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コトバ辞典


いつも「場」を考えるときは,自分側から,どう「場」に入るか,あるいは「場」の中で,どう一体化するか,あるいは,「場」にどう主体的にかかわるか,という視点からのみ考える。しかし,主役は「場」ではないのか。

たとえば,有名なK・レヴィンは,人間の行動(B:Behavior)は,人間(P:Person)と環境(E:Environment)の関数,B=f(P, E)であるとした。それを生活空間(life space)といった。

レヴィンの生活空間は『場の理論(field theory)』(トポロジー理論)とも呼ばれる。主体的な人間の認知・判断だけでは人間の行動が決まらず,目標とする対象や相手が持つ「正・負の誘発性」によって人間の行動は大きな影響を受けるという双方向性を説明している点に意味がある,とされる。つまり,人間の行動が『生理的な欲求・本能的な願望』という動機だけで決まるわけではなく,「環境の変化・他者の反応」といった環境要因との相互作用によって規定されることを説明した。

たとえば,人間が特定の対象や相手に対して欲望(目的)を抱く時には,その欲望(目的)が簡単には達成できず,その実現を妨げる障害があることが少なからずある。そして,そういった状況下では,緊張感や欲求不満を伴う葛藤が高まりやすくなるが,人間は「欲望の充足・目標の達成=接近」か「欲望の断念・目標の引き下げ=回避」によって葛藤を解消して安定した平衡状態を回復しようとする,というのである。

以上,受け売りのレヴィンの考えは,あくまで,主体は人にある。相手や状況は地になっている。この図と地を逆転して考えるべきではないか,というのが,ここでの問題意識である。

僕の中のイメージは,20代の前半,会社の指示で,参加したTグループ(感受性訓練)での体験だ。いまでいうとエンカウンターグループの源流の一つのようだが,僕の参加したそれは,立教大学の早坂泰次郎さんが主宰していたものだと記憶している。その頃いわゆるST(感受性訓練)が大流行であった。

資料はすでに処分しているので,正確な系譜や背景はわからない。記憶のなかにあるイメージだけだが,最終日(連休中に二泊三日か三泊四日の長いワークショップだった)あるいはその前日位には,自分の皮膚が溶けて,その10人前後のグループという「場」に一体になっていた気がしている。その時の感覚は,朧だがよく覚えている。その一体は,(後でいろいろ聞き合わせてみた限りでは)そのグループが特に先鋭だったのかもしれないが,お互いが,何を感じているのかが分かった。

たとえばの話だが,僕はある女性が好きだと思っていて,その女性も僕のことを好きだと思っている,そして周囲の人間にもそれがよくわかっている,言葉はないが,お互いが,皮膚という境界が溶けたように,感情がつながっている感覚であった。もちろん錯覚に違いない。しかしそういう錯覚を共有しあえる「場」が,そこにできていた。

その時,僕であるとか,何某であるとかがそこにいるのではなく,そういう「場」に,僕であり,何某がいる。しかしその「場」をつくっているのは,僕であり,何某だから,何某の代わりに,○○でもいいかというと,そうはいかない。

見も知らぬ何人かが,トレーナーの「でははじめましょう」の一言で始まるが,別に何かを言うわけではない。沈黙が続くと,その時間を無駄と思う人も出てくる。何の指示もしないトレーナーに文句を言う人も出てくる。その中から,互いに,そこにいる自分を受け入れ,そこにいるお互いを受け入れ,そこにいる時間を受け入れ, その「場」を受け入れて,なんとなく和解的,緩和的な雰囲気の中で,何を話すというのでもない日向ぼっこのような瞬間が来る。その時,しゃべりたかったら何をしゃべってもいいし,聞きたくなかったら,聞き流してもいい,話さなくても,黙っていても,お互いを気にせず,その空気の中で浸っていられる時間が,ゆっくりと流れていく。

これが,たぶんロジャースのいう「基本的出会い(encounter)」ではないのかと思う。

その「場」を離れて,その後同じメンバーで何度か同窓会をしたが,やがて日々の中で相互の存在も忘れていった。でもこう思うのだ。その時の「場」が,その時お互いの作り出した「場」が,お互いの関係を深めたのであって,その「場」が崩れてしまえば,その関係は,水をなくした藻のように,枯れていく。そのTグループというワークショップの枠組みの中で,疑似的につくられた共感的空間だという言い方もできるかもしれないが,そうではなく,そういう「場」をつくる仕掛けさえあれば,日常的にも,それは可能なのではないか。主題は,「場」なのではないか。

Tグループとは,「参加者相互の自由な(非指示的な)コミュニケーションによって,人間としての人格形成をもたらそうというグループアプローチ」(『カウンセリング大事典)とある。

ネットで調べると,Tグループといった場合に,狭義にはTグループ(未知のメンバーで構成され,何を話せばいいとか,誰かがどのようにすすめるかなど一切決まっていないグループ)もしくは,そのセッションをさし,“今ここ”での人間関係に気づき,自分のことやグループのことを学ぶセッションであり,一般に,90分前後で1セッションが構成される。広義には,Tグループセッションも含め,実習を使ったセッションや小講義などからなる何日かの一連のプログラムからなるトレーニングをTグループと呼ぶこともある

いずれにしても,これもレヴィンのアイデアによるようだ。権威的な運営グループより,民主的なグループ運営の方が,課題達成成果が上がったというようなことが背景にあるらしい。もうひとつ,ネットで拾ったのは,次の文章。

Tグループは,個人が学習者として参加する,比較的構造化されていない(unstructured)集団である。その学習のための資料は,学習者の外側に存在するのではなく,Tグループ内での学習者の直接経験とかかわりをもっている。つまりその資料とは,成員間の相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。すなわち,成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである。経験を含むということは,学習のための十分な条件ではないが,必要条件である。成員たちは,Tグループにおいて,自分自身の行動に関する資料を収集し,同時にその行動を生起させるにいたった経験を分析するという探求方式を確立しなければならない。このようにして獲得された学習結果は,引き続きそれを利用することによって,さらに検証され,一般化されていくのである。かくして,各人は,他者に対処する場合の自分の動機,感情,態度などについて学習するであろう。あるいはまた,他者と相互作用の場をもつとき,自分の行為が他者にどのような反応を呼びおこすかについても学習するであろう。人は,自分の意図とその結果が矛盾するとき,他者との人間関係において,自由闊達にふるまうことができなくなるような垣根をつくってしまう。このことによって人は,自分自身の潜在力について[今までと違った]新しいイメージをつくりだし,その潜在力を現実化するために,他者からの助けを求めるのである。(L.P.プラットフォード&J.Rギップ&K.Dベネ『感受性訓練:Tグループの理論と方法』(日本生産性本部))
 
上記の,「成員たちが,生産的で,活力のある1つの体制,すなわち1つの小さな社会を創造しようとして奮闘しているとき,その社会内でのお互いの学習を刺激しあい,支持しあうときの相互作用そのものであり,集団内での自分たちの行為そのものである」というところを,別に読み替えると,「場」という時,次の3つを考えてみる必要があるのではないか。

ひとつは,その場の構成員相互の関係性と言い換えてもいい。別の人とだったらそうはならなかったかもしれない。

ふたつは,その場の構成員相互の行動・反応である。ある行動(非言語も含め)にどうリアクションがあるのか等々。

みっつは,その時の状況(文脈)である。明るい日だったのか,寒い日だったのか,うるさい環境だったのか等々。

その他,その時の全体の醸し出す雰囲気である。前項と関係があるが,フィーリングと言った感じのものでもある。

これが「場」の構成要素だとすると,B=f(P, E)は,場(field)=Fを中心に,

F=f(P, E,B)

となるのではないか。数学的に正しいかどうかはわからないが,ほとんどシミュレーション不能なのではないか。つまり,その時,その場の体験でしか味わえないのではないか。

ただ,稀有だが,それが意識的に作り出せないものでもない。その「場」を最初に,それがどういう「場」なのか,そこで一人一人が何をするのかを,最初に共有化すれば,「場」の中で,おのずと役割を認識し,「場」として動き出し,その「場」に機能するように各自が関わる,そういう体験を,4人でだが,したことがある。

たとえ,見も知らぬ者同士でも,その「場」を共有して何かをしようとすることが共通認識としてあれば,「場」は作り出しやすいのではないか。

それを自律的な「場」としてスタートさせるには,各自が,自分のポジショニングをきちんと決める,最初の第一歩を間違えないことと,そのために,「場」の意味と各自のゴールを共有することと,その「場」に非協力的でなく,その「場」で何かを達成したいと思っている人(後ろ向きでさえなければいい)が構成員で,そのために他のメンバーとも,協力関係をつくろうとすることがあることが,大事な前提のような気がする。

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浮気


浮気は,

ふき,

と訓むと,

空気よりも軽い気体のこと,

らしいし,

ふけ,

と訓むと,滋賀県守山市の浮気町のことだし,

ふけ(うき)

と訓む名字もあるらしいが,ここでは,いわゆる,

うわき,

のことだ。その場合,

浮気,

以外に,

上気,

とも当てる。

なぜこの「浮気」を取り上げるかというと,三田村鳶魚が,『江戸ッ子』のなかで,旗本奴,町奴について言及する中で,

「『六方浮気』と続けて言っておりますが,『浮気』と申しても,この自分のは後に言う『浮気』とは違って,空元気というような意味にも取れます。」

と書いていた。「六方」というのは,奴風(やっこふう)のことを指し,

(奴というのは)「武家の奉公人で,身分の軽いものですが,これらりすることを軽快であるとし,おもしろいとして,それを学んだものが旗本奴」

で,原義はそういう意味なのか,と思ったのだが,『語源辞典』を見ても,

「原義は,『ウワ(浮)+気』です。心が浮いている意です。他の異性に心が映りやすいことを言います。転じて,一般に,興味が移りやすい意を表します。」

としかない。辞書(『広辞苑』)にも,

心が浮ついていること,心が落ち着かず変り易いこと,
陽気ではでな気質,
男女間の愛情が,うわついて変り易いこと,他の異性に心を移すこと,

としかない。ただ,「心が浮ついている」例として,『五輪書』の,

「敵に浮気にして事を急ぐ心の見ゆる時は」

は,「浮気」の,

「心がうわついていること。心が落ち着いておらず、変わりやすいこと。」(広辞苑)」
「心が浮ついて、思慮に欠けること。」(大辞泉)
「一つのことに集中できず心が変わりやすいこと。」(大辞泉)。

