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コトバ辞典


むなしい


「むなしい」は,

空しい,
虚しい,

と当てる。「空」(呉音クウ,漢音コウ)の字は,

「会意兼形声。工は,つきぬく意を含む。『穴(あな)+音符工(コウ・クウ)』で,つきぬけてあながあき,中になにもないことを示す」

とあり(漢字源),「空なり」と,空しい意と空っぽの意で,「中空」,実の対語。虚とは類似で,「空虚」。つろの意で,無とつながる。「虚」(漢音キョ,呉音コ)の字は,

「形声。丘(キュウ)は,両側におかがあり,中央にくぼんだ空地のあるさま。虚は『丘の原字(くぼみ)+印符虍(コ)』。虍(トラ)は直接の関係はない」

とあり(仝上),むなしい,空っぽの意で,実の対。「空虚」。むなしくする意で,「虚己。中身がない意で,「虚言」等々。

「空」と「虚」の使い分けは,

空は,有の反なり,からと譯す。空手・空林・空山・酒樽空と用ふ,
虚は,實また盈の反なり,中に物なきなり,虚心・虚舟と用ふ。荘子「虚而往,實而歸」,

とあり(字源),「空」も「虚」も空っぽの意であっても,

有る→無し,
盈る→から,

とでは微妙に意味がずれる。

和語「むなし(い)」は,

「空(ムナ)の活用,實無し,の義」

とある(大言海)。「むな(空)」は,

「實無(むな)の義」

とある(仝上)。

「膐(膂)完之空國(むなくに)」

という用例がある(神代紀),とか。だから,

実がない→空っぽ→何もない→むなしい→はかない,

と,「から(空)」という状態表現が,転じて価値表現へと意味を変化した,とみることができる。

「心の中が空っぽになることからや、『形だけで中身が無い』『充実していない』という状態に対して残念に思う気持ちが,『むなしい』には含まれるようになり,『わびしい』や『みじめ』といった意味を含んで用いられるようになってきた。古くは,,死んで心や魂が抜け去り,体だけになっているところかにら,『命がない』という意味でも『むなしい』は用いられた」

とある(語源由来辞典)。

空しくなる,

という言い回しで,「亡くなる」意を意味した。

「むな(實無)」は,

「み(身・実)」と「な(無)」から生じた,

語で、

みな(身・実無 )→むな(實無),

へと転訛し,

「むな」に形容詞を作る接尾語「し」が加わって「むなし」になり、口語化され て「むなしい」となった。

という(語源由来辞典,日本語源広辞典)ことである。

「むて(無手)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E7%84%A1%E6%89%8B)で触れたように,

みなし→むなし,

の転訛は,

「@『中になにも無い。からっぽである』という意味のミナシ(実無し)はムナシ(空し)に転音した。〈庫にムナシキ月なし〉(記・序)。 
A転義して『事実無根である。あとがない』さまをいう。〈ムナシキ名をも空に立つかな〉(宇津保)。また,『無益である。無駄だ。かいがない』という意味を派生した。〈ムナシクて帰らむが,ねたかるべき〉(源氏・末摘花)。Cさらに『無常である。はかない』という意味が生まれた。〈世の中はムナシキものと知る時し,いよよますますかなしかりけり〉(万葉)。Dその転義として『命がない。死んだ』ことをいう。〈この人をムナシクしなしてむこと〉(源氏・夕顔)。上の二音ムナ(空・虚)を接頭語として名詞に冠らせた。人の乗っていない空車をムナグルマ(空車)といい,武器を持たないことをムナデ(空手)というのはAの語義を伝えている。
 Bの語義を伝えたムナ(空)は,『ナ』の子音が交替[nd]してムダ(徒。無駄)に転音した。ムダゴト(徒言)は『無益なことば。むだぐち』の意であり,ムダゴト(徒事)は『つまらないこと。徒労の行為』をいう」

と変化する(日本語の語源)。他にも,

モノナシ(物旡)の義(言元梯),
ムは圧定める,ナシは無の擬音(国語本義),
マナシ(真無)の転(和語私臆鈔),

等々あるが,語呂合わせに過ぎない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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「子」は,

児(兒),

とも当てるが,鳥の子の意で,

卵,

とも当てる(岩波古語辞典)。

大和の国に雁卵を産と汝は聞かすや(古事記)

という用例がある。

「たまきはる 内の朝臣(あそ) 汝(な)こそは 世の長人(ながびと) そらみつ 倭の国に 雁卵生(かりこむ)と聞くや」

と天皇が問うのに対して,建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)が,

「高光る 日の御子 諾(うべ)しこそ 問ひたまへ まこそに 問ひたまへ 吾こそは 世の長人 そらみつ 倭の国に 雁卵生(かりこむ)と 未だ聞かず」

と答えた,というのである。「雁卵生」を「かりこむ」と訓ませた。伊勢物語にも,

「鳥の子を十づつ十は重ぬとも人の心をいかが頼まん」(伊勢物語)

の,「子」も「卵」の意である。

「子」(呉音漢音シ,唐音ス)の字は,

「象形。子の原字に二つあり,一つは小さい子どもを描いたもの。もう一つは子どもの頭髪がどんどん伸びるさまを示し,おもに十二支の子(ネ)の場合に用いた。のちこの二つは混同して子と書かれる。」

とあり(漢字源),「児(兒)」(漢音ジ,呉音ニ)の字は,

「象形。上部に頭蓋の上部がまだあわさらない幼児の頭を描き,下に人体の形を添えたもの」

とあり(仝上),「小兒の頭囟(シン)未だ合はざるに象る」ともある(字源)。「囟」は,

「泉門(せんもん)。胎児や新生児の頭蓋骨にある、前後左右の骨の間にある隙間。成長するにつれて骨が接合していくため、隙間は無くなる。ひよめき。おどりこ。」

の意である(https://kanji.jitenon.jp/kanjio/7413.html)。「小兒の頭上の微かに動く所,頭會の脳蓋,頂門」(字源)ともあり,

「(ひよめき)は、幼児の頭の骨がまだ完全に縫合し終わらない形。思は、心臓の動き(脈拍)につれてヒクヒクとひよめきが動くこと。脳をおおっている頭蓋骨が心臓の鼓動でゆれるさま」

である(https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/02e8baeba431b3dd3c289b67212240e5)。実によく見ている。

「子」は,

親に対して子,

であると同時に,

「親が子を呼びしに起こりて,自らも呼びし語なるべし,男之子(オノコ),男子(ナムシ)の子(シ)なり。左傳,昭公十二年,注『子,男子之通称也』。白虎通,號『子者,丈夫之通称也』。和漢暗合あり」

というように「男の通称」であるが,「女(をみな)も子と云ふこと,特に多し。女之子(メノコ),女子(ニョシ)の子(シ)なり」ともあり,男女ともに使う。「親」に対して「子」という意味で,「子」は,様々なメタファとしての意味は多い。

