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コトバ辞典


さわ


「さわ」とは,

沢,

の字を当てると,

低くて水がたまり,蘆(あし),荻などの茂った知,水草のまじり生えた地,
山間の比較的小さな渓谷,

の意であり,

多,

と当てると,

多いこと,あまた,たくさん,平面に散らばっているものにいう,

という意味になる(『広辞苑』)。『古語辞典』には,「さはに」の項で,

「平面に広がり散らばって数量・分量のおおくあるさま」

とあり,

「類義語シジニは,ぎっしりいっぱいにの意。ココダは,こんなに甚だしくの意。」

とある。『大言海』は,「さは」で,

「眞多(さおほ)の意。サホ,サハと転じたる語か(眞(さあを,は,さを。ほびこる,はびこる。ほどろ,はだれ))

とする。『日本語源大辞典』は,「さわ」について,

サオホ(真多)の転か(大言海),
物の多いのは前に進むときなどにサハル(障)ところから(名言通),
ソレハソレハ沢山の意から(言元梯),
シハ(数)の転。シバシバ(屡)の意から転じて多数の意となったもの(日本古語大辞典),

と載るが,いずれも語呂合わせのようで,現実感がない。和語は文脈依存性が強いということは,状況の具体的なものに即していたからではないか,と思う。『日本語源広辞典』は,「さわ(沢・澤)」の語源を,

「サハ(沢)」

とする。

「山間の広く浅い谷の水たまり,のことで,植物の繁茂が多いのが語源かと考えます。みずたまり,と,多い,との二つの意味を持つ言葉です。」

と。『大言海』の「さは(澤)」には,

「桑家漢語抄,澤『本用多字云々,水澤,生物繁多也,故曰佐和』和訓栞,さは『多を,サハと訓めり,云々,澤も,多の義,藪澤の意也』イカガアルベキカ」

と載せる。「さわ(沢)」の語源説は,

生物が繁茂するところから,サハ(多)の義(桑家漢語抄・東雅・和訓栞),
サカハ(小川)の義(言元梯・二本語原学),
サケハナル(裂離)の義(名言通),
いつも風があたり,波がサハガシキところからか(和句解),

と諸説ある(『日本語源大辞典』)が,僕は,僭越ながら,

さは(多),

は,

さわ(沢),

から出たのだと思う。抽象語から,具体語になるのは逆である。「さわ(沢)」のイメージが「さわ(多)」という言葉を生んだ,と考えるのが順当ではないか。

「多を,サハと訓めり,云々,澤も,多の義,藪澤の意也」

とする『和訓栞』の言い方に妥当性を感じる。

ところで,「沢」を

山間の比較的小さな渓谷,

という。「たに(谷)」とどう区別しているのか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2

は,「沢」を,

「沢(さわ)は、細い川、もしくは短い川の通称である。
沢の特徴は上述の通り短さ・幅の狭さであるがその区別は曖昧であり、長大な沢・広い河原を有する沢もあれば、長さ数百mに満たない川もある。更に沢の支流に川があることもある。また、原頭部からの距離が短く、したがって流量は少ないが水質の良い山間部の川を指す場合もある。湧水のことを指す場合もある。
沢も川の一種であるが、流量の少なさのため水利・水運・水防上の重要性が低く、一級・二級河川の指定を受けているものはない。地図上無名のものや、『一号沢』『二号沢』『一郷沢』『二郷沢』『一の沢』『二の沢』『中の沢』といった名称のものもある。」

とあり,『ブリタニカ国際大百科事典』 には,

「細長い凹地。成因的に構造谷と浸食谷に分けられる。構造谷は地殻変動によって生じたもので,断層谷,断層線谷など。浸食谷は河川,氷河などの外力によって形成されるものでV字谷,U字谷など。谷はそのほか,形態的に峡谷,欠床谷,床谷,盆谷あるいは横谷,縦谷に分けられ,発達段階的に幼年谷,壮年谷,老年谷などに分けられる。」

http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B0%B7

には,

「谷(たに、や、コク)とは、主に山などに囲まれた標高の低い土地のことである。谷の深いものを峡谷という。」

とある。これを信ずるなら,谷は,形状の側を指し,沢は,水の側を指すということになる。『古語辞典』に「谷」について,

峰の対,

とあるのも,それを傍証する。

「たに(谷)」の語源は,『日本語源広辞典』は,

「『垂り』で,水の垂れ集まるところの意です。方言に,タン,ターニなど,同源と思われる語があります。」

とあるが,『日本語源大辞典』によると,

水のタリ(垂)の義(古事記伝・言元梯・名言通・菊池俗言考・和訓栞・大言海),
谷は低くて下に見るところから,シタミの略転(日本釈名),
タカナシ(高無)の反(名語記),
間の転。または梵語タリ(陁離)の転か(和語私臆鈔),

とあるが,『大言海』は,「たに(谷・渓)」について,

「水の垂(たり)の意と云ふ。朝鮮語の古語,タン」

と付記しているのも気になる。因みに「さわ(多)」と同義の,「沢山」について,

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/takusan.html

には,

「たくさんは、多い意味の形容動詞語幹『さは(多)』と、数の多いことを表す『やま(山)』を 重ねた『さはやま』に『沢山』の字を当て、音読したものといわれる。 ただし、「さはやま( さわやま)」の例が見られるのは近世に入ってからであるのに対し、『たくさん』の例は 鎌倉時代の『平家物語』に見られるため、『さはやま』は『沢山(たくさん)』の訓読みと考えるのが妥当である。その他、『たかい(高い)』『たける(長ける)』など、『tak』の音から『たく(沢)』が当てられ『たくさん(沢山)』になったとする説もあるが未詳。」

とある。「さわやま」

は,

「沢山」

ではなく,

「多山」

ではあるまいか。それほど,「多」と「沢」は,重なっているのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7

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差し金


「差し金」は,

指矩,

とも当て,

さしがね,
まがりかね,
かねじゃく、

とも言い,

曲尺,

とも当てる。工具としての,「曲尺(かねじゃく)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%9B%B2%E5%B0%BA)については触れた。「差し金」には,その他に,

文楽の人形の左手に取り付けられ,手首や指を動かす棒と紐の仕掛け,
歌舞伎の小道具の一つ。蝶・鳥などを操る黒塗りの細い竹竿,

の意味があり,それをメタファに,

転じて,陰で人をそそのかしあやつること,

という意味がある(『広辞苑』)。実は,「差金」は,

さしきん,

とも訓み,別の意味になり,

内金(うちきん),
不足の補いに出す金銭,さきん,

という意味や,建築用語で,

コンクリートの水平打継ぎにおいて,一体化させる目的や上部コンクリート型枠の控え止め固定用に,コンクリートに挿入する鉄筋,

という意味もある。ここで取り上げるのは,「陰で操る」という意味に転じた「差し金」についてである。

『日本語源広辞典』には,語源は,

「『サシ(操る)+カネ(針金)』です。人形芝居や舞台の陰で操る針金のこと」

とあるが,針金を使ったわけではないので,「カネ」を針金といっていいのかどうか。『日本語源大辞典』は,

「人形の腕にしかけた細い鉄の棒のことで,人形の指先に糸をつけて,人形遣いが操り,腕や指先を動かしたから。」

とあり,さらに,

「歌舞伎の小道具の差し金(作り物の蝶,小鳥,鬼火などを先端につけた黒塗りの細い竿。針金で結わえて作り物が弾むようにし,黒衣の後見が差しだして動かすもの)からとも言われる。」

と付け加えている。

実は,『大言海』は,「さしがね」は,

差鐡,

と当てるものと,

挿鐡,

と当てるものとを別項にしている。「差鐡」は,

「差出鐡(さしだしがね)の意なるべし。つらあかりをサシダシと云ふ。参件せよ。」

とあり,

「芝居にて用ゐる具(もの)。黒く塗りたる,細き竿の先に,針鐡をつけ,撓(しな)ふやうにし,其末に,造り物の小鳥,蝶,又は鬼火などをつけ,舞台に差し出し,竿の本を取りて,動かす。黒坊(くろんぼう)と云ふ者,身を隠して使うなり。」

とし,「挿鐡」は,

「操り人形に云ふ語。人形の腕の中に挿し入れおく,細き鉄の棒なり。人形の指先に,糸をつけ,棒に纏ひ,陰に居る人形遣いが,これにて,指先の働きをなさしむ。」

その上で,

「すべて,陰に居て,人を操り,嗾(そその)かして,使ふこと。人形芝居の隠語の普通語となりしなり。」

とする。つまり,「差し金」の語源は,人形浄瑠璃から来ている,と見なしている。ちなみに,『大言海』の言っている「サシダシ」とは,

つらあかり,

のことで,

面燈火,

と当て,

「古へ,芝居の舞台にて,夜間に,俳優の顔を,看客によく見するため,長柄の燭台に蝋燭を点じて,その前に差し出したるもの」

のことらしい。

http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-1057.html

には,

「左遣い・・右手で「差し金」と呼ばれるものを持ち、人形の左手を操作する。あわせて左手で人形を支えたり、小道具の出し入れをしたり、時には人形の右手を主遣いから受け取って担当することもある。」

「足遣い・・人形の足を操作する。女の人形には原則的に足はなく、着物の裾を持って足の動きを見せる。」

とある。因みに,文楽人形は,三人遣いなので,

「主遣い・・左手で人形の首を支える「胴串(どぐし)」を持ち、右手は人形の右手を操作する。全体の動きの指
令を出す。」

ということになるらしい。こうもみると,「差し金」の意味に近いのは,文楽人形遣いから来ているというのではあるまいか。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sashigane.html

は,

「差し金の語源は、歌舞伎で黒塗りの竿の先に針金をつけ、チョウや鳥などの小動物を 操るための小道具を『差し金』と言ったことから、もしくは、人形浄瑠璃で人形の手首や指 を動かすために用いる細い棒を『差し金』と言ったことからとされる。 このうち、歌舞伎の小道具の説が一般的であるが、陰で舞台を操る意味から転じたことで共通することから、どちらの言葉が現在の『差し金』に由来するとは断定できない。」

とし,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E5%B7%AE%E3%81%97%E9%87%91

も,

「もとは、歌舞伎や人形浄瑠璃に由来する言葉。
歌舞伎では、作り物の蝶や小鳥などを先端につけた黒塗りの細い竿のことで、針金で作り物を結わえ、黒衣が動かす。また、人形浄瑠璃では、操り人形の腕に取りつけた長い棒のことをいい、これで腕を動かし、棒につけた麻糸を引いて手首や指を動かす。どちらも、見えないところで操ることから、背後で人を操る意味へと転じた。」

とするが,蝶や小鳥の小物を扱うのと,主役の人形そのものを扱うのと,どちらが,「差し金」の意味に近いかというと,言うまでもないように見えるのだが。特に,歌舞伎の場合は,竿,であるのだから,

鐡(金),

というには,どうかと思うが,如何であろうか。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
http://tohjurou.blog55.fc2.com/blog-entry-1057.html
http://www.kabuki-bito.jp/special/tepco/26/no2.html

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つく


「つく」という言葉は,

突く,
衝く,
撞く,
搗く,
吐く,
付(附)く, 
点く,
憑く,
着く,
就く,
即く,
築く,

等々さまざまに当てる。当然,文脈依存の和語は,その使われる場面場面で,当事者に意味がわかればいいので,その都度意味が了解されていた。しかし,口頭ではなく,文章化されるにあたって,意味を使い分ける必要が出る。そこで,さまざまに漢字を当てて使い分けを図った,と見ることができる。

辞書によって使い分け方は違うが,『広辞苑』は,

付く・附く・着く・就く・即く・憑く,

吐く,

尽く・竭く,

突く・衝く・撞く・築く・搗く・舂く,

漬く,

を分けて載せる。細かな異同はあるが,「尽く」は,『日本語源大辞典』に,

着きの義(言元梯),
ツはツク(突)の義(国語溯原),

とあり,「付く」に関わる。「吐く」は,『広辞苑』に,

突くと同源,

とある。従って,おおまかに,

「付く・附く・着く・就く・即く」系,

「突く・衝く・撞く(・搗く・舂く・築く)」系,

に分けてみることができる。しかも,語源を調べると,「突く・衝く・撞く」系の,「突く」も,

付く,

に行き着くようだ。『日本語源広辞典』によると,「突く」は,

ツク(付・着)と同源,

とある。そして,

「強く,力を加えると,突くとなります。ツクの強さの質的な違いは中国語源によって区別しています。」

としている。その区別は,

「突」は, にわかに突き当たる義,衝突・猪突・唐突,
「衝」は,つきあたる,折衝と用いる。また通道なり,
「搗」は,うすつくなり,
「撞」は,突也,撃也,手にて突き当てるなり,
「築」は,きつくと訓む。きねにてつきかたむるなり,

と,『字源』にはある。となると,すべては,「付く」に行き着く。「付く」の語源は,

「『ツク(付着する)』です。離れない状態となる意です。役目や任務を負ういにもなります。」

とある(『日本語源広辞典』)ので,「付く」は「就く」でもある。『日本語源大辞典』には,「付く」は,

粘着するときの音からか(日本語源),

とあるので,擬音語ないし,擬態語の可能性がある。そこから,たとえば,『広辞苑』によれば,

二つの物が離れない状態になる(ぴったり一緒になる,しるしが残る,書き入れる,そまる,沿う,注意を引く),
他のもののあとに従いつづく(心を寄せる,随従する,かしずく,従い学ぶ),
あるものが他のところまで及びいたる(到着する,通じる),
その身にまつわる(身に具わる,我がものとなる,ぴったりする),
感覚や力などが働きだす(その気になる,力や才能が加わる,燃え始める,効果を生じる,根を下す,のりうつる),
定まる,決まる(定められ負う,値が定まる,おさまる),
ある位置に身を置く(即位する,座を占める,任務を負う,こもる),
(他の語につけて用いる。おおくヅクとなる)その様子になる,なりかかる(病みつく。病いづく),

と,その使い分けを整理している。

どうやら,二つのもの(物・者)の関係を言っていた「つく」が,

ピタリとくっついて離れない状態,

から,その両者の,

それにぶつかる状態,

にまで広がる。『広辞苑』は,「突く・衝く・搗く」の項で,

「抵抗のあるものの一点をめがけて腕・棒・剣などの先端を強く当てて,また貫く意」

とするが,これは,上記のように漢字を当てはめて後に,そう言う意が先鋭化しただけで,後解釈に過ぎない。しかし,両者のぶつかりが極まり,

それを突き抜けると,

漬く,

に行く。「漬く」は,

ひたる,
とか
つかる,

状態である。いやはや,「つく」は,和語の特徴をいかんなく発揮した象徴的な言葉だ。口頭で,その場その場で会話している限り,両者には区別がつく。漢字が必要になるのは,文字表現が必要になって以降に違いない。しかし,音を使っている限り,

都伎(古事記),

都気(万葉集),

と,音を漢字に置き換えたところから始まる。より抽象度を高めて表現する必要から,

「都伎」は,「付き」

に,

「都気」は,「着き」

に,置き換えられていく。表現の空間の自立と相まって,言語は,文脈を離れて自立をせざるを得なくなる。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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はたらく


こういう説があるらしい。

「『働く』の語源は『傍(はた)を楽にする』だともいわれています。『はた』というのは他者のことです。他者の負担を軽くしてあげる、楽にしてあげる、というのがもともとの『働く』の意味だったんです。」

と,ご本人は大真面目である。全く,傍迷惑な説である。「はた(端・傍)」とは,

わき・かたわら,
そば,

という意味で,確かに他人には違いないが,無縁の人ではない,

側杖を食う,

の「そば(側・傍)」の意である。

http://www2.kobe-c.ed.jp/bch-ms/?action=common_download_main&upload_id=2534

にも,

「『はた』というのは他者のことです。他者の負担を軽くしてあげる、楽にしてあげる、というのがもともとの『働く』の意味だったのです。『働く』という言葉は、今は大人の人がお金を稼ぐための労働のことをイメージすることが多いと思いますが、昔はもっと広い意味で使われていたようです。家族を楽にすることも『働く』。地域のために掃除をするのも『働く』。お金をもらわなくても、誰かのためにがんばることは『働く』だったそうです。」

とある。人は,社会的存在であるから,人との関わりなしに自己完結して動くことはないが,かつて共同体の中でしか生きられない時代,共同体のために働くこと,共同体に資することが,そこで生きるために不可欠だったからで,発想は真逆である。こういうのを,ためにする議論,という。

働くとは,実存主義的に言えば,

自己投企,

である。ハイデッガーではないが,

人は死ぬまで可能性の中にある,

つまり,自分自身を未来へと投げかけていくことになる。働くとは,常に,

自分自身の発見であり,創造である,

となるし,フォイエルバッハやマルクス流に言えば,働くとは,

自己を対象化すること,

であり,それは自己実現に他ならない。その意味で,

未来へと投げかける自己,
も,
対象化される自己も,

自己自身の実現である。本来,働くとは,そういうことである。

「はたらく」は,もともと,

動く,

という意味であり,『古語辞典』をみると,

動作をする,
(情意などが)活動する,
積極的に活動する
出撃して戦闘する,
(資本などが)活用される,

等々の意味しかない。『日本語源大辞典』には,

@体を動かす,行動する,
A精出して仕事をする,

の,@が本来の意味。そこからAの意味が派生し,その意味を表すために「働」の字を作字した,とある。その意味では,動くこと,すべてについて,「はたらく」と言っていた。だから,戦闘も,奔走も,出仕も,すべてを言っていたということになる。『江戸語大辞典』には「働き」で,

生活能力,甲斐性,

とあるので,今日の意味に転じているのがわかる。今日だと,

仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。

という意味が最初に来る(『デジタル大辞泉』)。まだ,「動く」意味が強く残っているので,

機能する,また作用して結果が現れる(「引力が働く」「機械がうまく働かない」)
精神などが活動する(「知恵が働く」「勘が働く」),

という意味でも使われる。語源は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hataraku.html

には,

「はた(傍)をらく(楽)にするからという説が広まっているが、これは言葉遊びで語源ではない。 働くの語源は、『はためく』と同様に『はた』という擬態語の動詞化であろう。 本来 は、止まっていたものが急に動くことを表し、そこから体を動かす意味となった。 労働の意味で用いられるのは鎌倉時代からで、この意味を表すために「人」と『動』を合わせて「働」という国字がつくられた。」

とある。『日本語源広辞典』には,三説載る。

説1は,「ハタ(擬音)+らく」。パタパタ動きまわって仕事をする意,
説2は,「畑+らく」。畑で仕事をする意,
説3は,「ハタ(果た)+ラク(動詞化,動く)」。成果を目指して動く意,

と。しかし,『日本語源大辞典』には,

身をせめハタルの意(和訓栞),
ハタル(課)の義(名言通),
ハタラク(端足動)の義(柴門和語類集),
ハタハタと動揺する音から(俚言集覧・語簏),
ハタメクと同様,擬音語ハタからの派生語(小学館古語大辞典),
マチュラク(両手動)の義(言元梯),

等々があるが,「はためく」が擬音語であり,そのハタと関連付ける説がリアリティがある,と思う。あとは,「傍(はた)を楽にする」と目くそ鼻くその語呂合わせに見える。「旗」そのものが,

はためくのハタ,
か,
織るときのハタハタ,

という擬音語から来ているのが参考になるように思える。

因みに,「動」の字は,

「重は『人が地上を足で突く形+音符東(つらぬく)』の会意兼形声文字。体重を足にかけ,足でとんと地面を突いたさま。動は『力+音符重』で,もと,足でとんと地を突く動作。衡(どんとつく)や踊(とんとんと上下にうごいて重みを足にかける)と近い。のち広く,静止の反対,つまり動く意に用いられる」

この「動」と区別して,人の活動を表すために,

「人+音符動」

を作ったようだ。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ときめく


「ときめく」を引くと,

ときめく,

時めく,

が出る。「ときめく」は,「胸がときめく」の意味の,

喜びや期待などで胸がどきどきする,

という意味であり,「時めく」は,

よい時機に合って栄える,持て囃される,
主人などの寵愛をうけてはぶりがよくなる,
にぎやかにさわぐ

といった意味になる。両者に関係があるのではないか,という気がしないでもない。『日本語源広辞典』の,「ときめき」の項には,

「語源は,『時+めく(そういう様子になる)』です。『良い時期に巡り合い,栄える』意味です。現代語では,喜びや期待などで,胸がどきどきする意です。トキメキは,その名詞形です。」

とあり,

時めく→ときめく,

とする。これで言うと,状態表現としての「栄えている」という,客体表現言から,主体の感情表現に転じたということになる。「めく」は接尾語で,

「体言・副詞などについて,五段活用の動詞をつくる。特にそう見える,そういう感じがはっきりする」(『広辞苑』),
「名詞・形容詞・形容動詞の語幹や擬声語・擬態語などに付いて「〜のようになる」「〜らしくなる」「〜という音を出す」などの意の動詞を作る接尾辞」(『ウィクショナリー日本語版』),
「名詞や副詞,形容詞や形容動詞の語幹に付いて,…のような状態になる,…らしいなどの意を表す。『夏−・く』 『なま−・く』『ことさら−・く』『時−・く』『ちら−・く』『ひし−・く』『ざわ−・く』」(『大辞林』),

等々と説明される。

『古語辞典』をみても,『大言海』も,「ときめく」と「時めく」は,別の項として立てている。仮に,『日本語源広辞典』の説が正しいとしても,早くから別々に使われてきた,ということになる。

「ときめく」は,どこか擬音語ないし擬態語の気配があるが,『擬音語・擬態語辞典』の,

「どきどき」

に,

「『どきどき』は『はらはら』『わくわく』と合わせて使うことも多い。…また,『どきどき』からできた語に期待や喜びなどで心がおどる意の『ときめく』がある。」

とある。ちなみに,「どきどき」は,

激しい運動や病気で心臓が鼓動する音,
あるいは
心臓の鼓動が聞こえるほど気持ちが高ぶる,

の意味で,心臓の「ドキドキ」の擬音語である。

とすると,「ときめき」は,

どき(どき)めき→ときめき,

と,転訛したことになる。さらに,

どきめき→時めき,

と転訛したということもありえる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115078051

には,

「『ときめき』は、『ときめく(動詞)』の名詞です。『ときめく』は、喜び・期待などで胸がドキドキすることで、『動悸』に『めく』がついた『動悸めく』がなまったものじゃないでしょうか。「○○めく」とは、○○のように見える、○○の兆しが見える、という意味。(春めく・おとぎ話めく・きらめく・さんざめく、など)。ちなみに、「時めく」という動詞もあって、こちらは、時流に乗って栄える、という意味。」

と載り,あるいは,

http://www.lance2.net/gogen/z581.html

には,

「『ときめく』っていうのは、『何かに心が揺り動かされて喜びとか期待を感じてドキドキする様子』の事を指して使われる表現だね。これと同じように語尾に『めく』がくっついている言葉っていうのは『◯◯みたいに見える』というような意味で使われる事が多いんだよね。『ときめく』の場合は、『とき』というのが『動悸』からきているという説があるんだよね。つまり「ドキドキしているように見える」という意味から『動悸めく』という言葉が生まれて、そこから派生して『ときめく』という表現になったと考えられるね。」

とある。つまりは,

動悸めく→ときめく,

の転訛とする。こう見ると,接尾語「めく」を中心に考えると,

時+めく,
動悸+めく,

と,「ときめく」と「時めく」が二系統でできたとする考え方もあるが,いまひとつ,元々擬音語のドキドキからきた,

どきどき+めく(あるいは,どき+めく),

が,主体の,

いまの興奮状態を指し示す,

状態表現から,

その状態を外からの視線で見て,

もて囃されている,

と,客体表現に転じた,と見ることもできる。『語感の辞典』には,「ときめき」について,こうある。

「心臓がドキドキする意から。宝くじに当たったことを知った瞬間の喜びより,それによる素晴らしい未来を想像して昂奮する方に中心がある。」

ここにある語感は,いまの主体表現としての,

興奮した状態,

を,未来の主体表現,あるいは,未来の状態表現,

そういう状態にいる自分,

という含意がある。そこからは,外部の,他者の状態表現に転じやすくはないだろうか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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そばづえ


「そばづえ」は,

側杖,
あるいは,
傍杖,

と当てる。『広辞苑』には,

喧嘩などの傍にいて,思わずその打ち合う杖などに打たれること,

転じて,

自身に関係のないことのために災難を蒙ること,とばっちり,巻き添え,

とある。

傍杖を食う,

という使い方をする。「とばっちり」は,

迸り,

と当て,『広辞苑』には,

(トバチリの促音化。傍にいて見ず背しぶきを受ける意から)傍にいて禍のかかること,巻き添え,

とある。「巻き添え」は,

他人の罪に関係して罪をこうむること,連座,また他人の事件に巻き込まれて損害を受けること,そばづえ,
入質(いれじち)の時の要求金額に対する担保の不足分を補う,たしまえ,

とある。類語である,

そばづえ,
とばっちり,
まきぞえ,

は,どうやら,由来が違うらしく,微妙にニュアンスが違う。「そばづえ」は,

「『ソバ(側)+ツエ(杖)』

で,文字通り,喧嘩で振り回した杖に当たる,という状態表現そのものから,巻き込まれること一般に転化したとみられる。因みに「つえ」は,

「突き+据え」
あるいは,
「突き+枝」

と,『日本語源広辞典』にはあるが,この二説にわかれるようだ。『大言海』も,「つゑ」で,

「突居(つきすゑ)の略かと云ふ。或いは突枝(つきえ)の略か。ツの韻よりキエは,ヱに約まる」

とある。

http://yain.jp/i/%E5%81%B4%E6%9D%96%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%86

では,

「側杖を食う」 について,

「『側杖』とは、たまたま喧嘩をしている側にいたために、相手を叩こうとして振り回した杖に当ってしまうことをいう。それが転じて、たまたまその場にいたために、思わぬ被害を受けることの意で用いられるようになった。当初は『側杖に合う』の形で用いられていたが、江戸時代より『側杖を食う』の形が現れた。『食う』は身に受ける意を表す。」

とある。『江戸語大辞典』には,「そばずえ(側杖)」とあり,「側杖を食う」は,

傍杖が中(あた)る,

とも言ったと載り,逆に,「傍杖を食わせる」のを,

側杖を打つ,

として,「同罪にする」意とある。

「とばっちり」は,「とばしり」の促音化,とされるが,「とばしり」は,

飛び散ること,とばしること,

の意のほかに,

俗に,傍らに居て,禍にかかること,

とある。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/20to/tobacchiri.htm

には,江戸時代からとして,

「とばっちりとは飛び散る水しぶきを意味する『迸り(とばしり)』が音的に変化したものである。ただし、とばっちりと言った場合、水しぶきを指すのではなく、水しぶきの近くにいたために自分も水を浴びてしまうことから、傍にいたり、何らかの関係があったため、あわなくてもてもよい災難にあうことをいう。不機嫌な上司の傍にいたため、意味もなく怒られる。同業他社の不良品がニュース沙汰となり、問題のない自社製品まで売上げが下がるなど。」

とあって,水しぶきのかかることではなく,それにあわてて,

何らかの関係があったため、あわなくてもてもよい災難にあうこと,

とある。全くの無縁ではない,という含意である。

連座,
あるいは,
累が及ぶ,

である。その意味で,「まきぞえ」も,似ている。『大言海』には,

他人の罪に連れて,罪に陥ること,ひきあひ,連鎖,連累,

と,ある。「ひきあひ」とは,

引合,

と当て,

売買の取引,またその証書,取引前に条件などを問い合わせること,

という意の他に,

巻き添いを食うこと,

とある。商取引で巻き添いを食う,という意味になる。

たしまえ,

の意味があるのは,商取引に関連しているということになる。そう見ると,本当に,無関係に喧嘩のまきぞえを食うのは,

傍杖,

だけで,「まきぞえ」も「とばっちり」も,連座する謂れはあることになる。まあ,傍杖も,たまたまそこにいたというだけとは限らないが。

さて,以上の,「そばづえ」「とばっちり」「まきぞえ」は当事者視点だが,その視点をメタ化ないし,第三者視点に置き換えると,

はためいわく(傍迷惑),

ということになる。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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つっころばし


「つっころばし」は,

「つきころばし」の促音化である。「つきころばし」の動詞「つきころばす」は,

突き転ばす,

と当て,

ついて転ばす,つっころばす,

という意味だ。「つきころばす」の「つく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A4%E3%81%8F) の項で触れたように,

ツク(付・着)と同源,

で,

「強く,力を加えると,突くとなります。ツクの強さの質的な違いは中国語源によって区別しています。」

としている。その区別は,

「突」は, にわかに突き当たる義,衝突・猪突・唐突,
「衝」は,つきあたる,折衝と用いる。また通道なり,
「搗」は,うすつくなり,
「撞」は,突也,撃也,手にて突き当てるなり,
「築」は,きつくと訓む。きねにてつきかたむるなり,

と,『字源』にはある。となると,すべては,「付く」に行き着く。「付く」の語源は,

「『ツク(付着する)』です。離れない状態となる意です。役目や任務を負ういにもなります。」

とある(『日本語源広辞典』)ので,「付く」は「就く」でもある。『日本語源大辞典』には,「付く」は,

粘着するときの音からか(日本語源),

とあるので,擬音語ないし,擬態語の可能性がある。そこから,たとえば,『広辞苑』によれば,

二つの物が離れない状態になる(ぴったり一緒になる,しるしが残る,書き入れる,そまる,沿う,注意を引く),
他のもののあとに従いつづく(心を寄せる,随従する,かしずく,従い学ぶ),
あるものが他のところまで及びいたる(到着する,通じる),
その身にまつわる(身に具わる,我がものとなる,ぴったりする),
感覚や力などが働きだす(その気になる,力や才能が加わる,燃え始める,効果を生じる,根を下す,のりうつる),
定まる,決まる(定められ負う,値が定まる,おさまる),
ある位置に身を置く(即位する,座を占める,任務を負う,こもる),
(他の語につけて用いる。おおくヅクとなる)その様子になる,なりかかる(病みつく。病いづく),

と,その使い分けを整理している。

どうやら,二つのもの(物・者)の関係をいっていた,「つく」が,

ピタリとくっついて離れない状態,

から,その両者の,

それにぶつかる状態,

にまで広がる。その意味で,

転ばす,

と,

突き転ばす,

では,人為的な「突く」行為が入っている,ということになる。ところが,「つきころばし」を転訛させた,

つっころばし,

となると,まったく別の意味になる。『広辞苑』には,

歌舞伎の役柄の一。極端に柔弱な色男の役,

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%A3%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%81%97

には,

「つっころばしは、歌舞伎の役種の一。上方和事の、柔弱でやや滑稽味を帯びた立役をこう呼ぶ。具体的な役としては『夏祭浪花鑑』の玉島磯之丞、『双蝶々曲輪日記』の与五郎、『河庄』の紙屋治兵衛、『廓文章』など。
その語源が「肩をついただけで転びそうな」というところから来ていることからもわかるように、本来は優柔不断な若衆役であり、たいていは商家の若旦那や若様といった甲斐性なし、根性なしで、さらに劇中で恋に狂い、いっそう益体のないどうしようもなさを露呈することにある。そのさまは、特に紙治や伊左衛門に特徴的だが、あわれであると同時に、それを通りこして滑稽でさえあり、でれでれとした叙情的な演技が一面から見れば喜劇味をも含むという不思議な味いがある。
江戸和事の二枚目や、上方和事のつっころばし以外の二枚目との決定的な違いは、まさしくこの滑稽味、喜劇味の有無にあり、さらにいえばその原因となる性格造形の違いにあるといえるだろう。つっころばしは気が弱く、女に優しく、そのくせいいところの御曹司であるがために甲斐性や根性には欠け、なんとなくたよりない。これに対して江戸の二枚目は、表面上はつっころばしに似つつも、その芯の部分にはげしい気性や使命を帯びているために、どこかきりっとした部分が残るのである(それゆえに恋に狂っても喜劇的にはならない)。
つっころばしは上方独特の役種で、演技の巧拙以上に役者の持味、舞台の雰囲気に左右されることが多い。しばしば上方歌舞伎は型よりも持味、心情、雰囲気を重視するといわれるが、なかでもつっころばしはその典型的な例であるといえる。」

とある。ただ,

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12111328052

には,

「『つっころばし』ってのは江戸弁では今でも生きてる。ただし、意味は歌舞伎の世界と下町言葉じゃ全然違う。下町じゃ『乳母日傘で育って、ツンと指でつついたくらいでも転ぶような』『正真正銘のお嬢ちゃんお坊っちゃん』を指すんだよ。誰かさんたちが言うような『なよなよしてて、こらえ性も自分もない』っていう意味じゃない。」

とある。江戸ッ子が,歌舞伎の言い回しを真似たのか,歌舞伎が,江戸での言い回しを歌舞伎が真似たのかは,わからない。三田村鳶魚『江戸ッ子』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-3.htm#%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%83%83%E5%AD%90で触れたように,江戸ッ子は歌舞伎を気取ることが多いのだから,江戸風俗を歌舞伎が真似たとばかりは言えないのである。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1207

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はらはら


「はらはら」と,

ぱらぱら,

ばらばら,

と,

濁点と半濁点がつくだけで,微妙にニュアンスが変わる。

半濁点は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E6%BF%81%E7%82%B9

濁点は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%81%E7%82%B9

に詳しいが,ともに,旧仮名遣いでは必ずしも付されない,という。

「はらはら」は,

物と物のふれあうさま,またその音(物のふれあう音を表す語。はたはた),
髪などのまばらに垂れかかるさま,
花びら・木の葉・涙・露など小さくて軽いものが次々と散り落ちるさま,
扇などを使う音,
物の焼けて落ちるさま,ぱちぱち(物がはじけて発する音を表す語),
危険や不安を感じてしきりに気をもむさま,

というのが『広辞苑』に載る。その他,『デジタル大辞泉』『大辞林』には,

多くのものがいっせいに動くさま,

という意味が載る。

髪などのまばらに垂れかかるさま,

というのは,『源氏物語』などで,「御着物に御髪てがかかってはらはらとうつくしく」といった言い方で,その他衣擦れの音を示す例が多いが,現代では,「危険や不安を感じてしきりに気をもむさま」という用例が多い。しかし,これは,自分についてというより,自分が人のすることをみて,

ハラハラする,

というように,

「そばで見ていて,失敗しないかどうか,こまったことにならないかどうかを,心配でたまらない様子」

とする『擬音語・擬態語辞典』の意味が一番的確であるように思う。

『大言海』は,

物の散乱む,又は,摩擦する音に云ふ語,婆娑,
雫,又は,涙などの滴る状に云ふ語,滂沱,
切に気遣はしく思ひ,又は,心配する状に云ふ語,

とシンプルである。『擬音語・擬態語辞典』には,心配の意の類義語は,「どきどき」だが,

「『どきどき』が恐怖・不安・期待・驚きなどの心理状態を広く表すのに対し,『はらはら』は誰か他の人の身に起こっていることを見守る立場で心配したり気をもんだりする心理状態を表すのが普通」

とある。この意味で使われ始めたのは江戸時代ごろ,という。

木の葉などが散ったりする意の「はらはら」の類義語は,「ぱらぱら」「ばらばら」になるが,

「『はらはら』は雪・花びら・木の葉など薄くて小さなもの,『ぱらぱら』は雨・クルトン・ふりかけなど小さくて。軽いもの。『ばらばら』は大粒の雨・土・大きな葉など重みのあるものがそれぞれ落ちたり散らばったりする様子について用いられる。」

と,『擬音語・擬態語辞典』にある。

「ぱらぱら」は,『大言海』には,

「雨,霰,銭など,まばらに降り,又,撒く状に云ふ語」

とシンプルな意味だが,『広辞苑』には,

小石や雨のような粒状のものや紙片などがまばらに打ち当たる連続音・またそのさま,
存在や発現が空間的・時間的に非常にまばらであるさま,
ほぐれてまとまらないさま,

となる。さらには,『デジタル大辞泉』『大辞林』には,

本をめくる音や、そのさまを表す語。
本を手早くあちこち開いてみるさま。また、その音を表す語。

という意味も加わる。文脈毎に詳細にみていけば,使われ方はどんどん増える。

「ばらばら」は,『大言海』は,

散々,

と当て,

疎らに放たれて,ちりぢりに,離散,
まばらに,
あちらこちらに,

と,どちらかというと「散々」と当てた意味しか載せないが,『広辞苑』になると複雑に,

@小石や大粒の雨など粒状のものが連続して強く打ち当たる音,またさま,
A複数のものの存在や発現が空間的・時間的に間隔があるさま,
B一体であるべきものが離れ離れになったりとういつされていなかったりするさま,

と複雑になる。『擬音語・擬態語辞典』には,@Aの用例は古く,室町末期の『日葡辞典』には,「人がばらばらと立つ」という用例があり,Bの意味は江戸時代以降という。この「ばらばら」も,

ばらっばら,

と,表記するとまた意味が変わる。日本語が擬音語・擬態語の宝庫と言われる所以である。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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よし・あし


「よし・あし」は,

良し・悪し,
善し・悪し,

と当てる。当然,

善いことと悪いこと,

という意味と同時に,

良い点も悪い点もあって,一概にどちらとも言えない,

という意味にもなる。この意味では,

よしわるし,

とも訓ませる。『デジタル大辞泉』には,こうある。

「現代語では、『よし』と対を成す形で『よしあし』『よかれあしかれ』『よきにつけあしきにつけ』などの語句の中にみられるほか、連体形『あしき』の形で「あしき前例を残す」など文章語的に用いられ、また、『あしからずご了承ください』『折あしく出張中だった』のような語形に用いられる。」

「よし」は,口語では「よい」というが,

「口語の終止・連体形は多く『いい』をもちいる」

とある。いずれも,

良い,
善い,
好い,
吉い,
佳い,
可い,

等々と当て,さらに,

賀し,
義し,
淑し,

とも当てるが,『広辞苑』『デジタル大辞泉』等々から,

@人の行動・性質や事物の状態などが水準を超えている(多く「良い」「好い」と書く),
A人の行動・性質や事物の状態などが、当否の面で適切・適当な水準に達している(多く「良い」「善い」と書く)
B人の行動・性質や事物の状態などが許容範囲内であるさま
C(「よい年」などの形で)ある程度の年齢に達している。また、分別を身につけているはずだ,
D吉である。めでたい(多く「好い」「佳い」「吉い」と書く),
E情操の面ですぐれている。情趣を解する能力がある,
F動詞の連用形に付いて、動作が簡単・容易・円滑・安楽にできるさまを表す。…しやすい,

等々とその意味の範囲は広い。『古語辞典』には,

「『あし(悪)「わろし(劣)』の対。吉凶・正邪・善悪・美醜・優劣などについて, 一般的に好感・満足を得る状態をである意」

とある。『日本語源広辞典』には,

「ヨイは,『人や物の質がヨイ。適合状態の良好サ』などが語源」

とある。とすると,「よし」は,

何らかの基準があって,それに適合している,

という,いっていって見ると,状態表現であったであった。そのことが,価値と見なされることで,価値表現へと転じた,と見ることができる。「よし」は,

宜し,

と当てることができるが,「宜し」は,

よろし,

とも訓ませる。「よろし」は,口語では,

よろしい,

だが,

「(ヨル(寄)の派生語であるヨラシの転)主観的に良しと評価される,そちらに寄りたくなる意」

とある(『広辞苑』)。『古語辞典』にも,「よらし(宜し)」について,

「ヨリ(寄)の形容詞形。側に寄りたい気持ちがするする意が原義。ヨリ(寄)・ヨラシの関係は,アサミ(浅)・アサマシ,サワギ(騒)・サワガシ,ユキ(行)・ユカシの類」

とある。「よろし(宜し)」は,だから,

「なびき寄り近づきたい気持ちがする意。ヨシ(良)が積極的に良の判定を下しているのに対し,悪い感じではない,まあ適当,相当なものだ,一通りの水準に達しているの意」

と『古語辞典』にはある。『日本語源広辞典』には,「よろしい」は,

「寄ロ+シイ」

で,どちらかというとそちらに寄りたい,という意味とする。こういうことだろうか,「よし」は,

ある基準を超えている,

だから,積極的な価値表現になる。しかし「よろし」は,その基準線すれすれ,つまり,

まずまず,
あるいは,
普通,

という意味になる。だから,

@まずまずだ。まあよい。悪くない。
A好ましい。満足できる。
Bふさわしい。適当だ。
C普通だ。ありふれている。たいしたことはない。

といった意味になる(『学研全訳古語辞典』)。だから,

宜し,

を当てるが,「よろし」に,

良し,
善し,
好し,
吉し,
佳し,

等々の字は当てない。「あし」は,

悪し,

と当てるが,『古語辞典』には,

「『よし』『よろし』の対。シク活用の形容詞は本来情意を表すものなので,アシはひどく不快である,嫌悪されるという感情・情意を表現するのが本来の意味。多くの人々が不快の念をいだくような害がある意から凶・邪悪の意を表した。」

とある。とすると,「あし」と対の「よし」も,本来は,

感情の好・快,

の表現だった可能性がある。だとすると,「よろし」の基準が出発点で,そこから,

よし,

へと転じたと見るのが,「あし」と対比するとき,見えてくる気がする。『日本語源広辞典』は,「あし」を,

「アラ(粗・荒)+シ」

を語源とする。口語の「悪い」は,「あし」からではなく,

わろし,

が転じている。「わるい」は,『日本語源広辞典』に,

「悪いの古語。ヨロシに対するワロシです。よくない意。」

とあり,『広辞苑』には,

「古くは主としてワロシが用いられた」

とある。「わろし」は,『広辞苑』にこうある。

「『あし(悪)』が物の本質がよくない意であるのに対して,他の物やある基準と比べて質や程度が劣っている意。後世ワルシが用いられる。」

と。「あし」と「わろし」の使いわけも,「よし」「あし」と同じだとすると,「あし」は,規準を超えていて,「わろし」は,程度のレベルが低い,という意味になるはずだが,「悪し」は日常語では消えて,「わろし→わるい」のみが残ったことになる。その意味で,今日,

よし−よろし,
あし−わろし,

の使い分けはわからなくなさっている。『デジタル大辞泉』には,

「『わろし』『わるし』は平安時代にほぼ並行して現れるが、『わろし』が優勢。中世から『わるし』が優勢となり、近世初頭から『わるい』となった。
『わろし』『わるし』は、元来『よろし』の対義語で『よし』と対をなすものではなく、中世以降『あし』が衰退するのに従って『あし』のもっていた意を『わろし』『わるし』が表すようになり、しだいに「よい』『わるい」という対義語関係が生じていった。」

とあり,『学研全訳古語辞典』も,

「参考中古から中世にかけては『わろし』の対義語は『よろし』、『あし』の対義語は『よし』であるととらえてよい。
語の歴史『あし』は奈良時代から用いられているが、『わろし』は平安時代に入ってから例が見いだされる。『わろし』から転じた『わるし』は、平安時代から並行して現れるが、やがて『あし』『わろし』の両者を吸収する形で現代語へと続いていく。」

とある。因みに,本来の,

よし→よろし,
あし→わろし,

の四者の関係について,

http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-d200.html

は,

「『よし』『よろし』『あし』『わろし』は古文の中で判断を表す形容詞としてよく目にする。基本的に『よし』=良い、『よろし』=悪くない、『あし』=悪い、『わろし』=良くないという意味である。だからよい方から順位づけしていくと『よし』>『よろし』>『わろし』>『あし』という順にでもなるのだろう。」

としている。妥当な線ではないか,と思う。

なお,「惡」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E6%82%AA)については触れた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-d200.html

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やま


「やま」は,

山,

のことである。例えば,『デジタル大辞泉』を見ると,

「1 陸地の表面が周辺の土地よりも高く盛り上がった所。日本では古来、草木が生い茂り、さまざまな恵みをもたらす場所としてとらえる。また、古くは神が住む神聖な地域として、信仰の対象や修行の場とされた。
2 鉱山。鉱物資源を採掘するための施設。また、採掘業。
 3
㋐土や砂で1の地形を模したもの。「築山」「砂山」
㋑祭礼の山車 (だし) で、1に似せて作った飾り物。舁 (か) き山と曳 (ひ) き山とがある。また山鉾 (やまぼこ) の総称。
㋒能や歌舞伎で、竹の枠に張った幕に、笹や木の枝葉をかぶせた作り物。
4 高く盛り上がった状態を、1になぞらえていう語。
㋐高く積み上げたもの。
㋑物の一部で周辺よりも突出しているところ。
㋒振動や波動で、周囲よりも波形の高いところ。
5 たくさん寄り集まっていることや多いことを、1になぞらえていう語。
6 進行する物事の中で、高まって頂点に達する部分を1にたとえていう語。
㋐事の成り行きのうえで、それをどうのりこえるかで成否が決まるという、重要な部分。
㋑文芸などで、展開のうえで最も重要な部分。最もおもしろいところや、最も関心をひく部分。
7 できることの上限をいう語。精一杯。関の山。
8 見込みの薄さや不確かさを、鉱脈を掘り当てるのが運まかせだったことにたとえていう語。
㋐万一の幸運をあてにすること。
㋑偶然の的中をあてにした予想。山勘。「試験の山が外れる」
9 犯罪事件。主に警察やマスコミが用いる。「大きな山を手がける」
10 《多く山中につくられたところから》陵墓。山陵。
11 高くてゆるぎないもの。頼りとなる崇高なもの。
12 寺。また、境内。
13 遊女。女郎。
14 動植物名の上に付いて、山野にすんでいたり自生していたりする意を表す。
15比叡山 (ひえいざん) の称。また、そこにある延暦寺 (えんりゃくじ) のこと。

等々,盛り上がる,山をなすものに準えて言うので,意味はいくらでも膨らむ。,このほかに,助数詞として,

1 盛り分けたものを数えるのに用いる。「一山三〇〇円」
2 山、特に山林や鉱山を数えるのに用いる。

という使い方もあるし,接頭語として,

野生なるもの,

を表して,山犬,山猫,山椿,山男,

等々にも使う。

総じて,「山」の字がなければ,わかりにくいところだ。「山」の字は,象形文字で,

「△型のやまを描いたもので,△型をなした分水嶺のこと」

とある。さらに,

「地の高起せるもの。峰・嶺・岳・丘・阜・岡等の総称」

ともある。『古語辞典』には,

「『野』『里』に対して人の住まない所」

とある。「やま」の語源は,『日本語源広辞典』には,

「諸説が多く,みな信じがたいですが,『ヤマの二音節を分析せず,一語』そのものと見るべきと思います。『高くそびえ,盛り上がったところ』がヤマです。山の神が存在する神聖な地です。」

とある。その意味からすれば,

「祭礼の山車 (だし)」

が「ヤマ」と呼ばれるのは,「ヤマ」が,

神が住む神聖な地域,

という意味だけではなく,三輪山が大神(おおみわ)神社の神体であるように,

神体,

であるからこそ,それに似せた飾り物を「ヤマ」と呼んだに違いないのである。

『日本語源大辞典』には,

「陸地の表面が周囲よりも高くそびえたつ地形。また,それの多く集まっている地帯。山岳。日本では古来,神が住む神聖な地域とされ,信仰の対象」

されたとして,その語源を,

不動の意でヤム(止)の転(日本釈名・和訓栞),
どこにでもあるもので,不尽というところからヤマヌの意か(和句解),
ヤマ(弥間)の義(東雅・国語の語根とその分析),
イヤモエ(弥萌)の約か(菊池俗語考),
イヤモリクガ(弥盛陸)の義(日本語語原学),
弥盛の義(日本語源),
弥円の義か(名言通),
ヤハニ(弥土)の義(言元梯),
イヤホナ(弥穂生)の約(和訓集説),
ヤはいやが上に重なる意。マは丸い意(槙のいた屋),
イハムラ(石群)の反(名語記),
ヤマ(矢座)から出た語で,マはバ(場)と同じ(万葉集叢攷),
陸地の意のアイヌ語から(アイヌ語からみた日本地名研究),

等々の諸説を載せる。

「諸説が多く,みな信じがたいです」

というのがよくわかる。

Yama,

は,結局語源はわからない。僕は擬態語から来ているのではないか,という気がするが,もはやわからない,というべきだろう。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1

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うみ


「うみ」とは,

海,

のことである。「海」の字は,

「『水+音符毎』で,暗い色のうみのこと。北方の中国人の知っていてたのは,玄海,渤海などの暗い色の海だった。」

とある。「うみ」を引くと,いわゆる「海」の意の他に,

湖など広々と水をたたえた所,

という意味があり,いわゆる「湖」も,

「うみ」

と呼んでいた。確か,琵琶湖も,

うみ,

と呼んでいたと思って調べると,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96

に,琵琶湖は,

「都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあふみ、単に淡海とも。万葉集では『淡海乃海』(あふみのうみ)と記載)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが『近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)」と遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県西部)の語源になった。別名の鳰海(におのうみ)は、近江国の歌枕である。」

とある。「遠江」を,

とおとおみ,

と呼ぶのは,浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれていたことに由来するのだろう。

ikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E6%B1%9F%E5%9B%BD

に,遠江國について,

「古くは『遠淡海(とほつあはうみ)』と表記した。この遠淡海は、一般的に浜名湖を指すと言う(ただし、国府のあった磐田郡の磐田湖(大之浦)を指すとする説もある)。これは、都(大和国)からみて遠くにある淡水湖という意味で、近くにあるのが琵琶湖であり、こちらは近淡海(ちかつあはうみ)で近江国となった。」

とある。因みに,それと関連させれば,「近江國」の「近江」も,琵琶湖と関わっていて,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%9B%BD

に,

「『古事記』では『近淡海(ちかつあはうみ)』『淡海(あはうみ)』と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、『淡海』と読めそうな字のほか、『近淡』や『近水海』という語が見えるものがある。『近淡』はこの後にも字が続いて近淡海となると推測される。国名は、琵琶湖を『近淡海』と称したことに由来するとする説が広く知られているが、琵琶湖を『近淡海』と記した例はなく、『万葉集』をみても、琵琶湖は、『淡海』『淡海之海』『淡海乃海』『近江之海』『近江海』『相海之海』と記されている。『淡海』の所在する国で、畿内から近い国という意味であり、『近つ「淡海国」』であり、『「近つ淡海」国』ではない。おおよそ大宝令の制定(701年)・施行を境にして、近江国の表記が登場し、定着する。」

とある。閑話休題。

「うみ」の語源は,『大言海』には,

「大水(おほみ)の約轉。う(大)の條をみよ。禮記,月令篇,『爵(すずめ)入大水為蛤』註『大水,海也』」

とある。「う(大)」を見ると,「大」を当て,

「オホの約(つづま)れる語。」

として,

「おほみ,うみ(海)。おほし,うし(大人)。おほば,うば(祖母)。おほま,うま(馬)。おほしし,うし(牛)。おほかり,うかり(鴻)。沖縄にて,おほみづ,ううみづ(洪水),おほかみ,ううかめ(狼)」

と例示する。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/umi.html

も,

「『う』は「大」の意味の転、「み」は「水」の意味で、「大水(うみ・おほみ)」を語源とする説が有力とされる。 「産み」と関連付ける説もあるが、あまり有力とはされていない。 古代には 、海の果てを「うなさか」といい、「う」だけで「海」を意味した。 また、現代でいう意味以外に,池や湖など広々と水をたたえた所も『海』といった。」

と同説をとる。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「溟」meiに,母韻uが加わり,umeiとなり,umiと変化した(荒川説),
説2は,「ウ(大)+ミ(水)」説。「万葉期,沼,湖,海,のことを,ミとか,ウミとか言ったようです。ウミを一語と見て,分解しないのがいいのかもしれません。大いに水をたたえているところの意です。」

とある。『日本語源大辞典』は,「うみ」の語源説を,

ウミ(大水)の意(東雅・日本古語大辞典・日本声母伝・大言海),
オホミ(大水)の約転か(音幻論=幸田露伴),
アヲミ(蒼水)の約転(言元梯),
ウミの語源はミで,マ・メと同根。マは間・場の意でこれに接頭詞ウを添えたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉),
ウミ(産)の義。イザナギ・イザナミの神が初めて産み出したことから(和句解・和訓栞),
ウクミチ(浮路)の反(名語記),
ウミ(浮水)の義(関秘録),
ウカミ(浮)の略(桑家漢語抄・本朝語源),
ウツミ(全水)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべ・国語の語幹とその分類),
ウキニ(浮土)の転呼か(碩鼠漫筆),

