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コトバ辞典


むなしい


「むなしい」は,

空しい,
虚しい,

と当てる。「空」(呉音クウ,漢音コウ)の字は,

「会意兼形声。工は,つきぬく意を含む。『穴(あな)+音符工(コウ・クウ)』で,つきぬけてあながあき,中になにもないことを示す」

とあり(漢字源),「空なり」と,空しい意と空っぽの意で,「中空」,実の対語。虚とは類似で,「空虚」。つろの意で,無とつながる。「虚」(漢音キョ,呉音コ)の字は,

「形声。丘(キュウ)は,両側におかがあり,中央にくぼんだ空地のあるさま。虚は『丘の原字(くぼみ)+印符虍(コ)』。虍(トラ)は直接の関係はない」

とあり(仝上),むなしい,空っぽの意で,実の対。「空虚」。むなしくする意で,「虚己。中身がない意で,「虚言」等々。

「空」と「虚」の使い分けは,

空は,有の反なり,からと譯す。空手・空林・空山・酒樽空と用ふ,
虚は,實また盈の反なり,中に物なきなり,虚心・虚舟と用ふ。荘子「虚而往,實而歸」,

とあり(字源),「空」も「虚」も空っぽの意であっても,

有る→無し,
盈る→から,

とでは微妙に意味がずれる。

和語「むなし(い)」は,

「空(ムナ)の活用,實無し,の義」

とある(大言海)。「むな(空)」は,

「實無(むな)の義」

とある(仝上)。

「膐(膂)完之空國(むなくに)」

という用例がある(神代紀),とか。だから,

実がない→空っぽ→何もない→むなしい→はかない,

と,「から(空)」という状態表現が,転じて価値表現へと意味を変化した,とみることができる。

「心の中が空っぽになることからや、『形だけで中身が無い』『充実していない』という状態に対して残念に思う気持ちが,『むなしい』には含まれるようになり,『わびしい』や『みじめ』といった意味を含んで用いられるようになってきた。古くは,,死んで心や魂が抜け去り,体だけになっているところかにら,『命がない』という意味でも『むなしい』は用いられた」

とある(語源由来辞典)。

空しくなる,

という言い回しで,「亡くなる」意を意味した。

「むな(實無)」は,

「み(身・実)」と「な(無)」から生じた,

語で、

みな(身・実無 )→むな(實無),

へと転訛し,

「むな」に形容詞を作る接尾語「し」が加わって「むなし」になり、口語化され て「むなしい」となった。

という(語源由来辞典,日本語源広辞典)ことである。

「むて(無手)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E7%84%A1%E6%89%8B)で触れたように,

みなし→むなし,

の転訛は,

「@『中になにも無い。からっぽである』という意味のミナシ(実無し)はムナシ(空し)に転音した。〈庫にムナシキ月なし〉(記・序)。 
A転義して『事実無根である。あとがない』さまをいう。〈ムナシキ名をも空に立つかな〉(宇津保)。また,『無益である。無駄だ。かいがない』という意味を派生した。〈ムナシクて帰らむが,ねたかるべき〉(源氏・末摘花)。Cさらに『無常である。はかない』という意味が生まれた。〈世の中はムナシキものと知る時し,いよよますますかなしかりけり〉(万葉)。Dその転義として『命がない。死んだ』ことをいう。〈この人をムナシクしなしてむこと〉(源氏・夕顔)。上の二音ムナ(空・虚)を接頭語として名詞に冠らせた。人の乗っていない空車をムナグルマ(空車)といい,武器を持たないことをムナデ(空手)というのはAの語義を伝えている。
 Bの語義を伝えたムナ(空)は,『ナ』の子音が交替[nd]してムダ(徒。無駄)に転音した。ムダゴト(徒言)は『無益なことば。むだぐち』の意であり,ムダゴト(徒事)は『つまらないこと。徒労の行為』をいう」

と変化する(日本語の語源)。他にも,

モノナシ(物旡)の義(言元梯),
ムは圧定める,ナシは無の擬音(国語本義),
マナシ(真無)の転(和語私臆鈔),

等々あるが,語呂合わせに過ぎない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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「子」は,

児(兒),

とも当てるが,鳥の子の意で,

卵,

とも当てる(岩波古語辞典)。

大和の国に雁卵を産と汝は聞かすや(古事記)

という用例がある。

「たまきはる 内の朝臣(あそ) 汝(な)こそは 世の長人(ながびと) そらみつ 倭の国に 雁卵生(かりこむ)と聞くや」

と天皇が問うのに対して,建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)が,

「高光る 日の御子 諾(うべ)しこそ 問ひたまへ まこそに 問ひたまへ 吾こそは 世の長人 そらみつ 倭の国に 雁卵生(かりこむ)と 未だ聞かず」

と答えた,というのである。「雁卵生」を「かりこむ」と訓ませた。伊勢物語にも,

「鳥の子を十づつ十は重ぬとも人の心をいかが頼まん」(伊勢物語)

の,「子」も「卵」の意である。

「子」(呉音漢音シ,唐音ス)の字は,

「象形。子の原字に二つあり,一つは小さい子どもを描いたもの。もう一つは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し,おもに十二支の子(ネ)の場合に用いた。のちこの二つは混同して子と書かれる。」

とあり(漢字源),「児(兒)」(漢音ジ,呉音ニ)の字は,

「象形。上部に頭蓋の上部がまだあわさらない幼児の頭を描き,下に人体の形を添えたもの」

とあり(仝上),「小兒の頭囟(シン)未だ合はざるに象る」ともある(字源)。「囟」は,

「泉門(せんもん)。胎児や新生児の頭蓋骨にある、前後左右の骨の間にある隙間。成長するにつれて骨が接合していくため、隙間は無くなる。ひよめき。おどりこ。」

の意である(https://kanji.jitenon.jp/kanjio/7413.html)。「小兒の頭上の微かに動く所,頭會の脳蓋,頂門」(字源)ともあり,

「(ひよめき)は、幼児の頭の骨がまだ完全に縫合し終わらない形。思は、心臓の動き(脈拍)につれてヒクヒクとひよめきが動くこと。脳をおおっている頭蓋骨が心臓の鼓動でゆれるさま」

である(https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/02e8baeba431b3dd3c289b67212240e5)。実によく見ている。

「子」は,

親に対して子,

であると同時に,

「親が子を呼びしに起こりて,自らも呼びし語なるべし,男之子(オノコ),男子(ナムシ)の子(シ)なり。左傳,昭公十二年,注『子,男子之通称也』。白虎通,號『子者,丈夫之通称也』。和漢暗合あり」

というように「男の通称」であるが,「女(をみな)も子と云ふこと,特に多し。女之子(メノコ),女子(ニョシ)の子(シ)なり」ともあり,男女ともに使う。「親」に対して「子」という意味で,「子」は,様々なメタファとしての意味は多い。

「子」の語源は,

「小(コ)と同源か」

とあり(広辞苑第5版),

「小の義にて,稚子(チゴ)より起れる語なるべし」

とある(大言海)。『語源由来辞典』も,

「『こまやか( 細小)』の意味とする説や、胎内で凝りて子となることから『こる(凝る)』の意味とする説、『小』の意味など諸説ある。」(http://gogen-allguide.com/ko/ko.html

とした上で,

「『小』の意味とする説が妥当である。」

とする。意味からみでも,そんなところではないか。他には,

胎内でコリ(凝)て子となるところから,コル(凝)の義(関秘録・和訓栞),
キコリ(気凝)の義(日本語原学=林甕臣),
「孩」(カイ,ガイ ちのみご)の古音(ko)から(日本語原学=与謝野寛)

等々あるが,理屈に過ぎた説は大概,無理筋と思う。意味から見ても,

小,

から来ているのだとみていい。

「コ(小さいもの)」

であり,

「子,小,粉は同源」(日本語源広辞典)

としていいとは思うが,しかし接頭語「小」は当て字,「こ」はどこから来たのか。

小石,
小鳥,
小山,

等々,「ちいさい」ことを「こ」といったということは確かだ。

なお,「小」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%B0%8F)については触れたことがある。

因みに,「小」(ショウ)の字は,

「象形。中心のh線の両脇に点々をつけ,棒を削って小さく細く削ぐさまを描いたもの」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「親」は,

祖,

とも当てる。

子の対,

である。「親」(シン)の字は,

「会意兼形声。辛(シン)は,はだ身を刺す鋭いナイフを描いた象形文字。親の左側は,薪(シン)の原字で,木をナイフで切ったなま木。親はそれを音符とし,見を加えた字で,ナイフで身を切るように身近に接していること。じかの刺激を受ける間柄の意」

とあり(漢字源),「おや(親)」のであるが,疎の対で,親しむ意でもある。「祖」(ソ)の字は,

「会意兼形声。且(ショ)は,物を重ねたさまを描いた象形文字。祖は『示(祭壇)+音符且』で,世代の重なった先祖のこと。幾重にも重なる意を含む。先祖は祀られるので,示へんを加えた」

とある(仝上)。祖父の意である。「おや」は,

「古くは、父・母に限らず、祖父母・曾祖父母など祖先の 総称として、『おや』という語は用いられていた。」

とある(語源由来辞典)ので,「祖」の字も当てたのに違いない。

「おや」の語源は,日本語源広辞典は,二説挙げる。

説1は,「敬うのウヤ・イヤ」。敬うべき人の意,
説2は,「老ゆ+や,大ゆ+や,の変化」。老いた人の意,

「敬う」は,少し理屈が勝ち過ぎている気がする。大言海は,

「老(オイ)・大(オホ)と通ず,子(コ)・小(コ)に対す」

とし,語源由来辞典も,

「『子(こ)』『小(こ)』に対し、『老(おゆ)』『大(おお)』と関連付ける説が有力とされている」

とする(http://gogen-allguide.com/o/oya.html)。

『岩波古語辞典』も,

「オイ(老)と同根」

とし,「おい(老)」で,

「オヨシヲ(老男)・オヨスゲなどのオヨと同根。オヤ(親)も同根」

としている。ただ,大言海は,「おゆ(老)」の語源を,

「生(お)ふと通づるか」

としているが,日本語源広辞典は,

「老(お)ゆ」の語源を,

「大+ゆ(自然に経過してそうなる)」

としている。「おや(親)」と「おゆ(老)」が「大(オホ)」と重なっている。

「おや」の語源諸説は,

オユ(老)から起こった語か(和字正濫鈔・内珠庵雑記・和訓栞・大言海・国語学通論=金沢庄三郎・熟語構成法から観察した語原論の断簡=折口信夫),

が多数派,その他は,

オイテヤシナフ(老養)意か(日本釈名),
ヲヤ(老養)の義(柴門和語類集),
ヲホヤケの中略(和句解),
オホヤ(大家)の義(名言通),
ウヨ(上代)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄),
イヤ,ウヤマフなどに通じ,目下の者が発する応答の声から生じた語か(親方・子方=柳田國男),
父および老年の男子に対する親愛の称呼である「阿爺」から転じて両親の義になった(日本語原学=与謝野寛),

どう見ても,理屈が勝る説は自然ではない。「おゆ(老)」の転訛,

oyu→oya,

が,「大(オホ)」にも通じ,自然ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「髪」は,

上の意か(岩波古語辞典),
「上(かみ)」の意からという(デジタル大辞泉),

と,「上」とからませる説が大勢のようです。

「上の毛」の下略で「かみ」なったと考えられる(語源由来辞典・名言通・日本語原学=林甕臣),
上部が語源です。上にあるもの,つまり川上,頭,髪,守,裃など,共通語源のようです。頭の毛は,上の毛が語源です(日本語源広辞典),
身体の上部にあるところから,カミ(上)の義(和句解・日本釈名・箋注和名抄・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

等々。どうやら,ただ身体の上部にあるというだげではなく,

「『脇毛』や『胸毛』など,場所によって毛を区別する場合,『頭の毛』とか『髪の毛』といった表現がされ,『髪』が身体の部分とされることも『上部』との関係が考えられる。」(語源由来辞典)

という考え方のようである。ただ,『大言海』は,「かみ」に, 

上,
頭,
髪,

を当て,共に,

「頭(かぶ)と通ず」

とする。「あたま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%BE)で触れたように,「あたま」は,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と変遷したので,「かみ(頭)」「かみ(髪)」が,「かぶ」の転訛というのは不思議ではないが,「かぶ」自体が,「かみ」から転訛したのではあるまいか。『日本語源広辞典』のいう,

川上,頭,髪,守,

が同源というのは,意味があるように思える。「守」は,

「長官(かみ)」

であり,四等官(しとうかん)制の,

長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん),

の四等官のトップであり,その「かみ」も,「長官」(かみ)の中でも,

(官司)長官(かみ)
神祇官  伯
太政官  (太政大臣)
左大臣
右大臣
省    卿
職    大夫
寮    頭
司    正
(中略)
国司   守

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AD%89%E5%AE%98)と「頭」「守」も同じ「かみ」と訓ませる。この「かみ」は,トップという意味ではあるまいか。とすると,「かみ」は「上」である。

「髪」の語源説には,

カを上を意味する原語で,原型においては日の意味。ミは身の義。あるいはカミケ(頭毛)の略(日本古語大辞典=松岡静雄),
ケム(毛群)の義(言元梯),
「鬟」の別音kamの転(日本語原学=与謝野寛),

等々もあるが,いずれも,少しこねくり回し過ぎである。「髪」は,「上」で,音からも意味からも自然ではあるまいか。

「『髪の毛』という表現には,軸となる語が『髪』と『毛』の二通りある。それは,他の毛と区別するために『毛』を軸とした『髪の毛』と,『かみ』という音には『上』『神』『紙』などの語もあり,それらと区別するために『かみ』を軸とした表現である『髪の毛』である」

という説明(語源由来辞典)は,会話での区別を指しているものと思われる。文字を持たない時,同音だからという分けたが,少し変だ。区別するなら同音を鮭,「頭の毛」と別語をもって言い換えればいい。屁理屈に思える。むしろ「上の毛」といったものが,漢字を知ってから,「髪」を当てて,重複した言い回しになっただけではあるまいか。

「かみ」が「上」となると,「神」と重なりそうだが,カミ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)で触れたようにに,江戸時代に発見された上代特殊仮名遣によると,

「神」はミが乙類 (kamï) 
「上」はミが甲類 (kami) 

と音が異なっており,,

「カミ(上)からカミ(神)というとする語源説は成立し難い」

とされる(岩波古語辞典)。語源を異にするとは思うが,

「神」の「かみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)も,
「上」の「かみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)も,

意味は近接しながら,ともに結局語源ははっきりしない。しかし,

「『神 (kamï)』と『上 (kami)』音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こった」

とする説もある。文脈依存の和語の語源は,多く擬態語・擬音語か,状態を表現するという意味から見れば,

カミ・シモ,

は,両者の位置関係(始源か末か)を,

ウエ・シタ,

は,物の位置関係(上側か下側か)を,

それぞれ示したに違いない。ウエとカミの区別は大事だったに違いない。その意味で,「髪」は,

カミ(上),

に違いない。ちなみに,「髪(髮)」(漢音ハツ,呉音ホチ)は,

「会意兼形声。髪の下部の犮(ハツ)は,はねる,ばらばらにひらくの意を含む。髪はそれを音符とし,髟(かみの毛)を加えた字で,発散するようにひらくかみの毛」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「毛」は,「もう」と訓ませる単位の意ではなく,「毛髪」の「毛」である。「毛」(呉音モウ,漢音ボウ,慣音モ)の字は,

「象形。細かいけを描いたもので,細かく小さい意を含む」

とある(漢字源)。で,和語「け」は,

古形カの転,

とする説がある(岩波古語辞典)が,「カ」をみると,

髪,

と当て,

複合語だけに見られる,

とある(仝上)。例えば,

しらが(白髪),

が浮かぶが,しかし「ケ(毛)」の複合語は多く,

ケモノ(獣),
ケダモノ(獣)
ケガワ(毛皮),
マユゲ(眉毛),
ハケ(刷毛),
コケ(苔),
ケムシ(毛虫),

等々,むしろ「カ」の複合語より多いかもしれない。

シラガ(白髪)のカが古形で,鬣(たてがみ)の意の朝鮮語kalkiと同源か(日本語の起源=大野晋),

という説はあるし,「しらが(白髪)」は,

上代は「しらか」か,

とする(デジタル大辞泉)説もあり,

古形はカ,

と見る見方は捨てがたいが,僭越ながら,

髪,

の字を当てているのは意味があって,

シラカミ(白髪),

の意ではないのか。現に,「しらが(白髪)」を,

「しらかみ(白髪)の略」

とみる説も(大言海)ある。「白髪」を,

しろかみ,

という言い方もあった。

降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕つかへ奉(まつ)れば貴(たふと)くもあるか(橘諸兄)

やはり,「しらが」は,

しろかみ→しらかみ→しらが,

の転訛ではあるまいか。

おくれげ(後れ毛),

は,少なくとも,

おくれが(後れ髪),

とは言わないようだし,

ほつれげ(毛),

ほつれがみ(髪),

と両方使うが,

ほつれが(髪),

とは言わない。「が(髪)」という表現は特殊なのではあるまいか。

では,「け」の語源は何か,これが定まらない。

キ(気)の転(日本釈名・和語私臆鈔・碩鼠漫筆・和訓栞),
キ(生)の義から(国語の語根とその分類=大島正健),
クサ(草)のクと同義(玄同放言),
コ(細)の転(言元梯),
小さいところから,キレ(切)の義(名言通),
外気から肌を防ぐところから,キサヘ(気塞)の義(日本語原学=林甕臣),
ヌケハゲ(抜禿)するからか(和句解),
禽獣は毛によって肥えてみえるところから,コエ(肥)の反(名語記),
細かい毛の意の𣬫(ke)の義。シラガ(白髪)カは「𣬫」の別音ka(日本語原学=与謝野寛),

等々,諸説あるものの,「毛」という言葉の,

動植物の皮膚を覆う細かい糸状のもの,

という原義とはかけ離れた「け」の音の語呂合わせに見える。

語源は未詳であるが、「生(き・け)」とする説が 有力と考えられている

と(語源由来辞典)とするが,ちょっと信じられない。どこに,

皮膚を覆う細かい糸状のもの,

の含意があるのか。それなら,

クサ(草)のクと同義,

とするほうが,その形態との類似が感じられる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「紙」は,中国で発明された紙の製法が,推古天皇18年(610)に高句麗(朝鮮)の僧曇徴(どんちょう)により日本に伝えられたといわれるが,それ以前に製紙技術が伝来していた可能性もある。『日本書紀』推古天皇18年に,

「春三月に高麗(こま)から曇徴(どんちょう)、法定(ほうてい)という2人の僧が来日したが、曇徴は中国古典に通じていたうえに、絵の具や紙、墨をつくる名人であり、また日本で初めて水力で臼(うす)を動かした」

とある。

「世界最古の紙は現在、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)から出土したものだとされている。この紙は、前漢時代の地図が書かれており、紀元前150年頃のものだと推定される。次いで古いのは、紀元前140年〜87年頃のものとされる灞橋紙(はきょうし)である。灞橋紙は陝西省西安市灞橋鎮で出土した。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99)。さらに,史書の記録では,

「『後漢書』105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上したという内容の記述がある。」

とか(仝上)。

「黄門蔡倫,造意用樹皮及敝布漁網作紙」(漢紀)

とある(字源)。

「樹や繭をあらった上ずみや,漁網などをまぜですき,平らに乾かしてつくった」

ということ(漢字源)らしい。もっとも,蔡倫は紙の改良者らしいが,

「蔡倫による『蔡侯紙』 は軽くかさばらないため、記録用媒体として、従来の木簡や竹簡、絹布に代わって普及した。」

という。

「紙(帋)」(シ)の字は,

「会意兼形声。氏は匙(シ さじ)と同じで,薄く平らなさじを描いた象形文字。紙は『糸(繊維)+音符氏』で,繊維をすいて薄く平らにしたかみ」

とある(漢字源)。

「簡の字音kanにiを添えたkaniの転という」(岩波古語辞典),

「簡(カヌ)の字音の,カヌ,カニ,カミと轉じたるものなり。爾雅,釋器,疏『簡,竹簡也,古未有紙,載文字于簡,謂之簡札』。推古天皇の御代に,高麗僧来朝して,始めて紙を造れり。貞丈雑記,九の書札の條に,手紙は書簡(シュカン)をテカンと讀み,又,テガミと讀みたがへたるなるべしと云へり(手段(しゅだん),てだん)」(大言海),

「カム(簡。文字を書きしるす竹の札)はカミ(紙)に転音した」(日本語の語源)

「語源は,『簡』を語源とする説が,有力で,kam+i っまり,カンに母音iが加わったものです竹のフダを,竹簡,木のフダを木簡といいました。紙の発明されていない時代の言葉ですが,漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきたのでしょう」(日本語源広辞典)

と,ほぼ「簡」由来とする説が大勢で,ネットでも,

「木簡などの『簡』が語源ではないかという。そうだとすると、kan に i が付加されるときに、n が m に変化し、『かみ』となったと考えられる。」(https://blog.ousaan.com/index.cgi/language/20070103.html

といった具合である。文字をもたない祖先にとって,紙は意味を成さない。万葉仮名のような,漢字を借りて文字表現をするようになって,初めてその重要性に気付いたはずである。

とすると,

「漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきた」

というのは的を射ている。たしか,日本でも木簡が発見された。中国では竹に文字を書いた竹簡が主流であるらしいが,日本では,木簡が大量に発見されている。既に,紙も入っている時期である。

「日本最古の木簡は、640年代までにさかのぼり、この段階で文字使用が珍しくなかった」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B0%A1)。

「日本に文字が入ってきたとき、中国では既に紙が普及しつつあり、紙と木簡・竹簡が併用されていた。日本もそれを踏襲し、比較的短い文書についてだけ木簡を使った。すべての文書に紙を使わなかったのは、当時まだ紙が高価だったためでもあるが、簡単に壊れない木の耐久性を活用した面もある。」

とか(仝上)。文字を手にいれたら書きたくなる。この時代に文字が,少なくとも支配者層には当たり前であったとすると,文字の入ってきたのは,これよりかなり古い。三世紀前半卑弥呼が魏に使節を遣わし,生口 (奴婢) や布を献じた時,国書を携えたはずで,すでに文字を手に入れていたとみられる(漢文だが)。

さて,「簡」説が大勢だが,別にそれで確定したわけではない。もし「紙」と「簡」が一緒に入ってきたら,「紙」と「簡」は区別したはずである。文字を手に入れたとき,主流が「簡」なら,「簡」に書かれた形で入ってきたはずである。あるいは,それ以前なら,帛書(はくしょ)に書かれていたかもしれない。帛書は,

「帛と呼ばれた絹布に書かれた書」

で,春秋戦国時代から漢代まで使われた。

「中国研究者の馬衡は著書『中国書籍制度変遷之研究』にて『絹帛は、前五〜四世紀から五〜六世紀頃まで。竹簡・木簡は、上古から三〜四世紀頃まで。紙は、前二世紀から現代まで。』と推定使用年代を述べている」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9B%E6%9B%B8)。古くは,帛(はく)を介して,文字が伝わったかもしれない。軽々に,簡(kan)→紙(kami)と断ずることはできない。

高麗の方言からか,あるいはカウゾ(楮)を原料にして造ったので,その樹名から(東雅),
コウゾの木の皮で造るところから(和句解),
コウゾの木の皮の間にある皮をいうカハミ(皮身)の義(関秘録),
カチ(楮)の義(言元梯),

等々楮由来説は,

「奈良時代には写経に要する莫大な紙が図書寮造紙所(ずしょりょうぞうしじょ)で漉かれ、文献によれば710〜772年(和銅3〜宝亀3)までの62年間だけでも『一切経(いっさいきょう)』が21部写され、一部を3500巻、1巻の用紙を150枚として、総計約1102万5000枚の紙が漉かれたことになる。舶来の唐紙は麻紙(まし)がほとんどであったが、国産の場合は楮紙(こうぞがみ)や斐紙(ひし)のほかに多くの植物繊維を補助的に混合した紙も使用された。これらの原料を有効に利用してじょうぶな紙を多量に生産するための合理的な方法として、奈良時代後期に、世界の製紙史上画期的な技法である『流し漉き』が生まれ、和紙を特色づけることになった。」

という「和紙」の来歴を見ると(日本大百科全書(ニッポニカ)),ありかえるかも知れない気がする。すでに,舶来の紙は,

唐紙(とうし),

と呼ばれていた。「紙」の文字は入っている。

「各種の原料繊維のなかでもとくに日本特産の雁皮(がんぴ)類(ジンチョウゲ科)の繊維の粘質性が、斐紙の抄造中の特異な性格としてみいだされ、研究された結果であった。」
「奈良時代の紙に関する情報は『正倉院文書』に詳細にみられ、紙名は、原料、用途、染色などの加工法により230以上も数えられ、実物がそのまま現存している。また770年(宝亀1)に完成した現存する世界最古の印刷物といわれる『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』も、当時の製紙能力を示す記念物である。」

というところ(仝上)から見ると,無理筋かもしれないが,

皮(kaha)→紙(kami),

も捨てがたい。あるいは,

漉種を兼ね合わせて編みすいたというところから,カネアミ(兼編)の略(紙魚室雑記),

という製造プロセス由来もありえる。しかし,製紙法が渡来して以来,

「トロロアオイの根やノリウツギの樹皮からとれる粘液を利用して繊維をむらなく攪拌する日本独自の技術『ねり』が考案され,江戸時代には土佐,美濃,越前など全国各地で,すき方や技法に特色のあるものがつくられるようになった。ガンピ,ミツマタ,コウゾなどの靭皮繊維を原料とする和紙は独特の色沢と地合いをもち,じょうぶで変質しにくい特長をもつ。」

とあり(ブリタニカ国際大百科事典),原料は楮だけではない。音だけからいえば,

カンピ(kannpi)→紙(kami)

だってある。語源は定められないが,「簡」→「紙」説とは断定しきれまい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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和語で「ち」という言葉に当てはまる漢字は,

血,
地,
池,
千,
値,

等々たくさんあるが,多くは漢字の音であり,「血」は,漢字では,「ち」とは発音しない。「血」(漢音ケツ,呉音ケチ)の字は,

「象形。深い皿に祭礼に捧げる血のかたまりを入れたさまを描いたもので,ぬるぬるとして,なめらかに全身を回る血」

とある(漢字源)が,

「祭りの時に神にささげる『いけにえ』の血を皿に盛ったかたちから『ち』を意味する『血』という漢字が成り立ちました。中国では殷(紀元前17世紀-紀元前1046年)の時代、人間が生贄として神に捧げられました。これを人身御供(ひとみごくう)と言います。古代社会では人命は災害によって簡単に失われる物であり、自然災害を引き起こす自然の神への最上級の奉仕が人を生贄として捧げる事だと考えられていた為、たくさんの人の命が神に捧げられました。」

との説明(https://okjiten.jp/kanji19.html)が分かりやすい。

「ち(血)」は,

「古形ツの転」

とある(岩波古語辞典)。「つ(血)」は,

「つぬ(血沼)などの複合語にれいがのこっている」

とある(仝上)。

血沼県主倭麻呂(つぬのあがたぬしやまとまろ),

という例が載る。この場合,

Tinu→tune,

と音韻変化しただけなのかもしれない。大言海は,

「トリの約,刺して取るの意。霊(チ)に通ずるか」

とする。「取る」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%8F%96%E3%82%8A)は,すでに触れたように,

「て(手)と同源」(広辞苑)
「手の活用」(大言海)

であり, 

「タ(手)の母音交換形トを動詞化した語。ものに積極的に働きかけ,その物をしっかり握って自分の自由にする意。また接頭語としては,その動作を自分で手を下してしっかり行い,また,自分の方に取り込む意。類義語ツカミは,物を握りしめる意。モチ(持)は,対象を変化させずそのまま手の中に保つ意。」

である(岩波古語辞典)。つまり,

「手+る(動詞をつくる機能のル)」(日本語源広辞典)

となる。例えば,

ta→te→to→tu→ti,

という転訛があるかもしれないが,どうであろか。日本語源大辞典は,

「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる」

としているが,むしろ「ち(霊)」との関わりの方が,強く惹かれる。「ち(霊)」は,

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊)

等々の複合語に残る(広辞苑第5版),とある。だとすると,

「チは,生命のもと」

とし,

イノチ,

と同根,とする(日本語源広辞典)に通じる。「いのち」は,

息+内+霊(仝上),
イは息,チは勢力,したがって息の勢い(岩波古語辞典),

と通じる。

チ(霊)の転義。人体にチ(霊)が流れているという観念からでたものらしい(日本古語大辞典=松岡静雄),

との説もある。日本語源大辞典は,上記に付け加えて,

「また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」

と,

血・乳・靈,

を同源とする。とすれば,

身から出るところから,また,乳は血からなると思われるところからチ(乳)の義(和句解),
皮の内にあるところから,ウチの上略(日本釈名),
イキウチ(生内)の上略(日本語原学=林甕臣),

も,当たらずと言えど,遠からず,というところか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いのち


「いのち」は,

命,

と当てる。「命」(漢音メイ,呉音ミョウ)は,

「会意。『あつめるしるし+人+口』。人々を集めて口で意向を表明し伝えるさまを示す。心意を口や音声で外にあらわす意を含む。特に神や君主が意向を表明すること。転じて命令の意となる。」

とあり(漢字源),「いのち」の意味はあるが,「天命」の意で,天からの使命,運命の意で,「命令」色が強い。

「会意文字です(口+令)。『冠』の象形と『口』の象形と『ひざまずく人』の象形から神意を聞く人を表し、『いいつける』、『(神から与えられた)いのち』を意味する『命』という漢字が成り立ちました。」

という説明(https://okjiten.jp/kanji51.html),あるいは,

「『会意』。『人』(集める)+『口』(神託)+『卩』(人)、人が集まって神託を受けるの意。又は、『令』(人が跪いて聞く)+『口(神器)』の意(白川)。」

という説明(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)が,その意味からみて,分かりやすい。

さて,「いのち」の「ち」は,「ち(血)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E8%A1%80)で触れたように,

「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる。また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」(日本語源大辞典)

と,「いのち」の「ち」は,

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊)

等々の「ち」と重なり,「チ(血)」は,

「チは,生命のもと」

とし,

イノチ,

と同根,とする(日本語源広辞典)。「いのち」の「いの」は,何か。

「イは息(いき),チは勢力,したがって『息の勢い』が原義。古代人は,生きる根源の力を目に見えない働きと見たらしい。だから,イノチも,きめられた運命・寿命・生涯・一生と解すべきものが少なくない」

とする岩波古語辞典は「ち(霊)」を,

「自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる」

とし,

いのち(命),
をろち(大蛇),
いかづち(雷),

と通じるとした。大言海は,「ち(霊)」を,

「持ちの約」

として,

「神,人の霊(タマ),又,徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ,野槌),尾呂霊(ヲロチ,蛇)などの類の如し。チの轉じて,ミとなることあり,海之霊(ワタツミ,海神)の如し。又,轉じて,ビとなるこあり,高皇産霊(タカミムスビ),神皇産霊(カムミムスビ)の如し」

とし,「いのち」は,やはり,

「息(い)の内(うち)の約」

と「息」とする。「息」説は多い。

イノウチ(息内)・イノチ(気内)の義(和訓栞・音幻論=幸田露伴)
イキウチ(息内)の約(名言通),
いのちの「い」が「生く(いく)」「息吹く(いぶく)」の「い」で「息」を意味し、「ち」は「霊」の 意味とした、生存の根源の霊力の意味とする(語源由来辞典),
イ(息)+ノ(連体助詞)+チ(霊)(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀),
イ(息)のノチ(後)(続上代特殊仮名音義=森重敏),
イノチ(息路)の義か(俚言集覧),
イノチ(息続)の意(日本語源=賀茂百樹),
イノチ(息力)の義か(和字正濫鈔),
イノチ(息霊)の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
「イノチ(息+内+霊)」が有力。イキ,イキル,イク,イノチは同根(日本語源広辞典),

等々がある。「生」に絡ませた,

イキノウチ(生内)の約(和句解・日本釈名・古語類韻=堀秀成),
イノチ(生霊)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
イキネウチ(生性内)の約(日本語原学=林甕臣),

とあるが,「いきる(生)」「いく(生)」は,

イキ(息)と同根,

とあり,「いく(生)」は,

イキ(息),

重なるので,「息」も「生」も,どちらともありえるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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生きる


「いきる」は,

生きる,
活きる,

と当てるが,古くは,

生く,

である。「生く」は,

「息」と同源,平安中期までは主に四段活用,

とある(広辞苑第5版,岩波古語辞典)。

生か(未然形-)生き(連用形)生く(終止形)生く(連体形)生け(已然形)生け(命令形)

しかし,鎌倉時代以降上二段活用,

生き(未然形)生き(連用形)生く(終止形)生くる(連体形)生くれ(已然形)生きよ(命令形)

が現れ結局,上一段活用, 

生き(未然形)生き(連用形)生きる(終止形)生きる(連体形)生きれ(仮定形)生きろ・生きよ(命令形)

に転じた(岩波古語辞典),という。大言海は,

「(生くは)平安末期に出現したる語なりと思はる」

とする。

「いき(息)」について,岩波古語辞典は,

「生くと同根」

とあるが,大言海は,

「生く(四段活用)の名詞形。日本釈名(元禄)『息,生(いき)なり』,和訓栞『生の義,韓詩外傳,人得気則生,失気則死』」

とする。しかし,必ずしも,「いき(息)」が「いく(生く)ではない。日本語源広辞典は二説挙げ,

説1は,生+気,
節2は,出+気,

で,「生きものの吐き出す気体」と,「気」に力点がある。同趣のものは,

イズルキ(出気)の略(日本釈名),
イはイデ(出),キはヒキ(引)から(和句解),
イはイーと引く音,キは気の意(国語溯原=大矢徹),
イキ(息気)の意。イは口よりでる気息の音,キは気(日本語源=賀茂百樹),
イキ(生気)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣),
イは気息を意味する原語。キは活用語尾(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々ある(日本語源大辞典)が,

息は生,

の方がすっきりする。大言海のように,「いき(息)」を,

生くの名詞形,

とするか,逆に,「いく(生)」が,

イ(息)ク,

と,

「いく(生)」を活用させたもの,

とするかは,ともかく,

いき(息)といく(生)は同根,

とするのがスッキリする。「い(生)く」の語源をみても, 

イキ(息)を活用したもの(国語溯原=大矢徹・日本語原学=林甕臣),
イキク(息来)の義(日本語原学=林甕臣),

と「息」絡みが多い。

いき(息)

いく(生)

は深くつながっている,とみていい。

「生」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は,

「会意。『若芽の形+土』で,地上に若芽のはえたさまを示す。生き生きと新しい意を含む」

とある。「息」(漢音ショク,呉音ソク)の字

「会意。『自(はな)+心』で,心臓の動きにつれて,鼻からすうすうと息をすることを示す。狭い鼻孔をこすって,息が出入りすること,すやすやと平静にいきづくことから,安息・生息などの意となる。生息する意から子孫を生む→むすこのいともなる」

とある(漢字源)。

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和語で「ち」という,

乳,

は,漢字では,「ち」とは発音しない。「乳」(呉音ニュウ,漢音ジュ)の字は,

「左側の孚は,子どもを手で覆ってかばうさまで,孵化(ふか)の孵(たまごを抱いて育てる)の原字。右の部分乚は乙鳥の乙(つばめ)の変形。中国ではつばめは子授けの使いだと信じられた。あわせて子を育てるの意を示し,やわらかくねっとりした意を含む」

とある(漢字源)。別説では,

「会意文字です(爪+子+乙)。『手を上からかぶせ下にある物をつまみ持つ』象形と『頭部が大きく、手足のなよやかな乳児』の象形と『おっぱい』の象形から、赤子をおっぱいに向けるさまを表し、そこから、『ちち(おっぱい)』、『ちちを飲ませる』、『養う』を意味する『乳』という漢字が成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji284.html)。是非を言える立場ではないが,後者の方が,すとんと落ちる気がする。

さて,和語「ち」は「ちち」の意であるが,それをメタファに,羽織・幕・旗のさおや紐を通す小さな布製の輪を「乳」といい, そういう旗を,

乳付旗(ちつきばた)

と呼んだり,

釣鐘の表面にある、いぼ状の突起,

を「乳」と呼んだりする。

「ち(血)」の項(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E8%A1%80)で触れたように,

「身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる。また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」(日本語源大辞典)

と,「ち」に当てる,

血,
乳,

は,同源で,

霊(ち),

とも通じる。

人体にチ(霊)から流れているという観念から出たものからチ(霊)の転義か(日本古語大辞典=松岡静雄)

とするのは,それを直截的に言っている。

チ(血)が化して血となるところから(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
タビチ(食血)の義(日本語原学=林甕臣),

は,血と乳を繋げている。ある意味同趣だが,

「チは,赤ん坊の生命のもと」

とある(日本語源広辞典)のは,「ち(血)」の,

「チは,正命のもと」

とあるのと通じる(日本語源広辞典)が,ちょっと説明不足かもしれない。

タリ(垂)の義(名語記・名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
チ(鈎)の義(言元梯),

は形態から来ている。しかし,

身からいづるものであるところから,イヅの略轉。また身から出る水であるところから,ミヅ(日本釈名),
児が生まれて後に乳が垂れるところからノチ(後)の上略か。またチゴ(稚児)の義か。あるいはイノチ(命)の上略か(和句解),
チウチウと吸う音から(国語溯原=大矢徹),

となるとどうであろうか。

因みに,俗に「ちちくりあう」の「ちち」に「乳」を当てるのは当て字。これは,

ちぇちぇくる,

という言葉(擬音か?)が,

男女が密会して私語する,

意で,その転訛,

ちぇちぇくる→ててくる→ちちくる,

のようである(江戸語大辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ちかう


「ちかう」は,

誓う,
盟う,

と当てる。漢字では意味が使い分けられている。「誓」(漢音セイ,呉音ゼ,慣音ゼイ)の字は,

「会意兼形声。『言+音符折(きっぱりとおる)』。きっぱりと言い切ること」

とある(漢字源)が,これだとよく分からないが,別に,

「会意兼形声文字です(折+言)。『ばらばらになった草・木の象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形』(『斧で草・木をばらばらにする』の意味だが、ここでは、『明らかにする』の意味)と『取っ手のある刃物の象形と口の象形』(『(つつしんで)言う』の意味)から、神や人前で明らかにした言葉『約束』、『ちかい』を意味する『誓』という漢字が
成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji1814.html)。このほうが,「神仏に対してある物事を必ず実行すると約束する」意が通じる気がする。

「盟」(漢音メイ,呉音ミョウ)の字は,

「会意兼形声。明は『あかりとりのまど+月』の会意文字。盟は『皿(さら)+音符明』で,皿に血を入れてすすり,神明にあかしをたてること」

とあり(漢字源),別に,

「会意兼形声文字です(明+皿)。『太陽の象形と月の象形』(『あかるい・あきらか』の意味)と『食物をもる皿』の象形から、諸侯(国家を治める最高位の人から一定の土地を支配する事を許された人)の間でたがいに疑問とする所をあきらかにさせ、いけにえの血をすすりあって、『ちかう』、『約束する』を意味する『盟』という漢字が成り立ちました。」

という説明もある(https://okjiten.jp/kanji1017.html)。いずれも,「犠牲の血を皿に入れてすすりあい,神にちかいをたてる。転じて,堅い約束をかわすこと」の意味の謂れがわかる。両者は,

「誓」は,「言に从(したが)ひ,折に从ひふ,約束の言に背かば,其の罪を折(くじ)く会意」(字源),
「盟」は,「心を明らかにする為に牲を殺し,其の血を歃(すす)りて誓ふ,故に血に从ふ。後世誤りて皿に从ふ」(仝上),

と違い,「誓」が言葉を交わすのに対し,「盟」は,そのための堅めの儀式,に見える。で,

「誓」は,言葉にてちがはぬ様に約束するなり。誓書,誓言の如し,
「盟」は,牲を殺し,血をすすり,神にちかうふなり,誓より重し。春秋左傳には,盟の字多し,書経には,誓の字多し,後世人心の疑心深くなりたる証なり,

とある(字源)。

和語「ちかう」も,

「漢字『盟』は血をすすって約束を固くする意というが,日本語チカフも『血交フ』に起源をもつという」

と(岩波古語辞典),「盟」と関わるとする説がある。しかし,

「手交(てか)ふ意か」

とする(大言海)説もある。日本語源広辞典は,で, 

説1,「血にかけて約束をかわす」意味の「チ(血)+交フ」,
説2,「契り交わす」。で,手を握ることで約束を交わす意味の,「チ(手)+交フ」,

と,二説挙げる。しかし,「て(手)」の古形は,

タ,

ではなかったか。

手(た)挟む,
手(た)力,

等々。やはり,

チ(血)にかけてカハス(交)の義(本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健),
チカフ(血香得)の義。自己の心火である生血に,太陽の明霊を受け得て気を堅めることをいう(柴門和語類集),
チアヒ(血交)の義(言元梯),

と,「盟」の字に絡ませる説が多い。しかし,「盟」の意味に振り回されているのではないか。漢字をもたず「ちかう」時の実態は,これではよく分からない。むしろ,

チはイノチ(命)のチか(国語の語根とその分類=大島正健),
チは内に満ちる義,カフは来合の義(国語本義),

と,「イノチ」の「チ」と絡ませる説に引かれる。「チ」は,血であり,霊であり,「ちかう」重さが,ここには籠る。「ちかう」という言葉は,すくなくとも,最初は,今日とは格段に異なる重さがあったはずである。

「左大臣蘇我赤兄臣等…泣血(な)ひてちかひて曰さく,臣等五人,殿下に随ひて天皇の詔を奉(うけたまは)る。若し違ふこと有らば四天皇打たむ。天神地祇また誅罰(つみ)せむ。三十三天,此の事を証(あきら)め知ろしめせ。子孫まさに絶え,家門必ず亡びむか」(書紀 天智十年)

「庭中にして天地四方に礼拝して,共に塩汁を歃(すす)りちかひて曰(まう)さく」(続書紀 天平宝字一年)

等々,しかし少しずつ,言葉は軽くなり,

くるる間を,はかなくいそけ,心かな,あふにかへんと,ちかふ命に(新後撰集)
何せんに,命をかけて,ちかひけん,いかばやと思ふ,折もありけり(拾遺集)
誓ひても,猶しには,負けにけり,誰がため惜しき,命ならねば(後撰集)

今日,「命かけて誓う」という言葉ほど,ほぼ冗談かと思うほど,当てにならなくなった。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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つちかう


「つちかう」は,

培う,

と当てる。

草木の根に土をかけて育てる,培養する,

意である(文明本節用集)。「培」(漢音ハイ,呉音バイ・ベ)の字は,

「形声。右側の字(咅)が音をあらわす。草木の根が露出しないように土をのせてかける」

とある(漢字源)が,よく分からない。別に,

「会意兼形声文字です(土+咅)。『土地の神を祭る為に柱状に固めた土』の象形(『土』の意味)と『花びらの元のふっくらとした子房』の象形(『ふっくらとして大きい』の意味)から、『土をふっくらと盛る』、『つちかう(草・木を養い育てる)』を意味する『培』という漢字が成り立ちました。」

という説明(https://okjiten.jp/kanji1943.html)が分かりやすい。

「培」の字自体が,

「草木の根元に土を乗せかけて育てる。転じて,広く栽培する意となり,また,素質,能力を養い育てる」

という意を持つ(漢字源)。和語「つちかふ」は,

「つち(土)かふ(支柱をかう)の意。『其培之也。若不過焉則不及(ソノコレヲ培フヤ,モシ過ギズンバスナハチ及バズ)』(柳宗元)」

とある(仝上)。この「かふ」は,

支ふ,

と当てる。

あてがう,

意で,

木をかふ,
せんばりをかふ,
宛てがふ,

という使い方をする。つまり「土を支える」意であると思れる。しかし,「つちかふ」について,

「土を養ふ義」

とする(大言海)。日本語源広辞典も,やはり,

「土+カフ(養う)」

とする。「かふ(養・飼)」の項をみると,

「支(か)ふと通づるか,口に支ふ意。宛がふ,土かふ,同じ」

とあり(大言海),やはり日本語源広辞典も,

「語源は,『支ふ』です。牛馬を飼うには,クツワ(轡)を,口に,支うたので,カウと言っていて,後に,漢字の飼う,養うを当てた」

とする。しかし,「かふ(支)」自体が,

あてがう,

意だとすれば,「土」を「あてがう」意が,「培う」となっても矛盾はない。本来は,養生の言うはなく,土で支える意であったとしても,農事の輸入を通して,意味が転じていったとみれば,おかしくはない。

「つち」は,

土,

と当てているが,「土」(漢音ト,呉音ツ,慣習ド)の字は,

「象形。土を盛った姿を描いたもの。古代人は土に万物を産み出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから,土は充実した意を含む。また,土の字は社の原字であり,やがて土地の神や氏神の意となる。のち,各地の代表的な樹木を形代(かたしろ)として土盛りにかえた」

