もう少し,同じ図で,続けて考えてみる。発想の数を増やそうとすることも大事だが,それよりは,コツを自分なりに追求してみる方法を考えてみる。 (行宗蒼一氏による) そうすると,ここでは,こういうカタチに見えるものはないか,という考えでは,受動的で,相手任せの印象がある。そうではない。発想は,主体的なものだとするなら,たとえば,手近の何でも,取り上げてみる。現に入力しているこのノートパソコンから,無理やり考えていく。 マウス 等々と言うのは,まだ,このカタチに似たものを一生懸命探しているにとどまる。 ノートパソコンのパッド部分 というのでも,まだ似た形を探して,当てはめている。知っている知識を当てはめたてるのでは,まだ,発想とは呼ばない。発想とは,“何とかする”ことだ。とすれば,知らない,わからない,どうにもならないという状態が,発想のスタートラインだ。
そこで,こう考えてみる, こういうカタチにするにはどうすればいいか と。すると,たとえば, 縁を丸くした,かわいいノートパソコン 等々。まだまだ出るだろうが,具体的にノートパソコンを前にして考えれば,まずは,目の前に似たものが見えるが,ついで, こうしたらこうなるのではないか 等々,といったものが次々に浮かんでくるはずだ。いわば,こういうカタチに見えるものはないか,これに似たものはないか,という発想から, こういうカタチに見えるためにはどうなっていればいいのか という発想に移っていく。
見える側,見えるものにあわせるのではなく,見たいように変えてしまう,見たいように,あるいは見えるように変えてしまうことである。発想の鍵は,そう見えるように,“強制する”ことだ。それには,たとえば,1日一個は必ずアイデアを考えること,と自分を強制することも含まれる。 具体的に 考えてみること,何とかすることが,発想の第一歩だ。発想は,技法ではない。技法は他人任せ,他人を当てにすることだ。発想は,自分を恃むことだ。発見は,自分の中にこそある。そのために,情報を集めたり,人とキャッチボールしたりする。情報を集めることが目的ではないのは,そのためでもある。 技法も,逆に,それがあれば発想できると考えるのではなく,それを,自分自身を刺激する,自分の中の発見を手助けする,発想のための情報のひとつと見なせば,また,別の活用が可能である。 |
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