ホーム 全体の概観 侃侃諤諤 Idea Board 発想トレーニング skill辞典 マネジメント コトバの辞典 文芸評論


コトバ辞典


謀る


「謀る」は,

はかる,

とも訓むが,

たばかる,

とも訓ませる。「はかる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%82%8B) で触れたように,『大言海』は,

≪計・測・量≫「大指と中指とを張り限る意」

として,

「物事の程を知らむと試みる。つもる。はからふ。」

をまず挙げ,次に,

≪権・称≫「秤にて軽重を試みる。「枡にて多少を試みる。掛く。」
≪度≫「尺(ものさし)にて長短を試みる。差す。」
≪思量・謀≫「考へ分く。分別す。たくむ。」
≪詢・商議≫「語らひて論じ定む。相談す。」「欺く。だます。たばかる。たぶらかす。」

と分けている。『古語辞典』は,「はか(計・量)り」を,

「はか(量・捗)の動詞化」

としている。「はかどる」の「はか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B)で触れたことがあるが,「はか」について,『大言海』は,「計」を,

「稻を植え,又は刈り,或いは茅を刈るなどに,其地を分かつに云ふ語。田なれば,一面の田を,数区に分ち,一はか,二(ふた)はか,三(み)はかなどと立てて,男女打雑り,一はかより植え始め,又刈り始めて,二はか,三はか,と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち,稲株と稲株との間を,一はか,二はかと称す。」

とし,「量」を,

「量(はかり)の略。田を割りて,一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず。」

としていた。それを前提に,『古語辞典』は,

「仕上げようと予定した仕事の進捗状況がどんなかを,広さ・長さ・重さなどについて見当をつける意」

として,

予測する,
広さ・重さ・値段などを計量する,
よい機会かどうかなど見当をつけてえらぶ,
よいわるいのなどの見当をつけながら,論じる,
もくろむ,企てる,
だます,

と意味の幅を付ける。単なる予測から,価値判断が加わり,それか悪意へシフトすると,だますになっていく,という意味の外延の広がりのあることばである。「はかる」の「謀る」は,

見当をつけるとい意味から,目論み(企み)に転じ,そこから悪だくみへと,意味が転じて言ったものだ。その意味では,「はかる」には,心の中で練っていくという含意がある。

「たばかる」も,

思案する,思いめぐらす,
相談する,
謀り欺く,だます,

と,思案の末に,騙す,という意味で,ほぼ重なる。『広辞苑』には,

「タは接頭語」

とあり,『岩波古語辞典』には,

「タは接頭語。ハカリは未知の分量・重さなどを知ろうと計量するのが原義。転じて,物事の処理を工夫し計画する意。さらに,たくらんで人をだます意」

とあり,ほぼ「はかる」と重なる。

『大言海』は,

「タは發語。安斎随筆…は『たくみはかるの略語か』とあり」

としている。とすると,「はかる」よりは,「たくらむ」含意が強まる。「た」は,

「動詞・形容詞の上につく。意味は不明」

とあるが,

「語調を整え強める」(『広辞苑』)

というところなのだろう。

「たやすい」
「たなびく」

等々と並んで,「たばかる」も入る。「手」の古形に,

手枕,
手力,
手挟み(たばさみ),
たなごころ,
手折る(たおる)

等々「た」と訓ませる接頭語があり,これとつながるのではあるまいか。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F

は,接頭語「た」について,

「『手の語根』と同語源とも考えられる。」

としている。あえて,「た」を付けるということは,そこに意図が強調されている,とみることができる。「はかる」より「たばかる」の方が,より意識的意図的の含意が出る。

『日本語源大辞典』は,接頭語「た」説以外にも,以下のように諸説載せる。

タクミハカルの略か(安斎随筆),
タ(他)ヲハカル意か(和句解),
昔,手で物の大小をはかったところから,テハカル(手量)の義(名言通),
タマハカル(魂計)の義(柴門和語類集),
タバカリはアタリハケリ(化術)の義(言元梯),

等々。「手」との関連がやはり注目される。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

上へ


ヒバリ


「ヒバリ」は,

雲雀,
告天子,

等々と当てる。『広辞苑』には,その鳴き声を,

「一升貸して二斗取る,利取る,利取る」

と聞きなした,とある。

「日本では留鳥・漂鳥として河原・畑などにすみ、春になると空高く舞い上がりながら、ピーチュク、チルルなど長くて複雑な節回しでさえずる。」(『デジタル大辞泉』)

とあるから,芭蕉の,

ひばりより空にやすらふ峠哉(『笈の小文』)

が生きてくるのだろう(『笈の小文』以外は「空に」は「上に」とあるらしい)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%90%E3%83%AA

には,「ヒバリ」の異称を,

告天子(こうてんし,こくてんし,ひばり),
叫天子(きょうてんし),
天雀(てんじゃく),
姫雛鳥(ひめひなどり),
噪天(そうてん),
日晴鳥(ひばり),

等々を上げている。

『大言海』は,「ヒバリ」の項で,

天鷚(てんりょう),

の異称も挙げて(「鷚」はヒバリの意),

「日晴(ひはる)の意。空晴るれば,飛鳴して雲の上に昇る,日晴鳥(ひはれどり)なり」

とある。さらに,

日本釈名「告天子,ヒバリは日のはれたる時,そらに高くのぼりてなく鳥なり,ヒハル也。雨天にはノボラズ」

を引く。『日本語源広辞典』も,

「日+晴れ+り(鳥)」

とし,空晴れ天高く飛び鳴く鳥の意,とする。確かに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hi/hibari.html

が,

「奈良時代から見られる名。語源は,晴れた日に空高くのぼり鳴くところから,『日晴(ひはる)』の意味が定説となっている。しかし,ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。漢字の『雲雀』は,雲に届くほど天高く飛翔する雀に似た鳥の意味から。」

とする通り,「日晴」が定説のようだが,個人的にはすっきりしない。鳥は基本雨の日はあまり飛ばず,雨が上がると,賑やかに囀り飛ぶという印象をもっているからだ。晴れている日に鳴くのも飛ぶのも,「ヒバリ」に限ったことではないのではあるまいか。

『日本語源大辞典』は,

ヒハル(日晴)の義。日が高く晴れたときのみ高く上り鳴くところから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・和訓栞・大言海)
鳴き声がピパリからか(箋注和名抄・音幻論=幸田露伴),
ヒラハリ(翩張)の義(名言通),
高く上るところからヘヘ(隔々)リの義(言元梯),
ヒは日,ハはハルカ(遥)または羽,リはアガリサガリのリか。日のさすとき,はるばるとあがる鳥でるところから(和句解),

と挙げるが,く上がるというのがヒバリの特徴なら,晴れよりそこに語源をさぐるべきではないか。

『日本語の語源』は,

「空高くしきりにさえずるのでシバナキ(屡鳴き)鳥と呼んだ。『シ』の子交(子音交替)[∫c],『ナキ』の縮約[n(ak)i]でヒバニ転音し,さらに語尾の子交(子音交替)[nr]でヒバリ(雲雀)になった。」

とするが,これも如何であろうか。

万葉集で「ヒバリ」を歌う歌は,

うらうらに 照れる春日(はるひに)ひばり上がり 心悲(こころがな)しも ひとりし思へば(大伴家持)
ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば 都も見えず 霞かすみたなびく(大伴家持)
朝な朝な 上がるひばりに なりてしか 都に行きて 早帰り来む(安部沙弥麻呂)

