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スキル辞典8

スキル事典81

問題意識の芽

  • 問題意識を育てる芽

  • 問題意識とは心の持ちようのことか

 ブレーンストーミング(ブレスト)の効果を実験的に証明しようとした例が二つある。

 ひとつは,イーディス・ワイスコップ=ジェールソンとトーマス・エリセーオの研究。そこでは被実験者グループに,2種類の教示が与えられた。1グループにはブレストの4原則(批判厳禁,自由奔放,質より量,相乗りOK)が与えられ,他のグループには,明確かつ論理的であること,問題のあらゆる側面を理解するよう努めること,なるべく多くのアイデアを生み出すこと,しかし実用的に優れたアイデアとすること,討議したアイデアを結合させて改良すること,の指示を与え批判的分析をすることを求めた。結果は,質で比較すると批判的分析グループの方が優れたアイデアの割合が高かった,としている。

 いまひとつの実験は,ジョン・ブリルハートとルレーネ・ジョカムの研究。ここでは,標準的ブレストの教示をされた第一グループと,ブレストのステップを逆にし,まず解決のための基準づくりを先行した後で,ブレストをするように教示された第二グループ,更に,問題を分析し解決を評価するために,次のような,@何が問題か,何が起こっているのか,なぜか,それはいかに重要か,Aそれをいかに解決すべきか,思いついたアイデアの相対的メリットは何か,Bどれを最良の報告とするか,の基準を与えられた(ブレストは使わない)第三グループの3つで比較された。

 この結果,アイデア数では,第一15,第二15,第三9.8と第三グループが劣ったが,優れたアイデアの割合は,第一29%,第二24%,第三32%と,第三グループが常識に反して好結果を出した,とした(R.ワイスバーグ『独創性の研究』)。

 ブレストの効果をここで云々する気はない。ここで必要なのは,グループで討議したとき起きやすい持たれあいや無意味に拡散する議論よりも,問題(テーマ)領域を絞った方が,メンバーの思考の焦点が合わせやすいし,かえって集中,深化しやすいのではないか,との推測をさせる点である。このことは,いわゆる“問題意識”という曖昧模糊としたマインドについて考えるときのヒントを与えてくれるように思われるが,これについては,後でまた触れたい。


 よく管理者は,部下に問題意識を持て,という言い方をする。しかしそういう管理者自身に問題意識とは何かわかっているとは言い切れないようである。尋ねられれば,身を入れて仕事をすることとか,ミスや見落としをしないこと,アイデアや工夫ができることと,どこか注意力や観察力と紛らわしいし,関心や興味といった茫漠とした仕事への取り組み意識や姿勢を意味するものとなっていないだろうか?

 仮に,興味や関心だとしよう。しかし,もっと関心を持て,といったくらいで,すぐ関心がもてるようなら苦労はない。では関心がないから,上の空だから,見落としたりアイデアがでないのか?自分の趣味や娯楽ではいろいろ発想するのに,仕事となると,とたんに昼あんどんとなる人は五万といる。それよりも何よりも,興味や関心があるということは,すでにそれがどういうことであるかを知っていることであり,そのことの面白さを知っているということではないのだろうか。だとすれば,興味や関心があるとは,すでにいわゆる“問題意識”があることではなかろうか。とすればそれを持てとは,問題意識を持てというに等しい。

 どうも問題意識というものを,属人的な姿勢や心構え,あるいは生得の気質といったものに近いものと見なしすぎているのではないか,というのが基本的な疑問なのである。だから,心の持ちようを変えよ,と言っているようにしか聞こえない。果たして問題意識とはそういうものなのか?

  • 見るということ

 パラダイム論のT.クーン等新科学哲学派の先駆者,N.R.ハンソンにならえば,なぜ,同じ空を見ていて,ケプラーは,地球が回っていると見,ティコ・ブラーエは,太陽が回っていると見るのか?あるいは,同じく木から林檎が落ちるのを見て,ニュートンは万有引力を見,他人にはそうは見えないのか?ということを考えてみることは,本論にとって無駄ではない。

 ハンソンは,“見る”とは,次の図を,

 木によじ登っている熊として見ることであり,それは,九十度回転したら,次のような様子が現れるだろうことを見るのである,とする。

 

 つまり,われわれは対象に自分の知識・経験を見る。あるいは知識でつけた文脈を見る。「われわれは知っているものだけをみる」と言ったのは,ゲーテだが,知識のないものは,「見れども見えず」ということにほかならない。このことをまずおさえておかなくてはならない。

 そうすると,二十世紀の我々は,「宇宙空間の適当な位置から見れば,地球が太陽の回りに軌道を描い」(ハンソン『知覚と発見』)ていると(知っていることを)見ている。十三世紀の科学者は,太陽が地球の回りに描く軌道(プトレマイオスの天動説)を見ている。見ているのは知識なのだ。つまり,知らないことは見えてはこないし,気づきようがない,ということが肝心なことだ。

 対象に意味や関係を見るときも同じことだ。因果関係を見るとは,こうなればこうなるだろうという,自分の知っている関係を見ているし,仮説としてこうしてみれば,こうなるのではないか,と見るのも,また知識の関数として見ているのだということができる。

  • 問題意識とは何か

 意識とは,本来的に「……の意識」だから,「……」を意識しているとき,我々は「……」が何かを知っている。それが花であれば,花とは何であるかを知っているから,花を意識する。問題意識という場合,「……」は問題のことである。しかし,それを「問題」と意識するためには,問題とは何であるかを知っていなくてはならない。なぜなら,われわれは知っていること(見たこと)しか意識できないからだ。少なくとも,何が問題となるかを知っていなくてはならない。あるいは,問題意識を,問題への気づきと言っても同じことだ。何が問題かを知っていなくては気づきようはないのだ。それが前説で触れたことの意味だ。

 では問題とは,何か?

 認知心理学では,“いまはこういう状態である”という初期状態を,それとは異なった別の“〜したい状態”(目標状態)に転換したいとき,その初期状態が“解決を要する状態”つまり“問題”と呼ぶ。

 言い換えると,眼前の状態を“問題”とするかどうかは,目標状態をもっているかどうかによるということにほかならない。つまり目標がなければ,初期状態に問題は存在しない,ということを意味する。

 冒頭でブレストの例で基準設定が思考のズームアップに有効だったように,目標の明確化が,思考のスクリーンとなり,より問題感度の焦点を絞っていくことになるといえるだろう。


 ともかく,以上の問題の定義を敷衍すれば,次の3点が指摘できるだろう。

 第1は,問題とは,所与ではなく,当該の状態を問題と感ずる人にとってのみ存在するという意味で,「私的である」ということである。だから共通な問題がもともと“ある”のではない。個々の私的な問題が共通な問題に“なる”あるいは共通な問題に“する”というプロセスを経ることなくては,共通の問題は存在しない。

 第2は,目標状態の中身を,いわゆる“目標”のほかに,例えば達成すべき課題水準,維持すべき水準,保持すべき正常状態,守るべき基準といったものに敷衍していくと,目標状態とは,自分に負荷している目的意識からくるものであり,それがあるからこそ現状に対して“問題”を感じさせるのだと言えるだろう。

 第3に,目標と関わる心理状態を,「〜したい」(欲求)状態だけでなく,他に「〜しなくてはいけない」(使命・役割)「〜する必要がある」(役割)「〜すべきだ」(義務)「〜したほうがよい」(希望)といったものまで想定してみると,それは,初期状態を認知する人が,そこでどういう立場(視点)で状況に向き合っているかが鮮明になってくる。逆に言えば,どういう心理状態が目標を持たせやすいかがはっきりしてくる。

 そこで,「問題を意識させる」には,次の4点が重要だということができる。

 @知識・経験をもっていること

 A目標(乃至目的)が何であるかを知っていること(目標意識)

 Bそれが自分の問題であると感じていること(私的関わりの自覚)

 Cそれを自分が何とかしなくてはならないと感じていること(役割意識)

 つい問題意識という便利な言葉を多用するが,問題意識があるから問題が見えるのではない。問題が見える立場と意識があるから問題意識というものがあるように見えるだけだ。肝心なのは,どういう状態だと問題が見えやすい状態とすることができるか,ということなのだ。これが大事なことだ。だから,問題意識は教化できないが,問題の見えやすい状態を強化することはできる。問題意識を育てるとは,そういう状況を設定してやることにほかならない。

  • 知識とは何か

 ところで,知識がないと,モノが見えないとすれば,知識とはどういうものなのか,を整理しておかなくてはならない。

 一言断っておけば,問題という以上,

・知らない・できないために解けない

・あと少し努力すれば解ける

・少し知識・経験を応用すれば解ける

・ちょっと考えれば解ける

ようなものはここでは,問題といわないし,そういうことへの気づきがないことをもって,問題意識がないともいわない。それは問題意識ではなく,知識・経験の中に含まれるべきことだからだ。

 一般に知識には,所有型知識(Knowing That)と遂行型知識(Knowing How)があるとされる。前者(〜ということを知っている)だけでは所蔵されている知識に過ぎない。後者(いかに〜するかを知っている)によって初めて生きた知識となる。それで知識・経験があるということができる。

 そのとき,形成されるのが,いわばコツやウデというものだが,その中身は,

 @自分はどういうときにどうするタイプの人間かという自己(の可能性,傾向の)認知

 Aある状況ではこういうことがおき,こういうふうになるであろうという,行動や出来事の蓋然性についての知識

 Bかくかくの状況・立場ではこういう役割や行動が期待されているという状況への認知

 C人間(社内の)はこういう性格と傾向があるといった経験知

 Dこうなればこういうふうになるだろう,あるいはこういうことがあればこういう結果になるだろうといった,因果関係の図式の認知

 といったものが一般に列挙できる。つまり,知識があるとは,こういう思考の枠組みができているということにほかならない。これによって見えるものが決まってくる。このことによる習慣的思考の限界や,それをどう発想転換するかということは,また別の問題だ。問題はこういう知識を蓄積する機会をどう与えるかということだ。

  • 問題を見えやすくする

 何においても,人が自分にはできる(効力感)と感ずるためには,一般に,次の点が必要だとされている。

 @自分がここで何をするよう期待されているかを自覚し,自分でそれを遂行すべく目標を設定できること

 Aその目標達成のために,どういう手段が必要かを考え,探り,工夫して,それを主体的に選択していけること。そのために,周囲に助言や資料を求められること。

 そのために,自分の現有能力のレベルについて正確に自覚でき,どういう状況にあるのかが把握できなくてはならない。

 B自分の目標を一歩一歩クリアすることで,自分なりにコツとウデを蓄積していけること。

 C自分の努力の成果がどれくらいか,どのくらい進歩したかが,確認できること。

 D周囲にメンバーとして受け入れられ,認知されていると実感できること。

 以上のことは,まさに問題を見えやすくすることであり,また管理者からみれば,目標を設定し,そのフォローをして,達成をさせてやる,実にOJTのプロセスそのものにほかならない。単純化していえば,目標が自分のものであることで,何がそれとギャップがあるかがわかる。それを自分のものだと思うから,自分で何とかしようと感ずるし,一層の知識を必要とすると自覚もする。そうやって,自分の知識と経験を積むことで,より問題とは何かがわかり,わかることで,一層自信がつき,それによって意欲も出てくるはずだ。OJTでいう成功感を味わわせる,とはこのことにほかならない。

 部下の問題意識のなさを嘆いている管理者は,天に唾しているのと同じことだ。なぜなら,部下に問題を見えやすくさせる努力をしていないこと,つまりは自らのマネジメント不足そのものを白状しているにすぎないことを,承知しておかなくてはならない。

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スキル事典82

やる気のカタチ


  • やる気をどうカタチにするか
    • “やる気”イメージの齟齬

     “やる気”は,一般には,「何にでもばりばりやる」「積極的に何でも取り組む」「困難なことでも根気よくやり遂げる」「何にでも進取の気持がある」というイメージが強いのですが,ある調査では,「静かに熟考する」「納得しないことはやらない」「感受性が強い」「生き生きしている」「仕事を楽しんでいる」「何かを達成しようとする意志が強い」「ユーモアがある」「心に余裕がある」「人中では目立たない」「やさしい配慮がある」と,かなり幅広いイメージだったようです。 これは,世代によっても,職位・職責・職種によっても違ってくるだろうことが当然予想できますし,業種や会社や職場によっても,違ってくると考えていいはずです。

     ということは,どういう“やる気”を求めるかということは,どういう仕事のやり方を求めるかということでもあるということになるはずなのです。ですから,「あいつはやる気がない」と言っているとき,管理者が,どういう働き方を期待して言っているかが問題です。

     「バリバリ動き回る」とか「根性がない」といった肉体的な表現のほかにも,「あんまり会議でも発言しない」「自分の主張がない」「チャレンジする気持がない」「言われたことしかしない」「高めの目標を与えてもそれをクリアしようと努力しない」「すぐできません,わかりませんと音を上げる」「自分でとことん考えようとしない」「仕事を掘り下げようとしない」「仕事の幅が狭く,積極的に努力したり勉強したりしない」といったイメージを指しているかもしれません。

     しかし,そう言っている管理者が,自分の一方的な期待で“やる気”決め付けているとすれば問題です。自分ではそうしていないつもりでも,自分のそうしたイメージをつくってきたのは,自分の仕事のキャリア・経験であり,その会社なり組織のもっている価値観・規範を身につけてしてしまっているのであり,そのため,無意識でそれを自分のイメージとしてしまっているかもしれません。

     例えば,「仕事に積極的に取り組む」というのが,“やる気”のイメージだとしましょう。その「積極的」という中には,「いつもいい方に前向きに考える」「どうしたらいいかとことん工夫する」「自分の責任でやろうとする」「何についても主体的に取り組む」「いつも先へ先へと読む」といった多様な意味があるはずです。上司は,「前向きに考える」というイメージだが,部下は「どうしたらいいかとことん工夫する」ことだと考えていたとすれば,部下にとって,取り組むまでには時間もかかるし,性格的に不安を一つ一つ除去してからでないと着手しにくいところがあればなおさら,上司をじりじりさせるかもしれません。「何をぐずぐずしているんだ」と上司が性急に催促すれば,部下は「この人は自分の業績のことしか考えていない」「早くやりさえすればいいと思っている」という受け止め方をし,それが度重なれば,上司との間に決定的な齟齬と反発を招くことになるかもしれません。


    • “やる気”のマイナスイメージ

     いまは,管理者側の“やる気”イメージの偏りを問題にしましたが,部下側が「やる気がない」「やる気をなくしている」というのは,どういうことで感じるのでしょうか?

     ちょっと考えてみても,「仕事で失敗して自身をなくした」「自分の能力不足で自分がいやになる」「仕事が合わない,面白くない,興味がわかない」「自分の力が生かせない」「自分の意見が通らない」「上司・職場と合わない」「上司・職場に評価されない」「会社のシステムに納得できない」といったことが想像できます。

     これは,おおざっぱにわけると,自分の内部要因と外部要因の二つあることが想定できます。しかも,自分の内部には,自分の努力といった側面と,自分の能力・感性といった側面の二つがあると考えられます。

     心理学的には,それには「もう少し努力すればよかった」という努力不足に原因を帰属させる助言が,能力に原因を帰属させるよりも“やる気”育成に有効であると言います。が,問題は,それを援助する上司が,個人としてより以前に,職制として,もともと「もっと努力しろ」という姿勢を強いる環境として,組織の風土・制度・価値観を体現するものとして,部下の前にある,ということを見落としてはなりません。

     有名な心理学実験に,繰り返し逃れられない電気ショックにあった犬が,別の場面で,逃れられるショックを避けようとしなくなる,という「無気力の獲得」を示したものがあり,自分の力ではいかんともしがたい事態を前にすると「無気力」に陥ることを現したものとされています。これは犬だけでなく,人間にも該当するとされています。

     しかし,この外部的な不可避の力は,意識的でなく無意識的に行使しているときの方が多いのです。

     例えば,「お前は努力が足りない奴だ」と,自分なりに全力を尽くして頑張ったつもりなのに,いつも及ばずに,上司から「努力不足」としかみられない人の場合,それを運のせいや自分の努力のせいにする人の方が,自分の能力のせいにする人よりは,無気力に陥りにくいとしても,度重なれば十分“やる気”をそぐ力になり,「この上司の下では芽がない」と感じてしまえば,ますます“やる気”を失うかもしれません。

     そう考えてみますと,「努力がない」と評価するときも,それがどういう視点から何を問題にしているのか(自分がどういう期待をもっていて,その何が期待水準とギャップを生じているのか)をはっきりさせていなくてはならなはずです。そこから初めて,それまで組織そのもののように眼前にあった上司が,個人の顔をした上司某としての指導が始まると言えるのです。

     そう考えれば,部下の仕事を評価する管理者の発言で最も嫌われるのが,「じゃあ,まぁいいか」「仕方ないか」「しょうがねえな」「そんなもんか」という言葉だと言われるのも当然のことです。

     駄目だと言うには,何がどうまずいのか,どこがなぜまずいのか,をきちんと説明しなければなりません。それには「目標設定時に期待値を正確に明示したのか」「そのための計画立案においてシビアに予測させたのか」「途中でのチェックとフィードバックはしたのか」など,管理者側が,自分が仕事(課題)を与えたとき,期待水準と成果基準をきちんと明示し,部下と刷り合わせるという,しかるべきマネジメントをしたのかどうかがなくてはならないのです。そのためには,管理者の中に,どういう“やる気”=どういう仕事の仕方を求めているのかが,明確になっていなくてはなりません。もちろん発汗型仕事から発想型仕事に転換しているのに,発汗型やる気を強要している管理者は,知らず知らずに電気ショック型マネジメントを行使していることになります。


    • やる気の過剰意識

     少なくとも,ある組織に入ってきた以上,“やる気”の中身は違っても,もともとその人なりに“やる気”をもっていたはずなのです。それをそいだり,低下させたのは,その組織と職場と管理者ではなかったかと,まず考えてみることが大事です。

     例えば,部下のキャリア段階別にみてみますと,入社早々の時期は,組織内の一員として認知される期間と考えることができます。そのためには,組織の規範・価値観の受け入れ,職務遂行のための基礎知識・技能などの習得,同僚・上司など職場の人間との関係づけなどの経過を経て,しばらくすると,一員として何をすべきか,何を期待されているか,を自覚させられて,ようやくメンバーとみなされていくことになります。その時期を越えると,メンバーとしての役割・責務に応じた目標設定・遂行,意思決定への参画,自己能力の向上などが求められていくはずです。

     心理学的には,その過程で,組織の中で,自分の能力に見合った目標を設定させ,小さな目標を段階的に踏ませていくことで,成功体験を積み重ねて,「自分の有効感・有能感と自己決定感」(自分がやった結果できた・役立ったという満足感)を味わわせていくことが重要であるとされています。

     そのためには,肯定的な自己評価を下していけるように,不安や異和感を除去するきめ細かい上司からのフィードバックや励まし,ブレークダウンした目標の設定,上司・職場からのメンバーとしての承認,積極的な期待の表明,適切な支援・助言,肯定的な評価のフィードバック等によって,組織の中に自分の位置と役割を意識化していけるように,指導していくことが必要であると指摘されています。

     ここまでは,常識的なマネジメント知識かもしれません。しかし近年それがうまく噛み合わなくなってきているのではないでしょうか。なぜなら,若手社員が,入社早々から,格段に「自己有能感と自己決定感」に対して,意識過剰になっている傾向が強いからです。これは衣食住といった生理的・社会的欲求が充足され,欠乏(充足)動機よりは,喜びや刺激や,いわゆる自己実現を求める成長(満足)動機の強まっている今日,やむをえない傾向ですし,両親のどちらかというと,過剰気味な応答的環境(“やる気”をもって自主的にやったことが現実に適合した望ましい方向に向いているようにお膳立てされた環境)で,一方的に“やる気”を助長されてきた結果ということができます。

     子供の自主性を育てる“応答的環境”について,心理学者は,

     @自由に探求できる環境

     A行為の結果がすぐに知らされる環境

     B自分のペースでことが運ぶ環境

     C環境内の物事の規則性を発見するのに自分の能力がフルに活用できる環境

     D規則性を他の場面にも応用できるように整理された環境

     の5条件を挙げています。しかし現代の両親が,自分達の望む方向へ過剰な応答的環境によって形成された意識が問題なのです。多少パターン化した言い方になりますが,受験勉強を中心として,この条件を作り出している環境は,知識面に限定した管理された環境であること,自主選択の体裁を整えながら,その実引かれた軌跡をトレースしているだけであること,そのくせ「自分の個性や興味」を尊重する外面は保たれているのに,一人で準備し計画しやり遂げるという実行性を育てられる機会が少ないこと,現実の遊びや社会的な関わりから遠ざけられ,人間関係などを排除した温室的なものになっていること等によって,若手社員は過剰な(というより現実の中で試したことのない)“有効感と自己決定感”を抱き過ぎているのです。