とある(漢字源)。

和語「つち」は,

「天(あま)」の対,

である(岩波古語辞典)。大言海は,

續泥(ツツヒヂ)の約,

とし,日本語源広辞典は,その大言海説と,

土地,トチの音韻変化がツチ,

の二説挙げる。「つち」の語源は,諸説あって定まらない。大言海説の,

続泥の約,

と関わるのが,

ツヅキ(続)の約(名言通・蒪菜草紙・十數伝・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

「つづく」という語感と「つち」は,どうも重ならないが。似たのに,

ツラヒチ(連土)の義(言元梯),

その他,

ツモリチリ(積塵)(日本語原学=林甕臣),
ツムチリ(積塵)の反(名語記),

と,塵と土はどうだろう。あるいは,

ツはイカヅチ(雷)・ノヅチ(野槌)などのツと同じで,格助詞。チは霊物をいうチ(霊)か(古典と民俗学=高橋正秀),

というのは「チ」は「血」「乳」ともつながる生命力と通じる。ただ「ツ」の説明が,いまひとつだが。ということで,「つち」の語源ははっきりしない。僕は,「つち」の「ち」を,

チ(霊),
チ(血),

とつながるとする説に惹かれるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ごぼう


「ごぼう」は,

牛蒡,

と当てる。牛蒡を食べるのは日本人だけである,とか(たべもの語源辞典)。

「根は、日本の他、日本が統治していた朝鮮半島、台湾、中国東北部の一部以外では食材としない。太平洋戦争中に英米人捕虜がゴボウを「木の根」だと思い、木の根を食べることを強要し虐待されたとして、戦後、日本人将兵が戦犯として裁かれたこともあった」

という悲喜劇まで起きるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%9C%E3%82%A6。しかし,縄文時代か平安時代に日本に伝わったらしいが,

「日本人が食すようになったのは江戸時代から明治」

にかけてらしい(仝上)。新しい食物である。しかし,

「新石器時代にはヨーロッパでもつくられ…中国では宋(10世紀中葉〜13世紀末)までは食用にされたが,現今では,その種子を漢方薬としている」

とある(たべもの語源辞典)。

牛蒡,

は漢名を音讀にしたもの,とある(仝上)。大言海に,

「ゴは,牛(ギュウ)の呉音」

とある。「牛蒡」は,

牛旁,

とも当てる(字源)。「蒡」(漢音ホウ,呉音ビョウ,慣用ボウ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符旁(ボウ 両側に開く)』で,丸い葉が両側にひらく菜の意」

とあり,草の名の意(漢字源)とあるが,

「ごぼうは,古く薬草として中国から伝来したもので,漢語の『牛蒡』が 語源。歴史的仮名遣いは,『ゴバウ』である。『牛蒡』の『牛』を『ゴ』と訓むのは,呉音『グ』の慣用音『ゴ』で,中国では草木の大きいものに『牛』が冠される。『牛蒡』の『蒡』は牛蒡に似た草の名に使われた漢字で,それらより大きいことから『牛』が冠され『牛蒡』となった」

ということらしい(語源由来辞典)。

「ごぼう」の古名は,

「キタキス,ウマフブキ」

とある(大言海・たべもの語源辞典)。「ウマフブキ」は,

馬蕗の意,

とある(たべもの語源辞典)。

わが国では,それなりに親しまれる食物で,

「正月に牛蒡を用いるのは,その根が地中深く入るということから,その家の基が血の底まで固からんことを願う意」

とか(仝上)。また,

「『船の船頭衆と金ぴら牛蒡は色の黒いのが味が良い』といわれたように,黒い食べものとして喜ばれた。黒豆・黒胡椒というように,黒いものが健康に良いと考えられた」

からという(仝上)。

「金平ごぼう」は,

「金平(きんひら)とは強きもののたとえにいう。坂田金時の項に金平(きんひら)という強い者がいて頼義の四天王のひとりであった。金平浄瑠璃で知られたので,この名をとって,牛蒡の固く辛いことを表した」

とある(仝上)。特に,

「坂田金時を演じる役者の髪型が刻んだゴボウに似ていた」

からという(語源由来辞典)。金平浄瑠璃とは,

「江戸の和泉太夫が語り始めた古浄瑠璃のひとつ」(語源由来辞典)

で,その演目から,

「大江山の鬼退治で知られる源頼光と頼光四天王(坂田金時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武)の次世代の話と位置づけられ、頼光の三番目の弟・源頼信の長男であり嫡男でもある源頼義と頼光四天王の息子である坂田金平・渡辺竹綱・碓氷定景・卜部季春の『子四天王』が活躍し、特に坂田金時の息子である金平が人気であったためにこの名が付いたとされている。」

と,金平浄瑠璃になったものらしい。

金平節,

とも言うらしい。

「武勇の表現が特色。承応〜宝永年間 (1652〜1711) 頃まで行われ,明暦,万治,寛文年間 (1655〜73) が盛期。和泉太夫が主として語った岡清兵衛の作品に,坂田の金平 (公平とも書く) という仮構の豪傑を主人公としたものが多くあった」

らしい(日本大百科全書)。「ごぼう」にちなんでは,

ごぼう抜き,

という言葉がある。これは,

「(牛蒡を土中から引き抜くように)一気に抜きあげること。」

からきている(広辞苑第5版)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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そらみつ,

の「そら」である。

「かくの如名に負(お)はむと 蘇良美都(ソラミツ) 大和の国を 蜻蛉島(あきづしま)とふ」(古事記)
「虚見津(そらみつ) 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそいませ」(万葉集)

と,「大和」にかかる枕詞で,後に,

「天爾満(そらニみつ) 大和をおきて 青丹よし 奈良山を越え」(万葉集)

と,

そらみつ→そらにみつ,

と替えられた。この歌は、

「作者の柿本人麻呂が、古来使われていた『大和』にかかる枕詞『そらみつ』を『そらにみつ』と五音に整音化し、さらに『空に満つ山』というところから『山(やま)』と同音を含む『大和』にかかると解釈したものといわれる。
古来の枕詞『そらみつ』を『そらにみつ』と用いたのは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とされる。」

とある(精選版 日本国語大辞典)。この「そらみつ」の語義およびかかり方

(イ)空にそそり立ち満つ山の意からとする説、
(ロ)『空御津』の意で大和は饒速日命が天磐船で空から降った津(港)であるからとする説、

等々諸説あるが、いずれも確実ではない,とされる(仝上)。

「日本書紀に,ニギハヤヒノミコトが天の磐船に乗って空から見下し,天下ったので,『空見つ大和』といったという起源説話がある」

とある(岩波古語辞典)のは,(ロ)説である。

その「そら」に当てた「空」(漢音コウ,呉音クウ)の字は,

「会意兼形声。工は,突きぬく意を含む。『穴(あな)+音符工(コウ,クウ)』で,突き抜けて穴が開き,中に何もないことを示す」

とある(漢字源)。「中空」「空虚」の「空」である。「実」の対である。同じく「そら」に当てる字に,「宙」(漢音チュウ,呉音ジュウ)がある。こちらは,

「形声。『宀(やね)+音符由(ユウ)』もと家の上をおおうむねばしらや,舟の上をおおう屋根のこと,転じて世界をおおう空間を,宇,時間の広がりを宙という。また,軸と同系と考え,地軸を中心に大地をおおう屋根と説いてもよい」

とある(仝上)。むしろ,「宙」が,

そら,

の意で,「この世界をあまねくおおう屋根」「宇宙(世界をおおう時間・空間の広がり)」の意である。我が国では,「空中」の意で,「宙返り」のように,地を離れる,という矮小化した意味になる。

さて,和語「そら」は,

swara→古代日本語 sora

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%89),古事記に,

「腰泥(なづ)む蘇良(ソラ)は行かず足よ行くな」

とあり,「そら」は,

「天と地との間の空漠とした広がり・空間。アマ・アメ(天)が天界をさし,神々の国という意味をこめていたのに対し,何にも属さず,何ものも内に含まない部分の意。転じて,虚脱した感情。さらに転じて,実意のない,あてにならぬ,いつわりの意」

という意味の幅をもつ(岩波古語辞典)。大言海は,

「反りて見る義。内(ウチラ)に対して,外(ソラ)か。ラは添えたる辞」

とするのは,

ソトの延長であるところから,ソトのトをラに代えて名としたもの(国語の語根とその分類=大島正健),

と重なる。

「上空が穹窿状をなしてそっていることから」

とする(広辞苑)のは,

のけぞらないと見えない義(和句解),

の意味だろう。

梵語に,修羅(スラ sura),訳して,非天。舊譯,阿修羅,新譯,阿蘇羅と云ふ,

とある(大言海)の梵語説をとるものもある(日本声母伝・嘉良喜随筆)。

ゾウラ(背裏),またはソハラ(虚原)の義(日本語原学=林甕臣),
ソラ(虚)の義(言元梯),
間隙の意のスの転ソに語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉),

等々。どうも決定打はない。「内」「外」とは,ちょっと俯瞰する視点に過ぎる。

天→空→地,

という全体の構図から見れば,内外は,外れるのではないか。それなら,「虚」と重ねた方が感覚的には合うのではないか。漢字では,

空は有の反,
虚は實また盈の反,
曠はひろくしてむなしい,

と使い分ける。天と地の間,という意味なら,「虚」だが,それは意味であって,「そら」の語の説明にはならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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上の空


「上の空」は,

上空,空中(「はかなくて上の空にぞ消えぬべき風にただよふ春の淡雪」源氏物語)

拠り所がなく不安な状態(「いとど心細さまさりて,上の空なる心地のみしつつ明かし暮らすを」源氏物語)

心が宙に浮いたような状態,ぼんやり,うっかりしているさま(「上の空にも恥をこそかけ」犬筑波)

と,意味が転じていく(岩波古語辞典)。さらに,

いい加減なさま,根拠がなく不確かなさま(「御書を給はらで申さんには,上の空にや思し召され候はんずらむ」平家物語)

まで意味が転ずる(広辞苑第5版)。今日,上空の意で使うことはまずない。ただ,「そら(空)」の意味自体に,

(何もない空間の意から)うわのそらであること,そぞろであること,

の意味がある(岩波古語辞典)。

たもとほり往箕(ゆきみ)の里に妹を置きて心空なりそうです土はふめども(万葉集)

という用例もある。そらに,「そら(空)」には,

心地,気分,多く下に打消しの語を伴い,不安を表す,

意もあり,たとえば,

旅に行く君かも恋ひむ思ふそら安くあらねば嘆かくを 留めもかねて(万葉集)

という使われる。「上の空」には,そうした「空」の持つ意味の翳があると思われる。
「そら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E7%A9%BA)で触れたように,「そら」は,

「天と地との間の空漠とした広がり・空間。アマ・アメ(天)が天界をさし,神々の国という意味をこめていたのに対し,何にも属さず,何ものも内に含まない部分の意。転じて,虚脱した感情。さらに転じて,実意のない,あてにならぬ,いつわりの意」

という意味の幅をもつ(岩波古語辞典)。その意味の幅の,

虚脱した感情,

という意味の延長線上に,「上の空」はある。

大言海は,

虚空(そら),天上(「おしなべて,仰ぐ水鶏(くいな)に,おどろかば,うはの空なる月もこそ入れ」源氏物語),

空しきこと,何の心も情(なさけ)もなき風(ふり)(「聞くいかに,ウハノソラなる風だにも,まつに音するならひありとは」新古今集),

心,或一方に浮きあこがれて,他の物事にとまらぬこと,有頂天(「立居する方法(たどき)も知らに我が心天津空なり土は踏めども」万葉集),

という意味の流れを示す。

こう見ると,「上の空」は,「空」に意味を重ねた強調見えてくる。だから,

「『上(ウワ)+空』です。心は空の上の方にある。つまり,注意が集中せず,ぽかんとする意」

とするのは,意味が

ぼんやりする,

意でしかとらえていないが,

空,

のもつ意味が,

天地の間,

の意でも,その,

上,

という強めていると考えれば,まあ,説明としては成り立たないでもない。

浮空,

という表現も(大言海),それと同時かも知れない。

「うわの空は、空の上方を意味する『上の空(うはのそら)』として、平安時代から使われ 始めた。落ち着かないさまを意味する『心空なり』という形容動詞があるため、『空なる心』を強調する表現として『うわの空なる心』と使われた。のちに、単独で『うわの空』と使われるようになったと考えられる。」

とある(語源由来辞典)が,これだと,「空」自体に,

何にも属さず,何ものも内に含まない部分の意。転じて,虚脱した感情,

へと意味が転じた流れを見落としているように思われる。もちろん,今日は,

心ここにあらず,

の意で使われる。たとえば,笑える国語辞典が,

「上の空とは、あなたの奥様が『寝室のカーテン掛け替えようと思うんだけど、色は何色がいいかな……』というような話をはじめたときの、あなたの精神状態をいう。『上の空』って、空は上にあるに決まっているが、これは『空の上の方』という意味。」

とするように。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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頓着


「頓着」は,読み方(ルビ)の例を見ると,

読み方 割合
とんじゃく 50.8%
とんちゃく 37.6%
とんぢやく 6.6%
とんちやく 3.9%
とんぢゃく 1.1%

と,わかれる(https://furigana.info/w/%E9%A0%93%E7%9D%80)。要は,

トンチャク

トンジ(ヂ)ャク

ということだ。これは,この言葉の由来と関わる。

広辞苑(第5版)は,「とんちゃく」で引くと,「とんじゃく」の項へ導かれる。「とんじゃく(頓着)」の項には,

「『貪着』の転義。トンチャクとも」

とあり,

深く心に掛けること,
気にすること,
懸念,

の意味が載る。「貪着(とんじゃく)」は,仏教語で,

足るを知ることを知らず,
物に執着(しゅうじゃく)すること,
むさぼりつくすこと(日葡辞典),

と,「とんじゃく(頓着)」の意味よりはえげつなくなる。

字源には,「頓著(トンヂャク)」が載り,

おちつけておく,
安置する,

という意が載る。そして,それが仏教語に転用され,

物をむさぼりてやまぬ,

意となり,それがわが国では,

気に掛ける,

意へと転じた,とある。因みに,「著」(漢音チョ・呉音ジョ,漢音チャク・呉音ジャク)の字は,「着」(漢音チャク,呉音ジャク)と同意で,着る意である。

頓著→貪著→頓着,

と転じ,訓みが,

トンジャク→トンチャク,

と転じた,ということのようである。それに伴って,

安置する→物をむさぼる→気に掛ける,

という意味が変わった。「貪著」は,

「貪愛染著の略」

とある(大言海)。普賢經に,

「處處貪著,堕落生死」

と,寶積經に,

「邪念生貪著,貪著生煩悩」

とあるとか(大言海)。親鸞のことばに,

「『智恵門に依って自楽を求めず、我が心、自身に貪着(とんじゃく)することを遠離(おんり)するがゆえに』(重誓偈)。自分の楽しみは求めない、貪着とは愛着、自分に愛着することを離れるのだと言われる。さらに、『一切衆生を憐愍(れんみん)して、心、自身を供養し恭(く)敬(ぎよう)する心を遠(おんり)離せるがゆえに』(同上)と。そのように、衆生を救いたいのだと、自分を供養するのではないのだと、何回も何回もしつこく言うのです。」

とある(http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report01_bn49.html)とか,「貪著」とは,愛着である。

しかし,現代では,否定語を伴って,

物事に頓着しない,

と用い,現代では多く「とんちゃく」と訓ませる。頓着」の否定形「無頓着(むとんちゃく)」について, 語源由来辞典は,

「『頓着』は、『貪着』『貪著』と表記し、『トンヂャク(トンジャク)』といった。『貪』は、いくら求めても満足しないこと。『着(著)』は、執着することで、『貪着(貪著)』は、むさぼりもとめて執着すること、物事にとらわれることを意味する。『貪着(貪著)』が『トンチャク』といわれるようになったころから、『頓着』の表記も多くなり、『こだわること』『気にすること』『懸念』『心配』といった広い意味で用いられるようになった」

とする。「とんちゃく」と訓ませ,「頓着」と当てたのは,近世からである(岩波古語辞典)。

「欲深く執着する」意から「深く気に掛ける」意へ,

皮相な意味に変わった。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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とんと


「とんと」は,かつて,

とんと覚えがない,

と,キンさんだかギンさんが言った「とんと」である。

すっかり,まるで,

といった意味であるが,あとに打消しの表現を伴って,

少しも,
一向に,

という意味になる。江戸語大辞典は,下に否定語のある場合,

てんで,さっぱり,まるっきり(「トント行方がしれませぬ」文化八年・浮世風呂),

下に否定語のない場合,

全く,すっかり,まるで(「とんと雷子がもの草といふかつこうだ」安永四年・金々先生栄華夢),

と分ける。

とんとと,

と「と」を付けると,

とっとと,さっさと,

と意味が変わる(江戸語大辞典)。別語の由来,たとえば,

とっとと,

の転訛かも知れない。「とっとと」は,

「ト(疾)クト(疾)クトの転,相手を促す時に使う」

とある(広辞苑(第5版))。

「とんと」に似た言い回しで,

とっと,

という言葉がある。

まったく,まことに,ほんとうに,

という意(大言海)で,

「彼奴が,なかなかトット利根(りこん)さうなやつぢゃ」(狂言・文相撲)

といった使われ方が載る(仝上)。岩波古語辞典には,

「時間・距離・程度などが大きくかけ離れているさま,ずっと,ぐんと」

と載る。「とんと」の意味に近い。「とんと」が,

とっと,

の転訛ということはあり得る。現に,

トットの転訛。トットはイト(最)の転訛(松屋筆記),

という説がある。「いと」は,

甚,

とあて,「イタ(甚)」が「イト(甚)」に転音したもの。この「いと」の転訛の中に,

イトモ(甚も),

があり,この「イトモ」の,

「転トモはドンに転音して強調・嘲罵の接頭語になった。ドンゾコ(甚も底)・ドンボーズ(甚も坊主)・ドンビャクショウ(甚も百姓)・ドンガラ(甚も軀)・ドンケツ(甚も尻)・ドンジリ(甚も尻)・どん詰まり(甚も詰まり)」

等々の「どん」(日本語の語源)とつなげる説と言える。

ホトンド(殆)の略(筠庭雑録),

とする説もあるが,「ほとほと」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%81%BB%E3%81%A8)で触れたように,

ほとほと,

の転訛した言葉で,「ほとんど」に転じた段階で,

今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,

という意味で,すこし「とんと」とは意味がずれる。他に,

「トン(擬態)と」
または
「トッ(擬態)と」

とする説がある(日本語源広辞典)。「とっと」という擬態語は,江戸語大辞典の,

とんとと,

に転訛したものかもしれないが,古くは,

たった,

の形も使い,

行動が素早いことを示す,形容詞「疾し」の連用形を重ねた「とくとく」の変化,

で,「とんと」は,別のように思われる。

どうやら「とんと」のはっきりした語源は定かではないが,

いと(甚),

の音韻変化の多様性を考えると,

いとも→どんと→とんと,

といった転訛が,意味からも,もっともらしく見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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蚊の最も古い化石は、1億7,000万年前の中生代ジュラ紀の地層から発見されている,とか。人類より古い。「蚊」(漢音ブン,呉音モン)の字は,

「会意兼形声。『虫+音符文(細かい模様)』。あるいは『もんもん』という羽音をまねた擬声語か」

とある。多くは,

ブーンという羽音,

とする説を採る(語源由来辞典,日本語源広辞典等々)が,

「形声文字です(虫+文)。『頭が大きくてグロテスクなまむし』の象形と『人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く』象形(『模様』の意味だが、ここでは、『「か」の羽の音の擬声語』)から、『小さい飛虫か』を意味する『蚊』という漢字が成り立ちました。」

との説明が正確だろう(https://okjiten.jp/kanji312.html)。

和語「か(蚊)」の由来にも,

その鳴き声から(雅語音声考・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

と,鳴き声というか,羽音とする説がある。その他,その羽音の耳障りさから,

カシマシキの下略(和句解),
「喧・囂(かま)」 の略(名言通),
アナカマ(噫喧)の上略(日本語原学=林甕臣),

と羽音に関わる説がある。また,蚊に刺されることに関わって,

カム(噬)の下略(日本釈名・東雅・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥),
蜂に刺されたというが,蚊には噛まれたということから「噛む」の「カ」に由来する説が最も有力(語源由来辞典),

「噛む」と関係づける説もある。しかし,蚊に噛まれる,という言い方を僕自身はしない。刺されるではあるまいか。

また,刺された後の症状から,

かく,かゆい,の語根「カ」(日本語源広辞典),
カユキ(痒)の略か(和語私臆鈔),

と「痒さ」と関わらせる。その他,

声がカナシゲなるところからか(本朝辞源=宇田甘冥),
人の血を吸いクラフ(食)ところから,クラの反(名語記),
無きが如くして有るところからカ(歟)の義(柴門和語類集),
カ(細)の義(言元梯),

等々もあるが,決め手はない。岩波古語辞典は,

「蚊,可(か)」(華厳音義私記)

を引き,

「華厳音義私記には『加安』の形もあり,現在の京都語のカアという長音形の由来の古いことがわかる」

とある。

カア,

という言い方が古いとすれば,「カ」を前提に考えられた由来は全て吹っ飛ぶ。しかし,残念ながら,これ以上は探れない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ピーカン


「ピーカン」とは,

快晴,

の意である。手元の辞書には載らない。今日では,死語かもしれない。どうやら業界用語に端を発しているらしい。大辞林には,

屋外撮影現場の俗語から,

とあり,

直射日光の当たる快晴の状態,

とする。

撮影現場用語(http://www.netlaputa.ne.jp/~sakura3/sub8.htm)には,

雲一つ無い晴天,

とあり,青空の見えない曇り空のことを,

ドンテン,

というとある。「ドンテン」は,

曇天,

でそのままだが,

雲待,

という,

雲を待ったり、晴れを待ったり,

ということばもある。この流れで,「ピーカン」も考えるべきだろう。

日本語俗語辞典は,昭和時代〜の言葉として,

「もともと映画業界が撮影時に使っていた言葉である。ピーカンの語源は快晴の空がタバコのピース缶の色に似ていたという説、快晴の日はカメラのピント合わせが多少曖昧でも完全に合うことから『ピントが完全』を略したとする説、単純に太陽の光が『ピーンと届いてカンカン照り』を略したという説など様々だが正確なことはわかっていない」

とする(http://zokugo-dict.com/27hi/p-kan.htm)。

快晴の空がタバコのピース缶の濃紺のパッケージの色に似ていたという説,
快晴の日はカメラのピント合わせが多少曖昧でも完全に合うことから「ピントが完全」を略したとする説,
太陽の光が「ピーンと届いてカンカン照り」を略したという説,

以外にも,

オペラ・蝶々夫人の第2幕のアリア「ある晴れた日に」を歌いながら蝶々夫人が待つ人物の名前がピンカートンなので、そこから晴天のことをピーカンと呼ぶようになったという説,
太陽がカンカンに照りつけ、あまりの天気の良さに喜んだヒバリがピーピー鳴いていたからという説,
太陽の光が「ピーンと届いてカンカン照り」を省略したという説,
完全な状態を意味するパーフェクト・コンディション(perfect condition)を省略してパーコン→ピーカンになったという説,

等々があるが,どれもちょっとこじつけすぎる。ピー缶の「ピーカン」説には,

雲一つ無い晴天、缶ピースの蓋の反射から,

ともいう(放送用語あれこれ https://blog.goo.ne.jp/sakura707_2006/e/6343b9e0a6d06e3af7f6a400d99b5889)し,

「ピースの缶にはオリーブの枝をくわりか鳩が描かれている」という事から来たと言う説もある。鳩とオリーブの組み合わせは聖書にある「ノアの方舟」伝説が元になっており、雨が止んで洪水が収まった時に地面が見えていると言う意味で、鳩がオリーブの枝をくわえて戻ってきた事に由来する,

という説もある(雑学大作戦:知泉)。つまり,

「雨が上がって晴れる=オリーブをくわえた鳩』という連想から、晴れのことをピース缶(ピーカン)と呼ぶようになったという説,

である。ちょっとひねり過ぎではないか。

ピース缶の色,

と言うのが一番支持されているらしい(仝上)が,僕は,

ドンテン(曇天),

と対なのだから,晴れた状態を示す言葉だと思。そうなると,

映画監督山本嘉次郎によると「空がピーピーカンカンと晴れている」と言う言葉遣いが昔あり、そこから来たと言う説,

が一番ふさわしいように思えてならない。この説では,

ピーピーとは、あまりの天気の良さに喜んだヒバリが鳴いている声で、カンカンは太陽が照りつけている表現,
だとか。

参考文献;
http://www.kic-factory.co.jp/glossary/hi/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3/
http://www.chikyukotobamura.org/muse/life0702001.html
http://kuram.tv/02scenario/22word/gyo-yougo.htm

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「噂」は,

そこにいない人を話題にしてあれこれ話すこと,

だが,それを拡大して(というか,言いふらせば),

世間での根拠ない話,

に転じ,

風説,
世評,
ゴシップ,

の意となり,果ては,

流言・飛語,
デマ,

に重なっていく。「噂」(ソン)の字は,

「会意兼形声。『口+音符尊』。尊はずっしりした酒器を手ですえることを意味する会意文字だが,ここでは単に音を示す。人びとが集団をなしてはなすこと」

とある(漢字源)。「うわさ」に当てられているが,「うわさ」という意味よりは,

人が群れ集まってしゃべっている,

状態の意だから,その話の中身の方にシフトさせた意味として当てたようである。

「形声文字です(口+尊)。『口』の象形(『話す』の意味)と『酒だるの象形と両手の象形』(両手で酒だるをささげて『たっとぶ(とうとぶ・うやまう)』の意味だが、ここでは、『屯』に通じ(『屯』と同じ意味を持つようになって)、『集まる』の意味から、『多くの人が集まって話す』を意味する『噂』という漢字が成り立ちました)

という説明(https://okjiten.jp/kanji2402.html)が分かりやすい。

岩波古語辞典は,「うはさ」に,

上佐,

とも当てている。

「上佐,ウワサ,誅・噂」(枳園本節用集)」

を引いている。「誅」(チュウ)の字は,

罪をせめて殺す,

意で,「うわさ」とつながるのは,

責任や罪を数えたてて責める,

ところからきているのだろうか。

話題に取り上げてあれこれ言うこと,

の意とある。

「街談・巷説・人上(ひとのうわさ)・愬直口(そぞろすくち)・尽期もなく覚えたり」(禅林小歌)

が載る。

大言海は,

浮沙汰(ウハサタ)にもあらむか,

とする。同じ説を,日本語源広辞典も,

「ウワ(浮わ)+沙汰」

と執る。「沙汰」は,この場合,

たより,しらせ,

あるいは,

評判,

といった意味になる。

浮いた沙汰,

の意である。この他に,

ウハサマ(表様)の義か(和訓栞),
ウハソ(上夫)の転(言元梯),
ウハサダメ(上定)の義(名言通),
ウハササヤキ(両京俚諺考),

等々があるが,

浮いた沙汰,
浮き沙汰,
浮わ沙汰,

に引かれる。それにしても,

人の噂は鴨の味,

とか。あるいは,

他人の不幸は蜜の味,

とも重なるのかもしれない

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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沙汰


「沙汰」は,

「『沙』は砂,『汰』は選び分ける意」

とある(広辞苑(第5版))。

「水中でゆすって,砂を捨て米や砂金を選び分ける意」

ともある(大辞林)。あるいは,

「米を水ですすいで,砂を取り除く」

意とある(岩波古語辞典)。字源は「沙汰」を,

「米を淘(ゆ)りて沙石を去る。転じて善と悪とをえりわける」

とする(「汰沙」とも使う)。淘汰の意である。要は,

「水で洗って不要のものをとり除く」

意である(日本語源広辞典)。そこから,轉じて,

物,人物の精粗をえり分けること,

の意となり,たとえば,

物事の是非をえらび分けて正しく処理する,

意として,

(イ) 政治上の処理。政務のとりさばき,
(ロ) 知行すること。庄務を行なうこと,
(ハ) 年貢諸役をとりたてること。また,それを納入すること,
(ニ) 弁償すること。支払うこと。負債等を分担すること,
(ホ) とりたてて行なうこと。考えて取り計らうこと,
(ヘ) 殺すこと。成敗すること,

といった意味に使われ,さらに,

物事の是非や善悪などをとりさばくこと,

の意から,

(イ) 裁判。訴訟。公事,
(ロ) 問題として論議すること。検討。評議,
(ハ) 論議される点。教理,

の意に使われ,その結果の処理の意で,

情報を与えること,

の意として,

(イ) 決裁されたことについての指令。指図。命令。下知,
(ロ) 報知。報告。通知。消息。たより。また、吹聴すること,
(ニ) (他の語に付けて接尾語のように用いることもある) 話題になっている事件,
(ハ) 話題にすること。評判。うわさ,

という意味にも使われ(精選版 日本国語大辞典),中世は決定・命令・処理などを表す語として広く用いられた。

「鎌倉幕府の裁判制度を初心者向きに解説した書である『沙汰未練書』に、『沙』は砂、『汰』は選び分ける義であるから、砂を水中で揺すって中から砂金などを選別することをいうとの趣旨が述べられている。これは字義にもっとも近い説明であろう。『沙汰』はここから転じて、人や物事の是非、善悪、精粗を選び分け、正しく判断し処理する意味となった。この意味に近い用法には、中世における「裁判」「訴訟」をさすときの沙汰があり、すこし意味が広がって「評議する」「議論する」ことも沙汰といわれた。次には訴訟や評議の結論を執行すること、たとえば勝訴者に係争地を引き渡すことを「沙汰し付ける」「沙汰し据える」などという用法がある。この意味が拡大すると指図や命令そのものが沙汰と称され、また命令に従って政務を行うこと、荘園(しょうえん)の荘務を行うこと、具体的にいえば、年貢を賦課したり徴収したりすることとか、年貢や負債を支払うことも沙汰と表現された。さらに直接政務にかかわらない伝達事項や通知、ニュース、噂(うわさ)といったことも沙汰といわれる。「沙汰の限り」という語が鎌倉幕府の文書に出てくるときは、「幕府の裁量の限度」といった原義に近い使われ方をしているが、近世や現代では「もってのほか」といった意の一般的な言い回しになっている。」(日本大百科全書(ニッポニカ))

と,意味の変化がよくわかる。「沙汰の外」も,

理非を判定する範囲を超えている,

話にならない,

言語道断,

と,同じように意味を転じている。「沙汰」は,

物の精粗を選り分ける,

裁断,処理,

あれこれ議論し,穿鑿する,

指令,命令,

報せ,通知,

うわさ,風説,評判,

という意味がどんどん薄くなっていく。「うわさ」「知らせ」の意味は,本来「沙汰」にはなく,我が国だけの使い方である(字源)。

今日では,「沙汰」は,

音沙汰ない,
御無沙汰,
沙汰の限り,
狂気の沙汰,
裁判沙汰,

といった,「他の語に付いて、あるいは接尾語のように用いて」,

…にかかわる事柄,
…の問題,

などの意を表すのに使う程度である(大辞林)。既に江戸語大辞典では,

たより,しらせ,

の意味しか載らず,今日と似た意味でしか使わなくなっている。

「沙」(漢音サ,呉音シャ)の字は,

「会意。『水+少(小さい)』で,水に洗われて小さくばらばらになったすな」

とある(漢字源)。

「汰」(タ,漢呉音タイ)の字は,

「会意兼形声。大は,ゆったりと大きく手足を広げた人を描いた象形文字。太はそれにヽ印を加え,ゆったりして何かが余分に余ったさま。汰は『水+音符太』で,水をたっぷり流して洗うこと」

とある(漢字源)。「よなぐ(淘)」の意である。つまり,「水に入れ,淘(ゆ)りとぐ」「淘(ゆ)り分ける」ことを意味する。とすると,「沙汰」ではなく,

汰沙,

が本来の形の見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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七十五日


「七十五日」にまつわる諺に,

人の噂も七十五日,

とか,

善きも悪しきも75日,
世の取り沙汰も75日,

いずれも,

世の取沙汰(善悪,噂)もしばらくの間で,やがて忘れられる,

といった意味である。この七十五という日数の意味は何か。いくつか説がある。

ひとつは,「野菜の生育」と関係するという説である。たとえば,

「野菜は種を蒔いてから収穫するまで、平均すると75日ほどかかるとか。75日間で一区切り付く(刈り取る)から、どんなに悪い噂の種でも75日経ってその噂も刈り取られれば、跡形もなくなってしまう、という意味」

とする(https://wisdom-box.com/origin/ha/uwasa75/)。

次は,季節のひとつという説。たとえば,中国から伝わる五行思想・五行説に基いて,

「昔は、春夏秋冬の他に土用の丑の日を含めた五季節という考え方があり、一年の365日を5で割ると73になる」

というもの(http://kotowaza-allguide.com/hi/hitonouwasamo.html),同じ季節でも,四季とする説もある。たとえば,

「昔の暦は春夏秋冬の期間が年によって70〜75日ある」

とする説である(仝上)。

また,季節を生育と関わらせれる説もある。たとえば,

「種をまき、発芽して収穫までの日数がおよそ75日である」

ことにもつながる(https://shokuiku-daijiten.com/mame/mame-264/)。

あるいは,

「75日は約2ヵ月半を指します。四季の移ろいを重視する日本の気候風土においては、 2ヵ月半経つと季節は確実に移り変わっていきます。 そこから連想された」

とする(https://www.promotion173.com/entry/uwasa-75days)。

さらに,初物説というのがある。それは,

初物を食べると75日長生きできる,

というもので,たとえば,

「季節、季節の初物を食べることで人は新たに生きながらえるためのエネルギーを得ることができると 信じられていました。その日数が75日間といわれます。」

というものである(仝上)。初物を食べると長生きするという俗説は,

「茄子の初生(はつなり)を目籠に入れて売り来たるを七十五日の齢(よわひ)これ楽しみの」〈浮・永代蔵・二〉

という江戸時代の用例もある。

あるいは,産後の忌み明け説というのがある。つまり,

産後の忌み明けが75日,

というのである。たとえば,

「大阪府下のある村では、産後の禁忌を『オヤユミ(親忌み)』と称して、それが明けるのが75日だといいます。それまでは神社に参ったり、祝いの場に出席したりするのは遠慮すべきだと伝えています。」

というのである(仝上)。「親忌(おやいみ)」とは,

「産婦の産後七五日間をいう。この期間の終わるのを忌みが明けるといい、神参りや祝いなどをする。」

とある(精選版 日本国語大辞典)が,しかし,

「日数は古来、父、母によって異なるが、父は七日間、母は三〇日、三五日、七五日間など一定しない」

ともあり,地域性もあり,七十五日の根拠とはしづらい。

普通に考えると季節の転換なのではあるまいか。名古屋の在の方言に,「久しぶり」の意味で,

「やっとかめだなぁ、もし」

という言い方をする。「「やっとかめ」は,漢字では,

八十日目,

と当てる。これも,「七十五日」とつながる。

「やっとかめとは八十日目という意味で、人の噂も75日というように噂が一周し、さらに少し5日過ぎて『噂も聞かなくなった』ぐらい会ってない、と言う事から転じて『お久しぶりです』という意味である。」

とあるhttps://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%81。八十日経つと,

久しぶりになる,

ということなのだ。英語では,

Wonder lasts but nine days(不思議がるのも9日だけ),

という言い方があるそうである。

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下馬評


「下馬評(げばひょう)」とは,

下馬先で,主人を待っている供の者などがしあう評判,

の意(広辞苑)で,それが広く,

世間での評判,

の意に転化した。

「下馬」とは,

馬上の対,

つまり,

上手から降りる,

ことだが,

「貴人の前で、社寺の境内で、また城内に入る前に、敬意を表すために、騎(の)っているウマから下りることである。同じように輿車から降りる場合は、『下乗』という。」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%A6%AC_(%E4%BD%9C%E6%B3%95)),もともとは,

「『法曹至要抄』には、三位以下の者が路上で親王に会えば下馬するのを初めとして、位階に応じてそれぞれ下馬の令制を載せ、有位者でない場合も賤者、少者は貴人、老人に対して同様にすべきであり、令制に背くと笞罪に処せられたという。」

とあるのを見ると,貴人に対して,馬から降りる意であったものと思われる。この場合,

「貴人の門前,又は,路に,貴人に行き遭ひたる時に,敬礼に行なひ,社寺の境内など,乗打を禁ずる所などにも行なふ」

とあるので,「敬礼」の意が始めと思われる。杜甫の詩に,

「馬上誰家白面郎,臨階下馬坐人牀」

とあり,「大唐西域記」には,

釈迦が霊鷲山で説法する時、退凡下乗の卒塔婆を建てたことが見える,

とあり(仝上),下馬,下乗を指示する立札「下馬札」も,中国由来と思われる。

三礼口訣(1699)書礼口訣「下馬札(げバフタ)の事。もろこしにも廟前に下馬碑を立る事有之」

とある(精選版 日本国語大辞典)。「貞丈雑記」には,

「輿にめしたる人に行あひ、又は人の犬追物、笠懸、やぶさめ、大的、小的など射らるる場所近き辺を通るとき、又は野山にて幕などうち遊興せらるるあたりを通るとき、または神社仏寺の前を通るとき、また三職などの門前を通るとき、または川狩鷹狩など人のするところを通るとき、また鷹すゑたる人鵜つかひに行あひたるとき、いづれも我知らぬ人なりとも、必ず下馬して通る也」

とある。礼儀としてあった。「下馬」は,

下馬先の略,

でもあり,

城や社寺の門前で馬を下りなければ ならない場所「下馬先」も意味する。

侍の例でいうと,かつて,

百貫一騎,

という言葉があった。つまり,百貫取(石高で大凡二百五十石)でなくては,騎乗できなかった。江戸時代は,騎乗の目安は,二百石で,その場合,例えば戦時なら,

槍持一人,
侍一人,
馬の口取一人,
甲冑持一人,
小荷駄一人,

の五人を連れる。これが上士の最下限。下士(徒士)の上限は,百石で,

槍持一人,
供二人,

を連れる。この場合,騎乗は許されない。登下城時,外出時も同じである。これ以下の者は,槍持を連れない。つまり,自弁の槍を持たない,とされる。下馬先で待つ供の者とは,この武家奉公人を指す。

「下馬評」は,

「下馬評とは、利害関係の少ない第三者による噂や批評。『下馬』は馬を下りることをいい、江戸時代、城などで訪問者が馬を下りる場所を『下馬先(げばさき)』と呼んだ。『下馬評』は、主人の返りを待つお供の者が下馬先で交わすうわさ話という意味である。似たような意味の言葉に『ゴシップ』があるが、こちらはセレブのプライバシーに関するうわさ話が主であるのに対して、『下馬評』は『評価』『批評』の『評』が付いているように、ある人物や物を評価し、ランキングする話題をいう場合が多く、例えば、競馬などで大金を掛けもしない連中が無責任にとりかわす順位予想で、人気の高い馬を『下馬評が高い』という。この『利害関係の少ない』『無責任』というところが『下馬評』が『下馬評」たる所以であり、よくマスコミが上から目線で、『今回の選挙は下馬評では●●氏が優勢である』などと言っているが、あんたがたのそれが他でもない『下馬評』なんだよと言いたい。」

という(笑える国語辞典)が秀逸である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)

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折角


「折角」は,名詞の,

力を尽くすこと,骨を折ること,
困難,難義(日葡辞典),
滅多にない,

という意味と,副詞の,

十分気を付けて,
つとめて,精一杯(岩波古語辞典)
(多く「〜なのに」の形で)努力や期待が報いられなくて残念という気持ちを表す,

の意味とがある(広辞苑)。今日,他の意味はなくなって,

折角おいでいただいたのに,留守をしまして,

という使い方をすることが多い。広辞苑(第5版)には,

「一説に,頭巾の角(つの)を折る意で,後漢林宗がかぶっていた頭巾の角の片方が雨に濡れて折れ曲がったのを,時のひとがまねて,わざと一方の角を曲げて林宗巾と呼んだという故事による」

とある。これだと,今日の「折角」の使い方の由来としては,通じる。

しかし,名詞の意味とは少しずれる。大言海は,二項を,別にし,名詞は,

「漢書,朱雲伝,『五鹿嶽嶽,朱雲折其角』に起ると云ふ」

と,

「朱雲が五鹿充宗と易を論じて,屡,五鹿を言ひこめたるより,時人,評して,朱雲の強力,能く鹿の角を折りぬ,と洒落れたる故事に依りて,高慢の鼻をひしぐことを折角と云ふ。我が国にては,転じて,骨折ること,力を尽くすこと」

と説く。それとは別に,副詞の「せっかく」の項を立てる。

骨折りて,努めて,力を入れて,

の意とする。我が国では,意味が転じているので,名詞も副詞も,大差がないように見える。しかし,

頭巾の角を折る,

というのは,骨折りとも,努めて,とも意味がつながらない。どちらかというと,

わざわざ,

という今日の,

折角おいでいただいたのに,

の意に近い。字源は,

頭巾の角を折る,

意の由来を,後漢書の林宗の頭巾の故事を,

高慢の鼻を折る,

意の由来を,漢書の朱雲の故事を,それぞれ別に引き,我が国では,

骨を折る,無駄に努力する,
随分に,

の意で使う,とする。高慢の鼻を折る由来と,我が国の意味とはほとんどつながらないように見える。精選版日本国語大辞典は,名詞の,

@ 角(つの)を折ること, 
A 物のかどを折ること,
B プリズムなどにより光の角度を変えること,
C高慢の鼻をへし折ること,慢心を打ちくだくこと。
D 力を尽くすこと,骨を折ること,
E 困難,難儀,

という意味の中の,あくまで「高慢の鼻をへし折ること」の由来として,

「昔、中国で、朱雲が五鹿の人充宗と易を論じて勝ち、時の人が評して、朱雲の強力、よく鹿の角を折ったとしゃれた」(漢書‐朱雲伝)

を挙げている。さらに,

骨を折って,つとめて,わざわざ,とりわけ,

の意味の副詞の由来を,

「後漢の郭泰が外出中に雨にあい、頭巾のかどが折れてしまったが、郭泰は人々に慕われていた人気の高い人物だったので、みながわざわざ頭巾のかどを折ってそのまねをした」(後漢書‐郭泰伝)

を挙げている。つまり,我が国の「せっかく」の意とは,中国の故事は関係ないのではないか,という気がしてくる。

故事ことわざ辞典は,「折角」の項で,朱雲の故事は,

高慢な人をやり込めること,

郭泰の故事は,

意味のないことをわざわざする喩えにいう,とする。つまり,何れの故事も,我が国の意味とのつながりを欠くのである。だから,

「せっかくは,『せっかくお誘いいただいたのに』や『せっかく来たのに』など副詞として用い られることが多いが,本来は『力の限り尽すこと』『力の限りを尽さなければならないよう な困難な状態』『難儀』の意味で名詞である。名詞の『せっかく』は,『高慢な人をやりこめること』を意味する漢語『折角』に由来し,漢字で『折角』と表記するのも当て字ではない。漢語の『折角』は,朱雲という人物が,それまで誰も言い負かすことができなかった五鹿に住む充宗と易を論じて言い負かし,人々が『よくぞ鹿の角を折った』と洒落て評したという『漢書(朱雲伝)』の故事に由来する。
『わざわざ』の意味の『せっかく』については,『後漢書(郭泰伝)』の故事に由来するという説がある。その故事とは,郭泰という人の被っていた頭巾の角が雨に濡れて折れ曲がっていた。それを見た人々は角泰を慕っていたため,わざわざ頭巾の角を曲げて真似,それが流行したという話である。しかし,『せっかく』が『漢書(朱雲伝)』に由来し,名詞・副詞へ変化したことは明らかであるため,『わざわざ』の意味の『せっかく』だけが『後漢書(郭泰伝)』の故事に由来するとは考え難い」

とする説明(語源由来辞典)は意味不明である。どう考えても,

高慢な人をやりこめること→力の限り尽すこと,

とはつながらない。あるいは,「折角」と漢字を当ててしまったために,中国の由来に紐付したが,本来は,別の語源であったのではないか。岩波古語辞典は,

骨を折ること(名詞),
つとめて,精一杯(副詞),

の意味を載せる。中国故事を無視すれば,これは名詞も,副詞も,意味は一貫している。何でも漢字を当てはめることを嘆いたのは柳田國男であったが,これも,骨を折る意の「せっかく」に「折角」を当てはめたために,無理やり故事とこじつけようとした付けに思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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あかつき


「あかつき」は,

暁,

と当てる。「暁(曉)」(慣音ギョウ,漢・呉音キョウ)の字は,

「形声。『日+音符堯(ギョウ)』で,東の空がしらむこと。明白にすることから,さとる意を派生した」

とあり(漢字源),あかつき,の意の他に,さとる,明らかになる,意(動詞)をもつ。

「あかつき」は,上代は,

あかとき(明時),

で,中古以後,

あかつき,

となり,今日に至っている。もともと,古代の夜の時間を,

ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,

という区分した中の「あかつき」(因みに,ヒルは,アサ→ヒル→ユウ)で,

「夜が明けようとして,まだ暗いうち」

を指し(岩波古語辞典),

「ヨヒに女の家に通って来て泊まった男が,女の許を離れて自分の家へ帰る刻限。夜の白んでくるころはアケボノという」

とする(仝上)が,

「明ける一歩手前の頃をいう『しののめ』,空が薄明るくなる頃をいう『あけぼの』が,中古にできたため,次第にそれらと混同されるようになった」

とある(日本語源大辞典)。「アシタ」は,「ヒル」の時間帯を指す,

アサ→ヒル→ユウ,

の「アシタ」と同時だが,「アシタ」は,

「『夜が明けて』という気持ちが常に常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから,夜中に何か事があっての明けの朝という意に使う。従ってアクルアシタ(翌朝)ということが多く,そこから中世以後に,アシタは明日の意味へと変化し始めた」

