
コトバ辞典
「お(御)茶の子」は,例の,
お茶の子さいさい,
の「お茶の子」である。『広辞苑』には,
茶の子,御茶菓子,また間食としてとる軽い食事,
(腹にたまらないところから)たやすくできること,
と意味が載る。前者の意味から,後者へ転じたということなのだろうか。ちょっとこじつけっぽくて,しっくりこない。『岩波古語辞典』には,「茶の子」として,
茶うけ,
彼岸会や法事の供物または配り物,
物事の容易なたとえ,お茶の子とも,
と意味が載る。『江戸語大辞典』には,
茶の子の丁寧語。茶の子が腹の足しにならぬことから転じて,物事の容易・簡単なことのたとえ,
と載る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/otyanoko.html
も,
「おちゃのこさいさいの『お茶の子』とはお茶に添えて出される茶菓子のことで,簡単に食べられることから簡単にできる喩えになった。また朝食の前に食べる『茶粥』のことを『お茶の子』と言う地方があり,そこから『朝飯前』の意味になったとする説もある。『さいさい』は,俗謡の『のんこさいさい』という囃し言葉をもじったものである。」
とするが,やはり『大言海』の説明が,意を尽くしている。
茶うけ菓子。點心,
朝茶子と云ふは,朝食に,茶粥を用ゐることなるべし,略して,チャノコとも云ひ,朝飯のこととす(今,静岡縣にては,朝飯をアサジャとも,チャノコとも云ふ)
朝の空腹に粥なれば消化(こな)れやすく,腹にたまらぬ意よりして,容易(たやす)きこと,骨折らずできること,又,朝腹の茶の子と云ふ諺も,容易なる意に云ひ,お茶の子などとも云ふ,
と。「茶の子」が「お茶うけ」では,
容易,
という意味にはつながらない。
茶うけ→朝茶子(朝粥)→たやすい,
なら,少し意味が流れる。だから,「お茶の子」は,
「お菓子のこと。お菓子は腹に残らないことから、容易にできること、たやすいことをいう。」(「とっさの日本語便利帳」)
では,意味が飛躍しすぎる。「お茶うけ」は,腹にためるものではない。
腹にたまらない→たやすい,
と転じるには,
お茶うけ→朝茶子(朝粥)→腹にたまらない→たやすい,
と,もう一つ意味の拡大を挟んでいたのではあるまいか。あるいは,『隠語大辞典』に,
間食のことを茶の子といったので手軽な食,
ともあるので,間食も含めた,
お手軽食,
という意味から,たやすい,という意味に転じたというふうにも見られる。
お茶うけ→朝茶子(朝粥)あるいは手軽な間食→腹にたまらない→たやすい,
と,その手軽さが,たやすさへとシフトした,ということなのかもしれない。
『日本語源大辞典』には,
「朝食前,起きぬけにとる間食をオ茶ノ子と言うので,朝飯前の同義語としていう」(日本古語大辞典)
と言う説を載せている。つまり,ただの間食ではなく,
朝飯前の起きぬけの食事,
ということだから,正確には,
お茶うけ→朝茶子(朝粥)→腹にたまらない→たやすい,
の流れに,「朝飯前」という意味が重なる。それが,たやすいという意味と直接的につながっていく。
『日本語の語源』は,
オチャヅケノゴハン(お茶漬けの御飯)→オチャノコ(お茶の子),
と変化したという説を載せる。これを取るなら,もともとあった,
お茶の子,
とは別に,起きぬけの朝粥(あるいは茶漬け)を略して「茶の子」と言うようになった流れがあり,「お茶の子」に二重の意味が重なったのではないか。つまり,
お茶漬けの御飯→お茶の子,
が,本来の「お茶の子さいさい」の原点なのだが,それに,もともとあった,「茶うけ」の「茶の子」と重なった,というように。『日本語源広辞典』は,
「お茶の子(農民の朝飯前の代用食)+サイサイ(囃し言葉)」
と,よりクリアに,「お茶の子さいさい」の「お茶の子」の出自を明確化している。まさしく,
朝飯前,
なのだ。だから,たやすい意とつながる。これに「茶うけ」の「茶の子」の意味が重なったほうが言葉の陰翳は深まるような気がする。
当然,「お茶の子さいさい」の「さいさい」は,囃し言葉で,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q118231596
に,
「『よいよい』とか『おいおい』のように、はやすときにつかう言葉なんです。」
と,あるいは,
http://www.asahiinryo.co.jp/entertainment/zatsugaku/japanesetea02-1.html
に,
「民謡などの囃子である『さいさい』
とある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「はずかしい」は,
恥ずかしい,
と当てるが,「恥」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E6%81%A5)の項
で触れたように,
「端+づ」
で,
で,中央から外れている,末端にいる劣等感,
であり,他者との対比した上での゜感情だから,視点が外から自分を見る目線である。だから,『広辞苑』にあるように,
@自分の至らなさ・みっともなさを感じてきまりが悪い,
A相手が立派に見え,自分は劣っていることを感じ気おくれがする,
Bこちらが恥ずかしくなるほど相手がすぐれている,
C何となく照れくさい,
は,そう思わせる対象があり,それとの比較で,自分をみている。だから,ABが先で,@の自分の感情に焦点が移り,Cで意味が一般化する,という感じなのではあるまいか。今日では,どちらかというと,自分自身の価値基準に照らして,自らを恥じるという感じであるが,語源は,比較対象があるのではあるまいか。
『岩波古語辞典』には,
「ハヂ(恥)の形容詞形。自分の能力・状態・行為などが,相手や世間一般に及ばないという劣等意識を持つ意」
とある。つまり,「恥」という言葉がもっているような価値とのずれへの気恥ずかしさではない。
中央から外れている,末端にいる劣等感,
は,あくまで主観的なものにすぐない。だから,
(自分の至らなさ,みっともなさを思って)気が引ける,
となるし,逆に,
(相手を眩しく感じて)気後れする,
結果として,
照れくさい,
という意味になる。似た言葉に,「きまりが悪い」「ばつが悪い」がある。これは,「きまり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%82%8A)
で触れたように,「きまりが悪い」は,
(人前で首尾よくつくろうことができない意から)面目が立たない,また何となく恥ずかしい,
という意味になるが,「ばつ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%B0%E3%81%A4)が
,
結末,つじつま,
の意であったと似て,「きまりが悪い」も,
何かから外れている,
という含意になる。つまり,「はずかしい」とは違って,「ばつが悪い」「きまりが悪い」は,外の基準や転結との辻褄が合わない,という意味で,その「恥ずかしさ」は,主観的ではなく,外から見て,体裁の悪さを表している意となる。まさに,外から見て,
体裁の悪さ,
を示す。「照れくさい」も,「きまりが悪い」に通じて,その場や空気にそぐわない,という外からの目線である。「やましい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%84),
「後ろめたい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%8D%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%84)が,いずれも,主観的な意識だが,「恥」とは違い,何かと比較するというよりは,自身の内面の不安や心のざわめきで,どちらかというと,自分の中の葛藤である。
「はにか(含羞)む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%82%80)は,
「歯+に+噛む」
で,遠慮がちに恥ずかしがる様子が,歯に物をかむようなので,はにかむというらしい。恥じている顔の状態表現から来ているので,ちょうど「はずかしい」が,自分を他者と比較する眼から恥じているのに対して,恥じている本人を見る他人の表現が,自分の心情表現へと転じた感じてある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「うま」は,
馬,
と当てるが,実は,この「馬」の,
字音「マ」
が,「うま」の語源だと,『広辞苑』にはある。実は,古代史の本を読んでいたら,こんなことが書いてあった。
「『馬』を『うま』と訓じるのは,中国語の『マ』(もしくは『バ』)が転じたものである。つまり和語にはあの動物を表す言葉がなかったのである。ほとんど見たこともなかったのであるから,それも当然である。馬のことを駒というのも,『高麗』つまり高句麗の動物という意味なのである。」
その結果,四世紀末から五世紀にかけて,朝鮮半島に出兵した倭国の大軍は,高句麗に大敗する。
「短甲(枠に鉄の板を革紐で綴じたり鋲で留めたりした伽耶『由来・語源辞典』の重い甲(よろい))と太刀で武装した重装歩兵を中心とし,接近戦をその戦法としたものであったのに対し,既に強力な国家を形成していた高句麗が組織的な騎兵を繰り出し,長い柄を付けた矛(ほこ)でこれを蹂躙したことによるものと考えられる。歩兵にしても,高句麗のそれは鉞(まさかり)を持った者や,射程距離にすぐれた強力な彎弓(わんきゅう)を携えた弓隊がいたことが,安竹3号墳の壁画から推定されている。
歩兵と騎兵との戦力差は格段のものがあり(一説には騎兵一人につき歩兵数十人分の戦力であるという),これまで乗用の馬を飼育していなかった倭国では,これ以降,中期古墳の副葬品に象徴されるように,馬と騎馬用の桂甲(けいこう 鉄や革でできた小札(こざね)を縦横に紐で綴じ合わせた大陸の騎馬民族由来の軽い甲)を積極的に導入していった。」
とある。日本の在来馬については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC
に詳しいが,
「日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。」
としているので,高句麗大敗後のことという時代背景は合う。ただ,「高麗」由来という説は,
「『こま(駒)』の『こ』が上代特殊仮名遣いで甲類であるのに対し,『こま(高麗)』の『こ』は乙類である」
ため,現時点では,認められないようである(ただ,「上代特殊仮名遣い」自体は,あくまで仮説なので,それが覆る可能性はあると僕は思っている)。しかし,上記の由来を考えると,朝鮮半島を経由するプロセスで,「うま」と係る言葉を手に入れたと見なすのが妥当ではあるまいか。なお,「上代特殊仮名遣い」については,何度か触れたが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3
に詳しい。
さて,「うま」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,二説載せる。
説1は,「『中国音m』が,語源だと言います。この音を単独で発音できない日本人は,前に,母音u,後ろに母音aを,加えてウマとしたのです。外来語に母音を加えて発音する習慣は,現在でも,インキ,ブック,デッキ,などにも見られる現象です。」
説2は,「『ウ(大)+マ(時間・空間)』説です。大いに,早く,遠くに行くものの意ですが,この説は疑問に思います。」
『日本語源広辞典』が疑問に思った説を,『大言海』は,「こま(小馬)」の項で,
「古名は,イバフミミノモノ(英語に云ふ,ponyなり)」
と注記して,
「応神天皇の御代に,百済国より大馬(オホマ 約めてウマ)の渡りたりしに対して,小馬と呼び,旧名は滅びたりとおぼし。神代期の駒(こま),古事記の御馬(みま)の旁訓は追記なり」
とし,
オオマ(大馬)→ウマ,
コマ(小馬)→コマ,
と,その大小から,二系統の由来,ということになる。『日本語源広辞典』が,「こま」については,
「小+馬」
の音韻変化とするのは,暗に,「コマ」と「ウマ」の由来が別と,言っているような気がする。『岩波古語辞典』は,
「こま」の項で,
「こうま(子馬)の約」
としているのは,「大馬」が親馬で,「小馬」が子馬ということなら,意味が通る気がする。なお,「うま」の項で『岩波古語辞典』は,
「ウマは古くからmmaと発音されたらしく,古写本では,『むま』と書くものが多い」
として,朝鮮語,満州語に関連すると想定している。『日本語源大辞典』には,新村出説として,
「蒙古語mori(muri),満州語morin,韓語mat(mus)mar,支那語ma(mak)などと同語源。馬自体が大陸から伝わったのとともに,音も伝わった」(琅玗記)
を載せている。確かに,馬とともに言葉も伝わったのだが,いずれも「マ」由来に見える。
さらに,『岩波古語辞典』には,
「平安時代以後は,歌謡には,馬を,コマということが多い」
とあり,駒と馬は,混同されていったようだ。なお,『日本語の語源』は,
「中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。『ウ』は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母韻[u]が落ちて撥音化したため,ンメ(梅)・ンマ(馬)という。」
とある。
参考文献;
倉本一宏『戦争の日本古代史−好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』(講談社現代新書)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)上へ
「まぐろ」は,
鮪,
と当てるが,『広辞苑』には,
眼黒の意,
とある。『大言海』には,
「眼黒の義,或いは云ふ,真黒かと」
とある。
「まぐろ」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AD
に詳しいが,そこにも,
「日本語の『マグロ』は目が大きく黒い魚であること(目黒 - まぐろ)に由来するという説がある。
他にも保存する事が困難とされた鮪は、常温に出しておくとすぐに黒くなってしまう為、まっくろ→まくろ→まぐろ。と言われるようになったと言う説も存在する。」
とある。ついでながら,
「現代の日本語では、マグロ属の中の1種であるクロマグロ(学名:Thunnus orientalis)のみを指して『マグロ』と呼ぶ場合も少なくない。また、『カジキマグロ』(カジキの俗称)および『イソマグロ』(イソマグロ属)は和名に『マグロ』を含むが、学術上はマグロ(属)ではなく、生物学の成立以前から存在した通俗名(梶木鮪、磯鮪、など)を引き継いだものである。
英語名 Tuna は『マグロ』と日本語訳されがちであるが、実際は上位分類群のマグロ族 (Thunnini)
全般を指し、マグロだけでなくカツオ、ソウダガツオ(マルソウダ、ヒラソウダ)、スマなどを含む。」
とある。「ツナ」にカツオが含まれるのは意外である。なお,「まぐろ」は,
サバ科マグロ属,
である。また,成長の度合いに応じて,
メジ(30〜60センチの幼魚),
シビ(成魚),
かきのたね(稚魚),
等々という呼び名があるそうである。
「縄文時代の貝塚からマグロの骨が出土している。古事記や万葉集にもシビの名で記述されており、『大魚(おふを)よし』は、『鮪』の枕詞」
とか。『岩波古語辞典』には,
「大魚よしシビつく海人よ」(古事記)
と例が載る。さらに,
「江戸の世相を記した随筆『慶長見聞集』ではこれを『しびと呼ぶ声の響、死日と聞えて不吉なり』とするなど、その扱いはいいものとはいえなかった。これは鮮度を保つ方法が無く、腐敗しやすいことが原因である。かつては魚介類の鮮度を保つには、水槽で生かしたまま流通させる方法があったが、マグロの大きさではそれが不可能であった。また干魚として乾燥させる方法もあるが、マグロの場合は食べるに困るほど身が固くなる(カツオの場合は、乾燥させた上で熟成させ、鰹節として利用したが、マグロはその大きさから、そういった目的では使われなかった)。唯一の方法は塩漬にする事だが、マグロの場合は食味がかなり落ちたため、下魚とされ、最下層の庶民の食べ物だった。」
とある。事実『江戸語大辞典』には,「まぐろ」の項に,
「しび・かじき・きわだ・びんなが(実はサバの一種)等の総称。総じて下賤の食用なれど,きわだを上,かじきを中,しびを下とする。安永七年・一事千金『まぐろのさし身にどじやうの吸い物,ふわふわなどでせいふせんととのへ』」
とある。「かじき」より下だったらしい。
閑話休題。
『語源由来辞典』には,
http://gogen-allguide.com/ma/maguro.html
「眼が黒いことから『眼黒(まぐろ)』の意味とする説と,背が黒く海を泳ぐ姿が真っ黒な小山に見えることから『真黒(まぐろ)』の意味とする説とがある。マグロはどれも目が黒いため,眼黒の説が妥当と考えられるが,マグロの代表がクロマグロであるため,真黒の説も捨てがたい。大型のものを『シビ』,小型のものを『メジ』と呼ぶこともある。
『鮪』の『有』は,『外側を囲む』という意味で,『鮪』の漢字には,大きく外枠を描くように回遊する魚の意味がある。」
とある。大体,語源はこの二説で,
http://www.yuraimemo.com/48/
も,語源について,
「有力な説は二つ。目が黒いことから『眼黒(まぐろ)』という説と、背中が黒く、泳ぐ姿が真っ黒な小山に見えることから『真黒(まぐろ)』としたという説。マグロは種類に関係なくどれも目が黒いため、眼黒が有力とされているようです。」
としている。二説というが,正確には,本体自体の黒さと,群れをなす姿が小山のように黒いのとはちょっと違う。『日本語源大辞典』『は,
真黒の義(物類称呼・名言通・日本語原学),
眼黒の義(言元梯),
海で泳ぐ姿が,小山のような背が真黒であることから(『語源大辞典』)
と区別する。『日本語源広辞典』は,
説1。目が黒い,
説2。海中で,魚体が黒く見える大魚,
説3。真っ黒な潮,っもまり黒潮に乗ってくる,
と三説を挙げ,どちらを取るかの定説はないとする。いずれにしろ,
黒色,
という見かけから来たもののようだ。では,「しび」「めじ」の語源は,『大言海』は,「しび」を,
繁肉(ししみ)の約転,
「めじ」を,「メジカ」の約とし,「めじか」については,
「目鹿の義。鹿に似たれば云ふと云ふ。或いは云ふ。眼近の義かと」
とある。「めじか」については,これ以上わからないが,「しび」については,『日本語源広辞典』には,
「『シビ(脹れる意)』です。よく肉ののった魚の意」
とあり,『日本語源大辞典』に,
シシベニ(肉紅)の義(日本語原学),
煮ると白くなるところからシロミ(白身)の義(名言通),
ときによりシブイ(渋い)味がしてしびれるところから(本朝辞源),
のみが載る。「しび」という言葉を嫌うせいか,今日あまり使われない。
参考文献;
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AD
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「やり」は,
槍,
鎗,
鑓,
と当てる。「やり」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8D
に詳しいが,
「有史以前から人類が使用し続け、銃剣に代替されるまで長く戦場で使われ続けた。」
とある。『大言海』には,
「遣りの義。尺素往来『遣刀(やり)長刀』と見えたり。鑓は遣鐡の合字」
とある。「鑓」の字は国字なのだが,それは「槍」が「遣り」から来ているという前提で後世に作字されたということではないか。「槍」=「遣り」にはちょっと疑問符が付く。しかし,『日本語源広辞典』も,
「遣り(突きやるもの)」
という語源説をとる。また,『日本語源大辞典』も,
ヤリ(遣り)の義,
とするものが圧倒的に多い(和句解・言元梯・名言通・日本古語大辞典・国語の語幹とその分類・日本語源)。ほかに,
ツキヤル(突遣)の義か(日本釈名・俗語考・古今要覧稿・傍廂),
茅屋を葺くために竹の先を細くとがらせたヤハリ(家針)に似ているところからその略か(類聚名物考),
等々がある。しかし,「やり」を考えるとき,同じように長柄の武器「ほこ」との対比で考える必要がありそうである。
「ほこ」は,
矛,
鉾,
戈,
戟,
鋒,
等々と当てるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B
に,
「槍や薙刀の前身となった長柄武器で、やや幅広で両刃の剣状の穂先をもつ。 日本と中国において矛と槍の区別が見られ、他の地域では槍の一形態として扱われる。」
とある。その区別は,日本における「やり」の一般的な構造は,
「木製あるいは複合材の『打柄』の長い柄の先端に、先を尖らせて刃をつけた金属製の穂(ほ)を挿し込んだもの」
とされ,「ほこ」は,
「「穂先の形状に一定の傾向があり、矛は先端が丸みを帯び鈍角の物が多いのに対し、槍は刃が直線的で先端が鋭角である。矛は片手での使用が基本で逆の手に盾を構えて使用した。これに対し槍は両手での使用を前提としていた。」
とされる。そして,「やり」と「ほこ」の違いを,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8D,
で,「やり」の初出は,
「宴会で酔った大海人皇子(天武天皇)が槍を床に刺したという伝承」
とされるが,
「大海人皇子が使ったとされる槍も、矛が使われた時代である事から、詳細は不明だが矛とは構造的に異なるものであったと思われる。しかしながら、矛が廃れた後で登場した槍については、同じものを古代は矛、中世以降は槍と称したと解釈して問題ないように思われる。例えば『柄との接合部がソケット状になっているのが矛。茎(なかご)を差し込んで固定する方式が槍』という説があるが、実際には接合部がソケット状になっている袋槍が存在する。新井白石も槍について『"やり"というのは古の"ほこ"の制度で作り出されたものだろう。元弘・建武年間から世に広まったらしい』と著書で述べている。そして文中の記述において、"やり"には"也利"、″ほこ"には″槍"の字を充てている。」
とし,「ほこ」は,
「金属器の伝来と共に中国から伝わってきたと考えられている。材質は青銅製の銅矛で後に鉄で生産されるようになると、銅矛は大型化し祭器として用いられるようになった。
日本の訓読みで『矛』や『鉾』、『桙』だけでなく戈、鋒、戟いずれも『ほこ』の読みがあることから、この時代の「ほこ」は長柄武器の総称であった可能性がある。」
つまり,すべて「ほこ」と訓んだ時代から,次に,すべて「やり」と呼ぶ時代になった,ということなのかもしれない。中国・日本以外は,すべて,
槍,
とされるのだから,他国に準じたという言い方になるのかもしれない。
「ほこ」の語は,『日本書紀』崇神天皇紀四十八年に,
「八廻弄槍(やたひほこゆけし)」
と見えるそうだ。
概して,「やり」は柄に差し込むのに対して,「ほこ」は,柄に被せる構造(槍主流の時代になると,被せるスタイルの槍を「袋穂の槍」と言ってい区別した)だが,両者の比較を,
「柄に被せる袋穂式(ソケット状)と挿し込み式{日本刀の茎(中芯・中心:なかご)のような造り}があり、単純に武器としての耐久強度としては挿し込み式の方が高いが、総合的に見ると絶対的に有利とは限らない。また、これらの接合に使われる部品は必然的に柄の補強とも統合される場合が多い。袋穂式は、完全に包み込むものと両側で挟み込むもの、片側のみで柄と繋ぐものなどがある。柄の製作や修理が比較的容易にできる代わりに、特に斬る・打つことがし難く、造りによっては挿し込み式より頑丈になることもあるが、金属製の補強用材(鉄及び真鍮・青銅など)のため重量が膨大になりやすい。」
としている。
「ほこ」の語源は,たとえば,『大言海』には,
「積木(ほこ)の義と云ふ。」
とする。『日本語源広辞典』は,
「ホ(突出・卓越)+コ(木)」
とする。その他,
ホルキ(掘木),
ホコ(外木),
等々,「木」と絡ませる説が多い。しかし,『日本語源大辞典』は,
「『木(こ)』は下に接続する要素のあるときの形であり,下接しない場合は『木(き)』となるのが普通である」
として,疑問符をつけている。つまり,はっきりしない。
『武家名目抄』刀剱部には,次の記事がある,という。
「按,也利はもとの用の語にて古事記の矛由気といへる由気のごとし。由気は令行(由加世の由気となる。加世のつづまり気なれば也)即こき出してかなたに衝遣ることなれば由気といひ也利といひ,語は異なれば意は全く同じ。おもふに此物古代の長鎗より出て,手鉾に対へて遣鉾といひけんを略して遣りとのみいへるなるべし。建武二年正月三井寺合戦の時土矢間より鑓長刀さし出せしといふこと太平記にしるせしが,此物の見えたる初めにて,是より前鎌倉殿の時さる物ありしこと更に所見なく伊呂波字類抄,字鏡集にも載ざれば元弘建武の際にやはじまりけん。庭訓往来・異制庭訓等はその頃の書なれじ,兵器を書きつらねたる所に也利といふことなきは極めて俗語なれば載ざるなるべし。其文字は鎗とも鑓とも書けど,鎗は保古と訓じ来れば,也利に用ひんこといとまぎらわし。鑓は作り字なれど,今標目になため用ひぬるはかふべき文字の外になく世に用ひ来たれることの久しきが故なり。尺素往来の遣刀の文字は一条禅閤の作意にてかかれたるなれば普通には用ひ難し」(『日本合戦武具事典』)
で,笠間良彦氏は,
「『古事記』には矛由気,『衣服令義解』には鎗,『軍防令義解』には槍の文字をもって『ほこ』と訓ませているから,後世の槍ではなく鉾を由気・槍・鎗の文字を用いていたのである」
とし,
「目的物に衝遣るから由気(行)であり,遣るから也利である」
とするのはこじつけ,としている。
「ほこ」から「やり」への転換は,
「俗説では箱根・竹ノ下の戦いにおいて菊池武重が竹の先に短刀を縛り付けた兵器を発案したとされる。『太平記』などによれば、1,000名の兵で足利直義の率いる陣営3,000名を倒したという。菊池千本槍は、熊本県の菊池神社で見ることができる。後に進化し、長柄の穂と反対側の端には石突(いしづき)が付けられるようになった。
実際には鎌倉時代後期には実戦で用いられていたとみられる。茨城県那珂市の常福寺蔵の国の重要文化財『紙本著色拾遺古徳伝』(奥書は元亨3年11月12日)には片刃の刃物を柄に装着した槍を持つ雑兵が描かれている。」
とされる。因みに,『江戸語大辞典』の「やり(槍)」の項には,
「操り・浄るりの社会用語。やじること。半畳を入れること。」
しか載らない。
参考文献;
笠間良彦『日本合戦武具事典』(柏書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8D
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)上へ
「かぶと」は,
兜,
甲,
冑,
と当てる。
「軍陣としては,頭にかぶる部分である鉢とその下に垂れて首の部分を覆う錏(錣 しころ)からなる。鉢の頂を頂辺(てへん),通俗には八幡座とも言い,鉢の正面のところを真向(まっこう)という」
と,『日本語源大辞典』にはある。
埴輪や古墳の出土品からも「かぶと」は見られ,
「古墳から出土する甲(よろい)には短甲と挂甲(けいこう)の2種があり,冑にも衝角付冑(しようかくつきかぶと)と眉庇付冑(まびさしつきかぶと)の二つがある。形の上で衝角付冑は短甲に,眉庇付冑は挂甲に属するものと思われる。しかし関東地方出土の挂甲着装武人の埴輪に見られるように,ほとんどすべてが衝角付冑をつけており,古代の2種類の甲と冑との所属関係はかならずしも固定的なものではない。むしろ,衝角付冑と挂甲がいっしょに用いられたことが多かったと考えるべきであろう」(『世界大百科事典
第2版』)
といった説明が見られる。
ところで,当てられる漢字,兜,甲,冑を見ると,「兜」の字は,
「白(人の頭)+儿(足の部分)にその頭を左右から包む形を加えたもの。頭を包むことに着目した言葉。甲冑の甲は,かぶせるかたいかぶとのこと。冑は,首だけ抜け出る同槙のいた屋のこと」
とある。「甲」の字は,
「もと,うろこを描いた象形文字。のち,たねを取り巻いたかたいからを描いた象形文字。かぶせる意を含む。」
とある。「冑」の字は,
「冑の原字は,上部の頭にかぶとを載せた姿と,下部の冒(かぶる)の字からなる。冑は『かぶる,かくすしるし+音符由』。頭だけ上部に抜け出るどうまきのこと。」
とある。『大言海』は,
「甲(よろい)の字をカブトに用いるは,誤りなり」
とするが,漢字の由来から見ると,「甲」「冑」ともに,「かぶと」の意がある。しかし,甲冑(かっちゅう)という言い方は,「甲(かぶと)」と「冑(胴巻)」のセットで,鎧を指すので,間違いとばかりは言えない。ただ『広辞苑』を見ると,「甲冑」で,「甲(よろい)と冑(かぶと)」と載せているし,『大言海』の「甲冑」の項を見ると,
「禮記,曲禮,上篇『獻甲者執冑』鄭注『甲,鎧也,冑,兜鍪也』
を引用しており,中国でも,甲は鎧,冑は兜鍪(かま)を指しているようだ。『岩波古語辞典』にも,
「『甲は,日本にかぶとと読むは誤りぞ。甲はよろひなり。冑はかぶとなり』〈燈前夜話〉。『冑,加布度(かぶと)。首鎧也』〈和名抄〉」
と載る。『日本語源大辞典』にも,
「『甲』は本来ヨロイを意味する字であるが,これをカブトと訓むのは,『華厳経音義私記』の『甲,可夫刀』(上巻),『被甲 上(略)可何布流,下可夫度』(下巻),『甲冑 上又為ナ字,可夫止』(上巻)にまで遡ることかできるが,本来,誤用である。」
と載り,さらに,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C
にも,
「元来、『甲』は鎧、『冑』は兜を表していたが後に混同され、甲が兜の意で用いられる事もある。なお、兜、冑ともに漢語由来の字であるが、現代中国語では頭盔の字が使われる(突盔形兜の『盔』である)。」
とある。因みに,「突盔形兜(とっぱいなりかぶと)」とは,
「室町時代末期頃に発生した頂部が尖った兜。筋兜を簡略するかたちで変化したもの。椎実形、柿実形、錐形、筆頭形等の鉢頂部が尖った形の兜を総称して突盔形ともいう。」
とある。ついでに,戦国時代の兜の大きな変遷は,需要が増え,合理的な製作方法が開発され,鉄板数片で半球状をつくる方法になったようである。しかもこの方が従来の縦矧板を鋲留する煩雑な製造法よりも堅牢だったという。
閑話休題。さて「かぶと」の語源である。
『岩波古語辞典』には,
「朝鮮語で甲(よろい)をkap衣をotという。その複合語kapotを,日本語でkabutoとして受け入れたという。」
と載る。『大言海』も,
「頭蓋(カブブタ)の約転(みとらし,みたらし。いたはし,いとほし)。朝鮮語ににもカプオトと云ふ」
とある。確かに,朝鮮語由来という説は捨てがたいが,『日本語源広辞典』には,
「カブ(頭,被る,冠)+ト(堵,カキ,ふせぐもの)」
とする。『日本語源大辞典』も,
「『かぶ』は頭の意と考えるのが穏当であろうが,『と』については定説を見ない。」
としている。語源説を拾ってみても,
カブは頭の意(古事記伝),
カフト(頭蓋)の音義(和語私臆鈔),
カブブタ(頭蓋)の約転(言元梯),
カブト(頭鋭)の意(類聚名物考),
カブは頭。トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典),
頭を守る大切なものという意で,カブ(頭)フト(太=立派なもの)か(衣食住語源辞典),
カブツク(頭衝)の義(名言通),
頭にカブルものだから(日本釈名。箋注和名抄),
カブルトの約か(菊池俗言考),
カブルはカブル,トはヲトコ(男)の上下略か(和句解),
カブシトトノフの義(桑家漢語抄),
カウベフト(首太)の義(柴門和語類集),
等々。単純に,
「被ると」
という意味だったのではないか,と思いたくなる。文脈依存なのだから,兜をかぶりながら,
「被ると安全。。。」
と言ったような。
参考文献;
https://matome.naver.jp/odai/2133715851085504501
藤本巖監修『図説戦国変わり兜』(学研)
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)上へ
「さけ」は,
鮭,
C,
を当てる。『広辞苑』を見ると,
「アイヌ語サクイベ(夏の食物)からとも,サットカム(乾魚)からともいう」
とある。いわゆる,
サケ目サケ科,
の,サケ,ベニザケ,ギンザケ,マスの一部の総称,である。
『日本語源広辞典』も,
「『アイヌ語sakipe秋』です。シャケからサケへ変化した語です。秋の魚の意です。方言アキ(秋)+アジ(味)という語があり,語源が似ています。」
とアイヌ説をとる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/sake_sakana.html
も,諸説挙げた上で,
「アイヌ語で『夏の食べ物』を意味する『サクイベ』や『シャケンベ』は,魚の『マス』を意味する語に通じることや,鮭の大きなものを古語では『スケ』と言い,『shak』の部分は『スケ』や『サケ』の音に変化することは十分に考えられることから,アイヌ語説は有力とされている。」
確かに,アイヌ語由来というのは,頷けなくもない。『大言海』も,
「かたこと(慶安,安原貞室)『此魚,子を生まんとて,腹のサケはべる,とやらむと云へり』,和訓栞さけ『Cの字を讀むは,云々,裂けの義。其肉,片々,裂けやすし,と云へり』,共に,いかが,古語に,此魚大なるを,スケと云へり,参考すべし。」
と,「裂け」説に疑問を呈し,「スケ」説を取っている。因みに,『大言海』によると,「すけ(鮭)」は,
「古へ,鮭の大いなるものの称」
で,常陸風土記の注に,
「C祖は,鮭の親の義にて,鮭の大いなるものを云ふと云ふ」
とあるとし,更に新編常陸風土記の,
「常陸國南部,及び,松前の土人は,鮭の大なるを,佐介乃須介と云ひ,鱒の大なるものを痲須乃須介とと云ふ。彼土人の説を聞きたるなり。本國にても,往古は,此称ありしこと,明らかなり。魚鳥平家に,鮭大介鰭長と云へる名を設けしも,此塩湖りての事ぞと思はる」
を引く。
http://zatsuneta.com/archives/001763.html
も,
「古く東日本で『スケ』と呼ばれていたものから転訛したという説。身が簡単に裂けるから『サケ』の名が付いたという説。アイヌ語の『シャケンペ』に由来する説がある。アイヌ民族はサケを『神の魚』として尊んだという。」
としている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B1
によれば,
「日本系サケと若干のマス類は、先史時代から漁獲の対象となってきた。かつて山内清男が縄文文化が東日本でより高度に発達した理由をサケ・マス資源の豊富さに求める説を唱えた。この説に対し当初は批判が多かったが、その後の発掘調査において東日本各地の貝塚でサケの骨が発見されるにおよび評価されるようになった。なお、平安時代の「延喜式」にも日本海沿岸諸国からの河川遡上魚の献上の記事が載せられている。」
とあり,東日本中心,ということが,いっそうアイヌ説に重みを持たせる気がする。なお,
http://www.nihonjiten.com/data/45609.html
は,
「『夏の食物』を意味するアイヌ語『サクイベ』・『シャケンべ』→『シャケ』→『サケ』と転訛したとする説、身が『裂(サケ)』やすいことに由来する説、肉の色が『酒(サケ)』に酔ったように見えることに由来する説、赤と同語源である『朱(アケ)』色が転じた説など、他にも諸説ある。」
とした上で,「鮭」「C」の漢字表記について,
「『鮭(サケ)』は国訓であり、『桂』の花が咲く頃に、川を上ってくることから『圭』の字を当てたとする説がある。本来は『C』と書き、生臭い意を表す。」
としている。しかし,
http://zatsuneta.com/archives/001763.html
によると,
「漢字の『鮭』は本来『フグ』を意味する。『圭』が『怒る』を表し、『怒ると腹がふくれる魚』=『フグ』となったという説がある。他にも説があり、シャケは元来『魚へんに生』で『C』と書いていた。これはサケが生臭い魚であったことに由来する。しかし、この漢字ではイメージが悪いため、『C』によく似た『鮭』に替えたという。」
の説を載せる。『大言海』も,
「鮭(けい)は,河豚(ふぐ)なり,C(せい)は,魚臭なり,ともに当たらず」
としている。『字源』には,「鮭」は国字,とあり,「C」(セイ,ショウ)の字のみ載せる(「なまぐさし」と)。『漢字源』は,「鮭」(ケイ,ケ)の字のみ載せ,「ふぐ」と「さけ」の意として,
「魚+音符圭(三角形に尖った,形がよい)」
と解字する。この辺りは,これ以上確かめようがない。
『日本語源大辞典』の諸説を整理しておくと,
肉が裂けやすいところから,サケ(裂)の義(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解・和訓栞・言葉の根しらべの),
稚魚のときから全長一尺に達するまで,胸腹が裂けているところからサケ(裂)の義。また,肉の赤色が酒に酔ったようであるところからサカケ(酒気)の反(名語記),
産卵の際,腹がサケルところからか(かた言),
海から川へサカサマにのぼるところから(和句解),
肉に筋があってほぐれやすいところから,肉裂の略か(牛馬問),
肉の色から,アケ(朱)の転(言元梯元),
セケ(瀬蹴)の義(日本語原学),
鮭の大きいものを言う古語スケと関係がある(大言海),
スケと同根,スケは夷語か(日本古語大辞典),
夏の食物の意のアイヌ語サクベイからか(東方言語史叢考=新村出),
アイヌ語シャケンバ(夏食)が日本語に入ったもの(世界言語外説=金田一京助),
等々。やはり,古代の生活史から考えても,サケの実態から考えても,アイヌ説が有力である。因みに,いつも異説を立てる『日本語の語源』は,
「秋,川をさかのぼって上流の砂底に産卵した後,死ぬ。その語源はサカノボル(遡る)魚で,その省略形のさか魚が,サケ魚・サケ(鮭)・シャケに転音したと推定される。」
としている。
参考文献;
http://www.zukan-bouz.com/sake/sake/sake.html
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「猫も杓子も」は,
「誰も彼も」
という意味だが,どこか皮肉る含意がある。ちょうど,忙しいときに,
猫の手も借りたい,
という言い方をするが,そのときの,
誰でもいい,
と似たニュアンスである。『岩波古語辞典』には載らないが,『江戸語大辞典』に,
「猫のちょっかいが杓子に似るのでいうとも,寝る子も釈子すなわち法師の意とも,あるいは女子も釈氏の転ともいい諸説紛々」
とあり,
「猫も飯鍬(しゃくし)もおしなべて此道(死)をもるヽことなし」(明和六年・根無草後編)
を引く。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ne/nekomosyakushimo.html
は,
「寛文八年(1668)の『一休咄』に,『生まれて死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も』とあり,それ以前に使われていたことがわかるが,語源は以下のとおり諸説ある。
1.『猫』は『神主』を表す『禰子(ねこ)』,『杓子』は僧侶を表す『釈氏・釈子(しゃくし)』で,『禰子も釈氏も(神主も僧侶も)』が変化したとする説。
2.『猫』は『女子(めこ)』,『杓子』は『弱子(じゃくし)』で,『女子も弱子も(女も子供も)』が変化したとする説。
3.『猫』は『寝子(ねこ)』,『杓子』は『赤子(せきし)』で,『寝子も赤子も(寝る子も赤ん坊も)』が変化したとする説。
4.『杓子』は『しゃもじ』のことで,主婦が使うものであることから,『主婦』を表し,『猫も主婦も家族総出で』という意味から出たとする説。
5.猫はどこにでもいる動物,杓子も毎日使う道具であることから,『ありふれたもの』の意味から出たとする説。
『一休咄』に出てくるため,『1』の説が有力とされることもあるが,それだけでは根拠とならない。『1』の説も含め,こじつけと思える説が多いが,口伝えで広まったとすれば,音変化や漢字の表記が変化することは考えられ,正確な語源は未詳である。」
と諸説を載せるし,
http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/111025.html
も,
「一休さんが歌の中で始めて言い出したとする説。」
「猫のちょっかい杓子に似たればかく言ふなるべし」と江戸時代の学者の説。
「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」(=「女も子供も」)の意
「女子(めこ)も赤子(せきし)も」
「寝子(ねこ)も赤子(せきし)も」(=「寝ている子供も赤子も」)
「禰宜(ねぎ)も釈氏(しゃくし)も」(=「神も仏も」)
「杓子は家庭の主婦をさし、猫まで動員した家族総出の意味だとする説」
と似た説を並べているが,『日本語源広辞典』は,「猫の手が杓子ににている」「禰子も釈氏も」以外に,
「マヅイ顔の『猫づら』『杓子づら』」
説をあげている。「どんな人も」という含意である。こういう語呂合わせよりは,音韻変化を見る,というのがこの場合も王道に見える。『日本語の語源』は,
「ネギ(禰宜)は神官の位階の名称であり,シャクシ(釈子)は,『釈迦の弟子』という意味で僧侶のことをいう。<釈子に定めましましけれど,いまだ御出家はなかりけり>(盛衰記)。『誰も彼もみな』というとき,『禰宜(神官)も釈子(僧侶)も』といったのが,ギ(宜)が母音交替(io)をとげてネコモシャクシモ(ネコモシャクシモ)になった。」
と,禰宜説をとるが,さらに続けて,
「ちなみに,神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。
さらにいえば,心から祈るという意味で,ムネコフ(胸乞ふ)といったのが,ムの脱落,コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。
ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき,ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また,カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した。」
とする。音韻変化の流れから,
禰子も釈氏も,
が,「猫も杓子も」と変化した,と見るのが妥当かもしれない。神仏混淆に我々らしい。
ちなみに,「杓子」については,「杓子定規」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%82%80)
で触れたが,「しゃくし」の語源は,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1は,「杓+子(接続詞)」が語源。勺・杓は水を汲む器具で,しゃくる(噦る・掬う)物の意です。
説2は,「尺四(一尺四寸)」。吉野の栗木細工のシャクシの長さを語源とするものです。近畿では昭和初期まで,この杓子が主流でした。
この場合,栗木細工の尺(長さ)を指す。しかし,一般には,「しゃくし」は,
「しゃくしはひさご(瓠)のなまった言葉で,その原型はひさごを縦割りにしたものとされている」(『世界大百科事典』)
「(杓子の杓は)古語,ひさご(瓢)の転の,ひしゃくの略」(『大言海』),
とあるが,『日本語の語源』の,上記の文章から,「猫も杓子も」の「しゃくし」を,
「ネギ(禰宜)は神官の位階の名称であり,シャクシ(釈子)は,『釈迦の弟子』という意味で僧侶のことをいう。」
ので,「杓子」は「笏」とつながるのではないか。「笏」は,『日本語源大辞典』には,
「『笏』の漢音『こつ』が『骨』に通うのを忌み,
(イ)笏もものを測るものであるところから,『尺』の音シャクを借りたもの(日本釈名・大言海),
(ロ)笏の長さは一尺であるところからシャクといったもの(嘉良喜随筆・箋注和名抄),
(ハ)材料の木の名をもって呼んだもの(東雅)。」
と諸説あるが,『大言海』が面白いことを書いている。
「笏の音は,忽(こつ)なり,骨(こつ)に通ずるを忌みて,笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふとぞ,或いは云ふ,笏尺の略にて,一笏は一尺なりと,多くは,一位の材を用ふ,これ,一位は,極位なれば,その縁に取る,飛騨の国の一位の木,亦,くらゐに取る。釋名『笏,忽也,君有敬命,及所啓白,則書其上,備忽忘也』」
とある。
笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふ,
というのが目を引く。「笏」については,こうある。
「又,さく。束帯のとき,右手に持つもの。牙(げ),又は,一位木(いちいのき),或いは,桜・柊,等の薄き板にて,長さ一尺二寸,上の幅二寸七分,下の幅二寸四分,厚さ二分,頭を半月の形とす,即ち,上圓,下方なり。尚,位に因りて差あり,元は君命,又は申さむとする所を記して,勿忘に備ふるものなりしと云ふ。」
と。ところで,「杓子」の「子」は,
帽子,
扇子,
調子,
等々,物の名に添える助辞(『広辞苑』)で,『大言海』は,
「(宋音なり)漢語の下に添えて,意なき語」
として,
台子,
金子,
様子,
払子,
鑵子,
等々を挙げている。「笏」を
「笏子」
といったかどうかは定かではないが,添えてもおかしくはない。
『有職故実図典』には,
「元来,笏は板の内面に必要事項を記載して忽忘に供えるのを本義とし,手板と称して具足した唐制をそのまま伝えたものである。『こつ』の音を忌んで「しゃく」と呼んだ。令制では,唐制と同様,五位以上は牙笏(げしゃく)と規定しているが,牙が容易に得難いところから,延喜の弾正式には,白木を以て牙に代えることを許容しており,こうして礼腹(らいふく)の他は,すべて木製となって近世に至った。」
とあり,笏の起源は,
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130122
によると,
「笏の発祥は中国で、前漢の時代に著された『淮南子』(えなんじ)に、『周の武王の時代、殺伐とした気風を改めるため武王が臣下の帯剣を廃し、その代わりに笏を持たしめた』とあるのが笏の起源と云われています。笏が中国から日本にいつ伝わったのか、その正確な時期は特定できませんが、絵画に於いては、聖徳太子や小野妹子が描かれている画像等に見られる笏が今のところ最も古いとされている事から、推古天皇の御代に六色十二階の冠制が創定された時期に日本でも笏が使われるようになったのではないか、と推定されています。」
とあり,中国発祥らしい。
なぜ笏にこだわるかというと,
猫も杓子も,
は,その形から,
猫も笏子も,
と言っているのではないか,と億説だが,思うからだ。猫の手と笏とをいっしょくたにした,という含意で。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%8F
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
上へ
「猫も杓子も」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E7%8C%AB%E3%82%82%E6%9D%93%E5%AD%90%E3%82%82)を取り上げたついでに,「猫」を調べると,この語源が,またまた百家争鳴。
『広辞苑』は,
「鳴声に接尾語コを添えた語。またネは鼠の意とも」
とあり,『岩波古語辞典』も,
「擬音語ネに接尾語コをそえたもの」
とする。因みに接尾語「こ」は, 『広辞苑』には,
こと(事)の下略,
互いにすること,相競うこと(「かけっこ」「くらべっこ」),
さま,とういう状態表現(「ぺちゃんこ」「どんぶらこ」),
特に意味を持たず,種々の語に付く(「べ(牛)こ」「ちゃわんこ」「ぜにっこ」)
の説明があるが,『大言海』は,「子」「縷」「處」「競」「箇」と当て,それぞれ由来が違う。
「子」は,「父母が,男女子を愛しみて名づけしに起れるなるべし。殊に女は親愛の情深きものなれば,後には専ら女子の名につくるが多くなれるなり」
「子」は,「其物事の體を成さしめ,名詞を形作らしむる語なるが如し。漢語の冊子・帷子・帽子・瓶子・雉子・椅子・茄子などの子と,その意同じ。倭漢暗合なり」
「縷」は,「常に子の字を記す。物の義なる子(すぐ上の『子』)にて,唯数ふるに云ふなるべし(縒り足る糸を一子二子と)」
「處」は,「ところのコ。在処(ありか),住処(すみか)のカに通ず」(「いずこ」「かしこ」「あそこ」)
「競」は,「クラベ,クラの約まりたるなり(クラベ,クラ,コと次第に約まる)」
「箇」「個」は,「箇(か),個(か)の百姓読み。箇(か)に同じ。物を数ふるに云ふ」
とある。これだと「ねこ」の「こ」がはっきりしないが,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14119070404
によると,
「にらめっこ おにごっこ かけっこ あいこ なれっこ うそっこ かまいっこ ふざけっこ ⇒ すること、しないことを指す
とりかえっこ かわりばんこ あてっこ ⇒ 二人以上で、類似のことを、交互にやることを示す
江戸っ子 だだっ子 ちびっ子 むすめっこ 売り子 縫い子 踊り子 お針子 ⇒ 属性を示す
にゃんこ ⇒ 小さい生き物に親愛を込めた名詞にする
真智子 京子 桜子 珠子 菜々子 ⇒ 女の名前であることを示す
根っこ 端っこ はんこ あんこ すみっこ はらっこ ⇒ 幼児語、俗語 (短すぎてわかりにくくなる語を分かり易くする)
ごっつんこ ぺちゃんこ ⇒ 擬態語を様子や状態を示す用語に転換する
断乎(だんこ) 確乎(かっこ) 茫乎(ぼうこ) 凛乎(りんこ) ⇒ ようすを示す」
の「にゃんこ」と似ているのではないか。「ね」が擬音語なら「にゃん」もそうだ。しかし,「擬音語+こ」は,一説に過ぎない。『大言海』は,その説を採らない。
「ネコマの下略。寝高痲の義などにて,韓国渡来のものか。上略してコマとも云ひしが如し。或いは云ふ,寝子の義マは助詞なりと。或いは如虎(にょこ)の音転など云ふは,あらじ。又タタケ(家狸)と混ずるは,非なり」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3
によれば,
「日本には奈良時代に倉庫の穀物や経典類の番人として輸入されたことにより渡来してきたものと考えられている」
とあるし,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146875076
でも,
「ネコは、経典などをネズミから守る為に奈良時代頃に中国から輸入されたと伝えられてます。」
とあるから,鳴声も「ミャウ」という呉音とともに入ってきたと考えられるのかもしれない。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ne/neko.html
も,
「ネコの語源は『ネコま』の下略という説が多く,猫は夜行性で昼間よく寝ることから『寝子』に『獣』の意味の『マ』が付いたとする説。『ネ(寝)』に,『クマ(熊)』が
転じた『コマ』が付いたとする説。『ネ』が『鼠』、『こま』が『神』もしくは『クマ(熊)』とする説などがある。
平安中期の漢和辞書『和名抄』に『禰古万』とあり,『ネコマ』が『ネコ』の古称とされていたため考えられた説だが,『ネコ』と『ネコマ』のどちらが古いか定かでない。
有力な説は,『ネ』が鳴声,『コ』か親しみを表す接尾語というものである。
『源氏物語』ではねこの鳴声を『ねうねう』と『ネ』の音で表現しており,『猫』の呉音は『ミョウ』『メウ』で鳴声に由来する。
幼児語で,『ニャンニャン』『ニャアコ』,犬を『ワンワン』や『ワンコ』というように,鳴声で呼び,後に『コ』を加える点も共通している。
漢字『猫』は,獣偏に音符『苗』で,『苗』は体がしなやかで細いことを表したものか,『ミャオ』と鳴く声になぞらえた擬声語と考えられている。」
と,「鳴声+接尾語コ」としているが,やはり,
「『源氏物語』ではねこの鳴声を『ねうねう』と『ネ』の音で表現しており,『猫』の呉音は『ミョウ』『メウ』で鳴声に由来する。」
と,猫とともに,「鳴声」の表現を手に入れたというのが妥当かもしれない。『日本語源広辞典』も,「寝子」説を否定し,鳴声説を推す。
ついでながら,『日本語源大辞典』の,語源説を拾っておくと,
ネは鳴声から,コはヰノコ(豕)などのコと同じ(雅語音声学・日本語源・音幻論=幸田露伴),
ネウクの義。鳴声から(言元梯),
ネコマの下略(南留別志),
ネコマ(寝高痲)の略,あるいはネコ(寝子)-マの略,マは助詞(大言海),
ネコマ(寝子獣)の義(日本古語大辞典),
ネ(寝)コマの義。コマはクマの転。クマは猫の古名(名言通),
ネコマの略。ネは鼠の義。コマはカミ(神)の転(東雅),
ネウネウと鳴くケモノの義。コマはケモノの略(兎園小説),
ネコ(寝子)の義(菊池俗語考・和訓栞),
ネル(寝)をコノム(好)ところから(日本釈名),
ネブリケモノ(眠毛物)または,ネケモノ(寝毛物)の義(日本語原学),
ニフリモノ(睡獣)の略。ケモノの反はコ(円珠庵雑記),
ネはネズミ(鼠)の意。コはコノム(好)の義(和句解・日本釈名・日本声母伝),
ネコマチ(鼠子待)の略か(円珠庵雑記),
ネカロ(鼠軽)の義。鼠にあうと軽々しく働く意(名語記),
ネコ(似虎)の義(和語私臆鈔),
ヌエの頭に似ているところから,ヌエコの略転(橿園随筆)
等々,あきらかに,「ヌエ」のように,「猫」を知ってからのものにこじつけるなど,あやしげなものが多い。異説を述べる『日本語の語源』も,
「ミャーミャーと食べ物をねだってしきりに鳴くので,ナクケモノ(鳴く毛物)と呼んでいたのが,上二音を残してナク・ネコ(猫)に転音した。」
と,さすがに,すこし滑っているようである。
なお,猫については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3
に詳しが,
「世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAの解析結果により、イエネコの祖先は約13万1000年前(更新世末期〈アレレード期(英語版)〉)に中東の砂漠などに生息していた亜種リビアヤマネコであることが判明した。」
そうである。ここまでくると,「いぬ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%84%E3%81%AC)も調べてみたくなる。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3
http://www.necozanmai.com/zatsugaku/origin-%22neko%22.html
https://peco-japan.com/13943上へ
「いぬ」は,
犬,
狗,
と当てる。因みに,「犬」の字は,
「犬を描いた象形文字」
だが,「ケン」の音(漢音・呉音)は,
「クエンという鳴声を真似た擬音語」
という。「狗」(呉音ク,漢音コウ)は,
「犬+音符句(ちいさくかがむ)」
で,元々は,小犬を指す。後に犬の総称となり,さらに,「走狗」のように,いやしいもののたとえとして使われるようになる。
さて,和語「いぬ」である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C
によれば,
「日本列島においては犬の起源は不明であるが、家畜化された犬を飼う習慣が日本列島に渡ってきたと考えられている。縄文時代早期からの遺跡から犬(縄文犬)が出土しており、埋葬された状態で出土した事例も多い。縄文早期から中期には体高45センチメートル前後の中型犬、縄文後期には体高40センチメートル前後の小型犬に変化し、これは日本列島で長く飼育されたことによる島嶼化現象と考えられている。」
とあり,人とともにこの列島にわたってきたものらしい。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/inu.html
によると,
「犬は縄文時代から家畜化されており、自然界の言葉と同じく基礎語にあたるため、語源 は以下の他にも多くの説があるが特定は難しい。
1.『イ』は『イヘ(家)』の意味で、『ヌ』 は助詞。
2.『イヌ(寝ぬ)』の意味や、『家で寝る』の意味で『イヌル』の下略。
3.すぐに立ち去ってしまうことから,『イヌ(往ぬ・去ぬ)』
4.『唸る(うなる)』の古語『イナル』の語幹『イナ』の転。
5.他の動物と同様に,また,犬の字音が『クエンクエン』という鳴声から『ケン』であるように,鳴声が語源で『ワンワン』や『キャンキャン』が転じたもの。
江戸時代以前,犬の鳴声は『ビヨビヨ』『ビョウビョウ』と表現されていたことを踏まえると,鳴声を語源とするのは考え難いが,更にそれ以前どう表現されていたか不明であるため,完全に否定することはできない。
小犬を表す『狗』は『エヌ』と呼ばれており,『イヌ』と『エヌ』が正確に区別されていたとすれば,『イ』は区別するための音で,『ヌ』に『犬』を表す意味が含まれている可能性が高い。」
とある。「イヌ」と「エヌ」の区別は,
http://www2.plala.or.jp/terahakubutu/jyuunisiinu.htm
に,
「『現代日本語方言大辞典』によるとイヌの方言には2系統あるようです。
[イヌ形]:イナ、イヌメ、イン、イングリー等
[エヌ形]:エヌコ、エヌッコ、エヌメ、エノ、エンガ、エンコ等
平安中期の源順が著した分類漢和辞書『和名類聚抄』に、狗(イヌ)を恵奴(エヌ)と注してあります。」
とあるが,あくまで「イヌ」を前提にしての話で,「いぬ」の語源とはつながらない。どうやら,諸説紛々,並べてみると,
鳴声。ワンワンのワがイに転じたか(大言海),
鳴声ウエヌの転(松屋叢考),
外来語か。あるいは,イナル(ウナル)の語幹イナの転か(日本古語大辞典),
遠くからでも飼い主のもとへイヌル意(和句解・日本釈名・柴門和語類集),
イは,イヘ(家)の約音ヱの転,ヌは助詞(東雅),
イヘ(家)のヌヒ(婢)か(和句解),
イヌル,即ち家に寝る義(日本声母伝・和訓栞・言葉の根しらべ),
ヲリヌル(居寝)の約(和訓集説),
イネヌ(寝)の意(和語私臆鈔・日本語原学),
イヌは犬,エヌは犬の子で区別するのが正しいが混同している(箋注和名抄),
古語のエヌから転じ,エヌは「犬」の別音yenである(日本語原考=与謝野寛),
イ(忌)+ヌ(緩)で,主人の危機を緩めるもの(日本語源広辞典)
等々。『日本語の語源』は,
「安寝は『心安らかに眠ること。安眠』の意である。犬は家畜として警護・狩猟につかわれてきたが,そのお蔭で安眠ができるのでヤスイナル(安寝成る)毛物といった。イナル(寝成る)は,ナル[n(ar)u]の縮約でイヌ(犬)に転化した。」
とする。犬を見る視点ではなく,飼い主視点というのは,他にない視点で,ちょっと惹かれる。通常考えれば,鳴声説をとりたくなる。『日本語源広辞典』は,鳴声説で,
「ワン,ウワン,ウェヌ,ウェン,イェン,イン,イヌ」
と転訛をなぞって見せている。鳴声の初めの表現が分からないが,「犬」の訓みがそうであるのと同様,やはり「ねこ」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/451841720.html
で触れたように,鳴声から来ているのと準ずるのではないかという気がする。
『江戸語大辞典』には,
義理を知らぬ人間のたとえ(犬畜生),
似て非なるもの,多く草木名にいい,接頭語として用いる(犬蓼,犬枸杞),
まわしもの,間者,
岡っ引きの異称
の意味しか載らない。何々の「いぬ」という言い方は,
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/02i/inu.htm
に,
「古く江戸時代から間者(スパイ)という意味で使われていた言葉である。これは前田利家の名で知られている戦国武将“前田犬千代(通称イヌ)”が間者として活躍したからと言われている。また、イヌは単に犬の嗅覚や聴覚の鋭さからきた密偵者や軍事探偵の転意ともいわれている。どちらにしても現代使われているイヌはこれらが転じた密告者のイメージが強く、もともと犯罪グループにいたがなんらかの理由で警察の手先となった“情報提供者”や目上の人にチクった者を指すことが多い。この場合『警察のイヌに成り下がりやがって』といったように悪意をもって使われる。」
とあり,岡っ引きも,その意味の流れだが,「いぬ(犬)」のこの意味は,わが国だけである。
また,「犬侍」とか「犬死」と使われる接頭語は,『日本語の語源』に,こうある。
「否定の感動詞イナ(否)はイヌ(犬)に転音して,エセ(似而非)をあらわす接頭語になった。犬蓼・犬芹・犬梨・犬葡萄・犬桜・犬山椒など。犬侍も。山崎宗鑑の『犬筑波集』は二条良基の『菟玖波集』に対して似而非なる連歌集という意味で命名された。」
つまり,接頭語「犬」は,当て字で,「否」という意味ということになる。
それにしても,犬に絡む慣用句は,多いことに驚く。ちょっとと挙げても,犬が西向きゃ尾は東,犬に論語,犬も歩けば棒に当たる,飼い犬に手を噛まれる,犬猿の仲,犬馬の労,
喪家の狗,夫婦喧嘩は犬も食わない,負け犬の遠吠え等々。
なお,犬については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C
に詳しい。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「あゆ」は,
鮎,
香魚,
年魚,
等々と当てられる。「鮎」の字は,中国語では,
なまず,
を指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A6
には,
「漢字表記としては、香魚(独特の香気をもつことに由来)、年魚(一年で一生を終えることに由来)、銀口魚(泳いでいると口が銀色に光ることに由来)、渓鰮(渓流のイワシの意味)、細鱗魚(鱗が小さい)、国栖魚(奈良県の土着の人々・国栖が吉野川のアユを朝廷に献上したことに由来)、鰷魚(江戸時代の書物の「ハエ」の誤記)など様々な漢字表記がある。た、アイ、アア、シロイオ、チョウセンバヤ(久留米市)、アイナゴ(幼魚・南紀)、ハイカラ(幼魚)、氷魚(幼魚)など地方名、成長段階による呼び分け等によって様々な別名や地方名がある。」
とし,さらに,
「中国で漢字の『鮎』は古代日本と同様ナマズを指しており、中国語でアユは、『香魚(シャンユー、xiāngyú)』が標準名とされている。地方名では、山東省で『秋生魚』、『海胎魚』、福建省南部では『溪鰛』、台湾では『[魚桀]魚』(漢字2文字)、「國姓魚」とも呼ばれる。」
で,「鮎」=鮎になった由来は,
「現在の『鮎』の字が当てられている由来は諸説あり、神功皇后がアユを釣って戦いの勝敗を占ったとする説、アユが一定の縄張りを独占する(占める)ところからつけられた字であるというものなど諸説ある。アユという意味での漢字の鮎は奈良時代ごろから使われていたが、当時の鮎はナマズを指しており、記紀を含め殆どがアユを年魚と表記している。」
のだとある。「鮎」の字が当てられた由来については,
http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/syun/39-ayu.html
に,
「1.神武天皇が九州より兵を進め大和国に入り、治国の大業が成るか否かを占って瓶を川に沈めた時、浮き上がってきたのが鮎だった為。現在でも天皇の即位式において、階前に立てられる万歳旗の中の上方には『亀と鮎』が画かれている。
2.神功皇后が朝鮮半島に兵を出された折、今の唐津市松浦川のほとりで勝ち戦か否かを祈って釣ったのがアユだった為。
3.約1000年前の延喜年間に、秋の実りをその年の諸国におけるアユの漁獲漁の多寡で占ったことから。」
とするが,「鮎」の字は,
「魚+音符占(=粘 ねばりつく)」
で,どう考えても,ナマズのイメージである。それを「あゆ」に当てたのは,これまで漢字を当てた例からすると,単なる誤用ではなく,何か意味があるのかもしれないが,
「古く中国の『食経』(620年頃)にはアユは春生まれ、夏長じ、秋衰え、冬死ぬ生涯から1年魚の意味で『年魚』と書かれていた。年魚の読みから鮎の字を転用したとされていて、『東雅』(1719年)では鮎の字を呉(ご)音で『ネン』と読み、『年魚(アユ)』の『年(ネン)』と同じ読み方から鮎(ネン)の字を転用し『鮎魚(アユ)』としたとあり、『鮎魚』から鮎(アユ)になったとある。『日本書記通証』(1748年)や『倭訓栞』(1777年)では鮎(アユ)と読むのは『倭名類聚抄』(931年)が元となったとあり『鮎は鯰であるが神功皇后の年魚で占ったとの故事に基づいた』とある。年魚に転用された鮎の字は中国で鯰(ナマズ)を意味するとはわからず転用した様であり、鮎の字を転用したことで中国で鯰を表す他の字とも鮎として漢字が使われていて、また同じ川にいる鮠(ハヤ)を意味する漢字とも混用・誤用されて鮎として表記されている。年魚は鮎の他にC(サケ・鮭・左計)をも意味している」
とある。もともとは,
香魚,年魚,王魚,
と呼ばれるか,
黄頬魚,銀口魚,氷魚,細鱗魚,国栖魚,渓鰮魚,
とその状態から呼ばれていて,「あゆ」は,
安由,阿由,阿喩,
と当て字をしていたはずである。「鮎」の字を当てたのは後世ではないか,という気がする。たとえば『古事記』の神功皇后が筑紫・玉島の里の小河で食事をした後、釣りをしたおりは,「あゆ」に,
年魚,
が当てられ,『日本書紀』の,神功皇后が松浦・玉島の里の小河で食事をしその後,釣り占いをしたくだりでは,「あゆ」に,
細鱗魚,
