書評22


仮名文学の濫觴

高田祐彦訳注『新版古今和歌集』を読む。

漢詩から和歌へと立ち戻ろうとする、いわば脱唐風の流れと、仮名の誕生とによって、仮名による文学表現の嚆矢ともいうべきものとして位置づけられる。漢字を真名というのに対して、かなを仮名と当てた意図については、高橋睦郎『漢詩百首』で触れたが、それは、

日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に、花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが、そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった、

と、唐風のものから、日本的な物へとシフトしていくその頂点のところに、

古今和歌集、

があると考えると、本歌集に、

真名序、

仮名序、

がある意味も見えてくる。仮名序の

花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をもなぐさむるは歌なり、

という紀貫之の昂った言い方も、何か納得ができる気がする。本歌集は、基本、

万葉集に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめたまひてなむ、それが中にも、梅をかざすよりはじめて、ほととぎすを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、また、鶴亀につけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山に至りて手向けを祈り、あるは春夏秋冬にも入らぬくさぐさの歌をなむえらばせたまひける、

として、

すべて千歌、二十巻、名づけて古今和歌集といふ、

とするが、正確には、

二十巻、1100首、

このうち、四季が、

六巻、

恋が、

五巻、

その他、

賀、
哀傷歌、
雜歌、
物名、

等々となる。

1100首のうち、勝手読みで、約一割、111首を、自分の好みを選び出してみた。巧拙を判断するよりは、心に響いたものということになる。

雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ(よみ人知らず)
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯の鳴く(素性法師)
心ざしふかくそめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(よみ人知らず)
霞立ち木(こ)の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける(紀貫之)
春来(き)ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ(壬生忠岑)
春の着る霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ(在原行平)
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)
梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし(よみ人知らず)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)
春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく(よみ人知らず)
一目見し君もや来ると桜花けふは待ち見て散らば散らなむ(紀貫之)
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則)
春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ(よみ人知らず)
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(仝上)
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)
濡れつつぞしひて折りつる年のうちに春はいくかもあらじと思へば(在原業平)
桜花散らば散らなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに(惟喬親王)
夏の夜のふすかとすればほととぎす鳴くひと声に明くるしののめ(紀貫之)
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ(凡河内躬恒)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)
けふよりは今来む年のきのふをぞいつしかとのみ待ちわたるべき(壬生忠岑)
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり(よみ人知らず)
月見ればちぢにものこそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど(大江千里)
秋風に声をほにあげて来る舟は天(あま)の門(と)わたる雁にぞありける(藤原菅根)
憂きことを思ひつらねてかりがねの鳴きこそわたれ秋の夜な夜な(凡河内躬恒)
女郎花(をみなへし)秋の野風にうちなびき心一つを誰に寄すらむ(左大臣)
なに人か来てぬぎかけし藤袴来る秋ごとに野辺をにほはす(藤原敏行)
白露の色は一つをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ(仝上)
紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや秋をききわたるらむ(紀淑望)
月草に衣はすらむ朝露にぬれてののちはうつろひぬとも(よみ人知らず)
露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく(紀友則)
秋風にあへず散りぬるもみぢ葉のゆくへ定めぬわれぞかなしき(よみ人知らず)
吹く風の色のちくさに見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり(仝上)
ちはやぶる神代もきかず竜田川韓紅に水くくるとは(在原業平)
竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(兼覧王)
夕月夜(ゆうづくよ)をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(紀貫之)
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける(よみ人知らず)
雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之)
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ(清原深養父)
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく(小野篁)
きのふといひけふとくらしてあすか川流れて早き月日なりけり(春道列樹)
立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふるまつとし聞かば今帰り來む(在原行平)
思へども身にしわけねば目に見えぬ心を君にたくへてぞやる(伊香子淳行)
白雲こなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだく旅かな(良岑秀崇)
