「考える」ことを阻むもの〜当たり前と思わない
「考える」ためにどうしたらいいか〜固定観念の崩し方
「考える」ための基本スキル〜考えを展開する
論理的であるとはどういうことか〜筋をつける
現状分析と情報分析の原則とノウハウ〜「問題状況」をどう掘り下げるか
情報をどう集約するか〜情報の読みを誘う整理をどうするか
情報の分析〜情報から何を読み取るか
情報の読解と例証〜情報から仮説を立てる
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論理的であるとはどういうことか〜筋をつける
◇ある推論が論理的であるとは,その推論のプロセスが形式的に正しいこと。それを妥当性と呼ぶ。つまり,話がつながっていること,つじつまがあっていること。つまり,ロジカルかどうかとは,そのプロセスの筋が通っているかどうかをさす。その妥当性は,前提の結論や実質的内容とは関係なく,前提と結論のつながり方に依存している。
◇筋の通り方には,
・意味の論理の筋
・事実の論理の筋
のふたつがある。前者を演繹,後者を推測,と呼ぶ。演繹では,妥当かどうかという形式的側面(論理性)が問題になり,推測では,説得的かどうかという内容的側面(事実性)が問題になる。しかし両者は相互補完である。推論で確証された法則が演繹の前提となる。
@演繹的思考
演繹とは,ある主張からその含意している意味をとりだすこと。一つないし複数の主張から,その意味するところを明らかにし,それによって論証を組み立てたてる。演繹的思考は,与えられた前提から結論に至る,前提→論証→結論と流れが一本の論理的流れにならなくてはならない。前提となっている一般的論(真理=法則)の個別化をたどり,「それゆえに」「だから」と結論づけていく。つまり,例証をする,守りの論理である。演繹的結論の場合,論理の流れに飛躍があるとすると,前提以外の要素をいれた,推測(論理の飛躍か前提の間違った適用)が入っていることになる。
自分はDNAを基礎としている(結論)←自分は生命体である(個別事例)
↑
すべての生命体はDNAを基礎としている(一般論)
【一般論の中に,自分が生命体であることが含意されており,そこから,「だから」と結論を導き出している。】
A推測的思考
推測は,ある事実証拠に基づいて,それには含意されていないような,他の事実ないし一般的な事実の成立を結論する。これには,二つある。
●仮説的思考
証拠をもとにそれをうまく説明するタイプの推測。証拠がなぜそうなっているかを説明していく。その場合,仮説のよしあしは,次の点によって評価される。
・立てた仮説が,証拠となる事実を適切に説明しているかどうか
・他に,事実を説明するに足る仮説がないかどうかのチェック
彼の踵に赤土がついている(証拠)→郵便局に行ってきた(仮説)
↑
郵便局の前は赤土がある
他には赤土のある場所はない
●帰納的思考
仮説的思考のなかでも,個別の事例を証拠に,一般的主張を結論するものを帰納的思考という。帰納的思考は,個々の事例事から出発し,別の事例へ,あるいは一般化に向かう。帰納的思考は発見的で,攻めの推論である。これが確実かどうかは,次の点によって判断される。
・個々の事例=サンプルが十分かどうか,偏りがないといった,サンプルの適切さ
・的外れの一般化になっていないこと
【推測と帰納の関係】
- 論理の筋のたて方
- 論理のつじつまとは
かつて,生物学者の日高敏隆氏が,こんなことを言っていた。
若い頃,高山に生息するマツノキハバチという蜂の研究をしていた。ある年に大量発生したり,わずかな数に激減したりするが,生態が余り知られていないため,研究室で生育してみることにした。中央アルプスの二千五百メートル付近で幼虫を捕まえ,一度目は,常識的な昆虫の飼育温度25度に設定したが,3日で全滅した,次の年,気温が問題だったのではないかと気づき,高山の温度に近い気温に保ってみたが,やはり全滅してしまった。昆虫生理学者に調べてもらっても,病気ではないという。翌年はっと気づいた,という。高山の温度に一定にするといっても,捕まえたときの夏の温度を保ったが,「もしかすると,夏は夏の,冬は厳冬の温度が必要なのではないか」と。そこで,一年間の温度変化を調べ,そのサイクルに合わせた気温変化を実現してみたところ,翌年孵化に成功した,という。