が当てられている。漢字について厳密に承知していた古代ではなく,後世の日本人が誤用したとしか思えない。
ま,漢字表記の経緯はともかく,「あゆ」の語源は,諸説ある(『日本語源大辞典』『鮎起源探訪』『大言海』等)。
古来、神殿に供え(饗・アへ)をしたことから饗(アへ)るから「アエ」・「ア
イ」になり「アユ」になったとされる。鮎は古くから朝廷への献上品であった(垂仁天皇(656年)の伊勢国度会に倭姫命はアユを献上させ供したとある)(日本古代大辞典)
「アユる」は「落ちる」の古語で産卵鮎が川を落ちる(下る)ことから「アユる」が「アユ」になったとされる(日本釈名)
「アユる」は脆(もろ)く死ぬる意味で産卵後、鮎が死ぬことから「アユる」が「アユ」になったとされる(鰯は,弱しなりと云ふ)(大言海)
「ア」は小、「ユ」は白、から小さく白い魚の意味で「アユ」になった(東雅)
アイ(愛)すべき魚(可愛之魚)から「アイ」「アユ」になった(和訓栞・鋸屑譚)
アユは古い大和言葉(やまとことば)で「ア」は賛歎の語で「ユ」はウヲ・イヲ(魚)の短促音とあり、佳(よ)い魚あるいは美しい魚の意味とある(鮎考)
鮎が矢の様な素早い動きからアイヌ語で矢を意味するアイ「ay」から「アユ」になった(衣食住語源辞典)
酢酒塩とアへ(エ)て食べてヨキウヲのことからアエて美味しい魚「アユ」になった(和句解)
アアヨ(呼々吉)から「アユ」になった(言元梯)
アオユルミ(青緩)から「アユ」になった(名言通)
イハヨルの反語から「アユ」になった(名語記)
その他に,『日本語源広辞典』は,「落ちる」説のほかに,
「『ア(肖)+ゆ』が語源です。似る,好ましい魚,あやかりたい魚の意で,香魚,かおりの好ましい魚の意」
を載せる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/ayu_sakana.html
は,
「アユは,産卵で川を下る姿から『こぼれ落ちる』『滴り落ちる』という意味の『あゆる(零る)』が語源とされることが多いが,アユが川を下る姿はさほど印象的ではなく,『アユ』という音から近い言葉を探し,うまく意味が当てはめられただけと思われる。
アユの語源は上記のほか諸説あるが,非常に素早く動き矢のようであることから,アイヌ語で『矢』を意味する『アイ(ay)』が転じたものであろう。」
とアイヌ語説をとる。しかし,「あゆ」の生態は,
「北海道・朝鮮半島からベトナム北部まで東アジア一帯に分布し、日本がその中心である[5]。石についた藻類を食べるという習性から、そのような環境のある河川に生息し、長大な下流域をもつ大陸の大河川よりも、日本の川に適応した魚である。天塩川が日本の分布北限。遺伝的に日本産海産アユは南北2つの群に分けられる。」
と,ほぼ日本全域をカバーする。アイヌ語由来とのみは言えない気がする。国栖魚(クズノウオ)という名が,吉野川のアユを朝廷に献上したことに由来するように,関東以北とは限らないのだから。
『日本語の語源』は,
「〈河瀬にはアユユ(鮎子)さ走り〉(万葉)と歌われた鮎は,ニシン目の溯河魚である。幼魚は海に住み,初春,川をさかのぼって急流にすむ。秋,産卵のために川を下るのが落ち鮎で,その寿命はふつう一年だから『年魚』とも書く。
生育がきわめて早く,また河瀬を疾走するところから,もと,ハヤウヲ(早魚)と呼ばれていた。ヤウ[j(a)u]の部分の縮約で,ハユヲ・ハユになった。さらに,ハの子音交替[fw]でワユに,[w]が脱落して,アユ(鮎)に転化したと推定される。」
とする。つまり,
ハヤウヲ→アユヲ・ハユ→ワユ→アユ,
と転訛したという訳である。この説に与したい気がする。
参考文献;
http://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%A2%E3%83%A6
http://www004.upp.so-net.ne.jp/onkyouse/tumjayu/page025.html
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「さけ」は,
酒,
と当てるが,この「酒」の字は,
「酋(シュウ)は,酒つぼから発酵した香りの出るさまを描いた象形文字で,酒の原字。酒は『水+酉(さけつぼ)』で,もと,絞り出した液体の意を含む」
とあり,「酋」の字は,
「つぼの中に酒がかもしだされて,外へ香気がもれ出るさまを描いたもの。シュウということばは,愁(心が小さく縮む)・就(ひきしめる)などと同系で,もと,酒をしぼる,しぼり酒の意であったが,のち,それを酒の字で書きあらわし,酋はおもに,一族を引き締めるかしらの意にもちいるようになった。」
とある。ついでに,「酉」の字は,
「口の細い酒つぼを描いたもの。のち,酒の字に関する音符として用いる。」
どうやら,「酉(とり)」の意は,「作物をおさめ酒を抽出する十一月」というところからきたようだ。
http://kanji-roots.blogspot.jp/2012/03/blog-post_26.html
には,「酒」は,
「会意文字であり、形声文字でもある。甲骨の字の酒の字は『酉』の字である。即ち酒瓶の象形文字である。両側の曲線は酒が溢れ出している様を表し、また酒の香りが四散しているとも理解できる。金文の酒の字は水の字を用いて、酒が大きな酒瓶に入った液体であることを強調している。
小篆の酒は左側に水の字を加え、液体であることが強調されている。右辺の『酉』は盛器を表示している。楷書は小篆を引き継いでいる。」
とある。
さて,「さけ」の語源だが,『広辞苑』には,
「サは接頭語,ケはカ(香)と同源」
とあるが,『岩波古語辞典』には,
「古形サカ(酒)の転」
と載る。しかし,『大言海』には,
「稜威言別四に,汁食(しるけ)の転なりと云へり。シルケが,スケと約まり,サケと転じたなむ(進む,すさむ。さかしま,さかさま。丈夫(マスラヲ)もマサリヲの転ならむ)。酒を汁(しる)とも云ふ。上代に,酒と云ふは,濁酒なれば,自ら,食物の部なり。万葉集二,三十二『御食(みけ)向ふ,木缻(きのへ)の宮』は,酒(き)の瓮(へ)なりと云ふ。土佐日記には,酒を飲むを,酒を食(くら)ふと云へり。今も,酒くらひの語あり,或は,サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)。即ち,サ食(ケ)と通ずるか。沖縄にては,サキと云ふ(栄えの約とする説は,理屈に落ちて,迂遠なり)」
とあり,
古語,酒(キ),みき,みわ,しる,みづ,あぶら,
と,異称をならべる。ちなみに,「き(酒)」の項には,
「醸(かみ)の約,字鏡に『醸酒也,佐介加无』とあり。ムと,ミとは転音」
とあるし,「しる(醨)」については,
「液(しる)の義。酒の薄きもの,もそろ」
とある。「もそろ(醨)」は,酒の薄い物のことのようだが,「倭名抄」の,
「酒類(あまざけ)類『醨,之流,一云,毛曾呂,酒薄也』」
あるいは,「名義抄」の,
「醦,モソロ,モロミ,ニゴリザケ,カスコメ,ゴク」
を引く。どうやら,「甘酒」のように薄いもののようだ。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/sake.html
は,
「『さ』は接頭語『さ』で、『け』は酒の古名『き』の母音変化が有力とされる。」
とする。『日本語源広辞典』は,三説載せ,
説1は,「栄え+(水)」が語源で,酒の語根サケは,栄,盛,幸,咲と通じる,
説2は,「ササ(醸造酒)+キ(酒・音韻変化でケ)」で,醸造した水の意,
説3ハ,サ(純粋)+ケ(内にこもる味,香)」で,香り良き水の意,
とするし,『日本語源大辞典』は,
シルケ(汁食)の転。酒は濁酒であったので,食物に属した(稜威言別),
サは発語,ケはキ(酒)の転か(大言海),
米を醸してスマ(清)したケ(食)の意で,スミケ(清食)の義か(雅言考),
スミキ(澄酒)の約(和訓集説),
おもに神饌に供する目的で調進せられたものでアルトコロカラ,サケ(栄饌)の転(日本古語大辞典),
サケ(早饌)の義(言元梯),
サカエ(栄)の義(仙覚抄・東雅・箋注和名抄・名言通・和訓栞・柴門和語類集),
飲むと心が栄えるところからサカミズ(栄水)の下略サカの転(古事記伝),
風寒邪気をサケルトコロカラ,サケ(避)の義(日本釈名),
暴飲すれば害となるのでトホサケル(遠)意からか(志不可起)
サは真の義(三樹考),
サラリと気持ちがよくなるところから,サラリ気の義(本朝辞源),
本式の酒献は三献であるところから,「三た献」を和訓してサケといったもの(南留別志・夏山雑談),
飲めば心のサク(咲・開)ものからサカ(酒)が生じ,イが関与してサケになったもの(続上代特殊仮名言葉),
「酢」の音sakが国語化したもの(日本語原考),
等々挙げるが,どれも語呂合わせで,ピンとこない。なんとなく,「キ」が,御酒と通じる気がしてならない。だから,御神酒は,屋上屋なのではないか。
酒の古名は,「サケ」「ミキ」「クシ」「ミワ」,として,
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/ikeq/setumei/no06/page03.htm
では,
「『古事記』には『サケ』という記述が全部で10カ所出てくる。たとえば、『八塩折之酒』(やしおおりのさけ)、『待酒』(まちさけ)、『甕酒』(みかさけ)などで、また『日本書紀』には19カ所(八醞酒(やしおりのさけ)、八甕酒(やはらさけ)、毒酒(あしきさけ)、天甜酒(あまのたむさけ)、味酒(うまさけ))などが出てくる。『ミキ』については、『古事記』に26カ所出てきて(美岐(みき)、登余美岐(とよみき)、意富美岐(いとみき)など)、『日本書紀』には15カ所(大御盞(おみき)、弥企(みき)、瀰枳(みき)など)出てくる。じつはこの『サケ』と『ミキ』がサケ古名の大半で『クシ』となると『古事記』には2カ所(具志(くし)、久志(くし)、日本書紀には1カ所(区之(くし))しか出てこない。『ミワ』という古名は『古事記』にはみあたらず、『日本書紀』に1カ所「神酒」(みわ)というところが見えるだけである。」
として,それぞれの由来を詳細に辿っている。その中で,「ミキ」について,
「『ミ』は接頭語であるから、問題は『キ』である。実は酒の古語である『サケ』、『ミキ』、『クシ』などが登場して来る前の古語では『キ』だけであった。江戸時代中期の儒者・新井白石はそのあたりのことを徹底的に調べて、古語時代は食べることまたは食べ物を『ケ』、飲み物はそれが転じて『キ』となったと述べている。そういえば天皇の食事の料は『御食』(みけ)、『御饌』(みけ)であり、今日でも朝食のことを『朝餉』(あさげ)、夕食のことを『夕餉』(ゆうげ)という言い方も残っている。つまり、酒を『キ』といったのは、酒は神聖で食べ物、飲み物の最高の者として位置づけ、飲食物の総称として『ケ』を与えた。その『ケ』が『キ』に転化したというわけである。」
とする,
ミ+キ(酒の古形)
が,やはり説得力がある。とすると,「さけ」の「ケ」も古形「キ」と考えるのが妥当な気がする。『大言海』の,
「サは,発語にて,サ酒(キ)の転(サ衣,サ山。清(キヨラ),ケウラ。木(キ)をケとも云ふ)」
が注目される。
参考文献;
http://kanji-roots.blogspot.jp/2012/03/blog-post_26.html
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/ikeq/setumei/no06/page03.htm上へ
「さる」は,
猿,
と当てるが,
猴,とも当てる。「猿」の字は,
「本字は,『犬+音符爰(エン ひっぱる)』。木の枝をひっぱって木登りをするさる。猿は,音符を袁(えん)に変えた字」
とある。「猴」は,
「『犬+音符侯(からだをかがめてうかがう)』。さるが,ようすをうかがう姿からきた名称」
とあって,これでは差がはっきりしない。これについては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB
に,「さる」について,
「中国では、殷代以来、霊長類をあらわす文字がみられた。殷代には、甲骨文字のなかに霊長類を示すと考えられるものがあった。周代には、『爾雅』に5種類の霊長類があげられており、貜父、猩猩、狒狒、蜼、猱蝯であった。最初の3つは想像上の山怪と考えられるが、蜼はキンシコウ、猱蝯はテナガザルだった可能性がある。貜は、のちに玃とも書かれた。周代には、ほかに猴、狙、獨、狨、果然(猓然)、禺(寓)といった表現があった。猴はマカクをあらわしていたと考えられる。また、狨はキンシコウを、果然(猓然)はリーフモンキーをあらわしていた可能性がある。周末から漢代に成立した『礼記』では、獶という文字が用いられていた。これはマカクを指していたと考えられる。4世紀の屈原は、『楚辞』で猨狖という言葉を用いた。猨は前述の猱蝯の蝯と同義であり、狖とともにテナガザルを指していたと考えられる。のちに、猨の音をあらわす爰(yüan)の部分が同音の袁に置き換えられ、猿の字となったが、これもテナガザルを指していたと考えられる。
猨(猿、テナガザル)と猴(マカク)の区別は、周代には厳然とあり、14世紀までは維持された。しかし、それ以降、テナガザルの分布が南に退くにつれて、両者は混同されていった。野生テナガザルのいない日本でも、両文字は区別されていなかった。現在の中国語では、上で述べたもののうち、猩はオランウータン、ゴリラ、チンパンジーを、猿はテナガザル(長臂猿)を、狒はヒヒを、狨はマーモセットをあらわすために用いられている。また、猴は、全般的に類人猿でない霊長類(英語のmonkeyに相当する分類群)をあらわすために用いられている。日本語では、霊長類一般を指す際にもっぱら猿を用いる。」
とあって,由来がはっきりする。
和語「さる」の語源について,『広辞苑』は,
「和訓栞に『獣中に智のまさりたる義なるべし』とある。またアイヌ語に,猿をサロ,サルウシという」
と注記して,二説挙げる。『大言海』は,
「能く戯(さ)るる故の名。玉襷(平田篤胤)『獣の猿,亦その名を負へるは,彼も,佐流がふ性(さが)のものなればなり』終止形の名詞となれるは,御統(みすまる),調(つぐ)の舟,などあり。嬰孩(あぎとふ),顎問(あぎと)ふなり。猨(えん)と云ふは,手長ざるにて,猿(えん)は,猨の俗字なるが,常にサルに用ゐらる」
と,「戯(さ)るる」説を取る。『日本語源広辞典』も,
「さる(戯る・戯れる)」
を取り,「じゃれる動物,ふざけ合う動物」が語源とする。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/saru_monkey.html
は,
「サルの語源には非常に多くの説があり未詳だが、中でも有力と考えられているのは、獣の中では知恵が勝っていることから『マサル(勝る)』の意味とする説。アイヌ語で『サロ』、また、尻尾をもつものを『さるうし」と言うことから、サルの語源はアイヌ語にあるとする説。古くから神聖視され、馬と共に飼えば馬の病気を砕くと言って馬の守護神とされていたことから、『マル(馬留)』が転じて『サル』になったとする説。漢字『猻』の音ソン『sar』、マレー語の『sero』,インド中部のクリ語『sara』に由来する説などがある』
とする。その他,
http://www.nihonjiten.com/data/45912.html
は,
「知恵が勝っていることから『勝る(マサル)』の意とする説、木にぶらさがることから『サガル』の略とする説、『騒ぐ(サワグ)』の『サ』にルを添えたとする説、『触(サハル)』や『戯(サルル)』の略とする説、サルを意味するアイヌ語『saro(サロ)』が転じた説」
を紹介する。『日本語の語源』は,
「枝をワタル(渡る)毛物は,『タル』がサル(猿)になった」
とする。他にも,
「サアリ(然有)の約サリの音便,物語マネジメントの意から転じた,
サはサハグ,サハガシの野の古語。ルは語助,
食物などをサラへ取るから,サラフ(浚)の義,
さわる所へ取り付くところから,サハル(触)の中略。
木からぶらりと下がるところから,サガルの中略,
人を見ると立ちサル(去)ものであるから,
サルダヒコ(猿田彦)に似ているところから,
等々,嗤えるものも含めて,定説はない。しかし,馬が入ってきたのが,四世紀末から五世紀にかけて,朝鮮半島に出兵した倭国の大軍が,高句麗に大敗して以降,馬と共に伝わったとみられることから,考えにくい。
なお,「うま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%81%BE)については触れた。諸説の中で,「勝る」は,とても真に受ける気がしないのだが,「さる」の異称,
ましら,
について,『広辞苑』は,
「マサ(優)ルの転」
説を載せるので,うかつには否定しにくい。『日本語源広辞典』も,
「マシ(勝る)+ラ(接尾語)」
説を取り,「知恵や運動神経のまさっている動物」のとする。
『大言海』は,
「梵語,摩期咤(マカタ markata 猴と訳す)の転か,一説に,マシはサルの古名,ラは助辞と」
と載せる。この一説を,『岩波古語辞典』は取る。「ましら」は「まし」に同じとし,「まし」について,
「万葉集で助動詞『まし』の表記に『猿』の字を宛てている」
とする。古く,「まし」が猿だったからであろうか。とすると,梵語説はない。「まし」が古形なら,「さる」は,別ルートで入ってきた言葉と見られる。そう見ると,
漢字『猻』の音ソン『sar』
といった外国語『由来・語源辞典』ではないか,と思いたくなる。ちなみに,「さる」には,
えてこう,
と言う呼び名もある。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/e/etekou.html
は,
「エテ公の『エテ』は、サルの音が『去る』に通ずるのを忌み、『去る』の反対の意味となる『得る』を用いたもので、手に入れる意味の『得手(えて)』という。『得手』には最も得意なことの意味もあり、それは他の者に『優る・勝る(まさる)』ことに通ずるため、『真猿(まさる)』と掛けた洒落であったとも言う。えてこうの『公(こう)』は,擬人化して親しみの気持ちを表す語で、同じように『吉』を用い、『猿吉(えてきち)』とも呼ばれる。」
とする。しかし,『大言海』は,「去る」を忌むほかに,
「得手の義。猿は物を摑めば離さず,人の金銭を握りて出さぬことを忌みて,芸人・職人などの,反語に言い変へると云ふ」
との説を合わせて載せる。こう見ると,「えて公」は,後世のものということになる。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
いわゆる,暴力団の「みかじめ料」の「みかじめ」は,
見ケ〆,
と,『広辞苑』『デジタル大辞泉』は当てている。
取り締まること,監督すること,
という意味である。俗語なので,他の辞書にはこれ以上は載らない。
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini20.htm
は,「みかじめ料」とは,
「もともと暴力団社会で使われている用語の一つですが、今では、一般社会でもこの言葉は広く知られるようになりました。…暴力団は縄張りという自己の勢力範囲で資金活動などをしているわけですが、この縄張り内で風俗営業等の営業を行いあるいは行おうとしている者に対して、その営業を認める対価として、あるいはまた、その用心棒代的な意味をもたせて、挨拶料、ショバ代、守料(もりりょう)など様々な名目で金品を要求し、この要求に応じた者にこれを月々支払わせていますが、こういった金品のことを『みかじめ料』といい、暴力団にとっては、伝統的でしかも重要な資金源の一つとなっています。」
で,大体,暴力団がこうした「みかじめ料」を徴収しようとする対象業者は,
「特に、バー、スナック、クラブ、ソープランド、飲食店、パチンコ店、ゲームセンター、麻雀店などが多いといわれています。暴力団が、『みかじめ料』を要求する手口はいろいろですが新規営業店に組員を行かせ、『この辺りは、うちの組が取り仕切っている。』とか、『誰に断って商売しとるんや』などと言い掛りをつけさせて、『みかじめ料』を要求し、断られれば集団の威力を示して威嚇し、あるいは要求が容れられるまで執拗な嫌がらせ行為を繰り返すなどが、その主な例です。」
というが,
「従来、被害申告が行われず潜在化する傾向にあったことや、現行法下では、即犯罪として捉えることが難しい場合が多かったことなどから、平成4年に施行された「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(通称、暴対法)」によって、『暴力的要求行為』の一つとして、改めて禁止し中止命令の対象行為としました。これによって、今後『みかじめ料』徴収事案は、これまで以上に封圧することができるものと認められます。
なお、暴対法では、営業を認める対価としての「みかじめ料」(法第9条第1項第4号)と、守料、用心棒代としての『みかじめ料』(法第9条第1項第5号)の二つに分けて規制しています。」
と説明している。『大辞林』は,はつきり,「みかじめ料」を,
暴力団が飲食店などから取る用心棒代,
としている。
この語源については,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115266311
に,
み‐かじめ(見ヶ〆)が、管理・監督することや後見をすることからきた説,
「かじめ」が、宮崎県で言う、鳥避けの為の縄張りのことからきた説,
毎月3日又は3日以内に支払わなければ、その店を締めあげるという説,
を挙げている。さらに,
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/32mi/mikajimeryou.htm
は,
「みかじめ料とは暴力団のシノギの一種で、縄張り内にある風俗店や飲食店から毎月受け取る金品をいう。“みかぎり”は『見ケ〆』と書き、取り締まることや監督することという意味であり、みかぎり料は監督代=見張り、用心棒代として授受される金品ということになる。ただし、これは名目上のことであり、挨拶代、ショバ代など様々な名目で要求される。」
と,「みかぎり」説を挙げている。
http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20140208/Escala_20140208_1705391.html
では,「みかじめ」を,
「『毎月3日締め』(ミッカジメ→ミカジメ)から転じたというのが定説で、支払いが遅れたら3日以内に収めることが原則だったことから、という説もあります。」
と,「3日締め」を定説という。
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini20.htm
も,「みかじめ料」は,
「毎月3日に支払わせるという説や3日以内に支払わなければ、その店を締めあげるという説とがありますが定かでありません。また、守料、用心棒代などを『カスリ(掠り〜上前をはねる)』ともいっています。」
とする。しかし,
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mi/mikajimeryou.html
は,
「語源には,毎月3日にお金を払わせることからや,3日以内に払わなければ締め上げるといった,日数の『みっか』に関連付ける説がある。しかし,『みかじめ』は『管理』『監督』『取り締まり』といった意味の言葉であり,『みかじめ料』は,『守り・取り締まり』に対して支払う料金という名目から生じた言葉なので,日数の『3日』からとする説は考え難い。『みかじめ』は上記のような意味で使われ,漢字で『見ヶ〆』と当てられることから,『み』が『見張る』『見守る』,『じめ』は取り締まるの意味と考えられる。」
とする。前以て,自分のシマ(縄張り)と称する店々から徴収するということは,一種保険のようなものとみなされているのかも知れない。
しかし,
『日本辞典』
http://www.nihonjiten.com/data/254266.html
は,「寺銭」の項で,
「博打などで、場所の貸元が売上から一定の割合で抜く手数料、場代のこと。『テラ』は寺で、寺社の敷地内で博打などの興行を行ったことによる説、『テラ』は照で、ろうそく代や灯油代の名目で徴収した金を意味するとする説などがある。なお、暴力団が自己の縄張り内で営業する風俗店や飲食店などから営業を認める対価として徴収する金品のことを『みかじめ料』というが、漢字で『見ヶ〆』と書き、管理・監督する、後見をすることを意味する。一説に、毎月三日に支払わせる、または三日以内に支払わなければその店を締めあげることからという。また、みかじめ料の一つに『しょば代』があるが、この『しょば』は、『ばしょ(場所)』の倒語で、もとは的屋などの隠語として露店商などが商売をする場所のことをいった。」
としているところを見ると,「見ケ〆」を,監督する,という意味は,後付のような気がする。暴力団が,そういう名目で徴収する,ということを後追いで,意味づけた,というような。むしろ,
毎月三日に支払わせる,
または,
三日以内に支払わなければその店を締めあげる,
の方が実態に近いのではないか。ちなみに「やくざ」は,
http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20140208/Escala_20140208_1705391.html
によると,
「江戸時代に定職につかず博打で生活している者のことを花札賭博の『八・九・三』の出目にひっかけたという説が有力です。『八・九・三』を合計すると二十となり、花札では勝負にならない数字であることから『役に立たないモノ』を『八・九・三(ヤクザ)』と呼ぶようになり、世間のアウトローたちに当てはめてできた隠語のようです。」
と,今日は,「ヤーさん」などとも言う。
参考文献;
http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini20.htm
http://gogen-allguide.com/mi/mikajimeryou.html
http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20140208/Escala_20140208_1705391.html
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「おかんむり」は,
御冠,
と当てる。
不機嫌なこと,
起こっていること,
を言うが,どこか,(上位のものに対して使うが)揶揄する含意がある。
「『冠を曲げる』からいう」
と『広辞苑』にはある。『日本語源広辞典』にも,
「語源は『冠をて曲げる』です。冠を正常にかぶっていない。普通でない。つまり,不機嫌な様子をいう言葉です」
とある。これだと,なぜ,「冠を曲げる」が,怒っていることになるのか,意味が解らない。
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/05o/okanmuri.htm
には,
「お冠とは怒っているさまや機嫌が悪いさまを意味する。古代の貴族は上役に反抗する際や天皇に抗議をする際、冠をわざとずらして被り、忠誠を欠いたことから、機嫌が悪いさまや不満なさまを『冠を曲げる』と言った。ここから、同様に不機嫌なさまをお冠と言うようになり、特に目上の人が機嫌が悪いさまをあらわす言葉として使われるようになった。」
とある。『広辞苑』の,
「冠を曲げる」
には,「機嫌を悪くする」という意味しか載らないが,『デジタル大辞泉』には,
つむじを曲げる,
意も載せる。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%8A%E5%86%A0
には,
「機嫌を悪くすることを『冠を曲げる』といい、略して『お冠』の形で用いる。
『つむじを曲げる』『へそを曲げる』というのと同様に、『曲げる』は本来の形をゆがめることから、気を損じた様子を表す。」
とある。そういう振る舞いによって表現することがあった,と考えるしかない。これ以上は,分からなかった。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314727938
によれば,
「もともとは『機嫌を悪くする、少し怒っている、不満に思っている』ということを『冠を曲げる』といいました。冠は頭にかぶる物の総称です。冠をかぶるのは貴族階級なので、古代の貴族が上役に対して反抗心を示すときの態度が『冠を曲げる』だったといわれます。頭にかぶるものが曲がっている=そっぽを向いている、ということ。不満があって正面から向き合っていないというわけです。同じように、身体の真ん中にあるおへそを別の方向へ向けて不満を示すと『へそを曲げる』。頭をよその方向へ曲げると『つむじを曲げる』、となります。」
ということらしいのである。
「冠」は,
かうぬぶり,こうぶり,こうむり,かむりなどから転じた語,
である。『広辞苑』には,
カウブリの音便,
『大言海』は,
かがふり,の音便,
とある。いずれも,「被る」意である。
http://www.kariginu.jp/kikata/2-2.htm
には,
「頭に乗せる部分の前の方を『甲』または『額』と呼ばれます。ここに穴を開けて熱気を逃がしたのが『透額(すきびたい)』で、現在の冠はほとんど透額になっています。もちろんこの上に羅を張りますので穴は覆われます。
後ろに高くそびえるのが『巾子(こじ)』です。古くはここに髻(もとどり)を入れて、左右から『簪(かんざし)』を差し貫いて冠を固定しました。簪は角(つの)、笄(こうがい)とも呼びます。
摂関期は、纓は纓壺なしで、いきなり巾子から下に垂れていたのではないかと考えられます(源氏物語絵巻など)。その後、院政期に強装束が流行しますと纓壺を作り、そこに纓を差し込んで一度上に上がって垂れる形式になりました。簪も左右から差す形ではなく、片方から一本差し貫く形式的なものとなりました。
甲の部分は厚紙に漆を塗った型枠に羅を張って漆塗り、巾子は中空の紙製型枠に羅に張って漆塗り、纓は古くは鯨のひげ、今日では樹脂で枠を作って羅を張ります。」
とある。因みに,「遠文(とおもん)」とは,間隔をおいて散らした文様を指し,対語は「繁文 (しげもん) 」で,一定の文様を狭い間隔で密に繰り返したもの,である。当然だが,天皇の冠るものは無紋である。
想像するに,貴族のような高貴な人々は,口に出すのではなく,無言で,冠の被り方で,その意思表示をしたものなのかもしれない。それを上品とした,ということかもしれない。だからか,「お冠」という時,いつも怒っているような輩については,指さない。
参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
http://www.kariginu.jp/kikata/2-2.htm
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)上へ
「けしからん」は,
怪しからん,
と当てるが,
けしからぬ,
であり,
けしからず,
でもある。「けしからず」について,
「打消しの助動詞ズが加わって,ケシの,普通と異なった状態であるという意味が強調された語とも,ズの打消しの作用が『…どころではない』の意となった語ともいう」
と,『広辞苑』に載る。「けし」でない,という意味と,「けし」の強調と,真逆の意味になる。だから,前者なら,
怪しい,異常である,
よくない,感心できない,
不法である,不都合である,
となるし,後者なら,
甚だしい,
並外れている,すごい,
という意味になる。因みに,「けし」は,
怪し,
異し,
と当てる。
「け(異)の形容詞形。平安女流文学では,『けしうはあらず』『けしからず』など否定の形で使うことが多い」(『岩波古語辞典』),
「け(異)は,奇(く)し,異(け)しの語根」「異(け)を活用せしむ。奇(く)しと通ず」(『大言海』),
で,
「普通と異なった状態,または,それに対して不審に思う感じを表す」
ので,おおよそ,
@在るべき状態と異なっているさま,よくないさま,非難すべきである,
A変っていることに対して不審に思うさま,怪しげだ,
B怪しいまでに甚だしいさま,ひどい,
という意味になる(『日本語源大辞典』)。つまり,「けし」も,それを否定した「けしからん」も,ほぼ同じ意味となるということになる。ということは,「けしからず」の「ず」,「けしからぬ」の「ぬ」,「けしからん」の「ん」が否定の意味なのか,という疑問がわく。『岩波古語辞典』は,「けしからず」について,
「『け(怪)し』の普通でない意を更に打ち消して,普通でないどころではない,と強調した表現。平安時代には,ケシカリの形はほとんど見えず,中世以後にはケシカリとケシカラズとがほぼ同じ意に使われた。現代語のトンダ・トンデモナイの類」
とする。しかし,『日本語源大辞典』は,上記「けし」の三つの意味について,
「上代では,『古事記』や『万葉集』に連体形のケシキがみられる。中古になると連用形のケシクとその音便形ケシウがAの意味(変っていることに対して不審に思うさま)で用いられることが多くなる。またケシウはBのように打消しを伴い,『たいして良くない』『たいして悪くない』『格別なことではない』の意味で使用されることが多くなる。さらに『けし』を否定した形の『けしからず』が意味的に肯定に使われることが多くなり,近世以降は,『けしからず』が『けし』にとって替わった。」
とする。この説に従うと,「けし」と「けしからず」は同じ意味だったということになる。
けし→けしからず→けしからぬ→けしからん
という変化,ということになる。しかし,『日本語の語源』は,
「『はなはだあやしい。ふつごうだ』という意味のケシカラム(怪しからむ)は,推量のムが撥音化してケシカランというようになった。文章を書くに当たって撥音を復原するとき,紫式部は,推量のムであるべきを打消しのヌと誤認して,〈かくケシカラヌ心ばへは使ふものか〉(源氏・帚木)とした。それでは『怪しくない』という意味になる。語義の矛盾に気付いた学者は“意味の反転”でかたづけてきた。」
とする。この説を信ずると,すくなくとも,否定の助動詞「ず」を使う,
けし→けしからず→けしからぬ→けしからん,
とは別に,推量の「む」に端を発する,
けし→けしからむ→けしからん,
という流れがあったのではないか,と想定できなくもない。
「けしからん」の語源説の多くは,たとえば,『日本語源広辞典』の,
「ケシ(怪シ・異シ)の未然形ケシカラ+ン(ズ・打消し・強調)」,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1053634145
「『怪し(けし)』『怪しかる(けしかる)』…に、打ち消しの『ぬ』が付いた『けしからぬ』が、否定にならず、逆に意味を強める働きになって、『ぬ』が『ん』に転じた」
http://mobility-8074.at.webry.info/201612/article_20.html
「『けしからず』 は 形容詞『けし』 の未然形『けしから』に否定の助動詞『ず』 がついたものです。〈異常だ〉 の意味の 「けし」 を否定したとなると
〈異常ではない,変ではない〉 ということになってしまいますが,否定の助動詞は,時に,動詞や形容詞を強調する働きをすることがあります。」
『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93
「本来の形は『けしからず』で、形容詞『異(け)し』の未然形に打ち消しの助動詞『ず』がついた語。『ず』の連用形『ぬ』の終止法が広まるにつれて『けしからぬ』と変化し、さらに『けしからん」となった。』
等々。しかし,「未然形」だからこそ,「推測の助動詞む」ということもまたあり得るのではないか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「とんでもない」は,『広辞苑』には,
「『途(と)でもない』の転」
とあり,
とても考えられない,思いがけない,途方もない,
(相手のことばを強く否定して)そんなことはない,
と意味が載る。後者はともかく,
とても考えられない,
思いがけない,
途方もない,
は,同じ意味ではない。「途(と)でもない」の,
途,
は,
みち,
道筋,
という意味である。
帰国の途につく,
途中,
前途,
という使い方をする。この「途」は,漢字「途(漢音ト,呉音ド)」から来ている。意味は,
みち,
である。
「辶(行く)+音符余(おしのばす)」
で,長く延びる意を含む,とある。とすると,
道でもない,
という原意から,上記の意味の外延を,
とても考えられない→思いがけない→途方もない→そんなことはない,
と,広げていく,ということになる,と推測される。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/to/tondemonai.html
も,
「とんでもないは、『途でもない(とでもない)』が変化した語。『途』は『道』『道程』の意味
から、『手段』や『物事の道理』も意味するようになった語で、同じ用法の和製漢語には『途轍』『途方』がある。その『途』に否定の『無い』をつけ、『道理から外れてひどい』『思ってもみない』などの意味で『途でもない』となり、『とんでもない』となった。『思いがけない』の意味で『飛んだ』という語があるため、とんでもないの語源を『飛んでもない』とする説もある。しかし、とんでもないが『飛んだ』の否定であれば,『思いがけなくない』『当たり前』といった意味になるため誤りで,反対に『飛んだ』を『とんでもない』の語源と関連づけることも間違いである。」
とする。また,『江戸語大辞典』も,
「上方語『とでもない』を移入後,撥音化したものか。一説に,『飛んだ』の強調形とするには従い難い」
とし,
つがもない(埒もない,途方もない,ばかばかしい),
そでない(しかるべきでない,不都合である,尋常でない),
と同義,とする。しかし,「けしからん」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93)
で触れたように,『岩波古語辞典』は,「けしからず」を,
「『け(怪)し』の普通でない意を更に打ち消して,普通でないどころではない,と強調した表現。平安時代には,ケシカリの形はほとんど見えず,中世以後にはケシカリとケシカラズとがほぼ同じ意に使われた。現代語のトンダ・トンデモナイの類」
と,解釈していた。つまり,「とんでも」の否定と見なしていた。さらに,
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/162083/meaning/m0u/
も,
「『とんでも』に『ない』の付いた形だが、『とんでも』が単独で使われた例はなく、『とんでもない』で一語と見るのがよい。とすれば、『ない』を切り離して『ありません』『ございません』と置き換えて丁寧表現とするのは不適切で、丁寧に言うなら『とんでもないことです』『とんでもないことでございます』『とんでものうございます』と言わなければならない。しかし、最近は『とんでもありません』『とんでもございません』と言う人が多くなっている。
平成19年(2007)2月文化審議会答申の『敬語の指針』では、相手からのほめ言葉に対して謙遜しながら軽く打ち消す表現として『とんでもございません(とんでもありません)』を使っても、現在では問題ないとしている。
なお、『とんでもない』には『もってのほかだ』と強く否定する意味もあり、『とんでもないことでございます』を使う場合は注意が必要と『指針』は述べている。
「とんでも」の否定と見なしている。
とすると,たとえば,
https://matome.naver.jp/odai/2136555485973193401
で,
「× とんでもございません
○ とんでもないことでございます
『とんでもない』が1つの言葉なので、『ない』を『ございません』には置き換えられない。『とんでもないことです』でも○」
というのは,「とんでもない」を,「とんでも-ない」と一語と見るのか,「途でも‐ない」の転とみるのか,によって,正否は違ってくる。一語と見なせば,
とんでもありません,
とんでもございません,
とは言えない。しかし,「途でもない」の転なら,
とんでもありません,
とんでもございません,
でOKとなる。言葉遣いの是非は,そう簡単ではない。しかし,いずれの場合でも,
とんでもないことです,
とんでもないことでございます,
なら,問題はない,「こと」で,それまで全体を受けて,丁寧に言いかえているからだ。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/183.html
で言う,
「『とんでもない』の『〜ない』を『〜ございません』『〜ありません』と言いかえた語形の『とんでもございません(とんでもありません)』という言い方…に対しては『本来の表現ではない』『伝統的な語法ではない』『誤用だ』として強い抵抗感・違和感を持つ人がいます。」
とあるが,多くは,50年を遡らない,個人的な感覚に過ぎず,語源から見ると,実は正否は決め難い。
ちなみに,
とんでもはっぷん,
という,50年代に流行した言葉は,
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/20to/tondemo-happen.htm
にあるように,
「日本語の『とんでもない』と英語『never
happen』の合成語で、『とんでもない』『まさか』といった意味で使われる。もともと戦後の学生間で使われていた言葉だが、後に獅子文六が朝日新聞に連載した長編小説『自由学校』で使用。更に同小説の映画化の際も使用し、流行語となった。1980年代には派生語「飛んでも8分歩いて10分」という言葉も生まれている。」
とある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
上へ
「とんだ」は,「とんだところへ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93)
で触れた,例の歌舞伎『天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな) 』の河内山宗俊のフレーズ,
「思いのほかに帰りがけ、とんだところを北村大膳。」
でいう,「とんだ」である。『広辞苑』には,
「『飛んだ』で,飛び離れている意か」
とあり,『岩波古語辞典』にも,
「飛び離れた意から」
とあるが,『江戸語大辞典』には,
「順を追わず飛んだの意」
とある。これが一番意味が通じる。「とんでもない」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84)
で触れたように,「とんでもない」の語源とされる言葉でもある。
普通と違った,風変わりな,
思いがけなく重大な,思いもよらない,
といった意味で,『大言海』の,
意外なる,案外なる,
という意味がぴたり来る。そこから,
非常に,
という副詞的に使われるようにもなる。「とんだところへ北村大膳」は,
「『とんだ所へ来た』の『きた』に『北村』の『きた』を掛けて続けた言葉遊び…で、松江侯の屋敷に宮家の使僧と偽って乗り込んできた河内山が、家臣の北村大膳に正体を見破られて言う」
台詞だが,そのほかにも,
とんだ茶釜,
という言い回しがあったらしい。
「とんだよいもの。とんだ美人。江戸、谷中笠森の茶屋女お仙の美しさに対して言い出された流行語」(『デジタル大辞泉』)
らしく,
「江戸谷中 、笠森稲荷 (いなり) 境内の水茶屋鍵屋の娘。明和(1764〜1772)のころ、浮世絵に描かれて評判となった美人。黙阿弥の『怪談月笠森』などにも戯曲化された」
とある。『江戸語大辞典』には,
「明和・安永の流行語。美女をほめて言う語」
で,笠森稲荷の水茶屋女お仙説以外にも,上野山下の水茶屋お筆説というのもあるらしいが,明和以前,宝暦期の黒本に見える,とある。
美人の意から転じて,芸などをほめる語となり,さらに転じて,「飛んだ事」,
と同義にも用いる,とある。因みに,水茶屋については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%8C%B6%E5%B1%8B
に詳しく,
「江戸時代、道ばたや社寺の境内で、湯茶などを供して休息させた茶屋である。『掛茶屋』」
ともいい,
「『江戸真砂六十帖広本』には、『江戸町々に水茶屋始むる事、浅草観音、芝神明、其の外宮地寺々には古来より有り来る。享保十八丑年嵯峨釈迦如来回向院にて開帳、両国橋の川端に茶や出来、元文四年信州善光寺回向院にて開帳、両国五十嵐向広小路に大和茶壹ぷく壹銭に売る茶屋出来、同朋町源七といふ者大阪者にて仕出す、段々今は町々に出る』とある。『守貞漫稿』によれば、水茶屋では、最初に、1斤の価6匁くらいの茶を茶濾の小笟に入れ、上から湯を注したものを出し、しばらくいると、別に所望しなくても塩漬の桜か香煎を白湯に入れて出し、客の置く茶代は、1人で100文置く者もいるし、4、5人で100文あるいは200文置くこともあるが、1人の場合、標準は24文から50文の間であるという。」
とあり,
「給仕の女性で評判が高かったのには、明和年間の谷中笠森稲荷境内鍵屋のおせん、寛政年間の浅草随身門前難波屋のおきた、両国薬研堀の高島おひさなどの所謂『看板娘』がいた。彼女らは鈴木春信、喜多川歌麿などによって一枚絵にまで描かれた。今でいう『プロマイド』である。また看板娘の名前は店の雰囲気を変えるために店にいるときの名前、つまり「芸名」であることが多い。その風俗は、寛政年間の『青楼惚多手買』(せいろうほたてがい)に、「丈長で髪あげして、はげて落るやうに口紅をこくつけ、黄楊の水櫛おちるやうに横ツちよの方へチヨイとさし、頭痛の呪いとみえて、不審紙のやうにくひさき紙を丸くして両方の小鬢さきへ貼り、藍立縞の青梅の着物に、尻の方まで廻る幅広いセイラツのかはり縞の前垂に蛇口にした緋縮緬の紐をかけ」などと見える。」
とある。なお,笠森お仙については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%A3%AE%E3%81%8A%E4%BB%99
に詳しく,
「大田南畝が『半日閑話』で、『谷中笠森稲荷地内水茶屋女お仙美なりとて皆人見に行き』と記し、『向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ざっと拝んで
おせんの茶屋へ』と手毬唄に歌われ、お仙を題材にした狂言や歌舞伎が作られるほど一世を風靡し、お仙見たさに笠森稲荷の参拝客が増えたという。。また、「鍵屋」は美人画の他、手ぬぐいや絵草紙、すごろくといった所謂「お仙グッズ」も販売していた。」
とある。その他に,「とんだ目に遭うた」の「おうた」に「太田」を掛けて続けた,
とんだ目に太田道灌,
あるいは,
とんだ霊宝,
という,
「江戸両国で興行された見世物の一。三尊仏・不動明王・鬼などを乾魚や乾大根で細工し見世物としたもの。転じて、とんだこと、の意にいう」
という言い回しもあった。『江戸語大辞典』には,もう少し詳しく,
「安永五年十二月,両国広小路で興行された見世物の一。開帳の霊宝に擬して,魚の乾物や野菜類で三尊仏,不動明王などを作ったもの。観覧料八文。」
とある。さらには,
とんだ茶釜が薬鑵に化けた,
というのも,明和・安永の流行語としてある。「とんだ茶釜」と同じ意味だが,
「一は,明和七年二月,谷中笠森稲荷の水茶屋女お仙が引退し御家人何某の褄になった跡へ薬鑵頭の親爺(老父とも)が出たのを戯れたとし,一は,お仙が引退したかと思うと上野山下の水茶屋のお筆なる美女が現れたるによると言い」
いずれともはっきりしないという。いずれにしても,「お仙」に絡んだ逸話らしい。
「とんだ」については,「飛んだ」が通説なのだが,『日本語の語源』は,全く違う音韻変化の中に,「とんだ」を位置づけてみせる。
「トホウ(途方)は,『すじみち。条理』とか『手段。方法』という意である。『どうしてよいか手段・方法が分からないで,困りきる』ことを『途方に暮れる』という。
『途方もない』は『情理にはずれている。めちゃくちゃである。とんでもない』という意味である。上方語ではトーモナイ,トームナイとか,トーナイに転音して『トーナイえらいめにおうた』という。あるいはトヒョーモナイという。
『途方もない』を漢語化してムトホウ(無途方)といった。撥音を強化するときムテッポー(無鉄砲)になった。『無法。むこうみず』の意である。
語頭を落としたテッポーはデンポー(伝法)になった。『悪ずれがして荒っぽいこと。無法なことをする人。勇みはだ』『仁侠をまねる女。勇みはだの女』のことをいい,『浮世風呂』『浮世床』に用例が多い。(中略)
トテツ(途轍)は『すじみち。道理』という意味の言葉で『途方』と同類語である。トテツモナイ(途轍も無い)は『いじみちがない。途方もない。とんでもない』という意味の言葉である。『ツ』を落としてトデモナイ(菅原伝授)といい,撥音を添加してトンデモナイ(浄・職人鑑)になった。
さらに,下部を省略してトンダになったが原義を温存していて〈トンダめにあいの山〉(膝栗毛)という。」
これによれば,
トテツモナイ→トデモナイ→トンデモナイ→トンダ,
と,「とんでもない」も,「途轍もない」の転訛で,「とんだ」は,「とんでもない」の下略,ということになる。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E6%A3%AE%E3%81%8A%E4%BB%99
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)上へ
「おめおめ」は,
恥ずべき立場を意気地なく受け入れたり,不名誉にも平気でいたりするさま,
と,『広辞苑』には載る。
「今さらおめおめ(と)帰れない」
「よくもおめおめ(と)来られたものだ」
といった使い方をする。他には載らないが『広辞苑』には,
おめおめし,
と,形容詞化された言葉が載り,
意気地がない,
恥知らずである,
の意味が載る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/omeome.html,
には,
「『怯む』『臆する』などを意味する動詞『怖む』の連用形『おめ』を重ねた語で、『怖づ怖づ( おずおず)』よりは新しい語とされる。
鎌倉時代の軍記物語『保元物語』では、相手の威力に恐れて気おくれする意味で、『景能おめおめとなりて』と使われている。
この用法は、現在でも使われる『今さらおめおめと帰れない』と似ている。やがて、『臆することではあるけれども』といった意味合いから、『恥じるべきと解っていながら』の意味に転じた。『平家物語・志度合戦』では、恥ずかしげもなく平気に見えるさまの意味として、『おめおめと降人にそ参りけれ』と使われている。」
とあり,どうやら,
相手の威力に恐れて気おくれする→恥じるべきと解っていながら→恥ずかしげもなく平気に見えるさま,
と意味が,はじめは,臆した状態表現でしかなかったものが,怯んだ自分の心情表現へと転じ,更には,その状態への価値表現へと転じて来た,ということが見て取れる。
『岩波古語辞典』は,
臆め臆め,
と当て,
「動詞オメを重ねた語」
とある。
恐怖や恥辱に気おくれするさま,また,力及ばずして恥ずかしい思いをしながら相手に屈するさま,
という意味である。
動詞「臆め」は,
気後れする,臆する,
という意味である。つまり,気おくれした状態を表現していて,そのことへの価値判断はない。『大言海』は,
「怖(お)め怖(お)めの義。おめつおめつする意」
とあり,既に,
恥らひて,卑怯にふるまふ意に云ふ語」
と価値表現に転じている。『日本語源広辞典』には,
「怖め+怖め」
と当て,
恐れから恥をそそぐことをしないさま,
とあるので,語意の変化は,
気おくれ(という状態表現)
↓
そのまま何もしない(怯んだ状態表現)
↓
卑怯な振る舞い(未練な振る舞いという状態表現)
↓
辱められても平気なさま(厚顔に見える価値表現)
と転じて来たことが見える。『擬音語・擬態語辞典』には,
「『おめおめ』は中世以降に見られる語。『景能おめおめとなりて…怠状をしければ』(『保元物語』)。恐れから卑怯にふるまう様子だったが,転じて恥知らずで平然としている様子という意味になった。」
とある。「厚顔」という意の「おめおめ」の類語には,
いけしゃあしゃあ(イケは接頭語だから,「しゃあしゃあ」。面憎いまでに平気でいるさま),
のうのう(暢気な気分),
ぬくぬく(平気なさま),
ぬけぬけ(厚かましいさま)
のめのめ(はずかしげもなく平気でいるさま)
だが,さらに,「のほほん」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84)にも,
面の皮が厚い,
という含意があったので,この一連に加えてもいいが,いずれも,擬態語なのではないか,という気がする。『擬音語・擬態語辞典』をみると,「おめおめ」「しゃあしゃあ」「のうのう」「ぬくぬく」は,いずれも載る。「おめおめ」は,
「気後れする,怖れるという意味を持つ『怖(お)む』の連用形を重ねた語である。同義の『怖ず』から『おずおず』という語ができたのと同じ作り方で,『おめおめ』の方が後にできた語といわれる。」
とある。さらに,
「『のめのめ』は近世から用いられた語。『おめおめ』の意味が変化したのは,この『のめのめ』と混同されたという説がある。」
としている。「のめのめ」は,『江戸語大辞典』では,
滑め滑め,
の字を当てている。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・浜西正人『類語新辞典』(角川書店)
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「おめおめ」の類語には,
のめのめ,
のうのう,
ぬけぬけ,
ぬくぬく,
等々とあるが,既に,「おめおめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%8A%E3%82%81%E3%81%8A%E3%82%81)
で触れたように,厚かましさを指す言い回しには,
いけしゃあしゃあ,
というのがある。「いけ」は接頭語だから,
しゃあしゃあ,
である。『広辞苑』には,
ひとにどう思われようが,つら憎いまで平気でいるさま,
とある。
蛙の面にしょんべん(あるいは「水」),
である。『江戸語大辞典』には,それを動詞化した,
しゃあつく,
という言葉も載る。
シャーシャー,
とも表記する。接頭語「いけ」は,
イッケ,
とも言うが,
卑しめののしる意を強く表す,
ために使う。たとえば,
いけ(いっけ)好かない,
いけずうずうしい,
等々。前にも,「いけ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%91),触れたことがあるが,『日本語の語源』は,
「副詞のイカイは,カイ[kai]の融合で,『ひどく,たいそう』という意のイケになった。〈そしてまあイケ外聞の悪い〉(浮世風呂)。〈イケらちが明かない〉(八笑人)。」
あるいは,
「イカイ(偉い)はイケになって『イケ図々しい』という。」
と言っている。また,他方,
「漢語の偉大(イダイ)は,イライを経て,エライ(偉い)に転音した。」
ともある。現代語で言うと,「えらい」になるが,
えらい出世,
という使い方をする。口語では,「えらい」は,
偉い,
と当てるが,いわゆる「すぐれている」という意の他に,
普通ある状態より程度が甚だしい,ひどい(「えろう寒いな」「えらく人が集まった」「えらい騒ぎ),
思いかげない,とんでもない(「えらいことになった」),
くるしい,つらい(「えらい坂道」),
という使い方をする「甚だしい」という意を表した,「いかい」は,一方で,
ikai→ike,
と転訛し,他方で,
ikai→erai,
と転じたことになる。いずれにも,「いかい」のもつ程度の甚だしさを保っていたが,
「いかい」は悪意に,
「えらい」は敬意に,
それぞれシフトした,ということになる。その「いけ」を外すと,
しゃあしゃあ,
は,明らかに擬音語で,『擬音語・擬態語辞典』には,
くま蝉の鳴声,
液体が勢い良く流れ出る音,
かすれる漢字の鋭い音,
と並んで,
厚顔無恥なこと,
という意味が並ぶ。なぜ,そういう意味になったかは分からない。
じゃあじゃあ,
と濁ると音が大きくはなるが,厚かましいという意味は消える。水音と関係があるのだろうが,「蛙の面にしょんべん(水)」なら,「しゃあしゃあ」ではなく,「じゃあじゃあ」なのだが。『大言海』は,「しゃあしゃあ」について,三項に分け,
水を洒(そそ)ぎかくるに云ふ語。蛙の面に,水をしゃあしゃあかけると云ふは,平気の状に云ふ語,
多量に水を洒(そそ)ぎかくる音に云ふ語,
厚かましくて,恥を思はざるに云ふ語,
と意味を載せる。この説明から見ると,「しゃあしゃあ」と「蛙の面に水」とは関係があるのかもしれない。
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/12si/syasya.htm
には,
「しゃあしゃあとは厚かましく羞恥心のないさまを意味し、多くは『と』をつけ『しゃあしゃあとやってくれたものだ』といった形で使われる。意味だけで捉えると悪いイメージが強いが、嫌みまじりの褒め言葉(憧れ)として用いられる場合もあり、特に悪いイメージ(憎悪)を強調する場合には『いけしゃあしゃあ』が用いられる。また、しゃあしゃあは平仮名表記の他に漢字表記の『酒蛙酒蛙(酒酒)』やカタカナ表記の『シャアシャア』がある。ただし、漢字表記はほとんど使われなくなっている。」
とある。『大言海』には,「水を洒(そそ)ぎかくるに云ふ語」の場合は,当てていないが,厚かましい意の時だけ,「しゃあしゃあ」に,
洒洒,
の字を当てている。
参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「ぬけぬけ」は,
抜け抜け,
と当てるが,「しゃあしゃあ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%91)と似た意味で,
厚かましい,
意味だが,由来は少し違う。『広辞苑』には,
次第に列を離れてゆくさま,ひそかに逃れ出るさま,
という意味があり,その上で,
巧みに言い抜けをするさま,
知って知らないふうをする,
しらじらしいさま,
厚かましいことを平気でするさま,
愚鈍で,他に欺かれるさま,
とあるので,明らかに,
蛙の面に水,
と「しゃあしゃあ」という擬音語と繋がりそうな,「しゃあしゃあ」とはどこか違う含意がある。『大言海』には,
ぬけぬけと,
で載り,
鉄面皮なる状に云ふ語,
の前に,
他に謀(たばか)られて,智の足らぬ状に云ふ語,
とある。例を見ると,
「大将は,ヌケヌケトしなされ」(盛衰記),
「ヌケヌケト判官に相続きていく」(同),
が載り,相手に「ぬけぬけ」としてやられる,という状態を指す。『岩波古語辞典』を見るともっとはっきりする。
目立たないようにこっそりと抜け出す(「先駈けの兵(つわもの)ども,ぬけぬけに赤坂の城へ向かって討死する由」(太平記)),
いかにも抜けているさま(「虯(きゅう)ぬけぬけとして帰りぬ」(沙石集)),
あつかましいさま,しはらばっくれているさま(「噓ばかりぬけぬけと云ふて」(難波鉦)),
と意味が載る。この意味の転換を,想像するなら,最初は,どうやら,
集団からそっと抜けでる状態表現,
であったと推測される。その場合,逃亡とは限らない,抜け駆けのために抜け出る,という意味もある。つまり,そこにれ背是の価値判断はない。しかし次に,それをされた側の,
知らんふりをするというか,平然とする,
という状態表現へと転化し(その場合必ずしも厚かましいという悪い意味だけではない),やがて,その状態の,
平然とした状態,
の価値表現へと変り,その主体の状態が,
愚かしく,
愚鈍,
と見えるという価値表現を挟んで,それをする相手へ転嫁して,相手の,
図々しい,
厚かましい,
と価値表現いう意味にシフトしていく,という感じであろうか。あるいは,功名を焦るにしろ,逃げるにしろ,集団を密かに抜け出る態度が,集団の正否を無視した,
厚かましさ,
という意味になったのかもしれない。もしこういう流れなら,最初は,いわゆる,
抜駆け,
の状態の表現だったのではないか。「抜駆け」とは,
「主将・部将の命令によって行動することが戦(いくさ)の不文律であるが,功を焦った武士の中には往々自分の判断で奇襲攻撃をすることがある。これを抜駆という。味方に悪影響のないときは,暗に功名と認められるが,抜駆行為によってかえって味方が敗れたり,討死する例が多いので,原則としては禁じられていた。それでも抜駆は軍記物にもよく出てくるのである。『太平記』笠置軍条にも,『高橋又四郎抜駆して独り高名に備へんとや思けん。纔(わずか)に一族の勢三百余騎を率して笠置の麓へと寄りたりけり』とあるが,後世は抜駆して功を立てても認められず,逆に罰せられることもあった。」
というもので,「ぬけぬけ」の意味の変化には,抜駆けへの功罪の変化が反映しているのかもしれない。戦国後期からの戦法そのものの変化という背景が想像できる。
『擬音語・擬態語辞典』には,「ぬけぬけ」について,
「室町時代には,おもに『ぬけぬけ』の形で,『人が集団からひそかに一人一人抜け出ていく様子』を表していた。『兵衛佐の郎従どもをば兼ねて皆抜け抜けに鎌倉へ遣わしたり』(太平記)。『日葡辞書』では『ぬけぬけに参る』を,『徐々にこっそりやってきた』と解説している。また,『ぬけぬけと』の形で,『間の抜けた様子・愚かな様子』の意味も表した。『子細を問へば返事もせず。ぬけぬけとぞ見えける』(沙石集)。ともに『抜ける』から派生した語であった。現代と同じ意味になるのは江戸時代からで,愚かな人が他人を気遣わないで行動するところから派生したのだろう。」
とある。しかし,
「愚かな人が他人を気遣わないで行動するところから派生したのだろう。」
とは,如何であろうか。なお,江戸時代には,「ぬくぬく」で「ぬけぬけ」の意も表した,とするが,『江戸語大辞典』には,「ぬけぬけ」も載らない。
参考文献;
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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「ぬくぬく」は,
温温,
と当てる。
あたたかいさま,
という意味の他に,
不自由ないさま,
平気なさま,ずぶといさま,
という意味がある。『岩波古語辞典』には,
ずうずうしいさま,
できたてのさま,
の意味が載る。「できたてのさま」は,「あたたかい」状態を示している別の言い方である。「ぬけぬけ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%91)
で触れたように,江戸時代,「ぬくぬく」は,
ぬけぬけ,
の意を表し,
「この孫右衛門をぬくぬくとだまし」(浄瑠璃・心中天の網島)
という用例がある(『擬音語・擬態語辞典』)。
温温,
を,
おんおん(をんをん),
と訓ませると,
人の性質がおだやかなさま,
ぬくぬくとしてあたたかそうなさま,
という意味だが,「温」を,
ぬく,
と訓むと,
遅鈍なものを罵って言う語,のろま,
という意味になる。たとえば,
「其処なぬくめ」(浄瑠璃・鑓の権三重帷子)
という使い方になる。
ぬく助,
ぬく太郎,
という言い方もする。
「ぬく(温)」は,
「形容詞ヌクシの語幹」
で,
ぬく(温)し(ぬくい),
は,『岩波古語辞典』には,
あたたかい,
意味しか載らないが,『広辞苑』には,
(近世上方方言)遅鈍である,おろかしい,
という意味が載る。逆に,『江戸語大辞典』には,「ぬく(温)」で,
お人よし,まぬけ,鈍物,
の意味しか載らない。『擬音語・擬態語辞典』には,
「室町時代に現れる語。『温柔家は,ぬくぬくやわやわとした処ぞ』(四河入海)。『ぬく』は『温』の意味があり,温まる意の『ぬくむ』『ぬるまる』,温かい意の『ぬくい』などと関係がある。『ぬく麦』は冷や麦に対する温かい麺類。『ぬく飯』は冷や飯に対する炊き立ての飯。」
とあるが,「ぬく」が,
のろま,
の意味になった謂れは分からない。ただ,「ぬくぬく」の意味の中に,
寒いときに布団に入ったり服を着たりして身が温かい様子,,
温かいところで大事に育てられたように,苦労しないで気楽に過ごしている様子,
他人を出し抜いて苦労しないで利益を得る様子,
と,「ぬくぬく」の含意を丁寧に説明する。これで,『日本語源広辞典』の言う,
温かい状態→不自由のないめぐまれた状態→平気で図々しい様子,
と転じていく流れが見える。キーになったのは,江戸時代の,「ぬく(温)」の,
のろま,
お人よし,
という罵り表現で,これを挟んでみると,
温かい状態→不自由のないめぐまれた状態→お人よし→のろま→平気で図々しい様子,
と,意味が,単なる状態表現から,それの価値表現へ展示。その価値が貶められていくという様子が想像できる気がする。
ところで,『甫庵信長記』に,信長の言葉で,浅井(長政)氏を指して,
「大ぬる者」
と評する文章がある。
「彼の大ぬる者の浅井が所存にては,両城(上洛の途次の観音寺城と箕作城を指す)何れもやはうけ候べし」
「大ぬる者」とは,「ぬるい」の「のろい」「機敏でない」「頼りない」の意味があり,当てにならないという含意である。「ぬる(微温)い」の含意は,「ぬく(温)」の意味と通ずるところがあるようである。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「油断」というのは,
気を許して,注意を怠る,
という意味だが,『広辞苑』には,「涅槃経」が出典と載る。『デジタル大辞泉』には,具体的に,『北本涅槃経』二二として,
「王、一臣に勅す、一油鉢を持ち、由中を経て過ぎよ、傾覆することなかれ、もし一滴を棄せば、まさに汝の命を断つべし」
からという。しかし,
一説に「ゆた(寛)に」の音変化とも,
とも載る。この涅槃経説は根強く,
