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コトバ辞典


下足


「下足」とは,

脱いだ履き物,

を指す。しかし,

げそく,

と訓まず,

げそ,

と訓むと,

げそく,

の略でもあるが,

(鮨屋などで)イカの足のこと,

となる。

なぜ,脱いだ履き物が,

下足,

なのか。『日本語源広辞典』は,

「下(脱ぎ捨てる)+足(足から)」

とする。「上下の下ではない」とするものの,少し無理筋ではないか。

「下駄箱(げたばこ)は、靴などの履物を収納するための家具。銭湯や寄席など古くからある大衆が集う場所では下足箱(げそくばこ)とも呼ばれ、規模が大きい場所では「下足番」と呼ばれる履物の管理人を置くことがある。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%A7%84%E7%AE%B1)。

家庭では言わないので,多くの人が集まる場所での履き物をそう符牒のように呼んだものらしい。

「客などが座敷へあがるためにぬいだ履物を下足という。江戸時代から芝居小屋,料亭,寄席,遊郭,集会所,催物場などが,下足番を置いて客の履物をあずかって下足札をわたした。旅館も客の履物をあずかるが,昔の旅客はわらじ履きだったので下足札はわたさなかった。それゆえ旅館では下足とはいわない。明治末からは東京にデパートが開店したが,初期には店内に緋もうせんやじゅうたんなどを敷きつめて,客の履物をあずかってスリッパあるいは上草履に履き替えさせて下足札をわたしたこともある。」(『世界大百科事典 第2版』)

とあり,特定の場所での脱いだ履き物を指したものらしい。「草鞋」を指さないところを見ると,履物を預けるのには意味があったのではないか。

東京・根岸で江戸時代から300年以上続く料亭「笹乃雪」には下足番が居るらしい。で,

「『今でも下足番がいる店は、もうそんなに存在しないでしょうね。東京でも数店ではないでしょうか。コストがかかりますから。でも、私どもの店では、下足番を大変重要なものと考えています』と、笹乃雪の第11代目当主、奥村氏は語る。」

とある(http://www.uhchronicle.com/a000000116/a000000116j.html)。下足番が生まれた背景は,

「江戸時代の人々にとって、履物が非常に重要だったことがことがあるようだ。江戸時代、建築物は木造で、冬は乾燥したしたため、非常に火事が多かったそうである。その頻度は、江戸時代約260年間で大きな火事が90回以上と、相当であった。そのため、当時の人々は火事に備えて自分の資産を守る術を心得ていたという。商人は損害を最小限にするため建物を簡素にし、何かあったら直ぐに持ち出せるようにと、当時の履物である雪駄や草履、そして小物に金をかけたそうである。」

とある。

「江戸の人々は履物を財産として扱い、その金の掛け様は『江戸の履き倒れ』と呼ばれる程であった。」

とか,江江戸時代の人々が履物にかけた金額は、現在の値段に直すと、イタリア製の有名高級メーカーの靴の何倍もしたそうである。その上,

「江戸っ子には悪戯者が多かったことがある、とも言われている。もともと江戸は地方から来た人の寄せ集め。従って少々客の程度がよろしくなく、食い逃げが多かったそうである。但し、彼らは『金が無い』という理由でなく、『悪戯』として食い逃げをした。何れにしろ店としては有難くない話である。その為、下足番が履物の管理を行い、お勘定が済んで札の色が変わった客に、履物を渡した。」(仝上)

とか。下足とは,あるいは,「履物を脱ぐ」意ではなく,式台や畳に「足を下ろす」という意味だったのかもしれない。

この「下足」を略した「げそ」が,

烏賊の足,

を意味するに至ったのは,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/geso.html

に,

「げそは漢字で『下足』と表記するように、『げそく』の略である。『げそく』と同様に、『げそ』は靴・下駄・草履など履物を指し、寄席や飲食店では客の脱いだ履物を指したが、転じて『足』の意味になった。『足』の意味で『げそ』が使われた言葉には、『逃亡する』の意味の『げそを切る』、『足がつく』の意味の『げそがつく』など盗人や香具師の隠語から広まった言葉も多い。『イカの足』を『げそ』と呼ぶようになったのはすし屋の隠語きからである。」

とある。「下足」から「足」の意味となり,落語などでも,足元に気をつけろという時に「ゲソをよく見ろ」と言ったりする。らしい。

「寿司屋の店主がイカを刺身にする際、イカの胴体に対して10本の触手のことを『イカの足』、 つまり『イカのゲソ』と呼んでいたことから、次第にイカの触手を指す語として定着し、現在では『ゲソ丼』のように料理の名称に使われることも多い。」

とある(http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B2%E3%82%BD)。「10本足だからゲソ」と呼ばれるようになったので,

タコ,

の足は指さないらしい。異説には,かつて,「下足番」は,

下足札の紐10本まとめていたところから来た,と言う。

「ゲソ」=「10本」=「イカの足」

というものもあるらしい(http://www.ytv.co.jp/michiura/time/2017/12/post-4024.html)。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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下駄を預ける


「下駄を預ける」の「下駄」は,「下駄をはかせる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E4%B8%8B%E9%A7%84%E3%82%92%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%82%8B)の項で触れたように,

「下(低い)+タ(足板)」

で,木製の低い足駄(あしだ)の意味らしい。足駄(あしだ)自体がよくわからなくなっているが,

屐とも書き,また屐子 (けいし) ともいう。主として雨天用の高下駄。木製の台部の表に鼻緒をつけ,台部の下には2枚の差歯がある。足下または足板の転訛した呼称といわれる。

とある。これだと区別がつかないが,

@(雨の日などにはく)高い二枚歯のついた下駄。高下駄。
A古くは,木の台に鼻緒をすげた履物の総称。

足駄の方が上位概念らしい。下駄自体は,中世末,戦国時代が始まりらしいが(「下は地面を意味し,駄は履物を意味する。下駄も含めてそれ以前は,『アシダ』と呼称されたという説もある),その中で,近世以降,雨天用の高下駄を指すようになったものらしい。

『日本語源大辞典』には,

「ゲタという語が用いられるようになったのは,中世末からのことであり,それ以前はアシダ(足駄),ポクリ(木履)などと呼ばれていた。ただ,近世には,江戸では,い下駄をアシダ,低いものをゲタと区別し,一方,上方では,区別せずに,ともにゲタとよんでいた」

とある。

「下駄を預ける」は,

すべてを相手を頼んで,処理を一任する,

という意味だが,

(自分に関する問題などに関して)決定権を譲り全面的に相手に任せる(自分では動けなくなることから)

というニュアンスがある。もっとえげつなく言うと,

責任を押しつける,

という含意がある。『日本語源広辞典』には,語源は,

遊郭や芝居小屋で下足番に下駄を預ける,

という意味であり,転じて,

自分の身の振り方を任す,

という意になり,さらに転じて,

自分は動かず,すべて相手または,第三者に処置を任せる,

という意味になった,とある。しかし,『江戸語大辞典』には,載らない。

遊郭や芝居小屋で下足番に下駄を預ける,

という意味は,「下足」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E4%B8%8B%E8%B6%B3)で触れたように,「履き物」が高価であった時代を反映しているが,そのせいか,「下駄を預ける」には,

芝居や寄席で、下足番(げそくばん)に下駄を預けることに由来する,

という説,つまり文字通り,「下駄をあずけた」ことから,

下足番を通さずには帰るわけにいかない,

ということから由来するというのが最も説得力があるが,それ以外に,遊里や演劇から来たとして,

「本来は断りにくい言いがかりをつけて。相手の答えを待つ意味だったのが、相手に処置を押し付ける意味に変わった」

という説,的屋(てきや)言葉から来たとして,

「親分に身柄をあずけるのを『ゲタをあずける』と使ったことに由来する」

という説もあるらしい。しかし,残りの二説は,文字通り「下駄をあずける」行為そのものを喩えとして使いっいるわけで,それ自体が流布していなければ通用しない気がする。やはり,下足に絡んだ言い回しから由来すると見るのが妥当な気がする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ke/getawoazukeru.html)も,