とあるので,

アカツキ→アシタ,

の幅は結構ある。和語には,未明,早朝を示す言葉が,「あかさき」の他にもたくさんある。

しののめ,
あけぼの,
あさぼらけ,
あさまだき,
ありあけ,

等々。「ありあけ」は,

月がまだありながら,夜か明けてくるころ,

だから,かなり幅があるが,

陰暦十五日以後の,特に,二十日以後という限定された時期の夜明けを指すが,かなり幅広い。

「あげぼの」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%82%E3%81%91%E3%81%BC%E3%81%AE)はすでに触れたが,「あけぼの」の「ほの」は「ほのかの」「ほの」で,

「夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始めるころ」

で,「あさぼらけ」と同義とある。「あさぼらけ」は,

「朝がほんのりと明けてくる頃」

で,

あげぼの,
しののめ,

と重なる。しかし幅のあると明け方を,古代人は,厳密に区別していたはずで,

「しののめ」は,

「一説に,『め』は原始的住居の明り取りの役目を果たしていた網代様(あじろよう)の粗い編み目のことで,篠竹を材料として作られた『め』が『篠の目』と呼ばれた。これが明り取りそのものの意となり,転じて夜明けの薄明かり,さらに夜明けそのものの意になったとする」

とし,

「東の空がわずかに明るくなる頃」

の意で,転じて,

「明け方に,東の空にたなびく雲」

の意とある(『広辞苑』)。

「あさまだき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8D)は,すでに触れたように,

「マダ(未)・マダシ(未)と同根か」

とあり(岩波古語辞典),

「早くも,時もいたらないのに」

という意味が載る。どうも何かの基準からみて,ということは,夜明けを基点として,まだそこに至らないのに,既にうっすらと明けてきた,という含意のように見受けられる。

「朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)」(日本語源広辞典)

で,未明を指す,とあるので,極端に言うと,まだ日が昇ってこないうちに,早々と明るくなってきた,というニュアンスであろうか。大言海には,

「マダキは,急ぐの意の,マダク(噪急)の連用形」

とあり,「またぐ」は,

「俟ち撃つ,待ち取る,などの待ち受くる意の,待つ,の延か」

とあり,

「期(とき)をまちわびて急ぐ」

意とあるので,夜明けはまだか,まだか,と待ちわびているのに,朝はまだ来ない,

という意になる。

「暁」と「あけぼの」は,

「『曙』は明るんできたとき。『暁』は、古くは、まだ暗いううら明け方にかけてのことで、『曙』より時間の幅が広い」

とある(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145636881)。とすると,

アカツキ→アシタ,

の時間幅全体を「アカツキ」とみると,その時間幅を,細かく分けると,

あさまだき,
あけぼの,
あさぼらけ,
しののめ,

はどういう順序なのだろうか。「あけぼの」について,

「ほのぼのと夜が明けはじめるころ。『朝ぼらけ』より時間的に少し前をさす。」

とあり(デジタル大辞泉),「あさぼらけ」は,

「夜のほのぼのと明けるころ。夜明け方。『あけぼの』より少し明るくなったころをいうか。」

とあるので,

あけぼの→あさぼらけ,

ということになるが, 

「アサノホノアケ(朝仄明け)は,ノア(n[o]a)の縮約でアサホナケになり,『ナ』が子音交替(nr)をとげてアサボラケ(朝朗け)になった。『朝,ほのぼのと明るくなったころ…』の意である。」

とする(日本語の語源)ので,「朝ぼらけ」「あけぼの」はほとんど近接しているのだろう。

「しののめ」は,『語源辞典』は,

「シノ(篠竹)+目」

で,「篠竹の目の間から白み始める」意となる。

「古代の住居では、明り取りの役目をしていた粗い網目の部分を『め(目)』といい、篠竹が材料として使われていたため『篠の目』と呼ばれた。この『篠の目』が『明り取り』そのものも意味するようになり、転じて『夜明けの薄明かり』や『夜明け』も『しののめ』というようになった。」

とある(語源由来辞典)が,人が夜が明けているのに気づいたのを言っているのであって,その時刻が,「あけぼの」なのか「あさぼらけ」なのか,の区別はつかない。しかし,夜明けに気づいて以降の変化の違いだとするなら,

しののめ→あけぼの→あさぼらけ,

ということになる。「あさまだき」は,その前になるので,

あさまだき→あけぼの→あさぼらけ,

という暫定順序となる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ただちに


「ただちに」は,

直ちに,

と当てる。「直」(漢音チョク,呉音ジキ)の字は,

「会意。原字は『―(まっすぐ)+目』で,真直ぐ目を向けることを示す」

とある。曲に対する「まっすぐ」という意味であり,直に,ただちに,という副詞の意味に広がっている。

「ただちに」は,

じかに,直接に,
時を移さず,すぐに,じきに,

と,

空間的な近接,

の意から,

時間的な近接,

へと転じているのがわかる。

「タダチは直通」

とある(岩波古語辞典)。「ただち」とは,

直通,
直路,

と当て,

回り道しない道,
通じる道筋,
経路,
物事の成行き,いきさつ,

の意味(岩波古語辞典)で,

道の直接的な通路,

という空間的な意から,

経路,

となり,それが,時間的な,

経緯,

に転じている。大言海は,

ただちに,

と濁らせ,

直路(ただぢ)にの義,

としている。「たたぢ」も,

徑路(ただぢ),

とし,

直通の路の義,

とする。

「タダ(直)+チ(路)+ニ(副詞化)」

とする(日本語源広辞典)のは,「直路」の「路」なら,

ジ(ヂ),

ではなかろうか。多くは,

タダヂ(直路)ニの義(名言通・国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健・大言海),

と,濁音とする。

しかし,「ただち」を,直路ではなく,

タダチはタチマチ(忽)の約(和訓考),

とする説があり,

「タチマチ(立ち待ち)はタチマチ(忽ち)に転義したが,さらにチマ[t(im)a]の縮約でタダチ(直ち)になった。『直』の字にちなんでスグ(直ぐ)といい,母交(母韻交替)[ui]をとげてジキ(直)という」

とする(日本語の語源)。

「たちまち」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%BE%E3%81%A1)は,すでに触れたように,

立待月,

の「立ち待ち」である。

立ったまま待つうちに,その姿勢で待つうちに,

月が出てくる意である。初めから時間的な意味である。「ただちに」が,

空間的意味→時間的意味,

をもつ意味の流れとは合わないのではないか。やはり,「ただちに」は

「ただち」(直路),

という言葉があり,その空間的経路が時間的経緯に転じたとみるのでいいのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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たたる


「たたる」は,

祟る,

と当てる。「崇」(スウ,あがめる)と紛らわしいが,「祟」(スイ)の字は,

「会意兼形声。『示(かみ)+音符出』。神の出してくるたたりをあらわす」

とある(漢字源)。「示」(呉音ジ・ギ,漢音シ・キ)の字は,

「象形。神霊の降下してくる祭壇を描いたもの。そこに神々の心がしめされるので,しめすの意となった。のちネ印に書かれ,神・社など,神や祭りに関することをあらわす」

とある。「祟」も,神意を「示」すもの,ということになる。

「たたる」は,したがって,

神仏・怨霊・もののけなどが禍をする,

意であるが,一般化して,

害をなす,
したことが悪い結果をもたらす,

という意味になる。類義語「呪い」と比較して,「祟り」は,

「神仏・妖怪による懲罰など、災いの発生が何らかの形で予見できたか、あるいは発生後に『起こっても仕方がない』と考えうる場合にいう(『無理が祟って』などの表現もこの範疇である)。」

これに対し呪いは,

「何らかの主体による『呪う』行為によって成立するものであり、発生を予見できるとは限らない。何者かに『呪われ』た結果であり、かつそうなることが予見できたというケースはあり得るので、両概念の意味する範囲は一部重なるといえる。」

とあるが,違うのではないか。予見できるかどうかではなく,「神」ないし「怨霊」側の意志である,つまりコントロールできない受身であるのに対し,「呪い」は,呪う主体が意志として害を成そうとするもので,重なるという意味がよく分からない。

「呪ひ(い)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E5%91%AA%E3%81%86で触れた)は,

「のる(告)に反復・継続の接尾語「ヒ」のついた形」

であり(岩波古語辞典),

恨みのある人などに悪いことが起こるように神仏などに祈る」

ので,あくまで主体的な行為に端を発する。それを聞き届けてくれるかどうかは,神仏の意思次第,といういみでは,結果としてたたりと重なるといえるが。大言海は,

「祈る上略延」

とし,

とこふに同じ,

とする。「とこふ(詛)」は,

説き悪しかれと請う意,

である。主体的な行為である。

「たたる」を,大言海は,

「絶つのタに,敬語助動詞のルルの付きて(絶ちたまふの意),四段活用に変じ,自動となるものなるべし。たばる,たまはるの例。受身あれど,はぶかる,だかるの例あり」

とする。「たつ」が,「絶つ」でなく,

タツ(顕つ),

とし,

「タツ(顕つ)+アリ」で,たち現れる,

とする(日本語源広辞典)のほうが納得できる。「たつ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E7%AB%8B%E3%81%A4)は,触れたように,

ただ立ち上がる, 

という意味以上に,

隠れていたものが表面に出る,

むっくり持ち上がる,

と同時に,それが周りを驚かす,

変化をもたらす,

には違いがない。

立つ,

には特別な意味がある。「立つ」は,

起つ,
であり,
顕つ,

である。

「自然界の現象や静止している事物の,上方・前方に向かう動きが,はっきりと目に見える意」

とある(岩波古語辞典)。だから,

タチアリ(立在)の義(名言通),
タタリ(立有)の義(日本語源=賀茂百樹),
タツル(立)に対する自動詞形で,祈願を立てて事を成就することをいう立たるの転義(国語の語根とその分類=大島正健),
示現の義のタタル(現)から(みさき神考=柳田國男・幣束から旗さし者へ=折口信夫),

と,

現れ,
立つ,

と関わる説に与したい。

なお,たたりについては,

怨霊(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-4.htm#%E6%80%A8%E9%9C%8A),
累(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E7%B4%AF),
こんな晩(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E6%99%A9),

でも触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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あがめる


「あがめる」は,

崇める,

と当てる。文語表記では,

崇む,

である。「崇」(スウ,漢音シュウ,呉音ズウ)の字は,

「形声。『山+音符宗』で,↑型に高いこと,転じて↑型に貫く意を派生した」

とある(漢字源)が,よく意味が分からない。意味は,い意で,そこから,気高い,たっとぶ,という意を持つのだが,別に,

「会意兼形声文字です(山+宗)。『山』の象形と『屋根・家屋の象形と神にいけにえを捧げる台の象形』(『先祖の霊を祭っておく建物(おたまや)、祖先、一族の長』の意味)から、山の中のかしらを意味し、そこから、『高い山』を意味する『崇』という漢字が成り立ちました」

ともある(https://okjiten.jp/kanji1950.html)し,

「形声。音符は宗。宗は諸氏の本宗・本家であるから、たっとぶ、大きいの意味がある。崇は山が高いの意味からすべて“たかい” の意味となり、その意味を人の上に移して、“たっとぶ、あがめる”の意味となる」

ともある(白川静『常用字解』)。「宗」(シュウ,漢音ソウ,呉音ソ)は,

「会意。『宀(屋根)+示(祭壇)』で,祭壇を設けたみたまやを示す。転じて,一族の集団を意味する」

とある。「あがめる」意が,出てくるのは,当然かもしれない。

和語「あがめる」は,

尊いものとして扱う,

意から,轉じて,

寵愛する,

意も持つ(広辞苑)とするが,岩波古語辞典は,

「アガはアガリ(上)のアガと同根。相手を自分と違う,一段と高い所にあるものとする気持ちで尊ぶ意」

とし,

尊敬して大切にする,

意とする。大言海は,「あがむ」の項で,

「上(あが)を活用せしむ(際むる,淡むる)」

とする。しかし「上がる」の「上」を「あが」を活用させた,というのは如何であろうか。

上ガ+むの(下一段化)

とする(日本語源広辞典)のも同趣だと思うが,まだしも,

アゲ(上)の活用語(言元梯・日本語源=賀茂百樹),

というほうが自然ではあるまいか。

あが(上)る,

は,あるいは,

あげ(上)る,

は,「あが(上)る」は,

「段階や次元が高い方へ移る」

と,おのずとといった含意であるが,「あげ(上)る」は,

「違いから手を加えて,物の位置や状態や次元をくする」

と,能動的に高める意で,「あがめる」の意味からすれば,

上げ,

の活用の方が妥当かもしれない。

アゲオガム(上拝)の約(和句解・両京俚言考),
アゲミル(上見)の義(名言通),

いずれも,「上げ」とつながる。しかし,

かみ(上)(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)で触れたように,日本語の語源は,

「『カミ(上)のミは甲類,カミ(神)のミは乙類だから,発音も意味も違っていた』などという点については,筆者の見解によれば,神・高貴者の前で(腰を)ヲリカガム(折り屈む)は,リカ[r(ik)a]の縮約でヲラガム・ヲロガム(拝む)・ヲガム(拝む)・オガム・アガム(崇む)・アガメル(崇める)になった。礼拝の対象であるヲガムカタ(拝む方)は,その省略形のヲガム・ヲガミが語頭を落としてガミ・カミ(神)になったと推定される。語頭に立つ時有声音『ガ』が無声音『カ』に変ることは常のことである。
 あるいは,尊厳な神格に対してイカメシキ(厳めしき)方と呼んでいたが,その省略形のカメシがメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)に転化したとも考えられる。いずれにしても,『神』の語源は『上』と無関係であったが,成立した後に,語義的に密接な関連性が生まれた。
 神の御座所を指すカミサ(神座)はカミザ(上座)に転義し,さらに神・天皇の宮殿の方位をカミ(上)といい,語義を拡大して川の源流,日の出の方向(東)をカミ(上)と呼ぶようになった。」

ヲリカガム(折り屈む)→アガム(崇む),

転訛説を採る。「崇」の字の意味と同様に,

(相手を)上に置く,

という心性とつながると見れば,「上げ」の活用説に与したい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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あからさま


「あからさま」は,

偸閑,
白地,

とも当てるらしい(広辞苑)。

たちまち,急,
一時的であるさま,ちよっと,

の意と,

あからさまにも,

と表記して,否定語を伴って,

かりそめにも,

の意,さらに,

隠さず,ありのまま,

の意もある。どうも,由来の異なる語が交じりあっているように思えてならない。

岩波古語辞典は,

「アカラはアカレ(散)の古形。サマは漠然と方向を示す。(本来の居所から)ちょっと離れて,あらぬ方へというのが原義。そこから,ついちょっととか,ちょっとかりそめになどの意に転じた」

とする。たしかに,

ちょっとの間,
とか
さしあたり,
とか,
ほんのちょっと,
とか
軽率,

という意味(岩波古語辞典)は,その原義から推測できる。しかし,岩波古語辞典も載せる,

あらわ,
むきだし,

という意味は,その外延にありそうにない。「あかれ(散れ・分れ)」は,確かに,

「ひと所に集まっていた人が,そこから散り散りになる意」

である(岩波古語辞典)が,「あからさま」とつながる意味は見えてこない。むしろ「あからめ(傍目)」という言葉があり,

「アカラはアカレ(散)の古形」

とあり,

わき見,
ちょっと他に心を移すこと,

の意味で,この方が,「あからさま」の原義とつながる。

あからめ(傍目)さし,

は,

ちょっと目をそらす間に,急に身を見えなくする,
忽然と姿をくらます,

意である。大言海は,「あからさまに」を二項に分け,ひとつに,「あからめ(傍目)」とつながるような,

倏忽,

と当て,

傍視(あからめ)のアカラなり,倏忽(ニハカニ)の意となる。…サマニは,状になり」

とし,「あからめ(傍視)」の項で,

「離(あか)れ目の轉(細波(サザレナミ),さざらなみ。疏疏松原(アララまつばら),あられ松原)。…目が外へ離るる意」

とし,離れ散る意の「あかる(離散)」とつながるとする。これは,

わき見→急に→ちょっと→さしあたり,

という意味の繋がりと通じる。大言海が「あからさまに」で立てた,もう一項は,

明白,

と当て,

「明状(アカラサマ)の義。此語に白地(ハクチ)の字を記せるは,前條の語と混じりたるべけれど,語原,全く相異なり,此語古くは見えぬやうなり。和訓栞,アカラサマ『後世,白地をアカセサマと訓めり,こは,ありのままに,打出し明す意なれば,明様の義なるべし』」

とする。つまり,「あきららかに」の意は,どこかで,

明からさま,

と誤って当てたために混じり合ったのではないか,ということなのである。

「時代がくだってから(ありのまま,あからさまの)用法が出てくるが,これは『明から様』と意識したことによると考えられる」

とする(日本語源大辞典)のは,そのせいである。その意味で,

明から様,

を語源とする説(日本語源広辞典)は,解釈を誤っている。

あかれ(散れ・分れ)→あからめ(傍目)→あからさま,

という,本来,

よそ見,

の状態表現から,時間として,不意に目を転ずる意から,「急に」,その時間幅から,「ちょっとの間」「さしあたり」になり,更に,価値表現としての「軽率」の意までが原義のようである。「明から様」と当てて,今日主として,

ありのままで,
あらわなさま,
明白なさま,

の意として使われ,今日ほぼ,「あからさま」は,束の間のいよりは,こちらの意に転じている。

「『あから』は元来『物事の急におこるさま』『物事のはげしいさま』を表わすが、次第に『にわか・急』『ついちょっと・かりそめ』などの意に転じていった。しかし、『にわか・急』の意には『すみやか』『にはか』『たちまち』などの語が用いられるため、『あからさま』は『ついちょっと・かりそめ』の意に固定していったと考えられる。時代が下ってから(あらわなさまの意の)用法が出て来るが、これは『明から様』と意識したことによると考えられる。」

とまとめる通りである(精選版 日本国語大辞典)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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「木」は,

樹,

とも当てる。「木」(漢音ボク,呉音モク)の字は,

「象形。立木の形を描いたもの。上に葉や花を被った木」

とある(漢字源)。別に,

「象形文字です。『大地を覆う木』の象形」

ともある(https://okjiten.jp/kanji61.html)。いずれにしろ。木の幹と枝を描いている。

「樹」(呉音ジュ・ズ,漢音シュ)の字は,

「会意兼形声。右側の尌(シュ)は,太鼓または豆(たかつき)を直立させたさまに寸(手)を加えて,⊥型に立てる動作を示す。樹はそれを音符とし,木を添えた字で,立った木のこと」

とある(漢字源)が,よく分からない。別に,

「会意兼形声文字です(木+尌)。『大地を覆う木』の象形と『たいこの象形と右手の手首に親指をあて脈をはかる象形』(『安定して立てる』の意味)から、樹木や農作物を手で立てて安定させる事を意味し、そこから、『うえる』、『たてる』を意味する『樹』という漢字が成り立ちました」

とある(https://okjiten.jp/kanji942.html

この方が意味が伝わる。因みに,「木」と「樹」は,

木は立木の総称,

とあり,「樹」も,立木の意はあるが,

草木,

とは言うが,草樹とは言わない。しかし,

植樹,

とはいうが,

植木,

とは言わない。

木刀,
木像,

とはいうが,樹の字を当てることはない。「樹」は,生きている木をいい,木材でつくるときは,「木」を当てる。しかし,

木陰(こかげ),
とも
樹陰(じゅいん),

ともいう。区別があるようだが,はっきり分からない。

さて,和語「き」は,植物名に,

「サカキ、エノキ、ヒノキ、ケヤキ、ツバキ、イブキ、ミズキ、サツキ、アオキ、エゴノキ、マサキ、カキ、ウツギ、ヤナギ、ヤドリギ、スギ、クヌギ」

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8),「キ」または「ギ」で終わるものが少なくない。岩波古語辞典は,「き」に,

kï,

を当てる。上代和語は,

「ひらがな・カタカナ成立以前の日本語では、母音はa i u e o の5音ではなく、多くの母音の別があった…。(中略)イ段のキ・ヒ・ミ、エ段のケ・ヘ・メ、オ段のコ・ソ・ト・ノ・(モ)・ヨ・ロの13字について、奈良時代以前には単語によって2種類に書き分けられ、両者は厳格に区別されていたことがわかっている。(中略)片方を甲類、もう片方を乙類と呼ぶ。例えば後世の「き」にあたる万葉仮名は支・吉・岐・来・棄などの漢字が一類をなし、「秋」や「君」「時」「聞く」の「き」を表す。これをキ甲類と呼ぶ。己・紀・記・忌・氣などは別の一類をなし、「霧」「岸」「月」「木」などの「き」を表す。これをキ乙類と呼ぶ」

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3

で,

甲類を i, e, o 
乙類を ï, ë, ö

と表記する。「木(kï,)」は乙類になる。このことを前提にしないと,単なる語呂合わせになる。

大言海は,

「生(いき)の上略,生生繁茂の義」

とする。「生き」は,

iki,

で甲類である(岩波古語辞典)。しかし,

イキ(息)と同根,

とある(仝上)。「いき(息)」も,

iki,

とある(仝上)。しかし引用された書紀には,

「子等(みこたち)また倫(ひと)に超(すぐ)れたる気(いき)有ることを明かさむと欲(おも)ふ」

とある。「気」は乙類である。この転換はよく分からない。もし,この「いき(息)」が乙類なら,大言海説はある。そのせいか,日本語源広辞典も,

「生き(iki)で語頭のイが脱落してkiとなった」

とするが,これでは甲類のkiで,乙類のkïではない。不思議に,音韻にこだわる説が皆無である。

イキ(生)の上略(日本釈名・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健),

説以外にも,

生える物を意味するク(木)から,コ(木),ケ(毛・髪)同語源(続上代特殊仮名音義=森重敏),

というのがある。しかし「け(毛)」は古形「カ」ではなかったか。しかし「け(毛)」と関わらせる説もある。

ケ(毛)の轉。素戔嗚尊のなげた毛が木になったという伝説から(円珠庵雑記),
木は大地の毛髪であるところからか(日本古語大辞典=松岡静雄),

「け(毛)」は,

kë,

と乙類ではあるが,

kë→kï,

の転訛がありえるのかどうか,分からない。「き」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8Dで触れたように, 音韻を無視すれば,

「キ・コ(木)」と「カ・ケ(毛)」「クサ(草)」の音韻のつながりは深いので,

生えるものを意味するク(木)から,コ(木),ケ(毛・髪)も同源説,
キ(木)と同源語で,ケ(毛)から分化したもの,

は惹かれるが,音韻の問題は解けない限り,語呂合わせに過ぎない。もし乙類同士の,

kë→kï,

転訛があるなら,「毛(kë)」が「木(kï)」の語源と見ることが出来る。日本語の語源は,

「エ列音は隣接母韻間の母交(母韻交替)[ei]をとげてイ列音に変化」

するとあるので可能性はある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「草」(ソウ)の字は,

「形声。『艸+音符早』。原義は,くぬぎ,またははんのきの実であるが,のち,原義は別の字であらわし,草の字を古くから艸の字に当てて代用する」

とある(漢字源)。別に,

「形声文字です(艸+早)。『並び生えた草』の象形(『くさ』の意味)と『太陽の象形と人の頭の象形』(人の頭上に太陽があがりはじめる朝の意味から、『早い』の意味だが、ここでは、『艸(そう)』に通じ、『くさ』の意味)から、『くさ』を意味する「草」という漢字が成り立ちました」

とある(https://okjiten.jp/kanji67.html)。

「くさ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448822496.html?1558388428)については触れたことがある。

「くさ」の語源を,大言海』は,

「茎多(くくふさ)の約略なりと云ふ説あり」

とのみ紹介する。「草」の語源説は,

カサカサ,グサグサという音から(国語溯原),
キ(木)と同源語で,ケ(毛)から分化したもの(日本古語大辞典=松岡静雄),
キ(木)と同根のクに接尾語サをつけたもので,サは柔らかく短小であることを表す(語源辞典・植物篇=吉田金彦),
クサフサ(茎多)の約略か(古事記伝・大言海),
年毎に枯れてクサル(腐る)ものであるから(日本音声母伝・名言通,和訓栞・言葉の根しらべ)
「神農百草をなめそめられし」とあることからクスリのサキという義か。またはクサシ(臭)の義か(和句解),
クサグサ(種々)の多い義(日本釈名),
カルソマの反。ソマは,茂ることによせて杣の義(名語記)

等々ある。ひとつは,「木」との区別で,

キ(木)と同根のクに接尾語サをつけたもので,サは柔らかく短小であることを表す,

という説とほぼ同じなのが,

「『く』は『木』が『コ』『キ』『ク』と母音変化することから,『茎』の『く』と同じく『木』を表したものと考えられる。『さ』は接尾辞『さ』で,木が堅くて大きく真直ぐなのに対して,草は柔軟で短いことから,木と区別するために加えられたものであろう」

とする(語源由来辞典)説である。接頭語「さ」も,

小百合,
狭衣,

等々用いるが,狭,小は借字で,

「ちいさき意はなし,せまき意にもあらず」

とあり(大言海),「語義不詳」(岩波古語辞典)なので,「ちいさい」「短い」意ではありえないが,接尾語「さ」は状態・様と同義とされるから,「さ」の助辞を,「木」と区別する意図とするのは,可能性としてはありえる。

他方,「木」とつなげようとする,

キ(木)と同源語で,ケ(毛)から分化したもの,

とする説は,「木」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%9C%A8)で触れたように,「木」の語源に,

ケ(毛)の轉。素戔嗚尊のなげた毛が木になったという伝説から(円珠庵雑記),
木は大地の毛髪であるところからか(日本古語大辞典=松岡静雄),

という説があり,「木」も「草」も「毛」とつなげる考え方は,あるかもしれない。しかし古代人にとって,「草」と「木」は区別されたのではないか。とすると,その差は何か。

前にも触れたことと重なるが,

年毎に枯れてクサル(腐る)ものである,

とする説が気になる。「ふてくさる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%B5%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%95%E3%82%8B)で触れたが,「腐る」の語源には諸説あるが,

「草+る」で,草が腐敗する意,
「臭+る」で,糞と同源。匂って腐る意,
「朽+る」で,朽ちていく意,
「クサ(ぐちゃぐちゃ)+る」で,擬態語の意,

等々あるが,「腐る」は,

「クサシ(臭)・クソ(糞)と同根。悪臭を放つようになる意」

とあり(岩波古語辞典),どちらかというと,草の朽ちるイメージではない。ただ, 

「『くそ』も『くさる』もしくは『くさい』から生じたと考えられる」

というように(語源由来辞典),「くさい」から来ている。「くさい」は,

「クサリ(腐),クソ(糞)と同根」

とあるので,「くさる」は,「くさい」から来ている。その「くさる」を

草,

に当てるとは思えない。消極的だが,「木」と「草」を関連づけた説ということになる。

「木」の項で触れたように,音韻的にも,「木」と「毛」とは,

kë→kï,

と転訛がありそうなのだから。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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「秋」は,

二十四節気に基づく節切りでは立秋から立冬の前日まで,
旧暦(太陰暦)による月切りでは七月・八月・九月,

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B),とか。「秋」の別名には,

高秋(コウシュウ:空が高く澄みわたる秋)
素秋・白秋(ソシュウ・ハクシュウ:五行思想で秋=金=白より)
白帝(ハクテイ:秋を掌る神のこと)
金秋(キンシュウ:秋=金)
三秋(サンシュウ:初秋、仲秋、晩秋の三つの秋)
九秋(秋の九十日間=三か月のこと)

等々がある(仝上)。なお,金風(秋風),白芽子(あきはぎ)と,

「万葉集で秋に『金』の字を当てるのは五行説による。『白』の字は西方を示し,季節では秋を指す」

とある(岩波古語辞典)。

因みに,万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという五行説では,

木(木行) 木の花や葉が幹の上を覆っている立木が元になっていて、樹木の成長・発育する様子を表す。春の象徴。
火(火行) 光りWく炎が元となっていて、火のような灼熱の性質を表す。夏の象徴。
土(土行) 植物の芽が発芽する様子が元となり、万物を育成・保護する性質を表し,季節の変わり目の象徴。
金(金行) 鉱物・金属が元となり、金属のように冷徹・堅固・確実な性質を表し,収獲の季節秋の象徴。
水(水行) 泉から涌き出て流れる水が元となり、命の泉と考えて、胎内と霊性を兼ね備える性質を表し,冬の象徴。

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3)。

「秋(穐・龝)」(漢音シュウ,呉音シュ)の字は,

「会意。もと『禾(作物)+束(たばねる)』の会意文字で,作物を集めてたばねおさめること。穐は『禾(作物)+龜+火』で,龜を火でかわかすと収縮するように,作物を火や太陽でかわかして収縮することを示す。収縮する意を含む」

とある(漢字源)が,よく分からない。別に,

「会意兼形声文字です(禾+火+龜)。『穂の先が茎の先端に垂れかかる』象形(『稲』の意味)と『燃え立つ炎』の象形(『火』の意味)と『かめ』の象形(『亀(かめ)』の意味)から、カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が『あき』だった事と、穀物の収穫時期が『あき』だった事から『あき』を意味する『秋』という漢字が成り立ちました。」

ともある(https://okjiten.jp/kanji92.html)が,殷時代の文字を見ると,龜の感じではない。

「元の字を『龝』+『灬』につくり、穀物につく『龜』(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意(白川)」

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B)のが正確ではあるまいか。

さて和語「あき」は,

「秋空がアキラカ(清明)であるところからか。一説に,収穫がア(飽)キ満チル意,また,草木の葉のアカ(紅)クなる意からとも」

とある(広辞苑)が,どうも語呂合わせに思えてならない。

しかし,日本語源広辞典も,似た三説を挙げる。

説1,アキ(空き・明き)。収穫された稲田が,遮るものがなく,空白で明るくなる季節。稲田に水を張るは季節-春に対し,稲田が「アキ(空き・明き)」になる季節,
説2は,五穀熟して飽き足る季節のアキ,
説3は,明らかな季節のアキ,

どうもこじつけが過ぎるように思える。同じ語呂合わせなら,

「黄熟(あかり)の約と云ふ(逆虎落(さかもがり),さかもぎ)」

とする(大言海)方が,言葉に陰翳ありそうである。「あかる(赤)」は,

赤らむ,
熟(あか)む,黄熟,

の意である(大言海)。さらに「あかる(赤)」は,

赤し,

の自動詞形であり,

あかる(明),

と同根とある(岩波古語辞典)。「あかる(明)」は,

明るくなる,

意だが,たとえば,

「やうやう白くなりゆく山際少し明かりて」(枕草子)

の「明かり」は,

「赤くなる意ともいう」

とある(岩波古語辞典)。つまり,空が明けるとは,空が赤くなる意なのは,しののめ空を思い起せば,自明である。

要は,語呂合わせで,「飽き」説,

食物が豊かにとれる季節であることから,アキ(飽)の義(東雅・南留別志・和訓集説・百草露・名言通・古今要覧稿・嚶々筆語・和訓栞・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
アキグヒ(飽食)の祭の行われる時節の意から(祭祀概論=西角井正慶・文学以前=高橋正秀),

空の明らか説,

天候のアキラカ(明)なことから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・古今要覧稿・本朝辞源=宇田甘冥・神代史の新研究=白鳥庫吉),

空き説,

草木の葉のアキマ(空間)が多いの意(類聚名物考・俚言集覧),
アク(開)の義(東雅),

等々あるが,言葉の自然な転訛を考えるなら,

草木が赤くなり,稲がアカラム(熟)ことから(和句解・日本釈名・古事記伝・言元梯・菊池俗語考・大言海・日本語源=賀茂百樹),

ではないか。

黄熟(あかり)→赤かり→明かり,

と通じる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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「冬」は,

暦の上では立冬から立春の前日まで(陰暦では10月から12月まで),
二十四節気に基づく節切りでは立冬から立春の前日まで,

ということになる。
旧暦による月切りでは十月・十一月・十二月。上に近いが、最大半月ずれる。

三冬(さんとう)という呼び方があり,

初冬(立冬から大雪の前日までの期間),孟冬,
仲冬(大雪から小寒の前日までの期間),
晩冬(小寒から立春の前日までの期間),季冬,

と別つ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC)。

「冬」(トウ)の字は,

「象形。もと,食物をぶらさげて貯蔵したさまを描いたもの。のち,冫印(氷)を加えて氷結する季節の意を加えた。物を収蔵する時節のこと。音トウは,蓄えるの語尾がのびたもの」

とある(漢字源)。似た解釈だが,

「象形。元は上部(『𠂂』>『𠔾』>『夂』)のみ。後に、『氷』を意味する『冫』を加え、寒い季節であることを強調。
食物を紐に結わえ左右にぶら下げる様を象り、『ふゆ』の季節に保存する様(藤堂)。『終』と同系。糸の末端を結ぶ様を象り年の末端の季節を意味(白川)。『終』の原字。」

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%86%AC)説もあり,また

「会意文字です(日+夂)。『太陽』の象形と『糸の最後の結び目』の象形から、1年の月日の終わりの季節、『ふゆ』を意味する『冬』という漢字が成り立ちました。」

ともする(https://okjiten.jp/kanji93.html)が,殷時代の,甲骨文字をみるかぎり,最初は何かがぶら下がっているさまのように見える。

大言海は,

冷ゆに通ず,

とする。

ひゆ→ふゆ,

hiyu→huyu

という転訛がありうるかどうかは分からない。「冷ゆ」転訛説は多く,

ヒユ(冷・寒)の転(和句解・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・東雅・南留別志・和語私臆鈔・俚言集覧・言元梯・名言通・古今要覧稿・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海・話の大辞典=日置昌一・神代史の研究=白鳥庫吉・日本語源広辞典)

と,多数派である。「冷ゆ」は,

氷を活用した語,

とみられる(大言海)。

その他に,

寒さが威力を「振う(ふるう)・振ゆ(ふゆ)」の転訛説
寒さに「震う(ふるう)」の転訛説
フユル(殖)の転訛説,

等々がある。「フユル(殖)」というのは,

「動物が出産するという意味の『殖ゆ〔ふゆ〕』などからきた言葉です。冬になると山の動物は冬ごもりし、大地からは緑が消えます。新しい生命の始まりとなる春までの充電期間となる季節です。」

ということ(日本文化いろは事典)らしい。

フユ(経)の義。年の暮れてゆく季節であるから(日本古語大辞典=松岡静雄),
フケヒユ(更冷)の義(日本語原学=林甕臣),
ミタマノフユ(恩顧)の義(嚶々筆語),
フユ(封忌)の義。稲を取り納めるところから(菊池俗語考)

等々となると,どうだろう。無理ない解釈は,

冷ゆの転訛,

だとは思うが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「蟻」(ギ)の字は,

「会意兼形声。『虫+音符義(形がいかめしい,礼儀正しい))』」

とある(漢字源)。「義」(ギ)の字は,

「会意兼形声。我は,ギザギザとかどめのたったほこを描いた象形文字。義は『羊+音符我』で,もと,かどめのたったかっこうのよいこと。きちんとしてかっこうがよい認められるやり方を義(宜)という」

とある(仝上)。「我」(ガ)は,

「象形。刃がぎざぎざになった戈(ほこ)を描いたもので,峨(ぎざぎざと切り立った山)と同系。『われ』の意味に用いるのは,我の音を借りて代名詞を表した仮借」

とある。「羊」(ヨウ)の字は,

「象形。羊を描いたもの。おいしくて,よい姿をしたものの代表と意識され,養・善・義・美などの字に含まれる」

とある。こう分解しても,「蟻」の字の由来は,正直分からない。少なくとも,「蟻」に,

かっこよさ,
きちんとしている,

を見たらしい。

和語「あり」は,大言海が,

「穴入りの約といふ説あり,むづかし」

とする。この説とは,

アナイリ(穴入)の義(言元梯),

を指しているのだろう。

日本語源広辞典は,

ア(合・相)+り(虫の意の接尾語),

とし,力を合わせる虫,とする。同じ生態から,

多く集まる虫であるから,アツマリの中略(日本釈名・日本語原学=林甕臣),
よくアリク(歩)ものであるから(和句解・柴門和語類集・日本語源=賀茂百樹),

等々。その形態から,

アは小の意。リは助け詞。小虫の義(東雅),
前後のくびれがアル(有)ことから(和訓栞所引沙石集),

語呂合わせに近い,

アリ(有)の義(名言通),

等々がある(日本語源大辞典)。その他,

アリク(歩く)とアリ(有り)の…二説から派生したアシアリ(脚有)の意味とする説もある。

とする(語源由来辞典)もあるらしい。

自然に考えると,

多く集まる虫であるから,アツマリの中略,
よくアリク(歩)もの,

という生態からというところではあるまいか。ま,はっきり分からない。

ただ,「あるく(歩)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E6%AD%A9%E3%81%8F)で触れたように,「あるく」は,

ありく,

ともいい,

「人間以外のものの動作にも用い,乗物を使う場合もいう。平安女流文学で多く使われ,万葉集や漢文訓読体では『あるく』が使われる」

とある(広辞苑)。さらに,

「あちこち動きまわる意。犬猫の歩きまわること,人が乗物で方々に出かけてまわることにもいう」

とある(岩波古語辞典)ので,「あるく」に比べ,視点が上がって,つまり概念化された言葉に見える。「蟻」とつながるかに見えるが,

「上代には,『あるく』の確例はあるが『ありく』の確例はない。それが中古になると,『あるく』の例は見出しがたく,和文にも訓読文にも「ありく」が用いられるようになる。しかし,中古末から再び『あるく』が現れ,しばらく併用される。中世では,『あるく』が口語として勢力を増し,それにつれて,『ありく』は次第に文語化し,意味・用法も狭くなって,近世以降にはほとんど使われなくなる。」

とあり(日本語源大辞典),

ありく→あり,

という説は,時代が平安期となるので,比較的新しい言い回しであることが,難点。日本語の語源は,全く別の視点から,

「日盛りの活動的な生態を見て,ハタラキ(働き)虫と呼んだ。ハタ[f(at)a]の縮約,ラキ[r(ak)i]の縮約とでハリになった。さらに,ハが子交(子音交替)[fw]をとげてワリになり,[w]を落としてアリ(蟻)になった」

とあるのは,考え過ぎではあるまいか。この変化にどうも必然性を感じない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ある


「ある」は,

有る,
在る,

と当てる。しかし,「ある」は,

生る,
現る,

とも当てる。漢字を当てはめる以外,この区別はなく,「ある」であった。

「在」(呉音ザイ,漢音サイ)の字は,

「会意兼形声。才の原字は,川の流れをとめるせきを描いた象形文字で,その全形は形を変えて災(成長進行を止める支障)などに含まれる。才はそのせきの形だけをとって描いた象形文字で,切り止める意を含む。在は『土+音符才』で,土でふさいで水流を切り止めること,転じて,じっと止まる意となる。」

とある(漢字源)。別に,

「会意兼形声文字です(士+才)。『まさかり(斧)』の象形と『川の氾濫をせきとめる為に建てられた良質の木』の象形から、災害から人を守る為に存在するものを意味し、そこから、『ある』を意味する『在』という漢字が成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji861.html)。堰き止める気から出たもののように思われる。「在」は,

〜にある,
〜にいる,

意である。

「有」(ユウ)の字は,

「会意兼形声。又(ユウ)は,手でわくを構えたさま。有は『肉+印符又』で,わくを構えた手に肉をかかえころむさま。空間中に一定の形を画することから,事物が形をなしてあることや,わくの中にかかえこむことを意味する」

とある(漢字源)。別に,

「会意兼形声文字です(月(肉)+又)。『右手』の象形と『肉』の象形から肉を『もつ』、『ある』を意味する『有』という漢字が成り立ちました。甲骨文では『右手』だけでしたが、金文になり、『肉』がつきました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji545.html)。このほうがわかりやすい。

「有」は,

空間の中にある形をなして存在している,

意である。「在」と「有」の使い分けは,

「有」は,無に対して用ふ,
「在」は,没または去と対す,

とあり,

有の字の下は,物なり, 
在の字の下は,居處なり,

として,

市有人,人有市
死生命有,富貴在天,

とする(字源)。この区別は,「ある」にはない。

「空間的時間的に存在し持続する意が根本で,それから転じて,…ニアリ,…トアリの形で,…であるという陳述を表す点では英語のbe動詞に似ている。ニアリは後に指定の動詞ナリとなり,トアリは指定の助動詞タリとなった。また完了を表すツの連用形テとアリの結合から助動詞タリ,動詞連用形にアリが結合して(例えば,咲キアリ→咲ケリ)完了・持続の助動詞リ,またナリ・ナシ(鳴)の語幹ナ(音)とアリの結合によって伝聞の助動詞ナリが派生した。」

とあり(岩波古語辞典),「ある」は,有無の「有」,在没の「在」の意味をともに持っていたことになる。当然,「ある」は,

「語形上,アレ(生)・アラハレ(現)などと関係があり,それらと共通なarという語幹を持つ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを,成り出る,出現するという意味でとらえる傾向が古代にさかのぼるほど強いので,アリの語根も,そのarであろうと考えられ,朝鮮語のal(卵)という語と,関係があると考えられる。」

と,朝鮮語云々はともかく,「在」の意味と重なるように思われる。となれば,

生る,
顕(現)れる,

の意味とつながるのは当然に思われる。日本語源広辞典に,

「arに,出現の意を持つのがアルの語源です。出現している,存在している,所有している意です。アル(生),アラワル(出現・露・現),またナリ(生・成)などと関連があると思われます。ひいて,存在する意になったのでしょう。日本語では所有のアルと存在のアルを区別できません」

とあるのも,同趣旨と考えられる。「ある」は「有」よりも「在」に近く,「ある」は,

なる(生・成),

とも区別を付けない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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なし


「なし」は,

無し,

と当てるが,

亡し,

とも当てる。「無」(呉音ム,漢音ブ)の字は,

「形声。原字は,人が両手に飾りを持って舞うさまで,のちの舞(ブ・ム)の原字。無は『亡(ない)+音符舞の略体』。古典では无の字で無をあらわすことが多く,今の中国でも簡体字でも无を用いる」

とある(漢字源)。「无」(呉音ム,漢音ブ)の字は,

「会意。『一+大(人)』で,人の頭の上に一印をつけ,頭を見えなくすることを示す。無の字の古文異体字。元の字の変形だという説があるが,それはとらない」

とある(仝上)。「亡」(漢音ボウ,呉音モウ)の字は,

「会意。乚印(囲い)で隠すさまを示すもので,あったものが姿を隠す,見えなくなるの意を含む。忘(心の中からなくなる→わすれる),芒(ボウ 見えにくい穂先)・茫(ボウ 見えない)等々に含まれる」

とある(仝上)。「無」「无」は「ない」という意なのに対し,「亡」は,あったものが姿を消す,意である。三者の違いは,

「無」は,有の反。論語に「天下有道則見,無道則隠」とあるが如し。又禁止の辞にも用ふ,なかれと訓す。
「亡」は,存の反。なくなったと訳す。論語に「不幸短命死矣,今也則亡」とある如し。一に兦(ボウ)に作る,
「无」は,無に同じ,

とある(字源)。その他,同義の字についても,

「莫」(漢音バク,呉音マク)は,勿也。不可也と註し,又定也とも註すれば,確と決定して無しという義にて,意強し。
「勿」(漢音ブツ,呉音モチ)は,そうはするなと禁ずる辞にて,義最も重し,

とある。

和語「なし」は,

「不存在をあらわす。有の対」

とあり(岩波古語辞典),

「存在をいうには出生の意に関係のあるアリという動詞を使うに対し,不存在にはク活用形容詞ナシを使う。ク活用形容詞は事物の状態を静止的に時間によって動くことのないものとしてとらえる性質があるによる」

とあり,動詞ではなく,形容詞として捉えていることになる。そして,

「上代語では,現代語の人の在・不在をいう『いる』『いない』に対し,『あり』『なし』を使う」

ともある(仝上)。ただ,「なし」の由来については言及がない。

大言海は,「なし」を,

「莫(な)の活用」

とする。「な」には,

莫,
勿,

を当てる。

動作を禁じ止むる語,

である。存在の有無ではなく,動作の有無を指しているというのは,和語らしいと思えてくる。

日本語源広辞典は,

「ムナシ(空し)からム音脱落のナシ(無し)」

とする。

「むらしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%82%80%E3%81%AA%E3%81%97%E3%81%84)で触れたように,和語「むなし(い)」は,

「空(ムナ)の活用,實無し,の義」

とある(大言海)。「むな(空)」は,

「實無(むな)の義」

とある(仝上)。

「膐(膂)完之空國(むなくに)」

という用例がある(神代紀),とか。だから,

実がない→空っぽ→何もない→むなしい→はかない,

と,「から(空)」という状態表現が,転じて価値表現へと意味を変化した,とみることができる。ということは,「なし」という言葉が存在していることを前提にしないとこの説は成り立たない。

むなしい→なし,

は成り立たない。やはり,「〜するな」という動作の禁止,という由来が,和語らしいと思えるのだが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ありきたり


「ありきたり」は,

在り来たり,

と当てる。

もとからあること,
普通にあって珍しくないこと,

という意味である(広辞苑)。「ありきたり」は,

在り+来たり,

で(日本語源広辞典),

昔からあって今まで来たもの,

の意である。つまり,

「動詞『在り(有り)来たる』の連用形が形容詞として用いられるようになった語。『あり(在り・有り)』は『存在すること』、『来たる』は動詞の連用形に付いて『し続けて現在にまで及ぶ』という意味である。 ありきたりの原義は、『もとから存在し続けてきたこと』『今まで通りであること』で、転じて、『ありふれていること』『珍しくないこと』の意味となった」