という意味の例に出してあるのだが,原文を見ると,「火之巻」で,

「うつらかすといふ事」

の項に,多人数を相手にした際のことが,こう書いてある。

「移らかすといふは,物事にるもの也。或いはねむりなどもうつり,或いはあくびなどのうつるもの也。時のうつるもあり。大分の兵法にして,敵うはきに(浮気)にして,ことをいそぐ心のみゆる時は,少しもそれにかまはざるやうにして,いかにもゆるりとなりてみすれば,敵も我事(わがこと)に受けて,気ざしたるむ物なり。其うつりたるとおもふ時,我方より空(くう)の心にして,はやくつよくしかけて,かつ利を得るもの也。」

この文意からすると,「浮気」が,心が浮ついている意なら,わざわざゆったりして,それにつられて相手の気迫がたるむなどという手を使う必要はない。つまり,「眠りが移る」ように,ゆったり気分を相手に移らせて,気をゆるませる必要はない。ここでの「浮気」は,

心が浮ついている,

とは,少し違うのではあるまいか。『大言海』を見ると,

浮きて落ち着かぬ心,

とあり,さらに,

軽佻,

客気,

とある。客気は,

かっき,
ないし
きゃっき,

と訓んで,

ものにはやる心,血気,空元気,

という意味になる。ここでは,三田村鳶魚の言っていた意味の,

浮気,

が使われているのではないか。

相手が血気にはやっているときは,こちらがゆったりすると,相手も気が緩む,

という意味なら,通じる。血気にはやるとは,

真の勇気ではない,

と,『字源』にある。「うわき」に当てる「上気」を,

じょうき,

と訓めば,

血が頭に上って興奮し,取り乱すこと,
のぼせること,

という意味になる。まさに,血気にはやるに近い。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
簡野道明『字源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
宮本武蔵『五輪書』(Kindle版)

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わや


「わや」は,

「すっかりわやや!」

というような使い方をする。辞書(『広辞苑』)には,

関西方言,「わやく」から,

とあり,

道理に合わないこと,乱暴なこと,無茶,
もろいこと,
だめなこと,

という意味が載る。『大辞林』には,その他に,

「すっかりこわれること。台無しになること。また,そのさま。」

とある。僕の感じでは,

台無し,

という意味が一番近い。因みに,「わやく」は,辞書(『広辞苑』)には,

「ワウワク(枉惑)の転」

とあり,

無茶なこと,
聞き分けのないこと,

とある。これだと,「わやく人」が,

無法者,腕白もの,

を意味することにつながらない。『大辞林』には,

いたずらをすること。悪ふざけをすること。また,そのさま。 
筋が通らない・こと(さま)。無理。無茶。 
聞き分けがない・こと(さま)。腕白。 

と載る。このほうが的確な気がする。『大言海』は,「わや」をストレートに,

枉惑(わやく)の略か,

と書き,

ダメ,いけぬこと,
腕白,ヤンチャ,

と意味を載せる。どうやら,「枉惑(わやく)」が元の意味なのだろう。『古語辞典』には,「わやく」で,

枉惑

誑惑

の字を当てている。

無茶苦茶,
無理非道,

の意味を載せる。『語源辞典』をみると,「わや」は,

「漢語の『誑,惑(無法・無道・不道理)』です。オウワク(枉惑)がワヤクになり,さらに,クが脱落した語です。無理無法を言います。関西では,だめ,めちゃくちゃの意です。」

とある。因みに,「枉」の字は,

まっすぐな線や面を曲線に押し曲げる,

という意味で,

動詞を押し曲げる,

という意味に転じる。「誑」の字は,

でたらめなことをいってあざむく,

という意味になる。「惑」の字は,

「或は,『□印の上下に一線を引いたかたち(狭い枠で囲んだ区域)+戈(とび口型の刃に縦に柄をつけたこだいのほこを描いた象形文字。鉤型にえぐれて,敵をひっかけるのに用いる)』の会意文字で,一定の区域を武器で守ることを示す。惑は『心+音符或』で,心が狭い枠に囲まれること」

で,

一定の対象や先入観にとらわれる,
心が狭い枠にとらわれ,自由な判断ができないでいる,

という意味。辞書(『広辞苑』)では,「おうわく」は,

横惑,

の字も当てる。「道に外れたことをして,人を惑わすこと」という意味になる。

『日本語俗語辞典』には,

「わやとは道理に合わないこと、乱暴なこと、よわい(もろい)こと、ダメ・台無しなこと、無茶苦茶なこと、またそういった様を表す言葉である。わやは北海道、名古屋、関西などさまざまなエリアで方言として使われてきた言葉である。各エリアとも似通った意味で使われているが、関西芸人がTVなどで頻繁に使かったことで広く普及したため、わや=関西弁という認識が高い。」

とある。確かに,我が家では,「わや」を使ったが,両親とも,名古屋人である。で,調べると,大阪は勿論だが,

北海道方言,
津軽方言,
名古屋方言,
四日市市四郷地区方言,
京ことば,
但馬方言,
下関弁,

等々でも,使われているようで,「わやく」にいたっては,全国的のようだから,

関西弁,

から伝播したというのは,いかがかと思うが,

https://words.nanapi.com/ja/10171

に,

「『わや』と言っても、これまでは関東ではあまり通じませんでした。」

とあるから,関東で通じるようになったのには,関西の芸人が使ったことが大きいようではある。やはり,関東,特に東京で通じないと,全国区にはなれないらしい。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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茶番


茶番について,三田村鳶魚は,

「宝暦以来,芝居の方から出たことで,役者の身振りや芝居の真似をする」

ということを意味する,という。辞書(『広辞苑』)によると,

客のために茶を点てて出す役,
茶番狂言または口上茶番の略。
馬鹿らしい,底の見えすいた振る舞い,茶番劇,

と意味が載る。因みに,茶番狂言は,

立茶番,

に同じとあり,立茶番は,

かつらや衣装をつけて芝居をもじった所作をする演芸の一種。茶番狂言,

とある。茶番師は,

茶番狂言を演じるのを業とする者,
人をだます名人,

とある。別の辞書を見ると,

「こっけいな即興寸劇。江戸歌舞伎の楽屋内で発生し、18世紀中ごろ一般に広まった。口上茶番と立ち茶番とがある」

というのが載る。あるいは,『大辞林』には,

「〔江戸時代,芝居の楽屋で茶番の下回りなどが始めたからという〕 手近な物などを用いて行う滑稽な寸劇や話芸。 → 立茶番 ・ 口上(こうじよう)茶番 ・ 俄(にわか)」

と載る。「口上茶番」は,

身振りを入れず,座ったまま、せりふだけで演じる滑稽を演じるもの,

とあり,「立茶番」が,上記のように,かつらや衣装を着ける,

「かつら・衣装をつけ,化粧をして芝居をもじったこっけいなしぐさをする素人演芸」

となる。「俄」は,辞書(『広辞苑』)に,

「俄狂言の略。素人が座敷・街頭で行った即興の滑稽寸劇で,のちに寄席などで興業されたもの。もと京の島原で始まり,江戸吉原にも移された。明治以後,改良俄・新聞俄・大阪俄といわれたものから喜劇劇団が生まれた。地方では,博多俄が名高い。茶番狂言。仁輪加。」

とある。俄については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%84

に詳しいが,どうも,いまは,俄も茶番もひとくくりにされているが,そもそも発祥は違うのではないか。

端は,「素人」と言いつつ,いつの間にか「茶番師」という業がある,というのは,ストリートミュージシャンがメジャーデビューするような感じなのだろうか。

「茶番」に戻すと,

http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-392.html

には,

「江戸時代に歌舞伎などの芝居の楽屋で、茶番(下働き)が下手で馬鹿馬鹿しい短い劇や話を始めたことから、
茶番=下手な芝居、馬鹿げた芝居、という意味になったようです。『茶番劇』というのは、茶番がやるような下手な劇という意味です。現代では本当の芝居ではなく、結末が分かりきっているような馬鹿馬鹿しい話し合いなどを茶番劇と言います。」

とある。確かに,『古語辞典』には,

「近世後期,素人狂言の一種。歌舞伎芝居の楽屋の茶の番に当たった下級の役者が,座興を出す風習が,天明頃,民間にも広まったもので,手近な材料を使って仕方または手振りで,地口のような道化たことを演じたもの。京阪の俄と同類」

とある。「仕方」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/422720655.html

で触れた。「地口」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8F%A3

に詳しいが,辞書(『広辞苑』)には,

「俚諺・俗語などに同音または声音の似通った別の語をあてて,違った意味をあらわす洒落,語呂合わせ」

とあり,まあ,いまふうに言うと,ダジャレということになる。

舌切り雀→着た切り雀,

といった類である。『大言海』に,「茶番」について,山東京山『蜘蛛の絲巻』(弘化)から,

「天明元年の十二月,ある所なる勢家にて,年忘れとて茶番ということありしに,云々,茶番の題は,鬼に金棒,二階から目薬,猫の尻へ木槌など云ふ卑俗の諺なり」

を引く。お題が,諺から与えられて,何かを演ずる,ということらしい,という「茶番」の原風景がうかがえる挿話になっている。因みに,「茶番狂言」については,『大言海』は,

「江戸にて,芝居の役者共,顔見世の頃,楽屋にて,茶番,餅番,酒番などとて,其番にあたりし者より饗することあり,色々たはれ(戯)たる趣向を尽くす。此時茶番に当たりし役者の,工夫思ひつきに,景物を出してせしを,云いひなるべし。略して,ちゃばん,にはか(京都)」

と,「茶番」の出自が明らかになっている。そこに,大田覃「俗耳鼓吹」(天明)から,

「俄と茶番とは,似て非なるもの也」

というのを引用する。俄が遊郭の,楽しみなら,茶番は,いわば,内々の素人芸,あるいは,落語の前座の芸比べといった雰囲気で,俄が,「喜劇劇団」になっていくのに対して,茶番は,実体を失い,

