
コトバ辞典
「けだし」は,
蓋し
と当てるが,いまは,ほぼ使わないと思う。意味は,辞書によって,幅が異なる。たとえば,『広辞苑』は,
まさしく,ほんとうに,たしかに(発語的にも使う),
ひょっとしたら,もしや,
とある。発語的というのは,
異議なし,
というように,
蓋し,
という合の手として入れる,という意味だろうか。『大辞林』も,
@〔多く漢文訓読に用いられた語〕 かなりの確信をもって推量するさま。思うに。確かに。
A疑いの気持ちをもって推量したり仮定したりする意を表す。ひょっとして。もしかして。もしや。
もほぼ同じ。しかし,『デジタル大辞泉』は,
1 物事を確信をもって推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。
2 (あとに推量の意味を表す語を伴って)もしかすると。あるいは。
3 (あとに仮定の意味を表す語を伴って)万が一。もしも。ひょっとして。
4 おおよそ。大略。多く、漢文訓読文や和漢混淆文などに用いる。
と,少し細かい。『古語辞典』をみると,
「きちんと四角である意のケダ(角)の副詞化。正(まさ)しく,定めて,きっとの意。推量の語と共に使われるうちに,おそらく,たぶん,万一と意味が広くなった」
とある。そして,
(推量・疑問の語を伴わずに)まさしく,ほんとうに,まったく(発話的に使う)
(推量・疑問の語を伴って)おそらく,たぶん,ひょっとすると,
とあり,いまは,どちらかというと,
蓋し名言である,
というように,前者の使い方が残っているのではないか。しかし,『大言海』を見ると,
「氣慥(きたん)の義。慥氣(たんげ)の意ならむと云ふ。たし(慥)の條を見よ」
とあり,
「若し斯くもあらむかと,推し定むる意に云ふ語」
とある。「たし(慥)」を見ると,
「正(ただ)しの略と云ふ。タシに,氣を冠ラシテ,ケダシとなり,氣(き)の転の氣(か)を添へて,タシカとなる」
とある。「慥」の字は,『字彙』に,
「慥,誠信也。守實而言行相應貌」
とあると,引用する。しかし,「慥」の字は,
「造次(ぞうじ 急ごしらえ)の造は,あわただしく寄せ集めること。慥は『心+音符造』で,そそくさと急場をつくろう気持ちのこと」
とあり,
「あわただしい」
とか,
「慥慥(ぞうぞう)」「慥慥爾(ぞうぞうじ)」と,言ったことをすぐ実行するさま,
という意味で,我が国だけで,
こしらえる(急慥(きゅうごしら)え),
たしか,おそらく,たぶん,
という意味で使う。
『語源辞典』を見ると,「蓋し」について,
「漢文訓読のケダシは,三つの語源説があります。説1は,『気+慥』が語源で,気のせいかおそらく,の意です。説2は,『異+慥』が語源で,あやしいことに恐らく,の意です。説3は,『キザシ(兆し)の変化』説で,そんな兆しがみえるが恐らくの意だという説です。」
とある。こうみると,『大言海』が説くように,
「気(氣)」
がついているということは,「気のせい」という含意が込められている,というふうに見ていいのではないか。とすれば,
けだし名言である,
というとき,
確かに,
とか,
まさしく,
と言い切るよりは,
確かに(思える),
確か(と感じる),
というニュアンスなのではないか。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1130439.html
に,法律世界で「なぜなら」みたいな意味で使われているのは誤用ではないか,との問いに,
「歴史的文献は現代語に訳すと,
『明治初年よりこれが方法を講したりとするも、未だ十分にその目的を達するに至らす蓋し旧土人の皇化に浴する日向浅く、その知識の啓発、頗る低度なりとす。』
『明治初年から対策を講じてきたけど、まだまだ不十分だよ。なぜなら、原住民が天皇の恩恵を受けるようになってからまだ期間が短かくて知識レベルがとっても低いからだよ』ですよね?
やっぱり誤用だわ。蓋し、法律の世界では誰かが始めたそういう使い方が普通だと思って、使われてきたのよね。(笑)」
と答えています。僕は,この現代訳に,訳した人の「蓋し」観が出ているだけであって,ひょっとすると,「含意」を見落としているのではないか,という気がする。「蓋し」は,確かに,と言い切る含意ではないのではあるまいか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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支離滅裂,
は,
統一もなくばらばらに乱れて,筋道がたたないさま,めちゃめちゃなこと,
と,『広辞苑』に乗る。想像されるように,中国語由来で,
「『支離』(はなればなれになる)滅裂(ばらばらにわかれる)』が語源です。文章や話の筋にまとまりがなく,全体がばらばらになっていることをいいます。」
と,『語源辞典』にはある。特別の由来はないようだが,『大言海』は,『荘子』
「夫支離其形者,猶足以養其身終其天年又況,支離其徳者乎」
さらに,駱寶王詩から,
「生涯一滅裂,岐路幾徘徊」
を引く。「支離」は,
分かれ散りて全からず(『字源』),
という意味の他に,実は,身体障害の意味があり,上記の『荘子』の「支離」は,それを指す。
「滅裂」は,
きれぎれ,
という意味だが,『荘子』に,
「治民焉勿滅裂」
とあるらしい。「支離」と「滅裂」は,似た意味でバラバラに使われていたものらしい。念のため,漢字に当たると,
「支」は,会意文字で,
「『竹の枝』+『又(手)』で,手に一本の枝を持つさまを示す。」
とある。意味は,
「わかれ,枝,もとから枝のように分かれ出たもの」
という意味で,そのメタファからか,
「胴体を幹とすれば,手足は枝」
という意味で,手足,という意味になり,四肢という。
「離」の字も,会意文字で,
「『隹(とり)+大蛇の姿』で,元,蛇と鳥が組みつ離れつ争うことを示す。ただし,普通は麗(きれいに並ぶ)に当て,二つ並んでくっつく,二つ別々になる意をあらわす。」
とある。
「滅」の字は,
「右側は,『戉(まさかり)+火』の会意文字で,刃物で火種を切って火を消すことを意味する。滅はそれを音符とし,水を加えた字で,水をかけて火を消し,または見えなくすること。」
とある。だから,
ほろぶ,ほろぼす,
という意味の他に,
この世からなくする,姿をなくする(「消滅」「滅国」),
消える(「点滅」),
という意味を持つ。
「裂」の字は,
「歹(ガツ)は,関節の骨の一片。それに刃をそえて,列(骨を刀で切り離す→切り離したものがずらずらと並ぶ)となる。裂は『衣+音符列』で,布地を切り裂くこと。」
とある。
漢字一つ一つの意味を見ていくと,いまの意味とうまくつながらないのは,使われていくうちに,謂れを離れて,言葉はそれ自体で独り歩きし始めるからだろう。
支離滅裂の類義語は,
四分五裂,
乱雑無章,
滅茶滅茶
目茶苦茶,
等々とあるが,四分五裂は,ちりじりに広がる感じなので,少しニュアンスが違う。乱雑無章は,
物や事柄がばらばらのまま整理されていないこと。無秩序のまま放置されていること,
で,「無章」は筋道が立たないこと,「章」は筋道・秩序の意で,
「乱雑にして章無なし」
と訓読するらしい。強いて言えば,「筋道が通らない」という意味では,乱雑無章が近いが,支離滅裂の語感にはかなわない。
因みに,対義語は,
終始一貫,
首尾一貫,
順理成章,
脈絡通徹,
理路整然,
といったところで,文脈が通る,という意味では,順理成章,脈絡通徹,が対義語に当たるのだろう。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「つま」は,
妻,
夫,
端,
褄,
爪,
と,当てて,それぞれ意味が違う。
爪,
を当てて,「つま」と訓むのは,「つめ」の古形で,
爪先,
爪弾き,
爪立つ,
等々,他の語に冠して複合語としてのみ残る。『古語辞典』をみると,
「端(ツマ),ツマ(妻・夫)と同じ」
とある。で,
端,
を見ると,
「物の本体の脇の方,はしの意。ツマ(妻・夫),ツマ(褄),ツマ(爪)と同じ」
とある。これだけでは,「同じ」というのが,何を指しているのかがわからない。その意味は,「つま(妻・夫)」を見ると解せる。
「結婚にあたって,本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意」
つまりは,「妻」も,「端」につながる。で,「つま(褄)」を見れば,やはり,
「着物のツマ(端)の意」
とあり,結局「つま(端)」につながるのである。
しかし,果たしてそうか。『大言海』には,「つま(端)」について,
「詰間(つめま)の略。間は家なり,家の詰の意」
とあり,「間」の項を見よとある。「間」には,もちろん,いわゆる,
あいだ,
の意と,
機会,
の意などの他に,
「家の柱と柱との中間(アヒダ)」
の意味がある。さらに,「つま(妻・夫)」については,
「連身(つれみ)の略転,物二つ相並ぶに云ふ」
とあり,さらに,「つま(褄)」についても,
「二つ相対するものに云ふ。」
とあり,「つま(妻・夫)」の語意に同じ」とある。
どうやら,「つま」には,
はし(端)説,
と
あいだ説,
があるということになる。『語源辞典』をみると,二説あるらしい。
「説1は,『ツマ(物の一端)』が語源で,端,縁,軒端,の意です。説2は,『ツレ(連)+マ(身)』で,後世のツレアイです。お互いの配偶者を呼びます。男女いずれにも使います。上代には,夫も妻も,ツマと言っています。」
と。どやら多少の異同はあるが,
はし,
と
関係(間),
の二説といっていい。僕には,上代対等であった,
夫
と
妻
が,時代とともに,「妻」を「端」とするようになった結果,
つま(端)
語源になったように思われる。三浦佑之氏は,
「あちこちに女を持つヤチホコ神に対して,『后(きさき)』であるスセリビメは,次のように歌う。
やちほこの 神の命(みこと)や 吾(あ)が大国主
汝(な)こそは 男(を)に坐(いま)せば
うちみる 島の崎々(さきざき)
かきみる 磯の崎落ちず
若草の つま(都麻)持たせらめ
吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
汝(な)を除(き)て 男(を)は無し
汝(な)を除(き)て つま(都麻)は無し」
と紹介する。どうも,ツマは,
対(つい),
と通じるのではないか,という気がする。「対」は,中国語由来で,
二つそろって一組をなすもの,
である。『大言海』は,「つゐ(対)」について,
「むかひてそろふこと」
と書く。
「刺身につま」というときは,
具,
とも当てるが,その「つま」について,
http://temaeitamae.jp/top/t6/b/japanfood3.06.html
は,
「刺身にあしらわれてる千切り大根の事を『つま』そう思ってなさる方が多い。あれは『つま(妻)』ではありません。『けん』と言います。
けん、つま、辛み、この三種の「あしらい」を総称して「つま」という事もありますが、「つま」とは、端やふち、へり、を意味します。刺身に寄り添うかたちですね。ですから【妻】という字の代わりに【褄】と書いてもよいのです。」
と書く。対等の一対から,端へとおとされた「つま」が,「妻」に限定されていくように,「つま(具)」も,添え物のイメージへと変化していったようだ。『江戸語大辞典』には,「つま(妻)」は,
「料理のあしらいとして添えるもの」
としか載らない。
参考文献;
三浦佑之『古代研究−列島の神話・文化・言語』(青土社)
http://temaeitamae.jp/top/t6/b/japanfood3.06.html
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「すだく」は,
集く,
と当てる。『広辞苑』には,
多く集まってさわぐ,
多く集まる,
虫が集まって鳴く,
という意味が載る。どうやら,本来,
集まる,
という意味らしい。『語源辞典』には,
「ツドフ(集ふ)」とスダク(集く)と同源の語の変化」
とある。『大言海』には,
「集(つど)ひ挈(た)くの約。集ひ居て動く義」
とある。で,
集まる,多く集う,
というのが意味で,『大言海』は,
「誤りて,鳴く」
と載せる。意味として,
「虫集く」
とは,集まっている,という意味だけで,
鳴く,
意味は本来なかった。因みに,「挈(た)ぐ」は,
「手揚(たあ)ぐの約か」
として,
揚ぐ,もたぐ,
の意味を『大言海』は載せる。ただ,他の辞書には載らない。もし,『大言海』の説通りなら,
ただ集まる,
という意味だけではなく,
もたげる,
という含意がある。だから,ただ集まる意味に,
騒ぐ,
あるいは,
騒がしい,
という含意が,もともとあった,と考えるべきなのかもしれない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110853596
では,
「本来は “あつまる”、“むらがる” という意味でしたが、『庭に集(すだ)く虫の音(ね)』を『庭で鳴いている虫…』と誤解して、『すだく』に “鳴く”
という意味があるかのような使い方がされるようになりました。」
というが,群がり,(それにともなって)騒がしい,という含意が,
蕪村の句の,
鬼すだく戸隠のふもとそばの花
に含まれている,と見なした方が,句の奥行が広がるのではあるまいか。『広辞苑』の「すだく」の用例に載る,
葦鴨(あしがも)の、すだく池水(いけみづ)、溢(はふ)るとも、まけ溝(みぞ)の辺(へ)に、我(わ)れ越(こ)えめやも
という万葉歌も,「騒がしい」という含意があるようだ。あるいは,
「かしがまし 野もせにすだく 虫の声や われだに 物は言はでこそ思へ」
という古歌も,「すだく虫の声」としているところを見ると,「すだく」には,
集まって騒がしい,
という意味を伴っている。しかし,『広辞苑』の引く,
ひとをまつむし秋にすだけども,
という『閑吟集』では,虫の声に「騒がしい」意味が薄らいでいる。たとえば,『学研全訳古語辞典』で引く,
「すだきけむ昔の人は影絶えて宿もるものはありあけの月」
という新古今の歌にも,「群がり集まる」意に,「賑やかだった」という含意が影のようにあるから,意味が陰翳を増す。
「秋の虫の叢(くさむら)にすだくばかりの声もなし」
という『雨月物語』の例も,騒ぐの含意があって,生きてくる。どうやら,
集まる→にぎやか→さわぐ→声
という意味の外延を広げていったのだと,推測がつく。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「ゆきたけ」(「いきたけ」ともいう)とは,
裄丈,
と当て,
衣服のゆきとたけ,
の意味で,それをメタファに,
物事の都合,前後の関係,
の意味にも転じている(『広辞苑』)。例えば,膂力,が,腕力を意味するのに,広く,力技を指すようなものである。
「裄」と「丈」は,
http://kimonoo.net/yukitake.html
に詳しいが,
「和服で、背中の中心となる縫い目からそで口までの長さ」
を指す。要は,肩幅にそで幅を加えた寸法で,肩ゆきとも言うらしいが,洋服でもいうことがあり,その辺りは,
http://www.ozie.co.jp/base/
に詳しい。
「裄」は『大言海』をみると,
「裄行などの意」
とあり,
「丈に対する」
とある。で,転じて,
「物の程度,高」
とあり,さらに転じて,
「ゆきたけ」
の意味となり,
「ゆきたけの知れたる身代」
という用例が載る。その意味で,『広辞苑』とは異なり,「ゆきたけ」の広がった意味は,単に「脈絡」という意味だけではなく,ものたの奥行,広がり,といった意味にまでなっているらしい。
上記の,
http://kimonoo.net/yukitake.html
を見ると,
「きもののサイズを表すものとしては、…特に重要なものとして、裄、丈、幅があります。
裄(ゆき)というのは、首の下の背中の中心から手の先までの長さ(つまり、「手を水平に伸ばした時の長さ」割る『2』にほぼ等しい)。丈(たけ)と言うのはその名の通り、きものの縦の長さです。
幅というのは、…前幅、後幅、おくみ幅と分かれますが、普通は 全て足した物を言うことが多いようです。」
とある。
「丈」は,『語源辞典』によると,
「身の丈などのタケも,タカ(高・竹)と同じ語源」
とあり,
「長く(タク)は,高さがいっぱいになることの意で使います。時間的にいっぱいになる意のタケナワも,根元は同じではないかと思います。春がタケルも,同じです。わざ,技量などいっぱいになる意で,剣道にタケルなどともいいます。」
とある。『広辞苑』にも,「たけ」は,
丈,
長,
の字を当て,
「動詞「たく(長く)」と同源」と載る。『大言海』には,
「高背(タカセ)の約。長(タケ)の義」
とあり,意味は,
上に長きこと,立てる高さ,
転じて,長さ,
十分の程,あるかぎり(あるたけ),
と意味の変化が載る。
ある意味で,裄丈は,
天地左右の寸法,
といっていい。文字通り,メタファとしての意味だが。念のため,漢字に当たると,
「裄」の字は,
「衣+行」
で,どうやら,「ゆき」の採寸法自体が,中国由来だと知れる。
「丈」の字は,
「手の親指と他の四指とを左右に開き,手尺で長さをはかることを示した形の上に+が加わったのがもとの形。手尺の一幅は一尺とあらわし,十尺はつまり一丈を示す。長い長さの意を含む。」
どうやら,採寸方法だけでなく,長さの単位まで輸入物らしい。
参考文献;
http://kimonoo.net/yukitake.html
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「つまらない」は,
つまらぬ,
とも言うし,
つまらん,
つまんない,
という言い方もするが,『広辞苑』には,「つまらぬ」について,
「ツマルに否定の助動詞ズの連体形ヌが付いたもの。『つまらない』とも」
と載る。『大辞林』は,「つまらない」で,
「動詞『つまる』の未然形+打消しの助動詞『ない』」
と載る。意味は,多く,
面白くない,
という意味で使うが,辞書的には,
道理に合わない,得心できない,
意に満たない,面白くない,
取るに足りない,価値がない,自己に関する物事について,謙遜するときにも使う,
馬鹿げている,とんでもない,
金に困る,うまくゆかない,
と意味の幅が広い。
詰(ま)らない,
と当てるので,「詰まる」という意味から来ているとは想像がつく。
『語源辞典』には,
「『詰まるの未然形,ツマラ+ない(打消し)』ものがぎっしり詰まっていない,内容がない,終結がよくない,面白くないの意です。」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/tu/tsumaranai.html
は,
「つまらないは、動詞『詰まる(つまる)』に打ち消しの助動詞『ない』がついたもの。『詰まる』は動けなくなる状態のほか、行動や思考が行き詰る状態も意味する。
そこから、『納得する』『決着する』などの意味を持つようになった。 やがて、『納得できない』の意味で『つまらない』が使われ、現在の意味に変化した。」
と載せる。『デジタル大辞泉』は,用例で,
「『大金をはたいてつまらない(下らない)買い物をした』『あんなつまらない(くだらない)人間とは付き合うな』など、価値のない意では相通じて用いられる。『つまらない』は、そのものに対する評価というより、心がひかれない、楽しめないという状態を言う。『内容はよいが、つまらない映画』。『くだらない』はある物の評価が低いことに重点があり、楽しさ、おもしろさとは別である。『この映画はくだらないが、おもしろい』。『独りぼっちはつまらない』とは言うが、『独りぼっちはくだらない』とはふつう言わない。
と書く。どうやら,「詰まる」の意味に,「つまらない」の意味の理由がある。『広辞苑』は,「詰まる」を,
@満ちてふさがる意として,
つかえて通じない,ふさがる,行き詰まって先へ進まない,
充満する,一杯になる,
行きつく,極限に達する,
十分納得のいく状態になる,
A満ちて身動きができなくなる意として,
窮屈になる,圧迫を感ずる,
ゆとりなく,さしせまる,
苦しみ困る,窮する,窮乏する,
息の詰まったような感じの発音になる,
と整理する。Aのほうは,@をメタファとして,意味の外延を広げているという感じである。しかし,「詰まり」を,副詞として,
つまり,何々,
という使い方をする場合は,
結局,
とか,
要するに,
とか,
つまるところ,
という意味になるが,この使い方は,「詰まる」の「行どまり」という意味を前提にしないと成り立たない。とすると,「詰まらない」が「詰まる」の否定なら,
行き止まりではない,
と,意味が変ってしまう。
『古語辞典』では,「詰まり」の項に,
「ツメ(詰)の自動詞形」
とあり(この否定で,「詰まらぬ」となる),「詰(蔵)め」について,
「一定の枠の中に物を入れて,すきま・緩みをなくす意」
とある。これが原意なら,「つまらぬ」が,
隙間がある,
内容がすかすか,
といった意味にメタファとして広がる意味はよく分かる。しかし,この解釈では,言葉の用例の広がりが説明できないのではないか。「詰まらない」は,
「動詞『つまる』の未然形+打消しの助動詞『ない』」
という説明だけでは,一筋縄ではゆかないのである。それは,次の一文を読むと初めて納得できる。
「『はなはだあやしい。ふつごうだ』という意味のケシカラム(怪しからむ)は,推量のムが撥音化してムシカランというようになった。文章を書くに当たって撥音を復原するとき,紫式部は,推量のムであるべきを打消しのヌと誤認して〈かくケシカラヌ心ばへは使ふものか〉(源・帚木)とした。それでは『怪しくない』という意味になる。語義の矛盾に気付いた学者は“意味の反転”で片づけました。
『場所,程度などが高い所から低い所へ一気に落ちる』ことをクダル(下る。降る)という。『つまらない。価値がない』というとき,推量の助動詞ムをつけてクダラム(下らむ)といった。撥音化されてクダランといったが,鼻音に復原するとき,これまた打消しと誤認して,クダラヌ・クダラナイというようになった。これでは価値があるということになる。
『行き詰まるだろう』という意味のツマラム(詰まらむ)も撥音化ツマランという。これを鼻音に復原するときツマラヌ・ツマラナイと打消しに変えてしまった。『行き詰まらない』という意味になるのだから,これも“意味の反転”で片づけてきた。」
そして,方言には,原義を残しているものがあり,貧乏・窮迫を,
つまらん,
という地方がある,という。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「くだらない」は,
くだらぬ,
とも言い,
下らぬ,
と当てる。『広辞苑』は,
「『読みが下らぬ』の略か」
とし,
つまらない,
価値がない,
取るに足らない,
という意味を載せる。『江戸語大辞典』にも,
「『読みが下らぬ』の略。読めぬの意。転じて,わけのわからぬ。」
「『理屈が下らぬ』の略。理屈の筋が通らぬ,理屈が合わぬの意。つまらぬ,たわいもない,ばかばかしい。」
の二説を載せる。『デジタル大辞泉』は,
「動詞『くだる』の未然形+打消しの助動詞『ない』」
と分解するだけで,由来は解かない。手元の『語源辞典』には,
「『東海道を下らない関東の地酒』のことです。悪質の意です。取るに足らない意に一般化しました。つまらない,の意味です。」
とある。多くは,この上方からの「下りもの」「下り酒」でない意,としている。たとえば,
http://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%8F/%E4%B8%8B%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
は,
「下らないとは、程度が低い、ばかばかしい、取るに足らないといった意味だが、言葉づらをとらえてよく考えてみると、『下る(落ちる、下等である)ではない』のだから、上等なものと解釈してもよさそうなものだが、その昔、日本の中心であった京都から新興都市の江戸へ運送された上等な産物を『下りもの』と呼び、江戸近郊で作られた産物を『下らないもの』として一段低い立場においたのがこの言葉の語源となっている…。」
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84
でも,
「動詞である『下る』に、打ち消しの助動詞の『ない』を付けたものとする説。『下る』には、もともと『筋が通る』というような意味があるとされる。
江戸時代に、灘など上方かみがたで醸造された酒のうち、良い物は大消費地であった江戸へ下くだるが、悪い物は主に当地で消費され『下らない』ことから、つまらない、できの悪い物を指し『くだらない』といった。cf.くだりもの。
上方からの下りものは良い酒だが、下ってこない江戸の地酒はぐっと品質が落ちるため、大したことのないものを『くだらない』と言った。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1430429484
でも,
「江戸時代、灘(今の神戸あたり)で作られた酒は、大阪から江戸へ船で出荷されていました。檜の樽に詰められた状態で船に揺られるうち、酒に檜の香りが移ります。そのため江戸では『灘の酒』は薫り高い素晴らしい酒として高く評価されていました。ところが、江戸から大阪方面へやってきて本場の『灘の酒』を試してみると、あの檜の芳香が感じられず、ただの酒と変わりありません。大阪から江戸まで船で揺られる過程を経ていないからです。
ところで、当時は京都方面から江戸へ向かうのは『下り』にあたります。従って、江戸に送られた酒は『下った酒』、送られなければ『下らない酒』です。船に揺られていない『下らない酒』は大したことない、ただの酒だった…というところから、たいした価値のないこと、つまらないことを指して『くだらない』と言うようになったそうです。」
と。しかし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ku/kudaranai.html
は,「くだりもの」説を否定する。
「くだらないは、動詞『下る』に打ち消しの助動詞『ぬ』がついて『くだらぬ』、『ない』がついて『くだらない』となった。『下る』には、通じるといった意味を示す場合があり、それを『ない』で否定して、『意味がない』『筋が通らない』などの意味となり、取るに足りないの意味に転じたという。
他の説では、上方から関東に送られる物を『下りもの』と言い,その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、『下り酒』と呼ばれていた。反対に関東の酒は味が落ちるため『下らぬ酒』と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味になったとする説があるが、『下りもの』と呼ばれる以前から,『くだらぬ』は使われていたため、この説は考え難い。
また日本に農法を伝えたのは現在の朝鮮にあたる百済の人々で、百済の人々を頭の良い人としていたため、頭が悪く話の通らない人を『百済ではない人』と呼び、略され『くだらない』となったとする説もある。一般に昔の否定は『ぬ』であり、名詞を『ぬ』でひていすることは考えられぬことと、『くだらぬ』という言葉が使われ始める遥か前から、『くだらない』が使われていたことになるため、この説も考え難い。
さらに他の説では、仏教用語に『ダラ』という九つに教えがあり、その教えが一つもない行為を『クダラが無い行動』と言ったことから、『くだらない』に転じたとする説もある。仏教用語に『ダラ』を含む言葉は多いが,『ない』は日本の打消しなので、日本に『ダラの教え』が伝来してから、『くだらない』となったと考えられる。そのため『ダラ』という教えが実在し、日本でも『ダラの教え』が使われていたのであれば有力な説となるが、ダラの教えがはっきりとしていないため,俗説と考えられる。」
どうやら,「下る」のもつ意味の中の,「意味を通す」から来たとするのが,妥当のように見える。
しかし,『大言海』の解釈は,いつもながら,異彩を放つ。
「ヘリクダル(謙)を,クダルとのみも云ふ,クダラヌは,人前も憚らぬ意とならむ。謙(へ)らず口と云ふ語もあり」
となかなか含蓄がある。で意味は,
「理(スヂ)なきことを,言ひ立つる。理につまらぬ。降らない。没理」
と載せる。これが最も説得力がありそうなのだが,「つまらない」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84)
で触れたように,「くだらぬ」の解釈の前提,
「動詞『くだる』の未然形+打消しの助動詞『ない』」
が間違っていたらどうなるのか。『日本語の語源』は,こういうのである。
「『はなはだあやしい。ふつごうだ』という意味のケシカラム(怪しからむ)は,推量のムが撥音化してムシカランというようになった。文章を書くに当たって撥音を復原するとき,紫式部は,推量のムであるべきを打消しのヌと誤認して〈かくケシカラヌ心ばへは使ふものか〉(源・帚木)とした。それでは『怪しくない』という意味になる。語義の矛盾に気付いた学者は“意味の反転”で片づけました。
『場所,程度などが高い所から低い所へ一気に落ちる』ことをクダル(下る。降る)という。『つまらない。価値がない』というとき,推量の助動詞ムをつけてクダラム(下らむ)といった。撥音化されてクダランといったが,鼻音に復原するとき,これまた打消しと誤認して,クダラヌ・クダラナイというようになった。これでは価値があるということになる。
『行き詰まるだろう』という意味のツマラム(詰まらむ)も撥音化ツマランという。これを鼻音に復原するときツマラヌ・ツマラナイと打消しに変えてしまった。『行き詰まらない』という意味になるのだから,これも“意味の反転”で片づけてきた。」
つまり,
「クダル+推量の助動詞ム」
だとすると,すべての語源説が,根本的に間違っていることになる。で,
「『下らない』の反対は、『下る』でいいのでしょうか?」
という問いへの答えが,意味を持ってくる。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1366748598
「『くだらない話』という場合の『くだらない』のことだとすると、『冗談で言う』だけなら『下る』でも通じるでしょうが、(しかし、それはただ「くだらなくない」と言っているだけで反対の意味までは持ち得ません)真面目な場で通用する日本語としては、そういう使い方の『下る』という語は存在しません。したがって、反対でもなんでもありません。『くだらない』を否定するなら『くだらなくない』ですし、『反対』と言うなら、『価値ある』『意義のある』『意味深い』など、場面に応じて適切な語は変わります。『坂を下らない』に対して『坂を下る』というのは、否定=肯定の関係ではありますが、「反対」とは言えません。『坂を下る』の反対は『坂を上る』です。」
つまり,この答によって,「くだらない」が「くだる」の否定ではないことを言っているように見える。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「へらずぐち」は,
減らず口,
と当てるが,
減らぬ口,
とも言う。この「減」を当てるのが正しいのか。意味は,『広辞苑』によれば,
負け惜しみや出まかせを言うこと,
また,相手がどう思おうとかまわずに,憎まれ口をたたくこと,
とある。『語源辞典』には,
「『減らず+口』です。遠慮せずにしゃべる口を,減らない口と皮肉った語です。」
とある。『デジタル大辞泉』も,
「いくらしゃべっても口はへらない、の意から」
とある。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E6%B8%9B%E3%82%89%E3%81%9A%E5%8F%A3
も,
「いくら言っても口数が減らないということから『へらず口』というようになった。」
としている。『大言海』は,「くだらぬ」を調べていて,
「ヘリクダル(謙)を,クダルとのみも云ふ,クダラヌは,人前も憚らぬ意とならむ。謙(へ)らず口と云ふ語もあり」
と書いていた。「へらずぐち」の項では,
不減口,
不謙口,
を当て,
「憚らず云ふこと,まけをしみなどに云ふこと。憎まれ口」
としか載せない。しかし,『江戸語大辞典』は,
「謙(へ)らぬ口,すなわち不遜の言辞の意」
とはっきり書く。『古語辞典』を見ると,
「謙(へ)り」
の項に,
「減りと同根」
とある。どうやら,「減らぬ口」は,
「謙らぬ口」
が初めらしい。つまりは,
不遜な物言い,
という意味では,目上の人,ないし,上位の人の前で,憚らず,物を言った,という意味になる。
『笑える国語辞典』
http://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%B8/%E6%B8%9B%E3%82%89%E3%81%9A%E5%8F%A3%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/
では,
「減らず口とは、ああだこうだと言い訳を言ったり、負け惜しみを言ったり、生意気なことを言ったりすること。それだけ言いたいことを言えば、大きな口もさすがに多少は目減りし、言葉数も減るだろうと思いきや、少しも減る気配をみせずになお意気盛んであることから『減らず口』……といいたいところだが、減らずの『減る』は『へりくだる(謙る)』の『へる』と同じ語源なので、『減らず口』は要するに『相手に敬意を表しない言い方』『遠慮しない言い方』と解釈するのが妥当かと思われる。」
とある。『日本語表現インフォ』
http://hyogen.info/word/1263408
では,
「『減る』は『へりくだる(謙る)』の『へる』と同じ語源なので、『減らず』は、『身の程をわきまえず、とどまらない』という意味(「減」は借字)。『いくら話しても口は減らない』わけではない。」
と言い切る。つまりは,「謙らぬ口」を「減らぬ口」と言い回すようになって以降を前提に,語源を考えることが,それこそ屁理屈でしかない見本のような話だ。とすると,同義とされる,
憎まれ口,
とは微妙に違うはずだ。『江戸語大辞典』には,
「憎たらしい物言い」
とあるので,『広辞苑』にあるように,
人に憎まれるような言葉,憎々しい物言い,
には違いないが,両者の関係は,ある程度親密であることが含意されている。目上の人,上位の人,というだけでなく,さほどの関係でもない人に対する,憚らぬ物言いを指す,減らず口,とは少し違うようだ。減らず口は,
「目下の者、特に年少者が目上の者に対して使った言葉を、目上の者の側からいう。」(『類語例解辞典』)
が正しいようだ。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「たわいない」は,
たあいない,
とも言い,
他愛ない,
と当てたりする。「たわいない」は,
とりとめもない,思慮がない,
正体ない,
張り合いがない,手ごたえがない,
と意味の幅がある(『広辞苑』)。しかし,
とりとめもない,
と
思慮がない,
でも,同列に扱えるとは思えない。「たわいない」の「たわい」は,
「『他愛』と当てる」
として,
思慮分別,
「たわいない」の略。一説に「酒たわい(酒に酔うこと)」の略ともいう,
と載る(『広辞苑』)。しかし,『デジタル大辞泉』『大辞林』などをみると,
たわい
「下に『ない』を伴って用いる」
として,「たわいない」の意味を載せ,そのほかに,
「正体なく酒に酔うこと,酩酊」
の意味が載る。どうも『広辞苑』の「他愛」の意味を,
思慮分別,
とするのは,「たわいない」の「ない」を取った,ひっくりかえしなのではないか,と勘繰りたくなる。
酩酊,
用例として,
「御免候へ、たわい、たわい」〈浄・忠臣蔵〉
「御免下され,我等もう酔ひました,何申すやらたわい たわい」(浄瑠璃・伊賀越道中双六)
が載るが,『江戸語大辞典』には,
「たわいがない」
しか載らないので,「たわいがない」の略として,言っているとしか思えない。その場合,
正体がない,
の意味で言っているのではないか。『語源辞典』をみると,
「『タワイ(手応え)+ナイ(無い)』です。手応えがない,もろい,だらしがない,などの意です。」
とある。『大辞林』には,
「近世以降の語。」
とあるので新しい言葉らしい。『古語辞典』には,「たわい」に,
思慮分別,正気,
とあり,「たわいなし」に,
思慮分別がない,
正気を失っている,
と載り,『江戸語大辞典』にも,
思慮分別がない,
大人臭いところがない,
と意味を,
「常任(ふだん)にまでもあどけなく年をとっても可相成(なるたけ)は大人風(たわい)のないが唄女(げいしゃ)の高値(ねうち)」(天保九年・春色恋の白波)
のよう例が載っている。こうみると,「たわい(ない)」には,
手応え系,
思慮分別系(大人系も含め),
の二系列の意味の謂れがありそうである。『大言海』は,
「利分(とわき)の轉かと云ふ。出雲には,トワイがないと云ふ語あり」
と注記し,
思慮弁別なし,張りあいなし,見当がつかぬ,はてがない,とりとめなし,ねもはもなし,てごたえなし,
と意味を列記する。そして,『名言通(天保,服部宣)』から,
「手合(てあい)無しにて,角力に起る。相手とするに足らぬ。」
とあるので,どうやら,
手応え系,
に軍配が上がりそうである。
手応えがない→張り合いがない→とりとめもない→見当もつかない→正体がない→思慮分別がない,
等々と意味の外延が,広がったものと考えられる。『大言海』が,
思慮弁別なし,張りあいなし,見当がつかぬ,はてがない,とりとめなし,ねもはもなし,てごたえなし,
と意味を連ねるわけである。酔っぱらうは,当然派生した意味に過ぎない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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罵詈雑言は,
ばりぞうごん,
と訓ませるが,「言」は「げん」とも読むので,
ばりぞうげん,
とも訓む。『語源辞典』を見ると,
「中国語の『罵(罵る)詈(ののしる)+雑言(悪口)』が語源です。口汚い言葉で,さんざん悪口を言って,ののしることを言います。悪口雑言と同じです。」
とある。「罵詈」を見ると,
「『罵』も『詈』も悪口を言う意」
とあり,
ののしること,悪口を浴びせること,嘲罵,
と意味が載る(『広辞苑』)。
『大言海』には,「罵詈」について,
「釋名(漢,劉煕)釋言語篇『罵,迫也,以悪言被迫人也,詈,歴也。以悪言相彌歴也』」
と注記がある。「歴也」とは,推測するに,「歴」の字は,
「上部の字(音レキ)は,もと『厂(やね)+禾(いね)ふつたつ』(厤)の会意文字で,禾本(かほん)科の植物を並べて取り入れたさま。順序よく並ぶ意を含む。歴はそれを音符とし,止(あし)を加えた字で,順序よく次々と肢で歩いて通ること。」
で,「歴」には,
次々と経る,
とか
次々と並んでいるさま,
という意がある。悪言が重なる意とともに,それがシーケンシャルに累々と連なっている,といったニュアンスなのではあるまいか。
しかし,「雑言」は,『字源』をみると,
「いろいろのつまらぬ話」
が意味で,
「陶濳詩『相見無雑言,但道桑麻長』
という用例を引いて,
「いろいろとののしる。『悪口雑言』
は,我が国の用例,としている。そう言われると,「罵詈」の出典は,『史記』魏豹傳がよく引用される。例えば『大言海』では,
「今漢王慢而侮人,罵詈諸侯羣臣如罵奴耳」
や,「蔡邕,単人賦」
「酔即揚聲,罵詈恣口」
等々の用例があるが,「雑言」には見当たらない。『大言海』は,「雑言(ざふごん)」について,
四方山の話,雑談。
を第一に挙げ,続いて,
なんのわかちもなく物言ふこと,物狂ひのうはごと,讒言,
種々のことを言ひ掛けて罵ること,
と続く。『古語辞典』も,
雑談,
をまず載せ,続いて,
悪態,悪口,
と意味を載せる。億説かもしれないが,どうやら,日本で,
雑談→よもやま話→わけのわからない物言い→うわごと→讒言→悪口,
といったように変じたらしいのである。
因みに,「罵詈」の「罵」と「詈」は,
罵は,悪言をもって人に加ふる義,
詈は,罵より軽い,
と意味が若干違うらしい。「罵」の字は,
「馬は相手かまわず突き進む馬,网(あみ)は,相手におしかぶせる意を示す。罵は『网(あみ)+音符馬』で,馬の突進するように,相手かまわず推し被せるわるくちのこと。」
「詈」の字は,
「『闘(あみ)+言』。相手に罵る言葉を押し被せることをあらわす。」
「雑(雜)」の字は,
「木の上にあるのは衣の変形,雜は,襍とも書き,『衣+音符集』で,ぼろ布を寄せ集めた衣のこと」
罵詈雑言の類語には,
悪口罵詈(あっこうばり),
讒謗罵詈(ざんぼうばり),
罵詈讒謗(ばりざんぼう),
爬羅剔抉(はらてきけつ),
等々があるが,
爬羅剔抉(はらてきけつ),
のみが,若干ニュアンスが違う。意味は,
https://nortonsafe.search.ask.com/web?q=%E7%BD%B5%E8%A9%88&o=APN11910&geo=ja&prt=&ctype=&ver=&chn=&tpr=121
に,
「隠れた人材を、あまねく求めて用いること。また、人の欠点や秘密をあばき出すこと。つめでかき集め、えぐり出す意から。▽「爬」はつめなどでかき寄せる、「羅」は網で鳥を残らず捕る意。「剔」「抉」はともに、そぎ取る、えぐり取る意。「爬羅」があまねく人材を求めることで、「剔抉」が悪い者を除き去る意とする説もある。」
とある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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和は,
塾,
とも当て,
にき,
と訓んだが,中世以降,
にぎ,
と訓む。
和魂(にぎたま),
の「和(にぎ)」である。『広辞苑』には,「にき」の項で,
「ニコと同根。奈良・平安時代には,清音。後世はニギとも」
として,
「おだやかな」「やわらかな」「こまやかな」「精熟した」などの意を表す,
と載る。「荒(あら)」が対。動詞化すると,
にき(和)び,
で,和らぐ,慣れ親しむ,
という意味。対は,「あら(荒)び」となる。因みに,
にきび(面皰),
は,かつて「にきみ」といったが,
「ニキはニキ(和)と同根」
とある(『古語辞典』)。
にきたえ(へ),
は,
和妙,
和栲,
和幣,
と当てるが,
古く折目の精緻な布の総称,またうって柔らかく曝した布,
の意で,対は,荒妙(荒栲)。『日本語の語源』によると,
「神に供える麻布をぎたへ(和栲)といったのが,たへ(t[ah]e)の縮約で,にぎて(和幣)になった。」
とある。因みに,「にこ」は,
和,
柔,
と当て,「荒(あら)」と対なのも「にき」に同じ。
体言に冠して「やわらかい」「こまかい」の意を表す。にき,
穏やかに笑うさま,
と載る。前者は,にこ毛,にこ草,等々と使う。後者は,「にこと笑う」の「にこ」である。
『大言海』は,「にぎ」の項として,
「和(なぎ)に通ず。荒(あら)の反」
とある。そして,
柔飯(にぎいひ),
塾蝦夷(にぎえみし),
和稻(にぎしね),
和炭(にぎずみ),
等々が並ぶ,ちなみに,和稻(にぎしね)とは,
籾をすりさった米,
の意で,「抜穂の荒稻(あらしね)」が対である。因みに,
にぎはひ,
は,
賑はひ,
と当てるが,語源は,
「ニギ(和)+ハフ(延ふ)」
で,「和やかな状態が打ち続き,盛んになる」意であり,
にぎやか,
も,
賑やか,
と当てるが,語源は,
「ニギ(和)+やか(形容動詞化)」
で,「和やかで,豊かで活気がある状態の形容動詞」である。
反対の荒(あら)は,『古語辞典』には,
「にき・にこ(和)の対。アラカネ(鉄)・アラタマ(璞)・アラト(磺)などのアラで,物が生硬で剛堅で,烈しい意を表す。」
とある。また「荒(あら)」は,
粗,
とも当てるが,その場合は,
「こまか(濃・密)の対。アラアラ(粗・略)・アラケ(散)・アライミ(粗忌)・アラキ(粗棺)などのアラ。物が,バラバラで,粗略・粗大である意を表す。母音交替によってオロに転じ,オロカ・オロソカのカタチでも使われる。」
とあり,こう注記がある。
「(粗と荒は)起源的に別であったと思われるが,後に混用され,次第に『荒』の一字で両方の意味を表すようになった。」
しかし,そうではないのではないか。元々和語では,
「あら」
という表現しかなく,漢字で,荒と粗を区別することを知ったが,無理があり,混淆した,と見るべきではないか。だから,「あら」と言っている限り,
粗いの「あら」
も
荒っぽいの荒「あら」
も,
区別がつかない。前述した,にきたえ(へ)(和妙,和栲)は,反対は,荒妙(荒栲),つまりこの場合,荒々しいではなく,粗いを指す。区別はとうについていない。
「『大言海』の「あら」の説明がいい。
「嗟(あら)にて,見て驚嘆する声にもあるか」
と。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「而して」は,
しこうして,
と訓むが,『広辞苑』に,
「シカクシテの音便」
と載る。『大言海』には,
「然(しか)しての延」
とある。『古語辞典』にも,
「シカウはシカクの音便形」
とある。『デジタル大辞泉』は,
「『しかくして』あるいは『しかして』の音変化」
とする。いずれにしても,
漢文訓読,
のための言葉なのだが,
そうして,
それから,
という意味(『広辞苑』)とするのは,どうか。『大言海』には,
その如くありて,
とあり,意味は,「そして」に違いないが,どうももう少し含意がある気がする。それは,記憶に間違いがなければ,確か,司馬遼太郎の小説の中で,
来島又兵衛(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E5%B3%B6%E5%8F%88%E5%85%B5%E8%A1%9B)
が,結局蛤御門の変を起こすことになる,「藩主の冤罪を帝に訴える」ことを名目に挙兵することをためらう者に,
而して云々,
と,結局議論だけして事を起こさぬ,というような言い方をした場面があった。そのとき,「而して」は,
だから,
とか,
ひいては,
と,理屈の接続詞として使うことを皮肉っている含意があった。そこでは,単純に,
そして,
と前節をつなぐだけではない気がした。だから,
「《中世には「しこうじて」とも》前文で述べた事柄に並べて、あるいは付け加えて、別の事柄を述べるときに用いる。そうして。それに加えて」
と書く,『デジタル大辞泉』の説明は,微妙な含意を捉えていると思う。だから,前節をそのまま引き継ぐときは,
然り而(しこう)して,
と使うとある(『大辞林』)。つまり,
「先行の事柄を肯定的に受けて,後続の事柄に続けるときに」
「(そのとおりだ)そして」
という意味で使う。ただ「それから」の場合,「しかして」,
然(しか)して,
而(しか)して,
と使う。『大辞林』には,
「副詞『しか』に動詞『す』の連用形『シ』,助詞『て』の付いた語」
とある。敢えて解釈すれば,
然り+して,
と肯定して受ける,ということになる。
『古語辞典』は,「しかして」の項で,「然(しか)して」と「而(しか)して」を,正確に分けている。
「然して」は,
「前後の分が時間的に前後の関係にあることを示す」
「而して」は,
@「前の文の終結した後をうけて,新たに後文をおこす」
A「文中に合って,前の中止形の文と後文とが,時間的に前後の関係にある事を示す」
「而して」は,単純に「そして」ではない。「而」の字は,
而立
の
而
である。つまり,「論語』(為政篇)の,
吾十有五にして学に志し,三十にして立ち,四十にして惑わず,五十にして天命を知る
六十にして耳順い,七十にして 心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず,
でいう,
三十而立,
から来ている。「三十にして立つ」は,単純に「そして」であるはずはない。
三十になったからこそ,
三十になった故に,
三十になったのを機に,
三十になってようやく,
等々,
十有五而志乎學,
三十而立,
四十而不惑,
五十而知天命,
六十而耳順,
七十而従心所欲踰矩,
の「而」のもつ含意は,ただ「そして」ではない。
因みに,「而」の字は,
「柔らかく粘ったひげのたれたさまを描いたもの。ただし古くから,中称の指示詞に当て,『それ』『その人(なんじ)』の意に用い,また指示詞から接続詞に転じて,『そして』『それなのに』というつながりを示す。」
とある。「而」「然」の違いについて,こう載せている。
「而」は,て,にて,して,しかるに,しかも,などと訓み「承上起下之辞」と註す。されば,而の字を句中に置くときは,必ず上下二義あり,上下の二義折るることあり。左傳に「哀而不傷」の如し,折れざることあり,左傳に「有威而可畏,之謂威」のごとし。折るる場合には,しかもと訓むべし。
「然」は,而と同用にして,意重し,しかれどもと訓むときは,雖然の義にして語緊し。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
上へ
「いいです」は,
良いです,
あるいは,
(それで)結構です,
と肯定の意味にも使うが,
要らないです,
あるいは
(それは)結構です,
という,
否定,
あるいは,
拒絶,
の両義性があり(「結構です」も両義性があるが),まさに,
すいません,
と同様,文脈依存の日本語の真骨頂のような言い回しではなかろうか。これが,
いいんです,
と「ん」が入って強調されても,その両義性は変わらない。
すい(み)ません,
については,「すいません」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93)、「誤る」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E8%AC%9D%E3%82%8B)
で触れた。
で,「いいです」であるが,この,
いい,
は,恐らく,
よい,
あるいは,
よし,
が変化したものである。「よし」だと,
好し,
吉し,
善し,
宜し,
が当てられ,『古語辞典』には,
「『あし(悪)』『わろし(劣)』の対。吉凶・正邪・善悪・美醜・優劣などについて,一般的に,好感・満足をを得る状態である意」
とある。「よい」だと,
好い,
善い,
が当てられ,『広辞苑』に,
「『よい』の転。終止・連用形のみ。『よい』のくだけた言い方」
とある。『デジタル大辞泉』には,
「『よい』の終止形・連体形だけが、類義・類音の『ええ(良)』の影響を受けて『いい』となった語。『いくない』『いかった』なども地方によっては使われるが、あまり一般的でない。」
として,用法として,
「『日当たりがいい(よい)』『都合がいい(よい)』『気分がいい(よい)』、また『いい(よい)評判』『いい(よい)成績』などでは相通じて用いられるが、話し言葉では『いい』のほうが普通である。
『いい気味だ』『いいざまだ』『いい年をして』『いい迷惑だ』『いい御身分だ』のような皮肉をこめた言い方、相手を非難する言い方では『いい』を使い、『よい』はあまり使わない。『よい子』は正面からの肯定的評価であるが、『いい子になる』では皮肉な意味がこめられる。
類似の語に『よろしい』があり、『評判がよろしい(いい・よい)』『成績がよろしい(いい・よい)』など、『いい』『よい』と同じように使うが、『よろしい成績』『よろしい日当たり』などとは普通はいわない。」
と載る。「よし」には,
宜し,
も当てていたので,「よろし」の含意は元々ある。「よろし」は,
「ヨル(寄)の派生語であるヨラシの転。主観的に良しと評価される,そちらへ寄りたくなる意」
と『広辞苑』にはある。『古語辞典』の「よらし」を見ると,
「ヨリ(寄)の形容詞形。側に寄りたい気持ちがする意が原義。ヨリ(寄)・ヨラシの関係は,アサミ(浅)・アサマシ,サワギ(騒)・サワガシ,ユキ(行)・ユカシの類」
とある。しかし,
いいです,
の肯定は,これでも意味が通じるとしても,拒絶は,これでは意味が通じない。
「よし」には,「縱(縦)し」と当てる言葉がある。
「形容詞ヨシ(宜)の転用。他人の判断や行動を許容・容認し,また自己の決断・断念を表現する語。下に,逆説仮定条件を表す『とも』を伴うことが少なくない。」
と,『古語辞典』にはあり,『大言海』は,
「可(よ)しと縦(ゆる)す意」
として,
「心には叶はねど,せむ方も無ければとて,打任する意を云ふ語。たとひ,さもあらばあれ,ままよ」
と意味が載る。確かに,肯定の「いいです」には,
良い,
好い,
意味があるが,どこか,
とでも言っておくか,
というニュアンスがあるのではないか。否定は,
詮方ない,
が表面に出る,ということだろうか。
じゃあ,いいです,
となると,少し否定が前へ出るか。それにしても,文脈があいまいだと,
肯定,
と取られかねない,危うさがある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「丸める」は,
形を丸くする,
という意味から,それをメタファーに,
頭髪をそる,剃髪する,
全体をひっくるめる,
丸め込む,巧みに人を言いくるめる,
端数を切り上げたり、切り捨てたりして扱いやすい数にする,
と,意味の外延の抽象度が上がる(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。『江戸語大辞典』には,
丸くおさめる,人の和をはかる,
口先でうまく従わせる,
の意しか載らない。
丸めるの「まる」は,
丸,
円(圓),
と当てるが,「マロ」の転。古形は,「マロ」。
「球形の意。転じてひと固まりであるさま」(『古語辞典』)
である。だから,「丸める」は,
まろめる,
まろむ,
とも言う。語源は,
「『マル(丸・円)+める』で,他人を自由に操る意です。」
とある(『語源辞典』)が,いかがなものか。「まる(丸・円・○)」の語源は,
「満(例:満三年,まる三年)」
である。
「manがmaruと音韻変化した語です。マロ(麿・麻呂)も同源です。」
とある。「麿」をみると,
「『マロ(丸・円)』です。完全で立派で丸い人,の意です。上代の自称。」
とある。「まろ(麿・麻呂・丸)」について,『古語辞典』は,
「奈良時代には,多く男子の名に用いた語。平安時代には広く男女にわたって自称の語として使われ,親愛の情の込められた表現であった。室町時代,転じてマルとなり,接尾語となった。」
とある。しかし,漢字「丸」の字は,
「『曲がった線+人が身体をまるめてしゃがむさま』で,まるいことをあらわす」
とある。しかも,意味は,
たま,弾丸や丸薬,
を指し,どうやら,
まるい,
まるめる,
まる,円,
まる,全部,
まる,城郭,
人の名マル,
というのは,我が国だけで使う意味のようである。つまりは,本来「球」しか意味しないものを,勝手に拡大して使って,円だの,全部だのと,意味を広げたということになる。
「圓(円)」の字は,
「員(ウン・イン)は,『○印+鼎』の会意文字で,丸い形の容器を示す。圓は,『囗(かこい)+音符員』で,まるいかこい」
である。圓と丸の違いは,
圓は,方の対。まんまろきなり,形態に限らず,義理の上にも広く用ふ。圓満,圓熟,
丸は,弾丸なり,丸薬の如く,まんまろく,ころげるものなり,
とある(『字源』)ので,あるいは,「丸」は,「圓(円)」の意を受けて広がったのではないか,と推測される。
『大言海』の「まろ(圓・丸)む」の意味が,この間の経緯をよく示す。
「手にて固めて圓(まる)くなす。まろぐ。まるむ。まろめる。」
「圓(まろ)き形をつくる。」
その意味で,丸と圓ば混同されたようだ。「まるく(かたち)つくる」ものはすべて,丸なのだ。城郭で,
真田丸,
のように,「郭・曲輪(くるわ)」を丸と呼ぶが,
「安土桃山時代以降の城では、それぞれの曲輪はその用途によって「○○曲輪」「○○丸」などと呼ばれ、また時代や地域によっても名称は異なる。“本丸”“二の丸”など曲輪を“丸”と言うようになった起源や語源はわかっていない」
と,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E8%BC%AA
では言うが,多く,まるく囲む所から来たに違いない。
「城をとるべきようは、小く丸くとるべし」(北条氏長『兵法雌鑑』)
「城は小円を善とすること、城取の習とぞ、此故に丸とは呼ぶ也」(木下義俊『武用弁略』)
とあるように,語源的には,本来は,丸ではなく,圓でなくてはならない。
また,船につける「丸」については,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1122743421
に,
「船舶法の取り扱い手続きに『船舶ノ名称ニハ成ルベク其ノ末尾ニ丸ノ字ヲ附セシムベシ』とあるが,その謂れには,
1.豊臣秀吉が巨船を造って日本丸と名付けたのが起こりである。
2.中国の皇帝の時、天から降りて船を造ることを教えた白童丸の丸を採った。
3.易から来た。
4.封建時代に屋号を用いた丸から転用された。
5.麿から転化した。
(自分のことを麿と言ったのが、後に愛敬の意味で人名に付け、
さらにそれが広く愛玩物に用いられ、
同時に麿から丸に転じ、船にもつけるようになった。)