http://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/04/150.html
にも,
「大般涅槃経という仏教の経典の漢訳本には、以下の一節があります。
『王勅一臣、持一油鉢経由中過、莫令傾覆、若棄一滴、当断汝命』
王が臣下に油を持たせて通りを歩かせ、一滴でもこぼしたら命を断つと命じる。という話です。この故事の「油をこぼしたら命を断つ」というところが『油断』の語源となっているという説があります。つまり『断つ』のは『油』ではなく命のほうなのです。
また一方では古い表現の『寛(ゆた)に』が変じたものであるとする説もあります。『ゆたに』は、ゆっくりしている様子を表す語で、現代語では『ゆったり』に対応しています。また、四国地方の一部の方言では、まさに『ゆだんする』で『ゆったりする』という意味を表すところがあります。
つまり『油断』という表記に関しては涅槃経を語源とする説に一理あり、『ゆだん』という音に関しては『寛に』を語源とする説に一理あるということで、そのどちらであるかは今のところ判然としていないようです。」
とある。あるいは,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B2%B9%E6%96%AD
には,
「未詳。日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語。以下所説を列挙するが確たるものはない。
『北本涅槃経‐二二』の油鉢をめぐる話より。(『松屋筆記‐八〇・三五』『和訓栞』等)
「寛ゆたに」の音便化。
比叡山延暦寺根本中堂に灯される法灯は、開祖最澄の頃から消さないよう油を足し続けており、この油が断たれること無いよう戒めたことに由来。」
ともうひとつ,延暦寺の法灯説まで加わる。しかし,絶え間ないという意味の法灯と油断とはつながらないし,「のんびり」と不注意を繋げるのも少々無理筋に過ぎる。「持一油鉢経由中過」からとする「油断」も,不注意とつなげるのはこじつけにすぎないのではないか。しかも,
日本以外の漢字文化圏では通用しない漢熟語,
というのは,出典自体からこじつけて引っ張ってきた,と見えなくもない。『日本語源広辞典』は,やはり,
「中国語で,『仏語,涅槃経,王臣が油を覆したら,罰として生命を断たれた』が語源です。注意を怠る意です。万葉語,由多爾,ユタニ(ゆったり,のんびり)と混淆したか,とおもわれます。」
とする。しかし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/yu/yudan.html
は,
「油断は、有力とされる語源が二説あり、ひとつは『北本涅槃経 二二』の『王が臣下に油を
持たせて、一滴でもこぼしたら命を断つと命じた』という話から、『油断』の語が生まれ たとする説。
もう一説は、『ゆったり』『のんびり』という意味の古語『寛に(ゆたに)』が音韻変化したとする説。
『北本涅槃経
二二』説が正しければ、『ゆだん』の漢字表記は全て『油断』となるはずであるが、数々の漢字が用いられているため考え難い。『ゆたに』が音変化し,『ゆだん』となったとする説は、用例が見当たらないため確定は出来ないが、四国の一部地域では『ごゆっくりしてください』という意味で『ゆだんなされ』というところもあり、やや有力な説といえる。
その他、行灯などの油の準備を怠ったために夜中に油が切れ、敵に襲われ命を落とすことから『油断』になったとする説もあるが、他の漢字が用いられたことが考慮されておらず、そのような文献も見られないため、漢字に当てはめて作られた後世の俗説と考えられる。」
と,「ゆたに」の音変化説を取る。『大言海』も「油断」の字を,当て字と断定する。
「當字(あてじ)なり,これは万葉集,十二,四『かくばかり,戀ひむものぞと,知らませば,その夜は由多爾(ユタニ)あらましものを』(早く起きて帰りしを悔む)この寛(ユタ)ニが,今もゆったりと云ひて,遺りてあり。ユダンは,即ち,このユタニの音便なり。今も土佐國にては,客来たり談じて,暇を告ぐれば,主,御ユダンナサイマセと云ふ(東京にて,御ユックリなり)。古言を存せり。ユックリがオコタリの意に移れるなり」
と,「ゆたに」説に軍配を上げる。そして,こう付記している。
「油断を當字にすること,古くよりの事にて,その語原も,涅槃経の油鉢に起これりとして,誰も疑いもせず。涅槃経,廿二『王敕一臣,持一油鉢經申中過、莫令傾覆、若棄一滴、當断汝命』とある油鉢の油(ゆう)と生命を断つの断とを拾ひ摘みて油断の語を捏造せるものなり。言語道断ならずや」
と手厳しい。『日本語源大辞典』も,「ゆだん」の表記が,
「古辞書に種々の漢字表記が見られること」
から,疑問を出し,さらに,万葉に例が見られる,「ゆたに」説も,
「上代,中古に用例が見当たらない」
として,疑問符をつけている。要は,「油断」という当て字からの後解釈だということだ。しかし他の当て字も使われているため,その説はちょっと立つ瀬がない。
つまりは,語源説の確定説はないということになる。金子拓氏は,「油断」について,戦国時代になって急に史料に多く登場するようになったとして,「北本涅槃経」説を否定して,こう述べている。
「『日本国語大辞典第二版』…に挙げられている用例は,延慶本平家物語に見える『ゆたむ』が最も古いものの,同時代の軍記物語に用例がなく,一般的ではなかったのではないかともされている。以下挙げられている用例は,『太平記』以降南北朝・室町時代以降のものばかりだ。
たしかに,東京大学史料編纂所が公開している古文書のデータベースを調べてみても,現在使われているような意味での用例は,平安時代・鎌倉時代にはまったく見られない。室町時代以降,このことばを用いる文書が格段に増える。
さらに戦国時代になると,ふだんやりとりされる書状のなかに,常套句とも言えるほど頻繁に登場するようになる。」(『織田信長 不器用すぎた天下人』)
油断あるべからず候,
油断あるまじく候,
等々。気のゆるみが命取りになる戦国時代ならではの用例なのかもしれない。つまり,室町前後から使われ出した言葉,ということになる。となると,万葉ゆらいの「ゆたに」も涅槃経説も消える。
『日本語の語源』は,例によって,音韻変化を独自に主張する。
「『一切の処置を人に任せる。一任する。委任する』という意味のユダヌ(委ぬ)は,その連用形のユダネ(委ね)がユダン(油断)に転音した。〈夜軍(いくさ)はよもあらじ。夜あけて後ぞ軍はあらんずらんとて,ユダンしたりける所に〉(平家)は,『気を許すこと。うっかりすること。不注意』の意である。さらに『怠ること。怠慢。なおざり』に転義した。〈前々のごとく奉公にユダンあるまいと言うて,少しも怠りなう仕へた〉(伊曾保)」
これに心情的には軍配を上げたくなる。
参考文献;
金子拓『織田信長 不器用すぎた天下人』(河出書房新社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「おずおず」は,
怖ず怖ず,
と当てて,
怯えたり自信がなかったりしてためらうさま,
おそるおそる,
という意味である。
怖ず(動詞「おず」の終止形),
を重ねた,つまり,
恐怖の繰り返し(『『日本語源広辞典』)
である。『古語辞典』には,
おづおづ(怖づ怖づ),
で載る(現代仮名遣いと同じく,旧仮名の「オヂ」の終止形を重ねたもの)。この「おずおず」は,「おめおめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%8A%E3%82%81%E3%81%8A%E3%82%81)
で触れたように,『擬音語・擬態語辞典』の,
「気後れする,怖れるという意味を持つ『怖(お)む』の連用形を重ねた語である。同義の『怖ず』から『おずおず』という語ができたのと同じ作り方で,『おめおめ』の方が後にできた語といわれる。」
『語源由来辞典』は,
http://gogen-allguide.com/o/omeome.html,
「おめおめ」の項で,
「『怯む』『臆する』などを意味する動詞『怖む』の連用形『おめ』を重ねた語で、『怖づ怖づ( おずおず)』よりは新しい語とされる。
鎌倉時代の軍記物語『保元物語』では、相手の威力に恐れて気おくれする意味で、『景能おめおめとなりて』と使われている。この用法は、現在でも使われる『今さらおめおめと帰れない』と似ている。やがて、『臆することではあるけれども』といった意味合いから、『恥じるべきと解っていながら』の意味に転じた。『平家物語・志度合戦』では、恥ずかしげもなく平気に見えるさまの意味として、『おめおめと降人にそ参りけれ』と使われている。」
とあり,「おめおめ」の含意の最初の,
相手の威力に恐れて気おくれする,
という意味であったとされる意をそのまま受けていることになる。『擬音語・擬態語辞典』には,
「古語の『怖づ』(『恐れる』の意)という動詞を二つ重ねた語。同じ動詞を二つ重ねるとその動作が継続した状態を表す。平安時代から用例が見られる。」
とある。類義語の,
おどおど,
は,
「オヅオヅの転」(『広辞苑』),
「おづの変形オドを重ねた語(『擬音語・擬態語辞典』),
だが,転訛したことで,同時に意味が少しスライドする。『広辞苑』には,
不安や怖れで挙動が落ち着かないさま,
おじおじ,
と,「おずおず」が,
おびえや,ためらい,
の心情表現だとすると,「おどおど」は,どちらかというと,
落ち着かない,
という状態表現になっている。「おじおじ」は,
怖じ怖じ,
だから,
恐る恐る,
で,「おづおづ」の現代表記に近く,一回りして,
おづおづ→おじおじ→おずおず,
と,「おずおず」に意味が戻っている。つまり,
こわごわ(恐々),
とか,
恐る恐る,
とか,
おっかなびっくり,
とか,
びくびく,
とか,
ひやひや(ヒヤヒヤ)
という意味と重なってくる。
「おずおず」と「おどおど」の意味の差について,『擬音語・擬態語辞典』は,
「『おずおず』は,ためらいがちながらも行動に移す様子を表し,落ち着きがない様子は表さないのに対し,『おどおど』は怯えて落ち着きのない状態表現そのものを表す。また,『おずおず』は直接(または『おずおずと』という形で)動詞を修飾する語として用いられることが多いが,『おどおど』は多くは『おどおどする』というサ変動詞で用いられる。」
あるいは,
「『おずおず』はおびえてはいるが『おどおど』のような落ち着きのなさは感じられず,怖れをこらえて行動する様子を表す。
それに対して,『おどおど』は,おびえるあまり何かを行うことができない様子を表すことも多い。」
と対比する。因みに,「恐る恐る」は,
「『恐れる』の古い形『恐る』を重ねた形で『おずおず』と同じ構造。意味も似るが,…『恐る恐る』の方が恐れる気持ちが強い。」
とある。恐れる気持ちからすると,それで次の行動が取れそうもない「おどおど」が一番強く,
おどおど→恐る恐る→おずおず ,
という順になろうか。ま,程度の問題だが。
参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「すごすご」は,辞書によっては(『デジタル大辞泉』『大言海』),
悄悄,
と当てるものがある。『広辞苑』は,この字を当てていないが,
「失望し,また,興ざめて立ち去るさま,がっかりして元気のないさま」
の意味が載る。『大言海』は,
「興,醒めて,草々に去る状,物気なく,逃げ帰る状などに云ふ語」
とある。
そこそこ,
こそこそ,
しおしお(しほしほ),
等々が類義語のようだ。『大辞林』には,
悄悄,
と当てて,「すごすご」以外に,
しょうしょう(せうせう),
と読ませて,
元気のないさま,
静かなさま,
の意を載せる。『大言海』は,「せうせうと」の項で,
「萎萎(しおしお)と,憂ふる状に云ふ語,悄然と」
と意味を載せる。どうやら漢字「悄」の字から来たものらしい。「悄」の字は,
「肖(しょう)は,小さく細く素材を削って似姿をつくることで,小と同系。悄は『心+音符肖』で,細く小さく,しょんぼりとした気持ちになること」
なので,「悄悄」は漢字由来と考えていい。
「すごすご」は,『擬音語・擬態語辞典』によると,
「それ以前には旺盛であったはずの元気や勢いをなくして,小さくなっていく様子。また,落胆してさびしげな感じをいう時にも用いる。」
とあり,
「何かに挑んだが,何ものかに阻まれて力及ばず,思い通りの結果が出せなないままに引き下がってくる時の意気消沈した感じに用いられる。」
とある。
「鎌倉時代から用例がある。現代と同じく落胆している様子のほか,一人でいる様子をも表した。室町末期の『日葡辞書』でも,『すごすごと』は,『物寂しくしているさま,または,ただひとり居るさま』と説明されている。」
とある。
「維行(これゆき)力及ばずしてただ一騎スゴスコとぞ控えたる」(保元物語)
の用例が,『岩波古語辞典』に載る。語源ははっきりしないが,擬態語の気配である。類義語,「しおしお(しほしほ・しをしを)」は,
萎萎,
と当てる例もあるが,
しとしとと濡れるさま,涙・雨などについていう,
とあり,どうやらその状態表現が転じて,というか,その状態をメタファに,
悲しくさびしそうなさま,悄然,
に意味を広げていったと見える。当然,
しおたれる(塩垂れる・潮垂れる),
という言葉が類推される。「塩垂れる」は,『広辞苑』には,
塩水に濡れて雫が垂れる,
転じて,涙で袖が濡れる,
さらに意味が転じて,
元気がない様子になる,
という意味になる。とあるが,『岩波古語辞典』には,
雫が垂れる,ぐっしょり濡れる,
涙にくれる,
みすぼらしい様子になる,貧相に元気のない様子になる,
の意味を載せる。「塩(潮)」は当て字ではないか。「しおたれる」に似た「しおれる」について,『日本語源広辞典』は,
「シホル(生気を失う)の下二段口語化」
とある。「しほる」は,
しをる,
しをれ,
であり,『岩波古語辞典』には,
「植物が雪や風に押されて,たわみ,うなだれる意」
とある。『大言海』は,
「撓ひ折る意か,或いは荒折(さびを)るるの約かと云ふ」
とある。つまり,
しおれた,
という状態表現なのである。このあたりが「しおしお」の由来と思われる。『擬音語・擬態語辞典』には,
「『源氏物語』の『しほしほと泣き給ふ』の『しほしほ』は,涙に濡れる様子を,江戸時代の女房詞『しほしほ』は涙の意を表した。室町末期の『日葡辞書』の『しをしを』には,『人が力をおとしたり,意気消沈したりして萎れるさま』とある。
『しおしお』は,草木などが生気を失う意を表す『しをれる』の『しを』と関係がある。」
とし,「すごすご」「しょぼしょぼ」と「しおしお」を対比して,
「『しおしお』は元気なくしおれるような様子を表すのに対して,『しょぼしょぼ』は元気なく寂しそうで,しぼむような様子。『すごすご』は,目的が達成できず元気なくその場を立ち去る様子を表す。」
としている。「すごすご」には,その萎れた状態に至る背景がうかがえるだけ,「しおしお」よりはまし,ということか。ついでに,類義語「しょぼしょぼ」「しょんぼり」に触れておくと,「しょんぼり」は,
気落ちして沈んでいる様子,
だが,『日本語源広辞典』によると,
「しょぼしょぼ(擬態語)+り(副詞化)」
とあるし,『大言海』には,
「ションバは,ショボショボの,ショボの音便化」
ともある。つまりは,「しょんぼり」は,「しょぼしょぼ」から転化した語ということになる。今日も,
しょぼい,
しょぼくれる,
という言い回しの中に生きている。
で,「しょぼしょぼ」は,『擬音語・擬態語辞典』には,
雨が弱々しく陰気に降り続けること(古くは「そぼそぼ」と言った),
木や髪,髭がまばらに生えていて,みすぼらしい様子,
疲労・眠気・涙・まぶしさ・心労・老化などのために,目を見開いていられず,力なくまばたきをする様子,
体力や気力が衰えて,弱々しく哀れな様子,
と,この派生語の,
しょぼん,
しょんぼり,
と比較すると,
「『しょぼん』は,『しょぼしょぼ』よりも急に,勢いや元気をなくす様子,『しょんぼり』は『しょぼしょぼ』よりもはっきりと気持ちのおちこみが外側に現われている様子」
なのだという。「すごすご」も「しおしお」も「しょぼしょぼ」も「しょんぼり」も,言ってみれば,
悄然,
の一言で尽きる。しかし,擬態語の豊富さは,その状態を具体的に示すのに利はあるということがよく分かる。
参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「こそこそ」は,『広辞苑』には,
知られては困ることを気づかれないように行うさま,
気づかないほど静かな音のするさま,
くすぐるさま,
の意味が載るが,『大言海』には,
狐鼠狐鼠,
と当ててこうある。
「擬態語なり」
静かに音のするに云ふ語,
忍びて,ひそひそ,こっそり,
と意味が載る。恐らくは,
静かに音のする,
という擬音語というか,そのさまを示す,擬態語という状態表現から,価値を含意する,「忍んでする」という価値表現へと転じた,というのが想定されるので,『大言海』の意味の並べ方が正確に思える。『日本語源広辞典』には,
「コソ(擬態語 かすかな)のくりかえし」
とある。確かに,『岩波古語辞典』には,「こそこそ」は載らないが,
こそつかし,
というサ変動詞が載る。これは,
「こそ」+「つかす(尽かす)」
と考えられる。意味は,
こそこそと音を立てる,
で,
松風にこそつかせたる紙子かな」(初蝉)
の用例が載る。「こそこそする」という意味の使い方は,
「にくみもするすぢのこそこそとうせぬる上は」(愚管抄)
にある。『岩波古語辞典』には,類語「ひそひそ」も,
ヒソを重ねた語,
とあるので,「ひそ」も,擬態語と想像される。同じく類語「こっそり」は,
「こそ」+り,
の促音化と想像できる。「り」をつけて様子を表す言い回しは,
「ひっそり」「ぼんやり」「のんびり」「うんざり」「うっとり」
等々がある。
『擬音語・擬態語辞典』は,「こそ」「こそっ」「こそり」「こっそり」を並べて,
「『こそ』『こそっ』は,『こそこそ』よりも行動がひそかで,かける時間も短い様子。『こそ』の方が『こそっ』より古い形。江戸時代,内密の株取引を『こそ株』,内密の部屋を『こそ部屋』といった。『こそり』『こっそり』は,全く目立たぬ様子。『こそり』の方が,『こっそり』より古い。さらに古い形は,『こそろ』。『背に刀さしながら,蛇はこそろと渡りて,むかひの谷に渡りぬ』(宇治拾遺物語)」
と意味を比較している。なお,江戸時代には,「こそこそ」のつくいろんな言い方があったらしく,
「男女の密通を『こそこそちぎり』,密会する宿を『こそこそ宿』,などというのが浄瑠璃にある」
とある。「コソ泥」の「こそ」も,「こそこそ」の「こそ」である。
「ひそひそ」と「こそこそ」について,やはり,『擬音語・擬態語辞典』は,
「『こそこそ』は他人に知られないように動作を行う様子。『ひそひそ』が話す様子に限られるのに対して,『こそこそ』は広く動作一般に用いる。『ひっそり』は,物音がせず静まり返っている様子。『こっそり』は『ひっそり』の類義語で,人目につかない静かな動作を行う様子。」
とある。「こそこそ」「こっそり」は,擬態語で,視覚的。「ひそひそ」「ひっそり」は,状態表現で,聴覚的と言っていい。
「ひそひそ」は,
ひそかに,
の「ひそ」で,
潜む,
潜める,
は,この擬態語から派生した。「ひそひそ話」「ひそひそ声」等々とも使う。これは,
「室町時代から見られる語」
という。「ひそひそ」は,
「かつては,『ひそびそ』」
とも言ったという。「ひそひそ」より,「ひそびそ」の方が,
しーん,
とした印象を受ける。
ひそめく,
ひそか,
ひそけく,
の「ひそ」も,擬態語から来ている。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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「そわそわ」とは,
気がかりなことがあって言動が落ち着かないさま,
の意で,明らかに,擬態語である。『擬音語・擬態語辞典』は,もう少し具体的に,
「気にかかることがあって落ち着かない気持ちでいる様子。…また,落ち着かない気持ちが動作に表れて,浮足立った動作をする様子。」
と説明する。かつては,「そわそわする」と似た意味で,
そわつく,
そわそわしい,
という言い方もしたようだが,江戸時代から見える語,という。
「此の比はそはそはと何も手に付かぬと見た」(『冥途の飛脚』)
室町末期の『日葡辞典』には,
ろりろり,
という語が,
「不安などで落ち着かなかったりうろたえたりする様子」
の意で載っている,という。億説かもしれないが,「そわそわ(旧仮名そはそは)」は,
さわ(騒)ぎ,
と関わるのではあるまいか。『日本語源広辞典』は,「騒ぐ」は,
「さわ(擬音)+ぐ」
とする。『擬音語・擬態語辞典』の「さわさわ」の項で,「さわさわ」は,
「軽いものが比較的穏やかに触れあう時の音。微風によって葉が揺れる時の音を示すのによく使われる。」
とあるが,
「古くは,騒々しい音を示す用法(現代語の『ざわざわ』にあたる)や,落ち着かない様子を示す用法(現代語の『そわそわ』にあたる)もあった。」
とあり,やはり,
「『さわさわ』の『さわ』は『騒ぐ』の『さわ』と同じもの」
であり,「そわそわ」と似た用法があった背景がある。現に,『岩波古語辞典』の「さわさわ」は,
騒々,
と当てて,
「サワキ(騒)のサワと同根」
として,
「騒がしく音をたてて動き回るさま」
の意である。その状態表現に,価値が加われば,それ自体があまり外見のいいものではないという価値表現へとシフトしたということは,当然あり得る。
Sawasawa→sowasowa,
の音韻変化とともに,より価値表現が強化された表現に転じたというふうに見られるのではないか。「そわそわ」に,「騒々」の,騒がしさや落ち着きなさ,をシフトさせることで,「さわさわ」が穏やかな風の音へと,意味を純化させた,ということではないか。
ところで,「そそっかしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%9D%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84)
で触れたように,
「そそ(噪)き」
という語があり,『岩波古語辞典』には,
「ソソは擬態語。そわそわ・せがか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて動詞を作る接尾語。カガヤキ(輝)・ワナナキ(震)のキに同じ。」
とある。『日本語源広辞典』は,
「ソソク(事を急ぐ)の形容詞,ソソカシの変化」
とし,「そそくさい」も,
「ソソ(急ぐ)+クサイ」
で,同源とする。「そそくさ」という言葉があるが,これも,
「ソソ(そわそわ)+クサ(落ち着かぬさま)」
としている。「そそくさ」は,一見,擬態語に見えるが,
「せわしなくする意を表す古語の『そそく』『そそくる』と関連する」
と,『擬音語・擬態語辞典』には載る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/so/sosokkashii.html
も,
「そそっかしいは、『そそかし(い)』を促音化し、強調した語である。『そそかシ』は、『取り急ぎ事をする』という意味の自動四段動詞『そそく』が形容詞化した語で、『そそく』は
、『慌てる』『そわそわする』という意味の自動四段動詞『いすすく』に由来する。
そそっかしいは落ち着きないさまが本来の意味であるが、そこから発展し、『不注意だ』『軽率だ』という意味も含まれるようになった。
古くは、そそっかしいと同系列の形容詞『そそこし』『そそかはし』などがあった。」
とする。『大言海』は,「そそく」について,
「ソソクは,噪急(そそ)くの義。イススクの上略転」
としている。『岩波古語辞典』は,「そそき」に,
噪き,
を当て,
「ソソは擬態語。そわそわ・せかせか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて,動詞を作る接尾語。カカヤキ(輝)・ワナナキ(震)のキと同じ。ソソキ(注・灌)とは別音の別語。」
としている。どうやら,擬態語,
ソソ,
から,
ソソキ,
が生まれ,
そそっかしいとなったものらしい。この「そそ」の,状態表現から価値表現へのシフトと,「さわ」の状態表現から価値表現へのシフトは,どうやら相似的に重なるようである。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「めぐむ」は,
恵む,
恤む,
と当てる。当てている「恵(惠)」の字は,
「惠の上部は,まるい紡錘(糸巻きの輪)を,ぶらさげたさま。惠は,それと心を合わせた字で,まるく相手を抱き込む心をあらわす」
とある。まさに,「めぐむ」で,
温かくいつくしむ,
相手を温かく抱き込む思いやり,
という意味である。「恤」の字は,
「血は,全身くまなく巡る血のこと。恤は『心+音符恤』で,心をすみずみまで思いめぐらせること」
で,
気の毒な人に思いを巡らす,
情けを巡らす,
という意味になる。「めぐむ」に丸めれば同じだが,「恤」は,どちらかというと,「あわれむ」で,上から目線である。『広辞苑』の「めぐむ」は,
情けをかける,憐れむ,恩恵を与える,
あわれに思って物品を与える,施す,
という意味が載るが,
相手をあわれに思う→施す,
と,いずれも,「あわれむ」の含意で,単なる心情表現から,その心情を行動に表す意味へとシフトしている,と見える。しかし,『岩波古語辞典』を見ると,「めぐみ」の項で,
「メグシと同根。眺めるのに耐えない意から,憐憫を催す意。進んで,相手に恩恵を与える意。類義語ウツクシミは,肉親や小さいものへの愛情を感じる意。」
とあり,「めぐし」をみると,
愛し,
愍し,
と当て,
「メは目。グシは,ココログシのグシで,苦しい意」
とある。「めぐし」は,
見るも切ないほどかわいい,
の意から,
見るに堪えない,いたわしい,
と,「せつない」意味が,
かわいい→いたわしい,
へとシフトしている。そして,「めぐみ」は,
(神仏・天皇などが,人々のために)心を砕きいつくしむ,
憐れんで助ける,
物を施し与える,
と意味がシフトしている。どうやら,もともと,「めぐむ」には,
上から目線,
であり,本来は,
救恤,
といった言い方をする,「恤む」の当て字が,本来なのかもしれない。それが,目線が下がり,対等以下の相手へと移ることで,
あわれむ,
という意味へとシフトし,それが,
施す,
という行動へとひろがったという流れに見える。
さて,「めぐみ」の語源については,『語源由来辞典』,
http://gogen-allguide.com/me/megumi.html
は,
「めぐみは、『いとおしい』『かわいい』を意味する形容詞『めぐし(愛し)』が動詞化した『 めぐむ(恵む)』の名詞形。
『めぐし』の『め』は『目』、『ぐシ』は『心ぐし(心苦しい)』と同じく 、『痛々しい』『切ない』の意味。
『目に見て痛々しい』『気がかりである』というのが『めぐし』の本来の意味で、そこから『切ないほどかわいい』『いとおしい』の意味が派生した。『めぐみ(めぐむ)』も,派生する前の意味を含んだ語であるため、困っている人を哀れんで金品を与えることや、情けをかけることをいう。」
としている。たしかに,「めぐし」は,『日本語源大辞典』も言うように,
「『め』(目)と『心ぐし』の『ぐし』(苦しい)から成り,目にみて苦しい,気がかりであるが本義であり,ここから胸が痛むほどかわいい,いとしいの意も派生したと思われる。」
とあり,さらに,
「近世には,『めぐし』から転じた『めごい』があらわれ,ここから,メゴコイ・メンゴイ・メゲーの語形が派生した。『めんこい』は,このうちメゴコイ・メンゴイから変化した語形と見られる。」
とする。しかし「めぐし」に,
愛し,
だけでなく,
愍し,
の字を当てていた,ということは,「めぐし」には,ただ「気がかり」というだけでなく,「あわれむ」意もあったに違いない。「めぐし」から「めぐむ」が派生したことで,
めぐし→めごこい→めんこい,
と可愛い意が純化し,逆に,
めぐむ,
は,あわれむ意をより強化し,施す,という意を強化していったように見える。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/1793/meaning/m0u/
は,
「与える(あたえる)/授ける(さずける)/恵む(めぐむ)/施す(ほどこす)/やる/あげる/差し上げる(さしあげる)/くれる/くださる/賜る(たまわる) 」
を比較し,「めぐむ」は,
「困っている者を哀れんで、いくらかの金品をその者に移動し、所有させる意。『恵んでやる』『恵んでもらう』『恵まれる』などのように、授受の動詞をともなった形や受身の形で用いられることが多い。」
と,意味の純化が進んでいることを示している。
なお,「あわれむ」については,「あわれむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%82%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%80)「あっぱれ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%8C)
で触れたし,「いつくしむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%80)でも触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「たたかう」は,
戦う
闘う,
と当てる。漢字の違いを先に見ておくと,「戦(戰)」の字は,
「單(単)とは,平らな扇状をした,ちりたたきを描いた象形文字で,その平面でぱたぱたとたたく。戰(戦)は,『戈+音符單』で,武器でぱたぱたと敵をなぎ倒すこと。憚(タン はばかる)に通じて,心や皮膚がふるえる意に用いる。」
とある。ちなみに,「戈」は,「ほこ」の意で,
「とび口型の刃に縦に柄をつけた古代のほこを描いたもので,かぎ型にえぐれて。敵をひっかけるのに用いる武器のこと。後,古代の作り方と全く違った,ふたまたのやりをも戈と称する。」
という。「干戈」で,戦争の意となる。「鬥(トウ たたかう)」は,象形文字で,
「二人の人が手に武器をもち,立ち向かってたたかう姿を描いたもの」
で,「互いに譲らず,たたかう」という意になる。
「闘(鬪)」の字は,
「中の部分の尌(ジュ)は,たてる動作を示す。鬪は,それを音符とし,鬥(二人が武器をもってたち,たたかうさま)を加えた字で,たちはだかって切りあうこと。闘は,鬥を門にかえた俗字で,常用漢字に採用された。」
という。「鬪」と「戰」の使い分けには,
戰の字は,叩きあう義,
鬪の字は,勝をあらそふ義,
鬨の字は,ときの声をあげて戰ふ義,
という区別があるらしい。とすると,「たたかう」は,『広辞苑』によれば,
「タタ(叩)クに接尾語フのついた語」
とあるから,本来は,
戰,
の字を当てるべきなのかもしれない。「闘う」と「戦う」の区別は,今日,
「武力を用いて争う場合やスポーツなど,広く一般に『戦』を用い,利害の対立する者が争ったり,障害や困難に打ち勝とうと努めたりする場合は,多く『闘』の字を用いる。」
と,『広辞苑』にあるし,『大辞林 第三版』にも,
「『戦う』は“戦争する。勝ち負けを争う”の意。『敵国と戦う』『選挙で戦う』『優勝をかけて戦う』
『闘う』は“困難などを克服しようとする”の意。『労使が闘う』「難病と闘う」『暑さと闘う』〔ともに『格闘する・争う』意で用法も似ているが、『戦う』の方をより広義に用い、『闘う』は『格闘する』意に限定して、比較的小さな争いに用いられることが多い。また、比喩的に、見えないものとの精神的な争いにも『闘う』を用いる〕
あるので,勝負事は,「戦」の字,自分に打ち勝つ,格闘・闘争の場合は,「闘」の字,という用例らしい。どちらかと言えば,「闘」の方が,個人の姿勢を示している印象がある。
なお,『岩波古語辞典』にも,
「タタキ(叩)に反復・継続の接尾語ヒのついた語。相手を繰り返し叩く意。類義語アラソヒは,互いに我を通そうと抵抗し合う意。イサカヒは,互いに相手を拒否抑制し合う意。」
とあり,接尾語「ひ」についても,
「四段活用の動詞を作り,反復・継続の意を表す。例えば,『散り』『呼び』と言えば普通一回だけ散り,呼ぶ意を表すが,『散らひ』『呼ばひ』といえば,何回も繰り返して散り,呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アヒ(合)で,これが動詞連用形の後に加わって成立したもの。その際の動詞語尾の母韻の変形に三種ある。@〔a〕ちなるもの。例えば,ワタリ(渡)がワタラヒとなる。watariafi→watarafi。A〔o〕となるもの。例えば,ウツリ(移)がウツロヒとなる。uturiafi→uturofi。B〔ö〕となるもの。例えば,モトホリ(廻)がホトホロヒとなる。m
ö t ö f ö riafi→m ö t ö f ö r ö fi。これらの相違は語幹の部分の母韻,a,o, öが末尾の母音を同化する結果として生じた。」
と詳説を極めるので,決まりかと思いきや,そうはいかないらしい。まず,『大言海』は,
「楯交(たてか)ふの転。楯突く意と云ふ」
とある。『日本語源広辞典』は,
タタカ(叩くの未然形)+フ(継続反復),
タタ(盾)+交ふ,
の二説を挙げる。しかし,『日本語源大辞典』は,その他に,「叩く」系のバリエーションとして,
タタキアフ(叩合)(日本釈名・言元梯・和訓栞・国語の語幹とその分類・日本語原学・和訓考),
タタキカハス(叩交)(和句解・名言通),
等々がある。いずれにしても,「たたかう」には,漢字の,
戰,
鬪,
の両義があることが見えてくる。つまり,
叩き合う,
のと
干戈を交える,
のとの意味である。しかし,「かたな」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%AA)
で触れたが,
『日本語の語源』は,関連ある言葉の音韻変化を,次のように辿る。
「きっ先の尖った諸刃のヤイバ(焼き刃)をツラヌキ(貫き)といった。ラヌ[r(an)u]の縮約でツルギ(剣)になり,貫通・刺突に用いた。これに対して斬りつけるカタノハ(片の刃)は,ノハ[n(oh)a]の縮約でカタナ(刀)になった。上代,刀剣の総称はタチ(断ち,太刀)で,タチカフ(太刀交ふ)は,『チ』の母韻交替[ia]でタタカフ(戦ふ)になった。〈一つ松,人にありせばタチ佩けましを〉(記・歌謡)。平安時代以後は,儀礼用,または,戦争用の大きな刀をタチ(太刀)といった。
ちなみに,人馬を薙ぎ払うナギガタナ(薙ぎ刀)は,『カ』を落としてナギタナになり,転位してナギナタ(薙刀・長刀)に転化した。」
つまり,
「『太刀を交えて斬りあう』ことをタチカフ(太刀交う)といったのが母韻交替(ia)でタタカフ(戰ふ)となった」
とする説が,
叩き合う,
のと
干戈を交える,
の意を含み,しかも音韻変化の文脈を背景にするだけに説得力があるように思うが,どうであろうか。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「さめ」は,
鮫,
と当てるが,
ふか(鱶),
とも言う。さらに,古くは,
わに,
とも言った。
http://allfishgyo.com/266.html
には,
「昔は『サメ=ワニ』と呼んでいました。有名な話で、古事記に出てくる因幡の白兎では、ウサギがワニをだましたために、皮を剥がされてしまうという件があります。ここで出てくる『ワニ』とは『サメ』の事だといわれています。
今でも山陰地方付近では『ワニ』と呼んでいます。」
(『大言海』にも「山陰道にては,鮫を,和邇(わにと云ふ)」とあるが)さらに,
「中部地方から南では、サメの事をフカと呼ぶ地方があります。また、小さいサイズをフカと呼び、大きいサイズをサメというところや、全ての種類を鮫、凶暴なものをフカと呼ぶなど統一はされていません。いずれにしても、サメが正式名称で、フカは俗名です。」
としている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1045398340
では,
「天保年間の大阪江戸風流ことばあわせに『大阪にてふか、江戸にてさめ』という記述があり、フカはサメの地方名と考えられ、大阪文化の影響が色濃い中国、四国、九州地方ではフカと呼ぶことが多いようです。」
とある。『江戸語大辞典』には,「ふか」は,
「(鮫の)大型のもの」
とあり,地域によっては,呼び名が違う,というところでいいのかもしれない。
http://zatsuneta.com/archives/002057.html
も,
「フカは、サメのことである。関西では区別しないが、関東ではサメの中で大型のものをフカという。」
としている。しかし,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014316105
は,
「サメとフカは同じもので学術的にはサメと呼ぶのが正しいとのこと。東日本では普通はサメと呼び、特に大きなものをフカと呼ぶ。これが西日本ではまったく逆で普通はフカといい大きなものをサメというらしい。」
とあり,真偽は,聞いて確かめるほかはないが,「フカヒレ」の「フカ」といったように,いまは,特殊に「フカ」が残っているだけなのかもしれない。
「鰐」について,
http://www.nihonjiten.com/data/46586.html
は,
「古くは、出雲や隠岐島の方言でサメの大型の種類である鱶(フカ)や撞木鮫(シュモクザメ)を『ワニ(和邇)』『ワニザメ』と呼んだとされる。(ただし、それが実際の爬虫類のワニを指していたとも考えられる。)爬虫類のワニを目にし、ワニに鱶や撞木鮫の方言「ワニ」を当てたとする説があるが、当てた理由は不詳。他に、「ワニ」は、「海(ワタ)主(ヌシ)」が転じた説、大きい口の様子から「割醜(ワレニクキ)」の意が転じた説、「ワン」と口を開けることに由来する説などがある。これらの説が、爬虫類のワニを指したのか、中国から伝承された四足の魚を指しているのか不詳。漢字表記「鰐(ガク)」は、日本では古くから「ワニ」と訓読みされるが、それも実際の爬虫類のワニを指したかは不明。なお、「咢(ガク)」や異体字「噩(ガク)」は、おどろかす意を表す。」
としている。「鰐」の字が,もともと爬虫類を指していたとすれば,この字とともに,「ワニ」が入ってきたことはあり得るが,中国でも,インドシナ半島まで勢力圏に治めていた時代,そこには「鰐」が棲息する。「鰐」の実物を知っていた可能性はある。で,『日本語源大辞典』は,
「爬虫類のワニは日本近海では見ることがないので,上代のワニは日本近海では見ることがないので,上代のワニは,後代のワニザメ・ワニブカ等の名から。サメ・フカの類と考えられている。『新撰字鏡』『和名抄』では『鰐』にワニの訓を注するが,おそらく強暴の水棲動物として『鰐』の字が選ばれたまま,中国伝来の四足の知識が定着し,近世に至って爬虫類としての実体に接することになったと思われる。」
としている。
さて,「鮫」の字は,
「魚+音符交(まじわる,体をくねらせる)」
で,「さめ」を意味する。
http://zatsuneta.com/archives/002001.html
は,
「サメの漢字は、魚へんに『交』の『鮫』で、つくりの『交』は『交える』という意味で、『上下のきばを交え、むき出す魚』=サメとなった説がある。また、『鮫』は『刀の鞘(さや)の飾り』の意味もある。沙皮(さめがわ)は鞘や柄(つか)の飾りとして使用されたため、その皮を持つ魚に『鮫』の字が当てられたという説もある。他にも、サメは雌雄が体を交わらせて交尾をすることに由来する説もある。」
とある。確かに,『和名抄』には,
「鮫,佐米,魚河有文,可以飾刀剣者也」
とある。また,
http://www.nihonjiten.com/data/45614.html
も,
「『交』は、上下の鋭い歯を交える様からとする説、魚類の中では珍しく交尾をすることに由来する説がある。なお、中国語では『鯊』がサメ類を指す。」
とあるが,『漢字源』は,「鯊」の字について,
「『魚+音符沙(すな)』で,はぜのこと。また『魚+音符紗(さらさらしたうす絹)』。さめ皮が紗に似ているので,さめを言う。」
とあるので,単純には「中国語では『鯊』がサメ類を指す」とは言えないようだ。
「鱶」の字は,
「魚+養(栄養がある)」
で,干した魚の意味であり,「さめ」の意は,わが国だけの用法のようだ(『漢字源)。
http://zatsuneta.com/archives/002057.html
も,
「『鱶』は本来、魚の干物を意味する漢字である。つくりの『養』には『日に当てる』という意味があり、『日に当てた魚』=干物を指す。また、『鱶』の字は、サメが卵胎生(らんたいせい:メス親が卵を胎内で孵化させて子を産む繁殖形態)で『子を養う魚』に由来するという説がある。」
としている。
さて,「さめ」の語源について,『広辞苑』『大言海』は,
「狭目(さめ)の意」
とするが,諸説ある。
http://www.nihonjiten.com/data/45614.html
は,
「眼が小さいからから『狭目(サメ)』・『狭眼(サメ)』・『少々目(ササメ)』の意からとする説、『サ(接頭語)ミ(魚介の肉)』が転じた説、皮が砂(粒)のようにザラザラしていることから『沙魚(サミ)』・『皮目(カハメ)』、鮫肌の意・『寒体(サムミ)』に由来する説、斑紋があることから『斑魚(イサメ)』が転じた説など、他にも諸説ある。」
とし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/same.html
は,
「サメは,『狭目・狭眼(さめ)』の意味とする説が多い。しかし,サメの目は体に比べて小さいとは言えるが,狭い(細い)とは言えない。目の大きさを語源とするならば,一億分の一の単位を表し,非常に小さい粒を意味する『沙』で『沙目(さめ)』もしくは,『小目(さめ)』の方がよいであろう。目の大きさに関係ないとすれば,『メ』は魚につける指称辞として用いられる語であり,古くはクジラが『イサナ(磯魚)』と呼ばれていたことから,『イサメ(磯魚)』の上略とも考えられる。またアイヌ語でも,『サメ』は『サメ』『シャメ』と言い,アイヌ語が和語に入ることはあっても,和語からアイヌ語に入ることはないことから,アイヌ語説は有力視されている。ただし,アイヌ語から和語になった動物は,もともと寒い地域に棲息するものが多く,広域に棲むサメがこれに該当するとは言い切れない。『古事記』や『風土記』では,『サメ』が『ワニ』と呼ばれており,古く『ワニ』は『サメ』をさす言葉であったことがわかる。」
とする。ついでに,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/wa/wani.html
では「わに」については,
「元々,日本に生息 しない生き物であるが,上代からその名は見られる。
古代の日本では『サメ』に対して用いた呼称で,鋭い歯が並ぶ口や獰猛な性質が似ていることから,爬虫類の『ワニ』にこの名が用いられるようになった。語源には,その口から『ワレニクキ(割醜)』の意味や,心から畏れ敬うものの意味から『アニ(兄)』の転。『ワタヌシ(海主)』の略や,『オニ(鬼)』の転,オロッコ族の言葉で『あざらし』を指す『バーニ』など諸説あるが未詳である。」
としている。『日本語源大辞典』は,「さめ」語源諸説を並べている。
サメ(狭目・狭眼)の義(東雅・名言通・和訓栞・大言海),
ササメ(少々眼)の略(柴門和語類集),
サミからか。サは,接頭語。ミは,魚介の肉の意(日本古語大辞典),
鮫肌の意から,サムミ(寒体)の転(言元梯),
カハメ(皮目)がサラサラと粒だっているところから(和句解),
昼は眠り,夜に目をさますようであるところから,サメ(覚め)の義(桑家漢語抄,
鯊皮の音転か(和訓栞),
沙魚がシャメになり,サメとなった(たべもの語源抄引松村任三説),
刃物の義のサヒ(鋤)が変化したもの(白鳥庫吉),
アイヌ語のサメ,シャメから(西村真次・たべもの語源抄),
イサナ(磯魚)の一つとしてイサ(磯)メ(魚につける指称辞)と理解し,その省略形(語源辞典),
乱の義の「サマ」の転じた語(続上代特殊仮名音義),
等々。しかし語呂合わせを棄てると,やはり,「狭目(さめ)」を取る。小さなまん丸の目を,そう呼んだ,に違いない気がする。
「ふか」の語源は,
深いところにいるからフカ(深)の義か(東雅),
フカミウオ(深海魚)の下略か(動物名の由来),
の二説だが,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014316105
は,
「深(フカ)説 大型サメ類の多くが、沖合域の深いところに生息することから呼名されたものでは なかろうか。
鱶(フカ)説 魚類の多くは、卵生であるが、サメ類には卵生、卵胎生、胎生の3タイプがあり、
卵胎生が最も多い。このことから子を養う意味で呼名されたものではなかろうか。
斑魚(フカ)説 フカは、フ(斑)とカ(魚)からなる語で、本種の多くが、体表に斑紋があることより
呼名されたものではなかろうか。カはカジカのように魚を意味すると思われる。
と三説載せる。生態からも見て,「深いところ」というのが妥当な気がする。
で,「わに」の語源は,『日本語源大辞典』に,
その口の様子から,ワレニクキ(割醜)の義(名言通・大言海),
ワタヌシ(海主)の約か(たべもの語源抄),
アニ(兄)の転訛。畏敬すべきものを表す(白鳥庫吉),
オニ(鬼)の転(和語私臆鈔),
口を大きく開けて物を飲み込むところから,ウマノミ(熟飲)の反(名語記),
口をワンと開くところから(言元梯),
ツングースの一支族オロッコ族が海豹(あざらし)をいうバーニから(西村真次),
とあるが,『日本語源広辞典』の,
語源はワニ(擬態語,ワニワニ),
で,口を大きく開ける意,とする。擬態語説に惹かれるが,「わにわに」は,他にはどこにも載っていなかった。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)上へ
「うらなう」は,
占う,
卜う,
と当てるが,名詞形「うらない」だと,
占い,
卜,
となる。漢字「占」の字は,
「『卜(うらなう)+口』。この口は,くちではなく,あるものある場所を示す記号。卜(うらない)によって,ひとつの物や場所を選び決めること」
とある。「卜」の字は,
「亀の甲を焼いてうらなった際,その表面に生じた割れ目の形を描いたもの。ぼくっと急に割れる意を含む。」
これは,「亀卜(きぼく)」というが,
「中国古代,殷の時代に行われた占い。亀の腹甲や獣の骨を火にあぶり,その裂け目(いわゆる亀裂)によって,軍事,祭祀,狩猟といった国家の大事を占った。その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞,すなわち甲骨文字であり,卜という文字もその裂け目の象形である。亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが,次の周代になると,筮(ぜい)(易占)に取って代わられ,しだいに衰えていった。」(『世界大百科事典
第2版』)
ということらしい。なお,占いについては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E3%81%84
に詳しい。
さて,語源だが,『広辞苑』には,「うらなう」の
「ナウは『する』意」
とあるので,「『卜』をする」という意味になる,ということになる。『岩波古語辞典』には,
「ナヒは,アキナヒ・ツミナヒノナヒと同じ。事をなす意」
とあり,『大言海』にも,
「占(うら)を行ふ。罪なふ,商(あき)なふ,寇(あた)なふ」
と同じ例が載る。で,『日本語源広辞典』は,
「ウラ(心,神の心)+ナウ」
とし,『日本語源大辞典』は,「うら(占)を行う意」以外に,
ウラアフ(占合)の転(和句解・国語本義),
ウラアハス(裡合)の義(名言通),
ウラアフ(心合)の義(言元梯),
心の秘密を判ずること(国語の語幹とその分類),
ウラカナフ(後慣)の義(志不可起),
等々を載せる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/u/uranai.html
は,したがって,
「占いや占うの『占(うら)』は、『心(うら)』である。『心(うら)』は『表に出さない裏の心』『外面に現れない内心』の意味で、『うらさびし』といった言葉も占いと同様『心(うら)』からである。」
とする。当然,
http://www.yuraimemo.com/5176/
にあるように,
「裏心という言葉がありますが、すでに『心』自体にもともと『裏』という意味があったのですね。また、
うら恋し
うら悲しい
うらめしい
うらやましい
などという言葉もありますが、これらの「うら」もすべて「心(うら)」からきているのです。…お化けの常套句『うらめしや〜』は、『恨む』から『恨めしい』となりますが、本来の語源は、
『恨み』=『心(うら)』+『見(み)る』という成り立ちなのだそうです。…で、『自分に対する相手のやり方に不満をもちながらも、相手がどういう気持でいるのかを知りたくて、自分の不満をこらえている』というのが原義だともいわれる。」
と,「うら」の外延が広がっていく。となると,「うら」が問題になる。『大言海』は,「うら」は,
「事の心(うら)の意」
とする。で,「心(うら)」の項には,
「裏の義。外面にあらはれず,至り深き所,下心,心裏,心中の意」
とある。『岩波古語辞典』には,
「平安時代までは『うへ(表面)』の対。院政期以後,次第に『おもて』の対。表に伴って当然存在する見えない部分」
とある。で,「かお」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%8A)
の項でも触れたことがあるが,「うら(心・裏・裡)」の語源は,
「顔のオモテに対して,ウラは,中身つまり心を示します」
となる(『日本語源広辞典』)が,これだと,「うら=心」を前提にしているだけで,なぜ「ウラ」で「心」なのかがわからない。『日本語源大辞典』は,
ウは空の義から。ラは名詞の接尾語(国語の語幹とその分類),
衣のウチ(内)ラの意のウラ(裡)か(和訓栞),
ウラ(浦)と同義か(和句解),
の諸説を載せる。「ウラ(浦)」と同義」というのが気になる。「心」という抽象的な概念が,和語において,先に生まれたとは思えない。何かを表した言葉に準えて,「心」に当てはめたというのが自然だからだ。『大言海』は,
「裏(うら)の義。外海の面に対して,内海の意。或は,風浪和らぎてウラウラの意。船の泊する所」
とし,『日本語源広辞典』は,
「『ウ(海,湖)+ラ(ところ)』。海や湖で,陸地に入り組んだところ」
とし,『日本語源大辞典』は,
ウラ(裏)の義。外海の面に対して,内海の意(箋注和名抄・名言通・大言海),
ウチ(内)ラの意(和訓栞・言葉の根しらべ),
風浪がやわらいで,ウラウラする意(大言海・東雅),
ウ(上)に接尾語ラを添えた語であるウラ(末)の転義(日本古語大辞典),
ムロ,フロ,ホラ,ウロ等と同語で,ここに来臨する水神をまつり,そのウラドヒ(占問)をしたところから出た語(万葉集叢攷),
ウは海,ラはカタハラ(傍)から(和句解・日本釈名),
ウラ(海等)の義(桑家漢語抄),
ウはワタツの約,ウラはワタツラナリ(海連)の義(和訓集説),
蒙古語nura(湾)から(日本語系統論),
と諸説載せるが,「うら(心)」のアナロジーとして使うには,そういう意味が,「うら(浦)」に内包されていなくてはならない。とすれば,
外海⇔内海,
が,ぴたりとする気がする。しかし,
うへ⇔うら
「うら」の対は,「うへ」である。「うち」と「うら」とが通じるのかどうか。「そと」は,「うち」の対だが,ふるくは,「と」と言い,「うち(内)」「おく(奥)」の対とある。「うち」について,『岩波古語辞典』は,
「古形ウツ(内)の転。自分を中心にして,自分に親近な区域として,自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは,人に見せず立ち入らせず,その人が自由に動ける領域で,その線の向こうの,疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい,後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは,中心となる人の力で包み込んでいる範囲,という気持ちが強く,類義語ナカ(中)が,単に上中下の中を意味して,物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い,中世以後『そと』または『ほか』と対する」
とする。かろうじて,
うら―うち,
がリンクするかに見える。ちなみに,「うらうら」は,擬態語で,万葉集にもある古い語で,
うららか,
のんびりした,
という意味になる。「浦」につながる気がする。
なお,「うみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%BF)については
で触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「うち」は,「うち」「そと」の「うち」で,
内,
中,
と当てる。「うらなう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%86)の項
で触れたが,「うち」について,『岩波古語辞典』は,
「古形ウツ(内)の転。自分を中心にして,自分に親近な区域として,自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは,人に見せず立ち入らせず,その人が自由に動ける領域で,その線の向こうの,疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい,後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは,中心となる人の力で包み込んでいる範囲,という気持ちが強く,類義語ナカ(中)が,単に上中下の中を意味して,物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い,中世以後『そと』または『ほか』と対する」
とする。
うち(うつ)⇔そと(と)・ほか,
と,対比される。『大言海』は,「うち」について,
「空(うつ)と通づるか,。くちわ,くつわ(轡)。ちばな,つばな(茅花)」
と述べ,
「外(そと)の反。中」
「外(ほか)の反。物事の露わならぬ方。ウラ」
「あひだ。間」
「それより下。以内,以下」
という「うち」の意味の変化をなぞり,その意味のメタファとして,
「内裏,禁中」
「主上の尊称。うへ」
「家の内」
「味方」
「心の内」
と,『岩波古語辞典』の言う意味の変化をなぞっている。『広辞苑』は,
@何かを中核・規準とする,一定の限界のなか,
A自分の属する側(のもの),
B物事のあらわれない面,
という意味の大枠で分けている。
語源について,『日本語源広辞典』は,
「『ウツ(空)』『ウツロ(空)』と同義(大言海説)が有力です。大島正健氏は,『ウ(空)+処(チ)』説です。いずれにせよ,ウツロ(空)になったところ,収納すべきウツロを,ウチと言ったようです。」
とする。『岩波古語辞典』に,「うつ」が,
「うち(内)の古形。『伏(うつぶ)す』『梁(うつばり)』などの複合語だけに残っている。『腿 ウツモモ』(名義抄)」
と,あるのとも合致する。『日本語源大辞典』には,
ウツ(空)と通じるか(大言海・言元梯),
ウは空,チはト(処)の転。外(そと)に対し空処であることからいう(国語の語幹とその分類=大島正健),
以外に,
ウツイ(空居)の義,空ろの真ん中の意(日本語原学),
ウは内にもつ象,チはつまる意(槙のいた屋),
ウツリ(移)。廂のかげがうつってやや暗いことをいう(名言通),
内裏の意から起こる,ウヤマフチ(敬地)か,またウチウ(宇宙)の下略か(和句解),
ウツと俯いてさす方。チは広い場所を縮めて,ただ一ヵ所をさす辞(本朝辞源),
と諸説載せるが,やはり「ウツ(空)」の転訛というのが,自然だ。具体的な「ウツロ(空・洞・虚)」を,「ウチ(内)」という抽象的な概念に転じさせるほうが,和語らしいのではないか。
「うち」の反対は,「そと」である。『岩波古語辞典』には,
「室町時代以降,古くからのトに代わって使用される」
とある。さらに,「と(外)」は,
「『内(うち)』『奥(おく)』の対。自分を中心にして,ここまでがウチだとして区切った線の向こう。自分に疎遠な場所だという気持ちが強く働く所。時間に転用されて,多くは未だ時の至らない以前を指す。類義語ホカははずれの所。ヨソは,無縁・無関係の所」
とある。今日,
とざま(外様),
とのも(外の面),
とやま(外山),
と,複合語の「ト(内に対する外)」として残っているようだ(『日本語源広辞典』)。その『日本語源広辞典』は,「そと」について,
「ソ(接頭語)+ト(外)を加えた語」
とするが,『大言海』は,
「背面(そとも)を略して,誤用せる語と云ふ。或は,背戸(せど)の転か。或は,背外(そと)の意か」
と,苦心する。『日本語源大辞典』は,
ソトモ(背面)の略(雅言考・大言海),
ソト(背外)の義(俚言集覧・俗語考・大言海),
門外をいうところからセド(背門)の義か(和訓栞・大言海),
ソウト(背疎)の義(日本語原学),
ソノ−ト(外)の約(名語記),
外々の義(日本語源),
サケトホ(避遠)の義か(名言通),
東国の果てにあるというソットノヒン(卒土浜)からか(和句解),
側処の義か(国語の語幹とその分類),
トト(戸外)の義(言元梯),
と挙げた上で,
「語源は,『そつおも(背つ面)』(背面・北側・裏側の意。『つ』は『の』の意)から転じた『そとも』が『せど(背戸)』への類推もあって『も』を略したという説が妥当か。また,外部の意味で先行する『と(外)』に類似した二音節が求められ,さらに『そと(背外)』という解釈が『そとも』からの変化を助けた可能性も考えられる」
と,こねくり回しているが,もともと「と(外)」だったのだから,それらに「背」をつけた,むりやり「そと」への転訛を考えようとするところに無理があるのではないか。その意味で,『名語記』の,
ソノ−ト(外)の約,
あるいは,『日本語源広辞典』の,
ソ(接頭語)+ト(外)を加えた語,
がいい。自分が区切った線の外をさしている。「そ」は,「それ」「そこ」の「そ」である。
「文脈の中ですでに取り上げて,話し手も聞き手も共通に知っている物事や人を指し示す」
のである。そとて,「と」は,
処,
所,
と当てる,
場所の意,
である。そう,「その場所」と,境界線の外を指したのではないか。無駄な語呂合わせは,文脈依存の和語という特質を忘れているように見える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「わりない(し)」は,
理無い,
と当てる。『広辞苑』は,
「ことわりなし」の意,
とするが,『岩波古語辞典』は,
「ワリ(割り)ナシ(無)の意。物事をうまく処理し打開しようにも,筋道がつかず,どうにもならない状態である意」
とある。『大言海』は,
「ワリは切なる意。ナシは甚(いた)しの義。又,道理(ことわり)の略と云ふ。分(わき)も無し,などの意」
とある。『日本語源広辞典』は,『広辞苑』と同じく,
「ワリ(理)+ナシ(無し)」
で,道理にはずれている意とする。
意味の流れを見ると,
なんとも物事の判断がつかない
↓
(状況を打開しようともがいても)どうにもならない
↓
余儀ない,やむを得ない
↓
耐えがたい,
↓
(良いにつけ悪いにつけどうしようもなく極端な感じに言う)不可解なほどひどい,言うに言われずすぐれている,
↓
縁が深くて断ち切れない,
↓
(連用形を副詞的に用いて)迷惑だが,仕方がない,
↓
もうこれ以上なんともできないほどに,精一杯,
↓
無理に,しいて,
↓
甚だしく,
となる(『岩波古語辞典』)。はじめは,
道理に合わない,理屈ではどうにもならない,
といった状態表現である。それが,
耐えきれない,
という感情表現にシフトし,さらに,
やむをえない,
精一杯,
という価値表現へと転ずる。そうなると,後は,その状態の表現として,
縁の切り難い,
つまり,
懇ろ,
という表現にも,
酷い,甚だしい,
という表現にもなり,それを外から見ての,
殊勝,
いじらしい,
という価値表現にも転ずる,といった流れになろうか。『日本語源大辞典』は,諸説を,
コトハリ(理)ナシの略(冠辞考続貂・名言通・大言海・古代中世言語論=折口信夫),
ワリは切なる意。ナシはイタシ(甚)の義。マタ,ワキ(分)ナシの義(大言海),
ワリナシ(別無)の義(河海抄),
ワカリナシ(分無)の義で,カの中略(和訓栞),
ワキワリナシ(分割無)の義(日本語原学=林甕臣),
ワリは破で,細々したものをいった(名語記・河海抄),
ワリは,イリワリ等のワリで,道理,いりわけ等の義(川柳雑俳用語考=潁原退蔵),
とうげるが,結局,「ワリ」を,
「分」とみるか,
「理」とみるか,
「別」とみるか,
と,
「切なる」と見るか,
で,「わりない」の原意を,
理屈に合わない,説明のつかない,
という状態表現とするか,
甚だしい,
という状態表現とするかの差だが, 結果として,善悪を超えて,
酷い,
という価値表現の含意を含んでいるように見える。たとえば,「わりない仲」といういい方には,どこかに,
酷い,
という価値表現を含んでいる気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「割り勘」は,『大言海』にも『岩波古語辞典』にも載らない。『広辞苑』には,
割前勘定の略,
として,
勘定を各人に平等に割り当てること,
と意味が載る。『大言海』には,「わりまへ(割前)」として,
「割合ひたる一人前,割り分てる一人前,割り分てる一部。わけまへ,配当」
の意味が載り,『江戸語大辞典』にも,「割前」は,
「各自の割当量(額),頭割り」
の意味が載る。『広辞苑』の「割前」の項には,
割り当てる額,分配額,配当額,
とあり,どうやら,頭割りで支払う「割り勘」の意味以外にも,受け取る分配の意味もあったようだ。『デジタル大辞泉』を見ると,
金銭の徴収・分配などを各自に割り当てること。またその金額,
とあり,「利益の割り前を受ける」「割り前を支払う」という使い方が出ている。「割り前を支払う」という場合,配当がそうであるように,必ずしも頭割り,という意味とは限らない。だから,
割前勘定,
の時も,必ずしも,頭割りの意味ではなかったのかもしれない。『日本語源広辞典』は,
「ワリ(割)+マエ(取り分)」
とし,
「分け前です,頭割りにした取り分をいいます」
と意味を説いているので,今日の「割り勘」で払う意味ではないとしている。『日本語源大辞典』は,
頭割りの勘定の意(現代語語源小事典=杉本つとむ),
としているのは,いまの言葉遣いから,逆算しているので,少しずれているように思える。『語源由来辞典』,
http://gogen-allguide.com/wa/warikan.html
は,「割り前勘定」の略としつつ,
「『割り前』の『前』は『分け前』や『三人前』など,それに相当する分量・金額を表す接尾語で,『割り前』は割り当てる金額の意味。『勘定』は代金を支払うことや,その代金を意味する。割り勘を考案したのは戯作者の山東京伝といわれ,『京伝勘定』とも呼ばれていた。また,足並みを揃えるように等分に支払うことから,いつ死ぬか解らない立場であり互いに貸し借りしないところからか,古くは『兵隊勘定』ともいった。『割り前勘定』を略した『割り勘』は,大正末期頃からみられるようになる。」
とする。山東京伝が考え出したかどうかは別にして,「京伝勘定」は『江戸語大辞典』には載らない。山東京伝発案というのは,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8A%E5%8B%98
でも,
「日本では、割前勘定、即ち割り勘を考案したのは江戸時代の戯作者・山東京伝だと言われる。彼は友人との飲み会の最中でも頭数で代金を計算していた事などから、当時『京伝勘定』とも呼ばれた。
日露戦争開戦頃に流行した言い回しとして『兵隊勘定』がある。これは『明日は戦場で生死も定かではないから、同じ兵隊同士、貸し借り無しに均等に負担する』という考え方から来たという説がある。」
とする。本来の「割前勘定」は,必ずしも,頭割りの勘定支払いだけではなく,応分の(必ずしも等分ではない)配当の意味もあった。それが,「割り勘」という略語へ転じた時,意味が,
頭割りの支払い,
へと変化したと見ることができる。それが通用するのは,比較的新しい,ということができる。頭割りが通用するのは,身分や上下関係の厳しい中では成立しないからだ。現在の使い方は,『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/44wa/warikan.htm
に,
「割り勘とは複数人で食事をするときなど、勘定の総額を人数分に等分して支払うことである。例えば3人で飲みに行き、A君はビール1本、B君は2本、C君は3本飲んだとする。これを割り勘で払う場合、全員が2本分づつ払うことになる。そして払う額よりも飲んだ量が少なく、損をしたA君を“割り勘負け”、払った額以上に飲むことができ、得をしたC君を“割り勘勝ち”という。また、カップルで食事をする際、昼は彼女が支払い、夜は彼が支払うという場合がある。この場合、仮に昼夜同額程度であったとしても厳密には割り勘とはいわない。」
とあるが,
http://www.yuraimemo.com/1527/
によると,
「近頃では、『割り勘』も様変わりし、各自がそれぞれ自分の飲食した分について払うといった解釈の若者が増えているといいます。」
とあり,『日本語俗語辞典』の解釈よりも,現実の言葉遣いは,変化しているようである。なにせ,
https://woman.mynavi.jp/article/150320-89/
によると,
デート代は、割り勘にするのが当たり前だと思いますか?