等々あるらしいが,いずれも「ひばり上がり」である。いずれも,「日晴れ」といった開放感のある感じではない。「日晴れ」説には疑問である。

春を告げる鳥,

とされる以上,

天く飛ぶ,
か,
鳴き声,

から採ったと見るべきではあるまいか。「ヒバリ」の囀りについて,

https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0604_2.htm

は,

「ヒバリは上昇していくとき(『上がり』と呼ばれる)、空中で停飛しているとき(『空鳴き』、『舞鳴き』)、そして降りてくるときで(『降り』)、それぞれ鳴き方が異なります。
 上昇していくときは比較的単純な鳴き声の繰り返しですが、停空飛翔状態になると、多い個体では15種類以上もの声のパターンを組み合わせて、複雑なさえずりを長時間続けます。そして降りてくる時には、スズメや他の鳥の鳴き声も混ぜ、少し短めの声を組み合わせてさえずります。」

という鳴き声を摑まないわけがない。『語源由来辞典』の,

「ヒバリの鳴き声を模した表現には『ピーチク』『ピーパル』『ピーピーカラカラ』,また『ピーチクパーチクひばりの子』と言うように,鳴き声の『ピパリ』とする説ある。」

から,「ピパリ」説に(あまりスッキリしないので不承不承)軍配を上げておくことにしたい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

上へ


モズ


「モズ」は,

百舌,
鵙,

と当てる。「鵙」(ゲキ,漢音ケキ,呉音キャク)の字は,

「貝の部分は,もと『目+犬』で,犬が目をきょろきょろさせることをあらわす。鵙の本字はそれを音符とし,鳥を加えた字で,芽をきょろきょろさせて虫を捕食する鳥を表す」

で,「モズ」の意である。「百舌」字は, 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

に,

「様々な鳥(百の鳥)の鳴き声を真似た、複雑な囀りを行うことが和名の由来(も=百)」

とあるように,「モズ」の語原からくる当て字と思われる。『日本語源広辞典』は,

「モ(鳴声・擬音)+ス(小鳥)」

は,「モ」とは聞こえないのでむりがあるだろう。『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/mo/mozu.html

「百の舌を持つ鳥を表す」

とし,

「モズの語源は諸説ある。鳴き声に関するものが多く,中でも『モ』は鳴声,『ズ(ス)』はウグイスやカラスと同じく鳥を表す接尾語とする説が有名である。『ス』は妥当であるが,代表的な『モズの高鳴き』と呼ばれる鳴声は,秋に鳴く『キイーキイー』という高い音で,これを『モ』の音で表現するには無理がある。『モ』は鳴き声そのものの音ではなく,非常に多い数を表す『モモ(百)』で,百鳥の音を真似るところからの名であろう」

としている。『大言海』も,

「モは鳴く聲,スはウグイス,カラスなどのスと同じ,百鳥の音を真似る故に,百舌と云ひ,又,反舌とも云ふ。」と

する。また,『日本語の語源』が,「百」を,

「鋭い声でけたたましく連続的に鳴くのでモモシタ(百舌)と読んでいた。語頭の『モ』,語尾の『タ』を落して,モシ,モス,モズ(百舌・鵙)と転音した」

とするのも,「モ」を「百」とする意味では同じ解釈といっていい。

『日本語源大辞典』には,その他に,

メ(目)ノサスの反(名語記),
モス(百舌)の義。セツの反。セッセッと鳴くところから(言元梯),
その鳴声モヂリ(綟)の義(名言通),
反舌の義(東雅),

といった説を載せるが,

百の舌,



百の声,

かというところだろう。

「モズの高鳴き」は,

「秋から11月頃にかけて『高鳴き』と呼ばれる激しい鳴き声を出して縄張り争いをする。縄張りを確保した個体は縄張りで単独で越冬する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

とか。また,「速贄(はやにえ)」といモズの習性も名高いが,

「モズは捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝股に挟む行為を行う。秋に初めての獲物を生け贄として奉げたという言い伝えから『モズのはやにえ(早贄)』といわれた」

ものだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA

によると,

「ワシやタカとは違いモズの足の力は弱く、獲物を掴んで食べる事ができない。そのため小枝や棘をフォークのように獲物を固定する手段として使用しているため」
「空腹、満腹に関係なくモズは獲物を見つけると本能的に捕える習性があり、獲物を捕らえればとりあえずは突き刺し、空腹ならばそのまま食べ、満腹ならば残すという説もある。はやにえにしたものを後でやってきて食べることがあるため、冬の食料確保が目的とも考えられるが、そのまま放置することが多く、はやにえが後になって食べられることは割合少ない。また、はやにえが他の鳥に食べられてしまうこともある。」
「モズの体が小さいために、一度獲物を固定した上で引きちぎって食べているのだが、その最中に敵が近づいてきた等で獲物をそのままにしてしまったのがはやにえである」

等々諸説あるが,

「餌付けされたモズがわざわざ餌をはやにえにしに行くことが確認されているため、本能に基づいた行動である」

と見られている。「餌付けされたモズがわざわざ餌をはやにえにしに行く」というのはどこか悲しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

上へ


ヒヨドリ


「ヒヨドリ」は,

鵯,

と当てる。『広辞苑』は,

白頭鳥,

とも当てる,としている。

「鵯」(ヒ,漢音ヒツ,呉音ヒチ)の字は,

「『鳥+音符卑(背が低い)』あるいは,ぴっぴいと鳴く聲を真似た擬声語か」

とある(『漢字源』)。

必ずしも,「ヒヨドリ」を指していおらず,『字源』は,我が国だけで「ひえどり(鵯鳥)」,「ヒヨドリ」を指す,としていて,はしぶとがらす,みやまがらす,の意としている(鵯烏)。『漢字源』は,白頭鳥,またひよに似た鳥の総称,としている。どうやら,姿形もさることながら,

鳴き声,

から来た字のようである。『大言海』は,

「ヒエドリ(鵯鳥)の転」

とし,「ひえどり」の項で,

「稗鳥の義。稗を食へば云ふならむ。字は,蓋し,鵯鳥の二合和字」

とある。しかし,

http://www.nihonjiten.com/data/45847.html

は,

「鳴声『ヒィーヨヒィーヨ』に由来する説、ヒエを好んで食べることから、古名『稗烏(ヒエドリ)』が転じた説がある。ただし、ヒヨドリはヒエは食べない。漢字表記『鵯』は国訓で『ヒヨドリ』、いやしいの意『卑』は『小さい』の意味に用いる『稗(ヒエ)』に通じるか。」

としており,「稗」は当て字,僕は漢字「鵯」から,名を取ったのではないか,だから,

ヒドリ→ヒエドリ,

と訓んだのではないかと勘繰りたくなる。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A8%E3%83%89%E3%83%AA

の言うように,

「鳴き声は『ヒーヨ!ヒーヨ!』などと甲高く聞こえ、和名はこの鳴き声に由来するという説がある。また、朝方には『ピッピッピピピ』とリズムよく鳴くこともある。」

とあり,

ひいよひいよ(『広辞苑』)
ピーヨピーヨ(『デジタル大辞泉』)