という通りである(http://gogen-allguide.com/a/arikitari.html)。

在来,
従来,

という意味(大言海)の,

元よりあること,
元より伝へたること,

が,原義になる。似た言葉に,

ありふれる(有り触れる),

がある。

有り+触れる,

で(日本語源広辞典),

どこにでも有り,接触している,

という意で,

どこにでもある,
珍しくない,

意となる。江戸語大辞典には,

有り触れ,

という名詞形が載る。

お定まり,

という意になる。それに近い言い方で,

有り勝ち,

という言い回しがある。

有り+ガチ(そうなることが多い)

とある(日本語源広辞典)が,「がち」は,

勝ち,

とあてる,

「体言または動詞の連用形に付いて,そのことが『しばしばである』『その傾向がある』意を表す」

接尾語である(広辞苑)。正確には,名詞に付くと,

…が多いさま,とかく…が目立つさま,

動詞連用形に付いて,

とかく…する傾きがあるさま,幾度か…することを繰り返すさま,

の意となる。要は,

在り来たり,
有り触れる,

とほぼ重なる。似た言葉に, 

ありうち(有り内),

がある。

世の中によくあること,

の意だが,

有ると見なされる範囲,

といった意味になる。

ざら,

と同意である。同義語に,

並み,
とか,
平凡,
とか
日常茶飯,
とか
通俗,

というと価値表現が表面に出るが,

在り来たり,
有り触れる,
有り勝ち,

だといくらか,価値表現がやわらぐのかもしれない。かつて,

有り来(ありき),

という言い方があった。これは,

変らず,年月を経てくる,

という「在り来たり」のマイナス面ではなくプラス面を言っているようである。物は言いよう,言葉は使いようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ざら


ざらにある,

という「ざら」である。

世の中に多くあってめずらしくないさま,

の意で使うことが多いが,他に,

いくらでも,
むやみやたらに,

という意があり,江戸時代後期の戯作者の山旭亭主人が「五臓眼」で,

「てのとどくだけくめん十めんしてざらに居つづけに置いたり」

と使ったという。そこから,

有り触れている,

意に転じた,とする説がある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1094201750)。そして明治期に,

「もう今頃は銀座辺でざらに売つてゐるに違ない」(森鴎外:雁)
「それは勿論ざらに人に見せられるものでない」(福沢諭吉:福翁自伝)

等々という使ったというのである。

「ざら」には,

ざらざらしていること,

の意があり, 

ざらざら,

の「ざら」だけで使う場合である。

固く小さな物語,または粒状の者が混じりあったりながれる時の音

という,「小銭がざらざら」のような擬音語でもあり

物の表面がなめらかでない様子,

という,「ざらざらする」のような擬態語でもある。「ざら」だけを,

ざらめく,
ざらつく,
ざらっぽい,

と使うケースもある。「ざらめ」は,

粗目,

とあて,

ざらめゆき(粗目雪),
ざらめとう(粗目糖),

と使うし,

ざらがみ(ざら紙),

の「ざら」でもある。これらは,「ざらざら」から来ている。では,ありきたりの意の

ざら,
ざらに,

は,何処から来たか。「ばら」に,

ばら銭,
小銭(こぜに),

の意があり(精選版 日本国語大辞典),そこから,

「バラ銭や小銭を江戸時代では『ざら』と呼ぶことがあり、たくさんあり珍しくない、という意味に使われたということです。小銭を『ばら銭(散銭)』という言い方があり、『ばら』→『ざら』に変わったかもしれません」

とか(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1094201750),

「江戸時代に小銭のことを『ざら銭』と言った。財布の中から、小銭の『ざら銭』がザラザラと出てくるのは
珍しくもない日常ありふれたことである。そこから、日常茶飯事のごくありふれた事柄について『ざら』という表現が使われるようになってきたという。」

とか(http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-2716.html?sp),の説がある。

大言海は,「ざらざら」の項で,

手触りの滑らかならぬ状に云ふ語,
ザラザラする物の,触れ合ふ音にも云ふ,

と。擬態語・擬音語の外に,

緡(さし)に括らず,零亂の錢を,ザラ錢と云ひ,錢を,ザラにて渡すなど云ふ。金銭をザラニ遣ふとは,濫費(むだづかひ)するなり,粗末に費やすなり,

と載り(因みに,緡とは,日本の銭(穴あき銭)を束ねる紐・藁のこと。銭緡(ぜにさし),銭貫(ぜにつら)とも言う。さしを使って一定枚数を束ねた銭を貫と言った),

そんな物はザラニあるなど云ふは,粗末なるものと見做すなり,在りふれたる意,いくらもある意に云ふ,

と付言する。どうやら「ざら」が,

ざら錢,

由来を言っているらしい。しかし,江戸語大辞典の「ざら」は,

無差別,すべて,だれかれなし(柳多留「寒念佛ざらの手からも心さし」明和二年,末摘花「ざらにさせるを大通と下女思ひ」享和元年),
無制限,無数,沢山(中洲雀「何レの商人非間なくして雑(ざら)に儲くることを悦」安永六年),

と載り,ありきたりの意味はない。山旭亭主人より前,江戸中期に,

だれかれなし,

の意で,「ざら」が使われている。「ざら錢」とはつながらず,むしろ,

無差別,だれかれなし→無数,沢山,

から,さらに,

ありふれている,

へと意味が転じて後に,「ざら錢」に当てたものではあるまいか。それを,

そんな物はザラニあるなど云ふは,粗末なるものと見做すなり,在りふれたる意,いくらもある意に云ふ,

との解釈は跡付けに思えてならない。江戸語大辞典は,「ざらに」「ざらにゃあ」の項で,

「ざらにはの訛。…ずあらではの意」

とある。

動詞未然形に付き,…しなくてすむものか,…しなくてどうするか,…しなくちゃ,…しなくて,

の意とする。

「ふぐ汁もくはざらにやあとしうといひ」(柳多留,明和七年)
「そりやァおめへ些(ちっ)とは損をせざらあに」(浮世風呂,文化八年)

どうも,この「ざらに」「ざらにゃあ」の,

…しなくてすむものか→しなくてどうする→しなくては,

が,

…して当たり前→当たり前,

と意を変化させたとみていいのではないか,という気がする。無論臆説であるが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ながれる


「ながれる」は,

流れる,

と当てる。「流」(リュウ)の字は,

「会意兼形声。右側は『子の逆形+水』の会意文字で,出産の際羊水の流れ出るさま。流はそれを音符とし,水を加えた字で,その原義をさらに明白にしたもの。分散して長くのび広がる意を含む」

とある(漢字源)。

「流れ」は,

「ナガシ(長),ナゲ(投)と同根。ナガは主に平面上を,線条的に伸びていくさま」

とある(岩波古語辞典)。「ナゲ(投)」をみると,

「ナガ(長)を活用させた語。ナガレ(流)と同根」

とある。「なが(長)」は,

長しの語根,

で,

長雨,
長秋,
長月,
長生,
長歌,
長唄,
長柄,
長刀,
長年,
長持,

等々「長い」意を持たせる言葉として使われる。この延長と考えると,

流れる,

は,

長を活用す,

という(大言海)のいう意味的にもつながる。日本語源広辞典も,

長+ル,

と同趣である。ほぼ大勢も,ナガと関わり

ナガ(長)から(和句解・日本釈名),
ナガアル(長在)の義(名言通・日本語源=賀茂百樹),
水などが長く下り行くところから(国語の語根とその分類=大島正健・国語溯原=大矢徹),
ナガアル(長生)の義(国語本義),
ナガル(永)の義(言元梯),

とある。

ナガの活用,

で良さそうである。「投げる」を見ると,

「ナガ(長)nagaの音韻変化,nagu投ぐ」

と(日本語源広辞典),ナガ(長)と同根と通じる。

物を長くほうり出す意であるところから,

ナグル(長)の義(国語溯原=大矢徹・日本語源=賀茂百樹),

も同趣である。

あるいは,確かに,

長在,

のように,「長」を付けた言葉の変化の可能性もあるが,「流れる」の文語,

流る,

を考えれば,

長+る,

であり,それが転じて,

nagaru→nagu,

はあり得るのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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なく


「なく」は,

泣く,
鳴く,
啼く,

と当てる。

「ネ(音)の古形ナを活用させた語か」

とある(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』)。

「人間が声を立てて涙を流す」意では,

泣く,

を当て(『大言海』は,哭,ともする),「鳥・獣・虫などが声を立てる」意は,

鳴く,

と当てる(『岩波古語辞典』)。「啼く」については,他は触れないが,『大言海』は,

「赤子,声を出す」

の意を載せ,その後に,

「禽,獣,蟲など,聲を出す」

意を載せる。漢字は,明確な区別がある。

「鳴」(漢音メイ,呉音ミョウ)の字は,

「会意。『口+鳥』で,取りが口で音を出してその存在をつげること」

で,鳥,獣のなくのを指す。

「啼」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は,

「形声。『口+音符帝』。次々と伝えてなく,あとからあとから続けてなく」

で。鳥獣にも,人にも用いる。

「泣」(漢音キュウ,呉音コウ)の字は,

「会意。『水+粒の略体』で,なみだを出すことを表す。息をすいこむようにしてせきあげてなく」

で,「哭」(大声をあげてなく)の対。日本語では,「泣」と「哭」の区別をしない。

「哭」(コク)の字は,

「会意。『口二つ+犬』で,大声でなくこと。犬は大声でなくものの代表で,口二つはやかましい意を示す」

漢字のそれぞれの区別は,,

「鳴」は,鳥獣のなくなり,悲鳴にも,和鳴(鳥が声を合わせて鳴く)にも通じ用ふ。なると訓むときは,万物の声ををだしたること,又,名声の世上に聞ゆる意,
「啼」は,嗁(テイ さけぶ)と同時,声をあげてなくなり,悲しむ意あり,
「泣」は,涙を流し,声を立てずしてなくなり,
「哭」は,涙を流し,声をあげて,深く悲しみなくなり,

とあり(『字源』),「なく」の漢字は,かなり明確に区別されている。

「なく」は,「ね(音)」の活用というから,すべて,

音,

であったとも言えるが,面白いことに,「音」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8A%E3%81%A8)で触れたように,「音」の字を当てていても,

「おと」

は,

「離れていてもはっきり聞こえてくる,物のひびきや人の声,転じて,噂や便り。類義語ネ(音)は,意味あるように聞く心に訴えてくる声や音」

とあり(『岩波古語辞典』),

「ね」

は,

「なき(鳴・泣)のナの転。人・鳥・虫などの,聞く心に訴える音声。類義語オトは,人の発声器官による音をいうのが原義」

とあり,

「おと」は「物音」,
「ね」は,「人・鳥・虫などの音声」

という区分していた。「なく」は,

物音,

ではなく,

声,

とした。「こえ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%93%E3%81%88)で触れたように,漢字「声」にはひろく,

「人の声,動物の鳴き声,物の響きを含めていう」

とあり,「音声」であるが,「こえ(ゑ)」は,

をみると,和語「こゑ」は,

人や動物が発する音声,

を指した(『岩波古語辞典』)。和語では,「こえ」と,

なく,

はかさなる「ね」なのである。「ね」が「なく」であり,「なく」が「ね」であり,「ね」が「こえ」であった。物の音とは区別しても,人も,鳥獣も,蟲も,「ね」であり,「なく」であった。虫の「ね」を愛でたことと通じる。

「音(ネ・ナ)+く」(『日本語源広辞典』)

であり,どういうなき声も区別しなかったのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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薙ぐ


「薙ぐ」は,

横ざまに払って切る,

意で,

薙ぎ払う,

といった使い方をする。古くから使い,

「王の佩かせる剣叢雲,自ら抽けて王の傍の草を薙ぎ攘(はら)ふ」(景行紀)

という用例がある。「薙」(漢音テイ,呉音タイ,漢音チ,呉音ジ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符雉(チ からだの短い鳥,寸法が短い,たけが低い)』。剃(テイ 短くそる)と同じ」

とある(漢字源)。これだと分かりにくいが,

「会意兼形声文字です(艸+雉)。 『並び生えた草』の象形と『いぐるみ(矢に糸をつけ鳥や魚を捕らえる狩猟道具)の象形と鳥の象形』(『傷つけ殺す』の意味)から『草を除去する』を意味する『薙』という漢字が成り立ちました。」

ともあり(https://okjiten.jp/kanji2713.html),草を横に払って切る意が伝わる。

和語「なぐ」の語源は,

ナミキ(並木)の義(名言通),
ナミキル(靡切)の義(言元梯),

などがあるが,大言海の,

投ぐに通づるか,

が面白い。「流れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%82%8B)で触れたように,「流れ」は,

「ナガシ(長),ナゲ(投)と同根。ナガは主に平面上を,線条的に伸びていくさま」

とあり(岩波古語辞典),「ナゲ(投)」をみると,

「ナガ(長)を活用させた語。ナガレ(流)と同根」

とある。つまり,「なぐ」は,

長の活用,

に繋がり,「流れる」が

平面上を,線条的に伸びていくさま,

を示しているのと同様,

線条的に流れる,

動作を示していて,

投ぐ,
薙ぐ,
流る,

は,すべて,

長いさま,

を示していることになる。

因みに,「薙ぎ払う」動作をする武器「薙刀」は,

「中世の有力武器の一つで、古くは長刀と書き、また刀身の形態から眉尖刀(びせんとう)、偃月刀(えんげつとう)などとよばれた。刃の幅を広くして先反(さきぞ)りをきかせ、刀身の茎(なかご)を長くして長い柄(え)に収めたもので、遠心力を利用して敵をなぎ払い、なぎ倒すのに用いられた。」

とされ(日本大百科全書),

「当初は『長刀』(“ながなた”とも読まれた)と表記されていたが、『刀』に打刀(腰に差す刀)という様式が生まれると、『打刀』を『短刀』と区別するために呼称する『長刀(ちょうとう)』と区別するため、『薙刀』と表記されるようになった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%99%E5%88%80)ので,大言海や日本語の語源のいうように,

「薙ぎの刀の約」
「薙ぎ刀」

ではないのではないか。むしろ,たとえば,

nagagatana(長刀)→nagatana→naginata,

といった転訛ではないか。

ついでながら,薙刀に似た,「長巻」という武器がある。

「薙刀は長い柄の先に『斬る』ことに主眼を置いた刀身を持つ『長柄武器』であるのに比べ、長巻は大太刀を振るい易くすることを目的に発展した『刀』であり、刀剣のカテゴリーに分類される武器である。」

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%BB)。「長巻」は,

「太刀(腰に佩く)り中心(なかご)を長く作り,鍔を入れて,長い柄を加えて,表面を手縄や紐などで巻いたたもの」

で,三尺(約90cm)を超える長大な「大太刀」「野太刀」を,

「より振り回し易いように刀身の鍔元から中程の部分に太糸や革紐を巻き締めたものが作られるようになった。このように改装した野太刀は『中巻野太刀(なかまきのだち)』と呼ばれ、単に『中巻(なかまき)』とも呼ばれた。」

とあり,非力のものにも大太刀を振りやすくしたものである。

中巻→長巻,

という転訛したものらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%BB)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
甲冑笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)

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だいたい


「だいたい」は,

大体,

と当てる。

おおよそのところ,

という意味であり,出自は,中国で,

「観小節足以知大體」(淮南子・汎論)

とあり,

おおよそ,あらまし,

の意である(字源・大言海)。その本意から,

大体,お前という奴は,

というように

そもそも,もとはと言えば,

という意でも使う。

「大体」は,出典から見ると,

あらまし,

という意味が妥当で,

細部は別にして、主要な部分はそうであるさま,

といった含意になる。その転訛が,

大抵,

で,

大体の変化(daiai→daitei→taitei),

で,

おおかた,
あらまし,

の意である。「だいたい」に似た意味で,

ほぼ,
おほむね,
おおよそ,
おおかた,

等々がある。「おおかた」は,

大方,

と当て,

十に七八,
たぶん,

の意が載り,少し,確度が低く,

たぶん

とある(大言海)。

オオ(大)+カタ(接尾語,方・程度・分量)

とある(日本語源広辞典)ので, 

この辺り,
この程度,

ということに使う。「おほむね」は,

概ね,
大概,
大旨,

と当て,

大体の趣意,
およそ,
大体のところ,

の意であるが,「大体」とは代替不可能という説がある。たとえば,

「大体(おおよそ)の見当はついている」
「事情は大体(おおよそ)わかった」
「大体(おおよそ)一〇〇万円かかる」

等々,大部分・あらましの意で相通じるが,

「『大体』は、細部を除いた主な部分、また漏れているものもあるが、あらかたの意で、『漱石の小説は大体は読んだ』では、まだ読んでない作品も少しあることを言外に含んでいる。『夜は大体家に居る』の『大体』は『おおよそ』に置き換えることはできない。『おおよそ』は細部を問題にしないで全体を大まかにとらえていう語であるから、『おおよその説明』では、細部についての説明は省かれていることになる。」

とする(デジタル大辞泉)。

大凡の趣意,

とある(大言海)のは,その意味と見られる。「おおよそ」は,

大凡,

と当て,

大外(おほよそ)の意か,

とする(大言海)が,

オホは全ての意。ヨソは寄すの古形。古くはオホヨソニと使う。皆寄せ集めたところで,の意。従って,数についていうのが古例。中世以後約まって,オヨソとなる」

とある(岩波古語辞典)。

物事の十中八九のこと,

とある(日本類語大辞典)のはその意であろうか。「ほぼ」は,

粗,
略,

と当て,

あらあら,
あらまし,
おおかた,

の意である。そして,

「『ほぼ』は、『大体』よりも、その状態に近い場合に使う」

とある(類語例解辞典)ので,括ってしまえば,「あらまし」の意にしても,

ほぼ→だいたい→おおよそ→おおかた,

といった確度の中に,微妙に位置づけられるように思われる。

ほとんど(http://ppnetwork.seesaa.net/article/459422994.html)については,すでに触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
芳賀矢一閲他編『日本類語大辞典』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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じゃんけん


「じゃんけん」は,

石拳,
両拳,
雀拳,

等々と漢字表記される。手だけを使う遊戯であるが,

「現在行われているじゃんけんは意外に新しく、近代になって(19世紀後半)誕生したものである」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%91%E3%82%93

「ウィーン大学で日本学を研究する『拳の文化史』の著者セップ・リンハルトは、現在の『じゃんけん』は江戸時代から明治時代にかけての日本で成立したとしている。『奄美方言分類辞典』に『奄美に本土(九州)からじゃんけんが伝わったのは明治の末である』と記されており、明治の初期から中期にかけて九州で発明されたとする説を裏付けている」
「江戸時代末期に幼少時代を過ごした菊池貴一郎(4代目歌川広重)が往事を懐かしんで、1905年(明治38年)に刊行された『絵本江戸風俗往来』にも『じゃんけん』について記されている。今でも西日本に多く残る拳遊びから(日本に古くからあった三すくみ拳に17世紀末に東アジアから伝来した数拳の手の形で表現する要素が加わって)考案されたと考えられる」

とある(仝上)。現在の,

掌を握ったのを石,
掌を開いたのを紙,
人差し指と中指の二本を出すのを鋏,

とする三すくみのスタイルは, 

「日本の拳遊びには、数拳(本拳・球磨拳・箸拳、ほか)と三すくみ拳(虫拳・蛇拳・狐拳・虎拳、ほか)がある。
じゃんけんでは数拳(球磨拳)の1, 3, 4は省かれ、分かりやすい0と5と中間の2を残し、新しく意味を『石』『鋏』『紙』として三竦みを完成させた」

と(仝上),どうやら日本発祥らしい。虫拳(むしけん)は,

「蛙と蛇となめくじの三すくみによる拳遊び。平安時代の文献にも出て来くることから、日本の拳遊びで一番古いものだと思われる。人差し指が蛇、親指が蛙、小指がなめくじを現す。蛙はナメクジに勝ち、ナメクジは蛇に勝ち、蛇は蛙に勝つ。その他、遊び方はじゃんけんに同じ。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB%E6%8B%B3)。狐拳(きつねけん)は,

「狐・猟師・庄屋の三すくみの関係を用いた拳遊びの一種である。藤八拳(とうはちけん)、庄屋拳(しょうやけん)、在郷拳(ざいきょうけん)とも呼ばれる。狐は猟師に鉄砲で撃たれ、猟師は庄屋に頭が上がらず、庄屋は狐に化かされる、という三すくみの関係を、腕を用いた動作で合わせて勝負を決する」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%90%E6%8B%B3)。虎拳(とらけん)は,

「襖をしめて、左右の部屋で、虎・女物・鉄砲のいずれかを身につけて待ち、襖を開くと、虎>老婆>鉄砲(和藤内あるいは加藤清正)>虎という三すくみで勝負がつく拳遊び。囃子歌から「とらとら」とも呼ばれる屏風仕立てのフリがつくお座敷遊びとしての拳遊びの中の最大規模のもの」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E6%8B%B3)。中国にも,

「明代末期の中国で書かれた『五雜俎』によると、漢代中国には『手勢令』と呼ばれるゲームがあったという。『五雜俎』では『手掌を以て虎膺とし、指節を以て松根とし、大指を以て蹲鸱とする』などの手勢に関する詳しい記載があるが、遊び方に関して『用法知らず』とされ、当時『捉中指』という遊びのルーツではないかと作者が推測している。『全唐詩』の八百七十九巻に『招手令』に『亞其虎膺、曲其松根。以蹲鴟間虎膺之下』、そのルールと思われる記述がある。『蹲鴟を以て虎膺の下とす』から、三すくみ的要素を見て取れる」

とある(仝上)が、内容から見て現在のじゃんけんとは別もののようである。しかし,その由来については,大まかに,二説ある。いずれも中国音で,

説1は,「中国音リャン(両)+ケン(拳)」の変化,両人の拳の意,
説2き,「石+拳」(じゃくけん),

と,中国語が訛ったものである。訓みの出自は中国らしいが,今日の「じゃんけん」のスタイルは,日本式らしい。江戸語大辞典にも,

「じゃんは,石(じゃく)の撥音便とも,中国音両(りゃん)の訛ともいい確かならず」

とある。

大言海は,「じゃんけん」に,

石拳,

と当て,

「薩摩にて,小さき餅幾つかを,二本の串に貫きたるを,ジャンポと云ふ,両棒(リャンボウ)なり」

とある。で,「石拳」の項で,

蟲拳(むしけん)より移る。初に拳として出すによりて,石,紙,鋏の内に,石を主として名とす。ジャンケンと云ふは,石拳(じゃくけん)の音便ならむ(けんつく,つくけん,つんけん。柘榴(じゃくろ),温石(おんじゃく))。ポイと云ふは,ホイと掛声するなり」

とあり,「蟲拳」の項で,

「拳(けん)の形より移る」

とあり,「拳(けん)」の項に,

「拳相撲と云ふが成語なり。此の技,寛永年間,支那人の,長崎に伝へたるものにて,其他伝はりたるは,元禄の頃なるべしと云ふ。(中略)酒宴の席上にて行ふ競技にて,負けたる者に酒を飲まする戯れなり。…二人対坐して,互いに五指を屈伸し,指の数を呼びつつ出し,其雙方の出したる指数を合算し,呼びたる数に中りたるを勝ちとす」

とある。つまり,

蟲拳→石拳→じゃんけん,

という転訛とするのである。「石拳(じゃんけん)」については,

「拳(けん)の一種。石拳(いしけん)ともいい、勝負を決めたり、鬼ごとの鬼決めの方法などにも用いられる。元禄(げんろく)時代(1688〜1704)初期に、中国から長崎へ伝えられたものが広まったといわれる。」

ともある(日本大百科全書)。しかし,2人が相対して手や指の屈伸で掛け声をかけながら勝負を争う遊びが古くからあり、虫拳(蛙(かえる)・蛇・蛞蝓(なめくじ))、庄屋拳(しょうやけん)(庄屋・狐(きつね)・猟師)などがあり,石拳=じゃんけん,とは即断しがたい。

両拳説は,

「指二本を出すハサミを中国語でリャン(両)といったのを子交(子音交替)[rz]をとげてジャンになった」

と(日本語の語源)か,

「親指と人指し指で表わす鋏の形が本拳の二(りゃん)と同形であるところから「りゃん拳」の転訛とする」

と(精選版 日本国語大辞典)するので,ここでは,鋏を名づけたことになる。

「昔は『石拳(いしけん)』や『石紙(いしかみ)』とも言われ,九州の『しゃりけん・りゃんけん』,関西の『いんじゃん・じゃいけん』など,現在でも地方によってさまざまな呼称がある」

とある(語源由来辞典)というのだから,石で名づけるか,鋏で名づけるか,地域差があったのかもしれない。

「拳遊びには『本拳』『虫拳』『狐拳』『石拳』など数種類あり,日本では『石拳』が残」

つた(語源由来辞典)というから,やはり,拳遊びの流れを考えると,

石拳→じゃんけん,

と考えるのが順当のようである。日本じゃんけん協会は,

「日本の三すくみ拳の源流であった可能性のある『虫拳』は、中国が唐の時代に伝来した可能性があります。この三すくみブームの頃に『石拳』があり、のちの『じゃんけん』となる」

とし,石拳=ジャンケンとしている。

因みに,

「じゃんけんで使われる『最初はグー』の掛け声は,『8時だヨ!全員集合』の西部劇のコントの中で使われ,全国的に広まった。ドリフの飲み会では支払担当をじゃんけんで決めていたが,皆酔っ払っていてタイミングが合わないため,志村けんが『最初はグーで揃えましょう』と言い出し,番組でも『最初はグー』が取り入れられたそうである。」

という(仝上)。

「近年、アメリカあたりでもこの『じゃんけん』の手軽さが受けているらしく、テレビドラマなどで、刑事が臭くてきつい仕事を押しつけ合うとき、じゃんけんをする姿が見られる」

とある(笑える国語辞典)。

「じゃんけんは20世紀に入ると、日本の海外発展や柔道など日本武道の世界的普及、日本産のサブカルチャー(漫画、アニメ[旧称:ジャパニメーション]、コンピュータゲームなど)の隆盛などに伴って急速に世界中に拡がった」

ものらしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%91%E3%82%93

ところで,

「京都大高等研究院の松沢哲郎特別教授らのグループは,2017年8月10日,チンパンジーは約100日でジャンケンの仕組みを学び、人間で言えば、4歳程度の知能があると考えられるという研究成果を発表」

したとか(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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狗奴国


「狗奴国」は,

くぬのくに,
くぬこく,
くなのくに,
くなこく,

と訓ませることが多い。魏書の中の魏書東夷伝倭人条(略して魏志倭人伝)に記載されている邪馬台国と対立していた倭人の国の名である。倭人伝には,邪馬台国の

「南には狗奴国がある。男子を王と為し,其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D。邪馬台国は,

「斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である」

が境界線であり,その南にある。通常,

「(景初)八年、太守に王頎が到官。倭の女王の卑彌呼と狗奴國の男王の卑彌弓呼は元より不和で、倭は載斯・烏越たちを郡に遣わし、互いに攻擊している状態を説明した。」

と卑弥呼の死後,狗奴国と邪馬台国は交戦したことがわかる(仝上)。倭人伝の記述,

「女王国の東,海を渡ること千余里,復國あり,皆倭種」

の記事は,後漢書倭人伝の,

「女王国より東,海を渡ること千余里,狗奴国に至る。皆倭種といえども女王に属せず」

と重なる。この「狗奴国」は,邪馬台国の東にあることになる。つまり,「狗奴国」は,

魏志倭人伝では,邪馬台国の南,
後漢書倭人伝では,邪馬台国の東,

にあることになる。

邪馬台国の南というので,狗奴国を,

肥後国球磨(くま)郡の地,
菊池(きくち)郡城野(きの)郷,
九州の熊襲 (くまそ) 説,

などに比定するほか,

古くは本居宣長の伊予風見郡河野郷説,
三宅米吉の毛野国説,
笠井新也の熊野説,

等々は,東に基づくのかもしれない。ここでどこにあるかを論ずる気はないが,「狗奴国」の「狗奴」は,

くぬ,
くな,

と訓ませるのが正しいのか。「狗」は,

漢音は,コウ,
呉音は,ク,

である。「奴」も,

漢音は,ド,
呉音は,ヌ

である。「くぬ」「くな」となぜ訓み習わしていたのか分からないが,いずれも,呉音の訓みである。しかし,魏は漢音ではないのか。とすると,魏志倭人伝では,漢音で,

コウド,

と訓ませていた可能性がある。日本語の語源は,

「邪馬台国が北九州に在ったか,それとも近畿大和に在ったかは歴史上の謎であるが,この問題を語源的に考察すると,北九州説に軍配があがる」

と断定する。

「二つの『狗奴国』はこれまでクナ国と呉音で読まれていた。漢・魏は北方の国だから当然,漢音でコド国と読むべきである」

とし,こう推測する。

「日本側で『異なる国。他国。別国』という意味でコト(異)国といったのを,中国側で『狗奴国』で表記したとみられる。つまり,固有名詞(国名)ではなくて二つの狗奴国は普通名詞だったと思われる。
 邪馬台国の南方の異国は熊襲国であり,東方渡海の地の異国は熊襲国であり,東方渡海の地の異国は大和朝廷の勢力圏を指すものである」

と。ふたつの「狗奴国」が国名でなく,普通名詞とすると,東と南に別々に「狗奴国」と名づけたとしても不思議ではない。

この熊襲は,件のヤマトタケルミコトが女装して,『日本書紀』に熊襲の八十梟帥(やそたける)を殺したとされる,熊襲につながる。

少なくとも,慣性のように「呉音」訓みにしたがって考えているかぎり,視界は開けない。なぜこんな当たり前のことを疑わなかったのだろうか。

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手塩に掛ける


「手塩に掛ける」とは,

手ずから世話をする,
自ら面倒をみて大事に育てる,

意で,

手塩にかけて育てた子,

などという。「手塩」は,

食膳にのせてある塩,

の意で,室町末期の日葡辞典にも,

テシヲヲヲ(置)ク,

と載る。で,「手塩」は,その,

手塩皿の略,

であるが,

手ずから世話をする,

という意もあるとある(広辞苑)。しかし岩波古語辞典には,

膳におく塩,

その塩を入れた皿,

の意しかない。ひょっとすると,

手塩に掛ける,

の手塩の意が紛れ込んだのかもしれない。

「他人の手汐(テシホ)に育てられ、二親恋しと尋ねるを」(歌舞伎・心謎解色糸)

の用例をみると,すでにこの時代,「手塩に掛ける」の意,

手ずから世話をする

といった含意を,「手塩」で含意させているように見える。

たが,「手塩に掛ける」は,

手(各人)+塩,

で,

「各自で料理に塩加減をするところから生まれた」

とする(日本語源広辞典)のは,たとえば,

「手塩(てしお)」とは、昔の食膳に添えられた少量の塩のことです。もともとは、不浄なものを祓うために添えられたものですが、好みに合わせて料理の塩加減を調節するというためにも用いられました。そこから、人任せにしないで、みずから面倒を見ることを『手塩にかける』と言うようになったといいます」

とする(https://nihongo.koakishiki.com/kotowaza-kanyouku/question-32.html)等々大勢に見える。語源由来辞典も,

「『手塩』の語が見られるようになるのは室町時代から。元は膳の不浄を払うために小皿に盛って添えたものを言ったが,のちに食膳に添えられた少量の塩を表すようになった。塩は味加減を自分で調えるように置かれたものなので,自ら面倒を見ることを『手塩に掛ける』と言うようになった。『手塩に掛ける』と使われた例は江戸時代から見られる」

とするし,日本語源大辞典も,

「手塩は付け塩の約。膳に添えて,食べる人の心にて食物に加える塩を盛ったという皿(大言海),手塩を用いることで,自分の手で直接取って自由に加減するところから(暮らしのことば語源辞典)」

とする。しかし,

自分の料理の塩加減を見ること,
と,
手ずから世話をする,

意とは,自分の食するものと自分以外の対象への世話の意とでは,僕には直接つながらない,少し付会に思える。

日本語の語源は,音韻変化からこう展開してみせる。

「『直接自分の手をくだして物事をすること。自分の手で』という意味の語句,ワガテミヅカラ(わが手自ら)は,ワ・ガ・ミの三音節を落してテヅカラ(手づから)になった。〈うへのきぬを洗ひてテヅカラ張りけり〉(伊勢)。さらに『自身で。みずから』に転義した。〈テヅカラおほせ候ふ,『何か騒がせ給ふ』〉(宇治拾遺)。「手ずから世話をする。自らめんどうを見て育てる」ことをテヅカラノセハ(手づからの世話)といった。これを早口に発音するとき,語中の四音節を落してテセハ(手世話)になった。さらに,セの母交(母韻交替)[ei],ハの母交[ao]の結果,テシホ(手塩)になった。テシホニカケル(手塩に掛ける)は,『手づから世話をする。みずからめんどうを見て育てる』ことである。〈あれほどまでに手塩にかけて育てた子を〉(浄瑠璃・妹背山)」

この転訛なら,意味には連続性があるが,「手づから」は, 

「手つ柄(から)の意。ツは連体助詞。カラは経由・手段の意」(岩波古語辞典)
「『手つ(助詞)柄から』の意。多く、身分や地位の高い者についていう」(大辞林)

とするし,大言海は,

「手之自(てつから)の義」

としていて,

わが手自ら,

の音韻変化とするまでもないことを考えると,多少の疑問はあるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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「塩(鹽)」は,

潮,
汐,

とも当てる。「塩(鹽)」(エン)の字は,

「形声。鹽は『鹵(ロ 地上に点々と結晶したアルカリ土)+音符監(カン)』。鹹(カン からい)と同系。また,感(強い刺激を与える)とも縁が近く,もとは強く舌を感じさせる味のこと」

とある(漢字源)。これでは分かりにくい。別に,

「形声文字です(監+鹵)。『しっかり見ひらいた目・人・水の入ったたらいの象形』(人が水の入ったたらいをのぞきこむさまから、『鏡に写して見る』の意味だが、ここでは、『厳』に通じ(『厳』と同じ意味を持つようになって)、『きびしい』の意味)と『袋に包んだ岩塩』の象形(『塩土』の意味)から厳しい刺激を与え、農耕にも適さない、『しお』を意味する『塩』(鹽の略字)という漢字が成り立ちました」

とある(https://okjiten.jp/kanji666.html)。また,

「説文に言うとおり『鹵(ろ)に従ひ(意符)監(かん)の声(音符)』の形声字である。字音は『余廉切』(エン)であり。『監』(かん)がこの音を表わす。この音を表わす意味は、別字で言えば『鹹』(かん)字である。がさらに根本的に言えば『苦』である。『苦』の音から一方は『鹵』(ろ)の声となり、他方は『咸』『監』の声となった。『余廉切』(エン)の音は『監の声』の転じたものにすぎない。字義は『苦い小粒のもの』である、と解説されている(漢字の起源)。

ともある(http://www.music-tel.com/naosuke/nao-h/salt02moji3-3-21.html)。「鹵」の字自体が,

「塩が篭(かご)の中にある形象で、象形字である」

と(仝上)あり,

「点々とアルカリの噴き出たさまを描いたもの」

ともある(漢字源)。

また「潮」(漢音チョウ,呉音ジョウ)の字は,

「会意兼形声。朝は『屮(くさ)の間から日が出るさま+音符舟』の形声文字。潮はもと『草の間から日が出るさま+水』の会意文字であったが,楷書は『水+音符朝』で,あさしおのこと」

「汐」(漢音セキ,呉音ジャク)の字は,

「会意兼形声。夕は,月の形を描いた象形文字で,夜のこと。汐は『水+音符夕(ゆうがた)』」

とある(漢字源)。つまり,「潮」と「汐」は,

「朝のしお」と「夕べのしお」の違い,

ということである。

和語「しお(ほ)」は,

塩,
潮,
汐,

の区別,つまり,

海水,

塩,

の区別をしなかったのではないか。古代の列島住民は,海水から塩をとった。

塩釜,

という名や,

藻鹽草,
塩焼く煙,

という言葉から,推測される。大言海は,「塩」を,

白穂の略かと云ふ,

とし,「潮・汐」を,

うしほの略,朝の上げシホを潮,夕のを汐と云ふ(康熙字典),

とする。日本語源広辞典は,「潮・汐」を,

「シ(及・あとからあとからやってくる)+ホ(目立って表れる)」

で,ウシホ→ウシオ→シオ,と転訛したとする。「塩」は,

「シホ(潮)」

で,

ウシホ→ウシオ→シオ,

と「シオ」が,潮(汐)から塩になったとする。,

「主に海水から作られるため、海水を意味する『潮(しほ・うしほ)』が妥当とされる。 塩が『うしほ』と呼ばれた例もあることから、古くは潮と混同されていた可能性もある。」

とあり(語源由来辞典),「塩」と「潮」の区別なく,「しお」であった。混同していたのではなく,文字をもたない祖先にとって,眼前で話して強いる当人にとって,「塩」か「潮」は区別がついたのである。文脈依存の和語らしいのである。

「シホの語源は白穂がつまってシホとなったという。白穂は『波の花』と同じ意で潮汐から生み出した白い穂と見たのである。ウシホ(潮)のウを略してシホというのだとするのはウとはオ(大)の転訛で,オオシホがオシホ,ウシホとなり,ウが略されてシホとなったとする。この説がよい」

とある(たべもの語源辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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しょっちゅう


「しょっちゅう」は,

初中,

と当てたりするが,

初中後の転,

とある。今日は,副詞的に,

いつも,
終始,
絶えず,

という意味で使うが,「初中後」は,

一連の物事を段階的に三区分下,それぞれの段階,

の意味とされる(広辞苑)。しかし,岩波古語辞典の「しょちうご(初中後)」をみると,

初めと中と終り,また初めから終りまで,
序破急に同じ,

とある。「序破急(じょはきふ)」は,

「音楽・芸能などが時間的に展開して行く順序。『序』は緩やかな導入部,『破』は緩やかであるが変化に富み,『急』は急速で最高潮。はじめ雅楽における一曲の構成要素。のち,個々の曲の性格をもいう。世阿弥がこの原理を重視して能の芸術的感性に適用,一曲の構成にはもちろん,一興行の曲目の選定・演奏順序にもこれを用いたが,させに江戸時代には三味線の演奏及び舞踊などにも使われるようになった」

とある(仝上)。そのせいか,「初中後」を,

中世の芸道、文芸論などで使った用語,

とする説が大勢である。たとえば,

「拍子は初中後へわたるべし」(花鏡・音習道之事)

と使われ,

「物事のはじめと中頃と終わりの三段階。また、九品説に基づき、初中後をさらにそれぞれ初中後に細分し、九区分にすることもある。特に、中世の文芸論などで、初心から堪能に至るまでの学習法を段階的にした三区分法」(精選版 日本国語大辞典)
「『初中後』とは中世の芸道論の言葉で、初心者から達人の域に達するまでを三段階に分けて示すものであったが、近世には『初めから終わりまでずっと』の意味に転じた。その頃から、下略された『初中』が使われるようににり、近代以降に『しょっちゅう』が一般で使われるようになった」(語源由来辞典)

といった具合である。ただ,気になるのは,

「お釈迦様が教えを説く際に心がけていた『初めも善く、中ほども善く、終わりも善く』=『初中終』が変化した言葉といわれる。『しょっちゅう』は悪い意味で使われるが、本来は『常に善い』の意味」

と(https://www.news-postseven.com/archives/20150930_352848.html),仏語由来説があることだ。

初中終,

は,多く,

しょっちゅう,

と訓ませ,ほぼ,

初中後,

と同義で使われている。「初中終」について,

「説教とは、仏が教え説くことである。仏の説法は親父の小言とは異なり、初めから終わりまで『善』が説かれる。そこで『初中終善なり』(『法華経』)とされる。ここから『しょっちゅう喧嘩している』など言うように『いつも』『常に』『終始』を意味する『初中』の語が生まれた」

とある(http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000r9f.html)。あるいは,

「釈尊教団が成立してまもなく,弟子たちに告げられた『伝道宣言』の中で,『比丘たちよ,初めも善く,中程も善く,終りも善く,道理と表現を兼ねそなえた法を説け』と諭された言葉に由来します」

ともあり(https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/buddhism/9024/),仏語由来は確からしく思われる。大言海は,「しょっちゅう」を,

初中終の略,

としてしいる。とすると,

初中終→初中→しょっちゅう,

という変化が一つ考えられる。しかし,芸道論で,三段階の意の「初中後」を使うとき,あるいは,

初中終→初中後,

と替えて,

初めから終りの意ではなく,

三段階,

の意に転換して用いた可能性がある。「初中終」は,

「703年(大宝3)文武(もんむ)天皇のとき『大般若経』の転読(経題や経の初中終の数行の略読を繰り返すこと)が行われたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみられる」(日本大百科全書)

とか,

「苦行頭陀、初中後夜、勤心観禅、苦而得レ道、声聞教也」(往生要集)

での使い方を見ると,明らかに,仏語の由来そのものの,

はじめとなかとおわり,

の意で,

物事の三段階,

という意はなく,

最初から最後まで,

の意が強い。それを中世,芸道の

物事のはじめと中頃と終わりの三段階,

の意に転換して使ったが,江戸時代,

初中(しょちゅう),

と略し,促呼して,

しょっちゅう,

となったときには,既に,

終始,
いつも,

の意に転じている。つまり,先祖返りしたのである。

「『しょっちゅう』 はもともとは 『初中後 (しょちゅうご) 』 ということばだったのです。(中略)その 『初中後』 の 『後』 が省略されて 『初中 (しょちゅう) 』 となり,間に促音が入って 『しょっちゅう』 と変化してきたものです。しかし,この省略はことばの意味からしたらあってはならないことです。 3 段階の最後の段階を省略してしまったら, 〈ずっと〉 の意味をなさなくなります。それを強引に省略してしまうのですから,ことばというのはいい加減といえばいい加減です」

とある(https://mobility-8074.at.webry.info/201411/article_3.html)通りだが,もともと,「初中終」で,

はじめから終り,

の意で使っていたのだから,それが,

初中終(後)→初中→しょっちゅう,

と,表記がどう変わっても,仏語の用例の意味に戻っただけと言えば言える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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時化る


「しける」は,

時化る
湿気る,

と当てる。「時化」は当て字だが,「時化る」は,

「湿気 (しけ) る」と同語源,

とある(デジタル大辞泉)。しかし,「湿気る」は,

湿気を帯びる,しっける,

意であり,「時化る」は,

雨風で海が荒れる,
不漁である,
転じて,不景気である,また気持ち,恰好がぱっとしない,

という意で,「湿気る」とは意味が重ならない。室町末期の日葡辞書には,

「テンキガシケタ」

で,海が荒れる意で使われている。

しっけ(湿気)→しける,

はあくまで湿っている意で,時化とはつながらない。

ただ,大言海は「しけ」に,

陰,

を当て,

風雨気(しけ)の義,

とし,

水気の多いこと,しめりけ,
風雨の続くこと,(舟人の語)連陰(シケで,渡海がない),
転じて,海荒れて,魚などの捕られぬこと(漁夫の語),

という意味を載せている。これに従うと,

湿気る→雨風の続くこと→時化,

と転じたことになる。江戸語大辞典には,

時化,

しか載らず,

暴風雨のため海が荒れて,不漁になること,漁獲のないこと,

とあり,

漁夫・魚屋用語なるも,料亭などでもいう,

とある。さらに,

霖雨(ながあめ),
収入・収穫などのほとんどないこと,

の意とあり,

しけを食う,

という言い回しがあり,

暴風雨または霖雨にあう,

意であり,

しけ上がり,

という言い回しは,

暴風雨または霖雨の止んだ直後,

とある。

「時化」は,日葡辞書に,

天気が曇る,

とある(語源由来辞典)ので,「しける」は,

湿気る,

とつながり,天気の意味となり,海の荒れ,不漁,不景気と転じていったものとみてよさそうである。

シケ(陰)の義(和訓栞),

は,大言海ともつながり,陰陽の陰と考えると,曇りともつながる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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しける


「しける」には,

湿気る,
時化る,

と当てる「しける」以外に,

しけこむ,

の意の,

しける,

がある。江戸語大辞典には,

こっそりと入り込む,遊所や情人のもとへ行くにいう,

とあり,

しけこむに同じ,

とある。しかも厄介なことに,濁点のつく「しげる」も,

繁る,

と当てて,

しっぽり睦み合う,
同衾して情事を行なう,

意で,

多く遊女・遊客にいうが陰間にもいい,また町家でもいう。遊里で「おしげり」(命令形)というは,お楽しみなさいと殆ど同義のあいさつ語,

とある(江戸語大辞典)。岩波古語辞典にも,「しげる」に,

生い茂る,

意の外に,

男女が情を交わす,

意がある(広辞苑にも)。大言海をみると,「しげる」の項の意は,

吉原遊郭の語,ねる,やすむ,

意とあるので,それが広まったものとみていい。

とすると,「しけこむ」の「しける」は,その意味から来ているとみていい。本来,「しけこむ」は,

こっそり入り込む,

意で,岩波古語辞典にはその意しか載らない。だから,その意の轉用で,

(不景気で)気の滅入った状態で閉じこもる,

意として使われても,たた入り込んだ状態表現が,そこに意味を加えた価値表現に転じたとしてみれば,ありえる変化だと思う。しかし,

遊郭などに入り込む。また、男女が情事のためにある場所に一緒に泊まる,

とか(デジタル大辞泉),

男女,共寝する,
閨中に長居する,

とか(大言海),

登楼する,
遊所へ入り込む,

とか(江戸語大辞典)の意は,吉原隠語の翳と見ていいように思う。この「しける」の語源を,

「時化る」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/467446693.html?1561403255),