等々,諸種挙げるが,「大水」以外は,どうも,語呂合わせが過ぎるようである。

ところで,「うみ」を「わたつみ」とも呼ぶが,「わたつみ」は,

海神,
海津見,
綿津見,

等々と当てる。『古語辞典』には,

「海(わた)つ霊(み)の意。ツは連体助詞」

とある。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF

には,

「わたつみ 【海神, 綿津見】海うみにおわす神かみ。海うみ。」

と意味を載せ,

「わた(さらに古形は『わだ』)」は海の非常に古い語形、『つみ』は同系語に、山の神を意味する『やまつみ(cf.オオヤマツミ)』等が見られるように、『つ』は同格の助詞『の』の古形であり、『み」は神霊を意味する。なお、『わた』の語源は、現代朝鮮語「바다(/pada/ 海)」の祖語であるとの説もある。』

と説き,『大言海』も

「ツは,之,ミは,霊異(くしび)と通ず,或いは云ふ,海(わた)ツ海(うみ)の重言かと」

という。『日本語源広辞典』は,

「海の意味のワタツミの語源は,『ワタ(海)+ツ(の)+ミ(水)』です。ウミ,大海,のことです。ワタノハラとも,いいます。

とする。しかし,『日本語の語源』がシンプルに,

「ワタツカミ(海津神)―ワタツミ(綿津海)」

と書くように,神のなから転じたと見るのが妥当なのではあるまいか。『日本語源大辞典』は,

「ワタツウミの語形は,ミをウミのミと俗解したところから現れたものでも平安時代以降にみえる」

とする。「海津神」が,意識されなくなったところから来ているのだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%9F

は,

「ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のこと、転じて海・海原そのものを指す場合もある。
『ワタ』は海の古語、『ツ』は『の』、『ミ』は神霊の意であるので、『ワタツミ』は『海の神霊』という意味になる
『古事記』は綿津見神(わたつみのかみ)、綿津見大神(おおわたつみのかみ)、『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などの表記で書かれる。」

としている。「わた」は,『古語辞典』は,

「朝鮮語pata(海)と同源」

としているが,『大言海』も,

「渡る意と云ふ,百済語。ホタイ,朝鮮語パタ」

としている。『日本語源広辞典』は, 

説1は,ワタ(渡)。島々を渡っていくウミを意識した語根,
説2は,ワタ(内蔵,内容物,ハラワタ)です。大海を生命体と意識した語根

と,二説挙げている。その他に,

遠方,他界を表すヲト・ヲチ(遠)と同根と見る説もあるらしい。いずれも,広い大海を意識した言葉で,ウミの,

大水,

とは発想を異にする。渡来人の毛もたらした言葉なのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%90%8D%E6%B9%96
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96

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みず


「みず」は,旧かなでは,

みづ,

と表記する。「水」のことである。『大言海』には,こうある。

「此語,清濁両呼なれば,満(みつ)の義か。終止形の名詞形は,粟生(あはふ)の類。水の神の罔象(みづは),美都波(みつは)(神代記,上)あり」

『日本語源広辞典』には,
 
「語源は,『ミ(水)+ヅ(接尾語)』です。海,湖を,ミ,渠,溝を,ミゾ,水脈を,ミヲと呼んだこと,水が一杯になることをミツ(満つ,充つ)と表したことと関連があるようです。朝鮮語ムルと関係があるという説もあるが不明です。」

とある。『古語辞典』には,

「朝鮮語milと同源」

とある。しかし,「みづ(ず)」ではなく,「み」で水を指したとすると,この説は如何であろうか。

『古語辞典』の「み」の項には,

「複合語として用いる。」

として,

垂水(たるみ),水草(みくさ),水漬き(みづき),水(み)な門(と),

の例が載っている。『大言海』にも,

水(み)際,水(み)岬,水(み)鴨,水(み)菰,

さらに,『日本語源広辞典』にも,

みなと(港),みかみ(水神),みくさ(水草),みぎわ(汀),みくまり(水配り),みづく(水漬く)屍,みぎり(砌),みなくち(水の口),

等々の例が載る。あるいは,「水の流れる筋」という意味の,

みお(水脈・澪・水尾),

という表現も,

みを(水緒),
みづを(水尾),
みづおほ(水多),

と,やはり,「み(水)」を中心に成り立つ。「うみ」

うみ

で触れたように,

「ウ(大)+ミ(水)」

という説もある。古くは,「み」と言ったと見なすべきなのだろう。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mi/mizu.html



「旧カナは『みづ』で、語源は以下のとおり諸説ある。 朝鮮語で『水』を意味する「ムル」からとする説。『満・充(みつ)』に通ずるとする説。その他、『満出(みちいづ)』『充足(みち たる)』『実(みのる)』などで、『満・充(みつ)』の説がやや有力とされるが、正確な語源は未詳である。生命を繋げるものであることから、『み』が『身』のことで『生命』を意味し、『ず』は繋げるを意味するといった説もあるが考えがたい。」

としている。『日本語源大辞典』は,諸説を,

ミツ(満)の義(槙のいた屋・大言海),
ミツ(充)に通ず(国語の語幹とその分類),
ミチイヅ(満出)の義(名言通),
ミチタル(充足)の反(名語記),
イヅ(出)の義(日本釈名),
ミノル(実)の転(言葉の根しらべ),
ニツ(土津)の義(言元梯),
ミはマサリ(益)の約,ツはタル(足)の約(和訓集説),
カイヅ(海津)の義(和句解),
道の転(和語私臆鈔),
朝鮮語で水の意のムルから(風土と言葉),

等々と挙げている。「み(水)」の語源を解明するには足りないようだ。因みに「水」の字は,

「水の流れの姿を描いた」

象形文字,という。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4

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はなす


「はなす」は,

話す,

と当てるが,

咄す,

と当てる,とするものもある。

言葉で相手に伝える,
相談する,

等々の他に,

(遊里語で)遊女を買う,

という意味もあるようだ(『デジタル大辞泉』『広辞苑』)。ちなみに,「言う」と「話す」の違いにっいて,

「ことばを発する行動をさす日本語動詞のうち、おもなものとして『言う』と『話す』があり、その意味はすこし異なっている。『言う』は単にことばを発することであり、内容は『あっと言った』のように非常に単純なこともあり、『言い募る』といえることからもわかるように、一方的な行動のこともある。それに反し『話す』のほうは、相手が傾聴し、理解してくれることが前提となっている。また名詞形の『はなし(話)』にはっきり現れているように、『話す』ときの内容は豊かであるのが普通である。『言い合う』が、互いに自分の言いたいことをかってに言うことをさし、口喧嘩(くちげんか)の場合もあるのに対して、『話し合う』が、互いに相手の言い分を理解し、意見を交換することをさすことを考えると、人間の社会活動を助けることをそのおもな働きとする言語行動を代表する動詞としては、『話す』のほうがふさわしい。「話す」行動はかならず音声を用いるが、音声を用いずに意味の伝達をする行動として、手話がある。『話す』ときには、仮名で書き表せるような個々の音声単位の連続体、すなわち『語』を仲介として意味内容を伝えるが、手話では手や腕の動きによって直接に意味内容を伝える。また『話す』ことは暗闇(くらやみ)でもできるが、手話は相手が見える場合でないと成立しない。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とある。「いう」は,

言う,
云う,
謂う,

と当てる。『デジタル大辞泉』は,

「『言う』は『独り言を言う』『言うに言われない』のように、相手の有無にかかわらず言葉を口にする意で用いるほかに、『日本という国』『こういうようにやればうまく行くというわけだ』など引用的表現にまで及ぶ。
『話す』は『しゃべる』とともに、『喫茶店で友達と話す』『電話で近況を話す』のように、相手がいる場での言葉の伝達である。『話し方教室』とはいうが、『言い方教室』とはいわない。
類似の語に『述べる』『語る』があるが、ともにまとまった内容を筋道を立てて発言する意の語であり、『意見を述べる』『紙上で述べる』のように用いたり、『物語』『義太夫語り』のような熟語を生んだりする。」

と区別する。「言う」は,しかし,「意見を言う」「紙上で言う」と言ってもいいので,かなり汎用性がある。『古語辞典』には,「言ふ」について,

「声を出し,言葉を口にする意。類義語カタリ(語)は,事件の成り行きを始めから終わりまで順序立てて話す意。ノリ(告)は,タブーに触れることを公然と口にすることで,占いの結果や名などについて用いる。ツグ(告)は,中に人いういいししししうううを置いて言う語。マヲシ(申)は,支配者に向かって実情を打ち明ける意」

とある。「もおす(まをす)」については,『古語辞典』は,

「神仏・天皇・父母などに内情・実情・自分の名などを打ち明け,自分の思うところを願い頼む意。低い位置にある者が高い位置にある者に物を言うことなので,後には『言ひ』『告げ』の謙譲表現となった。奈良時代末期以後マウシの形が現れ,平安時代にはもっぱらマウシが用いられた」

とある。「のり(宣り・告り・罵り)」については,

「神や天皇が,その神聖犯すべからざる意向を,人民に対して正式に表明するのが原義。転じて,容易に窺い知ることを許さない,みだりに口にすべきでない事柄(占いの結果や自分の名など)を,神や他人に対して明し言う意。進んでは,相手に対して悪意を大声で言う意」

とある。さらに,「述ぶ」は,「伸ぶ」「延ぶ」とも当てるので,

長く話す,

意となる。こうみると,

言葉を口に出すのを「いう」,

その言葉が連なって長いのを「述(陳)ぶ」,

その相手があるのを「はなす」

人を介して伝えるのを「つぐ」,

その特殊な発言で,

下から上を,「もおす」,

上から下を,「のる」,

その話の中身の起承転結あるを「かたる」,

と,同じく口に出すにしても,使い分けていたことになる。「いう」だけは,相手の有無にかかわらず言葉を口に出す一般を指す,とみることができる。

『大言海』は,「話す」を,

「(心事を放す意か)語る,告ぐ,言ふ,ものがたる」

とし,「言ふ」(「ゆふ」とも訛る)については,二項立て,

ものいふ,言(こと)問ふ,口をきく,

の意味と,

言葉に出す,語る,延ぶ,話す,
名づく,

の意にとに分けている。「はなす」の語源は,『大言海』の述べるように,

「放す(心の中を放出する)」

であるようだ。『日本語源広辞典』には,

「物をカタルとか,のカタル(語)が,ダマス(瞞,騙)に使われるようになって,ハナス,に漢字の『話』を当てて生まれた語です。」

とある。ついでながら,「放す」の語源は,

「ハナ(二つの物体の距離間隔が広がる)+ス」

として,

「話す人の手と対象との距離や間隔が広がる意です。ハナス,ハナツ,ハナレルは同源です。ハナスに漢字の『話』を当てて生まれた語なのです」

とある。その謂れについて,

http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-729.html

には,

「言葉を発することを『話す』と言うが、その『話す』に『話』という漢字が用いられたのは明治時代になってからだという。室町時代や江戸時代『はなす』という言葉に当てはめられた漢字は口偏に『出る』と書いて『咄』という文字と口偏に『新』と書いて『噺』という文字が用いられた。『咄』という文字は、音読みで『トツ』であり、口と音を表す『出(シュツ)』からなる漢字であるが、『はなす』ということが、口から出るという意味で『はなす』に用いられたのだろうと推測される。
もうひとつの『噺』は江戸時代に作られた国字である。言葉を発するという意味で『はなす』以外に『かたる』がある。『物語』という言葉はあるが、『物語』は過去の古い事を表現するという意味合いがあったようで、新ネタを表現する場合に『はなす』が用いられ『噺』という国字が当てはめられたようです。
『はなす』という言葉は、室町・江戸という中近世に生まれた言葉でなく、鎌倉時代奈良時代からあったという。その時、用いられた漢字は『放』という漢字である。
「はなつ」という意味だ。」

とある。「話」の字は,

「舌(カツ)は,舌(ゼツ)とは別の字で,もと,まるくおぐる刃物の形(厥刀(ケツトウ)という)の下に口印を添えた字で,口にまるくゆとりをあけて,勢いよくものをいうこと。話は『言+音符舌(カツ)』で,すらすら勢いづいて話すこと」

らしい。

ついでながら,他の語の語源を調べておくと,「言う」は,

「『イ(息)+プ(唇音)』です。イ+フゥ,イフ,イウとなった語」

とあるが,『日本語の深層』では,

「『イ』音の最初の動詞は『イ(生)ク』(現代語の『生きる』)です。名詞『イキ(息)』と同根(同じ語源)とされ,『イケ花』『イケ簀』などと姻戚関係があります。(中略)おそらく/i/音が,…自然界で現象が『モノ』として発現する瞬間に関わる大事な意味を持っているので,この『イ』を語頭にもつやまとことばがたくさんあるのでしょう。『イノチ(命=息の勢い)』『イノリ(斎告り)』などにも,また「い(言)ふ」にもかかわって意味を持ちます。」

とあり,あるいは,息ではなく,「言葉」が発語された瞬間の重要性をそこに込めているのかもしれない。「いま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%84%E3%81%BE) で触れたように,「イ」は,

「『イ』は口を横に引いて発音し,舌の位置がほかの四つの母音よりも相対的に前にくるので,一番鋭く響きますし,時間的にも口の緊張が長く続かない,自然に短い音なので,『イマ』という『瞬間』を表現できるのです。」

とある。「いう」の「い」の意味は深い。

「述ぶ」は,

「ノブ(延・伸)」

が語源である。ひっきりなしに続く,また横に長くのばし広げる意,とある。

「つ(告)ぐ」は,

継ぐ・接ぐと同根,

とある。『日本語源広辞典』には,二説載る。

説1は,「本来の二音節語,ツク(付着スル)が転じて,音節変化でツグ」となった。次の語にツ(継続・接続)+グ意。
説2は,「ツガウ(粘フ)が語源。その後を続ける意。

「のる(宣る・告る)」は,

のぶる(宣・述)の義(言元梯・名言通・大言海),
ノルの本質はノル(乗)。言葉という物を移して,人の心に乗せ負わせるというのが原義(続上代特殊仮名音義),
朝鮮語mil(云)と同源(岩波古語辞典),

という説があるが,『日本語源大辞典』は,

「本来,単に口に出して言う意ではなく,呪力を持った発言,重要な意味を持った発言,ふつうは言ってはならないことを口にする意。ノロフ(呪)の語もこの語から派生したものである。」

とある。「もおす(まをす)」は,

参リススムルの意(日本釈名),
マヘヲリマス(前折)の義。ヲリは,膝を折る意(名言通),
マウは参の意。スはスルの意(和句解),
マは美称。ヲはイホの約(和訓集説),
ミヲシの転(日本古語大辞典),

等々,諸説があるが,『日本語源広辞典』にはこうある。

「この語は,『マヲス』が上代後期にマウスに変化した語です。麻袁須―麻乎須と表記され,申す,白す,啓す,が当てられ平安期には,『申す』が主流になった語です。語源は,『マヰ(参上)の古語マヲ+ス(言上す)』と思われます。現在でも,神社の宮司等の祝詞にマヲスが使われていますので,『参上してあらたまって言う』意が語源に近いとかんがえられます。」

なお,「語る」は,別に項を改めたい。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
熊倉千之『日本語の深層』(筑摩書房)

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かたる


言葉を口に出す,という言い回しの,

「言う」「話す」「申す」「述ぶ」「宣る」「告ぐ」

については,「はなす」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%84%E3%81%BE) で触れた。残りの,「語る」について探ってみたい。「語る」の意味は,ただ,

話す,

のとは違う。『広辞苑』には,

事柄や考えを言葉で順序立てて相手に伝える。一部始終をすっかり話す,
筋のある一連の話をする,
節や抑揚をつけてよむ,朗読するように述べる,
親しくする,うちとけて付き合う,
(物事の状態や成行きなどが)内部事情や意味などをおのずからに示す,

と意味が載る。「はなす」の語源は,『大言海』の述べるように,

「放す(心の中を放出する)」

である。ただ,心の中を「放す」のと,「語る」の差は,

筋のある,
事柄や考えを言葉で順序立て,

というところなのか。ところで,『日本語源広辞典』には,「はな(話)す」の項で,

「物をカタルとか,のカタル(語)が,ダマス(瞞,騙)に使われるようになって,ハナス,に漢字の『話』を当てて生まれた語です。」

とある。「かたる」には,

語る,

ではなく,

騙る,

と当てると,

(うちとけて親しげに『語る』ところから)安心させてだます,だまして金品などを取る,

という意味になる。しかし「語る」の虚実ではなく,そこに欺いて何かしようとする意図があるかどうかを別にすると,「語る」こと自体に差はない。『大言海』の「騙る」の説明がふるっている。

「(虚を語る意か)實(まこと)らしく告げて,欺く。」

と。「語る」については,

「形を活用せしめ(宿(やど)る,頭(かぶ)る,の例),事象を言ふ意なるべし」

とある。『日本語源大辞典』は,諸説を,

カタはコト(言)の転。リは活用語尾(日本古語大辞典),
コトテル(言出)の義(言元梯),
カタ(形)の活用語。カタは事象の意(和訓栞・大言海),
カタアル(形生)の約(国語本義),
カタアル(象有)の約,カタはカタドル意(名言通),
カタ(方)ヲリルか(和句解),
なかなか応諾しない精霊をなだめすかし,克服する際の呪言カツ(克)を再活用させた語(文学以前),
話の別音Kaの入声音Katが転音したもの(日本語原考),

等々載せるが,「語るに落ちる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%84%E3%81%BE)で触れたように、『日本語源広辞典』は,「語る」の語源を二説載せる。ひとつは,『大言海』の言う,

「タカ(型,形,順序づけ)+る」で,順序づけて話す,

と,いまひとつは,

「コト(物事・事象)+る」で,世間話をする,物事を話す,

の,二説ある。カタリベ,カタライベなどがあるので,随分古い言葉だとされている。『古語辞典』によると,

「相手に一部始終をきかせるのが原義。類義語ツゲ(告)は知らせる意。イヒ(言)は口にする意。ノリ(宣)は神聖なこととして口にする意。ハナシはおしゃべりする意で室町時代から使われるようになった語」

とある。そして,「かたり」の項の中に,

語り,

を当てる語と,

騙(衒)り,

と当てる語を,併せて載せ,

(巧みに話しかけて)だます,

と意味を載せる。どうやら,漢字で当て別けないかぎり,

かたり,

は区別されないが,当事者には通じていたはずである。「騙る」の語源が,

「語る」

であるのは,当然予想される。

「ことば」に関わる,





辭(辞)

の違いについて,「ことば」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%84%E3%81%BE) で触れたことと少し重なるが,「語」の字を調べると,

「吾」は,「口+五(交差する意)」からなるが,「五」は,指事文字。×は,交差を表す印。五は,「上下二線+×」で,二線が交差することを示す。片手の指で十を数えるとき,→の方向で(親指から折って)五の数で,(今度は指を立てて,逆の)←方向に戻る,その転回点にあたる数を示す。で,「吾」は,AとBが交差して話し合うこと。後に,吾が我(われ)とともに一人称を表す代名詞に転用されたので,「語」がその原義を表すことになった,

という。

で,「言(言葉)+吾(交差する)」は,互いに言葉を交わし合う,という意味。その意味で,「語る」と「騙る」の差はない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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まい・おどる


三田村鳶魚は,舞いと踊りの違いを,

「舞というものは拍子を主としたもの、踊りというものは歌詞の説明を主としたものであります。」

と説明していた。『広辞苑』は,「おどり」に,

踊り,
躍り,

の字を当て,

音楽・歌曲に合わせて,足を踏み鳴らし,手振り・身振りをして舞うこと,

とした上で,

特に日本の伝統舞踊で,旋回動作を基調とする舞に対し,跳躍動作を基調とするもの,

とあり,「まい」については,

舞,
儛,

の字を当て,

舞は元来「まふ」こと,すなわち旋回動作で,歌や音楽に合せて,すり足などで舞台を回ることを基礎とし,踊りは跳躍に基づく動作で,リズムに乗った手足の動作を主とする。一般には,神楽,舞楽,白拍子,延年,曲舞,幸若舞,能楽,地唄舞などの舞踊を舞という,

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8A%E3%82%8A

には,

「『舞(まい)』と『踊り(おどり)』は、今日では同義語のように用いられることが多いが、その場合、地域的には関東では「踊り」、関西では「舞」の使用例が卓越する。元来、旋回運動をもととする舞と跳躍運動をもととする踊りは厳然と区別されていたのであり、そのことをはじめに指摘したのは折口信夫であった。ところが東西における舞踊に関する地域的使用例に濃淡が生じていることは、江戸においては歌舞伎の舞台において踊りの有力な本源があるのに対し、京や大坂などの上方では能楽の舞台が舞踊の基準となる権威として機能していたという差異に由来する。」

とあり,さらに,

「踊り(おどり)は、日本舞踊のうちリズムに合わせた跳躍運動を主としたもの。明治以前 は舞とは厳然と区別されていた…。安土桃山時代に素人芸である踊りを興行化した出雲阿国らの歌舞伎踊りがあり江戸時代に大流行した が、これは語源の「カブク」が示すようにみだらな芸であり、舞が禄の対象であったのに 対し取り締まりの対象であった。」

とある。この地域性について,『日本語源大辞典』に,

「近世以来,上方においては,江戸長唄などを地とするもの,盆踊りなどのように手振りの種類が多く動きが派手な舞踊を『おどり』とよび,手振りの種類が少なく,動きが静かなものを『まい』とよぶ。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E

に,舞は,

「古典的な神楽に大陸からの渡来芸が加わったものとされ、民衆の中から生まれた踊りに較べて専門的技能を要するものである。ゆえに世襲的に伝えられてきたものが多いが、明治維新後は家禄を失ったことにより多くは絶えてしまい、伝統芸能としては能楽の要素として残される程度である。しかし多くの民俗芸能(郷土芸能)が重要無形民俗文化財に指定されている他、その伝統を引き継ぐものは多々あり、面影をしのぶことができる。」

とある。さらに,

「舞が囃子手など他者の力で舞わされる旋回運動を基本とするのに対して,踊りはみずからの心の躍動やみずからが奏する楽器のリズムを原動力に跳躍的な動きを基本とする。〈躍〉〈踏〉〈をどり〉などの字も用いる。舞が選ばれた者や特別な資格を持つ者が少人数で舞うのに対し,踊りはだれでもが参加できるため群をなす場合が多く,場も特殊な舞台を必要としない。」(『世界大百科事典 第2版』)

あるいは,

「日本舞踊は振り,舞,踊りの3要素から成り立っているが,舞が〈まわる〉を語源とする平面的旋回動作,踊りが〈躍る〉という言葉に発している上下的動作であるのに対して,振りは物まね的しぐさの,演劇的要素の強い部分を指している。歌詞に即して物まね的に演じることもあるが,その時点を超越すると扇1本,手ぬぐい1本,時には何も持たずに状況を観客の眼前にほうふつとさせることも可能で,深い奥行きをもっている。」(仝上)

と,つまり,「まう(ふ)」と「お(を)どる」とは,まったく異なる動作,ということになる。

『古語辞典』には,「まひ(舞)」の項で,

「マハリ(廻)と同根。平面上を旋回運動する意。同義語ヲドリは,跳躍運動する意が原義」

とあり,「をどり(踊)」の項に,

「はねあがる,飛び上がる意。類義語マヒ(舞)は,平面上を旋回する意」

とある。「舞う」について,『日本語源広辞典』は,

「マ(回)+フ(継続)」

とする。他の説も,

マハス(廻)の義(名言通),
マハルの約(名語記・和句解),
マハリフル(廻経)の義(日本語原学),
マハルと同根(岩波古語辞典),
円状に回転するところか,マロ(円)の転(日本語原考),
マヒのマはタマ(玉)・マル(丸)・マワル(廻)などの語幹(日本古語大辞典)
マは周の義,フは進む義(国語本義)
幻術の意の梵語マヤから(和語私臆鈔),

等々,「まわる」と絡めている。「まわる」の語源は,

「マワルは,メ(目)が語根です。『マワ(目の回転)+ス』」

とある。「ま」は,「め(目)」の転ではある。たしか,『大言海』は,「語る」について,

「形を活用せしめ(宿(やど)る,頭(かぶ)る,の例),事象を言ふ意なるべし」

と,「こと(言)」の活用とした。それに倣うと,「ま(目)」の活用と見られなくもない。

「お(を)どる」の語源は,『日本語源広辞典』は,

「オドロ(目の覚めるような大袈裟な行動)を動詞化」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/odori.html

は,

「『踊り(踊る)』の語源は、『お』が『尾』で『どり(どる)』が『とどろく』の意味とする説や、『繰り返す』という意味の『ヲツ』と関係する語といった説、『をとぶある(小飛有)』の意味など諸説あり、未詳である。」

としている。

つまりは,「おどる」も「まう」も,語源が詳らかではない。ただ,どちらも,日常の動作であったものが,特別のために用いられることで,特別な言葉に転じた。いずれも,

「古代以来,踊りは宗教と深く結びつき,したがって巫女や僧侶などの宗教者たちによってになわれ,伝承され,広められた。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

「呪術的,宗教的舞踊は日本では神楽(かぐら),舞楽,延年(えんねん),呪師,盆踊などのなかに見られる。のち舞踊はみずからの楽しみのために踊り,また鑑賞するものに発展した。古代の〈歌垣(うたがき)〉(嬥歌(かがい))や中世の〈風流(ふりゆう)〉などをはじめ民俗舞踊や郷土舞踊がそれにあたる。(『世界大百科事典』)

と言われるように,ただの「飛び上がる」「回る」動作に,特別の時の動作としての価値が加えられることで,「踊る」「舞う」となった,元々特別の動作でなかったからだろうか,語源は詳らかではない。。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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みごと


「みごと」は,

見事,
美事,

と当てる。「美事」は,どうやら当て字らしいが。意味は,

見るべき事,見もの(「さだめてみごとなる所あるべし」),
ありようや結果などがすばらしいさま,きわだってすぐれていること(「みごとな出来栄え」),
てぎわのよいこと,あざやかなこと(「みごとに片付ける」),
(反語的に)完全(「みごとに負けた」),
(副詞として)立派に(「みごとに合格する」),

等々とある(『広辞苑』『大辞林』)が,どうやら,主観的な価値判断だったものが,客観的な評価へとシフトしていくのが見て取れる。「美事」と当てるようになったわけだ。『古語辞典』には,

見るべきこと,
立派なこと,すばらしいこと,

の意味しか載らないから,そうなのだろう。『大言海』には,

見て美しきこと,また,すぐれて巧みなること,

と載る。完全に評価へとシフトしている。『語感の辞典』には,

「見るだけの価値のある物事の意から。それだけに視覚的なイメージがあり,目の前で見て判断している感じが伴いすい。『すばらしい料理』と違い,『みごとな料理』は味わう前にも言えそうな雰囲気がある。また,評価に重点がある『すばらしい』に比べ,技術的な巧みさに重点のある連想が強く,自然をめでる『みごとな景色』でも,庭造りや借景の巧みさなり,展望台の立地条件のよさなり,人間あるいは造物主の何らかの意思やかかわりを意識させることがある。」

とある。

意味は,少しずれるかもしれないが,『平家物語』で,平知盛が,

「見るべきほどのことは見つ」

と言って海中に身を投じたのを,ふと思い出す。よく,

お見事!

というときに,多少の皮肉も入っているのと似ている。訛って,

みんごと,

と促音化して言い回すことがあるが,今なら,まさに反語的であるかもしれない。語源は,『語源辞典』には載らないが,『大言海』に,

「見物(みもの)と同じ」

とある。「見物(みもの)」を見ると,

観て目覚ましく感ずる物,見るべき映えある物,

とある。さらに,

傍より見ること,見物(けんぶつ),

とある。「見物(けんぶつ)」は,

見物(みもの),

の訓読みで,その瞬間,

物を見ること,

という単純な状態表現へと転ずる。辞書(『広辞苑』)をみると,「見物(けんぶつ)」の項にも,

名所や催し物,好奇心をそそるものなどを見ること,

と同時に,

見るに値するもの,

という意味も載る。「物見(ものみ)遊山」という言い方もあるが,どちらかというと,

見物のマインド,

の意味に変っている。しかし,考えてみれば,

見るに値する,

という価値があるからこそ,見物(けんぶつ)するのだから,意味に価値の翳が見え隠れしているはずだ。ただ,

見るに値する,

という意味が古く,いわゆる「けんぶつ」の意味は,相当に後世になってからのように見える。『古語辞典』には,

見物(けんぶつ),

は載らない。『江戸語大辞典』を見ると,「けんぶつ」はないが,

見物左衛門(けんぶつざえもん),

が載り,能狂言の「都見物左衛門」から来ている,「田舎から出てきた見物客」,とある。

物はなく,終始シテ一人の独白と仕方で演じる,特異な独り狂言。筋立て・演出には,小書(こがき)ともいうべき《深草祭》と《花見》の二通りがあるが,上演に際しては小書を付ける場合も付けない場合もある。」(『世界大百科事典』)

「狂言の曲名。和泉流の番外曲。一人狂言で,『花見』と『深草祭見物』の2種がある。『花見』は,見物左衛門という男が花見に出かけ,地主 (じしゅ) の桜や西山の桜を見て回る様子を演じ,小謡,小歌,小舞などが入る。
《深草祭》は,5月5日,京都深草にある藤森神社の祭に出かけて流鏑馬(やぶさめ)や相撲などを見物して興じる様子を見せる狂言。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

等々とあるので,時代は遡るようだ。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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すてき


「すてき」は,

素敵,
素的,

と当てられる。

自分の好みに合っていて,心がひきつけられるさま,
程度や分量がはなはだしいさま,

といった意味になる。『大言海』は,

「出来過ぎの倒語」

とし,

最もすぐれたること,

と意味を載せる。『江戸語大辞典』も,やはり,

「出来過ぎの倒語」

とし,

数量・程度などの甚だしいこと,ひどい,めっぽう,沢山,

という意味を載せる。語源は,さておくとして,どうやら,「すてき」は,

たくさん,

という程度・分量を表す状態表現であったものが,そこに,出来不出来,という価値を加えた,価値表現へと転じたらしいことが推測される。とすると,語源は,「出来過ぎ」の倒語,とするのは,後知恵なのではないか。『古語辞典』には,少なくとも,「すてき」は載らないので,比較的新しい語ということになる。

手許の『日本語源広辞典』は,二説載せ,

説1は,「デキスギの逆言葉,スギデキの音韻変化」説,
説2は,「ス(素晴らしいのス)に的のついたもの,

として,

「江戸期の言葉で,非常に,甚だしいの意でした。現代語は,素晴らしい,優れている意です。」

と付記する。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suteki.html

は,この二説について,

「素敵は、江戸時代後期の江戸で俗的な流行語として、庶民の間で用いられ始めた。当初は仮名書きが多く、『程度のはなはだしいさま』『並はずれたさま』といった意味で使 われていた。 明治頃から現在の意味に限定され、『素的』という字が当てられるようになった。大正頃から『素敵』の当て字がみられるようになるが、『素敵』が一般化したのは昭和に入ってからで、それまでは『素的』が多く使われていた。
素敵の語源には、『できすぎ(出来過ぎ)』の倒語『すぎでき』が変化した語とする説と、『すばらしい』の『す』に接尾語の『てき』が付いたものという説がある。倒語は『すてき』と同じ江戸時代の江戸で流行したものなので、時代的には『できすぎ』の説も考えられるが、『できすぎ』から『すぎでき』といった部分的な倒語であることや、その後更に変化するなど非常に複雑であることから考え難い。
『すてき』が当初は『並外れたさま』を意味していたことや、のちに『素的』の字が当たられていることから、一見『すばらしい』との関連性もないように見える。しかし,『すばらしい』は元々『とんでもない』『ひどい』という意味で使われていた言葉で、同じように意味が変化したとすれば『すばらしい』の説は十分考えられる。
『素敵』の漢字の由来は当て字なので解っていないが、『素敵』のほかにも『素適』といった当て字もあることから、『かなわない』という意味が関係していると思われる。
『適わない』は『望みが実現しない』の意味、『敵わない』は『対抗できない』『勝てない』の意味で使われるため、『素晴らし過ぎて敵わない』という意味から『素敵』が使われるようになり、もっとも使われる当て字になったと考えられる。」

と詳説している。当てた漢字の解釈は,さておくとして,どうやら,

素晴らしいのス+的,

が,語源説となると,上記のように,「すてき」の原義が,

沢山,

という状態表現であったとすると,「すばらしい」の語源が問題になってくる。『日本語源広辞典』は,

「ス(接続語)+晴らし」

で,「晴れやかなできばえ,みごと,程度がはなはだしい」の意とする。これでは,「すてき」の原義の状態表現と合わないのではないか。しかも,『古語辞典』の「晴らし」には,

晴れさせる,
晴れやかにする,

の意しか載らないのだ。「しっかり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A) の項で触れたが,『日本語の語源』は,「すばらし」について,

「『たいそう立派である,たいそう盛大である,たいそうすぐれている』という意のスバラシ(素晴らし)は,スッパリの形容詞化で,スッパラシの転音であろう。」

とし,「スッパリ」は,「シッカリ」から来ている。「シッカリ」は,「悉皆」から来ている,という。

「シッカイ(悉皆)は『すっかり。みな。ことごとく。全部』という意味の漢語である。…仏教の経典に多用されており,仏教用語として流布されていた言葉である。…シッカイ(悉皆)は語尾に子音(r)が添付されてシッカリになり,語尾の『シ』の母音交替(iu)でスッカリになった。さらに多くの語形に転音・転義したので,…整理しておくと,@全部(すっかり),A完全(すっかり),B確実(しっかり),C多数・多量(しっかり),D大変(しっかり)に分類されよう。」

「スッパリ」は,「スッカリ」から転音し,上記Aの,

まったく,すっかり,

の意味を伝えている。「シッカリ」は,「スッカリ」に転化し,

ことごとく,まったく,

の意となり,「スッカリ」は,「スックリ」に転ずると,

すべて,みな,のこらず,

の意となり,「スックリ」は,その意を残したまま,「ソックリ」に転じて,

全部,

の意となる。また「スックリ」は,「スッキリ」に転じてもい,る。

「シッカイ」から転じた「シッカリ」は,「カ」が子音交替(kp)で,「シッパリ」に転じ,「ジッパリ」へと転じ,更に子音交替(r∫)を遂げた「ジッパシ」は,「ジッパ」へと省略され,

すぐれている,みごとである,欠点がない,

という意の「リッパ」に転音する,という。

こういう転訛の背景の中で,「すばらしい」をみると,上記の,

@全部(すっかり),A完全(すっかり),B確実(しっかり),C多数・多量(しっかり),D大変(しっかり),

の,

「五義を総合して最高のほめ言葉になった」

という,『日本語の語源』の言い分もわかる気がする。

『日本語源大辞典』は,「すてき」の本来の意味は,

程度がはなはだしいさま,度はずれたさま,滅法,

で,「19世紀初頭ころから,江戸のやや俗な流行語として使われ始めた」ものとし,それが,明治期に,

非常にすぐれているさま,すばらしい,

の意味に限定されてくる,としている。そうみると,やはり,

素晴らしいのス+的,

の語源をとりたくなる。なお,「滅法」については「滅法界」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%97%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A) で触れた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ひととなり


「ひととなり」は,

人となり,

とも書くが,

為人,

とも当てる。

生まれつきの人柄,もちまえ,天性,性,
からだつき,背丈,

という意味である。どちらかというと,前者の意味で使うことが多い。『論語』学而篇に,

其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者は鮮(すく)なし, 
上を犯すことを好まずして、乱を作(おこ)すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。 
君子は本を務む。本立ちて道生(な)る。孝弟は、其れ仁に為すの本なるか,

とある。その,

為人,

を指す。『古語辞典』では,

身長,

という意が最初に来ているが,上記「為人」は,本来,

ヒトであるそのあり方,

を指すので,意味を広げてわが国では使ったということではあるまいか。

其為物(そのものたるや),

と書くと,

物であるそのあり方,

その物の性質を指す。『大言海』には,「ひととなり(為人)」の次項に,

ひととなる(為人),

として,

人並みの身となる,

という意を載せる。似た用い方で,

為我,

を,「ゐが」と訓まず,

我がためにす,

と訓ませ,

己を利するためにする,

という意を載せ,さらに,

為体,

と書いて,

ていたらく,

と訓ませる。『大言海』には,

體たる,の延,

とあるが,『広辞苑』には,

タラクは助動詞タリのク語法,

とある。ク語法については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95

に詳しいが,「おもわく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%8A%E3%82%82%E3%82%8F%E3%81%8F) で触れたように,

「上代(奈良時代以前)に使われた語法であるが、後世にも漢文訓読において『恐るらくは』(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、『願はく』(四段活用動詞『願う』)、『曰く』(いはく、のたまはく)、『すべからく』(須、「すべきことは」の意味)などの形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに『思わく』(『思惑』は当て字であり、熟語ではない)、『体たらく』、『老いらく』(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)などが残っている。」

で,『日本語の語源』は,断定の助動詞「たり」の変化について,

「テイ(体)は。『すがた。態度。体裁。様子』のことであるが,チイタルコト(体たる事)はテイタラク(為体)となり,『ありさま。状態。様子。かっこう』の意となった」

とある。はじめは,

すがた,ありさま,

を指す状態表現であったものが,

(後世は非難の意をこめて用いる)ざま,

と,価値表現へと転じた,とみていい。『学研全訳古語辞典』に,

「『てい(体)』に助動詞『たり』の未然形『たら』と体言化の接尾語『く』が付いて一語化したもの。直訳すると、『そのようなようすであること』の意。単なる姿・ようすではなく、何かの事情から生じた姿・ようすをいう。現代では、『何という体たらくだ。』のように、人をさげすんだり、ののしったりする場合に用いるが、古くはそのような意味はなかった。」

とある。「えたい」は,

得体,

と当てるが,『広辞苑』には,

「一説には『為体(ていたらく)』の音読イタイの転。『得体』とも書く」

として,

正体,本性,

の意で,「得体が知れない」といった使い方をする。『大言海』は,「えたい(えてい)」を,

為體,

と当て,

「為體(ゐたい)の転(いばる,えばる。えこじ,いこじ)。為體(ていたらく)の字を音読したる語。所為(しょゐ)をセヰと読む類なり」

とある。為体も,

ありよう→ざま→本性,

と,価値表現も極まった感じである。ただ,「得体」の語源については,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/e/etai.html

は,二説があるが未詳,として,

「ひとつは、『偽体(ていたらく)』の音読『 いたい・えてい』が転じたとする説。もうひとつは、平安朝時代には僧侶の着ている衣で 宗派や格式がわかったことから、『衣体(えたい)』が転じたとする説。」

を挙げる。『日本語源大辞典』も,二説載せ,「衣体」について,

「衣の色によって宗派・格式を判断したために,ちょっと見て検討のつかない衣を着ることを,衣体がわからぬといつたところから」

と説く。『語源辞典』は,「得体が知れない」の項で,

「衣体が知れない」

の意とする。しかし,どうも,音韻変化の方が,意味の変化と合わせて考えると,説得力があるような気がする。そもそも,

衣体,

という言い方をするのかどうかも疑わしい気がする。

因みに,

http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/2260/meaning/m0u/

は(『類語例解辞典』),

人柄(ひとがら)/人物(じんぶつ)/人間(にんげん)/人(ひと)/人となり(ひととなり) 

を比較し,

「人柄」は、多く、良い性格、性質に関して一般的に使われる,
「人物」は、性格にやや品位を加えた意味合いとして使われる,
「人間ができている」は、慣用句化した表現。この場合の「人間」は人格の意を表わす,
「人」は、多く「人が良い」「人が悪い」の形で使われ、その人の性質、特に心の底にある気持ちから出た性質をいう,
「人となり」は、「人柄」とほぼ同じ意。やや改まった言い方,

と使い分けを整理している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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あっぱれ


「あっぱれ」は,

天晴れ,
遖,

と当てる。「遖」は,国字。

「辶+南」

の会意文字として作ったらしいが,峠や裃という他の国字に比して,出来が悪いせいか,ほとんど使われない。

「感動詞アハレの促音化」

で,『大言海』は,

「アハレの急呼」

とする。昨今はほぼ使わないが,

「天晴,よくやった」

というような,感動したり,ほめたたえるときに使う。『日本語源広辞典』には,

「中世の用法」

とある。『日本語源大辞典』には,

「『あわれ(哀)』を促音化して,意味を強めたもの。中世の初めごろから見られる。特に形容動詞の場合,しみじみとした情趣・感情を表すという広い意味を持っていたアワレに対して,アッパレは賞賛する気持ちを表し,アワレとは別語として意識されるようになった。のち,アワレは悲哀の意味に限定され,ますます意味の差が大きくなった。」

とある。同じことを,『由来・語源辞典』,

http://yain.jp/i/%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%82%8C

も,

「『哀れ』は現代では悲哀の意味だが、本来は喜怒哀楽いずれの感情もいう語であり、そのうちの良い意味を強調したのが『あっぱれ』である。古くは『あっぱれ』も悲哀や驚愕を示すこともあったが、時代とともに賞賛の意味に固定され、逆に『哀れ』は悲哀の意味だけに固定されることになった。」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/appare.html

は,より深く,

「あっぱれは『哀れ(あわれ)』と同源で、感動詞『あはれ』が促音化した語である。『あはれ』は感動語『あは』に接尾語の『れ』がついたもので、喜びも悲しみも含めて心の底から 湧き出る感情の全てを表す語であった。 中世以降、賞賛の意味を込めて言う時は、促音化した『あっぱれ』がもちいられるようになり、『あはれ(あわれ)』が『嘆賞』『悲哀』などの感情を表す言葉となった。漢字で『天晴れ』と書くのは、意味や音から連想された当て字で語源との関係はない。またあっぱれの漢字には、『天晴れ』の他に『遖』という国字もある。国字の『遖』は、南の太陽の光を受けて明るく見事であることを表した会意文字で、『天晴』を一字で表したような感じであるが、一般には滅多に使われていない。」

と,「あわれ」との関係に言及する。

「あわれ」は,

哀れ,

と当て,『古語辞典』は,

「事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持ちを表す際に発する語。それが相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持ちを表すようになり,平安時代以後は,多く悲しみやしみじみとした情感あるいは仏の慈悲を表す。その後力強い讃嘆は促音化してアッパレという形をとるに至った」

としている。恐らく,単なる感嘆詞だった,その段階では状態表現に近かったものが,いつの何か価値表現へとシフトして,その価値に対する主観的感情の表現へと転じた,ということだろう。その感情が,

哀しみ,

感嘆,

に分岐して,「あわれ」と「あっぱれ」の使い分けへと至った,ということになる。「あわれ」の語源が,『日本語源広辞典』では,

「ああ+はれ」

と,感動詞の重なりとし,『大言海』も,

「アも,ハレも感動詞」

とする。そして,「あ」は,

噫,

を当て,

「多くは,重ねて,アア(嗚呼)と云うふ」

とある。「はれ」も感動詞で,

「噫(あ)を添へて云ふ」

とあるが,

やれ,
とか,
まあ,

という囃し言葉である。どうやら,「あわれ」は,傍から,感嘆して,

はやしていた,

ときの,「よーよー」というようなニュアンスの言い回しだったのではないか。ただ,『日本語源大辞典』は,

「語源を『あ』と『はれ』との結合と説くものが多いが,二つの感動詞に分解しうるかどうか疑わしい」

とする。異説には,

ア(彼)ハに,ヤ・ヨに通じる感動詞レが添わったもの(折口信夫),
自然音アの修飾であったらしい(柳田國男),
アアアレ(有)から(名言通),
天岩戸の故事から,アメハレ(天晴)の略(日本釈名),
アという嘆息の声から(紙魚室雑記・和訓栞),

等々ある。臆説かもしれないが,

あああれ,

から,

あはれ→あっぱれ,

と転じた気がする。語呂合わせよりは,和語の特性から,文脈を共有する者の中でのみ通用する言い方から発生した,ということを強く感じるからだ。

ちなみに,熊倉千之氏は,「あ」は,「開かれた音」で,「開かれた」イメージをもたらす,という。そして,

「開かれた音『ア』にもう一つ音節をつけるとすれば『アア・アイ・アウ・アエ・アオ』がいずれも意味をなさず(『青』は古くは『アヲ』なので),『アカ(赤)』が辞書の上ではほとんど最初のやまとことばです。この『アカ』に関連して『アカ(赤)シ』という形容詞や,『アカトキ(暁)』という名詞や,『アカ(明)ス』・『アカ(明)ル』(明るくなる意)という動詞などがありますから,『開かれた母音の/a/』が,こうしたことばの基底にあると言えるでしょう。」

と書く。その「あ」の,外へ向かう発語の含意が,「あはれ」にも「あっぱれ」にもある。やはり,

アアアレ,

は捨てがたい。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
熊倉千之『日本語の深層』(筑摩選書)

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「き」は,

木,
樹,

と当てる。樹木のことである。「き」は,

コ,

と訓む。

「木(き)」の交替形(『大辞林』),

とか,

「き(木)」の古形(『広辞苑』),

とか,

木の転(『大言海』),

等々言われるが,

木立ち,
木の葉,
木の実,

等々他の語に冠して複合語を作る。これについては,「ほのか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BB%E3%81%AE%E3%81%8B) で触れたように,

ほ(ho)→ひ(hi),
こ(ko)→き(ki),

と,

「キ(木)に対して,複合語に現れる『コ』(木立ち,木の葉)と並行的な関係にある」

とされている。

さて,「き」の語源であるが,『大言海』は,

「生(いき)の上略。生々繁茂の義」

とするが,「こ(木)」が「き(木)の古形」(『広辞苑』)とするなら,この説は取れなくなる。しか『日本語源広辞典』は,

「『生きikiで,語頭のイが脱落して,kiとなったもの』という大言海説が,有力」

とする。しかし,『日本語源大辞典』は,『大言海』以外にも,

イキ(生)の上略(日本釈名,名言通,和訓栞,国語の語幹とその分類),

とする説を紹介したうえで,

ケ(毛)の転。素戔嗚尊の投げた毛が木になったという伝説から(円珠庵雑記),
木は大地の毛髪であるところから(日本古語大辞典),
生えるものを意味するク(木)から,コ(木),ケ(毛・髪)も同源説(続上代特殊仮名音義),
キ(黄)義(言元梯),
草がクサクサとして別ち難いのに対し,木はキッと立ち,松は松,梅は梅とキハマルところから(本朝辞源),
ツチキ(土精気)の上略で,キムシ(地気生)の義(日本語原学),
キリ(切),または,コリ(樵)の反(名語記),
五行相剋の説では,金剋木といって木は金にキラルルところから(和句解),

等々と挙げる。「くさ」と「き」の差別化という説に魅力を感じるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ki/ki.html

も,

「語源は以下のとおり諸説あり未詳。 『イキ(生)』の上略とする説。生えるものを意味する『キ・ク(生)』のことで、『毛』などと同源とする説。 素戔鳴尊(すきのおのみこと)の投げた 毛が木になったという伝説から、『毛(け)』が転じたとする説。一本生えているものを『立木(たちき)』、何本も生えているものを『木立(こだち)』というように『立つ』と共用することや、草に対してキツと立っているなど,突っ立っていることが原義であったとする説。その他多くの説があるが、上記あたりが妥当と考えられる。」

と,草との対比を取っている。「くさ」の語源は,『大言海』は,

「茎多(くくふさ)の約略なりと云ふ説あり」

と,自信なげである。『日本語源大辞典』は,

カサカサ,グサグサという音から(国語溯原),
キ(木)と同源語で,ケ(毛)から分化したもの(日本古語大辞典),
キ(木)と同根のクに接尾語サをつけたもので,サは柔らかく短小であることを表す(語源辞典),
クサフサ(茎多)の約略か(古事記伝・大言海),
年毎に枯れてクサル(腐る)ものであるから(日本音声母伝・名言通,和訓栞・言葉の根しらべ)
「神農百草をなめそめられし」とあることからクスリのサキという義か。またはクサシ(臭)の義か(和句解),
クサグサ(種々)の多い義(日本釈名),
カルソマの反。ソマは,茂ることによせて杣の義(名語記)

等々と載せる。

億説かもしれないが,

年毎に枯れてクサル(腐る)ものであるから,

とする説が気になる。

くさくさ,

は,「くさくさする」などという擬態語だが,「腐る」からきている。これは,

くしゃくしゃ,
むしゃくしゃ,

とバリエーションがある。「くさ」は,

腐る,

から来たのではないか,という気がしてならない。とすると,「き(木)」は,それと対比されて,言い表された。しかし,もともとは,「け(毛)」と同様の,

「生えるものを意味するク(木)から,コ(木),ケ(毛・髪)も同源説」

が捨てがたい。

ke→ko→ki,

ではないのか。因みに,『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/ku/kusa.html

は,

「『カサカサ』『グサグサ』といった音からとする説や、『毛』から分化したとする説。『クサフサ(茎多)』の約略や,毎年枯れることから『腐る』の意味など諸説あるが,説得力に欠ける。『く』は『木』が『コ』『キ』『ク』と母韻変化することから、『茎』の『く』と同じく『木』を表したものと考えられ。『さ』は,接尾語『さ』で,木が硬くて大きくて真っ直ぐなのに対して,草は柔軟で短いことから,木と区別するために加えられたものであろう。」

音韻変化を取りつつ,木との差異からとしている。

しかし,「け(毛)」の語源は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ke/ke.html

が,

「生える物の意味で『生(き・け)』から出たとする説や、『細(こ)』が転じて『毛(け)』になっ たとする説、『気(き)』の転など10種以上の説があり、語源は未詳であるが、『生(き・け)』とする説が有力と考えられている。」

というように,種々あり,『日本語源大辞典』は,

キ(気)の転(日本釈名・和語私臆鈔・碩鼠漫筆・和訓栞),
キ(生)の義から(国語の語幹とその分類),
クサ(草)のクと同義(玄同放言),
コ(細)の転(言元梯),
小さいところから,キレ(切)の義(名言通),
外気から肌を防ぐところから,キサヘ(気塞)の義(日本語原学),
ヌケハゲ(抜禿)するからか(和句解)て,
禽獣刷毛によって肥えてみえるところから,こえ(肥)の反(名語記),
細い毛の意(日本語原考),
シラガ(白髪)のカが古形で,鬣(たてがみ)の意の朝鮮語kalkiと同源か(日本語の起源),

と載せるが,語呂合わせはともかく,『古語辞典』には,「け(毛)」は,

古形カ(毛)の転,

ともあり,

「キ・コ(木)」と「カ・ケ(毛)」「クサ(草)」の音韻のつながりは深い。やはり,

生えるものを意味するク(木)から,コ(木),ケ(毛・髪)も同源説,
キ(木)と同源語で,ケ(毛)から分化したもの,

と見るのが妥当のようだ。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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うた


「うた」は,

歌,
唄,

と当てるが,「うたう」は,

歌う,
唄う,
謳う,
謡う,
詠う,
吟う,

等々と当てはめる。しかし,漢字によって区分する以前は,すべて(後世出現の「詩」も含め),

うた,

であり,

うたう(ふ),

である。口頭での会話を想定すれば,当人たちには,何の「うた」かはわかっている。それで充分であった。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uta.html

は,「うた」の語源を,

「『うたふ(訴)』の語幹とする説や,思いを写すことから『写す』の約転など数多くの説がある。中でも,『うたふ(歌)』の語幹で『うたふ』は手拍子をとって歌謡することから,『打ち合ふ(うちあう)』を語源とする説が有力とされている。」

とする。『日本語源広辞典』も,

「手を打ち合う」

を取る。しかし,『古語辞典』は,

「『拍子を打つ』のウチの古い名詞形ウタから起こったとする説(類例,ナヒ(綯),ナハ(縄),ツキ(築),ツカ(塚)など)があるが,ウタ(歌)とウチ(打)とは起源が別。ウタ(歌)は,ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根で,自分の気持ちをまっすぐに表現する意」

とする。「うた(転)」に,

「ウタタ(転)・ウタガヒ(疑)・ウタ(歌)のウタと同根」

として,

無性に,

の意味が載る。「うたた(転・漸)」の項には,

「ウタウタの約。ウタは,ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持ちをまっすぐに表現する意。副詞としては,,事態がまっすぐに進み,度合いが甚だしいさま。『うたたあり』の形でも使い,後に『うたて』と転じる」