茶番劇,

と,出来レースというか,見えすいた小芝居,と喩えられる中に,かろうじて生きている,という感じである。

因みに,『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/ti/chabangeki.html

「『茶番』は『茶番狂言』の下略で、江戸末期に歌舞伎から流行した、下手な役者が手近な 物を用いて滑稽な寸劇や話芸を演じるもののこと。 本来、茶番はお茶の用意や給仕をする者のことであるが、楽屋でお茶を給仕していた大部屋の役者が、余興で茶菓子などをつかいオチにしたことから,この芝居を『茶番狂言』と呼ばれるようになった。此の寸劇では,オチに使ったものを,客に無料で配っていたため,見物客の中には,寸劇ではなく,くばられる品物を目当てに訪れる者もいたといわれる。」

と書く。これも,なにがしか,その当時の雰囲気を伝えている。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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すっぱぬく


「すっぱぬく」は,

素(っ)破抜く
とも,
透(っ)波抜く
とも,

表記する。辞書(『広辞苑』)には,

刀などをだしぬけに抜く,
突然人の隠し事などを暴く,
人の意表に出る,出し抜く,

という意味が載る。『デジタル大辞泉』には,

「すっぱ(忍びの者)が思いがけない所に立ち入ることからともいう。」

と付言する。『大言海』も,

「忍者の思ひかけぬ所に立ち入るに譬へ云ふか」

とするし,「忍者」についての,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85

の記述にも,

「江戸時代までは統一名称は無く地方により呼び方が異なり、『乱破(らっぱ)』『素破(すっぱ、“スッパ抜き”という報道における俗語の語源)』『水破(すっぱ)』『出抜(すっぱ)』)『透破(すっぱ、とっぱ)』『突破(とっぱ)』『伺見(うかがみ)』『奪口(だっこう)』『竊盗(しのび)』『草(くさ)』『軒猿』『郷導(きょうどう)』『郷談(きょうだん)』『物見』『間士(かんし)』『聞者役(ききものやく)』『歩き巫女』『屈(かまり)』『早道の者』などがある。」

として,「スッパ抜き」を忍者が語源とする。

『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/13su/suppanuku.htm

も,

「すっぱ抜くのスッパとは後に忍者と呼ばれるようになる戦国時代の武術集団のことである。こうしたスッパの行動・活動をすっぱ抜くと言ったが、現代では企業や政治などの組織、また芸能人など著名人の秘密・裏情報・スキャンダルをマスコミや個人が不意に明るみに出すことを言う。」

とする。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148854914

でも,

「『すっぱ抜く』という言葉の由来は忍者。南北朝時代、楠木正成は忍者を使って敵の情報を集めていたと記録に有ります。この忍者は当時『透波』(すっぱ)と呼ばれていました。この透波の行動力は、あまりにも素早く意表をついたものだったことから『透波のように出し抜く』という言葉が生まれたのです。」

と,やはり忍者説を取る。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suppanuku.html

も,同じで,

「すっぱ抜くの『スッパ』は、『素っ破』や『透っ波』と書き、戦国時代、武家に仕えたスパイ( 忍者)のことである。 忍者は密かに行動し情報を収集して明るみに出すことや、不意に 刃物を抜くことから、出し抜いて暴くことを『すっぱ抜く』と言うようになった。 現代では使われないが,すっぱ抜くには,『刀を不意に抜き放つ』という意味もある。」

とする。

『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E6%8A%9C%E3%81%8F

では,

「『すっぱ』は『素っ破』と書き、戦国時代に武家に雇われた忍びの者のこと。『抜く』は刀を抜くこと。忍者は刃物をいきなり抜くことから、江戸時代にはいきなり刃物を抜く意で用いられていた。のちに、出し抜いて暴く意味へと転じ、新聞や雑誌などのメディアで多く用いられるようになった。」

と,江戸時代に,意味が変じたと書く。確か三田村鳶魚は,『江戸ッ子』のなかで,

「素刃抜きの喧嘩」

という言い回しで,

素破,

ではなく,

素刃,

を当てていた。手元の『語源辞典』では,

「すっぱり+抜く」

で,秘密がすっぽりと筒抜けでわかる意,とする,擬態語語源説と,

「すっぱ(透波)+抜く」

で,忍者が秘密を嗅ぎつけて,うまく手に入れる,という忍者語源説と,二つある。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85

が,前述したように,「忍者」の呼び方については,

「江戸時代までは統一名称は無く地方により呼び方が異なり、『乱破(らっぱ)』『素破(すっぱ、“スッパ抜き”という報道における俗語の語源)』『水破(すっぱ)』『出抜(すっぱ)』)『透破(すっぱ、とっぱ)』『突破(とっぱ)』『伺見(うかがみ)』『奪口(だっこう)』『竊盗(しのび)』『草(くさ)』『軒猿』『郷導(きょうどう)』『郷談(きょうだん)』『物見』『間士(かんし)』『聞者役(ききものやく)』『歩き巫女』『屈(かまり)』『早道の者』などがある。」

と書いたように,地域ごとに呼び名は異なり,江戸時代まで統一したものがなく,

「戦前は『忍術使い』といった呼称が一般的だったが、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、『忍者』『忍びの者』『忍び』という呼称が一般化した。」

とあるところをみると,忍者=素破,透波,として

素破抜き,

を語源としたというには,少なくとも,「透波」「素波」で,「忍者」を指しているという共通認識がなければ,この言葉の含意は通じないのではないか。それよりは,三田村鳶魚が,

素刃,

を当てたように,

いきなり刃物を抜く,

意で用いていたという方が正確ではないだろうか。「すっぱ」に,「透波」「素波」の字を当てて,考え落ちのように,透波=忍者の行動が語源とこじつけた,というように思えてならない。

なお,忍者,草の作戦行動については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416745079.html

で触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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江戸前


江戸前とは,辞書(『広辞苑』)によると,

「芝・品川など『江戸前面の海』の意で,ここで捕れる魚を江戸前産として賞味したのにはじまる。鰻は浅草川・深川産のものをさす」

と注記して,

江戸湾付近で捕れる魚類の称,
江戸風,

に二つの意味を載せる。しかし,さまざまの解釈があるようで,ざっとひろっても,

『ブリタニカ国際大百科事典 』は,

「江戸すなわち東京風の料理をいう。江戸の近海でとれた魚を江戸前といい,鮮度の高いことを自慢したところから出た。のちにこれが江戸風の料理の意に転じた。」

『デジタル大辞泉』

1 《江戸の前の海の意》江戸の近海。特に、芝・品川付近の海をさす。
2 江戸湾(東京湾)でとれる新鮮な魚類。銚子・九十九里浜産と区別していった。
3 人の性質や食物の風味などが江戸の流儀であること。江戸風。江戸好み。

『百科事典マイペディア』

「もとは〈江戸の前面の海〉の意で,そこで捕れる新鮮な魚をいった。転じて生きのいい江戸風の事物一般をもさすようになり,とりわけ浅草川や深川などで捕れるウナギに〈江戸前〉の名をあてていた。」

『世界大百科事典 第2版』

「江戸の目の前の場所の意で,ふつう東京湾内奥のその海でとれた新鮮な魚類をいい,転じて,生きのよい江戸風の事物をいうようになった。現在では握りずしの種の鮮度を誇示する語として,もっぱらすし屋がこれを用いている。しかし,《物類称呼》(1775)には〈江戸にては,浅草川,深川辺の産を江戸前とよびて賞す,他所より出すを旅うなぎと云〉とあり,《江戸買物独案内》(1824)を見ると,江戸前,江戸名物などととなえているのはすべてウナギ屋で,すし屋はほとんどが御膳と称している。」

『日本大百科全書(ニッポニカ)』

「このことばの使い方は広く、時代により内容も異なる。江戸中期から使われていることばであるが、江戸の海の魚貝類に対しての特称としての用い方よりは、ウナギに対して用いたほうが古く、また江戸後期でもだいたいそのほうに重点があった。宝暦(ほうれき)年間(1751〜64)に出された『風流志道軒伝(しどうけんでん)』には、『厭離(えんり)江戸前大樺焼(おおかばやき)』ということばが出ている。また江戸末期に、京都の文人であり、芝居の狂言作者でもある西沢一鳳(いっぽう)が、江戸にきて、江戸の人と話をしていたおり、江戸前ということばが出た。関西人の一鳳にはその場所が明らかでないので問いただすと、江戸前とは大川の西、お城の東という説明をされたという。いまの築地(つきじ)から鉄砲洲(てっぽうず)にかけての地区であり、そこでとれたウナギを江戸前といっていたのである。当時ウナギの蒲焼(かばや)き屋が現在の銀座4丁目付近に多かったのは、ウナギの漁場が近かったためであろう。江戸時代の錦絵(にしきえ)に出ている蒲焼き屋の有名店には、行灯(あんどん)や看板に単に『江戸前』としか書いてないが、一般店は江戸前と肩書きし、大蒲焼きと書いてある。要するに江戸時代末のころでも、江戸前とはウナギの意としての用い方に比重が大きくかかっていたとみられる。
 また1801年(享和1)に刊行された『比翼衆』には『かれいとくろだいがござります』『そりゃ江戸前だろう』ということばが出てくるように、芝浦、品川あたりの江戸の海の魚貝類を江戸前といったこともある。なお、当時江戸前のことばの意味は、味のいい意も含むが、鮮度のいい意も多く含まれ、江戸前のウナギに対して、埼玉県草加(そうか)あたりから持ってくるものを「旅の物」と称していた。江戸前のことばは明治以降あまり用いられなくなったが、大正の中ごろすし屋が東京近海の魚を用いている意で使い始め、ふたたび使われてきた。その表現する海域は、東京中心に、比較的広い範囲の意になっている。』

因みに,三田村鳶魚は,『江戸ッ子』で,江戸前を,もっと具体的に,

「両国から永代までの間,お城の前面」

と言い切り,文化・文政頃に,本所・深川まではいる,という言い方をしている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%89%8D

では,

「江戸前の海は、江戸の前の海の意で、江戸の沿岸の品川沖から葛西沖あたりまでの海域を指した。江戸前は、海域ではなく漁場を示す言葉であり、江戸城の前の漁場のことで江戸時代に存在していた『江戸前島』もしくは『佃島』周辺を指していた。」