「子」の語源は,

「小(コ)と同源か」

とあり(広辞苑第5版),

「小の義にて,稚子(チゴ)より起れる語なるべし」

とある(大言海)。『語源由来辞典』も,

「『こまやか( 細小)』の意味とする説や、胎内で凝りて子となることから『こる(凝る)』の意味とする説、『小』の意味など諸説ある。」(http://gogen-allguide.com/ko/ko.html

とした上で,

「『小』の意味とする説が妥当である。」

とする。意味からみでも,そんなところではないか。他には,

胎内でコリ(凝)て子となるところから,コル(凝)の義(関秘録・和訓栞),
キコリ(気凝)の義(日本語原学=林甕臣),
「孩」(カイ,ガイ ちのみご)の古音(ko)から(日本語原学=与謝野寛)

等々あるが,理屈に過ぎた説は大概,無理筋と思う。意味から見ても,

小,

から来ているのだとみていい。

「コ(小さいもの)」

であり,

「子,小,粉は同源」(日本語源広辞典)

としていいとは思うが,しかし接頭語「小」は当て字,「こ」はどこから来たのか。

小石,
小鳥,
小山,

等々,「ちいさい」ことを「こ」といったということは確かだ。

なお,「小」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%B0%8F)については触れたことがある。

因みに,「小」(ショウ)の字は,

「象形。中心のh線の両脇に点々をつけ,棒を削って小さく細く削ぐさまを描いたもの」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「親」は,

祖,

とも当てる。

子の対,

である。「親」(シン)の字は,

「会意兼形声。辛(シン)は,はだ身を刺す鋭いナイフを描いた象形文字。親の左側は,薪(シン)の原字で,木をナイフで切ったなま木。親はそれを音符とし,見を加えた字で,ナイフで身を切るように身近に接していること。じかの刺激を受ける間柄の意」

とあり(漢字源),「おや(親)」のであるが,疎の対で,親しむ意でもある。「祖」(ソ)の字は,

「会意兼形声。且(ショ)は,物を重ねたさまを描いた象形文字。祖は『示(祭壇)+音符且』で,世代の重なった先祖のこと。幾重にも重なる意を含む。先祖は祀られるので,示へんを加えた」

とある(仝上)。祖父の意である。「おや」は,

「古くは、父・母に限らず、祖父母・曾祖父母など祖先の 総称として、『おや』という語は用いられていた。」

とある(語源由来辞典)ので,「祖」の字も当てたのに違いない。

「おや」の語源は,日本語源広辞典は,二説挙げる。

説1は,「敬うのウヤ・イヤ」。敬うべき人の意,
説2は,「老ゆ+や,大ゆ+や,の変化」。老いた人の意,

「敬う」は,少し理屈が勝ち過ぎている気がする。大言海は,

「老(オイ)・大(オホ)と通ず,子(コ)・小(コ)に対す」

とし,語源由来辞典も,

「『子(こ)』『小(こ)』に対し、『老(おゆ)』『大(おお)』と関連付ける説が有力とされている」

とする(http://gogen-allguide.com/o/oya.html)。

『岩波古語辞典』も,

「オイ(老)と同根」

とし,「おい(老)」で,

「オヨシヲ(老男)・オヨスゲなどのオヨと同根。オヤ(親)も同根」

としている。ただ,大言海は,「おゆ(老)」の語源を,

「生(お)ふと通づるか」

としているが,日本語源広辞典は,

「老(お)ゆ」の語源を,

「大+ゆ(自然に経過してそうなる)」

としている。「おや(親)」と「おゆ(老)」が「大(オホ)」と重なっている。

「おや」の語源諸説は,

オユ(老)から起こった語か(和字正濫鈔・内珠庵雑記・和訓栞・大言海・国語学通論=金沢庄三郎・熟語構成法から観察した語原論の断簡=折口信夫),

が多数派,その他は,

オイテヤシナフ(老養)意か(日本釈名),
ヲヤ(老養)の義(柴門和語類集),
ヲホヤケの中略(和句解),
オホヤ(大家)の義(名言通),
ウヨ(上代)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄),
イヤ,ウヤマフなどに通じ,目下の者が発する応答の声から生じた語か(親方・子方=柳田國男),
父および老年の男子に対する親愛の称呼である「阿爺」から転じて両親の義になった(日本語原学=与謝野寛),

どう見ても,理屈が勝る説は自然ではない。「おゆ(老)」の転訛,

oyu→oya,

が,「大(オホ)」にも通じ,自然ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「髪」は,

上の意か(岩波古語辞典),
「上(かみ)」の意からという(デジタル大辞泉),

と,「上」とからませる説が大勢のようです。

「上の毛」の下略で「かみ」なったと考えられる(語源由来辞典・名言通・日本語原学=林甕臣),
上部が語源です。上にあるもの,つまり川上,頭,髪,守,裃など,共通語源のようです。頭の毛は,上の毛が語源です(日本語源広辞典),
身体の上部にあるところから,カミ(上)の義(和句解・日本釈名・箋注和名抄・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

等々。どうやら,ただ身体の上部にあるというだげではなく,

「『脇毛』や『胸毛』など,場所によって毛を区別する場合,『頭の毛』とか『髪の毛』といった表現がされ,『髪』が身体の部分とされることも『上部』との関係が考えられる。」(語源由来辞典)

という考え方のようである。ただ,『大言海』は,「かみ」に, 

上,
頭,
髪,

を当て,共に,

「頭(かぶ)と通ず」

とする。「あたま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%BE)で触れたように,「あたま」は,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と変遷したので,「かみ(頭)」「かみ(髪)」が,「かぶ」の転訛というのは不思議ではないが,「かぶ」自体が,「かみ」から転訛したのではあるまいか。『日本語源広辞典』のいう,

川上,頭,髪,守,

が同源というのは,意味があるように思える。「守」は,

「長官(かみ)」

であり,四等官(しとうかん)制の,

長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん),

の四等官のトップであり,その「かみ」も,「長官」(かみ)の中でも,

(官司)長官(かみ)
神祇官  伯
太政官  (太政大臣)
左大臣
右大臣
省    卿
職    大夫
寮    頭
司    正
(中略)
国司   守

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AD%89%E5%AE%98)と「頭」「守」も同じ「かみ」と訓ませる。この「かみ」は,トップという意味ではあるまいか。とすると,「かみ」は「上」である。

「髪」の語源説には,

カを上を意味する原語で,原型においては日の意味。ミは身の義。あるいはカミケ(頭毛)の略(日本古語大辞典=松岡静雄),
ケム(毛群)の義(言元梯),
「鬟」の別音kamの転(日本語原学=与謝野寛),

等々もあるが,いずれも,少しこねくり回し過ぎである。「髪」は,「上」で,音からも意味からも自然ではあるまいか。

「『髪の毛』という表現には,軸となる語が『髪』と『毛』の二通りある。それは,他の毛と区別するために『毛』を軸とした『髪の毛』と,『かみ』という音には『上』『神』『紙』などの語もあり,それらと区別するために『かみ』を軸とした表現である『髪の毛』である」