とある。これも,「麿」の謂れが一番近い気がするが。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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結構です,
というとき,
いいです,
と同じように,肯定・否定の意味を持つ。「いいです」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%84%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%99)
で触れたが,結構の場合も,
「大変結構です」
という場合と,
「もう結構です」
と可否両義の意味がある。しかし,「いいです」と違い,「結構です」の場合は,
http://okiteweb.com/language/kekkoudesu.html
も言っているように,
「もう結構です」
「いいえ、結構です」
という否定の使い方も,
「『私はもう十分満足しています』という満足の意を表しています。しかし、その満足の裏に『満足なのでそれは不要です』といった満足の裏返しとしての否定の意も持ち合わせているのです。」
という意味では,単なる否定ではない含意がある。「結構」の意味は,たとえば,
かまえつくること,組みたてること,
たくらみ,もくろみ,計画,
したく,用意,
申し分のないこと,
好人物のこと,気立てのよいこと,
これ以上のぞまないこと,
という名詞の意味の他,副詞的に,
何とか,まあまあ,
という意味がある(『広辞苑』)。これだけみると,その意味の広がり方がよくわからないが,『大言海』を見ると,含意のもつ広がり方がよくわかる。
結びかまふること,組み立つること,作りいだすこと,しつらふること,
心に結構すること,たくみ,企て,もくろみ,
結構しはててよく出来たりと云ふ意より,転じて,勝れたること,佳きこと,美しきこと,
心の好(よ)きこと,好人物,
懇ろなること,手厚きこと,優遇,
つまり,組みたてるという実際の行動が,心の中のことに転じ,それが計画や企みと変ずる。そしてその結果がよく出来ていることの評価(価値表現や美醜表現)となり,それが人物に反映し,その振る舞いへと転ずる,ということになろうか。『古語辞典』では,
結構人,
だと,
温和で礼儀正しい人,
と
お人よし,好人物,
だが,
結構者,
となると,
お人よし,
だけとなり,
結構立て,
で,
わざと気立て良く見せかける,
となり,
結構づく,
で
体裁よく物事をすること,
だが,今日は,
結構づくめ,
で,
言いことばかりである,
という意味に変る。しかし裏面に,どこか猜疑の含意がある。その延長線上に,
結構毛だらけ猫灰だらけ,
がある。『江戸語大辞典』には,「結構」の意味に,
大仰である,
十分,上手,
満足,
の意味しかなく,「結び構える」の原義は消えている。
手元の『語源辞典』は,「結構」について,
「中国語源で,『建築物の結構(構え仕組み)』や,『文章の結構(構造組立て)』をいいます。転じて,十分,見事,相当,かなり,の副詞的用法や,断り,辞退などの用法に広く使われます。」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ke/kekkou.html
は,
「漢語の『結構』は、建造物の構造や文章の構成など、組み立てや構成を意味する名詞である。この『結構』が日本に入り、『計画』『もくろみ』『支度』『準備』といった意味の名詞として用いられるようになった。さらに、その準備や計画を『立派だ』『よろしい』と評価
する用法がうまれ、結構は,『丁寧だ』『人柄がいい』といった意味でも使われるようになった。
断りの言葉として用いる『もう結構です』は、近代以降に見られる表現で、『十分満足しているから、これ以上必要ない』といったニュアンスから生まれたもの。
『結構おいしい』『結構楽しい』などの副詞は、『十分とは言えないが、思っていたよりも良い(満足できる)』の意味からである。」
と,変化の経緯に詳しい。因みに,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1133782561
で,「結構いい」と「かなりいい」の比較をしていた。
「『結構』=『ある程度の可能性は予想していたが、その程度が予想外に高かった』ことを示すもので、多くはプラスの評価(肯定的)な場合に使う。(もともと『結構』は、結構なお住まい、などとプラス評価をするときに使う語なので、『けっこうつまらない』『けっこうさぼった』とは言いません)
『かなり』=『予想以上に度合いが大きい』ことをあらわし、プラス評価にもマイナス評価にも使う。
とくに、意志的な行為について、
『困難なきびしい状況の中で行なう』ことを述べる場合には、『かなり』を用い、『結構』は使いません。」
結構が,ある程度心積もりがある,含意を持っている,ということだろう。
「結」の字は,
「吉は,入れ物の口をしっかりとふたをしたさまを描いた象形文字。結は『糸+音符吉』で,糸や紐で入口をしっかりとくびること。中身が出ないように締めくくる意を含む。」
「構」の字は,
「冓は,むこうとこちらに同じように木を組んでたてたさま。むこうがわのものは逆に書いてある。『構』は,『木+音符冓』で,木をうまく組んで,前後平均するように組み立てること。」
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「はかる」を辞書で引くと,
計る,
測る,
量る,
図る,
謀る,
諮る,
等々と当てる。それぞれ意味が違う。意味の違いは,漢字の字の違いに過ぎない気がする。
『広辞苑』は,
「仕上げようと予定した作業の進捗状態を数量・重さ・長さなどについて見当をつける意」
と注記し,
@「計・測・量」の字を当てる,数量を調べて知る,
A「図・計・測・量」の字を当てる,物事を推し考える,
B「諮・計」の字を当てる,よいわるいなどの見当をつける,
C「謀・計・図」の字を当てる,企てる,もくろむ,工夫する,
D「謀」の字を当てる,欺く,だます,
に意味を整理し,こう付記する。
「@で,測定機などを用いる場合は『測』,はかり,ますの場合は『量』を使うことが多い。B(の『相談する』意は)『諮』を使う。Cで『謀』は,ふつう悪事の場合に使う。」
しかし,これは,たぶん,漢字による「はかる」の使い分け以降の話だ。『大言海』は,
≪計・測・量≫「大指と中指とを張り限る意」
として,
「物事の程を知らむと試みる。つもる。はからふ。」
をまず挙げ,次に,
≪権・称≫「秤にて軽重を試みる。」
「枡にて多少を試みる。掛く。」
≪度≫「尺(ものさし)にて長短を試みる。差す。」
≪思量・謀≫「考へ分く。分別す。たくむ。」
≪詢・商議≫「語らひて論じ定む。相談す。」
「欺く。だます。たばかる。たぶらかす。」
と分けている。『古語辞典』は,「はか(計・量)り」を,
「はか(量・捗)の動詞化」
としている。「はかどる」の「はか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B)
で触れたことがあるが,「はか」について,『大言海』は,「計」を,
「稻を植え,又は刈り,或いは茅を刈るなどに,其地を分かつに云ふ語。田なれば,一面の田を,数区に分ち,一はか,二(ふた)はか,三(み)はかなどと立てて,男女打雑り,一はかより植え始め,又刈り始めて,二はか,三はか,と終はる。又稲を植えたる列と列との間をも云ふ。即ち,稲株と稲株との間を,一はか,二はかと称す。」
とし,「量」を,
「量(はかり)の略。田を割りて,一はか二はかと云ふ。農業の進むより一般の事に転ず。かりばかの条をみよ。」
としていた。それを前提に,『古語辞典』は,
「仕上げようと予定した仕事の進捗状況がどんなかを,広さ・長さ・重さなどについて見当をつける意」
として,
予測する,
広さ・重さ・値段などを計量する,
よい機会かどうかなど見当をつけてえらぶ,
よいわるいのなどの見当をつけながら,論じる,
もくろむ,企てる,
だます,
と意味の幅を付ける。単なる予測から,価値判断が加わり,それか悪意へシフトすると,だますになっていく,という意味の外延の広がりがよく見える。
「はかる(計る・測る・量る・図る・謀る・議る・度る・料る)」の語源は,
「二説が有力です。
説1は,『ハカ(仕事の進み具合・目あて・あてど)+ル(動詞をつくる接尾語)』が語源という説です。ハカドル・ハカガユク,ハカラフなど,同一の語源か。
説2は,『ハ(張る)+カ(限る)+ル』が語源だという説です。親指と人差し指を一杯に張り拡げて,それを何回繰り返して,限っていくことができるか,というハカルです。
さて,視点を変えて見ますと,日本語のハカルは,意味するところがきわめて広範囲な用法をもっています。物体,人事,重量,体積,深さ,相談,計画などにわたって,すべてハカルを用います。『ああでもない,こうでもないと,適正なものを求める』が,ハカルのすべてに共通する語源ともいえます。そうしてこれらの質的なハカルの違いは,中国語源にたよっています。」
と書く。ひとつの「はかる」だけの意味範囲が広すぎるため,いかに文脈依存でも,意味を「はかり」かねるために,漢字表記の違いに頼らざるを得ないということだ。
漢字の意味の使い分けは,次のように細かい(『字源』)。
計は,物の数をかぞへるなり。総計は,数の総じめなり。心計は,胸算用なり。転じて謀計の意に用ふ。
謀は,心に慮るなり,人と相談してはかるに用ふ。
図(圖)は,はかると訓むときは,料度・計量等の義なり。はかりごとと訓むときは,謀略の義。雄図・壮図の類。
量は,ますなり,転じて分量をつもり見る意。商量・量度・測量などと用ふ。名詞としては,識量・度量・酒量などと用ふ。
度は,ものさしのときは,音ド転じて大度・遠度などと用ふ。またはかると訓むときは,音タク尺度にて,長短を度る如く,心につもり見る意。料度・量度などと用ふ。
称(稱)は,はかりなり,はかりにかけて,軽重を知るやうに,つり合いよくする義。
権(權)は,稱錘(はかりおもり)なり。物の軽重をかけて見るように,さしひき見はからふなり。転じて,権謀・権変等。
測は,水の浅深をはかるなり。転じて,奥底のはかり知られぬ義とす。推測・測量などと用ふ。
料は,升目を数ふる義。転じて,どれ程と,心にはかりつもるに用ふ。
忖は,先方の心を推量するなり。
商は,商量・商略などと用ふ。
算は,さんぎなり。転じて,謀略の義に用ふ。勝算の類。
議は,事の宜しきを評定するなり。
画(畫)は,図に近し。もと線を引きて,此の通りがよからんと,差図する意。
程は,これほどと限量を立つるなり。
詮は,かりに物語をかける如く,品位の高下を精しく品評して分かつをいう。
詢は,はかりとふなり。咨(はかる)と略々同じ。信實にとひ諮る義。
諮は,咨(はかる)と同じ。問ふ也,謀る也。
いくつか漢字の謂れをひろってみると,例えば,
「計」の字は,「言+十(多くを一本に集める)」で,多くの物事や数を一本に集めて考えること,
「測」の字は,則は,「鼎+刀」からなり,食器のそばにナイフをくっつけて置いたさま。側と同系で,そばにくっつける意を含む。そのそばにくっついて離れない基準や法則の意となる。測は「水+音符則」で,物差しや基準をそばにつけて,水の深さをはかること,
「量」の字は,「穀物のしるし+重」で,穀物の重さを天秤ではかることを示す。穀物や砂状のものは,はかりとますのどちらでもはかる。のち,分量の意となる。
「図(圖)」の字は,圖の中には,鄙(ヒ)の字に含まれ,米蔵のある農村の所領を示す。圖は,それと囗(かこい)を合わせた字で,領地を囗印の紙,面のわく内に書き込んだ地図を表し,貯と近く,狭い枠内に押し込めた意を含む。また著や着と同系で,定着させる意を含むから,図形を書きつけて,紙上に定着させる意とも考えられる。
「謀」の字は,某は,楳(=梅)の原字で,もとうめのことであるが,暗くてよく分からない,の意に転用される。謀は,「言+音符某」で,よくわからない先のことをことばで相談すること。
「諮」の字は,「言+音符咨(みんなにはかる」),
「商」の字は,「高い台の形+音符章の略体」で,もと平原の中の明るい高台の聚落をつくり,商と自称した。周に滅ぼされたのち,その一部は工芸品を行商するジプシーと化し,中国に商業が始ったので,商国の人の意から転じて,行商人の意となった。
「議」の字は,義は,「羊(形のよいひつじ)+音符我(かどばったほこ)」でからなる会意兼形声文字で,かどめがついてかっこうがよいこと。議は「言+音符義」で,かどばって折目のある話のこと。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「はからう(ふ)」は,
計らう(ふ),
と当てるが,
「ハカルの未然形+フ(継続反復)」
で,
いろいろと心を使い続ける,という意味になる。「はかる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%82%8B)
で触れたが,
計る,測る,量る,図る,謀る,諮る,議る,
等々と,当てる漢字を使い分けて,多様な意味を表現しようとしていたが,「図らう」と当てることもあるようだが,
計らう,
と「計」の字を当てながら,直接的な,
数量を調べて知る,
という計量ではなく,「計」を当てながら,『大言海』が「はかる」で,
「物事の程を知らむと試みる。つもる。はからふ。」
という,計量の対象の抽象度が上がり,心や思いに焦点が当たり,例えば,『広辞苑』では,
相談する,協議する,
見当をつける,見はからう,うかがい見る,
企てる,
適当に処置する,さばく,
手加減する,塩梅する,
で,あくまで,「はかる」の未然形,つまり,
未だそうなっていないことをそうしようとする,
という含意になる。だから,
計(図)らずも,
とか,
計(図)らざるに,
は,
思いがけず,
不意に,
という意味になる。『大言海』は,
心に思ひ図らぬに,
と意味を載せる。『大言海』の「はからひ」の説明はシンプルで,
とりあつかひ,処置,措置,
とある。「はからひ」の次項に,
「とりはからひのしゅう」
があり,
計衆,
と当てる。
「室町幕府の職名。諸家より献上したるものに対して,返し物を取り調べおき,其れを将軍の竊かに御覧ぜらるるを取扱ふ役人。おはからひかた,おはからひしゅう」
とある。そうみると,「はからひ」には,ただ扱う,とか,相談する,とか,企てる,と言うのとは少しニュアンスが異なる,敬意というか敬う含意があるような気がする。それは,扱う人そのもの(主体側)ではなく,扱う対象に対する,それなのかもしれない。
ただ,『古語辞典』は,「はからう」について,
「ハカリ(計)とアヒ(合)との複合」
とあるので,この場合だと,「はかる」のうちの,
諮る,
議る,
に,含意がシフトするのかもしれない。
「はからう」と似た意味で,
取りはからう,
という言い方がある。この「と(取)り」は,接頭語で,
「動詞の上について,その動作が,何か手を加えられることで,安定・定着することを示す」
としている。「取り」をつけることで,「はからう」ことが,主体の意志であることを強く印象付けるというニュアンスがある。接頭語の「うち」と同じであると,『大言海』はいい,
「唯其の意を強くする」
という用い方になっている,という。
「はからい」という言い方については,例の,
善人なおもって往生を遂ぐ,いわんや悪人をや,
という親鸞の言い回しについて,これだけ信心のためにしたのだから,往生とげるだろうというのを,
計らい,
として一蹴する含意だということを思い出す。やはり,計らいは,その行為の相手を意識する言葉のように思う。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「取り」は,接頭語で,
動詞に付いて,語勢を強めるのに用いる。
とある。
取りつくろう,
取り決める,
取り調べる,
取り乱す,
取り紛れる,
取り扱う,
等々ある。「はからう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%86)
でも少し触れたが,『古語辞典』には,「取り」について,
「動詞の上について,その動作が,何か手を加えられることで,安定・定着することを示す」
として,
@(持って)…する(例えば,「とりつく」),
A(みずから)…してやる,…する(例えば,「とり飼う」),
という使い方を提示している。つまり,
「取る」という元の言葉の意味をひきずっているか,
その含意の主体性に焦点を当てるか,
ということなのだろうか。『大言海』は,
「うち(打)の條を見よ」
とあり,「うち」の項には
「打ち鳴らす,打ち砕くなどは,打つ意あるを,かやうに多く他の動詞に重ね用ゐるよりして,遂に唯其の意を強くするばかりの用ともせしならむ。掻き曇る,かい伏す,差し控ふ,立ち超えて,取り乱す,もて悩む,相構へて,など皆同じ」
とある。因みに,「ぶつかます」とか「ぶち殺す」の「ぶち」は「打ち」の転化したもの。
「とる」は,
取る,
採る,
捕る,
執る,
撮る,
録る,
等々と当てる。『広辞苑』は,
「て(手)と同源」
とし,『大言海』も,
「手の活用」
とするが,『古語辞典』は,
「タ(手)の母音交換形トを動詞化した語。ものに積極的に働きかけ,その物をしっかり握って自分の自由にする意。また接頭語としては,その動作を自分で手を下してしっかり行い,また,自分の方に取り込む意。類義語ツカミは,物を握りしめる意。モチ(持)は,対象を変化させずそのまま手の中に保つ意。」
と,詳しく説明する。だから,語源は,
「手+る(動詞をつくる機能のル)」
として,『語源辞典』は,
「すべて,手で何かをするのが語源なのです。トルの質的な違いは,中国語源によって区別しています。」
とする。つまり,取るのか,獲るのか,採るのかの区別は,漢字に頼るほかないということになる。
したがって,手ですることすべてを含む,動詞「とり」の意味は幅広く,『古語辞典』は,
@物の全体をしっかり手中に収めて自分のものにする,
A手を動かして,物事を思う通りに操作する,
B物事を手許へ引き寄せて,こちらの自由にする,
C物事をこちら側の要求・基準に合うように決定する,
と用例を分けているが,『広辞苑』は,「とる」を,
@手に握りもつ,
Aつかんでそれまでの所から引き離し,また当方へ移しおさめる,
B身に負いもつ,
C選び出す,
D物事をつくり出す,
E物事の内容をはかり知る,
Fあるところを占める,
G遊戯・競技などを行う,
H関係する,
I(連用形が他の動詞の上について)直接手を下してその行為を行き届いたものにする意を表す,転じて,調整を調えるのにも用いる,
とある。文脈に依存するのだから,いくらでも意味が増える。しかし,この「とる」の語意を反映しているとすると,接頭語「取り」は,
主体的にする,
とか,
自分がする,
というす意味があるはずだ。たとえば,「扱う」と「取り扱う」の違いは,そこにあるはずだ。「扱う」の意味は,
気を使う,世話をする,
もちなす,処遇する,
取りざたする,
操作する,
取りさばく,
もてあます,
もてあそぶ,
等々だが,「取り扱う」は,
物事を処理する,
物を手で持って動かしたり,使ったりする,
世話をする,
と,主体が強く意識されている気がする。「扱い書」と「取扱書」の違いは,自分でする,という含意なのではないか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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身の丈に合う,
というのと,
身の程を弁える,
と言うのとでは,似たことをいっているようで,まったく違う。
「身の丈」は,
身の長,
とも当てるが,「身丈(みたけ)」ともいい,
背丈,
の意味である。その意味では,
おのれの原寸の大きさ,
であり,それをメタファに,
自分のありのまま,
といった意味に使う。「身の程」は,
からだ相応,
という意味もある(『古語辞典』)が,
わが身の程度,
という意味で,
自分の身分・地位,素性・素質・能力などの程度,あるいは経済力・運命をひっくるめていう,
とある。
分相応,
分際,
と重なる。
身の程を弁える,
は,
分を弁える,
と重なる。「分」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%88%86)
で触れたが,
各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任など,
の意味で,分限・分際,応分・過分・士分・自分・性分・職分・随分・天分・本分・身分・名分等々という使われ方をする。「分」の字は,
「八印(左右にわける)+刀」
で,二つに切り分ける意を示す。ここでの意味で言えば,
ポストにおうじた責任と能力
の意だが,「区別」「けじめ」の意味も含む。「身の程」「分際」という言葉と重なるのかもしれない。それはある意味,
「持前」とも重なる。それで,神田橋條治氏の言う,
自己実現とは遺伝子の開花である,
という言葉が意味を持つ。
鵜は鵜になり,鷹にはなれない,
と。「程」のもつ含意が,「身の程」の意味の影を決めているようだ。「程」については,「ほどほど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%81%BB%E3%81%A8)
で触れた。「ほど(程)」の語源は,
「ホ(含む)+ド(処)」
で,ある含みをもったところ,範囲,程度,
とある。『大言海』には,
物事の分限を言う接尾語。ばかり,だけ,
と
頃に,折に,
しか載っていないが,『広辞苑』や『古語辞典』にはものすごい量の意味がある。因みに,『古語辞典』には,
「奈良時代にはホトと清音。動作が行われているうちに時が経過,推移していくことの,はっきり知られるその時間を言う。道を歩くうちに経過する時間の意から,道のり,距離,さらには奥行,広さなどの空間的な意味にも使われた。平安女流文学では,時間の推移に伴って変化する物事の様子・具合・程度をいい,広く一般的に物事の程度を指すように使われた。中世になると時間の経過を言う意は減少し,時間の全体よりも,時の流れの到達点,時の限度の意に片寄り,時の中の一点を指すとともに,数量や程度の極度に目立つさま,あるいは限度などの意を表した。他方,平安時代には,経過する時間の意から発展して,時間の進展の結果を言うようになり,…ので,…からという原因・理由を示す助詞の用法が生じた。漢文訓読本では,動作や行為の持続する時間を示す『頃』『中』『際』はアヒダと訓んでいる」
と長い注記がある。「程」の字の影響かもしれない。漢字の「程」の,
「『呈』の下部の字(テイ)は,人間が直立したすねの所を‐印で示した指事文字。『呈』は,それに口を加えて,まっすぐにすねを差し出すこと。一定の長さを持つ短い直線の意を含む。『禾(いね,作物)』を加えた『程』は,禾本科の植物の穂の長さ。一定の長さ→基準→はかる,等々の意となった」
とある。
「程の意味は,多様で,『広辞苑』は,おおまかに,
時間的な度合を示す(おおよその時間の経過,季節)
空間的な度合を示す(ほど遠い,の程を,広さ)
物事の程度や数量などの度合いを示す(程のよい人,見分,当たり,)
例示する意を示す(〜されるほどの)
といった使い分けに整理している。身分は,
程度,度合い,
の用例に入るが,明らかに,単なる状態表現ではなく,価値表現に転じている。『大言海』のいう,
だけ,
ばかり,
という限度を限っているのである。因みに,「身(み)」は,
「古形ムの転」
らしいが,『大言海』は,
「實(ミ)に通ず。朝鮮語モム(身)」
と注記している。語源は,
「ミ(身・肉)」
で,「実」は,身と同根,とあるので,この身も木の実も,「み」であり,両者を日本語では区別していなかった,ということになる。それは,「身」と「実」という漢字を手に入れて初めて区別がついた,ということだ。それまでは,同一視した視界がひろがっていたということになる。
因みに,「身」の字は,象形文字で,
「女性が原に赤子をはらんださまを描いたもの。充実する,一杯詰まるの意を含み,重く筋骨のつまったからだのこと。」
で,「実(實)」の字は,会意文字で,
「『宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)』で,家の中に財宝を一杯満たす意を示す。中身がいっぱいで,欠け目がないこと,また真(中身が詰まる)とは,その語尾がnに転じたことば。」
とある。日本語で,
じつ,真心,親切心(「実のある人」),
み,内容(「実のある話」),
という意味は,わが国だけのようである。
参考文献;
神田橋條治『技を育む』(中山書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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卒爾は,昔時代劇を観て,侍が,人にものを尋ねようとした折,
卒爾ながら,
というように言っていたのを思い出す。
卒爾は,
率爾,
とも当てる。意味は,
にわかなさま,
軽率なさま,
と,『広辞苑』にはある。用例として,『平家物語』から,
「御幸もあまりに卒爾に存知候」
が載る。これだと,突然という意味に,軽々,というか,軽率という含意があるのがわかる。『デジタル大辞泉』は,もうひとつ,
失礼な振る舞いをすること。無礼,
の意味を載せる。考えれば,
唐突さ,
は,軽率に通じ,相手にとって,失礼になる。『大言海』は,
言語,動作の軽率なること,
と載せる。恐らく,それが,周囲には,
唐突,
に見え,
無礼にも,
見える。だから,
卒爾ながら(乍卒爾),
で,
突然で失礼ですが,
という意味となる。『デジタル大辞泉』が,
人に声を掛けたりするときに用いる,
としているのが正確だ。で,
卒爾なり,
と,批判する言い回しにもなる。
卒爾にも率爾にも当てるので,「卒」と「率」を調べてみると,
「卒」の字は,会意文字で,
「『衣+十』で,はっぴのような上着を着て,十人毎一隊になって引率される雑兵や菰野をらわす。小さいものをいう意を含む。『にわか』の意は,猝(そつ)に当てたもの。また,小さくまとめて引き締める意から,最後に締めくくる意となり,『おわり』の意を派生した。」
とある。「率」の字は,やはり会意文字で,
「『幺または玄(細いひも)+はみでた部分を表す八印+十(まとめる)』で,はみ出ないように中心線に引き締めてまとめること。(「全体のバランスから割り出した部分部分の割合」という意味)の場合は,律(きちんと整えたわりあい)と同系」
とある。ここからは,「卒」と「率」との併用の謂れが見えない。漢和辞典をみると,「率爾」の例は,
子路率爾として対へて曰く,
という『論語』の用例を引く。で,
率然,
と同じ意だとある。「率然」は,
卒然,
とも当てる。どうやら,「卒」の字には,
にわかに,
突然に,
という意味があり,「率」の字には,
軽々しい,
慌てる,
という意味があるようである。しかし,意味は,「率爾」も,「率然」も,「卒然」も,
あわただしき貌,
にわかなる貌,
と,「表情」を指していて,振る舞いの「あわただしさ」ではないようだ。
「爾」の字は,象形文字で,
「柄にひも飾りのついた大きいはなこを描いたもの。璽(はんこ)の原字であり,下地にひたとくっつけて印を押すことから,二(ふたつくっつく)と同系のことば。またそばにくっついて存在する人や物を指す指示詞に用い,それ・なんじの意を表す」
とある。「卒(率)爾」は,形容詞につく助詞の用例で,
徒爾(いたずらに),
卓爾(すっくりと高く),
莞爾(にっこりと),
と似た使い方かと思われる。
思えば,
卒爾ながら,
は古臭いにしても,人にものを尋ねるのに,
突然ですが,
とか,
失礼ながら,
という断りの言い回しをほとんどしなくなった。すべて,
すいません,
で済まし,
ご免ください,
まで,
すいません,
で済ましている。「すみません」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%99%E3%81%BF%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93)
で触れたが,なんでもかんでも,
すいません,
で済ますのと,なんでも,
かわいい,
で済ますのとは通底している。どこかに,文脈に依存した,甘えが見える。言語の劣化である。言語の劣化は,知的頽廃ではないのか。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「とりあえず」は,
取り敢えず,
と当てる。意味は,『広辞苑』には,
たちまちに,たちどころに,
さしあたって,まず,一応,
とある。これだと,両意味の関係が見えないが,『デジタル大辞泉』の,
ほかのことはさしおいて、まず第一に。なにはさておき。「取り敢えず母に合格を知らせる」「取り敢えずお礼まで」
何する間もなく。すぐに。「取り敢えず応急処置をして、病院へ運ぶ」
という説明だと,
すぐに,
と
まず第一に,
の意味は,ほぼ近接していることがわかる。さらに,『大辞林』では,
「取るべきものも取らずに,の意から」
と注記していて,
十分な対処は後回しにして暫定的に対応するさま。なにはさておき,
将来のことは考慮せず,現在の状態だけを問題とするさま。さしあたって,
とあって,より意味の真意がわかる。
取るものを取らず,
が,
第三者目線では,「すぐに」「ただちに」という意味となり,
当事者意識だと,「(他の事は差し置いて)まずは」
となる。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%88%E3%81%9A
では,
(もっとも優先させなければならないということが必然的であるというわけではないが、判断を保留してでも)すぐに、第一に。とりいそぎ。なにはさておき。
(他に優先して行なうべきこともないので)さしあたって。暫定的に、一応。
と両者の内容を深掘りしてみせている。
語源は,
「トリアエ(取り敢え)+ズ(打消し)」
で,
「急ぐために間に合わせる,他のことはさしおいてまず,などの意をあらわします。」
とある。『古語辞典』は,「手取り敢へ」について,
前以て心づもりをして対処する,不意の事態にきちんと間に合わせる,
耐え得る,こらえることができる,
とある。『広辞苑』は,「取り敢ふ」で,
間に合う,間に合わせる,
たまたまそこにある,ありあわせる,
とることができる,取る間がある,
の意味を載せる。「取り敢へ」が,その否定の「取り敢えず」の原意に沿いそうなのだが,それでいいのかどうか。
『古語辞典』の「敢へ」を見ると,
「合へと同根。ことの成り行きや,相手・対象の動き・要求などに合わせる。転じて,ことを全うし堪えきる意」
とある。で,
(事態に対処して)どうにかやりきる,どうにかもちこたえる,
こらえきる,
差し支えない,
(動詞連用形に続いて)すっかり〜する,〜しきれる,
とある。『大言海』は「敢ふ」を,
「増韻『敢,忍為(しのびてなす)也』」
と注記して,
堪ふ,こらへゆく,
とする項と,
「説文『敢,進取(すすみとる)也』廣韻『犯(おかす)也』」
と注記して,
遂(と)ぐ,しおほす,おしきる,
とする項とを分けている。「敢えて」という言葉は,
しいて,おしきって,
という意味なので,『大言海』の後者の意味の外延になる。『大言海』は,「敢へて」について,
「押しきって,のしかかって,はばからず。「説文『敢,進取(すすみとる)也』。漢文にて,不敢(ふかん)とあるは,敢へて何せずと読みて,敢不(かんふ)とあるには,敢へて何せざむやと読みて,反語となる。」
とある。とすると,「取り敢えず」は,
さしあたり,
とか,
ただちに,
ではあるが,そこには,
堪えきれず,
あるいは,
忍びきれず,
という含意があるのではないか。だから,
「余事をさしおいて先ず」
なのではないか。とすると,「取り」は,それを(主体の意識として)強調しているのでなくてはならない。その強調の「取り」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%8F%96%E3%82%8A)については触れた。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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智恵(智慧),
とも書くが,
知恵,
とも書く。
知能,
も
智能,
とも書く。「知」と「智」の違いが気になる。『広辞苑』は,「ち(知・智)」として,
物事を理解し,是非・善悪を弁別する心の作用(「智・仁・勇」「智恵」「才智」),
賢いこと,物知り(「智者」「智将」)
はかりごと(「智謀」),
仏経では多く,「知」は一般の分別・判断・認識の作用,「智」は,高次の宗教的叡智の意味に用いる,
とあるが,用例をすべて「智」をとる。例えば,「智恵」は「知恵」とも書くし,「智謀」は「知謀」とも書くし,「智将」は「知将」とも書く。意図的かどうかはわからない。『古語辞典』も,「ち(知・智)」として,
儒教で言う,五常・三徳の一。万事を正しく理解し,是非・善悪を弁別する心の働き,
知能・知力,
と載せる。さすがに,『大言海』は,「知」と「智」をきちんと別に項を立てている。
「知」は,
知ること,知覚,
しりあい,知人
人に知らるること,
智に同じ,
とし,「智」は,
「釋名,四,釋言語篇『智,知也。無所不知也』」
と注記し,
「五常の一,三徳の一。心に物事の理を敏く覚りて,是非を分別するを得る力。智慧」
とある。さらに,
「名義抄,『智,サトシ,サトル,サカシ』」
等々と付記する。どうやら,「智」は,単に「知る」のではなく,「知らざる所無し」を「智」とする。一応の区別である。
因みに,五常とは,例の,
仁・義・礼・智・信,
を指す。「智」は,
「道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。」
三徳とは,
智・仁・勇,
の徳目をいう。仏教では,「智慧」は,
「道理を判断し処理していく心の働き。筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。特に『智慧』は、物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。『智』は相対世界に向かう働き、『慧』は悟りを導く精神作用の意」
とし,「智慧」と「知恵」は区別される。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211290417
に,
「『智慧』とは仏様からのもので、『知恵』とは自身の心から生じるものです。ですから、意味は全く異なってきますね。
『知恵』は、人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った『知識』を、如何に自身の心で消化して、自分のものとするか。だと考えます。知識は外部から入ってくるものであり、知恵は自身の中から生じるものである、ということでしょうか。ですから、苦労すればするほど、またその壁を乗り越え進む人ほど『知恵』は豊かとなるでしょう。
また『智慧』とは、御本尊と正面から向き合い、仏道修行する中で、仏様の命の境涯(仏界)に縁して、自身の心(命)にも在る「仏界」を認識していくことですね。たとえ自分の望みとは逆の結果となっても、それが仏様からの答えであり、「御仏智」として捉えることでもあります。
自力だけではどうにも解決できない事や、迷いの原因であるところの煩悩を、御仏智により鮮明に映し出し、認識し、納得する。この行為、姿勢そのものが仏道修行ともなります。またその為には、自身の心に宿る『弱さ(宿業)』と対峙しなくてはなりません。ここで言う『弱さ』とは、例外なく誰の心にも在る『妬み・憎悪・貪欲』など、人を不幸にする悪因であります。そこに気付かせて頂き、認識した以上は自力で正し、律していく。大変過酷な修行ともいえますが、それこそが『智慧』であります。」
とある。仏教で言う,六波羅蜜,
@布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
A持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
B忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
C精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
D禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
E智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、Prajñā
プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。
の第六に「智」があり,「慈悲」と対とされる。龍樹の,
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
の解脱の位置にある。知らざる所無し,とはまさにこれを指す。「知」とは異なる。
「知」の字は,
「『矢+口』で,矢のようにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす。」
とされる。「知」は「識」と同じく,
しる,
意味で,
「知は識より重し,知人知道心といへば,心の底より篤と知ることなり,知己・知音と熟す。識名・識面は,一寸見覚えあるまでの意なり。」
と比較している。知覚の意,と『大言海』にあった所以である。
「智」の字は,
「知は『矢+口』の会意文字で,矢のようにすぱりと当てて言うこと。智は『曰(いう)+音符知』で,知と同系,すぱりと言い当てて,さといこと」
とあり,漢字で見る限り,区別はつかない。しかし,「智」の対は,
愚,
であり,
闇,
とある。儒教と仏教が区別したが,あるいは,「知」「智」は,
曰う,
の有無の差でしかなかったのかもしれない。「曰」とは,
「『口+乚印』で,口の中から言葉が出てくることを示す。」
口に出す,
あるいは,
口に出せる,
かどうかに意味があったのかもしれない。しかし,いかに知っていようと,おのれの言葉で,そのことを語れるかどうかは,大きい。それは,
何を知っているか(何を知らないか),
を知っている,
を知っている,ということかもしれない。『論語』で,「知る」を,
「知れるを知るとなし,知らざるを知らずとせよ」
といったことに通じる。その意味で,
知
と
智
の差は,小さくはない。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B8%B8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BE%B3_(%E5%84%92%E5%AD%A6)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
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昔,ある映画で,相手が何か良いことがあったことに対して,
「御果報」
とのみ言うセリフがあった,のを鮮明に覚えている。多少の皮肉を込めて,という含意であった。
「そればおめでとう」
というより,
「そいつは,めでたいね」
といったニュアンスであった。
果報は,
因果応報,前世の行いのむくい,
めぐりあわせのよいこと,幸運,
という意味が載る(『広辞苑』)。しかし,『大言海』は,「くわはう」として,
因縁の応報(むくい)。結果。多くは,善きに云ふ,
とのみ載る。上記の,
「御果報」
は,単にピンポイントの幸運ではなく,それをもたらす長い謂れ(因縁)の結果そうなった,という含意が,込められているとすると,なかなか含蓄のある返答ということになる。その意味で,原因をさておいて,結果だけで,
幸運,
という意味に転じるのは,少し陰翳がなさすぎる。『大言海』は,「因縁(いんねん・いんえん)」の項を観よ,成っていて,「因縁」ではこう記す。
「仏教の語。譬へば,穀(もみ)を地に植うれば,稻を生ず。穀は因なり,地は縁なり,稲は果なり。然して,これを行ふことを業(ごふ)と云ふ。因りて,因縁,因果,因業など,人事の成立(なりゆき)は,皆因(ちなみ)あり,縁(よ)る所ありて,果(はて)に至ること,予め定まれりとす。」
じつに簡潔である。
『ブリタニカ国際大百科事典』は,
「仏教用語。異熟とも訳す。以前に行なった行為によって,のちに報いとして受ける結果をいう。人間として生れたことを総報,男女,貧富などの差別を受ける果を別報という。またこの世で行なった行為が,この世で報いとなることを
(順) 現報,次の世に結果が現れることを (順) 生報,未来世以後に受けるものを (順) 後報という。」
『日本大百科全書(ニッポニカ)』は,
「仏教の術語。サンスクリット語のビパーカvipkaの訳語で、先に原因となる行為があり、それによって招かれた結果を報いとして得ることをいう。行為は、心に思い、口にいい、身体で行うの3種に分かれ、たとえ身体を動かさなくても行為はあった、と考えられる。この原因と結果とを結ぶものが業(ごう)(カルマンkarman)で、ときに業がその行為・結果・報いのみをさし、また責任などの全体を含む場合もある。仏教では一般に、善因には善果が、あるいは心の満足という楽果が、また悪因には悪果が、あるいは後ろめたい心という苦果が伴う、としている。果報を二分して、すべてに共通な総報と、個々に差別のある別報とをたてる説もある。なお俗には、運のよいことを果報、それを受けた者を果報者とよび、逆に、不幸なことを因果(いんが)、不幸な者を因果者と称することが行われている。」
と,それぞれ記す。『大言海』に尽きる。仏教者は,たとえば,
http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=53
で,
「仏教で言う『因縁』と深いつながりがあります。あらゆるものが成り立つには、必ずそうあらしめる要因があり、これを因縁と言います。因とは、ものが成立する直接的原因、縁とは、それを育てるさまざまな条件のことです。例えば、花が咲くには、種がなければなりません。それが花の因です。しかし、種があっただけでは、花は咲きません。土や水、光や気候、その他さまざま、花を咲かせるのにふさわしい条件が整った時に咲くのです。因と縁が実ると、それに合った結果が出ます。その結果のことを果報と言います。」
とある。やはり『大言海』の簡単明快で,要点を外さない説明には負ける。
以上のような説明で,結局,「果報」は,幸運,因果が,不運,を指すといううふうに転じたというのがわかる。してみると,
果報は寝て待て,
という諺は,『ことわざ辞典』の,
「幸運は自然とやってくるのを気長に待つべきだ,焦らないで,待てばいつかは必ずやってくる,ということ」
という意味であるはずはない。『広辞苑』の,
「幸運は人力ではどうすることもできないから,焦らないで静かに時機のくるのを待て」
という意味でもない。『大言海』の
「予め定まれりとす」
という意味が重い。『故事ことわざ辞典』
http://kotowaza-allguide.com/ka/kahouwanetemate.html
のいう,
「『果報』とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。
『寝て待て』といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということ。」
という意味も少し違う。自分の努力だけではどうにもならない,因縁に寄るのだから,じたばたしても仕方がない,つまり,は「寝て待つ」しかない,という含意ではないか。
上へ
「月(つき)」は,『古語辞典』に,
「古形ツクの転」
とある。語源は,三説ある。
説1は,「毎月,光が尽きる」の尽きが語源,
説2は,「日につぐ明るさ」の次ぎが語源,
説3は,「トキ(時)」と同じ語源。満ち欠けが月という「単位時間」を表すツキ,
である。しかし,「とき(時)」の語源は,三説あり,
説1は,「月の音韻変化」説。月の満ち欠けによって,時の動きを示すという説,
説2は,「解ける・溶けるのトキ」語源説。溶けていく過程に時間の移り行きを示すという説,
説3は,「疾き」説。早く過ぎ去るを示すトキ(疾き)で,時間の進行を示すという説,
「とき」の説1が,「つき」の説3と同じ説ということになる。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/tu/tsuki.html
は,
「太陽に次いで光り輝くことから「つぎ・つく(次)』の意味とする説や、月に一度輝きが 尽きるところから『つき(尽き)」とする説がある。
月は信仰の対象で、特に満月が信仰 されていたことから、『尽き』の説は考え難い。
語源は未詳であるが、古くから太陽と対をなすものとされており、夜に光輝き、生活面にも影響があったことから、『つぎ・つく(次)』の説が有力である。』
としている。
http://www12.plala.or.jp/m-light/Derivation.htm
も,「月の語源」を,
「『つき』の語源については、明るさが太陽の次ぎだから『次(つぎ)』の意味とする説や、月は一ヶ月に一度欠けて無くなってしまう事から、光が『尽きる』と言う意味の語源説があります。ウサギが餅をついているという語源説もあります。『ゲツ』の方は月が満ち欠けする『闕(ケツ)』(欠けるの意味)から来ています。」
『大言海』も,
「次の義。光彩,日に亞(つ)ぐの意」
と,「次ぎ」説を取る。「ゲツ」については,
「年月の月に云ふ,下に,熟語としてのみ用ゐる」
と述べるにとどまるが,『語源辞典』に,
ゲツの音は,満ち欠けの「「闕(欠)」からとしていが,『漢和辞典』では,
「げつ」
の訓みは,我が国のみというのも傍証になる。漢音で,「ガツ(グワツ),呉音で「ゴチ」なので,訛ったものだろう。
「月」の字は,象形文字で,
「三日月を描いたもので,まるく抉ったように中が欠けていく月」
という。
では,「ひ(日)」はというと,『語源辞典』には,「ヒ」を突き詰めると,
「ピカピカのピ。古代音ピィが,フィ,ヒと変化した語」
とある。さらに,
「ヒナタは,『日・太陽+ナ(の)+タ(方角)』で,太陽の当たる側です。転じて,日の出から日没までの間を意味します。」
ともある。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/hi_day.html
には,
「元々『太陽』を指し、太陽が昇り沈むことから『一日』も表すようになった言葉である。『太陽』は燃え盛っているもので、『名義抄』には『日、陽、火 ヒ』とあるので、『火』もしくは『火』と同源と考えることができる。しかし上代特殊仮名遣いで、『日』の『ひ』は『甲類』、『火』の『ひ』は『乙類』であることから、『火』の『ひ』は別語で語源は未詳である。漢字の日は、太陽を描いたもので、『にち』と読むのは呉音、『じつ』と読むのは漢音である。」
とある。『古語辞典』にも,「ひ(火)」の項に,
「古形はホ。ヒ(日)とは別語。」
とある。「日」の字は,象形文字,
「太陽の姿を描いたもの」
というが,別に,
「○+黒点(、)」
とするものもある。「陽」の字は,
「昜(ヨウ)は,太陽が輝いて高く上がるさまを示す会意文字。陽は『阜(おか)+音符昜』で,明るい,はっきりしたの意を含む」
とある。だから,
日の当たる丘,
とか
山の南側,
の意がある。漢字の「月」と「日」の成り立ちについては,
http://japanknowledge.com/articles/kanji/column_jitsu_01.html
に詳しい。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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サンピン,
というのは,僕の記憶では,下層の侍を罵る言葉だと思ったが,
ドサンピン,
の意味を問われて,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146800406
で,
「『サンピン』とは『格下』の者として罵倒する言葉です。それに『ド』をつけて『ドサンピン』(この場合の『ド』は、『ドアホ』『ドデカイ』『ドギツイ』の『ド』です)」
と答えているので,いまも罵倒する言葉として使われているらしい。「さんぴん(サンピン)」は,
三一,
と当て,
「双六などで,二個のサイに,三の目と一の目が出ること」
を意味する。そこから,
「三一侍 (さんぴんざむらい) 」の略,
として言われるようになった。。「三一侍 (さんぴんざむらい) 」は,
「三一奴 (さんぴんやっこ) 」,
とも呼ばれたらしい。謂れは,
「1年間の扶持が3両1分であったところから」
江戸時代,身分の低い武士を卑しんでいった語であるらしい。三田村鳶魚は,
「三両一人扶持と申したのは享保くらいの話で、文政期には四両になっている。従って、文政には四ヒンのわけなのですが、昔からの言い慣わしで、サンピンといっておりました。これより安い士(さむらい)はないので、こういう言葉が出来たのです。
槍一筋の家、ということもよく申しますが、槍一本は百石の士になる。馬一匹というと三百石、乗替えの一匹も曳くというと五百石、ということになる。」
という言い方をしている。これでも,サンピンの身分がよくわからない。『大言海』は,
「江戸時代の鄙語に,江戸の武家に,渡り奉公する若黨侍を,さんぴんざむらひなど呼びき,一箇年の給料,金三両一分なりしなり。又,三両侍。京都の公家衆に,三石ざむらひなど云ひしもの,同趣なり。」
と,詳しく書いて,最下層の侍の実態がわかる。「さんぴん奴」とも言われた理由もわかる。『大言海』は,たとえば,
「塵塚談(文化)上,下女下男給金の事『宝暦年間マデハ,若黨,金三両也。主人の髪月代ニテモ致ス者ハ,三両一分モ遣シタリ。故ニ,皆人,三両侍ト云ヒ,又見苦シキ侍ヲ見テハ,三ぴんノ様ダト云へり。』」
「俚諺集覧,三ぴん『若黨ノ,最陋ナル者ヲ云フ。或云,堂上方ノ軽キ侍奉公スル者ヲ,三ぴんトモ,三石さんトモ云ふ』」
と引く。
では,「さんぴん」の「ぴん」は,「一」を指すが,どこから来たのか。『広辞苑』は,
「pinta ポルトガル 点の意」
と注記する。
カルタの采(さい)の目などの1の数,
と
はじめ,第一,最上のもの,
という意味である(『広辞苑』)。
ピンからキリまで,
の「ぴん」である。「ぴん」の使われ方については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3
に詳しく,
「俗語で数字の1のこと。ポルトガル語のpinta(=点)に由来。豊富な品揃えのことを意味する「ピンからキリまで」の語源。
ピン - サイコロの1の目をさす、博徒の隠語。派生語: ピンゾロ(1のゾロ目)。
上記から転じて、トランプのA(エース)。2枚揃うと、サイコロ同様ピンゾロ、3枚揃うとピンのアラシなどと言う。
看板のピン - 古典落語の演目。
ピン - 賭け麻雀のレートの呼び名のひとつ。1000点を100円に換算する。点ピンとも。
ピン芸人 - コンビなどのグループを組まず常に1人で活動するお笑い芸人。
ピンハネ」
等々。「ピンからキリまで」の「ピン」に異論はなさそうだが,「キリ」が一筋縄ではいかない。手元の『語源辞典』は,
「語源は,『ピン(ポルトガル語pinta1の意)から,キリ(ポルトガル語cruz10の意)です。後,花札の終り『桐』の語源俗解が起こります。最高から最下等までの意です。」
とある。『大言海』も,
「ポルトガル語なるべし」
とするが,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/pinkiri.html
は,
「ピンキリの『ピン』は『点』を意味するポルトガル語『pintaピンタ』に由来し,カルタやサイコロの目の『一』を意味するようになり,転じて『初め』『最上』の意となった。『キリ』は『十字架』を意味するポルトガル語『cruz(クルス)』が転じた語で,『十』を意味するようになり,『終り』『最低』の意味になったとする説と,『限り』を意味する『切り』を語源とする説がある。天正年間に流行した天正カルタでは,各グループの終りの十二枚目を『キリ』と称していることから,『十字架(クルス)』の『十』が語源とは考え難いため,『限り』を意味する『切り』が有力とされている。」
とする。『江戸語大辞典』は,「きり(切り)」の項で,
浄瑠璃用語。終りの段落,
歌舞伎用語。大切り,
終り,
めくりカルタ用語。十二の札(四枚)の称,
切見世の略,
遊里用語。女郎にいう,時間制の意(「ひと切,百文」)。芸者にいう,線香一本の断ち切る時間,
将棋用語,成金の利方,
等々と,幅広い使われ方になっていることがわかる。
各グループの終りの十二枚目を「キリ」
と呼んでいたということは,「キリ」は,
切り,
から来ていると見るのが妥当なのではあるまいか。「切る」の語源は,
「キ(切断・分断)+ル」
で,切り離し分ける,刀や刃物で断ち切る,意である。『古語辞典』は,
「物に切れ目のすじをつけてはなればなれにさせる意。転じて,一線を画して区切りをつける意。類義語たち(断)は,細長いもの,長く続くことを中途でぷっつりと切る意。」
とする。
行ったっきり,
とか,
これっきり,
と助詞で使う,「きり」ともつながり,やはり,「キリ」は,
「切り」
のようである。
参考文献;
三田村鳶魚『武家の生活』 [Kindle版]
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「ど」は,接頭語の「ど」である。「罵り,卑しめる意を表す」(『広辞苑』),
ど阿呆,
といった使い方をする。そのほかに,
どぎつい,
とか
ど真ん中,
といったように,「その程度が強いことを表す」(『広辞苑』)使い方がある。
どん,
は,「ど」を更に強めて,ののしる場合だと,
どん百姓,
などと言い,それを強める場合だと,
どんじり,
どん底,
という言い方をする。「ど」について,『日本語の語源』では,
「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。ドマンナカ(甚真ん中)・ドテッペン(甚天辺)・ドコンジョウ(甚根性)・ドショウボネ(甚性骨)・ドギモ(甚肝)。ドエライ(甚偉い)・ドデカイ(甚大きい)・ドギツイ(甚強い)・ドツク(甚突く)など。
とくに嘲罵の気持ちを強調するときによく用いられたので,卑しめののしる接頭語になった。名詞に冠せられてドアホ(甚阿呆)・ドギツネ(甚狐)・ドコジキ(甚乞食)・ドシャベリ(甚喋り)・ドタヌキ(甚狸)・ドタフク(甚お多福)・ドタマ(甚頭)・ドチクショウ(甚畜生)・ドテンバ(甚お転婆)・ドヌスット(甚盗人)・ドブキヨウ(甚不器用)…。
形容詞に冠せられてドアツカマシイ(甚厚かましい)・ドイヤシイ(甚卑しい)・ドシブトイ(甚しぶとい)・ドシツコイ(甚執こい)・ドハラグロイ(甚腹黒い)・ドスコイ(甚狡い)・ドギタナイ(甚汚い)。
強調のあまり長母韻を添加することもある。ドーアホウ(甚阿呆)…。」
とある。「イト」の転化である。しかも,「どん」は,ただ「n」を付け加えたものではなく,
「イトモ(甚も)の転トモはドンに転音して強調・嘲罵の接頭語になった。ドンゾコ(甚も底)・ドンボーズ(甚も坊主)…ドンガラ(甚も軀)・ドンケツ(甚も尻)・ドンジリ(甚も尻)…ドンヅマリ(甚も詰まり)。」
と,「イトモ(甚も)」の転化ということになり,謂れが若干違うらしい。因みに,「イト(甚)」は,
「イチ(甚)に転音した。イトモカクルサマ(甚も駆くる様)はイチモクサン(一目散)・イッサン(一散)に転音した。」
とあり,さらに,
「イトシルシ(甚著し)はイチヂルシ(著し)になった。イトハヤシ(甚早し)はイチハヤシ(逸早し)に転音し,さらに『敏速に振る舞う』という意で,イチハヤブル(甚速振る)といったのが,チハヤブル(千早振る)に転音して『神』の枕詞になった。」
とある。「イト(甚)」は,イトシルシ(著し)である。
ついでながら,ののしる意味で,
くそだわけ,
と言ったり,強調する意味で,
くそ度胸,
くそ真面目,
へたくそ,
と言ったりする「くそ」も,似た使い方だが,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%9E
に,
「糞はまた、さまざまな慣用句に用いられる。例えば、現代日本語では、強い憤りやののしり、自分を鼓舞するときに、『くそ』、『くそっ』、『くそう』等と言うことがある。また接頭語・接尾語的に『くそ』を付け、侮蔑や、程度のはなはだしいことを否定的に表現する意図で用いることがある(くそ坊主・くそガキ・くそまじめ・下手くそ、など)。同様の例は、欧米諸語にも見られ、Shit!(英語)、Scheiße!(ドイツ語)、Merde!(フランス語)、!Mierda!(スペイン語)、Merda!(イタリア語)といったののしりや侮蔑の意を持って「糞」に相当する語を用いる慣用表現が存在している。英語のShit!は下品とされるので、Shoot!