で触れた,

時化る,

の意から,

時化(しけ)に遭った船が港に入ること,

からきた,

金がないために家でじっとしている,

とする説がある(大辞林,http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%B7%A4%B1%A4%B3%A4%E0等々)。しかし,

しっぽり,

という擬態語がある。江戸時代,「男女の情愛の細やかな遊興」の意を表す,

しっぽり遊び,

とか,「しめやかに男女が情を交わす」意を表す,

しっぽる,

という言い回しがあった。「しっぽり」は,

濡れて湿っている様子,

の擬態語である。それから考えると,「時化る」と同源だが,

湿気る,

が語源なのではないか。その意味では,日本語俗語辞典が, 

しけこむとはホテルや遊郭などにこっそり入り込むことをいう。またこの場合、男女二人が共に過ごすことを目的にそういった場所に入ることを言う,

意と,

しけこむとは不景気で気が滅入って家に閉じこもることをいう,

に二つに分けたのは,語源を考えるとき卓見である。前者は,

湿気る,

後者は,

時化る,

から来たとみていい。もちろん,「時化」は,元は,

天気が曇る,

から来ており(日葡辞書),

「時化る」

「湿気る」


同源なのは,「時化る」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%99%82%E5%8C%96%E3%82%8B)で触れた通りである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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会釈


「会釈」は,大言海に,

会得して,心の中に釈然と解き得ること,又,打ちとけ語らふこと,
仏教にては,法門の難義を会得解釈すること,
うなづくこと,
転じて,礼すること,あいさつ,

とある。おそらくこの順で,意味が転じたものと想像される。岩波古語辞典には,

理解し解釈すること,
相手の気持ちなどをしはかり思いやること,
挨拶,

とある。広辞苑には,

(仏語)和会(わえ)通釈の意。前後相違してみえる内容を互いに照合し,意義の通じるようにすること,会通(えつう),
前後の事情をのみこんで理会すること,
相手の心をおしはかって,応対すること,
おもいやり,
にこやかにうなづくこと,

の意味が載る。「釋(釈)」(漢音シャク,呉音セキ)の字は,

「会意兼形声。睪(エキ)は『目+幸(刑具)』から成り,手かせをはめた罪人を,ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし,釆(ばらばらにわける)を加えた字で,しこりをばらばらにほぐし,ひとつずつにわけて,一本の線に連ねること。釈は,音符を尺に換えた略字」

とある。「釋」は,「とく」意で,

「しめて固めたものを,ひとつひとつ解きほぐす,分からない部分やしこりをときほぐす」

意で,「釈然」「氷釈」等々という使い,そこから,「いましめをとく」意を転じ,「ゆるす」意となる。

「會(会)」(漢音カイ,呉音エ)の字は,

「会意。『△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)』で,多ぐの人が寄り集まって話をすること」

とある(漢字源)。「あう」とか「あつまる」意だが,物事に「であう」意でもある。

これらを考えると,「会釈」は,一般には,

「会釈は、仏教用語『和会通釈(わえつうしゃく)』の略である。 和会通釈とは、一見矛盾 する教義どうしを照合し、根本にある共通する真実の意味を明らかにすることである。」(語源由来辞典)

とされるが,もともと,

会得して,心の中に釈然と解き得ること,

打ちとけ語らふこと,

の意味があったものと思われる。それを仏語に転用し,

和会通釈(わえつうしゃく)の略語,

として,

会通(えつう),和会,融会(ゆうえ),

ともいい,

仏典の二律背反(相互に自己矛盾する教説)を照合し、矛盾のない解釈を導き出すこと。転じて他者相互の矛盾を解消する意,

として用いられたと思う。しかし,「会釈」には,

打ち解けあう,

意があり,そこから,

前後の事情をのみこんで理会すること,
相手の心をおしはかって,応対すること,

の意が,意味の外延としてあり得る。日葡辞書(1603‐04)には,

「Yexacuno(エシャクノ) ヨイ ヒト」

と,

好意を示す応対、態度,愛想,

の意で使われている。それが,

にこやかにうなづくこと,
愛想,

に転じ,

挨拶,

へと転じたが,その含意には,両者が打ち解けている関係あることが前提と思う。ちょっとした知り合いに会釈するのは,ある意に,知っていますよ,という合図のように思える。それが,逆転し,

挨拶,

となったとき,その会釈は,融和の形式に化している。江戸語大辞典では,「会釈」は,

軽くお辞儀する,

転じて,

差し控える,遠慮する,

意になっている。両者の距離の確認に代わっている。この意味は,今日はなくなって,

軽くお辞儀する,

意になっている。今日,ビジネスマナーでは,

「3段階あるお辞儀の仕方のうち1番軽いお辞儀で、社内で上司や外部の方とすれ違うとき、入退出時、お客さまの前に出たり下がったりするときに用いる。角度は15度が目安とされ、頭だけでなく、背筋を伸ばして腰から上体を折り、前方に視線を落とすのが基本とされている。」

とある(ビジネス基本用語集)。下らないことを商売の種にして,日本のビジネスの停滞と堕落を持たらしている見本にしか思えない。お辞儀の三段階とは,

お辞儀の種類@:会釈(角度15°)
•角度は上体を腰から15度くらい前へ傾ける  
•視線は3mくらい先に  
•基本は朝夕の挨拶、通路等での軽いおじぎ、お客様をお迎えするときのお辞儀
お辞儀の種類A:敬礼(角度30°)
・角度は背筋を伸ばして腰から30度上体を折り、足下の少し前方に視線を落とすのが基本 
・お客さまや目上の人に対して敬意をもって行うお辞儀 
・会釈よりもやや角度を深くする
お辞儀の種類B:最敬礼(角度45°)
・3段階あるお辞儀の仕方のうち最も深いお辞儀。お詫びをするとき、深い感謝を表すとき、重要なお客さまをお見送りするときなどに用いる。角度が最も深く、神前での儀式や高貴な方に対する礼に用いる。 
・角度は45度が目安とされ、背筋を伸ばして腰から上体を深く折り曲げ、真下よりやや前方に視線を落とすのが基本

とある(tps://careerpark.jp/692)。これが付加価値を産むことになるのかどうか,僕には馬鹿馬鹿しくて,付いていけない。挨拶は不可欠だが,形式化したとき,会釈の持つ含意は忘れられている。心が解けることとは無縁である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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雨模様


「雨模様」は,

あめもよう(やう),
あまもよう(やう),

と訓む。

雨の降りそうな空の様子,

の意で,

あまもよい(ひ),

ともいう。「あまもよい(ひ)」は,

雨催ひ,

と当てる(岩波古語辞典)。

空模様,

の意ともある。「空模様」は,

空の様子,

を指すので,雨含みではないが,晴れているなら,

空の具合,

を気に掛けないので,約めれば,

雨模様,

同様,雨を心配している,と言えなくもない。大言海は,

あめもよほ,

と訓み,

雨催,

と当て,

モヨホは,モヨホスの語根,

とし,

雨の降らんとする気配,
雨気,

とする。まさに,

雨気,

である。

雨もよに,

という表現がある。

雨が降る中に,

という意味であるが,

「モヨは,催シのモヨに通じるか。一説にヨは夜とも。歌では『夜に』と『よに(決して・まさか)』をかけて事うことが多い」

とある(岩波古語辞典)。大言海は,

「雨もよよにの約,涎の垂れるをヨヨと云ふ,ヨなりと云ふ。和訓栞に,欄外,アメモヨ『雨のぽたぽた降るを云ふ』(伴信友の説なるべし)。雨の夜,雪の夜と云ふに同じとの説もあれど,日中に云へるあり,汗モヨもあり」

と,「夜」説を否定するが,「もよ」は「催し」である。この「催し」が,

もよおし→もよう(模様),

と転訛したものと見られる。「もよお(ほ)す」は,

もやふ(催合)の他動詞,

で,「もやふ(催合)」は,

もよあふの約と云ふ,

とある。「もやふ(催)」は,

用意する,
準備する,

意で,「雨模様」は,

雨の気配,

の意とみていい。ただ,昨今,

雨が降りそうな様子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43.3%
小雨が降ったりやんだりしている様子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47.5%

と(平成22年度「国語に関する世論調査」),少し意味が雨降りにシフトして意識されているようである。それは,もともとの「催し」ではなく,「模様」の意味,ありまさ,様子の意味に引っ張られているからに思われる。漢字を当てると意味が変わる見本である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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さみだれ


「さみだれ」は,

五月雨,

と当てる。芭蕉の,

五月雨をあつめて早し最上川,

の「五月雨」である。しかし,

五月雨,

は,

さつきあめ,

とも訓む。つまり,「さみだれ」の,

五月雨,

は当て字である。「さつきあめ」も「さみだれ」も,

陰暦五月頃に降り続く雨,

つまり,

「つゆ」「梅雨(ばいう)」「長雨(ながめ)」

の意である。

「サはサツキ(五月)のサに同じ,ミダレは水垂(みだれ)の意」

とある(広辞苑,デジタル大辞泉)。ただ,岩波古語辞典は,

「サはサツキ(五月)のサに同じ」

としかない。「さつき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/458763376.html)で触れたように,「サ」は,

「サは神稲,稲を植得る月の意」(岩波古語辞典),

とあり,大言海は,

「五月を,早苗(さなえ)月とも云ふの,早苗を植うる月の義なり。…早苗を下略する語に,早少女(さをとめ),早開(さびらき),早上(さのぼり),早下(さおり)などあり。またこのサを,五月のことに用ゐらる。五月蠅(さばえ),五月雨(さみだれ),五月夜(さよ)など,これなり」

とし,日本語源広辞典は,

「『サ(稲の神)+月』です。稲作の神が,田植えを見守ってくださる月です。サトメは,早乙女は当て字で,稲作に奉仕するオトメです。サナエは,稲作の心霊の宿った苗,古典に出てくるサニワは,農業の神を祭る神聖な斎場なのだという意味も納得できます。」

とする。そうみると,「さみだれ」は,

サ+水垂れ,

の意味は深く,

「サは『稲の神』です。水垂れは『雨』のことです。田植えのころ,ありがたい雨が降り続く。梅雨の別名なのです。サツキ,サナエ,サオトメ,サニワ,サナブリ,これらに共通するサは『稲の神,田の神,農業の神』を意味します。田植えの期間に,天から地上に降りて来て下さる神です」

との説明が納得がいく。

さみだる(早水垂る),

ということばがあり,

「サはサツキ(五月)のサに同じ」

で(岩波古語辞典),

「水垂(みだ)るは,雨降ること。…即ち,五月雨(さつきあめ)降る義なり」

とある(大言海)。

「『みだれ』は『水垂れ(みだれ)』である。古くは、動詞『五月雨る(さみだる)』と使われており、五月雨はその名詞形にあたる」

とある(語源由来辞典)。

要は,

「『さ』はさつき(五月)の『さ』と同根。『万葉集』など上代の文献には確認できない。上代では季節にかかわりなく『三日』以上(の)雨」(『十巻本和名抄』)をいう『なが(あ)め』に包含されていたと思われる」

ということ(日本語源大辞典)のようである。

しかし,異説もあり,

サ-アメタレ(雨垂)の転で,サはサツキ(五月)のサ。あるいは,シバアメツモリ(数雨積)の反。または,サメは雨,タレはクダレのタレ(名語記),
サツキアメクダル(五月雨下)の略轉(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・和訓栞),
サツキアメタレ(五月雨垂)の義(名言通),
サツキミダレアメ(和訓集説),
サは田植えに関するわざを意味する語で,サナへ(佐苗)・サヲトメ(佐乙女)のサに同じ。ミダレ(乱)は久しく雨降る意(古事記伝・俗語考),
サナヘミダルルアメ(早苗乱雨)の義(黄昏随筆),
乱れ降る雨であるところから,サメミダレ(雨乱)の略(幽遠随筆),
ソラミダレ(空乱)の義(日本語原学=林甕臣),
小乱雨の義(俚言集覧),

等々あるが,語呂合わせを出ない。音韻変化から,

「長雨(梅雨)に雨ごもりして『雨はもう十分である』という意味でアメタル(雨足る)といった。[s]を添加してタメタル・タミダル(五月雨る)になった」

とする説(日本語の語源)も,説得力を欠く。

「五月雨」の「五月」の陰暦の季節感が薄いため,梅雨と重なりにくいのが,現代感覚だが,この点を,

「当て字である漢字の字面からは新暦の五月頃に降るさわやかな緑雨、あるいは『五月雨式(さみだれしき)』という慣用句の印象から、継続的に降る小雨を連想させるが、旧暦五月は現在の六月頃にあたるので、五月雨はなんのことはないじめじめとうっとうしい梅雨であり、さらに『五月雨を集めてあつめてはやし最上川』(芭蕉)、『五月雨や大河を前に家二軒』(蕪村)という名句からも知れるように、長々と大量に降る雨でもある」(笑える国語辞典)

と警告する。確かに,五月に騙されて,

「現代の五月のすがすがしさや、ぱらぱらと小刻みに降る春の雨」

とは異なる,激しく長く降る雨の意,である。なお,

つゆ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%A4%E3%82%86),
あめ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%82%E3%82%81%EF%BC%88%E9%9B%A8%EF%BC%89),
さつき(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D),

については,それぞれ触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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独活の大木


「独活の大木」の「うど」に,「独活」を当てるのは,

「風が吹いてないときでもひとりで動く植物だということから,独揺草(どくようそう)とも名づけられていた。独は,一人という意味があり,活は,よく動くという意味がある。サンズイに舌という字は,水が勢いよく流れるということから動くことを表したもので,『ウド』が,風もないのにひとりで動くということから『独活』という字が当てられた」

ということかららしい(たべもの語源辞典)。

「独活の大木」とは,

「ウドは茎が長くても,柔らかくて役に立たないことから,身体ばかり大きいが,役に立たない人のたとえ」

に使われる(広辞苑)。しかし,ウドはせいぜい二メートル,どうみても,ウドが大木には見えない。

「成長すると茎が二メートルほどにもなるが,若芽の時のように食用にならず,さりとて柔らかいため用材にもならないため」

という説明(故事ことわざ辞典)なら,まだわかる。日本語源広辞典は,この説を採り,

「大きい植物だが,若芽を食べる以外,木として役に立たない意」

とする。

独活の大木蓮木刀(はすぼくとう レンコンでつくった木刀),

ならともかく,

独活の大木柱にならぬ,

ということわざは,どうもジョークならともかく,現実的ではない。一説に,

「『うど』は空洞のことで,空洞のある大木は柱にならないの意から,同様のたとえになった」

という説もある(故事ことわざ辞典)。日本語の語源は,この説を採り,

「洞穴や樹木などの空洞をウツロ(空虚)といったのがウロ(空洞)になった。〈古木のウロ,いはほのくぼかなる所などに〉(弓張月)。今も,(中略)『木のウロ』という(ところがある)。
 発音が強化されると子交(子音交替)[rd]をとげてウドになり,東北地方…では『洞穴』のことをいう。さらに子交[dt]をとげてウトになり,淡路島…では『ほらあな』のことをいう。ウトーというところもある。
 ウドの大木とは植物の独活ではなくうど(空洞)のことで,空洞のある大木は建築用材にはならぬというのが本義であった。ちなみに,ウド(独活)もまた茎が中空なところからウド(空洞)の名を得た」

とする。考えると,確かに,この説の方が現実的ではあるが,諺の意外性は無くなり,人へのインパクトは無くなる。やはり,

ウドの大木,

は,「独活」とするのが,表現として,面白いのかもしれない。

白豆腐の拍子木

という表現とセットで考えるなら,「独活」だろう。では「うど」の語源は何か。

大言海は,

「埋(うづ)の轉(たづたづ,たどたど)。芽の,土中にあるを食ふ意と云ふ,いかがか」

とする。これは,山ウドを指し,

「若葉、つぼみ、芽および茎の部分が食用になり、香りもよい。つぼみや茎は採取期間が短いが、若葉はある程度長期間に渡って採取することができる」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%89)。スーパーや八百屋などで見られるのは、

「日の当たらない地下の室(むろ)で株に土を盛り暗闇の中で栽培した軟白栽培によるもので、モヤシのように茎を白く伸ばして出荷する」

せいで,白ウドと呼ぶ。日本語源広辞典も,

ウ(埋)+ト(土),

を採る。

ウド(埋所)の義(本朝辞源=宇田甘冥),

も同趣旨とみていい。しかし,

林の際など日当たりのよい場所か半日陰の傾斜地などに自生する,

ものの若芽を採っていた(仝上)とすると,この説はどうなのだろう。

たべもの語源辞典の言っていた,

「ウゴクの轉語。風がないのに動くところから中国で活を当てた」(滑稽雑誌・たべもの語源抄=坂部甲次郎)

は,中国語での「独活(どくかつ)」の説明ではあるが,それを「うど」と訓ませただけだから,これは「うど」の語源の説明にはなっていない。中国語では,「うど」は,

土當歸(どとうき),

とも呼び,若莖を食用にするとある(字源)。字鏡に,

「独活 宇度,又云,乃太良」

本草和名に,

「独活 宇土,都知多良」

とある。「たら」とは「タラノキ」で,

「春,幹の上に芽を生ず,フキノタウの如し,食用とす。味独活の如し,故に,ウドモドキ,又ウドメ(物頭)という名づく」

とある。「野タラ」「土タラ」と「独活」を呼んでいるのはこのためである。とすると,若芽を食べることを前提にしている。「埋(うづ)」等々,埋もれることを前提にしている説はいかがであろうか。

となると,

ウはウバラのウと同じ。トはトゲの下略。茎に毛刺が多いことから生じた語か(古今要覧稿),

が生きてくる。そうすると,「独活の大木」も,

空洞説,

となるが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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かまくら


「かまくら」は,

「降雪地域に伝わる小正月の伝統行事。雪で作った『家』(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89)が,伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が,

かまくら,

と呼ばれる。大雪の日,確かにつくった雪洞を,「かまくら」と子供の時呼んだ記憶がある。しかし,

「雪室〔ゆきむろ〕の中に祭壇を設け、自然の恵みである水を運んでくれる水神様をお祀りする行事を称して『かまくら』と言います。正月に飾りなどを焼く行事や農作の害鳥を追い払うための『鳥追いの行事』などと融合し『かまくら』と呼ばれています。」

とあり(http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/03_kamakura.html),行事全体を指していた可能性がある。

「かまくら」には,

雪穴式

竈式,

があるらしい。「竈式」のかまくらは,

「正月十四日の夜、雪をかい集め高くつみかさね、板戸なんどにおしあてて囲みを作し、三間四方、或いは四間四方ぱかりの雪の屏風を引わたしたらんが如に云々」

とあるように、四角い「かま くら」を,菅江真澄が書いている(ふでのまにまに:久保田迦麻久良祭(くぼたかまくらまつり)),というので,当時の主流は、「竈式」だったらしい。「雪穴式」のかまくらは,戦後規格化したもの,というhttp://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/kamakura/q&a/index.html。もともと由来を考えると,竈型だったのだろう。

「かまくら」の語源には,

●「竈(かまど)」を語源とする「竃蔵」説 「かまくら」の原型 はかまど式である。しかもこれは単に形態ばかりではなく、 この中で正月用の飾りものなどを焼いたという事実からして「竈」を語源とする説,
●「神座(かみくら)」を語源とする説 雪むろは、神の御座所(おまわしどころ)である。即ち「神座」であることから、「かまくら」 と変化したという説,
●「鎌倉大明神」を語源とする説  左義長とい われるこの行事に「鎌倉大明神」は付帯しており、その神名「鎌倉」を語源とした説,
●鎌倉権五郎景政を祀ったという信仰からでた説 後三年の役で、弱冠16才で勇敢に戦った景政を祀ったことから、「かまくら」となったという説,
●鳥追い歌の歌詞からという説 鳥追い歌に「鎌倉殿」という歌詞があることから「かまくら」になったという説,

等々がある。ただ,

雪の箱を作ってその中で神様の寄り代〔よりしろ〕である松飾りや注連縄〔しめなわ〕を焼く行事,

米を食い荒らす鳥を追いはらい豊作を願う鳥追いの行事
と,
水神様を祭る行事,

等々が融合しているところをみると,「竈」型が始源に近い気がする。「竈」(ソウ)の字自体に,

かまどの神,

の意があり,「かまど」は,

「釜で沸かした湯で邪気を払う『湯立神事』のため、かまどを設ける場合もある」

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A9),神や神事とつながりが深い。

「水神様がすわる御座所という意味で,祭壇のことをカミクラ(神座)といったのが,ミの母交(母韻交替)[ia]でカマクラ(雪室)になった」

とある(日本語の語源)。

当然この「かまくら」と,地名の,

鎌倉,

とは語源が関わるのではあるまいか。たとえば,鎌倉の由来について,

●鎌倉は地名・考古学的にいう「侵食地形・崩壊地形」を示す地形用語と解されます。カマ(鎌)=えぐったような崖地・崩壊的侵食谷,クラ(倉)=谷を意味する古語。市街は溺れ谷の埋積低地にのり、周辺に向かって〈やつ・谷〉とか〈やと・谷戸〉と呼ばれる多くの侵食谷の発達が特徴的であることが鎌倉の由来になっているという説,
●鎌鎌はもともと「かまど(竈)」のことを意味します。カマ(鎌)=かまど,クラ(倉)=谷。鎌倉の地形は、東・西・北の三方が山で、南が海になっています。その形は上空から見ると「かまど」のようで、「倉」のように一方が開いているので、「鎌倉」となったという説,
●アイヌ語が語源となっているという解釈です。カマクラン=「山を越して行く」という意,カーマ・クラ=「平板(へいばん)な石の山」という意,
●日本初代の天皇である神武じんむ天皇が東夷あずまえびすを征服しようと毒矢を放ちました。すると、その毒矢に当たって一万人以上もの人々が死に、その死体が山となって今の鎌倉の山ができたという説です。屍かばね(死体)が蔵くらをつくったので、「屍蔵かばねくら」となり、それがなまって「かまくら」になった,
●藤原鎌足かまたりが鹿島神宮へ参詣する途中、鎌倉(由井里ゆいのさと/現在の由比ガ浜)に宿泊しました。その時、霊夢を見たので持っていた鎌(鎌槍かまやり)を埋めたことが由来となる説,
●昔、鎌倉の海岸近くには蘆あしや蒲がまという植物ががたくさん生えていて、蒲がまが生えているところだから「かまくら」になったという説,
●比叡山にも鎌倉という地名があり、神倉かみくらとか神庫かみくらがなまったものと考えられている説です。ここ鎌倉にも神庫かみくらがあったので、それがなまって「かまくら」になり、鎌倉の字をあてた,
●神奈川県の中央部に、高座郡こうざぐんという地名があります。高座は、昔「たかくら」と読んでいたところから「高倉」「高麗」(こま)に通じ、高麗座(こまくら)が「かまくら」になったと言われる説,

等々があるhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14183003704https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh221.htmlhttp://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000154081による)。史料では,古事記(712年)に,

鎌倉之別(かまくらのわけ),

と出て, 綾瀬市の宮久保遺跡から出土した天平五年(733年)銘の木簡に,

鎌倉郡鎌倉里,

と墨で書かれている(仝上),という。普通に考えると,

神+座,

カミクラの転訛というところだろう(日本語源広辞典,碩鼠漫筆他)。

「鎌倉には縄文時代から弥生時代にかけての遺跡もあり、杉本寺、長谷寺、甘縄神明神社のように創建を奈良時代と伝える社寺も存在する。また、万葉集にも登場し、三浦半島から房総半島へ抜ける古代の東海道が通っていた」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89),

隣がタカクラ(高座)であるから,カミクラ(上座)の訛か(日本古語大辞典=松岡静雄),

と,神に関わるとみたい。アイヌ語,

Kamaは跨ぐ・歪める,kuraは山の意で,跨ぐ山。または歪む山の義(アイヌ語よりみたる日本地名研究=バチュラー),

も捨てがたいが。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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かまど


「かまど」は,

竈,
竃,

と当てる。「竈(竈)」(ソウ)の字は,

「会意。『穴+土+黽(ソウ 細長い蛇)』。土できずいて,細長い煙穴を通すことを示す」

とあり,「焦(こげる)・燥(ソウ 火が盛んに燃える)などという同系」ともある。

かまど,
かまどの神,

の意である。「かまど」は,

「日本では古墳時代中期ごろの竪穴(たてあな)住居跡に竈の施設が見られ,以後,奈良・平安時代を通じ長く用いられてきた。西日本では竈形土器と呼ばれる半円形の焚口のある土師器(はじき)が発見されている。竈は清潔にしておくべきもので,火が汚れると竈神が不幸をもたらすと信じられ,別棟(むね)に竈をおく地方もある。」

とある(百科事典マイペディア)ほど古い。

以前,「釜の蓋」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E9%87%9C%E3%81%AE%E8%93%8B)で,「かまど(竈)」は,

竈處

で,井を井戸というのと同じ使い方らしい,と述べた。「かまど」の「ど」は,

場所を意味する語,

である(広辞苑)。つまり,

カマ(竈)ド(処),

の意である(岩波古語辞典)。「かま」は,

竈,
釜,

とも当て,

かまど,

の意であるが,

湯をわかしたりする金属製の器,

の意でもある(仝上)。岩波古語辞典は,

朝鮮語kama(釜)と同源,

とする。大言海は,「かま(竈)」を,

「気間(ケマ)の轉にて,烟気の意か」

とし,「かま(釜)」を,

「竈(かま)に載するより移れる語か。或は,竃(かま)がなへなどと云ひし略か,朝鮮語にも,釜をカマと云ふ」

とする。「かま(釜)」は,古名,

まろがなへ,

といったらしい。つまり「竈」の上に載せる金属の器の意が,そのまま「かま(竈)」となった,ということらし(允恭紀「盟神探湯(くがたち)『埿納(ウヒヂヲ)釜煮沸』(まろがなへなり)」)。

「かま(釜)」の由来を考えると,「かまど(竈)」は,

竈處,

もあるが,日本語源広辞典のいう,

カマ(釜)+處,

もあり得る。日本語源広辞典は,「カマ(釜・竈)」の語源を,三説挙げる。

説1は,「火+間」。火をたくところの意,
説2は,「カ(烟・気)+間」。煙を出すところの意,
説3は,「カ(炊しぐ)+間」。炊ぐところの意,

とである。また,

カナヘト(鼎所)の義,カナヘドコロ,
カマドノ(竈殿)の誤伝,

等々もある。しかし,「かま(釜)」「かま(竈)」同源からみれば,

竈處,

が妥当のようである。それよりは,「かまど(竈)」には,

くど,
へっつい,
へ,

という異名がある。「くど(竈)」は,

竈のうしろの煙出しの穴,

の意らしい。それが転じて,

かまど,

の意となることはあり得る。「へっつい(竈)」は,

ヘツヒ(ヘツイ)の轉,

とある(岩波古語辞典,大言海)。「へつひ」は,

竈(へ)つ霊(ヒ)の意,

であり,

竈の神,

の意である(岩波古語辞典)。「へつひ」は,

「本名ヘナリ,竈(へ)之靈(ヒ)の転,海之靈(わたつみ)の海(うみ)となりしが合法と意」

とある(大言海)。

「『つ』は「の」の意の古い格助詞、『ひ(い)』は霊威の意」

ともある(精選版 日本国語大辞典)。

ヘツヒ→ヘッツイ,

で,竈の神が, 

神霊の火を扱うかまど→かまど,

略して竈となったということになる(日本語源広辞典)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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きる


「きる」は,

切る,
斬る,
伐る,
截る,
剪る,

等々と当てる。漢字で当て分けなければ,「着る」も「切る」も区別は出来ない。

「切」は,刀にて刻みきるなり,聶而切之為膾とは,さしみ庖丁にて,さしみをつくることを云ふ。膾はさしみなり,
「斬」は,人を斬殺するなり,転じて,何物にても斬りはなすに用ふ,禮記「為宮室不斬於邱木」,
「伐」は,斬り倒すこと,詩經「伐木丁丁」,
「截」は,たつとも訓む。寸寸に断ち切るなり,
「剪」は,剪は俗字,正しくは,翦。「翦」(セン)は,そろへて切るなり,さみを翦刀と云ふ,
「斫」は,斬に同じ。ひといきに切り落す義,斫首・斫竹木の類,

と,漢字は使い分ける(字源)。「切」(漢音セツ,サイ,呉音セチ,セイ)の字は,

「会意兼形声。七は,|印の中程を―印で切り取ることを示す指事文字。切は『刀+音符七』で,刃物をぴったりと切り口に当てて切ること」

とある。「七」は切の原字である。「斬」(ザン,漢音サン,呉音セン)の字は,

「会意。『車+斤(おの)』で,車をおので切ることを示す。鋭い刃が割り込むこと」

「伐」(バツ,漢音ハツ,呉音ボチ)の字は,

「会意。『人+戈(ほこ)』で,人が刃物で物をきり開くことを示す。二つにきる,きりひらくの意を含む」

「載」(漢音セツ,呉音ゼチ)の字は,

「会意。『雀(小さいすずめ)+戈(ほこ)』で,きって小さくすることをあらわす。絶や切ときわめて近い。残(小さくきる)は載の語尾tがnに転じたものである」

「翦(剪)」(セン)の字は,

「会意兼形声。前のリを除いた部分は『止(あし)+舟』からなる会意文字で,左右の足先をそろえて前進する会意文字。前はそれに刀(刂)を加えた字で,刀で端をそろえて切ること。剪は『刀+音符前(そろえてきる)』。前が『前進』の意に専用されるようになったため,剪,翦の字がつくられてその原義を表すようになった」

とある(漢字源)。

和語「きる」は,

「物に切れ目のすじをつけてはなればなれにさせる意。転じて,一線を画して区切りをつける意。類義語タチ(断)は,細長いもの,長く続くことを中途でぷっつりと切る。」

とある(岩波古語辞典)。大言海は,「きる(切・断)」を,

「刈(か)る,伐(こ)るに通ず,段(きだ),刻(きざむ),岸,際(きは)などと語根を同じうす」

とする。「刻む」について,岩波古語辞典は,

「キザはキダ(段・分)と同根。区切りをつけて,切り分ける意」

とする。さらに,「きは(涯・際)」について,

「キリハ(切端)の約か。先が切り落されているぎりぎりの所,断崖絶壁の意が原義」

とする。「きし(岸)」は,

「断石(キリイシ)の,キリシ,キシと約略したる語ならむ。假蘆(かりいね),かりほ。新伐治(アラキリハリ),あらきりばり。明石(あかいし),あかし。出石(いづいし),いづし」

とある(大言海)。

ちなみに,「きだ(段・分)」は,

物の切れ・きざみ目を数える語,

であるが,大言海は,

「刻(きざ)つと通ず,栄螺(さざえ),さだえ。腐(くさ),くだ」

と,刻むとの関連をつける。そして「刻む」は,

「段段(きざきざ)を活用せしむ,軋軋(きしきし)をキシムと活用せしむと同じ」

とする。こうみると,

「キ(切断・分断)+る」

とする日本語源広辞典のぶっきらぼうな説は,存外無視しがたくなる。

擬態語の,

ぎざぎざ,

は,

きざきざ,

ともいい,かつては,

「『悲しみの腸(はらわた)キザキザに断つとは』(浄瑠璃『傾城酒呑童子』)のように,細かく切り刻む様子をいった。それが切り刻んだあとの状態をいうようになり,明治時代以降に語頭が濁音化して『きざぎざ』に転じた」

とある(擬音語・擬態語辞典)。

この「き」も含め,

キは(際・涯),
キし(岸),
キざし(刻),
キだ(段・分)
キざはし(刻橋),
キだはし(階),
キり(錐),

の「キ」は,切れた状態の擬態語から来ているのかもしれない。

刈る
伐(こ)る,

のka,koもkiとつながると見ることはできる。

なお,大言海は,「き」(寸)の項で,

切るの語根,

とあり,

「(万葉集,『玉刻(たまき)春』『眞割持(まきもたる)』),段(きだ)の意。食指(ひとさしゆび)の中程の二節の間にて度(はか)りたる語なるべし」

とあり,「き」が物差しの単位になっていたこともわかる。この「き(寸)」は,

「大凡,後に云ふ寸ほどなるべし」

ともある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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着る


「着る」は,

著る,

とも当てる。「着」(漢音ジャク,呉音ジャク)の字は,

著が本字,

とあり,

「会意兼形声。者は柴を燃やして,火熱をひと所に集中するさまくっつくこと。著は,『艸+印符者(つまる,集まる)』で,ひと所にくっつくの意を含む。着は俗字。箸(チョ 物をくっつけて持つはし)の原字。チャクの音の場合,俗字の着で代用する」

とある(漢字源)。別に,

「会意兼形声文字です(艸+者(者))。『並び生えた草』の象形と『台上にしばを集め積んで火をたく』象形(『多くのものを集める』の意味)から、草の繊維でつくられた衣服を集め、身に付ける、『きる』の意味と、多くのものを集め、はっきりした形に『あらわす』、『あきらかにする』を意味する『著』という漢字が成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji1004.html)ほうが分かりやすい。

「きる」は,

身に着ける,着用する,

意だが,

「『きる』は本来、衣服などを身につける意で、着物以外に袴 (はかま) ・笠・烏帽子・兜 (かぶと) ・布団・刀などについても用いられた。現代では主としてからだ全体や上半身に着用するものをいい、袴やズボンなどは『はく』、帽子や笠などは『かぶる』、刀などは『おびる』というように、どの部分につけるかによって異なる語が用いられる。」

と区別(デジタル大辞泉)し,

「現代では,袴・ズボン・靴下などは『はく』,帽子は『かぶる』,手袋は『はめる』」

と使い分ける(広辞苑)。しかし,

「下衆の紅の袴きたる」(枕草子),
「笠をきてみなみな蓮にくれにけり」(古梵),

という用例もあり,

(袴などを)はく,
(笠や烏帽子などを)かぶる,

意でもつかっていて,使い分けが厳密だったかどうか。

「もと,広く,頭から下半身まで,帽子や笠や衣服・袴類をつけることをいった。室町時代から江戸時代には,『かぶる』『かづく』『はく』が次第に『きる』の領域を侵すようになり,明治時代には,帽子や笠は専ら『かぶる』,袴は『はく』を用いることが多くなるなど,『きる』は次第にその使用領域を狭めて来た」

とあり(日本語源大辞典),「きる」と「はく」「かぶる」の使い分けは,新しいものだ。

和語「きる」の語源は,はっきりしない。しかし,

「キル(着る・本来の二音節語)」

とある(日本語源広辞典)のは,どうであろう。「きる」は,文語では上一段活用で,

き(着) き(未然形) き(連用形) きる(終止形) きる(連体形) きれ(仮定形) きろ・きよ(命令形),

と変化する。語幹は「き」である。

きもの(着物),
きぬ(衣),
きぬいた(衣板・砧),

等々「きるものの」頭に付く。

「き」の語源については,

キはツキ(付)の義(言元梯),
キはキヌ(衣)の下略。ルは用いる意か(和句解),
コロモ(衣)のコの轉キの動詞化(国語の語根とその分類=大島正健),
カクル(被)の義(名言通),

と諸説あるが,「きぬ」は,

「絹の意。それゆえ,衣服の意の場合も,布地として柔らかい感触,すれあう音などを,感覚的に賞美する気持ちで使われる傾向がある。類義語コロモは,モ(裳)が原義で,身にをつつみまとうことに重点があり,衣服としての意味に重きをおいて使われる」

とある(岩波古語辞典)。大言海は,「きぬ」は,

「着布(きぬの)の略」

とし,「き」を前提にしている。「ころも」は,

きるもの(服物・着物)の義(日本釈名・名言通・和訓栞・柴門和語類集),
キルモ(着裳)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄),
クルムモ(包裳)の意(国語の語根とその分類=大島正健),

と,その語源は,「き」を前提にしてしか成り立たない。敢えて言えば,この中で,「くるむ」に着目するなら,

ku→ki,

という音韻変化が可能なら,「くるむ」が,

kurumu→kuru→kiru

と転訛することはあるだろうか。臆説である。

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つつむ


「つつむ」は,

包む,
裹む,

と当てるが,「包む」は,

くるむ,

とも訓ませる。「包」(漢音ホウ,呉音ヒョウ)の字は,

「象形。からだのできかけた胎児(巳)を,子宮膜の中につつんで身ごもるさまを描いたもの。胞(子宮でつつんだ胎児)の原字」

とある(漢字源)。

「会意兼形声文字です(己(巳)+勹)。『人が腕を伸ばしてかかえ込んでいる』象形と『胎児』の象形から、『つつむ』を意味する『包』という漢字が成り立ちました。」

ともある(https://okjiten.jp/kanji672.html)。「巳」(漢音シ,呉音ジ)は,

「象形。原字は,頭とからだができかけた胎児を描いたもの。包(ホウ 胎児をつつむさま)の中と同じ。種子の胎のできはじめる六月。十二進法の六番目に当てられてから,原義は忘れられた」

とある(漢字源)。「裹」(カ)の字は,

「会意兼形声。『衣+音符果(丸い実)』で,まるく,そとから布でつつむ意」

しかし,「裹」は,

くるむ,

とは訓ませない。

和語「つつむ」は,

「ツツはツト(苞)と同根」

とある(岩波古語辞典)。「苞」は,

「ツツミ(包)のツツと同根。包んだものの意」

である(仝上)。「苞」とは,

藁などを束ねて、その中に食品を包んだもの,

で,藁苞(わらづと)がおなじみである。

荒巻き,

などともいう。

「〈包む〉という語は〈苞(つと)〉と語源を同じくするが,〈苞〉とはわらなどを束ねてその両端を縛り,中間部で物をくるむもの(藁苞(わらづと))であり,後には贈物や土産品の意味(家苞(いえづと))にも使われるようになった。」

ともある(世界大百科事典 第2版)。

大言海は,

「詰め詰むの略,約(つづ)むに通ず」

とする。「約(つづ)む」は,

「詰め詰むるの略,ちぢむ(縮)と通ず」

といある。「つづむ」は,

縮(ちぢ)める,

意なので当然といえば当然だが。「ちぢむ」は,

しじむ,

の転ある(岩波古語辞典)。「しじむ」は,

蹙む,

とも当て,「顰蹙」の「蹙」である。

ちぢむ,

意で,

しかめる,

意である。他にも,

乱れないようにツヅメル(約)の意(日本語源=賀茂百樹),
ツム(詰む)から(国語溯原=大矢徹),

と,「つづめる」「詰む」に関わらせる説は多い。しかし,「つつむ」を「縮める」とするのは,ちょっとずれている気がする。むしろ,「苞」との関連の方が,「つつむ」の語感にはあうのではないか。

日本語源広辞典は,

「ツツム(包・裹・障)で,隠して見えなくするのが語源です。とりかこむ,おおって入れる,広げた布の中に入れて結ぶなどは,後に派生したか」

とする。語源の説明になっていないが,語感はこんな感じである。

tuto→tutu,
あるいは,
tutu→tuto,

の転訛はあり得るのではないか。大言海は,「苞」の項で,

包(つつ)の転,

とする。そして,「つつ」で連想する,

筒(つつ),

の項で,矛盾するように,

包む意ならむ,

という。とすると,

tutu→tuto,

だけでなく,

tutu→tutumu,

と,「つつ」を活用させたとみることもできる。いずれも,

物をおおって中に入れる,

意(「つつむ」の意味)である。「つつむ」は,「苞(つと)」と同根であり,「筒(つつ)」ともつながるとすれば,「つつむ」は,

「苞」

「筒」

の動詞化なのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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くるむ


「つつむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%82%80)で触れたように,「つつむ」に当てる,

包む,

は,

くるむ,

とも訓ませる。しかし,「つつむ」と「くるむ」は意味が違う。「つつむ」は,

物をおおって中に入れる,

意だが,「くるむ」は,

包みまきこむ,

(広辞苑)で,結果としては,外から覆うことに変わりはないが,そのプロセスが異なる。

巻いて中に包み込む,

ともあり(岩波古語辞典),「苞」と同源とされる「包む」とは,微妙に異なる。「つつむ」は,

大きな布・紙などで全体を覆って中にいれる,

であり,「何々つつみ」という使い方で,上包み,紙包み,茣座(ござ)包み,薦(こも)包み,袱紗(ふくさ)包み,風呂敷包み,藁(わら)包み等々と使う。「くるむ」は,

巻くようにして物をつつむ,

で,例えば,「くくみ」というと,

「赤ん坊を抱くとき,着衣の上からくるんで防寒・保温などのために用いるもの。多くはかいまきに似て,袖(そで)がない。おくるみ,くるみぶとん」

というようにぐるっと巻く感覚がある。だから,

何々ぐるみ(包み),

という使い方で,

家族包み,
身包(ぐる)み,

というとき,

そのものを含んですべて、そのものをひっくるめて全部などの意を表す,

似ているようで,

家族つつみ,
身つつみ,

という言い方をしないのは,「つつむ」は,

全体を覆う,

ところに含意があり,「くるむ」は,

丸ごと包み込む,

という含意のように思われる。大言海に,

「回転(くるくる)のクルの活用,刻々(きざきざ),刻む」

とし,

包括,

の意を載せる。「くるむ」の転じた「くるめる」は,

巻き包む,

意もあるが,

ひとつにまとめる,

意が強まり,「言いくるめる」というように,

丸め込む,

意が派生する。日本語源広辞典も,

「くるくる(擬態語)+む(動詞語尾)」

と「くるくる」語源説を採る。

くるくると包み込む,

意である。擬態語「くるくる」は,

「平安時代から見られる語で,奈良時代には『くるる』といった」

とあり(擬音語・擬態語辞典),「くるる」は,

「乎謀苦留々尓(をもくるるに)」(書紀),

と「くるるに」と使われている(岩波古語辞典)。

「くるむ」が,巻く動作のニュアンスの翳を引きずっているはずである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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濡れ衣


「濡れ衣(ぬれぎぬ)」は,

沾衣,

とも当てる。「沾」(テン,チョウ)の字は,

「会意兼形声。『水+音符占(しめる)』で,ひと所に定着する意を含む」

とあるが,「うるおう」「水でぬらす」意で,「濡」に代えている。「濡」(漢音ジュ,呉音ニュウ)は,

「会意兼形声。需(ジュ)は『雨+而(やわらかいひげ)』の会意文字で,雨のつゆにぬれて垂れたひげのように柔らかいこと。のち須(ねばって待つ)に当て,需用(待ち求める)の意に用いる。濡は『水+音符需』で,需の原義(ぬれて柔らかい)を示す」

とある(漢字源)。「濡れ衣」は,文字通り,

濡れた着物,

の意である。それが,

根も葉もない浮名やうわさ(「憎からぬ人ゆゑは,濡れ衣をだに着まほしがる類もあなればにや」源氏),

無実の罪(「かきくらしことはふらなむ春雨に濡れ衣着せて君をとどめむ」古今)

と,意味が変化した。ついには,

濡れ衣を着る,
濡れ衣を着せる,

と,無実の罪を着せる成句にまでなる。このためか,

濡れ衣(ころも),

も,

濡れた衣,

の意と同時に,

無実の浮き名,無実の罪 (「のがるとも誰か着ざらむぬれごろも天の下にし住まむかぎりはろ」大和 ),

の意をもつに至る。

この意味の変化の由来には,さまざまに付会の説がある。たとえば,語源由来辞典は,

●継母が先妻の娘の美しさを妬み、漁師の濡れた衣を寝ている娘の枕元に置いたため、 漁師との関係を誤解した父が、娘を殺してしまったという昔話説,
●海人(あま)は皆 濡れ衣を着ており、水中に潜ることを「かずく(潜く)」、損害や責任を他人に負わせることを「かずける(被ける)」というところから「かずく(潜く)」と「かずく(被く)」を掛けたとする説,
●濡れた衣が早く乾けば無罪、乾かなければ有罪とする、神の意志を受ける裁判がかつて存在したと考え、その神事に由来する説,
●「無実」という語は、「実が無い」と書くことか、「みのない」が「蓑無い」となり、雨具として使われた蓑が無いと衣が濡れるため、「無実」を「濡れ衣」と呼ぶようになったとする説,

を上げ,先妻の娘説を有力とする。しかし,かずけるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/460610794.htmlは,触れたように,

「潜る」意の「かづく」から転じて,「被る」意の「被く」となった,

ので,明らかに,意味の転換後にこじつけた説とみていい。

あるいは,古今集の,前述の歌,

古今集の,かきくらし ことはふらなむ 春の雨に 濡衣きせて 君をとどめむ

を語源とし,

「愛する人を引き留めるために春雨によって衣が濡れてしまうから帰らないで欲しいと、春雨に罪を着せたことから、濡れ衣=罪を着せるになった」

とする説まである(https://99bako.com/11.html)。むしろ逆で,「濡れ衣」の意味の転化があったからこそ,この歌に意味があるのではないか。さらには,

三途の川の懸衣翁・奪衣婆に由来するという説,

まである(https://mag.japaaan.com/archives/86485/2)。「懸衣翁・奪衣婆」とは,

「三途川には十王の配下に位置づけられる懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。この2人の係員のうち奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象となり、祀るための像や堂が造られたり、地獄絵の一部などに描かれたりした」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D)。奪衣婆(だつえば)が服を剥がし,懸衣翁(けんえのう)は,それを木の枝に懸(か)ける。衣の懸けられた木の枝は、衣の重さによって垂れ下がる。その重さこそ罪の重さであり、閻魔様より下される刑罰に影響する。「衣が濡れていると、それだけ罪が重くなる」。で,濡れ衣を着せられると、潔白な者でも無実の罪で罰せられるhttps://mag.japaaan.com/archives/86485/3),というのだという。ちょっと付会に過ぎ,無理筋のように思う。