とい鳴き声からか,

ヒヨ,

とも呼ばれる。その意味では,

ヒヨ→ヒヨドリ,

は考るのが,自然なのかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「ピーヨ,ピーヨ+鳥」

とするが,カラス,ウグイス,ホトトギス,の「ス」,スズメ,ツバメ,の「メ」等々と違い,なぜか,

ヒヨメ,
ヒヨス,

とはならなかった。『日本語源大辞典』も,

鳴き声(和句解・音幻論=幸田露伴),
古名ヒエドリ(稗鳥)の転(大言海),

の二説挙げるのみである。やはり,

ピーヨ→ヒヨ→ヒヨドリ,

と転訛したと見るのが妥当に思える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

上へ


つぐみ


「ツグミ」は,

鶫,

と当てる。「鶇」(トウ)は,我が国でのみ「つぐみ」に当てる。「鶫」の字は,その字に似せて,つくった国字らしい。

「鳥+音符東」

について,

http://www.nihonjiten.com/data/45821.html

「音符『東』は、五色で青に配する意に通じるか。」

とある。

「古くは跳馬と呼ばれましたが、これは、地面をはねるようにとんでエサをとる格好から」

名づけられたとある(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1359.html)が,『大言海』は,「ツグミ」の別名に,

馬鳥,
鳥馬(テウマ),

『広辞苑』は,

チョウマ,
ツムギ,

を挙げている。「チョウマ」「テウマ」は「跳馬」のことであろうか。

「ツグミ」は秋の季語。

喧嘩すな あひみたがひに 渡り鳥(一茶)

という句もあるとか。秋に渡来し,越冬する。で,

「和名は冬季に飛来した際に聞こえた鳴き声が夏季になると聞こえなくなる(口をつぐんでいると考えられた)ことに由来するという」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%9F

という説がある。『大言海』も,

「噤(つぐ)みの義。夏至の後,聲無ければ云ふ」

とする。

『日本語源大辞典』は,

夏至の後は鳴かないところからツグミ(噤)の義(日本釈名・大言海),
その形状から,セクグミ(背勾)の転スクミの義(名言通)。

の二説挙げる。「せくぐみ」は,

跼む,

と当て,

背を丸め,体を前方にかがめる,

意である。「すくみ」は,

竦み,

は,硬直して動かなくなる,意である。「ツグミ」の姿勢を指している。似た説は,

http://ta440ro.blog.shinobi.jp/%E9%B3%A5/%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90

が,

「ツグミという名の由来です。ネット上で調べてみると、日本に滞在している冬場は口をつぐんで鳴かないからだと書いてあるものが沢山見つかりました。…ツグミという鳥は冬場に囀りはしませんが、決して無口な鳥ではありません。知らないで近づいたときに不意にケッと鳴いて飛び立ったり、何かを主張しているのか騒がしく鳴いていることも多いのです。そんな鳥に果たしてツグミなんて名前を付けるでしょうか? 名づけた人は余程ツグミを観察したことがないのでしょうか?
 一方で信憑性があると感じたのは、関東の方言でしゃがむことをつぐむといい、それに由来する、という説です。関東の方言でしゃがむことをつぐむというのか否かは知りませんが、ツグミは地面の上に直に降り立って、ちょっと嘴を上に向け、つんとした姿勢でいることが多い鳥です。広々とした地面に数羽が離れてポツンポツンと立ち尽くす鳥はそれほど多くありません。その姿を人がしゃがんでじっとしているように擬人化して見るのはそれほど無理がないように思えます。」

「しゃがむ」説を採る。かつて,「跳馬」(チョウマ)と呼ばれたのは,「ツグミ」の恰好であった。

「地面をはねるようにとんでエサをとる格好から」

名づけられた(https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1359.html)という由来から考えても,

セクグミ(跼)→スクミ(竦)→つぐみ,

の転訛がだとに思えるが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

上へ


ムクドリ


「ムクドリ」は,

椋鳥,

と当てる。

ムク,
白頭翁,

とも呼ぶそうだ。

「ムクドリ」の語源は,大別,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

の言う,

「『群木鳥・群来鳥(ムレキドリ)』から転じたとする説と、椋の木の実を好むからとする説」

に分かれるようだ。『日本語源大辞典』は,諸説を,

椋の実を群れはむところから(滑稽雑談),
椋の気に棲むところから(本朝食鑑),
必ず群れてとぶところから,ムレキドリ(群木鳥)の義(俗語考),
ムレキドリ(群來鳥)の略転か(大言海),
ムクんだ鳥の義か(大言海),

と挙げる。さすがに『大言海』の,

「ムクみたる鳥の意か,又,羣來鳥(むれきどり)の略転か」

とする「むくみたる鳥」説は,『日本語源広辞典』が,

「身体がムクンダ鳥説(大言海)は疑問です」

という通り,ちょっと首を傾げたくなる。『日本語源広辞典』は,

「椋の実を好んで食べる鳥」

説を採る。『日本語の語源』は,

「ミクフ(実食ふ)木は,クフ[k(uf)u]の縮約でミク・ムク(椋)になった。〈大庭のムクの木を中に立て〉(平治)。椋の実を好んでついばむところから『椋鳥』の名がある。椋の実は小さいがあまく子供も好んで食べた」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mu/mukudori.html

は,

「椋木( ムクノキ)の実を好んで食べることからというのが定説となっているが,ムクノキ以外の 種子や果実,昆虫なども食べる。ムクドリの特徴は,何万羽ともいわれる大群をつくって『リャーリャー』と鳴くところにあるため,『群木鳥(ムレキドリ)』もしくは『群來鳥(ムレキドリ)』の略転説がある。ムクドリを指す方言の『雲鳥(クモドリ)』は雲のように見える大群の鳥の意味から,『ムラ』『ムラドリ』が群れをなすところから,『ムクギ』『ムツキードリ』は『群來(鳥)』,『ムッツドリ』が『群集い』とすると,ムクドリの語源も『群れ』と考えるのが妥当である。」

と,「群れ」に着眼し,「群木鳥」系を採る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

には,

「日本の方言では、モクドリ、モク、モズ、クソモズ、モンズ、サクラモズ、ツグミ、ヤマスズメ、ナンブスズメ、ツガルスズメなど様々に呼ばれている。 秋田県の古い方言では、ムクドリのことを『もず』『もんず』と呼んでいる」

とあり,ここには,「群れ」も「椋」も関係なく,どこかに嘲りがある気がする。そのせいか,

ムクドリ,

には,

田舎から都へ来た者をあざけっていう,

という意味がある。『江戸語大辞典』には,

「江戸へ出てきた田舎者,またその嘲称」

とあり,さらに,

「椋鳥のように群れをなす人の形容」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

には,

「江戸時代、江戸っ子は冬になったら集団で出稼ぎに江戸にやってくる奥羽や信濃からの出稼ぎ者を、やかましい田舎者の集団という意味合いで『椋鳥』と呼んで揶揄していた。俳人小林一茶は故郷信濃から江戸に向かう道中にその屈辱を受けて、『椋鳥と人に呼ばるる寒さかな』という俳句を残している。」

とある。まあ,たまさか江戸に生まれただけで,江戸ッ子などといって田舎者を嘲るのは,虎の意を借る狐に似て愚かしいが,その江戸ッ子の実態は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/436936674.html

で触れた。,「江戸ッ子」は, 

「表通りには住んで いない。皆裏通りに住んでいた」

輩を指す。目くそ鼻くそである。

しかし,不思議と,「ムクドリ」は,文学には登場する(確か古井由にも『椋鳥』という作品があった)。「ムクドリ」の季語は,冬。

榎の実散るむくの羽音や朝あらし(松尾芭蕉)

