「うづき」は, 卯月, と当てる。陰暦四月の異称である。陰暦四月には,この他, 陰月(いんげつ),植月(うえつき),卯花月(うのはなづき),乾月(けんげつ),建巳月(けんしげつ),木葉採月(このはとりづき),鎮月(ちんげつ),夏初月(なつはづき),麦秋(ばくしゅう),花残月(はなのこりづき),孟夏(もうか), 等々の異名があるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88)。 『広辞苑』には,「うづき」の由来を, 「十二支の卯の月,また,ナウエヅキ(苗植月)の転とも」 と載せる。しかし,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/u/uzuki.html は, 「卯月は、卯の花が咲く季節なので、『卯の花月』の略とする説が有力とされ、卯月の『う』 は『初』『産』を意味する『う』で、一年の循環の最初を意味したとする説もある。 その他、 稲を植える月で『植月』が転じたとする説もあるが、皐月の語源と近く、似た意味から別の月名が付けられたとは考え難い。 また、十二支の四番目が『卯』であることから、干支を 月に当てはめ『卯月』になったとする説もあるが、他の月で干支を当てた例がないため不自然である。仮に、卯月だけに干支を当てられたとしても、月に当てられる干支は一月から順ではなく、陰暦の四月が『巳』,『卯』は陰暦の二月である。」 と,「干支の卯」説には批判的である。『デジタル大辞泉』も, 「卯の花月。卯の花の咲く月の意とも、稲の種を植える植月(うつき)の意ともいう。」 と,「卯の花月」を採る。 https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88 は, 「卯月の由来は、卯の花が咲く月『卯の花月(うのはなづき)』を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。『卯の花月』以外の説には、十二支の4番目が卯であることから『卯月』とする説や、稲の苗を植える月であるから『種月(うづき)』『植月(うゑつき)』『田植苗月(たうなへづき)』『苗植月(なへうゑづき)』であるとする説などがある。他に『夏初月(なつはづき)』の別名もある。」 と,やはり「卯の花月」に傾く。さらに,『日本語の語源』もまた, 「幹が中空であるところからウツロギ(空木)といったのがウツギ(空木)になった。初夏,白い鐘の形の花がむらがり咲く。それをウツギノハナ(空木の花)と呼んだのが,ウノハナ(卯の花)と略称された。陰暦四月をウノハナヅキ(卯の花月)といったのがウヅキ(卯月)になった。」 とする。しかし,『日本語源広辞典』は,三説挙げ, 説1 「雨+月」。雨の多い月の意, 説2 「植+月」。苗を植える月の意, 説3 「卯の花月」。卯の花の咲く月の意, その上で, 「説3が通説ですが,当てた漢字が付会かもしれません」 としている。つまり,「卯月」と当てた字を以って後解釈なのかもしれない,という意である。「卯(漢音ボウ,呉音ミョウ[メウ])は, 「指示文字。門をむりに開けて中に入り込むさまを示す」 とある。干支の「卯」であるが,卯の花の意味は,ここにはない。「卯の花」とは, ウツギ, のことである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE によると, 「ウツギ(空木、学名:Deutzia crenata)はアジサイ科ウツギ属の落葉低木。ウツギの名は『空木』の意味で、茎が中空であることからの命名であるとされる。 花は『うつぎ』の頭文字をとって『卯(う)の花』とも呼ばれ」 る,とある。因みに,「オカラ」を「卯の花」と呼ぶのは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89 によると, 「『から』の語は空(から)に通じるとして忌避され、縁起を担いで様々な呼び名に言い換えされる。白いことから卯の花(うのはな、主に関東)、包丁で切らずに食べられるところから雪花菜(きらず、主に関西、東北)などと呼ばれる。『おから』自体も「雪花菜」の字をあてる。寄席芸人の世界でも『おから』が空の客席を連想させるとして嫌われ、炒り付けるように料理することから『おおいり』(大入り) と言い換えていた。」 とある。『たべもの語源辞典』は, 「この花の色が白くておからに似ているところからの名である。おからのカラ(空)をきらって,ウ(得)の花としたという説もあるが,これは良くない。ウは『憂』に掛けたりすることが多い。」 としている。 しかし,どうも,「卯の花」説は,他の月の命名との一貫性が損なわれる気がする。 陰暦一月の 睦月(むつき http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D) で触れたように,『大言海』は, 「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」 とし, 「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』 を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていたし,陰暦二月の如月 (きさらぎ http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%8E) も, 『大言海』は, 「萌揺月(きさゆらぎづき)の略ならむ(万葉集十五 三十一『於毛布恵爾(おもふえに)』(思ふ故に),ソヱニトテは,夫故(ソユヱ)ニトテなり。駿河(するが)は揺動(ゆする)河の上略,腹ガイルは,イユルなり,石動(いしゆるぎ)はイスルギ)。草木の萌(きざ)し出づる月の意。」 として,「むつき(正月)の語源を見よ」として,「むつき(睦月・正月)」との連続性を強調していた。当然陰暦十二月の師走(しわす http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%97%E3%82%8F%E3%81%99)も,『大言海』は, 「歳極(としはつ)の略転かと云ふ。或は,万事為果(しは)つ月の意。又農事終はる意か,ムツキを見よ。」 と,「睦月」との関連性を強調していた。陰暦三月の弥生(やよい)についても『大言海』は, 「イヤオヒの約転。水に浸したる稲の實の,イヨイヨ生ひ延ぶる意」 と,月名に農事との関わりを一貫して守り続けている。そして,「卯月」についても, 「植月(うつき)の義。稲種を植(う)うる月,ムツキ(睦月)の語源を見よ」 とし,睦月との一貫性を崩さない。突然四月になってウツギと関わらせるのは,どう考えても無理筋ではあるまいか。 『日本語源大辞典』には,『大言海』以外のものとして,農事と関わらせる説が, すでに播いたものがみな芽を出すことから,ウミ月の略か(兎園小説外集), ウは初,産などにつながる音で,一年の循環の境目を卯月とする古い考え方があって,その名残りか(海上の道=柳田國男), がある。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると,「卯月」は, 「この月より季節は夏に入り、衣更(ころもがえ)をした。また、この月の8日を『卯月八日』といって、この日には近くの高い山に登り、花を摘んで仏前に供えたりする行事があった。この日はまた釈迦(しゃか)の誕生日でもあり、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭などといって、誕生仏を洗浴する儀式が行われ、甘茶などを仏像にかける風がある。参詣(さんけい)者はこの甘茶をもらって飲んだり、これで墨をすって、『千早振る卯月八日は吉日よかみさけ虫をせいばいぞする』と紙に書き、便所や台所に貼(は)って虫除(よ)けとする俗信があった。」 とある。それが「卯の花」とは到底思えない。翌「皐月」は, 「早苗月」 とも言うそうだから,なおさらである。 参考文献; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「サザンカ」は, 山茶花, と書く。『広辞苑』は, 「字音サンサクワの転」 とある。「サザンカ」とは, 学名: Camellia sasanqua),ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹, である。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/sa/sazanka.html は, 「サザンカは,中国語でツバキ科の木を『山茶』といい,その花を『山茶花』と称したことに由来する。『山茶』と呼ばれる由来は,端が茶のように飲料となることから,『山に生える茶の木』の意味である。日本では,中世に山茶花の名が現れるが,当時は『サンザクワ(サンサクワ)』と文字通りの発音であった。これが倒置現象によって,江戸中期頃から,『サザンクワ(ササンクワ)』となり,『サザンカ』となった。古く,『山茶花』は『椿』と同じ意味の漢語として扱われ,『日葡辞典』でも,『ツバキと呼ばれる木の花』と解説されていたが,江戸時代には入り,現在で言う『サザンカ』を指すようになった。」 とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB によると, 「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである『サンサカ』が訛ったものといわれる。もとは『さんざか』と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。」 とある。しかし, http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml によると, 「万葉時代、奈良朝では隋、唐に遣随使、遣唐使を派遣して日本の特産樹、特産油である椿、椿油が中国に渡ったが、当時の中国文化の中心は北方にあって、そこは温暖な地域で育つ椿の分布圏ではない。したがって、その漢名などあろうはずもなく、日本人のつけた漢名である海石榴、海石榴油の文字が椿、椿油といっしょに導入れたのだ,とされます。(中略)椿は日本から中国へ舶載された数少ない特産物の一つでありました。 現代では、中国においてカメリア科、カメリア属を指す語は『茶』でありますが(茶科、茶属)、葉や新芽を摘んで茶にするものも『茶』、種子から油を採るものは『油茶』、花を鑑賞するものを「茶花」と呼んでいます。」 とあるので,「山茶花」のもとの「山茶」は,日本から伝来した「ツバキ」に由来するらしい。この説によると,「ツバキ」として献上され,「山茶花」として戻ってきたことになる。しかし,山茶花と椿は,別である。 「ツバキ」は, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2 に, 「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。」 とあり,「サザンカ」は, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB に, 「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来」 とあり,中国へ伝播したときは,「ツバキ」だが,ツバキ類一般に概念が広がり,日本へ「山茶」として戻ってきたときは,「サザンカ」と限定された,ということになるのか。「ツバキ」については,別途触れるとして, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2 に,サザンカとの見分け方として, 「・ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る。 ・ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない。 ・ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する。 ・ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある ・ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える。」 と載る。ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが,特に,原種は見分けやすくても,園芸品種は多様性に富むので見分けにくい,とある。 さて,「サザンカ」の語源は,したがって, http://yain.jp/i/%E5%B1%B1%E8%8C%B6%E8%8A%B1 の, 「中国で、葉が茶に似ていることから『山茶』とよばれ、その花を『山茶花』とした。日本では中世のころは『さんざか』と呼んでいたが、音位転換して現在の『さざんか』と呼ばれるようになった。」(『由来・語源辞典』) に尽きているのかもしれない。ただ,『日本語の語源』は,異説を挙げ, 「花のない冬,四国・九州の暖地に美しい花が咲き乱れているところからサキサカル(咲き盛る)花と呼んだ。『キ』の撥音便でサンサカ(山茶花)になり,転位してサザンカ(山茶花)という」 としている。もともと「ツバキ」と「サザンカ」は別種としてある。とすれば,「山茶」として逆輸入されたとき,元々あった名を当てたと考えられなくもない。なぜなら, 「山茶は,ツバキ」 と,『字源』にはある。「山茶」が入ったとき,「ツバキ」とは区別するために「サザンカ」に,「山茶」を当てた,とも考えられる。 「音位転換」(おんいてんかん、英語: metathesis)とは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E4%BD%8D%E8%BB%A2%E6%8F%9B に, 「言語の、とりわけ語形の経時変化や発音・発語に関連した言葉で、語を構成する音素の並び順(以下、音の並び)が入れ替わってしまうこと。英語のまま『メタセシス』と呼ばれることもある。 かなとかなが入れ替わる形で(より正確にはモーラを単位として)起こることが比較的多いが、子音だけが入れ替わったり、複数のモーラがまとまって動くようなケースもなくはない。子どもがよく間違える。『タガモ(卵)』『すいせんかん(潜水艦)』『ふいんき(雰囲気)』など。アニメ映画『となりのトトロ』では妹のメイがトウモロコシをちゃんと言えずトウモコロシと言ったり、オタマジャクシをオジャマタクシと言ってしまったりする。北陸では「生菓子」を「ながまし」というように方言として定着する場合もある。」 とある。 http://studyenglish.at.webry.info/201310/article_3.html には,「シミュレーション」を「シュミレーション」と言ってしまうのもその例としていたが, 「音位転換の中にはすっかり日本語として定着してしまって原形が忘れられているものもあります。(中略)「だらしない」はそもそも「しだらない」という言葉が変化したそうです。和語では濁音を文頭に置くと印象が強くなるためそうなったのではという説があります。」 として,音位転換の例を, しだらない→だらしない あらたし→あたらしい(新しい) さんざか→さざんか したつづみ→ したづつみ(舌鼓) あきばはら→あきはばら 等々の例を挙げている。 参考文献; 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 「ツバキ」は, 椿, 海石榴, 山茶, と当てる。「サザンカ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB)の項 で触れたように,中国では,「つばき」を「山茶」と書く。でそれが,「サザンカ」の「山茶花」に当てられたことは,書いた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD によると, 「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に『椿』と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。」 とある。「サザンカ」で触れたことと重なるが,「ツバキ」は,「サザンカ」と違い, 花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちる, 雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが,サザンカは花糸がくっつかない。 花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)が,サザンカはほとんど完全に平開する, 子房には毛がないが,サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある, 葉柄に毛が生えないが,サザンカは葉柄に毛が生える, という。さて,「ツバキ」の語源であるが,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/tu/tsubaki.html は, 「語源には、光沢のあるさまを表す古語『つば』に由来し、『つばの木』で『つばき』になったとする説。『艶葉木(つやはき)』や『光沢木(つやき)』の意味とする説。朝鮮語 の『ツンバク(Ton baik)』からきたとする説など諸説ある。漢字『椿』は、日本原産のユキツバキが早春に花を咲かせ春の訪れを知らせることから、日本で作られた国字と考えられている。一方中国では、『チン(チュン)』と読み、別種であるセンダン科の植物に使われたり、巨大な木や長寿の木に使われる漢字で、『荘子』の『大椿』の影響を受けたもので国字ではないとの見方もある。なお、ツバキの中国名は『山茶(サンチャ)』である。」 とある。『大言海』には, 「艶葉木(ツヤバキ)の義にて,葉に光沢あるを以て云ふか。椿は春木の合字なり,春,華あれば作る。或は云ふ,香椿(タマツバキ)より誤用すと。然れども,香椿は,ヒャンチンと,唐音にても云へば,後の渡来のものならむ。海石榴の如く,花木の海の字を冠するば,皆海外より来れるものなり」 とある。『日本語の語源』は, 「アツバキ(厚葉木)−ツバキ(椿)」 とし,『由来・語源辞典』 は, http://yain.jp/i/%E6%A4%BF 「葉が厚いことから『厚葉木(あつはき)』、葉に光沢があることから『艶葉木(つやはき)』の意など、語源については諸説ある。『椿』と書くのは、春に花が咲く木の意で作られた国字。」 としている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD は, 「和名の『つばき』は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。」 としており,葉の厚さか,艶かのいずれかというところになるが,『日本語源広辞典』は,三説載せる。 説1は,「ツバ(唇)+木」。赤い唇のような花の木の意, 説2は,「ツハル(芽ぐむ)+木」。春の始め内部からツハル木, 説3は,「ツ(艶)+葉+木」。年中艶のある葉をもつ木, 『日本語源大辞典』は,上記以外に, ツキヨキ葉の木の義か(和句解), テルハギ(光葉木)の義(言元梯), 冬柏の意の朝鮮語ツンバクからか(語理語源=寺尾五郎), 葉の変らないところから,ツバキ(寿葉木)の義(和語私臆鈔), ツ(処)ニハ(庭)キ(木),もしくはツニハ(津庭)キ(杵=棒)で,聖なる木,神木の意(語源辞典=植物篇=吉田金彦), 朝鮮語(ton-baik)(冬柏)の転(植物和語語源新考=深津正), 等々がある。ま,しかし,葉の特徴とみて,艶か厚さの何れかというのが妥当なのだろうと思う。 問題は,当てた「椿」の字である。 『広辞苑』は, 「『椿』は国字。中国の椿(ちゆん)は別の高木」 とするし,多く,中国では,別の木とする。「椿」(チン,漢音・呉音チュン)の字は, 「『木+音符春(シュン・チン)(ずっしりとこもる)』で,幹の下方がずっしりと太い木」 を意味し,センダン科の落葉高木。という別の木を指す。我が国では,「ツバキ」に当てたし,「闖入(ちんにゅう)」の「闖」に当てた誤用から,「不意の出来事,変ったこと」の意に用い,「珍事」に「椿事」,「珍説」に「椿説」と当てたりする(『漢字源』『字源』)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD によると, 「『椿』の字の音読みは『チン』で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお『椿』の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が『海榴』もしくは『海石榴』として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に『山茶』と書き表されている。『椿』の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、『芳椿』という東北地方の春の野菜が該当する。」 とあり, 「『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字」 というのが妥当だろう。しかし,これまでいろんな面で見てきた渡来人を含めた古代の人々の知識から見て,既存の「椿」の字があるのに,作字するとは思えない気がする。 http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml には, 「一つの有力な仮説として『朝鮮語が転訛したものである』という説があります。これは、椿が中国の沿海諸島から朝鮮半島南海岸地方を経由して日本に伝播したとするもので、椿に当たる朝鮮語の冬柏(ton baik:トンベイ)が転訛して日本語の『椿(つばき)』になったという説です。また、当時『つばき』を海石榴と書いていたことも、この説を有力なものとしています(なお、海石榴は正しい漢名ではなく日本人の付けた名前だとされます)。 すなわち、この説によれば、つばきは海外すなわち朝鮮から入った石榴(ざくろ)の意味だというのです。三韓時代にはすでに朝鮮南部において、つばきの利用法や椿油の製法が発達していたものと推定され、わが国の椿油の貢献国(産油地でもある)がいずれも朝鮮半島に近接した地方であることから、これらと同時に『つばき』の名前がわが国に渡来したのだ、という訳です。)」 とある。これによれば,日本からの献上品の「ツバキ」が海石榴とよばれ,それが逆輸入されたことになる。サザンカと似た現象だが,「椿」の字が強く残ったのは,「椿」の字をすでに当てていたからかもしれない。 この「椿」が国字ではなく, 「『荘子』の『大椿』の影響を受けたもの」 とあるのは, http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml のいう, 「日本では朝鮮から来た石榴に似た木では漢名としては不合理なため、中国の架空の植物名で、迎春の花、長寿の花木である『大椿』の漢字を借りて、『日本の椿』にふさわしい『椿』の字を当てたものと考えられます。」 と,僕も思う。「大椿」は,『荘子』の「逍遥遊」篇の, 小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず 奚(なに)を以て其の然(しか)るを知る 朝菌(チョウキン)は晦朔(カイサク)を知らず 蟪蛄(ケイコ)は春秋を知らず 此れ小年なり 楚の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり 五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす 上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す 而して彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て特(ひと)り聞(きこ)ゆ 衆人これに匹(ひつ)せんとする、亦(ま)た悲しからずや (http://fukushima-net.com/sites/meigen/423より) の, 上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す, から来ている。「大椿」は,だから, 中国古代の伝説上の大木の名。8000年を春とし、8000年を秋として、人間の3万2000年がその1年にあたるという。転じて、人の長寿を祝っていう語(『大辞林』『デジタル大辞泉』)。 という意味になる。ここから,人間の長寿を祝って言う, 大椿の寿, という諺がある。これを知らなかった,とは思えないのである。 なお,ユキツバキは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD によると, 「別名、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。主に日本の太平洋側に分布するヤブツバキが東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に適応したものと考えられ、変種、亜種とする見解もある。」 とある。ここから,数々の園芸種が生み出された。 参考文献; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E5%B1%9E https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD http://fukushima-net.com/sites/meigen/423 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「イチジク」は, 無花果, 映日果, と当てる。『広辞苑』には, 「中世ペルシャ語anjīrの中国での音訳語『映日果(インジークォ)』がさらに転音したもの」 とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF にも, 「『無花果』の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する中国で名付けられた漢語で、日本語ではこれに『イチジク』という熟字訓を与えている。中国で『映日果』は、無花果に対する別名とされた。 『映日果』(インリークオ)は、イチジクが13世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語『アンジール』(anjīr)を当時の中国語で音写した『映日』に『果』を補足したもの。通説として、日本語名『イチジク』は、17世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで『エイジツカ』とし、それが転訛したものされている。中国の古語では他に『阿駔』『阿驛』などとも音写され、『底珍樹』『天仙果』などの別名もある。 伝来当時の日本では『蓬莱柿(ほうらいし)』『南蛮柿(なんばんがき)』『唐柿(とうがき)』などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。」 と,ペルシャ語由来,中国語経由説を採る。さらに,『日本語の語源』も, 「いちじくのルーツはイランで,かの地ではアンジーとかエンジーという。中国に渡来したとき,『映日』で表音してインジクォ(映日果。李時珍の『本草綱目』)といった。寛永年間にわが国に伝来したとき,発声を明確にするため,撥音をチに換えてイチジク(無花果)と唱えた(安藤正次『言語学概論』)。ペルシャ語が中国語を経由して日本語化したわけである。」 とし,『たべもの語源辞典』も同じ説を採る。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/i/ichijiku.html は, 「いちじくの漢字『無花果』は,花嚢の内部に無数の雄花と雌花をつけるが,外からは見えないことから付けられた当て字である。 いちじくは,ペルシャ語の『Anjir』がヒンズー語で『Injir』になり,中国語で『映日(イェンジェイ)』と音写し,更に『果(クォ)』が加えられた。『映日果(イェンジェイクォ)』が日本に入り,『イチジク』と呼ばれるようになった。また,『イェンジェイクォ』から『イチジク』の変化は,単に日本人が聞き取ったのが『イチジク』であったとする説と,いちじくのすこしずつ熟してゆく過程『一熟(いちじゅく)』の意味として捉えたため,『イチジク』になったとする説がある。」 として,少し含みを持たせている。『大言海』は, 「和漢三才圖絵(正徳)八十八,無花果『俗云一熟云々,一月而熟,故名一熟』。和訓栞,後編,いちじく『一熟の義』。重修本草綱目啓蒙(享和)廿二『無花果,いちじく』。佐渡志(文化)五『無花果,いちじく』音韻假字用例に,熟(じゅく),塾(じゅく),じくは,中略和音なりとあり,イチジュク,ジュクセイ(塾生)などと發音するものは一人もなし。以下略」 と記するのみで,「一熟」説を批判するにとどめている。なお, 「大和本草(正徳)十,無花果『寛永年中,西南洋の種を得て,長崎に植ふ。今,諸国に有之云々』」 と載せて,寛永年中(1624−43)に伝来したものらしい。 『日本語源広辞典』は, 「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」 としている。僕は, 映日果(インジークォ)を意訳した語が無花果, であり, 日本の犬枇杷と似ていたので無花果をイチジクとした, というのが妥当だと思う。因みに,「犬枇杷」とは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%93%E3%83%AF には, 「イヌビワ(犬枇杷、学名: Ficus erecta)は、クワ科イチジク属の落葉小高木。別名イタビ、姫枇杷。果実(正確にはイチジク状果という偽果の1種)がビワに似ていて食べられるが、ビワに比べ不味であることから『イヌビワ』の名がある。」