とある。この『古語辞典』の説を傍証するのは,『日本語の語源』の「うたげ(宴)」の語源の説明である。

「『手を打ち鳴らし声をくはりあげる』という意味のウチアグ(打ち上ぐ)は『宴会をする。酒宴をする』という意である。〈このほど『名付ケ祝イの間』三日ウチアゲ遊ぶ〉(竹取),〈七日七夜豊の明り(宴会)してウチアゲ遊ぶ〉(宇津保)。名詞形のウチアゲ(打ち上げ)は,チア(t(i)a)の縮約でウタゲ(宴)になった。…行事などが終った後の振舞事をウチアゲ…という。」

『日本語源大辞典』は,諸説を挙げている。

ウタフ(歌)の語幹。ウタフは手拍子をとって歌謡することから,打チ合フを語源とする(国語の語幹とその分類),
ウタフ(訴)の語根。これからウタフを経過して,ウタヒとウタヘとに分化した(万葉集講義=折口信夫),
心情を声にあげ,言にのべてウタヘ(訴)出ること(日本語源),
ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根(『岩波古語辞典』)
ウツス(写す)の約転。ウツスは思いを写すこと(名言通),
ウーイタイヒ(唸痛言)の義(日本語原学),
アゲトナフ(挙称)の約(和訓集説),
ウは歓喜を意味するヱの転。タは事物を意味する接尾語トと通じる。歌謡の呼称からウタゲ(宴),ウタヒ(歌)などの語を派生した(日本古語大辞典),
息をいうウタチ(憂陁那)の略語(和語私臆鈔),
「謳答」の別音U-taで,歌謡,合唱の義(日本語原考),

どう考えても,語呂合わせは取れない。打ち合う,とともに,文脈から語源と想定できるのは,

ウタフ(訴)の語根,
心情を声にあげ,言にのべてウタヘ(訴)出ること,
ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根,

辺りだが,古代,「うた」は特別な意味,神事や呪術性という意味を持っていると考えると,

ウタフ(訴),

ではないか,という気がする。「うた」の語源から考えれば,

ウタフ(ウ),

は,『大言海』の言うように,色ふ,境ふ,等々と同趣で,

「歌を活用せしむ」

でいいと思うのだが(『日本語源広辞典』も同様),それがまたそう一筋縄ではいかない。「ウタ」を,

ウタガヒ(疑)・ウタタ(転)のウタと同根で,自分の気持ちをまっすぐに表現する意,

とした『古語辞典』は,

「ウタ(歌)アヒ(合)の約で,もとは唱和する意か」

とする。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C

は,

「『うた・歌う』の語源は、折口信夫によれば『うった(訴)ふ』であり、歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としていることもまた確かである。徳江元正は、『うた』の語源として、言霊(言葉そのものがもつ霊力)によって相手の魂に対し激しく強い揺さぶりを与えるという意味の『打つ』からきたものとする見解を唱えている。」

と載せている。このとき,言葉のもつ霊力を期待している,と言っていいのかもしれない。

「うた」の語源としてはどうかと思われるが,「打つ」は「うたう」行為の中で意味を持ってくるのかもしれない。つまり,「歌」の語源としてではなく,「うたう」場面で,「打つ」の意味が出てくるのかもしれない。手を打つは,柏手がそうであるように,呪力があるはずだからである。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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かしわで


「かしわで」は,

柏手,

と当てるが,

拍手,

とも当てる。「拍手」は,また,

開手(ひらて),

ともいう,とあるが,「柏手」は,

はくしゅ,

と訓む。つまり,「かしわで」も「はくしゅ」も,同じである。『広辞苑』は,

「『柏』は『拍』の誤写か」

とまで書く。それはそうだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%8D%E6%89%8B

には,

「明治以前の日本には大勢の観衆が少数の人に拍手で反応するといった習慣はなく、雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎などの観客は拍手しなかった。明治時代になり西洋人が音楽会や観劇のあと「マナー」として拍手しているのに倣い、拍手の習慣が広まったものと推測される。1906年(明治39年)に発表された夏目漱石の小説『坊っちゃん』に『(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもってむかえた』との記述がある。」

とある。つまり,わが国には,「はくしゅ」というものはなく,いまいう,「かしわで」のみが,「手を打つ」習慣であった,からだ。今日,「柏手」は,

神前での拝礼の際に,両手を合わせて打ち鳴らすこと,

だが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%8D%E6%89%8B_(%E7%A5%9E%E9%81%93)

には,

「魏志倭人伝には、邪馬台国などの倭人(日本人)の風習として『見大人所敬 但搏手以當脆拝』と記され、貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたとされており、当時人にも拍手を行ったとわかる。古代では神・人を問わず貴いものに拍手をしたのが、人には行われなくなり、神に対するものが残ったことになる。なお古代人は挨拶をする際に拍手を打つことで、手の中に武器を持っていないこと、すなわち敵意のないことを示し、相手への敬意をあらわしたという説もある。」

とある。『百科事典マイペディア』には,

「二,四,八の各柏手があり,八度打つのは八開手(やひらで)と称す」

とある。

語源は,上記ウィキペディアは,

「『かしわで』という呼称は、『拍』の字を「柏」と見誤った、あるいは混同したためというのが通説である。他に、宮中の料理人である『膳夫(かしわで)』と関連があるとする説や、手を合わせた時の形を柏の葉に見立てたとする説もある。この場合、葬祭などで音を出さないのは黄泉戸喫/黄泉竈食ひ(よもつへぐい)を避けるためとされる。」

と述べている。「誤写」とは,古代の先祖を見縊りすぎていて,あり得ないと思う。『日本語源広辞典』は,

「神への供え物を柏のに盛って供えたのがカシワの語源」

とする。そして,

「供えたあと拝礼の時の手打ちをカシワデと言いました。後に,中国語の『拍手』を当てたものなのです。柏と拍の誤り説は疑問です。」

と加えている。『大言海』は,

「饗膳(カシハデ)より,酒宴に手を拍(う)つ拍上(ウタゲ)に移りて成れる語なるべし」

とある。さらに,

「貞観儀式,鎮魂祭儀『大膳進就版申云々,御飯賜畢,共拍手三度,觴三行,亦拍手一度』」

等々を引き,

「然れども,カシハデとは,古へに聞こえぬ語なりと云へば,いかがあるべき,拍(うつ)を柏(かしは)と誤読せしに起こる云ふは,拙し」

と述べる。「拍」の字は,

『手+音符白』で,博(ハク うつ)と同じく,手のひらをぱんと当てて音を出すこと。白は単なる音符で意味に反関係ない。」

とあり,拍手,拍子と使う(漢音ハク,呉音ヒョウ)。間違えようはない。

『由来・語源辞典』

「一説に、古代では柏の葉を食器で用いたことから、宮中の食膳を調理する者を「かしわで」(「で」は「人」の意)と呼び、その料理人が手を打って神饌(しんせん)を共したことに由来する。
また他にも、合わせて打ち鳴らすときの手の形が柏の葉に似ているからとする説や、「拍手」の「拍」を「柏」と間違えたとする説などもある。」

としているが,『大言海』には,「かしはで」という項に,

膳夫,

と当てて,

「カシハは,葉(かしは)なり。葉椀(くぼて),葉盤(ひらで)の類を云フ。テは人なり。」

とある。「柏(かしわ)」は,

「しなやかにして,食を盛るに最も好ければ,その名を専らにせしならむ。」

とある。「かしわ」は,「葉」と当てて,

「堅し葉の約(雄略紀,七年八月『堅磐,此云柯陀之波』)葉の厚く堅きを撰びて用ゐる,木の葉の称。クボテ(葉椀),ヒラデ(葉盤)など,是れなり」

と説明しているところを見ると,「かしは」は,広葉樹の木の葉そのものを指していた可能性もある。

『日本語源大辞典』には,「かしはわで(柏手)」で,語源が,

古く手を打って噛み拝むことを拍手と書いたが,後に『柏』と『拍』の混乱,またカシハデ(膳夫)との混合により誤ったもの(貞丈雑記・漫画随筆・類聚名物考・古事記伝・隣女唔言・かしのしず枝),
神供をカシハの葉に盛り,手を拍って膳をすすめるから(牛馬問),
カシハデ(膳部)が打つ手から(俗語考),
拍手する時の手の形が柏の葉に似ているから(関秘録・仙台間語・貞丈雑記),
カシマテ(呪詛両手)の転(言元梯),

と種々載るが,多くが,「神膳」に関わる。「かしわで(膳・膳夫)」は,

古代は,宮中で食膳の調理を司った人,

であるが,

中世,寺院で,食膳調理のことを司った職制,

となる。語源は, 

カシハデ(葉人)の義(大言海),
カシハは炊葉,テはシロ(料)の意で,トロ(事・物)の転呼。カシハの料という意(日本古語大辞典),

とあるが,「かしわ(は)」そのものが,

ブナ科の落葉樹,

という木の名の意の他に,

上代,飲食物を盛り,また祭祀具として用いられた木の葉,

を指す。この辺り,「柏の葉」が一番適して,手頃だったからかもしれない。だから,木の「柏」の語源も,

カタシハ(堅葉)の義(関秘録・雅言考・言元梯・和訓栞・本朝辞源),
上古,食物を物を盛ったり,覆ったりするのに用いた葉をカシハキ(炊葉)といい,これに柏を多く用いたところから(東雅・古事記伝・松屋叢考),
ケシキハ(食敷葉)の義(茅窓漫録・日本語原学),
飯食の器に用いたから,またはその形を誉めていうクハシハ(麗葉)の義(天野政徳随筆・碩鼠漫筆),
神膳の御食を盛る葉であるところから言うカシコ葉の略(関秘録),
風にあたると,かしがましい音を立てる葉の意(和句解),
カシは「角」の別音katが転じたもので,きれこみがあってかどかどいいこと。ハは「芽」の別音haで,葉の義(日本語原考),

と,膳や神供と関わるものが多いが,当然,祭祀具としての「かしわ」も,

食物を木の葉に盛る古習からカシハ(炊葉)の義(国語学通論),
カシハ(柏・槲)の葉に食物を盛ったことから(類聚名物考・本朝辞源),
ケシキハ(食敷葉)の義(言元梯),

と,膳と深くつながる。漢字を当てないかぎり,

かしはで,

は,

かしわで,

でしかない。それに漢字を当てはめた時,当然中国語の「拍手(はくしゅ)」を当てたはずである。それに,敢えて,

柏,

の字を当てはめても,通じるだけの文化的な背景,文脈があった。いや,「柏」の字を当てた方が,しっくりしたに違いないのである。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%AF

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うたげ


「うたげ」は,

宴,
讌,

と当てるが,

ウチアゲの約,

と『広辞苑』に載る。「打ち上げ」は,

打ち揚げ,

とも当てる。ロケットを打ち上げる,の「打ち上げ」でもあるが,確かに,

事業や仕事などを終えること。また,その終了を祝う宴,

という意味で,今日も使っている。折口信夫によると,

「平安期の大饗(おおあえ)と名付けられた饗宴には正客が正席につくと,列座の衆が拍手するのが本式で,宴(うたげ)とは〈うちあげ(拍ち上げ)〉で礼拝を意味したが,時代を経るにしたがって饗宴全体をあらわし,ついには酒宴をさすようになり,これが饗宴の主要部を構成すると考えられるようになったという。」(『世界大百科事典』)

とあるので,「打ち上げ」と「うたげ」は,セットなのかもしれない。『大言海』は,

「掌を拍上(ウチアゲ)の約と云ふ」

とあり,「うちあぐ(打上)」の項には,

「両掌を打ち鳴らす。酒を飲み楽しむ時にすることにて,やがて,酒宴(さかもり)する意となる。宴をウタゲと云ふも,ウチアゲの約なり。」

とある。そして,

「顕宗即位前紀,新室の宴に『酒酣,云々手掌摎亮拍上賜(タナソコモヤララニウチアゲタマヘ)』,釋紀『打上賜者,飲酒之義也』,宇津保物語,藤原君『七日七夜酒宴(トヨノアカリ)してウチアゲ遊ぶ』,栄華物語,四,みはてぬ夢,『酒を飲み,訇(ののし)りて,ウチアゲノノシル』,宇治拾遺,一,第三條『酒をまゐらせ遊ぶありさま,云々,ウチアゲたる拍手の,よげに聞こえければ,さもあれ,ただ走出でて儛ひけむ』」

等々の例を挙げる。「宴」の字は,呉音・漢音ともに,「エン」だが,これに「うちあげ」を当てはめたものと思われる。「宴」の字は,

「晏(あん)は『日゜ラス音符安』から成り,日が落ちること。宴は『宀(いえ)+音符晏の略体』で,家の中に落ちつき,くつろぐこと。上から下に腰を落として安らかに落ち着く意を含む。」

とあり,まさに,「酒盛り」の意である。語源説は,

打上げの約。酒を飲み,手をウチアゲ(拍上)て楽しむから(皇国辞解・雅言考・俗語考・嬉遊笑覧・和訓栞・国語学通論・音幻論・国文学の発生),

が多数派だが,ほかに,

飲酒の義(日本紀和歌略註・古言類韻),
ウタイアゲの略(両京俚言考)
ウタ(歌)から派生した語(日本古語大辞典),

がある。『日本語源広辞典』も,

「『手を打ち合って遊ぶ』ところから,ウタゲが出たとするのが通説です。ただし,ウタとウタゲがほぼ同時に成立した言葉ではありません。ウタゲは,文化が進んでからの言葉であるとすると,ウタが,先に語として固定して『ウタ(歌)+ウ(=歌う)』『ウタ(歌)+ゲ(食事の意)=宴』などと発展したと考えるのが合理的です。」

と「うた」説をとる。しかし,「うた」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%9F) で触れたように,に,ウタ(歌)とウチ(打)とは起源が別とされ,むしろ折口信夫の「うった(訴)ふ」の,歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としているという説に惹かれる,と書いた。なにも,「うた」と「うたげ」をつなげる意味が分からない。「うた」は神事であり,「うたげ」は酒宴である。神事の後の「うちあげ」であっていい。

『日本語の語源』は,

「『手を打ち鳴らし声をくはりあげる』という意味のウチアゲ(打ち上ぐ)は,『宴会をする,酒宴をする』という意である。〈このほど(名付ヶ祝の間)三日ウチアゲ遊ぶ〉(竹取),〈七日七夜豊の明り(宴会)してウチアゲ遊ぶ〉(宇津保)。名詞形のウチアゲ(打ち上げ)は,チア(t(i)a)の縮約でウタゲ(宴)になった。〈其のウタゲの日を待ち給ひき〉(記)。」

と,通説を音韻変化で傍証する。

ただ,「打ち上げ」の語源を見ると,

打ち明けの意。男女が婚姻生活に入っていることを娘の親に知らせる方式をいったのであろう(綜合日本民族語彙),

という説もあるが,

ウタゲの訛(俗語考),

というのもあって,

ウチアゲ→ウタゲ,

ではなく,

ウタゲ→ウチアゲ,

とする説もある。面白いが,ただ,音韻は縮約が大勢という難はある。因みに,

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215544107

に,「打ち上げ」について,

「長唄で使われる用語。太鼓を中心として曲の調子を強くする、高めることで曲中に区切りをつける技法を打ち上げといった。また太鼓を打ち終えることも打ち上げると言ったことから、歌舞伎など興行の終わりを意味する言葉に、そして締めくくりの宴会へと結びついたのである。
ちなみに『打ち合わせ』という言葉も元々は音楽用語。雅楽では指揮者がいないため打楽器(打ち物)を中心にリズムを合わせていく。笛や笙、太鼓や鉦といった各雅楽器が、事前にリズムを確認、練習しておくこと、これを打ち合わせと言ったのである。」

とある。「打ち合わせ」は,確かに,

「雅楽合奏の事前の音合わせ」

の意味があるので,それに引きずられた説であろうか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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打ち


接頭語「うち」は,動詞に冠して,

「その意を強め,またはその音調を整える。『打ち興ずる』『打ち続く』
 瞬間的な動作であることを示す。『打ち見る』」

と『広辞苑』にはある。『岩波古語辞典』には,

「平安時代ごろまでは,打つ動作が勢いよく,瞬間的であるという意味が生きていて,副詞的に,さっと,はっと,ぱっと,ちょっと,ふと,何心なく,ぱったり,軽く,少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では,単に語調を整えるためだけに使ったものもあり,中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない」

として,

さっと(打ちいそぎ,打ちふき,打ちおほい,打ち霧らしなど),
はっと,ふと(打ちおどろきなど),
ぱっと(打ち赤み,打ち成しなど),
ちょっと(打ち見,打ち聞き,打ちささやきなど),
何心なく(打ち遊び,打ち有りなど),
ぱったり(打ち絶えなど),

と意味が載る。動詞「うち(つ)」は,

打つ,
撃つ,

とあて,

「相手・対象の表面に対して,何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタキは比較的広い面を連続して打つ意」

とある(『岩波古語辞典』)。『広辞苑』は,

あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃),
(釘や杭,針を)たたきこむ,差し込む(打),
傷つけ倒す(撃・討),
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射),
(門・幕などを)設ける(打),
(もも・筵などを)編む(打),
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打),

等々と,「うつ」の意味の幅をまとめている。接頭語「うつ」に,この意味の何がしかは反映しているはずだ。『学研全訳古語辞典』は,

「『打ち殺す』『打ち鳴らす』のように、打つの意味が残っている複合語の場合は、『打ち』は接頭語ではない。」

としているが,別に接頭語かどうかを意識して使っているのではなく,ただ,

壊す,

のではなく,

打ち壊す,

と「打ち」をつけて,主体の意思を強く言い表す必要があるからに違いない。その意味では,接頭語にも,「打つ」の含意は強く残っているはずだ。ただ,

見る,

のではなく,

打ち見る,

には,強い意志が見える気がする。

「うつ」の語源は,『日本語源広辞典』は,

「手の力で,強く打撃する」

が語源とし,

「基本的な二音節語とみます。アテル,ウツ,ブツ(方言)などの,ア,ウ,の語根と関連するようです。」

とある。「うたげ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%9F%E3%81%92) の項で触れたように,「うたげ」は「うちあげ」の縮約で,「うたげ(打ち上げ)」には,手を打つという含意を残しているし,それがなくても,ただ語調というには,止まらないのではないか。これが訛って,

ぶつ,
ぶち,
ぶん,

となることもある。

Uti→buti→bunn,

打ち壊す,
ぶっ壊す,

打ち投げる,
ぶん投げる,

打ちのめす,
ぶちのめす,

である。ただ,「ぶち」には,『日本語俗語辞典』

「ぶちには二つの語源があり、それによって用法が異なる。
ひとつは漢字で『打ち』と書き、動詞の前につけて意味を強める接頭語。『ぶちまける』『ぶち殺す』など動作の乱暴さを強調するために使われる。若者言葉の『ブチギレ』に使われるブチはこちらからきている。
次に広島弁からきたぶち。こちらは『とても』『すごく』といった意味で、様々な言葉の前につけられる。『ブチかわいい』『ブチアゲ』などコギャル語に使われるブチはこちらからきているものが多い。
ただし、どちらも後に続く言葉を強めるという意味では同じため、特にどちらからきたものかを意識して使う人は少ない。」

とある。この説も,しかし,地域によっては,

「うつ(打つ)をブチという」(『日本語の語源』)

から,もともと,「打ち」が訛ったものにすぎないのではないか。

打ち込む,

というより,ただ入れ込んでいる状態よりは,主体の意思が強まる,と僕は思う。それが,

ぶち込む,
ぶっ込む,

となると,より意志が強まるように見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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芝居


「芝居」は,もともと,文字通り,

芝生に居ること,

という意味らしい。そこから,

勧進の猿楽,曲舞,田楽などで,桟敷席と舞台と間の芝生に設けた庶民の見物席,

へと転じ,

芝居小屋の略,
興行物,特に演劇の称,

へと広がり,その中で演じている,

役者の演技,

さらには,

人をだますための結構,

の意へと転じていく(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。『ブリタニカ国際大百科事典』には,

「演劇の別称。本来は寺社境内の芝生の座席の意味であったが,鎌倉,室町時代に延年会 (寺社で行われる酒宴) や猿楽などの芸能がこれらの場所で行われてから,見物席を意味するようになり,さらに桟敷と区別して野天の土間をさすようになった。」

とあり,『世界大百科事典 第2版』には,

「芝生の見物席から転じて,劇場,演劇,演技などをさす語。もともとは芝のある場所つまり芝生の意で,とくに社寺境内の神聖な芝生のことであるが,室町時代に入って芸能の見物席を意味するようになった。猿楽や曲舞(くせまい)などの興行が社寺境内であった際,芝生が見物席となったことから一般化したものである。また,見物席として桟敷(さじき)が設けられた場合,桟敷と舞台の間の土間を芝居という。芝居は露天で,手軽で安価な大衆席であり,貴族的な特等席の桟敷に対している。」

と,『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「元来は社寺の境内などの神聖な芝生の意味であったが、南北朝ごろから一般に芝生をさしていうようになり、芝のある場所にたむろすることを「芝居する」というように動詞化しても使われた。室町時代になり、猿楽(さるがく)・田楽(でんがく)・曲舞(くせまい)などの勧進興行が露天に舞台を構えて行われ、柵(さく)で囲った芝生がその見物席にあてられたことから、芝居はとくに芸能の見物席の意味をもつようになった。見物席に桟敷(さじき)が設けられるときは、桟敷は高価で貴族向けであったため、芝居は一般大衆席にあてられた。近世初頭に歌舞伎(かぶき)が成立すると、これは元来庶民的な芸能であったことから、芝居ということばが拡大され、ついに見物席を含めた劇場全体をさすようになり、さらにはそこで演じられる歌舞伎そのものをもさすように転じた。同時に「操(あやつり)人形芝居」などの語も生まれる。したがって、「芝居」ということばは、劇場・演劇・演技など多義をそのなかに含みもつ、あいまいなことばである。そして、そのことが日本演劇のユニークな性格を象徴することにもなっている。」

大体,大同小異に見える。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/shibai.html

も,

「芝居は、鎌倉時代に入ってから見られる語だが、当初は芝の生えている場所をいう現在 の「芝生」の意味で用いられたり、酒宴のために芝生に座ることをいった。 室町時代に なり、寺の本堂などで猿楽や田楽・曲舞などの興行が行われ、大衆向けに芝生を柵で囲った見物席が設けられたため、見物席を『芝居』というようになった。江戸時代になると歌舞伎が演劇として成立し、見物席を含む劇場そのものを『芝居』というようになり、さらに、劇場で演じられる演劇自体を『芝居』と呼ぶようになって、役者の演技も意味するようになった。」

とあるし,『舞台・演劇用語』

http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/shibai.htm

も,

「室町時代、『芝居』は神様に捧げる神事でしたので、上演される場所は神社の中でした。神事なので、人間が観る場所(客席)は当然ありません。そこで、人々は神社の中の芝生に座って観るようになりました。芝生に居る(座る)、ここから『芝居』という言葉が生まれたのです。」

とある。しつこく引用したのは,

「芝生」

という言葉を当然のように使っているからだ。これに違和感がある。これらの語源説だと,今日のような芝生を張った庭園を思い浮かべるはずだ。しかし,僕の記憶では,どこだったか,ある大名が初めて西洋式の芝生を張った庭園というのを見た記憶があり,明治以前は,芝生を張る習慣は,一般には,日本にはなかったはずだからである。

「わが国では平安時代に造園に利用されたともいわれ、『作庭記』にそれらしい記述がみられる。江戸時代に入ると、庭園材料として上流階級の間で築山に利用されるようになった。明治時代に入って外国人が居住するようになると、芝生は西洋庭園や公園にも盛んに利用され、一般に広まった。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

日本では、大名庭園などで芝生が栽培されていたが、本格的な普及は明治以降とされるはずである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D

にも,

「万葉集や日本書紀の和歌に『芝』の記述が見られるものが、日本の歴史上確認されているなかでもっとも古い。ここでの芝は、おそらく自生する日本芝の一種の野芝である。一方で、平安時代に書かれた日本最古の造園書『作庭記』には、『芝をふせる』という記述が見られるために、芝が造園植物材料としてこの時代には認識されていたものと思われる。また、明治時代に入り諸外国との交流が活発化すると、各地で西洋芝が導入された。」

とある。そう思って,『大言海』を見ると,「しばゐ(芝居)」について三項目別に立て,

「芝生の地に居ること」

「芝地の上に,席などを敷きて,坐ること(京都にて,原を芝と云ふ)」

「(又,しばや,慶長年中,出雲の巫女(かんなぎ),阿国,京の四条河原に芝居して演ぜしより云う)演技の一。歌舞伎の異称。近年書生などの,現代の世話事を演ずるものあり,書生芝居。壮士芝居,新派など云ふ。演劇。」

こう見ると,すべてを一括りにしてしまう解釈がいかに濫妨かが知れる。

先ずは,芝生に居る,という意から,その特殊例として,「芝地の上に,席などを敷きて,坐ること」になり,さらに,阿国歌舞伎へと広がった。

大事なのは,「芝生」は,「原」つまり,雑草の生えた原っぱ,である。もっと突っ込んでいえば,

地べたに直に坐っている,

ということである。これなら意味はある,というよりそれ自体で,既に身分,ありよう,風体までが決めつけられていることになる。さらに,本来は,「芝居」は,

歌舞伎,

を限定して指していた,ということが知れる。それが演劇一般に広まったのである。

https://middle-edge.jp/articles/GcZxP

には,

春日若宮おん祭,

についての話が出ており,

「神様に対して、あらゆる芸能をお見せすることで「おもてなし」をします。このお旅所の地面が芝生なんです。そして芸能を行う場所は『芝舞台』。お客は芝に座って奉納される芸能を見てきました。」

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E5%B1%85

に,

「もともとは、猿楽等の芸能を寺社の境内で行った際、観客は芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して『芝居』と呼んでいた。これが徐々に能楽や舞踊等の諸芸を行う場所全体を指す言葉になり、そこで行われる芸能(特に演劇)や、演技の意味にまで転じた。」

まさに,舞台から見ると,

「芝に居る」

のである。

参考文献;
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1075
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E5%B1%85
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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二の次


「二の次」は,

二番目,
後回し,

という意味になる(『広辞苑』)。

二の次にする,

という言い方で,

ある物事を軽視して,後回しにする,

という意味になる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1062974115

には,

「『二の次』は『2の次だから3番目』という意味ではなく、『次』には『つぎ』という意味のほかに『順序』という意味があります。ですから『二の次』で『二番目』という意味になります。」

とある。

http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2013052400006.html

には,

「二の次の『二の』は、『二の足、二の句、二の舞……』のように、古くから『2番目の』『次の』という意味で定型句のように使われていた経緯があります。いっぽうで『次』は、『後に続くこと・もの』というのが原義で『二の次』に当てはめると『2番目に続くこと』、『次に続くもの』という意味になると考えるのが基本です。
 また、主要なものの次という意味を強調しているというふうに考えられないこともないですね。実際、『の』を同格の『の』と見て、『の』を『であるところの』で置き換えられる用法ととらえ、『二番目であるところの次』と解釈することもできます。ですから、さらに強調して『二の次三の次』ということもあります」

とある。ここにあるのは,単に,

次,

という意味ではなく,

劣位,

という意味を含んでいるということだ。単に二番目,という状態表現よりは,優先順位が低い,という価値表現の含意がある。『日本語源広辞典』に,

「『次は次でも,二の次(第二集団の次)』というのです。」

とは,その意味であろうか。

二のつく成句は,例えば,

二の膳,

は,本膳の次という意味だし,

二の丸,

は,二番目の丸(城郭)という意味で,本丸に次ぐ意だし,

二宮,

は,格式が二番目の神社だし,

二番煎じ,
二の人,
二の舞,
二の糸,
二の手,
二の矢,
二の句,
二の対(たい),
二の首,
二の刀,

等々,二の付く言い回しは多々あるが,どこか,ただ順番で,二番目言っている感じだけではない,貶められた翳がつきまとう。

「二の次」は,『大言海』『古語辞典』に載らない。『江戸語大辞典』には,

「次の強調語。第二,あとまわし」

と意味が載る。つまり,「二の」ではなく「次」に意味の要があることになる。「つぎ」は,『古語辞典』には,

「ツゲ(告)と同根。長く続くものが絶えないように,その切れ目をつなぐ意。転じて,つづくものの順位が,前のものの直後にある意」

とある。「継ぐ」の連用形とされるが,

二番目,

という意味と,

継ぎ,

という意味を重ねて,どうやら,劣位順位を強調した言い方になっている,と見ることができる。『江戸語大辞典』の,

「次の強調」

という意味が性格のようだ。因みに,「二」の字は,

「二本の木を横線に並べたさまを示すもの」

だが,「に(ni)」の音自体も,漢音から来ている。「次」の字は,

「『二(並べる)+欠(人が体をかがめたさま)』で,ざっと身の周りを整理しておいて休むこと。軍隊の小休止の意,のち,物をざっと順序づけて並べる意に用い,次第に順序を表す言葉になった」

とある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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はな


「はな」は,

花,
華,

と当てる。漢字「花」(漢音カ(クワ),呉音ケ)は,

「化(カ)は,たった人がすわった姿に変化したことを表す会意文字。花は『艸(植物)+音符化』で,つぼみが開き,咲いて散るというように,姿を著しくかえる植物の部分」

とある。漢字「華」(漢音カ(クワ),呉音ゲ(ケ))は,

「于(ウ)は,|線が=線につかえてまるくまがったさま。それに植物の葉の垂れた形の垂を加えたのが華の原字。『艸+垂(たれる)+音符于』で,くぼんでまるくまがるの意を含む」

とある。「はな」という和語だけでは,

花,
なのか,
鼻,
なのか,
端,
なのか,

の区別はつかないが,つかなくて支障はなかった。文字をもたないのだから。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hana.html

は,

「花の語源は、美しく目を引くことから物の突き出た先の部分を意味する『端(はな)』とする 説、開く意味の『放つ』の『はな』とする説、『葉』に接尾辞の『な』が付いたとする説、『早生 (はやくなる)』の意味、『春成(はるなる)』の意味など諸説ある。 植物学的に花は葉と茎の変形したものであり、特に目を引くのが葉の変形した花びらであることから、『葉』に接尾辞の『な』が付いたとする説が有力と思われ、これに『はな(端)』の意味が加わっていることも考えられる。平安初期まで花は主に梅の花を言い、平安時代後期から桜の花を言うようになり、以降、日本を代表する花は桜となっている
漢字の『花』は、つぼみが開き咲いて散るという、植物の部分の中でも著しく姿を変える部分であることを表して、草冠に化けると書く。漢字の『華』は芯がくぼんで丸まった花を表したもので、元は別字であったものが混同され、花と同様の意味で用いられるようになった。『豪華』や『華がある』など、『花のような』といった形容詞的な意味を含んで用いられることが多くなったことから、現在では漢字を使い分けするとすれば、『花』を植物に対して用い、『華』を形容詞的に用いるのが一般的となっている。」

と,

「『葉』に接尾辞の『な』が付いたとする説が有力」

とする。しかし「は」といっても,

葉,

だけとは限らない,

端,
もあるし,
羽,
もあるし,
刃,
もあるし,
歯,

もある。「葉」「歯」「羽」は,ともに,

ヒラ(平),

と関わるとする説がある。擬態語,

ひらひら,

とつながるのではないか,という気がする。つまり「は」=葉という前提で解釈するのはいかがかと思う。『大言海』は,「はな(花)」について,

「端(はな)の義。著しく現れ目立つの意」

とする。そして,「はな(鼻)」も,

「端(はな)の義」

とし,「はな(端)」つにいて,

初,

とも当て,「物事の最も先なるところ。まっさき。はじめ」と意を載せる。『古語辞典』も,「鼻」と「端」を同源としている。

『日本語源広辞典』は,「はな(花・華)」について,二説挙げている。

説1は,「著しく目立つの意のハナ」です。端・鼻と,同じ語源という説が有力です。
説2は,ハ(映)+ナ(和・心慰むもの)」説です。

とし,「はな(鼻・端)」は,ともに,

「著しく目立つ意の,ハナ」

で,顔の真ん中で著しく目立つ,ところからとする。それが転じて先端の意となる,とする。『日本語源大辞典』でも,「はな(端)」が,

鼻の義(言元梯),

とされるほど,端と鼻は,ほぼ同源とされている。で,「はな(花)」の項を見ると,

著しく現れ目立つ意で,ハナ(端)の義,

とするほかに,

根元でなく上に咲くものであるところから,ハシニナルの義(日本声母伝),
実に先立ち早く咲くところから,ハヤクナル(早生)の義(日本釈名),
ヒラヌサ(平幣)の反。ヒラはハラビラの義。ヌサは神に手向ける幣の義(名語記),
ハルナル(春化)の義(和訓栞・言葉の根しらべ),
映々として和やかな貌であるところから(日本語源),
ハナヤカの略か(滑稽雑談),
ヒラナリ(平生)の義か(名言通),
ハッと開いてナヨナヨとやさしい意(本朝辞源),
ホナ(秀名)の義(言元梯),
花が開くの意のハナツ(放)からか(日本釈名・国語の語幹とその分類),
ハ(葉・端)の異形で,ハ(葉)に接尾語ナが付いた形(語源辞典),

等々あるが,鼻→端→花,の流れを超えるとは思えない。

参考文献;
http://kanji-roots.blogspot.jp/2012/10/blog-post_26.html
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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「は」は,

端,
羽,
刃,
歯,
葉,

と漢字に当ててみなければ,それだけでは(文脈においてみないと)意味を聞き分けられない。「はな」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%AF%E3%81%AA) の項で少し触れたが,「葉」「歯」「羽」は,ともに,

ヒラ(平),

と関わるとする説がある。擬態語,

ひらひら,

とつながるのではないか,という気がする。順次見ていくが,『大言海』は,「歯」は,

「平(ヒラ)の約。端の義」

とあり,「羽」は,

「平(ヒラ)の約。扇(はふ)る意」

とし,「葉」は,

「平(ヒラ)の約」

「刃」は,

「歯の義」

とする(『広辞苑』もそれを取る)。そして「端」は二項立て,一つは,

「邊(ヘ)に通ず」

として,「はた,はな,へり,つま」の意を載せ,いまひとつは,

「或いは云ふ。半(は)の音かと」

として,「はした,はんぱ」の意を載せる。どうやら,

「刃」と「歯」
「葉」と「歯」

とが関わるように見える。そして,

「端」

の翳がどの言葉にも見え隠れする。

『日本語源広辞典』は,「刃」について,二説挙げる。

説1,「薄く平らな,切り離すもの」が,ハで,「葉」と同源。
説2,「噛み切るところから,歯と語源が同じ」

にわかれる。「刃」は,「葉」にも「歯」にもつながる。『日本語源大辞典』は,

物を断つところから,ハ(歯)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべ),
ハ(端)の義(国語の語幹とその分類),

とする。さらに,「端」にもつながる。

「歯」については,『日本語源広辞典』は,

「『口にくわえるものが,ハ』で,ハ(喰)む,口にハさむのハです。散り落ちる歯と抜け落ちる歯とを同一語源た゜とする説は,信を置くことがでくません。」

とする。『日本語の語源』も,

「ハム(食む)の語幹が独立した語」

と見なす。『日本語源大辞典』は,

ヒラ(平)の義(名言通・国語本義・名語記・大言海),
ハ(葉)の義。抜け落ちる様子が,秋の落葉に似るところからか(和句解・玄同放言・言葉の根しらべ),
ハ(端)の義(国語の語幹とその分類・日本語源),
ハ(刃)の義(言元梯),
ハム(喰)の義(日本語原学),

と,「刃」とも「端」とも「葉」ともつながる。

「葉」は,『日本語源広辞典』は,

「見た感じの『ひらひら』もしくは『はらはら』が語源にかかわっている」

と見なす。『日本語源大辞典』は,

薄くたいらであるところから,ヒラ(平)の反(名語記・国語本義・和訓栞・言葉の根しらべ・国語の語幹とその分類),
落ちて再び生ずるところから,ハ(歯)にたとえたもの(九桂草堂随筆)
ヒラヒラしているところから,ヒラの義(名言通・日本語原学),
ハラハラしているところから(日本語源),

と,「歯」と「ひら」「はら」という擬態語と関わらせる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/ha_syokubutsu.html

は,

「薄く平たいことから『ヒラ(平)』、ヒラヒラしていることから『ヒラ』、ハラハラしていることから『ハラ』、落ちて再び生ずることから『歯』に喩えたものなど諸説ある。 一音の語の 語源を特定することは難しいが、枝や茎から出る『葉』と歯茎から出る『歯』は類似して おり、関係があると思われる。ただし語源が『歯』という訳ではなく、『歯』と同源であろう。『は』の音には、『生じるもの』の意があり、『は(生)ゆ』の『は』ではないだろうか。」

と,「はゆ(生)」説をとる。僭越ながら,逆に思われる。「葉」や「歯」が認識されて初めて,「は(生)ゆ」が意識される。むしろ,「は(生)ゆ」は「歯」「葉」の動詞化という方がいいのではないか。そう思って「はゆ」を調べると,『大言海』には,

「延(は)ふに通ず」

とある(『古語辞典』には「ハヤシ(林)・ハヤシ(早・速)の語根ハヤを活用させた語。物が勢いを得る意」)。百歩譲っても,「芽」ならわからないでもないが,「葉」では,「はゆ」は,異和感がある。

「羽」は,

「ヒラヒラしたもの。『ヒラ』の変化」

と,『日本語源広辞典』にある。『日本語源大辞典』は,

ヒラ(平)の約(名語記・大言海・国語の語幹とその分類),
ヒラケ(平気)の下約(日本語原学),
ハル(張)の義(名言通),
ハル(発)の義(言葉の根しらべ),
ハ(葉)の義(言元梯),
フワフワしているところから(国語溯原),

と,載せる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hane.html

は,

「羽の語源には、『ハヤノヘ(速延)』の反や、跳ねるところからとする説もあるが、漢字で『羽根』とも表記するように、『ハネ』は『ハ』という不安定な一音節を避けるため、接尾語『ネ』を付けたものである。『ハ』の語源には、『ヒラ(平)』『ハル(張・発)』『ハ(葉)』などの意味とする説があり、一音節からなる言葉の由来を特定する事は難しいが,広がりのあるものを表す語には『h』の音で始まる語が多く、擬態語に似た表現が元になっていると考えられる。」

とする。「広がりのあるものを表す語には『h』の音で始まる」は,「葉」「歯」「刃」「羽」「端」すべてに当てはまるので意味がない。しかし,『大言海』が,

「刃」と「歯」
「葉」と「歯」

と語源を大まかに分けたのが近いのではないか。そして,億説だが,「端」が共通の語源であるように思える。『日本語源広辞典』は,

「ハシ,ハタ,ハシタと同言語」

とする。『日本語源大辞典』は,

ハシの義(和訓栞),
ヘ(辺)と同源(古代日本語文法の成立の研究),
ハタ(端)の反(名語記),
撥ねる音パチパチから出た語。撥ねて距離を生じる意から(国語の語幹とその分類),

とする。「端」も,擬態語ではないか,という気がしてならない。考えられるのは,

ひらひら,

である。「ひらひら」は,

薄い物やちいさい物が翻るように面を変えながら空中を漂う様子,

の意である。「ひらめく」「ひらめかす」等々は,「ひらひら」から派生した語である。「ひらめく」は,

きらめく,

意であり,

ひらひらとする,

意である。いずれも,「葉」「歯」「刃」「羽」「端」に通じる。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89

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二の足


「二の足」は,

にばん目の足の意,

つまり,

足の歩みの二歩目,

で,

二の足を踏む,

という言い回しで,

しり込みする,ためらう,

という意で使うが,「二の足」には,

太刀の鞘の拵えのうち,鞘尻の方に近い足,

を指すと,『広辞苑』にある。これだと意味がよく伝わらない。『デジタル大辞泉』には,

太刀(たち)の鞘(さや)の上部にある、帯取りの革緒(かわお)を通す一対の金具。足金(あしがね)。足,

とある。

http://www.touken.or.jp/syurui/tosogu.html

の「太刀拵の名称」を見ると,よくわかるが,佩刀として腰に差すのではなく帯びる(ぶら下げる)ために,

「佩用のための足金物(あしがなもの)で,を2ヵ所に配置したものもある。足金物の位置は,1個を鞘口筒金の後縁に,他の1個を中間筒金の前縁に接しておくものが多い。」(『世界大百科事典』)

という,その「帯取りの革緒(かわお)を通す一対の金具」の後ろ側,ということになる。これはも「足」の一足,二足から準えた物だろう。

閑話休題。

で,「二の足」である。『古語辞典』には,「二の足を踏む」に,

足を踏み出すのをためらう,

とある。普通,一歩踏み出せば,自然と二歩目はでる。それを二歩目を意識するということは,その二歩目に自分にとって大いに意味がある,大袈裟に言えば,一つの決断をしたことになるから,であると考えられる。それをためらう,その次の一歩の踏み出しを意識せざるを得ないほど,思い煩う,ということになる。それは,確かに逡巡には違いないが,外目はともかく,一歩の踏み出しをスローモーションのように意識する,というときは確かにある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ni/ninoashi.html

は,

「二の足を踏むの『二の足』とは,二歩目を意味する。一歩目を踏み出し,二歩目を踏み出すのに思い悩んで足踏みすることから,物事を進めるのに思い切ってできないことの喩えとして使われるようになった。」

とある。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E4%BA%8C%E3%81%AE%E8%B6%B3%E3%82%92%E8%B8%8F%E3%82%80

にも,

「『二の足』とは、歩き出して二歩目のこと。つまり『二の足を踏む』とは、一歩踏み出して、二歩目はどうしようかとためらってその場で足踏みしてしまうこと。そこから、思い切って行動することができないの意を表すようになった。」

とある。『日本語源広辞典』は,

「一歩踏み出し,二歩目はタメラウ(躊躇う)」

意とする。その通りだろうが,実に上手い喩えに想える。「踏む」は,

地を踏む,

の意から,「歩く」意である(『広辞苑』)。この場合,「二の足を踏む」は,

二歩目を歩く,

と言っているにすぎない。その限りでは,単なる状態表現に過ぎない。しかし,その状態に意味を見つけたとするなら,「二の足を踏む」が,「一歩を踏む」が,

決断をする,

という意であるのに対して,その決断を,さらに,

肯う,

かどうかという意味になるのではあるまいか。それを「ためらう」とは,そこで,

次を踏み惑う,

ということになる。それを,ただ「二歩目を踏む」を,

「二歩目の足を足踏みする意」(『江戸語大辞典』)

と,裏がえした言い回しは,なかなかおしゃれである。ちなみに,「二度足を踏む」という言い回しについて,調べたものが,

http://kimanity.blog53.fc2.com/blog-entry-443.html

にある。

ちなみに役所は午前中休んでいて、二度足を踏むハメに,
不在時に訪問して二度足を踏むのを避けることができます,
あやうく初代女王ニースの二度足を踏む所であった,

等々があった由だが,「二度足を踏む」という言い方が正しいかどうかは知らないが,これは,二度足を運んだ,というような,

二度手間,

の意に他ならない。つまり,

一度ですむところを,さらに手間をかけること,

である。言うまでもないが,「二の舞」は,同じ轍を踏む,という意で,別である。

参考文献;
http://www.touken.or.jp/syurui/tosogu.html
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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やみ


「やみ」とは,

闇,

の字のそれだが,語源は,『日本語源広辞典』には,二説載る。

説1は,「光が射すことのヤミ(止み)」で,暗夜の意,
説2は,「夜見」が語源で,夜の暗さ,暗闇の意,

とある。『大言海』は,

「光の止みたるにて,暗き意」

と,「止み」説を取る(その他,『和訓集説』『名言通』など)。

「暗くなる義の動詞ヤムから」(『続上代特殊仮名音義』),

もそのつながりだろうか。しかし,『日本語源大辞典』にある,

「日神が岩戸に籠った時は人間の業をすべてヤメたことからか。また月が天を行くのをヤメた意か」(和句解),

は,いただけない。少しこじつけすぎる。「やむ」は,

「ヤム(移動,進行がトマル)」

で,とまる,中止する,おわる意と,『日本語源広辞典』は言うが,同義反復のようだ。

止む,
病む,

があるが,「止む」については,『古語辞典』は,

「雨・風などの自然現象や病気などが,自然に絶えて消え去る意。類義語トマリは,動きがそこまでで停止すかるけれども,動きの主体はそのままそこにある意」

とし,「病む」については,

「身心が病に侵される意。類義語ワヅラヒ(煩)は,心労や病根となる者に,触れ,長くかかずりあう意」

と区別する。「病む」も「止む」も,同源と見ていいのかもしれない。動きや状態が停止する「ヤム」と「闇」にはどうもつながらない気がする。

他方,夜見説の,

「夜見」

から類推される,

ヨミ(黄泉),

を語源とする説もある(『言元梯』)。「黄泉」をみると,『広辞苑』は,

「ヤミ(闇)の転か,ヤマ(山)の転ともいう」

として,「やみ(闇)」とのつながりを指摘しているが,『大言海』は,

「夜見(よみ)の義にて,暗き處の義,夜の食國(をすくに)を知ろしめす月読命のヨミも夜見か,闇と通ず」

とする。つまり,

yomi⇔yami

は,つながるのである。『日本語の語源』は,

「死者の魂が行くという地下の世界をヤミ(闇)の国といった。「ヤ」が母音交替(ao)をとげてヨミ(夜見,黄泉)の国に転音し,そこへ行く道をヨミヂ(冥途)といった。」

とし,『日本語源広辞典』も,

「ヤミ(闇)の母音交替形」

とし,『古語辞典』も,

「ヨモツのヨモの転。ヤミ(闇)の母音交替形か」

とする。『日本語源大辞典』には,

ヤミ(闇)の転,

とする説(『仙覚抄』『万葉集類林』『冠辞続貂』『言元梯』など)以外に,

ヤミヂの義。ヤミミチの反イミの転(名語記),
ヨミ(夜見)の義(和訓栞・大言海),
梵語yamiの中国語ヨミ(須弥)で閻魔または夜摩の訛転(外来語辞典),
ヨモツ(黄泉)ノヨモの転(『岩波古語辞典』),

とあるが,やはり,闇⇔黄泉,特に黄泉という概念は,メタ化されたものなので,闇→黄泉という流れではあるまいか。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/yo/yomi.html

は,

「古代中国では、死者が行く地下の世界を『地下の泉』の意味で、『黄泉』(こうせん)といった。『黄』は五行思想で『土』を象徴することから、『地下』を表している。日本では大和言葉の『よみ』を漢語の『黄泉』に当てているため、語源は異なる。古くは、『よみ』を『ヨモツクニ(よみのくにの意)』といった。『ヨモ(よみ)』の語源には、『ヨミ(夜見)』や『ヤミ(闇)』の意味。 梵語『Yami』、中国語『預弥(ヨミ)』から『閻魔』の意味。『ヨモ(四方)』の意味からや、『ヤマ(山)』など諸説ある。あの世が地下にあるとするならば、『夜見』や『闇』の説が妥当であるが、『古事記』では雷神が登場し、地上にある世界のように表されていることから、『山』の説も考えられる。」

とするが,「やま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%82%84%E3%81%BE) で触れたように,

神が住む神聖な地域,

という意味だけではなく,三輪山が大神(おおみわ)神社の神体であるように,

神体,

であった。それを闇とつなげ,黄泉とつなげるのはおかしくはないが,少し首をかしげる。

「あの世が地下にあるとするならば、『夜見』や『闇』の説が妥当である」

が順当ではあるまいか。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89

は,黄泉の語源を,

「夜」説。夜方(よも)、夜見(よみ)の意味、あるいは「夜迷い」の訛り,
「四方」説。単に生活圏外を表す,
「闇」説。闇(ヤミ)から黄泉(ヨモ・ヨミ)が派生した,
「夢」説。もともと夢(ユメ)のことをさしていた,。
「読み」説。常世国の別名とする説で、常世国から祖霊が歳神(としがみ)として帰ってくる正月を算出するための暦(こよみ=日読み)から,
「山」説。黄泉が「坂の上」にあり、原義は山である,

と諸説を整理している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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二の舞


「二の舞」は,

人の後にでてその真似をすること,また,前の人の失敗をすること,

という意味(『広辞苑』)だが, 

轍を踏む,
同じ轍を踏む,

という意味で使うことが多い。しかし,どうやら舞楽から来たことらしく,

案摩(あま)の舞に引き続いて,案摩を真似て舞う滑稽な舞い,

のことらしい。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ni/ninomai.html

は,

「蔵面をつけて舞う雅楽のひとつ『安摩(あま)』の答舞に由来する。 安摩の舞の後に、『咲 面(わらいめん)』と『腫面(はれめん)』をつけた二人が、わざと失敗しながら安摩の舞を 真似て演じる滑稽な舞のことを『二の舞』といったことから、人と同じ失敗をもう一度繰り返すことをいうようになった。」

とあるので尽きているかもしれない。『日本語源広辞典』には,

[案摩(長方形の白紙に目鼻口を描いた面をつけた)の舞が一の舞で,赤い恐ろしい面をつけ,一の舞の真似をして,わざと失敗で笑わせるのが,二の舞]

とある。『世界大百科事典 第2版』には,

「雅楽,舞楽の曲名。案摩,阿真とも書く。唐楽。壱越(いちこつ)調。二人舞。文(ぶん)ノ舞(平舞)。陰陽地鎮の曲ともいわれる。番舞(つがいまい)は《蘇利古》。左方襲(かさね)装束(常装束とも)に巻纓(けんえい)・緌(おいかけ)の冠,雑面(ぞうめん)をつけ,右手に笏(しやく)を持って舞う。《安摩》だけ独立して舞われることはほとんどなく,《二ノ舞》と続けて舞われ,《二ノ舞》は《安摩》の答舞の型となっている。」

とある。

『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E4%BA%8C%E3%81%AE%E8%88%9E

に,

「麻摩(あま)の舞のあと、咲面(わらいめん)と腫面(はれめん)をつけた舞人二人がこっけいな所作でそれをまねてする舞のこと。そのまねがなかなかうまくいかなくて笑いを誘うことから、人のまねをして失敗する意味に転じたもの。」

というので,「二の舞」の,「轍を踏む」の意味の背景が見えてくる。

「腫面」(はれめん)は,老婆のふくれっ面をかたどった面。

「咲面」(えみめん)は,老爺の笑顔をかたどった面。

「案摩」の舞の内容,装束については,

http://www.d2.dion.ne.jp/~kaz/gagaku/tougaku/ichi/ichi16.htm

にに詳しいが,その由来を,

「林邑八楽の一つ。沙陀調の楽。昔、ある者が竜宮の宝玉を盗もうと思い竜女が好む雀の面をつけてしのび込み、首尾よく宝玉を盗み出す様を舞いにしたものといわれます。楽は天竺の楽で、承和年間(834〜848)に大戸清上が改作したといいます」

としている。『大言海』は,「案摩」の項で,

つがひまひ,
答舞(タフマヒ),

とあるのが,この舞の性格を端的に示している。どうやら,「二の舞」は,マルクスが,『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭で,

「ヘーゲルはどこかでのべている,すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ,と。一度目は悲劇として,二度目は茶番として,と,かれは,つけくわえるのをわすれたのだ。」

と書いていたのを思い起こさせる。二度目は,喜劇。とすると,

同じ轍を踏む,

とは少しそのニュアンスが違い,滑稽感がつきまとうのかもしれない。

なお,舞と踊りについては,「まい・おどる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%BE%E3%81%84%E3%83%BB%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8B) で触れた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
http://www.shirokumado.net/Bugakuzu/L/Ichikotsucho/Ama/
http://www.narahaku.go.jp/collection/1100-0.html
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0022955

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てんてこまい


「てんてこまい」は,

てんてこ舞い,

と当てるが,『広辞苑』は,

「天手古舞」のは当て字,

とする。意味は,

ひどくいそがしくて落ち着かないこと,うろたえて騒ぐこと,

とある。忙しくて,テンパった状態で,慌てふためいている,ということだろう。最近あまり使わない気がする。『大言海』は,

太鼓の音にて舞ふこと(里神楽などの),
狼狽(うろた)へてさわぐこと,あわつること,
きりきりまひ,いそがわしきこと,

と,三段に分けて意味を分ける。「太鼓の音にて舞ふ」が語源ではないかと推測させる載せ方になっている。『日本語源広辞典』は,

「テン(太鼓の擬音・てんつくてん)+テコマエ(梃前)」

とする。さらに,

「テコマエは,木遣りにテコを用いて運びやすくする人,祭礼で神輿の先頭に立って歩く者のことです。この梃前の『前(人)』が転じて,『舞い』になり,ひいて,忙しくて落ち着いていられない意を表します。」