別れてふことは色にもあらなくに心にしみてわびしかるらむ(紀貫之)
別れをば山の桜にまかせてむとめむとめじは花のまにまに(幽仙法師)
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(紀貫之)
(手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかのよにこそありけれ(拾遺集 紀貫之)
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)
名にしおはばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて來(こ)し数は足らでぞ帰るべらなる(よみ人知らず)
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)
あしひきの山立ち離れ行く雲のやどりさだめぬ世にこそありけれ(小野滋蔭)
秋はきぬ今や籬(まがき)のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに(よみ人知らず)
散りぬればのちは芥(あくた)になる花を思ひ知らずもまどふてふかな(僧正遍照)
うばたまの夢になにかはなぐさまむうつつにだにもあかぬ心を(清原深養父)
花の色はただひとさかり濃けれども返す返すぞ露は染めける(高向利春)
あぢきなし嘆なつめそ憂きことにあひくる身をば捨てぬものから(兵衛)
花の中目にあくやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらなる(僧正聖宝)
遇ふことは雲居はるかになる神の音に聞きつつ恋ひわたるかな(紀貫之)
つれもなき人をやねたく白露のおくとは嘆き寝とはしのばむ(よみ人知らず)
わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし(仝上)
人知れず思へば苦し紅(くれなゐ)の末摘花の色にいでなむ(仝上)
秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむあふよしをなみ(仝上)
思ふにはしのぶることぞまけにける色には出でじと思ひしものを(仝上)
思ふとも恋ふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐(仝上)
人を思ふ心はわれにあらねばや身のまどふだに知られざるらむ(仝上)
篝火(かがりび)にあらぬわが身のなぞもかく涙の川に浮きて燃ゆらむ(仝上)
秋の田の穂の上をてらすいなづまの光のまにも我やわするる(仝上)
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(小野小町)
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき(仝上)
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば(仝上)
わが恋は深山がくれの草なれやしげさまされど知る人のなき(小野美材)
わりなくも寝てもさめても恋しきか心をいづちやらば忘れむ(よみ人知らず)
露ならぬ心を花に置きそめて風吹くごとにもの思ひぞつく(紀貫之)
命にもまさりて惜しくもあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり(壬生忠岑)
わが恋はゆくへも知らずはてもなし遇ふを限りと思ふばかりぞ(凡河内躬恒)
起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめくらしつ(在原業平)
よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき(よみ人知らず)
いたづらに行きては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(仝上)
あはぬ夜の降る白雪とつもりなばわれさへともに消(け)ぬべきものを(仝上)
あふことのなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ち帰りける(在原元方)
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき(よみ人知らず)
君や來(こ)し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか(仝上)
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(仝上)
君てへば見まれ見ずまれ富士の嶺(ね)のめづらしげなく燃ゆるわが恋(藤原忠行)
かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる(在原業平)
須磨の海人(あま)の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり(よみ人知らず)
いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし(仝上)
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふわれならなくに(河原左大臣)
千々の色にうつろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば(よみ人知らず)
色もなき心を人に染めしよりうつろはむとは思ほえなくに(紀貫之)
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして(在原業平)
今はとてわが身時雨に降りぬれば言の葉さへにうつろひにけり(小野小町)
われのみや世を鶯となきわびむ人の心の花と散りなば(よみ人知らず)
うきながら消(け)ぬる泡ともなりななむながれてとだにたのまれぬ身は(紀友則)
流れては妹背の山の中に落つる吉野の川のよしや世の中(よみ人知らず)
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける(紀友則)
なき人の宿にかよはばほととぎすかけて音にのみなくと告げなむ(よみ人知らず)
ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)
天つ津風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(良岑宗貞)
今こそあれわれも昔は男山さかゆく時もありこしものを(よみ人知らず)
白雪の八重降りしけるかへる山かへるがへるも老いにけるかな(在原棟簗)
かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上に立てる松ならなくに(よみ人知らず)
都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
わびぬれば身をうき草の根を絶えてさそう水あらば去(い)なんとぞ思ふ(小野小町)
あはれてふことこそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ(よみ人知らず)
世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(仝上)
秋霧の晴れて曇れば女郎花花の姿ぞ見え隠れする(よみ人知らず)
人にあはむつきのなきには思ひおきて胸走り火に心焼けをり(小野小町)
心こそ心をはかる心なれ心のあたはこころなりけり(よみ人知らず)