やSheesh!など、発音が似た語をかわりに用いることがある。スペイン語でも、女性などはmierda(糞)という単語を直接口にするのを嫌い、最初のほうの発音が同じ単語であるmiércoles(水曜日)をその代わりにいうことがある。」
とある。「くそ(屎・糞)」は,『語源辞典』は,二説の語源説がある,という。
説1は,クサルモノ,クサイモノと同源で,クソとなったとする説。臭い水(石油)をクソウズというのが傍証,
説2は,「ク(含クグモル)+ソ(退く)」で,体内をクグモって排泄するもの,という説,
で,『古語辞典』は,
「臭しと同根」
とし,『大言海』も,
「腐(クサ 臭(クサ))の轉か。ささやく,そそやく。かりさま,かりそめ」
と,「腐」と「臭」を「クサ」と訓ませて,説1の変種を語源としている。『日本語の語源』は,
「形容詞・クサシ(臭し)はいやなにおいがするさまをいう。樟脳や樟脳油を作る樟(くすのき)は臭いにおいがするのでクサキ(臭き)木と呼んだ…。
ちなみに,クサキフン(臭き糞)の語幹のクサはクソ(屎)になった。」
さらに,
「クサキ(臭き)物は,省略形でクサがクソになった。」
とあるので,正確には,「臭い」ではなく,「臭いもの」の省略形ということになる。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「あげぼの」は,
曙,
と当てる。
「夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのと明け始めるころ。朝ぼらけ」
とあり,「あさぼらけ」と同義とある。「あさぼらけ」は,
「朝がほんのりと明けてくる頃,あげぼの,しののめ」
とある。「しののめ」は,
東雲,
と当て,
「一説に,『め』は原始的住居の明り取りの役目を果たしていた網代様(あじろよう)の粗い編み目のことで,篠竹を材料として作られた『め』が『篠の目』と呼ばれた。これが明り取りそのものの意となり,転じて夜明けの薄明かり,さらに夜明けそのものの意になったとする」
と注記して,
東の空がわずかに明るくなる頃。明け方,あかつき。あけぼの。」
の意で,転じて,
「明け方に,東の空にたなびく雲」
の意とある(『広辞苑』)。「あかつき」は,古代の夜の時間を,
ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,
の「あかつき」で(因みに,ヒルは,アサ→ヒル→ユウ,となる),
暁,
と当てる。
「現在では,やや明るくなってからを指すが,古くは,暗いうち,夜が明けようとするとき」
とある(以上『広辞苑』)。おそらく,「夜明け」という時間幅の中で,夜が明ける前の時間帯を,細かくわけていたらしいのである。ほかにも,
あさまだき,
という言い方がある。これは,「あさまだき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/442024908.html)で触れたが,語源的には,
「朝+マダキ(まだその時期が来ないうちに)」
で,未明の意だが,『大言海』は,
「マダキは,急ぐの意の,マダク(噪急)の連用形」
とあり,「またぐ」を見ると,
「俟ち撃つ,待ち取る,などの待ち受くる意の,待つ,の延か」
とあり,
「期(とき)をまちわびて急ぐ」
意とあるので,夜明けはまだか,まだか,と待ちわびている,
朝のまだ来ない,
という意になる。これが未明の時間帯の総称として,「暁」と「あけぼの」については,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1145636881
「『曙』は明るんできたとき。『暁』は、古くは、まだ暗いうちから明け方にかけてのことで、『曙』より時間の幅が広い」
とあり,「あかつき」は,
アケヌトキ(未明時)→アケトキ→アカトキ・アカツキ,
と転じたようだから(『日本語の語源』),
ヨナカ→アカツキ→アシタ,
の間を広く言うとすると,その時間幅を,細かく分ける,
あけぼの,
あさぼらけ,
しののめ,
はどういう順序なのだろうか。
『デジタル大辞泉』の,「あけぼの」の項に,
「ほのぼのと夜が明けはじめるころ。『朝ぼらけ』より時間的に少し前をさす。」
とあり,「あさぼらけ」の項に,
「夜のほのぼのと明けるころ。夜明け方。『あけぼの』より少し明るくなったころをいうか。」
とある。『古語辞典』に,「あけぼの」に,
「ボノはホノカのホノと同根」
とある。「仄か」とは,
「光・色・音・様子などが,薄っすらとわずかに現れるさま。その背後に大きな,厚い,濃い確かなものの存在が感じられる場合にいう。」
のだという。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/akebono.html
も,
「あけ(明)」と「ほの(ぼの)」の語構成。
「ほのぼのあけ(仄々明け)」とも言うように、「ほの」は「ほのぼの」「ほのか」などと同源で、夜が明け始め、東の空がほのかに明るんでくる状態が「あけぼの」である。
古くは、暁の終わり頃や、朝ぼらけの少し前の時間をいった。漢字の『曙』は、『日+音符署(しょ)』であるが、この『署』には『文書を集めておく役所』という意味はなく、『曙』は日光が明るくなることを表した会意文字である」
としている。『語源辞典』も,「あけぼの」については,
「明ケに,ほのぼの,ほのかのホノを加えた語」
とある。どうやら,
あけぼの→あさぼらけ,
ということになるのだが,『日本語の語源』は,
「アサノホノアケ(朝仄明け)は,ノア(n[o]a)の縮約でアサホナケになり,『ナ』が子音交替(nr)をとげてアサボラケ(朝朗け)になった。『朝,ほのぼのと明るくなったころ…』の意である。」
とするので,「朝ぼらけ」「あけぼの」はほとんど近接しているのかもしれない。
「しののめ」は,『語源辞典』は,
「シノ(篠竹)+目」
で,「篠竹の目の間から白み始める」意となる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/si/shinonome.html
も,
「漢字で『東雲』と書くのは、東の空の意味からの当て字。 語源は『篠の目(しののめ)』で
あろう。古代の住居では、明り取りの役目をしていた粗い網目の部分を『め(目)』といい、篠竹が材料として使われていたため『篠の目』と呼ばれた。この『篠の目』が『
明り取り』そのものも意味するようになり、転じて『夜明けの薄明かり』や『夜明け』も『しののめ』というようになった。」
とする。しかし,これは人が夜が明けるのに気づくのを言っているのであって,その時刻が,「あけぼの」なのか「あさぼらけ」なのか,の区別はつかない。
『日本語の語源』は,「しののめ」について,
「イヌ(寝ぬ。下二)は,『寝る』の古語である。その名詞形を用いて,寝ている目をイネノメ(寝ねの目)といったのが,イナノメに転音し,寝た眼は朝になると開くことから『明く』にかかる枕詞になった。『イナノメのとばとしての明け行きにけり船出せむ妹』(万葉)。
名詞化したイナノメは歌ことばとしての音調を整えるため,子音[∫]を添加してシナノメになり,母音交替(ao)をとげて,シノノメに変化した。(中略)ちなみに,イネノメ・イナノメ・シノノメの転化には,[e]
[a] [o]の母音交替が認められる。」
と,「篠竹」説を斥けている。こうみると,「目を開けた」時を指しているとすると,
しののめ→あけぼの→あさぼらけ,
なのか,
あけぼの→あさぼらけ→しののめ,
なのかの区別は難しいが,一応,いずれにしても,人が気付いた後の夜明け時の順序なのだから,
しののめ→あけぼの→あさぼらけ,
を,暫定的な順序としてみるが。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「一目散」は,
「(多く「一目散に」の形で副詞的に用いる)わき目もふらずに走るさま。一散 (いっさん) 。」(『デジタル大辞泉』)
という意味だが,この語源がはっきりしない。『大言海』は,
「脇目もふらず,一途に目指して参る意と思はる。イッサンは,中略ならむ(いかさまもの,いかもの。湯女(ゆをんな),ゆな)。散の字を記すは,義をなさず。」
としている。手元の『語源辞典』は,
「『一目(脇見をしないで)+サン(参る)』です。ひたすら急ぐ,意です。古く一目参と書きました。散は,逸散・一散と混同したか,あるいは,イチニッサンと語呂合わせかと思われます。」
とし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/ichimokusan.html
は,
「『一目瞭然』など、ただひと目見ることを表す『一目』と、漢語「逸散(いっさん)」が合わさった語であろう。
日本では『逸散』を『一散』とも書き、『一目散』と同じ意味で用いられる。わき見をしない意味の『一目不散』からとも考えられるが、『一目不散』の使用例が
少ないため、そこから新たな語が生じるとは考えにくい。
近世、天候を司るとされた『一目連』という神の名からという説もあるが、『連』から『散』への変化などあいまいな点が多い。」
も,同様で,「散の字を記すは,義をなさず」という『大言海』の言い分は,この限りで正しい。しかし,である。「ど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%A9、http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%A9)
で触れた折,「ど」の謂れについて,『日本語の語源』は,
「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。ドマンナカ(甚真ん中)・ドテッペン(甚天辺)・ドコンジョウ(甚根性)・ドショウボネ(甚性骨)・ドギモ(甚肝)。ドエライ(甚偉い)・ドデカイ(甚大きい)・ドギツイ(甚強い)・ドツク(甚突く)など。
とくに嘲罵の気持ちを強調するときによく用いられたので,卑しめののしる接頭語になった。名詞に冠せられてドアホ(甚阿呆)・ドギツネ(甚狐)・ドコジキ(甚乞食)・ドシャベリ(甚喋り)・ドタヌキ(甚狸)・ドタフク(甚お多福)・ドタマ(甚頭)・ドチクショウ(甚畜生)・ドテンバ(甚お転婆)・ドヌスット(甚盗人)・ドブキヨウ(甚不器用)…。
形容詞に冠せられてドアツカマシイ(甚厚かましい)・ドイヤシイ(甚卑しい)・ドシブトイ(甚しぶとい)・ドシツコイ(甚執こい)・ドハラグロイ(甚腹黒い)・ドスコイ(甚狡い)・ドギタナイ(甚汚い)。
強調のあまり長母韻を添加することもある。ドーアホウ(甚阿呆)…。
イトモ(甚も)の転トモはドンに転音して強調・嘲罵の接頭語になった。ドンゾコ(甚も底)・ドンボーズ(甚も坊主)…ドンガラ(甚も軀)・ドンケツ(甚も尻)・ドンジリ(甚も尻)…ドンヅマリ(甚も詰まり)。
とあり,さらに,「イト(甚)」は,
「イチ(甚)に転音した。イトモカクルサマ(甚も駆くる様)はイチモクサン(一目散)・イッサン(一散)に転音した。」
としていた。とすると,『大言海』説も,『語源辞典』説も,『語源由来辞典』説も,牽強付会にすぎないということになる。
イトモカクルサマ(甚も駆くる様)
なら,一目散,は当て字に過ぎず,その漢字を云々すること自体に意味をなさない。
ところで,
一目散,
の
一目
は,
ひとめ,
とも
いちもく
とも,読む。『大言海』は,「いちもく」を三項に分けて載せる。
いちもく(一目)(二つあるべきものなれば,一目(かため)なり)片目,
いちもく(一目)(目に見わたす)一目(ひとめ)に見ること。一覧。一見。
いちもく(一目)(目(もく)は碁盤の上の目)碁盤の石。一子。
と。で,「ひとめ」については,
一度見ること,ちらりとみること,
目全体,目いっぱい,
統計の表,
とある。「眼」の字は使わず,「目」を使う。単に訓み方が違うだけかもしれないが,『類語例解辞典』によると,
一目(ひとめ)
一見(いっけん)
一目(いちもく)
一瞥(いちべつ)
という類語の使い分けを,
【1】「一目(ひとめ)」は、最も一般的に、話し言葉の中で使われる。「一見」は、やや改まった言い方。「一目(いちもく)」は、硬い言い方で、慣用的な使い方以外では会話に使われることはあまりない。「一瞥」は、ちらっと目をやることの硬い言い方で、相手を軽蔑(けいべつ)、無視する場合にいうことが多い。
【2】「一見」は、「一見かしこそうに見える」「一見学者風の男」のように、副詞的に、ちょっと見たところではの意味でも使われる。
【3】「一目(ひとめ)」「一目(いちもく)」は、「町全体を一目(ひとめ)で見渡せる丘」「一目(いちもく)のうちに町を見渡す」のように、全体を一度で見渡すこともいう。
【4】「一目(いちもく)」は、「一目(いちもく)置く」の形で、自分より優れているものに対して一歩譲る意味でも使う。
と整理してくれている。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「万引き」は窃盗罪にあたり,
10年以下の懲役又は50万円以下の罰金,
に処する犯罪であるにもかかわらず,「万引き」という言葉の響きで,何でもないことのような印象を与える。
万引きは,
「買い物をするふりをして,店頭の商品をかすめとること。またそのひと。」(『広辞苑』)
で,上方語で,
万買い(まんがい),
ともいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%8D
には,
「江戸時代から使われている語であり、語源の由来としては、
1.商品を間引いて盗む『間引き』が変化して、万引き(万は当て字)になったとする説
2.『間』に『運』の意味もあるためそれぞれを結合し、運を狙って引き抜くという意味で『まんびき』になったとする説
3.タイミング(間)を見計らって盗むことから、
といった説があるが、1の説が有力」
であると,「間引き」説をとっている。
手元の『語源辞典』には,
「語源は『マン(一時的な運・マン)+引き』です。マンよく引き抜く(盗む)ことをいいます。間+引き説は疑問です。」
と,「運」説をとる。『大言海』は,
「間引きの音便」
と,「間引き」説をとる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ma/manbiki.html
も,
「万引きは商品を間引いて盗むことから、『間引き』が語源で撥音『ん』が入ったという。 万引きの『万』は当て字。
『間』に『運』の意味もあるため、『間』と『運』が結合され、運を 狙って引き抜くという意味で『まんびき』になったとする説や、万引きはタイミングを
見計らい盗むことから、タイミングの『間』からとったという説もある。江戸時代から使われている語なので、どの説も正しく思えるが、商品を間引いて盗む『間引き』の説が有力とされている。」
と,間引き説を取る。『江戸語大辞典』は,
「上方語『万買い』と同源なるべし」
とするのだから,「万引き」の語源は,「万買い」をも説明するものでなくてはならない。しかし,『日本語の語源』は,
「人の見ぬマニヒク(間に引く)は,マンビキ(万引き)になった。また,万引きで商品を入手することをマンガイ(万買い)といった。」
としている。
manihiku→(iの脱落)→manhiku→manhiku→manbiki
といった変化であろうか。『大言海』もこの説を取る,音韻変化には,意味があるし,これなら,
万買い,
も説明がつく。「に(ni)」の「i」脱落について,『日本語の語源』は,
「イカン(如何)・ナンゾ(何ぞ)・ナンデフ(なにといふ)・ナニシニ(何為に)省略され,(中略)ナニセンタメニ(何為む為に)はナニセムニ・ナニシニ(何為に)に省略されて,(中略)ユタニ(寛に)は『ゆったりとしたさま。のどかなさま』をいう副詞である。〈かくばかり恋むものぞと知らませばその夜はユタニあらましものを〉(万葉)。この語がユダンに転音して,客が帰るとき『ごゆっくりなさい』という挨拶の言葉になっている。」
と,音韻変化(iの脱落)の例を示している。
どうやら,「運」説はこじつけであり,『大言海』が,今回も,見識を示したと言えるのではないか。
それにしても,堂々たる盗みを,
万引き,
等々と言い換えて,それが軽いかのように言う風潮はどういうものか。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%87%E5%BC%95%E3%81%8D
によれば,
「万引きによる店側の被害は大きい。
製品原価からすると、1つの損失を補填するためには同じ商品を複数個売り上げなければならないし、それにかかる余計な手間やコストは売る側が泣くしか無い。
(例として、大手スーパーだと「100円の商品」を失った被害は「3000円の売り上げ」でようやく取り戻せるものらしい。)」
万引きが「運を引く」などと,ふざけた牽強付会説を流布する輩がいるから,度胸試しやいたずらで万引きを誘引させる。「間を引く」とは,まさに掠め取るという行為を十分説明している。江戸時代だろうと,まっとうな商人が,まっとうな商売をしている商品を「運試し」で掠め取られるのを,洒落などと言っていたはずはないのである。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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唐変木は,
とうへんぼく,
と訓ませるが,
気がきかない人物,偏屈な人物などをののしり嘲る語。わからずや,まぬけ,
という意味の幅(『広辞苑』)に戸惑う。
気がきかない,
と
偏屈,
は違う。まして,
わからずや,
は,
まぬけ,
と同義ではない。そう使われているのかどうかは知らないが,余りにも編纂者の見識がなさすぎる。手元の『語源辞典』では,
「唐から来たような風変わりな木」
が語源という。
気がきかない人の意,
とある。どうも眉唾に見える。意味と解釈に齟齬がありすぎる。『江戸語大辞典』をみると,「唐変木」は,
田舎者,野暮,まぬけ,気のきかない人,偏屈な人,
と意味が並ぶ。「田舎者」というのが,意味の始まりなのではないか。『大言海』は,
唐偏僕,
と当てて,
道理のわからぬものを罵り呼ぶ語,
とあり,用例には,
愚鈍人,
に,「とうへんぼく」と訓ませている。どうやら,「唐変木」は当て字らしい。
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/20to/touhenboku.htm
には,
「唐変木とは偏屈な人や一風変わった人、気の利かない人のことで、そういった人を嘲う言葉である。こういった人を唐変木と呼ぶ理由として『遣唐使が持ち帰った変な木から』『唐(外国)の変わった木偶人形から』など、これ以外にもいくつかの語源説があるが詳しいことはわかっていない。こうした意味で古く江戸時代(語源によってはそれ以前という説も?)から使われている唐変木だが、昭和後期辺りから使われることが少なくなっており、現代では一部中高年が使う程度になっている。」
とあり,どうも,当て字からの後解釈以上の,謂れは見えないようだ。
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/4822/meaning/m0u/
では,分からず屋と唐変木を比較して,
【1】「分からず屋」は、物事の事情や道理をいくら説明してもわからない人、また理解しようともしない人をいう。
【2】「唐変木」は、物事の道理のわからない人や、また、気の利かない人などをののしっていう語。
と対比しているが,意味が似ているように見えて,たとえば,
「父があんなに分からず屋だとは知らなかった」
というのを,
「父があんな唐変木だとは知らなかった」
と言い換えると,微妙に意味の乖離がある。「分からず屋」というとき,
気がきかない
という含意はない。逆に,「唐変木」というとき,
「何を馬鹿(ばか)なことをいっているんだ、この唐変木め」
を,
「何を馬鹿(ばか)なことをいっているんだ、この分からず屋め」
と言い換えても,そんなに違いを感じない。勝手な解釈だが,
どちらも常の常識的な論理が通じない,
という点では一致するが,「分からず屋」は,
おのれの理屈を通して譲らない,
という理の部分なのに対して,「唐変木」は,
「情理」
の「情」の部分が通じない,というニュアンスなのではあるまいか。だから,
気配り,
とか,
思いやり,
とか,
相手の心情を汲む,
ということに疎い。その意味で,
朴念仁,
と重なるところがある。「朴念仁」は,
道理のわからない者,
という意味もあるが,
人情や道理の分からない人。また無口で愛想のない人,
という意味があり,
「人の気持ちの分からない朴念仁」
という使い方になる。これは,
「人の気持ちの分からない唐変木」
なら,まだ許容範囲だが,
「人の気持ちの分からない分からず屋」
というと,人でなしの方に近づいていく。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ho/bokunenjin.html
では,「朴念仁」を,
「朴念仁は和製漢語であろう。『朴』は『素朴』『朴訥』など飾り気がないさま。『念』は思うことや考えること。『仁』は人を表している。本来は,飾り気がなく素朴な考えの人を表す言葉であったが,飾り気のなさから転じて,無愛想な人や分からず屋を指すようになったと思われる。」
としている。手元の『語源辞典』も,
「朴(かざらぬ)+念(心)+仁(人)」
として,
飾らぬ,無口で,無愛想な人,道理,人情の通じない人,
という意味とするが,
http://dic.pixiv.net/a/%E6%9C%B4%E5%BF%B5%E4%BB%81
が,
「無口で無愛想な人や頑固で物分かりの悪い人のこと。 転じて、恋愛事に関して疎いにもほどがある人物やキャラクターがこう呼ばれることが多い。
傍から見れば『リア充爆発しろ』な状況にいるのに全然理解していないなど、ハーレム的状況に置かれたラノベの主人公によく見られる気質。
また、個別エンドのあるギャルゲーやエロゲーがアニメ化された場合、主人公に決断力があったり恋愛事の機微に聡かったりすると早々に誰かとくっついて話が終わってしまうため、主人公が朴念仁化されてしまうことも多い。」
と解くのが,僕の語感に近い。「分からず屋」は,情理の,
「理」
についてだが,「朴念仁」も「唐変木」も,情理の
「情」
に疎いを指す。考えれば,情に疎いとは,鈍感であり,その鈍さが,間抜けに通じなくもない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房
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「おぼろ」は,
朧,
とあてるが,朧月の「おぼろ」の意味,
はっきりしないさま,
ほのかなさま,
薄く曇るさま,
の意の他に,いわゆる料理の「おぼろ」,つまり,
エビ・タイ・ヒラメなどの肉をすりつぶし味をつけて炒った食品。でんぶ,
の意味もある。その他に,
おぼろ昆布,
おぼろ染め,
おぼろ月,
おほろ豆腐,
等々,「おぼろ」のつくものは一杯ある。『古語辞典』には,
「オボはオボホレ(溺)・オボメキのオボと同根。ロは,状態を示す接尾語」
とあり,「ぼんやりしたさま」という意味を載せる。『古語辞典』は,
おぼほし,
は,したがって,
溺ほし(オボホレの他動詞形),
と当てる,
溺れるようにする,
の意の「おぼほし」と,
ぼんやりしているさま,
の意の,「おぼほし」があり,後者については,
「オボは,オボロ(朧)・オボメキ・オボロケのオボと同根。ぼんやりしているさま。奈良時代にはおほほしの形であったかもしれないが,オホ(大)とはアクセントの異なる別語」
とあり,前者の自動詞は,「おぼほ(溺)れ」で,
「オホ(朧)ホレ(惚)の意。古くは,オホホレと清音か。ぼんやりとして気を失った状態になる意」
としている。つまり,どちらも,「ぼんやりしたさま」を含意しているということになる。
料理でいう「おぼろ」,つまり「でんぶ」は,
田麩,
と当て,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%BA%A9
には,
「魚肉または畜肉加工品のひとつ。佃煮の一種。日本では魚肉を使うことが多く、江戸前寿司の店ではおぼろと称するほか、一部では力煮(ちからに)ともいう。中国や台湾では豚肉を使うことが多いが、鶏肉、牛肉を使うものもある。」
とあり,日本の「田麩」については,
「日本の田麩は魚肉を使うことが多い。三枚におろした魚をゆで、骨や皮を取り除いた後、圧搾して水気をしぼってから焙炉にかけてもみくだき、擂り鉢で軽くすりほぐす。その後、鍋に移して、酒・みりん・砂糖・塩で調味し煎りあげる。鯛などの白身魚を使用したものに食紅を加えて薄紅色に色付けすることもある。薄紅色のものは、その色から『桜でんぶ』と呼ばれる。(中略)伝説によれば、京のあたりの貞婦が、病気で食の進まない夫のために、産土神の諭しにしたがって、土佐節を粉にして、酒と醤油とで味をととのえ供したところ、夫の食欲は進んで病気もなおった。そして自分でも試み、人にもわけたのが初めであるという。もしこれが事実となんらかの関係があるとすれば、おそらく田麩のおこりはカツオであろうという。北海道の一部の地域などでは、単に
そぼろ と呼ぶ場合がある。」
とあるが,なぜ「おぼろ」と呼ぶかはわからない。ただ,「そぼろ」について,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%BC%E3%82%8D
「そぼろは、豚や鶏の挽肉、魚肉やエビをゆでてほぐしたもの、溶き卵などを、そのままあるいは調味して、汁気がなくなりぱらぱらになるまで炒った食品。」
とある。「おぼろ」の含意から,牽強付会すれば,
原形をわからなくする,
という意味なのかもしれない。『大言海』の「おぼろ」についての,
おほほろほろの約,
という,「おほほろほろ」は見当たらないが,おぼろに,という意味の,
おぼおぼし,
おぼほし,
という言い方がある。いずれも,「おぼろ(朧)」の「おぼ」である。
なお,「おぼろ昆布」については,とろろ昆布と比較して,
http://tominosuke.shop-pro.jp/?mode=f2
http://www.konbumura.co.jp/hpgen/HPB/entries/11.html
に,
「とろろ昆布の見た目がふわふわだとすると、おぼろ昆布はひらひらな見た目です。透けるほど薄いそれはまさに『おぼろ』。職人が一枚一枚手で削っています。」
とあり,透けるというところから,おぼろにが含意として見えるし,「おぼろ豆腐」は,
http://www.kubosannotofu.co.jp/type.html
http://www.kubosannotofu.co.jp/oboro.html
に詳しいが,
「豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを加え、櫂(かい)と呼ばれる木の板で撹拌(にがりを打った以降の一連の作業を“寄せ”と呼び、職人の技の見せ所です)し、豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして『寄せ』がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ豆腐となります。」
とあり,『和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典』には,
@豆乳ににがりを加え、固まりきる前にすくい上げた、やわらかい豆腐。「くみ豆腐」「くみ出し豆腐」ともいう。
A丸くかたどった豆腐を湯通しし、くずあんをかけた料理。下の丸い豆腐が、くずあんを通しておぼろ月のように見えることからこの名がある。
とあり,料理のほうから来たのではないか,と推測される。その場合も,「朧に」の意味である。
朧饅頭
朧染
も,ぼかしや,透けるが「朧ろ」につながるようだ。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「おぼつかない」は,
覚束無い,
と当てる。意味は幅広く,
「物事がはっきりしない状態,またはそれに対する不安・不満の感情をあらわす語」
として,『広辞苑』は,意味を,
(景色が)はっきりしない,ぼんやりしている,
意味がはっきりしない,不明確だ,
(状況がはっきりしなくて)気がかりだ,不安だ,
うまく運ぶかどうか疑わしい,
もっと詳しく知りたい,
疎遠である,音信不通である,
真偽のほどがいぶかしい,不審だ,
と載せ,かなり広範囲に使われる。そのほかに,
待ち遠しい,もどかしい(『デジタル大辞泉』)
心細い,ものさびしい(『大辞林』)
といった意味すらある。どうやら,見えるものがぼんやりしているという状態表現から,それをメタファに,はっきりしないものに意味を広げ,不審という価値表現にまで拡大しげていった,という意味の外延が広がっていく流れは,想像がつく。
語源は,手元の『語源辞典』は,
「どうなるかわからない,自信が持てない,意のオボツカナイは,ナイを無いととるか,甚ととるか,二説に分かれます。説1は,『オボシ(覚し)+付く+無い』説です。ナイは,打消しではないという説が流行していますが,広辞苑に覚束無い,万葉集にも,鬱束無,於保束無など,すべて無の字が使われています。思い付くことがない,から,はっきりしない,ぼんやりしている,うたがわしい,意になった言葉と考えます。説2は,大言海の『オボ(おぼろ)+ツカ(接尾語)+ナシ(甚だし)』です。この説にしたがえば,おぼろにかすんでいること甚だしい意です。」
と説く。『大言海』に当たると,
「オボは,朧朧(おぼおぼ)しのオボなり。ツカは,あはつか,ふつつかなどのツカにて,形容の接尾語。ナシは,甚(な)しの義。おぼおぼしさ,甚(はなはだ)しの意」
とある。「つか」を引くと,
「ふつつか,あはつか,おぼつかなどのツカなり」
として,
ものをおぼめかして云ふ語,
とある。「おぼめく」という自動詞と,「おぼめかす」という他動詞があり,「おぼめかす」は,
ほのめかす,
意とする。「なし」は,
甚,
とあてて,
「痛しの略なる,甚(た)しに通ず」
として,
「他語に接して,接尾語の如く用ゐる語」
で,用例として,
「怖(お)ぢナキことする船人にもあるかな」(『竹取物語』)
「ウシロメタナキ心使はんこと,いとほしけれど」(『宇治拾遺』)
を挙げ,
苛(いら)なし,荒けなし,思つかなし,はしたなし,
と例示する。「なし」については,『古語辞典』も,
「状態を語についてク活用の形容詞をつくり,程度の甚だしい意を表す」
接尾語として挙げ,
「実に…である,甚だ…である」
という意味で,同じく,
「いらなし」「うつなし」「おぎろなし」
のよう例を挙げる。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/obotsukanai.html
は,
「おぼつかないの『おぼ』は、『おぼろげ(朧げ)』の『おぼ』と同じ語幹で『はっきりしないさま』を示す。『つか』は、「
ふつつか(不束)」の「つか」などと同じ接尾語。「ない」は、形容詞をつくる接尾語。漢
は当て字で『覚束無い』と表記されるが、『おぼ』のみで『はっきりしないさま』を表しており、『ない』は『無い』と別の語。動詞『おぼつく』と助詞『ない』からなる語ではなく、一語の形容詞『おぼつかない』なので、『おぼつかぬ』『おぼつきません』『おぼつくまい』などというのは間違い。なお、『おぼつく』という動詞はない。『おぼつかない』は、物事がはっきりしないさまの意味から、それに対して『気がかりだ』『待ち遠しい』といった、不満や不安などの感情も表すようになった。」
と,上記『語源辞典』の説1の「オボシ(覚し)+付く+無い」を否定し,
「オホ(朧)+つか+ない(接尾語)」
とするので,『大言海』説に近い。『古語辞典』では,
「オボはオボロ(朧)のオボと同根。対象がぼんやりしていて,はっきり知覚できない状態。またそういう状態に対して抱く不安・不満の感情。」
としか触れていない。「無し」が当て字だとすれば,接尾語「なし」と考えれば,『大言海』の説が最も信頼できる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「はぐくむ」は,
育む,
とあて,
「『羽包(くく)む』の意」
と注記し,
親鳥がその羽で雛をおおいつつむ,
養い育てる,
なでいつくしむ,
意と,『広辞苑』にはあるが,総じて,他の辞書は,「くくむ」を,「包む」ではなく「含む」をとる。
「『羽(は)含(くく)む』の意」(『大辞林』)
「『羽 (は) 含 (くく) む』の意」(『デジタル大辞泉』)
「ハ(羽)ククミ(含)の意」(『古語辞典』)
「羽含(はふく)むの意か」(『大言海』)
等々。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E8%82%B2%E3%82%80
も,
「語源は『は(羽)』+『くくむ(含む)』で、親鳥がひなを羽で包んで育てるの意であったのが、人間の場合にも用いられるようになり、また、何か物を大切にする意にも用いられるようになったもの。」
とする。確かに,「くくむ」を引くと,『広辞苑』は,
含む,
銜む,
とあて,
口に含む,
つつむ,くるむ
という意味が載る。『古語辞典』は,「くくみ」を,
「フクミの古形か。対象をまるこど本体の一部に取り入れる意。類義語ツツミは物全体を別のものですっぽりおおう意」
とする。しかし,『大言海』は,「くくむ」を,
裹,
包,
とあてる「くくむ」と,
銜,
含,
とあてる「くくむ」と,
哺,
とあてる「くくむ」と,三項別に立てている。
「裹(包)(くく)む」は,
くるむ,つつむ,
という意で,「括(くく)る」と同義で,「括(くく)る」には,
「轉轉(くるくる)を約めて活用せさせたる語か(きらきら,きらら。きりきり,きりり)。括(くく)す,裹(くく)むと云ふも同じかるべし」
とある。
「銜(含)(くく)む」は,
「裹(くく)むと通ず」
とあり,
口の中に持つ,含む,
とある。
「哺(くく)む」
は,
銜(くく)ましむ,口に含めて食わす,
とある。哺育の「哺」であり,「含哺」の「哺」である。つまり「くくむ」には,
包む,
意と,
含む,
意と,
口に含んだ餌を与える,
意とを含んでいるらしいのである。だから,
羽で包む,
意と,
餌を含む,
意と,
その餌を口移しに与える,
意と,
を含み,「はぐくむ」の意味のすべてを含意している。だから,「含む」「包む」のいずれをとっても,「くくむ」の意味の外延に過ぎない。つまり区別は,漢字を輸入して後に付けた,といういつもの例である。その意味では,「育む」も当て字に過ぎない。
手元の『語源辞典』は,
「ハ(羽)+ククム(包む・くるむ)」
とし,『日本語の語源』は,
「親鳥が羽の下に雛を入れて育てることをハククム(羽含む)といったのがハグクム(育む)になった。ククム(含む)は,フクム(含む)を経て,フフム(含む)になり,花がつぼんでいてまだ開かないことをいう。」
とする。「くくむ」の意味の多様性をそのまま反映しているということになる。文脈依存の言語だから,いま・ここで当事者には,「くくむ」が,「含む」なのか,「包む」なのか,「哺む」なのかの区別がついていたということだろう。
因みに,『広辞苑』には,「はぐくむ」の項の次に,
はぐくもる(羽裹もる,育ねる),
という項があり,
「羽に包まれている,養い育てられている」
という意味になる。『広辞苑』と『大言海』は「はぐくもめ」を自動詞とするが,『古語辞典』は,「はぐくみ」の受動形として,
はぐくもり,
を載せる。このほうがしっくりくる気がする。「はぐく」まれている側が,
羽に包まれている,
と感じているとすると,これが原意なのかもしれない。
さて,多様な含意の「くくむ」を,差別化するために使われた,漢字を一応当たってみると,「育」の字は,会意文字で,
「『頭を下にした正常な姿でやすらかに生まれた子+肉』で,生まれた子が肥だちよく,肉がついて太ることをあらわす」
「そだち」と訓ませ,そういう意味をもたせるのは,我が国だけのようである。
「包」の字は,象形文字で,
「からだのできかけた胎児を,子宮膜の中に包んで身ごもるさまを描いたもの。胞(子宮で包んだ胎児)の原字。」
「裹」の字は,
「『衣+音符果(まるい実)』で,まるく,外から布で包む意。」
「裹(か)」は「裏(り)」とは別字であり,「裹蒸(カジョウ ちまき)」「薬裹(ヤクカ)」といった使い方をする。
「含」の字は,
「今は『かぶせるかたち+一印(隠される物)』の会意文字で,中に入れて隠す意を含む。含は『口+音符今』で,口中に入れて隠すこと」
「銜」の字は,
「行+音符金(土の中にふくまれた砂金,ふくむ)」
で,馬の口にくわえさせて手綱をつける金具,「くつわ」「はみ」を意味する。そのため,ふくむ,食む,という意味を持つ。
「哺」の字は,
「『口+音符甫』で,口中にぱくりととらえて,ほおや唇でおさえること。」
親鳥が口中に含んだ餌を子に与える,という意味になる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「つまようじ」は,
爪楊枝,
と当てるが,
小楊枝,
とも言う。語源は,
「楊枝は,柳の枝を使った歯の垢をとるものです。ツマは,爪のかわりで,爪楊枝という説と,端の意のツマで,爪楊枝だとする説と,二説あります。」
とする。「つま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%A4%E3%81%BE)
で触れたように,
「端(ツマ),ツマ(妻・夫)と同じ」
で,「端」は,
「物の本体の脇の方,はしの意。ツマ(妻・夫),ツマ(褄),ツマ(爪)と同じ」
で,その意は,「つま(妻・夫)」を見ると解(げ)せる。
「結婚にあたって,本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意」
つまりは,「妻」も,「端」につながり,「つま(褄)」も,
「着物のツマ(端)の意」
「つま(端)」につながる,とする説と,もう一方,「つま(端)」は,
「詰間(つめま)の略。間は家なり,家の詰の意」
で,「間」とは,
「家の柱と柱との中間(アヒダ)」
の意味がある。さらに,「つま(妻・夫)」も,
「連身(つれみ)の略転,物二つ相並ぶに云ふ」
とあり,さらに,「つま(褄)」も,
「二つ相対するものに云ふ。」
とし,「つま(妻・夫)」の語意に同じ」とする説がある。つまり,「つま」には,
はし(端)説,
と
あいだ説,
があるのである。その意味で,「つまようし」の「つま」を,「爪」としていいかどうかは疑問である。
妻楊枝,
と当てているものもあるが,これも「つま」の由来から考えると,間違いではない。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/tu/tsumayouji.html
は,
「『楊枝』は、元は歯の垢を取り除き、清潔にするために
用いられた仏家の具で『総楊枝・房楊枝(ふさようじ)』と呼ばれた。『楊枝』の名は主に『揚柳』が素材としてもちいられたためで、総楊枝は先を叩いて『ふさ』のようにしたためである。爪楊枝の『爪』は、『爪先の代わりに使うもの』の意味。『爪先』、着物の『褄』、動詞の『つまむ』と同源で『物の先端』が原義である。爪楊枝を『黒楊枝』と呼ぶのは、黒文字の木で作られた楊枝を指して言ったことから。日本には、奈良時代に仏教が伝わった際に楊枝も伝来したといわれるほど、仏教と楊枝の関係は深く、お釈迦様も木の枝で歯を磨くことを弟子達に教えたという。鎮痛解熱薬として用いられる『アスピリン』という物質がヤナギ科の植物に含まれていることから、噛むことは虫歯の痛み止めに効くといわれるが、現在は樺の木が使用されているため、その効果はないと思われる。また、楊枝の先端の反対側にある溝は、製造過程で焦げて黒くなってしまうことから、こけしに似せてごまかすために入れられたものである。」
と,「端」説を取る。しかし,『語源辞典』をみると,
「説1は,『ツマ(物の一端)』が語源で,端,縁,軒端,の意です。説2は,『ツレ(連)+マ(身)』で,後世のツレアイです。お互いの配偶者を呼びます。男女いずれにも使います。上代には,夫も妻も,ツマと言っています。」
とあり,
はし,
と
関係(間),
の二説ととると,つまようじの「つま」には,「端」の意味に,(歯の)「間」という意味が陰翳のように付きまとっているという気がしてならない。
因みに,楊枝は,『日本大百科全書(ニッポニカ)』に,
「歯を掃除する用具。現在では歯間用の妻(つま)(爪)楊枝をさす場合がほとんどであるが、本来は歯ブラシのように使用する種類も含む。語源は、中国において楊柳(ようりゅう)でつくられたことからきている。この漢語が現物とともに日本に渡来し、そのまま「ようじ」と音読され普及したようである。このことは、平安時代中期の分類体辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にすでに楊枝の名称がみえるが、その和名は掲げられていないことからもわかる。10世紀なかばに藤原師輔(もろすけ)が記した『九条殿遺誡(くじょうどのいかい)』には、子孫に与える訓戒として、毎朝楊枝を使えといっているので、少なくとも貴族社会には普及していた。大きさについて室町時代中期の辞書『嚢鈔(あいのうしょう)』は、「三寸(約9センチメートル)ヲ最小トシ、一尺二寸(約36センチメートル)ヲ最大トス」と記し、現在の妻楊枝よりもかなり長いものであった。
江戸時代には庶民の間に普及し、歯みがき用に先端を打ち砕いた総(ふさ)楊枝や、妻楊枝の原型である小(こ)楊枝など、さまざまな種類がつくられた。材料はクロモジの木がおもに使われ、京都では粟田口(あわたぐち)、江戸では浅草が製造・販売所としてとくに名が高かった。現在では歯ブラシの普及で姿を消し、わずかに妻楊枝のみが使われている。」
とあり,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315616653
には,
「お釈迦さんの時代からインドではニームという木の枝を使って歯を清潔にすることを教えていた。しかし、中国にはこの木はなく楊柳(ようりゅう)を用いたので「ようじ」を楊(やなぎ)の枝、すなわち楊枝と書いたものが日本に伝わる。」
とある。
爪楊枝の歴史については,
http://www.cleardent.co.jp/siryou/index2.html
爪楊枝については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%AA%E6%A5%8A%E6%9E%9D
に詳しい。黒文字については,
http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kuegep/kuromoji.html
が詳しい。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)上へ
「ぽつねん」は,
ぽつねんと座っている,
というように使う。
ひとりだけで寂しそうにしているさま,
という意味である。『語源辞典』には載らないので,
擬音語・擬態語,
と思われる。勝手な想像だが,
「ぽつん」+「然」
ではあるまいか。億説だが,
Potun nenn→potunen
と転訛したのではあるまいか。「然」の字は,
漢音ゼン,
呉音ネン,
なので。
「ぽつん」は,『広辞苑』には,
水滴が一粒落ちて当たる音,またそのさま,
物の表面に小さく丸い突起や穴が一つできるさま,
とあり,その類比から,
他と孤立して存在するさま,
という意味が載る。実は,『広辞苑』には載らないが,「ぽつん」は,他の辞書(『大辞林』『デジタル大辞泉』)には,
ぽつりに同じ,
とあり,「ぽつり」を見ると(『大辞林』),
(多く「と」を伴って)
@雨やしずくが落ちるさま。 「 −としずくが落ちて来た」
A点や小さな穴のできるさま。 「 −と穴があく」
B一つだけ離れてあるさま。 「 −と一人座っている」
C言葉少なに話すさま。また、一言だけ物を言うさま。 「 −と一言つぶやいた」
と意味が載る。『擬音語・擬態語辞典』には,「ぽつり」は,
雨粒などの水滴が一滴落下してぶつかる音,またその様子,
他から孤立して,一人あるいは一つだけ存在する様子,
とあり,「ぽつん」は,
水滴が一滴落ちて何かにぶつかる音,またその様子,
他から離れて一つだけある様子,
とある。正確には,「ぽつり」と「ぽつん」は,
ぽつんと落ちる,
と,
ぽつりと落ちる,
では,微妙に違うのではないか。だから,「ぽつん」の用例と「ぽつり」の用例に差がある。その微妙な違いを表現するために,さまざまに文脈ごとに擬音語を編み出したのだから,その差異にはこだわるべきで,その意味では,『広辞苑』に見識を見る。
「ぽつん」と似た言い方に,
つくねん,
がある。「つくねん」は,
何もせずにぼんやりしているさま,ひとりさびしそうにしているさま(『広辞苑』),
何事もせず物思いにふけっているさま,一人さびしくぼんやりしているさま(『古語辞典』),
という意味であるが,「孤立」よりは,「ぼんやりしている様子」「物思いにふけっている」に焦点が当たっている。『大言海』は,
「つくづくと念じ居る意」
と注記する。『語源辞典』には,
「『ツク(何もしないでじっとする)』に,『然』を加えて漢語らしくした語。」
とある。「つく」は,辞書には見当たらないが,擬態語なのであろうか。
「つくづく」を見ると,
念を入れて,みたりかんがえたりするさま,つらつら,よくよく,
物思いに沈むさま,物さびしくつくねんと,
深く感ずるさま,
という意味が載る(『広辞苑』)。『古語辞典』には,
「尽く尽くの意。力尽き果ててが原義」
とある。で,
力尽きた気持であるさま,気力を失ったさま,
という意味が最初に来る。
『大言海』は,
「就くを重ねたる語」
「物を打ち守る意に云ふ語」
とする。で,
善く善く念を入れて見守る,つらつら,
という意味を載せる。「つく」は,「就く」,つまり,
ある場所にひっつく,
という意か,「尽く」,つまり,
消耗し果てる,
意か,いずれにしても,
ひとところに,居つく,
という状態表現(だから,『語源辞典』のいう「ツク(何もしないでじっとする)」という擬態語なのではあるまいか)を,重ねることで,
つらつら,
とか,
ものさびしい,
という価値表現が加味されてきた,その「つく」の状態が,
つくねん,
ということになる。その意味で,「ぽつん」という状態表現が,
ぽつねん,
で,「さびしさ」という価値表現が加味した謂れと似ていなくもない。
参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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六方は,
六法,
とも当てるが,例えば,『広辞苑』だと,
四方,東西南北と天地,
という意味が最初に来る。しかし,『大言海』は,
「萬治,寛文の頃,江戸にありし男伊達の黨の穪。鶺鴒組,吉屋組,鐡砲組,唐犬組,笊籬(ざる)組,大小の神祇組,などありて,これを六法男伊達と云ひ,町々を徘徊せり。これ等のものを六法者とも云へり。」
を最初に載せる。『古語辞典』も,男伊達と同じとする。『江戸語大辞典』も,
六方男伊達の略,
とし,『俚言集攬』の,
「六法は,無法者といふ事也。奴と云に同じ。」
とある。男伊達については,「彌造」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E5%BD%8C%E9%80%A0)
で触れたが,三田村鳶魚は,「浮気」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%B5%AE%E6%B0%97)
で書いたように,「六方」というのは,奴風(やっこふう)のことを指し,
「武家の奉公人で,身分の軽いものですが,これをすることを軽快であるとし,おもしろいとして,それを学んだものが旗本奴」
とある。この意味が最初に来なくては,歌舞伎の「六方」につながらない。『大言海』は,上記の意味に続けて,
「歌舞伎にて,演者の,舞臺より花道にかかり,揚幕に入る時に,手を振り,高く足踏みして躍り行く一種の所作。六法男伊達の風采より起こる。」
と意味が載る。さらに,『佐渡島日記』を引き,六方の謂れをこう記す。
「六方といふ風俗は,むかし信州歴々の武門より出でたる人,技藝を好みて,つゐに浪人し,上京しける,其頃,名古や山左衛門といへる武士の浪人もの,出雲國巫女,於國と夫婦に成,今日北野にて,芝居興行仕けるに寄,彼山左衛門とひとつに成,江戸さんちゃ通ひの風俗をして見せけるにより,起こりけるとなん,江戸にては丹前と云ひ,大阪にては出端と云ひ云々」
これを信ずれば,まず阿国歌舞伎からはじまり,真似た六法者を借りたということになる。もともと男伊達の,「おとこ」は,
士,
を当てるので,侍の伊達風儀を,奴が真似た,ということだ。さらに,後世,旗本が真似たというマンガチックな循環でもある。
しかし,『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,
「歌舞伎(かぶき)演出用語。六法とも書く。手足と体を十分に振り、誇張的な動作で歩く演技。勇武と寛闊(かんかつ)な気分を表すもので、荒事(あらごと)演出では重要な技法の一つになっている。語源については諸説あるが、発生的には古来の芸能の歩く芸の伝統を引くもので、祭祀(さいし)に『六方の儀』と称する鎮(しず)めの儀式があったことから、両手を天地と東西南北(前後左右)の六方に動かすことの意にとるのが妥当のようだ。ほかに、江戸初期の侠客(きょうかく)グループ六方組から出たというのは俗説だが、当時の『かぶき者』たちが丹前風呂(たんぜんぶろ)へ通うときの動作を模したものは、丹前六方とよばれ、現在でも『鞘当(さやあて)』などにみられる。荒事系の技法では、手足の極端な動きによって強さを強調しながら花道を引っ込む「飛(とび)六方」が代表的なもので、『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』の和藤内(わとうない)、『車引(くるまびき)』の梅王丸、『勧進(かんじん)帳』の弁慶などが有名。その変形として片手六方、狐(きつね)六方、泳ぎ六方などがある。人形浄瑠璃(じょうるり)や民俗芸能にも「六方」と称する足の動きの技法が伝えられている。」
元来は,
祭祀(さいし)に「六方の儀」と称する鎮(しず)めの儀式があった,
のに由来しているとし,
両手を天地と東西南北(前後左右)の六方に動かすことの意にとる,
とする。その意味で,
天地と東西南北,
は意味があるように見える。が,『百科事典マイペディア』は,
「歌舞伎演技の一技法。六法とも書く。手足と体を十分に振り,誇張した動作で歩くこと。古来の民俗芸能の歩き芸や足芸を洗練させたものといわれるが,語源は未詳。《勧進帳》の弁慶など荒事の役が花道の引込みで勇武のさまを見せる飛(とび)六方をはじめ,種類は多い。」
と,必ずしもその説を取らない。所作に民俗芸能が入っていることは,阿国歌舞伎が,
巫女,
の出自と言われるように,宗教性が元々あったのだから,六方にそれが入っていることは不思議ではない。むしろ,『大言海』の言う説が正しければ,歌舞伎発祥時から,「六方」が由来しているので,
「江戸さんちゃ通ひの風俗をして見せける」
を発祥とするほうが,「六方」出自としては理に適っているように思う。ちなみに,
さんちゃ,
とは,
「吉原で。格子より下位,梅茶より上位の女郎。大夫・格子と異なり,揚屋入りをせず,その家の二階で客をとる。揚代一分。」
と『江戸語大辞典』に載る。歌舞伎の「六方」は,
「近世初期の侠客,六方者や伊達者などの風俗を取入れたものといわれる。両手を振りながら歩くもので,初め出端 (では) の演技であったが,享保期 (1716〜36)
から引込みの演技となった。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)
とある。その六方の種類については,
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1302
に詳しい。
参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%96%B9
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乃公は,
だいこう,
あるいは(呉音訓みで),
ないこう,
と訓む。昨今は,あまり使われない。『広辞苑』には,
「汝の君主の意」
として,
わが輩,おれさま,
といった意味で,男性が,
自分自身を尊大にいう言葉,
らしい。つまり,相手に対して,
「乃(=汝、お前)」の「公(=主君)」
と位置関係を設定して,上から目線で言う言葉らしい。
乃公出でずんば蒼生を如何せん,
といった使い方をする。
「このおれさまが出ないで,他の誰ができるものか」
という意味である。相当に背負った言い方である。「蒼生」は人民の意なので,
「この自分が出馬して行動しなければ、世の人民はどうなるであろうか。世に出ようとする者の気負いを表す言葉」
であるらしい(『大辞林』)。『大言海』は,「だいこう」の項に,乃公の他に,
逎公,
而公,
も当てている。そして,
「漢の高宗の自称に基づく。逎,而は,乃に同じ。」
とある。そして,『史記』の「留侯世家」の注に,
「乃公,高祖自称也」
とあることを引用している。
つまり,逎も而も,「汝」という意味ということになる。「汝」は,『広辞苑』には,
「ナムチの転」
とあり,
同等以下の相手を指す語,
つまり,お前,そち,という意味になる。「なむち(汝)」は,
「ナ(吾)にムチ(貴)のついた語」
とある。『語源辞典』には,
「『な(汝)+ムチ(貴)』の音韻変化です。なんぢ,が古語の仮名遣いです。本来は尊称の対称です。」
とあり,『大言海』には,
「元は,ナの一音ナリ。ムチは,貴の義なりと云ふ。キムヂなど云フモ,キは君なり」
とある。そして,尊族(めうえ)に対していた,
なれ,いまし,みまし,おんみ,きみ,あなた,
という意味が,卑族(めした)に対する,
わぬし,おまへ,そなた,そち,
という意味に転じたとする。『古語辞典』は,「なむぢ(汝)」の項で,
「ナは古い一人称代名詞。ムヂは奈良時代には清音のムチで,スメムツカムロキなどのムツとと同根。貴く,むつましく思う対称。したがって,ナムチは,我が貴くむつましい人の意が原義。後に,相手を対等に,または低く見て使う語。ナムヂは漢文訓読系で用いる語で,平安女流文学系では男子が用いる。」
とある。こうした二人称の尊称から,対等,目下への使い方の変化については,「二人称」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E7%A7%B0)
で触れた。
念のため,「乃公」の「乃」の字に当たると,指事文字で,
「耳たぶのようにぐにゃりと曲がったさまを示す。朶(ダ だらりとたれる),仍(ジョウ 仍やわらかくてなずむ)の音符となる。また,さっぱりと割り切れない気持ちをあらわす。接続詞に転用され,逎とも書く。」
とある。
http://xn--i6q76ommckzzzfez63ccihj7o.com/honbun/zoukan-4735.html
によると,
「弓の弦をはずした形と思われる。弦を張らずに、そのままおくことをいう。」
とあり,
乃父(だいふ)
という言い方があり,
父が子に対して自分のことをいう語,
他人の父。また、一般に父,
という意味になる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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瓔珞は,もともとは,
「インドの貴族男女が珠玉や貴金属に糸を通してつくった装身具。頭・首・胸にかける」
ものであったが,それが,
「仏像の装飾ともなった」
とあり(『広辞苑』),
瑤珞,
とも当てる。それが,
「仏像の天蓋,また建築物の破風などにつける垂飾」
へと,意味の適用が広がったもののようだ。仏壇・仏具の検索サイト,
http://www.e-butsudan.com/02_youraku.html
では,
「サンスクリット語で『真珠の首飾り』という意味の『ムクターハーラ』を語源とする瓔珞は、仏像、寺院、お仏壇を飾る荘厳具です。瓔珞の漢字は『瓔』=『珠のような石・首飾り』を、『珞』=「まとう」という意味が込められており、金色の美しい装飾には宝石が編みこまれたものもあります。基本的には一対、もしくはそれ以上の数を用いてお仏壇の内部をきらびやかに装飾します。蓮の花をモチーフに表現したものが多いのですが、密教系の仏像には髑髏や蛇を象った瓔珞もいくつか見つかっています。」
と説明している。さらに,仏像の装飾について,
「菩薩像を見てみると、首や胸部の周囲に美しい瓔珞を身に着けていることがわかります。菩薩は悟りを開く前の王族であった釈迦の姿を表現していることから、王族のみが許された装身具をつけた像で描かれています。それに対して王位を捨て、幾多の修行の後に悟りを開いて如来となった釈迦は一切の装身具を持たず、『衲衣』と呼ばれる一枚の衣をまとった裸に近い姿であらわされています。」
と書く。衲衣(のうえ)とは,
「仏教の出家修行者が着用する衣服のこと。人々の捨てた布を拾って,洗い,縫合せたりして着用したのでこのようにいい,また糞掃衣 (ふんぞうえ)
などとも称する。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)
で,
人が捨てたぼろを縫って作った袈裟,
である。
「これを着ることを十二頭陀(ずだ)行の一つとしたが、中国に至って華美となり、日本では綾・錦・金襴などを用いた七条袈裟をいう。衲袈裟(のうげさ)。」(『デジタル大辞泉』)
と本末転倒となっている。
『大言海』は。「やうらく(瓔珞)」の項で,
「西域記,二『首冠華鬘 身佩籠絡』頭にあるを瓔と云ひ,身に在る珞と云ふと」
と引用している。
「仏具の一種で、纓珞、纓絡とも書く。梵語(ぼんご)ムクタハーラmukthra、ハーラhra、ケユーラkeyraの訳。古代インドの貴族の装身具として用いられ、とくに首や胸を中心に、真珠・玉(ぎょく)・金属などを紐(ひも)に通したり、つないだりして飾った。仏教では仏像、とくに菩薩(ぼさつ)像などを荘厳(しょうごん)する飾り具として用い、また浄土では木の上からこれが垂れ下がっているといわれているため、日本の寺院では宝華形をつないで垂下させたものを寺堂内陣の装飾に用い、これも瓔珞という。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
という説明で尽きるだろう。いわば,インドの上流層の風習が仏具に反映しているということになる。
漢字の「瓔」の字は,
「玉+音符嬰(エイ)(貝を並べた首飾り)」
でなり,玉をつらねてつくった首飾りの意味になる。「珞」の字は,
「玉+音符絡(つなぐ)の略体」
であり,つないだ玉,という意味になる。だから,瓔珞で,
玉をつないだ首飾り,
となる。
瓔珞については,
http://tobifudo.jp/newmon/butugu/yoraku.html
に詳しい。そこには,
「お経には、咽瓔珞、手瓔珞、臂瓔珞、脚瓔珞と詳細に名前が挙げられています。臂(ひ)は二の腕のことです。ネックレスからアンクレットまで、身に着ける装飾品はすべて瓔珞の範ちゅうとなります。」
「インドでは上流階級の人々は、男女ともに宝石などをちりばめた装飾品を身に着けました。時代によっては、男性のほうが女性よりも積極的に身に着けていました。宝飾品を身に着けることは、力の証でもあったのです。」
とある。宗派によって違うのだろうが,真宗大谷派の我が家の小さな仏壇にもキラキラとして瓔珞がぶらさがっている。背景を考えると不思議な気がしてくる。
参考文献;
http://tobifudo.jp/newmon/butugu/yoraku.html
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%94%E7%8F%9E上へ
「つれ」は,
連れ,
と当てる。
道連れ,
とか
仲間,伴侶,
という意味になるが,そのほかに,
(ツレと書いて)能における助演的な役と独立の役とあるが,いずれもシテ方に属するものをシテヅレ(略してツレ),ワキ方に属するものをワキヅレと称する,
という意味になる(『広辞苑』)。これだと意味が分かりにくいが,
「能,狂言などに,舞曲の中の主となる技を行ふ役(シテ)…に伴ふものを,連(ツレ)と云ひ,(シテの)相手となるものを脇(ワキ)と云ふ」
で(『大言海』)三者関係が見える。このほか,接頭語として,
連れ三味線,
というように,一緒に物事をする意を表す意味もある(『デジタル大辞泉』)。『古語辞典』には,
「ツラ(列)・ツリ(釣)・ツル(蔓・弦)と同根。縦に一線につづく意。類義語タグヒは,同質のものが一緒にいる意。トモナヒは,主になるものと従になるものととが一緒にある意。ナミ(並)は,横に一列に並ぶ意。」
とある。この「つれ」を濁らせて,
づれ(連れ),
とすると,意味が少し変わる。多くは体言について,
二人連れ,
というように,同伴者の意味,
道連れ,
というように,
そこをいっしょに行くこと,またその人,
を表す他に,
卑しめる意を表す,〜のようにつまらないもの,〜風情,〜ども,
等々という意味になる。
役人風情,
とか
町人風情,
といった上から目線での,蔑みの意に替わる。これは,「つれ」の意味の中に,多く「その」「あの」「この」などの下に付いて,
その連れな,
というように,
種類,程度,たぐい,