語源はどうも定かではないが,日本語源広辞典が

「濡れた衣が乾きにくい意です。まま母が先妻の娘の美しさに嫉妬して,漁師の塩で濡れた着物を寝所に置き,漁師の恋人がいると告げ口した故事もあります。古くからの比喩的用法で,故事は後の成立のようです。平安時代以降,無実の罪の意に使われるようになりました」

というように,いずれも付会に過ぎる。最も有力とされる先妻の娘説には,濡衣塚(ぬれぎぬづか)」まであるらしい,詳しいことは譲る(https://99bako.com/11.html)が,これも,

濡れ衣,

という言葉が既にあったからこそ意味のある故事で,なにも濡れ衣を着せるのに,濡れた漁師の衣である必要はない。

大言海は,万葉集の,

あぶり乾す 人もあれやも 沾衣を 家にはやらひ 旅のしるしに,

を載せる。

朝霧に 濡れにし衣 干さずして ひとりか君が 山道越ゆらむ,

も,ただの「濡れた衣」の意でしかない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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濡れ手で粟


「濡れ手」とは,

水に濡れた手,

の意だが,「濡れ手で粟」とは,

濡れ手で粟のつかみ取り,

を略したもので,

労せずして利益を得ること,

の喩えとして使われる。

濡手に粟,
濡手で粟のぶったくり,
濡れ手で粟の掴み取り,
濡れた尻で粟に居る,
濡れ手でこぬかつかむ,

等々という言い方もする。

一攫千金,

の意である。

濡れた手で粟をつかむと,粟粒がいっぱいくっついて沢山つかめることから,

そういうらしい。この「濡れ手で粟」を,

濡れ手に粟,

という言い方をすることについて,

「本来,自ら濡れた手で粟を摑むものであり,偶然,手が濡れていて沢山摑めたという,『棚から牡丹餅』のような意味ではない」

とする(語源由来辞典)説もあるが,付会ではあるまいか,岩波古語辞典は,

濡れ手での粟,

とするし,日本語源広辞典は,

濡れ手に粟,

とする。「に」の方が,しかし,一攫千金の含意が強まる。

濡れ手にて抹雪(あわゆき)をつかむ,

という言い方もある。「に」「で」「での」の区別に大きな意味を見るべきではあるまい。「で」は,

助詞ニとテの接合してつづまったもの,

とあり(岩波古語辞典,広辞苑),この場合,

手段,方法,道具,材料を示す,〜でもって,

の意である。「に」は,

動作,作用のある所,方角,を指定する,

の意である(広辞苑)。「に」と「で」の差はほとんどないのではあるまいか。敢えて言えば,

濡れ手で粟をつかむ,

が主体的なら,

濡れ手に粟をつかむ,

は,より偶然性が強まる含意だが,

濡れ手にて粟をつかむ,

と並べてみるなら,

濡れ手にて粟をつかむ→濡れ手で粟をつかむ→濡れ手に粟をつかむ,

とより偶然性が強まる感じである。個人的には,「濡れ手に粟をつかむ」の,意志と偶然のないまぜの感じがより出ていると感じられる。歌舞伎の『三人吉三巴白浪』では,

竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両,

という台詞がある。棚ぼたの含意が一杯である。これを,「濡れ手に粟」と代えても,差はあるまい。

しかし,それにしても,なぜ粟なのだろう。

「濡れた手で粟の実(あわのみ)をつかむとたくさんつかめる、というものです。粟の粒はとても小さいので、手でつかむ場合には乾いた手よりも濡れた手の方が粟の粒がくっつきやすくなり、容易にたくさんつかむことができます。」

と(https://biyori.shizensyokuhin.jp/articles/424)は,しかしかなりしょぼい。というか,いじましい。なぜ,

濡れ手で砂金,

とまでいかなくても,

濡れ手で米,

でないのだろう。まあ,米が常食でなかったのだとしても,だからこそ,

濡れ手で米,

の語感が増すのではないか。

「なお、『濡れ手で粟』とほぼ同じ意味の言葉に『一攫千金(いっかくせんきん)』があるが、いくらつかみ放題でも、『粟』なんかより『千金』のほうがはるかにうれしいことはいうまでもない」

はずなんだ(笑える国語辞典)が。それだけ,かつてわが国は貧しかったということなのかもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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たなばた


「たなばた」は,

七夕,
棚機,

と当てる(広辞苑)。「七夕」は,五節句,

人日(じんじつ)(正月7日),
上巳(じょうし)(3月3日),
端午(たんご)(5月5日),
七夕(しちせき)(7月7日),
重陽(ちょうよう)(9月9日),

の一つ,

七夕(しちせき)(7月7日),

の意である。「節」は,

「唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。暦の中で奇数の重なる日を取り出して(奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われたことから)、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まりました。この中国の暦法と、日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり『節句』といわれるようになった」

とある(日本文化いろは事典)。「五節句」の制度は明治6年に廃止された。

「棚機」とは,

棚すなわち横板のついた織機,

の意(広辞苑)で,また,

たなばたつめ(棚機津女),

の略でもある。「棚機津女(たなばたつめ)」とは,

はたを織る女,

の意だが,万葉集に,

我が爲と織女(たなばたつめ)のその屋戸に織る白布(たへ)は織りてけむかも,
棚機の五百機立て織る布の秋去り布誰れか取り見む,

という織女(たなばたつめ)の意の他に,既に,万葉集に,

牽牛(ひこぼし)は織女(たなばたつめ)と今宵遭ふ天の河戸に波たつなゆめ,

と,棚機津女と織女とつなげた歌がある。しかし「棚機津女」の由来ははっきりしない。たとえば,

「棚機津女として選ばれた女性は7月6日に水辺の機屋(はたや)に入り、機を織りながら神の訪れを待ちます。そのとき織り上がった織物は神が着る衣であり、その夜、女性は神の妻となって身ごもり女性自身も神になります。」

等々(https://matome.naver.jp/odai/2143995744843228801)に類似した説明がなされるが,これでは何のことかわからない。正確には,どうやら,

「古来盆と暮れの二期をもって“魂迎え”の時期と信じ,この時期に海または山の彼方から来臨する常世の神ないし祖霊を迎えるべく,村はずれの海や川,湖沼の入りこんだようなところの水辺にさしかけ造りにした,古く棚と呼ばれた祭壇を設け,そこで神の衣を機織る神の嫁としてのおとめが,『棚機津女』と呼ばれた“水の女”たちなのであった」

ということらしい(日本伝奇伝説大辞典)。日本語源大辞典には,

「『たな』は水の上にかけだした棚の意とする説が有力。折口信夫は『たなばた供養』の中で,『古代には,遠来のまれびと神を迎へ申すとて,海岸に棚作りして,特に択ばれた処女が,機を織り乍ら待って居るのが,祭りに先立つ儀礼だったのである。此風広くまた久しく行はれた後,殆,忘れはてたであらうが,長い習慣のなごりは,伝説となって残って行った。其が,外来の七夕の星神の信仰と結びついたのである』と述べ,『古事記』に見える『おとたちばな』にそのなごりを認めている」

とある。この「棚機津女」は,今日の「七夕」との関係は直接にはない。今日の「七夕」は,

「中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95

「七夕の行事は、中国から伝来し奈良時代に広まった『牽牛星(けんぎゅうせい)』と『織女星( しょくじょ)』の伝説と,手芸や芸能の上達を祈願する中国の習俗『乞巧奠(きつこうでん)』が結び付けられ,日本固有の行事になった」(語源由来辞典)

とある。

織女と牽牛の伝説は,まず,

「『文選』の中の漢の時代に編纂された『古詩十九首』が文献として初出とされている」(仝上)

が,7月7日との関わりは明らかではないとされる。古詩十九首とは,

古詩十九首之十、迢迢牽牛星(無名氏),

で,

迢迢牽牛星  皎皎河漢女
繊繊擢素手  札札弄機杼
終日不成章  泣涕零如雨
河漢清且浅  相去復幾許
盈盈一水間  脈脈不得語

とある(https://syulan.hatenadiary.org/entry/20070707/p1),

盈盈として一水が間(へだ)てれば,脈脈として語るを得ず,

と両者が河を挟んで離れているというだけのことしかない。次いで,

「『西京雑記』には、前漢の采女が七月七日に七針に糸を通すという乞巧奠の風習」

が記されている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95#cite_note-2)。

「乞巧奠(きこうでん)」は,「きっこうでん」ともいい,

「中国における七夕行事。乞巧とは牽牛・織女の2星に裁縫技芸の上達を祈り,奠とは物を供えて祭る意。唐代では飾りたてた櫓(やぐら)を庭に立て乞巧楼といった」

とある(百科事典マイペディア),七夕祭の原型である。そして,隋の統一前の,

「南北朝時代(439〜589年)の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説が関連づけられている」

とある(仝上)。ここで,乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説がつながる。現在の七夕説話の原型は,

「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)

であり,六朝・梁代(502〜557年)の殷芸(いんうん)の『小説』である(仝上)。これが中国から伝わり,棚機(たなばた)津女の信仰と結合して,女子が機織(はたおり)など手芸上達を願う祭になった,とされる。

「持統(じとう)天皇(在位686〜697)のころから行われたことは明らかである。平安時代には、宮中をはじめ貴族の家でも行われた。宮中では清涼殿の庭に机を置き、灯明を立てて供物を供え、終夜香をたき、天皇は庭の倚子(いし)に出御し、二星会合を祈ったという。貴族の邸(やしき)では、二星会合と裁縫や詩歌、染織など、技芸が巧みになるようにとの願いを梶(かじ)の葉に書きとどめたことなども『平家物語』にみえる」

ともある(日本大百科全書)。しかし,

「『万葉集』では大伴一族などこの日の晩酒宴を催し,天の川を挟んで輝く夫婦星を眺めながら和歌を詠み合い,また平安期では清少納言も,『七月七日は,曇りくらして,夕方は晴れたる空に,月いと明く星の数も見えたる』と『枕草子』に書きしるしている。これら万葉びとや,王朝貴族たちの七夕祭りは,中国伝来の『乞巧奠』(裁縫や染色などの手わざを巧といい,その上達を祈る祭り)という星祭りの伝説に倣うものであった」

とある(日本伝奇伝説大辞典)。この段階では,ただ輸入した「乞巧奠」を真似ていただけになる。一方,

「民間における七夕の祭りは,中国式の七夕伝説とは異なり,必ずしも星祭とか,手わざを祈るばかりの行事ではなかった」

という(仝上)。

たなばた雨,

という言葉が残り,

「わらでつくった『七夕人形』や,あるいは七夕竹を立て,提灯を吊るし,注連縄を張った飾り物を乗せた『七夕舟』を歌を海に流す,それも前日の夜に立てて,七日の早朝に流す」

などと(仝上)いうように,

「わが国本来のたなばた祭りとは,夏と秋との季節の行き合う時期に行なわれる季節祭りなのであり,(中略)夏が終わって秋が始まろうとする季節の交差期に,禊をして身に付いた罪穢れを洗い流して新しい生活に入ろうとする信仰にもとづいており,(中略)ことに七夕の場合は盆という大きな祖霊祭を控えての,重要な禊ぎ祓えの行事でもあった。それも上弦の月の出る七日の夕べは,望月十五夜の祖霊祭の行なわれる潔斎の最初の日でもあったわけである」。

「たなばた」が, 

「七月七日の夜を意味する『七夕』の字をもって“たなばた”としたのは,我が国固有の『棚機津女』の信仰に基づくものであった」

と(仝上),「棚機津女」の流れとつながっていることは明らかである。

日本語源広辞典は,「たなばた」の語源を三説にまとめる。

説1は,「田+な+端」。水田付近での,水祭り,盆の精霊送りの意,
説2は,折口信夫の,海岸に「神を迎える棚を作って,特に選ばれた処女が機を織って待った」民俗伝承起源,
説3は,「苗代の種播(タネバタ)」説,

やはり,古さから言っても,季節の交差期の禊と祓いからいっても,折口信夫説が説得力がある。

「七夕」の行事は,

「『夜明けの晩』(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。」

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95)。この神事は,「棚機」より「乞巧奠(きこうでん)」の流れが強いように思える。村々で行われていた「棚機」よりは,「乞巧奠(きこうでん)」の物真似が土着化した,といったほうがいいのかもしれない。言葉だけ,「棚機」の「たなばた」を,「七夕」に当てたように見える。

ともかく,今日のような七夕祭になったのは江戸時代である。短冊に願い事を書き笹に飾る風習は,

「夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95#cite_note-2)し,

「手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子が増えたことから、星に上達を願うようになったのです。本来はサトイモの葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨で文字を綴って手習い事の上達を願います。サトイモの葉は神からさずかった天の水を受ける傘の役目をしていたと考えられているため、その水で墨をすると文字も上達するといわれているからです」

ともある(http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/gosekku/tanabata/)。笹を使うのは,

「笹竹には、神迎えや依りついた災厄を水に流す役目」

があった(http://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/gosekku/tanabata/)し,

「笹には冬場でも青々としている事から生命力が高く邪気を払う植物として向かしから大事にされてきました。 また虫などをよける効果もあり、当時の稲作のときには笹をつかて虫除けをしていたこと」

も関わる(http://www.iwaiseika.com/column/77.html)とみられる。ここには,土俗の「棚機」の習性が引き継がれている。

なお,江戸時代には,

七夕客,

とたまにしか来ない客を,遊里で揶揄した言葉がある程「七夕」が一般化したが,この使い方はもともとの話に近いと見られる。

「中国の漢詩文では,女性が男性のもとに『嫁入り』する婚姻形態を反映して,織女が天の川を渡って牽牛に合いに行くのが一般的であった。しかし古代日本では,男性が女性のもとに通う形が一般的であったため,『万葉集』の七夕を題材にした歌には,渡河の主体を中国の伝統にならって織女とするものと,日本の習俗にひかれて牽牛とするものとが混在している。牽牛(彦星)が渡河し,織女がその訪れを待つという日本的な逢瀬の形に定着するのは中古にはいってからである」

という(日本語源大辞典)。

参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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濡れ鼠


「濡れ鼠」は,

水に濡れた鼠,

の意だが,転じて,

衣服を着たまま全身水に濡れたさまのたとえ,

とある(広辞苑)。室町末期の日葡辞書にも,

「ヌレタネズミノヤウニナッタ」

と載る。しかし,なぜ鼠なのだろう。

「『濡れ鼠』は、ぬれたネズミの毛が、体にはりついてみすぼらしく見えるところから、衣服が体にぴったり付くくらい全身ぬれることをいう。」

とある(類語例解辞典)。それでもなぜ,その喩えに,鼠なのか。「濡れ鼠」の意味の中に,

「水に濡れた鼠のように、衣服を着たまま全身がずぶ濡れになること」

という説明がある(デジタル大辞泉)。とすると,濡れた鼠の恰好が,そう喩えさせるものがあることになる。

「水に濡れた鼠を覧になった事有りますか?ビショん、ビショん、毛が油こく無くてとにかく水切れ(水ハケ)が非常に悪い体質みたいですねえ見るも哀れって感じですよ。」

という説明があったhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211761402。どうやら,こういう濡れた鼠像が背景にあるように思われる。それには理由があるのだろうが,

「ネズミのヒゲは、周囲の振動や障害物を敏感に察知して、すばやくその場から避難して身を守ることができるようになっています。(中略)ネズミの体毛もヒゲと同様に周囲の状況をすばやく感知する役目を果たしています。周囲の振動や障害物を体毛で感知してすばやくその場から退避したり、逆にエサを上手にキャッチすることができる役目を担っているといえます。」

という体毛の特色と関係あるのかもしれない。

「一般に集落の形成期にはハタネズミ・アカネズミなどの野ネズミが多く出土し、集落の成長に伴い人家の周辺に生息するドブネズミが出現し、さらに集落が衰退すると再び野ネズミが増加するという。唐古・鍵遺跡における出土事例から、弥生時代には稲作農耕の開始に伴い渡来したとする説がある。従来、日本列島へのネズミの渡来は飛鳥時代に遣唐使の往来に伴い渡来したとする説や江戸時代に至って渡来したとする説もあったが、唐古・鍵遺跡の事例により、これを遡って弥生時代には渡来していたと考えられている」

とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F),稲と共に渡来したものらしい。

さて,では「ねずみ」の語源は何か。「鼠」(ソ,ショ)の字は,

「象形。ねずみの姿を描いたもの。庶(ショ 数多い)と同系で,数多く増えることに着目した名称」

とある(漢字源)。別に,

「象形文字です。『歯をむき出し、尾の長いねずみ』の象形から『ねずみ』を意味する『鼠』という漢字が成り立ちました」

ともある(https://okjiten.jp/kanji2918.html)。

和語「ねずみ」の語原は,諸説ある。大言海は,

「根棲(ネスミ)にて,穴居の義。或は云ふ,穴住の転と」

と,「根棲(住)」説を採る。日本語源広辞典も,

「『ネ(根)+住み』です。家の暗い陰の所に好んで住み着く」

からとする。この「根棲」は,

「根之堅州國(黄泉の国のこと)を訪れた大国主命が,危ういところをネズミに助けてもらったという話が『古事記』にあり,上代では『根棲み』と考えられとていたととは考慮すべきであるが,ここでの『根』は『根元』ではなく『陰所』を表していることから,棲みかを語源とするならば,『ね(隠れた所)+『棲み』とすべきであろう』

とある(語源由来辞典)ところに由来する。これについては,日本語源大辞典が,こう指摘している。

「語源ははっきりしないが,須佐之男の住む『根国(ねのくに)』を訪れた大國主命が危ういところをネズミに助けてもらったという『古事記』の記事は,上代人がネズミを『根棲み』と考えていたことを窺わせる面がある。ちなみに,ネズミが大黒天(大國主命と同一視された)の使いとされるのもこの神話による」

と。といって,

ネズミ(根住・根棲)の義(菊池俗語考・日本語原学=林甕臣・大言海),
ネは幽陰の所をいう。スミは栖の義(東雅),
陰所にスム意(日本声母伝),

等々の「根棲」説が有力なのではなさそうである。他にも,

アナズミ(穴住)の略轉(言元梯・天野政徳随筆・日本古語大辞典=松岡静雄),
夜もすがらイネズあるものの意(隣女唔言),
不寝部の義。ミはノミ(蚤)・セミ(蟬)のミと同じで,物の多いことをいうムラの転(俚言集覧),
人が寝た後に出るところからネイツミ(寝出見)の義(名言通),
人がネ(寝)スンだ後に出るところからか(和訓栞),

等々あるが,語源由来辞典が有力とするのが,

「ネズミの語源で有力な説は,『ぬすみ(盗み)』の転で,人間の周囲にいて食糧を盗む生き物であり,古く倉庫は鼠返しを立てて侵入を防いでいたことからも考えられる」

と,

寝ている間に盗みをする動物であることから(日本釈名・和訓栞),

という,ヌスム→ネズミ転訛説だ。日本語の語源も,

「食べ物をヌスム(盗む)毛物がネズミである」

とする。英語のmouseも盗みに由来することもついでに主張される。類説に, 

人が寝ている間に食べ物を盗むとするものです。 ねぬすみ → ねすみ → ねずみ と転訛,

という寝盗み説もある。しかし,由来の古さから見て,

ネスミ(根住・根棲),

なのではあるまいか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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濡れる


「濡れる」は,

ぬれる(ぬる),

と訓ませるが,

うるお(ほ)す,

とも訓ませる。「うるお(ほ)す」は,

潤す,

とも当てる。「濡」(漢音ジュ,呉音ニュウ)は,

「会意兼形声。需(ジュ)は『雨+而(やわらかいひげ)』の会意文字で,雨のつゆにぬれて垂れたひげのように柔らかいこと。のち須(ねばって待つ)に当て,需用(待ち求める)の意に用いる。濡は『水+音符需』で,需の原義(ぬれて柔らかい)を示す」

とある(漢字源)が,

「会意兼形声文字です(氵(水)+需)。『流れる水』の象形と『雲から雨がしたたり落ちる象形とひげの象形(「ひげをはやした巫女(みこ-神に仕える女性)」の意味)』(『雨ごいする巫女』、『求める』の意味)から、雨ごいをして『うるおう』を意味する『濡』という漢字が成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji2567.html)方が,「うるおう」意も説明できている

「潤」(漢音ジュン,呉音ニン)は,

「会意兼形声。閏(ジュン)は,『門+王』の会意文字で,暦からはみ出た『うるう』のとき,王が門内にとじこもって静養するさまを示す。じわじわと暦の計算の外にはみ出てきた日や月のこと。潤は『水+音符閏』で,じわじわとしみ出て,余分にはみ出る水のこと」

とある(漢字源)が,

「会意兼形声文字です(氵(水)+閏)。『流れる水』の象形(『水』の意味)と『左右両開きになる戸の象形と3つの玉を縦ひもで貫き通した象形(「宝石」の意味)』(門内に財貨があふれ『家がうるおう』の意味)から、『(水気を含んで)うるおう』を意味する『潤』という漢字が成り立ちました」

の方(https://okjiten.jp/kanji1491.html)が意味に近い気がする。「濡」と「潤」の使い分けは,

「潤」は,うるほひなり。つやのある義。澤(つや)なり。「河潤九里」は,河川のほとり,九里の間をしめるに非ずして,其の邊の草木皆水気のうるほひを受るなり。「富潤屋,徳潤身」も,皆つやある義,
「濡」は,沾と略々同じ。唐書張旭傳「旭大酔,以頭濡墨而書」。「沾」は,水のかかりてしっぽりとぬるること。霑と同字なり。史記「汗出沾背」,同書「置酒而大雨,陛盾者皆沾寒」,

とある(字源)。

「ぬれる」と「うるほひ」とは,全く別なので,本来,「濡」を「うるほひ」と訓ませるのは,間違いかもしれない。

「ぬれる」は,

物の表面にたっぷり水分がつく,水などかかかってしみこむ,

意で,それをメタファに,

男女が情交する,

意に転じさせたのは,江戸時代のようである。

濡れ場,
濡れ事,

等々その意に転じた言葉が江戸語大辞典には氾濫する。

「濡れる」の文語「潤(ぬ)る」について,岩波古語辞典は,

「塗ると同根か」

とし,

「湯・水・涙など水分が物の表面につくい。類義語ヒツ(漬・沾)は,物がとっぷり水につかる意」

とする。しかし日本語源広辞典は,「塗る」は,

「ヌ(ナヅの約)+ル」

とする。「ぬる」と「ぬれる」では語感が違い過ぎ,たしかに,

撫ぜる,

の方が,「塗る」語感と近い気がする。しかし「なづ(撫)」は,

ナダラカ・ナダメ(宥)と同根(岩波古語辞典),
長閑(のどか)のノドの活用(大言海),

と,これも持っている語感と違うように思える。

「ぬれる」の語源には,

ヌメル(滑)の義(名言通),
ヌラヌラになることをいうところから(日本語源=賀茂百樹),
ヌリ(塗)から出た語(和句解),
ヌイル(泥入る)の義(言元梯),

等々あるが,はっきりしない。「ぬらぬら」は,

物の表面に油や粘液が付いて光沢を帯び,つかむと滑る様子,

とある(擬音語・擬態語辞典)。さらに,

「『ぬらぬら』は視覚的に滑りそうな光沢を帯びた様子も含めていうが,『ぬるぬる』は触れて滑る感じのみをい」

うともある(仝上)。確定的なことは分からないが,「ぬ(れ)る」は,

塗る,
撫でる,
ぬらぬら,

等々と照らしているが,むしろ,

泥む,

の感覚と近いのではないか。「なずむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%AA%E3%81%9A%E3%82%80)で触れたように,岩波古語辞典には,「なづみ」の項で,

「ナヅサヒと同根。水・雪・草などに足腰を取られて,先へ進むのに難渋する意。転じて,ひとつことにかかずらう意」

とある。「ナヅサヒ」を見ると,「ナヅミ」と同根とあって,

水に浸る,漂う,
(水に浸るように)相手に馴れまつわる,

とある。「なづさひ」は,「ぬれる」と同義である。この「なづ」は,

撫でる,
塗る,

の,「na」「nu」と重なってくる。この辺りに,「濡れる」の「nu」もつながるのではないか,とすれば,岩波古語辞典の,

「塗ると同根」

は,語源としては至当なのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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うるおう


うるおう(うるほふ)は,

潤う,
霑う,

等々とあてる。「潤」の字は,「濡れる」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%BF%A1%E3%82%8C%E3%82%8Bで触れた通り,「潤」(漢音ジュン,呉音ニン)は,

「会意兼形声。閏(ジュン)は,『門+王』の会意文字で,暦からはみ出た『うるう』のとき,王が門内にとじこもって静養するさまを示す。じわじわと暦の計算の外にはみ出てきた日や月のこと。潤は『水+音符閏』で,じわじわとしみ出て,余分にはみ出る水のこと」

とある(漢字源)が,

「会意兼形声文字です(氵(水)+閏)。『流れる水』の象形(『水』の意味)と『左右両開きになる戸の象形と3つの玉を縦ひもで貫き通した象形(「宝石」の意味)』(門内に財貨があふれ『家がうるおう』の意味)から、『(水気を含んで)うるおう』を意味する『潤』という漢字が成り立ちました」

の方(https://okjiten.jp/kanji1491.html)が意味に近い気がする。「潤」と「霑」の使い分けは,

「潤」は,うるほひなり。つやのある義。澤(つや)なり。「河潤九里」は,河川のほとり,九里の間をしめるに非ずして,其の邊の草木皆水気のうるほひを受るなり。「富潤屋,徳潤身」も,皆つやある義,
「霑」は,沾と同字。「沾」は,水のかかりてしっぽりとぬるること。霑と同字なり。史記「汗出沾背」,同書「置酒而大雨,陛盾者皆沾寒」,

とある(字源)。因みに,

「濕」は,乾の反。しめるなり,易經「火就燥,水流濕」,

とある(仝上)。漢字は,同じ「ぬれる」でも,「濕」「澤」「潤」「濡」「霑」と使い分ける。

和語「うるおう(うるほふ)」は,

水気を含む,しめる,みずみずしくなる,

意で,単なる「湿る」とも,「濡れる」は異なるニュアンスである。どちらかというと,「湿る」「濡れる」が状態表現であるのに対して,「うるおう」は,濡れる,湿ることの価値表現であるかに見える。だから,

しめる,水気を含む,

意に,価値表現の,

みずみずしくなる,

意がある。岩波古語辞典は,

「水気を含んでぬれる意から,みずみずしく生気づく意,比喩的に恵みを受けてそれにひたる意や,豊かに栄える意」

とある。「みずみずしさ」をメタファに,

恵みを受ける,

豊かになる,

ゆとりが出る,

といった価値表現の意味の拡大が生まれる。既に室町末期の日葡辞書に,

ザイショガウルヲウタ,

という言い方が載る。大言海は,「うるほふ」は,

ウルフの延,よそふ,そそほふ同例,

とある。「うるふ」は,

乾いているものが水気を与えられて湿る,

意だが,「うるほふ」と微妙に含意が異なる気がする。

うるふ→うるほふ,

と,「ほ(お)」が入っただけで,単なる湿り気から,みずみずしさに意味が微妙に変ずる。

似た言葉に,「うるほふ」の他動詞「うるほす(うるおす)」がある。

水気を含ませる,
潤沢にする,

意だが,大言海は,

にぎはふ,にぎほす,同例,

とするが,

うるふ→うるほす(うるおす)⇔うるほふ(うるおすう),

湿る意の「るうふ」の意味拡大の要因に思えてくる。

「うるほふ」の語源は,

ウル(得)の義に通じる(和訓栞),
フリオフ(降生)の転,雨が降ると草木が生いでる意から(和語私臆鈔),
ウツオホ(恩沢)の義(言元梯),
ヌルホホム(滑含)の約轉(名言通),
ウルは「閏」「潤」の韓音ユンの転(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々。

韓音説は,日本語源広辞典も採り,

ウル(潤の韓音ユンの日本発音)にオフ・オウが付いた語,

とする。是非の判断はつかないが,この語だけが朝鮮語由来というのは,少し変だ。「しめる」「ぬれる」といった関連語との関係抜きでは即断できない。

「濡れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%BF%A1%E3%82%8C%E3%82%8B)が,

塗る,

という関わるのなら,「うるほふ」だけが,朝鮮語由来とはちょっと納得できない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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しめる


「しめる」は,

湿(濕)る,

と当てる。「湿(濕)」(シツ,漢音・呉音シュウ)の字は,

「会意。もとの字は『水+絲+土』で,生糸をやわらかくするため,深く水面下に沈めてぬらすさまをあらわす。濕はねその上に日印を加え,下の土印を省いた字」

とある(漢字源)。これだと分かりにくいが,

「『流れる水』の象形と『糸』の象形から、糸に水をつけたさまを表し、そこから、『しめらす』を意味する『湿』という漢字が成り立ちました」

が分かりやすい(https://okjiten.jp/kanji1490.html)。

似た漢字は,

「濡れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%BF%A1%E3%82%8C%E3%82%8B
や,
「うるほふ(うるおう)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%86%E3%82%8B%E3%81%8A%E3%81%86

で触れたように,「濕」「澤」「潤」「濡」「霑」があるが,次のように使い分けている。

「濕」は,乾の反。しめるなり,易經「火就燥,水流濕」,
「潤」は,うるほひなり。つやのある義。澤(つや)なり。「河潤九里」は,河川のほとり,九里の間をしめるに非ずして,其の邊の草木皆水気のうるほひを受るなり。「富潤屋,徳潤身」も,皆つやある義,
「澤」は,つやあるなり。潤に近し。潤澤と用ふ,
「霑」は,沾と同字。「沾」は,水のかかりてしっぽりとぬるること。霑と同字なり。史記「汗出沾背」,同書「置酒而大雨,陛盾者皆沾寒」,
「濡」は,沾と略々同じ。唐書張旭傳「旭大酔,以頭濡墨而書」。「沾」は,水のかかりてしっぽりとぬるること。霑と同字なり。史記「汗出沾背」,同書「置酒而大雨,陛盾者皆沾寒」。

「しめる」は,

水気を帯びる,水にうるおう,

の意から,

水気で火が消える(「火しめりぬめりとてあかぬれば,入りてうちふす程に」蜻蛉日記),
静かになる,しずまる(「夜深き程の,人のけしめりぬるに」源氏),
勢いが衰える(「やうやう風なほり,雨の脚しめり,星の光も見ゆろに」源氏),
落着いている(「これは人ざまもいたうしめり恥ずかしげに」源氏),
物思いに沈む(「思ふ事の筋々嘆かしくて,例よりもしめりて居給へり」源氏),
雰囲気が沈む(「女郎が未だお出なく,御座敷しめって見ゆるとき」傾城禁短気),

と,様々にメタファとして使われる。

湿気を含む→勢いが衰える→しんみりと沈む,

といった流れだろうか。

「しめる」は,

シム(浸む)と同根,

とある(岩波古語辞典)。大言海は,

沈めるの転,

とする。「しめる」は「しむ」の口語。「しむ」は,

染む,
浸む,

とも当てる(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463683479.html)。

濡(うるお)ひ,徹(とほ)る,染む,

意である(大言海)。岩波古語辞典は,「しむ(浸・染)」は,

「ソミ(染)の母韻交替形。シメヤカ・シメリ(濕)と同根。気体や液体が物の内部までいつのまにか深く入り込んでとれなくなる意。転じて,そのようにこころに深く刻みこまれる意」

とする。「しめる」は,

「染みる」の音韻変化,

とする(日本語源広辞典)のが,当然考えられる。

シミル(染)の義(名言通),
シム(浸),シメヤカと同源(日本古語大辞典=松岡静雄),

も同趣旨である。あるいは,「そむ」「しむ」の,「so」「si」は,

シは水分の義(国語の語根とその分類=大島正健),

なのかもしれないが,判断できない。ただ,「し」という,

息・風,

と当てる,

複合語になった例だけ見える,

言葉がある。

し長鳥,

とは,水中に長く潜っていられる鳥,

の意である。この「し」を「息」とするが,「水」とも考えられる。とすると,「しむ」は,「し」を活用させた言葉ということになる。現に,大言海は,「し」を,

水,

とあて,

「水(すゐ)の音の約」

とし,

水良玉(しらたま),水長鳥(しながどり),しがらみ,しずく,したたる,しむの類例,

と挙げる。「みず」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%BF%E3%81%9A)で触れたように,「水」は,

み,

でも,「水」を意味した。

垂水(たるみ),
水草(みくさ),
水漬き(みづき),
水(み)な門(と),
水(み)際,
水(み)岬,
水(み)鴨,
水(み)菰,
みかみ(水神),
みくさ(水草),
みぎわ(汀),
みくまり(水配り),
みづく(水漬く)屍,
みぎり(砌),
みなくち(水の口),
みお(水脈・澪・水尾),

等々多くの例がある。この「み」と「し」との関係は分からない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ひたす


「ひたす」は,

浸す,
漬す,
沾す,

と当てる(「沾す」と当てたのは岩波古語辞典)。「沾」(テン,チョウ)は,

「会意兼形声。『水+音符占(しめる)』で,ひと所に定着する意味を含む」

とあり(漢字源),「しみがつく」とか「うるおう」,「ひたひたとぬれる」意であるが,「濡れる」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E6%BF%A1%E3%82%8C%E3%82%8Bで触れたように,

「沾」は,水のかかりてしっぽりとぬるること。霑と同字なり。史記「汗出沾背」,同書「置酒而大雨,陛盾者皆沾寒」。「霑」も,沾と同字,

という使い方をする。

「濕」は,乾の反。しめるなり,易經「火就燥,水流濕」,
「潤」は,うるほひなり。つやのある義。澤(つや)なり。「河潤九里」は,河川のほとり,九里の間をしめるに非ずして,其の邊の草木皆水気のうるほひを受るなり。「富潤屋,徳潤身」も,皆つやある義,
「濡」は,沾と略々同じ。唐書張旭傳「旭大酔,以頭濡墨而書」,

と使い分けをする。どちらかというと,「ひたす」は,

水の中につける,
びっしょり濡らす,

意で,若干ニュアンスが違う気がする。「浸」(シン)は,「ひたす」「つける」意で,

「会意兼形声。右側の字(シン)は『又(手)+ほうき』の会意文字で,手でほうきをもち,しだいにすみずみまでそうじを進めていくさまを示す。浸はそれを音符とし,水を加えた字で,水がしだいにすみずみまでしみこむこと」

とあり(仝上),「しみる」「ひたす」意である。別に,

「会意兼形声文字です(氵(水)+侵の省略形)。『流れる水』の象形と『ほうきの象形と手の象形』(人がほうきを手にして次第にはきすすむ意味から、『おかす』の意味)から、『水が次第におかす』を意味する『浸』という漢字が成り立ちました。」

ともある(https://okjiten.jp/kanji1082.html)。「漬」(漢音シ,呉音ジ)は,

「会意兼形声。朿(シ・セキ)は,ぎざぎざにとがったはりいばらのとげを描いた象形文字。責は『貝(財貨)+音符朿(シ・セキ)』の会意兼形声もじで,財貨を積み,刺で射すように言う手を攻めること。債(サイ 積んだ借財でせめる)の原紙。漬は『水+音符責』で,野菜を積み重ねて染液につけたりすること」

とある(仝上)。別に,

「形声文字です(氵(水)+責)。『流れる水』の象形と『とげの象形と子安貝(貨幣)の象形』(『金品を責め求める』の意味だが、ここでは、『積(セキ)』に通じ(同じ読みを持つ『積』と同じ意味を持つようになって)、『積み重ねる』の意味)から、水の中に積む、すなわち、『ひたす』を意味する『漬』という漢字が成り立ちました。」

ともある(https://okjiten.jp/kanji1991.html)。

「漬は浸なり,染なり,水につかる義」

とある(字源)ので,「染」「漬」「浸」はほぼ同義で使われているらしい。

和語「ひたす」も,「湿る」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%97%E3%82%81%E3%82%8Bで触れたように,

シム(浸む)と同根,

とあり(岩波古語辞典),大言海は,「しめる」の文語「しむ」は,

染む,
浸む,

とも当てるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/463683479.html。他動詞「ひたす」の文語は,

ひづ,

だが,古くは,

ひつ,

で,

漬つ
沾つ,

と当てる。

「平安時代までヒツと清音。奈良時代から平安時代初期には四段活用。平安時代中頃から上二段活用」

とある(岩波古語辞典)。つまり,四段活用,

浸(ひ)つ た(未然形)・ち(連用形)・つ(終止形)・つ(連体形)・て(已然形)・て(命令形)

が,上二段活用

浸(ひ)つ ち(未然形)・ち(連用形)・-つ(終止形)・つる(連体形)・-つれ(已然形)・ちよ(命令形)

となり,

浸つ→浸つ→浸ず,

と転じたことになる。

日本語源広辞典は,「ひたる」の語源を,

「ヒタヒタ(擬態語)+ス(動詞化)」

とする。面白いが,「ひたひた」は,

「鎌倉時代から見られる語」

とあり(擬音語・擬態語辞典),時代が合わない。この濁音の「びたびた」は,

「雫が垂れるくらい,物が水に濡れている様子」

の意(仝上)だが,室町時代から見られる語で該当しない。「びたびた」は,

「現代の『びちゃびちゃ』に近い様子を表したと考えられる。日葡辞書の『びためかす』の項目に『びたびたとする』は同義」

とある(仝上)。

意味からは,「染む」「湿む」「漬つ」「浸つ」「沾つ」はほぼ重なる。とすると,「湿る」で触れた,「し」を,

水,

とあて,

「水(すゐ)の音の約」

とし,

水良玉(しらたま),水長鳥(しながどり),しがらみ,しずく,したたる,しむの類例,

と挙げる(大言海)のと重なるのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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みずみずしい


「みずみずしい」は,

瑞々しい,
水々しい,

と当てる。「瑞」の字の項の使い方は,日本だけである。

「瑞」(漢音スイ,呉音ズイ)は,

「会意兼形声。耑は,端正の端(形がととのう)の原字。瑞はそれを音符とし,玉を加えた字で,刀違いの整った玉」

とある(漢字源)。別に,

「会意兼形声文字です(王(玉)+耑)。『3つの美しいたまを縦にひもで通した』象形(『玉』の意味)と『水分を得て植物が根をはり発芽した』象形(『物事のはじめ』の意味)から『事物の発生に先立って神の意志をを見る為の玉』の意味を表し、そこから、『めでたいしるし』を意味する『瑞』という漢字が成り立ちました」

ともある(https://okjiten.jp/kanji2597.html)。本来,典瑞(しるしの玉をつかさどる官のしるし),符瑞(しるしとする玉)というように,「しるし」「めでたいしるし」の意で,そこから,瑞兆,瑞雲等々,「甘露や美しい雲など,天の神が善政をほめてくだすしるし,めでたい兆候」の意で使われるので,

瑞穂,

というように,

美しく生気があって瑞々しい,

意で使うのは,瑞の原意から外れた我が国だけの使い方である。当然,

みずみずしい,

に当てるのは,本来の漢字の意味から逸れている。「水」(スイ)は,

「象形。水の流れの姿を描いたもの」

である(漢字源)。水の意しかない。

「みずみずしい」は,

光沢があって,生気に満ちている,
新鮮で美しい,

の意であるから,それに当てた,「水」も「瑞」も漢字の意からは少しずれる。

「みずみずしい」の語源ははっきりしないが,「みず」が旧仮名遣いでは,

みづ,

であるように,

みづみづしい,

と表記していた。岩波古語辞典には,

みづみづ,

が載り,

瑞々,

と当て,

艶がって若々しいさま,

という意が載る。「みずみずしい」とほぼ重なる。日本語源広辞典は,

水+水+しい(形容詞の語尾),

とするが,「みずみずしい」の持つ意味からは,むしろ,

みづみづ,

から来ていると考えていいように思う。

ミヅミヅ(瑞々)しの義。瑞々は褒美の称,シは助辞(万葉集類林・幽遠随筆),
ミヅは水の義。美しい匂いが水の潤うようであるところから(国語本義),

とする解釈は,明らかに,

水々しい,
瑞々しい,

と,漢字を当てて以後の解釈ではないか。むしろ,古くは,「みづ」は,

水草(みくさ),
垂水(たるみ),
水漬(みづ)く,
水(み)な門(と),
水(み)際,
水(み)岬,
水(み)鴨,
水(み)菰,
港(みなと),
汀(みぎわ),

等々と,

み,

であった(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448460590.html)。「海」すら,

ウ(大)+ミ(水),

とされる。「みづ」は,

み(水)+つ,

なのではあるまいか。「つ」は,

市とか存在を示す助詞,

天つ神,
奥つ櫂,

等の「つ」なのではあるまいか。

江戸語大辞典に,「みずみず」が載り,

若々しく美しいさま,

の意とするが,

「幼児(がき)あってもみづみづと年より若いが一つの徳」(三題噺高座新作・文久三年),

という用例が新しい。岩波古語辞典の「みづみづ」も,

「(節を)みづみづと言ひなせば,幽玄に面白く聞ゆる也」(五音三曲集),
「みづみづしたる女房」(浄瑠璃・甲賀三郎),

古語辞典(三省堂)も,

「みづみづとした若い者,義理にせまって死ぬるとおりは」(浄瑠璃・女舞衣),

と,ほとんど新しい。最も古いと思われるのは,能楽に関わる用例で,

みづみづと言ひなせば,幽玄に面白く聞ゆる,

で本来は,こういう使い方であったのではないか。それが,「瑞々しい」「水々しい」という漢字を当てたことで意味が,

若々しい,

という意へとシフトしたのではないか,と推測される。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)

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こうずる


「こうずる」は,

高ずる,
嵩ずる,
昂ずる,
極ずる,
講ずる,
困ずる,
薨ずる,

等々,漢字を当て替えて,違う意味に使う。漢字が無ければ,というか,文字を持たなかったので,

こうず(る),

しかなく,まさに目の前で,会話している当人にとっては,その文脈を共有しているかぎり,その意味は伝わったのである。

「薨ずる」は,中国語「薨」(コウ)から来ている。

みまかる,

意である。

「会意兼形声。『死+音符夢(ボウ)の略体』。夢は,物がよく見えなくなる意。その意味を借りて死ぬ事を暗示した忌ことば」

である(漢字源)。和語では,

「皇太子・心脳・女御・大臣・三位以上の人の死をいう」

とある(岩波古語辞典)。日本語源広辞典は,

「中国語の『薨』は『夢(意識がうすれる)+死(死ぬ)』が語源です。…日本語では直接『薨+する』とサ変動詞にして皇族が死ぬ意」

とし,大言海は,

「薨御は(崩御に混じて)薨去と音通の当て字ならむ」

とする。薨去の「薨」から当てたものとみられる。

「講ずる」も,中国語「講」(コウ)に依る。「講」は,

「会意兼形声。冓(コウ)は,上と下(向こうとこちら)を同じように構築した組み木を描いた象形文字で,双方が同じ構えとなる意を含む。構(くみ木)の原字。講は『言+音符冓』で,双方が納得して同じ理解に達するように話すこと」

とある(漢字源)。「講ずる」は,講義する,意であり,考えをめぐらせて行う意である。日本語源広辞典は,「講ずる」についても,

「中国語の『講』は『言(言葉)+冓(高く積み重ねる)』意です。直接スルをつけて,使う日本語の場合,『講ずる』となり,講義する,考える,工夫する意です」

とする。

問題は,「高ずる」「昂ずる」「嵩ずる」とあてる「こうずる」である。

たかまる,
甚だしくなる,

意だが,中国語「高」(コウ)「昂」(コウ)に依っている,とも見える。ただ「嵩」(スウ)は,たかい,そびえる,意だが,

「会意。『山+高』で,たかくそびる山を表す。崇とまったく同じことばをあらわす異体の字」

とあり,「高」「昂」に倣って当てたとみられる。「高」は,い意だが,

「象形。台地にたてたたかい建物を描いたもの。また槁(コウ 枯れ木)に通じて,乾いた意をも含む」

とあり(漢字源),「昂」は,あげる,あがる,意で,

「会意兼形声。卬は『立った人+ひざまずいてふりあおぐ人』の会意文字で,仰(ゴウ)の原字。昂はそれを音符とし,日を加えた字で,太陽をふりあおぐため,頭をあげて上向くことをあらわす」

とある(仝上)。日本語源広辞典は,中国語「高」に依るとして,

「中国語『高』は『高い台』が語源で,後に高いを意味するようになります。日本語では『高+ずる』というサ変動詞として使います」

とする。しかし,

困ずると同源,

とする(日本語源大辞典)説があり,岩波古語辞典は,

極ずる,

と当て,

ゴウジの転,

とし,

極に達する意,

とする。とすると「極」(漢音キョク,呉音ゴク)の呉音ゴク(極意,極道等々)が,

ゴクズ→ゴウズ→コウズ,

と転訛したのかもしれない。「極」は,きわまる,きわめる,意だが,

「会意兼形声。亟(キョク)の原字は,二線の間に人を描き,人の頭上から足先までを張り伸ばしたことを示す会意文字。極は『木+音符亟』で,端から端まではったしん柱」

とある(漢字源)。その意味で,

極する→ゴウズル,

も,漢字由来かもしれない。「ごうずる」は,

極度に疲れる,
ひどく弱る,

意で,ほぼ,

困ずる,

に重なる。つまり,

極(ごう)ずる,

困(こう)ずる,

は,漢字を取ってしまえば,重なるのである。大言海は,

「困(こぬ)ずの音便,論(ろぬ)ず,ろうず。艸冠(サウクワヌ),さうくゎう」

とする。

コンズ・コスズ→コウズ,

そうなら,これも中国語「困」(コン)に依ることになる。「困」は,こまる意だが,

「会意。『□(かこむ)+木』で,木を囲いの中に押し込んで動かないように縛ったさまを示す。縛られて動きがとれないでこまること」

とある(漢字源)。

「サ変動詞『困(こん)ず』が音便化したものとするのが通説だが,『極』と表記した例が多くみられ,複合動詞を形成することもあるところから,『極』の呉音ゴクがサ変動詞化し,音便化したものとする説が有力となってきている」