といった句もあるとか。

やはり,「群れ」が目だったと考える方が自然かもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

上へ


シジュウカラ


「ジュウカラ」は,

四十雀,

と当てる。

白頬鳥,

とも。どこかで,「四十雀」は,

「スズメ(雀)よりも40倍の価値があるから」

という説を聞いたことがあるが,『大言海』には,

「雀,四十を,其の一鳥ら代ふる意と云ふ,或は云ふ,四十は,羣(むれ)る意なりと,或は云ふ,鳴く聲を,名とせるなりと」

ある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A9

は,

「和名は鳴き声(地鳴き)に由来する。さえずりは甲高いよく通る声で『ツィピーツィピーツィピー』などと繰り返す。」

と鳴声説を採る。『日本語源広辞典』は,

「シジュウ(多く集まる)+から(鳴く鳥)」

としているが,よく意味が解らない。が,『日本語源大辞典』の,

四十カル(軽)の義。多く群れるところから・カルはカルク翻るところから(名言通),
四十は群がる意という(大言海),
雀四十を以てこの鳥一羽に代える意という(大言海),
鳴き声チンチンカラカラの略転(名語記),
鳴く声からという(大言海),
シジウと鳴くカラの意。カラはヤマガラのガラ,ツバクロのクロと同じで,小鳥全体の総称(野鳥雑記=柳田國男)

諸説から,「から」が小鳥の総称ということがわかる。

http://yaplog.jp/komawari/archive/619

によると,

「雀は、種スズメではなく、小鳥一般を示す言葉です。」

とあるから,「から」を,

雀,

と当てたのかもしれない。たとえば,「コガラ」は,小雀と当て,「ハシブトガラ」は,嘴太雀と当て,「ヤマガラ」は,山雀と当て,「ヒガラ」は「日雀」と当て,「ゴジュウカラ」は,五十雀と当てる。

「五十雀(ごじゅうから)」という名がある以上,そのことを合わせて説明しなくてはならないので,群がる,という説は少し説得力を失うだろう。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/shijyuukara.html

は,

「平安時代には,『シジウカラメ』と呼ばれ,室町時代から『シジュウカラ』と略された。シジュウカラのさえずりは『ツツピーッツピー』,地鳴きが『チ・チュクジュク』と表されるので,『シジウ』は鳴声を表したものと考えられている。『カラ』はヤマガラの『カラ』や,ツバクラメ(ツバメ)の『クラ』と同じく,鳥類を表す語。『メ』は『群れ』の意味か,鳥を表す接尾語(というより,「カラメ」と「クラメ」は同じではあるまいか)。
 五十雀がいるせいか,四十雀の「四十」を『40羽』と考える説もある。ゴジュウカラはシジュウカラに似ているところから付いた名なので,五十雀の存在を考慮する必要はなく,四十は『シジウ』の音から当てられたと考えるのが妥当である。」

と言い切る。「シジュカラ」の語源は,鳴き声「シジウ」から来たとするのが妥当ではある。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/841789/26

に,

「鳴き声に由来する思しき命名の方言も実に多岐にわたり千差万別です。しーながら・しゅんしゅんがら・ししがら・四十がらがら、しんしんがら・しんじゅがら・しじうがら・すすんがら・すんすんがら・ちんちんからからetc.農林省農務局 編『類ノ方言』」

とあるのでなおさらである。しかし,である。「ゴジュウカラはシジュウカラに似ているところから付いた名」とは,ちょっと決めつけが過ぎまいか。

http://yaplog.jp/komawari/archive/619

は,

「『四十雀に似てるから』などといういいかげんなのもありますが、分類では別のグループです。
確かに両者の姿形は明らかに異なっています。動き方も、かなり違います。また、木を逆さまに降りられる生態は、ゴジュウカラに独自のものです。『木廻(きまわり)』とか『逆鉾(さかほこ)』など、行動をよく表した異名もありますけれども、やはりこの鳥の正しい名は、江戸のむかしからあくまでも『五十雀』でした。
図説 鳥名の由来辞典…に、…むかしは四十歳で初老、五十歳で老人であったので、ゴジュウカラの青みがかったグレーの羽を老人に見立てた」

としている。とすると,「シジュウカラ(四十雀)」と「ゴジュウカラ(五十雀)」の名の由来は,セットで考えなくてはならなくなる。

さらに,

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018806/88

には,

「『その鳴声は「親死ね、子死ね、四十九日の餅を食ひたい」(静岡市)』
ここから『シジュークンチ』とも聞こえてくることから後方音を省いて『シジュー』+『雀(から)』になったとすると、五十雀のことを『きわまり』と呼ぶ理由とも繋がりそうです。数字では49の『極まり(=桁上がり)』が50だからです。

とあり,「シジュウカラ」と「ゴジュウカラ」は,対になって名づけられているとみていいのではあるまいか。芭蕉の句に,

「老いの名もありとも知らで四十雀」(続猿蓑)

とあるのも,そういう繋がりの中で詠むと,いっそう意味深い。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A9

に,

「総合研究大学院大学の研究で、シジュウカラが単語を組み合わせて文にし、仲間へ伝達する能力を持つことが明らかになった。研究では鳴き声の組み合わせを変えた時のシジュウカラの反応が異なるとされ、チンパンジーなど知能が高い一部の動物で異なる鳴き声を繋げる例は見られたが、語順を正確に理解し、音声を理解する能力は他に例が無く、言語学上重要な手掛かりとなると見られている。」

とあり,「シジュウカラ」の別の側面が見えてくる。ますます「シジュウカラ」と名づけた意味の奥行がのぞめるようだ。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

上へ


ジュウシマツ


「ジュウシマツ」というと,僕などは,赤塚不二夫の『おそ松くん』の,

十四松,

を思い起こしたりする(齢がばれるが,初期の週刊少年サンデー連載を知っている)が,ここでは,

十姉妹,

と当てるそれである。僕は鳥に詳しくないが,この鳥,野生には存在しないらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%84

には,

「野生種は存在せず、ヒトの手によって作り出された家禽で、コシジロキンパラ (Lonchura striata) の一亜種であるチュウゴクコシジロキンパラ (Lonchura striata swinhoei) の江戸時代に中国から輸入されたものが先祖と考えられている。家禽としての歴史が長いため飛翔力が弱く、かご抜けしても野生では長く生きることができないと考えられる。」

とか,何だか哀れである。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13956188

には,

「江戸時代には日本で品種改良されて、飼い鳥になりました。その為、野生には、十姉妹という種類の鳥はいません。十姉妹は、とにかく飼いやすい小鳥として有名。まず、日本で品種改良された為、体質がこの国の気候に合い、丈夫です。しかも、性格はおとなしく、仲間同士で喧嘩することはまずありません。」

とある。想像だが,江戸時代の,

朝顔,
金魚,

等々の流行と似た流れの中にあるのではないか,という気がする。朝顔の品種改良はすさまじかったらしい。

その意味では,「ジュウシマツ」の品種改良などお手の物だったろう。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/40/4/40_4_364/_pdf

には,

「日本のジュウシマツは中 国南部のコシジロキンパラを江戸 時代に輸 入したものがもとになっている。コシジロキンパラが子育て上手なことが人気を集め,その形質をさらに選択交 配して大きさが似たような鳥ならばどんな鳥の雛でも育ててしまうほどになった。安 政年間にはコシジロキンパラの白化個体が生じ,これが幸運を呼ぶとして人気を集めた。」

とある。こうして,

性格は大人しく、温和で、飼育がとても簡単,
1つのゲージに十数羽でも飼うことが出来るほど、仲良し,

等々ということで,

十人の姉妹のよう,

ということから名づけられたとされる。面白いのは,

https://www.sci.hokudai.ac.jp/bio/bio/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%84%EF%BC%88bengalese-finch-var-%EF%BC%89/

に,

「ジュウシマツは、“chunk”とよばれる2〜4個の異なる音素が一つの固まりをつくり、その固まりの間には繰り返し出現する“接続音素”が存在しています。符号化すると[(ABC)ddd(ABC)eee(FGH)(FGH)dddd(ABC)eeee…]のように表されます。脳のなかにはキンカチョウと同じように、さえずりを学習・生成する神経回路をもっているのに、そのさえずりパターンは大きくことなっています。」

とある。「キンカチョウ」は,「小鳥の歌の神 経科学で標準動物として使われている」鳥らしい。.