「他人に下駄をあずけてしまと,その場から自由に動けなくなる。後は,預かった人の心次第で,自分はじっとしているしかないところからまれた言葉」

としているし,「舞台・演劇用語」(http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/getawoazukeru.htm)も,

「江戸時代には、芝居小屋や寄席、遊郭などに遊びに出かけると、履き物を下足番に預け、裸足で入場していました。当然、履き物を返してもらわなければ帰路につくことさえできませんので、履き物=下駄を預けるというのは、相手に委ねるという意味となり、この風習から生まれた比喩が、一般的に使われるようになったということです。」

と,下足由来説を採る。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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二足の草鞋


「二足の草鞋」は,

二足の草鞋を穿(履)く,

という言い方をする。

同一人が両立しないような二種の業を兼ねる,

という意味である。

『広辞苑第5版』には,

「もと博徒などが十手をあずかっているような場合を言った」

とある(仝上)ので,

博徒が捕吏を兼ねるような矛盾した業の兼務,

を言ったものらしい。『日本語源広辞典』には,

両立しない二つの職業を兼ねる意,

とあるので,単なる兼業ではない。だから,たとえば,「二足のわらじ」の一例として,

会社員と漫画家
会社員と作家
銀行員と歌手
サッカー選手と公認会計士
サッカー選手と大学生
柔道選手と国会議員
モデルとタクシー運転手

を載せている(https://bizwords.jp/archives/1068174205.html)が,これだと単なる兼業でしかない。だから,「二足のわらじ」の同義語・類義語として,

「二つの仕事を両立させること」
「二つの仕事で活躍すること」
「二つの仕事を掛け持ちすること」

というのは,間違っている(仝上),と思われる。現在では,

「会社員と作家の二足の草鞋を履く」

等々,両立が困難と思われる職業を兼ねる意でも使われるが,本来は褒め言葉ではない。

『江戸語大辞典』には載らないが,『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/22ni/nisoku-waraji.htm)は,江戸時代以降に使われたとし,

「二足のわらじとは『二足の草鞋を履く』が略されたもので、もともとは江戸時代に博打打(ばくちうち)が十手を握り、捕吏になることをいった。ここから同一の人が異なる二種の業を兼ねること、また、単純に二つの職を持つことを二足のわらじという。ただし、二足のわらじは異なる種類の職・担当を兼ねるという前提にあるため、昼はパチンコ屋・夜はゲームセンターで働くといったものや、塾の講師をしながら家庭教師もしているといった、同種・類似の職の掛け持ちに対しては基本的に二足のわらじとは言わない。」

としている。だから,

「江戸の町は、町奉行所や火付盗賊改方が警察機能を担っていた。半七捕り物帖や銭形平次などの主人公は、岡っ引き(『目明し』、『御用聞き』、関西では『手先』、『口問』などとも呼ばれていた)を家業としているように描かれているが、実際は正規に任命を受けたものではなく、同心などが利用した『非公認の犯罪捜査協力者』、あるいは同心の『私兵』という位置づけだった。
 岡っ引きは、江戸時代、武士である同心が犯罪捜査を行うには、裏社会に通じたものを使わなければ困難であったことから、軽犯罪者の罪を見逃してやる代わりに、手先として使ったことが始まりと言われている。
 博徒や的屋の親分が岡っ引きになることも多く、『博打打が岡っ引きとなって、博打打を取り締まる』という摩訶不思議なことが起こったことから、『二足の草鞋を履く』という言葉が生まれたのだ。」

としている(https://kakuyomu.jp/works/1177354054880634829/episodes/1177354054881041764)のが正確なのだろう。同種の説は,他にも(https://seikatsu-hyakka.com/archives/41537)載るので,「二足の草鞋」は,

博徒と岡っ引き,

というのが由来なのだろ。『鬼平犯科帳』に出てくる手先も,元泥棒である。蛇の道は蛇,ということなのだろう。と見れば,

通常両立しえない仕事あるいは相反する仕事を掛け持つこと,

を指す。当然,

あまりいい意味,

では使われない。どちらかと言うと,案に,非難の含意があるとみてよい。

『故事ことわざ辞典』(http://kotowaza-allguide.com/ni/nisokunowaraji.html)は,

両立し得ないような二つの職業を一人ですること,
また,
相反するような仕事を同じ人が兼ねること,

とし,やはり,

「江戸時代、博徒が十手を預かることを『二足の草鞋』といった。」

とある。博徒側から見ても,江戸市民から見ても,

二足の草鞋,

はいかがわしさの象徴だったとみていい。

そう言えば,十手と言えば,宮本武蔵の家系は,十手術をよくした。十手は,

「十本の手に匹敵する働きをすることから『十手』であるといわれている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E6%89%8B)。別に岡っ引きや町方同心,与力の専売特許ではない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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二束三文


「二束三文」は,

売値が非常に安い,

意味だが,『広辞苑第5版』には,

「二束でわずか三文の意。江戸初期の金剛草履の値から出たという」

とあり,

数が多くて値段の極めて安いこと,多く,物を捨て売りにする場合にいう,

とある。

二足三文,

とも当てる。『岩波古語辞典』には,「金剛」は,

大型の藁草履,

とある。『大言海』に,

「聚楽にて,金剛太夫,勧進能に,芝居銭三十文づつ取りければ『こんごう(藁草履)は,二束三文するものを,三十取るは,席駄太夫か』」(『昨日は今日の物語(正和)』)

が引かれている(『岩波古語辞典』にも載る)。

「草履」は,

藁・竹皮・灯心草・藺等々を編んでつくり,緒をすげた履物,

のこと。「金剛草履」は,

「堅固で破れないからいう」

とある(『広辞苑第5版』)が,

「藁や藺いで編んで作った丈夫で大きい草履」

で,

「普通のものより後部の幅がせまい」

とある(『デジタル大辞泉』)。ただ,

「野辺送りに近親者がはく草履は〈アッチ草履〉とか〈金剛草履〉などといい,座敷から直接地面にはいたまま下りるほか,墓地や辻などに脱ぎすててくる習慣がある。このため,ふだん履物をはいたまま家から外へ下りるのは忌まれているが,野辺送りの履物を拾ってはくと百難を逃れるとか,蚕のあがりがよいという所もある。」

とある(『世界大百科事典』)ので,棄てても惜しくない履き物と思われる。因みに,「草鞋(わらじ)」は,

ワラグツの転,ワランジの約,

とあり,

藁で足型に編み,つま先にある二本の藁緒を左右の縁にある乳(ち)に通し,足に結び付ける履き物,

で,そもそもが「くつ」とされていたものらしい。

「中国大陸や朝鮮半島の植物繊維を編んで作った草鞋(わらくつ)から、平安時代に、わが国特有の鼻緒はきものとして生まれた。長い緒で足にしばりつけてはく草鞋は旅や労働に、鼻緒を足にかけてはく草履は、日常のはきものとして用いられることが多かった。」:日本はきもの博物館

とあり,靴の変じたものだろう。

「草鞋は前部から長い『緒(お)』が出ており、これを側面の『乳(ち)』と呼ばれる小さな輪およびかかとから出る『かえし』と呼ばれる長い輪に通して足首に巻き、足の後部(アキレス腱)若しくは外側で縛るものである。鼻緒だけの草履に比べ足に密着するため、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすく、昔は旅行や登山の必需品」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%9E%8B),「草鞋」も安そうに見えるが,相場は,

「江戸時代の旅の道中の出納帳には、OO宿ワラジ12文、OO宿ワラジ16文のように書かれています。宿場によって多少ワラジの値段にもバラつきがあるようですが、ほぼ12〜16文ぐらいの値段であったようです。」

とあるので,二束三文の値ではない。ただ,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ni/nisokusanmon.html)は,

「二束三文の『文』は,昔のお金の低い単位で,二束三文は、二束(ふたたば)でも三文 というわずかな金額にしかならないことに由来する。『二足三文』と書くこともあり,江戸 初期の『金剛草履(こんごうぞうり)』の値段が,二足で三文の値段であったことに由来するともいわれる。『二足』と『二束』のどちらが先に使われ始め,どちらが変化したものかは未詳である。『三文』という言葉は『三文判』や『三文芝居』など安物や粗末な物の意味で使われており,『二束三文』の『三文』も実際にその金額で売られていたわけではなく,安いことを表したものと考えると,『二足三文』の説はやや難しい」