古今和歌集の特徴は、

事物にせよ、心にせよ、それをそのまま見つめるのではなく、変化や因果関係から捉えるところに古今和歌集の真骨頂がある(編者)、

とする。ある意味で、仮名という自分たちの文字という、表現手段を得て、それを自在に使いまわしている、という感がある。

確かに、技巧的で、作為的な歌が目立つが、ある意味、それは、喩や見立て、掛詞、助詞、枕詞を駆使した、文学的な表現の工夫と見るべきだろう。言葉をこのように巧みに操っていると見れば、それなりの自立した、現実とは次元を異にした表現空間を描き出す、表現のレベルと見ることが出来る。

たとえば、

都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
こきちらす滝の白玉拾いおきて世の憂きのときの涙にぞかる(在原行平)

というように、

からことという地名を唐琴と見立て、その琴に波が弦として張られ、風が引き鳴らす、

とか、

滝の飛沫を白玉に見立て、木や枝に見立てた滝からしごき落とされて、散らばる、

とかと、現実を映すのではなく、幻想の世界を、二重写しに描き出している。子規の、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

と比較してみれば、表現の奥行きは圧倒的に古今和歌集がまさる。子規の句の是非云々というよりは、古今和歌集の表現手法をいっている。その折り重なった、あるいは折り畳んだイメージの重なりの奥行きは、技巧的であろうとなかろうと、歌の(意味ではなく、表現空間の)深みを、間違いなく表出していることは確かである。

落ちたぎつ滝の水上年つもり老いにけらしな黒き筋なし(忠岑)、

のような、明らかな失敗の仮託もあるにしても、

表現の世界、

の自立を目指したという意図ははっきりしている。つまり、

何を表現するか、

ではなく、

どう表現するか、

の工夫である。だから、

見立て(アナロジー)

喩、

掛詞、

縁語、

を駆使して、一つの言葉に幾つもの意味やイメージを折り畳んでいる。

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(凡河内躬恒)、

を、子規は、

一文半文のねうちも無之駄歌、

と酷評し(「歌よみに与ふる書」)、

嘘の趣向、
初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候、

とまで言った。虚実皮膜の説で言うなら、

実寄りでなくてはいけない、

と言っているだけだ。

虚に寄れば、どこまでも遠くへ行っていい。

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺、

は、悪く言えば、実在の、

法隆寺、

を知らなければ、その意味は過半は消えるだろう。

表現の世界の自立、

ということをいうなら、

現実世界を媒介にしながら、唐詩の世界から離脱し、和風の文学表現を工夫した、

ことばによってそれを突き抜けた次元に、もう一つの世界を現出させた(編者)、

という実験の数々ということが出来るのではないか。この文学表現の工夫が、この後の、

日記、物語の仮名散文へとつながる(編者)、

という指摘は重要である。

正岡子規(高浜虚子編)『子規句集』については触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

逆立ちしたヘーゲル

ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』を読む。

何年も前に読み通した後、また取り出して読みだしたが、正直のところ、わからない部分が多いので、書評という域には達しないだろうが、感想を記しておきたい。

本書は、ラスト、

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが一八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。」

と記して終わる。この、

人間、

とは、もちろん、

人類、

の謂いではなく、

「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見出したあの古典主義時代の《言説》が消えたとき、こうした考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。」

とあるように、いわば、概念としての、

人間、

である。はじめて、知の地平に、そういう形で登場した、

人間、

が、知の地平から、

消える、

と言っているのである。ではその先に、

何が來るのか、

は、フーコーは、

精神分析、
文化人類学、
言語学、

を、人間諸科学の、

三つの軸、

と述べるにとどめ、本書では述べていない。ただ、

「人間が『有限なもの』であり、ありうべきあらゆる言葉の頂点にいたるとき、人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を制限するところのものの縁、すなわち、死がさまよい、思考が消滅し、起源の約束が無際限に後退していくあの領域にである。」