で,この鳥,

「巣引き(飼育環境下での繁殖)が下手で、飼育下では抱卵を行わないことが多いため、ジュウシマツが仮親として使用される」

というのが笑える。で,

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjlp1960/40/4/40_4_364/_pdf

には,ジュウシマツが祖先で あるコシジロキンパラょりもはるかに複雑な歌を歌うのだとある。

「ふつう鳥の歌はせいぜい2秒のソナグラムであらわせば,その全体像がみえるものである。ところが,ジュウシマツの歌をソナグ ラムであらわしてみると,とても2秒では表 現しきれな いものが ある」

とか。さらに,

https://www.athome-academy.jp/archive/literature_language/0000000193_all.html

では,岡ノ谷一男教授(千葉大学)は,

「ジュウシマツの歌には、ヒトの言葉と同じように音の並びに規則性がある」

し,

「実はヒナから成鳥になる間に、学習によって獲得されるものなんです。ジュウシマツの歌の学習には2段階あって、まず第1段階は親鳥などの成熟した歌を聴いて、自分の歌の手本となる歌や発声のモデルを造る。そして第2段階で、実際にでたらめな歌をうたってみて、第1段階で造ったモデルと自分の歌の誤差を修正します。生後35日くらいからうたい始めるようになって、安定した歌になるのは生後120日くらいです。」

といい,人となった同じく,

「自分の耳で聞きながら音を調節している」

のだとか。これは,

「恐らく卵をたくさん産むツガイを好んだ人間が、知らず知らずのうちに、複雑な歌をうたうオス達を選んでいったとも考えられます。」

という家禽故に変異した要素は大きいようだ。

上へ


たいまつ


「たいまつ」は,

松明,
炬,

と,『広辞苑』は当てている。「松明」の字は,

「タキマツ(焚松)の音便」(『広辞苑』『大辞林』)

から来た当て字と想像される。「炬」(漢音キョ,呉音ゴ)は,

「巨(キョ)は,工印のものさしにコ型の手で持つ所のついた形を描いた象形文字。上の一線と下の一線とがへだたっている。距離の距(間がへだたる)と同系のことば。炬は『火+音符巨』で,長い束の先端に火をつけてもやし,ずっとへだたった手に持つたいまつ」

で,

かがり火,
たいまつ,

の意である。

「たいまつ」は,

松や竹の割り木,または枯れ草などを束ね,これに火をつけ照明とするもの,

で,

ついまつ,
しょう めい(松明),

ともいう。『大言海』は,

「焼(た)き松の音便。松明(しょうめい)は,通鑑,唐肅宗紀,註『松枯而油存,可燎之為明』という語句アリ,正字通『滇人以松心為炬,號曰松明』

としている。これを見ると,「松明」は当て字ではなく,中国由来の言葉と見える。『字源』をみると,

松炬(しょうきょ),
松明(しょうめい),

というらしい。

『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E6%9D%BE%E6%98%8E

も,やはり,

「火を焚くための松の意の『たきまつ(焚き松)』が音変化して『たいまつ』になった」

としており,『日本語の語源』も同様であるが,『日本語源広辞典』は,二説挙げている。

説1は,「タキ(焚)+マツ(松)」
説2は,「手+火+松」。

後者は,手にかざす松の灯り,の意で,由来になっていない気がする。なお,『日本語源広辞典』には,

「松明に使う松は松脂(まつやに)の多い部分(コエマツ)を使った」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A4

も,

「『焚き松』や『手火松』」

を挙げている。しかし,『世界大百科事典 第2版』は,

「神話では伊弉諾(いざなき)尊が黄泉国(よみのくに)を訪れるとき,櫛の男柱を欠いて燭(しよく)としたとつたえる。国語の〈たいまつ〉は〈たきまつ(焼松)〉の音便であろう。手火松(たひまつ)とする語源説は文献からは成立しない。松を灯火に用いるには,〈ひで〉(根の脂の多い部分)をこまかく割って台の上で燃やすことが,近年まで日本の山村や中国の一部で行われており,松脂をこねて棒にした〈松脂ろうそく〉も用いられていた。」

と,「たきまつ(焼松・焚松)」説を採る。『日本語源大辞典』は,三説挙げる。

タキマツ(焼松・焚松・燔松)の(名語記・日本釈名・類聚名物考・箋注和名抄・俗語考・柴門和語類集・日本語原学=林甕臣・大言海),
タヒマツ(手火松)の義(東雅・言元梯・和訓栞・語簏・火の昔=柳田國男),
ツキマツ(続松)の転(塵袋),

その上で,

「平安時代には,単に『まつ』とも言い,庭上で立てて使う場合は『たてあかし』『たちあかし』とも呼んだ。また,『ついまつ(続松)』と記した例も多く,両者は同じように使われていたらしい。鎌倉・室町時代になると『まつび』『まつあかし』『あかしまつ』などと新しい呼び名も生まれる」

としている。こうみると,「あてあかし」とわざさわ立てる場合読んだのは,「まつ」ないし「たいまつ」が,手で持つことを全体としていたからだと想像される。とすれば,わざわざ,屋上屋を重ねる,

タヒマツ(手火松),

という言い方をしたとは思えない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

上へ


かがりび


「かがりび」とは,

篝火,

と当て,

夜中の警護または漁獲などの際に周囲を照らすために焚く火,

である。後者は,漁火を指すと思われる。『大言海』には,

篝(かがり)に焚く火,

とある。篝とは,

「薪を入れ,篝火を焚くのに用いる鉄の籠。釣り下げているもの,足を組み立ててのせるものなどがある。」(『広辞苑』)

篝籠,

の意味である。「かがり」は,

篝,
炬,

と当てる。「篝」(漢音コウ,呉音ク)は,

「竹+音符冓(コウ 前後を同じ形に対応させて木や竹を組む)」

とあり,組んだ物をまとめて言うらしく,

かご,
かがり,
ふせご(火や香炉の上にかぶせるかご。「衣篝(イコウ)」「香篝(コウコウ)」),

を意味する。中國由来かと思れる。『大言海』には,「かがり」について,

「赫(かが)を,カガルと活用させたる動詞ありて,其名詞形ならむと思はる。カガヤキの意」

とある。他の辞書には載らないが,『日本語源広辞典』は,

「カガ(眩い・輝く)+リ+火」

とし,

「篝火は大言海の説に従います。鉄製の籠に入れて,輝きを一層強くした焚火のことをいいます」

とする。松明に比べ,確かに明るく感じたに違いない。『日本語源大辞典』は,「篝」(かがり)の項で,「かがり」の語源を,カガ(赫)の活用という大言海説以外に,

カは焚く意。火を焚く籠の意か(東雅),
カケアリ(懸有)の義(名言通),
カゴイリヒ(籠入火)の意か(類聚名物考),
カハカリビ(河狩火)の転(日本語原学=林甕臣),
タケアカリ(竹明)の約(言元梯),