と,「三文」を安さの象徴の意味としている。確かに,『岩波古語辞典』には,

「極めて価の低い,また僅少なことのたとえ」

とあるので,実際に「三文」だったかどうかは定かではない。『江戸語大辞典』には,

「金剛草履二足三文に起る」

とあるし, 

「二束(ふたたば)でも三文」(『由来・語源辞典』)

とする説もある。これだと,確かにもっと安い感じはするが,『日本語源広辞典』の説では,「束」は,別の意となる。

「藁二束(二百タバ,稲藁塚,ススキ,二基分を二括りにしたもの)で,わずか三文,つまりタダ同様の値段の意です。ちなみに,藁二束は両端の尖った担い棒を使い,一括りずつ両端に刺して運ぶもので,大人が運べる最高のカサと重量です。」

として,「二足で三文」とする説を否定し,「二足」を誤字としている。しかし,もっともらしいが,原材料のことが,安値の原因とするのは,無理がある気がする。「三文」が象徴であるように,「二足」「二束」も象徴と見ていいのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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にっちもさっちも


「にっちもさっちも」は,

二進も三進も,

と当てる。どうやらそろばんの用語から来たものらしい。『広辞苑第5版』には,

「金銭の融通のきかないさま,また,一般に物事が行き詰まってみ呉今日もの取れないさまにいう」

とある。『デジタル大辞泉』には,

「そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意」

とある。正確には,「下に打ち消しを伴って」(『大辞林第三版』),

二進も三進もいかない,

と使う。『江戸語大辞典』には,

「二進(にちん)三進(さんちん)」

と訓ませている。

「『二進』とは2割る2,『三進』とは3割る3のことで,ともに割り切れ,商に1が立って計算できることを意味した。それがうまくいかないということで,金銭的やりくりがつかない,商売がうまくいかないという意味で用いられるようになり,のちに,身動きが取れない意味へと転じた」

とある(https://proverb-encyclopedia.com/nitimosatimo/)が,この説明ではしっくりと来ない。同趣旨の説明をするのが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ni/nicchimosacchimo.html)で,

「『にっち』は『二進(にしん)』,『さっち』は『三進(さんしん)』の音が変化した語。『二進』とは2割る2,『三進』とは3割る3のことで,商1が立って計算ができることを意味していた。そこから,2や3でも割り切れないことを『二進も三進も行かない』と言うようになり,しだいに計算が合わないことを意味するようになった。さらに,商売が金銭面でうまくいかないことの意味になり,身動きがとれない意味へと変化した。」

とある。やはり,しっくりしない。『笑える国語辞典』,

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%AB/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E3%82%82%E4%B8%89%E9%80%B2%E3%82%82%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

も,

「二進(にっち)も三進(さっち)もは、『二進も三進も行かない』などと用い、行き詰まって身動きがとれない状態を言い表す。『二進』『三進』という漢字を見ると、『二歩進めないなら三歩進めないのは当たり前だろ』というようなツッコミを入れたくなってしまうが、残念ながら、この『二進』『三進』はソロバンの用語で、それぞれ『二割る二』『三割る三』を意味する。『二進』『三進』も割り切れるところから、計算のやりくりがつくことをいい、それを否定した『二進も三進も行かない』は、割り切れない、やりくりがつかないという意味になり、やはり『二歩進めない』うんぬんは的はずれなツッコミといわざるをえないのである。」

とし,割り切れる意からそれを否定する真逆の意に転じた,とする。そうなのだろうか。

『日本語源大辞典』は,

「算盤の割算の九九の『二進一十(にしんいんじゅう)』『三進一十(さんしんいんじゅう)』から出た語で,これらがそれぞれ,二を二で割ると割り切れて商一が立つこと,三を三で割ると割り切れて商一が立つことを意味するところから,計算のやりくりを指す。多く,『にっちもさっちも行かない』の形で,どうにもやりくりがきかないさま,窮地に追い込まれたりして身動きできないさまなどにいう」

とある。これでもやはり意味がはっきりしないが,『日本語源広辞典』には,

「『算盤の九九,二進一十,三進一十』が語源です。それぞれの商は一,繰り上がらないから,遣り繰りがのつかない意で使います」

とある。これのほうが僕には納得できる。『大言海』の,

如何に勘定しても,

の意は,これでわかる。

「二進」(にしんがいんじゅう,にしんがいっしん),「三進」(さんしんがいんじゅう,さんしんがいっしん)は,割算の掛け声(割算九九(割声))で,

「そろばんのわりざんには、商除法と帰除法があります。現在一般に行われているのは商除法で、かけざん九九を使って商を見つけます。帰除法は昔使われていた方法で、割算九九(割声)を覚えて計算するものです。」

とある(http://anchor.main.jp/warizannkuku.htm)。例えば,

「(例1) 12÷2=6 そろばんに12をおく。わる数の二の段でわられる数12の先頭の数を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次にわられる数の残り2を見て、二進一十と2をはらって10をいれる。すると答えが6となる。」
「(例2) 158÷2=79 そろばんに158をおく。わる数の二の段でわられる数158の先頭の数を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次にわられる数の残りの先頭5を見て、二進一十と2をはらって10をいれる。これを繰り返す。するとそろばん面は718になり、7は答え。次に残り18の先頭の数1を見て、二一天作五と1を5にして1をはらう。次は8を見て、二進一十を繰り返す。すると答えが79となる。」

となる(仝上)。

どうやら,「2割る2」と割り切れるようにはいかない,という意の「二進も三進も」か,「2割る2」で割り切れて繰り越さない意の「二進も三進も」か,ということだが,僕は,根拠はないが,後者の方がすっきりする。

因みに,「算盤」は,「算盤」の訓の,

「サンバン→ソァンファン→ソランバン→ソロバン」

と変化したもの(『日本語源広辞典』)。『日本語源大辞典』には,

「『そろばん』が伝来する以前は,計算用具としては算木が使用されていた。『そろばん』の中国からの伝来が室町末期であること,現代中国語でも『算盤』を使用していることなどから,『そろばん』は『算盤』の唐音ソワンバンの日本語化といわれる。」

とある。中国では,

「中国では紀元前の頃から紐の結び目を使った計算方式や、算木を使用した籌算(ちゅうざん)と呼ばれる独自の計算方式があった。これらは紐や竹の棒や木の棒で計算していたものであり、桁を次々に増やせる利点はあるが珠の形ではない。珠の形になったのは2世紀ごろの事と考えられ、『数術記遺』と言う2世紀ごろの書籍に『珠算』の言葉がある。」

とか(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%82%93)。

「二進も三進も」の類語としては,

前門の虎後門の狼,
進むも地獄退くも地獄,

よりは,

進退両難,

がピタリ重なる気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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三下


「三下」は,

三下奴(さんしたやっこ),

の略,

「三下奴」は,

ばくちの仲間で,最下位の者,

の意で,

三下野郎,

とも言う(『広辞苑第5版』)。『江戸語大辞典』の説明が正確である。

博奕詞,三下奴の略。博労中勢力の無い者,博徒の素人臭いぺいぺい者。賽の目の三以下を価値なしとするに因る,

転じて,

一般に取るに足らぬ者,

とある。さらに,

表番、下足番、使番などといった仕事を行う者を表す,

場合もある,という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)。下っ端を指して,言うとみていい。

どうやら,

「賽の目の三以下を価値なしとする」

が語源らしい。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/sa/sanshita.html)には,

「三下は、博打打ちの間で下っ端の者をいった隠語。 サイコロ博打で、3より下の1や2しか出ないと勝ち目がないことから、目(芽)が出ない者を『三下・三下奴(さんしたやっこ )』というようになった。」

とあるし,

「語源は、博打が行われるさいの振られたサイコロの目数が三よりも下だったならば勝ち目がないというところから言われ始めた」

ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)ので,賽の目に由来があるらしい。

『日本語源大辞典』には,

「サイコロの目数が四以上の場合は勝つ可能性があるが,三より小さい場合には絶対勝てないところから,どうも目の出そうもない者を意味するようになったという」(すらんぐ=暉峻康隆)

