発想するための具体的なよりどころについて,たとえば,「具体的であること」等々について,いままで述べてきたが,実は,発想の鍵は,よく言われるように,『当たり前』としてきたことをどう崩すか,にある。いわゆる,既成概念を崩せというわけだ。 では,具体的に考えることが,なぜ,発想につながるのか。一見,「今目に見えているものをただ形にするだけではないか』『いま見えているものそのものが,先入観そのものではないか』といった反論がありそうだ。しかし,よく考えるとわかるように,『具体的』ということには,これが具体的といったたった一つの解答はない。つまり,「どこまでいったら具体的になったことになるのか」というように,際限はない。それが,発想なのだ。つまり,一見して,目に見えているもの,たとえば, (行宗蒼一氏による) この図が,『円に直径』と見えたとする。それを具体的にいったらどうなるのか,それを更に具体的にいったらどうなるのか,更にそれを具体的にいったらどうなるのか等々を強制的にすすめていく,そのやり方として,たとえば,5W1Hがある。その発想効果,たとえば数が出せる,多様化も出せる等々の効用については,いままで述べてきたところだから,それにどんな意味があるのか,というのを考えるのが,今回のテーマになる。 こうして具体化していくことを,バラバラ化と呼ぶ。
たとえば,情報を集めるためには,次のプロセスがある,といわれる。 @外部からの収集 問題になっていること,テーマとなっていること,目標となっていることに関わるデータ(情報,事実,アイデア,着想)を,直接間接多角的に収集し,集約すること。 A内部からの収集 外からの収集だけ(それなら,正解を探しているだけ)でなく,それについての内からの視点,基準による評価,印象が問題となるし,手持ちの知識,体得したコツ,記憶の中の想い出,経験等の内部知識もまた集めるべき情報である。その場合,自分だけのこともあれば,組織やメンバーの知識・経験のこともある。 B情報の分解 以上の@,Aによって,収集,羅列,洗い出し,と同時に集めたデータをいかに分解するかが重要になる。それが単なる再現から再構成を可能にする鍵となる。 つまり,集めるプロセスでは,@〜Bのどこまで踏み込めるかによって,集められたもののレベルが違うというふうに言い換えることができる。それは,目的(何のためにするか)によって左右されることである。情報を集めて事実を再現しようとする場合には,同一レベルのものをできるだけ細かく集めることが大事なのであって,異質化することは混乱するだけで無駄なことである。しかし,発想のためには,つまり,現状から何かの飛躍ないし,転換をしたいという場合は,上記のBのレベルが重要であり,同一コードや同一レベルのものを細分化するだけではだめであり,レベルも視点も形さえもバラバラにする必要がある。つまり,いままで,いろいろな図形を使って,『何に見えるか』をした作業は,ひとつの情報(図は情報だ)から,どれだけ多角的な意味や可能性を引き出すか,という試みそのものなのである。だから,これをバラバラ化なのである。 更に考えると,対象となる情報を,ただ意識のレベルで多角化するだけではなく,物理的に分解してみる,たとえば,切り裂く,膨らます,引っ張る,伸ばす,拡大する等々によっても,あるいはそうなってみるとと,仮定してみることでも,発想は広がるはずである。つまり, カタチをバラバラにすれば見え方が変わる 見え方が変われば見方が変わる のである。
たとえば,できるだけそのまま再現しにくくなるまで,レベルも,質も内容もバラバラにして,種々雑多な見え方にするには,ジグソーパズルのように, @できるかぎり(最小単位ぎりぎりまで)細分化することで,元の輪郭,形態,文脈,意味,属性,枠組を留めなくすること, A具体化・個別化(どういうときにどうした,誰がいつどうした,何がどうなった)することで,一般的な概念や意味から更に噛み砕き,ブレークダウンすること, B一方向だけではなく多面的多角的なものにすることで,パースペクティブ(一定の見え方)を崩すこと,固定した視点や立場での見方を崩すこと, Cタテ・ヨコ・ナナメ・十文字のつながりを拡大あるいは縮小,変形して,固定した脈絡をなくしてしまうこと, Dもとの条件を変えてしまうこと, 等々,ただ細分化するだけでなく,1つのものを別の視点から見たり,具体化したり,逆に抽象化したり,置き換えたりすることで,そのまま1つひとつを集め直しても,破片のように全体を復元できないような分解・解体であり,だから情報の異質化なのであり,“バラバラ化”なのである。これはまた,“既知のパースペクティブを崩していく”プロセスにほかならない。