を載せるが,『大言海』の「カガの活用」に分がある気がする。ただ,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11153679381

で,

「『互い違いに編む』という意味の動詞『かがる』の連用名詞形『かがり』から篝火に使う籠が『かがり』と呼ばれるようになり、篝に燈す火を篝火と言うようになった。和名抄には「篝…竹器也」とあり、元は竹製だったようだ。
『輝く』と結びつける語源説もあるが、『輝く』は近世初めまで『かかやく』と清音だったことや『篝』は元々籠を指す言葉だった点からみて『輝く』と関連づけるのは無理。」

とある。『広辞苑』の意味なら,漢字「篝」とも重なる。

『岩波古語辞典』の「かがやき」で,確かに,

「近世前期までカカヤキと清音」

と,ある。「かがる」は, 

縢る,

と当て,

糸をからげるようにして(互い違いにして)編み,または縫う,

意である。篝の意味とも重なる。ただ,「かがやく」の語源を見ると,「岩波古語辞典」説とは異なり,

カガ・カガヤ(眩しい・ギラギラ)+ク(動詞化)(日本語源広辞典),
カガは,赫(かが),ヤクは,メクに似て,発動する意。あざやく(鮮),すみやく(速)(大言海),
カクエキ(赫奕)の転(秉穂録),
カガサヤクの約言(万葉考),
カケイヤク(火気弥)の義。カはクハの反(言元梯),
光の強く目に感ずるさまと,カ音の耳に強く感ずる趣の相似ていることから(国語溯原=大矢徹),

と必ずしも,清音にこだわっていない。第一,

かがよひ

という言葉がある。「カギロヒと同根」(岩波古語辞典)で,

静止したのがキラキラと光って揺れる,

意である(「ともし火の影にかぎろふつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(万葉))。「かぎろひ」をみると,

「カガヨヒ・カグツチと同根。揺れて光る意。ヒは火」

そして,「輝きはカカヤキと清音。(かぎろひとは)起源的に別」とする。しかし,「カグツチ」は,

「カグはカガヨと同根。火のちらちらする意。ツは連体助詞,チは精霊」

で,

火の神,

なのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%84%E3%83%81

には,

「カグツチとは、記紀神話における火の神。『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之R毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される。また、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記される。」

とある。さらに,「火之R毘古神(ひのかかびこ)」の,

「R(かか)は、現代語の『かがやく』と同じであり、ここでは『火が光を出している』といった意味」

「火之迦具土神(ひのかぐつち)」の,

「迦具(かぐ)は、『かか』と同様『輝く』の意であり『かぐや姫』などにその用法が残っている。また、現代語の『(においを)かぐ』や『かぐわしい』に通じる言葉であり、ここでは『ものが燃えているにおいがする』といった意味」

とあり,やはり,「かが」は,『大言海』の「赫」とつながるのではないか。仮に,「かか」と濁らなかったとしても,

「かか」「り」「ひ」

とつなげたとき,濁るようにになるのは自然ではあるまいか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

上へ


以来


「以来」は,

已来,

とも当てる。

そのときからこの方,

という意味と,

この後,

の二つの意味がある。

ある時点から以後,

という意味と,

今という時点以後,

では意味が少し違う。他の辞書には載らないが,『大言海』は,

それよりこのかた,

の意味に,

左傳,昭公十三年『自古以来,未之或失也』「開闢以来」

を引く。ある時点を基軸に,それ以降,という意味である。その上で,もうひとつ,

「誤りて,この後,今後」

という意味を載せる。その意味で,「以来」は,本来,

爾来,

それより後,その時以来,

という意味だったと考えられる。ただ,今日,「以来」を,今後の意味では,あまり使わないが。

以来は謹むべき(大言海),
以来は酒をふつつとくだされまい(広辞苑),
以来屹度心得まする(大辞林),

という用例は,あまり見かけまい。だから,

以来は、過去のことに限り(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1364822383),

といった断言ができるのだろ。ま,言葉は生き物,言い切るのはちょと。。。。

さて,「以」(イ)の字は,

「『手または人+音符耜(シ すき)の略体』で,手で道具を用いて仕事をするの意を示す。何かを用いて工作をやるの意を含む,…を,…で,…でもってなどの意を示す前置詞となった」

とある。「以来」は,「それより来りて」といった意味になるので,一定時点が,過去でも,たった今でも,一秒でも前なら,その意の範囲に入る,と言ってしまえば,「過去」に限定などと堅いことは言えまい。因みに,「以」の草書体が平仮名の「い」になった。

「以来」は「已来」とも当てるが,「已」(イ)の字は,「未(いまだ)」と対で,既に,という意味になる。「已然」「已往(イオウ すでに過ぎ去ったこと)」「已知之矣(すでにこれを知れり)」といった使い方をする(漢字源)が,

「古代人がすき(農具)に使った曲がった木を描いたもの。のち耜(シ すき)・以(イ 工具で仕事をする)・已(やめる)などの用法に分化した。已(やめる)は,止(とまる)・俟(イ とまって待つ)に当てた用法。また以に当ててもちいる。」

とあり,「以来」と「已来」は代替されたとみられる。「已来」は「これより来った」といった意味なので,ある時点以降を指すという意味では,「以来」と重なる。

「爾来」は,

それより後,

の意だが,「爾」(漢音ジ,呉音ニ)の字は,「我」と対の「爾(なんじ)」であるが,

「柄にひも飾りのついた大きいはんこを描いたもの。璽(はんこ)の原字であり,下地にひたとくっつけて印を押すことから,二(ふたつくっつく)と同系のことば。またそばにくっいて存在する人や物を指す指示詞に用い,それ,なんじの意をあらわす」

とある。「爾来」は,「其処より来りて」といった含意であろうか。

ただ,「以」は,以後,以上,以下のように,その時点を含んだ含意が明確なので,発話者は,「以来」といったとき,その時点にまで立ち戻って,「それ以来」といっているニュアンスがあるが,「已来」も「爾来」も,「すでに」「そこ」と,今の時点からその時点を見て,遠くから発話しているというニュアンスを感じる。ま,臆説だが。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

上へ


エビ


「エビ」は,

海老,
蝦,
鰕, 

と当てる。

「海老」の字は,当て字のようだが,

「これは中国にはなく、平安時代の漢和辞書『和名類聚抄』(934年)に記載がある。エビはひげを蓄え、体が丸くなった老人に似ていることから、長寿を喜ぶ意味を込めて『海老』となった。」

とか(http://zatsuneta.com/archives/001917.html)。

漢字「蝦」の字は,

「右側の字(音カ)は,仮面や外皮を被る意を含む。蝦は,それを音符として,虫を加えたもの」

蝦蟆(カボ)はガマ,ヒキガエルの意になる。「鰕」(漢音カ,呉音ゲ)は,

「右側の字は,上にかぶせるという基本義をもつ。鰕は,それを音符にし,魚を添えた字」

とある(『漢字源』)。因みに「老」(ロウ)の字は,

「年寄りが腰を曲げてつえをついたさまを描いた」

象形文字。

一説に,「エビ」は,

「新井白石の『東雅』(1719)には、『エビは其(そ)の色の葡萄(えび)に似たるをいひ、俗に海老の字を用ひしは、その長髯傴僂(ちょうぜんうる)たるに似たる故也』と、エビの語源と海老の字義が載っています。 葡萄が語源なのです。」