とする(日本語源大辞典)からみて,どうやら,「こうずる」は,

高ずる,
嵩ずる,
昂ずる,
極ずる,
講ずる,
困ずる,
薨ずる,

は,総べて,中国語由来ということになる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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むやみやたら


「むやみやたら」は,

無闇矢鱈,

と当てる。当て字である。

むやみを強めていう語,
むちゃくちゃ,

の意とある(広辞苑)。

滅多矢鱈(めったやたら),

とも同義である。「無闇」は,

無暗,

とも当てる。「むやみ」自体が,

前後を考えないさま,理非を分別しないさま,
度を越すさま,

の意がある。「やたら」も,

みだり(に),

の意なので,重複させた意となる。江戸語大辞典には,

無闇を極める,

という言い回しが載り,

あとさきの考えもなくそのことをする,乱暴にきめつける,

と「むやみ」とほぼ重なる意味を載せる。「やたら」については,

すべて節度がないこと,

の意で,「に」「と」をつけて,副詞として,

むやみに,むちゃくちゃに,

という意味が載る。岩波古語辞典には「むやみ」も「やたら」も載らない。比較的新しい語のように思われる。

やたら縞,
やたら漬,

という言葉は,「やたら」を受けて成り立つ言葉に思える。

大言海は,「やたら」について,

彌足(やたら)の義。彌當(やつあたり)に縁ある語か

としている。「やつあたり」は,

八つ当たり,
八當,
彌當,

等々と当てる。大言海は,

ヤタラアタリの約,

とするし,江戸語大辞典は,

やつは弥(いや)つの意,

としている。このことは,後で繋がる。

「やたら」について,

雅楽の八多羅拍子( やたらびょうし),

が由来とする説がある(http://kotoba.livedoor.biz/archives/50304639.html)。日本語源広辞典も,

「雅楽用語。八多羅拍子」

説を採る。さらにその説を採るものは,

雅楽でいう「やたら拍子」からか,拍子が早くて調子があわないところから(和訓栞・松屋筆記・日本古語大辞典=金田一春彦・ことばの事典=日置昌一),

等々ある。しかし,江戸語大辞典にその由来に言及はなく,僕は俗説だと見なす。むしろ「やたら」という言葉に当てはまるものを探し当てたのではないか。

「やたら拍子」は,

八多良拍子,
夜多羅拍子,
八多羅拍子,

とも書く。

「日本の雅楽の唐楽曲(唐楽)の拍子のひとつ。2拍と3拍が交替反復する拍節,すなわち5拍子で,舞楽立(ぶがくだち)の《蘇莫者破(そまくしやのは)》(左方(さほう)),《陪臚破(ばいろのは)》《還城楽(げんじようらく)》《抜頭(ばとう)》(以上右方(うほう))が現行。《還城楽》と《抜頭》が,左方の舞楽に用いられる場合と管絃立(かんげんだち)で演奏される場合,および《蘇莫者破》と《陪臚破》が管絃立で演奏される場合は,いずれも早只拍子に転換される。」(世界大百科事典 第2版)

とある。ちなみに,「唐楽」は,

「奈良時代から平安時代初期にかけて,唐代の中国から伝来した合奏音楽で,唐朝の宮廷の娯楽音楽を中心とするが,このほか,中国を経て伝来したインドやベトナムの音楽,それらをまねて日本人が作曲した音楽が含まれる。伝来当初から寺院の供養音楽として,あるいは宮廷の儀式音楽として演奏され,さらに平安時代中期 (仁明天皇の頃) には,いわゆる平安朝の楽制改革によって,楽器編成や音楽理論,演奏様式などの統一がはかられ,朝鮮系の高麗 (こま) 楽に対する唐楽として形が整えられ,今日にいたっている」(ブリタニカ国際大百科事典)

とされる。「やたら拍子」はでたらめではない。雅楽(唐楽)の拍子には,

延拍子,
早拍子,
只拍子,

があり,只拍子から夜多羅拍子が生まれた。「やたら拍子」には,

夜多羅八拍子,
夜多羅四拍子,

があり,

「早只拍子の曲を右方の舞で舞うときの伴奏で、4分の2拍子と4分の3拍子を交互に連続して奏する。管絃のときと違って舞楽の伴奏となると曲ははずんでくるので、4分の4拍子の最後の1拍を捨ててしまって奏さない。そうすると曲は浮き浮きしてリズムに乗ってくる。」

とされる(http://www.terakoya.com/gonshiki/gagaku/kaisetsu.html)。当然ながら,拍子だから,でたらめであるはずはない。「やたら」の語義とは乖離がある。

八多羅拍子は二拍子と三拍子を組み合わせたテンポの速い拍子で乱れやすいことから,

という説明を,「やたら」の

節度のなさ,

につなげるのは牽強付会が過ぎるし,第一雅楽奏者に失礼である。むしろ,大言海の,

彌足(やたら),

のように,日常使っていた言葉の転訛で「やたら」となったと見るのが普通である。雅楽の言葉が一般の庶民の日常会話の言葉に流布するなどということが,現代ならともかく,近世以前にありえるとは思えない。その意味では,日本語の語源の,

「ムリ(無理)という語には@『強いて行うこと』。A『道理のないこと。理由のたたないこと』の二義がある。これを強めたムリイヤムリ(無理彌無理)は,イ・ムを落してムリヤリ(無理遣)になった。@の語義の強調表現である。
 他方では,リ・イ・リを落してムヤム・ムヤミ(無闇)になった。Aの語義の強調表現で,『前後を考えないさま。理非を分別しないさま』をいう。
 無闇を強めてムヤミヤタラ(無闇矢鱈)というが,ヤタラの語源はイヤミダリ(彌妄)で,イ・ミを落したヤダリがヤタラ(矢鱈)に変化した。イタミダリナルメリ(甚妄りなるめり)からはデタラメ(出鱈目)が成立した。リナ[r(in)a]の縮約にともなう省略形のタダラメの変化である。
 ヤラタを強めてヤタラムチャクチャ(矢鱈無茶苦茶)といったのが,語中のラムチャの部分を落してヤタクチャ・ヤタクタになった。『むやみやたら』の意の方言として尾張・岐阜県山形郡で用いる。
 同じく,ヤタラヒタスラ(矢鱈只管)はスを落としてヤタラヒタラになった。埼玉県北葛飾郡で『むやみやたら』の意の方言として用いる。さらに,ヒが母交(母韻交替)[ie]をとげて,長野県南佐久郡ではヤタラヘータラという」

という音韻変化の方が,現実的である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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めりはり


「めりはり」は,

減り張り,
乙張り,

と当てるらしい。

メリハリをつける,
メリハリの利いた,

といった使い方をする。

緩むこととはること,

の意味で,

特に、音声の抑揚や、演劇などで、せりふ回しの強弱・伸縮をいう,

とある(デジタル大辞泉)。で,

メリハリの利いたセリフ,
メリハリをつけて仕事をする,

という言い回しをする。特に,

邦楽で,音の抑揚をいう,

とある(広辞苑)が,これではよく分からない。語源由来辞典は,

「メリハリは、『メリカリ』が転じた言葉である。『メリカリ』とは、低い音を『減り(めり)』、高い音を『上り・甲(かり)』と呼んでいた邦楽用語のひとつで、現代では、主に尺八などの管楽器で『浮り(かり)』が使われている。『減り』は『減り込む』など一般的にも使われ ていた語であるが、『上り・甲』は邦楽以外では使われることがなかったため、一般では近世頃より『張り』が使われ、『減り張り(めりはり)』となった。現代では、音以外にも『仕事にメリハリをつける』『メリハリボディ』など、比喩的にも用いられるようになった」

とするhttp://gogen-allguide.com/me/merihari.html)。「めりかり」とは,

乙甲,
減上,

と当て,

「基本の音より音高が下がったものを『めり』、上がったものを『かり』という」

とある(デジタル大辞泉)。

「技巧を用いて音高を標準よりも微妙に上げ下げすること。多くは管楽器、特に尺八でいう」

らしく(大辞林 第三版),

乙甲(おつかん),

という言い方がある。

「広義には、低音と高音の意。狭義には、オクターブ低い音とオクターブ高い音。『かん』は古くは『こう』ともいわれた」

とある(精選版 日本国語大辞典)。俗にいう,

おっつかっつ,

である。

おつ(乙)かつ(甲)の転,

で,

お(追)っつすが(縋)っつ,

の変化したものという説もあるが,

差異が少なくほとんど程度が同じであること,

をいう。どうも,

乙甲(めりはり)→乙甲(おつかん)→乙甲(おつかつ)→おっつかっつ,

という変化ではあるまいか。

めりかり,

は,尺八では,

沈り浮り,

と当てるらしい(https://biyori.shizensyokuhin.jp/articles/301),技巧を尽くした微妙な節回しが,

大差ない,

意にされてしまったのでは,身も蓋もない。

「邦楽では第2倍音以上の音のことを『甲(かん:「こう」とは読まない)』、基音のことを『乙(おつ)』と呼びます。 『甲高い(かんだかい)』という表現の元々の意味は、倍音のことだったんですね。 また、基音に渋みのある独特の雰囲気があることから、『乙(おつ)だね』という表現が生まれました。(中略)
 尺八の奏法では、アンブシェア(口啌の形状および楽器との位置関係)の調整で、本来の音より全音又は半音低い音、あるいは半音高い音を出すという方法が、常用されます。 指穴を半分かざす方法を補助的に用いることもありますが、アンブシェアが基本です。
 邦楽の用語では、管楽器の音を微調整して低めることを『滅る(める)』、高めることを『甲る(かる)』と言い、低められた音を『メリ音』、高められた音を『カリ音』、両方合わせて『メリカリ』と呼びます。 ちなみに弦楽器の場合には『甲る(かる)』の代わりに『張る(はる)』と呼ぶので、『メリハリ』となります。」

とある(http://nanyanen.jp/nanyanen/nanya04.html)。尺八は,

「尺八は手孔(指孔)が5個しか存在しないため、都節音階、7音音階や12半音を出すために手孔(指孔)を半開したり、メリ、カリと呼ばれる技法を多用する。唇と歌口の鋭角部(エッジ)との距離を変化させることで、音高(音程)を変化させる。音高を下げることをメリ、上げることをカリと呼ぶ。メリ、カリの範囲は開放管(指で手孔を押さえない)の状態に近いほど広くなり、メリでは最大で半音4個ぶん以上になる。通常の演奏に用いる範囲はメリで2半音、カリで1半音程度)。奏者の動作としては楽器と下顎(下唇よりやや下)との接点を支点にして顎を引く(沈める)と『メリ』になり、顎を浮かせると『カリ』になる。
メリ、カリ、つまり顎の上下動(縦ユリ)、あるいは首を横に振る動作(横ユリ)によって、一種のビブラートをかけることができる。この動作をユリ(ユリ、あごユリ)と呼ぶ。フルートなどの息の流量変化によるビブラートとは異なり、独特の艶を持つ奏法である。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BA%E5%85%AB),上げ(甲),下げ(乙)の微妙な節回しも,

乙甲,

だけ取り出せば,

おつこつ,

となり,

優劣ない,
ほとんど同じ,

にされたことになる。原意は,評価というよりは,

優劣つけがたい,

意だったかもしれないが。

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闇雲


「闇雲」は,

前後の思慮のないさま,

の意で,江戸語大辞典には,

無茶苦茶,
むやみに,やたらと,

の意味を載せ。

やみくもに,
やみくもと,

という副詞の用例もある。ほぼ,

無闇,
矢鱈,

と同義である。「無闇矢鱈」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%82%80%E3%82%84%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%9F%E3%82%89)で触れたように,「闇雲」は「無闇矢鱈」と,出自がほぼ同じである。日本語の語源は,

「ムリ(無理)という語には@『強いて行うこと』。A『道理のないこと。理由のたたないこと』の二義がある。これを強めたムリイヤムリ(無理彌無理)は,イ・ムを落してムリヤリ(無理遣)になった。@の語義の強調表現である。
 他方では,リ・イ・リを落してムヤム・ムヤミ(無闇)になった。Aの語義の強調表現で,『前後を考えないさま。理非を分別しないさま』をいう。
 無闇を強めてムヤミヤタラ(無闇矢鱈)というが,ヤタラの語源はイヤミダリ(彌妄)で,イ・ミを落したヤダリがヤタラ(矢鱈)に変化した。イタミダリナルメリ(甚妄りなるめり)からはデタラメ(出鱈目)が成立した。リナ[r(in)a]の縮約にともなう省略形のタダラメの変化である」

としていた。しかし,日本語源広辞典は,

「『闇(くらやみ)+雲(厚い雲)』で,前後,方向,目当がわからない状態から,むやみ,やたらの意で用いる形容動詞です」

とする。この考えだと,

闇雲,

は単なる当て字ではないことになる。ただ「闇」(漢音アン,呉音オン)は,

「会意兼形声。『門+音符音(オン・アン 口をとじて声だけ出す,ふさぐ)』で,入口を閉じて名かをくらくするふさぐこと。暗とまったく同じことば」

で,くらい,はっきりみえなて,道理がわからない,という意で,

やみ,月の出ていない夜,

の意は,漢字「闇」にはない。だから,漢字由来ではない。

日本語俗語辞典(http://zokugo-dict.com/36ya/yamikumo.htm)は,「闇雲」を,

「闇雲とは『闇の中で雲を掴む』という、漠然とした中であてのない行動をするさまを表す言葉である。ここから前後の思慮なく行うさま、むやみやたらと行うさま、何の見通しもなく行動するさまをあらわす。」

とするし,由来・語源辞典(http://yain.jp/i/%E9%97%87%E9%9B%B2%E3%81%AB)も,

「『闇雲』は字義通り『闇の雲』の意を表す。闇の中で雲をつかむように、前後の見境もなくただ物事を行っているようすをたとえた表現」

とする。

闇の中で雲を掴む,

ような,という喩えからでたものだ,とする。

雲を摑む,

という言い回しがある。

物事の漠然としてとらえどころのないさま,

の意で,

雲を摑むような話,

という言い方をする。その流れで,

闇の中で雲を摑む,

といったいいまわしがあってもおかしくはない。

闇の中で雲をつかむ,

言い回しを約して,

闇雲,

はよくある略語のパターンでもある。

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だだ漏れ


「だだ漏れ」は,

ダダ漏れ,

などとも表記し,

なはだしく漏れ出ること,
際限なく漏れること,

の意である。この「だだ」は,

接頭語,

としかない(デジタル大辞泉)。実用日本語表現辞典には,

(1)液体などが大量に漏れ出ること。容器からこぼれ、とめどなく外に流れ出るさま、あるいは、本来封じ込めておくべきものが大量に外部に放出されるさまなどを表す。
(2)情報が大量に外部に漏出すること。私事や個人情報が漏洩しているさま、あるいは、情報を隠さずに筒抜けになっているさまなどを表す。

と,より詳しいが,「だだ」の説明はない。広辞苑にも,他の辞書にもあまり「だだ」は載らない。一つの説明は,

「だだ」は、止めどなく漏れる様子を表現した擬音的な言葉だと思います,

とするもの(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1334729923)で,擬音とすると,

ただっ,

というのがある。

「まるで轟音を立てているかのような勢いで,目標めがけて走る様子,また,わき目もふらず一つのことを一気に成し遂げる様子」

という意味になる(擬音語・擬態語辞典)。しかし,

情報がだだ漏れ,

というと,どこかをめざして一直線というニュアンスではない。「だだ漏れ」は,

とめどなく何かが漏れる,

含意がある。いま一つの説明は,

だだくさ,

との関連を説くもの(https://www.hide10.com/archives/13563)で,

「『だだくさ・飛騨方言』に『飛騨方言で、ぞんざい 乱雑 粗雑 いいかげん そまつ、などの意味で用いられる』との記述と共に『だだ、とは、だだっぴろく、だらだらと、という意味でしょう』とも書かれています。(中略)近世語(江戸時代の言葉)として『だだくさ』が登録されており、意味は『雑然として整理のゆきとどかないさま。ぞんざい。』と書かれています。このあたりのニュアンスから『だだ』が一人歩きを始め、『だだ下がり』や『だだ漏れ』と言った近代語が生まれていったのではないかと考えます。」

と少し根拠が薄い。「だだ漏れ」は,確かに方言ではあり,ネットを見ただけで,

だだくさな (石川の方言) だらしない,
だだくさ(名古屋方言) 雑に,無駄に,
だだくさ(飛騨方言) ぞんざい,乱雑,粗雑,いいかげん,そまつ,

等々載るが,江戸語大辞典に,

「(くさは接尾語)粗雑,ぞんざい」

の意として載り,近世語として,

雑然として整理のゆきとどかないさま(大辞林)

と載る。江戸期使われてい言葉が,地域に残ったと見るべきだろう。あるいは穿った見方をするなら,名古屋,三河,美濃などの方言が,家康の江戸移封後,江戸語として使われた,とも見えなくもない。しかし,

だだ漏れ,

は,価値表現の含意が無くもないが,本来は,

ひたすら漏れている,

状態表現でしかない。とすると,「だだくさ」の「だだ」とするには,抵抗がある。しかし,「ただっぴろい」の転訛する,

だだ広い,

は,

徒広い,

と当てる。

ただひろい→だだびろい→だだっぴろい,

といった変化と思われるが,この「だだ」は,

徒,

とあてているように,「だだくさい」の「だだ」と通じる感じである。

いまひとつの「だだ」説は,「ただ」の転訛説で,

「『だだ』は接頭辞と呼ばれるもので、言葉の先頭に付いて意味を加えるものだそうです。意味としては、『むやみやたらに、無茶苦茶に』や『まっしぐら、一途に、ひたすら』といったものです。したがって、『だだ漏れ』は『大量に漏れている』、『ひたすらに漏れている』という意味になります。ただし、最近では映像を無編集で公開する、また情報が筒抜けになってしまうことを指す場合もあるようです。『だだ』の出所について、研究では『ただ』という言葉が変化したものだと考えられているようです。『ただ走りに走る』→『ただ走り』→『だだ走り』といった変化です」

とする(https://wisdom-box.com/origin/ta/dada-more/)ものである。僕も,

ひたすら,

という語感は,「ただ」の転訛と思える。「ただ」は,

只,
唯,
啻,
徒,
直,

等々と当てるが,「直」は,

まっすぐ,直接,じきに,

の意で,

そのまま,
あたかも,

などの意で使ったりする。この「ただ」は,

唯,
只,

と当てて,副詞的に,

それだけであって,他でない意(「のみ」と対応),
ひたすら,もっぱら,

の意でも使う。「徒」は,価値表現を加えて,

何ともなく,
何のこともなく,

の意で使うので,

ロハ,

の意でも使う(この場合,「只」を当てていることになる)。そして,

只,
唯,
直,
惟,

等々を当てて使う「ただ」は,岩波古語辞典が,

「対象に向かって直線的・直接的で,何の曲折も,へだてもない意が原義。転じて,このこと,このもの,この一つ以外に何のかざりも加わらず,外の何ものも添わないという意。生地のまま,加工のない意から,平凡,普通,無事の意に使われ,副詞として,単にひたすら,全く等々の意に発展した」

とするように,どうやら,

直(ただ),

が由来のようである。日本語源広辞典も,

ただ(直)

が語源とする。「だだ漏れ」は,

ただ(直)漏れ→だだ漏れ,

と見て置くのが妥当のようである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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まど


「まど」は,

窓,
窗,
牖,
牕,

等々と当てる。「窓」は「窗」の俗字とある。正字は「窗」になる。「窗(窓)」(ソウ)は,

「会意兼形声。古くは空気をぬき通すまどを描いた象形文字。怱の本字はその下に心を加えた物で,心が突きぬけるように機敏に動くこと。窓はそれを音符とし,穴を加えた字(窗)の略字体で,空気のぬけ通るまどのこと」

とある(漢字源)。別に,

「会意兼形声文字です(穴+囱+心)。『穴居生活の住居の象形』と『屋根に開けた窓』の象形と『心臓』の象形から『まど』を意味する『窓』という漢字が成り立ちました」

ともある(https://okjiten.jp/kanji958.html)。解釈は異なるが,空気穴が始まりに見える。

「牆にあるを牖といい,屋にあるを窗と云ふ」
「牕は窗に同じ」

とある(字源)。少なくとも「窓(窗)」は家屋にあるもの,「牖」は牆,つまり垣根や塀にあるものと,区別していたようとである。

「かまど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A9)で触れたように,

井戸→井処
かまど→竈處

の例からみると,和語「まど」の「ど」は,

処(處),

と見られるのだが,広辞苑は,

目門,
間戸,

とする。岩波古語辞典も,

マ(目)ト(門),

とする。

「と」は,

門,
戸,

と当て,

「ノミト(喉)・セト(瀬戸)・ミナト(港)のトに同じ。両側から迫っている狭い通路。また入口を狭くし,ふさいで内と外を隔てるもの」

とある(岩波古語辞典)。「と」に,

戸,

と当てると,

場所,ところ,

を示す。複合語で使われる「ま(目)」は,

め(目)の古形,

「ま(間)」は,

「連続して存在するものと物の間に当然存在する間隔の意。転じて,物と物の中間の空隙・すきま。後には柱や屏風などに囲まれている空間の意から,部屋。時間に用いれば,雨マ・風マなど,連続して生起する現象に当然存在する休止の時間・間隔。また現象・行為の持続する時間の意。類義語アヒダは近接する二つの物と物,連続する事と事とのむ中間の欠落・とだえをいうのが原義」

とある(岩波古語辞典)ので,「まど」の「ま」の語感とは異なる気がするが,大言海は,

間戸,

を採る。「戸」の感じからかもしれないが,「戸」は当て字。むしろ,意味からは,

処,

の字が正しいのではないか。「間戸」説を主張して,

「日本における窓の意味合いを解説します。諸説あるようですが、窓は『間戸』からきているという説が有力なようです。間戸とは、柱と柱の間の戸という意味。」

とする(https://realestate.yahoo.co.jp/magazine/ryoito/20141211-00000001)ものがある。しかし,寝殿造りをイメージしているのだとすれば,後代に過ぎる。漢字「窗」のように「煙出し」と見るなら,登呂の遺跡の

竪穴式住居,

とするなら,柱の間ではない。

日本語源広辞典は,

目門(目で見る狭いすき間),
目戸(目で見る殿付いたもの),
間戸(部屋の戸の意),
間処(部屋のありかを示すもの),

と四説挙げるが,「まど」のイメージが,新し過ぎるように思えてならない。臆説かもしれないが,

間処,

ではあるまいか。井戸→井処,かまど→竈處の例から見ても,「ど」は「所」,「ま」は「ま(間)」が隙間の意としてであるが。

ついでながら,同じ「ところ」と訓ませる,

所,
処,

の意味は,

ところ,
場所,

と差がないようであるが,由来は異なる。「所」(漢音ショ,呉音ソ)は,

「形声。『斤(おの)+音符戸』で,もと『伐木所所=木を伐ること所所たり』(詩経)のように,木をさくさくと切り分けること。その音を借りて指示代名詞に用い『所+動詞』の形で,…―するその対象をしめすようになった。『所欲』とは,欲するその物,『所至』とは,至るその目標地をさし示した言い方。後者の用法から,さらに場所の意を派生した」

とあり(漢字源),「処(處)」(ショ)は,

「会意。処は『夂(あし)+几(だい)』。足を止めて床几に腰を落ち着ける意を示す。處は,のち音符として虎の略体『虍』を添えた形声文字」

とある(仝上)。つまり,「処」は,

居るその場所,

意であり,「所」は,

目指すその場所,

が原義のようである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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井戸


「井戸」は,

「まど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%BE%E3%81%A9

「かまど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A9

で触れたように,

かまど→竈處,
まど→間処,

と同様,

井処,

ではないか,と推測される。「井」(漢音セイ,呉音ショウ)は,

「象形。井は,四角いわく型を描いたもので,もと,ケイと読む。形や型の字に含まれる。丼は,『四角いわく+・印』の会意文字で清水のたまったさまを示す。セイと読み,のち両者の字形が混同し井と書くようになった。井は,また四角にきちんと井型に区切る意を派生する」

とある(漢字源)。

岩波古語辞典は,「ゐど」の,

ドは所の意,

とする「ゐ」は,

井,
堰,

と当て,

泉や流水から水を組み取る所,水汲み場,

の意が古い。常陸風土記に,

「村の中に浄泉(いづみ)あり。俗(くにびと)大井といふ」

とある(岩波古語辞典)。そこから,

地を掘り下げて地下水を汲み取る所,掘り井,

の意に転用されたとみられる。万葉集に,

「馬酔木(あしび)なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも」

とある(仝上)。「ゐ(堰)」は,

「水の流れを塞ぎて,用水を湛ふるところ」

の意である。その「ゐ(井)」について,大言海は,

「集(ヰ)るの語根。水の集る所の義。ゐどといふは井處(ヰド)の義(窯處(カマド)・臥處(フシド)の類)」

とする。語源由来辞典が,

「井戸の『井』は『いる(居る)』の『い』と同じく『一箇所に止まる』『溜まる』『集まる』を意味し、『戸』は『処』の意味。 古くは地下水を掘って汲み上げるようにしたものだけではなく、川や泉から水を取る所も『井戸(井)』といった」

とするのも同趣旨であり,日本語源広辞典が,

「『ゐ+戸・堰+門・居+所』です。小川の水を少し居させて汲みやすくしたところが語源で,…井戸は当て字」

とするのも同じである。「集まる」「居る」のいずれかということになる。「ゐ(居)」について,岩波古語辞典は,

「『立ち』の対。すわる意。類義語ヲリ(居)は居る動作を持続し続ける意で,自己の動作ならば卑下謙譲,他人の動作ならは軽蔑の意がこもっている」

とし,「をる(居)」については,

「ヰ(坐る)アリ(有)の轉。人がじっと坐り続けている意。奈良時代には,自己の動作について使うの雅言考大部分で,平安時代以後は,例が少なく,自己の動作の他,従者・侍女・乞食・動物などの動作に使うのがほとんどを占めている。低い姿勢を保つところから,自己の動作については卑下,他人の動作については軽蔑の気持ちをこめて使う」

とある(仝上)。「ゐ(居)」も,

その場所にとどまる,

意は,「ゐ(堰)」を使ったこととつながる気がする。もともとは,

堰処,

であった可能性をうかがわせる。「堰」は,

いせき,

とも訓ませ,

井堰,

とも当てる。

水を他に引くため,用水を堰き止めたところ,

の意であり,

井手,

ともいう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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「と」は,

戸,
門,
所,
処,

等々と当てる。「戸」は,

門,

同義で使われている。「まど」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%BE%E3%81%A9で触れたように,

門,
戸,

と当てる「と」は,

「ノミト(喉)・セト(瀬戸)・ミナト(港)のトに同じ。両側から迫っている狭い通路。また入口を狭くし,ふさいで内と外を隔てるもの」

とある(岩波古語辞典)。

「所」「処」は,

場所,
ところ,

の意で,

隠処(こもりど→こもりづ),

のように複合語に使われるが,

寝屋処(ねやど),

ではなく,

寝屋戸(ねやど),

と使われたりするので,「戸」と「処」は交換可能のようである。大言海の「と(戸)」の項で,

處の義と云ふ,

とある。さらに「と(戸)」は,

「止むる,又閉づる義。釈名『戸,所以謹護閉塞也』,左傳…注『戸,止也』」

とあり,「と(戸)」は,「止める」の「と」の可能性がある。日本語源広辞典は,

「トは『両側から迫って狭いゐる口』が語源です。戸,門,港のトは同源」

とする。「みなと」は

水門,
湊,
港,

と当てるが,岩波古語辞典は,

「ミは水。ナは連体助詞。トはセト(瀬戸)・カハト(川門)のトと同じ,両側から迫った入口」

とある。「と」は,

閉づ,

の「ト」もある。大言海は,「みなと(水門・水戸)」を,

水之門の義,

としている。「みなと」と関わる言葉に,

つ,

がある。岩波古語辞典は,

「ト(戸)の母音交替形」

とする。これは,

船着き場,港,

の意である。和名抄には,

「津,豆(つ),渡水処也」

とある。船側からみているので,

船の泊(は)つる處,

の意となる。大言海は,

「附く,集(つど)ふ,などの意」

とする。日本語源広辞典も,

舟がツドウ(集)のツ,
舟がツク(着)のツ,

を挙げる。

アツマル(集)の義(日本釈名・東雅・万葉集辞典=折口信夫),
人や船の集まり着く意(日本語源=賀茂百樹),
物のあつまりたまる場所をいうところからタムまたはタマルの約(和訓集説),

なども同趣旨だと思われる。しかし,「つ」が,

to→tu,

と母音交替したのだとしたら,「つ」で語源をさぐることは意味がない。結局,「と」の,

門,
戸,
所,

の,

閉づ,

止む,

の「と」ということになる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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たな


「たな」は,

棚,
店,

と当てる。「棚」(漢音ホウ,呉音ビョウ,ボウ)の字は,

「会意兼形声。『木+音符朋(並ぶ)』で,板や棒を並べたもの」

で,「たな」「かけはし」の意である(漢字源)。

「店」(テン)は,店(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%BA%97)で触れたように, 

「占は,『卜(うらない)+口』。この口は,口ではなく,ある物ゃある場所を示す記号。卜をして,一つのものや場所を選び決めること。店は『广(ゲン,家)+音符占』で,行商人とは違い,一つ場所を決めて家を構えた意を含む」

で,

決まった場所に建物を構えて物を売る家,

あるいは,

はたご,

の意味でも使う。「たな」や「店(たな)卸」の商品棚の意や,借家の意の「おたな」「店(たな)子」で使うのは我が国だけである。

「たな」は,

横に平らに渡した板,

の意で,さらに,

船べりに沿ってつけた平らな板,

の意でもある。しかし,多く,

「棚を設けて商品を陳列したから」

として,

商品を売る場所,

の意として使い,そこから,

店棚,

更に,

店そのもの,

さらに,

商家,あきんど,

の意に広がった。そして,

主人として仕える人の店,
また,
職人の得意先,

の意がある。ここまでは意味の外延をかなり拡げたということで分かる。しかし,

貸家,借家,

の意はどこから来たのか。岩波古語辞典には,

近世大阪では,商売のできる表通りの借家の特称,

とある。とすると,単に借家というより,

店舗,

の意で,商家の意の延長線上にある。

棚,

店,

は,

店卸,
棚卸,

のように同じ意で使うことが多いが,

棚捜し(飲食物を求めて台所の棚・戸棚を探すこと),

店捜し(借家探し),

とは意味が異なる。本来は,別の言葉が,同じ「たな」という訓みで混ざり合ったのかもしれない。大言海は,

「たな(棚)」は,

板竝(いたなみ)の略か,

とし,「たな(店)」は,

みせだな(店棚)の略,

とする。「みせだな」は,

見世棚,
見世店,
店棚,

と当て,

為見棚の義,

で,こうある。

「商家の前の部分に,棚などを設けて,人に見せむが為に,貨物を列ね置く處。常に下略して見世と云ひ,又上略して店(たな)とも云ふ。現代店と云へば,商家の前の部分にて,貨物を竝べ,又は,店員などの居る所の称とし,貨物を列ね置く店棚と区別す」

つまり,店(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%BA%97)で触れたように,「店」というのは,語源は,「見せ」。

「ミセともタナ(棚)とも言う。商店のことを『みせ』というのは,『見せる』の連用形『見せ』なのです。大阪では店のことをオタナともいいます。オ+棚は,つまり,タナに並べて,ミセる,商店です。いまでも,お店・おたなは,商人の世界では生きて使われています。」

とある。

見世,

と当てる。だから,

見世棚→見世→店(みせ),
店棚→棚→店(たな),

と,「店(たな」の出発点は「棚」,特に,

店棚,

だったからというのは妙に納得できる。では「たな(棚)」の語源は何か。

日本語源広辞典は,

「平面を表すタに,横に延びる意のナが加わった語」

とする。

「タイラ,タワ,タキ,タニなどの地形のタは,同根」

とする。他に同説が無いし,「た」を引いても多の辞書に載らないので判断が付かない。「たな(店)」を,

立竝(柴門和語類集),

とする説がある。

板竝(大言海),

の説にもまんざら捨てがたいところがある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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たに


「たに」は,

谷,
谿,
渓(溪), 
峪,
壑,


等々と当てる。「谷」(コク)は,

「会意。『八印(わかれ出る)二つ+口(穴)』で,水源の穴から水がわかれ出ることを示す」

とある(漢字源)。この「谷」は,卻(却)の音符谷(キャク)とは別。これは口の上,鼻の下の正中線のくぼみをあらわす。

「谿」(漢音ケイ,呉音ケ)は,

「会意兼形声。『谷+音符奚(ケイ 糸でつなぐ,細い)』。糸でつながるような細い谷」

とある(仝上)。字源の「谷」に,

「たに,たにがわ,両山の間のながれ,水が川に注ぐを谿といひ,谿に注ぐを谷といふ」

とある。これでいうと,

「谷」の水が集まって,「谿」をなし,河に注ぐ,

ということになる。

「谿」は,「渓(溪)で代用する」(漢字源)ともある。「渓(溪)」(漢音ケイ,呉音ケ)は,

「会意兼形声。『水+音符奚(ケイ 細いひも)』」

で,ほぼ「谿」を代用する。この他,漢字には,「峪」(ヨク)があり,

山あいのくぼんだたに,

の意で,

「会意兼形声。『山+音符谷(コク くぼんだたに)』で,低くくぼんだ意を含む」

とある。「壑」(漢音ガク,呉音カク)は,「たに」の意だが,

山中のくぼみ,

である。「澗」(漢音カン,呉音ケン)は,やはり「たに」の意だが,

山の間に挟まれたところ,

の意で,サンズイがあるので,

「会意兼形声。『水+音符間(あいだ)』。山の間を流れる川」

で,

たにがわ,
たにみず,

の意である。漢字では,「谷」「谿」「渓(溪)」「峪」「壑」「澗」等々と細かく分ける「たに」も,和語では,「たに」以外ない。

「たに」は,

「峰(を)の対」

とし,

「山あいの低くくぼんだ,水と草のある所」

で(岩波古語辞典),大言海は「たに」を,

水の垂(たり)の意と云ふ。朝鮮の古語タン,

として,朝鮮語由来としている。日本語源広辞典も,

「『垂り』で,水の垂れ集まるところの意です。方言に,タン,ターニなど,同源と思われる語があります」

とする。しかし新撰字鏡は,

「溪,谿也。他尓(たに),佐波」

とする。「さは(沢)」は,

「水が溜まり,草の生えている,低くじめじめした土地」

の意で,やはり新撰字鏡は,

「溪,太爾佐渡(たにさは)」

とする。「さわ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%82%8F)で触れたように,「さは(沢)」は,

低くて水がたまり,蘆(あし),荻などの茂った知,水草のまじり生えた地,
山間の比較的小さな渓谷,

の意で,どうも,中国の「谿」のイメージではなく,

山あいのくぼんだ,湿ったところ,

のように思える。「水の垂(たり)の意」ともちょっと違う。日本語源大辞典は,

水のタリ(垂)の義(古事記伝・言元梯・名言通・菊池俗言考・和訓栞・大言海),
谷は低くて下に見るところから,シタミの略転(日本釈名),
タカナシ(高無)の反(名語記),
間の転。または梵語タリ(陁離)の転か(和語私臆鈔),

を挙げるが,いまひとつスッキリしない。

「さわ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%82%8F)で触れたことと重なるが,「沢」を

山間の比較的小さな渓谷,

とするなら,

「谷(たに、や、コク)とは、主に山などに囲まれた標高の低い土地のことである。谷の深いものを峡谷という」

という記述(http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B0%B7)ら見るなら,「谷」は,

形状の側を指し,

「沢」は,

水の側を指すということになる。しかし,

「溪,谿也。他尓(たに),佐波」

という同一視する認識であったようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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みね


「みね」は,

タニは峰(ヲ)の対,

とある(岩波古語辞典)。「を」は,

峰,
岡,

と当て,

みねつづき,尾根,
山の小高い所,

の意である。大言海は,「を」を,

峯,
丘,

と当て,

山の高き處,みね,

とし,「尾」とあてる「を」の,

山の裾の引き延へたる處,
山尾,

とつなげる。古事記に,

「山の尾より,山の上へ登るひとありき」

とあるところを見ると,

山尾,

の意で,

山峰,

とも当てる。

山の峰続き,
山の稜線,

の意となる。山の峰の意とほぼ重なるが,

峰々の連なり,

に焦点を当てており,

尾根,

と重なるし,

稜線,
脊梁 (せきりょう) ,

とも重なる。「尾根」は,

「谷と谷に挟まれた山地の一番高い部分の連なりのことである。山稜(さんりょう)、稜線(りょうせん)とも言う」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E6%A0%B9)が,山登りの人から見ると,

「尾根」は登るものだが「稜線」は歩くもの,

という感覚らしい(https://www.yamareco.com/modules/diary/21844-detail-92607)。視点の違いだろう。

となると,「を(峰)」は,

尾,

と重なり,

尾根,
稜線,
脊梁 (せきりょう) ,

であり,「みね(峰)」は,

山の頂の尖ったところ,

の意であり,「を(峰)」とは由来を異にする言葉らしい。谷に対なのは,

峰々の連なり,

であって,

みね(峰),

ではない,ということになる。大言海は,

「ミは發語。ネは嶺なり」

とするが,岩波古語辞典は,

「ミは神のものにつける接頭語。ネは大地にくいいるもの,山の意。原義は神聖な山」

とし,日本語源広辞典も,

ミ(御)+ネ(嶺),

とする。

ミは褒称。ネは高峻の義(箋注和名抄・東歌疏=折口信夫),
ミは尊称,ネは止まり動かない意(東雅),

も同趣旨である。かつてヤマはご神体であった。とりわけ尖った頂は神聖視された。「ミ」はその名残りかも知れない。

ミネ(御根)の義。山上に神のあるところから(名言通),
ミは神の略,ネはナル(成)の転(和語私臆鈔),
ミはマシの約で美称,ネ(根)は山の義(和訓集説),

はその趣旨である。やはり,

ご神体,

の意味であると見ていい。

「ね(嶺)」は,

「ネ(根)と同根。大地にしっかり食い込んで位置を占めているものの意。奈良時代には東国方言になっていたらしく,独立した例は東歌だけに見える。大和地方ではミネという。類義語ヲは稜線の意」

とある(岩波古語辞典)。ちなみに「ね(根)」は,

「ナ(大地)の転。大地にしっかりと食いこんでいるものの意」

とある(仝上)。大言海は,

「の上(うへ)の約ならむ。常に根と書す」

とあるので,

ナ(大地)→ネ(根)→ネ(嶺),

といった転訛なのであろうか。

因みに,「みね」には,

峰(峯),
嶺,
岑,

等々当てる。「峰(峯)」(漢音ホウ,呉音フ,ブ)は,

△にとがった山,

の意で,

「会意兼形声。夆は,△型に先の尖った穂の形を描いた象形文字に夂(足)印を加えて,左右両側から来て△型に中央でであうことを示す。逢(ホウ 出あう)の原字。峰はそれを音符とし,山を加えた字で,左右の辺が△型に頂上で出会う姿をした山。封(ホウ △型の盛り土)ときわめて縁が近い」

とある(漢字源)。刀の背を峰というのは我が国だけの使い方である。

「嶺」(漢音レイ,呉音リョウ)は,

「会意兼形声。領(レイ)は,人体の上亡,頭と胴をつなぐ首のこと。嶺は『山+音符領』で,人体の首に当たる高い峠」

とあり,

い峰のつづき,

を言い,稜線の意に近い。「岑」(漢音シン,呉音ジン)は,

山のじくざぐ切り立った高い所,

だが,

山の小にしてきもの,

ともある(字源)。

「会意。今はふさがって暗いことを示す。岑は『山+今(ふさがる)』」

とある(漢字源)。

なお,「やま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%82%8F)については,触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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鰯の頭


「鰯の頭」は,

いわしのかしら,

と訓ませるが,「あたま」とも訓む。

鰯の頭も信心から,

の「鰯の頭」で,

鰯の頭のようなつまらないものでも,信仰するとひどくありがたく思える,

意である(広辞苑)が,

鰯の頭のようにつまらないものでも,それを信仰するヒトには尊く,神仏同様の霊験を持つに至る,

という説明の方(故事ことわざ辞典)が,正確かもしれない。さらに,

「頑固に信じ込んでいる人をからかう場合にもいう」

ともあり,

「節分の夜に,鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝にさして門口に置くと,悪鬼を追い払うという風習があったりしたことなどから言われた」

ともある。

「信心から」は,

信心がら,

ともいい,

信じ方次第,

の意の「信じがら」の転じたものとある(仝上)。「信心から」は,「信心がら」以外に,

信じから,
信仰から,

ともいう(江戸語大辞典)ので,この説は妥当かどうかは分からない。

白紙も信心から,

ともいう,とある(仝上)。鰯の頭を柊の枝にさす風習は,

柊鰯(ひいらぎいわし),

という。

「節分に魔除けとして使われる、柊の小枝と焼いた鰯の頭、あるいはそれを門口に挿したもの。西日本では、やいかがし(焼嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8A%E9%B0%AF)。

「柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないと言う(逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される)」

という(仝上)。ヒイラギを厄除(やくよ)けに使う風習は平安時代からあり、土佐日記は,元日に,

「今日は都のみぞ思ひやらるる、小家の門のしりくめなわ、なよしの頭、ひひらぎいかにぞと言ひあへなる」

と書く。「なよし」は,

名吉し,

らしい。ぼらは,

「成長にしたがって呼び名が変わるので,『名吉し』と言って出世魚とされた」

とある(岩波古語辞典)。つまり,正月の門口に,飾った注連縄と柊の枝に「なよし」(ボラ)の頭を刺していた。現在でも,

「伊勢神宮で正月に売っている注連縄には、柊の小枝が挿してある」

のだとか(仝上)。江戸時代の古今要覧稿には,

「中むかしよりは鯔をいはしにかへ用ゐたりしは藤の為家郷の歌に、ひひらぎにいはしをよみ合せ給へるものによれば、是も六百年前よりの事なり」

と載るとか(https://fm0817.com/hiiragiiwasi-kigen),鰯に変わったのは結構古い。

節分は,

「季節の移り変るときをさし,立春,立夏,立秋,立冬のそれぞれ前日であった。しかし太陰太陽暦では立春を年の初めと定めたので,立春の前日すなわち大寒の最後の日を特に節分 (太陽暦の2月3日か4日) として重視した。したがって節分は太陰暦の大晦日 (おおみそか) にあたり,その夜を年越しといって民間ではひいらぎ (柊) の枝にいわしの頭をつけて門戸にかざし,また日暮れに豆まきをして追儺 (ついな。厄払い) を行う習慣がある」

のは,季節の変わり目には邪気が生じるという考えから,鬼払いなどの儀式が行われたのである(ブリタニカ国際大百科事典)。ヒイラギを節分に飾るのは,

「鬼の目を突き退散させるためとされるが、鋸歯(きょし)のないトベラの葉も同様に使われ、平安時代に正月の習俗であったこととあわせると、中国の爆竹と同じく、葉を火にくべてはぜる音で鬼払いしたのが原型と考えられる」

だとある(日本大百科全書)。ヒイラギそのものが,

「葉に鋭い刺があり、触れるとずきずきするから疼(ひいら)ぐ木の意味であり、柊は日本でつくった和字で、初冬に花を開く木の意味」

とか(日本大百科全書)。

「江戸時代にもこの風習は普及していたらしく、浮世絵や、黄表紙などに現れている。西日本一円では節分にいわしを食べる『節分いわし』の習慣が広く残る。奈良県奈良市内では、多くの家々が柊鰯の風習を今でも受け継いでいて、ごく普通に柊鰯が見られる。福島県から関東一円にかけても、今でもこの風習が見られる。東京近郊では、柊と鰯の頭にさらに豆柄(まめがら。種子を取り去った大豆の枝。)が加わる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8A%E9%B0%AF)。

なお「いわし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B7)で触れたように,古くから馴染みの魚であったらしく,「鰯」にからんだことわざは多い。