の意味で使っている例があり,そのある意味では,ニュートラルに近い状態表現が,
蔑む,
価値表現にシフトした,というように見える。『古語辞典』には,「つれ」の意の,
種類,程度,たぐい,
が転じて,
「軽侮の気持ちを表す」
と記す。「つれない」となると,
連れ無し,
で,『古語辞典』は,
ふたつの物事の間に何のつながりもないさま,
とし,
(働きかけに対して)何の反応もない,無情である,
(事態に対して)無表情である,さりげない,
(期待や予想にかかわらず)事態に何の変化もない,
(うけた誠意や恩義に対して)何も感じない,情け知らずである,
と,人や事の因果に何の応ずるところがないことに対する心情へと変っていく。この場合は,「連れ」は,外にあるつながりではない。何かの働きかけに対する無反応に対する心情との「連れ」の無さを示す。だから,
つれなし顔,
つれなしづくり,
つれなしぶり,
という用例になる。「つれもなし」も,
連れも無し,
で,「連れ縁(よ)るべきなきなき意」(『大言海』)で,
何の関係もない,由縁も無い,
何の関心も持たない,
(人の切なる気持に対して)なんら応えるところがない,
(外部の出来事に)なんら動揺することがない,
ありふれたさま,
という(状態表現の)意味から,心情に転じて,
思いがけない,
情けない,
すげない,
薄情,
というこちらの受けとめの価値表現に替わっていく。『語源辞典』は,
説1は,「ツレ(関係・連れ)+ナシ」で,無関心,
説2は,「ツレ(中間・友)+ナシ」で,薄情,
と説を二つ挙げるが,状態表現から価値表現に転じたとすれば,この解釈は意味がない。さらに,『日本語の語源』は,
「(ツレナシの)レナ(r[en]a)が縮約されて,ツレナシはツラシ(辛し)になった。」
と続ける。ついには内面の感情表現にまで転じる。この「つれ」を連ねると,
づれづれ,
になる。多く,
徒然,
と当てるが,当て字に過ぎない。
連れ連れ,
の意である。『語源辞典』は,
「連れ連れ(次々と思い続ける)」
とする。『大言海』は,
「連れ連れの義にて,思い続くる意か,或はつらつら(熟)と同意か」
としている。これも,
ひとり物思い続け,眺めてあること,
という状態表現が,
ひとりことなくして,淋しきこと,
と価値表現に転じ,
がらんとしていること,
ひっそり閑散としていること,
心に満たされることがなくそのまま続くさま,
といった意味を含むようになった。
徒然,
つまり,
徒(ただ)然(しかあり),
と当てたのは,初めは,状態表現であったのではあるまいか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
上へ
「ひがむ」は,
僻む,
と当てて,
ねじける,
ひねくれる,
という意味で,
「特に物事をすなおに受け取らず,自分に不利であると歪めて考える」
とある(『広辞苑』)。実は,
僻(ひが),
のみで,接頭語として,
正当ではない,または事実にたがう意,
をあらわす。『古語辞典』には,
自分自身の片寄った能力や思い込みによって,事実を取り違えたり,誤解したりする意を表す,
とある。この場合,
僻(ひが)こころ,
僻(ひが)目,
僻(ひが)聞き,
等々と使う,その「片寄り」である。
『語源辞典』は,「ひがむ」について,
「ヒガ(僻・ゆがみ・曲り)+ム(動詞化)」
とする。『大言海』も,
「僻(ひが)を活用す。拉(ひし)げ屈むの意」
としている。動詞「僻む」には,自動詞と他動詞があり,『大言海』は,別項を立てている。自動詞だと,
ゆがむ,かたよる,ねぢく,
という意味となり,他動詞だと,
ゆがむようになす,曲ぐ,
という意味になる,という。そこで,上記の,
「ヒガ(僻・ゆがみ・曲り)+ム(動詞化)」
の「ム」が問題になる。どういう意味なのか,浅学の自分にはよく分からない。助動詞とすると,基本的に動詞について,使役,完了,存続,打消,推量,回想等々表現し別けるために使うものだから,基本接頭語「僻」につかないはずである。では,「む」は何か。常識的には,
逆恨み,
の逆(さか)は,動詞化すると,
逆ひ,
となる。
片端,
の片(かた)は,動詞化すると,
片し,
となる。
大騒ぎ,
の大(おほ)は,形容詞化の例だが,
大(おほ)し,
となる。何か動詞化の規則のようなものがあるかと考えてみたが,「僻」の動詞化「僻み(む)」との共通点は,思いつかなかった。仮に,「む」が助動詞とするなら,『古語辞典』は,助動詞「む」を,
一人称につけば「…よう」「…たい」と話し手の意思や希望を表し,二人称単数の動作につけば,相手に対する催促・命令を表し,二人称複数の動作につけば勧誘を表す。三人称の動作につけば予想・推量を表す。
という。しかし,『日本語の語源』は,
「オモフ(思ふ)の省略形のモフ(思ふ [m(of)u])を早口に発音するとき,ム(む)に縮約された。これを活用語の未然形に接続させて推量・意志の助動詞が成立した。(中略)『む』の未然形『ま』は助動詞を接続しない。その空間(あきま)性を利用して形容詞化の接尾語『し』を付けたため,『まし・べし・らし』『ましじ・まじ・じ』が成立した。また動詞『あり』を添えたため『めり』が成立した。体言化された『まく』に『欲し』をつけた『まくほし』は希望の助動詞『まほし』になった。(中略)『む』は多くの助動詞の母胎となった根源的な助動詞である。
『む』[mu]は,平安時代の中ごろから,発音運動の衰弱化の反映として,母韻[u]を落として撥音便の『ん』になった。」
と,「む」の変化を説く。仮に,「む」が,
オモフ→モフ→ム,
と変化したのなら,元来は,動詞「思ふ」なのだから,
僻+む,
には,
片寄り+思い,
という含意がよりはっきりするような気がするのだが。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「東」は,『広辞苑』には,
「ヒムカシの転,ヒンガシの約」
とある。手元の『語源辞典』には,
「日+向カ+シ(風の方向)」
とあり,つまり,
日の出る方向,
であり,
日向処,
日向風,
という意味とある。『古語辞典』も,「ひむがし」の項で,
「日向(むか)しの意。シは風の意から転じて方角を示す語。上代ではヒムカシと清音。平安時代にヒムガシ,鎌倉時代以後ヒンガシからヒガシにと音が変化した。」
とある。『大言海』も,「ひむかし」の項で,
「日向風(ヒムカシ)の義にて,風の名を本とするかと云ふ。シは風なり。あらし,つむじ,の如し。天孫人種の西より東へ遷移せし語に出づるなるべしと云ふ。琉球にて北をニシと云ふも,亦天孫民族の南進したるに因るなるべし。約めて,ヒガシと云ふ。」
とする。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/higashi.html
は,整理して,
「東は、『ひんがし』の音変化した語。『ひんがし』は『ひむかし』が転じた語で、『ひむかし』『ひむがし』『ひんがし』と音変化して、『ひがし』となった。『ひむかし』は太陽が登る方角を意味する『日向処(日向かし)』が語源とも言われるが、『し』は『あらし(嵐)』の『し』など『風』を意味する言葉で、『日向風』の意味とする説が有力である。漢字の『東』は『木+日』の会意文字で、木の間か日が出る様子を表しているといわれていたか、現在では誤りとされ、漢字『東』の正しい由来は、中心に棒を通し、両端を縛った袋を描いた象形文字となっている。」
しかし,『日本語の語源』は,
「ヒムカフルチ(日迎ふる方)は,フルを脱落して,ヒムカチ・ヒムカシ・ヒンガシ(東)・ヒガシ(東)に転音した。」
だから逆に,「西」は,
「ヒイヌルチ(日往ぬる方)は,ヌチに省略され,ヌシ・ニシ(西)に転音した。沖縄では『日入り』の省略形のイリ(西)である。」
とする。
日が向かう,
のと
日を迎える,
とで,どちらが実態に近いか,というと,
迎える,
方ではあるまいか。「シ」が「風」として,元々は,
日向風,
というのは,どうもこじつけっぽくないか。常識的に考えて,
日に向かう風,
を,方角の,
東,
に転じるというよりは,はじめから,
日の出るのを迎える,
の方が自然な気がする。漢字の「東」は,『語源由来辞典』が言う通りである。
「象形文字。中にしん棒を通し,両端を縛った袋の形を描いたもの。『木+日』の会意文字という旧説は誤り。囊(ノウ 袋)の上部と同じ。太陽が地平線をとおしてつきぬけて出る方角。『白虎通』五行篇に,『東方者動方也』とある。」
では,「西」はどうか。
『広辞苑』は,
「『し』は風の意か」
と,「ひがし」の「し」の延長で考えている。『大言海』は,
「日の往(いに)し方の義と云ひ,或は和風(にぎし)の約にて,風を元とする語か(荒風(あらし),旋風(つむじ)の類)とも云ふ。共にいかがか。」
と書く。『語源辞典』は,
「イニ(去ぬの連用形)」+シ」
の,「母音iの脱落によりニシとなった」
とする。いずれも,「シ」を風とする説だが,確かに,「し」は,「複合語になった例だけに見える」ものではある。しかし,
「しな戸の風の天の八重雲を吹き放つ如く」(「祝詞大祓詞」)
や
「ひむか(日向)しの野にかぎろいのたつ見えてかへり見すれば月傾きぬ」(柿本人麻呂)
という例が載っているが,「ひむか(日向)し」を,何も東と置き換えなくても,東向きの風で十分意が通じる。とすれば,「風」語源と考えなければ,
日を迎え,
日が往く,
というのが方角の語源として自然ではあるまいか。
因みに,「あづま」は,『広辞苑』に,
「景行記に,日本武尊が東征の帰途,碓日峯(ういひのみね)から東南を眺めて,妃弟橘姫(おとたちばなひめ)の投身を悲しみ,『あづまはや』と嘆いたという地名起源説話がある。」
という注記があるが,『語源辞典』には,
「ア(明)+ツマ(端)」
で,夜の明ける方向,または地域を指す,とする。『大言海』も,「あづま」の項で,
「アは明(あ)くの語根。明端(あけつま)の意(朝(あした)も明時(あけしとき)),夜の明くる方(かた)の意。」
とある。「あず(づ)ま」が,明ける方角を言うのなら,やはり,「ひむかし」も,風ではなく,方向を最初から示している,と考えるべきではあるまいか。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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東西については,
東の項,
で触れた。続けて,南北について考えてみたい。
南
は,『語源辞典』には,二説載る。
説1は,「ミ(水・海)+ナミ(南min)+ami」で,海の南方の意,
説2は,「水+並み」で,海上遠く,波が続く意,
である。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mi/minami.html
は,
「南は、皆の見る方の意味で『みなみ(皆見)』とするものが多く、この説は、南が『みんなみ』とも言うことからであるが、意味としては説得力に欠ける。その他、海の見える方向という意味で『みのみ(海の見)』とする説。『ひなみ(日並)』『まのひ(間の日)』『まひなか
(真日中)』など、太陽と結びつけた説。祈り願うことを意味する『なむ・のむ(祈む)』と関連付け、神に祈る方角の意味で『みなむ(神祈む)』とする説などがあるが、語源は未詳。
漢字の『南』の原字は、納屋を描いた象形文字で、草木を暖かい納屋に入れて栽培するさまを表したところから、『囲まれて暖かい』という意味を示した。転じて、『暖気を取り込む方角(南方)』の意味となった。」
とする。『大言海』は,
「日光明らかなる意と云ふ。北は暗黒(きたなし)の意ならむ。易経説卦『離也者明也。万物皆相見。南方之卦也』。北方ヲ玄武と云ふ。黒亀ノ義。冬を玄冬と云ふも,色に配すれば北は黒なり。倭名抄16塩梅類「呼黒塩,為堅塩。堅塩,木多師」。神代紀上「黒心(キタナキココロ)」とも見えたり。後撰集13恋5「人はかる心の隈はきたなくて、清き渚をいかで過ぎけん」ともあり。又、太平洋を満波(ミナミ)、日本海を波黒しと云ふ説もあり。」
とある。
http://tatage21.hatenadiary.jp/entry/2016/02/17/223010
によると,『日本語源大辞典』には,語源説は,
❶ミナミ(皆見)の義〈和句解・日本釈名・志不可起(しぶがき)・国語蟹心鈔(かいしんしょう)・類聚名物考・和訓集説・名言通・和訓栞・紫門和語類集・大言海・語理語源=寺西五郎〉。
❷ミノミの義。ミノミは海の見える方の意〈東雅〉。海ヲ見ルの転。また上ノミハ見ユルの略〈蒼梧随筆(そうごずいひつ)〉。
❸ミノミ(水之実)の義。水の中心の意〈国語の語根とその分類=大島正健〉。
❹マヒナカ(真日中)メリの反〈名語記〉。
❺マノヒ(間日)の義〈言元梯〉。
❻ヒナミ(日並)の義。ヒとミは通ず〈和語私臆鈔〉。
❼メノモの義で、メ(目)の方、モ(面)の方の意〈神代史の新研究=白鳥庫吉〉。」
等々あり,
メノモの義で、メ(目)の方、モ(面)の方の意
とする白鳥説を,更に詳しく,
「四方の名は、前後左右および日の位置で定める。三韓時代には南を aripi といった。16世紀頃には南、前を alp 、後を tui 、現代は前を ap
という。モーコ語でキタを khoito
というは『後方』の義だから、国語キタ(北)はカタ(肩)の意だが、ミナミ(南)は、モノモ(面の方)またはメノモ(目の方)の意だろう。国語や朝鮮語で方をモというは、オスチャク語で角(スミ)を
mur というに当るだろう。漢字『顔』のヴェトナム音は nham
だから、これからも、ミナミは『顔(面、目)の方』の意と知れる。もしそうでなければ『日の方』の意で、日を意味する次の語と関係あるか、と。チベット語、マニャク語
nyima 、シェルパ語 nimo 、マガル語 nam-khan、リムブ語、キランティ語、ロドン語、ヤクハ語、グルンギァ語、ロホロン語、バラリ語、ドュミ語、クハリン語
nam 、トフルンギァ語 nem 、チェパン語 nyam 、ヴァユ語 nomo 、numa 、ブフタニ語 nyim
など(主なもの以外は略した)。なお南の字を広東やヴェトナム(越南)で nam
と読むが、これがミナミのナミで、ミは方向の意(安田徳太郎氏)とか、面(ミン)の意(松村任三氏)とかともいう。台湾の高砂族は南を min-amis
という(坪井九馬三氏)。モーコ語では南、前方、胸を emüne という。」
と紹介する。南は,「モノモ(面の方)またはメノモ(目の方)の意」「日の方」とするのにこれだけ贅言を費やしている。しかし,『日本語の語源』は,
「大和あたりでサムキカタ(寒き方)といったのが,キタ(北)に省略され,環海の南方をミナウミ(皆海)といったのが,『ウ』を落としてミナミ(南)になった。」
とあっさり言い切る。しかし,北が,
寒き方,
なら,南は,同じ感覚で,
日の方,
だし,北が,
きたなし,
なら,南は,
まひなか(真日中),
でなくては,合わない。片方が海を指し,他方が,きたなし,では感覚的に合致しない気がする(『古語辞典』は「キタはキタナシ(堅塩)・キタ(北)と同根」とする)。
金思Yの説が,上記白鳥説と並んで載っているが,
「『南』の朝鮮語は『ま』(ma)である。(中略)『ま』(南)は『向かい』の語の『マゾ』(ma-co)の『マッ』(mas)と同原語である。日本語の『前』(麻幣、ma-fe)を『目(マ)の方(へ)』と解しているようであるが、『ま』は『マ』(南、向)と同原語である。朝鮮の古語の中の原始基本名詞には、かならず下に
h
を付けるので、『南』も『マヘ』(ma-h)となり、『前』(マヘ)の『ヘ』もこれである。『みなみ』は『み』(山)、『な』(所有格のノ)、『み』(前)の複合語、つまり『山の前方』の意を表わした語と思われる。『北』(キタ)は、朝鮮語『トゥイ』(tuj)(後、北)と対応する。」
この方が,統一が取れていて,説得力がある。語呂合わせのような語源説では,前へ進まない。因みに,「南」の字は,
「原字は,納屋ふうの小屋を描いた象形文字。南の中の形は,入の逆形が二線にさしこんださまで,入れこむ意を含む。それが音符となり,屮(くさのめ)とかこいのしるしを加えたのが南の字。草木を囲いで囲って,暖かい小屋の中に入れこみ,促成栽培をするさまを示し,囲まれて暖かい意,転じて取り囲む南がわを意味する。北中国の家は北に背を向け,南に面するのが原則。」
とある。「北」の字は,
「左と右の両人が,背を向けてそむいたさまを示すもので,背を向けて背く意。また背を向けて逃げる,背を向ける寒い方角(北)などの意を含む。」
とある。
参考文献;
http://tatage21.hatenadiary.jp/entry/2016/02/17/223010
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「ひねもす」は,
終日,
と当て,
朝から晩まで,
一日中,
という意味で,
ひもすがら,
とも言う。『語源辞典』には,
「日+接尾語ネ+助詞モ+ス(接尾語スガラの下略)」
とある。『大言海』は,
「晝(ヒ)の經亦盡(ヘモスガラ)にの約略と云ふ。ヒメモストモ云ふ。夜もすがらに対す。」
とある。万葉集では,
比禰毛須,
と当てている。『日本語の語源』では,
「ヨモスガラ(夜も過がら。終夜)に対してヒルモスガラ(昼も過がら。終日)といった。その省略形のヒルモス(昼も過)は,『ル』が子音交替(rn)をとげてヒヌモスになり,さらに母音交替(ue)をとげてヒネモス(終日)になった。〈ヒネモスに見ともあくべき浦にあらなくに(見あきるような海ではない)〉(万葉)。
ヒネモスはさらに『ネ』が子音交替(um)をとげてヒメモス(終日)になった。〈中門のわきに,ヒメモスにかがみゐたりつる〉(宇治拾遺)。」
としている。「ひもすがら」「よもすがら」の「すがら」については,「しな,すがり,すがら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%97%E3%81%AA%EF%BC%8C%E3%81%99%E3%81%8C%E3%82%8A%EF%BC%8C%E3%81%99%E3%81%8C%E3%82%89)
で触れたように,
途切れることなくずっと,
という時間経過を示していて,
名月や池をめぐりと夜もすがら,
で,それが空間的に転用されと,
道すがら,
になったと,考えられる。副詞と接尾語の二用があり,『古語辞典』には,副詞については,
「スギ(過)と同根」
として,
途切れることなくずっと,
という意味とし,接尾語としては,
「時間的連続が空間的にも使われるようになったもの」
として,
…の間中ずっと,
…の途中で,
という意味とする。しかし『大言海』は,「すがら」を,語源を異にする二項を,別々に立て,いずれも接尾語として,ひとつは,
「スガは,盡(すぐ)るより転ず」
とし,意味は,
盡(すぎ)るるまで,通して,
とする。いまひとつは,
「直従(すぐから)の約か」
として,
ながら,ついでに,そのままに,
の意味とする。これだと,「道すがら」は,
道の途中,
ではなく,
道筋のついでに,
の意味になる。ただ,『デジタル大辞泉』には,
[名](多く「に」を伴って副詞的に用いる)始めから終わりまでとぎれることがないこと。
「ぬばたまの夜はスガラにこの床のひしと鳴るまで嘆きつるかも」〈万・三二七〇〉
[接尾]名詞などに付く。
1 始めから終わりまで、…の間ずっと、などの意を表す。「夜もすがら」
2 何かをするその途中で、…のついでに、などの意を表す。「道すがら」
3 そのものだけで、ほかに付属しているものがないという意を表す。…のまま。「身すがら」
とあり,これは『広辞苑』と同じ解釈になる。『広辞苑』は,
「一説に,スガは『過ぐ』と同源,ラは状態を表す接尾語という」
と注記して,名詞として,
(多く『に』をともなって,副詞的に用いる)始めから終わりまで,途切れることなく通すこと,
接尾語として,
(名詞につく)始めから終わりまでの意を表す(「夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」),
ついでにの意を表す(「みちすがら遊びものども参る」),
そのままの意を表す(「親もなし叔父持たず,身すがらの太兵衛と名をとった男」),
と挙げる。どうやら,「過ぎ」が原意とすると,時間経過の,
通して,
の意味と同時に,動作の並行の意味を含み,
…しながら,
という意味があり,それは,
ついでに,
の意味にずれやすい。しかし,
身すがら,
は,『大言海』の言うように,「過ぎ」ではなく,由来の違う,
直従(すぐから)の約,
なのではないか。その意味は,だから,『大言海』が,両方載せるように,
ながら,
の意味と,
ついでに,
の意味と,
そのままに,
の意味が重なり,ダブってしまった。本来,
道すがら,
の「すがら」は,空間的なそれではなく,あくまで,
時間的な,
すぐから,
ついでに,
だったのではあるまいか。それを空間的に広げて,
そのままに,
となったのではあるまいか。あるいは,元々その区別がなかったのに,漢字「過」を当てたことで,区別を意識するようになった,ということかもしれない。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「敗北」は,『広辞苑』によると,
「古くはハイホクとも。『北』は逃げる意」
とあり,
戦いに負けて逃げること,敗走,
転じて,争いに負けること,
という意味だが,「北」の字を見ると,意味がよく分かる。「北」の字は,会意文字で,
「左と右の両人が,背を向けてそむいたさまを示すもので,背を向けてそむく意,また,背を向けて逃げる,背を向ける寒い方角(北)などの意を含む。」
とあり,
にげる,
そむく,
という意味がある。『史記』(管仲伝)に,
「三戦三北,而亡地五百里」
とあるらしい。
「三タビ戦ヒ三タビ北ゲテ,地ヲ亡フコト五百里」
と。『戦国策』(斉策)に,
「食人炊骨、士無反北之心、是孫臏・呉起之兵也」
とある。
「人を食い骨を炊ぎて、士、反北の心無し、是れ孫臏・呉起の兵なり」
と。『語源辞典』には,
「敗(やぶれる)+北(にげる)」
としか載らない。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/haiboku.html
には,
「敗北の『北』は、方角を表しているわけではない。『北』は、二人の人が背を向け合っているさまを示した漢字で、『相手に背を向ける』『背を向けて逃げる』の意味があり、『逃げる』の意味もある。そこから、戦いに負けて逃げることを『敗北』というようになり、
単に、争いに負けることも意味するようになった。」
゛,
とある。『大言海』は,
「『資治通鑑』,三,注『人好陽而惡陰,北方幽陰也,故軍敗曰北』北は奔なり」
と注記する。「奔」とは,「はしる」意味だが,
走って逃げる,
という意味である。『論語』(雍也篇)に,
「子曰く,孟之反は伐(ほこら)ず。奔(はし)って殿(でん)たり。将に門に入らんとして,その馬に策(むちう)ちて曰(い)う,敢(あえ)て後(おく)れたるには非(あら)す,馬進まざるなりと。」
とある。
「奔而殿」
「殿」とは,殿軍,つまり殿(しんが)りを務めた。それを誇らず,
「馬が走らなかっただけだ」
と言ってのけた,という逸話である。殿軍の功を,孔子が褒めた,というわけである。
さらに『大言海』は,『北史』唐永傳を引く。
「永善馭下,土人競為之用,在北地四年,與賊數十戦,未嘗敗北」
どうやら,「北」が,「逃げる」意なのは,方角の北から来ているらしい。
北面,
とは,
臣の座位,
である。南面は,
君の座位,
である。だから,「北面」は,
臣として事(つか)ふる義,
となる。「北」には,南に背く,の意が,そこにあるのだろう。
北(きた)する,
は,単に,
北の方へ行く,
という程度の状態表現だったのに,いつか,
逃げる,
と価値表現の意味に転じた,ということだろう。そこには,「北」のもつイメージが付加されているということだろう。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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ある広告で,「うっかり」と「ちゃっかり」を対比させていた。あるいは,遠い昔,ラジオドラマや映画になった,『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』の影響かもしれない。しかし,
うっかり,
と対比させるなら,
しっかり,
ではないだろうか。「うっかり」は,
「ウカリの促音化」
として,
気抜けした,ぼんやりしたさま,不注意であるさま,
とある(『広辞苑』)。室町末期の『日葡辞典』にも,
ウッカリトシタモノ,
と載っているらしい。「ウカリ」とは,
浮かり,
と当て,
心づかずぼんやりしているさま,
と載る(『広辞苑』)。『江戸語大辞典』にも,
「うかりの促呼。多く助詞『と』を伴う」
と載る。『古語辞典』も,同様である。しかし『大言海』は,
「ウカの音便。ひた,ひったり」
と載る。『古語辞典』に,「うかり」は載らないが,
うかと,
は,
ぼんやりと,ぼうっと,
の意味が載る。『語源辞典』は,
「擬態語,ウカ(浮くの未然形ウカの促音化)+り」
とする。なお,助動詞「り」は,
「完了の助動詞と一般に名づけられている。しかし,本来は,動詞の動作・作用・状態の進行・持続を明確に示すのが役目」
とされる。『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A
は,
「動詞『うく(浮く)』と同源の『うか』を基にした副詞で、心が重心を失ってぼうっとしている状態をいうのが原義。
そのため古くは、心に衝撃を受けて呆然としているさまや、美しいものに心をひかれてうっとりしているさまも表した。」
『日本語・語源辞典』
http://www.nihonjiten.com/data/253878.html
は,
「ぼんやりして注意が行き届かないさまをいう。擬態語『うかり』の促音化とする説、『ウカリ(浮)』の義とする説などがある。」
とする。どの説も,的の周りをうろうろしている感がある。では,擬態語としてどう見ているのか。
『擬音語・擬態語辞典』には,
「その事が心から離れている様子。本来すべき注意を怠って,しなければならないことを忘れたり,好ましくないことをしたりする時に用いる。(中略)『うっかり』は室町時代頃から見える語で,本来は悲しみなどで,正常な意識が働かない放心状態を表した。『妻子にも離別する思に堪えかねて,うっかりとしたる也』(『三体絶句抄』)。
江戸時代初期になると,対象に限定されることなく,広く何かに心を奪われて呆然としている様子を,さらに,単に気が抜けている状態をも表し,現代の用法に近づいた。
江戸時代,単に気が抜けている状態を表す『うっかり』は,一八世紀以降かなり流行したようで,『うっかりぽん』『うっかりひょん』(=共に注意が行き届かない様子)などという語も登場した。一方で,本来の意も生き続け,美しいものや快いものに心を奪われ呆然とする様子にも言った。「伴左衛門殿の内より葛城をみてうっかりとなる」(歌舞伎『参会名護屋』)。すなわち,『うっかり』は,江戸時代には『うっとり』とほぼ同義でも用いられたのであるが,明治以降はその語根『うか』『うかと』の違いを受けて完全に意味がわかれた。」
とある。似た言い回しに。,
うかうか,
があるが,「うかり」との違いを,『擬音語・擬態語辞典』は,
「『うっかり』は完全に心が離れてしまっている状態をさすが,『うかうか』は呆然としている状態でも,完全に心が離れていない状態をさす。」
と指摘している。「うか」は,たとえば,『大言海』は,
うかうか,
に,
浮浮,
とあてて,
うかれうかれての意か,
とある。また,
うかうかし,
にも,
浮浮し,
と当てる(『古語辞典』はどちらにも「浮」を当てていない)。その意味で,『大言海』が,
浮かれ,
とつなげたのは意味があるのかもしれない。「うかれ」について,『古語辞典』は,
「定まった居所から浮いて,流浪するのが原義」
とあり,その状態表現から,メタファとして,
心が落ち着かない,
心がうきうきする,
という意味を持つ。「うか」の転化とするなら,ここが原点なのかもしれない。だとするなら,擬態語というのは,それが起こりというよりは,結果ではあるまいか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
上へ
「うっかり」と「ちゃっかり」と対比されるが(『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』),「うっかり」に対比されるのは,「しっかり」ではないか,ということで,「うっかり」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%82%8A)については触れた。
で,「ちゃっかり」「しっかり」を,続けて考えてみたい。「ちゃっかり」は,実は,『広辞苑』には,
行動に抜け目がなく,はた目にはずうずうしく映るさま,
と載るが,『古語辞典』にも『大言海』にも載らない。『語源辞典』には,
「語源は,『チャッカリ(擬態)』です。チャッキリ,チャントなどと同源です。」
とある。確かに擬態語として,
チャッカリ,
は載るが,「ちゃっきり」「ちゃっと」は,
素早く,簡単に,
の意であり,『大言海』は,「ちゃっと」は,
て(ちょ)うどの転,
とある。「てうど」の項をみると,
丁度,
の意とある。『擬音語・擬態語辞典』の「ちゃん」を見ると,
三味線を弾く時に出る音,
さまざまな状況のもとで,,それにもっともふさわしい行動をとる様子,
まっとうで恥ずかしくない様子,
そのことの成立することが確実で疑いようのない様子,
とある意味と重なる。しかし,ここからは,「ちゃっかり」の,
抜け目のなさ,
は出てこない。ここから少し飛躍した億説になるが,「臍で茶を沸かす」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%87%8D%E3%81%A7%E8%8C%B6%E3%82%92%E6%B2%B8%E3%81%8B%E3%81%99)や,「茶々を入れる」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%8C%B6%E3%80%85%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%82%8B)
で触れたように,「ちゃ」には,独特の含意があった。『古語辞典』には,
ちゃり(る)
という動詞が載る。
ふざける,
という意味だが,その名詞は,
滑稽な文句または動作,ふざけた言動,おどけ,
という意味が載る。大言海』は,
「戯(ざれ)の転」
として,
洒落,おどけ口,諧謔,又おどけたる文句,
という意味を載せる。「ちゃ」には,どうも,
ふざける,
含意がつきまとうらしい。「ちゃかす(茶化す)」はその流れにある。この「ちゃ」が,
ちゃっかり,
という言葉の憎めなさにあるような気がしている。「ちゃっかり」を図々しい,と置き換えてしまうと,
「案外ちゃっかりしている」
というときの,憎めない側面が消えてしまうのではないか。
一方,「しっかり」は,『広辞苑』では,
確り,
聢り,
という字を当て,
堅固でゆるぎないさま,
気力が充実していたり精神活動が健全で逢ったりするさま,
量が多いさま,
十分に,また確実に物事を行うさま,
と意味が載る。『大言海』は,
「シッカは,聢(しか)の延」
と載る。『語源辞典』には,
「シカとの語根シカが,音韻変化で,シッ+カ+リ,となった」
と,分解してみせる。『擬音語・擬態語辞典』には,
「『しっかり』の最古の語形は,奈良時代の「しかとあらぬひげ(多くはない髭)」(『万葉集』)に見られる。これは現代でも,『しかと聞く』『しかと見分ける』などのように使われる。この『しかと』の強調形が『しっかと』で,室町時代に,『(扇の)かなめしっかとして』(狂言『末広がり』)という例がある。それが江戸時代になり,『しっかりとした商人のひとりむすこ』(洒落本『辰巳婦言』)のように,『しっかり』の例が出てくる。つまり,『しっかり』は,『しかと→しっかと→しっかり』の順に変化した。」
とある。これで尽きているように思うが,しかし,『日本語の語源』は,「しっかり」は,「悉皆」の変化だとするのである。
「シッカイ(悉皆)は『すっかり。みな。ことごとく。全部』という意味の漢語である。〈悉皆記識し,露布(公布文)を作らしむ〉(北史・楊大眼伝)。仏教の経典に多用されており,仏教用語としてるふされていた言葉である〈草木国土,悉皆成仏〉(涅槃経)。
シッカイ(悉皆)は語尾に子音[r]が添付されてシッカリになり,語頭の『シ』の母音交替[iu]でスッカリになった。さらに多くの語形に転音・転義したので,最初にそれを整理しておくと,(1)全部(すっかり)。(2)完全(すっかり)。(3)確実(しっかり)。(4)多数・大量(しっかり)。(5)大変(しっかり)に分類される。」
として,「しっかり」については,
「近世語や方言では(3)(4)(5)の語義を伝えている。〈草双紙が出るたびに買ひますがつづらにシッカリ溜まりました〉(浮世風呂)。山形・福島・出雲崎・関東・山梨・静岡・八丈・四国では『シッカリ貰った』『シッカリ食べなさい』という。これらは(4)の語義を伝えているが,(5)の意味を伝えて,愛知県北設楽郡・四国・大分県玖珂郡では『シッカリ働く』『シッカリ美しい』という。
標準語としては(3)の語義を伝えて『この土台はシッカリしている』『都市のわりにはシッカリしている』『シッカリモノ(確り者)』という。(以下略)」
と述べる。これでいくと,
シッカイ→シッカリ→スッカリ→
と転じたことになるが,さらに,これは,変化がつづき,
「そっくり」「すっきり」「すっぱり」「すっぽり」「さっぱり」
等々と転じていくことになる,とする。この転換はここでは省く。しかし,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127322777
でも,「しっかり」を「悉皆」の転として,こう述べているのが強力な傍証かもしれない。
「『しっかり』の語源は金沢の加賀友禅。真っ白な反物が着物に仕上がるまで38もの工程があり、それぞれで完結な職人さん達の間を取り持ち、調和を作り出す仕事が
『悉皆(しっかい)屋さん』と呼ばれている。問屋から注文を受け、作家、地染め屋などを巡り、着物のイメージから実際の地色などの相談に乗り、汚れや傷がないかもチェックし、
最終的に責任をもって問屋に届けるという…プロデューサー、ディレクター、営業マン、それでいて芸術家でもある…すべてを兼ね備えていないと出来ない仕事で、そんな『しっかいやさん』が現在の金沢でも『しっかりの語源』と言われています。」
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「おっちょこちょい」は,たとえば,『デジタル大辞泉』は,
「落ち着いて考えないで、軽々しく行動すること。また、そのさまや、そういう人。」
という意味だが,『広辞苑』の,
「ちょこちょこしていて考えの浅い人,軽薄,またそういう人」
とあるのとは,少し乖離があるように感じる。『語源辞典』には,
「オッ(接頭語,軽々しい)+ちょこちょい(ちょこちょこする)」
とあり,
「落ち着いて行動しない人物とか,軽々しい行動をする人物をいいます」
という意味になる。乖離を感じたのは,
軽々しい,
という状態表現と,
軽薄,
という価値表現の差,ということだろう。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%8A%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%84
には,
「3つの言葉を組み合わせた言葉で、江戸時代から使われている江戸言葉の1つ。」
として,こう説明する。
「おっ … おっと
ちょこ … ちょこちょこ、ちょこまか
ちょい … ちょっと、ちょいと
昔から落語や逸話等でも頻繁に扱われてきた人物描写であるが、近年ではその原因をADHD(注意欠陥多動性障碍)等の発達障碍として見る向きもある。
特徴としては以下の3つがあげられる。
ユーモラスである
ドジで間抜けな失敗をする
憎めない雰囲気をもち、人から助けてもらえる。」
また,『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/05o/ocyokocyoi.htm
は,
「おっちょこちょいとは慌て者、考えが浅はかで軽薄な行動をする人のことをいう。おっちょこちょいの“ちょこ”は動作が落ち着かないさまを表す『ちょこちょこ』、“ちょい”は「僅かなこと」や「(否定の語を伴って)簡単には〜・少々のことでは〜」を意味する『ちょいと(=ちょっと)』からきたものである。」
とする。さらに,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/ottyokotyoi.html
も,
「おっちょこちょいは、『おっ』『ちょこ』『ちょい』からなる語と考えられる。『おっ』は、驚いた
時などに発する『おっと』と同じ感動詞『おっ』、もしくは接頭語の『お(御)』で後に続く『
ちょこちょい』に合わせたもの。『ちょこ』は、あちこち動き回る様子を表す『ちょこちょこ』
の『ちょこ』。『ちょい』は、僅かなことや簡単にできるさまを表す『ちょいと』と同じ『ちょい』。
1800年後半より見られる語で、1910年『諺語大辞典』には『デスギ、生意気、軽佻などをいふ意。東京語。』とあり、1917年『東京語辞典』にもこの語が見られることから、主に東京で使われていた俗語が広まったと考えられる。」
とする。『大言海』も,
「ちょこちょこして,深慮なき意」
としている。
「オッ」は,『語源由来辞典』の「御」というよりは,
おっと,
の「おっ」ではあるまいか。『大言海』には,「おっと」は,酒を酌み交わすときの「おっと(と)」と,いまひとつ,
「オッは,唯(お)の転」
として,
「気づきたる時に発する声」
としている,それである。「ちょこちょこ」は,擬態語と見ていい。『擬音語・擬態語辞典』には,
「動作が小刻みにせわしなく行なわれる様子。歩き方や走り方について言うことが多い」
「小規模な物事や動作が,繰り返し行われる様子」
「大袈裟にせず,小規模に簡単に物事をする様子」
と意味を載せ,「大袈裟にせず云々」の意の類義語に,
ちょこっ,
ちょこちょこ,
を挙げている。しかし,擬態語として始まったのではないようだ。『日本語の語源』に,
「イトコマカシ(甚細かし)はチョコマイになった。上部を重ねてチョコチョコといい,小さいものがこまたに走り,また歩きまわるさまをいう。」
とあり,細かいという表現の転訛を,擬態に当てたものらしい。また,「ちょい」は,『古語辞典』に,
「すこし,いささか」
という意味の他に,感嘆詞として,
称賛する語,
とあるが,どうも,やはり,「ちょいちょい」とつながる,擬態語ではないか。『擬音語・擬態語辞典』には,「ちょい」について,
動き・程度・数量などがわずかである様子,
とある。「おっちょこちょい」で,結果として,
ちょこまか細かい動作,
に気づいたという,状態表現が始りなのだろう。それに軽侮する価値表現が加味した,と。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「おっちょこちょい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%8A%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%87%E3%81%84)については触れた。類義語に,
そそっかしい,
がある。『広辞苑』には,
「『そそかし』から」
と注記し,
程度や性質などがおちつきがない,
粗忽である,
と載る。他の辞書(『デジタル大辞泉』)だと,
落ち着きがなくあわて者である,
不注意で,とかく失敗をしがちである,
軽はずみである,
という意味が加わる。しかし,
あわただしい,
と
落ち着きがない,
と
あわて者,
と
軽はずみ,
は,似ていても意味が少し乖離するのではないか。「あわただしい」からといって,粗忽とは言えない。粗忽だからといって,あわて者とは限らない。『類語例解辞典』は,
慌て者(あわてもの),
と
おっちょこちょい,
と
そそっかしい ,
を対比して,
「慌て者」は、すぐ慌てる人、よく考えもせずにすぐうろたえる人。
「おっちょこちょい」は、深く考えずに軽率に物事をするさま。また、そういう人。
「そそっかしい」は、態度や行動に落ち着きがないさま。軽率で不注意なさま。
と整理して,
「慌て者」 私は慌て者で失敗ばかりしている,
「おっちょこちょい」 約束の時間を聞き違えるとはおっちょこちょいだね,
「そそっかしい」 靴を間違えるようなそそっかしい人
と,使い分けて見せている。粗忽だから,あわてることになり,軽はずみなことをしかねない,という因果で結んだとこだろうか。しかし,現象としての,
あわてる,
という状態表現と,
おっちょこちょい,
粗忽もの,
という価値表現とは,一定の乖離がある。しかし,
そそっかしい,
には,その両義が含まれているらしい。手元の『語源辞典』は,
「ソソク(事を急ぐ)の形容詞,ソソカシの変化」
とし,「そそくさい」も,
「ソソ(急ぐ)+クサイ」
で,同源とする。「そそくさ」という言葉があるが,これも,
「ソソ(そわそわ)+クサ(落ち着かぬさま)」
としている。「そそくさ」は,一見,擬態語に見えるが,
「せわしなくする意を表す古語の『そそく』『そそくる』と関連する」
と,『擬音語・擬態語辞典』には載る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/so/sosokkashii.html
も,
「そそっかしいは、『そそかし(い)』を促音化し、強調した語である。『そそかシ』は、『取り急ぎ事をする』という意味の自動四段動詞『そそく』が形容詞化した語で、『そそく』は
、『慌てる』『そわそわする』という意味の自動四段動詞『いすすく』に由来する。
そそっかしいは落ち着きないさまが本来の意味であるが、そこから発展し、『不注意だ』『軽率だ』という意味も含まれるようになった。
古くは、そそっかしいと同系列の形容詞『そそこし』『そそかはし』などがあった。」
とするし,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%9D%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84
も,
「『せわしく何かする』を意味する四段動詞『そそく』の形容詞『そそかし』が変化したもの。本来はせかせかと落ち着きのないさまを表したが、そこから発展して『不注意だ・軽率だ』という意味も示すようになった。」
とある。『大言海』に,「そそく」について,
「ソソクは,噪急(そそ)くの義。イススクの上略転」
としている。『古語辞典』は,「そそき」に,
噪き,
を当て,
「ソソは擬態語。そわそわ・せかせか・ざわざわなどの意。キは擬音語・擬態語を受けて,動詞を作る接尾語。カカヤキ(輝)・ワナナキ(震)のキと同じ。ソソキ(注・灌)とは別音の別語。」
としている。どうやら,擬態語,
ソソ,
から,
ソソキ,
が生まれ,
そそっかしいとなったものらしい。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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「揣摩臆測」は,辞書を引くと,
自分だけの判断で物事の状態や他人の心中などを推量すること,当て推量,
という意味になっている。たとえば,
http://kotowaza.avaloky.com/pv_yoj241.html
によれは,
「揣摩」は,
あることや人の心の中などをいろいろと推し測ること,
「臆測」は,
物事の進みぐあいや人の気持ちなどをいい加減に推し測ること,
となる。他の辞書も大同小異。で,
揣=はかる。かんがえる。さぐる,
摩=する。こする。みがく。繰り返しする,
臆=おしはかる。気おくれする,
測=はかる。推量する,
の組み合わせで,自分のよいように決めつけて何かをすること,という意味とされる。しかし,出典とされる『戦国策』には,たとえば,
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-066_1.html
で,
「蘇秦は、秦王に説き、十回も意見書を提出したが用いられなかった。滞在費もなくなったのでやむなく故郷に帰った蘇秦は、やつれ果てて顔もどす黒く、いかにも零落していた。それを見た妻は機織りの手を休めようともせず、兄嫁は飯を炊いてくれず、父母は口をきこうともしない。蘇秦は『妻は私を夫とも思わず、兄嫁は私を義弟とも思わず、父母は私を息子とも思わない。こうなったのも、すべては私の至らぬせいだ。』と嘆息した。
発憤した蘇秦は、猛勉強を開始。夜中に太公望の兵法書を読みふけって、君主の心を読んで受け入れられる術(揣摩の術)を身につけようと没頭した。書物を読んで眠くなると、錐(キリ)で自分の太ももを突き刺し、その血はかかとまで流れた。一年たって揣摩の術を会得した自信を得、趙王のもとに赴き、手のひらを打ちながら熱心に説得した。趙王はよろこび、蘇秦を宰相に取り立てて、その合従策を採用した。そのためしばらくは秦も函谷関から出られず動きを封じられた。」
と。つまり,揣摩は,単に,
自分勝手に相手の心中を当て推量すること,
ではない。『戦国策』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%88%A6%E5%9B%BD%E7%AD%96)
で触れたが,そこに,
「相手の言葉からその心中を推し測かる術」
と載る。つまり戦国時代,各国を舌先三寸で渡り歩いた(「遊(游)説」という),
縦横家(または遊説家),
にとっての,プロフェッショナルなテクニックであった。『史記列伝』の注には,「揣摩の術」について,
「原文『以出揣摩』。揣摩とは,君主の心を見ぬき,それを抑えたり,もちあげたりして,思いのままに操る法(『集解』に引く江邃(こうすい)の説および中井積徳の説)。」
と,もう少し突っ込んだ説が載る。だから,
「簡錬して以て揣摩を為す」
とか
「朞(き)年にして揣摩成る」
といった使い方をするらしい。前者は,例えば,『戦国策』(秦)に,
「蘇秦乃夜發書,陳篋數十,得太公陰符之策,伏而誦之,簡錬以為揣摩」
とある。「揣」の字は,
そろえる,
という意で,さらに,
はかる,
意だが,「はかる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%82%8B)
で触れたように,「はかる」には様々な区別をつけており,「揣」は,
量也,
とあり,
度高曰揣,
という注があり,
叉,手にてさぐりはかる義あり,これ程であかんかと,頭を傾けて思案する意,
とある。「揣」の字の由来は,
「右側の字『耑』(音 タク・スイ)は,上と下とにきちんと縁飾りの垂れたさまを描いた象形文字。揣はそれを音符とし,手を添えた字で,両端をきちんとそろえること。」
「摩」の字は,
する,なでる,
という意味で,
「麻(マ)は,すりもんで線維をとる麻。摩は,『手+音符麻』で,手ですりこむこと」
こう見ると,「揣摩」には,臆測とつながる意味はない。時代を経る中で,遊説が口先三途の意味に変ったように,単なる臆測と変じたのであろうか。どこか,錬金術の意味の変化を思わせる。
参考文献;
近藤光男編『戦国策』 (講談社学術文庫)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店
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「さかしら」は,
賢しら,
と当て,
かしこそうにふるまう,
自分から進んで行動するさま,
差し出たふるまい,
お節介,
といった意味が載る(『広辞苑』)。
差し出たふるまい,
に,
差し出口,
讒言,
という意味も加えるものもある(『デジタル大辞泉』『大辞林』)。語源は,
「サカシ(賢し)+ラ(接尾語)」
で,
利口そうに振舞う,
意で,転じて,
でしゃばる,口出しする,
等の意となる,とある(『語源辞典』)。しかし,
賢し(い),
は,
かしこく,優れている
しっかりとゆるぎなく,よくととのっている,
心がしっかりしている,自分を失わない判断力がある,
気が利いている,才覚がある,
という意味がある(『広辞苑』)が,最後に,
なまいきだ,
さしでがましい,
こざかしい,
の意味が付け加えられている。『古語辞典』には,「さかしい」について,
「丈夫で,物に動じることなく,しっかりと自分を失わない判断力をもっている意。サカシラとなると,明らかにその度合いが過ぎて,差し出た判断を下し,お節介をする意。」
とあり,少なくとも,上記『広辞苑』の,なまいき,さしでがましい等々の意はない。でなければ,
賢し人,
で,
賢く優れた人,聖人に次ぐ人,
という意では使われまい(『古語辞典』)。そこで,接尾語「ら」を調べると,いわゆる,
複数を示す「等」の意味,
人を表す名刺や代名詞について,親愛・謙譲・蔑視の気持ちを表す,
おおよその状態を示す,
方向・場所を示す,
という機能の他に,
形容詞の語幹に付いて状態を示す名刺を作る,
として,その例に,
あなみにく賢しらをすと酒飲まぬ人を良く見れば,
と「賢しら」を,その例とする(『広辞苑』)。『古語辞典』も,
「擬態語・形容詞語幹などを承けて,その状態表現を表す」
として,「やはり」「賢しら」を例示する。しかし,そう考えると,
賢し+ら,
なら,賢い状態を示しているのであって,
賢そうに振舞う,
という貶める表現にはならないはずである。しかし,『大言海』は,
「賢(さか)しとのみ云ひて,さかしらなり(賢しの條を見よ)。サカシガルをサカシラガルとも云ふ。ラは,意味なく添えたるごなり。」
とあり,「賢(さか)し」の項には,
「割(さ)くを形容詞にしたる語なるか,理解する意(なげく,なげかし。いつく,いつかし。なつく,なつかし)」
とあり,そもそも,「賢し」に,
賢そうに振舞う,
意があり,
賢そうに振舞う+ら,
で,その状態を示している,ということになる。この場合も,なぜ「ら」を付けた時,他の意味,つまり,本来の賢しの意味ではなく,「賢そうにふるまう」意のみを取り出したのかの説明がつかない。で,思いつくのは,
小賢しい,
という言葉である。まさに,
利口ぶっている,
という意であるが,この場合,接頭語「小」は,
(形・数量が)小さい,(程度が)少ない,ちょっと,若い,
という状態表現が転じて,「こせがれ」などのように,
侮る,
意の,価値表現へと転じている。どうも,この,
小賢しい,
の含意が,
賢しい,
という言葉に強くまといつき,
賢しら,
に陰翳を付けた,というように感じられてならない。今日,
賢しい,
には,
賢い,
という意味よりは,
小生意気,
差し出がましい,
の意味の方が強くある。それが『大言海』に,
「賢しとのみ云ひて,さかしらなり」
と言わしめたのではあるまいか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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接頭語の「小(こ)」は,
「体言・形容詞などの上に付く」
が,意味は幅広く,
物の形・数量の小さい意(「小舟」「小島」「小人数」等々),
事物の程度の少ない意(「小雨」「小太り」等々)
年が若い意(「小犬」「小童」等々),
数量が足りないが,ややそれに近い意(「小一里」「小一時間」等々),
半分の意か(「小なから」「小半金」等々」),
いうにいわれない,何となくの意,またその状態表現を憎む意(「小ぎれい」「小憎らしい」「小汚い」等々),
軽んじ,あなどる意(「こざかしい」「小わっぱ」等々)
(体の部分を表す語について)その動作を軽く言う意(「小耳」「小腹」「小腰」等々),
語調を整える意(「夕焼け小焼け」「大さむ小さむ」等々),
等々がある(『広辞苑』)。また,「小」は,「お」と訓ます場合もあり,その場合は,
細かい,小さい意(「小川」),
物事を親しんでいう意(「小里」「小琴」),
少し,いささかの意(「小暗い」「小止みなく」),
となるし(『広辞苑』),さらに,「しょう」と訓む場合も,
ちいさいこと,僅かなことの意(「最小」「小事」「小心」「小計」),
おさないことの意(「小児)),
劣ったことの意(「小人物」「小才」),
自分を謙遜して言う意(「小生」「小社」),
同名のものを区別するため下位または二次的な方に添える(「小楠公」「小西郷」),
等々とある。さらに,これは当て字だが,「さ」と訓む場合,
小百合,
小夜,
等々と「小」を当てる。ただこの場合,『古語辞典』は,「語義不詳」としているし,『大言海』も,
「小夜(さよ),狭衣(さごろも)狭山(さやま)などと書けども,借字(あてじ)にて,ちいさき意はなし。狭き意にもあらず」
としているので,「小」の意味の流れではなさそうに見えるが,たとえば,「狭山」について,『語源辞典』は,
「さ(小・狭)+山」
としているし,「小百合」について,『日本語の語源』は,
「チヒサナユリ(小さな百合)の極端な省略形がサユリ(小百合)・サユル(上代東国方言)である。」
としているので,「さ」も「小」を当てるには,本来は,意味があったのであろう。
いずれにしても,「こ」「お」「しょう」と訓み方は変わっても,この意味の変化は,「小さい」「少ない」という,
状態表現,
が,そのことに価値表現を含めて,貶めたり,蔑んだり,逆にみずからを謙ったり,という価値を加味したも
価値表現,
へと変ったというのは,一貫している。
漢字「小」の字は,「ショウ」と訓み,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%8F
によると,象形文字で,
低いところに手がある人をあらわす,
とあるが,『漢字源』は,
「中心のh線の両わきに点々をつけ,棒を削って小さく細く削ぐさまを描いたもの」
とする。漢字自体に,ちいさい(「大小」「微小」),細かい(「細小」),すこし(「小憩」),狭い(「狭小」),ちいさい,つまらないものとして軽んずる(「小視」「卑小」),幼い(「小人」),自分を謙遜する(「小店」),という意味があり,漢字「小」の輸入によって始まった言葉だと知れる。ただ,
「お」と訓む(「小川」),
「こ」と訓む(「小雨」「小一時間」),
使い方は,我が国だけの訓み方,使い方となるらしい。しかし,
小股,
だの,
小賢しい,
だの,
小細工,
だの,
小回り,
だの,
小耳,
だの,
小雨,
だの,
小降り,
だの,
「こ」と訓ませる言葉の方が,これを「しょう」と訓ませるよりも,たとえば,「小才」を,
しょうさい,
と訓むより,
こさい,
と訓む方が,「しょう」では,「商才」か「小才」か区別がつきにくいいという,日本語特有の文脈依存性による読み分け(「市立」を「いちりつ」と訓むように),ということもあるが,生活に根付く中で音韻変化させたもので,生活感があり,生き生きしていると感じるのは,身びいきか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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「根」は,『広辞苑』『古語辞典』ともに,「ね」について,
「ナ(大地)の転。大地にしっかり食い込んでいるものの意。」
とする。いわゆる「木の根」の意味の他に,
立ち,または生えている物が他のものに付く部分。もと,ねもと,例えば「歯の根」,
地の中,地下,例えば「根の国」,
物事の基礎・土台。根本,例えば,「舌の根」,
事のおこるもと,物事の元をなす部分,たとえば,「悪の根」,
海底などの岩礁のあるところ,例えば,「根掛かり」,
腫物の下の固い部分,例えば,「おできの根」,
心の底, 例えば,「心根」,
人の本性,生まれつき,例えば,「根はやさしい」,
名詞の下に添えて,地にはえている意を表す語,例えば,「垣根」,
等々の意味がある(『広辞苑』等々)が,いわば,「根っこ」という意味のメタファとして,さまざまに外延を広げている,ということになる。中には,今は消えた,
髻(もとどり),
の意味でも,「根」を使ってたようである(『大言海』)。『江戸語大辞典』では,「根」で,
髷の根,髻の俗称,
が最初に来る。時代である。そんなことで,「根」に係る,
根に持つ,
根も葉もない,
根を下ろす,
根を差す,
根を生やす,
根を張る,
等々と,意味を広げた言い回しは沢山ある。
これは,漢字「根」も同じらしく,「根」の意味から,
「転じて,物の下部,つけね」
と広がったようである。漢字「根」は,
「艮(こん)は『目+匕(ナイフ,小刀)』での会意文字で,小刀で目の周りにいつまでも取れない入墨をすること。あるいは,視線を小刀で突き刺すようにひと所にとめることをあらわす。目の穴のように,一定のところにとまってとれない,の意を含む。眼(目の玉の入る穴)の原字。根は『木+音符艮』で,とまって抜けない木のね。」
で,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B9
によると,
植物の一部分で、地中で養分や水分を吸収する部分→球根、根冠、大根、根元
ものごとの始まり、源→息の根、根源
拠り所→根拠、根城、無根、屋根
根絶やしにする→根絶
物事に耐え抜く力→根気、根性、精根
等々と,意味を広げている。ただ,中国語では,
六根,
と,
目・耳・鼻・舌・身・意,
知覚を生ずる元,という意味まで広げている,例の,
六根清浄,
の六根である。ただし,「根」は,漢音・呉音とも,「コン」と訓むが,
平方根,
の「根」,
根気,
の(気力の意味の)「根」は,我が国だけの使い方のようである。ところで,『老子』に,
谷神(こくしん),死せず,
是を玄牝(げんぴん)と謂う。
玄牝の門,
是を天地の根(こん)と謂う。
綿々として存するが若(ごと)く,
是を用いて勤(つかれ)ず。
ここで「根」は,
「『天地の根』の『根』は,男根・女根の『根』と同義で性器をいう。ここは,道が天地万物を産み出す生命の根源であることを女性の性器の生殖力になぞらえていったのである。」
と。「根」のもつ根元,物事の根元,という意味で,
国産み神話,
を思い起こす。『古事記』には,
「ここにその妹、伊耶那美命(いざなみのみこと)に問ひたまひしく、『汝(な)が身はいかに成れる』と問ひたまへば、答へたまはく、『吾(わ)が身は成り成りて、成り合はぬところ一處あり』とまをしたまひき。ここに伊耶那岐命(いざなぎのみこと)詔(の)りたまひしく、『我が身は成り成りて、成り餘れるところ一處あり。故(かれ)この吾が身の成り餘れる處を、汝が身の成り合はぬ處に刺し塞(ふた)ぎて、國土(くに)生み成さむと思ほすはいかに』とのりたまへば、伊耶那美命答へたまはく、『しか善けむ』とまをしたまひき。」
とある。「根」である。
参考文献;
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A0%B9
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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徳,
などというものには,とんと縁のない俗人だが,徳と言えば,儒者の得意分野であり,『論語』にも,
徳有る者は必ず言あり,言有る者は必ずしも徳あらず…,
徳は孤ならず必ず隣あり,
道に志し,徳に依り,仁に依り,芸に游ぶ
中庸の徳たる,其れ至れるかな。民鮮(すくな)きこと久し,
等々,さまざまに言及されている。しかし,『老子』に,
上徳は徳とせず,是(ここ)を以って徳有り。下徳は徳を失わざらんとす,是を以って徳無し。上徳は無為にして以って為(な)す無く,下徳は之を為(な)して,而して以って為す有り。上仁は之を為して以って為す無く,上義はこれを為して以って為す有り,上礼はこれを為して之に応ずる莫(な)ければ,則(すなわ)ち臂(うで)を攘(はら)って之を扔(つ)く。故に道を失いて而る後に徳あり,徳を失いて而る後に仁あり,仁を失いて而る後に義あり,義を失いて而る後に礼あり。それ礼は,忠信の薄にして,乱の首(はじめ)なり。前識(ぜんしき)は,道の華にして愚の始めなり。是を以って大丈夫(だいじょうぶ)は,その厚(あつ)さに処(お)りてその薄きに居らず,其の実に処りてその華に居らず,故に彼れを去りて此れを取る。
とあり,まさに,「仁義礼」という,儒者の徳そのものを否定する。
道を失いて而る後に徳あり,
徳を失いて而る後に仁あり,
仁を失いて而る後に義あり,
義を失いて而る後に礼あり,
とは痛烈ではある。因みに,
「上仁」は孔子に,「上義」は孟子に,「上礼」は荀子に,
それぞれ当てる,とも言われる。さてしかし,ここではそのことではなく,上記『老子』についての解説の中で,福永光司氏は,
「『徳』の原義が得であり,徳とは人間が道を得ること,もしくは人間によって得られた道をよぶことばである」
とする。しかし,『語源辞典』を見ると,「徳」について,
「『トク(徳・心が善く正しい人の徳)』です。人徳の結果としての善行,恩恵,財産の意です。転じて『利益』の意となった。」
とあり,「得」については,
「中国語の『彳(歩み行く)+貝,手』が語源です。歩いていって財物を手に入れる,エル,意をあらわします。」
とある。辞書(『広辞苑』)をみると,「徳」には,
道を悟った立派な行為,善い行いをする性格,
人を感化する人格の力,神仏の加護,
(「得」の通用字)利益,儲け,富,
とあり,他に,
富。財産,
生まれつき備わった能力・性質。天性,