     自分の個性や興味を生かすことについて,強い主張があること自体は,むしろいいことなのです。それを,いままでのように組織内化だけに力点をおき過ぎると,“やる気”の低下につなげてしまう恐れがあります。「管理者ではなかったか,とまず考えてみる」と言ったのは,その意味です。いま“やる気”について考えることは,部下側に強いこうした自己意識と組織とにどう通路をつけるかなのです。


    • やる気をソフトランディングさせる

     “自分”は「こういうことをしたい」「こういうことを生かしたい」「こういう面を伸ばしたい」「こういう仕事につきたい」という,人為的環境で形成された,イメージ的,ムード的な願望の場合,現実と衝突しながらそれを実現してきた経験が少ないだけに,結果に性急で,すぐやらせてもらえないと“やる気”をなくしてしまうし,ちょっとした失敗でも,それに対する耐性が小さく,内部より外部に原因を求めがちで,「この上司は何もしてくれない」「この上司はわかってくれない」と考え,転職に直結してしまう恐れすらあります。

     上司・先輩からみると,必要なスキルもない,事態の困難性もわかっていない,現実面についてあやふやな理解しかない,「何を言ってるんだ」と言いたくなる場面も少なくないはずです。

     つまり彼らに欠けているのは,“やる気”を実現していく手段的活動なのです。そういうものを自分で工夫してきた経験がないのです。通常はそういう手段を通して“有能感”を育てていくはずなのに,それを現実にクリアしないままムード的に“有能感”をもってしまっているのです。それを改めて味あわせてやる必要があるのです。

     心理学者は,手段的活動を次のように整理しています。

    @行為面での有効手段……情報収集法,いろいろ試してみるやり方,現実検証の仕方,自分の考えの表現方法・伝え方,できるまで訓練する仕方,効果をあげるために必要なものの準備の仕方,相談・援助の求め方

    A精神面での有効手段……現在の課題設定の仕方,計画立案の仕方,実行前の予測方法,長期的な目標への取り組み姿勢,独自のやり方の工夫,状況に合わせた自分の行動選択の仕方,着手前のチェックの仕方

     この全てに欠けているとは言えませんが,こうした現実化への手段が比較的苦手なことを理解して,彼らなりの“やる気”を生かす工夫が,いま必要のように思われます。

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スキル事典83

企画コンセプトをつくる



  • 企画の中心・コンセプトをつくる
  • コンセプトとは何か
    • コンセプトとはこだわりの表現

      “コンセプト”は,別に「テーマ」の概念(意味内容)を表現するものではない。また,テーマの言い換え(別表現)でもない。それなら,サブタイトルにすぎない。正確には,一般的な意味内容をどう企画者の“こだわり”にどう焦点を絞るか,こだわる意味譲れない部分をどう表現するか,に“コンセプト”をつくる意味がある。コンセプトは,テーマの私的な方向づけ私的意味づけ)なのである。テーマに,ウエイトづけし,シフトさせ,ある意味で特定部分にフォーカスすることである。その意味でできることよりほしいことあるといいものに焦点を当てるほうが望ましい。

      そうしてフォーカスしたものが,そのまま受け入れられたのが,固有名詞が一般名詞化したカタチで生き残っていくことになる。もちろん,ネーミングとコンセプトはイコールではないが,「セロテープ」「ウォークマン」「カップヌードル」「ごきぶりホイホイ」「ほか弁(ほっかほっか亭)」「ポストイット」「(スーパー)ガン保険」等々をみると,何にシフトし,どこに焦点を当てたかが鮮明に見える。

     

    • コンセプトの意味

       “コンセプト”は,キャッチフレーズやキャッチコピーとは違う,2つの意味がある。

      「テーマの焦点」(何をしたのか,どこが新しいのか,どこが違うのか,何を訴求したいのか)を明確化する

      「テーマの達成水準」(創ろうとするものの“新しさ”をどこまで実現するのか)を明確化する

      つまり,

       @創ろうとしている企画の「新しさ」の表現(「企画の意味づけ」)

       A創ろうとしている企画の目指しているもの(達成基準)の明確化(「企画の方針」)

      を明確化する意図がある。つまり,自分が変えようとする動かそうとする実現しようとする)何か,の焦点を絞ることである。そうすることで,「どこが新しいか」「どこが違うか」という企画者のこだわり(いままでの常識や前提からの偏り,シフトのさせ方)を鮮明にする。

      そのために,次の2つの意味がある。

      @コンセプトは「創ろうとしている企画」の新しさ(特徴・効用・値打ち)を明確に意味づける

      「コンセプト」の「新しさ」が、何が、どう、どの程度なのかを表現するのは次の4つです。

      企画の新しさの表現

      テーマの方向性の指示 「テーマ」に込めた意図(「何を重視しているか」「何を大切にしているか」),願望(「何がしたかったのか」「何を実現させたいか」)といった「狙い」をはっきりさせる
      テーマの範囲(境界)の確定 「テーマ」を,どこまでやるのか(ほんの手直しか,抜本的な見直しか)という,取り組みの「覚悟」を明らかにする
      テーマの価値(意味)の掲揚 「テーマ」のもつ「新しさ」「強み」「特徴」「コトバ」として明示する
      テーマの感性の表現 「テーマ」のもつ「面白さ」「楽しさ」「熱中」を「イメージ」として表すこと

       こうした「コンセプト」の明確化には,「テーマの確定」作業をきちんとやっていればいるほど,何が新しさで,何をめざしているのか,が鮮明になっており,容易に焦点が絞りやすいはずなのである。改めてつくるのではなく,テーマ絞込みの中で,ある程度明確になっていなくてはならないことでもある。

       当然「テーマ」が同じでもコンセプトは異なる。コンセプトが異なることによって目指すものは変わり,達成水準も違う。達成水準が違えば,実現方法も違うし,当然達成結果も変わることになる。

      Aコンセプトは,企画づくりを通しての“旗印(方針)”となる

      コンセプトの意味づけによって,テーマが目指すこと(達成基準)”(どこまで,どれくらい)を明確化する。それによって「テーマ」の“落としどころ"が明確になり,企画づくり作業を通して,その基準や水準となり,「ずれ」や「逸脱」を正す規範となる。

      基準の明確化によって,「何を重視するか」「何を優先させるか」の判断基準として,何を取り,何を捨てるかのメリハリをつけ,企画の“目玉”(何が他と違うのか)の焦点が絞り込みやすくなる。


  • コンセプトをつくる
    • コンセプトは企画づくりの“へそ”である

       以上からもわるように,コンセプトは,二重の意味で“企画のへそ”です。

       第1は、企画づくりのへそである。企画づくり作業の基準であり、水準であるという意味で、企画をつくっていく上での“コアビジョン”となります。

       第2は、企画そのもののへそである。目指す企画そのもののもつ意味と新しさの中心となる部分、“コアイメージ”です。

      コンセプトの条件と表現の要件

      コンセプトがもつべき条件

      コンセプトに表現すべき要件

      イメージが具体的である(わかりやすい)こと

      ターゲットにマッチしていること

      他(他の競争相手)との違いが明確であること

      組織のイメージに外れていないこと

      新鮮であること

      テーマの価値、新しさと意味を表していること

      テーマの方向、何を目指しているかを示していること

      テーマの射程、どこまでやるつもりなのかを明示してあること

      テーマの感性、ウキウキ、ワクワク、ゾクゾク等々を感じさせること

     

  • コンセプトをつくるスキル〜スクランブル法

スクランブル法は,使い慣れた言葉の意味・価値,見慣れたモノやコトの意味・機能・役割に,隠れた意味や新しい価値を見つけ出す。このステップを俯瞰すると,3つのステップ(分ける/グルーピング/組み合わせる)を織り込んだ作業となっている。この作業を通して,テーマに新しい意味と価値を発見するコンセプトをどう創り出すか。本技法は,池辺陽氏のデザインスゴロクを簡略なステップ化した岩崎隆治氏のトライアングル法の変形版。

《スクランブル法によるコンセプトづくりの狙い》

 テーマの持つ概念を分解し,グルーピングしなおして再構成する作業を通して,改めて,テーマの中のどこに焦点を当てるかを絞り込み,言語化する作業になる。

【スクランブル法フォーマット】


  • スクランブル法の進め方

1.取り上げるテーマの確認。

  ※ここで,テーマを最終確認する。テーマについてのニュアンス,意味あいの違いを刷りあわせておく。

   テーマが大きすぎると,ここで洗い出す条件が大きなものになる。

2.テーマに何が必要なのか,欠かせないのか,必要な「条件」,構成する「要素」,「要因」等々を,具体的に洗い出し,ラベルに書き出す。

  ※ここでは,テーマ決定後の,テーマの前提条件,意味づけ,テーマ分析での作業が生きてくるが,この作業で改めてテーマを多角的に見直すことになる。テーマが大きすぎると,当然洗い出す条件も大きくて,抽象的なものになりやすい。

  ※いまあるものを前提にする必要はなく,「いまはない」が,あるいは「いまは必要とされていない」が,「あったらいい要素(条件)」「あってほしい要素(条件)」「あるのが望ましい条件(要素)」「あればいいのにと願う要素(条件)」「あったらいいなと夢見ている条件(要素)」「他人は知らず自分には絶対必要だと感じている条件(要素)」等々の,「わがまま条件」「自分勝手条件」「身勝手条件」「好き勝手条件」「独りよがり条件」でかまわないが,できるだけ具体的に表現する。

※1枚のラベルには,1つの事柄を,できる限り具体的に書くこと。

.ラベル(ポストイット)を,グループ化していく。一般的な概念でくくらないほうがいい。

   ※どうしてもグループからはみ出すラベルは,独立したグループとして扱う。微妙な差にこだわりたい。

4.グループ化が終わったら,それぞれのグループ毎に,その各ラベル群が何を主張しているかを読み取って,全体を的確に表現できる言葉で,タイトルをつける。

5.グループ群の中から,重要性の高いものを9グループ選び出し,優先順位をつける。

  ※当然,何を重視するか,何を取るかで,テーマのニュアンスが変わっていくことになる。ありきたりの順位づけでは変わりばえがしないので,次のように別のやり方を工夫することもできる。

     @逆に,優先順位の低い方からまとめてみる

     A当たり前(正攻法)の優先順位の1〜3位を捨てて,4位以降からまとめてみる

     B特別の切り口(女性にとって,子供にとって,老人にとってetc.)で優先順位をつけてみる

6.9グループの中の,優先順位の高い,1位,2位,3位の3グループを選び出し,(スクランブル法フォーマットの)トライアングルの一番外の角に,それぞれ置く。

7.次に,優先順位の4,5,6位を取り出し,各辺の真ん中に,先に置いた2つのグループと関係がありそうなものを,それぞれ置く。

8.更に,優先順位の7,8,9位を取り出し,各コーナーに,先に置いた3つのグループと関係がありそうなものを,それぞれ置く。

9.テーマは要するにどういうことなのかを,キーワード(キイ・イメージ)として中心に書き入れる。

  ※中心のキーワードの見つけ方としては,次の2つのやり方がある。

   ・全作業を通して,あるいは配置した結果を眺めながら,浮かんでくるものを見つける

   ・(展開例のように)7〜9位を配置するとき,3つのコーナーで,4つのタイトルに関係をつけたが,

     そこで得た意味やイメージを,積み重ねていく

   ※キーワードは,テーマの新しい意味の発見となる。このキーワードによって,テーマに新しい光が当たったり,新しいニュアンスを創り出しているものでなくてはならない。これが「コンセプト」となる。

   ※要するに,この作業は,

    ・9個の組み合わせから見立てられるアナロジー

    ・9個の組み合わせから喩えられる比喩

    ・9個の組み合わせから象徴できるシンボル

    等々の発見である。いわば,“正解を見つけるのではなく,正解を創る”作業である。

10.最終的に,いくつかのイメージを形成しながら,結論としての,最適コンセプトを見つけていく。

  ※コンセプトの選択肢としては,次の2つである。

    @いくつかのキイ・コンセプトの中から,最適のものを選ぶ。

    Aいくつかのキイ・コンセプトを重ね合わせて,更に飛躍させたイメージを選ぶ。 

     ※こうして絞ったコンセプトは,次の評価基準でチェックしなくてはならない。

    ・選んだコンセプトは,本当に,企画テーマの特徴や狙いを的確に表現したものになっているか

    ・課題の求めるものとずれを生じていないか

    ・コンセプトで,意味の説明だけでなく,やりたいことのニュアンスが表現されているか

    ・それは,企画テーマの新しい価値と意味を具象化したものになっているか

    ・それは,既に何処かで,誰かが,使ったものではないか,あるいはそれに似ていないか

  • “コンセプト”をつくるコツ

     いかがであろうか,コンセプトはできたであろうか?コンセプトをつくるコツは、9の条件すべてを網羅したり、言い尽くしたりしようとしないことである。ましてやキャッチフレーズのようにかっこいい言葉に転換しないことである。とりあえずかっこいい言葉で表現することにこだわるより,意図を表現して,共有化しておくほうがいい。表現レベルでかっこいい言葉にこだわることで,本来の意図からずれてしまうことがある。それよりは,意図を言語化しておくほうがいい。こだわりは、偏りである。どれかひとつに焦点を立てる,どこかを中心的に表現する,といった部分で全体を表現しようとすることが,コンセプト発見につながる,

     図は,「うまいラーメン屋」というテーマのコンセプトをつくったものである。コンセプトの周囲に洗い出した条件こそが,テーマのこだわりを支えているものとなる。これをどう具体化していくかが,これからの作業となるが,その前に,もう少しコンセプトのイメージを練って,コンセプトとしての完成度を高める必要がある。

     たとえば、この「並ぶ人」というのは、どういう人なのかによって、コンセプトのニュアンスは変わってくる。これが,コンセプトのプロファイリングである。


  • コツさえわかれば企画にできる

 さて,まず,ご自分が企画してみたいことを考えてみてください。

 企画とは何か,とか企画に何か条件があるのか等々と,難しいことをを考える前に,みなさまの心に漠然とある企画イメージのままで結構です。実現したいこと,達成したいこと,解決したいこと,何でも結構です。必ずしもご自分の問題意識でなく,上司から指示されている企画でもかまいません。いくつか,ランダムに挙げてみてください。

 いかがでしたか?何か思いつきましたか?たとえば,こういうのを思いついたとしましょう。

 「口に入れたら一瞬で溶けるチョコレート」

 別に食品メーカーの社員だけが,企画を立てるとはかぎりません。あるいは,

 「(昔上司に言われた)必要情報をさっと取り出せる,ファイリング」

 というのでもいいでしょう。あるいは,

 「自分の恋人を喜ばせる最適プレゼント探しツール」

 というのでもいいでしょう。どれかひとつ,ぼんやりと企画したいと思っていることを仮「テーマ」として絞ってください。ここで仮としたのは,あくまで,ぼんやりと企画したいと思っていることに過ぎないからです。これを詰めていく中で,企画テーマを絞っていくことになります。

 そこで,下図のフォーマットを参考に,次の点を考えてみてください。

 @仮テーマによって「実現できる」のは何か→これが企画の実現すべきこと

 Aその背景となることにどんなことがあるのか→他に問題とすべきことはないか

 B@の問題を実現するための手段は他にないか→これが企画の競争相手

 C最初に企画しようと思った仮企画の見直し→テーマや焦点を練り直す

 D最初に企画しようと思った仮企画より良いものが見つかったか?→これが本企画

 さて、どうでしょうか?CDに基づいて、決まった企画したいことを具体化するには何をすればよいのか、これが企画テーマになりますが、これはまだ先のことです。

 ここで大事なのは、はじめにぼんやりと企画したいと思ったことは、それによって実現したい目的を実現するのにふさわしかったでしょうか?そのままでいけるにしろ、いけないにしろ、目的を考えることで、企画したい仮「テーマ」が少なくとも、奥行きが深まったはずです。

 企画は立てることが目的ではないとはこのことです。企画づくりの大事なポイントですので、もう少しここを詰めておきたいと思います。

 前に挙げた,

 「口に入れたら一瞬で溶けるチョコレート」

 という思い付きを企画に絞っていく例を,下図に例示して見ました。


  • 企画したいことを構造化する

 まずは、ご自分が企画したいと思ったことを、上記で挙げた、

 @仮テーマによって「実現できる」のは何か→これが企画の実現すべきこと

 Aそれを実現するための手段は他にないか→これが企画の競争相手

 B最初に企画しようと思った仮企画の見直し→テーマや焦点を練り直す

 C最初に企画しようと思った仮企画より良いものが見つかったか?→これが本企画

 の4点について、下図にのっとって、ご自分が何を企画したいのかを構造化にしてみて下さい。

 それを一覧化すると次のように整理できるはずです。これが,今後の企画づくりの骨格です。企画しなおす場合は,ここへ立ち戻る必要があります。

あなたの企画したいことの構造

企画したいと思っていること  
それによって解決(実現)したいこと(目的)  
その背景となること(現状)  
目的から見てふさわしい別の企画はあるか  

 企画評価のポイントは、そのまま企画づくりのポイントになります。

 @それによって何が達成(実現・解決)されているか(されるか)

Aそれは、どんな点で新しいのか(いままでないものか、それともいままであるものとどこが違うのか)

Bそれは、どこまで実現可能なのか(実現できるメドが、きちんと示されているか)

 このためには、何のために企画を立てるのか、つまり何を実現するために企画を立てるのかを明確にすることからはじめなくてはなりません。

 まずは、ご自分がぼんやりと「企画したい」と思ったことを、上表で、再度整理し直していただきたいと思います。

企画づくりの全体像については,『企画の立て方・作り方』をご覧ください。

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スキル事典84

アイデアにする


  • アイデアにまとめる

 どんなスキルを使うにしろ,アイデアにまとめていくというのは,どういうことなのか。改めて,その意味と効果について考えてみたい。

  •  まとまるものは1つとは限らない

 第1は,新しいアイデアは,1つではないということだ。ありとあらゆる形でネットワークが絡み合っていると見なさなくてはならない。単一の関係づけをしたら,まるで正解を見つけたように満足してはならない。正解は1つではないのだ。1つのつながり,構成で終わらず,少しでも可能性のあるつなげ方は,できるだけ拾い上げなくてはならない。

 そして,最も重要なのは,一見した矛盾や対立,齟齬があったとき,軽々に都合の悪いものを捨てたり,自分の合理化できるものやつじつまの合うものだけを拾い上げてはならない。『パラドックス』は隠れた真理に至る道なのだ。その比喩として,下図を見てほしい。

      

出典F.D.ピート『超ひも理論入門』(講談社)

  左図は,ペンローズの「考えられない三角形」である。ところが,である。この図を,右図のように,全体を構成する三つの部分を一部分ずつ観察したとすると,各部分(a)(b)(c)は完璧に合理的にみえる。3つの図形はそれぞれに部分的に重なっているので,例えば(a)(b)では点X,(b)(c)では点Y,(a)(c)では点Zを確認できる。各要素部分では問題ないのに,接点を重ねて全体をまとめると,なめらかにつながる実際的な図形を形成できない。

 局所的には矛盾しないし意味も通るのに,全体的には論理が合わない。だからといって,これを捨てたら,わざわざ情報を異質化して,組み替えしようとする意味がない。この矛盾をそのまま活かすにはどうしたらいいか,その条件は何か,どうすれば可能か,どういう条件なら可能か,ということを諦めず考えなくてはならない(現に,この図でいえば,あくまで3次元空間では実現不可能というにすぎない。2次元平面では存在可能ではないか!)。

  • 名づけることでそれは存在し始める

 第2は,構成し直された新しいシステムは,その命名がなされて始めて完成するということである。既に,共通性の発見を,クラス段階毎に(カードレベルからグループ,中グループ,大グループへと)同定作業を通して,標題をつけてきた。標題をつけるのは,既に触れたように,その“同定”の中身の表現であるが,そのグループの成員を種とする集団=類の定義が標題にほかならない。そのタイトルが新しい関係づけの表現となっているのである。

 こうした標題づけ作業を,“名づけ”うが,各グループから最終的に全体を名づけることによって,全体の構成が1つのシステムとして固まる。なぜなら,名づけとは,いわば,グループとしての全体を,1つの類として,集団として,確定することだからだ。当然,グループ成員の構成や組成が変われば,グループとしての性格が変わり,別のタイトルを必要とする。ともかく,名づけによって,初めて新しいパースペクティブが秩序づけられ,組織化が完成する。そのとき,それは存在することになる。われわれは,情報をバラバラにすることを通して,いま全く別のパースペクティブを与える“もの”を創り出したことを意味するのである。ただし,名づけによって一旦固定された関係づけは,それがまたひとつの先入観となり,思考の慣性となってしまう危険を秘めていることは忘れてはならない。