これによって,見慣れた見え方を崩し,知識・経験のアテハメを防ぐのである。 更に,大事なことは,このバラバラ化によって知識・経験の意味や輪郭から切り離され, @自分のいつもの見方がしにくくなるだけでなく, A自分の中に隠れていた知覚・イメージ・感覚が触発され, B元の意味や形から切り離された,バラバラの素材同士に別のつながりが炙り出されてくる, ということなのである。それは,何かの意味のつながりの一部として,あるいは何かの輪郭の断片として,見分けるということではない。それ自体独立した素材として,既知の意味・理屈のスクリーンなしに,直接に記憶の中のバラバラの知覚,感覚,イメージへの刺激となるのである。バラバラのものがもつ異質性が,頭の中で文脈や意味のネットワークに収まっていた想い出・記憶の断片を直接刺激し,バラバラに切り離されて浮かび上げる。ちょうど,脳の一部に電気の刺激を与えられると,きれぎれに記憶のイメージが浮かぶのと同じように,意味のつながり経験のつながりとは切れた断片が直接引き出される。それが,まったく異質な情報の間の予期せぬ“つながり”を発見させるのである。いわゆる直観,ハッと思いつく,ハタと気づく,ひらめく,というのはこういう状態である。 通常,われわれは何かを想起するとき,既存の知識のネットワークを使って,過去に関する断片的な情報をつなぎ合わせ,一種の「物語を再構成」(つじつま合わせ)している。つまり,手掛かりになる情報を,既知の知識に合わせることで,紋切り型のものにしてしまう。 しかし,われわれが手に入れられる知識は,自分で気づいているよりもはるかに大きい,といわれる。無意識のネットワークは通常,意識的に明らかにできるよりもはるかに多くのことを知っているのである。われわれの「意識的システム」よりも豊かな知識・経験をもっている「無意識的システム」によって,意識的にしている以上の「現実との接触」をしている。意識は,忘れていることが多いのである。記憶の中の,思い出,エピソードに代表される個々人の経験,学んだ知識,身につけたスキルの多くは,意識からは埋もれてしまっている。それが,文脈から解かれたバラバラの情報からの刺激によって,開かれる,あるいは誘い出されるのである。それによって,バラバラの情報に更に別の情報との関連ができ,それが別の連想を生むというかたちで,情報の拡散をもたらすはずである。 しかも,記憶などの内部情報は,外部に出す(表現する)ことで,われわれにとって異質化なのである。文字にすることは,頭の中で感じたり考えていたことと微妙なギャップがある。書くだけでもやもやがはっきりすることもあれば,逆に表現しきれないニュアンス残ることもある。われわれの網膜像をもし他人が見ることができれば,壁に投影された2次元映像のような1つの画像であるといわれるが,もしそれを外部に見ることができるなら,自分の見方そのものを異質化する(こんなふうに見えているのかと)インパクトをもっているはずである。考えていること,感じたことを文章化したり図解したり写真化したりすること自体が,内部にあるときには意識していなかったインパクトとなりうるのである。 「情報を異質化する」「発想できる仕掛けをつくる」を参照してください。
バラバラ化するには,次の4つの切り口が重要となる。 @視点の異質化 Aカタチの異質化 大きさのレベル(細分化,巨大化),表現レベル(具体的,抽象的),スタイル(図表,数式,写真)等々,モノやコトがさまざまな形態・様式で表現されていること。 B意味の異質化 C条件の異質化 われわれの見方(とらえ方)を形成している情報の,視点,見えるものの形,意味,条件,を変えていくことである。言い換えると, @視点を変える Aカタチを変える B意味を変える C条件を変える という4つの視点である。これを整理しなおすと,前々回に挙げたように,次のようになる。
さらに,4つのアプローチを整理して,図表化したのが,下図である。 この「変えてみる」とは,それを意識してみるという意味である。例えば,「視点を変えてみる」の,「視点を意識してみる」とは,「〜と見た」とき,「いま自分は,どういう視点・立場からみたのか」と振り返ってみるということだ。そのとき,会社の立場で見たのだとすれば,それ以外の,父親として見たらどうなるか,客の立場で見たらどうなるか等々。無意識の視点を意識し,「では,別の視点ならどうなるか」と,改めて別の視点を取ってみる“きっかけ”にすることができる。これを,“バラバラ化”と呼ぶ,真の意味は,ここにある。 |
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