とあり(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119938581),この説がネット上では大賑わいである。たとえば,

http://goshoku.co.jp/column/ebi/reason.html

にも,

「 日本では古来からブドウ類をエビヅル(エビカズラ)と呼び、果実が熟した時の実や汁の濃い赤紫色の事をエビ色と呼んでいました。 一方、『エビ』を熱すると『葡萄』のような紫を帯びた暗い赤色になり、葡萄の色に似てきます。 このことから、『エビ』の事も『葡萄=(えび)』と呼ぶようになったんだそうです。」

と。しかし,「エビカヅラ」について,『岩波古語辞典』は,

葡萄,
葡萄蔓,

と当て,

「蔓の巻き具合が,エビのひげに似る故の名か」

とある。

「エビカヅラ」は,エビヅルの古名。エビヅル(蝦蔓、蘡薁)は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%85%E3%83%AB

に,

「古名はヤマブドウとともに『エビカズラ』(葡萄蔓)」

とある。「(ヤマ)ブドウ」の古名でもある。『大言海』も,

「鬚ありて,蝦に似たる故の名かと云ふ」

とある。しかも,

「つる性の木で他の木などに巻きひげによって上昇する。」

とある。どうやら,事情は逆で,「エビ」のひげに似ているから,名づけた,ということになる。「エビ」が「エビカヅラ」に由来するというのは,白石に起因する。『東雅』の説は,いつもあまりあてにならない。

『日本語源広辞典』は,「エビ」の語源を,有力とする二説載せる。

説1は,「曲がる」意味で,海老の老からすると,腰が曲がるに語源がある,ユビ(曲がる指,古語オ,ヨビ,方言イビ)」が,エビと変化した,
説2は, 葡萄の古語を「エビ」といいます。それで体の色からエビと名づけた,

と。因みに,「ゆび」は。古形が「および」。

『日本語源広辞典』も言っているが,「エビ」の語源は諸説ある。『日本語源大辞典』は,

体色がエビ(葡萄・蒲萄)に似ているから(東雅),

説以外に,

エヒゲ(吉髭)の約転(言元梯),
エタヒゲ(枝鬚)の義(名言通),
エヒゲ(枝髭)の義(日本語原学=林甕臣),
エビ(柄鬚)の義(草廬漫筆),
エは江か。ヒはヒゲの略(和句解),
イデハリ(出針)の反(名語記),
エビとは長い毛をいうから(嬉遊笑覧),
エは赤の意(松屋筆記),
よく曲がるというところから,オヨビ(指)の変化したもの(衣食住語源辞典=吉田金彦),

と諸説ある。『東雅』のように,

「エビは其(そ)の色の葡萄(えび)に似たる」

に焦点を当てるより,「ヒゲ」に着目する説が多い。やはり,「海老のひげ」に絡んだと見たい。「海老」の字を当てたのは,後世になってからではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

上へ


引け目


「引け目」とは,例えば,『デジタル大辞泉』でみると,

1 自分が他人より劣っていると感じること。劣等感。気おくれ。「引け目を感じる」
2 自分で意識している弱み・欠点。「こちらにも引け目がある」
3 目立たないように、自分の言動などをおさえること。また、そのさま。ひかえ目。「小遣銭でも貰えれば結構だと至極引け目な望みを起していた」〈荷風・おかめ笹〉
4 穀類・液体などを他の容器に移すとき、量目が減ること。また、その量目。

といった意味が並ぶ。普通は,

「他に比べて自分が劣っていると感じて持つ心の弱み」(広辞苑),

という意味で受けとめている。「引け目を感じる」「引け目を見せない」といった使い方になる。原意が同かはわからないが,そういう自分の気持ちが,

「人前で目立たぬようにに振舞う」(広辞苑)

につながる。『日本語源広辞典』は,

「ヒケ(気後れ)+め(接尾語)」

とする。「引け」は,

引くの受動形(岩波古語辞典),

で,それだけで,

引かれる,
気後れする,ひけめを感じる,

という意味を持つ(岩波古語辞典)。『広辞苑』には,

「退け」とも書く,

として,

ひけること,
仕事が終って退出すること,

という意味が載る。そのメタファで,

売買価格の減ること,
大引け,
遊女が張見世をやめて入口の大戸を締めること,

といった意味に広がるが,「引け」の名詞で,

勝負に負けること,
肩身の狭い思い,

という意味を持つ。「ひく」は,

引く,
挽く
轢く,
曳く,
牽く,

など等と当てるが,『日本語源広辞典』は,

「手に取って引き寄せる意の本来『一音節語』です。引,曳,牽,弾,抽,退,惹など同源。後ろの方向への力もヒクで,退く,曳く,牽く,…なども同源」

とする。「ヒク」は,『岩波古語辞典』によると,

「相手をつかんで,抵抗があっても,自分の手許へ直線的に近づける意。また,物や自分の身を自分の本拠となる場所へ戻す意」

とある。後者の意味は,

後へ下がる,

だが,それをメタファとして使えば,

立ち退く,
退却する,

意となる。あくまで,立ち位置は,自分で,自分の位置へ引っ張り寄せるか,出ていたものを戻す,ということになる。それは,

退く,

と当てられる。「引け目」は,

退け目,

ではないか。「引けを取る」という意言い回しは,

引けを取らない,

という言い方をされることが多いが,『日本語源広辞典』は,

「ヒケ(不首尾・ひけめ)+とる」

とする。この「ヒケ」は,「引け目」の「ヒケ」と同じである。メタファとして,

自分の立ち位置が,他の人々に比べて劣る(低い),

という「引け」を感じているということになる。「め(目)」は,『大言海』は,

「見(ミ)と通ず,或は云ふ見(みえ)の約と」

とある。『岩波古語辞典』は,「め」は,

「古形マ(目)の転,メ(芽)と同根」

とする。この「マ」は,

見(まみ)える(見ゆ),

の「マ」である。あるいは,「まぶた(目蓋)」「まつげ(まつ毛)」ノ「マ」でもある。「まなこ(眼)」の「マ」でもあるかもしれない。

こう見ると,「引け目」は,

退いていると自分を見ている,

という主観的な思いということになる。

https://mainichi.jp/articles/20140209/mul/00m/100/012000c

に,

「相手に恩義を感じるのは『負い目』 自分の欠点は『引け目』です」

とあるが,しかし,微妙である。負い目は,誰かに対して感じることもあるが,広く他人に対して感じることもある。そうなると,「引け目」と,重なる部分大きくなる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

上へ


サンマ


「サンマ」は,

秋刀魚,

と当てるが(『大言海』は「秋光魚」とも当てる),中国語でも同じ漢字で記して「qiūdāoyú」と読まれている,とある。しかし,

「体が刀状で秋の代表的な魚であるところからの当て字」(『語源由来辞典』)

らしい。かつては,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1258000152

によると,

「江戸時代には『鰶』や魚ヘンに『箴』と書く漢字(鱵)があてられていたそうです。『鰶』は、サンマの呼び名『サイラ』に由来するとも言われます。南房総地方の網元に伝わる文書には、『サンマ』とルビのフられた『鰶』の文字がみられます。大正になると『鰶』と『秋刀魚』の両方が見られ、昭和になると『鰶』の文字は消滅するのだそうです。」