とあり,「びわ」より「イチジク」により似ている。そう命名したのがわかる気がする。
「まゆ」は, 眉, と当てる。 眉毛(まゆげ), とも言うし, まよ, まよね, まみえ, かうのけ, まゆね, まよね, とも言うと,『大言海』には載る。言うまでも無く, 目の上部に弓状に生える毛のこと, である。『岩波古語辞典』には, 古形マヨの転, とあり,「まよ」には, マユの古形, とある。 『大言海』は,「まゆ」の語源を, 「目上(まうへ)の約転かと云ふ」 とするが,「まよ」が「まゆ」の古形なら,この説は成り立たない。しかし,「まよ」の項で,『古事記』から, 「麻用(まよ)がき濃に,かき垂れ,逢はししをみな」(応神), を引用しており,「まよ」が『古事記』で使われていることを記している。 『日本語源広辞典』は,「まゆげ」の語源を, 「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」 とする。「まよ」と関わらせている。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ma/mayuge.html は, 「目の上にあることから、『マノウヘ(目の上)』『マウヘ(目上)』の意味と考えられる。 ただし、古くは『マヨ』と言い、音変化して『まゆ』となっているため、『マノウヘ』『マウヘ』が直接音変化したものではない。『マミ』とも読むことから、「眉」の 呉音『ミ』からとする説もある。 漢字は、目の上に毛があることを描いた象形文字である。」 と,『大言海』説では,「まよ」からの由来がはっきりしない。 『日本語源大辞典』は,「マウヘ」説以外に, メウヘ(目上)の約転(日本釈名・名言通), マユ(目上)の義(柴門和語類集), マユ(目従)の義(和語私臆鈔), マウヘゲ(目上毛)の義(日本語原学=林甕臣), メウヘゲ(眼上毛)の義(本朝辞源=宇田甘冥), マウヘノケの略転か(風土と言葉=宮良当壮), マユ(蚕)の義,またマヨケ(両横毛)の義(言元梯), 「眉」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛), とある。僕は,古形「まよ」から考えると, マユ(蚕)の義, というのは捨てがたい。「繭」の項で改めるが,「繭」も, まよ, と万葉集で言われていることもあり,「眉」と「繭」がつながる気がしてならない。ただの素人の語感, 眉という言葉の感覚, と 繭という言葉の感覚, の類似だけに依るのだが,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として,こう述べている。 「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」 漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。 因みに,「眉」(漢音ビ,呉音ミ)の字は,象形文字で, 「目の上のまゆがあるさまを描いたもので,細くて美しいまゆ毛のこと」 とある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 「まゆ」は, 繭, と当てる。この「繭」(音ケン)の字は, 「『両側に垂れるさま+糸+虫』で,虫の糸が垂れて出てくるまゆをあらわす」 とある。 https://okjiten.jp/kanji1861.html は, 「会意文字です。『桑』の象形と『より糸』の象形と『頭が大きくグロテスクな蚕(かいこ)』の象形から、糸を吐いて蚕が身を覆う『まゆ』を意味する『繭』という漢字が成り立ちました。」 と,より具体的である。 「まゆ(繭)」も「まゆ(眉)」と同様, 古形はマヨ(mayo), である(『岩波古語辞典』)。『大言海』は, 「又,マヨ,訛して,マイ」 ともある。「まゆ(眉)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BE%E3%82%86%EF%BC%88%E7%9C%89%EF%BC%89)の項 でも触れたように,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として, 「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」 と述べている。漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。『日本語源大辞典』は, 形が人の眉に似ているところから(名語記), マユフ(眉生)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子), と,眉と関連させる説もあるが,大勢ではない。その他に, マユウ(真木綿)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子), マは形の丸いことからか(国語の語根とその分類=大島正健), マは接頭語,ユはイの転で蚕の尻から出す粘液質の糸状のものをいう(日本古語大辞典=松岡静雄・風土と言葉=宮良当壮), さなぎで籠っている丸い空間でマヨ(曲節)(衣食住語源辞典=吉田金彦), 「マ(丸)+ヤ(家・屋・舎)」の音韻変化で,「丸い蚕の家」の意(日本語源広辞典), 等々があるが,「古形がマヨ」ということを考えると,「マユ」で語呂合わせをしているものは,省いていいのではないか,と思う。「まゆ(眉)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BE%E3%82%86%EF%BC%88%E7%9C%89%EF%BC%89)の項 でも触れたが,『日本語源広辞典』は,「まゆげ」(眉毛)の語源を, 「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」 とする。「まよ」と関わらせている。とすると,「まゆ(眉)」の「ま」は, 丸, で,「まゆ(繭)」の「ま」は, 目(「め」の古形), ということになる。しかし,「まよ」で,「繭」と「眉」を指していた以上,「ま」は,両者に共通する別の意味なのかもしれない,という気がする。『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』に,接頭語「ま」について, 「御(ミ)また,實(ミ)に通ず」 として,「まことの,偽ならぬ」という意味が載る。「美(ほ)むる意」の発語, 「真(ま)」 にも転じている。とすると,「ま」ではなく「よ」の方に意味があったのかもしれないが,該当するものが見つからなかった。なお, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%AD に, 「日本では繭という言葉は、多くの場合にカイコのそれを意味する。その豊作を祈願して、繭を擬した白い玉をこの枝に飾ったものを繭玉と称し、神社等で縁起物として使用する例もある。」 とある。 参考文献; 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 大槻文彦『大言海』(冨山房)
「イチゴ」は, 苺, と当てる。「苺・莓」の字は,「苺」は, 「艸+音符母(どんどん子株を産み出す)」 で(「母」の字は,「乳首をつけた女性を描いた象形文字で,子を産み育てる意味を含む), 「莓」の字は, 「艸+音符毎(子を産む。どんどんふえる)」 とある(「毎」の字は,「頭に髪をゆった姿+音符母」で,母と同系であるが,特に次々と子を産むことに重点をおいたことば。次々と生じる事物をひとつひとつ指す指示詞に転用された)。いずれも,いちごの意味だが,バラ科の一群の植物の総称とある。我が国では,オランダイチゴのことを指す,とある(『漢字源』)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4 に, 「漢字表記の場合は、現代の中国語では、オランダイチゴ属は『草莓 拼音: cǎoméi ツァオメイ』とされる。明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では『苺』と表記される場合が多い。」 とある。なお, https://okjiten.jp/kanji2331.html に,「苺・莓」の字について, 「会意兼形声文字です(艸+母)。『並び生えた草』の象形(『草』の意味)と『両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形に二点加えた』文字(『おっぱいのある母』の意味[2点は両手で子を抱きかかえるさまとも、乳を子に与えるさまとも言われている])から、乳首のような形の実のなる『いちご』を意味する『苺』という漢字が成り立ちました。」 と,より精しい。なお, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4 に, 「漢字には『苺』と『莓』がある。これらは異字体で『苺』が本字である。辞典によっては『莓』が見出しになっていて『苺』は本字としていることがある。現代日本では『苺』、現代中国では『莓』を普通使う。」 とある。 我々の今日いう「イチゴ」は, オランダイチゴ, を指す。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4 に, 「古くは『本草和名』(918年頃)や『倭名類聚抄』(934年頃)に『以知古』とある。日本書紀には『伊致寐姑(いちびこ)』、新撰字鏡には『一比古(いちびこ)』とあり、これが古形であるらしい。『本草和名』では、蓬虆の和名を『以知古』、覆盆子の和名を「加宇布利以知古」としており、近代にオランダイチゴが舶来するまでは『いちご』は野いちご全般を指していた。」 とある。それまでの「イチゴ」は,野イチゴを指すらしい。 また, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4 には, 「狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier) を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。(中略)最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。」 江戸時代にオランダ人によってもたらされ,一般市民に普及したのは1800年代という。本格的に栽培されたのは1872年(明治5年)からである,とか。 『広辞苑』は,「類聚名義抄」を引いて, 「覆盆子,イチゴ」 と載せる。『岩波古語辞典』には,「枕草子」の, 「見るにことなることなきものの,文字に書きてことごとしきもの。覆盆子」 を引用している。「覆盆子」は, 木苺(木イチゴ 御所苺), を指す。なお漢方で「覆盆子」は, http://www.kanpoyaku-nakaya.com/fukubonsi.html によると, 「「第二類薬品」 覆盆子は名医別録の上品に収載されている。 果実の形が伏せた盆に似ているところから覆盆子の名があるといわれる。 「基源」 1)中国産;バラ科のゴショイチゴの未成熟果実(偽果)の乾燥品である。 2)韓国産:バラ科のクマイチゴおよびトックリイチゴの未成熟果実の乾燥品。」 とある。結構高価である。 さて,『大言海』は, 「いちご(苺)」の項で, 和名抄「覆盆子,以知古」 枕草子,あてなるもの「いみじううつくしき兒の,いちご食ひたる」 本朝食鑑(元禄)「苺,訓以知古」 合類節合集「覆盆子,苺」 等々を引いているが, 「語原,考へられず,但し此の語は,イチビコの中略なるべし(濁音,顛倒す,臍(ほぞ),戸ぼそ,継(つぎつ)ぐ,つづく)。相新嘗(あひにひなめ),あひなめ。洗染(あらひぞめ),あらぞめなどの如き,中略あり」 とし,「いちびこ(蓬蔂)」の項で, 「イチビの語源。詳ならず。但し,苺は,この語を中略したるなるべし。コは兒ならむ。物と云ふ意に添ふる例あり,大葉子,稲穂子,蒲穂子,の如し。」 とあり,『大言海』は, いちびこ→いちび→いちご, を採っている。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/i/ichigo.html は, 「いちご は、『日本書紀』には「伊致寐姑(イチビコ)」、『新撰字鏡』には『一比古(イチビコ)』、『和 名抄』には『伊知古(イチゴ)』とあり、『イチビコ』が転じて『イチゴ』になったと考えられる。いちびこの語源は諸説あり、『い』が接頭語、『ち』が実の赤さから『血』、『びこ』は人名に用いられる『ひこ(彦)』を濁音化したもので植物の擬人化とする説。『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。『いち』は、程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『び』は深紅色を表す『緋』、『こ』は接尾語か実を表す『子』の意味で、『甚緋子(とても赤い実)』とする説がある。 現在、一般的に『イチゴ』と呼ばれるものは、江戸時代の終わり頃にオランダから輸入された『オランダイチゴ』であるが、それ以前は『野イチゴ』を指していた。オランダイチゴも赤い色が特徴的だが、野イチゴは更に濃い赤色であるため、いちびこ(いちご)の語源は『い血彦』や『甚緋子』など、実の赤さに由来する説が妥当。 民間語源には、1〜5月に収穫されるから『いちご』などといった説もあるが、『イチビコ』の『ヒ』が何を意味したか、『5(ご)』を『コ』と言った理由など、基本的なことに一切触れておらず説得力に欠ける。 漢字の『苺(莓)』は、『母』の漢字が『乳房』を表していることから『乳首のような実がなる草』と解釈するものもあるが、『苺』の『母』は『どんどん子株を産み出す』ことを表したものである。」 と詳しいが,『日本語源大辞典』に, 「『イチビコ』は,『書紀−雄略九年七月』に『蓬蔂,此をば伊致寐如(いちびこ)と云ふ』とある」 「イチゴ」の語源は,「いちびこ」から説き起こさなくてはなるまい。『日本語源広辞典』は, 「上代語の『イチ(美)+ビ(実)+コ(子)』です。『旨い実』が語源なのです。平安期にイチゴに変化しました。」 とする。『日本語源広辞典』は,「イチジク」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF)の項で , 「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」 として,「イチ」の解釈は一貫している。『日本語源大辞典』は, イチビコ(蓬蔂)の略(東雅・大言海), イチビコはイチビ(赤檮・檪)の転。イチビはイツイヒ(厳粒)の約(日本古語大辞典=松岡静雄), イチビコ(甚緋子)の意(語源辞典・植物編=吉田金彦), という「イチビコ」系以外に, イツ(魚)の血ある子の如しというところから(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解), ヨキチコリ(好血凝)の義(名言通), イはイシイ(美味)の上略。チはチ(乳)の味。コは如の意(和句解), を載せているが,どうも, 緋色や血の色(赤)系, か, 味(美味,旨い)系, に大別されそうだ。気になるのは, 「『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。」 である。『語源由来辞典』は,「イチイ・一位(いちい)」の項で, 「昔、笏の材料にしたことから、 位階の『正一位』『従一位』に因んだ名というのが通説。一説には、イチイの材は他の木材に比べ非常に赤いことから、『イチ』は程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『ひ』は深紅色を表す『ひ・び(緋)』で、『いちひ(甚緋)』が語源とも言われている。旧かなは『イチヒ』なので、音変化の点で問題なく、ブナ科の『イチイガシ』も赤いという点で一致しており、『いちひ(甚緋)』の説も十分考えられる。」 とあり, 「種子や葉 にはアルカロイドを含むが、薬用にもされる。実は秋に赤く熟し、多肉質で甘い。」 としていることだ。赤系と味系が,ここに合致している。人は,命名するとき,知っているものと関連づける。「イチイ(ひ)」の実と「いちびき」の実が似ているとすれば,「いちひ」には意味があるはずである。 参考文献; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
「うやむや」は, 有耶無耶, と当てるらしい。 あるかないかはっきりしないこと,転じていいかげんなこと,曖昧なこと, 胸がもやもやしているさま(主として明治期に用いた), と意味が載る。後者は,明治期の特有の意味かも知れない。『江戸語大辞典』には, あるかないかはっきりせぬこと,転じて,もやもや,むしゃくしゃ,悲しみや怒りで胸の乱れるさま, とあり, うやもや, とも言うとある。これをみると,はっきりしないという状態表現から,そのこと自体と似た心の乱れ,もやもや感という価値表現へとシフトした,と見ることができる。『岩波古語辞典』には載らないが,『広辞苑』には, 有耶無耶の関, という項が載り, 山形・宮城の県境にある笹谷(ささや)峠(大関山)辺りにあった古関, むやむやの関, もやもやの関, 有也無也の関, とも言うらしいが,別に, 出羽象潟(きさかた)の南にも同名の関があった, とある。『大言海』には載り,その項に, あやふや,むにゃむにゃ, として,こう付記してある。 「陸前,柴田郡より羽前に超ゆる笹谷峠,古名,大關山と云ふ關ありて,有耶無耶と云ひしと伝ふ。その説あれど,附會なり」 『江戸語大辞典』には,「うやむやのせき」の項で, (うやむやの)「意を,奥州の有耶無耶の関にかけていう」 あるいは, 「有や無しやの意を,有耶無耶の関に掛けていう」 とあり,「有耶無耶の関」があって,それに「うやむや」の意を掛けて使ったらしい。前者だと, 「轟く胸は有耶無耶の関に人目を忍ぶ身は,包むとすれど顕はるる目色を」(天保佳話十年・貞操婦女八賢誌), 後者だと, 「後にはあふ瀬の有や無やの,関も人目もいとはねども」(天保四年・仇競今様櫛) と,用例が載る。このことは後で触れるとして,「うやむや」であるが,『デジタル大辞泉』は, 有るか無いかの意から, としているし,『日本語源広辞典』も, 「『有りや無しや。有ヤ無ヤ』で,あるかないかわからないような曖昧模糊とした状態。漢語らしく有耶無耶としたのが語源」 とする。しかし,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/u/uyamuya.html は, 「うやむやは、『もやもや』などと同系の和語と思われるが、はっきりしていない。『有りや無しや(ありやなしや)』を漢文調に書いた『有耶無耶』が、いつの間にか音読され『うやむや』になったとする説もある。しかし、『ありやなしや』を漢文調に書いたのではなく、元々『有耶無耶』は漢文で、その訓読が『ありやなしや』である。また、『うやむや』の当て字 として、意味的にもぴったりな『有耶無耶』が漢字表記として使われるようになったこと から、『有耶無耶』を語源とするのは間違いと考えられる。」 と,事態は逆で,「うやむや」という和語に,「有耶無耶」を当てた,とする。たぶんこれが正しいのだと僕も思う。「うやむや」が, むにゃむにゃ, と同義とされるのは,逆に言うと, むにゃむにゃ→うやむや→有耶無耶, と転訛したということも言えなくもない。擬態語の宝庫である和語ならではの言葉に違いない。 ところで,「うやむや」は,「有耶無耶の関」が語源とされる説があり,手長足長という妖怪と関わるとされる。たとえば, http://jimoto-b.com/3545 は, 「秋田県象潟町の『有耶無耶の関』が語源という説があります。その昔、手長足長という人喰い鬼が住んでいました。『手足が異常に長い巨人』という点では日本各地と共通していますが、手足の長い一人の巨人、または夫が足が異常に長く妻が手が異様に長い夫婦の巨人とも言われ、この点は各地で異なります。その手長足長という人喰い鬼は、秋田県と山形県の県境にある「鳥海山」に住んでおり、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていました。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉(カラス)を遣わせ、手長足長が現れるときには『有や』現れないときには『無や』と鳴かせて人々に知らせるようにしました。国道7号線にある『三崎峠』が『有耶無耶の関』と呼ばれるのはこれが由来とされています。 それでも手長足長の悪行は続いたため、後にこの地を訪れた慈覚大師が吹浦(現・山形県 鳥海山大物忌神社)で百日間祈りを捧げた末、鳥海山の噴火で手長足長の鬼は吹き飛んで消え去ったと言われています。また消えたのではなく、大師の前に降参して人を食べなくなったともいわれ、大師がこの地を去るときに手長足長のために食糧としてタブノキの実を撒いたことから、現在でも三崎山にはタブノキが茂っているという一説もあります。」 この,「手長足長(てながあしなが)」は, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E8%B6%B3%E9%95%B7 に詳しいが, 秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人」 であり, 「その特徴は『手足が異常に長い巨人』で各地の伝説は共通しているが、手足の長い一人の巨人、または夫が足(脚)が異常に長く妻が手(腕)が異様に長い夫婦、または兄弟の巨人とも言われ、各地で細部は異なることもある。手の長いほうが『手長』足が長いほうが『足長』として表現される。」 各地の社伝,昔話に残っていて,秋田の伝説は,上記の通りだが,他に, 「福島の会津若松に出現したとされる手長足長は、病悩山(びょうのうざん、やもうさん、わずらわしやま。磐梯山の古名)の頂上に住み着き、会津の空を雲で被い、その地で作物ができない状態にする非道行為を行い、この状態を長期にわたり続けたという。その地を偶然訪れた旅の僧侶がことの事情を知り、病悩山山頂へ赴き、手長足長を病悩山の頂上に封印し、磐梯明神[1]として祀ったとされている。このことをきっかけに、病悩山は磐梯山と改められ、手長足長を封印した旅の僧侶こそ、各地を修行中の弘法大師だったと言われている。」 とここでは,慈覚大師が弘法大師に変っていたりする。しかし,この説話自体は,中国からの伝播だとされている。 「『大鏡』(11世紀末成立)第3巻『伊尹伝』には、硯箱(すずりばこ)に蓬莱山・手長・足長などを金蒔絵にして作らせたということが記されており、花山院(10世紀末)の頃には、空想上の人物たる手長・足長が認知されていたことがわかる。これは王圻『三才図会』などに収録されている中国に伝わる長臂人・長股人(足長手長)を神仙図のひとつとして描くことによって天皇の長寿を願ったと考えられる。天皇の御所である清涼殿にある『荒磯障子』に同画題は描かれており、清少納言の『枕草子』にもこの障子の絵についての記述が見られる。」 『日本伝奇伝説大辞典』によると, 「中国の外界(四界)に住むといわれる想像上の異常人。または神仙。『山海経(せんがいきょう)』巻六,海外南経に『長臂国在其東,捕魚水中,両手各操市魚』。郭璞注に,『旧説云,其人手下垂至地』とあり,すこぶる手が長い人間が住む国のことが記されている。次に,同書巻七,海外西経には,『長股之国,在雄常北』。郭璞注に,『長臂人身如中人而臂長二丈,以類推之,則此人脚過三丈矣』とあり,今度は足の長い国のことを記している。(中略)この長臂人・長股人を採り入れたのは,日本の内裏であった。ここで両人は手長・足長と名を改め,清涼殿の荒海の障子に二人の魚を捕る姿が描かれたのである。」 このことは,『枕草子』『大鏡』『古今著聞集』にも言及されていいる。これを描いたのは, 「手長・足長が不老長寿の神仙に比定された」 ものらしい。それが東北の果てに伝わったときは,民を悩ます厄介な巨人に堕したことになる。 手長足長(手長足長(秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人)の昔話(福島県・猪苗代町,山形県)は,たとえば, http://www.rg-youkai.com/tales/ja/07_fukusima/05_asinagatenaga.html http://www.yamagata-info.com/story/tenagaasinaga/text.htm に載る。 参考文献; 乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
「つくし」は, 土筆, と当てる。 スギナの地下茎から早春に生ずる胞子茎, を指す。 「スギナ(杉菜、学名:Equisetum arvense)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。生育には湿気の多い土壌が適しているが、畑地にも生え、難防除雑草である。その栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼ぶ」 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AE%E3%83%8A)。 要は,「つくし」は,「スギナの繁殖器」(『たべもの語源辞典』)ということになる。 「つくし」は,筆頭菜(ひっとうさい),ツクシンボ,ツクヅクシ(また,ツクツクシ),ツクヅクシバナ(土筆花)とも言う。古名はフデツバナ(筆茅花・ヒツチカ)と呼んだ(『たべもの語源辞典』)とあるが,『広辞苑』には,「ツクシの古称」としては,「つくづくし」といい,「つくづくしばな」ともいう,とある。『岩波古語辞典』もそうとしているし,『大言海』も,「つくし」は「ツクヅクシの略」としている。『源氏物語』などの用例から見ても,古称は,「つくづくし」なのだろう。 『大言海』の「つくし」の項を見ると, つくづくし(土筆)の略, とあり,「つくづくし」の項には, 「突くを重ぬ,突出の意。その形,筆の頭に似る故に,土筆と書す。杉菜(スギナ)の花」 とあり,筆頭菜(ひっとうさい),つくしんぼとも言うとある。。『日本語源広辞典』も, 「ツク(突き立った)+シ(クシ・細い柱)」 とする。『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E5%9C%9F%E7%AD%86)も, 「古くは『つくづくし』といい、『つくし』はそれを略したもの。『つく』は『突く』で、地面から突き出ることからとされる。また、その形が航行する船に水脈を知らせるために立てる杭『みおつくし(澪標)』に似ているところからこの名があるとする説もある。地面に筆を立てたように見えることから『土筆』と当てて書く。」 とする。どうやら, 土筆, は,後の当て字である。 http://www.asahi-net.or.jp/~uu2n-mnt/yaso/yurai/yas_yur_tukusi.html は, 「スギナに付いているから『付く子』と呼ぶようになったという説や、土を突いて地表に出てくるから『突く子』と呼ぶという説、節のところで切り離しても継ぐことができるから『継く子』になったという説などがある。また漢字の『土筆』はその姿形が筆に似ているところからあてられた字である。スギナ(杉菜)は草の姿が杉の木に似ているところから付けられた名だそうだが、『継く子』と同じ理由で『継ぎ菜』になったという説もある。」 と他の説も挙げている。ミオツクシ(澪標)のツクシから柱の意,としたのは柳田國男(野草雑記)らしいが,『たべもの語源辞典』が, 「初めツクツクシと呼ばれたことを考えると,ミオツクシのツクシというのは文学的ではあるがよくない。」 と,一蹴しているように,古名「つくづくし」から,語源を探らなくては,意味がないだろう。『日本語源大辞典』は, ツク(突く)を重ねた語で突出の意(大言海), 以外, ツキツクシキ(突々如)の義か(名言通), ツクツクシ(突之串)の義(日本語原学=林甕臣), 節がトクサに似ているところから,トクサフシの転(名語記), と,「突く」に絡むものが大勢である。『日本語の語源』は, 「ウツクシ(愛し。美し)は『かわいい。いとしい』から『あいらしく美しい』に転義した形容詞である。…土筆は,そのかわいらしい姿から,はじめ,ウツクシキモノ(愛しき物)と呼ばれていた。語頭を落としてツクシンボーに転音し,さらに下部を省略してツクシになった。これを重言したのが『源氏物語』に見えているツクヅクシである。香川県では語尾を落としてツクツクという地方(中讃)がある。 ネギの頭を葱坊主と呼んでゐるが,ツクシの花も法師頭の連想から関西方言ではツクツクボーシ(法師)という。兵庫県美方郡・鳥取・岡山・広島方言では上部を省略してホーシ(法師)といい,兵庫・島根県安濃郡・広島・香川・徳島県祖谷・愛媛・大分県ではホーシコ(法師子)と呼んでいる。」 としている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AE%E3%83%8A も,「地域によっては「ほうしこ」(伊予弁等とも呼ばれる)としているが,『たべもの語源辞典』は, 「ツクシがかわいらしい姿をしているからウツクシキモノ(愛らしい物)と呼んだが,ウを落として,ツクシンボーと転音し,更に下部を略して,ツクシニナッタモノデ,ツクシの重言がツクヅクシであるという説などがあるが,いずれも無理である。ツクシンボーは法師で,ツクシ(土筆)を筆と見ないで法師頭と見たところからの名である。またツクシが生まれてから,それを重ねていってツクヅクシと呼ぶというのも逆行している。ツクヅクシが簡単にツクシとなるのが自然であり,歴史的に見ても関東では江戸時代以前にツクツクシとよばれていた。京阪では,文化・文政(1804−30)ころになって,やっとツクシというよび方が始まる。」 として,「ツクヅクシ」は, 「ツクは,『突く』である。ヅクも突くで,突くを重ねていった。つまり,つくづくと重なって出るからツクヅクシといったのである。