  • 最終的に何を選択するのか

 最後に,とりまとめられた組み合わせを最終的に選択するかどうかは,

 ・目的に照らし,

 ・目的の狙い(期待水準・絶対水準)に照らし,

 ・条件(制約条件・前提条件)に照らし,

 ・障害・マイナス要因に照らし

 絞っていくことになるが,これは冒頭で触れたように,もはや発想の段階ではなく,その次の段階である「目標実現プロセス」に関わる問題なので,これ以上ここでは触れない。

  • 気持の持ち方次第で発想力は上がる

  最後に,まとめとして,発想の上で欠かせない,マインドの問題に触れておきたい。本来発想するかどうかは,主体的なものだ。その気がなければ,こんな面倒なことに取り組むはずもないし,気楽な心持ちでなければ長続きしないし,粘り強くなければ,とうてい早々と匙を投げてしまうに違いない。それだけに,マインドが発想力を大きく左右するのである。そこで,自分なりに,心構えを整理してみると,次の3つになる。

第1は,粘り強く,些細なこともおろそかにしない〜焦らず,腐らず,諦めず

1,“まてよ”の姿勢

カッとしたり,しゃかりきになって目の見えなくなった状態から,ハッと我に返るのには大切だ。またつい,慣性にしたがって考えてしまう思考の流れを断ち切るためにも,“まてよ"と,一瞬立ち止まることが大切だ。

2,“シリーズ化”の努力

まず,どんどん羅列し,片っ端から列挙し,徹底的に洗い出すことが何をおいても重要だ。何かに焦点を当てたらそれをきっかけに,とことん洗い出す,関連するものを芋蔓式に引きずり出す。

3,“あともう少し”の気持

もうちょっと,もっと他にありはしないか,まだ残っているのではの気持,もう少し頑張れば何かあるのではないか,という助平根性が意外と大事。人と待ち合わせたとき,あと5分待てば,30分待てば来るかもしれないというのに似ているようだ。

4,“まだまだ”の楽観性

コップ半分の水を見て,「もう半分」と悲観的に考えるのと,「まだ半分」と楽観的に考えるのとでは余裕が全然違う。この僅かな余裕が発想にゆとりを与える。

5,“とことん”の粘り腰

タテ・ヨコ・ナナメ十文字に,徹底的に,とにかく諦めず,持続する。1つのアイデア,方向に(中断をはさんでは)とことんつきあってみる。粘りは,「この程度で」「まあ,いいか」といった妥協,中途半端を退ける。アインシュタインは,「何ヵ月も何年も考えて考え抜く。99回は失敗しても,100回目に正答を得るかも知れない」と言っている。

6,“ダメモト”の開き直り

だめでもともとではないか。何回でも,何度でも,やってみる,試めす,試みる。駄目とわかることだって,収穫のひとつという位の気持が余裕となる。

7,“引っ返す勇気”

やり直す,出直す,繰り返す,一からやり直す,全部ひっくりかえす,験算する,まぜ返す,精神を捨ててはならない。それは,自分の中の批評力なのだ。途中から間違ったまま,あるいは手順を間違えた,飛ばしたとき,「まあ,いいか」「仕方ないか」と妥協せず,初めからやり直す,確かかどうか再度繰り返すという作業を厭わない,という姿勢は創造性にとって不可欠だ。

8,“無の字”に執着

無理,無茶,無謀,無駄,無縁,無意味,無効,無用,無情。こういったいかにも非効率・非経済な,世の秀才が鼻先でせせら笑うようなものを,めげずに取り組むことが大事だ。むしろ,ある意味で,夢想的,空想的なものを引き寄せて,現実的効率的な発想を排除してみることこそが必要なのだ。

9,“バカバカしい”という評価をしない

馬鹿げている,くだらない,といった評価は,大体常識でしているだけだ。常識の判断で事が済むなら,もともと発想の必要性などない。むしろ,常識の嘲笑する,不真面目,悪ふざけ,遊び,馬鹿ばかしさ,くだらなさの中に,宝石がある,と考えるべきだ。

10,“リラックスせよ

ある意味で,せっぱ詰まっても,どうにかなると思う開き直りが必要だ。それがゆとりを呼ぶ。宋の詩人,欧陽修が言ったとされる「三上説」,つまり,馬上,枕上,厠上はいずれも,日常から離れて寛いだ状態だ。こういうときにいい発想が生まれるとしたのもうなずける話だ。現代風に言えば,車中,トイレの中(そう言えば,昨今洋風となり,皆考える人になっている),寝室の中,それに風呂の中(アルキメデスの例もある),といったところだろう。だから,3B(Bus Bath Bed)というのもある。

第2は,キャッチボールをすること〜いわばブレスト精神の徹底

キャッチボールこそが,発想を広げる鍵だ。どんなに発想豊な人も,360度の発想力のある人は稀だ。多くは,天才ではない。しかし,「一人の天才より,百人の平凡な技術者の方」が商品開発に向いているといったのは,ほかならぬ,ポストイットの開発者フライだ。しかし,平凡な人が,いままでどおりでいいという意味ではない。人との違いに耳を傾けながら,それを自分の発想への刺激としつつ,発想を広げようと努力することは,不可欠だ。そこでは,コミュニケーションが,いやコミュニケーションしかツールはない(コミュニケーションタブーを参照のこと)。ブレインストーミングは,そのキャッチボールの効果を最大化しようとするものに他ならない。

第3は,メモの効用〜メモは自分自身とのブレスト

メモは,時系列に沿って,そのとき,その場所毎での,自分の受ける刺激によって,自分の発想が違っていく,その記録なのだ。それは,自分自身とのブレインストーミングなのだ。

思いついたことを継続的に,ときとところを問わずメモしつづけると,場所や時間を変えることで,違う視点から,違う条件で,見直しているのと同じ結果をもたらすのである。電車の中,トイレにしゃがんでいるとき,会議の最中に誰かの発言に刺激されて,飲屋,食事中,デートの最中,旅行中,商談の最中(その場でさりげなく注文書の隅にメモったり,直後にメモをしたり)等々,とメモしつづけると,それを取った機会が多様であればあるほど,メモ→メモ→メモ→メモ→メモといった一直線な流れではなく,各メモで違った彩りやニュアンスに通底する連想の根茎の流れが,幾重にも連なり,重なって,連想の厚みによって,発想を飛躍させるのと同じ働きで,遠いメモの連なりに,不意につながったり,関係ないアイデアの中にぽっかりと浮かんで出たり,異質な組み合わせを見つけることは十分ある。

とすれば,意識的に,ともかく頭に浮かんだアイデアは何でもメモすることで,異質化を効果的にすすめるには,

 @メモは,どこででも記入できるように,いつでも持ち歩く手帳に挟め,書いた後用紙がバラバラにできるものであること

 A1件,1枚に書くこと

 B書いたものは,いま進行中の仕事か,今後の予定程度の区分にして,意味あり気に分類しないで(習慣的な分類はかえって,そのメモを正しく見る目を失わせ,そう分類された枠組でしか見えなくなるので),ともかく大括りに一まとめにしておくこと(ファイルや空き箱に放り込んでおけばよい)。

 C一定期間(最低1ヵ月)は継続すること。必要でなければ,3ヵ月位継続した方がよい。

 D一度に,ある期間のメモを,取り出し,グループ化するなどの作業(後述の括り直し→まとめ)をしてみる。

 ということが大切である。

アイデアづくりの基本スキル」を参 照

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スキル事典85

グルーピング・スキル


  • グルーピング効果〜ラべリングのもたらすもの

情報を分類整理するとき,ともするとよく知っている項目に合わせて括ってしまいがちだ。しかしそれは既にある分類項目を正解としてそれに当てはめて括っているにすぎない。それでは,せっかくバラバラにした情報を,既知の枠組の中のものという見え方しかできなくする。ちょうど「その他」と括ってしまうと本題とは関係のない周辺情報としか見えなくなるように。それでは既知の枠組を補強することになる。新しく括り直すには,それなりの工夫がいるのである。

  • グルーピングのための手順

 集めた情報から新しい組み合わせを見つけ出すには,それを目の前で見られるように“情報のビジュアル化”をしなくてはならない。しかもそれは,逆さにしたり,くっつけたり,動かしたり,更にバラバラにしたりしやすくする“モノ化”できていなくてはならない。この効果は2つの面から考えることができる。

 第1に,まず情報を目に見えるようにする。

 情報をビジュアル化するとは,《形》《形態》《文字》《文章》《図》《絵》《イラスト》《写真》《身振り》《動作》等々,視覚的なものに置き換えることを意味するから,バラバラ化の効果と同様に,

 @既知の文脈から切れた情報が,

 A直接に目に見えるイメージとして,

 B感覚刺激となって,

 C既存の意味回路から切り離されて,無意識の回路にランダムにつながり,

 Dその根茎を芋蔓式にたどりやすい,

 という意味で,集めた情報そのものが更に刺激となって,

 ・視覚化による一層の異質化

 ・連想による一層の異質化

 を可能とする。しかも目に見える形のものが更に“モノ化”していることで,

 第2は,操作しやすくすること。

 即ち,“情報操作性"の向上が図れるのである。つまり,そのようにバラバラの情報が,

@目に見え,

A直接動かせて,

B相互のつながりをあれこれいじれることによって,

並べたり,くっつけたり,つなげたり,離したり,変形させたり等々と,情報相互の関係づけをモノのように視覚的に対比できるのである。

  • 共通性を基準にグルーピングし直す

 以上の情報操作を通して,バラバラの情報の中から,共通性を発見し,グループ化していく。このプロセスでは,情報を単位情報同士の組み合わせから,順次より上位のグループへと括り直していくことを通して,全体の新しい構造を発見していく。

 これは,集めたデータの相互関係を整理して,正確に現実を再現(再生)し,何が起こっているのか,何が問題かを解明することではない。それは事実の観察や再現にすぎない。またただ図書分類のような既存の項目,区分に割り振ればいいのでもない。それでは結局元のさやに収めただけだ。重要なのは,バラバラにした情報から共通性を発見して,新たにグループを括り直していくことなのだ。そこには次のような意味がある。つまり,

 @小グループ→中グループ→と,グループごとに括り直すのは,まったく別のまだない「全体」(これから見付けようとしている輪郭)に再編成し直すことなのである。

 Aバラバラ化作業によって,要素はただ分解したのではなく,ひとつのものを,いろいろな視点から見たり,別に言い直したり,それを更に別の視点からみたりと,わざわざ矛盾する,バラバラの状態にしたのだから,矛盾するからとか,うまくまとまらないからと,整合性のとれないものを捨ててはならない。むしろ,どうすれば,その括りきれないものを一緒にできるかを考えなくてはならない。矛盾する,違う2つを括る,つまり,共通性を見つけるとは,われわれの既知の分類基準や機能区分とは別の新しい基準で括り直すことなのである。

 B各要素間の矛盾をそのまま生かそうとすると,要素をただ足したものとは違った質的変化をとげたものにまとめなくてはならない。それによって,新しいパースペクティブ(枠組)を発見するのである。従って,この“共通性の発見"のプロセスは,バラバラ化が“既知のパースペクティブを崩す”プロセスであったとするなら,“未知のパースペクティブを発見する”のプロセスなのである。

 以下,この情報のグルーピングにおける,

 @情報ビジュアル化

 A情報グループ化

 の作業を,それぞれを別々に検討していく。

  • 情報をビジュアルにする

◆9つのビジュアル手法

 目に見える,客観的に観察できるといった,情報ビジュアル化のためには,一般に,次のような9つの方法がある。

@文字による表現 これには,言葉の文字化,文章化,カード化,シナリオ化等の表現スタイルの違い,絵文字やイラスト文字,あるいはシンボル,記号,数字といった表現手段の違い,そしてその大きさやゴチックか明朝か等の表現形態の違いなどがあるが,要するに言葉を自分の外に見えるように表現することである。前に触れたように,メモも,文字化することによる立派な情報ビジュアル化なのである。

A図による表現 これには,何を表現するかという表現内容による区別と,図・表・チャート・地図といった表現スタイルによる区別がある。

・表現内容

 数値の表現……表やグラフ

 モノの表現……2次元表現(形,形状,形態)と3次元表現(厚みや奥行,状態)と4次元表現(変化,移動,変容)

 コトの表現……関係の表現(位置関係,時間関係,因果関係,包含関係,入子関係,階層関係,序列・順序関係,相関関係,対比関係,類比関係等)/流れの表現(歴史,時間変化,音符・スコア)/動的変化の表現(求心・遠心,統合・分離・グルーピング・分割,拡大・縮小,入れ換え,代置)

 空間の表現……モノとモノの配置(街路,ミサイル配置),コトとコトの配置(戦闘,交易,流 通),観念(思想)の位置,地形・地理の位置(海図・天気図・交通網)等

・表現の方向性

 俯瞰か細密か,断面か,前後,奥行,自分の視点からか相手の視点からか,全体からか部分からか→平面図,断面図,鳥瞰図,見取図,トポロジー

・表現スタイル

 表,図表(グラフ),チャート(系統図,組織図,工程図),マーク

・表現手法

 平面(直線,囲み(○△□),矢印),濃淡(黒白,斜線,色合い,彩り),立体(奥行,遠近法),移動,類似(かたどる,なぞる)

B文章の図表化 これは,言葉のビジュアル化(文字化)ではなく,表現内容のビジュアル化であり,論理関係の表現,事態の説明の具象化,特徴描写の具象化,モノ・コト描写の具象化等を意味している。特徴をクローズアップして取り出して図示しようということでは,イラスト表現と関係がある。また,数値の説明を一覧化するということでは,数値の図表化につながる。一番問題は,論理関係,論理の文脈の図解である。例えば,いわゆる範疇を円で表現する(2つの範疇間を同一,包含,部分重複,分離の4形態で関係を図式化する)ベン図式に倣って,@「すべてのAはBである」あるいはA「いくらかのAはBである」を,閉じた領域で表現してみることができる。

Cモデルによる表現 模型やプラモデル等のようにモノやコトをかたどって,現物・現実を実体的につかもうとする。この場合,図による表現の中のモノやコトの表現を3次元化したものと考えればよい。3次元のモノの形態や,部分と全体,部分間の関係を確認できる。これに変化という時間を加味することで,コンピュータグラフィックスやホログラフィーへとつながる。

Dイラスト,漫画,写真による表現 動作や形態,状態,感情や感覚を表現するには,そのままを写しとる(写真)か,ある部分を強調(漫画)するか,さらに誇張(イラストやデザイン化)するかが,有効となる。

E映像による表現 VTR,フィルムによって,映像やアニメーションによって,現実のコトの動きと推移をシークエンシャルにたどる(4次元を表現している)。といって,現実の時間の推移と同型的に描かれているわけではなく,スローモーション・ストップモーション,逆に高速度映画や早回し等々,自在に変化できる。また,焦点の当て方によって,アップ,ロング等,部分的に強調・誇張も可能である。当然静止画像は,写真表現と同じになる。

F身振りによる表現 躯をつかった表現は,言葉や図では固定されてしまう動きのある表現,変化しつつある一瞬の表現,言葉や図にはならない感情や感覚の表現(「ものすごくすばらしい」ということを言葉や図だけでは表現しつくせない)。その部分を強調したり,誇張したりすることで,逆にその特徴をつかみやすくなることは,いわゆる声帯模写や形態模写,似顔絵,からもよくわかる。この方向が,イラストや漫画の表現につながる。

Gシミュレーション 行動,変化,時間経過などの連続的推移を疑似的に体験する。具体的な場面,状況が目に見えるようにすることで,いろいろ試せるような状態を具体的に設定できる。これには,敢えて区別すれば,モノやコトの時間的推移をなぞるものと,コンピュータ・グラフィックスのように,モノやコトを多次元化したり,透視したり,拡大・縮小,伸縮,といった物理的な変化をさせたり,架空の連続運動をさせてたりと,いながらにして多角的な視点からのパースペクティブを描けるものとがある。

Hロールプレイング 一種の身振り表現だが,ここでの擬態表現は,相手になる,相手の視点への入れ換えを含んでおり,“成った”相手の視野でモノを見,コトをつかもうとすることになる。擬人化,擬物化も,ここに含めることができる。

  • もっとビジュアルにするための7つのチェックポイント

 ビジュアル化し操作しやすくする技法の代表は,いうまでもなくKJ法である(詳細は,『発想法』『KJ法』に譲る)が,表現するのが《文字》《文章》だけでなく,《形》《形態》《図》《絵》《イラスト》《写真》《身振り》等々何にせよ,共通しているのは,具体性・特殊性をどうやって表現するかということである。どうしてもわれわれは,知識や言葉でまとめてしまいがちなのである。しかし本来,バラバラにしたとき,細分化によって,具体化をしたはずなのだ。それを,わざわざまとめたり,括ったりしては,何のためにバラバラのステップを経たのかがわからなくなる。そこで,もっともっとビジュアルにするために必要な要点を次の7つのチェックポイントにまとめておいた。

 @具体的であるとは,特殊であること 具体的とは,〜一般ではなく,この〜,あの〜という個別なモノやコトやヒトである。それは,そのとき,そこ,という特殊な場所と時間という限定性をもっているということである。ともすると,言葉でまとめるとき,知識や経験で無意識のうちに意味づけてしまっている。改めて意識的に特殊性を強調しなくてはならない。それは,状況を変えれば,例えば〜,と次々と例示できる,ということでもある。

 また,「犬」ではなく「コリー」と個別名で表現した方がいいが,なおいいのは,「口が狐のように細く,毛足が長い,大型犬で,羊の番犬として使われてきた。アメリカのテレビ映画の名犬ラッシーはこの種類」といったように,それをなお具体的に表現することだ。ここでは,「犬」「狼」「狐」といった比較を通して,同一(同型),等価(同質),類似(相似),喩え(なぞらえる)といったアナロジーが働いているが,それが個別性をより強調することになる。

 A言葉は,より具体化すること 「高い」ではなく,どのくらい高いのか,数値ではなく,東京タワー位といった,具体的に比較できるものを並べること。当然名詞より動詞,動詞も「する」「なす」「やる」ではなく,状態,行為,性質,位置,関係等を具体的に描写すること。「〜した」というとき,「何をどのように,どうした」と,形容詞と具体的行動を示す動詞によって,どんどん細部化していけるはずである。たとえば,「恥をかいた」ではなく,「自分がやったことを自分の子供にみられていたらと思うと,背中からどっと汗がしたたり落ちて……」と,いったように。

 B整理するより描写すること どうしても,頭で要約したり,整理して説明しがちだが,モノ・コトともに,事実・状態をそのまま,いつ,どこで,どういうことをして,どういう状態にあるかを,表現しようとすること。例えば,「あいつは優れていた」ではなく,どういうときに,どういうことが,どれくらいできる,というように。あるいは,彩りや形や濃淡や肌触りや感じ等を具体化した方がより個別化,特殊化する。

 C個別のパースペクティブであること エピソードや想い出が個別であるのは,それが個人の視点から見られているからにほかならない。同じモノやコトでも,見る人によって,その感情・感覚・意味づけが異なる。それによって,当然目のつけどころも違うし,強調するところも,焦点も違う。それが個別性であり,即ち具体性だ。一般化するというのは,誰がどこから見たことなのかをわからなくすることなのだ。

 Dエピソードや出来事は“そのとき”のニュアンスを残すこと 会話を表現するとき,消えてしまうのがアクセントやニュアンスだ。そこに,特殊性があり,具体化の鍵もある。これをできるだけ残すことが必要だ。

 E文脈を変えることで意味や関係が特殊化する 同じ言葉,同じ描写も,文脈・条件を変えると,1つずつが別の意味合いを帯びてくる。その1つずつの違いが,個別性にほかならない。本当は,どんな言葉にも一人ひとり別々の意味や彩りをもっているはずだし,ひとつひとつ別のエピソードをもつているはずなのだ。

 F関係の連鎖性をはっきりさせること 部分と全体,要素と組成,階層の上下,順位,因果関係といった関係づけによって,1つずつの位置づけ,構造内の関係,組成間の影響等が変わっていく。単独で見るのと,関係づけの中で見るのとでは,後者の方がより具体的なのである。

  • 情報を文字にする

 通常われわれが情報をビジュアル化するときに使うのは,KJラベルにしろ単なるメモ用紙にしろ,文字にすることである。以上の7ポイントを守って,コトバを書き出すとき必要なことは,5W1Hで表現する,ということだ。そういうといかにも簡単のようだが,これが実はむつかしい。なぜなら,われわれは,何かを伝えるとき,「Aがいたずらをした」というような言い方をしてしまう。ついつい用語や慣用句で表現してしまうのである。具体的であるとはどういうことかわかっているようで,とっさにはしにくいものなのである。「いたずら」とはどういうことなのか,具体的に,「どういうときにどういうことをすることなのか」は,意識的でなければなかなか表現できないのである。

 あるいは,「〜は優秀である」というのも同じである。具体的とは,「どういうときにどういうことができることなのか」を説明できていなくてはならない。そうしないと,例えばブレインストーミングで,相互に「優秀」と言っているだけでは,互いの違いを具体的な表現で刷り合わせたことにはならない。

 以上を考えあわせながら,カードに書き出すときの留意点をまとめると,次のように整理できる。

 @1ラベルには1件書き出す。どんなに短くても1枚1事。

 A心に想起したこと,イメージしたこと,アイデア,何にしろ,それを整理したり順序立てたりして,コトバに置き換えようとしないこと。未整理でも文脈が不揃いでも,ともかくそのまま書き出すこと。その方がニュアンスを失わないはずである。

