カーネギー氏は,著名な『人を動かす』の中で,こんなことを言っています。「二人の人がいていつも意見が一致するならそのうちひとりはいなくてもいい人間だ」と。いわば,人は別々の人生を送っている限り,意見が異なること(つまり異見)は当たり前なのです。それを無理やり右へならえさせないと,なんとなく自分が管理者である権威が示せないと考えること自体,すでに間違った前提にたっているのです。コミュニケーションの前提をここに置くなら,異見が一致しないことが問題なのではなく,安直にトップや管理者に一致してしまうことのほうが異常なのです。
ここで,“キャッチボール”と言っているコミュニケーションには明確なイメージがあります。それは,例の3Mのポストイット開発をめぐる逸話です。周知のように,シルバーという人が,接着剤を開発していて,貼ってもすぐ剥がれてしまうものを創り出しました。彼はそれを「失敗」とはみなさず,社内の技術者に,この特性を生かした使い道を考えてくれないかと主張し続けたのです。その中に,いつも書籍に挟む付箋に不便を感じていたフライが,その使用方法として,ポストイットを発想したのです。
ここには,大事なポイントが2つあります。
第一は,自分から人にアイデア(考え)を問い掛けるということです。
第二は,失敗作という先入観にとらわれず,何とかできないかと受けとめる「聞く耳」をもっている人がいたということです。
職場のキャッチボールの原型はここにあります。実は日常でも,ふとした疑問や発想,あるいは仕事上の悩みや壁について,「どう思う?」と気楽に問をかけられる相手がいれば,どれほどその発想や悩みを前向きに解決できることが多いかわかりません。たとえば,個人の力量不足で悩んでいることが,問い掛けた相手から「自分も!」と同意をうることで,個人的な問題ではなく,職場全体のスキルの問題につながる可能性もあるのです。
「聞く」という言葉は,人の言うことをよく聞けという意味で,通常「聴く」と表現されることが多く,積極的傾聴法などでいうのもその意味です。しかし,「聞く」という言葉には,もうひとつ,「訊く」という意味があります(もうひとつ,利き酒の「利く」というのもありますが)。つまり,「質問」とか「問う」という意味です。
具体的に考えれば納得がいきますように,これは重要です。たとえば,上司が部下に何かを頼んだとき,それが初めての仕事なのに,「わかりました」と言ってすぐ引き下がるようなら,それはわかっていないと判断しなくてはなりません。よしんば,本当にわかっているとしても,そこでは,「こういうときに,どうする?」と,上司の側から「問い掛け」なくてはなりません。部下は,「何がわからないかがわからない」かもしれないからです。こうして初めてキャッチボールがはじまるはずです。それをしないで,一方的な思い入れで,「なぜ,あのときわかりました,なんて言った」と,部下を責める上司がいるとしたら,その上司は,失格です。なぜなら,自分の指示すら,的確に相手に伝えられないとすれば,チームとして遂行する職場に(組織全体から)求められている機能(役割)を果たすことなどとうていおぼつかないからです。
発想力のスキルに,有名なブレインストーミングというものがあります。その4つの原則,@発言への批判禁止,A自由奔放,B質より量,C他人の発言への相乗りOK,とはまさにキャッチボールを機能させるためのルール,つまり,異見をいかに活かしていくかの仕掛けなのです。とすれば,このスキルは,なにも何人かが集まらなくてはできないのではなく,こちらから,「これどう思う?」と問い掛けていく姿勢があれば,電話やEメールがそのままブレインストーミングになっていくはずです。そして,これこそが,人脈が必要な唯一の根拠なのです。
こう考えてみますと,実は,キャッチボールとは,お互いの問題意識のぶつけ合いでなくてはならないというのが見えてくると思います。問題意識とは,「意識的に『問題』にすること」です。それは,波風の立たないところに,意識的に波風を立ててみること(誰も「問題」でないと言っているが,こうなったら「問題」なのではないのかといったように)なのです。扇谷正造氏は,それを「空気に爪をたてる」ことだ,述べていました。
もともと「問題」は(一般的に)あるのでではなく,誰かが「問題」にすることで「問題になる」のです。とすれば,キャッチボールのない職場とは,言われたことをただ黙々とこなすだけの(惰性で動くだけの),現状に誰ひとり問題を感じない,(発想の)死んだ職場と言っていいでしょう。
では,どうすれば,キャッチボール効果を上げられるのでしょうか。その出発点は3つです。
第一は,知っていること(やったことのあること,言われたこと)をそのまま当てはめてよしとするな,ということです。まず,何が何でも,「まてよ!」と立ち止まってみること。
第二は,他に答え(やり方,考え方,見方)はないか,とたえず問い直すことです。学校でならいざ知らず,実務の上で,正解がひとつなどということはないのです。
第三は,人に問い掛けて見ることです。わからなければ,なんでもいいから質問しているうちに,「何がわからないかがわかってくるはずです」そこから,真のキャッチボールが始まるはずです。
職場の管理者(以下,トップと読み替えてもいい)に必要なのは,部下の問い掛けに答える風土を創ることです。「なぜ?」に答えない母親は失格なように,部下に問い掛けさせない管理者も失格なのです。そんな管理者が「死んだ」職場を創るのです。職場風土とは管理者そのものであるのです。