また,突き出るの意と言う説もあるが,日本名の土筆と考えると,突き出る説も良いが,ツクヅクシは,ツクツクと重ねたところに重きをおくほうが良いと考えられる。ツクツクシと最後にシをつけたのも,重なって突き出てくる状態をいったものである。」 としている。 要は,「突き出る」か「突く突く」かの違いかに絞られそうだが,「つくづくし」と呼んだからには,「突く」というのとは違うニュアンスを出したかったのではないか。とすれば,「突く」ではなく,「突く突く」だと見なすのが,確かに自然には思える。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 「つくつくぼうし」は, つくつく法師, と当てる。 寒蝉, とも当てるらしい。その名は, 「鳴き声からの名。『法師』は当て字」 と,鳴声から来ているらしい。『日本語源広辞典』も,鳴声からとしている。 『大言海』は,「つくつくほうし」に, 蛁蟟, の字を当てている。しかし,これは,『大辞林』には, みんみんぜみ(みんみん蟬) とある。しかし, https://furigana.info/w/%E8%9B%81%E8%9F%9F をみると, 「蛁蟟(つくつくほうし)が八釜やかましいまで鳴いているが車の音の聞えぬのは有難いと思うていると上野から出て来た列車が煤煙を吐いて通って行った。」(根岸庵を訪う記 / 寺田寅彦) 「汽車がまた通って蛁蟟(つくつくほうし)の声を打消していった。」(同) を引き,「蛁蟟」にわざわざ「つくつくほうし」とルビを振っている。「蛁蟟」は,『字源』には, むぎわらぜみ, とある。僕はあまり聞かないが,『大言海』には, なつぜみ(夏蝉), のことという。「なつぜみ」とは,『デジタル大辞泉』に, 夏に鳴く蝉。アブラゼミ・クマゼミ・ニイニイゼミなど, とあり,別の蝉に行き着く。どやら,この漢字を当てる背景はあるのだと思う。 『大言海』は,「つくつくぼうし」の項で,やはり, 「其鳴聲,ツクツクボウシと聞ゆる故に名とす」 と説明し,別に, くつくつぼうし, ほうしいつくつく, おうしいつくつく, うつくし, うつくしよし, とも言う(『大言海』)として,以下を引用している。 「蛁蟟 ツクツクボウシ」(和玉篇) http://hyogen.info/word/6749428 に,「つくつくほうし」として, つくつく法師・寒蝉・蛁蟟, と当て, 「セミ科の一種。夏の半ば過ぎから鳴く小形の蝉。体長3cmほど。『オーシーツクツク』と鳴くのが名前の由来。筑紫恋し。法師蝉。『蛁蟟』は『みんみんぜみ』とも読める。」 とある。本来, おうしいつくつく, であったのが, おうしいつくつく→ほうしいつくつく→つくつくほうし, と転じた,ということか。 しかし,『日本語源大辞典』は, 「@平安時代にはクツクツホウシ(ボウシ)と呼ばれていたようである。『高遠集』によれば,ウツクシともよばれたらしい。ウツクシという呼び名は和歌の世界で好まれ,ウツクシヨシという雅な鳴声の表現をも生み出した。A鎌倉時代になると,ツクツクの形も辞書にのり始め,ツクツクとクツクツの勢力争いといった形になる。しかし室町初期には『頓要集』などにツクツクの形のみ記したものも登場し,室町後半にはこれが主流となる。Bツクツクが主流となると,ツクシヨシという聞き方が現れた(『大和本草』)。これは,『筑紫,良し』ともとられ,さらにツクシコイシという聞きなしまで生み出された。『鶉衣‐前・下・四八・百虫譜』にそれがあるが,さらにそこで旅に死んだ筑紫の人がこの蝉になったという俗説も紹介している。C現代ではその鳴き声を『おーしいつくつく』と聞くこともある。」 としているので,事態は逆で,どうやら, クツクツホウシ→ウツクシ(ウツクシヨシ)→ツクツクホウシ→ツクツクヨシ→オーシイツクツク, と,いうことになるらしい。 所詮擬音語なので,どう聞くかは,人次第とはいえ,あまりにも差が大きい。この言葉に,ある意味日本語の特徴,文脈依存性(つまりその時,その場の状況次第)が象徴的に出ているといっていいのかもしれない。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 簡野道明『字源』(角川書店) 「セミ」は, 蝉(蟬), 蜩, と当てる。「蝉(蟬)」(漢音セン,呉音ゼン)の字は, 「『虫+音符單(薄く平ら)』。うすく平らな羽根をびりびり震わせて鳴く虫」 で,「せみ」を指す。「蟬」の字は,「嬋」に通ずというので「うつくし」という意味もある。なお, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158236041 によると,「蟬」の字は, 「『せみ』の漢字『蝉』の音読は、漢音で『セン』です。この『蝉』という漢字は、クマゼミの鳴き声の『シャンシャンシャン』に由来します。 また『蝉』という文字は『虫』+音符『單』の会意形声です。蝉はお腹に有る特別な膜(背板の内側にある膜)震わせて鳴くので、まさに『單(震えるという意味がある)』です。震えて鳴く虫ということで『蝉』とう漢字ができたのです。 そして、クマゼミの鳴き声『シャンシャンシャン』から『センセンセン』という擬音になり、『セン』という漢音になりました。 ちなみに現代中国音では『チャン』です。」 としている。「蜩」(漢音チョウ[テウ],呉音ジョウ[デウ])の字は, 「『虫+音符周(シュウ)』で,せみの声をまねた擬声語。中国人はせみの鳴声をテウテウと聞き取った。今は,『知了(チーリァオ)』と聞く」 とあり,やはり「せみ」を指す。「寒蜩」で,初秋に鳴く「ひぐらし」を意味する。「蜩」を「ひぐらし」と特定して使うのは,そのせいかもしれない。ただ「寒蜩」を,『字源』は「つくつくぼうし」としているので,「寒蜩」で,晩夏の蝉をくくっているのかもしれない(ただ,『蜩』『茅蜩』を「ひぐらし」と『字源』は区別しているが)。 『広辞苑』は,「セミ」を。 「『蟬』の漢音が和音化したものという説と,鳴き声によるという説とがある」 としているし,『日本語源広辞典』も, 「漢字音,蟬sem+(母音)i 」 「蝉の鳴声」 の二説を挙げているが,『大言海』は, 「鳴く聲を名とす。ミハ,ムシの約。蟬(セヌ)の音轉なりと云ふは非なり。天治字鏡八廿二『蟬 世比』。沖縄にて,シミ」 と,漢音転訛を否定する。『笑える国語辞典』 https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%9B/%E8%9D%89-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/ は, 「『せみ』の語源については、セミの鳴き声が『せみせみ(せんせん)』と聞こえたからだとする説などがある。セミと言えば、まず鳴き声が連想される(その次に連想されるのは、道ばたで死んでいること)ので、自然な語源ではないだろうか。現代中国語では「蟬」の他、「知了zhiliao(チーリャオ)」という言葉が特に口語で用いられているそうだ。これも鳴き声から来ているらしい…。」 とみている。『日本語源大辞典』の, セミセミ・センセンという鳴声から(風俗歌考・箋注和名抄・天朝墨談・名言通・傭字例・本朝辞源=宇田甘冥) の例を見ると,鳴声説が妥当な気がする。 因みにアブラゼミは,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/a/aburazemi.html に, 「アブラゼミは、『ジジジジー』『ジージー』という鳴き声が、油で揚げる時の音に似ていることから付いた名 である。 『ミンミンゼミ』や『ツクツクボウシ』のように鳴き声のままでなく、『油』に喩えられ ている点で珍しい(『ジイジイゼミ』の別名はある)。 これは、翅に油の染みに似た紋が あることや、他のセミに比べて油っぽい印象があることも影響したと思われる。」 とあるように,「ひぐらし」の「かなかな」も含め,多く鳴声から来ている以上,「せみ」そのものが「蟬」の訓から来ているというのは,ちょっと解せない。あえて言うなら,「蟬」という抽象化した概念として,その言葉を使ったというなら話は別だが。 参考文献; 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「うめ」は, 梅, と当てるが,「梅」(漢音バイ,呉音メ・マイ)の字は, 「『まげ+音符母』の会意兼形声文字で,母親がどんどん子を産むことを示す。梅は『木+音符毎』で,多くの実をならせ,女の安産を助ける木。」 とある。「梅」の字は,某とも楳ともつくるとある(『字源』)。 https://okjiten.jp/kanji304.html には, 「会意兼形声文字です(木+毎)。『大地を覆う木』の象形と『髪飾りをつけて結髪する婦人』の象形(『草木が盛んに茂る』の意味)から、美しく茂る木、『うめ』を意味する『梅』という漢字が成り立ちました。」 とある。 「うめ」について,『広辞苑』には, 「『梅』の呉音メに基づく語で,古くはムメとも」 とある。『岩波古語辞典』も, 「『梅』の中国音muəiを写したもの。平安時代mme と発音したので,古写本には『むめ』と書くものが多い」 としている。「梅」自体が,平安時代,中国から入ったものだけに,この説が妥当性が高い。 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%81 は, 「漢字『梅』の唐代の音muəiの音写「ムメ」からとの説あり。」 と,しているのも,符合する。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1 も, 「『ウメ』の語源には諸説ある。ひとつは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(東北方言などにその名残りがある)ため、meを/mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが『ムメ』のように表記され、さらに読まれることで/mume/となり/ume/へと転訛した、というものである。上記のように『ンメ』のように発音する方言もまた残っている。」 とし, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1 には,「うめ」は, 「中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語『塩梅(あんばい)』とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。また、話梅(広東語: ワームイ)と呼ばれる干して甘味を付けた梅が菓子として売られており、近年では日本にも広まっている。 さらに漢方薬の『烏梅(うばい)』は藁や草を燃やす煙で真っ黒にいぶしたウメの実で、健胃、整腸、駆虫、止血、強心作用があるとされるほか、『グラム陽性菌、グラム陰性の腸内細菌、各種真菌に対し試験管内で顕著な抑制効果あり』との報告がある。」 とあり,漢方薬として入ってきた可能性がある。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/u/ume.html も, 「実を薬用にする『烏梅(うばい)』の形で、平安時代以降に中国から伝来したとされる。 中国語では『ムエイ』のような発音だったものを日本人が『うめ』と聞き取ったために、『うめ』と呼ばれるようになった。『むめ』と読むのも『ムエイ』に由来するもので、平安時代 から見られる。 本来、薬用として伝来したものであるが、花のもつ気品や美しさから平安 時代の漢詩や和歌などで題材とされている。」 としている。『大言海』は, 「朝鮮語,梅(マイ),我が邦に野生なし,記,紀に見えず,萬葉集に,明日香藤原の朝よりの歌あり,初め,外来の烏梅(ウバイ)を薬用とし,字音にて,烏梅(ウメ)(薬名『取半黄梅實,籃盛置煙突上,燻乾則成黒色,故曰烏梅』。烏は黒色の意。梅の實の燻製)と云ひしに,薬用の必用なるより,其生實若しくは,苗木を取り寄せ植ゑて,烏梅(うめ)の木と云ひしが,遂に樹名(萬葉集,三,五十三『吾妹子が,植ゑし梅樹(うめのき),見る毎に,心咽(む)せつつ,涙し流る』。又,賀茂真淵の梅辭あり)となりしなり。象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」 と更に詳しい。「烏梅」(うばい)の項には, 「古へは,烏梅(うめ)と訓みき。烏は,黒き義。燻(ふす)べらして黒し」 とある。 「うめ」が外来ということでは違いないが,経路が, 中国語からか, 朝鮮語経由か で別れるし,それも, 梅の木としてか, 烏梅としてか, でわかれるようだ。それによって言葉の由来もわかれる。 『日本語源広辞典』は,中国語由来について, 「中国語音『m』の前にu,後にeが加わったとする説です。漢字が公式に日本に伝わったのは,古事記によると,百済の学者王仁が伝えた論語千字文だとされていますが,四百年ころのことと思われています。福岡県志賀島から発掘された『漢委奴国王』の金印は,五七年の史実と照応しあいますので,普及はしていなくても漢字が一部入ってきていたはずです。人類学的に『日本語・語源辞典』をみると,漢字はさておいて,中国語や中国音は,数千年以上も前から入ってきて,日本語を形成したり影響を与えたりしていたのでしょう。ウマ,ウメが,訓のように思われ,使われていたのは,そういうところに原因があります。」 としていて,実情に近いはずである。 『日本語の語源』は,中国語からの変化として, 「中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。『ウ』は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母音[u]が落ちて撥音化したため,ンメ(馬)・ンマ(馬)という。」 と,辿ってみせる。どの時点で入ってきたにしろ,中国語を和語のように使いこなしていたらしい様子がよくうかがえる。「うま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%81%BE) で触れたが,これも(モンゴルからの)外来であった。 中国由来以外の諸説は,いろいろあるが,ここでは省く。しかし, http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-4.htm#%E7%99%BA%E8%A6%8B で触れたように,季節を愛でること自体を中国から学んだ。 春風先ず發く苑中の梅 桜杏桃梨次第に開く 薺花楡莢深村の裏 亦た道う春風我が爲に来たれりと という白居易の詩は,梅に対する目を変えたはずである。それは,「梅」ということはだけでなく,梅に対する独特の風情をも輸入したのである。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 下定昌弘『漢詩集』(ちくま新書)
「さくら」は, 「ぞう」は, 象, と当てる。「象」(漢音ショウ[シャウ],呉音ゾウ[ザウ])は, 「ゾウの姿を描いたもの。ゾウは,最も目立った大きす身体をしているところんら,かたちという意味になった」 とある(『漢字源』)。 https://okjiten.jp/kanji302.html にも, 「象形文字です。『長い鼻のぞう』の象形から『ぞう』を意味する『象』という漢字が成り立ちました。」とある。和語「ぞう」は,どうやら,呉音ゾウ(ザウ)の訓みそのままである。 実は,「うめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%86%E3%82%81) の項で,『大言海』は, 「朝鮮語,梅(マイ),我が邦に野生なし,記,紀に見えず,萬葉集に,明日香藤原の朝よりの歌あり,初め,外来の烏梅(ウバイ)を薬用とし,字音にて,烏梅(ウメ)(薬名『取半黄梅實,籃盛置煙突上,燻乾則成黒色,故曰烏梅』。烏は黒色の意。梅の實の燻製)と云ひしに,薬用の必用なるより,其生實若しくは,苗木を取り寄せ植ゑて,烏梅(うめ)の木と云ひしが,遂に樹名(萬葉集,三,五十三『吾妹子が,植ゑし梅樹(うめのき),見る毎に,心咽(む)せつつ,涙し流る』。又,賀茂真淵の梅辭あり)となりしなり。象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」 と記していた。つまり,「ぞう」の語源に関わって, 「象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」 と記していた。「ぞう」は,かつて, きさ, と呼んでいた。『岩波古語辞典』は,「ぞう」では載らず,「きさ」について, 「象の古名」 とある。『大言海』は「きさ」(象)の項で, 「橒(きさ)の義。初め,象牙,渡来し,牙に橒あれば名とす。牙をキサのキと云ふ。即ち,橒(きさ)の牙(き)なり。牙の名の,獣名に移りたるは薬用に渡来せしウメボシの烏梅(うめ)の,梅樹の名に移りたると同趣なるべし。又,梵語に,象(ザウ)を迦邪(Gaya)と云ふとぞ」 とあり,「橒」の項には, 「刻(きざみ)の義」 として, 「木目の文(あや)」 とあり,『和名抄』の, 「橒,木目の文也,木佐」 を引く。「ざう(象))の項では,『史記』の, 「大宛傳『其人民,乗象以戦』」 『和名抄』の, 「象,岐佐,獣名。似水牛,大耳,長鼻,眼細,牙長者也」 を引く。「ぞう」は,近代までは,『日本語源広辞典』の言うように,ほとんどの日本人にとって,想像上の動物でしかなかった,といっていい。よく描かれた虎も同じで,虎図が猫図にみえるのも当たり前であった。 「きさ」の説明は, http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68492 で, 「象をキサというのは、象牙の横断面に橒(きさ)(木目の文)があるためである(『萬葉動物考』)。『和名抄』に『和名 伎左』とある。天智紀に『象牙(きさのき)』とあり、当時すでに象牙の輸入されていたことが知られる。『拾遺集』にも『きさのき』(巻7-390、物名)を詠んだ歌がある。その一方で、『名義抄』に『キサ キザ サウ』、『色葉字類抄』に『象 セウ 平声 俗キサ』とあり、平安期には『キサ』『キザ』の他に、『サウ』や『セウ』ともいったらしい。万葉集には、『象山(きさやま)』『象(きさ)の小川』『象(きさ)の中山』と見えるが、いずれも、現在の奈良県吉野郡吉野町にある喜佐谷周辺の地を指したもので、動物の象とは無関係。象山は、弓削皇子の歌(3-242)にも詠まれている三船山と向かい合っており、これらの山の間に象谷(喜佐谷)がある。『象(きさ)』の地名は、橒(きさ)(木目文)の如き、ギザギザと蛇行した谷に由来するという(『角川日本地名大辞典』)。象谷に沿って吉野川の支流である象川が流れている。象川が吉野川にそそぐところを『夢のわだ』といい、この地もまた万葉歌に詠まれている(3-335、7-1132)。」 と詳しい。 ただ,『日本語源大辞典』を見ると,「きさ」の由来は,「象牙」の何を採るかで微妙に違うようだ。 牙に木目のような筋があるところからキサ(橒)の義(東雅・和訓栞・大言海), 以外に, 牙サシ出ルの意(日本釈名), キザシ(牙)の略(名言通), ケサ(牙蔵)の義(言元梯), キバヲサ(牙長)の義(日本語原学=林甕臣), 等々もあるようだ。まあ,「文(あや)」が妥当に思える。 ところで,こんな経緯から「象」の字は,例えば,『デジタル大辞泉』のように, 「きさ」 象(ぞう)の古名, 「しょう〔シヤウ〕」かたち。ありさま。易(えき)に表れた形, 「しょう」 物の形。目に見えるすがた(印象・気象・具象・形象・現象・事象・心象・対象・万象)。物の形をかたどる(象形・象徴), 「ゾウ」 動物の名 「ぞう」 物の形(有象無象(うぞうむぞう)) 名前(名のり)かた・きさ・たか・のり, 等々とあり,椿象(かめむし),海象(セイウチ)などという当て字にも使われる。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 「ツバメ」は, 燕, と当てる。 つばくら, つばくろ, つばくらめ, の異称がある。「つはくらめ」が「ツバメ」の古称とある(『広辞苑』)。「燕」(エン)の字は,象形文字で, 「つばめを描いたもので,その下部は二つにわかれた尾の形であり,火ではない」 とある(『漢字源』)。 『岩波古語辞典』の「つばくらめ」の項には, 「メは,カモメ・スズメ・ヤマガラメなど,鳥を意味する接尾語」 とある。『大言海』には,「つばめ」は, 「ツバクラメの略」 とあり,やはり,「メ」は,「ヤマカラメ,ヒカラメと同趣」 とあり,「ツバクラ」も「ツバクラメの略」とある。「ツバクラメ」の項では, 燕, 玄鳥, 乙鳥, と当て, 「ツバクラは鳴く聲,メは群れの約と云ふ。或は,土喰黒女(つちばみくろめ),翅(つば)黒女,光澤(つや)黒女の略轉など云ふはいかがか」 とある。そして, 「ツバビラコ,ツバビラク,略してツバクラ,ツバクロ,ツバメ」 とする。そして, 『倭名抄』「燕,豆波久良米」 『本草和名』「燕,玄鳥,都波久良米」 『字鏡』「乙鳥,豆波比良古」 を引く。 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000067714 の言う, 「『日本語語源大辞典』『語源大事典』によると、土食み(つちくみ)の意味からか、ツバメの古名はツバクラメ。ツバクラになり、ツバメとなった。ツバクラメは土喰黒女(ツバクラメ)となるが、この呼び名は光沢のある黒い鳥を意味するともいわれている。 『ツバ』『クラ』『メ』の三語よりなっている。 「ツバ」・・・光沢のあること。 「クラ」…黒 「メ」・・・ススメやカモメなど群れる鳥を指す。 姿の黒い照り輝くところからの命名。また、「土」「喰」「黒」・・・ルバメクロ(メ)とも解するという。)」 の,「土喰黒女(ツバクラメ)」を『大言海』は否定していることになる。 「ツバクラは鳴く聲」というのは,『日本語源広辞典』のいう, 「チュバ(鳴声)+メ(小鳥の接尾語)」 と同趣だろう。 http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird57.html も, 「ツバメの語源は、ツバクラメで、これが短くなったものとされています。時代的には、すでに奈良時代にはツバメとツバクラメが併用され、室町時代になってツバメが主流となったようです。もともとのツバクラメとは、ツバが鳴き声を表し、クラが小鳥の総称であり、メは群れを示す接尾語という解釈が今日代表的な見解のようです(「鳥の名前」東京書籍発行、「鳥名の由来辞典」柏書房)。」 とあるのも同じである。 http://www.nihonjiten.com/data/45823.html は, 「古名『ツバクラメ』→『ツバクラ』→『ツバメ』と変化したとされる。古名『ツバクラメ』の語源は、『ツバ+クラ+メ』の説で、『ツバ』は光沢の意とする説、鳴声とする説、『クラ』は黒の意とする説、小鳥(カラ)の総称とする説、『メ』は群れる鳥を表す接尾語とする説がある。他に『ツチバミクロメ(土喰黒女)』、『ツフハクロメ(頬羽黒群)』、『ツハサクルフレム(翼狂群)』、『ツバサクリカヘリムレ(翼繰返群)』『ツバクロメ(翅黒女)』『ツヤクロメ(光沢黒女)』などの意とする説がある。 別に、古名『ツバクロ(メ)』→『ツバメ』と変化した説もあり、『ツバクロ』は嘴で土をくわえて巣をつくることから『土喰黒(ツチバミクロ)』の略とする説がある。」 と諸説を整理しているが, ツバクラメ→ツバクラ→ツバメ, と ツバクロ(メ)→ツバメ, の略轉説を整理しているが,「ツバクラメ」が古称なら, ツバクラメ→ツバクロ(メ)→ツバクラ→ツバメ, なのかもしれない。『日本語源大辞典』は,「つばくらめ」と「つばめ」を別に項を立てている。「ツバクラメ」の語源としては, ツバクラは鳴声から,メはムレ(群)の約(箋注和名抄・音幻論=幸田露伴), ツチバミクロメ(土喰黒女)・ツバクロメ(翅黒女)・ツヤクロメ(光沢黒女)の略轉(『大言海』が疑問視した), ツバは鳴声から。クラはイタクラのクラと同じで小鳥の総称(野鳥雑記=柳田國男), ツバは光沢のあるさまをいう語。クラは黒の義。メは鳥名につける語(東雅), ツバクラは翅黒の義か,メはムレ(群)の義(上方語源辞典=前田勇), ツチ(土)ハミクラフの略(関秘録), ツチ(土)クラヒの義という(物類称呼), ツバサクリカヘリムレ(翼繰返群)の義(日本語原学=林甕臣), ツバサクルフムレ(翼狂群)の義か(名言通), ツフハクロメ(頬羽黒群)の義(言元梯), 等々。いささか苦しいものもあるが,「クラ」は黒の意とする説でいいとして, 「メ」を鳥の総『ツバ』は光沢の意とする説、鳴声とする説、 「ツバ」は光沢の意とする説、鳴声とする説、 にわかれている。「ツバメ」の項で, 「@語形としては,『色葉字類抄』にツハメ・ツハクロメ・の語形が見られる。ツバメ・ツバクラメのメは,カモメ・スズメ・コガラメなどの,鳥類に共通する接尾語か。A鎌倉・室町期になるとツバメが勢力を増し,『節用集』ではツバメクラを圧倒してくる。江戸期にはツバクラメは古語となり,ツバメ・ツバクラ・ツバクロが主流となる。」 と述べている。「メ」について,群れか鳥の総称か,というのは,「メ」の意味が分からなくなったから,そう言っているだけなのかもしれない。『日本語の語源』は,音韻変化説をとり,こう述べている。 「『黒む』という動詞は『黒くなる。黒みを帯びる』という意味である。…春来て秋帰る燕は人家に巣くってかくべつ馴染みの深い小鳥であるが,大昔の人はこれをツバサクロム(翼黒む)鳥と呼んだ。『サ』を落としたツバクロムは『ロ』の母音交替[oa],『ム』の母音交替[ue]の結果,ツバクラメに転音した。(中略)さらに語尾を落としてツバクラ・ツバクロになった。(中略)ツバクラメの省略形がツバメである。(中略)筑後久留米(浜荻)・広島・愛媛・佐賀・長崎・香川県では,最古のツバサクロム鳥の省略語として,燕のことをツバサと呼んでいる。」 これだと,スズメ・カモメの「メ」はどう説明するのか,と思うが,「スズメ」については, 「『がやがや騒ぐ』ことをサザメクという。(中略)サザメキ鳥は語幹のサザメがスズメ(雀)になった。丹波国何鹿(いかるが)郡アササキ(吾雀)郷の地に式内社のアススキ(阿須須岐)神社があるのは,ササ・ススの転音を示唆している。」 とし,「カモメ」についても, 「鷗は夏,カムチャッカ・シベリヤ・カナダなどの海岸に繁殖し,冬は日本に現れて全国の海上に群棲している。翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子音交替[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。 カマメ(鷗)はさらにカモメ(鷗)になった。津軽地方では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」 と,一貫している。何でも不明だと,接尾語にするというのは,いかがかと思うので,聞くに値する。 因みに,「若いツバメ」は,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/wa/wakaitsubame.html によると, 「明治時代の婦人運動・女性解放運動の先駆者 平塚雷鳥と、年下の青年画家 奥村博史 の恋に由来する。平塚が年下の男と恋に落ちたことで、平塚を慕う人々の間で大騒ぎ となり、奥村は身を引くことにした。 その時、奥村から平塚に宛てた手紙の中で、『若い 燕は池の平和のために飛び去っていく』と書いたことから流行語となり、女性から見て年下の愛人をいうようになった。」 とあり,『日本語俗語辞典』 http://zokugo-dict.com/44wa/wakaitubame.htm 「若いツバメとは平塚雷鳥という婦人運動家と年下の奥村博史という画家との恋愛から生まれた『年上の女性の愛人である若い男性』という意味の言葉である。平塚はこの5歳年下の彼氏・奥村のことを『若いツバメ』や『弟』と呼んでいた。二人の関係が公になるにつれ、女性解放を謳う平塚の運動に参加していた者の間でこれが騒ぎとなり、奥村が身を引く決心をする。その時、奥村が平塚に宛てた手紙の『若いつばめは池の平和のために飛び去っていく』という文面から若いツバメは上記の意味で流行語となった。余談だが二人は最終的に結婚している。」 とある。「燕」を当てる字には,陰暦八月の「燕去り月」,燕合わせ(「つばめる」から来た当て字。燕算用も同じ),燕口,燕銛,燕返し等々数々ある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社) 「スズメ」は, 雀, と当てる。「雀」(慣音ジャク,漢音シャク,呉音サク)の字は, 「会意兼形声文字。もとは,上部が少ではなくて小。『隹(とり)+音符小』で,小さい小鳥のこと。」 とある。 https://okjiten.jp/kanji1699.html にも, 「会意文字です(小+隹)。『小さな点』の象形と『尾の短いずんぐりした小鳥』の象形から、小さい鳥『すずめ』、『すずめ色(赤黒色、茶褐色)』を意味する『雀』という漢字が成り立ちました。」 とある。 『岩波古語辞典』は, 「スズは,鳴声から付けた名か。メはき鳥を表す語。ツバメ,カマメなどのメに同じ。Suzumë」 とし,『大言海』も, 「スズは鳴く聲,メは群れの約,或は云ふ,篶群(すずむれ)の義なりと」 としている。「倭名抄」には, 「雀。須須米」 とあるそうだから,かつては濁っていなかった感じである。『日本語源大辞典』は, 「『本草和名』には『和名 須須美』とあり,そのほか『観智院本名義抄』『色葉字類抄』『日本書紀古訓』にも『ススメ』『ススミ』の両訓があるから,古くはスズミの形も存在したと思われる。」 としている。 さて,その語源であるが,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/su/suzume.html も, 「スズメの『スズ』は、その鳴き声か、小さいものを表す『ササ(細小)』の意味。『メ』は『群れ』の意味か、ツバメ・カモメなど『鳥』を表す接尾語である。現代では、鳴き声が『チュンチュン』と表現されるが、平安時代から室町時代までは『シウシウ』、江戸時代から『チーチー』『チューチュー』と表現され、『チュンチュン』へと移り変わっている。