と載る(『日本語源広辞典』も同趣)。

『日本語俗語辞典』(http://zokugo-dict.com/11sa/sansita.htm)には,江戸時代以降の言葉として,

「三下とは三下奴の略で、もともとは博打打の最下位の者や目の出そうにない者をいった(三下野郎ともいう)。これはサイコロの目が3以下の場合、勝てる見込みがないことによる。ここから博徒の下っ端のことを言うようになり、その流れでヤクザ(主に賭博を収入源としていたヤクザ)も下っ端の者、取るに足らない者を三下と呼ぶ。下っ端という意味では広く一般にも浸透し、主に当人が卑下したり、影で侮蔑する際に使われたが、近年若い世代の中には知らない者も多く、日常会話でほとんど使われない死語となっている。」

とある。確かにもはや死語ではある。

因みに,博徒の順位は,

貸元、代貸、出方(でかた),

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8B)。

『極道用語の基礎知識』(http://www.usamimi.info/~kintuba/zingi/zingidic-sa.html)には,

「ヤクザの最下級。若いもの、若い衆、若者。博徒の役職は貸元、代貸、出方と三段階あるのだが、それらのさらに下であるという意味。自らを卑下していう言葉であって、他人から言われた場合は喧嘩になるだろう。」

とある。上位の者が「三下」と呼ぶのであって,上位と認めていないものからよばれれば,腹が立つ言い方ということだ。この順位は正確には,

貸元(親分)、代貸(だいがし)、本出方、助出方、三下,

の順で,三下はさらに,

中番、梯子番、下足番、木戸番、客引、客送、見張,

等々に分かれる,とか(http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini03.htm)。また的屋(露天商等を主たる事業とする)の場合は,

張元、帳脇、若衆頭、世話人、若衆

等々に分かれるという(仝上)。

因みに,「貸元」は、

「紙芝居師に紙芝居を貸す元締、もしくは丁半賭博場の経営者。送り仮名を入れた『貸し元』とも書く。この貸し付ける現金を『廻銭(かいせん)/駒(こま)』と呼ぶ。カラス金(一日1割)、トゴ(十日5割)、ヒサン(一日3割)などと呼ばれる違法な高利がほとんどである」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%85%83)。

「代貸」は,

「博徒の階級の1つで、貸元(親分)の補佐役であり、代貸しは賭博を開帳するに当たり、一切の責任者となり、もし間違いがあった場合でも、親分の名前は絶対に出さないという現場におけるヤクザの責任制度〜身代わりの常備機構であったわけです。」

とある(http://www.web-sanin.co.jp/gov/boutsui/mini14.htm)。

「出方」は,

「上着を預かったり、お茶を出したり、灰皿を交換するなどの雑務に従事する」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E5%85%83)。

その下の「三下」は,

「履物を管理する下足番や人の出入りを監視する張番(はりばん)をする」

ことになる(仝上)。

どの世界も厳しい身分社会で,江戸時代という身分社会を反映しているようだ。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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蛇足


「蛇足」は,

画蛇添足(蛇を画きて足を添う),
蛇足をなす,

とも言う。

あっても益のない余計なもの,
あっても無駄なもの,
不要なもの,

というよりも,

余計な行い,

という含意に思える。出典は,『戦国策』の「斉策」であるらしい。『戦国策』(http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-2.htm#%E6%88%A6%E5%9B%BD%E7%AD%96) については触れた。

「前漢末に,学者劉向(りゅうきょう 前七七−前六)が命ぜられて天子の書庫の整理をしたとき,『国策』『国事』『探長』『事語』『長書』『脩書』などという錯乱した竹簡があった。みな戦国のとき(春秋以後の二百四十五年間)の遊説の士が国々の政治への参与を企てて,その国の為に建てた策謀であったので,劉向は国別にしているものに基づいて,それぞれほぼ年代順に整え,重複を刪(けず)り,三三篇として『戦国策』と名づけた。」

ものである。多く歴史書というよりは,

奇知縦横の言論や説得の技法の習練,

を意とするもので,『戦国策』に登場する説士(ぜいし)が本当にこれほど活躍したのかどうかは疑わしく,縦横家,遊説の士にとっての教科書と言うようなものということだ。

とすると,蛇の絵を描く競争で,早く描き上げた者が,足まで書き添えて負けたという故事は,ただの寓話の類ではなく,為にする喩えといっていい。

楚の昭陽将軍が魏の国との戦いに勝利し,更にました。斉(せい)の国にも戦いを挑もうとするのを,斉の国王が陳軫(ちんしん)という縦横家(じゅうおうか)に相談した。その依頼を受け、昭陽将軍との会談の際に用いた喩え話である。その陳軫が,昭陽将軍に語った寓話である。

その原文は,

楚有祠者。賜其舎人卮酒。舎人相謂曰、
「数人飲之不足。一人飲之有余。請画地為蛇 先成者飲酒。」
一人蛇先成。引酒且飲之。乃左手持卮、右手画蛇曰、
「吾能為之足。」
未成、一人之蛇成。奪其卮曰、
「蛇固無足。子安能為之足。」
遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。

とあるらしい。つまり,

「楚(紀元前3世紀頃まであった国)の人が先祖の祀りをした後、近侍の者大杯に一杯の酒をふるまいました。近侍の者たちは相談しました。『数人で飲めば足りないが,一人で飲むなら有り余るほどだ。これはひとつ,地面に蛇の絵をかいて,先にかき上げたものが飲むことにしてはどうか』。すると一人の者が先に蛇の絵をかきあげて,酒を引き寄せて,いまに飲もうとしながら,左の手で杯を持ち,右手で蛇をかき続け,『れは足までかく暇まである』と申しました。その足がかき終らないうちに,ほかの一人のかいていた蛇が出来上がりました。先の者が持つ杯を奪い取り,『蛇に足があってたまるものか,おまえに足がかけようはずがない』と言って,その酒を飲んでしまいました。蛇の足をかいていた者は,と酒を飲み損なったのです。」

である(『戦国策』)。もちろん,これは,単なる寓話なのではない。この話を為にしたのである。『戦国策』

蛇足を為す者は終に其の酒を失う,

の項に,こういうやりとりが載る。

君今相楚而攻魏,破軍殺将,得八城不弱兵,欲攻斉。
斉畏公甚。
公以是為名居足矣。
官之上,非可重也。
戦無不勝而不知止者,身且死,爵且後帰。
猶為虵足也。
昭陽以為然,解軍而去。

「いま,あなたは楚の宰相として魏をお攻めになり,魏の郡を破り,魏の将を殺し,八城を奪い取りながら,兵力を損傷することなく,さらに斉を攻めようとなさっています。斉ではあなたを恐れておりますのは,大変なものです。あなたはそれでもって栄誉となされば十分です。これまでの功績でお受けになる官爵の上に,さらに加えうる官があるわけではないのです。戦って負けたためしがないというので,とどまるところをお忘れになりますと,お亡くなりになった場合,爵は死後の身にお受けになることとなります。それでは蛇の足をかくようなものでしょう」

と。このやりとりには前段がある。陳軫は,昭陽将軍に尋ねる。

陳軫為斉王使,見昭陽,再拝賀戦勝,起而問。
楚之法覆軍殺将,其官爵何也。
昭陽曰,官為上柱国,爵為上執珪。
陳軫曰,異貴於此者,何也。
曰,唯令尹耳。
陳軫曰,令尹貴矣。
王非置両令尹也。

つまり今回の戦勝の功に対し,与えられるのは,

官は上柱国(じょうちゅうこく),爵は上執珪(じょうしつけい),

であり,この上は,令尹(れいいん)のみという。

楚王が二人の令尹を置くだろうか,

と疑問を投げかけた上で,

臣窃為公書,

と,蛇足の喩え話をするのである。要は,

「あなたはもうずいぶん功を立てました。これ以上勝っても望む出世には限度がありましょう。あまりに調子に乗りすぎると身の破滅を招きます。大勝利を得たこのへんで引き揚げてはいかが」