とある。しかし,「梃前」が,なぜ忙しい意なのか,は伝わってこない。『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/te/tentekomai.html

は,

「『てんてこ』は,祭囃子や里神楽で用いる小太鼓の音のことで,その音に合わせて慌ただしく舞う姿から『てんてこ舞い』と呼ばれるようになった。一説には,男姿をした女性が山車や神輿を先導して舞った舞を『手古舞』といい,『てこまい』が変化して『てんてこまい』になったといわれる。漢字は『天手古舞い』と当てられるが,当て字の由来は『手古舞』からと考えられる。」

として,「てんてこ」というたいこのとに合わせる踊り,のせわしなさを指している,とする。この方が腑に落ちるし,『大言海』の説明ともつながる。。

「てこ」は,「手古」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E6%89%8B%E5%8F%A4) で触れたように,「手古舞」の「手子」は,「梃子」とも当てる。

「手助けをする者。鍛工・土工・石工などの下回りの仕事をする者。てこの衆」

という意味で,「梃の衆」あるいは「手子の衆」は,

梃を使って働く人々,土工,石工など,下働きの人。手子,梃の者。

である。このため,「手古舞」は,

梃舞,

の当て字,とある。『江戸語大辞典』には,

梃子舞,

の項に,

梃子をもって材木の運搬を容易ならしめる役,

がまず載る。その次に,

祭礼の時,木遣音頭をうたいながら山車の行列の前駆をする鳶人足,

と出る。『広辞苑』には,「手古舞」について,

「(『梃前(てこまえ)』の当て字)江戸時代の祭礼の余興に出た舞。もとは氏子の娘が扮したが,後には芸妓が,男髷に右肌脱ぎで,伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・草鞋を着け,花笠を背に掛け,鉄棒を左に突き,右に牡丹の花を描いた黒骨の扇を持って,あおぎながら木遣を歌って神輿の先駆けをする,」

とある。しかし,本来は,手古舞は,

山王祭や神田祭を中心とした江戸の祭礼において,山車を警護した鳶職のこと,

といい,もとは「てこまえ」といった。現在は,この「てこまえ」の姿を真似た衣装を着て祭礼その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいうようになった。「てこまえ」とは,

梃子前,

と書き,木遣りのとき、

梃子を使って木石などの運搬を円滑にする役,

を指す。言うまでもなく,木遣りとは,

1202年(建仁2年)に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされる,

掛け声であり,それがが歌に変化し,江戸鳶がだんだん数を増やした江戸風を広めていった。今日,これが残っているらしい。「梃子」は,ここでは,手伝い,という意味だろう。かつては,鳶や大工は,町内で何かあれば,必ず手伝いをしたものだ。だから,

てこずる,

も,

手古摺る
手子摺る
梃摺る

と当てる。手古舞については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%8F%A4%E8%88%9E

に詳しいが,

「鳶職はその名が鳶口を扱うことからきているが、江戸時代にはほかに『てこ』または『てこの者』とも呼ばれていた。これは鳶の者が土木作業をする際に、手棍(てこ)を使って木や石を動かしたことによる。当時の江戸の町の鳶は、山王・神田の祭礼のときには山車を組み立てその山車を置く山車小屋を建て、さらにその山車を引き回すときには付き添って、木遣を唄いながら警護するのを役目とした。このときの山車に付き添う鳶のことを『手棍前』(てこまえ)と呼んだ。『前』というのは、山車の前に立って道を行き警護したことによるという。『手棍前』は『手古舞』とも書いたが、「舞」というのは当て字らしく、特に祭礼に当たって何か踊るというわけではなかったようである。その格好は派手な着付けにたっつけ袴、花笠(またはざんざら笠という菅笠)を用いるというものであるが、袴をはかず着流しで東からげにするというのもあった。のちに芸者や氏子町の娘たちがこの「手棍前」の格好を真似て、これも山車の引き回しに付き添うようになった。これが現在見られる『手古舞』の起こりである。本来の鳶職による『手棍前』の風俗は幕末にはすでに廃れてしまったものらしく、菊池貴一郎著の『江戸府内絵本風俗往来』には、山車を警護する鳶の『手古舞」の姿が揃いの『印袢纏』であると記されている。しかし歌舞伎や日本舞踊では今もその姿が残されており、往時を偲ばせるものとなっている。』

とある。こう見れば,「手古舞」は,

あわただしく動き回ること,うろたえて騒ぐこと,

にはつながらない。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A6%E3%81%93%E8%88%9E%E3%81%84

にも,

「『てんてこ』は里神楽や祭囃子などでたたく太鼓の音のこと。それに合わせてせわしなく舞う様子からたとえていうもの。「天手古」と書くのは当て字。」

とある。「てんてこ」は,擬音語「てんてん」から来ている,と見るのが妥当だろう。それを,「手古舞」に準えて当て字したのだから,「梃子前」の当て字の当て字,ということになる。『日本語源大辞典』には,

「テンテコは締太鼓の音で,それに合わせて舞うことから(上方語源辞典),
テン・テコ・マイデ,テンは太鼓の音(現代語語源小事典),

と,太鼓派が多数のようである。

「てんてん」は,

「小太鼓などを警戒に打つ時の音」

であり,例の相撲の触れ太鼓である。因みに,濁って,「でんでん」となると,

太鼓の音,

で,かつての,

八つの太鼓,

という重々しさである。ただ,

でんでん太鼓,

は,

「鈴などをつけた太鼓の柄を振ると鈴が太鼓を打って鳴るおもちゃ,

に変る。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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きりきりまい


「てんてこまい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A6%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%84)については触れたが,その類義語に「きりきりま(舞)い」という言い回しがある。

非常な勢いで回ること,せわしなく立ち働くさまをいう,
相手の激しき動きについていけず,うろたえて動くさま,

という意味になる。特に後者は,

速球にきりきり舞いする,

などという言い方で使われる。『大言海』には,

身をきりきりと旋回(めぐらす),

とある。さらに,

きりきり(と),

については,

キリキリは音なり,

とあり,

管(くだ),独楽などの,巻き廻る音に云ふ語,
歯を強くくひしばる音に云ふ語,
弓弦を,強く引きしぼる音に云ふ語。約めて,きりりと,

と,擬音語であることを示唆している。そこから,『広辞苑』や『古語辞典』は,

きつく締め上げるさま,
きつくきしむさま,
きつく巻きついたり勢いよく回転するさま,
弓を強く引き絞るさま,
てきぱきとするさま,
錐を揉みこまれるように鋭い痛みが持続するさま,

等々と擬態語へと拡大しているさまが見て取れる。室町末期の『日葡辞典』には,

キリキリトシマウ,

という用例が出ている。「てきぱき」の意のようだ。『江戸語大辞典』には,その流れか,

ことを速やかになすさま,

という意が載る。『日本語源広辞典』は,

「キリキリ(擬態語)+舞い(まわる)」

とし,「こまが回るように速い勢いで回ること」を言うとしている。「まい・おどる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A6%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%84) で触れたように,

舞は元来「まふ」こと,すなわち旋回動作で,歌や音楽に合せて,すり足などで舞台を回ることを基礎とし,踊りは跳躍に基づく動作で,リズムに乗った手足の動作を主とする,

なので,「舞い」に準えたことが推測される。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%81%8D%E3%82%8A%E8%88%9E%E3%81%84

も,

「もとは、独楽(こま)のように、片足で立って勢い良く回転することをいい、その様子からのたとえ。『きりきり』は糸などをきつく巻きつけたり、物が回転したりする様子を表す擬態語。」

とする。ちなみに「きりぎりす」(古語では「こおろぎ」)の語源も,

「きりきり(擬音)と鳴く虫」

から来ている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421889534

は,「きりきりまい」を,

「もともと日本の古典舞踊の踊りに『てんてこ舞い』という物がありました。これは太鼓の『てんてこ』という音に合わせて激しく踊る物で、この舞いが片足を軸にして大工道具のキリのように回転するところから『きりきり舞い』とも呼ばれていました。」

とする。「てんてこまい」の回転動作に注目した言い回し,ということなのだろうか。

http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/9217/meaning/m0u/

は,

「てんてこまいい」は来客、応対など用事が多く、忙しくたち回ること。「てんてこ」は太鼓の音。
「きりきりまい」は、十分に対応できないほど忙しく動き回ること。また、異常な事態によって翻弄(ほんろう)されることにもいう。

と使い分けを示していたが,由来から見ると,「小太鼓」に合わせて舞う「てんてこ舞」に対して,「きりきり舞い」は,自律して立ち働く,という感じに受けるが,用例は,真逆のようだ。

「豪速球にきりきりまいする」

という使い方からすると,他者に振り回されている感じがより強いのは,「きりきりまい」のようで,コマのイメージとは逆に,周囲に振り回されている,感じが強い気がする。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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かしこ


「かしこ」は,

あなかしこの略,

である。『広辞苑』には,

恐,
畏,
賢,

と当て,

おそれおおいこと,慎むべきこと,
巧妙であるさま,
賢明なこと,
手紙の末尾に覚悟,恐惶謹言などと同意,

とある。『日本語源広辞典』には,

「語源は,『カシコシ(畏シ)』で,おそれおおいの意です。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kashiko.html

も,

「かしこは、形容詞『かしこい』の古語『かしこし』の 語幹から生じた語で、『かしこまる』とも同源。 現代用いられる『かしこい』は『利口だ』『頭 がいい』といった意味だが、『かしこし』は自然に宿ると信じられた精霊の霊威に対して『おそろしい』といった畏怖の念を表し、転じて『恐れ多い』という意味になった語。その語幹からできた『かしこ』は、『恐れ多く存じます』『恐れ慎む』の意を表す。中古には男女ともに用いたが、近世頃からは女性のみが用いるようになった。漢字表記は、『畏』『恐』『賢』」

とある。「あなかしこ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%93)の項 で触れたように,

カシコは,畏(かしこ)しの語幹,

と説明される。意味は,

@ああ,畏れ多い,もったいない,
A呼びかけの語。恐れ入りますが。
B(下に禁止の語を伴って副詞的に)けっして,くれぐれも,ゆめゆめ。
C畏れ多いとの意で,手紙の末尾に用いる語。恐惶謹言。

といったところである。ただ,『古語辞典』では,細かいようだが,

ああ,恐ろしい,ああ,恐縮である,

ああ,畏れ多い,もったいない,

を区別している。「穴賢」と当てる,「賢い」は,もともと,

「畏(かしこ)し」の転義,

とあり(『広辞苑』),

恐ろしいほどの明察の力がある,
才知・思慮・分別などが際立っている,
(生き物のや事物の)性状,性能が優れている,
抜け目がない,巧妙である,
尊貴である,
(めぐりあわせが)望ましい状態である,
(連用形を副詞的に用いて)非常に,甚だしく,

といった意味に転じているが,元来は,

「海・山・坂・道・岩・風・雷等々,あらゆる自然の事物に精霊を認め,それらの霊威に対して感じる,古代日本人の身も心もすくむような畏怖の気持ちを言うのが原義。転じて畏怖すべき立場・能力わもった人・生き物や一般の現象も形容する。上代では,『ゆゆし』と併用されることが多いが,『ゆゆし』は物事に対するタブーと感じる気持ちを言う。」(『古語辞典』)

という背景がある,とされる。とすれば,

畏れ多い

畏怖

畏敬

が先で,そこから,

優れている,
際立つ,

となり,

ありがたい,

と転じていく,というのはよく分かる。『日本語の語源』には,

「カガム(屈む)は母韻交替[ao]をとげてコゴム(屈む)に,さらに母韻交替[ou]をとげてクグム(屈む)になった。(中略)
畏怖のあまり,貴人の前で自然に腰が折れ曲がることをコシカガム(腰屈む)といった。『ガ』を落としたコシカムは,語頭の母韻交替[oa],語中の母韻交替[ao]で,カシコム(畏む)になった。〈カシコミて仕へまつらむ〉(推古紀)は,『おそれおおいと思う』意であり,〈大君のみことカシコミ〉(万葉)は『謹んで承る』意である。
 さらに,カシコミアリ(畏み在り)は,ミア[m(i)a]の縮約でカシコマル(畏まる)になった。『恐れ敬う。慎む。きちんとすわる。慎んで命令を受ける』などの意であり,その連用形の名詞化がカシコマリ(畏まり)である。
 カシコム(畏む)の形容詞化が『恐れ多い。もったいない。高貴だ』の意のカシコシ(畏し)であり,その語幹がカシコ(恐・畏)である。
 身分に対する畏敬の念が才智に対するそれに転義してカシコシ(賢し)が成立した。」

と,自然への恐れ(の状態表現)から,貴人への畏れ(の状態表現)に転じ,その主体の感情表現が,客体に転化され,高貴となり,さらに,賢いと価値表現へと転化していったということになる。『古語辞典』は,「かしこし」に,

賢し,

畏し,

とを当て,

自然界の事物のの霊威に対して畏怖を感じる意,
畏怖・尊敬すべき立場や能力の人・生き物について言う,

と意味を大別する。そして,類義語「さとし」との違いを,

「サトシは,ものの覚えが早い意を主にいう」

とあるから,それへの「畏れ」はない。『日本語源大辞典』は,「かしこい(賢い・畏い)」について,

おそるべき霊力,威力のあるさま,
尊い者,権威ある者に対して,おそれ敬う気持ちを表す,
才能,知能,思慮,分別などのすぐれているさま,

と,意味転化の順に書いている。その語源も,

厳かだ,偉いの意のイカシの活用形イカシクからイが脱落したカシクから(語源辞典),
カシコ(神峻厳)の意(日本古語大辞典),
利口な者はかしこ爰へ速く心が行くところからカシコシ(彼知是知)の義(和句解・言元梯),
彼方知の義(桑家漢語抄),
カシコシ(神子)から,シは助詞(和語私臆鈔),
カシコ(日領所)の義(国語本義),
カシはカシラ(頭)・カシヅク(傳・頭付)のカシで頭の意。コは心グシ・眼グシなどのク(苦しい・切ない)の転か(古代日本語文法の成立の研究)

等々と,異説はいろいろあるが,『大言海』も,

「智者の畏き意」

としているが,

カシコミシキ(畏如)の義(名言通),
恐畏の意(槙の板屋)。

等々,

畏し,
畏む,

の転と考えるのが一番自然な意味の変化に見える。だから,今日も使われる,

かしこまりました,

は,

「畏まる(うずくまりすわる)の連用形+まし+た」

で,慎んで引き受ける意であるが,単なる謙譲語とはいえ,そこに相手への畏怖,とは言わないが,敬意がふくまれていることだけは間違いない。

なお「おそれ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%8A%E3%81%9D%E3%82%8C) で触れた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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「池」は,『広辞苑』には,

地を掘って人工的に水を貯めた所,
自然の土地のくぼみに水のたまった所,

と,ちょっと微妙な説明がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0

の「池」の説明には,

「池(いけ、英語: pond)は、地表上の淡水で覆われた領域。通常、湖ほどには大きくないものを指す。同様のものを沼(ぬま)と言うこともあるが、特に明確な区別はない。両者をまとめて池沼(ちしょう)と言うこともある。
慣例的には水深が浅いもの(おおむね5m未満)を池、それ以上のものを湖とすることが多い。ただし、最深部まで植物が繁茂するものになると沼扱いされる。」

とある。「うみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%BF) で触れたように,「うみ」は,いわゆる「海」の意の他に,

湖など広々と水をたたえた所,

という意味があり,いわゆる「湖」も,

「うみ」

と呼んでいた。琵琶湖も,

近淡海(ちかつあふみ),

と呼ばれており,「うみ」「いけ」「ぬま」等々の区別は,

http://chigai-allguide.com/%E6%B1%A0%E3%81%A8%E6%B2%BC%E3%81%A8%E6%B9%96%E3%81%A8%E6%B3%89%E3%81%A8%E6%B2%A2%E3%81%A8%E6%BD%9F/

等々に詳しく,

「沢は、低地で浅く水が溜まり、アシやオギなどの植物が茂っている湿地である。また、山間の比較的小さな渓谷も『沢』という。
池は、自然のくぼ地に水が溜まったところや、地を掘って人工的造ったところ。ふつう、沢よりも大きく深いが、沼や湖よりも小さく、水深5m以下のところをいう。水中植物はあまり生えていない。
沼は、池よりも大きく、湖よりも小さいところ。水深は池と同様に5m以下であるが、フサモ・クロモなどの水中植物が繁茂し、泥土が多い。
湖は、池や沼よりも大きく、水深5m以上のところをいう。
ふつうは自然にできたところを指すが、ダムなどの貯水池を「人工湖」「人造湖」などと呼ぶように、人工的に造られた湖も存在する。」

と区別しているが,

「規模や形態が『湖』であっても、固有名詞では『池』や『沼』となっていたり、『池』のようなところが『沼』と呼ばれていることもある。」

と付言するように,和語は概念としての言葉はなく(メタレベルでの言語ではないので比較対照することはない),文脈に依存しているので,目の前のものしか指さない。従って,そこでは,「ぬま」と「いけ」は,区別されていたはずだ。

http://e-zatugaku.com/minomawari/iketonuma.html

では,湖沼学上の区別について,

湖…天然の広くて深いもの。夏に水温成層がある。
沼…水深が浅く水底中央部にも沈水植物(水草)の生育する水域。
池…人工的に造られたもの。
沼と池については、明確な区別ではなく、両者をあわせて池沼ともいいます。

としている。「いけ」と「ぬま」の区別は,語源からみたほうがいいのかも知れない。

『大言海』は,「いけ」について,

「生(いけ)の義。生水(いけみず)と云ふが成語ならむ(万葉集,二十『伊氣水豆(イケミヅ)に,影さヘ見エテ』)養魚の用を根源としたる語なり(生簀(いけす)同趣),出典の宇津保物語の文を見るべし。桑家漢語抄(文明元年,一條兼良の校本奥書あり)に,地理,池『伊計,或,伊計須,案,字圖云,自川河取魚,而外儲水宇池中,以魚活養玆所也,故以伊計之訓,魚於伊計於具(ウヲヲイケオク)の義也』」

とある(『古語辞典』も「生け」説をとる)。『日本語源広辞典』も,

「生け・活け」

とする。「魚を生かしておく水たまり,溜池などのことをいう」とし,

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ike.html

は,

「語源は、『いけ(生)』の意味と 考えられている。 その根拠には,魚を生かせておくところであるため『いけ(生)』とする説と,水が涸れるのに対して『いけ(生け)』とする説がある。
 寝殿造りや寺院の庭園に見られる池を元にすれば,魚を生かせておくところと考えられるが,地名に『池』のつくところは稲作が普及した地域と重なることから,涸れないため水を湛えておくところで『生け』の意味とも考えられ,特定は難しい。漢字の『池』の『也』は,『蛇』の原字『它』が変化した文字で,長く伸びた爬虫類の姿を描いた象形文字である。『水』と『也』からなる『池』は,帯状に伸びた溝や溜池を表している。」

と,「生け」の意味に含みは持たせながら,「生け」説を取る。『日本語源大辞典』は,その含みについて,もう少し詳説している。

「@イケ(生)の義。魚を生かせておくもの(生けから)(桑家漢語抄,日本釈名,箋注和名抄,雉岡随筆,和訓栞),
Aひでりに水をいけておくために掘るものであるから,水が涸れるのに対し,イケ(生)というものか(和句解),
 従来,語源説@がとられるが,地名におけるイケの分布が西日本に偏在し,それらが稲作関係の地名や普及範囲とも重なることから,イケは必ずしも養魚に限らず,人が生く(生きる)ためのもの,あるいは,水を生かせて(涸らさないで)おくものとも考えられる。」

いずれにしろ,「いけ」は人口の溜池を指すことになる。「ぬま」は,『大言海』は,

「沼間の義か」

とし,「ぬ(沼)」を見ると,

「粘滑(すめる)の義」

とする。「すめる」は載らないが,当てた字から見ると,

ぬめり(滑り),

の意と見える。『日本語源広辞典』も,

「ヌ(ぬめる)+マ(場所)」

と,『大言海』と同説が載る。『日本語源大辞典』には,

人の股までぬかるところからヌクマタの義(日本声母伝),
ナメラマ(滑間)の義(言元梯),
ヌカルマ(渟間)の義(志不可起),
ヌメリ(滑)の義(名言通),
ヌルミヅタメ(滑然水溜)の義,あるいはイネミヅタメ(稻水溜)の義(日本語原学),
水底の泥のさまからヌメ(黏)の義(箋注和名抄・日本語源),
ヌはヌルの反で,ヌルキ水の義(名語記),
雨の降らぬ間も水の有るところから(和句解)

等々あるが,「ぬ(沼)」にも語源説があり,

ヌメル(粘滑)の義(大言海),
ナグの反。波の立たない意(名語記),
粘り気あるいは水気のある意を表す語根(国語の語幹とその分類),
朝鮮語(nop)(沼)と同源か(『岩波古語辞典』)

として,こう付設する。

「上代には,沼を語としてヌマのほかにヌも用いられていた。しかし,ヌマが単独でも用いられたのに対し,ヌは,『隠沼乃(こもりぬノ)』(万葉ニ・二〇一)や『隠有小沼乃(こもりぬノ)』(万葉一二・三〇二二)のように,ほとんどが複合語中に見られるところから,ヌはヌマの古い語形と思われる。」

これから見ると,「いけ」は,人工的と見える。対して,「ぬま」は,明らかに自然であり,使っている人には,歴然とした区別があったに違いないのである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いけ


「いけ」は「池」ではなく,

いけすかない,

の「いけ」である。『広辞苑』には,「接頭語」として,

「(イッケとも)卑しめ罵る意を強く表す」

として,

いッけずるい,

の例が載る。『大言海』には,

「奴詞(やっこことば)なるべきか,語原,解すべからず,或いは,餘計(よけい)の略転か(喜い,いい)。長崎にて,餘計なる分量を,イケエシコトと云ふ,又,元禄,享保の頃,大阪詞に,イケ,又,イキと云ふありて,同義なり。長町女腹切(元禄,近松作)上『半七のイキ掏児(ずり)め,ようも,親方を踏みつけたな』心中天網島(享保,近松昨)『女房,子供の身の皮剥ぎ,其金でおやま狂ひ,イケどう掏児(ずり)め』浦島年代記(元禄,近松昨)『大騙(おおがたり)の生賈僧(まいす)(イケか,イキか)』然れども,其の語原は知るべからず」

として,

「種々の語に冠して,強く罵る意をなす卑語」

と意味を載せる。その上で,

「俚諺集覧,イケ『卑しめ罵る詞也。イケづうづうしい,イケふとい,イケしゃあしゃあ,イケヤカマシイ,イケどうよく,皆生憎(あなにくや)の,生と同じきか,』」

と付記している。確かに,『古語辞典』は,「いけ」に,「生」をあて,

「いきの訛」

とする。『江戸語大辞典』も,

「生(いき)の訛」

とし,こう載る。

「諸種の語に冠して卑しめ罵る意を強める。強めて『いっけ』と促呼することがある。またカ・サ・タ・ハ行音ではじまる語に冠する時は促呼して『いけっ』となることがある。」

「いけ」の作語は,『江戸語大辞典』には,

いけふたじけない(いかにもけちだ),
いけあつかましい,
いけあまくちな(いかにも手ぬるい),
いけうるさい,
いけおうへい(横柄)な,
いけがいぶん(外聞)がわるい,
いけきいたふうな,
いけごうざらしな(なんという恥さらしな),
いけごうじょう(強情)な,
いけこしぬけ(腰抜),
いけごたいそう(御大層)な,
いけこんじょうわる(根性悪),
いけしさい(仔細)らしい(いやにもったいぶった),
いけしたたるい(いやにみだらな),
いけしぶとい,
いけしゃあしゃあ(いやに図々しく),
いけじゃま(邪魔)な,
いけしゃらくさい(いやに小生意気な),
いけじょう(情)のこわ(強)い,
いけしらじらしい,
いけじれったい(ほんとにもどかしい),
いけしわ(吝)い,
いけずうずう(図々)しい,
いけすかない,
いけずぶと(図太)い,
いけぞんざいな,

等々,相当の数が載る。悪口や貶めるのに,何にでも「いけ」をつけたと見える。「いけ」は,

生き,

の転とある。『古語辞典』には,「生き」は,

息と同根,

とある。種々語源説はある(『日本語源大辞典』)。

生の義(和訓栞),
イク(生く)の義,またはイズルキ(出気)の略(日本釈名),
イはイデ(出),キはヒキ(引き)から(和句解),
イはイーと引く音,キは気の意(国語溯原),
イキ(息気)の意。イは口から出る気息の音,キは気(日本語源),
イキ(生気)の義(言元梯・日本語原学),
イは発語,キはフキから(名言通),
イキ(胃気)の意か(和語私臆鈔),
イは気息を意味する原語,キは活用語尾(日本古語大辞典),

「いま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%84%E3%81%BE) で触れたように,

「『イ』は口を横に引いて発音し,舌の位置がほかの四つの母音よりも相対的に前にくるので,一番鋭く響きますし,時間的にも口の緊張が長く続かない,自然に短い音なので,『イマ』という『瞬間』を表現できるのです。」

であり,

「おそらく/i/音が,…自然界で現象が『モノ』として発現する瞬間に関わる大事な意味を持っているので,この『イ』を語頭にもつ大和言葉がたくさんある…。」

とする。その「息」や「生き」に関わる言葉が,罵りの接頭語になる,というのは,少し解せない。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/02i/ike.htm

は,「いけ」について,

「いけとは『憎悪』『卑しみ』『苛立ち』『非難』『腹立たしさ』などを意味する接頭語である。いけは後ろに付く言葉をそういった意味で強めるための接頭語であり、いけのみでは使用されない。」

とするので,なおさら「生け」とは思えない。『日本語の語源』は,

「副詞のイカイは,カイ[kai]の融合で,『ひどく,たいそう』という意のイケになった。〈そしてまあイケ外聞の悪い〉(浮世風呂)。〈イケらちが明かない〉(八笑人)。」

あるいは,

「イカイ(偉い)はイケになって『イケ図々しい』という。」

とあっさり言っている。また,他方,

「漢語の偉大(イダイ)は,イライを経て,エライ(偉い)に転音した。」

ともある。現代語で言うと,「えらい」になるが,

『大言海』をみると,「えらし」で,

甚大,

とあて,

「苛々しの略転にして(いこぢ,えこじ,)イラナシの義となれる語ならむ」

とし,「いみじ,甚だし,大層なり,すばらしい」の意として,

えらい出世,

の例を挙げる。しかし,『日本語の語源』の流れから考えれば,「いかし」の系譜も考えられる。口語では,「えらい」は,

偉い,

と当てるが,いわゆる「すぐれている」という意の他に,

普通ある状態より程度が甚だしい,ひどい(「えろう寒いな」「えらく人が集まった」「えらい騒ぎ),
思いかげない,とんでもない(「えらいことになった」),
くるしい,つらい(「えらい坂道」),

という使い方をする。『古語辞典』では,「いかい」は「いかし」で,

厳し,
重し,
茂し,

と当て,

「イカは内部の力が充実していて,その力が外形に角ばって現れている状態。イカメシ・イカラシ・イカリなどの語根。奈良時代にはシク活用。平安時代以後ク活用」

とあり,「勢いが盛んである」「立派で厳かである」の意の他に,

程度が甚だしい,
大層である,

という意がある。たとえば,

「いかいお世話」

とは,大変お世話になった,という意になる。『大言海』は,「厳し」と当て,

「厳(いか)を活用せしむ(凹(くぼ),くぼし),イカシ矛,イカシ御代などとあるは,終止形の,連体形様となりて接する一格なり(荒男(あらしお))。後世の口語に,イカイ事,イッカイ物,イカツイ顔など云ふは,此語の遺りなり。」

と説く。ただ,『大言海』は,「えらし」の項を立てているせいか,「いかめしい」「盛んである」「あらあらしい」という意しか載せない。

『日本語源大辞典』は,「えらい」について,

「近世語としては一般に「程度がはなはだしい」意で用い,幕末にいたって(「物事の状態などのすぐれているさま,地位・身分が高い)意が定着し始める。近世では,一般に仮名書きであったが,明治中期ごろから次第に「偉」の字を当てる表記が増え,現在に至る。」

とあるので,『古語辞典』も『大言海』も,「偉い」と当てていない理由がわかる。

こうみると,「甚だしい」という意を表した,「いかい」は,一方で,

ikai→ike,

と転訛し,他方で,

ikai→erai,

と転じたことになる。いずれにも,「いかい」のもつ程度の甚だしさを保っていたが,

「いかい」は悪意に,
「えらい」は敬意に,

それぞれシフトした,ということになるのだろうか。因みに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ikesukanai.html

は,「いけ好かない」の項で,

「いけ好かないの『いけ』は、相手に対する不快さを強調する接頭語で、江戸時代から見られる。『いけ』が付く言葉には、このほか『いけしゃあしゃあ』や『いけ図々しい』などが ある。『いけ』の語源には、『生ける』の連用形や『余計』の転などの説もあるが未詳。」

としている。なお,

いけず,

のイケは,全く別の由来で,『日本語源広辞典』には,

「『行かず(いかない)』の音韻変化で,イケズとなった語です。性質や行動などのよくない者,人格のねじけた者,意地悪な人などの意で,関西地方で多く使われる」

とある。いわば,

根性悪,意地悪,

の意だが,『大言海』の,

「不成者(いけずもの)の義。…成らずもの同義」

とあり,この逆の意の,「いける(得成)」には,

「成(い)き得るの約(書き得る,書ける)。」

として,

成し得る,行われる,できる,

の意が載る。つまり,ただ,

成し得る,

の状態表現の「いける(得成)」が,逆に,

不成(いけず),

になっただけの状態表現が,そのこと自体を評価する価値表現へと転じて,

できない→意地悪→できの悪い→ならずもの,

といった価値を表す言葉に転じたと見ることができる。

参考文献;
熊倉千之『日本語の深層: 〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』(筑摩選書)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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関の山


「関の山」は,

なしえる限度,精いっぱい,

という意味だ。

精一杯,

という意味は,それが,

限度,

という意味になるが,もう少し引いた視点から見れば,その状態表現は,

せいぜいそんなところ,

という価値表現に転ずる。たとえば,

「一日に一冊読むのが関の山だ」

という使い方をするが,そこには,

そんな程度,

という含意がある。『大言海』の,

それ以上なし能わざる程度,

であり,その主体表現は,客体表現に転ずれば,貶める含意をもつ。

略して,やま,

と,『大言海』にはある。「やま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%82%84%E3%81%BE) で触れた「やま」自体,

できることの上限をいう語。精一杯。関の山,

という意味があった。

『日本語源広辞典』には,

「三重県の,関の宿の,ヤマ(山車・だし)」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/se/sekinoyama.html

も,

「『関』は三重県の関町(2005年1月11日に市町合併し、現在は亀山市)、『山』は関東でいう『山車』のことである。 関町から八坂神社の祇園祭に出される山は大変立派なもの だったため、それ以上贅沢な山は作れないないだろうと思われ、精一杯の限度を『 関の山』というようになった。同じ説で、『関の山車』が短縮されたとする説もあるが、関西方面で『山車』は『山』や『だんじり』ということから、短縮されたとするのは間違いである。」

とする。ほとんどがそうで,

『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/14se/sekinoyama.htm

は,

「関の山とは三重県関町(現亀山市)の八神神社の祭礼に使われる山(山車)のことである。この山が『これ以上贅沢はできない』と言われるほど立派なものであったことから、『これ以上は出来ない(だろう)』『それが精一杯(だろう)』と限界をいう言葉として使われるようになる。関の山は諦めや嫌味を含む言葉であり、限界までやったことへの労いや誉め言葉としては使う類いではない。」

『笑える国語辞典』

https://www.waraerujd.com/blank-92

は,

「関の山は、三重県関町の八坂神社の祇園祭に出る山車(だし)のこと。その山車が大きくて豪華で、それ以上のものはできないと思われたところから『関の山』という言葉が生まれたのだそうだ。…関町の祇園祭の山車も、現在でもそこそこ立派ではあるが、『その町内ではどう頑張ってもあれが精一杯』という皮肉な見方が、昔からあったのではないか(例えば、京都の祇園祭と比較するなどして)という疑念を抱かせるのに十分な言葉の使われ方ではある。」

あるいは,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E9%96%A2%E3%81%AE%E5%B1%B1

「『関』とは、東海道五十三次の47番目の宿場町である、伊勢の『関宿(せきじゅく)』(三重県亀山市)で、山は祭りの山車のこと。ここの祭礼は江戸時代から続く伝統行事で、最盛期には16基もの山車があり、互いに競い合い、家々の軒先をかすめるよう巡行した。山車が勢揃いすれば狭い街道はそれだけで埋まってしまい、身動きもとれないほどであったことから、精いっぱいの意味で用いられるようになった。」

等々。「関の山車」とは,

http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=55

によると,

「『関の山車』は東海道関宿に元禄年間から伝わる祭礼で、江戸後期には16基もの山車があり、横幕・見送幕・提灯を豪華に飾りつけて華美を競い合いました。山車の台車から上が回転する構造となっており、巡行時の辻々などで勢いよく回転させることが特徴の一つにあげられます。狭い宿内の家並みを山車が巡行する様から、『限度いっぱい』という意味の『関の山』の語源となったと伝えられています。」

等々とあり,あるときは褒め言葉であったり,逆に皮肉であったり,狭い所という現実的な意味であったりと,そのニュアンスは違うが,褒め言葉なら,祇園祭の山車を持ち出すまでもないし,山車の豪華さなら,飛騨高山の,からくり人形つきの屋台(と山車を呼ぶ)に比較にはなるまい。

関の山車は,江戸期後期,高山祭のそれは,「16世紀後半から17世紀の発祥」とされている。

だから,関の公的説明では,山車の豪華さではなく,16基の山車が,

狭い宿内の家並みを山車が巡行する様,

の方に意味を転じている。どうもこういう説は,「関の山」という言葉が人口に膾炙して以降の説に思えてならない。なぜ固有名詞「関」でなくてはいけないのかの説明はつかないのである。まして,「山」が山車である必要はない。「山」自体に,

できることの上限,

という意があるのに,わざわざ,「山車」を持ってくる意味がわからない。家系図とおなじく眉唾と見て差し支えないと思う。

「せき(関)」は,

「塞(せ)きの義,或は云ふ,塞城(さへき)の約,往来を狭きに導く意」

と,『大言海』にある。『日本語源広辞典』も,

「セ(狭)+ク(動詞化)が,塞く,となり,その連用形がセキ」

とし,堰・咳も同源という。『日本語源大辞典』にある語源説も,

セキ(塞)の義(類聚名物考),
セキ(狭)を活用した語セキ(塞)から(箋注和名抄),
ヤク(塞)の名詞形(角川古語大辞典),
セクキ(塞城)の約(大言海),
セクキ(塞柵)の義(言元梯),
フセギ(防)の意(日本釈名),
サエキリの反(名語記・甲子夜話),
迫の義(俚言集覧),
セキトの略(松の葉考),
サカ(界)の転か(和語私臆鈔),
セキバの略か(和句解),

等々,いずれも「関」は,隘路の意をあれこれ思案しているが,「関」は,

関門,関所,

の意である。それをアナロジーに,

転じて,物事の侵しかぬること,

を言うと『大言海』にある。だから,

心の関,

という言い方をする。これだけで,

物事をなしぬく(隘路の)ピーク,

といった含意が見えてくる。「関宿」を持ち出す必要はないのではないか。とすると,一番考えられるのは,音韻変化である。『日本語の語源』は,

「サイコウノヤマ(最高の山)は,サイの融合,コウの縮約でセクノヤマ・セキノヤマ(関の山)に転じて『できうる最大限度』を表す言葉となった。」

とする。この変化が妥当かどうかは措くとしても,音韻変化説に軍配をあげたい。

参考文献;
http://bunkashisan.ne.jp/search/ViewContent.php?from=14&ContentID=55
http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000002/2000024/2001064.html
http://www.kankou-gifu.jp/event/1311/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD#/media/File:EITOKU_Uesugi-Gion-matsuri.jpg
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いけず


「いけず」は,辞書によっては,

行けず,

とあてる。『広辞苑』には,

(『行けず』の意から)
強情なこと,意地の悪いこと,そういう人,いかず,
わるもの,ならずもの,

の意が載る。「いけ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%82%84%E3%81%BE)の項 で触れたように,「いけすかない」の「いけ」とは別系統で,『日本語源広辞典』には,

「『行かず(いかない)』の音韻変化で,イケズとなった語です。性質や行動などのよくない者,人格のねじけた者,意地悪な人などの意で,関西地方で多く使われる」

とある。いわば,

根性悪,意地悪,

の意だが,『江戸語大辞典』には,

「行かずと同義」

とあり,『大言海』を見ると,「いけず」は,「いけずもの」を見よとあり,「いけずもの」には,

「不成者(いけずもの)の義。いける(得成)の條を見よ。成らずもの同義」

とあり,

わるもの,ならずもの,略していけず(京都),

と意味が載る。「いけず(不成)」の逆の意であるらしい「いける(得成)」の項には,

「成(い)き得るの約,成(い)くの條を見よ(書き得る,書ける)。」

として,

成し得る,行われる,できる,

の意が載る。「い(成)く」の項には,

行くの語意より移る。成(い)き得るの意に,イケルと云ふ」

とあり,

おこなわる,できる,

という意である。つまり,ただ,

成し得る(つまり,できる),

という状態表現の意の「いける(得成)」が,逆の,

不成(いけず),

になっただけの状態表現が,そのこと自体を評価する価値表現へと転じて,

できない→意地悪→できの悪い者→ならずもの,

といった価値を表す言葉に転じ,それを他者に転嫁した客体表現へとシフトしたと見ることができる。因みに,「ならずもの」とは,

「どうもかうもならぬものの意」(『大言海』),
「どうもこうもナラズのナラズ+者」(『日本語源広辞典』),

と,「いけず」の果ての「どうにもならない困り者」ということになる。『日本語源大辞典』には,

近世はイカズとも言い,尋常には行かぬの意(上方語源辞典),

の意が載り,どうも,

いけ(行)ず,

の原意に見える。つまり,

尋常には行かぬ→できない→意地悪→できの悪い者→ならずもの,

と転じていったのではあるまいか。しかし,「いけず」には,悪罵の意味だけとは思えない含意がある。

http://www.yuraimemo.com/1335/

には,

「『いけずぅ〜』 クレヨンしんちゃんの名文句です。でもよくよく考えて見ると、軽く流してたこの「いけず」が雰囲気だけでその本当の意味を理解していない自分を発見しました。
しんちゃんがこの言葉を発するシチュエーションからすれば、『いじわる〜』とか女性がおねだりする状況を模しているように見えます。…しんちゃんの言い方なのかなんとなく京都の匂いがするので、綺麗な言葉のように見えますがその意味は、強情なことや意地の悪いこと。また、そういう人のこと。より悪い意味に発展すると、わるものとかならずものといった意味もあります。更に好ましくないことや不良じみたいたずらのこと、また多少使い方は違いますが贋金(にせがね)など通用しない貨幣の意味もあります。
関西の人間がよく使う『いけず』は、ほぼ100%強情なことや意地悪なことに対してで嫌みな感じではなく、ちょっと親しみを込めた言い回しで使われるようです。特に、関西の女性が男性に対して言うのであれば、『あなたっていけずね』=『あなたって、意地悪ね(ハート)』といった感じの使い方となります。
しんちゃんも、もちろんこれと同様の使い方で間違いないでしょう。」

このニュアンは,

尋常には行かぬ→いけず→できない→やってくれない→意地悪(→できの悪い者→ならずもの),

という転化の流れをうかがわせる。さらに,上記は,「いけず」の由来を,

「大阪ことば事典では、『オールド・ミスなどの小姑根性のひねくれた気質が人に嫌われて、あれでは嫁にも行けない。行けず者だ、が行けずだといったものではないだろうか。』と書いてある」

と付言する。『江戸語大辞典』の「いけない」「いかぬ」を見ると,

「成るの意の『行く』の打ち消し」

とあり,「行かない」には,

意の如くならぬ意から,金に窮している,
よくない,
野暮な,無粋な,

「行かぬ」には,

思うようにならぬ,効力がない,成功しない,
よくない,
いただけない,感心せぬ,
無粋な,野暮な,

と意味の変化が載る。もともと「いけず」には,

無粋,野暮,

という価値表現が含まれていた。それを,他人に転嫁すれば,

ならずもの,

とつながる。しかし,「いけず」には,悪罵よりは,ちょっと,

すねた,

姿勢が,言っている側にあるのではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いたちごっこ


「いたちごっこ」は,本来は,

二人互いに相手の手の甲をつねって自分の手をその上に載せ,「いたちごっこ,ねずみごっこ」と唱え,交互に繰り返す子供の遊び,

とある(『広辞苑』)。それが転じて,

双方が同じことを繰り返すばかりで無益なこと,

の意になった。要は,原意は,

同じことを繰り返して埒の明かない,

という意に準えるような遊びだったということになる。『江戸語大辞典』には,もう少し詳しく,

「甲乙二童が向かい合い,『いたちごっこ,ねずみごっこ』と唱えながら先ず甲童の差し出す左手の甲を乙童が左手でつまみ,その上を甲童が右手でつまめば乙童が同様に右手でつまみ,それを繰り返して手を延ばし切ったところでやめる。『ねずみごっこ,いたちごっこ』また『いたちごっこ』ともいう。文化五年・柳歌留多『いが栗を鼬こっこでつまみあげ 錦鳥』」

とある。これだと,

「手を延ばし切ったところでやめる」

のだから,キリはあることになるが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93

には,

「いたちごっこは、江戸時代後期に流行った子供の遊び。」

とあり,

「二人一組となり、『いたちごっこ』『ねずみごっこ』と言いながら相手の手の甲を順につねっていく。両手が塞がったら一番下にある手を上に持っていき、また相手の手の甲をつねるという終わりの無い遊びなので、転じて『埒があかず、きりがない』ことも指すようになった。現在では双方が同じことを繰り返して物事の決着がつかないことをいう。」

これによれば,確かに,飽きるまで,いくらでも続く。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/itachigokko.html

によると,

「いたちごっこは、相手の手の甲を交互につまみ、手を 繰り返し重ねていく子供の遊びに由来する。 この遊びは素早くつまみ合うため、イタチや ネズミの素早さと噛み付く様子に似ているから、『いたちごっこ、ねずみごっこ』と唱えられた。」

と,

「素早くつまみ合うため、イタチや ネズミの素早さと噛み付く様子に似ている」

と,遊び名の由来に言及している。『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「『いたちごっこ・ねずみごっこ』ともいう。AB2人が向かい合って、『いたちごっこ、ねずみごっこ』と唱えながら、Aが右指で自分の左手の甲をつまみ、Bは左手でAの右手の甲を、右手で自分の左手の甲をつまむ。このようにしてかわるがわる次々とつまんでいくことを果てしなく繰り返す遊びを、『いたちごっこ・ねずみごっこ』とよんだ。川柳(せんりゅう)『柳樽(やなぎだる)』に、「いが栗(ぐり)をいたちごっこでつまみあげ」という句がある。遊びと限らず何事でも双方が同じことを繰り返しているのを、いたちごっことよび、いまも日常のことばとして使われている。いまは幼い子供の遊びであるが、同じ遊びを『一がさした、二がさした』と繰り返し、八つ目には『蜂(はち)が刺した』、九つ目には『熊(くま)ん蜂が刺した』といって強くつまんで終わる遊びがある。」

とある。いずれにしても,いまは絶えているようだ。

「いたちごっこ」の「ごっこ」は,

ある物事のまねをする遊戯,

を指す(『広辞苑』)。たとえば,電車ごっこ,鬼ごっこ。

『日本語源広辞典』には,

「ごと」の音韻変化,

とあり,方言に,

goto,goku,gokko,

の変化がみられる,とする。『大言海』は,

「カケックラ(驅競)の語原を見よ」

とあり,「かけっくら(驅競)」には,

「カケクラベの略轉。約めて,カケッコとも云ふ。にらめっくら,にらめっこ。遣りっくら,やりっこ。皆同じ。相競ひてすることなり。轉じて,互いにすることの意となり,相子(あひこ),出しっこ(だしあひ),代わりごっこ,鬼ごっこ,いたちごっこ,などと云ふ」

と,どうやら,「ごっこ」は,競うところからきたものらしい。

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%93/%E3%81%94%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

にも,

「ごっこは、子どもの遊びを言い表すさいに、『鬼ごっこ』『チャンバラごっこ』などと接尾語として用いる。もとは、『せいくらべ』や『うでくらべ』などの『くらべ(競べ)』から来ているようで、要するに『競争』の意味。『くらべ』が『こくら』または『ごくら』と変化し、『ごっこ』になったものらしい。『鬼ごっこ』『チャンバラごっこ』などの使用例は『競争』の意味あいが強いが、『お医者さんごっこ』『電車ごっこ』などは『競争』というより『シミュレーションゲーム』である。」

とあるが,しかし,

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412748949

には,

「ごっこは、『交互』または『事』から変化したものと言われています。同じ『ごっこ』でも意味が2種類に分けられます。『いたちごっこ』『鬼ごっこ』は、交互のほうの意味で、いたちがかみつく真似として相手の手の甲を指でつまむのを交互にやっていく遊びがいたちごっこ、鬼の役と逃げる役を交互に入れ替えながら続ける遊びだから鬼ごっこ。『電車ごっこ』『お医者さんごっこ』はそのつもりになって行なう遊びですね。」

とある。「こと」つまり,

真似事の「こと」

「かけっこ」の「っこ」

たとえば,

goto,goku,gokko 
と,
kkeko→kko→tto→gokko

の変化の二系統が,遊びという領域で,重なり合った,ということなのだろうか。ただし,『デジタル大辞泉』には,「ごっこ」に,

「[接尾]名詞に付いて、二人以上のものがその動作・行為をすることを表す。
1 いっしょにある動作のまねをすること、特に子供の遊びについていう。『鬼―』『プロレス―』
2 交代して同じような動作をすることにいう。ばんこ。」

とあり,交替という意味の「ばんこ」は,

代わりばんこ,

の「ばんこ」である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kawaribanko.html

は,「かわりばんこ」で,

「かわりばんこは『代わり番』の話し言葉で,取り替えることを『取り替えっこ』というのと同じく,『代わり番』に接尾語の『こ』がついたご。」

と説明している。「こ」は,「事」の接尾語である。とすると,「ごっこ」は,もうひとつ,

ばんこ→ごっこ,
あるいは,
こ(事)+(っ)こ,

という由来が加わるのかもしれない。

因みに,「いたち(鼬)」の語源は,

「イタ(いたずら,悪戯)+チ(接尾語)」

と,『日本語源広辞典』にはあるが,『大言海』には,「語源,解せられず」とし,

「気立(いきたち)の義,気を吹くが,自ら火と見ゆるを,鼬の火柱と云ふと云ひ,又,イタチノミチキリと云ふより,行断(イキタチ)ならむなどと云ふ。何れも付会なり」

と切り捨てて,語源ははっきりしないとする。

ただ,『日本語の語源』は,

「その行動が俊敏なためイタトキ(甚敏き)毛物といった。とき[t(ok)i]の縮約でイタチ(鼬)になった。」

としている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%81

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山の神


「山の神」は,たとえば,『広辞苑』では,

「山を守り,山を司る神。民間伝承では,,秋の収穫後は,知覚の山に居り,春になると下って他の神となる」

とあり,さらに,

「自分の妻の卑称」

とある。後者の言い方も,最近はあまり聞かないが,そのニュアンスは,『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/36ya/yamanokami.htm

に,

「山の神とは山を守る神のことだが、山神は女性神として崇められることが多いことから、(自分の)妻という意味で使われる。山の神というと一見聞こえがよいが、山神が恐れられるものであったように、家庭の山の神も長く連れ添い、口うるさくなった(恐ろしい)妻という意味合いで嘲ったり、からかって言うときに使う。」

とあるのがよく伝わる。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると,「山の神」は,

「山を支配する神。全国にみられる民間信仰で、多くの土地では山の神は女神だという。しかし男神という所もあり、また夫婦(めおと)神としている例もある。山の神を女神としている地方では、この神は容貌がよくないので嫉妬深く、女人が山に入るのを好まないという。山の神信仰については、山仕事をする木こり、炭焼き、狩人(かりゅうど)などと、農作をする人々との間では多少の違いがある。農民の信ずる山の神は、春先山から下り田の神となって田畑の仕事を助け、秋の収穫が終わると山へ帰り山の神となるという。山仕事をする人々は、山の神が田の神になるというようなことはいわない。」

とある。この「嫉妬深い」といったところが,古女房のメタファに使われたものだろうか。同じ「山の神」でも農民と山民では少し違うようだ。その辺りは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E7%A5%9E

に詳しく, 

「農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる年神も山の神と同一視される。」

しかし,

「猟師・木樵・炭焼きなどの山民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神である。農民の田の神のような去来の観念はなく、常にその山にいるとされる。この山の神は一年に12人の子を産むとされるなど、非常に生殖能力の強い神とされる。これは、山の神が山民にとっての産土神でもあったためであると考えられる。」

とある。それぞれの生業にとっての必要性の違いから来ているのだろう。

「実際の神の名称は地域により異なるが、その総称は『山の神』『山神』でほぼ共通している。その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なる。どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して『山の神』という表現が生まれた。このような話の原像は『古事記』、『日本書紀』のイザナミノミコトとも一致する。」

とあるとし,妻への転用については,

「山の神は女神であり、恐ろしいものの代表的存在であったことから、中世以降、口やかましい妻の呼称の一つとして『山の神』が用いられるようになった。」

としている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yamanokami.html

も同じ説をとり,

「山の神は文字通り、山を守り、支配する神『山神』のことであった。 山神は、女性神として 信仰されることが多く、恐ろしいものの代表的存在であったことから、中世以降、 口やかましい妻の呼称として『山の神』と言われるようになった。 『古事記』に「大山津見 神(おほやまつのかみ)の娘『石長比女(いはながひめ)』が、山の神の一員であったという説話があり、その説話に基づくとする説もある。しかし,山岳信仰は上代からあり、個の具体的話に断定できるものではないため、山岳信仰全体から見て,『恐れられた神』『女神』であったことを中心に考えるのが妥当である。」

とする。その他,『日本語源広辞典』は,恐ろしい存在という説以外に,

「イロハ歌,有為のオクヤマから,山の上で,奥(カミサン)」
「『里の神(若くて美しい)』に対して,山の神(年上で醜女。悋気で,気難しく,ふてくされて,真っ黒で,大きく怖い存在)」

の二説を取る。「怖い」のか「強い」のかは別にしても,似たニュアンスである。『日本語源大辞典』は,

恐ろしいものの代表として山の神が挙げられ,山嫗がまた山の神であるところから,この両概念が混じったものか(上方語源辞典=前田勇),
多く山の神は女性であり,また山姥の子育て伝説など,山との関係が深かったところからいうか(山の人生=柳田國男),
取り乱した姿をたとえていうか(俚言集覧),
人の妻の敬称としてのカミサマ(上様)を同音の神様にしゃれ,それを山のかみにしたのか。山の神は中世には機嫌のむずかしい醜い嫉妬深い神とされていたところから(国語学論考=金田一京助)
農村では山の神をまつるのは女性がつかさどっていたところから(すらんぐ=暉峻康孝),
醜女のイワナガ姫が山の神の一員であったとの『古事記』の記事から(日本古語辞典=金田一春彦),

等々諸説載せるが,個人的には,

人の妻の敬称としてのカミサマ(上様)を同音の神様にしゃれ,それを山のかみにした,

という説がいい。因みに,山姥については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%A7%A5

に詳しいが,山姥の性質は二面的で,あ山姥は人を取って喰うとする恐ろしい化け物である一方,人間に福を授ける存在でもある。

「両義性を持った山姥の原型は、山間を生活の場とする人達であるとも、山の神に仕える巫女が妖怪化していったものとも考えられている。」

とある。なお,「山姥の子育て」とは,『日本昔話事典』には,

「山姥が子を産み育てるという言い伝え。相模の足柄山の金太郎の話が有名である。しかし金太郎についての伝承は,足柄山にのみ限ったことではなかった。(中略)各地で山姥が火を焚いて子をあたらせたのを見たといい,また今年の冬は特別に暖かいから,山姥が子を育てているなどといい伝える。育てた場所も,山姥石,児生み沢,姥ケ谷,乳母懐などとよばれて,各地に残っている。」