古代のサ行は『si』ではなく『ts』の音であったといわれ、『シウシウ』は現在の『チウチウ』に近い音であったと考えられる。『スズ』は第二音節が清音で『ススメ』『ススミ』と呼ばれていたため、『シウシウ(チウチウ)』という鳴き声を写したものが『スス』と考えても不自然ではない。また、小さな意味の『ササ』は『ススキ』の語源にも通じ、身近にいる小鳥であることから、『ササ(細小)』の説も考えられる。」 と,「スス」は鳴き声,「メ」は,群れないし小鳥の意,とする。『日本語源広辞典』も, 「雀の鳴き声(チュンチュン・チュウチュウ)+メ(接尾語,小鳥)」 説を採る。『日本語源大辞典』も,大勢, スズは鳴き声から。メはムレ(群)の約(箋注和名抄・言元梯・名言通・本朝辞源=宇田甘冥・日本古語大辞典=松岡静雄・大言海), スズは鳴き声から,メは小鳥の義(音幻論=幸田露伴), もとはチュンチュンと小さく鳴く小鳥の総称であったもの(国語史論=柳田國男) ススはシュシュという鳴き声から出たか(名言通・国語溯原=大矢徹), スズロムレ(漫群)の義(日本語原学=林甕臣), スズムレ(篶群(すずむれ))の義か(大言海), スズはササに通じ,小の意か。メは鳥をいう古語(東雅), おどりながらススム(進)ところから(日本釈名), 雀は心たけくススムものであるところから(和句解), 鳴き声派で,「メ」を接尾語として,勝手に解釈している気がする。「メ」がはっきり分からないからといって,都合よくこじつけるのはいかがかと思う。「ツバメ」の項, http://ppnetwork.seesaa.net/article/458420611.html?1522264236 で触れたように,『日本語の語源』は,音韻変化説をとり,「つばめ」について,こう述べている。 「『黒む』という動詞は『黒くなる。黒みを帯びる』という意味である。…春来て秋帰る燕は人家に巣くってかくべつ馴染みの深い小鳥であるが,大昔の人はこれをツバサクロム(翼黒む)鳥と呼んだ。『サ』を落としたツバクロムは『ロ』の母音交替[oa],『ム』の母音交替[ue]の結果,ツバクラメに転音した。(中略)さらに語尾を落としてツバクラ・ツバクロになった。(中略)ツバクラメの省略形がツバメである。(中略)筑後久留米(浜荻)・広島・愛媛・佐賀・長崎・香川県では,最古のツバサクロム鳥の省略語として,燕のことをツバサと呼んでいる。」 そして,スズメについては, 「『がやがや騒ぐ』ことをサザメクという。(中略)サザメキ鳥は語幹のサザメがスズメ(雀)になった。丹波国何鹿(いかるが)郡アササキ(吾雀)郷の地に式内社のアススキ(阿須須岐)神社があるのは,ササ・ススの転音を示唆している。」 とし,さらに,「カモメ」についても, 「鷗は夏,カムチャッカ・シベリヤ・カナダなどの海岸に繁殖し,冬は日本に現れて全国の海上に群棲している。翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子音交替[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。 カマメ(鷗)はさらにカモメ(鷗)になった。津軽地方では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」 と,一貫して音韻変化から説いている。この方が筋が通る。なお, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%A1 によると, 「中文(中国語)では『麻雀』と表記する。麻雀(スズメ)は中国の古典では小さな鳥の総称のように用いられた。」 とある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「とり」は, 鳥, と当てるが,「鳥」の字は,象形文字で, 「尾のぶら下がった鳥を描いたもの。北京語のniauは,ぶらりと垂れた男性性器(diau)と同音であるのを避けた意味言葉」 で,尾の垂れた鳥から,広く鳥の総称に用いられた,とある。「とり」には,「禽」の字もあるが,これは, 「もと『柄つきの網+音符今(キン)(ふさぐ)』の会意兼形声文字。のち,下部に禸(動物の尻)を加えたもので,動物を網でおさえて逃げられぬようにふさぎとめること。擒(キン とらえる)の原字」 とある。「とり」の意もあるが,「網やなわでとらえる動物,のち猟でとらえるとりのこと」とある。因みに,尾の短い鳥は, 隹(スイ), の字で, 「尾の短い鳥を描いたもの。ずんぐりと太いの意を含む。雀・隼・雉などの地に含まれるが,鳥とともに広く,とりをいみすることばになった」 とある。 「とり」の語源について,『大言海』は, 「アイヌ語chiri」 とし,『倭名抄』の, 「鳥,禽,土里」 を載せている。『日本語源大辞典』によれば,その他, トビカケリ(飛翔)の中略(日本釈名・柴門和語類集)。 トゾヲリ(飛居)の義(日本語原学=林甕臣), トビヰル(飛集)の義か(和訓栞), 飛ぶところからか(和句解), 飛行がト(鋭)いところから。リは添えた語。また飛ぶときの羽音によるか(日本語源=賀茂百樹), 人がとるものであるところから,トリ(捕)の義か(円珠庵雑記), トマリまたはトドマリの中略(滑稽雑談), 古く使いとして用いたところから,タヨリ(便)の義か(名言通), 鶏の意の朝鮮語talkiから(語源の研究=泉井久之助), 等々あるが,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/to/tori.html の, 「『トビカケリ(飛翔)』の中略 をはじめ、『トビヰル(飛集)』や『トビヲリ(飛居)』の意味など、『飛ぶ』と関連付ける説が多い。その他、古代では特に狩猟の対象となる鳥を指すこともあったため、『とる(獲る)』の名詞形とする説や、朝鮮語で「鶏」を意味する『talk(talki・tark)』からといった説もある。『鳥』の『ト』と『飛ぶ』の『ト』はいずれも乙類で、鳥の特徴でまず挙げられるのは空を飛ぶことであるから、『ト』は『飛ぶ』の意味で間違いないと思われる。」 説が一番説得力がある。『岩波古語辞典』が,「とり」を,「töri」と,乙類としていることとつながる。『日本語源広辞典』も「とり」の項で, 「ト(飛ぶ)+り(接尾語)」 としている。『岩波古語辞典』は「と」の項で, 「とり(鳥)が他の名詞の上について複合語を作る際,末尾のriと次に来る語頭の音とが融合した形」 とあり,「鳥狩(とがり)」を, törikari→törkari→töngari→tögari, と,更に「となみ(鳥網)」を, törinöami→törnami→tönnami→tönami, と音韻変化を例示して見せている。ただ,多く,接頭語で残っている言葉は,古形が残っている例が多いことを考えると,これは妥当に思われる。なお,ニワトリは,別に項を改めるが, ニハツトリ, の転訛のようである。 「ニワトリ」は, 鶏(鷄), と当てる。「鶏(鷄)」の字は, 「奚(ケイ)は『爪(手)+糸(ひも)』の会意文字で,系(ひもでつなぐ)の異字体。鶏は『鳥+音符奚』で,ひもでつないで飼った鳥のこと。また,たんなる形声文字と解して,けいけいと鳴く声を真似た擬声語と考えることもできる。」 とある(『漢字源』)。 https://okjiten.jp/kanji326.html には, 「会意兼形声文字です(奚+鳥)。『手を下に向けてつかむ象形とより糸の象形と人の象形』(『つながれた人、召し使い』の意味)と『鳥』の象形から、家畜としてつなぎとめておく鳥『にわとり』を意味する「鶏」という漢字が成り立ちました。」 とある。『広辞苑』には, 「庭鳥の意」 とあるが,『大言海』は,「にはとり」の項で, 「庭つ鳥,鷄(かけ),と云ふ枕詞を,直に鳥の名とす」 とし, 「本名,かけ,又くたかけ。異名,ながなきどり,ときつげどり,あけつげどり,ゆうつげどり,うすべどり,ねざめどり,はたたとり。」 と書く(『日本語源大辞典』は,その他,四境祭の故事に基づき『木綿(ゆふ)付け鳥』とも言ったとする)。そして, 『本草和名』「鷄,爾波止利」 『名義抄』「鷄,ニハトリ」 を引く。「にはつとり」の項では, 「人家の庭に居る意。野つ鳥(雉)の如し」 とし,「鷄(かけ)の枕詞」として, 「家鳥,鷄(かけ)とも云ふ。後には,ニハトリと云ひて,直に鷄(かけ)のこととするも,これに起こる」 とある。そして「かけ」(鷄)の項で, 「鶏鳴を名とす,カケロの條を見よ。家鷄の音と暗号」 として,「ニハトリの古名」とする。「かけろ」の項では, 「鶏(にはとり)のことを,カケと云ふは,此の語に起こる。」 要は,鶏の鳴声,「コッケッコウ」から来た擬声語ということになる。ただ,『擬音語・擬態語辞典』によると,今日,コケコッコーと聞こえるが, 「室町時代までは,『かけろ』。…室町時代から江戸時代にかけて,鶏の鳴き声は『とーてんこー』。『東天光』『東天紅』の漢字が当てられ,当時の辞書にまで掲載された。」 とあるので, カケロ→カケ→(カケの枕詞)庭つ鳥→ニハツトリ→ニハトリ→ニワトリ, と転訛していったということになる。 『岩波古語辞典』は,「にはつとり」の項で, 「nifatutöri」 として, 「(枕詞)庭にいる鳥の意から『鷄(かけ)』に掛かる」 とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA には, 「ニワトリという名前については日本の古名では鳴き声から来た『カケ』であり古事記の中に見られる。雉を『野つ鳥雉』と呼んだように家庭の庭で飼う鶏を『庭つ鳥(ニハツトリ)』(または『家つ鳥(イヘツトリ)』)と言い、次第に『庭つ鳥』が残り、『ツ』が落ちて『ニワトリ』になったと考えられる。また『庭つ鳥』は『カケ』の枕詞であり『庭つ鳥鶏(ニハツトリカケ)』という表記も残っている。別の説では『丹羽鳥』を語源とするのもある。」 と整理されている。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ni/niwatori.html は,「にはちつとり」ならんであった「いえつとり」が, 「ニワトリを表す言葉には、『家にいる鳥』を意味する『イヘツトリ』もあったが,『万葉集』には『ニワトリ』の古名『カケ(鶏)』を意味する言葉として,また『古事記』にも『カケ』の枕詞として『ニハツトリ』は用いられているように,『ニハツトリ』の方が多く用いられたため,『イエツトリ』は消えていったと考えられる。古名『カケ』は,その鳴き声から名づけられたとされ,『神楽酒殿歌』に,『鷄はかけろと(泣)なり』の例が見られる。」 と,消えた背景を推測している。『日本語源大辞典』は, 「古くから人間の生活と密接に結びついてきたために,単に『とり』というだけで鷄を指すことが多い。」 としているが, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA によると, 「日本列島に伝来した時代は良く分かっていない。…日本列島におけるニワトリは弥生時代(紀元前2世紀)に中国大陸から伝来したとする説がある。弥生時代には本格的な稲作が開始されるが、日本列島における農耕は中国大陸と異なり家畜の利用を欠いた『欠畜農耕』と考えられていた。…ニワトリに関しては1992年(平成4年)に愛知県清須市・名古屋市西区の朝日遺跡から中足骨が出土している。以後、弥生時代のニワトリやブタは九州・本州で相次いで出土している。弥生時代のニワトリは現代の食肉用・採卵用の品種と異なり小型で、チャボ程度であったとされる。出土が少量であることから、鳴き声で朝の到来を告げる『時告げ鳥』としての利用が主体であり、食用とされた個体は廃鶏の利用など副次的なものであったと考えられている。」 とある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
「とうがたつ」とは, 「タンポポ」は, 蒲公英, と当てる。「文明本節用集」には, 「蒲公草 タンホホ」 とある(『広辞苑』)。『大言海』は, 蒲公英, 蒲公草, と当てている。そして, 「古名,タナなり。タンはその轉にて,ホホは,花後の絮(わた)のホホケたるより云ふかと云ふ」 としている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D も, 「日本語では古くはフヂナ、タナと呼ばれた。タンポポはもと鼓を意味する小児語であった。江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていたことから、転じて植物もタンポポと呼ばれるようになったとするのが通説であるが、その他にも諸説ある。」 とし,その諸説の一つとして, 「和泉 晃一『タンポポの語源 小鼓の音階名「タ」と「ポ」に由来する』」 を載せている。 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%BD%E3%81%BD は, 「一説に、異称のつづみぐさより、鼓の音のオノマトペ(林甕臣、柳田國男等)。」 を紹介する。『日本語源広辞典』は,この説で, 「語源は,方言の『鼓草(蕾の形からの命名)の小児言葉』にあります。鼓を打つ擬音から,タンポポというのです。」 とする。また, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212075167 も, 「もともとは、子供の作った名前ではないかと言われています。たんぽぽは、方言によっては、鼓草(つづみぐさ)などとも言われます。たんぽぽを横から見た形(花が開きかけで、下にふくらんだ萼(がく)がついている、ちょうどXのような形)が、鼓の形をした草だということから、鼓をたたくリズミカルな『たん、ぽん、ぽん』という音のイメージからつけられたのではないかということです。ただ、たんぽぽのどの部分が鼓に似ているのかについては、諸説あって定説はありません。また、『たんぽ』穂、が語源であるとする説、『湯たんぽ』の『たんぽ』と同源ではないかなど、異説もいくつかあります。」 擬音語説で,『擬音語・擬態語辞典』によれば,鼓の音は, 「たんたん」 で,鎌倉時代から見られる,という。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ta/tanpopo.html も, 「タンポポは,漢字で『蒲公英』と表記するのは,漢方で開花前に採り乾燥させたものを『蒲公英(ホコウエイ)』と呼ぶことからである。タンポポの語源は諸説あり,タンポポの茎を鼓のような形に反り返らせる子供の遊びがあり,江戸時代には『タンポポ』を『ツヅミグサ(鼓草)』と言ったことから,鼓を叩く音を形容した『タン』『ポポ』という擬音語を語源とする説が通説となっているが未詳。」 としつつ, 「古く,タンポポは『タナ(田菜)』,『フジナ(藤菜)』や『フチナ(布知菜)』と称しており,タンポポの『タン』は『タナ』で,『ポポ』は花後の綿を『穂々』の説も考えられる。 中国では,『タンポポ』を『ババチン(婆婆丁)』と呼ぶが,古くは『チンポポ(丁婆婆)』と言い,『チンポポ』から『タンポポ』になったとする外来説もある。『チンポポ』が『タンポポ』に変化することは十分考えられるが,中国で『チンポポ』が使われていた時期と日本で『タンポポ』と呼ばれるようになった時期に隔たりがあり,この説は採りがたい。」 とする。なぜ 「鼓草」 なのかについては, http://mobility-8074.at.webry.info/201704/article_41.html が, @花茎を短く切って,その両端に切れ目を入れて水につけると,両端が放射状に反りかえって,鼓に似た形状になるから。 A花や蕾を 2 つ,背中合わせにつなげると鼓のような形になるから。 と,二説を紹介している。 結局,「タンポポ」の語源は, 「鼓草」からくる擬音語説(東雅・日本語原学=林甕臣・野草雑記=柳田國男・たべもの語源抄), タンは古名タナの転。ホホは花後のワタがほほけているところからとする説(和訓栞・大言海), タンポ穂の意で,球形の果実穂からタンポ(布で綿を包んで丸めたもの)を想像したとする説(牧野新日本植物図鑑), 「田の穂穂」説。ホホには,ホホケダツ(蓬起)物の意と,ホホ(孛々)と光が四方に放出する意とある(語源辞典・植物篇=吉田金彦), タマツキフク(玉吹々)説(名言通), 等々に整理できる。「穂」の見方には, 「たな(田菜)」が花の後にできる種子の冠毛が 〈ほろほろと崩れる〉, という見方と, 冠毛を〈穂〉 に見たてて 〈田んぼの穂々〉 という意味で 「田の穂々」 と呼んでいたことから, とにわかれるが,要は, 鼓の擬音か, 綿毛(冠毛)の擬態か, ということになる。個人的には,綿毛の「穂」が印象深いので,そこに由来する 「タンポ穂の意で,球形の果実穂からタンポ(布で綿を包んで丸めたもの)を想像した」 とする説に与したい。 なお,日本に古くからあった在来種のタンポポは,特に関東地方に多く見られたことから「カントウタンポポ」とも言われていたが, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 「在来種は外来種に比べ、開花時期が春の短い期間に限られ、種の数も少ない。また、在来種は概ね茎の高さが外来種に比べ低いため、生育場所がより限定される。夏場でも見られるタンポポは概ね外来種のセイヨウタンポポである。」 のが実情で,両者の見分け方は, 「花期に総苞片が反り返っているのが外来種で、反り返っていないのが在来種。在来種は総苞の大きさや形で区別できる。しかし交雑(後述)の結果、単純に外見から判断できない個体が存在することが確認されている。」 とか。 ちなみに,中国語でたんぽぽのことを「蒲公英」と言うについては, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212075167 によれば, 「この『蒲公英』ですが、古くは『蒲公草』だったようです。草が英に変わったのは『英』が『はなぶさ』と言うことですから、花の形を表現したと言えます。 …『蒲公』ですが、もともとの中国でさえ、わかっていないようです。 『蒲』は、水草の『ガマ』のこと。また『伏せる』という意味があります。また『公』には『雄(おす)』の意味があり、そこから『力強い』という意味を表します。そこから『蒲公英』とは『地に伏せた男性的な花』のことである」 とした説もあるとか。 参考文献; http://mobility-8074.at.webry.info/201704/article_41.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
「リンゴ」は, 林檎, 苹果, と当てる,と『広辞苑』にある。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ri/ringo.html に, 「りんごは、古く中国を経由して渡来し、西欧系のリンゴの普及以前に日本でも栽培されていた。林檎は中国語で、『檎』は本来『家禽』の『禽』で『鳥』を意味し、果実が甘いので林に鳥がたくさん集まったところから、『林檎』と呼ばれるようになった。『檎』は、漢音で『キン』呉音で『ゴン』と読まれることから、『リンキン』や『リンゴン』などと呼ばれ、それが転じて『リンゴ』となった。 平安中期の『和名抄』では、『リンゴウ』と呼んでいる。 また中国語で林檎を『苹果』(pingguo)とも呼び、『林檎(リンゴン)』と『苹果』(pingguo)が混ざり,『リンゴ』と呼ばれるようになったとも考えられている。」 とあり, 林檎, 苹果, いずれも,中国語由来,ということになる。ただ, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4 に, 「日本語では漢字で主に『林檎』と書くが、この語は本来、同属別種の野生種ワリンゴの漢名である。また、『檎』を『ご』と読むのは慣用音で、本来の読みは『きん』(漢音)である。 リンゴ(セイヨウリンゴ)の漢名及び中国語の繁体字表記は『蘋果』で、中華人民共和国で使われる簡体字では苹果(píng guǒ)と書かれる。日本で『りんご』とも読むが当て字で、本来の読みは『へいか』である。」 とあり,今日の「りんご」とは異なるようである。『日本語源大辞典』 には, 「@中国では、古く西洋から伝わったリンゴを『奈』『頻婆』『苹果』などと表した。それに対し、中国原産のものが『林檎』である。 A『十巻本和名抄―九』には『林檎子〈略〉利宇古宇りうこう』とあるが、平安期にリンドウが『りうたう』とも『りんたう』とも表記されていたように、『リンゴウ』と発音されていたとも考えられる。中世以降はリンキ、リンキンの形も見られ、リウコウから次第にリンキン・リンゴのような撥音形へ移っていったようである。近世に入ると、ほとんどの書物でリンゴを一般形としている。」 とある。また, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12159352962 には, 「バラ科の落葉高木。アジア西部からヨーロッパ東南部の原産で、日本には中国を経由して古く渡来した。中国でこれを『林檎』と呼ぶのは、「檎」は本来「禽」で鳥をさし、果実が甘く諸鳥を林に来させることによるとされる。この「檎」は漢音でキン、呉音でゴンであることから、「林檎」はリンキンとかリンゴンとか読まれるが、後者が転じたのがリンゴである。なお、平安中期の『和名抄』ではリウゴウと読んでいる。」(『暮らしのことば語源辞典』) を引用している。 つまり,日本では,区別せず,「林檎」と当てているが,中国原産の中国由来の「りんご」を「林檎」とあてる。今日の「りんご」(セイヨウリンゴ)は「苹果」と,中国では区別しているらしい。しかし,「林檎」も,元は西方由来である。めぐりめぐって,「林檎」と「苹果」が巡り合ったということになる。因みに,西洋リンゴは,日本へは江戸末期に渡来し、明治初期に栽培しはじめた,という。 http://www.kigusuri.com/kampo/nikaido/nikaido009-01.html には, 「中国から渡来した林檎(りんきん)と蘋果(ひんか)は、その後、コーカサス地方原産で別種のセイヨウリンゴが輸入されると倭(わ)リンゴ、地(じ)リンゴと呼ばれるようになりました。『その果実が甘いので禽(きん、小鳥のこと)が、その林に来る』ことから林檎(りんきん)と言われたと中国の古書にあり、この林檎を音読みにした和名から転じて、現在リンゴに当てられている漢字の林檎(りんご)になったと言われています。 明治時代になって多数のリンゴの品種が輸入され、各地で栽培が盛んに行われるようになって、現在では7500種以上の品種が栽培されています。」 とある。「蘋果」は今日の略字で「苹果」である。 『たべもの語源辞典』の「リンゴ」の項の説明が,「リンゴ」にまつわる真偽の整理になっている。 「西洋から輸入したものを苹果・平果と書く。中国原産の和林檎とその近似種の総称が林檎である。中国名にビンクオ(平果)がある,バラ科の果樹でアジアの中西部からインド北部といわれる。ヨーロッパでは紀元前から賞味されていた。我が国には中国から奈良時代に渡来した。中国で初め来禽と書いた。これはこの果物がうまいので禽鳥が来たり集まるので来禽とした。『三才図絵』に『文林郎果…初め河中より浮き来る。文林改という人あり拾い得て是を種(う)う。因て以て名を文林郎果となす』とある。これがリンゴである。古名,りうごう・かたなし。来禽の禽を木に生ずる果だということで,檎とし,中国の黄河を流れてきたのを文林改が初めて種えたということで,『来』を林として林檎になった。これは陳蔵器の『本草』説である。『本草綱目』には,『この果味甘く衆禽を林に来たすより林檎の名あり』とある。漢名には,来禽をはじめとして,半紅・沙果・頻婆・文林果・相思果などがある。西洋種の林檎が日本に渡ったのは,文久二年(1862)ころ越前福井侯松平慶永がアメリカから,その苗木を輸入し,江戸巣鴨の別邸に移植のが最初であるが,成功しなかった。明治四年(1871)に北海道開拓使からアメリカに苗木を注文し,これを北海道に頒布したのが,外国種林檎栽培の始まりである。石川県能美地方・福井県丹生地方・石見などでビンゴナシ,島根県鹿足地方で,リンゴナシ,鹿児島県肝属地方では,リンゴミカンとよんでいる。リンゴは,中国から渡来してリウゴウとよばれ,カタナシともいわれていたが,林檎の文字が伝えられると,リンキン・リンキ・リンゴウ・リュウゴウからリンゴになった。」 最後に,「林檎」「苹(蘋)果」の字に当たっておく。「林」(リン)の字は, 「木を二つ並べて,木がたくさんはえているはやしを表したもので,同じものが並ぶ意を含む」 「檎」(呉音ゴン(ゴム),漢音キン(ゴム))は, 「木+音符禽」 「禽」の字は, 「もと『柄つきの網+音符今(キン ふさぐ)』の会意兼形声文字。のち,下部に,禸(動物の尻)を加えたもので,動物を網でおさえて逃げられぬようにふさぎとめること。擒(キン とらえる)の原字」 これだと解りにくいが, https://okjiten.jp/kanji2539.html に, 「会意兼形声文字です(木+禽)。『大地を覆う木』の象形と『ある物をすっぽり覆い含むさま(「含み込んで覆う」の意味)と取っ手のついた網の象形』(『鳥』、『鳥を網で取りおさえる』の意味)から、『鳥が集まる木、りんご』を意味する『檎』という漢字が成り立ちました。」 がわかりやすい。「苹」の字は, 「平は,屮型のうきくさが水面にたいらに浮かんだ象形文字。苹は『艸+音符平(ヘイ)』で,平らの元の意味をあらわす」 とある。「蘋」の字は,やはり「うきくさ」の意で, 「『艸+音符頻(ヒン すれすれにくっつく)』。あるいは,萍(ヒョウ みずくさ)の語尾が転じたことばか。」 とある。「果」の字は,象形文字で, 「木の上の丸い実がなったさまを描いたもの。丸い木の実のこと」 である。 参考文献; 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
