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コトバ辞典


下足


「下足」とは,

脱いだ履き物,

を指す。しかし,

げそく,

と訓まず,

げそ,

と訓むと,

げそく,

の略でもあるが,

(鮨屋などで)イカの足のこと,

となる。

なぜ,脱いだ履き物が,

下足,

なのか。『日本語源広辞典』は,

「下(脱ぎ捨てる)+足(足から)」

とする。「上下の下ではない」とするものの,少し無理筋ではないか。

「下駄箱(げたばこ)は、靴などの履物を収納するための家具。銭湯や寄席など古くからある大衆が集う場所では下足箱(げそくばこ)とも呼ばれ、規模が大きい場所では「下足番」と呼ばれる履物の管理人を置くことがある。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%A7%84%E7%AE%B1)。

家庭では言わないので,多くの人が集まる場所での履き物をそう符牒のように呼んだものらしい。

「客などが座敷へあがるためにぬいだ履物を下足という。江戸時代から芝居小屋,料亭,寄席,遊郭,集会所,催物場などが,下足番を置いて客の履物をあずかって下足札をわたした。旅館も客の履物をあずかるが,昔の旅客はわらじ履きだったので下足札はわたさなかった。それゆえ旅館では下足とはいわない。明治末からは東京にデパートが開店したが,初期には店内に緋もうせんやじゅうたんなどを敷きつめて,客の履物をあずかってスリッパあるいは上草履に履き替えさせて下足札をわたしたこともある。」(『世界大百科事典 第2版』)

とあり,特定の場所での脱いだ履き物を指したものらしい。「草鞋」を指さないところを見ると,履物を預けるのには意味があったのではないか。

東京・根岸で江戸時代から300年以上続く料亭「笹乃雪」には下足番が居るらしい。で,

「『今でも下足番がいる店は、もうそんなに存在しないでしょうね。東京でも数店ではないでしょうか。コストがかかりますから。でも、私どもの店では、下足番を大変重要なものと考えています』と、笹乃雪の第11代目当主、奥村氏は語る。」

とある(http://www.uhchronicle.com/a000000116/a000000116j.html)。下足番が生まれた背景は,

「江戸時代の人々にとって、履物が非常に重要だったことがことがあるようだ。江戸時代、建築物は木造で、冬は乾燥したしたため、非常に火事が多かったそうである。その頻度は、江戸時代約260年間で大きな火事が90回以上と、相当であった。そのため、当時の人々は火事に備えて自分の資産を守る術を心得ていたという。商人は損害を最小限にするため建物を簡素にし、何かあったら直ぐに持ち出せるようにと、当時の履物である雪駄や草履、そして小物に金をかけたそうである。」

とある。

「江戸の人々は履物を財産として扱い、その金の掛け様は『江戸の履き倒れ』と呼ばれる程であった。」

とか,江江戸時代の人々が履物にかけた金額は、現在の値段に直すと、イタリア製の有名高級メーカーの靴の何倍もしたそうである。その上,

「江戸っ子には悪戯者が多かったことがある、とも言われている。もともと江戸は地方から来た人の寄せ集め。従って少々客の程度がよろしくなく、食い逃げが多かったそうである。但し、彼らは『金が無い』という理由でなく、『悪戯』として食い逃げをした。何れにしろ店としては有難くない話である。その為、下足番が履物の管理を行い、お勘定が済んで札の色が変わった客に、履物を渡した。」(仝上)

とか。下足とは,あるいは,「履物を脱ぐ」意ではなく,式台や畳に「足を下ろす」という意味だったのかもしれない。

この「下足」を略した「げそ」が,

烏賊の足,

を意味するに至ったのは,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/geso.html

に,

「げそは漢字で『下足』と表記するように、『げそく』の略である。『げそく』と同様に、『げそ』は靴・下駄・草履など履物を指し、寄席や飲食店では客の脱いだ履物を指したが、転じて『足』の意味になった。『足』の意味で『げそ』が使われた言葉には、『逃亡する』の意味の『げそを切る』、『足がつく』の意味の『げそがつく』など盗人や香具師の隠語から広まった言葉も多い。『イカの足』を『げそ』と呼ぶようになったのはすし屋の隠語きからである。」

とある。「下足」から「足」の意味となり,落語などでも,足元に気をつけろという時に「ゲソをよく見ろ」と言ったりする。らしい。

「寿司屋の店主がイカを刺身にする際、イカの胴体に対して10本の触手のことを『イカの足』、 つまり『イカのゲソ』と呼んでいたことから、次第にイカの触手を指す語として定着し、現在では『ゲソ丼』のように料理の名称に使われることも多い。」

とある(http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B2%E3%82%BD)。「10本足だからゲソ」と呼ばれるようになったので,

タコ,

の足は指さないらしい。異説には,かつて,「下足番」は,

下足札の紐10本まとめていたところから来た,と言う。

「ゲソ」=「10本」=「イカの足」

というものもあるらしい(http://www.ytv.co.jp/michiura/time/2017/12/post-4024.html)。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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下駄を預ける


「下駄を預ける」の「下駄」は,「下駄をはかせる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E4%B8%8B%E9%A7%84%E3%82%92%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%82%8B)の項で触れたように,

「下(低い)+タ(足板)」

で,木製の低い足駄(あしだ)の意味らしい。足駄(あしだ)自体がよくわからなくなっているが,

屐とも書き,また屐子 (けいし) ともいう。主として雨天用の高下駄。木製の台部の表に鼻緒をつけ,台部の下には2枚の差歯がある。足下または足板の転訛した呼称といわれる。

とある。これだと区別がつかないが,

@(雨の日などにはく)高い二枚歯のついた下駄。高下駄。
A古くは,木の台に鼻緒をすげた履物の総称。

足駄の方が上位概念らしい。下駄自体は,中世末,戦国時代が始まりらしいが(「下は地面を意味し,駄は履物を意味する。下駄も含めてそれ以前は,『アシダ』と呼称されたという説もある),その中で,近世以降,雨天用の高下駄を指すようになったものらしい。

『日本語源大辞典』には,

「ゲタという語が用いられるようになったのは,中世末からのことであり,それ以前はアシダ(足駄),ポクリ(木履)などと呼ばれていた。ただ,近世には,江戸では,い下駄をアシダ,低いものをゲタと区別し,一方,上方では,区別せずに,ともにゲタとよんでいた」

とある。

「下駄を預ける」は,

すべてを相手を頼んで,処理を一任する,

という意味だが,

(自分に関する問題などに関して)決定権を譲り全面的に相手に任せる(自分では動けなくなることから)

というニュアンスがある。もっとえげつなく言うと,

責任を押しつける,

という含意がある。『日本語源広辞典』には,語源は,

遊郭や芝居小屋で下足番に下駄を預ける,

という意味であり,転じて,

自分の身の振り方を任す,

という意になり,さらに転じて,

自分は動かず,すべて相手または,第三者に処置を任せる,

という意味になった,とある。しかし,『江戸語大辞典』には,載らない。

遊郭や芝居小屋で下足番に下駄を預ける,

という意味は,「下足」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E4%B8%8B%E8%B6%B3)で触れたように,「履き物」が高価であった時代を反映しているが,そのせいか,「下駄を預ける」には,

芝居や寄席で、下足番(げそくばん)に下駄を預けることに由来する,

という説,つまり文字通り,「下駄をあずけた」ことから,

下足番を通さずには帰るわけにいかない,

ということから由来するというのが最も説得力があるが,それ以外に,遊里や演劇から来たとして,

「本来は断りにくい言いがかりをつけて。相手の答えを待つ意味だったのが、相手に処置を押し付ける意味に変わった」

という説,的屋(てきや)言葉から来たとして,

「親分に身柄をあずけるのを『ゲタをあずける』と使ったことに由来する」

という説もあるらしい。しかし,残りの二説は,文字通り「下駄をあずける」行為そのものを喩えとして使いっいるわけで,それ自体が流布していなければ通用しない気がする。やはり,下足に絡んだ言い回しから由来すると見るのが妥当な気がする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/getawoazukeru.html)も,

「他人に下駄をあずけてしまと,その場から自由に動けなくなる。後は,預かった人の心次第で,自分はじっとしているしかないところからまれた言葉」

としているし,「舞台・演劇用語」(http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/getawoazukeru.htm)も,

「江戸時代には、芝居小屋や寄席、遊郭などに遊びに出かけると、履き物を下足番に預け、裸足で入場していました。当然、履き物を返してもらわなければ帰路につくことさえできませんので、履き物=下駄を預けるというのは、相手に委ねるという意味となり、この風習から生まれた比喩が、一般的に使われるようになったということです。」

と,下足由来説を採る。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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二足の草鞋


「二足の草鞋」は,

二足の草鞋を穿(履)く,

という言い方をする。

同一人が両立しないような二種の業を兼ねる,

という意味である。

『広辞苑第5版』には,

「もと博徒などが十手をあずかっているような場合を言った」

とある(仝上)ので,

博徒が捕吏を兼ねるような矛盾した業の兼務,

を言ったものらしい。『日本語源広辞典』には,

両立しない二つの職業を兼ねる意,

とあるので,単なる兼業ではない。だから,たとえば,「二足のわらじ」の一例として,

会社員と漫画家
会社員と作家
銀行員と歌手
サッカー選手と公認会計士
サッカー選手と大学生
柔道選手と国会議員
モデルとタクシー運転手

を載せている(https://bizwords.jp/archives/1068174205.html)が,これだと単なる兼業でしかない。だから,「二足のわらじ」の同義語・類義語として,

「二つの仕事を両立させること」
「二つの仕事で活躍すること」
「二つの仕事を掛け持ちすること」

というのは,間違っている(仝上),と思われる。現在では,

「会社員と作家の二足の草鞋を履く」

等々,両立が困難と思われる職業を兼ねる意でも使われるが,本来は褒め言葉ではない。

『江戸語大辞典』には載らないが,『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/22ni/nisoku-waraji.htm)は,江戸時代以降に使われたとし,

「二足のわらじとは『二足の草鞋を履く』が略されたもので、もともとは江戸時代に博打打(ばくちうち)が十手を握り、捕吏になることをいった。ここから同一の人が異なる二種の業を兼ねること、また、単純に二つの職を持つことを二足のわらじという。ただし、二足のわらじは異なる種類の職・担当を兼ねるという前提にあるため、昼はパチンコ屋・夜はゲームセンターで働くといったものや、塾の講師をしながら家庭教師もしているといった、同種・類似の職の掛け持ちに対しては基本的に二足のわらじとは言わない。」

としている。だから,

「江戸の町は、町奉行所や火付盗賊改方が警察機能を担っていた。半七捕り物帖や銭形平次などの主人公は、岡っ引き(『目明し』、『御用聞き』、関西では『手先』、『口問』などとも呼ばれていた)を家業としているように描かれているが、実際は正規に任命を受けたものではなく、同心などが利用した『非公認の犯罪捜査協力者』、あるいは同心の『私兵』という位置づけだった。
 岡っ引きは、江戸時代、武士である同心が犯罪捜査を行うには、裏社会に通じたものを使わなければ困難であったことから、軽犯罪者の罪を見逃してやる代わりに、手先として使ったことが始まりと言われている。
 博徒や的屋の親分が岡っ引きになることも多く、『博打打が岡っ引きとなって、博打打を取り締まる』という摩訶不思議なことが起こったことから、『二足の草鞋を履く』という言葉が生まれたのだ。」

としている(https://kakuyomu.jp/works/1177354054880634829/episodes/1177354054881041764)のが正確なのだろう。同種の説は,他にも(https://seikatsu-hyakka.com/archives/41537)載るので,「二足の草鞋」は,

博徒と岡っ引き,

というのが由来なのだろ。『鬼平犯科帳』に出てくる手先も,元泥棒である。蛇の道は蛇,ということなのだろう。と見れば,

通常両立しえない仕事あるいは相反する仕事を掛け持つこと,

を指す。当然,

あまりいい意味,

では使われない。どちらかと言うと,案に,非難の含意があるとみてよい。

『故事ことわざ辞典』(http://kotowaza-allguide.com/ni/nisokunowaraji.html)は,

両立し得ないような二つの職業を一人ですること,
また,
相反するような仕事を同じ人が兼ねること,

とし,やはり,

「江戸時代、博徒が十手を預かることを『二足の草鞋』といった。」

とある。博徒側から見ても,江戸市民から見ても,

二足の草鞋,

はいかがわしさの象徴だったとみていい。

そう言えば,十手と言えば,宮本武蔵の家系は,十手術をよくした。十手は,

「十本の手に匹敵する働きをすることから『十手』であるといわれている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%89%8B)。別に岡っ引きや町方同心,与力の専売特許ではない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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二束三文


「二束三文」は,

売値が非常に安い,

意味だが,『広辞苑第5版』には,

「二束でわずか三文の意。江戸初期の金剛草履の値から出たという」

とあり,

数が多くて値段の極めて安いこと,多く,物を捨て売りにする場合にいう,

とある。

二足三文,

とも当てる。『岩波古語辞典』には,「金剛」は,

大型の藁草履,

とある。『大言海』に,

「聚楽にて,金剛太夫,勧進能に,芝居銭三十文づつ取りければ『こんごう(藁草履)は,二束三文するものを,三十取るは,席駄太夫か』」(『昨日は今日の物語(正和)』)

が引かれている(『岩波古語辞典』にも載る)。

「草履」は,

藁・竹皮・灯心草・藺等々を編んでつくり,緒をすげた履物,

のこと。「金剛草履」は,

「堅固で破れないからいう」

とある(『広辞苑第5版』)が,

「藁や藺いで編んで作った丈夫で大きい草履」

で,

「普通のものより後部の幅がせまい」

とある(『デジタル大辞泉』)。ただ,

「野辺送りに近親者がはく草履は〈アッチ草履〉とか〈金剛草履〉などといい,座敷から直接地面にはいたまま下りるほか,墓地や辻などに脱ぎすててくる習慣がある。このため,ふだん履物をはいたまま家から外へ下りるのは忌まれているが,野辺送りの履物を拾ってはくと百難を逃れるとか,蚕のあがりがよいという所もある。」

とある(『世界大百科事典』)ので,棄てても惜しくない履き物と思われる。因みに,「草鞋(わらじ)」は,

ワラグツの転,ワランジの約,

とあり,

藁で足型に編み,つま先にある二本の藁緒を左右の縁にある乳(ち)に通し,足に結び付ける履き物,

で,そもそもが「くつ」とされていたものらしい。

「中国大陸や朝鮮半島の植物繊維を編んで作った草鞋(わらくつ)から、平安時代に、わが国特有の鼻緒はきものとして生まれた。長い緒で足にしばりつけてはく草鞋は旅や労働に、鼻緒を足にかけてはく草履は、日常のはきものとして用いられることが多かった。」:日本はきもの博物館

とあり,靴の変じたものだろう。

「草鞋は前部から長い『緒(お)』が出ており、これを側面の『乳(ち)』と呼ばれる小さな輪およびかかとから出る『かえし』と呼ばれる長い輪に通して足首に巻き、足の後部(アキレス腱)若しくは外側で縛るものである。鼻緒だけの草履に比べ足に密着するため、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすく、昔は旅行や登山の必需品」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%9E%8B),「草鞋」も安そうに見えるが,相場は,

「江戸時代の旅の道中の出納帳には、OO宿ワラジ12文、OO宿ワラジ16文のように書かれています。宿場によって多少ワラジの値段にもバラつきがあるようですが、ほぼ12〜16文ぐらいの値段であったようです。」

とあるので,二束三文の値ではない。ただ,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ni/nisokusanmon.html)は,

「二束三文の『文』は,昔のお金の低い単位で,二束三文は、二束(ふたたば)でも三文 というわずかな金額にしかならないことに由来する。『二足三文』と書くこともあり,江戸 初期の『金剛草履(こんごうぞうり)』の値段が,二足で三文の値段であったことに由来するともいわれる。『二足』と『二束』のどちらが先に使われ始め,どちらが変化したものかは未詳である。『三文』という言葉は『三文判』や『三文芝居』など安物や粗末な物の意味で使われており,『二束三文』の『三文』も実際にその金額で売られていたわけではなく,安いことを表したものと考えると,『二足三文』の説はやや難しい」

と,「三文」を安さの象徴の意味としている。確かに,『岩波古語辞典』には,

「極めて価の低い,また僅少なことのたとえ」

とあるので,実際に「三文」だったかどうかは定かではない。『江戸語大辞典』には,

「金剛草履二足三文に起る」

とあるし, 

「二束(ふたたば)でも三文」(『由来・語源辞典』)

とする説もある。これだと,確かにもっと安い感じはするが,『日本語源広辞典』の説では,「束」は,別の意となる。

「藁二束(二百タバ,稲藁塚,ススキ,二基分を二括りにしたもの)で,わずか三文,つまりタダ同様の値段の意です。ちなみに,藁二束は両端の尖った担い棒を使い,一括りずつ両端に刺して運ぶもので,大人が運べる最高のカサと重量です。」

として,「二足で三文」とする説を否定し,「二足」を誤字としている。しかし,もっともらしいが,原材料のことが,安値の原因とするのは,無理がある気がする。「三文」が象徴であるように,「二足」「二束」も象徴と見ていいのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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にっちもさっちも


「にっちもさっちも」は,

二進も三進も,

と当てる。どうやらそろばんの用語から来たものらしい。『広辞苑第5版』には,

「金銭の融通のきかないさま,また,一般に物事が行き詰まってみ呉今日もの取れないさまにいう」

とある。『デジタル大辞泉』には,

「そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意」

とある。正確には,「下に打ち消しを伴って」(『大辞林第三版』),

二進も三進もいかない,

と使う。『江戸語大辞典』には,

「二進(にちん)三進(さんちん)」

と訓ませている。

「『二進』とは2割る2,『三進』とは3割る3のことで,ともに割り切れ,商に1が立って計算できることを意味した。それがうまくいかないということで,金銭的やりくりがつかない,商売がうまくいかないという意味で用いられるようになり,のちに,身動きが取れない意味へと転じた」

とある(https://proverb-encyclopedia.com/nitimosatimo/)が,この説明ではしっくりと来ない。同趣旨の説明をするのが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ni/nicchimosacchimo.html)で,

「『にっち』は『二進(にしん)』,『さっち』は『三進(さんしん)』の音が変化した語。『二進』とは2割る2,『三進』とは3割る3のことで,商1が立って計算ができることを意味していた。そこから,2や3でも割り切れないことを『二進も三進も行かない』と言うようになり,しだいに計算が合わないことを意味するようになった。さらに,商売が金銭面でうまくいかないことの意味になり,身動きがとれない意味へと変化した。」

とある。やはり,しっくりしない。『笑える国語辞典』,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%AB/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E3%82%82%E4%B8%89%E9%80%B2%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

も,

「二進(にっち)も三進(さっち)もは、『二進も三進も行かない』などと用い、行き詰まって身動きがとれない状態を言い表す。『二進』『三進』という漢字を見ると、『二歩進めないなら三歩進めないのは当たり前だろ』というようなツッコミを入れたくなってしまうが、残念ながら、この『二進』『三進』はソロバンの用語で、それぞれ『二割る二』『三割る三』を意味する。『二進』『三進』も割り切れるところから、計算のやりくりがつくことをいい、それを否定した『二進も三進も行かない』は、割り切れない、やりくりがつかないという意味になり、やはり『二歩進めない』うんぬんは的はずれなツッコミといわざるをえないのである。」

とし,割り切れる意からそれを否定する真逆の意に転じた,とする。そうなのだろうか。

『日本語源大辞典』は,

「算盤の割算の九九の『二進一十(にしんいんじゅう)』『三進一十(さんしんいんじゅう)』から出た語で,これらがそれぞれ,二を二で割ると割り切れて商一が立つこと,三を三で割ると割り切れて商一が立つことを意味するところから,計算のやりくりを指す。多く,『にっちもさっちも行かない』の形で,どうにもやりくりがきかないさま,窮地に追い込まれたりして身動きできないさまなどにいう」

とある。これでもやはり意味がはっきりしないが,『日本語源広辞典』には,

「『算盤の九九,二進一十,三進一十』が語源です。それぞれの商は一,繰り上がらないから,遣り繰りがのつかない意で使います」

とある。これのほうが僕には納得できる。『大言海』の,

如何に勘定しても,

の意は,これでわかる。

「二進」(にしんがいんじゅう,にしんがいっしん),「三進」(さんしんがいんじゅう,さんしんがいっしん)は,割算の掛け声(割算九九(割声))で,

「そろばんのわりざんには、商除法と帰除法があります。現在一般に行われているのは商除法で、かけざん九九を使って商を見つけます。帰除法は昔使われていた方法で、割算九九(割声)を覚えて計算するものです。」

とある(http://anchor.main.jp/warizannkuku.htm)。例えば,

「(例1) 12÷2=6 そろばんに12をおく。わる数の二の段でわられる数12の先頭の数を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次にわられる数の残り2を見て、二進一十と2をはらって10をいれる。すると答えが6となる。」
「(例2) 158÷2=79 そろばんに158をおく。わる数の二の段でわられる数158の先頭の数を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次にわられる数の残りの先頭5を見て、二進一十と2をはらって10をいれる。これを繰り返す。するとそろばん面は718になり、7は答え。次に残り18の先頭の数1を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次は8を見て、二進一十を繰り返す。すると答えが79となる。」

となる(仝上)。

どうやら,「2割る2」と割り切れるようにはいかない,という意の「二進も三進も」か,「2割る2」で割り切れて繰り越さない意の「二進も三進も」か,ということだが,僕は,根拠はないが,後者の方がすっきりする。

因みに,「算盤」は,「算盤」の訓の,

「サンバン→ソァンファン→ソランバン→ソロバン」

と変化したもの(『日本語源広辞典』)。『日本語源大辞典』には,

「『そろばん』が伝来する以前は,計算用具としては算木が使用されていた。『そろばん』の中国からの伝来が室町末期であること,現代中国語でも『算盤』を使用していることなどから,『そろばん』は『算盤』の唐音ソワンバンの日本語化といわれる。」

とある。中国では,

「中国では紀元前の頃から紐の結び目を使った計算方式や、算木を使用した籌算(ちゅうざん)と呼ばれる独自の計算方式があった。これらは紐や竹の棒や木の棒で計算していたものであり、桁を次々に増やせる利点はあるが珠の形ではない。珠の形になったのは2世紀ごろの事と考えられ、『数術記遺』と言う2世紀ごろの書籍に『珠算』の言葉がある。」

とか(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%82%93)。

「二進も三進も」の類語としては,

前門の虎後門の狼,
進むも地獄退くも地獄,

よりは,

進退両難,

がピタリ重なる気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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三下


「三下」は,

三下奴(さんしたやっこ),

の略,

「三下奴」は,

ばくちの仲間で,最下位の者,

の意で,

三下野郎,

とも言う(『広辞苑第5版』)。『江戸語大辞典』の説明が正確である。

博奕詞,三下奴の略。博労中勢力の無い者,博徒の素人臭いぺいぺい者。賽の目の三以下を価値なしとするに因る,

転じて,

一般に取るに足らぬ者,

とある。さらに,

表番、下足番、使番などといった仕事を行う者を表す,

場合もある,という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)。下っ端を指して,言うとみていい。

どうやら,

「賽の目の三以下を価値なしとする」

が語源らしい。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/sa/sanshita.html)には,

「三下は、博打打ちの間で下っ端の者をいった隠語。 サイコロ博打で、3より下の1や2しか出ないと勝ち目がないことから、目(芽)が出ない者を『三下・三下奴(さんしたやっこ )』というようになった。」

とあるし,

「語源は、博打が行われるさいの振られたサイコロの目数が三よりも下だったならば勝ち目がないというところから言われ始めた」

ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)ので,賽の目に由来があるらしい。

『日本語源大辞典』には,

「サイコロの目数が四以上の場合は勝つ可能性があるが,三より小さい場合には絶対勝てないところから,どうも目の出そうもない者を意味するようになったという」(すらんぐ=暉峻康隆)

と載る(『日本語源広辞典』も同趣)。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/11sa/sansita.htm)には,江戸時代以降の言葉として,

「三下とは三下奴の略で、もともとは博打打の最下位の者や目の出そうにない者をいった(三下野郎ともいう)。これはサイコロの目が3以下の場合、勝てる見込みがないことによる。ここから博徒の下っ端のことを言うようになり、その流れでヤクザ(主に賭博を収入源としていたヤクザ)も下っ端の者、取るに足らない者を三下と呼ぶ。下っ端という意味では広く一般にも浸透し、主に当人が卑下したり、影で侮蔑する際に使われたが、近年若い世代の中には知らない者も多く、日常会話でほとんど使われない死語となっている。」

とある。確かにもはや死語ではある。

因みに,博徒の順位は,

貸元、代貸、出方(でかた),

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)。

『極道用語の基礎知識』(http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-sa.html)には,

「ヤクザの最下級。若いもの、若い衆、若者。博徒の役職は貸元、代貸、出方と三段階あるのだが、それらのさらに下であるという意味。自らを卑下していう言葉であって、他人から言われた場合は喧嘩になるだろう。」

とある。上位の者が「三下」と呼ぶのであって,上位と認めていないものからよばれれば,腹が立つ言い方ということだ。この順位は正確には,

貸元(親分)、代貸(だいがし)、本出方、助出方、三下,

の順で,三下はさらに,

中番、梯子番、下足番、木戸番、客引、客送、見張,

等々に分かれる,とか(http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini03.htm)。また的屋(露天商等を主たる事業とする)の場合は,

張元、帳脇、若衆頭、世話人、若衆

等々に分かれるという(仝上)。

因みに,「貸元」は、

「紙芝居師に紙芝居を貸す元締、もしくは丁半賭博場の経営者。送り仮名を入れた『貸し元』とも書く。この貸し付ける現金を『廻銭(かいせん)/駒(こま)』と呼ぶ。カラス金(一日1割)、トゴ(十日5割)、ヒサン(一日3割)などと呼ばれる違法な高利がほとんどである」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%85%83)。

「代貸」は,

「博徒の階級の1つで、貸元(親分)の補佐役であり、代貸しは賭博を開帳するに当たり、一切の責任者となり、もし間違いがあった場合でも、親分の名前は絶対に出さないという現場におけるヤクザの責任制度〜身代わりの常備機構であったわけです。」

とある(http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini14.htm)。

「出方」は,

「上着を預かったり、お茶を出したり、灰皿を交換するなどの雑務に従事する」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%85%83)。

その下の「三下」は,

「履物を管理する下足番や人の出入りを監視する張番(はりばん)をする」

ことになる(仝上)。

どの世界も厳しい身分社会で,江戸時代という身分社会を反映しているようだ。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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蛇足


「蛇足」は,

画蛇添足(蛇を画きて足を添う),
蛇足をなす,

とも言う。

あっても益のない余計なもの,
あっても無駄なもの,
不要なもの,

というよりも,

余計な行い,

という含意に思える。出典は,『戦国策』の「斉策」であるらしい。『戦国策』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%88%A6%E5%9B%BD%E7%AD%96) については触れた。

「前漢末に,学者劉向(りゅうきょう 前七七−前六)が命ぜられて天子の書庫の整理をしたとき,『国策』『国事』『探長』『事語』『長書』『脩書』などという錯乱した竹簡があった。みな戦国のとき(春秋以後の二百四十五年間)の遊説の士が国々の政治への参与を企てて,その国の為に建てた策謀であったので,劉向は国別にしているものに基づいて,それぞれほぼ年代順に整え,重複を刪(けず)り,三三篇として『戦国策』と名づけた。」

ものである。多く歴史書というよりは,

奇知縦横の言論や説得の技法の習練,

を意とするもので,『戦国策』に登場する説士(ぜいし)が本当にこれほど活躍したのかどうかは疑わしく,縦横家,遊説の士にとっての教科書と言うようなものということだ。

とすると,蛇の絵を描く競争で,早く描き上げた者が,足まで書き添えて負けたという故事は,ただの寓話の類ではなく,為にする喩えといっていい。

楚の昭陽将軍が魏の国との戦いに勝利し,更にました。斉(せい)の国にも戦いを挑もうとするのを,斉の国王が陳軫(ちんしん)という縦横家(じゅうおうか)に相談した。その依頼を受け、昭陽将軍との会談の際に用いた喩え話である。その陳軫が,昭陽将軍に語った寓話である。

その原文は,

楚有祠者。賜其舎人卮酒。舎人相謂曰、
「数人飲之不足。一人飲之有余。請画地為蛇 先成者飲酒。」
一人蛇先成。引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、
「吾能為之足。」
未成、一人之蛇成。奪其卮曰、
「蛇固無足。子安能為之足。」
遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。

とあるらしい。つまり,

「楚(紀元前3世紀頃まであった国)の人が先祖の祀りをした後、近侍の者大杯に一杯の酒をふるまいました。近侍の者たちは相談しました。『数人で飲めば足りないが,一人で飲むなら有り余るほどだ。これはひとつ,地面に蛇の絵をかいて,先にかき上げたものが飲むことにしてはどうか』。すると一人の者が先に蛇の絵をかきあげて,酒を引き寄せて,いまに飲もうとしながら,左の手で杯を持ち,右手で蛇をかき続け,『れは足までかく暇まである』と申しました。その足がかき終らないうちに,ほかの一人のかいていた蛇が出来上がりました。先の者が持つ杯を奪い取り,『蛇に足があってたまるものか,おまえに足がかけようはずがない』と言って,その酒を飲んでしまいました。蛇の足をかいていた者は,と酒を飲み損なったのです。」

である(『戦国策』)。もちろん,これは,単なる寓話なのではない。この話を為にしたのである。『戦国策』

蛇足を為す者は終に其の酒を失う,

の項に,こういうやりとりが載る。

君今相楚而攻魏,破軍殺将,得八城不弱兵,欲攻斉。
斉畏公甚。
公以是為名居足矣。
官之上,非可重也。
戦無不勝而不知止者,身且死,爵且後帰。
猶為虵足也。
昭陽以為然,解軍而去。

「いま,あなたは楚の宰相として魏をお攻めになり,魏の郡を破り,魏の将を殺し,八城を奪い取りながら,兵力を損傷することなく,さらに斉を攻めようとなさっています。斉ではあなたを恐れておりますのは,大変なものです。あなたはそれでもって栄誉となされば十分です。これまでの功績でお受けになる官爵の上に,さらに加えうる官があるわけではないのです。戦って負けたためしがないというので,とどまるところをお忘れになりますと,お亡くなりになった場合,爵は死後の身にお受けになることとなります。それでは蛇の足をかくようなものでしょう」

と。このやりとりには前段がある。陳軫は,昭陽将軍に尋ねる。

陳軫為斉王使,見昭陽,再拝賀戦勝,起而問。
楚之法覆軍殺将,其官爵何也。
昭陽曰,官為上柱国,爵為上執珪。
陳軫曰,異貴於此者,何也。
曰,唯令尹耳。
陳軫曰,令尹貴矣。
王非置両令尹也。

つまり今回の戦勝の功に対し,与えられるのは,

官は上柱国(じょうちゅうこく),爵は上執珪(じょうしつけい),

であり,この上は,令尹(れいいん)のみという。

楚王が二人の令尹を置くだろうか,

と疑問を投げかけた上で,

臣窃為公書,

と,蛇足の喩え話をするのである。要は,

「あなたはもうずいぶん功を立てました。これ以上勝っても望む出世には限度がありましょう。あまりに調子に乗りすぎると身の破滅を招きます。大勝利を得たこのへんで引き揚げてはいかが」

という含意か(http://chugokugo-script.net/koji/dasoku.html),

「たとえ斉への侵攻に成功してたとしてもそれ以上は出世しようが無いのに、失敗に終わった場合の、失脚の危険を犯す必要があるのか、ということを蛇足の話を用いて説得したのである。」

という含意か(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E8%B6%B3),

どちらか,多少ニュアンスの差はあるが,これ以上の功名は,蛇足だと言いたかったらしいのであるが,勝ちに勝っている将軍に,これで説得できるかどうかは,ちょっと疑わしいように思えるのだが。

参考文献;
近藤光男編『戦国策』 (講談社学術文庫)

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霜月


「霜月」は,陰暦十一月の異称である。その他に,

ちゅうとう(仲冬),
かぐらづき(神楽月),
かみきづき(神帰月),
けんしげつ(建子月),
こげつ(辜月),
しもつき(霜月),
しもふりづき(霜降月),
しもみづき(霜見月),
てんしょうげつ(天正月),
ゆきまちづき(雪待月),
ようふく(陽復),
りゅうせんげつ(竜潜月),
ゆきまちづき(雪待月),
かおみせづき(顔見世月),
ねのつき(子の月),
ちょうげつ(暢月),

等々がある。異称のいわれについては,

https://jpnculture.net/shimotsuki/

が詳しい。

僕は個人的に不審に思うのは,神無月(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88)で触れたように,三代歌川豊国は,「神無月 はつ雪のそうか」という浮世絵で,牡丹雪が降り続く夜に,蕎麦売りの屋台に集まり、蕎麦を食べて暖をとる「そうか」(夜鷹)を描いていた。神無月で牡丹雪である。そのよく月に「霜の月」とは如何なものか。

この説は,どうやら「神無月」を「神無き月」と解釈したのと同一人物の臆説から始まっているらしい。神無月について,

「十月(かみなづき),天下のもろもろの神,出雲國に行きて,異国(ことくに)に神無きが故に,かみなし月と云ふをあやまれり」

とした藤原清輔(治承元年卒)の「奥義抄」は,「霜月」についても,

「十一月(しもつき)、霜しきりに降るゆえに霜降月(しもふりつき)といふを誤(あやま)れり」

と同じ口吻で言っているのが笑える。しかしこれが定説なのだという。理解できない。しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shimotsuki.htmlも,

「『霜降り月・霜降月(しもふりつき)』の略とする説が有力とされる。その他、十は満ちた数で一区切りなので上月になり,それに対して下月とする説 や,『神無月』を『上な月』と考えて『下な月』とする説など,上下の『下』とみる説。『食物月(をしものつき)』の略とする説や,『擂籾月(すりもみづき)』の意味など諸説あるが,いずれも有力とはされていない。」

と,霜に絡めようとしている。しかし,「霜月」が,当て字なら,それをもとに解釈しているにすぎなくなる。

『大言海』は,

「食物(をしもの)月の略。新嘗祭を初めとして,民間にても,新饗(ニヒアヘ)す。むつきの條を見よ」

とする。睦月(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D)で触れたように,『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし, 

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていた。

そもそも,「とし(年)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%A8%E3%81%97)が,

「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。ちなみに、漢字の『年』は禾に粘りの意味を含む人の符を加え、穀物が成熟するまでの周期を表現した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4

とあるのだから,なおさら農事に関わると,僕は思う。『大言海』も,

「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」

としている。因みに,「年」の字も,

「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」

とあり,「歳」の字も,

「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」

と,同じである。これまで触れてたように,

師走(陰暦十二月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%97%E3%82%8F%E3%81%99
睦月(陰暦一月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D
如月(陰暦二月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%8E
弥生(陰暦三月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%84%E3%82%88%E3%81%84
卯月(陰暦四月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%86%E3%81%A5%E3%81%8D
皐月(陰暦五月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D
水無月(陰暦六月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A5%E3%81%8D
文月(陰暦七月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%B5%E3%81%A5%E3%81%8D
葉月(陰暦八月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%AF%E3%81%A5%E3%81%8D
長月(陰暦九月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8D
神無月(陰暦十月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88

各月名は,農事と深くつながっている。「霜月」だけが,その一年の流れと無関係であるとは,ちょっと信じられない。

『日本語源広辞典』は,「霜の月」を採る,とした上で,

「『食物月』(ヲシモノツキ)説がありますが,付会かと考えます」

と切り捨てる。しかし「しもつき」が「霜月」と当てた根拠は,無い。根拠のない当て字をもとに「霜の月」とする方が付会ではあるまいか。

『日本語源大辞典』には,確かに,

シモフリノツキ(霜降月)の略(奥義抄,名語記,日本釈名,萬葉集別記,柴門和語類集),
シモヅキ(霜月)の義(類聚名物考,和訓栞),

と,「霜」系が多数派だが,その他,『大言海』の「食物月(ヲシモノツキ)」以外に,

シモグル月の義。シモグルは,ものがしおれ痛む意の古語シモゲルから(嚶々筆語),
スリモミヅキ(摺籾月)の義(日本語原学=林甕臣),
新陽がはじめて生ずる月であるところから,シモツキ(新陽月)の義(和語私臆鈔),
十月を上の月と考え,それに対して下月といったものか。十は盈数なので。十一を下の一といったもの(古今要覧稿),
シモ(下)ミナ月,あるいはシモナ月の略。祭り月であるカミナ月に連続するものとしてシモナツキを考えたものらしい(霜及び霜月=折口信夫),

等々を乗せる。しかし,僕は,

既に,神無月に初雪の浮世絵があるという季節感から,陰暦十一月(新暦の十二月)に霜月では遅い,と感じること,

そして,

一月から十二月まで,農事と関連する語原であったことから,農事につなげるものとして,

新嘗の,「食物月(ヲシモノツキ)」(大言海)

か,

「スリモミヅキ(摺籾月)の義」(日本語原学=林甕臣),

のいずれかが妥当ではないかと思う。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かわや


「かわや」は,便所の意だが,

厠,
圊,
溷,

等々と当てる。

「川の上に掛けて作った屋の意,また,家の側の屋の意ともいう」

とあり(『広辞苑第5版』),『日本語源広辞典』も,

説1は,「川+屋」。汚物,排泄物を川に流した小屋,
説2は,「カワ(側)+屋」。本屋に対し,傍らに小屋を立てた,

の二説を挙げる。また,

「かわやが『川屋』であるか『側屋』の意であるかは議論のわかれるところである。けれども側屋は竪穴住居を考えればいささか無理のある表現とも考えられる。『古事記』の丹塗矢の物語から考えても,川屋を否定することはできない。同じく『古事記』には,素戔嗚尊の話の中に『くそへ』という重い罪穢れを犯し罰せられる記事がある。『くそへ』とは糞を放(ひ)る意であるが,昔から日本民族は糞尿を穢らわしいものとし,これを水に流し去ることを願っていたのかもしれない」

と(楠本正康『こやしと便所の生活史』),「川屋」に軍配を上げている。因みに,『古事記』の丹塗矢の物語は,三輪山の大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ,丹塗矢と化して溝を流れ,用便中にほとを突いた,という話で,川で用を足していたということになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kawaya.html)は,

「厠は数ある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られる。 712年『古事記』には、水の流れる溝の上に設けられていたことが示されており、川の上に掛け渡した屋の意味で、『川屋』の説が有力とされる。また、現代では住居の中に便所を作るのが一般的だが,少し前までは,母屋のそばに設けるのが一般的であったところから,『側屋』とする説もある。」

と,やはり「川屋」説に傾いている。『岩波古語辞典』も,

「川の上に架した屋の意」

を採る。『大言海』は,

「側屋(カハヤ)の義。家の傍に設くる意。後架の,屋後の架設なると,同意なり。裏とも云ふ。川に架し作れば云ふとの説あれど,川なき地にはいかがすべき」

と,「川屋」説をを批判するが,古代,水辺に住まいするのは当然なので,ちょっと的外れかもしれない。鳥浜貝塚(縄文時代前期、約5500年前 福井県若狭町)では,

「2000点を超える多量の糞石(ふんせき)が出土している。特に杭の打たれた周辺では他の場所と比較して、より多くの糞石が出土することから、この遺跡に暮らした当時の人々は湖に杭を打ち桟橋を作っていたと考えられ、桟橋からおしりを出して用を足していただろうと推測される。このような構造のトイレ(桟橋形水洗式(さんばしがたすいせんしき)トイレ、いわゆる『川屋』)は現在でも環太平洋地域で広くみられる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。やはり,「川屋」の字が妥当かどうかは別として,川で用を足していたのに違いはない。

『日本語源大辞典』は,「側屋」説,「川屋」説以外に,

かわるがわる行くところから,カハヤ(交屋)の義(万葉代匠記・万葉考),
カハは糞の意(海録),
クサヤ(臭屋)の義(三樹考),
カワルキヤ(香悪屋)の義(和句解・日本釈名),

を載せるが,やはり,「側屋」説,「川屋」説のいずれかだろう。

漸く,藤原京・藤原宮(7世紀末、都としては694年〜710年)では,

「藤原宮の南面西門から外に出てすぐの南東、右京七条一坊西北坪の遺跡から土坑形汲取式(どこうがたくみとりしき)トイレを検出している。(中略)公的な機関(役所)があったと想定され、このトイレは、その内部に設置された共同便所だったと考えられている。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。そして,

「藤原宮の宮殿の東側、官庁街との間を南北に走る幅5m、深さ1mの基幹排水路が東大溝(ひがしおおみぞ)である。この溝の両岸の傾斜面には、向かい合う位置に大小の柱穴が交互に13.5mにわたって並んでいた。初めは幅広の橋とされていたが、その南16.5mの地点からも同様の遺構が発見され、橋ではなくトイレではないかと考えられるようになった。溝の中からは籌木も出土している。このトイレは、柱穴の検出状態から、溝をまたいで長屋のように建てられた溝架設形水洗式(みぞかせつがたすいせんしき)トイレではないかと想定される。」

とうある(仝上)。やはり「川屋」説に軍配のようである。溝の中から出土した籌木(ちゅうぎ、ちゅうぼく)とは,

「古代から近世初頭にかけて用いられた、排泄の際に用いられた細長い木製の板のことである。糞箆(くそべら、くそへら)ともいう。トイレ遺構の便槽から出土する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8

これについては,「べらぼう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%B9%E3%82%89%E3%81%BC%E3%81%86)で触れた。

貴族,役人はともかく,庶民は,中世になっても,路上で用を足している。

面白いことに,きちんとしてトイレであっても,路上でも,一様に,籌木を使っていることだ。

ただ,「糞尿」を「こやし」として使うようになると,少し事情が変わるようだ。

「人糞尿が貴重な肥料として使われるよになると,これを一ヵ所に蓄えておかなければならない。そのために,直接耕作にたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を蓄えた便所を設けるようになったのであろう。だが,当時の住居の構造,たとえば武家造といわれる建物の平面図からはこれを立証することはできない。しかし,禅寺では東司(とうす)と呼んで,大きな外便所を持つものが多くなってきた。便所は,このような家の外側に設けられたので,『側屋』と考えるべきだと主張する人もいる。」(楠本正康・前掲書)

「川屋」から「側屋」へと,便所の位置の変化から,当てる字が変わっただけのように思える。

なお,トイレ名の変遷に付いては,

「日本には便所を意味する呼称や異称が多い。現在でも使用される『厠(かわや)』は、古く『古事記』にその例が見え、施設の下に水を流す溝を配した『川屋』に由来するとされる。あからさまに口にすることが『はばかられる』ことから『はばかり』、最後の手を清めることから『手水(ちょうず)』がある。厠の異名となる『雪隠(せっちん)』は、従来より茶会等で厠を意味する表現である。茶室の庭(内路地)に客専用の砂雪隠や飾雪隠を設けて、日常的の使用する厠(外路地)と別の清潔な厠で茶会の客をもてなした。後にこれが転じ、茶室以外の場でも上品な表現として雪隠が使用されることになった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80)。

トイレの遺構については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B

に詳しい。

最後に漢字にあたっておくと,「厠(廁)」(シ,漢音ソク,呉音シキ)の字は,,

「广(いえ)+音符則」で,屋敷の片隅に寄せて作った便所」

「溷」(漢音コン,呉音ゴン)は,

「□印(かこい)+豕(ぶた)」で,きたない豚小屋,転じて便所。溷は,それを音符として水を加えた字。汚い汚水。」

「圊」(セイ)は,「かわや」の意。『漢字源』には載らない。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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姑息


「姑息」は,

「『姑』はしばらくの意」

で,

一時の間に合わせ,
その場逃れ,

の意味である(『広辞苑第5版』)。「姑」(漢音コ,呉音ク)の字は,

しゅうとめ,

の意であるが,副詞として,

しばらく,そのままで,とりあえず,
とか,
手を付けず,そのままにしておく, 

といった意味で,「姑息」は,「手を付けずそのままにしておく」意とある。「姑」と似た意味の副詞を,

「暫」は,不久也と註す。少しの間の意なり,暫時と熟す,
「姑」は,且也と註す,暫の意はなし,まあ,と譯す。孟子「姑舎汝所學而従我」,
「且」は,姑に近し,
「少」は,少しの間といふ義,小時の時を省きたるなり,
「薄」は,今しばしの義,いささかとも訓む,

と区別する(『字源』)。「且」には,しばらくという意味はなく,

まづ(先)しばらく(姑)未定の意をあらわす,

という意味(『字源』),あるいは,

まあまあという気持ちを示す言葉,取りあえず,

という意味(『漢字源』)が含意を伝えているかもしれない。「息」(呉音ソク,漢音ショク)の字は,息の意で,

「会意,『自(はな)+心』で,心臓の動きに連れて,鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって,いきが出入りすること。すやすやと平静に息づくことから,安息・生息などの意となる。」

とあり,ここでは,「やすむ」「やめる」という意味である。

『大言海』は,

「姑(しばら)く息(や)むなり,姑は婦女なり,息は小児なりといふ説はあらじ」

として,

「仮初(かりそ)めにことをすること,間に合わせ」

の意を載せる。『日本語源広辞典』も,同様に,

「姑(しばらく)+息(やすむ)」

とし,

しばらくの間,息をつくこと,

としている。つまり,

「しばらくの間息をつく」

という状態表現が,少し価値表現を加味して,「間に合わせ」となり,さらに価値表現を加えて,「一時逃れ」「その場しのぎ」へと意味が悪い価値を高めていく,とみることができる。

出典は,『禮記・檀弓』。

曾子寢疾,病。樂正子春坐於床下,曾元、曾申坐於足,童子隅坐而執燭。童子曰:「華而v,大夫之簀與?」子春曰:「止!」曾子聞之,瞿然曰:「呼」曰:「華而v,大夫之簀與」曾子曰:「然,斯季孫之賜也,我未之能易也。元,起易簀。」曾元曰:「夫子之病帮矣,不可以變,幸而至於旦,請敬易之。」曾子曰:「爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以コ,細人之愛人也以姑息。吾何求哉?吾得正而斃焉斯已矣。」舉扶而易之。反席未安而沒。

の,

君子之愛人也以コ,細人之愛人也以姑息。

君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす,

から来ている。その解釈は,

孔子の門人,曽子の言葉に由来します。病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なすのこを敷いていました。お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にすのこを取り替えるよう命じます。曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
 「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす。」(君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)
 その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてすのこを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。」

とある(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。「礼記」だから,こんな感じの説教になる。ここでは,確かに,「一時しのぎ」の意味で使われている。しかし,

「姑息」には、「卑怯」や「狡(ずる)い」の意味は含まれない。「姑息な手段」を「卑怯な手段」と解するのは誤解,

というのは如何であろうかか。言葉は人が使ってはじめて生きる。生きている言葉がすべてではないか。僕には,

「しばらくの間息をつく」という状態表現
  ↓
「間に合わせ」
  ↓
「一時逃れ」「その場しのぎ」
  ↓
 
「卑怯」「ずるい」「けち」

と,価値表現が変化していくのは,他にも例のある言葉の意味の変化の王道に見える。しかし,この誤解を大袈裟に言い立てたがる。それは,文化庁の調査が拍車をかけた。

「姑息について尋ねた「国語に関する世論調査」では,

「『本来の意味とされる「一時しのぎ」という意味』と答えた人は2割に届かず,本来の意味ではない『ひきょうなという意味」と答えた人が7割を超える』

という(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。

(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15.0%
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70.9%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.9%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%

