5W1Hで,ストーリーを描く,つまり,具体的シチュエーションを想定し,その場面,そのときにおいて見て,具体的に思い描くことで,面として,発想を出しやすくしてみよう,ということであった。たとえば,次の図を見てほしい。
これは,ある雑誌の中で,発想の例として紹介されていたものから,ひとつ引っ張ってきたものだが,そこには,
等々が紹介されていた。同じようにしていけば,
等々,いくらでも出せるだろう。しかし,こうしたやり方では,単発の発想でしかなく,ひとつの発想が,次へと有意味的につながらない。 ひとつひとつが,単発で,ひとつ思いついては,また次に「何に見えるか?」と発想しなおすという,断続した作業になる。その点で言えば,前に述べた,シリーズ化や連想の方が,ひとつひとつの意味につながりをつれて,連続した発想としやすいはずだ。たとえば,魚の目を発想連鎖の手がかりとして,
等々と,次々に意識的につなげてみることができる。これを,意識的な意味をつなげていくシリーズ化としても ,関連するものが次の発想につながっていく連想 にしても,それらを使えば,具体的に出しやすくなるのは,前に述べたところだ。たとえば,「ローラーで伸ばしている」という状況設定から,連続化していくなら,
といった連続性でもいいし,あるいは,
とつなげていけるし,あるいは,
と,一種連想で,シークエンシャルな記録スタイルに関連するものを枚挙していくこともできるし,あるいは,
等々と,上から見たり,ひっくり返したりという視点の変化とかね合わせながら,何かの先端,端,末端という連想でつなげていくことはできる。しかし,こうした単発的な発想では, 確かに点から線になっているけれども,結局どこまでも,思いつきに頼るところがあり,“連続性の思いつき”にとどまっている。これでは,思いつきという偶然性に頼っていることに変わりはない。 そこで,ストーリーを描いてみる。何をきっかけにしてもいい,たとえば,『鯉のぼりの目』と出た一つの思いつきを,点から線へ,線から面へ,面から層へと,広げ深めていくためには,そこにストーリーを描いてみることの効果を確認したい。 たとえば,鯉のぼりのイメージの連続になぞらえて,初節句を迎える子供のために,新しい鯉のぼりを発注した父親 が,じりじりしながら,鯉のぼりの届く日を待ちわぴている,というストーリーを描いたとすると,
となり,それを鯉のぼりが届いて,子供と一緒に見上げている場面,に想定すると,
同じことを,たとえば,主人公を代えたり,立場を変えたり,場所を変えたり,時を変えたりすることで,出していくことができる。 また,まったく別に,「早朝川辺を散歩している老人」というシチュエーション(その他なんでもいいが)を,とりあえず設定してしまう。そこから無理やりストーリーを考えていく。その設定から,同じ図を考えてみるとすると,たとえば,
賢明なる方々は,既にお気づきになっておられるかもしれないが,シリーズ化は,既にストーリー化の一歩直前まできているのだ。上から見たという状況設定を描くことは,それを面に広げ,「誰が」「どこで」を加えるだけでのことで,子供が幼稚園で,子供がテーマパークで,とすることで,シリーズ化の延長線上に,具体的シチュエーションを加えているのである。 第1回で,発想は具体的であるほどいいと述べたが,ストーリー化とは,具体化しやすい発想状況を作り出しているのだと言い替えてもいい。 したがって,当然ストーリー展開だけですべてよしとなるはずはない。むしろ,シリーズ化で,視点や対象をあれこれ考え,具体的シチュエーションを描いた方が出そうだったら,描いてみるし,だめなら,別の視点を想定してみればいいのだ。 たとえば,モノの発想の場合,上から見たり,下から見たり等々と視点を設定した方が,出しやすいかもしれないが,誰が,どこで,どんな使い方をするのかと,ストーリーを描くことで,より細部を詰めることができる。ストーリーを想定して,それをシリーズ化で見直した方が,具体性というのは一種の現実感覚なので,既成概念そのものにまみれている可能性がある。それを崩すには,シリーズ化で再点検したほうが,有効な場合もある。その意味では,シリーズ化や連想と,キャッチボールした方がとストーリー化がはかどることもある。当たり前だが,何かひとつだけ,秘密の手法があるということはないのである。 同じやり方で,この図を見直してほしい。同じように,点から線へ,線から面へ,面から層へと,広げ深めていくことで,発想も,点から線,線から面,面から層と,厚みを加えることができるはずなのだ。 |
ご質問・お問い合わせ,あるいは,ご意見,ご要望等々をお寄せ戴く場合は,sugi.toshihiko@gmail.com宛,電子メールをお送り下さい。 |