という説明(語源由来辞典)は,会話での区別を指しているものと思われる。文字を持たない時,同音だからという分けたが,少し変だ。区別するなら同音を鮭,「頭の毛」と別語をもって言い換えればいい。屁理屈に思える。むしろ「上の毛」といったものが,漢字を知ってから,「髪」を当てて,重複した言い回しになっただけではあるまいか。

「かみ」が「上」となると,「神」と重なりそうだが,カミ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)で触れたようにに,江戸時代に発見された上代特殊仮名遣によると,

「神」はミが乙類 (kamï) 
「上」はミが甲類 (kami) 

と音が異なっており,,

「カミ(上)からカミ(神)というとする語源説は成立し難い」

とされる(岩波古語辞典)。語源を異にするとは思うが,

「神」の「かみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)も,
「上」の「かみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)も,

意味は近接しながら,ともに結局語源ははっきりしない。しかし,

「『神 (kamï)』と『上 (kami)』音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こった」

とする説もある。文脈依存の和語の語源は,多く擬態語・擬音語か,状態を表現するという意味から見れば,

カミ・シモ,

は,両者の位置関係(始源か末か)を,

ウエ・シタ,

は,物の位置関係(上側か下側か)を,

それぞれ示したに違いない。ウエとカミの区別は大事だったに違いない。その意味で,「髪」は,

カミ(上),

に違いない。ちなみに,「髪(髮)」(漢音ハツ,呉音ホチ)は,

「会意兼形声。髪の下部の犮(ハツ)は,はねる,ばらばらにひらくの意を含む。髪はそれを音符とし,髟(かみの毛)を加えた字で,発散するようにひらくかみの毛」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「毛」は,「もう」と訓ませる単位の意ではなく,「毛髪」の「毛」である。「毛」(呉音モウ,漢音ボウ,慣音モ)の字は,

「象形。細かいけを描いたもので,細かく小さい意を含む」

とある(漢字源)。で,和語「け」は,

古形カの転,

とする説がある(岩波古語辞典)が,「カ」をみると,

髪,

と当て,

複合語だけに見られる,

とある(仝上)。例えば,

しらが(白髪),

が浮かぶが,しかし「ケ(毛)」の複合語は多く,

ケモノ(獣),
ケダモノ(獣)
ケガワ(毛皮),
マユゲ(眉毛),
ハケ(刷毛),
コケ(苔),
ケムシ(毛虫),

等々,むしろ「カ」の複合語より多いかもしれない。

シラガ(白髪)のカが古形で,鬣(たてがみ)の意の朝鮮語kalkiと同源か(日本語の起源=大野晋),

という説はあるし,「しらが(白髪)」は,

上代は「しらか」か,

とする(デジタル大辞泉)説もあり,

古形はカ,

と見る見方は捨てがたいが,僭越ながら,

髪,

の字を当てているのは意味があって,

シラカミ(白髪),

の意ではないのか。現に,「しらが(白髪)」を,

「しらかみ(白髪)の略」

とみる説も(大言海)ある。「白髪」を,

しろかみ,

という言い方もあった。

降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕つかへ奉(まつ)れば貴(たふと)くもあるか(橘諸兄)

やはり,「しらが」は,

しろかみ→しらかみ→しらが,

の転訛ではあるまいか。

おくれげ(後れ毛),

は,少なくとも,

おくれが(後れ髪),

とは言わないようだし,

ほつれげ(毛),

ほつれがみ(髪),

と両方使うが,

ほつれが(髪),

とは言わない。「が(髪)」という表現は特殊なのではあるまいか。

では,「け」の語源は何か,これが定まらない。

キ(気)の転(日本釈名・和語私臆鈔・碩鼠漫筆・和訓栞),
キ(生)の義から(国語の語根とその分類=大島正健),
クサ(草)のクと同義(玄同放言),
コ(細)の転(言元梯),
小さいところから,キレ(切)の義(名言通),
外気から肌を防ぐところから,キサヘ(気塞)の義(日本語原学=林甕臣),
ヌケハゲ(抜禿)するからか(和句解),
禽獣は毛によって肥えてみえるところから,コエ(肥)の反(名語記),
細かい毛の意の𣬫(ke)の義。シラガ(白髪)カは「𣬫」の別音ka(日本語原学=与謝野寛),

等々,諸説あるものの,「毛」という言葉の,

動植物の皮膚を覆う細かい糸状のもの,

という原義とはかけ離れた「け」の音の語呂合わせに見える。

語源は未詳であるが、「生(き・け)」とする説が 有力と考えられている

と(語源由来辞典)とするが,ちょっと信じられない。どこに,

皮膚を覆う細かい糸状のもの,

の含意があるのか。それなら,

クサ(草)のクと同義,

とするほうが,その形態との類似が感じられる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「紙」は,中国で発明された紙の製法が,推古天皇18年(610)に高句麗(朝鮮)の僧曇徴(どんちょう)により日本に伝えられたといわれるが,それ以前に製紙技術が伝来していた可能性もある。『日本書紀』推古天皇18年に,

「春三月に高麗(こま)から曇徴(どんちょう)、法定(ほうてい)という2人の僧が来日したが、曇徴は中国古典に通じていたうえに、絵の具や紙、墨をつくる名人であり、また日本で初めて水力で臼(うす)を動かした」

とある。

「世界最古の紙は現在、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)から出土したものだとされている。この紙は、前漢時代の地図が書かれており、紀元前150年頃のものだと推定される。次いで古いのは、紀元前140年〜87年頃のものとされる灞橋紙(はきょうし)である。灞橋紙は陝西省西安市灞橋鎮で出土した。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99)。さらに,史書の記録では,

「『後漢書』105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろから紙を作り和帝に献上したという内容の記述がある。」

とか(仝上)。

「黄門蔡倫,造意用樹皮及敝布漁網作紙」(漢紀)

とある(字源)。

「樹や繭をあらった上ずみや,漁網などをまぜですき,平らに乾かしてつくった」

ということ(漢字源)らしい。もっとも,蔡倫は紙の改良者らしいが,

「蔡倫による『蔡侯紙』 は軽くかさばらないため、記録用媒体として、従来の木簡や竹簡、絹布に代わって普及した。」

という。

「紙(帋)」(シ)の字は,

「会意兼形声。氏は匙(シ さじ)と同じで,薄く平らなさじを描いた象形文字。紙は『糸(繊維)+音符氏』で,繊維をすいて薄く平らにしたかみ」

とある(漢字源)。

「簡の字音kanにiを添えたkaniの転という」(岩波古語辞典),

「簡(カヌ)の字音の,カヌ,カニ,カミと轉じたるものなり。爾雅,釋器,疏『簡,竹簡也,古未有紙,載文字于簡,謂之簡札』。推古天皇の御代に,高麗僧来朝して,始めて紙を造れり。貞丈雑記,九の書札の條に,手紙は書簡(シュカン)をテカンと讀み,又,テガミと讀みたがへたるなるべしと云へり(手段(しゅだん),てだん)」(大言海),

「カム(簡。文字を書きしるす竹の札)はカミ(紙)に転音した」(日本語の語源)

