前回,技法も,逆に,それがあれば発想できると考えるのではなく,それを,自分自身を刺激する,自分の中の発見を手助けする,発想のための情報のひとつと見なせば,また,別の活用が可能である,と述べた。それを具体的に考えてみたい。 発想技法については,ここをご覧下さい。 いわゆる発想を拡散させる,刺激としての技法には,2つある。1つは,自分の発想にある種のスクリーンを強制的にかけるチェックリスト法があるが,いま1つは,他人の異質性を生かすブレインストーミング法がある。ここでは,チェックリストを中心に触れておきたい。
たとえば,オズボーンのチェックリストを例にとって, (行宗蒼一氏による) 同じ図から考えてみる。 たとえば,「曲げたらどうか,形を変えたら」という項目をとってみる。曲げてこういうカタチになったというのもあるし,ここからいろいろな方向に曲げてみるというのもある。あるいはカタチを曲げて変える,カタチを変えてこういうふうに見えるもの,というのもある。チェックリストの項目を刺激にするとは,それを情報として,自分自身を刺激するように,あれこれキャッチボールしてみる素材とするということだ。 とすると,曲げてこういうカタチになるものとして, ゴム風船を無理やり折り曲げて重ねたところ あるいは,カタチを変えてこうなったものとして, 半分破れた金魚すくいの紙 等々とひとつの項目から,いくつでも発想の種が出てくる。たとえば, 「何か加えたら」 「馬鹿でかくしたら」 「最大にしたら」 「もっと高くしたら」 「もっと長くしたら」 「もっと厚くしたら」 といった,大きさに関わる項目については,既に試みたのと同様なので,この項目とのキャッチボールの仕方だけ例をあげると,たとえば,何か加えるというのは,今から何かをしようとしているところ,しわすれているところ,何かを加えると完成する,何かをし忘れたので追加しようとする等々が考えられる。
たとえば,「馬鹿でかくしたら」という項目とキャッチボールすると,馬鹿でかいとはどのくらいか,ボールと比較して大きいという意味か,ごま粒と比較して大きいという意味か,というこれ自体の基準量をあれこれ考えるということがある。さらには,それから何処まで大きくするのか,東京ドームか,人工衛星か,地球か,太陽か,星雲か等々といった,大きくする比例度の感覚。また,馬鹿でかくする,そのいまのものを何処に置くかで,その大きさ比は変わってくる。 たとえば,スリッパに見えたのを例にあげて, 大人のスリッパ といえば,子供のスリッパを基準においていることになる。 相撲取りのスリッパ というと,大人のスリッパを基準においていることになる。それを具体化していくと, 小錦のスリッパ というふうに挙げていくことになる。たとえば, 「もっと時間をかけたら」 を例にとってみると,ここからスタートして何らかのカタチになるところ,あるいは,時間を経てこうなってしまったところ,もう少し時間があればもっと違ったものになるのに時間がなくてこうなってしまった,といったことを想定できる。とすると。 毛糸を丸く巻き始めたところ 等々が上げられやすくなる。いわば,発想は土俵があれば,連想を生みやすい。その土俵は,いまの何もないで図を見ているのに,何かを考える手がかりを与えているものと考えればいい。 「他の価値を加えたら」 等々も,同じように考えると,たとえば,価値を,いい価値悪い価値,新しい意味古い意味,思い出という情緒,不安という情緒等々,あるいは線を加える,色を加える,質を加える,肌あいを加える,臭いを加える,香りを加える等々,とキャッチボールすることで,「合併で消された社章」とか「お香をたいているところ」「便器」といったイメージを浮かべやすくなる。 このあたりで,止めるが,もちろんすべての項目とキャッチボールすれば,必ず何かが出てくるというわけではないが,少なくとも,固まっていた脳のネットワークに新しい回路が浮かんだり,忘れていた回路が再生したりする手がかりにはなるはずだ。 ブレインストーミングも,こうした刺激の一種として,自分の中に,異質な発見をする,あるいは自分を異質化して発見を促す機会とすることで,より有効に使えるはずだ。カーネギーが有名な『人を動かす』の中で,「2人がいて,ふたりとも同じ意見なら,1人はいなくてもいい人間だ」と喝破したように,相互の異質な発想を手がかりに,そこから教えてもらうのではなく,それを刺激として,自分の中に,自分の異質さを発見する条件づけ,として使えるはずなのだ。 |
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