「思う」44.4%
「思わない」55.6%
という結果らしく,デートですらこれなのだから,
自分の飲み食いした分だけ応分に払う,
という意味になるのは当然だが,ある意味元々の「割り前」の意味へと先祖がえりしているようにも見える。
ちなみに,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8A%E5%8B%98
によると,
「『割り勘』の概念が存在しない国、または、直接的に『割り勘』を指す単語や成句が存在せずに『分割』『共有』の意味の語を当てはめている国もあり、世界的に見れば、代表者1名が全額支払うことのほうが多い。中華人民共和国、大韓民国では割り勘を申し出ることが相手を侮辱する行為にあたることもある。エスニックジョークとしても、日本人の見分け方に『食事の後に計算機で支払い金額を計算して割り勘で支払うのが日本人』というのもあり、『割り勘』は日本での普及が高く、他の地域では普及していないことをうかがわせる。」
とある。日本も他国並みになってきたということか。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
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「わりをくう」は,
割を食う,
と当てるが,
損をこうむる,
不利を受ける,
という意味になる。「わり」は,
割り,
破り,
とも当て,『岩波古語辞典』には,
「固体などに深いひび・すじを入れ,そこから自然にわかれる状態」
とあり,
割れる,
というところから,
くだく,
とか,
取り壊す,
という意味から,意図して,
割る,
となり,
一定の基準にしたがって区分する,
分割する,
となり,その「割り方」「別け方」に焦点が当たっていき,
割合,
割前,
割当,
という意味が出てくる。もうひとつ,「わかつ」ということをメタファにして,
無理に間を分けて押し入る,
という意味で,
割を入る,
という言い方で,
仲裁者を入れる,
という意味で使われる。
割に合う,
とか,
割が悪い,
は,その「割(前)」に合うか,合わないか,という意味から,使われることになる。だから,
割を食う,
は,『日本語源広辞典』の言うように,
「ワリ(割合,ここでは不利な割合)を,食う」
という意味で,
損をする,
ということになる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/wa/wariwokuu.html
には,
「割を食うの『割』は、割り振ることや割り当てることの意味から転じ、役割や分配金、 さらにその損得の具合を意味するようになった語。
得をする場合には『割がいい』や『割に合う』と用い、損をする場合は『割が悪い』『割に合わない』などと用いる。
割を食うの『食う』.は、他からある行為を受ける意で、特に、『肩透かしを食う』『お目玉を食らう』など、好ましくない行為を受ける際につかわれる。」
とあり,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E5%89%B2%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%86
にも,
「『割』は物事を割り振ること、割り当てること。転じて、割り当てられた役割や分配金、さらにその損得の具合を意味するようになった。『割りがいい』『割に合う』は得をするの意で、『割りが悪い』『割に合わない』は損をするの意。
『食う』は『差し押さえを食う』『手間を食う』など、好ましくないことを身に受けることを表すことから、『割を食う』で損をすることを意味するようになった。」
とある。『岩波古語辞典』には,
割を言ふ(道理を言う,事情を話す),
割を入る,
割を付ける(処置する,仲裁する),
の例しか載らないが,『江戸語大辞典』を見ると,
割が付く(割増がある),
割に這い入る(介入して引き分ける,仲裁する),
割を入れる(仲裁者を入れる),
割を打つ(水を割る,水を加える),
割を為て見る(その割には),
割を付ける(手加減する,手心を加える),
割を言う(理屈をこねる,弁解する),
等々,随分多い言い回しがある。中には,『岩波古語辞典』の意味とずれれているものもある。「割を言う」などは,真反対のに意味になっている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「二の腕」は,
肩と肘との間,
を指すが,「二の腕」という以上,
一の腕,
という呼び名もあったはずで,『日本語源広辞典』には,
「手首から肘までを一の腕というのに対して」
二の腕といったようである。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ni/ninoude.html
には,
「『二』は二番目という意味の『二』で、古くは『一の腕』と呼ばれる部分もあった。 1603年刊
の『日葡辞書』には『肘と手首との間の腕』とあり、『一の腕』は『肩から肘までの腕』とされていることから、『一の腕』だったものが誤用で『二の腕』になったと考えられている。しかし、『腕』は元々『肘から手首』までを指した言葉なので、その場所を『二の腕』と呼ぶのは考え難いことや、普通、先端から順に数えるので肩から順に数えるのは不自然であること、このような例が『日葡辞典』以外に見つからないことから、指す場所が逆転した訳ではなく、『日葡辞典』の誤りと考えられる。」
と,載る。
「ひじで折れ曲がるので,これを2部に分け,上半を上腕upper
arm,下半を前腕forearmといい,上腕は俗に〈二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが,人間では脚より小さく,運動の自由度は大きい。」(『世界大百科事典』)
とあるので,手首側から,一の腕,二の腕と数えたとするのが,順当だろう。
では,「うで」は,
腕,
と当てるが,「腕」の字は,
「中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので,ワンという」
とあり,
「宛(エン)の字は,宀(屋根)の下に,二人の人がまるくかがむさま。腕は「肉+音符宛」で,まるく曲がる手首」
とある。「肩から手首」を「腕」とするのは,わが国独自の用法である。
「うで」は,
肘と手首の間,
を指す。しかし,『岩波古語辞典』によれば,
「『かひな』は,もと,肩から肘までの間。後に『うで』と混用。『うで』は平安時代女流文学では使わないのが普通。」
とある。つまり,もともと「かいな」と言った部分が,「二の腕」に当たる。
「かいな」は,
腕,
肱,
とあてる。『大言海』には,
「抱(かか)への根(ね)の約転か。胛をカイガネと云ふも舁(かき)が根の音便なるべし。説分『臂(ただむき),手ノ上也。肱(かひな),臂ノ上也』」
とある。『日本語源広辞典』は,
「カイ(支ひ)+ナ(もの)」
で,「支えるもの」が語源とするが,これは,なかなか簡単ではない。『日本語源大辞典』は,
カヒネ(胛)の転(言元梯),
カヒはカミ(神)の転,ナはネ(根)の義(和語私臆鈔),
カカヘネ(抱根)の約転か(大言海)
カヒは抱き上げるという意のカカフルのカを一つ省いたカフルの変化したもの(国語の語幹とその分類=大島正健),
女の臂のカヨワイことから(俗語考),
カヒナギ(腕木)の意(雅言考・俗語考),
カタヒジナカ(肩肘中)の略(柴門和語類集),
カキナギ(掻長)の義(名言通),
「胛臑」の別音Kap-Naの転(日本語原学=与謝野寛)
等々,諸説載せる。「抱える」と関わることが,いちばん説得力がある。のちに混同されることになる「うで」は,『日本語源広辞典』は,あっさり,
「ウ(大)+手」
で,小手に対する「大手」が語源とする。「小手(こて)」は,
手首,
あるいは,
肘と手首の間,
だが,「小手」の対は,「高手(たかて)」であるらしいので,この説はちょっといかがわしい。「こて」について,
『大言海』に,
「手の腕頸より先。小手先。『小手返し』『小手調べ』『小手投げ』。これに対して,腕・肱を,高手と云ふ。人を,高手小手に縛ると云ふは,後ろ手にして,高手,小手,頸に,縄をかけて,縛りあぐるなり。」
とある。いわゆる鎧や防具にいう,
籠手,
は,この「小手」から来ていて,
肘,臂の全体をおおうもの,
とあり,「小手」よりも範囲が広い。ついでに,「腕頸」とは,
たぶし,
たぶさ,
こうで(小腕),
ともいい,
「腕と肘との関節,曲り揺く所。うでふし」
とある。ついでながら,「こうで(小腕)」は,
「腕の端の意か。手との関節(つがいめ)なり。小肱(こがいな)と云ふ。同じ腕を,肘と混同することも古し。」
とあり(『大言海』),「かいな」と「うで」の混同どころか,手首と肘すら混同してきたようだ。文脈の中での会話だから,当事者にはわかっていた,ということか。「うで」に戻すと,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/u/ude.html
は,「うで」について,
「古くは、肘から手首までを『うで』、肩から肘までを『かいな』と区別していた。この位置からすると手(手のひら)の上
にあたるので、『上手』の意味であろう。『和名抄』や『名義抄』には,『太太無岐』『タダムギ』とあり,古くは,『タダムギ』とも呼んでいたようである。」
としているが,『大言海』は,
「腕は,釈名に『腕宛也,言可,宛曲なり』急就篇注に,『腕,手臂之節也』とありて,今云ふ,ウデクビなり,されば,ウデは,元来,折手(ヲデ)の転(現(うつつ),うつ,叫喚(うめ)く,をめく)。折れ揺く意にて(腕(たぶさ)も手節(たぶし)なり),ウデクビなるが,臂(ただむき)と混じたるなるべし」
とある。「てくび」を「ただむき」と混同した,とあるので,「ただむき」と呼んだのは,混同の後,ということになる。『日本語源大辞典』をみると,「うで」は,
ウテ(上手)の義(類聚名物考・和訓栞・国語の語幹とその分類=大島正健),
ウテ(打手)の義(日本釈名・和句解),
ヲテ(小手)の転(言元梯),
ヲデ(折手)の転(名語記・大言海),
「腕」の別音WutがWuteと転じた(日本語原学=与謝野寛),
と,位置はばらばら,「腕」が今日,
肘と手首の間,
肩口から手首まで,
と,多義的に使われている訳である。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「て」は,
手,
と当てるが,体の部位ながら,それをメタファに,
突き出ているもの(取っ手,柄),
手のように動くもの(人手,部下),
手ですること(持つ,文字,腕前,手傷),
指すもの(方向,風采),
自分の手(手前,手製)
代金,
等々多様な意味を持つ。「手」の字は,
「五本の指のある手首を描いた」
象形文字である。「掌」の字もあるが,
手のひら,
の意で,「たなごころ」と訓むが,これは,中国語の,
「手心(てのひら)」
の意約,という(『漢字源』)。「掌」の字は,
「尚は『向(まど)+八印(発散する)』からなり,空気抜きの窓から空気が上へ広がるさま。上(うえ,たかい)と同系。また平らに広がる,の意を含み,敞(ひろい),廠(広間)と同系の言葉。掌は『手+音符尚』で,平らに広げた手のひら」
である。「て」の語源について,『日本語源大辞典』は,
トリ(取・執)の約転(古事記伝・和訓集説・菊池俗語考・日本語源=賀茂百樹),
イデ(出)の義(和句解・日本釈名・言元梯・名言通・和訓栞),
トエ(十枝)の反,十指の義(名語記),
エ(枝)の義,肢枝の意(玄同放言),
タベエ(食得)の義,またトラヱ(捕)の義(日本語原学=林甕臣),
体の足しになって用をするところからタシ(足)義(国語蟹心鈔),
処の義(国語の語幹とその分類=大島正健),
ツエ(杖)の反(言元梯),
タレ(垂)またはトル(取)の約(和訓集説),
ハテ(果)の上略か,また手をうつ音からか(和句解),
古形(タ)の転(『岩波古語辞典』),
等々諸説を挙げる。文脈依存の和語から見れば,動作の,
取る,
執る,
捕る,
等々に関わる,と想像できる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/te/te.html
は,
「語源には,『とり(取・執)』の約転,『いで(出)』の意味,『たべえ(食得)』の意味,『とらえ(捕)』の
意味,『はて(果て)』の上略など,諸説ある。『手』の字音は,漢音が『シュウ』,呉音が『シュ』で,物を『取・執(しゅ)する』。つまり,『とる』意味や,『守(とられぬように持つ)』『受(しっかり持つ)』といった意味から来ている。『て(古形「た」)』が,必ずしも漢字の由来と同じではないが,『とり(取・執)』の約転とするせつがよいであろう。」
とするが,『大言海』も,
「取(と)りの約と云ふ」
と同じ語源説をとる。しかし,『岩波古語辞典』にも言うように,「て」は,
古形タ(手)の転,
とある以上,「た」の説明になっていなくてはならない。『日本語源広辞典』は,
「『手』本来の一音節です。取ると関連ある語。複合語の成分になるとき『タ』となりやすい。」
とする。ひょっとすると逆なのかもしれない。「テ」があり,それで摑むのを,
とる,
といったというように。
「たなごころ」は,『漢字源』は,中国語の,
「手心(てのひら)」
の意約,としているが,必ずしも中国語由来とは取らない説もある。『岩波古語辞典』は,
「『手(た)な心』の意。タはテの古形。ナは連体助詞」
とし,『日本語源大辞典』は,
手の中心の意で,タナココロ(手之心)の義(和名抄・名語記・日本釈名・和訓栞・大言海),
タノココロ(手の裏)の義(言元梯),
手の含み所すなわちテノフトコロ(手之懐)の義。また手握りどころの義(日本語原学=林甕臣),
等々。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ta/tanagokoro.html
は,
「たなごころの『た』は『て(手)』の交替形で、『手』を『た』という言葉には『たむけ(手向け)』や『たおる(手折る)』などがある。『な』は『の』にあたる連体助詞で、『たな』は『手の』を
意味し、たなごころは『手の心』を意味する。『こころ(心)』には『中心』の意味、『うら(心)』の同源である『裏の意味』、中国語の『掌(手心)』の意訳の三通りの解釈がある。」
と整理するだけで,選択していない。僕は,
中国語「手心(てのひら)」→手の心→たのこころ→たなごころ,
と和語化していったのではないかと思う。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「あし」は,
足,
脚,
肢,
と当てる。「足」の字は,
「ひざから足先までを描いたもので,関節がぐっと縮んで弾力をうみ出すあし」
で,
ももから先,
足首から先,
の意味がある。「お足」というお金の意味や,一足二足と靴を数える単位に使うのは,わが国だけのようである。「脚」の字は,
「去(キョ)は,蓋付きのくぼんだ容器を描いた象形文字。却(キャク)は『人+音符去』の会意兼形声文字で,人が後ろにくぼみさがること。脚は『肉+音符却』で,膝のところで曲がって,後にくぼむ足の部分」
で,
足の下半分,
を指す。足の上半分は,
腿(たい),
という。因みに「疋」も
あし,
の意味だが,
左右二本が相対する足,
を意味し,
「あしの形を描いたもので,足の字と逆になった形で,左右あい対したあしのこと。また,左右一対で組をなすので,匹(ヒツ ふたつで一組)に当ててヒツという音を表し,日本ではヒキと誤読した。また正と混同して,正雅の雅を表す略字として転用された。」
とある。「肢」の字は,
「支は『竹の枝+又(手)』の会意文字で,竹の枝一本を手に持ったさま。短い直線状の枝のこと。枝(シ)の原字。肢は『肉+音符支』で,胴体に生じた枝にあたる手と足」
で,
手と足,
を意味する。
「手足はからだの枝(シ)に当たるので肢といい,肝臓はからだの幹(カン)に当たるので肝という」
とある。本来の漢字で言うなら,「あし」全体に当たる字はないことになる。
さて,「あし」もまた,「て」と同様,幅広い意味を持つ。『広辞苑』は,
動物の下肢の部分,
形・位置などが,動物の足ににているもの,
動物の足のように,移動に使う,または移動するもの,また,その移動,
と整理している。お金の意味の「お足」は,
「足のように動くから」
というアナロジーということになる。しかし,『大言海』には,「足」とは別に「あし(銭)」の項を立て,
「晉書,隠逸傳,魯褒錢神論に,無翼而飛,無足而走,と云ひしより起これる語なり。白玉蟾詩『腰下有銭三百足』料足,要脚,などとも云ふ。仁徳紀,四十三年九月の條に,鷹の足緒に,緡(アシヲ)と記せり,緡は,正字通りに,錢之貫者,為緡錢とありて,錢緡(ぜにさし)なり。平安町頃の訓點なるが,當時も,錢を,アシと云ひたるかとて思はるると云ふ」
とある。「お足」の原点は,中国にあるのかもしれない。
で,「あし」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,
「ア(相)+シ(及+及)」
で,相互にかわるがわる進ませる肉体部分,という。しかし,これは,少しいかがわしい。
『日本語源大辞典』は,例によって諸説を載せる。
アシ(悪)の意で,身体の悪しく汚い部分を言う。またはハシ(端)の転(日本釈名),
アはイヤの反。イヤシの転(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
タチ(立)の転(玄同放言),
用を足す意のタシの転(国語蟹心鈔),
アカシ(赤)の中略(和句解),
アユミハシリ(歩走)の義(日本語原学=林甕臣),
アシ(動下)の義(日本語源=賀茂百樹),
日本語のはしを意味するビルマ語のアッセ,クメル語のアシが訛ったものか(ことばの事典=日置昌一),
両脚の間の意の「跨」の別音Aと,足の先の意のシ(趾)との合成語で,脚部の総称。単にアというのは右の跨である(日本語原学=与謝野寛),
等々。僕は,語呂合わせよりも,文脈依存の和語は,「たつ」「あゆむ」「あるく」「はしる」当たりの動作から来ていると,見るのが妥当と思う。その意味では,
タチ(立)の転,
が最もいいところをついていると思う。しかも,「立つ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E7%AB%8B%E3%81%A4)
で触れたように,
「タテにする」
という意味である。それを「あし」とつなげるのは,自然に思えるが,どうだろう。
「歩く」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E6%AD%A9%E3%81%8F)について
,『大言海』は,「あゆむ」は,
「足數(アヨ)ムの轉なるべし。されば,アヨムとも云ふなり(眉(まゆ),まよ。足結(あゆひ),あよい。歩(あゆ)ぶ,あよぶ。揺(あゆ)ぐ,あよぐ)」
とあり(「數(よ)む」とは。数える意),「ありく」は,
「足(アシ)繰(クリ)行クの約略なるべし(身まくほし,見まほし。少なき,すなき。かくばかり,かばかり)。…或は,足(アシ)揺(ユリ)行クの約略とも見らる。アユムとも云ふナリ。アルクと云ふは,普通なり。(栗栖(くりす),くるす,白膠木(ぬりで),ぬるで)。アリク,アルクの二語,同時に,並び行われたるやうなれど,本居宣長は,アリクは後なりと云へり。尚,考ふべし」
と,書く。「あるく」「あゆむ」は,「あし」を前提にしている。なおのこと,まず「たつ」から始まる。たとえば,
tatu→tasi→asi
といった転訛をしたとは考えられまいか。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「ざんき」と訓むものには,
恥じて心におそれおののくこと,
の意味の
慙悸(ざんき),
と,
慙愧,
慚愧,
と当てて,
「古くはざんぎ」
とし,
恥じ入ること,
悪口を言うこと,そしること,
の意味のものがある。『デジタル大辞泉』『大辞林』は,
慙愧,
慚愧,
を,
自分の見苦しさや過ちを反省して,心に深く恥じること,
自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと,
と意味が載る。『大辞林』には,
「『ざんぎ』とも。元来は仏教語で,『慚』は自己に対して恥じること,『愧』は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字。」
とある。
慙悸
と
慙愧(慚愧)
は,別なのである。
慙愧に堪えない,
とか,
慙愧の念に堪えない,
という言い回しは,「慙愧」である。
『大言海』は,「慙愧」の項で(「ざんぎ」と訓ませる),
心に恥じ入ること,
のほかに,
「仏経の用語にて,自,他,心,身,に別ちて云ふ,自ら恥ずるを慚とし,人に向かいて之を発露するを,愧(ぎ)とす。懺悔慚愧と,熟語としても用ゐらる」
として,『涅槃経』を引く。
「慚者,自不作罪,愧者,不教他作慚者,内自羞恥,愧者,発露向人,慚者羞天,愧者羞人,是名慚愧」
とする。
慚者羞天,
愧者羞人,
とは言い得て妙。天命,天寿,天理の「天」である。
『字源』は,「慙悸」を,
恥じて心動く,
とする。「悸」の字は,
「季は,作物の実る末の時期,転じて,兄弟のうち小さい末の子の意。小さい意を含む。悸は『心+音符季』で,心臓が小刻みに打つこと」
で,「動悸」のことである。だから,恥じてドキドキする,といった心臓の状態表現になる。「慙愧」は,
恥じている,
という心情そのものを指す。『漢書』に,
「終亡以報厚徳,日夜慚愧而已」
と用例があるらしい。「慚(慙)」の字は,
「斬(ざん)は,ざくざくと切り込むこと。慙は『心+音符斬』で,心に切れ目を入れられたような感じのこと。惨(さん つらい)と近い」
とあり,「愧」の字は,
「鬼(き)は,丸い頭を持つ亡霊のこと。丸い意を含む。愧は『心+音符鬼』で,心が縮んで丸く固まってしまうこと。恥ずかしくて気がひけた状態である。」
とある。
実は,「慚(慙)愧」に関心があった。よく,
罪悪感,
という言葉を使う。しかし,この言葉は,新しい。『岩波古語辞典』にも,『江戸語大辞典』にも載らない。『大言海』にも,「罪悪」で,
つみとが,
悪業,
という意味が載るのみである。億説かもしれないが,西洋思想,はっきり言って,キリスト教の影響下の言葉ではないか,と思う。罪悪感というのは,
どこかに善悪の基準があって,それと対比して,おのれを責める,
というニュアンスがある。『広辞苑』には,
道徳や宗教の教えなどに背く行い,
とある。だから,「罪悪感」は,
自分が犯罪を犯したと思う気持ち,
である。そこには,恥じ入る気持ちよりは,罪を犯したおのれを苛む気持ちが強い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E6%82%AA%E6%84%9F
には,
「自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる気持ち・感情のことである。自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。
一般に罪悪感と言う場合は、道徳や宗教的な戒律にそむいた場合などに生まれる感情として位置付けられる。
宗教的な戒律に反した場合、その結果とる行動には様々なものがあるが、例えばキリスト教などではひとつには懺悔(贖い)がある。」
とある。あるいは,
https://ameblo.jp/cky-se/entry-10660613376.html
は,罪悪感とは,
「1.行動が自分で決めた道徳的基準から外れ、やるべきでないことをやってしまった。(もしくは、しなければならないことをやり損なってしまった)
2.この「悪い行ない」は、自分が悪い人間であることを意味している。
この、『自分が悪いのだ』という概念が罪悪感の中心になります。
良心の呵責は、自分で決めた倫理の基準に違反して自分や他人を傷つけてしまった時、素直にそれを気がつくように起こってくるものです。
良心の呵責は、罪悪感とは違います。」
とある。「良心の呵責」もそうだが,「罪悪感」も,どこか,日本的ではない気がする。日本的なマインドの言葉ではないのである。
「罪」の字は,
「始皇帝のとき,この字が皇の字に似ているので,罪の字に改められた。罪は,『网(方の網)+非(悪いこと)』で,悪事のため法網にかかった人」
とある。「罪」の古字は,
「辠(ざい)」
の字で,確かに,「皇」の字に似ている。他に,
「辜(こ)」
の字も,「罪」の意である。「惡(あく)」の字は,
「亞(あ 亜)は,角型に掘り下げた土台を描いた象形文字。家の下積みとなるくぼみ。惡は『心+音符亞』で,下に押し下げられてくぼんだ気持ち,下積みでむかむかする感じや欲求不満」
とあるので,「惡」自体で,「むかむかする気持ち」が含まれる。
罪悪感,
は,漢字のニュアンスとは異なる造語に見える。
罪悪感の類語はないが,「罪悪感がある」となると,
後ろめたい,
後ろ暗い,
疚しい,
になる。「罪悪感」という言葉は,僕は好かない。どこか,
他律的,
で,他から,押しつけられた罪を背負わされている感じがつきまとう。それなら,
慚愧の念,
がいい。みずからの心の倫理(いかにいくべきか)に則って,おのれを恥じる。
漢字には,「はじる」意のものが,かなりある。
「恥」は,はぢ,はづると訓む。心に恥ずかしく思う義。重き字なり,論語「行己有恥」(己を行うに恥あり),
「辱」は,はずかしめなり,栄の反,外聞悪しきを言う。転じて賓客応酬の辞となり,かたじけなしと訓む,
「忝」は,辱にちかし,
「愧」は,見苦しきを人に対してはづるなり,醜の字の気味もあり,媿に作る,
「慙」は,慙愧と連用す,愧と同じ,はづると訓む。はぢとは訓まず。
「羞」は,はじてまばゆく,顔のあわせがたきなり,
「忸」「怩」は,共に羞づる顔,
とある。罪悪感は,
明らかに罪を犯したと感じて自らを苛んでいる,
という意味で,もしその罪の意識が正当なら,自業自得である。しかし,「慚愧」は,客観的な「罪」ではなく,
おのれを愧じている
のである。それはおのれの生き方(倫理)として愧じている。その意味で,
罪悪感,
は,当然そう感じるべきものであり,天に慚じる,
慚愧の念,
の方がいい。少なくとも,(天を意識して)おのれに対して羞じている心ばえがある。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「たて」は,
縦,
竪,
経,
と,『広辞苑』は当てる。『大言海』は,「縦」「竪」の字を当てて,
立つ義,
とする。「横」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E6%AD%A9%E3%81%8F)の項
で触れたように,
よこしま,
横槍,
横紙,
という言い方だけでなく,
横様
あるいは
横方
で,単に,
横の方向,
とか
横向き,
という意味ただけでなく,
当然でないこと,
道理に背くこと,
よこしまなこと,
という意味を持たせる。あるいは,
横言,
横訛り,
横飛び,
横恋慕,
横流し,
横取り,
と,「横」のつく言葉は,横向きという以外は,ほとんど悪意か,不正か,当たり前でない,ことを示すことが多い。「よこしま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%88%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%BE)
で触れたように,「よこしま」は,
「邪」
と当てるが,「よこ」には,漢字の「横」にはない,
正しくない,
という含意がある。『日本語源広辞典』には,「よこしま」について,
「『横+様』,yokosamaの音韻変化,yokosimaです。縦を正,横を不正と見た日本人の言語意識があります。」
とある。『古語辞典』に,
「縦しまの対」
とあるのは,その意味なのだろう。『大言海』は,
「横状(よこさま)の転,さかさま,さかしまの類」
とある。さらに,「よこさま」と別項に,
横方,
と当てて,
正しからざること,
と意味を載せる。つまり,「よこ」には,
正しからざる,
意が,ついて回る。しかし,「たて」には,どの辞書を見ても,
タテ(上下の方向,前後の方向),
か,
縦糸(経),
時間の流れ,
の意しか載らない。語源は,
「タチ,タツ(立つこと)」
の意が載る。
立てた時の上下の方向,
距離,
の意である。他には,
タテ(竪)は,タケ(丈)の意(言元梯),
タチテ(立手)の義(名言通),
と,いずれも,「立つ」と絡んでいる。「立つ」は,『岩波古語辞典』に,
「自然界の現象や静止していめ事物の,上方・前方に向かう動きが,はっきりと目に見える意。転じて,物が確実に位置を占めて存在する意」
とある。この含意は,
立役者,
の「立」に含意を残している気がする。因みに,漢字の「縦」は,
「从(ジュウ)は,Aの人のあとにBの人が従うさまを示す会意文字。それら止(足)と彳印を加えたのが從(従)の字。縦は『糸+音符従(ジュウ)』で,糸がつぎつぎと連なって,細長くのびること。たてに長く縦隊をつくるから,たての意となり,縦隊はどこまでものびるので,伸び放題のいとなる」
で,「竪」の字は,
「上部は『臣(伏せた目)+又(動詞記号)』での会意文字で,召使が目をふせ,からだをかたくしたさま。竪はそれと立を合わせた字で主人のそばに召使が直立した侍るさまを示す。豎(ジュ そばに直立してはべる召使)と全く同じ」
で,「經(経)」の字は,
「巠(ケイ)は,上のわくから下の台へたていとをまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は,それを音符とし,糸へんをそえて,たていとの意を明示した字」
とある。「縦」「経」も,糸に絡むようだ。
なお,「横紙」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%A8%AA%E7%B4%99),
「横槍」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%A8%AA%E6%A7%8D),「立つ」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E7%AB%8B%E3%81%A4)については,それぞれ触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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『キングダム』26巻「281話『莫耶刀』」で,魏・燕・韓・趙5ヶ国合従軍との函谷関での攻防戦で,楚の千人将項翼が,「莫耶刀」と,自慢気に振りかざしているシーンがあるが,その莫耶刀を調べてみた。
通常,
干将莫耶(かんしょうばくや),
とセットで言われる。『広辞苑』には,
「古代中国の二名剣。呉の刀工干将は呉王の嘱により剣を作るとき,妻莫耶の髪を炉に入れて初めて作り得た名剣二口に,陽を『干将』,陰を『莫耶』と名づけた。」
とあり,それが転じて,
広く,名剣の意,
でも使われる,とある。
『呉越春秋』闔閭内伝,
の故事から来ているらしい。上記の『莫耶刀』は,単なる名剣の意かもしれない。さて,
干将が陽剣(雄剣),
莫耶が陰剣(雌剣),
であるとされる。また,
干将は亀裂模様(龜文),
莫耶は水波模様(漫理),
が剣に浮かんでいたとされる。『呉越春秋』『捜神記』『拾遺記』などに由来するが,
「大きく分けると、この名剣誕生の経緯と、その後日談にあたる復讐譚に分かれている。ただし『呉越春秋』には(現在伝わっている限り)復讐譚にあたる後日談は無い。また、『呉越春秋』では製作を命じたのは呉王闔閭となっているが、『捜神記』においては、これは楚王となっている。なお、製作の過程については、昆吾山にすむ、金属を食らう兎の内臓より作られたとする話を載せるものも存在する(『拾遺記』)。また、後世の作品、特に日本の物については、中国の物とはかなりの差異が生じている。」
『呉越春秋』は,
「後漢初期の趙曄(ちょうよう)によって著された、春秋時代の呉と越の興亡に関する歴史書。」
『捜神記』は,
「4世紀に中国の東晋の干宝が著した志怪小説集。」
『拾遺記』は,
「中国の後秦の王嘉が撰した志怪小説集。」
であり,後者二つは,「志怪小説」である。ただし,「志怪」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/434978812.html)
で触れたように,
「市中の出来事や話題を記録したもの。稗史(はいし)」
「昔、中国で稗官(はいかん)が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。転じて,広く,小説。」
である。さて,「干将莫耶」伝は,次のようになっている(莫耶、莫邪の表記については、『呉越春秋』が莫耶、『捜神記』が莫邪となっている)。
『呉越春秋』版では,
「闔閭が越(呉の宿敵として知られ、後に呉を滅ぼした国)から送られた三振りの宝剣を見て、干将に二振りの剣を作るように命じた。干将は、最高の材料を集め(來五山之鐵精、六合之金英。五山とは泰山など五つの山のことで後世の寺とは別、六合とは天地四方のこと。來は「とる」)、剣作りに最高の条件(候天伺地、陰陽同光、百神臨觀、天氣下降)を整え炉を開いた。しかし、急に温度が低くなり鉄が流れ出なかった。そして三月たってもいっこうにはかどらなかった。そのような現象が起こったとき、かつて彼らの師は夫婦で炉中に身を投げて鉄を溶かしたことがある。そこで妻の莫耶が自身の爪と髪を入れ、さらに童子三百人にふいごを吹かせたところようやく溶けた。そして、完成した名剣のうち、干将は隠して手元に置き、莫耶を闔閭に献上した。ある日、魯の使者である季孫が呉を訪れたとき、闔閭は彼に莫耶を見せ、与えようとした。季孫が鞘から抜くと、刃こぼれがあった。これを見た季孫は、呉は覇者となるであろうが、欠点があれば滅亡すると予測し、ついに莫耶を受け取らなかった。」
と,主にその製作経緯、過程が語られる。魯の使者がこの剣を見て、呉の将来を予想し、物語は終わる。
『捜神記』版では,
「楚国の王は、名工・干将に二振りの剣を作るよう命じる。 しかし、剣の鋳造をは遅れに遅れて3年掛かってしまった。
この失態に干将は自分の死を予見し、自分の子を身籠っていた妻・莫耶に『私が殺され、お前のお腹の子が男の子だったならば、出戶 望南山 松生石上
劍在其背(戸を出て、南に山を望み、松の生える石の上、その背に剣あり)と伝えよ』と言い残し、王に雌剣を献上すると命を守らなかった罰として処刑されてしまった。
その後、莫耶が男の子を生んでその子・赤(せき)が成人すると、赤は父の所在を母に尋ねる。父が王によって殺されたことと父からの遺言を知り、赤は復讐を誓う。遺言に従って雄剣を手に入れた赤だったが、王はその事を知って赤に懸賞金を掛けて山へと追い詰める。悔し涙にくれる赤だったが、彼の前に旅人があらわれ、赤は自分の首を土産にして王に近づき殺してほしいと旅人に懇願した。
旅人がそれを了承すると赤は雄剣を旅人に託し、剣で自分の首を刎ねさせた。
赤の首を手土産に王に近づいた旅人は、喜ぶ王に向かって「これは勇士の首ゆえ、釜で煮溶かさなければならない」と進言し、王はこれに従った。しかし、三日経っても首は煮溶けず王をにらむばかりであったので、旅人は王に鎌の中をもっとよく覗くように進言する。そして王が釜の真上に顔を持っていった瞬間に、託された剣で王の首を刎ねて殺し、そして自分の首も刎ねて自害した。
三者の首はこれによって煮溶けて分からなくなり、共に埋葬されてその墓は「三王墓」とよばれるようになったという。」
と,『呉越春秋』よりも後世の逸話で,呉王闔閭ではなく楚王となっているほか,主に後日談が語られる。
その他,『拾遺記』では,製作の過程で,昆吾山にすむ金属を食らう兎の内臓より作られたとする話を載せる。日本にも,『今昔物語集』巻第九第四十四に,
「震旦莫耶、造釼獻王被殺子眉間尺語(震旦(シナスタン=中国)の莫耶)、剣を造り王に献じ子の眉間尺を殺される話)」
が載るし,『太平記』巻第十三には,
「兵部卿宮薨御事付干将莫耶事(兵部卿宮死去のことと干将莫耶のこと)」
が載る。結構知られた逸話で,『おくの細道』でも,芭蕉が,月山に登った折,
「谷の傍に鍛冶小屋といふあり。この国の鍛冶霊水を撰びて、ここに潔斎して剣を打つ。終に月山と銘を切つて世に賞せらる。彼の龍泉に剣を淬ぐとかや。干将莫耶の昔をしたふ、道に堪能の執あさからぬ事しられたり。」
と記していた。
ところで,この「干将莫耶」,どうやら,
鋳剣(鋳造によって作成された剣)
であるらしいのだが,これは銅剣であろうか,鉄剣であろうか。兵馬俑坑には,
クロムメッキされた青銅剣,
があり,武器の大半は,青銅器ではなかったか,と想定される。しかし,『史記』などには,
「名鍛冶屋といえるような人物の記録もありますが、彼らは青銅製の剣も作れば、鉄製の剣も作っていました。
つまり、1本2本というレベルならば、鉄製の名剣もあったわけですが、大量生産できるレベルではなかったということです。」
とか,
http://kkomori.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b3f7.html
「秦は中国史上最初に天下を統一した王朝で、他民族封建国家である。紀元前221年に斉・魏・趙・韓・燕・楚の六国を滅ぼし、長期にわたった、群雄割拠の状態を終結させた。秦でも製鉄技術の発達は著しかったが、生産に用いる工具は多く見られるようになったものの、鉄製の武器は極めて少なかった。真の軍の主力は依然として青銅製であり、青銅器の製造技術および品質は、最高水準に達していた。」
とか,
http://kkomori.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2971.html
等々にあるように,
「遅くとも紀元前6世紀、春秋末期には、製鉄技術をおぼえ、鉄器を鋳造すること、鍛えることなどの技術が同時に現われ、その中での最先端が鉄剣であった。戦国時代には鋼鉄の生産はかなりの高水準に達して」
いたようだから,当然,「干将莫耶」は,鉄剣,と目される。だが,鍛冶製法によって作られた日本刀とは,また別の切れ味なのだろう。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E5%B0%86%E3%83%BB%E8%8E%AB%E8%80%B6
https://dic.pixiv.net/a/%E5%B9%B2%E5%B0%86%E3%83%BB%E8%8E%AB%E8%80%B6
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135821001
松尾芭蕉『奥の細道』(Kindle 版)
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「一杯」は,『岩波古語辞典』は,
一盃,
の字も当てている。この字の通り,
一杯の酒,
というように,
器に満たした分量,
を指すが,『大言海』は,
杯に,酒を注ぎ満たしたること,
と直接的である。で,
満酌,
と載せる。それをアナロジーに,
一杯やろう,
というように,「酒を飲みかわす」喩えに使われるが,『大言海』は,
一献,
一酌,
とも載せる。「一献どう?」というのは「一杯やる」のと同義だ。さらに,杯に満々の意を拡げて,
広場一杯の人,
というように,
人や物が満ち溢れているさま,
の意になり,その意を拡げて,
ある限度いっぱい,
というように,
ありったけ,
の意図にも使われる。室町末期の『日葡辞典』にも,
ユミヲイッパイヒイテハナツ,
という使われ方をしている。その量の限度の延長線で,
思う存分,したいだけ,
と,質の限度へと転じて使われる。
盃一杯→盃に満々→限度ぎりぎり(目一杯)→思う存分(精一杯),
といった意味の拡大だろうか。「目一杯」は,文字通り,
「はかりの目盛一杯までの意から転じて,精一杯努力しての意」
になる。
一杯くわす,
一杯くう,
というのは,
だます,
だまされる,
意だが,『岩波古語辞典』には,「一杯喰わす」として,
一杯さす,
一杯させる,
一杯参る,
という言い回しも載る。億説かもしれないが,
一杯酌み交わす,
のは,親しさの端緒であり,その象徴でもある。この使い方からすると,
一杯飲まされて,うかうかと油断し騙された,
一杯飲まして,うかうかと油断させて騙した,
ということなのだろうか。『日本語源広辞典』には,語源は,
「一杯+食う,一杯+食わす」
で,
「企んで,相手に飲食物を一杯食わせるから,イッパイクワセルという加害者側の話があります。それで,それを食う,被害者の立場の語が,イッパイクウです。」
とある。この場合,「一杯」は,象徴ではなく,「沢山」の意の「一杯」なのかもしれない。『大言海』は,
「一杯喰わすとは,酒を飲ます,飴をねぶらす,同義」
とある。「飴をなめさせる」と同じ意味で「饗応」の意で,
一杯喰わす,
と言っている。これは文字通り,「食わせた」という状態表現を,「欺く」という価値表現へと転じた使い方ともいえるし,「饗応」の意の,「一杯喰わす」を,象徴として使っている,とも言える。
なお,『大言海』は,副詞の「いっぱい」には,
満,
の字を当てている。慧眼というべきだろう。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「てんぱる」は,という言葉は,手元の辞書には一切載らない。『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/19te/tenparu.htm
には,「テンパる」という表記で,
「テンパるとは、焦る、いっぱいいっぱいになる(余裕がない状態になる)こと。」
と載り,平成になってから一般に使われ出したようである。そして,
「テンパるとは麻雀用語で『あと一枚で上がれる状態』を意味する『聴牌(てんぱい)』に俗語でよくある動詞化する接尾語『る』をつけたもので、もともとは『聴牌になる』という意味の麻雀用語だった(この場合、受動態の「テンパった(聴牌になった)」か過去形で使用されることが多い)。ここからテンパるは『準備万全の状態になる』や『目一杯の状態になる』という意味を持つようになる。更に2000年頃から後者の『目一杯の状態になる』が『余裕がなくなる』という悪い意味を持ち、『あわてて動揺する』『焦る』『のぼせる』『薬物で混乱する』など様々な余裕のない場面で使われるようになる。」
と解説する。どうやら,当初の「上がる直前」の状態表現の,
準備万全の状態になる→目一杯の状態になる,
から,その状態を評価する価値表現へと転じ,いまでは,価値が転倒し,
一杯一杯,
の状態,つまり,
ぎりぎりの極限状態,
を示す,いわば,
頭が真っ白な状態,
極度の緊張状態,
思考停止状態,
等々を示す,価値表現になっている。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/te/tenparu.html
も,
「テンパるは、元は麻雀用語。 麻雀で、あと一つの牌が入れば上がれる状態になることを
『テンパイ(聴牌)』といい、『テンパイ』に動詞化する接尾語『る』が付いた語が『テンパる』 である。
一般にも、準備が整った状態、余裕を持って対応できる状態を『テンパる』というようになり、物事が成就する直前であることを表すようになった。『直前の状態』『ぎりぎりの状態』という部分的な意味から,テンパるは『切羽詰る』『余裕がなくなる』といった悪い意味に転じて使われるようになった。」
としている。さらに,
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%A6/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
では,
「テンパるとは、緊張感やストレスが高まって余裕がなくなっている状態をいう。語源は麻雀用語の聴牌(テンパイ)。聴牌とは、麻雀のゲームにおいてあと一枚牌が揃えば上がり(勝ち)という状況を意味し、すべて準備が整ってあとは上がるのを待つだけなので、期待感が高まってワクワクすると同時に、緊張によりのどがかわいたり、顔がひきつったりするストレス症状が表れる。現実社会でこの『テンパる』という言葉を使う場合は、重要だけれどもいやな大仕事が直前に迫って準備に追われていたり、締め切り間近で上司からどなりまくられているというような、『もう少しで最高の結果が待っている』という期待は抜け落ち、ストレス症状だけがクローズアップされている状況で用いられることが多いようだ。」
と,より具体的だ。
「『もう少しで最高の結果が待っている』という期待は抜け落ち、ストレス症状だけがクローズアップされている状況」
という説明はわかりやすい。いい意味でも悪い意味でも,極限の心理状態をピンポイントで,トリミングした言い回しというのが正しいのかもしれない。
「テンパる」の同義語は,
頭の中が真っ白になる,
思考停止する,
一杯一杯,
になるので,
予想だにできない出来事に遭遇して,一時的に何も考えられなくなってしまう,
まるで心に余裕がないさま,
を指すが,「いっぱいいっぱい(一杯一杯)」は,「いっぱい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E4%B8%80%E6%9D%AF)
で触れたが,
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
にあるように,
「いっぱいいっぱいとは、容器などにものが限界まで満たされている状態を意味する『一杯(いっぱい)』を重ねた言葉で、今風にいえば『超いっぱい』といったような意味であり、自分の処理能力を超えた量の仕事を押しつけられたり、アクシデントが次々と起こったりして、精神的にまったく余裕のない状態を表現している。つまり、本日中に仕上げなければならない集計データを作成している最中にクレームの電話に出てしまい、そのクレームの原因となった商品説明書を探しまわっていると上司が『出したところにちゃんとしまっておかないからあわてることになるのだ』などととんちんかんな説教をしはじめるという、そんなばか上司に対して『おまえが電話に出ろ』と今にも叫んでしまいそうな切羽詰まった精神状態が『いっぱいいっぱい』である。」
と,まさに,「テンパる」状態そのものである。「パニックになる」状態を表現する,
パニクる,
も似ているが,どちらかというと,心理状態よりは,
周章狼狽する,
落ち着きをなくす,
大混乱になる,
バタバタする,
ドタバタする,
てんやわんや,
といった行動,振る舞いといった外部に顕れた混乱状態を表現している,と見ることができる。
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「ねこばば」は,
猫糞,
と当てる。『広辞苑』には,
「猫が脱糞後,脚で土砂をかけて糞を隠すからという」
とある。
知らん顔をすること,
落し物などを拾ってそのまま自分の物語にしてしまうこと,
といった意味である。他の辞書(『デジタル大辞泉』『大辞林』『大言海』)も,
猫が、糞 (ふん) をしたあとを、砂をかけて隠すところから,
という語源説を説く。『岩波古語辞典』には載らないので,どうやら,
江戸時代以降,
それも,
明治に近い幕末期からのものとみられる。『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/24ne/nekobaba.htm
も,
「ねこばばとは動物の『猫』と大便(糞)の幼児語『ばば』から成る言葉で、人様のものを隠し、自分のものとすることを意味する。例えば、道で拾った財布をそのまま懐に隠し、自分のものにして使ってしまうなどがこれにあたる。また、悪行を隠し、そ知らぬ顔をすることもねこばばという。これは猫が糞をした際、後ろ足で砂をかけて隠してしまうことからきている。」
としている。確かに,
「ばば(糞)しい」の転じたもの,
とされる,汚いという意味の,
ばばっちい,
という幼児語があり,さらに転じて,
ばっちい,
とも言う。『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/26ha/bacchii.htm
には,江戸時代以降の擁護として,
「ばっちいとは汚いという意味の幼稚語『ばばっちい(地域によっては『ばばしい』とも言う)」の略で、同様に汚いというの幼稚語だが、成人で使用する人も多い。ちなみに『ばばっちい(ばばしい)』の『ばば』とは糞や汚いものを意味する幼稚語である。』
とあるので,「猫糞」説もなくはないが,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ne/nekobaba.html
は,
「ねこばばは,猫が糞をした後に砂をかけて隠すことから喩えたもの。『糞(ばば)』は、大便など汚いものをさす幼児語である。江戸時代後期頃から用いられた語と思われ,それ以前に用例は見られない。一説には,猫好きの老婆が借金をなかなか返さなかったことから,猫好きの老婆が語源で『猫婆』を本来の形とする説もある。」
と「猫婆」説を取り上げている。他にも,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216030902
は,
「<1>糞説
「ばば」とは糞のこと。猫は糞をしたあと、かならず足で砂をかけて隠す習性があります。このことから、知らん顔をして他人のものを
自分の懐に入れて隠すことをいうようになりました。
<2>老婆説
人から借りたものをなかなか返そうとしなかったという、江戸時代に実在した『猫好き婆さん』に由来します。」
を挙げているし,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012719255
も,
「ねこばばは、猫が糞をした後に砂をかけて隠すことから喩えたもの。「糞(ばば)」は大便など汚いものをさす幼児語である。一説には、猫好きの老婆が借金をなかなか返さなかったことから、猫好きの老婆が語源で「猫婆」を本来の形ともする説もあるみたいです。」
と「猫婆」説を挙げる。『日本語源大辞典』も,
ネコバハ(猫糞)の義(すらんぐ=暉峻康隆・猫も杓子も=楳垣実・おしゃれ語源抄=坂部甲次郎),
猫婆の義。徳川中期,本所に住んでいた猫好きの老婆がよくばりであったところから(話の大辞典=日置昌一),
と,二説挙げる。
ただ,『日本語源広辞典』は,二説をこう説明する。
「説1は,『広辞苑』説です。『ネコが,ババ(糞)しても,足で土をかけて素知らぬ顔をしている』意とあります。説2は,警視庁刑事部編警察隠語集にある説です。江戸中期,日本橋に住むネコ好きのおばあさんが,よく他人のものをくすねるので,近所の人が「ネコババ」と言い出したとあります。クスネル意からは,説2が自然です。」
と,「猫婆」説に軍配を上げる。しかし,『江戸語大辞典』をみると,
ねこばば,
は,
猫屎,
とあて,
本来,
ねこがばばをふむ,
を略したもの,とある。
ねこがばばをふむ,
は,
猫が屎(ばば)を踏む,
とあて,
「猫がその屎を隠すことから,よからぬ事をしておきながら,知らぬ顔で隠しているたとえ,
とあり,
にやあが屎(ばば),
にゃあばば,
猫ばば,
とも言う,とある。用例に,弘化四年(1847)の『魂胆夢輔譚』の,
「知らぬ顔の半兵衛で,猫の糞(ばば)を踏んで居るも,其気は付きても錢なきゆえなり」
を挙げる。「ねこばば(猫屎)」の用例も,安永四年(1775)と,中期まで遡り,『寸南破良意』の,
「大方五つ明の客を取て居ゃァがって猫ばばの面で来て」
を挙げる。幼児語かどうかは,措くとして,
猫糞,
から来ていることだけは,はっきりしている。「猫婆」は,後付けの牽強付会説に思える。因みに,「屎」と「糞」の使い分けは,「屎(シ)」の字は,
「尸(シ)は,棒状にかたく伸びた死体のこと。屎は『米+音符尸』。大便は棒状でかたいのでシといい,食べた米のかすなので米をそえた。米印を矢の字で代用することもある。」
と明らかに人の糞であるが,屎尿の「屎」である。「糞」の字は,
「畑にばらまくさま+両手」
の会意文字で,
動物のフン,
の意もあるが,
肥料をまいて土地を肥やす,
という意味である。だから,正確には,
猫糞,
ではなく,
猫屎,
でなくてはならないのだろう。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
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「おくればせ」は,
後れ馳せ,
遅れ馳せ,
と当てる。
おくればせながら御礼申し上げます,
等々という使い方をする。
「遅れてその場に駆けつける」
というのが直接の意味だが,それをメタファにして,
時機に遅れたこと,
という意味に使われる。『実用日本語表現辞典』
http://www.weblio.jp/content/%E9%81%85%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89
は,表記の仕方を,
遅れ馳せながら,
遅れ馳せ乍ら,
後ればせながら,
後れ馳せながら,
後れ馳せ乍ら,
と並べ,
「最適な時期や機会が過ぎてから行う事柄について、『遅くなったが』あるいは『今更ではあるが』といった意味で前置きする言い回し。祝辞や弔辞のように、それにふさわしい機会があり、その機会を逃しても行っておくべきと判断されるような事柄について用いられやすい。『後れ馳せ』は、人に後れて馳せ参じること、後れてやって来ること、好機を逃すこと、などの意味の語。『ながら』は『ではあるが』と同様、相反する内容を含む前後の文を接続する表現。」
と説明する。
「おくれ」自体が,
後れ,
遅れ,
と当てる。『岩波古語辞典』は,
「オクリ(送・贈)と同根。自然の結果として,後からついていくようになるのが原義。転じて,後に残される意。また,つとめても力及ばず間に合わない意」
とある。
他のものより後になる→先をこされる→遅れる→残される→及ばない
といった意味の広がりになる。
贈る・送ると同根,
というのは,『大言海』を見ると分かる。「おくる」には,
送る 彼方へやる
贈る 送り与ふる
後る 後に残さる
と意味のつながりが見える。『日本語源広辞典』も,
「人を送った後に残るところから,送るのオクと,後る,遅ると,語根は同じと考えます。『後』と『遅』の使い分け意味は,…行程,時間が後になる。時間が間に合わない,進行から取り残される,死者を送って残る,時計が遅れる。」
とする。『大言海』は,「後る」を,
「措クの受身の措カルの,つづまりて,一つの自動詞となれるもの。撃たるの,壓(う)っとなる例なり」
と説くが,『日本語源広辞典』は,
「おくる(後になる,遅くなる)の下一段口語化」
とする。『日本語源大辞典』は,
何かを放ちやるの義のおくる(送・贈)と同根か(時代別国語大辞典)
事を措くの義のオク(置)より時の観念に移った(国語の語幹とその分類=大島正健),
オソクル(遅来)の義(名言通),
オソククルカラ(和句解),
奥の活用語(東雅),
と載せるが,やはり,
送る・贈る・後る・遅る,
を一連と考える方が妥当だろう。
「はせ(馳せ)」は,「はしる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E8%B5%B0%E3%82%8B)
で取り上げたが,『岩波古語辞典』には,
ハセ(馳)とハシリ(走)は同根,
とある。「走る」と同じ意なのだが,
馳せ参ず,
という言い方のように,
「馬などを駆けさせる,転じて,心の働きなどをある方向に向けて進める」(『日本語源大辞典』)
のように,気の急く感じが強い気がする。だから,
遅ればせながら,
の類語,
遅まきながら,
と比較すると,遅れたけれども,急いで間に合わせようとした,という気持ちの前のめりがある気がする。『実用日本語表現辞典』
http://www.weblio.jp/content/%E9%81%85%E3%81%BE%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89
は,「遅まきながら」を,
「今さらではあるが。『遅まき』とは、遅い時期に播種を行うこと。」
と,時機を逸した感がまさるようである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「一張羅(いっちょうら)」は,
一丁羅,
一帳羅,
とも当てるが,
持っている着物の中で,一番上等のもの,唯一枚の晴れ着,
一枚しか持っていない着物,一枚看板,
という意味である(『広辞苑』)。『広辞苑』には,
「一本の蝋燭の意の『一挺蝋』の転とも,ただ一枚の羅(うすぎぬ)の意ともいう」
と二説を並列に挙げる。『大言海』は,
「俚言集覧『一挺蝋といふ事にて,たしなきといふ意也。それを訛てかくいへり』とあり,嬉遊笑覧『今,部屋方のものの,一チャウラと云ふことは,衣服ももたぬものの,只一つあるやうのことに云ふことは,訛りたるなり』とあるを思へば,はじめはタシナキの意なりしを,後に,一つある衣服といふに転じて,かけがへなきものとして,美服,又は晴着となりしなるべし」
は,「一挺蝋」の転説を取る。『岩波古語辞典』には,
一挺蝋,
しか載らず,
たった一本で,ともし替えのない蝋燭,
の意とし,
一挺蝋燭とも言う,
と載る。他も,ほぼ,「一挺蝋」の転訛説を取る。たとえば,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E4%B8%80%E5%BC%B5%E7%BE%85
は,
「由来は、『一挺蝋燭(いっちょうろうそく)』から来たとする説が有力。『挺』は蝋燭や銃、刀剣など、細長い物を数える時に使う単位。かつて蝋燭は貴重品で、『一挺蝋燭』とは客のために用意した、たった1本の蝋燭という意味。その『いっちょうろうそく』が『いっちょうろう』と略され、さらに『いっちょうら』と音変化して、たった一枚の晴れ着を意味するようになった。意味の変化に応じて『一張羅』と当てて書くようになり、『張』は衣服や幕、弓などを数える単位で、『羅』は薄い絹布、薄絹のこと。」
としているし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/ittyoura.html
も,
「一挺蝋(いっちゃうらう、現代仮名で『いっちょうろう』)」が訛った語。
一挺蝋とは、予備のない一本だけのロウソクをいった言葉で、ロウソクが高価なものであったことから生まれ た言葉である。
現代でも『一張羅』を『一丁蝋燭(いっちょうろうそく)』という地方がある。江戸末期には『たった一枚の羅(うすぎぬ)』という意味でもちいられるようになった。」
とする。しかし,
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E4%B8%80%E5%BC%B5%E7%BE%85-%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
も言うように,
「語源は、一本しかなくて替えのきかない貴重なロウソクをいう『一挺蝋燭(いっちょうろうそく)』が訛った『一挺蝋(いっちょうら)』からとも、漢字の意味そのままの一枚の羅(うすぎぬ)からともいわれる。後者のほうが自然な語源のように感じられるが、『一挺蝋』という言葉もちゃんと古語辞典に載っているので、語源として採用してあげたい気もわからないではない。」
とあるように,「蝋燭」と「羅」では違いすぎる。たしかに,「蝋」の字は,「ロウ」と訓むが,呉音漢音で,「lá」とも訓むことは訓むにしても,そんなに大事な物の意の「一挺蝋燭」は,語を変えず,「一挺蝋」のまま,大切な物の意として使っていいはずではないか。現に,その言葉が,「一張羅」の意味で使われているのだし。
『江戸語大辞典』には,「一挺蝋」は載らず,「一張羅」のみが載る。
「たった一枚きりの大切な着物。晴着であるとは限らない」
とある。「羅」の字は,
「网(あみ)+維(ひも,つなぐ)」
で,網の意である。しかしわが国では,
「透けるように薄い絹織物」
を指す。『日本語源広辞典』は,「一張羅」は,
「一帳(一枚の)+羅(うすもの,上等の着物)」
とし,別に,「一挺蝋」の項で,こう書く。
「語源は,『イッチョウロウ(一挺蝋・灯し替えのできない蝋燭)』です。最高級の貴重な工藝美術的蝋燭をいいます。これが服装の一張羅の語源だとするのは疑問です。ただし,イッチョウロウが,工芸品のような高級大蝋燭なので,一挺の値が高給の和服の価格に匹敵するほどの高値であったといわれているのが,語源に混乱を生じた真相です。」
しかし,「一挺蝋燭」が,
差し替えのない一本しかない蝋燭,
という意味であって,それが高価品であるとは,『日本語源広辞典』のみが言っている。
ただ,「一張羅」には,
一枚看板,
の意味もある。「一枚看板」とは,『江戸語大辞典』には,
元来は上方語であった,江戸語では,大名題(おうなだい)という。転じて,この看板の上部に絵組に描かれる大立者の役者。さらに一般用語になって,その家またはその社会の中心人物。最も傑出している人物,
とある。つまり,連記されず,一枚の看板に名を書かれる,という意味だ。これは,
一挺蝋,
の,代替のない意味と重なる。単位としての,
一丁,
一帳
一挺