「語源は,『簡』を語源とする説が,有力で,kam+i っまり,カンに母音iが加わったものです竹のフダを,竹簡,木のフダを木簡といいました。紙の発明されていない時代の言葉ですが,漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきたのでしょう」(日本語源広辞典)

と,ほぼ「簡」由来とする説が大勢で,ネットでも,

「木簡などの『簡』が語源ではないかという。そうだとすると、kan に i が付加されるときに、n が m に変化し、『かみ』となったと考えられる。」(https://blog.ousaan.com/index.cgi/language/20070103.html

といった具合である。文字をもたない祖先にとって,紙は意味を成さない。万葉仮名のような,漢字を借りて文字表現をするようになって,初めてその重要性に気付いたはずである。

とすると,

「漢字『簡』と紙の現物と,ほぼ同時に日本へ入ってきた」

というのは的を射ている。たしか,日本でも木簡が発見された。中国では竹に文字を書いた竹簡が主流であるらしいが,日本では,木簡が大量に発見されている。既に,紙も入っている時期である。

「日本最古の木簡は、640年代までにさかのぼり、この段階で文字使用が珍しくなかった」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%B0%A1)。

「日本に文字が入ってきたとき、中国では既に紙が普及しつつあり、紙と木簡・竹簡が併用されていた。日本もそれを踏襲し、比較的短い文書についてだけ木簡を使った。すべての文書に紙を使わなかったのは、当時まだ紙が高価だったためでもあるが、簡単に壊れない木の耐久性を活用した面もある。」

とか(仝上)。文字を手にいれたら書きたくなる。この時代に文字が,少なくとも支配者層には当たり前であったとすると,文字の入ってきたのは,これよりかなり古い。三世紀前半卑弥呼が魏に使節を遣わし,生口 (奴婢) や布を献じた時,国書を携えたはずで,すでに文字を手に入れていたとみられる(漢文だが)。

さて,「簡」説が大勢だが,別にそれで確定したわけではない。もし「紙」と「簡」が一緒に入ってきたら,「紙」と「簡」は区別したはずである。文字を手に入れたとき,主流が「簡」なら,「簡」に書かれた形で入ってきたはずである。あるいは,それ以前なら,帛書(はくしょ)に書かれていたかもしれない。帛書は,

「帛と呼ばれた絹布に書かれた書」

で,春秋戦国時代から漢代まで使われた。

「中国研究者の馬衡は著書『中国書籍制度変遷之研究』にて『絹帛は、前五〜四世紀から五〜六世紀頃まで。竹簡・木簡は、上古から三〜四世紀頃まで。紙は、前二世紀から現代まで。』と推定使用年代を述べている」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9B%E6%9B%B8)。古くは,帛(はく)を介して,文字が伝わったかもしれない。軽々に,簡(kan)→紙(kami)と断ずることはできない。

高麗の方言からか,あるいはカウゾ(楮)を原料にして造ったので,その樹名から(東雅),
コウゾの木の皮で造るところから(和句解),
コウゾの木の皮の間にある皮をいうカハミ(皮身)の義(関秘録),
カチ(楮)の義(言元梯),

等々楮由来説は,

「奈良時代には写経に要する莫大な紙が図書寮造紙所(ずしょりょうぞうしじょ)で漉かれ、文献によれば710〜772年(和銅3〜宝亀3)までの62年間だけでも『一切経(いっさいきょう)』が21部写され、一部を3500巻、1巻の用紙を150枚として、総計約1102万5000枚の紙が漉かれたことになる。舶来の唐紙は麻紙(まし)がほとんどであったが、国産の場合は楮紙(こうぞがみ)や斐紙(ひし)のほかに多くの植物繊維を補助的に混合した紙も使用された。これらの原料を有効に利用してじょうぶな紙を多量に生産するための合理的な方法として、奈良時代後期に、世界の製紙史上画期的な技法である『流し漉き』が生まれ、和紙を特色づけることになった。」

という「和紙」の来歴を見ると(日本大百科全書(ニッポニカ)),ありかえるかも知れない気がする。すでに,舶来の紙は,

唐紙(とうし),

と呼ばれていた。「紙」の文字は入っている。

「各種の原料繊維のなかでもとくに日本特産の雁皮(がんぴ)類(ジンチョウゲ科)の繊維の粘質性が、斐紙の抄造中の特異な性格としてみいだされ、研究された結果であった。」
「奈良時代の紙に関する情報は『正倉院文書』に詳細にみられ、紙名は、原料、用途、染色などの加工法により230以上も数えられ、実物がそのまま現存している。また770年(宝亀1)に完成した現存する世界最古の印刷物といわれる『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』も、当時の製紙能力を示す記念物である。」

というところ(仝上)から見ると,無理筋かもしれないが,

皮(kaha)→紙(kami),

も捨てがたい。あるいは,

漉種を兼ね合わせて編みすいたというところから,カネアミ(兼編)の略(紙魚室雑記),

という製造プロセス由来もありえる。しかし,製紙法が渡来して以来,

「トロロアオイの根やノリウツギの樹皮からとれる粘液を利用して繊維をむらなく攪拌する日本独自の技術『ねり』が考案され,江戸時代には土佐,美濃,越前など全国各地で,すき方や技法に特色のあるものがつくられるようになった。ガンピ,ミツマタ,コウゾなどの靭皮繊維を原料とする和紙は独特の色沢と地合いをもち,じょうぶで変質しにくい特長をもつ。」

とあり(ブリタニカ国際大百科事典),原料は楮だけではない。音だけからいえば,

カンピ(kannpi)→紙(kami)

だってある。語源は定められないが,「簡」→「紙」説とは断定しきれまい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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和語で「ち」という言葉に当てはまる漢字は,

血,
地,
池,
千,
値,

等々たくさんあるが,多くは漢字の音であり,「血」は,漢字では,「ち」とは発音しない。「血」(漢音ケツ,呉音ケチ)の字は,

「象形。深い皿に祭礼に捧げる血のかたまりを入れたさまを描いたもので,ぬるぬるとして,なめらかに全身を回る血」

とある(漢字源)が,

「祭りの時に神にささげる『いけにえ』の血を皿に盛ったかたちから『ち』を意味する『血』という漢字が成り立ちました。中国では殷(紀元前17世紀-紀元前1046年)の時代、人間が生贄として神に捧げられました。これを人身御供(ひとみごくう)と言います。古代社会では人命は災害によって簡単に失われる物であり、自然災害を引き起こす自然の神への最上級の奉仕が人を生贄として捧げる事だと考えられていた為、たくさんの人の命が神に捧げられました。」

との説明(https://okjiten.jp/kanji19.html)が分かりやすい。

「ち(血)」は,

「古形ツの転」

とある(岩波古語辞典)。「つ(血)」は,

「つぬ(血沼)などの複合語にれいがのこっている」

とある(仝上)。

血沼県主倭麻呂(つぬのあがたぬしやまとまろ),

という例が載る。この場合,

Tinu→tune,

と音韻変化しただけなのかもしれない。大言海は,

「トリの約,刺して取るの意。霊(チ)に通ずるか」

とする。「取る」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%8F%96%E3%82%8A)は,すでに触れたように,