とする。

どうやら,鰻のことが「江戸前」の中心になっているが,三田村鳶魚は,

「江戸前鰺,中(ちう)ぶくろと云,随一の名産なり,惣じて鯛,平目にかぎらず,江戸前にて漁(あさ)るを前の魚と称して,諸魚共に佳品也」

と,『続江戸砂子』を引用し,

「この『江戸前』という言葉は,鰺からきているので,『武(む)玉川』にも,
江戸前売りの江戸と云ふ面
というのがある。この『江戸前売』というのが『江戸前』という言葉の早いもののように思われます。それがやがて鰻になって,江戸前鰻といって,江戸の名物になっている。しかしこれは江戸前で捕れるんじゃない。千住や尾久の方で捕れるのを,江戸前鰻といっている。そんなら地回り鰻と言いそうなものだが,江戸前鰻で済ましている。そのほかから来るのは,旅鰻という。」

と,「ジャポニカ」とは異説を立てている。どうやら,三田村鳶魚に軍配が上がりそうにみえる。鳶魚は,こう付け加えているのである。

「江戸前ということを気の利いたことのように思っているが,そうじゃない。芝浦で捕れたということなのです。これも実は芝浦で捕れはしないが,それを扱うのが新場なので,新場というものの景気は,江戸前の魚を商うということが何よりであった。」

つまり,「江戸前」はブランドなのである。その意味では,

http://homepage3.nifty.com/shokubun/edomae.html

で,

「『江戸前面の海』のほうですが、たとえば千葉県の銚子から利根川を昇り、関宿(せきやど)廻りで江戸川へ。そこから新川、小名木川を経て日本橋まで約200キロ、三日はかかります。もっと速いルートもありましたが、やはり刺身は無理な距離。保存魚はともかく,生ものは駄目ですね。そこで、人口の増大につれ手近かな江戸前の魚が重要になってきます。売るにしても食べるにしても、冬と夏で、また海からの距離で違ってきます。魚方面の江戸前とは、場所や海の名前ではなく『鮮魚流通の時間・距離のこと』というのが、今回の筆者の主張なのであります。」

という主張は,意味があるのかもしれない。

因みに,新場は,

http://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=200

に,

「現在の日本橋室町や本町あたりに魚河岸がありました。江戸湾など近海で獲られた鮮魚がここに集まり、棒手振(ぼてふり)などを通して江戸の人々に食されたのです。本船町・安針町・長浜町といった日本橋から江戸橋までの日本橋川北岸一帯が日本橋魚市で、南岸の四日市町には塩魚や干魚を扱う塩魚問屋があり、本材木町には『新場』とよばれる魚市場がありました。その賑わいは江戸の名所として多くの浮世絵に取り上げられています。」

とあるが,鳶魚は,

本小田原町,本船町,按針町,長濱町,室町にわたっていたのが魚河岸,

で,寛永期からここにあった。新場(しんば)というのは,

「延宝年中に相模の浜方と申し合って,京都商人が資本を出し,それで木材木町の方へ別れた」

もので,小田原町は,房総二カ国と,もう少し遠海もの,新場は,豆相(伊豆・相模)二ヵ国と近海ものを扱う。つまり,すべてが,「江戸前」ではない。だから,

江戸前,

は,

近海と生きの良さ,

を標榜するブランドなのである。鳶魚が,

「実は芝浦で捕れはしないが,それを扱うのが新場なので,新場というものの景気は,江戸前の魚を商うということが何よりであった。」

とは,その意味である。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%89%8D
http://homepage3.nifty.com/shokubun/edomae.html
http://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=200
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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啖呵


「啖呵を切る」の「啖呵」である。辞書(『広辞苑』)には,

「『弾呵』の転訛か。維摩居士が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事から」

と,注記して,

「勢い鋭く歯切れの良い言葉。江戸っ子弁でまくしたてること」

と意味を載せる。この注記は,他の辞書にはなく,『デジタル大辞泉』は,

「(「痰火」と書く)せきと一緒に激しく出る痰。また、ひどく痰の出る病気。」

が原義とし,

「喧嘩をする際などの、勢いよく言葉が飛び出す歯切れのよい言葉。」
「 香具師(やし)が品物を売るときの口上。」

という意味を載せる。因みに,香具師の口上は,例のフーテンの寅さんの,

http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/eiga/dokuson8-2.html

に,その口上が出ているが,こういうのを,

啖呵売,

という。つまり,

「大声で,口上を述べ立てて,物品を売ること。」

である。話を元へ戻すと,『大辞林 第三版』は,

「弾呵(だんか)」の転
と。
「痰火(たんか)」の転,

と二説を並べる。『日本大百科全書(ニッポニカ)』も,

「語源については、『痰火(たんか)』から転じたとする説が有力である。『痰火』は痰の出る病、あるいは咳を伴って激しく出る痰をいい、のどや胸につかえた痰が切れて、胸がすっきりした状態を『痰火を切る』ということから、『痰火』に『啖呵』をあて、…『啖呵を切る』というようになったといわれる。また、仏語『弾呵(だんか)』からの転語説もある。弾は弾劾、呵は呵責(かしやく)を意味し、維摩居士(ゆいまこじ)が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事による天台宗の方等部の教意で、自分だけが成仏すればよいとする小乗の修行者の考えを強くたたき、しかりつけることをいい、転じて『啖呵』の字をあて、相手を激しくののしることの意となったとされる。」

と。「痰火」は,

せきと一緒に激しく出る痰。また、ひどく痰の出る病気。

を指す。「弾呵」は,

維摩が羅漢や菩薩が,小乗の教えにとどまっているのを叱ること。

維摩居士については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%91%A9%E5%B1%85%E5%A3%AB

こんな問答が載っている。

「彼が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧めたが、舎利弗や目連、大迦葉などの阿羅漢の声聞衆は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。また弥勒などの大乗の菩薩たちも同じような経験があって誰も見舞いに行かなかった。そこで釈迦の弟子である文殊菩薩が代表して、彼の方丈の居室に訪れた。
そのときの問答は有名である。たとえば、文殊が『どうしたら仏道を成ずることができるか』と問うと、維摩は『非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ』と答えた。彼の真意は「非道を行じながら、それに捉われなければ仏道に通達できるということを意味している。」

と。「弾呵(だんか)」か,「痰火(たんか)」の転か,の二説のうち,『語源辞典』系は,「痰火(たんか)」の転を取っているようだ。

まず,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E5%95%96%E5%91%B5%E3%82%92%E5%88%87%E3%82%8B

は,

「『啖呵』はせきを伴って激しくでる痰(たん)、また、痰の出る病気のこと。もとは『痰火』と書き、体内の火気によって生じると考えられていた。これを治療することを『啖呵を切る』といい、治ると胸がすっきりすることからたとえていう。」

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tankawokiru.html

は,

「啖呵を切るの『啖呵』は、もともと『痰火』と書き、体内の火気によって生ずると考えられていた咳と一緒に激しく出る痰やそのような病気のこと。『切る』は痰火(啖呵)を治療・治すこと。この痰火(啖呵)が治ると胸がすっきりするところから、香具師などの隠語で、品物を売る時に、歯切れ良い口調でまくしたてることをいい、相手をやり込める意味にもなった。一説には、自分の悟りを第一にすることにとどまっていることを叱る意味の仏教語『弾呵』に由来し、『叱る』という意味から、『相手を責める』『まくしたてる』という意味に転じたともいわれる。」

と。いきさつをみると,「痰火(たんか)」より「弾呵(だんか)」のほうが,僕には納得性があるように思えるが,決め手はない。

ところで,鋭くて歯切れのよいことば,また威勢よくまくし立てる「啖呵を切る」は,

「江戸っ子弁をいう」

とまで,江戸っ子の代名詞のようにされているが,三田村鳶魚は,辛辣に,あれは芝居が,特に,

二代目団十郎のつらね,

つまり,

歌舞伎,特に荒事(あらごと)では俳優の雄弁術をきかせる芸,

の,「悪対の塊りみたいなもの」だという。それに煽られた黄表紙や洒落本が作りだしたものだ,そして「江戸っ子の啖呵」の初出は,貞亨(じょうきょう)四年(1687)の『色の染衣(そめぎぬ)』という浮世草子らしい。そこに啖呵を切るシーンがあるらしい。その上で,現実の江戸っ子について,

「江戸っ子というものと,啖呵を切ることとは,どうしても離して考えられないようになる。ありもしないことでも,それが現実のように思われてくる。けれども実際の江戸っ子はどうだと言えば,『何でえ,ベランメエ』といった調子のごく短いもので,長い文句はない。殊に言葉の手っ取り早いのを好むふうがりましたから,『何が何して何だから』で用が足りる。長い文句などは実際言っていない。…とにかく芝居から背負い込んできた江戸っ子の啖呵というものは,芝居仕込みのものであります。」

と,啖呵を切る江戸っ子像は,芝居の作り出した虚像,ということらしい。因みに,「ベランメエ」は,

「べらぼうめ」の音変化,

で,「べらぼう」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/421256499.html

で触れた。ところで,かくいう三田村鳶魚は,「啖呵」の語源は,「啖火」説で,こう書く。

「漢方医の言葉で,喉に痰が詰まってゼイゼイいう,そこへ熱を持つから啖火というのですが,喉へからまる痰を切って出せば,気持ちがよくなる。そこで『痰を切る』という言葉ができた。『溜飲を下げる』などというのも同じことで,この悪対の塊りをだす。いわんと欲していうことのできないことを言う。芝居を見物して,それを喜ぶ。また,実際見ないでも,観て喜ぶ人たちの様子が,自分達を浮き立たせるから,見ない手合いまでが騒ぐ。芝居は,この悪対というものによって,江戸っ子に景気をつけ,人気取りをする。そこに悪態趣味というものができて,ツラネというものが喝采される。」

確かに,鳶魚の,

「息もつかずにいい調子でしゃべる。そんなことも江戸ッ子にはできるはずがないし,また彼等の知識ではああ見事には纏まらない。元来彼等には弁舌などはないので,殊に調子の修練などがあるのでないから,とても役者の真似は出来るものではない。中本に書いてあるようなことが言えるものでもない。本の上ないし舞台の上であればこそ,ああいうふうにいくのである。」