と述べ、それは、

「自分が神を殺したのだと告示するのは、そうやってみずからの言語、みずからの思考、みずからの笑いをすでに死んだ神の空間におきつつ、また、神を殺し、みずからの実存がこの虐殺の自由と決定をつつんでいる、そのようなものとしてみずからを示す、最後の人間なのではあるまいか? こうして、最後の人間は、神の死よりも古いと同時に若いものとなる。彼は神を殺したのだから、みずからの有限性の責任をとらなければならぬのは彼自身であろう。しかし、彼が話し思考し実存するのは神の死のなかにおいてであるから、その虐殺そのものも死ぬことを余儀なくされる。新しい神々、おなじ神々が未来の大洋をふくらませている。人間は消滅しようとしているのだ。」

「十九世紀全体を通じて、哲学の終焉ときたるべき文化の約束は、たぶん、有限性の思考および知における人間の出現とまったく一体をなすものにほかなるまい。今日、哲学がいまなお終焉にむかいつつあるという事実と、おそらくは哲学のなかで、だがさらにそれ以上に哲学のそとでそれに対抗して、文学においても、形式的反省においても、言語の問題が提起されているという事実は、たぶん、人間が消滅しつつあるということを証明しているのにほかなるまい。」

等々にみられる言い方に、かつて、ロラン・バルト(沢崎浩平訳『S/Z』)で、

「誰がしゃべっているのか。(中略)ディスクールが、というよりも、言語活動が語っている」

という問いと重なり、フーコーが、

「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人ではないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつねに自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。」(豊崎光一訳『外の思考』)

と書いていることと重なる。ぼくの、勝手な見方だが、

人間の死、

とはこういうことを言うのだろう。

本書全体の印象からいうと、僕には、

逆立ちしたヘーゲル(の精神現象学)、

と感じたのだ。ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』については触れたが、

意識の経験の学、

と名づけられているように、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

と、意識の成長プロセスを辿っていく。

「最初に、すなわち、直接的に我々の対象となる知は、それ自身直接的な知、直接的なものまたは存在するものの知にほかならない。われわれもやはり直接的な、つまり受けいれる態度をとるべきであって、現われてくる知を少しも変えてはならないし、把握から概念把握を引き離しておかなくてはならない。」(樫山訳『精神現象学』)

の「感覚的確信」からはじまり、

「精神のこの最後の形態は絶対知である。それは、自らの完全で真なる内容に、同時に自己という形式を与え、このことによって、その概念を実現すると共に、かく実現することにおいて、自己の概念のうちに止まる精神である。これは精神の形態において自らを知る精神である。言いかえれば、概念把握する知である。真理は、自体的に確信と完全に等しいだけでなく、自己自身の確信であるという形態をももっている。言いかえれば、真理は定在となっている、すなわち、知る精神にとって、自己自身の知であるという形式をとっている。(中略)すなわち精神は、意識にとって定在の場に、対象性の形式に、本質そのものであるところのものに、すなわち概念に、なったのである。この定在の場において意識に現われる精神、或はこの場合同じことであるが、意識によってこの場に生み出された精神、これが学である。」(仝上)

と、「絶対知」へと至るのである。そのラストは、

「精神の完成は、精神が何であるかを、つまり精神の実在を完全に知ることであるから、この知は精神が自分のなかに行くことであり、そのとき精神は自らの定在を捨て、自らの精神を思い出に委ねるのである。精神は、自己のなかに行っているとき、自己意識の夜に沈んでいるが、その消えた定在はその中に保存されている。この廃棄された定在、かつての定在ではあるが、知から新しく生まれた定在は新しい定在であり、新しい精神形態である。この新しい形態のなかで、この直接的な姿でまた無邪気に初めからやり直すべきであり、そこからまた成長していかなければならない。」(仝上)