という意味をも持つ。「得」には,
えること,手に入れること,
身につけること,悟ること,
儲けること,
と,「徳」と「得」は,利益や儲けることという意味で通底する。しかし,
「徳」は「得」,
とは,「得ること」「悟ること」という意味で,
徳とは人間が道を得ること,
という意味で通底しているのではないか。『大言海』に,
「集韻『徳,行之得也』正韻『凡言徳者,善美,正大,光明,純懿之稱也』禮記,樂記篇『禮樂皆得,謂之有徳,得者得也』」
と注記し,「得」と「徳」の関係を示す。漢字「徳(悳)」は,
「原字は,悳(トク)と書き,『心+音符直』の会意兼形声文字で,もと,本性のままのすなおな心の意。徳はのち,それに彳印を加えて,素直な本性(良心)に基づく行いを示したもの。」
漢字「得」は,
「左側の字は『貝+寸(手)』の会意文字で,手で貝(財貨)を拾得したさま。得は,さらに彳(行く)を加えたもので,行って物を手に入れることを示す。横にそれず,まっすぐ図星に当たる意を含む。」
とある。字源からは,「得」と「徳」の意味の通底は見られないから,通用するなかでつながったということになる。
老子の「徳」とは,
無為,而無以為,
である。『老子』にはそうある。しかし,司馬遷は,『史記』の老子列伝で,
「老子が貴んだのは道である。虚無であるからすべてに対処でき,無為において変化自在なる故である。その著書の示すところは,微妙で識り難い。荘子は(老子が説いた)道と徳をいっそうおしひろめ放論した。その要はやはり自然ということに帰着する。申子はもっと卑近で(老子の説を)名実の説に応用した。韓子は法律の縄をはりめぐらし,惨酷で愛情に欠けているのも,すべて(老子の)道徳の説にもとづく。してみれば老子は,深く遠かったのである。」
と,皮肉交じりに書く。『老子』にはある意味で,ニヒリズムな部分があり,法家にも,
「富国強兵にも応用しうる」
面を,司馬遷は鋭く見抜く。道家の説は,
「法・術の権力との結びつきによってどんな事が起こるかを知っていた」
と。因みに,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3
は,「徳」の項で,
「儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。」
「道家の徳は、根本的実在である『道』の万物自然を生成化育する働きを表す。」
「法家の徳は、『刑』と対照させられる恩賞の意味であり、恩賞必罰の『徳刑』として統治のための道具と考えられた。」
と区別した。こう考えると,「徳」が「得」に通じるのは,もっと現実的に,「徳」が「得(く)」だからにほかならないのかもしれない。「徳」というもののもつ,
無為自然,
あるいは,
おのがありのまま,
ということのもつ危うさを,既に『史記』で,司馬遷が,二千年余前に,指摘していた,ということに尽きる。
参考文献;
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
上へ
「わくわく」は,
ワクワク,
とも表記する擬音語あるいは擬態語である,と思われる。『広辞苑』には,
「期待・喜びなどで心がはずみ,興奮気味で落ち着かないさま。」
とある。これが今日の我々の語感に近い。『語源辞典』にも,
「『擬態語ワクワクです』。興奮して心が落ち着かず,胸が躍る状態表現を表す副詞です。」
とある。しかし,『大言海』は,
「悶えて心の落ち着かざる状,」心の動揺する状に云ふ語」
と,若干ニュアンスが異なる。用例に,
「疾しや遅しの道すがら,心わくわく急きかくる,跋提河にぞ着き給ふ」(元禄,近松門左衛門『釈迦如来誕生会』)
を挙げる。さらに,『江戸語大辞典』となると,
「おそれや口惜しさなどのために,わなわなと震えるような気持であること」
と更に乖離する。用例に,
「考へれば 考へる程,口惜(くや)しくって焦れッたくつて,ほんに何(ど)うしたら宜(よ)からふと,気持ちがわくわくしてくるよ」(天保十年『娘太平記』)
とある。つまり,江戸時代までは,どちらかというと,喜びよりは,
不安や苛立ち,
口惜しさ,
の意味の「わくわく」で,同じく興奮でも,動揺の意味だったらしいのである。
『擬音語・擬態語辞典』を見ると,
「期待や喜びのために,心が落ち着かない様子。」
とした上で,江戸時代の,
「あまりのうれしさに気がわくわくしてあゆみにくい」(洒落本『契情買虎之巻(けいせいかいのとらのまき)』)
を挙げて,
「現代ではプラスの意味で使われることが多いが,不安などで心が落ち着かない様子や胸騒ぎがする様子などのマイナスの意味を表すこともある。」
として,有島武郎の『生まれ出づる悩み』から,
「心が唯わくわくと感傷的になりまさるばかりで,急いで動かすべき手は却って萎えてしまう。」
を載せる。どうやら,マイナスの表現はいつの間にか消えてしまったものらしい。そして,語源として,
「中から外へ激しく動いて現れる意を表す『湧く(沸く)』から作り出された語だろう。江戸時代には『わくわくする』の意で,『わくつく』という語もあった。」
として,
「ふっと見た時から胸はわくつけど」(『契情買虎之巻』)
を載せる(『江戸語大辞典』に「わくつく」は載らない)。この語源説は,
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF
でも,
「ワクワクの語源は『沸く(わく)』という単語と推測されていて、現在も『心が沸く』『興味がわく』のように使われている。」
としているので,「わく」の語源を調べておくと,『語源辞典』は,
「『ワ(曲)+ク』です。曲流地で,ミナワ(水泡)が上がってくるのが語源です。転じて,湧き水がわく(湧く),湯がわく(沸く)。」
とし,『大言海』も,
「曲(ワ)となりて上がる意か」
とする。
『語源由来辞典』も,
http://gogen-allguide.com/wa/wakuwaku.html
同じく,
「ワクワクは、水などが地中から出てくるさまや、物事が急に現れるさまを意味する『沸く( わく)』から生まれた言葉と考えられる。
『沸く』は、『興味が沸く』など感情などが生じる際にも使われ、心の中から外へ激しく現れる感情やその様子を『ワクワク』と表現したものであろう。江戸時代は,『わくつく』という語があり、『ワクワクする』という意味で使われていた。」
としつつ,「わくわく」について,
「中国の東(東シナ海)には『ワクワク島』という島があり、『ワクワクの木』という樹木のアラビア伝説がある。
『ワクワク島』は、その位置から日本とする説もあるが不明。
ワクワクの木とは、春になると椰子や無花果の実に似た実がなり、その実から若い娘の足が生え、初夏になると可愛らしい女の子が髪の毛でぶら下がり、熟しきると『ワクワク』と悲しげな叫び声をあげながら枝から落ちて死んでしまうというもの。このワクワクの木は、所幸則の写真集など芸術の世界でも題材として扱われている。」
と解説する。「ワクワク」について,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF
で,
「ワクワク (アラビア語: الواق واق, 英語: al-Wāqwāq)
は、中世アラブ世界で、東方の彼方にあると考えられていた土地である。ワクワク島、ワクワクの国、ワークワーク、ワクワーク、ワーク、ワクなどとも呼ばれる。日本の古名倭国(わこく)に由来するとする説がある。」
として,
「アラビア語およびペルシア語の地理書では、『ワークワーク』( الواق واق al-Wāqwāq )ないし『ワクワーク』( الوق واق al-Waqwāq)と呼ばれる地域がたびたび言及されている。
ワクワクに関する現存最古の文献は、9世紀半ばに著されたイブン・フルダーズベのアラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』(Kitāb al-Masālik wa
al-mamālik 『諸道諸国誌』とも、Book of Roads and Kingdoms)、およびイスタフリー( Estakhri
)の同名の地理書『諸道と諸国の書』(Kitāb al-Masālik wa al-mamālik)である。
それによると、ワクワクはスィーン(al-Ṣīn、支那 =
中国)の東方にある。黄金に富み、犬の鎖や猿の首輪、衣服まで黄金でできている。また黒檀(実際はインド原産)を産し、黄金と黒檀を輸出している。さらに、シーラ (Shīlā)
という国がカーンスー(Qānṣū、杭州か揚州)の沖にあり、やはり黄金に富むという。」
という。やはり,何やら「ジパング」を思わせる。これは,「わくわく」という言葉とは別系統の話ではあるが。
参考文献;
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AF上へ
「きたない」は,
汚い,
穢い,
と当てる。文語的に言えば,「きたなし」である。この対義は,
きれい,
と言いたいところだが,
清い(清し),
である。これについては,項を改める。「きれい」は,
綺麗,
奇麗,
で,中国由来である。『語源辞典』には,
奇麗は,「奇(すぐれる)+麗(美しい)」で,抜き出て美しい(漢書『郊祀歌「衆嘑竝綽奇麗」』),
綺麗は,「綺(あや)+麗(美しい)」で,綾があってうつくしい,見苦しくない(續齊諧記『衣服綺麗,容貌殊絶』),
と両者には微妙な差があるが,日本語では,『大言海』に,
綺羅を装ひて,麗しきこと,
転じて,すべて美しきこと,
とあるが,『広辞苑』は,元の「綺麗」と「奇麗」の差を反映して,二つの意味が一緒になっている。で,
@綾のように麗しいこと,
服装が派手で美しいこと,
(はなやかに)美しいこと,
A濁り・汚れをとどめないさま,
澄んできよらかなさま,
いさぎよいさま,
さっぱりしているさま,
後に余計なものを残さないさま,すっきり,
整っているさま,
と,「清い」のところまで意味が拡大している。これでは,「きたない」の対義と,勘違いするのもやむを得ないかもしれない。
て,「きたない」は,
触れるのもいやなほど,汚れている,
乱雑である,乱れている,
よこしまである,
卑怯である,恥を知らない,
野卑である,下品である,
けちである,
と,ただ対象の状態表現でしかなかったものが,善し悪し,美醜,好悪,正否といった価値表現に転じている。よくあることだが,きたないことが,下品であるわけではない。『江戸語大辞典』になると,「きたない」は,
金ばなれが悪い,けちである,しみったれである,
いさぎよくない,
と完全に価値表現へと転じている。
「きたない」の語源は,『古語辞典』は,
「キタはキタシ(堅塩)・キタ(北)と同根。ナシは甚だしいの意」
とし,『大言海』は,
「カタナシ(穢陋)と通ず。その條をみよ。倭名抄五『山城國,相樂(さがらく)郡佐加良加』は,懸木(さがりき)の轉なり,堅鹽(かたしお),きたし。時間(ときのま),つかのま」
として,第一義に,
かたなし,みにくし,けがらわし,潔(きよ)からず,
をもってきて,
腹ぎたなし,うしろぐらし,
いやし,見苦し,
と載せる。「かたなし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%97)
で触たれたが,『大言海』は,
穢し,
陋し,
醜し,
と当て,
「法(かた)無しの義か,きたなしと通ず。」
とある。「法(かた)無し」の項はないが,「形(かた)無し」の項に,
銭の文字の潰れて見えずなりたるもの,
跡形のなくなること,
の意味が載る。これでは,音韻変化による,としか見えない。しかし,『語源辞典』には,
「キタ(キダ・分・段階・キザ・刻み)+なし(無)」
で,「物の区別や弁別ができない」意とするので,
形無し,
を語源とするという説につながる。ただ,「きたない」の語源説は,たくさんあって,
「かたなし(陋・穢)と同源(『大言海』),
形無しの音便(『日本古語大辞典』),
キタはキザと同じ,キザは極まりを付ける意で,キタナイは,もとだらしがない意(柳田國男),
キダナシ(段無)の義(『日本釈名』『名言通』『和訓栞』),
キタは,キタシ(堅鹽)・キタ(北)と同根,ナシは甚だしい(『岩波古語辞典』),北方は暗いイメージであるところから,黒色と結びつけた。ナシはカタジケナシのナシで,無の意味ではない(『志不可起』),キタナリ(北)の略に助字を付けた語(『本朝字原』),
カツナシ(香無)の義か(『国語溯原』),
キタナシ(『佳麗无』),
清キタシナミ無しの義(『和句解』),
等々,どうやら迷路に入る。いくら音韻変化といっても程度がある。しかし,元々は,「きたなし」が「清し」の対だとすれば,「清し」の意味,
汚れ・くもりがなく,余計なものがなにもない,
という状態表現を考えると,
堅鹽,
が,
焼鹽の古言,黒鹽(キタシ),
の意味(『大言海』)なら,これが「きよい」の状態表現として適切なのではないか。「きよ(清)」は,
生好(きじ),
の義もある(『大言海』)のだから。「清し」については,別途書く。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「きよい(し)」は,
清い,
浄い,
と当てる。
「きよい(し)」の対は,
きたない,
だが,「きたない」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%84)
で触れたように,「きよい(し)」は,
濁りがない,けがれがない,美しい,
くもっていない,あきらかである,
きもちがよい,さわやかである,
潔白である,いさぎよい,
残る所がない,あとかたがない,
といった意味の幅を持つ。
にごりがない→くもっていない→残る所もない→あとかたもない,
までは状態表現の外延としてわかる。
きもちがいい,
は,「濁りがない」という状態をメタファとした心情表現へと転じ,
潔白である,いさぎよい,
は,「濁りがない」という状態表現をメタファとした価値表現へと転じている,とみることができる。『大言海』を見ると,
穢れなし,清浄なり(きたなしの反),
汚れなし,濁らず,
潔し,潔白なり,
残りなし,跡方なし,
と,「きよい(し)」の状態表現がクリアにわかる。つまり,
穢れや濁りがない,
という意味なのである。『大言海』には,「きよ(浄)」を見よとあり,その項には,
「生好(きよ)の義にもあるか」
とある。『古語辞典』には,
「『きたなし』の対。清浄で汚れ・くもりがなく,余計な何物もない意。純粋,無垢で透明の意。類義語サヤケシは,氷のように冷たく冴えて,くっきり澄んでいる意」
とあり,より言い表す状態の意味がはっきりする。その意味で,そのメタファに,
(名声に)何の汚点もない,
という意味が加わるのは,故なくない。語源は,『大言海』と同じく,
「キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)」
としているが,他にも諸説あるらしく,
気佳・気好・気吉の義(『和句解』『和語私臆鈔』等々),
息善の義(『紫門和語類集』),
キヨは生,ヨは助語(大島正健),
イキイロシ(生色如)の義(『日本語原学』),
アカキ(炎)の意(『紫門和語類集』),
キエシキ(消如)の意(『紫門和語類集』),
アキイヨシ(明弥)の義(『言元梯』),
キは切る音,切ったものは新しく初めとなることから(『日本声母伝』),
キヨはカミイホ(神庵),カミヤド(神宿)の反,またカミヤドセリの反(『名語記』),
等々が上がっている。この中では,『語源辞典』は,
「キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)」説
を取ったということらしい。これだと,
気佳・気好・気吉の義,
とほぼ重なる。「よし(佳・吉・好)」が,
息,
か,
気,
か,
生,
か,
いずれにしても,どうやら,「きよい(し)」は,状態表現ではなく,もともとが,
「よし(佳・吉・好)」
という価値表現であったということになる。
清浄で汚れ・くもりがなく,余計な何物もない意,
なのは,その人の,
息,
か,
気,
か,
生,
か,
といえば,結局その人そのものにつながるのではないか。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「みにくい」は,
醜い,
と当てるのと,
見難い,
と当てるのと,例えば,『広辞苑』では,別項になっている。「醜い」は,また,『広辞苑』では,
見憎い,
とも当てている。「醜い(見憎い)」は,
見て嫌な感じがする,見苦しい,
容貌が悪い,見目がよくない,
という意味であり,「見難い」は,
見分けるのに骨が折れる,あきらかには見えにくい,
という意味だ。つまり,字の如く,
見るのが難い,
という意味になる。「にくい」は,
憎い,
難い,
悪い,
と,当てるので,
見難い,
と,
見憎い,
は,重なるのではないか,という気がする。『大言海』は,
見悪い,
と当てる。そして,
目で見て嫌はし,容貌(みめ)悪し,
と並んで,
見分け難し,見るに容易ならず,明らかにミルを得ず,
の意味も載せる。『古語辞典』は,
「ミ(見)ニクシ(憎)の意。見る気持ちが妨げられる意。容姿・容貌について言う」
とある。『語源辞典』には,
「『見+ニクイ(難しい)』です。見るのが辛くて難しい」
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/mi/minikui.html
は,
「醜いは『見憎い』とも書くように、語構成は『み(見)』+『にくし(憎し)』で、『見る気持ちがしない』『見るのが嫌だ』という意味。
そこから、そのような感情になるような相手の状態についてもいうようになり、容貌がよくないという意味も表すように なった。」
とある。「にくし」は,
憎し,
とも,
悪し,
とも,
難し,
とも当てる。「にくし」は,
「動詞連用形について,『むずかしい』『たやすくない』の意を表す。」
とある(『広辞苑』)。
〜するのがすらすらいかない,〜しずらい,
という意味である(『古語辞典』)。「にくし」に当てる,
難し,
は,「がたし」とも訓む。やはり動詞連用形について,
〜する必要があっても,なかなかできない,
〜したくても難しい,
という意味で,「にくし」とほぼ重なる。この「憎(にく)し」は,「憎し」
憎らしい,
癪に障る,
の意味から転じた。「憎い」という感情表現から,なかなかうまく捗らない,という「状態表現」に転化された,と見ることができる。「難(にく)し」は,「かた(堅・硬・固)し」の,
「カタ(型)と同根。物の形がきちんとして動かず,緩みなく,すきまない意。転じて入り込む余地がなく,事のなし難い意」
と,こちらは,
固い,
しっかりしている,
という状態表現から,それに戸惑う感情(価値)表現へと転じたということになる。いずれも,
見るのがむつかしい,
という意だ。それは,『古語辞典』の,
「ミ(見)ニクシ(憎)の意。見る気持ちが妨げられる意。容姿・容貌について言う」
がもともとだったのではないか。つまり,
(相手を)見る気持ちが妨げられる,
という心情表現,だったものが,
(相手が)醜い,
という価値表現へと転じ,他方,
みるのがむつかしい,
という一般的な状態表現に転じた。とみると,「醜い」の語源を,
見憎い,
見難い,
とだけ見るのは,正確ではない。「醜い」の逆は,
見目好し,
だが,その逆は,
見目悪し,
だから,「醜い」は,どうやら後から当てたものだ。もともと,
見るのを憚る,
といった見る側の心情表現だったのではあるまいか。それが,相手の価値表現へと転じた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
「見目」は,
目に見える様子,見た感じ,
で,
眉目,
と当てると,
顔立ち,容貌,
という意味になる。ここまでは,一応状態表現に留まる。含意として,好い,という意味がありそうに感じるし,現に,『大言海』は,
女の顔の美(よ)きもの,又人の顔貌の目にみる所。きりょう,まみ,びもく,容姿(カホ)
という意味が載るが,しかし,「器量よし」の場合,
見目好し,
という言い方をし,反対を,
見目悪(わる・あ)し,
という言い方をするので,一応ニュートラルな状態表現としていいが,この「見た感じ」を「好い方」にシフトさせた価値表現になって,
名誉や,誉れ,面目,
と意味が広がる,とみていい。語源は,
「見+目」
で,
「見た感じです。顔立ちのことで,眉目と書きます。容貌,体面,名誉の意を表します。」
とある。類語に,
見場,
見栄え,
というのがある。見場は,
見端,
とも当て,
外から見たさま,外観,見かけ,
という意味で,あくまで状態表現である。「見栄え」は,
見映え,
とも当て,
外から見て立派なこと,
と,「見場」に「好い」という価値を加えた言い方になる。語源は,
「見+映え」
で,
見た感じか映えること,見かけの良いこと,
という意味になる。
実は,「見え(見ゆ)」という言葉(動詞)は,『古語辞典』によると,
「見るという動作が,意志によらずに,自然の成り行きとして成立する意。動作の成立する場所が話し手の相手であるときは,話し手が見せる意となって,話し手の意思となる。」
とあり,主体側から,見える,というだけでなく,
見られる(顧みられる),
見た目に〜の様子である,
という意味を持ち,名詞化した「見え」は,そこから,
人目に見える,
という意味から,
(「見栄」と当てる)他人にを意識し,自分をよく見せようとすること,体裁をつくろうこと,
(「見得」と当てる)芝居で,役者が,動作または感情の頂点に達したことをしめすために,ことさら目立つ演技をすること,
というふうに意味が広がる。『大言海』は,その「見え」について,
「見ゆる状,外目(よそめ)の飾り。うわべを飾ること」
とある。その意味で,「見栄え」は,
「見え(見栄)」
を読み替えただけということになる。「見る」の語源は,
「目+入るの音韻変化」
「目+射るの音韻変化」
「メ(目)+ルの転(メはマ(目)の転)」
「ミ(真・精)+る」
等々があるが,『大言海』は,
「目射るの義,目を転じて活用す。手(テ),とる,名(ナ)る,告(ソ)るの類」
としている。
面白いことに,文脈依存だから,「見る」は同時に「見られる」でもあることを意識していたらしいのである。それが,
見栄,
に,見られることを意識した含意を広げて,
見映え,
と転じていく。「見る」こと自体に,見られることを意識させることを自覚していた,ということになる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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滑稽は,中国由来と想像がつくが,辞書(『広辞苑』)には,
「『滑』は乱,『稽』は同の意。知力にとみ,弁舌さわやかな人が,巧みに是非を混同して説くこと。また,『稽』の字は酒の器の名。酒が器から流れ出るような弁舌のとどこおりないことともいう」
と注記して,
おもしろおかしく,巧みに言いなす,転じて,歎じて,おどけ,道化,諧謔,
いかにもばかばかしく,おかしいこと,
という意味が載る。いわゆる,
滑稽本,
の滑稽の意味が,今日の意味だから,
笑いの対象となるおもしろいこと,おどけたこと,
という意味でわれわれは受けとっている。語源は,
「中国語で,『滑(なめらか)+稽(はかる)』が語源です。漏斗の様な酒器です。酒がとめどなく流れ出るところから,言葉がつぎつぎと出てくる喩えに使います。つまり,多弁の意となります。後,機知に富んだ多弁,冗談,おかしなしぐさ,おもしろい行動を表すように変化してきました。別説に,滑稽は,混乱混同の意で,巧みに是非を混同させる話で,おもしろおかしくしゃべることだという説もあります。」(『日本語源大辞典』)
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/kokkei.html
は,
「滑稽には、『滑』は『なめらか』、『稽』は『考える』という意味とする説。 『稽』は酒器の名で
、酒器から流れ出るように弁舌が滑らかであることからとする説。『滑』が『乱』、『稽』が『同』の意味で、是非を混同させ、巧みな弁舌で言いくるめることとする説がある。
出典は、中国の漢籍『史記』にあり、酒器や泉から流れ出るように弁舌が滑らかであることなどをいった用法などからである。『稽』を酒器の名とする説は上記のようにたとえの一部としてであり、酒器名を語源とするのであれば、泉の名が語源ともいえてしまうため間違いである。『史記』の用法から、『滑』は『滑らか』,『稽』は『考える』とする説が妥当であろう。」
とある。由来は,『史記』に滑稽列伝があることらしいが,『史記』「滑稽列伝」について,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E7%A8%BD%E5%88%97%E4%BC%9D
は,
「滑稽列伝(こっけいれつでん)は、史記の列伝の一つで、為政者を巧みな弁舌で諌めた3人、斉の威王代の淳于髠(じゅんうこん)、楚の荘王代の優孟(ゆうもう)、秦の始皇帝代の優旃(ゆうせん)の伝記を含む。
太史公は、『世俗に流されず、威勢や利得を争わず、上にも下にも拘泥することなく、それで人も害を受けない。よって、その道が広く行き渡った。そのゆえに『滑稽列伝第六十六』を作った』と述べている。」
太史公,つまり,司馬遷は,
「世俗に流されず、威勢や利得を争わず、上にも下にも拘泥することなく、それで人も害を受けない。よって、その道が広く行き渡った。そのゆえに『滑稽列伝第六十六』を作った」
と述べる。そこに,「滑稽」の含意を込めた,と見られなくもない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E7%A8%BD
は,「滑稽」について,
「滑稽(こっけい)は、中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語であり、当時は、饒舌なさまを表した。後世、転じて笑いやユーモアと同義語として日本にも伝わり、滑稽本などを生んだ。
一説には、滑稽の語源は、酒器の一種の名であり、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになった、という(北魏の崔浩による『史記』等の注釈に見える)。
古代の『楚辞』、揚雄の『法言』や、『史記』に立伝される人物の滑稽は、全て弁舌鮮やかなさまを表しており、笑いの要素は含まれていない。但し、滑稽として取り上げられた人物の中には、優孟(ゆうもう)や優旃(ゆうせん)のような俳優が含まれていた。その、おどけた、ウィットに富んだ言動が、笑いやユーモアと通じるため、後世、笑いやユーモアに富んださまを、滑稽と表現するように転じたものと考えられている。」
と,
滔々と滑らかな弁舌,
酒の注がれる喩え,
と,やはり二説を語源説として,取っている。『世界大百科事典 第2版』は,「滑稽」について,
「古代中国,戦国から秦・漢時代にかけての宮廷には,機転の利いたユーモアと迫真の演技力をまじえながら,流れるように滑脱な弁舌をもって,君主の気晴しの相手となり,また風刺によって君主をいさめる人々が仕えていた。滑稽の原義はそのような人々,またはそのような能力を意味する。幇間(たいこもち),道化,あるいは言葉の原義での〈俳優〉の一種であるが,そのなかには漢の武帝に仕えて〈滑稽の雄〉といわれた東方朔のように教養ゆたかな文士もいた。」
として,やはり弁舌の巧みさについて言及している。『大言海』は,『史記』滑稽伝評林から,
「姚察云,滑稽,猶俳諧也,滑,讀如字,便也,稽,音計也,以言俳語滑便巧利,其知計疾出」
を,さらに,
「『史記』滑稽伝,淳子髠から,『滑稽多瓣,數使諸侯,未嘗屈辱』同評林,欄外『光縉曰,滑稽,言口給便利,應答若流,不第以恢諧為滑稽』」
を引く(『評林』は,明の董份(とうひん)の評)。しかし,『史記』樗里子(ちょりし)・甘茂(かんも)列伝に,樗里子を,
滑稽多智,
と,司馬遷は記す。この「滑稽」は,明らかに,今日の「滑稽」の意味ではない。訳注に,
「原文『滑稽多智』。滑稽の語義には二つの解釈がある。一つは,口が達者で敏捷であり,白を黒,黒を城と言いくるめ,物のけじめをわからなくさせること。別の一解では,酒だるから酒が流れ出るように,とめどなく口のまわること。形容詞としてどちらにも用いられるが,ここは第一の解に従うべきであろう。さらに第三に,人をおもしろがらせる言葉を意味する。われわれが使うコッケイはこの転義による。滑の音はカツ(クワツ)がふつうであるが,特にコツとよむのは,かき乱す,人をまどわせる意味である。」
とある。戦国時代,諸侯を説いてまわった(游泳した)遊説家の弁舌を指す。対秦の合従を説いた,蘇秦に対して,それをひっくり返して,秦との連衡を説いた張儀などは,代表である。因みに,合従連衡とは,戦国時代の七大強国(七雄)(燕・斉・楚・秦・韓・魏・趙)のうち
秦を除いた六国の関係を縦(縦)といい,その連合を合従,
といい,
(西方にある)秦と(当方の)他の六国のひとつまたは二つ以上が結ぶことを連衡(「衡」は,横,東西をいう),
という。つまり,
「秦に対抗して合従する国に対し,秦と結んで隣国を攻める利を説いて、合従から離脱させたのが連衡」
ということになる。つまり,
「連衡の論者は往々にして秦の息のかかったものであり、六国の間を対立させ、特定国と結んで他国を攻撃し、あるいは結んだ国から同盟の代償に土地や城を供出させることを目指した。その代表的な論客は張儀である。」
となる。こうした遊説家の一人,公孫竜(こうそんりょう)は,
堅白異同(同異とも)の詭弁の人,
と称された(『史記』孟子荀卿列伝に,「趙に亦公孫竜有り,堅白同異の弁を為す」とある)。
こう見ると,「滑稽」は,弁舌巧みに,諸侯に利を説いた,遊説家の弁舌を指している。とすると,この意味は,諸侯が,本来の意味で,
をかし,
と受け止めたところにあったに違いない。「をかし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%97)
で触れたように,
知的感動がある,
趣きがある,
という意味になる。それが転じて,
笑いを誘われるようなさま,
の意になったのと似ている。念のため漢字を調べると,「滑」の字は,
「骨の月を除いた部分は,骨の端が関節の穴にはまりこんで,骨が自在に動くさま。骨はそれに肉づきを加え,自在に動く関節骨を示す。滑は『水+音符骨』で,水気があって滑らかに自由に滑ること。」
「稽」の字は,
「もと『禾(作物)+音符耆(キ 長くたくわえる)』で,久しく留めおいた収穫物。のち計(あわせてはかる)に当てて,次々と考えあわせること。」
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%BE%93%E9%80%A3%E8%A1%A1
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
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「いさぎよい」は,
潔い,
と当てるが,
たいそう清い,汚れがない。また,すがすがしい,
潔白である,汚れた行いがない,
未練がない,悪びれない,
小気味よい,
という意味が載る(『広辞苑』)。どうやら,まずは,
事物・風景などが清らかである,
といった状態表現から,その清さ,汚れがないをメタファとして,
潔白である,
という人の振る舞い,大度の状態表現に転じ,さらに,その状態を,
未練がましくない,
と価値判断する価値表現へと転じたと,見ることができる。
潔しとせず,
という使い方は,
自分の誇りや良心が許さない(『大辞林』),
自分が関わる事柄について、みずからの信念に照らして許すことができない(『デジタル大辞泉』),
自分の良心や誇りから,受け入れにくい(『広辞苑』),
と,価値表現を前提にしている。語源は諸説あり,
イタキヨシ(甚清)の音転か(『大言海』),
イサミキヨシ(勇清)の義(『名言通』),
イ・サキヨシ(真清)の義(『日本語源』),
イサは発言,キヨシはキヨシ(吉)の義(『古語類韻』),
イヤキヨシ(弥清)から(『言元梯』),
アサキヨシ(朝清)の上にイサを添えたもの。イサは勇の義から転じて,語勢を強め純の義をしめすもの(『国語の語幹とその分類』),
イサは神聖の意を表すイササの約。イはユ(斎)と同語で,ササは清爽の意(『日本古語大辞典』),
等々。確かに,『大言海』は,
「甚清(イチキヨ)しの音転なるべし(腐(くた)る,くさる。塞(ふた)ぐ,ふさぐ。段(きざ),きだ),
と同様の音転例を挙げる。つまり,
甚だ清し,
という意味だ,というのである。転じて,
志操清々(すがすが)し,腹ぎたなくなし,廉潔,
となり,再度転じて,
卑怯(きたなび)れず,甚だ勇まし,精悍,
と,転意を示す。この意味の転じ方は説得力がある。『日本語の語源』も,
「イタキヨシ(甚清し)はイサギヨシ(潔し)に転音した。」
と同じ語源説をとる。
他方,『古語辞典』には,
「イサは勇ミのイサと同根で,積極果敢なこと。キヨシは汚れがない意。積極的で清浄という男性的感覚が根本の意味。日本書紀の古訓には,『清』『明』『潔』などにイサギヨシとあり,漢文の訓読にも例があるが,平安期の女流文学では普通この語を使わない。」
とある。しかし,
「『清』『明』『潔』などにイサギヨシとあり」
というのなら,あくまで状態表現ではないのか。現に,『古語辞典』自体,意味に,
きれいで澄んでいる,
を第一に載せ,続いて,
潔白である,
気分が清々しい,
思い切りがよい,さっぱりしている,
と,「勇む」語意は出ない。手元の『語源辞典』も,
「『イサ(勇,イサムの語幹,積極性がある意)+清い』が語源です。『潔白ですがすがしい』意です。」
とするが,勇ましさが,どう転じたかが全く見えない。
http://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E6%BD%94%E3%81%84-%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%8E%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/
も,
「潔いとは、勇ましい、功(いさお)しなど、積極的であるという意味の『いさ』に、きれいである、澄んでいるという意味の『きよい』がついたものであるといわれているように、もとは、風景を前にしたり、人物と接したときの『とても清らかである』『とてもすがすがしい』という気分を言い表した言葉である。現代では主に人の性格について、心が清く正しく、未練がましいところがないという意味で、『武士なら潔く切腹せよ』『言い訳ばかりしていないで潔く罪を認めろ』『この試合で彼らは負けたが、卑怯な手は使わず潔かった』などと用いられる。つまり、あきらめが早い、キレやすい、口べたである、勝負弱い、戦略や戦術に乏しく無計画であるといった性格を言っているのである。」
と,同じ説を唱える。どうも,この説明では,「イサ(勇)」の意味は,元々なかったと言っているようなもので,後世の「潔し」の意味に引きずられた解釈ではないか。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/isagiyoi.html
は,意味は,
「潔いとは、思い切りがよい。卑怯なところや未練がましいところがない。 清らかで気持ちが良い。汚れがない。潔白である。日本的な美意識を代表する語。」
とし,語源は,
「潔いは、『いさぎよし』の口語。 潔し(潔い)の『ぎよし(ぎよい)』は、『
きよし(清し)』の連濁。潔いの『いさ』は、程度の甚だしいさまを表す『いた・いと(甚)』、『いさむ(勇む)』の語幹とする説や、『いさ(勇)』の意味から転じて語勢を強めたものなど諸説あり断定はし難いが、古く、『潔い』は心の潔白さだけではなく、自然や風景が澄んでいるさまを表していたことから、『いさ』は『いた・いと(甚)』で『いたきよし(甚清)』の転訛と思われる。
現代では、『責任転嫁をしない』『卑怯なところがなく立派である』といった意味に限定して潔いが使われるが、この意味に限定される上で『いさむ(勇)』の語幹が影響したと考えられる。」
と,調節しているが,無理筋ではないか。「勇む」の語源は,
「『いさ』は『いさな(鯨)』『いさまし(勇)』などの『いき』と同源説」
とし,『大言海』は,
「気進(いきすさ)むの約略なるべし(息噴(いきふ)く,いぶく。憤(いきた)む,息含(いきくた)むの約略),
とするし,手元の『語源辞典』も,
「『イキ(息・気)+スサム(進む)』の音韻変化」
とする。「いさぎよい」の「いさ」と結びつけるには,「潔い」の意味の変化との乖離が大きすぎる。やはり,
甚清(イチキヨ)しの音転なるべし,
が一番説得力がある。この「甚(いと・いた)」については,「ど」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%A9,http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%A9)
で触れた折,触れた。「ど」もまた,
「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。」
ものであった。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「なさけない(し)」は,
情け無い(し),
と当て,
なさけ心がない,思いやりがない,無情である,
つれない,無愛想である,
無風流である,無骨である,風情がない,
あさましい,あきれるほどである,
なげかわしい,みじめである,同情の余地がない,
という意味が並ぶ(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。どうやら,はじめは,ただ,
情がない,
という状態表現であったものが,
無骨,
という状態表現へと転じ,そのことに価値を加えて,
見るにしのびない,
だの,
あさましい,
だの,
みじめ,
だのという価値表現へと転じた,と見ることができる。語源は,
情け+無し,
だから,「なさけ(情け)」を見る必要がある。「情け」は,
人間としての心,感情,
多を憐れむ心,慈愛,人情,思いやり,
みやび心,風流心,
風情,興趣,
男女の情愛,恋情,恋心,
義理,
情にすがること,
等の意味がある(『広辞苑』)。「義理」まで広がるのは,義理を解する心がある,という意味なのだろうか。「義理」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E7%BE%A9%E7%90%86)
で触れたが,義理は,中国語由来であり,『語源辞典』には,
「『義(我を美しくする)+理(すじみち)』です。人のふみ行うべき正しい道が本義です。日本語では,当然しなければならないつきあいを言います。」
とある。『大言海』が,
義の理,
とする,
対人関係や社会関係の中で,守るべき道理として意識されたもの,道義(『大辞林』),
だから,それをもたないのは,
人としてどうよ,
ということなのだろう。「情け」は,語源として,
中裂の義(『和訓栞』),
ナカサケ(中心裂)の意か(『大言海』),
ナは歎の義,サケは叫の義(『日本語源』),
ナツサヒケの義,ナツサヒはナツク(懐)の義,ケは気の義(『名言通』),
ナスケ(為助)の義(『言元梯』),
ナはナルル(馴)などのナと同語,サは語調を整える語,ケは気の義(『国語の語幹とその分類』),
ナサム(将為)ケ(気)から(『『語源辞典』),
ナサはナス(作為)と同根で,ケは見た目・様子の意の接尾語ケか(『岩波古語辞典』),
等々とある。要は,日本語は文脈依存だから,その文脈に応じて使われ,しかも音韻変化している。語感や音韻ではなく,元の文脈を探らなくてはならないはずだ。
手許の『語源辞典』は,
「ナス(作・為)+ケ(見た目,接尾語)」
で,心遣いが目に見える意,とする。『古語辞典』も同じで,
「他人に見えるように心づかいするかたち,また,他人から見える,思いやりのある様子の意が原義。従って,表面的で噓を含む場合もあり,血縁の人の間には使わない。ナサはナシ(作為)と同根。ケは見た目・様子の意の接尾語ケに同じであろう。ただし,漢文訓読体では,『情』(真情・内情)にナサケの訓をあてたので,平安女流系の用法と相違がある。」
とする。初め,見えている,
状態表現,
であったという意味では,『大言海』が,
「中心裂(ナカサケ)の意かと云ふ」
としているのは,
こころが裂かれている,
というように見える,という意味で,やはり状態表現というべきかもしれない。しかし,少し無理がある。やはり,
ナサはナシ(作為)+ケは見た目・様子の意の接尾語,
という行為として,それが見える方が自然な気がする。因みに,『世界大百科事典 第2版』に,「なさけ」について,
「他にはたらきかけるあわれみ,思いやりなど,人間としてのあたたかい心づかいをいう。もとは,他人に見えるようなかたちを伴う心づかいをいったので,親子,兄弟,夫婦などの間については用いられなかった。のち,人間らしい思いやりから転じて,みやび,情趣,風流などを理解する洗練された心をいうようになり,さらに風情,趣向などをさすことばとして用いられた。また中世以降,男女が惹かれあう心,恋心をいったり,情事や好色の心をさすことばにもなった。」
とある。やはり「他人に見える」が鍵で,それが,見える,
みやび,情趣,風流,
につながるようである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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幕末のことを書いたものを読んでいると,そこに登場する手紙などの文献に,しばしば,
九仞の功を一簣に虧く
という故事が,言い回しとして頻繁に出る。『故事ことわざ辞典』
http://kotowaza-allguide.com/ki/kyuujinnokouwoikki.html
によれば,
「『仞』は古代中国の高さや深さの単位で、「九仞」は非常に高いという意。『簣』は土を運ぶかご。もっこ。『虧く』は損なうこと。高い山を作るのに、最後にもっこ一杯の土を欠けば完成しないことから。『書経・周書』に『山を為ること九仞、功一簣に虧く』とあるのに基づく。」
とある。最後の詰めが大事というのに,そういう譬えをしたのだろう。
似たように,『史記』や『戦国策』を読んでいると,しばしば喩えに出されるのは,「尾生(びせい)の信(尾生之信)」だ。そう言えば,最近,こういう喩えを使って論旨を展開する人が少なくなった。小泉元総理が,「米百俵」のように,よく使ったのが一番記憶に新しいが,これからもわかるように,大概は,自説補強の喩えとして使うことが多い。
『広辞苑』には,
「(『荘子』盗跖)尾生が女と橋の下で会う約束をしたが女は来ず,大雨で増水してきたのに待ちつづけ,ついに溺死したという故事にもとづく)固く約束を守ること,愚直なこと。」
と載る。この謂れから,
「抱柱之信」(ほうちゅうのしん),
とも言う。『故事ことわざの辞典』には,
「尾生の信は,随牛の誕(いつわり)に如かず」(『淮南子』)
と載せる。随牛とは,君命を偽りて国を存した人,と注記される。それに如かず,と。
『史記』蘇秦伝では,
蘇秦が,燕王に,曾参(そうしん)のごとき孝行もの,伯夷(はくい)のごとき廉潔のひと,信義をまもること尾生のごときものが使えているとしたらどうか,と尋ねたところ,王が,満足と,返答したことに対する反駁として,こう答えるところがある。
「「曾参のように孝行者でしたら、義として一晩でも両親の元を離れて外へ出ることはございますまい。王さまはどのようにして、千里の道を歩かせ弱い燕の国の危うき王に仕えさせることができるのでしょうか。伯夷のように廉潔であれば、義として孤竹国の君主の座も継がず、武王の臣にもならず、封侯も受けず首陽山の麓で餓死したのですから、このように廉潔であれば、王さまはまたどのようにして千里の道を歩かせ、斉において進んで新しいことに取り組ませることができるのでしょうか。尾生のように信義を守る人であれば、女と橋の下で会う約束をして、女が現われなかったのに、水が増えてきてもそこを離れず、柱を抱いて死んだほどです。このように信義を守る人であれば、王さまはまたどのようにして千里の道を歩かせ斉の強兵を退かせることができるのでしょう。わたくしはいわゆる忠誠と信義というもののために、上より罪を受けたのでございます。」
とあるし,『戦国策』 にも同様のエピソードが載り,
「かくまで信を守る男が…大きな功績をおさめられようか。」
と述べており,出典となっている『荘子』盗跖では,
「世間でいうところの賢士は、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)だが、伯夷・叔斉は孤竹国の君主を辞退して、首陽山(しゅようざん)で餓死し、亡骸は埋葬すらされなかった。鮑焦(ほうしょう)は清廉高潔にこだわって世間を非難し、木を抱いて死んだ。申徒狄(しんとてき)は諫言が聞き入れられなかったので、石を背負い河に身を投げて死に、魚の餌となった。介子推(かいしすい)は最も忠義者で、自分の太ももの肉を割いて、晋の文公に食べさせた。文公は国に戻った後、彼に背を向けて報いなかったので、子推は怒って去り、木を抱いて焼け死んでしまった。尾生(びせい)は橋の下で女と会う約束をしたが、女が来ない。河の水かさが増してきたが、尾生はその場を立ち去らず、橋げたを抱いたまま死んだ。
この六人は八つ裂きにされた犬や河に流された豚、ひさごを持って物乞いをする乞食と変わりない。みな、名節を重んじ、命を軽んじて死に赴き、本質を考えて寿命を養うことができなかった者たちである。」
として,これは,孔子が大盗賊・盗跖にやり込められる部分である。つまり,
「名に離(かか)り死を軽んじて、本(もと)を念(おも)い寿命を養わざる者なり」
と,荘子は盗賊を借りて批判しているのである。因みに,『史記』屈原・賈生伝では,おべっか,諂いが跋扈するのを,
世人は伯夷を貪欲といい,盗跖を清廉だといった,
と皮肉な表現をしている。
つまり,「尾生の信」を引くときは,信義頼むに足らず,の喩えとして使われているのである。荘子は,儒者批判の為にしているし,蘇秦は,遊説家として,説得のために喩えを用いている。
「揣摩臆測」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E6%8F%A3%E6%91%A9%E8%87%86%E6%B8%AC)
で触れた,
揣摩の術,
として使っている。いずれも,信義とか忠実とかを嗤うために,「尾生の信」を持ち出している。だから,「尾生の信」と言うとき,多く,
約束を頑なに守る愚,
という含意で喩えとして使われる。その意味で,
愚直,
とか
馬鹿正直,
という裏面の翳がついて回る,といっていい。信義とは,たとえば,
真心をもって約束を守り,相手に対するつとめを果たすこと,
といった意味である。約束したのは,相手とだけではない。自分自身に対しても,それを守ると,約束したのではあるまいか。
僕は思うのだが,周りに愚と見えようと,そうすることが,おのれにとって大事なことだということはある。人と約束するとは,ただ,その約束事項を相手と交わしたという以上に,自分自身に対して,その約束を守る,と誓ったことなのではないか。とすれば,相手を信ずる,と言う以上に,それを約束した自分を信じ切る,ということではないのか。結果はどうあれ,それが,自分の倫理なのであれば,それを遂行しきる,ということは,そう嗤えることではあるまい。
確かに馬鹿正直にもほどがある,という言いようもある。しかし,信ずるに足らぬものを信じたのはおのれである。そのおのれのつけを払うには,徹頭徹尾,おのが信じた約束を守りきること,というのもまた,ひとつの生き方だと,僕は思う。倫理とは,
おのれはいかに生くべきか,
の謂いである
なお,「尾生の信」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%B0%BE%E7%94%9F%E3%81%AE%E4%BF%A1)というタイトルで, 芥川龍之介に,短編がある。また,盗跖については,
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%9B%97%E8%B7%96
に詳しい。
参考文献;
近藤光男編『戦国策』 (講談社学術文庫)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
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「はがゆい」は,
歯痒い,
と当てる。意味は,
思うままにならないで,こころがいらだつ,
で,
もどかしい,
じれったい,
が,その意味の代替に並ぶ(『広辞苑』)。逆に,「もどかしい」を引くと,
ぶつくつさと非難したい気持ちがする,
思うようにならないで,気がもめる,
とあり,後者に並んで,
はがゆい,
じれったい,
が挙がる。さらに,「じ(焦)れったい」を引くと,
思うようにならない腹立たしい,いらだたしい,
とあり,
もどかしい,
は載らない。この載らないのに意味があるのか,と思うと,他の辞書(『デジタル大辞泉』)には,
もどかしい,
が載る。この三者に意味のずれはないのだろうか。ただ,手元の『古語辞典』には,「もどかし」は載るが,「はがゆい」「じれったい」は載らない。
語源から見ると,「はがゆい」は,
「歯+かゆい(痒)」
で,『大言海』は「はがゆし」で,
「歯の浮く思いか」
とある。で,意味に,
隔靴掻痒,
を載せる。まさに,歯が痒い時の,
思うままにならない苛立ち,
ということになる。「じれったい」は,
焦れったい,
と当てるところから,
焦れる,
との関連を連想するが,手元の『語源辞典』は,
ジレルの形容詞化,
を取る。で,「じれる」は,
ジリジリ(擬態語)+する,
とする。『大言海』は,
じれ痛しの義,
とする。しかし異説があり,
知りつつ道理のないことを言う意の古語シレ者のシレから(柳田國男),
という説がある。因みに,「じりじり」には,「はがゆい」「もどかしい」の意味の他に,
ベルの音やぜんまいの巻かれるときの音,
脂分が少しずつ燃えて焼ける時に出る音,
太陽が鋭く食い込んでくるように照りつける様子,
ものごとを,少しずつゆっくりではあるが力強く進めていく様子,
等々の擬態語としての意味が多い。ここからだと,
じれったい,
に繋がりにくいが,『大言海』の「じりじり」に,
躙(にじ)る意か,
として,
足踏み固めつつ,漸くに推し進む状に云ふ語,
とある。たとえば,「にじりよる(躙り寄る)」では,
座ったままじりじりとひざで進み寄る,
という意味になる。「躙り口」の「にじり」である。これだと,「じれったい」の語感とつながる。この「にじる」自体が,
ニジ(擬態語,じりじり膝を付けて動く)+る,
なので,どうやら,そもそも擬態語の,
じりじり,
に発祥がある。「もどかしい」は,手元の『語源辞典』は,
説1,「『もどく(擬く・似せる)の未然形+しい(形容詞化)』です。似て非なるものは,うまくいかない。自らの気持ちにちぐはぐだ。ゆえにはがゆくじれったい気持ちになった語です。
説2,「『もどく(逆らって非難する)+しい』で,岩淵(悦太郎説。『語源散策』『語源の楽しみ』)です。」
と二説載せる。『古語辞典』は,
モドキの形容詞形,
とある。「もどき」は,
「モドはモドシ(戻)・モヂリ(捩)と同根。ねらった所,収まるべき所に物事がきちんとおさまらず,はずれ,くいちがうさま」
とある。上記説1である。『大言海』は,
もどかはしのの略,
とし,「捂」の字を当てる。そして,
抵捂(もど)くべくあり。批難せまほし,
欲戻の意より移りて,我が心のままにならぬ。思ふやうにならず,はかどらずして,心,いらいらし,
の意を載せる(『もどかはし』は,『もどかし』に同じとある)。「もどく」は,「抵捂」を当て,
戻るの他動詞,戻り説くの意,
とあり,
もとからぬ,逆らふ,然は非ずと批判す,
とし,「抵捂(ていご)」の項には,中国由来らしく,
互いに相容れざること,かれとこれと,くひちがふこと,
とある。とすると,『由来・語源辞典』が,
http://yain.jp/i/%E3%82%82%E3%81%A9%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%84
「『もどかしい』とは、動詞『もど(擬)く』が形容詞化したもの。
『もどく』は、『他と張り合って真似をする』、または『他と対立して相手を非難する』の意を示す。『もどかしい』は後者の意味の『もどく』を形容詞化したもので、『非難したい気持ちだ』というのが本来の意味。そこから、いらついた感情一般をさすようになり、『いらだたしい』『じれったい』という意味になった。」
とある説明が,要領を得ている。だから,
『「じれったい、もどかしい、はがゆい」の意味分析』
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/nichigen/issue/pdf/11/11-17.pdf
が,『講談社類語辞典』をひいて,
「『じれったい』は一般に他人の行為について、『もどかしい』は一般に自分の行為についていう場合に用いられると述べられている。」
というのは,語源的には,相手を意識しているのは,「もどかしい」だということになる。
確かに,「はがゆい」「じれったい」「もどかしい」は,
思うままにならないで,こころがいらだつ,
意には違いないが,おなじ「いらだち」でも,「もどかしい」は,
相手との乖離が縮まらぬ,
という意であり,「じれったい」は,
にじり寄る動作の,さくさくいかない,
苛立ちであり,「はがゆい」は,まさに,
隔靴掻痒,
つまり,
痒いところに手の届かない,
という意味だ。たぶん,文脈に応じて,使い分けていたに違いない。しかし,意味だけ丸めれば,痒いところに手の届かないのも,「いらだち」でいえば,「もどかしい」には違いないが,そうは使わなかったのだろう。
ちなみに,『デジタル大辞泉』
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/112850/meaning/m0u/
では,
「『じれったい』は、その気持ちの生じる状況に対し、自分では手の出しようがなく、いらだたしい思いがつのる場合に多く使われる。『私が行ければいいのだが、ほんとうにじれったい』
『はがゆい』は、他の人のすることを見て、何をしているのだといらだたしく思う場合に多く使われる。『一度の失敗であきらめるとは、はがゆい人だ』
『もどかしい』は古くからの語で、『じれったい』『はがゆい』と同じように使うが、文章語的である。『上着を着るのももどかしく部屋を飛び出した』のように、心がせいて何をする時間も惜しいの意は他の二語にはない。」
と,「はがゆい」「じれったい」「もどかしい」を比較しているが,時間の意が強いのは,
じりじり,
に端を発する「じれったい」ではないか。
なお「じれったい、もどかしい、はがゆいの意味分析」は,
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/bugai/kokugen/nichigen/issue/pdf/11/11-17.pdf
に詳しいが,そこでは,
「『もどかしい』は、思い通りにならないことであっても、どうにかしたいと精神的に苦しむさまを表す。それに対し、
『はがゆい』は、…どんなに頑張っても助けたいという思いは叶わないと認識することによって生じる感情である。そのため、思い通りにならないことであっても、どうにかしたいという気持ちを含む文には用いることができない。
『じれったい」は…、あることが実現することを望んでいるが、なかなか実現しないことに気持ちが落ち着かないさまを表す。一方の『はがゆい』は…自分の思いを叶えたいという強い気持ちに反して、思いが叶わないと認識したことによって生じる感情である。そのため、『じれったい』と『はがゆい』は意味が類似していると考えにくい。」
と,現代での用例を分析して結論づけている。もちろん,語源から見ると,異論はあるが。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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「なごり」は,
名残,
あるいは,
余波,
と当てる。『広辞苑』は,
「ナミ(波)ノノコリ(残)の約という」
として,まず,「余波」と当てる場合,
風が静まって後も,なおしばらく並みの立っていること,またその波,
波が退いて後汀(みぎわ)に残る波,また残された海藻など,
とあり,そのほかに,
物事の過ぎ去った後,なおその気配や影響などの残ること,余韻,
特に,人の別れを惜しむ気持ち,
もれ残ること,もれ残り,
別れること,また別れとなること,ものごとの終り,
子孫,
名残の折(連歌,俳諧の懐紙の最後の一折)の略,
とあり,この載せ方だと,「余波」の意味をメタファに,「残るもの」あるいは「最後」といった意味に外延を広げていったと読める。『大言海』は,「なごり」について,
余波,
と
名残,
を別項に立て,「余波」は,
「波残(なみのこ)りの略と云ふ」
として,
海上に,吹き止みて,尚並みの鎮まらぬこと,又,風の吹くときに,凪て後も,尚,暫したちさわぎてあるもの,転じて,なごろ(余波の転),
転じて,汀に波の引き去りて後に,尚,ここかしこに波水の残れるもの,
また,転じて,汐干したる後,磯の石間,洲崎のくぼみなどに,波に遅れて残り居るこち,きす,かれひ,などやうの,沙に伏す魚,
と載る。この意味の転じ方を見ると,「余波」の意味が,沖から,汀,潮干と移っていく様子がよくわかる。さらに,『大言海』は,「名残」について,
物事の過ぎ去れる後に,其の気の残ること,面影の残れること,余韻,
洩れ残ること,遺漏,
転じて,別れむ後に,心の残るべきこと,
別離に臨みてすること,最後に物すること,訣別,
俳諧の付合いの終りの部,歌仙にては終りの十八句,
とあり,『広辞苑』よりも意味の広がりがよくわかる。どう見ても,「名残」は「余波」の転としか見えない。しかし,語源は,そうとも限らない。手元の『日本語源広辞典』は,二説あるとしている。
「説1は,『波残り』が有力です。浜・磯に,打ち寄せた波が引いた後に残った水のことをいう言葉が,一般的に物事の残り,を表すようになったと見るべきです。余波と漢字で現す習慣は,この語源説に従う表記です。説2は,『nokoriとnagoriと同じ言葉で,音韻変化で二つの意味になったという説』です。」
と。『古語辞典』も,
「ナミ(波)ノコリ(残)の約という。並みのひいたのと,なおも残るもの。さらに,あることの過ぎ去ったのちまでも,尾を引く物事や感情の意」
としている。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/na/nagori.html
も,同様で,
「なごりを『名残』と書くのは当て字で,名前が残るというのが語源ではない。なごりは漢字で『余波』を当て,波が打ち寄せた後に残る海水や海藻も意味するように,『なみのこり(波残り)』が短縮し変化してできた言葉である。そこから,余韻や影響など何かの事柄の後に残るものを『なごり』と言うようになった。
『なごり』が波によって残ったものではなく,ある事柄が過ぎた後に残る余韻や影響を表すようになったのは,『万葉集』にもその例が見られることから,奈良時代以前と考えられる。
人との別れを惜しむ意味で『なごり』が用いられた例は,平安時代以降に見られ,『名残惜しい』という形容詞も,この頃から見られるようになる。」
しかし,僕は,これらの解釈は,「余波」という漢字表記を知って以降のことではないのか,という気がしてならない。文脈依存の和語は,「残り」としか言わなかったのではないか。それが,何の残りかは,その場で会話している人にわかればいい。その意味で,「波残り」は,解釈しすぎ,ひいきの引き倒しではないのか,という気がしてならない。つまり,「余波」という漢字を当てて以降,いろんな意味が深まったにすぎない。その意味で,『日本語の語源』が,oとaの母音交替の例のひとつとして,
「ノコリ(残り)はナゴリ(名残り)に転音した。『潮干の残り水』を省略して『潮干の名残』,『朝残りの月』を省略して『余波の月』,『残りの心』を省略して『名残』という。」
と挙げるのをとりたい。上記『日本語源広辞典』のいう,
「『nokoriとnagoriと同じ言葉で,音韻変化で二つの意味になったという説」
の,説2である。こうした音韻変化の例は,ほかにも,
シロクモ(白雲)→シラクモ,
ハクモ(穿く裳)→ハカマ,
ウミノハラ(海の原)→ウナハラ,
ミノソコ(水の底)→ミナソコ,
メノフタ(目の蓋)→マブタ,
ミノツキ(水の月)→ミナヅキ,
イソノトリ(磯魚獲り)→イサナトリ,
メノカヒ(目の交)→マナカヒ
等々。われわれは,後から当てた漢字で意味を汲み取る習慣がついているが,それは曲者だ。「あお」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8A),「あか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%B5%A4)
等々で触れたように,
辞書(『広辞苑』)でひくと,
「古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は,灰色がかった白色を言うらしい。」
と,それは,色ではなく,「くろ(暗)」と「アカ(明)」と,明暗しか区別していなかった。その場にいる人間には,それでじゅうぶんであった。色に,明暗しかもたなかっのと同様に,「残り」が,