しかし,今日「姑息」を7割を超る人が「ひきょうな」の意味としているということは,既に,意味が変じたのであって,「一時しのぎ」の意味で使っても,伝わらないということを意味する。言葉は伝わってこそ意味がある。今に,辞書に意味として「卑怯な」が載ることになるだろう。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kosoku.html)は,

「姑息の『姑』は『しばらく』、『息』は『休息』の意味。『しばらくの間、息をついて休む』ところから、姑息は『その場しのぎ』の意味となった。 姑息が『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられるのは、『姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする』など,良くない場面で多く用いられる言葉であることや、『小癪』と音が似ていることから,その混同によるものと考えられる。」

あるいは,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%93/%E5%A7%91%E6%81%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

「姑息(こそく)とは、一時の間に合わせ、その場しのぎという意味で、『姑息な手段をとる』などと用いる。ところがほとんどの日本人は『姑息な手段』を『卑怯な手段』とか『ズルいやり方』という意味に誤解していて、話す方も聞く方も誤った認識で合致しているから、『姑息なヤツだね』『ほんとうに姑息なヤツだ』などと応答して、会話になんの齟齬も来さないという無法状態になっている。おそらく『こそく』という言葉の響きが、『こそこそ』とか『こせこせ』とか『小癪(憎らしい)』といった言葉の響きと似ているところから生まれた誤解ではないかと思われる。」

等々とするのはこじつけではないか。価値表現はどんどん意味を変ずるものだ。「やばい」がそうなように,真逆の意味になったものすらあるのが言葉である。

言葉は生きている。

その文脈で通じれば,それが重なれば意味も変わる。当たり前のことを,誤解などと言っている人は,いまの生きている言葉から目を背けている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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もぬけ


「もぬけ」は,

もぬけの殻,

といった言い回しをする。

蛻,
裳脱け,
藻抜け,

等々と当てる。「蛻」の字は,

蛻変(ぜいへん),

という言葉があるらしい(造語かもしれない)。昆虫が「さなぎ」から「蝶々」羽化する状態 を言う。「脱皮」である。

蚕蛻(さんぜい),
蛇蛻(だぜい),
蟬蛻(せん ぜい),

という言葉もある。「蛻」(ゼイ,漢音セイ,呉音セ)は,

「会意兼形声。兌(タイ)は『八(左右にはぎとる)+兄(頭の大きい子ども)』からなる会意文字で,人が衣を脱ぐさまを表す。脱の原字。蛻は『虫+音符兌』で,虫が殻を脱ぐこと」

とある。おそらく,他の「裳脱け」「藻抜け」は後の当て字と思われる。「蛻」は,

脱皮すること,またその抜け殻(外皮),

を意味する。で,

もぬけがわ(蛻皮),
もぬけのから(蛻の殻),

という言い回しをする。いずれも,残された方を言う。しかし「蛻」自体に殻の意味もあり,重複している。そのせいで,

裳脱け,
藻抜け,

とあてたものと思われる。おそらく,「抜け殻」をメタファにした使い方をするようになって以降のことと思われる。『日本語源広辞典』は,「もぬけのから」の項で,

裳脱けの殻,

と当て,

「人が抜けだしたあと,の比喩的な用法」

としている。

さて,「蛻」と当てた和語「もぬけ」の語源だが,『岩波古語辞典』は,

「モはミ(身)の古形ムの母音交替形で,モ(身)ヌケ(脱)の意か」

とする。併せて,和名抄を引き,

「蛻,訓毛沼久(もぬく),蟬・蛇之解皮也」

を載せる。『大言海』は,「もぬく」の項で,

「身脱(むぬ)くの轉」

としているし,『日本語の語源』も,同じく,

「ミヌケ(身抜け)の殻はモヌケ(蛻)の殻になった」

と音韻変化説を採る。

他には,『日本語源大辞典』に,

モヌケ(最抜)の義(名言通),
モヌケ(茂抜)の義(柴門和語類集),
モノケ(衣抜)の義(言元梯),
モヌケルはムヲヌケルの義。モはムロの反(俚言集覧),
マロヌケの義,モはマロの反(名語記),

と諸説載せるが,やはり,

身抜け説,

でいいのではあるまいか。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%82/%E3%82%82%E3%81%AC%E3%81%91%E3%81%AE%E6%AE%BB-%E8%9B%BB%E3%81%AE%E6%AE%BB%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

は, 

「もぬけの殻(蛻の殻)とは、捜査情報ダダ漏れの間抜けな警察が強制捜査に入ったさいの、麻薬密造グループのアジトのありさま。『蛻(もぬけ)』は、ヘビやセミなどのぬけがらのことで、『身抜け』が転じたものかといわれる。もぬけの殻は、ヘビやセミの抜け殻のように、魂の抜け去った体、死骸のことをいった。そこから、肝心の中身がない空っぽの空間、つまり、逮捕すべき麻薬密造者や麻薬製造の材料や機器類がすっかり逃げ去り持ち去られたあとの何もない部屋などを比喩的にいうようになったものである。」

と,意味の範囲をまとめている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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腑抜け


「腑抜け」は,

「(はらわたを抜き取られたかのように)いくじのないこと,まぬけ,腰抜け」

とある(『広辞苑第5版』)。しかし,

いくじがない,

腰抜け,

は通じるが,

間抜け,

は少し意味がずれるのではないか。

『日本語源広辞典』にも,

「『腑+抜け』です。身体の中の臓腑が抜けている意です。信念や態度にしっかりしたものがない意です。」

とある。やはり,「間抜け」は,少し意味が違う。ただ,『江戸語大辞典』には,「腑抜け」は載らないが,

腑抜玉(ふぬけだま),

が載り,

愚かな人,いくじのない人などを嘲って言う語,

とあるので,「愚かさ」も,「腑抜け」に入るのかもしれない。『大言海』をみると,

「臓腑の脱けてある義」

として,

「人を罵りて云ふ語」

とある。これが正確かもしれない。だから,

まぬけ,
あはふ,
うつけもの,
とんちき,
鈍漢,

と悪罵が並ぶ。普通に考えると,

「はらわたを抜き取られた状態の意」

から,

意気地がないこと,気力がな,また、その人やそのさま,腰抜け,

という(『デジタル大辞泉』)のが意味の外延だが,その,

気力のない,しっかりしていない,

という状態表現に,価値表現を加えると,

腰抜け,

となり,それでせっかくの機会を逸すれば,

まぬけ,

となっても,意味の変化として可笑しくはない。

『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E8%85%91%E6%8A%9C%E3%81%91)に,

「『腑』は、五臓六腑の腑で、『はらわた』『臓腑』のこと。さらに腑は、思慮分別や考えの宿るところも表す。つまり『腑抜け』とは、思慮分別が 抜け落ちてなくなること、意気地がなくなることをいう。」

とある。それを評して,

まぬけ,

と言っても,間違いではないが,いささか価値表現が過ぎる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/funuke.html)は,

「腑抜けの『腑』は、『はらわた』『臓腑』を意味する語。『肝』に『気力』や『度胸』の意味があるように、『腑(腹)』は底力を出す際に力を入れる場所と考えられている。力を入れるべき場所が抜け落ちた状態から、腑抜けは『意気地がないこと』や『腰抜け』を表すようになった。また、『腑』は『心』や『考え』も意味することから、『腑抜け』『腑が抜ける』は思慮分別が抜け落ちてなくなることも言うようになった。」

という価値表現の変化を説いている。

腑に落ちる(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%85%91%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B)で触れたように,

『大言海』の「腑」の項には,「臓腑」の意味の他に,

「俗に,思慮分別の宿る所。腑の足らぬとは,料簡の不足の意。腑の抜けるとは,料簡の脱したる意。」

とある。だから,原初は,

意気地なし,
根性がない,
元気がない,

といった意味の外延を拡げたというのでいいのだろう。

漢字「腑」は,

「府は,いろいろな物をまとめて置く所。付と同系のことば。腑は『肉+府』で,体内にある食物や液体のくら。もと府と書いた。」

とある(『漢字源』)。漢方で言う,

五臓六腑,

つまり,五臓は,

肝・心・脾・肺・腎(心包を加え六臓とも)

を指す。六腑は,

胃・肝・三焦(リンパ管を指す)・膀胱・大腸・小腸,

を言う(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%87%93%E5%85%AD%E8%85%91に詳しい)。「腑に落ちる」が,身体の中心で,

得心した,

という意味になるとすれば,それが抜けていれば,得心,理解が飛んでしまうということか。

「腰抜け」 いくじがないこと。おくびょうなこと。
「腑抜け」 魂が抜けたようになって、しっかりした気持ち・考えがもてないこと。いくじがないこと。

と比較していた(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q101050775)し,

「間抜け」 考えや行動に抜かりがあること。鈍間(のろま)で気が利かないこと。また、そのような人。
「腑抜け」 肝がすわっていないこと。また、そのさまやそのような人。意気地なし。腰抜け。気力がなく、しっかりしていないこと。

と対比している(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315648348)が,「間抜け」と言うのはストレートだが,「腑抜け」と言うのは,言外に「間抜け」を押しやり,ソフトな言い回しになる。「腑抜け」と言うことで,「腰抜け」のストレートさをソフトにしている感がある。文脈に依るので,比較することにはそんなに意味がない。

また,

【1】「腰抜け」は、臆病(おくびょう)で思い切って事を行えないようなこと。また、そういう人。
【2】「腑抜け」は、気力、精神力などがなかったり、極度に乏しかったりして、事を行えないこと。はらわたを抜き取られた状態という意から言う語。
【3】「ふがいない」は、はたから見ていて歯がゆくなるほど、また、黙っていられないほどいくじがない意。「腑甲斐無い」「不甲斐無い」などと書くこともある。

と比較しているものもある(『類語例解辞典(小学館)』)。いずれも,傍から見ている価値表現だが,「期待する甲斐がない」と言う含意の「不甲斐ない」には,いくらかの期待がある。罵りの順位は,

腰抜け→腑抜け→不甲斐ない,

というところか。因みに,「臓腑」といっても,

「中国医学の基本的な概念の一つで,《素問》《霊枢》など,漢代の《黄帝内経》に由来するという書に記載され,その後これを中心にして発展した。臓と腑はもとは蔵と府と書かれていた。臓と腑も胸部と腹部の内臓であるが,臓は内部の充実した臓器で気を蔵し,腑は中空のもので摂取した水と穀物を処理したり,他の部位に輸送したり,体外に出したりするという区別がされている。」(『世界大百科事典』「臓腑説」)

とあり,「気」は,「腑」ではなく「臓」らしいのだが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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間抜け


「間抜け」は,

間(ま)の抜けたこと,
する事に抜かりがあること,またその人,
とんま,

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』は,さらに,

為る事の,程に外れるを罵る語,又,その程に外るるもの,

として,

しれもの,あはう,ばか,

と罵る言葉を並べる。

『日本語源広辞典』は,

「『マ(間・芝居や音楽での調子や拍子)+抜け』です。変な調子の意です。転じて,行動会話などで,他人との歩調が合わずテンポが狂ってしまう人を言います。ぼんやり,うすのろなどの意です。」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ma/manuke.html)も,

「まぬけの『間(ま)』は,時間的な感覚の間である。芝居や舞踏,漫才などで『間』は,音の動作や休止の時間的長短のことを言い,拍子やテンポの意味にも用いられる。『間が抜ける』ことは,『拍子抜けする』『調子が崩れる』ことであり,填補が悪ないことを意味した。転じて,行動に抜かりがある意味になり,さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。」

とする。それは,

拍子が合わない,
テンポが合わない,
間が合わない,

のであり,要は,

調子っぱずれ,

の意で,「間抜け」とは,微妙に違うのではないか。『岩波古語辞典』は,

「物事の間が抜けて馬鹿らしく見えること。またそういう言動をする人を罵って言う語」

とある。「間抜く」という言葉かあり,

間にある物を抜き取ること,
間引く,

という意味である。古くから使われ,

「(ママコ立ての遊びで,石を)またまた數ふれば,かれこれまぬきゆく程に,いづれものがれざるに似たり」(徒然草)

が引かれている。間引きが過ぎれば,スカスカになる。「間抜け」はこちらではないか。

「間」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E9%96%93%EF%BC%88%E3%81%BE%EF%BC%89)で触れたが,「間」は,「閨vの俗字とある。その意味は,

「門」と「月」。門の間から月の光が差し込んで「間」という意味を表したもの,

だとする。およそ,意味は,

@「あいだ」二者間の物理的,時的又は形而上のへだたりのこと。間一髪,間隔,空間,隙間。年間,期間,時間。
A人と人との関係。人間,世間,仲間。
B隙を探る。間者,間諜。

等々。用例から,細かく見ると,

@(あいだ,ま,かん,けん)二者間の物理的へだたり。隙間,間隔,間合,眉間
A(あいだ,ま,かん)二者間の時間的へだたり。この間,いつの間にか,間近い,時間,合間,間食
B(あいだ,ま)二者間の概念上のへだたり。間違い,間引く,間抜け 
C(ま)言葉のやり取りのタイミング。話す時に言葉を言わないでおく時間。間が悪い,間の取り方
D(ま,あいだ)人と人との関係。仲間,間柄,間に入る,間男
E(ま)部屋。板の間,居間,謁見の間,床の間
F(ま)めぐりあわせ,運,タイミング。間がいい,間が悪い,間に合う

等々。

どうも,鍵は,「間(ま)」の意味にある。ここからは勝手な妄想だが,合間と間合と隙間の違いを考えてみる。

合間,というのは,ニュートラルで,あいた「間」をさす。それが,主体的に意味を持てば,

間合,

になり,意味がなければ,

隙間,

になる。しかし,隙間は,

本来空いているべきでない,「間」が,空いていることだから,

隙,

にもなる。隙間は,あってはならないものだから,詰めるべきものだが,間合いは,その距離に意味があ。

間(ま),

を詰めれば,命取りにもなる。合間は,それを意識すると,意味ある,

距離,ないし空白,

となり,意識した側に,アドバンテージがある。だから,意識しなければ,

隙間,

に変わる。しかし,隙間は,間合いにはならない。本来空いていてはいけないというか,詰まっているべきものがあいているのたがら,

空穴来風,

という言葉があるそうだが,隙間があるから穴に風が入ってくる。その意味では,「間抜け」は,この意味ではあるまいか。

しかし,ほとんどが,「拍子外し」「間合いのずれ」に語原を求めている。 たとえば,

http://www.zatsugaku-trivia.com/gogen/%E3%80%8C%E9%96%93%E6%8A%9C%E3%81%91%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%AF%E3%80%81%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E3%81%A7%E9%96%93%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93.html

では,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211677342

は,

「『間』は、芝居や音楽での調子や拍子といった意味です。この間が抜けると芝居の雰囲気がくずれ、音楽も変な調子になってしまいます。そこから、動作や会話などにおいて他人と歩調が合わず、テンポの狂ってしまう人を、ぼんやり者、うすのろという意味で「間抜け」といいました。」

等々。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BE/%E9%96%93%E6%8A%9C%E3%81%91%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「間抜けとは、おろかで要領が悪いこと、また、そういう人をいう。『間』とは、物と物や音と音に挟まれた『抜けている』部分を意味し、『抜けているところ(間)』が『抜けて』いるとは、『抜けているところがさらに何かが抜けている』のか、『抜けているところがちゃんと抜けていない』のか、いまいちよくわからない言葉だが、要は『抜くべきところ(間)』の抜き方が悪くて、物と物や音と音の間隔がアンバランスになっていることをいうらしい。もっとも、語源についてあれこれ考えなくても、間抜けなやつというのはふたことみこと言葉をかわせばすぐ判別できる(自分が間抜けだったら、わからないかもしれないが)。」

と,ちょっと鋭い。「間」を抜くことと,「間」を外すこととは,違う。

因みに,

バカ = 知能の働きが鈍い性質
間抜け = 軽率に行動する性格
間抜けは、鈍いわけでもないのに何でも軽々しくやってしまう性格,

と区別しているものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12102787022)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ぼんくら


「ぼんくら」は,

盆暗,

と当てるらしいが,当て字の感じである。

ボンクラ,

とも表記する。「シカト」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%BC%E3%82%93%E3%81%8F%E3%82%89)で触れたが,「ボンクラ」は,

「漢字になおすと『盆暗』。盆は博打場のことであり、ここで目端が利かず負けてばかりの人間をさす言葉が一般語化しました。」

という。この説が大勢らしく,

「もと,ばくちの語で,采(さい)を伏せた盆の中に眼光が通らないで常に負けるという意」

とし,

ぼんやりしていて,ものがわかっていないさま,また,その人,

という意味とする(『広辞苑第5版』)。しかし,どんな人も盆の中が見えるはずはない。この博奕は,

「丁半では、偶数を丁(ちょう)、奇数を半(はん)と呼ぶ[1]。茶碗ほどの大きさの笊(ざる)であるツボ(ツボ皿)に入れて振られた二つのサイコロ(サイ)の出目の和が、丁(偶数)か、半(奇数)かを客が予想して賭ける」

丁半博打(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E5%8D%8A)である。

「2つのサイコロを区別して転がして目が出たとき「全体の」場合の数は36。「出た目の和が偶数の」場合の数、「出た目の和が奇数の」場合の数は、それぞれ18。丁(偶数)または半(奇数)の確率は1/2である。」(仝上)

眼光の問題ではあるまい。『笑える国語辞典』も,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BB/%E3%81%BC%E3%82%93%E3%81%8F%E3%82%89-%E7%9B%86%E6%9A%97%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

「ぼんくらは『盆暗』と書くように、サイコロ賭博などを行う場(=盆)において勝負の行方が読めない(=暗)ことをいったものである。しかし、サイコロ賭博などで勝負の行方は誰も読めないものであり、手数料収入により必ず儲かることになっている胴元以外、そこに集まっている連中はみんな『ぼんくら』といってもいいようなものである。」

としているほどである。しかし,大勢は,

「もと博打用語で、盆の上の勝負に暗い意」(『大辞林』),
「博奕の語。簺を伏せたる盆の中に,眼光とほらず,負目にのみ賭ける気の利かぬこと。またそのもの」(『大言海』),
「盆の上の目利きが暗いこと」(盆暗と蔵前を掛けて,「盆暗前」という言い方もあった)(『江戸語大辞典』)
「ぼんくらとは盆暗と書く賭博用語で、盆の中のサイコロを見通す能力に暗く、負けてばかりいる人のことをいった。ここから、ぼんやりして物事がわかっていないさま、間が抜けたさま、更にそういった人を罵る言葉として使われる。」
(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/30ho/bonkura.htm),
「『ぼん』は博打でサイコロを振りだすところ、『盆』のこと。盆に伏せた壺の中のサイコロの目が読めない意で『ぼんくら(盆暗)』」(『由来・語源辞典』http://yain.jp/i/%E3%81%BC%E3%82%93%E3%81%8F%E3%82%89),

等々とする。『日本語源広辞典』も,

「語源は『バクチの盆に暗い』です。常に負けるので,盆暗です。異説として『盆の頃に壁を塗った蔵(壁下地が腐りやすく長持ちしない)』ので,ボンクラだとする説がありますが,付会説でしょう。」

とするし,同じく,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ho/bonkura.html)も,

「ぼんくらは、盆の上での勝負に対する目利きが暗いことから、勝負によく負ける人を賭博 用語で『盆暗』と呼んだことが語源とされる。 別説では、お盆の暑い頃に蔵の土を塗ると 乾きが均等にならないため、お盆に造られた蔵を『盆蔵(ぼんくら)』と言いったことによるとする説もある。しかし、漢字『盆蔵』が使われた例が見られないことや、『蔵』は『くら』と読むにも関わらず、『暗』の字に転じた経緯が定かでなく、不自然なことから俗説と考えられる。また意気地なしのことを『ぼんくら』と言った例があるため、幼児を意味する『坊』が変化した『ぼん』に『盆』が当てられたとする説もある。」

と同趣旨である。しかし,「建築用語」(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2007/09/2_10.html)として,

「ダメな人とか頭の鈍い人のことを『ボンクラ』といいますが、この言葉を漢字で書くと『盆暗』とか『盆蔵』と書きます。『盆暗』と書く場合は、『盆』は賭博の盆ござのことで、盆の事に暗い。つまりサイコロの目の動きを読んだりする事が下手な人という意味に使われていたのが、頭のにぶい人を指す言葉となりました。『盆蔵』と書く説は、盆は八月のうら盆の盆で、蔵は土蔵をさします。土蔵造りは普通寒い季節にしますが、これを夏の暑いときにすると、土の表面ばかり乾燥して、平均して乾かないので、役に立たない土蔵になってしまいます。それで盆の頃造られた蔵、つまり『盆蔵』は駄目だということから、駄目な人の事を『盆蔵』と言います。」

と,別々に説明している。これをみると,はじめ「ぼんくら」という言葉があって,それに,それぞれの立場で,

盆暗,
盆蔵,

と当てただけなのではないか,と思えてくる。

『日本語源大辞典』は,

賭博用語で,盆の上での勝負に対する眼識が暗い意(大言海・ことばの事典=日置昌一・すらんぐ=暉峻康隆・上方語源辞典=前田勇),
賭博用語で,サイコロを振り,勝負を見極める胴親の補助役が,勝った方に渡すコマを間違えることで,盆の上での計算に暗い意(サイコロの周囲=加太こうじ),
ボンは小児の意の坊の訛(俚言集覧),

が載る。

「勝負を見極める胴親の補助役が,勝った方に渡すコマを間違えること」

ならば,賭場の内々の言い回しとしてよく分かる。丁半博奕は,

「盆蓙(ぼんござ、盆茣蓙とも)と呼ばれる、綿布団に四隅に鋲を差して固定した盆台(ぼんだい)の上に幅二尺(約60cm)長さ二間(約3.6m)の金巾などで作った盆切れを置き、その周囲に審判員兼進行係の中盆(なかぼん)、中盆に従ってサイコロを振るツボ振リ、あとは客が座り、後述のルールに沿って賭博の進行を行った。」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E5%8D%8A),

「客は勝負の前に、賭け金として使う現金を博徒が用意したコマ札に替え、勝負の間はこのコマ札で取引をした。コマ札の材質は木、竹、紙などさまざま」(仝上)

これだとよく分からないが,詳しくは,

「盆座を中心にして、『壺振り(つぼふり)』と『中盆(なかぼん)』が向かい合って座る。『張る』客の座も決まっていて、丁(偶数)を張る者が中盆の側に座り、半(奇数)を張る者は壺振りの側に座る。賭場の元締めとなる胴元(どうもと)はおらず、丁を張る者と半を張る者は、賭け金の総額が等しくなければならない。用意がととのうと、中盆が『壺』と号令をかけ、壺振りが賽子を壺笊(つぼざる)に入れて振り、場に伏せる。それから、参加者がそれぞれに賭ける。丁半が対等になると、中盆が『勝負』と言って、壺笊をあけ、勝負が決まる。テラ銭(寺銭)は、原則が4分で、『6』の目がそろう『ビリゾロ』のときは1割であるとか、数字がそろう『ゾロ』のときに取るとかの方法があった。」(https://imidas.jp/jidaigeki/detail/L-57-136-08-04-G252.html

となる。で,出目の判定をした「中盆」に従って,客のコマのやりとりがある。それを間違えた,と言うことである。 

しかし,

「盆暗」

「盆蔵」

と当て分けた,元は,億説だが,「盆」の「ぼん」は,

ぼんやり,

の「ぼん」だったのではないか。

「『ぼんくら』は『ぼんやり』よりもさらに『どうしようもないやつ』というニュアンス」

という(『擬音語・擬態語辞典』)。勝手な臆説を加えるなら,「くら」は,

暗,
闇,

と当てる「くら」ではないか。

ぼんやり+くらし(暗・闇)→ぼんくら,

と。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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いちかばちか


「いちかばちか」は,

一か八か,

と当てる。

運を天にまかせて冒険すること,

の意で,

運否天賦(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%86%E3%82%93%E3%81%B7%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%B7),
のるかそるか(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AE%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%9D%E3%82%8B%E3%81%8B),

と同義。それぞれすでに触れたことがある。

「運否天賦」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%86%E3%82%93%E3%81%B7%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%B7)で触れことと重なるが,「いちかばちか」には,

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/ichikabachika.html)の言うように,

「一か八かは博打用語で、『一』 は『丁』、『八』は『半』の各漢字の上部分をとったもので、丁半賭博などの勝負を意味していた(ここでの『丁』『半』は奇数・偶数ではなく、漢字のみをさす)。 『一か罰か』の意味 でサイコロの目が一が出て成功するか、外れて失敗するかといったサイコロ賭博説や,『一か八か釈迦十か』といったカルタバクチの用語説もある。」

と,

「(もとカルタ博奕から出た語)運を天にまかせて冒険すること」(『広辞苑第5版』),

の「カルタ博奕」説と,

「『一』は『丁』、『八』は『半』を意味し(丁・半の漢字の上部に一と八が書かれている(隠れている)ため)、丁か半か一挙に勝敗を決することをいった。」(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/02i/ichikabachika.htm),

の「丁半博奕(サイコロ賭博)」説の,二説がある。「サイコロ賭博」説には,異説に,

「一か罰(ばち)かなるべし。博徒より出たる語なると思はる。壺皿に伏せたる骰子(さいのめ)に,一が出るか,失敗(しくじ)るかの意と云ふなるべし。出たとこ勝負,出たら出たら目,などと意通ふ。」(『大言海』)

という「一か罰(ばち)か」の転訛説もある。

『日本語源広辞典』は,この二説をこう説明している。

「説1は『一か八か』です。三枚のカルタばくち,二枚で一と八でカブ(九)の時,三枚目は,釈迦の十が出るのは希である。そこでつぶやく言葉『一か八か釈迦十か』が語源とする説です。
 説2は,壺に伏せたサイコロばくちで,丁半の文字の上部が隠語,丁(一の意),半(八の意)が語源です。そこで,つぶやく『一か八か』『丁か半か』が,語源となったというのです。いずれもハチにはバチ(失敗)の意が掛けてあるのだそうである。」

これだと解りにくいが,「三枚のカルタばくち」というのは,『日本語源大辞典』によると,

「めくりカルタで一から十までの札四十枚を用い,順にめくって手札との三枚の札の合計の末尾の数字が九を最高点とするもの。」

とある。これを見る限り,「バチ(失敗)」かどうかは別として,サイコロではなく,カルタに軍配を挙げたくなる。

「『一か八か』…の表現を用いた過去の用例として、『一かばちか』と『ばち』のみを平仮名表記したものが見られます。『ばち』が『八』であるとの認識があれば、わざわざ平仮名表記が選ばれることに疑問が生じますし、また『八』の語頭が濁音化していることにも疑問が残ります。(中略)以上の点を考えあわせると、もともと『丁か半か』の意味で用いられていた『一か八か』が、『八』と『罰』との語呂合わせの末、『八』の語頭が濁音化したという推論も成り立のではないでしょうか。」(https://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/04/90.html

と,サイコロ説を採る意見もあるようにだが,サイコロ賭博には,

一六勝負,

という言葉があって,

サイコロで一が出るか六が出るか,

を賭ける。『大言海』には,

「博奕に,壺皿に伏せたる簺目(さいのめ)に,一が出るか,六が出るか,何れかに賭けて勝負を決すると云ふごなり」

とある。「一六勝負」という言葉があるのに,「一か八か」という言葉はないのではあるまいか。因みに,「一六勝負」とは,

「一と六は賽(さい)の目の裏表であるところから」(『デジタル大辞泉』)

さいころの目に一が出るか六が出るかをかけてする勝負,

である。

このサイコロ博奕の最高なのは,たぶん,

乾坤一擲,

という言葉だろう。「一六勝負」や「一か八か」は,

サイコロを投げて,天が出るか地が出るかを賭ける,

に比べると,ずいぶんしょぼい。

「『乾』は『天』、『坤』は『地』、『乾坤』で『天地』の意味。『一擲』はさいころを投げること。天地をかけて一回さいころを投げるという意味から、自分の運命をかけて、のるかそるかの勝負に出ることをいう。韓愈の詩『鴻溝を過ぐ』の『竜疲れ虎困じて川原に割ち、億万の蒼生、性命を存す。誰か君王に馬首を回らすを勧めて、真に一擲を成して乾坤を賭せん』から。」

とある(http://kotowaza-allguide.com/ke/kenkonitteki.html)。乾坤は,『易経』に,

「乾為天,坤為地」

とあるところから来た。因みに,韓愈の詩『過鴻溝』は,

龍疲虎困割川原
億万蒼生性命存
誰勧君王回馬首
真成一擲賭乾坤

で,漢楚の戦いを詠ったもの。

「丁半博奕の「丁」と「半」という漢字の上部を取った」説を採る『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%84/%E4%B8%80%E3%81%8B%E5%85%AB%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「『一か八か』は、人生の大勝負に臨む際に用いられる言葉であるが、丁半博奕を語源にしているとしたら、その勝率は50%であり、通常のギャンブルの中ではむしろ安全な賭けの部類に属する。そんな一発勝負で大きな利益が得られるなら、だれもが『一か八か』の賭けをしたくなるのは無理からぬところだが、勝率50%と考えているのは実は本人ばかりであり、客観的な勝率はよほど低い勝負に臨んでいるというのが『一か八か』の現実ではないかと思われる。」

とまとめている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ばくち


「ばくち」は,

博打,
博奕,

と当てる。『広辞苑第5版』には,

「バクウチの約」

とある。

「博打」を,

バクウチ,

と訓んでの約,と言うことである。「博奕」は,

バクエキ,

とも訓む。『日本語源広辞典』には,

「語源は,『博(双六,囲碁,ばくち)+打(勝負する)』で,バクウチの変化です。博奕とも書きますが,これは紀元前からの中国語で,娯楽の道具が本義」

とあり,中国語由来と知れる。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ha/bakuchi.html)は,

「博打は『ばくうち』と呼ばれていたものが変化し,『ばくち』になった。『博』は双六などサイコロを用いた遊びを意味し,金品を賭ける意味を含むことが多かった。『打』は古くから賭け事行うことを意味する『うつ』である。また『博奕』と書くのは中国語からで,『ばくえき』『ばくよう』とも読まれる。同じ意味を持つ『博戯(ばくぎ)』からの転とする説もあるが,このような音変化は他に例がないため定かな説ではない。」

とし,すべてが中国由来とはしていない。

「博」(ハク,バク)の字は,

「会意兼形声。甫は,圃の原字で,平らで,ひろい苗床。それに寸を加えた字(音フ,ハク)は,平らに広げること。博はそれを音符とし,十(集める)を添えた字で,多くのものが平らにひろがること・また拍(ハク うつ)や搏(ハク うつ)に当て,ずぼしにぴたりと打ち当てる意を表す」

で(『漢字源』),確かに,

ばくち,

の意があり,特に,

すごろく(局戯)又それを為す,

とある(『字源』)。

「打」(灯恩ダ,呉音チョウ。漢音テイ)の字は,

「会意兼形声。丁は,もと釘(クギ)の頭を示す口印であった。直角に打ち付ける意を含む。打は『手+音符丁』で,とんと打つ動作を表す。」

とあり(『漢字源』),まさに「打つ」という意味である。どうやら,「うつ」は,日本語で,

「碁・すごろくなどの遊戯を行う」

意らしい。「博」の意味を借りて,

博打ち,

といったものらしい。「博」に絡む字句は,

博奕(ハクエキ) 博は局戯(すごろく),奕は囲碁。転じて俗に,ばくち,賭博の義に用ふ,
博戯(ハクギ) すごろくあそび,
博局(ハクキョク) すごろく,囲碁などの盤。囲碁の類,
博劇(ハクゲキ) ばくちのたわむれ,
博徒(バクト) ばくちうち,

とある(『字源』)。どうやら「博徒」は中国語由来と見える。

「奕」(漢音エキ,呉音ヤク)の字は,

「会意兼形声。亦は,人の両わきをあらわす指事文字で,同じものがもう一つある意を含む。奕は『大+音符亦(エキ)』。

とある(『漢字源』)。「奕」は,

「俗に弈に通じて囲碁の義とす」

とある(『字源』)。「弈」(エキ,ヤク)は,「囲碁」の意である。「奕」は,囲碁を指す。

奕棊(エキキ),

という言葉があり,「碁を打つ」意である。どうやら,「碁」も,博奕まがいと見なされていたようになった気配である。

「日本の賭け事の発祥は、『日本書紀』に『天武天皇ノ一四年(685)、大安殿ニ御シ、王卿(おうけい)ヲシテ博戯セシム』とあり、文中の博戯が双六(すごろく)(盤双六)であったと考えられることを根拠に、7世紀の中ごろ、大陸から双六が伝えられたことに始まるとしている。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とあるので,

博は局戯(すごろく),奕は囲碁,

の意だから,双六と一緒に「博奕」という言葉,「博」の言葉の意味が伝わったのかもしれないが,賭け事自体は,独自にもっと古くからあったとみていい。それに「博奕」となづけ,「博打ち」と名づけたのは,それ以後のことだろう。それ以前,何と呼んでいたのかは分からない。なにせ文字がなかったのだから文字としては残っていない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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とばく


「とばく」は,

賭博,

と当てる。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/to/tobaku.html)は,

「賭博の『賭』には、『かけごと』『かけをする』などの意味がある。賭博の『博』は、双六などサイコロを用いた遊びを意味する。双六の類は金品を賭けて行われることが多いことから、『博』は『賭』と同様に『かけごと』や『ばくち』の意味がある。」

としかかかないが,『日本語源広辞典』は,

「中国語で,『賭(金銭をかける)+博(大いに得る)』が語源です。博奕でどっさり儲けるが語源です」

とする。「博奕(ばくえき)」が中国語であるように,どうやら中国語と関わるようである。

「ばくち」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%B0%E3%81%8F%E3%81%A1)で触れたように,

「博」(ハク,バク)の字は,

「会意兼形声。甫は,圃の原字で,平らで,ひろい苗床。それに寸を加えた字(音フ,ハク)は,平らに広げること。博はそれを音符とし,十(集める)を添えた字で,多くのものが平らにひろがること・また拍(ハク うつ)や搏(ハク うつ)に当て,ずぼしにぴたりと打ち当てる意を表す」

で(『漢字源』),確かに,

ばくち,

の意があり,特に,

すごろく(局戯)又それを為す,

とある(『字源』)。「賭」(漢音ト,呉音ツ)の字は,

「会意兼形声。『貝(財貨)+音符者(集中する,つぎこむ)』」

で,

賭ける,

意,つまり,

金品を出して,勝った者がそれを得る約束で勝負を争う,

意であり,それが転じて,

いちかばちかやってみる,

意になった(『漢字源』)。

賭戯(トギ,賭け事の遊び),
賭賽(トサイ,ばくち),
賭場(トジョウ,ばくち場),
賭坊(トボウ,ばくち場),

という語句があり,「賭場」も,中国由来だが,

とば,

と訓ませる。

「賭博」は,

「起源は有史以前にさかのぼる。日本では賭け事の偶然性のゆえに,古くは生産を占う年占の一つとしてその方法が利用された。祭礼のときなどに行う綱引きや相撲などの勝負事と相通じるものであった。福引などはもちろん,さいころやかるた,花札などを,金銭や物品を賭けて遊ぶことも,正月や祭礼のときには全国的に普通に行われていた。」

とあり(『ブリタニカ国際大百科事典』),

「《古事記》に秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびおとこ)と春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)が伊豆志袁登売(いずしおとめ)をめぐり妻争いをし,衣服をぬぎ山河の産物を備えて,かけごとを行ったとある。遊戯としての賭博の初見は,685年(天武14)9月に天武天皇が大安殿に御して王卿らを呼び行わせた博戯で,御衣,袴,獣皮などを下賜した。」

とある(『世界大百科事典 第2版』)。暴論かもしれないが,

盟神探湯(くかだち、くがたち),

と呼ばれた,

「探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。」

という神明裁判も,一六勝負に似ている。

うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓などと書く。

うけいの一種,

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9F%E7%A5%9E%E6%8E%A2%E6%B9%AF)。「うけい」とは,

宇気比,誓約,祈,誓,

等々と書く。

「ある事柄(例えば「スサノオに邪心があるかどうか」)について、『そうならばこうなる、そうでないならば、こうなる』とあらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断する。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%84)。いわば,

言と事,

が同源とされるように,言った(誓った)ことが起きる(成否)という前提で成り立つ。いわば,「卜(占)い」も,

賭け,

に似ている。「うらなう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%86)で触れたように,

「ウラ(心,神の心)+ナウ(事をなす)」(『日本語源広辞典』)

であり,

「占いや占うの『占(うら)』は、『心(うら)』である。『心(うら)』は『表に出さない裏の心』『外面に現れない内心』の意味」(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/u/uranai.html

を推しはかることになる。因みに,「占」の字は,

「『卜(うらなう)+口』。この口は,くちではなく,あるものある場所を示す記号。卜(うらない)によって,ひとつの物や場所を選び決めること」

「卜」の字は,

「亀の甲を焼いてうらなった際,その表面に生じた割れ目の形を描いたもの。ぼくっと急に割れる意を含む。」

で,「亀卜(きぼく)」の,

「中国古代,殷の時代に行われた占い。亀の腹甲や獣の骨を火にあぶり,その裂け目(いわゆる亀裂)によって,軍事,祭祀,狩猟といった国家の大事を占った。その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞,すなわち甲骨文字であり,卜という文字もその裂け目の象形である。亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが,次の周代になると,筮(ぜい)(易占)に取って代わられ,しだいに衰えていった。」(『世界大百科事典 第2版』)

ということらしい。やはり,賭けに似ている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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とんま


「とんま」は,

頓馬,

と当てるが,当て字である。

のろま,
まぬけ,

の意である(『広辞苑第5版』)。

『大言海』には,

「のろまの転。のろし,とろし。のける,どけるの類」

とある。「のろま」は,

鈍間,
野呂松,

と当てるが,

野呂松人形の略(「のろまは可咲(おかしき)演劇(きょうげん)より発(おこ)る」(文化十一年・古今百馬鹿)),

転じて,

緑青を吹いた銅杓子(かなじゃくし)の形容(「銅杓子かしてのろまにして返し」(明和二年・柳多留)),

さらに,野呂松人形の意味より転じて,

愚鈍なもの,あほう,まぬけ,

さらに,遊里語として,

野暮,

という意味が転じる(『江戸語大辞典』)らしい。このことは,項を改めるとして,しかし『江戸語大辞典』は,「とんま」を,

「飛間(とびま)の撥音便か」

とする。

『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%BE)は,

「鈍い、まぬけなさまをいう形容動詞『とん(頓)』の語幹に、状態を表す接尾語の『ま』がついた語。」

という。「頓」(トン)の字は,「ぬかずく」という意味だが,


「会意兼形声。屯(トン・チュン)は,草の芽がでようとして,ずっしりと地中に根を張るさま。頓は『頁(あたま)+音符屯』で,ずしんと重い頭を地に付けること」

で,

ずしんと頭を地につけてお辞儀をする(「頓首」),
ずしんと腰を下ろす(「困頓(疲れて止まり,動きが取れない)」),
どんと重みをかける(「頓足」),
腰を落ち着ける(「一頓」),

と,「まぬけ」につながる意味はない。「鈍」(呉音ドン,漢音トン)は,「にぶい」意だが,

「会意兼形声。屯(トン・チュン)は,草の生気がこもり,芽をふことするさま。鈍は『金+音符屯』で,金属のかどがずっしりと重く,ふくれてとがっていないこと」

で,

刃物の切れ味が悪い(「鈍刀」),
ずっしりしていて,動作がおそい,のろま(「遅鈍」),

等々,むしろ言うなら,「鈍(トン)間」ではないか。『日本語源広辞典』は,

「ノロマの当て字の『鈍間』を読み誤ったものの変化」

としている。これならわかる。

『日本語源大辞典』には,

ノロマの転訛説(『大言海』),
トビマ(飛間)の撥音説(『江戸語大辞典』),

以外に,

トンは,トンキョウ・トンテキ(頓的・頓敵)・トンチキなどのトンと同じか(語源辞典・形容動詞篇=吉田金彦),

がある。似たものに,「とんちんかん」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93)で触れた,

「トント(とんと)+マ(のろま)」

というのもある。

「とんちき」は,

「擬人名『頓吉(とんきち)』の転」

とある。『日本語源大辞典』は,

頓痴気の義(大言海),
擬人名「とん吉」のキチを逆倒した語(江戸語大辞典),
トン(頓)テキ(的)の変化か(暮らしのことば語源辞典),

と載る。どうも,『江戸語大辞典』の説明が正確である。

「擬人名語『とん吉』のキチを逆倒した語。こん吉をこんちきという類」

とした上で,

@とんま,まぬけ。芝居隠語から出て明和初頃から流行語となる。
A深川の岡場所語。きざな半可通や野暮な客を罵って言う語。他の岡場所にも広がったが,ついに,@(の意味)と混交するに至る。
Bとんだ,

という意味の流れをませる。どうも,「とんま」の「とん」の嘲る意味が先にあって,その「とん」を揶揄して,

とん吉,

と擬人化し,

とんちき,

となったように思える。

とんてき,

も同様に,「とんま」を前提にしている。こう考えてくると,億説だが,

鈍間(とんま)→とんま→頓間,

という流れが妥当に思える。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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のろけ


「のろけ」は,

惚気,

と当てる。当て字である。「のろま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%AE%E3%82%8D%E3%81%BEで触れたように,

「『のろい』は江戸時代,異性に甘いという意味もあり,『のろける』はそこから来た語」

とあり,(『擬音語・擬態語辞典』),

「女性に甘い男性を『のろ作』『のろ助』と言った」

ともある。「のろ助」「のろ作」も,もともとは「のろい」意味である。いずれも「のろい人」の擬人化だが,「のろ作」には,

手ぬるい人,遅鈍・愚鈍な人,
女に甘い男,

の意味が載る。用例に,

「又野呂作どのもいいきになって,亭主気取りのしょち振りが」(慶応元年・毬唄三人娘)

とあり,その原注に,

「女にのろいと云ふ事なるべし」

とある(『江戸語大辞典』)。どう見ても,「甘い」というより,「野暮」か「鈍感」の意味に近い。「のろ助」の用例は,

「コレへ女郎のうそなき,そらぎやう,そんな手でいくのろ助だと思ふか」(寛政十一年・猫謝羅子)

とある。「甘い」というよりは,騙されやすい,鈍感さの方が意味として合う。ということは,本来,

手ぬるい人,遅鈍・愚鈍な人,

が,女性に対しても,どこか,

鈍い,あるいは鈍感さ,

を指していたはずが,意味がいい方へとシフトしたということではないか。

『江戸語大辞典』の「惚気」の項に,

相手に対してのろくなっている,
惚れている,

という意味が載る。「相手に対してのろくなっている」は,

鈍い,

という意味で,それが,

相手(異性)に甘い,

という意味へとシフトし,さらに,

惚気る,

ところまで転じた,ということだろう。

『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E3%81%AE%E3%82%8D%E3%81%91)に,「のろけ」の語源を,

「『のろける』の『のろ』は、形容詞『鈍(のろ)い』の『のろ』と同じ。『のろい』はもともと遅いという意だったが、近世になって、にぶいという意味も生じた。さらに、異性に甘いという意味も生じ、この意味だけを表す動詞『のろける』が生じた。」

とするのも同趣旨だ。つまりは,

行動ののろさ,

という状態表現が,

遅鈍・愚鈍,

という価値表現へと転じ,その貶める価値表現から,

甘い,

という意味にシフトし,さらに「惚気話をする」といった意味に転じたことになる。しかし,

自分の恋や恋人とのことを得意になった話をする,

ということ自体,どこか鈍さ,がある。「惚気」「惚気話」に,翳のように揶揄のニュアンスがつきまとうのは,そのせいかもしれない。

「のろい」に,今日,

異性に甘い,
色情に溺れやすい,

という意味はないので,「のろけ」の形でのみ残ったことになる。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%AE/%E6%83%9A%E6%B0%97%E3%82%8B-%E3%81%AE%E3%82%8D%E3%81%91%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,その辺りの機微をうまく言い当てている。

「惚気る(のろける)とは、男女の仲のよさを得意になって話す行為を意味し、聞かされている人々にとっては(仲がよいといっているその相手が、とんでもない浮気な遊び人だと、本人以外みんなが知っているといった状況ででもないかぎり)おもしろくもなんともない迷惑行為をいう。そのような惚気話(のろけばなし)を長々と聞かされそうになった場合、私たちはマナーとして『ごちそうさま』と食事の後の挨拶を返すが、これは『もうおなかいっぱいで食べられません』転じて『そんなまずい料理はもういらない』という意味の断り文句として使用されるのである。
惚気るの『のろ』は、スピードが遅いという意味の『鈍(のろ)い』の『のろ』と同じ語幹であり、『惚気』は『動きがのろくなった精神』を意味する。つまり、恋愛に夢中になって周囲のしらっとした空気が読めないほど、頭の回転が鈍くなっている状態をいい、そんな鈍い精神状態から言葉を発するのが『惚気る』である。」

『日本語源広辞典』の,

「ノロ(鈍)+け(気)」

と分解したものが,よくその含意を表している。ただ,「のろける」の語源には,

「トロケル(蕩)と同義」(上方語源辞典=前田勇),

もある。しかし,これでは「のろけ」のもつ陰翳がなさすぎる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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カメ


「カメ」は,

亀(龜),

と当てる「かめ」である。「亀」(キ)の字は,

「象形。かめを描いたもので,外からまるく囲う意を含み,甲羅で体全体を囲ったかめ」

である。

『大言海』には,

「穀體(カイミ)の略轉か(稲も,飯根(イヒネ)の略なるべし)」

とする。『日本語源広辞典』は,

「『カ(堅)+メ(目)』です。堅い甲。甲羅の堅い動物」

とする。『日本語の語源』は,

「イカメシキ(偉めしき)甲羅は,その省略形がカメ(龜)になった」

とする。「亀」の語源は,どうもはっきりしない。『日本語源大辞典』には,『大言海』の「殻体」説以外に,

カラミホネ(殻身骨)の義(日本語原学=林甕臣),
コミ(甲体)の転(言元梯),
甲で身を堅めているところから,カタメの略(本朝辞源=宇田甘冥),
ものに恐れて頭,手足を引っ込めるところから,カガム(屈)の転語(和句解・柴門和語類集),
神と義通い,カガマルという義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
命が長い意のカメ(遐命)から(和語私臆鈔),
上代,亀は神霊であり,神獣とされたところから,カミの転(東雅・円珠庵雑記・燕石雑志・名言通・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄),

等々を載せる。存外,

カミの転,

が正しいのではないか。かつて,

「殷王朝においては祭事や戦争、農耕や天気予報などに至るまで、穴をあけた亀甲や獣骨に火をあてることで生じた割れ目によって吉兆が占われた。『卜』『兆』などの文字はこの際に生じた割れ目の形状に由来すると考えられている。亀甲獣骨文字を刻んだ甲羅が今日まで残されている。」(仝上)

日本では,

「固有の卜占は,太占 (ふとまに) と呼ばれ,鹿の肩骨を焼いて占った」

が,

「中国から亀甲による卜法が輸入されると,朝廷ではこれを採用した。亀卜は神祇官が司り,20人の卜部が担当。亀甲は,紀伊,阿波,土佐,志摩の各国の産物によった。卜法は,亀の甲にあらかじめ一定の線を描き,焼き現れる縦横の文 (もん) によって吉凶を占い,これにより,祀るべき神,祭の日時,場所などを決めた。」