「て(手)と同源」(広辞苑)
「手の活用」(大言海)

であり, 

「タ(手)の母音交換形トを動詞化した語。ものに積極的に働きかけ,その物をしっかり握って自分の自由にする意。また接頭語としては,その動作を自分で手を下してしっかり行い,また,自分の方に取り込む意。類義語ツカミは,物を握りしめる意。モチ(持)は,対象を変化させずそのまま手の中に保つ意。」

である(岩波古語辞典)。つまり,

「手+る(動詞をつくる機能のル)」(日本語源広辞典)

となる。例えば,

ta→te→to→tu→ti,

という転訛があるかもしれないが,どうであろか。日本語源大辞典は,

「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる」

としているが,むしろ「ち(霊)」との関わりの方が,強く惹かれる。「ち(霊)」は,

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊)

等々の複合語に残る(広辞苑第5版),とある。だとすると,

「チは,生命のもと」

とし,

イノチ,

と同根,とする(日本語源広辞典)に通じる。「いのち」は,

息+内+霊(仝上),
イは息,チは勢力,したがって息の勢い(岩波古語辞典),

と通じる。

チ(霊)の転義。人体にチ(霊)が流れているという観念からでたものらしい(日本古語大辞典=松岡静雄),

との説もある。日本語源大辞典は,上記に付け加えて,

「また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」

と,

血・乳・靈,

を同源とする。とすれば,

身から出るところから,また,乳は血からなると思われるところからチ(乳)の義(和句解),
皮の内にあるところから,ウチの上略(日本釈名),
イキウチ(生内)の上略(日本語原学=林甕臣),

も,当たらずと言えど,遠からず,というところか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いのち


「いのち」は,

命,

と当てる。「命」(漢音メイ,呉音ミョウ)は,

「会意。『あつめるしるし+人+口』。人々を集めて口で意向を表明し伝えるさまを示す。心意を口や音声で外にあらわす意を含む。特に神や君主が意向を表明すること。転じて命令の意となる。」

とあり(漢字源),「いのち」の意味はあるが,「天命」の意で,天からの使命,運命の意で,「命令」色が強い。

「会意文字です(口+令)。『冠』の象形と『口』の象形と『ひざまずく人』の象形から神意を聞く人を表し、『いいつける』、『(神から与えられた)いのち』を意味する『命』という漢字が成り立ちました。」

という説明(https://okjiten.jp/kanji51.html),あるいは,

「『会意』。『人』(集める)+『口』(神託)+『卩』(人)、人が集まって神託を受けるの意。又は、『令』(人が跪いて聞く)+『口(神器)』の意(白川)。」

という説明(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)が,その意味からみて,分かりやすい。

さて,「いのち」の「ち」は,「ち(血)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E8%A1%80)で触れたように,

「古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる。また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」(日本語源大辞典)

と,「いのち」の「ち」は,

いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞),
をろち(尾呂霊。大蛇),
のつち(野之霊。野槌),
ミヅチ(水霊)

等々の「ち」と重なり,「チ(血)」は,

「チは,生命のもと」

とし,

イノチ,

と同根,とする(日本語源広辞典)。「いのち」の「いの」は,何か。

「イは息(いき),チは勢力,したがって『息の勢い』が原義。古代人は,生きる根源の力を目に見えない働きと見たらしい。だから,イノチも,きめられた運命・寿命・生涯・一生と解すべきものが少なくない」

とする岩波古語辞典は「ち(霊)」を,

「自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる」

とし,

いのち(命),
をろち(大蛇),
いかづち(雷),

と通じるとした。大言海は,「ち(霊)」を,

「持ちの約」

として,

「神,人の霊(タマ),又,徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ,野槌),尾呂霊(ヲロチ,蛇)などの類の如し。チの轉じて,ミとなることあり,海之霊(ワタツミ,海神)の如し。又,轉じて,ビとなるこあり,高皇産霊(タカミムスビ),神皇産霊(カムミムスビ)の如し」

とし,「いのち」は,やはり,

「息(い)の内(うち)の約」

と「息」とする。「息」説は多い。

イノウチ(息内)・イノチ(気内)の義(和訓栞・音幻論=幸田露伴)
イキウチ(息内)の約(名言通),
いのちの「い」が「生く(いく)」「息吹く(いぶく)」の「い」で「息」を意味し、「ち」は「霊」の 意味とした、生存の根源の霊力の意味とする(語源由来辞典),
イ(息)+ノ(連体助詞)+チ(霊)(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀),
イ(息)のノチ(後)(続上代特殊仮名音義=森重敏),
イノチ(息路)の義か(俚言集覧),
イノチ(息続)の意(日本語源=賀茂百樹),
イノチ(息力)の義か(和字正濫鈔),
イノチ(息霊)の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
「イノチ(息+内+霊)」が有力。イキ,イキル,イク,イノチは同根(日本語源広辞典),

等々がある。「生」に絡ませた,

イキノウチ(生内)の約(和句解・日本釈名・古語類韻=堀秀成),
イノチ(生霊)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
イキネウチ(生性内)の約(日本語原学=林甕臣),

とあるが,「いきる(生)」「いく(生)」は,

イキ(息)と同根,

とあり,「いく(生)」は,

イキ(息),

重なるので,「息」も「生」も,どちらともありえるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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生きる


「いきる」は,

生きる,
活きる,

と当てるが,古くは,

生く,

である。「生く」は,

「息」と同源,平安中期までは主に四段活用,

とある(広辞苑第5版,岩波古語辞典)。

生か(未然形-)生き(連用形)生く(終止形)生く(連体形)生け(已然形)生け(命令形)

しかし,鎌倉時代以降上二段活用,

生き(未然形)生き(連用形)生く(終止形)生くる(連体形)生くれ(已然形)生きよ(命令形)

が現れ結局,上一段活用, 

生き(未然形)生き(連用形)生きる(終止形)生きる(連体形)生きれ(仮定形)生きろ・生きよ(命令形)

に転じた(岩波古語辞典),という。大言海は,

「(生くは)平安末期に出現したる語なりと思はる」

とする。

「いき(息)」について,岩波古語辞典は,

「生くと同根」

とあるが,大言海は,

「生く(四段活用)の名詞形。日本釈名(元禄)『息,生(いき)なり』,和訓栞『生の義,韓詩外傳,人得気則生,失気則死』」

とする。しかし,必ずしも,「いき(息)」が「いく(生く)ではない。日本語源広辞典は二説挙げ,

説1は,生+気,
節2は,出+気,

で,「生きものの吐き出す気体」と,「気」に力点がある。同趣のものは,

イズルキ(出気)の略(日本釈名),
イはイデ(出),キはヒキ(引)から(和句解),
イはイーと引く音,キは気の意(国語溯原=大矢徹),
イキ(息気)の意。イは口よりでる気息の音,キは気(日本語源=賀茂百樹),
イキ(生気)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣),
イは気息を意味する原語。キは活用語尾(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々ある(日本語源大辞典)が,