「くるま」は, 車, と当てるが,「車」の字は,象形文字で, 「車輪を軸どめでとめた二輪を描いたもので,その上に尻(シリ)を据えて乗る,または載せるものの意。もと居(キョ)と同系。キョの音に読むことがあるのは,上古の音が残ったもの」 とある。 中國では,古くから車が登場する。。たとえば,戦車は商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代などで広く用いられた,とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88 には, 「中国では春秋時代までは戦車が主流であったが、都市国家から領域国家の時代に移行する戦国時代ころより歩兵戦が主流となった。趙の武霊王は紀元前307年に胡服騎射を取り入れ、これ以降は騎兵の時代となる。しかしながらそれ以降の前漢代以降も防御力・輸送力の高さから戦車は用いられており、屋根のある戦車や屋根の上に建物が立てられた戦車も用いられている。戦車は歩兵の指揮官用の指揮車としても使われた。『司馬法』では、戦車は密集すると守りが固くなるとされている。また『孫子』には戦車の戦力維持に要する膨大なコストに対する警告が見受けられる。」 しかし,日本では,『岩波古語辞典』の言うように, 「平安時代の仮名文では多く牛車(ぎっしゃ)をさす。」 「牛車」とは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E8%BB%8A に, 「牛車は馬車とともに中国から伝わったと推定されている。牛車は大きく分けて荷車用と乗用の2つの要素があった。牛車は速度が遅い反面、大量の物資を運ぶのに向いていたため荷車として活用されて『石山寺縁起絵巻』や『方丈記』などにも登場する。運ぶ物資や速達性によって牛車と馬車の使い分けがされていたと推定され、中世に入るとそれぞれ車借・馬借と呼ばれる運送業者が成立することになった。 中国では196年に後漢の献帝が長安から洛陽へ脱出する途中、車を破損した献帝が農民の牛車に乗って洛陽に辿り着いたという故事から、貴人が牛に乗るようになったという伝承がある。中国の律令制を取り入れた日本でもこの影響を受けたと言われている。」 とある。 「くるま」の語源は,「くるぶし」の項, http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.html?1523042309 で触れたように,「くるま」の「くる」ま「くるくる」回るという擬態語から来ている。『擬音語・擬態語辞典』には, 「『くるくる』は平安時代から見られる語で,奈良時代には『くるる』と言った。「枢」(くるる)は,「くるぶし」て触れたように, 回転軸となる軸材, の「まわる」機能からきている。『大言海』は, 「クルは,回轉(くるくる)の義,マは,輪と通ずと云ふ(磯間[いそま],磯曲[いそわ]。曲[ま]ぐる,わぐる)。或は,クルクル廻はる意か」 とある。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ku/kuruma.html は, 「『くる』は物が 回転するさまを表す『くるくる』や、目が回る意味の『くるめく(眩く)』などの『くる』で擬態語。 『ま』は『わ(輪)』の転と考えられる。 漢字の『車』は、車輪を軸でとめた二輪車を描い た象形文字である。 単に「車」と言った場合、現在は自動車を指すことが多いが,中古・中世には『牛車(ぎっしゃ)』、明治・大正時代は『人力車』を指すのが一般的であった」 と, 「『くる』+『わ』(輪)」説, を採り,『日本語源広辞典』も, クルクル回る+ワ を採る。それに似たのは, クルワ(転輪)の義(和訓栞), メグルワ(転輪)の略(関秘録・言元梯), 等々,しかし,『大言海』がもう一つ挙げていた, 「クルクル廻はる」説もある。 クルマ(転廻)の義(日本釈名), クレマワル(転廻)の義(名言通), 等々。「廻る輪」を目にしているなら,わざわざ「ワ(輪)」をつける必要はない。文脈依存とは,文字を持たないので,その場その時に発語するもので,抽象レベルで堅固空間を駆使する意ではないのだから。 『日本語の語源』は,「クルクル回る」言葉の系譜を次のように整理している。 「クルクル回るという意味の動詞,クルメク(転く)は,その名詞形のクルメキが語尾を落としてクルメ・クルマ(車)になった。省略形のクマはコマ(独楽)・ゴマ(独楽,車輪)になり,クルメクの原義を温存している」 つまり,「クルクル回る」という意の動詞「くるめく」の名詞化の転訛,と言うのである。これが妥当と思う。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 「ツツジ」は, 躑躅, と当てる。「躑(漢音テキ,呉音ジ[ヂ]ャク)」は,「短いきょりだけ,つっと進む」意で,「躅(漢音チョク[タク],呉音ドク[ダク])」は,「じっと立ち止まる」意で,「躑躅」で, 「二三歩いっては止まる,ためらう」 という意である(『漢字源』)。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/tu/tsutsuji.html は, 「『躑躅』(テキチョク)には『行っては止まる』『躊躇』という意味があり,見る人の足を引きとめる美しさから,この漢字が使われたといわれる。本来は『羊躑躅』で,葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説もある。」 としている。 http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf は,漢名の『躑躅』について, 「『躑』(テキ)は立ち止まる、または佇む意で、躑躅は足踏みをするという意味である。あまりの美しさに立ち止まって花に見とれたからとする説や、木の葉は有毒であるために、ヒツジがこの葉を食べて、足踏みをして苦しんだからという説などがある。しかしネコはこの葉をしばしば食べる。このため本来の漢名は『羊躑躅』であるともいわれ、学名は『Rhododendron』で、 赤い花が咲く木という意味である。」 和語「つつじ」の由来は,『大言海』は, 「羊躑躅(いはつつじ)の略」 とある。上記,漢字の由来を引きずっているということになる。 「本草和名」には, 「羊躑躅,羊誤食躑躅而死,故以名之,和名,以波都都之,又,之呂都都之,一名,毛知都都之」(和名抄), 「字鏡」には, 「茵芉,岡豆豆志,伊波都都自」 が引かれている。なお,「萬葉集」には, 青山を,振りさけみれば,都追慈(つつじ)花,にほえる少女,櫻花,栄える少女も のほか,石乍自(いわつつじ)の用例もあるらしい。 上記の「茵芉」は,『出雲国風土記』(733 年)で, 「大原郡の山野に見られる植物として、『茵芋』(インウ=ツツジのことともマツカゼソウ科の常緑低木であるミヤマシキミともいわれ、葉は薬用になる)と記されている。」 とある(http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf)。 『日本語源広辞典』は, 「ツツ(筒)+ジ(接尾語)」 とし,筒状の花を語源と見なす。『語源由来辞典』『日本語源大辞典』等々を見ると, ツヅキサキギ(続き咲き木)の義(日本語原学=林甕臣), ツヅリシゲル(綴り茂る)の義(名言通), つぼみの形が女性の乳頭に似ているところから,タルチチ(垂乳)の略転,またタクヒ(焚火)の転(滑稽雑誌所引和訓義解), ねばりがあり,手にツキツキ(付付)てジッとつくところから(本朝辞源=宇田甘冥), チョウセンヤマツツジをさす朝鮮語tchyok-tchyok,tchol-tchukの転訛(植物和名語源新考=深津正) 等々がある。しかし, http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf は, 「『万葉集』には 10 首の歌が記載されており、『茵花』『都追茲花』『白管仕』『白管自』『丹管仕』『石管士』などの文字によって表記され、当時は『筒』も『管』も同じ音だったらしい。『茵芋』と『茵花』だけが、ツツジとの音の共通性がなく、また茵という字は『褥』(シトネ)もしくは『敷き物」を意味しており、花がびっしりと咲く様を敷物に例えたのか、あるいは違う植物だったのかもしれない。」 としており,『茵芋』は,今日の「つつじ」に当てはめていいかどうか,多少留保が要る。「ツツジ」を,敷物に喩えるのは,いくらなんでもちょっと違う気がする。 『日本語の語源』は,例によって,音韻変化から, 「花弁がその基部で癒着して筒状をなして咲く合弁の花,たとえばツツジの花の類をツツザキ(筒咲き)といった。ザキ[z(ak)i]が縮約され,ツツジ(躑躅)になった。」 とする。やはり,筒状の花の特徴に与したい。 ところで,ツツジは, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8 によると, 「ツツジ(躑躅)とはツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属(ツツジ属参照)の植物の総称である。…日本ではツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なる。」 としている。区別している,「シャクナゲ」は, 石南花, 石楠花, と当てる。 『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/si/syakunage.html は,「シャクナゲ」の由来を, 「『石南花』と呉音読みした『しゃくなんげ』が転じた名前である。中国では『石南』とか『石楠』という表記で、『石南花』、『石南草』といった呼び方がある。『石南』と書くのは、石の間に生えて、南向きの土地を好むことからである。 但し、語源は漢名からであるが、中国では『石南』は日本のシャクナゲ(石楠花)とは異なる品種で、誤って名づけられたものである。」 としている。その他,「尺にも満たない」とか「癪に効く」という語源説もあるらしいが,俗説とする。『日本語源広辞典』も,「石楠花」説を採る。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「サツキ」は, 皐月, と当てる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%84%E3%82%AD には, 「サツキ(皐月、学名:Rhododendron indicum)はツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5〜6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。」 とある。「皐(皋)」(コウ[カウ])の字は,象形文字で, 「皋は『白+大+十(まとめる)』で,白い光のさす大きな台地を表す。明るい,い,広がるなどの意を含む。皐はその略体。」 とあり, 「さわ(沢)」や「沼」,「五月」を意味する。 https://okjiten.jp/kanji2606.html には, 「『白い頭骨と四本の足の獣の死体』の象形から、『白く輝く』の意味を表し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、水面の白く輝く『沢』、『沼』を意味する『皐』という漢字が成り立ちました。」 とあり,少し解釈が違うが,「沼」の意味は,その由来がわからない。「皐然(こうぜん)」と言う言い方があり,「声を伸ばして大声で叫ぶ」という意味もあり,「皐門(こうもん)」という言い方で,「高い」意味もある,とある。 その「皐」を当てた,「サツキ」は,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/sa/satsuki_ki.html に, 「サツキは、『サツキツツジ』の下略。サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の 頃に咲くツツジということから、月の名『皐月』が転用されたものであるが、月名の『皐月』は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであるところから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。」 とある。「田植え」神事と皐との関わりをうかがわせるのは, https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12150689917.html に, 「田植えをするのは女性の仕事で、忌みごもりをして身を清めた早乙女たちが一列に並んで田に入り、苗代から取り分けた早苗を本田に植え替えていったという。では、なぜ忌みごもりをして身を清めた早乙女が田植えをするかというと、田植えは、実際の農作業であると同時に、田の神の祭りを行う大切な行事だったのです。 早乙女のサも早苗のサも、稲の穂を表していると言われている。 女の物忌みとして、田を植える五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある1日に「山籠り」として行われる。こうして、山から下りる時には、躑躅(ツツジ)の花をかざして来る。山籠りは、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。 皐月の田植え前に、五月処女(サウトメ)を定める為の山籠りをしたのである。この山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭して来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴(シルシ)で、処女が花を摘みに行って、花をかざして来る事は、神聖な資格を得た事であって、此時に『成女戒』が授けられるという。」 とあることである。折口信夫の『花の話』には,同趣のことが載る。 「女の物忌みとして、田を植ゑる五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある一日に『山籠り』として行はれる。さうして、山から下りる時には、躑躅の花をかざして来る。山籠りは、処女が一日山に籠つて、ある資格を得て来るのが本義である。けれども、後には、此が忘れられて、山に行き、野に行きして、一日籠つて来るのは、たゞの山遊び・野遊びになつてしまうた。『山行き』といふ言葉は、山籠りのなごりである。かうして山籠りは、一種の春の行楽になつて了うたが、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。即、皐月の田植ゑ前に、五月処女サウトメを定める為の山籠りをしたのである。 此山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭カザして来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴シルシである。そして此からまた厳重な物忌みの生活が始まるのである。此かざしの花は、家の神棚に供へる事もあり、田に立てる事にもなつた。此が一種の成り物の前兆になるのである。」 陰暦五月,田植えの時期,それを「皐月」というのにも,その時の頭にかざす花(サツキツツジであろう)を,「サツキ」というには,深いつながりがある。 参考文献; http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46314_25549.html 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店)
「サツキ」は, 皐月, と当てる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%84%E3%82%AD には, 「サツキ(皐月、学名:Rhododendron indicum)はツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5〜6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。」 とある。「皐(皋)」(コウ[カウ])の字は,象形文字で, 「皋は『白+大+十(まとめる)』で,白い光のさす大きな台地を表す。明るい,い,広がるなどの意を含む。皐はその略体。」 とあり, 「さわ(沢)」や「沼」,「五月」を意味する。 https://okjiten.jp/kanji2606.html には, 「『白い頭骨と四本の足の獣の死体』の象形から、『白く輝く』の意味を表し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、水面の白く輝く『沢』、『沼』を意味する『皐』という漢字が成り立ちました。」 とあり,少し解釈が違うが,「沼」の意味は,その由来がわからない。「皐然(こうぜん)」と言う言い方があり,「声を伸ばして大声で叫ぶ」という意味もあり,「皐門(こうもん)」という言い方で,「高い」意味もある,とある。 その「皐」を当てた,「サツキ」は,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/sa/satsuki_ki.html に, 「サツキは、『サツキツツジ』の下略。サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の 頃に咲くツツジということから、月の名『皐月』が転用されたものであるが、月名の『皐月』は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであるところから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。」 とある。「田植え」神事と皐との関わりをうかがわせるのは, https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12150689917.html に, 「田植えをするのは女性の仕事で、忌みごもりをして身を清めた早乙女たちが一列に並んで田に入り、苗代から取り分けた早苗を本田に植え替えていったという。では、なぜ忌みごもりをして身を清めた早乙女が田植えをするかというと、田植えは、実際の農作業であると同時に、田の神の祭りを行う大切な行事だったのです。 早乙女のサも早苗のサも、稲の穂を表していると言われている。 女の物忌みとして、田を植える五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある1日に「山籠り」として行われる。こうして、山から下りる時には、躑躅(ツツジ)の花をかざして来る。山籠りは、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。 皐月の田植え前に、五月処女(サウトメ)を定める為の山籠りをしたのである。この山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭して来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴(シルシ)で、処女が花を摘みに行って、花をかざして来る事は、神聖な資格を得た事であって、此時に『成女戒』が授けられるという。」 とあることである。折口信夫の『花の話』には,同趣のことが載る。 「女の物忌みとして、田を植ゑる五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある一日に『山籠り』として行はれる。さうして、山から下りる時には、躑躅の花をかざして来る。山籠りは、処女が一日山に籠つて、ある資格を得て来るのが本義である。けれども、後には、此が忘れられて、山に行き、野に行きして、一日籠つて来るのは、たゞの山遊び・野遊びになつてしまうた。『山行き』といふ言葉は、山籠りのなごりである。かうして山籠りは、一種の春の行楽になつて了うたが、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。即、皐月の田植ゑ前に、五月処女サウトメを定める為の山籠りをしたのである。 此山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭カザして来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴シルシである。そして此からまた厳重な物忌みの生活が始まるのである。此かざしの花は、家の神棚に供へる事もあり、田に立てる事にもなつた。此が一種の成り物の前兆になるのである。」 陰暦五月,田植えの時期,それを「皐月」というのにも,その時の頭にかざす花(サツキツツジであろう)を,「サツキ」というには,深いつながりがある。 参考文献; http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46314_25549.html 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店)
「つゆ」は,『広辞苑』は, 「つかのま」は, 束の間, と当てるが, つかのあいだ, とも言うらしい。 ちょっとの間, ごく短い時間, の意味で言うが,『広辞苑』には, 一束ほどの短い間の意, とあるが,他の辞書(『デジタル大辞泉』『大辞林』)には, 一束(ひとつか)、すなわち指4本の幅の意から, 指四本で握るほどの長さの意, とあるので,「一束」とは,空間的な意味である。それを時間的に転用したのだと分かる。「束」は,「握ったときの四本の指程の長さ」という意味の他に, 束ねた数の単位, 短い垂直の材,束柱, (製本用語)紙を束ねたものの厚み,転じて書物の厚み, といった意味がある。そもそも「束」は, 「『木+たばねるひも』で,たきぎを集めて,その真ん中にひもをまるく回して束ねることを意味する。ちぢめてしめること」 とある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9F には,「束(そく、たば、つか)」について, (そく、たば)ひとまとめにすること。花束(ブーケ)など。 (つか)建築用語で、梁と棟木との間に立てる短い柱。束柱の略。 (つか)製本用語で、本の厚みのこと。 (そく)古代日本で用いられた稲の単位。→束 (単位)。 (そく)束 (数学): 日本語で束と訳される数学上の概念は複数ある, 等々とあり,「束」は別の意味をいろいろ持たせられている。また, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9F_(%E5%8D%98%E4%BD%8D) に,束と呼ばれる単位にも, 束(そく/つか)→穎稲の収穫量を量る容積単位, 束(そく/たば)→同一物をまとめた計数単位, 束(そく/つか)→矢などの長さを表す長さ単位, 等々がある。ここで,「束の間」で使われたのは,原始的な測定の単位, 握った指四本の長さ, である。握るほどの長さの意である。「尺」が,「人の手幅の長さ」としたのと,類似である。『岩波古語辞典』には, 束, 柄, と当て, ツカミと同根, とある。「束」が握った手なら,「つか(摑)み」と同じであるのは当然と思えるし,「柄(つか)」とつながるのも自然である。で, 「一握り四本の幅。約二寸五分」 と『岩波古語辞典』にはある。『大言海』は, 柄, 握, を別項を立てている。「握」の字を当てているのが「束」に当てたもので, 「四指を合わせて握りたる長さの名」 とある。語源は,これで尽きているようだが,『日本語源大辞典』には, 一握・一束(ひとつかね)ほどの間の意(万葉集類林・類聚名物考・雅言考・和訓栞・大言海), ツカはトキ(時)に通じるか(名語記・和訓栞・), ツカム(捉)の義(名言通), ツク(着)の義(言元梯), ハツカノマの略か(雅言考), とある。確かに,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/tu/tsukanoma.html のいう, 「つかの間の『つか』は『束』と書き、上代の長さの単位。一束が指四本分の幅、つまり一 握り分ほどの短い幅のことである。 幅の長さから時間の長さにたとえられ、『束の間』と用いられるようになった。」 とするのでいいと思うが,「つか」と「つかむ」の関係は逆かもしれない。「つかむ」の語源は, 束の活用化(俚言集覧), ツカム(束)の義(言元梯), ツカヌ(束)と同根(小学館古語大辞典), ツメカム(爪噛)の義か(和句解・和訓栞・大言海), ツメカガム(爪屈)の義(名言通), ツメでシガラムの意(和句解), 等々とあるが,「つかむ」が先にあって,つかんだ指を単位にしたのが「束」かもしれないのである。『日本語源広辞典』が, 「手でツカムほどの長さ+時間」 としているのは,意外と正しいのかもしれないのである。「つかむ」という動作を言語化するのと,その握った指の幅を単位とするには,径庭がある。「つかむ」は動作をそのまま言語化したものだか,それを単位とするには,一定のメタ化,つまり抽象化がいる。その意味で, 束の動詞化, は,逆に思える。 なお,『笑える国語辞典』 https://www.waraerujd.com/blank-91 は, 「『束』は古代の長さの単位で、指の直径4本分の長さ(つまり拳を握ったときの幅である)。『古事記』で、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した『十束の剣(とつかのつるぎ)』は、指の幅40本分の長さの剣(と言われても長いのか短いのかよくわからないが、要するに『長剣』という意味らしい)ということ。」 とある。 ツカム→ツカ, と考えるのが妥当のようである。 参考文献; 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 「スイカ」に,『広辞苑』は, 西瓜, 水瓜, を当てる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB によると,「スイカ」は, 「原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯。日本に伝わった時期は定かでないが、室町時代以降とされる。西瓜の漢字は中国語の西瓜(北京語:シーグァ xīguā)に由来する。日本語のスイカは『西瓜』の唐音である。中国の西方(中央アジア)から伝来した瓜とされるためこの名称が付いた。」 とある。『広辞苑』も, 「スイは『西』の唐音」 とある。『日本語源広辞典』も, 「中国語で,『西域から伝わった瓜』が語源です。約四千年前エジプトで栽培,三世紀に中国に入り,日本には十六世紀に伝来したと伝えられます。」 とある。『たべもの語源辞典』には, 「『守貞漫稿』には,スイカは初め新羅から琉球に伝わり,薩摩に伝わった。日本に初めて植えたの寛永四年(1627)である,と書かれた。禅僧義堂(1325‐88)が『西瓜』という名称をその詩に使っているので,足利義満のころにスイカが渡って,その後絶えたのであろうともいわれた。京都にスイカがひろまったのは寛文から延宝(1661−81)のころで,江戸(東京)にひろまったのは万治(1658−61)以後と書かれている。…林立路『立路随筆』は,『西瓜は寛永年中(1624−44),西洋国より始めて渡る。薩摩に植えたので,さつま種を上品とす』とある。江戸に来たのが慶安の頃で,由比正雪の乱の翌年(1652),とある。ところが,飛喜百翁が千利休を招待したとき,スイカに砂糖をかけて出した。利休は,砂糖のかかっていないところを食べて帰って,門人に百翁は人を饗応することを知らない。スイカに砂糖をかけて出したが,スイカにはスイカのうまみがあることを知らないのだと笑った,という話がある(柳沢里恭『雲萍雑誌』)。千利休がスイカを食べていたとなると,秀吉時代にスイカが日本にあったことになる。スイカは,熱帯アフリカを原産とする。四千年以前にエジプトで栽培されていたことが壁画で明らかにされているといわれ,ギリシャ・ローマには一世紀の初め,ヨーロッパには一六世紀,一五九五年にイギリスに渡来,アメリカへはアメリカ大陸発見後,中国には十一世紀ころに,西戎回紇(せいじゅうかいこつ ウイグル)から伝来したと言われ,西方から伝わったことから『西瓜(シイグァ)』とよばれ,それが日本に伝わったてサイカとよばれたのがスイカと変化した。中国から日本に渡来したのは天正七年(1579)といわれる。」 とある。 中国語「西瓜(シイグァ)」→(西瓜の訓)サイカ →スイカ, と転訛したということになる。「水瓜」と当てるについては, http://gogen-allguide.com/su/suika.html が, 「日本では『水瓜』とも表記されるが、当て字で、その由来は『スイカ』の音からや、英語 でも『watermelon(ウォーターメロン)』と称されるように、水分を多く含むためであろう。」 としているように,「スイカ」と転訛した後,当てたものと見られる。 因みに,「瓜」の字は,象形文字で, 「つるの間にまるいうりがなっている姿を描いたもので,まるくてくぼんでいる意を含む」 とある。 和語「うり」は,『岩波古語辞典』は, 「朝鮮語ori と同源」 としているが,『大言海』は, 「潤(うる)に通ず(あるく,ありく)。實に光澤あり」 とし,『日本語源広辞典』も, 「ウルオウ(潤)の変化」 と,水分の多さから来ているとしている。「スイカ」を「西から来た」「瓜」とした所以である。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「瓜二つ」は, 縦に二つに割った瓜のように,親子・兄弟などの顔かたちがよく似ていることのたとえ, という意味だが,『広辞苑』には, 「瓜を二つに割った形がそっくりなところから,兄弟などの容貌が甚だよく似ていることにいう」 とある。この場合,「瓜」とはどの瓜を指すのであろうか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%83%AA には, 「古くから日本で食用にされ、古くは『うり』と言えばマクワウリを指すものだった。 他、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれる。」 とある。さらに, 「種としてのメロン (Cucumis melo) は北アフリカや中近東地方の原産であり、紀元前2000年頃に栽培が始まった。そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶ。マクワウリもその一つである。」 とある。この「メロン」は, 「インドから北アフリカにかけてを原産地とし、この地方で果実を食用にする果菜類として栽培化され、かなり早くにユーラシア大陸全域に伝播した。日本列島にも貝塚から種子が発掘されていることや、瀬戸内海の島嶼などに人里近くで苦味の強い小さな果実をつける野生化した『雑草メロン』が生育していることから、既に縄文時代に伝わり、栽培されていたと考えられている。日本では古来『ウリ(フリとも)』の名で親しまれてきた。また、中国では『瓜』の漢字があてられた。」 とある。近代以降、ヨーロッパや西アジアの品種群が伝えられると、生物の種としては同じなのだが, 「日本の在来品種より芳香や甘みが強いことが注目されて西欧諸語起源のメロンの名で呼ばれるようになった」 が,日本では, 「生で甘みや清涼感を味わうマクワウリなどの品種群の他に、キュウリ(Cucumis sativus)やシロウリのように熟しても甘みに乏しく、野菜として食べたり、未熟なうちに漬物にする品種群も発達した。」 とか。さて,「瓜二つ」は,『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/u/urifutatsu.html に, 「瓜を二つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、よく似ているさまのたとえとなっ た。 瓜以外の果実でも断面は似ており、瓜が選ばれた理由は不明であるが、古くから 美人の一つとされる形容に『瓜実顔』があり、そのような良い意味でたとえられる果実であれば、すんなり受け入れられる。 それが『カボチャ二つ』などと言ってしまえば、不細工な二人を表しているとも受け止められる。 余分な印象を与えず、似ていることを表現するのであれば、悪い意味を含まない『瓜二つ』が適している。『瓜二つ』の形が見られるようになるのは、近世に入ってからで、1645年刊の『毛吹草』には、『売りを二つに割りたる如し』とあり、江戸時代の人形浄瑠璃時代物の『源頼家源実朝鎌倉三代記』には,『見れば見るほど瓜を二つ』という形で見られる。」 とあるので尽きる。「瓜」の字は,「スイカ」の項, http://ppnetwork.seesaa.net/article/458821689.html?1523818263 で触れたように, 象形文字で, 「つるの間にまるいうりがなっている姿を描いたもので,まるくてくぼんでいる意を含む」 とある。 和語「うり」は,『岩波古語辞典』は, 「朝鮮語ori と同源」 としているが,『大言海』は, 「潤(うる)に通ず(あるく,ありく)。實に光澤あり」 とし,『日本語源広辞典』も, 「ウルオウ(潤)の変化」 と,水分の多さから来ているとしている。しかし,『日本語源大辞典』は,その他, ウルミ(熟実)の意か(東雅), 口の渇きをウルホスより生じた語か(名言通・和訓栞), ウム(熟)ランの反(名語記), ウツクシの約転(滑稽雑誌所引和訓義解), ウカリウカリと幾つもなるので,ウカリと名づけたものの中略か(本朝辞源=宇田甘冥), ヘウリ(匏)の略(言元梯), 朝鮮語oi-ori(瓜)と同源(世界言語概説=河野六郎・万葉集=日本古典文学大系), とあるが,そのみずみずしさの体感覚から来た,と見たい。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
「あか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8B)で
触れたように,