とある(『百科事典マイペディア』)。

亀は,吉兆・縁起物で,

「日本では『鶴は千年 亀は万年』と言われ、鶴とともに亀は長寿の象徴、夫婦円満の象徴とされる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1)。

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かめ


「かめ」は,

甕,
瓶,

と当てる。「甕」(漢音オウ,呉音ウ)は,

「会意兼形声。雍のもとの字は,癰(ヨウ)の疒を除いた部分と同じで,外枠で囲んで鳥を守ることを表す。のち雍(ヨウ)という形になった。甕は『瓦(土器)+音符雍』で,中に避けや水をとじこめるかめ」

で(『漢字源』),「かめ」を意味し,「瓶」(唐音ビン,漢音ヘイ,呉音ビョウ)は,

「会意兼形声。幷は『人二人+=印二つ』の会意文字で,二つ合わせて並べることを示す。瓶は『瓦(土器)+音符幷(ヘイ)』。もと二つ並べて上下させる緯度のつるべ,のち水を汲む器や,液体を入れる小口の容器をさすようになった」

とあり(仝上),口の小さいつぼ,とっくり型の容器,を意味する。「ガラス製のビン」の意や「鉄瓶(てつびん)」という用例は,我が国だけのものらしい。

「かめ」は,

「カ(瓮)メ(瓶)の複合語。メはベの転」(『岩波古語辞典』),
「甕(か)と瓮(へ)と合したる語ならむ」(『大言海』)

とある。「へ」を見ると,

瓮,

の字を当て,「瓶(かめ)」としつつ,

名義抄「甕・瓮,ヘ」

を引き,

「朝鮮語pyöng(瓶)と同源か」

とする(『岩波古語辞典』)。

「酒や水を入れたり,花を挿したりなどする底の深い容器」

である。「甕」「瓶」をあてて,

みか,

とも訓ませるが,これは,

「ミは接頭語。カは(瓮)は容器類」(『岩波古語辞典』)
「『み』は接頭語あるいは水の意か。『か』は飲食物を盛る器の意」(『デジタル大辞泉』)

で,

「大きなかめ。水や酒を貯えたり,酒を醸したりするのに使った」(『岩波古語辞典』)
「昔、主に酒を醸造するのに用いた大きなかめ。」(『デジタル大辞泉』)

と,「かめ」と「みか」は区別されているが,もとは「か(瓮)」である。「瓮」は,

もたひ(い),

とも訓ませ,「水や酒を入れる噐」であり,

和名抄「甕,毛太非(もたひ)」

とするので,「甕」と「瓮」が使い分けられているようでもない。「瓮」(漢音オウ,呉音ウ)の字は,

「形声。『瓦(土器)+音符公』で,甕(オウ)と全く同じ。擁(ヨウ 抱え込む,いれこむ)と同系で,中に液体を入れ込む大かめ。」

とあるので,「甕」と「瓮」は,大きなかめということになる。別に「甕」は,

たしらか,

とも訓ませ,「水を入れる土製素焼きのうつわ。大嘗会(だいじょうえ)のときなどに天皇の手水(ちょうず)の水を入れる」とある(『デジタル大辞泉』)。特殊な用途のものと見ていい。

「甕は古くはその用途・大きさによって、ユカ、ミカ、ホトギとよばれたが、ユカ(由加)は祭事に用い、ミカ(瓺)は主として酒を醸すために用いられ、これらはいずれも大甕が使用された。一方、ホトギ(缶)は小さな瓦器(がき)で、湯水などを入れるのに用いられた。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

とあり,

「古くカメとよばれた(和名抄)のは,ふくらんだ胴,あるいは丈高の胴のうえでいったんすぼまってから口にいたる形の〈瓶〉であって,むしろ壺に含まれる形の液体容器である。酒をいれて人に供するための瓶子(へいし)もその一種であり,現在の瓶(びん)が古称のカメの実体を伝えている。古くは,ミカ(記紀),モタヒ(和名抄),ユカ,サラケなどとよばれていた液体容器(おもに酒の)が,〈甕〉と表記されカメとよばれるようになったのは,中世以降のことである。」(『世界大百科事典 第2版』)

とあるので,「みか」の「み」は接頭語とすると,「か(瓮)」が,「かめ」の古形と言うことになる,とすると,『日本語源広辞典』の,

説1 「カム(醸)の変化」。つまり醸造路の容器,醸造用壺,
説2 「カ(ケ・笥)+メ(水)」。液体容器。ミカは「ミ(水)+カ(容器)」で,「水の容器」,

とするが,説1は,捨てるほかない。『大言海』は,「甕・瓮(か)」は,

「笥(け)と通ず」

とし,「へ(瓮)」は,

「隔つる意(水火)の間に」

とする。『日本語源大辞典』は,「みか」「もたひ」「かめ」それぞれの語源説を列挙している。

「みか」については,

ミは発語。カは甕の義(大言海),
カはケ(笥)の転(箋注和名抄),
ミケ(水笥)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
ミカ(水瓶)の義(言元梯・名言通・大言海),
ミは深の義。カはヤク(焼)の意(東雅),
ミは大の義。カはカメの略(和訓栞),

と挙げる。カは瓶では同義反復である。「け(笥)」は,『岩波古語辞典』には,

「古形カ(瓮)の転」

とある。ものを盛り,又入れる器の意である。『大言海』は,

「籠(コ)と通ずるか,食ふと云ふ語も此器より移れるなり。」

とし,「餼子(けご)」と関わるとする。「餼子」は「食籠(けご)の義」とあるので,「笥」と同じである。

どうも,「笥(か→ケ)」と「瓮(ヘ→カ)」とは,通じる気がする。『日本語の語源』のような,

「底深く内広くつくった大型の陶器をイカメシキ(厳めしき)陶器(すえもの)といい,その省略形がカメ(瓶・甕)になった。また,イカメシキ(偉めしき)陶器は,カメシの部分がメシの縮約でカミになったが,『神』との混同をさけてミカ(甕)に転意された。酒をかもす大型のカメをいう。」

という,ミカ→カメの流れも面白いが,大小を区別して使っていたことを考えると,少し首を傾げざるを得ない。

「もたい」(瓮・甕・吹jは,『日本語源大辞典』は,

盛湛瓮(もりたたへ)の略轉(大言海),
モタは持つ意。ヒは器の義(東雅)
持堪るの義か(俚言集覧・和訓栞),
モチアヒ(持合)の義(名言通),
モツヒ(持椀)の義(名言通),
モタタヘ(水湛)の義(言元梯),
マロカタヘイ(円高瓶)の反(名語記),

とある。どうも,「瓶子(へいし)」のイメージである。「酒を盛る噐」である。

そして,「かめ」であるが,「かめ」が,

「カ(瓮)メ(瓶)の複合語。メはベの転」(『岩波古語辞典』),
「甕(か)と瓮(へ)と合したる語ならむ」(『大言海』)

であるとすると,「カ(瓮)」が,

笥,

なら,「ヘ→メ」と転訛した「へ(瓮)」の意味を明確にする必要がある。同義に近い「かめ」と「カ(瓮)」と「メ(瓶)」を合成することで指し示す何かがあったからなのではないか。

『日本語源大辞典』は,

ケ(笥)と通じるカ(甕)と,水と陽の間を隔てる意のへ(瓮)との結合語か(大言海),
カ(瓮)メ(瓶)の複合。メはベの転(岩波古語辞典),

以外に,

カはケ(笥),メはミ(身)の転か(日本古語大辞典=松岡静雄),
カは,ミカ(瓺)のカ,メは器をいう語(東雅),
カミベ(醸瓶)の約転(類聚名義抄・和訓集説),
サカヘ(酒瓮)の約転(言元梯),
酒をカモス(醸)器であるところから(日本釈名・俚言集覧・名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
気の抜けないように堅めるものであるところから,カタメ(堅め)の略(本朝辞源=宇田甘冥),
形が亀に似るところから(和句解・円珠庵雑記),

等々を載せる。どうやら「酒」に特定していたのではないかと思わせるが,しかし,

「古くは,ミカ(記紀),モタヒ(和名抄),ユカ,サラケなどとよばれていた液体容器(おもに酒の)が,〈甕〉と表記されカメとよばれるようになったのは,中世以降」(仝上)

なのだが,

「甕は水・酒・酢・しょうゆ・油など液体飲料物の貯蔵・製造用具として使用されたが、塩・梅干し・漬物などの保存・加工用具のほか、藍(あい)汁・肥(こえ)だめの容器、また遺骸(いがい)を納める棺としても用いられた。しかし、鎌倉末期から室町時代にかけて桶結(おけゆい)技術が発達し、酒・油など液体の運搬・貯蔵に便利な桶・樽(たる)が出現するに及んで、重量が重く、かつ破損しやすい在来の甕・壺の類にとってかわ」(仝上)

られるともある。つまり,「酒」に限定するようになるに連れて,「かめ」は「樽」にとってかわられる。その僅かな間,大型の「甕」に「かめ」と名づけたように思える。あるいは,醸す意の「カム(醸)」と掛けたのかもしれない。

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かめのぞき


「かめのぞき」は,

瓶覗,

と当てて,

「藍瓶に,ちょっと浸したる意」

として,

「藍色の極めて淡きもの」

と,『大言海』には載る。略して,

のぞき

とも,

覗色,

とも,

白殺し(しろころし),
藍白(あいじろ),

とも言うらしい。恥ずかしながら,知らなかったので,ちょっと調べてみた。『広辞苑第5版』には載らない。『江戸語大辞典』には,

「藍甕をちょっと覗いただけの意。手拭いをこれに染める」

とある。

色見本は,
https://www.color-sample.com/colors/165/
http://moineau.fc2web.com/color/blue1.html

等々にあるように,薄い水色という感じである。

瓶覗き(かめのぞき)とは、

「白に近いごく薄い藍色。英語色名のペールアクア(ごくごく薄い水色)に近い。藍色系統に属するが殆ど色味が無いため、オフホワイト(日本語の染色用語なら「白殺し」)に属すると考える場合も有る。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%B6%E8%A6%97%E3%81%8D)。

藍色系統の中でも,

留紺>黒紺>紺(勝色)>藍>花色>浅葱>水浅葱>瓶覗き,

ともっとも薄い色で、

「染色の際も藍瓶に漬けてすぐに引き上げてしまう」

ことから「瓶覗き」と呼ばれる(仝上)。どうやら「覗く」を,

サッと浸す,

という意味で使ったものらしい。僕は,とっさに,

甕に張った水に映った空の色,

と思ったが,

「水瓶に映りこんだ青空の色を表現したので瓶覗きと呼ぶという説もあるが、江戸時代、瓶覗きと空色はどちらも同時期使われており、染色指南などを見るに空色のほうが濃い色で派生の色も数多く存在する。」

とある(仝上)ので別らしい。

空色というのは見当たらなかったが,似た色が一杯。日本は色の種類が世界一とか。

「藍染めは藍甕に糸や布を浸し、これを絞って大気中で酸化させ、これを何度も繰り返しながら徐々に濃い藍色をつくってゆくのだそうです。しかし染色業がまだ専業化する以前は、藍甕の中を一度くぐらせただけの淡い藍色の染め物がほとんどだったと言われます。
このように一度だけ藍甕をくぐらせただけの染め物を一入染(ひとしおぞめ)というそうですが、何度も何度も甕をくぐって次第に濃くしてゆく普通の藍染めからすると、一入染で現れる淡い藍色は、

ちょっと甕を覗いただけの色

ということでこの名が付いたのだと言う説があります。」

とあり(http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlko/200704180.htm),やはり,

「大きな甕に張られた水を覗き込むと、うっすらと青みがかった色に見える」

から甕覗だとする説もあるようである。で,

「海が急に深くなって、それが水の色がそこだけ藍色に見えるような場所を『甕』と呼ぶことが有ります。深い水は藍色に見えるから、水の色は藍色で、甕に入る程の少量の水だと薄い薄い藍色に見えると考えた」

と付言している(仝上)。この方が,言葉の奥行がある気がするが,「藍四十八色」と言われるほどのバリエーションがあるらしく,藍染めは染める回数によって濃淡が生まれるそうで,淡い藍は色相が緑みに傾き、濃い藍は紫みに傾く。「瓶覗」は藍染めのなかでも最も初期の段階の染め色で、やや緑がかった淡い藍色。藍瓶を覗いた程度にちょっと染めた,というのが江戸の語感にはふさわしいのかもしれない(https://toyokeizai.net/articles/-/159722)。

「ほんの少し染まって白い布が白でなくなるため、「白殺し」とも言われていました。」

とある(https://colornavi.net/52/h7.html)語感と合うのかもしれない。

「藍甕の中に布を一回潜らせただけ、すなわち、布は藍甕の中をちょっと覗いただけで出てきてしまったから染まり方も薄いという」

説の方が,

「甕(かめ)に張られた水に空の色が映ったような淡い色合」

という説よりは,江戸の語感が,個人的にはする(https://colornavi.net/52/h7.html)。

なお「藍」という色も,

「藍は世界最古の染料といわれ、日本でも古くから用いられてきた。『延喜式』では藍と黄蘗(きはだ)を用いた染色が藍色で、やや明るい緑みの青の色名であったが、その後は濃い色を表すようになった。」

とある(『色名がわかる辞典』)。少し色が違うようだ。

参考文献;
https://www.pinterest.jp/
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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のぞく


「のぞく」は,

覗く,
覘く,
臨く,

と当てる。恐らくは,「のぞく」の持つ多義性を,漢字で当て分けたのだ,と思われる。

「覗」(シ)の字は,

「会意兼形声。司(シ)の上部は人の変形であり,その下の口印は,穴。細かい穴からのぞくことを示す会意文字。覗は『見+音符司』で,狭い穴を通して内部をみようとすること」

で,

うかがう,
隙間からのぞいてみる,
転じて,
のぞいて様子を見る,

の意となる。「覘」(テン)は,

「会意兼形声。『見+音符占(せん・テン じっととどまる)』」

で,

うかがう,
目標から視線を動かさないで,じっと見る,
転じて,
じっと様子を見る,

意となる。「臨」(リン)の字は,

「会意。臣は,下に伏せて俯いた目を描いた象形文字。臨は『臣(臥せ目)+人+いろいろな品』で,人が高い所から下方の者を見下ろすことを示す」

で,

高い所から下を見る,
面と向かう,
のぞむ,

という意味になる(以上『漢字源』)。どうやら,視点が,

透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨),

と転じていく感じである。和語の「のぞく」も,

間を隔てる生涯をとりのけてみる,隙間から見る,

わずかに一部分だけ見る,

高い所から見下ろす,

という意味の流れである(以上『広辞苑第5版』)。

『岩波古語辞典』は,「のぞむ」を,

「ノゾミ(望)と同根か」

とする。い位置の視点を,横の距離に置き換えれば,

高い所から見下ろす,

はるか遠くまでみる,

と転じても,転換としてはわかる。

透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨)→遠望(臨・望),

という視点の移動だろうか。『大言海』は,「のぞく」を,

覘く・覗く,

臨く,

と分けているが,「のぞく(覘く・覗く)」は,

臨(のぞ)くようにして見る,

意図し,「のぞく(臨)」を,

「伸(の)すに通ず」

とし,

「のぞむ(臨)」を,

「伸(の)し見る」

とする。「視線を伸ばす」という意味だろうか。

『日本語源広辞典』は,「のぞく(覗く)」は,

「ノゾ(臨み)+ク(動詞化)」

で,「都合の良い所に臨んで見る」意,とし,「のぞむ(臨む)」は,

「ノゾ(あるものに対す)+ム(動詞化)」

とし,「距離を置いて対す」意とする。しかし,この意味は,

「《漢字『臨』をノゾムと訓読したことから》向かう,直面する」

意が生まれたとする(『岩波古語辞典』)ところから見ると,前後が逆ではあるまいか。

『日本語源大辞典』の「のぞく(覗く・覘く・臨く)」をみると,

ノゾム(望)の義(言元梯),
ノゾム(望)と同根(小学館古語大辞典),
ノゾミミル(臨睨)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ノはノゾム(望),クはクラキの義(和句解),
ノゾミオク(望)の義(国語本義),

と,ほぼ「望む」と関わり,逆に「のぞむ(望む・臨む)」を見ると,

ノゾク(覗)と同根か(岩波古語辞典),
ノゾム(望・臨)はノゾク(覗・覘)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏),
ノゾキソムの義(和句解),
ノビソルメ(伸反目)の義(名言通),
ノビススム(伸進)の義(言元梯),
ノソミ(伸見)の転(和語私臆鈔),
ノシミル(伸見)の義(国語の語根とその分類=大島正健),

と,「覗く」と関わる。和語「のぞく」は,節穴から,遠くを望むまで,多義的であった。それこそ,

伸す,

と関わったのかもしれない。それを漢字で当て分けることで,

透見(覗)→目視(覘)→俯瞰(臨)→遠望(臨・望),

と,区別ができた。近くを覗くことも,遠くを「臨む」ことも,区別がつかない言葉「のぞく」が,漢字という言葉て,見える世界の違いを知った。まさに,ヴィトゲンシュタインの,

持っている言葉によって見える世界が違う,

のである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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うららか


「うららか」は,

麗らか,

と当てる。春の季語である。

空が晴れて,日影の明るく穏やかな日にいう,

という意味で,日和を指すが,それをメタファに,意味が転じて,

声の明るく朗らかなさま,
心の爽やかなさま,

と広がる(『広辞苑第5版』)。その他に,

蒸気,煙,霞,雲などがのどかにたちのぼる,またのどかに揺らめく様子,
穏やかに,快い音が響き渡ったりも良い香りが立ちのぼる様子,
態度や行動などがのどかな様子,

等々,「春の光のようにのんびりとおだやかな」感じをメタファにさらに広がっている(『擬音語・擬態語辞典』)。

「うららか」は,

春うらら,

とも言うので,「うらら」ともつながる。『岩波古語辞典』は,

「ウラウラと同根。明るく柔らかい日ざしがあふれ,晴れやかに静かなさま。類義語ノドカは,眠たげにゆっくりと落ち着いたさま」

とあり,「うらうら」と同根なのは,

うらら,
うらやか,

もそうである。『日本語源広辞典』は,「うららか」を,

「ウラウラ(擬態語)+らか」

とする。「うらうら」は,『万葉集』の,大伴家持の歌に,

「うらうらに 照れる春日に ひばりあがり 心悲しも ひとりし思へば」

と詠まれる程古い擬態語で,

「『うらうら』『うららか』『うらら』の語根『うら』は春の光ののどかな様子を意味する。

『大言海』は,「うららか」に,

天麗,

とあて,

「うるはし(麗)と通ず」

としている。

「麗しき」とつなげている。しかし「麗し」は,「美し」とも当て,少し語感が違う。「麗し」と当てた「麗」に引きずられたのだろうか。「うるわし」の項で触れたように,

「うるはし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%82%8B%E3%82%8F%E3%81%97)は,

「奈良時代に,相手を立派だ,端麗だと賞讃する気持から発して,平安時代以後の和文脈では。きちんと整っている,礼儀正しいという意味を濃く保っていた語。漢文訓読体では,『美』『彩』『綺麗』『婉』などの傍訓に使われ,多く仏などの端麗・華麗な美しさをいう。平安女流文学では,ウツクシ(親子・夫婦の情愛をいい,対象を可愛く思う気持)とは異なる意味を表した。今日のウルワシは漢文訓読体での意味の流れをひいている。」(『岩波古語辞典』)

で,「うつくし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%86%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%84)は,

「親が子を,また,夫婦が互いに,かわいく思い,情愛をそそぐ心持をいうのが,最も古い意味。平安時代には,小さいものをかわいいと眺める気持ちへと移り,梅の花などのように小さくてかわいく,美であるものの形容。中世に入って,美しい・奇麗だの意に転じ,中世末から近世にかけて,さっぱりとしてこだわりを残さない意も表した。類義語ウルハシは端正で立派であると相手を賞美する気持。イツクシは神威が霊妙に働き,犯しがたい威厳のある意。ただし,中世以降,ウツクシミはイツクシミと混同した。平安時代,かわいいの意のラウタシがあるが,これは相手をいたわりかわいがってやりたい意」(『岩波古語辞典』)

であり,結果として,「うつくし」が,相手への感情表現から,相手の価値表現へシフトし,「うるわし」が,相手の状態表現から,相手の価値表現へとシフトし,価値表現そのものへと転換したということになる。「うるわし」と「うららか」とは語の用法も異なると思う。

ちなみに,「麗」(漢音レイ,呉音ライ)の字は,

「象形。麗は,鹿の角がきれいに二本並んだ姿を描いたもの。連なる,並ぶなどの意味を表す」

で,「うるわし」は,まさに「麗」の字なのである。

『日本語源大辞典』も,やはり,

ウララはウラウラの約(東雅・万葉考),

とする。他に,

ウラ(面)ラカの義(名語記),

もあるようだが,「うらうら」の転訛でいいのだろう。では,その擬態語「うらうら」はどこから来たか。擬態語なので,説明のしようはないのかもしれないが,『日本語源大辞典』は,

ヨワラヨワラ(弱々)の義(万葉考・和訓栞),
ユラユラ(寛々)の転(言元梯),
ウルハシ(美)のウルと同根(国語本義),
ウラはヤヲラ(弱)の意(万葉考),

と,「弱い」と絡めるが,「弱々しい」は,「うらうら」とは語感が隔絶している。「うらうら」は,古代,ウラウラとしか言いようがなかった,ということなのだろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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うかつ


「うかつ」は,

迂闊,

と当てる。

回り遠くて,実情にあてはまらない,
注意の足りない,うっかりしている,
大まかで,気の大きいこと,

と,「回り遠い」ことが,「気の大きい」ことまで意味が転化している。「気の大きい」意味は,「日葡辞典」に載るらしいので,室町末期にはその意味で使われていたらしい。

「迂」(ウ)の字は,

「会意兼形声。『辶(すすむ,足がなめらかにしてとどまらず)+音符于(つかえて曲がる)』」

で(『字源』『漢字源』),

遠回り,事情から遠ざかるる,

という意味だが,

まわりくどい,
物事にうとくて実際的ではない,

という意味もある。「迂」の字を使った例で言うと,『論語』子路編の,

子路曰。衛君待子而爲政。子將奚先。子曰。必也正名乎。子路曰。有是哉。子之迂也。奚其正。子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。名不正。則言不順。言不順。則事不成。事不成。則禮樂不興。禮樂不興。則刑罰不中。刑罰不中。則民無所錯手足。故君子名之必可言也。言之必可行也。君子於其言。無所苟而已矣。

子路曰く、是有あるかな、子の迂なるや,

と,子路が孔子を「迂遠」と批判したところにみられる。それに対して,

子曰く、野なるかな由や。君子は其の知らざる所に於いて、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざれば、則ち言順(した)わず。言順わざれば、事成ならず。事成らざれば、則ち礼楽興(お)こらず。礼楽興こらざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中ざれば、則ち民手足を錯(お)く所無し。故に君子之に名づくれば、必ず言うべきなり。之を言えば必ず行なうべきなり。君子は其の言に於いて、苟(いやし)くもする所無なきのみ。

と答える。因みに,

蓋闕如(かつけつじょ)たり,

は,知らないことを黙って言わないありよう,

を指す。このとき「迂」は,

迂遠,

の意味である。「闊」(漢音カツ,呉音カチ)の字は,

「会意兼形声。活は,水が勢いよく流れること。ゆとりがあってつかえない意を含む。濶は『門+音符活』。寛(ゆとりがある)の語尾が縮まった形」

とあり(『漢字源』),

はるか,間が広くあいているさま,
ゆるい,

といった意味で,

「濶は,疏也,遠也,廣也,両方に限りありて,その間の幅広き意」

とある。無限の広がりではないようである。

『日本語源広辞典』は,

「中国語の『迂(曲がりくねって遠い)+闊(遠回し)』が語源です。事情に遠い。日本語では,注意が足りず,うっかりする意につかいます。」

とある。本来の,

回り遠い,

という意味から,

うっかり,

の意に使われるようにになったのは,なぜだろう。「迂闊」と似た,

迂遠,

は,あくまで,

道が曲がりくねって遠い,
直接役に立たない,実際的でない,

というという意味で使われ,それは「迂闊」の原義と重なる。

「遠」(漢音エン,呉音オン)の字は,

「会意兼形声。『辶(すすむ)+音符袁(エン 間があいてゆとりがある)』」

で(『漢字源』),

遠い,
距離・時間の隔たりが大きい,

意で,あえて言えば,「濶」より「遠」の方が距りは大きいはずだか,「迂遠」は「遠回り」の意のまま,「迂闊」は「うっかり」へと意味がシフトしていたのは,「うかつ」の語感のせいではなかろうか。

『笑える国語辞典』(https://www.waraerujd.com/blank-777)は,その辺りを,

「迂闊(うかつ)とは、不注意なさまを言う。『原稿用紙一枚分抜けていたとは、うかつでした』(そんな事件が昔ありました)のように、本人は『うっかりミス』程度の軽い気持ちでのほほんとしているが、実際はおおごとで会社はてんやわんやの大騒ぎになっているといった状況で使われることが多い。『迂』は『迂回』のように、遠回りすること、道などが曲がりくねっていることなどの意味、『闊』はだだっ広いこと、距離が遠いこと、大ざっぱなことなどの意味。中国語で『迂闊』は、現実離れしている、まわりくどいという意味だが、日本では、『うっかり』『うかうか』といった言葉に引かれて、頭の中が現実離れしていたり、まわりくどい人物の行動様式について言われるようになったのであろう。」

と,「うかうか」「うっかり」とつなげている。「うかうか」は,動詞「浮かれる」と語幹を共有しているので,「うっかり」というより,「浮ついている」という感じで,言葉の由来を異にするが,

うかと,

という使い方もし,「うかつ」という言葉の響きが重なるのが原因なのかもしれない。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ずぼら


「ずぼら」は,

すべきことをせず,だらしないこと,
無精なこと,

とある(『広辞苑第5版』)。

すべら,

とも言うらしい。『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/13su/zubora.htm)に,あるように,江戸時代から使われている言葉らしい。

『大言海』には,「ずぼら」は,

放恣,

と当てて,

「大阪の堂島言葉に,するすると下がる相場を,ズボラということより起こると云ふ」

と載る。

やりはなし,なげやり,ずぼら,

の意と載る。

ずべら(放恣),

も載り,

締りの無きこと,すぼら,

と載る。さらに,

ずべらぼう(放恣坊),

と擬人化した言葉も載る。『日本語源大辞典』には,『大言海』の堂島の相場由来説以外に,

ズベラの訛(上方語源辞典=前田勇),
僧侶の不祥事件が相次いだために世間で坊主を罵った語ズボウの訛か(ことばの事典=日置昌一),

が載るが,「ズボウ」は,『江戸語大辞典』に,

「ぼうず(坊主)を戯れに転倒して言う語」

とあり,

「くそをくらへ,コノずぼうめが」(文化七年・江之島土産)

と,用例にもあるので,罵り言葉には違いないが,「ずぼう」は「ずほう」であって,「ずぼら」ではない。むしろ,『岩波古語辞典』にある,

ずぼろ,

との関連の方が興味深い。「ずぼろ」は,

頭髪を丸坊主に剃ること,

で,

ずぼろぼ,
ずぼろぼん,
ずんぼろぼう,

等々とも言う。となると,

ズベラの訛,

するすると下がる相場,

かということになる。『日本語源広辞典』は,

「『ズベラ・ズンベラボウ(しまりがない)』です。市場用語で相場がずるずると下がる意です」

とするが,逆ではないか。「ズベラ」という言い方があったから,堂島相場で,「ずるずると下がる」意で使ったのが通じるのではないか。

「もとは、でこぼこや出っ張りがなくて、のっぺりしていることを『ずべらぼう』といい、それが転じて、だらしがないことを意味するようになった。それを略した『ずべら』が音変化したものといわれている。」

としている(http://yain.jp/i/%E3%81%9A%E3%81%BC%E3%82%89)のが始めと見ていい。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/su/zubora.html)は,

「ずぼらは、近世の上方の方言で『ずんべらぼん』『ずんぼらぼん』『ずんぼらぼん』など、凸凹(でこぼこ)や突き出した部分がなく、『つるつるなさま』『のっぺりとしたさま』を表した言葉が語源。これらの言葉は、大坂堂島で米相場がずるずる下がることを言っため生まれた言葉といわれる。また、『ぼら』という語は、方言で『体が大きい割に気が利かない』や『馬鹿者』の意味で使う地方も多く、『ずぼ』を『大きい体』や『噓』の意味で用いる地域もあり、上方方言の『すぼら』や『ずんべらぼん』などは、これらの言葉と同源と考えられる。
 江戸末期には、修行を怠けたり酒に溺れる坊主が目立つようになったため、そのような坊主を庶民は嘲笑って『ぼうず』を『ずぼう』と逆に讀み、『ずぼう』が『ずぼら』に変化したという説もあるが、有力な説とされていない。」

とする。「坊主」の堕落は江戸時代に始まったものでもあるまい。

「ズボラの語源は、つるつるなさまを意味する『ずんべらぼん』や『ずんぼらぼん』という京都や大阪の方言だとされています。」(https://imikaisetu.goldencelebration168.com/archives/1836

が妥当なのではあるまいか。

なお『江戸語大辞典』には,

すべらかす(滑らかす),

という語が載る。

曖昧な言い方をする,

という意味である。この「すべら」は「滑らかす」ではあるが,「すべら」と関係している気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ズベ公


「ズベ公」は,

不良少女,
素行の悪い少女を罵っていう語,

の意であるが

「すべた」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%9F)の項,で触れたように,

すべた→すべ→ズベ公,

の転訛とする説がある。しかし,「ズベ公」は,

「ずべ」は「ずべら」の略,

とある(『デジタル大辞泉』)。しかも,「ズベ公」は,

すべ,

ともいう。むしろこの説の方が多い。たとえば,

「『ズベ』は『ズボラ』と同じ意味の『ズベラ』から由来しており、『公』は先生に対して『先公』と呼ぶのと同じく相手を馬鹿にする時に使う接尾語である。 主に不良少女を罵る時に使われる言葉であり、第二次世界大戦後から使われるようになった。」

とある(https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%BA%E3%83%99%E5%85%AC)し,あるいは,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/su/zubekou.html)も,

「ズベ公の『ズベ』は、『ずぼら』と同じ意味の『ずべら』の下略。『公』は、先生を『先公』、警察を『ポリ公』などと呼ぶのと同様で、相手をやや軽んじて言う接尾語である。第二次 世界大戦後、巷には不良少女が目立つようになり、素行の悪い少女を罵っていう言葉として流行した。カードのスペードが悪い札とされていたことから、スペードが転じたとする説もあるが、『すべら』が『ずぼら』と同意語でありながら,『すぼら』の語源がスペードと関係ないため,この説は誤りと考えられる。」

とする。ただ,「ずべら」が「すぼら」と同意語であることと,語源が同じという意味ではないので,「スペード」説を退けるこの説明は,為にする説明にしか思えない。「すぼら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462695588.html?1542053162)で触れたように,

「ズボラの語源は、つるつるなさまを意味する『ずんべらぼん』や『ずんぼらぼん』という京都や大阪の方言だとされています。」(https://imikaisetu.goldencelebration168.com/archives/1836

で,「ずべら」は,ただ滑るという状態表現でしかない。それが価値表現へと転じて,

締りのない,

意へと変り,それを表すことばとして,

すぼら,

と変化した。この意味の変化から考えると,「ずべら」の意味が,

しまりのない,
すぼら,

の意味になってから,

ずべ,

といい,

ズベ公,

となったとしても,「ずべら」の意味と,「ズベ公」の意味には少し隔たりがある。

むしろ,「すべた」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462711764.html?1542140630)の項で触れた,「すべた」の意味,

女性を罵る,

の方が,語感として近くはあるまいか。

つまらない,
取るに足りない,

という含意だったのが,外面の,

良し悪し,

に転じて,

エスパーダ→素札(すふだ)→すべた,

ときて,

エスパーダ→素札(すふだ)→すべた→ずべ→ズベ公,

の意味の流れのの方がしっくりくる。『日本語源広辞典』も,

説1 「ズベ(ずぼらな)+公(ののしる語)」。だらしない不良少女,
説2 「スペード(トランプのかす札)」からきた,スベタ(醜い女),

と,「すべた」説を挙げている。『日本語源大辞典』も同様で,

ズベラ,ズボラに通じる新潟方言の罵言ズベを擬人化したもの(すらんぐ=暉峻康隆),
ズベは,ポルトガル語espada(つまり英語のスペード)の略で零点札を意味するトランプ用語スベタから(猫も杓子も=楳垣実),

と,「すべた」説を挙げる。

エスパーダ→素札(すふだ)→すべた→ずべ→ズベ公,

の転訛でいいようである。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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すべて


「すべて」は,

全て,
総て,
凡て,
渾て,
都て,
統て,

等々と当てる。

ことごとく,
皆,
全部,

という意味だが,

「ス(総)ブの連用形に助詞テの付いたもの」

とある(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』には,

「スベ(統)テの意」

とあり,『日本語源広辞典』にも,

「統ベルの連用形+て」

とある。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/su/subete.html)は,

「多くの物をひとつにまとめる意味の動詞『統べる(すべる)・統ぶ(すぶ)』の連用形に、 接続助詞の『て』が付いた語。 古くは、『一般的にいって』『総じて』の意味や、下に 打ち消しの語を伴って『全然』『まったく』も意味した。 」

とある。それにしても,同じ意味を,当て分けている漢字にはどんな意味の差があるのか(『字源』)。

「渾」は,ひとまとめに打ち混じて分たぬ義。杜詩(「春望」)「渾欲不勝簪(渾簪勝えざらんと欲す)」
「凡」は,皆也。およそとも訓む。総体を計へていふ詞。総に近し。
「総」は,総体をいふ。聚束也と註す。もと絲を組合すぎより出づ,多くの物を一つにすべ合わせる義。別の字に対す。列子の「居人民之上,総一國之事」の総を転用して助辞とす。
「都」は,寄せ合わせる義,総也,聚也と註す。残らずあつむるをいふ。
「統」の字は,これとは同列に比較されていない。「統」(トウ)の字は,

「会意兼形声。充(ジュウ)は,子供が充実してそだつこと,全体に行き渡る意を含む。統の字は『糸+充』で,糸すじが端から全体へとゆきわたること」

の意で,全体につながる絲のすじ,治める,という意である。ある意味で,「総」の字と比較すると意味の違いがよかる(総もすべる意を持つ)。

「総(總)」(漢音ソウ,呉音ス)の字は,

「会意兼形声。窗(まど)の下部は,もと空気抜きのまどを描いた象形文字で,窓の原字。へやの空気が一本にまとまり,縦に抜け出ること。総の右側の字(悤 ソウ)は,それに心を加えたもので,多くの用事を一手にまとめて忙しいこと。總はそれを音符とし,糸を加えた字で,多くの糸をひとつにまとめて締めたふさ。一手にまとめる意となる。」

とあり(『漢字源』),「たばねる」意である。「すべ」るとしてまとめれば同じだか,「束ねる」のと,全体の筋を通す意とは,ずいぶん違う。統治を束ねる意とするすか,意図を貫徹するか,その違いは大きい。

「渾」(漢音コン,呉音ゴン)は,

「会意兼形声。軍は『勹(とりかこむ)+車』の会意文字で,戦車を円陣を生すように並べてまるくまとめること。郡や群と同系で,全体がまとまっている意を含む。渾は『水+音符軍』で,全体がまるくまとまり,溶けあっていること。混ときわめて近い」

とあり(『漢字源』),「にごる」「分化せずにひとつにとけあっている」という意である。

「都」(漢音ト,呉音ツ)の字は,

「会意兼形声。者(シャ)はこんろの上で柴をもやすさまで,火力を集中すること。煮(シャ)の原字。都は『邑(まち)+音符者』で,人々が集中する大きなまち」

であり(『漢字源』),あつまる,意である。

「凡」(漢音ボン,呉音ハン)の字は,

「象形。広い面積をもって全体をおおう板。または布を描いたもの」

で,おしなべる,意である。

それぞれの微妙な意味の差は「すべて」と括られる。日本語の曖昧さ,いい加減さをよく顕している。

では,「すべる」(すぶ)は,何処から来たか。

『日本語源広辞典』は,

「ス(総・統)+ブ(語尾)の下一段化」です。スバル,スボマルなどと同根です。」

とする。これだとよく分からないが,『大言海』は,「すぶ(統・総)」の項で,

すぶ(窄)の転,

とある。つまり,「すぼ(窄)む」を見ると,

「末含(すえほほ)むの意かといふ」

とある。「窄む」とは,すぼめて閉じ込める意である。そして,この「窄める」は,

壺の語を活用させた語,

とある(『岩波古語辞典』)。これは,「壺」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A4%E3%81%BC)の項で触れたように,「壺」自体が,

窪み,

に準えて言っており,,

坪,

とも当てた。どうやら,「すべる」は,我が国では,くぼみに押し込める含意がある。我が国の為政者は,なべてこういう「統べ」方をしてきたようだ。

因みに,「スバル」も,

「統ばる」(『日本語源広辞典』),

であり,「統べる」と関わる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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滑ったの転んだの


「滑ったの転んだの」は,

つまらない事をあれこれとやかましく騒ぎ立てる喩え,

で,

滑ったは転んだは,

とも言う。

どうでもいいことを言いたてる,

意である。しかしなぜ,

滑ったの転んだの,

がそういう意で用いられるかは定かではない。既に,『江戸語大辞典』にも,

辷ったの転んだの,

で載り,

ヤレどうしたこうしたと,つまらぬことを口やかましく,小うるさく言う形容,

とあり,

何のかの,

とも載る。つまり,当人にとっては何ごとか意味があることも,聞かされる側は,

滑った転んだ,

と同程度にどうでもいいこと,と言うことになる。

近所でどうしたこうした,

という噂話もそれかもしれない。江戸時代の用例だと,

「中々仇を討つのすべつたのころんだの,どうめいつたこうめいつたのと云様なった元気はなし」(寛政五年・年寄之冷水曽我)

「ヤレすべつたは転んだはと,其度に錢のいる事ばかりさ」(文化三年・酩酊気質)

「茶屋だの女郎屋だの,すべつたは転んだはと,内外の物入りが強くなる」(浮世風呂)

等々,どうやらも今日の,

「滑ったの転んだのと言い訳ばかりしている」(『デジタル大辞泉』)
「 すべったのころんだのとうるさいやつだ」

使いようからみると,口やかましく言い募るというよりは,

四の五の言う,

に近い感じである。「四の五の言う」は,口先だけで,あれこれ言う意で,

四の五の言わずにすぐやれ,

といった使い方をする。「四の五の」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/407591636.html)で触れたように,「四の五の」は,江戸末期の『俚言集攬』に載っているらしく,賭博用語で「一か八か」の対語として生まれた言葉で,サイコロの四と五の目の形が似ていたことから丁・半のどちらか選ぶか迷っているさま,あるいは,「四だの五だのと文句を言う」を意味した。ここから転じ,一般にも広く普及したが,いまではヤクザ映画や時代劇などで聞かれる程度になっている。

しかし,このほかに,

「一も二もなく」という「即座に」のという意味から,一や二どころか,四や五までぶつぶつ言うところから来ているという説,

四書五経(『論語』『大学』『中庸』『孟子』と『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)に由来し,「四書だの五経だのと理屈ばかりこねる」という意味,

等々もあるらしい。どちらにしても,意味は,

ああでもないこでもない,
ああだこうだ,

と言う意味に近い。滑ったり,転んだり,とい日常些事に振り回されているという意味では,この言い方は,なかなか含意が深いのかもしれない。

「滑る」は,『大言海』は,

「ヌメルの轉」

と(『日本語源広辞典』も同説)するが,その自動詞「すべす」の隣に,

すべすべ(滑滑),

が載る。

物の,滑る状に云ふ語,

とある。「ぬめる」よりは,擬態語,

すべすべ,

から来たのではあるまいか。『擬音語・擬態語辞典』は,「すべすべ」の項で,

「『すべる』の『すべ』と同源か」

としている。

「転ぶ」は,『大言海』は,

「轉(コロ)を活用させた語」

とする。「轉(ころ)」は,

「輾々(ころころ)の轉(墳(うぐ)も,うごもつ,軽々(かろがろ),かろがろ)。コロコロと轉ぶ,ころばす。ころがる,となる」

としている。『日本語源広辞典』も,

コロコロの擬態語,コロ+ぶ(動詞化),

とする。「すべる」も,「ころぶ」も,共に擬態語から来ている。状態表現としては,「滑ったの転んだの」とは,なかなか的確な言葉を選択したのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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こう


「戀」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E6%88%80

でも触れたが,

「戀」(レン)の字は,

「会意兼形声。戀の上の部分(䜌 レン)は,『絲+言(ことばでけじめをつける)』からなり,もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられないこと。乱(もつれる)と同系統の言葉。戀はそれを音符とし,心を加えた字で,心がさまざまに乱れて思いわび,思い切りが付かないこと」

とあり(『漢字源』)。

「乱・巒(きりなく連なって続く山々)などととも同系統」

という。因みに「乱(亂)」(呉音・漢音ラン,唐音ロン)は,

「会意。左の部分は,糸を上と下から手でひっぱるさま。右の部分は,乙印で抑えるの意を示す。あわせて,もつれた糸を両手であしらうさまを示す。もつれ,もつれに手を加えるなどのいをあらわす。さめるの意味は後者の転義にすぎない。」

とある(仝上)。別の出典(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%8B)では,

「『戀』は、『心』+音符『䜌』、『䜌』は、『絲』+『言』でもつれた糸を分ける(『言』は『辛(大型の針状の刃物)』+『口』であり刃物で切り分けることが原義)ことで、音は『乱』に通ずる。人を恋したい心が乱れること。説文解字には掲載がない。」

とある。どちらも,糸と乱れと関わる。

こいしい,断ち切れずに心が引かれる,いつまでも慕わしく心が乱れる,

という意味で,必ずしも男女のそれを指さず,

留戀,
戀桟(職をほしがって執着する),
戀恩(めぐみに心が引かれるさま),

といった用例もある。

その「恋」を当てた,「こう(ふ)」は,『岩波古語辞典』に,

「あるひとりの異性に気持ちも身も引かれる意。『君に戀ひ』のように助詞ニをけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が『戀』を『異性を求める』ことではなく,『異性に惹かれる』受け身のことと見ていたことを示す。平安時代からは『人を戀ふとて』『戀をし戀ひば』のように助詞ヲを受けるのが一般。心の中で相手を求める点に意味の中心が移っていったために,語法も変わったものと思われる。」

とあるように,

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(壬生忠見『拾遺集』)

忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛『拾遺集』)

と,その意味にシフトはあるものの,専ら男女のそれの意で使われる。『大言海』は,

「乞うに通ず。他の意中を求むる意」

とするが,『岩波古語辞典』は,

「『戀ひ』と『乞ひ』とを同源と見る説は,戀ヒはkop ïの音,乞ひはk öf ïの音で別音だったので成り立たない」

とし,『日本語源大辞典』も,

「『乞う』と関連づける説は,『恋う』の『こ』が上代甲類音,『乞う』の『こ』が乙類音であるところから,誤り」

とするのが,現在の説と見られる(なお,この上代特殊仮名遣いについては,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3に詳しい)。その意味で,

「コフの原義は対者の魂を自分の方へ招致しようとすることで,この呪術ヲタマゴヒ(招魂法)といい,男女間の恋愛呪術の名にもっぱら使われるようになり,さらにその動機となる恋愛心情をコヒというようになった」

とする折口信夫(『抒情詩の展開』)も,

「コヒモトムル(乞求)の義」(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
「コヒ(乞),またはコヒ(心火)の義(言元梯),

も,魅力的なところはあるが,斥けざるを得ない。

しかし,『日本語源広辞典』は,二説挙げ,

説1 「コウ(乞ふ,恋フ)の連用形コヒ」で「恋い求める」意とする「大言海」説を通説とする,
説2 古代の仮名遣いから,来+合う,来+逢うのコヒで,古代から乞ふととは別語とする吉田金彦説,

として,「乞う」を通説とするのは,如何なものであろうか。

さらに,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/koi.html)の,

「恋の動詞表現は、現代では『恋する』が一般的であるが、古くは『恋ふ(こふ・こう)』で、『恋ふ』の名詞形が『恋』である。『恋ふ』は、人に対して物を与えてくれるよう求めたり、何 かをしてくれるよう願う意味の『乞う(こう)』と同根で、古くは、異性に限らず、花・鳥・季節など、目の前にない対象を慕う気持ちを表した。萬葉集では『恋』を表すのに『孤悲』を当てた例が多くみられる。やがて『恋』は目の前にない対象が異性に限られるようになり、『会いたい』『独り占めしたい』『一緒になりたい』といった、男女の恋愛感情を表す言葉となった」

とあるのも,「乞う」,

「神仏・主君・親・夫などに対して,人・臣下・子・妻などが祈り,または願って何かを求める意。『恋ひ』とは語源が別」(『岩波古語辞典』),

の意と,「祈・祷(こ)う」の,

「神に冥助を請ふ意より移る」(『大言海』),

と共に,誰か,何かに求める意を前提にしている。しかし,仮名遣いから「乞う」説は根本的に否定されているので,この変化の道筋は想像ということになる。ただ,「乞う」系でない語源説は,

心コリて来ヨと思フから(本朝辞源=宇田甘冥),
コは細微の義。小に止まるの義で,一人に止まってその人の為に細かい思いの進むをコフという(国語本義),
コトホス(言欲)の反(名語記),
コノミホシ(好欲)の義(名言通),
コは心,ヒはヤマヒ(病)の義か(和句解),
「媾」の字音koにハ行音の語尾を添えたもの(日本語原学=与謝野寛),

等々あるが,前述の,

「萬葉集では『恋』を表すのに『孤悲』を当てた例」(『語源由来辞典』)

という心の悲しみがどこにも捉えられていない。音韻上無理と解っていても,「乞う」に求めたくなる気持ちはわかるが,

「『君に戀ひ』のように助詞ニをけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が『戀』を『異性を求める』ことではなく,『異性に惹かれる』受け身のことと見ていたことを示す。」(『岩波古語辞典』)

の「恋ふ」に「孤悲」と当てた,受け身の悲哀は「乞う」にはない。語感から見ても,「乞う」はないと思う。結局結論はないが,「孤悲」と当てた万葉人の心に焦点を当てた説でなくては納得できまい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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したう


「したう」は,

慕う,

と当てる。『広辞苑第5版』には,

(恋しく思い,また離れがたく思って)後を追って行く。
会いたく思う,恋しく思う,なつかしく思う,
理想的な状態・人物などに対してそのようになりたいと願い望む,

という意味が載る。『デジタル大辞泉』には,

目上の人の人格・識見などにひかれる,憧れる,

という意味も載る。「恋う」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%93%E3%81%86)の項で触れたように,『岩波古語辞典』は,「恋ふ」「したふ」「おもふ」「すき」「このむ」を区別している。「恋う(ふ)」は,

「ある,ひとりの異性に気持ちも身も引かれる意。『君に戀ひ』のように助詞ニをうけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が『戀』を『異性を求める』ことではなく,『異性に惹かれる』受け身のことと見ていたことを示す。平安時代からは『人を戀ふとて』『戀をし戀ひば』のように助詞ヲを受けるのが一般。心の中で相手を求める点に意味の中心が移っていったために,語法も変わったものと思われる。」