息は生,

の方がすっきりする。大言海のように,「いき(息)」を,

生くの名詞形,

とするか,逆に,「いく(生)」が,

イ(息)ク,

と,

「いく(生)」を活用させたもの,

とするかは,ともかく,

いき(息)といく(生)は同根,

とするのがスッキリする。「い(生)く」の語源をみても, 

イキ(息)を活用したもの(国語溯原=大矢徹・日本語原学=林甕臣),
イキク(息来)の義(日本語原学=林甕臣),

と「息」絡みが多い。

いき(息)

いく(生)

は深くつながっている,とみていい。

「生」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は,

「会意。『若芽の形+土』で,地上に若芽のはえたさまを示す。生き生きと新しい意を含む」

とある。「息」(漢音ショク,呉音ソク)の字

「会意。『自(はな)+心』で,心臓の動きにつれて,鼻からすうすうと息をすることを示す。狭い鼻孔をこすって,息が出入りすること,すやすやと平静にいきづくことから,安息・生息などの意となる。生息する意から子孫を生む→むすこのいともなる」

とある(漢字源)。

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和語で「ち」という,

乳,

は,漢字では,「ち」とは発音しない。「乳」(呉音ニュウ,漢音ジュ)の字は,

「左側の孚は,子どもを手で覆ってかばうさまで,孵化(ふか)の孵(たまごを抱いて育てる)の原字。右の部分乚は乙鳥の乙(つばめ)の変形。中国ではつばめは子授けの使いだと信じられた。あわせて子を育てるの意を示し,やわらかくねっとりした意を含む」

とある(漢字源)。別説では,

「会意文字です(爪+子+乙)。『手を上からかぶせ下にある物をつまみ持つ』象形と『頭部が大きく、手足のなよやかな乳児』の象形と『おっぱい』の象形から、赤子をおっぱいに向けるさまを表し、そこから、『ちち(おっぱい)』、『ちちを飲ませる』、『養う』を意味する『乳』という漢字が成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji284.html)。是非を言える立場ではないが,後者の方が,すとんと落ちる気がする。

さて,和語「ち」は「ちち」の意であるが,それをメタファに,羽織・幕・旗のさおや紐を通す小さな布製の輪を「乳」といい, そういう旗を,

乳付旗(ちつきばた)

と呼んだり,

釣鐘の表面にある、いぼ状の突起,

を「乳」と呼んだりする。

「ち(血)」の項(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba14.htm#%E8%A1%80)で触れたように,

「身体内から出る液体として,チ・ツ(血),チ(乳),ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので,これらを同源とみることができる。また,血・乳とも,人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを,さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう」(日本語源大辞典)

と,「ち」に当てる,

血,
乳,

は,同源で,

霊(ち),

とも通じる。

人体にチ(霊)から流れているという観念から出たものからチ(霊)の転義か(日本古語大辞典=松岡静雄)

とするのは,それを直截的に言っている。

チ(血)が化して血となるところから(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
タビチ(食血)の義(日本語原学=林甕臣),

は,血と乳を繋げている。ある意味同趣だが,

「チは,赤ん坊の生命のもと」

とある(日本語源広辞典)のは,「ち(血)」の,

「チは,正命のもと」

とあるのと通じる(日本語源広辞典)が,ちょっと説明不足かもしれない。

タリ(垂)の義(名語記・名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
チ(鈎)の義(言元梯),

は形態から来ている。しかし,

身からいづるものであるところから,イヅの略轉。また身から出る水であるところから,ミヅ(日本釈名),
児が生まれて後に乳が垂れるところからノチ(後)の上略か。またチゴ(稚児)の義か。あるいはイノチ(命)の上略か(和句解),
チウチウと吸う音から(国語溯原=大矢徹),

となるとどうであろうか。

因みに,俗に「ちちくりあう」の「ちち」に「乳」を当てるのは当て字。これは,

ちぇちぇくる,

という言葉(擬音か?)が,

男女が密会して私語する,

意で,その転訛,

ちぇちぇくる→ててくる→ちちくる,

のようである(江戸語大辞典)。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ちかう


「ちかう」は,

誓う,
盟う,

と当てる。漢字では意味が使い分けられている。「誓」(漢音セイ,呉音ゼ,慣音ゼイ)の字は,

「会意兼形声。『言+音符折(きっぱりとおる)』。きっぱりと言い切ること」

とある(漢字源)が,これだとよく分からないが,別に,

「会意兼形声文字です(折+言)。『ばらばらになった草・木の象形と曲がった柄の先に刃をつけた手斧の象形』(『斧で草・木をばらばらにする』の意味だが、ここでは、『明らかにする』の意味)と『取っ手のある刃物の象形と口の象形』(『(つつしんで)言う』の意味)から、神や人前で明らかにした言葉『約束』、『ちかい』を意味する『誓』という漢字が
成り立ちました。」

とある(https://okjiten.jp/kanji1814.html)。このほうが,「神仏に対してある物事を必ず実行すると約束する」意が通じる気がする。

「盟」(漢音メイ,呉音ミョウ)の字は,

「会意兼形声。明は『あかりとりのまど+月』の会意文字。盟は『皿(さら)+音符明』で,皿に血を入れてすすり,神明にあかしをたてること」

とあり(漢字源),別に,

「会意兼形声文字です(明+皿)。『太陽の象形と月の象形』(『あかるい・あきらか』の意味)と『食物をもる皿』の象形から、諸侯(国家を治める最高位の人から一定の土地を支配する事を許された人)の間でたがいに疑問とする所をあきらかにさせ、いけにえの血をすすりあって、『ちかう』、『約束する』を意味する『盟』という漢字が成り立ちました。」

という説明もある(https://okjiten.jp/kanji1017.html)。いずれも,「犠牲の血を皿に入れてすすりあい,神にちかいをたてる。転じて,堅い約束をかわすこと」の意味の謂れがわかる。両者は,

「誓」は,「言に从(したが)ひ,折に从ひふ,約束の言に背かば,其の罪を折(くじ)く会意」(字源),
「盟」は,「心を明らかにする為に牲を殺し,其の血を歃(すす)りて誓ふ,故に血に从ふ。後世誤りて皿に从ふ」(仝上),

と違い,「誓」が言葉を交わすのに対し,「盟」は,そのための堅めの儀式,に見える。で,

「誓」は,言葉にてちがはぬ様に約束するなり。誓書,誓言の如し,
「盟」は,牲を殺し,血をすすり,神にちかうふなり,誓より重し。春秋左傳には,盟の字多し,書経には,誓の字多し,後世人心の疑心深くなりたる証なり,