とある。

参考文献;
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%A7%A5

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すばらしい


「すばらしい」は,

素晴らしい,

と当てるが,もちろん当て字。今日,

大層優れていて,無条件にほめたたえられるありさま,

といった最大級の褒め言葉として使われているが,古くは,よくないことに使い,

ひどい,とんでもない,

という意味とされている(『広辞苑』)。「すてき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%8D) で触れたように,「すばらしい」は,

悉皆(しっかい)→シッカリ→スッカリ→スッパリ→スッパラシ→スバラシ,

へと転じたとする語源説がある。一般には,語源は,

「ス(接頭語)+晴らし」

とされる。そして,

「晴れやかなできばえ,みごと,程度甚だしい,などの意です。江戸期の言葉です」

とある(『日本語源広辞典』)。しかし,「素晴らしい」が当て字なのに,その当て字を前提に解釈しているきらいはないか。『江戸語大辞典』には,

驚くべきことである,偉い(文化十年・人間万事虚誕計 女ぎらひの虚「弁慶女にあふ事へその緒きってたった一度ス,なんとこいつはすばらしいぢゃァねえか」)
甚だしい,ひどい(嘉永六年・切られ与三四幕目「お主もこの女故にゃァ,すばらしい苦労をして今の心情」),
聞いてきれる,しゃらくさい(安永九年・多佳余宇字「客三人 おさらばァ,引と出て行女郎三人 ムヽすばらしひ,若い者 モウ一ッぺん塩華」),

とあり,必ずしも,(『広辞苑』のいうような)悪い意味だけではない。「すばらしい」の語源について,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/subarashii.html

は, 

「晴らしいは、現代では非常に好ましいさまに用いられるが、近世江戸には『ひどい』『とんでもない』といった意味で、望ましくない意味を示す語だった。『狭くなる』『縮まる』という意味の動詞『窄る(すばる)』が形容詞化され、『すばらしい(すばらし)』になったと 考えられる。『すばる』は『すぼる』とも用いられ、形容詞化された『すぼらし』は『細く貧弱である』という意味で、『みすぼらしい』の語源となっている。やがて、『すばらしい(すぼらし)』は接頭語『す』と『晴らし』の語構成と誤解され,現在使われるような好ましい意味に転じた。」

と,「ス(接頭語)+晴らし」説を批判している。「すぼる」語源説は,『笑える国語辞典』

https://www.waraerujd.com/blank-150

も,

「『素晴らしい』は、漢字を見ると、「晴れやかな気分にさせられる」といった意味が浮かぶが、これは後世の当て字だそうだ。『すばらしい』は、縮んで小さくなるという意の『窄む(すぼむ)』や、『みすぼらしい』などと使う、すぼまって狭いという意の『窄し(すぼし)』と同源であり、もとは「あきれた」とか「ひどい」という意味で使われていたのだという。」

とするし,

http://www.yuraimemo.com/977/

も,

「その語源を調べてみると、『すばる』という言葉がでてきました。この『すばる』は『すぼる』とも用いられ、形容詞化した『すぼらし』が、『みすぼらしい』が語源だと考えられております。(すぼらしは、細く貧弱であるといった意味)」

とするし,さらに,

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%B4%A0%E6%99%B4%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84

も,

「狭くなる・縮まるという動詞の『窄る』が形容詞化されて、『すばらしい』となったとされる。意味も『みずぼらしい』・『ひどい』といった、今とは反対の意味で用いられていた。しかし語源が忘れさられ、いつしか接頭語の「す」と「晴らし」の語構成と誤解され現在では好ましい意味として使われるようになったとされる。」

等々,「すぼる」語源説が大勢派だ。しかし,「すぼむ(窄む)」は,「つぼむ(窄む)」の,

tu→su,

の子音交替である。『日本語の語源』に,

「『ツ』の古語は[tu]であった。二つの子音が結合している破擦音のツ[tsu]は子音交替が困難であるが,直音の『ツ』は破裂運動を摩擦運動に変えることによって容易に『ス』に移行した。」

とある。そして,「つぼむ」

は,

つぼ(壺)を活用させた語,

である。つまり,「小さくすぼむ」意である。その意味では,「すぼむ」説は取れない。第一,江戸時代,かならずしもマイナスの含意だけでなかったのは,上記で見たとおりだ。

「すてき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448708392.html?1491250588) で触れたとおりとすると,『日本語の語源』の,

悉皆(しっかい)→シッカリ→スッカリ→スッパリ→スッパラシ→スバラシ,

という変化が注目される。まず,「すばらし」について,

「『たいそう立派である,たいそう盛大である,たいそうすぐれている』という意のスバラシ(素晴らし)は,スッパリの形容詞化で,スッパラシの転音であろう。」

とし,「スッパリ」は,「シッカリ」から来ている。「シッカリ」は,「悉皆」から来ている,という。

「シッカイ(悉皆)は『すっかり。みな。ことごとく。全部』という意味の漢語である。…仏教の経典に多用されており,仏教用語として流布されていた言葉である。…シッカイ(悉皆)は語尾に子音(r)が添付されてシッカリになり,語尾の『シ』の母音交替(iu)でスッカリになった。さらに多くの語形に転音・転義したので,…整理しておくと,@全部(すっかり),A完全(すっかり),B確実(しっかり),C多数・多量(しっかり),D大変(しっかり)に分類されよう。」

「スッパリ」は,「スッカリ」から転音し,上記Aの,

まったく,すっかり,

の意味を伝えている。「シッカリ」は,「スッカリ」に転化し,

ことごとく,まったく,

の意となり,「スッカリ」は,「スックリ」に転ずると,

すべて,みな,のこらず,

の意となり,「スックリ」は,その意を残したまま,「ソックリ」に転じて,

全部,

の意となる。また「スックリ」は,「スッキリ」に転じてもいる。

「シッカイ」から転じた「シッカリ」は,「カ」が子音交替(kp)で,「シッパリ」に転じ,「ジッパリ」へと転じ,更に子音交替(r∫)を遂げた「ジッパシ」は,「ジッパ」へと省略され,

すぐれている,みごとである,欠点がない,

という意の「リッパ」に転音する,という。

こういう転訛の背景の中で,「すばらしい」をみると,上記の,

@全部(すっかり),A完全(すっかり),B確実(しっかり),C多数・多量(しっかり),D大変(しっかり),

の,

「五義を総合して最高のほめ言葉になった」

という,『日本語の語源』の言い分が,改めて注目される。つくづく,言葉は生きている,生きているとは,音韻変化に着目すべきだと,感心し直した次第である。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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そもそも


云々,



でんでん,

と訓んだ(というよりあてずっぽうで誤読した),例の首相が,

「”そもそも”という言葉を辞書で調べると”基本的に”という意味もある」

と,嘯いたそうである。知らないなら,調べればいい,しかし,調べてもいないで,平然と開き直る。

知らざるを知らずと為す是知るなり,

を知らぬのである。『論語』(為政篇)の有名な,

由,汝に知ることを誨(おしえ)んか。知れるを知るとなし,知らざるを知らずとせよ,これ知るなり,

である(あるいは,中国憎しで,漢文教育をやめよといった某作家のように,中国語など知らぬと言うだろうか。ならば,仮名も片仮名もやめねばならない。そもそも文字を使ってはならない。すべて漢字由来なのだから。われわれは文字をもたない民族であったことを忘れていなければよいが)。

「そもそも」とは,

抑々,
抑,

とあてる。中国語由来である。『広辞苑』には,

「『其(そ)も』を重ねた語。もと漢文の訓読から」

とあり,

物事を説き起こすときなどに,文の冒頭に用いる

とあり,さらに,

(冒頭に用いることから)はじまり,おこり,

の名詞としても用いる。たぶんここからの類推で,上記のようなことを言ったのに違いない。同氏が,「すべからく」を間違って「すべて」の意で使ったのと同類である。横文字を多用するのが,横文字知らずであるように,こういう難しい言い回しを使ってもっともらしく見せたい心理が働くのであろうか。

『大言海』の説明がふるっている。

「抑(そも)を重ねて,意を強く云ふ語。多くは,意味なく,文を発する語とす。」

『岩波古語辞典』には,

「上をおさえて下を言い起こすのにいう。ただしまた,それとも」

とあり,前段で言ったことを,とき直すのに,文頭で持ってくる言葉ということになる。まあ,文飾の一つと見なせばいいのかもしれない。それを開き直るから,恥の上塗りをする。

ちなみに,「抑」の漢字は,

おさえる,

という意味だが,

これを求るか,そもそもこれを与ふるか,

という使い方のように,

話をいったんおさえて,反対の見方を出して選ばせる感じを表す,

意であり,これがこの言葉の由来であることがわかる。

「そもそも」の語源は,『日本語源広辞典』には,

「『ソモ+ソモ』です。ソモは,それもの意です。文頭のソモソモは,一体,さて,の発語となります。例:そもそも,それが間違いと事故の原因だ」

とある。漢文訓読から来ているから,文章を重々しくするために,あえて使う言葉だから,「さて」では体裁がつかない。「そもそも」と言えば,勿体がつく,ということだろうか。

で,「そも(抑)」について,『大言海』は,

其亦(そも)の義,

とし,

上を指して,下を起こす語。それも,

で,ほぼ「そもそも」と同義だ。『岩波古語辞典』は,

其も,

を当てる。『日本語源大辞典』には,「そも(抑)」について,

代名詞其(そ)に係助詞(も)のついたもの,

としている。「其(そ)」は,当然,前段の文を指す。

「改めて事柄を説き起こし,問題として示す。疑問の言い方をとることが多い」

とある。語源は,

ソモ(其亦)の義(大言海),
サテモの転(日本釈名),
ソノモト(其元)または,ソト,ミヨの反(名語記),
ソレモの義(和句解),
サレトモの義(名言通),

とあり,総じて,「しかしながら」という反語的含意をこめて,前段の論旨を,説き直すという感じである。だから,

さりながら,

といった含意が強い。牽強付会すれば,意味の外延に,

基本的に,

という含意はなくもないが,そういう言い方で使うことはないようだ。こんな日本語そのものについて無知な輩が,

美しい日本,

だの,

日本の伝統,

だの,まして,

日本を取り戻す,

などほざくとは,臍が茶を沸かす。そもそも,そんな程度の頭脳で,日本国憲法が,

みっともない,

などと言われたくないものである。いや,この手合いだ。

みっともない,

という意味を知らないのかもしれない。

「みっともない」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%BF%E3%81%A3%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84),

「そもそも」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%9D%E3%82%82%E3%81%9D%E3%82%82)の語感については,

でそれぞれ触れた。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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きょうこう


「きょうこう」

とは,

向後(嚮後),

と当てる。もちろん,

こうご,

とも訓む。

今から後,今後,将来,

という意味である。「こうご」の項を引くと,

この後,今後,きょうこう,

と意味が載る(『広辞苑』)。『大言海』に,

「向の字の漢音に,カウ,キャウの二音あり」

とある。『字源』には,

向は,目あての方へ,正面に向くなり,
迎は,来る人を出迎ふる義,

と区別する。「向後」は,中国由来だが,

キョウコウ,
コウゴ,

と,「向」は,「きょう」「こう」と漢音で二様に訓む。「後」は,漢音で「こう」,呉音で「ぐ」,唐音で「ご」とある。さまざまな訓み方が混淆している。「向後」は,

キョウゴ,

とも訓める。向後の対は,

向来,

であるが,これは,当然,

きようらい,
とも,
こうらい,

とも訓む。

従来,これまで,以前から,

と真逆になる。

「向後」は,

向後,万端よろしくお願いします,

という使い方をする。例の,『男はつらいよ』の主題歌で,渥美清のセリフで,

「とかく 西に行きましても
東に行きましても
土地 土地のお兄貴さん お姐さんに
ごゃっかいかけがちなる若造です
以後 見苦しき面体
お見知り おかれまして
きょうこう万端ひきたって
よろしく おたのみ申します」

の,「きょうこう万端ひきたってよろしく おたのみ申します」の「きょうこう」である。ときどき過って,たとえば,

http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/3764953bde2363553017dabf1c69d704

では,

「以後面体お見しりおかれまして、恐惶万端引き立って、よろしく、おたの申します」

と,「恐惶」の字を当てているが,「向後」である。「恐惶」は,

恐惶謹言,
恐惶敬白,

と末尾に記すが,「恐れ畏む」意で,ここでは,あくまで,

以後よろしく,

と言っているのである。ちなみに,

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671800.html

では,「今後」と「向後」を,

既に施行している法に対しては、「今後」であるが
将来施行されるだろう法について「向後」と表現している
つまり、「今後」は、現在進行形であるが、「向後」は未来進行形,

と区別していた。というよりも,「今後」は,

「いま」という瞬間に立って,それ以降,

としているのに対して,「向後」は,

気たるべき未来に向き合っている,

という意味で,「今後」は,時間軸の流れを指し,「向後」は,時間軸を空間的に置き換えて(そちらへ向くと)表現している,という感じがする。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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やまと


「やまと」とは,

「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし」

の「やまと」である。

大和,
倭,

と当てられる。『広辞苑』には,

「山処」の意か,

とある。「山処」とは,

「(トはところの意という)山のある辺り。山」

の意とある(『広辞苑』ただし『大言海』は,「トは,タヲの約」とする)。

『大言海』は,「大和」「倭」「日本」と当てて,

「大の字は,美称。天平勝寶年中,大和と改む。此語原は,古来種々の説あれど,すべていかがなり,これは山間處(やまと)の約なるべし(たびひと,たびとの類),大和國は四方,皆山にして,中に平地あるを以てなり。山背(やましろ)に対す。又日本をヤマトと訓むは,大和より移れるなり」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C

は,

「古墳時代頃に漢字文化が流入すると、『やまと』の語に対して『倭』の字が当てられるようになった。中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して『倭』と呼んでいたが、古墳時代に倭を『やまと』と称したこと、『やまと』の勢力が日本列島を代表する政治勢力となっていたことの現れとされる。
次いで、飛鳥時代になると『大倭』の用字が主流となっていく。大倭は、日本列島を代表する政治勢力の名称であると同時に、奈良地方を表す名称でもあった。7世紀後半から701年(大宝元年)までの期間に、国号が『日本』と定められたとされているが、このときから、日本を『やまと』と訓じたとする見解がある。」

と書くが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD

の言うように,「倭」は,

「紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。」

であり,

「紀元前後頃から7世紀末頃に国号を『日本』に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。」

ので,漢字の意味を知るまでは,「倭」を自称してはばからなかったことになる。「倭」は,

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0362/

にあるように,

「本来『なよなよしている』『従順な』といった意味」

だけではなく,

「背が曲がってたけの低い小人」

の意もある(「倭夷」とさえ言う)。「倭」の字は,

「禾(カ)は,しなやかに穂を垂れた低い粟の姿。委(イ)は,それに女を添えた女性のなよなよした姿を示す。倭は『人+音符委』で,しなやかで丈が低く背の曲がった小人を表す。」

「倭国」等々と自称していた時代は,それでも中国(漢や魏)と外交することにメリットがあったに違いない。その意味で,『古語辞典』の,

「奈良県の一郷名に始まり,奈良県全体にわたる『大和国』の国名になり,ついで日本全体の代表名となった語。類義語オホヤシマが地理的な意味を持ち,ヒノモト(日本)が対外的な意識によって多く用いられたのに対し,天皇家の国家統一に伴って意味の拡大されて行った語らしい」

というのが意を尽くしている。『大言海』の,

「大の字は,美称」

とは言い得て,妙である。しかしその「倭」に,「やまと」と訓ませた(『古事記』や『日本書紀』では倭(ヤマト)日本(ヤマト)として表記されている)以上,「やまと」という呼称は元々あったことになる。

地域的には,

「8世紀に『大倭郷』に編成された奈良盆地南東部の三輪山麓一帯が最狭義の『ヤマト』である」

とされるが,語源は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C

に,

山のふもと説(「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと)),
山に囲まれた地域であるからと言う説
この地域を拠点としたヤマト王権が元々「やまと」と言う地域に発祥したためとする説,
「やまと」は元は「山門」であり山に神が宿ると見なす自然信仰の拠点であった地名が国名に転じたとする説,
「やまと」は元は「山跡」とする説,
三輪山から山東(やまとう)を中心に発展したためとする説,
邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説,
「やまと」は元は温和・平和な所を意味する「やはと」、「やわと」であり、「しきしま(磯城島)のやはと」から転訛して「やまと」となり、後に「しきしま」がやまとの枕詞となったとする説,
アイヌ語で、“ヤ”は接頭語、“マト”は讃称で、高貴を意味する“ムチ”や祥瑞を意味する“ミツ”等と同根の語とする説,
ヘブライ語で「ヤ・ウマト」=「神の民」とする,

等々の諸説が載る。ただ,上代特殊仮名遣いがあり,

「奈良時代まで日本語の『イ』『エ』『オ』の母音には甲類 (i, e, o) と乙類 (ï, ë, ö) の音韻があったといわれる(上代特殊仮名遣い)。『邪馬台国』における『邪馬台』は"yamatö"(山のふもと)であり、古代の『大和』と一致する。筑紫の『山門』(山の入り口)は"yamato"であり、音韻のうえでは合致しない」

とあり, その意味から排除されていく説はある。『日本語源広辞典』は,六説載せる。

説1「山+ト(門・狭くなったところ)」で,山に囲まれた狭い処,山国の意,
説2「山+ト(処・ある処)」で,山の国の意,
説3「日本を意味するヤマト」。意味的に変化させて使用した語。
説4「ヤマト島の中心」の意,
説5「山本」の転,三輪山の麓の意,
説6「山外」で,難波から見て生駒山の外の国の意,

『日本語源大辞典』は,十数説を載せる。

天地がわかれてまだ泥が乾かなかった頃,人は山に住み,往来してその跡が多く見られたところから,山跡の義(和歌童蒙抄・日本紀私記・塵袋・一時随筆・類聚名物考),
ヤマト(山跡)の義(柴門和語類集),
山止の義。止は居住の意の古語(日本紀私記・一時随筆),
昔は人が見な山に住んだところから,山戸の義(万葉考別記・類聚名物考),
山に囲まれ,皆山門から出入りするところから,ヤマト(山門)の義(万葉考別記・類聚名物考),
トは処の義(和訓栞),
トは上代語で,山の間・山のふもとの意(大和朝廷=上田正昭),
ヤマト(山間処)の約か(大言海),
生駒山の外にあるところから,ヤマト(山外)の義(日本釈名・類聚名物考),
イヤマトコロ(弥真所)の義(日本語原学),
ヤモト(陽根)の転(和語私臆鈔),
エンハト(蜻蛉所)の義,またヤンマト(野馬所)の義(言元梯),
蜻蛉はヤマ(野馬)であるところから,秋津洲をヤマトトという(天保佳話)

語呂合わせでなければ,そもそも自分の四囲を名づけたはずだ。外からの視点や俯瞰する視点は,後知恵に過ぎない。とすれば,

山,

に絡まり,上代特殊仮名遣いから外れないものというと,ヤマト(山門)を外して,

「山+ト(門・狭くなったところ)」
「山+ト(処・ある処)」
「トは上代語で,山の間・山のふもと」
「ヤマト(山間処)」

等々に絞れてくる。しかし,原ヤマトが,

奈良盆地南東部の三輪山麓一帯,

とするなら,

「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと),

説に惹かれる。なお,「やま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%82%84%E3%81%BE)については触れた。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9B%86%E5%9C%B0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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みすぼらしい


「みすぼらしい」は,

身なりが悪い,
外見が貧弱である,

という意味である。『広辞苑』には,

「身が窄(すぼ)るような意」

とある。「みすぼらしい」は,転訛して

みそぼらしい,

とも言うらしい。単なる外見の悪さを状態表現しているだけなのに,そこに貶める価値表現へと転じていく含意が読める。『デジタル大辞泉』にも,

「『すぼらシ』は動詞『窄 (すぼ) る』の形容詞化。『身窄らしい』で、身がすぼまるさま、また『見窄らしい』で、すぼまるように見えるさまの意ともいう。」

とある。しかし,「すぼる」は,「すばらしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84) で触れたように,

「すぼむ(窄む)」は,「つぼむ(窄む)」の,

tu→su,

の子音交替である。『日本語の語源』に,

「『ツ』の古語は[tu]であった。二つの子音が結合している破擦音のツ[tsu]は子音交替が困難であるが,直音の『ツ』は破裂運動を摩擦運動に変えることによって容易に『ス』に移行した。」

とある。そして,「つぼむ」あるいは「つぼる」は,

は,

つぼ(壺)を活用させた語,

である。つまり,「小さくすぼむ」意である。『古語辞典』「つぼみ」の項には,

窄み,
莟む,
噤む,

の字を当て,

「壺を活用させた語」

として,

壺の口のように,小さくすぼむ,
開いていた花がしぼむ,
つぼみをもつ,

といった意味が載り,そのアナロジーで,

散らばっていた人数が一か所にまとまる,
人数をまとめてひきこもる,

といった意味があるとする。だから,

狭く小さくなる,

という意味で,「つぼむ」

は,

すぼむ,
つぼまる,
すぼまる,

とも言う(『大言海』)。当然連想されるように,

蕾(莟)み,

ともつながる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mi/misuborashii.html

「みすぼらしいは『みすぼらし」の口語で、語構成は『み(身)』+『すぼらし(窄らし)』。すぼらしは、『狭くなる』『縮む』『小さくなる』といった意味の動詞『すぼる(窄る)』の形容詞形 で、みすぼらしいは『身が窄るようになる』。 つまり、『身が細くて貧弱である』という意味。動詞『すぼる』には『すばる』という形もあり,みすぼらしいは『みそぼらしい』ともいう。また『すばる』の形容詞形『すばらしい(素晴らしい)』である。』

は,「すぼむ」が「つぼむ」転訛であることを見逃しているように見える。これでは,「蕾」につながっていかない。

「つぼ(壺)」の語源を見ると,『日本語源広辞典』は,

説1「ツボ(丸い)+ミ(芽)」で,丸い芽の意,
説2「つぼむの連用形名詞」で,蕾と,ツボマル,局は同語源,

とし,『日本語源大辞典』は,

その形がツボ(壺)のようにツブラ(円)であるところから(東雅),
ツブラメ(円芽)の義か(名言通),
その形から,ツボミ(円身)の義か(和語私臆鈔),
ツボはツブオ(粒発)の約(国語本義),

とするが,壺を活用化した,

窄む,

の名詞化でいいのではないか。『日本語の語源』によると,つぼみ(蕾)を,

つぼ,

と呼ぶ地方もあるようだ。確かに,壺に似ている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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わらう


「わらう」は,

笑う,
嗤う,
哂う,
咲う,

等々と当てる(『大言海』は,哄う,莞う,咍うとも当てている)。比喩的に,

つぼみが開く,

意にも使うし,

膝が笑う,

というように,機能しなくなる意でも使う。『岩波古語辞典』には,「わらふ」について,

「愉快さ・面白さに顔の緊張が破れ,声を立てる意。類義語エミは,微笑する意」

とある。『大言海』は,

「顔の散(わら)くる意という。笑は,をかしき也,嗤は,わらひぐさにする也,咲は,笑の古字,哂は,わっと笑う,莞は,ほほえみ笑ふ,咍は,あざけり笑う」

と,字源に触れているが,『日本語源広辞典』は,

「ワラ(割・破る)+ふ(継続)」

で,

「顔の表情が割れ,そのまま継続・反復する状態をいいます。つまり,顔の表情が割れ続けるが,ワラフなのです。」

とする。いずれも,破顔,つまり表情の崩れを指している。『日本語源大辞典』には,多くその系統が並ぶ。

顔がワラ(散)クル意(大言海),
相好が崩れ,破顔する義で,ワルル(破)からか(国語の語幹とその分類),
口を大きく開く意の,ワル(割)から(名言通・笑いの本願=柳田國男),

が,その他にも,

ワイワイ,ワッなどという音声のワに,ラフの活用を添えた語(松屋筆記),
ヱラギイフ(悦噓言)の義(日本語原学),
ワラはヱラ(噓)の転。ヱラ(歓)に通じる(日本古語大辞典),
エラフ(悦楽反)の義(言元梯),
サラハ(童)のコピの義か。あるいはヨロコブ(喜)の義か(和句解),
子どもの生まれると人は優しくなり,それが面に表れるところから,ワラウ(童得)の義(柴門和語類集),
ワレ−アフの義。ラはレアの反(国語本義),

等々載せる。基本,語呂合わせは取らない。音韻変化とすれば,割れ,破れ,散(わ)る,という眼前の表情変化から来たと見るのが妥当ではあるまいか。漢字では,『大言海』も触れているが,笑いごとに意味を変えている。

「笑」は,喜びて顔を解き歯を啓くなり。転じて花の開くを花笑といふ。また冷笑はにがわらひなり。
「嗤」は,あざけりわらふなり。
「哂」は,音シン。微笑なり。

とある(『字源』)。「笑」の字は,

「夭(ヨウ)は,細くしなやかな人。笑は『竹+夭(ほそい)』で,もと細い竹のこと。正字は『口+音符笑』の会意兼形声文字で,口を細くすぼめて,ほほとわらうこと。それを誤って咲(わらう→さく)と書き,また略して笑を用いる。」

とある。「咲」の字を見ると,

「『口+音符笑』が,変形した俗字日本では,『鳥なき花笑う』という慣用句から,花がさく意に転用された。『わらう』意には笑の字を用い,この字(咲)を用いない。」

とある。「哂」の字は,

「西は,ざるを描いた象形文字で,すきまから水や息が漏れ去る意を含む。哂は『口+音符西』で,くちもとから息が漏れること。」

とある。「嗤」の字は,

「『口+音符蚩(シ)』。蚩(シ)は無知な動物を意味するが,ここでは単なる音符である。葉を剥いて息を出してわらう声を表す擬声語。」

とある。われわれには,「わらふ」と「ゑむ」しかないのだか。

ちなみに,「わらう」には,特殊な意味があり,

舞台の上から物を片付けること,

を「わらう」というらしい。

http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/warau.htm

には,

「元々『わらう』とは、道具の、ある部分が緩んでいる様子を指した言葉でした。縛った部分が緩くなってガタガタとしている、また、釘が緩んで道具が傾いでいる様子を「わらう」と言ったのです。『膝がわらう』などと同じですね。
わらっている道具は直さねばならないですよね。『その道具わらっているから片付けろ』という言葉が後に『わらう』という言葉に略されていったようです。」

とある。それがテレビ業界にも伝播したらしく,

「邪魔なものを片付ける」

という意味で使われているらしい。たとえば,

「そこの椅子わらって」

というように。その謂れには,

「取り払う」が省略されて「はらう」になり、更に音が変換され「わらう」になった,

という説もあるらしい。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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つぼ


「つぼ」は,古くは,

つほ,

と清音であったらしい。

壺,

の字を当てるが,『広辞苑』は,

自然にくぼんで深くなったところ,

の意味を最初に載せる。それに準えて,

容器,

の意味になったものか,その逆に,壺から,それをメタファーに,窪んだ土地をいったものかは,これだけではちょっと分からない。しかし,次いで,

あるものに差し込む部分,

の意味が載り,

つぼがね,

笙の管を立てる椀型の共鳴部分,頭(かしら),匏(ほう),

という意味が載る。「つぼがね」は,「壺金」とあて,

開き戸の釣り元に開閉のために打つ金具。軸となる肘金(ひじがね)を受ける壺状の環のついたもの,つぼかなもの,ひじつぼ,

である。

http://sugiitakunn.blog.shinobi.jp/%E3%81%B2/%E8%82%98%E5%A3%BA%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%EF%BC%88%E3%81%B2%E3%81%98%E3%81%A4%E3%81%BC%E3%80%80%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%85%A5%EF%BC%89

をみると,肘壺の上の金物と下の金物を分られていて,

「下の金物が、枠や、柱につき,上の金物が、建具に付く真ん中の座金のような金物は、蛇の目と呼ばれる金物」

と呼ばれたようである。「ひじがね」は,

戸の開閉に用いる金具で,肘形に曲げて作って開き戸の枠に取り付け,柱にある肘壺(ひじつぼ)にさし込んで蝶番(ちょうつがい)のような役をするもの,

となる。こうみると,「つぼがね」とは,窪みのことを指す。笙の,「笙の管を立てる椀型の共鳴部分」というのは, 

匏,

と呼ばれるが,雅楽に用いる管楽器の笙は,

「匏(ほう)の上に17本の長短の竹管を環状に立てたもので、竹管の根元に簧(した)、下方側面に指孔がある。匏の側面の吹き口から吹いたり吸ったりして鳴らす。奈良時代に唐から伝来。」

とされる。「匏」とは,「ひさご」の意味で,

http://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/gakki_jiten_show2.html

を見ると,笙のさまざまな変型があり,笙の匏(ふくべ)の部分が,「匏」と呼ばれている謂れがわかる。ここでも,壺は,

窪み,

に準えて言っていることがわかる。そして,

坪,

とあてる「つぼ」も,また,ここから来ている。『広辞苑』の「坪」の項では,

壺,

とも書く,とある。『大言海』の「坪」の項には,

「殿中の間(あはひ),或いは,垣の内の庭など,一区の窪まりたる地の称(常に壺の字を借書す)」

とある。これも,窪みのアナロジーである。さらに,『広辞苑』は,

ここと見込んだ所,

という意で,

矢を射る時ねらうところ,
すぼし,
急所,かんどころ,
灸で据えるべき場所,灸点,

と意味を載せる。ただ,この「ツボ」は,窪みとつながらず,少し由来が違うのかもしれない。という気がする。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsubo.html

は,

「口と底がつぼまっていることから,『つぼむ(窄む・蕾む)』に由来するといった説があるが,『つぼむ』は『つぼ』の動詞化と考えられているため,この説は採用しがたい。壺は丸くふくらんでいるので,『つぶら』『粒』など丸いものを表す『つぶ』に通じる。しかし古形は『つほ』なので,濁音の『つぶら』から清音の『つぼ』が生じ,濁音に戻ったという点で疑問が残り,同語系と考えるにとどまる。」

とし,「急所や勘所,灸などの治療で効果のある体の『ツボ』は別に項を改める」としているので,別系統かと予想できる。『日本語源広辞典』は,

「つぼむ(すぼむ)」

説を取っているが,「すばらしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%99%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84)「みすぼらしい」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%BF%E3%81%99%E3%81%BC%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84) で触れたように,「すぼむ(窄む)」は,「つぼむ(窄む)」の,

tu→su,

の子音交替である。『日本語の語源』に,

「『ツ』の古語は[tu]であった。二つの子音が結合している破擦音のツ[tsu]は子音交替が困難であるが,直音の『ツ』は破裂運動を摩擦運動に変えることによって容易に『ス』に移行した。」

とある。そして,「つぼむ」あるいは「つぼる」は,

は,

つぼ(壺)を活用させた語,

である。その意味で,壺があっての語だから,語源とはならない。『日本語源大辞典』は,

口がツブラ(円)であるところから(東雅,萍(うきくさ)の跡・玄同放言・和訓栞・言葉の根しらべ・日本古語大辞典・蝸牛考=柳田國男),
口がつぼんでいるところから(国語の語幹とその分類・日本語源・上方語源辞典),
つぼむ(莟む)の義(万葉集類林・名言通),
ツツヒロの反(名語記),
土でつくるところから,ツは土の義,ボはクボムの義(和句解),
ウツホ(空)の義(言元梯),
アツボ(虚洞)の義か(和語私臆鈔),

等々載せるが,古形が「つほ」であると考えると,

うつほ→つほ,

に惹かれる。矢を盛って腰に背負う宙空の籠を,

うつぼ(空穂・靫),

と呼ぶが,想像されるように,

うつほ→うつぼ,

と転じたとみられる。さらに,「うつほ(空)」は,

ウツホラ(空洞),

の約で,

うつお(空),

つまり,中かがからである,意である。となると,

うつほら→うつほ→うつぼ,

あるいは,

うつほら→うつほ→うつぼ,

うつほら→うつほ→うつお

は別系統,でもありえるように思えてくる。なお,

勘所,

の意のツボ,

壺にはまる,
ツボを押さえる,

のツボは,

壺,

の字を当てたりするが,由来が違う。また,

思う壺,

の壺も,由来を異にするようだ。これは,項を改めることにしたい。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%99
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ツボ


「 壺」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%BF%E3%81%99%E3%81%BC%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84) で触れたが,

つぼにはまる,
ツボを押さえる,

のツボは,いずれも,

壺,

の字を当てることもあるが,由来が違うようだ。また,

思う壺,

の壺も,由来を異にするようだ。

つぼ(壺)には(嵌)まる,

は,

要所をついている,勘所を押さえている,
予想通りに物事が運ぶ,

といった意味で使われる(『広辞苑』)が,どちらかというと,

まんまと図に当たる,

という意味(『大辞林』)が近い。

つぼ(壺)をおさ(抑・押)える,
つぼ(壺)を心得ている,
つぼ(壺)をはずす,
つぼ(壺)をつく,
笑いのつぼ(壺),

等々の「ツボ」は,

http://yain.jp/i/%E5%A3%BA%E3%82%92%E6%8A%91%E3%81%88%E3%82%8B

で言うように,

物事の大切な所,勘所,

の意で, 

「この『壺』は、鍼や灸、指圧なのの効き目のある所のことで、転じて、物事の勘所をいうようになった。」

という,いわゆる,

体にあるツボ,

つまり,

経穴,

を指す。経穴については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E7%A9%B4

に詳しいが,

「経穴 (けいけつ) とは、中医学、漢方医学、経絡学の概念で、体内の異常に応じて体表の特定の部位に対応して現れるもので指圧、鍼、灸で刺激を与えることで体調の調整、諸症状の緩和を図るものである。一般には「ツボ」とも呼ばれる。筋筋膜性疼痛症候群(Myofascial Pain Syndrome)におけるトリガーポイント(例えば腰痛の原因となる筋・筋膜内の好発部位)と大半が一致する。」

とか。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3292498.html

によると,「経穴」も,「つぼ」と訓ませるようだ。それには理由がある気がする。経穴もまた,

全身の体表に存在する、陥凹(かんおう)点、圧痛点,

等々を指すが,メタファとして,

壺,

といったに違いない。 「壺」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%BF%E3%81%99%E3%81%BC%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84) で触れたように,

窪み,

に由来し,笙の匏(ほう),壺金(つぼかね)ともつながるところから見ると,(実際にあるわけではないが)窪みに準えての含意として,「壺」という言い方は,当を得ているのではあるまいか。だから,やはり,ツボも,

壺,

の仲間なのである。

ところが,

思う壺,

の「ツボ」は,「経穴」由来ではない。『日本語源広辞典』には,「ツボ」は,

賭博で采を入れて振る道具,

の意である。『デジタル大辞泉』では,

相手の壺にはまる,

をその用例として挙げる。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/omoutsubo.html

は,

「『壺』は,博打でサイコロを入れて振る藤や竹で編んだ『壺皿』のこと。熟練の壺振師は,思った通りの目を出せることから,こう言うようになった。『思う壺にはまる』という表現は,狙った通りになる意味の『壺にはまる』に合わせたものであるが,この『壺』は博打で用いる壺皿のことではない。」

つまり,「壺にはまる」の「壺」は,「経穴」のそれらしいのである。この辺り,しかし,壺の意が混じり合っているので,厳密な区別は難しいのかもしれない。では,

深く落ち込んだ状態や最悪な状況のこと,

を意味する,

どつぼ,

の「つぼ」はどうか。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/20to/dotubo.htm

によると,

「どつぼとは深く落ち込んだ状態や最悪な状況を意味し、そういった状況になるという意味の『どつぼに嵌まる(はまる)』といった形で使われることが多い。どつぼはもともと関西エリアで肥溜め(肥溜めは野にあることから野壷ともいい、それが音的に崩れたものか?)のことをいうが、関西芸人が最悪な状況を肥溜めにはまった状況に例え、楽屋言葉としてどつぼというようになったとされる(壷に閉じ込められ、落ち込む様をどつぼと言い出したのが最初という説もある)。一般には1970年代末辺りからよく使われるようになる。」

とある。「凹む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E5%87%B9%E3%82%80) で触れたように,「落ち込む」は,

「落ち+込む」

で,「穴に落ち込む」の意味から来ている。メタファとして使われている。その意味で,「どつぼ」の壺は,「窪み」の意味の壺から来ているとみていい。

心が穴に落ちている状態,

を言っている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E7%A9%B4

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えむ


「わらう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%B5) で触れたが,「わらう」は,

割れ,破れ,散る,

という眼前の表情変化から来た言葉のようであった。では,

笑む,

と当てる「えむ」はどう違うのか。「わらう」にもあったが,「えむ」にも,

にこにこする,ほほえむ,

の意の他に,

蕾がほころびる,

さらには,

栗のイガが割れる,

という意もある。これは,「笑」の字が,

「夭(ヨウ)は,細くしなやかな人。笑は『竹+夭(ほそい)』で,もと細い竹のこと。正字は『口+音符笑』の会意兼形声文字で,口を細くすぼめて,ほほとわらうこと。それを誤って咲(わらう→さく)と書き,また略して笑を用いる。」

という経緯が関係しているのかもしれない。「咲」の字は,

「『口+音符笑』が,変形した俗字日本では,『鳥なき花笑う』という慣用句から,花がさく意に転用された。『わらう』意には笑の字を用い,この字(咲)を用いない。」

とある。漢字を得て,自家薬篭中のものとした先祖たちは,いろいろ表現世界を広げていったのが目に見えるようだ。まさに,

もっている言葉によって見える世界が違う,

というヴィトゲンシュタインの言う通りな気がする。さて,閑話休題。

「えむ」は,旧かな遣いでは「ゑむ」と表記するが,『大言海』には,

「口を開かんとする義。ゑらぐ(歓喜)に通ず」

とある。実は,『大言海』は「ゑむ」の項は,二項別に立てる見識を示していて,

笑む,
咲む,

とあてる「ゑむ」とは別に,

罅む,

の字をあてる「ゑむ」を立てている。「罅む」は,

「(笑むの義)裂け開く(栗毬(いが)など)」

の意味としている。そして前者については,

「心に愛ずることありて,顔にあらはれて,にこやかなる。笑ひを含む」

と卓抜な意味を載せている。つまり,後者は,前者から派生したという含意のようである。因みに,「ゑらぐ」は,

歓喜,

と当て,「笑む義」とある。ただ『古語辞典』には,「ゑらぐ」は見当たらず,

ゑらき,

で,

「(ヱラヱラ(酒に酔うさま)と同根。『き』は擬態語を動詞化する接尾語)酔う」

としか載らない(ヱラヱラが,エヘラエヘラという擬態語に通ずるのかも)。

こうみると,「えむ」も,「わらう」と同じく,表情の変化から来ているらしいことがだけは推測がつく。『日本語源広辞典』,

「口が開きはじめる,さける」

の意とするが,これでは「えむ」の謂れの説明になっていない。『日本語源大辞典』は,

ヱを発音するときは,口角が上がり,笑うときに似ているところから(国語溯原),
口を開こうとする義,ヱラグの略(大言海),
エエと,咲い出しそうな様子が顔に見える義デ,エミ(咲見)から(言元梯),
ヱ(笑)が語根デ,ムは含むの略(類聚名物考・日本語原学),
エミ(得見)か。自分の得たいものを得て見る時,喜びの表情が現れるから(和句解),

等々を載せるが,どうも明快ではない。敢えてう言うなら,語呂合わせではない,

ヱラグの略,

とする『大言海』の転訛説をとりたい。別の視点から,では,

ほほえむ,

はどうなのか。『大言海』は,

「含(ほほ)み笑みの意ならむ。或は云うふ,頬笑むの義,頬に其の気色の顕はるる意と」

とする。『日本語源広辞典』は,

「ホホ(頬)+笑む」

を取る。「頬が笑う」というのと,「笑いを含む」のとでは,意味は似ていても,言葉のニュアンスが違う。「笑いを含む」の陰翳をとりたい気がする。ただ,『日本語源大辞典』には,

「頬笑むの意と考えられるが,中世の辞書類では,しばしば『ほお(頬)』と『ほほえむ』の語形が違う。『頬(ホフ)』―『忍笑(ホホ・シノビワライ)』(文明本節用集),『頬(ホウ)』―『忍笑(ホホエン)』(永禄五年本節用集),『頬(ホフ)』―『微笑(ホホエム)』(易林本節用集)など。これは複合語中に古形が保存されがちであり,単独語が形を変えやすいことの一例である。」

とある。「えむ」の由来ははっきり分からないが,結局,

笑,

の字を当てたことで,「わらい」の意味が混淆するようになったということだけは予想できる。

ところで,

http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/884/meaning/m0u/

で,「笑う(わらう)」と「微笑む(ほほえむ)」を, 

「笑う」は、表情をくずすだけのものから、大声を立てるものまで全部含まれる,
「微笑む」は、目と口の表情を変えるだけで、静かに、かすかに笑う意,

と区別し,「笑む」について,

「元来は声を出さずにかすかに笑う意味であるが、現代語としては『ほくそ笑む』のような複合語として、また『花は笑み、鳥は歌う』のような比喩(ひゆ)的な使い方しかしない。」

とする。『日本語源大辞典』の言うように,

ほほえみ,
ほくそえむ,

といった複合語に,「えむ」という古形が残ったということなのだろう。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ほくそえむ


「ほくそえむ」は,

物事がうまくいったとひそかに笑う,

意で,『広辞苑』には,

「一説に,ホクソは『北叟』で塞翁の意という」

とある。多くは,この説をとる。『デジタル大辞泉』も,

「『ほくそ』は「北叟」か」

とある。『大辞林』も,「ほくそう(北叟)」は,

「北辺の老人。淮南子(えなんじ)の『塞翁が馬』の故事の塞翁をいう。」

とする。「ほくそ笑む」は,また,

ほくそ笑い,

とも言ったようだが,この言い方は,今日はあまりしない。『大言海』には,

北叟笑ひ,

北叟笑み,

が載り,やはり,

「塞翁の故事に起こる,翁を北の翁と歌に詠めり」

として,

痴笑(しれわらひ)をなす,にこにこ笑ふ,

と意味が載る。「しれ(痴)わらひ」は,

痴れたるように笑う,

意で,『広辞苑』には,

愚かなさまで笑うこと,
ばか笑い,

とあるので,今日の「ほくそ笑む」とは,少しニュアンスが違う。『古語辞典』は,

ほくそわらひ,

ほくそえむ,
も,

微笑する,
にこりと笑う,

の意が載るので,これも,どちらかというと,

にんまりする,

とか,

「どんなに嬉しくても,それをあまりはっきりと表情には出さないで,心の中で密かに笑う」

という使い方とは,少し違うようだ。さらに,『古語辞典』には,

「(唐の北叟は)喜びある事を見ても少し笑み,憂ある事を聞きても少し笑みけり。…今の人も少し笑みたるをほくそわらひといへるは,この北叟が事なるべし」

と載る。必ずしも塞翁のことを言っていないようである。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ho/hokusoemu.html

も,

「ほくそ笑むの『ほくそ』は,『 北叟(ほくそう)』のこと。 北叟とは、古く中国で北方の砦に住むとされた老人 塞翁のことで,北叟が喜ぶときも憂うときにも少し笑ったという故事から,『ほくそう笑む』が転じて『ほくそ笑む』となったとされる。室町時代の『源平盛衰記』にも,『ほくそえむ』『ほくそわらふ』の例が見られる。」

と,やはりほくそ=北叟=塞翁説を取る。しかし,『日本語源広辞典』は,

「ホクソは,塞翁だという説がありますが,どうもはっきりしません。芋屑,つまりカラムシの茎を,ホクソと言い,これで作った頭布を,ホクソズキンというので,ホクソ頭巾の陰て,人に見えないように笑う意を,ホクソエムというようになったという説にしたがいます。」

とある。しかし,この説は,

ひそかに笑う,

という現代の「ほくそえむ」の意味から語源を解釈している。仮に,『古語辞典』のように,「ほくそえむ」が

微笑する,

意だとすると,あわない。また,『大言海』のように,

痴れ笑い,

だとしたら,もっと合わない。「痴れ笑い」なら,北叟=塞翁説としても齟齬がある。もし,

微笑する,
にこりと笑う,

という意なら,やはり北叟=塞翁説が妥当かもしれない。しかし,今日の,

にんまりする,

という含意とはずれてくる。因みに,「塞翁が馬」については,

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/saiougauma.html

に,

「塞翁が馬の『塞翁』とは,北方 の『砦・塞(とりで)』に住むとされた老人(翁)のことで,出典は中国前漢時代の思想書『淮南子』「人間訓」の故事から。昔,中国北方の塞に占いの得意な老人(塞翁)が住んでいた。ある日,翁が飼っていた馬が逃げてしまったので,人々が慰めに行くと,塞翁は『これは幸いになるだろう』と言った。数ヵ月後,逃げた馬は立派な駿馬を連れて帰って来たので,人々がお祝いに行くと,『これは災いになるだろう』と言った。塞翁の息子が駿馬に乗って遊んでいたら,落馬して足の骨を折ってしまったので,人々がお見舞いに行くと,塞翁は『これは幸いになるだろう』と言った。一年後,隣国との戦乱が起こり,若者たちはほとんど戦死したが,塞翁の息子は足を骨折しているため兵役を免れて命が助かった。この故事から,『幸(福・吉)』と思えることが,後に『不幸(禍・凶)』となることもあり,またその逆もあることのたとえとして『塞翁が馬』と謂うになった。また,『人間のあらゆること(人間の禍福)なお,』を意味する『人間万事』を加えて,『人間万事塞翁が馬』とも言う。」

とある。また,「笑う・ 笑む・微笑む・ほくそ笑む」の対比については,

http://mobility-8074.at.webry.info/201506/article_10.html

に,詳しい。

参考文献;
http://mobility-8074.at.webry.info/201506/article_10.html
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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きら


「きら」は,

キラキラと見えるもの,また光のきらめき,

の意であるが,また,その状態から,

雲母(うんも),

を指す。あるいは,モノとしての雲母から,「きら」という言葉ができたのかもしれない。雲母は,

きらら,

とも呼ぶ。『大言海』には,

「煌煌(きらきら)の約。うらうら,うらら。きはきは,きはは」

と載る。因みに,「雲母」の項,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E6%AF%8D

に,吉良氏の,

「『吉良』の語源は、三河国守護足利義氏の末裔の氏族が支配した吉良荘(愛知県西尾市及び幡豆郡)から『きら』すなわち雲母が採れた事である、とされる。」

とある。

ところで,「きら」には,例の,

綺羅星の如く,

と使われる,「綺羅」と当てる「きら」がある。『岩波古語辞典』には,「綺羅」について,

「『綺』はあやぎぬ,『羅』はうすぎぬ」

とあり,『大言海』には,

「綺(かんはた)と,羅(うすぎぬ)」

とあり,『デジタル大辞泉』は,

「綺」は綾織りの絹布、『羅』は薄い絹布の意」

としている。いずれも当時最大級の「美しい衣装」の意である。

綺羅を磨く,

という言い回しは,華美を凝らす,という意であり,

綺羅星,

は,「綺羅,星の如く」で,「暗夜にきらきらと光る無数の星」を意味する。

ところで,『日本語源広辞典』には,「綺羅」について,

「中国語で,『綺(あや絹)+羅(うす絹)』が語源です。美しい衣装や,美しい衣服を着た人のことをいいます。キラは,キラキラ,キラメク,という日本語の語源です。キラキラ星などといいます。」

とある。しかし,「綺羅」は確かに華美ではあっても,輝くというのには程遠い。「きら」は擬態語ではあるまいか。『大言海』は,「きら」に,

華麗,

の字を当て,

「煌煌(きらきら)しき意」

とする。『大言海』には,「きらきら」は,

呵呵,

と当てて,「笑ふ聲」の意と,

煌煌,

と当てて,「物の煌めく状」を指す意と載る。

「からから」は,「ころころ」とも通じ,高笑いを指す,とあるが,『擬音語・擬態語辞典』には,

「きゃあきゃあというような笑い声」を指した例もある,とあるので,嬌声に近いのかもしれない。「きらきら」の形容詞形は,

きらきらし,

だが,『大言海』には,「きらきらし」は,

端麗,
端正,

と当てて,

「(キラキラは,清らきよらの約なるべし)容姿(すがた),厳かにて,麗し,威厳,正し」

の意味を載せ,

煌煌,

と当て,

煌めく状,

の意とする。後者から,光り輝く意の,

きらめく,

になるし,前者からは,『岩波古語辞典』に載る,「立派で輝くばかりである意(古くは容姿について言うことが多い)」である,

きらぎらし,

に通じるようである。「きらきらし」について,『日本語源大辞典』は,光り輝く意と,容姿,大度が整っている意を合わせて,

「語根『きら』は,物が瞬間的に輝くさまを表し,『きらきらし』はそれを重ねて形容詞化したもの。人物の容姿・態度・性格,建物の様子などについて,その美しさを表すのに用いられる。『書記−允恭二三年三月』『霊異記−中・三』で『佳麗』『端正』の訓に『きらきらし』があてられているしころなどから,整った荘厳な美しさと考えられる。」

と,語源について,書く。こうしてみると,この「きらきらし」の「きら」は,

綺羅,

ではないか,と思えてくる。『擬音語・擬態語辞典』は「きらきら」の項で,

「輝く意の『きら』は,『きらめく』『きかつく』『きらびやか』や,『ぎんぎらぎん』等の語が派生している。但し,『綺羅』は美しい衣服のことで,『綺羅,星の如し』は,美しい服の人が居並ぶ様子。『綺羅星』で輝く星とするのは誤解から生じた。」

とし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%BA%E7%BE%85

も,「綺羅」の項で,

「綺は綾織りの絹織物の意。羅は薄織りの絹織物の意。美しい衣服全般を指す。上記の意味から、美しい衣服で着飾っている人を指す。衣服だけでなく、権力者や優れた人に対しても用いる。上記のような人々が星のように多く集まっているのを形容して、『綺羅、星のごとく居並ぶ』と言う。『綺羅星のごとく』と綺羅と星をつなげて言うのは誤用であるが、現在では『綺羅星』と独立した単語として用いられる例も多数見られる。」

しかし,どうも,「きら」は,

擬態語としての「きら」,

綺羅の「きら」と,

とが,まじりあってしまったのではないか。「きらきらし」に,

容姿,

の意味があり,「きらぎらし」では,

容姿が整って美しい,
光り輝いている,
きちんとしている,

という意味が重なっている。「綺羅,星の如く」とは,

輝く意,

威厳の意,

とが含まれていておかしくはない。誤用というより,必然である。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E6%AF%8D
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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なげく


「なげく」は,

嘆く,
歎く,

と当てて,

(満たされない思いに)ため息をつく,嘆息する,
世の風潮などを憂えていきどおる,慨嘆する,
ひどく悲しむ,悲しんで泣く,悲嘆する,
切望する,哀願する,

といった意味がある(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。どうやら,

(満たされない思いに)ため息をつく,

という状態表現にすぎないものに,意味や,価値を加えた価値表現へと転じ,そこまでは主体表現なのに,ついには,

哀願する,

という相手への感情表現にまで転じた,と想定される。『大言海』には,

長息(ながいき)すの意

とある。

心に思ひ結ぼほるることありて,大息す,溜息をつく,

という意味が,どうやら,原意のようである。その状態表現が,

憂へて息づく,愁へ哀れむ,

という(その状態を憂いと)価値表現へと転じ,最後に,

切に願う,

へと転じる。そのとき,主体の憂いではなく,相手(対象)のそれへと転化されている。『岩波古語辞典』も,

「ナガ(長)イキ(息)の約」

としているが,

「(感にたえず)長い息をする」
「悲しみを大度や言葉の根しらべに表す」
「嘆願する」

と意味の変化が見える。因みに,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%92%E3%81%8D

は,「なげき」の原義を,

「思い通りにならず、ため息をつくこと。その様子。」

とする。それが江戸時代,

「嘆願すること」

という意味で使われた,としている。

「なげく」の語源は,ほぼ「ながいき」につながるが,『日本語源大辞典』によると,

ナガイキ(長息・永息)の義(冠辞考・古事記伝・和訓集説・雅言考・俚言集覧・菊池俗語・言元梯・名言通・和訓栞・大言海・岩波古語辞典),
ナガ(長)と呼吸する意のイク(生・息)とが複合して約されたもの(小学館古語大辞典),
ナガイキハク(投息吐)の義(日本語原学),
ナゲは投の意(国語本義),
ナク(泣)の延(国語の語幹とその分類),

