有田課長(34歳)は,今回の定期異動で,企画調査部に配置転換になった。当社の企業活動の方向を決める基礎データの収集・分析を行っている企画調査部は,グループ制を採用していて,有田課長は,そのうちのひとつのグループのチーフに任命されたのである。このグループには,ベテランの岡本主任(33歳)以下4名のスタッフがいる。
歓迎会の席上,一言挨拶を求められた有田課長は,次のような持論を述べた。
「いかなる仕事にも共通に必要なものは問題解決能力であると思う。問題解決の過程は,どの場合も同じだから,これまで自分が身に付けてきた能力を新しい仕事に生かしていきたいと思っている」
実際,有田課長は,いままでとは全く異なる仕事に対して一抹の不安を感じないでもなかったが,日頃から勉強を重ねているだけに,それなりの自負もあったのである。
着任してすぐ,まず問題点の明確化をはかるために各スタッフから話を聞いたが,彼らの態度は何となくよそよそしく,非協力的に感じられた。
1週間経った頃,部長がチーフ全員を召集した。不採算事業の評価と採算化計画に関するプロジェクトをスタートさせることになったので,各グループの分担を決めて進めるようにということであった。有田課長は,新任でもあり,部長からの指示をほぼそのまま受け入れるようなカタチで自グループの役割分担を了承した。会議室を出際,有田課長は,部長から,「長年やっていると,どうしてもいままでのやり方にとらわれかだちだ。新しい視点から5年先,10年先に焦点を当てて考えてみてくれないか」と声をかけられた。
グループに帰って,スタッフに会議の決定事項を伝えたが,岡本主任は,「そんな大きな問題を簡単に決められちゃ困りますよ」と,とたんに異議を唱えた。「大体,チーフ連中が決めたやり方では,時間的に無理じゃないですか」
他のスタッフからもプロジェクトの計画内容と自グループの役割に対する不満が続出し,結果として,「再度検討しなおしてもらう」という結論となるに至った。有田は内心の困惑を隠しきれなかったが,スタッフ全員が,プロジェクトに異論を唱える以上,ひとりで推進を強弁するのは難しかった。
やむを得ず,部長に,プロジェクトの進め方を再検討してもらえないかを申し出た有田課長は,部長から,その理由をただされ,口ごもりながら,「うちのスタッフの話し合いで,スケジュール的にきついという異論が強く,難しいというのが大勢なのです」と打ち明けた。しかし,予想した通り,「それを承知させるのがチーフの責任だろう。彼らと十分話し合って,部としての方針を徹底してくれなくては」と,つき返されたのであった。
有田課長は,再度スタッフを集め,「部長の方針は動かない。とにかく,当初の線で進めてもらいたい」と要請した。不満な表情が見られたが,口に出して異論を言うものはなく,一様にうつむいていた。
グループ内の作業分担を決めていく中でも,全体の雰囲気は良くなかった。メンバーの気分を代表するように,岡本主任がこう有田課長に迫った。
「このチームでは,課長といえども,プレイングマネジャーとして,チーフとして積極的にわれわれをリードしてもらいたい」
他のスタッフの目も,それを後押しするようにも有田課長に迫っていた。
「わかった」と言うと,有田課長は,4名のスタッフが分担した作業部分をグループとして最終的に取りまとめることを分担することにした。本来は,この作業は,報告書にまとめるための作文や作表の技術が求められる部分であったが,有田課長が担当することで,少し趣が変わり,最終的な報告書の練り上げ,集約の分担になった。
ともかくこうしてグループの作業が進行することになった。しかし,全体に冷ややかな雰囲気は変わらなかった。スタッフミーティングを開いても,「まとめるのはチーフの仕事でしょ」と言わんばかりで,各自が自分の分担の主張を強調するだけで,全体として何かを一緒に作り上げていくというムードはかけらもなかった。また,他グループとの連携の意識も薄く,「このデータをつくるのは,あのグループのAさんの仕事だろう。しかし,あいつじゃどうにもならないなあ」といった調子で,他のグループの特定の個人を平気で批判したりし,他人事のような仕事振りが目立った。
数週間がたった。有田課長は,この間猛勉強しながら,スタッフとの関係づくりにつとめた。時には一緒に飲む機会をつくり,できる限り話す場をつくった。はじめはしっくりしなかったが,回を重ねる毎に,少しずつざっくばらんに話せる雰囲気ができていった。岡本主任だけは,どこか壁がある気がしたが,他のメンバーとは,最近では仕事の進め方についての意見の交換も,以前より忌憚なくかわせるようになり,有田課長は少しずつ自信を深めていった。
必要なデータがどんどん収集され,計画案の具体的なプランニングをまとめていく段階になり,有田課長は自身で事業部門へ出向くことが多くなった。データの補強や予測の裏付けをとるつもりなのだが,そのつど自分たち以上に,担当者がよく事態を読んでいると思い知らされることが多くなった。
「その点なら,技術的に十分改善可能です。それによって,利益は上がると考えています」「その指摘はわかりますが,これまでも再三検討した結果,現状のまま今しばらく続行したほうが得策との結論を出しています」「外から見ているとムダなプロセスに見えますが,これが次の次のこの作業にとって欠かせない過程となります」等々と,こちらの指摘に逆に反論されたり,あるいはコスト評価についても,「ここは,他からは見えにくいんですが,付随的にこういうコストがかかります」「ここに不可避的にコストをかけないと,後で余分な経費増をもたらします」等々と修正をされたりすることが,多々あった。
そんなやり取りを事業部門のスタッフと繰り返しているうちに,有田課長はまた次第に自信をなくしていった。
「情報や資料,経験の質・量が圧倒的に事業部のほうがまさっている。それを内部の条件,事情もわからないで,企画部門から,現場の事業部を納得させるような方向や重点施策を提示できるのだろうか」
スタッフミーティングの中で,この点について意見を求めたところ,
「そんなことは,始めからわかってたことじゃないですか。いまさらそんなことを言われても」
「そういう現場の,過去の経緯やいきさつにとらわれた発想の制約を崩すのが,われわれのプロジェクトの趣旨だったのではないですか」
「当たり前じゃないですか。現場の人間の方が,現場のことをわかっているのは」
等々という意見が,以前とは違って,ザックバランに出はしたが,いずれも,少し距離をおいた物言いであることには変わりなく,岡本主任の,
「グループとしての方向を決めるのがチーフの役目ですから,われわれとしては必要なデータは,それに沿って集めるだけ集めました。後は,どうそこから結論を出すか,チーフの責任ではないですか」
という言葉が,全体の雰囲気を代表していた。
報告書を提出する期限は目前に迫っていた。
そんなある日,部長から声をかけられた。「どうだ,進捗は」という言葉に,つい,有田課長は,現状を説明した。一通り話を聞いた部長の返事は,「部門には部門の思惑が,当然あるよ。それを破らなくては現状を突破できないというのが,今回の問題意識ではないか。君の考えを出してみることだ」と,いうものだった。
有田課長は,報告書提出の期限を1週間後に控え,どうまとめていいか,迷っていた。