とある(字源)。

和語「ちかう」も,

「漢字『盟』は血をすすって約束を固くする意というが,日本語チカフも『血交フ』に起源をもつという」

と(岩波古語辞典),「盟」と関わるとする説がある。しかし,

「手交(てか)ふ意か」

とする(大言海)説もある。日本語源広辞典は,で, 

説1,「血にかけて約束をかわす」意味の「チ(血)+交フ」,
説2,「契り交わす」。で,手を握ることで約束を交わす意味の,「チ(手)+交フ」,

と,二説挙げる。しかし,「て(手)」の古形は,

タ,

ではなかったか。

手(た)挟む,
手(た)力,

等々。やはり,

チ(血)にかけてカハス(交)の義(本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健),
チカフ(血香得)の義。自己の心火である生血に,太陽の明霊を受け得て気を堅めることをいう(柴門和語類集),
チアヒ(血交)の義(言元梯),

と,「盟」の字に絡ませる説が多い。しかし,「盟」の意味に振り回されているのではないか。漢字をもたず「ちかう」時の実態は,これではよく分からない。むしろ,

チはイノチ(命)のチか(国語の語根とその分類=大島正健),
チは内に満ちる義,カフは来合の義(国語本義),

と,「イノチ」の「チ」と絡ませる説に引かれる。「チ」は,血であり,霊であり,「ちかう」重さが,ここには籠る。「ちかう」という言葉は,すくなくとも,最初は,今日とは格段に異なる重さがあったはずである。

「左大臣蘇我赤兄臣等…泣血(な)ひてちかひて曰さく,臣等五人,殿下に随ひて天皇の詔を奉(うけたまは)る。若し違ふこと有らば四天皇打たむ。天神地祇また誅罰(つみ)せむ。三十三天,此の事を証(あきら)め知ろしめせ。子孫まさに絶え,家門必ず亡びむか」(書紀 天智十年)

「庭中にして天地四方に礼拝して,共に塩汁を歃(すす)りちかひて曰(まう)さく」(続書紀 天平宝字一年)

等々,しかし少しずつ,言葉は軽くなり,

くるる間を,はかなくいそけ,心かな,あふにかへんと,ちかふ命に(新後撰集)
何せんに,命をかけて,ちかひけん,いかばやと思ふ,折もありけり(拾遺集)
誓ひても,猶しには,負けにけり,誰がため惜しき,命ならねば(後撰集)

今日,「命かけて誓う」という言葉ほど,ほぼ冗談かと思うほど,当てにならなくなった。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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つちかう


「つちかう」は,

培う,

と当てる。

草木の根に土をかけて育てる,培養する,

意である(文明本節用集)。「培」(漢音ハイ,呉音バイ・ベ)の字は,

「形声。右側の字(咅)が音をあらわす。草木の根が露出しないように土をのせてかける」

とある(漢字源)が,よく分からない。別に,

「会意兼形声文字です(土+咅)。『土地の神を祭る為に柱状に固めた土』の象形(『土』の意味)と『花びらの元のふっくらとした子房』の象形(『ふっくらとして大きい』の意味)から、『土をふっくらと盛る』、『つちかう(草・木を養い育てる)』を意味する『培』という漢字が成り立ちました。」

という説明(https://okjiten.jp/kanji1943.html)が分かりやすい。

「培」の字自体が,

「草木の根元に土を乗せかけて育てる。転じて,広く栽培する意となり,また,素質,能力を養い育てる」

という意を持つ(漢字源)。和語「つちかふ」は,

「つち(土)かふ(支柱をかう)の意。『其培之也。若不過焉則不及(ソノコレヲ培フヤ,モシ過ギズンバスナハチ及バズ)』(柳宗元)」

とある(仝上)。この「かふ」は,

支ふ,

と当てる。

あてがう,

意で,

木をかふ,
せんばりをかふ,
宛てがふ,

という使い方をする。つまり「土を支える」意であると思れる。しかし,「つちかふ」について,

「土を養ふ義」

とする(大言海)。日本語源広辞典も,やはり,

「土+カフ(養う)」

とする。「かふ(養・飼)」の項をみると,

「支(か)ふと通づるか,口に支ふ意。宛がふ,土かふ,同じ」

とあり(大言海),やはり日本語源広辞典も,

「語源は,『支ふ』です。牛馬を飼うには,クツワ(轡)を,口に,支うたので,カウと言っていて,後に,漢字の飼う,養うを当てた」

とする。しかし,「かふ(支)」自体が,

あてがう,

意だとすれば,「土」を「あてがう」意が,「培う」となっても矛盾はない。本来は,養生の言うはなく,土で支える意であったとしても,農事の輸入を通して,意味が転じていったとみれば,おかしくはない。

「つち」は,

土,

と当てているが,「土」(漢音ト,呉音ツ,慣習ド)の字は,

「象形。土を盛った姿を描いたもの。古代人は土に万物を産み出す充実した力があると認めて土をまつった。このことから,土は充実した意を含む。また,土の字は社の原字であり,やがて土地の神や氏神の意となる。のち,各地の代表的な樹木を形代(かたしろ)として土盛りにかえた」

とある(漢字源)。

和語「つち」は,

「天(あま)」の対,

である(岩波古語辞典)。大言海は,

續泥(ツツヒヂ)の約,

とし,日本語源広辞典は,その大言海説と,

土地,トチの音韻変化がツチ,

の二説挙げる。「つち」の語源は,諸説あって定まらない。大言海説の,

続泥の約,

と関わるのが,

ツヅキ(続)の約(名言通・蒪菜草紙・十數伝・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

「つづく」という語感と「つち」は,どうも重ならないが。似たのに,

ツラヒチ(連土)の義(言元梯),

その他,

ツモリチリ(積塵)(日本語原学=林甕臣),
ツムチリ(積塵)の反(名語記),

と,塵と土はどうだろう。あるいは,

ツはイカヅチ(雷)・ノヅチ(野槌)などのツと同じで,格助詞。チは霊物をいうチ(霊)か(古典と民俗学=高橋正秀),

というのは「チ」は「血」「乳」ともつながる生命力と通じる。ただ「ツ」の説明が,いまひとつだが。ということで,「つち」の語源ははっきりしない。僕は,「つち」の「ち」を,

チ(霊),
チ(血),

とつながるとする説に惹かれるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ごぼう


「ごぼう」は,

牛蒡,

と当てる。牛蒡を食べるのは日本人だけである,とか(たべもの語源辞典)。

「根は、日本の他、日本が統治していた朝鮮半島、台湾、中国東北部の一部以外では食材としない。太平洋戦争中に英米人捕虜がゴボウを「木の根」だと思い、木の根を食べることを強要し虐待されたとして、戦後、日本人将兵が戦犯として裁かれたこともあった」

という悲喜劇まで起きるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%9C%E3%82%A6。しかし,縄文時代か平安時代に日本に伝わったらしいが,

「日本人が食すようになったのは江戸時代から明治」

にかけてらしい(仝上)。新しい食物である。しかし,

「新石器時代にはヨーロッパでもつくられ…中国では宋(10世紀中葉〜13世紀末)までは食用にされたが,現今では,その種子を漢方薬としている」

とある(たべもの語源辞典)。

牛蒡,

は漢名を音讀にしたもの,とある(仝上)。大言海に,

「ゴは,牛(ギュウ)の呉音」

とある。「牛蒡」は,

牛旁,

とも当てる(字源)。「蒡」(漢音ホウ,呉音ビョウ,慣用ボウ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符旁(ボウ 両側に開く)』で,丸い葉が両側にひらく菜の意」