と諸説,微妙な違いはあるが,長嘆息,の意と見ていい。長息,大息は,

溜息,

につながる。「溜息」は,

失望・心配または感心したときに長くつく息,

である。ほぼ「なげき」に重なる。『大言海』は,

「溜めて,後に長くつく息。(思ひつめたる後などに)又,堪へきれずなれる時,鬱積したる息を漏らすこと」

とある。吐く方に注目すると,

ながいき(長息),

で,溜めていたという息に注目すると,

溜息,

になる,ということか。

『日本語の語源』は,

「イタムイキ(傷む息)が語頭を落としたタムイキがタメイキ(溜息)になった。」
「イタムイキ(傷む息)はタメイキ(溜息)に変化したが,溜息をまたナゲイキ(長息)といった。ガイ[gai]の部分では,直音音節『ガ』の母韻[a]と母韻音節『イ』の母韻[i]とが接触することになるが,ゆっくりと通常の八音をしている間は,二つの母韻は共存される。
 早口に発音するときには,大開き母韻[a]と小開母韻[i]との中間の半開き母韻[e]に融合され,ナゲキ(嘆き)になった。融合される母韻は常に半開き母韻[e]・[o]である。ナゲキを動詞化してナゲク(嘆く)という。」

として,

イタムイキ→タメイキ,

ナゲイキ→ナゲキ,

と,元々「イタムイキ」から来た,とする。音韻変化は,疑わないが,

長く吐く息,
長く溜めて吐く息,

という状態表現が価値表現へと変じたとすると,最初から,価値表現とするのには,疑問がある。

ナガクハクイキ→ナガイキ→ナゲキ,
(長く)タメタルイキ→タメイキ,

と,状態表現の中での音韻変化が先のように思うが,まあ素人の臆説である。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ささやく


「ささやく」は,いちど,「呟く」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8F)の項 で触れたことがあるので,多少重複するが,

囁く,
私語く,

と当てる。

声をひそめて話す,
ささめく,
ひそひそと噂をする,

という意味ではあるが,メタファーとして,

梢にささやくく風の音,

というような使い方もする(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。「ささめく」は,

声をひそめて話す,

という意味だが,

心が乱れて騒ぐ,

という意味もある。『日葡辞典』に,

ココロガササメク,

と載るらしい。『岩波古語辞典』には,「ささめき」の項で,

「ササは息まじりの低音を写した語」

とある。で,濁音が付いて,

さざめき,

となると,

ざわざわと音や声を立てる,がやがやいう,

という意味になる。因みに,『擬音語・擬態語辞典』には,

ささっ,

について,

「鎌倉時代から『ささ』の形でみえる。本来は弱い風が吹いて立てる音や,水が軽やかに流れる音を表した。」

とあり,「ざざっ」と濁ると,その音が強まるニュアンスになる。『岩波古語辞典』は,

ささやく,

も,「ササメキと同根」とみなす。つまり,擬音語「ささ」から来ている,とみなしている。しかし「ささめく」を接頭語「ささ」と見なすと,「細波(ささなみ)」や「細雪」の「ささ」で,

細かいもの,小さいものを賞美していう,

と『岩波古語辞典』にはある。『大言海』は,「ささやく」を「ささめく」と同根とし,「細小(ささ)」の項で,
 
「形容詞の狭(さ)しの語根を重ねたる語。孝徳紀,大化二年正月の詔に『近江の狭狭波(ささなみ)』とあるは,細波(ささなみ)なり。神代紀,下三十六に,狭狭貧鈎(ささまぢち)とあり,又陵墓を,狭狭城(ささき)と云ふも,同じ。いささかのサカも,是レナリ。サとのみも云ふ。狭布(けふ)の狭布(さぬの),細波(ささなみ),さなみ。ササメク,ササヤク,など云ふも,同じ」

として,擬音語ではなく,「狭(さ)」を取る。ただ,『大言海』は,濁った,「さざ」を,

「水の音なり,さざらぐ,さざるる,さざら波,さざれ波など。これより出ず。万葉集に,沙邪禮(さざれ)浪とあれば,第二のサは,濁る。水をざっとかけると云ふも,是れなり」

と説き,もう一つ別の「さざ」の項は,風の音として,「さと(颯と)」つなげ,「さと」で,

「サは,風の,軽く吹きて,物に觸るる音。重ねてサザとも云ふ。字彙『颯(さつ),風聲也』和漢,暗合す。」

ちなみに,「さっと」という言い方をするが,これは,

「サザトの下略。」

とある。「さ」が風音なのに,「ささやく」だけは,「狭」とするのは,形の細かさを言う「ささ」と音の「ささ」とは違うのではないか,と「少し解せない。

『日本語源広辞典』は,「ささやく」は,

「細,小の意のササ+動詞を作る語尾ヤク」

で,「音かそのまま後に使われた例」とする。だから,「ささめく」も,

「ササ(細・小の意)+めく」

としながら,「さざめく」は,

「さざ,ザザ(擬声・波の音)+めく」

としている。聴音なのに,「ささ」は,「細」で,「さざ」は「擬音」とするのは,矛盾ではないか。たしかに,『日本語源大辞典』に「ささ(細・小)」について,

(後世は『さざ』とも)狭い意の「さ」を重ねた語,主として,名詞の上に付けて,『こまかい『小さい』『わずかな』の意を表す』

とする。語源は,

形容詞サシ(狭)の語根を重ねた語(大言海),
細小の義(古今要覧稿),
スキスク(透々)の義(名言通),

とあるが,基本,「狭」をつける言葉は形の「細小」を指している。『日本語源大辞典』は,「ささめく」について,

「『ささ』は擬声語で,類義語『さざめく』は『さざめく』ともいい,がやがやと大声をあげる意であるのに対して『ささめく』は,ひそひそと小声で話す意であるという違いがみられる。」

とし,「ささやく」の項で,

「『ささ』は擬声語で,『ささめく』が音が聞こえることに主意があるのに対して,『ささやく』は話し合う行為に主意がある」

と,ともに「ささ」を擬声語とする。でないと,「音」に対する感性が合わない。

念のため語源説を挙げておくと,

「ささめく」は,

ササは細小の意(大言海),
ササメゴト(小言)の略語(類聚名物考),
ササは息まじりの低音を写した語(岩波古語辞典),
ササヤクと同根で,ササはかすかに耳立つ音を表す擬声語(角川古語辞典)

とあり,「さざめく」は,

サザは浪野とで,それが楽の音声に似るところから転義した(俚言集覧・大言海),
サラサラメクの義(言元梯),
サハサハメの義。人そよめくの意(類聚名物考),

とある。さらに,「ささやく」は,

ササは細小。ヤクはツブヤク,カガヤクなどと同じ(和句解・大言海),
サは少の意。ヤクはイフの転声か(和語私臆鈔),
ササヤカ(小)の義(名言通),
ササメクと同根(岩波古語辞典),
ササは擬声語,ヤクはツブヤクなどのヤクと同じ接尾語(角川古語辞典),

とあり,不思議と,「ささやく」になると,「細小」の「ささ」の意となる。これは,類義語「つぶやく」との関連かもしれない。「つぶやく」が,

ひとりごと,

なのに対して,「ささやく」は,相手がいるが,いずれも,

小声なのにかわりはない。その「つぶやく」の「つぶ」が「粒」から来ているからなのかもしれない。「つぶやく」については,項を改めたい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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呟く


「つぶやく」は,

呟く,

と当てるが,

ぶつぶつと小声で言う,ひとりごとを言う,

という意味だが,似た言葉に,

ささやく,

がある。「ささやく」は,

囁く,
あるいは,
私語く,

と当てる。

声をひそめて話す。ささめく,ひそひそと噂話をする,

と,『広辞苑』にはあるが,『大言海』には,「つぶやく」の意味に,

独り,くどくど物云ふ,

とともに,

囁,

が載る。『大言海』の「ささやく」は,

私語,
耳語,

と当てて,

小声にてひそひそ話す,

とある。敢えて,違いを際立たせれば,「つぶやく」は,ひとりごとで相手はいらず,「ささやく」は,相手なしで成り立たないが,「ささやく」に,私語くと,「私語」を当てているところからすると,「つぶやく」との原義の差は,なくなるように見える。『類語例解辞典』

http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/10742/meaning/m0u/

にも,

「『呟く』は、小さな声でひとりごとを言う意。聞き手は必要としない。一方、『囁く』は、周囲に聞こえぬよう、相手だけに小さな声で話す意。」

とはある。しかしどうも,由来が違うように見える。

『古語辞典』には,「つぶやく」は,

つぶめく,

で載る。そして,

「粒と同根」

と載る。『大言海』には,

「委曲(つぶつぶ)と云ふ意」

としている。『日本語源広辞典』は,

「ツブ(小さくまとまる)+やく(動詞化)」

とし,『日本語源大辞典』は,

ツブツブ(委曲)という意(和訓栞・大言海),
ツブツブ(粒々)とササヤク(細語)の意(和訓栞),
ツボヤカ(粒)の義(名言通),
ツフイヤク(粒弥)の義(言元梯),

と挙げ,「粒」とつながるらしいと見当が付く。しかし,「つぶ(粒)」の語源は,『大言海』は,

「つぶら(圓)の義」

とし,『広辞苑』も,

「つぶら(円)の意か」

としているし,『古語辞典』も,

「ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」

としている。さらに『日本語源広辞典』も,

「円らなるもの」

の意で,粒のこと,としているが,『日本語源大辞典』にある,

粒になるときの音からか(日本語源=賀茂百樹),
丸いものは一所にとどまらずころがるところから,ウツブクの義か(和句解),

という擬態を言い表す状態表現であったのではないか,という気がしてならない。それは,「ささやく」が,

細小(ささ),

と関わるとして,『大言海』は,「ささ(細小)」の項で,こう述べている。

「形容詞の狭(さ)しの語根を重ねたる語。孝徳紀,大化二年正月の詔に『近江の狭狭(ささ)波』とあるは細波(ササナミ)なり,神代紀,下に,狭狭貧鈎(ささまぢち)とあり,又陵墓を,狭狭城(ささき)と云ふも同じ,イササカのササも,是れなり。サとのみも云ふ。狭布(けふ)の狭布(サヌノ)。細波(さざなみ),さなみ。又ササヤカ,ササメク,ササヤクなど云ふも,同じ」

と。しかし,それは,「狭し」と「狭」の字を当ててからの解釈で,『古語辞典』は,「ささめく」の「ささ」は,

「息まじりの低音を写した語」

として,擬音語とする。そして,「ささめく」は,

さやさやと音を立てる,

という意味であり,

さざめく,

と関わる。「ざざめく」は,

ざわざわ,
がやがや,

の音がすることであり,そこから考えると,「ささめく」は,その少し静かな音ということになる。その音に準えて,

私語く,

と,人の小さな声に転用した,と考えるのが順当ではあるまいか。例えば,『日本語源広辞典』は,「ささやく」を,

「細,小の意のササ+動詞を作るヤク」

とし,「ささめく」を,

「ササ(細・小の意)+めく」

としておいて,「さざめく」は,

「サザ,ザザ(擬声・波音)+めく」

とする。それなら,「細・小」を当てはめた「ササ」も,元々は擬音でなくては,一貫しない。「細・小」を当てはめた前の「ササ」の由来こそが大事なのではあるまいか。文字をもたないわれわれが,「ささ」を「細小」とするはずはないかのではあるまい。むしろ逆だ。擬態語・擬音語から始まった言葉に,漢字を当てはめることで,抽象化に成功したのではないか。『日本語源大辞典』は,

「『ささ』は擬声語で,類義語『さざめく』は『さざめく』ともいい,がやがやと大声を挙げる意であるのに対して,「ささめく」は,ひそひそと小声で話す意」

とする。「ささやく」の「ささ」だけが例外とは思えない。

因みに,『擬音語・擬態語辞典』は,「ささ」は,

弱い風が吹いて立てる音,
水が軽やかに流れる音,

であり,「さざ」は,

水が勢いよく流れたり,降りかかったりする音,
とする

こうみると,と,「つぶやく」の「つぶ」も,擬音語・擬態語由来と思えてならない。

参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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つぶやく


「つぶやく」については,「呟く」()

http://ppnetwork.seesaa.net/article/448736109.html?1491336613

の項で触れたことがあるが,少し別の切り口から触れてみたい。

ぶつぶつと小声でいう,
くどくどとひとりごとを言う,

という意味である。同義で,

つぶめく,

という言い方もする。『岩波古語辞典』には,

つぶめき,

つぶやき,

も,

「ツブ(粒)と同根」

とある。『大言海』は,

委曲(つぶつぶ)という意,

とする。いずれにしても,『大言海』の言う,

独り,くどくどものを言う,ぶつぶつ言う,

という意味だ。

「ささやく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8F) の項で触れたように,「ささやく」は,

声をひそめて話す,
ひそひそと噂をする,

という意味だが,同じ小声にしろ,「ささやく」には,相手がいるが,「つぶやく」は,ひとりごと,である。ところが,よく似た,

つつめく,

は,

囁く,

と当てて,

ひそひそ物を言う,
ささやく,

という意味と同時に,

つぶやく,

意も持つ。「つつめく」は,

つつやく,

とも言う。『広辞苑』には,「つつやく」に,

囁く,

の字を当て,

(ツヅヤクとも)つぶやく,ささやく,

と意味を載せる。『大言海』は,「つつめく」の項で,

つつやく,

とも,とする。つまり,

つつやく(つづやく),
つつめく,

は,共に「囁く」と当てて,「ささやく」と「つぶやく」の両義が重なる境界線の言葉になる。となると,

つつやく→つつやく→つづやく→つぶやく,
つつめく→つぶめく,

といった音韻変化が,予想される。とすると,「粒」に語源を求めるのは,「つぶやく」という言葉ができてからの跡解釈となるのではないか。

『日本語源大辞典』は,「つつめく」について,

大声で言うのをはばかって,ひそひそものを言う,

と載せる。その状態は,

ひとりごと,

でもあるし,

ひそひそ話,

でもある。だから,そこから,「つぶやく」にも「ささやく」にも,意は転ずる。語源については,

ツツは擬音語(岩波古語辞典),
ツツはツブツブと言を長く続ける時の音からメクはミタ(見)の義(日本語源),

を載せるが,ツベコベという擬音語(というか擬声語)がある。ツツ,が擬音語,というのはありうる。

つつめく,
つつやく,

から考えると,「つぶやく」の語源は,

ツブ(ちいさくまとまる)+やく(動詞化)(日本語源広辞典),
ツブツブ(委曲)という意(和訓栞・大言海),
ツブツブ(粒々)とササヤク(細語)の義か(和訓栞),
ツボヤカ(粒)の義(名言通),
ツフイヤク(粒弥)の義(言元梯),

という諸説は,「つぶやく」を前提にした語呂合わせに見える。億説かもしれないが,「ささやく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8F)の「ささ」が擬音語であるように,類義語「つぶやく」も,「つつやく」「つつめく」の「つつ」は擬音語であるように思える。その転訛が,「つぶやく」ではないか。

ちなみに,類義語,

ぼやく,

は,

つぶやくの略轉,

とある(『大言海』)。小声でぶつぶつ言う意の,

つぶやく,

は,状態表現だが,約められて「ぼやく」に転じたように見える。そのとき価値表現へと,わずかだかシフトしている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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やさしい


「やさしい」は,

優しい
とも
易しい
とも
恥しい

とも当てるが,「やさしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84) で触れた折,語源は,

「痩さし」

であり,

「身も痩せるような恥ずかしい思い」の意で,

慎みがあって殊勝だ,

という意味であったらしく,それが転じて,

思いやりがあって,心遣いがある,意となり,さらに転じて,

わかりやすい,
扱いやすい,
処理しやすい,
たやすい,

と変化してきた,とした。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yasashii.html

も,

「優しいは、動詞『やす(痩す)』の形容詞形で,身が痩せ細るような思いであることを表した語である。平安時代,他人や世間に対してひけめを感じながら振る舞う様子から,『控え目である』『つつましやかである』の意味をもつようになり,慎ましい姿を優美と感ずるところから,『優美だ』『上品で美しい』『好感が持てる』と評する用法が生まれた。さらに,『けなげだ』『好感が持てる』といった意味から,『こちらが恥ずかしくなるほど思いやりがある』という意味も派生し,近世以降,『親切だ』『心温かい』の意味で使用されるようになった。『容易だ』を意味する『易しい』は近世末期頃から使用が見られ,『優しい配慮があってわかりやすい・簡単だ』というところから派生した用法である。」

としている。しかし,この,「優しい」が,「易しい」へと意味を転じてきたとする流れは,本当だろうか。少し切り口を変えて再検討してみたい。

『岩波古語辞典』には,「やさし」の項に,「ヤセ(痩)」と同根とした上で,

「(人々の見る目がきにかかって)身もやせ細る思いがする意。転じて遠慮がちに,つつましく気を使う意。また,そうした細やかな気づかいをするさまを,繊細だ,優美だ,殊勝だと感じて評価する意。類義語ハヅカシは,相手に引き比べて,自分が劣等感を持たされる意」

としている。因みに,「はずかしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%AF%E3%81%9A%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84) で触れたように,

「端+づ」

なので,他者との対比したうえでの感情だから,視点が外の目線になるが,「やさしい」は,内から身を縮める,という内からの視線になる。で,『岩波古語辞典』は,「やさし」の意味を,

身も細るようだ,肩身が狭い,
恥ずかしい,面目ない,
慎ましい,控えめである,
優美である,
心憎い,
けなげで関心である,殊勝である,
優雅である,
暖かく思いやり深い,
温和である,

と,心情表現表現から,客体表現に転じ,価値表現へとシフトさせていく。まあ,ここまでは意味の流れが,脈絡が付かないでもない。しかし,最後に,

平易である,

と,「易しい」の意を載せるのは,どうしても脈絡がつかない。『大言海』は,「やさし」を, 

やさ(羞)し,

やさ(優)し,

の二項別々に立てている。前者は,

(痩すに通ず)他に対して,引け目を感ずる,きはずかし,みすぼらし,心づかいする,心弱し,

という意味を載せる。つまり「ヤセ(痩)」の原意の外延につながる意味である。後者は,

優なる人は,向かひて心恥ずかしき意より転じて,優に雅なり,しとやかなり,艶なり,
転じて,圭角(かどかど)しからず,おとなしやかなり,すなおなり,
なさけ深し,思いやりふかし,
けなげなり,殊勝なり,
又,転じて,為るに難かしからず,たやすし,容易,

の意味とはする。しかし,やはり,「為るに難かしからず」だけは,それまでの心情の表現や,そこから派生した価値表現とは,意味の流れが,どうしてもつながらない。

『日本語の語源』には,

「ウマシ(旨し)はアマシ(甘し)に転音転義をとげた。ヤスシ(容易し)をヤサシという。」

とある。つまり,「易しい」の「やさしい」は,これによれば,

安(易)し,

からきた,ということになる。それなら意味の変化はない。『岩波古語辞典』は「やす(安・易)し」の項で,

「ヤスミ(休)と同根。物事の成行きについて,責任や困難がなく,気が楽である意」

とあり,大きく,

@成行きについて困難がない,容易である,
A(廉し)値段が低い,
B(将来の見通しなどについて)安心していられる,平気である,気楽である,

と,事態の状態表現から,そのことのもつ価値表現へと転じていく意味の流れが読める。こうみると,

やさ(痩)し→優しい,

やす(安・易)し→やさ(易)し→やす(易・安・廉)い,

と二系統あったのが,「やさしい」という言葉に混淆し,「優しい」と「易しい」が入り混じったのではないか,と思う。そう考えれば,意味の脈絡のつかなさは,納得がいく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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さけぶ


「さけぶ」は,

叫ぶ,

と当てる。『大言海』は,

號(号)ぶ,

とも当てている。語源は,『日本語源広辞典』は, 

説1は,「サケ(遠く離れる)+ブ(動詞化)」で,「遠く離れたところまで届くように声を出す」説,
説2は,「裂く,割く,放く,離く」と同根と考え,「引き裂くように大声を出す」説,

二説載せる。『日本語源大辞典』は,

サカエヨブの義(名言通・和訓栞),
サケは遠サケル,フリサケルなどのサケ。フはヨバフの義(和句解),
サワク(騒)の義(言元梯),
「嘖(さけぶ)」の字音sakがsakeに転じ,B音の語尾を添えたもの(日本語原考),

と載せる。

声の大小はなく,その声の届く距離の長短があるだけ,

とは,ボイストレーニングの講師の説明だったが,その意味で,

遠く離れたところまで届くように声を出す,

とする説に惹かれる。ところで,『日本語の語源』には,

タケブ(哮)―さけぶ(叫)

と,子音交替で転訛したとあるが,『岩波古語辞典』は,「たけび」の項で,

「『叫び』とは,奈良時代にはビの音も別で,別語」

としている。つまり,上代特殊仮名遣い説にもとづくと,

「叫び」はsakebi,
「たけび」は,takebï,

となる。因みに上代特殊仮名遣いについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3

に詳しい。とすると,それが区別されなくなると,

takebï →sakebi

と,子音交替を遂げたということになる。それにしても,「さけぶ」は,

激しく大声をあげる,

意だが,「たけ(猛・建)ぶ」は,

猛々しく振る舞う,

意で,その振る舞いの一つとして,

猛(たけ)き声を出す,

という意が膨らむだけなので,本来は,猛々しさの一例だから,「叫ぶ」のとは,微妙に意味がずれる。「たけぶ」は,

ほえる,

に近い。「ほえる」は,

吠える,
吼える,
咆える,
哮える,

等々と当てられるが,基本は,

犬や猛獣などが大声をあげる,

という意で,「ほえる」に当てられた,「吠」「吼」「咆」の漢字も,同じである。ただし,「たけぶ」に当てた,「哮」には,「叫ぶ」の含意がある。その字義を見極めて当てていることがよくわかる。

「さけぶ」の類義語には,

どなる,
がなる,
わめく,
ほえる,
たけぶ,
うそぶく,

等々と数多いが,口頭での会話を主としたシチュエーションを想定すれば,そこには,相手の感情を読み取るための知恵があるはずである。

「どなる」は,「怒鳴る」と当てただけに,そこに声だけではない,「荒々しい」感情を含意している。語源は,

「ド(接頭語,大の意)+なる(鳴る)」

の意とされる。そこに「叱責」の意がある。

「がなる」は,「どなる」とかさなるが,「やかましさ」という声の特徴に焦点を当てている。語源は,

「ガ(がんがん)+ナル(鳴る)」

で,ガンガンなるようなやかましい声を指す,という。

「わめく」は,

ヲメクの転,

とされ,『大言海』には,

「ヲは声なり,ワメクに通ず」

とある。「ヲ」も「がなる」の「ガ」と同様,擬声語のようである。『日本語源広辞典』には,

「ワ(大声をあげる)+メク(動詞化)」

とある。で,類似語に,「ウメク,オメク」があるとする。

「うそぶ(嘯)く」は,

ウソ(嘯)フキ(吹)の意,

と,『岩波古語辞典』にはある。

口をすぼめて息を吹き,音を出す,

という意で,さらに「ほえる」意をもつ。その格好からか転意して,今日では,

とぼけて知らないふりをする,
偉そうに大きなことを言う,豪語する,

の意になっている。

こうみると,「さけぶ」はニュートラルな意味だが,

阿鼻叫喚,

は,価値表現になっている。これはまた別項で取り上げてみたい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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阿鼻叫喚


「阿鼻叫喚」の意味は,

「非常な辛苦の中で号泣し、救いを求めるさま。非常に悲惨でむごたらしいさま。地獄に落ちた亡者が、責め苦に堪えられずに大声で泣きわめくような状況の意から。『阿鼻』は仏教で説く八熱地獄の無間地獄。現世で父母を殺すなど最悪の大罪を犯した者が落ちて、猛火に身を焼かれる地獄。『叫喚』は泣き叫ぶこと。一説に八熱地獄の一つの大叫喚地獄(釜かまゆでの地獄)の意。」(『新明解四字熟語辞典』)

この意が転じて,

「甚だしい惨状を形容する語」

として,今日も使われる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/abikyoukan.html

には,

「阿鼻はサンスクリット語『avici』の音写『阿鼻旨』の略で、『無間(ひっきりなしであることの意)』と漢訳する。『阿鼻地獄』や『無間地獄』と呼ばれる。八大地獄の中の第八の地獄で最下層に位置し,猛火に身を焼かれるなど最も責め苦が激しく,罪人は絶え間なく苦しみを味わう。叫喚は叫び声を意味するサンスクリット語『raurava』の漢訳で,『叫喚地獄』と呼ばれるもののこと。八大地獄の中の第四の地獄で,熱湯の大釜で茹でられたり,猛火の鉄室に入れられたりする。阿鼻叫喚は『阿鼻地獄』と『叫喚地獄』を合わせた仏語で,地獄の激しい責め苦に合って泣き叫ぶ様子から,災害など非常にむごたらしい様子のたとえとして用いられるようになった。」

とある。

「阿鼻地獄」は,

「八熱地獄(八大地獄)の一つ。無間地獄(むけんじごく)ともいう。最悪の地獄で,父を殺すなどの 5種類の最悪の罪(→五逆罪),正しい教えを非難攻撃する罪を犯した人間の赴く地獄とされ,絶え間なく苦痛を受けそれを逃れることができないとされる。阿鼻叫喚地獄,阿鼻焦熱地獄ともいう。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

で,八大地獄は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84

に詳しいが,経典により,階層構造のものあり,巡回構造のものありで,たとえば,階層構造なら,

「最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。その上の1万9千由旬の中に、下から大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層している」(倶舎論),

巡回こうぞうなら,

「八熱地獄は階層構造ではなく、十地獄ともども世界をぐるりと取り囲む形で配置されている。その名は第一地獄から順に、 (1) 想地獄、 (2) 黒縄地獄、 (3) 堆圧地獄、 (4) 叫喚地獄、 (5) 大叫喚地獄、 (6) 焼炙(しょうしゃ)地獄、 (7) 大焼炙(だいしょうしゃ)地獄、 (8) 無間地獄である」(長阿含経)

と,なっているようである。五逆とは,

「小乗では殺母・殺父・殺阿羅漢・出仏身血(仏身を傷つけること)・破和合僧(教団を乱すこと)をいう。大乗では、寺塔や経像などの破壊、三乗の教法をそしること、出家者の修行を妨げること、小乗の五逆の一つを犯すこと、業報を無視して悪行をなすことをいう。」(『大辞林』)

で,

主君・父・母・祖父・祖母を殺す罪,

をも指す。「叫喚地獄」は,

「八熱地獄 (または八大地獄) の一つ。叫喚 raurava地獄とは,熱湯の煮えたぎる大釜や,大火の燃え盛る鉄室で苦しめられ,あまりの苦しさに泣き叫ぶことから名づけられている。そこは生き物を殺した (殺生) 者,盗み (偸盗) ,妻以外の女または夫以外の男とのよこしまな性交 (邪淫) ,飲酒の罪を犯した者がおもむくところという。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とある。

そもそも「地獄」は,

「地獄(じごく、音写:奈落)とは仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。欲界・冥界・六道、また十界の最下層である。一般的に、大いなる罪悪を犯した者が死後に生まれる世界」

とされるが,このサンスクリット語で Naraka(ナラカ)といい、奈落(ならく)と音写されるので,後に,

「演劇の舞台の下の空間である『奈落』を指して言う」

ようになったとか。

「衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。 この無間地獄は阿鼻地獄と同意で、阿鼻はサンスクリットaviciを音写したものとされ、意味は共に『絶え間なく続く(地獄)』である。
その上の1万9千由旬の中に、大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層しているという。これを総称して八大(八熱)地獄という。これらの地獄にはそれぞれ性質があり、そこにいる衆生の寿命もまた異なるとされる。」

これが,「阿鼻叫喚」の由来,ということになる。だから,繰り返しになるが,俱舎論によれば,

「まず八熱地獄があり,上から(1)等活,(2)黒縄(こくじよう),(3)衆合(しゆごう),(4)号叫,(5)大叫,(6)炎熱,(7)大熱,(8)無間(むげん)と重なっている。(1)は責苦をうけて息たえても息を吹きかえして再び責苦をうける地獄,(2)は大工の墨糸でからだに線をひかれ,そのとおりに切られる地獄,(8)は間断なくさいなまれる地獄で,原語アビーチavīciの音訳語〈阿鼻(あび)〉でもよばれる。」(『世界大百科事典』)

となるが,層を成す,というイメージよりは,めぐり,のイメージが強いのは,個人的なことかもしれない。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

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かしこい


「かしこ」は, 「あなかしこ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%93),「かしこ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%93) でも触れたが,

かしこみ畏れる意のあなかしこの略転,

であるが,ともに「かしこし(い)」の語幹から来ている。「かしこし(い)」は,

賢い,
畏い,

と当て,『岩波古語辞典』によれば,

「海・山・坂・道・岩・風・雷など,あらゆる自然の事物に精霊を認め,それらの霊力に対して感じる,古代日本人の身も心もすくむような畏怖の気持ちをいうのが原義。転じて,畏敬すべき立場・能力をもった,人・生き物や一般の現象も形容する。上代では『ゆゆし』と併用されることが多いが,『ゆゆし』は物事に対してタブーと感じる気持ちをいう」

とある。因みに,「ゆゆし」は,

忌々し,

と当て,「忌忌(いみいみ)し」の約(『大言海』)で,『岩波古語辞典』には,

「ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて,甚だしい意。」

とある。ついでながら,「いみじ」は,

イミ(忌)の形容詞形,

で,

「神聖,不浄,穢れであるから,けっして触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意。」

となる。「いみじ」「ゆゆし」は神聖・不浄をとわずタブーを指し,「かしこし」は,それへの畏れの気持ちを指す,ということになる。しかし,

自然界の霊異への畏れ,畏怖,

という感情の表現から,対象へ転化されて,

おそれ多い,もったいない,ありがたい,

という感情表現へシフトし,さらにそれが,

(生き物や事物などが)すぐれている,まさっている,
(人の智力などが)きわだっている,

といった価値表現へと転じていく。「賢い」と当てられる所以である。だとすれば,

畏し,
恐し,

が語源と見られるか,というと必ずしもそうはならない。『日本語源大辞典』には,

才能の優れた者を畏れ崇む意の,カシコキ(畏)の転(国語の語幹とその分類・大言海),
カシコミシキ(畏如)の義(名言通),
恐畏の意(槙のいた屋),
厳かだ,偉いの意のイカシの活用形イカシクからイが脱落したカシクから(語源辞典),
語根はカシコ(神峻厳)の意(日本古語大辞典),
利口な者はかしこく爰へ速く心が行くところからカシコシ(彼知是知)の意(和句解・言元梯),
彼方知の義(桑家漢語抄),
カシコシ(神子)から。シは助詞(和語私臆鈔),
カシコ(日領所)の義(国語本義),
カシはカシラ(頭)・カシヅク(傳・頭付)のカシで頭の意。コは心グシ・眼グシなどのク(苦しい・切ない)の転か(古代日本語文法の成立の研究)

等々が載る。どうも,言葉を単独で,文脈から切り離して考えると,語呂合わせに見えてくる。

『日本語の語源』は,母韻交替から,次のように転訛の流れを説く。

「カガム(屈む)は,母韻交替[ao]をとげてコゴム(屈む)に,さらに母音交替[ou]をとげてクグム(屈む)になった。〈笛の音の近づきければクグミて見れば〉(義経記)。
 畏怖のあまり,貴人の前で自然に腰が折れ曲がることをコシカガム(腰屈む)といった。『ガ』を落としたコシカムは,語頭の母韻交替[ao]でカシコムになった。〈カシコミて仕へまつらむ〉(推古紀)は『おそれおおいと思う』意であり,〈大君のみことカシコミ〉(万葉)は『謹んで承る』意である。
 さらにカシコミアリ(畏み在り)は,ミア[m(i)a]の縮約でカシコマル(畏まる)になった。『恐れ敬う。慎む。きちんとすわる。謹んで命令を受ける』などの意であり,その連用形の名詞化がカシコマリ(畏まり)である。
 カシコム(畏む)の形容詞化が『恐れ多い。もったいない。高貴だ』の意のカシコシ(畏し)であり,その語幹がカシコ(恐・畏)である。
 身分に対する畏敬の念が才智に対するそれに転義してカシコシ(賢し)が成立した。」

とする。この説だと,畏れの姿勢,

屈む,

から,音韻変化して,カシコシへと転訛したことになる。『岩波古語辞典』や『大言海』は,畏れの気持ち,

畏し,

が出自とする。どちらが先かは,決める手がかりはないが,

屈む,

前には,畏れがあったという方が自然に見えるが,いかがであろうか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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はず


「はず」は,

筈,
弭,
彇,

と当てる。『広辞苑』には,由来に関わって,三例が載る。ひとつは,

弓の両端の弦を掛けるところ,弓を射る時に,上になる方を末筈(うらはず),下になる方を本筈(もとはず)

という,とある。

ゆはず,

ともいい,

弓筈,
弓弭,

と当てる。

なお,和弓の名称については,

http://ecoecoman.com/kyudo/item/yumi_meishou.html

に詳しい。

いまひとつは,

弓に矢をつがえる時,弦からはずれないために,矢の末端につけるもの,

を指す。

やはず,

と言い,

矢筈,

と当てる。『デジタル大辞泉』

http://dictionary.goo.ne.jp/jn/222435/meaning/m0u/

には,

「矢柄を直接筈形に削ったもの」

とあるので,「はず」の意味が推測される。この形は,デザイン化されて,紋所に使われたりする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2

によると,

「矢の末端の弦に番える部分。古くは箆(の)に切込みを入れるだけだったが、弓が強力になると引いた際に箆が裂けてしまうため、弦がはまる溝が頭についたキャップ状の筈という部品をつける。筈は金属や、現在では角やプラスチックで作られ、箆を挿し込んだ後に筈巻(はずまき)という糸を巻きつけて固定する。鏃と同じく、長く使用していると抜け落ちたり、欠けたりするのでその時は交換しなければならない。
筈が弦にはまるのは当然のことであるから、当然のことを『筈』というようになった。これは今でも『きっとその筈だ』『そんな筈はない』といった言い回しに残っている。
ちなみに、同じ『はず』でも『弭』と書いた場合、弓の上下の弦を掛ける部分を指す。この混同を避けるため、筈を矢筈、弭を弓弭(ゆはず)ということもある。」

とある。

三つ目は,

和船で,帆柱先端の帆を巻き上げる滑車のある部分に,綱が外れないように作った木枠,

を指す。和船の,「弁才船」については,

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00033/contents/028.htm

に詳しいが,「千石船」と俗称される「弁才船」は,江戸時代前期以降、国内海運の主役として活躍し,

「大坂(大阪)より木綿、油などの日用雑貨を江戸にはこんだ菱垣廻船から分離して、おもに酒荷をはこぶようになった樽廻船、そして日本海側で活躍した北前船(北前船型弁才船)も弁才船の代表です。」

とある。そして,帆は,

「重い帆桁の上下も、帆柱の先端の蝉(せみ)とよばれる滑車を通して船尾に縄を通じ、轆轤(ろくろ)と呼ばれる人力の巻き上げ機を使って船内から行いました。帆桁の方向は桁の両端につく手縄(てなわ)と呼ばれる縄を、帆のふくらみは帆の両脇につけた両方綱(りょうほうづな)と呼ばれる綱を操作して行いました。」

その蝉を止めていたのが,筈である。

だから,船の帆柱の先端から船首にかけて張る太い綱を,

筈緒(はずお),

と呼ぶ。さらに,四つ目は,

相撲で押すときに,親指と人差し指とを矢筈の形に開いて,相手の腋の下,脇腹などにあてる,

技を指す。

どうやら,いずれもその形から由来しているらしいことが想像される。『大言海』は,

端末(はすえ)の略,

とするが,それだと,位置を示しているにすぎない。「はず」の意味には,

(弓の筈と弦が合うことからいう)当然のこと,道理,

さらには,

約束,予定,

という意味まである。室町末の『日葡辞典』には,

バズヲアワセル,
ハズガチガウ,

という用例があるらしいが,「端末」の略では意味が通らない。ぴったり合わない,という意味で使う,

筈が合わない,

という意味にもつながらない気がする。『日本語源広辞典』は,

やはず,
ゆはず,

という,弓や矢の凹部から来ている,というが,その

凹部,

を「はず」と呼んだから,弓や矢にその呼称を当てはめたのではないか,前後が逆なのではないか,と思う。

『日本語源大辞典』には,

ハズレ(外)の義(柴門和語類集),
ハヅレヌ意か(和句解),
ハスヱ(大言海・和訓栞),
手筈の上略(日本語原学),
ハズ(羽頭)の義か(和句解),

と諸説載るが,結局よく分からない。で,漢字「筈」を見ると,

やはず(箭末),

の意で,

「竹+音符舌(カツ くぼみ,くぼみにはまる)」

とある。「はず」は,漢字の「筈」からきただけのことということになる。筈は,

矢の先端の,弦を受けるくぼみ,

の意であり,「弭」の字は,

ゆはず(弓筈),

を指す。つまり,

弓の末端に,弦をひっかける金具,

を指す。結局,「筈」は「カツ」と訓むので,わが国で,「ハズ」と呼んでいたものに,「筈」を当てはめたと見なしうる。弓矢は,銅鐸に絵が描かれているほどなので,古くからあったと思われる。古墳時代の埴輪,弓残片などから,

「後世のような大弓ではなかったらしい。これらの弓は自然木を利用した丸木弓で,上等なものは黒漆塗,樺皮巻などを行ったり,弭金物をつけたりしたが,たいていは上下を削って弦を掛けやすくしただけのものであったらしい。」

とある。それが,銅製の弭を用いるようになる。少なくとも,「筈」そのものが中国から由来したとまでは言えないが,その仕掛けと金属製の弭は,「弭」という言葉と一緒に伝わったということを,想像させる。

そう考えると,『大言海』の,

ハスヱ(端末),

という語源説は意味を持ってくる。もともと端に引っ掛けているだけだった原始的なものが,

筈金具,

の仕掛けを中国由来で手に入れて,「筈」という言葉を知ったというようなことなのではないか。

ちなみに,「はず押し」については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%BA%E6%8A%BC%E3%81%97

に,

「ハズ押し(はずおし)は、相撲の基本的な技術のひとつ。本来は手の形のことを言う。親指を立て、他の4本の指を伸ばした形のことで、それが矢筈に似ていることから、この名がある。この手が逆ハの字を描くように傾け、相手の脇の下や胸、腹などにあてがって、押して出ることが、つまりハズ押しである。特に親指以外の4本の指を脇に入れて腕を掬い上げれば攻守を兼ねた効果が出る。近年では、大相撲関係者の中でも『相手の脇に手をあてて押すこと』がハズ押しとの誤解も多くなってきている。」

とある。まさに,

やはず,

の形である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
笠間良彦『日本の甲冑武具辞典』(柏書房)
http://ecoecoman.com/kyudo/item/yumi_meishou.html
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/222435/meaning/m0u/
https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_2.html
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00033/contents/028.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2
https://kotobank.jp/word/%E7%AD%88%E7%B7%92-601366
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse026.html

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がんばる


「がんばる」は,通常,

頑張る,

と当てる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/ganbaru.html

は,その語源を,

「頑張るは、江戸時代から見られる語で、漢字は当て字である。 頑張るの語源は、二通りの説がある。 ひとつは『眼張る(がんはる)』が転じて『頑張る』になったとする説で、『目をつける』や『見張る』といった意味から『一定の場所から動かない』という意味に転じ、さらに転じて現在の意味になったとする説。
もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の『我を張る』が転じ、『頑張る』になったとする説である。
『眼張る』の説が有力とされるが、東北地方の方言『けっぱる』は『気張る』から、『じょっぱり』は『情張る』からであるため、『我を張る』の説が間違いとは断定できない。」

とする。しかし,『広辞苑』は,「がんばる」で,二項目立てる。ひとつは,

眼張る,

と当てて,

目を付ける,見張る,

という意味を載せ,いまひとつは,

頑張る,

と当てて,

「頑張る」は当て字。「我に張る」の転,

として,

我意を張り通す,
どこまでも忍耐して努力する,
ある場所を占めて動かない,

の意を載せる。『広辞苑』の解釈では,

頑張る,

眼張る,

は別の語ということになる。しかし,『江戸語大辞典』には,

眼張る,

が載り,

眼を頑と書くは非,

とし,

量目を大きく見開く,転じて,見張りをする,監視する,見逃さないように気をつけて見る,
目をつける,ねらう,

という意味しか載せない。『岩波古語辞典』も,

目をつけて見張る,

意で,

眼張る,

しか載せない。『大言海』は,

「我張(がば)るの音便。樏(かじき),がんじき」

とし,

我意を張るの口語,

と載る。『日本語源広辞典』は,

「『眼+張る』です。頑張るは,当て字。広辞苑は『我に張る』語源説ですが,これは語源俗解で,正しくありません。『眼張る』は,かっと目をむいて,能力一杯につとめる意です。『―張る』を語源とする言葉は,気張る,威張る,などあり,庶民の生活の中から生まれた言葉のようです。」

とするが,そうだろうか。

かっと目をむいて,能力一杯につとめる意,

とは,少し拡大解釈過ぎる。『江戸語大辞典』の使用例をみるなら,

「大道をがんばって,かな釘一本でも落ちて居る物を拾(ひら)ふ」
「さっきに跡の松原で,がんばって置イた金の蔓」

と,見逃さない,とか,目をつける,意で,そういう意味とは程遠い。『江戸語大辞典』が,

「頑は非」

とする以上,その頃から,

眼張る,

に,

頑張る,

と当て字されていたのではないか。敢えて言うなら,もともと,見逃さない意の,

眼張る,

という言葉があり,それに,『日本語の語源』の言う,

「強情者のことをガイハリ(我意張り)といい,子音を添加してガニハリになった。〈理を非に曲げて,東路に帰れといふほどガニハリ者〉(浄・隅田川)。『ニ』が母韻[i]を落として撥音化し,ガンバル(頑張る)になり,『困難に屈せず努力する』意にかわった。」

というような音韻変化の,

我意張る→頑張る,

とは両立していたのではないか。その意味で,両者を別語とした『広辞苑』に見識を見る。しかし,

眼張る,

よりは,

頑張る,

の方が流通するに至って,「頑張る」が主流になり,「眼張る」を,逆算して,語源と見なしたのではないか。『日本語源大辞典』が,「頑張る」の語源説を,

ガバ(我張)ルの音便(大言海),
ガ(我)ニハ(張)ルの撥音便。雅言考を折らぬ,我を張るの意。『眼張る』は別語(上方語源辞典),

と載せた上で,

「江戸中期より用例の見える『眼張る』(目をつけておく,また,見張りする,などの意)から出た語とする説もある。」

としているのは,これも見識である。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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かんばせ


「かんばせ」は,

顔・容,

と当てる。

「カオバセの転」

とある(『広辞苑』)。

顔つき,容貌,

という状態表現の意から,

体面,面目,

という価値表現へと転じている。最近聞かないが,

何のかんばせあって相まみえん,

といった使い方をする。『日本語源広辞典』には,

「顔+馳すの連用形。馳せ(顔+心ばせ)」

とあり,

「顔の様子,顔つき,などの意です。転じて,面目」

とある。『日本語源大辞典』には,

カホバセの義(大言海),
カホハシ(名言通),

の二説を載せるが,『大言海』は,

かほばせの音便,

とし,「かほばせ」の項には,

ころばせの語源をみよ,

とある。「こころばせ」の項には,

「心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して,顔様(かんばせ),腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき,こしつきにて,こころばせも,こころつきなり」

とある。

心の向かうこと,心ばえ,こころざし,

という意味になる。「心ばえ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%BF%83%E3%81%B0%E3%81%88)については,

「映え」はもと「延へ」で,外に伸ばすこと。つまり,心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから,ある対象を気づかう「思いやり」や,性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に,心の持ち方が良い場合だけにいう,という意味であった。

は(馳)せ,

は,

ハシリ(走)と同根,

とある。

走るように早く行く,

という意味で,

心を馳せる,

という意味で使う。だから,

「心+馳せ」

で,「心の動き」を言う(『日本語源広辞典』)。しかし,そういう状態表現から,

心のゆきとどくこと,たしなみのあること,

といった価値表現へと転ずる。『日本語源大辞典』は,

「性格・や性質にもとづいた心の働き,人格を示すような心の動き,才覚,気転の程を示すような心の動き」

と意味を載せる。

心が先へと走る,

という心の状態,働きが,

先へ先へと気(配慮)が回る,

と,そのもたらす効果というか,価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は,

その性格がおのずと外へ出る,

と言っているのに対して,「心ばせ」は,

その振る舞いが外へ出ている,

ということだろうか。「かんばせ」は,そういう様子だと言っていることになる。

「かほ(顔)」について,『岩波古語辞典』は,

「表面に表し,外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を朱にした言い方」

としているが,『大言海』は,「かほ」を,

姿形,

と当てて,「なりすがた」の意と,

顔,

と当てて,「顔面」の意とに分けている。「顔」で提喩的に,その人全体を表現する,という意味になる。

もともと「顔」自体に,「顔面」の意以外に,

体面,

という意味を持っているが,「かんばせ」と言ったとき,「顔」で何かの代表を提喩するように,

そのひとそのものの,

提喩でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で,

オモテ,

とは言い得て妙である。

参考文献;
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/306/index.html
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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かお


「かお(ほ)」は,

顔,
貌,

と当てる。顔面のことだが,「かんばせ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%B0%E3%81%9B) の項で触れたように,『岩波古語辞典』は,「かほ(顔)」の項で,

「表面に表し,外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を主にした言い方」

とし,

表面にあって見えるもの,汚れなど,
容貌,
顔面,
顔つき,
表面,
体面,
(ガオと濁音。接尾語的に用いて)(心の中で)…と思っていることを外部にはっきり示す様子,いかにも…な様子(「所得顔」「したり顔),
(そうではないのに)まるで…かの様子。あたかも…の態度(「馴れ顔」),

と用例が載るが,顔面の意が最初でないところが面白い。表面という意のメタファで顔と使われた,という感じになる。「日本の顔」というような,提喩的な使われ方も,「表面」という原意からみると,意味の外延としてはあり得る使い方になる。

では,「おもて」は,というと,『岩波古語辞典』は,

面,
表,

と当てて,

「オモ(面)とテ(方向)の複合。ものの正面,社会に対する正式の顔,表面が原義。」

とある。「おも(面)」は,

「上代では顔の表面の意。平安時代以後,独立してはほとんど使われず,『面影』『面変わり』『面持』等の複合語に残った。」

とあり,「おも」は,まさしく,

顔面,

の意であり,「かお」とは逆に,

表面,

の意が「おも」(つまり顔)のメタファとして使われている感じなのが面白い。当然,

仮面,

として使われるとき,この「おもて」のもつ,

顔面,

表面,

の意を含んでいることになる。もうひとつ「つら」という言葉がある。

面,

の字を当てるが,

頬,

の字も当てる。それは,『岩波古語辞典』に,

「古くは頬から顎にかけての顔の側面をいう。類義語オモテは正面・表面の意。カホは他人に見せること,見られることを特に意識した顔面」

とある。

横面を張る,

というのは,そういう意味では,屋上屋を重ねた言い回しになるのかもしれない。どこか「つら」には貶める言い方があるが,それは,

正面でない,
見られる顔とではない,

という含意を込めているということになろうか。

『大言海』は,「かほ」を,

姿形,

と当てて,「なりすがた」の意と,

顔,

と当てて,「顔面」の意とに分けている。「かほ(姿形)」は,

「気表(けほ)の転。人の気の,表(ほ)に出て見ゆる意と云ふ(鈴木重胤)。」

とし,

身体の姿形(なりふり),かたち,

の意が載り,「かほ(顔)」は,この,

「かほ(容)の転。身體の表示には,顔が第一なれば,移れるなり(朝鮮語に,鼻をカホと云ふとぞ)。人を表示するに,顔ゾロヒと云ふ,是なり」

として,やはり顔面が,メタファとして使われているとする。

語源は,「かお」は,『日本語源広辞典』は,

「カ(気)+ホ(表面)」

と,「気配が面に表れる」の意で,『大言海』と同じ説をとる。『日本語源大辞典』には,

カホ(形秀)の義(和訓栞),
カは外,ホはあらわるる事につける語(和句解),
カは上の義,ホカ(外)で,表面の意(国語の語幹とその分類),
頬と同じく語源は穂(玄同放言),
カミオモ(上面)の義(名言通),
「頬」の別音kapがkapoとなり,kahoと転じた語(日本語原考),

と諸説あるが,原義から考えて,表面に連なる意の,

「カ(気)+ホ(表面)」

に類するところに落ち着くのではないか。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kao.html

は,

「顔の旧かなは『カホ』で、古くは『顔』『顔立ち』『顔つき』のほか、『容姿』や『体つき』の 意味でも用いられた。 顔の語源には、『カホ(形秀)』の意味とする説(「秀」は『目立つもの』の意)や、『か』は『上』の意味で『ホ』は『ホカ(外)』で表面の意味とするなど、諸説 あるが特定し難い。」

としている。

「おもて」の語源は,総じて,

オモ(面)+テ(接尾語 方向),

で一致するようだが,『大言海』は,「おもて」を,

「面之方(オモツヘ)の急呼。後之方(ウシロツヘ)の,ウシロデとなると同じ」

としている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/o/omote.html

は,

「おもては『面(おもて)』と同源で、時代劇などで『おもてを上げい』という時の『おもて』は『面』のことである。 元々は,『おも』のみで『顔面』『顔』を意味し,『おも』の付く語には、顔 が長めなことを表す『面長(おもなが)』、顔つき・顔立ちなどを表す『面差し(おもざし)』などがある。
おもての『て』は,『方向』『方面』を意味する接尾語で,『おもて』といった場合,直接『顔』をささず,『正面の方』というやわらげた表現になる。のちに物の表面をいうようになり,さらに,物の表面に限らず,二つの物事のうち主だった方を意味するようにもなった。漢字の『表』は,『衣』と『毛』からなる会意文字で,毛皮の衣をおもてに出して着ることを示し,外側に浮き出るという意味を含む。」

とまとめている。しかし,『日本語源大辞典』には,その他に,

テはト(処)の転(国語の語幹とその分類),
オモツヘ(面之方)の急呼(大言海),
オモツヘ(面辺)の約(国語学通論),
オモツベ(面部方)の義,ツヘの反はテ(雅言考),
オモヒデ(思出)の約。人は頭によって思い出すから(和句解・柴門和語類集),
身体の主なところで,眼耳口鼻が具わり足りているところから,オモタレル(重足)の義か(名言通),
オミテ(凡見方)の転(言元梯),
アラハレムカフの転語略(国語蟹心鈔),
オボオボシ(朦朧)から生じたオボシ(覚)から。考えることが現れる場所であることから(国語溯原),
「顔題」の別音um-teiの転化。題は額の義(日本語原考),

と諸説載せる。方向を示す説の他に「思い」が現れる,とする説がいくつかあるが,『大言海』は,「おも」を,

「思(おも)と通ず」

としているところからも,考えられなくもない。しかし,『大言海』は,「おもて」を,

「面之方(オモツヘ)の急呼。後之方(ウシロツヘ)の,ウシロデとなると同じ」

としながら,「おも」を「思い」とつなげるのでは,少し矛盾が過ぎる。「おも」は,『日本語源広辞典』は,

「モ(正面)は,セ(背面)に対する語で,顔面や表面の意」

とする。「おも」も「おもて」も,正面,表面という原義から考えれば,「思い」は,うがち過ぎではないか。

「つら」は,『大言海』は,

「左右に列(つら)なる意」

としたが,「頬」とするなら,『日本語源広辞典』のいう,

「ヨコッツラ,ウワッツラ,左ッツラなど頬の意です。平安期は,側面をいう言葉です。中世以降,顔面全体,さらに表面をも表すようになりました。」

が妥当に思える。その「つら」の由来は,存外,

「ツルツル滑らかであるところから」(国語の語幹とその分類)