の差は,『大言海』『デジタル大辞泉』等々によると,「一丁」は,
豆腐,鼓,剃刀,籠,鋤などの一箇の称,
「一帳」は,
弓,琴,幕,袈裟,毛皮等々を数える称,
「一挺」は,
墨,蝋燭,鉄炮,鑓,三味線,輿 ,駕籠 ,人力車,酒・醤油などの樽などを数える称,
となる。ただ,
挺,梃,丁,
は交換されることがあるようだ。
漢字を調べてみると,「張」の字は,
「長は,長く頭髪をなびかせた老人の姿。張は『弓+音符長』で,弓に弦を長く伸ばしてはること。ピンと長く平らに伸びる意を含む」
で,紙や平らにはり伸ばす物や,琴など弦を張ったものを数える単位。
「帳」の字は,
「長は,頭の上に長い髪の毛がなびく老人の姿を描いた象形文字。帳は『巾(ぬの)+音符長』で,長いたれた布のこと。のち長い布や幕を数える単位となった」
で,幕やとばりなどを数える単位。「丁」の字は,
「甲骨・金文は特定の点,またはその一点にうちこむ釘の頭を描いたもの。篆文はT字型に書き,平面の一点に直角にくぎをあてたさま。丁は釘(テイ くぎ)の原字」
で,単位で使うのは,我が国だけのようである。「挺」の字は,
「廷の右側の部分は,直立した人のすねが伸びたことを示す指示文字。壬(ジン)とは別字。廷(テイ)は,まっすぐに進む,まっすぐにならした庭などの意。挺は『手+音符廷』で,まっすぐに前進して列の前に抜け出ること」
で,飛び抜けているという意味。他のように単位を指しているわけではない。「廷」の字のもつ,
他に抜きん出ている,
という含意が,
一挺蝋燭,
にあり,それが,「帳」や「張」や「丁」に代わっても,余韻のように響いているとすると,羅と蝋燭が,入れ替わることは少し信じがたいが,「一張羅」「一挺蝋」の両者に,陰翳としてまとわりついているとするなら,
一挺蝋燭→一挺蝋→一張羅,
も,信じていいような気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「一点張り(いってんばり)」というのは,
賭博で,同じところにばかり賭けること,
他を顧みず,思い込んだことを頑固に押し通すこと,
という意味になる。
知らぬ存ぜぬの一点張り,
分からないの一点張り,
という使い方をする。通常,前者の賭博という特定分野での用例が,一般化したと見るのが常識かもしれない。『広辞苑』『デジタル大辞泉』『大辞林』も同様に説明する。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/ittenbari.html
も,
「近世後期の博打用語。 さいころ博打や花札などで、同じところばかり賭け続けることを『一点張り』と言った。
そこから、他の事をかえりみず、ひとつの事だけを押し通すことを
言うようになった。『仕事一点張り』と言えば『仕事ばかりしてつまらない人』といった意味。『仕事一筋』と言う場合は『ひたむきに仕事をする人』といった意味で使われるように、普通、『一点張り』にはマイナスの要素が含まれ、『一筋』にはプラスの要素が含まれている。」
とするし,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E4%B8%80%E7%82%B9%E5%BC%B5%E3%82%8A
も,
「もとは、花札やサイコロなどの賭け事で、同じところばかりに賭けることを『一点張り』と言った。そこから、他の事をかえりみず、ひとつの事だけを押し通すことを言うようになった。一点張りはあまり賢い賭け方とはいえず、この言葉は良い意味ではあまり用いられない。」
とする。『江戸語大辞典』も,
「一事物にのみ心を注ぐこと。また,強情なこと。また,賭博用語で,同じ所にばかり賭けること。」
とし,『日本語源広辞典』も,
「『一点(一つの所)+張り(賭け札を張る)』です。丁か半かどちらか,一方ばかりに賭ける意です。」
とする。この語は,『岩波古語辞典』『大言海』には載らない。
しかし,丁半賭博なら,
一つのことにこだわって,反か丁を頑固に押し通す,
のが,まったく理にかなっていないわけではない気がする。一般には,たとえば,コイン投げで,
「100 回コイントスして表が最大 5 回連続して出る確率は 26% ・ 100 回コイントスすると、表が最大 6 回ぐらい連続して出る(逆に 6
回連続して表を出すには 100 回コイントスすればよい ) ・ 100 回コイントスすると、表または裏が最大 7 回ぐらい連続して出る」
と言われる。もちろん,プロは,自在に賽の目を操れるらしいけれども。
ある意味,「一点張り」の類語を見ると,
一本槍(一途,ひたすら,一向,一辺倒,真一文字,一筋),
といった,そのことだけしか眼中にないという,状態表現があり,
終始一貫(頑固,粘り強い,性懲りもない,不退転,首っ引き,ワンパターン,心を奪われる),
といった,そのマインドのある面では強さと,頑なさを示す,価値表現となり,さらに,
相手の言うことを素直に聞かないさま(意見を聞かない,聞き分けのない,分からず屋,片意地な,意固地な),
と,相手から見たときの手に余る拒絶感といった,価値表現へとなり,さらには,
頑として撥ねつける硬直さ(非妥協的な,不退転,不服従,容赦のない,強腰)
といった,壁のように立ちはだかるといった,価値表現をも含む。
これは,「一点」というピンポイントを,絶対に譲らないということの,良い悪いは別とした,姿勢への周囲の評価といっていい。
「張る」は,『岩波古語辞典』には,
「糸・綱・布・網などで作られたものを,ぴんとたるみなく引きわたし拡げるのが原義」
とある。『日本語源広辞典』は,
「本来の二音節語『ハル(張)』です。伸ばし,広げる,ふくれる意です。糸をハル,テントをハル,根がハル,腹がハル,氷がハル,勢力をハル,のハルです。また,障子をハル,のハル(貼)などのハルも同源です。広げのばし,糊などで貼り付けることをいいます。漢語の貼付の意です。」
とある。漢字の「張」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E8%B5%B0%E3%82%8B)
で触れたように,
「長は,長く頭髪をなびかせた老人の姿。張は『弓+音符長』で,弓に弦を長く伸ばしてはること。ピンと長く平らに伸びる意を含む」
で,
ぴんと伸ばす,
という含意は同じである。『大言海』は,「はる(張)」を,三項に分けて載せる。
広く開く(開帳,凍結等々),
広く開き延ぶる(広げる,引き延べ渡す等々),
張りて付ける(貼る等々),
と区別している。しかし,どうやら,「一点張り」の,多義性は,
張る,
という言葉のもつ,
ぴんと張る,
たるみなく伸ばす,
ふくらます,
一面に満ちふさがる,
緊張させる,
突き出る,
等々の含意をまとわせていることがよく分かる。
参考文献;
https://matome.naver.jp/odai/2134715343486868701
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第86回ブリーフ・セラピー研究会 定例研究会「カウンセリングのコツ」(平木典子先生)に参加してきた。
事前アンケートがあり,カウンセリングをするためのコツとして,以下の6点のどれを重視するか,との問いがあり,以下のような結果となった。
1.主訴や語りの中に潜む希望に向けた支援(人々の二重の語りを聴きとり、語られなかった自己を発見する):48票
2.人は違っているから助けることができる(適切な違いがなければ変化は生まれない):12票
3.とらわれの中に自己開放の芽(とらわれは転機の信号):37票
4.ひとは生物的、心理的、社会的存在だけでなく、スピリチュアルで倫理的な存在であることを支援する(アイデンティティや人生観があるひとの支援):19票
5.カウンセリングはクライエントが個性を保ちつつ社会のメンバーになることを目指す15票
6.カウンセリングとはクライエントの構成した人生を聞き、脱構成し、共に新たな語りを共構成していくこと31票
この結果,上位に上がった,
主訴や語りの中に潜む希望に向けた支援(人々の二重の語りを聴きとり、語られなかった自己を発見する)
とらわれの中に自己開放の芽(とらわれは転機の信号)
カウンセリングとはクライエントの構成した人生を聞き、脱構成し、共に新たな語りを共構成していくこと
三点は,今日のナラティヴ・アプローチの主要な観点と一致する,とのことであった。つまり,今日的なカウンセリングのテーマなのである。
共通するのは,
ダブル・リスニング,
と表現された,カウンセラーの(聴く)姿勢であるように思う。たとえば,
語られていることとは裏腹に,クライアントの思いや感情を見極めていく,
というのは,基本姿勢だが,それは,
リフレーミング,
が,クライアントの思いや事柄を,プラスに意味を置き換えていく,のと同じく,ただ,クライアントの,
語っているそのこと,
語っている事態そのもの,
というピンポイントでしかない。ここでのダブル,つまり二重に聴き取っていくのは,
同時進行している二つの物語,
を聴くことである。それは,
生きた物語,
と
生きられなかった物語,
である。「生きられなかった物語」とは,
やりたいと思ってやれなかったこと,
どこかに置き残してきた自分,
ということでもある。
「(カウンセラーとクライアントの)二人が話していて,それが見つけられなかったら,クライアントが話したことは意味がない。」
のでもある。だから,逆にいえば,カウンセリングとは,
「自分の物語を語ることで,その人らしく生きるのを助けること」
あるいは,
「隠れているクライアントの生きる意味を伴った物語とテーマの再発見」
でもある。これは,「物語」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-1.htm#%E7%89%A9%E8%AA%9E)
で触れたように,
ドミナント・ストーリー,
の代わりに,
オルタナティブ・ストーリー,
を見つけ出すことと言ってもいい。
「人々が治療を求めてやってくるほどの問題を経験するのは,彼らが自分たちの経験を『ストーリング』している物語と/または他者によって『ストーリーされて』いる彼らの物語が,充分に彼らの生きられた経験を表していないときであり,そのような状況では,これらのドミナント(優勢な)・ストーリーと矛盾する彼らの生きられた経験の重要な側面が存在するであろう,というものである。」
「人々が治療を求めるような問題を抱えるのは,(a)彼らが自分の経験をストーリングしている物語/また他人によってストーリーされた彼らの経験についての物語が充分に彼らの生きられた経験を表しておらず,(b)そのような状況では,その優勢な物語と矛盾する,人々の生きられた経験の重要で生き生きとした側面が生まれてくるだろう」
ということで,そのために,ソリューション・フォーカスト・アプローチなら,
例外探し,
ナラティヴ・アプローチなら,
「ドミナント・ストーリーの外側に汲み残された生きられた経験のこれらの側面のことを『unique outcome』と呼ぶ」
ユニークな結果,
を探し出し, 生きることのできなかった物語を復元していかなくてはならない。あるいは,「ナラティヴ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-1.htm#%E7%89%A9%E8%AA%9E)
で触れたように,「未だ語られていないこと」とは,通常,
リソース,
という言い方をする。これについて,マイケル・ホワイトは,
「ぼくらは個人が自己というものをもっているとか,リソースをうちにひめているとは考えない。自分もリソースもむしろ今ここで創り出していくもので,この場で発見し育て上げていくものだから」
という。それはこういうことだ。
「意味は一つだけ,なんてことはないということだ。すべての表現が,まだ表現されていない部分をもち,新たな解釈の可能性をもち,明確にされ言葉にされることを待っている。…すべてのコミュニケーション行為が無限の解釈と意味の余地を残しているということなのだ。だから対話においては,テーマもその内容も,意味をたえず変えながら進化していく。(中略)私たちがお互いを深く理解するというのは,相手を個人(という抽象物)として理解するのではない―表現されたものの総体として理解するのである。この過程に対話が変化を促していくからくりがある。
そこで私たちは,この『語られずにある』部分を言葉に直し,その言葉を拡げていくことがセラピーだと考える。そこでは,対話を通して新しいテーマが現れ,新しい物語が展開されるが,そうした新しい語りはその人の“歴史”をいくぶんでも書き換えることになる。セラピーはクライエントの物語の中の『未だ語られていない』無限大の資源に期待をかけるのだ。そこで語られた新しい物語を組み入れることで,参与者たちはこれまでと異なる現実感を手にし,新しく人間関係を築いていく。これらは『表現されずにあった領域』に埋蔵された資源,リソースからでてきたものではあるが,その進展を促すためには,どうしてもコミュニケーションすること,対話すること,言葉にすることが必要となる。」
その鍵となるのは,「分かったつもりにならない」
無知の姿勢,
による,細部にわたるカウンセラーの質問する力ということになる。
参考文献;
マイケル・ホワイト&デビット・エプストン『物語としての家族』(金剛出版)
ハーレーン・アンダーソン,ハロルド・グーリシャン『協働するナラティヴ』(遠見書房)
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「ひたむき」は,
直向き,
と当てる。
物事に熱中するさま,一途なさま,
という意味である。しかし,この語,『岩波古語辞典』にも『大言海』にも載らない。語源は,『日本語源広辞典』によると,
「ヒタ(いちず)+ムキ(向き)」
とある。類語で言うと,
ひたすら,
という言葉がある。この「ひた」と関わるのではないか。「ひたすら」は,
頓,
一向,
只管,
と当てる。『広辞苑』には,
「一説には,ヒチはヒト(一)と同源」
とある。とすると,「ひたむき」に,
直向き,
と当てるのは,当て字ということになる。「ひたすら」の意味は,
ただそればかり,いちず,切に,
程度が完全なさま,すっかり,まったく,
となるが,後者は,意味の外延を拡げた結果と思われる。
只管,
は,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%AA%E7%AE%A1
によると,宋代の中国語で,
只管 (ピンイン:zhǐguǎn),
で,
かまわず〜する,遠慮せず〜する。
ひたすら〜する,〜ばかりする。
という意味らしい。明治以後戦前まで,使われたという。道元が,修行の後,
只管打坐(只管打座 シカンタザ),
という言い回しを『正法眼蔵随聞記』で用いたために広まったのではないか。「只管」は,
いちずに一つのことに専念すること,
で,「打坐(座)」(たざ)は,
座禅すること,
である。
で,「ひたすら」に,「只管」を当てたということになる。では,「ひたすら」の語源は,というと,『岩波古語辞典』の「ひたすら」の項には,
「ヒタはヒト(一)の母音交替形。古くは,去る,なくなる,離れるなど,すっかり失せる意を表す動詞を形容する。後に一般化して用い,一途にの意。類語ヒタブルは,あたりかまわず積極的にの意から転じて,もっぱら,一途にの意となり,ヒタスラと接近した。」
こうある。しかし,『大言海』は,
「直向(ヒタスク)の意かと云ふ」
とし,『日本語源広辞典』も,
「ヒタ(直)+スラ(つらぬく・筋)」
とする。なお,「只管」と当てたについて,『日本語源広辞典』は,
「平安時代の留学生が日本語のヒタスラに当てた語」
という。宋時代の言葉ゆえだろう。『日本語源大辞典』は,
ヒタスラ(直向)の義(大言海),
ヒタスラ(直尚)の義(言元梯・日本古語大辞典),
ヒタはヒト(一)に同じ。スラはツル(弦)と同源一すじの意(日本語の年輪=大野晋),
ヒタは直,スはサ変動詞終止形,ラは動詞終止形について情態語を作る接尾辞(古代日本文法の研究=山口佳紀),
ヒタは直または混の義か(名語記),
ヒタスラ(常尚)の義(和訓栞),
コタチサラ(日立更)の義(名言通),
と並べる,「ヒタ」を,
ヒト(一),
か
ヒタ(直),
か,
というところだが,『日本語源大辞典』は,「ひた」の項で,
「一(ヒタ)の交替形であろうとする説が有力である。」
と述べている。
この「ヒタ(一)」の音韻変化を整理しているのが,『日本語の語源』である。
「一列に並びつづくことをヒトツラネ(一連ね・一列ね)といった。語尾を落としたヒトツラ(一連・一列)は,トの母韻交替(oa),ツの子音交替(ts)でヒタスラ(只管・一向)に転音した。
『もっぱら。ただもう。いちずに。ひとすじに。ひたむきに。専心』など,一つに集中するさまをいう。〈ヒチスラ,世を貪る心のみ深く〉(徒然草)。また,『全然。全く。残りなく。すっかり』など,程度が完全なさまをいう。〈あるはヒタスラに亡くなり給ひ,あるはかひなくて,はかなき世にさすらへ給ふ〉(源・朝顔)
省略形のヒタ(直)は,接頭語になって多くの複合語を造った。『ひたむき。ひたすら。むやみ。いちず。まっすぐ』の意を添えて,次のような詞が成立した。
ヒタぶる(一向)。ヒタ走り。ヒタ押し。ヒタ登り。ヒタ打ち。ヒタ切り。ヒチ落し。ヒタ向き。ヒタ隠し。ヒタ逃げ。ヒタ攻め。ヒタ退き。ヒタ降り。ヒタ騒ぎ。ヒタ濡れ。ヒタ照り。ヒタ心。ヒタ路。ヒタ裸。ヒタ土(地面に直接ついていること)。(中略)
『ヒタスラ謝り』は,語中のタスを落として『ヒラ謝り』になった。」
と。
ヒト(一)→ヒタ(直),
へと転じたことで,当て字が変わったということか。
なお,『デジタル大辞泉』は,「ひたすら」「いちず」「ひたむき」について,
「『ひたすら』は、もっぱらそのことだけを行う意で用いることが多い。『ひたすらおわびいたします』『ひたすらお願いするしかなかった』。『いちず』は気持ちのあり方に重点があり、他を顧りみず、一つの事柄だけに打ち込む意で用いることが多い。『いちずに思い込む』『勉学いちずの毎日』。「ひたむき」。脇目もふらず一つの事に熱中する意で、『いちず』に近い。『ひたむきな態度』『ひたむきに生きる』。」
しかし,「ひと(一)」と「ひた(直)」は同じと考えると,用例から区別した差異にすぎないと見える。
参考文献;
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)上へ
「豹変」は,
「『易経』(革卦)君子豹変 小人革面」
が出典らしく,『広辞苑』には,
「(豹の毛が抜け変わって,その班文が鮮やかになることから)君子が過ちを改めると面目一新すること。また自分の言動を明らかに一変させること。今は,悪い方に代わることをいうことが覆い。」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/hyouhen.html
には
「『易経(革卦)』の『君子豹変す、小人は面を革む(あらたむ)』に由来する。これは、豹の毛は季節によって抜け替わり、斑紋が鮮やかになるように、徳のある君子は過ちを改めて
善い方に移り変わるが、小人(徳のない人)は表面的に改めるだけで本質は変わらないといった意味である。つまり、良い方へ変化することを言ったものだが、現在では悪く変わる意味でもちいられる。豹変が悪い方へ変化する意味となったのは、『小人は面を革む』までを含めたというよりも、『豹』という動物の恐ろしいイメージから連想させたものと思われる。」
とある。しかし,これでは,
君子豹変
小人革面
と対にして,君子と小人を対比させ,
君子は丸ごと改まるが,小人は,ただ顔を改めるだけだ,
という意味にしかならない。ところが,『故事ことわざ辞典』
http://kotowaza-allguide.com/ku/kunshihyouhen.html
も,やはり,
「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人はただ外面を改めるだけである)」
と解釈している。
『易経(えききょう)』「革」は,
「革は已日(いじつ)にして乃ち孚(まこと)とせらる。元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし(元亨利貞),悔ひ亡ふ。 」
と始る。「已日」は,
「已(すで)に至るの日とみすれば已日(いじつ)であり,また一説には,己日(きじつ)に読み,己は十干(じっかん)の己(つちのと)の意味で,十干は戊己が真ん中にあり,己の日になれば真ん中を過ぎる故に,盛りを過ぎて変革するべき時とする」
とある。つまり,
時宜を得し日,
となれば,ということになる。「元亨利貞(げんこうりてい)」は,
「元」(げん)は、始まりで芽をだすことと、そうなる力
「亨」(こう)は、成長することと、そうなる力
「利」は、果実を実らせることと、そうなる力
「貞」は、種子に完成することと、そうなる力
であり, 春夏秋冬に対応している,という。
「革は時至って孚(まこと)となる。」
とは,時機,を指す。
「元(おお)いに亨(とお)りて貞(ただ)しきに利(よ)ろし(元亨利貞),悔ひ亡ふ。」
とは,時機が正しければ,悔いはない,ということなのだろう。
「ものを革(あらた)めるには已日すなわち已(すで)に革むべき時に至って後にこれを革めれば,人々もこれを孚(まこと)ととして信服する。大いに亨(とお)るべき道すがら。ではあるが,みとよりその動機・実践ともに貞(ただ)しきことを利(よ)ろしとする。このようであれば,革新・革命を行っても悔いはきえてなくなる。」
という意味になる。これを前提に読まないと,その先の「彖伝(たんでん)」(文王の繫けたもの)、「象伝(しょうでん)」(周公の繫けたもの)の意味がよく読めないのではないか。たとえば,
「彖傳に曰く,革は水火相い息し,二女同居して,其の志の相得ざるを革と曰う。已日ににしてすなわち孚(まこと)とせらるるは,革めて之れを信ずるなり。文明にして以て説(よろこ)び,大いに亨(とお)り四時成り,湯武は命を革めて,天に順(したが)いて人に応ず,革の時、大なるかな。
」
「象傳に曰く、 澤中(たくちゅう)に火有るは革なり。君子以て厤(こよみ)を治め時を明らかにす。 」
と続く。そして,次のように「卦辞」(彖傳)と「爻位(こうい)」(象傳)が説明せられている。
「初九。鞏(かた)むるに黄牛の革を用う。
象傳に曰く,鞏(かた)むるに黄牛の皮を用うとは,以て為す有る可らざるなり。
六二。已日にしてすなわちこれを革(あらた)む。征けば吉にして咎なし。
象傳に曰く, 已日にしてこれを革むとは,行きて嘉きことあるなり。
九三。征けば凶なり。貞(ただ)しけれども氏iあやう)し。革言の三たび就(な)れば,孚(まこと)あり。
象傳に曰く, 革言三たび就れば,また何くにか之(ゆ)かん。
九四。悔亡ふ。孚(まこと)ありて命を改めれば,吉なり。
象傳に曰く, 命を改むるの吉とは,志を信ずればなり。
九五。大人(たいじん)虎変す。未だ占はずして孚(まこと)あり。
象傳に曰く, 大人(たいじん)虎変するとは,その文炳(あきら)かなり。
上六。君子豹変す。小人は面(つら)を革む。征れば凶。居れば貞(ただ)しくして吉なり。
象傳に曰く, 君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり。」
とある。
「君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり」
とある。つまり,この文意は,
君子豹変
と
小人革面
を対比しているのではない。この意味から考えると,『四字熟語図書館』
http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ku/yoji_ku_3.html
の,
「豹の毛が夏や秋頃になると光沢鮮やかに一新される様を例えた言葉。 その自らの内に秘めていた信念や志を、時宜を得て一気に光芒させる様をいう。
現在では悪い意味で変化することに用いる場合が多いが、原義に悪い意味はない。
出典は易経の革の卦で、革の卦は時局が行き詰った時にそれをどのように革新するかの原理を説いたもの。
態度や主張を突如として塗り替えることを「小人革面」とし、君子豹変に従って小人すらも感化され、自然と面を革めると論じ、下よりの革新機運の醸成と共に徐々に推し進め、時宜を得て果決断行することの重要性を説く。」
の説明が,もっとも正確である。つまり,
君子が豹変すれば,小人も面を革める,
という意味である。だから,その前の,
「大人(たいじん)虎変す。未だ占はずして孚(まこと)あり。」
とセットと考えればいい。
「大人(たいじん)虎変するとは,その文炳あきらかなり。」
「君子豹変すとは,その文は蔚(うつ)たるなり。 小人面(つら)を革むとは,順にして以て君に従ふなり。」
岩波版は,
「大人虎変すとは,その毛の文様がさらに炳(あきら)な輝くことである」
「君子豹変すとは,その毛の文様が蔚(うつ)然として美しくなるということである。小人面を革むというのは,従順に新しい君に従うということである。」
と訳す。つまり,
「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人はただ外面を改めるだけである)」
と解釈するのは間違っているのははっきりしている。
なお,『易経』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%98%93%E7%B5%8C)については触れた。
参考文献;
高田真治・後藤基巳訳注『易経』(岩波文庫)
http://divineprinciple.hatenablog.com/entry/2016/12/26/094405
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_144.html#note_g_284
http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ku/yoji_ku_3.html
上へ
「呉下の阿蒙」は,
呉下の旧阿蒙,
とも言う。
呉下の阿蒙にあらず,
という意味である。『広辞苑』には,
『三国志(呉志呂蒙伝,注)』
として,
「魯粛(ろしゅく)が呂蒙(りょもう)に会って談義し,『初めは君を武略に長じているだけの人だと思っていたが,今は学問が上達して,呉にいた時代の蒙君(阿蒙の『阿』は発語)ではない』といった故事から)昔の儘で進歩していない人物,学問のないつまらない者」
の意とある。「発語」は,
ほつご,
はつご,
と訓み,
言い出しの言葉,
文句の始まりに置く語(さい,そもそも等々)
語調をととのえるための接頭語(さ霧,か弱し等々),
とあるが,この場合も「阿」は親しみを込めて人の名前の前につける言葉,「呉下」は呉の国にいるという意。魯粛,呂蒙ともに,三国時代,呉の孫権に仕えた武将である。
『故事ことわざ辞典』には,「呉志・呂蒙伝・注」を,
「粛拊(うつ)蒙背曰,我謂,大弟但有武略耳,今者学識英博,非復呉下阿蒙。蒙曰,士別三日,即更括目相待。」
とある。つまり,
「粛蒙の背を拊(う)ちて曰く,我謂(おも)えらく,大弟但(ただ)武略有るのみと,今は学識英博にして,復(また)呉下の阿蒙に非ずと。蒙曰く,士別れて三日,即ち更に括目して相待つと」
と。ここで,
「士別れて三日まさに刮目して相待すべし。」
とセットであることがわかる。いまだと,
「男子三日会わざれば刮目して見よ。」
といった言い方になる。上記の「呉志・呂蒙伝・注」には,前段がある。「士別れて三日まさに刮目して相待すべし。」の項に,こうある。
「江表伝曰,初権謂蒙及蒋欽曰,卿今並当塗掌事,宜学問以自開益,(略)蒙始就学,篤志不倦,其所覧見,旧儒不勝,後魯粛上代周瑜,過蒙言議,常欲受屈,」
と。これに,「粛拊蒙背曰」云々,
「粛拊(うつ)蒙背曰,我謂,大弟但有武略耳,今者学識英博,非復呉下阿蒙。蒙曰,士別三日,即更括目相待。」
と続き,
「大兄今論,何一称穣侯乎」
と続く。
「(呉の歴史書)江表伝に曰く,初め権蒙及び蒋欽に謂って曰く,卿今並びに塗に当たりて事を掌る,宜しく学問して以て自ら開益すべし。(略)蒙始めて学に就き,篤志倦まず,其の覧見する所,旧儒も勝たず,後魯粛周瑜に代わりて,蒙を過(よぎ)りて言議し,常に屈を受けんと欲す。」
最後は,
「大兄の今の論,何ぞ一に穣侯を称するか」
となる。
「宰相として内政を行うだけでなく,自らも将軍として戦地に赴くなど武に優れた面もあった」
とされる穣侯に準えた,ということのようだ。
どうやら,蒋欽と呂蒙は,共に孫権から勉学に励むように諭され,必死に書物を読んで勉強し,呂蒙は蒋欽とともに,孫権に「その行いは人々の模範となり、国士である」と賛嘆された,ということらしい。この流れは,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E8%92%99
によれば,
「魯粛が周瑜の後任として陸口に赴く途中、呂蒙の軍営の前を通った。呂蒙に対し、魯粛があれこれ質問してみると、勉学に励んでいた呂蒙は何でもスラスラと答えてしまったという。魯粛は関羽対策について、逆に呂蒙から5つの策略を与えられることになった。」
ということになる。『日本大百科全書(ニッポニカ)』では,「呉下の阿蒙」の出典を,『十八史略』「東漢・献帝」の故事としているが,
『呉志』呂蒙伝の注に引く,『江表伝(こうひょうでん)』
が出典である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%A1%A8%E4%BC%9D
にあるように,『江表伝』は,
「西晋の虞溥が編纂した呉の歴史書である。『旧唐書』「経籍志」に「江表伝五巻、虞溥撰」とある。早く散逸したため、清の王仁俊が輯本(ただし1条を載せるのみ)を編し『玉函山房輯佚書補編』に収載されている。」
ので,注に載せているのみと見ることができる。なお,
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-gokanoamo.htm
に,呂蒙が関羽を破った逸話が載っている。
なお「呂蒙(りょもう 178年 - 219年)」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E8%92%99
に,また「魯粛(ろしゅく 172年 - 217年)」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%AF%E7%B2%9B
に,「蒋欽(しょう きん ?− 219年)」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E6%AC%BD
に詳しいし,「穣公(魏冄 生没年不詳)」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E3%82%BC%E3%83%B3
に詳しい。また,『江表伝』についても,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%A1%A8%E4%BC%9D
に詳しい。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E4%B8%8B%E3%81%AE%E9%98%BF%E8%92%99
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)上へ
「とろ」には,
とろろ汁の略語やとろとろの略語を除くと,
瀞,
と当てるものと,
トロ,
いわゆる,中トロ,大トロの「とろ」がある。「瀞」は,
どろ,
とも言うらしいが,
河水が深くて流れの静かなところ,
という意味である。
長瀞(ながとろ),
瀞峡(どろきょう),
瀞八丁(どろはっちょう),
というのは,その瀞である。
川の流れが緩やかで波の立たないところのことである。峡谷・渓谷の地名によく出てくる(『大辞林』),
という説明でよくわかる。
「瀞」(呉音ジョウ,漢音セイ)の字は,
「水+音符静」
とで,しずかなさまとか清らかなさま,の意で,
河の水が深くよどんで流れの緩やかなところ,
の意は,わが国だけの用法である。語源は,擬態語のように見える。『大言海』は,
「ノロシのトロシと転じ,其の略語」
とし,『日本語源広辞典』は,
「トロトロ(擬態語)」
で,
「とろけるように静かに流れるところの意」
とする。『日本語源大辞典』は,
「川の水流に浸食されてできた深い淵で,流れの緩やかなところ」
いちばん正確に意味を記している。語源説は,「ノロシの転トロシの略」(『大言海』)の他に,
トはトマル(止)の義,ロは助語(俚言集覧),
を載せる。擬態語が擬音語と思うが,
「とろい(し)」
という言葉は,「鈍い」「愚か」という意味だが,
火などの勢いが弱い,
という意味もある。もともとは,
とろとろ,
ということばの動詞化のように見える。
本来の形を失って濃い粘液状になったり柔らかくなっているさま,
火力が弱いさま,
眠気がさして短時間浅く眠るさま,
という意味だ。『擬音語・擬態語辞典』によれば,「とろとろ」の「とろ」に接尾語「めく」「つく」を付けた,「とろめく」「とろつく」という言い回しがある,とある。さらに,
トロ火,
とろい,
の「とろ」も「とろとろ」の「とろ」と同じで,
「勢いが弱いとか動作や反応がのろいという意味」
とある。つまり,それが「瀞」の語源とみられる。濁音の「どろどろ」は,
「固形物がとけるなどして粘り気の強い不透明な液状になる様子」
で,「どろん」は,
「空気や液体が重くよどんでいる様子」
で,「とろとろ」は,
「どろどろより粘り気が弱く,滑らかな様子」
と対比している。「瀞」を,
どろ,
と呼ぶのは,かなりよどみが重い,ということなのではないか。因みに,「どろ」は,
泥,
と当てるが,「どろどろ」の「どろ」で,
水が混じって柔らかくなった土,
の意になる。「泥」の字は,
「尼(ニ)は,人と人とがからだを寄せてくっついたさまを示す会意文字。泥は『水+音符尼』で,ねちねちとくつつくどろ」
そのものの意。『大言海』は,
「盪(とろ)けたる意」
としている。『日本語源広辞典』は,三説載せる。
説1「ドロドロ(状態の副詞)」。これが最有力説。
説2「土が水にとろけたものの」の変化説。
説3「土(ど)+ロ(接尾語)」。
『日本語源大辞典』は,四説載せる。
土と水のトロ(盪)けたものの意(言元梯・名言通・和訓栞・大言海),
トは土の義,ロは付字(和句解),
濃粘の流動物の形容詞,ドロドロから出た語(国語の語幹とその分類=大島正健),
土漏の義(名語記),
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/to/doro.html
は,
「土に水が混じってやわらかくなったものなので、濃くて粘り気の強い液状のものを表す形容詞『どろどろ』が語源と考えられる。『とろける』『とろとろ』などといった説もあるが、
上記の説が良いであろう。」
と,妥当な説を取る。やはり,「とろ」が擬態語「とろとろ」からきているように,「どろ」もまた擬態語「どろどろ」から来ていると見るのが自然だろう。和語に,屁理屈で語源を考えるのは後知恵でしかない,といつも思う。
なお,泥についは,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A5
に詳しい。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「トロ」は,
「『とろり』とする舌触りからか」
と『広辞苑』にある。
「マグロの腹側の脂肪に富んだ部分」
のことだ。「まぐろ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%98%93%E7%B5%8C)
で触れたように,
『岩波古語辞典』には,
「大魚よしシビつく海人よ」(古事記)
と例が載る。さらに,
「江戸の世相を記した随筆『慶長見聞集』ではこれを『しびと呼ぶ声の響、死日と聞えて不吉なり』とするなど、その扱いはいいものとはいえなかった。これは鮮度を保つ方法が無く、腐敗しやすいことが原因である。かつては魚介類の鮮度を保つには、水槽で生かしたまま流通させる方法があったが、マグロの大きさではそれが不可能であった。また干魚として乾燥させる方法もあるが、マグロの場合は食べるに困るほど身が固くなる(カツオの場合は、乾燥させた上で熟成させ、鰹節として利用したが、マグロはその大きさから、そういった目的では使われなかった)。唯一の方法は塩漬にする事だが、マグロの場合は食味がかなり落ちたため、下魚とされ、最下層の庶民の食べ物だった。」
とある。事実『江戸語大辞典』には,「まぐろ」の項に,
「しび・かじき・きわだ・びんなが(実はサバの一種)等の総称。総じて下賤の食用なれど,きわだを上,かじきを中,しびを下とする。安永七年・一事千金『まぐろのさし身にどじやうの吸い物,ふわふわなどでせいふせんととのへ』」
とある。「かじき」より下だったらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD
にも,
「かつての日本、特に江戸時代以前では、マグロといえば赤身を指し、赤身に比べ品質が劣化しやすいトロの部分は上等な部位とは考えられておらず、切り捨てられるか、せいぜい葱鮪鍋などにして加熱したものが食べられていた。それは猫もまたぐと言われていた程であった。」
とある。確かに『江戸語大辞典』にも,「まぐろなべ」の略である,
まぐなべ,
しか載らず,
「鮪の肉と葱を汁沢山に煮た鍋料理」
とある。
ねぎまなべ,
とも呼ぶ。「ねぎま」の項では,
「ねぎまぐろの略」
とあって,
「鮪の身を賽の目に切ったのと葱の五分切とを鍋で煮ながら食べるもの」
葱鮪鍋,
鮪鍋,
とも言った。今日では,
「トロといえば高級品といったイメージがある。価格も近代になってから急激に上がり、現在では赤身の2倍以上の値段がつく。」
が,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD
には,
「吉野昇雄『鮓・鮨・すし-すしの事典』によれば、吉野鮨本店の客が『口に入れるとトロッとするから』と命名したという。」
とある。『日本語源広辞典』にも,
「トロトロ(擬態語)」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/to/toro.html
にも,
「トロは脂肪分を多く含み、食べると舌の上でトロッとしたとろけるような感触があることから、こう呼ばれるようになった。この部位が『トロ』と呼ばれ始めたのは大正時代で、『トロ』の呼称が定着する以前は、『脂身』なので『アブ』と呼ばれていた。
トロが好んで
食べられるようになったのは、大正末期以降のことといわれ、江戸時代には赤身が上等な部位と考えられていた。特にトロが注目されるようになったのは、保存や輸送の技術が向上し,食の欧米化が進んで脂分の多い食べ物が好まれるようになった戦後からである。『トロ』は本来マグロの部位を指す呼称であるが、豚肉の『豚トロ』や鮭の『とろサーモン』など脂の乗った肉(身)を表すようにもなった。」
とある。
「とろ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%83%88%E3%83%AD)の項
で触れたことと重なるが,擬態語「とろっ」「とろり」「とろとろ」について,『擬音語・擬態語辞典』には,
「『とろり』よりも,『とろっ』の方が状態を瞬間的にとらえて切れのある感じを表す。また,『とろり』と比べて『とろーり』の方が持続的でより滑らかに流れる感じを表す。『とろり』が状態を一回で切り取って把握するのに対して,『とろとろ』は何度も繰り返して継続的な感じを表す。」
とある。「トロ」の,とける感じは,
とろとろ,
か
とろっ,
か
とろーり,
か
とろり,
か,どれだろうか。まあ,個人的には,
とろっ,
よりは,
とろり,
のような気がする。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)上へ
「さしみ」は,
刺身,
と当てる。
おつくり,
とも言う。
魚肉などを生のままで薄く切って,醤油などをつけて食べる,
とある(『広辞苑』)。「醤油」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba15.htm#%E9%86%A4%E6%B2%B9)は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4%E6%B2%B9
によると,
「日本における最古の歴史は弥生時代とされている。肉醤、魚醤、草醤であり、中国から伝わったものは唐醤と呼んだ。文献上で日本の『醤』の歴史をたどると、701年(大宝元年)の『大宝律令』には、醤を扱う『主醤』という官職名が見える。また923年(延長元年)公布の『延喜式』には大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されており、この時代、京都には醤を製造・販売する者がいたことが分かっている。また『和名類聚抄』では、『醢』の項目にて『肉比志保』『之々比之保』(ししひしほ)についてふれており、『醤』の項目では豆を使って作る「豆醢」についても解説している。」
とあり,かなり昔から,あったことがわかる。
『岩波古語辞典』には,
「近世上方では,淡水魚の料理に言い,海産魚には『つくり身』といいわけることが多い」
とあり,『江戸語大辞典』には,
「江戸は刺身と作り身を区別せず,また魚肉ならざるもものにもいう。」
とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E8%BA%AB
にも,
「かつての関西では、原則として鯛などの海の物に限られているが、魚を切る事を『作り身』といい、それに接頭語を付けた『お造り』という言葉がうまれた。そして淡水魚の場合は『刺身』といったことが『守貞謾稿』に記されている。現在では異なっている。懐石や会席料理などの場合には、お膳の向こう側に置かれることから、向付(むこうづけ)と呼ばれる。」
とあるが,今日では,その区別はすたれているように見える。さらに,
「料理としての刺身は、江戸時代に江戸の地で一気に花開いた。そもそも京都は、鯉のような淡水魚を除けば新鮮な魚介類が得られにくいため、いわゆる江戸前の新鮮な魚介類が豊富に手に入る江戸で、刺身のような鮮度のよい魚介類を必要とする料理が発達するのは当然のことであった。
もうひとつの理由は、調味料として醤油が生まれた事である。生魚の生臭さを抑える濃口醤油が江戸時代中期より大量生産をはじめ、大都市・江戸の需要をまかなった。後述の通り、魚を生食する文化は日本以外にも存在するが、特定の種類の魚の調理法に限定されている。江戸時代の江戸で生まれた、多種多様な魚介類を刺身として生食する習慣は、まさしく醤油という生の魚と相性が抜群によい調味料あってこそのものであった。」
と。
さて,「刺身」の謂れであるが,上記ウィキペディアは,
「『切り身』ではなく『刺身』と呼ばれるようになった由来は、切り身にしてしまうと魚の種類が分からなくなるので、その魚の『尾鰭』を切り身に刺して示したことからであるという。一説には、『切る』を忌詞(いみことば)として避けて『刺す』を使ったためともいわれる。いずれにせよ、ほどなくして刺身は食品を薄く切って盛り付け、食べる直前に調味料を付けて食べる料理として認識されるようになったらしく、『四条流包丁書(しじょうりゅうほうちょうがき)』(宝徳元年・1489年)では、クラゲを切ったものや、果ては雉や山鳥の塩漬けを湯で塩抜きし薄切りしたものまでも刺身と称している。」
と,
「切る」を忌詞(いみことば)として避けて『刺す』を使った説,
と
その魚の『尾鰭』を切り身に刺して示した説,
を載せているが,『日本語源広辞典』は,
「刺し+ミ(身)」と,魚肉の上にその魚のヒレを添えた,
と
中国語の,三滲(醤油・酢・生姜,薑)で,魚の身に滲ませて食べるsansimが語源,
の二説を挙げ,これは,
「いずれも,切り身の,身を切るを忌んだ言葉」
としている。『大言海』も,
「切るを忌みて,刺すと云ふか,作ると云ふも同じかるべし,ミは,肉なり」
と,忌み説を取る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/sashimi.html
も,
「刺身は、室町 時代から見られる語。 武家社会では『切る』という語を嫌っていたため、『切り身』では
なく『刺身』が用いられるようになった。『刺す』という表現は、包丁で刺して小さくすることからと思われる。他の説では、魚のヒレやエラを串に刺して魚の種類を区別していたことから、『刺身』と呼ぶようになったとする説もあるが、ヒレやラの部分は一般に『身(肉)』と考えられていないため、この説は考えがたい。魚以外の材料で『刺身』と呼ぶものには、『たけのこの刺身』『刺身こんにやく』,『馬刺し』や『牛刺し』などがあり、魚の刺身の切り方や盛り付け方、新鮮な生肉(身)などの意味から呼ばれるようになったものである。」
忌み説を取る。「刺す」は,
「刺して突く」(『大言海』),
「咲きの鋭くとがったもの,あるいは細く長いものを,真っ直ぐに一点に突きこむ」(『岩波古語辞典』),
「こことねらいを定めたところを細くとがったものを直線的に貫き通す」(『広辞苑』),
とあり,「棹を刺(差)す」とか「鳥を刺す」という広がりはあっても基本は,「針を刺す」という「突く」意味で,「切る」の代用にはならない。忌詞は本当だろうか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1452474134
に,『たべもの語源辞典』 (清水桂一編、東京堂出版)によるとして,
「指身・指味・差味・刺躬また魚軒とも書く。生魚の肉を細かく切ったものを古くは鱠(なます)とよんでいた。
つくり方は、魚肉を切ったものであるが、切るという言葉を忌み、切身とよばず打身(うちみ)とよんだものがあった。室町時代に魚肉の打身という言葉が現れる。
また、切ることを刺すと称することから、刺身ともよんだのが刺身の起こりであるとの説がある。
また、切った身は、その魚名がわかりにくい。そこで切った身にその魚の鰭(ひれ)をさしてその正体を現したものを刺身というとの説もある。
昔からある鱠(なます)にその魚の鰭を刺したものを『さしみなます』とよび始めたが、これが略されて刺身となったともいう。
関西では魚を切ることを『つくる』といったので、つくり身といい、『つくり』を関東の刺身と同じ意味に用いた。
儀式料理では刺身が正しいよび方である。室町時代に醤油が発明され、刺身醤油ができたとき、刺身料理が完成したといえる。
刺身の語源は、魚肉を切って、その鰭を一種の飾りのように身に刺したことから起こったものである。
他に、刺身の意のタチミの転であるとか、サシミ(左進)の義であるとかの説もあるが、いずれも良くない。」
としている。
「切ることを刺すと称する」
としているところを見ると,忌詞としてではなく,そういう言い方があった,と見るべきかもしれない。結局,
「刺身の語源は、魚肉を切って、その鰭を一種の飾りのように身に刺したことから起こったものである。」
を取っている。「切る」を忌んで,「刺す」というのは,どうもこじつけの気がしてならない。
『日本文化いろは事典』
http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/19_sashimi.html
は,
「刺身の原形は鎌倉時代に始まったといわれています。もともとは魚を薄く切って生のまま食べる漁師の即席料理でした。その頃はまだ醤油がなかったため、膾〔なます〕にして食べたりワサビ酢やショウガ酢で食べていました。
室町時代に入り、醤油の誕生と普及にともない現在のようにわさび醤油をつけて食べるようになりました。しかし醤油はまだまだ高級品であったため、刺身は身分の高い人々しか食べる事のできない高級な料理でした。一般庶民に刺身料理が広まったのは、醤油が庶民にも普及した江戸時代の末期からで、江戸では刺身を専門に扱う『刺身屋』という屋台もでるほど流行しました。」
とあり,「切る」を忌むような時代背景ではない気がする。『日本語源大辞典』には,
切ルを忌んでいったものか(『大言海』),
魚の種類がわかるようにその魚のヒレを刺した(飲食事典所引中原康冨記=本山萩舟),
以外に,
刺身の意のタチミの転(言元梯),
サシミ(左進)の義という(黄昏随筆),
を載せる。「タチミの転」もありうるが,
魚の種類がわかるようにその魚のヒレを刺した,
を取りたい気がする。
なお,「膾」は,
「生魚を細く切り刻み酢で味付けする調理法です。膾は古来からの伝統がそのまま引き継がれ、現在では大根やにんじんなどを細長く切り酢で味付けしたものが膾として食されています。」
とあるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E8%BA%AB
に,
「日本は四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類をいつでも手に入れられるという恵まれた環境にあったため、魚介類を生食する習慣が残った。即ち『なます(漢字では「膾」、また「鱠」と書く)』である。
『なます』は新鮮な魚肉や獣肉を細切りにして調味料を合わせた料理で、『なます』の語源は不明であるが、『なましし(生肉)』『なますき(生切)』が転じたという説がある。一般には『生酢』と解されているが、それは調味料としてもっぱら酢を使用するようになったことによる付会の説であり、古くは調味料は必ずしも酢とは限らなかった。この伝統的な『なます』が発展したものが刺身である。」
とある。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E8%BA%AB
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)上へ
「ちくる」は,
告げ口をする意の俗語,
と,『広辞苑』『デジタル大辞泉』『大辞林』にあるが,
密告する,
というような,もっとえげつないニュアンスの気がする。しかし,手近の他の辞書には全く載らない。比較的新しく使われるようになった言葉と見える。
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/17ti/chikuru.htm
は,
「チクる」
と表記し,「不良・ヤクザ用語」として,
「チクるとは告げ口や密告をすることで、ちっくるともいう。『ちく』が『口(くち)』の倒語でチクるというようになったというもの、また『ちくりと言う』の『ちくり』が変化したものという説がある。当初、チクるはツッパリブームの不良少年など若者の間で普及した言葉であったため、先生や先輩、親などへ告げ口をするという軽い意味合いであった。しかし、当時の若者が社会人になってからも使用。上司や警察、報道機関などへ密告するという意味合いでも使われるようになる。また、若者の間では名詞形の『チクリ』という形でも使われる。」
とあり,1979年と,年代も載る。
しかし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ti/chikuru.html
は,
「『ちくん』『ちくちく』『ちくり』などの擬態語から生まれた動詞。これらの擬態語は,先のとがった針などで物を刺す様子を表すほか,皮肉や批判などを言って刺激を与える意味がある。その中でも,『ちくりと嫌味を言う』など副詞として使われる『ちくり』がラ行五段活用として用いられ,『ちくる』になったと考えられる。『ちくり』は『僅かな様子』を意味し,針などを刺す『ちくり』は『しくり』と表現されていた。現代のような表現は,明治以降になって現れたものである。」
と,擬態語の「ちくり」を取る。確かに,一見もっともらしい。『大言海』に,
ちくり,
は載り,
チクリと刺す,
といった用例で,
いささか,すこし,
という意味とである。『擬音語・擬態語辞典』には,「ちくり」の意味として,
針などの尖ったもので刺す,
針などの尖ったもので刺すような痛みを心情的に感じる様子,
皮肉や批判などを言って,人の心に痛みを与える様子,
と載る。これを見る限り,「ちくり」は,刺すもので,刺した相手に直接痛覚を与えるものだ。しかし,「ちくる」は,第三者に告げることで,間接的に痛みを与えるものだ。どうも,少しニュアンスが違う。
http://bosesound.blog133.fc2.com/blog-entry-524.html
も,
「口(クチ)を逆から読んで“チク“+動詞化の接尾辞"る"→チクるまた、『チクリと嫌味を言う』等のチクリが由来とする説もある。」
も両説を挙げるが,
口(クチ)を逆から読んで“チク“,
が,いかにも,らしい。たとえば,捜査すること意味する警察隠語の「がさ」は,
「さがす」→「さが」→「がさ」と転じたもの,
とされるように,逆さ読みはよくある。あえて,
チクる,
と表記するのは,その意味かもしれない。
しかし,警察に密告する意の,
さす,
という言葉があり,「ちくる」が「ちくり」と重ならなくもない。
http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-ta.html
によれば,「さす」は,
「昔は博徒の間では忌み言葉とされ、錐はもみ込む、針をぬう、などと“さす”という言葉を避けた」
とあり,「さす」に代わって「ちくり」を使ったとも言えなくもない。
「ちくる」に似た言葉には,「さす」以外,
たれこむ,
たれこみ,
という言い方があり,特殊に,警察に密告することを,
チンコロ,
とも言ったという。
参考文献;
http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-ta.html
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
「め」は,
目,
眼,
と当てる。まず漢字を見てみると,「目」の字は,象形文字。
「目を描いたもので,まぶたにおおわれているめのこと」
「眼」の字は,
「艮(こん)は『目+匕首(ヒシュ)の匕(小刀)』の会意文字で,小刀でくまどっため。または,小刀で彫ったような穴にはまっているめ。一定の座にはまって動かない意を含む。眼は『目+音符艮』で,艮の原義をあらわす。」
とある。「目」は,まぶたを閉じた目,「眼」は,頭骨の穴にはまっているめ,を意味する。あえて言うと,「眼」は目玉の意と言うことになる。
「め」の語源は,『大言海』には,
「見(ミ)と通ず。或いは云ふ,見(ミエ)の約」
とある。確かに,文脈依存の和語なら,器官としての「目」は,「見る」という動作から来ていると思える。ただ,『大言海』は,「め(目・眼)」以外に,その意味の外延を拡げた「め(目)」として,
「間(ま)の転」
という,「賽の目」「木の目」「網の目」「鋸の目」という用例の「め」と,「め(目)」として,
「見えの約。先ず目に見て心に受くれば云ふ」
という,「憂き目」「酷い目」「嬉しい目」という用例の「め」とを区別してあげている。
『岩波古語辞典』には,
「古形マ(目)の転。メ(芽)と同根」
とある。「まなこ」「まぶた(目蓋)」「まなざし(眼差し)」「まあひ(目間)」といういい方をする「ま」である。「芽」を見ると,「メ(目)と同根」とある。しかし,『日本語源広辞典』は,
「メ(見る器官)で,『見ると同根』です。芽と同根説もありますが,疑問です。造語勢分としては,マとなります。」
としている。「眼差し」というときの「ま」は,「目の音韻変化」ということを言っているのだろう。しかし,「まなこ」という言い方がある。
「まなこ」について,『岩波古語辞典』は,
「『目(ま)な子』の意。ナは連体助詞」
とし,『大言海』も,「まなこ」を,
「目之子の転」
とするし,『日本語源広辞典』も,少し違うが,
「『マ(目)+ナ(の)+コ(黒目)の音韻変化』説が有力です。目の中の黒い瞳を指して言っていたのが後に目を指すようになったと思われます。」
とすると,「め」の古形は,「ま」とする説の例証になる。『日本語源大辞典』は,「まなこ」について,
目之子の義(倭名抄・類聚名物考・大言海),
メナカ(目中)の義(日本釈名・名言通・和訓栞),
メノココロ(目之心)の義,また,メノソコ(目之底)の義(日本語原学=林甕臣),
マは目,ナは中,コは童子の義か(和句解),
メナカコ(目中心)の義(言元梯),
マノコ(真子)の義(志布可起),
と並べる。いずれも瞳を指しているに違いないが,「ま(目)」とする傍証は,「まみえる(まみゆ)」という言葉だ。
見える,
と当てるが,『広辞苑』には,
目(ま)見える,
とある。
貴人に対面する,
という意だ。「ま(目)+見える」である。やはり,「め」の古形「ま」には,説得力がある。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/me/me.html
は,
「『ミエ(見え)』の変化や『ミ(見)』に通じる語など、『見』の意味を語源とする説が多く、妥当と思われる。ただし、『め』よりも古く『まなこ』が使われていた可能性も高いため、『目』の
意味で『ま』が使われ、変化して『め」になり、『ま』は複合語の中でのみ用いられるようになったとも考えられる。』
と,「ま」説に含みを持たせている。
『日本語源大辞典』は,
「@『め(芽)』『見る』などと同根とされる。
A『め』に対して,『まぶた』『まつげ』『まなこ』などの複合語でのみ使われる『ま』がある。
B類義語『まなこ』の語源は,一般に『ま(目)+な(助詞)+子』とされ,『め』が眼全体を表すのに対して『まなこ』は黒目の部分をさすといわれる。
C『日本言語地図』における分布傾向からは,『め』よりも『まなこ』の方が古い可能性が看取される。それに関連して,『まなこ』の語源を,マナ(←南島語起源のマタ)+ナ+コの省略によるものとし,そのマからメが生じたとする説(村山七郎)もある。マナ(目)+コ(指小辞)と取る説もある。」
と書く。「ま」古形説を取りたいが,「め(芽)」と同根は,どうだろう。
「め(芽)」の語源説を拾ってみると,
モエ(萌)の約(名語記・古事記伝・言元梯・松屋筆記・菊池俗語考・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
萌の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),
メ(目)の義(名語記・九桂草堂随筆・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語溯原=大矢徹・国語の語幹とその分類=大島正健),
ミエ(見)の義(名言通),
メグムの略(滑稽雑談),
メ(愛)ずべきものの意から(本朝辞源=宇田甘冥),
とあり,『日本語源広辞典』も,
「もえ(萌え)の約」
としている。やはり,「め(芽)」は,こちらだろう。とすると,「古形マ」の語源が分からなくなるが,『大言海』の,
「間(ま)の転」
とする「め」こそが,「め」の語源に思えてくる。「あいだ(間)」には違いない。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「茶目」は,「お茶目」という言い方をする。
子どもっぽい,滑稽じみたいたずらをすること,またそれの好きな人やそうした性質,
をいう。
茶目っ気,
とも言う。「おちゃめ」の由来について,
http://www.yuraimemo.com/933/
は,
「『お茶目』の由来は漢字も絡めて諸説があるようです。
一つ目は、『茶』は『おどけること。いいかげんなことをいうこと。』を意味する茶であり、『め』は『めかす』などの略、(『やつめ』などの接尾語『め』という説もあり)漢字『目』に関しては当て字。…『茶』に、おどけるやいいかげんなことを言うといった意味があるなら信憑性が高く感じます。
もう一つは、漢字はすべて当て字説。こちらは平仮名の方に由来があるようで、『おちゃめ』の『お』は丁寧語。『ちゃめ』は『ちゃりめ』の略であり、『ちゃり』には『おどけた、ふざけた』の意味があり、『め』は『女』とのこと。
…『ちゃり(茶利)』は、動詞『ちゃる(茶)』の連用形。意味は、滑稽な文句や身振り。おどけること。冗談など。人形浄瑠璃における、笑劇的な滑稽な演技・演出のことも言うそうです。また、歌舞伎の滑稽な場面は『ちゃりば』と言われるそうで、おどけた声のことを『ちゃりごえ』、もみあげのことは『ふざけた毛』の意味で『ちゃりげ』と言ったりするとか。そんなことから、「おちゃめ=ちゃりめ」「おどけた女」の意味となるのだそうです。」
と詳しい。また,
http://www.lance2.net/gogen/z141.html
も,同様に,
「1つは、『茶』という文字に『おどける』とか『いいかげんな』というような意味があって、『目』は当て字なんだけど意味としては『おめかしする』なんていう意味があるという説だよ。もう1つは、『お茶目』の『お』が丁寧語で『ちゃめ』というのは『ちゃりめ』という言葉の略だという説だよ。『ちゃりめ』っていうのは、『おどけた』とか『ふざけている』なんていう意味があって『め』っていうのは『女性』の事を意味しているんだよ。この場合、茶という漢字も目という漢字もどちらも当て字だと考える事ができるね。」
としている。だから,「お茶目」は,
「本来可愛らしく、無邪気におどける様子の女の子のこと」