しかし、本書は、「エピステーメー(知識)の考古学」と言っているように、

知に対する知、

知のメタレベルの推移をたどりつつ、最終的に、

人間主義、

を超えようとする。逆に言うと、ヘーゲルが、

精神、

から、意識のピラミッドをたどったように、フーコーは、

人間主義の否定、

の地点から、知を逆算していったと見える。しかし、僕は、これが、

構造主義、

と言うものなら、

構造主義、

の名のもとに、人間主義を吹き払った跡に、

荒野、

だけが残ったとしか思えない。現実の課題には背を向けていたとされるフーコーが見ていたものが何なのかは別として、フーコーの拓いたのは、

知の荒野、

なのではないか、という個人的な印象を強く持つ。単なる妄言なのかもしれないが。

最後に、ベラスケス『ラス・メニーナス』について、木村泰司『謎解き西洋絵画』でも触れたことだが、フーコーは、

「われわれは絵を見つめ、絵の中の画家は画家で我々を凝視する。」

という位置関係をしめし、さらに、

「画家が眼をれわれのほうに向けているのは、われわれが絵のモチーフの場所にいるからにほかならない。」

と書く。そして、画家とモデルとみえない描かれつつある絵との関係を、「潜在的な三角形」として、

「その頂点―可視的な唯一の点―に芸術家の眼、底辺の一方にモデルのいる不可視の場所、他方に、裏がえしにされた画布のうえにきっと素描されているに違いない形象がある」

と、その、いま描かれつつある絵を描いているその瞬間を、絵にしている、というこの絵を観ている鑑賞者も、

「鑑賞者をその視線の場に置いた瞬間に、画家の眼は鑑賞者をとらえてむりに絵のなかへ連れこみ、特権的であると同時に強制的な場所を指示したうえで、輝く可視的な形相を彼から先どりし、それを裏がえしにされた画布の近づき得ぬ表面に投射するのである。だから鑑賞者は、画家にとっては可視的だが、自分に取っては決定的に不可視的な像におきかえられてしまう。」

モデルと、同じ立ち位置に立つことで、鑑賞者は、絵の中の画家のモデルになっているかのような位置にいるのである。さらに、こう書く、

「オランダ絵画では、鏡が二重化の役割をはたすという伝統がある。つまり鏡は、絵のなかにひとたびあたえられたものを、変様され、縮小されたわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。(中略)同じアトリエ、同じ画家、同じ画布が、鏡のなかに同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全に模造となるはずなのである。」

そして、

「鏡のなかに映しだされているもの、それこそ、画面のあらゆる人物が視線をまっすぐに伸ばし凝視しているものにほかならない。つまり、画家のモデルとなっている人物をも含めるまで画面が手前に、すなわち、もっと下の方へ延長されれば見ることのできるはずのものなのである。けれども、それはまた、画面が画家とアトリエを見せるところで止まっているのであるから、絵が絵である限り、…絵の外部にあるものでもある。…思いがけず鏡が誰にも知られず、画家(仕事中の画家という、その表象された客観的実在性における画家)の見つめている諸形象ばかりか、画家(線や色が画面においてあの物質的実在性における画家)を見つめている諸形象をも、きらめかせている。」

絵画空間の外の、この絵を描く画家と、この絵のなかで国王夫妻を描いている画家のモデルたる、国王夫妻と、この絵の鑑賞者の立つ位置との三重の関係、それはまた、絵の中の人々が意識し、目を向けている位置でもある、

「描かれている瞬間のモデルの視線、場面を見つめている観賞者の視線、そしてその絵(表象されている絵ではなく、われわれのまえにあって、われわれがそれについて語っているところの絵)を創作している瞬間の画家の視線が、正確に重なりあう」

その位置は、画家ベラスケスの設定した、

描かれるべきものと向き合う仮設の画家、

である。ここでは、あくまで、

「古典主義時代における表象関係の表象のようなもの」

を語る材料にしているのだが、

描くことを描く、

という現代的なモチーフとして見ることもできる気がした。

なお、ミシェル・フーコーについては、『〈知への意志〉講義』、『主体の解釈学』については触れた。

参考文献;
ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』(新潮社)

 
 

 

 

 

日本人の時間感覚

橋本万平『日本の時刻制度』を読む。

 

 

 
 

 

 
 

 

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