前々回で,チェックリストの項目と のキャッチボールを例にあげて,技法も自分の発想の刺激として使えることを述べたが, それは,いわば,自分自身(の知識・経験)とのキャッチボールを意味する。チェックリスト項目との対話が,脳のネットワークに新しい回路をつなげたり,回路が再生したりする手がかりにはなる ということであった。 その折,ブレインストーミングも,こうした刺激の一種として,自分の中に,異質な発見をする,あるいは自分を異質化して発見を促す機会とすることで,より有効に使える として,カーネギーの,「2人がいて,ふたりとも同じ意見なら,1人はいなくてもいい人間だ」(『人を動かす』)を例にあげた。 そのことの持つ意味を,ここでは,掘り下げて見たい。 ここで,“キャッチボール”と言っていることには明確なイメージがある。それは,例の3Mのポストイット開発をめぐる逸話で ある。周知のように,シルバーという人が,接着剤を開発していて,貼ってもすぐ剥がれてしまうものを創り出し た。彼はそれを「失敗」とはみなさず,社内の技術者に,この特性を生かした使い道を考えてくれないかと主張し続けたのです。その中に,いつも書籍に挟む付箋に不便を感じていたフライが,その使用方法として,ポストイットを発想した。この,いわば自分の問題意識をぶつけることで,新しい何かを発見することにつながる,やりとりを,キャッチボールと呼びたい。 出典;マッハ『感覚の分析』(法大出版局) 上図は,マッハの自画像である。ブロッホは,自著の中で,こう紹介している。
いろいろな解釈は可能だが,ここでは,いわば,個人の視界の狭さと発想の限界のアナロジーと見なすことができる。とすると,どうすれば,それが破れるかだ。ツールを使っての,たとえば,チェックリストとのキャッチボールも,そうした個人の限界の埒内であれば,おのずと限界がある。 そこで,人とのキャッチボールの原則として使えるのが,有名な,ブレインストーミングである。 これは,オズボーンの開発したもの。ブレイン(脳)のストーム(嵐)という精神錯乱を意味する。他人のもっている異質性を生かして,異質さを見つけ出す効果を上げるのが狙いである。しかし,発見は,自分の中でする。常に,「答えは自分の中にある」。 人に教えてもらったものは,知識でしかない。知識は,既にあるものだ。あるものを知るだけのことだ。発想とは,今あるものに,新しい光を当てるものだ。見方であったり,見え方であったり,隠された部分であったり,知られていなかったものであったり。しかし,答えは,自分の中にある。
大事なことは,ブレストも目的ではない。キャッチボールも目的ではない。キャッチボールを通して,自分の中に,発見を促すことだ。「そうだった!」「そんなことがあった」「そう見ていいのか。とすれば,こうも考えられる」等々,自分の中で,当たり前としてきたこと,当たり前として見逃してきたこと,知っているつもりで疑いもしなかったことに,光を当てて,あるいは光の当て方を変えて,違った側面を見つけること。 それは,言い換えれば,自分自身を異質化することだ。自分とは,自分の知識,経験,スキル,ノウハウを異質化することだ。自分では気づかなかったその価値を,発見することだ。そのために,キャッチボールする。相手が異質な,気づきもしなかったことを言ってくれることで,埋もれていた自分の回路を蘇らせる。そのとき,キャッチボールは,自分の発想のツールとなる。 |
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