「慕う(ふ)」は,

「シタ(下)オヒ(追)の約か。人に隠した心の中で,ある人・ある物を追う意」

とある。この説でいけば,「したう」の原義は,

追う,

という状態表現にあり,それに価値表現が加味されて,

惹かれる,
とか
恋しい,
とか
願い望む,

意に転じたことになる。「思う(ふ)」は,

「胸のうちに。心配・恨み・執念・望み・恋・予想などを抱いて,おもてに出さず,じっとたくわえて意が原義。ウラミが心の中で恨む意から,恨み言を外に言う意をもつに至るように,情念を表す語は,単に心中に抱くだけでなく,それを外部に形で示す意を表すようになることが多いが,オモヒも,転義として心の中の感情が顔つきに表れる意を示すことがある。オモヒが内に蔵する点に中心を持つに対して,類義語ココロは外に向かって働く原動力を常に持っている点に相違がある。」

であり,「好く」は,

「気に入ったものに向かって,ひたすら心が走る。恋に走る」

というように,外へ行動として顕れる,と見ることができるが,「恋う」「慕う」「思う」と同じく,語源的には,

「心を寄せる」

という意らしい(『日本語源広辞典』)ので,心の中の志向性を示す。「数奇」と当てると,

「茶の湯などを好むこと」

に代表される意になるが,「数奇」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%95%B0%E5%AF%84)で触れたように,

「ある事柄に心を寄せる」(『日葡辞典』)

であり,傍から見ると,そののめり込みが,

「好きだなあ」

と,感じさせる意味だと考えていい。「好(この)む」は,

「性分に合うものを選び取って味わう意。類義語スキ(好)は,気に入ってそれに引かれ,前後の見境もなく,気持ち・行動がそれへ走っていく意」

とあり,

恋う→慕う→思う→好む→好き,

と,行動に顕現していく順位と見ることができる。今日だと,「慕う」の方が,「恋う」より心の中に秘める度が高そうに見えるが,原義的には,「恋う」は受け身であった。その含意があると,「好む」についての,

「戀祈(こひの)むの義,望こと切なる意」(『大言海』),
「コヒ+ノム(請+祈,恋+祈,乞+望)」(『日本語源広辞典』),

とする説明が活きる。

「慕う」の語源は,『岩波古語辞典』と同様に,『日本語源広辞典』も,

「『下+フ(継続・反復)』が語源です。上の地位にある人の下に,身を置き続ける気持ちです。子が親を,弟子が師をシタフ,のように使います。恋の場合は,男女にかかわらず,相手を上に置き,自分を下に置き続ける気持ちです。」

としている。『岩波古語辞典』との違いは,「人に隠した気持ち」にある。これが鍵なのではないか。しかし,『日本語源大辞典』の諸説も,

従フの意か(和訓栞),
シナフの意(名言通),
シタフリ(息渡通)の下略(柴門和語類集),
シトフ(後所触)の義(言元梯),
シタはシタ(下)の義から出たもので,従う義(国語の語根とその分類=大島正健),
下にカフの義か(和句解),
シは身に預からしめる義,タは平に心を治める義。シタに顕れ進むことをいうシタアフの略(国語本義),
シタシ(親)の転(和語私臆鈔),

等々,「シタオフ(下追)の約」(岩波古語辞典)説のように,「下」に置くニュアンスが多い。しかし,下に置くのだろうか。それは後世,師を慕う,というような意味に転じた後のことではないのか。

「関心・愛着を持って後を追う」

が原義に近いが,「追う」のは心の中であって,行動としてではない。僕は,

あこが(憧)れ,

に近いのではないか,と思う。もとの,「あくがる」は,『岩波古語辞典』は,

「所または事を意味する古語アクとカレ(離)との複合語。心身が何かにひかれて,もともと居るべき所を離れてさまよう意。後には,対象にひかれる心持を強調するようになり,現在のアコガレに転じる。」

であるが,転じた「あこがれ」の意と,「慕う」とは重なる。

「追う」のは心の中,

なのである。その意味では,

下ふ,

の「下」は,「下」の意味の中にある(『岩波古語辞典』),

隠れて見えないところ,

の意の,

物陰,
心の中,

の意なのではないか(『岩波古語辞典』)。「フ」は,接尾語「ヒ」であり,「ヒ」は,

「四段活用の動詞を作り,反復・継続の意を表す。例えば,『散り』『呼び』といえば普通一回だけ散り,呼ぶ意を表すが,『散らひ』『呼ばひ』といえば,何回も繰り返して散り,呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は,四段活用の動詞アヒ(合)で,これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの。」

で,その意味で『日本語源広辞典』の,

「下+フ(継続・反復)」

説と重なる。ただし,下にあるという心の位置ではなく,心の中に密かに持ち続ける意ではないかと思う。

因みに,「慕」(漢音ボ,呉音モ)の字は,

「会意兼形声。莫(マク,バク)は,草むらに日が没して見えなくなるさま。ない意味を含む。慕は『心+音符莫』で,身近にないモノを得たいと求める心のこと」

である。まさに心の中の動きである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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おもう


「おもう」は,

思う,
想う,
憶う,
念う,
惟う,
慮う,
懐う,
意う,
顧う,

等々と当てる。主観的な意味を,漢字を当てにして当て分けるというのは日本語表記のよくある様だが,漢字では,厳密に意味を分けている。漢字では,

「思」は,思案するなり。慎思,再思の如し。又したひおもふ義。思慕と用ふ。相思とは互いに戀ふるなり。
「憶」は,思ひ出すなり。憶昔,憶得の如し。
「懐」は,ふところ,いだくとも訓む。心にとめて思ふなり。胸懐,懐抱と連用する。論語「君子懐刑,小人懐恵」。
「意」は,こころばせと訳す。おもはくをつける義。志之發也と註す。かくならんかと疑ふ意を帯ぶ。
「念」は,思字より軽し。いつも念頭にかけて忘れぬなり,又読書を念書ともいふ。口に唱ふる義。念仏,念願とも連用する。
「想」は,心に従ひ,相に従ふ。形相を心にうつし思ふなり。想像と連用する似て知るべし。
「惟」は,只一筋に思ふ義。伏惟,恭惟など,発端に用ふる助辞なり。
「顧」は,心に顧み思ふ義。史記「顧力行何如耳」。
「慮」は,おもんぱかる義。よくよく考える,思いめぐらす。深慮,神慮,短慮,慮外。

等々といった微妙な使い分けをする(『字源』)が,和語は「おもふ(う)」である。

「したう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%86)で触れたように,その「思う(ふ)」について『岩波古語辞典』は, 

「胸のうちに。心配・恨み・執念・望み・恋・予想などを抱いて,おもてに出さず,じっとたくわえている意が原義。ウラミが心の中で恨む意から,恨み言を外に言う意をもつに至るように,情念を表す語は,単に心中に抱くだけでなく,それを外部に形で示す意を表すようになることが多いが,オモヒも,転義として心の中の感情が顔つきに表れる意を示すことがある。オモヒが内に蔵する点に中心を持つに対して,類義語ココロは外に向かって働く原動力を常に持っている点に相違がある。」

とし,

おもてに出さず,じっとたくわえている意が原義,

とする。その「おもう」の語原について,『広辞苑第5版』は,

「『重い』の語幹オモと同源か。一説に,『面(おも)』を活用させた語という」

とするが,『岩波古語辞典』は,

「オモヒをオモシ(重)に関係づける説は,意味の上から成立しがたい」

と否定する。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「オモ(面)+フ(継続・判覆・動詞化)」です。相手のオモ(面・顔)を心に描き続ける意です。顔に表れる心の内の作用を表します。なお,古代「モ(面)+フ」の語形(東歌・防人歌)も使われていました。
説2は,「重+フ」です。物を思ふ気分とは,重い気分であるという語源説もあります。

「物思い」という言葉が別にあり,思い悩む意で使う。そこでは,

「もの+おもう」

とある「おもう」が前提になって使われている。重複が過ぎるように思う。「おも(面)」は,

「上代では顔の正面の意。平安時代以降,独立してはほとんど使われず,『面影』『面変り』『面持』などの重複に残った」(『岩波古語辞典』)

とあり,「も(面)」も,

「オモのオの脱落した形」(仝上)

とあり,

オモ+ヒ,
モ+ヒ,

のオモ,オは,オモテ(面)と見るのが妥当なのではないか。

「オモ+フ」

は,「慕う」の,

「下+フ」

と重なる。しかし,『日本語源大辞典』は,諸説を,

@オボオボシ(朧朧)から生じた語オモ(面)から。面に顕れる心の内の作用をオモフという(国語溯原=大矢徹),
A形容詞オモイ(重)の語幹オモから生じた語か。重たいような心持,すなわち物思いに沈むような感覚,そこから進んで思考という意が出たのではないか(東亜語源志=新村出),重く沈んで考える意か(国語の語根とその分類=大島正健),
Bオモヒはオモキヒ(重火)か,あるいはオモテノヒ(面火)の意か(和句解),
Cウマハフ(心廻)の転(言元梯),
Dオモヒはウラマドヒの約で,心の物にまつわるようになる意。ウラは心の意(和訓集説),
Eオモヒはオモヒ(母日)の義。母は物を生ずるところから(和語私臆鈔),
Fオヒモトム(追求)の義(名言通),
G愛慕する意のオモフは「忄奄」の音om。考察する意のオモフは「案」の別音on(日本語原学=与謝野寛),
Hオモ(面)オフ(覆)の約か。胸の内に,心配・怨み・執念・望み・恋・予感などを抱いて,おもてに出さす,じっとたくわえている意か(岩波古語辞典),

と挙げた上で,

「『面(おも)』に『ふ』を付けて活用させたものとして,原義を「気持ちを顔に表す」とする@説がある。またH説のように『オモ(面)』を『オモテ』とみて,種々の感情をおおう意とする説もみえる。また,A説のように『重(おも)』に『ふ』を付けて活用させたもので。何も考えない心の静かな状態に対して,物を思う意識を『重い気分,気持ち』ということで表現したものだという。したがって,Eのような俗解は別として,『オモフ』の『オモ』は『面』か『重』に関連するとする説に分かれそうであるが,現状では定説をみない。」

とする。ここでは,「おもふ」の意味が,『岩波古語辞典』の言うように,

おもてに出さす,じっとたくわえている意,

とし,

胸の中で慕う,
胸の中で願う,
胸の中で悩む,
心の中で考える,
胸の中で決心する,

等々の「おもい」が,

忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋 物や思ふと 人の問ふまで(平兼盛『拾遺集』),

のように,知らず知らず顕れる意として,

オモテ+フ,

と,取りあえずしてみる。「慕う」と同じである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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このむ


「このむ」は,

好む,

と当てる。「好」(コウ)の字は,

「会意。『女+子(こども)』で,女性が子どもを大切にかばってかわいがるさまを示す。大事にしてかわいがる意を含む。このむ(動詞)は去声,よい(形容詞)は上声に読む。」

とある(『漢字源』)。趣味の意でつかう「好み」の意で使うのは,我が国だけである。「好」は,

「思ひてみてよしとする義」

ともある(『字源』)。因みに「善」(漢音キ,呉音コ)は,

「このみてと訓む。嬉しがる義」

とある。『岩波古語辞典』に,「好(この)む」は,

「性分に合うものを選び取って味わう意。類義語スキ(好)は,気に入ってそれに引かれ,前後の見境もなく,気持ち・行動がそれへ走っていく意」

とある。漢字の「好」は,漢文では,「すく」「すき」とは訓ませないという。それは,「好」の漢字の意味と「このむ」の意とが,少しずれているからだろう。

漢字「好」は,対語は「悪」(にくむ)とあり,

よし,
うつくし,
みめよし,

と,価値表現が強く入っている感じである。『大言海』は「好む」の意に,

嗜む,
好く,
愛ず,

の意を載せる。これは,「好く」に近い。「好く」は,

「好く」は,

「気に入ったものに向かって,ひたすら心が走る。恋に走る」

というように,外へ行動として顕れるという含意があるからだろう。趣味の意の「好み」が,我が国だけであるのは,この「このむ」の意味の流れからは当然である。

「したう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%86)で触れたように,「数奇」と当てると,

「茶の湯などを好むこと」

に代表される意になるが,「数奇」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%95%B0%E5%AF%84で触れた)は,

「ある事柄に心を寄せる」(『日葡辞典』)

であり,傍から見ると,そののめり込みが,「好きだなあ」と,感じさせる意味だと考えていい。「このむ」の意味の外延はここまで届く。

『大言海』は,「このむ」の語源を,

「恋祈(こひの)むの義。望こと切なる意(言ひさかふ,いさかふ)」

とする。しかし「このむ」の,

性分に合うものを選び取って味わう意,

とは少しずれはしまいか。しかし,『日本語源広辞典』も,

「コヒ+ノム(請+祈,恋+祈,乞+望)」

と,欲しいと望む意,とする。さらに,『日本語源大辞典』の挙げる諸説も,

コヒノム(戀祈)の義(言元梯),
コヒノゾム(乞望)の義(名言通),
コトノゾメル(事望)の義(名語記),
女は子を願うものであるところからコノムマルル(子生)の義か(和句解),
此の方に望むの意でコ(此)ノム(祈)から(日本語語源学の方法=吉田金彦),

等々,「望む」「恋う」「請う」「乞う」の含意が強い。確かに,『江戸語大辞典』の「好む」の項は,

望む,
所望する,

という意になっている。しかし,「このむ」の形容詞化とされる,

このまし,
このもし,

は,

好みに合う,

という意味である。この意味からすると,僕の語感では,「望む」「恋う」「請う」「乞う」の含意とは微妙に差異がある。

乞う,

というより,

味わう,

含意が強い。語源説諸説は,その微妙さを見逃している気がする。敢えて言えば,

此の方に望む,

の,「望む」が近いのではないか。「このまし」は,

「好むの未然形の,コノマを活用せしむ。されば,不確定の意あり」

としている。この微妙さがなくてはいけないのではないか。でなくては,趣味の意の「好み」へと意味がシフトしていく流れが見えてこない。『日本語語感の辞典』は「好む」を,

好きだという意味,

とする。乞う,請う,とは微妙に異なる。

参考文献;
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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告往知来


「告往知来」は,

こくおうちらい,

と訓ませる。類義語に,

一を聞いて十を知る,
挙一反三,
挙一明三,

等々がある。「挙一明三」以外は,『論語』が出典である。

「告往知来」は,『論語』学而篇の,

子貢曰、貧而無諂、富而無驕,何如,子曰、可也,未若貧時樂道、富而好禮者也, 子貢曰、詩云、如切如磋,如琢如磨、其斯之謂與,子曰、賜也,始可與言詩已矣,告諸往而知來者也。

の,

諸(これ)に往(おう)をつげて来(らい)を知るものなり,

から来ている。師の,

「未だ貧しくして道を楽しみ、富て礼を好むねのには若かざるなり」

に,子貢が,

「詩に『切するが如とく磋(さ)するが如ごとく、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如とし』と云へるは,それ其(こ)の謂か。」

と応じたのを,

「告往知来」

と評したのである。つまり,「往き道を教えれば,帰り道を知る」と喩えたのである。

彰往察来(しょうおうさつらい),
鑑往知来(かんおうちらい),
彰往考来(しょうおうこうらい),
数往知来(すうおうちらい),

とも言うらしい。因みに,子貢のいう「詩」とは,『詩経』衛風の淇奥(きいく)篇の,

「淇(き)という川の曲がりくねって奥まった,こんもりとしげった緑の竹藪のところに,目もあざやかに一人の貴族が立っている。この貴族は,衛の名君武公を象徴するとされ,その人格をたたえた」

詩という(貝塚茂樹)。この詩を引いて,

「富んでいながら,しかも礼を好む,いやがうえにも自己の向上をはかるものの境地が表現されていると解した」

のである(仝上)。

「一を聞いて十を知る」は,『論語』公冶長篇の,

子謂子貢曰、女與回也孰愈、対曰,賜也、何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二、子曰、弗如也、吾與汝弗如也。

の,

回は一を聞いて以て十を知る,

から来ている。で,顔回に比べて,子貢自身は,

一を聞いて以て二を知る,

評す。これを見ると,

告往知来,

の,という子貢の聡さは,

一を聞いて以て二を知る,

というレベルということになる。

「挙一反三(きょいちはんさん)」は,『論語』述而篇の,

子曰、不憤不啓、不非不発、挙一偶、不以三隅反、則不復也。

の,

一隅を挙げて,三隅を以て反(かえ)らざれば,則ち復(また)せざるなり,

から来ている。つまり,

一隅をあげて説明すれば,三隅を以て応答する,

という学ぶ側の姿勢を問うている。ここでは,ただ理解ではなく,

「自分で問題をもち,それを説こうとする」

姿勢が問われている。問題意識,探求心,と置き換えてもいい。『碧巌録』に據るという,

「挙一明三(こいちみょうさん)」は, 

ほぼ同義だが,

「一を挙げて三を明らかにす」

とも読むので,「挙一反三」の一歩先を行くのかもしれない。その先に,

百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう),

が来るのかもしれない。

百尺竿頭に須く歩を進め、十方世界に全身を現ずべし(長沙禅師),

は到底及ばない世界である。「百尺竿頭」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E7%99%BE%E5%B0%BA%E7%AB%BF%E9%A0%AD)についてはすでに触れた。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

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足軽


「足軽」の意味は,時代によって少し違うが,当初は,『大言海』の言う,

「軽捷に走り回りて働く意,萬葉集に足柄(アシガラ)小舟(ヲブネ)とあるも,船足の軽き意なりと云ふ」

の通りで,『日本語源広辞典』も,

「足軽く疾走する雑兵」

とある。『日本語源大辞典』も,

足軽く走るから(貞丈雑記),
呉子に,軽足とある物に相当する。能ク走ル者の意(南嶺子・嘉良喜随筆・和訓栞),

にある通りである。しかし戦国時代とそれ以前とは意味が変わる。たとえば,

「鎌倉時代の軍記物にすでに足軽という名称がある。当時の戦争は,騎馬による個人的戦闘が主であるから,足軽は,主要戦闘力としてではなく,後方攪乱,放火などに使用され,荘園の一般農民から徴発された。鎌倉時代末期から南北朝動乱以降,戦闘形態が,個人的戦闘から次第に歩卒による集団的戦闘に変化していくに従って,戦争における足軽の活躍が顕著になった。室町時代には,平時は農耕に従事する農民が戦時には陣夫として徴発される体制が一般的に成立した。特に山城,大和などは荘園制の崩壊,農民層の分解が早かったので,この体制の成立も早かった。応仁,文明の大乱 (→応仁の乱 ) のときには,畿内には山城足軽衆や郡山足軽衆などと呼ばれる足軽の組織があって,東西両軍いずれかの陣営に属していた。彼らは経済的目的のみに走り,放火略奪をもっぱらにした。一条兼良が『樵談治要』のなかでこれを時局の弊としてあげているのは有名。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とある。応仁の乱において,

「土民(百姓)が『足軽と号し』て略奪を働いている(『大乗院寺社雑記』)といわれ,あらたに足軽という名の雑兵たちが出現するのです。戦場の主役は土一揆に代わった足軽たちで,『足軽と号す』つまり『おれは足軽だ』とさえいえば,戦場となった京では,略奪も野放しだったらしいのです。」(藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』)

この時,土一揆の主役だった百姓が周縁の村々から流れ込んできていた。このとき,

「東軍の足軽(疾足)300余人が宇治神社を参詣する姿を人々が目撃したものとして、『手には長矛・強弓を持ち、頭には金色の兜や竹の皮の笠、赤毛など派手な被り物をかぶり、冬だというのに平気で肌をあらわにしていた』という」

し,

「『東陣に精兵の徒300人あり、足軽と号す。甲(かぶと)を擐せず、矛をとらず、ただ一剣をもって敵軍に突入す』と記され、兵装に統一性がなかった」

らしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD)。しかし,戦国時代になると,

「戦国大名の統制によって,兵農分離が進み,戦争も鉄砲,火薬などが使用されるようになったのでその重要性が増し,訓練された歩卒となり,足軽大将の下に鉄砲足軽,弓足軽として常備軍に編入された。」(仝上)

とある。

上記にある,「雑兵」(ぞうひょう)は,足軽とイコールではない。戦国時代,

「身分の低い兵卒をいう。戦国大名の軍隊は、かりに百人の兵士がいても、騎馬姿の武士はせいぜい十人足らずであった。あとの九十人余りは雑兵(ぞうひょう)と呼んで、次の三種類の人々からなっていた。
@武士に奉公して、悴者(かせもの)とか若党(わかとう)・足軽などと呼ばれる、主人と共に戦う侍。
A武士の下で、中間(ちゅうげん)・小者(こもの)・荒子(あらしこ)などと呼ばれる、戦場で主人を補(たす)けて馬を引き槍を持つ下人(げにん)。
B夫(ぶ)・夫丸(ぶまる)などと呼ばれる、村々から駆り出されて物を運ぶ百姓(人夫)たちである。」

と,雑兵の中には,侍と武家の奉公人(下人)も動員された百姓が混在している(藤木久志『雑兵たちの戦場』)。

いわば,武家の家臣には,家子,郎党,若党。忰者(かせもの),がいる。ここまでは,名字を持つ。

「武士の従者で,地位の高い者を郎等,郎等のうち主人と血縁関係のある者を家子(いえのこ)と呼」

ぶ。「郎等」は「郎党」とも書き, 

ろうとう,
ろうどう,

とも訓む。家子は,

「郎等のうち主人一家に擬せられた」

ものとあるので,必ずしも血縁を意味しないようだ。その下の従者には,

若党(わかとう),
忰者(かせもの),

がいる。

家子→郎党→若党→忰者,

の順位で,「若党」は,

「本来は年輩,器量のしかるべき老党に対して,若者の寄合という意味からおこった称呼である。《貞丈雑記》には〈若党と云はわかき侍どもと云事也〉とあるが,若党という称呼は,室町時代まではまさしくこの意味で使われており,主君の側近くに仕えて雑務に携わるほか,外出などのときには身辺警固を任とする若侍たちをさす。〈一人たう千のはやりおのわかとう〉とか〈譜代旧恩ノ若党〉といった表現が示すように,若党は武士としての評価も高く,また主君とは強い情誼に結ばれている場合が多いので,合戦の際などにも,主君と命運をともにしている若党の事例は枚挙にいとまない。」(『世界大百科事典』)

となる。「忰者」は,

「貧しい者の意」(『岩波古語辞典』)

で,

「苗字を持つ侍身分の最下位」

であり,この下に中間が来る。

「中間は〈名字なき者〉とされた(《小早川家文書》)。戦国期の農村では,〈ちうげんならばかせものになし,百姓ならばちうげんになす〉(《児野文書》)というように,農民が中間からかせ者へと侍身分に取り立てられるのが名誉・恩賞とされ,〈諸奉公人,侍のことは申すに及ばず,中間・小者・あらし子に至るまで〉(《近江水口加藤家文書》)というように,武家の奉公人には侍,中間,小者,荒子の四つの身分序列が一般的に成立していた。」(仝上)

中間→小者→あらし子,

に順位づけられる。しかし,彼らは,侍の身分とされている。豊臣秀吉が天正十九(1591)年発した3ヵ条の身分統制令では,

「侍(さむらい),中間(ちゅうげん),小者(こもの)ら武家奉公人が百姓・町人になること」

を禁じた。つまり,この時点では,あらし子までは侍身分としたのである。彼らは,戦場で土木,小荷駄,炊事などの雑役に従事した。まさに,

雑兵,

に当たる。

参考文献;
戸川淳編『戦国時代用語辞典』(学研)
藤木久志『【新版】雑兵たちの戦場−中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日選書()
藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日選書)

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どきどき


「どきどき」は,

ハラハラドキドキ,

の「どきどき」である。

激しい運動、または不安・恐怖・驚きなどで心臓の動悸が速くなるさま,

を示す擬態語だが,心臓の動悸の,

ドキドキ,

の擬音語にも思える。『大言海』は,

鼓動,

と当て,

心臓の鼓動の甚だしきに云ふ語,

とある。で,「こころときめき」の項とつなげ,「こころときめき」に,

心悸,

と当てて,こう書く。

「トキは,心臓の鼓動を形容して云ふ語(今,ドキドキすると云ふ)。メキは,むくむく(蠢),ほのめく(閃)などのメクの,名詞形なるべし(トキメクと云ふごもあり)。されど,終止形なるを見ず,又,心を冠せざるを見ず」

「ときめく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8F)で触れたように,「ときめく」は,

「『どきどき』は『はらはら』『わくわく』と合わせて使うことも多い。…また,『どきどき』からできた語に期待や喜びなどで心がおどる意の『ときめく』がある。」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)「どきどき」が,

どき(どき)めき→ときめき,

と,転訛したことになる。

さて,「どきどき」は,

「どきどき」は,

激しい運動や病気で心臓が鼓動する音,
あるいは
心臓の鼓動が聞こえるほど気持ちが高ぶる,

の意味で,心臓の「ドキドキ」の擬音語である(仝上)。

「室町末期の『日葡辞典』では,『だくだく』の項目に『胸がだくだくする』という用例を挙げている。これは現在の
『どきどき』と同じ意味だと考えられる。」

とある(仝上)。「だくだく」は,

「汗だくだく」

というように,

「汗・血などが盛んに流れ出るさま」

で使う。しかし『広辞苑第5版』には,その他に,

「動悸がしておちつかないさま,どきどき」

の意も載る。これについて,『擬音語・擬態語辞典』は,

「『だくだく(dakudaku)』のように『d−k』という子音の組み合わせを繰り返した語は,体液の激しい流動を表すものが多い。『どきどき』『どくどく』。また,これらは,まず口の中の開き方が大きい広母音ア・オがきて,次に口の中の開き方が小さい狭母音イ・ウ(daku・doki・doku)が来る点でも共通しており,母音の広狭のくり返しがまるで血管の伸縮のくり返しを写すような印象を与える。」

とする。まさに,擬音である。

「だくだく」は,

「室町時代から見られる語。ただし,当時は疾走する音または様子や,激しく脈打つ様子を表した。『馬の足音がだくだくと致す』(『日葡辞典』),体液が流れ出す様子を表すのは江戸時代以降だが,当初は汗に限らず乳や血にも用いた。『乳母は乳をだくだくこぼす初の首尾』(『知恵車』)」

と,「どくどく」と「どきどき」の意味を重ねもっていたようである。

「どくどく」は,いまでは,

「液体の盛んに流れ出るさま」

の意だが(『広辞苑第5版』),『擬音語・擬態語辞典』には,

興奮や怒りなどで心臓が高鳴ったり,脈が激しく打ったりする音,

という意味も持っているようなので,「どきどき」へと純化するプロセスでは,

だくだく→どくどく→どきどき,

の意味が重なっているようである。『江戸語大辞典』の「どくどく」には,

大型の徳利から酒を出すときの音によっていうか,

とすでに意味がシフトしている。さらに「どきどき」は,

「なんじゃまたどきどきと分からぬことが出来て来たと泥八も尻もぢもぢ」

という用例が載り,意味が,擬音という状態表現から価値表現へとシフトして,

ややこしいさま,

の意に転じている。因みに,「だくだく」は,

汗・血などの盛んに流れるさま,
胸の轟くさま,
足のがくがくするさま,

と,「どきどき」と重なる意味を保っている。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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「ど」は,接頭語で,

「或る語に冠して,嘲り卑しむ意を表す語」(『大言海』)
「ののしりいやしめる意を表す」(『岩波古語辞典』)

等々とある。確かに,

ど近眼,どあほ,ど素人,どけち,ど下手,どスケベ,どブス,ど貧民,ど腐れ,

等々というように(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A9),「罵倒」の言葉になることもあるが,

ど根性,どまんなか,ど迫力,ど肝(を抜く),どつぼ(にはまる),

と言ったり,

ど演歌,

と言ったり,

どえらい,どぎつい,どでかい,どあつかましい,ど派手,

と言ったりするような(仝上),必ずしも嘲罵したりするのではなく,

強調,

する遣い方もある。確かに,

「名詞や形容詞の意味を強調する。語によっては品性に欠けるニュアンスが強い。」

という側面(仝上)はあるにしても。

『広辞苑第5版』は,

「近世以来,関西で」

として,

ののしり卑しめる意を表す(「ど阿呆」「ど畜生」),

の意以外に,

その程度が強いことを表す(「どぎつい」「どまんなか」),

の意も載せている。

「『ど』を単語の前につけた場合は、後の単語の意味を強調する場合が多い。」

ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9)。

この「ど」はどこから来たのか。

『日本語の語源』は,

「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。ドマンナカ(甚真中)・ドテッペン(甚天辺)・ドコンジョウ(甚根性)・ドショウボネ(甚性骨)・ドギモ(甚肝)・ドエライ(甚偉い)・ドデカイ(甚大きい)・ドギツイ(甚強い)・ドヅク(甚突く)など。
 とくに嘲罵の気持ちを強調するときによく用いられたので,卑しめののしる接頭語になった。名詞に冠らせてドアホ(甚阿呆)・ドギツネ(甚狐)・ドコジキ(甚乞食)・ドシャベリ(甚喋り)・ドタヌキ(甚狸)・ドタフク(甚お 多福)・ドタマ(甚頭)・ヂチクショウ(甚畜生)・ドテンバ(甚お転婆)・ドヌスット(甚盗人)・ドブキヨウ(甚不器用)・ドチャッコ(甚奴。子供の罵称)。
 形容詞に冠せられてドアツカマシイ(甚厚かましい)・ドイヤシイ(甚卑しい)・ドシブトイ(甚しぶとい)・ドビツコイ(甚執こい)・ドベラコイ(甚腹黒い)・ドスコイ(甚狡い)・ジギタナイ(甚汚い)。
 強調のあまり長母音を添加することもある。ドーアホー(甚阿呆)・ドーコジキ(甚乞食)・ドーシブトイ(甚しぶとい)・ドーチクショウ(甚畜生)・ドーヌスット(甚盗人)・ドーブルイ(甚震い)・ドーベラコイ(甚腹黒い)・ドースケーベ(甚助平。助平は『好き者』の転)。
 イトモ(甚も)の転トモはドンに転音して強調・嘲罵の接頭語になった。ドンゾコ(甚も底)・ドンボーズ(甚も坊主)・ドンビャクショウ(甚も百姓)・ドンガラ(甚も躰)・ドンケツ(甚も尻)・ドンジリ(甚も尻)・ドンツベ(甚も尻)・ドンパラ(甚も腹)・ドンヅマリ(甚も詰まり)。」

と,イト(甚)の転訛系の中に位置づけている。ただ,他に,「ど」を「いと(甚)」の転訛とする説がなく,是非の判断はしかねる。

素人が言うのもおこがましいが,「ど」の強調は,程度の度外れを言っている気がする。

度が外れる,
度が過ぎる,

の「度」は,多様な意味があるが,

物事の基準・標準とすべきもの,

の意で,

ほど,
ほどあい,

の意味がある。程度・限度と使う「度」である。僕には,この,

度,

に思える。「度」(呉音ド,漢音ト,タク)の字は,

「形声。『又(て)+音符庶の略体』で。尺(手尺で長さをはかる)と同系で,尺とは,しゃくとり虫のように手尺で一つ二つと渡って長さをはかること」また,企図の図とは,最も近く長さをはかる意から転じて,推しはかる意となる。」

で(『漢字源』),尺度の意である。「度」はこの漢字から来ている。

程度,

の意である。どう考えても,

罵倒の「どあほう」にしても,
強調の「ど迫力」にしても,

度が外れるの,「度」に思えてならない。「度胸」は,我が国の作った言葉だか,この「度」は,まさに,

ど肝の,

「ど」ではないか。『広辞苑第5版』は,「どぎも」に,

度肝,

と当てている。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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バックシャン


「バックハャン」は,もう死語だろうか。

後ろから見た姿がかっこいい・魅力的であること,

というより,あるいは,

「後ろ姿の美しい女性。特に、後ろ姿だけが美しい女性を俗にいう語」(『大辞林 第三版』)

というよりも,

「昭和初期には、後ろ姿は美しいが前から見ると失望するような場合に多く用いられた。」

という(『デジタル大辞泉』)落胆の方に意味の陰翳があるように思う。

「後姿が美しい女性を指して用いる語。後から見ると美人だと期待できるが、前から見ると美人ではない場合に皮肉を込めて用いられることが多い。」

という説明が正確かもしれない(『実用日本語表現辞典』)。これは,

英 back+ドイツ schön,

と,英語で背中をあらわすバックとドイツ語で美しいという意味のシャンを合わせてできた,和製語らしい。

シャン,

は,

「(ドイツ)schön(美しい、の意)から)美しいこと。また、美人。もと、旧制高等学校生の学生語」

というので,由来は古いが,昨今,こんな形容詞はしない。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/26ha/back-schon.htm)は,

昭和初期(大正時代?),

のものとして,

「バックシャンとは後ろ・背中(背部)といった意味の英語"back(バック)"と、美しいという意味のドイツ語"schoen(シャン:左記は英語表記。独語表記ではschön の合成で、後ろ姿が美しい女性を意味する。ただし、後姿だけが美人(後姿で期待したほど顔は良くない)といったニュアンスが強く、褒め言葉として使われたものではない(当時、正面から見ても美人という意味の対語:トイメンシャンという言葉もあった)。しかし、シャンという言葉自体が使われなくなり、バックシャンも死語となっている。)

とある。「といめん(対面)」から来た,

トイメンシャン,

の方が,もはや何の意味が分からなくなっている。

死語を集めた「死語の世界」(http://www6.shizuokanet.ne.jp/kirameki/hougen/sigo.htm)にも,「バックシャン」は,

「後姿だけが美人」

と,ストレートな書き方をしている。ただ,「バックシャン」は,当時はともかく,別に女性のみを指しているのではないので,そう他人を評している男性自身もまた,評されるのは当たり前である。

死語のはずの「バックシャン」は,でも,

「今年の夏は後ろ姿も美人に見せて!バックシャンコーデを紹介します!」

というキャッチコピーを見つけた(https://trilltrill.jp/articles/710323)ので,まだ生きている(?)のかもしれない。

「バックシャン」は,

後ろ美人,

というらしいが,あまり粋な表現とは言い難い。

うしろつきのしおらしき,

という言い回しが西鶴の『世間胸算用』にあるそうだが,この言い回しの方が,いい。

菱川師宣の「見返り美人図」も,どちらかと言うと,

うしろつきのしおらしき,

かもしれない。

小股が切れ上がった,

という表現も,僕には後姿に見える。『江戸語大辞典』には,「小股(こまた)」とは,

「(小は接頭語)また,足」

とあり,「小股が切れ上がる」とは,

「足がすらりと長く,姿態の小意気な形容」

とある。

「其容首少しぬき出,胴短く裾長に,腰細く小股切れ上り,背は少しこごみめにて,腰より末ハ反りたる様に見ゆる也」(安永四年・当世女風俗通),

と引く。『日本語源広辞典』には,「小股」は,

「小(歩幅が小さい)+股」

で,「股を狭くも小さく開いて歩く姿」とする。それはそうだろう。大股拡げて歩く着物姿は見られたものではない。『岩波古語辞典』には,

「女の股が長く,すらりとして,粋なさまの形」

とある。「小股の切れ上がった」とは,すらりとした姿の状態表現が,価値表現へと転じた語だというのがよくわかる。

『大言海』は,「小股の切れ上がった」を,

「背のすらりときを云ふ」

と,完全に後姿のすらりとしているさまとなっている。まさに,「バックシャン」である。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ひょうろく


「ひょうろく」は,

表六,
兵六,

と当てる。

愚鈍な人を罵って言う語,

表六玉,
兵六玉,

とも言う。今日では,ほぼ死語である。『大言海』には,「表六」の項に,

蔵六に対す,

とある。「蔵六」の項には,

亀の異名,

とあり,

「亀が,頭,尾,四脚を,甲の内に縮め慎む意に云ふ」

とある。そして,こう引用する。

「祖庭事苑『雑阿含經云,有亀,被野干(キツネ)所得,亀六蔵不出,野干怒而捨去,佛告諸比丘曰,汝等,當如亀六蔵,自蔵六根,魔亦不得便』」

まさに,頭,尾,四脚の六つを甲の内に隠す意だが,これと「表六」との関連の絵解きは,

「言い伝えとして『賢い亀は六を隠す、愚かな亀は六を表す』という言葉があるようです。…利口な亀は敵が来れば六つの部品を素早く甲羅の中に隠します。…馬鹿な亀はいつまでも六つの部品を外に表したままです。捕食者にガブリとやられるかもしれません。六を表したままだから表六。これに悪玉・善玉などと呼ぶ場合の玉という接尾語がくっついて『表六玉』となったそうです。」http://blog.q-q.jp/201103/article_20.html

が明快である。

ただ異説もあり,

説1 のろまな鈍くさい亀(ドンガメ)が、危機が迫っているにも関わらず手足+頭+尻尾の6つの部分を表に出しっぱなしの状態を表六(ひょうろく)としたことから、鈍くさい、うすのろ、まぬけな人間を指す,
説2 花火の一番小さい玉、瓢六玉から転じる。(瓢六〜瓢一があり、一が一番大きい),

という(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%BD%CF%BB%B6%CC)。

ただ調べた限りで,花火の玉についての記述は確認できなかった。

「花火玉の玉という説もありますが、「まぬけ」の意味の「表六」に花火の「玉」をつけてもなんとなくしっくり来ません。」

と(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147033884),「表六玉」の語感に否定的な記事があるのみである。

「玉」は,いろんな意味があるが,

魂と同根,

とされ,

「人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」

らしい(『岩波古語辞典』)が,メタファとして人に言い,

上玉,

というような女性を称し,果ては,

いい玉,
たいした玉,

というように,

人品・器量の見地から人をあざけって言う語(『広辞苑第5版』),

あざけりの気持ちで,人をその程度の人物であるときめつける語,やつ(『デジタル大辞泉』),

という遣い方をする。この「表六玉」の場合,この「玉」である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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たま


「たま」は,

玉,
球,
珠,

と当てる。

球体・楕円体,またはそれに類した形のもの,

を総じて指す。『岩波古語辞典』には,

「タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる,丸い石などの物体が原義」

とあり,

呪術・装飾などに用いる美しい石,宝石,

とあり,

特に真珠,

とあり,転じて,

美しいもの,
球形をしたもの,

更に転じて,

計略の種,
第一級の物,上等,

という意味が広がる。「玉」(漢音ギョク,呉音コク)は,

「象形。細長い大理石の彫刻を描いたもので,かたくて質の充実した宝石」

の意で,

飴玉,玉子のような,まるいもの,
善玉,悪玉のような,有る性質をもった人,
半玉のような,半人前の芸者,
ギョクのような,王将の意,

等々とさまざまに意味を拡げるのは,我が国だけのようである。「ぎょく」と訓ませると,

硬玉・軟玉の総称。翡翠(ひすい)・碧玉(へきぎょく)など,

を指す(『漢字源』)。「球」(漢音キュウ,呉音ク)は,

「会意兼形声。求は,からだに巻いて締める皮衣を描いた象形文字。裘(キュウ)の原字。球は『玉+音符求』。」

で,

中心に向けてぐった引き締まった美玉,

という意(『漢字源』)で,「球」の方が,「すべての円形の物」(『字源』)に当てられるようである。

「珠」(漢音シュ,呉音ス)の字は,

「会意兼形声。『玉+音符朱』。朱(あかい)色の玉の意。あるいは主・住と同系で,貝の中にとどまっている真珠の玉のことか」

とある(『漢字源』)。この場合は,真珠に限定するし,「美しいものの喩えに使う」とある。

ギョクも真珠も,まとめて「たま」とする和語の語源は,『大言海』は,

「妙圓(たえまろ)の略かと云ふ」

とする。ちょっと無理筋な気がする。

『日本語源広辞典』は,

「タマは,『霊魂』が語源です。マルイものとみて,マルイモノを指します。よく磨かれた円い玉をいいます。転じて,美女を指します」

とする。『岩波古語辞典』の「たま(魂)」の項には,

「タマ(玉)と同根。未開社会の宗教意識の一。最も古くは物の精霊を意味し,人間の生活を見守り助ける働きを持つ。いわゆる遊離靈の一種で,人間の体内からぬけ出て自由に動きまわり,他人のタマと逢うこともできる。人間の死後も活動して人方法まもる。人はこれを疵つけないようにつとめ,これを体内に結びとめようとする。タマの活力が衰えないようにタマフリをして活力をよびさます。」

とあり,「たまふり」とは,

「人間の霊魂(たま)が遊離しないように,憑代(よりしろ)を振り動かして活力を付ける」

ことだ。憑代は,精霊が現れるときに宿ると考えられているもので,樹木・岩石・御幣(ごへい)等々。

『日本語源広辞典』の説明では,「魂」の形を「マルイ」とするが,

タマ(魂)→マルイ→玉,

とスライドする説明が少し具体性を欠く。『日本語源大辞典』は,

タマ(霊魂)の入るべきものであるところから(万葉集に現れた古代信仰=折口信夫),
イタクマ(痛真)の義で,タマ(霊・魂)と同義(日本語原学=林甕臣),
タヘマロ(妙円)の略か(音幻論=幸田露伴),
タカラマルキの略(日本釈名),
価値がタカ(高)く,形が円いところから(仙覚抄),
カタマルの略という(百草露),
タタキマル(琢円)の義(名言通),
タは發語,マはマル(円)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
テルマル(光丸)の義(言元梯),
アマ(天)の転(和語私臆鈔),
結びまるめた間の意で,タマ(立間)の義(柴門和語類集),

等々と挙げているが,形の丸については「まる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%BE%E3%82%8B%EF%BC%88%E5%86%86%E3%83%BB%E4%B8%B8%EF%BC%89)で触れたように,「まる」「まどか」という言葉が別にあり,

『日本語源大辞典』が,

「中世期までは『丸』は一般に『まろ』と読んだが,中世後期以降,『まる』が一般化した。それでも『万葉−二〇・四四一六』の防人歌には『丸寝』の意で『麻流禰』とあり,『塵袋−二〇』には『下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ』とあるなど,方言や俗語としては『まる』が用いられていたようである。本来は,『球状のさま』という立体としての形状を指すことが多い。」

とし,更に,

「平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて,『まどか』『まとか』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には,『丸』が平面の意をも表すことが多くなる。

と,本来,

「まろ(丸)」は球状,
「まどか(円)」は平面の円形,

と使い分けていた。やがて,「まどか」の使用が減り,「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して,「まどか(まとか)」の項には,

「ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま」

とある。平面は,「円」であり,球形は,「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは,「まどか」と「まる」の区別が必要であったが,「円」「丸」で表記するようになれば,区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。

とすると,本来「たま」は「魂」で,形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが,

丸い石,

を精霊の憑代とすることから,その憑代が「魂」となり,その石をも「たま」と呼んだことから,その形を「たま」と呼んだと,いうことのようにに思える。

その「たま」は,単なる球形という意味以上に,特別の意味があったのではないか。しかし憑代としての面影が消えて,形としては,「たま」は,「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。しかし,

掌中の珠,

とは言うが,

掌中の丸,

とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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花火


「花火」は,

煙(烟)火,

とも当てる(『広辞苑第5版』)。

今日は,

「黒色火薬に発色剤をまぜて筒につめ,または玉としたもの。点火して破裂・燃焼させ,光・色・爆音などを楽しむ」

という(『広辞苑第5版』),いわゆる「花火」であるが,はぜ「花」「火」なのか。『字源』の「花火」に(ということは「花火」は中国語らしい),

「經國雄略『梨花之製,捲紙為筒,如元宵之戯玩花火之類』」

とあり,

烟火,

と同じとある。「煙(烟)火」の項を見ると,

飯をかしぐ煙,

と同時に,

のろし,

とある。用例として引かれた,

「漢書『初北邉宣帝以来,數世不見煙火之警,人民熾盛,牛馬布野』」

を見ると,「烽火」の意である。日本でも,『大言海』の「花火」の項で,

「北條記,佐竹對陣『天正十三年,云々,敵陣に花火を焼立てければ,味方の若侍共,花火をくくりて,是も同じく焼立てける』」

とある。やはり「烽火」である。初めは,「のろし」として用いられていたことがわかる。「焼く」とは,

狼烟は,陣中にて焼く,

とあるので,烽火を上げることを,そう呼んだものらしい。

この「のろし」は,

狼煙,
烽火,

と当てる。『大言海』は,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とあり,『大言海』は,さらに付言して,

「北條流の軍學にては,地を掘ること一丈ばかり,底に薪をたきて,二間程の生木數本を,焼火の上に立つれば,煙,空に上がると云ふ(甲子夜話)。或は,これに狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とある。狼云々はこの謂いである。さらに,この「のろし」の意味に,

「江戸時代に,色々作りものを打ちあぐる火花,ちあげはなび」

と載る。打ち上げ花火が「のろし」の発展形といことである。「のろし」の語源は,『大言海』のノラシ説以外に,

野狼矢の義か(和訓栞),
ノボルシルシ(外記)の義か(名言通),
ノは火,ロは含み発する,シは通行の意(柴門和語類集),
ノシ(伸)の義,ロは助語(言元梯),

等々諸説ある(『日本語源大辞典』)が,『日本語源広辞典』の,

「『ノロシ(烽火・狼煙)』は,古く『飛ぶ火』といいました。『「ノル(宣・祝)+火」の音韻変化』が語源かと思われます。戦を宣言する合図の焚火で,煙を上げることをいいます」

が,「のろし」の意味からは,よく納得できる。

今日の「花火」は,日本では,

「室町時代の公家万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』の1447年5月5日(文安4年3月21日)条に、浄華院における法事の後に境内にて『唐人』が花火と考えられる『風流事』を行ったという記事が見えている。そこでは、竹で枠を作り、火で『薄・桔梗・仙翁花・水車』などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来するといったものや、『鼠』と称し火を付けると『走廻』るもの、手に持って火を付けると空中を『流星』のように飛ぶもの、などが披露されたという。時房は『希代之火術也』と賞賛し、褒美を与えている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%81%AB)のが最初のようにである。そして,

「1582年4月14日(天正10年3月22日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』)は、大友宗麟が花火を活用して聖週間の祭儀をキリシタンを増やすための盛大な公開イベントとしたものである。聖土曜日の夜から翌明け方までの復活徹夜祭では、三つの城楼から花火細工が出て来る仕掛けが、三千もの提燈(教会堂や日本の物語を象った夜高行燈)の行列に豪華さを加えた。さらに数々の花火が『空中で実にさまざまな形となった』ので人々は皆立ち止まって花火見物をした。」

とある(仝上)。さらに,

「『駿府政事録』『宮中秘策』『武徳編年集成』等の書物によれば現代の花火に繋がる花火を一番初めに見たのは徳川家康とされる。1613年8月、英国人ジョン・セーリスが国王ジェームズ1世の国書をたずさえ正式な使者として駿府城を訪れた際、花火を見せたとされる。」

江戸時代以降,花火が盛んになるが,『和漢三才図会』には,

鼠花火、狼煙花火,

等々が紹介されている,という(仝上)江戸時代以降の花火については,

http://www17.plala.or.jp/hanabi-sanpo/knowledge03.htm
http://www17.plala.or.jp/hanabi-sanpo/knowledge03.htm

等々にも詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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のろし


「のろし」は,

狼煙,
烽火,

と当てる。「のろし」については,「花火」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E8%8A%B1%E7%81%AB)で触れたが,『大言海』は,「のろし」の項で,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とあり,『大言海』はさらに付言して,