という如く,寄席の芸能に,

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rokyoku/syugyo.html

で,浪曲の啖呵の稽古が載っている。

「啖呵の稽古も必要です。啖呵は修行内容としては一番難しいといわれています。啖呵は内容を伝えるだけのリアルさを伴いながらも、節の延長としての音楽性が求められます。どんなにリアルに感じる啖呵であっても、浪曲である以上、皆、三味線の音色に乗っています。浪曲の醍醐味として、啖呵から節へ、また節から啖呵へと移行する際の心地よさというものがあります。知らず知らずのうちに啖呵が節へと変化し、それがまた啖呵に戻る。これがスムーズに行われることが求められます。つまり節と啖呵が一体化して調和していなければならないのです。これこそが感情の極みをダイナミックに聞き手に伝える大きな力となります。ところがこれが実に難しいのです。修練途上の浪曲師はどうしても、啖呵から節へ入る時に、途切れた感じがしてしまいます。」

そう,鍛錬しなくてはいえない口上ということなのだ。しかし,それが,香具師の口上に生き,店頭販売の口上に受け継がれているし,その江戸っ子像は,いまも芝居や落語に残る。そうした啖呵の例は,

http://www005.upp.so-net.ne.jp/sukeroku/bangai/tanka.htm

に詳しい。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/eiga/dokuson8-2.html

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調子


よく,役者の三拍子,といって,

一調子,
二ふり,
三男,

というらしい(「一声二顔三姿」あるいは、「一声二振三男」とも)。調子とは,

口跡,

である。口跡については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/404019588.html

で触れた。多少重なるかもしれないが,辞書(『広辞苑』)には,

言葉遣い,ものの言い方,
歌舞伎で,俳優の台詞回し,またその声色,

と載る。一般的には,後者のコトのように思う。『世界大百科事典 第2版』には,

「俳優の音声演技の一要素。歌舞伎俳優の発声法,せりふ回し,エロキューションなどのせりふ術と,声音,高低などの声の質の両面をいう。歌舞伎の演技は,おもにせりふとしぐさから成り立つが,なかでも,古来から〈一声二振三男〉といわれるほど口跡の良さは,役者の質を評価する重要な要素である。口跡は役者の財産という意識がそこにある。」

とある。因みに,

エロキューション(elocution)

とは,

(聴衆に対する)話(演説・朗読)の仕方,語り口,台詞回し,演説法,雄弁術,朗読法,

の意で,語源は,ラテン語「表現」の意だという。まさに,日本語で言う,

滑舌,

である。滑舌とは,

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%BB%91%E8%88%8C

に,

「人間が言葉をしゃべるとき、人間がその声を出す時、相手に理解してもらうために舌や顎や口をうまく動かしてはっきりとした発音をする。この動作が『滑舌』である。」

当然,口跡というとき,

発声法,せりふ回し,エロキューションなどのせりふ術
と,
声色、声の高さ、声の低さという基本的な声の質

の両面を指している。歌舞伎のせりふには,

「河竹黙阿弥作品に代表される七五調の音楽のような美しい名せりふや、『ツラネ』といって荒事芸などで主人公が花道で延々と(吉例などを)述べる長ぜりふ、2人以上の役者が交互に自分のせりふを喋り最後デュエットのように全員で声を合わせて終わる「割(わり)ぜりふ」、更には数人の役者がまるで連歌の会を催しているように順々にあとを続ける「渡りぜりふ」など、場面場面に応じた様々なせりふ術があります。」

というので,台詞回しはいのちと言ってもいい。もっとも,三田村鳶魚に言わせると,

「一体長いせりふを聞く芝居は二代目団十郎以来」

というのだから,言ってみると,自縄自縛の感がなくもない。例の,

俳優や声優などの養成所,或いはアナウンサーの研修等で暗唱,発声練習や滑舌の練習に使われている,

外郎売(ういろううり),

というのがある。全文は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%8E%E5%A3%B2

にあるが,たとえば,

拙者親方と申すは、お立ち会いの中に、 御存知のお方も御座りましょうが、 御江戸を発って二十里上方、 相州小田原一色町をお過ぎなされて、 青物町を登りへおいでなさるれば、 欄干橋虎屋藤衛門、 只今は剃髪致して、円斎となのりまする。 元朝より大晦日まで、 お手に入れまする此の薬は、 昔ちんの国の唐人、 外郎という人、我が朝へ来たり、 帝へ参内の折から、この薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒ずつ、 冠のすき間より取り出す。 依ってその名を帝より、 とうちんこうと賜る。 即ち文字には、 「頂き、透く、香い」と書いて 「とうちんこう」と申す。

というで出しである。僕も,ボイストレーニングだか,朗読だかで,チャレンジさせられたことがある。

これは,劇中に出てくる外郎売の長科白で,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%8E%E5%A3%B2

に,

「外郎売(ういろううり)は、享保3年(1718年)正月、江戸森田座の『若緑勢曾我』(わかみどり いきおい そが)で二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つである。 現在は十二代目團十郎が復活させたもの(野口達二脚本)が上演されている。」

とある。まさに,役者の台詞回しの見せ場を,団十郎自らが作り上げていった,というべきものなのかもしれない。

この台詞の口上は,

啖呵,

啖呵売,

ひいては寅さんのような香具師の口上につながっていく。このことは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/435717090.html?1459023472

で触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%8E%E5%A3%B2
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
http://ohanashi.edo-jidai.com/kabuki/html/ess/ess073.html

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鼻っ張り


っ張りという言い方は,昨今はしない。が,

鼻っ柱,

と,ほぼ同義らしい。辞書(『広辞苑』)には,

表面だけの原基,虚勢,
博奕で,はじめに張ること,

と意味が載る。後者の意味は,

端っ張り,

から来たのかな,という気がするが,どうも,これが鼻っ張りの由来らしい気がする。鼻っ柱は,

「はなばしら」の音変化,

で,

人と張り合って負けまいとする意気。向こう意気。負けん気。鼻っぱし。鼻っぱり,

と意味が載る。ただ,

向こう気,

虚勢,

は,微妙に違う気がする。向こうっ気は,

向こう意気,

で,相手に張り合う気持ちで,虚勢は,

から威張り,

で,似ていると言えば似ているが,向こうっ気は,向こう意気だから,

「ムコウ(向き合う)+意気」

で,負ける物かという前のめりの気持ちであり,虚勢は,中国語の,

「虚(うそ・いつわり)+勢(いきおい)」

で,見せかけでしかない。だから,実際に,衝突になったら,背を見せるが,向こうっ気は,背を見せてなるものかと,踏ん張る。それがなければ,「向かう」とは言わないだろう。まあ,

負けん気,
とか
負けず嫌い,

に近い。いわゆる,江戸っ子の「ベランメエ」は,そんな感じかもしれない。鼻っ張りが,

娑婆っ気,

に近い,と三田村鳶魚は書く。娑婆っ気については,「娑婆」について,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432359262.html

で,触れた折に,

現世に執着する心。世俗的な名誉や利益を求める心

という意味だと書いたが,鼻っ張りと並べて見ると,

見え,

と重なってくる。「見え」は,

動詞「みえる」の連用形から。「見栄」「見得」は当て字,

で,

見た目。外観。みば,
(「見栄」と当てる)見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。体裁をつくろう,
(「見得」と当てる)歌舞伎の演技・演出の一。俳優が、感情の高揚した場面で、一瞬動きを停止して、にらむようにして一定のポーズをとること,

とある。観客(世間と置き換えてもいい)を意識して,強がる,という感じであろうか。そこまでは,確かに,虚勢だが,そこで,引かずに,向き合うから,向こう意気となる,のではないか。

この先に来るのが,「男立」ということになろうか。「男立」は,

「男+立て」で,男気があり,弱いものを助け,強いものを挫くことを言います,

とある。男伊達は,当て字である。『ブリタニカ国際大百科事典』には,

「いわゆる『旗本奴』『町奴』に代表される『かぶき者』,すなわち無頼の徒のこと,あるいは,それらの連中が身につけていた戦国の余風ともみえる男の風俗のことをいう。三升屋二三治の『紙屑籠』の『男達テ』の項には,『二代目団十郎栢莚,男達のやつしにも下に紅絹のむくを著る事,男達の襦袢はもみのゑりなし故に,荒事師のもみむくより出たるものか,りつぱにしてつよみあるを好むといふ』とある。」

とある。彌造の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/422606177.html

触れたが,これもまた,鼻っ張りの類である。鳶魚は,

「この『男』というのは、武士のことをいうので、『男をやめる』といえば、帰農か帰商かしてしまうことである。従って、男達というものは、大概武士の筋目』

と言い,

「男を立てるというのは、武士を立てるというのと同じことなので、根からの町人や 百姓の言うべき言葉でもなし、思うべきことでもなかった。」

はずなのである。それを町人が真似て,「男立」を競う。そして,滑稽なことに,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163232.html

で触れたように,その男立を,江戸後期には,侍が真似る,というマンガチックなことが起こる。侍というものが無用の長物だった証といっていい。いずれも,

鼻っ張り,

に過ぎない。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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勇み


勇肌や勇み足の,

勇み,

である。辞書(『広辞苑』)には,

勇気,気力,
勇ましい手柄,
任侠の気概に富み,言動の異性のいいこと,おとこだて,

とある。『古語辞典』には,

(戦いや争いに臨んで)気持ちが奮い立つ,

とある。「勇む」の語源は,

「イキ(息・気)+スサム(進む)」の音韻変化,

とある。

心が奮い立ち,勢いづく,

という意味である。『大言海』も,「勇む」について,

「息進(いきすさ)むの約略なるべし」

と書き,

気噴(いきふ)く,いぶく,憤(いくく)む,息含(いきくく)むの約略,

と例を挙げる。

漢字の「勇」は,

「甬(ヨウ)は『人+音符用』からなり,用は突き通す意を含む。足でとんと突き通すように足踏みするのを甬・踊という。通と縁が近い。勇は『力+音符用』で,力があふれ足踏みして奮い立つ意。また,衝(まともに直進して突き当たる)とも縁が近い。」