という擬態語であるように思える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/306/index.html

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かたな


「かたな」は,

刀,

と当てるが,今日だと,

日本刀,

という言い方をする。しかし,

「古来の日本では『刀(かたな)』、もしくは『剣(けん・つるぎ)』と呼び、『日本刀』という呼称を使っていない。また、木刀・竹刀・模擬刀に対置して『真剣』と呼ばれることもある。」

という。それはそうだろう。日本刀しかない世界で,他国と比較しない限り,そう呼ぶはずはない。刀は,

刀子,

とも当て,

「『とう』ともいう。長さが約六〇糎以上にして差したときに茎(なかご)の銘が外側に鐎(うが)ってあるもの。無名でもこのようにして差すものをいう。」

とある。腰にぶら下げる,いわゆる佩刀は,

太刀,

と呼ぶ。太刀は,

「刀剣の形式を区分上でいう太刀は,長さがだいたい六〇糎以上で,刃を下に向けて佩いた場合に茎(なかご)の銘が外側に位置するものをいう。」

と定義される。有名な,聖徳太子の画像の佩いているのは太刀である。

よく甲冑に佩いているのは太刀ということになる。

『広辞苑』は,「かたな」について,

「ナは刃の古語。片方の刃の意」

と載る。『大言海』にも,

「片之刃の約か(水泡(みのあわ),みなわ,呉藍(くれのアゐ),くれなゐ),沖縄にて,カタファと云ふ。片刃なり。西班牙語にも,刀をカタナと云ふとぞ」

とある。「諸刃(もろは)」の対,である。ところが,『日本語源広辞典』に,

「『片+ナ(刃)』です。現在の日本刀は,モロ刃だが,古代は片刃だったのです」

とある。この意味は,切り出しナイフのイメージで,本当に片刃のことを言っているらしい。このイメージが正しいのかもしれない。

一般には,諸刃とは,

「鎬 (しのぎ) を境に両方に刃がついていること」

を指す。だから,「諸刃の剣」という意は,

「《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。」(『デジタル大辞泉』)

とあり,「両刃」の意となっている。だから,両刃は,

剣(つるぎ),

と呼ぶ。刀は,剣と対比されている。『岩波古語辞典』には,「つるぎ」について,

「(古事記・万葉集にツルキ・ツルギ両形がある)刀剣類の総称。のちに片刃のものができてからは,多く両刃(もろは)のものをいう。」

とあり,「かたな」については,

「カタは片,ナは刃。朝鮮語nal(刃)と同源。古代日本語文法の成立の研究の刀剣類は両刃と片刃とがあった。」

とある。『大言海』の「つるぎ(劒)」の項に,

「吊佩(つりはき)の約,即ち,垂佩(たれはき)の太刀なり。御佩刀(みはかし)と云ふも,佩かす太刀の義。古くは,太刀の緒を長く付けて,足の脛の辺まで垂らして佩けり。法隆寺蔵,阿佐太子筆聖徳太子肖像,又,武烈即位前紀『大横刀を多黎播枳(たれはき)立ちて』とあるに明けし」

とある。聖徳太子の佩いていたのは剣,両刃であったことになる。この「横刀」というのは,

「刀剣を太刀(たち)・横刀(たち)・横剣(たち)と書いているが,現在の遺物例から推定すると六〇センチ以上の身の長さを太刀とし,以下のものを横刀,横剣の区別で記しているようである。『たち』は断ち切る意から生じたのであろうが形式としては帯取りをつけて腰に佩用するものの総称で,横たえる形になるから,『横刀・横剣』の文字が用いられたのであろう。」(『日本の甲冑武具辞典』)

ということのようだ。

語源は,ほぼ,

カタハ(片刃)の意(和語私臆鈔・古事記伝・箋注和名抄・雅言考・言元梯・和訓栞・国語の語幹とその分類),
カタノハ(片之刃)の約か(大言海),
カタナ(片無)の義(円珠庵雑記),
諸刃の太刀に対してカタハナシ(片刃無)の義(腰刀燧槖図記・卯花園漫録・名言通),
片刃名の義(桂林漫録),
カタナギ(片薙)の下略(腰刀燧槖図記・類聚名物考),
カタは片,ナはカンナ(鉋),ナタ(鉈)のナと同じで,ナグ(薙)と同根か(小学館古語大辞典),

等々と,片刃ということに,差異はなさそうである(『日本語源大辞典』)。

太刀は,語源は,ほとんど,

断ち,

から来ている,とされる。「つるぎ」は,『大言海』は,

「吊佩(つりはき)の約」

と,「吊る」という用い方に由来する説だが,『日本語源広辞典』も,

「ツル(吊る)+キ(切る・牙・刃)」

と,腰に吊るという形態からとする。しかし,諸説が微妙に違う。

つむがり(都牟刈)の約転(東雅・冠辞考・万葉考・類聚名物考・古事記伝・腰刀燧槖図記・卯花園漫録・雅言考・桂林漫筆・国語の語幹とその分類)
スルトキ(鋭利)の義か(和訓栞),
鋭い刃で切る意で,スルドニキルの略転(日本釈名),
トガリ(尖)の義(万葉考),
ツラヌキの略か(和語私臆鈔・百草露),
ツラギリ(貫斬)の義か(名言通・日本古語大辞典・日本語源),
ツルはツラツラ(熟)のツラと同源。ツラヌク(貫),ツラギリ(貫斬)のツラも同源(続上代特殊仮名音義),
ツルはツノの転で,突く意,キは鋒刃のある意(東雅),
ツキキリ(突切)の義(言元梯)

しかし,単体の言葉だけで,由来を考えると,どうしても語呂合わせになる。いつも正しいとは限らないが,音韻変化を辿ると,まったく違うものが見えてくる。

『日本語の語源』は,関連ある言葉の音韻変化を,次のように辿る。

「きっ先の尖った諸刃のヤイバ(焼き刃)をツラヌキ(貫き)といった。ラヌ[r(an)u]の縮約でツルギ(剣)になり,貫通・刺突に用いた。これに対して斬りつけるカタノハ(片の刃)は,ノハ[n(oh)a]の縮約でカタナ(刀)になった。上代,刀剣の総称はタチ(断ち,太刀)で,タチカフ(太刀交ふ)は,『チ』の母韻交替[ia]でタタカフ(戦ふ)になった。〈一つ松,人にありせばタチ佩けましを〉(記・歌謡)。平安時代以後は,儀礼用,または,戦争用の大きな刀をタチ(太刀)といった。
 ちなみに,人馬を薙ぎ払うナギガタナ(薙ぎ刀)は,『カ』を落としてナギタナになり,転位してナギナタ(薙刀・長刀)に転化した。」

参考文献;
笠間良彦『日本の甲冑武具辞典』(柏書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80
s://ja.wikipedia.org/wiki/太刀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80

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弓矢


弓矢の名称については,「はず」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%AF%E3%81%9A) で,既に一部触れた。

弓は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93_(%E6%AD%A6%E5%99%A8)

では,

「日本の弓は三国志の魏志倭人伝も記しているように長弓で7尺前後、弓幹の中央より下を握りの位置とするのが特徴である。既に縄文時代に漆を塗った複合弓と丸木弓とが併用され、鏃には主に黒曜石を使っていた。」

という。矢は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2

で,

「縄文時代までは石の他、鮫の歯、動物の骨や角などで作られていたが、弥生後期には急速に鉄製(鉄鏃)に変わっている。」

とある。「矢」は,

箭,

とも当てる。「矢」と「箭」の違いは,中国由来で,

「(函谷)関より東は矢,西は箭といふ」(『字源』)
「函谷関より西の方言」(『漢字源』)

とある。つまり,戦国期の秦は「箭」と呼び,それより西の国々では「矢」と呼んだということだろう。

『大言海』の「矢」の項には,

「遣りの義,音転して射るの語あり」

とある。確かに,「射る」の語源説に,

遣る,

とする説があり,

「矢を敵方へヤルの音韻変化で,イルとなった」

とある。ただ,『日本語源広辞典』の「矢」の項には,

「『イ・ヤ(射る・遣る)の語幹』です。イヤ>ヤで,弓で射て遣るものの意です」

とあるので,「射る」行為があって,「矢」になったのか,「矢」で射るから矢になったのかは,ちょっと微妙かもしれない。『日本語源大辞典』には,

ヤリ(遣)の義(名言通・大言海),
ヤル(遣)の義(日本釈名・日本声母伝・天朝墨談),

の「遣」る系以外にも,

ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),
ハヤ(早)の義(言元梯),
竹を並べたところが胡簶(やなぐい)に似ているところから,ヤナの反(名語記),
イヤル(射遣)の義(言葉の根しらべ),
イヤリ(射遣)の義(日本語原学),
イル(射る)の転,イラの約(和訓集説),
射る時の音からか,また,ハ(羽)の転か(和訓栞),
当たるか当たらぬかはさだめがたいところから,疑問詞のヤ(国語本義),

と諸説あるが,

射る,
遣る,

行為とのかかわりが深い。「矢」から「射る」になったのか,「射る」から「矢」になったかが,見極め難いが,

射るから遣る,

というよりは,

遣るために射る,

であることから考えると,「遣る」が先,なのかもしれないが。。。

「弓」の語源を考えると,その辺りが,ますます混濁してくる。『大言海』は,「弓」について,

「ユは射(い)と通ず。射る物の意と云ふ」

とある。

しかし,『日本語源広辞典』は,二説載せる。

説1は,「ユビ(指)の音韻変化」で,指に当てて引くものの意,
説2は,「ユ(射る)+ビ(もの)の変化>ゆみ」で,射る道具,

とある。いずれも,「射る」行為に焦点を当てている。しかし,『日本語源大辞典』には,「射る」以外にも,弓の形態から見る説がある。

ゆがんでいるところから,ユガミの中略(日本釈名),
ユはユガム(歪)の意のユ,ミは身の意か(国語の語幹とその分類),
タルミの上略か(類聚名物考),
木をたゆめて作るところから,タユムのユムの転か(古今要覧稿),
タユミ(撓)の義(言元梯),
たゆみやすいところからか(和句解),
ユルミ(緩)の義か(名言通),

「ゆみ」の形状の「たわめる」「たゆめる」から来たという説に魅力がある。「遣る」ために射るのが,「矢」なら,「射る」ために「たわめる」のが「弓」の方が,自然な気がする。

ちなみに,「ゆんで」は,

弓手,

で,左手を指す。では右手はというと,

「右手には手綱を持つ。因りて,右手を馬(め)手と云ふ」(大言海)

が,当然,

矢手,

とも言う。


参考文献;
http://ecoecoman.com/kyudo/item/yumi_meishou.html
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/222435/meaning/m0u/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E7%9F%A2
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いる


「いる」という字に当てるのは,

入る,
要る,
炒(煎)る,
射る,
鋳る,
居る,
率る,
沃る,

等々かなりの多数に渡る。「いる」といっただけでは,漢字がなければ区別がつかない。ただし,「居る」は,

ゐる,

なので,別語になるが,

「『ヰ・ウ(居)』つまり,動かないさま」

が語源,「住む,止まる,集まる,坐るが『居る』の語源」と『日本語源広辞典』にはある。これだと分かりにくいが,

「もとは動かぬ意のヰルが,転じて住む,止まる,集(ゐ)る,坐るの義に広がった」(『日本語源大辞典』),

のであり,『岩波古語辞典』によれば,「ゐ」は,

居,
坐,

を当て,

「立ち」の対,すわる意。類語ヲリ(居)は,居る動作を持続し続ける意で,自己の動作ならば卑下謙遜,他人の動作ならば蔑視の意がこもっている」

とある。

「射る」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%82%8B) で触れたように,「ゆみ(弓)」と「や(矢)」の由来と深くかかわる。『大言海』は,

遣ると通ず,はやひと,はいと(隼人),

とする。つまり,

「矢を敵方へヤルの音韻変化で,イルとなった」

ということだが,「射る」行為と「遣る」目的との前後は定かではない。『日本語源広辞典』は,「遣る」の,

「矢を敵の方へヤルの音韻変化で,イルとなった」

とする説以外に,

「入る」で,矢を敵方の方へ入れるという意で,イル,

とする説を載せる。

「沃る」とあてる「いる」は,

そそぐ,すすぐ,

という意で,『大言海』は「射る」から移った語,とする。さらに,「鋳る」とあてる「いる」も,

沃る義,

としている。これだと,「そそぐ」という含意が強まる。『日本語源広辞典』は,「鋳る」について,

「『ユ(入る)』で,『砂型』にユ(金属溶解物)を入れる仕事がイル」

つまり,鋳造をさす,とする。ただ,「入る」の意ではなく,

ユル(湯)の転(言元梯),

とする説もあり,「いれる」「そそぐ」ではなく,「ゆ」の方に見る説もある(『日本語源大辞典』)。では「入る」とはどこから来たのか。『大言海』のあるように,「入る」は,

出づ,

の反であるが,『日本語源大辞典』は,

イはイク,イヌのイと同じ。ルはアルの義(日本語源),
ヨリアル(自有)の約転,ヨリは門戸による義(名言通),
イは至り止まる,ルは自然に収まる意。日月が西山に至り止まるところから出た(国語本義),
出だしが終ること(和句解),

と諸説載せるが,はっきりしない。ただ,『日本語の深層』によれば,「いく(行・往)」は,

「本来『ユク』と発音され,『ユ(由)』には,『出発点・通過点・到着点』といった広く空間を捉える意味がありますから,『ク(来)』が話し手の方に『来る』意味だとすると,「ユク」は話し手から遠ざかっていくことでしょう。」

とあるので,「いる」の「ユ」をその意味を込めてみると,遠ざかるという含意はなかなか意味深い。

『日本語源広辞典』は,「いれる」の項で,

「イル(入る)の下一段化口語動詞がイレルです。『外から内へ移動する』が語源です。入れる,容れる,納れる,は,本来の日本語では,区別がなかったのです。」

と述べる。「入る」「沃る」「鋳る」の区別はなかったと考えるのが至当だろう。「要る」も,

入ると同語,

とされるようだが,『日本語源広辞典』は,

「根拠がはっきりしません。得るの意の,ウル,エルを語源とする説も納得できません。『要る』は,上代になく,中古から使われ,『必要である』意です。」

としている。「要る」と「入る」では含意が違いすぎる。

「率る」は,

行く意の,マヰルの意のヰルで,主に連れ伴う技術として用いられた(国語の語幹とその分類),
ヰはワキ(脇)の反(名言通),

「炒る」は,

イキレル(熱)の転(名言通),
ニヒル(煮乾)の約転(言元梯),
ヒイル(火入る)から(国語本義,日本語原学),

と,それぞれ『日本語源大辞典』に載るが,「率る」は,

ゐる,

で,『大言海』は,

以,
率,
将,
帥,

と当てている。「炒る」は,『日本語源広辞典』に,

「火を入る」

が語源とある。そんな感じがする。

どうやら,「入る」「鋳る」「沃る」「炒る」は「入る」と重なるようだ。

参考文献;
熊倉千之『日本語の深層』(筑摩選書)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ゆめ


「ゆめ」は,『広辞苑』には,

「イメ(寝目)の転」

とあって,いわゆる,レム睡眠時の「夢」の意であり,それをメタファにして,

はかない,頼みがたいもののたとえ,

に使われ,

空想的な願望,迷夢,
将来実現したい願い,

へと広げて使われる。しかし,「夢」の字は,

「上部は,蔑(大きな目の上に,逆さまつげがはえたさまに戈を添えて,傷つけてただれた眼で,よく見えないこと,転じて,目にも留めないこと)の字の上部と同じで,羊の赤くただれた目。よく見えないことを表す。夢はそれと冖(おおい)および夕(つき)を合わせた字で,よるの闇におおわれて物が見えないこと。」

とあり,

願望,迷夢,
将来実現したい願い,

といった意味は,元々の漢字には含まれない,わが国でのみの意味となるようだ。『岩波古語辞典』にも,夢の比喩として,

はかない,ふたしかなもの,

の意までしかない。また,『大言海』も,同じで,

夢の如く,

という意味までしか広げていない。これは臆測だが,英語dreamには,のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

「I Have a Dream」

というように,

実現したい理想,

という意味がある。「夢」つながりで,「夢」の含意にそれが加わって使われるようになったのは,英語のdreamのせいではないか,という気がする。

「ゆめ」の語源は,『広辞苑』『古語辞典』ともに,

イメの転,

とする。『大言海』も,

寝目(イメ),又は寝見(イミ)の転,

とする。『岩波古語辞典』『大言海』には,「いめ」の項に,

夢,

が載る。『大言海』は,

「寝見(イミ)の約。沖縄にては,今も,イメ,イミと云ふ」とある。

『日本語源広辞典』も,

「『イ(寝)+メ(目)』

とし,

「イメが,時代を経て,ユメになったものです。寝た目に映るものが夢です。上代には,イメで,ユメの使用例はありません。」

とある。「寝目(イメ)」ないし「寝見(イミ)」が大勢派だが,『日本語源大辞典』には,その他,

イメ(寝用)の転(卯花園漫録),
イミネの略転か(日本釈名),
ユはユウベ(夕),ミはミル(見る)の意(和句解・日本釈名),
ヨルミエの反(名語記),
ユはユルム,しまりのない事を目で見る意から(日本声母伝)

と,諸説載るが,いずれも,

夜見る,
寝て見る,

という含意の解釈の誤差にすぎないようだ。だから,夜見る夢以上の意味の拡大は見られない。しかし,『岩波古語辞典』には,

「夢は予兆として神秘的に解釈され,信じられることが多かった」

とあるから,

予兆夢,

として,未来へ投影される含意が,「ゆめ」という言葉にはあったので,

Dream,

の願望の意と重なる余地があったのかもしれない。因みに,『江戸語大辞典』にも,

夢助,
夢三宝,
夢は五臓のつかれ,

等々の言い回しに見るように,夜見る夢の意しか載らない。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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面目


「面目」は,

めんぼく,
めんもく,

と訓む。「目」のじは,

漢音で「ぼく」,
呉音で「もく」,

と訓む。『日本語源広辞典』には,

中国語,「面目(名誉)」

で,

「メンモク(世間の人に合わせる体面)ともいいます」

とある。「めんもく」と「めんぼく」で意味が違うということなのだろうか。確かに,『広辞苑』『大言海』を見ると,「面目(めんもく)」は,

顔つき,かおかたち(『日葡辞典』に「メンモクノヨイヒト」と載る),
世間に対する名誉,めんぼく,
ようす,ありさま,めんぼく,
本旨,趣旨(『日葡辞典』に「ワガシュウ(宗)のメンモクハジッカイ(十戒)ナリ」と載る),

で,

面目一新

といった使い方をする。「面目(めんぼく)」には,

人に合わせる顔,世間に対する名誉,めいぼく,めぼく,
物事の様子,ありさま,めんもく,

とあり,

面目ない,

という使い方をする。因みに,「めいぼく」は,『岩波古語辞典』に,

「めんぼく」の「ん」を「い」で表記したもの,

と注記があり,

「平安時代初期,漢字の字音のうち,音節の末尾のn音を「い」の仮名で写す習慣があった。例えば,西大寺本金光明最勝王経の傍訓に,『戦陣,セイチイ』『異見,イチイ』『衰損,スイソイ』などがある。」

と記す。

上記からみると,どうも「めんもく」が,原義であることを想定させる。それが「顔」という状態表現が,「顔」をメタファに,体面や名誉,といった価値表現へと転じていったと見える。漢字としての,

面目,

は,

めんぼく,
めんもく,

と両方の読み方をする。意味は,

顔,姿形,

であるが,用例を見ると,

「何面目見之」(史記・項羽紀)

と,

はずかしくてあわす顔がない,

という意味として使われているので,中国語でも,単なる顔ではなく,

体面,

の意味を持っていたようである。しかし本来は,

面目可憎,

というように,

(貧しくして)顔容悪しく憎むべし,

と,あくまで顔かたちを指していたとみられる。こうした使われ方は,「かんばせ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%B0%E3%81%9B) の使い方の変化との類似を思わせる。

「面」の字は,

「『首(あたま)+外側を囲む線』。頭の外側を線で囲んだその平面をあらわす」(『漢字源』),

という。『字源』には,

「面は顔前なり。頁に从(したが)ひ人面の形に象る。」

とある。「頁」とは,かしら,こうべ,の意である。

面目が立つ,
面目が無い,
面目丸潰れ,
面目を失う,
面目を潰す,
面目を施す,

いずれも,「めんもく」「めんぼく」と訓んで間違いとは思えない。

http://www.yuraimemo.com/4395/

は,

「『面目丸つぶれ』とは、体面・名誉がひどく傷ついて、他人に顔向けできなくなること。
「『面目ない(めんぼくない)』だと、恥ずかしくて顔向けできないこと。
では、面目を「めんもく」と読むと…どうやら別の意味になるらしい。
「めんもく」と読む場合、これは仏教用語である。
本来の面目とは、人間の生活活動や意識活動以前の生かされてあるいのち(存在)の有り様・姿をいう。
つまりは、本来的な真の姿ということだろうか。
従って、面目は、あり方、有り様、姿の意味になるわけ。」

とあるが,仮に仏語というのが正しいとしても,前後が逆ではないか,『史記』の用例のように,「めんぼく」「めんもく」両用の訓みのうち,仏典を漢語に訳すとき「めんもく」と訓ませた字を当てたにすぎないのではないか。

面目躍如,

について,『四字熟語辞典』は,

「『面目』は『名誉』の意味では『めんぼく』、『外見』の意味では『めんもく』と読むのが慣用。従ってこの熟語の場合、本来は『めんもく』と読むべきであるが、一般に『めんぼく』と読むこともある。」

とするが,こういうのを枝葉末節にこだわって,本筋を見失っているというべきだろう。中国語から来ているのだから,どちらに読んでも,正しいし,そういう訓み分け自体が,慣習に過ぎないのではないか。念のため,『江戸語大辞典』をみると,

めんもく,

の項には,

めんぼく,
人に合わせる顔,

と載る。「めんもく」「めんぼく」を区別せず,

体面の意としている。区別は人為的かもしれない。あるいは,文脈依存なら必要ない(当事者にはわかる)筈の区別を,文面上つける必要があったのかもしれない。

ちなみに,

真面目,

を,

しんめんもく

と訓ませるのは,まさに,

本体そのままのありさま,本来の姿,転じて真価,

であるが,やはり,

しんめんぼく,

とも訓ませる。「まじめ」に当てたが,本来は別の意味であった可能性が高い。「まじめ(真面目)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%BE%E3%81%98%E3%82%81) で触れた。ついでながら,『故事ことわざの辞典』には,

面目(めんぼく)を苞(すぼ)に包む,

というのが載る。「苞」とは「包(つつ)む」と同語源とされ,「つと」である。納豆の藁苞を思い浮かべればいい。

ところで,杜牧「題烏江亭」に,

勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男児
江東子弟多才俊
巻土重来未可知,

という詩があるという。

羞(はじ)を包み恥を忍(しの)ぶは是れ男児,

を類推させる。

巻土重来,

の出典でもある。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)

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忖度


「忖度」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%BF%96%E5%BA%A6)については,「慮る」と「斟酌」と対比して,取り上げたことがある。今日,

「忖度」

という言葉が大流行(おおはやり)で,改めて出典に当たってみた。今日の使われ方は,

他人の心をおしはかる,

という意味よりは,

茶坊主どもがバカ殿のお先棒を担いでいる,

というふうにしか見えない。あるいは,

鼻息を窺って先回りしている,
鼻毛を読んで御機嫌取りをしている,

という意味でもある。しかし,こういう使われ方は,今に始まったことではないという。

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni31?utm_term=.wmwn5L60B#.whBaeXoBg

によると,「忖度」の意味が,ここ十数年,変わってきたのだという(三省堂国語辞典編集委員の日本語学者飯間浩明氏)。

「従来は「母の心を忖度する」「彼の行動の意図を忖度してみた」などと、「単純に相手の心を推測する」場合にも普通に使われていた」

が, 

「『上役などの意向を推し量る』場合に使う用法が増えたように思います。おべっか、へつらいというか。上の者に気に入られようとして、その意向を推測する。ちょっと特別な時に使われるようになった」

として,こんな例を挙げている。

「消費税の引き上げは避けられないが、いまは国民を刺激したくない。しかし、ほおかむりも無責任」。そんな首相の思いを忖度したような党税調。(「朝日新聞」社説、2006年12月15日)

「その籾井氏が政策に関わるニュースに注文をつければ、どうなるか。権力を監視するジャーナリズムの役割が十分に果たせるのかといった疑問も浮かぶ。会長の意向を忖度し、政府に批判的な報道がしにくくなるのではないかとの不信感も出てくるだろう。(「朝日新聞」社説、2014年5月8日)

つまり,「忖度」が,上のものの意向を推し量る,という特別な意味に変じてきた,というのである。昨今の「忖度はまさに,そういう流れで使われている。まあ,

(上のものの)鼻息を窺う,

のと変わらない。「忖度」の出典は,

http://id.fnshr.info/2017/03/30/sontaku/

によると,『詩経』に,

奕奕寢廟、君子作之。
秩秩大猷、聖人莫之。

他人有心、予忖度之。
躍躍毚兔、遇犬獲之。

があり,

他人有心、予忖度之,

は,

他人心こころ有り、予(われ)之を忖度す,

と訓み下されているが,

他の人に(よこしまな)心があれば、私はそれを推しはかる

と,訳される。この句に続く,

躍躍毚兔、遇犬獲之

は,

すばしっこくとびまわるずるがしこいうさぎは、犬に出会って捕らえられる,

の意なので,その意訳は正しいと推測される。

いまひとつの出典は,『孟子』の「梁恵王上」に,その『詩経』を引用して,

王說曰、詩云、他人有心、予忖度之、夫子之謂也。夫我乃行之、反而求之、不得吾心。夫子言之。於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者何也。

王說んで曰く、詩に云く、他人心有り、予忖[はか]り度[はか]るとは、夫子を謂うなり。夫れ我乃ち之を行って、反って之を求むれども、吾が心を得ず。夫子之を言う。我が心に於て戚戚焉たること有り。此の心の王に合う所以の者何ぞ、と。

とある。そして,ここで王(斉の宣王)に,孟子の言うことが今日なかなか含蓄がある。

故王之不王、不爲也。非不能也

つまり,

故に王の王たらざるは、爲さざるなり。能わざるには非ざるなり、と。

「忖度」は少なくとも王たるものの心ばえであった。ここでは,上から下への推し量るる心,思いやる心を指している。今日の真逆になっている。

「忖度」の「忖」は,

「寸は,手の指一本のこと。昔は手尺や指の幅で長さをはかった。忖は,『心+音符寸』で,指をそっと置いて長さや脈ををはかるように,そっと気持ちを思いやること」

であり,「度」は,

「『又(て)+音符庶の略体』。尺(手尺で長さを測る)と同系で,尺とは,しゃくとり虫のように手尺で一つ二つとわたって長さをはかること。また企図の図とは,最も近く,長さをはかる意から転じて,推しはかる意となる。」

とある。

孟子の引用を見る限り,「忖度」は,

惻隠,

に近い。

人皆忍びざる所(惻隠の心)あり,之を其の忍ぶ所に達(推し及)ぼせば,仁なり,

とある。今日,「忖度」とはおよそ遠い心ばえであることは明らかである。

参考文献;
http://id.fnshr.info/2017/03/30/sontaku/
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/moushi/moushi_01.html
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)

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てきぱき


「てきぱき」は,

物事を手際よく迅速に処理するさま,

の意で,

てきぱき(と)かたづける,
受け答えがてきぱき(と)している,
てきぱきした対応,

といった言い回しで使う。

効率的に手際良く,
効率的,
手っ取り早く,
ぱっぱと,
能率的に,

といった言葉が類義語になる。しかし「テキパキ」と片仮名表記すると,

サクっと,
サクサクと,
コツをつかんでいる,よく心得ている,
チャッチャ
処理能力が高い,
きびきびと,
小気味良く,
機敏に,
きれが良い,
そつがない,
洗練されている,
熟達した,
お手のもの,

という類義語になる。 単に手際よいだけでなく,その動作の切れ味や機敏さがより強調された感じになるようである。

『岩波古語辞典』には見当たらないが,『江戸語大辞典』には,

手際よく敏速なさま,

として,

「兎角てきぱきと早手まわしな事がはやる世の中」(浮世風呂)

と用例が載る。『擬音語・擬態語辞典』によると,江戸時代には,

てきはき,

という言い回しもされたようで,

「てきはきと天気にならぬ」(和英語林集成)

という例が載る。

『大言海』には,「てきはき」という項で載る。

提起發起,

と当てて,

値遇反遇(ちぐはぐ),七轉八倒(ぢたばた)等々と同趣,

と載る。「てきぱき」も,「ちくはぐ」「じたばた」と同様,

擬態語,

という意味である。「てきぱき」は,『擬音語・擬態語辞典』には,

無駄なく手際よく物ごとをすすめ,こなしていく様子,

と同時に,

言葉や態度が明確である様子,

とある。「テキパキ」の表記は,後者を指すときによく使われる。

「しっかりとした口調でテキパキと話す女性」

と言ったように。で,その使い方は,

「はきはき」

が類義語になる。

「『てきぱき』は主に動作に関して明確であることを言うのに対し,『てきはき』は応答など発音が歯切れのよいことを言う語」

となる。

ついでに,「ちぐはぐ」は,

対のものが不ぞろいだっり,不調和だったりする様子,

の意で,江戸時代,

「ちぐはぐの顔は貰った桟敷なり」(誹風柳多留)

と,人から譲り受けた桟敷で芝居を観ている人の不似合さを嗤った川柳がある。

「じたばた」は,

手足を激しく動かす,

という意の擬態語から,それをメタファに,

ある事態に直面して慌てふためいたり,窮地を逃れようと焦ってもがく様子,

へと転んじた。だから,

七転八倒,

の字を当てたのだろう。「どたばた」「ばたばた」「あたふた」は類義語だが,

「どたばた」「ばたばた」

は,「じたばた」に似て,動作からのメタファで,

慌てている様子,

になるが,「あたふた」は,

心の中の動揺,慌て振り,

という心情表現から,慌てている様子に転用された,と見ることができる。「おたおた」も似ているが,

「『あたふた』は,うろたえてはいるがすぐさま行動に突っ走っていく様子であるのに対し,『おたおた』は,ただうろたえているだけで何もできない様子」

となる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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そよぐ


「そよぐ」は,

戦ぐ,

と当て,『広辞苑』『岩波古語辞典』には,

サヤグの母韻交替形,

とあり,

そよそよと音を立てる,

意とある。『日本語源広辞典』には,

ソヨ(擬態・そよそよ)+ぐ(動詞化)

とあり,

ソヨガス,ソヨフク,ソヨメクと同源,

とある。『大言海』も,

ソヨソヨのソヨを活用す。サヤグの転。ササヤク,ソソヤグ,カガヤク,カガヨフ

と載る。「そよ」は,

揺られて物の軽く触れ合うさま,

とある。しかし,これも,

サヤの母韻交替形,

である。で,「さや」をみると,

竹の葉などのざわめくさま,

とあり,かなり含意が違う。『岩波古語辞典』は,「さや」に,

清,

の字を当て,

すがすがしいさま,一説,ものが擦れ合って鳴るさま,

と,「さやか」の,

よく分かるように際だって,はっきりしているさま,

の意と同じとある。「さやか」をみると,

サエ(冴)と同根,つめたくくっきりしているさま。類義語アキラカは,はっきりして,隈なく見えるさま,

とある。で,「さえ」をみると,

サヤカのサヤと同根,

とある。こうみると,「そよ」は,

さえ→さや→そよ,

と,転じた形で,底流に,音が微かだが,際立って,はっきり聞えるという含意があるように思える。その擬態語「そよ」を重ねて,

「そよそよ」

となり,またその「そよ」を動詞化して,「そよぐ」となった,ということになる。『大言海』は「そよそよ」の「そよ」を動詞化というが,そうではなく,「そよ」の動詞化であり,その「そよ」を重ねて「そよそよ」となったと見る方が正確であろう。『擬音語・擬態語辞典』には,

「『そよ』は,古く奈良時代の『万葉集』に,『…負ひ征箭(そや)』(背負った戦闘用の矢)の「そよと鳴るまで,嘆きつるかも」とうる。『そよ』を動詞化した語に『そよぐ』『そよさく』『そよふく』『そよめく』がある。」

とある。

ところで,「そよそよ」には,『岩波古語辞典』に,二つの意味が載る。ひとつは,

ものが軽く触れ合って立てる音,

であるが,いまひとつは,

そうだそうだ,歌では風にそそぐ音にかけて言うことが多い,

とある。『擬音語・擬態語辞典』には,

「平安時代の『詞花和歌集』にある『風吹けば楢のうら葉のそよそよと言ひ合わせつついづち散るらむ』の『そよそよ』は,ふと思い出したり相づちを打ったりする時に発する感動詞。『そよ』を重ねた語で,『そよそよ』(=そうだそうだ)を葉のふれあう音『そよそよ』に掛けた表現(掛詞)になっている。このように古くは,風で草木の葉がふれ合ってかすかに立てる連続的な音を多く表していた。」

とあり,「そよそよ」をメタファとして,転用したと見ることができる。

ところで,「そよ」「そよぐ」は「さや」「さやぐ」の母韻交替形である。しかし,「さや」は,

竹の葉などのざわめくさま,さやさや,

であり,「さやぐ」は,

ざわざわと音がする,

と「そよぐ」とは少し意味がずれる(『広辞苑』)。『大言海』は,「さやぐ」に,

サヤ(喧),サヤサヤ(喧々)を活用せしめたる語(騒騒(さわさわ),さわぐ,刻刻(きさきさ),きさぐ),萃蔡(さやめく),同趣なり。喧語(さへ)ぐとも通ず。サイグと云ふは音転なり(驛馬(はやうま),はゆま,はいま)。ソヨグと云ふも,此の語の転なり。」

として,『岩波古語辞典』とは別の説を立てる。『日本語源広辞典』は,

「サヤ(清ユ)+グ(動詞化)」

で,さやさやと音がする,意とする。「さやぐ」が,もともとは,「そよぐ」と同じ意味を持っていたから,音韻変化したと考えるのが自然ではないかと思う。「そよぐ」の表現が自立した後,「さやぐ」の意味が,

ざわざわとする音,

へとシフトしていった,というのが,わかりやすい気がする。「さや」を重ねた「さやさや」の項で,『擬音語・擬態語辞典』は,

「『さやさや』は奈良時代の『古事記』の歌謡に既に例が見える。『冬木の素幹(すから)の下水のさやさや』,『振れ立つ漬(なづ)の木のさやさや』の二例である。『日本書記』の歌謡にも後者の例が見られる。たたし,この二例については音ではなく,ゆらゆらゆれる様子を示すとする説もあり,意味は確定していない。
 平安時代以降に見える『さやさや』は明らかに音の例である。『次にさやさやと鳴るモノを置く』(今昔物語)『とくさの狩衣に袴きたるが…さやさやと鳴りて』(宇治拾遺物語)」

とある。この説から鑑みると,「そよ」が「さや」から音韻変化したのは(この逆の転訛がないのだとしたら),音を表すためだった,と考えられなくもない。で,「さや」は,

ざわざわ音,

へと意味をシフトした,と。

「そよ」と「さや」の関係の微妙さが,「そよぐ」と「さやぐ」両語の語源説の揺らぎに見える。それぞれの語源説を整理しておく。

「そよぐ」については,

サワグ(騒)の義(言元梯),
ソヨソヨのソヨの活用(大言海),
サワグ,サヤグの音転(万葉代匠記),
サヤグの母韻交替形(岩波古語辞典),
ソヨメクの義,ソヨは風が物に触れる音から(日本語原学),

「さやぐ」については,

サヤ(喧),サヤサヤ(喧々)を活用せしめたる語(大言海),
サヤは木の葉などがこすれる音の擬声語(日本古語大辞典),
サヤグ(清)はサエヤカ(沍)の義(名言通),

等々。結局,擬音語までしか,行き着いていない,ということだが。文脈依存の和語では,そのときどき擬音を言い表そうとする。一般化するのは,文字化されてからなのかもしれない。そこで,意味が分化されていく。

因みに,『日本語の語源』は,例によって,異説を立てている。

「サハル(障る)はサワル・サヤル(障る)に,サワグ(騒ぐ)はサヤグに転音した。」

とする。でも,背景に,ザワザワ,という擬音語があるという気はする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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二つ返事


「二つ返事」は,『広辞苑』によると,

「ためらうことなく,すぐ承諾すること」

という意味で,

二つ返事で引き受ける,

という使われ方をするが,『デジタル大辞泉』には,

1 「はい」を二つ重ねて返事をすること,

とあり,次いで,

2 気持ちよく、すぐに承諾すること,

と載り,本来は,ただ,

「はい」を二つ重ねた,

という状態表現であったものが,

すぐ承諾する,

という価値表現へと転じたものだと見ることができる。

『デジタル大辞泉』には,

「文化庁が発表した平成23年度『国語に関する世論調査』では、『快く承諾すること』を表現するとき、本来の言い方とされる『二つ返事』を使う人が42.9パーセント、本来の言い方ではない『一つ返事』を使う人が46.4パーセントという逆転した結果が出ている。」

とある。つまり,

二つ返事,

の価値表現が,あまりいい意味でないとというふうに受けとられるようになったために,代わって,

一つ返事,

という,ただ,

「はい」と一回返事する,

という状態表現にすぎないものを,

快く承諾する,

という価値表現へとシフトさせた,ということになる。その背景を伺うに足る質問が,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413357754

に,

「二つ返事で快く引き受けてもらった といいますが、なぜ一つ返事ではないのでしょうか?『はい はい』とか『Yea Yea』は相手を小ばかにした、不真面目な言い方というのだと思うのですが。」

という質問に見ることができる。回答は,

「『はい』で済むところを『はい、必ず』とか念を押すようにOKするのが二つ返事で引き受けること。これは良い意味です。
『はい、はい』は確かに不真面目な言い方です。これは厳密には『重ね言葉』だと思われます。なぜ重ね言葉が嫌われるかというと、お葬式での忌み言葉を連想させるからでしょう。葬式では『くれぐれも』とか『たびたび』など、二回繰り返す言葉が禁じられています。不幸が続くといけませんから。つまり、理想の二つ返事は、同じ意味のことを違う表現で繰り返すことなのです。」

となっている。既に回答者自体が,「はい,はい」を,貶めている風潮の中にあると見えてなかなか,この回答は嗤えるのではないか。

http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E8%BF%94%E4%BA%8B%E3%80%8D%EF%BC%9F%E3%80%8C%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E8%BF%94%E4%BA%8B%E3%80%8D%EF%BC%9F%E3%81%A9%E3%81%A1%E3%82%89%E3%81%8C%E6%AD%A3%E8%A7%A3/

でも,

「アンケートを取ってみると、おおよそ半数の人が間違いているようで、その原因としては『返事は一回』と、しつけられて育った印象が強くて、『はいはい』と二回返事をするのはイメージ的に悪い事と感じるのではないかとの事。…ですが、二つ返事の意味としては『快諾』という意味で、本来の意味としては、普通に一度返事するだけでなく、前のめり気味に強調しているイメージになるようですね。同じ二つ返事でも『ハイ、もちろんです』や『はい、了解です!』と言われれば、確かに気持ち良く聞こえますよね。」

も,同じ罠にはまっている。

『日本語源広辞典』には,

「『ハイ,ハイ』と気持ちよくひきうける」です。ためらうことなく即座に返事することです。」

とある。これは,「はい,はい」を言う文脈が違うのだ。嫌々,「はい,はい」というのは,

「はい,は一度でいい」

と返される「はい」であり,子どもが「おやつ」と言ったとき,母親が,

「はい,はい」

と,軽く受け流すときは,たぶん苦笑が出ている。そして,これを頼むぞ,と信頼する上司から言われたとき,

「はい,はい,」

と,テンポ良く,連発する時は,快諾である。文脈次第で変わる。と考えれば,いつの間にか,

ハイは一度でいい,

という文脈を共有するようになった,ということなのではないか。

『大言海』の「二つ返辞」は,

「言下に承諾すること,喜むで承知すること」

とある。あるいは,

「はい,はい」

と,「はい」を重ねることではなく,

言下に承知すること,

を指して,

二つ返事,

と言ったのかもしれない。それは,

イエス,いくつでもイエス,

と,告白に返事する気持ちと同様の,心の声といっていいのかもしれない。しかし,そこには,

はい,はい,

という返事が,

ふざけやおちょくる意図があるとは受け取らないという文脈があったことだけは間違いない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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さざめく


「さざめく」も,擬音語の気配がするが,『広辞苑』には,

中世にはサザメク,

として,

声をたてていい騒ぐ,がやがやいう,騒がしい音がする,ざわざわする,

と意味が載る。『大辞林第三版』には,

「古くは『ざざめく』で、『ざざ』は擬声語」

と載る。『日本語源広辞典』には,

「サザ,ザザ(擬声・波音)+めく」

と載る。『大言海』は,

「サザと笑ふの,サザなり(颯(さと)の條を見よ)ザンザメクと云ふも,此語より起こる」

とあり,「颯(さと)」の條を見ると,

「サは,風の,軽く吹きて,物に触るる音重ねて,サザとも云ふ。字彙『颯(さふ),風聲也』和漢,暗合す」

とある。

この辺りは,「ささやく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8F) で触れたところと重なるが,『擬音語・擬態語辞典』には,「ささっ」について,

「素早く動く様子」

とあるが,風のサッと吹くという擬音語から,擬態語へと転化したものと見える。

「鎌倉時代から『ささ』の形で見える。本来は弱い風が吹いて立てる音や,水が軽やかに流れる音を表した。」

とある。「さっ」は,「ささっ」と似ているが,

弱い風や雨が一瞬に通り過ぎ,草木などを揺らして発する音,

という「瞬間」に力点があり,

「素早くある行動に移ったり,完結させる様子」
「急にある状態に変わる様子」

という変わり目の意味に焦点がある。

「平安時代には『一たびにさと笑ふ声のす』(宇津保物語)という例のように,『さと』の形で現れる。この語は本来,一斉にある状態が起こったり感じられたりする様子を表すが,やがて風などが立てる軽い音を表す語に変化する。『さ』の撥音が平安時代に[tsa]から現代の[sa]に変ったために,五感も変化したものか。鎌倉時代の『名語記』では,『さときたり,さとちるなどいへる,さ如何。これは,風のふく,さの心か』とあって,この時代には現代と近い使われ方でふったことが分かる」

とある。これが濁って,

さざっ,

となると,

水などが勢いよく流れたり降りかかったりする音,またその様子,

となる。「ざっ」も,勢いや音が増し,さらに,

手早くことを終らせる様子,

の意味が,

大雑把,

の意味へシフトして,

数を表す,

「ざっと何々」という言い回しへと転じていく。この流れから想像されるように,「ささ」と「さざ」は繋がる。『日本語源大辞典』は,「さざめく」と「ささめく」との関連を示唆ている。

「ささめく」は,『広辞苑』には,

声をひそめて話す,ささやく,
心が乱れてさわぐ(『日葡辞典』「ムネガササメク),

が載るが,『日本語源広辞典』は,

「ササ(細・小の意)+めく」

で,さやさやと音がする意,である。それを囁きに準えた。「ささ」は,『岩波古語辞典』には,

後世濁ってサザとも,

とあり,「ささ」と「さざ」の区別は微妙である。本来は,「ささ」は,

細かいもの,小さい物を賞美していう,

という意味だが,『大言海』には,

「形容詞の狭(さ)しの語根を重ねたる語。孝徳紀大化二年正月の詔に,『近江の狭狭波(ささなみ)』とあるは,細波(ささなみ)なり。神代紀,下三十六に,狭狭貧鈎(ササマヂチ)とあり,又,陵墓を,狭狭城(ささき)と云ふも,同じ。イササカのササも,是れなり。サとのみも云ふ。狭布(サフ)の狭布(さぬの),細波(さざなみ),さなみ。又,ササヤカ,ササメク,など云ふも同じ」

とあり,「ささ」もまた擬音語である。

『日本語源大辞典』は,

「『ささ』は擬声語で,類義語『さざめく』は『さざめく』ともいい,がやがやと大声をあげる意であるのに対して,『ささめく』は,ひそひそと小声で話す意であるという違いがみられる。」

とある。『岩波古語辞典』は,「ささめき」に,

囁き,

を当て,『大言海』は,

私語,
耳語,

と当てる。もはや「ささやく」とほとんど重なっていく。

「ささ」も「さざ」も「ざざ」も,目の前で話している限り,違いは明らかである。文字にした瞬間から,その違いを明確にしなければならず,その間隔は,広がっていくが,眼前にしているとき,その差は微妙だったのではあるまいか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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李下の冠


李下の冠,

つまり,

李下に冠を正さす,

は,今日,死語である。いやいや,そもそも(基本的などという意味ではない。ここでは元来という意味),そういう言葉自体を知らない恐れがある。

李下の冠,

は,

李下の冠瓜田の履, 

とセットで言われる。出典は,

古楽府「君子行」(『楽府詩集』巻三十二、『古詩源』巻三、『古詩賞析』巻五など),

とされる。「君子行」は当時から広く流布していた、一種の処世訓を示した民間歌謡であったという。

君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠,

すなわち,

君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に処(お)らず。瓜田に履(くつ)を納れず、李下に冠を正ださず,

である。これは,

 君子は未然に防ぎ
 嫌疑の間に処(お)らず
 瓜田に履を納(い)れず
 李下に冠を正さず
 嫂叔は親授せず
 長幼は肩を並べず
 労謙にして其の柄を得
 和光は甚だ独り難し
 周公は白屋に下り
 哺を吐きて餐に及ばず
 一たび沐して三たび髪を握る
 後世、聖賢と称せらる」

と続くそうだ。

http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/rika.html

によると,こんなエピソードが載っている。

「紀元前356年、斉の国では威王が即位する。この威王、即位したのに国政を大臣に任せきりで一切自分はタッチしようとしない。・・・実は凡庸なふりをしてじっと臣下の行状を見極めていたのである。そんな中、王が国政にかかわらないのをいいことに、『周破胡』という大臣が好き勝手に国を動かしていた。彼は取り巻きに囲まれて私腹を肥やし、清廉潔白な人々を嫌ってかたっぱしから排除した。
これを見かねた威王の寵姫『虞氏』は、
「どうぞ『周破胡』を除いて、賢者として名高い北郭先生を起用されますように」と進言した。
ところがこれを知った『周破胡』、逆に
「『虞氏』は後宮に入る前、北郭先生と関係があったのだ」と讒言したのである。
彼の讒言を信じた王は彼女を幽閉し、係官に訊問させたが、この係官も『周破胡』の息がかかった人物で、彼女の供述をことごとく捻じ曲げて王に報告した。
さすがの王もなんかへんだぞと不審に思い始め、彼女を召しだしてじきじきに問いただしてみた。
すると、『虞氏』は
『磨けば玉となる名石は、たとえ泥にまみれて汚れたといえども卑しめられず、また柳下恵というお方は、冬の夜に凍えた女を寝床にいれてその体を温めてやったからといって、男女の道を乱したと他人に非難されることはこれっぽっちもなかったと聞き及んでおります。これは日頃から行いを慎んでいたればこそ、人に疑われずにすんだのでございます。わたくしに罪があるとすれば、瓜田に経るには履を踏み入れず、梨園を過ぐるには冠を正さず、という戒めを守らなかったことがその一、
幽閉されている間、誰一人わたくしの真実の声に耳を傾けて下さらなかったということでわかったように、私が日ごろから人々の信頼を得ていなかったということがその二、でございます。』
と、まず自己の不明を王に詫びたのである。
そして、『周破胡』が国政をもっぱらすることの危険性を切々と王に訴えた。
即位してすでに9年、威王は親政に乗り出すべき時のきたことを悟り、彼女の幽閉を解く一方で、『周破胡』を煮殺し、国政を刷新したのである。」

ついでながら,

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には,三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』の,

「御大切の身の上を御存じなれば何故夜夜中よるよなか女一人の処へおいでなされました、あなた様が御自分に疵きずをお付けなさる様なものでございます、貴方だッて男女七歳にして席を同じゅうせず、瓜田に履を容れず、李下に冠を正さず位の事は弁わきまえておりましょう。」

という例も載る。そんな使われ方もする,「李下の冠瓜田の履」は,言うまでもなく,

「すももの木の下で手を上げれば果実を盗むかと疑われるから,冠が曲がっていても,そこでは手を上げて正すべきではない」
「瓜畑で履が脱げても,売りを盗むかと疑われるので,履き直すな」

という意味で,

人から疑いをかけられるような行いは慎むべきであるということのたとえ,

である。しかし,そもそも「個別案件」,しかもおのれの縁者(岸信介の外孫,つまり安倍首相とははとこの関係と言われる)に関わるような案件を自らが,税金を使って助成しようとすることは,一国の首相のなすべきことではないことは勿論だが,仮に私企業であっても,適格性の判断を埒外に置いており,投資案件としても,業務上の横領を疑われても言い訳できないような事案である。しかも,その案件を通すために,公的決裁ルートを待たず,ダイレクトに担当者に決裁を促すなどということは,オーナー企業ですら組織としてはいかがかと思うが,通常の私企業では,株主に対し説明がつかないだろう。まして,ことは,税金の使い方に関わる事柄なのである。

この場合,僕は,

モラル・ハザード,

以前の問題である,と思う。モラル・ハザード(moral hazard)とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89

によると,3つの異なる意味がある,という。

@プリンシパル=エージェント問題。経済学のプリンシパル=エージェント関係(「使用者と被用者の関係」など)において、情報の非対称性によりエージェントの行動についてプリンシパルが知りえない情報や専門知識がある(片方の側のみ情報と専門知識を有する)ことから、エージェントの行動に歪みが生じ効率的な資源配分が妨げられる現象。「隠された行動」によって起きる。
A保険におけるモラル・ハザード。保険に加入していることにより、リスクをともなう行動が生じること。広義には、@に含まれる。
B倫理の欠如。倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと(「バレなければよい」という考えが醸成されるなど)。

しかし,「B.の意味は英語の「moral hazard」にはなく日本独自のもの」で,本来,「倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化」という用法はない,のだという。

ま,それはともかく,

倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化,

以前というのは,このところの一件は,そもそも(繰り返すが基本的などという意味ではない。元来が)そういう倫理観ではなく,それとは別の,

私利私欲,
利権,
業務上の横領,
盗人倫理,

ということを当たり前としている,としか見えないからだ。そもそも国の柱石である憲法を,おのれの私意(あるいは趣味)で,変えることを広言してはばからず,それを誰も咎めないということは,この国自体が,

モラル,

などというものを持たぬ,ということでしかない。残念ながら,洋風に言えば,

ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige),

は,建前としてすら,どこにもない。これは,

位高ければ徳高きを要す,

という意味らしいので,儒者流に言えば,

命を知らざれば,以て君子たること無きなり。礼を知らざれば,以て立つこと無きなり。言を知らざれば。以て人を知ること無きなり,

あるいは,

名正しからざれば則ち言順わず,言順わざれば則ち事成らず,事成らざれば則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば則ち刑罰中らず,刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし,

というところか。少なくとも,かつては,上に立つものは,この心ばえについて,建前だけにしても,厳守するふりをした。でなくば,上に立つ資格はないと見なされたからだ。今日,そんなものの欠片もない。むしろ,人としての,

自己倫理,

すら持たぬ。自己倫理とは,

ひとはいかに生くべきか,

というコアの自己規制だ。それの無きものは,ずぶずぶと,泥沼にはまっても気づけぬ。後ろめたさも感じない。悪いこととは思わぬからだ。そういうものをトップに戴く国に未来はない。それを戴くのを選んだのは国民自身だからだ。

なお,ノブレス・オブリージュについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/396122656.html

で触れた。

参考文献;
http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/rika.html
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

