ概念にして展開していく。そして、
シンボル形式、
の代名詞でもある、
記号、
について、
記号の本質的・普遍的利点として、記号が単に表示のためだけでなく、なによりも一定の論理的関係の発見に役立つこと、――それが単に既知のもののシンボルによる略記法を可能にするだけでなく、未知のもの、与えられていないもののもとに赴く新たな道を開くものだということ、
と記してもいる。しかし、世界をメタ化、つまり、著者のいう、
シンボル形式化、
が、
この三者で足りているのかどうかについては、浅学の自分にはわからない。あえて憶説を言うなら、
文学、
詩、
絵画、
といった、メタ化の最たるものについてのウエイトが少なく、より鮮明に、
科学と対立させつつ別に論ずべきもの、
なのではないか、という疑問はある。
あらゆる科学の基礎概念、つまり、科学がそれによってみずからの問題を提起し、その解決を定式化する手段は、もはやある与えられた存在の受動的な写像ではなく、みずからつくり出した知的なシンボルだと考えられるようになる、
と書くように、
現実の写像、
や、
現実の代替、
ではなく、
メタ化された世界そのものの自立した世界、
を目指すとして、少し古臭い、19世紀的なイメージではあるが、
科学的思考、
とりわけ、
数学、
を頂点に置いたところで、21世紀の今日から見ると、時代からの遠い距離を感じざるを得ない。著者は、
数学的記号に固有の意味は、それ自体で〈存在する〉記号のうちにあるのでも、それらの記号が〈模している〉もののうちにあるのでもなく、理念形成作用のある特殊な方向にある、――つまり、それらの記号が目指している外的客観にあるのではなく、ある特定の客観化の仕方にあるのである。数学的諸形式の世界は、秩序化の形式の世界なのであって、事物の形式の世界ではないのだ、
と書き、だから、「シンボル形式の哲学」が主張するのは、
〈記号〉がけっして思考の単に偶然な外被ではなく、記号の使用のなかに思考の特定の方向転換が、思考のある基本的な傾向や形式がはっきり刻印されている……、
のであり、で、
シンボル的思考の本性は、思考内容そのものを操作するのではなく、それぞれの思考内容に特定の記号を対応づけ、この対応づけの力を借りて、複雑な証明の連鎖のすべての項をひとつの形式にまとめあげ、それらを一目で文節された総体として捉えることを可能にしてくれる濃縮化を果たすことにあるからである、
ということなのだとする。そして、象徴的なのは、本書の掉尾である。
自然科学的認識は、おのれ自身の圏内で、精神のある一般的な構成法則を立証し実現してゆく。自然科学的認識は、それがおのれ自身に集中し、おのれの現状と、おのれの望んでいるものを把握すればするほど、世界を把握し理解する他のすべての形式と区別されるおのれ独自の契機――と、おのれをそれら他のすべての形式と結びつける契機と――が、いっそう明確に際立ってくるのである、
と。もちろん、著者自身が、
数学的自然科学の可能性を問題にするとしても、数学的自然科学は……、やはり客観化作用一般の一特殊例としかみなされない……、
とはいっているものの。
参考文献;
エルンスト・カッシーラー(生松敬三・木田元訳)『シンボル形式の哲学』(全四冊)(岩波文庫) |
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距離化 |
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H・ウェルナー、B・カプラン(柿崎祐一監訳)『シンボルの形成―言葉と表現への有機-発達論的アプローチ』を読む。

本書のキーワードは、
距離化、
である。
真に人間的な世界を創り出すために、つまり単に反応の的にすぎない世界ではなく知の対象となる世界を創り出すために、人間は新しい道具を必要とすること、そしてこの道具は、知るという活動を構成するあの種々の操作にふさわしく、それらの操作を可能ならしめるものでなければならないこと、これである。そして、〈シンボル〉こそ、その道具に他ならない。
と宣言する、
シンボル、
は、
新しい独自の機能、つまり表示(representation)の機能を担う実体、
とし、この機能こそが、
シンボルの本質的特徴、
であり、
サイン、シグナル、や物と区別される、
という。ここに言われていることは重要な視点で、単に、
対象の指示機能、
や、
コミュニケーション機能、
でははなく、
表現、
に視点を置いていることこそが、ポイントである。そうすると、
対象⇔言葉、
の二次元ではなく、
対象⇔認知(知覚⇒認知)⇔言葉、
の三次元になる。それは、
対象依存、
状況依存、
の言語ではなく、
言語自体が自立する、
表現世界、
を前提にしていることになる。それを、
距離化、
と、著者は呼ぶ。