とある。しかし,そのニュアンスを感じ取るには,『大言海』がいい。

「市人の,気概(いきはり)を衒(てら)ふ者。其の気立てを,いさみ肌,きほいはだ,と云ふ。」

気概を,

いきはり,

と訓ませ,意気地を張る,というニュアンスにし,それを衒う,つまり,

見せびらかす,ひけらかす,

という含意を持たせている。

しかし,そういうのを喝采するひとがいるから,ますますいきがる,ということになる。

三田村鳶魚は,神田祭の唄を紹介し,

「色のよくならこつちでも、常からぬしのあだな気を、しつてゐながら女房に、成つてみたいのよくがでゝ、神や仏 を たのまずに、義理もへちまのかはばをり、親分さんのお世話にて、わたりもつけてこれからは、世間かまはず人さんの、まへはゞからず引よせて、たのしむうちに又ほか へ、それからやみと口ぐせに。」

「まつりのなア、はでな若いしゆが、いさみにいさみ、身なりをそろへて、やれはやせ、それはやせ、花だしてこまへけいごに行列、よんやさ、男だてじやのやれこれさ、たて ひきじやのと、いふちやわたしをこまらせる。」

祭の鯔背な若い衆に惚れて飛び込んだ女性を唄ったものだという。古くは,

備後福山十万石の水野日向守勝成の三男,三千石の旗本出雲守成貞(二代将軍秀忠のお小姓づとめをして三千石貰っ た)が,いわゆる旗本奴を気取り,

「頭は糸鬢、鎖帷子の着込み、棕櫚柄の大小をさし、着物を短く短く着て、脛が五六寸も出ている」

という奴風で歩いているのを,蜂須賀阿波守至鎮(よししげ)の女がその男振りに惚れ込んで、身分違いを越えて,無理に嫁に行った,という。

もっと時代が下ると,鳶魚は,

「時勢がずっと下って元文頃になりますと、旗本衆の妻や娘の、家出をしたり、駆落をしたりする者が多くなっている。 大昔の寛永・正保の頃ですら、蜂須賀蜂須賀侯の女のような人があったのですから、元文期に旗本衆の女達の様子がそうなったのは、思い遣られる。行儀の面倒な武家でさえ、こんなふうである。まして身柄のない民間の話になれば、もっと片づきのいいのは知れたことです。」

と書く。それが,上述の神田祭の唄につながる。河竹黙阿弥が,芝居で,

「是もみんな其方の身のすきずき、お嬢さんと言はれるのが、ちいさい時から、わたしは嫌ひ、油でかためた高髷も、つぶしの島田に結ひたい願ひ、御殿模様の文字入りより、二の字繋ぎ 褞袍が着たく、御新造さんや奥さんと、呼ばれるよりも家のやつ、家の人にといひたさに、親をば捨てゝ勘当受け、おまへの女房になつたわたし。」

と,心境を語らせている。しかし,である。その勇みを煽ったのは,芝居である,と鳶魚は言う。たとえば,役者の見立絵がある。

「見立絵というのは無論役者です。役者の顔や役者の身体を持ち込む。手許にある弘化期のもので、三番物の『勇の寿』という纏持ちを中心にしたものがあります。 一枚絵の方では『勇商人』という名がついていて、水菓子売り・俵売り・糸つり人形売り・稗蒔売り・葛餅売り・葱売り・水売り・鮨売り・鰹売り・五月人形売り・読売売りなんていうものを画いたのがある。これらは、いずれも実物との距離には無頓着で、いかにも綺麗に心持よく画き出されている。」

江戸っ子が,芝居を通して作りだされた経緯については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/435717090.html

の「啖呵」で触れた。

「江戸ッ子というものが見物されているのである。見物されて喝采される。その喝采につれて踊っているようなものなのであります。」

と,鳶魚は言うが,女子に持て囃されて,ますます勇み立つ,という心情はわからないでもない。平和な時代だったということではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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なぐれの端


江戸っ子の由来を語るところで,三田村鳶魚は,

「早いところで、頼朝が鎌倉に覇業を興したのも、尊氏が京都へ攻め上って室町幕府を拵えたのも、皆坂東武者が全日本を圧倒したのであって、坂東武者の骨ッ節のお陰であった。北条早雲が上方から関東へ出て来て,関八州を取って、上方を威嚇していたというのも、また坂東武者の力でありました。…秀吉 が関東の城々を攻め破ってしまったので、統帥というものがなく、団結というものがなくなって、纏まった権力や資力からは離れてしまったが、それはやがて土豪となり、土 族となり、泥坊となり、博徒となって残ってきた。 そのなぐれの端が江戸ッ子である。」

と,鼻っ柱の強い,江戸っ子の気風を,まあ,漫談ふうに披瀝している一節で,その下地がある,と言いたいらしいのだが,

「けれども、たいしたことは無論出来ないが、上の威光、すなわち、政府に対し、また、大名・旗本、その他身分の上な者に対しても、鼻ッ張りが強いというわけにもゆかない。」

と,しかし,さすが,鳶魚,見るべきものは見ている。

ところで,本題は,そこではない。かつては坂東武者として名を成した,

「そのなぐれの端が江戸ッ子」

という,

なぐれ,

が気になった。辞書(『広辞苑』)には,

「ナグレルの連用形から」

と付記して,

横にそれること,
使い終わって不用になったもの,売れ残り,なぐれもの,
なぐら(海上の風がおさまったあともなお高く立っている波。なごろ。),

とある。「なぐれもの」とは,

売れ残った者,

の意から,そのメタファで,

身を持ち崩したもの,
落ちぶれた者,

という意になっている。どうも,

成れの果て,

というのが,意味が近い気がする。成れの果ては,語源的には,


「成るの連用形+の+果て」

で,成ってしまった果て,の意。

惨めで落ちぶれた姿,

を言う。『大言海』は,

「為(なり)の果ての訛か」

と書く。いずれも,「なる」と訓むが,「成」「為」では,微妙に違う。漢字「成」の字は,

「丁は,打ってまとめ固める意を含み,打の原字。成は,『戈(ほこ)+音符丁』で,まとめ上げる意を含む。」

とある。だから,

つくろうとしたものが,しあがる,
なしとげる,
変化してある状態になる,

という意味になる。「爲(為)」の字は,

「爲の原字は,象を手名づけて調教するさま。人手を加えて,うまく仕上げるの意。転じて,作為を加える→するの意となる。また原形をかえて何かになるとの意を加えた。」

とある。「する」「なす」のという意味の違いは,

「為」は,事をするなり,
「成」「就」は,為したることをしとぐるなり,
「作」は,為なり,はじめつくる義,

と区別する。そうすると,「為」「成」の差は,「行為」の方に焦点を当てるか,し遂げた結果に焦点を当てるか,の違いなのだろうか。

「成り果て」について,『古語辞典』には,

すっかり終る,
もはやこれまでという状態になる,すっかりだめになる,

と,「時の経過の結果として,よくない状態になるの意にいうのが普通」として,

すっかり〜になる,

と,

すっかりおちぶれてしまう,

の意味を載せる。どうやら,成れの果ては,

どん詰まりの状態,

というニュアンスがある。その意味では,

結果として売れ残った,

というニュアンスの「なぐれの端」と,似てなくもないが,売れ残りとは,

はじき出された,
とか
はぐれた,

というニュアンスがある。つまり,

はぐれもの,

である。それは,成れの果てとは言わない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)

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八幡船


八幡船は,

ばはんせん,
あるいは
ばはんぶね,

と訓む。

はちまんせん,

とも訓むが,

ばはんせん,

のほうが,僕には通る。子供の頃,海賊船を主役にしたラジオドラマをやっていて,夢中になって聞いていた記憶がある。そのタイトルは,「ばはんせん」だったと思う。耳から覚えた。ちょっと調べたが,見当たらず,どうやらそれを映画化したらしい,

http://movie.walkerplus.com/mv23049/

に辿り着いただけである。辞書(『広辞苑』)では,「ばはんせん」として,こうある。

「室町末期から安土桃山時代にかけて,中国・朝鮮の沿岸を侵略した日本の海賊船を,明人などが称した。江戸時代には密貿易船の称。はちまんぶね。」

とある。因みに,「八幡(ばはん)」を引くと,

「倭寇の異称。『和漢三才図絵』によれば,倭寇がその船に立てた旗に『八幡』の神号を記したのを,明人がバハンと読んだからという。」

とあるほかに,

外国へ略奪に行くこと,
国禁を犯して海外に渉ること,海外にわたって密貿易を行うこと,

とあり,八幡船の略でもあるが,ほぼ意味が重なる。「ばはん」「ばはんぶね」は,室町末期の日葡辞典(イエズス会)にも載っているらしい。

「神号」は,『日本大百科全書(ニッポニカ)』に,

「本来の神名(じんめい)に対して、その神の性格によって加える称号をいう。尊崇の意による皇大神(おおみかみ)・大神(おおかみ)・明神(みょうじん)・菩薩(ぼさつ)・権現(ごんげん)・天王(てんのう)などと、区別して用いる天神(てんじん)・地祇(ちぎ)・正宮・新宮・今宮(いまみや)・王子、若宮(わかみや)などの例がある。皇大神(皇大御神(すめおおみかみ))は元来『天照坐皇大神(あまてらしますおおみかみ)』として天照大神のみの尊称であったが、のち豊受(とようけ)大神・春日(かすが)・熱田(あつた)・賀茂(かも)などの諸社に限って用いられた。大神(大御神)は古典には黄泉津(よもつ)大神、伊邪那岐(いざなぎ)大御神、猿田彦(さるたひこ)、住吉(すみよし)などの神名にみえるが、後世には信仰する神に対する尊称として広く用いられた。明神は社格を示した名神(みょうじん)と並称されたが、のちに明神が一般に通用され、また吉田家の執奏により大明神号が授けられ、多くの神社で大明神と称することが多くなった。仏説に拠(よ)る尊称として菩薩号(八幡(はちまん)大菩薩・妙理(みょうり)〈白山〉など)、権現号(箱根・熊野・東照(とうしょう)大権現など)、天王号(祇園(ぎおん)・藤森など)があるが、これらは明治以降は慣習による私称以外は禁ぜられた。また区別に用いる例として、神系による天神(あまつかみ)と地祇(くにつかみ)、本社・分社の別である本宮と新宮・今宮・王子、本社の御子神(みこがみ)としての若宮などがある。」