「北條流の軍學にては,地を掘ること一丈ばかり,底に薪をたきて,二間程の生木數本を,焼火の上に立つれば,煙,空に上がると云ふ(甲子夜話)。或は,これに狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とある。狼云々はこの謂いである。さらに,この「のろし」の意味に,

「江戸時代に,色々作りものを討ちあぐる火花,うちあげはなび」

と載る。打ち上げ花火が「のろし」の発展形ということである。『大言海』が引用している「細川幽斎覚書」には,

「軍中にてノロシと申事有之,御先に罷在時に,御旗本より程遠く候て,俄に使いもやられざる處ならば,大将と約束申て,何と仕り候はば,其時にノロシを上可申候」

さらに,「和訓栞」には,

「ノロシ,烽煙をいふ。野狼矢の義にや,西陽雑俎に,狼糞煙直上,烽火用之と見えたり」

とある。「のろし」の語源は,『大言海』のノラシ(野ら気)説以外に,

野狼矢の義か(和訓栞),
ノボルシルシ(外記)の義か(名言通),
ノは火,ロは含み発する,シは通行の意(柴門和語類集),
ノシ(伸)の義,ロは助語(言元梯),

等々諸説ある(『日本語源大辞典』)が,『日本語源広辞典』の,

「『ノロシ(烽火・狼煙)』は,古く『飛ぶ火』といいました。『「ノル(宣・祝)+火」の音韻変化』が語源かと思われます。戦を宣言する合図の焚火で,煙を上げることをいいます」

が,「のろし」の意味からは,よく納得できる。

なお,狼の糞の由来は中国で,『大言海』に宋の陸佃云々とあるが,

「唐の段成式撰の『酉陽雑俎』に「狼糞煙直上,烽火用之」(狼の糞の煙を直上させ、烽火に用いた)と記され、「狼煙四起」の成語がある。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%BC%E7%85%99)。『広辞苑第5版』の「狼烟(煙)」(ろうえん)には,

「昔,中国で煙を直上させるために狼の糞をいれたからいう」

とある。「北条五大記」には,

「東國山嶺に狼烟を立つる事『狼烟と書て,ノロシとよむなれば,狼の子細有べき事也。扨又,火と書て,かがりとも,とぶ火ともよめり』」

とあり,その謂れが,

「狼の糞を投ずれば,烟高く天に昇り,風に靡かずと云ふ」

とあることは,すでに触れた。日本では、

「8世紀初めに成立した『日本書紀』や『肥前国風土記』に『烽(トブヒ)』として記述が見られる。燃やす物は決められており、ヨモギやワラなどを穴に入れ、その中で燃やしたものと考えられている(狼煙用の穴とみられる遺構も確認されている)。そのため、中国式の台上で物を燃やす狼煙とは形式が異なるものだったとみられている(大陸と違い、動物の糞を用いていない点もあげられる)。」

ともある(仝上)。

「栃木県宇都宮市所在の飛山城跡から出土した9世紀中頃の土器片(須恵器の坏)には『烽家』と書かれた例がある。ここでの『家』とは、古代律令下における公的施設を意味し、9世紀頃に東北地方で活発化した蝦夷の反乱から東国の軍事体制整備の一環として、烽に関連した公的施設が築かれたと考えられている。」

とある(仝上)が,律令制で「烽(ほう)」の制があり,

「変事の急報のために設けた設備。また、その合図の煙や火。約20キロメートルごとに設置し、烽長と烽子を置いた。」

もの(『大辞林』)と関わる。『日本書紀』には,「烽」を,「とぶひ」と訓ませ,

「是年(天智称制三年(664年))対馬嶋・壱岐嶋・筑紫國等に,防と烽(とぶひ)というをおく」

とあり,その後,對馬金田城(き)より,壱岐島の峰,稲積城,三野城を経て大野城(大宰府)に至り,さらに長門城より,備後茨城・常城・讃岐屋島城などの瀬戸内海を経て,難波羅城に至り,高安城さらに高見峰,春日峰を経由して平城宮に至る大烽制が存在した(西ケ谷恭弘『城郭』),という。この制は,799年大宰府管内を除いて廃止されるが,対外防衛の烽火のシステムが出来ていたようだ。

その後は,戦国大名が通信手段として用い、

「『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた書)巻五「攻城・守城」には、『(攻めて来た敵勢が)小軍なら一つ、中軍なら二つ、大軍なら三つ狼煙をあげる』

との記述がある(仝上),ように国内戦でもっぱらもちいられた。

「のろし」に当てる,

烽火,

は,

ほうか,

と訓む。この「烽火」には,狼少年に似た寓意が籠められ,『平家物語』「烽火(ほうか)」においても平重盛の弁で,次のように語られる。

異国の習ひに、天下に兵乱(ひやうらん)の起こる時は、所々に火を上げ、太鼓を打つて、兵(つはもの)を召す謀(はかりごと)あり。これを烽火(ほうくわ)と名付く。ある時天下に兵革(ひやうがく)起こつて、所々に烽火を上げたりければ、后これを御覧じて、『あなおびたたし、火もあれほどまで多(おほ)かりけりな』とて、その時初めて笑ひ給へり。一度笑めば桃の媚ありけり。幽王これをうれしきことにし給ひて、その事となく、常は烽火を上げ給ふ。諸公来たるに仇(あた)なし、仇なければすなはち帰へりさんぬ。かやうにする事度々に及べば、兵も参(まゐ)らず。ある時隣国より凶賊(きようぞく)起こつて、幽王の都を攻めけるに、烽火を上ぐれども、例の后の火に習つて、兵も参らず。その時都傾(かたぶ)いて、幽王終つひに亡びにけり。さてかの后、夜間となつて走り失せけるぞ恐ろしき。かやうの事のある時は、自今以後、これより召さんには、皆かくのごとく参るべし。重盛今朝別して天下の大事を聞き出だして召しつるなり。されどもこの事聞き直なほしつつ、僻事(ひがごと)にてありけり。さらば疾(と)う帰れとて、侍ども皆帰されけり。まことにさせることをも聞き出だされざりけれども、今朝父を諫(いさ)め申されける言葉に従つて、我が身に勢の付くか、付かぬかのほどをも知り、また父子戦(いくさ)をせんとにはあらねども、かうして入道大相国(にふだうたいしやうこく)の謀反の心も、和(やはら)ぎ給ふかとの謀(はかりごと)とぞ聞こえし。君君たらずと言へども、臣もつて臣たらずんばあるべからず。父父たらずと言へども、子もつて子たらずんばあるべからず。君のためには忠あつて、父のためには孝あれと、文宣王(ぶんせんわう)ののたまひけるに違たがはず。君もこの由聞こし召して、今に始めぬことなれども、内府だいふが心の内こそ恥づかしけれ。仇あたをば恩をもつて報はうぜられたりとぞ仰おほせける。果報くわはうこそめでたうて、今大臣の大将だいしやうにいたらめ。容儀体佩ようぎたいはい人に優れ、才知才学さいかくさへ世に越えたるべきやはとぞ、時の人々感じ合はれける。国に諫いさむる臣あれば、その国必ず安く、家いへに諫むる子あれば、その家必ず正しと言へり。」

この例の「烽火」は,『史記』周紀に,

「犬戎攻幽王,幽王挙烽火徴兵,兵莫至,遂殺幽王驪山下」

とある例である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)

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あらし


「あらし」は,

嵐,

と当て,

荒く吹く風,もとは山間に吹く風をいうことが多く,のち一般に暴風・烈風ををいう,
さらに広く,暴風雨,台風,
(比喩的に)激しく平安を乱すもの,

の意で用いるが,『広辞苑第5版』には,

「『嵐』の字は,中国では,山に立ちこめるもや,または山のけはいの意」

とある。「嵐」(ラン)の字は,

「会意兼形声。『山+音符風』で,空気がぶるぶると震え動くこと」

で,

山の清らかな風や,空気,山気,もや,

の意である。当初「山間の風」の意で使っていたのは,漢字の原義に近いのかもしれない。

暁嵐(ギョウラン 朝の爽やかな山の風),
嵐(セイラン 澄み切った山の空気),
嵐氣(ランキ むし潤へる山の気),
嵐光(ランコウ 山気の蒸して光あるさま),
嵐翠(ランスイ 山の気の緑色なるさま),

等々という用語もある。

『大言海』は,「のろし」の項で,

「ノロは,野(のら)の転,シは気なり。風雨(あらし),虹(にじ)のシと同義。宋の陸佃の埤雅に『古之烽火,用狼糞,取其煙直而聚,雖風吹之不斜』と」

とするが,「あらし」の項では,

「荒(あら)を活用せしむ」

とする。「シは気なり」として,「あら」は,『大言海』は,

「あら(荒) (嗟(あら)にて見て驚嘆する声にもあるか)@剛(こわ)き(柔き,和(にご)きに対剛も柔の意),A激しき,猛(たけ)き」

「あら(荒涼) (暴(あら)しより,ものすごきに移りたるものにあらむか)人気疎き,ものすごき,すさまじき」

どちらも接頭語であるが,後者は,

「荒野」「荒山「あら草(荒野の意)」「あら路(荒山の意)」

とあるので,後者の動詞化,という意図なのだと思われる。『日本語源広辞典』は,

「アラ(荒)+シ(風)」

とするので,「シ」の解釈は別に,「アラ」説と思われる。ただ,『岩波古語辞典』は「し」を,

息,
風,

と当て,

「複合語になった例だけに見える」

とし,

息,
風,

の意とする。転じて,

方角,

の意となる,とする。例えば,西風(にし)。『大言海』も「し」で,

風の古名,

とし(「荒風(あらし)」「廻風(つむじ)」「風巻(しまき)」),転じて,

ち,
て,

とし,「東風(こち)」「速風(はやち)」「疾風(はやて)」の例を挙げる。前述の「風雨(あらし)」の「シは気なり」は「息」のことなのかもしれない。

『日本語源大辞典』には,

アラシ(荒風)。シは風の意(箋注和名抄・雅言考・和訓栞・大言海),
アラはアライキ(荒気),シはイキ(息氣)の意(松屋棟梁集・柴門和語類集),
形容詞アラシ(荒)から(和訓栞・滑稽雑誌所引和訓義解・名言通),
アラ(荒)ク−フ(吹)キシキル義(桑家漢語抄),
悪魔の別音a-siに諧調のラ行音を挿んだ語。悪魔の義(日本語原学=与謝野寛),

等々を上げるが,

「語源として,『アラ(荒)+シ(風)』と見るのが通説であるが,アクセントから『おろし』との関係を考える説もある」

とする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/a/arashi.html)も,

「嵐は、『あらし(荒風)』と考えられる。形容詞『荒し』が名詞化とも考えられるが、『かぜ( 風)』の『ぜ』と同じく『シ』は『風』の意味であろう。古くは、山から吹きおろしてくる風を『あらし』と呼んでおり、『万葉集』などでは、『山風』『下風』『山下』などの漢字が当てられている。山から吹き下ろす風を『あらし』と言い、アクセントも『おろし(颪)』じであることから、『おろし』との関係も考えられる。」

とする。古く,

もとは山間に吹く風をいうことが多い,

からこそ,「暴風」の意ではない漢字「嵐」を当てたのだと思われる。僕には,「おろし」は単純に,

下ろし,

ではないか,と思う。「下ろす」には,

吹き下ろす,

意があり,

みむろ山下ろす嵐のさびしきにさびしきに妻呼ぶ鹿の声たぐふなり(千載集)

という歌もある。

で,区別するために,国字,

颪,

を作字したのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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きらう


「きらう(ふ)」は,

嫌う,
斥う,

等々と当てる。『大言海』の意味の説明がいい。

@棄て退ける,
A心に適わずとす,好まず,
B忌む,憚る,

『大言海』は,

「切るの延なるべし(取る,とらふ(捕)。遣る,やらふ)。」

とし,『広辞苑第5版』も,

「切ると同源か」

とし,『日本語源広辞典』も,

「『キラ(切るの未然形)+フ(継続反発)』です。感情的に切り続ける意味の動詞です。その連用形キライは形容詞として使います。いやにおもい,離れたい心情を,対人関係を切り続けたいと表した語です。」

とする。

『岩波古語辞典』もやはり,

「キリ(切)と同根か」

としつつ,

「切り捨てて顧みない意。類義語イトヒは,避けて目を背ける意」

と,「いとう」と対比している。「いとう」については,

「いやだと思うものに対しては,消極的に身を引いて避ける。転じて,有害と思うものから身を守る意。類義語キラヒは,好きでないものを積極的に切りすて排除する意」

とある。「きらう」が積極的に排除するのに対して,「いとう」は遠ざかる感じである。

「きらう」の語源は,「切る」説が大勢だが,その他に,

キリアフの約。切顕れ進む義(国語本義),
キイナム(気呑)の転(言元梯),
アキハラフ(飽払)の義(日本語原学=林甕臣),

とあるが,「いとう」との関連から見ても,「切る」と同源でいいのではないか,と思われる。

「きらう」の類語で,「毛嫌い」がある。これは,

「鳥獣が相手の毛なみによってすききらいすることから」

と『広辞苑第5版』にはあるが,『大言海』は,「板阪卜斎記(慶長)」の,

「鶏を合わせ候に,向こうの鶏,一方の鶏を見て退き候,是れを下々にて,毛嫌と申し候」

と,鶏のこととする。しかし,『日本語源広辞典』は,

「毛の色+嫌い」

とし,

「馬を交尾させるとき,好みが激しく,全く相手を寄せ付けない場合,博労たちが『毛嫌い』といったことによります」

とする。鶏が先か馬が先かは別だが,鳥獣の選り好みを指していたものだろう。この場合,

嫌い,

は生理的ないし,感覚的なものと見ていい。理屈ではなく,膚が合わない感じである。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/kegirai.html)は,

「毛嫌いの語源は、鳥獣が相手の 毛並みによって好き嫌いをすることからといわれる。また、闘鶏で相手の鶏の毛並みを嫌って戦わないことから出たとする説や、雌馬が雄馬の毛並みを嫌って馬の種付けがうまくいかないことから出た言葉など、『毛嫌い』の出所を示す説もある。ただし、『毛嫌い』の細かな出所は定かではないため、鳥獣が毛並みによって相手を嫌うことを元に、後から付け加えられたものと考えられる。」

とする。そんなことかもしれない。

似た言葉に,「忌み嫌う」というのがある。「忌む」は,『岩波古語辞典』に,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,穢れ,畏れ,の意が含まれている。汚らしい,憚られる,という感じであろうか。この場合も,生理的,感覚的だが,その感覚は,他の人も共有できる何かを含んでいる。

虫唾が走る,

という言い回しが,それに近いのかもしれない。理屈が少し勝れば,

蛇蝎の如く嫌う,

となる。

唾棄,

が近い。むしろ,避ける感覚が強ければ,

顰蹙,

程度で済む。

「嫌」(漢音ケン,呉音ゲン)の字は,

「会意兼形声。兼(ケン)は,禾(いね)を二つ並べ持つ姿。いくつも連続する意を含む。嫌は『女+音符兼』で,女性にありがちな,あれこれ気兼ねし,思いが連続して実行を渋ることをしめす。」

とある。「しぶる」という含意がある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いむ


「いむ」は,

忌む,
斎む,

と当てる。

「禁忌と思い,身を慎む意」

と『広辞苑第5版』にはあり,

「けがれを避けて身を浄め,慎む」

意とある。「忌」(漢音キ,呉音ゴ)の字は,

「会意兼形声。己(キ)は,はっと目だって注意を引く目じるしの形で起(はっと立つ)の原字。忌は『心+音符己』で,心中にはっと抵抗が起きて,すなおにうけいれないこと」

とある(『漢字源』)。「よくないことをするとさしさわりがあるとして,そのことを避ける迷信,タブー」の意とある。「恐れきらふ義。いやがる。嫌忌,忌憚と用ふ。小學『如護病而忌醫也』」(『字源』)ともある。

「斎(齋)」(漢音サイ,呉音セ)の字は,「斎」(トキ http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E6%96%8E)で触れたが,

「会意兼形声。『示+音符齊(きちんとそろえる)』。祭りのために心身をきちんと整えること」

であり,「祭りの前に酒や肉を断ち,きまったところにこもって心を一つにして準備する」意である。物忌の意ではあるが,我が国で,「いつく」として,「心身を浄め神に仕える」意とは,微妙に違うようだ。「斎」は,「ととのる」と訓ませるので,精進潔斎,斎戒沐浴,と使うように,心身をそれにふさわしく「ととのえる」意である。別の由来では,

「会意兼形声文字です(斉+示)。『穀物の穂が伸びて生え揃っている』象形(『整える』の意味)と『神にいけにえを捧げる台』の象形(『祖先神』の意味)から、『心身を清め整えて神につかえる』、『物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)』を意味する『斎」という漢字が成り立ちました。」

ともあり(https://okjiten.jp/kanji1829.html),やはり,心身を浄め整える意味がある。

「忌む」について,『岩波古語辞典』は,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味が並ぶ,どこかに,「畏れ」と相反する「穢れ」の含意がある。

『大言海』は,「いむ」を,

斎む,
忌む,

の二項に分ける見識を示す。「斎む」は,

「斎(い)を活用す」

とし,

「凶穢(けがれ)を避けて,身を浄め慎む。神に事振るに云ふ」

とする。「忌む」は,

「斎むの轉。穢事を避け嫌ふ意より移る」

とし,

(禍事を)嫌ひ避く→憚る→憎み嫌ふ,

という意味の転化を示している。

『日本語源広辞典』も,「いむ」は,

「イ・ユ(忌・斎・諱)+ム(動詞化)」

としている。これだと,「イ」「ユ」の活用の意味がはっきりしないが,

イ(斎)の活用(大言海・国語の語根とその分類=大島正健),
ユ(斎)に活用語尾をつけたものの転呼(日本古語大辞典=松岡静雄),

と二説に分かれる。同じと言えば同じだが,「い(斎)」は,

「イミ(斎・忌)と同根。」

で,「神聖であること」「タブー」の意だが,「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」など,複合語としてのみ残っている。

「ユユシなどのユの母韻交替形。イとユの交替例は,イキ・ユキ(行),イツキ・ユツキ(斎槻)など」

とある(『岩波古語辞典』)。「ユ(斎)」は,やはり,

「ユユシ(斎・忌)と同根。接触・立入が社会的に禁止される意」

で,「神聖である」「触れてはならない」意を意味する。やはり,「斎笹」「斎つ岩群」「斎槻」等々の複合語に残る(仝上)。

「ゆく」と「いく」で少し含意が違うように,「イ」「ユ」は交替しつつ,微妙な意味差がある気がする。

基本的には,「いむ」は,

神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒,→(転じて)→忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり,

の意味の幅だが,

「生活圏に悪影響を及ぼす穢れを嫌い排除する事」

のようである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E3%81%BF)。しかし,それは,「畏れ」故である。

「台風や大雨、日照り、地震等自然災害も不浄、穢れ」

とされ(仝上)、「火」も,穢れとされた。祓えの儀式で清めるのはそのためである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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けがれ


「けがれ」は,

穢れ,
汚れ,

と当てる。漢字で「汚」と「穢」は微妙に違う。

「汚」は,「汗」に同じ。「汗」は,たまり水なり。濁水不流と註す。轉じて人の行の濁りて,清からぬをいふ,
「穢」は,畑の草だらけにきたなきをいふ。蕪穢,荒穢と連用す。また轉じて,穢徳,穢行などと用ふ。汚より重し,

とある(『字源』)。確かに,「汚(けが)れ」と汚(よご)れだが,「穢れ」は,洗っても落ちない感覚がある。

「『けがる』と『よごる』の違いは、『よごる』が一時的・表面的な汚れであり洗浄等の行為で除去できるのに対し、『けがる』は永続的・内面的汚れであり『清メ』などの儀式執行により除去されるとされる汚れである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C)のも,その感覚である。

で,「けがれ」は,「よごれ」ではあるが,少し広げて,「神前に出たり勤めにつくのを憚られる出来事」となり,より広げて,名誉を傷つけられる,汚点の意ともなる。

『大言海』は,「けがる」の項で,

「清離(きよか)るの約か,清(きよ)ら,けうら」

とする。『岩波古語辞典』は,

「ケ(褻)カレ(離)の複合か。死・出産・月経など異常な状態,触れるべきでない不浄とされる状態になる意」

とする。「褻」は,「晴」と「褻」という使い方で,「日常」「平生」の意で使うが,中国語にはない。「褻」(漢音セツ,呉音セチ)の字は,

「会意兼形声。『衣+音符熟(身近い,ねばりつく)の略体』」

とあり,「はだぎ」「ふだん着」の意味で,そこから「けがれる」意をも持つ。

「けがれ」は,「い(忌)む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%84%E3%82%80)対象と言うことになる。例えば,「火」は,

「神宮等では、神事の際、忌火(いみび)と呼ばれる火を起こす。これは火がそもそも持つ性質、すなわち「他を焼き無くしてしまう」という性質が、一般的なケガレの概念、つまり「不浄」「不潔」同様、神や人間の結界、生活圏を脅かす「ケガレ」であるため、これを用いる際にそう呼ばれる。また火がケガレを伝染媒介すると考えられていた為、かまどを別にするなどの措置がとられた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E3%81%BF

とある。「けがれ」とは,

「忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

ものとなる。

「清離(きよか)るの約」と「ケ(褻)カレ(離)の複合」は,似ているが,微妙に違う気がする。

「け(褻)」について,『岩波古語辞典』は,「晴れの対」とした上で,

「ケ(日)と同根」

とし,

「日常的なこと。ふだん」

の意とする。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。「複数だけを表す単語は,日本語には他例がない」とある。しかし,『大言海』は,「け(褻)」について,別の説を立てる。

「け(來經)の義にて,日常の意ならむ。褻の衣は,常の衣なり」

と,漢字「褻」の意から解釈する。ま,日常というのに代わりはない。

「清」から離れる,
のと,
「日常」から離れる,

のでは,「清さ」から離れているのと,日常から外れているのとでは,「けがれ」の穢れ度が,結構違う。「晴れ」から離れていると言うのと,「ケ(日常)」から離れていると言うのとの違いと言うと分かりやすい。「けがれ」を,

日常に悪影響を与えるもの(こと),

清らかさ(神聖さ)から離れること,

の二面があり,いずれも,「けがれ」なのかもしれないが,

日常から外れた,つまり異常か,
清らかさ(清浄)から外れた不浄か,

は,微妙に意味が違うが,「けがれ」の意味の幅を押さえているとも言える。

『日本語源広辞典』は,「けがす」で,三説挙げる。

説1,「ケガ(怪我)と同源,
説2,「ケ(あなどる)+カル(離る)」。見下げて遠ざける意,
説3,「ケ(食)+カル(離る)」。食物が汚れ,口にできなくなる,

ただ,「怪我」は「仮我」という仏教語由来らしいので,後世と見られる。他の説は,「けがれ」が,意味の変化をとげて以降の解釈に見える。

『日本語源大辞典』は,「清」離説,「褻」離説以外に,

気枯の義(白石先生紳書・和訓栞),
ケカル(気枯)の義。穢は雑草の意で,雑草が多く生ずると,諸草すなわち毛が荒廃するところから(類聚名義抄),
ケ(気)に,不快感を表すだろう君ガをつけたものか(国語の語根とその分類=大島正健),
ケ(気)の物に触れる義から(国語溯原=大矢徹),
ケカカル(気懸)の義(言元梯),
ケガ−アレ(生)の約。ケはキエ(消)の約で気,ガは身に染む義(国語本義),
悪い気ガアルの約(和句解),

等々諸説あるが,とても,「けがれ」の持つ奥行が視野に入っているとは思えない。結局,

キヨカル(清離)説(大言海・名言通),

ケ(褻)カル(離)説(岩波古語辞典)。

に軍配を上げるほかない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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いとう


「いとう」は,

厭う,

と当てる。「厭」(エン,オン)の字は,

「会意文字。厭の中の部分は,熊の字の一部と犬とをあわせ,動物のしつこい脂肪の多い肉を示す。しつこい肉は食べ飽きていやになる。厂印は上から被さる崖や重しの石。厭は,食べあきて,上からおさえられた重圧を感じることをあらわす」

とあ(『漢字源』),「あきる」「しつこくていやになる」という意で,「厭」の字は,「飽」の字と比較されて,

「飽」は物をいっぱい食ふ義にて,いやになるまで過食にはあらず。転用して飽徳・飽仁義などと用ふ,
「饜」は,あき満るほど,大食するなり。孟子「饜酒肉而後反」
「厭」は,饜に通用す。左傳「食淋無厭」

とあり,「厭」は,飽きる意である。ただ,厭離穢土,と仏教用語では,この世をいとう意で用いている。この辺りが意味のシフトの因かも知れない。

『岩波古語辞典』には,「いとひ」の項で,「きらう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%8D%E3%82%89%E3%81%86)で触れたように,

「いやだと思うものに対しては,消極的に身を引いて避ける。転じて,有害と思うものから身を守る意。類義語キラヒは,好きでないものを積極的に切りすて排除する意」

とある。「きらう」は,

「キリ(切)と同根か」

で,

「切り捨てて顧みない意。類義語イトヒは,避けて目を背ける意」

と,「いとう」は「きらう」と比べ,身を避ける含意のようである。

「キラ(嫌)ウが相手を積極的に切り捨て遠ざける意であるのに対して,イトウはいやな相手を避けて身を引く意」

と,『広辞苑第5版』にもある。

『大言海』は,

「傷思(いたくも)ふの約か。腕纏(うでま)く,うだく(抱)。言合(ことあ)ふ,こたふ(答)」

とする。この語源だと,

好まないで避ける

この世を避けはなれる

害ありと避ける

いたわる,かばう,大事にする,

という意味の変化がよく見える。

身をお厭いください,

という言い方は,

「危なきを厭ひ護る意より転じて」(大言海)

自愛,

の意に変っていく流れがよくわかる。

臆説かもしれないが,

いたはし,

と関わるのかもしれない。「労わる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%8F%E3%82%8B)の項で触れたように,「労わる」と同根とされることばに,

いたはし(労はし),

という形容詞があるが,『岩波古語辞典』は,

「イタは痛。イタハリと同根。いたわりたいという気持ち」

とあり,

(病気だから)大事にしたい,
大切に世話したい,
もったいない,

といった心情表現に力点のある言葉になっている。この言葉は,いまも使われ,

骨が折れてつらい,
病気で悩ましい,
気の毒だ,
大切に思う,

と,主体の心情表現から,対象への投影の心情表現へと,意味が広がっている。

『大言海』は,「いたはし」について,

「労(いたは)るの語根を活用せしむ(目霧(まぎ)る,まぎらわし。厭ふ,いとわし)。」

とし,「労(いたは)る」は,自動詞と他動詞を別項にし,前者については,

「傷むの一転なるか(斎(い)む,ゆまはる。生(うま)む,うまはる)。労(いたづ)くは,精神の傷むになり。爾雅釋詁『労,勤也』」

とあり,後者については,

「前條(つまり自動詞)の語意に同じ。但し,他動詞となる。同活用にして,自動とも他動ともなるもの。往々あり,いたづく,ひらく,の如し。務めて懇ろに扱う意となる。和訓栞,イタハル『人の労を労ねきとしてねぎらふ』,廣韻『労,慰(なぐさむる)也』」

とある。「いたはし」の転として,

いとほし,

がある。

「お厭いとい下さい」

の「厭い」には,そんな言葉の奥行があるような気がしてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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いとなむ


「いとなむ」は,

営む,

と当てる。「営(營)」(漢音エイ,呉音ヨウ)の字は,

「会意兼形声。營の上部は炎が周囲をとり巻くこと。營はそれを音符とし,宮(連なった建物)の略体を加えた字で,周囲をたいまつでとり巻いた陣屋のこと」

とある(『漢字源』)。「ぐるりととり巻く」の意から,

「直線の区画を切るのを經(ケイ)といい,外側を取り巻く区画をつけるのを營(エイ)という。あわせて,荒地を開拓して畑を区切るのを『經營』といい,転じて,仕事を切り盛りするのを『經營』という。」(『漢字源』)

とあるが,「「造営」「築造」ともいい,「いとなむ」「いとなみこしらえる」という意もある(『字源』)。

『広辞苑第5版』の「いとなむ」には,

「イトナ(暇無)シの語幹に動詞を作る語尾ムの付いたもの」

とある。『デジタル大辞泉』も,

「形容詞『いとなし』の動詞化」

とある。『岩波古語辞典』の「いとなみ」の項も,同様に,

「形容詞イトナシ(暇無)の語幹に動詞を作る接尾語ミのついたもの。暇がないほど忙しくするのが原義。ハカ(量)からハカナシ・ハカナミが派生したのと同類」

とある。「はか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%AF%E3%81%8B)については,触れた。

どうやら,「營」の字を当てたが,測るとかつくる,などという抽象的なことではなく,ただ,

忙しく仕事をする,
暇がないほど忙しい,

という状態表現にすぎなかったとみられる。「いとなし(暇無し)」自体が,

休む間がない,たえまない,

という意で,

ひぐらしの声もいとなく聞ゆる,

というようなたんなる状態表現であったことから由来している。こんにちの,辞書の意味にも,

忙しく仕事をする,せっせと努める,

の意味が最初に載る。そこから,

(行事・食事などの)準備をする,
神事・仏事をおこなう(日葡辞典「ブツジヲイトナム」),

と,忙しい特定の部分に限定されていったとみられる。

『日本語源広辞典』も,同じく,

「イト(暇・休み)+ナシ(無)+ム(動詞化)」

とするし『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/itonamu.html)も,

「営むは、『暇 がない』『忙しい』という意味の形容詞『いとなし(暇無し)』の語幹に,動詞を作る語尾『む』が付いた語で,元々は『忙しく物事をする』『せっせと務める』という意味であった。怠ることなく物事に努める意味から,営むは『執り行う』『準備する『こしらえる』『経営する』という意味が生じた。』

とする。僕は,この意味の変化は,「營」の字を当てた結果,その字の持つ意味から来たと見るべきだと思う。ま,ともかく,上記の諸説と,『大言海』は,少し違う解釈で,

いとなし,暇無し,いそがわし,
いとなみ(營),いとなむこと,仕事,つとめ,
いとなむ(營),「いとなみ」の語根,イトナを動詞に活用せしなり。ハカナシの,ハカナムとなり,タシナシ(困窮)の,タシナム(窘)となると同趣なり,

としている。

形容詞いとなし→名詞いとなみ→動詞いとなむ,

の変化として,名詞を介在させている。

「いとなむ」の語源は,

いとなし→いとなむ(あるいはいとなみ→いとなむ),

で尽きていると思うが,他にも諸説がある。

縄ナヒ糸ナフ手業の暇が無い意から一語となった(両京俚言考),
イトナム(最嘗・痛嘗)の義(和訓栞・柴門和語類集),
イトアム(糸編)の転(名言通),
イトはイタツク(労)のイタと同語。ナミはナリ(業)(日本語源=賀茂百樹),

等々あるらしい(『日本語源大辞典』)が,いずれも,『語源由来辞典』が言うように,

「いずれも音から当てただけである。」

と同感で,語呂合わせに思える。言葉には,意味の奥行があり,その奥行の果てには,文脈があるはずである。特に和語は,文脈に依存した(文字をもたない)言語である。必ず,その使われた古えの状態,状況が見えるはずである,と僕は思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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いとま


「いとま」は,

暇,
遑,

と当てる。「暇」は「ひま」とも訓むが,「ヒマ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E6%9A%87)については触れた。中国語では,「暇」(漢音カ,呉音ゲ)の字は,

「会意兼形声。右側の字(音カ)は『かぶせる物+=印(下にいた物)』の会意文字で,下に物を置いて,上にベールをかぶせるさま。暇はそれを音符とし,日を加えた字で,所要の日時の上にかぶせた余計な日時のこと」

で(『漢字源』),まさに「ひま」「仕事がなくて余った時間」の意である。「遑」(漢音コウ,呉音オウ)の字は,

「会意兼形声。『辶+音符皇(大きく広がる)』で,大きい意を含む。(あわただしいという)意味は,大きいことから。むやみに動きまわる,うろうろする意になったもので,狂(むてっぽうな犬)・往(むやみに前進する)に近い。(ひまであるという)意は,広い,ゆったりしているという方向に派生した意味で,ゆとりがあること」

とある(仝上)。

「いとなむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%80)で触れたように,「いとなむ」は,「イトナ(暇無)シ」に由来した。つまり,「忙しい」という意味であった。

『岩波古語辞典』は,

「イトはイトナミ(營)・イトナシ(暇無)のイトと同根。休みの時の意。マは間。時間についていうのが原義。類義語ヒマは割目・すき間の意から転じて,する仕事がないこと」

と,「ひま」=空間,「いとま」=時間,と区別する。「ひま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E6%9A%87)で触れたように,「ひま」は,

暇,
閑,
隙,

の字を当てる。空間を意味する「すき」との差はあまりない。語源的には,

ヒ(すいたところ)+マ(すきま)

とあり,空間的なヒマから時間的なヒマへと変化した。逆に「いとま」も,「隙」に「いとま」と訓読させる場合は,

「さけめ・われめ,なかたがい」

の意と,時間的イトマから空間的イトマへと変化する(仝上)。

『大言海』は,

「暇(いと)の間の義」

とする。しかし「いと(暇)」についての説明がない。臆説を逞しくするなら,「いと」を,

甚,

と当てる「いと」として見るとどうだろう。「いと」は,

「極限・頂点を意味するイタの母韻交替形」

とあり(『岩波古語辞典』),

非常に,甚だしい,

という副詞であるが,

イタ間→イト間,

と。「いと」は,

「イト(甚)はト・ド(甚)に省略されて強調の接頭語になった。ドマンナカ(甚真中)・ドテッペン(甚天辺)・ドコンジョウ(甚根性)・ドショウボネ(甚性骨)・ドギモ(甚肝)・ドエライ(甚偉い)・ドデカイ(甚大きい)・ドギツイ(甚強い)・ドヅク(甚突く)など。」

となる強調の接頭語「ど」とも通じる(『日本語の語源』)。

どひま,

の「ど」とも通じる,のではないか,と。ま,臆説である。しかし,『日本語源大辞典』をみると,「イトノマ(暇間)の意」(大言海)以外にも,諸説紛々なのである。

イトはイトナム,イトナシの語根と同じで多事の意。イトマはそのヒマ(間)をいう(万葉集辞典=折口信夫)
イトナムマ(営間)の略(古言類韻=堀秀成・日本語原学=林甕臣),
イトナヒ(営)ノ−ヒマ(間)の略(両京俚言考),
イトナミノマの略。またはイ−トマ(手間)か(日本語源=賀茂百樹),
出ル間の義(和訓栞),
イトマ(小時間)の意(言元梯),
イトフマ(厭間)の義(名言通・柴門和語類集),
暫時の間の意の,ヒトマヘ(一間)の転(和語私臆鈔),
イ−タマ(足間)の転。イは接頭語(日本古語大辞典=松岡静雄),
奉公人が衣類のほころびなどを縫う間の意でイトマ(糸間)か(和句解),

何れも「音」をよすがに考えているようだが,意味は奥行がある。その意味では,

いとなむ(營む),
いとなし(暇無し),

という意味の流れから離れるのは無理があるように思われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いどむ


「いどむ」は,

挑む,

と当てる。「挑」(チョウ,トウ)の字は,

「会意兼形声。兆は亀甲・獣骨を焼いて占うとき,ぱんと割目が生じたさま(ひび割れの形)を描いた象形文字。割れて離れる意を含む。挑は『手+音符兆』で,くっついているものを離すこと。ぴんとはねて離す意に用いる。」

とあり(『漢字源』),「いどむ」「こちらから仕掛ける」といった意で,「挑発」「兆戦」といった使い方をするが,意味からは,「かかげる」意で,「挑灯」という意が強い。『字源』は,

「挑」は,はねあげる,また,かきたてる義。挑燈と用ふ,
「掲」は,く上げる意,掲竿為旗(文選),

と「掲」と比較している。「挑撥」というように,かかげあげる意から,しかける,という意味があるので,「挑」の字には,

静かにしているものを引っかけて起こす,

という含意があるのだろう。その意味から,「掲げる」意も,「いどむ」意も派生するように思える。

『大言海』は,「いどむ」を,

「射響動(いどよ)むの約にてもあるか。戦ひより起りて,争ふ意に移りたるならむ」

とする。「響動」は,

どよめく,

に当てられる(『広辞苑第5版』)。しかし,射て響き動く,というあからさまなイメージは「いどむ」にはなく,『岩波古語辞典』を見ると,

相手の気持ちを戦闘へとそそりたてる,挑発する,
(戦意を燃やして)張り合う,
相手の恋心をそそり立て,誘いかける,

と意味が載り,「挑」の字の「けしかける」と重なる。その意味では,

チャレンジ,
果敢に取り組む,
(今日の意味する)挑戦する,

とはいささか含意が異なり,「挑戦」という表立った戦い宣言よりは,策謀,陰謀めいて陰にこもって戦うように相手側に仕掛けていく,

仕組む,

という含意に思える。せいぜい,

張り合う,

という意味までの射程に思える

『日本語源広辞典』は,「いどむ」の語源を,二説挙げ,ひとつは,『大言海』の,

「イ(射)+ドム(響動)」

とし,

「弓を射るときのように,集中して仕事にかかる」意とする。しかし,「いどむ」の持つ意味とは乖離が大きい。いまひとつは,

「イド(息止)+ム」

で,

「息を止め気合を込めて仕事を仕掛ける意味」

とする。しかし,いずれも,「いどむ」の意味の,今日のチャレンジの含意で考えているように思えてならない。どうしても,音から当てはめて語源を考えているのではないか,と思えてならない。『日本語源大辞典』も,

イヒトムの義,又,イは射か(和訓栞),
イドヨム(射動)の約(名言通),
弓射ることか(和句解),
イヒタム(言廻)の約か(日本古語大辞典=松岡静雄),
イは発声,ドムはトム(尋)(俚言集覧),
イキダムの約,イキは気,ダムは濁る意(両京俚言考),
イトム(息敏)の義(日本語源=賀茂百樹),
イタス(致)の転声(和語私臆鈔),
アヒツヨムの約(万葉考),
イは怖くないというので歯を出してイということをする意か。ドムは何か音を発すること(国語史論=柳田國男)

等々,諸説挙げるが,「いどむ」に「挑」の字を当てたには,当てた理由がある。古代人は,それなりの見識で,和語にピタリの漢字を,必死で探し当てた。その意図に鑑みれば,「挑」の字のもつ,

静かにしているものを引っかけて起こす,

という含意を示す語源説でなくては説得力はない。どうも語源不詳とみるしかないようである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ケガ


「ケガ」は,

怪我,

と当てるが,当て字のようである。

「一説に,ケガは『けが(汚)る』の語幹という。『怪我』は当て字」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』にも,

「穢(けが)るの語根,血に穢れたる意(和訓栞)。觸穢(しょくゑ)に,血氣穢(けっきゑ)あり,月經を,ケガレと云ふ,醫心方,十八廿九『月經血(けがれのもの)』」

とあり,「穢(汚)れ」と関わるらしい。「けがれ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%91%E3%81%8C%E3%82%8C)で触れたように,「けが(汚・穢)れ」の語源には,,

「清離(きよか)るの約」

「ケ(褻)カレ(離)の複合」

の,二説ある。似ているようで,両者は微妙に違う。

「け(褻)」は,「晴れの対」で,

「ケ(日)と同根」

であり,

「日常的なこと。ふだん」

の意である(『岩波古語辞典』)。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。しかし『大言海』は,「け(褻)」を, 

「け(來經)の義にて,日常の意ならむ。褻の衣は,常の衣なり」

と,漢字「褻」の意から解釈する別の説を立てる。ま,日常というのに代わりはないのだが。

「清」から離れる,
のと,
「日常」から離れる,

のでは,「清さ」から離れているのと,日常から外れているのとでは,「けがれ」の穢れ度が,結構違う。「晴れ」から離れていると言うのと,「ケ(日常)」から離れていると言うのとの違いと言うと分かりやすい。「けがれ」を,

日常に悪影響を与えるもの(こと),

清らかさ(神聖さ)から離れること,

の二面があり,いずれも,「けがれ」なのかもしれないが,

日常から外れた,つまり異常か,
清らかさ(清浄)から外れた不浄か,

は,微妙に意味が違うが,これが,「けがれ」という言葉の意味の幅なのかもしれない。

『日本語源広辞典』は,「けがす」の語源で,説の一つ として,

説1,「ケガ(怪我)と同源,

と挙げていたが,「怪我」は,

「仏教語『仮我(本来の我が,仮になるもの)』ケガ」

からきてり,和語「ケガ」は,

「ケガ(ケガス・ケガルの語根ケガ)」

とし,

「思わぬ過失で出血して,ケガれる意」

とする。これによれば,「怪我」は,「仮我」から来た当て字ということになる。『岩波古語辞典』をみると,「ケガ」の意味は,

思いがけない過ち,過失,
思いがけなく傷つくこと,

の意で,考えれば,意図して傷つくことはないが,

思いがけない,

というところに力点がある。だから,

けがの高名(功名),

は,過失,または偶然したことが意外な手柄となること,

と,思いがけなさに力点がある。だから,出血することは,想定外ということになる。『日本語源大辞典』は,

思いがけなく傷つくこと,

の「血」が不浄とするところからきているとしているが,「あやまち」はともかく,それで血を見ることが問題視されていることになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/kega.html)は,

「漢字で『怪我』と書くのは当て字。『怪我の功名』や『慣れないことに手を出して怪我をする』など、『思わぬ過ち』や『過失』、『思いがけない災難』などの意味で『けが』は用いられる。これらの表現は『負傷』の意味から喩えたものではなく、本来『過ち』などの意味に用いた言葉で、そのために不注意のため体に傷つけることや,その傷の意味で使われるようになったのである。」

としている。その「ふつつか」さを咎める意もあるのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ふつつか


「ふつつか」は,

不束,

と当てる。

ふつつかですが,

というように,

行きとどかないさま,ぶしつけな,

意で使うことが多いが,

太くてしっかりしていること(太くどっしりしていること[岩波古語辞典]),

(ごつごつして)不格好なこと(太くて感じが悪いさま,不恰好に太っている[仝上]),

(ごつごつして)風情がないこと(優美でなく野暮臭いさま[仝上]),

雑なさま,軽はずみなさま(大まかでざつなさま[仝上]),

拙いこと,行き届かないこと,

といった意味の流れのようである(『広辞苑第5版』)『岩波古語辞典』。つまり「太くてしっかりしている」という単なる状態表現が,価値表現へと転じ,その価値の中身が変転する。

その辺りを,『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E4%B8%8D%E6%9D%9F)は,

「古くは単に太くて丈夫なさまの意で、非難の意は含まれていなかった。平安時代ごろから、『ふつつか』は情趣に欠け、野暮くさいの意を含むようになった。中世以降は、風情のなさや無風流なさまが意味の中核になり、近世に、不調法なさまの意に変化していった。」

と書き,また『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/futsutsuka.html)も,

「古くは、『太く丈夫なさま』を意味し、非難の意味を含む言葉ではなかった。平安時代に入り、優美繊細の美意識が浸透したため、太いものをさす『ふつつか』は、情緒に欠け野暮ったい意味を含むよう になった。さらに中世以降は風情のなさや風流ではないさまが意味の中核をなすようになり、近世に入り、現代のような不調法者を『ふつつか者』と言うようになった。」

と,変化の流れを整理している。『大言海』が,

「轉じて,何事も,たをやかに,やさしきを好む世となりてより,賤しく,げすげすしく」

と書く通りなのだろう。太くて丈夫なのが下卑てきたということか。今日では,

行き届かない,

意を,どちらかというと謙遜して使うが,『江戸語大辞典』では,

身持ちのおさまらぬこと,

と,行き着き,江戸時代の,

叱り・手鎖・過料に処すべき裁判の宣告文の終りに書く罪名の上に付けた語,

ともあり(『広辞苑第5版』),

不埒,
不届き,

と同義になっている。『大言海』は,

「太き意と云ふ。太束の意にや」

としている。『岩波古語辞典』も,

「フト(太)ツカ(束)の転か」

とする。この説が大勢のようであるが,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1,「不束(まくたばねられない)」が語源,太くて不細工な意,
説2,「太束(太くて束ねられない)が語源,才能がなくて十分ではない,行き届かない,不調法の意,

しかし,いずれも「ふつつか」が価値表現へと転じた後の意で,当て字である「不束」(『語源由来辞典』)をもとに解釈している後知恵のように思われる。

『日本語源大辞典』は,「太い」に関わる説を。

太の義(河海抄),
フトツカ(太束)の義(俚言集覧・言元梯・俗語考・日本語源=賀茂百樹),

と挙げて,なお,もうひとつ,

フト(不図)に奈良時代語ウツ(棄)が付いたフトウツに副詞を作る接尾語カが付いてフトウツカとなり,それが変化した語(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

を挙げている。「うつ」も「ふとうつ」も手元の辞書には載らず,是非の判断はできない。

太束→不束,

という流れは,どうもしっくりこない。「不束」が当て字なら,その当て字から,「太束」と推測している気配で,納得しかねる。もし,

太い束,

というなら,「束」は当て字ではないことになる。

「束の間」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%BE)で触れたように,「束(そく、たば、つか)」は,

(そく、たば)ひとまとめにすること。花束(ブーケ)など。
(つか)建築用語で、梁と棟木との間に立てる短い柱。束柱の略。
(つか)製本用語で、本の厚みのこと。
(そく)古代日本で用いられた稲の単位。→束 (単位)。
(そく)束 (数学): 日本語で束と訳される数学上の概念は複数ある,

等々とあり,束と呼ばれる単位にも,

束(そく/つか)→穎稲の収穫量を量る容積単位,
束(そく/たば)→同一物をまとめた計数単位,
束(そく/つか)→矢などの長さを表す長さ単位,

等々がある。「束の間」で使われたのは,原始的な測定の単位,

握った指四本の長さ,

である。握るほどの長さの意である。「尺」が,「人の手幅の長さ」としたのと,類似である。『岩波古語辞典』には,

束,
柄,

と当て,

ツカミと同根,

とある。「束」が握った手なら,「つか(摑)み」と同じであるのは当然と思えるし,「柄(つか)」とつながるのも自然である。で,

「一握り四本の幅。約二寸五分」

と『岩波古語辞典』にはある。『大言海』は,

柄,
握,

を別項を立てている。「握」の字を当てているのが「束」に当てたもので,

「四指を合わせて握りたる長さの名」

とある。とすると,「太い束」は,握った太い「掌」を意味し,それが価値表現として,

無粋,
野暮ったい,

となり,

行き届かない,

となったことになる。聊か悲しい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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「城」(呉音ジョウ,漢音セイ)の字は,

「会意兼形声。成は『戈(ほこ)+音符丁(うって固める)』の会意兼形声文字で,とんとんたたいて,固める意を含む。城は『土+音符成』で,住民全体をまとめて防壁の中に入れるため,土を盛って固めた城のこと。『説文解字』には『城とは民を盛るもの』とある」

とある(『漢字源』)。

中國では,日本と違い,町全体を城壁でとり巻き,その中に住民をまとめて住まわせる。四方に城門があり,場外の街道沿いに発達した市街地には,さらに郭(外城)をめぐらして,外敵から守る(仝上)。

