中堅セールスマンの評価用ケース
「11時に約束したのに,まだこないが,どうしたんだ」と,外出している楠本に,彼のお客さまの一人Aさんから電話が入ったのは,昼近くであった。どうやらまた,彼がアポイントをだぶらせてしまったものらしい。
電話口で対応したのは小沢課長であったが,幸い相手は,「また楠本さんのチョンボですな,しょうがないですなァ,もうでかけますから,明朝必ず来るように言っといてよ」と,むしろさばさばと笑っておられた,という。Aさんは彼のオピニオンリーダーのはずなのに,好意に甘えてはまずかろうと,板垣所長は気が気ではない。
「実は今日は一件約束がありますので,夕方か明日になりませんでしょうか。そうですか,何とか早く伺うとしても,午後3時は回ってしまうと思うんですが,もっと早くですか,それじゃあ先方と調整はしてみますが,1時が限度だと思いますよ。それでよろしいですか?可能かどうか相談しましてから,折り返し電話しますので」と,かたわらで,今里がちょうど電話しているところだった。
それから今里は,あわただしく予定の相手に電話し,何度か謝って,どうやら変更の了解がえられたらしく,再び電話を取り,「少し早めて戴きましたので,できるだけ早く伺うようにしますので」と再確認をして,早々に飛び出ていった。(中略)
昼過ぎ,高野主任から,「楠本はもう,Eさんの納車にいってくれたかな」と催促の電話が入った。電話に出た向井さんが,「まだ高野さんに頼まれた急用から戻っていません」と答えると,携帯を呼び出して,急ぐように言ってくれとあわただしく電話を切ったという。
「高野君の仕事だったのか!」
あきれたように小沢課長がうなった。直後に楠本から電話が入った。楠本が何かぼやいているのだろうか,向井さんが電話口で小声で楠本を何か慰めているようだ。
「どうした?すぐ戻るのか?」と,声をかけた小沢課長に,「納車先に電話を入れておくそうです……,それにしても高野さんは,楠本さんを便利に使いすぎですよ」と,向井さんは楠本に同情的な口ぶりであった。
「それでAさんの約束をすっぽかしたのか……」
さすがに,小沢課長はあきれたように,「ちょっと,高野君にも注意しとかんといかんですな」と,板垣所長の方を振り向いた。「登録や車庫証明を含め,いろいろ互いに協力しあうことにしていると言っても……」(中略)
板垣所長は,先刻の今里の電話の応対ぶりと対照的な楠本の仕事ぶりを思い出していた。確かに楠本は,いろいろな面で協力的な姿勢が見られた。たとえば先週末は,フェア前日ということで,朝礼で「準備があるので,3時には戻るように」と指示したのに,楠本は日下と3時前から準備を始め,じきに戻った大牟田係長や今里と協力して机や車の配置換えをし,高野主任らが戻った5時には大半の作業を終えていた。
楠本は,異動したH君の既納先基盤250軒を受け継いできちんと維持しており,自車代替率はいい。フェアへの誘引も1〜2人と少ないが毎回確実にできている。しかし,仕事の進め方が少しずさんすぎるのを,板垣所長はよく小沢課長と問題にしていた。
たとえば,せっかくクロージングにいくというのに,前日用意していた書類一式を忘れて,わざわざまたもどって来たり,契約書類のうち,下取りの書類に捺印がなかったり,というつまらぬミスが目立つ。それもこれも日頃から何についても整理が悪いからで,鞄の中もきちんと整理しろとは何度も口を酸っぱく注意してきたが,少しも直っていない。(中略)
翌日,楠本は前日の約束先に直行した。朝礼が終わり,板垣所長は小沢課長と先週楠本がした査定数値に5万以上の誤差が出たことを問題にしていた。
「これで2度目ですからね,いつも夜は事故箇所を見落とすからやっちゃいかんと言ってるのに,またですよ」
「どうして同じミスを繰り返すのかね。2度目には少なくともこりて慎重になるのが普通なんだが……」
「昼間は通勤に使っておられるので見られなかった,と言い訳してたんで,何で会社まで行って,外装だけでも昼間に見ておかないんだ,と叱ったんですがね」
小沢課長とそんなやりとりをしていたところへ,向井さんが電話口をおさえて振り向いた。
「昨夜楠本さんが納車したW商店さんですが,ドアのロゴマークが白抜きになっていないとおっしゃるんですが……」
「注文書には?」
「記載がありません」
またやったのか,と板垣所長は舌打ちした。あいにく,小沢課長には別の電話がかかってきたところだった。かわって電話口に出たが,いきなり先方のなじる声が,耳に響いた。
(C;K.Takazawa)
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