長期政権化の風土づくり
何かあると支持率で一喜一憂し,選挙に怯えて首相の首を挿げ替える。こんな風潮はいつから始まったのか。こんなことが,安部,福田,麻生,鳩山と続いてきた。何のために総選挙があるのかがわからなくなっている。次の総選挙までは一任したのではなかったか。民意などという匿名で,責任を取らない空気に左右されて,戦争に突入して行った戦前の苦い思い出を,民衆はいさ知らず,為政者まで忘れてしまってどうするのか。総選挙まで一任した以上,参院で負けようが勝とうが,その間断固とした政治をしてほしい。それが底流する民意のはずだ。そうすると,制度化にはなじまないから,総選挙以外で,首相を変えられない,慣習をつくらねばならない。それは相互規制以外にはない。あるいは相互チェック。相互でレッドカードを出し合うことだ。支持率そのものを規制することはできないが,そう簡単には首を挿げ替えられない,となれば選挙の顔といった本末転倒な首相候補は排除される。マスコミ(というよりタブロイド誌と変わらぬ姿勢の,ジャーナリズムとはとうてい言えぬしろものだが)もただ視聴率ほしさに支持率の調査をすれば,世論がたたく,そういう風土をつくらねばならない。第一支持率がわかったところで,総選挙以外に第一党を変えることはできないのだということを徹底しなければならない。目先の人気取りをしているから,30年もたたないと,羽田空港の国際化が再スタートできないのだ。そういう意味では民意など幻影,ありもしない幻だ。大体どの程度のひとが,いちいち日本の将来を考えて生活しているのか,日日の生活に追われているものの,支持不支持の思いつきの意見に左右されているようでは政治家失格なのだから。(C;K.TAKAZAWA) |