そこで,問題は,「はっと気づいた」というところです。まさか,学術論文に,「はっと気づいた」とは書けず,温度計測記録をもとに「1日のうちに高温低温の周期が必要」と結論づけた,という。(1992.8.3日経新聞 「私の科学技術観」より)
「常識的な昆虫の飼育温度25度に設定した」というのは,演繹的思考の例といっていい。演繹の場合,前提としていることの中に,後段の結論を導くに足る意味が含まれているかどうか,である。前提→論証→結論,の流れが,一本の論理的流れになっていなくてはならない。そこに,飛躍があるとすると,推測が入ってくる。ここで必要となるのが,帰納的思考である。
帰納的思考では,個々の事実,出来事から,一般的な結論を導き出すことになるが,
@具体的な事実やデータを集め,
A何らかの共通点を見つけ,グループ化して,
Bそれをもとに全体を説明できる仮説を立て,
Cそれを検証する,
という流れで推測していく。そこには演繹のような意味的連続性はないので,ある種の飛躍が伴うことになる。そのとき,この推測の信頼性を確実にするには,
@データや事実の正確さや適切さ
Aデータや事実の数,
B全体を説明できる適切な一般化
C反証を立ててみても,それを崩せる推測の正当性,
たとえば,先の日高氏の論証の流れは,
@「はっと気づいた」前段階で,まず,一定の温度に保ってはどうかと着想している。一定温度維持仮説を立てる,
A次に,自分たちの管理の瑕疵ではないかと疑い,温度管理不徹底仮説を試す,
B更に,温度を山の一年の変化に合わせればいい,つまり気温の高い夏と寒い冬の両方が必要なのではないかという,通年気温変化仮説にたどりつく,
となる。
フィリップ・ゴールドバーグは,こんな例を紹介しています。
ある心理学者がノミを「とべ!」と言ったら跳ねるように訓練した。試みに,ノミの足を一本取ったところ,ノミはまだ命令にしたがってとぶことができた。そこでさらに一本ずつ足を取っていったが,ノミはまだとぶことができた。やがて足を一本もなくしてしまったノミは命令してもとばなくなってしまった。それをみた学者は,こう結論づけた。「足をすべて失ったノミは聴覚をなくす」と。
ここにあるのは,帰納的推測の持つ的外れな飛躍の見本である。ノミの「足を順次」とっていっても,とべという指示にしたがったというのも,足がなくなったことで「命令がきこえなくなった」というのも,足=耳というのも,ひとつひとつ架空の一般化のもとにうちたてられている。しかし,前提となっている,「とべと命じたらとぶノミ」という一般化自体が崩れてしまえば,この全体の論証の枠組みは崩れ去る。
帰納的推測は,集められた事実に基づきますから,それが間違っている,あるいは検証不能なら,その結論は再現不能です。更に,その事実に基づいて結論づけられたものも,結論としての的をはずしていることになる。
しかし,この結論を笑い飛ばすことはできるが,このプロセスを笑い飛ばすことはなかなかできにくい。ここには,われわれがものを考えようとするときの展開の仕方の一例が現れている。
- 論理的思考のタイプ〜フロー型とツリー型とマトリックス型
問題(P)というのは,P=f
(c1,c2,c3,c4……cn)と,いくつかの原因(cause)の組み合わせの関数と表現できる。
ひとつの問題に寄与している(と思われる)原因を洗い出し,その相互関係の中から,特定できる因果関係を抽出していくわけだが,それには,
@関連事実を集める
A通常との変化チェックする
B仮定してみる……経験・原則・公理で仮説を立てて,事実で確認する
等々がありますが,ここで,帰納的推測(@A)や演繹的推測(B)がなされることになる。
原因追求の仕方には,フローで考えること,ツリーで考えること,マトリックスで考えることが可能である。
たとえば,廊下で滑って転んだ→バナナの皮が転がっていた→ゴミを捨てたものが落とした→といったように,時系列の流れになることが多い。しかし現実には,このように単線の因果の流れにはならない。たとえば,
転んだ人間は遅刻しそうで走っていた→寝坊した→前夜深夜まで残業した→
廊下は老朽化していてワックスで表面をごまかしている→今朝塗り替えたばかり→
という複々線の因果が平行して流れていることが多い。これを見逃すと,ノミの仮説を笑えなくなる。