とか。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A

には,「秋刀魚」の字に由来について,

「『三人麻雀』の略称である『三麻』を『さんま』と音読みすることから転じて、…『秋刀魚』の字をあてた」

と出ている。面白いが,如何であろうか。

https://www.videlicio.us/CULTURE/ZE2xt61c

によると,

「当初、サンマはサヨリの仲間だと思われていたようで、『本朝食鑑』(元禄10年、1697年)では『サヨリ』の項に登場し、『沖サヨリ』と言う名前で紹介されています。また、『島サヨリ』とも言われていたようです。いちめいに『ノウラギ』とも呼ばれ、『乃宇羅幾』、あるいは『乃宇羅岐』と書かれました。(中略)
 同書のサヨリの項でやっと『三摩(サンマ)』と言う呼び名が登場し、形はサヨリに似ているが、味は大きく劣る、と書かれており、食べたのは庶民が食べたとあります。
 『本草綱目啓蒙』(文化2年、1805年)では『鱵魚』の項に延喜式ではヨリトウヲ、ヨロト、サヨリ、ナガイハシ、などの呼び名の後に、紀州熊野にではオキサヨリ、江戸ではサンマと呼ぶと書いてあります。また播州(現在の兵庫県辺り)、讃州(香川県辺り)ではサイラと呼ぶとあります。(中略)
『倭漢三才図会』(文政7年、1824年)では『さいら』の項に『のうらき』『乃宇羅岐』と付記してありますので、文政頃にどちらも同じ魚だと言うことになったのではないかと思われます。
 「秋刀魚」の字が使われるようになるのは、明治に入ってからとの事です。」

明治になってからのことのようだ。この説に依ると,「サンマ」として,分化され,認知されるのは,かなり後になってから,ということになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E

によると,

「サンマは古くは『サイラ(佐伊羅魚)』『サマナ(狭真魚〉)』『サンマ(青串魚)』などと読み書きされており、また、明治の文豪・夏目漱石は、1906年(明治39年)発表の『吾輩は猫である』の中でサンマを『三馬(サンマ)』と記している。これらに対して『秋刀魚』という漢字表記の登場は遅く、大正時代まで待たねばならない。現代では使用されるほとんど唯一の漢字表記となっている『秋刀魚』の由来は、秋に旬を迎えよく獲れることと、細い柳葉形で銀色に輝くその魚体が刀を連想させることにあり、『秋に獲れる刀のような形をした魚』との含意があると考えられている。1922年(大正10年)の佐藤春夫の詩『秋刀魚の歌』で、広くこの漢字が知れわたるようになった。ただし、迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)の幼少期のエピソードから、『秋刀魚』の表記は明治後期に流布していたとみなすこともできる。」

とあり,これは,「サンマ」が,一般的に食されるようになったこととつながる。『たべもの語源辞典』は,

「江戸では安永(1772〜81)ころになると『安くて長きはさんまなり』という壁書があるくらい流行してきた。下々の者が食べたのだが,寛政(1789〜1801)になると中流階層以上にも好む者が出て来て,『サンマがでるとアンマが引っ込む』といわれるほど健康によいたべものとされるようになる。京都ではサヨリとよんでいた。」

とある。なお,『大言海』は,京都にてはサヨリ,大阪にてはサイラとし,「さいら」の項を別途立てて,

「鱵魚(さより)の転」

としている。「サイラ」「さより」等々,地域性もあるにしても,様々に呼ばれてきたものが,18世紀末,つまり江戸の繁栄に伴って流入してきた江戸の下層民,つまりは江戸ッ子が,サンマを認知したことで,「サンマ」が「サンマ」として分化してきたように思われる。

さて,その「サンマ」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sanma.html

「サンマの語源は、体が細長いことから『狭真魚(さまな)』の音便約とする説。 古くは『三馬』や単に『馬』と言われており、『サウマ』『サムマ』『イソムマ(磯・甘味)』からとする説。『イサウマナ』『サムマナ』『サムナ』の順に変化したとする説などあるが、どれも確定できるものではない。」

と確定を避けているが,『大言海』は,

「三馬とも表記狭眞魚(さまな)の音便約なるべし(狭俵[さだわら],さんだわら)」

とする。『日本語源広辞典』も,

「狭(サ,細くとがった)+真魚(マナ)」

を採る。

「サマナ(狭真魚)」→「サマ」→「サンマ」

と変化したということになる。そのほか,

大群で泳ぐ習性があるので「大きな群れ」を意味する「サワ(沢)」と「魚」という意味の「マ」がくっついて「サワンマ」→「サンマ」になった,

という説もある。

たべもの語源辞典』は,

「サンマのサンはたくさんという意で,マは,まとまるとか,うまいという意である。」

とする。しかし,江戸中期以降でないと,「うまい」とか「秋の味覚」という評価はなかったのではないか。こけれは聊か疑問である。その他,

スナホメナ(真理魚)の義(名言通),
もとサウマ・サムマ。イサウマ(磯・甘味)の意味(衣食住語源辞典=吉田金彦),

とある。しかし,「サンマ」のうまさが認知されるまで,その呼び名はさまざまであった。たとえば,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE

には,凄い異称が並ぶ。

はりお(はりを) :源順 『和名類聚抄』 承平年間(931-938年)に「波里乎(ハリヲ)」の名で記載あり。
さいら(佐伊羅魚)
さいら(鰶=魚偏に祭) :「鰶」の第1義はコノシロ。
さまな(狭真魚)
おきさより(沖細魚) :人見必大 『本朝食鑑』 1695年(元禄8年)に記載あり。
さんま(三摩) :『本朝食鑑』に記載あり。織田完之 『水産彙考』 1881年(明治14年)等にも記載。
さんま(銅哾魚) :神田玄泉 『日東魚譜』 1741年(元文6年)に記載あり。
さんま(鱵=魚偏に箴) :松易遷編 『名物類篇』 1848年(嘉永元年)に記載あり。※「鱵」の第1義はサヨリ。
さんま(青串魚) :伊藤圭介 『日本産物誌』(原題「日本地誌略物産弁」) 1872-76年(明治5-9年)に記載あり。大蔵省記録局編 『漁産一斑』 1884年(明治17年)にも記載あり。
さんま(秋刀魚) :織田完之 『水産彙考』 1881年(明治14年)に記載あり。これが恐らくは初出。「三摩ヲ秋刀魚(シウタウギヨ)ト云ルハ拠処ナシ」(凡例より)
しまさより :『水産彙考』に記載あり。
さんま(秋光魚) :農商務省水産局編 『日本有用水産誌』 1885年(明治18年)に記載あり。
さんま(鰊) :『日本有用水産誌』に記載あり。
さんま(小隼) :大槻文彦編著 『言海』 1889年(明治22年)にのみ記載。
さんま(鰶=魚偏に祭) :静岡県漁業組合取締所編 『静岡県水産誌』 1894年(明治27年)に記載あり。
さんま(西刀魚) :台湾総督府民生局編著 『台湾総督府民政局殖産部報文』 1896年(明治29年)に記載あり。
さんま(三馬) :夏目漱石 『吾輩は猫である』 1906年(明治39年)に

それだけ,共通認識にはなっていなかったということだろうか。やはり,

秋刀魚,

を当てた人は,明治期だろうが,卓見である。

因みに,「サ