 B説明調であることを厭わない。誰が読んでも,そこに書かれていることがイメージできるためには,事細かで,具体的であるほどいい。要約したり単語にまとめることは厳禁である。

 C同一の意味でも,状況や時期,主体や対象,ニュアンスやフィーリングが違うと思えば別に書き出すこと。その意味では,関連するものはどんどん書き出してしまうこと。逆に言えば,人が違えばどんどん別のイメージになりうるし,それが具体化だと考えていい。後の作業の繁雑さや面倒さを厭うべきではない。

 Dタブー,禁句はないし,こうしなくてはいけない,こうすべきだという制約も一切なしに考えなくてはならない。


  • グルーピングのための新しい基準を見つける

 ビジュアル化によって具象化した情報を,

@モノとして,

A物理的にあれこれ,動かし,

B情報間に“共通性”を見つけ出して,

Cグループ化(部分集合)していく

 ことになるが,この共通性の発見がいわば1つのグループに括り直すための共通基準の発見にほかならない。そしてこれは,ただ似ているということで安易に括ればいいのではなく,習慣的には相互に矛盾しあう要素間に「交錯点」を発見し,1つの脈絡にすること,つまり「特異点」を見つけることであり,「同定」(湯川秀樹)する(違ったものを同じものとみなす)ことであり,それによって,ひとつに括れる枠組を形成する(括り直す)ことができるものでなくてはならない。

 そこでは,「似ているということと同じだということとは違いますけれども,似ているという以上は,両方のどこかに共通点がある,何かの点で同じだということに気づいたことを意味します。……似ているということだけでなく,どういう点が同じかということに気がつくということが,本質的に重要だと思います。……似ているものは同じだと思う,そういうときに急所を抑えている,ポイントを抑えている。……2つのものが,どういう意味で同じと認めるか,その本質をつかむ」(湯川秀樹)ことが重要なのである。

 異質なモノを“似ている”“同じ”と見なすには,両者の間でのカタチの異同の問題(つまり類似性)と,両者の間のつながりの問題(つまり関係性)があるが,似ているものの本質をつかむには,例えばニュートンが,りんごと月と“同定”したように,両者を1つに括る共通性を発見するためには,両者のカタチが円いという外見の類似性とは別の,両者をつなぐ“何か”,つまり両者を構成要素とする関係,構造の発見がなくてはならない,ということなのである。

 こうした“関連性”をつなぐ“何か”を見つける手掛かりは,前述したアナロジーにほかならない。例えば,鳥の羽根と人間の手と魚の鰭に共通性を発見するには,山椒魚とか飛び魚とかコウモリといった,形は異なるが仕組みは似ている,といった両者の関係性をつかみやすいアナロジーを見つけるのがいい。そうしたアナロジーをスクリーンにして,より具象的につながる“何か”を見やすくできるのである。

 後でも触れるが,似ている,類似性というのは,かなり曖昧でしかない。例えば,人間の手と鳥の翼の関係は,外観は異なるが,発生や仕組みは等価である(相同性という),こうもりの羽根と昆虫の羽根は,外観は同一だが,発生や仕組みは異なっている(相似性という),ここまで踏み込まなくては,共通性を発見したことにはならないのである。だから,仮に外見の類似性だけで括ったとしても,それをより厳密に,どこがどう似ているかをはっきりさせようとしていけば,必然的に,両者の関係性そのものに,つまり比例関係,因果関係,包含関係,入子関係,部分・全体関係,類と種関係等々,両者の関わり(関連性)がどうなっているのか,どういう関係があるのかへと踏み入らざるをえないのである。だから,仮に取っ掛かりは「似ている」というところから入るとしても,そこで共通性発見の作業を止めてはならない。

 その意味では,この“共通性発見”のプロセスは,「ものがわかっていく」過程であり,それは,「素材となる情報の間の対応関係をつけていく過程」であるということができる。それを組み合わせていくプロセス,グルーピングしていくプロセスとは,一般化していくことであり,それは,「1つの対象についての考察からその対象を含む集合の考察へうつってゆくことである。あるいは又制限された集合からその集合を含むもっと大きな集合の考察にうつること」(ポリア)なのである。

  • グループの共通点を発見するためのチェックリスト

 ではわれわれにとって,共通性を発見する手立てとして,どんなものがあるのだろうか?手掛かりとして,アナロジーを例示したが,それを含めて,必要なチェックポイントとして,以下に15項目挙げておく。われわれに必要なのは,煩を厭わないことだ。元素記号を紙切れに1つずつ書き,それを丹念に並べ替えて,元素の周期律表を発見し,未知の元素を予測したメンデレーエフのように,律義に,1つひとつをチェックしていかなくてはならない。

@まだ細分化し足りないのかもしれない。機能,形状,属性,特性,手段,方法,もっと分割できる,もう少しブレイクダウンできるかもしれない。

Aあるいは,逆に細分化し過ぎてしまっているのかもしれない。そのために,1つ1つが意味の単位を失っているかもしれない。もう少し意味のある単位まで戻さなくてはならない。

Bまず似たところはないかと考えてみる。意味的,形式的,質的,形態的,構造的等々同じところが見つかるかもしれない。もちろん直ぐ見つかったもので進めてはならない。それは見慣れた(耳慣れた,聞き慣れた)ものの可能性が大きい。他にないか,更にチェックを進めなくてはならない。

C違いはどこにあるか。逆に,似ても似つかないものはどれか,差異は何か,違いは何か,そうすることで区別がはっきりする。似ていないものとそうでないもの,という2グループの境界線が見えてくる。

D別に言い換え(置き換え)られないか。それはどういうことかと,別に言い換えてみる,別のものにたとえてみる(比喩),他のものに置き換えてみる(拡大解釈,抽象化,縮小,逆さに,裏返す,伸ばす,縮める等)。同じになるかもしれない。この操作自体が,一層のバラバラ化になる。

Eそれを具体例で考えてみる。どういうときにどういうことがあったか,誰がどこで何をしたか,という具体例,具体的人物,具体的事物,具体的出来事で比べてみる。

F両者に関係づけられるものはないか(アナロジー)。一部でも,他を介した間接的でも,断続したつながりでも,僅かに関係づけられるものはないか,原因結果,表裏,前と後,一方が他方の部分,他方が一方の全体,目標と手段,地と図,相関,従属,相補,補完,入子,主客,陰陽,等々。

G無関係なものはないか。逆に,どんな意味でも無関係なものによって,最初のグループ化が図れる。

H関係や類似させる媒介(触媒)はないか。全く関係なさそうなのに,何か別のモノや言葉と関係づけると,間接的に似てきたり,その関係づけによって,全体の配置が見えたり,順序が見えてきたりするかもしれない。

I両者をそれぞれ別のモノ(似たもの,関係あるもの)に置き換えてみる。それぞれを別のものに置き換えると,共通項が見えるかもしれない。

     C′= C′

     ‖   ‖

     A ≠ M

J補充・補完してみたらどうか。何が欠けていないか,何か加えられるものはないか。もし,それを補ったら共通項が見つかるかもしれない。例えば補助線を引いただけで,解けた幾何のように。

K結合してみる,合わせてみる,重ねてみる。それぞれを一体化すると,共通項がみつけやすくなるかもしれない。

Lそれぞれを統一する(括れる)ものはないかと考える。両者をまとめるとどうなるか,両者共通の傘はないか,共通に括れる枠はないか,と考えてみる。

Mそれぞれを遡ってみる。それぞれが何に原因している(由来している)か,何がもたらしたものかと,背景・根拠・理由に遡ってみる。そうすると共通の起源(上流)であったりするかもしれない。

Nそれぞれを下ってみる。これからどうなるか,今後の方向,流れを考えてみると,下流では一本化しているかもしれない。また何のために,どういう方向へ向かっているか,何を目指しているかと,理想・目的を考えてみる。

  • 見つけた共通性をラベルにする

 共通性を見つけたら,それぞれにグループ化していく,そして各グループ毎に,その共通性を表示する(ラベリングする)。これがそのグループの標題,タイトルとなる。これもまた,要素をカードに書き出したときと同様に,具体的でビジュアルでなくてはならない。それは,そのグループのメンバーつまり,カード群全体が,

 「何を言わんとしているか」

 「何を問題としているか」

 「何が似ているか」

 「なぜ似ているか」

 という,共通性の中身を標題とすることである。その括りがまた,それを単位とする文脈があり,関係があり,そこからグループ同士に新しい関係づけを見つける手掛かりとなっていく。

 それには「これから炙り出そうとする」全体の中での関係をイメージできるように,それぞれのグループの中身を言い表した具体的なものであることが好ましい。抽象的概念的であるほど,既知の分類枠を想定しやすくなる。また一般化しにくい個別的なニュアンスをもったグループの括りであるほうが,他のグループとの(類似性あるいは関係性の)距離を測りやすいのである。それは,グループ間の関係づけをするときに,役立つはずである。


  • ラベリングによってもたらされる効果

 ラベリングの重要性は,実はそれによって,そのメンバーである情報の見え方が決まってくるところがある点なのである。前述したように,ありふれた括り方をしてしまえば,そういう枠組で見てしまうということなのだ。

 例えば,「日本語の使用の乱れ」と題して,「見(ら)れる」「来(ら)れる」と文法的には間違った「ら」抜きの使われ方が目につくいう新聞情報をファイリングするとき,「情報」というタイトルで括るか,「日本語」とか「言葉の使い方」で括るかで,その情報の見え方が変わってくる。例えば,「情報」として括れば,「見れる」は「ホコテン」「パンスト」と同じく情報短縮と見えるかもしれない。時代のスピードとこじつけて考えるかもしれない。しかし「日本語」とか「言葉の使い方」で括れば,例えば「取りて→取って」となるように,あるいは「新し」が(平安以降)「あらたし→あたらし」と変化したような,歴史的な「音韻変化」の一例にすぎないと見えるだけかもしれない。どちらが正しいかではなく,何も情報の見え方を限定する枠組を設定することはないのだ。

 心理学の古典的な実験に,ある特定のものや状況への名前のつけ方が,時間経過後の再現度を左右するというものがある。例えば,次図(「ラベルが見え方を決める」を参照)のように,原型図が「窓とカーテン」と名づけるのと「四角の中のダイヤモンド」と名づけるのとでは違いが出てくるのである。つまり,ラベルが情報の「事後情報」の役割を果し,見え方の枠組をつくってしまうのである。その意味でも,何を言わんとしているかをきちんとラベリングすることが,重要になるのである。

 こうした括り直しのための技法としてKJ法があるが,その他代表的なものとして,

 ・データに優先順位をつけながら整理・分類していく,クロス法

 ・因果関係で整理していく,特性要因図,連関図法,系統図法

 ・時系列で整序していく,PERT

 等々がある(詳しくは,続・発想・創造性関連参考文献参照)。

 しかし,このいずれもが,実は問題解決技法と呼ぶべきもののように思われる。解決すべき目標が明確であり,それを目指しての実現プロセスだからこそ,因果関係で括ったり,時系列で括ったりすることができるのだし,優先順位も明確にできる。目的そのものを探している発想段階でも,もちろん優先順位や因果関係が見えなくはないが,それは常識的あるいは既存の枠組であって,それで括ってしまうのでは,何のためにバラバラにして括り直そうとしているのかがわからなくなってしまう。見えてる基準ですぐ括ってしまうのではなく,見えない関係を見つけ出して括り直さなくてはならない。またグループ間の関係も,それを目印にして括り直すのではなく,あくまで括り直した結果グループ間に見い出せるものでなくてはならない。その意味では,KJ法を除いては,発想のための括り直しのプロセスとしては使いにくいのである。むしろ,新しい括り直しの基準として,いかに共通点を見つけるかの努力こそが大事なのであって,そのために前出のチェックリストはあるのである。

 さて,こうしてグループ化した,各グループ間で,また共通性を発見し,更に大きなグループへと括っていく。ここでの共通性の発見方法は,最初のグルーピングの場合と同様である。

  • 一緒に括れないものに手掛かりがある

 この括り直しのプロセスで大切なのは,括れないものだ。どうしても自分たちのもっている分類区分で括ってしまうことが多い。

 そのため,グループ化できたものから,全体の構成を想定するのではなく,逆にグループ化できないものから,別のグループ化ができないか,別のパースペクティブが描けないか,別の順序づけができないか,と括り直してみることが大切になってくる。括れないものを,例えば,

@単独の1枚をメンバーとして包括できるグループを考えてみる。すると,それに含まれるものが,バラバラ化のプロセスで見落とされていたということがわかるかもしれない。

A逆に,それをグループとして考える。すると,これまではメンバーとして他のカードと比較するから,共通性が発見できなかったことに気づくかもしれない。つまり,類と種を混同しては比較使用がない。それを1グループ名として,クラスを上げることで,メンバーとの関係はみえなかったけれども,既に括った他のグループとの関係が見えてくるかもしれない。

Bそれが見つからなくても,その少数派グループとの関係づけという目で,全体との関係を見直してみると,既に括ったグループ分けそのものを見直さなくてはならないことに気づくかもしれない。

 要するに,グループに入らない情報こそ,ある意味では,われわれの既知のパースペクティブを崩す,もっとも異質化の要となる因子かもしれないのだ。どうしても手慣れた,あるいはよく知っている分類項目に当てはめて括ってしまっている。残ってしまったカードは,そうして安易にすすめてしまったグルーピング作業への,根本的な批判を秘めている可能性がある。なかなか軽率に扱うべきものではないのである。

  • グループ間の関係に目をつける

 こうして,共通性の発見→グループ化→共通性の発見→中グループ化………と,順次グループの括りを大きくしていく作業を通して,括った情報群のグループ間に大まかな構図を描かなくてはならない。関係が大まかな配置図として構成できることが望ましい。その目安としては,

 @グループ相互の類似性に着目する 意味的・価値的類似性,形態的類似性(形,色,スタイル),性質的類似性(材質,重量),機能的類似性(働き,役割),構造的類似性(システム,流れ)

 Aグループ間の文脈(脈絡)に着目 ひとつのシステム(組織,機構,機械),構造としてのつながり

 Bグループ間の時間的な流れに着目 時系列,因果関係,歴史,出発点目的地

 Cグループ間の空間的な関係に着目 配置関係,位置関係,順序関係,遠近関係

 Dグループ相互のクラス関係に着目 全体と部分,階層,類と種,レベル,分類,系統,従属関係

 Eグループ相互の依存関係に着目 補完関係,入子関係,依存関係,相関関係,対立関係

 等々,ここではどれかに決定するのではなく,あり得る相関関係,位置関係をいくつも列挙しながら想定してみる段階である。ここでの構図づくりが,まとめの段階でのアナロジー形成の手掛かりとなる。

 しかし,少し先走りして言えば,この共通性の発見とグループ化を通して見通せた構図によって,かなり先行が読めるはずである。先に,見え方を変える徹底したバラバラ化作業が,発想ブレークスルーの8割を決めるが,せっかくバラバラ化の成功で得た異質なパースペクティブを,既知の枠組の中に括り直すことさえしなければ,このプロセスを通して括り直されたものから,未知の枠組がもたらされる可能性は高いのである。

 実際に後述する発想モデル(例えば,欠点列挙法)を使ってみると分かることだが,いざグループ化し始めると,われわれの中で慣性化した(見慣れた,使い慣れた)機能区分とか分類区分が根強く,せっかく別の見え方から新しくグルーピングし始めたはずなのに,結局いつもの括り方になってしまっているというケースが多い。

 例えば,ユニットバスの見直しをしていく場合,よく見られるのが,せっかくいろいろな異質情報を手に入れているのに,それを括り直すとき,バス部分とトイレ部分という区分けに落ち着いてしまう例だ。それでは,それぞれの機能を改善する(もっと広くするとか使いやすくするとか)ということにしかならない。この慣性的な区分そのものが妨げなのである。

 こうした慣性を避けるには,グルーピングした構図からそのまま見えてくる結論に飛びつくのでなく,一旦その構図を別のものにずらしていく(アナロジーを想定する)のがいい。例えば,今のバスとトイレという括り方でも,それと類似したもの,あるいはそれと似た関係にあるものはないか,とアイデアをスライドさせていくと,例えばシャワーと浴槽の共用,トイレの大小共用等々という似た区分にぶつかる。そこから,別々の機能のモノを一括するという着眼に手か掛かりをえる。そうすれば,初めから風呂とトイレは区別するもの,という前提を捨てることになる。即ち,トイレと浴槽の共用を可能にすることはできないか?である。笑ってはいけない。こういうばかばかしい矛盾や背理をクリアしようと発想する者にのみ,ブレークスルーは訪れる。ここから先は,見かけと実質の清潔をどう保つかという,実現のための問題解決の作業に入るのである。

グルーピングについては,「アイデアづくりの基本スキル」を参照ください。

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スキル事典86

キャッチボール効果


  • キャッチボールの効果を上げる

 カーネギー氏は,著名な『人を動かす』の中で,こんなことを言っています。「二人の人がいていつも意見が一致するならそのうちひとりはいなくてもいい人間だ」と。いわば,人は別々の人生を送っている限り,意見が異なること(つまり異見)は当たり前なのです。それを無理やり右へならえさせないと,なんとなく自分が管理者である権威が示せないと考えること自体,すでに間違った前提にたっているのです。コミュニケーションの前提をここに置くなら,異見が一致しないことが問題なのではなく,安直にトップや管理者に一致してしまうことのほうが異常なのです。

 ここで,“キャッチボール”と言っているコミュニケーションには明確なイメージがあります。それは,例の3Mのポストイット開発をめぐる逸話です。周知のように,シルバーという人が,接着剤を開発していて,貼ってもすぐ剥がれてしまうものを創り出しました。彼はそれを「失敗」とはみなさず,社内の技術者に,この特性を生かした使い道を考えてくれないかと主張し続けたのです。その中に,いつも書籍に挟む付箋に不便を感じていたフライが,その使用方法として,ポストイットを発想したのです。


 ここには,大事なポイントが2つあります。
 第一は,自分から人にアイデア(考え)を問い掛けるということです。
 第二は,失敗作という先入観にとらわれず,何とかできないかと受けとめる「聞く耳」をもっている人がいたということです。

 職場のキャッチボールの原型はここにあります。実は日常でも,ふとした疑問や発想,あるいは仕事上の悩みや壁について,「どう思う?」と気楽に問をかけられる相手がいれば,どれほどその発想や悩みを前向きに解決できることが多いかわかりません。たとえば,個人の力量不足で悩んでいることが,問い掛けた相手から「自分も!」と同意をうることで,個人的な問題ではなく,職場全体のスキルの問題につながる可能性もあるのです。


 「聞く」という言葉は,人の言うことをよく聞けという意味で,通常「聴く」と表現されることが多く,積極的傾聴法などでいうのもその意味です。しかし,「聞く」という言葉には,もうひとつ,「訊く」という意味があります(もうひとつ,利き酒の「利く」というのもありますが)。つまり,「質問」とか「問う」という意味です。

 具体的に考えれば納得がいきますように,これは重要です。たとえば,上司が部下に何かを頼んだとき,それが初めての仕事なのに,「わかりました」と言ってすぐ引き下がるようなら,それはわかっていないと判断しなくてはなりません。よしんば,本当にわかっているとしても,そこでは,「こういうときに,どうする?」と,上司の側から「問い掛け」なくてはなりません。部下は,「何がわからないかがわからない」かもしれないからです。こうして初めてキャッチボールがはじまるはずです。それをしないで,一方的な思い入れで,「なぜ,あのときわかりました,なんて言った」と,部下を責める上司がいるとしたら,その上司は,失格です。なぜなら,自分の指示すら,的確に相手に伝えられないとすれば,チームとして遂行する職場に(組織全体から)求められている機能(役割)を果たすことなどとうていおぼつかないからです。

 発想力のスキルに,有名なブレインストーミングというものがあります。その4つの原則,@発言への批判禁止,A自由奔放,B質より量,C他人の発言への相乗りOK,とはまさにキャッチボールを機能させるためのルール,つまり,異見をいかに活かしていくかの仕掛けなのです。とすれば,このスキルは,なにも何人かが集まらなくてはできないのではなく,こちらから,「これどう思う?」と問い掛けていく姿勢があれば,電話やEメールがそのままブレインストーミングになっていくはずです。そして,これこそが,人脈が必要な唯一の根拠なのです。


 こう考えてみますと,実は,キャッチボールとは,お互いの問題意識のぶつけ合いでなくてはならないというのが見えてくると思います。問題意識とは,「意識的に『問題』にすること」です。それは,波風の立たないところに,意識的に波風を立ててみること(誰も「問題」でないと言っているが,こうなったら「問題」なのではないのかといったように)なのです。扇谷正造氏は,それを「空気に爪をたてる」ことだ,述べていました。

