したがって,本来,管理者は,自分の担っている機能の中で,自らの主体的な役割を明確にし,それをメンバーに明示しておかなくてはなりません。それが,その職場での仕事の価値基準です。管理者にとっての問題とは,そういう自らの職場運営の基準とのギャップなのであり,管理者が,
「何を問題にするか」
とは,管理者が,何を職場の中で重視しているかの反映であり,「なぜそれを問題にするか」が,メンバーにすぐわからなくてはなりません。なぜなら,メンバーにわからないとは,メンバーと,
目的(その部署の機能を果たすのは何のためか),
目標(目的達成のために,それぞれは何をすべきか)
が,共有化されていない,という事を意味するからです。
とすると,管理者が,職場でいったん「問題にする」ということは,結果として問題ではありませんでしたというような曖昧な処理をすることを許さないのです。つまり,いったん問題にした以上,何が何でも,何とか解決して見せなくてはならないのです。それが,管理者のマネジメントであると考えます。
したがって,ケース分析の中では,
何を問題とするか
は,それぞれの管理者の何を職場管理上重視しているかによって,さまざまであり,それ自体は,「そんなことは問題ではない」「もっと重要な問題がある」といった是非を論ずる必要はないと思います。
しかし,「なぜそれを問題にしたのか」には,明確に答えられなくてはなりません。なぜなら,その問題を解決するのは目的ではなく,管理者が,それを解決することで,何をしたいのか,どういう状態にしたいのか,が目的だからであり,それに答えられないということは,
問題解決そのものを目的化している(何でもいいから問題を隠したい)
問題処理そのものに振り回されている(頻発する問題に追いまくられている)
等々でしかないからです。
つまり,ケース分析チェックリストのリストを読み直すなら,
「何を問題とするか」とは,なぜそれを問題とするか,
「何を原因とみなすか」とは,なぜそれが原因とみなすか,
「それをどう解決するか」とは,なぜそれで解決するとみなすのか,
「それをどう実行するのか」とは,なぜそれで実行できるとみなすのか,
となり,そういうプロセスを通して,マネジメント上の問題をどう解決してみせるかが,重要なのであり,それがそのまま,管理者のマネジメントにおいて,
何を重要な行動基準とするのか
何がその最大の妨げとなるとみなすのか
何がその達成の鍵となるのか
それを確実に実行していくには何が不可欠なのか
等々が,どこまで確立しているのか,あるいはどこまでできているのか,が自身に問われることになるはずである。