を言うことになる。「茶々を入れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%8C%B6%E3%80%85%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B)の項
で触れたように,
「茶」の字自体は,
「もと『艸+音符余(のばす,くつろぐ)』。舒(くつろぐ)と同系で,もと緊張を解いてからだをのばす効果のある植物。味はほろ苦いことから,苦茶(くと)ともいった。のち,一画を減らして茶とかくようになった。」
とあり,この字には,からかう含意はない。『古語辞典』には,
ちゃり,
という動詞が載り(『広辞苑』では「茶利」と当てる),
ふざける,
という意味だが,その名詞は,
滑稽な文句または動作,ふざけた言動,おどけ,
という意味が載る。どちらが先かはわからないが,あわせて,
(人形浄瑠璃や歌舞伎で)滑稽な段や場面,また滑稽な語り方や演技,
という意味が載る。歌舞伎や人形浄瑠璃から出て,「ちゃり」がふざける意になったのか,ふざける意の「ちゃり」を,浄瑠璃などで転用したのかは,ここからはわからない。『大言海』は,「茶利」を,
「戯(ざれ)の転」
として,
洒落,おどけ口,諧謔,又おどけたる文句,
という意味を載せる。しかし,『江戸語大辞典』は,
操り・浄瑠璃用語。滑稽,道化,
と載る。どちらが先かは,つかめない。
茶利語り,
茶利声,
は,そういう滑稽な語り口や声を指す。なにはともあれ,ともかく,「茶」には,
ふざける,
含意がつきまとうらしい。『江戸語大辞典』は,「茶」の項に,
遊里用語,交合,
人の言うことをはぐらかすこと,
ばかばかしい,
という意味が載り,それを使った,
茶に受ける(冗談事として応対する),
茶に掛かる(半ばふざけている),
茶に為る(相手のいうことをはぐらかす,愚弄する),
茶に成る(軽んずる,馬鹿を見る),
茶を言う(いい加減なことを言う)
等々という使われ方を載せていて,
ちゃかす(茶化す),
はその流れにある。
茶化すは,
「茶にする」
と同じで,語源は,
「『チャル(戯る・ふざける)+カス(接尾語,他に及ぼす)』です。
とされる。
ちゃらかす,
とも言う(「おちゃらかす」とも言う)。『江戸語大辞典』には,「茶る」という項が載り,
「茶の動詞化」
として,
おどける,ふざける,
の意味が載る。どうも「ちゃり」も「茶る」も,
「茶」
に込められた含意から来ている。あるいは,「ちゃる」に「茶」の字を当て,「茶」自体にそういう含意が込められるようになったのか,この前後はよくわからない。
こう考えると,「臍で茶を沸かす」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%87%8D%E3%81%A7%E8%8C%B6%E3%82%92%E6%B2%B8%E3%81%8B%E3%81%99),
「茶々を入れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%8C%B6%E3%80%85%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B)
等々で触れたように,「茶」を使った背景は,存外奥が深いようだ。
この流れで見る限り,「お茶目」の「茶目」は,
ふざけている目,
と取るのが自然で,「め」を「女」とする謂れはなさそうに見える。
『日本語源広辞典』が,あえて,
「茶色の目で,いたずらっぽい色」
を語源としているのは,「茶色の目」に,「茶」の独特の戯れる含意があったからなのだろうか。
「茶」の目(つき),
と見ると,いたずらしようとしてその目の輝く様子と見えなくもない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
「お茶を濁す」とは,
「いいかげんにその場をごまかす」
意として使われる。
『大言海』は,「御茶」の項で,
「おちゃを濁すとは,つくろひごとをする。まやかす。ごまかす。糊塗。抹茶をたつる作法を深く知らぬ者の,程よくつくろひてする意に起これる語にてもあるか」
と,歯切れが悪い。『日本語源広辞典』
「『抹茶を立てる作法が十分に分からず,適当に濁してごまかす』が語源です。いい加減なことをして,その場をとりつくろう意です。『茶番劇の行き詰まりをごまかす』のが語源とする説(吉田説)は,用例と見るべきで,疑問です。」
としている。「茶番劇の行き詰まりをごまかす」説があるということだが,「茶番」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%8C%B6%E3%80%85%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B)
で触れたように,
「江戸時代に歌舞伎などの芝居の楽屋で、茶番(下働き)が下手で馬鹿馬鹿しい短い劇や話を始めたことから、茶番=下手な芝居、馬鹿げた芝居、という意味になったようです。『茶番劇』というのは、茶番がやるような下手な劇という意味です。現代では本当の芝居ではなく、結末が分かりきっているような馬鹿馬鹿しい話し合いなどを茶番劇と言います。」(http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-392.html)
ということで,ごまかすもなにも,もともと「ばかばかしい寸劇」で,「お茶を濁す」行為そのものだから,という意味なのだろう。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/otyawonigosu.html
も,
「茶道の作法をよく知らない者が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるよう 取り繕うことから生まれた言葉である。出されたお茶の濁り具合を話題にして、その場
しのぎで話を逸らすところから『お茶を濁す』と言うようになったとする説もあるが、後から 考えられた俗説と考えられる。」
と,「お茶の作法を知らぬものの誤魔化し」説である。また,その由来が,いまひとつピンとこない。しかし,
http://wisdom-box.com/origin/a/ochanigosu/
に,
「その場しのぎでいい加減に取り繕ったり、誤魔化したりすることを『お茶を濁す』と表現しますが、どうしてお茶を濁しちゃうのでしょう?かつて、お茶は大変貴重なものであり、貴族や僧侶だけの特別な飲み物でした。茶道の作法を知らない一般人が程よく茶を濁らせて、それらしい抹茶に見えるように取り繕ったことから、この表現が生まれたそうです。」
とある。それで思い出したが,落語に『茶の湯』というのがある。詳細は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%B9%AF_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/10/post_21.html
等々に詳しいが,
「家督を息子にゆずった隠居は、小僧の定吉をともなって郊外で暮らし始めたが,毎日することがなく、退屈をしている。隠居は『退屈しのぎに、完備されていたものの放置していた茶室と茶道具を使って、試しに茶の湯をやってみよう』と定吉に提案する。隠居は茶の湯のことを何も知らなかったが、定吉に対し知ったかぶりを決め込み、抹茶のことを『何といったか、あの青い(=緑色の)粉があれば始められる』と言って、定吉に買いに行かせる。定吉が乾物屋で買ってきたのは抹茶ではなく青きな粉(=青大豆を原料にしたきな粉)だったが、隠居は茶の湯について出まかせの説明をしながら、炭を山積みにした炉で火をもうもうと起こし、茶釜を火にかけて湯を沸かし、青きな粉を釜の中に放り込んでかき混ぜ、どんぶりに注いで、茶筅でかき回してみる。しかし、ふたりが考えていたような、泡立った茶にはならない。隠居は『思い出した。何か泡の立つものが必要だったのだ』と言い、定吉をふたたび走らせてムクの皮の粉を買って来させ、茶釜に加えてみる。どんぶりに注ぐと、今度はイメージしたような姿の茶になったのでふたりは喜び、飲んでみるが、たちまち腹をこわし、雪隠と寝床を行ったり来たりするようになる。」
という次第の,お馴染みの大騒動になるのだが,思えば,「茶をたてる」をごまかすのを揶揄した噺には違いない。
http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html
には,「お茶を濁す」の由来について,
「お茶にまつわるいくつかの説が存在しています。茶道でお茶を点てるときには決まった作法があり、当然、作法を知らない素人は正しくお茶を点てることはできません。しかし、適当にお椀にお湯と抹茶を入れてかき回したとしても、それらしい色のお茶にすることはできます。このように、素人が適当な作法でお茶を濁らせてお茶を点て、その場を取りつくろった様子から『お茶を濁す』という表現になったとされています。
この由来とは別に、ここでいう『お茶』は抹茶ではなく、緑茶などの一般的なものであるという説もあります。お茶の淹れ方は簡単なものではなく、湯温や分量、時間がうまく合わないと、渋みや苦味が出て濁ったお茶になってしまいます。そのように適当に淹れたお茶を客人に出した状況から、その場を取りつくろうという意味がついたともいわれています。」
とある。しかし,「茶」は,別の謂れから来ているのかもしれない。「茶々を入れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%8C%B6%E3%80%85%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B)や「茶目」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E8%8C%B6%E7%9B%AE)の項,
で触れたように,「茶利」と当てて,
ふざける,
という意味をもち,だが,その名詞は,
(人形浄瑠璃や歌舞伎で)滑稽な段や場面,また滑稽な語り方や演技,
という意味が載る(『岩波古語辞典』)。『大言海』は,「茶利」を,
「戯(ざれ)の転」
として,
洒落,おどけ口,諧謔,又おどけたる文句,
という意味を載せる。その流れからか,『江戸語大辞典』は,「茶」の項に,
遊里用語,交合,
人の言うことをはぐらかすこと,
ばかばかしい,
という意味が載り,それを使った,
茶に受ける(冗談事として応対する),
茶に掛かる(半ばふざけている),
茶に為る(相手のいうことをはぐらかす,愚弄する),
茶に暮らす(真面目な問題も茶化して暮らす)
茶に為る(相手の言うことをはぐらかす,侮る)
茶に成る(軽んずる,馬鹿を見る),
茶を言う(いい加減なことを言う)
等々という使われ方を載せていて,
ちゃかす(茶化す),
はその流れにある。この流れから,
お茶を濁す,
を見直すと,
茶に濁す,
という意味でも受け取れなくない。つまり,
冗談にする,
という意味である。その意味で,大真面目に,「茶をたてる」をごまかすという説を,江戸ッ子は,
茶に濁す,
して,笑い飛ばしたかもしれない。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%B9%AF_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2004/10/post_21.html
http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)上へ
「あし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E8%8C%B6%E7%9B%AE)は,
タチ(立)の転(玄同放言),
という説がある。二足歩行の根幹だから,当然,「足」にまつわる言い回しは,たくさんある。『広辞苑』には,
足が上がる,
足が地につかない,
足が付く,
足が出る,
足が早い,
足が棒になる,
足が向く,
足に任せる,
足の踏み場もない,
足を蹻(あ)げて待つ,
足を洗う,
足を入れる,
足を奪われる,
足を限りに,
足を重ねて立ち目仄(そばだ)てて視る,
足を食われる,
足をすくう,
足を擂粉木にする,
足を空に,
足を出す,
足を付ける,
足を取られる,
足を抜く,
足を伸ばす,
足をはかりに,
足を運ぶ,
足を引っ張る,
足を踏み入れる,
足を棒にする,
足を向けて寝られない,
足を休める,
等々,まさに「足」は歩く意味でも,性根でも,痕跡でも,貶めるでも,多様な含意がある。気になるのは,
「足を洗う」
である。『広辞苑』には,
「賤しい勤めをやめて堅気になる,悪い所行をやめてまじめになる,また,単にある職業をやめることにも言う」
とある。『岩波古語辞典』には,
「賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,近世後期には,非人仲間から再び平民に復することや,遊び人・芸妓娼等々が堅気になることに多く用いた。」
とある。『江戸語大辞典』をみると,
「@跣で歩いていた足を洗って座上に上がる。A非人・乞食の仲間に落ち入った者が,仲間へ祝儀銭を出し一定の式をして再び良民に戻る。ただし累代はもとより父母以来の非人・乞食は許されぬ。」
とあり,「江戸後期」という意味がよりつぶさにわかる。
「〈足を洗う〉という表現が語る言語変化」
http://alce.jp/journal/dat/13_134.pdf
では,「足を洗う」の意味を二冊の辞書を調べて,
『日本語慣用句辞典』(米川,大谷,2005,pp.
15-16)では,『好ましくない職業・事柄・生活を断って離れてよい状態になる。好ましくない事柄は必ずしも社会的評価によるものではなく,話者の評価による。心理的にきっぱりと離れてという意識が強い時には,一般的には好ましくないとは考えられないことにも使う」という解説がなされる。…『明鏡ことわざ成句使い方辞典』(北原,2007,p.
12)では,この慣用句を解釈した後,『単に離れる意で使うのは不適切』と指摘し,誤用例として,『制作部から足を洗って,経理部に異動になりました』と『教育の世界から足を洗ってもうだいぶたつ』の
2 例を挙げる。つまり,この慣用句は悪事をやめる意味のほかに,ただ仕事をやめる意味で
も使えるのか,両辞典で相反する解説がなされる。」
と,二様の意味の評価について書いている。この流れで見ると,どうも,本来は,
「賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる」
ということが始りのように見えてくる。しかし,『大言海』は,
「佛教大辭彙(大正三年)安居(あんご)の條,『釈迦,云々,臥床より起ち,盥嗽して,衣を着けて,禅室に入り,袈裟を被り,鉢を携へて,外へ出で食を乞ふ,行化(ぎゃうげ)より帰り,足を洗ひ,比丘衆を集めて,法義を説く』徒跣(はだし)にて歩む,毎朝の事なり,乞食(こつじき)するは,僧たる者の。当然の境涯なり」
を引用し,
「往時,良民の零落して,非人,乞食の群れに入り者の,錢を出して其仲間を脱し,再び良民の籍に復するを,足を洗ふと云ひき,名詞形として,アシアラヒとも云ふ。移りては,娼妓,芸妓,遊芸人,水商売など止めて,素人となるをも,アシヲアラフと云ふ。」
という意味の他に,
「足を万里の流れに濯(あら)ふと云ふは,世外に超然たる意を言ふ語なり。」
と,この世俗世界を超越する意味,を載せる。そして,
「左思詠史『被褐出闔閭高歩追許由,振衣千仞岡濯足萬里流』」
を引く。とすると,
賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,
と
世俗世界を超絶する,
との,真逆の意味があることになる。『日本語源広辞典』は,
「『足+を+洗う』で,僧が一日の托鉢の後,寺へ戻るために足を洗うことから出た語なのです。転じて,悪い仲間や悪い世界から抜け出す意につかいます。」
とある。とすると,僧が托鉢から帰って,寺域へ戻る」という意味をメタファにすれば,
世俗世界を超絶する,
という言葉が比較的原義に近い,ということになる。それをメタファに,
賤しい身分や職業から抜け出して,より上の境遇になる,
意へと転じさせた,ということになる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/ashiwoarau.html
も,
「仏教から出た言葉。 裸足で修行に歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を
洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行いをやめる意味で用いられるようになった。
その意味が転じ、現代では悪業・正業に関係なく、職業をやめる意でも使われるようになった。イエス・キリストは弟子の足を洗い、『互いに足を洗うことで、信頼関係を結びなさい』というメッセージを残したと言われ、これを語源とする説もあるが、意味も異なるため関連性は認められない。」
としている。あるいは,
http://biyori.shizensyokuhin.jp/words/gogen/1731.html
にも,
「仏教の思想では、寺の中は救いの世界、寺の外は迷いの世界という考え方があるそうです。そして昔の僧は、一日中はだしで外を歩いて修行をしていたため、一日の修行を終えて寺に帰る頃には足が泥だらけになっていたといいます。そのため、寺の外の煩悩も洗い清める意味も含め、僧は修行後に寺へ入る前に足を洗う習慣があったそうです。僧が足を洗う様子と、寺の内と外の世界の違いという仏教の思想がひとつになり、『足を洗う』という表現が悪いことをやめる意味で使われるようになりました。」
聖俗の境界での,ひとつの象徴的行為とみなせば,たとえば,『日本語源大辞典』が,
「大阪新町の遊女が身請けされる時,または年季を勤め上げて廓を出るとき,東西両門の外にある井戸で足を洗ったというが,従いがたく,古往,インドで托鉢僧がはだしで乞食をし,庵に帰って足を洗って法談をしたことより起こった語(上方語源辞典=前田勇)」
と「従いがたし」といういい方こそ,「従いがたい」と思えるはずだ。おのれを,インドの僧に準えて,おのれが廓という苦界から出られる象徴として,そういう井戸があった,としても別に何のおかしくもないのである。そう考えると,長年携わった職業を転じるとき,「足を洗う」というには,離脱,あるいは,卒業の含意が含まれている。その意味でその使いかを是非するのは,無粋である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「嗜む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%97%9C%E3%82%80)の語源は,
タシナム(堪え忍ぶ)の変化,
だという。転じて,
深く隠し持つ,
常に心がける,
謹む,
遠慮する,
身辺を清潔にする,
有ることに心を打ちこむ,
といった意味になる,とある。ニュアンスは,嗜みは,
身につけておくべき芸事の心得を指し,「素養」よりも技術的な側面が強い,
とある。では,素養はというと,
日ごろから修養によって身につけた教養や技術を指し,「心得」や「嗜み」に比べ,実用面より知識に重きを置く,
とある。では,教養はというと,
世の中に必要な学問・知識・作法・習慣などを身につけることによって養われる心の豊かさを指す,
とある。どうも,心映えに関わる気がする。「心映え」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%BF%83%E3%81%B0%E3%81%88)
で触れたが,心ばえも,
心延えと書くと,
その人の心が外へ広がり,延びていく状態をさし,
心映え
と書くと,「映」が,映る,月光が水に映る,反映する,のように,心の輝きが,外に照り映えていく状態になる。心情的には,
おのずから照りだす,
心映え
がいい。つまり,内側のその人の器量が,外へあふれて出るよりは,おのずから照りだす,というのが,
嗜む,
というつつましさに似合っている。どうも,嗜みは,教養,素養,作法よりも,それをもっているとは言わなくても,そこはかとなく滲み出てくる,そんなニュアンスである。
「たしなむ」は,実は,
嗜む,
の他に,
窘む,
とも当てる。漢字を先に見ておくと,「嗜」の字は,
「耆(キ)は『老(としより)+旨(うまい)』の会意文字で,長く年がたって深い味のついた意を含む。旨は『匕(ナイフ)+甘(うまい)』の会意文字で,ナイフを添えたうまいごちそう。嗜は『口+耆』で,深い味のごちそうを長い間口で味わうこと。旨(シ)と同系のことばだが,『主旨』の意に転用されたため,嗜の字でうまい物を味わうという原義をあらわした。」
とあり,
それに親しむことが長い間の習慣になる,
という意味となる。「窘」の字は,
「『穴(あな)+音符君』。君は(尹は,手と丿印の会意文字で,滋養下を調和する働きを示す。もと,神と人との間をとりもっておさめる聖職のこと。君は『口+音符尹(イン)』で,尹に口を加えて号令する意を添えたもの。人々に号令して円満周到におさめるひとをいうので)丸くまとめる意を含む。穴の中にはいったように,まるく囲まれて動けないこと」
で,
「外を取り囲まれて,動きが取れなくなる,自由がきかないさま」
の意となる。『大言海』は,「たしなむ」を,四項目立てている。
まず,
「窘む」
と当てて,
「足無(たしなみ)の意か」
とした上で,
窮して,苦しむ,
研究す,
の意味を載せる。次は,
矜持,
と当てて,
行儀の正しからむやうにする,
の意を載せる。その次に,
嗜む,
と当てて,
「窘(たしな)みて好む意か」
とし,
たしなむ,好む,
転じて,予(かね)て心掛く,
戒む,
つつしむ,
の意を載せる。そして,最後に,
窘む,
と当てて,
苦しむ,悩ます,困らす,
の意を載せる。どうやら,「矜持」は,「たしなみ」の心がけの延長線上にあるとして,「窘む」と「嗜む」と当てる字を分けて区別しているが,
たしなむ(tasinamu),
という和語が,そもそも端緒としてあるということを思わせる。『岩波古語辞典』には,
「たしなみ」
として載り,
「タシナシの動詞形」
とし,
困窮する,窮地に立つ,
苦しさに堪えて一生懸命つとめる,
強い愛情をもって心がける,
かねて心がけ用意する,
気を使う,細心の注意を払う,
つつしむ,
と意味が載る。「たしなし」を見ると,
「タシはタシカ(確)・タシナミなどのタシ。窮迫・困窮,またそれに堪える意。ナシは甚だしい意」
とあり,
窮迫状態にある,
はげしく苦しい,
老いやつれて病み,また物事に失意のさまである,
という意味になる。ということは,「たしなむ」は,
困窮状態にある→それに堪えて懸命につとめる→困窮にあらかじめ心がける→いましめ,つつしむ,
と,困窮の状態表現から,それに堪える価値表現へと転じ,そういう状態にどれだけ予め備える心がけへと転じ,それを戒めとか慎みといった価値表現まで広げた,という流れになる。そう考えると,
窘む,
と当てた方が,原義に近く,
嗜む,
は,その意味が拡大し,心がけの価値表現へと転じた意味だと知れる。とすると,「嗜む」には,
常に心がける,
という含意があるということになる。『日本語源広辞典』は,
「タシナム(堪え忍ぶ)」の変化です。転じて,深く隠し持つ,常に心がける,慎む,遠慮する,身辺を清潔にする,細かく気を使う,あることに打ち込む」
としている。含意は良く見える。
https://www.waraerujd.com/blank-42
は,
「たしなむ程度の『たしなむ』は、好んで親しむという意味で、『俳句をたしなむ』『お茶をたしなむ』などと用いる。漢字では嗜好品(コーヒーやタバコなど習慣性のある飲食物)の『嗜』を使って『嗜む』と書く。『酒をたしなむ』と言った場合、酒が好きでよく飲むという意味だが、あくまでその味わいや場の雰囲気が好きなのであって、浴びるほど飲んだり、中毒症状を呈したりはしないという意味合いを含む。同様に、酒の飲み方や飲む量について言う『たしなむ程度』も、酒は好きだけれど、多量には飲まない(飲めない)という意味で使う。」
とあるが,ここには,「心がけ」と「つつしみ」の含意を込めてみる必要がある。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E8%BA%AB%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%BF
は,「身だしなみ」で,
「好みや嗜好を表すほか、以前からの心がけ、心構えなどを意味する。」
としているのは妥当だろう。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「ついで」には, 『広辞苑』をみると,
序で,
と当てる名詞の場合,
「ツイヅの連用形から」
となり,
順序,次第,
よいおり,機会,
という意味となり,「ついず(序・叙)」は,
次第を立てる,順序を定める,
意となる。
次いで,
尋いで,
と当てる副詞の場合,
「ツギテの音便」
となり,
続いて,ほどなく,
という意味で,接続詞として使われると,
次に,それから,
という意味になる。さらに,
序でに,
と,副詞として使う場合は,
そのおりに,その機会に乗じて,
という意味になる。明らかに,同系とみられるのに,目名詞と副詞では,語源が,
ツイヅの連用形から,
と
ツギテの音便,
と二説にわかれる。語源が異なるということなのかもしれない。『大言海』も,名詞「ついで」は,
次序,
次第,
と当て,
「ツギツの音転」
とし,副詞「ついで」は,
尋,
と当て,
「次ぎての音便轉」
とする。つまり,「ついで」の「ツギツの音転」とある「つきづ」とは,
「次ぎ出づの音便約」
とあり,
つぎいづ→ついづ→ついで,
と転じていったことになる。つまり,
次いで出る,
という意味である。
「ついで」は,
次ぎての転,
とあるので,
つぎて→ついで,
で,
順序,
を意味する。同じようだが,「つぎづ」は,
次いで出る,
という「出る」動作に焦点が当たっているのに対し,「つぎて」は,
次て,
という,次の順番という,順序に焦点が当たっている,ということになる。『岩波古語辞典』には,つぎて,は,
序,
と当てて,
「ツイデの古形」
とある。しかし,『岩波古語辞典』は,「ついで(次・序)」について,
「ツギ(継)テ(手)の音便形。一つのことの次は何と順序を付けること。また一つのことの次に起こることの意」
として,動詞「ついで(づ)」は,名詞の動詞化と見なしている。この説によれば,
継手,
つまり,物の「継なぎ目」が語源ということになる。『日本語源大辞典』は,
動詞ツイヅの名詞形(小学館『古語大辞典』),
ツギテ(続手)の音便形(雅言考・日本語源=賀茂百樹),
ツギテ(継手)の音便形(岩波古語辞典),
次々に出る意で,ツギデ(次出)の義(日本釈名),
と,ほぼ別れる。しかし,継手という概念は,抽象度が高い。
次いでいく,
という状態表現が先と,見るのが妥当なのではないか。『日本語源広辞典』が,
「ツギテ(次ぎて)」
を語源として,
「名詞としては,次第の意です。転じて,よい機会の意となります。副詞としては,ツイデニとなり,『他のことをするときに一緒に』の意となります。」
とするのが,常識的に思える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「ゆび」は,
指,
と当てる。「指」の字は,
「『手+音符旨』で,まっすぐ伸びて直線に物をさすゆびで,まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は,ここでは単なる音符に過ぎない」
であるが,因みに「旨」の字は,
「もと『匕+甘(うまい)』の会意文字。匕印は,人の形であるが,まさか人肉の脂ではあるまい。匕(さじ)のあてた字であろう。つまり『さじ+甘』で,うまい食物のこと。のち指(ゆびで示す)に当て,指し示す内容の意に用いる」
とある。『岩波古語辞典』には,「ゆび」について,
「古形オヨビの転」
とある。また『大言海』も,
「オヨビの略転。訛して,イビ,また,ヨビ。古くは,オヨビ」
とある。また『和名抄』には,
「於與比」
と当てている。「および」は(「ゆび」の意だが),『岩波古語辞典』に,
「上代,ヨビの音の甲乙類未詳」
とある。上代特殊仮名遣いについては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3
に詳しい。
『日本語源広辞典』は,「ゆび」の語源を,二説挙げる。
説1,「『及び,オヨビから,オ音脱落。ユビ』です。手の先で物に届く(及ぶ)部分を言います。」
説2,「『結う,ユウの連用形ユヒの音韻変化』です。手の先で物を結ぶ部分の意です。」
しかし,古形が「および」なら,説2は成り立たない。だから,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/yu/yubi.html
は,
「指の語源は諸説あるが、古くは『および』と言い、さし出して物に及ぶところから、『及び( および)』の意味とする説がよい。
現在では手足ともに『ゆび』と呼ぶが、元は手のものを『指(てゆび)』、足のものを『趾(あしゆび)』といって区別していた。」
とする。どうやら,語源は,「さし出して物に及ぶ」意から,手の指から始まったようだか,和語では,手足の区別をせず,「ゆび」と言った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87
にある通り,
「大和言葉としての『ゆび」は手足両方を指すが、漢字の『指』は手偏が付いていることからもわかるとおり、本来は手の『ゆび』を意味する。(中略)日本語でも、医学用語では「指」と「趾」を区別する。』
では,ついでなので,五指,
親指,
人差し指,
中指,
薬指,
小指,
の語源は,どうなのだろう。「おやゆび」は,『日本語源広辞典』は,
「親+指」
とするが,古形が「および」と考えると,少しいかがわしい。『大言海』は,
オホオヨビ,オホユビ,
とする。『日本語源大辞典』は,
「古くはオホオヨビ。十二世紀頃にオホユビとなり,近世まで親指の呼称の中心的なものとして使用された。オヤユビは元禄時代頃から用例が見えるが,オホユビの勢力も依然強く,節用集類でもオホユビの訓のものが多い。『書言字考節用集』では,『拇』に対し右に『オホユビ』,左に『オヤユビ』と訓を付している。当時としてはオホユビを正しいとする意識があったのであろう。明治になった,オヤユビがオホユビを圧倒する」
とある。つまり,「オホユビ」,「大指」である。『岩波古語辞典』には,
オホオヨビの転,
とある。「大きいオヨビ(指)」の意である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E6%8C%87
にも,
「中世の日本では『おほゆび(大指)』と呼ばれ、江戸時代に『おやゆび』の用例が見られるようになった。親指の呼称が定着したのは明治時代以後のことである。」
とある。「人差し指」は,文字通り,
「人をゆびさす指の意」
とある(『広辞苑』『日本語源広辞典』『大言海』)。『日本語源大辞典』は,
「上代・中古には,人をさすときに用いる指ということからヒトサシノオヨビと呼ばれた。その後,ヒトサシノユビ,ヒトサシユビと変化して現在に至る。中世には,古形を残すヒトサシオユビ,省略形のヒトサシも見られるが,いずれも一般化することはなかった。」
とある。今も昔も,人を指さすには,この指を使うらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E3%81%97%E6%8C%87
によると,
「和語ではお母さん指、塩舐め指、医学用語では第二指、示指、漢語では食指、頭指との呼び方がある。 」
とある。
「中指」は,『大言海』に,古称として,
タケタカユビ,
タカタカユビ,
ナカノオヨビ,
の呼び名が載る。一番長い指という意になる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%8C%87
にも,
「和語ではお兄さん指、高高指(たかたかゆび、丈高指の転訛)、医学用語では第三指、中指(ちゅうし)、漢語では中指(ちゅうし)、長指との呼び方がある。」
と載る。『日本語源大辞典』は,
「古くは,五本の指の中の真ん中の指ということでナカ(中)オヨビ(指)。後にナカノユビ,ナカユビへと変化し現在に至っている。十五世紀頃にタケタカユビという呼び方が生まれ,母音の同化と『高』の類推からタカタカユビとともに,近世にはナカユビよりも広く使われた。ナカユビが古い規範的な表現。タケタカユビが一般の表現,タカタカユビは俗語的な表現と意識される。タカタカユビの重複をきらってタカユビも生じたが,一般化しなかった。近世以降タケタカユビは使われなくなり,ナカユビが再び一般化した。」
とある。『和名抄』には,
「奈加乃於與比」
と当て,『松屋筆記』には,
「タカタカユビは,ナカユビなり」
と載る(『大言海』)。
「薬指」は,『広辞苑』に,
「薬を溶かす時,主にこの指を用いることからいう」
とあり,『岩波古語辞典』には,「薬指」を,
薬師指,
とする。『大言海』は,「薬師指(くすしゆび)」の項で,
「古名無名(ななし)の指(および)。いまくすりゆびと云ふ。」
とし,こう書く。
「古へ,無名(ななし)の指(および)と云ひしは,名の無かりしものか,薬師指(くすしゆび)の名は,室町時代に起こりしものか。古へ,此の指を曲げて,薬を点じたり,薬師如来の印相なりと云ふ。其の薬師(やくし)をを薬師(くすし)と訓読したる語か。或いは,動詞クススの名詞形なるか,クスリユビトと云ふは,これより移りたるなり」
と。また,
http://www.snap-tck.com/room04/c02/misc/misc01.html
によれば,
「薬指の古い呼び名は『薬師指(くすしゆび)』つまり『医者の指』で、医者が薬指を使って薬を塗ったので、普通の人もそれを真似るようになったようです。
薬指のもっと古い呼び名は『名無し指』で、これは薬指には魔力があると考えられていたので、その名前を直接呼ぶのを避けたことに由来します。
薬指に魔力があるという考えは世界中にあり、西洋で、やはり魔力を持つと信じられていた指輪を薬指にはめるのもこの考えに由来します。」
とあるので,薬指で薬を説くのには,何か謂れがあるに違いない。
『日本語源大辞典』は,文献上からの語形の変化を,こう整理している。
「およそ奈良〜鎌倉にナナシユビ,鎌倉〜江戸前期にクスシユビ,室町末期〜明治にベニサシユビとなっている。また中世には既にクスシユビとクスリユビが共存し,主として前者が上層語・文章語,後者が庶民口頭語として位相を分かち合っていたと考えられる。」
「小指」は,古称は,
コオヨビ,
つまり,文字通り小さい指。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%8C%87
には,
「和語では赤ちゃん指、医学用語では第五指、小指(しょうし)、漢語では小指(しょうし)、季指との呼び方もある。」
とある。『日本語源大辞典』には,
「『季指』の訓として『十巻本和名抄』に『古於與比』,『観智院本名義抄』に『コオヨビ』,『色葉字類抄』に『コユヒ』とあるところから,小指の呼称は『コオヨビ』『コオユビ』『コユビ』と変化してきたことがうかがわれる。『色葉字類抄』以後,現代に至るまで,『コユビ』が小指の呼称の中心になっているが,中世には,指の古い呼称『オヨビ』の意味が分からなくなり,『オ』を『小』と解して,小指の意味であるとした例が見られ,近世には,『小指』を音読した『ショウシ』や,俗語的な『コイビ』もあるが,一般的な呼称にはならなかった。」
とある。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「あたま」は,
頭,
とあてるが,和語では,
かしら,
こうべ,
つむり,
つぶり,
かぶ,
つむ,
等々,異称がある。「頭」の字は,
「『頁(あたま)+音符豆(じっとたつたかつき)』で,まっすぐたっているあたま」
で,「頁」の字が,
「人間の頭を大きく描き,その下に小さく両足をそえた形に描いたもの。頭・額・頷(あご)などの字に,あたまを示す意符として含まれる」
を意味し,「豆」の字は,
「たかつきを描いたもので,じっとひと所にたつ意を含む。のち,たかつきの形をしたまめの意に転用された」
とある。
さて,和語「あたま」について,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/atama.html
は,
「『当間(あてま)』の転で灸点に当たる所の意味や、『天玉(あたま)』『貴間(あてま)』の意味など諸説あるが未詳。
古くは『かぶ』『かしら』『かうべ(こうべ)』と言い、『かぶ』は 奈良時代には古語化していたとされる。『かしら』は奈良時代から見られ、頭を表す代表
語となっていた。『こうべ』は平安時代以降みられるが、『かしら』に比べ用法や使用例が狭く、室町時代には古語化し、『あたま』が徐々に使われるようになった。『あたま』は、もとは前頭部中央の骨と骨の隙間を表した語で、頭頂や頭全体を表すようになったが、まだ『かしら』が代表的な言葉として用いられ、『つむり』『かぶり』『くび』などと併用されていた。しだいに『あたま』が勢力を広げて代表的な言葉となり、脳の働きや人数を表すようにもなった。」
と,
かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,
と変遷したということらしい。『岩波古語辞典』によると,「あたま」は,
「古くは頭の前頂,乳児のひよめき。頭部全体は古くはカシラといったが,中世以後,アタマともいうようになり,カシラはだんだん文語的につかわれるようになった。」
とある。「ひよひよ」とは,
「(ひよひよと動く意)幼児の頭蓋骨がまだ完全に縫合し終らない時,脈搏につれて動いて見える前頭および後頭の一部。」
とある。『日本語源大辞典』にも,
「類義語カシラは奈良時代にすでに例があり,平安時代に入ると漢文特有語であるカウベとともに,和文特有語として多用された。室町時代口語資料でも中心的に用いられているが,しだいに動物の頭を指して使われることが多くなり,江戸時代には,アタマに代表語としての地位を譲ることになる。アタマは,平安時代にその例が見られるが,はじめはひよめき(頭の前頂部)の位置を表した。その後,頭頂部まで範囲を拡大し,室町後期から江戸初期にかけて頭全体を表すようになり,カシラの意味の縮小にともない,頭部を表す代表語になった。」
とあり,特定部分を指した「あたま」が,全体を意味するに転じたことになる。『大言海』は,
「灸穴(きゅうけつ)の名。當間(あてま)の轉にて(楯並(たてな)めて,たたなめて),灸點に當つる所の意か。…頭骨,交會の處なり」
とする。『日本語源広辞典』は,「あたま」の語源を,二説挙げる。
説1は,「『当て+間』で,針灸点のヒヨメキから,頭頂のことを意味し,後に,頭全体を表すようになります。」
説2は,「『ア(天・最上部)+タマ(丸い部分)』が語源だとする説。」
後で触れる「カシラ」「こうべ」との類推をするなら,箇所の位置を示す,というのが自然に思える。針灸点は,後に普及するのに力があったとしても,「あたま」の語源としては,前後が逆の気がする。その他の,
アタマ(天玉)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
アタルマド(当窓)の略。アタルとは,そのいただきに当たる意(名言通),
アテマ(貴間)の義(言元梯),
アノツマ(天間)の義(日本語源=賀茂百樹),
等々,位置と関わる語が多い。
では,長く頭の意を表した「カシラ」は,『岩波古語辞典』に,
「頭髪や顔を含めて,頭全体を身体の一部分としてとらえた語。カシはカシヅキのカシと同じ。ラは接尾語。頭髪だけをとりたてる場合はカミという。類義語カウベは頭部を身体から離してとらえた語。カシラには『結ふ』『剃る』などというが,普通カウベにはいわない。アタマは古くはひよめきのこと」
とあり,これだけだと,「カシ」の意味が分からないが,『大言海』は,
「上代(カミシロ)の略転か(かみさし,かざし)」
とする。この他,
髪代の義か(俗語考),
カミ(上)にあってシルキ(著)の義から(和訓栞),
カミシラレ(上識)の義。シラレは誰々と弁別して知られる意(名言通),
等々,この位置からの表現の仕方から,「かしら」が,「こうべ」と同じ表現の仕方なのがわかる。「こうべ」も,
カミヘ(上辺)の転か(『広辞苑』),
頭上(かぶうへ)の音便約,あるいは,頭方(かぶべ)の音便(『大言海』),
カブベ(頭方)の音便(於路加於比),
カウベ(上辺)の義(和字正濫鈔・日本釈名=燕石雑誌),
カミヘ(上方・上辺)の音便(言元梯・俗語考・和訓栞・語麓),
髪辺の義か(和訓栞)
等々と,身体の上方という位置を示している。それだけに,「あたま」も,おそらく,位置表現から来ていると思わせる。
いちばん古い呼称の「かぶ」は,『大言海』に,
「カウベと云ふも,頭上(かぶうへ)の転なり,膝頭に,ヒザカブの名存せり」
とあるので,「かうべ」は,「かぶ」から来た,ということがわかるが,『岩波古語辞典』の「かぶ」を見ると,
頭,
株,
と当てて,
「カブラ(蕪)・カブツチのカブと同根。塊りになっていて,バラバラに離れることがないもの」
とあるので,植物についていった言葉を,人の頭に転用した,ということが類推される。
「つむり(つぶり)」は,『大言海』は,
「圓(つぶら)の転にて,元,禿頭の称ならむと云ふ」
というのが笑える。『岩波古語辞典』は,
「ツブ(粒)と同根」
とあるが,「つぶ」は,
「ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」
とあるので,「円」という形から来たものとみてよい。この「つむり」が「おつむ」とつながる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/otsumu.html
は,
「おつむは『おつむり』の略で、宮中の女官が用いた女房詞であった。『おつむり』の『お』は接頭語、『つむり』は頭のことである。『つむり』は『つぶり』が転じた語で、丸くて小さいものを表す『粒』と同源で、『かたつむり』の『つむり』など、渦巻状の貝にも用いられる。それが頭の意味で用いられ、女房詞で『おつむり』となり、『り』が略されて『おつむ』となった。」
とある。
最後に,こんにち「くび」は,
首,
だが,「あたま」の意でも使うが,『岩波古語辞典』にはこうある。
「古くは頭と胴とをつなぐくびれた部分。後に頸部を切り取った頭部すなわち頸部から上全体をも言うようになった」
と。「首を取る」とは,その意味である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「びり」は,
順番の一番下,
つまり,
どんけつ,
の意味だが,他に,
人をののしって言う語,
使い古して性(しょう)の抜けた布,
遊女,女郎,
という意味がある,と『広辞苑』にはある。『岩波古語辞典』にも,
女,または遊女。また,女を罵って言ういう語,
尻,または女陰。また男女間の情事,もめごと,
いちばん後,最後,
と意味が載る。用例を見る限り,江戸期の言葉に見える。
『大言海』には,
「しり(尻)の転訛か」
として,
最尾,
の意味しか載らない。『江戸語大辞典』にも,やはり,
尻,転じて最末尾,
隠語。女,素人女,玄人女共にいう,
という意味が載り,
びりを釣る,
という言い回しが載る。
芝居者隠語,女郎買いに行く,
意とある。『隠語大辞典』には,
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%B3%E3%82%8A?dictCode=INGDJ
「びり」は,それぞれの集団ごとに意味を微妙に変わっていることがわかる載せ方になっている。
〔分類 掏摸、犯罪〕
1. @最終なること。びりつこに同じ。A小女を罵りていふ詞。
2. 娼婦。支那語にて娼婦を「ぴい」と云ふ。その転訛か又尻の事を「びり」と云ふよりか。転じて芸妓、婦女子。下婢、密淫売婦を云ふ。
3. 女、淫売。〔一般犯罪〕
4. 女、娼妓。〔掏模〕
5. 娼婦。支那語で娼婦を「ビー」というからその転訛か又尻のことを「びり」ということから出たという。転じて芸6. 妓婦女子。下婢などをいう。
〔ルンペン/大阪、俗語、刑事、宮崎県、島根県、長野県〕
1. 婦女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・長野県〕
2,.女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・島根県〕
3. 女ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・宮崎県〕
4. 婦女子。〔第二類 人物風俗〕
5. 女のこと。『ビリコケ』は淫奔な女の意である。〔刑事〕
6. 女。
7. 女のことをいふ。「びりこけ」は淫奔な女のことをいふ。
1,
館林にて姦通のことなりと。「俚言集覧」にあれども、情事の意。時に女陰の義とも解すべきか。「びり出入名月の夜に書き初め」「びり出入まず経文のうらに書き」「けつをだんずる所だにびり出入」「びり出入大屋もちつとなまぐさし」「びりいけん母は他人の口をかり」。
〔不良仲間〕
遊廓。大口 不良仲間。
〔ルンペン/大阪、不良少年少女/テキヤ、不/犯、山口県、犯罪者/露天商人、露店商、香、香具師/不良〕
1. 下婢ノコトヲ云フ。〔第六類 人身之部・山口県〕
2. 娼妓。〔第二類 人物風俗〕
3. ビリは女郎のことです。矢張りテキヤの隠語で、ビリは下のことを言ひ現はしたものです。
4. 女郎。
5. 〔不・犯〕女郎のことを云ふ。又下等のこと。「ガセビリ」参照。
6. 娼妓又は下流芸妓を云ふ。
7. 娼妓。行橋。
8. 女郎、娼婦、びり公ともいう。〔香具師・不良〕
9. 売淫のこと。媚(こび)売りの省略語。〔香〕
等々。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/biri.html
には,
「ビリの語源は未詳であるが、『尻(しり)』が転訛して『ひり』となり、『びり』になったとする説が有力とされる。
びりという語は、古く江戸時代の歌舞伎にも見られ、『最下位』の意味のほか、『尻』から『男女の情交』を意味するようになり、『男女の情交』から『女性の陰部』の意味で用いられ、転じて遊女や女郎の意味や遊女などをののしる語としても用いられている。これら全て『尻』が基点になっているため、ビリの尻転訛説は有力と考えられる。また、『屁を放(ひ)る』の『ひる』と『尻』が混ざり、『しり』が『ひり』になり、『びり』になったとする説もあるが、有力な説とは考え難い。」
とある。増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)は,
「シリ,ヒリ,ビリと音韻変化」
を取っているが,これは,『大言海』の,
しり(尻)の転訛,
を具体化したものと思われる。『日本語源大辞典』は,「しり」の転訛の他に,
イバリ(尿)の上略か,また,放屁する意のヒリケツの転か(嫁が君=楳垣実),
を挙げている。この説なら,『語源由来辞典』が捨てた,「放屁」説も具体的に見えてくる。
『岩波古語辞典』『隠語大辞典』などの意味を見てみると,「びり」は,根拠はないが,基本は,「尻」というより,「女陰」を指す隠語だったのではないか,という気がしてくる。俗語のお○○○も,「びり」と同じく,情交も意味する,罵り言葉でもある。だから,
しり→ひり→びり,
の音韻変化ではなく,はじめから,
びり,
だったのではないか,という気がしてならない。そこには,しかし,明らかな差別意識がある。もっとはっきり言って,女性蔑視がある。「尻」からの意味の派生にしては,余りにも,女性あるいは,その下半身系に偏りすぎている。
しり→ひり→びり,
の音韻変化は,どうも牽強付会に見える。あるいは,はっきり言って,おためごかしである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
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「しり」は,
尻,
後,
臀,
と当てる。「うしろ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%BF%83%E3%81%B0%E3%81%88)の項
で触れたように,「うしろ」は,
「う(内部)+しろ(区域)」
で,内部から転じて,後部となった語,とされる(『日本語源広辞典』)。あととか背後の意味も持つ。しかし,『古語辞典』をみると,「うしろ」は,
「み(身)」の古形「む」と「しり」(後・尻)の古形「しろ」の結合した「ムシロ」の訛ったもの
とある。で,かつては,
まへ⇔しりへ
のちには,
まへ⇔うしろ
と対で使われる,とある。『大言海』には,
身後(むしり)の通音
とあり,むまの,うま(馬),むめの,うめ(梅)と同種の音韻変化,とある。ちなみに,「しり」は,
口(くち)と対,うしろの「しろ」と同根。
しり(後)
で,前(さき)後(しり)の「しり」が語源とある。いずれにしろ,「後」は,
背後から,後部,背中,後姿,裏側,物陰,
までの意味がある。この意味の「しり」に,
後,
を当てる。「後」の字は,
「『幺(わずか)+夂(あしをひきずる)+彳(いく)』で,あしをひいてわずかしか進めず,あとに遅れるさまを表す。のち,后(コウ・ゴ〔うしろ,尻の穴〕)と通じて用いられる。」
とある。もともとは,
人体後部の尻の穴のこと,
意味するらしいので,「しり(うしろ)」とほぼ重なる。「尻」の字は,
「九は,手のひどく曲がった姿で,曲りくねった末端の意を含む。尻は『尸(しり)+音符九』で,人体の末端で奥まった穴(肛門)のあるしりのこと」
で,まさに,尻ないし,尻の穴,の意である。「臀」の字は,
「殿の左側は,『尸(しり)+兀(腰掛け)二つ』の会意文字で,腰掛に載せたしりを示す。殿はそれに殳(動詞の記号)を加え,罪人のしりをうつこと,しんがりになることをしめす。臀は『肉+音符殿』。」
とあり,しり,しりの肉を意味する。
「しり」は,まさに,お尻の意味をメタファに,底面,後部,裾,終点,物の結末,等々と意味の外延を拡げている。『岩波古語辞典』の「しり」には,
「「口(くち)の対。ウシロのシロと同根。口から入ったものが体内を通って出る所。転じて,家の面の出入り口に対して裏の出入り口など。また,川や道などずっと通っているものの終る所,細長いものの末端。一方,シリのあるあたりの意で臀部,転じて,物の底部。また,後ろの意,下の意にも用いる。」
とし,対語は,した・しも,と書いている。
https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n345630
には,
「『siri(しり)』と言う単語は、非常に昔から『肛門の周辺の部分』を意味する単語として存在していたようです。」
とし,『古事記』の,
「爾(ここ)に大気都比売(オホツゲヒメ)、鼻口及(また)尻(しり)より、種種(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出して」
の用例を載せている。『大言海』は,
「身の後(しり)の義ならむ」
とする。『日本語源広辞典』も,
「『シリ(後)』です。前(サキ)後(シリ)のシリ(後)が肉体の尻の語源」
とする。位置関係の,
まへ⇔しりへとするのが妥当のようだ。
「しり」の同義語には,
けつ,
おいど,
がある。『笑える国語辞典』には,
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%91/%E3%82%B1%E3%83%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
「けつ」について,
「ケツとは、尻(しり)のやや卑俗な表現。『尻』と同じように、臀部の他、列の最後部やランキング最下位などを意味する言葉として用いられる。
ケツは、『穴』の音読み『ケツ』が語源で、まさに尻の穴を意味しているが、実際的な用法では、穴とその周辺を含む『尻』のことを『ケツ』と言っている。だから『ケツの穴』というとほんとうは、『穴の穴』で意味をなさない言葉になる。」
とある。『大言海』も,
「尻の穴の音読みより移りたる語か,卑俗に,肛門をケツメと云ふ」
とあり,
「卑語に,ヰサラヒを云ふ。ヰシキ,しり。」
とある。「ゐさらひ」は,ほぼ使わない語だが,『岩波古語辞典』には,『和名抄』を引き,
「臋,井佐良比(ゐさらひ),坐処也」
とある。『大言海』には,
「膝行(ゐさり)の延と云ふ」
として,
「身の坐る時,坐に着く處。即ち尻。」
とある。「ゐしき(居敷)」も,ほぼ同じで,
「居敷くの名詞形」
で,「居敷く」とは,
しゃがむ,
ひざまづき,すわる,
意である。これも,その座席の意から,尻の意に転じた,と見ることができる。
「しり」の同義語で,いまひとつ「おゐど」は,『大言海』は,
御居處,
と当てている。つまり,「居敷」「ゐさらひ」と同じく,すわる場所から,意が転じたものと見なせる。ただ,女性が使う丁寧語,ということになる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/oido.html
は,
「『お』は接頭語の『御』,『い』は『坐る』を意味する古語『ゐる(居る)』の名詞形。『ど』は『場所・処』を意味する『と・ど(処)』で,『おいど』は『坐るところ』という意味である。おしりは坐る際の中心となる部位であるため,中世頃から,上品な女性語として用いられるようになった。現在は,愛知と近畿以西の方言に見られる。」
とある。結局漢字「穴」を訓読みした語以外は,位置や場所を示す語が,「しり」に転用されたということになる。
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「やがて」は,
軈て,
と当てるが,「軈」の字は,日本製の漢字。
「身+應(応)」
で,ある物事に身をすぐ適応させる意,らしい。「やがて」の意味に合わせて作ったものだろう。「やがて」について,
@本来は,間に介在するもののないさまをいう。
・とりもなおさず,すなわち
・時を移さず,すぐさま,ただちに
・そのまま
Aおっつけ,まもなく,ほどなく,そのうちに,早晩,今に。
と意味を整理する。「直に」という空間的なものが,時間に転用され,「直ぐに」と転じ,その時間的な間合いを拡大して,「いまに」という意味に転じた,というように見える。今日では,「やがて」は,
ほどなく,まもなく,
の意で使うことが多い。
『岩波古語辞典』には,
「二つの動作や状態の間に何の変化も時間的な距りもない意が原義。そのままにの意から,さながら,ほかならぬの意。時間的には,間もなくの意」
と,時間的空間的な「直」の意とする。しかし,『大言海』は,
「止難(ヤミガテ)の意。止まむとして能わず,直(タダチ)の義。軈は和字。音便に,ヤンガテ」
とする。だから,意味は,
「そのままに,すなわち,ただちに,すぐに,頓,即」
と
「転じて,ほどなく,まもなく,おっつけ,いまに,早晩,尋(ついで),須臾」
と載せる。時間的な接着から,そこへ時間的に迫っているという動的意味に転じた。としている。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%8C%E3%81%A6
は,
「ある時点からあまり時間が経過しない内にある事態が起こるさま。まもなく。」
「結局。究極においては。」
とし,動的ではなく,到達した時点の「ついに」の意味へと転じさせている。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%BB%88
は,「軈」の字について,江戸中期の書〔同文通考・国字〕を引用して,
「軈(ヤガテ):猶、少時のごときなり」
とあるとする。これだと,間もなくの意の「おっつけ」とするか,猶予とみて「なお」とするか,微妙な時間間隔ということになる。
『日本語源広辞典』は,『大言海』と同じく,
「ヤミ(止)カテ(難し)」
とし,
ヤミカテ→ヤンカテ→ヤカテ→ヤガテ,
の音韻変化とする。で,
「止むことなく,間に介在しない時。そのまま,すぐに,たちまち,などの意」
と。これだと,
止むことのない状態という意味から,それが,そのままの意となり,それが,時間に転じて,すぐにとなり,その須臾の間隙を指して,まもなく,ついに,との意になった,ということになる。『学研全訳古語辞典』を見ると,
@そのまま。引き続いて。
Aすぐに。ただちに。
Bほかでもなく。とりもなおさず。
Cそっくり。そのまま全部。
Dまもなく。そのうち。いずれ。
と意味が多様なことがわかる。『日本語源大辞典』によると,「ヤミガテ(止難)」以外に,
ヤ(矢)カ−テ(手)の義(言元梯),
ヤはヤス(安)のヤ,ガテはともに,また序にの意か(国語の語幹とその分類=大島正健),
があるとするが,ヤミガテ(止難)に軍配が上がりそうだ。さらに,『日本語源大辞典』は,
「@『観智院本名義抄』に『便 スナワチ ヤガテ』とあるように,『すなわち』に近い意で用いられたが,『すなわち』の漢文訓読で用いられるのに対して,『やがて』は,もっぱら和文脈で用いられた。A『今昔物語』ほかに『軈而』の形がみえ,のち『軈』一字をあてるようにもなるが,この字は国字で,『身をすぐに適応させる』意の会意文字と考えられる。B語の成り立ちについては,感動詞『や』に可能肯定判断を表す下二段動詞『かつ』の連用形『かて』がついて古くできたものという説がある。C日葡辞典には,『yacate(やかて)』の見出しもあるが,多く使われるのは『やがて』だと述べている。古くは清音だったか。」
と述べている。室町末期の『日葡辞典』が清音「やかて」を拾っていたとすると,「ヤミガテ(止難)」とするのには,難があるかもしれず,
感嘆詞「や」+「かて」
も捨てがたくなる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「こころ」は,
心,
と当てる。『広辞苑』には,
「禽獣などの臓腑のすがたを見て,コル(凝)またはココルといったのが語源か。転じて,人間の内臓の通称となり,更に精神の意味に進んだ」
とあり,始原,臓器を指していたということになる。「心」の字も,
「心臓を描いたもの。それをシンというのは,沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(しみわたる)などと同系で,血液を細い血管のすみずみまで,しみわたらせる心臓の働きに着目したもの」
と,同じ発想である。
『岩波古語辞典』には,
「生命・活動の根源的な臓器と思われていた心臓。その鼓動の働きの意が原義。そこから,広く人間が意志的,気分・感情的,また知的に,外界に向かって働きかけていく動きを,すべて包括して指す語。類義語オモヒが,じっと胸に秘め,とどめている気持ちをいうに対して,ココロは基本的には物事に向かう活動的な気持ちを意味する。また状況を知的に判断し意味づける意から,分け・事情などの意。歌論では,外的な表現の語句や,形式に対して,表現しようとする歌の発想,趣向,内容,情趣などをいう。」
とあり,「こころ」が必ずしも情緒的な意味よりは,心臓がそうであるように,活動的な含意を持っていた,とするのには,ちょっと驚かされる。『大言海』にも,
「凝り凝りの,ココリ,ココロと転じたる語なり,サレバ,ココリとも云へり。万葉集廿三十一『妹が去去里(ここり)』神代記に,田心姫(タコリヒメ)とあるも,ココリなるべきか。凝海藻(コロブト),自凝島(オノコロジマ),同趣なり(凍(こ)い凝る,寒凝(コゴ)る,凝凝(コゴ)しき山。禮代(キャジリ),ゐやしろ。拾(ひろ)ふ,ひりふ)。沖縄にて,心の事を,ククルと云ふ,キモ(肝臓)と云ふ語も,凝物(コリモノ)の略にて…臓腑の事なり。『こころぎも』『きもこころ』『きも向ふ心』『叢ぎもの心』なども云ふ」
とあり,あくまで冷静に見ている「臓腑」を指す。語源も,そこから来ていると見ていい。
だから,『日本語源広辞典』は,
「『コゴル』が語源です。体の中にあるモヤモヤしたものが,凝り固まったものをココロと言い表したのです。心の存在する場所を心臓としたのは,中国の影響かと思われます。現代的に表現すると,『人間の精神のはたらきを凝集したもの』が,心です。万葉東国方言は,ココリです。」
と,必ずしも臓器由来を取らないが,「凝(こ)る」説をとり,この説が大勢のようだ。たとえば,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83
は,
「心(こころ)の語源はコル・ココルで、動物の内臓をさしていたが、人間の体の目に見えないものを意味するようになった。」
とするし,佐方哲彦(和歌山県立医科大学)氏も,
http://www.mukogawa-u.ac.jp/~clipsyst/mandarage98.pdf
で,
「『こ ころ』 の語源をたどってみると 、『 コル』
に行き着く。これはもともと獣禽類の臓腑の様態を指すことばであり、それが人間の内臓の様態の意味に転じ、さらに現在の意味へと変化したという。つまり、かつて人間は『こころ』を身体の中に実在するモノと考えていたことがわかる。」
としている。