 もともと「問題」は(一般的に)あるのでではなく,誰かが「問題」にすることで「問題になる」のです。とすれば,キャッチボールのない職場とは,言われたことをただ黙々とこなすだけの(惰性で動くだけの),現状に誰ひとり問題を感じない,(発想の)死んだ職場と言っていいでしょう。


 では,どうすれば,キャッチボール効果を上げられるのでしょうか。その出発点は3つです。

 第一は,知っていること(やったことのあること,言われたこと)をそのまま当てはめてよしとするな,ということです。まず,何が何でも,「まてよ!」と立ち止まってみること。
 第二は,他に答え(やり方,考え方,見方)はないか,とたえず問い直すことです。学校でならいざ知らず,実務の上で,正解がひとつなどということはないのです。
 第三は,人に問い掛けて見ることです。わからなければ,なんでもいいから質問しているうちに,「何がわからないかがわかってくるはずです」そこから,真のキャッチボールが始まるはずです。

 職場の管理者(以下,トップと読み替えてもいい)に必要なのは,部下の問い掛けに答える風土を創ることです。「なぜ?」に答えない母親は失格なように,部下に問い掛けさせない管理者も失格なのです。そんな管理者が「死んだ」職場を創るのです。職場風土とは管理者そのものであるのです。

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スキル事典87

情報を編集する


  • 情報を編集し異質化する

通常情報で問題にされるのは,

まず第一に,集めてくる情報の量や質であり,
第二にその分析の正確さ,解読の正しさである。

しかしそういう情報のとらえ方には,情報とは外から集めて来るものであって,それを分析すれば正解が出てくる,という思い込みがある。情報とは外から集めてくるという考え方には,物真似が肌身に染み込んだ習い性がありはしまいか?もし発想という目で情報を眺めるなら,情報収集→分析へとストレートにはつながらず,その間に,情報そのものを疑い,ためつすがめつするプロセス,つまりいったん情報を解体→括り直す過程が入っていなくてはならない。そこで問題なのは,どれだけ正しい情報を集めるかではなく,手持ちの情報をどう新しい視野の中で見直すかにある。ここで集めるとは,外からの収集を意味していない。

  • ただ情報を集めても何にもならない

 情報を集めるためには,次のプロセスがある。

 @外部からの収集 問題になっていること,テーマとなっていること,目標となっていることに関わるデータ(情報,事実,アイデア,着想)を,直接間接多角的に収集し,集約すること。

 A内部からの収集 外からの収集だけ(それなら,正解を探しているだけ)でなく,それについての内からの視点,基準による評価,印象が問題となるし,手持ちの知識,体得したコツ,記憶の中の想い出,経験等の内部知識もまた集めるべき情報である。その場合,自分だけのこともあれば,組織やメンバーの知識・経験のこともある。

 B情報の分解 以上の@,Aによって,収集,羅列,洗い出し,と同時に集めたデータをいかに分解するかが重要になる。それが単なる再現から再構成を可能にする鍵となる。

 つまり,《集める》プロセスでは,@〜Bのどこまで踏み込めるかによって,集められたもののレベルが違うというふうに言い換えることができる。それは,目的(何のためにするか)によって左右されることである。地図づくりのように,情報を集めて事実を再現しようとする場合には,同一レベルのものをできるだけ細かく集めることが大事なのであって,異質化することは混乱するだけで無駄なことである。その意味では,発想のためには,AB,とりわけBのレベルの《集める》作業が重要であり,そのためには,同一コードや同一レベルのものを細分化するだけではだめであり,レベルも視点も形さえもバラバラにする必要がある。

  • 情報のカタチをバラバラにすれば見え方が変わる

 できるだけそのまま再現しにくくなるまで,レベルも,質も内容もバラバラにして,種々雑多な情報を集めるためには,ジグソーパズルの例などでみたように,

 @あたうるかぎり(最小単位ぎりぎりまで)細分化することで,元の輪郭,形態,文脈,意味,属性,枠組を留めなくすること,

 A具体化・個別化(どういうときにどうした,誰がいつどうした,何がどうなった)することで,一般的な概念や意味から更に噛み砕き,ブレークダウンすること,

 B一方向だけではなく多面的多角的なものにすることで,パースペクティブ(一定の見え方)を崩すこと,固定した視点や立場での見方を崩すこと,

 Cタテ・ヨコ・ナナメ・十文字のつながりを拡大あるいは縮小,変形して,固定した脈絡をなくしてしまうこと,

 Dもとの条件を変えてしまうこと,

 等々,ただ細分化するだけでなく,1つのものを別の視点から見たり,具体化したり,逆に抽象化したり,置き換えたりすることで,そのまま1つひとつを集め直しても,破片のように全体を復元できないような分解・解体であり,だから情報の異質化なのであり,これを“情報のバラバラ化”と呼ぶ。これはまた,“既知のパースペクティブを崩していく”プロセスにほかならない。これによって,見慣れた見え方を崩し,知識・経験のアテハメを防ぐのである。

 更に,大事なことは,このバラバラ化によって知識・経験の意味や輪郭から切り離され,

 @自分のいつもの見方がしにくくなるだけでなく,

 A自分の中に隠れていた知覚・イメージ・感覚が触発され,

 B元の意味や形から切り離された,バラバラの素材同士に別のつながりが炙り出されてくる,

 ということなのである。それは,何かの意味のつながりの一部として,あるいは何かの輪郭の断片として,見分けるということではない。それ自体独立した素材として,既知の意味・理屈のスクリーンなしに,直接に記憶の中のバラバラの知覚,感覚,イメージへの刺激となるのである。バラバラのものがもつ異質性が,頭の中で文脈や意味のネットワークに収まっていた想い出・記憶の断片を直接刺激し,バラバラに切り離されて浮かび上げる。ちょうど,脳の一部に電気の刺激を与えられると,きれぎれに記憶のイメージが浮かぶのと同じように,意味のつながり経験のつながりとは切れた断片が直接引き出される。それが,まったく異質な情報の間の予期せぬ“つながり"を発見させるのである。いわゆる直観,ハッと思いつく,ハタと気づく,ひらめく,というのはこういう状態である。

 通常,われわれは何かを想起するとき,既存の知識のネットワークを使って,過去に関する断片的な情報をつなぎ合わせ,一種の「物語を再構成」(つじつま合わせ)している。つまり,手掛かりになる情報を,既知の知識に合わせることで,紋切り型のものにしてしまう。

 しかし,われわれが手に入れられる知識は,自分で気づいているよりもはるかに大きい,といわれる。無意識のネットワークは通常,意識的に明らかにできるよりも遥かに多くのことを知っているのである。われわれの「意識的システム」よりも豊かな知識・経験をもっている「無意識的システム」によって,意識的にしている以上の「現実との接触」をしている。意識は,忘れていることが多いのである。記憶の中の,思い出,エピソードに代表される個々人の経験,学んだ知識,身につけたスキルの多くは,意識からは埋もれてしまっている。それが,文脈から解かれたバラバラの情報からの刺激によって,開かれる,あるいは誘い出されるのである。それによって,バラバラの情報に更に別の情報との関連ができ,それが別の連想を生むというかたちで,情報の拡散(これこそ,言葉本来の意味での拡散である)をもたらすはずである。

 しかも,記憶などの内部情報は,外部に出す(表現する)こと自体で,われわれにとって異質化なのである。文字にすることは,頭の中で感じたり考えていたことと微妙なギャップがある。書くだけでもやもやがはっきりすることもあれば,逆に表現しきれないニュアンス残ることもある。われわれの網膜像をもし他人が見ることができれば,壁に投影された2次元映像のような1つの画像であるといわれるが,もしそれを外部に見ることができるなら,自分の見方そのものを異質化する(こんなふうに見えているのかと)インパクトをもっているはずである。考えていること,感じたことを文章化したり図解したり写真化したりすること自体が,内部にあるときには意識していなかったインパクトとなりうるのである。


  • 情報をバラバラにする

 以上を整理すると,情報のバラバラ化は次の4つの異質化にまとめ直すことができよう。

 @視点の異質化 上から見たもの,下から見たもの,横から見たもの,前から見たらもの,後ろから見たもの,等々,多様な視点(位置から)のものの見方であること。

 Aカタチの異質化 大きさのレベル(細分化,巨大化),表現レベル(具体的,抽象的),スタイル(図表,数式,写真)等々,モノやコトがさまざまな形態・様式で表現されていること。

 B意味の異質化 人ごとに勝手意味づけ,主観の交じった感情,文脈や意味を共有化しない,意味・価値のバラバラ化。あるいは連想,類比,具体例の列挙等々で,意味の中心から関連あるものへと広げて,意味をずらしていく。

 C条件の異質化 過去現在未来,朝昼夜,条件設定がバラバラであること。いつ使うのか,誰が使うのか,どういう場所で使うのか,どんな使い方をするのか等々,条件,状況,つながりを変えてしまう。

 つまり,われわれの見方(とらえ方)を形成している情報の,視点,見えるものの形,意味,条件,を変えていくことである。言い換えると,

 @視点を動かす

 Aカタチを変える

 B意味を崩す

 C条件をずらす

 という4つのアプローチである。以下これを順次詳しくみておきたい。


  • 視点を動かす

 視点には,視点と観点の2つがある。視点を動かす場合,この2つは別々にみておかなくてはならない。

1,視点を動かす

(1)位置の移動

 当然,これには,主体の側の物理的移動と対象の物理的移動の2つがある。見え方を変える効果はどっちも変わらない。

 前者は,逆立ちすれば,視野が転倒するし,遠ざかったり近づいたり,分離したり統合したり,逆に見たり反対側から見たり,上下前後左右から見たり,横から見たり縦から見たり,といったものを見る位置の移動によって,見え方が変わる。視点の接近は拡大であり,視点の後退は縮小である。視点の分散は分離であり,視点の集約とは統合とになる。

 後者は,拡大することが視点の接近と同じであり,縮小することが視点の後退と同じであり,分離することが視点の分散と同じであり,統合することが視点の集約と同じである,というように,前者で主体の側でやった転倒を,対象(つまり情報)の側でやっても同様の効果がある,ということなのである。これを,われわれは日常自覚せずにやっている。顕微鏡を使えば視点を近づけたことになり,かざしたりすかしたりすれば俯瞰する位置に視点を遠ざけたのと同じなのである。

(2)焦点の移動

 これは,照明を当てるところを動かす。図ではなく地に焦点を当てると,信号がノイズになり,ノイズが信号になる。例えば,怒っている相手が言っていること(こわもてだとか,強圧的)ではなく,声やしゃべり方(女性的な声とかズーズー弁とか)に着眼したり,あるいはその人の風貌とか服装とか背丈とかに目を向けたり,というのもその例だ。それだけで見え方が変わる。それだけでなく,価値も変える。カメラで焦点距離をアップにするか,無限大にするか,ワイドにするか,といったことで,見え方が変わるのも同じである。

(3)立場の転換

 視点を相手に置くことで,相手の立場に“なる”,相手の視野が自分のものに“なる”,相手の気持が自分のものに“なる”といった“なる”視点への転換。位置を変えて立てば,見え方が逆になるはずである。車を運転している側で通行人を見ている気持と,通行人の側で車を見るときの気持との違い等もその一例だろう。しかしわざわざそうしなくても,立場の違う人が集まれば,当然見え方は違ってくる。一人でするのは難しいが,そういう違いを異質な人で具体化すればかえって容易となる。

2,観点を動かす

(1)意味・価値の転換

 習慣的なものから思想的なものまで,あるいは情緒的なものから趣味的なものまで,とかく良い悪い,有意義無意味,有益無益,といった観念のスクリーンがモノに別の面を見るのを妨げる。自分の拠って立つところを中心とするからそういうことになる。時代という文脈を変えて,未来や過去という別の時代からみれば別の価値と意味をもっているはずだ,あるいは社会的・文化的な文脈を変えて,別の国から別の会社から,あるいは地球規模で,自然や環境といった側から見れば全く別の意味が出てくる。あるいはいままで一顧もしていなかった位置に移してみることだ。例えば,子供の観点,老人の観点,外国人の観点。

(2)機能・働きの転換

 モノの機能,働きは固定しているから,それに慣れるし,役にも立つ。それが社会生活を円滑にさせる仕組みなのだろう。しかしそのために,前述の2本の紐をつなげる実験において,ハンマーの応用・転用が見つけ出せなくなる。使い慣れたモノとの関係の中で見ている限り,役立つ道具としか見えはしない。それとは別の見え方にするには,別の機能とか別の使い方といっていては駄目なのだろう。つまり,そもそも機能とか働きは社会的につくられた役割(共有された見え方)なのだから,それをその道具から剥ぎ取らない限り,別の見え方にはならない。それは,またハンマーとその使い手という関係も崩すことになる。そういう視界の中でのみ,その場で新しい役割をつくり出せるのであり,ただの重さという物理的特性に分解してしまうことができる。そのてっとり早い方法は,その機能を担う部分(ハンマーなら柄と頭)を解体してみることだ。そうすると別の見え方になる。それを意識的にする以外にはない。

(3)感覚・気持の変換

 感情・感覚といった主観的な立脚点(好き嫌い,優しい厳しい)によって対象の像が固定されてしまう。その立脚点を,好きだったらどうなるか,優しいとしたらどうなるか,と変えるのは難しい。一つは,対象全体をバラバラにして,好き嫌いの実体を分解してしまうことだ。鼻が嫌いとか,顔は嫌いだが出身は嫌いではないとか。それでももなかなか感情は言うことを聞かない。このためにもう一つは,利害や危機といった,そう思わざるをえない状況設定をしてみることだ。例えば,そうすることが自分の夢をかなえることになるとか,それが利益をもたらすこととか,嫌いでも顧客ならどうするのか,によって見方を転換せざるをえなくする。敢えてそうしてみることで,見え方を変えてみる。


  • カタチを変える

 モノやコトのカタチを変えるには,そのモノの形や外観を変えることと,もうひとつは,その条件を変えることの2つがある。

1,対象を変えてみる

 対象を変えるには,対象を物理的に変えてしまう方法と,それと似たもの,関係あるものにずらしていく方法の2つがある。

(1)対象を変形・変質させる

 対象を物理的に変化させるには,拡大する,縮める,分割する,といった,後述のオズボーンのチェックリストにあるように,対象の形・性質を変えてしまうことである。例えば,

・形を変える(破る/分ける/丸める/折る/揉む/くしゃくしゃにする/重ねる等)

・大きさを変える(縮める/拡大する/倍にする/膨らます/伸ばす/延ばす等)

・性質を変える(色を変える/材質を変える/重くする/軽くする/厚くする等)

・状態を変える(熱くする/濃くする/溶かす/加える/減らす等)

・位置を変える(高くする/下げる/遠ざける/接近する/裏返す/逆にする等)

・構造を変える(骨組を変える/組み合わせを変える/要素を変える/構成を変える)

・関係(結びつき)を変える(加える/減らす/クラスを変える等)

 といったやり方になる。

(2)対象を似たものへとずらしていく

 連想ゲームではないが,対象をそこから想起される似たもの,関係あるものへと少しずつずらしていくことで,変えてしまう。例えば,

・似たものに変えられないか(似た形/似た性質/似た用途/似た働き/似た構造等)

・関係あるものに変えられないか(構成要素の関係/順序/階層/因果等)

 というように,そのモノやコト全体をそのまま,別のものへとずらしていく。

 この方法としては,「意味をずらす」のところで詳述するように,

 @自由連想による芋蔓式ずらし

 Aアナロジーによる意識的ずらし

 の2方法がある。自由な連想というのは,思いつくままに連想していくものであり,アナロジーというのは,一般に,対象を似ている(あるいは関係がある)別の“何か”と見なすことであり,“何か”に見立てる,“何か”として見る,“何か”になぞらえる,あるいは「〜のような」「〜のこどき」「〜そっくり」というのも同じである。例えば,コウモリを鳥と見立てること,あるいは理論を建築物に喩えること,あるいは,原子構造を太陽系をモデルにすること等々である。

 対象の意味や構造を,似ている(関係がある)“何か”として,例えば,Aという対象をXというアナロジーとして見るとは,

Aの仕組みに(それと似た,関係のある)Xの仕組みを見る

Aの構造に(それと似た,関係のある)Xの構造を見る

Aの組成に(それと似た,関係のある)Xの組成を見る

Aの機能に(それと似た,関係のある)Xの機能を見る

Aの形状に(それと似た,関係のある)Xの形状を見る

Aに(それと似た,関係のある)Xを喩える

Aに(それと似た,関係のある)Xの意味をもって言う

 等々,(両者でピックアップした部分的,あるいは全体的印象等々の)《似たところ》《関係あるところ》でもって,対象としているモノ(コト)を,何か別のモノと疑似的にイコールと見ることである。アナロジーは,実物そのものでないし,実物の全ての構造と機構が1対1で対応している同一・同等のものでもない。例えば,人間の脳をコンピュータをアナロジーとして理解するとき,情報処理としての機構のみをピックアップして,そこでイコールとしているにすぎない。だから,そのアナロジーでは抜けてしまう部分があるのはやむをえない。逆に言えば,両者の関係でピックアップできる“何か”を見つけたときにのみ,両者にアナロジーを見ることができるのである。例えば,

 コウモリの翼→鳥の羽根→昆虫の羽根→

 といったように,同じ羽根という形状をピックアップすることによって,それと似た“何か”へと連想していくことができる。更に,それに似た“何か”をピックアップすることによって………と,どんどんアナロジーを展開し,コウモリの翼の機能と構造とはまったく別の昆虫の羽根へとずらしていくことができる。

 以上のように,アナロジーを見つけるには,似ている(類似性)と関係がある(関係性)の2つの切口があるが,類似性は両者の外見(観),形状,状態,仕組み,構造等が(つながりをピックアップする)手掛かりとなるし,関係性は両者の包含関係,全体部分関係,序列関係,因果関係,主語述語の関係等が(つながりをピックアップする)手掛かりとなる。

アナロジーの見つけ方についてはここをご覧下さい

2,条件を変える

 以上のモノやコトの変形やずらし以上に,そもそもそのおかれている条件,状況そのものによって,その見え方は左右されているのだから,それが変わってしまえば,モノ・コトの基本的条件が変わることを意味する。

 この条件変換には,条件の項で詳しく触れるが,主体を変える/対象を変える/時間軸を変える/空間軸を変える/理由(目的)を変える/方法(やり方=手段)を変える/水準(レベル・ウエイト)を変える/条件(前提,制約)を変える,といった条件があり,その1部あるいは全部を崩すことで,見え方(形)に変化を生ずることになる。例えば温度条件が変われば,水は水蒸気や氷になるし,同じ長さの線でも,両端の矢印の向きによって長さが変わって見える,等々。


  • 意味を崩す

 意味を崩すしていくには,大きくわけて,

 ・情報の指示する対象そのものをずらしていく

 ・情報(表現)そのものをずらしていく

 の2つのアプローチがある。前者は,牛と言ったとき,それを具体化(特殊化)して,ホルスタイン,和牛等と,対象をずらしていくことや,逆にサラブレッド,道産子から馬一般へ抽象化で,情報の意味をずらしたり(縮めたり,拡大したり),あるいは,馬からロバ,らば,と類似したものにずらしていく。後者は,牛という言葉から,丑とか憂しとかと語呂や音による駄洒落で,あるいは漢字の同字異義による当て字で,言葉の意味をずらしていってしまう。

 後者は,表現そのものを変えるのだから,意味が変わるのは当然のことだ。ここでは,前者を中心に考えていくが,これには,2つのアプローチがある。

 ・語句や単語といった単独の情報の指示するモノやコトとの関係をずらす

 ・文脈を変えることで,情報の指示内容をずらしていく

 同じ情報でも,例えば「ばか」と言ったという情報でも,それ自体の指示する具体像(蔑視)とは別に,文脈を変えると,全く別の意味(親愛)が出てくることは,日常に経験しているところである。文脈による変化は,条件のところで触れるので,前者の“ずらし方”を整理しておく。これには3つの方法がある。

1,含意による具体化と集約による一般化

 これには,@含意によって,それが意味する内容を具体化していくものと,A集約によって,それが意味するものを括る一般化の,2つがある。前者がグループの一員へと分解していくことだとすれば,後者はメンバーを括れるグループへと抽象化することだといえる。

 @は,先に牛の例を示したように,具体例で特殊化していくやり方(これは偶蹄目うし科という分類のメンバーを列挙)と,もう一つは,分解していくやり方とがある。例えば角が2つあり,蹄が2つにわかれていて,反芻する,等々とその構成要素や特徴に分解していく(牛のもつ性質,特質の洗い出し)。

 Aは,牛を馬と区別し,その差異を改めて括り直し(偶蹄目うし科という分類の括り直し),抽象化していくやり方(例えば,牛とは引っ張るもの,馬とは乗せるもの,といったように)と,もう一つは両者を統一していくやり方(牛馬=労役用家畜)がある。前者は,特質や要素の括り直しといっていい。ただし,ここでは共通項を括るというよりは,違うものを捨てていくというべきだろう。