という含意か(http://chugokugo-script.net/koji/dasoku.html),

「たとえ斉への侵攻に成功してたとしてもそれ以上は出世しようが無いのに、失敗に終わった場合の、失脚の危険を犯す必要があるのか、ということを蛇足の話を用いて説得したのである。」

という含意か(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E8%B6%B3),

どちらか,多少ニュアンスの差はあるが,これ以上の功名は,蛇足だと言いたかったらしいのであるが,勝ちに勝っている将軍に,これで説得できるかどうかは,ちょっと疑わしいように思えるのだが。

参考文献;
近藤光男編『戦国策』 (講談社学術文庫)

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霜月


「霜月」は,陰暦十一月の異称である。その他に,

ちゅうとう(仲冬),
かぐらづき(神楽月),
かみきづき(神帰月),
けんしげつ(建子月),
こげつ(辜月),
しもつき(霜月),
しもふりづき(霜降月),
しもみづき(霜見月),
てんしょうげつ(天正月),
ゆきまちづき(雪待月),
ようふく(陽復),
りゅうせんげつ(竜潜月),
ゆきまちづき(雪待月),
かおみせづき(顔見世月),
ねのつき(子の月),
ちょうげつ(暢月),

等々がある。異称のいわれについては,

https://jpnculture.net/shimotsuki/

が詳しい。

僕は個人的に不審に思うのは,神無月(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88)で触れたように,三代歌川豊国は,「神無月 はつ雪のそうか」という浮世絵で,牡丹雪が降り続く夜に,蕎麦売りの屋台に集まり、蕎麦を食べて暖をとる「そうか」(夜鷹)を描いていた。神無月で牡丹雪である。そのよく月に「霜の月」とは如何なものか。

この説は,どうやら「神無月」を「神無き月」と解釈したのと同一人物の臆説から始まっているらしい。神無月について,

「十月(かみなづき),天下のもろもろの神,出雲國に行きて,異国(ことくに)に神無きが故に,かみなし月と云ふをあやまれり」

とした藤原清輔(治承元年卒)の「奥義抄」は,「霜月」についても,

「十一月(しもつき)、霜しきりに降るゆえに霜降月(しもふりつき)といふを誤(あやま)れり」

と同じ口吻で言っているのが笑える。しかしこれが定説なのだという。理解できない。しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/si/shimotsuki.htmlも,

「『霜降り月・霜降月(しもふりつき)』の略とする説が有力とされる。その他、十は満ちた数で一区切りなので上月になり,それに対して下月とする説 や,『神無月』を『上な月』と考えて『下な月』とする説など,上下の『下』とみる説。『食物月(をしものつき)』の略とする説や,『擂籾月(すりもみづき)』の意味など諸説あるが,いずれも有力とはされていない。」

と,霜に絡めようとしている。しかし,「霜月」が,当て字なら,それをもとに解釈しているにすぎなくなる。

『大言海』は,

「食物(をしもの)月の略。新嘗祭を初めとして,民間にても,新饗(ニヒアヘ)す。むつきの條を見よ」

とする。睦月(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D)で触れたように,『大言海』は,「むつき(睦月・正月)」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし, 

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていた。

そもそも,「とし(年)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%A8%E3%81%97)が,

「日本語で『とし』とは、『稲』や穀物を語源とし、一年周期で稲作を行なっていたため『年』の意味で使われるようになったという。ちなみに、漢字の『年』は禾に粘りの意味を含む人の符を加え、穀物が成熟するまでの周期を表現した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4

とあるのだから,なおさら農事に関わると,僕は思う。『大言海』も,

「爾雅,釋天篇,歳名『夏曰歳,商曰祀,周曰年,唐虞曰歳』。注『歳取歳星行一次,祀取四時一終,年取禾一熟,歳取物終更始』。疏『年者禾塾之名,毎年一熟,故以為歳名』。左傳襄公廿七年,註『穀一熟為一年』。トシは田寄(たよし)の義,神の御霊を以て田に成して,天皇に寄(おさ)し奉りたまふ故なり,タヨ,約まりて,ト,となる」

としている。因みに,「年」の字も,

「『禾(いね)+音符人』。人(ニン)は,ねっとりと,くっついて親しみある意を含む。年は,作物がねっとりと実って,人に収穫される期間を表す。穀物が熟してねばりを持つ状態になるまでの期間のこと。」

とあり,「歳」の字も,

「『戉(エツ 刃物)+歩(としのあゆみ)』で,手鎌の刃で作物の穂を刈り取るまでの時間の流れを示す。太古には種まきから収穫までの期間をあらわし,のち一年の意となった。穂(スイ 作物のほがみのる)と縁が近い。」

と,同じである。これまで触れてたように,

師走(陰暦十二月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%97%E3%82%8F%E3%81%99
睦月(陰暦一月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D
如月(陰暦二月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%8E
弥生(陰暦三月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%84%E3%82%88%E3%81%84
卯月(陰暦四月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%86%E3%81%A5%E3%81%8D
皐月(陰暦五月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D
水無月(陰暦六月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A5%E3%81%8D
文月(陰暦七月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%B5%E3%81%A5%E3%81%8D
葉月(陰暦八月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%AF%E3%81%A5%E3%81%8D
長月(陰暦九月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8D
神無月(陰暦十月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88

各月名は,農事と深くつながっている。「霜月」だけが,その一年の流れと無関係であるとは,ちょっと信じられない。

『日本語源広辞典』は,「霜の月」を採る,とした上で,

「『食物月』(ヲシモノツキ)説がありますが,付会かと考えます」

と切り捨てる。しかし「しもつき」が「霜月」と当てた根拠は,無い。根拠のない当て字をもとに「霜の月」とする方が付会ではあるまいか。

『日本語源大辞典』には,確かに,

シモフリノツキ(霜降月)の略(奥義抄,名語記,日本釈名,萬葉集別記,柴門和語類集),
シモヅキ(霜月)の義(類聚名物考,和訓栞),

と,「霜」系が多数派だが,その他,『大言海』の「食物月(ヲシモノツキ)」以外に,

シモグル月の義。シモグルは,ものがしおれ痛む意の古語シモゲルから(嚶々筆語),
スリモミヅキ(摺籾月)の義(日本語原学=林甕臣),
新陽がはじめて生ずる月であるところから,シモツキ(新陽月)の義(和語私臆鈔),
十月を上の月と考え,それに対して下月といったものか。十は盈数なので。十一を下の一といったもの(古今要覧稿),
シモ(下)ミナ月,あるいはシモナ月の略。祭り月であるカミナ月に連続するものとしてシモナツキを考えたものらしい(霜及び霜月=折口信夫),

等々を乗せる。しかし,僕は,

既に,神無月に初雪の浮世絵があるという季節感から,陰暦十一月(新暦の十二月)に霜月では遅い,と感じること,

そして,

一月から十二月まで,農事と関連する語原であったことから,農事につなげるものとして,

新嘗の,「食物月(ヲシモノツキ)」(大言海)

か,

「スリモミヅキ(摺籾月)の義」(日本語原学=林甕臣),

のいずれかが妥当ではないかと思う。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かわや


「かわや」は,便所の意だが,

厠,
圊,
溷,

等々と当てる。

「川の上に掛けて作った屋の意,また,家の側の屋の意ともいう」

とあり(『広辞苑第5版』),『日本語源広辞典』も,

説1は,「川+屋」。汚物,排泄物を川に流した小屋,
説2は,「カワ(側)+屋」。本屋に対し,傍らに小屋を立てた,

の二説を挙げる。また,

「かわやが『川屋』であるか『側屋』の意であるかは議論のわかれるところである。けれども側屋は竪穴住居を考えればいささか無理のある表現とも考えられる。『古事記』の丹塗矢の物語から考えても,川屋を否定することはできない。同じく『古事記』には,素戔嗚尊の話の中に『くそへ』という重い罪穢れを犯し罰せられる記事がある。『くそへ』とは糞を放(ひ)る意であるが,昔から日本民族は糞尿を穢らわしいものとし,これを水に流し去ることを願っていたのかもしれない」

と(楠本正康『こやしと便所の生活史』),「川屋」に軍配を上げている。因みに,『古事記』の丹塗矢の物語は,三輪山の大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ,丹塗矢と化して溝を流れ,用便中にほとを突いた,という話で,川で用を足していたということになる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kawaya.html)は,