指さすことは単に対象指示、つまり現前している具体的対象の指摘あるいは指示にすぎないが、シンボルは対象指示と対象表示の二つの価値を分化しかつ統合しているのである。指さし行為によって対象を指示する場合、指示された対象は具体的状況に〈突きささった〉ままである。シンボルによる表示の場合には、対象の特徴的様相(その内包)がいわば抜きとられて別の素材からなる媒体(聴覚的媒体、視覚的媒体、身振り等々)の中に具現される。
この、
シンボルが状況に埋め込まれた状態、
から、
距離化、
していく言語の場面は、
指さしの場、
言語-概念の場、
シンボル的-\統語論的場、
があるとし、具体的状況に縛られている、
指さしの場、
から、
言語の意味、概念が、情共依存から脱して使われる状態、さらに、
文脈、
つまり、
従属関係、類似関係等によって種々の語-概念を相互に関係づける、
内的な(言語の)構造化、
ができる、
言語-概念の場、
へと進化していく、とする。この言い方で、ユングが、
言語を覚えたころ、空飛ぶ夢を見る、
といったていたのを思い出す。言語化が、
状況依存から、自立した表現世界、
を創り出す象徴と言っていい。だから、
人は、知っているものを見る、
とは、
知っていること(言葉)で物を見る、
で、さらに、
知っていることしか見えない、
ともなる。それが自己完結してしまえば、
幻想、
妄想、
ということになるが。
ピアジェをはじめとする、多くの幼児の研究を踏まえて論証していく、著者の論旨には、多く頷かされる部分がある。こうした多自立化した表現世界を前提にして、吉本隆明の、
自己表出、
と、
指示表出、
という言語表現の価値表現が可能になる。
なお、「環境世界」についての、「環世界」については、
ヤーコブ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』、
で触れた。言語論については、
三浦つとむ『日本語はどういう言語か』
吉本隆明『言語にとって美とはなにかTU』
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
ウィトゲンシュタイン『哲学探究』
アリス・アンブローズ編『ウィトゲンシュタインの講義―ケンブリッジ1932〜1935年』
ノーム・チョムスキー『統辞構造論』
熊倉千之『日本語の深層:〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』)
エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学』
J・ピアジェ『知能の誕生』
ミシェル・フーコー『言葉と物―人文科学の考古学』
柳田國男『不幸なる芸術・笑の本願』
高沢公信『古井由吉・その文体と語りの構造』
高沢公信「言葉の構造と情報の構造」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/prod0924.htm#%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%81%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0)
柄谷行人『探求T』
柄谷行人『探求U』
マーヴィン・ミンスキー『心の社会』
ギルバート・ライル『心の概念』
等々で触れた。
参考文献;
H・ウェルナー、B・カプラン(柿崎祐一監訳)『シンボルの形成―言葉と表現への有機-発達論的アプローチ』(ミネルヴァ書房)
時枝誠記『日本文法 口語篇』(岩波全書) |
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祭りの跡 |
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H・ルフェーヴル『パリ・コミューン』、リサガレー『パリ・コミューン』、大佛次郎『バリ燃ゆ』を読む。



確か、マルクスは、『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』で、
ヘーゲルはどこかでのべている。すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。
と述べていた。もっとも、チャップリンは、
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ、
と言っているので、相対的なものでしかないが、一般には、一度目は、
1799年11月9日(共和暦8年霧月18日)、ナポレオン・ボナパルトのクーデター、
をいい、二度目は、その甥のルイ・ボナパルトの、
1851年12月2日のクーデター、
を指しているようだが、僕は、一度目を、
パリ・コミューン(1871)、
二度目を、そこから学んだ、
ロシア革命(1917)、
つまり、
10月革命、
世に言う、
ソビエト革命(ボリシェヴィキ革命)、
だと思っている。
パリ・コミューン、
を、
祭り、