 ある意味で,この2つのずらしは,全体から部分へ,部分から全体へのずらし,あるいは類から種へ,種から類へのずらし,というべきものである。

2,自由連想による芋蔓式ずらし

 この場合,ただ思い浮かぶものを,連想ゲームのように,次々につなげていく。ここでは,その連続を支えるのは,個々人の知識に基づく意味のネットワークと個人体験に基づくエピソードの無意識的な連続となる。無意識的な回路を開かせてしまうためには,連想の仕方が,

 キイワード→連想→連想→連想→連想→………

 といった一方向,同一水準の水平展開では,どうしても既知の論理や意味のつながりに依存したものにとどまるので,次のように,

           連想→連想→連想→連想→連想→連想←

            ↑  ↓     ↑     ↑

  キイワード→連想→連想→連想→連想→連想

               ↑

       連想←連想←連想→連想→連想→連想→連想

              ↑ 

            連想→連想→

            ↑

     連想→連想→連想→連想→連想→連想

 と,各レベルで,ともかく縦横斜めに,連想をどんどんずらし,幅広く多重化,多層化していくことが必要である。それによって,単なる連鎖とは別の結びつきを発見できる。これは,ある一瞬の薫りや,メロディの一節等をきっかけに想い出やエピソードが目の前に浮かんでくるのと似ている。無意識のネットワークが,外からの刺激によって,不意にタイムトンネルをくぐり抜けたように,意識のネットワークと接続するのである。このつなぎ方には,次のようなパターンがある。

 (1)辞書的(定義的)なつながりで広げていく

 辞書的なものは,社会的通念,規範が仲立ちとなっていくもので,それ自体は広がりも奥行も欠けたものになりがちである。例えば,牛→乳牛→牛乳→カフェオレ……。またこれには,名詞→動詞→形容詞といった形で,同義を,動きや形状へ変化させたりすることで,微妙なニュアンスを広げていくことができる。例えば,静止→止まる→穏やかといった具合である。

 (2)感覚的なつながりで広げていく

 感覚的なものは,音,香り,形態,手触り,といった五感や知覚,感性が仲立ちとなるが,ものの大小,軽重,長短,拡大・縮小,膨張・収縮,遠近,といったイメージも仲立ちとなる。

 (3)情緒的(感情的)なつながりで広げていく

 好き嫌い,良し悪し,といった価値観や,悲しみ,嬉しさ,喜び,寂しさ,といった気持や感情的な彩りによってつなげられる。

 (4)イメージ的なつながりでひろげていく

 イメージ的なものには,空間的な同型性や類似性だけでなく,成長・孵化・脱皮といった時間的な変化・変質をも含むし,漢字の象形文字としての図柄も含まれる。

3,アナロジーや比喩による意識的ずらし

 アナロジーについては前述したように,意味の場合も,

・関係性

・類似性

 の2面を手掛かりに展開する。関係性は,「馬」に対して「走る」とつなげていったり(主語・述語,統合関係),鍋で蓋(対の関係),一升瓶で日本酒(記号関係),だらりの帯→舞子(象徴関係)とつなげたりする連想,ゲルニカでピカソ,鳥居(象徴的部分)で神社(全体)とつなげていく連想,が該当する。これは,両者に隠された関係を見いだしていくという意味では,本来のアナロジーの意味で“類推"(AとBを比べ,それぞれの構成要素α1→α2の関係とβ1→β2の関係との対応を推測していく)に当たる。

 類似性は,意味や概念の関連性で,「牛」に対して「馬」「羊」とつながっていく連想や,白い肌→雪,ライオン→王者を意味させる隠喩(直喩の「のような」の省いた)的な連想が該当する。また,両者の形態的な類似性にもとづくアナロジーとして,桜→梅→菜の花,といった花の類比によってつなげていくものも該当するし,鳥の羽根→腕→鰭とつなげていく,性質や性格,状態,機能・構造の類似性も含まれる。そして,この類似性を文脈全体に拡大すると,人間生活との類似性(類比)をもとにつくられているイソップ話のような寓話や寓意といったアレゴリー(諷喩)になる。なお,類似性というのは,似ていることだけでなく,似ていないこと,あるいは反対(あるいは対)もまた連想されることもあることを忘れてはならない。

 アナロジーは,発想にとって重要な役割があり,ここ(アイデアづくりの基本スキル)に詳しい。


  • 条件をずらす

 条件で重要なのは,文脈ということである。文脈は,難しく言えば,「それとともに一緒に浮かび上がってくる出来事の状況であり,条件であり,因果の流れとして含まれる全てである」とされるが,要するに,われわれが発想するときの,

 ・誰が(主体)

 ・どの位置から(視点)

 ・何を(対象)

 ・どういう条件で

 ・どう見ている(とらえている)か(見ている情報=言葉,イメージ,論理)

 という条件において,

 @この背景となっている社会的・文化的文脈

 Aその主体の置かれている場面・状況という文脈

 Bこの主体の考え方,感情等の心理的文脈 

 Cとらえている言語的脈絡としての言語的・意味的文脈

 (更に,D我々の学問的達成や知的水準といった知的文脈,を加えてもよいが,あえて区別しなくても,Cに括ってもよい) 

 の4つがありうるはずであり,そのそれぞれが変更されるだけで,とらえられたモノ,コトは全く変わっていくのである。つまり,意味の脈絡(論理)も,状況の脈絡(状況)も,状況の要件(条件)も,すべては文脈という表現の幅と奥行の中に一括できる。その意味では,この文脈を変えるだけで,視点・形・意味の“ずらし”そのものが変わってしまうのである。

 文脈の条件は,「モノ・コトをずらす」で挙げたように,主体,対象,時間,空間,理由,やり方,水準,条件である。

 @主体を変える これによって見る視点を変える。自分がやらなかったらどうなるか,自分が別の人格だったらどうなるか,相手から見たらどうなるか,買う側(顧客側)からみたらどう意味が変わるか。細胞レベルでみたらどうなるか,原子のレベルでみたらどうなるか,宇宙規模で俯瞰したらどうなるか。

 A対象を変える 対象を不動と見ることで,状況を固定的にしてしまっているかもしれない。対象そのものを別のものにしてしまえば,違った見方をせざるを得ない。別の相手だと気持が変わるかもしれない。あの人でなかったらどうか,あの人だったらどうか。

 B時間軸を変える 過去−現在−未来という時間を変えてみること。今日でなく明日とすると意味が変わるかもしれない。昨日ではなく今日とすれば変わるかもしれない。1ヵ月後ならどう変わるか,1年後ならどうなるか,3年後ならどうか,100年後ならどうか。

 C空間軸を変える ここ・そこ・あそこ・どこの転換である。場所だけではない。方向も位置(前後左右上下)も,内外も,遠近も,表裏もある。上下を固定してみる姿に慣れており,逆さにすると,異質化する。あそこでなければどうか,どこでもいいのならどうか,別の状況だったらどうか。

 D理由を変える 前提としている価値・意味・基準・規範・目的・論理・感覚・感情を変えてみる。目的を下げただけで事態が急変することも少なくない。こだわっている価値そのものを前提としないだけで見え方が変わる。全くフリーハンドだとしたらどうか,何の価値もないのだとしたらどうか,目的が違っていたとしたらどうか,このままほっておいたらどうか。

 Eやり方を変える 方法,手段を変える。機能を変えて代用品を使う,スタイルを変えてみる,拡大したり縮小してみる,統合したり分離してみる,手順を変えてみる,人を変えてみる,仲間を変えてみる,担当を変えてみる,不必要な部分を削除する,優先順位を変えてみる。いままで捨てられてきたものを復活させる,問題外としてきたことをやり直してみる,失敗したやり方を見直してみる。

 F水準を変える どれだけという評価基準(レベル)を変える。手段−目的を転倒することで,最終目標を先送りしたり,逆に前倒ししたりして,手段=下位目標を達成目標とすることで目標水準を下げる。全体−部分−要素の構成を変えてみる。下のレベルならどうか,別のクラスならどうか,全体ではなく部分にしたらどうか。

 G条件を変える 無意識で,あるいは常識として,前提としている条件,制約としている条件も,それを当然とするのではなく,人数が違ったら,予算があったら,と考えてみる。

  • いけると思ったらとことん続ける発想の“シリーズ化”

 チェックリストは,確かに完璧にバラバラ化を実行できるにしても,多少使いづらい。そこで,もっと簡便な方法として,“発想のシリーズ化"(あるいは“シリーズ発想”)を取り上げておく。異質化の視点である,

視点の異質化

カタチの異質化

意味の異質化

条件の異質化

 を,視点は位置の問題に還元し,モノ・コトは形の細分化に集約し,意味は似たものに拡大し,条件は5W1Hに還元することで,この4つにバラバラ化の焦点を絞ると,次のような簡単な切口に整理し直せる。

 @視点シリーズ

 上から下から,左から右から,天から地から,前から後ろから,表から裏から,自分から,相手から,遠くから近くから

 A細分化シリーズ

 分割(機能分割,使い方分割,属性別,特性別)

 具体化(いつ,どこで,だれが,何を,どうした)

 分解(構造分解,組成分解,構成分解,要素分解)

 B似たものシリーズ

 意味−連想,類比,文脈,状況,比喩

 形−同型,相似,相同,ミニチュア,類似

 イメージ−同質,同傾向,同パターン,同構造,同形式,同スタイル,等価

 対−大小,多寡,動静,黒白,天地

 C条件シリーズ

 5W1H(なぜ,いつ,どこで,だれが,何を,どのように)の変更

 つまり,これを発想の糸口として,その糸を手繰って,次々とそれに関連するものを展開していくだけで,十分バラバラ化の効果を上げることができる。例えば,視点に関連するものを,上からみたら→下から見たら→前から見たら→裏から見たら……とつなげていく。視点シリーズが終わったら,似たものシリーズ,細分化シリーズ,と続けていけばいいのである。そこで,これを“発想のシリーズ化”と呼んでいるのである。

 それを,我流のものとするなら,ひとつは,で徹底するという手段を,筆者は使っているが,それぞれに,シリーズ化する切り口を考えるのが,アイデア作りの個性というものだろう。画一的に考える必要はない。

 シリーズ化と呼んでいるのにはもう1つ理由がある。チェックリストのように,与えられたチェック項目を律義に1つ1つあてはめていくのは,確かに要バラバラ化項目を網羅するものとしては最も完璧だが,必要なのは,思いついたアイデアや着眼の切口を徹底して攻めてみることだ。視点を変えることで何かアイデアが異質化できそうだと気づいたら,そこを徹底して継続してみる。テレビの水戸黄門シリーズや大岡越前シリーズといったシリーズ化がそうであるように,魚のいそうな池を見つけたら最後まで浚い尽くす。そういう意味で,発想のシリーズ化でもあるのだ。そうやって一点集中したほうが,意外と出しやすいし,それをプールとすれば,別の着眼へとつなげていくにも,やりやすいはずなのだ。

 その意味では,必ずしも上の4つのシリーズだけではなく,例えば,池の中にいるモノシリーズとか皿の上に乗っているモノシリーズとか,いけそうなアイデアの切口を見つけたら,それをシリーズ化し,集中的に攻めてみることである。

情報分析のスキル」「情報探索のスキル」「言葉の構造と情報の構造
アクセス情報の基本スタンス情報の向きをつくる
等々を参照ください。

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スキル事典88

創造的である


  • 創造的であるために必要なこと

発想力やブレークスルーを考えるとき,スキルとしてどう可能にするかだけではクリアできることはむしろ少ない。ブレークスルーためには,知識・経験でできあがったものの見方(パースペクティブ)そのものを覆さなくてはならない。ある程度知識・経験を蓄積してきた人間にとっては,それはある意味で,自分のこの現実への対処の仕方全体を見直さなくてはならないことであり,それ自体たやすいことではない。

 確かに人間の脳はフレキシブルであって,ある程度混乱にも対応可能ではあるが,大概の未知については,われわれは極めて巧みに既知の知識でその穴を埋めてしまう。なぜなら,われわれには,知っていることあるいは知っていると思うことに則してこの世界を推論しようとする,抜きがたい傾向があり,またそれがわれわれの生き方に利便性を与えているからにほかならない。それが,人間が生きていくための特有の防御機構なのである。それはまた,われわれがモノを見るとき“視点”という,「一部目隠し」することによってのみ,情報を組織化することの背景になっている。またそれを利用するから,一対一の対応にこだわらず,大まかな対応のみを見るから,初めてアナロジーや比喩が可能ともなる。 

 こうした人間のある種のアバウトさが,自分の「既知の知識のネットワーク」以上に「無意識のネットワーク」に支えられており,その奥行は深く,人間の容量は見かけよりは大きい。それを逆手にとらない法はない。

 われわれの,非ノイマン的な脳には,コンピュタのように中央処理装置はない。知識は過程そのものであり,われわれはわれわれの知識(無論無意識層を含めた)そのものといってもいいのだ。われわれのこの知識ネットワーク自体がソフトでありハードである。つまり,自らがプログラムし自らが動かされるものでもある。とすれば,自分の既知のパースペクティブを壊すことも,自らの努力で十分できるはずなのだ。そのために,どうしたらいいのかはこのコーナーで,過去にいくつか触れてきた。

 その手順は,まず自分の既知の知識ネットワークによる強力な“当て嵌め”を妨げること,そのために情報を異質化(バラバラ化)して,それ自体異質な見え方をさせること,それによってまず既知のパースペクティブを崩し,崩れた中から1つひとつ括り直して新しい関係を付け直して,新しい見え方を炙り出すこと,その作業の困難さと煩雑さに耐えること,それによって初めてとらえ直された未知のパースペクティブを創り出すことができる,というところにある。

 天才はいざしらず,通常の常識人であるわれわれにとっては,それは多分に,意識的かつ意志的な作業のはずである。だから,必要の都度,そういう作業に耐えるということでもいいが,むしろ,そういう意志的な試みを,知識・経験のもうひとつの慣性にまでする意志も,必要かもしれない。つまり,何でも当て嵌めによってステレオタイプとする慣性に対して,そうしかけたとき,常に“まてよ”“これはいけない”と立ち止まり,後戻りする癖を作り上げることも重要なのだ。われわれのものの見方が「ものを見るときの癖で折り目がつき,皺に」なっているなら,その皺を,絶えず延ばすもうひとつの“癖”を,たとえ難しくても作ろうとする日常的な試みも忘れてはならない。

 発想というのは,特別のことではない。そもそもわれわれが日常やっているモノを見,モノを考えているステップそのもの,つまり生き方そのものにほかならない。だからこそ,われわれの「抜き難い」“皺”を崩すのは容易なことではないのだし,逆に言えば,もうひとつの“癖”をつける努力をすれば,ある程度,その癖が新しい“皺”になってくれるはずだ,ということも期待できるのである。

  • 在り方を変える

 バラバラにすることで,モノの在り方を変えることで,見え方を変え,見え方が変わることで,別のとらえ方をせざるをえなくなり,自分のモノのとらえ方が変わる,という意味で,次のような図式を示すことができる。

     在り方を変える→見え方が変わる→とらえ方が変わる

  ↑        ↓            ↓   

   在り方が変わる←見え方を変える←とらえ方を変える

  しかし,これは正確には次のような図式としなくては,意味が完成しないのだ。

     在り方を変える→見え方が変わる→とらえ方が変わる→在り方が変わる

  ↑        ↓       ↓        ↓

   在り方が変わる←見え方を変える←とらえ方を変える←在り方を変える

  つまり,もし自分のとらえ方が変わるのなら,それは自分の在り方,生き方まで変えるものでなくてはならないはずだ。そしてもし自分の在り方までも変わるほどのものなら,その変化は,前の自分のとらえ方をも変えるはずだ。そしてとらえ方が変わることで,見え方が変わるということでもある。

 多分そこで,もうひとつの知識の慣性ができたということになるかもしれないが,そこでさらにまた,自分見え方をかえればそれでいいのだ。そうやって知識の構造そのものを変えることが,自分をも変えることが,ソフトウエアであると同時にハードウエアでもあるわれわれの脳そのものの性格だからだ。

  • 自分を限定しない

 その意味で,発想とは自分を限界づけてしまえば,そこまでで終わりだといっていい。自分はこれだけのものだと思えば,それだけのものにしかなれない,別の見方,とらえ方,在り方の可能性を自分で閉ざしてしまうことだ。それが“皺”となれば,それだけの慣性に自分の在り方を止めてしまうだけだ。だから,“まだまだ”と,自分の可能性,自分の夢を信ずることが,そこまでの知識の組み替えに取り組む原動力であり,あるいは大袈裟に言えば,われわれが生きることの意味のように思う。前述した,発想のための“心構え”とは,お気づきのように,それはその人の生き方にかかわったものだ。だから,そういうモノの見方をしようとすれば,そういう生き方になるし,そういうモノの見方をしなければ,それだけの生き方しかできない。そういう生き方をすれば,そういう見方に変えるとは,この間の経緯を言っているのだ。とすれば,発想が小手先の技法だけの問題でないのは当然のことなのである。

 発想スキルが得られればそれでよし,とするのは,また別の知識を手に入れただけのことで,それでは知識を組み替えるという,発想の根本がわかったことにはならないはずなのだ。技法はあくまで,組み替えのサポートにすぎず,どんな知識であれ,それを当て嵌めようとする限り,発想には反したことなのだとわかれば,まず始めなくてはならないのは,何処かから手に入れた知識を当て嵌めとしまう自分の構え(皺)そのものを,日常的に崩すことなのだ。

  • 5つの異質化

 慣性化したモノのとらえ方を変えるために,生き方の側から,自分の惰性的な生き方を変えるにはどうしたらいいのだろうか?この場合も,生活パターンを変えざるをえなくする方法はないだろうか?あるいは,ここでも逆手に取って,自分のとらえ方や見方を変えることで,生き方への刺激とすることはできないか?と考えてもいいかもしれない。

 われわれは,起きて生活しているときの,72.8%はコミュニケーションに使っているといわれる。その意味では,一番インパクトの大きいのは人といえるかもしれない。ヒントは,いつも同じ人とばかり接したり,同じ状況の中にばかりいては,マンネリ化してしまう,というありきたりのところにあるかもしれない。

 とかく会社人間であることを批判されることが多いが,会社人間になるくらいでないと,仕事がしにくいし,また仕事に入れ込むほどそうなる面は否めない。一度も会社人間であるほど力量と業績を残したことのない人間だけが,会社人間のマイナス面のみを数え上げたがるのだ,                     

とそれぞれが己の自負を恃みにした結果が,「同質縁(どうしつえにし)症候群」(志津野知文)と言われる症状をもたらしているのではないのか。曰く,

 @近眼症状(自分の近くのもの,すぐ周囲のもの,すぐ役立つことにしか目が向かない)

 A狭眼症状(自社,職場,業界しか視野にない)

 B傍目症状(ウチの会社,ウチの業界,あるいは横並び意識,同期,同僚意識)

 こうした症状が,知識・経験を狭めるだけでなく,その慣性を強烈なものとして,別の発想,別の視点を取りにくくさせている。それが,“会社人間”と幾分揶揄を込めて言われる謂れかもしれないのだ。

 これを脱するにはどうしたらいいのか,を筆者なりのささやかな経験から,以下に“5つの異質化”として提言しておきたい。

  • 異質人との接触

 日常的に言えば,3つの異人とは,異なる性・異なる年齢・異なる職業の人ということになる。これに,異なるレベル,異なる経歴,異なる役割を加えてもいい。ともかく,9時から5時まで,同じ面々とずっとすごし,更にアフター5まで,同じ職場の面々と,しかも話題も同じ仕事か上司の悪口,おまけに土日までゴルフで,職場の面々か仕事関係というのでは,知識の慣性が強まりこそすれ弱まることは考えられない。そうすることが仕事だというのは,そういう生活パターンしかしないことの言い訳にはならない。ひょっとすると,そういう生活パターンから外れることを恐れ,敢えてそうしているのだとしか思えない。

 有名な坂本龍馬の逸話がある。

 あるとき,若い後輩に,「大事なものは何か」と聞かれて,「刀」と答えた。その若者が,次に龍馬に会ったとき,誇らし気に刀を差していると,龍馬は,「まだそんなものを差しているのか,君は遅れている」とピストルを示した。次に若者が龍馬に会ったとき,ピストルを示すと,「もうそんなものは時代遅れだ,これからはこういうものの時代だ」と言って,万国公法の本を示した,という。

 何となく,時代の流行を追っかけている若者の気風を彷彿とさせ,ほほえましい面もあるが,われわれは通常これを,龍馬に視点をおいて,そういう時代の先を視る先見の明が必要だ,といった教訓話として受け止めるケースが多い。しかし,われわれに重要なのは,龍馬側の視点ではなく,龍馬に教えられた若者の側に視点をおいてみるべきなのではあるまいか。こういう異質な人とどれだけ付き合っているか,というようにだ。そうした影響で変わっていく生き方,変えられていく生き方の方に着目すべきように思われる。

 そうすることで,当り前と思っている,あるいは世の中はこんなものだと高を括っている自分の思考の慣性にショックを与えなくてはならない。筆者は,何年か前,ある作家にお目にかかった折,こんな話しを聞かされたことがある。氏は,毎日早朝から午前中は口に糊する仕事をされる,そして午後からは毎日映画を観て回られるのだ,という。まさに9〜5時の世界にいた自分には新鮮な驚きであった。そういう生き方があるのか,と。思考の慣性から,自分や自分の周りのことを前提にしか,モノ見られない。蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘るとか,自分の甲羅でのみ世界を見るのを止めるには,異質な人間と付き合うことが絶対必要だと,思うのである。

 ひところ,これからはノウハウの時代ではなく,ノウフウの時代とかで,人的ネットワークづくりというのがはやったが,揚げ句は,いろいろなところで人脈をつくっておけば仕事の役に立つかもしれないという下心でやったのでは何にもならない。それでは,仕事外延を広げたことにしかならないからだ。

  • 異質状況(文脈・環境)との接触

 9〜5時の世界の人間にとっての,3つの異質状況は,仕事以外の場,家庭以外の場,行きつけ(なじみ)以外の場,と言えるだろう。逆にいつもディスコでお立ち台に立っているようなタイプの人はそれ以外の場所を,いつも“お宅”している人は自宅以外の場所へ,と別の工夫がいることは,当然だろう。

 欧陽修の三上説(馬上,枕上,厠上)のように,それが日常の文脈から解きはなって,寛げるから,という消極的理由もあるが,むしろ積極的意味をここでは考えている。

 たとえば,通勤するとき,乗り換え口や出口を考えて,いつも同じ車両の同じ扉近辺に乗っていないだろうか。しかも始業時刻から,いつも同じ時間で。そうすると,全くおもしろいことに,その時間帯の車両の乗客の顔ぶれというのが,大体揃っている,というか,いつも見慣れた顔があることが多いのである。いかに,世の会社人間の生活パターンが似通っていることか。確かに,そうするといつもの美人に会えるという余得はあるかもしれないが,こんなことを毎日繰り返していて,思考の慣性が停滞気味になるのも無理はないのではあるまいか?