「厠は数ある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られる。 712年『古事記』には、水の流れる溝の上に設けられていたことが示されており、川の上に掛け渡した屋の意味で、『川屋』の説が有力とされる。また、現代では住居の中に便所を作るのが一般的だが,少し前までは,母屋のそばに設けるのが一般的であったところから,『側屋』とする説もある。」

と,やはり「川屋」説に傾いている。『岩波古語辞典』も,

「川の上に架した屋の意」

を採る。『大言海』は,

「側屋(カハヤ)の義。家の傍に設くる意。後架の,屋後の架設なると,同意なり。裏とも云ふ。川に架し作れば云ふとの説あれど,川なき地にはいかがすべき」

と,「川屋」説をを批判するが,古代,水辺に住まいするのは当然なので,ちょっと的外れかもしれない。鳥浜貝塚(縄文時代前期、約5500年前 福井県若狭町)では,

「2000点を超える多量の糞石(ふんせき)が出土している。特に杭の打たれた周辺では他の場所と比較して、より多くの糞石が出土することから、この遺跡に暮らした当時の人々は湖に杭を打ち桟橋を作っていたと考えられ、桟橋からおしりを出して用を足していただろうと推測される。このような構造のトイレ(桟橋形水洗式(さんばしがたすいせんしき)トイレ、いわゆる『川屋』)は現在でも環太平洋地域で広くみられる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。やはり,「川屋」の字が妥当かどうかは別として,川で用を足していたのに違いはない。

『日本語源大辞典』は,「側屋」説,「川屋」説以外に,

かわるがわる行くところから,カハヤ(交屋)の義(万葉代匠記・万葉考),
カハは糞の意(海録),
クサヤ(臭屋)の義(三樹考),
カワルキヤ(香悪屋)の義(和句解・日本釈名),

を載せるが,やはり,「側屋」説,「川屋」説のいずれかだろう。

漸く,藤原京・藤原宮(7世紀末、都としては694年〜710年)では,

「藤原宮の南面西門から外に出てすぐの南東、右京七条一坊西北坪の遺跡から土坑形汲取式(どこうがたくみとりしき)トイレを検出している。(中略)公的な機関(役所)があったと想定され、このトイレは、その内部に設置された共同便所だったと考えられている。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B)。そして,

「藤原宮の宮殿の東側、官庁街との間を南北に走る幅5m、深さ1mの基幹排水路が東大溝(ひがしおおみぞ)である。この溝の両岸の傾斜面には、向かい合う位置に大小の柱穴が交互に13.5mにわたって並んでいた。初めは幅広の橋とされていたが、その南16.5mの地点からも同様の遺構が発見され、橋ではなくトイレではないかと考えられるようになった。溝の中からは籌木も出土している。このトイレは、柱穴の検出状態から、溝をまたいで長屋のように建てられた溝架設形水洗式(みぞかせつがたすいせんしき)トイレではないかと想定される。」

とうある(仝上)。やはり「川屋」説に軍配のようである。溝の中から出土した籌木(ちゅうぎ、ちゅうぼく)とは,

「古代から近世初頭にかけて用いられた、排泄の際に用いられた細長い木製の板のことである。糞箆(くそべら、くそへら)ともいう。トイレ遺構の便槽から出土する。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%8C%E6%9C%A8

これについては,「べらぼう」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%B9%E3%82%89%E3%81%BC%E3%81%86)で触れた。

貴族,役人はともかく,庶民は,中世になっても,路上で用を足している。

面白いことに,きちんとしてトイレであっても,路上でも,一様に,籌木を使っていることだ。

ただ,「糞尿」を「こやし」として使うようになると,少し事情が変わるようだ。

「人糞尿が貴重な肥料として使われるよになると,これを一ヵ所に蓄えておかなければならない。そのために,直接耕作にたる農民も,耕作を受け持たせている地頭や名主たちも,やがて住居の外側などに大きな便池を蓄えた便所を設けるようになったのであろう。だが,当時の住居の構造,たとえば武家造といわれる建物の平面図からはこれを立証することはできない。しかし,禅寺では東司(とうす)と呼んで,大きな外便所を持つものが多くなってきた。便所は,このような家の外側に設けられたので,『側屋』と考えるべきだと主張する人もいる。」(楠本正康・前掲書)

「川屋」から「側屋」へと,便所の位置の変化から,当てる字が変わっただけのように思える。

なお,トイレ名の変遷に付いては,

「日本には便所を意味する呼称や異称が多い。現在でも使用される『厠(かわや)』は、古く『古事記』にその例が見え、施設の下に水を流す溝を配した『川屋』に由来するとされる。あからさまに口にすることが『はばかられる』ことから『はばかり』、最後の手を清めることから『手水(ちょうず)』がある。厠の異名となる『雪隠(せっちん)』は、従来より茶会等で厠を意味する表現である。茶室の庭(内路地)に客専用の砂雪隠や飾雪隠を設けて、日常的の使用する厠(外路地)と別の清潔な厠で茶会の客をもてなした。後にこれが転じ、茶室以外の場でも上品な表現として雪隠が使用されることになった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%89%80)。

トイレの遺構については,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E9%81%BA%E6%A7%8B

に詳しい。

最後に漢字にあたっておくと,「厠(廁)」(シ,漢音ソク,呉音シキ)の字は,,

「广(いえ)+音符則」で,屋敷の片隅に寄せて作った便所」

「溷」(漢音コン,呉音ゴン)は,

「□印(かこい)+豕(ぶた)」で,きたない豚小屋,転じて便所。溷は,それを音符として水を加えた字。汚い汚水。」

「圊」(セイ)は,「かわや」の意。『漢字源』には載らない。

参考文献;
楠本正康『こやしと便所の生活史―自然とのかかわりで生きてきた日本民族』(ドメス出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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姑息


「姑息」は,

「『姑』はしばらくの意」

で,

一時の間に合わせ,
その場逃れ,

の意味である(『広辞苑第5版』)。「姑」(漢音コ,呉音ク)の字は,

しゅうとめ,

の意であるが,副詞として,

しばらく,そのままで,とりあえず,
とか,
手を付けず,そのままにしておく, 

といった意味で,「姑息」は,「手を付けずそのままにしておく」意とある。「姑」と似た意味の副詞を,

「暫」は,不久也と註す。少しの間の意なり,暫時と熟す,
「姑」は,且也と註す,暫の意はなし,まあ,と譯す。孟子「姑舎汝所學而従我」,
「且」は,姑に近し,
「少」は,少しの間といふ義,小時の時を省きたるなり,
「薄」は,今しばしの義,いささかとも訓む,

と区別する(『字源』)。「且」には,しばらくという意味はなく,

まづ(先)しばらく(姑)未定の意をあらわす,

という意味(『字源』),あるいは,

まあまあという気持ちを示す言葉,取りあえず,

という意味(『漢字源』)が含意を伝えているかもしれない。「息」(呉音ソク,漢音ショク)の字は,息の意で,

「会意,『自(はな)+心』で,心臓の動きに連れて,鼻からすうすうといきをすることを示す。狭い鼻孔をこすって,いきが出入りすること。すやすやと平静に息づくことから,安息・生息などの意となる。」

とあり,ここでは,「やすむ」「やめる」という意味である。

『大言海』は,

「姑(しばら)く息(や)むなり,姑は婦女なり,息は小児なりといふ説はあらじ」

として,

「仮初(かりそ)めにことをすること,間に合わせ」

の意を載せる。『日本語源広辞典』も,同様に,

「姑(しばらく)+息(やすむ)」

とし,

しばらくの間,息をつくこと,

としている。つまり,

「しばらくの間息をつく」

という状態表現が,少し価値表現を加味して,「間に合わせ」となり,さらに価値表現を加えて,「一時逃れ」「その場しのぎ」へと意味が悪い価値を高めていく,とみることができる。