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-308.html
も,
「『凝る』という言葉に由来するという説がまずある。かつて狩猟などをしていたが、鹿などの禽獣を狩って、その獲物の腹を切り裂くところころ凝ったものが出てくる。その臓物を見てコル(凝)とかココルとか言い、それが、人間の内臓の通称になり、やがて精神を表す言葉になったというのだ。」
とする。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/kokoro.html
は, 少しその説に疑問のようだが,
「『凝々(こりこり)』『凝々(ころころ)』『凝る(こごる)』などから『こころ』に転じたとする『凝』の字を当てた説が多く見られるが、正確な語源は未詳である。漢字は心臓の形をかたどったものとされ、中国語では心臓の鼓動と精神作用が結びつけて考えられていた。『万葉集』には『肝向ふ 心砕けて』とあり、日本語の『こころ』も、『きも(肝臓)』に向かい合う、心臓を意味する言葉であったとされる。中古以後に、『こころ』は臓器としての『心臓』の意味が薄れ,漢語の『心(しん)』に代わり、『心の臓』という形で『心臓』を意味するようになった。」
と,「こる」はともかく,臓器を指していたこととしている。しかし,『日本語源大辞典』をみると,「こる」といっても,
コリコリ(凝凝)の約転か(大言海・古事記伝),
コロコロ(凝々)の約(俚言集覧),
コゴル(凝)の義(日本釈名・方術源論・東亜語源志=新村出),
コル(凝)の義を強めてコの音を重ねた語ココルのルをロに轉じ名詞化した語(国語の語幹とその分類=大島正健),
ココリ(小凝)の義(名言通),
ココとコリ固まった物であるところから。ロは所の意で,そのウツロをいう(本朝辞源=宇田甘冥),
火凝の義(類聚名物考),
等々と,どこか語呂合わせ行くのが,『語源由来辞典』ではないが,「正確な語源は未詳である」と言いたくなる。この他の語源説には,
語根コロに接頭詞コがついた語(神代史の新研究=白鳥庫吉)
ココは爰,ロは所の義か(和句解),
所ハの義,ココは此所,ロは接尾語(俚言集覧),
コ(小)のある処の意。コ(小)は点の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
ココは心動がコツコツというところから。ロは場所の意か(国語溯原=大矢徹),
等々,「此処」という場所からという説がある。特別の場所ということだろうが,動物の臓腑由来には,ちょっと勝てない気がする。
その他には,「うらなう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%86)
で触れたように,「心=裏」から来ているという説もある。たとえば,
ココロ(心)はココロ(裏)の義。ココロ(神)はカクレ(陰)の義(言元梯),
諸物に変転するところから,コロコロ(転々)の義(百草露),
ココはもとカクス・カクル(隠)の語幹カクと同源のカカ。本来隠れたもの・隠しているものの義(続上代特殊仮名音義=森重敏),
等々もあるが,「こころ」が抽象度を増して,精神や心情を表現するようになってからの後解釈に見える。そもそも「気持ち」自体が,中国語「気」+「持ち」なのだから。
語呂合わせなら,いっそのこと,前出の,
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-308.html
の載せる,
「日本の神話の万物を創造したとされる『伊邪那岐(イザナギ)』『伊邪那美(イザナミ)』…の宇宙創造の働きにおいて『塩
(しほ)コーオーロー コーオーロー』という…『塩』は、陰と陽、相対に分かれるすべての要素であり、それらを組み合わせると宇宙の全てが出来上がっていくというのである。その塩を使って宇宙創造の作用が発生する時に『コーオーロー』と響いたという。それが『ころころ』となり、そしてやがて『こころ』になってきたというのである。」
という説のほうが,よほど面白く感じてしまう。
なお,「こころ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D)については
触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「いたい」は,
痛い,
甚い,
と当てる。「甚」を当てるところに,語源の謂れがあるのではないか,と想像させる。『広辞苑』には,
「心身に強く感ずるさま,または心身を強く刺激する状態を表す」
とある。『岩波古語辞典』には,
「神経に強い刺激を受けたときの感じで,生理的にも心理的にもいう」
とある。
当てた漢字から見ておくと,「痛」の字は,
「疒+音符甬(ヨウ 突き抜ける,突きとおる)」
で,「つきとおるようにいたい」「ずきすぎといたむ」といった「痛み」を指す。「甚」の字は,
「匹とは,ペアをなしてくっつく意で,男女の性交を示す。甚は『甘(うまい物)+匹(色ごと)』で,食道楽や色ごとに深入りすること」
で,「あること深入りしている」から「ひどい」「はなはだしい」という意になる。漢字から見ると,「甚い」は,直接的な(生理的・心理的)「痛い」の程度を示す意図から,使われたのではないか,と想像される。『大言海』は,「いたし」を,
痛,
を当てる項と,
甚(痛・切),
を当てる項とを区別し,後者については,
「(前者の)転意,事情の甚だしきなり,字彙補『痛,甚也,漢書,食貨志,市場痛騰躍』(痛快,痛飲)。」
としている。前者については,
「至るの語根を活用せしむ(涼む,すずし。憎む,にくし)。切に肉身に感ずる意。…身に痛む感じありて,悩まし(痒しに対す)」
とある。しかし,『日本語源広辞典』は,
「イタイ(程度が甚だしい)」
が語源とし,激しい程度の意を先とする。『日本語源大辞典』も,
「『痛む』と同根の,程度の甚だしさを意味するイタから派生した形容詞」
とする。とすると,必ずしも,痛みを指していたのではなく,
ひどい,
はげしい,
はなはだしい,
という状態全部を指していた状態表現から,「傷み」や「悼み」が分化してきた,ということになる。『岩波古語辞典』の「いた」では,
「極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形」
とあり,どうやら,『大言海』の「至る」とも重なることになる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/itai.html
は,
「痛いは『痛む』と同根で、程度のはなはだしさ・ひどさを表す『いた(甚)』から派生した
形容詞。本来は、肉体的・精神的に程度の激しい刺激を受けた時の感覚を広く指し、『非常に素晴らしい』「はなはだしく立派」などプラスの意味でも用いられた。 現代では、
プラスの意味で用いることは少ないが、『いたく感動した』という際の『いたく(痛く・甚く)』がこのような意味で用いられる。勘違いしている人を見て『痛い人』などというときの『痛い』は、『かわいそう』『気の毒だ』『恥ずかしい』といった『痛々しい』の意味が派生したもので、多く『イタイ(イタい)』とカタカナ表記される。」
としている。その,他人の的外れな言動に対する「恥ずかしい」「情けない」「気の毒に」などの気持ちで使われる「いたい」について,『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/02i/itai.htm
は,2000年頃として,
「痛いは通常、自身の体(又は心)の痛みをうったえたり、人の身体の痛みを問いかける際に使われる。この痛いが平成に入り、人の言動に対して用いられるようになる(この場合、イタイ・イタいといったカタカナ表記も使われる)。痛いが用いられる主な言動として、勘違い・場違いなどの見当外れな言動、人が不快・不満に感じる言動など、『恥ずかしい』『情けない』『みっともない(不様)』に通じるものである。また、『痛い子』『痛い話』『痛いサイト』など、後ろに対象を付けて使われることが多い。」
としている。この場合,「いたい」は,
はなはだしい,
ひどい,
というかつての状態表現が,価値表現へと変ったものとみると,何百年も経て,先祖がえりしたようで,なかなか興味深い。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「いたい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%84)とのつながりで,「いたみ」を考える。「いたみ」は,『広辞苑』は,
傷み,
痛み,
と当てている。この動詞形「いたむ」は,
炒む・煤む,
痛む・傷む・悼む,
撓む,
と当て別けて,別々に載せる。ここでは,「痛む・傷む・悼む」と当てたものを指すが,「炒む・煤む」「撓む」とあてたものは,「いためる」で,
炒める・煤める,
撓める,
で,別の意味である。で,「痛む・傷む・悼む」と当てた「いたむ」は,「いたわる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%8F%E3%82%8B)で触れたように,『大言海』は,
「いたむ(痛む)」
「いたむ(傷む)
「いたむ(傷む)」
の三項にわけて載せる。原点は,
「いたむ(痛む)」
であり,「いたい」で触れたことと重なる,
「至(いた)るの語根(いた)を活用せしむ(強〔つよ〕る,つよむ)。切に肉身に感ずるなり,痛しの語源を併せ見よ」
とある。「いたし」は,すでに触れたように,『岩波古語辞典』の「いた」で,
「極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形」
とあり,「至る」の語根とはその意味である。
「いたい」の体の痛覚を,
「いたむ(傷む)」
は,転じて,
「心切に思い悩むなり。爾雅,釋訓『傷,憂思也』」
と,心の痛みに転化していく。最後の「いたむ(痛む)」は,他動詞として,他者を,対象を痛める。壊す意となる。
さらに,「いたむ」を形容詞の「いたし」で見ても,ここでも,『大言海』は,
「いたし(痛)」
「いたし(痛切甚)」
「いたし(傷)」
の三項立て,「いたし(痛)」は,
「至るの語根を活用せしむ(涼む,すずし。憎む,にくし)。切に肉身に感ずる意。」
であり,「いたむ」と同様に,痛覚が出自である。それが,転じて,
「事情の甚だしきなり。字彙補『痛,甚也,漢書,食貨志,市物痛騰躍』(痛快,痛飲)」
とある。最後の「いたし(傷)」は,身体の痛覚が転じて,
「切に心に悩むなり。爾雅,釋訓『傷,憂思也』」
とある。「いたい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%84)
で触れたように,『日本語源広辞典』は,
「イタイ(程度が甚だしい)」
が語源とし,激しい程度の意を先とする。『日本語源大辞典』も,
「『痛む』と同根の,程度の甚だしさを意味するイタから派生した形容詞」
とする。とすると,必ずしも,痛みを指していたのではなく,
ひどい,
はげしい,
はなはだしい,
という状態全部を指していた状態表現から,「傷み」や「悼み」が分化してきた,ということになる。ちなみに,「痛み」から分化して,「悼み」「傷み」と当てる,こころの「痛み」について,中国語では,
「悼」は,哀悼・傷悼・悲悼などと連用す,人の死を悲しむなり,傷の字に,憐愛の意を兼ぬ,
「傷」は,憂思也。毀傷也と註す。傷心とは心を破り,傷ふ如く,つよくいたみ哀しむなり。
「痛」は,痛疼の義,身に痛みある如く悲哀を感ずること切なり,
「疼」は,痛に同じ。いたみの終始いやまざる義,
と,細かく分けている。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「くちびる」は,
唇,
脣,
と当てられる。『広辞苑』は,
「口縁(くちべり)の意」
としている。漢和辞典の「くちびる」には,
吻,
も当てる。漢字を見ると,「脣」の字は,
「辰(シン)の原字は,貝がらからびりびりとふるえる柔らかい貝の足が出た姿を描いた象形文字。振・地震の原字で,弾力を帯びてふるえる意を含む。唇は『口+音符辰』で,やわらかくてびりびりとふるえるくちびる。」
「脣」の字は,
「『肉+音符辰』で,やわらかくたふるえるくちびる」
だが,『字源』には,「脣」は俗字,とある。「吻」の字は,
「勿(ブツ)は,没と同系で,隠れて見えない意を含む。吻は『口+音符勿』。ブツの語尾が伸びてブンとなる。口もとを隠してふさぐくちびるのこと」
とある。
で,「くちびる」の語源だが,『日本語源大辞典』も,
「クチ(口)+ヘリ(縁の音韻変化)」の音韻変化,
とし,『日本語の語源』も,
クチベリ(口縁)はクチビル(脣)…になった」
としている。『大言海』も,
「口縁(クチベリ)の転。川傍(カハビ),川辺(カハベ)。ありく,あるく。釈名『脣,口之縁(へり)也』」
と同様である。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ku/kuchibiru.html
は,
「唇は、口のふちにあることから『くちへり(口縁)』の転か,『くちへら(口辺)』の意味と考えられている。上代は清音で『クチヒル』といっていたようで,奈良時代の仏典には『脣』に『久知比流』の訓が見られる。『クチビル』と濁音化された例は,平安末期の漢和辞典『類聚名義抄』に見られる。」
と,整理している。「口縁」か「口辺」か,いずれにしても口の「端」というところだろう。では,その「くち」は,どこからきたか。
「口」の字は,
「人間のくちやあなをえがいた」
描いた象形文字だが,
「そのおとがつづまれば谷(あなのあいたたに),語尾が伸びれば孔(あな)や空(筒抜けのあな)となる。いずれも,中空にあなのあいた意を含む。」
という意味を持つ。
さて,「くち」について,『岩波古語辞典』は,
「古形クツ。食物を体内に取り入れる入口。また,言葉を発する所,転じて,物の始るところ。またものを言うこと」
とある。「くつ」の項には,
「『くち』の古形。『口籠(くつこ)』『くつばみ』『口巻(くつまき)』『轡(くつわ)』など複合語に残っている。朝鮮南部方言kul(口)と同源」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ku/kuchi.html
は,
「飲食物を取り入れる
器官であることから,『クフトコロ(食処)』の略か、『クヒミチ(食路)』の略と考えられる。また,古くからある『ち』の付く言葉は『霊』を表すことが多いため,『く』は『食』を意味し,『ち』は『霊』を意味している可能性もある。口は飲食に関するたとえとして用いられるほか,体に取り入れる最初の器官であることや,発声もする器官であることから,入り口や最初,声や話・噂,数の単位など,さまざまな意味で用いられる。」
とし,『日本語源大辞典』にも,
クフトコロ(食処)の略転か(国語溯原=大矢徹),
クヒミチ(食路)の略か(燕石雑志),
キミチ(気道)の略転(国語蟹心鈔),
ウツ(空)の義(言元梯),
クは穴の義(国語の語幹とその分類=大島正健),
クボシ(窪)の義(桑家漢語抄),
クチル(朽),またはクタシ(腐)の義(和句解・日本声母伝・玄同放言・名言通・和訓栞),
カムトシ(敢利)の反。クフタリ(食足)の反(名語記),
クヒコトイヒ(食事言)の義(日本語原学=林甕臣),
深いことを意味する梵語クチ(俱胝)から(和語私臆鈔),
「口」の入声kutの転化(日本語原学=与謝野寛),
クは飲食の概念を表す言語。チは霊の意(日本古語大辞典=松岡静雄),
等々諸説載るが,いずれも語呂合わせに過ぎない。しかし,『日本語源広辞典』でも,
「漢字の『口の入声kut+母音』が有力」
としている,
「口」の入声kutの転化
説が注目される。というのは,『岩波古語辞典』が,
「朝鮮南部方言kul(口)と同源」
という見解を出しているからである。
漢字の入声→朝鮮半島→和語,
の流れで,
kut→kutu→kuti,
と転じて来たと見ることができるのではないか。
「オーストロネシア(AN)語と日本語の基礎語彙比較」
http://roz.my.coocan.jp/wissenshaft/AN_2/AN_JP_37_43.htm
は,
「『クチ』(古形は『クツ』と推定)に対応する語は、散々探しましたが、AN語には見つかりません。大野晋氏が旧版『日本語の起源』で挙げた『ポリネシア語』、『クチ』(gutu)
は幽霊語で、ポリネシア祖語は、ŋu(s)u が正しい形です。AN祖語は冒頭に挙げた表に示したように、日本語と似ても似つかぬ形をしています。
一方、広く知られているように、高句麗語に『口』=「古次」(ko-tsii)という語があったと推定されています。AN諸語に発見できない言葉が、高句麗語で見つかるという、いささか『出来すぎ』と言える例です。
しかし残念ながら、この語とアルタイ諸語との関係は明らかにされていません。『クチ』は、日本語と高句麗語にのみ存在が確認される言葉なのです。
高句麗語の系統も謎なので、簡単に『アルタイ系』とは言えないのです。(中略)
韓国語の『クチ』はip で、これは日本語の『言ふ』(ipu)と同源と思われます。」
としている。とすると,上記の流れは,
漢字の入声→朝鮮半島北部→朝鮮半島南部→和語,
とつながる気がするが,いかがであろうか。とすると,「くち」を,「口」を知るまで,何と呼んでいたのだろうか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「いたみわけ」は,
痛み分け,
傷み分け,
と当てる。もちろん,ここでいう「いたみわけ」は,ゲーム『ポケットモンスター』シリーズに登場する技の一つのことではない。『広辞苑』には,
相撲での取り組み中,一方が負傷したために引き分けとすること,
とある。それを汎用化して,
互いに損害を受けたまま引き分けること,
という意味でも使われるようになったようである。『岩波古語辞典』にも『江戸語大辞典』にも載らない。『大言海』には,
「相撲に,負傷したるに因る引き分け」
とのみ載る。『ブリタニカ国際大百科事典』にも, やはり,
「相撲用語の一つ。取組中,一方の力士または双方とも負傷して,相撲を続けられないと審判委員が判断した場合,痛み分けとなり,両力士に半星ずつが与えられる。」
とあるし,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%9B%E3%81%BF%E5%88%86%E3%81%91
には,
「取組中にどちらか一方または双方の力士が負傷・病気の悪化などのために、その後の取り直しなどで取組の継続が不可能になったときに宣告されるものである。」
とあり,さらに,
http://yain.jp/i/%E7%97%9B%E3%81%BF%E5%88%86%E3%81%91
にも,
「本来は相撲で、取組中に一方が負傷した場合に勝負を引き分けにすることで、『痛み』は負傷のこと。広い意味での引き分けの一種。そこから転じて、紛争や論争で互いに損害を被りながら決着がつかないこともいうようになった。
体に痛みを感じることをさす動詞『痛む』の連用形に、動詞『分ける』の連用形の名詞用法が付いたもので、結果的に、負傷による引き分けを示す名詞になっている。」
とある。『日本語源広辞典』にも『日本語源大辞典』には記載はないが,相撲由来の言葉であるらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%9B%E3%81%BF%E5%88%86%E3%81%91
によると,
「日本相撲協会発行の星取表では戦前までは引分と区別されず『×』印で表記されたが、戦後になって『△』の印で表記されるようになった。現在では、幕下以下の取組でまれにみられるが、幕内ではほとんどない。十両以上においては、1964年(昭和39年)11月場所7日目の十両宮柱と清乃森との対戦が最後である。」
なお,「いたみわけ」が問題になったケースについて,
「2005年(平成17年)5月場所7日目では、十両同士の五城楼対琴春日の取組で、琴春日の土俵際の突き落としに、五城楼は右膝を痛めてしまう。この一番に物言いが付いた後、取り直しの判定となった。だが、五城楼は膝の激痛に立ち上がる事が出来ず相撲が取れない状態で、審判委員達は取り直しについては五城楼の棄権と、琴春日の出場を確認した。結局この取組は琴春日の不戦勝、五城楼の不戦敗となった。さらに五城楼は、翌8日目の春ノ山戦も右膝の負傷が回復しないために不戦敗、2日連続での不戦敗という珍記録となった。
過去のケースであれば、この五城楼対琴春日戦の場合は両者に『痛み分け』と宣告されていた。しかし、『片力士が相撲を取れるのに、片力士が大ケガなどにより相撲が取れないからとの理由で、勝敗をつけずに「痛み分け」とするのはおかしい』という意見が相撲協会内で多く出ていた事もあり、現在ではこの場合「(各片力士の)不戦勝・不戦敗」とそれぞれ判定することとなった。そのために、今後大相撲で『痛み分け』と判定されることは、双方が怪我・病状の悪化等の事情で取組不可能にならない限り、まず起こらなくなると予想される。」
とあり,何というか,大らかさのなくなって,何でも重箱の隅をつつくような声に圧倒されて,伝統を変えてしまうというのは,何やら日本人の狭量性を示して,象徴的である。対戦している最中なので,どちらが怪我しようと,条件は同じなのではないか,とは考えないらしい,戦いとは関係ない岡目八目の声に押し切られた相撲協会が情けない。
ついでながら,「ひきわけ」は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E5%88%86_(%E7%9B%B8%E6%92%B2)
によると,
「かつての相撲は、全体的にがっぷり四つに組み合ってから勝負をつけるものが多かった。その場合、両力士が組み合ったまま勝敗をつけられない場合が出てくる。水入りの制度で、一応の疲労回復は可能でも、そのあとも動けなくなることもある。そのときに、『引分』の裁定がくだされ、星取表には『×』の記号で記されることになる。
江戸から明治にかけては、そうした物理的なものの他にも、お抱え大名の都合や、上位力士の面子をたもつために、無理をして勝負をつけないで、四つに組み合ったまま引分をねらうようなことも見受けられた。横綱の大砲万右エ門は、明治40年夏場所にて9日間皆勤して、9日間とも引分を記録している。常陸山と梅ヶ谷の両雄の対戦も、横綱昇進後は、引分となることが多かった。(中略)
現在では、二番後取り直しのあと、水が入り、なおかつその後も動きがなくなったときに『引分』とすることとなっている。現在幕内の取組での引分は、1974年9月場所11日目の三重ノ海と二子岳との一番が最後となり、それ以降幕内での引分は一度も出ていない。」
「引き分け」の一種に「預り(相撲)」というのがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%90%E3%82%8A_(%E7%9B%B8%E6%92%B2)
「文字通り、勝負結果を行司もしくは審判委員が『預かり置く』ことで、物言いのついたきわどい相撲などで、あえて勝敗を決めない場合などに適用された。日本相撲協会発行の星取表には大正までは『△』の記号で記載されたが、戦後痛み分けが『△』の記号で記載されるようになったため近年作成される星取表にはカタカナで『ア』と表記されることもある。ひとつには、江戸時代の幕内力士は多くが有力大名のお抱えであり、その面子を傷つけないための配慮措置でもあった。記録上は引き分けとしながらも、実際の取組で優勢であった側に、番付編成面で優遇を与える『陰星』(完全に1勝扱いにする場合を『丸星』、0.5勝扱いのときは『半星』と呼んだ)もあった。特に丸星の場合、星取表の右上の、勝ち数を表記するところに『●』を加えた場合もある。
大正頃まで、大部屋同士の意地の張り合いや、大坂相撲と東京相撲との対抗心から来るいざこざも多く、これらをなだめる方便としても預り制度は存続した。また、東西制の導入で優勝争いが勝ち星の合計で争われるようになると、自分の側に優位になるようにと控え力士が物言いをつけるケースも多くなり、その対処としての「預り」も増えた。
昭和の東西合併に伴う規則改正で大正末期に取り直しの制度が設けられたことにより、『勝負預り』は制度としては廃止されたが、昭和以後2度だけ預りが記録されている。
1941年5月場所4日目 八方山対鯱ノ里
1951年9月場所12日目 東富士対吉葉山」
また,このほかに,文字通り「勝負無し」とする裁定「無勝負 (相撲)」という,記録上は引き分けの一種の様に扱われるものがあり,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%8B%9D%E8%B2%A0_(%E7%9B%B8%E6%92%B2)
には
「現在の大相撲ではどんなにもつれた勝負でも、行司は“必ずどちらかに軍配をあげなければならない”ことになっているが、江戸時代には、勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、行司が『ただいまの勝負、無勝負』と宣言して軍配を真上にあげて、そのあと袴の中にいれてしまうことで、勝敗の裁定をなしにすることができた。この場合は、星取表に『ム』とカタカナで記入することとなっていた。その点で、物言いがついたあとに勝敗を決めない『預り』(星取表にはカタカナで「ア」)や、水が入って動かない『引分』(星取表には「×」)、一方が負傷して勝負続行が不可能な場合の『痛み分け』(星取表には「△」)とは異なる。この制度は江戸相撲では江戸末期に廃止されたらしく、元治2年(1865年)2月場所での記録を最後に登場しない。」
こうみると,「国技」等々と祭り上げられているが,本来は,一種の男芸者に成り下がっていた相撲の,ある意味いい加減さ,おおらかさが,勝負の棚上げの仕方にある。そういう気風は,今日ない。そのくせ,勝負にこだわると,横綱の品格などと持ち出す。プロレスと同じ興行ということを忘れている。ほんとに,チャンチャラおかしい風潮である。上へ
「公案」は,一般には,
「禅宗特に臨済宗で祖師たちの言行録を集めて,それを求道者に示し,参究するための手だてとした問題。求道者は,師家すなわち指導者からこれを与えられて,一心に参究する。仏祖の言行は,政府の律令のように厳守し,参究すべきものであるとされる。『公府の案牘
(あんとく)』という言葉の略されたものである。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)
の意だが,
「中国において,公の案つまり公府が是非を判断した案牘(あんとく),争論中の事件や裁判の文書を意味し,のちには裁判物語を指す。その代表的な作品は,宋代の名裁判官として名高い包拯を主人公にした明代の小説《竜図公案》10巻で《包公案》《竜公案》ともよばれる。もともと《元雑劇》400余本のうち,公案故事に題材をとるものは10%をこえ,とくに包拯を主人公にするのが多かったが,《竜図公案》では,《元雑劇》をはじめ,民間伝説などに題材をもとめつつ,主人公をすべて包拯に仮託したものである。」(『世界大百科事典』)
が始まりである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%A1%88
には,
「中国で、古代から近世までの役所が発行した文書。調書・裁判記録・判例など。
上記の意味から派生して、禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。ほとんどが無理会話(むりえわ)と言われている。一般には『禅問答』として知られる。有名な公案として『隻手の声』、『狗子仏性』、『祖師西来意』などがある。近世には一定の数の公案を解かないと住職になれない等、法臘の他に僧侶の経験を表す基準となった。」
とある。「隻手の声」とは,「隻手音声(せきしゅおんじょう)」とも言い,白隠が創案した禅の代表的な公案のひとつとされる。
「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」
「狗子仏性くしぶっしょう」とは,狗子(犬のこと)に仏性があるかない,という問いである。『従容録』第十八則では「趙州狗子」。「趙州無字」とも言う,とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%97%E5%AD%90%E4%BB%8F%E6%80%A7
には,『無門関』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-8.htm#%E5%A4%A7%E9%81%93%E7%84%A1%E9%96%80)に,
「一人の僧が趙州和尚に問うた。
『狗子に還って仏性有りや無しや』(大意:犬にも仏性があるでしょうか?)
趙州和尚は答えた。
『無』」
と。さらに,中国宋代の禅書『五燈会元』(ごとうえげん)の第4には,その続きとして,
「僧はまた問うた。
『上は諸仏より下は螻蟻に至るまで皆仏性あり、狗子甚麼として却て無きや』 (大意:あらゆるものに仏性はあるとされるのに、なぜ犬にはないのでしょうか?)
趙州和尚はまた答えた。
『尹(かれ)に業識性の在るが為なり』 (大意:欲しい、惜しい、憎いなどの煩悩があるからだ。)
僧は更に問うた。
『既に是れ仏性、什麼としてか這箇の皮袋裏に撞入するや』 (大意:仏性があるならなぜ犬は畜生の姿のままなのでしょうか?)
趙州和尚は更に答えた。
『他の知って故らに犯すが為なり』 (大意:自他ともに仏性があることを知りながら、悪行を為すが故である。)」
と。「祖師西来意」も,禅の代表的な公案のひとつ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E5%B8%AB%E8%A5%BF%E6%9D%A5%E6%84%8F
によると,『無門関』第三十七則に,
「一人の僧が趙州和尚に問うた。
『如何なるか是れ祖師西来意』(大意:達磨大師が遠路、インドから中国へと来られた真意は何なのでしょうか?)
趙州和尚は答えた。
『庭前の柏樹子』」
とあり,『趙州録』に,その続きが,
「また僧は続けて問うた。
『和尚、境を将て人に示すこと莫かれ』(大意:私は禅とは何か尋ねているのです。心の外の物で答えないで下さい)
趙州和尚は続けて答えた。
『我れ境を将て人に示さず』(大意:私は心の外の物で答えてなどおりません)
僧は再度問うた。
『如何なるか是れ祖師西来意』
趙州和尚は、再度答えた。
『庭前の柏樹子』」
と。しかし,僕は,こういうもっともらしい問いとは異なり,「べらぼう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%B9%E3%82%89%E3%81%BC%E3%81%86)
で触れた,
如何是仏
乾屎橛(かんしけつ)
という問答の方がはるかに尖っている。10世紀頃の中国で、雲門文偃(うんもんぶんえん)が修行僧から『仏とは何か』と尋ねられ,その答えが「乾屎橛」である。その意は,目の前の何であれ、そこに仏を見る。そこに総ての世界を見る。乾屎橛にこだわってはならぬ。こだわった瞬間、そこに意味をみてしまう。それが柄杓でも、太刀でも構わぬ,ということらしい。「乾屎橛」とは糞べらである。糞べらといっても,かなり違いがあるらしいが,例えば,
http://www.honda.or.jp/honda/gaki.html
によると,『餓鬼草紙』という絵巻物の一場面にある図らしいが,
「道ばたで子どもが排便をしています。大便がつかないように高下駄をはき、しかもはだかです。右手には糞(くそ)べらを持って踏ん張っています。糞べらを支えにして勢いよく大便を出せば,お尻につかなくてすみます。仮についたとしても糞べらでこき落とすのです。」
とある。
閑話休題。
公案の意味の,そうした頭の働かせ方の意を転じて,
工夫,思案,
の意味になる。今日ではあまり使われないが,『風姿花伝』では,その意味の「公案」が,使われている。
「公案を究めたらん上手は,たとへ,能はさがるとも,花はの残るべし。」
「初心と申すは,このころのことなり。一公案して思ふべし。」
しかし,この意で使われる「公案」は,
工夫,
とどう違うのか。『風刺花伝』では,
「よくよく公案して思へ,上手は下手の手本,下手は上手の手本なりと,工夫すべし。」
とあり,「公案」と「工夫」は,区別されているように見える。さらに,
考案,
という言葉もある。『広辞苑』には,「工夫」は,
いろいろ考えて良い方法を得ようとすること,
精神の修養に心を用いること,
とあるが,『世界大百科事典』には,
「中国の宋明学(朱子学・陽明学)で多用された用語。〈功夫〉と書くこともある。当時の俗語(話し言葉)で,〈時間と労力を使う〉〈手間ひまかける〉の意であるが,宋明学では,完全な人格に至るための実践,修行,勉強,努力などをすべてこの語で表現する。たとえば朱熹は,臨終に際して〈堅苦の工夫をせよ〉と枕元に集まった弟子たちにさとした。なお,禅語で座禅専念の意に使われるほか,現代朝鮮語では〈勉強〉を意味し(コンブと発音),ごく日常的に使われている。」
とあるので,「工夫」は,
いろいろ思案する手間を惜しまない,
と,「考える」中身ではなく,その努力の程度の方に力点があるようだ。「考案」は,
工夫をめぐらすこと,
考え出すこと,
という意味だが,『産学連携キーワード辞典』には,
「自然法則を利用した技術的思想の創作(実用新案法第2条1項)をいう。『考案』は、高度性を要求されていない点が発明(自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの)と相違するだけで、発明と本質的に相違ない。しかし、実用新案として登録されるものは、『物品の形状、構造又は組合せに係る考案』に限られている。」
とあるので,「公案」が創案に当たるとすれば,工夫はKnowing howに当たる。「考案」は,ちょうど,「公案」と「工夫」の間,ということになろうか。
参考文献;
http://www.hikari-k.ed.jp/zenchoji/houwa/houwa2302.htm
http://zenken.aichi-gakuin.ac.jp/zen/familiarity/h16.html
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「虎の尾」とは,もちろん,オカトラノオのことではない。
通常,
虎の尾を踏む,
という言い方で使われる。
極めて危険なことをするたとえ,
として使われる。因みに,「虎」の字は,
虎の全形を描いた象形文字,
とされている。さて,「虎の尾を踏む」は,『易経』「履卦」が出典とされる。その冒頭に,
「虎の尾を履(ふ)むも人を咥(くら)わず。亨(とお)る。
彖(たん)に曰く,履(り)は,柔にして剛を履むなり。説(よろこ)びて乾に応ず。ここをもって虎の尾を履むも人を咥わず,亨るなり。剛中正にして,帝位を履みて疚しからず。光明あるなり。
象に曰く,上,天にして下,沢なるは履なり。君子もって上下を弁(わか)ち,民の志を定む。」
とある。訳には,
「履は人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない。あたかも虎の尾を履みつけても虎からかみつかれる心配はないのと同じで,願いごとは亨であろう。
〔彖伝〕履は柔(兌)が剛(乾)を履む象であり,説(よろこ)んで(兌)乾に応ずるという意味になる。だから虎の尾を履むも虎は人を咥わず,亨るのである。剛(九五)が中正の位に在るのは,帝位を履んで内心にやましいところがなく,光り輝いて明るい徳をそなえたかたちである。
〔象伝〕上に天(乾)があり下に沢(兌)があり,上下卑高の秩序がはっきりしているのが履である。君子はこれにのっとって上下貴賤の階級を分かち民心を安定させることにつとめる。」
とある。よりはっきりするのは,「虎の尾を履んでもくらわれることはない」という卦ということだ。真意は,そこにはなく,
人の常に履むべき道,礼にあたる。剛強の人に対しても礼にかなった柔順和悦の態度で接すれば,危険はない,
というところにある。しかし,どうやら,
虎の尾を踏む,
だけが独り歩きを始め,危険なことの象徴として,
龍の鬚を撫で虎の尾を履む,
と,セットで言い回されるようになる。『平家物語』には,
「只今もめしや籠められずらんと思ふに,龍の鬚をなで,虎の尾をふむ心地せらにれけれども」
という用例が載る。どうも,このセットは,和製ではないか,という気がする。
龍の頷(顎 あぎと)の珠を取る,
という諺がある。
龍のあごのしたの宝玉を取る,
という意味である。
虎穴に入らずんば虎子を得ず,
と似た意味で,
ある目的のために気丈に危険を冒すたとえ,
である。『荘子』(列禦寇)の,
「夫れ千金の珠は必ず九重の淵と,驪竜(りりょう 黒い龍)の頷の下に在り」
が出典である,とされる。
驪竜頷下(リリョウガンカ)の珠,
とも言う。しかし,
「龍の鬚を撫でる」
の出典は分からなかった。「龍」の字は,
「もと,頭に冠をかぶり,胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様をそえて龍のじになった。」
とある。
「龍の鬚」「虎の尾」と似た,危険なことの象徴に,
逆鱗,
があり,
逆鱗に嬰(ふ)れる,
という言葉がある。これについては,「逆鱗」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E9%80%86%E9%B1%97)で触れた。
参考文献;
高田真治・後藤基巳訳『易経』(岩波文庫)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)上へ
「ひげ」は,
髭,
鬚,
髯,
と当て別ける。「髭」の字は,「口ひげ」を指し,
きざぎさしたくちひげ,
鼻の下のふぞろいひげ,
の意味になる。
「髟(かみの毛)+音符此(シ ぎざぎしたふぞろいな)」
で,「鬚」の字は,
やわらかいあごひげ,
の意で,
「須は『頁(あたま)+彡(たくさんのけ,模様)』からなる会意文字で,柔らかいひげを表す。鬚は『髟(かみのけ)+音符須』」
とある。「須」自体が,
ひげ,
柔らかいひげ,とくにあごひげ,
を意味し,「須」の字を見ると,
「もと,あごひげの垂れた老人を描いた象形文字。のち,『彡(ひげ)+頁(あたま)』で,しっとりとしたひげのこと。柔らかくしめって,きびきびと動かぬ意から,しぶる,じっとたってまつの意となり,他者を頼りにして期待する,必要としてまちうけるなどの意となった。需も同じ経過をたどって必需意となり,須と通用する。」
とある。「髯」は,
ほおひげ,
の意で,
「冉(ゼン)は,柔らかいひげが垂れた姿を描いた象形文字。髯は,『髟(かみの毛)+音符冉』。冉の元の意味を表す。」
とある。
髭(くちひげ)・鬚(あごひげ)・髯(ほおひげ)の区別は,漢字由来のもので,もともとは「ひげ」と一括りにしてきたことになる。
『岩波古語辞典』は,
「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」
としているが,『大言海』は,
「秀毛(ひげ)の意,或は鰭毛(ひれげ)の意と云ふ」
とある。『日本語源広辞典』も,
「ヒ(秀)+毛」
で,
「『よく伸びる毛』が語源のようです。本来少ない頬や顎に,目だって伸びる毛を表したものです。」
とする。『日本語源大辞典』によると,意味は,大別,
口の周りや頬にはえる毛,
と
動物の口のあたりにはえる長い毛や毛状突起の総称,
とあり,「ひげ」は,「猫のひげ」というように,動物にも,昆虫の触角にも使う。で,語源も,
ヒレゲ(鰭毛)の義(菊池俗語考・和訓栞・大言海),
と
ヒゲ(秀毛)の義(日本釈名・柴門和語類集・大言海),
と,場所に関わる説,
ホホゲ(頬毛)の義(言元梯),
ホホクチゲ(頬口毛)の義(日本語原学=林甕臣),
ヘリゲの義。ヘリの反はヒ(名語記),
ヘゲ(辺毛)の義(名言通),
口の周りにあるところから,ヒラク−ケ(毛)の義か(和句解),
等々,ひげのはえる場所に関わる。そのために,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/hige.html
は,
「ひげの 語源には、『ホホゲ(頬毛)』が転じて『ヒゲ』になったとする説。
魚のヒレのように生えることから『ヒレゲ(鰭毛)』が転じて『ヒゲ』になったとする説。へりにある毛なので『ヘゲ(辺毛)』『ヘリゲ(辺毛)』の意味とする説。口の周りにあることから,『ヒラマケ(開毛)』の意味とする説。『ひ』は朝鮮語で口を表す『ヒ(ip)』に由来して『ヒ(口)』の毛で『ヒゲ』になったとするなど諸説あるが未詳。『頬毛』や『鰭毛』の説は,頬のヒゲのみを表しているため考え難いが,元々,ヒゲが頬に生える毛のみを表していたと特定できれば,このいずれかの説でよいであろう。あごや頬も含めたヒゲという点からすれば,口の周りに生える毛『ヒラクケ(開毛)』の説がよいが,『口』をあえて『開く』と表現するとは考えられない。口の周りに生える毛という意味では,『くちびる』の語源と通じることから,『ヘゲ(辺毛)』『ヘリゲ(辺毛)』の説が良い。」
としている。さらに,
「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」
も,場所説のひとつになる。「くちびる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%8F%E3%81%A1%E3%81%B3%E3%82%8B)の項
で触れたように,『岩波古語辞典』の「朝鮮南部方言kul(口)と同源」説から,
漢字の『口の入声kut+母音』→朝鮮南部方言kul(口)→和語,
の流れで,
kut→kutu→kuti,
と転じて来たと見ることができるし,さらに,
http://roz.my.coocan.jp/wissenshaft/AN_2/AN_JP_37_43.htm
のいう,
「『クチ』は、日本語と高句麗語にのみ存在が確認される言葉なのです。」
から,
漢字の入声→朝鮮半島北部→朝鮮半島南部→和語,
とつながる気がすると書いたことと関連させるなら,。
「ヒは朝鮮語ip(口)と関係あるか。ケは毛で,口毛の意か」
という説ともつながるきがするが,しかしこの場合も,「口」周辺の場所に特定するのは,無理筋の気がする。僕は,動物も人も魚も同列にする,「鰭」説に惹かれるが,「ひれ」の語源を観ると,『大言海』は,
「打ち振りヒラヒラする物の意」
であり,「領布」とあてる「ひら」と同源で,
「ヒラメク意」
とある。「ひれ」は,擬態語「ヒラヒラ」から来ていると見ていい。『日本語源広辞典』もその説を採るし,『日本語源大辞典』も,
ヒラヒラする物の意(筆の御霊・国語の語幹とその分類=大島正健・大言海),
ヒレ(領布)から(雅言考),
フリテ(振手)の義(日本語原学=林甕臣),
フリ(振)の義(名言通),
と,擬態語関連説が大勢を占める。とすると,「ひれ」は擬態語だとすると,「ひげ」は,どう見ても「ヒラヒラ」とする感じではない。『擬音語・擬態語辞典』の「ひらひら」には,
薄い物や小さい物が翻るように面を変えながら空中を漂う様子,
手のひらを何度も返すようにして手を振る様子,
炎や光が小刻みに揺れ動く様子,
布や紙などの薄い物が,面を返しながら,または面を波打たせるように,小刻みに揺れる様子,
等々の擬態で,毛の揺らぐ様子とは異なる。こうなると,
秀毛,
説が残ることになるが。どうもいまひとつしっくりしない。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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「うてな」は,
台,
萼,
とあてる。「台」は,
四方を観望できるようにつくった高い土壇・建物,高殿,
物を載せる台,
という意味だが,後者は,
(台(うてな)の意からという)花の蕚(がく),
の意とある(『広辞苑』)。「台(臺)」の字は,「台」と「臺」で由来が違う。「臺」の字は,
「『土+高の略字体+至』で,土をく積んで人の来るのを見る見晴らし台を表す。のちに台で代用する。」
とあり,「うてな」は,この字であり,
い土台や物をのせる台。また,見晴らしのきく高い台,
の意味となる。「台」の字は,
「口+音符厶」厶(イ)はまがった棒で作った耜(シ すき)のこと。その音を借りて一人称代名詞に当てた。あるいは,道具を持って工作する(自主的に行うその人)との意から一人称となったものか。」
とあり,
「三台星」とは,上台・中台・下台の三星からなる星座。三公の位に当てる。転じて,敬語となり,人の字(あざな)を尊んで「台甫」,相手を尊んで「貴台」「台前」という,
とある。「蕚(蕚)」の字は,
「『艸(くさ)+音符咢(かみあう)』。花びらや,しべの下端がかみあってはまりこんだ台座のこと」
とある。つまり,
花の一番外側にあって,花びら,めしべ,おしべを保護するもの,
の意で,
花萼,
である。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/sepal.html
には,
「萼片 (sepal) は花の最外輪に位置しており、一般に花葉の中で葉の性質を最もよく残した花葉である。萼片のまとまりを萼 (calyx)
とよぶ。(中略)ふつう萼は他の花葉の保護を担っているが、ガクアジサイ (アジサイ科)
の装飾花のように目立つ色や形をし、花冠に代わって送粉者を誘引する役割を果たしているものもある。」
とある。
さて,では,「台」や「萼」を当てた,和語「うてな」は何に由来しているのか。『大言海』は,「臺」について,
「上棚(うわたな)の約転かと云ふ(轉〔うたて〕,うたた)。或は,大棚(おほたな)の約。字鏡四十四『榭,太奈』,倭名抄十二『棚閣,多奈』,桑家漢語抄五『臺,其製高遥四方於宇知奈雅無流之義也』」
とし,「萼」とあてる「うてな」は,
「臺の義か」
とする。『日本語源広辞典』も,
「ウ(上)+たな(棚)」の変化,
とする。『大言海』「う(大)」の項に,
「おほの約(つづま)れる語。」
とあるのとつながる。しかし,「棚」と「台」では別ではないのか。『大言海』の「たな(棚)」の項を見ると,
「板竝(いたなめ)の略か」
とあり,
「物に,板を平らに亘しかけて,物を載せ置く用とするもの」
という意味である。「台」とは,そういう意味ということである。「棚」の語源について,『日本語源広辞典』も,
「平面を表すタに,横に伸びる意味のナが加わった語です。タイラ,タワ,タウゲ,タキ,タニ,などの地形のタは,同根と思われます。」
としている。こう考えると,「台」と「棚」は,似ている。それと「萼」とをあわせてみると,「花びらを載せる」という意味で,つながっていく。あるいは,もともとは,
萼,
が「うてな」の始原なのかもしれない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「おこも(さん)」というのは,最近使われなくなった気がするが,
御薦,
と当てる。『広辞苑』には,
「こもかぶり」から,
とある。「こもかぶり」は,
薦被り,
と当て,
薦で包んだ四斗入りの酒樽,
(薦を被っていたから)こじきの異称,
と,『広辞苑』にはある。前者は,よく「薦被り」という酒樽のことだが,『大言海』には,後者について,
「俗に,乞食の異名。婦女子の詞ニ,オコモと云ふ。衣なくして酒樽の薦を被り居るより云ふ」
とあり,衣服の代わりに薦を被っていたということになる。
「こも」を引くと,
薦,
菰,
と当て,
マコモ,
あらく織ったむしろ。もとはマコモを材料としたが,今は藁を用いる,
(「虚無」とも書く)薦僧(こもそう)の略,
と意味が載る(『広辞苑』)『岩波古語辞典』には,
「薦,コモ・ムシロ」
と,『名義抄』が引用されている。「まこも(真菰)」については,『大辞林』に,
「イネ科の大形多年草。水辺に群生。稈(かん)の高さ約1.5メートル。葉は長さ約1メートルの線形。秋,円錐花序上半に雌花穂,下半に雄花穂を多数つける。葉で筵(むしろ)を編む。黒穂病菌に侵された幼苗は菰角(こもづの)といい,食用とし,また眉墨(まゆずみ)とした。カツミ。コモクサ。コモ。
[季] 夏。 《 舟に乗る人や−に隠れ去る /虚子 》 〔「真菰の花」は [季]秋〕」
とあり,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%A2
に詳しい。
「こも」について,『大言海』は,
菰・蒋,
の字を当てる項と,
菰,
の字を当てる項と,
藺,
の字を当てるのと,
海蓴,
の字を当てるのを分けて載せている。「菰・蒋」の「こも」は,
「クミの轉か(拱(コマヌ)クもクミヌクの転なるべし。黄泉(よみ),よもつ)。組草などと云ふが,成語なるべく,葉を組み作る草の意。即ち,薦(こも)となる。菰(かつみ)の籠(かつま)に移れるが如きか(藺(ゐ)をコモクサと云ふも,組草,即ち,薦草(こもくさ)ならむ)。マコモと云ふやうになりしは,海蓴(コモ)と別ちて,真菰(まこも)と云ふにか。物類称呼(安永)三『菰,海藻にコモと云ふあり,因りて,マコモと云ふ』」
と注記がある。「薦」と当てる「こも」は,
「菰席(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと),のりと。辛夷(こぶしはじかみ),こぶし)。菰の葉にて作れるが,元なり。神事に用ゐる清薦(すごも),即ち,菰席(こもむしろ)なり」
とある。「藺」の字を当てる「こも」は,
こもくさ,
を指し,
「薦に組み作る草の意。藺の一名,
とあり,「こもくさ」の下を略して,「こも」である。「海蓴」の字を当てる「こも」は,
「小藻か,籠藻か」
とあり,やはり,細く切って,羹(あつもの)にすべし,とあるので,食用だったと見なされる。「蓴」は,「ぬなわ」で,「じゅんさい(蓴菜)」である。
神事で,用いていたところを見ると,「薦」は,大切なものだったに違いない。しかし,稲作とともに,藁が潤沢となり,「菰席(こもむしろ)」は,蓆に堕ちた,という感じだろうか。「薦被り」も「おこもさん」まで,堕ちるということか。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)上へ
「乞食」は,
「コツジキの転」
と,『広辞苑』にある。「こつじき(乞食)」は,
僧が人家の門に立ち,食を乞い求めること,托鉢,
の意味である。それが転じて,
物もらい,こじき,
に転ずる。「こじき(乞食)」も,托鉢の意味はあるが,室町末期の『日葡辞典』でも,既に,「こじき」を,
ものもらい,
としている。『大言海』も,「こつじき」の項で,物もらいの意味しか載せない。『岩波古語辞典』は,「こつじき」の項で,
僧が在家を托鉢して回ること,頭陀,
転じて,物もらい,
とし,「こじき」の項で,「コツジキの転」として,
托鉢,
物もらい,
と載せる。「頭陀」は,「杜多」とも当て,
衣食住に対する貪欲を払いのける修行,十二種あり,十二頭陀行という,
僧が行く先々で食を乞い,露宿などして修行すること,
で,
「煩悩(ぼんのう)を除去すること。いっさいの欲望を捨てて仏道を修行することをいう。パーリ語のドゥタdhuta、サンスクリット語のドゥータdhtaの音写語。『洗い流すこと』『除き去ること』が原意。玄奘(げんじょう)は『杜多(ずだ)』と新訳。頭陀の修行徳目を『頭陀支(ずだし)』といい、パーリ系では13支、大乗系では12支をたてる。たとえば、〔1〕ぼろ布を綴(つづ)ってつくった衣(糞掃衣(ふんぞうえ))のみの着用、〔2〕托鉢(たくはつ)で得た食物でのみ食事をすること、〔3〕森林処に住むこと、などで、それらは仏道修行者の衣食住に関する最小限度の生活規定であった。頭陀の修行徳目を実践している僧を頭陀者といい、単に頭陀とも略す。また、行脚僧(あんぎゃそう)が首にかけている袋を頭陀袋という。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
とくある。「頭陀袋」は,その僧が,経文や食器などを入れて首にかける袋,である。「托鉢」にっいては,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2
に詳しいが,
「托鉢(たくはつ、サンスクリット:pindapata)とは、仏教やジャイナ教を含む古代インド宗教の出家者の修行形態の1つで、信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)とも。」
とある。
閑話休題。
で,「こつじき(乞食)」であるが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F
に,
「本来は仏教用語で『こつじき』と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
上の意味が転じて、路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう。」
とある。「十二頭陀行」とは,
http://digi-log.blogspot.jp/2007/06/blog-post_03.html
に,
1.糞掃衣…糞掃衣以外着ない
2.三衣…大衣、上衣、中着衣以外を所有しない
3.常乞食…常に托鉢乞食によってのみ生活する
4.次第乞食…托鉢する家は選り好みせず順に巡る
5.一坐食…一日に一回しか食べない
6.一鉢食…一鉢以上食べない
7.時後不食…午後には食べない
8.阿蘭若住…人里離れた所を生活の場とする
9.樹下住…木の下で暮らす
10.露地住…屋根や壁のない露地で暮らす
11.塚間住…墓地など死体の間で暮らす
12.随所住…たまたま入手した物や場所で満足する
13.常坐不臥…横にならない。座ったまま。
とあり,
http://blog.goo.ne.jp/0000cdw/e/f750d1129a61233cd2eb123b9540decf
に,多少順序が違うが,
[1] 人家を離れた静かな所に住する。
[2] 常に乞食(こつじき)を行ずる。施し物のみを食し、生産活動を一切なさない。
[3] 乞食するのに家の貧富を選ばず、人家が並んでいる順に回り、食を乞う。
[4] 一日に一食。乞食は午前のみ。
[5] 食べ過ぎない。
[6] 中食(ちゅうじき昼食)以降は、飲み物もとらない。
[7] ボロで作った衣を着る。
[8] ただ三衣(さんね)のみを個人所有する。
三衣は別名・乞食衣(こつじきえ)。端切れを繋ぎ、縫い合わせたボロ衣。「三衣一鉢」ともいいます。三衣のほかに、食物の布施を受けるための鉢ひとつ、坐具,水濾し器をあわせた『六物』のみの所有が認められていた。
[9] 墓地、死体捨て場に住する。
[10] 樹下に止まる。
[11] 空地に坐す。
[12] 常に坐し、横臥しない。
を挙げる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E9%A3%9F
に,
「古代インドのバラモン階級では、人の一生を学生期・家長期・林住期・遊行(遍歴)期という、四住期に分けて人生を送った。このうち最後の遊行期は、各所を遍歴して食物を乞い、ひたすら解脱を求める生活を送る期間である。またこの時代には、バラモン階級以外の自由な思想家・修行者たちもこの作法に則り、少欲知足を旨として修行していた。釈迦もまたこれに随い、本来の仏教では修行形態の大きな柱であった。
特に釈迦の筆頭弟子であったサーリプッタ(舎利弗)は、五比丘の一人であるアッサジ(阿説示)が乞食で各家を周っている姿を見て、その所作が端正で理に適っていることに感じ入り、これを契機に改宗して弟子入りしたことは有名な故事である。このように仏教では乞食・行乞することを頭陀行(ずだぎょう)といい、簡素で清貧な修行によって煩悩の損減を図るのが特徴である。
また、僧侶は比丘(びく)というが、これはサンスクリット語の音写訳で、「食を乞う者」という意味である。これが後々に中国で仏典を訳した際に乞食(こつじき)、また乞者(こっしゃ)などと翻訳されたことにはじまる。」
とあるのが詳しい。
http://www3.omn.ne.jp/~imanari/howahuse.html
に,こんな逸話が載っている。
「昔、インドで釈迦が説法を行っていた頃のこと。坊さんたちは、人間の生きる道を人々に説いて廻っていた。(中略)
ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。」
『差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。』
『このような物でもよければ・・・。』
お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。」
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
「こめ」は,
米,
と当てる。「米」の字は,象形文字で,
「+印の四方に転々と小さなこめつぶの散った形を描いたもの。小さい意を含む」
とある。我が国の稲作は,
「稲作は日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。これはプラント・オパールや、炭化した籾や米、縄文土器に残る痕跡などからわかる。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。」
というように,縄文時代までさかのぼるが,「こめ」という言葉は,「こめ」の伝播とともに入ってきたのだろうか。
http://www.okomehp.net/history/history003
も,
http://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm
も,
「込める・籠める」説
「小さな実」説,
を取っているが,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/kome.html
は,
「米の語源は,『こめる(籠める)』の連用形が名詞化したとする説が有力となっている。
古く,米は『ヨネ』の使用例が多く,『コメ』の語は使用例が少ない。『コメ』の語が多く用いられたのは改まった儀式の場であったことから,米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており,『籠められたもの』の意味で『コメ』になったといった解釈もある。平安中期以降,『ヨネ』は古語として扱われ,『コメ』が多用されるようになった。
『こめる(籠める)』に次いで,米の語源で有力とされている説は,酒の醸造を意味する朝鮮語『コメン(コム)』の変形とする説である。酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ,『醸す』も『カム』『コム』と繋がりがある。ベトナム語の『コム』やタミル語の『クンマイ』なども,米の語源と考えられており,アジアをひとつの国と考えれば当然の繋がりとも考えられるし,発音の似た言葉で確実に語源が異なる言葉も多くあるため,偶然の一致とも考えられる。
その他,『コミ(小実)』や『コメ(小目)』が転じたとする説もあるが,上代特殊仮名遣いにおいて『米』の『コ』と『小』の『コ』では仮名遣いが異なるため,有力とされていない。」
と,「小さな実」説を,否定している。確かに,『岩波古語辞典』は,「こめ」を,
kömë,
と表記して,現代の表記とは区別し,今日とは異なる仮名遣いであることを強調している。『日本語源大辞典』も,
「『コムル』『コム(籠)』が上代特殊仮名遣いの矛盾もなく,妥当性がある」
と,「コモル」説をとる。『日本語源広辞典』は,
説1 「コ(硬)+米(メ)」。もち米に対して粳の米をいいます。
説2 「コ(醸む)+メ(芽)」。醸造の芽,元がコメだという考え方です。
説3 「コム(籠む)の連用形,コメ」。籾の中にコモっているモノガ,コメだという意識です。
と,三説挙げているが,この「籠める」説は,神秘めかしていないのが,いいような気がする。『大言海』は,この説3と似た説を取っている。
「柔實(にこみ)の略転にて籾を脱したるに云ふか(荒糠,こぬか)。沖縄にて,クミと云ふ」
と言う説を立てる。
なお,『日本語源大辞典』は,「コメ」と「ヨネ」の関係については,『日本語源大辞典』が,
「契沖は,脱穀したものがコメ,更に精白したものがヨネではないかとしている(『随筆・円珠庵雑記』)。しかし,中古・中世の文献によると,漢文訓読および和文的な作品でヨネが多く,説話や故実書,キリシタン文献などでコメを用いている。これはヨネが雅語的・文章語的性格を有したのに対して,コメが実用語的・口頭語的な性格が強かったからではないかと解釈される。方言でヨネの類がほとんど見当たらないのも,話し言葉では早くからコメが用いられていたことを意味する。」
と説く。確かに,方言にある「クミ」「コミ」も,「コメ」の転訛と見なせる。
しかし,稻も米も,渡来したものである。恐らく人とともに渡ってきた。その時名が伴っていたはずである。その意味で,
「酒の醸造を意味する朝鮮語『コメン(コム)』の変形とする説である。酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ,『醸す』も『カム』『コム』と繋がりがある」
とする説の方が,妥当なのではあるまいか。『日本語源大辞典』に載せる,
「酒の醸造を意味する朝鮮語コムの変形から」(衣食住語源辞典=吉田金彦)