と呼んだのは、ルフェーブルだが、こう言っている。
パリ・コミューンとは何か。それはまず巨大で雄大な祭りであった。フランス人民と人民一般の精髄であり象徴であるパリの人民が、自分自身に捧げ、かつ世界に示した一つり祭りであった。
と、そして、
コミューンとは何か。それはこの世紀と現代における最大の祭りであった。最も冷静な分析でさえ、蜂起した人々が単に政治的決定に関することにとどまらず、日常性の次元においても、自分たちの生活と歴史の主人公になろうとする感動と意欲をもったことをそこに見出す。われわれがマルクスの、「コミューンの最も偉大な社会的方策は、活動するコミューンの存在自体であった……。パリはすべて真実であり、ベルサイユはすべて虚偽であった」という言葉を理解するのは、この意味においてである。
と。また、こうも言っている。
現代の革命は、単に政治的変化から成るものではない。それは技術の上での可能性だけではなく、意識するか否かは別として、人間的可能性の開化に向う。それは日常の倦怠と単調から手を切る。それは「祭り」になろうとする。移行は同時に日常性から「祭り」への歩みである。コミューンにおいては、人民戦線(1936)およびパリ解放(1944)におけると同じく、祭りの部分があった。すなわち、人民の祭り、都市の祭り、喜びの爆発、想像力のある沸騰。現代革命の「ユートピア」的であると同時に「革新的」なこの側面は、強調するに値する。
と(『パリ・コミューン』)。しかし、そのつけは大きい、ベルサイユの、
政府軍との凄惨な市街戦により1万から1万5千人の兵士が死亡し、4万3、522人のコミューン支持者が捕虜となり、無差別殺人が発生して、老若男女を問わず多くの市民が殺傷され、パリ侵入から最終局面までに3万人にのぼる死者を出し、4万3、522人のコミューン支持者が捕虜となって、投獄、流刑となった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3)。
祭り、
にしては、その代償は大きすぎる。
パリ・コミューン(Commune de Paris)、
とは、
パリ・コミューンの最中に、もともとあった、
共同体、
の意から、初めて、自ら、
パリ・コミューン、
を宣言したが、その意味は、普仏戦争(1870年7月19日〜1871年5月10日)での籠城下、
民主的でもあり革命的性格の人民の政府、
の意で用いられ、その延長線上での用法で、市民は、
コミューン、
を、
人民政府、
と理解し、敵対するベルサイユ政府側も、その意味で使っていた(『パリ燃ゆ』)。
プログラムなく出発した(仝上)、
とされる、
パリ・コミューン、
は、
議論と私的衝突で時間を失っている(仝上)、
間に、ベルサイユの政府は、プロシャの捕虜となっていた将兵を取り戻すなど、着々と軍備を整え、
5月21日、
のパリ侵入から、
5月28日、
には、パリ市全域は鎮圧されるに至る。政府側の意図的な大量虐殺は、
未来に向かってコミューンが準備した新しい芽生え、
の完全な殲滅であり、それが政府側の意志でもあった。だからこそ、
降伏などせず、闘いながら死ぬこと、これこそがコミューンの偉大さを形成する、
という、コミューン側の意志と対応している。
しかし、このパリ・コミューンから学び、組織とプログラムを整えた、
ロシア革命、
は、結局、
スターリニズム、
しか生まず、今日の、
中国、
北朝鮮、
を見るまでもなく、見事に、
パリ・コミューン、
の真反対の政治政体になっている。これが、二度目は、
喜劇、
という所以である。そのせいか、いまや、
革命、
という言葉は、やたらと目にする、
〇〇革命、
などと、矮小化され、嘲笑の対象でしかない。だが、少なくとも、マルクスには、
貧困にあえぐ人々、
を救うにはどうすればいいかという処方箋を、『資本論』で示した。それが妥当かどうかは今はどうでもいい。真正面から、政治課題をどう解決するかに向き合ったことは確かである。。しかし、それ以降、シュムペーター)を除けば、ケインズをはじめとする、近経及び、現代経済學は、
経済運営、
にのみ関心はあるが、かつて以上に膨れ上がった、
貧富の拡大、
に対する処方箋を持たない。そもそもそれを経済学課題ととらえてもいない(ように見える)し、その象徴に、とんでもはっぷんの、
トランプ、
を支える経済学者がいる。確実に、世界は劣化している。
参考文献;
H・ルフェーヴル(河野健二・柴田朝子訳)『パリ・コミューン』(岩波書店)
リサガレー(喜安朗・長部重康訳)『パリ・コミューン』(現代思潮社)
K・マルクス(木下半治訳)『フランスの内乱』(岩波文庫)
K・マルクス(伊藤新一・北条元一訳)『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』(岩波文庫)
大佛次郎『パリ燃ゆ』(朝日新聞社) |
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