ただ,日本でも,戦国末期,

総構え(そうがまえ),
総曲輪(そうぐるわ),

といい,

「城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ、日本の城郭構造」

のものもある。

「後北条氏の拠点、小田原城の総構えは2里半(約9km)に及ぶ空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものであった。大坂城の外郭も周囲2里の長さで、冬の陣では外郭南門の外側に出丸が造られ(真田丸)、徳川方は外郭内に1歩も侵入できなかったという。また江戸時代の江戸城外郭は最大で、堀・石垣・塀が渦状に配されて江戸市街の全てを囲んでいた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%A7%8B%E3%81%88

さて,「しろ」の語源である。

「城」は,「柵」とともに,元来,

キ,

と発音され,漢字が普及すると,

呉音ジョウ,

と専ら撥音された(西ケ谷恭弘『城郭』),とある。

「城(き)は、城を表す古語。上代特殊仮名遣ではキ乙類。」

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E_(%E3%81%8D))。さらに,その「キ」は,

「『三国史記』地理志に、「悦城県本百済悦己県」(今の『悦城』県はもと百済の『悦己』県である)、『潔城県本百済結己郡』(今の「潔城」県はもと百済の『結己』郡である)という記述が見られる。これらの例は、“城”の意味を表す百済の言葉(百済語)が、漢字『己』の音で写されていたことを示している。藤堂明保の推定によれば、『己』は上古音 [kɪəɡ],中古音 [kɪei] となる。李基文は、百済語で“城”を意味する語が [kɨ] であったことは確実とし、上代日本語の『城(き乙)』を百済語からの借用語と考える。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E_(%E3%81%8D))。この「城(き)」は,

葛城,
稲城,
茨城,

ということばに,かつての築城形態の痕跡が見える。

「忽ち稲を積み城を作る,其堅くして破られず,此稲城と謂ふ也」(書紀)
「茨を以て城を造り,以て地名に便(よろ)しく,茨城と謂ふ」(常陸風土記)

等々。

その「城(き)」を,『大言海』は,

「山背(やましろ)國を,延暦年中に,山城(き)國に改められしを,舊稱に因りて,シロと訓み来たりしに起こる云ふ」

と,「シロ」と訓んだとするし,『日本語源大辞典』も,

「延暦十三年(794)に桓武天皇が平安京に遷都したときに,山背國を山城国に改めてから『城』に『しろ』の訓が生じたとする説が有力である。」

とするが,しかし,それは「城」を「しろ」と訓んだというだけの意味だから,

「『しろ』を城郭の意に用いた確例は中世以前には見当たらない」

ようである(西ケ谷恭弘・仝上)。確かに,

「シロと読まれるのは,収穫物,兵粮,衛士(えじ)を集置する所と,区画としての選地状況が結びついたもので,南北朝争乱期もしくは室町中期ころからではないか」

とするのが正確のようである(西ケ谷恭弘・仝上)。

とすると,「城」を「シロ」と訓む経緯とは別に,今日の「城郭」の意で「城」を「シロ」と呼ぶようになったのには,上記の山背→山城とは別に,語源を考えなくてはならない。

「城は,貯蔵機能をもち垣檣(えんしょう)で区画した空間であった。すなわち憑(より)シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロなどにみられるようにシロは,場所・区画であり,宿り,集まり,集置の粮所の区域をいう。シロはシルシスナワチ標(しるし)が語源であるとされる」

というのは一つの見識である(西ケ谷恭弘・仝上)。

『岩波古語辞典』は,「シロ」は,

「シリ(領)の古い名詞形か。領有して他人に立ち入らせない一定の区域」

とするが,それなら「標」の意と同趣である。

『日本語源広辞典』は,

「知る・領るの名詞形のシロ(国見をする場所)」

としつつ,

「シロは,場所で,まつたけのシロ,ナワシロ,ヤシロなどのシロと同源」

とも考えられると,上記西ケ谷恭弘説をも挙げる。山城説は,「城」の訓みの語源であって,「城」の意の語源ではないので,省くとして,『日本語源大辞典』は,諸説を次のように羅列する。

遠いところからでもイチジルシク見えるところから,シルキの略転か(日本釈名),
白土を塗るところからシロ(白)の義(日本釈名・名言通・和訓栞),
土地をならして平らにする意のシロ(代)から(延喜式祝詞解・類聚名物考),
それと定め区(かぎ)ったところをいうシロ(代)の意から(古事記伝),
シキシメ(敷標)定めたトコロ(処)の意(日本語源=賀茂百樹),
領地の意か(和訓栞),
シル(知る)の義(言元梯),
下地の意(俚言集覧),
シロ(仕呂)の義で,シは作り成す意,メは覆い包み集まり含む醫(柴門和語類集),
ヌシ(主)のトコロの意か(和句解),
シマリノトコロの略(本朝辞源=宇田甘冥),
シはシキナラシ(重平均)の約。ロはヅラ(連)の約ダの転(和訓集説),

等々明らかに,後世一般化した織豊系の白壁の城を前提に考えていると思われる語源説は,笑うしかない。「織豊系」とは,今日見る城で,

「中世・戦国時代初期の城郭は、土塁の上に掘り立ての仮設の建物を建てたものがおもであったが、鉄砲、大砲の普及によって室町末期から安土桃山時代には、曲輪全体に石垣を積み、寺院建築や公家などの屋敷に多用されていた礎石建築に加えて壁に土を塗り籠める分厚い土壁の恒久的な建物を主体として建設され、見た目も重視して築かれたものが現れた。
こうした城は室町末期以降、特に松永久秀が多聞山城や信貴山城を築いたころや、織田信長が岐阜城や安土城を築城したころに発生したと考えられている。その後豊臣秀吉により大坂城や伏見城などが築かれ、重層な天守や櫓、枡形虎口を伴う城門に代表される、現在見られるような『日本の城』が完成した。この形式の城郭を歴史学上、『織豊系城郭』と呼ぶ。織豊系城郭はその呼称で表されるように織田信長、豊臣秀吉麾下の諸大名がおもに建設したが,(中略)
豊臣政権や徳川幕府は、政権が直轄する城の築城を、各地の大名に請け負わせた(天下普請)。このことにより、織豊系城郭の技術が諸大名に広まり、各地に織豊系城郭の要素を取り入れた城が多く現れた。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%9F%8E)。

「城」は,たぶん,別に意図していた「しろ」をあてはめたものと考えるのが自然だと思う。とすれば,

「憑シロ(招代)・ヤシロ(家シロ・屋シロ・社)・苗シロ・松シロ・杉シロ」

などにみられる「しろ」と同じ,場所・区画を意味すると考えるのが妥当に思える。たとえば,「悪党」は,荘園に侵入すると,

「城郭を構え,当國,他国の悪党等を籠め置」

いたとされる。それは,「この荘園はおれのものだ」という意思表示でもあった,という(藤木久志『戦国の村を行く』)。まさに,標である。

参考文献;
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)
藤木久志『戦国の村を行く』(朝日選書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ふで


「ふで」は,

筆,

と当てる。

「筆(ふで)とは、毛(繊維)の束を軸(竹筒などの細い棒)の先端に付けた、字や絵を書くための道具である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86)。まさに,「筆」(漢音ヒツ,呉音ヒチ)の字は,

「会意。『竹+聿(手で筆をもつさま)』で,毛の束をぐっと引き締めて,竹の柄をつけた筆」

とである(『漢字源』)。なお,『漢字源』には,

「訓の『ふで』は,『文(ふみ)+手(て)』から」

ともある。ついでながら,「文」(漢音ブン,呉音モン)の字は,

「象形。もと,土器に付けた縄文の模様のひとこまを描いたもので,こまごまとかざりたてた模様のこと。のち,模様式に描いた文字や,生活の飾りである分化などの意となる」

とあり,そのため,

「象形文字や指事文字のように描いた文字のこと」

を「文」という(象形・指事などを親文字という)。「説文解字」に,

「依類象形,故謂之字」(類に依り形に象る,故にこれを文といふ)

とあり,対して,「字」は,

「形声文字や会意文字など,後に派生した字」

を指す(形成・会意文字は子文字という)。

さらに,詩文という場合の「文」は散文,文・筆と相対するときは,文は韻文,筆は散文のことを意味するらしい(仝上)。さらについでながら,「字」(呉音ジ,漢音シ)の字は,

「会意兼形声。子は,孳(ジ)と同系で,子をみ繁殖する意を含む。字は『宀(やね)+音符子』で,やねの下で,たいせつに子を育てふやすことをあらわす」

とある。

和語「ふで」の語源は,

文(ふみ)+手(て),

らしく,「和名抄」に,

「筆,布美天(ふみて)」

とあり,『岩波古語辞典』も,

フミテ(文手)の転,

とし,『大言海』も,

フミテ→フンデ→フデ,

と転じたとする。

「手は書くこと」

の意とする。「て」の項(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%A6)で触れたように,「て」(古形「タ」)は文脈依存の和語から見れば,動作の,

取る,
執る,
捕る,

等々に関わる,と想像できるので,手先の働きの「手を働かせて仕事や世話をする」意味の中に,

「文字を書くこと」

の意がある(『岩波古語辞典』)。だから,

筆跡・文字,

を「手」という。

もともと文字を持たない民族なので,手の動作そのものを意味する「文手」が,道具そのものの意に転じたということなのだろうとも思われる。

しかし『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「文(字や絵)+手(道具)」。フミテ,フンデ,フデの変化。フ(文・書)は文箱・文机・文月のフ。テは方法・手段・用具の意。
説2は,音韻の面から「筆,ヒツヅ,フヅ,フドゥ,フドェ,フデと転訛(金澤庄三郎説),

を挙げるし,『日本語源大辞典』も,

フミテ(文手・書手)の義(箋注和名抄・天朝墨談・名言通・菊池俗語考・本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健・国語學論考=金田一京助・国語の語彙の特色=佐藤喜代治),

が大勢だが,その他,

フミイデの義(日本釈名),
幣束のホデ(梵天)に形が似ているところから(折口学への招待=高崎正秀),
フデ(秀支)の義(日本文学説=黒川真頼),
「筆」の音ヒツの転(国語学通論=金沢庄三郎),
フクテーケ(毛)の反(名語記),

等々ある。筆の音の,

ヒツ→ヒツヅ→フヅ→フドゥ→フドェ→フデ,

は,文字を持たない先祖が,文字と道具を一緒に輸入したと考えると妥当に思えるが,決め手がない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「日」とあてる「ひ」は,「火」と当てる「ひ」とは別語らしい。「ひ(火)」は古形が「ほ」ということもあるが,上代「ひ(日)」は,

Fi,

「ひ(火)」は,

Fï,

の音であった(『岩波古語辞典』)。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hi/hi_day.html)が,それを,

「『太陽』は燃え盛っているもので,『名義抄』には『日,陽,火,ヒ』とあるので,語源は『火』もしくは『火』と同源と考えることができる。しかし,上代特殊仮名遣いで『日』の『ひ』は『甲類』,『火』の『ひ』は『乙類』である」

と説明している。

『岩波古語辞典』は,「ひ(日)」について,

「太陽を言うのが原義。太陽の出ている明るい時間,日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。ヒ(日)の複数はヒビというが,二日以上の長い期間を一まとめに把握した場合には,フツカ(二日),ミカ(三日)のようにカという」

とする。

「元来は、日没から日没まで、あるいは日の出から日の出までをひとつの『日』としている。人はもともと1日のスケジュールは、太陽の動きをもとに決めているのである。『日没が1日のはじまり』と考える習慣がある。。ユダヤ暦では、日没をもって1日のはじまり、日付の変り目とする。キリスト教の教会暦も、このユダヤ暦を継承している。ユダヤ暦や教会暦では、1日は闇で始まり、やがて光に満ちるのである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5)ので,ほぼ人類共通らしい。『大言海』によると,

「明け六つ(午前六時)を一日の初とし,次の明け六つを終とせしを,夜九つ(午前十二時)よりと改むる由,元文五年の暦の端書に見えたり」

とあるので,江戸時代の元文四年(1740)に一日を今日の,零時からと替えたと知れる。時計の影響かもしれない。

「日」(呉音ニチ,漢音ヅツ)の字は, 

「太陽の姿を描いた」

象形文字。

さて,「ひ(日)」の語源である。

『日本語源広辞典』は,

「ピカピカのピ。古代音ピィが,フィ,ヒと変化した語」

とし,「ヒナタは,『日+太陽+ナ(の)+タ(方角)』で,太陽の当る側です。転じて日出から日没までの間」と付言する。

和語は,擬音語・擬態語が多いのは,文字を持たず,文脈に依存し,その場,その時に居合わせた人との会話だからだと思っている。その意味で,言語の抽象度が低い。「太陽」という概念よりは,その光っている状態を表現するという意味で,

ぴかぴか,
あるいは,
ひかひか,

という擬態語から来たというのは説得力がある。「ひかひか」は,「ぴかぴか」の古形とするが,ただ,

「室町末期から用例が見える」

と(『擬音語・擬態語辞典』),時代が遡れないのが難点。

『日本語源大辞典』は,

ケフ(今日)・キノフ(昨日)のフと同源語(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀),
ヒ(靈)の義(東雅・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ヒカリ(光)のヒから(国語の語根とその分類=大島正健),
ヒ(火)の義(和句解・言元梯・名言通・日本語原学=林甕臣),

等々挙げるが,「ひ(火)」説は上代特殊仮名遣いから,「ひ(日)」とは別語なので,消えるし,少し気になる,

ひ(靈),

は,

「原始的な霊格の一。活力のもととなる不思議な力。太陽神の信仰によって成立した観念」

とある(『岩波古語辞典』)ので,「ひ(日)」と関わるが,たぶん,「ひ(日)」の成立によって,「ひ(靈)」に当てたと考える方が順序ではあるまいか。

なお,「ひ」は,

陽,

とも当てるが,「陽」(ヨウ)は,

「会意兼形声。易(ヨウ)は,太陽が輝いて高く上がるさまを示す会意文字。陽は『阜(阝=おか)+音符易』で,明るいはっきりした,の意を含む。」

とあるが,陰陽の「陽」で,易學上語。

「動・生・開・上・前・南・天・男・君・日・晝などすべて積極性の意を有するもの」

で(『字源』),「陰」の対としての,抽象度の高い概念語。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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「火」は「ひ」でも「日」の「ひ」とは,上代特殊仮名遣いで『日』の『ひ』は『甲類』(Fi,),『火』の『ひ』は『乙類』(Fï)で,別語というのは「ひ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463232976.html?1544905611)で触れた。「火」(カ,唐音コ)の字は,象形文字。

「火の燃えるさまを描いたもの」

である(『漢字源』)。

「火」の古形は,「ほ」とし,『岩波古語辞典』は,

「朝鮮語p ïlと同源か」

とするが,それでは古形「ほ」と矛盾しないか。「ほ」は,

火影,
ほむら(炎),
ほくち(火口),
ほや(火屋),
ほづつ(火筒),
ほたる (火垂),

のような複合語に残っていることは,「ほむら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%BB%E3%82%80%E3%82%89)で触れたよに,「ほ」(火)は,

穂,

にも通じる。「ひ・ほ(火)」について,『日本語源広辞典』は,

「抜きん出て燃え上がるもの」

とし,「ほ(穂)」,

「抜きん出ているもの」

の意とし,麦,稲の穂の意とする。『大言海』は,「ほ(穂)」を,

「秀(ほ)の義,分明にあらわるるより云ふ」

とある。際立つ,という含意であろうか。「ほ(秀)」では,

「物の秀でたるに云ふ語」

とある。臆説かもしれないが,「ひ」は「ほ」,「ほ(火)」は,「穂」「秀」に通じるのではないか。『岩波古語辞典』は,「ほ(穂・秀)」について,

「山の峰のように突き出ているもの。形・色・質において他から抜きん出ていて,人の目にたつもの」

とする。価値表現を除くなら,

突き出ているもの,

という状態表現を指していたのではないか。

『日本語源大辞典』には,「穂」を,

ホの義(箋注和名抄・言元梯),
ホはものの立ち上る意(松屋棟梁集),
ホは物のあらわれ出る意(古今集注・和句解・万葉代匠記・日本語源=賀茂百樹),
「穂」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),

という説もあるが,

火の義,穂の出始める色が赤いところから(和訓栞・柴門和語類集・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

とする説もある。「穂」「火」は漢字でしかない。「ほ」は,穂でもあり,火でもあり,秀でもあったのではないか。

火の穂の義(国語本義),

とする説もある。ただ,「ほ」を「ひ」の古形と見なさないとすると,たとえば,

「ひ」は,

火がヒーと発するという音から(日本語原学=林甕臣),
「火」の中国音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),
ヒカル(光)ところから(和句解),

という諸説があるが(『日本語源大辞典』),複合語に多く,古形が残ること,さらに,

「キ(木)に対して,複合語に表れる「コ」(木立,木の葉)と平行的な関係」

で(「木の間」という言葉もある),この「こ(木)」も,

「き(木)の古形。複合語に残っている」

という(『岩波古語辞典』)ことからも,やはり,古形「ほ」とみていいのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ついたち


「ついたち」は,

一日,
朔日,
朔,

等々と当てる。「朔」(サク)の字は,

「会意文字。屰は,逆の原字で,さかさまにもりを打ち込んださま。また大の字(人間が立った姿)を逆さにしたものともいう。朔はそれと月を合わせた字で,月が一周して元の位置に戻ったことを示す」

とあり(『漢字源』),「晦(みそか,つごもり)」の対で,

「ひと月が終って,暦の最初に戻った日」

で,陰暦の月の第一日のこと。だから,『広辞苑第5版』は,

「ツキタチ(月立)の音便。こもっていた月が出始める意」

とし,

「西方の空に,日の入った後,月が仄かに見え始める日を初めとして,それから10日ばかりの間の称」

とある。つまり「月の上旬」を意味した。そこから,

月の第一日,

を意味したが,古くは,

ついたちの日,

という言い方をしたらしい。『大言海』は,

「月立」とあてる「ついたち」
と,
「朔」とあてる「ついたち」

を,別項としている見識を示す。

「ついたち(月立)」は,

「(ツキタチの音便)西の方の空に,陽の入りぬるあとに,月のほのかに見え初むる日を初として,それより十日ばかりかけたる程の称」

とし,「ついたち(朔)」は,

「正しくは,ツイタチの日。陰暦に,月の第一の日。

とある。この意味の変化が,正確なのだろう。

「つきたち(月立)の転化した語で、月の初め、月の上旬をいったが、月の第一の日をいい、とくに正月の第1日(元日)をいうこともある。江戸時代には、『ついたちの雪』(八朔(はっさく)、八朔の雪)といって、陰暦8月1日に、江戸の新吉原の遊女が一斉に白無垢(しろむく)の小袖(こそで)を着用する風習があった。また、陰暦6月1日には、加賀の前田家から将軍家に雪献上があったが、これは真夏のこととて、雪室(ゆきむろ)での貯蔵以上に道中がたいへんであった。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

と,「ついたち」は特別の日であった。

「一日」と当てると,

いちじつ,
いちにち,
いっぴ,

とも訓ませる。「いちじつ」「いちにち」はある日(の一日),終日の意のように,その他の意味もあるが,

「月のはじめの日」

の意味で通じる。こんな多種の,ある種いい加減な訓み方は,文脈に依存し,「ことば」で通じ合うということからきているのではないか。最初「文字」からの意味ではなく,通用「言葉」に「文字」を当てた,持たなかった故なのではないか,と思える。

「ついたち」の語源は,

「月+立つ」

が通説だが,類似の説がある。『日本語源大辞典』は,

ツキタツ(月起)の転(日本釈名・和語私臆鈔),
ツキヒタツ(月日立)の略か(カタ言),
ツキタチイズルの略(関秘録),
ツタツの義(安斎雑考),

と挙げているが,「月+立つ」が大勢である。な,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/tu/tsuitachi.html)は,

「ついたちは、『ふつか(二日)』『みっか(三日)』などとは異なり、『か(日)』を用いない特殊 な語である。平安や奈良時代には、『一日』は『ひとひ』と呼ばれ、『ひとひ、ふつか、みか …』と数えられた。しかし、『一日』は『ある日』『二四時間』などの意味も含み、混同しやすいことから、『ついたち』に呼び方を変えたようである。
 ついたちの語源は、『つきたち(月立ち)』の音韻変化と考えられる。『月立ち』の『立ち』は、『出現する』『現れる』といった意味で、陰暦では月の満ち欠けによって月日を数え、新月が現れる日がその月の最初の日にあたることに由来する。
 ついたちの語源は『月立ち』の意味でほぼ間違いないが、動詞や形容詞では『キ』や『ギ』がイ音便化された例があるのに対して、名詞『つき(月)』の『キ』がイ音便化された例はなく、『つきたち』という語の実例疑問がも認められていないため残る。」

とする。このネット上の『語源辞典』は,いささか,上から目線のくせに,時に外すのが可笑しいが,『大言海』は,「ついたち(月立)」の項で,

「故四月(うづきの)上旬(つきたちの)頃」(古事記・仲哀),
「月立(つきたち)二日」(天智紀),

の用例を挙げている。また,

「『一日』は『ある日』『二四時間』などの意味も含み、混同しやすいことから、『ついたち』に呼び方を変えた」

というのも説明が変だ。むしろ陰暦からきた「ついたち」の概念が浸透したからではないか。「ひとひ」と「ついたち」では,そもそも言葉の由来と発想を異にしている。その奥行が認知されたとみるべきではないか。言葉は,文字が入ることで,それの思想(観念)が入った,ということではないのか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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にち


「にち」は,

日,

と当てるが,「日」は,

「ヒ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで, 

太陽,

で,「日没」「日の出」「日光」「日差し」「日輪」等々。

「ヒ」「ニチ」「ニッ」「ジツ」等々と訓んで,

地球が1周の自転をするのにかかる時間の単位。おもに平均太陽日。暦日,

で,「日々」「半日」「終日」「過日」「先日」「その日」「毎日」等々。

「ヒ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで,

太陽が観測できる時間帯。昼,

で,「昼日中」「日中」「日暮れ」「日夜「等々。

「ひ」「ニチ」「ニッ」「ジツ」等々と訓んで,

特定の一日,

で,「ひにち」「祭日」「日時」「縁日」「吉日」等々。

「ひ」「ニチ」「ニッ」等々と訓んで,

日数,日々,

で,「日が浅い」「日延べ」等々(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%97%A5に加筆)。

まあ,それにしても,いい加減に見える。しかし,文字を持たなければ,その場にいる人に通じればいいので,様々に訓んでも支障はない。しかし,「日」を当てて,ややこしくなった。

「日(ひ)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%B2)の項で触れたように,『岩波古語辞典』は,「ひ(日)」について,

「太陽を言うのが原義。太陽の出ている明るい時間,日中。太陽が出て没するまでの経過を時間の単位としてヒトヒ(一日)という。ヒ(日)の複数はヒビというが,二日以上の長い期間を一まとめに把握した場合には,フツカ(二日),ミカ(三日)のようにカという」
とし,

「日本語では、単独では『ひ』、漢語の数詞に続く場合は『にち』、和語の数詞に続く場合は『か』と読む。大和言葉での『ひ』と『か』の使い分けは、『一日』(ひとひ)、『二日』(ふつか)、『三日』(みか)、『四日』(よか)、『五日』(いつか)、『十日』(とをか)、『二十日』(はつか)、『三十日』(みそか)のように単数の日は『ひ』、複数の日は『か』が用いられる。」

としている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5)。しかし「か」は,「け(褻)」と関わらせると,ただの複数の意とは違って見える。

「け(褻)」について,『岩波古語辞典』は,「晴れの対」とした上で,

「ケ(日)と同根」

とし,

「日常的なこと。ふだん」

の意とする。「け(日)」は,「k ë」で,

「カ(日)の転」

だが,

「『ひ(日)』が一日をいうのに対して,二日以上にわたる期間をまとめていう語」

である,という。「複数だけを表す単語は,日本語には他例がない」とある。「か」は「け」なのである。つまり「晴れ(晴)」とは違う日常に日々なのである。複数なったのには意味があるのではないか。

さて「ニチ」と訓ませる「日」である。「ニチ」は,

ニツ,
ジツ,

とも訓ませる。漢字「日」は,「ひ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%B2)で触れたように,

「太陽の姿を描いた」

象形文字だが,呉音で,ニチ,漢音でジツと発音する。「ニチ」の「日」は,漢字「日」そのものから由来していることになる。

上記に触れたように,

太陽の「ニチ(ジツ)」
昼の「ニチ(ジツ)」
昼間の「ニチ(ジツ)」
一日の「ニチ(ジツ)」
特定の日の「ニチ(ジツ)」

である。「太陽」を意味し,それが,「太陽の出ている間」を意味し,それが「一日」となり,抽象化された「日にち」になった,という意味の抽象化の流れはよく見える。『漢字源』の意味をみても,

太陽→昼間→一昼夜→ひとひ→暦日,

という意味を転じていくのが見える。それと重なるのは,漢字「日」を採り入れた影響と見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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家紋


「家紋」は,日本固有の紋章で,「古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた」が,

「241種、5116紋以上の家紋がある」

とか(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)で,2万近くの家紋があるとか。そもそも家紋の起こりは何か。

「『源平藤橘(げんぺいとうきつ)』と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%B4%8B)のが一つの説明だが,似たのは,

「古くより家系や、家柄・地位を表すために用いられていた家紋。元々は同じ氏族の人間と区別を図るために、土地の名前などを自分の屋号として作り、それが後の名字になりました。」

という(http://db-shop.jp/magazine/2017/09/5528)のもそうだが,「家紋」の由来の説明にはなっていない。

一つのヒントは,

「家紋は、もともと天皇や皇族が着物につけた柄から生まれ、 その柄を決まった紋様にし、自分の牛車につけたものが家紋の始まりといわれています。」

とあるのだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そして,どうやら,牛車に付けたのは,

白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いた,

のを嚆矢とするらしい。

「家紋の起源は、平安時代中期に遡る。『愚管抄』(1220年)に白河天皇の外祖父・藤原実季が「巴紋」を牛車に用いたと記されているのが最古の記録だ。自分の牛車を探す際の目印に用いたといわれ、ほかの貴族たちも真似て、独自の紋を作り、牛車や衣類などにつけるようになった。」

とある(https://www.news-postseven.com/archives/20140516_255939.html)。

しかし,すでに家紋があったから,それを牛車に付けたまでのことだ。では,「家紋」はどこから来たか。

『大言海』は,「紋」の項で

「其初めは衣,袴の織模様,染模様に,家々一定の形を用ゐたるに起こる。即ち,菊桐の御紋も,御衣の織模様に起これるなり。幕の紋,旗の紋より,車,鎧,衣服,諸調度,皆目標として着く(源平の戦の頃,幕,旗などに付けて目標としたるが如し)」

とある。つまり,最初は,家系ごとの織模様,染模様だったというのである。その文様は,

「文様の原型は大陸から伝来してきた文化・仏教の影響を色濃く受け、飛鳥時代にはすでに用いられており、平安時代にはすでに広く普及していたようです。家紋は文様の意匠を取り入れながら、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものからスタートして、室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化していきました。」

ということらしい(http://kamondb.com/history.html)。たしかに,直垂のところで,文様について,

「格子,筋,引両等の染物から,忍摺,沢瀉摺,島摺,などの摺物,あるいは萩,竜胆,鶴丸等の各種の文様の織物」

と説明があり(『有職故実図典』),そこから家紋へと純化されていった,と思える。

「熊谷直実のしていた直垂模様に『鳩に寓生(ほや)』を出して,『家の紋なれば』(源平盛衰記)とした」

とある(『武家の家紋と旗印』)のは,その一例だろう。そこから,

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」(仝上)

とあるが,源平合戦では,

「へいけのあかはた三十よながれ,大うち(内裏)にはげんじのしらはた二十よながれ」(『平治物語』)

と,赤旗,白旗が目印であった。武士が,明らかに,意識して用い始めているのは,土佐坊昌俊が源義経討伐のため,

「二文字に結雁(むすびかりがね)の旗をたまわりけりとかや」(源平盛衰記),

とか,

「武蔵…の児玉党を称した有力武士団の団扇じるしが『こ玉とうすとおぼしくて,うちわのはたさいたるものども十き(騎)ばかり』(平家物語)とでてくる」

という(仝上)のは,すでに旗印に用い始めている例である。で,

「西欧では家紋が先に整って,それを旗に拡大したパターンとして,く示す風から,旗印が展開した。日本は逆で,まず旗が働き出して,そこへつけた目印から,家紋へとエスカレートした」

とい見解になる(仝上)。それは,地方に蟠踞した地ばえの武士モドキにとって,おのれを顕示する格好のツールだったということだろう。とりわけ,戦の中でこそ,おのれを示す絶好の機会だから,旗で,おのれを自己アピールする絶好の機会でもあった。

「武将は、旗指物に大きく家紋を描き、戦場において敵見方の区別、 そして大将からは、どの武将がどれだけ活躍しているかの判断に使われました。」

ということだろう(http://www.anniversarys.co.jp/page134.html)。そこから,鎧,着物へと広がっていく。

我が家は,横木瓜らしいが,それは,

「胡瓜の切り口から案出されたという。が、本当は地上の鳥の巣をあらわしている。もっこうと 呼びならされてきたのは、多くの神社の御簾の帽額(もこう)に使われた文様だからという。この紋は鳥の巣であるから、 卵が増えて子孫が繁栄し、また神社で用いられる御簾から、神の加護があるというめでたい紋といえそうだ。」

とある(http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/mokkou.html )。

参考文献;
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
高橋賢一『武家の家紋と旗印』(秋田書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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いみじ


「いみじ」は,「忌む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%84%E3%82%80)とつながる。

「イ(忌)の形容詞形で,禁忌として決して触れてはならないと感じられるというのが原義。転じて極度に甚だしい意で,善にも悪にもいう。平安朝女流文学などでさかんに使われ,漢文訓読体や軍記物語ではほとんど使われない」

とある(『広辞苑第5版』)。で,

(忌避したいものの程度が大変甚だしい意)悲しい,つらい,困った,恐ろしい,情けない等々,
(讃美したいものの程度が甚だしい意)たいそううれしい,すばらしい,立派だ等々,
(修飾語として,被修飾語の持つ属性の程度の甚だしいことを示す)
はなはだしい,たいそうな,

と意味が載る。要は,いい意味でも悪い意味でも,凄い,という意味で,今日の,

やばい,

が,「あぶない」意から,「凄い」「酷い」という意へ転じたのと重なる。だから,

程度が甚だしい,普通でない,

意で,善悪問わず使うので,

(望ましい場合)たいそう…である,すばらしい,立派である。たいへんうれしい,

となるし,

(望ましくない場合)ひどく…である,ひどい,すさまじい,たいそうつらい,ひどく悲しい,

となる(『大辞林』)。

「中古においても訓点資料や歌集には使われず、多く物語や日記で用いられた。程度のはなはだしいさまを表わし、解釈上は前後の文脈から具体的に補って理解すべきことが多い。平安末期から良い意味に用いられることが多くなっていった」

とある(『日本国語大辞典』)ので,和語らしく,文脈に依存して,様々の意に使われる。文脈を見ないと,その正確な意味は,つかみ難いのは「やばい」と似ている。

『岩波古語辞典』は,

「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」

とし,「ゆゆし」と関連づけている。「ゆゆし」の項で,

「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」

とある。「いみじ」が,

避ける,

ニュアンスとすると,

「ゆゆし」は,

畏れ,

が強いが,その感情だけを抜き出せば,

甚だし,

となる。『岩波古語辞典』は「忌む」で,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味を並べた。

「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」

とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。

『大言海』は,「いみじ」の項で,

「斎(いみ),忌(いみ)を活用す。其事だつ意」

とする。「斎」「忌」は,

斎むこと,
忌むこと,

で,「斎む」とは,

穢れを避けて身を清める

意であり,「忌む」は,

穢れを避ける,

意である。結局,「穢れ」を畏れるから,「斎む」のであり,「忌む」のである。その心性は,同じである。「い(斎)」は,

「イミ(斎・忌)と同根。」

で,「神聖であること」「タブー」の意だが,「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」など,複合語としてのみ残っている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ゆゆし


「ゆゆし(い)」は,

由由し(い),
忌忌し(い),

と当てる。『広辞苑第5版』には,

「神聖または不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」

とある。で,

神聖であるから触れてはならない,畏れ多くて憚られる,

言葉に出すのも畏れ多い,

穢れがあるので触れてはならない,

不吉である,縁起が悪い,

うとましい,いやだ,

恐ろしい, 気懸りである,

空恐ろしいほどに優れている,

物事の程度が甚だしい,容易でない,

豪勢である,すばらしい,

勇ましい,立派である,

等々と,「いみじ」と似た意味の変化の流れを示す(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』による)。

「いみじ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%84%E3%81%BF%E3%81%98)で触れたのと重なるが,『岩波古語辞典』は,

「イ(忌)の形容詞形。神聖,不浄,穢れであるから,決して触れてはならないと感じられる意。転じて,極度に甚だしい意」

とし,「ゆゆし」と関連づけ,「ゆゆし」は,

「(ゆゆしの)ユはユニハ(斎庭)・ユダネ(斎種)などのユ。神聖あるいは不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ち。転じて,良し悪しにつけて甚だしい意。」

とする。「いみじ」が,

避ける,

ニュアンスとすると,

「ゆゆし」は,

畏れ,

が強いが,その感情だけを抜き出せば,共に,

甚だし,

となり,その価値表現は,善悪同じである。『岩波古語辞典』は「忌む」で,

「イはユユシのユの母韻交替形。タブーの意。つまり,神聖なもの・死・穢れたものなど,古代人にとって,激しい威力を持つ,触れてはならないものの意。従ってイミは,タブーと思う,タブーとして対処する意」

とあり,

(口に出すことがタブーだから)決して言葉にしない,
(触れてはならぬと)避ける,
(ある定まった行為を)してはならないとする,
相容れないもの,受け入れがたいものとし嫌う,

という意味を並べた。

「いみじ」は「忌み避けなければならない」であり、
「ゆゆし」は「神聖で恐れ多い」です。

とするものがあった(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119462580)が,「畏れ」と「避ける」は,グラデーションのように微妙に連なる。

『大言海』は,「ゆゆし」を,

斎斎し,

と,

忌忌し,

と二項分けるという,「ゆゆし」の言葉の意味から「忌」だけではない,意味の幅を捕える見識を示している。「斎」と「忌」は,裏表である。「斎斎し」について,

「ゆゆは斎斎(いみいみ)の轉。斎み慎む意」

で,「畏れ多く忌み憚るべくあり,忌忌(いまいま)し(恐(かしこ)みても,嫌ひても云ふ)」の意味とし,「忌忌し」は,

「忌忌(いみいみ)しの約」

で,

畏れ多く忌み憚るべくあり,
いまいまし,きびわろし,
殊の外にすぐれたり,殊の外なり,甚だし,いみじ,おそろし,えらい,すさまじ,

等々の意味を載せる。つまり,「ゆゆし」の意味の転換には,

斎斎し

忌忌し,

と,漢字を当て替える段階があり,そこで,畏れから嫌いへ転じ,(良くも悪くも)甚だし,へと意味がシフトしたとみる。この見解が妥当だと僕には思える。漢字を当てるには,古代人は結構知識を駆使しているのだから,意味の変化に合わせて,「斎→忌」と当て替えた,その時点が意味の変化のテッピングポイントなのだと思われる。

だから,本来は,

「ゆ」(斎)を重ね、形容詞化したもの,

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%86%E3%81%97)のが妥当なのだろう。

『大言海』が,「いむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%84%E3%82%80)で触れたように,

斎む,
忌む,

の二項に分ける見識を示したこととつながる。「斎む」は,

「斎(い)を活用す」

とし,

「凶穢(けがれ)を避けて,身を浄め慎む。神に事振るに云ふ」

とする。「忌む」は,

「斎むの轉。穢事を避け嫌ふ意より移る」

とし,

(禍事を)嫌ひ避く→憚る→憎み嫌ふ,

という意味の転化を示している。この「いむ」と「ゆゆし」は重なるのである。単に,

甚だしい,
大変だ,

意となって以降,

由々しい,

と当てたものと思われる。「由」(呉音ユ,漢音ユウ,慣音ユイ)の字は,

「象形。酒や汁を抜き出す口のついたつぼを描いたもの。また,〜から出てくるの意を含み,ある事が何かから生じて来たその理由の意となった」

とある(『漢字源』)。「由来」「由縁」といった言葉との関連の中で,「ゆゆしい」の言葉が意味を反映している気がするのは錯覚か?

『日本語源広辞典』も,

「ユ(斎)+ユ(斎)+シ(形容詞化)」

とし,「ユは,神聖な霊力です。ユユシで『触れるのが恐ろしい』『触れると災いを招く』ところから「不吉だ」の意です」

とするのが妥当に思える。

『日本語源大辞典』は,「ゆゆし」の意味の変化を,

「ゆ(斎)を重ねて形容詞化したもので,手に触れたり,言葉に出したりしては恐れ多く,あるいはそれが不吉であることを表す。上代の用法は『ゆ(斎)』の意識が濃厚で,死んで井出恐れ多い場合と,縁起が悪く不吉なものを表す場合とがある。中古以降は,単に程度のはなはだしさを表す用法もみられるようになるが,その場合でも不吉さを含んだものがみられる。中世には,非常にすぐれているのような,プラスの意味の程度の甚だしさをいうようになる。」

とまとめている。

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やばい


「やばい」は,

ヤバイ,

とも表記されるが,本来,

危険である,
不都合である,

といった,危ない,あるいは,芳しくない状態を表現する,いわば状態表現であった。しかし,今日の「やばい」は,明らかな価値表現に転じていて,

凄い,

という意味と,

圧倒される,

という意味と,

魅了される,

といった含意をこめた,主体表現に転じている。

「『ヤバい』は江戸時代の滑稽本・十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも『やばなこと』という表現が見られる。」

として,

「江戸時代の矢場(射的場)では隠れて売春が行われていたため、そこに下手に居合わせ、役人から目をつけられたら危ないという意味で、「ヤバい」と言われるようになったという説が有力。元々は盗っ人たちの隠語だったため、今でもテレビや新聞では使用を避けられる傾向がある。」

とか(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134),

「有力なのは江戸時代の射的場の「矢場」から来ている言葉だとする説が有力です。当時の矢場は遊興施設で時には売春が行われていました。矢場にいて役人に目を付けられたら危ない、ということでやばいと言う言葉が生まれたとしています。
他には、江戸時代は牢屋のことを厄場(やくば)と呼んでいて厄場に入れられるような状態をやばいと呼ぶようになったという説、江戸時代の盗賊や香具師が使っていた「いやあぶない」と言う言葉が転じたと言う説、などがあるようです。」

とか(https://fm0817.com/yabai-gogen),江戸時代に由来させる説が多い。

「牢屋説」は,『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/36ya/yabai.htm)。

「やばいとは『危ない』『悪事がみつかりそう』『身の危険が迫っている』など不都合な状況を意味する形容詞や感嘆詞として、江戸時代から盗人や的屋の間で使われた言葉である。その後、やばいは戦後のヤミ市などで一般にも広がり、同様の意味で使われる。1980年代に入ると若者の間で『怪しい』『格好悪い』といった意味でも使われるようになるが、この段階ではまだ否定的な意味でしか使用されていない。これが1990年代に入ると『凄い』『のめり込みそうなくらい魅力的』といった肯定的な意味でも使われるようになる。」

あるいは,

「『やばい』が文献に現れるのは、…19世紀末の『日本隠語集』に「ヤバヒ…危険なること則ち悪事の発覚せんとする場合のことを云ふ」とあるのが最初です。(中略)18世紀末の歌舞伎の台本などに『やばな』という形容動詞連体形として残っています。つまり、形容詞「やばい」よりも先に…「やば」という名詞が存在したということも想像できます。…「やば」…も文字として残っているものはいわゆる隠語(盗っ人言葉)であり、『看守』とか『刑事』を表す言葉です。やばり江戸の後期から使われていたようですね。しかし、それ以前に遡ることはできません。」

と(http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2011/11/post-8502.html),隠語として使われていたことをしのばせる。

臆説だが,「矢場」は「やばい」の「やば」からの連想にすぎないように思えるので,普通に考えれば,

牢屋,

か,それと関連した,

牢番,

の意と推測できる。

牢屋を厄場(ヤクバ)と呼んでいた,

とする説もある(https://www.yuraimemo.com/4800/)。

辞書にはほとんど載らないが,『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1,「野馬(危険な馬)+い」。危ない意,「ヤバな」の形容動詞の用法もある,
説2,「矢場(遊技場)+い」。表向き矢場で,売春場の「ヤバ」は取り締まりが多く,特に官憲に追われたときの隠語にヤバイが遣われることが多かった,

とする。「矢場」は,

弓を射る場,弓場(ゆば)。楊弓場(ようきゅうば 料金を取りて,楊弓(小弓)の遊戯を成さしめる所),

だが,

(表面は楊弓店を営みながら矢取りの女に売春をさせていたことから)淫売,

の意味もある(『広辞苑第5版』)が,どうもしっくりこない。「野馬」は,「野飼いの馬」「のうま」の意。確かに荒々しいが,これもぴんと来ない。しかし,

矢場,

薬場,

説が大勢のようだ。いつもながら,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B0%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「やばいとは、警官が大挙して不法ギャンブル場にやってきて『中を拝見したいので入れてくれないか』とドアをノックするとき、そこに居合わせた裏社会の楽しい仲間たちがおおいにうろたえて照明を消しながら口々に発する言葉。つまり『危ない』という意味。近年では、いつでも裏社会からお誘いを受けそうな少女たちが「気持ちがうろたえるほど素晴らしい」という意味で気軽に用いている。」

と意味の転換を鮮やかに言い当てている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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マジ


「マジ」は,

「まじめ」の略,

とある(『広辞苑第5版』)。「まじめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E3%81%BE%E3%81%98%E3%82%81)は,すでに触れたように,語源的には,

マジ(擬態・まじまじ)+目

で,真剣な顔つき,誠実な態度,誠意があるなどの意味になる。

まじまじ

は,

「マジマジ(目の擬態語)」

で,「目を据えて一心に見る」

という意味になる。『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/31ma/maji.htm)には,江戸時代から使われていたとして,

「マジとは真面目の略で、『真面目』『本気』『真剣』『冗談ではない』といった意味で使われる。マジは江戸時代から芸人の楽屋言葉として使われた言葉だが、1980年代に入り、若者を中心に広く普及。『マジで』『マジに』といった副詞として、また『マジ○○(マジ話(まじばな)・マジネタ・マジ惚け・マジ面(まじづら))』といった形容詞的にも使われる。また、『本気』と書いてマジと読ませるマンガなどもある。」

としている。現に,『江戸語大辞典』には,

@「まじめ」の略。真面目,真顔(天明元年・にゃんの事だ「幸次郎と盃事すむ。お梅はしじうまじて居る」),
A本当,真(まこと)(寛永六年・一向不通替漸運「三かつ,まじにうけ,とんだ事をおめへいふもんだぞ」),
Bまんじり(嘉永六年以後・柳之横櫛「二晩間睡(まじ)ともしねえところへお造酒(みき)がまはつて来たもんだから」),

と,意味が載る。「寛永」年間まで遡るようだ。

どうやら,「マジ」は江戸時代に芸人の楽屋言葉、いわゆる「業界用語」として生まれたものらしく,今と同じ「真面目に」という意味で、「マジになる」「マジな心」といった用法が確認されている(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134)という。同じ説は,『日本語不思議辞典』(https://wisdom-box.com/origin/ma/maji/)にも,「芸人の楽屋言葉」とある。

そこから,

「ほんに男猫も抱いて見ぬ、まじな心を知りながら」(歌舞伎当穐八幡祭)

といように広く使われたとみられる(http://athena-minerva.net/seikatu/173/)。

ただ語源説には,この「真面目の業界用語」説以外に,

打消推量の文語体である「まじ」から,

というの説もある(https://matome.naver.jp/odai/2145706034644485501, https://wisdom-box.com/origin/ma/maji/)らしい。

「『ただ今は見るまじ』とある『枕草子』、『この事は更に御心より漏らし給ふまじ』という記述がある「源氏物語」など(雑学解剖研究所),「ホントに??」と言うときの「マジで?」はこっちに近いですね。」

とする意見は,もっともらしく聞こえる。

この「まじ」は,

「『ましじ』(まじの古形。奈良時代に使われた)のつまった形で,平安時代以後にはじめて使われるようになった。これは,動詞・助動詞の終止形を承けるが,(中略)『べし』の否定形『べからず』に当たる意味を持ち,一人称の動作につけば『…ないつもりだ』の表現者の否定的意思を表し(枕草子『われはただ今は見るまじ』),二人称の動作につけば相手に対して『当然…ではいけない』という禁止の意を表し(枕草子『童より他にはすべて入るまじと戸をおさへて』),三人称の動作につけば,『…のはずがないだろう』という否定推量または『…できそうにない』という不可能の推量を表す(枕草子『(六位の)緑杉(ろうさう)なりとも雪にだにぬれなば憎かるまじ』)ことが多い」

とある(『岩波古語辞典』)。さらに,『日本語の語源』は,「ましじ」の由来を,

「オモフ(思ふ)の省略形モフ(思ふ)[m(of)u]を早口に発音するとき,ム(む)に縮約された。これを活用語の未然形に接続させて推量・意志の助動詞が成立した。(中略)『む』の未然形『ま』は助動詞を接続しない。その空き間性を利用して形容詞化の接続語『し』をつけたため『まし・べし・ましじ』が成立した」

としている。「まじ」には,否定,禁止,の意はあっても,「真面目」の意味はない。たんに「語感」や語呂だけで,類推したものというしか思えない。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%BE/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,例によって,

「相手が一概には信用できない発言をしたとき『マジ?』と聞き返すことがある。同じような意味で『ウソ!』という聞き返し方もある。『マジ?』の方は『真実ですか?』と疑っているので疑問形のアクセントで、『ウソ!』の方は『ウソだ!』と決めつけているので肯定形のアクセントで用いる。このように、初心者が使用するにあたっては多少の練習が必要である。」

と皮肉っている。「マジ」は,あくまで,真面目,本当,の含意があってこそ,

マジ?