 例えば,夜遅くなると,どんなに長いタクシー待ちの行列があっても,辛抱強く待ち続けるとか,酒が入るとワンパターンで必ずラーメンを食わないと収まらないとか,ともかく癖だか皺だかに,引きずりまわされすぎる。多少時間がかかっても,タクシーを待たないで歩いて帰るということをしてみた方がいいのだ。

 筆者の自宅も最寄り駅からバスで20分,遅くなればタクシー待ちの行列に加わるしかない。しかし,私はしばしば歩く。歩くと小1時間はかかる。鶴見川の支流沿いの土手をゆっくりと歩く。すると,酔眼にも,川沿いの風景が日々変わっていくのがわかる。つい1ヵ月前には雑木林の丘があったのに,みごとに削り取られて,マンションが建ち始めている。そうすると,丘の陰で見えなかった向こう側に,いつの間にか満開になっている桜の林が覗いていたりする。あるいは,海までは数十キロもあるのに,川風に潮の薫りがしたりする。鶴見川が海につながっているのだ,と実感できる,等々。

 あるいは,仕事の帰路,いつもの私鉄ではなく,ちょうどそれと平行している私鉄の駅から帰ってみたことがある。バスで,同じバス停に,反対側から降りる,すると何となく風景が違う。で,住宅地の裏側から入っていった。まるでいつも見慣れた通勤路で見るのとは違った顔を,おなじみの家々がみせる。気づかなかったが,裏庭には大きな犬がいたりする。いつものパースペクティブの裏側をみているのだ,という気がしたものだ。

 わずかのことだが,通勤経路をちょっと変えてみる,すると見慣れた風景の裏側に気づく。乗る電車をわざと1本ずらしてみる,すると意外にも空いていたりする。あるいは2〜3時間通勤時刻を遅らせてみる,と乗客の層が全く変貌していて,乗客の顔がラッシュに比べてゆったりしているように見える。乗る車両をわざわざ一番後ろにしてみる,すると何をあくせくしていたのかと思うほど,途中で空いて座れたりする。

 あるいは家族と旅行してみるのもいい。意外と気づかなかったが,女房の老いたのに改めて目を見張るかもしれない。しかし,旅行もリゾートマンションは駄目だ。あれは日常をそのまま移行するだけにしかならない。いつもおさんどんをしていなかったとしたら,夫が3食をこしらえるというのなら,話は別だが。

 あるいは,国内旅行でツアーに加わってみるというのも意外と面白い。添乗員のいるのがいい。赤い三角の旗の後ろを,修学旅行のように,金魚のうんこみたいにゾロゾロついて歩く。胸にLOOKとか何とか旅行ツアーのバッチをつける。そして名所旧跡では必ず説明者がつく。いつもひとり旅のときは,そばに立って立ち聞きしたものだが,逆に立ち聞きするのを追っ払う,等々。もちろんいつもツアー旅行しない人は逆のことをしなくてはならない。

 われわれの発想は,生きてきた場所や関係の中で拘束されている。それを別の状況で,違った見え方を誘い出してみることも,悪くはないのだ。

  • 異質のインプットとの接触

 インプットは,刺激・情報・知識・経験,すべてを含む。雑誌+漫画+週刊誌の3点セットにしろ,日本経済新聞+日経ビジネス+ビジネス書にしろ,タイムス+英字新聞+ウォールストリートジャーナルにしろ,あるいは技術書+専門新聞+原書にしろ,同じであって,自分の慣れた分野からの情報だけに偏っていては,思考の慣性に流されるだけなのだ。といって,若者向けの雑誌や女性誌を読むべきだなどとは言わない。そんなことをしても身につかないし,自分の興味の起こらないことを無理にしたところで,だからあいつらは駄目なんだ,と自己防衛するか,ますます慣性の後押しをすることになるだけだ。

 第一,いろんな知識・経験を手に入れるという意味で,購読雑誌を広げるということ自体,アイデアや発想の正解を何処かに求めようとしているにすぎない。必要なのは,慣性化した思考の流れを留めること,いつもの手慣れた知識の回路をずれてみること,そうやって違う回路を開くことなのだ。それは外に何かを求めるのではなく,自分の慣性的にやっていることをずらすだけで十分できることなのだ。“別のところを見てみたら”どうか,と思うだけでも違うはずだ。

 活字をやめて映像,漫画をやめて活字,車をやめて歩く,新聞をやめてテレビ,というように少しずらすだけで十分だと思う。例えば,新聞なら,何も大見出しの記事を読むことはない。たいていテレビで報道された後のことだから,新聞の視点を押し付けられるだけだ。それはテレビで見ておけばすむことだ。それよりも,社会面の隅っこのベタ記事や,下の方にある囲み記事や,コラム,シリーズ記事だけを見る方がいい。あるいは,2紙以上購読していると,妙に扱いの小さい記事が目につくことがある。で,他紙を覗くと,前日トップ記事になっていて,他紙に出し抜かれたために,扱いが小さいのだと,納得する。大新聞社などといっても,子供が拗ねているのあまり違いはないらしいのだ。

 ちょっと違ったところに焦点を当ててみる,ということがこの場合もっとも大事な気がする。定期購読している雑誌だったら,あるコーナーを定点観測してみると,雑誌の航跡が,どう時代と共に右に左にずれていくかもよく見える。

 われわれの脳細胞は120〜160億あるといわれているが,脳細胞だけは再生されないから,二十歳を過ぎれば,日々10万個ずつ減っていく。にも拘わらずそれ以降の方が学習できるのは何故か。それは,細胞のつながり方が増えるということによってだ。つまり,ネットワーク化した回路が,複雑に絡み合うことで,脳のネットワークは多層化し減少しても屁でもないのだ。第一,どんな天才でも脳細胞の30%位しか使いこなせないのだ。回路を広げることより,回路の絡みを深化させたほうがいい。材料ばかりいろいろ広げるのではなく,少ない材料の料理方法を変えることでも,いろいろ刺激となるはずだ。

  • やり方・手段の異質化

 情報化社会になると,何か情報機器を駆使することが,優れた情報をもっている,あるいは情報処理に長けていると思い込みがちだか,大間違いだ。情報機器を駆使している人が情報の読みに長けているとしたら,それはもともと情報機器を思考の慣性を異質化させるかたちで使っているからであって,情報機器そのものが思考を異質化させるのではないのだ。いくらPOS情報が集約できても,それ自体は売れているものと売れないものしか示しはしない。何が売れるかを読み取れるかどうかは,人間側の思考のネットワークの出来不出来によるのだ,ということを承知しておかなくてはならない。

 ともすれば,人との連絡−FAX,電話,ネット,携帯等々というかたちになりがちだ。仮に,情報機器が,自分の思考パターンを異質化してくれるとしても,それに慣れれば,それが思考の慣性となってしまうことに変わりはない。

 何にしろ,手慣れた手段,手順,ステップを変えてみること,ずらしてみることが大事だ。そう発想する人にとってのみ,何でもが,異質化のきっかけとなり,素材となるはずだ。

 たとえば,仕事の出来る人とは,読める人ということだ。それは,思考の枠組ができている人,コツについて触れたように,「こうなったときには,こうすればこうなる」「こういうことなら,きっとこうなる」と,手慣れた判断がつき,テキパキと処理していける人だ。しかし,それが思考の慣性にほかならない。

 「何が原因,あるいは結果と見なされるかは,主としてわれわれが何を探しているのか,何がわれわれの問題であるのか,何を価値あることと考えているのか,どこに関心があるかなどの,またわれわれが疑問を表現する方法の関数なのである。」(ハンソン)

 これを言い換えれば,結局仕事の読み,仕事のコツは,思考の慣性の関数ということなのだ。われわれに必要なのは,いつものやり方をかえて,「こうすればこうなる」と読めるのなら,「こうしなかったらどうなるか」を試みてみることだ。そうやってずらしてみることだ。

  • 自分を異質化する

 自分をずらすことが一番難しい。どれだけ結婚相手を変えても,結局最初の夫人のバリエーションの範囲の中だけだという例は一杯ある。だから自分を変えることは難しい,というのは一面真実だが,反面そういう自分の像が思い込みによって偏っている可能性もあるのだ。自分をそういうようにしか見ない,自省の慣性に汚染されている,とでも言ったらいいか。

 「まず,どんな人の中にも,まだ実現されていないさまざまな可能性が潜んでいると言ってよい。言い換えるなら,人間はほとんど誰もが,つぎのように感じたりするものである。自分の人生航路がほんの少しでも違ってさえしたら(これは致命的な言葉である),自分とてあんなではなかっただろうに。また自分が選んでしまった分野とは違った分野でなら,私とても,もっと大きな成功をとげていただろうに,などと。」(ストー)

 というとき,ストーは,マイナス要因として,これを挙げている。しかし,これは自画像が自分で思っているほど一枚岩ではないし,自分で感じているほど人生は一直線ではない,既知の自分とは異質の自分,別の自分,ありえた自分,なりたい自分,可能性の自分,夢の自分を,再度取り戻す材料として使ってみたらどうか,と思う。それには3つ視点があるのではなかろうか。

@いまの自分の異質化

 何も脱サラだけが生き方を変え,自分を変える方法ではない。自分についての慣性化した見方をずらす方法を見つければいいのではなかろうか?

 例えば,大体のビジネスマンは,会社の名刺をもっており,その肩書に一喜一憂する。しかし,自分で自分の名刺を作ってみることだ。例えば,知人に聞いたところでは,「全日本ラーメン愛好会会長」という名刺を作った人がいる。もちろん,会員は自分だけだ。また知人のひとりは,主夫という肩書の名刺を作った。何も名刺をつくれとのみ勧めているのではない。自分で自分の慣性化した見方をずらしてみろ,と勧めているのだ。違った自分,こんな自分があるのか,と。

 趣味を変えることができるなら,それでもいい。髭を伸ばす,鼻毛を伸ばす,髪を切る,髪を伸ばす,眼鏡を変える,何でもいいのではなかろうか。そうやろうとすることで,既に慣性化した自画像は崩れかけているのだ。妻を変えても変わらないのは,そういう自分だからそういう妻しかえられない,ということなのだ。

 エルンスト・マッハは,寝椅子に横たわる自分が自分にどう見えるかを示した,有名な自画像(マッハの自画像)を画いている。それは,ふさふさした髭が肩の先になびき,肩から首へと移るべきあたりから先は白紙になっている。下方に向かっては短縮された遠近法で,奇妙に押し潰された形の胴,脚,足と続いている。そこには鏡で見るのと異なり,主体がない。「首なし,それが自分で自分をみたときの人間というものである」(.ブロッホ『異化』)と,見なすと,われわれは,その自分を死ぬまで見つけ続ける過程にある,と考えるべきだ。それが,灰色であれ,バラ色であれ,単色の自画像が全てと受け止める必要はないのだ。

A昨日の自分の異質化

 自分が選択してきた岐路を振り返ってみる(あのときこうしていたら,こうしなかったら)ことは,羨望や後悔であって,あまりいい意味では受け止められていないようである。しかし,われわれの人生は,ひとつひとつ小さな選択と決断の連続だ。昔,「決断とは,何かを捨てることだ」という名言を吐いた人がいたが,捨てた道が,分岐点には無数にあるはずなのだ。ありえた自分の可能性を言うことは,「たら」「れば」はない,と言われるように,無用の繰り言の面もあるが,既に忘れてしまった決断を思い出すことは,そのときの忘れてしまった決意を思い起こすことでもあるのだ。少なくとも,“いま”の自分は,過去からただ一直線につながっているのではなく,紆余曲折の結果なのだと気づけることは大事ではなかろうか?

 ありえた無数の別れ道は,捨てて来た自分の可能性でもあるはずだ。それは,慚愧の対象ばかりではなく,自分の厚みのはずなのだ。ただ馬齢を重ねただけにしろ,馬でしかないのが自分の厚み(あるいは薄み?)でもあるのだ。

 その自分の無数の選択の重要性は,そのまま,“いま”もまた無数の選択(断念)の連続であり,未来もまたその無数の決断の果てにあるのだと,いうことなのだ。

B明日の自分の異質化

 明日を,“いま”の延長線上に,このままずっと続くという思いで描いている人は,結局,過去も今も自分の決断の結果だということを気づかない,気づきたくない人だ。会社・仕事が永久に続くように現在の延長線上に明日を描くということは,ある意味で変化を拒んでいるに等しい。あるいは,別の自分の可能性をみようとしないことだ。しかし拒もうと拒むまいと,延長線上になど明日はない。延長線上にもってこようとする自分の選択があるだけだ。それは,過去を異質化する視線にだけ見えてくる。

 自分を異質化するのもしないのも自分だけの技だ。しかし,少なくとも,死ぬまで自分の可能性を信じたいし,夢を失いたくない。前述した通り,そういう心にのみ,発想が可能なのだ。その意味で,少しでも慣性化,いやただの惰性となった生き方を,ずらす試みをしてみること,それでも変えられなければ,更に工夫をしてみること,自分の生き方にすら発想転換ができなくて,仕事の上だけでお手軽な発想手法を身につけようなどというずぼらさで,発想を願うのはおこがましいと言うべきかもしれない。

 余談だが,私は世の中には4種類の人間がいると思っている。

 第一は,まさにとんでもないブレークスルーを,いとも簡単にやり遂げる天才肌の人。どこからそんな発想が出てくるのか,とまさにゼロからの発想としか見えない類いだ。

 第二は,先達のアイデア,発想を巧みに組み合わせて,新しい枠組,輪郭を創り出していく人。その枠組づくりに,努力と工夫の跡が伺える,オリジナリティがある。

 第三は,先達の金棒引き。ある意味では受け売りだが,そのことに気づいており,何とか自分なりに文脈をつけてはいるが,その枠組に囲い込まれている。

 第四は,受け売りであることも気づかず,あるいは性格に受け売りしようということにも無頓着で,おおよそオリジナリティとか発想とかには無関心の人。

 これは別に優劣をつけているのではない。いわば,発想のブレークスルーというものに関心があるかどうかの差にすぎない。そんなことに何の意味も見い出さない人もいるし,「このここの部分は自分の発案なのだ」と僅かな差異にも自分のオリジナリティを言わなくては気の済まない人もある。問題なのは,関心さえあれば,ブレークスルーを意識的に何とかしようとするし,何とかできるのが人間であり,そういう人にとって,できるだけ手掛かりになるものを,と心がけてみた。

発想力とは何か」「問題意識を育てる」「発想には思い込みが邪魔になる」を参照

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スキル事典89

リーダーシップの要件


  • リーダーシップのチェックポイント

  • リーダーシップの要件

リーダーシップに必要なのは,周囲を引っ張り,周囲を巻き込んでいくに足る力があるか,である。そのとき必要なのは,

・「どこへ」「何のために」「何を目指して」という旗を明確にできること,

・必要な人々にその意味をきちんと伝えていく力があること,

・めざすことを一緒にやっていくための土俵(協働関係)をつくれること,

だ。そのためには,次の3つの機能が必要になる。

@旗を立てる機能(指示機能)〜向かうべき方向と目標を提示する

 何のために(目的),何をするか(目標),どこへ向うのか等々自分たちの目的/目標をきちんと掲げ,明示すること。トップ方針のブレークダウン(自部署,自チームとして,何のために,何をすべきか),目標の明確化と達成への実行計画の立案,等々“戦略”に関わること

A巻き込む機能(盛り上げ機能)〜目標に向けてチームを奮い立たせる

立てた“旗”をどう実現(達成)するかの手段として,目的達成のために,チームとしての活力を維持・向上させるために,必要なことはすべてが対象となる。どうメンバーをまとめ,集団としての力を盛り上げていくかを工夫し,実践する。場合によっては上位者だけでなく,チーム外のキーマンも巻き込む。コミュニケーションの円滑化,協働体制づくり,メンバーの指導・育成,職場風土づくりその他日常の細々としたチーム運営の“戦術”に関わること

Bやりきる仕組みづくり機能(仕掛けづくり機能)〜達成するためにさまざまな仕掛けを工夫する

 目指す旗を確実に達成するために必要な仕組みや仕掛けをつくり,環境や条件整備をして,旗の実現をお膳立てをする。一人一人に自主的に取り組ませるための仕組み,業務分担の見直しや調整,チーム全体が足並みが揃う仕掛け,障害物を取り除く工夫,途中経過や進捗状況を共有化する仕組みづくり等々。


 もちろんリーダーシップは目的ではない。リーダーシップの目的はあくまで組織の目的と目標を達成することである。それにはたえず「組織の目的は何か」を明確にさせなくてはならないだろう。一方では,自分は「何のために(何を達成するために),リーダーという役を引き受けているのか」「(目的を達成するために)リーダーとして,何をしなくてはならないのか」「(目標を達成するために)リーダーとして,どういうやり方をすべきなのか」等々と絶えず自問しつづけなくてはならない。
 誰がその立場に立っても同じような役割しか果たさないなら,誰がやっても同じリーダーシップになる。自分に与えられた役割と格闘し,何をすべきか,何にウエイトを置くべきか,そしてそこで自分自身は何をしたいと思うのか,を主体的に考えて,掲げた旗こそが自分自身のリーダーシップとなるはずである。一般に、そうした決断に必要な要素として ,

@意思要因(何をしたいか),

A外的要因(すべきことは何か),

B内的要因(できることは何か)がある。

@は,意思である。もちろんリーダーの意思である。Aは,環境や状況から求められていることである。Bは,自分の戦力である。どれほどやらなければならないことやできることを真剣に考えても,そこには自分のリーダーシップはない。必要なのは ,自分が何をしたいかであり,それを組織の目的と戦力を勘案しながら,組織の意思として旗にすることにこそ,自分自身のリーダーシップの意味がある。

  • リーダーシップの旗を実現していくのに必要な

 そのリーダーシップの旗を実現していくのに必要なのは,〈要望性〉〈共感性〉〈伝達性〉〈信頼性〉の4つである 要望性とは,上に立つものが,そのチームの目的(旗幟)を達成するために何をするかという観点から,メンバーにその役割に応じた行動を求めることである。もしリーダーに要望がないとすれば,それはチームとしての目的意識(何を目指すのか)を自覚していないということである。
 共感性とは,リーダーがメンバーに「こうしてほしい」というさまざまな要望をもつなら,メンバーもまた自分に対して同じようにさまざまな要望をもっているに違いないと,相手と同じ立場に立って感じ,考えることである。このために必要なのは,聞く能力である。聞くとは受け身ではない。一般に,聞くには,「聴く」と「訊く」がある。訊くとは,質問力である。その人の問いの力,とはその人がどれだけ幅広い問題意識を持っているかの指標である。部下についても同じである。どれだけの関心と問題意識をもって,部下を見ているかが,その訊き方でわかる。
 伝達性とは,「知らせる」機能である。会社方針,自部署の方針,自分の考え,方針をきちんと明示することである。それによって,部下は,自分の仕事の位置づけ,意義をひとつひとつ確認し,意味づけることが可能になる。
 信頼性とは,集団を固め,必要なときは,直ちに措置がとれるリーダーシップの要である。
 リーダーの有能性とは,メンバーの立場から見たら,このリーダーならついていって大丈夫という「頼りがい」,上位者の立場から見たら,この人物になら託しても大丈夫と思わせる「頼もしさ」,同僚の立場から見たら,この人となら手を組めると思わせる「確実性」である。信頼性を支えるのが有能性と誠実性である。有能性とは,意思決定者(あるいは決断者)としての有能さである。たとえば,メンバーに,(細部に異論があっても)「自分の意見は十分に伝えた。いつも意見は聴いてくれている(共感性)人だから,自分の意見を踏まえた上で,そう決定したのだろう,いままで意見の不一致もあったが,この人の決定は,信をおくに足りた,おそらく今回も結果的に正しいだろう」と思わせるものがあるかどうか,である。誠実性のバックボーンとなるのは,言葉である。言葉の力は,2つある。指示の明確さと,自己表現力である。リーダーが言葉を発するのは,みずからの意思をキチンと伝えるためである。いくら指示が明確でも,意思のない言葉に力はない。