「トンボ」は, 蜻蛉, 蜻蜓, と当てる(『広辞苑』)。「蜻蛉」は, かげろう, とも訓ませる。 トンボの古名, である。さらに,「蜻蛉」を, あきづ(つ), と訓ませる。「トンボ」の意味である。これも「トンボ」の古名である。『大言海』は,「ツは,濁音なるべし」としているが,「新撰字鏡」は,「阿支豆」と当て,akidu,と濁ったようである。『日本語源大辞典』は, 「字音かな表記から,上代ではアキヅであったと推測されるが,後に清音になりアキツとなった」 とある。「あきつ」の由来は,『大言海』は, 「秋之蟲の下略(仲之子[ナカツコ],仲子[ナカテ]。河之蛙[カハヅカエル],河蝦[カハヅ])。蜻蛉洲(アキツシマ)を,秋津島と記すも是なり。大同類聚方…『阿支豆牟之』(アキヅムシ)」,名義抄『蜻蛉,アキムシ』,藻鹽草…蜻蛉『秋つむし,かげろふ』…」 としている。これを見ると,どうも,「トンボ」をトンボとして認知していたというより,「あきつむし」つまり,秋の虫としか認識していなかった嫌いかある。あるいは,赤とんぼ,を指していたのかもしれない。「アキツムシ」とは,「秋の虫の下略」(『大言海』『東雅』『物類称呼』『和訓集説』)だが,「ツ」は,「集まり群がる意がある」(草鹽漫筆)とか「アキツドヒムシ」(名言通)とかと見ると(よけいに赤とんぼのようにも思えるが),どうやら, あきづ, は,必ずしも「トンボ」に特定していたとは限らないのかもしれない。『日本語源大辞典』は, 「上代は『蜻蛉』の文字に『あきづ』の訓が付けられていたが,平安時代以降,同じ『蜻蛉』に「かげろふ」の訓が付いた」 とする。どうやら,この辺りで,「秋の虫」から「トンボ」が分化し,「かげろう」も分化した,ということなのかもしれない。 「かげろう」は, 蜉蝣, とも当てる。「蜻蛉(セイレイ)」は,中国語では「とんぼ」。「かげろう」に当てるのはわが国だけである。本来は,「ゆらゆら飛ぶ昆虫」を指し,「かげろう」に絞られたようである。ただ,『岩波古語辞典』には,「陽炎(かげろふ)」の項で, 「別に,朝生まれて夕方死ぬとされていたヒヲムシ(蜉蝣)を当てる説もあるが,カゲロフとヒヲムシとは平安文学の中で区別して使われている。」 とあるので,「トンボ」の古名はともかく,「カゲロウ」については,別途考える必要がある。 先に漢字に当たっておくと,「蜻」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は, 「虫+音符(セイ きよらか,すずしい,すみきった)」 で,「蛉」(漢音レイ,呉音リョウ)の字は, 「虫+音符令(細くて清らか)」 で,「蜻蛉(セイレイ)」は,スッキリした形をしたトンボを指す。 「蜓」(エン)の字は, 「虫+音符延(エン のびる)」 で,龍や蛇などがうねうねと長いさまを意味する。 「蜉」(漢音フ,呉音ブ)の字は, 「虫+音符孚(フ うかぶ)」 で,空中に浮遊する虫。「蝣」(漢音ユウ,呉音ユ)と組んで,「蜉蝣」で,「カゲロウ」を指す。 さて「トンボ」の語源であるが,「蜻蛉返り」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E8%9C%BB%E8%9B%89%E8%BF%94%E3%82%8A) や,尻切れ蜻蛉(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E5%B0%BB%E5%88%87%E3%82%8C%E8%9C%BB%E8%9B%89) で「トンボ」を意識した上での言い回しなので,かなり古く遡れそうな気がする。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445607834 によれば, 「とんぼう、という言葉が最初に現れるのは、『梁塵秘抄』「いよいよ”とうほう”よかたしをまいらん…」とされています。」 「同時代の『袖中抄』にも、『あきつはとはとばうと云う虫のうすき羽と云う也』とあります。」 とあるので,平安末期と見ていい。『日本語源大辞典』には, 「古くはトンバウという形であり,それがトンボウを経てトンボになったのは,近世初期頃のようである。」 とある。 トンバウ→トンボウ→トンボ, という転訛である。『岩波古語辞典』は,「とんぼう」の項で,『古今序注』を引いて, 「此の国の形とんぼうに似たり。故に此の虫の形になぞらへて,蜻蛉国と云へり。あづまの方より出で来る故に,東方と云ふ也」 としている。「東方」の転訛というのは,いささか首を傾げる。しかし,結構大真面目に, 蜻蛉は一名アキツといわれ,秋津島つまり日本は唐の東方にあるところから東方の義(南留別志・類聚名物考), 秋津島の地形が,蜻蛉が東に向いたさまに似るところから東方の訛(滑稽雑誌所引和訓義解), と,諸説ある。しかし,これは採れない。地形を俯瞰するだけでなく,唐からそれを見るなどと,そんな抽象度の高い名づけをするとは到底思えない。古形が,「とんばう」ならなおさらだ。『大言海』は, 「飛羽(とびは)の音便延(縫物,ぬんもの。追物射[おひものい],おんものい。布衣,ほうい。牡丹,ぼうたんと同趣)。今トンボと云ふは,却って本語に近きなり。昔蜻蜓をヱバと云ひき(これがヱンバとなり,ヤンマとなる)。」 とある。更に「アカヱンバ(赤蜻蛉)」の項には,こうある。 「東雅(享保)廿,蜻蛉『萬葉集抄(仙覚)に,アキツと云ふは,東詞には,ヱンバと云ふなり,と見えたり。赤卒,アカヱンバは,東國の方言に,今も,ヱンバと云ひ,童部のヤンマと云ふは,轉ぜしなり。ヱンバは即ち,ヱバなり。ヤヘバ(八重羽)と云ふが如し。世の常の蟲の羽は,多くは二つあるを,此蟲の羽,四つあれば重なれると云ふなり』。赤トンボの古名。黄トンボの古名をキヱンバと云ふ。」 別名「やんま」は,別途触れるとして,これは,別系統から来ていることがわかる。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/to/tonbo.html は, 「トンボの最も古い呼称は,奈良時代の『アキヅ(秋津)』で,その後『セイレイ・カゲロフ(蜻蛉)』、『ヱンバ(恵無波)』の語が現れる。 古くは『トンバウ』の語形で,平安時代には『トウバウ』『トバウ』などが見え,江戸時代から『トンボ』と呼ばれている。」 としているので, トンバウ→トウバウ→トンボウ→トンボ, とは別系統で, ヱバ→ヱンバ→ヤンマ, となったとみていい。今日,トンボ科とヤンマ科は,別に分類されているので,ある意味別系統に分岐したのには意味がある。 そこで,「とんぼ」に戻すと,『日本語源広辞典』は,「飛羽」説以外に, 「飛ん坊」 という説を挙げる。飛びまわる虫という意味である。その他, ヤヘバ(八重羽)の転ヤウンバの訛。羽が四枚あり,重なっているところから(嗚呼牟草・俗語考), アトネブリトビ(尻舐飛)の義(日本語原学=林甕臣), トンボ(飛炎)の義(言元梯), い空中から飛び降りる様子を形容したツブリ・トブリの転(少年と国語=柳田國男), 等々ある。『語源由来辞典』は, http://gogen-allguide.com/to/tonbo.html 「『トン』が『飛ぶ』,『バウ』が『棒』の意味で,『飛ぶ棒』が変化したという説が多く,この虫の印象から正しいように思えるが,『バウ(棒)』は漢語,『飛ぶ』が和語で,漢語と和語が結び付けられることは時代別国語大辞典的に早すぎるために考え難い。『トン』は『飛ぶ』の意味であろうが,『バウ』は…和語である『ハ(羽)』の変形であると考える方が妥当であろう。」 と,「飛羽」説を採る。 しかし, http://www.tombow.pippo.jp/hojo/index.html で北條忠雄氏は, 「秋田県では蜻蛉をアゲズ・アゲズコという地域もあるが、これは古語のアキツが多少訛って今に残ったのである。その外の地域では)ダンブリ・ダンブ・ジャンブ・ザンブ・ドンブ・ドブ・ドブリンコなどいい、これに類した呼称は東北の各地にも見えている。他、山形・会津などではドンバというらしい。これらの呼称は決して新しい発生ではなく、文献にトンバウの見える平安末期或はそれ以前にあらわれたものであって、トンバウが伝播していく間に転々と訛っていったものとは考えにくい。蜻蛉の語原は正しくこのあたりから考えられそうである。岩手県ではヤチ(湿地・本来アイヌ語)にいる蜻蛉をヤチコといい、秋田の平鹿郡ではヤンマのことをノンマというが、それはノマ(沼)のあたりを飛翔するところから来ている。岩手でヤンマをヌマダンブリというのも同じである。これらは蜻蛉の発生し飛翔し或は更に産卵する場所から来た命名で、いわば棲息地域から名づけたものといえる。ところで、ダンブリ・ダブ・タンボ・ドバ・ドンブ・ドンボというような語が、全国でどんな意味に用いられているかというと、それは悉く湿地・淵・泉・淀・沼・池・水たまりなどの意味に用いている。大阪ではボウフラ(蚊の幼虫)をドンブリというところがあるらしいが、これはドブに棲息するからであろう。こう考えて来ると、蜻蛉をダンブリ・ダブ・ドンブ・ドンバなどいうのは、大阪のボウフラと同じく、それが泉・淵・溝・湿地等に発生し飛翔し産卵するから名づけられたことが明らかである。即ちこれも棲息地域による命名である。」 と,ヤンマが, ノマ(沼)→ノンマ→ヤンマ, であり,「トンボ」は, ドンバ(ドンボ・ドンブ)→ドンボウ→トンボ, と,その生息地を指していたとする説を採られている。僕はこの説に惹かれる。日常「トンボ」を見ているのは,下々の民であり,彼らこそが名づけるはずだからである。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「ヤンマ」は,トンボの異称である。 『大言海』は,「ヤンマ」で, 「古名,ヱンバの轉」 とするが,「トンボ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C)の項 で触れたように,「とんぼ」の項で, 「飛羽(とびは)の音便延(縫物,ぬんもの。追物射[おひものい],おんものい。布衣,ほうい。牡丹,ぼうたんと同趣)。今トンボと云ふは,却って本語に近きなり。昔蜻蜓をヱバと云ひキ(これがヱンバとなり,ヤンマとなる)。」 とし,さらに,「アカヱンバ(赤蜻蛉)」の項で, 「東雅(享保)廿,蜻蛉『萬葉集抄(仙覚)に,アキツと云ふは,東詞には,ヱンバと云ふなり,と見えたり。赤卒,アカヱンバは,東國の方言に,今も,ヱンバと云ひ,童部のヤンマと云ふは,轉ぜしなり。ヱンバは即ち,ヱバなり。ヤヘバ(八重羽)と云ふが如し。世の常の蟲の羽は,多くは二つあるを,此蟲の羽,四つあれば重なれると云ふなり』。赤トンボの古名。黄トンボの古名をキヱンバと云ふ。」 と, ヱバ→ヱンバ→ヤンマ, と転訛したとするのである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%9E で, 「ヤンマ(蜻蜓)はトンボ目 不均翅亜目 ヤンマ科(Aeshnidae)の昆虫の総称を指す。大概はヤンマといえばオニヤンマ科の昆虫も含む。広義にはエゾトンボ科やサナエトンボ科などの昆虫も含む。」 とし, 「ヤンマ科の昆虫はアオヤンマなどを除いて胸に接した腹節が胸の方向にくびれており、その他は節によって太さに差がないのが特徴である。地色は未熟なものでは黄色のものが多く、成熟したものは種によってさまざまな色に変化する。また、ほぼ全ての種において腹部に明色の紋がある。トンボ科の昆虫などより相対的に長い腹部を持ち、頭部はトンボ科の昆虫に似ておおむね球形である。」 「トンボ」は, 「大型のヤンマ科と比べて小さく、全長6 cm以下の小型から中型のトンボ。体色は金属光沢の単純な色調、黄色、赤色、青色など変異に富む。…。シオカラトンボやハラビロトンボのように羽化した時のオスがメスと同色で、成熟するとオスの体色が大きく変わるものが多い。」 と。やはり,大きさて,「ヤンマ」と「トンボ」を区別していたのであろうか。 『日本語源大辞典』は, 羽が四枚あるところから言ったヤヘバ(八重羽・弥重羽)の訛り(俗語考・上方語源辞典=前田勇), 古名ヱンバの転(万葉代匠記・物類称呼・箋注和名抄・言元梯・天野政徳随筆・比古婆衣・俚言集覧(増補)・大言海), ヤマヱンバ(山蜻蛉)の義(日本語原学=林甕臣), を挙げる。『日本語源広辞典』は, 「古語,八重羽」 を採る。その他, 羽の美しい意で「笑羽(ヱバ)」からとする説, もあるようだが,どうも語呂合わせでは実態がつかめない気がする。「トンボ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C) でも触れたが, http://www.tombow.pippo.jp/hojo/index.html での北條忠雄氏の説, 「秋田県では蜻蛉をアゲズ・アゲズコという地域もあるが、これは古語のアキツが多少訛って今に残ったのである。その外の地域では)ダンブリ・ダンブ・ジャンブ・ザンブ・ドンブ・ドブ・ドブリンコなどいい、これに類した呼称は東北の各地にも見えている。他、山形・会津などではドンバというらしい。これらの呼称は決して新しい発生ではなく、文献にトンバウの見える平安末期或はそれ以前にあらわれたものであって、トンバウが伝播していく間に転々と訛っていったものとは考えにくい。蜻蛉の語原は正しくこのあたりから考えられそうである。岩手県ではヤチ(湿地・本来アイヌ語)にいる蜻蛉をヤチコといい、秋田の平鹿郡ではヤンマのことをノンマというが、それはノマ(沼)のあたりを飛翔するところから来ている。岩手でヤンマをヌマダンブリというのも同じである。これらは蜻蛉の発生し飛翔し或は更に産卵する場所から来た命名で、いわば棲息地域から名づけたものといえる。ところで、ダンブリ・ダブ・タンボ・ドバ・ドンブ・ドンボというような語が、全国でどんな意味に用いられているかというと、それは悉く湿地・淵・泉・淀・沼・池・水たまりなどの意味に用いている。大阪ではボウフラ(蚊の幼虫)をドンブリというところがあるらしいが、これはドブに棲息するからであろう。こう考えて来ると、蜻蛉をダンブリ・ダブ・ドンブ・ドンバなどいうのは、大阪のボウフラと同じく、それが泉・淵・溝・湿地等に発生し飛翔し産卵するから名づけられたことが明らかである。即ちこれも棲息地域による命名である。」 と,「トンボ」は, ドンバ(ドンボ・ドンブ)→ドンボウ→トンボ, であり,ヤンマが, ノマ(沼)→ノンマ→ヤンマ, と,その生息地を指していたとする説に,ここでも与したい。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 蜻蛉は, トンボ, とも訓ませるが, かげろう, とも訓ませる。「カゲロウ」は,また, 蜉蝣, とも当てる。 「とんぼ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C)の項 で触れたが,「蜻」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は, 「虫+音符(セイ きよらか,すずしい,すみきった)」 で,「蛉」(漢音レイ,呉音リョウ)の字は, 「虫+音符令(細くて清らか)」 で,「蜻蛉(セイレイ)」は,スッキリした形をしたトンボを指す。 「蜉」(漢音フ,呉音ブ)の字は, 「虫+音符孚(フ うかぶ)」 で,空中に浮遊する虫。「蝣」(漢音ユウ,呉音ユ)と組んで,「蜉蝣」で,「カゲロウ」を指す。 『広辞苑』には, 「飛ぶさまが陽炎(かげろう)のひらめくように見えるから」 と,「陽炎」との繋がりを示唆している。ただ,ややこしいのは,「カゲロウ」は, トンボの古名, でもあり,それで,「蜻蛉」の字を当てている,と見られる。「蜻蛉」と当てた「かげろふ」について,『大言海』は, 「カギロウの轉」 とし,「とんばうの古語」とする。「かぎろふ」(陽炎)の項では, 「カギロヒの轉」 とし, 「春の長閑なる日に,空中にチラチラと立上りて見ゆる気。イトユフ」 とある。「いとゆう(糸遊)」とは,「かげろう(陽炎)」の意味である。 「『遊子(ゆうし)』からか」 と,『広辞苑』にはある。『大言海』には,「いとゆふ」(陽炎)は「あそぶいと」(遊絲)と訓ませ, 「漢語の遊絲(ゆうし)の文字読みなり」 と,「陽炎の異称」とする。「かぎろひ」は,『大言海』は, 火光, と当て(『広辞苑』は「陽炎」とも当て,『ちらちら光るもの』の意とする), 「爀霧(かがきらひ)の約轉ならむ(軋合ひ,きしろひ)。此語は,カゲロフと云ふ動詞の名詞形なるか。カゲロフと云ふ動詞あり,此轉なるべし」 とする。「かぎろひ」は,『岩波古語辞典』には, 「カガヨヒ・カグツチと同根。揺れて光る意。ヒは火」 とあり,「かがよひ」は, 「《カギロヒと同根》静止したものが,きらきらと光って揺れる」 意であり,「かぐつち」は, 「《カグはカガヨヒのカガと同根光のちらちらする意。ツは連体助詞。チは精霊》火の神。」 とあり,「かぎろひ」「かがよひ」は, 炎, 立ちのぼる水蒸気に光が当たり,光が複雑に屈折して揺らめいて見えるもの,陽炎, あけぼのの光, と,どちらから光のちらちらする物を広く意味している。「輝く」は,かつて「かかやく」と清音で,この語とは起源的に別(『岩波古語辞典』)とされ,「かがやく」と「かげろひ」とは区別されていたらしい。 かぎろひ・かがよい→かげろひ→かげろふ, と転訛する中で, 光りがほのめく, ぼんやりと姿が動く, 光りがかげになる, と,ちらちらとする意が鮮明に分化されていくように見える。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ka/kagerou.html は, 「『万葉集』の「今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなり にしものを」の例があるように、かげろうを古くは「かぎろひ」と言った。 同じ『万葉集』の 柿本人麻呂の歌には、『東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ』とあり、ここでは明け方の東の空にさしはじめる光(太陽)』を意味している。『かきろひ』の『すかぎ』は、『きらきら光って揺れる』『ちらつく』を意味する『かがよう』の『かが』と同源で、『かげ(影)』や『仄かに光を出す』意味の『かぎる』も同源と考えられている。『かぎろひ』の『ひ』は『火』で,かげろうは揺れて光る炎に見立てた語と考えられる。」 と,陽炎の分化を説いている。 ところで,『岩波古語辞典』は,「かげろふ」の項で, 「カギロヒの転。ちらちらと光るものの意が原義。あるかなきかの,はかないものの比喩に多く使う」 とし, ちらちらと立つ光,陽炎, 《羽根がキラキラと光るところから》とんぼの一種, としている。ここで,いわゆる「カゲロウ」のイメージと重ねたくなるが,『岩波古語辞典』はこう指摘している。 「別に,朝生まれて夕方死ぬ虫とされていたヒヲムシ(蜉蝣)を当てる説もあるが,カゲロフとヒヲムシとは平安文学の中でくべつして使われている。また,蜘蛛のはく糸のかたまってただよう『いとゆう』とする説もあるが,それを平安時代カゲロフと呼んだ例はないようである。」 と。蜻蛉,蜉蝣と同じ字を当てているので,トンボを指しているのか,カゲロウを指しているのか,じつは区別がつかない。「カゲロウ」の語源にも,その混乱がある。 『大言海』は,「かぎろひ」について, 蜻蛉, と当て,「かぎろひ」(火光)の, 「曙光(かぎろひ)の轉(鵠[くくい]を,コヒともコフとも云ふ)」 として, 「此蟲,常に日影を求めて。陽炎(カギロヒ)の如くとびひらめけば,カギロヒ蟲と云ひけむ。故に萬葉集に,陽炎に蜻火の字を当てたるあり。此語転じて,カゲロフとなりしと思ふ」 とし,意味は, アキツ, トンバウ, とする。つまり,意味の説明は「カゲロウ」だが,意味は,トンボとなっている。因みに萬葉集にあるのは, 香切火, 蜻火, で,陽炎を指す。ところが,「かげろふ」は, 蜉蝣, 白露蟲, と当てて, 「命のはかなきを,陽炎の忽ち消ゆるが如きに譬えて云へる名なるべし」 として, ヒヲムシ, イサゴムシの羽化, あさがお(カゲロウの古名), と,完全に「かぎろひ→かげろふ」と,「陽炎」とダブらせて,「カゲロウ」の意味になっている。 どうやら,陽炎が分化し,イメージが明確になるにつれて,「ヒラムシ」類に,その儚いイメージを重ねていったらしく,「カゲロウ」の語源は,陽炎に重なっていく。もともとは, 飛ぶさまが陽炎のようにひらめくところから, であっのだから,「蜻蛉」は,トンボ一般を指したに違いない。しかし, かぎろひ→かげろふ, と,光のキラキラする意から,微妙なたゆたいを見せるひかりの揺れ動くさま,に分化していくことで,そのもつイメージから,トンボ一般(カゲロウはトンボの古名でもある)から,カゲロウ(蜉蝣)へと焦点が絞られたように見える。『日本語源広辞典』の説が,なかなか象徴的である。 「翔ケロフと陽炎の混淆」 ゆらゆら飛ぶ幻影のような蜻蛉。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 「は」に当てるには, 羽, 歯, 刃, 葉, 等々がある。「は(羽)」については,「はね」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%AF%E3%81%AD)の項 で触れたが,『大言海』は, 「平(ヒラ)の約」 としていた。『日本語源大辞典』によると, 羽, 歯, 葉, は, 「ヒラ(平)の約」 とされ, 刃, は, 「ハ(歯)」 とつながる。異説もあるが,『大言海』も,「刃」は「歯の義」としており,直感と合うのではあるまいか。さらに,『大言海』は,「歯」は, 「平の約,端の義」 とする。「端」も「は」である。「は(端)」は, 邊(へ)に通ず, とする。「へ(邊・辺)」は, 端方(はしへ)の意, とするとする。『岩波古語辞典』は,「へ」に, 端, 辺, 方, を当て, 「最も古くは『おき(沖)』に対して,身近な海辺の意。亦,奥深いところに対して,端(はし)・境界となるところる,或るものの付近。また,イヅヘ(何方)・ユクヘ(行方)なと行く先・方向・方面の意に使われ,移行の動作を示す動詞と共に用いられて助詞『へ』へと発展した」 とあるので,「はし(端)」の位置が遠くへ延長されていった,と見ることができる。当然,他の「は」からは遠ざかる。 ついでに,「ひら」は, 薄くて平ら, という意味だが,擬態語「ひらひら」とつながるのではないか,と思う。 それぞれの語源説を拾っておくと,まず「羽」の語源説は, ヒラ(平)の約(名語記・大言海・国語の語根とその分類=大島正健), ヒラケ(平気)の下略(日本語原学=林甕臣), ハル(張)の義(名言通), ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子), ハ(葉)の義(言元梯), フワフワしているところから(国語溯原=大矢徹), と『日本語源大辞典』。『日本語源広辞典』は, 「ハ(動物の薄く平らなもの)です。ヒラヒラしたもの。『ヒラ』の変化」 とする。 次に,「葉」の語源説は,『日本語源大辞典』は, 薄くてたいらであるところから,ヒラ(平)の反(名語記・日本釈名・国語本義・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・大言海), 落ちて再び生ずるところから,ハ(歯)にたとえたもの(九桂草堂随筆), ヒラヒラしているところから,ヒラの義(名言通・日本語原学=林甕臣), ハラハラしているところから(日本語源=賀茂百樹), と並べ,『日本語源広辞典』は, 「『ハ(植物の薄く平らなもの)』です。見た感じの「ヒラヒラ」もしくは『ハラハラ』が語源に関わっているわうです。」 とする。『語源由来辞典』, http://gogen-allguide.com/ha/ha_syokubutsu.html は, 「一音の語の語源を特定することは難しいが、枝や茎から出る『葉』と歯茎から出る『歯』は類似しており、関係があると思われる。 ただし、語源が『歯』という訳ではなく、『歯』と同源であろう。『は』の音には『生じるもの』の意味があり,『はゆ(生)』の『は』ではないだろうか。」 と,「はゆ(生)」説を挙げる。 「は(歯)」の語源説は, ヒラ(平)の義(名語記・国語本義・名言通・大言海), ハ(葉)の義。抜け落ちる様子が,秋の落葉に似るところからか(和句解・玄同放言・言葉の根しらべの=鈴木潔子), ハ(端)の義(国語の語根とその分類=大島正健・日本語原学=林甕臣), ハ(刃)の義(言元梯), ハサムの略。食物を上下ではさむところから(日本釈名), ハム(喰)の義(日本語原学=林甕臣), と列記する。『日本語源広辞典』は, 「『口にくわえるものが,ハ』です。ハ(喰)む,口にハさむの『ハ』です」 とし,散る葉と抜ける歯の類比説を否定している。「歯」が「刃」とつながるのなら,繋がりを見ていない説は捨てるほかない。 「刃」の語源説は, 物を断つところから,ハ(歯)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海), ハ(端)の義(国語の語根とその分類=大島正健), と,『日本語源大辞典』。『日本語源広辞典』は, 薄くて平らな,切り離すもの。葉と同源, 噛み切るところから,歯と同源, を挙げる。 「は」というだけで意味が通じたのは,文字を持たず,その場での会話を通してだから,通じたというべきである。「は」の区別は,漢字がなければ,文字化したとき区別はつかない。 しかし,上記で見れば, 「は(葉)」と「は(羽)」は「ひら」に通じ, 「は(歯)」と「は(刃)」は,「ハ(喰)」に通ず, ということではなかろうか,そして,「は(葉)」「は(羽)」「は(歯)」「は(刃)」に共通するのは,「ひら」ではなかろうか,そして「ひらひら」「ひらめく」という擬態語につながっている。 最後に,「は」に当てた漢字に当たっておく。「羽」(ウ)の字は,象形文字。 「二枚の翅を並べたもので,鳥のからだにおおいかぶさるはね」 「葉」(ヨウ・ショウ)の字は, 「枼(ヨウ)の字は,三枚の歯が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし,艸を加えた字で,薄く平らな葉っぱのこと。薄っぺらの意を含む」 「歯(齒)」(シ)の字は, 「古くは口の中の歯を描いた象形文字。のち,これに音符の止(とめる)を加えた,『前歯の形+音符止(とめる)』。物をかみとめる前歯」 「刃(刄)」(漢音ジン。呉音ニン)の字は, 「刀の刃のあるところを,ヽ印で指し示したもの。刃こぼれのしないように,鍛えて粘り強くした刀の刃のこと」 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「ちょう」は,旧かなづかいでは, てふ, となる。 安西冬衛の有名な一行詩, てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた(『軍艦茉莉』「春」) を思い出す。 ちょうちょう, とも言う。 胡蝶(蝴蝶), とも言う。「ちょう」は,どうやら,漢字「蝶」の音を使っているらしい(『日本語源大辞典』『日本語源広辞典』)。「蝶」(漢音チョウ[テフ],呉音ジョウ[デフ])の字は, 「『虫+音符葉(薄い木の葉,うすっぺらい)の略体』で,木の葉のように薄い羽をもつ虫」 とある。「枼」の字は, 「三枚の葉が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし,艸を加えた字で,薄く平らな葉っぱのこと。薄っぺらの意を含む。」 とある。 https://okjiten.jp/kanji2721.html も, 「『頭が大きくてグロテスクな、まむし』の象形(『虫』の意味)と『木の葉』の象形(『薄くて平たい』の意味)から、薄くて平たい虫『ちょう』を意味する『蝶』という漢字が成り立ちました。」 としている。 『大言海』は,「てふ」の項で,「字鏡」を引き, 「蝶,加波比良古」 とある。「ちょう」の古名は, かはびらこ, であるらしい。他に, てふま, とも,相模。下野,奥羽地方の方言とある(『大言海』)。他の辞書には載らないが,『大言海』は,「かはびらこ」の項で, 「川辺にひらひら飛ぶ意か。ツバビラコ(燕)もあり,コは大葉子,巣守子,殻子(かひこ)などのコと同じ」 とある。「こ(子)」は,『大言海』では,接尾語として, 「其物事の體を成さしめ,名詞を形作らしむる語なるが如し,漢字の冊子,帷子,帽子,瓶子,雉子,椅子,茄子,などの子と,其意同じ。和漢暗合なり」 とする。他にも, 猿子(ましこ)・猫子(ネコ,ネウ鳴声)・猪子(いのこ)・鹿子(かこ)・雛子(ひよこ,鳴声)・桑子・泥子(ひぢりこ)・梯子・団子・切子・張子・入子・呼子・根子(ねっこ)・隅子(すみっこ)・面子, 等々を挙げている。そう考えなくても, 親愛なるものの意, で,夫子(せこ),我妹子の「こ」と考えてもいいし,「娘っ子」「ひよっこ」の「子」「こ」でもいい。 そう考えると,どうやら, ひらこ, に意味がある。つまり, ひら+こ, である。「ひらこ」の「ひら」は擬態語「ひらひら」の「ひら」,「ひらめく」のひら」でもある。「ひよこ」は,その鳴き声「ひよひよ」の「ひよ」に, 「親愛に情を表す接尾語『こ』がついた語で,猫を言う『にゃんこ』などとおなじ御構成。室町時代から見られる。」 という(『擬音語・擬態語辞典』)。ちなみに,雛鳥の鳴声には,「ぴよぴよ」と「ひよひよ」があり,明治以前は,「ひよひよ」を当て,『枕草子』にも, 「にはとりのひなの…ひよひよとかしがましふ鳴きて」 とある,という。この「ひよ」とって,「ひよこ」とした,ということになる。 ところで, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14129542989 に, 「蝶…と言う漢字が奈良時代頃に日本に入り、『てふ』と記されるようになりました。時代が下るにつれてこれが、『てふ→てう→ちょう』と言う具合に変化していったのです。この発音変化は江戸時代頃におよそ完了したと考えられていますが、文字表記(仮名遣い)としては、戦前まで残っていたわけです。」 とある。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 「かわ」は, 川, 河, 江, と当てるが,「川」の字は,旧字は, 巛, である。「川(巛)」(セン)の字は, 「〈印は違いの間を縫って流れる川の象形。川は三筋の〈印で川の流れを描いたもの。貫(つらぬく)と同系であろうか〉 とある。 「河」(漢音カ,呉音ガ)の字は, 「原文字は『水の流れ+˥ 型』の会意文字で,直角に˥ 型に曲がった川のこと。黄河は西北中国の高原に発し,たびたび直角に屈折して,曲がり角で水はかすれて激流となる。のち,『水+音符可』」 とあり,黄河を指す。 「江」(コウ)の字は,揚子江の意味であるが,全体は長江,下流域を揚子江という。 「工は,上下の面に穴をあけて突き通すことを表す指事文字。江は『水+音符工』で,突き通す意味を含む。大陸を貫く大河」 とある。わが国では,「川」の意味よりは,「入り江」の意味で,「海や湖の水が陸地に入り込んだところ」の意で使う。 さて,その字を当てた「かわ」の語源であるが,『大言海』は,「かは」の項で, 「水の流るる音か,がはがは」 と,擬音と見る。『日本語源広辞典』も, 「『川の水音』のガワガワ,カワカワ,語源説が有力」 とする。その他に, 「『カ(気・水気)+ハ(ハウ・延フ)』で,水が長く延び続けたもの」 という説も載せる。『日本語源大辞典』によると, 水が日夜カハルものであるところから(日本釈名・和語私臆鈔・言元梯・名言通・本朝辞源=宇田甘冥), 川水と海水がカハルところから(桑家漢語抄), 等々もあるらしいが,やはり擬音から来ているのではないか。日本の川は,狭く,細く,浅い急流が多い。瀬音は確かに喧しい。 がはがは, とは,音感的にも合う気がする。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