この場合,

八幡あるいは
八幡大菩薩

と,掲げていたことになる。『世界大百科事典 第2版』によると,

「〈ばはん〉は,戦国時代から安土桃山時代にかけての用例では海賊行為を意味し,江戸時代中期以後では密貿易を意味する言葉。〈八幡〉のほか〈八番〉〈奪販〉〈発販〉〈番舶〉〈破帆〉〈破幡〉〈波発〉〈白波〉〈彭亨〉などの文字もあてられている。《日葡辞書》はBafãと記している。語源は外国語であるという意見が有力である。ただ江戸中期に書かれた《南海通記》が倭寇(わこう)が八幡宮の幟(のぼり)を立てていたので八幡船と呼ばれたと書いたところから,ばはん船は八幡船であり,すなわち倭寇の異名であるとする考えが広く流布するようになった。」

と,「ばはん」は,「八幡」と当てたことで,もっともらしくなったが,別の意味だったのかもしれない。『日本大百科全書(ニッポニカ)』は,

「日本以外の地、すなわち中国その他に略奪に行くことをバハンといい、また他国へ略奪に行く盗賊の船をバハンブネと称した。中国では『発販』『破幡』『破帆』『波発』『白波』『彭享』とバハンは発音され、日本では『番販』『奪販』『八幡』『謀叛』『婆波牟』、あるいは単に平仮名で『ばはん』があてられた。
 バハンの語源については、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の信仰に由来するという説と、ポルトガルや中国などの外国語に由来するとの二つの説がある。前者は、江戸時代の1719年(享保4)香西成資(こうざいしげすけ)の『南海治乱記(なんかいちらんき)』が『わが国の賊船が八幡宮の幟(のぼり)を立て、洋中に出て、西蕃(せいばん)の貿易を侵して財産を奪った。その賊船を八幡船とよんだ』と記しているのが出所である。海上安全を祈願して八幡大菩薩の幟を立てたことは一般的な風習だが、そこにバハン船の語源を求めるのは賛成できない。外国語に由来しているとみたほうが妥当であろう。のち、バハンは海賊行為や略奪行為一般をさし、江戸時代には抜け荷もそうよぶようになった。」

と,はっきり,「ばはん」を「八幡」と当てることに異論を投げかけている。

「はちまん(八幡)」は,

「八(八つ)+幡(はた,のぼり)」

が語源で,武人の神。

「応神天皇誕生の時,八つの幡(バン)が,…!から降りてきた伝説による」

と,『語源辞典』にある。八幡神は,

やはたのかみ,
はちまんじん,

と訓み,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E

には,

「日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)『弓矢八幡』として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。」

とある。『大言海』には,「八幡大菩薩」について,異説はあるが,と断って,

「白幡四旒と赤幡四旒と,天より筥崎の地に降りれるより名起こる」

と記す。そのはずで,八幡神を応神天皇とした記述,

『古事記』『日本書紀』『続日本紀』

に一切見られない。八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった,らしいからである。武人に尊ばれ,

海の神,

ともされることから,倭寇が,八幡大菩薩を掲げていたが,所詮,海賊は海賊である。やはり,

八幡船,

より,

倭寇,

がふさわしいような気がする。因みに,倭寇については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87
https://kotobank.jp/word/%E5%80%AD%E5%AF%87-154019

に詳しい。

参考文献;
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%88%B9-115979
http://www.tanken.com/wako.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E

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きおい


「きおい」は,

きおいたつ,

と言った使い方をするが,

気負い
とも
競い
とも
勢い
とも,

当てる。微妙に,当てる漢字で,ニュアンスが違う気がする。辞書(『広辞苑』)には,

きおうこと,競争,
きそいあうように事が起こる,その勢い,または余勢,
張りあい,励み,
(「気負い」とも書く)自分こそはと勇み立つこと,意気込み,

とある。「きおう」の語源は,

「キソウ(競う)の変化(音韻交替)です。中世以降,自分こそはといった考えを表すようになり,『気負う』と書かれるようになります。」

と,『語源辞典』にはある。『大言海』は,

「いきほふ(勢)の上略か。きそふ(競)も,息添(いきそ)ふ,きかふ(錯)も,行き交ふの上略なるべし」

と書く。『古語辞典』に,「きほひ」について,

「勢い込んでわれ先にする意。類義語きそひは,相手に抜きん出ようとする意。」

と,その辺りのニュアンスを伝えている。

「競」の字を,共に当てたために,紛らわしいが,「きそひ」が,先陣争いしているさまを言っているのに対して,「きほひ」は,その最中にある当人の,主体的な気持ちを言っている,ということになろうか。

『古語辞典』には,

勇肌,

の意味も載せている。勇みについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/435961747.html

で,触れた。まあ,任侠肌ということになる。

「競(竸)」の字は,会意文字で,

「『言+言+人+人』で,二人の人が,言葉で言いあって勝つか負けるか,やりあうことを示す。」

とあり,

競う,張りあう,競り合う,

という意味で,主体的な気負う,意味は少ない。「勢」という字は,

「埶は,演芸の芸(藝)の原字で,『木+土+人が両手歩をのばす形』の会意文字で,人が木を土に植え,よい形に整えるさま。勢は,それに力を加えて強制し,他のものを程よい形に整える意を示す。転じて,自分ではどうにもならない,外からの勢いの意となる。」

とある。この漢字の意味からすると,「きおい」に,

勢い,

を当てるのは,自分でコントロールできない,時代や集団の圧力に流される,という意味が加わる。その意味で,「きほひ」に,

気勢,いきおい,
とか,
余勢,

の意味があるのは,主体の「われ先に」という気持ちが,「勢」を当てて,その意味が広がったともいえる。相手との関係のなかで,負けじ,と競う,ところから,そのときの,

負けじ,と意気込む,

その気持ちに焦点が移ったとき,

気負う,

と,当てたのは,凄い,と言えるのかもしれない。「気(氣)」の字は,

「气(き)は,いきが屈曲しながら出てくるさま。氣は『米+音符气』で,米をふかすときに出る蒸気のこと」

で,鼻息の荒さが,眼に見えるようだ。「負」の字は,

「『人+貝(財貨)』で,人が財貨を背負うこと」

を意味する。

背に背負いこんで,意気込んでいる,

と言うニュアンスが,

気負う,

には,眼に見えるようだ。

競い口,

とは,

意気込む弾み,勢いづいた途端,調子に乗ったとき,

という意味で,まあ,前のめりに,気負ったときはろくなことはない。

競い口には伯母をも,

とは洒落にならない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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つんでれ


「つんでれ」は,

ツンデレ,

と表記するモノらしい。迂闊なことに,僕は,この謂れがよくわからない。手元の辞書には載らない。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C4%A5%F3%A5%C7%A5%EC

には,

「気が強い(ぶっきらぼうな性格の場合も有り)ため、好意を寄せている相手を突き放すような態度をとってしまう、照れ屋な性格のこと。」
「主人公に対して刺々しい態度(ツンツン)を取っていたのが、何かのきっかけで急速に好感度を上昇させる(デレデレ)ヒロインのこと。」

とあり,こう解説する。

「ラブストーリーの登場人物としては、珍しくないパターンであり、ベタとも王道とも受け取れる手法である。
大まかな区分として、無口で非社交的なタイプと(シャナなど)、プライドが高くて活発なタイプ(ハルヒなど)の2通りが存在する。」

「シャナ」とは,ライトノベル,高橋弥七郎『灼眼のシャナ』のヒロインの名。「ハルヒ」は,ラノベで有名な,涼宮ハルヒのことではなく,葉鳥ビスコの『桜蘭高校ホスト部』シリーズのヒロイン兼ヒーロー・藤岡ハルヒのこと,らしい。

ライトノベルについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163370.html

で書いたが,

「ラノベ,という文芸ジャンルがある。正式名称は,ライトノベル。従来の文芸作品全般を『ヘビー』なものと考え,質量ともに『ライト』であることを追求した小説群のことを指す。読者層は主に中高生とされている。しかし,…平成生まれの世代は,そのほとんどが,何らかのかたちでラノベの影響下に(あるいは,ラノベを意識せざるを得ない状況下に)育ってきたといえるだろう。だが一方で,昭和生まれの世代ほとんどにとって,ラノベはある日突然降ってわいた『よく分からないジャンル』である。」

少女漫画も,ラノベも,重なる,若い世代にとって当たり前の言葉遣いが,一般社会に通用する,その一種なのかもしれない。たとえば,

やばい,

という言葉が,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/404842040.html

で触れたように,限定された世界での隠語であったのに,一般に使われるようになったように。

ツンデレは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC

によると,

「元々はギャルゲーの登場キャラクターの形容に用いられる用語であったが、2005年頃からは一般の人々の間でも使われるようになった。」

とあるが,

http://www.ic.daito.ac.jp/~jtogashi/articles/togashi2009a.pdf

では,

「『ツンデレ』と呼ばれる概念は、2002年後半にインターネット上のスラングとして登場し、おおむね2004〜2005年を境として、一般層にも普及しつつある。」

として,「ツンデレという言葉の起源」を,

「『ツンデレ』という言葉は、『あやしいわーるど@暫定』というインターネット掲示板において誕生したとされている。『あやしいわーるど@暫定』そのものは既に閉鎖されているが、過去ログを検索できるサイト『あやしいわーるど@検索(http://strangedb.ath.cx/)』が存在するので、そこで正確な日付を調査」

して,

「投稿者: 投稿日:2002/08/29(木)00時28分42秒
> 貴殿ら大空寺大空寺と言ってるがあんな性格が悪くて馬鹿そうな奴の何処が良いんだ?
ツンツンデレデレが良いとか聞くな
漏れはまゆのほうがいいけど」

に辿り着いている。この後,しばらくは,

「ツンツンデレデレ」

と使われ,

「ツンツンデレデレ系」
「ツンツンデレデレキャラ」

と言うやり取りが続く。この「ツンツンデレデレ」が,例によって略されて,

ツンデレ,

となった,ということになる。

因みに,『君が望む永遠』

とは,

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%90%9B%E3%81%8C%E6%9C%9B%E3%82%80%E6%B0%B8%E9%81%A0