  • リーダーシップとは目的達成のために何をしなくてはならないかを考えること

 リーダーシップは,そのひとがどんな位置にあろうとも,必要なのは,その仕事を真に完結するのはどういうことか,その目的達成にはなにをしなければならないか,を考えられることだ。
 たとえば,自分の仕事の達成にリーダーシップを発揮できない人に,人を引っ張るリーダーシップがあるはずはない。自分の仕事のリーダーシップとは,その仕事の意味と目的を意識し,その実現のために周囲を巻き込んでいく力をもっているということである。それは,自分の仕事を自己完結させず,たえず幅広い視点から,俯瞰する目を持っているということである。仕事の完成の規模が大きければ大きいほど,あるいは自分の狭い役割に自己限定せず,より大きな広がりの中で解決を図ろうとすればするほど,より上位の者を巻き込んでいくほかはない。それは,たとえ経営トップでも同じだ。自社という枠の中で自己完結させるか,広く業界まで考えるか,業界を超えるか,さらには,国内という制約を超えるかによって,その巻き込まなくてはならないヒトもモノもカネも情報もノウハウも拡大していくはずだ。

 下図のように,トップにはトップの,管理者には管理者の役割があり,それを完結するために求められるリーダーシップが必ずある。どんな立場であれ,自分自身が担っている仕事の意味を自覚し,それを実現するために何をすべきかを明確にする(これが「“旗”を立てる」と呼ぶものだ)ことがまず前提となる。それを実行するためには,いかにして,関係者を巻きこみ,説得し,その旗を共通の旗としてもらい,共に実現するようにしていかなくてはならない。ここにこそリーダーシップが求められる。逆に言えば,自分の立場を意識せず,漫然とその役職にあるものには,何をなすべきかは見えず,そのために何をするかも考えることはない。そういうひとに,リーダーシップは必要ない。

重要なことは,リーダーシップとは,リーダーのみにあるのではなく,それぞれの立場の者が,その責務を果たすために発揮すべきものだ。ひとりひとりの役割遂行に伴って発揮されるメンバーのリーダーシップは,リーダーのリーダーシップに収められるべきものではない。それなら,リーダーの器量以上に組織力は大きくならない。そうではなく,リーダーのそれをはみ出すようなメンバーのリーダーシップを束ねられ,ひとつの方向に向けていけることこそが,リーダーに必要なリーダーシップなのだ。そのためにこそ,仕掛け作りの機能が重要になる。それによってリーダーシップの器量そのものも大きくなる。

 組織のポジションに関わらず,そのポジションの仕事を完結しようとするとき,必ず,自分の裁量を超えて働きかけ,周囲を巻きこんでいかなくてはならないことがある。そのとき直面しているリーダーシップは同じなのである。それをチェックリストにすると,次の20項目となる。

【リーダーシップチェック】

チェック項目

組織やチームの目的・方向性,ビジョンを常に自問している
メンバーに組織の使命,役割,存在意味について積極的に語っている
メンバーとのベクトル合わせ,判断基準の刷り合わせを怠らない
事業環境の変化,顧客情報にアンテナを張り,いつもウォッチングしている
上下左右,内外のコミュニケーションを保ち,情報を共有化するよう努力している
いったん決めた目標・プランは,ぎりぎりまで諦めず貫徹するよう努力する
自分たちの目指すことについて,積極的にメンバーへ説明している
メンバーに,期中での途中経過,進捗状況についてオープンにしている
メンバーの力量,成長目標についての配慮とサポートを心がけている
緊急事態に陥ったとき,何を最優先事項にするかは決まっている
手持ちの資源(ヒト・モノ・カネ・トキ・情報)を十分使いこなしている
メンバーに自らの問題意識をぶつけ,キャッチボールすることをいとわない
優秀なメンバーには折あればリーダーシップを発揮する場を与えるようにする
どんな難局,行き詰まりにも諦めず,メンバーの衆知を集めて乗り切る
どんな場合にも,真摯で,誠実に事に当る努力をしている
自分の問題や不都合についても謙虚に聞く耳を持っている
いったん決めたプランでも撤回したり軌道修正することをためらわない
メンバーからの具申,提案,提言は必ずオープンに議論する
自分の意思決定についてはオープンにし,その理由についても説明する
結果責任については,自分自身が負うことは当然だと考えている

リーダーシップについては,ここをご覧下さい。
管理者のリーダーシップについては,ここをご覧下さい。

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スキル事典90

部下指導力チェック


  • 部下指導力をチェックする

●管理者の日常行動,マネジメントスタイルそのものが,部下への仕事の価値観,業務遂行で何を重視するかを教えていくことになる。その面から,管理行動をチェックしてみると,あらゆる機会が部下指導につながるはずである。 以下,その主旨でチェックリスト化を試みた。

  • チェック項目の狙い

    チェックは、大きく「マインド編」「アクション編」に分けてある。マインド編は、管理者としての姿勢、考え方を俯瞰する。アクション編は、そのマインドを実行するための切り口例となっている。ひとつのマインドに無数のアクションがある。各自が、マインドを実行するために何ができるかと、更に他の選択肢を考えてもらえればいい。マインド編、アクション編それぞれは、更に次の六つの切り口に分けてある。

    @自分との関わり(どうセルフコントロールすべきか、そのために何をしたらいいか)

    Aチームとの関わり(どうチームマネジメントを考えるか、そのために何をしたらいいか)

    Bメンバーとの関わり(どう部下との関わりを考えるか、そのために何をしたらいいか)

    C上位者や他チームとの関わり(どう上位者や他チームに関わるか、そのために何をしたらいいか)

    D仕事との関わり(どう業務管理を考えるか、そのために何をしたらいいか)

    Eコミュニケーションとの関わり(どうコミュニケーションを位置づけるか、そのために何をしたらいいか)

    各項について、該当するものに印をつけて、どこに弱点があるか、どこに強みがあるかを、セルフチェックしてもらうよう。6つののどこが低いかを気に留めてほしい。

    まずは、@に留意してほしい。人は自分の知っている程度にしか相手がわからない。上位者になって不可欠なのは、おのれを知ることである。おのれを知らない上位者、自分についての自己認知能力を欠く上位者ほど、部下から見て始末の悪いものはない。部下からの提案も、自分の判断基準からしか見ようとしないから、共通の土俵が見出せない。

     

  • チェックリストの前提

部下指導力を考えるとき、管理者に必要なのは個々の専門性だけではないように思う。記憶に間違いがなければ、ノーベル賞をもらった田中さんは、ストックホルムに、かつての上司も連れて行った。いま上司に問われているのは、自分より優れた部下を、どうチーム全体のパフォーマンスに関わらせていくか、ではあるまいか。自分より優れた部下を束ねてこそ、本来のチームマネジメントである。それが部下指導力の出発点でなくてはならない。しかし、それは管理者が一人で抱え込むのではなく、メンバーも一緒にそれを考えるように、どう巻き込んでいくか、という視点が不可欠となる。優れたメンバーが優れたリーダーをつくる。これを原則として、このチェックリストはつくられている。


  • 自分との関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

自分とどう関わるか

@組織全体の方向性やベクトルを意識し、自分の役割はどうあるべきかを考えている

A自分に求められている周囲の役割期待を自覚している

Bどういう管理者になろうとするかの具体像がある

Cどんなときも自分自身を信ずる

D自分の生き方、仕事の仕方について信念、価値観がある

E常に、新しい方法、新たな試みにチャレンジする

F時代の動き、変化の兆候に敏感である

G自分のレベルアップをはかっている

H自分の強み・弱みを意識している

I自分の感情や気分をコントロールしている
 

自分を動かすために何をするか

@トップの発言、上位者の方針に注意し、自分の位置づけを明確にする目安としている

A自分が何をするためにそこにいるかを考え、周囲の期待とすり合わせている

B理想のリーダー像のモデルを持っている

C常に、どうすれば可能になるかを考え、諦めずできること、できるやり方を見つけ出す

D自分が何を大切にしているかを、明確に、言葉として語ることができる

E慣れたやり方、過去のノウハウ以外に、必ず新たな選択肢を3つ以上考える

Fたえず、異なる分野、異なるリソースから情報をえて、比較対照できるようにしている

G社外を意識して、自分の知識・技能を高める取り組みをしている

H弱みを隠さず、できないことはできないといえる

I自分の感情、気分も言葉として表現することで、感情的に振舞うことを避けている
 
  • チームとの関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

チームとどう関わるか

@チームのめざすべき姿を明確にしている

Aどんなチームにしたいかが共有化できている 

B重点方針、要望はきちんと伝えるようにしている

Cチーム運営の判断基準の機軸がぶれない 

Dチームの役割分担が明確になっている 

Eチームのリソースをどうするか、問題意識をもっている

Fチームの現状、課題や制約を解決するにはどうすべきかを考えている

G何に優先順位をつけるべきか明確にしている

Hいったん決めた目標やプランはぎりぎりまで諦めず貫徹しつづける

Iノウハウや経験をチームで共有化する

 

チームを動かすために何をするか

@今年より来年、来年より5年後、チームをどうしたらいいかを、きちんと語れる
Aお互いの問題意識をメンバー間ですりあわせ、チームの方向性をすりあわせている
Bなぜそれを重視し、それが前年とどうつががり、次期にどうなっていくかを説明している
C何が是で何が非かの、チームとしての判断基準をチーム内でたえず確かめる場がある
Dメンバーの役割について、何が当たり前か、どこまで期待されているかを話し合う
E不足能力、戦力の手当を、チーム内でどうサポートし合うかを、きちんと話し合っている
F自分の考えている、チームの解決すべき課題やテーマを、メンバーに問題提起する
G重要度、緊急度を確認し、リスクやトラブルへの対処を、チームで共有化している
H期中のチームの進捗状況、目標達成のめどをオープンにし、意見交換をしている
Iベテランに若手と組ませて、育成責任を与えるようにしている
 
  • メンバーとの関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

メンバーとどう関わるか

@チームとして何を目指しているかを共有化する

Aチームメンバーとしての要求基準が明確である

Bチームメンバーひとりひとりが、自立して仕事ができるように促している

Cいつも部下の持っているリソースを意識し、それを引き出そうとしている

D部下の状況ときちんと向き合う

Eひとりで仕事を抱え込まず、ひとりで仕事を抱えこまさない

Fストレスや意欲低下のサポートを心がける

Gメンバー間の葛藤を解決する

Hそれぞれの成長経過をきちんとフォローし、これからの課題を共有化する

I各人の目指すべき成長目標、育成ポイントは明確にしている
 

メンバーを動かすために何をするか

@なぜそれを目指すのか、ひとりひとりの役割、仕事との関わりを、メンバーと話し合う

A一人一人ひとりに、自分が何を評価し期待しているかを伝えている

B一人で決め、事態を打開しなくてはならない仕事の機会を与え、フォローしている

C各自の能力、資質を見極め、やや高いレベルの仕事を担当させるようにしている

D報告や連絡で、気になることがあれば、必ず、何が起きているかを一緒に確かめる

Eどんな問題も、個人に還元させず、チームの問題としてどう解決すべきかを考える

F部下に頻繁に声をかけ、失敗やミスへのサポート、アドバイスする機会をもつ

Gどんな意見対立も、一致できる事実を積み重ねて、粘り強く話し合い、合意する

H達成プロセスにおける、本人のレベルアップを認め、今後何をするかを詰めている

I長期の成長目標をすりあわせ、そのために今期何ができ、来期何をするかを確認する
 
  • 上司との関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

上司や他チームとどう関わるか

@上位者と目的、方向性が共有化できている

A全体計画とチーム計画の整合性を調節する

B上位者との意思疎通を密にする 

C必要なら上位者に問題提起し、全社レベルで改善に取り組むよう働きかける

D上位者に働きかけるとき、自分を支えてくれるメンバーとチームワークがある

E上位者と共に情勢変化に対応する態勢がある

F他チームとの連携を常に意識している

G突発事態に対する、チームを超えた協力体制をつくる

Hチームの達成度の評価が上位者と一致している

Iチームおよび部門の将来像について、上位者と情報交換できる
 

上司や他チームを動かすために何をするか

@上位者と随時すりあわせを十分に行っている

A当社の理念、ビジョン、今年度の方針を前提に、上位方針にどう貢献するか確認する

B現場で起きていることを伝え、上位者に同じ問題意識を持ってもらうようにしている

C上位者を共同提案者、共同行動者として巻き込み、組織全体をも巻き込める

Dチームメンバーとは問題や情報を共有化し、一体となって上位者や周囲に働きかける

E計画遂行の方向がずれないように、上位者、関連部署と進捗状況の情報交換をする

F管理者間で目標レベルの確認・統合を図っている

G公的な組織だけではなく、私的なネットワークで動かせる人間がいる

H上位者と、期中の進捗状況をチェックできる仕組みをつくっている

I上位者と一緒に、時代の変化を情報交換し、部門全体のあり方を話し合う場がある
 
  • 仕事との関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

仕事をどう位置づけるか

@目標の設定では、上下左右との関連性を意識し、達成するための方針を明確にする

A目標の設定では、その目標が業績と成果につながり、各人の育成にもなるようにしている

Bどう目標を達成するか、プランと達成見通しをきちんと立てる

Cスケジュール通り行かないことを想定した対策を考える

D目標設定時との状況変化がないか、設定目標の修正の必要性がないかをフォローする

E効率化、スピードアップのための工夫を絶えずしている

F業務遂行上の遅延・障害要因が隠れていないかチェックする

G目標未達や計画との齟齬が生じたら、軌道修正もためらわず、チームとして対応する

H達成度の測定や達成結果の評価に当っては納得性と継続性を重視している

I結果責任については、自分自身が負うことは当然だと考えている
 

仕事をどう効果的に動かすために何をするか

@チーム目標の意味・狙いを説明し、各人の目標との関わりをつけるようにしている

A目標は、成果が評価しやすいように、できるだけ数量化、具体化している

B目標達成のプランニングは徹底的に具体化し、手順、ステップを明確化する

C緊急時、トラブル時に、何をするか、また相互でどうサポートをするかが決めてある

Dチーム方針に影響する変化をチーム内で共有化する仕組みをつくっている

E気づいたことがあれば、積極的に提案、アドバイスをしながら、どう改善するかを詰める

F各自の進捗状況や問題を、日々の話し合いや会話でつかみ、一緒に考える

G仔細な問題も見逃さず、チーム全員で原因を分析し、つぶしていく

Hメンバーの自己評価をきちんと聞き、その根拠となる事実と資料を正確に把握する

I次に同じ失敗を繰り返さないために、全員の知恵を集め、徹底的に対策を詰める
 
  • コミュニケーションとの関わり

マインド編 レ印 アクション編 レ印

コミュニケーションをどう位置づけるか

@どうすればコミュニケーションの成果が上がるかが共有化されている

Aコミュニケーションのルールを決めている

Bチーム内で、情報の共有化をはかっている

C報連相を業務の改善や効率化に機会にする

D会議、ミーティング、打ち合わせを効果あるものにする

E部下からの企画提案、意見具申のルールがある

F確実に情報や指示が徹底されるようにしている

Gメンバーとのベクトル合わせ、判断基準のすりあわせを大事にする

H活発な意見交換ができる雰囲気づくりを大切にする

Iメンバーが互いに、努力や貢献、成長を尊重しあい、認め合うようにしている
 

コミュニケーションを効果的にするのに何をするか

@お互いの言い分に耳を傾け、聞いた内容をフィードバックしあって確認する

A何のために(目的)、何を達成するか(目標)を確認してからスタートさせるようにしている

Bチームを効率化したり改善するための話し合いや成功事例の交換の場を設けている

C個別にフィードバックし、気になることは、現場、現物に当たって確かめ、手を打つ

D会議の所期の目標と決定事項を文書でフィードバックし、実行する責任者を決める

E具申の採否決定のプロセスをチーム内にオープンにし、次につなげる話し合いを持つ

F部下への指示は、複数のルート、方法を取り、必ず確認のフィードバックをえている

G部下への注意、叱責、称賛、承認、アドバイス時に、チームの目指すものを確認する

H創意工夫を引き出せるよう、各自のアイデアを試せたり、評価できる機会を設ける

Iお互いがチームにどう貢献したか、どんなサポートをしたかを率直に評価する
 

  • チェックリストの背景

 @自分のチームの旗を立てること

 自分自身が担っている仕事の意味を自覚し、それを実現するために、チームは何をすべきかを明確にすることがまず前提となる。これが、旗を立てる、といっている意味である。それは、チーム構成員を巻き込むための目印であり、場合によっては、この旗の故にこそ、上位者に動いてもらわなければならない、大義名分ともなる。

 もし、チェックリストで、AやC、あるいは@BDで、チーム全体に関わる方向性や、上位チームとのかかわりについて、目が向いていない結果が出たとすると、管理者としての視野が、個人の業務遂行ベース、個別の部下にしか向いていない、ということを意味している。部下とのコミュニケーションはもちろん大事だ。しかしチーム内で明らかになった問題を解決するのに、上位者を動かさなければならない。そのとき、それがチームの旗にどう関わり、それが上位者とどう関わるかといった視点がなければ、上位者は動かない。管理者として最も真価が問われるときだ。

 Aおのれ自身の旗を立てること

 自分の立てたチームの旗に、担当としてどういう旗を立てて、チームの旗に貢献するかを考えるのが、プレイングマネジャーの、プレイヤーとしての仕事だ。マネジャーは、チームの旗と同時に、それにどう貢献するか、自分の担当の旗も立てる。

 Bリーダーシップについて

リーダーとリーダーシップは違う。リーダーは、役割としてなさなくてはならない機能であり、リーダーシップはポジションに関係なく、自らがリーダー役を買って出て、周囲を巻き込み、引っ張っていくことである。リーダーシップはその人の役割遂行に必要な手段なのである。その人が自分の役割を責任持って達成しようとするとき、自分の裁量内でやっている限り、その仕事は完結しないことがある。ときに自分の裁量を超えて、人に働きかけ、巻き込んででも、それを達成しなくてはならないときがくる。当然、かかえている問題が,自分を超え,部署をまたぎ,広がるほど,より幅広く巻きこんでいかざるをえないだろう。それがリーダーシップが自分に必要となるときである。こう考えたとき、管理者が部下に向かってリーダーシップを発揮するのは、リーダーシップにとって本質的なことではないことがわかるはずである。このとき、大事なことは、次の2つである。

 ・その案件、問題の広がりや影響の大きさをどれだけわかっているか〜何をどこまで動かさなくてはならないのか

ただ、リーダーシップは発揮しなくてはならないものと考えるべきものではない。大事なことは、そのことをどう伝えるかで、上司から見ると、自分を動かそうとしている(自分に指図している)ととられる恐れがあることをわかっていることだ。どうするつもりか聞かせてくれと頼むのと、こうすべきだと働きかけるのとでは意味が違う。

 ・それをすることの意味がどれだけわかっているか〜自分にとって、上司にとって、組織にとって

 自分の裁量を 超えたことについては、決定は上位者にある。しかしそれを促すにしろ、そうしないにしろ、必要な情報、現場の事実は、きちんと伝えなくてはならない。それが報告である。

 Cコミュニケーションについて

・ミーティングであれ、面談であれ、立話であれ、その当事者間で、何について話す場か、何を成果とするのかについて共有化された土俵ができているかどうかだ。ジョハリの窓でいう、パブリックがつくられているかどうかだ。これは、そのつど、その人毎に必要になる。こういうコミュニケーションの土俵を確認する作業をセットアップと呼ぶ。「いまから〜について話したいが、いいか」という一言ですむことも多い。

・コミュニケーションは、何を語ったかではなく、相手に何が伝わったかで、その効果をみるべきものである。どれだけ語ったところで、それが伝わらなければ、何も話していないのも同然である。したがって確認は不可欠である。

【ジョハリの窓】

リーダーシップについては,リーダーシップとは何かリーダーシップに必要な5つのことまた管理職については,管理職のの役割行動を,それぞれ参照してください。

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