で触れた通り,一貫している。六月もまた同様,農事と関わるとみてよい。『語源由来辞典』
「ナス」は, 茄子, と当てるが,『広辞苑』には, 「なすび」とも, とある。しかし,『大言海』は,「なす」は, 茄, と当て, 「なすび(茄子)の略」 とある。 倭名抄「茄子,奈須比」 本草和名「茄子,奈須比」 を見ると,「ナスビ」が元なのかもしれない。『たべもの語源辞典』は, 「茄もナスと読む。古くはナスビ,近くはナスと呼ばれる。茄子・七斑・紫瓜・落酥・草鼈甲,いずれもナスのことである。」 とある。『日本語源大辞典』には, 「古くはナスビといったが,その語末のビは,アケビ(木通),キビ(黍)などの植物名に通じるものか。後に,『御湯殿上日記』などにみられる女房詞の『ナス』が全国的に広まり,近代以降はナスが主流となる。ただ現在でも西日本ではナスビ,東日本ではナスの形を用いる傾向がみられる。」 とあり, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9 に, 「元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。」 とある。 「茄」(漢音カ,呉音ケ)の字は, 「艸+音符加(上にのせる)」 とある。で, はちす,上に花の座をのせるはちすのくき, なす, の意がある。 これだと分かりにくいが, https://okjiten.jp/kanji2229.html には, 「『力強い腕の象形と口の象形』(『力と祝詞(のりと)で、ある作用を加える』の意味)から、草に力が加わってできる『なす、なすび』、『はすのくき』、『はす』を意味する「茄」という漢字が成り立ちました。」 とある。 「インド原産といわれ,…中国から八世紀ころ日本に渡った。正倉院の古文書に出ている。」(『たべもの語源辞典』) というが, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9 には, 「平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には『天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文』をはじめとして多数の『茄子』の記述がみられる。これらのことから、日本では奈良時代すでにナスの栽培が行われていたことがわかる。」 とあるので,既に租庸調として納めていたことから見ると,栽培していたというのが正しいようだ。 『大言海』は, 「中酸(ナカス)實の約略かと云ふ」 とする。 http://gogen-allguide.com/na/nasu.html も, 「実の味から『中酸実』(なかすみ)が語源とされる。」 とするが,『日本語源広辞典』は,三説載る。 説1,「ナス(夏)+実」。夏の実, 説2,「生ス・成ス+実」。よく成る実, 説3,梨と茄子は同源, 「夏に採れる野菜『なつのみ』から『なす』に転訛した」というのが有力らしい。『たべもの語源辞典』も, 「夏とれる野菜,ナツミ(夏の実)からナスミとなり,ナスビとなった」 とするし,『日本語の語源』も, 「夏の野菜・果物をナツミ(夏実)といったのがナスミ・ナスビ(関西)・ナス(茄子)・ナシ(梨)になった。」 とする。区別せず,「夏の実」と言ったのが,「茄子」と「梨」に分化した,というのは,文脈依存の和語らしく,僕には説得力がある,と思える。 参考文献; 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 「フーテン」というと,映画『男はつらいよ』シリーズの, 「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天 で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」 寅さんということになるのだろうが,僕にとっては,永島慎二の 「フーテン」 である。 「フーテン」は,もともと, 瘋癲, と当てる。谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』の「瘋癲」である。『大言海』は, 風癲, とも当てている。 「韻會學要『風,狂疾也』韻會『癲,囘顚,狂也』」 を引くので, 狂気, を意味する。「風」事態に,「瘋」の意味がある。 『広辞苑』には, 精神状態が正常でないこと,またそういう人,癲狂, 定まった仕事を持たず,ブラブラしている人, と意味が載る。今日の「フーテン」は,後者の意味である。「風」(呉音フウ・フ,漢音ホウ)の字は, 「大鳥の姿,鳳の字は大鳥が羽ばたいて揺れ動くさまを示す。鳳(おおとり)と風の原字はまったく同じ。中国ではおおとりを風の使い(風師)と考えた。風はのち『虫(動物の代表)+音符凡(ハン・ボン)』。凡は広く張った帆の象形。はためきゆれる帆のように揺れ動いて,動物に刺激を与えるかぜをあらわす。」 とある。「瘋」は,風に疒(やまいだれ)をつけた字。「狂気」の意味である。「癲」は,「疒+音符顚(テン 仆れるさかさになる)」である。「顚」の字は,「頂」の意味であり,「顛倒(転倒)」の「顚」でもある「顚」(テン)の字は, 「眞(真)は『匕(さじ)+鼎』の会意文字。鼎(かなえ)の中にさじで物を満たすことを表す。また,のち『人+首の逆形』の会意文字となり,人が首を逆さにして,頭の頂を地につけ,倒れることを示す。顛は『頁(あたま)+音符眞(さかさにしてみたす,たおれる)』で,真の本来の意味を表す」 とある。 さて,「フーテン」であるが,辞書には,『広辞苑』以上には載らないが,『笑える国語辞典』 https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%B5/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/ には, 「フーテンとは、定まった仕事や住所を持たない人のこと。もとは『瘋癲(ふうてん)』で、精神の均衡を失っていること、またはそういう人をいうが、『風来坊(ふうらいぼう)』や『プータロー(風太郎)』などの連想からか、1960年台に新宿に集ったヒッピー風の若者たちを『フーテン族』と呼ぶようになった。この『フーテン』には、『頭のイカれたヤツ』という本来の意味あいが十分に含まれていたように思われる。しかし、1968年にテレビドラマとしてスタートし、その後国民的映画シリーズとなった『男はつらいよ』の主人公車寅次郎の愛称『フーテンの寅さん』の登場で、『イカれたヤツ』のイメージは薄れ、旅から旅への自由気ままな暮らしを送っている心持ちの優しい『フーテン』のイメージが定着した。精神の均衡を失っているという意味の「瘋癲」は、マゾなじいさんの性欲を描いた谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などに、そのおもかげをとどめるのみである。」 と説く。『日本語俗語辞典』 http://zokugo-dict.com/28hu/huuten.htm も, 「フーテンとはもともと瘋癲と書き、精神状態が異常なこと及び、そういった人をさした。ここから1967年の夏、新宿東口に集まる長髪にラッパズボン、(妙なデザインの)サングラスといった格好をし、定職にも就かず、ブラブラしている無気力な若者集団をフーテン族と呼ぶようになる。瘋癲がカタカナ表記されたフーテンはこうしてアメリカのヒッピーに近いイメージで使われた。」 と同趣のことを書く。しかし,「フーテンの寅さん」を演じた渥美清は,かつて闇市で働いていた時,自分を「フーテン」と呼んでいたと語っていたことがある。この「フーテンの寅さん」の命名自体に関わっていたかもしれない渥美清の発言を信ずるなら,「フーテン」は,もっと古く,アウトローの世界の俗語として使われていた可能性がある。それが,1960年代に一般化したのではあるまいか。 因みに,プータローは, http://homepage-nifty.com/osiete/s528.htm によると, 「『風来坊』だそうです。意味は『失業者』『定職を持たずフラフラと暮らしている人』『アルバイト生活者』など。」 とか。
「カラス」は, 烏, 鴉, と当てる。他に, 鵶, 雅, とも当てる。 「烏」(ウ)の字は, 「からすをえがいたもの。アと鳴く声をまねた擬声語」 である。「鴉」(漢音ア,呉音エ)の字は,「みやまがらす」「はしぶとがらす」(『字源』)「こくるまがらす」『漢字源』と,特定種の名が上がる。 「『鳥+音符牙』アアと鳴く声をまねた擬声語」 とあり,「鵶(ア)」の字も,「亞+鳥」なので,同じと考えてよい。『漢字源』には, 「烏(ウ)も古くはアと発音した。烏・鴉は全て鳴声をあらわす擬声語」」 とあるが,「雅」(漢音ガ,呉音ゲ)の字も,「カラス」の意味があるが,「アア」と鳴くかららしい。「雅」の字は, 「牙(ガ)は,交互にかみ合うさまで,交差してすれあう意を含む。雅は『隹(とり)+音符雅』で,もと,ガアガア・アアと鳴くカラスのこと。ただし,おもに牙の派生義である『かみあってかどがとれる』の意に用いられ,転じてもまれてならされる意味となる。」 とある。 「カラス」は,古来八咫烏や熊野権現の牛王の神符に図案化されるなど,神的,霊的存在と見られてきたようだが,『日本語源大辞典』には, 「『萬葉集東歌』で『おほをそどり(をそ=軽率の意,おおあわてもののとり)』と呼ばれたり,『枕草子』に『にくきもの』として挙げられたりする」 ということを指摘している。 当然和語も擬声語が想定されるが,必ずしもそうではなく,擬声語と羽色(黒色)の二説に大別されるようである。まずは,「鳴き声由来」説は, その鳴き声から(雅語音声考・擁書漫筆・箋注和名抄・名言通・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴), 鳴声のカラにスを付したもの(円珠庵雑記・甲子夜話・大言海), コクロと表現される鳴声から(能改斎漫録・松屋筆記), カラスノカラと鳴声のコロクのコロとが形の上で関係のあるものとみることもできるが,鳴き声の擬声語化したカラに接尾語スが付いたものか(時代別国語大辞典=上代編)。 その他『日本語源広辞典』も, 「擬声語kara,kura+接尾語」 とし,接尾語「ス」は, 「カケス,キギス,ウグイス」 等々鳥の名を表す,とする。『大言海』は,鳴き声は,「カ」で, 「ラは添えたる語」 とし,『枕草子』の, 「鴉のいと近く,カラと鳴くに」 を引く。「ス」は,『日本語源広辞典』と同じく,鳥に添える語とし, 「禽蟲の名の下に添ふる語(萩(はぎ),荻(おぎ),薄(すすき)の,キの如し)」 として, 「『うぐいス』『ほととぎス』『きぎス』『からス』『きりぎりス』『ぎズ』『もズ』『みみズ』。又『めス』『をス』『かけス』も此の類なるべし。」 と付説する。また「ら」についても, 「語の末に付けて,云ふ助詞。普通意味なきものあり,親愛の意あるもあり」 として, ましラ(猿) 等々を挙げる。鳴声の言語化の流れは,『日本語源大辞典』に, 「鳴声は古く『コロク』と聞きなされたこともあるが,『枕草子・あさましきもの』には『かかと鳴く』とあり,又,中世には,『コカコカ』(虎明本狂言・花子)などの形もある。現代一般的な『カアカア』は,『新ばん浮世絵尽』(18世紀前)に『かあかあすこし水をくれぬ』とあり,江戸時代からみられるものである。」 とある。『擬音語・擬態語辞典』は,もう少し詳しく, 「奈良時代には烏の声は普通『ころ』『から』と聞いていたと考えられる。」 さらに, 「平安時代には,烏の鳴声は,『かか』。『枕草子』に『暁がたにうち忘れ寝入りにけるに,烏のいと近かかと鳴くに』とある。鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて烏の声は『こかこか』,『こかあこかあ』。」 で,江戸中期,『カアカア』となる。 『擬音語・擬態語辞典』は,したがって,「『からす』の『から』は。鳴き声である。『す』は鳥であることを示す接尾語」 と,鳴声説を採る。 「羽色(黒色)」由来説は, クロシ(黒)と相通ず(和句解・日本釈名・東雅・柴門和語類集), カラス(黒羽)の義(和語私臆鈔), カラはクロ(黒)の転,スはシと通音で鳥の意(国語学通論=金沢庄三郎) 等々あり,『日本語の語源』も, 「クロトリ(黒鳥)は,トリ[t(or)i]の縮約で,クロチ・クロスを経て,カラス(烏)になった」 とする。色の黒い鳥は,烏(う)を初め他にもいる。 ここは, 「から+す」 説に与したい。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「う」は,鳥の, 鵜, 烏, の意である。「烏」(呉音ウ,漢音オ)の字は, カラス, の意であり,「鵜」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は, がらんちょう, つまり, ペリカン, を指す。それを「う」に当てるのは,我が国だけである。この字は, 「『鳥+音符弟(テイ 低,背が低い)』。足が短くて背の低い鳥。」 の意である。「烏」の字を当てたのは,「ウ」という音が重なるからと推測できるが,「鵜」の字は, 「水鳥の一種,口ばしが長く,あごの下が大きく膨らんでいる」 というこの鳥を「う」と読み違えたとしか思えない。『大言海』も, 「鵜鶘(テイコ)は,ガランテウなり。亦能く鳥を捕ふるに因りて,字を誤用せらる」 といっている。 「漢字の『鵜』(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し、『う』は国訓である。ウを意味する本来の漢字は『鸕』(ロ)である。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91) らしい。しかし,「う」は, ペリカン目ウ科, なので,当たらずと雖も遠からず,というところだろうか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91 には, 「鵜飼い」で知られる漁法は,日本では少なくとも5世紀以降、ヨーロッパでは17世紀以降には行われていた,という。中国はカワウを使うが,我が国ではウミウを使うらしい。 さて,「う」の語源であるが,『日本語源広辞典』は, 「ウ・ウカ(うかがう)」で,「うかがう鳥」の意味です。」 とある。この意味は,鵜の目鷹の目,の「う」という含意を前提にしているように思える。「鵜の目鷹の目」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E9%B5%9C%E3%81%AE%E7%9B%AE%E9%B7%B9%E3%81%AE%E7%9B%AE)については で触れた。『日本語源大辞典』は, ウク(浮)の義か(滑稽雑誌所引和訓義解・東雅), ウム(産)の義(名言通・和訓栞・釣書ふきよせ・言葉の根しらべの=鈴木潔子), ウヲ(魚)を好むためか(和句解), ウヲカヅク(魚潜)の約(和訓集説), ウ(魚)ヲ-ノ(呑)ミの下略(日本語原学=林甕臣), ウット丸呑みにするから(本朝辞源=宇田甘冥), クロ(黒)の義(言元梯), ウは自然に発せられる安らかな音であるため,物をたやすく呑む鳥の意(俗語考), と諸説挙げるが,どうもいま一つである。確かに,『日本語源大辞典』の言うように, 「一拍語であるため,諸説の判定は難しい」 のは確かだが,音だけの語呂合わせではなく,別のアプローチもあるのではないか。かつて, 「鵜の羽で産屋の屋根をふく風習もあった」(『岩波古語辞典』) という。それで思い出すのは, ウガヤフキアエズ(日子波限建鵜草葺不合命・彦波瀲武盧茲草葺不合尊), の名である。神武天皇の父である。 彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子, であり,『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、『日本書紀』では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と表記される,という。 この場合,鵜の羽の屋根を葺き終わる前に産まれたので, 「鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」 と名がついた。 http://nihonsinwa.com/page/1050.html に, 「鵜は大きな口を開けて、食べた魚を吐き出すことから、「安産」の霊力があると考えられている。鵜の羽で「産屋」を葺いたのはそのためかと。」 とある。「鵜」と「安産」と関係があるということは,稲作の豊作祈願とも関わるのではないか。とするなら,「う」は, 産む, とつなげてみたい気がする。根拠は薄いが,「鵜飼」という漁法が,稲作とともに,中国から伝わったともされるだけに,何となく縁を感じる。 参考文献; 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「ウグイス」は, 鶯, と当てるが,「鶯」(漢音オウ,呉音ヨウ)の字は, コウライウグイス, チョウセンウグイス, を指す。スズメ目コウライウグイス科に分類される。「ウグイス」は,スズメ目ウグイス科である。 で,この字は, 「鶯の上部は(音エイ・ケイ)は,ぐるりととりまくさま。鶯はそれを音符とし,鳥を加えた字で,輪状の羽模様が,首のまわりをとりまいた鳥のこと」 で,「からだは黄色で,尾は黒が混じる」鳥を指す。 「両者とも美声を愛でられる鳥だが、声も外見も非常に異なり分類的な類縁はない。」 とのこと。コウライウグイスの別名は, 黄鳥(コウチョウ),金衣公子(キンイコウシ), 等で,後述の「ウグイス」の別名とは大きな違いががあり,「ウグイス」とは別物である。 さて,「ウグイス」は, 春鳥(ハルドリ)・春告鳥(ハルツゲドリ)・花見鳥(ハナミドリ)・歌詠鳥(ウタヨミドリ)・経読鳥(キョウヨミドリ)・匂鳥(ニオイドリ)・人来鳥(ヒトクドリ)・百千鳥(モモチドリ)・愛宕鳥(アタゴドリ),報春鳥(ホウシュンドリ),初音(ハツネ), 等々,別名は多い。『日本語源大辞典』に, 「鶯の鳴声は,ホーホケキョ,ヒトクヒトクなどと聴き取られ,『饗み鳥』『人來鳥』は鳴声に由来する異名である」 とある。この, ホーホケキョ, は江戸時代から使われ出した。それ以前, 「平安時代は,鶯の声を『ひとく』と聞いた。『梅の花 見にこそ來つれ 鶯のひとくひとくと厭ひしもをる』(『古今和歌集』)。『ひとく(人が来る)』の意味に掛けて用いられる。『ひとく』は江戸時代まで用いられ続けた。鎌倉室町時代には,鶯を飼ってよい声で囀るように躾けることが流行った。『つきひはし(月日星)』と聞こえるように鳴く鶯が最高であった。(中略) 江戸時代になると,『ほーほけきょー』と写され,『法華経』の意味を掛けて聞いた。」 とある(『日本語源大辞典』)。 「ウグイス(ウグヒス)」の「ス」は,「カラス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9) で触れたように,「鳥を表す語」(『岩波古語辞典』)で,カケス・キギス・カラス・ホトトギス等に見られる。で,『大言海』は, 「ウクイは,鳴く聲,スは鳥の接尾語(ほととぎス,からス,きぎス)。古今集,十,物名,ウグヒス『心から,花の雫に,そぼちつつ,ウグヒスとのみ,鳥の鳴くらむ。』承暦二年殿上歌合『いかなれば,春來る毎に,ウグヒスの,己れが名をば,人に告ぐらむ』(名言通)」 とする。『擬音語・擬態語辞典』も, 「鳴声を『うーぐい』と聞いたところから」 と,鳴声説を採る。鳴声説が, 鳴声から(擁書漫筆・箋注和名抄・言元梯・古今要覧稿・松屋筆記), ウグヒは啼声,スは鳥の名につく接尾辞(雅語音声考・嚶々筆語・名言通・大言海・日本古語大辞典=松岡静雄), と大勢である。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/u/uguisu.html も,「ウグヒ+ス」と鳴声説を採る。 http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC78.HTML も,「うくひす」は, 「昔の『う』の発音は、『fu』に近いものであり、『い』の発音も『hi』に近いものでした。(中略)そこで、『うぐいす』の発音を大ざっぱに遡っていくと、『うくひす』『ふくぴちゅ』の順に古くなるわけですが、お気付きのようにフークピチュ(声に出して見ればよくわかる)という鳴き声からきているものです。」 と,鳴声説を採る,それ以外にも, ウクは奥,ヒスは出づ。奥出づの意(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解), ウはフ(生)の転。スは巣。茂みに巣をつくる鳥(東雅), 愛飲巣または,愛作巣の意から(和字正濫鈔・和語私臆鈔・円珠庵雑記・燕石雑志), 卯の方に巣をくう鳥か。陽気を好む鳥(和句解), 等々があるが,最も説得力のあるのは,『日本語源広辞典』の, 「中国語の黄鶯子(wung yen su)」 語源説だが,「鶯」(この字のみでコウライウグイスを指す)の呼び名ではなく, 黄鶯(こう おう), という屋上屋を重ねた名の音なのか,の説明がなければ,こじつけになるのではないか。やはり,「ウグイス」は鳴き声であり,鳴き声由来と考えるのが,妥当ではあるまいか。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 「ホトトギス」は,『広辞苑』を見るだけでも, 杜鵑, 霍公鳥, 時鳥, の他, 子規, 杜宇, 不如帰, 沓手鳥, 蜀魂, と異名を挙げる。「ホトトギス」の異名は挙げてみると, 文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・卯月鳥(うづきどり)・勧農鳥(かんのうちょう)・早苗鳥(さなえどり)・子規(しき)・死出田長(しでのたおさ)・蜀魂(しょっこん)・黄昏鳥(たそがれどり)・橘鳥(たちばなどり)・偶鳥(たまさかどり)・夜直鳥(よただどり)・魂迎鳥(たまむかえどり)・杜宇(とう)・時鳥(ときつどり)・沓手鳥(くつてどり), 等々,凄い数に上る。このうち,「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづくらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9
「スルメ」については,「あたりめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%82%81) で触れたように, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB によると, 「現在では、加工後の干物を『するめ』と呼び、その材料になる生物、すなわち本種を『スルメイカ』と呼ぶのが普通だが、古くは加工前のイカ自体をも『するめ』と呼んだ。後に干物との呼び分けの必要が生じて、『するめいか』という合成語が使われるようになったらしい。なお、平安時代の辞書『和名類聚抄』を見ると、『小蛸魚』の項に訓じて『知比佐岐太古、一云須流米』(ちひさきたこ、するめともいふ)とあり、『するめ』は古くには、さらに異なる意味をもっていたことがうかがわれる。」 とある。『たべもの語源辞典』も, 「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだとなると,スルメイカの名から『するめ』という名ができたのではないということになる。」 としている。和名鈔を信ずるなら,「スルメ」は, 小さいタコ, を指していた。今日言うヒダコなのかもしれない。そう言えば,「凧」は,かつて(関西では), いかのぼり, と呼んでいた。「たこ」と「いか」は交換可能だったのかもしれない。 で,「スルメ」の語源は, 「墨を吐き、群れる事から来る『スミムレ(墨・群れ)』が「スミメ」を経て転訛したものと考えられている」 というが,これは,生きている「イカ」,「スルメイカ」を指しているのではないのだろうか。しかし,『たべもの語源辞典』が指摘するように,「スルメ」が「スルメイカ」から来たのではないとすると,「スルメ」の語源は別途考えるべきなのに,たとえば,『日本語源広辞典』は, 「墨+群れ」 と,「墨を吐くものの群れ」の意図していると,『日本語源大辞典』も, スミメ(隅群)の義(言元梯), スミムレ(墨群)の約転(大言海), あるいは, スルドムレ(鋭群)の義(日本語原学=林甕臣), も,同じく,「スルメ」と「スルメイカ」を混同している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB にあるように,「スルメイカ」は, 「古来、日本人はこれを食してきた。今日においても最も消費量の多い魚介類である。また、東アジアでは中国北宋時代以降(蘇頌が編纂した『本草図経(中国語版)』の刊行[西暦1061年]以降)、もしくは、遅くとも日明貿易以降、日本産のイカとして知られている。真イカのこと。」 とあるが,それはイコール「スルメ」ではない。
言うまでもなく,「スルメ(鯣)」は, 「たこ」は, 蛸,鮹,章魚,鱆, と当てるらしいが,辞書には,「蛸」「鮹」が載る。「蛸」の字は, 「『虫+音符肖(ショウ 細い,小さい)』。たまごからかえったばかりの小さく細い虫の子」 で,「くもやかまきりのたまごを表す熟語に使う。」 とある。たとえば,「蠨蛸」(あしたかぐも),「螵蛸」(かまきりのたまご)等々。「タコ」に当てるのはわが国だげである。 「鮹」の字は,「魚+音符肖」で,『漢字源』は「からだの細い魚」で,「タコ」と使うのは,我が国だけとするが,『字源』は, 閩書『鮹魚,一名望潮魚』=章魚, とする。「タコ」の意でも使われているらしい。『大言海』も, 「蛸は,漢名,海蛸子の略。蠨蛸(あしだかぐも)に似て,海中にあれば云ふ。魚偏に作れるは和訓なり」 とある。和訓とは,その漢字をタコと訓んだという意味である(「鮹」は,「ショウ」である)。倭名抄に, 「海蛸子,太古」 とあり,本草和名に, 「海蛸,多古」 とあるらしい(『大言海』)。『たべもの語源辞典』には, 「海蛸子が漢名であるが,これは海の中にいるアシダカグモに似たものというので名づけられ,これを略して『蛸』一字でタコと呼んだ。蠨蛸がアシダカグモの漢名である。蛸ソウとかショウとよみ,国訓がタコである。章魚と書くのは,蛸魚が,蛸と章と音が通ずるからであろう。(中略)タコが虫偏ではおかしいというので『鱆』という文字も生まれ,また章魚を一字にして鱆という新しい字もできた。」 とある。「タコ」の漢字の由来がよくわかる。 さて,「タコ」の語源であるが,『日本語源大辞典』は, タはテ(手)の転,コはココラ(許多)の意(日本釈名・大言海), タは手,コは語助。手が多いところからの名(東雅), タは手,コは海鼠の義か(大言海・日本語源=賀茂百樹), タは手,コはナマコ・カイコのコと同じ。手を持った動物の意(たべもの語源抄=坂部甲次郎), 手を縦横に動かす意の動詞タク(綰)から(語源辞典・動物篇=吉田金彦), テ(手)ナガの略転という(日本釈名), テコブ(手瘤)の義(和句解・名言通・日本語原学=林甕臣), たこの手は物に凝り付くところからもタコ(手凝)の義(柴門和語類集), 鱗のない魚であるところから,ハタコ(膚魚)の義(言元梯), 足が多いところから,タコ(多股)の義(和語私臆鈔), と諸説載せる。『日本語源広辞典』は, 「た(手)+コ(接尾語)」 である。「た」は, ての古形, で,他の語の上について複合語をつくる(『岩波古語辞典』)。「足袋」の「た」,「手綱」の「た」,「手力」の「た」,「手挟む」の「た」と,「た」が手であることには,違いない。問題は,「こ」である。 『たべもの語源辞典』は, 「コは,『ここら』という語から来たと考えられる。『ここら』とは,程度の甚だしいさまをいう語で,大層という意であり,数量の多いことをいう。タコの手(足)が多いことをコで示したのである。」 とする「ココラ」は,『岩波古語辞典』に, 「ラは幾ラのラ。ココバの平安時代以降の形」 で,「これほど多く」「これほど甚だしく」の意である。「ココバ」は, 幾許, と当て, 「バはソコバ・イクバクノバに同じ。量・程度についていう接尾語。ココバは話し手の身近な存在,または,話し手に関係深い事柄について,多量である,掌意とが甚だしいのにいう語。平安時代以後はココラ」 とある。『大言海』は,「ココラ」について, 幾許, と当て,「ソコバク」と関連づけ,こう書く。 「ソ,コは,其,此にて,ソコ,ココなり,バクはバカリ(程度の意。ソコハカ,イクバク,イカバカリ…)にて,ソコラココラ程の意。(中略)又,ココバクと云ふも,其,此と云ふにて,意は同じ。ココバ,ココダク,ココダ,ムココラ…など云ふも…同列なり」 と。どうやら,「ココバは話し手の身近な」事柄を指さして,言っていた状況が目に浮かびそうである。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「たこ」は, 凧, と当てる「たこ」である。「凧」の字は, 「風の略形と巾(ぬの)を合わせたもので,日本製の漢字。」 で,中国では, 風箏(ふうそう), という,とある(『漢字源』)。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A7 には, 「半ば伝説的だが、中国で最初に凧を作った人物は、後代工匠の祭神として祭られる魯班とされている。魯班の凧は鳥形で、3日連続で上げ続けることができたという。ほぼ同時代の墨翟が紀元前4世紀に3年がかりで特別な凧を作った記録がある。魯班、墨翟のどちらの凧も軍事目的だった。」 とあり,中国の凧は昆虫,鳥,獣、竜,鳳凰などの伝説上の生き物など様々な形状を模している,とある。日本には, 「平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』に凧に関する記述が紙鳶、紙老鳶(しろうし)として登場し、その頃までには伝わっていたと思われる。」 とある。さらに, http://iroha-japan.net/iroha/B04_play/14_takoage.html には, 「日本では江戸時代直前まで貴族や武士の一部で遊ばれていただけで、一般にはあまり遊ばれていませんでした。しかし江戸時代に入ると、大人から子供まで身分の差なく流行し、烏賊〔いか〕形の凧や、金銀をちりばめた豪華な凧など、多種多様な凧が現れました。」 とし, 「日本で凧が正月の遊びとなったのは江戸時代後期のことです。昔から『立春の季に空に向くは養生の一つ』と言いますが、凧はそのようなまじない的要素を兼ね備えた、新年の遊びとして江戸の人々を始め全国で親しまれました。」 とある。 「中国の北宋時代(960-1127)に、度々盗賊による被害を受けていた地域で、占いの指示に従って全住民が凧揚げを行ったところ、他の地域は盗賊に教われましたが、凧揚げを行った地域は危険を回避することができたという言い伝えがあります。」 といった,元々占いやまじないの要素があった名残かもしれない。