出典は,『禮記・檀弓』。

曾子寢疾,病。樂正子春坐於床下,曾元、曾申坐於足,童子隅坐而執燭。童子曰:「華而v,大夫之簀與?」子春曰:「止!」曾子聞之,瞿然曰:「呼」曰:「華而v,大夫之簀與」曾子曰:「然,斯季孫之賜也,我未之能易也。元,起易簀。」曾元曰:「夫子之病帮矣,不可以變,幸而至於旦,請敬易之。」曾子曰:「爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以コ,細人之愛人也以姑息。吾何求哉?吾得正而斃焉斯已矣。」舉扶而易之。反席未安而沒。

の,

君子之愛人也以コ,細人之愛人也以姑息。

君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす,

から来ている。その解釈は,

孔子の門人,曽子の言葉に由来します。病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なすのこを敷いていました。お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にすのこを取り替えるよう命じます。曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
 「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす。」(君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)
 その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてすのこを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。」

とある(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。「礼記」だから,こんな感じの説教になる。ここでは,確かに,「一時しのぎ」の意味で使われている。しかし,

「姑息」には、「卑怯」や「狡(ずる)い」の意味は含まれない。「姑息な手段」を「卑怯な手段」と解するのは誤解,

というのは如何であろうかか。言葉は人が使ってはじめて生きる。生きている言葉がすべてではないか。僕には,

「しばらくの間息をつく」という状態表現
  ↓
「間に合わせ」
  ↓
「一時逃れ」「その場しのぎ」
  ↓
 
「卑怯」「ずるい」「けち」

と,価値表現が変化していくのは,他にも例のある言葉の意味の変化の王道に見える。しかし,この誤解を大袈裟に言い立てたがる。それは,文化庁の調査が拍車をかけた。

「姑息について尋ねた「国語に関する世論調査」では,

「『本来の意味とされる「一時しのぎ」という意味』と答えた人は2割に届かず,本来の意味ではない『ひきょうなという意味」と答えた人が7割を超える』

という(http://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_06/series_10/series_10.html)。

(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15.0%
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70.9%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.9%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%

しかし,今日「姑息」を7割を超る人が「ひきょうな」の意味としているということは,既に,意味が変じたのであって,「一時しのぎ」の意味で使っても,伝わらないということを意味する。言葉は伝わってこそ意味がある。今に,辞書に意味として「卑怯な」が載ることになるだろう。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kosoku.html)は,

「姑息の『姑』は『しばらく』、『息』は『休息』の意味。『しばらくの間、息をついて休む』ところから、姑息は『その場しのぎ』の意味となった。 姑息が『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。『卑怯』や『ケチ』の意味で用いられるのは、『姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする』など,良くない場面で多く用いられる言葉であることや、『小癪』と音が似ていることから,その混同によるものと考えられる。」

あるいは,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%93/%E5%A7%91%E6%81%AF%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

「姑息(こそく)とは、一時の間に合わせ、その場しのぎという意味で、『姑息な手段をとる』などと用いる。ところがほとんどの日本人は『姑息な手段』を『卑怯な手段』とか『ズルいやり方』という意味に誤解していて、話す方も聞く方も誤った認識で合致しているから、『姑息なヤツだね』『ほんとうに姑息なヤツだ』などと応答して、会話になんの齟齬も来さないという無法状態になっている。おそらく『こそく』という言葉の響きが、『こそこそ』とか『こせこせ』とか『小癪(憎らしい)』といった言葉の響きと似ているところから生まれた誤解ではないかと思われる。」

等々とするのはこじつけではないか。価値表現はどんどん意味を変ずるものだ。「やばい」がそうなように,真逆の意味になったものすらあるのが言葉である。

言葉は生きている。

その文脈で通じれば,それが重なれば意味も変わる。当たり前のことを,誤解などと言っている人は,いまの生きている言葉から目を背けている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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もぬけ


「もぬけ」は,

もぬけの殻,

といった言い回しをする。

蛻,
裳脱け,
藻抜け,

等々と当てる。「蛻」の字は,

蛻変(ぜいへん),

という言葉があるらしい(造語かもしれない)。昆虫が「さなぎ」から「蝶々」羽化する状態 を言う。「脱皮」である。

蚕蛻(さんぜい),
蛇蛻(だぜい),
蟬蛻(せん ぜい),

という言葉もある。「蛻」(ゼイ,漢音セイ,呉音セ)は,

「会意兼形声。兌(タイ)は『八(左右にはぎとる)+兄(頭の大きい子ども)』からなる会意文字で,人が衣を脱ぐさまを表す。脱の原字。蛻は『虫+音符兌』で,虫が殻を脱ぐこと」

とある。おそらく,他の「裳脱け」「藻抜け」は後の当て字と思われる。「蛻」は,

脱皮すること,またその抜け殻(外皮),

を意味する。で,

もぬけがわ(蛻皮),
もぬけのから(蛻の殻),

という言い回しをする。いずれも,残された方を言う。しかし「蛻」自体に殻の意味もあり,重複している。そのせいで,

裳脱け,
藻抜け,

とあてたものと思われる。おそらく,「抜け殻」をメタファにした使い方をするようになって以降のことと思われる。『日本語源広辞典』は,「もぬけのから」の項で,

裳脱けの殻,

と当て,

「人が抜けだしたあと,の比喩的な用法」

としている。

さて,「蛻」と当てた和語「もぬけ」の語源だが,『岩波古語辞典』は,

「モはミ(身)の古形ムの母音交替形で,モ(身)ヌケ(脱)の意か」

とする。併せて,和名抄を引き,

「蛻,訓毛沼久(もぬく),蟬・蛇之解皮也」

を載せる。『大言海』は,「もぬく」の項で,

「身脱(むぬ)くの轉」

としているし,『日本語の語源』も,同じく,

「ミヌケ(身抜け)の殻はモヌケ(蛻)の殻になった」

と音韻変化説を採る。

他には,『日本語源大辞典』に,

モヌケ(最抜)の義(名言通),
モヌケ(茂抜)の義(柴門和語類集),
モノケ(衣抜)の義(言元梯),
モヌケルはムヲヌケルの義。モはムロの反(俚言集覧),
マロヌケの義,モはマロの反(名語記),

と諸説載せるが,やはり,

身抜け説,

でいいのではあるまいか。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%82/%E3%82%82%E3%81%AC%E3%81%91%E3%81%AE%E6%AE%BB-%E8%9B%BB%E3%81%AE%E6%AE%BB%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

は, 

「もぬけの殻(蛻の殻)とは、捜査情報ダダ漏れの間抜けな警察が強制捜査に入ったさいの、麻薬密造グループのアジトのありさま。『蛻(もぬけ)』は、ヘビやセミなどのぬけがらのことで、『身抜け』が転じたものかといわれる。もぬけの殻は、ヘビやセミの抜け殻のように、魂の抜け去った体、死骸のことをいった。そこから、肝心の中身がない空っぽの空間、つまり、逮捕すべき麻薬密造者や麻薬製造の材料や機器類がすっかり逃げ去り持ち去られたあとの何もない部屋などを比喩的にいうようになったものである。」

と,意味の範囲をまとめている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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腑抜け


「腑抜け」は,

「(はらわたを抜き取られたかのように)いくじのないこと,まぬけ,腰抜け」

とある(『広辞苑第5版』)。しかし,

いくじがない,

腰抜け,

は通じるが,

間抜け,

は少し意味がずれるのではないか。

『日本語源広辞典』にも,

「『腑+抜け』です。身体の中の臓腑が抜けている意です。信念や態度にしっかりしたものがない意です。」

とある。やはり,「間抜け」は,少し意味が違う。ただ,『江戸語大辞典』には,「腑抜け」は載らないが,

腑抜玉(ふぬけだま),

が載り,

愚かな人,いくじのない人などを嘲って言う語,

とあるので,「愚かさ」も,「腑抜け」に入るのかもしれない。『大言海』をみると,

「臓腑の脱けてある義」

として,

「人を罵りて云ふ語」

とある。これが正確かもしれない。だから,

まぬけ,
あはふ,
うつけもの,
とんちき,
鈍漢,

と悪罵が並ぶ。普通に考えると,

「はらわたを抜き取られた状態の意」

から,

意気地がないこと,気力がな,また、その人やそのさま,腰抜け,

という(『デジタル大辞泉』)のが意味の外延だが,その,

気力のない,しっかりしていない,

という状態表現に,価値表現を加えると,

腰抜け,

となり,それでせっかくの機会を逸すれば,

まぬけ,

となっても,意味の変化として可笑しくはない。

『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E8%85%91%E6%8A%9C%E3%81%91)に,