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せせらぎ


「せせらぎ」は,古くは,

セセラキ,
セゼラキ,

とも言うらしい。

浅い瀬などを流れる音,またそういう場所,

を意味する。擬音語からきているのではないか,と思わせる。『岩波古語辞典』には,

せせらき,

で載る。狭い所を,

せせり,

というらしい。楊枝で「せせる」の「せせり」である。『岩波古語辞典』には,「せせり」として,

狭い所を,無理につつきほじくる,
突き散らしてあさる,
あれこれとからかいもてあそぶ,

という意味が載る。あるいは,「相手を鼻先であしらって笑う」意の,

せせら笑う,

の「せせら」は,ここから来ているのかもしれない。

『大言海』の「せせらぎ」の項には,

せせらぐの名詞形,

とあり,「せせらぐ」は,

さざらぐの転,

とあり,

水浅くさざなみ立てて流る,

とある。「さざらぐ」は,

潺,
湲,

の字を当て,

水の音のサザを活用せしむ(薄らぐ,柔らぐせ),

として,

水,サザとして流る,
水,砕けて,流る,

意であり,「さざる」の項で,

潺,
湲,

の字を当て,

水音,サザを活用せしむる(長るる,熱(あつ)るる),

として,

さざる,

に同じ,とする。どうやら「せせる」は,別で,『大言海』は,

迫(せ)り迫(せ)るの略,

の,「つつく」意と,いまひとつ,

静岡県にて,玩(もてあそ)ぶを,セセルと云ひ,又,玩具(せせりもの)とも用ゐる,

とある「せせる」の二系統があることを示す。「せせらわらい」は,後者から来た,

迫(せせ)り笑ひの義,

ということになる。

閑話休題。

「さざ」については,「さざめく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%81%E3%81%8F) の項で少し触れたが,「さざ」は,

水の音,

を指す擬音語で,『大言海』には,

さざらぐ,さざるる,さざら波,さざれ波など,これより出ず。万葉集に,沙邪禮(さざれ)浪とあれば,第二のサは,濁る。水をザッとかけると云ふのも,是なり,

とある。「ざっ」についても,「さざめく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%81%E3%81%8F) で触れた。擬音語で語源が尽きているようだが,そう簡単ではなく,『日本語源広辞典』は,

「瀬+さやぎの音韻変化」

とするし,『日本語源大辞典』にも,「さざらぐ」の転とする『大言海』説以外に,

セマリセマル(迫々)の義から(名言通),
小流の水の音から出た語(俗語考),
セセラギはササラミ(小水)の義(言元梯),
セセラキのセセは瀬々,ラキはラヤ,ケミの反(名語記),

と,いろいろある。しかし,やはり,水音から来ている,と見たい。『日本語の語源』には,

「水が音をたてて流れることをササラグ(潺ぐ)といった。<心地よげにササラギ流れし水>(更級)。
 名詞形のササラギ(潺ぎ)は母韻交替[ae]をとげてセセラギ(細流)に転音し,サラサラと音をたてて流れる浅瀬のことをいう。<小鮎さ走るセセラギに>(謡・鵜飼)。
 セセラギ(細流)は『ラ』が強化の子音交替[rn]をとげてセセナギ(細流。小溝)に転音し…ている。」

とある。やはり,『大言海』の「さざ」という擬音から来ていると見なすのが説得力がある。

参考文献;
https://pro.foto.ne.jp/free/product_info.php/cPath/21_25_36/products_id/882
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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はしる


「はしる」は,

走る,

とあてるが,

奔る,
趨る,

とも当てる。 『岩波古語辞典』には,

ハセ(馳)と同根。勢いよくとびだしたり,す早く動き続ける意,

とある。因みに,漢字の,「走」「奔」「趨」の違いは,

「走」は,かけゆく義。奔走,飛走と連用す。破れて逃げるにも用ふ,
「奔」は,走よりは更に勢いよくかけ出す義。事により趨くに後れんことを恐るる意なり。轉じて結婚に禮の備はるを俟たず,父母の家をかけおちするをも奔という,
「趨」は,早く小走りする義。貴人の前を過ぐる時の禮。論語「鯉趨而過庭」禮記「遭先生于道,趨而進」疾走して直ちに目的の處に至る義より,敬意をオブ,

となるようだ。『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%AF/%E8%B5%B0%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

に「走る」について,

「走るとは、『歩く』では、ライオンに食い殺されたり、野球でアウトになったり、会社をクビになったり、目玉商品を他のおばさんに奪われたりという、くやしい結果になることが予想される状況で、誰もががやむをえず取る行為。歩くときの足の動きをスピードアップさせつつ、そのパワーを地面を蹴って飛び跳ねる方向に作用させれば、あなたも簡単に『走る』ことができる。」

とあるが,この「走る」観は間違っている。人類の「走る」の意味については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163439.html

で触れたが,人間の足について,人類学者,アリス・ロバーツは,こう書いている。

「わたしたちの体の構造は,人類が長距離走に耐えるように進化してきたことを示唆している。たとえば,腱と靭帯は,エネルギーを貯めて効率よく走れるようになっているが,そのような特性は,毎日走って体を鍛えたりしなくても,わたしたちの体に元々組み込まれているのだ。」

「人類の足は,立って,歩いて,走るためにできている。近い親戚のチンパンジーやゴリラと違って,わたしたちは足でモノをつかむことができない。その代りに,すべての指が一列に並び,足は直立するための土台という,より重要な機能を果たすようになった。また,人類の足にはアーチ構造が見られる。内側の縦のアーチ(土踏まず)と外側の縦のアーチ,そして甲の部分を横切るアーチだ。これらのアーチは,収縮性のある腱と靭帯によって支えられている。走る時,足が地面につくと,腱と靭帯がバネのように伸びてエネルギーを貯め,地面を離れる足にそのエネルギーを戻す。アキレス腱は,筋肉と踵骨をつなぐ太い腱で,やはりバネの役目を果たしている。また,人類の足は長いので,大きな歩幅で歩いたり走ったりできる。」

とある。そして,

「ホモ・エレクトスが登場した180万年前頃には,脚の長い人類が現れはじめた。(中略)そこで,走るのに適したように変化があらわれる。例えば,前傾姿勢が保てるように背筋が発達,脚を後ろに動かすための臀部の筋肉も大きくなる等々。なにより,人間の体には,体毛がほとんどなく,長距離を走っている時に,熱を発散し,桁はずれて多い汗腺による発汗と汗の蒸発によって体温を下げるという,適応がある。」

と。だから,チーターのような,その瞬発的な力はない代わりに,粘り強く走り続ける持久力が我々の特徴であるなら,それは,精神にももともと備わっているはずなのではないか。いまも狩りをする,ブッシュマンに同行したアリス・ロバーツは,その長距離ランナーぶりに驚嘆しているが,なにより,日中に狩りをすることが,他の捕食動物やハイエナのような清掃動物とも重ならず,ニッチを獲得したのではないか,と推測している。そこには,人の狩りの仕方がある。真昼間,動物の足跡みつけて,それをたどり,執拗に追跡する。そして夜は,安全な集落に戻る。

持続する脚力は,持続する精神力とセットのはずだ。仮に持久力のある脚力があっても,執拗に追い詰めていく精神力がなければ,途中で投げ出すだろう。つまり,精神の持久力の限界が,脚力の限界になる。その脚力は,精神力とあいまって進化したというべきなのだ。他の哺乳類からみたなら,二足歩行の人の特徴的な行動スタイルは,「歩く」ではなく「走る」なのである。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/4373/vol_239.htm

に,「歩く」との違いについて,

「歩くとは左右のどちらかの足が地面についている進み方を言います。それに対して、走るとは両足が同時に地面から離れている瞬間がある進み方です。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B0%E3%82%8B

でも,「はしる」を,

「人間は二足歩行をするとき、左右の足で交互に地面を蹴ることで推進力を得る。このとき、両足が同時に地面から離れる瞬間がある移動方法を走る、常にどちらかの足が地面についている移動方法を歩くという。必然的に、走っているときは両足が同時に地面につくことはない。運動学的には、遊脚期が立脚期よりも長い移動方法であると言える。 もう一つは、位置エネルギーと脚のバネエネルギーの交換による移動とも定義されていて、その意味でゾウの速歩はある意味では走行ともとらえられる。」

と定義している。

さて,「はしる」の語源である。『日本語源広辞典』は,

「ハシ(粛・ひきしまる)+る」

で,

「早く進む,勢いよく早く動く,噴きだすなどの意です。火の中の栗がハシル,固く乾燥する意のシハルなどの方言は,語源に近いようです」

とある。『日本語源大辞典』には,

ハス(馳)と同語源(岩波古語辞典)
「ハスル(早進)の義(言元梯),
ハヤセキアル(早瀬有)の義(名言通),
ハは早の義。シはアシの上略か。ルは任るの意か(和句解),
ハサマ・ハサム・ハシ(橋)等と同語源で,二点の間,二点をつなぐなどの原義が共通するか(時代別国語大辞典),

等々が載るが,上述の肉体の特徴から見ると,

「ハシ(粛・ひきしまる)+る」

を取りたくなる。なお,「馳せ」との関係について,『日本語源大辞典』には,

「(馳せるは)本来,自動詞「はしる」に対応した他動詞で,『はしる』が古代には,水,鮎,雹などの動きについて広く用いられていたのと同様に,馬,弓,舟,心などについて広く使われた。しかし,自動詞的にも用いられたために,『はしる』との関係が曖昧になり,『はしる』の他動詞形として『はしらす』『はしらかす』が一般的となった。ただし,東北方言には『はせる』を『はしる』の意味で使うなどの用法が残っている。」

とある。因みに,「は(馳)せる」の語源には,

ハシラスの義,
ハシルの約,
ハシルと同源,

と,ほぼ「はしる」とつながっているようである。

参考文献;
アリス・ロバーツ『人類20万年 遥かな旅』(文藝春秋)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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むし


「むし」は,

虫,

の字を当て,いわゆる,

昆虫の意,

で使っている。しかし,漢字の,

虫,

蟲,

は,まったく別の意味である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB

では,

「虫という漢字の由来は、ヘビをかたどった象形文字で、本来はヘビ、特にマムシに代表される毒を持ったヘビを指した。読みは『キ』であって、『蟲』とは明確に異なる文字や概念であった。
蟲という漢字は、もとは、人間を含めてすべての生物、生きとし生きるものを示す文字・概念であり、こちらが本来『チュウ』と読む文字である。古文書においては『羽蟲』(鳥)・『毛蟲』(獣)・『鱗蟲』(魚および爬虫類)・『介蟲』(カメ、甲殻類および貝類)・『裸蟲』(ヒト)などという表現が登場する。しかし、かなり早い時期から画数の多い『蟲』の略字として『虫』が使われるようになり、本来別字源の『虫』と混用される過程で『蟲』本来の生物全般を指す意味合いは失われていき、発音ももっぱら『チュウ』とされるようになり、意味合いも本来の『虫』と混化してヘビ類ないしそれよりも小さい小動物に対して用いる文字へと変化していった。」

とあり,「虫」の字(漢音キ,呉音ケ)は,

まむし,

を指し,「蟲」の字(漢音チュウ,呉音ジュウ)は,

昆虫,
及び,
動物の総称,

と『漢字源』にはある。で,上記と重複するが,

羽虫は,鳥類,
毛虫は,獣類,
甲虫は,亀類,
鱗虫は,魚類,
裸虫は,人類,

を指す。さらに,

足のあるむし(足のないむしを豸(チ)という),
とか
うじむし(ちいさいもののたとえ),

の意味もある。由来からみると,「うじむし」が先のようで,そこから動物へと意味が拡散した。我が国では「虫」は,

子どもの起こす病気,
あることに熱中する人(本の虫),
人を罵ることば(弱虫),

という独特の意味をもつ。「虫」は,

蛇の形を描いた象形文字,

「蟲」は,

虫を三つ合わせたもので,多くのうじむし,転じていろいろな動物を表す,

である。なお,「虫」の字は,「蝮」の古字ともある(『字源』)

『岩波古語辞典』をみると,「むし」の意味は,

人・鳥獣・魚・貝以外の動物の総称。昆虫やヘビ・・カエル・トカゲ・ミミズ・ヒルなど。

とある。「まむし」という言葉も,その流れにある。『日本語源広辞典』には,

「マ(真・本当の)+ムシ(毒ムシ)」

とある。どうやら,中国の漢字の「虫」の発想と似たところから来たものらしい。あるいは,「虫」の字を知って,そういう使い方をしたのかもしれないが。

では,「むし」という言葉の語源は,というと,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB

では,

「もともと大和言葉の『むし』がどんな範囲を指したのかについてははっきりしたことは分かっていない。大和言葉の『むし』と、中国から何度も渡来する「虫」などの文字、概念が重層的に融合したのでなかなか一筋縄では把握できない。」

とするが,『大言海』は,

「蒸(むし)の義。濕熱の氣蒸して生ず。六書精薀,六『蟲,濕生化生者也,熱氣所蒸,其聚常衆』と見や,虫と書くは,蟲の省字」

とある。『日本語源広辞典』も,

「蒸し(湿気暑気で蒸して生ずる)」

とする(その他,名言通・和句解・日本釈名)。異説には,

生・産の義で,自然に発生するを言う(東雅・言元梯・和訓栞・俚言集覧・国語の語幹とその分類),
ムツアシ(六脚)の義(日本語原学),
ウシに接頭語マ・ムを加えた者(神代史の新研究),
動物の意のマ,宍の意のシの総称(日本古語大辞典),

等々があるが,「蒸す」との関連が,自然に思える。「虫」「蟲」のように,観念として,メタ化するよりは,その状況を説明する言葉で,指示するというのは,文脈依存の和語らしい。

「蒸す」は,『日本語源広辞典』には,

「ム(蒸気,湯気,湿気)+ス(動詞化)」

とあり,「湯気を通し熱する,湿気を多く与える」意だが,『大言海』の,

「気を吹かせず(気を吹き出さしめるフカスに対す)」

の説明がよく分かる。しかし,これは,「蒸す」行為をメタ化した以降の解釈ではないか。

生産の義のムスから(和訓栞),
火水相結ぶの義で,水火の中にムス(生)義(国語本義),

も同類の解釈で,「蒸すなあ」という「蒸す」ではなく,意識化された行為としての「蒸す」から解釈している。それよりは,

ムレス(群)の義(名言通),
内に群れ群れとして体をなす義(日本語源),
コモフス(籠為)の義(言元梯),

の方がまだまし,という感じがする。

「大和言葉の『むし』と、中国から何度も渡来する『虫』などの文字、概念が重層的に融合したのでなかなか一筋縄では把握できない。」

というのは確かだが,概念化された「むし」観の前は,目の前の草むらから,湧き出てくるものを指していたに違いないと思う。その意味で,

「蒸し」

に与したい気がする。なお,「むし」については,わが国では,「虫の知らせ」「虫が好かない」等々,独特の「むし」の意味があるが,これについては項を改めたい。


参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%A0%E3%

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ここでは,「腹の虫」の「むし」のことである。昆虫の意の「むし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%82%80%E3%81%97)については触れた。「むし」には,いわゆる「虫」以外に種々の意味がある。たとえば,『広辞苑』には,

潜在する意識,ある考えや感情を起こすもとになるもの,古くは心の中に考えや感情を引き起こす虫がいると考えていた(「ふさぎの虫),
癇癪
愛人,情夫,隠し男,
陣痛,
あることに熱中する人(「本の虫」),
ちょっとしたことにもすぐにそうなる人,あるいは,そうした性質の人をあざけっていう語(「弱虫」「泣き虫」),

等々。だから,

虫がいい,
虫がおさまる,
虫が齧(かぶ)る,
虫が嫌う,
虫が知らせる,
虫が好かない,
虫が付く,
虫の居所が悪い,
虫が取り上(のぼ)す,
虫を起こす,

等々,多様な言い回しがある。『江戸語大辞典』には,「虫」の項で,

腹の虫,癇癪の虫,
隠し男,

の意味しかのらない。『大言海』には,

俗に,こころ,考え,料簡,

の意味のところで,

「悪い蟲」「蟲がいい」「腹の蟲」「蟲のゐどころ」「蟲がしらせる」

と例を挙げて,こう載せる。

「蟲がつくとは,わかき女に情夫の出来る等,蟲の寄生する如く,害になる者のつくを云ふ。蟲ガ承知セヌとは,癪にさわりて,堪忍出来ぬ意。蟲ヲ殺スとは,癇癪をおさふ。立腹の心を抑へる。蟲ノイキとは,たへえだえの息。将に絶えんとする呼吸。…蟲ノイイとは,自分の都合よきこと,自分勝手。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB

には,

「日本では《三尸の虫》(さんしのむし)というものの存在が信じられた。これは中国の道教に由来する庚申信仰(三尸説)。人間の体内には、三種類の虫がいて、庚申の日に眠りにつくと、この三つの虫が体から抜け出して天上に上がり、直近にその人物が行った悪行を天帝に報告、天帝はその罪状に応じてその人物の寿命を制限短縮するという信仰が古来からあり、庚申の夜には皆が集って賑やかに雑談し決して眠らず、三尸の虫を体外に出さないという庚申講が各地で盛んに行われた。」

とあり,「人々は人の体内に虫がいると信じそれがさまざまなことを引き起こすという考えを抱いていたので」,

虫の知らせ,腹の虫,腹の虫が治まらない,虫の居所が悪い,虫が(の)いい,虫が(の)好かない,獅子身中の虫等々の言い回しがされた,と。

たとえば,「虫のしらせ」の項で,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mu/mushinoshirase.html

は,

「虫の知らせの『虫』は、古く、人間の体内に棲み、意識や 感情にさまざまな影響を与えると考えられていたもので、潜在意識や感情の動きを表す。『虫がいい』『腹の虫が治まらない』などの『虫』も、この考えから生じた語である。これら『虫』のつく語の多くが悪い事柄に用いられるのは,生まれた時から人体に棲み。人の眠っているすきに体内から抜け出して,その人の罪悪を天帝に知らせるという道教の『三尸(さんし)・三虫(さんちゅう)』に由来するためと考えられる。」

とする。ちなみに,「三尸」とは,正確には,

「中国,道教において人間の体内にいて害悪をなすとされる虫。早く,晋の葛洪の《抱朴子》には,人間の体内に三尸がおり庚申の日に昇天し司命神に人間の過失を報告して早死させようとすると記す。くだって,宋の《雲笈七籤》所収の《太上三尸中経》では,三尸の上尸を彭倨,中尸を彭質,下尸を彭矯と呼び,この三彭は小児や馬の姿に似,それぞれ頭部,腹中,下肢にあって害をなす。庚申の日,昼夜寝なければ三尸は滅んで精神が安定し長生できると記す。」(『世界大百科事典 第2版』)

「庚申」とは,

「庚申の日に、仏家では帝釈天たいしやくてん・青面金剛しようめんこんごうを、神道では猿田彦を祀まつって徹夜をする行事。この夜眠ると体内にいる三尸の虫が抜け出て天帝に罪過を告げ、早死にさせるという道教の説によるといわれる。日本では平安時代以降、陰陽師によって広まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜を明かした。庚申。庚申会。」

で,これを「庚申待ち」と呼ぶらしい。「眠っている間」と上記『語源由来辞典』がいうのは,

「庚申(かのえさる)の日の夜眠ると、そのすきに三尸(さんし)が体内から抜け出て、天帝にその人の悪事を告げるといい、また、その虫が人の命を短くするともいわれる。村人や縁者が集まり、江戸時代以来しだいに社交的なものとなった。庚申会(こうしんえ)。」

という意味のようだ。念のため,「三尸」とは,

「三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。
60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。
日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。」

と,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8

に詳しい。ついでながら,吐き気がするほど不快である,という意味の,

虫唾が走る,

の「むしず」は,

虫唾,
虫酸,

と当てるが,

溜飲の気味で,胸のむかむかしたとき,口中に逆出する胃内の酸敗液,

のこと。「虫酸が走る」は,そういう状態表現が転じて,忌み嫌うという,価値表現になったということになる。これも「虫」のせい,ということになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mu/mushizu.html

は,「むしず」の語源は,

「胃の中にいる寄生虫が出す唾液と考えた『虫の唾』とする説と,寄生虫による酸っぱい液なので『虫の酸』とする説がある」

としている。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%AB
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B0%B8
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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歩く


「歩く」は,

あるく,

と訓むが,

ありく,

とも訓む。「あるく」は,いわゆる,

一歩一歩踏みしめて進む,

つまり,歩行する意だが,「ありく」は,

あちこち移動する,

意であり,『広辞苑』によれば,

「人間以外のものの動作にも用い,乗物を使う場合もいう。平安女流文学で多く使われ,万葉集や漢文訓読体では『あるく』が使われる」

とある。『岩波古語辞典』は,

「あちこち動きまわる意。犬猫の歩きまわること,人が乗物で方々に出かけてまわることにもいう」

とあるので,「あるく」に比べ,視点が上がって,つまり概念化された言葉に見える。

歩行する意では,

歩む,

とあてる「あゆむ」という言葉がある。『広辞苑』には,

「アは足,一説に,ユムは(教える意)の転か」

とある。やはり「あるく」意である。『岩波古語辞典』には,

「馬や人が一歩一歩足を運んでゆく意。類義語アリキ・アルクは乗物を使うこともあり,あちこち動きまわる意」

とある。

あゆむ→あるく→ありく,

と,足の運びから,動きまわる意へと,と視点が広がっていく,ということになる。

『大言海』には,「あゆむ」は,

「足數(アヨ)ムの轉なるべし。されば,アヨムとも云ふなり(眉(まゆ),まよ。足結(あゆひ),あよい。歩(あゆ)ぶ,あよぶ。揺(あゆ)ぐ,あよぐ)」

とあり(「數(よ)む」とは。数える意),「ありく」は,

「足(アシ)繰(クリ)行クの約略なるべし(身まくほし,見まほし。少なき,すなき。かくばかり,かばかり)。…或は,足(アシ)揺(ユリ)行クの約略とも見らる。アユムとも云ふナリ。アルクと云ふは,普通なり。(栗栖(くりす),くるす,白膠木(ぬりで),ぬるで)。アリク,アルクの二語,同時に,並び行われたるやうなれど,本居宣長は,アリクは後なりと云へり。尚,考ふべし」

と,書く。「ありく」が,女流文学で,意識して訛らせたということであろうか。しかし,『日本語源大辞典』は,「ありく」「あるく」について,

「上代には,『あるく』の確例はあるが『ありく』の確例はない。それが中古になると,『あるく』の例は見出しがたく,和文にも訓読文にも「ありく」が用いられるようになる。しかし,中古末から再び『あるく』が現れ,しばらく併用される。中世では,『あるく』が口語として勢力を増し,それにつれて,『ありく』は次第に文語化し,意味・用法も狭くなって,近世以降にはほとんど使われなくなる。」

とある。「ありく」と「あるく」を区別することは,あまり意味がないのかもしれない。むしろ「あるく」「あゆむ」が使われてきたことから,その語源を『日本語源広辞典』は,「あるく」「ありく」「あゆむ」の「ア」は,「足」としている。これは,『広辞苑』も『大言海』も同じようだ。ただ,『岩波古語辞典』は,「あ(足)」で,

「アの音せずに行かむ駒かも」

という万葉を引用して,

「『足占(あうら)』『足結(あゆひ)』など,多く下に他の語を伴って複合語をつくる」

とある。「足掻き」もその例だろう。

『日本語源大辞典』の「あるく」の語源説をみると,

アユミユキ(歩行)の約(菊池俗言考),
アユク(動)。ア(足)にルがついてカ行に活用したものか(日本語源),
アシユク(足行)の義(名言通),
アは(足),ルはカルキ(転)から(和句解),

と,「あ(足)」の活用と見るか,「あゆむ」の転訛とみるか,ということだろうか。「あゆむ」の語源は,

アヨム(足數・足読)の転(和句解・菊池俗語考),
アユマヒ(足緩)の義(和訓栞),
アシユフ(足結)の略(和語私臆鈔・本朝辞源),
アシユルキ(足動)の略(両京俚言考),

と,やはり,「あ(足)」からどう転訛させるか,かれこれ思案している。『日本語源大辞典』は,「ありく」についても,語源説を挙げている。

アリキは有来,すなわち来アルという意から転じたもの(日本古語大辞典),
アタリユク(足繰行)の約略(本朝辞源),
アリユク(有行)の義(和句解),
アは足,リはカヘリ,クはユク・クルのクか(和句解),

結局,当初「あるく」だったとすれば,その語源から考えるしかない。「あゆむ」が,先かどうかはどこにも言及がないが,「あ(足)」が,

繰る,
のか,
行(ゆ)く,

のか,足の運びの視点の持ち方を見れば,いずれも,解けそうな気がするのだか。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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いつくしむ


「いつくしむ」は,

慈しむ,

と当てる。『広辞苑』には,

「動詞イツ(傅)クから」

とある。「いつく」には,

斎く,

と当てるものと,

傅く,

と当てるものとがある。「傅く」は,

斎く,

の転とある。意味は違い,

大切にかしずく,大事に世話する,

である。「斎く」は,「斎宮」の「斎く」で,

身心の穢れを浄めて神に仕える,

意味である。「いつくしむ」の元は,『大言海』によると,

「形容詞の美麗(イツク)しの終止形を活用せしめたる語。イツクシブとも云ふ。音通なり(怪(あや)し,あやしむ,あやしぶ。悲し,かなしむ,かなしぶ)。美麗(いつく)しきものは,慈愛(いつく)しく思ふなり。又,うつくしむ(慈愛)と云ふごあり,全く同義にて,音通なり(抱く,うだく,偽る,うつはる)」

で,

愛づ,かはゆがる,

という意である。「いつくし」をみると,二項あり,

いつくし(厳然),

は,「おごそか」という意味で,

「斎くの終止形を活用せしめたる語なるべし(和(な)ぐ,なぐし)。斎くより厳かなる意に移れりと思はる」

とあり,「うつくし」「うねわし」の意の,

いつくし(美麗),

は,

「前條のおごそかなる意より転じたるならむ。親愛(うるは)しの,友善(うるは)しとなるが如し。此の語,音を転じて,美(うつく)しともなる。」

とある。で,「いつく」をたどると,

斎く,
傅く,

とあり,「斎く」は,

「イは,斎(い)むの語幹(斎垣(いみがき),いがき,斎串(いみぐし),いぐし)。ツクは,附くなり,カシヅクと同じ。斎(い)み,清まりて事(つか)ふる意」

で,「傅く」は,

「前條の,神に云ふ語の,愛護の意に移りたるなり。集韻『傅,音符近(ちかづく)也』説文『相(たすく)也』」

と載る。『広辞苑』もほぼ同じで,「いつくし」に,

慈し,
厳し,
美し,

と当て,意味は,

神意がいかめしい,また,威厳がそなわっている,

という意味で,そこから,

品があって,うつくしい

へと広がったようだ。つまり,下から,上へ崇めていた視線が,ほぼ180℃転倒して,上から,下へ,尊崇から,愛護へと転じたということになる。そして,ついには,美しい,という価値表現へとシフトしたことになる。

この転換の経緯は,『岩波古語辞典』に,

「もともと慈愛の意はウツクシミといったが,形容詞ウツクシが肉身的愛情のある意から,美しいという意を表すように転じたため,ウツクシミと慈愛との結びつきがむづかしくなった。そこへ,イツキという語が,斎戒・奉仕する意から,大切に養育する意に転じて来た結果,ウツクシミとイツキが混合してイツクシミという語が室町時代に生じた。」

とある。「斎児(いつきご)」という言葉があり,

大事に育てている子,

という意味である。恐れ畏んで,仕える対象が,威厳のある者から,その関連する者にシフトし,やがて,相手が,180度転倒していく,ということになる。

「いつ(稜威・厳)」は,

「自然・神・(神がこの世に姿を現した)天皇が本来持つ,盛んで激しく恐ろしい威力。激しい雷光のような威力。イチシロシイ・イチハヤシのイチは,このイツの転」

とある(『岩波古語辞典』)。

『日本語源大辞典』によると,

(いつくしむは)「ふるくは『うつくしむ』であったが,中世末ごろ,『いつくしむ』が生じた」

とある。

いつくし→うつくし,

へと転じたことから,「うつくしむ」を「うつくし」との区別のために,「いつくしむ」と転訛させたのではないかと想像される。

もともと,「いつ(厳)」から派生し,

「本来は神や天皇の威厳を示す意であり,平安朝においても皇族に用いられた例が多い。室町時代以降,『大切にする』意の『いつく』や慈愛の『うつくし』との混同が生じ,更にそれが進むと『いつくしむ』という動詞まで派生し,逆に本来的な霊威の概念は後退する。」

とある。

いつく→いつくし→うつくし→いつくし(慈し),
いつく→いつくし→うつくし(美し)

と,意味に合わせて変化したということになる。漢字を立てる書き言葉でなくて,口語であれば,転訛させなければ,意味が伝わるまい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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うつくしい


「いつくしむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%80) で触れたが, 『日本語源大辞典』によると,

(いつくしむは)「ふるくは『うつくしむ』であったが,中世末ごろ,『いつくしむ』が生じ」

て,

いつくし→うつくし,

へと転じたことから,「うつくしむ」を「うつくし」との区別のために,「いつくしむ」と転訛させたと想像される。もともと,「いつ(厳)」から派生し,

「本来は神や天皇の威厳を示す意であり,平安朝においても皇族に用いられた例が多い。室町時代以降,『大切にする』意の『いつく』や慈愛の『うつくし』との混同が生じ,更にそれが進むと『いつくしむ』という動詞まで派生し,逆に本来的な霊威の概念は後退する。」

とある。

いつく→いつくし→うつくし→いつくし(慈し),
いつく→いつくし→うつくし(美し)

と,意味に合わせて変化したということになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/utsukushii.html

には,

「『万葉集』に『父母を見れば尊し妻子見れば米具斯宇都久志( めぐしうつくし)』とあるように、上代では妻子など自分より弱い者に対して抱くいつくしみ の感情を表した。 平安初期以降、小さいものや幼いものに対する「かわいい」「いとしい」といった感情を表すようになり、平安末期頃から『うつくしい』は『きれいだ』を意味するようになった。」

とあるが,「いつくしむ」のもとになった「いつくし」が,

神意がいかめしい,また,威厳がそなわっている,

という意味で,そこから,

品があって,うつくしい

へと広がった。つまり,下から,上へ崇めていた視線が,ほぼ180℃転倒して,上から,下へ,尊崇から,愛護へと転じたということになり,そして,ついには,美しい,という価値表現へとシフトしたことになったという経緯の後の由来を説明しているにすぎない。

こうした,「うつくし(い)」の由来から,

美し(い),
愛し(い),

を当てる。『岩波古語辞典』には,

「親が子を,また,夫婦が互いに,かわいく思い,情愛をそそぐ心持をいうのが,最も古い意味。平安時代には,小さいものをかわいいと眺める気持ちへと移り,梅の花などのように小さくてかわいく,美であるものの形容。中世に入って,美しい・奇麗だの意に転じ,中世末から近世にかけて,さっぱりとしてこだわりを残さない意も表した。類義語ウルハシは端正で立派であると相手を賞美する気持。イツクシは神威が霊妙に働き,犯しがたい威厳のある意。ただし,中世以降,ウツクシミはイツクシミと混同した。平安時代,かわいいの意のラウタシがあるが,これは相手をいたわりかわいがってやりたい意」

とある。『広辞苑』も同趣ながら,

「肉親への愛から小さいものへの愛に,そして小さいものの美への愛に,と意味が移り変わり,さらに室町時代には,美そのものを表すようになった」

とある。

いつく→いつくし→うつくし(美し)

と,180度,上への畏敬が,下への慈しみへと転じ,やがて,その感情表現が,対象への美醜の価値を含み,ついには,対象そのものの価値表現へと転じた,ということになる。『江戸語大辞典』には,現代と同じく,

(対象の)美の評価,

の意味しか載らない。『大言海』には,「うつくし」は,

逸奇(いつく)しの転音。稜威霊(いつくしび)の義,

と,語源を反映させている。

いつく→いつくし→うつくし(美し),

の変化であることは,「いつくしむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%80)の語源 説は,

いつく→いつくし→うつくし(美し),

と転じた後を説明しているのが多い。『日本語源広辞典』も,

「語源は,『イツクシビ』『ウツクシム』です。小さい肉親への愛などが,『語源由来辞典』と係っているようです。『ウツ(内面)+クシ(奇し)』内面の良さを称賛する意や,『イトシイ(愛しい)』気持ちをウツクシと表していたようです。小さくて愛らしい,可憐である,きちんとして愛らしい,意が,語源に近いノデス。ウツクシイが,美麗の意になるのは,中世から近世に入ってからであると言われています。」

いつく→いつくし→うつくし(美し),

と変化した後のことを説明しているので,

いつく→いつくし,

の説明が抜けている。『岩波古語辞典』は(「斎き」の項で),

「イツ(稜威)の派生語。神や天皇などの威勢・威光を畏敬し,汚さぬように潔斎して,これを護り奉仕する意。後に転じて,主人の子を大切にして,仕え育てる意」

とあるが,こうした経緯を経て,相手への愛しい気持ちを表現する意味に変った以降の説明に過ぎない。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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うるわし


「うるわし」は,

美し,
麗し,

と当てる。『広辞苑』には,

「語中のハ行がワ行に変った早い例。奈良時代には『宇流波志(うるはし)』であったものが,平安初期には『宇留和志(うるわし)』となった。事物が乱れたところがなく完全にととのっている状態をあらわす。」

とあり,

端正である,立派である,
(色彩が)見事である,整っていて美しい,きれいである。
行儀が良い,礼儀正しい,きちんとしている,

という意味が載る。『岩波古語辞典』も,「うるはし」の項で,

「この語は,奈良時代にはurufasiと発音されていたが,平安時代に入ると極初期からuruwasiと転じたらしく,当時から『うるわし』『宇留和志』などと表記した例が多い。これは単語の中のハ行子音FがWに転じた最も早い例の一つ」

と説く。『岩波古語辞典』は, 「うるはし」について,

「奈良時代に,相手を立派だ,端麗だと賞讃する気持から発して,平安時代以後の和文脈では。きちんと整っている,礼儀正しいという意味を濃く保っていた語。漢文訓読体では,『美』『彩』『綺麗』『婉』などの傍訓に使われ,多く仏などの端麗・華麗な美しさをいう。平安女流文学では,ウツクシ(親子・夫婦の情愛をいい,対象を可愛く思う気持)とは異なる意味を表した。今日のウルワシは漢文訓読体での意味の流れをひいている。」

とある。ちなみに,「うつくし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%84) で触れたが,『岩波古語辞典』は,うつくし」の項で,

「親が子を,また,夫婦が互いに,かわいく思い,情愛をそそぐ心持をいうのが,最も古い意味。平安時代には,小さいものをかわいいと眺める気持ちへと移り,梅の花などのように小さくてかわいく,美であるものの形容。中世に入って,美しい・奇麗だの意に転じ,中世末から近世にかけて,さっぱりとしてこだわりを残さない意も表した。類義語ウルハシは端正で立派であると相手を賞美する気持。イツクシは神威が霊妙に働き,犯しがたい威厳のある意。ただし,中世以降,ウツクシミはイツクシミと混同した。平安時代,かわいいの意のラウタシがあるが,これは相手をいたわりかわいがってやりたい意」

と書き,結果として,「うつくし」が,相手への感情表現から,相手の価値表現へシフトし,「うるわし」が,相手の状態表現から,相手の価値表現へとシフトし,価値表現そのものへと転換したということになる。『デジタル大辞泉』は,「うるわし」で,「うつくし」との違いを,

「『うつくし(い)』は、かわいい、愛すべきだ、の意を表し、『うるわし(い)』は、整った、端正な美を表した。『うつくし(い)』が『きれいだ』となるのに対し、『うるわし(い)』は『りっぱだ』に近づく。」

とするが,「りっぱ」というより,「端正」というべきではなかろうか。

『大言海』は,

「心愛(ウラハ)シの転ならむ。うるせし(敏捷)も,心狭(うらせ)しの転と思はる。霊異記,中,第二十七縁『妹,宇留和志』,字鏡八十七『嬋媛,美麗之皃,宇留和志』とあるは,音便に記したるなり」

とある。この説を,『日本語の語源』は,

「『心に可愛いと思う』意のウラハシ(心愛し)はウルハシ(愛し)になった。」

と書く。『大言海』は「うら」の項で,

心,

を当て,

「裏の義。外面にあらはれず,至り深き所,下心。心裏,心中の意」

と説く。『岩波古語辞典』は,「うら」に,

心,
裏,

を当て,

「平安時代までは『うへ(表面)』の対。院政時期以後,次第に『おもて』の対。表に伴って当然存在する見えない部分。」

とある。「こころ」が見えない部分として,

うら,

と訓んだのは,なかなか意味深い。上記で,十分語源として説明できている気がするが,『日本語源広辞典』は,二説載せる。

説1は,「ウル・ウラ(心)+ハシ(愛し),
説2は,「ウルホフ(潤う)+シ」

である。しかし,説2は,意味が転じて以降の後解釈に過ぎない。「うるはし」にみずみずしいという意味はない。『日本語源大辞典』にも,

ウラクハシの約(万葉考別記・隣女唔言・言元梯・菊池俗言考),
ウルハシ(潤)の義(日本釈名・天朝墨談・和訓栞・国語溯原・国語の語幹とその分類),
ウルハシ(潤好)(日本古語大辞典),

等々の説が載るが,やはり「ウラハ(心愛)シ」に与したい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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さとい


「さとい」(旧仮名では,「さとし」)は,

聡い,
敏い,

と当てる。

頭の働きが優れている,聡明だ,かしこい,
感覚が鋭い,敏感だ,

という意味だが,臆測たが,感覚の鋭敏さという,状態表現から,その頭の働きの価値表現へとシフトとしたように見える。『岩波古語辞典』には,

「神の啓示・警告を受けて,その真意をよく知るさま。サトリ(悟)と同根」

とある。で,「さとさ」というのは,

啓示をいかに素早く察するか,

が,頭の回転のよさと見なされる,ということになる。「さとし」には,

諭し,

と当てる言葉かあるが,それは,

「サトリ(悟)の他動詞形」

で,

神仏が啓示・警告して,その人の本当に知らねばならぬことを気づかせる,

で,そこから,

教える,

という意味に転ずる。「さとり(悟)」は,

「神仏の啓示を受け取る意。転じて,物事の本質的な意味や根本原理,真相などを,啓示され,あるいは発見して知る意。サトシ(聡)と同根」

とある。「聡さ」とは,神仏からの啓示が瞬時にくみ取れるかどうか,を指していた,ということになる。

類義語,「かしこし(い)」は,

かしこい,

で触れたように,

賢い,
畏い,

と当て,『岩波古語辞典』によれば,

「海・山・坂・道・岩・風・雷など,あらゆる自然の事物に精霊を認め,それらの霊力に対して感じる,古代日本人の身も心もすくむような畏怖の気持ちをいうのが原義。転じて,畏敬すべき立場・能力をもった,人・生き物や一般の現象も形容する。上代では『ゆゆし』と併用されることが多いが,『ゆゆし』は物事に対してタブーと感じる気持ちをいう」

とある。

「いみじ」は,

イミ(忌)の形容詞形,

で,

「神聖,不浄,穢れであるから,けっして触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意。」

となる。「いみじ」「ゆゆし」は神聖・不浄をとわずタブーを指し,「かしこし」は,それへの畏れの気持ちを指す,ということになる。しかし,

自然界の霊異への畏れ,畏怖,

という感情の表現から,対象へ転化されて,

おそれ多い,もったいない,ありがたい,

という感情表現へシフトし,さらにそれが,

(生き物や事物などが)すぐれている,まさっている,
(人の智力などが)きわだっている,

といった価値表現へと転じていく。「賢い」と当てられる所以である。ここでも,「かしこさ」は,神仏への心情表現と深くつながっている。「かしこい」が,

畏怖→もったいない→すぐれている,

と意味がシフトしたとすると,「さとい」は,

(啓示を)鋭く感受する→素早く察する→頭の回転が早い,

といったシフトになろうか。

『大言海』は,「さとし」について,

「サは発語,トシは,敏(と)しなり(さ遍(まね)し)。崇神即位前紀『識性聡敏(とし)』此語の語根を自動詞に活用せさせて,覚るとし,それを,また他動詞にして,諭(さと)すとす」

とある。『日本語源広辞典』は,「さとる」に,

覚る,
聡る,
悟る,
諭る,

を当てて, 語源として,

説1は,「聡しの語根+ル(動詞化)」の「大言海」説。賢く明らかに理解する意。
説2は,「サ(接頭語)+ト(疾し・敏し)+ル(動詞化)」で,素早くわかる意,

と,二説を挙げる。その他,

サはサムル(覚)の意。トはトキ(疾)の意か(国語の語幹とその分類),
サトシ(兆)はサトシ(左速知),サトシ(哲)はサトシ(才智)の義(言元梯),
サカトシ(賢敏)の義か。一説に梵語「薩埵」からともいう(和訓栞),

等々(『日本語源大辞典』),いずれも,啓示を聞き取る力の周辺を経巡っている感がある。ここは,『日本語源広辞典』が,覚る,聡る,悟る,諭ると当てた見識をとろう。挙げている説の二つの区別は,ほとんどないように見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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いたわる


「いたわる」は,

労わる,

と当てる。

ねぎらう,
大切にする,
休養する,

という他動詞と,

骨折る,
病む,わずらう,

という自動詞の意味で,少し違う。前者は,

弱い立場にある人などに同情の気持ちをもって親切に接する,気を配って大切に世話をする,

という意味だが,後者は,

主体の側の主情,

にニュアンスが変ずる。この違いは,旧仮名での,

いたはり(労はり),

には,『岩波古語辞典』に,

「相手をいたわしく思って大切にする意。」

とあり,

(気を配って)世話をする,
(気を配って)養う,
休養する,
介抱する,
病気になる,

と,今日の他動詞と自動詞の意味がまじりあっている。同根とされることばに,

いたはし(労はし),

という形容詞があるが,『岩波古語辞典』は,

「イタは痛。イタハリと同根。いたわりたいという気持ち」

とあり,

(病気だから)大事にしたい,
大切に世話したい,
もったいない,

といった心情表現に力点のある言葉になっている。この言葉は,いまも使われ,

骨が折れてつらい,
病気で悩ましい,
気の毒だ,
大切に思う,

と,主体の心情表現から,対象への投影の心情表現へと,意味が広がっている。

『大言海』は,「いたはし」について,

「労(いたは)るの語根を活用せしむ(目霧(まぎ)る,まぎらわし。厭ふ,いとわし)。」

とし,「労(いたは)る」は,自動詞と他動詞を別項にし,前者については,

「傷むの一転なるか(斎(い)む,ゆまはる。生(うま)む,うまはる)。労(いたづ)くは,精神の傷むになり。爾雅釋詁『労,勤也』」

とあり,後者については,

「前條(つまり自動詞)の語意に同じ。但し,他動詞となる。同活用にして,自動とも他動ともなるもの。往々あり,いたづく,ひらく,の如し。務めて懇ろに扱う意となる。和訓栞,イタハル『人の労を労ねきとしてねぎらふ』,廣韻『労,慰(なぐさむる)也』」

とある。「いたつく」は,『岩波古語辞典』には,

病く,
労く,

と当て,

「イタは,イタミ(痛)・イタハリ(労)などのイタと同根。痛みの加わる意。室町時代以降イタヅキと濁る。」

とある。「いたつく」は,

いたみつく(痛み付く)→いたつく(病く)

と変化したもののようだ(『日本語の語源』)が,どうも,「いた(傷)む」とつながりがありそうである。「いたむ」は,『大言海』は, 

「いたむ(痛む)」
「いたむ(傷む)
「いたむ(傷む)」

の三項あり,原点は,

「いたむ(痛む)」

であり,

「至るの語根を活用せしむ(強る,つよむ)。切に肉身に感ずるなり。」

とあり,この体の痛覚を,

「いたむ(傷む)」

は,転じて,

「心切に思い悩むなり。爾雅,釋訓『傷,憂思也』」

と,心の痛みに転化していく。最後の「いたむ(痛む)」は,他動詞として,他者を,対象を痛める。壊す意となる。

さらに,「いたむ」を形容詞の「いたし」で見ても,ここでも,『大言海』は,

「いたし(痛)」
「いたし(痛切甚)」
「いたし(傷)」

の三項立て,「いたし(痛)」は,

「至るの語根を活用せしむ(涼む,すずし。憎む,にくし)。切に肉身に感ずる意。」

であり,「いたむ」と同様に,痛覚が出自である。それが,転じて,

「事情の甚だしきなり。字彙補『痛,甚也,漢書,食貨志,市物痛騰躍』(痛快,痛飲)」

とある。しかし,これは,「痛」の字の説明ではなかろうか。「痛」と「いたし」とが混同されているのか,そこから来ていると言いたいのだろうか。最後の「いたし(傷)」は,身体の痛覚が転じて,

「切に心に悩むなり。爾雅,釋訓『傷,憂思也』」

とある。ここまでくると,「いたい(痛い)」の語源を見るほかない。『大言海』は,

至の語根を活用,

とするが,「至る」では,痛覚とつながらない。『日本語源広辞典』は,

「イタイ(程度の甚だしい)」

とする。方言に,甚だしいショックの意で,「イタイ」と使う例があるとする。『日本語源大辞典』も,

「『痛む』と同根の,程度のはなはだしさを意味するイタから派生した」

とする。

そう考えると,「いたは(わ)る」は,

「痛む」

の,「イタ」と見る『岩波古語辞典』の説が妥当ということになる。

イタイ(痛い)→イタム(傷む)→イタワシ(労わし)→イタワル(労わる),

と,流れの是非はともかく,おおよそ,主体の痛覚から,心の傷みに転じ,それが他者へ転嫁されて,他者の傷みを傷む意へと,転じていったということになる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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あわれむ


「あわれむ」は,

哀れむ,
憐れむ,

と当てる。

賞美する,愛する,
不憫に思う,
慈悲の心をかける,

という意味だが,『大言海』にあるように,

「哀れ(あはれ)を活用せしめたる語(厭(あき)ぶ,欠(あく)ぶ)」

である。「あわれ」については, 「あっぱれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/448793462.htmlで触れたが, 

「感動詞アハレの促音化」

が「あっぱれ」であった。「あわれ」は,

哀れ,

と当て,感動詞であり,

ものに感動して発する声,嘆賞・親愛・同情・悲哀などのしみじみとした感動を表す,

であり,まあ,

ああ,

という声と同じである。そこから,

(願望・命令を表す語とともに)ああなんとかして,ぜひとも(「あわれ,来たり候へかし」),
掛け声として用いる,

と広がる。『古語辞典』は,

「事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持ちを表す際に発する語。それが相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持ちを表すようになり,平安時代以後は,多く悲しみやしみじみとした情感あるいは仏の慈悲を表す。その後力強い讃嘆は促音化してアッパレという形をとるに至った」

としている。意味の内を見ると,

讃嘆・喜びの気持ちを表す声,
賞美の気持ちを表す声,
愛情・愛惜の気持ちを表す声,
悲しみを表す声,
感慨・嘆息の気持ちを表す声,
(願望・命令を表す語とともに用いて)ああ何とかして,是非にも,

等々,感嘆から,嘆き,悲しみへ,更に,嘆願へとシフトしているが,意味は変化しても,恐らく,単なる感嘆詞だった,その段階では状態表現に近かったものが,いつの何か価値表現へとシフトして,その価値に対する主観的感情の表現へと転じた,ということだろう。その感情が,

哀しみ,

感嘆,

に分岐して,「あわれ」と「あっぱれ」の使い分けへと至った,ということになる。「あわれ」の語源が,『日本語源広辞典』では,

「ああ+はれ」

と,感動詞の重なりとし,『大言海』も,

「アも,ハレも感動詞」

とする。「あ」を見ると,

「多くは重ねて,アア(嗚呼)と云ふ」

とある。「ああ」を見ると,

嗚呼,
噫,
嗟,

と当て,

「一音に,アとも云ふを,発する」

とし,「はれ」を見ると,

「噫(あ)を添えて云ふ」

とあるが,

やれ,
とか,
まあ,

という囃し言葉である。どうやら,「あわれ」は,傍から,感嘆して,

はやしていた,

ようなニュアンスの言い回しだったのではないか。『日本語源大辞典』は,

「語源を『あ』と『はれ』との結合と説くものが多いが,二つの感動詞に分解しうるかどうか疑わしい」

とする。異説には,

ア(彼)ハに,ヤ・ヨに通じる感動詞レが添わったもの(折口信夫),
自然音アの修飾であったらしい(柳田國男),
アアアレ(有)から(名言通),
天岩戸の故事から,アメハレ(天晴)の略(日本釈名),
アという嘆息の声から(紙魚室雑記・和訓栞),

等々ある。

「あはれ」の感情の多様さが,「あわれむ」に反映し,必ずしも,相手を不憫に思う意味だけではなく,

賞美する,

意もあるが,今日,その意味気,どんどん薄れていっている。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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たらちね


「たらちね」というと,

「アァラ、わが君! アァラ、わが君!」
「アァラわが君。日も東天に出御(しゅつぎょ)ましまさば、うがい手水に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、御飯も冷飯に相なり候へば、早く召し上がって然るべう存じたてまつる、恐惶謹言」

と,新妻が,夫八五郎を起こす,落語「たらちね」を思い出す。その詳細は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%A1%E3%81%AD

に譲るが,

「たらちねは江戸落語の演目の一つである。漢字表記は『垂乳女』。上方落語で『延陽伯』(えんようはく)という題で演じられているものを東京に移植した。」

という。「たらちね」は,

足乳根,
垂乳根,

と当てる。『広辞苑』には,

「乳を垂らす女,また乳の足りた女,満ち足りた女の意などという」

とあり,

母親,
ふたおや,

と,何やら矛盾した意味が載り,さらに,

(母を意味する「たらちめ」の語が生じたことから)父親,

と,さらに意味が分からなくなる。通常,

たらちねの母,

と,母・親に掛かる枕詞と記憶している。『岩波古語辞典』には,「たらちね(垂乳根)」は,

「枕詞『たらちね』の転用」

とある。因みに,

たらちめ(垂乳女),

は,母の意で,

「垂乳根からの類推でつくられた語。『たらちを』をの対」

とあり,「たらちを(垂乳男)」は,父の意で,

「タラチネから生じたタラチメを母の意とするのに対してつくられた語」

とである。元になった,

たらちね,

は,『大言海』は,

足乳根,

と当て,

「タラチは,足らしにて,賛辞(たたへことば),足日子(たらしひこ),足比賣(たらしひめ)の如し,ネは,尊称」

とする。そして,

「母の枕詞。後には,両親に通じても用い,又,別に,タラチメ(母),タラチヲ(父)などと云ふ語も出て来て,それをまた,直ちに,名詞として,父母の事にも用いる」

と説明する。語源は,『大言海』説以外にも,

タラチはタラシ(例足)の義で賛めことば(北辺随筆),
タラシネ(足使根)の義(名言通・日本語源),
乳を垂れて子を育てるからか(万葉代匠記・万葉集類林・天野政徳随筆),
垂れた乳をもった母の意か(和訓栞),
ヒタラシネ(日足根)の略転。根はほめことば(冠辞考),
美称タル(足),チ(主),敬称ネの義(日本古語大辞典),
タラチネ(垂血根)の義(柴門和語類集),

等々あるが,いずれも,隔靴掻痒,語呂合わせに見える。こういうときは,音韻変化から探るのが王道のようだ。

「たらちね」と同義の枕詞,

たらちし,

が,『岩波古語辞典』の,「たらちね」の直前に載る。

「「母にかかる。『垂乳し』(シは意義不明)の意か。また『足らしし』(養育する意)の転か。」

と説く。『日本語の語源』は,

「タルチチ(垂る乳)はタルチシ・タラチシ(垂乳し)に転音して母の枕詞になった。〈タラチシ母にうだかえ(抱かれて)〉(万葉)。ちなみに,タラチチメ(垂乳女)はタラチメ(垂乳女)に転音した。さらにはメが子音交替[mn]をとげてタラチネ(垂乳根)に変化した。〈タラチネの母が手離れ〉(万葉)。」

とある。つまり,

「タルチチ(垂る乳)の母は,タラチチ・タラチシ(垂乳し)になった。タルチチメ(垂る乳女)の母は,タルチメ・タラチメ(垂乳女)を経て,(子音交替[mn]をとげて)タラチネ(垂乳根)になった。」

タルチチノ(垂る乳の)→タルチシノ・タラチシノ(垂乳し)
タルチメノ(垂乳女の)→タラチメノ(垂乳女の)→タラチネノ(垂乳根)

と転音して,それぞれ母の枕詞となった,とする。どうも,「垂乳」という状態表現が音韻変化していく,という流れが説得力がある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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