沖の余波か,
磯の残り水か,
潮干の魚か,
の区別はついたのである。それに,
余波,
名残,
と当てたことで,我々は,言葉の世界の奥行と広がりを知ったにすぎない。僭越ながら,「余波」を当てていることを語源の根拠とするなどは,物の考えが逆立ちしているのではあるまいか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「うしろめたい」は,
後ろめたい,
と当てるが,『広辞苑』には,
「『後目痛し』の意という」
とあり,
後のことが気にかかる,こころもとない,
やましいところがあるので気がひける,
という意味が載る。『古語辞典』も,
「ウシロメ(後目)イタシ(痛)の約。人を後ろから見守りながら,将来は安全かと胸痛む気持ち。自分の認識や力の及ばないところで,事態がどうなっていくかわからないという不安感を表す。成り行きに気が許せない,気がかりだの意から,転じて,自分の行為について他人の見る目が気にかかる意『うしろやすし』の対」
としている。語源は,,
ウシロベイタシ(後方痛)の略転(『類聚名物考』『大言海』『碩鼠漫筆』)
ウシロベイタシ(後目痛)の意(『名言通』)
ウシロモドカシ(後鈍)の約転(『言元梯』),
等々あり,『日本語源大辞典』は,
「『うしろへ(後方)痛し』の変化した語。後方から見て気がかりな気持ちや状態をいうのが原義。後の方が気がかりだの意とする説や『うしろ』を将来の意とし,対象の行動や状態が未来において不安をはらんでいるとする説もある。」
とする。『大言海』は,「うしろめたし」を引くと,
「うしろべたしに同じ。其の條をみよ。」
とあり,「うしろべたし」には,
「後方痛(うしろべいた)しの約,背後の気づかはしく,心がかりなる意。転じて,ウシロメタシ(すべらぎ,すめらぎ),其ウシロメタに,甚(な)しを添へてウシロメタナシ(むつくけし,むくつけなし)」
とあり,対は,
うしろやすし,
で,『枕草子』から,
「乳母(めのと)かへてむ,イトウシロベタシと仰せらるれば」(第四段),
「いと危うく,ウシロベタクはあらぬにや」(十二,百四十八段),
と,用例を引く。さらに,
「転じて,うしろめたし,ウシロメタなしとも云ふ」
とある。その転義の用例として,
「女郎花,ウシロメタクも見ゆるかな荒れたる宿にひとり立てれば」(古今集)
「火ともしつけよ,いと暗し,さらにウシロメタクば,なほ憂し」(蜻蛉日記)
「相思ふべき兄弟もなし,然れば,ウシロメタナク思ふこと,限りなし」(今昔物語)
『日本語源広辞典』も,
「ウシロベ(後方)イタシ(痛)」
を取る。『語源由来辞典』は,
http://gogen-allguide.com/u/ushirometai.html
「本来『不安だ』『気がかりだ』という意味で用いられた言葉で,そこから『油断がならない』『気が許せない』という意味に転じ,さらに,他人から『油断ならない相手』と思われるのではないかというところから,自身のやましさをいうようになった語である。
後ろめたいの語源は諸説あり,『うしろめいたし(後ろ目痛し)』もしくは『うしろべいたし(後ろ辺痛し)』で,後ろから見て心が痛むとする説。『うしろめいたし(後ろ目痛し)』もしくは『後辺痛し』を語源とし,後のことを考える(将来を見る)と心が痛むという意味から,『不安』を表すようになったとする説。『うしろめいたし(後ろ目甚し)』を語源とし,『甚し』は『はなはだしい』の意味で,後ろを見たくてしかたがないことから,『不安』を表すようになったという説がある。このうち定説になっているのは,『後ろ目痛し』の説であるが,古く『ウシロベタシ』という形が見られるため,『後ろ辺痛し』とも考えられる。ただし,『冷たい』を『つべたい』や『ちべたい』という地方もあることから,『ウシロベタシ』の『ベ』が『ベ(辺)』ではなく『メ(目)』を表しているとも考えられる。これらのことから,後ろめたいの語源は,『後ろ目痛し』か『後ろ辺痛し』のどちらか一方であろうということ以外,大本となる意味についても断定は難しい。」
と整理しているが,しかし,『日本語の語源』は,こう書く。
「ウシロヤスシ(後ろ安し)は,『後ろの方がなんとか安心だ。心配がない』という意味のことばであるが,その対語として『後ろの方が気にかかる。不安だ。心配だ』という意味でウシロミタシ(後ろ見たし)といった。『ミ』が母音交替(ie)をとげてウシロメタシになった。〈をみなへしウシロメタクモみゆるかな,荒れたる宿にひとり立てれば〉(古今集)。『心配だ。気がかりだ』の意であるが,中世からは『うしろぐらい。やましい』に転義した。」
と,「後ろ見たし」をとる。結局,
ウシロベイタシ(後方痛),
ウシロメイタシ(後目痛),
ウシロミタシ(後方見たし),
の三説ということになる。
「うしろ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8A)
で触れたように,
「う(内部)+しろ(区域)」
で,内部から転じて,後部となった語,とされる(『日本語源広辞典』)。あととか背後の意味も持つ。しかし,『古語辞典』をみると,「うしろ」は,
「み(身)」の古形「む」と「しり」(後・尻)の古形「しろ」の結合した「ムシロ」の訛ったもの
とある。で,かつては,
まへ⇔しりへ
のちには,
まへ⇔うしろ
と対で使われる,とある。『大言海』には,
身後(むしり)の通音
とあり,むまの,うま(馬),むめの,うめ(梅)と同種の音韻変化,とある。
とすると,「痛し」は変である。「甚し」も,やはり変である。
後のことが気にかかる,こころもとない,不安である,
という意味なら,背後を見たい,というのが自然ではないか。素人が言うのも僭越だが,
後ろ見たし,
を取りたい気がする。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1134423721
は,「後ろ目痛し」説だが,
「『後ろめたい』は、『後ろ目痛し』が変化したものとされています。
『後ろ目が痛い』→『後ろからの視線が痛い』→『他人からの視線が痛い』
つまり、自分が他人から非難の目で見られているのではないか、冷たい目で見られているのではないかなどと感じているという事でしょう。
ですから、『後ろめたい』とは、自分は他人から非難されたり、冷たい目で見られたり、或いは制裁を受けなければならないような事をしたにもかかわらず、その報いを受けていない、という自覚があり、そのため周囲に対して堂々としていられない様子を表しているのではないでしょうか。」
と,
内から外への視線が,後ろからの視線に変じ,他人からの視線へ,
とする。つまり,内から外への心理状態の状態表現であったものが,後ろから内への視線という状態表現の180度ひっくり返り,それが,他人からの視線という状態表現ではなく,心の疚しさ,を突かれているような価値表現へと転じた,ということになる。この視点転換は,
ウシロミタシ(後方見たし),
の内から外への視点転換,さらには,状態表現から価値表現への転換と通じるところがある。
現在の「後ろめたい」の同義語,「やましい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%84)については
で触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「おもはゆい」は,
面映ゆい,
と当てる(「面眩い」と当てる例もある)。
顔を合わせることがまばゆいように思われる。恥ずかしい。照れくさい。極まりが悪い,
といった意味になる。『大言海』は,
「目映(まばゆ)し,同趣。カハユシと云ふ語も,顔映(かほはゆ)しの約なり」
とあり,『語源辞典』も,
「面+映ゆの形容詞化」
とし,「顔が映ゆは,マブシイ意」とする。
「まぶしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%BE%E3%81%B6%E3%81%97%E3%81%84)については触れたが,『日本語の語源』によると,
「『照り輝いてまばゆい』ことをハユシ(映ゆし)といったが,メハユシ(眼映ゆし)はマハユシ・マバユシ(眩し)になり,バユ(b[aj]u)(はゆ(h[aj]u))が縮約されてマフシ・マブシ(眩し)になった。」
とある。「映(は)え」は,
「生えと同根」
と,『古語辞典』にあり,
「他から光や力を受けて,そのものが本来持つ美しさ・立派さがはっきり表れる」
という意味が載る。語源は,
「ハ(晴れ)+ユ(見ゆ)の約」
で,晴れ晴れしく見える意,とされる。
『大辞林』には,
〔相手と顔を合わせるとまぶしく感ずる意。中世・近世には「おもばゆし」とも〕
とあるのから考えると,はじめは,視点が内から外で,
面が映ゆく感じさせられる,
が,視点が転じて,外から見て,
面が映えて見えること,
と転じたが,そこまでは,あくまで状態表現であったが,それに価値表現が付加し,面が映えて見えるのは,何か原因があって,
恥ずかしい,照れくさい,極まりが悪い,
という価値が加味された,ということになる。
類義語は,
はずかしい,
てれくさい,
尻こそばゆい,
居心地が悪い,
といったところだが,
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/4118/meaning/m0u/
では,
恥ずかしい(はずかしい),
照れくさい(てれくさい),
面映ゆい(おもはゆい) ,
を比較し,
【1】「恥ずかしい」は、良いことでも悪いことでも、他人の前に出ることができないような感情についていう,
【2】「照れくさい」は、照れてしまってなんとなく恥ずかしいさまをいう,
【3】「面映ゆい」は、あることをしたり、されたりする場合に、面と向かってそうするのがなんとなく恥ずかしいさまをいう,
と区別している。「恥」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E6%81%A5)の項
で,「恥ずかし」「照れくさい」については触れたが,「恥」は,語源は,
「端+づの連用形」
で,
「中央から外れている,端末にいる劣等感,が恥です」
とある。確かに状態表現ではあるが,既に,その状態自体に価値が現れている。「照れる」は,
「恥ずかしくて顔が赤くほてる意」
とあり(『広辞苑』),語源も,
「照るの語幹に受身のレルのついた語」
とあり,
照らし出されるように,気まり悪がる,
意とある。これは,価値表現には違いないが,内からの自己評価である。「てれくさい」の「くさい」は,
「腐るを形容詞にした語」で,
転じて,変だ,あやしい,の意となり,接尾語的に,
〜のように感じられる,
という意味になる。あくまで主観的な価値判断である。
だから,三者は似ているが,「恥ずかしい」は,
状態として既に恥を感じる位置にある,
という意味で,「照れくさい」は,
主観として,気まり悪がっている,
という意味であるが,「面映ゆい」は,
内面の評価,
の意味ではあるが,
外からの視線によってそう感じている,
という含意があり,外と内との価値表現のギャップそのものを言い表しているように見える。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「はにかむ」は,『広辞苑』には,
歯が不ぞろいにはえる,
歯をむき出す,
はずかしがる,はじらう,
と意味が並ぶ。僕の感覚では,
はずかしがる,
という意味しかないが,どうやら,はじめは,
歯の状態,
あるいは,
口元の状態,
を言い表す表現でしかなかったものが,それ自体から,どうしてそれがそういう意味に転じるのかはわからないが,
はずかしい,
という価値表現に転じたものらしい。『古語辞典』には,
歯が重なって生える,
歯をむく,
の意しか載らない。しかし『江戸語大辞典』には,
恥ずかしがる,
恥らい,しぶる,
の意しか載らない。この間に,価値表現へと転じたということになるのだろうか。語源には,
オモハユキ(面映)の意か(『大言海』),
ハヂカムの転か(『大言海』『国語の語根とその分類』),
があるらしい。『大言海』は,
面映(おもはゆ)き意か,又は恥かむの転か,
と両説を載せる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/hanikamu.html
は,
「はにかむは歯が不揃いにはえることをいった言葉であったが、転じて歯をむき出す意味となった。 歯をむき出した表情は、照れ臭そうに笑っているようにも見えることから、
恥ずかしそうにする仕種を言うようになった。 一説には、『はじかむ(恥かむ)』が変化
したとも言われ、歯をむき出した表情から恥ずかしがる意味に転じた際に『はじかむ』が影響したとも考えられる。」
とする。しかし,
「歯をむき出した表情は、照れ臭そうに笑っているようにも見える」
というのは,よく言われる,われわれの表情のことだとすると,
恥ずかしがるとき,歯をむき出している,
というより,
照れ笑いで,歯がのぞく,
程度なのではないだろうか。手元の『語源辞典』は,
含羞む,
と当てて,
「『歯+に+噛む』です。遠慮がちに恥ずかしがる様子が,歯にものを咬むなので,ハニカムの語が自然発生したようです。」
とする。
「歯をむき出した表情」
よりは,
「歯にものを咬む」
の方が,現実感がある。
「恥づ」は,語源的には,
「端+づ」
で,中央から外れている,末端にいる劣等感,を意味する。『古語辞典』にも,
自分の能力・状態・行為などについて世間並みでないという劣等意識を持つ意,
と注記がある。だから,
(自分の至らなさ,みっともなさを思って)気が引ける,
となるし,逆に,
(相手を眩しく感じて)気後れする,
結果として,
照れくさい,
という意味になる,ようである。この場合,「照れくさい」は,
おもはゆい
で触れた,
面映ゆい,
に近い。「おもはゆい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%AF%E3%82%86%E3%81%84)
で触れたように,
内面の評価,
であるが,
外からの視線によってそう感じている,
という含意があり,外と内との価値表現のギャップそのものを言い表しているように見える。「はにかむ」もそれに近い感じがする。状態として,
「端+づ」
にはないが,そう主観的に感じて,恥ずかしがる,ということだろうか。辞書(『広辞苑』)で,「はにかむ」の意味とする,
恥ずかしい,
恥らう(「恥づる」の転),
とは,少しニュアンスが違うのではないか。「恥じる」とき,事実としての「端+づ」があり,それを恥とする。「はにかむ(「てれくさい」も「おもはゆい」もそういう含意があるが)は,貶められときる(マイナス評価)には使わない。自身の自己評価に比べて高いのを「はにかむ(てれる,おもはゆい)」のである。
「恥」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E6%81%A5)
で触れたが,「恥」の字は,
「恥」は,「心+耳」で,心が柔らかくいじけること,
という意味らしい。中国語では,
羞(恥じて眩く,顔の合わせがたきなり),
恥(心に恥ずかしく思う),
愧(おのれの見苦しきを人に対して恥ずる。醜の字の気味がある),
辱(はずかしめ,栄の反対。外聞悪しきを言う),
慙(はづると訓むが,はぢとは訓まない。慙愧と用いる。愧と同じ),
忸(忸・怩ともに恥ずる貌),
等々と区別し,
「羞,恥じて心が縮まること,『慙愧』と熟してもちいる。辱も柔らかい意を含み,恥じて気後れすること。忸は,心がいじけてきっぱりとしないこと。慙は,心にじわじわと切り込まれた感じ。」
と,語感の違いを示す。「はづ」に「恥」の字を当てたのには意味がある。「はにかむ」とは,含意を異にするのである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「買い被る」は,
物を実際の価りも高く買う,
人を実際以上に高く評価する,
という意味(『広辞苑』)だが,語源は,
買い+被る(被害を受ける),
で,物の売買での価値の見誤り,と言うところからきていて,それをメタファに,人の評価に使ったということになる。
『由来・語源辞典』
も,
「本来は『物を相場より高い値段で買って損をする』意だったが、明治時代になって意味が変化したもの。『買って(その結果として損害を)被(かぶ)る』というのが原義。この『被る』は『被(こうむ)る』と同じで、損害など悪いことを背負い込むの意。」
とある。『江戸語大辞典』を見ると,「買い被り」として,
「安く買える品物を誤って高く買うこと。見込み違いで正当な値段よりも高く買うこと。また『買い被る』と動詞にいわず,『買い被りをする』という。」
とある。この説に従うと,
買い被る,
と動詞化したところから,意味が転じたのかもしれない。
さて,この「買い被る」の同義語は,
過大評価,
とか
過剰評価,
とか
過大視する,
となる。とすると,逆は,
過小評価,
という言い方になる。過小評価の類語は,
見縊る,
ということになる。「見縊る」は,
力や価値がないと見極めをつける,軽んじあなどる,見下す,
という意味になる(『広辞苑』)。語源について,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1283262222
には,
「見てくびる、縊る、ということですね。『縊る』の意味はキツイのですが、『首をしめて人を殺す』ことです。
つまり、『パッと見て、相手にサッとペケを付ける』が、…語源説です。」
とある。ちょっと眉唾の気もするが,しかし,『大言海』は,「縊る」を,
「頸を活用せしむ。頭(かぶ)る,曇る」
としている。「見縊る」は,
見下す,見貶(みおと)す,みけなす,みこなす,
と並ぶところを見ると,第一印象で,とっさに相手を判断して,
見下す,
ということになる。つまり,上から目線に転ずる,ということになる。「見下(くだ)す」は,
見+クダス(下す),
で,高い位置から下方を見る,という状態表現が,転じて,他人を見下げる,あなどる,という価値表現に転じたものだ。
「あなどる」は,
侮る,
慢る,
と当てるが,語源は,
古語アナヅルの変化「アダ(徒)+ヅル」
で,
無駄だ,無益だ,と見る意,
とある。『大言海』は,「あなづる」の項で,
「語源詳らかならず,徒釣(あだづ)るの転にもふあらむか(招釣(をこづ)る(誘)などもあり)。徒なることをすの意(花薄(はなすすき)ハハタススキ。頂巓(いただき),イナダキ)。尚考ふべし。アナドルと云ふは,音転なり(かもづく,かもどく。たづたづし,たどたどし)」
としている。
買い被る,
か
見縊る,
かは,いずれ評価が誤ったことで,それを,
見損なう,
見誤る,
と言うが,辞書(『広辞苑』)には,
見誤る,
評価を誤る,
と載るが,買い被り,を
見損なうとは言わず,多く,
見縊る,
ことを,見損なう,という気がする。ちなみに,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14147446844
で,「相手を低く見てばかにする」という言い方の,
嘲る(あざける),
見下す(みくだす),
見くびる(みくびる),
侮る(あなどる),
見下げる(みさげる),
卑しめる(いやしめる),
蔑む(さげすむ),
貶める(おとしめる),
を対比して,
「嘲る」は、人をばかにして笑う意。また、「自分の無知をあざける」のように、自分のことにも使う。
「見下す」は、自分の方が上だと思って相手を軽く見る意。
「見くびる」は、相手の力を実際より低く見て、自分の力を尽くさないことの意。
「侮る」は、相手の力を自分より低いと見て、ばかにする言動をとる意。
「見下げる」は、道徳的意識のないことを非難するときに多く用いられる。
「卑しめる」は、卑しいものとしてばかにする、「蔑む」は、自分よりひどく劣ったものと見てばかにする、
「貶める」は、他人を劣ったものとしてばかにするの意で、それぞれに嫌悪する気持ちが含まれている。
としていたが,多く,人を見下したり,蔑むのは,おのれを過大評価している場合が,多い。どんな人も,人が人を,
見縊ったり,
見下したり,
することは出来まい。むしろ,買い被って,「被る」方が,人として,いいのではないか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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八百長は,『広辞苑』には,
「明治初年,通称八百長という八百屋が,相撲の年寄某と碁の手合わせで,常に一勝一敗になるように羅っていたことに起こるという」
とある。
相撲や各種競技などで,一方が前以て負ける約束をしておいて,うわべだけの勝負を争うこと,馴れ合い勝負,
という意味から,一般化して,
内々示し合わせておいて,なれあいで,コトを運ぶこと,
という意味に転じた,とされる。明治以降の言葉らしいことは,『江戸語大辞典』に載らないことからも,そのように思われる。『大言海』には,「やほちゃう」の項に,こうある。
「もと八百屋渡世の,通稱,八百長と云ふもの,相撲協會の年寄某と,常に碁を圍み,優に勝つべき技倆あるに拘らず,巧みにあしらひて,一勝一負に終るを,事としたるに起こると云ふ」
とある。大体この類似の説があらゆるものに載る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7
では,
「八百長は明治時代の八百屋の店主『長兵衛』に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を『八百長(やおちょう)』といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。
2002年に発刊された日本相撲協会監修の『相撲大事典』の八百長の項目では、おおむね上記の通りで書かれているが、異説として長兵衛は囲碁ではなく花相撲に参加して親戚一同の前でわざと勝たせてもらった事を挙げているが、どちらも伝承で真偽は不明としており、「呑込八百長」とも言われたと記述されている。
1901年10月4日付の読売新聞では、『八百長』とは、もと八百屋で水茶屋『島屋』を営んでいた斎藤長吉のことであるとしている。」
さらに,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ya/yaotyou.html
では,
「八百長は、明治時代の八百屋の店主『長兵衛(ちょうべえ)』に由来する。 長兵衛は通称 『八百長』といい、相撲の年寄『伊勢海五太夫』の碁仲間であった。
碁の実力は長兵衛
が勝っていたが、商売上の打算から、わざと負けたりして勝敗をうまく調整し、伊勢海五大夫のご機嫌をとっていた。のちに勝敗を調整していたことが発覚し、わざと負けることを相撲界では『八百長』というようになった。やがて事前に示し合わせて勝負する意味も含まれるようになり、相撲以外の勝負でも『八百長』という言葉は使われるようになった。」
『日本語俗語辞典』
http://zokugo-dict.com/36ya/yaocyou.htm
では,
「八百長とは八百屋の長兵衛(通称:八百長)が碁仲間であった相撲の年寄と手合わせする際、実際は長兵衛のほうが強いが商売上の付き合いを考慮し、わざと負けたりしていた。後にこのことが発覚し、相撲など勝負ごとでわざと負けることや、一方が負ける約束をしたうえで上辺だけの勝負をすることを言うようになる(当人以外にも審判と関係者の事前打ち合わせによる勝敗操作も含む。負ける側だけが事前に知って敗戦行為をする場合『片八百長』ともいう)。
また、ここから勝負ごと以外でも事前に示し合わせた上で馴れ合いに物事を運ぶことを八百長というようになる。」
等々である。これらを,
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20110209
では,まとめている。少し長いが,引用する。
「実は、八百長という語そのものが、もともと相撲に由来する言葉なのだ。現行の国語辞書、語源辞典はそろって同じような説明を記している。代表格として『日本国語大辞典』第2版(小学館)の記述を引いてみよう。
『八百屋の長兵衛、通称八百長という人がある相撲の年寄とよく碁をうち、勝てる腕前を持ちながら、巧みにあしらって常に一勝一敗になるように手加減したところからという』《注1》。
また、岩波書店の『広辞苑』第6版には、「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合せで、常に1勝1敗になるようにあしらっていたことに起こるという」とある。語義は言うまでもなく、「勝負事などで、表面は真剣に争っているように見せかけながら、あらかじめ示し合わせておいたとおりに勝負をつけること」(大修館書店、『明鏡国語辞典』)で、なれあい試合を指す。
二松学舎大学や大東文化大学の教授を務めた国文学の大家・萩谷朴氏は『語源の快楽』(新潮文庫)と題する著書の中で、八百長という語が明治期から使われていた例証として、1910年(明治43年)1月28日付けの『報知新聞』の記事を詳しく引用している。『一月場所に於いて看過すべからざるは八百長の少からざりし事を筆頭とす。(中略)斯道の絶愛者板垣伯《注2》は積年の力瘤一時に抜けし如くも八百長相撲に落胆し』と書き出された記事は、今から見ると簡単には読むことができない文体だが、私なりに“超訳”すると、次のように続く。
板垣伯は、最も弟子の多い友綱という横綱の相撲部屋に自ら赴き、力士たちに「相撲は普通の興業物でなく、武士道を模範とすべきものだ」と訓示。「土俵での勝負は神聖に決すべきであり、いやしくも情実に流れて見苦しいことはしてはならない」など3項目を誓約させ、署名・捺印させた。
その上で記事は「各力士は今後、互いに戒め、断じて八百長相撲を取らない、と言明することが相撲道の為である」と結んでいる。
この明治の新聞報道から101年経つというのに、明治の頃よりはるかに『見苦しいこと』が、次から次へと明るみに出てきている。放駒理事長が『八百長は過去には一切なかった』と言い切ったのも白々しいが、責任は一人放駒理事長だけにあるのではない。猛省すべきは、むしろ歴代の協会幹部たちである。
《注1》 相撲の年寄と碁をしていたのは「八百屋の長兵衛」というのが通説のようだが、「文士・事物起源探検家 松永英明の絵文録ことのは」というサイト(http://www.kotono8.com/)は独自の調査から「八百屋の斎藤長吉」という名前を割り出しただけでなく、当時の相撲界の事情を新聞報道などのデータをもとに実にきめ細かく記述している。
《注2》 板垣退助のこと。当時は伯爵。熱烈な相撲愛好家で、相撲界の発展に尽力し、1909年(明治42年)に完成した最初の「国技館」という名称は板垣の裁断で決まった、と伝えられる。大相撲が「国技」と呼ばれるようになったのは、この「国技館」の名に由来するものと思われる。」
で,その松永英明氏は,
http://blogos.com/article/2518/
で,
「八百長は八百屋の斎藤長吉が由来、という新聞記事が見つかった(ウィキペディア等では『八百屋の長兵衛』と書かれているが、新聞記事では表記が違っていた)。また、当時の八百長とは談合して勝ち負けを決めるというより『勝ち負けが決まらないように引き分けまたは預かりにするような取組をする』という意味で使われていたことがわかった。明治の相撲の腐敗批判記事は、今にもそのまま当てはまる。相撲界は100年間何の進化もしていなかった(ある意味、明治の伝統をそのまま受け継いでいるともいえる。ただしそれは悪習を、である)。」
としている。詳しくは,上記に譲るが,どうやら初めの意味について,
「明治時代の新聞記事を見ると、八百長は『わざと引き分けや預かりにすること』の意味で使われていることがわかる。今の八百長が『わざと負ける(相手を勝たせる)』というふうに勝敗を決する意味で使われていることから考えると、ずいぶん意味の違いがある。」
つまりは,
勝負を預ける,
という,いわば,
勝負の棚上げ,
という状態表現でしかなかったものが,
勝ち負けを操作する,
という価値表現に転じたということがわかる。しかも,
「伊勢ノ海が相撲の興行権の売買価格を決めるとき、高く買ってもらう代わりに賄賂を渡したりしていた。それを『あそこには高く売れたが、いくらの八百長を取られたので美味しくない』というように言ったことから、賄賂の隠語として広まったという。」
「八百長 - 閾ペディアことのは」
http://www.kotono8.com/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7
は,上記経緯を,
「明治時代、両国の回向院前に住んでいた八百屋の斎藤長吉こと八百長がこの言葉の由来。伊勢の海五太夫と囲碁を打っていたが、本来長吉は非常に囲碁にすぐれていたにも関わらず、あえて伊勢の海に勝ちを譲った。このことから、試合でごまかして甘く繕うことを『八百長』というようになったという。
明治三十五年の鎗田徳之助『日本相撲伝』では、八百長が碁で手加減していたことを憤った伊勢ノ海がこのことを吹聴し、さらに相撲興行の売買で賄賂を払ったことを『八百長を取られた』と言ったことから、賄賂の隠語として広まっていたと記されている。
新聞での初出は、現在確認した範囲で明治三十一年=1898年(朝日新聞)。八百長こと斎藤長吉が亡くなった記事は1901年(明治三十四年)である。」
とまとめている。
それにしても,新しい言葉が,定着する経緯が,これ程つぶさに解き明かされるのは,たかだか明治期のこととばかりとは言えない。最近の,「がめつい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%8C%E3%82%81%E3%81%A4%E3%81%84)ですら,はっきりしないことがあるのだから。
参考文献;
http://www.kotono8.com/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E9%95%B7
http://blogos.com/article/2518/
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20110209
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「ほのか」は,
仄か,
側か,
と当てて,
はっきりと見わけたり,聞きわけたりできないさま,
光・色・香りなどがわずかに感じられるさま,ほんのり,うっすら,
ぼんやりと認識するさま,かすか,
ほんの少し,わずか,ちょっと,
といった意味がある(『広辞苑』)。微かに知覚できる,という状態表現が,五感,認識,意識へと広がり,量や程度が少し,という意味に汎化していったという感じである。
『古語辞典』には,
「光・色・音・様子などが,うっすらとわずかに現れるさま。その背後に,大きな,厚い,濃い確かなものの存在が感じられる場合にいう。類義語カスカは,今にも消え入りそうで,あるかないかのさま」
とある。
『大言海』には,「ほのかに」の項で,
「おほのかにの略。聞くに風,聞見に仄の義」
とある。手元の『語源辞典』には,
「ホノ(ちょっと・少し)+カ(接頭語)」
で,
「実体がありながら,その一部が弱く,薄く,わずかに見える状態」
とある。「おほのかに」は,『古語辞典』には,
おおげさ,大規模,
の意しか載らないが,『大言海』には,「おほのかに」について,
「名義抄に『訥,オオノク,オソシ,ニブシ』(字類抄に『訥,おほめく』)と云ふ動詞あり,オホノクの未然形オホノカを,副詞に用ゐること,オホドクの,オホドカニと用ゐらるるに同じかるべし」
として,「オホドカニに同じ」とある。「おほどかに」を見ると,
「オホドクの未然形オホドカを,副詞にしたる語,オホノク,オホノカニ。さはやぐ,さはやかに,やはらぐ,やはらかに」
として,
「人の性の,寛(ゆるやか)に静なる状に云ふ語」
とある。しかし,意味が違いすぎないだろうか。ここから,「ほのか」の意に転ずる梯子がない。
別に,『古語辞典』には載らないが,『大言海』の「ほのかに」の前に,
「ほの」
という項があり,
「仄かに,幽かに」
の意味が載り,『万葉集』の,
「な立ちそと,いさむるをとめ,髣髴(ほの)ききて,我にぞきたる」
や,『源氏物語』の,
「火はホノ暗に見給へば」
「をちかへり,えぞ忍ばれぬ,ほととぎす,ホノカたらひし,やどの垣根に」
「なをしたには,ホノすきたるすぢの心を」
等々の用例を引く。語源説には,『大言海』の,
オホノカの略,
という以外に,
オホロカ(不明所)の義(『言元梯』),
ホノカ(火香)の義(『和訓栞』『柴門和語類集』),
ヒノコリアエケ(火残肖気)の義,またホニホヒヤカ(火匂肖気)の義(『日本語原学』),
ホノホ(炎)を活用したもの(『俚諺集覧』),
ホノカ(火影)の義(『和語私臆鈔』),
ホドロとも関わるか(『時代別国語大辞典』),
等々の諸説があるが,「ほ(火)」に関わるものが多い。
因みに,「ほのほ(炎)」は,
「火の穂」
で,『日本語の語源』には,
「ヒ(火)をホと発音する例は多い。ホナカ(火中)・ほのほ(火の穂,炎)・ホカゲ(火影)など。ほてる(火照)虫の省略形のホテルがホタル(蛍)になった。」
とある。「ほのか」が,
ホノカ(火香)の義,
ホノホ(炎)を活用したもの,
ホノカ(火影),
と,「ほ(火)」とかかわりが深そうなのは気になる。「ほ(火)」の語源は,
ヒ(火)に通ず(『名語記』『和訓栞』),
ヒ(火)の中国音から(『外来語辞典』),
火の穂の義(『国語本義』),
等々で,
「キ(木)に対して,複合語に現れる『コ』く(木立ち,木の葉)と並行的な関係にある」
とある。
hi→ho,
という音韻変化,というわけである。
「ほの+か」,
の,「ほの」は,
ほのほ,
の「ほ」なのではあるまいか。まさに,火という揺らめく「ほのほ」なのではないか。
因みに,「ほのか」は,擬態語の「ほのぼの」「ほんのり」と,同語源らしく,
「ほんのり」
は,『大言海』は,
「ホノの延」
とあり,『語源辞典』には,
「ホノ+リ」
で,
「ホノカナリの語幹,ホノにリがか加わわり,音韻変化で撥音化して,『ホ+n+ノ+リ』となったもの」
とある。「ほのぼの」は,
「ホノカのホノの繰り返し」
で,
ほんのりと,幽かに暖かみのある,
意とある。やはり,「ホ(火)」に通じる気がする。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「わずか」は,
僅か,
纔か,
と当てるが,他にも,
微か,
些か,
とも当てる。実は,
僅か,
は,
はつか,
とも訓み,『広辞苑』の「わずか」の項には,
「ハツカの転か」
とある。意味は,
数量・程度・価値・時間などが非常に少ないさま,ほんのすこし,
やっと,かろうじて,かつかつ,
身代の少ないこと,みすぼらしいこと,
という意味が並ぶ。程度を表す状態表現が,そのこと自体の価値表現へと転じているのが,うかがえる。前二つの状態表現は,用例が,たとえば,
「わづかなる木陰のいとしろき庭に」(『源氏物語』)
「すべなく待たせわづかなる声聞くばかり言ひ寄れど」(『源氏物語』)
平安時代なのに対して,三つ目の用例は,
「わづかなる板びさしをかりてしのび住ひ」(『好色五人女』)
と,江戸時代のものなのも,記載例の偶然かもしれないが,変化をうかがわせる。『古語辞典』をみると,「わづか」について,
「量の少ない意。極めて少量しかない意から,かろうじて,やっと,せいぜいの意。類義語ハツカは,ハツ(初)と同根の語で,物事の最初の部分がちらりとあらわれるさまの意」
とあり『広辞苑』とは違い,
はつか,
は,同根ではあるが,別系統と見なしている。『大言海』は,「わづかに」の項で,
「ハツカニの転」
とする。手元の『語源辞典』も,
「ハツカニ(ハツハツの意)」
としている。その他,
「ハツカ(初)の義。カはカタ(方)の義(『名言通』)。初めは何事も幽かであるところから(『和句解』),
「ハツカ(端東)の義か(『俚諺集覧』),
「ハツカ(端所)の義(『言元梯』),
等々,いずれも「ハツカ」を前提に,その謂れを云々している。『日本語源大辞典』は,
「ワシルとハシルのような類例もあるが,ワヅカとハツカは第二音節の清濁も異なり,意味も開きがあるので,派生関係はないと思われる。ハツカはハツハツと同根で,物の先端からちらりと見えるといった,対象の不確定・不十分な認識を表すのが本来の意。ワは分ける,ヅは約まるの義とする説もあるが,従い難い。」
と,『古語辞典』と同趣旨の意見である。『広辞苑』の「はつか」は,
わずか,いささか,
と意味を載せるが,同じ「僅か」と当てたことで,混同するようになったのではあるまいか。
「はつか」の「はつ」は,『古語辞典』には,
「ハツハツ・ハツカのハツと同根。最初にちらりと現れる意」
とあり,『大言海』は,
「端之(はし)の義か,又,上之(うわつ)の略か」
としているが,手元の『語源辞典』は,
「『初は,端,果と同根』です。仕事や講堂のいとぐちの端がハツ(初)です。仕事や行動の結びの端のハテ・ハツ(果)に対します。」
とある。その他に,
端出の義(『和訓栞』),
ハツ(端)の義(『言元梯』),
ヘトク(辺疾)の義(『名言通』),
ハジメ(始)の義(『国語の語幹とその分類』),
ハヤトクの反(『名語記』),
等々,どうやら,「はつ」は,「初」か「端」に行きつく。「端」は「初」でもあるのだから,似たようなものと言えば言えるが,文脈依存の和語から,想定すれば,
初めて見える「初」,
と
端にのぞく「端」,
は,区別されていなかったのではないか。「端」「初」の字で初めて,区別がつくが,口頭で,発話するかぎり,当事者には,わかっていたのだから,敢えて区別する必要はない。
他の辞書には載らないが,「はつはつ」は,『古語辞典』に,
「ハツ(初)とハツカと同根」
として,
ちらっと,
という意味が載る。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「ほのぼの」は,
仄仄,
と当てるが,『大言海』は,
微微,
とも当てている。意味は,
かすか,ほんのり,ほのかに明るいさま,
「ほのぼの明け」の略,
ほんのりと心暖まるさま,
という意味になる。あるいは,「かすか」という意味の外延を広げて,
わずかに聞いたり知ったりするさま
という意味もあるようだが(『デジタル大辞泉』),当然,想像できるように,
「東の空が仄仄としてくる」
というような,たんなる状態表現が,
「仄仄(と)した母子の情愛」
といった,価値表現へと変化しているのは,言葉の意味変化の流れの原則に合致する。
「ほのぼの」は,
「ホノカ(仄か)の繰り返し」
が語源である,とする。「ほのか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BB%E3%81%AE%E3%81%8B)については
,触れたが,『日本語の語源』に,
「ヒ(火)をホと発音する例は多い。ホナカ(火中)・ほのほ(火の穂,炎)・ホカゲ(火影)など。ほてる(火照)虫の省略形のホテルがホタル(蛍)になった。」
とあり,「ほのか」が,
ホノカ(火香)の義,
ホノホ(炎)を活用したもの,
ホノカ(火影),
と,「ほ(火)」とかかわりが深そうな語源説が多い。
しかし,『大言海』は異説を立て,「ほのかに」の項で,
「おほのかにの略。聞くに風,聞見に仄の義」
とあり,「おほのかに」については,
「名義抄に『訥,オオノク,オソシ,ニブシ』(字類抄に『訥,おほめく』)と云ふ動詞あり,オホノクの未然形オホノカを,副詞に用ゐること,オホドクの,オホドカニと用ゐらるるに同じかるべし」
として,「オホドカニに同じ」とある。「おほどかに」を見ると,
「オホドクの未然形オホドカを,副詞にしたる語,オホノク,オホノカニ。さはやぐ,さはやかに,やはらぐ,やはらかに」
として,
「人の性の,寛(ゆるやか)に静なる状に云ふ語」
とある。これは,ほぼ「ほのぼの」の意味の範囲になる。あくまで,『大言海』は,「ほのか」の由来について書いているのだが,
これはむしろ「ほのぼの」の由来といっていいのではあるまいか。
僕には,どうやら,
ほのぼの,
の由来と,
ほのか,
の由来は,別なのではないか,と思えてくるのである。億説かもしれないが,「ほのか」の「ほの」は,
ホノカ(火香)の義,
ホノホ(炎)を活用したもの,
ホノカ(火影),
と,「ほ(火)」とかかわりが深い。「ほ(火)」の語源は,
ヒ(火)に通ず(『名語記』『和訓栞』),
ヒ(火)の中国音から(『外来語辞典』),
火の穂の義(『国語本義』),
等々で,
「キ(木)に対して,複合語に現れる『コ』(木立ち,木の葉)と並行的な関係にある」
とある。
一般には,「ほのか」は,擬態語の「ほのぼの」「ほんのり」と,同語源らしく,
「ほんのり」
は,『大言海』は,
「ホノの延」
とあり,『語源辞典』には,
「ホノ+リ」
で,
「ホノカナリの語幹,ホノにリがか加わわり,音韻変化で撥音化して,『ホ+n+ノ+リ』となったもの」
とある。「ほのぼの」は,だから,
「ホノカのホノの繰り返し」
で,
ほんのりと,幽かに暖かみのある,
意とされる。しかし,
ほのぼの,
の「ほの」は,『大言海』のいう,
おほどかに→おほのかに→おほのかにの略→ほのり→ほんのり…ほのぼの,
なのではないか。「ほ(火)」由来の「ほのか」と「おほのかに」由来の「ほのぼの」は,別系統だったのではないか,という気がしてならない。「仄か」という字を当てた時,重なり合った,というように思えてならない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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頑固は,頭の固い代名詞のごとくに言われ,時代遅れの代名詞にもされる。『広辞苑』には,
かたくなで意地っ張りなこと,人の言うことや情勢の変化などを無視して,それまでの考えや態度を守ろうとすること,頑迷固陋,
なおりにくくしつこいこと,
後者は,「頑固な汚れ」「頑固な水虫」等々と,前者をメタファにしただけのことだが,
「ガンコ」
と表記すると,ちょっと揶揄と同時に「仕方がない」と許容される含意が出る。語源は,中国由来である。
「頑(かたくな)+固(かたい)」
で,
「片意地で,他人のことを認めようとしない態度を言います。」
とある。類語は,
意地張り,
頑冥,
固陋,
強情,
意固地(依怙地),
片意地,
狷介,
石頭,
とろくな言葉はない。しかし,頑固は,性格としての「堅さ」の,
一刻者・一国者・一徹者・ガンコ者・硬骨漢・硬骨の士・石頭・硬直,
と,信念としての「堅さ」の,
頑固者・頑固一徹・カタブツ・職人気質・頑固・一徹・硬骨・一途,
はある面重なる。気質が,そうさせるところがある。しかし,意地を張るという「かたくなさ」は,
意固地(依怙地)・片意地・強情頑固・頑な・意地張り・情張り・情強・意地っ張り・剛情,
とは,微妙に違う気がする。気質,信念は,それを是として,引かない。しかし,意地を張るのは,非と知りつつも,動かない,というところがある。結果は,同じだが。その極端なのが,
へそ曲がり,
つむじ曲がり,
偏屈,
となる。これは非と承知のうえで,手古でも動かない。「へそ曲がり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%B8%E3%81%9D%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%82%8A)については触れた。へそ曲がりは自称するが,頑固者と自称するのは,よほどのへそ曲がりである。
「狷介」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E7%8B%B7%E4%BB%8B)
で触れたが,孔子は,「狷介」について,
中行(ちゅうこう)を得てこれと与(とも)にせずんば,必ずや狂狷か,狂者は進みて取り,狷者は為さざる所有るなり,
と,「子路篇」で言っていた。この「狷者」とは,
「絶対妥協しないところがある」
ところを取っていた。「狷介」の「狷」は,意志を曲げない,「介」は,堅い意,である。因みに,「頑固」の反対は,
妥協,
であるらしい。
頑固の「頑」の字は,
「元は,人の形の頭のところにしるしをつけた形を描いた象形文字で,まるい頭のこと。元は『はじめ』の意味に用いられるようになったので,元の原義はこれに頁(あたま)をそえた頑の字であらわす。頑は『頁(あたま)+音符元』。まるい頭の意から,転じて融通のきかない,ふるくさい頭の意となった。」
で,頑丈,頑健の「頑」でもあるが,頑迷,玩弄,頑強,頑愚,頑迷等々,ろくな意味はない。頑なさが強固,ということになる。実は,「頑」の字は,
丸(まるい)と同系,
とされるのが面白い。
「固」の字は,
「古は,かたくてひからびた頭蓋骨を描いた象形文字。固は,『囗(かこい)+音符古』で,周囲からかっちりと囲まれて動きのとれないこと。」
である。で,
「枯(かたく乾いた木)・各(かたくつかえる石)・個(かたい物)などと同系」
とある。堅固・固辞・固持・固陋等々と使われるが,
君子固窮,
と『論語』にある。「へそまがり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%B8%E3%81%9D%E3%81%BE%E3%81%8C%E3%82%8A)
は,強情と比較して,
「強情」は「自分の非を認めずにあくまでも強情を張っている」「強情に口をつぐんでいる子」など、人の言葉を聞き入れないさまを表す意で広く使われる。
「頑固」は「頑固おやじ」「頑固に伝統を守る」など自分の考えを積極的に通すという意で多く用いられる。
と対比し,
「意固地」は、「意固地になって反対する」など意地を強く張る場合に、「かたくな」は、心を閉ざしたような頑固さを表す場合に用いられる。
と書く。意識して,頑なに突っぱねるのも,意地であったり,信念であったり,性格的であったり,行きがかりであったり,理由はともかく,
道に両手を広げて立ちはだかる,
頑固一徹,
になるか,耳を塞ぐ,
頑迷固陋,
になるかは,紙一重。漱石が名を取った,
漱石枕流,
は,中国の六朝時代、晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違ったが、「石に漱ぐは歯を磨くため、流れに枕するは耳を洗うためだ」と言い張って誤りを認めなかったという由来に拠る。これは依怙地というべきだ。
頑固一徹,
は,非常に頑なで、一度決めたら自分の考えや態度をどうしても変えないこと,またそのような人,をいう。しかし,時代の行き掛かりで,会津の容保のように,引くに引けなくなった場合もある。立場によって,それを,
狷介不羈,
狷介孤高,
とも言うが,
狷介固陋,
とも言う。
時代に掉さす,
を由とするか,
時代に逆らう,
を由とするか,いずれも,人の言ではなく,おのれの事でしかない。海舟ではないが,
行蔵は我に存す,毀誉は他人の主張,我に与らず,我に関せずと存候,
であろう。嗚呼,だから,頑固と言われるわけか。しかし,漢創業時,高祖(劉邦)に従った周昌について,司馬遷は,『史記』で,
周昌は頑固で樹木のようにまっすぐな人,
と記した。しかし,
「学識はなく,(同じく創業時,高祖に従った)蕭何,曹参,陳平とはとても比べられない」
と記す。頑固と称される者に一流の人はいない,ようである。
参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
中村一男編『反対語大辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
大野晋・浜西正人『類語新辞典』(角川書店)
小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』(岩波文庫)
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「ほれる」は,
惚れる,
恍れる,
耄れる,
と当てる。意味は,
ぼんやりする,放心する,
年とってぼんやりする,ぼける,
心をうばわれるまでに異性を慕う,
人物などに感心して心を引かれる,
(他の動詞に接続して)夢中になる,うっとりする(「聞き惚れる」「見惚れる」),
等々だが,想像するに,
放心する,
という状態表現をメタファに,耄碌,恋情,夢中,といった心理状態に展開したという意味の広がり方なのではないか。要は,
恋して放心する,
も,
熱中して放心する,
も,
ボケて放心する,
もすべて,
ほれる(ほく,ほる),
と言っていたということだ。『広辞苑』には,
ほ(惚・呆・耄)く,
と
ほ(惚・恍・耄)る,
と類似の項がある。
「ほ(惚・恍・耄)る」は,
ほれる,
なのだが,「ほ(惚・呆・耄)く」は,
(ボクとも)知覚がにぶくなる,ぼんやりする,ほうける,
ほける,
とあり,「ほけ(惚・呆・耄)る」を見ると,
(ボケルとも)知覚がにぶくなる,ぼんやりする,ぼける,
夢中になる,我を忘れる,ふける,
とある。「ぼ(惚・呆・暈)ける」を見ると,
(ホケルの転)頭の働きや感覚などがにぶくなる,ぼんやりする,もうろくする,
(「暈ける」と書く)色が薄れてはっきりしなくなる,色がさめる,また,物の輪郭がぼやける,
とある。『大言海』は,「ほれ(惚・耄)る」は,
惚(ほ)る,耄るの口語,
とし,「ほ(惚・呆・耄)る」には,
感覚を失う,心を労したるあまり放心す,惚く,
心を失ふまでに思ひを掛く,恋に落つ,
老いてぼける,ほく,耄,
とある。「ぼけ(惚・耄)」は,
「ほ(惚)く」の條をみよ,
とあり(因みに「ほうけ(惚・耄)は「ほけ(惚)の延」),「ほ(惚・耄)く」には,
(化(は)くに通ず)知覚変じて,鈍くなる,延べて,ほうく。又,惚る。訛して,ぼける,又ほうける,
とあり,『古語辞典』には,「ほ(惚・怳)れ」で,「ほる」と同義が載るが,そのほかに,「ほ(耄・呆)け」で,
緊張がゆるんでぼんやりする,ぼける,耄碌する,
「ほ(呆)げ」で,
夢中になる,我を忘れる,
とそれぞれ意味が載る。「ぼ(呆)け」の項も載るが,
ほけ(耄・呆)の転,
として,日葡辞典の「ココロノぼけタヒトヂャ」
を載せる。いずれにしても,中核になる。
ほ(惚・耄)く
と
ほ(惚・呆・耄)る,
は,いずれも,どの漢字を当てるかは,文脈に合わせてのことで,本義は,
知覚変じて,鈍くなる,
に尽きる。それが,
呆ける,
や
放心,
や
ボケる,
に転用されたまでのことだ。それにしても,
惚れる,
も
ボケる,
も心理状態は同じと見るのは,なかなかしたたかではあるまいか。
語源は,『大言海』の,
化(は)くに通ず,
も面白いが,手元の『語源辞典』は,
ハフレル(放たれる意)の音韻変化,
ホ(含・内部・うつろ)+レル,
を挙げるが,『日本語源大辞典』は,「惚れる」について,
「『相手に夢中になる』『うっとりする』意に限定されるのは室町後期以降と思われる。『痴呆』『耄碌』の意が濁音形の『ほれる』『ぼける』に受け継がれたことが影響している」
としているので,「ほる」「ほく」の意味の中で,濁音の有無によって,「惚れる」と「呆ける」を使い分けるようになった,ということになる。
『日本語の語源』には,こうした語韻の変化について,こうある。
「ホク(惚く・下二段),およびその口語形のホケル(惚ける・下二段)は,後世,ボク・ボケルになった。『知覚が鈍くなる。ぼんやりする。ほうける』という意の動詞である。(『ホケたり,ひがひがし(正常デナイ)』とのたまひ恥ぢしむるは(源氏物語)。『ココロノボケタヒトヂャ』(日葡辞典))。
連用形の名詞化がボケ(惚)である。〈ボケナサル〉はサルの縮約でボケナス(惚茄子)になり,ナを落としてボケス・ボケソに転音した。
イトボケル(甚惚ける)は語頭を落としてトボケル(恍ける)・トボケ(恍・日葡辞典)になった。
母音交替(oa・ea)をとげて,ボケ(恍)はバカ(馬鹿)になった。梵語のmoha(痴の意)説は取らない。(中略)
ホク(惚く)・ホケル(惚ける)は,延音を添えてホウク(惚く)・ホウケル(惚ける)になった。(中略)
ホーケ(惚け)はヒョーゲ・ヒョーゲになり,(中略)ヒヨーケは『剽軽』(漢語ではない)と写音されたため。ヒョーケイ・ヒョーキンになっ…た。」
「とぼける」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%A8%E3%81%BC%E3%81%91%E3%82%8B)で触れたが,「とぼける」は,
恍ける,
惚ける,
と当てる。やはり,
ほ(惚・耄)く
と
ほ(惚・呆・耄)る,
から変じたものである。
参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「剽軽」は,
ひょうきん,
と訓ます。
気軽明朗であって滑稽なこと,おどけ,
と意味が載る(『広辞苑』)。他の辞書(『デジタル大辞泉』『大辞林』)には,
「きん(軽)」は唐音,
と載る。「ひょうけい」との訓みだと,
すばやくて身軽なこと,
浅はかで軽はずみなこと,
と意味が少し違う。『漢和辞典』をみると,「剽軽(ひょうけい)」は,
かろがろし,
との意味が載る。漢書には,
「夫荊楚剽軽,好作亂,自古記之矣」
と載る,という。我が国だけで,
ひょうきん,
と読ませ,
剽軽者,
という,
おどけた感じ,
の意味で使う。『語源辞典』は,
「中国語の『剽(すばやい)+軽(軽薄)』が語源です。」
とする。しかし,「軽(軽薄)」は,いかがであろうか。「軽(輕)」の字は,
「巠の字(音ケイ)は,工作台の上に縦糸を張ったさまで,まっすぐの意を含む。輕はそれを音符とし,車を加えた字で,まっすぐすいすいと走る戦車,転じて身軽なこと」
で,「軽薄」というより,
かるい,
という意味のはずだ。これは,我が国だけで,「ひょうきん」と訓ませ,
「うわついて軽い」
という意味に合わせているせいではないか(無意識かもしれないが)。しかし,多く,たとえば,
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/hi/hyoukin.html
「剽軽(ひょうきん)は身軽ですばやいさまをいう漢語『剽軽(ひょうけい)』から 。 日本に『剽軽』の語が入ってから、軽率などの意味で用いられるようになり、現在の
意味に転じていたった。 ひょうきんの『きん』は、『軽』の唐宋音。」
とするし,
http://www.yuraimemo.com/4382/
も,
「ひょうきんは中国から来た言葉。その元々の意味は実は『素早い』だったのです。それが日本に入ってきてから、特別な意味に変わって今のような『ひょうきん』となったと考えるのが妥当なよう。」
とする。しかし,「ほれる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BB%E3%82%8C%E3%82%8B)の項
で触れたように,『日本語の語源』は,「ひょうげ」に関わる音韻変化について,まず,
ホク・ホケルについて,
「ホク(惚く・下二段),およびその口語形のホケル(惚ける・下二段)は,後世,ボク・ボケルになった。『知覚が鈍くなる。ぼんやりする。ほうける』という意の動詞である。〈『ホケたり,ひがひがし(正常デナイ)』とのたまひ恥ぢしむるは(源氏物語)。『ココロノボケタヒトヂャ』(日葡辞典)〉。
連用形の名詞化がボケ(惚)である。〈ボケナサル〉はサルの縮約でボケナス(惚茄子)になり,ナを落としてボケス・ボケソに転音した。
イトボケル(甚惚ける)は語頭を落としてトボケル(恍ける)・トボケ(恍・日葡辞典)になった。
母音交替(oa・ea)をとげて,ボケ(恍)はバカ(馬鹿)になった。梵語のmoha(痴の意)説は取らない。〈お前コソ(係助詞)馬鹿タレ(断定タリの已然形)〉は強調の係り結び法であるが,省略されてバカタレになった。あるいは,省略形のコソバカがクソバカになり,コソタレがクソタレ(屎垂)になって,人をののしることばになった。」
つづいて,ホウク・ホウケルについて,
「ホク(惚く)・ホケル(惚ける)は,延音を添えてホウク(惚く)・ホウケル(惚ける)になった。〈唐人にのろはれて後には,いみじうホウケて,ものも覚えぬやうにてありければ〉(宇治拾遺)
連用形名詞のホウケ(惚)は,『馬鹿』『気違い』(落窪)の意となり,さらにホッコ(馬鹿者)に転音した。〈人をホーケ(ン)にする〉とか,〈ホッコにする〉は『馬鹿にする。軽蔑する。あなどる。見下げる。』という意である。…クソボッコ・ホッコタレも強調の係り結び法の温存である。」
さらに,ヒョーゲ・ヒョーゲルについて,
「ホーケ(惚け)はヒョーゲ・ヒョーゲになり,(中略)ヒヨーケは『剽軽』(漢語ではない)と写音されたため。ヒョーケイ・ヒョーキン(浮世風呂)になって『気がるでこっけいなこと。おどけたさま,性格』をいう。
ヒョーキンナルモノ(剽軽なる者)は,ナの字の子音交替(nd),モの母音交替(oa)の結果,ヒョーキンダマ(剽軽玉・一代男)になって,おどけ者のことをいう。
ホウケル(惚ける)もヒョーケル・ヒョーゲルに転音して,『ふざける。おどける。こっけいなことを言ったりしたりする』ことをいう」
として,音韻変化の大きな流れの中に,「ヒョーキン」を位置づけ,説得力がある。確かに,『大言海』は,「へうきん」について,
瓢輕,
剽軽,
僄氣,
を当て,
「瓢の軽くして,水に浮かぶ貌,浮瓢(うかりひょん)の意」
とし,『物語稱呼』から,
「物事軽率に騒がしき事を,東国にてヒョウキンと云,西国にては,をどけたることを,ヒョウキンと云」
と引く。この載せようは,「ひょうきん」と訓ませるのが,中国由来ではないと,言っているように見える。確かに,漢字の訓みについて,呉音,漢音に対して,唐音があり,
http://tobifudo.jp/newmon/okyo/goon.html
に,
「鎌倉時代になると、臨済宗や曹洞宗の僧侶によって、再度、中国語の読み方が日本へ伝えられました。」
とあり,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E9%9F%B3
に,
「唐音(とうおん・とういん)は、日本漢字音(音読み)において鎌倉時代以降に中国から入ってきた字音。宋以降の字音である。唐音の唐は、漢音・呉音と同様に、王朝名を表す(唐朝)のではなく、中国を表す語(唐土)である。
室町時代には宋音(そうおん)と呼ばれた。唐音と宋音をあわせて唐宋音(とうそうおん)とも呼ばれる。唐音は呉音・漢音のようにすべての字にわたる体系的なものではなく、断片的で特定の語と同時に入ってきた音である。遣唐使の中止で途絶えた日中間の交流が、平安末、鎌倉初から再開し、室町、江戸を通じてさかんになって、禅宗の留学僧や民間貿易の商人たちによってもたらされた。」
とあるように,餡(アン),行脚(アンギャ),杏子(アンズ),行灯(アンドン),椅子(イス),胡散(ウサン),和尚(オショウ)等々がある。しかし,どう考えても,漢書に載る「剽軽(ひょうけい)」を,わざわざ「ひょうきん」と呼ばせるのは妙である。しかしも中国では,「ひょうけい」としか訓まないのに,である。むしろ,「ひょうきん」に
剽軽,
と当てた時に,こじつけたのではないか。因みに,「剽」の字は,
「票は,火の粉が軽く舞い上がることを示す会意文字。軽くはやい意を含む。剽は『刀+音符』と削り取る意。転じて,さっと襲いかかること。」
「軽」の字に,軽々しい,意はあっても,滑稽の意はない。「ひょーげ」の音韻変化の方が現実味がある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「にくい」は,
憎い,
悪い,
と当てる。意味は,
いやな相手として何か悪いことがあればよいと思うほど嫌っている,気に入らない,にくらしい,
腹立たしい,しゃくにさわる,けしからぬ,
みにくい,
無愛想であ,そっけない,
(癪にさわるる程)あっぱれだ,感心だ,
と意味が広い。さらに,
難い,
と当てて,
(動詞の連用形について,「むずかしい」「たやすくない」の意を表す)
という意味にもなる。どうやら,自分の相手への感情という状態表現であったものが,いつの間にかシフトして,相手の価値表現へと,意味が転換して言っている,ようである。その価値表現は,
みにくい,見苦しい,みっともない,
である一方,
(癪にさわるる程)あっぱれだ,感心だ,
と,両価性がある。
『大言海』は,
「ニクは苦飽(にがあく)の略。カハユシの反」
とある。『反対語大辞典』には,
う(愛)し,
かわゆし,
を挙げている。ちなみに,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410229494
には,
「『悪む』は『好む』の対で、平たく言えば『きらう』、現代日本語なら『きらいだ』という意味です。主に漢文訓読で使われますが、現代語訳するときに『にくむ』としないことが肝要です。儒教の古典『大学』に
『悪臭を悪むが如く、好色を好むが如し。』
とあります。
『いやな臭いを嫌い、きれいな色を好むようなものだ。』
といった意味合いです。
現代語訳で“悪臭をにくむ”とするのは、適切ではありませんね。
『憎む』は『愛する』の対で、『悪む』より激しい感情です。現代語の『にくむ』はこちらでOKです。」
とある。「にくむ」をそう使い分けたのは,「憎い」「悪い」と書き分けて以降のことではないか。ついでに,「憎」の字は,
「曾(そう=曽)は,こしきの形で,層を成して何段も上にふかし器を載せたさま。憎は『心+音符曾』で,いやな感じが層をなしてつのり,簡単に除けぬほどいやなこと」
とあり,「悪は,押さえられて発散せず,胸に詰まる感じのこと」
と付記がある。「惡(悪)」の字は,
「亞(ア=亜)は,角型に掘り下げた土代を描いた象形。家の下積みとなるくぼみ。惡は『心+音符亞』で,下に押し下げられてくぼんだ気持ち。下積みでむかむかする感じや欲求不満。」