も,その流れにある。
なお,米については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3
に詳しい。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「いね」は,
稲(稻),
禾,
と当てる。「稲(稻)」の字は,
「舀(ヨウ・トウ)は臼の中をこねること。稻はそれを音符として,禾(いね)を加えた字。」
である。「いね」は,
稲禾(とうか),
禾稲(かとう),
ともいうらしい。「稲」については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D
に詳しいが,
「日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。日本列島への伝播については、幾つかの説があり、概ね以下のいずれかの経路によると考えられている。
江南地方(長江下流域)から九州北部への直接ルート、
江南地方(長江下流域)から朝鮮半島南西部を経由したルート、
南方の照葉樹林文化圏から黒潮にのってやってきた『海上の道』ルートである。」
とあり,「稲」作は人とともに,伝播した。言葉は,そのとき伝わったとみていい。
『岩波古語辞典』には,
「古形イナの転」
とある。稲わらとか稲垣,稲束,稲作,稲田,稲幹(いながら),稲子(蝗),稲扱(いなこぎ),稲荷等々,複合語の中にのみ生き残っている。
『大言海』は,
「飯根(いいね)の約。恆山(くさぎ)を鷺の以比禰と云ひ,白英(ひよどりじょうご)を鶫(つぐみ)の以比禰と云ふ」
としているが,ちょっと意味がくみ取れないが,「恆山(くさぎ)」は,
http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch2-trees/kusaghi.htm
に,
「深江輔仁『本草和名』(ca.918)に、恒山は「和名久佐岐、一名宇久比須乃以比祢」と。源順『倭名類聚抄』(ca.934)に、恒山は「和名宇久比須乃以比禰、一云久佐木乃禰」と。」
あり,いわゆる「くさぎ」のことを言っており,「ひよどりじょうご(鵯上戸)」については,
http://blog.goo.ne.jp/momono11/e/b7408ea9aa0296032a1d8add99cc78c2
に,
「赤い実を鵯が好んで食べることから、ヒヨドリジョウゴの名前がついたとされる。実は真っ赤で美味しそうではあるが、不快な匂いがし、鳥にとっても美味しいものとは思えない。最初『ツグミ』の名前を付けていたが、後に、雑食性でなんでも食べる、鵯の名前を借りたのかもしれない。日本の古書『本草和名(ほんぞうわみょう・918)』には、漢名に『白英(はくえい)』、和名に『保つ呂之(ホロシ)』、の名がある。その後『豆久美乃以比禰(つぐみのいいね)』ともよばれ、江戸時代に『ヒヨドリジョゴ』が定着した。」
とあり,「以比禰」が「飯根」と「いいね」かさなるが,「以比禰」をもって,「いね」の語源「飯根」の傍証とする根拠が,浅学の自分には見えなかった。なにより,「いね」の古形が「いな」とするなら,これは傍証にもなっていないことになるのだが,『大言海』は,「いな(稲)」を,
「いねの轉」
とし,
「ふね(船),ふな。かね(金),かななど同趣多し」
としているので,「いな」はあくまで,「いね」の転としているところから来ているのだろう。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/ine.html
は,
「稲の語源は以下の通り諸説あり,『食糧』『生命』『寝具』『原産地』のどれに重きを置くかによって見解が異なる。
稲は食糧として重要なものであることから,『いひね(飯根・飯米 )』の意味とする説。
稲は食糧のほか藁を加工して多くのものが作られ,日本人の生活と切っても切れない関係にあることから,『いのちね(命根)』『いきね(生根)』の約など,『生命』と結びつける説。稲の藁は布団や畳などに加工され,古代人は藁を敷いて寝ていたことや,正月の忌み詞として『寝ね(いね)』と掛けた『稲挙ぐ』『稲積む』という言葉があることから,『いね(寝ね)』の連用形が名詞化された説。稲は原産地の言葉に基づくもので,ジャワのスンダ語『binih』,セレベス島のバレエ語『wini』などと同源とする説。漢字の『稲』は,漢音で『ドウ・ダウ』。呉音で『ダオ』と発音し,音読みの『トウ・タウ』には繋がるが,『いね』の語源とは関係ない。」
と諸説を挙げる。また,
http://agrin.jp/hp/q_and_a/kome_yurai.htm
も,
▽イツクシイ(愛)ナエ(苗)、つまり大切な植物としてそだてたところからという説
▽イヒネ(飯寝)からという説
▽イノチノネ(命根)の略という説
▽イツクシナへ(美苗)という意味という説
諸説を挙げる。しかし,いずれも,後世の語呂合わせの感が強い。いずれも,稲作の伝播との関連が見えない。ジャワ島やセレベス島では,伝播経路とうまくつながらない。ただ,
http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html
に,「こめ」は,
「今は、『米(コメ)』というと、稲の実である、いわゆる、食べる部分を表しますが、昔は、全体を表していました。
『コメ』は『久米(クメ)』とも同じ言葉で、インドシナ東部、中国南部、琉球諸島および、日本に分布する言葉です。」
とあるのがヒントになるのではないか。なお,「いね」については,
「『イネ』の基本型は『ネ』だといわれています。これは、中国南部の『Nei』『Ni』、ベトナムの『Nep』と繋がる言葉です。」
とあるのが,説得力がある。ちなみに,「稲(トウ)」についても,
「中国で古来使用されていた『稌(ト いね)』と、その新字である『稲(タオ)』で、これは、安南語の『ガオ』、ミュオン語の『カウ』と関係があるとされています。この言葉の繋がりから、中国へは、インドシナから華南を通
って稲が華北へ伝えられたと考えられます。日本語の『稲(トウ)』、朝鮮語の『ト』、タイ語の『カオ』は、これと同系統の言葉とされています。」
としていて,納得できる。なお,「稌」の字は,『漢字源』には載らず,『字源』には,
もちいね,酒を醸すべし,
とのみ意味が載る。
なお,「こめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%93%E3%82%81)の語源
は触れた。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D
http://riceterraces.net/oryza/rice/kotoba.html
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「おっかない」は,
おそろしい,
という意味で,そこから派生して,程度のひどさという,
はなはだしい,
おおげさだ,
という意味に広がったとみられる。『岩波古語辞典』も,
おっかなし,
で,同じ意味が載るので,少なくとも江戸期から使われていた,と見ることができる。
おっかなびっくり,
おっかながる,
といった使い方もする。『江戸語大辞典』をみると,
「奥処(おくか)無しの転といい,おほけなしのというも確かならず」
とある。『日本語源広辞典』も,同じく,
「オクカ(奥という処)+ナイ(はかり知れない)」
とし,関東方言が一般化したもの,としている。「おくか」とは,『岩波古語辞典』には,
「(カはスミカアリカのカと同じ,所の意)奥まったところ,はて。将来。」
といった意味になる。「おほけなし」は,
身の程知らずである,そらおそろしい,
(年など)似合わない,
果敢である,
と意味が載る。いずれにしても,この転,とするには意味が隔絶しすぎている気がする。『大言海』は,
「奥處(おくか)なしの音便と云ふ説あれど,餘りに古し,オホケナシ,オッケナシ,オッカナシ(あたたけし,あたたかし)と轉じ,オソレオホシの意の移りたるなるべし」
と,「奥処」説を否定する。で,「おほけなし」には,
「大氣甚(オホケナ)しの義。大膽なりの意。」
とある。つまり,
おそれ多い相手に対して,身の程知らずである,
↓
分不相応である,
↓
大胆である,
↓
もったいない,
といった意味の幅になる。『語源由来辞典』,
http://gogen-allguide.com/o/okkanai.html
も,
「おっかないの語源は,『身の程知らずだ』『恐れ多い』という意味の形容詞『おおけなし(お
ほけなし)』が、促音化して『おっけなし』となり,『おっかなし』になったとする説。
形容詞『こわい』に感動詞『おお』が付いた『おおこわ』に,形容詞の接尾語『ない』が付いて『おおこわない』になり,音変化を繰り返したとする説がある。この語の使われ始めた時代は,『恐れ多い』の意味で使われた例が多く,意味的に『おほけなし』が近いため前者が有力と思われるが,『おおけなし』が変化して『おっかない』が成立するまでに『おおこわ』が影響した可能性は考えられる。江戸中期の方言辞典『物類称呼』では『武蔵近国の言葉』としており,主に東日本で用いられた言葉のようである。」
とし,『日本語源大辞典』も,
「次の点から見て,オホケナシを語源とする変化形である蓋然性が最も高い。(イ)オッカナイの初期の例には意味的にオホケナシ(おそれ多い。分不相応)との連続性が認め得ること。(ロ)オホケナシから語形変化をして,東日本的方言(シラビーム的方言)を背景とした以下の例と同様の,促音化・単音節化による語形変化として説明可能であること(シハハユイ→ショッパイ,ウチヤル→ウッチャル,オチャヒキ→オチャッピイ)。ただし,そこに感嘆詞による『オオ,コワ(恐)』などの表現が影響していた可能性が皆無であるとはまだ言い難い。」
と,「おほけなし」説を取る。両者が影響ありとする,「おお,こわ」は,別系統な気はするが,確かに,語感は似ている。どちらかと言うと,どちらも,心底怖いというよりは,
揶揄,
というか,
皮肉,
の気味がある。
https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/dialect/984/m0u/
には,
東京の方言,
とあるが,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1152398616
には,
「『おっかない』は東日本方言です。糸魚川〜天竜川ライン以東のことばです。東北地方は『おっかねー』になります。
『おっかまい』『おっかにー』などもあり。近畿以西は、『こわい』の系統と、『おそろしい』『おとろしい』などの系統。『おっかない』の系統は使いません。九州地方では『こわか』『おそろしか』『おとろしか』の系統のほかに、『えずい』『えずか』『おぞい』『おぞか』などの系統があります。中京地方に『おそがい』『おそげー』の系統があります。」
とあり,広くは,東日本だが,「江戸中期の方言辞典『物類称呼』では『武蔵近国の言葉』」とする,「武蔵近国」というのが正確なのではあるまいか。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
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お布施,
という言い方をする。しかし,昨今のお寺は,お布施を要求する。果ては,金額まで指定すると聞く。
「布施」は,辞書には,
梵語dānaの訳,檀那破音訳,
として,
人に物を施しめぐむこと,
僧に施しを与える金銭または品物,
とある。
お布施を包む,
という言い方をする。「袈裟」について,
http://www3.omn.ne.jp/~imanari/howahuse.html
に,
「ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。ある貧しい家で、『たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。』『差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。』『このような物でもよければ・・・。』
お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。」
とあり,さらに,
「誠心誠意、心をこめて人のために施しをすることを布施と言います。だから、暑いときに扇いで風を送ってやることも、困っている人に救いの言葉をかけることも、優しい笑顔を与えることも、皆『布施』なのです。」
とある。別に,
「サンスクリットdānaの訳で,音訳は檀那である。両語を合わせて檀施ということがあり,布施する者を檀那,檀越(だんおつ),檀家ということもある。仏や僧や貧窮の者に衣食を施与することで,仏道修行では無欲無我の実践である。したがって正覚を開くための六波羅蜜の一つにかぞえられる。キリスト教の愛にあたるのが仏教では慈悲であるが,慈悲の実践は布施と不殺生である。日本仏教でも布施はよくおこなわれ,法要があればかならずその後で貧窮者への施しがなされた。」
ともあり,
「法要があればかならずその後で貧窮者への施しがなされた」
とあるように,本来は,修行の一つなのではないか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD
に,
「他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、『与えること』を指す。すべての仏教における主要な実践項目のひとつである。六波羅蜜のひとつでもある。」
とある。「波羅蜜」は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C
に,
「あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のこと。到彼岸(とうひがん)、度(ど)などとも訳す。六波羅蜜と十波羅蜜があり、大乗仏教では実践を六波羅蜜にまとめている。」
とあり,
「六波羅蜜」は,
「大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目。六度彼岸(ろくどひがん)や六度とも呼ばれる。
・布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
・持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
・忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
・精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
・禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
・般若波羅蜜 - 慧(え、Prajñā
プラジュニャー)は、慧波羅蜜とも呼ばれ、十波羅蜜の智波羅蜜とは区別される。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための階梯であるとともに、般若波羅蜜を希求することによって調御、成就される。
と挙げられており,布施は,
完全な恵み,施し,
であり,持戒は,
戒律を守り,自己反省すること,
であり,忍辱(にんにく)は,
完全な忍耐,堪え忍ぶこと,
であり,精進(しょうじん)は,
努力の実践,
であり,禅定(ぜんじょう)は,
心作用の完全な統一,
であり,般若は,智慧(ちえ)といい,
仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧。
をいう。その意味で,「布施」は,
布施波羅蜜,
檀那(だんな、Dāna),
であり,修行として,分け与えること,である。いつの間にか,(僧が)受け取る意味だけになってしまっているのは,今日の仏僧のあり様を象徴している。
因みに,智慧としたが,
「厳密には中国に翻訳される場合、それは『慧』と訳され、『智』とは区別されていた。
道倫(どうりん)の『瑜伽師地論記』
に『梵にいう般若とは、これに名づけて慧となす。当に知るべし、第六度なり。梵にいう若那とは、これに名づけて智となす。当に知るべし、第十度な利」とあって、般若を慧、闍那(若那、jāna)を智と、それぞれ訳出して、その意味の区別を考えていたことがわかる。
この慧と智の区別について、慧遠は『大乗義章』の中で、『智』を照見、『慧』を解了とし、『智』は一般に世間で真理といわれるものを知ること、『慧』は出世間的な最も高く勝れた第一義の事実を照見し、それに体達するものであるとする。」
とあり,知ることと体得することを分けていたかに見える。あるいは,「慧」は,「智」のメタ・ポジションと見ることもできる。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
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「なげやり」は,
投げ槍,
ではなく,
投げ遣り,
で,
投げ捨てる,
という意味で,そこから,
投げ捨てておくこと→結果はどうなっても構わない→物事をいいかげんに行うこと→成り行き任せ→無責任,
といった意味の幅がある。
「なげやり」に似た言葉で,
捨て鉢,
というのがある。
のぞみを失ってもいいと思うこと,自暴自棄,
という意味だが,「なげやり」には,,
自暴自棄,
という含意はない。放り出して,後は野となれ山となれ,という感じであるが,そこには自暴自棄より,野太い厚かましさがあって,物事は投げ出しても,自分を投げ出すという気配はない。むしろ,
後は野となれ山となれ,
が近く,
http://kotowaza-allguide.com/a/atowanotonare.html
には,
「後のことは、野になるならなれ、山になるならなれ、という意から、当面のことさえ片付いてしまえばどうなってもかまわないということ。
自分はするだけのことはしたのだから、後のことは知ったことではないという開き直りの気持ちを込めて使う。
勝手にしろとばかりに居直るとも言えるし、場合によっては潔く見えることもある。」
とある。「なげやり」に近い。
「捨て鉢」は,
http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%EF%BC%9F%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8/
に,
「ここでいう『鉢』とは、お坊さんが一般家庭を回って食べ物などを分けてもらう『托鉢(たくはつ)』に使う鉢の事を指しているのだそうです。中には托鉢に対して否定的な方もいらっしゃるようで、ひどい罵声を浴びせられることもあったのだとか。そのような事も含め、辛い修行を投げ出しドロップアウトする事を、『鉢を捨てる』と例えたところから、『捨て鉢(すてばち)』と言う様になったのだそうです。」
とある。『日本語源広辞典』には,
「捨てるものを投げ入れる鉢(容れ物)」
という説のほかに,
「捨てて顧みない鉢」
という説もあるらしい。いずれも,「投げ捨てる」ということにウエイトがある。となると,「なげやり」と含意は重なる。『江戸語大辞典』には,すでに,
やけくそ,
やぶれかぶれ,
の意味しか載らない。「やけくそ」は,『広辞苑』に,「やけ」が,
自棄,
の字を当てているので,「くそ」をつけて,
やけを強めている,
ということになる。この「くそ」は,
糞,
の字を当てるが,
「他の語につけて,卑しめ,罵り,または強めて言うのに用いる語」(『広辞苑』)
として使われる。『岩波古語辞典』にも載るので,古くから使われたものらしいが,『大言海』に,いわゆる「糞」の意味から派生したものか,
かす,
くず,
という意味があり,これが,卑しめに使われる遠因と思われる。
https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%91%E3%81%8F%E3%81%9D%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
は,
「やけくそとは、切羽詰まってなげやりな行動をとってしまうような心の状態をいう。『やけ』は『自棄』と当てるが、もとは『焼け』。『くそ』は大便のことで、敵軍に城を囲まれ、自暴自棄になった殿様が自ら火をつけて自害するといったようなケースでは、たぶん『くそ』も『焼ける』だろうから、『やけくそ』は『焼けたうんこ』の意味としてもよさそうなものだが、そんなわけはなく、この場合の『くそ』は、『下手くそ』『胸くそが悪い』『くそおもしろくもない』などのように、前後の言葉を強調したり、強く卑しめたりする語だと普通は解釈される。『焼け』がなぜ『自棄(自分をかえりみず、大事にしないこと)』の意味になるのかについては諸説あるが、火事で焼けた銭を『焼け銭』『焼け』といい、悪貨として排斥されるのを『焼けになる』といったようなことが関係あるのではないかといわれる。火事にあったら、銭が使い物にならなくなるかいなかを問わず、誰でも自暴自棄になるだろうから、ことさら『焼け銭』にこだわらなくてもよいかと思われる。」
と書いている。「やけ」について,『日本語源広辞典』は,
「『焼け』です。自棄的な行動に使います。一度火を被って役に立たないのが,語源のもつ意味です。」
としているが,これでは,役に立たないことと自棄とはつながらない。『日本語源大辞典』は,
「火災などで焼損した貨幣を焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)といい,略して『焼け』と呼んだ。表面の文字が焼けただれて不分明となり,撰銭(えりせん)の対象として排斥されたことから,『焼けになる』の語と関係があるか。」
としている。確かに,『江戸語大辞典』の「焼け」の項には,「自暴自棄」の意味の他に,
焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)の略,
が載る。「棄てざるをえない銭」から来たというのが語源なのかもしれない。因みに,
焼けのやん八,
焼けの勘八,
という言い方は,『江戸語大辞典』によると,
「『やけ』の縁語で,『かんぱちこ』(カラカラに乾いたさま)と言い続け,それを人名に模した語」
とある。なお,「くそ」について,
http://zokugo-dict.com/08ku/kuso.htm
に,
「くそとは大便のことを荒く言った言葉で、戦国時代以前から使われている。江戸時代に入ると『あんなくそが言うことなど・・・』と他人を罵ったり、『くそっ、これしきのこと』といったように自分自身を戒めたり、奮起させる言葉としても使われるようになる。後に人を罵る意味では『くそガキ』『くそったれ』といったように接頭語としても使われる。また、『くそ面白くない』『くそ忙しい』など、人以外に付けられる場合、「とても・非常に」といった強調として使われる。この場合、後に続く内容は不快・不愉快といった否定的なものである(平成に入ると必ずしも否定的内容でない場合がある)」
とある。古くから使われている。なお,「やぶれかぶれ」は,
http://zokugo-dict.com/36ya/yaburekabure.htm
に,
「やぶれかぶれとは自棄になることや自暴自棄なさまを表す言葉だが、破れかぶれと書く通り、単に自棄になるというより、何かに破れ(=敗れる)たり、失敗したり、思い通りにいかないなど、物事が悪い方向へ向いてしまったことによる際に使われる。警官に囲まれた犯人が凶器を無闇に振り回すさまなどがこれに当たる。また、時代劇で悪人に捕まった町人が『こうなったらやぶれかぶれだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ』といったセリフを言うことがある。このように『開き直り』、さらに『居直り』といった意を含んで使われることも多い。」
とある。こうみると,自棄(やけ)度は,
なげやり→すてばち→やけくそ→やぶれかぶれ,
といったところか。やはり「なげやり」には,焼けの含意は薄い。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「さす」と当てる字は,
止す,
刺す,
挿す,
指す,
注す,
点す,
鎖す,
差す,
捺す,
等々とある(『広辞苑』。「令(為)す」という使役は別にして,『大言海』は,そのほか,「發す」「映す」「フす(ささげる意)」を載せる)。文脈依存で,会話では「さす」で了解し合えても,文字になった時,意味が多重すぎる。で,漢字を借りて,使い分けた,とみえる。しかし,「さす」は,連用形「さし」で,
差し招く,
差し出す,
差し迫る,
と,動詞に冠して,語勢を強めたり語調を整えたりするのに使われるが,その「さし」は,使い分けている「さす」の意味の翳をまとっているように見える。
まず「さす」について,『岩波古語辞典』は,
「最も古くは,自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ,直線的に運動・力・意向がはたらき,目標の内部に直入する意」
とある。で,「射す・差す」について,
「自然現象において活動力が一方に向かってはたらく」
として,光が射す,枝が伸びる,雲が立ち上る,色を帯びる等々といった意味を挙げる。次いで,「指す・差す」について,
「一定の方向に向かって,直線的に運動をする」
として,腕などを伸ばす,まっすぐに向かう,一点を示す,杯を出す,指定する,指摘する等々といった意味を挙げる。次いで,「刺す・挿す」について,
「先の鋭く尖ったもの,あるいは細く長いものを,真っ直ぐに一点に突き込む」
として,針などをつきさす,針で縫い付ける,棹や棒を水や土の中に突き込む,長いものをまっすぐに入れる,はさんでつける等々といった意味を挙げる。さらに,「鎖す・閉す」について,
「棒状のものをさしこむ意から,ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする」
として,錠をおろす,ものをつっこみ閉じ込めるといった意味を載せる。さらに「注す・点す」について,
「異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる」
として,注ぎ入れる,火を点ずる,塗りつけるといった意味を載せる。最後に,「止し」について,
「鎖す意から,動詞連用形を承けて」
として,途中まで〜仕掛けてやめる,〜しかける,という意味を載せる。
こう見ると,「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが,
何かが働きかける,
という意味から,それが,対象にどんな形に関わるかで,
刺す,
や
挿す,
や
注す,
に代わり,ついには,その瞬間の経過そのものを,
〜しかけている,
という意味にまで広げた,と見れば,意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると,『日本語源広辞典』は,
「刺す」
と
「指す・差す・射す・挿す・注す」
と,項を分けているが,結局,
刺す,
を原意としている。「刺す」に,
「表面を貫き,内部に異物が入る意です。または,その比喩的な意の刺す,螫す,挿す,注す,射す,差すが同語源です。」
とある。『日本語源大辞典』も,
「刺す・鎖す」
と
「差す・指す・射す」,
と項を別にしつつ,
「刺すと同源」
としている。では「刺す」の語源は何か。『日本語源大辞典』には,
サス(指)の義(言元梯・国語本義),
指して突く意(大言海),
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健),
物をさしこみ,さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹),
進み出す義(日本語源=賀茂百樹),
サカス(裂)の義(名言通),
サはサキ(先)の義,スはスグ(直)の義(和句解),
等々と挙げている。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると,
物をさしこみ,さしたてる際の音から,
というのは捨てがたいが,まあ未詳ということになる。
http://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.html
は,
「指す」のほうは基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのですね。
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味ですね。
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです。
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります。
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること。
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと。
「点す」は目薬をつけることを表します。
と,意味の使い分けを整理しているが, 漢字は,
「刺」は,「朿(シ)の原字は,四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。『刺』は『刀+音符朿(とげ)』。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は,束ではない。もともと名詞にはシ,動詞にはセキの音を用いたが,後に混用して多く,シの音を用いる」
「挿(插)」は,「臿(ソウ)は『臼(うす)+干(きね)』からなり,うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち,手を添えてその原義をあらわす」
「指」は,「『手+音符旨』で,まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで,まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は,ここでは単なる音符にすぎない」
「差」は,「左はそばから左手で支える意を含み,交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は『穂の形+音符左』。穂を交差して支えると,上端は]型となり,そろわない,そのじくざぐした姿を示す」
「注」の字は,「水+音符主」。「主の字は,『ヽは,じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は,灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので,じっとひとところにとどまる意を含む』で,水が柱のように立って注ぐ意」
「点(點)」は,「占は『卜(うらなう)+口』の会意文字で,占って特定の箇所を撰び決めること。點は『黒(くろい)+音符占』で,特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く」
「鎖」は,「右側の字(音サ)は,小さい意。鎖は素家を音符とし,金を加えた字で,小さい金輪を連ねたくさり。」
といった由来があり,多く漢字の意味に依存して,「さす」を使い分けたように見える。結局,どの字を使っても,
刺す,
に至るのだが,冒頭で述べたように,「さし」を接頭語にした語が多い。多くは,「差し」の字を当てる。『大言海』は,「差す」について,
「其職務を指して遣はす意ならむ。此語,ササレと,未然形に用ゐられてあれば,差の字音にはあらず,和漢,暗合なり。和訓栞,サス『使いをサシつかはす,人足をサスなど云ふは,差の字なり。匡謬正俗に,科發士馬,謂之為差と見ゆ,官府語也,日本紀に,差良家子為使者,軍防令に,凡差兵士と見えたる,是也』。陔餘叢考『官府遣役曰差』。品字箋『差遣,役使也』」
として,
充てて,遣る。つかわす,
押し遣る,また,行(や)る,行う,
前へ伸ばす,
突き張る,
といった意味を載せる。この「差」には,意図して,何かをする,何かをさせる,という含意が強い。だから,
「差し向かう」
という場合,単なる向き合っているのとは異なる含意になる。『日本語源広辞典』は,「さし」を,
接頭語,
としているが,
差し押さえる,
差し障る,
差し出す,
差し止める,
差し控える,
差し押さえる,
差し交わす,
等々,「差し」は単に強調以上の含意を引きずっているように見える。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「いじける」は,
恐ろしさのために縮こまりすくむ,
寒さのためにかじかむ,
ひねくれて臆病になる,のびやかでなくなる,
と意味の幅がある(『広辞苑』)。『デジタル大辞泉』は,もう少し丁寧に,
1 恐怖や寒さなどで、ちぢこまって元気がなくなる。「空腹でからだが―・ける」
2 ひねくれて、すなおでなくなる。すねたようすをする。「―・けた性格」「―・けた態度」
3 伸び伸びとした感じがしなくなる。「―・けた絵」
と,紹介する。これから推測するに,
おびえる→寒さで縮む→ひねくれる→のびのびしなくなる,
と意味が転化していったと見て取れる。『大言海』は,「いぢける」の項で,
「怖(おじ)けるの音轉なるべし(動く,おごく,いごく)。チヂムは,怖ぢたる状なり,イヂカリ股,エヂカリ股はイヂケ股の変転ならむ(かじかむ,かじける。蚊燻(かいぶし),カエブシ)。リは,添えたるもの(がたひし,がたりひしり。ちらと,ちらりと),イヂカリは関東にて,エヂカリは関西なるか。出典のエヂカリは京都人なり」
と,
おじける(odikeru)→いぢける(idikeru)→いじける(izikeru),
の転訛とする。『日本語源広辞典』も,
「オジケルの音韻変化」
とする。『日本語源大辞典』も,
オジケル(怖)の音轉,
とともに,
ヒシゲル(挫)の転,
を載せ,他の言葉の音韻変化とする。しかし,『岩波古語辞典』には,「いぢける」は載らないが,
いぢくさり(意地腐),
いぢくね(意地拗),
の語が載る。「いぢくさり」は,
心がねじけていて他人を苦しめる者,意地悪,
の意だが,「いぢくね」は,
こころがねじけていること,ひねくれた性格,
とあり,「くねり」(四段活用)をみると,
「クネは曲がったり戻ったりする意」
として,
まっすぐな対応をしない,
皮肉にとらえる,
ひねくれ恨む,すねる,
の意味が載り,ねじけている性格について,
くねくねし,
という言い方がある。
おじける→いじける,
変化に,納得できないわけではないが,
いぢくね(idikne)→いぢくねる(idikuneru)→いぢける(idikeru),
という変化も,捨てがたい気がする。「意地」そのものの「くねくね」を,最初から示している,と見た方が自然だからだ。
ところで,「いじける」の類語には,
ひがむ,
ひねくれる,
すねる,
ねじくれる,
等々がある。「ひがむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%B2%E3%81%8C%E3%82%80)は,「僻目」つまり,
物事を素直に受け取らず,自分に不利であると歪めて考える,
という,ものの見方を指しており,「ひねくれる」は,
ひねる(捻る)+くる(繰る),
で,手でひねくり回す,という意味になるが,
ねじれまがる,形状がゆがむ,
という状態を指している。「ひねくれ」は,その結果,
ふるびる,すっかりひねている,
という状態表現になる。「すねる」は,
拗ねる,
と当てるが,「拗」は,
「幼(ヨウ)は『細い糸+力』からなり,糸のようにしなやかで細いこと。拗は『手+音符幼』で,しなやかに曲げること」
で,ねじる,しなやかに捻じ曲げる,という意味があり,語源は,
古語,拗ねる(まがる),
とある(『日本語源広辞典』)。やはり,ねじまがった状態表現である。その意味では,「おじる→いじける」なら,「いじける」は,珍しく,心の状態表現ではなく,身体の状態表現から,心の状態表現,更に価値表現へと転じたと見ることができる。「いぢくね→いぢくねる→いぢける」の転訛なら,他の類語とかさなるのではあるまいか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「やさぐれる」は,手元の辞書(『広辞苑』)には載らない。『デジタル大辞泉』には,「やさぐれ」の動詞化として,
1 家出する。宿無しの状態でふらふらする。
2 《「ぐれる」と混同したものか》すねる。ふくれる。また、無気力で投げやりになる。
の意味が載る。
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8C%E3%82%8B
によると(出典:『Wiktionary』 (2010/10/28 08:41 UTC 版)),
「1.(俗語)投げやりになる。ぐれる。
2. (俗語)家出する。
名詞 やさぐれ
の動詞化。初出は江戸時代。やさぐれが単純に動詞化したものとしては語義2が正しい。しかし、動詞ぐれると混同され、それによる誤用が広まったために語義1の用法が広く使われているとみられる。」
とある。「ぐれる」と混同とは,そう言うことらしい。初出,江戸時代説の根拠となったのは,『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/36ya/yasagureru.htm
で,ここに,
「やさぐれるとは家出や家出人を意味する『やさぐれ』に俗語によくある名詞を動詞化する接尾語『る』をつけたもので、当初は家出することを意味した。しかし、やさぐれるは『やさぐれ』と同じく『はまぐれ』から派生した『ぐれる』と取り違えられるようになり、『すねる』『自暴自棄になる』といった意味になった。」
と,「江戸時代」とある。
http://www.yuraimemo.com/2496/
にあるように,
「不良の間で使われていた隠語である『やさぐれ』が転じた言葉なのだそう。『やさぐれ』の『やさ』とは「鞘(さや)」の反転であり(逆さにしたと考える)その刀の刀身部分を入れる筒の意味から家を表し、そこにはずれることを意味する『ぐれ』が付くことで家出することや、家出人そのものを表すようになったそうです。」
ということらしい。「やさ」を調べると,「ヤサ」と表記して,
https://matome.naver.jp/odai/2141302420107090101/2141302674508705203
に,
「家、隠れ家 (刀の鞘(さや)が由来している)」
とある。実は,警察用語でも,
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13116340078
で,「やさ」というらしいが,この場合,
「『家』を指す。『家探し』という言葉が語源らしい。」
とあり,「家探し」を簡略化したもので,「やさぐれ」の「やさ」とは,違う可能性がある。それにしても,なぜ,刀の「鞘」が,家の意味の,
やさ,
になったのかは,分からない。「さや」を逆さにした,というのはいかにもありそうだが,それなら「えい」か「や」でなくては辻褄があわない。しかし,
http://aslan-bun.com/?p=2097
でも,
「『やさ』は、刀の『鞘(さや)』を逆転して呼んだもの。そこから転じて、『やさ』は家を指しています。」
と載るし,極道用語を集めた,
http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-ya.html
でも,
「家などの住居のこと。『鞘』の逆読みで、刀が鞘に収まるように人間もねぐらに戻ることから。」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ya/yasagureru.html
は,「やさぐれる」で,それを整理して,
「やさぐれるは,不良の間で使われていた隠語『やさぐれ』が転じた語である。『やさぐれ』の『やさ』は『鞘(さや)』の反転で,刀の投身部分を入れる筒の意味から『家』,『やさぐれ』の『ぐれ』は外れること。つまり家出人することや家出人を『やさぐれ』といった。この『やさぐれ』が動詞化され『やさぐれる』となったが,『ぐれる』との混同や誤用により,現在の意味になった。」
つまり,
すねる,とか,ふてる,という意味になったというものだ。これでも「さや」→「やさ」の説明にはなっていない。
『大言海』は,唯一「やさ」を載せているが,
「鞘の倒語」
として,
「す(酢)の異名。刀の鞘を巣と云ふ。酢の看板に矢あり」
とある。「素」に矢で,「酢屋」という洒落であろうか。「鞘」の語源は種々あるようだが,『隠語大辞典』
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A4%E3%82%B5?dictCode=INGDJ
によると,「ヤサ」で,
「酢ノコトヲ云フ。但ヤサハサヤノ逆ノ語ニテヤサハ刀剣ノ巣ナレハ云フ。〔第三類 飲食物之部・福岡県〕」
とあり,さらに,「さや」の項には,
「鞘の転語で住家、屋内のことをいう。鞘は刀剣の納まる巣という考えから生じたものである。又、屋内に忍入るのを専門とした窃盗或いは盗人の自宅のことをいう。『やさをかえる』は移転すること。」
として,隠語として,
「ルンペン/大阪、不良青少年仲間、博徒、不良虞犯仲間、東京府、犯罪、犯罪者/露天商人、盗/犯罪、茨城県、露店商、香具師」
等々で,
1.家ノコトヲ云フ。〔第七類 家屋其他建造物之部・東京府〕
2.人ノ住居セル家ヲ云フ。〔第七類 家屋其他建造物之部・茨城県〕
3.普通住家−特ニ犯人潜伏ノ場所ニ限リ用ユル場合アリ。〔第五類 一般建物〕
4.人家、住居。
5.〔不〕人家のこと。住居のことを云ふ。
6.家店、人家、住居、内店。
7.家・世帯。
8.さや(鞘)の転倒にして住居、居宅を云ふ。
9.住居の意。
10.住家。屋内。木賃宿。鞘は刀剣の納まる巣といふ考へから生じたるもの。「さや」の転読。
11.家。若桜、甲府、佐原、大口、岩出山、秩父、名古屋、小松、江差、魚津、弘前、清水 博徒、不良虞犯仲間。
12.他人の家。富山。
13.住所。小笠原 不良青少年仲間。
14.家住所。若桜、甲府、佐原、魚津、弘前、大口、岩出山、秩父、清水、名古屋、小松、江差、小笠原 博徒、不良虞犯仲間。
15.家、住居。〔一般犯罪〕
16.家、住居、居宅。さや(鞘)の反転語で、さやに身を納めるところより生じたとの説あり。〔盗〕
17.住居。
といった意味で使われている,とする。どうやら,多くは,「家」に絡む。これは,「素」を意味した,「鞘」に絡んでいる。では,「鞘」の語源は,というと,『大言海』は,
「鋤屋(サヒヤ)の略転と云ふ(誣言(しひご)つ,讒(しこ)つ。肱木(かひなぎ),棓(かなぎ))。或は,サは,挿すの語根と云ふ。日本釈名(元禄)下,武具『鞘,指室(さすや)也,刀をさす室(や)也』。又,或は鏡奩(かがみのす),蜂房(はちのす)などの,スの転か(丈夫(まさりを),ますらを。進む,すさむ)。鏡奩(かがみのす)をカガミの家(いへ)とも云ふ,刀室(とうしつ)と同意」
とある。「さや」が「室」を指したというのが,「やさ」が「家」を指す遠因にも見えるが,『日本語源大辞典』は,こう言っているのが,結論に近いかもしれない。
「(鞘の)語源は諸説あるが,刀剣の名称は,植物の呼称にちなむものが多く,『さや(鞘)』も,石製刀子(とうす)を入れた革鞘の形状がエンドウマメなどの莢に類似しているところから名づけられたものと思われる。他にも,柄が頭に近づくにつれ太くなり先端に玉葱状のふくらみのある金具をつける『頭鎚(かぶつち)の太刀』は,蕪に見立てたもの,『蕨手刀(わらびでとう)』は,中子(なかご)が柄となり,先端にゆくにしたがって細くなり先が丸形に似ているところから名づけられた,といった類例が挙げられる。」
つまり,鞘自体が,「莢」から来ているのだから,「家」に見立ててもおかしくはない。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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「こし」は,
腰,
と当てるが,「腰」の字は,
「要は,両手で脊柱をしめているさま。のち,下部が女の字となった。腰は『肉+音符要』で,細くしめるウエスト」
である。「こし」の意味もある「要」の字を見ると,
「『臼(両手)+あたま,もしくは背骨のかたち+女』で,左右の手でボディをしめつけて細くするさま。女印は,女性のこしを細くしめることから添えた。」
とある。なお,「臼」は,舁や興の字に含まれるが,「臼」印は「両手の姿」であると,ある。
人体の「腰」の意味は,それに準えて,物の「腰」に相当する,「中ほどより少し下部」に広く当てはめて使われる。たとえば,
壁や建具の下部。腰の高い障子,
器具の下部。また器具を支える台や脚,
山の中腹より下の方。山の腰を巡る道,
兜 (かぶと) の鉢の下部につける帯状の金具,
等々。また「腰の力」の意で,
餅 (もち) ・粉などの粘り・弾力。
紙・布などのしなやかで破れにくい性質,
や,「けんか腰」「及び腰」「腰が引ける」「へっぴり腰」といった,
構え,姿勢,腰つき,
等々の意でも使う。さらには,
刀・袴など腰につけるものを数えるのに用いる。「刀ひと腰」「袴ひと腰」
矢を盛った箙 (えびら) を数えるのに用いる。「矢ひと腰」
と,助数詞としても使われる。いずれも,「腰」と関わっている。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/koshi.html
は,
「くびれているところであるため、『体の層(こし)』の意味とする説。 上半身と下半身との間にある要所であることから、『越(こし)』の意味とする説。 朝鮮語
の『Xori』と同源など、諸説あるが未詳である。」
としている。『大言海』は,
「體の層(こし)の義なるか,括(くび)れたる意」
と,「層」説を取る。『日本語源広辞典』は,三説挙げる。
説1 「コ(凝)+シ(接尾語,及・集)」で,力の凝り集まるところ,
説2 「コシ(層 くびれているところ)」,
説3 「コシ(越し 食べたものがこえるところ)」
で,説1を採る。
『日本語源大辞典』は,その他に,
上半身と下半身との間にある要所であるところから,コシ(越)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語幹とその分類=大島正健),
体の中の強(こわ)い部分であるところから,コハシの中略(日本釈名),
コはカミシモの約,シはシキリの約(和訓考),
体内にコ(子)のある時,帯をシメル部分であるからか。または大小便が,上から前後へコス(越)みちであるところからか(和句解),
腰骨の意の「骻」入声kotがkosiに転化したもの(日本語原学=与謝野寛),
朝鮮語のxӧrit(腰)と同源(万葉集=日本古典文学大系),
等々の諸説を載せる。『語源由来辞典』の言うように,未詳,と言いたくなる。しかし,「腰」は,
胴のくびれている部分,
を指す。その意味では,
體の層(こし)説,
を採りたくなる。「層」は,重なる意味だが,「層」の字は,
「曾(曽)の字の上部の八印は湯気の姿,中部はせいろう,下部はこんろのかたちで,何段にもせいろをかかさねて米をふかすこしき。甑(ソウ こしき)の原字。層は『尸(屋の字の上部。たれ幕,屋根)+音符曾(ソウ)』で,何段も屋根を重ねた家」
を意味し,直接つながらない気がするが,『大言海』には,「こし(層)」の項を立て(『岩波古語辞典』には載らない),
「腰の義か,腰骨の状に擬して,名づけしなるべし。肘木なども,その状に因る名なり」
とあり,「體の層(こし)」説に与したくなる。『舒明紀』に,
「於百済川側,建九重(ここのこしの)塔」
とあるという。腰骨に準えた,というのは説得力がある。
それにしても,腰にまつわる,言い回しも,少なくない。たとえば,
腰が重い,腰が軽い,腰が高い,腰が強い,腰がある,腰が低い,腰が弱い,腰を折る,腰を割る,腰が入る,腰が浮く,腰を浮かす,腰が砕ける,腰が据わる,腰を据える,腰が抜ける,腰を抜かす,腰が引ける,腰を上げる,腰を入れる,腰を掛ける,腰を屈める,腰が立たない,腰を落ち着ける,
等々。肉の要,とは言い得て妙。
参考文献;
https://yo-tsu.org/kouzou.html#2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B0
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)上へ
「せ」は,
背(脊),
と当てる。「背(脊)」の字は,
「せぼねのぎざぎざと張ったさま+肉」
の会意文字。で,
ぎざぎざと左右に張り出たせぼね,またはせなか,
の意味である。
『岩波古語辞典』には,「せ」は,
「ソ(脊)の転」
とあり,「そ」を引くと,
「セ(脊)の古形」
とある。で,
「朝鮮語tїng(脊)と同源」
とある。さらに,
「万葉集の『痛背(あなせ)の河』『打背貝(うつせがひ)』などの表記によって,奈良時代にすでに『せ』という語があったことがわかる。」
とある。『大言海』は,
「反(ソレ)の約。背(ソ)と通ず」
とある。『日本語源広辞典』は,全く異説で,
「セ(高く目立つもの)」
が語源とするが,矛盾するのは,「せなか(背中)」については,
「セ(外,ソ)またはセナ(外側,裏側)+カ(処 接尾語)」
としている点だ。「おなか」は,
「オ+中,内」
で,それに対する語,とするなら,「せ」は,
「そと」
でなくては,辻褄が合わない。『岩波古語辞典』も,「おなか」について,
御中,
と当て,女性語としている。女房詞として,そう言ったとすれば,「せなか」は,その反対,「そと」と表していた,と見るのが自然だろう。
『日本語源大辞典』は,
ソ(背)の転(岩波古語辞典),
ソレ(反)の約(名言通・大言海),
ソ(外)の義(言元梯),
以外にも,
シリヘの約シレの反(日本釈名),
ソヘ(後方)の義(日本語原学=林甕臣),
体の根の意で,ネ(根)の転か(国語蟹心鈔),
セッとせりつまったものであるから(日本声母伝・本朝辞源=宇田甘冥),
セマルの意から(国語本義),
等々を載せるが,こう指摘している。
「本来『せ』は外側,後方を意味する『そ』の転じたもので,身長とは結びつかなかった。ところが,『今昔−三・十』に,『身の勢,極て大き也』とあるように,身体つき・体格を意味する『勢(せ)』が存在するところから,音韻上の近似によって,『せ(背)』とが混同するようになったとおもわれる。」
としている。妥当ではないだろうか。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/se/senaka.html
は,
「背の古形は『そ』で,現在『そ』の形で用いる言葉には『そむく(背く)』などがある。『そ』は『それ(反)』や『そへ(後方)』の意味で,『せ』の語源は後方の意味と考えられ,物の後ろの部分を言うのもこのためである。その中央部分が背中で,『上』『中』『下』と三分した中間の意味。『背丈』など『背』が『身長』の意味を持つようになったのは,衣服のサイズが背中を中心に決められることや,身長を測る際に背を向けて測るためと思われる。『背』が『身長』も表すようになったため,『背中』は中央だけでなく,背の全体も指すようになった。」
としているが,「背丈」が衣服のサイズというのは,いかにも,新し過ぎる。
また,背中は,「背の中」と,全体を表している。必ずしも,中間という意味よりは広い,背の広がりを意味しているのではあるまいか。ただ,「なか(中)」について,『岩波古語辞典』は,
「古くはナだけで中の意。カはアリカ・スミカのカと同じで,地点,所の意。原義は層をなすもの,並立するもの,長さのあるものなどを三つに分け,その両端ではない中間にあたる所の意。空間的には上下,左右,または前後の中間。時間的な経過についてはその途中,最中。さらに使い方が,平面的なとらえ方にも広まり,一定の区域や範囲の内側,物の内部の意を表すに至って,ウチと意味が接近してくる。」
とあるので,あえて言えば,背の中心を指している,というべきか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「はら」は,
腹,
肚,
と当てるが,肉体の「腹」の意から,背に対する前側の意,胎内の意,更にそこから血筋,物の中程の部分,といった意味の広がりから,転じて,
本心・真情・性根を宿す所,
つまり,
心底,
という意味になり,
意趣・遺恨などを含む内心,
といった意味へと転じていく。「はら」といったとき,ただの気持ちや感情,考えというより,
本音,
本心,
といった意味を含んでいる。「腹の内」というニュアンスである。そこからであろうか,「腹の大きい」などと,
度量・胆力,
という意味でも使われる。
さて,「はら」については,「向っ腹」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E8%85%B9)
でも触れたが, 『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/hara_karada.html
で,
「『原(はら)』『平(ひら)』などと同源で『広(ひろ)』に通じるとする説。中高に張っていることから『張り』の意味とする説。朝鮮語で『腹』の意味の『peri』からなど諸説あり,中でも『張り』の説が有力である。現代では,人の心は胸にあると考えられているが,古代では腹に心があると考えられていたため,感情や気持ちの意味で『腹』を用いた言葉は多い。」
というように,
腹が黒い,
腹が据わる,
腹が立つ,
腹に一物,
腹に落ちる,
腹を固める,
腹が据わる,
腹を決める,
腹を読む,
等々,幅広い含意で,多様に使われる。その元は,「はら」の語源にあるのかもしれない。『岩波古語辞典』は,
朝鮮語hɐri(腹)と同源
とするだけだが,『大言海』は,
「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」
とする。「原」の項では,
「廣(ひろ),平(ひら)と通ず。或いは開くの意か。九州では原をハルと云ふ。」
とある。ただ,『岩波古語辞典』は,「原」を,
「ハレ(晴)と同根」
としており,「晴れ」を見ると,
「ふさがっていた障害となるものが無くなって,広々となる意」
とある。「晴れ」も「廣」も,いずれは,
平(ひら),
につながる。つまり,
たいらかなること,
である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
説1 「ハラ(張る)の変化」。人の盛り上がった部分で,飲食したり,胎児を宿したりしてハル(張る)ところ。
説2 「ハラ(原)」が語源。人体の中で,広がって広いところ。
漢字で見ると,「腹」の字は,
「右側の字(音フク)は『ふくれた器+夂(足)』からなり,重複してふくれることを示す。往復の復の原字。腹はそれを音符として肉を加えた字で,腸がいくえにもなってふくれたはら」
であり,「肚」の字は,
「土は,万物をうみ出す力をいっぱいにたくわえた土。肚は『肉+音符土』で,一杯に食物を蓄えたはら」
と,いずれも,「張った」とか「ふくれた」の意が強い。だから,「張る」が大勢なのかもしれない。
『日本語源大辞典』も,「張る」に関わる説が,
ハリ(張)の意(大言海),
中高に張っているところからハル(張)の義(名言通・国語の語幹とその分類=大島正健),
食べると張るところからハル(張)の義(日本釈名・柴門和語類集),
ハは張の義,ラは付字(和句解),
と多数派だが,
ハラ(原)・ヒラ(平)などと同義で,ヒロ(広)に通じる(大言海),
人身中の原の義(箋注和名抄・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
と,「原」説も少なくない。僕は,「張る」はこじつけっぽく感じる。「張る」のは,食事や妊娠という一時的な印象で,「ハラ」「ヒラ」の方が,腹の日常の感じに近いのではないか。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「腹に落ちる」という言い回しがある。
納得がいく,
合点がいく,
なるほどと思う,
という意味で,
腹に落とす,
と言ったりもする。
腑に落ちる,
と同義,と『広辞苑』にはある。似た言い方で,
胸に落ちる,
とも言う(『広辞苑』には載せない)。『デジタル大辞泉』では,
納得がいく,
腹に落ちる,
腑(ふ)に落ちる,
と意味を載せる。確かに,
胸にストンと落ちる,
という言いかをする。
目からウロコが落ちる,
目を開かれる,
というのと意味は似ている。「はら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%AF%E3%82%89)の項
で触れたように,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/hara_karada.html
で,
「『原(はら)』『平(ひら)』などと同源で『広(ひろ)』に通じるとする説。中高に張っていることから『張り』の意味とする説。朝鮮語で『腹』の意味の『peri』からなど諸説あり,中でも『張り』の説が有力である。現代では,人の心は胸にあると考えられているが,古代では腹に心があると考えられていたため,感情や気持ちの意味で『腹』を用いた言葉は多い。」
とあるように,「古代では腹に心があると考えられていたため,感情や気持ちの意味で『腹』を用いた言葉は多い」のだとすると,
胸に落ちる,
は,比較的新しい言い回しと思われる。『岩波古語辞典』は,「はらだち」の項で,
「ハラは胸の中心・気持ちの意。」
とあるので,「ハラ」で,今日の「ムネ」意を表していたととらえられる。
「腑に落ちる」について,『語源由来辞典』は,「腑に落ちない」の項で,
http://gogen-allguide.com/hu/funiochinai.html
「腑に落ちないの『腑』は,『はらわた』『臓腑』のこと。『腑』は『考え』や『心』が宿るところと考えられ,『心』『心の底』といった意味があるため,『人の意見などが心に入ってこない(納得できない)』という意味で,『腑に落ちない』となった。肯定形の『腑に落ちる』は明治時代の文献にも見られ,『納得がいく』『納得する』という意味で用いることは誤用ではないが,一般に『腑に落ちる』の形で用いられることが少なくなり,使い慣れない・聞き慣れない言葉を使われる違和感から,『正しい日本語ではない』と誤解されることがおおくなった。」
とあるが,「はら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%AF%E3%82%89)自体に,意味を転じて,
こころ,考え,心底,
という含意があり,
腹に落ちる,
という言い回しがある以上,
腑に落ちる,
と言っても異和感は,僕にはない。その辺りについては,「腑に落ちる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%85%91%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B)
で触れたので,多少重複する。なお,
http://yeemar.seesaa.net/article/12334760.html
には,
「(1)戦前の辞典では『大日本国語辞典』『日本大辞典言泉』『大辞典』などが『腑に落つ』〔見出し〕で載せている。(2)『日本国語大辞典』第2版に『ふに落ちる[入る]』『ふに落とす』の見出しで載り、否定・肯定の用例がある。(3)水谷静夫氏が「釈然」に関し「『釈然とした』(=腑に落ちた)よりも『釈然としない』というほうが記憶に残るから、打ち消しが多く使われる〉という話を座談会でしている、ということでした。
最新の『日本国語大辞典』第2版にも、たしかに『腑に落ちて』の例が載っています。」
とある。
いわゆる,
五臓六腑,
とは,
「「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎を指す。心包を加え六臓とすることもある。「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指す。関係臓器がない三焦をはずして五腑とすることもある。」
ということだが,「腑」は,
はらわた,
をさし(『大言海』),さらに,
「俗に,思慮分別の宿る所,腑の足らぬとは,了簡の不足の意。腑の抜けるとは了簡の脱したる意。」
とある。「腑」は,漢字の意味を借りている。「腑」の字は,
「府は,いろいろな物をまとめて置いておく所。付と同系のことば。腑は『肉+音符府』で,体内にある食物や液体のくら。もと府と書いた」
とあり,「はらわた」の意である。
胸に落ちる,
腹に落ちる,
腑に落ちる,
は,おそらくほぼ同義,とみていい。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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