の問いが活きる。語呂だけからいうなら,『日本語源大辞典』に「まじ(真風)」,

まぜ(真風),

ともいい,

南風,
北風,
西風,

と地方によって意味が違うらしいが,

西南の方より吹く強き風,

の意らしい(大言海)。この語源説の他に,

よいマ(間)を意味する名か(方位考=柳田國男),

という説があるが,語呂でいうなら,いくらでも「マジ」に合わせて理屈はつく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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ムカつく


「むかつく」は,

胸がむかむかする,

という状態表現だが,

「ムカつく」と表記すると,

癪にさわって腹が立つ,

という感情を表す価値表現へと轉ずる。

向かっ腹,

の意である(「向かっ腹」はhttp://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E8%85%B9で触れた)。

『大言海』には,

癪にさわる,

の意も載り,「京阪にて」という但し書きが付く。他にも,

「『ムカつく』は、『胃腸がむかつく』という言い方がされるように、昔から吐き気や胸焼けが起きていることを指して使われてきた言葉だ。そこから転じて、関西では江戸時代になって『癪に障る・腹が立つ』という現在見られる用法で用いられるようになった(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52134)。

「むかつくとは『胃がむかつく』に見られるように、胸焼けや吐き気をもよおすことだが、関西などエリアによっては江戸時代から『癪に障る・腹が立つ』という意味でも使われる。」(http://zokugo-dict.com/33mu/mukatuku.htm

等々とあるので,関西方面から,意味が転じてきたというのは確かのようである。

「むかつく」という言い方に,とっさに,「むかむか」との関係が思いつく。「むかむか」は,『岩波古語辞典』には,

「はげしい感情が急激におこるさま。特に,急に腹が立ってくるさま」

とある(「むかつく」は載らない)。さらに,「むかむか」は,

「古くは『さる程に任(じん)氏はむかむかと楽しうなったぞ』(史記抄)のようにプラスの感情が込み上げてくる様子についても使われた」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。「むかむか」は,「むかっ」という擬態語とつながる。「むかっ」は,

急に怒りが込み上げてくる様子,
急に吐き気が込み上げてくる様子,

の意で,「向かっ腹」の「向かっ」とつながる気がする。「むかっ」は古くは「むか」で,「むかと腹が立つ」という言い方をしていたし,「向かっ腹」も「むか腹(ばら)」であったのだから,

「ムカムカ(擬態語)+パラ(腹が立つ)」

もおかしくはない(『日本語源広辞典』)。とすれば,「むかつく」も,

むかむか→むかつく,

の変化は,考えられる。『日本語源広辞典』は,

「ムカ(擬態語ムカムカ)+ツク(動詞化)」

とする。「ムカ」は,「むかむか」の「ムカ」ではなく,「むか(っ)」の「ムカ」でもあり得る。しかし,

「『むかつく』は、平安時代後期には既にあった言葉で、『胸がむかむかする。吐き気がする』という意味で使われていました。その点は現在もほとんど変わりませんね。ただ、『腹が立つ。頭に来る」という意味で使われるようになったのは、江戸時代以降のようです。昔は『むかづく』と濁って使われることもあったようです。『つく』は『付く』ではないでしょうか。
語源的には、『むかむか』を考えたくなりますが、文献を見る限り、『むかむか』が感情の高まり
を表す語として用いられた例は、室町時代(15世紀後半)までないようです。つまり、文献の範囲では、『むかむか→むかつく』ではなく、むしろ『むかつく→むかむか』という変化の方が可能性が高い、といえます。」

と否定している。ただ,日本語の特徴は,文脈依存度が高く,ということは,口頭で使われる言葉が,文字を介して,抽象度を上げていく傾向がある,と見ている。その意味では,擬態語・擬音語から動詞化の方が,考えられる気がする。逆の,なえる→なえなえ,と言うように,動詞から擬態語・擬音語もなくはないが。

やはり,

むかむか→むかつく,

というより,古形の「むか」の,

むか→むかつく→むか腹,

の変化と見ていいのではないか。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/33mu/mukatuku.htm)は,江戸時代以降として,

「1970年代後半のツッパリブーム時には不良が教師や親、警察、敵対する人・グループといった自分たちの自由や思惑の邪魔になる者を対象に、後者の意味で全国的に使うようになる。1980年代に入ると世代・エリアを超え、こちらの意味でも広く浸透。また、1998年に栃木県で起きた教師刺殺事件で犯人の中学生の発言に使われ話題となった。マンガなどではムカつくという表記も使われる。」

と,現在への変化を示しているし,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%80/%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「ムカつくとは、吐き気がするとか胸が焼けるという意味だが、主に『吐き気がするほど腹が立つ、相手に嫌悪感を感じる』などといいたいときに用いる言葉。最近の心優しい若者たちは、めったに腹を立てたり、相手を嫌悪したりすることがないせいか、その種の語彙が非常に少なく、たまにそのような状況におちいると、バカの一つおぼえのように『ムカつく』という。」

と,揶揄する。確かに,「ムカつく」という言い回しには,「ヤバい」と同様,言語表現力の稚拙さを感じさせ,退化を感じるのは,老人の僻事か。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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びびる


「びびる」は,

ビビる,

と表記したりするが,

はにかむ,
気後れする,
尻込みする,

意である(『広辞苑第5版』)。「はにかむ」意ではあまり使わないが,気後れの意で使う。これは,

平安時代まで遡る,

という説がある。平安時代まで溯るかどうかは分からないが,『岩波古語辞典』に載り,

気おくれがする,

意の他に,

はにかむ,
恥じらう,
物惜しみする,けちけちする,

意が載る。「物惜しみする」意は,「志不可起」に,

「人の嗇(しわ)くて物惜しむをびびると云ふ」

とある。『江戸語大辞典』には,

はにかむ,はずかしがる,しりごみする,

の意が先ず載り,その用例に,

「引かれるとそのくせびびる浅黄うら」(明和八年川柳評万句合),

が載る。「浅黄(浅葱)色」とは,緑がかった薄い藍(あい)色)の木綿布を裏地に用いた着物の意で,

「実用性に富むことから、江戸時代に江戸庶民の間で一時流行した浅葱木綿の着物であったが、流行が廃れても田舎侍や生活が困窮していた下級武士などが羽織の裏地に浅葱木綿を使っていた。江戸っ子のいきとは反対で、表地だけ豪華に見えるが実際は粗末な服という意味の隠語である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%91%B1%E8%A3%8F)。「無粋野暮の骨頂として遊里のふられ者の標本となった」(仝上)者を揶揄している。「はにかむ」というより「尻込みする」意だろう。

その他に,

すねて素直でない,ぐずぐず言う,

意があり,

「びびる,小児の強(すね)てすなほならぬをビビルといふ」(俚言集覧),

の用例が載る。『江戸語大辞典』には,

びびりこ,

という言葉も載り,

はにかむ子,すねてぐずぐず言う子,

の意で,

びびりっこ,

とも言ったとある。

「びびる」は,どうやら,江戸時代の言葉と見られる。

「『びびる』の語源として広まっている『平安時代からあることばで、戦で鎧が触れ合う音に由来する』という説は誤りであると考えられる。『びびる』の用例が確認できるのは江戸時代から。この説は平成に入ってから突然現れたもので、どうやら1988年に出た本の誤読から生まれたようだ。『びびる』がオノマトペに由来しているという点はおそらく正しい。」

とあるhttp://fngsw.hatenablog.com/entry/2018/06/13/192334し,調べる限り,用例は全て江戸期の例のようだ。その誤解のいきさつは,上記サイトhttp://fngsw.hatenablog.com/entry/2018/06/13/192334に譲るとして,では語源は,というと,シンプルに,

びくびくするの簡約語,

である(『日本語源広辞典』)。つまり,

びくびくする→びびる,

で,これは,

びくびくする→びくつく

ともつながる。要は,和語らしく,擬態語由来ということだ。ちなみに,

びくっ,

は,

一回の動作,

びくびく,

は,

何回か連続した動作,

ということになる(『擬音語・擬態語辞典』)。びくつくは,

「『びく』に『ごたつく』『べたつく』などの『つく』が付いたもの,らしい。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/27hi/bibiru.htm)には,

「江戸時代には舞台前に緊張や気後れから萎縮することを意味する楽屋言葉として芸人の間で使われ、特に関西エリアでは一般にも普及。1970年代後半のツッパリブームになると、ケンカ前に相手におじけづくことや悪事をする前におじけづくことを指し、不良少年の間で重用される。1980年代には世代・エリアを超え、広く普及すると同時に、おじけづいている人や萎縮しやすい人を意味する名詞形のびびりも使われるようになる。」

と,70年代に急に復活した謂れが載る。『大言海』には載らないが,『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』には載るのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ふね


「ふね」は,

船,
舟,
槽,

と当てる。「舟」(漢音シュウ,呉音シュ)の字は,

「象形。中国の小舟は長方形で,その姿を描いたものが舟。周(シュウ)・週と同系のことばで,周りをとりまいたふね。服・兪・朕・前・朝等の字の月印は,舟の変形したもの」

とある(『漢字源』)。さらに,

「船は,沿と同系で,流れに沿って下るふね。舶は,泊と同系で,沖にもやいして岸には着かない大ぶね。艇は挺(まっすぐ)と同系で,直進するはやぶね。艦(カン)は,いかめしいいくさぶね。」

とある。「船」と「舟」の違いは,あまりなく,

「漢代には,東方では舟,西方では船といった」

とある(『漢字源』)。「航」(コウ)も「船の別名」とある(『字源』)。「舫」(ホウ)は,「もやいぶね」「兩船を並べる」の意。今日,「舟」と「船」の違いは,

「動力を用いる大型のものを『船』,手で漕ぐ小型のものを『舟』」

と表記する(http://gogen-allguide.com/hu/fune.html)。

「『舟』や『艇』は、いかだ以外の水上を移動する手漕ぎの乗り物を指し、『船』は『舟』よりも大きく手漕ぎ以外の移動力を備えたものを指す。『船舶』は船全般を指す。『艦』は軍艦の意味である。(中略)つまり、民生用のフネは「船」、軍事用のフネは『艦』、小型のフネは『艇』または『舟』の字」

を当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9)とか。

「ふね」に当てる「槽」(漢音ソウ,呉音ゾウ)の字は,

「会意兼形声。『木+音符曹(いくつも並べる,ぞんざいに扱う)』で,いくつもあって,大切でない今日の容器」

であり,「かいば桶」の意である。これが「ふね」に当てられた理由は分からないが,「舟」に,

「水などを入れる桶」
「酒や醤油を絞る桶」

の意味で使うのは我が国だけで,「湯舟」「酒舟」等々という言葉もある。「槽」には,

酒を貯えておく容器,

の意味があり,「酒槽(シュソウ)」という言葉もある。このつながりで,「ふね」に当てたのではあるまいか。「槽」を当てるのは,

箱形の容器,

だけで,

酒槽(さかぶね),
紙漉槽(かみすきぶね),
馬糧桶(うまぶね)

等々と訓ませる。それとの関係だろうか,「棺」を「ふね」と訓ませ,

棺入り,

を「ふないり」などと訓ませる。我が国だけの言い回しである。

さて,和語「ふね」の語源である。『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』は,

「古形フナの転」

とする。他の例に洩れず,複合語に残る。

船乗り(ふなのり),
船べり(ふなべり),
船宿(ふなやど),
船人(ふなびと),
船足(ふなあし),
船遊び(ふなあそび),
船泊(ふなどまり),
船筏(ふないかだ),
船歌(ふなうた),
船路(ふなじ),
船出(ふなで),
船底(ふなぞこ),
船橋(ふなはし),
船便(ふなびん),
船盛り(ふなもり),

等々。とすれば,「ふな」から語源を考えるのが順当のはずである。しかし殆どは,それを無視しているようにに見える。

『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「フネ(容器)」説。曲げ物のフネ,岩船寺のフネなど,
説2は,「ヘ(容器)の転じたフに,ネ(接尾語,動くもの)を加えた,

と,「容器」由来説を採る。同趣は,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/fune.html)で,

「水槽や大きな容器を表す古語『ふね(槽)』からとする説が有力とされている。しかし、浴槽の『湯船』や魚介類などを盛る容器をいう『舟』は船の形からきたものであるため、 古語の『ふね(槽)』も同様のたとえから派生した語とも考えられる。『ふね』の『ね』は 接尾語で、『ふ』は水に浮かぶことから『浮』とする説や、帆を張ることから『帆』とする説がある。」

しかし,僕は逆なのではないか,と思えてならない。容器を船に準えるよりは,壺や甕といった容器一般ではなく,大きな槽タイプは,「フネ(舟)」に準えた,と見るのが妥当ではないか,と思うのだが,「容器」説は少なくない。

フネは容器の称(海上文化=柳田國男・日本の言葉=新村出),
物を載する器の意(和訓栞),
フは容器の意のヘの転。ネは接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄),

等々。しかし,「へ」については,「かめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%8B%E3%82%81)で触れたように,

「カ(瓮)メ(瓶)の複合語。メはベの転」(『岩波古語辞典』),
「甕(か)と瓮(へ)と合したる語ならむ」(『大言海』)

で,「カメ」を構成する「へ」は,

瓮,

の字を当て, 「酒や水を入れたり,花を挿したりなどする底の深い容器」

である。「へ」は,「フ」になったのではなく,「瓮(ヘ→カ)」と「甕」へと転じていく。水・酒などの容器である甕があるのに,その「へ」を「フ」に転じて,容器に使うのかどうか,ちょっと疑問符が付く。

他は,「浮く」に絡める説が多い。

フカキニウカヘル(深浮)の略フへの転(日本釈名・類聚名義抄),
ウカブメグルの上下略に通ず。またネは根の義で岩根にウカブ意(滑稽雑誌所引和訓義解),
浮かぶ意で,ネは根の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ウクナ(浮名)の義(言元梯),
フはウカムの約転。ネはノレの約(和訓集説),

どちらかを選べ,というなら,ぼくは,「浮」の「フ」を採る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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うく


「うく」は,

浮く,

と当てる。「浮」(フ,呉音ブ,漢音フウ)の字は,

「会意兼形声。孚は『爪(手を伏せた形)+子』の会意文字で,親鳥がたまごをつつむように手でおおうこと。浮は『水+音符孚』で,上から水を抱えるように伏せて,うくこと」

とある。沈の対である。我が国でのみの使い方は,「浮いた考え」とか「金が浮く」とか「浮いた気持ち」とか「考えが浮かぶ」とか「歯が浮く」というように,本来の「浮く」の意味に準えたような,「うかぶ」「うかれる」「あまりがでる」「うすぶ」等の意味での使い方は,漢字にはない。しかし,

浮生,
浮言,
浮薄,

といった「とりとめない」意はあるので,意味の外延を限界以上に拡げたとは言える。

『岩波古語辞典』には,「うく」について,

「物が空中・水中・水面にあって,底につかず,不安定な状態でいる意。『心が浮く』とは,平安時代には不安な感じを伴い,室町時代以降には陽気な感じを表した」

とあるので,「宙空にある」意を元々持っていたようである。だから,

模様や織り目が地から高く離れているように見える(「紅梅のいと文(あや)うきたる葡萄(えび)染の御小袿(こうちぎ)」(源氏物語)),
とか,
よりどころが鳴く不安である(たぎつ瀬に根ざしとどめぬ浮き草の浮きたる恋も我はするかも(古今集)),
とか,
不誠実である(浮たる心わが思はなくに(万葉集),「この浮きたる御名をぞ聞し召したるべき(源氏物語))
とか,
不確かである(あま雲の浮きたることと聞きしかど猶ぞ心は空になりにし(後撰和歌集)),
とか,
ふらふらと固定していない(歯浮候て(細川忠興文書)),
とか,
心がうきうきとはずむ(心の浮いたお地蔵とみえたほどに)

等々の「浮く」心の状態表現にシフトした使い方がされている。これは,和語「うく」と「浮」の違いから来ているのではあるまいか。

『日本語源広辞典』は,「うく」の語源を,

「ウク(浮く)。本来二音節語と考えます。『水面または空中にある』意です。ウカレル(浮か+レル)は,他の刺激により心理的に浮いた状態になる意です。ウカブは『浮カ+ブ(継続)』で,浮いた状態になることを表します。ウカベルはもその一段化で,いずれも同源です」

とする。

『日本語源大辞典』は,「浮く」「浮かぶ」「浮かれる」を,別項に立てて,それぞれ記載している。当然,「浮かぶ」「浮かる」「浮かれる」は同源である。

「浮く」は,

ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),
ウヘク(上来)の義(日本語原学=林甕臣),
ウは海,または上か。クはかろくの上略か(和句解),

とあるが,「うえ(上)」は,古形は,

ウハ,

である。『岩波古語辞典』には,

「『下(した)』『裏(うら)』の対。稀に『下(しも)』の対。最も古くは,表面の意。そこから,物の上方・い位置・貴人の意へと展開。また,すでに存在するものの表面に何かが加わる意から,累加・繋がり・成行き等の意を示すようになった」

とある。

ウハ→ウヘ→ウエ,

の転訛である。ならば,

ウハ→ウク,

もありそうな気がするが,音韻的には無理らしい。

「浮かぶ」は,

ウカム(上所)の転(言元梯),
ウケベ(受け方)の転。ウケは水が物を受けること(名言通),
ウキアラハルル(浮顕)の義(国語本義),

「浮かれる」は,

浮くの再活用(萬葉集辞典=折口信夫),
浮き荒るるの義(日本語原学=林甕臣),
サル(戯),カル(謔)と同意語。ウカルはカが語根で,本質的には魂の去就が定まらない状態,漂蕩倡遊等の意を有していたらしい(物語文学序説=高橋正秀),
ウクは波の義か。在所のさだまらないところからか(名語記),

等々。

僕には,「うは(上)」にかかわると思えてならない。

ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),

に与したい。

なお『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%86/%E6%B5%AE%E3%81%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,いつものように,「浮く」について,

「浮くとは、空中や水中において、ものが重力とは逆の方向に動いたり、その結果としていちばん上(水面など)に達したり、重力に逆らって空中や水中にとどまっていたりする状態を表現する動詞。そのさい、空気や液体の持つ浮力によってその動きをしているように感じられることが『浮く』と呼ばれる条件であり、一見浮力など関係なさそうに上昇する飛行機や鳥は『浮く』とはいわず『飛ぶ』という。おばかな格好や言動により仲間から敬遠されているやつは、仲間の『空気』の浮力により『浮いて』いるのである。」

と皮肉をきかせている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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歯が浮く


「歯が浮く」は,

葉の根がゆるむ,
酸いものなどを食べて,歯の根が浮き上がるように感じる,
軽薄で気障な言動を見聞して不快になる,

という意味が載る(『広辞苑第5版』)が,

歯が浮くようなお世辞,

という言い回しで使われることが多いので,

そらぞらしく、きざな言動に対して、気持ち悪く感ずる,

という意味(『大辞林』)の方がしっくりくる。

語源がはっきりしないが,

酸いものなどを食べて,歯の根が浮き上がるように感じる,

とい辺りが由来らしい。たとえば,は,

「元々『歯が浮く』とは、酸っぱい物を食べた時に不快に感じたりすることを指していた。それが転じて、キザな言動や見えすいたお世辞も不快に感じるので『歯が浮く』と表現されるようになった。」

と(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12151576912)される。あるいは,

「【歯科医注釈】広辞苑では不快になるようなセリフと書かれていますね。実際歯周病で歯が浮いた感じというのは、鈍痛のような不快なものです。現在では照れるような誉め言葉にも使われることがありますが、原義では不快な状態になるときに使う言葉のようです。」

とされる(https://www.kodjeng.com/proverb.html)。あるいは,中国語と比較しながら,

「『歯がうく』倒牙=(酸っぱいものを食べて)歯が浮く,肉麻=(誠意がない、または軽薄な言動によって)不快な気持ちになる 。(中略)疲労などのせいでリアルに『歯がうく』感じがする症状の表現が『倒牙』が近しい。しかし、軽薄な言動に対して『歯がうく』ような嫌な感じがするのは『肉麻』と言い、そうした『身体感覚をともなった情緒性』を表現する身体語としては中国語は『歯』ではなく『肉』を使う。『肉麻』とは、『肉がしびれるむずむずする』の意だ。私たちが『そんなお世辞言われるとこそばがゆい』というあのニュアンスに不快感を加味した感じなのだろう。」

とする(https://cds190.exblog.jp/10238409/)。

極道用語に,「てのすける」があり,

歯が浮く、見え透いた、という意味,とある(http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-ta.html)が,これは,どちらかというと,

見え透いた,

というか,手の内が見える,という感じで,言っていることの裏が透けて見える,という含意では似ていると言えば似ているが,少し違うようだ。

今日の感覚では,「歯が浮く」は,

不快感,

より,

空々しさ,

の感じが強かったということだろうか。しかし,その体感覚がぴんと来ないので,僕には,「歯」は,

下駄の歯,

のことではないか,と思ってしまう。下駄(http://ppnetwork.seesaa.net/article/414131601.htmlで触れた)は,

「下(低い)+タ(足板)」

で,木製の低い足駄(あしだ)の意味らしい。足駄(あしだ)は,

屐とも書き,また屐子 (けいし) ともいう。主として雨天用の高下駄。木製の台部の表に鼻緒をつけ,台部の下には2枚の差歯がある。足下または足板の転訛した呼称といわれる。

とある。これだと区別がつかないが,

@(雨の日などにはく)高い二枚歯のついた下駄。高下駄。
A古くは,木の台に鼻緒をすげた履物の総称。

足駄の方が上位概念らしい。下駄自体は,中世末,戦国時代が始まりらしいが(「下は地面を意味し,駄は履物を意味する。下駄も含めてそれ以前は,『アシダ』と呼称されたという説もある),その中で,近世以降,雨天用の高下駄を指すようになったものらしい。一つの木から台と歯を作る「連歯下駄(俗称くりぬき)」はともかく,別に作った歯を台に取り付けるの「差し歯下駄」の場合の,

歯が浮く,

体感覚は,空々しい言葉を聞いた時の「居心地の悪さ」「尻こそばゆさ」に通じるような気がする。もちろん臆説である。因みに,

「歯を台に差込む構造」

は(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%A7%84),

ほぞ継ぎ(ほぞ接ぎ),

というらしい。

「ほぞ継ぎは2つの部品:ほぞ穴とほぞの突起で構成される。通常横框と呼ばれる木材の終端を加工したほぞは、対応する木材に彫った正方形または長方形の穴に収まる。ほぞはほぞ穴にぴったり合うよう切断加工されており、通常はほぞを完全にほぞ穴に差し込んだ時に安定させる肩がある。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%9E%E7%B6%99%E3%81%8E)。

因みに,「は(羽,歯,刃,葉)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%AF)については触れたように,

「は(葉)」と「は(羽)」は「ひら」に通じ,

「は(歯)」と「は(刃)」は,「ハ(喰)」に通じ,

そして,「は(葉)」「は(羽)」「は(歯)」「は(刃)」に共通するのは,「ひら」ではなかろうか,そして「ひらひら」「ひらめく」という擬態語につながっている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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浮足立つ


「浮足立つ」は,

期待や不安など先が気になって,いまのことに気分が集中できなくなる,

という(『広辞苑第5版』)よりは,

不安や恐れで落ち着きを失う,逃げ腰になる,

という(『デジタル大辞泉』)方が的確に思える。「浮足」自体が,

足のつま先だけが地面について,十分に地を踏んでいないこと,

転じて,

落ち着かないこと,

を意味する(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』をみると,

足が地についていないこと,

であり,

心が動揺して逃げ腰になること,

と,状態表現が,価値表現へと転じたことがわかる。『大言海』の,

足の踏みしめがたきこと,逃足にならむとするに云ふ,

というのが正確な表現だろう。そのきちんと足を付けて居られない状態を指している。

類語を見ると,

前進する心意気が失われること,

その物事を早く行いたくて仕方がない状態になること,

とあるので,

逃げ腰や怯む,

だけではなく,

いても立ってもいられない,

という前のめりの心理状態の表現でもあるらしい。

「浮足」は,

踵が地面についていない状態を指すので,

前のめり,

後ずさり,

の価値表現へと転じたと言える。

語源を書いているものはあまりないが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/u/ukiashidatsu.html)は,

「浮き足は、かかとが地についていない爪先立ちの状態のこと。この状態は不安定なことから,落ち着かない態度や逃げ出しそうになることを『浮き足』というようになった。爪先立ちの状態を言う『浮き足』は室町時代から見られ,落ち着かない様子や状態を表すようになったのは江戸時代後期からである。現代では『浮き足』が単独で使われることは少なく,『浮き足立つ』『浮き足』になるの使用が多い。」

としているし,『日本語源広辞典』は,

「浮き(かかとを地面に付けない)+足」

としている。前に触れた(http://kerokero-info.com/2017/02/10/post-4464/)ことがあるが,(たぶん,現代の)柔術などでは,

「必要なのは『地に足をつける』ことではなく『浮き足立つ』ことが重要。一般的な言葉のイメージだと『地に足をつける』はプラスのイメージ、『浮き足立つ』はマイナスのイメージです。 しかし柔術の稽古ではそれが逆転する。 地に足がつくというのは地に足が居つくことであり、浮き足立つというのは自由に動ける状態。」

とあるし,剣道でも,

「現代剣道の足運びは、主に右足を前に出して踏み込み、引き、防ぎます。後ろ足はつま先立ってます。踏み換えて稽古することはまずありません。却って滑稽に見えるかも知れません。」

という。しかし,宮本武蔵は,全く反対のことをいう。

「足の運びは,つま先を少し浮かせて,かかとを強く踏むようにする。足使いは場合によって大小遅速の違いはあるが,自然に歩むようにする。とび足,浮き足,固く踏みつける足,はいずれも嫌う足である。」

また柳生宗矩は,『兵法家伝書』で,

さきの膝に身をもたせ,あとの膝をのばすべき事

あとの足をひらく心持の事

と述べていて,どうも足を浮かすという風には読めない。浮いた状態は,すぐに動けるかもしれないが,不安定で,重い太刀を構えているものの取る姿勢ではない。

斎藤孝氏は,こんなことを言っています。

「江戸末期や明治初期の写真を見ると,当時の日本人は,とてもしっかりと立つことが出来ました。足は長くないが,臍下丹田や親指の足の付け根に力が入っていた。」

さらに,

「踏ん張るという感覚がありますね。この感覚がわからない人に相撲はできません。でも現在,この踏ん張る感覚を持たない子供も少なくないんです。彼らは,頑張ることはできるんです。頑張って相撲は取れる。ところが頑張るというのは精神的な感覚です。でも踏ん張るというのは,身体的な感覚なんです。ただ頑張るだけでは,心が先に行ってつんのめっているような状態。」

大地にしっかり立てなければ,思いを果たすべき身体はついていけない。

これも触れたこと(http://ppnetwork.seesaa.net/article/439819446.html)だが,

飛び足,浮き足,かたく踏みつける足,

の三つを嫌う足と宮本武蔵は言っているが,それは腰の定まり方と関係があるに違いない。

「身のなり,顔はうつむかず,余りあふのかず,肩はささず,ひづまず,胸を出さずして,腹を出し,こしをかがめず,ひざをかためず,身を真向にして,はたばり広く見する物也」

と,兵法三十五条に書く。

また,甲野氏は,「武の技の世界には,『居付く』ということを嫌う伝承が古来から受け継がれて」いる(http://ppnetwork.seesaa.net/article/414896125.html)として,こう述べている。

「この言い伝えに従うならば,床に対して足を踏ん張らないのは勿論のこと,下体に視点を置いて上体を捻ったり頑張ったりしないこと,また腕を動かす時,腕や肩や胸を蹴る形で,つまり固定的支点を肩の関節に作らないようにすることが大事で,そのために,体各部をたえず流れるように使うことが重要なわけです。足や腰を固定して身体をまわすから捻れる…。」

武術では,老人が膂力のまさる若者を手もなくあしらったのは,

「その身体の運用方法に無理がなく,単なる慣れで体を動かした人々とは動きの原理が根本的に違ってきたからだ…」

というものである。今日の「なんば走り」等々が見直されているのは,甲野氏の創見が大きい。このことは,日本の太刀が世界でも珍しい両手保持となったことと深くつながっている。

「浮き足」は,今日のスポーツの発想とは別の,かつての剣術にとっての意味で,その「かかとを強く踏む」という武蔵の視点から見て,「浮足立つ」の意味が初めて照射される。

参考文献;
宮本武蔵『五輪書』(教育社)
柳生宗矩『兵法家伝書』(岩波文庫)
甲野善紀・前田英樹『剣の思想』(青土社)
甲野善紀『古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる』(MCプレス)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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たらい


「たらい」は,

盥,

と当てる。「盥」(カン)の字は,

「会意。『臼(両手)+水+皿』。両手に水をかけ下に器を措いて水を受けるさま」

で,

手を洗う,
手に水を灌ぐ,

意とある。転じて,

手を洗うのに使う器,

「古くは,洗った手をふって自然にかわかすのが習慣であった」

とある(『漢字源』)。「濯熱盥水」(熱ヲ濯ヒテ水ニ盥ス),「盥耳(カンスイ)」(=洗耳,耳を洗う)という。いわゆる,

たらい,

つまり,洗濯用の桶,

の意で使うのは,我が国だけである。ただ,「たらい」は,

テアライの約,

とある(『広辞苑第5版』)ので,昔の人は,上手い字を当てたものだと感心する。

タは,

手の古形,

で,

手折る,
手枕,
手なごころ,
手挟む,

等々の複合語に残る。

タ(手)アラヒ(洗)の約,

で落着だろう。。

『大言海』に,

「水,又は湯を盛りて,手,又は面を洗ふに用ゐる扁(ひらた)き噐。左右にむ,持つべき二本づつの角の如きもの横出す,洗濯だらひなど出来て,これに別つために,角だらひの名あり。」

とある。『岩波古語辞典』にも,

「水や湯を入れて,手や顔を洗うための噐。歯黒や口を漱ぐためなどにも使った。普通,円形の左右に二本ずつの角のような取手があるので『つのだらい』ともいう」

とある。その意味で,本来,「たらひ」は,

盥,

の字と同じ意味であった,ということになる。

多くは漆塗りなので,

「盥は、手洗いや剃髪の際に使用される手水道具として日々の暮らしに欠かせない調度であるが、基本的に消耗品であったせいか、遺例は少ない。胴に二本の角状の柄が一対ずつ付くところからその名がある。黒漆の地に、金の平蒔絵で、菊・桔梗・萩・芒などさまざまな秋草を描いた、いわゆる高台寺蒔絵の典型を示す。角は長く、重心、高台ともに高い。四本の角の基部と先端には金銅製の金具を付す。この角盥は、簡素な装飾であるものの、製作当初の瀟洒な趣を感じられる作品であろう。」(『神の宝の玉手箱』サントリー美術館、2017年)

とある(https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=13)ように,今日の凝る物は,もはや美術品である。

耳盥,

とも言ったらしい。「和漢三才図絵」には,

「盥,音管,和名,多良比,盥。洗手器也。字从臼水臨皿也」

しかし,転じて,

「桶の如くにして扁く,湯水を盛りて物を洗う器」

に転じ,「和名抄」には,

「盥,多良比,俗用手洗二字」

「名義抄」には,

「手洗,たらひ」

となっている(『大言海』)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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たらいまわし


「たらいまわし」は,

盥回し,

と当てる。

足で盥をまわす曲芸,
ひとつの物事を,せきにんをもって処理せずに次々と送りまわすこと,

とある(『広辞苑第5版』)。前者の意味は,今日ではほぼ薄らぎ,

政権の盥廻し,

のように,

物事・地位などをある範囲内で次から次へと送りまわすこと,

という意味(大辞林)や

苦情を言ったらたらいまわしされた,

のように,

物事をよその部門に対応させて面倒事を回避しようとするさま、あるいは、行く先々で他の窓口へ行くように案内されなかなか目的を果たせないさまなどを意味する表現,

という意味(実用日本語表現辞典)で使われることがほとんどと思われる。前者は,

「あおむけに寝て、足でたらいをまわす曲芸」

らしい(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215499027)が,僕も見たことがない。,

「『傘回し』や『皿回し』と同じように曲芸の一つであったことに由来する。江戸時代の資料にあるように、曲芸師があおむけに寝て、足でたらいを回していた。」

とある(https://zatsuneta.com/archives/002162.html)が、それが一般的になったのは,

「明治、大正時代にかけて隆盛した曲芸の1つ。鉄割熊蔵による鉄割一座による足芸が有名。次第に欧米との文化交流が活性化していく中で、海外ではその芸の価値を認められ、優れた芸人は欧米に招聘されてエンターティナーとして活躍した。かのトーマス・エジソンにも感銘を与えたと言われ、その撮影した映像が残っている。」

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%84%E5%9B%9E%E3%81%97。比較的新しい。

「たらいを足などで回す曲芸。転じて、物事を次から次へと送りまわすこと、面倒な案件などを部署・官庁間で押し付け合う責任逃れ(俗に言う『責任のなすり合い』)や責任転嫁など、その他一部の組織・派閥による権力や利益の独占も例えて呼ぶようになった」

にもhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%84%E5%9B%9E%E3%81%97とある。

『日本語源広辞典』にも,

「盥+回し」

と,足で回す曲芸とあるが,この含意は,ただ「盥を足で回す」ところではなく,そのたらいを順番に隣の人に受け渡していく」芸にある。でなくては,今日の,転々と転嫁していく意には当てはまらない。

「仰向けに寝て、足でたらいを回す曲芸のことだった。曲芸師は寝たままで、たらいだけを次々に受け渡すことから、転じて一つのことを馴れ合いや責任回避などから順繰りに送り回すことをいうようになった。」

という説明でないとhttp://yain.jp/i/%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%84%E5%9B%9E%E3%81%97,意味が正確ではない。より正確にいうなら,

「盥回しの曲芸は、たらいを 回しながら受け渡していくもので、回すたらいが変わっても回す足の方は変わらず同じであることから、順送りする意味で使われるようになった。」

なのだろう(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/ta/taraimawashi.html)。『語源由来辞典』は,更に,

「『たらいまわし』は,たらいを回す側(足)が主となる言葉なので,本来は,『患者をたらいまわしにする』など,馴れ合いで他者へ順送りすることを言ったが,現在は『病院をたらいまわしされる』など,送り回される側(たらい)が主となる表現の方が多く用いられるようになった」

とする。

ちなみに,「たらいまわし」に,関連して,プログラミング言語処理系のベンチマークなどに使われる、再帰的に定義された関数,竹内関数も,

たらいまわし関数、
たらい関数 (Tarai function),

と呼ばれるとかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%86%85%E9%96%A2%E6%95%B0

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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うきよ


「うきよ」は,

浮世,

と当てるが,

愛き世,

とも当てる。「浮世絵」の「うきよ」であるし,「浮世草子」の「うきよ」でもある。「浮世絵」は,

「本来、『浮世』という言葉には『現代風』『当世』『好色』という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である」

とある。「浮世草子」は,「当世の世態,遊里のことなどを記した」小説なので,「当世」の意味であり,「浮世染め」も「当世流行」の意味,「浮世遊び」というと「色遊び」の意味。「浮世絵」には,そんな含意かと思うが,

「浮世絵の語源は、『憂世』にあると言われています。仏教の浄土に対して現世は憂世、すなわち辛く儚い憂う世であると考えられていました。江戸時代になると、どうせ憂う世であるのなら、楽しく浮かれて暮らそうという開き直りの考えが生まれ『浮世』に変化していきました。」

とある(https://shikinobi.com/ukiyoe)。ただ背景は,

「1680年頃(天和年代)に『浮世○○』という新語として登場しています。例えば、洒落た新しい被り物を『浮世傘』とか、流行に乗る男性や女性を『浮世男』『浮世女』とか、吉原などの遊里に遊びに行くような人を『浮世狂い』などと呼んでいました。そのような流行語と同義語である浮世という言葉を頭につけて新しい江戸の町から生まれた新しい文化の絵ということで、『浮世絵』という言葉が誕生しました。」

とある(仝上)。ちょうど井原西鶴の『好色一代男』が出たのが天和二年である。そのきっかけは,菱川師宣だとか。

「菱川師宣はもともと本の挿絵を描く絵師でしたが、徐々にその絵が本の内容よりも人気となったことで、一枚摺の版画を制作するようになりました。当時はまだ墨摺(すみずり)という黒一色の版画でしたが、絵画が庶民に普及するようになったのは画期的なことでした。」

という(https://shikinobi.com/ukiyoe)。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%86/%E6%B5%AE%E4%B8%96%E7%B5%B5%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

の説明がいい。

「浮世絵が海外で広く知られるようになったきっかけは、輸出品の陶磁器の包み紙だった浮世絵をヨーロッパの好事家が発見し、収集を始めたからだといわれる。印刷物である版画は、現在の新聞紙やカレンダーの紙と似たようなものであるから、包装紙として利用されるのは当然のことだが、ゴミの中に貴重品が発見される過程は、ジャンクアート誕生と呼ばれるにふさわしい。」

と。それは,

「木版画によって大量生産することで、今のお金で数百円程度の安さで販売することができ、庶民の娯楽として発展していった」

からこそなのである。さて,「うきよ」について,

「仏教的な生活感情から出た『愛き世』と漢語『浮世(ふせい)』との混淆した語」

とある(『広辞苑第5版』)。だから,

無常の世,
このようなの中,世間,
享楽の世界,
近世,他の語に冠して,現代的,当世風・好色の意,

の意味が並ぶ。「浮世」(ふせい)は,

定めなき世の中,

の意だが,「浮生」(ふせい)も,

定まりなき世,

の意である(『字源』)。李白に,

浮生若夢,

詩句がある。「うく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%86%E3%81%8F)で触れたが,「浮」(フ,呉音ブ,漢音フウ)の字は,

「「会意兼形声。孚は『爪(手を伏せた形)+子』の会意文字で,親鳥がたまごをつつむように手でおおうこと。浮は『水+音符孚』で,上から水を抱えるように伏せて,うくこと」

で,「よりどころがない」「はかない」の意があり,浮薄,浮言,浮浪,と共に,浮世,がある。

『大言海』は,「うきよ」を,二項別に載せている。

「憂世」は,

「世の中を憂き事の多きにつけて云ふ語。塵世」

「浮世」は,

「漢語に『浮世如夢』など云ふを,文字讀にしたる語なり」

とする。で,

世の中をはかなきものと見做して云ふ語,
轉じて,今の世の中,今様,

という意味を載せる。「浮世」と「浮生」は混同されている。『岩波古語辞典』は,「うきよ」について,

「平安時代には『憂き世』で,生きることの苦しい此の世,つらい男女の仲,また,定めない現世。のちには単に此の世の中,人間社会をいう。『憂き』が同音の『浮き』と意識されるようになって,室町時代末頃から,うきうきとうかれ遊ぶ此の世の意に使うようになった」

とある。だから,

憂き世→浮き世,

の転を,

「つらい世の中,根無し草のようなので,『浮世』とも書きます。近世になって,享楽的なようなの意で,『浮き+世』を使うようになりました」

という(『日本語源広辞典』)ところだろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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うえ


「うえ」は,旧仮名では,

うへ,

だが,『岩波古語辞典』に,こうある。

「古形ウハの転。『下(した)』『裏(うら)』の対。最も古くは,表面の意。そこから,物の上方,い位置,貴人の意へと展開。また,すでに存在するものの表面に何かが加わる意から,累加・つながり・成行きなどの意などの意を示すようになった」

とある。「うえ」は,

上,

と当てるが,「かみ」と訓ませると,また意味が変わる。「うへ」の古形,「うは」は,上記の意味の流れからか,

上,
表,

を当て,

表面,上部,既に有るものに後から加わったものなどの意,

とある。「うは(わ)」は,

上顎,
上荷,
上書き,
上回る,

今日複合語として残る。漢字「上」(漢音ジョウ,呉音ショウ)は,

「指事。ものが下敷きの上にのっていることを示す。うえ,うえにのるの意を示す」

ので,和語「うえ」元来の意味と重なる。

「うへ」の「へ」について,こういう説がある。


「接尾詞としてほかの言葉にともなわれ、場所や位置についての観念をあらわす『へ』…たとえば『みずべ=水辺』とか『いそべ=磯辺』という言葉の中にあらわれる『へ』…。日本語には、自分の今いるところを中心とした時空上の位置取りを、この『へ』を使って表現しているものが多い。
まず空間いついてみると、『まえ=前』、『うしろ=後』、『うえ=上』などがそれである。『まえ』はもともと『まへ』といった。『まへ』とは目の向いている方角をさしているのである。『うしろ』は『しりへ』が転化した形である。『しりへ』とは尻のついている方角という意味である。
 『うえ』は『うへ』だが、これの原義はいまひとつ分らない。筆者などは、『うく=浮く』と関連があるのではないかと推測している。浮くとは上の方向への移動を示唆する言葉である。しかして『うく』は『う』と『く』からなっている。『く』はほかの言葉について動作を表す接尾詞であることから、『う』が頭の上の方角をさしていたと考える理由はある。」

と(https://japanese.hix05.com/Language_1/lang127.he.html)。つまり,

「う」+接尾語「へ」

といのである。この説が多いらしく,『日本語源広辞典』も,

「『ウ(浮く)+へ(方角)」です。物が浮く方向をいみします。」

としているのだが,この「へ」と「うへ」の「へ」とは別語らしいのである。

「方向・方面を表す『へ』と関連づける説が多いが,この語は上代特殊仮名遣いでは甲類音であって,乙類音の『うへ』の『へ』とは異なる」

のである(『日本語源大辞典』)。

上代特殊仮名遣意とは,

「上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。
名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。」

もので,

「仮名の50音図でいうイ段のキ・ヒ・ミ、エ段のケ・ヘ・メ、オ段のコ・ソ・ト・ノ・(モ)・ヨ・ロの13字について、奈良時代以前には単語によって2種類に書き分けられ、両者は厳格に区別されていたことがわかっている。」

こと(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3)で,具体的には,

甲類 a・i・u・e・oの母音が使用されているもの
乙類 ï・ë・öの母音が使用されているもの

を指す(http://kojiki.imawamukashi.com/06siryo/06tokusyu01.html)。

つまり,接尾語「へ」は,「fe」,「うへ」の「へ」は「fë」なのである。

とすると,

「浮く」+接尾語「へ」

という説は採れない。『岩波古語辞典』の「へ」は,

辺,
端,
方,

を当てて,「fe」とし,

「最も古くは,『おき(沖)』に対して,身近な海浜の意。また奥深い所に対して,端(はし)・境界となる所。或るものの付近。またイヅヘ(何方)・ユクヘ(行方)など行く先・方面・方向の意に使われ,移行の動作を示す動詞と共に用いられて助詞『へ』へと発展した」

とあり,意味からも,「うへ」とは外れているのではないか。『岩波古語辞典』には「へ」で,

上,

と当てる言葉が載り,「fë」と訓ませ,

「ウヘのウが直前の母音に融合した形。本来,表面に接するところの意」

と載る。

「『へ(辺)』とは,奈良時代には別音の別語であった」

とある。辺の「へ(fe)」と上の「へ(fë)」とは,「へ」となっても別語なのである。

とすると,『大言海』も挙げる,

浮方(うきへ),

うへ(浮方),

うへ(頂上,頂方),

等々とする説は捨てるほかない。言葉の意味から見ると,『岩波古語辞典』の,

ウハの転,

つまり,

後から加わる意,

とするより選択肢はない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かみ


「上」は,

かみ,

とも訓む。

「『うえ』が本来は表面を意味するのに対して,一続きのものの始原を指す語」

とある(『広辞苑第5版』)。あるいは,

「ひとつづきのものの始め」
「ひとつづきのものの上部」

とある(『岩波古語辞典』)。そこで,

空間的に高い所,
時間的に初めの方,

という意味から,それに準えて,

年齢,身分,地位,座席などが高いこと,またその人,

の意に転じていく。『岩波古語辞典』は,「かみ」に,

上,

頭,

を当てている。

「かみ」は,

なか(中),
しも(下),

に対する。

長官,

を,

かみ,

と訓ませるのも,「かみ(上)」から来ている。『大言海』は,「かみ」に,「上」以外に,

頭,
髪,

を当て,共に,

「頭(かぶ)と通ず」

とするが,「あたま」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%BEで触れたように,「あたま」は,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と変遷したので,「かみ(頭)」「かみ(髪)」が,「かぶ」の転訛というのは不思議ではないが,「頭」の「かみ」は,頭から来たのではなく,長官の「かみ」から来たのではないか。「長官(かみ)」は,四等官(しとうかん)制の,

長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん),

の四等官のトップであり,その「かみ」も,「長官」(かみ)の中でも,

(官司)長官(かみ)
神祇官  伯
太政官  (太政大臣)
左大臣
右大臣
省    卿
職    大夫
寮    頭
司    正
(中略)
国司   守

等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AD%89%E5%AE%98)と「頭」「守」も同じ「かみ」と訓ませる。この「かみ」は「あたま」の転訛からではなく,四等官の「長官」を「かみ」と訓んだところから出ているのではないか。例えば,四等官、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の判官(じょう)は,寮の允も,国司の掾も,すべて「じょう」と訓ませるのと同じである。

『日本語源広辞典』は,「かみ」を,

上,


と当てながら,

「カミは『上部』が語源です。上にあるもの,つまり川上,頭,髪,守,裃など,共通語源のようです。」

とするが,

「『うえ』が本来は表面を意味するのに対して,一続きのものの始原を指す語」

という意味の説明以上には出ない。ただ,『日本語源大辞典』をみても,

ミは方向をいうモの転訛(神代史の新研究=白鳥庫吉),
タカミ(高)の義(言元梯),
アガミ(挙見)の義(名言通),
ウカミ(浮)の上略(和訓栞),
神と同義(和句解・和語私臆鈔・日本語源=賀茂百樹),
等々。「神」と「上」との関連が一番注目されるが,カミhttp://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%82%AB%E3%83%9Fで触れたようにに,

江戸時代に発見された上代特殊仮名遣によると,

「神」はミが乙類 (kamï) 

「上」はミが甲類 (kami) 

と音が異なっており,『古語辞典』でも,

「カミ(上)からカミ(神)というとする語源説は成立し難い」

と断言する。ただ,

「『神 (kamï)』と『上 (kami)』音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こった」

とする説もある。『日本語の語源』は,

「『カミ(上)のミは甲類,カミ(神)のミは乙類だから,発音も意味も違っていた』などという点については,筆者の見解によれば,神・高貴者の前で(腰を)ヲリカガム(折り屈む)は,リカ[r(ik)a]の縮約でヲラガム・ヲロガム(拝む)・ヲガム(拝む)・オガム・アガム(崇む)・アガメル(崇める)になった。礼拝の対象であるヲガムカタ(拝む方)は,その省略形のヲガム・ヲガミが語頭を落としてガミ・カミ(神)になったと推定される。語頭に立つ時有声音『ガ』が無声音『カ』に変ることは常のことである。
 あるいは,尊厳な神格に対してイカメシキ(厳めしき)方と呼んでいたが,その省略形のカメシがメシ[m(e∫)i]の縮約でカミ(神)に転化したとも考えられる。いずれにしても,『神』の語源は『上』と無関係であったが,成立した後に,語義的に密接な関連性が生まれた。
 神の御座所を指すカミサ(神座)はカミザ(上座)に転義し,さらに神・天皇の宮殿の方位をカミ(上)といい,語義を拡大して川の源流,日の出の方向(東)をカミ(上)と呼ぶようになった。」

とする。意味の関連から,上と神が重なるが,それは漢字を当てはめてからのことであって,同じ「カミ」と呼びつつ,文脈依存する和語としては,その微妙な差異を微妙な発音でするしかなかったのであろう。少なくとも,「カミ」は,上と神では,差異を意識していたのではあるまいか。

「かみ」は「神」と「上」は発音で使い分けていた以上,語源を異にするとは思うが,「神」の「かみ」もhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/436635355.html「上」の「かみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/446980286.htmlも,意味は近接しながら,ともに結局語源ははっきりしない。

ただ,前にも触れたことだが,文脈依存の和語の語源は,多く擬態語・擬音語か,状態を表現する,という意味から見れば,

カミ・シモ,

は,両者の位置関係(始源か末か)を,

ウエ・シタ,

は,物の位置関係(上側か下側か)を,

それぞれ示したに違いない。ウエとカミの区別は大事だったに違いないのだが,「上」という同じ漢字を当てたために,状態表現から価値表現へ転じていく中で,混じり合ってしまった。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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した


「した」は,

下,

である。「下」(漢音カ,呉音ゲ)の字は,

「指事。おおいの下にものがあることを示す。した,したになるの意を表す。上の字の反対の形」

である(『漢字源』)。

『岩波古語辞典』には,「した」について,

「『うは』『うへ』の対。上に何か別の物がくわわった結果,隠されて見えなくなっているところが原義。類義語ウラは,物の正面から見たのでは当然見えないところ。シモは,一連の長いものの末の方をいう」