とある。「悪は,押さえられて発散せず,胸に詰まる感じのこと」とは,これを意味する。漢字の使い分けは,
「惡」は,好の反,激しくいやがるなり,
「憎」は,愛の反。小面にくきなり,
とあり,上記,
「『悪む』は『好む』の対で、平たく言えば『きらう』、現代日本語なら『きらいだ』という意味です。」
は,ちょっと間違って解釈しているようだ。「憎悪」というくらいで,
嫌い,憎む,
は程度でしかない。しかも,元々は自分に起因する感情なのに,相手に転化され,相手を厭わしいものとしているだけだ。
「にくい」の語源は,手元の『語源辞典』には,
「『ニク(悪感情)+イ』です。他人の行動や幸福を厭わしく思う形容詞です。ニクム,ニクラシイ,ニクシムは同源です。」
とある。「にく」は,どの辞書にもなく,調べようがない。しかし,
にくにく(憎々),
にくにく(憎々)し(い),
等々という言葉がある。前者は,
大層憎いさま,憎たらしいさま,
後者は,
大層にくらしい,
とあり(『広辞苑』),そこから,
にくにく(憎々)しげ,
にくにく(憎々)しさ
と言ったりするので,「にく(憎)」があると仮定しよう。では,
にく(憎)む,
はどうか。意味は,
憎いと思う,にくしむ,
不快感,抵抗感などを口に出す,批難する,
で(『広辞苑』),語源は,
「ニク(悪感情)+ム(動詞化)」
とある。しかし,この他にも,
音に含むの義(日本語源=賀茂百樹),
ニクは苦飽(ニガアク)の略(『大言海』),
ネ(性・根)にフクムの義(日本語源=林甕臣),
イタム(忌)の義(言元梯),
ニクはニガ(二我)の転声か(和語私臆鈔),
ニク-ウム(産)の義,ニクは人の思いが身について離れない意(国語本義),
ニガメ(苦目)の義(名言通),
二念を含む意か,また肉ツムの意か(和句解),
悪感情を表す朝鮮語のヌクと関わりがある(語源辞典=吉田金彦),
等々と語呂合わせが多い。しかし,「ひがむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%B2%E3%81%8C%E3%82%80)
で触れたように,「にくむ」の「む」について,『日本語の語源』は,
「オモフ(思ふ)の省略形のモフ(思ふ [m(of)u])を早口に発音するとき,ム(む)に縮約された。これを活用語の未然形に接続させて推量・意志の助動詞が成立した。(中略)『む』の未然形『ま』は助動詞を接続しない。その空間(あきま)性を利用して形容詞化の接尾語『し』を付けたため,『まし・べし・らし』『ましじ・まじ・じ』が成立した。また動詞『あり』を添えたため『めり』が成立した。体言化された『まく』に『欲し』をつけた『まくほし』は希望の助動詞『まほし』になった。(中略)『む』は多くの助動詞の母胎となった根源的な助動詞である。
『む』[mu]は,平安時代の中ごろから,発音運動の衰弱化の反映として,母韻[u]を落として撥音便の『ん』になった。」
と,「思ふ」からの変化を説く。仮に,「む」が,
オモフ→モフ→ム,
と変化したのなら,「ニク+ム」は,その思いを強調したものになる。元来は,動詞「思ふ」なのだから,
「ニク(悪感情)+ム」
と,思いが強まったものということになる。『古語辞典』は,「憎み」について,
「愛情や親密感を拒否され傷つけられて,不愉快・抵抗を感じ,時にそれをくちにし,また阻害者を傷つけたいと思う意。類義語キラヒは,相手との関係を切り捨て,離れようとする意。イトヒは,相手から顔をそむけたい意ソネミは,相手を深いなものと思う意」
とある。
参考文献;
中村一男編『反対語大辞典』(東京堂出版)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「かなし(い)」は,
悲し(い),
哀し(い),
愛し(い),
と当てる。『広辞苑』には,
「自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語。悲哀にも哀憐にも感情のせつないことをいう。」
として,
(悲・哀)
泣きたくなるほどつらい,心がいたんでたえられない,いたましい,
(哀・愛)
身に染みていとしい,かわいくてたませない
興味深くて強く心惹かれる,心にしみて面白い,
(主として連用形を副詞的に使って)見事だ,あっぱれだ/残念だ,しゃくだ,
貧苦である,貧しく同情される,
どうしようもなくおそろしい,
といった意味になる。『古語辞典』には,
「自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語。助動詞のカネと同根であろう。カネ・カナシの関係は,ウレヘ(憂)・ウルハシの類」
とある。漢字による使い分けは,ともかくとして,「かなし」は,
泣きたいほどつらいという主体の心情の状態表現,あるいは,かわいい,興味深い,といった心情の状態表現を,さまざまな場面で使っていたのが読める。『大言海』は,だから,「かなし」に,二項立てている。ひとつは,
情切・痛感,
と当てて,
(沖縄にては今も,可愛(カワユ)シを,カナシと云ふ)身に染みて,切に思ふ意を云ふ語。いとほし,いとし,
とし,いまひとつは,
哀し,
悲し,
と当てて,
(前條の語(上記の「かなし」)の感情を,専ら,悲哀の意に用ゐるなり)嬉しの反。歎(なげ)かはし,愁(うれ)はし,
としている。
切ない,
という心情に当てはまるものに意味を広げていった,というようにも受けとめられるが,文脈依存の和語は,切ない気持ちになるものを,
泣きたい気持ちも,
深く心惹かれるのも,
くやしさも,
貧しさの辛さも,
なべて「かなし」といったに過ぎない。今日,「やばい」や「かわいい」を何にも当てはめるのは,漢字を知って使い分ける前への先祖がえり(というか,日本語の退化)といっていいのかもしれない。
語源には,三説ある,と,手元の『語源辞典』には載る。
説1・「カネ(困難・不可能)+シ」〜しカネるの形をとり,力が及ばず,何もすることができない切ない気持ちのカネに,シが加わった語(大野晋),
説2・「カナシ(愛+シ)」で,感動が強くて激しく心に迫って,ゆすぶられ何もすることができない意。喜びにも悲しみにも使った,
説3・「かな(感動助詞)+シ」で,感動が強くて迫る意を表す,
そのほかにも,
クハナシ(愛無)の義(言元梯),
チカラナシ,甲斐なし,またはカシマシクナクの意か(和句解),
カレナカシキ(悴泣如)の義(名言通),
等々がある。『語源由来辞典』は,
http://gogen-allguide.com/ka/kanashii.html
「古く、悲しいは『心が強く痛むさま『切ないほどいとおしい』『かわいくてならない』『悔しい』『残念』など、マイナス面に限らず、激しく心が揺さぶられる状態を言った。悲しいの語幹『かな』は、『しかねる』の『かね』と同源の語で、力及ばず何もできない状態をいうとする説もある。
しかし、かなしいは、心の動揺を自分で抑え切れない状態をいうと考えたほうがよく、感動の終助詞『かな』の品詞転換とする説のほうが良いであろう。 悲しいの『悲』の漢字
は、『非』が羽が左右反対に開いたさまから、両方に割れる意味を含み、悲は『非+心』で、心が裂けること、胸が裂けるような切ない感じを表す。哀しいの『哀』の漢字は、『衣』を被せて隠す意味を含み、哀は『口+衣』で,思い
を胸中に抑え,口を隠してむせぶことを表す。」
と,感嘆詞「かな」の動詞化を取る。しかし,『日本語の語源』は,
「ケニ(異に)は,『とくに。いっそう。いよいよ』という意の副詞である。ケニアシ(異に悪し)と悲しんだのが,ニア[n(i)a]の縮約でケナシになり,ケの母音交替(ea)でカナシ(悲し)になった。カナシクモフ(悲しく思ふ)は,モフ[m(of)u]の縮約と『ク』の脱落とでカナシム(悲しむ)になった。」
とする。基本文脈依存の和語は,語呂合せのような語源説よりは,音韻変化に説得力があると思うのだが,「かむしむ」の「む」については,たとえば,「ひがむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%B2%E3%81%8C%E3%82%80)
や「にくむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%82%80)
で触れたように,『日本語の語源』は,
「オモフ(思ふ)の省略形のモフ(思ふ [m(of)u])を早口に発音するとき,ム(む)に縮約された。これを活用語の未然形に接続させて推量・意志の助動詞が成立した。(中略)『む』の未然形『ま』は助動詞を接続しない。その空間(あきま)性を利用して形容詞化の接尾語『し』を付けたため,『まし・べし・らし』『ましじ・まじ・じ』が成立した。また動詞『あり』を添えたため『めり』が成立した。体言化された『まく』に『欲し』をつけた『まくほし』は希望の助動詞『まほし』になった。(中略)『む』は多くの助動詞の母胎となった根源的な助動詞である。
『む』[mu]は,平安時代の中ごろから,発音運動の衰弱化の反映として,母韻[u]を落として撥音便の『ん』になった。」
と,「思ふ」からの変化を説く。仮に,「む」が,
オモフ→モフ→ム,
と変化したのなら,「カナシ+ム」は,思いを強調したものになる。「かなしむ」の意味は,
いとおしく思う,
悲しく思う,
心打たれる,
と,確かに「思う」を強調したものにはなる。だから,『大言海』は,
カナシ(痛感)と思う意,
とする。しかし,
「上代末に,形容詞『かなし』の語幹に接続語『ぶ』のついた上一段動詞として成立し,平安初期にバ行四段動詞となり,『かなしぶ』『かなしむ』と語形の揺れを生じる」(『日本語源大辞典』)
とか,
「奈良時代には上二段活用,平安時代に四段活用に転じた」
「万葉集の例は,万葉仮名で『可奈之備』とあり,連用形に『備』が使われているから,上二段活用と認められる。平安時代にカナシビからカナシミに転じた」(『古語辞典』)
とある「び」の説明がつかないと,「かなしむ」の「む」は,「ひがむ」の「む」とは別系統ということになる(あるいは,本来別系統の「かなしび」と「かなしみ」は,混同されたのかもしれない)。接尾語「ビ」については,
「名詞または形容詞の語幹に付いて,上二段活用の動詞を作り,そのようなふるまいをする,またはそういうようすであることをはっきり示す意を表す。『荒び』『うつくしび』『宮び』『都び』など。」
とある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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神,
と当てる「カミ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)は触れた。「上」と当てる「カミ」について,少し触れたみたい。『広辞苑』は,意味を,大別二つに分けている。
第一は,「ウエ」が本来は表面を意味するのに対して,一続きのものの始原を指す語,として,
(空間的に)高い所,という意味として,
うえ,
川の上流,
身体または衣服の,腰または一定の位置より上の部分,
(台所・勝手などに対して)座敷,
(時間的または順序で)初めの方,という意味として,
昔,いにしえ,
月の上旬,
ある期間をいくつかに分けた最初の方,
和歌の初めの方,主にその前半三句,
第二に,身分・地位などが高いこと,またその人を指す意味として,
天皇の尊称,おかみ,
身分の高い人,
年上,年長者,
(多く「お」を冠して)政府,朝廷,
主君,主人,かしら,長,
人の妻の敬称,
上座の略,
公許に近い方,京都の街で北の方,上方,
等々,と位置や方位のメタファなど様々な意味がある。「ウエ」と「カミ」とでどう使い分けていたかは,上記で説明がつくが,「カミ」の反対は,
シモ,
であり(カミ・ナカ・シモ),「ウエ(ヘ)」の反対は,
シタ,
となる。「ウエ(ヘ)」は,古くは,
ウハ,
といったらしいが,『古語辞典』には,
「『下(した)』『裏(うら)』の対。稀に,『下(しも)』の対。最も古くは表面の意。そこから,物の上方・高い位置・貴人の意へと展開。また,すでに存在するものの表面に何かが加わる意から,累加・つながり・成り行きなどの意を表すようになった。」
とある。『大言海』は,「ウヘ」について,
「浮方(うきへ)の義か,うきひぢ,うひぢ(泥土)。つきこもり,つごもり(晦)。」
とし,「シモ」について,
「後本(しりもと)の略か。又,尻面(しりも)の略か」
としている。手元の『語源辞典』は「カミ」について,
「『上部』が語源です。上にあるもの,つまり,川上,頭,髪,守,峠など,共通語源のようです。髪の毛は,『上の毛』が語源です。」
とあるが,そのほかにも語源説には,
ミは,方向をいうモの転訛(白鳥庫吉『神代史の新研究』),
カタミ(高み)の義(言元梯),
アガミ(挙見)の義(名言通),
ウカミ(浮)の上略(和訓考),
神と同義(和句解・和語臆鈔),
等々がある。「神」と「上」の同義については,「神」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)
でも触れたように,
江戸時代に発見された上代特殊仮名遣によると,
「神」はミが乙類 (kamï)
「上」はミが甲類 (kami)
と音が異なっており,『古語辞典』でも,
「カミ(上)からカミ(神)というとする語源説は成立し難い」
と断言する。ただ,
「『神 (kamï)』と『上 (kami)』音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こった」
とする説もある。『日本語の語源』は,
「『カミ(上)のミは甲類,カミ(神)のミは乙類だから,発音も意味も違っていた』などという点については,筆者の見解によれば,神・高貴者の前で(腰を)ヲリカガム(折り屈む)は,リカ[r(ik)a]の縮約でヲラガム・ヲロガム(拝む)・ヲガム(拝む)・オガム・アガム(崇む)・アガメル(崇める)になった。礼拝の対象であるヲガムカタ(拝む方)は,その省略形のヲガム・ヲガミが語頭を落としてガミ・カミ(神)になったと推定される。語頭に立つ時有声音『ガ』が無声音『カ』に変ることは常のことである。
あるいは,尊厳な神格に対してイカメシキ(厳めしき)方と呼んでいたが,その省略形のカメシがメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)に転化したとも考えられる。いずれにしても,『神』の語源は『上』と無関係であったが,成立した後に,語義的に密接な関連性が生まれた。
神の御座所を指すカミサ(神座)はカミザ(上座)に転義し,さらに神・天皇の宮殿の方位をカミ(上)といい,語義を拡大して川の源流,日の出の方向(東)をカミ(上)と呼ぶようになった。」
とする。意味の関連から,上と神が重なるが,それは漢字を当てはめてからのことであって,同じ「カミ」と呼びつつ,文脈依存する和語としては,その微妙な差異を微妙な発音でするしかなかったのであろう。少なくとも,「カミ」は,上と神では,差異を意識していたのではあるまいか。
「シモ」の語源は,
「シ(物体の下)+モ(身体)」
で,人体の下,を意味する。「カミ」の対だとすれば,「神」と絶対に区別が必要だったわけである。その他に,『大言海』の,
シリモト(後本)の約略,
シリモ(尻面)の略,
以外にも,
シリモト(尻本)の義(名言通・名語記),
シリモ(尻方)の義(国語溯原),
シリマ(尻間)の義(言元梯),
モはミ(身)の転。もとは賤しい身をいったが,のち,ほうこうについていうようになった(国語の語根とその分類),
シモ(下方)の義。モはカミ(上)のミと同じ(神代史の新研究),
等々がある。ついでに,「ウエ(上)」は,『語源辞典』には,
「ウ(浮く)+へ(方角)」
で,物が浮く方向を意味し,ウエシタは空間的,カミシモは地位などの表現に使う,とある。その他,
ウヘ(頂),ウナヘ(頂方)の義(言元梯・名言通),
ウツヘ(空へ)の義(日本語原学),
ウハの転。後から加わるの意(日本語の年輪),
等々あるが,『日本語源大辞典』は,
「方向・方面を示す『へ』と関連づけるものが多いが,,この語は上代特殊仮名遣いでは甲類音で,あって,乙類御の『うへ』の『へ』とは異なる。」
とする。しかも,古代「うは」と言っていたのだから,そのことを前提にしないと成り立たないということになる。
「シタ」は,『語源辞典』は,
「シ(下の意)+タ(名詞の語尾)」
で,置いた物の内側。転じて物の下,下方を意味する,とする。これも異説がいっぱいある。
シリトマリ(尻止)の義か(名言通),
シタルの略(言葉の根しらべ),
シリト(尻所)の義(言元梯),
シに下の義があり,それに名詞語尾タを添えた語(国語の語幹とその分類),
シホタルからか(和句解),
タは落ちて当たる時の音かまたタル(垂)の義が(日本語源),
等々。
文脈依存の和語の語源は,多く,擬態語・擬音語か,状態を表現する,という意味から見れば,
カミ・シモ,
は,両者の位置関係を,
ウエ・シタ,
は,物の位置関係を,それぞれ示したに違いない。ウエとカミの区別は大事だったに違いないのだが,状態表現から価値表現へ転じていく中で,混じり合ってしまった。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「ばつ」は,
ばつが悪い,
ばつを合わせる,
の「ばつ」である。『広辞苑』には,
「場都合略という」
とある。「ばつが悪い」は,
その場の成り行き上,きまりが悪い,具合が悪く恥ずかしい,
という意味が載り,「ばつを合わせる」は,
調子を合わせる,話の辻褄を合わせる,
という意味になる。『語源辞典』には,二説載る。
説1は,「場+都合」で,その場の調子具合が悪い,意。
「この説が有力ですが,都合をツと約す例は,こじつけのように思います。」
と『語源辞典』は言う。
説2は,「跋(つまずく,ころぶ)」で,中国の詩経にある語。
「語源が忘れられ,日常語になった語のように思います。老いた狼が,進めば胡(顎の下のたれ肉)を踏み,退けば尾につまずくと,進退に窮する意です。」
として,「跋」説が,
ばつ(つじつま)を合わせる,
ばつが悪い(きまりが悪い),
の二例とも,「跋を語源として合理性がある。」と,している。「跋胡」という言葉自体が,
進退に窮する,
意で,上記は,
狼跋其胡,載疐其尾,
で,
「老狼に胡あり,進めば則ち其の胡を躐(ふ)み,退けば則ち其の尾に跲(つまず)く,よりて進退自由を得ざるに踰ふ」
と。『大言海』は,
場都合の略,
として,
「其の場の都合を,程よく取りつくろふこと,又,工合,調子」
とする。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/batsugawarui.html
も,
「『ばつ』はその場の具合や調子を意味し,『話の辻褄を合わせる』『調子を合わせる』の意味で,『ばつを合わせる』とも用いられる語である。
『ばつ』の語源には『跋』の意味からとする説と,『場都合』の略とする説がある。『跋』は書物の後書きや結びを意味する語で,これらの意味から『具合』や『調子』の意味が派生することは,強引ではあるが考えられなくもない。しかし,単に具合や調子を意味しているのではなく,『その場』という時間的な要素を多く含んだ言葉であるため,『場都合』の略説が有力と考えられる。」
としている。『江戸語大辞典』は,
跋か,一説に場都合の略とも,
と載せ,
工合,都合,調子,また,結末,つじつま,
の意味を載せ,
「ばつを付ける」
のみ載せ,
結末を付ける,
という意味とする。
「貴君(あなた)の御料簡で,ばつは何様(どう)お付けなさる積りです」(安政成・春色玉襷)
の例を見る限り,
跋
が有効に見える。「場都合」では,
つじつま,
結末,
の意味が出にくい。
帳尻を合わせる,
平仄を合わせる,
と類語なのではないか。「跋」の字は,
「犮(ハツ)は,犬の後足に/印をつけて,犬が足を跳ね上げることを示す指事文字。ものをはねのけて,二つにわけるという基本義を持つ。跋はそれを音符とし,足を加えた字で,草をふみわけ,はねのけて進むこと。足を跳ね上げることから,ふみにじる,乱暴にふるまうの意を生じた。」
とある。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「きまり」は,
きまりが悪い,
と使う「きまり」である。
決まり,
極まり,
と当てる。意味は,多様で,
物事が決まること,問題になっていたり面倒だったりした物事の終わりきまること,決着,結末,おさまり,
よりどころとして定められている事柄,きめられたもの,規則,また秩序,
一定していること。いつものこと,定例,
(多く「おきまり」の形で)いつもと同じで,新鮮味のないこと,おさだまり,
(「きまりが悪い」の形で用いる)他人に対する具合,面目,
(明和・安永頃からの江戸の流行語)諸事情よくできていること,万事首尾よくいっていること,
遊里で,客と遊女の中で,思い合ったり思う相手と定めた間柄,
等々とある(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。本来は,
物事が決まること。問題になっていたり面倒だったりした物事の終わり。決着(『デジタル大辞泉』),
という意味だったと思えるが,「決める」「決着」という意味の外延が,ある場合は,メタファとして,ある場合は,意味の拡大として,広がっていく様子が見えるようである。
きまりが悪い,
は,
(人前で首尾よくつくろうことができない意から)面目が立たない,また何となく恥ずかしい,
という意味になるが,「ばつ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%B0%E3%81%A4)で触れた「ばつ」が、
結末,つじつま,
の意であったと似て,「きまりが悪い」も,
何かから外れている,
という含意になる。『語源辞典』を見ると,「きまりが悪い」は,
「『キマリ(芝居でしぐさが決まること)がよくない』です。役者として,キマラヌのは恥ずかしい。これが語源で,一般人がなんとなく恥ずかしい意にもちいます。」
とある。芝居用語なのかと思い,いろいろ調べたが,
「劇団からっかぜ団内教育資料・演劇用語辞典」
http://www.geocities.jp/hirai_sin/siryou/jiten.html
に,「きまる」について,
上手く行ったこと。演技やふりのある段階を示すポーズ,
とある。むしろ,何かうまく行ったとき,
決まった,
などという使い方につながるもので,「きま(決・極)る」に,
不確定だった物事がある結果に落ちつく,定まる,決定する,決着する,
(「〜に決まっている」の形で)間違いなくそうである,
(「決まった」の形で)一定の(「決まった顔ぶれ」),
相撲などで勝負がつく,
事物の型がきちんと格好よくできあがる,ぴたりとはまる,
男女の仲がうまく成立する,
等々の意味の広がりの中で使われている,と見ると,『語源辞典』の解釈は,少し穿ちすぎではないか。「ばつがわるい」と「きまりがわるい」は,似た意味を持ち,似た使われ方をしているのは,
ばつ,
と
きまり,
の含意の相似性からきているのではないか。
決着・つじつま,
と
決着・定め,
と意味を比較すると,その重なり具合がよく見える。因みに,『大言海』は,「きまる」について,
「決むの自動詞,きはむる,きはまる。さだむ,さだまる。」
と書く。「きめる」に対して「きまる」と置いてみると,「きまる」の含意が見えてくる気がする。
ところで,『江戸語大辞典』の「きまり」について,
吉原・岡場所で,客と女郎が恋仲になること,またその客・女郎。その人の上に心が定まる意。明和・安永期,通人用語。
転じて,女郎から好かれたこと,女郎にもてたこと,
身なりをととのえていること,めかしていること,
感動詞「おお」などを冠するか,または繰り返しの語形を取るのが普通。うまいっ,しめしめ,ありがたい,
の意味が載る。どうやらそういう場所でのはやり言葉であったものらしい。『江戸語大辞典』には,
きまりが付く,
というと,
決着がつく,
の意だが,
きまりが悪い,
は,
落ち着かない,
納まりがつかぬ,
という意味と,
気恥ずかしい,
照れくさい,
面目ない,
との意味が載る。どうやら,
納まりがつかない,
の意から転じた,と見える。その背景には,遊里が透けて見える。芝居,に使われたとしてら,その後のような気がするが,どうだろう。
参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「ほこり」は,
埃,
の「ほこり」と,
誇り,
の「ほこり」がある。前者は,
こまかな塵のとぶもの,綿のようなゴミ,
で,そのアナロジーから,
数量や金銭のはした,余り,
といった意味に使われる。後者は,
誇ること,自慢に想うこと,名誉に感じること,また,その心,
である。面白いのは,『大言海』の「ほこり(埃)」の項に,
「誇りの意ならむ。誇るの條をみよ。」
とあることだ。「ほこ(誇)る」の項には,
誇る,
矜る,
伐る,
を当て,
「驕(おご)るの大ごるの上略と云ふ。廣ごるなどと同意と云ふ。或いは云ふ,秀(ほ)起こるの約かと」
とある。『大言海』は,「ほこり」に,
誇り,
埃,
の他に,もう一つ,火偏に枲「音シ,訓カラムシ」の字を当てて,
「火起(ほおこり)にて,火中より起これる灰燼の意と云う」
とある。『大言海』で見ると,
埃,
も
誇り,
も同源ということになる。しかし,『語源辞典』には,「ほこ(誇)る」については,
「ホ(目立つ)+コロホフ(がる)」
で,目立つようにする,得意がるの意,とある。「ほこ(誇)る」の語源説としては,その他に,
オゴル(驕・奢)の義(日本釈名・言名梯),
オホ(大)ゴルの上略。オホゴルはオゴルの意(大言海),
オホコル(秀起)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべ),
ホコユル(穂肥)の義(柴門和語類集),
ホコ居の義。ホは上に現れる意,コは所の意(国語本義),
等々がある。「ほこり(埃)」は,
「火+おき」
で,
「ホオキ,ホオコリ,ホコリとなった語と考えます。火をおこし,燃え尽き,後に残ったものをオキと言います。焚火の後の灰の微粒が,ホ(火)コリで,それに近い,役に立たない微細な塵埃をもいうようになったものです。」
とある。「ほこり(埃)」の語源説には,その他に,
ホオコリ(火起)の義(東雅・名言通・言葉の根しらべ・大言海)
ホは火の義。コリは残りの義(日本釈名),
火凝の義(和訓栞),
ホケリ(火気)の義(言元梯),
立ち放こる意(日本語源),
などがある。『語源由来辞典』は,
http://gogen-allguide.com/ho/hokori.html
は,「ほこり(埃)」について,
「ほこりには、『ホオコリ(火起)』『ホケリ(火気)』『ホコゴリ(火凝)』『ホコリ(火残)』の意味 とする説がある。
『ほ』を『火』と関連付けるのは『灰』を想定したものと考えられるが、 元々『灰』を指していたものかは疑問である。 この他、『立ち放こる』の意味とする説や、
語根が似る『ほころぶ(綻ぶ)』と関連付けた説もあるが、未詳。」
としているが,どうやら,ここでも,
火起こり,
とつながるらしい。どうやら,
ほ(火),
との関係が深い。「ほのか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BB%E3%81%AE%E3%81%8B)
で触れたが,「ひ(火)」の古形,「ほ(火)」の語源は,
ヒ(火)に通ず(『名語記』『和訓栞』),
ヒ(火)の中国音から(『外来語辞典』),
火の穂の義(『国語本義』),
等々で,
「キ(木)に対して,複合語に表れる『コ』(木立ち,木の葉)と並行的な関係にある」
とある。
火影,ほむら(炎),火焼け,ほたる(蛍),火照る,ほなか(火中)
等々,「ほ(火)」を当てる中に,「ほこり(埃・誇)」の「ほ(火)」を入れて見たくなる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「みや」は,
宮,
と当てる。しかし,中国語では,この字は,
古くは,貴賤の別なく住居をいふ。秦の始皇帝以後専ら皇家の称とす,
とある(『字源』)。だから,宮城,離宮等々という。「宮」の字は,
「『宀(やね)+二つの□印(くちではなくて,建物のスペース)』で,奥深く,行く棟も建物があることを示す」
とある(『漢字源』。『字源』には,宀に从(したが)ひ呂に从ふ。呂は脊椎骨即ち人の意,とある)。だから,みや(皇族,また皇族の呼び名),みや(神社),とするのはわが国でのみである(漢音でキュウ,呉音でクウ・ク)。『広辞苑』(『大言海』も)には,
「御屋」の意,
として,
伊勢神宮その他特別の神を祀る神社の称,また一般に神社の称,
皇居,禁裏,御所,
皇后・中宮・皇子・皇女並びに皇族の御殿,またその方々の尊称,
一家をたてた皇族の称号,
中宮識(しき)のこと,
仏堂,寺,
とある。神仏ともに「みや」と呼ぶところが面白い。「みや」の語源は,多く,
御屋,
を取る。たとえば,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233436697
も,
「『宮』の語源は『御屋』です。『都』の語源は『宮処』です。溯れば『御屋処』と言ってもいいでしょう。」
としている。手元の『語源辞典』も,
「ミ(御)+ヤ(屋)」
とする。つまり,
ミは尊称の接頭語,ヤは屋・宅,
ということになる。しかし,これだと,「宮」の本来の意味にはなるが,神を祀るという意味にはつながらないのではないか。『古語辞典』は,
「ミ(霊力)ヤ(屋)の意。神や霊力あるものの屋」
としているが,この他にも,
神の霊をいうカゲミ(影見)の居る屋の義,カゲミヤの略,またミヤ(身屋)の義(志不可起(しぶがき)),
「廟」の字音(mia)から(語源類解),
等々がある。『古語辞典』の説も含めて,何らかの霊とつながらなければ,今日の「みや(宮)」の使い方に繋がらないのではないか。
『日本語の語源』は,まったく別の説を立てる。
「イカメシキ(厳めしき)方は,カメシの部分がメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)になった。その居所をカミヤ(神家)といったのが,語頭を落としてミヤ(宮)になった。神には拝み説もある。」
とする。神の語源については,「神」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F),「上」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)
で触れたが,『日本語の語源』は,「カミ」について,
「『カミ(上)のミは甲類,カミ(神)のミは乙類だから,発音も意味も違っていた』などという点については,筆者の見解によれば,神・高貴者の前で(腰を)ヲリカガム(折り屈む)は,リカ[r(ik)a]の縮約でヲラガム・ヲロガム(拝む)・ヲガム(拝む)・オガム・アガム(崇む)・アガメル(崇める)になった。礼拝の対象であるヲガムカタ(拝む方)は,その省略形のヲガム・ヲガミが語頭を落としてガミ・カミ(神)になったと推定される。語頭に立つ時有声音『ガ』が無声音『カ』に変ることは常のことである。
あるいは,尊厳な神格に対してイカメシキ(厳めしき)方と呼んでいたが,その省略形のカメシがメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)に転化したとも考えられる。いずれにしても,『神』の語源は『上』と無関係であったが,成立した後に,語義的に密接な関連性が生まれた。
神の御座所を指すカミサ(神座)はカミザ(上座)に転義し,さらに神・天皇の宮殿の方位をカミ(上)といい,語義を拡大して川の源流,日の出の方向(東)をカミ(上)と呼ぶようになった。」
と述べていた。少なくとも,
神の居る処,
であることに繋がらなくては,説明になっていない,と思う。そう見ると,
ミ(霊力)ヤ(屋)の意,
神の霊をいうカゲミ(影見)の居る屋の義
の系統が少なくとも説得力があるが,
おがむ,
あがむ,
かがむ,
といった尊崇の姿勢から,つながるというのも,自然である気がする。文脈依存の言葉であるとは,観念からではなく,おかれたシチュエーションから生まれる言葉だと思うからだ。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
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「はか」は,
墓,
と当てる。
死者の遺骸ゃ遺骨を葬ったところ,
墓碑,墓石,
の意味であるが,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/haka.html
には,
「墓とは、遺体・遺骨を葬る場所。また、しるしとしてそこに立てる石や木などの
建造物。土を高く盛って築いた墓は『塚(つか)』、考古学上の墓は『墳墓(ふんぼ)』と言う 。」
とある。「墓」の字は,
「莫は,太陽が草の中に沈んで隠れることを示す会意文字。墓は『土+音符莫』で,死者を見えなくする土盛り。」
とある。因みに,しかし,土を盛ったものを,
冢(ちょう),
高く築いたものを,
墳(ふん),
というらしいので,どちらかというと,墓は,
土を盛らない,
部類に属するらしい。さて,「はか」の語源は,『大言海』は,
「果處(はてか)の意と云ふ。又,葬處(はふりか)の略と云ふ。或いは云ふ,朝鮮語にもハカと云ふと」
と載る。手元の『語源辞典』も,
「『ハ(果て)+カ(処)』,つまり,『果てた人を葬った場所』が語源」
とする。『日本語の語源』も,
「ハフリカ(葬り処)」
を取る。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ha/haka.html
は,
「語源は諸説あるが,『果処(はてか)』の意味とする説や,『葬処(はふりか)』の略とされる説あたりが有力とされる。他に有力な説としては,生死の間は遥かであることから『遥か(はるか)』とする説や,『儚し(はかなし)』といった説もある。
漢字の墓の『莫(ばく)』の部分は,太陽が草の中に沈んで隠れることを示す会意文字で,『墓』の漢字には,死者を見えなくする土盛りの意味がある。
日本では,646年の『薄葬令』で墓制を定めて,墳墓の規模が規制された。墓標を立てる風習は,平安時代に造寺・造塔が盛んとなって,塔を建てる風習が生じたことによる。角石形の墓標が普及したのは,江戸中期以降で,寺院内に墓が造られることが一般化したのは江戸時代以降である。」
と整理して,
果処(はてか),
葬処(はふりか),
が有力としているが,その他の諸説を拾ってみると,
跡のみが遺るところから,迹ハカ・ソコハカのハカと同じ(和訓栞),
標を立てて場所をハカル(計)ところから(名言通),
ハッカ(果所)の義(言元梯),
ハフムリ(葬)テ-タカキ(高)の略(日本釈名),
値をハキ(除)て葬る意という(東雅),
生死の間は遥かであるところからハルカ(遥)の義,またハカナシの略(滑稽雑談所引和訓義解),
ハタ(魄)の霊を納める意(柴門和語類集),
トカ(土下)の転(和語私臆鈔),
ワカ(槨処)の転(日本古語大辞典),
等々がある。『日本語源大辞典』には,『時代別国語大辞典』から,
「外形や作り上げる動作ツク(築)とかかわるツカ(塚)に対し,葬る場所という目的からの呼称」
とする説を載せている。中国が,
墓,
冢,
墳,
を区別したように,
塚(冢が原字),
に対比して,区別したというのは,一つの考え方だ。いまひとつは,
死者,
や
埋葬,
に関わる言葉として,
葬処(はふりか),は,
というのも,一つの見方だ。
人間到る処青山あり,
というときの,青山は,
人が死んで骨を埋める土地,
というより,広く,
死に場所,
でもある。蘇武の,
是処青山可埋骨,
青山に骨を埋むべし,
もある。しかし,和語が文脈に依存するとは,イマ・ココに埋め込まれて,メタ化することが苦手という意味だ。それは,
果処(はてか),
という生の末という概念より,
葬処(はふりか),
ただ,葬った処,というのが,ふさわしい。
それにしても,「はか(墓)」の語源がはっきりしないのは,文脈依存の言語らしく,あるいは,「いま・ここ」という時の流れにたゆたって,その中に埋まって,ついに,「死」を概念化しそこなった結果のように思えてならない。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「しぬ」は,
死ぬ,
と当てるが,『デジタル大辞泉』は,
[動ナ五][文][ナ四・ナ変]《古くはナ行変格活用。室町時代ころからナ行四段活用が見られるようになり、江戸時代には二つの活用が並存。明治以降はナ行四段(五段)活用が一般的になったが、なお「死ぬる」「死ぬれ(ば)」などナ行変格活用が用いられることもある》
と,「しぬ」の活用の変化に触れている。『広辞苑』には,
「シ(息)イヌ(去)の約か」
とある。しかし,漢字「死」は,前にも触れたことがあるが,会意文字で,
「『歹(骨の断片)+人』で,人が死んで,骨きれに分解することを表す」
とある。さらに,「歹(呉音ガチ,漢音ガツ)」は,骨,残骨という意味だが,象形文字で,
「骨の字の上部(冎)は,はまりこんだ関節骨を描いた象形文字。骨はそれに肉づきよりなる。歹は,その関節骨の下半分を描いたもので,切り取った骨のこと。漢字を構成するとき,詩体ほねを意味する。」
とある。死・残・歿・殊・殆・殉の他,烈・例・冽・裂・列等々,歹の入っている字は多い。すべてとは言わないが,「骨」の翳を感じると,「列」のイメージが変わる気がする。「墓」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B)
でも触れたが,我々はメタ化が苦手て,文脈に埋もれている。ために,「死」も,漢字のように突き放した表現ができないらしい。漢字だと,同じ死でも,
「逝」は,あの世へ行く,
「歿」は,姿が見えなくなること,
「亡」は,いなくなること,
「崩」は,山が崩れるようになくなることで,天子の死に用いる,
「薨」は,見えなくなることで,諸侯の死に用いる,
と,区別するというのに。
さて,「しぬ」の語源である。『広辞苑』は,
「シ(息)イヌ(去)の約か」
を取っているが,手元の『語源辞典』は,三説挙げている。
説1は,「中国音シ(死)+いぬ(去ぬ)」の合成語,
説2は,「シ(息)+いぬ(去ぬ)」で,息を止める意,
説3は,「シ(為・仕)+いぬ」で,去ってしまう意,
このうち,説3を,『語源辞典』は「疑問に思っている」としている。
「シ(息)イヌ(去)」
に類似するものとしては,
シイヌル(息逝)の義(松屋棟梁集),
があるが,
「シ(為・仕)+いぬ」
の「いぬ」に「逝」を当てはめて,
「いってしまいました」という言い方をして死去を表現した,
とする説(金田一京助)もある。その他,
スギイヌル(過往)の義(名言通),
シヲルル,シボム,シヒルの義と通じる,
とか,
シは〆領る,ヌは歇了る義,
とする説などがある。
息を止める,
という現象を指すか,
行ってしまった,
という,(ここから)「去る」という見えなくなる現象を指すか,いずれにしろ,ここでの時間の流れと地続きの感じがあり,中国語の,
骨になる,
といった突き離した感じはない。
http://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150810/1439213400
に,
「『死者が還ってくる』という発想自体が、日本人の死生観の特徴だとみることができるだろう。」
とあるが,、『日本書紀』に根の国,『古事記』は黄泉国と表記で表される地下の世界は,イザナギがイザナミに逢いに黄泉国(よみのくに)まで行った,とされるほど,どこかに地続き感がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E7%94%9F%E8%A6%B3
にあるように,
「根の国のあった場所は…古くから神話を現実的に解釈し、地上のどこかに当てる説が行われた。その場合、イザナミやスサノオと縁の深い出雲国に入口があるとする説がある。特に、夜見(よみ)という地名のある鳥取県米子市と、黄泉平坂の比定地のある島根県松江市の間の島根県安来市には、古事記にも『出雲国と伯耆国の堺の比婆山』と記されたイザナミのものと伝えられる御神陵がある…。」
どこかすぐそばに,見えないけれども,いる,という感覚が,
「シ(為・仕)+いぬ」
という感覚につながるのではないか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
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「かみなり」は,
雷,
と当てる。語源は,多く,
神鳴り,
とする。手元の『語源辞典』も,
「神+鳴り」
とし,
神の仕業の雷鳴,
とする。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ka/kaminari.html
も,
「かみなりは、『神鳴り』が語源である。 鬼の姿で虎の皮のふんどしを締め、背負った太鼓
を打ち鳴らす神は、現代では空想上のものとされているが、昔、かみなりは本当に神が
鳴らすものと信じられていたためこの名がある。『かみなり』は、中世以降に広く使われるようになった語で、それ以前には、『なるかみ』や『いかづち』が一般的であった。」
とし,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E9%9B%B7
も,
「古くは、雷は神が鳴らすもの、と信じられていたため「神鳴り」と呼ばれていたことに由来する。古名の『いかずち(いかづち)』の語源はは、『いか』は、『荒々しい』などを意味する形容詞『厳し(いかし)』の語幹で、『ず(づ)』は助詞の『つ』。いかずちの『ち』は、『みずち(水霊)』や『おろち(大蛇)』の『ち』と同じ、霊的な力を持つものを表す言葉で、『厳(いか)つ霊(ち)』という意味。」
とする。「かみなり」の古称「いかづ(ず)ち」は,『広辞苑』には,
「イカ(厳)ツ(助詞)チ(霊)」
とあり,『大言海』も,
「厳(イカ)之(ツ)霊(チ)の義。…ツを濁る。」
とし,
「上代の人は,厳(イカ)く畏るべき神としたり,されば,直に神と云ひ,鳴神(なるかみ)とも云ひき」
と書き,「つ」については,「秋津島,安吉豆之萬(あきづしま)」と濁る例を挙げている。「ち(霊)」については,
「持ちの約」
として,
「神,人の霊(たま),又,徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(のづち 野槌),水霊(みずち),尾呂霊(おろち)などの類の如し。チの転じて,ミとなることあり,海之霊(わたつみ 海神)の如し,又,転じてビとなることあり,高皇産霊(たかみむすび),神皇産霊(かみむむすび)の如し。」
と載せる。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/i/ikazuchi.html
も,
「.いかずちの『いか』は、『たけだけしい』『
荒々しい』『立派』などを意味する形容詞『厳し(いかし)』の語幹で、『ず(づ)』は助詞の『つ』。いかずちの『ち』は、『みずち(水霊)』『おろち(大蛇)』の『ち』と同じ、霊的なものを表す言葉で、『厳(いかつ)霊(ち)』が語源である。
本来、いかずちは鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったが、自然現象の中でも恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた『雷』を意味するようになった。」
とする。しかし,「かみなり」が,古くは「いかづ(ず)ち」と言っていたのだとすると,「かみなり」との語源的な繋がりが,これでは,無さすぎる。『日本語源大辞典』には,こうある。
「古く,恐ろしい神を意味する『いかづち』が(かみなりを)表す一般的な語であったが,歌の中では『雷鳴』の意の『なるかみ』が多く用いられた。この『雷鳴』の側面を『神,鳴る』とも表し,その連用形から『かみなり』が生じたと考えられる。…「いかづち」が衰える中世末ころから,(「かみなり」が)広く一般化するようになる」
これはひとつの考え方である。『日本語の語源』は,「かみなり」と「いかづち」の関連を,音韻変化から,次のように説く。
「形容詞のイカシを強めてイカメシ,またはイカツシといった。三語形のイカの部分にはそれぞれ『いかめしい。おごそかである』という意味のイカ(厳),『はげしい。きびしい。おそろしい。荒々しい。強い』という意味のイカ(猛),『すばらしい。りっぱである。盛大である。大きい』という意味のイカ(偉)の三義が貫流している。
イカメシキ(厳めしき)方は,カメシの部分がメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)になった。その居所をカミヤ(神屋)といったのが,語頭をおとしてミヤ(宮)になった。(中略)
雷鳴のことをイカメシキナリ(猛めしき鳴り)といった。これを早口に発音するとき,イ・キを落とし,メシが縮約されてカミナリ(雷)になり,省略してカミ(雷)という。〈雷(かみ)のいたう鳴るをりにカミナリこそいみじうおそろしけれ〉(枕草子)」
「雷鳴」とか「神鳴り」としてメタ化するより,イカメシキナリと呼んだという方が,文脈依存の和語にはふさわしい気がしてならない。まして,この説の方が,「いかづち」の語源とリンクしていて,僕には強く惹かれる。
ちなみに,漢字「雷」の字は,
「下部の田はもともと三つで,ごろごろと積み重なったさまを描いた象形文字(音ライ・ルイ)。雷は,もとそれを音符とし,雨を加えた字で,雨雲の中に陰陽の気が積み重なって,ごろごろと音を出すこと。のち,略して雷と書く。」
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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杓子定規は,
(杓子の曲がった柄を定規に利用したところから)正しくない定規ではかること,
一定の標準で敷いて他を律しようとすること,形式にとらわれて応用や融通のきかないこと,
という意味である(『広辞苑』)。一般には,後者の,
形式にとらわれて融通のきかないこと,
の意味で使われる。しかし,前者が語源だとすると,ちょっと変だ。
誤った定規ではかること,
と,
形式にとらわれて融通のきかないこと,
は,意味が全く違う。前者は,
そもそも基準が間違っている,
意であり,後者は,
ひとつの基準で形式的に推し量ろうとする,
という意だ。語源がもし,
杓子の曲がった柄を定規に利用したところから,
というなら,形式的とか融通のきかない,とは真逆の,
融通のきかせすぎ,
となるのではないか。しかし,多く,
曲がっている杓子を定規代わりにすること、正しくない定規ではかることの意から(『デジタル大辞泉』)
古くは杓子の柄は曲がっており、定規にならないのを定規の代用とするということから(『大辞林』)
曲がっている杓子の柄を無理に定規の代用とする意から。「杓子」は汁や飯などを盛ったりよそったりする道具。古くは柄が曲がっていた(『新明解四字熟語辞典』)
等々,同じ説をとる。さらに,手元の『四字熟語辞典』には,
杓子を定規にする,
という言い方もあるとし,やはり,
まがっているひしゃくの柄を,無理に定規として用いようとすること,
としている。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/si/syakushijyougi.html
も,
「杓子は汁をすくったり飯を盛ったりするのに使う道具で、古くは杓子の柄は曲がっていた。 そのような柄の曲がった杓子を、真っ直ぐな定規の代わり
に使うところから、無理に基準に当てはめたり、融通のきかないことを『杓子定規』というようになった。」
と説く。管見では,唯一,手元の『日本語源広辞典』が異説を説く。
「語源は『尺四をもって定規とする』です。栗木細工の定規は,必ず,一尺四寸でなければならぬという規則にこだわること。形式にとらわれて融通のきかないこと,などの意です。『曲がった柄を定規に』というのが古くからの通説ですが,疑問。」
と。これなら,まさに杓子定規の意味に重なる。さらに,「杓子」の語源について,二説挙げる。
説1は,「杓+子(接続詞)」が語源。勺・杓は水を汲む器具で,しゃくる(噦る・掬う)物の意です。
説2は,「尺四(一尺四寸)」。吉野の栗木細工のシャクシの長さを語源とするものです。近畿では昭和初期まで,この杓子が主流でした。
この場合,栗木細工の尺(長さ)を指す,というわけだ。いずれも,「しゃくし」から来ていることには違いない。
「しゃくし」は,
「しゃくしはひさご(瓠)のなまった言葉で,その原型はひさごを縦割りにしたものとされている」(『世界大百科事典』)
「(杓子の杓は)古語,ひさご(瓢)の転の,ひしゃくの略」(『大言海』),
とあるが,『日本語の語源』には,「猫も杓子も」の「しゃくし」について,
「ネギ(禰宜)は神官の位階の名称であり,シャクシ(釈子)は,『釈迦の弟子』という意味で僧侶のことをいう。<釈子に定めましましけれど,いまだ御出家はなかりけり>(盛衰記)。『誰も彼もみな』というとき,『禰宜(神官)も釈子(僧侶)も』といったのが,ギ(宜)が母音交替(io)をとげてネコモシャクシモ(ネコモシャクシモ)になった。
どうやら,「杓子」は「釈」とつながるらしい。ということは,「しゃくし」と言っていても,
杓子,
とは限らないのである。その連想で,「笏」を思い出した。「笏」は,『日本語源大辞典』には,
「『笏』の漢音『こつ』が『骨』に通うのを忌み,
(イ)笏もものを測るものであるところから,『尺』の音シャクを借りたもの(日本釈名・大言海),
(ロ)笏の長さは一尺であるところからシャクといったもの(嘉良喜随筆・箋注和名抄),
(ハ)材料の木の名をもって呼んだもの(東雅)。」
と諸説あるが,『大言海』が面白いことを書いている。
「笏の音は,忽(こつ)なり,骨(こつ)に通ずるを忌みて,笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふとぞ,或いは云ふ,笏尺の略にて,一笏は一尺なりと,多くは,一位の材を用ふ,これ,一位は,極位なれば,その縁に取る,飛騨の国の一位の木,亦,くらゐに取る。釋名『笏,忽也,君有敬命,及所啓白,則書其上,備忽忘也』」
とある。
笏も物を量れば,尺の音を借りて云ふ,
というのが目を引く。「笏」については,こうある。
「又,さく。束帯のとき,右手に持つもの。牙(げ),又は,一位木(いちいのき),或いは,桜・柊,等の薄き板にて,長さ一尺二寸,上の幅二寸七分,下の幅二寸四分,厚さ二分,頭を半月の形とす,即ち,上圓,下方なり。尚,位に因りて差あり,元は君命,又は申さむとする所を記して,勿忘に備ふるものなりしと云ふ。」
と。『日本語源大辞典』は,
「天皇は上方下円,臣下は,上円下方で,裾窄みを例とした。材質は,礼服は象牙又は犀角,朝服は木笏で,イチイ,サクラなどを用いる。」
とする。
ところで,「杓子」の「子」は,
帽子,
扇子,
調子,
等々,物の名に添える助辞(『広辞苑』)で,『大言海』は,
「(宋音なり)漢語の下に添えて,意なき語」
として,
台子,
金子,
様子,
払子,
鑵子,
等々を挙げている。「笏」を
「笏子」
といったかどうかは定かではないが,添えてもおかしくはない。
『有職故実図典』には,
「元来,笏は板の内面に必要事項を記載して忽忘に供えるのを本義とし,手板と称して具足した唐制をそのまま伝えたものである。『こつ』の音を忌んで「しゃく」と呼んだ。令制では,唐制と同様,五位以上は牙笏(げしゃく)と規定しているが,牙が容易に得難いところから,延喜の弾正式には,白木を以て牙に代えることを許容しており,こうして礼腹(らいふく)の他は,すべて木製となって近世に至った。」
とあり,杓子定規の見本のような有職故実に,「杓子定規」の「しゃくし」の出典を認めたい気がしてならない。例の忠臣蔵の一件も,有職故実や礼儀作法に精通しているとして高家肝煎とされた「三高」の一家,吉良義央との確執がなければ起きなかった。これは臆説であるが。
さて,笏の起源は,
http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20130122
によると,
「笏の発祥は中国で、前漢の時代に著された『淮南子』(えなんじ)に、『周の武王の時代、殺伐とした気風を改めるため武王が臣下の帯剣を廃し、その代わりに笏を持たしめた』とあるのが笏の起源と云われています。笏が中国から日本にいつ伝わったのか、その正確な時期は特定できませんが、絵画に於いては、聖徳太子や小野妹子が描かれている画像等に見られる笏が今のところ最も古いとされている事から、推古天皇の御代に六色十二階の冠制が創定された時期に日本でも笏が使われるようになったのではないか、と推定されています。但し、笏を使用する事が国の制度して公式に明文化されたのは、推古天皇の御代から約1世紀後の文武天皇の御代に成立した大宝令からで、公式には、この大宝令が、日本での笏の起源となります。」
とあり,中国発祥らしい。
笏については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%8F
に詳しい。笏紙(しゃくかみ),
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%8F%E7%B4%99
というものがあるらしい。
参考文献;
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
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「あした」は,
朝,
明日,
と当てる。「あさまだき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%81%8D)
で触れたように,
「あさ(朝)」が「アシタの約」
であり,『大言海』には,
「アは,明くの語幹,明時(あけした)の意…(東(あずま)も明端(あけつま)なるが如し)。あした,又約(つづま)りて,朝(あさ)となる。雅言考(橘守部)アシタ『明節(あけしとき)の略也。時節などを,古く,シタと言ふ』」
とあり,「した(だ)」は,
「時の意にて,今行きしな,帰りしな,起きしななどいうシナ」
とあり,『日本語の語源』をみると,
「しだ(時)がシナ(時)に転音」
とある「夜明け時のことを古くは『アケシダ(明け時)』と言い、この『アケシダ』の『ケ』が脱落して『アシタ』になり、さらに変化して『アサ』になった」もののようなので,「アシタ」は,
アサ,
を指している。すでに,「夜」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E5%A4%9C)
で触れたように,『古語辞典』によると,上代には,昼を中心にした時間の言い方と,夜を中心とした時間の言い方とがあり,
昼を中心にした時間の区分,アサ→ヒル→ユフ,
夜を中心にした時間の区分,ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,
と,呼び方が分けられている。前者がヒル,後者がヨル,ということになる。アサとアシタは同じ「朝(あした)」である。だから,「あした」は,
ユウの対,
なのである(『古語辞典』)。「アシタ」について,『古語辞典』は,
「上代は昼を中心とした時間の言い方と,夜を中心にした時間の言い方とがあり,アシタは夜を中心にした時間区分のユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの最後の部分の名。昼の時間区分の最初の名であるアサと同じ実際上は時間を指した。ただ『夜が明けて』という気持ちが常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから,夜中に何か事があっての明けの朝という意に多く使う。従ってアルクアシタ(翌朝)ということが多く,そこから中世以後に,アシタは明日の意味へと変化しはじめた。」
とある。語源は,『大言海』で尽きているかもしれないが,手元の『語源辞典』は,二説を載せる。
説1は,「ア(明ケ)+シタ(シナの転・シダ・シタ)」。夜の明け方,明けての朝の意。
説2は,「早朝」古語アシタが,明日の意に変化した。変化は中世以後。
しかし,後者は,前者があって後のことなので,「語源と見るのは疑問」(『日本語源広辞典』)と言う通りではないか。だから,「アス」は,
「朝の音韻変化」
で,
「アシタ(朝)がアシタ(明日)に転用されたのと同じ関係…アサがアスに転じた」
とされる。アシタもアスも,それぞれ別系統で,いずれも,「アサ」を意味する言葉から,「明日」に転じた,ということになる。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/ashita.html
は,「アシタ」について,
「もとは『朝』の意味で、『夕べ』に対する語として用いられた。 鎌倉末期頃から『何かあっ
た日の翌朝』の意味でも用いられ、平安末期以降、現在と同じ『明日』の意味をもつよう になった。
語源は、『夜が明ける』などの『明け(あけ)』に、奈良時代の東国方言で『時』 を意味する『しだ』で、『あけしだ(明時)』が転じたと考えられる。」
とし,「アス」については,
http://gogen-allguide.com/a/asu.html
「『あかす』の略。また『あさ(朝)』の転と考えられる。『あす』も『あした』も語系は同じであるが、用法的には、『あす』は『明日は我が身』のように『近い将来』も意味し、今日を明かして後の日を表している。」
と,やはり,「アサ」からの転としている。
しかし,『日本語源大辞典』は,「アシタ」について,諸説の中で,
「アシタ・アサ・アスは,語根を等しくする(『時代別国語辞典』)。Asitaのasは,asa(朝)・asu(明日)のasと共通で,夜明けを意味した語根(『岩波古語辞典』)。アシタのアシはアス・アサなどと同根であり,タはカナタ(彼方)・ハタ(端)・シタ(下)などのタに通ずるもの(『小学館古語大辞典』)」
を挙げ,
「アサ,アサッテ,アシタ,アスは,/as-/の部分を共通項としてもっているから,何らかの関係をもっている可能性がある。その点で,(この)説が有力か」
としている。さらに,
「アサには『明るい時間の始り』の意識が強い(『朝まだき』『朝け』)のに対し,アシタには『暗い時間帯の終り』に重点があった。そのため,前夜の出来事を受けて,その『翌朝』の意味で用いられることが多く,やがて,ある日から見た『翌日』,後には今日から見た『明日』の意に固定されていく。アサが専ら『朝』を示す単独語となり,ユフベが『昨夜』を示すようになった。」
と付記する。これは,古代の,
ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ,
のアシタの意味から切れていくことを意味する。『日本語の語源』の説明は,いつも独特だが,「アサ」が,ヨクアサ」になり,「アシタ」へと,意味を拡大,というか一般化して行く流れは,逆に良くわかる。
「〈あが面(おも)の忘れんシダ(時)は〉(万葉)とあるが,夜明け時のことをアケシダ(明け時)といった。『ケ』を落としてアシタ(明日)になった。さらにシタ[∫(it)a]が縮約されてアサ(朝)になった。
〈あか星のアクルアシタはしきたへの(敷妙)〉(万葉)。アクルアシタ(明くる朝)の語はアシタ(翌朝)に省略され,やがて,アシタ(明日)に転義した。語尾を落としたアシは母音交替[iu]をとげてアス(明日)になった。『アシタ』の語に『朝』『翌朝』『明日』の三義がある所以である。」
文脈依存の「アサ」は,夜の明ける意味であった。それが拡大しても,あくまで,その夜の朝(翌朝)でしかない。そういう文脈から切れて,「アシタ」となるには,あるいは,漢字「明日」を当てて以降なのではないか,という気がする。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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「あさって」は,
明後日,
と当てるが,『広辞苑』には,
「(アサテの促音化)」明日の次の日,明後日,
とある。その次は,
しあさって,
明明後日,
と当て,
やのあさって,
とも言う,と『広辞苑』にはあるが,後述するように,ここは,一般化しかねるところがある。
『大言海』は「あさって」について「あさて」の項で,『日本釋名』(元禄)を引き,
「明後日(あさて),あさってと云ふ詞,古語に見えたり,あす去って後の日なり」
とした上で,
「あさと云ふは,急呼なれど,(こち,こっち)語源に近きが如し,しあす,しあさっての條をみよ」
としている。で,「しあさって」を見ると,
「重明後日(しきあす)の意」
とある。さらに,『燕石雑志』から,
隔明後日(ひきあさつて),
をも載せる。一筋縄ではいかないのは,「しあさって」の項の次に,
「しあす」
の項があり,
明後日,
と当てて,
重明日(しきあす)の略,
として,「明後日に同じ」としていることだ。
まず,「あさって」の語源は,『大言海』の,
あす去って後の日なり,
と言うように,
「アス+去って」の音韻変化,
が主流のようである。 『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/a/asatte.html
も,