とあり,草の名の意(漢字源)とあるが,

「ごぼうは,古く薬草として中国から伝来したもので,漢語の『牛蒡』が 語源。歴史的仮名遣いは,『ゴバウ』である。『牛蒡』の『牛』を『ゴ』と訓むのは,呉音『グ』の慣用音『ゴ』で,中国では草木の大きいものに『牛』が冠される。『牛蒡』の『蒡』は牛蒡に似た草の名に使われた漢字で,それらより大きいことから『牛』が冠され『牛蒡』となった」

ということらしい(語源由来辞典)。

「ごぼう」の古名は,

「キタキス,ウマフブキ」

とある(大言海・たべもの語源辞典)。「ウマフブキ」は,

馬蕗の意,

とある(たべもの語源辞典)。

わが国では,それなりに親しまれる食物で,

「正月に牛蒡を用いるのは,その根が地中深く入るということから,その家の基が血の底まで固からんことを願う意」

とか(仝上)。また,

「『船の船頭衆と金ぴら牛蒡は色の黒いのが味が良い』といわれたように,黒い食べものとして喜ばれた。黒豆・黒胡椒というように,黒いものが健康に良いと考えられた」

からという(仝上)。

「金平ごぼう」は,

「金平(きんひら)とは強きもののたとえにいう。坂田金時の項に金平(きんひら)という強い者がいて頼義の四天王のひとりであった。金平浄瑠璃で知られたので,この名をとって,牛蒡の固く辛いことを表した」

とある(仝上)。特に,

「坂田金時を演じる役者の髪型が刻んだゴボウに似ていた」

からという(語源由来辞典)。金平浄瑠璃とは,

「江戸の和泉太夫が語り始めた古浄瑠璃のひとつ」(語源由来辞典)

で,その演目から,

「大江山の鬼退治で知られる源頼光と頼光四天王(坂田金時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武)の次世代の話と位置づけられ、頼光の三番目の弟・源頼信の長男であり嫡男でもある源頼義と頼光四天王の息子である坂田金平・渡辺竹綱・碓氷定景・卜部季春の『子四天王』が活躍し、特に坂田金時の息子である金平が人気であったためにこの名が付いたとされている。」

と,金平浄瑠璃になったものらしい。

金平節,

とも言うらしい。

「武勇の表現が特色。承応〜宝永年間 (1652〜1711) 頃まで行われ,明暦,万治,寛文年間 (1655〜73) が盛期。和泉太夫が主として語った岡清兵衛の作品に,坂田の金平 (公平とも書く) という仮構の豪傑を主人公としたものが多くあった」

らしい(日本大百科全書)。「ごぼう」にちなんでは,

ごぼう抜き,

という言葉がある。これは,

「(牛蒡を土中から引き抜くように)一気に抜きあげること。」

からきている(広辞苑第5版)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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そらみつ,

の「そら」である。

「かくの如名に負(お)はむと 蘇良美都(ソラミツ) 大和の国を 蜻蛉島(あきづしま)とふ」(古事記)
「虚見津(そらみつ) 大和の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそいませ」(万葉集)

と,「大和」にかかる枕詞で,後に,

「天爾満(そらニみつ) 大和をおきて 青丹よし 奈良山を越え」(万葉集)

と,

そらみつ→そらにみつ,

と替えられた。この歌は、

「作者の柿本人麻呂が、古来使われていた『大和』にかかる枕詞『そらみつ』を『そらにみつ』と五音に整音化し、さらに『空に満つ山』というところから『山(やま)』と同音を含む『大和』にかかると解釈したものといわれる。
古来の枕詞『そらみつ』を『そらにみつ』と用いたのは柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とされる。」

とある(精選版 日本国語大辞典)。この「そらみつ」の語義およびかかり方

(イ)空にそそり立ち満つ山の意からとする説、
(ロ)『空御津』の意で大和は饒速日命が天磐船で空から降った津(港)であるからとする説、

等々諸説あるが、いずれも確実ではない,とされる(仝上)。

「日本書紀に,ニギハヤヒノミコトが天の磐船に乗って空から見下し,天下ったので,『空見つ大和』といったという起源説話がある」

とある(岩波古語辞典)のは,(ロ)説である。

その「そら」に当てた「空」(漢音コウ,呉音クウ)の字は,

「会意兼形声。工は,突きぬく意を含む。『穴(あな)+音符工(コウ,クウ)』で,突き抜けて穴が開き,中に何もないことを示す」

とある(漢字源)。「中空」「空虚」の「空」である。「実」の対である。同じく「そら」に当てる字に,「宙」(漢音チュウ,呉音ジュウ)がある。こちらは,

「形声。『宀(やね)+音符由(ユウ)』もと家の上をおおうむねばしらや,舟の上をおおう屋根のこと,転じて世界をおおう空間を,宇,時間の広がりを宙という。また,軸と同系と考え,地軸を中心に大地をおおう屋根と説いてもよい」

とある(仝上)。むしろ,「宙」が,

そら,

の意で,「この世界をあまねくおおう屋根」「宇宙(世界をおおう時間・空間の広がり)」の意である。我が国では,「空中」の意で,「宙返り」のように,地を離れる,という矮小化した意味になる。

さて,和語「そら」は,

swara→古代日本語 sora

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%89),古事記に,

「腰泥(なづ)む蘇良(ソラ)は行かず足よ行くな」

とあり,「そら」は,

「天と地との間の空漠とした広がり・空間。アマ・アメ(天)が天界をさし,神々の国という意味をこめていたのに対し,何にも属さず,何ものも内に含まない部分の意。転じて,虚脱した感情。さらに転じて,実意のない,あてにならぬ,いつわりの意」

という意味の幅をもつ(岩波古語辞典)。大言海は,

「反りて見る義。内(ウチラ)に対して,外(ソラ)か。ラは添えたる辞」

とするのは,

ソトの延長であるところから,ソトのトをラに代えて名としたもの(国語の語根とその分類=大島正健),

と重なる。

「上空が穹窿状をなしてそっていることから」

とする(広辞苑)のは,

のけぞらないと見えない義(和句解),

の意味だろう。

梵語に,修羅(スラ sura),訳して,非天。舊譯,阿修羅,新譯,阿蘇羅と云ふ,

とある(大言海)の梵語説をとるものもある(日本声母伝・嘉良喜随筆)。

ゾウラ(背裏),またはソハラ(虚原)の義(日本語原学=林甕臣),
ソラ(虚)の義(言元梯),
間隙の意のスの転ソに語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉),

等々。どうも決定打はない。「内」「外」とは,ちょっと俯瞰する視点に過ぎる。

天→空→地,

という全体の構図から見れば,内外は,外れるのではないか。それなら,「虚」と重ねた方が感覚的には合うのではないか。漢字では,

空は有の反,
虚は實また盈の反,
曠はひろくしてむなしい,