とある。で,

その上や表面に別の物が加わっているところ,

の意で,

内側,
物の下部,

の意があり,

隠れて見えないところ,

の意で,

物陰,
(人に隠している)心底,

という意味が,載る。空間的な位置としての「した」の意は,その次に,

程度の劣ること,
地位・身分などが劣ること,

の意がくる。しかし,『大言海』になると,

上(ウエ)の対,
表(オモテ)の対,
低いこと,

という意味が載るので,「内側」「物陰」の意から,意味が少しずつ位置にシフトしていることがわかる。

カミ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)で触れたが,『日本語源広辞典』は,

「シ(下の意)+タ(名詞の語尾)」

とし,

「置いた物の内側,転じて,物の下,下方を意味します」

と,意味のシフトを説明しているが,

シ(下の意),

ではちょっと説明不足な気がする。『岩波古語辞典』は「し」を,

下,

と当て,

「シタ(下),シモ(下)などのシ」

とし,

他の語につき複合語をつくる,

とある。で,

下枝(シズエ),

の例を挙げる。他の例が見当たらないが,複合語の場合,重なることに依って音韻変化を起こすこともあり,ちょっと分からない。

『日本語源大辞典』には,

シリトマリ(尻止)の義か(名言通),
シタルの略(言葉の根しらべ),
シリト(尻所)の義(言元梯),
シに下の義があり,それに名詞語尾タを添えた語(国語の語根とその分類=大島正健),
シホタルからか(和句解),
タは落ちて当たる時の音かまたタル(垂)の義が(日本語源=賀茂百樹),

等々が載るが,いまひとつ決め手はない。「うへ(上)」が,

「う(浮)」+接尾語「へ」

とする説が大勢だが,上代特殊仮名遣いから,接尾語「へ」は「fe」と訓み,「うへ」の「へ」は「fë」と訓み,別音,別語であった。このことから考えると,「上」の,

うは(へ),

と,「下」の,

した,

は,対で,分解できないのではないか,という気がしてならない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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しも


「しも」は,「かみ」と対である。『岩波古語辞典』には,

一続きのあるものの終り,

の意味で,

終りの方,末尾,
(時の経過の)終り,
月の後半,

の意味が,

ひとつづきの高さあるものの下部,

の意味で,

低い方,下方,
下半身,

一連の位・年齢・座席の下位である,

の意で,

身分・格式が下である,

意等々,が載る。

「した」に比べて,位置関係というよりは,一連の流れの末端,という含意のようである。『大辞林』は,

「空間的・時間的に連続したものの下の方。末の方。低いところ」

とし,

❶連続したものの末の方 川の下流/現在の方に近い時代/月や年の終わりの部分/書物の終わりの部分。また、下
❷位置の低い所 下の方/人の体の腰よりも下の方
❸中心となる所から離れた地方 京から離れた地/近畿地方に対し西国地方/京都に対し、大坂
❹地位・身分の低い人 臣下/官位・身分の低いもの/召し使い/末座/舞台の下手

という整理をしている。「ひとつながり」の含意が意味がある。で,語源であるが,『大言海』は,

「後本(しりもと)の約略か,又尻面(しりも)の略か」

としている。

「カミ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba6.htm#%E3%82%AB%E3%83%9F)で触れたように,『日本語源広辞典』は,

「シ(物体の下)+モ(身体)」

で,

「人体の下,一続きの終り」

を意味するとする。この『日本語源広辞典』の語源説は,「した」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%97%E3%81%9F)で触れた,

「シ(下の意)+タ(名詞の語尾)」

の考え方と同じである。『岩波古語辞典』は「し」を,

下,

と当て,

「シタ(下),シモ(下)などのシ」

とし,

他の語につき複合語をつくる,

とある。で,

下枝(シズエ),

の例を挙げることは「した」で触れた。「しも」と「した」の違いが,「た」と「も」の違いとすると,「た」と「も」が説明できなくてはならない。『日本語源広辞典』は,「した」の「た」は,

「タ(名詞の語尾)」

とし,「しも」の「も」は,

「モ(身体)」

とするが,どうも説明不足ではないか。ここからは,臆説だが,「も」は,

面,
方,

と当てる「も」,『岩波古語辞典』が,

「(オモテのオの脱落した形)表面,方角」

とし,『大言海』が,

「熟語に用ゐる」

とし,

四方(も)八方(も),
此のも,彼のも,

と例示する「も」ではないか,つまり,

シ(下)のモ(方),

の意,と勝手に考えてみた。

『日本語源大辞典』は,

シリモト(尻本)の義(名言通・名語記),
シリモ(尻方)の義(国語溯原),
シリマ(尻間)の義(言元梯),
モはミ(身)の転。もとは賤しい身をいったが,のち,ほうこうについていうようになった(国語の語根とその分類),
シモ(下方)の義。モはカミ(上)のミと同じ(神代史の新研究),

等々を挙げる。「も」は,やはり,「方」の意がある,と思うのは我田引水か。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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「霜」は,いうまでもなく,

「0℃以下に冷えた物体の表面に、空気中の水蒸気が昇華(固体化)し、氷の結晶として堆積したもの」

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%9C)。

「霜」(漢音ソウ,呉音シュウ)の字は,

「会意兼形声。『雨+音符相(たてにむかいあう,別々に並び立つ)』。霜柱がたてに並び立つことに着目したもの」

とある(『漢字源』)。これだと,「霜」ではなく,「霜柱」の意になる。しかし,意味は,

しも,
空気中の水蒸気が夜間地上で凍ったもの,

とある。「霜」は,

「地中の水分が凍ってできる霜柱(しもばしら)とは異なる。」

とある(仝上)のだが,あるいは,霜柱と霜とは厳密に区別しなかったのかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「雨(水蒸気)+相(バラバラにわかれる)」

とし,別に,

「形声文字です(雨+相)。『天の雲から水滴がしたたり落ちる』象形と『大地を覆う木の象形と人の目の象形』(「木の姿を見る」の意味だが、ここでは、『喪(ソウ)』に通じ(同じ読みを持つ『喪』と同じ意味を持つようになって)、『失う』の意味)から、万物を枯らし見失わせる『しも』を意味する『霜』という漢字が成り立ちました。」

とする説(https://okjiten.jp/kanji1974.html)もある。これは,「相」(呉音ソウ,漢音ショウ)の字の解釈の違いらしい。『漢字源』は,

「会意。『木+目』の会意文字で,木を対象にいて目でみること。AとBとが向き合う関係を表す。」

とし,

「爽(ソウ 離れて対する),霜(ソウ 離れて向き合うしも柱),胥(ショ)はその語尾がてんじたことばで,相と同じ意」

とする。霜柱と霜の混同は気になるが,『漢字源』に従っておく。

『岩波古語辞典』には,「しも」の「も」は,

「上代moかmöか不明」

とある。あるいは,「しも」という言葉自体が,「霜」と一緒に入ってきたのかもしれない,と思いたくなる。

『大言海』は,

「万物萎む意なりと云ふ。凍(し)みに通ず」

とする。『日本語源広辞典』も,

「シミ(凍み)の音韻変化,シミ」

とし,異説として,

「『シ(密生)+モ(付着する)』が語源で,水分の結晶が密に付着するものがシモだという説もあります」

とする。

『日本語源大辞典』は,

草木がシボム(萎)ところから(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
シモ(下)にあるところから(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・類聚名義抄・柴門和語類集),
シロ(白)の義(言元梯),
シはシロ(白),モはサムイ(寒)の意という(日本釈名),
シミシロ(凍代)の義(日本語原学=林甕臣),
シマウカレ(気渾沌)の約(松屋棟梁集),

等々を載せ, 『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shimo.html)も,

しも(下)にあるところからとする説,
草木がしぼむところから「しぼむ(萎む)」の意,
「しみ(凍み)」に 通じる,
「し」が「白」,「も」が「寒い」もしくは「毛(もう)」の意味,

等々挙げただけで,「語源は不明」とする。

僕には,意味ではなく,現象を表現した「「凍み」(『大言海』)が一番気になる。屁理屈よりは,その現象を端的に言い表わすとすれば,「凍み」だろう。

「しみ」は,『岩波古語辞典』に,

「凍りつくような激しいものが冷え縮む意。『しみこほり』という複合語で使われることが多い」

とある。『大言海』は,

「寒さ染む意か,又締むる意か」

とある。これが,

simi→simo,

と転嫁したと考えるのが,言葉の意味からも,僕には妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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しみじみ


「しみじみ」は,

染み染み, 
沁み沁み,

と当てる。

心に深くしみるさま,つくづく,よくよく,
静かに落ちついているさま,

の意味が載る(『広辞苑第5版』)が,『デジタル大辞泉』には,

心の底から深く感じるさま,
心を開いて対象と向き合うさま,
じっと見るさま,

と,前者が状態表現なのに対して,後者は,主体の価値表現,感情表現にシフトしている。今日の使い方からすると,後者の方がピンとくる。『大言海』の意味を見ると,

静かに,しめやかに,

心に滲みて,心に深く滲みて,

しんみり,

つくづく,

よくよく,

と,主体表現へと少しずつシフトして意味が広がっていく流れが見える気がする。

『日本語源広辞典』は,

「『染みる+染みる』です。しみ込んでいく様子を重ねた語です。深く心に感じる状態を表す副詞です」

とある。『擬音語・擬態語辞典』は,

「平安時代から見られる語。動詞『染む』の連用形『染み』が重なったものと考えられ,本来は擬態語ではない。しかし,『しとしと』『じめじめ』などに形が類似したり,『しんみり』と類義的であったりするなど擬態語と関連が強いために,現在では,擬態語と意識されている。」

とある。類義語「しんみり」は,

心の底まで情感がしみいる様子,あるいは心の底から心情が湧きおこる様子,

だが,「しげしげ」は,

心を込めてよく物を見る様子,

の類義語。「しげしげ」と比べると情趣なく,細かく観察する意となる(『擬音語・擬態語辞典』)。

「染」(セン,漢音ゼン,呉音ネン)の字は,

「会意。『水+液体を入れる箱』で,色汁に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと」

で,染める意である。

しみる,
しみこむ,

という意や,しみじみのように,

心に深く感じ入る,

意はない。我が国だけの使い方である。

「沁」(シン)の字は,

「会意兼形声。心は,心臓を描いた象形文字で,細い脈のすもずみまで血をしみ通らせる意を含む。沁は『水+音符心』で,水がすみずみまでしみわたること」

で,しむ,意である。

「滲」(シン)の字は,

「形声。『水+參』」

で,「參」(漢音サン,呉音ソン)の字は,

「象形。三つの玉のかんざしをきらめかせた女性の姿を描いたもの。のち彡印(三筋の模様)を加えて參の字となる。いりまじってちらちらする意を含む」

で,まじわる,いりまじる,意である。

「しむ」は,

浸む,

とも当てる。「浸」(シン)の字は,

「会意兼形声。右側の字(音シン)は,『又(手)+ほうき』の会意文字で,手でほうきを持ち,しだいにすみずみまでそうじをすすめていくさまを示す。浸はそれを音符として水を加えた字で,水がしだいにすみずみまでしみこむこと」

とある。字から言えば,

浸み,

を当ててもよさそうだが,

浸み浸み,

とは当てない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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しむ


「しむ」に当てるに,

染む,
沁む,
滲む,
浸む,

と,使い分ける。漢字の違いは,「しみじみ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%98%E3%81%BF)で触れたように,「染」(セン,漢音ゼン,呉音ネン)の字は,

「会意。『水+液体を入れる箱』で,色汁に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと」

で,染める意である。「沁」(シン)の字は,

「会意兼形声。心は,心臓を描いた象形文字で,細い脈のすもずみまで血をしみ通らせる意を含む。沁は『水+音符心』で,水がすみずみまでしみわたること」

で,しむ意である。「滲」(シン)の字は,

「形声。『水+參』」

で,「參」(漢音サン,呉音ソン)の字は,

「象形。三つの玉のかんざしをきらめかせた女性の姿を描いたもの。のち彡印(三筋の模様)を加えて參の字となる。いりまじってちらちらする意を含む」

で,まじわる,いりまじる,意である。「浸」(シン)の字は,

「会意兼形声。右側の字(音シン)は,『又(手)+ほうき』の会意文字で,手でほうきを持ち,しだいにすみずみまでそうじをすすめていくさまを示す。浸はそれを音符として水を加えた字で,水がしだいにすみずみまでしみこむこと」

とある。「染」の字に近い。

『広辞苑第5版』は,「しむ」を,

「染色の液にひたって色のつく意から,あるものがいつのまにか他の物に深く移りついて,その性質や状態に変化・影響が現れる意」

とある。だから,

色や香り,汚れが付く→影響を受ける,

意へと広がり,さらに,その価値表現として,

感じ入る,親しむ→しみじみと落ち着いた雰囲気→気に入る→馴染みになる,

の意に広がり,その価値が変われば,

こたええる,
痛みを覚える,

という意にまでなる。端に物理的な色や香りや汚れが付く状態表現から,そのことに依って受ける主体の側の価値表現へと転じた,ということになる。だから,出発は,

染む,

と当てた,染まる意である。『岩波古語辞典』には,「染み」「浸み」と当て,

「ソミ(染)の母音交替形。シメヤカ・シメリ(湿)と同根。気体や液体が物の内部までいつのまにか入りこんでとれなくなる意。転じて,そのように心に深く刻みこまれる意」

とある。『日本語源広辞典』も,

「ソム(染)の母音交替形です。シム,シミル,シメルなどと同源」

とする。

「しみ」は,

しめ(湿)し,

と同根,つまりは,

ぬらす,

のと同じ意であった,と見られる。『日本語源大辞典』も,

ソムに通じる(日本語源=賀茂百樹),

としている。他にも,

シム(入る)の義(言元梯),
物の中に入り浸る意のシヅクとつながりがあるか(小学館古語大辞典),

説もあるが,「しづく」(沈)について,『大言海』は,

「沈み透くの意かと云ふ」

とし,

「水の中に透き映りて見ゆ」

の意とする。誌的だが,意味が少しずれていく気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つくづく


「つくづく」は,

熟,
熟々,

と当てる(『広辞苑第5版』)。『大辞林』には,

「つくつく」とも,

とある。

念を入れて見たり考えたりするさま, よくよく,つらつら,じっと,
物思いに沈むさま,つくねんと,よくよく,
深く感ずるさま,

という意味で,

つらつら, 

と重なるところがある。「つらつら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%A4%E3%82%89%E3%81%A4%E3%82%89)については,以前触れた。

『岩波古語辞典』は,

尽,

の字を当て

「尽(つ)く尽ぐの意。力尽きはててが原義」

とし,

力尽きた気持であるさま,
(力なく)じっとしているさま,
物淋しげなさま,
じっと思いを凝らすさま,

とある。「文明本節用集」には,

「熟,つくづく・つらつら」

と載っている(『岩波古語辞典』)ようであるので,意味の転化に応じて,

尽から熟へ,

と当て替えたものと思われる。

疲れ果てている,

じっとしている,

という状態表現が,価値表現へ転じ,

物淋しい,

となり,そのじっとしているさまから,

じっと思いを凝らすさま,

に転じ,

念を入れて見たり考えたりするさま, 

と転じたことになる。どこで,

尽から熟へ,

当て替えたのかははっきりしないが,『大言海』は,

熟,

を当て,

「就くを重ねたる語」

とし,

熟視,
熟思,

の意としている。

「熟」(呉音ジュク,漢音シュク)という字は,

「会意。享は,郭の字の左側の部分で,南北に通じた城郭の形。つき通る意を含む。熟の左上は,享の字の下部に羊印を加えた会意文字で,羊肉にしんを通すことを示す。熟は丸(人が手で動作するさま。動詞の記号)と火を加えた文字で,しんに通るまで軟らかくすること」

とある。「熟」は,煮るとか熟(う)れる,という意味だが,

熟考,
熟視,

といった,「つらつら」と同じ,「奥底まで詳しいさま」の意でも使う。この当て字は慧眼である。

「尽(盡)」(呉音ジン,漢音シン)の字は,

「会意。盡は,手に持つ筆の先から,しずくが皿に垂れ尽くすさまをしめす」

とある。つきる意で,当初の「疲れ果てる」の意を表すには適した字を当てたことになる。しかし,「つくづく」の意味が,転じるにつれて,「つらつら」(熟々,倩々と当てる)と同じ字を当て替えたたことになる。

『日本語源広辞典』は,したがって,

「尽く+尽く」

とし,

「尽きるまでじっとを,更に重ねたものです。よくよく,じっとの意です」

とする。これが妥当に思える。『日本語源大辞典』も,

ツク(突く)の終止形を重ねたものか(小学館古語大辞典),
尽く尽くの意(岩波古語辞典),

を載せる。「つく」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%A4%E3%81%8F)で触れたように,尽く,突くは,は「付く」に繋がり,同源である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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こえ


「こえ」に当てる,

声(聲),

の字(漢音セイ,呉音ショウ)は,

「会意。声は,石板をぶらさげてたたいて音を出す。磬(ケイ)という楽器を描いた象形文字。殳(シュ)は,磬をたたく棒を手に持つ姿。聲は『磬の略体+耳』で,耳に磬の音を聞くさまを示す。広く,耳をうつ音響や音声を言う。」

とある(『漢字源』)。ひろく,

「人の声,動物の鳴き声,物の響きを含めていう」

とある(仝上)。「音声」である。

『岩波古語辞典』をみると,和語「こゑ」は,

人や動物が発する音声,

を指した。しかし,漢字「声」には,

物音,

をも指す。「声」を当てたせいか,

「物の音」

の意味をも持つようになる。

「漢字『声』の用法に引かれたものという。平安時代以後に多い」

とある。和語には,

ね,
おと,

があり,「おと」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8A%E3%81%A8)で触れたように,

「離れていてもはっきり聞こえてくる,物のひびきや人の声,転じて,噂や便り。類義語ネ(音)は,意味あるように聞く心に訴えてくる声や音」

とあり(『岩波古語辞典』),「ね」と「おと」は,「音」の字を当てても意味が違う,とする。「ね」は,

「なき(鳴・泣)のナの転。人・鳥・虫などの,聞く心に訴える音声。類義語オトは,人の発声器官による音をいうのが原義」

とあり,「おと」は「物音」,「ね」は,「人・鳥・虫などの音声」という区分けになるようだ。「ね」には,人側の思い入れ,感情移入があるので,単なる状態表現ではなく,価値表現になっている,といってもいい。

だから,「こえ」は,音の意はなかったものに,「声」の字の意味に引きずられて,物音をも指すようになった。だから,

鐘の音(ね),

とはいっても,

鐘の声,

とは言わなかった,しかし,

祗園精舎の鐘の声(こえ),
諸行無常の響きあり,

というようになった。

『大言海』は,「こゑ」は,

「言合(ことあへ)の約転などにて(事取(こととり),ことり。占合(うらあへ),うらへ),發して言語となる意にてもあるべきか」

とちょっと自信なげに見える。『日本語源大辞典』は,「発して言語となる」大言海説以外に,

コトヱ(言笑)の義(名言通・和訓栞),
すべての物は声で聞き分けられることから,コトワケ(言分)の反(名語記),
キコエの上略(和句解・日本釈名),
コエ(音)はキコエ(聞得)の上略,またコヘ(声)和訓はコエ(柴門和語類集),
コエ(呼好)の義か(和語私臆鈔),
気の発・放・漂を核義とするワ行活用の原動詞カウがカウ→コウ→コワとなり,名詞語形のコヱを生じさせた(続上代特殊仮名音義=森重敏),

等々を載せるが,単純に,

「語源は,『コヱ』(こゑ)です。『動物や人の発生音による,擬声』が語源に関わっていると思われます。コワは,kowe kowaの音韻変化です」

とする(『日本語源広辞典』)のが正解なのではないか。「こえ」は,そのように聞えた擬音・擬声から来ていると見る方が妥当にお見える。それが和語らしい。「こゑ」が「こわ」と音韻変化ゐる例は,

声様(こわざま),
声ざし,
声色,
声高,
声遣い,
声つき,
声作り,
声づくろひ,

等々ある。「声高」は,

こえだか,

とも訓む。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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しもたや


「しもたや」は,

仕舞屋,

とあて,

シマウタヤの転,

とある(『広辞苑第5版』)。「しもうたや」には,

「もと商家であったが,その商売をやめた家。金利や資財の利潤で裕福に暮らしている人,またはそういう家,転じて,商店でない普通の家」

とある。『江戸語大辞典』には「しもうたや」で載る。

「以前は商家で,現在は廃業している家。商売せず金利などで生活している家」

とある。今日の感覚で言うと,

商売を廃業した家,

と,

金利や資財の利潤で裕福に暮らしている家,

というのが上手くつながらない。「廃業」の意味が,

単なる商売が行き詰まって止めた,

という意味ではなく,

そこそこ金を貯めて隠退した,

という意味なら,つながる。とすると,

仕舞屋,

は,単なる普通の家ではない。

「株を売って裏へ引っ込んで,しもたやで暮らさあ」(文化三年・酩酊気質),
「此所は,ヨロヅ仕まふたやノ楽隠居,後家の獨住」(貞享二年・好色旅日記),

等々の用例がある。ただ『岩波古語辞典』には,「しまひだな」

仕舞屋,
仕舞棚,

と当てて,

古道具屋,
仕舞物棚,

の意が載る。

店仕舞いした家,
と,
古道具屋,

のつながりは,

「店じまいをした家の意の〈仕舞(しも)うた屋〉から変わった言葉で,商売をしていない家をいう。井原西鶴の《世間胸算用(せけんむなざんよう)》(1692)に〈表面(おもてむき)は格子作りに,しまふた屋と見せて〉とあるが,商店などの立ち並ぶ商業地域内の住宅をさすことが多く,住宅地内の住宅を〈しもたや〉と呼ぶのはおかしい。なお,《嬉遊笑覧》には〈そのかみ古道具やを仕舞物(しまいもの)店といへるも身分をかへなどしたる者の家財をかひ取て売ものなり〉とあり,店じまいにともなう不用品の意味で,古道具類を〈仕舞物〉と呼ぶこともあった。」

とある(世界大百科事典 第2版『』)ので,わかってくる。もともと,「しまふ(仕舞ふ・終ふ)」は,

「シマウ(片づける・収納する)」

で,転じて,

終る意になった,とある(『日本語源広辞典』)。「(商売を)終えた家」の意があり,更に,古道具を仕舞う意味から,古道具屋という意味に転じた,と見ると,古道具屋よりは,仕舞屋の方が味わいがある。

仕舞屋は,そうなると,

単なる普通の家,

ではない,

商業地域の(つまり,表店)のあるあたりの家,

でなくてはならない。さらに,

商売をせず、借家などの金利で裕福に生活する家,

の意(『歴史民俗用語辞典』)が暗に含まれている。さらに,江戸時代,そんな場所に住まいすること自体が,

商売で財産ができると店をたたみ、ふつうの家構えで金貸しをするなど、財産の利潤で裕福に暮らす人やその家のこともいった」

と,

金貸しの含意,

も含まれていたと思われる(『由来・語源辞典』http://yain.jp/i/%E4%BB%95%E8%88%9E%E5%B1%8B

「ある程度の財産ができると店をたたんで,普通の家に住む」

意であるが(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/si/shimotaya.html),それは,多く,

「表向きは普通の家であるが,裏で家賃や金利などで収入を得て,豊かな暮らしをする者」

でもあった(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
卯前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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下ネタ


「下ネタ」は,

「『しも』は下半身の意。『ねた』は『たね(種)』を逆さ読みにした語」

で,

性や排泄に関する話題,

だが(『デジタル大辞泉』),

「下ネタ(しもネタ)は、笑いをさそう排泄・性的な話題のこと。寄席における符牒のひとつであったが、テレビ業界で用いられるようになってから一般化した。『下がかった話』などともいう。現在ではもっぱら艶笑話について用いられ、かならずしも笑いをともなわない猥談や露骨に性的な話(エロネタ、エッチネタ)を指すこともある。下は人間の下半身(または『下品』の意味)、ネタは「(話の)タネ」を意味する。」

とある説明が詳しい(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E3%83%8D%E3%82%BF)。

「ねた」は,

種,

と当て,

タネの倒語,

であり,

たね,
材料,

の意である(『岩波古語辞典』),とある。『江戸語大辞典』には,

大道商人隠語,

とあり,

商売道具,
商品,

の意とある。

「そりやア肝心のねたア,此天蓋の張っているにあをられるぜ(原注 ネタとは種といふこと)」(弘化三年・魂胆夢輔譚)

の用例からみると,幕末といっていい。慶応三年の用例では,

「(こんなに降るとしったらば,もう一晩ぶん流すに)なんのねたもねえくせに」(お静礼三)

とあり,ここでは遊興費の意らしい。

「しも」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%97%E3%82%82)で触れたように,「しも」は,「かみ」と対である。『岩波古語辞典』には,

一続きのあるものの終り,

の意味で,

終りの方,末尾,
(時の経過の)終り,
月の後半,

の意味が,

ひとつづきの高さあるものの下部,

の意味で,

低い方,下方,
下半身,

一連の位・年齢・座席の下位である,

の意で,

身分・格式が下である,

意等々,が載る。

「した」に比べて,位置関係というよりは,一連の流れの末端,という含意のようである。『大辞林』は,

「空間的・時間的に連続したものの下の方。末の方。低いところ」

とあり,本来は,

ひとつながりの末端,

という状態表現が,価値を含み,

シモ,

には,

下劣,
品のない,

といった価値表現へと転じた。だから,

下ネタ,

には,単に,

下半身ネタ,

というだけではなく,

価値の下がる,

という意が含まれている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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下世話


「下世話」(げせわ)は,

世間でよく口にする言葉や話,
世間の噂,

といった意味である。ま,

俗に,

と言い換えても,変わらない。やっかいなことは,

世話,

だけでも,

通俗の言葉,
世間のうわさ,世人の言い草,

という意味があり,室町末期の『日葡辞典』にも,

「セワ,即ち,セケンにハヤルコトバ」

の意味が載る。だから,それに,「下」が付くと,

低俗な話,
下品な感じ,
低レベル,

という価値表現が加味されるように思えてくる。しかし,多くは,

「本来の『下世話』の意味は、けっして『下品』や『低俗』という意味ではありません。純粋に,
 世間でよく口にする話
 世間の噂
 という意味合いになります。もともと『下世話』の『下』は庶民の階級を指しており、『世話』は『世間話』という意味になります。ですから『下』は『下品』『低俗』という意味ではなく、『下世話』は単なる『世間話』というのが本来の意味ということになるわけです」(https://funbizday.com/2604.html

とか,

「下世話の『下』は庶民を指し、人々の階級を表しています。『世話』は世間の話を表しています。要約すると『世間話』となります。また、世間話と同異語であれば、低俗や俗悪ということでの使用はしてこなかったと思われますが、下世話の『下』という文字が入ることにより、下に見る・下品・低俗というものにつながって行ったものではないかと思います。(中略)正しい使い方としては、
 『これが、下世話に言うところのOOなのか』
 『下世話な質問ですが…(庶民的なという意味)』
 と言った使い方が良いとされています。」(https://kextukonn.jp/archives/7466

といった説明がなされる。

「下世話」は,『日本語源広辞典』の,

「『下(しもじも)+世話(世間話)』です。世間で,俗に口にする言葉や話」

というのが妥当だろう。問題は,「世話」である。「世話」には,

「世話」には,「世話物」「世話狂言」というように,

現代的,
庶民的なこと,

の意味もある。また,

人の為に尽力する,

という意味もある。『大言海』は,「世話」を二項分けている。ひとつは,

「世の噂話,世間に云ひならはす話」
「世情の取沙汰,下世話」

の意であり,いまひとつは,

「忙(せわ)の義ならむ,されど常に當字に世話とも記せれば,姑く,其の仮名遣に因る」

として,

「事を謀り弁ずること,物事を周旋すること,又尽力すること」

の意である。『広辞苑第5版』にも,後者は,

「人のためにことをさしはさむ意からか,一説にセワシイ(忙)のセワ7からかという」

とあるので,「世話」の字を当てているが,別の由来の可能性がある。『日本語源大辞典』は,

「別語源の語とする考えもある。『書言字考節用集』には,『世話(セワ)下學集風俗之郷談也。世業(セワ)』とあり,(世話とは)別に『世業』という漢字表記も示めされており,別語意識がうかがえる。(後者の)場合も,『世話』と表記するのが一般的であるが,これは同音の(前者の)表記を利用したことになる。」

とある。ただ,後者を前者の用法の拡大したものという見る説もあり,『岩波古語辞典』は,特に区別していない。

「世間の評判や噂話の意から,人のためにことばをさしはさんだり,口をきくなどの意が生じてきて,斡旋や周旋の意,更にめんどうをみるの意へと展開したとする。『世話をかく』や『世話を焼く』,『世話を病む』などという表現などからは,その可能性も十分考えられる」(仝上)

とする。『日本語源広辞典』は,

「『セワ(世間話・世間に流行している話)』です。転じて,世間の話を聞き,行動する,面倒を見る意です」

とし,「セワシイ(忙しい)」の「セワ」説を否定している。しかし,例えば同一語とみる,『岩波古語辞典』の意味の変化を,

世俗で用いることば

平たく言い表わしたことば

(浄瑠璃・歌舞伎の世話物),

(人のために言葉をさしはさむ,口をきく等の意から)仲介・斡旋・周旋の労をとること

人の面倒を見ることから生ずるいろいろな苦労,世話焼きの苦労

と見たとき,あるいは,『広辞苑第5版』の,

通俗のことば,

世間のうわさ,

現代的,庶民的,

人のために尽力すること,

とみても,

他人事の噂や言葉遣い

主体の関わる尽力,

とでは,意味の立ち位置が180度変わる。別系統とみた方が妥当な気がする。『江戸語大辞典』に載る,

世話ながら,

という言い回しは,明らかに,

相手を煩わすとき,手数をかけてすまない,

意である。そして,

世話を焼く,
世話を病む,
世話を砕く,

の意味は,「世話ながら」の「世話」の意味の外延にある。あきらかに,世間話の「世話」と「面倒を見る」の「世話」とはいみが切断されている。つまり別系統ではあるまいか。

今日,「下世話な人」という使い方をするらしいが,

「人のうわさ話や下品な話が好きな人」

俗な人,

という意味でなら,「世間話」の意味の「世話」の系統で変化したものという見ることが出来る。「下」の意味の価値表現に引っ張られたとみていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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せわしい


「せわしい」は,

忙しい,

と当てる。

いそがしい,

という状態表現の意味から,

ゆったりしていない,
落ち着きがない,

という価値表現の意味になる(『広辞苑第5版』)。

忙しない,

という言い方をするが,「ない」は否定ではない。

「『ない』は甚だしいの意」

とあり(『広辞苑第5版』『日本語源広辞典』『岩波古語辞典』),接尾語で,

「性質・状態を表す語に添えて,その意味を強め,形容詞をつくる。『甚だしい』の意」

で,

はしたない,
せつない,

等々。で,「忙しない」は,

非常に忙しい,

意となる。もっとも,異説もあり,

ナシ(甚)はその状態にあることを強めた接尾語(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),
セハシの語幹に,状態のはなはだしい意を添える接尾語ナシが付いた語(角川古語大辞典),

以外に,

サマシナシ(小間无)の義(言元梯),
セハは狭の意,シはセリの反,ナシは無の意か(名語記),

という説もあるようであるが。

「忙」(漢音ボウ,呉音モウ)の字は,

「会意兼形声。亡は,無くなる,むいの意を含む。忙は『心+亡』で,あれこれと追われて,こころがまともに存在しない状態,つまり落ち着かない気持ちになること」

で,まさに「いそがしい」意である。

「せはし」について,『岩波古語辞典』は,

「セバシ(狭)と同根」

とし(「せば(狭)し」には「セシ(狭)・セメ(攻)という同根。『広し』の対」とある),

間をおかない感じだ,後から後から起こる感じだ,
追い立てられるように忙しい,
せかせかしている,

と,早瀬のイメージだから,「狭い」と同根としたと見える。用例に,

「岩間行くいさら小川のせはしきにわれて宿れるありがとうございました。有明の月」

を載せる。『大言海』も同旨で,「せはし」に,

「狭(せば)しより,急迫の意に轉ず,即ち,せはせはしの略」

とある。「せば(狭)し」の意に,

狭(さ)し,幅広からず,くつろぎなし,

とある。

狭い,

という状態表現が,

くつろぎなし,

と空間的に余裕のない状態表現へ転じ,それが,時間的なゆとりのない状態表現へ転じ,忙しいという価値表現へと転じていく道筋はよく見える。その象徴が『大言海』の,

せはせはし,

という表現になる。状態表現でもあるし,価値表現でもある。ちなみに,

せわせわし,

は,

せまっくるしい,
せかせかとしておちつかない,
こせこせしてしみったれている,

と(『岩波古語辞典』),「しみったれ」にまで価値表現が変ずる。「せわせはし」は,

そはそはし,

の転とある。「そはそは」は,

「江戸時代から見える語。…室町時代には『ろりろり』という言い方で『そわそわ』の意を表していた。『日葡辞書』…には『不安などで落ち着かなかったりろたえたりする様子』という解説がある」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。「そはそはし」が,擬態語のように使われるようになったものらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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うら


「うら」は,

裏,

と当てるが,

心,

とも当てる。そのことは,「うらなう(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%86)」で触れたように,『大言海』は,「うら(占)」は,

「事の心(うら)の意」

とする。「心(うら)」は,

「裏の義。外面にあらはれず,至り深き所,下心,心裏,心中の意」

とある。『岩波古語辞典』は,「うら」に,

裏,
心,

と当て,

「平安時代までは『うへ(表面)』の対。院政期以後,次第に『おもて』の対。表に伴って当然存在する見えない部分」

とある。「かお」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%8A)の項でも触れたが,「うら(心・裏・裡)」の語源を,『日本語源広辞典』は,

「顔のオモテに対して,ウラは,中身つまり心を示します」

とし,

「ウラサビシ,ウラメシ,ウラガナシ,ウラブレル等の語をつくります。ウチウラというごもあります。後,表面や前面と反する面を,ウラ(裏面)ということが多くなった語です」

とするが,これだと,「うら=心」を前提にしているだけで,なぜ「ウラ」で「心」なのかがわからない。『日本語源大辞典』は,「うら」に,

裏,
裡,

を当てて,

ウは空の義から。ラは名詞の接尾語(国語の語幹とその分類),
衣のウチ(内)ラの意のウラ(裡)か(和訓栞),
ウラ(浦)と同義か(和句解),

の諸説を載せる。「ウラ(浦)」と同義」というのが気になる。「心」という抽象的な概念が,和語において,先に生まれたとは思えない。何かを表した言葉に準えて,「心」に当てはめたというのが自然だからだ。『大言海』は,「うら(浦)」について,

「裏(うら)の義。外海の面に対して,内海の意。或は,風浪和らぎてウラウラの意。船の泊する所」

とし,『日本語源広辞典』は,

「『ウ(海,湖)+ラ(ところ)』。海や湖で,陸地に入り組んだところ」

とし,『日本語源大辞典』は,

ウラ(裏)の義。外海の面に対して,内海の意(箋注和名抄・名言通・大言海),
ウチ(内)ラの意(和訓栞・言葉の根しらべ),
風浪がやわらいで,ウラウラする意(大言海・東雅),
ウ(上)に接尾語ラを添えた語であるウラ(末)の転義(日本古語大辞典),
ムロ,フロ,ホラ,ウロ等と同語で,ここに来臨する水神をまつり,そのウラドヒ(占問)をしたところから出た語(万葉集叢攷),
ウは海,ラはカタハラ(傍)から(和句解・日本釈名),
ウラ(海等)の義(桑家漢語抄),
ウはワタツの約,ウラはワタツラナリ(海連)の義(和訓集説),
蒙古語nura(湾)から(日本語系統論),

と諸説載せるが,「うら(心)」のアナロジーとして使うには,そういう意味が,「うら(浦)」に内包されていなくてはならない。とすれば,

外海⇔内海,

が,ぴたりとする気がする。しかし, 「うら」は,

表(おもて)の対,

上(うへ)の対,

の意があるが,

「うへ(表面)」の対から「おもて」の対へ,

と転じている(『岩波古語辞典』)ので,語源を考える場合,

うへ⇔うら

「うら」の対は,「うへ」である。「うち」と「うら」とが通じるのかどうか。「そと」は,「うち」の対だが,ふるくは,「と」と言い,「うち(内)」「おく(奥)」の対とある。「うち」について,『岩波古語辞典』は,

「古形ウツ(内)の転。自分を中心にして,自分に親近な区域として,自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは,人に見せず立ち入らせず,その人が自由に動ける領域で,その線の向こうの,疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい,後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは,中心となる人の力で包み込んでいる範囲,という気持ちが強く,類義語ナカ(中)が,単に上中下の中を意味して,物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い,中世以後『そと』または『ほか』と対する」

とする。かろうじて,

うら―うち,

がリンクするかに見える。ちなみに,「うらうら」は,擬態語で,万葉集にもある古い語で,

うららか,
のんびりした,

という意味になる。「浦」につながる気がする。因みに,「裏(裡)」(リ)の字は,

「会意兼形声。里(リ)は,すじめのついた田畑。裏は『衣+音符里』で,もと,たてよこのすじめの模様(しま模様)の布地。しま模様の布地は衣服のうら地に用いた。」

とある(『漢字源』)。物事の表面に現れない,というメタファとして,「裏話」「裏方」等々と,「裏」の字を用いるのは我が国だけである。「浦」(漢音ホ,呉音フ)の字は,

「形声。『水+音符甫(ホ)』で,水がひたひたと迫る岸」

で,水のほとり,水のひたよせる岸,の意で。海や湖などの陸地に入り込んだ「うら」の意で使うのは我が国だけである。「うら」の多いわが国独特の語幹である。やはり,

浦→裏,

と考えたくなる。

なお,「こころ」については別に(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%8A)触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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凡下


「凡下(ぼんげ)」は,『大言海』には,ずばり,

おとりたること,平凡なること,
普通の人,凡人,

とある。要は,

身分なき人,

を指す。『広辞苑第5版』には,

令制上位を持たない人,
主として鎌倉幕府法に見える身分階層上の呼称,侍に属さない一般庶民,

を指した,とある。

甲乙人。

と同じ意である。

「鎌倉〜室町時代の身分呼称。甲乙人ともいった。主として鎌倉幕府法において,侍身分に属さない一般庶民をさしていった言葉。刑法その他の面で,侍とは厳重に区別されていた。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

とあるので,身分として侍に属さぬものを指したとみていい。

「凡」(呉音ボン,漢音ハン)の字は,

「象形。広い面積をもって全体をおお板,または布を描いたもの。」

とあり(『漢字源』),

一般的,

を意味する。つまり,「武家社会」にとって,

当たり前の人間より下,

という意味なのだろうか。『孟子』の

待文王而後興者,凡民也(文王を待ちて後に興る者は凡民なり)

が,引かれている。これは,

文王を待ちて後に興る者は、凡民なり,
夫の豪傑の士の若きは、文王無しと雖も猶興る。

と続く。勝手な妄想だが,こんなイメージで,「凡下」といったのではないか。しかし,所詮,侍も,農民である。そのことは,すでに触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/461149238.html)。武家の棟梁とは,

「在地領主の開発した私領,とくに本領は,『名字地』と呼ばれ,領主の『本宅』が置かれ,『本宅』を安堵された惣領が一族の中核となって,武力をもち,武士団を形成した。中小名主層の中には,領主の郎等となり,領主の一族とともにその戦力を構成した。武士の中に,荘官・官人級の大領主と名主出身の中小領主の二階層が生まれたのも,このころからである。武門の棟梁と呼ばれるような豪族は,荘官や在庁官人の中でもっとも勢を振るったものであった。」

であった。

「甲乙人(こうおつにん)」というのは,

誰と限らずすべての人,あの人この人,
名をあげるまでもない者,一般の人,

の意である。「甲乙」とは,

甲某(たれがし)乙某(それがし)の義,

と『大言海』にある。つまり,

誰彼の人々,但し,武家の家人,武士ならぬ雑人の称なりしが如し,

とある。『大言海』に,村の制札を引き,

「軍勢甲乙人,還住之百姓家,不可陣取事」

に,「松屋筆記」は,

「甲は武士,乙は雑人也」

と注記している。誰彼の意味である。

この背景は,

「『甲』『乙』などの表現は、現代日本における『A』『B』や『ア』『イ』などと同じように特定の固有名詞に代わって表現するための記号に相当し、現代において不特定の人あるいは無関係な第三者を指すために『Aさん』『Bさん』『Cさん』と表現するところを、中世日本では『甲人』『乙人』『丙人』といった表現したのである。
そこから、転じて正当な資格や権利を持たず、当該利害関係とは無関係な第三者として排除された人々を指すようになった。特に所領・所職を知行する正当な器量(資格・能力)を持たない人が売買譲与などによって知行することを非難する際に用いられた。例えば、将軍から恩地として与えられた御家人領が御家人役を負担する能力および義務(主従関係)を持たない者が知行した場合、それが公家や寺院であったとしても『非器の甲乙人』による知行であるとして禁止の対象となった。同様に神社の神領が各種の負担義務のない者が知行した場合、それが御家人であったとしても同様の理由によって非難の対象となった。」

と歴史的な説明がされている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E4%B9%99%E4%BA%BA)。通行人Aというように,誰彼でもいい人,という意味である。あくまで武家社会を中心に見ての,その埒外の人,という意味になる。で,

「『凡下百姓』または『雑人』と称せられた一般庶民は、無条件で所領・所職を知行する正当な器量を持たない人々、すなわち『非器の甲乙人』の典型であるとされており、そのため鎌倉時代中期には“甲乙人”という言葉は転じて『甲乙人トハ凡下百姓等事也』(『沙汰未練書』)などのように一般庶民を指す呼称としても用いられた。」

となる(仝上)。

「甲乙人に成候ふべき」
「甲乙人に成候ては」

という文言が見受けられるが,それは侍身分としての正当な資格を失う意でもある。だから,

「武士・侍身分においては、“甲乙人”と呼ばれることは自己の身分を否定される(=庶民扱いされる)侮辱的行為と考えられるようになり、悪口の罪として告発の対象とされるようになっていった。」

とある(仝上)。

これと似た言葉に,「地下」「地下人」がある。「甲乙人」の説明(『精選版 日本国語大辞典』)に,

「誰と限らずすべての人。貴賤上下の人。また、名をあげるまでもない一般庶民、雑人、地下人(じげにん)、凡下の者などをいう。」

とあり,凡下,甲乙人,地下人はほぼ意味が重なる。

「地下人」も身分制度から来ている。『大言海』に,

堂上,殿上に対して,五位以下の未だ清涼殿の殿上に,昇殿を聴(ゆるさ)れざる官人の称,

とあり,それが転じて,

禁裏に仕ふる公家衆よりして,其以外の人を云ふ称,

となり,

庶民,

となり,室町末期の『日葡辞典』には,

土着の人,

の意となる。本来五位以下を指したが,そこにも至らぬ公家以外を指し,対に,庶民を指すようになった。武家も,公家から見れば,地下である。しかし武家の隆盛とともに,地下は,

土着の人,

つまり,

地元の人,

という意になった。

「平安時代,殿上人に対して,昇殿の許されなかった官人をいった。地下人ともいい,また,殿上人を『うえびと』というのに対して,『しもびと』とも呼んだ。元来,昇殿は機能または官職によって許されるものであったため,公卿でも地下公卿,地下上達部 (かんだちめ) のような昇殿しない人や,四位,五位の地下の諸大夫もいたが,普通は六位以下の官人をさした。近世になると家格が一定し,家柄によって堂上,地下と分れた。その他,広く宮中に仕える者以外の人,農民を中心に庶民を地下と呼ぶ場合もあった。」

ということ(『ブリタニカ国際大百科事典』)らしい。

いまや,「地下人」「甲乙人」「凡下」は,死語である。とかく,身分を際立たせようとするところから生まれた語にすぎない。ま,そういう呼称のなくなった社会ではあるが,今日,日本では,かえって,貧乏か富裕かが,境界線らしい。何だか,貧しい社会である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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具足


「具足」は,

甲冑,

の意で用いられるが,本来は,

十分に備わっている,
揃っている,

意で,

円満具足,

などという。『大言海』は,二項に分け,一つを,

「具足する(ともなふ)ものもの意」

とし,

携へるもの,携行品,
携ふる意より転じて,所持品,調度,道具,

の意とする。この意から,

伴うもの,同行すること,

の意となり,

引き連れる家来,

の意もある。いまひとつは,

「(所持品,道具の)意にて,武士の所持品,調度,道具は,鎧を第一とするに因りての名なり,モノノグ(什器)を鎧と称し,調度を弓矢,道具を槍の名とすると,正に同意なり。甲冑,籠手,脛楯(はいだて)等,六具,具備する稱と云ふは,具足を,ソナハル意に解して,考へたる鑿説なり,何れの器か,所要の部分の備はらざるものあらむ」

として,

鎧,甲冑の異名,

とし,さらに,

後世は,鎧の脇楯(大鎧の胴の引き合わせの空間を塞ぐもの)なく,種々の付属品なく簡略なる制のもの,

とある。つまり,室町末期の,

当世具足,

を指すことになる。

「日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が『具足(十分に備わっている)』との言葉から。鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ資料が見られるが、一般的には当世具足を指す場合が多い。また鎧兜に対して、籠手などの副次的な防具は小具足とも呼ばれた。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B7%E8%B6%B3

当世具足とは,

「戦国時代に入ると、集団戦や鉄砲戦といった戦法の変化に伴って、大量生産に適しながらも強固さを具える鎧が求められた。それに応じて、当時の下克上の風潮を反映した、従来の伝統にとらわれない革新的改良がなされ、鎧の生産性・機能性が向上し、より簡便で堅牢なものとなった。しかしながら、胴や兜は堅牢なものになったが、手足を覆う部分は従来の形式を踏襲し、鉄の小片を綴ったり鎖帷子形式で動きやすさが重視されていた。西洋のラメラーアーマーと同じ構造原理である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E4%B8%96%E5%85%B7%E8%B6%B3)。

しかし,「具足」は,

「事物の完備充足を示す呼称で,恒例臨時の儀式,遊宴,祭祀,法会,軍陣などに際しての用具を総括して,物の具,装束,調度などの名目と同様に広く用いられる。《伊勢貞助雑記》にも〈具足とは物の惣名(そうめい)なり,楽器具足,女の手具足,又射手具足,三具足などと申候也〉とみえる。《宇治拾遺物語》に〈家の具足ども〉,《徒然草》に〈何となき具足とりしたため〉とあるのもその例であり,《御産所日記》には産屋(うぶや)の調度を御産所具足としており,仏供(ぶつぐ)の花瓶,香炉,燭台は一そろいとして三具足(みつぐそく)とよんだ。」

という(『世界大百科事典 第2版』)ように,あらゆる場面での,用具全般を指したと思われる。それを武家の装備に転じて,

甲冑一式,

を指すようになったということではあるまいか。

「初め物事が充足しているさま,儀式,宴などの道具,調度品をさしたが,武士階級の興隆に伴い,鎧(よろい)を意味するようになり,室町時代には大鎧,室町末には胴丸をさした。のち槍(やり),鉄砲の多用により新形式の鎧が出現,在来のものと区別して当世(とうせい)具足と呼ばれた。」

との説明が当を得ている。「具足」自体は,

「具(そなわる)+足(十分)」

の意なのである(『日本語源広辞典』)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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