「あさっては、平安時代の『蜻蛉日記』に『明日はあなたが塞がる。あさてよりは物忌みなり』とあるように、古くは『あさて』の形で用いられていた。『あさて』から『あさって』に音変化
にしたのは、室町時代頃からである。『あさて』は、鎌倉時代の語源辞書『名語記』に『あすさての義也。明日去りての心也』とあり、『明日が去って後の日』の意味を語源としている。このことから、『あすさりて』が『あすさて』になり、『あさて』『あさって』に変化したとする説が有力とされている。」
としているが,『日本語の語源』は,少し違う。
「『明日が終った次の日』という意味でアスハテ(明日果て)といったのが,スハ[s(uh)a]の縮約でアサテ(明後日)となった。〈アサテばかり車をたてまつらむ〉(源氏)。〈あす,アサテまでもさぶらひぬべし〉(枕草子)。」
とし,明日の次の日,という意味では変わらない。
「しあさって」は,諸説ある。
シキアサッテ(重明後日)の義(三余叢談),
シはスギ(過)の約で,過後日の義(俚言集覧),
スギアスサッテ(過明去而)の約(菊池俗言考),
今日より数えて第四日目をいうところから。
隔明後日(ひきあさつて),ヒはシ(隔)の転。(燕石雑志)
シアサテはサアサテの訛音(名語記),
等々ある。『日本語源広辞典』は,『日本語源大辞典』が「肯けない」としたのに近い,
「四+アサッテ」
と,四番目の朝を迎える日,
を取っている。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/si/shiasatte.html
は,
「しあさっての語源には、『シ』を『過ぎし』の意味とする説や、『ひ(隔)』の転訛とする説。『シ』は『さい(再)』の意味で、『再あさって』が縮まったとする説。『明日』の重なりであることから、『し』は『しき(重・敷)』の意味など諸説あるが未詳。『あさっての翌日』をさす言葉は地方によって異なり、主に西日本と東京(一部近郊地域も含む)では『しあさって』で、これが共通語となっている。東京を除く東日本では『やのあさって』や『やなあさって』が多く用いられる。
『やのあさって』の『や』は『いや(弥・彌)』の『や』と同じで、物事がたくさん重なることや、程度がよりはなはだしいさまを表す語である。『あさっての翌々日』(しあさっての翌日)を指す言葉は、西日本では『ごあさって』と言い、その翌日を『ろくあさって』と言うことから、これは『しあさって』の『し』を『第四日目』と考えたものであろう。
東京では、あさっての翌々日を『やのあさって』、その他の東日本では『しあさって』と言い、順番が逆になって使われている。ただし、これらの分類は主なもので、『しあさって』と『やのあさって』の順番は、同じ都道府県内であっても地域によって異なるところがある。それに加えて、『さあさって』や『ささって』『しらさって』などの方言もあり、時差のない小さな島国と思えないほど複雑である。」
と,地方による違いを詳説している。つまり,
あす→あさって→しあさって→やのあさって,
と
あす→あさって→やのあさって→しあさって,
となるわけだが,『大言海』は,「やのあさて」について,
「(彌の明後日(あさて)の義)音便にヤノアサッテ。ヤナアサッテ。明明後日(しあさて)の次の日。京都にて,五夜さってと云ふ。(一,今日(けふ),二,明日(あす),三,明後日(あさて),四,明明後日(シアサテ),五,彌明後日(やのあさて))」
と説く。
あす→あさって→しあさって→やのあさって,
は,
あす→あさって→しあさって→ごのあさって,
とも言うということだ。
『日本語源大辞典』は,
「『あさっての翌日』は,東日本がヤノアサッテ,西日本がシアサッテという東西対立分布がある。しかし,都区内は,例外的にシアサッテである。『あさっての翌々日』は,西日本がゴアサッテ,都区内はヤノアサッテ,都区内を除く関東一帯はシアサッテである。すなわち,『あさっての翌日』と『翌々日』の組み合わせは,西日本が,シアサッテ/ゴアサッテ,都区内がシアサッテ/ヤノアサッテ,都区内を覗く関東一帯は,逆に,ヤノアサッテ/シアサッテということになる。西日本の体型は,シアサッテの『シ』を『四』と意識したために生まれたと考えられる。」
と,整理する。ただ,もう少し詳しく見ると,少し事情が違う。『日本語の語源』は,例によってこう述べている。
「(シアサッテ(明明後日)は)『再度の明後日』という意味でサイアサッテ(再明後日)といった。サイ[s(a)i]が縮約されてシアサッテになった。
岐阜県不破郡・京都・淡路島・徳島・島根ではこの日をゴアサッテ(後明後日)という。
また,この日をイヤノアサッテ(彌の明後日)と呼んだため,盛岡(御国通辞)・仙台(浜萩)・岩手・宮城・新潟・長野県上田・群馬県勢多郡・埼玉県入間郡・千葉・静岡県田方郡ではヤノアサッテ(明明後日)になり,東北・佐渡・群馬・埼玉県入間郡・千葉・山梨・長野・富山県では,ノア[n(o)a]が縮約されてヤナサッテ(明明後日)という。
(ヤノアサッテ(明々々後日)は)『アサッテ(明後日)の次の次の日』という意味で,一般的にはイヤノアサッテ(彌の明後日)といった。語頭を落としてヤノアサッテ(明々々後日)といい,縮約されてヤノサッテになった。これが標準的な呼び方である。
ところが,シアサッテ(明々後日)を『四明後日』と誤認した地方では,この日をゴアサッテ(五明後日)と呼んでいる。(中略)さらに子音[i]を添加してゴヤサッテという。(中略)さらに,『ヤ』が子音交替[jr]をとげてゴラサッテという。」
とある。転訛はありうるが,この言葉の伝播に,地域の文化の伝播とそのエリア差がありそうな気がする。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「こんにちは」は,
今日は,
と当てる。
「今日は〜」という挨拶語の下略,
で,
昼間の訪問または対面時の挨拶語,
と,『広辞苑』にある。語源は,想像がつくように,例えば,
今日は良い天気でございます,
とか,
今日はお元気そうで,
とかの時候の挨拶の後半を略した言い回しである。誰かが言っていたが,天気を話題にすることは,
あなたには敵意はありません,
という表明でもある,と言うが,いわば文脈を共有するものの挨拶であり,逆に,
文脈を共有しています,
という姿勢の表明でもある。その意味で好意の,少なくとも友好の姿勢の表明でもある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/konnitiwa.html
は,
「こんにちはの語源は、『今日は御機嫌いかがですか?』などの『今日は』以下を略すようになり、『こんにちは』となった。『こんにちは』を『こんにちわ』と誤表記される理由は多々あるが、『は』と書くよりも『わ』の方が『和』に通じて親しみやすい印象を受けることから、誤表記と知りつつ、あえて『こんにちは』を『こんにちわ』と表記されることもある。」
としている。確かに「こんにちは」は「こんにちわ」と表記することに,異和感は少なくなってはいる。それは,後略という意識が薄く,「こんにちわ」を,単語として意識するから,「わ」でさわりを感じないせいなのだろう。
同じ挨拶語の「おはよう」は,
お早う,
と当てるが,
「オハヤクの音便」
とあり(『広辞苑』),『大言海』には,
「ありがたう,おめでたう,ごきげんやう,と同趣の語」
として,
おはやくござりますの音便の略,
とある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/o/ohayou.html
には,
「おはようの語源は、『お早く○○ですね』などの『お早く(お はやく)』である。 この『お早く』が転じて、『おはよう』となった。また、『おはよう』はその日
初めて会った人に言うことから、一部の業界では夜でも人に会った時の挨拶として『 おはよう』を用いる。」
とあり,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%82%88%E3%81%86
も,
「形容詞『早い』の連用形『はやく』が『はやう(はよう)』とウ音便化し、それに丁寧の意を表す接頭語『お』が付いた語。もとは、相手が速く出てきたことに対するあいさつの言葉で、『お早いですね』といった意味で用いられていた。朝のあいさつ言葉となったのは、江戸時代後期からとされる。」
「お早く」の転としているが,いずれにしても,ご近所,顔見知り,同業,同僚,という文脈を共有しているか,やはり,そう挨拶することで,顔見知りの擬態になることができる,という効果がある。
別れの挨拶語,「さようなら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89,http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%A8%E4%B8%80%E6%9C%9F%E4%B8%80%E4%BC%9A)
でも触れたが,再度確認しておくと,『広辞苑』には,
「元来,接続詞で,それならばの意」
とあるし,『大言海』にも,
「然(さ)らばと同意なり。談終はりて,然様ならば,暇申すなどの意。サヨナラは,約めて云ふなり。サイナラは,サヨナラの音転」
とあり,「さらば」の項をみると,
「告別の談,終はりて,然(さ)らばわかれむと云ふを,略して云ふなり。小児の語に,アバヨと云ふも,さあらばよの約転なり。」
とあり,,接続詞「さらば(然・則)」の項に,
「名義抄,火部『然者,さらば』然(さ)あらばの約。サバと云うふは,サラバの約略なり(竝(なら)べて,なべて)」
ともある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/sa/sayounara.html
は,
「さようならは、『左様ならば(さやうならば)』の『ば』が略され、挨拶になった語。 現在で別れ際に言う『じゃあ、そういうことで』のような
もので、『さやうならば(さようならば)』は、『そういうことならば』を意味する。」
とある。『由来・語源辞典』は「さらば」について,
http://yain.jp/i/%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0
は,
「『さようなら』よりも古い語で、現在ではふざけ気味に言うこともある。『さら』は、そのようだの意の動詞『さり(然り)』の未然形で、「ば」は仮定を表す接続助詞。本来は、そうであるならば、の意の接続しで、中世以降、転じて、別れのあいさつとして用いられるようになった。」
としている。「さようなら」については,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89
「『そういうことならば』という意味の句『さようならば』の『ば』が省略されたもの。本来の語構成は『さ』+『様(よう)』+『なら』+『ば』。『さようならば、これにてごめん』のように用いられたことから、『さようならば』だけで別れの言葉となり、さらに『さようなら』となった。近世後期に一般化した。「さよなら」と縮めてもいう。」
「そういうわけで」という含意があり,「さようなら」は,より強く,文脈依存性が滲み出ている。「そういう次第」を了解し合っている,という関係性を強く言い表しているからだ。今日,そういう含意はうすくなってすいて,ただ別れの挨拶語,という抽象度が高まっているが。
『日本語源大辞典』には,こうある。
「『さよう』は中古よりみられるが,(接続詞『されならば』『しからば』)の用法は主に『さらば』(和文)と『しからば』(漢文訓読文)によって表されていた。中世末期においては『さらば』『それなら(ば)』が多く用いられ,『さようならば』の使用頻度が高くなるのは近世中期以降である。(『さようなら』という)別れの挨拶の用法については,まず『ごきげんよう』『のちほど』などの他の別れの表現と結びついた形で用いられ,次いで金星後期に独立した別れのことばとして一般化した。」
『江戸語大辞典』には,
さよう(然様)ならば,
さらば,
が別れの言葉として載る。因みに,「挨拶」は,
「挨,推也。拶,逼也」
と,『大言海』が「篇海類編」を引く。禅家の語として入って来たらしく,
「門下の僧に推問答して,其の悟道知見の深浅を試むること」
とある。語源は,中国語の,
「挨(押す)+拶(押す・迫る)」
意から,互いに近づく意となる,とあり,
「お互いに心が接近するための」
言葉がけとなる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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「間違う(ふ)」は,
行き違いになる,食い違う,
違う,誤る,
という意味になる(『広辞苑』)。語源は,
「マ(接頭語,時間・空間)+違う」
とある(『日本語源広辞典』)。これで見れば,「間」は当て字なのだろうと思う。他の説は,
メチガヒ(目違い)の義(日本語原学),
タイミングの意の間が違う(続日本古典辞典),
さらに,
マガウ(紛う)とチガウ(違う)の混淆,
という説もある(『日本語源大辞典』),という。例によって,『日本語の語源』は,
「イトモチガウ(甚も違う)は,イトを脱落してモチガウ・マチガフ(間違ふ)になった」
とする。
メチガイ,
や
イトモチガフ,
なら,音韻変化で,「ま(間)」には意味がないことになる。しかし,仮に「ま」が接頭語だとしても,音韻変化によるとしても,「間違い」の発生には,
違う,
が関わる。「ちがう」の語源は,
「『タガウ(違う)の音韻変化』です。タ・チ(手方法,手段)+カフ(交ふ)で,手違いが語源です」
とする(『日本語源広辞典』)し,『日本語の語源』も,「タガフ(違ふ)はチガウ(違う)にな」ったとしている。しかし,語源説には,異説があり,『古語辞典』は,
「チ(方向)とカフ(交)との複合。同じ種類の動作が互いに交差する意。はじめ,『飛びちがひ』『行きちがひ』など,移動に関する複合動詞の下項として使われた。」
とある。
さらに,『大言海』も,同様,「たがふ(違)の転」としているもものの,ただ『大言海』は「たが(違・差)ふ」の項で,
「タは発語。交(か)ふの義」
としていて,「ちがう(ふ)」が,
交う,
と重なることを感じさせる。現実に,『広辞苑』では,「ちがい」は,
違う,
交う,
と当てて,
「二つ以上のものの動きが一つの点に合わない意」
として,
互いに行きはずれる,すれちがう,
合わない,相違する,誤る,
人の気持ちに合わない,機嫌を損ねる,
普通と異なる,狂う,
という意味が並ぶ。「交う」という字を当てるかどうかはともかく,『古語辞典』では,「ちが(違)ふ」の項の最初に,
交差する,
という意味が載る。「違う」の原意は,この辺りにありそうである。『大言海』は,「ちがふ」を,
違ふ,
と
交ふ,
を別項として立てているが,「交ふ」について,
「打交(うちか)ふの略」
とする。
行き違う,
すれ違う,
はずれる,
の意味から考えると,音韻変化からかどうかは別として,その瞬間の,
交差状態,
が,「ちが(違・交)ふ」「か(交)ふ」であり,その状態の結果の評価,つまり,
価値表現
が,「まちがう(ふ)」なのではなかろうか。「たがふ」と「まちがふ」には使い分ける意味があったのではないか,とみなせば,「まちがう」と「ちがう」の意味の違いは,そんなことなのかもしれない。そう考えると,「まちがい」に,
間,
の字を当てたのは,意味があるように思えてくる。「間」は,『古語辞典』に,
「連続して存在する物と物の間に当然存在する間隔の意。転じて,物と物との中間の空隙・すきま。後には,柱や屏風などにかこまれている空間の意から,部屋。時間に用いれば,雨マ・風マなど,連続して生起する現象に当然存在する休止の時間・間隔。また,現象・行為の持続する時間の意。類義語のアヒダは,近接する二つの物と物,連続する事と事との中間の欠落・とだえをいうのが原義」
とある。「間(ま)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E9%96%93%EF%BC%88%E3%81%BE%EF%BC%89)で
触れたように,アイダ,スキマ,マという言い方で,微妙に意味が変わる。「マ」というとき,そのアイダには意味がある。スキマとアヒダとは違う間隔が,マである。
アイダは,ヒマ,
であり,
スキマは,スキ,
であり,
マは,マアイ,
である。意味のある距離である。それが違うことで,
間が抜ける,
間が延びる,
間が持てない,
間に合う,
間を置く,
間を配る,
等々に通じる。「間違う」は,ただの「違う」「誤る」ではない。しかし,それを気づくには,
間(ま),
の意味が分かっていなくてはならない。その呼吸が,
間合い,
である。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「おこる」は,
怒る,
と当てるが,「怒る」だと,
おこる,
と読むのか,
いかる,
と読むのかの区別がつかない。『日本語の語源』は,
「イカル(怒る)がオコル(怒る)」
と,o→iの母音交替で,転じた,とする。辞書(『広辞苑』)では,「おこる」で,
いかる,
とし,「いかる」で,
おこる,
としているが,両者は微妙に違う。「おこる」は,
いかる,腹を立てる,
叱る,
だが,「いかる」は,
激して気が荒立つ,腹を立てる,おこる,
力んだ荒々しい形状があらわれる,かどばる,かどがたつ,
激しく勢いづく,荒くるう,
水面がもりあがり,水があふれる,
とあり,両者の差は明らかである。『デジタル大辞泉』は, 両者の用例を,
「『父親は息子のうそにおこって(いかって)殴りつけた』のように、日常的な怒りが行為や表情となって外に現れる場合には、ほぼ共通して使える。抽象的ないかりの場合は『政界汚職にいかる』のように用い、『おこる』はふつう使わない。また、『いかる』は文章語的でもある。類似の語『しかる』は、相手の言動やあやまちなどを強い調子で責めること。『父親はうそをついた息子をしかった』のように用いる。」
と書く。さらに,『大辞林』には,「おこる」について,
「動詞『おこる』は自動詞で、『…をおこる』とは言えない。『先生におこられた』はいわゆる迷惑の受身の例。迷惑の受身とは、『(雨が)降る』『(父親が)死ぬ』のような自動詞で作られる、迷惑を受けた人を主語とした受身表現『(私は出先で)雨に降られた』『(彼は幼い時に)父親に死なれて苦労した』をいう。それに対して『しかる」は他動詞で、しかる相手が存在する。相手は動作者よりも目下の者で、動作者は教育的な立場から行い、意図的におこったようなこわい顔をすることはあっても、原則として非感情的である。」
と,同義語「しかる」との区別をする。
「おこる」と「いかる」は,ともに,漢字「怒」を当てはめたから,紛らわしくなったのであって,どうも語源が,「いかる」と「おこる」では異なるのではないか。
『デジタル大辞泉』は,「いかる」について,
「本来、『角立つ』のをいう語。感情が角立てば、腹を立てる意にもなる。この意には、現在『おこる』が用いられるが、これは「起こる」と同源で、勢いが盛んになる意から、気持ちの高ぶるのをいうようになったものらしい。」
と書くが,『古語辞典』も,「おこる」を載せず,「いかる(り)」について,
「イカシ(厳)と同根。体を角立てて大きく張る格好をする」
とあり,力む,というか,今日,「怒り肩」で使うそのままの格好を表現していたと思われる。因みに,「厳(いか)し」を見ると,
「イカは内部の力が充実していてその力が外形に角ばって現れている状態。イカメシ・イカラシ・イカリなどの語幹。奈良時代にはシク活用。平安時代以降ク活用。」
とある。『大言海』も,「いかる」を,
「厳(イカ)を活用せしめたる語ならむ(逆(さか),さかる。太(ふと),ふとる)。啀(いが)むも,厳(いか)むなるべし。神代記,上『素戔嗚尊對曰,云々,不意(おもはず),阿姉(あねのみこと)翻起嚴顔(いかりたまはむこと)』,纂疏『嚴顔,怒色也』,和訓栞いかる『氣上るの義なり,楚問に,怒則氣上ると見えたり』。イキアガルが,イカルとは為(な)りかぬるやうなり」
としている。で,同じく「おこる」は,
「氣の苛(いら)ち發(おこ)る意」
とする。因みに,「おこ(起・興・發)る」には,
「起くと通ず。広く,ひろごる」
とある。「おく(起)」を見ると,
「活(い)くの転か,興るの変か」
と,何やら堂々巡りの感がある。『日本語源広辞典』を見ると,「おこる」は,
「『オコル(発る)』です。発生し,次第に勢いが強くなる意です。気が苛立ち,オコル(怒る)意です。起こる,興る,熾るも同源と考えます。」
とし,「いかる」は,
「イキ(息)にルをつけた動詞です。『息を荒立てる』の音韻変化です。イキル(興奮する)と同源と感んが得られます。」
としている。
どうやら,「おこる」は,
「気の苛立ちオコル(發)」(大言海),
「発気の意」(和訓栞)
「火の熾る」(俚言集覧)
等々,発する,起こる,といった気の出てくる状態表現から発し,「いかる」は,
「イカ(厳)の活用」(東雅・大言海),
「イカアル(厳有)の義」(名言通),
「イキアガル(氣上)の転」(和訓栞),
「イは息,カルは音の高く上がる」,
「気息を励ます」(国語溯源),
「イキドホルの略」(桑家漢語抄),
等々と,どちらかというと,力む,とか,厳めしさ,とか,そこに表出された状態を示している状態表現,ということになる。そして,いずれも,状態表現から,感情を表す価値表現へと転じた,と見ることができる。
「おこる(いかる)」の反対は,笑う・泣く,とある。怒るは,一筋縄ではいかないらしい。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「逆鱗」は,,
「(竜のあごの下のさかさのうろこに触れると怒ってその人を殺すという韓非子の故事により,天子を竜にたとえていう)天子の怒り,宸怒(しんど)。また目上の人の怒り」
と,『広辞苑』にはある。『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ke/gekirin.html
「逆鱗に触れるの『逆鱗』とは、竜のあごの下にある一枚の逆さにはえたうろこのことで,出典は『韓非子(説難)』。この鱗にふれると普段はおとなしい竜がおこり、必ず殺されるという伝説から、天子の怒りを買うことを『逆鱗に触れる』というようになった(天子を指すのは、天子が竜にたとえられるため)。転じて、上司や先生など目上の人に逆らって激しい怒りを買う意味でも、『逆鱗に触れる』は用いられるようになった。」
とある。『大言海』には,
「天子を龍に譬ふ。竜顔など云ふ語あり。韓非子,説難篇『夫龍之為蟲也,柔可狎而騎也,然其喉下有逆鱗徑尺,若人有嬰之者,則必殺人,人主亦有逆鱗,説者能無嬰,人主之逆鱗,則幾矣』」
と原典を引く。
夫(そ)れ竜の蟲たるや、柔にして狎(な)らして騎(の)るべきなり。
然れども其の喉の下に逆鱗の径尺なる有り。
若し人之に嬰(ふ)るる者有らば、則(すなわ)ち必ず人を殺す。
人主も亦逆鱗有り。
説く者能(よ)く人主の逆鱗に嬰るること無くんば、則ち幾(ちか)し。
と,訓読するらしい。で,
嬰逆鱗,
つまり,
逆鱗にふる,
逆鱗に触れる,
という言い方をする。『大言海』には,用例も挙げられていて,例えば,『戦国策』
「燕策,『奈何以見陵之怨,欲批其逆鱗哉』」
あるいは,『後漢書』,李雲傳,
「今日殺雲,臣恐剖心之譏,復議於世矣,故敢觸逆鱗冒昧以請」
あるいは,『太平記』,二三人僧徒関東下向事,
「帝大いに逆鱗ありて,行生定まりて後,三奏すといへり」
あるいは,『保元物語』,主上三條殿行幸事,
「朝威を軽しめ奉る者,豈,天命に背かざらんや,早く凶徒を追討して,逆鱗を休め奉らば,先づ,日来申す処の昇殿に於いては,疑いあるべからず」
等々。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E9%B1%97
は,「逆鱗」について,
「『竜』は、元来人間に危害を与えることはないが、喉元の『逆鱗』に触れられることを非常に嫌うため、これに触られた場合には激昂し、触れた者を即座に殺すとされた。このため、『逆鱗』は触れてはならないものを表現する言葉となり、帝王(主君)の激怒を呼ぶような行為を指して、『逆鱗に嬰(ふ)れる』と比喩表現された。
この故事をもとに、現代では、「逆鱗に触れる」として広く目上の人物の激怒を買う行為を指すようになり、また「逆鱗」が目上の人物の怒りそのものを指す言葉として用いられることもある。『逆鱗に触れる』を、漢語を使って『嬰鱗(えいりん)』とも言うが、一般会話においてはほとんど使用されない。」
と簡潔にまとめている。
ところで,龍(竜)については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C
に詳しいが,
「中国の竜は神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説をはじめとして、中国では皇帝のシンボルとして扱われた。水中か地中に棲むとされることが多い。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われ、また口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われる。秋になると淵の中に潜み、春には天に昇るとも言う。」
とある。
日本にも,中国から伝来したが,
「元々日本にあった蛇神信仰と融合した。中世以降の解釈では日本神話に登場する八岐大蛇も竜の一種とされることがある。」
「他にも水の神として各地で民間信仰の対象となった。九頭竜伝承は特に有名である。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われている。」
となる。われわれにも,龍神としてなじみである。
「龍(竜)」の字は,象形文字。
「もと,頭に冠をかぶり,胴をくねらせた大蛇の形を描いたもの。それにいろいろな模様をそえて龍の字になった。」
と,『漢字源』にあるが,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D
には,
「もとは、冠をかぶった蛇の姿で、『竜』が原字に近い。揚子江近辺の鰐を象ったものとも言われる。さまざまな模様・装飾を加えられ、『龍』となった。意符としての基本義は『うねる』。同系字は『瀧』『壟』。」
とある。旧字体では『龍』だが、「竜」は「龍」の略字であるが,古字でもある,ともされる。音は,
呉音 : リュウ(リュゥ)
漢音 : リョウ(リョゥ)
慣用音 : ロウ(ロゥ)
訓読み : たつ
である。
なお,ドラゴンは,「龍」と訳されるが,別物で,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3
に詳しい。
参考文献;
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-gekirin.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E9%B1%97上へ
「おごる」は,
驕る,
奢る,
傲る,
と当てる。『広辞苑』には,
「自分は他と隔絶した高い所にあり,質が違うのだと思い上がる意,また,その立場で行動する意」
として,
たかぶる,自分の才能・権勢などに得意になる,
思い上がってわがままな振る舞いをする,
分に過ぎて金銭を費やし,派手に暮らす,贅沢をする,
≪奢≫(他動詞としても使う)金を出して人にふるまう,
という意味が載る。『大辞林』には,
「『奢る』は“ぜいたくになる。人にごちそうする”の意。『あの人は口が奢っている』『友人に昼飯を奢る』
『驕る』は“思い上がってわがままなことをする”の意。『傲る』とも書く。『驕った態度をとる』『驕る平家は久しからず』」
と,使い分けを整理する。『大言海』は,「驕(傲)る」と「奢る」の項を別とし,「驕(傲)る」については,
「大(おほ)ごるなどの意か。大きがるを云ふ。ひろごる,ほどこる」
と載る。「奢る」については,
「驕りて費やす意」
とある。「驕っているから奢る」のだという解釈になる。「ほこり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BB%E3%81%93%E3%82%8A)
で触れたように,実は,『大言海』は,「ほこる」について,
「驕(おごる)の大ごるの上略と云ふ,廣ごるなどと同意と云ふ」
と,「ほこる」の語源とつなげている。「ほこ(誇)る」の語源説としては,その他にも,
オゴル(驕・奢)の義(日本釈名・言名梯),
という説があり,「おごる」と「ほこる」をつなげる考え方があるのである。『日本語の語源』は,逆に,「h」の脱落で,
「ホコル(誇る)はオゴル(驕る)になった」
とする。その関係について,『古語辞典』には,「ほこり」の項で,
「すぐれたものとして人目にたつように活動し行動する意。類義語オゴリは,自分は低い所にいるものとは違うのだと思い込んで,それらしく行動する意」
としている。しかし,その実体が伴うかどうかは,この場合,いずれも主観なので,「ほこり」がなくては,「おごり」はない。その逆はあり得ないはずだ,と思うが,如何であろうか。
『古語辞典』は,語源を,
「オゴはアガリ(上)のアガの母音交替形。オソ(遅)・アサ(浅)・コト(片)・カタ(片)・ホドロ(斑)・ハダラ(斑)などの類。アガリは下とは隔絶した高い所へ移る意。低い所にいたときとは,質の変わることがある。オゴリは,自分が下と隔絶した高い所にいると信じていて,自分は低い所にいるものとは質が違うのだと思う意。またその立場で行動する意」
としている。手許の『日本語源広辞典』には,
「語源は,『オゴル(おごり高ぶる)』です。オゴル(必要以上に贅沢をする)意となり,転じて,オゴル(他人に御馳走する)意にも使うようになります。」
とあるのでは,「おごる」の同語反復の感があって,意味不明だが,「おごる」の言葉の語源なのに,「おごる」を前提に説明しているのは,ちょっと可笑しい。
他の語源説を調べると,
『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E5%A5%A2%E3%82%8B
は,
「『平家物語』の「おごれる人も久しからず」のように、権威を誇り、得意になる意の「驕る」と同源の語であり、「あがる(上がる)」の母音交替形であるとされる。また、ぜいたくをする意でも用いられ、江戸時代ごろから「人にごちそうする」意が生じた。」
とある。上記『日本語源広辞典』の言いたいのは,このことだったのかもしれない。他に,
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129837937
には,
「『おごる』は元々、『もる』という言葉にルーツがあります。薬を調合して人に与えることを『盛る』と言いますよね。毒薬を盛る、一服盛る・・・などと使われます。この『もる』が『おもる』になり、そこから『おごる』になっていったわけです。」
と,説く。ちょっとこの音韻変化は,無理クリの感がある。語源説を整理する(『日本語源大辞典』)と,
大きがるをいうオホ(大)ゴルの意か(古事記伝・大言海),
オホコル(大誇)の約(俚言集覧),
ホコルの転か(和語私臆鈔)
思い揚るの意から,あがる(揚る)の転(碩鼠漫筆),
オホゴトアル(大言有)の義(名言通),
雄凝ルの義か(和訓栞),
終りに懲ルルからか,また,大にハビコルからか(和句解),
オゴはアガル(上)のアガの母音交替形(『岩波古語辞典』),
等々となる。
アガル,
も
ほこる,
も同じく,「上にあると思う」ことだ,という意味では似ている。この段階では,当人の思い込みの,
主体(主観)表現,
に過ぎない。しかし,それを,
おごる,
と見るのは,他人目線からの,客体(客観)表現である。ある意味,「ほこる」「おごる」が共に外から見て(言って)いるのだとすると,
誇っている,
という,その人の状態表現が,
驕っている,
と,その人への価値表現へと転じた,と見ることもできる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「生意気」は,
なまじいにいきがること。年齢・地位に比して,物知り顔をしたり差し出がましい言動をしたり,気障な態度をとったりすること。こしゃく。
と,『広辞苑』にはある。「傍から見て,しゃくに触るふるまい」ということなのだろう。
「こしゃく(小癪)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E5%B0%8F%E7%99%AA),「小癪」の接頭語「小」
(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E5%B0%8F)についても,
それぞれ触れた。「生意気」も「小」を付けて,「小生意気」ということがある。「ちょっととばかり生意気」というところだろうか。いずれにしても,外からの感情(価値)表現だ。
「生意気」の語源は,『日本語源広辞典』には,
「生(中途半端)+意気」
とあるが,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/na/namaiki.html
にも,
「生意気の『意気』は,『意気揚々』や『意気込み』などと使われるように,『やる気』や『心構え』のこと。
生意気の「生」は,「生煮え」「生乾き」 というように,中途半端な状態や十分に熟していない状態を表す接頭語で、ここでは「
年齢」や「経験」などにかかっている。「生意気」は,その本人ではなく不快に感じる側の感情の言葉なので,心構えだけで実が伴わない未熟な者に対し,差し出がましいと思う気持ちを表したものである。いかにも生意気なさまを『小生意気』というが,この『小』は接頭語の『こ』で,同じ用法では,『小憎らしい』『小賢しい』などがある。」
とあり,さらに,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E7%94%9F%E6%84%8F%E6%B0%97
にも,
「『生』は『生ぬるい』などの生と同じ接頭語で、不十分・中途半端の意を表す。「意気」は気立ての意で、ここから気性や身なりが洗練されていて色気のある意の「粋(いき)」に派生する。したがって、『生意気』とは意気(粋)が中途半端な意で、粋がって得意になっている様子を表す。」
とある。しかし,『日本語の語源』は,漢字表記の「生意気」を前提にではなく,
「語調を整えるために母韻音調の『イ』『ウ』が添加された」
例として,
「『礼をしらぬさま。無礼だ』という意の形動ナメゲナリは,その語幹のナメゲがナマイキ(生意気)に転音した。」
と見なす。「生意気」が当て字なら,その「『生』+意気」から語源を考えることは,意味をなさないのではないか。『古語辞典』に,
なめげ,
は載らない。しかし「なめし」は,
無礼し,
とあて,
「(ナメ(無礼)の形容詞形)無礼である,無作法である。」
と意味が載る。『広辞苑』にも,「なめ(無礼)し」として,
「(一説に,『なめらか』『なめす』の『なめ』と同源。原義は,ぬるぬると滑る感じを言い,転じて,相手をないがしろにした態度に言う)礼儀がない,無礼である,無作法である」
と載る,『大言海』にも,「なめ(無礼)し」は,
「滑(なめ)義にして,怠る意か。或いは竝(なめ)の義にて,貴賤を押竝にする意かと云ふ,いかか」
とある。「生意気」よりは,
「なめげなり」の転,
「なめしげなり」の転訛,
という説の方に,信憑性を感じる。
「なま(生)」は,
生意気を略して,
も,「なま」と言ったりする(『広辞苑』)が,接頭語で,
未熟,,不完全,いい加減の意,
転じて,度合いが不十分の意から,中途半端,何となく,わずかながら,の意,
と,『古語辞典』にあるが,『大言海』の,
成り調わず,
がいい。その意味で,「未熟」であり「中途半端」である,
意気,
ということだが,「生(なま)」自体が,
なめし,
の語幹「なめ」の転じたものという可能性もあるのではないか。「なめ」は,
無礼,
と当て,「形容詞『なめし』の語幹」として,
無礼,
生意気,
という意味がある(『広辞苑』)のだから。
『大言海』『『広辞苑』』にもある「生意気」の語意の説明に,
「なまじひに,意気がること,聞いた風をすること」
の,「なまじい」というのが,「生意気」のニュアンスをよく表している。「なまじい」については,その転訛した,「なまじっか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%98%E3%81%A3%E3%81%8B)
で触れたが,
「ナマは中途半端の意。シヒは気持ちの進みや事の進行,物事の道理に逆らう力を加える意。近世の初期まで,ナマジヒ・ナマシヒの両形あった。近世ではナマジとも。」
というより,この「なま」自体が,「なめ(無礼)し」の「なめ(無礼)」の転訛なのかもしれないのである。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「ごちそうさま」は,
御馳走様,
と当てるが,
御馳走になったのを感謝する意の挨拶語。日常の食後の挨拶にも使う,
が,ちょうど,
いただきます,
と対で使っている。しかし(丁寧の意の「御」を取った),
馳走,
は,中国由来だが,『デジタル大辞泉』には,
《その準備のために走りまわる意から》食事を出すなどして客をもてなすこと。また、そのための料理。
走り回ること。奔走。
とあり,『大辞林』には,
〔その用意に奔走する意から〕 食事などでもてなしをすること。饗応きようおうすること。また、そのための立派な料理。
走りまわること。奔走すること。
世話をすること。面倒をみること。
とある。しかし,『広辞苑』は,
かけはしること,奔走,
あれこれ走り回って世話をすること,
(その用意に奔走する意から)ふるまい,もとなし,
立派な料理,おいしい食物,
と,言葉の意味の外延が広がる順に意味を並べて,見識を示している。
「馳走」の中国語本来の意味は,
かけはしる,
という意味でしかない。「馳」の字は,
「馬+音符也(横にのびる)」
で,「也」の字は,
「平らにのびたさそりを描いたもの。它(タ)は,はぶひべを描いた象形文字で,蛇の原字。よく也と混同される。しかし,也はふつう仮借文字として助辞に当て,さそりの意味には用いない。他の字の音符となる。」
とあり,「馳」には,
走る,
意の他に,
車馬を走らせる,
という意味がある。「馳」は,
早くまっすぐ走る,
意で,驅(駆)は,
馬を鞭打ちて速く走る,
と区別する。「走」の字は,
「『大股で夭(人の姿)+疋(あし)』で,人が大の字にて足を広げて,足で走るさま。間隔を縮めて歩く,せかせかといくこと。」
とあり,どう考えても,「馳走」には,走るという意味以上はない。「もてなし」の意で使うのは,我が国固有であるらしい。
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ko/gochisou.html
は,
「ご馳走の『馳走』とは,本来『走り回ること』『奔走すること』を意味する。昔は客の食事を用意するために馬を走らせ,食材を集めたことから『馳走』が用いられ,さらに走り回って用意するところから,もてなしの意味が含まれるようになった。感謝の意味で『御(ご)』と『様』がついた『御馳走様』は江戸時代後半から,食後の挨拶語として使われるようになった。」
『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E3%81%94%E9%A6%B3%E8%B5%B0
は,
「本来、『馳走』は馬を走らせるという意味。それが転じて、客をもてなすため、料理の材料を求めて走り回ることをいい、さらにもてなしのための料理のことも意味するようになった。ちなみに、「馳走」をもてなしの意で用いるのは日本独自の用法である。」
とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%81%A1%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%BE
に,
「『馳走(ちそう)』とは、元来、『走りまわる』『馬を駆って走らせる』『奔走(ほんそう)する』ことを意味する。古くは『史記』(項羽本紀)にもみられる語である。これが日本にはいったのち、(世話をするためにかけまわるので)世話をすること、面倒をみることといった意味が生まれた。さらに、用意するためにかけまわることから、心をこめた(食事の)もてなしや、そのためのおいしい食物といった意味が、中世末から近世始めにかけて生まれた。これに接頭語『御』付けられて丁寧語となり、接尾語『様』がついて挨拶語となった。日本国語大辞典では初出として『浮世風呂』(1809-1813年)の一節『其節はいろいろ御馳走さまになりまして』を挙げている。」
と,経緯を詳説している。戦国時代に,「馳走」という言葉が,便宜を図った礼や奔走,周旋の意味で頻繁に出てくる。
ただ速く走る,という状態表現の「馳走」を,「奔走」に価値表現へと転じたのは,なかなか慧眼といっていいのかもしれない。その背景となる理由を,『日本語の語源』は,
「酒宴を開くことを中国語で置酒(chih chiu)といい,漢書に『置酒高会』(酒を設けて盛んな宴会を開く)の語が見えているが,わが国ではチシュ(置酒)が母音交替(uo)を遂げたチショが直音化して,チソ・チソウに変化した。」
と説く。是非はともかく,わが国は,馳走も置酒も知っていたことは否めまい。
「奔走」も,本来は,
かけまわる,
という意味に過ぎないが,中国語でも,
運動する,
という意に転じているのに倣った,のかも知れない。「奔」の字は,
「『大(ひと)+三つの止(あし)』。また上部は走の字と解し,『走+二つの止(あし)』とみてもよい。ぱたぱたと急いではしるさまを示す。」
で,やはり走る意を出ない。『広辞苑』の「奔走」を見ると,
走ること,
物事がうまく運ぶように,あちこちかけまわって努力すること,周旋すること,
馳走すること,
と,意味の広がり順になり,最後の意味は,中世末の『日葡辞典』に,
「コトナイゴホンソウデゴザル」
と載っているとある。因みに,『江戸語大辞典』には,「ごちそうさま」は,
饗応になった時の挨拶語,
としか載らない。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
上へ
「やくたい」は,
役に立たない,
という意味で使う「益体もない(し)」の
益体,
を当てると思っていた。ところが,『古語辞典』は,「やくたい」で,
益体,
薬袋,
を当てて,
きちんと整っていること,
益体無しに同じ,
と意味が載る。前者については,
「大将が弱くして威勢なく,軍(いくさ)の下知も常に教へず,下下の奉行も次第なく,人数立ても益体もなきを乱と云うなり」(孫子私抄)
の例を挙げ,「やくたいなし」にも,
益体無し,
薬袋無し,
と当て,
きちんとけじめがなく,振る舞いがでたらめなこと,埒もないこと,またその人,
と載る。どうも「薬袋」は,語源と関わるのかもしれないという気がする。『広辞苑』は,「益体」と「薬袋」は別立てて,「益体」は,
きちんと整っていること,役に立つこと,
益体無しの略,
と意味が載り,「薬袋」は,
薬を入れる袋,
鉄砲の火薬を入れて携行する小さな瓶(日葡),
と意味が載る。「胴乱」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E8%83%B4%E4%B9%B1)
で触れたように,火縄銃には,銃の他,
火縄,
火薬及び火薬入
口火薬入
玉及び烏口(玉入れ)
が必要になる。その火薬入れ,を指すらしい。
とすると,「やくたい(も)ない」は,通常,
益体ない,
と当てるが,『大言海』は,
薬袋も無い,
と当てている。で,
「醫にして薬袋なくては,療ずべからず,因りて,寄せて云ふと云ふ。いかがか。或いは,役に立たぬの訛ならむ」
と述べ,珍しくいささか自信なげである。これだと,いわゆる「薬ふくろ」の意味である。しかし,『大言海』には珍しく,首をひねる。さらに『大言海』は,「やくたい」も,
薬袋,
しか当てず,
くすりを入るる袋,
馬具,
役に立つこと,しまり,らち,
やくたいもなし(無薬袋)の略,
淫奔女(いたずらをんな)の称(静岡県),
が載る。どうも,こうみると,
益体,
は当て字かもしれない。
それにしても,「やくたい」の語源が,はっきりしない。
『日本語源広辞典』は,「やくたいもない」で,
「『中世語,益体なしを分割した語』です。役に立たない意です。転じて,つまらない,たわいもない,とんでもない,くだらない,などの意です。」
と載るが,「益体」自体の語源の説明はない。『日本語源大辞典』には,
ヤクタイは役怠の義か(松屋筆記),
薬袋がなくては治療できないことに寄せてしいうか(和訓栞),
ヤクタタヌ(役立)の訛か(大言海・大阪方言辞典),
ヤクタイ(厄体)の義か(大阪方言辞典),
と,どれもいささかこじつけっぽい。『広辞苑』がさりげなく載せていたが,室町末期の『日葡辞典』に,「やくたい」を,
鉄砲の火薬を入れて携行する小さな瓶,
としていたのが,時代的に丁度あう。ちょうどその頃,銃の装填操作を短縮するために,原始的薬莢の,「早盒(はやごう)」が開発された。それ以降は,早盒入れを持ち歩く。早盒は,
「木を刳りぬいて銃の口径に合わせた筒や竹筒にあらかじめ火薬と玉を詰めたもの」
で,それを銃口にあててカルカ(弾薬を筒口から押し込むための鉄の棒)で突き,火薬と玉を一度に詰め込める。この普及で,火薬入,玉入が要らなくなった。で,たぶん,
薬袋,
の意味が,変って行ったのではないか。そう見ると,「やくたいなし」は,
薬袋無し,
が,当てる字と言い,意味という,合致するように思う。因みに,『江戸語大辞典』の「やくたいもない」は,
益体も無い,
他愛もない,つまらぬ,
の意味で使っている。すでに,「益体」を当てている。
参考文献;
笠間良彦『図説日本合戦武具事典』(柏書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)上へ
「めでたい」は,
おめでとう,
めでたい,
多少揶揄をこめて,
おめでたい,
等々と使う。たとえば「おめでとう」は,『広辞苑』では,
(オメデタクの音便。下の「ございます」「ぞんじます」の略された形。「御目出度」「御芽出度」は当て字)慶事・祝事・新年などを祝う挨拶の言葉,
と載る。「おめでたい」は,だから,
めでたいの丁寧な言い方,
ではあるが,たぶんに,
お人好しで,思慮の足りない,馬鹿正直である,
という揶揄が含意される。だから,「めでたい」が原形ということになるが,
「メデ(愛)イタシ(甚)の約。『目出度い』『芽出度い』は当て字」
とあり,
好み愛したい感じがする,
うるわしい,結構だ,立派だ,すばらしい,
祝うべきである,慶賀すべきである,喜ばしい,
(普通「お」をつけて用いる)人が良すぎて他人にだまされやすい,
と意味が載る。どうやら,「めでる(めづ)」に遡る。「めでる」は,
愛でる,
と当てる。意味は,
かわいがる,いとおしむ,
ほめる,感嘆する,賞味する,
である。『大言海』には,「めづ」は,
「めぐし,めぐむに通ず」
とある。「めぐし(愍然)」は,
「目を痛まする意」
の,
目苦し,心苦し,
みっともない,
の意と,いまひとつの「めぐし」,
「恤(めぐ)むと同根の語と云ふ。或いは,前條(つまり上記「めぐし」)より出で,愍むべくしとほしき意か」
として,
かわゆし,いとほし,いつくし,
の意とする。「めぐむ(恵・恤)」は,
「あはれ,あはれむ,いとほし,いとほしむなどと同趣」
として,
「愍(めぐ)きに就きて,あはれむ。愛(めぐ)しと思ひて助けいたはる。いとほしがる。同情する。他の悲しきを見て,見る目苦しくなり,なさけのかけらるる。」
とある。あるいは,「みにくい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%84)の項
で触れた,「みにくい」が主体の「見難い」「見るを憚る」という心情が,客体の「醜い」に転じたように,「見苦し」「心苦し」という主体の心情が,客体の「かわゆい」「いとほし」へと転じたのと似たところがあるのかもしれない。
以上は,『大言海』の語源説の流れだが,その他「めでる」の語源としては,
メは起こり初るの意で,ミエの訳(国語本義),
芽出の義(和訓栞),
メデ(目出)の義(名語記),
メはホメの約転。テはイデの略(和訓集説),
と,相変わらず語呂合わせだが,どうも『大言海』の,
メグシ,メグムに通ず,
に軍配を挙げたい気がする。
さてそこで,「めでたい」の語源にもどすと,『広辞苑』の,
メデ(愛)イタシ(甚)の約,
とするのは,『大言海』も,
「愛甚(めぐいた)しの義,訛して,めぜたし」
とするし,『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/me/medetai.html
も,
「めでたいは、漢字で『目出度い』『芽出度い』と表記されるが、いずれも当て字で語源とは関係ない。『めでたい』の『めで』は、『賞賛する』といった意味の『めづ(愛づ)』の連用形。
その『めで』に、程度の甚だしいさまを示す形容詞『いたし(甚し)』が付いた『めでいたし』」
とする。しかし『日本語源広辞典』は,二説挙げる。
「説1は,『美的太』(遣唐使,留学生が覚えて帰った西安の方言・陳舜臣説)です,『美的(よきこと)太(甚だしい)』の意です。説2は,『メデ(愛)+イタシ(甚だしい)』です。」
その上で,説2を編者は取る。
「メヅ(愛)は本来心惹かれる意なので,美的太と容易に結びついたと考える。」
と説明するが,別に「美的太」と結びつけなくても,
めづ+たし(希求の助動詞),
と,
medu+tasi→mede+tasi
単純に考えていいのではないか。「たし(い)」は,『古語辞典』にこうある。
「鎌倉時代にはいってから多く文献に現れ,希求の意を表す。動詞…の連用形につき,形容詞のク活用と同じ活用をする。『まほし』と同様に話し手の希望を表すだけでなく,客観的に第三者の希望をも表すことができる。」
とあり,その語源を,
「平安時代に見える『あきたし』『ねぶたし』などの『たし』は『甚(いた)し』の意で,この『たし』が次第に分離し,接尾語として働くようになったものと思われる。」
としており,
メデ(愛)イタシ(甚)の約,
というより,
メデ+タシ,
なのだということになる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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「ほたる」は,
螢(蛍),
と当てる。『世界大百科事典』には,
「甲虫目ホタル科Lampyridaeの昆虫の総称。世界から約2000種,日本からは約30種が記録されている。なかでもゲンジボタル(イラスト),ヘイケボタル(イラスト)は日本各地に産し,光る虫として親しまれている。ホタルの語源については〈火垂る〉〈火照る〉〈星垂る〉〈火太郎〉など,いろいろな説があるが,いずれも光ることに関連する。」
とある。
「螢(蛍)」の字は,
「螢の上部(音ケイ)は,火でまるくまわりをとりまくさま。螢はそれを音符とし,虫を加えたもの」
で,同じホタルを指す。しかし由来は違う。「ほたる」は,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BF%E3%83%AB
によると,
「ホタル発光研究の草分けとして知られる神田左京は『ホタル』の名が日本書紀(彼地多有蛍火之光神)や万葉集(螢成)にすでに見られると指摘する」
という。古くから馴染みのあるものらしい。『大言海』は,
「火垂(ほたり)の転。或いは云ふ,火照(ほてり)の転と。」
とし,『日本語の語源』は,
「ヒ(火)をホと発音するレイも多い。ホナカ(火中)・ほのほ(火の穂。炎)・ホカゲ(火影)など。ホテル(火照る)虫の省略形のホテルがホタル(蛍)になった。」
とする。『日本語源広辞典』は,
「火照る」
「火垂る」
の両説を挙げる。
「火+垂る」は,光をコボス虫の意,
「火+照る」は,発光する虫の意,
と。『日本語源大辞典』は,いくつかの説を併記している。
ホタリ(火垂)の転(和句解・日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解・重訂本草綱目啓蒙・大言海),
ホテリ(火照)の転(和語私臆鈔・俚言収攬・日本語原学・大言海),
ホタル(火焼)の義(和語私臆鈔),
ホタル(火焔)の義(東雅・和訓栞),
ヒタル(火足)の義(名言通),
ホタロウ(火太郎)の義(燕石雑志),
星垂の意か(重訂本草綱目啓蒙),
ひかるの意の語,ホトロから(万葉代匠記所引仙覚説),
等々。同書も言うように,
「ホを『火』の交替形ないし同語源とみる所は諸説一致」
しており,「タル」の解釈で別れているということになる。『語源由来辞典』,
http://gogen-allguide.com/ho/hotaru.html
は,
それを,
「ホタルの語源には,『ほたり・れ(火垂)』の転。『ほてり・れ(火照)』の転。『ひたる(火足)』の転。『ほたる(火立る)』の意味。『ほしたる(星垂)』の意味など諸説ある。これらの説は,ホタルの特徴である『光』を基本に考えられており,『ほ』を『火』の母音交替形とすることでも一致していることから,ホタルの『ホ』については『火』と考えて間違いないであろう(『星』の『ホ』も『火』が語源と考えられている)。ホタルの『タル』については,『火垂』や『火照』が有力と考えられているが,どれも決定的ではないため未詳である。」
と整理する。「ホ(火)」は,「ほのか」
http://ppnetwork.seesaa.net/article/446671381.html
でも触れたが,
ほなか,
ほむら,
ほかげ,
ほや,
ほくち,
等々,「ホ」は,
「『キ(木)』に対して,複合語に現れる『コ』(例,木立,木の葉)と並行的な関係のもの」
とされ,
「オ列音が母音交替(oi)をとげてイ音列に転化した」
例とされる。そうなると,「ホシ(星)」も気になる。
『大言海』は,
「火白(ほしろ)の意かと云ふ」
とするが,『日本語源広辞典』は,
「ホ(日・火・光り)+シ(助詞)」で,空に光るものの意,
「ホ(晶・あきらか)+シ(すがすがしい)」で,空にキラキラ輝くもの,
の二説を挙げる。その他にも,『日本語源大辞典』は,
ホは火の義(箋注和名抄),
ホは火の義,シは助詞(東雅),
ホシイ(火石)の義(和句解・名言通・和訓栞・日本古語大辞典),
ホシ(火気)の義(松屋筆記),
ホイキ(火気)の義(松屋棟梁集),
ホシロ(火白・日白)の義(日本釈名・柴門和語類集),
ホはヒ(日)の義,シは子の義(玄同放言),
日子の転(和語私臆鈔),
ホはヒで光の意。シはサキの約。月や日に比して光が小さい物であるところから(和訓集説),
朝鮮語の星と同源(岩波古語辞典),
を挙げるが,「ヒ(日)」自体の語源が,「ヒ(火)」とする説もあり,ここでも,「ヒ(火)」の翳がつきまとう。結局,
ほてり(火照),
か
ほたり(火垂),
の転訛,ということになりそうである。「ホタリ」という言い方はないが,
火照り,
という言い方は残っている。
のぼせて顔が赤くなること,
であり,それをメタファに,
夕焼け,
や
風の吹こうとする海面の赤く光る,
ことを指す。あるいは,後者が先で,前者が後かもしれない。こういう状態表現をホタルに当てはめた,という方が,語呂合わせより自然に思うが,如何であろうか。『山家鳥虫歌』の,
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす,
は,『松の葉』の,
声にあらわれ なく虫よりも 言わで蛍の 身を焦がす,
を元歌とするらしい。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす,
やはり,「ほたる」は「火照る」のような気がする。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BF%E3%83%AB上へ
「さし」は,接頭語の「さし」である。
差し,
と当てる。
差し出がましい,
差し出す,
差し伸べる,
差し退く,
差し赦す,
差し渡す,
差し仰ぐ,
差し急ぐ,
等々と使う。ただ,「差し」は当て字だが,
差し合う,
と
指し合う,
と使い,意味を変える場合があるので,「差し」と総称していいのかどうかわからない。
「差し」は,接頭語で,『広辞苑』には,
動詞に冠して語勢を強めあるいは整える,
とあるが,『大言海』には,
「遣るの意なる差すの連用形。他の動詞の上に用ゐること,甚だ多く,次々に列挙するが如し。一一説かず,差すの條に記したれば,就きて見るべし。又,差しを,指す,フす,刺すなど,四段活用の動詞に,當字に用ゐることも,多し。其の條條をみよ。」
とある。後から「さし」に漢字を当てたにしても,同じ「さし」でも,区別があったから,異なる漢字を当てたと考えることができる。
『古語辞典』をみると,動詞「さし」について,
「最も古くは,自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ,直線的に運動・力・意向が働き,目標の内部に直入する意」
とあり,
射し・差し
刺し・挿し,
鎖し・閉し,
注し・点し,
止し,
等々に当てている。上記の意味で,名詞「差し」の意味に,
(「尺」とも書く)長短をはかる具,ものさし,
二人ですること(「さしで飲む」「さしで担ぐ」),
さしさわり,
刺し通すもの(かんざし(釵子),米刺(「刺」「指」とも書く),銭差(「緡」とも書く)),
(普通「サシ」と書く)能の構成要素の一つ。表紙に合わせない謡で,ごく単純な節で言い流す一節,
舞楽・能などで,手を差し出す類の動作,また舞曲を数えるのに用いる語(「ひとさし舞う」)
下級の女官,おさし,
に使われていく端緒が見えなくもない。『大言海』は,「さす」を,
發す,
「發(た)つの音通(八雲立つ,八雲刺す,腐(くた)る,くさる,塞(ふた)ぐ,ふさぐ)
と説明し,
立ち上る,
生(は)ゆ,生(お)い出づ,
くなる,
という意味を載せる。
差し昇る,
差し上がる,
の「さし」は,「差し」を当てても,「發(さ)す」から来ている。さらに,
映す,
は,「發す」と同義で,
差し映す,
といった言い方になる。
指す,
は,指差す,という意味になるが,そこから,
その方向へ向かう,
それと定める,
尺にてはかる,
という意味になるが,『広辞苑』には,
「(『刺す』と同源)直線的に伸び行く意」とある。
指(差)し示す,
差し渡す,
差し向かう,
等々という使い方をする。
フす,
は,「上へ指して上ぐる意」で,
差し上げる,
差し仰ぐ,
といった使い方になる。
注す,
は,「他のものを指して入れる」意味で,『広辞苑』は,
刺す・点す,
として,
「(『刺す』の転義)ある物に他の物を加えいれる」
としている。
差し入れる,
差し入る,
差し加える,
と言った言い方になる。
刺す,
は,「指して突く意」で,『広辞苑』は,「刺す・挿す」として,
「(刺)こことねらいを定めたところに細くとがったものを直線的に貫き通す」
「(挿)あるものをたのものの中にさしはさむ」
刺し貫く,
差し込む,
差し抜く,
等々という使い方になる。
鎖す,
は,「桟を刺して閉ヅル意」ということで,
差し止める,
差し置く,
差し固める,
差し構える,
といった使い方になる。一番多いのは,
差し,
だが,『大言海』には,
「その職務を指して遣はす意ならむ。此語,さされと,未然形に用ゐられてあれば,差の字音には非ず,和漢,暗合なり。倭訓栞『使をさしつかはす,,人足をさすなど,云ふはこの字なり』」
とある。
当てる,遣わす,
押しやる,
突きはる,
将棋を差す,
といった意味で,『広辞苑』には,
「(「刺す」と同源。ある現象や事物が直線的にいつの間にか物の内部や空間に運動する意)
とある。
差し遣わす,
差し送る,
差し送る,
差し入れる,
差しかかる,
といった使い方になる。行動のプロセスそのものの意でもあるので,この使い方が一番多いのかもしれない。
どうやら,
行う,
ことから,
上げる,
ことから,
さしこむ,
ことまで,「さす」は幅広く使われていた。だから,「さし」を加えることで,単に,強調する,ということではないはずだ。
渡す,
のと,
差し渡す,
のとでは,「渡す」ことに強いる何かを強調しているし,
出す,
と
差し出す,
も同じだ。
貫く,
と
刺し貫く,
でも,ただ刺したのではなく,ある一点を目指している,という意味が強まる。
仰ぐ,
と
差し仰ぐ,
では,両者の上下の高さがより強調されることになる。「さし」が,
「空間的・時間的な目標の一点の方向へ,直線的に運動・力・意向が働き,目標の内部に直入する意」
として強調される,ということは,
自分の意思,
か,
他人の意思,
が強く働いている,含意を強めているように思う。
許す,
と
差し許す,
あるいは,
控える,
と
差し控える,
と,意味なく,強調しているのではなさそうだ。
ちなみに,おなじ「差し」も,接尾語となると,「ざし」と読ませ,
眼差し,
面座し,
こころざし,
と,ある物の姿,状態を表し,「さし」の,
自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意,
という古い意味をたもっているように見える。
なお,「さす」の当てた漢字の違いは,
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%99
に詳しい。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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