これは,上記の平行した因果の流れを同時的に分析するのと同時に,それを構造化して,より細分化していくことになる。その問題の原因と考えられるものは何と何と何か,その原因の原因と考えられるものは何と何と何か,その原因の原因と考えられるものは……と「なぜ」を連発して(たとえば,5Whyはひとつに5ずつ原因を絞り出す),どんどん原因を個別化,特定化していく。この利点は,原因が特定されることで,「何をすればいいか」まで,解決のアクションに直結させるところにある。
・座標軸型
・2軸の対比型
《原因分析のマトリックス・フォーマット》
事実収集
着眼点 |
何が
具体的にどんな現象が |
どこで
発生した場所・箇所 |
いつ
どんな場合,どういう状況で,その後は |
程度・傾向
問題の大きさ,量的に拡大か縮小か |
問題として発生している
事実(発生した「事実」) |
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問題として発生してない
事実(対比する「事実」) |
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両者の間の違い(異同点) |
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発生「事実」の関連領域で
起こった変化事項 |
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推定される「原因」 |
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推定「原因」の検証状況 |
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- 論理的思考の罠〜何のためのロジカルである必要があるのか
因果関係を目的化するのを避けるには,
@何のために原因究明が必要なのか,
Aそれによって何を実現したいのか,
Bどういう成果が得られればいいのか
といった問題解決の目的や目標を見失わないことである。論理的思考も原因分析も,問題解決の手段である。われわれは実務の世界にいる。製品をつくって売る,システムを作って売る,サービスを提供する,娯楽や楽しさを提供する等々,スタイルやカタチは変わっても,問題なのは,論理的であるかどうかではない。提供する製品やサービスがユーザーにとって必要なものだったのかどうか,あるいは,ユーザーが本当に求めていることは何なのかを,つかむことである。われわれに発生する問題のほとんどは,誰が真の受益者か,誰のためにそうしているのか,を見失ったところで起きている。それを正し,何をすればいいかをつかもうとしつづけること,そのことを確かめ,検証し,確信を持つためにこそ,論理的思考が必要なのである。
- 論理的思考のチェックポイント〜何のためにそうしたのか
本当にその推測なり思考が正しいかどうかは,当初の問題を論理的に整理できていることが必要である。たとえば,目的手段分析という考え方がある。これは目的のためにどういう手段があればいいのか、その手段のためにどういう手段があればいいのか、その手段のためにどういう手段があればいいのか………、と手段をブレークダウンすることによって、具体化していく。これが、モノ(商品)やコト(システム、制度等)の場合は、機能や働きの目的機能分析になる。
われわれが、日常の意思決定で使っていることである。たとえば、下図のように、明日の旅行に必要なものは何か、という目的を考え、そのために何が必要となるかを列挙していき、その列挙したもので十分かをチェックする、という場合と、考え方は同じである。
この目的→手段を,目的を結果に,手段を原因に置き換えれば,結果→原因の連鎖として組み直すことができる。そして,その原因群で,本当にそういう結果をもたらすのか,たとえば,ノミの足すべてを切る→聞こえていて飛べない因果の流れを推測するのに,何が不足しているのかを洗い出す作業,この検証がなくては,論理的思考もロジカル・シンキングごっこに終わるだけである。
《参考文献》 野矢茂樹『論理トレーニング』(産業図書),フィリップ・ゴールドバーグ『直観術』(工作舎),市川伸一『考えることの科学』(中央公論社)
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