「『腑』は、五臓六腑の腑で、『はらわた』『臓腑』のこと。さらに腑は、思慮分別や考えの宿るところも表す。つまり『腑抜け』とは、思慮分別が 抜け落ちてなくなること、意気地がなくなることをいう。」

とある。それを評して,

まぬけ,

と言っても,間違いではないが,いささか価値表現が過ぎる。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hu/funuke.html)は,

「腑抜けの『腑』は、『はらわた』『臓腑』を意味する語。『肝』に『気力』や『度胸』の意味があるように、『腑(腹)』は底力を出す際に力を入れる場所と考えられている。力を入れるべき場所が抜け落ちた状態から、腑抜けは『意気地がないこと』や『腰抜け』を表すようになった。また、『腑』は『心』や『考え』も意味することから、『腑抜け』『腑が抜ける』は思慮分別が抜け落ちてなくなることも言うようになった。」

という価値表現の変化を説いている。

腑に落ちる(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E8%85%91%E3%81%AB%E8%90%BD%E3%81%A1%E3%82%8B)で触れたように,

『大言海』の「腑」の項には,「臓腑」の意味の他に,

「俗に,思慮分別の宿る所。腑の足らぬとは,料簡の不足の意。腑の抜けるとは,料簡の脱したる意。」

とある。だから,原初は,

意気地なし,
根性がない,
元気がない,

といった意味の外延を拡げたというのでいいのだろう。

漢字「腑」は,

「府は,いろいろな物をまとめて置く所。付と同系のことば。腑は『肉+府』で,体内にある食物や液体のくら。もと府と書いた。」

とある(『漢字源』)。漢方で言う,

五臓六腑,

つまり,五臓は,

肝・心・脾・肺・腎(心包を加え六臓とも)

を指す。六腑は,

胃・肝・三焦(リンパ管を指す)・膀胱・大腸・小腸,

を言う(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%87%93%E5%85%AD%E8%85%91に詳しい)。「腑に落ちる」が,身体の中心で,

得心した,

という意味になるとすれば,それが抜けていれば,得心,理解が飛んでしまうということか。

「腰抜け」 いくじがないこと。おくびょうなこと。
「腑抜け」 魂が抜けたようになって、しっかりした気持ち・考えがもてないこと。いくじがないこと。

と比較していた(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q101050775)し,

「間抜け」 考えや行動に抜かりがあること。鈍間(のろま)で気が利かないこと。また、そのような人。
「腑抜け」 肝がすわっていないこと。また、そのさまやそのような人。意気地なし。腰抜け。気力がなく、しっかりしていないこと。

と対比している(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315648348)が,「間抜け」と言うのはストレートだが,「腑抜け」と言うのは,言外に「間抜け」を押しやり,ソフトな言い回しになる。「腑抜け」と言うことで,「腰抜け」のストレートさをソフトにしている感がある。文脈に依るので,比較することにはそんなに意味がない。

また,

【1】「腰抜け」は、臆病(おくびょう)で思い切って事を行えないようなこと。また、そういう人。
【2】「腑抜け」は、気力、精神力などがなかったり、極度に乏しかったりして、事を行えないこと。はらわたを抜き取られた状態という意から言う語。
【3】「ふがいない」は、はたから見ていて歯がゆくなるほど、また、黙っていられないほどいくじがない意。「腑甲斐無い」「不甲斐無い」などと書くこともある。

と比較しているものもある(『類語例解辞典(小学館)』)。いずれも,傍から見ている価値表現だが,「期待する甲斐がない」と言う含意の「不甲斐ない」には,いくらかの期待がある。罵りの順位は,

腰抜け→腑抜け→不甲斐ない,

というところか。因みに,「臓腑」といっても,

「中国医学の基本的な概念の一つで,《素問》《霊枢》など,漢代の《黄帝内経》に由来するという書に記載され,その後これを中心にして発展した。臓と腑はもとは蔵と府と書かれていた。臓と腑も胸部と腹部の内臓であるが,臓は内部の充実した臓器で気を蔵し,腑は中空のもので摂取した水と穀物を処理したり,他の部位に輸送したり,体外に出したりするという区別がされている。」(『世界大百科事典』「臓腑説」)

とあり,「気」は,「腑」ではなく「臓」らしいのだが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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間抜け


「間抜け」は,

間(ま)の抜けたこと,
する事に抜かりがあること,またその人,
とんま,

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』は,さらに,

為る事の,程に外れるを罵る語,又,その程に外るるもの,

として,

しれもの,あはう,ばか,

と罵る言葉を並べる。

『日本語源広辞典』は,

「『マ(間・芝居や音楽での調子や拍子)+抜け』です。変な調子の意です。転じて,行動会話などで,他人との歩調が合わずテンポが狂ってしまう人を言います。ぼんやり,うすのろなどの意です。」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ma/manuke.html)も,

「まぬけの『間(ま)』は,時間的な感覚の間である。芝居や舞踏,漫才などで『間』は,音の動作や休止の時間的長短のことを言い,拍子やテンポの意味にも用いられる。『間が抜ける』ことは,『拍子抜けする』『調子が崩れる』ことであり,填補が悪ないことを意味した。転じて,行動に抜かりがある意味になり,さらに愚鈍な人を罵る言葉になった。」

とする。それは,

拍子が合わない,
テンポが合わない,
間が合わない,

のであり,要は,

調子っぱずれ,

の意で,「間抜け」とは,微妙に違うのではないか。『岩波古語辞典』は,

「物事の間が抜けて馬鹿らしく見えること。またそういう言動をする人を罵って言う語」

とある。「間抜く」という言葉かあり,

間にある物を抜き取ること,
間引く,

という意味である。古くから使われ,

「(ママコ立ての遊びで,石を)またまた數ふれば,かれこれまぬきゆく程に,いづれものがれざるに似たり」(徒然草)

が引かれている。間引きが過ぎれば,スカスカになる。「間抜け」はこちらではないか。

「間」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E9%96%93%EF%BC%88%E3%81%BE%EF%BC%89)で触れたが,「間」は,「閨vの俗字とある。その意味は,

「門」と「月」。門の間から月の光が差し込んで「間」という意味を表したもの,

だとする。およそ,意味は,

@「あいだ」二者間の物理的,時的又は形而上のへだたりのこと。間一髪,間隔,空間,隙間。年間,期間,時間。
A人と人との関係。人間,世間,仲間。
B隙を探る。間者,間諜。

等々。用例から,細かく見ると,

@(あいだ,ま,かん,けん)二者間の物理的へだたり。隙間,間隔,間合,眉間
A(あいだ,ま,かん)二者間の時間的へだたり。この間,いつの間にか,間近い,時間,合間,間食
B(あいだ,ま)二者間の概念上のへだたり。間違い,間引く,間抜け 
C(ま)言葉のやり取りのタイミング。話す時に言葉を言わないでおく時間。間が悪い,間の取り方
D(ま,あいだ)人と人との関係。仲間,間柄,間に入る,間男
E(ま)部屋。板の間,居間,謁見の間,床の間
F(ま)めぐりあわせ,運,タイミング。間がいい,間が悪い,間に合う

等々。

どうも,鍵は,「間(ま)」の意味にある。ここからは勝手な妄想だが,合間と間合と隙間の違いを考えてみる。

合間,というのは,ニュートラルで,あいた「間」をさす。それが,主体的に意味を持てば,

間合,

になり,意味がなければ,

隙間,

になる。しかし,隙間は,

本来空いているべきでない,「間」が,空いていることだから,

隙,

にもなる。隙間は,あってはならないものだから,詰めるべきものだが,間合いは,その距離に意味があ。

間(ま),

を詰めれば,命取りにもなる。合間は,それを意識すると,意味ある,

距離,ないし空白,

となり,意識した側に,アドバンテージがある。だから,意識しなければ,

隙間,

に変わる。しかし,隙間は,間合いにはならない。本来空いていてはいけないというか,詰まっているべきものがあいているのたがら,

空穴来風,