によると,

「君が望む永遠とは、2001年8月3日に発売されたPC(Windows)用のエロゲーである。のちに家庭用機向けにアレンジされてDreamcastとPS2に移植された。」

とあり,

「エロゲとは、狭義には年齢制限を持つアダルトゲームのうち、その制限(一般には18禁)の主な理由が性的表現(セックスシーンなど)があるために年齢制限されるゲームのことである。」

とある。ツンデレを,富樫氏は,

「基本的には、『ツンツン』という要素と『デレデレ』という要素の、相反する二つの要素が混在しているのがツンデレと呼ばれる属性である。…ギャップ(落差)の存在がツンデレの主たる要素として注目されるようになった。ツンデレ属性とは、特定の人物に対する特別な感情を素直に表現しないキャラクターとして位置付けることができる。」

と概念を説明し,

「昨今のサブカルチャー作品において、ツンデレキャラクターは必要不可欠な存在となっており、作品そのものに言及する場合においても、ツンデレの存在が意識されないことはないといえる。」

と書く。一般に,「やばい」ほど,流通していないが,世代の中では,共通語として,言語感覚だけでなく,その言語の先に見えているものも,ある程度共有できているのだろう,か。

参考文献;
冨樫純一「ツンデレ属性と言語表現の関係―ツンデレ表現ケーススタディ―」(シンポジウム「役割・キャラクター・言語」(2009/03/28,29 神戸大学百年記念館)
http://www.ic.daito.ac.jp/~jtogashi/articles/togashi2009a.pdf

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いのり


「いのり」は,

祈り
あるいは
祷り

と当てる。意味は,辞書(『デジタル大辞泉』)には,

「動詞『の(宣)る』に接頭語『い(斎)」が付いてできた語』

とあり,

神や仏に請い願う。神仏に祈願する,
心から望む。願う,

という意味が載る。『語源辞典』にも,

「い(斎・いみ・神聖)+のる(宣)」

で,

「神聖な気持ちを口に出して願う意」

とある。『古語辞典』には,少し違う,

「イはイミ(斎・忌)・イクシ(斎串)などのイとおなじく,神聖なものの意。ノリはノリ(法)・ノリ(告)などと同根か。妄りに口に出すべきでない言葉を口に出す意」

とある。「みだりに口に出すべきでない言葉」というところに意味があり,転じて,

呪う,呪詛する,

になる,とある。因みに,呪うについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/403152541.html

で書いたように,

語源的には,

「祈る(ノル)」+「ふ」

で,基本は,「祈る」の延長戦上にあるものらしい。

祈り続ける,

には違いないが,

相手に災いがあるように祈りつづける,

ということらしい。因みに,『古語辞典』には,

「トナヘは呪文や経文を口にする意」
「ネガヒは,神を慰め,その心を安らかにして,自分の望みをかなえてくれるような取り計らいを期待する意」

とある。「呪」の字は,

「口+兄」

で,もともとは,「祈」と同じで,

神前で祈りの文句を称えること

なのだが,後,「祈」は,

幸いを祈る場合,

「呪」は,

不幸を祈る場合,

と分用されるようになった,とある。ついでに,「祈」の字は,

「斤は,物に斧の刃を近づけたさまを描いた象形文字で,すれすれに近づく意を含む。近の原字。祈は『示(祭壇)+音符斤』で,目指すところに近づこうとして神にいのること」

「祷(禱)」の字は,

「壽の原字は,「長い線+口二つ』の会意文字で,長々と告げること。音は,トウ。祷の本字は,それを音符として,示(祭壇)を加えた文字で,長々と神に訴えていのること」

とある。『日月神示』には,

「祈りとは,意が乗ること」

と言う。「霊の霊の霊(神)」と体(人間)と合流して一つの生命となること」と説く。

言霊とは,ただ言葉が霊力を持つ意味ではない。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/403055593.html

で書いたように,

「人間の口から発せられたことばが,その独自の威力を発揮し,現実に対して何らかの影響を及ぼす,といった単純な機構ではない。神がその霊力を発揮することによって,『言霊の幸はふ国』を実現し『言霊の佐くる国』を実現するのだというのが,(@とAの)『言霊』に反映する考え方なのである。」

「言霊」を読みこんだ確かな用例は,『古事記』『日本書紀』『風土記』を含めて,『万葉集』の以下の三首以外にないそうで,@とAというのは,

@神代より 言ひ伝て来らく そらみつ倭国は 皇神の 厳しき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり…(山上憶良)
A志貴島の 倭国は 言霊の 佐くる国ぞ ま福くありこそ(柿本人麻呂)
B言霊の 八十の衢に 夕占問ふ 占正に告る 妹相寄らむと(柿本人麻呂)

を指す。そこから,

「人間の発することば自体に威力があって事が実現するのではなく,人間の発することばを聞き入れた神が事を実現してくれる…,」

というわけであり,ことばに霊力がやどると信じたのは,

「人々の間で日常的に何気なく交わされることばではな(く)…儀礼の場で事の成就を願う非日常的な状況において,特別な意識をともなって口から発せられることばに霊力がこもる…」

のである。その意味で,真の祈りが,言霊なのである。

『論語』(述而篇)に,

「子疾む。子路祷らんことを請う。子曰く、諸(こ)れ有りや。子路対(こた)えて曰わく、有り、誄(るい)に曰わく、爾を上下の神祇に祷ると。子曰く、丘の祷ること久し。」

とある。孔丘は,ずっと祈っていた,という。ことに臨んで,あわてて祈る子路への皮肉である。

あえて,言葉に力があるとすると,その言葉の向こうに見える物を信じているときではないか。そのとき,人は知らず,おのれにとって,言葉は言霊となる。さらに,

祈りとは,

「口と心と行と三つ揃わねば」

とある。でなければ力を持ちえない。

参考文献;
中矢伸一『日月神示』(徳間書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
佐佐木隆『言霊とは何か』(中公新書)

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こずむ


浅学にして「こずむ」という言い回しを知らなかった。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2409543.html

にも,

「例えばココアを熱い牛乳に溶かした時に、溶けきらなくて粉が底に沈むことがありますね。そのような場合、私の家では『こずむ』と言っていたのですが、妻は『そんな言い方はしない』と言います。」

と,方言ではないか,という質問があった。しかし,辞書(『広辞苑』)には,「こずむ」は載っている。

かたよる,かたむく,特に馬がつまずいて倒れかかる,
ひとつところにかたよってあつまる,ぎっしり詰まる,混む,
筋肉が凝る,
気持ちが暗くなる,心もちが捩じれてくる,

という意味が載る。どうやら,「かたよる」とか「かたまる」という意味が,それのメタファーというかアナロジーで,意味の外延が広がっていったようである。その隠語として,

「相場が上へも、下へも動く気配の見えない場合」

にも使うらしいが,これも「かたよる」のメタファーとみることができる。漢字は,

偏む

と当てるが,「偏む」は,

かたずむ,

とも訓む。「かたずむ」は,

片ずむ,

とも当て,

かたよる,
一方へ傾く,

という意味になる。辞書(『広辞苑』)では,

「ツムのかなづかい未詳。一説に,『詰(つ)む』とも」

とある。『大言海』は,

片詰む,

とあてている。偏る(かたよる)は,

片寄る,

とも当てるので,確かに,片詰むというのは,意味から来ている。この意味は,「偏」の字を当てたせいかもしれない。

「偏」の字は,

「扁は,『戸(平らな板)+冊(薄いたんざく)』の会意文字で,薄く平らに延びたの意を含む。平らに延びればいきわたる(→遍),また,周辺にいきわたると周辺は中央から離れるの意を派生する。偏は『人+音符扁』で,おもに扁の派生義,つまり中心から離れてかたよった意をあらわす」

とあるので,この漢字の意味に引きずられている,ということはある。

『大言海』は,「こづむ」は,

片詰むの約,

とし,

「かづむ,こづむと転じたにはあらぬか,堅磐(かたしいは)をかしは,炊(かしき)を甑(こしき),聞かしめずを聞こしめず」

と,転訛の例を挙げている。とすると,「片詰む」が「こずむ」より先ということになる。

因みに,「かたよる」は,

「片+寄る」で,重みや考えが片方に寄るの意で,

「偏るは当て字」

とある。つまり,意味から,漢字「偏」を持ってきた,ということになる。『江戸語大辞典』では,

片詰む(かたずむ)

で表記し,「かづむ」「こず(づ)む」では載らない。で,かたよる,という意味の他に,

かたくるしい,
融通が利かない,

という意味を乗せる。「片づける」とも使う「片」は,

「介(人+八)わける意kat」からで,片方という意,

「蒙古語kaltas」で,「ツングース語kaltakas」が語源の側,片の意,

の二説ある。中国語「片」は,

「片は,爿(しょう 寝台の長細い板)の逆のかたちであるともいい,また木の字を半分に切ったその右側であるともいう。いずれにせよ,木の切れ端を描いたもの。薄く平らなきれはしのこと」

とある。切れ端が寄せられる,くっつけられる,ところから,片寄る,片付くがあるとすると,これも,「片」の意味から当てはめたもので,もともとは,ツングース系かどうかは別に,

「かた」

という言葉が,一方とか一片という意味で使われていて,それに漢字「片」を当てはめたことになる。

いつも思うが,

片詰む,

と書くのと,

かたづむ(かづむ)

と書くのとでは,明らかに,前者の方が,視界が開く。漢字の持つ威力を,また再確認させられた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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駆落ち


駆落ちは,今の常識では,

「恋し合う男女が連れだって密かに他の地へ逃亡すること」

という意味で,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%86%E3%81%91%E8%90%BD%E3%81%A1

には,

「駆け落ちは、愛し合っている男女の一方または双方の親に、身分や人種などを理由に結婚または交際を反対された場合や、男女の一方が既婚であったり、望まない結婚を親に強要された場合、最後の手段として決行する場合が多い。
未成年で一方または双方に保護者がいる場合の駆け落ちは、刑法上では結婚目的の略取・誘拐罪が適用される。
18世紀ごろのイングランドでは、結婚許可証の発行や異議申し立て期間の存在など、婚姻に関する厳しい制限があったため、イングランドを出てスコットランドのグレトナ・グリーンで結婚する駆け落ちが流行した。」

という意味しか載らない。しかし,辞書(『広辞苑』)には,他に,