鰯網で鯨を捕る,
鰯食ったる鍋の鉉(つる),
鰯俵も俵の中,
鰯で精進落ち,
鰯煮た鍋,
鰯の頭をせんより鯛の尾に付け,
鰯のたとえに鯨,

等々。

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ぼら


「ぼら」は,

鯔,
鰡,

と当てる。

D,

と当てると,成長とともに名前を変える出世魚「ぼら」の,

おほぼら,

つまり,

とど,

になる(字源)。「D」は国字である。「鯔」(シ)は,出世魚「ぼら」の「ぼら」の前の段階,

いな,

を意味するともある(字源)。「ぼら」は,古名,

クチメ(口魚),

別名,

ナヨシ(名吉),

という。出世魚「ぼら」は,

海から川へ入りだした3〜4センチの稚魚を,ハク,

川や池で生活する10センチ前後のものを,オボコ,スバシリ,

生後1年を経過した25センチ余りの未成魚を,イナ,

2〜4年魚の30〜50センチの成魚を,ボラ,

5年以上の老成魚(雌は90センチ,雄の多くは45センチ以下)を,トド,

という名を変える(日本大百科全書)。呼び名は地域によって異なり,関東では,

オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド,

関西では, 

ハク→オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド,

高知では,

イキナゴ→コボラ→イナ→ボラ→オオボラ,

東北では,

コツブラ→ツボ→ミョウゲチ→ボラ,

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9)。譚海には,

「川にあるときオボコ,川口にでるときはスバシリ,海に入りてはイナ,成長してナヨシ,秋末にボラ」

と相州三浦の人が語ったとある(たべもの語源辞典)。

「オボコ」は,

「子供などの幼い様子や、可愛いことを表す『おぼこい』の語源となっており、『未通女』と書いてオボコと読んで処女を意味していた。」

また,「オボコ」は,

「鯯と書き,小矛の義であるとの説」

もある(たべもの語源辞典)。

「スバシリ」(洲走)は,江戸では,

「六月十五日の山王祭の日から漁獲が解禁になったので,『すばしりは御輿の後を追て行き』という川柳がある」

とか(仝上)。

「イナ」は, 

「若い衆の月代の青々とした剃り跡をイナの青灰色でざらついた背中に見たてたことから、『いなせ』の語源とも言われる。『若い衆が粋さを見せるために跳ね上げた髷の形をイナの背びれの形にたとえた』との説もある。」

「いなせ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%9B)で触れたように,

鯔背,

と当て,江戸日本橋の魚市場の若者が,「鯔(イナ ボラの幼魚)の背のような髷を結ったからという。威勢のいいこと,粋で,勇み肌なこと,またそういう気風を指す。その髷を,「鯔背銀杏」といった。

「トド」は,

「遠う遠う」の意味,

とする説(日本大百科全書)があるが,

「『これ以上大きくならない』ことから『結局』『行きつくところ』などを意味する『とどのつまり』の語源となった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9)。

大言海は,「ぼら」を,

腹の大きい意,

とする。「腹」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%AF%E3%82%89)で触れたように,

「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」

でもある(大言海)。

ホハラ(太腹),ホホハラ(含腹)カラバラになった語か(たべもの語源辞典),

も同趣である。たべもの語源辞典も,

「ボラという名は,江戸で腹太(はらぶと)と呼ぶことと同じで,太腹(ほはら)とか含腹(ほほはら)になった」

という説を採る。その他に,

「中国の春秋時代の北狹(ほくてき)の用語で、『角笛』を意味する『ハラ』という語の転訛であり、法螺貝(ほらがい)の呼称「ホラボラ」と同源同義語らしい。ボラの呼称は、魚形が『角笛』に似ていることから、中国の胡語『ハラ』が転じて『ボラ』になった」

とするものもある(http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/syun/45-bora.html)。ボラの古名には,

口女(くちめ),

があり、『日本書記』にも「クチメ」と出ている。口女とは、口に特徴のある魚「口魚」の意なので,形からくる由来はあり得る。しかし,単独にこの魚の名だけ,外国由来というのはいかがであろうか。

なお,メスの卵巣を塩漬にしたものを,

カラスミ,

という。江戸時代,

長崎野母(のも)産のカラスミ,
越前のウニ,
三河のコノワタ,

が三珍としてもてはやされたそうであるが,野母には,

「天正一六年(1588)豊臣秀吉が肥前の名護屋に来た時,長崎代官鍋島飛騨守信正が野母のカラスミを長崎の名産品として献上した。秀吉がその名を尋ねたので,形が唐の墨に似ているところから『唐墨』と名づけた」

とする伝承があるとか(たべもの語源辞典)。ただ,

「学者によってはカラスミをとるボラをカラスミボラと称して別種のものであるともいう。サワラの子でもカラスミをつくる」

とか(たべもの語源辞典)。また,「ぼら」は,

「海底の餌を泥ごと食べるので胃壁が厚くなっていて硬い玉のように見える。この胃を臼といい,そろばん玉ともいい,へそとも呼び,付焼にして食べる」(仝上)

が,

「ニワトリの砂嚢(砂肝、スナズリ)を柔らかくしたような歯ごたえで珍重される」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%A9)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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しゅうと


「しゅうと」は,

舅,
姑,

と当てる。「舅」は,

夫または妻の父,外舅(かいきゅう),

「姑」は,

夫または妻の母,外姑(がいこ),しゅうとめ,

の意である。文語では,

しうと,

で,

シヒトの音便,

とある(広辞苑)。「舅」(漢音キュウ,呉音グ)は,

「形声。『男+音符臼』で,年長の男性の意」

で,

母親の兄弟,母方のおじ(「舅父(キュウフ)」),
母の兄弟の妻(「舅母(キュウボ)」)
妻から見て,夫の父親,
夫から見て,妻の父のこと(「外舅(ガイキュウ)」),

と意味の幅が,日本とは異なる。「姑」(漢音コ,呉音ク)は,

「会意兼形声。『女+音符古』。年老いて古びた女性の意から,しゅうとめやおばの称となった」

とあり,

夫の母(「小姑(ショウコ 夫の妹)」,「外姑(ガイコ 妻の母)」),
おば(姨(イ 母の姉妹の当たるおば)に対して,父の姉妹(「姑母(コボ)」)),
父の姉妹の夫,夫の姉妹の夫(「姑夫(コフ)」),

と,やはり意味の幅が広い(漢字源,字源)。

「しゅうと」は,

シヒト→シウト→シュウト,

の音便だとして,

しひと,

は何か。岩波古語辞典には載らないが,大言海は,

「大人(ウシヒト)の約と云ふ,朝鮮語,舅,しゅい」

とする。日本語源広辞典も,

「ウシ(大人)+ヒト(人)」

とし,

ウシヒト→シフート→シヒト→シウト→シュウト,

と変化したと見なす。「うし」とは,

大人,

と当て,

領有・支配する人の称,転じて人の尊称,

さらに転じて,

師匠または学者の尊称,

の意である。日本語源広辞典は,

ヌシの変化,
ウ(大)+シ(人),

の二説を挙げ,

「近世の国学者が上代の古語を復活させた語」

とし,本居宣長らが,

師匠,

の意で再現したものと思われる。日本語源大辞典は,

「『ぬし』とそらく同源であるが,『うし』の上代単独例は少なく,動詞『うしはく(領)』の形で現れることが多い。中古から中世にかけて用例がなく,近世に復活して主に文学方面に用いられる。国学者たちが復古趣味に依って古典から再生させた語のひとつである」

とする。「ぬし」は,

「之大人(のうし)の約と云ふ。後誤りて,ノシと云ふ」(大言海),
「〜の主人のつづまった『〜ぬし』が独立して名詞となったものか」(岩波古語辞典),
「うし(大人)の転」(和字正濫鈔・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健),

等々とある。「うし」は,「ぬし」と同源というより,「うし」があるから,「ぬし」がまれたというべきである。ならば,

ウ(大)+シ(人),

説が着目される。大言海は,「う」の項で,

大,

を当て,

「おほの約まれる語。おほけ,うけ(食)。おほみ,うみ(海)。おほし,うし(大人)。おほば,うば(乳母)。おほま,うま(馬)。おほしし,うし(牛)。おほかり,うかり。沖縄にておほみづ,ううみづ(洪水)。おほかみ,ううかめ(狼)」

とする。「うし」の単独用例が無いとの日本語源大辞典の説明とも合致する。この「うし」の変化と考えると,

支配者,

という意味が生きてくる。字鏡に,「しうと」の古名「しひと」について,

「婚,呼昆反,婦人之父,志比止」

とある。これを,

「『しひと』とは、恐らく『し(る)ひと』、つまり、『知る(領る、とも。治める、という意味)人』、一家の長という意味だったのではないでしょうか」

と解釈(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1019780760)するものがあるが,

ウシヒト→シフート→シヒト→シウト→シュウト,

との転訛とみなせば,

ぬし,

との関係から見ても,家族の中の長の意はある。「ぬし」は,

之主人(うし),

の約なのだから。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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大人


「大人」は,

おとな,

と訓むが,「しゅうと」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%A8)で触れたように,

うし,

とも訓ます。これは江戸期の国学者の再生させた言葉である。ほかに,

だいじん,
だいにん,

等々とも訓ます。多少意味の幅は異なるが,いずれも,

成人,

の意を持つ。「おとな」は,同じく,

大人,

と当てているが,

うし,

とは少し由来が異なるようである。「おとな」は,

乙名,

とも当てる。岩波古語辞典は,

「成人式をすませた人の意。オトはオトトケシのオトと同根か。ナはオキナ(翁)・オミナ(嫗)などのナに同じか」

とある。「おととけし」とは,

巨大である,

という意で,「だいじん」と同意になる。「だいじん」「だいにん」は,

小人の対,

で,

からだの大きい人,

の意から,

一人前の人間,

「おとな」の意となり,メタファとして,

大人物,

の意から,

徳の高いりっぱな人,
度量のある人,
地位や身分の高い人,
父・師,

と,「うし」の意に重なる。

「おとな」は,成人,

男子なら,元服式をすませた者,
女子ならば裳着(もぎ)をすませた者,

つまり,

社会的に一人前の義務と資格とを与えられた者,

をさす(仝上)。「だいじん」と同じように,

精神的・肉体的に成熟した人,
(女房などの)頭に立つ人,
長老,

の意となる。「長老」「宿老」の意では,

乙名,

と当てることが多い。信長公記では「おとな」は,家老を指し,信長に付けられた,林秀貞,平手政秀は「おとな」とされる。徳川幕府の「老中」も,宿老であり,「おとな」に当たる。

この「おとな」を,大言海は,

「大人成(おほひとなり)の約略。旅人(たびひと),たびと。大成(おほきなり),おきな(翁)。大女成(おほめなり),おみな(嫗)。小女成(をめなり),をみな(女)。項後(うなじり),うなじ。禮代(ゐやじり),ゐやじ」

とする。

オホヒトナ(大人名)の義か(和訓栞),

も同種だが,日本語源広辞典は,

「オオ(大)ト(人)ナ(成・名)」

とする。

「『観智院本名義抄』に『長』に『オトナツク』という訓があり,人として長じたようすを指すものと思われる。『書言字考節用集』では漢籍にある『家長・傳御・監奴・老長』などの用字に『おとな』と訓みをつけるなど,(一族,集団のおもだった者,かしら等々の意の)勢力は長く続いたが,近代以降では,(成人式を終えた男女)の意として専ら用いられた」

とある(日本語源大辞典)ので,「おとな」の意は,語源はともかく,

「おとなになり給ひて後は,ありしやうに御簾の内にも入れ給はず」(源氏)

のように,「成人」の意であったものが,

乙名,

と当てる,

長老,
宿老,
かしら,

といった意味で使われるようになり,それが先祖返りして,成人の意に戻ったようである。とすると,

うし,

しうと,

の意味の変化とは少し異なるのかもしれない。「おとな」は,

「乙名・長・長男・長者・長生・老・老人・老男・宿老・家老」

などとも書くとして,

「一般に集団の中の指導者をさすが,特に中世後期以降の村落の代表的構成者をさす用語として頻出。近畿地方の宮座において,若衆(わかしゅう)が一定の年齢に達し,規定を全うした時,老人衆に加入できた。村落自治の発達した惣村(そうそん)における〈おとな〉衆は惣村の代表として村政を指導した。〈おとな〉衆は名主層,土豪層だったとみられる。江戸時代には平百姓に対する上層民をさし,村方三役(むらかたさんやく)などに就いている」

とある(百科事典マイペディア)のは,「おとな」の意味が「長老」の意としてもっぱら使われていた時期の,意味の範囲と見ることが出来る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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おとなしい


「おとなしい」は,

大人しい,

と当てる。「大人」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E5%A4%A7%E4%BA%BA)で触れたように,「大人」は,

成人の意である。今日は,日本語語感の辞典が,

性質や態度が穏和で従順な意,

として使うとするように,

落ち着いて穏やかである,
とか,
素直で落ち着いている,

といった,

穏やかさ,

の意味で使うことが多い。「大人し」は,

大人らしい,

大人っぽい,ませている,

年かさで物の心得がある,

という意味の流れ(岩波古語辞典)は,「大人」の意味の外延として不思議はない。まあ,

大人らしい,

品行方正である,

まで(江戸語大辞典)も,意味の外延になくはない。しかし,

温順である,
素直である,

の意は,どこからきたのだろう。

年配である,

一族の長らしい、また、年長者らしい思慮、分別がある,

従順,温和である,

の意味の転換も,ちょっと分からない。荒々しくない,逆らわないのが,我が国流の「大人」という拡大解釈をするなら,別だが。

「おとなしいは,『 成人』を意味する『大人』を形容詞化した語。元々,おとなしいはその言葉通り『成熟しているさま』を表したが,『思慮分別が備わっていて年長者らしい』といった意味が含まれるようになったことで,『大人びている』『大人っぽい』など実際の年齢を問わない表現となった。『大人のような』といった意味から,『穏やか』『落ち着いている』『静か』という意味が含まれるようになり,『素直なさま』『従順なさま』も表すようになった。更に,『おとなしいデザイン』というように,人間以外のものに対しても落ち着いた性質を『おとなしい』と表現するようになった」

とする語源由来辞典の説明も,

穏やか,落ち着いている,静か,

素直なさま,従順なさま,

には,価値の転換がある。「穏やかである」「落ち着いている」は,ある意味,状態表現である。それを,

素直なさま,従順なさま,

という価値表現に飛躍させるのは,どこかいかがわしい。日本語源広辞典は,

「語源は,『大人+シ』です。静かで,落ち着いて,従順な人を,オトナシイ人と言います。子供の性質状態によく使うのですが,現在では,年配の人にも,『お爺さんは,仕事疲れとお酒で,おとなしく休んでいやはるわ』などと使います。ところが,驚いたことに,オトナシの語源は,大人+シなのです。したがって,成人や老人には使わなかった言葉です。本来,聞き分けのない乱暴な子供が,大人にようにものわかりよく,温順な場合に,使ったと言われます」

とする。「大人しい」が,このように,

子供に使う,

言葉であるならば,

穏やか,落ち着いている,静か,

素直なさま,従順なさま,

の価値転換は納得できる。大言海も,「おとなし」を,

老成,

と当て,

「大人(オトナ)を活用す。男男(ヲヲ)し,女女し,稚子(ヤヤコ)しなど同趣なり」

として,

成人(おとな)びたり,
ませたり,

の意を載せる。

宿老(おとな)らしい,

の意も,その意味に倣うなら,

宿老(長老)にふさわしくなった,

という含意になる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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みずくさい


「みずくさい」は,

水臭い,

と当てる。文字通り,

水っぽい,
水分が多くて,味が薄い,

という状態表現だが,これをメタファに,人と人の関係の,

よそよそしい,
他人行儀,

の意で使う。大言海は,

濃き情の淡淡しくなる意か,

とし,

厨人の語。壺の内の鹽氣淡し(越前大野郡にても云ふ),

として,

又,水多くして,味あわし,

とする。もともと料理人の言葉であったのか? とすると,

「食べ物や飲み物の水分が多く、『味気ない』『まずい』ことを『水臭い』と言うことから、比喩的に人に対しても用いられ、愛情の薄いこと、親しい間柄なのによそよそしいことを『水臭い』というようになった」

とする(語源由来辞典)のは違うのではないか。「味のない」ことは,

味が薄い,

とは言うが,

水臭い,

とは言わない気がする。それなら,酒杯をやりとりのやりとりで,

「盃洗(水の入ったどんぶりのようなもの)で杯を洗ってから相手に差し出したのです。それが礼儀なのですが、盃洗で洗った杯で酒を飲むと、酒に微妙に水の味が残り、『水臭い酒』になります。このことから他人行儀なことを『水くさい』というようになった」

という説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118920906)の方が,

「この酒,水っぽい」

という意で,

水臭い,

ということはあり得なくもないが,あまり使わない。

「水臭いの『臭い』は、『〜の臭いがしてやな感じ』という意味の形容詞であり、『カビ臭い』『生臭い』『バタ臭い』などと用いる。したがって、『水臭い』とは直訳すれば『水の臭いがしてやな感じ』となるが、水は臭いがしないので、『何の臭いもしないほどやな感じ』、つまり『親しい間柄なのによそよそしくてやな感じ』とか『水のように味のしない酒』といった例えに用いられる」

というの(笑える国語辞典)が「水臭い」の解釈では,わかりやすい。

「みずくさい」が,

よそよそしい,

の意とすると,その反対は,

親しい,
仲がいい,
あるいは,
睦まじい,

である。室町時代までは,濁らず,

むつまし,

立ったようであるが,「むつまじい」は,

水入らず,

とも言う。大言海は,

親しきものの中に,疎きものの混じるを,油に水の入りたる如しという譬えより出づ,

とある。そういう譬えがあるかどうかは分からないが,語源由来辞典も,

「質が違っていてしっくり解け合わないさまを『油に水』というのに対し、親しい者だけが集まった状態を、油に水が入っていないところからいうようになったもの。 つまり、『水入らず』で水が混じっていないといっているものは油で、『油』が『内輪の者』『親しい者』を、『水』が『他人』を表している」

としている。江戸語大辞典も,「水入らず」の意を,

近親者ばかりが集まっていること,
他人を交えないこと,

とし,

転じて,

きわめて親しき者の間柄にもいう,

とあるので,油と水の喩えは,当たっているようである。俚言集覧にも,

「親しい者の中に疎い者のはいるのを,油に水の混じった状態にたとえるのに対し,水の入らない親しい者ばかりの意」

とある。

水を差す,

というのは,

上手くいっているのに,邪魔して不調にする,

意であり,相撲の,

水入り,

とは,

双方を分ける,

意である。冷たい「水」には,

冷ます,

効果が,確かにある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
芳賀矢一校閲『日本類語大辞典』(講談社)

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「株」は,

伐り倒した木の残った幹,または根,

つまり,

切り株,

の意であるが,

稲の株,

のように,

植物の何本かが一緒になった根元,

の意,あるいは,

株分け,

のように,

根株を分ける,

意味をメタファにして,江戸時代,

株仲間の組合員の独占した権利,

転じて,

営業上,職業上の特権,

の意になり,更に,

相撲の年寄株,
御家人株,
同心株,

というように,売買される,

役目,身分,名跡,

の意となり,

そこから,いわゆる,

株券,
株式,


の意として使われるに至っている。この経緯を,語源由来辞典は,

株式の「株」は、木を切った後にずっと残っている根元のこと。 株の「ずっと残っている」 という意味から、世襲などによって継続的に保持される地位や身分も「株」というように なった。 そこから、共同の利権を確保するために結合した商工業者の同業組合を『株仲間』と呼ぶようになり、出資の持分割合に応じた権利が保持されることを『株式』と呼ぶようになった,

とまとめている。

さて,「かぶ」の語源であるが,岩波古語辞典は,

株,
頭,

と当て,

「カブラ(蕪)・カブヅチのカブと同根。塊になっていて,ばらばらに離れることがないもの」

としている。

「かぶり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%82%8A
「あたま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%BE

で触れたように,「あたま」は,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

という転訛した。その「かぶ」は,「すずな」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%99%E3%81%9A%E3%81%AA)で触れたように,後世,

かぶら(蕪菁,蕪),

と呼ばれる。「かぶら」は,

かぶらな(蕪菜)の略,

で,「かぶらな」は,

「根莖菜(カブラナ)の義」

とあり(大言海),「かぶら」は,

根莖,

と当て,

カブは,頭の義。植物は根を頭とす,ラは意なき辞,

となる(大言海)。「かぶ」は,

あたま(頭),
かぶ(蕪),
かぶ(株),

と同源であり,「かぶと」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%81%A8)で触れたように,

「頭蓋(カブブタ)の約転(みとらし,みたらし。いたはし,いとほし)」(大言海),
「カブ(頭,被る,冠)+ト(堵,カキ,ふせぐもの)」(日本語源広辞典),
「『かぶ』は頭の意と考えるのが穏当であろうが,『と』については定説を見ない。」(日本語源大辞典),

と,

かぶと,

とも重なる。語源由来辞典は,

「アブラナ科の『カブ( 蕪)』と同源で、『かぶ(頭)』のことと思われる。 『頭』を意味するのは、木を切って残った部分ではなく、根の上が頭を出しているといった認識によるものであろう」

と解釈している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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煎餅


「煎餅」は,

せんべい,

と訓ませるが,中国語で,

餅を焼きたるもの,

とあり(字源),我が国では,

うどん粉に砂糖ををまぜ,種々の型に入れて薄く焼きたる菓子,

をいう(仝上)。やっかいなことに,「煎餅」は,

小麦粉,
粳米,
もち米,

と材料が異なり,地域によって,「煎餅」という言葉で,イメージするものが異なる。広辞苑は,

塩せんべいのこと,

と載せ,その上で,

干菓子のの一種。小麦粉,または粳米(うるちまい)・糯米(もちごめ)の粉に砂糖などを加えて種を作り,鉄製の焼き型に入れて焼いたもの,

という意味を載せる。

「煎餅」の「煎」(せん)は,

「会意兼形声。前の刂を除いた部分は,『止(足)+舟』の会意文字。前は,それに,刀印を加えた会意兼形声文字で,もとそろえて切ること,剪(セン)の原字。表面をそろえる意を含む。煎は『火+音符前』で,火力を平均にそろえて,なべの上の物をいちように熱すること」

で(漢字源),「煎る」意である。「煎」は,

「火去汁也」

と註し,汁の乾くまで煮詰める意である。「餅」(漢音ヘイ,呉音ヒョウ)は,

「会意兼形声。『食+音符并(ヘイ 表面を平らにならす)』で,表面がうすく平らである意」

で(仝上),「小麦粉をこねて焼いてつくった丸くて平らな食品」の意で,「もち」の意はない。だから,

「奈良朝時代に中国から唐菓子の一つとして伝来した煎餅は,小麦粉を薄紙のようにのばし,これを油で揚げたものであった」

という(たべもの語源辞典)。和名抄には,「煎餅」を,

世間云如字,

とあり,和訓されておらず音訓みされていたようで,,どうやら,

せんへい→せんべい,

という転訛していったもののようである。いまの「煎餅」の嚆矢は,

「空海が中国で順公皇帝に召され,供せられたものに龜甲型の煎餅があったが,これは油で揚げてない淡泊な煎餅であった。空海は帰朝して,山城国葛野郡嵯峨小倉の里の住人和三郎にこの製法を伝えた。和三郎は,これを作り,亀の子煎餅と名づけて嵯峨天皇に献上したところ『嵯峨御菓子御用』を命ぜられた。彼は亀屋和泉藤原政重と号し,諸人にその製法を伝授した」

とある(仝上)。日本語源大辞典は,こう書いている。

「『天平十一年伊豆国正税帳』には,『煎餅』『阿久良形』『麦形』などをつくるために胡麻油を用意したことが記されており,『天平九年但馬国正税帳』には,『伊利毛知比』の語がことなどから,奈良時代に唐菓子の一種である煎餅があって,『いりもちひ』と呼ばれていたことがうかがえる」

この場合,小麦粉の「煎餅」と思われる。

江戸時代になると,関東では,

瓦煎餅,
龜甲煎餅,
味噌煎餅,
小豆煎餅,
玉子煎餅,
カステラ煎餅,

と多様化し,関西では,

切煎餅,
豆煎餅,
千筋煎餅,
海煎餅,
半月煎餅,
小形五色煎餅,
胡麻煎餅,
短冊煎餅,
木の葉煎餅,

等々が作られた,という(仝上)。これらはみな,「小麦粉を用いたもので,瓦煎餅系」である。これとは別に,

「糯(もち)米粉や粳(うるち)米粉を用いた煎餅があった。丸輪の塩煎餅系である」

とある。広辞苑が「煎餅」の意に,塩煎餅としたのは,この故である。

この「煎餅」の由来は,どうやら別で,似たものは,

「すりつぶした栗や芋類(サトイモ、ヤマイモなど)などを同様に一口大程度に平たく押しつぶして焼いた物が、縄文遺跡の住居跡からも出土している。
吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡の住居跡から、一口大程度に平たく潰し焼いた穀物製の餅が出土しており、既に弥生時代には煎餅に近い物が食されていたのではないかと考えられている」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%8E%E9%A4%85),

「元来、日本では糯(もち)、うるちを問わず、米を蒸したものを『飯』と呼び、今の『強飯』でこれが昔の常食でした。これを搗(つ)きつぶしたものをもち(餅)といいました。餅には生餅と、乾餅(ほしもち)があり、乾餅は別名『堅餅(かたもち)』とも呼ばれて、焼いて食べる保存食として重宝がられました。
 そのため、戦陣に携行する兵糧でもありました。後世、この中に豆や胡麻をついて入れたり、塩味をつける製法が好まれました。これが『塩堅餅』で、これを焼いたものが後の『塩せんべい』で、草加せんべいの源流となっていきます」

とされるのも故がある(https://sokasenbei.com/origin.html)。因みに,草加せんべいは,

「江戸時代、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗るようになりました。草加では、専らこの醤油せんべいが売れるので、従来の塩せんべいは醤油せんべいに代わりましたが、名前は古くからの塩せんべいと言われつづけてきました」

ということらしい(仝上)。和漢三才図絵(1712年)には,「煎餅」の,

「製法は小麦粉に糖密を加えて練り、それを蒸して平たくのばす。適当な大きさにまとめ鉄の『皿範(かたち)』であぶる、とある。このころまでは、せんべいは小麦粉食品という本来の形を守っている。」

とある。で,米の「煎餅」が意識的につくられたのは,文化・文政(1804〜29)期らしく,

「江戸で日本人の創作による米を使った丸形の塩せんべいが流行し、江戸っ子はこちらの方を『せんべい』と呼ぶようになった。一方関西では依然として小麦粉せんべいがせんべいであり、米せんべいを『おかき』とか『かきもち』と呼んで区別した。」

とある(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO17176370R00C17A6000000/)。こんな流れで,小麦粉由来も,粳米・糯米由来も,ひっくるめて「煎餅」と言っているので,「あられ」や「おかき」との線引きがむつかしいが,いちおう,「あられ」は,

「餅を煎るときに音を立てて跳ね,霰に似ているから付いた名で,小さいもの」

「おかき」は,

「鏡餅を手や鎚で欠き割ったことから『欠き餅』と呼ばれ,女房詞で『おかき』になったもので,霰に比べて大きい」

とされるらしいhttps://chigai-allguide.com/%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%B9%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%82%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A8%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%8D/

笑える国語辞典は,こうまとめている。

「煎餅(せんべい)とは、小麦粉や米粉を原料とした焼き菓子。関西方面では、小麦粉に砂糖、卵などを混ぜ、型に入れて焼く瓦煎餅が多く、関東地方では、水で溶いた米粉を薄くのばして焼き、しょう油などで味付けしたものが主である。固い菓子であり、歯が弱くなって固いものがかめなくなった年寄りのところへ持参するいやみなお土産として適している。
 ところで中国や台湾で『煎餅』というと、以前は水に溶かした小麦粉やコーリャン粉を鍋などに薄くのばして焼いたもの、つまりクレープの皮みたいなものを言ったようだが、いまではパンケーキのことを主に言うらしい。」

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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刎頸の交わり


「刎頸の交わり」とは,

生死を共にして,頸を刎ねらるとも,渝(かは)らざる親交,

の意(大言海)である。「知己」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%9F%A5%E5%B7%B1)は,「史記列伝」の, 

士は己を知る者の為に死す,

に基づく,

自分の心をよく知っている人,

の意だが,「知音」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%9F%A5%E9%9F%B3)は,

子期死して伯牙復琴をかなでず,

断琴の交わり,

とも言うような,相手が死ぬと,

世に復た琴を鼓すに足る者無し,

と言わしむるような友を指す。

莫逆の友,
竹馬の友,
肝胆相照らす,
管鮑の交わり,
金蘭の交わり,

等々,いずれも友の意だが,「刎頸の交わり」は,単なる友情を指すのではない,と思う。出典は,「史記」廉頗藺相如伝の,

「廉頗,…至藺相如門,謝罪曰,鄙賤之人,不知将軍寛之至此也,卒相與驩,為刎頸之交」

の,

卒(つひ)に相与に驩(よろこ)びて刎頸の交はりを為す,

から来ている。その謂れは,少し長いが,

「藺相如は大国秦との外交で体を張って宝物『和氏の璧』と趙の面子を守り、趙王に仕える宦官の食客から上卿(大臣級)に昇格した。しかし歴戦の名将である廉頗は、口先だけで上卿にまで昇格した藺相如に強い不満を抱いた。それ以降、藺相如は病気と称して外にあまり出なくなった。
ある日、藺相如が外出した際に偶然廉頗と出会いそうになったので、藺相如は別の道を取って廉頗を避けた。その日の夜、藺相如の家臣たちが集まり、主人の気弱な態度は目に余ると言って辞職を申し出た。だが藺相如は、いま廉頗と自分が争っては秦の思うつぼであり、国のために廉頗の行動に目をつぶっているのだと諭した。
この話が広まって廉頗の耳にも入ると、廉頗は上半身裸になり、いばらの鞭を持って、『藺相如殿、この愚か者はあなたの寛大なお心に気付かず、無礼をしてしまいました。どうかあなたのお気の済むまでこの鞭で叩いて下され』と藺相如に謝罪した。藺相如は『将軍がいてこその趙の国です』と、これを許し、廉頗に服を着させた。廉頗はこれに感動し『あなたにならば、たとえこの首をはねられようとも悔いはございませぬ』と言い、藺相如も同様に『私も、将軍にならば喜んでこの首を差し出しましょう』と言った。こうして二人は互いのために頸(首)を刎(は)ねられても悔いはないとする誓いを結び、ここに『刎頸の交わり』という言葉が生まれた。この二人が健在なうちは秦は趙に対して手を出せなかった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%8E%E9%A0%B8%E3%81%AE%E4%BA%A4%E3%82%8F%E3%82%8A)。

この話には前段があり,趙の「和氏の璧」(かしのへき)という天下に名高い国宝を,秦王がぜひともこほしいから秦の15城と交換しないかと言ってきました。趙の側としては願ってもいない破格の好条件です。しかし、約束が守られる保障はまったくありません中国一の強国に対しては,「和氏の璧」を持って秦に伺うのが礼儀。この大役を任され,無事に持ち帰ったのが「食客」であった藺相如(りんしょうじょ)であった(http://housuu.com/c4.html)。

刎頸の交わり,

に似ているのが,

水魚の交わり,
爾女の交わり,

等々がある。よく似ているのが,

水魚の交わり,

で,

水と魚のような交わり,

の意で,「蜀志」諸葛亮傳の,

「狐之有孔明,猶魚之有水也。願諸君勿復言」

による。「狐」は帝王の自称,つまり,

劉備が諸葛孔明と自分との間柄をたとえた,

ものなので,単なる友情を指してはいない。

爾女の交わり,

も,

互いに「おまえ」「きさま」などと呼び合うようなきわめて親密な交際,

を指すが,単なる友情を指しているように思える。

こう見ると,個人としての友情の強さを示す言葉はたくさんあるが,

刎頸の交わり,
水魚の交わり,

のように同志,というか共に何かを目指すという交わりを表現する言葉が意外と少ないのに気づく。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

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ブタ


「ブタ」は,

豚,
豕,

と当てる。「豚」(漢音トン,呉音ドン)は,

会意。肉+豕,

で,「豕」(シ)は,

象形。いのしし,またはぶたの姿を描いたもの。からだが直線状をなして曲がらず,短い形をしている意を含む,

で,いのしし,または豚の意。「いのしし」は,

猪,
豬,
豕,

と当てる。「猪」(チョ)は,

会意兼形声。「豕+音符者(充実する,太る)け。肥ったいのしし,その家畜となったのがぶた,

で,猪の意であり,転じてふとったぶたの意でもある。いのししとぶたは,あまり区別されていない(漢字源)。なお,

「現代中国語では、『ブタ』は『豬(=繁体字)/猪(=簡体字)』と表記され、チュー(zhū)と呼ぶ。古語では『豕』(シー shǐ)が使われた。西遊記に登場する猪八戒はブタに天蓬元帥の魂が宿った神仙で、『猪(豬)』は『朱』(zhū、中国ではよくある姓)と音が通じるために姓は『朱』にされていた。しかし明代に皇帝の姓が『朱』であったため、これを憚ってもとの意の通り『猪(豬)』を用い、猪八戒となった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%BF)。

日本では,弥生時代,遺蹟にいのししだけでなく,ぶたの発見があったとされてきたが,

「255塩基対を含む574塩基対による系統解析を行い、10資料のうち6資料が現生イノシシと同じグループに、4資料は東アジア系家畜ブタと同じグループに含まれ、大陸から持ち込まれた家畜豚は九州・四国の西日本西部地域に限られている点を指摘した」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%82%BF),いのししの家畜化したぶたは国内で発見されることなく,中国から,ぶたを持ち込んだものとされている。古墳時代になると,

「遺跡からもブタの骨は出土している。『日本書紀』『万葉集』『古事記』にみられる『猪飼』『猪甘』『猪養』などの言葉の『猪』はブタの意味であり、ブタが飼われていた」

とされる(仝上)。漢字での「豕」「豚」を,和語「ぶた」に当てはめたのは,どうやら,弥生時代もかなり新しくなって以降と思われる。

「『播磨国風土記』賀毛郡山田里に仁徳天皇の御代に豬を放飼した地とある。安康天皇の御代に山城国に豬飼(豚飼)がいた」

とある(日本語の語源)。既に「ブタ」が飼育されていた。

さて,この「ブタ」の語源について,めずらしく大言海の説明が長い。

「南洋語腿(もも)の義。馬来(マレイ)語ベチス,スンダ(sunda),ビチス。暹羅(しゃむ)語バチ。支那人,此語を本邦に入れたりとおぼゆ。さるは,豚の腿を燻製したるものを,臘乾(らかん 広東語なるべし)と云ひ,其品,渡来してブタと呼び,後に其獣の渡りて,なの移れりと考ふ。さる理(ことはり)のあるべきは,キサ(象)は,初,象牙の渡りて,牙を橒(キサ)あるより名とし,遂に獣名に移れり。ウメ(梅)も,初,梅干にて渡り,烏梅(ウメ)と呼びしが,生なる種の渡来して,植ゑて成長し,遂に樹名となれり。これらと同趣なるべし。沖縄にて豚をウワァと云ひ,朝鮮にてトヤジと云ふ。或は云ふ,万葉集十二『驄馬(アシゲウマ)の,面高夫馱(オモタカブタ)に乗りて來べしや』,同十八『馬に布都麻(フツマ)に,負せもて』とあるは,太馬(フトウマ)の約なれば,上の面高夫馱も面高太なるべし(面高は面をくさしあぐるなり)。因りて,ブタ(豚)も太く肥えたれば,豬太(ヰブト)の上略轉の語なるべし」

と。しかし弥生時代に既に「豚」が存在する以上,燻製→現物という苦心の説も意味がない。後半の,「豬太」と同じ趣旨なのが,

「豬+太,ヰブタからヰが脱落」

であり(日本語源広辞典),

「フトキ(太き)毛物は,フトがブタ(豚)になった」(日本語の語源)

と,

「この獣が太って肉がブタブタしていたところから」(たべもの語源辞典)

は,ほぼ同趣旨である。

「ぶたぶた」を擬態とする説(和訓栞)もほぼ同じである。

その他に,鳴き声説もある。

「『フト(太)』と鳴き声の『ブー』が合わさり,ブタになった」

とする説(語源由来辞典),

外国語由来とする説は,大言海以外にも,

豚の意の朝鮮語チプトヤナの略轉(言葉の研究と古代の文化=金沢庄三郎),
猪の意の蒙古語ボトンと関係があるか(日本の言葉=新村出所引),

もある。

個人的には,太っているとする擬態語説に与したい。初見の驚きがあるように思うが,どうであろうか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ほざく


「ほざく」は,

他人がものを言うのをののしっていう語(「ヤア餓鬼も人数、しをらしいことホザいたり」浄瑠璃・国性爺合戦,「ぬけぬけとホザくな」),
動詞に添えて、他人の行動をののしっていう語(「盗みホザいたな」浄瑠璃・心中天の網島),

というあまりいい言葉遣いではない(広辞苑)。

「ホサクの転か」

ともある。「ほさく」は,

祝い事を言う,ほぐ(祝ぐ),
と,
呪い事を言う,呪う,

の両様の意味がある(仝上)。「ほぐ」は,

平安時代まで清音,

とあり,

ほ(祝)く,

であった。

良い結果があるように,祝いの言葉を述べる,たたえて祝う,
と,
悪い結果になるように呪詞を述べて神意を伺う,呪う,

意がある。岩波古語辞典には,「ほぐ」は,

祝ぐ,
禱ぐ,

を当て,

祝い言を言う,

意しかない。「のろう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E5%91%AA%E3%81%86)で触れたように,呪う

は,語源的には,

「祈る(ノル)」+「ふ」

で,基本は,「祈る」の延長戦上にある。「のろう」は,

呪う,
詛う,
咒う,

と当てる。「呪」(咒 ジュ,呉音シュ,漢音シュウ)は,

口+兄

で,もともとは,「祈」と同じで,神前で祈りの文句を称えることなのだが,後,「祈」は,

幸いを祈る場合,

「呪」は,

不幸を祈る場合,

と分用されるようになった,とある(漢字源)。「詛」(漢音ソ,呉音ショ)の,



は,俎(積み重ねた供えの肉)や阻(石を積み重ねて邪魔をする)を示す。「詛」は,その流れで,

言葉を重ねて神に祈ったり誓ったりする,

の意味だ。どちらも,神に祈る行為の延長戦上で,

自分の幸,

ではなく,

他人の不幸,

を祈るところへシフトする。しかも,

他人の不幸を実現することで自分の幸を実現しようとする

という,屈折した祈りだ。「呪う」意にしろ「祝う」意にしろ,

ほさく,

と,相手が物を言うのを嘲る,

ほざく,

では,ちょっと含意が異なりはしまいか。いまひとつ,

ほた(嘐)く,

由来とする説がある(日本語俗語辞典)。

自慢そういう,

意である。少なくとも,

勝手にほざいてろ,

という使い方の意味とはつながる。この転訛ではあるまいか。

ほたく(自慢そうにいう)→ほざく(言うことを罵る),

の転化なら,あり得る。

「ほざくとは『話す・言う』という意味で、他人の話しの内容や話した人に対して罵る意を込めて使われる言葉であるこのため自分が話す行為を『ほざいてやった』『ほざいてくる』といった使い方はしない。ただし、若者の間で聞き手を罵る意を込め、あえてこういった使い方をすることが増えている。また、反省をする場合に『あんな風にほざいてごめん』という形では昔から使われている。」

という(仝上)用例から見ると,「うそぶく」意の,

吹く,

含意がある。あるいは,それを揶揄する意味がある。

「『天皇が自分の意見を世に伝える』という意味で使われていた尊敬語『のたまう』は、現在では、『これはまた異なことをのたまうものだ』『また酒に酔ってのたまっていた』など相手の言うことに、皮肉めいたニュアンス伝えるために使われることがあります。現在の『のたまう』に近いニュアンスの言葉に『ほざく』があります。」

とある(https://tap-biz.jp/lifestyle/word-meaning/1052998)のは,「ほざく」と「のたまう」の,相手の言動を揶揄する含意に着目したものとみることができる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ぬかす


「ぬかす」は,

抜かす,
吐かす,

と当てる。

「言う」「しゃべる」の意を卑しめていう語,

として,

言いやがる,

という意味である。室町末期の日葡辞書にも,

ナニヲヌカスカ,

と載る。しかし「抜かす」には,

追い抜かす,

というように,

仲間から抜かす,
居ない人は抜かして回覧,
順番を抜かす,

という,

外す,
間を飛ばす,

という意で使う言い方もある。あるいは,

現金を抜かす,

という使い方の,

抜き取る,

意や,

腰を抜かす,

という使い方の,

力をなくす,

という意もある。更には,

ある場所から逃げ出させる,

意の,

「権三様をもあの婆が、見ぬやうにそっと抜かして往 (い) なせませ」〈浄・鑓の権三〉

という用例もある。日本語源広辞典は,

「語源は『ヌクの未然形+ス(語尾)』です。順番をヌカス,腰をヌカス,のように使います。罵る言葉のヌカスも同源です。不満や怒りなどを言葉にして抜くとみる動詞で,吐カスの字を当てます」

とするが,「ぬかす」は,

不満や怒りなどを言葉にして抜く,

という含意ではない。どちらかというと,すでに触れた,

ほざく(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E3%81%BB%E3%81%96%E3%81%8F),

という同じく,相手の言動を揶揄しているにすぎない。

大言海の「ぬかす」の項は,

抜きて除くる。漏らす,

で,

脱,

を当てる。さらに,

漏らす意より転じて,物言ふ,口に出す,

の意とし,

罵る鄙語,

とする。用例を見ると,

「その上,男をうつけたとぬかす,おのれの堪忍がならぬ」(狂言記・河原新市)

とある。

ヌカス,ヌカサスは口より漏洩の義(俚言集覧),

も同趣旨である。

抜き取る→漏洩する→漏らす→しゃべる,

と,「ぬかす」の意味が転訛していった,と見るのが妥当に思える。

抜けさせるい,その転用(上方語源辞典=前田勇),

もその流れで見ると分かりやすい。笑える国語辞典の,

「抜かすとは、大阪あたりで『なに、ぬかしとんねん』(「あなたは何を言っているのですか?(私には理解しかねます)」の意)などと使われるように、『言う』の俗語的表現である。『抜けさせる』の意味で、口から言葉を抜けて出させる、つまり、あまりよく考えもせずに言葉を口から出してしまうというニュアンスがあり、主に、そんな『抜かした』発言を受けた相手が、発言者を非難するために用いる」

とあるのも,「抜けさせる」を「しやべらせる」と考えると,何となく納得がいく。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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にやける


「にやける」というと,

にやついている,
にやにやしている,

という意味に思う。しかし,

ニヤケの動詞化,

として,

男などがめめしく色めいた様子,

とある(広辞苑)。「にやけ」は,

にゃけ,

とも言い,

若気,

と当て,

若衆,かげま,
男子の色めいた姿をしたさま,

とあり,「かげま」の意味の転化なのか,

肛門,

の意もある(広辞苑)。岩波古語辞典には,「にやける」は載らない。代わりに,

若衆,
若俗,

と当てる,「にゃくぞく」が載り,

若い人,十四,五から十八,九歳までの若者,
特に,男色の対象としての若衆,

とあり,さらに,

若道,

とあてる「にゃくだう」は,

男色,

を指す。大言海は,

若衆道の略,

とし,

弱(にゃく)の音の活用か,

とする。「若気」は当て字なので,なよなよしたさまを「弱(にゃく)」としたのは頷けなくもない。

江戸語大辞典は,「にゃける」に,

若気る,

と当て,

にゃくけ(若気)→にゃけ(縮約)→にゃける(動詞化),

の転訛とし,

男の容貌・風姿が女性的である,
男のくせになまめかしい,

の意を載せる。しかし「にゃけ」に,

にやけたさま,

としているので,この時点で,本来別の,

にやける,

という意味が重なっていることを思わせる。

にやっ,
にやにや,
にやり,
にやつく,

は,

声に出さず薄笑いを浮かべるさま,

の意の擬態語である。「にやにや」は,

「鎌倉時代から見られるが,当時は者が粘りつく様子を表した。『ねばき物を「にやにやとある」といへる如何といっているのはなぜか』(名語記)。『にやにや』笑うことを意味する『にやつく』も本来は,粘りつくことを表す語だった」

とある(擬音語・擬態語辞典)。さらに,こう付け足す。

「『にやつく』の類義語である『にやける』は本来は男色にかかわる語で,男性が女性のように艶っぽくふるまうことを表した。『にやにや』『にやつく』『にやける』が,薄笑いを浮かべる様子を表すようになるのは,明治時代以降である」

とある。

「にやける」は,語源由来辞典に,

「鎌倉・室町時代に男色を売る若衆を呼んだ言葉で、『男色を売る』という意味から『尻 (特に肛門)』も意味するようになった語である。」

とあるので,

にやける(若気),

にやにや,

は,全く別の意味で同時代に,共存していたことになる。「にやにや」が,

粘りつく→薄笑い,

へと転じたのが明治,「にやける」は,江戸期を通じて,

若衆,

の含意を保ち続けている。ここからは憶測だが,確か新渡戸の武士道美化に対して,

「薩摩琵琶と関係の親密な『賤のおだまき』は之を何とか評せん。元禄文学などに一つの題目となれる最も忌まわしき武士の猥褻は,余りに詩的に武士道を謳歌する者をして調子に乗らざらしむる車の歯止めなるべし」

との批判があった(http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163232.html)。そうした男色への批判的な空気が,

にやつく,

にやける,

の意味を重ねたのではないか。本来,

にゃける,

であった「若気る」が,

にやける,

になったのは,明治である(日本語源大辞典)。「にやける」と「にやつく」が重なるはずである。

平成23年度の「国語に関する世論調査」では,「にやつく」の意味を,

薄笑いを浮かべている・・・・・・・・ 76.5%,

とし,

なよなよとしている・・・・・・・・・ 14.7%,

の意味を圧倒している。いまや,

にやつく,

にやける,

の意味は重なって使われている。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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