さて,「たこ」は, 「のぼり」は, 幟, と当てる。『広辞苑』には, 昇り旗の略, とある。「旗」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%81%9F)触れた ように,『大言海』は, 「風にはためくものか,或は云ふ,潤iはた)を用ゐれば云ふか」 とし, はたはた, という擬音語と,「潤iはた ソウ)」,「帛,つまり絹布からとしている。『魏志倭人伝』で,倭の難升米に黄幢を帯方郡に託して授けた「黄幢」は帛であった可能性が高い。それは,旗ではなく吹き流しのような形状だったと考えられている。「はた」の語源として捨てがたい。『日本大百科全書(ニッポニカ)』に, 「おもに縦長で、上辺の旗上(はたがみ)を竿(さお)に結ぶ流旗(ながればた)、鉾(ほこ)などにつけた比領(ひれ)という小旗などが古い形式である。のちに上辺と縦の一辺を竿につける、やはり縦長の幟旗(のぼりばた)とよばれる形が現れ、さらに正方形に近い形など、さまざまな種類も生じた。」 とあるように,「のぼり」(幟旗)は,「旗」の延長線上にある。 「幟」(シ)の字は, 「右側の字(音 ショク)の原字は,Y型のくいを立てて,目印とすることを示す。のち音印を加え,ことばで目じるしをつけること。つまり『識』の意を表した。幟はそれを音符とし,巾(ぬの)を加えた字で,布のめじるし」 とある。「目印のために立てる旗」を意味し,「旗幟」といった使い方をする。同じような意味の字で,「幡」「幢」がある。「幡」(漢音ハン,呉音ホン)は, 「番は播(ハ)の原字で,田に種をまきちらすこと。返・版・片などに通じて,平らに薄く,ひらひらとする意を含む。幡は『巾+音符番』で,薄く平らで,ひるがえる布のはたのこと。翻ときわめて近い」 とあり,「色のついた布に字や模様を書いて垂らしたはた」の意だが,「幡然」と言うように,ひらひらとひるがえるさま」の意である。「幢」(漢音トウ,呉音ドウ)は, 「『巾(ぬの)+音符童(突きぬく,筒型)』で,筒型の幕のこと。また中空で,筒型をしたものがゆらゆらと揺れるさま」 とあり,『魏志倭人伝』の「黄幢」はこれである。「旗」には違いないが,「絹の幕で筒型に包んで垂らした飾り」とあり,朝廷の儀仗や行列の飾りに用いる,とある。「羽葆幢」(うほどう)という。 さて,「のぼり」であるが,もともとは, 「平安時代以来、武士たちは軍容を誇示したり、自軍と敵軍との識別をおこなうために、長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として掲げた。」 が,それに, 「布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が発案され、全国の武家へと徐々に広まっていった」 とされる。「のぼり」は、旗の形式のひとつ,で, 長辺の一方と上辺を竿にくくりつけたもの, を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%9F)。で, 「綿もしくは絹の織物を用いた。布の寸法は由来となった流れ旗に準じ、高さを1丈2尺(約3m60cm)、幅を二幅(約76cm)前後が標準的であった。このほか、馬印や纏に用いられる四方(しほう)と呼ばれるほぼ正方形の幟や、四半(しはん)と呼ばれる縦横比が3対2の比率(四方の縦半分ともされる)の幟が定型化する。(中略)また旗竿への留め方によって、乳(ち)と呼ばれる布製の筒によって竿に固定する乳付旗(ちつきばた)と、旗竿への接合部分を袋縫いにして竿に直接縫い付けることによって堅牢性を増した縫含旗(ぬいふくめばた)に区別できる。旗竿は千段巻と呼ばれる紐を巻いた漆塗りの樫材や竹を用い、幟の形態に応じて全体をトの字型あるいはΓ字をにした形状にして布を通した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%9F) とある。しかし,「のぼり」は, 「乳付旗(ちつきばた) と,限定されることが多いようだ(『旗指物』)。『軍用記』(伊勢貞丈)に, 「乳付旗のこと。のぼりともいう。これは東山殿(足利義政)御代,康生二年畠山左衛門督政長,はじめて旗に,乳を付け候いけるにより起こるなり。旗の長さは前のごとし。乳数は上の横五ツ,五行にかたどる。縦は十二なり。十二月,または十二支をかたどるなり。」 とある。もっとも乳数はいろいろのようだが。 竿に止めるための筒状の布部分を「乳」(ち)と呼ぶ謂れは, http://www.callmyname-rec.com/archives/28.html に, 「一説によれば『犬の乳首の様に行儀よく並んでいるため』であることから」 とあるが,『広辞苑』は,単純に, 「形が乳首に似ているところから」 としているし,『岩波古語辞典』も,同趣旨で,さらに,「のぼり」だけではなく, 幕・わらじ・蚊帳などの縁につけた小さな輪。綱・紐などを通すためのもの,みみ, 釣鐘の表面に並んでいるいぼ状の突起, とし,『大言海』は, 「手(テ)の転」 とする。恐らく,こうしたものに付いた名を「のぼり」にも転用したものと見ることができる。 さて,「のぼり」の語源であるが,『大言海』は, 「昇旗(のぼりはた)の略。乳に竹を通して,順に昇るより云ふ」 とある(本朝軍器考・蒼梧随筆・和訓栞)。もう一説は, 「旗が風に吹き上げられて竿を伝ってのぼるところからか」(古今要覧稿) である。「うなぎのぼり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%86%E3%81%AA%E3%81%8E%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A) の項で触れたが,『岩波古語辞典』に, 鰻幟, の字を当て, 「近世,端午の節句に揚げた,ウナギのように長くなびくようにつくった紙幟」 とある。用例に, 「釣竿と見ゆるは鰻幟かな」(俳・口真似草) とある。「うなぎのぼり」も,「のぼり」つまり「乳付旗」は決して下がらない,ところから来ていると思われる。その意味では,『広辞苑』の, 昇り旗, も同趣の考えである(『日本語源広辞典』も,「ノボリ+旗」とする)。武将たちが「馬印」に,旗印に,「のぼり」を使った意味がわかる気がする。「のぼり」は,けっして下がらない。風に吹かれても,上に巻き上がるばかりである。 参考文献; 高橋賢一『旗指物』(人物往来社) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 「カモ」は, 鴨, と当てる。「鴨」(漢音オウ,呉音ヨウ)の字は, 「『鳥+音符甲』。あっぷあっぷという鳴き声をまねた擬声語」 とある。不思議なことに, 「古くはカモとカモメの区別があいまいで、カモメの語源と同じとする説もある。」 「水面に浮かんでいるカモメの姿は、意外なほどカモに似ています。このため、万葉の時代にはカモとカモメが同族と見なされていて、あまり区別されていなかったのではないかと推察している研究者のかたも、かなりおられます。」 という説がある。どう見ても愚かとしか言えない。「カモ」は,『岩波古語辞典』に, 「マガモ・コガモ・カルガモ・トモエガモ・アイサなどの総称。…秋から冬にかけて北から渡来し,春,北に帰るものが多い。雁が秋の訪れと結びつけられるのに対して,賀茂は多く冬のものとされる。」 とある。季節感の鋭い古代の人にとって,「カモ」と「カモメ」を混同することはあり得ない。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/ka/kamo_tori.html は, 「地方によっては『カモ』を『カモメ』と呼び、『カモメ』を『カモ』と呼ぶ地方もあることから、古くは,『カモ』と『カモメ』の区別が曖昧であったとの見方もあり、『カモメ』と同源で『かま(囂)』とも考えられる。ただし、『カモメ』の語源には『カモの群れ』とする説もあり、この説をとれば呼称が同じになることは当たり前のことなので、『カモメ』と同源という見方はできない。」 としている。「kamo」「kamome」の音が似ているだけで同源とするのも早とちりといっていい。 『大言海』は, 「萬葉集に,カモドリと云へるが,成語なるべし。浮かぶ鳥,浮かむ鳥の略転。御孫命(みうまのみこと),みまのみこと。御産(みうぶ),乳部(みぶ)。萬葉集…に,モテハヤサムを,『持賞毛(もちはやさも)』同…に,棲むを『沖に須毛(すも)小鴨(をがも)』同…『鴨じもの,浮寝をすれば』」 とする。『日本語源大辞典』は, カモドリが成語で,浮ブ鳥,浮む鳥の略転(滑稽雑誌所引和訓義解・大言海), カム(頭群)の義(言元梯), 波をカウブル義(名言通), 頭のが,藻をカフリタルようだという意からか(和句解), カキモガクの略,水上で足をかきもがくところから(本朝辞源=宇田甘冥), ガン(雁)と同源。古語では濁ることを好まなかったのでカムと発音し,それが転じたもの(日本古語大辞典=松岡静雄), やかましいのカマ(囂)の変化したものか(衣食住語源辞典=吉田金彦), と諸説載る。この「カマ(囂)」について,『日本語源大辞典』は, 「『語源辞典・動物篇』(吉田金彦)では,『新撰字鏡』の『鴨 宇弥加毛』を手がかりに,カモメと同源と見ている。」 とある。これが「カモ」「カモメ」同源説の淵源らしい。『日本語源広辞典』は,これを取り, 「カマ(囂,やかましい)」の変化, を挙げる。「万葉集に群れて鳴く鳥をさして,カマメの語があります。やかましい海鳥がカモメということになります。」 とし,もうひとつ, 「カ(毛)+モ(ふわふわ)」 を挙げ,「字鏡」の「鴨 加毛」を手がかりにしている,とする説も挙げる。確かに, 「カマ(囂,やかましい)」→カモ, 「カマ(囂,やかましい)」→カモメ, と同源がなくもないが,やかましい鳥はもっといるのではあるまいか。それよりは, カモの語源には、「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になった, とする説に,個人的には肩入れしたい気がする。 ところで,「カモ」には,「カモにする」「鴨が葱を背負ってぐる」といった, 組みやすい相手, 騙しやすい人物, という意味がある。『岩波古語辞典』には載らないが,『江戸語大辞典』には載る。『日本語俗語辞典』 http://zokugo-dict.com/06ka/kamo.htm には,「江戸時代」以降として, 「鴨という鳥は鳥類の中でも比較的捕まえやすく、デコイと呼ばれる囮(おとり)を使ったデコイング猟から騙されやすい鳥として知られる。ここから騙しやすい人、利用しやすい人のことを鴨という。簡単に詐欺にひかかる人、度々詐欺にあうような人を指して使うことが多い。」 とある。そういう言葉になったのは江戸時代としても,その鴨の特徴は,わかっていたはずではないかという気がする。「かもる」は, http://zokugo-dict.com/06ka/kamoru.htm 鴨に動詞化する接尾語『る』を付けたのがカモるである(正確には『カモにする』の略)。つまり、カモるとは簡単に騙せそうな人を利用したり、騙して利益を得ることをいう。逆に騙されたり、利用されることをカモられるという。」 とある。「鴨が葱を背負ってくる」は, 鴨葱, カモネギ, とも言う。『笑える国語辞典』 https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%8B/%E9%B4%A8%E3%81%8C%E8%91%B1%E3%82%92%E8%83%8C%E8%B2%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8B-%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/ に, 「鴨が葱を背負ってくる(略してカモネギ)とは、鴨鍋の付きものであるネギをカモ自身が背負って食べられにやってくるというシュールな状況を描いたことわざで、運の強いやつのところへ運の悪いやつが運の悪い友だちをつれて麻雀をしにやってきたような状況をいう。ここで『運の悪いやつ』は『かも』、つれられてやってきた『運の悪い友だち』は『ネギ』、『運の強いやつ』は鴨鍋をおいしくいただく食客であることはいうまでもないが、このようなキャストを社会の様々な状況にあてはめた例えが『鴨が葱を背負ってくる(カモネギ)』である。 カジノや賭場にやってきていつも大負けする客を『カモ』というが、これは鴨がおとりにつられて捕獲されやすいことからきた隠語だという。この『カモ』という言葉が先にあったから、『カモネギ』というシュールでナンセンスなシーンが生まれたのだと考えられる。」 とある。「カモ」がそういう性癖と解っていたら,やかましさよりは別の表現をしたのではあるまいか。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「カモメ」は, 鷗(鴎), と当てる。「鷗(鴎)」(漢音オウ,呉音ウ)の字は, 「『鳥+音符區(ク オウ)』。ウ・オウと鳴くかもめの鳴き声をまねた擬声語」 である。 https://okjiten.jp/kanji2802.html も, 「『尾を引いた亀の甲羅』の象形(『甲羅』、『殻』の意味だが、ここでは『あひるの鳴き声の擬声語』)と『鳥』の象形から『あひる』を意味する『鴨』という漢字が成り立ちました。) としている。 「カモメ」の語源については,「カモ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%AB%E3%83%A2) の項で触れたように, 「古くはカモとカモメの区別があいまいで、カモメの語源と同じとする説もある。」 「水面に浮かんでいるカモメの姿は、意外なほどカモに似ています。このため、万葉の時代にはカモとカモメが同族と見なされていて、あまり区別されていなかったのではないかと推察している研究者のかたも、かなりおられます。」 という説がある。「カモメ」は,『大言海』も, 「鴨群(かもむれ)の約にて(あぢむら,すずめ,つばくらめ),小さき意にもなるか」 とする。確かに,「かも」も「カモメ」も鳴き声がうるさいとして, 「カマ(囂,やかましい)」→カモ, 「カマ(囂,やかましい)」→カモメ, と同源がなくもないが,しかしやかましい鳥はもっといるのではあるまいか。それよりは, カモの語源には、「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になった, とする説に,個人的には肩入れしたい気がする,と「かも」の項で述べた。しかし,「かも」と絡ませる語源説は多い。『日本語源広辞典』は, 「カマ(囂,やかましい)+メ(群鳥・小鳥)」 説を採る。「メ」については,「スズメ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%A1)「ツバメ」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%A1)等々 で触れたように,「トリ」を示したが,しかしツバメ・スズメ・ヤマガラメはともかく,それと同列に「カモメ」の「メ」を持ってくるのはどうであろうか。「メ」が付くものの,大きさが違いすぎる。 確かに,『日本語源大辞典』の挙げる説も,「カモムレ」説(大言海)以外にも, カモは鳬,鷖に通ずる名で鷖(鳧)は鴨のこと。メは群鳥を呼称するときに用いる語(日本古語大辞典=松岡静雄), 鴨に似て型の小さいところからカモメ(鴨妻)の義(東雅), 鴨に連なり行く姿が,雄に雌がそうようでうるところから,カモメ(鴨女)の義(円珠庵雑記), と,「カモ」と絡ませる説がある。その他には, カモメ(員百群)の義(言元梯), 米をかむように,この鳥が目をしばたたいて眠るところから,カモ(醸)スル目の義か(和句解), カモメの古形はカマメであることから,カマ(囂)と同源か。メは「群れ」か(語源辞典・動物篇=吉田金彦), がある。「カマメ」は確かに「カモメの古形」(『岩波古語辞典』)であるので, 「カマ(囂,やかましい)」+メ→カマメ→カモメ, の転訛は,ひとつ説得力がある。しかし,「メ」がつくだけで,スズメ,ツバメと同列の「メ」とするのには抵抗がある。『日本語の語源』は,全く別の音韻変化説を採る。 「鷗は,(中略)翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)鳥と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子交(子音交替)[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。 カマメ(鴎)はさらにカモメ(鴎)になった。津軽方言では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」 としている。つまり, ナガバネ(長羽)→ガバネ・カマネ→カマネ(カモメの古形)→カモメ と転訛したということになる。 カマ(囂,やかましい)+メ(鳥)→カマメ→カモメ, か ナガバネ(長羽)→ガバネ・カマネ→カマネ(カモメの古形)→カモメ ということだ。決定的な説はないが,「メ」に違和感があるので,後者に与する。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「ツル」は, 鶴, と当てる。「鶴」(漢音カク,呉音ガク)の字は, 「隺(音カク)は,鳥が高く飛ぶこと。鶴はそれを音符とし,鳥を加えた字。確(堅くて白い石)と同系なので,むしろ白い鳥と解するのがよい」 とある。 https://okjiten.jp/kanji2168.html は, 「『横線1本、縦線2本で『はるか遠い』を意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形』(『鳥が高く飛ぶ』の意味)と『鳥』の象形から、その声や飛び方が高くて天にまでも至る鳥『つる』を意味する「鶴」という漢字が成り立ちました。」 とより精しい。 「ツル」の語源は,件の落語「つる」に, 「鶴が唐土(もろこし)から飛んで来た際、「雄が『つー』っと」、「雌が『るー』っと」飛んで来たために『つる』という名前になった。」 とあるが,『広辞苑』は, 「一説に,朝鮮語turumiと同源。また鳴き声を模したものという」 とある。「ツル」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%A4%E3%82%8B) で触れたことがあるが『古語辞典』には, 「万葉集には,助動詞ツルという箇所に『鶴』の字を宛てた例があるから,当時ツルという語はあったと思われるが,歌の中ではすべてタヅと詠んで,ツルと詠んだ例はない。タヅが歌語であったからだとされている。古今集以後は,歌の中にもツルを用いるが,やはりタヅの方がずっと多く使われている。朝鮮語(turumi 鶴)と同源。」 とある。「タヅ」は, 田鶴, とも 鶴, とも,当てる。『大言海』には, 「声を以て名とす。古今集注(顯昭)に,鶯,郭公,雁,鶴は我名をなくなりとあり。朝鮮語つり」 とあり,「たづ」も, 「鳴く聲かと云ふ」 とあり,「ツル」も「タヅ」も,鳴き声から来ている可能性があるる。そして「ツル」が,朝鮮語由来なら, 朝鮮では,「ツル」 と聞こえ, われわれには, 「タヅ」 と聞こえたということになるのだろうか。しかし,『日本語源広辞典』は, 「連ル」 を採る。 「連れだって飛来する鳥の意」 とし,さらに,古名「たづ」も, 連れの意, とし, 「『蔓』の語源として,蔓のようにのびた鳥の意だとする説もあるが疑問」 と付け加える。「ツル」の語源は,鳴き声が多数派で, その鳴き声から(名語記・箋注和名抄・言元梯・嚶々筆語・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海・音幻論=幸田露伴), と諸家が採る。その他に, 連なり飛ぶところから,連なるの義(日本釈名・東雅), 諸鳥に優れて大きいところから,スグルの略転か(日本釈名), 群れの意の朝鮮語ツルミから(ニッポン語の散歩=石黒修), くびが長いところから,ツツラ(蔓)の義か(名言通), 漢語「露禽」の訳語「ツユ(露)」(の禽)きから(続上代特殊仮名音義=森重敏)。 等々ある。しかし,「古今集注」の, 「鶴は我名をなくなり」 がインパクトがある。 『日本語の語源』は,例によって全く別の由来を説く。 「鶴の古名をタヅ(多津・田鶴・多頭)という。長い脚で水辺に佇立する姿を見てタツトリ(佇つ鳥)といったのが,タヅトリ・タヅ・ツル(鶴)に転化したと推測される。」 「タツトリ(佇つ鳥)の転とされるタヅ(田鶴)は,語頭の母交(母韻交替)[au]をともなってツル(鶴)に転音した。」 と。しかし,ここは,鳴き声切に与しておく。 ところで,「鶴は万年,亀は万年」は,『淮南子(えなんじ)』説林訓の「鶴の寿は千歳」などから来ているとされる。「淮南子」の第十七説林訓には, 「鶴歳千歳、亀歳三千歳」 とあるとか。これに加筆したのが,江戸時代の臨済宗古月派の禅僧で,画家の仙豪`梵(せんがい ぎぼん)。 「鶴は千年、亀は万年、我は天年」 この場合,「天年」は,天命の意という。そのことは、「天」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%A4%A9) で触れた, 死生命有 富貴天に在り(『論語』) である。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
「ら」は, 等, と当てる接尾語「ら」である。「等」は, とう, とも, など, とも訓ませるが,少し意味が変わる気がする。由来を異にするかもしれない。ここでは,「ら」を考えてみる。 「等」(トウ)の字は, 「『竹+音符寺』で,もと竹の節,または,竹簡の長さが等しく揃ったこと,転じて,同じものを揃えて順序を整える意となった。寺の意味(役所 ジ・シ)は直接の関係はない。」 で,「ひとしい」「ひとしくそろえる」という意味だが,助詞として,「ほかにも同じものがあることをあらわすことば」とあり,和語「ら」に当てた意味がある。 https://okjiten.jp/kanji532.html には, 「形声文字です(竹+寺)。『竹』の象形(『竹簡-竹で出来た札』の意味)と『植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形』(役人がとどまる『役所』の意味)から、役人が書籍を整理するを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、『ひとしい』を意味する『等』という漢字が成り立ちました。」 とある。「ら」には,多様な意味があるが,『岩波古語辞典』は, @擬態語・形容詞語幹などを承けて,その状態を表す(「やはわ[擬態語やは+ら]」「さかしら」[形容詞賢し+ら]), A代名詞を承けて,場所・方向の意を表す(「いづら」「あちら」「こちら」), B複数を示す。尊敬を含まず,人を見下げたり,卑下したりする感じで使うことが多い(「私ら」「憶良ら」), C事物を複数形で表現して婉曲に言う(「君ら」「者ら」) とあるが,人を表す名詞や代名詞などに付く場合,卑下や謙遜以外, 子ら, のように,親愛の意を表す表現にも使う。 この「ら」について,『大言海』は, 羣(むら)の略と云ふ, とある。「羣」(漢音グン,呉音クン)は,「群」の異体字である。 「君(クン)は『口+音符伊(イン)』からなり,丸くまとめる意を含む。群は,『羊+音符君』で,羊がまるくまとまってむれをなすこと」 である。「羣れ」は,だから, むれをなすこと, なかま, である。「むれ」は, 村と同源, ともされるから,「複数」という含意があるのだが,『日本語源広辞典』には, 「語調を整える」 とある。 「我等」 「僕等」 「子ら」 「(山上)憶良ら」 という時,複数とか謙譲とかという含意とは別に,語調を整える,という趣旨が強いことはある。「群れ」から転訛したのだとすると,確かに背景に同じものがいる(ある)ことを示す意図はあるが,それが背景に引っ込んで,その文脈の中で, あちら, というとき,「あっち」というだけではなく,「あっちの方面」とちょっと曖昧化する含意がある。それは,現代語でも, とか, というのが,単なる「例示」「など」の含意とは別に,ニュアンスをぼかすところがあるのと似ていると言えば言えるのだろう。『広辞苑』には,「とか」について, 「『と』も『か』も並立を表す」 とあり, 例示, 等, の意味だが, …という, といったあいまいさを表現する含意があり,それが,今日一層強まっていると言える。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 大槻文彦『大言海』(冨山房)
てるてる坊主は,晴天を祈って,軒先に吊るしておく。 『広辞苑』には, 「晴天となれば,晴(ひとみ)をかきいれ神酒を供えた後,川に流す」 とある。その風習は知らない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%9D%8A%E4%B8%BB には, 「照る照る坊主(てるてるぼうず)は、日本の風習の一つである。翌日の晴天を願い、白い布や紙で作った人形を軒先に吊るすもので、『照る照る法師』、『照れ照れ坊主』、『日和坊主(ひよりぼうず)』など地域によって様々な呼称がある。」 とあり, 「てり雛・てり法師・てりてり坊主・てるてる・てるてる法師・てるてる坊主・てれてれ法師」 といった異称があるらしい。そして, 「江戸中期既に飾られていたようである。この頃の人形は折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願した。19世紀はじめの『嬉遊笑覧』には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。」 とある。『江戸語大辞典』は,「てるてる法師(照々法師)」「てるてる坊主(照々)坊主」が載り, 「児女などが晴天を祈って軒下などにつるす紙人形。祈って天気となれば晴(ひとみ)を書き入れ神酒を供えた後,川に流す」 とある。 紙人形であった, ことと,晴れになったら, 晴(ひとみ)を入れて, 神酒を供えて, 川に流す, というのが,風習としてあったということになる。『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/te/teruterubouzu.html は, 「てるてる坊主は、中国から入った風習といわれる。 中国では、白い紙で頭を作り、赤い紙の服を着せ、ほうきを持たせた女の子の人形(『雲掃人形』や『掃晴娘』と呼ばれる)を 、雨が続く時に軒下につるして晴れを祈る風習があった。 ほうきを持っているのは、雨雲を掃き,晴れの気を寄せるためという。この風習が江戸時代に伝わり(一説には平安時代とも),当初は『照る照る法師(てるてるぼうし)』と呼ばれていたものが、『照る照る坊主(てるてるぼうず)』になった。現在でも地域によって『てるてる法師』や『てれてれ坊主』、『日和坊主』などと呼ばれる。 女の子から男の子に変化した理由は定かではないが、日照りを願う僧侶や修験者が男であったことからや、人形が頭を丸めた坊主のようであるところからと考えられている。」 とある。しかし,今日中国ではその風習はすたれ,今では中国でも日本から伝わったてるてる坊主のほうがメジャーだとか(一説にアニメ『一休さん』の影響らしい)。 「掃晴娘」の由来については,大体似た話が載るが,たとえば, https://wabisabi-nihon.com/archives/14405 に, 「昔々のある年の6月に、中国の北京は、これまでにない大雨に見舞われます。雨はいつまでもいつまでも降り続き、止む気配はありませんでした。大雨を降らせた『東海龍王』は、北京城内を雨水であふれさせ、人々を苦しめます。 そんなある夜、晴娘(ちんにゃん)という娘が、天に向かって祈りました。 「この雨が、一刻も早くやみますように・・・!」 すると、突然空からお告げがあったのです。 「晴娘よ、東海龍王の太子の妃になれ。もしも従わなければ、北京を水没させるぞ。」 その声を聴いた晴娘は、答えました。 「命に従って天に上ります。ですから、どうか雨をやませてください。」 その瞬間、突風が吹き、晴娘の姿は消えました。そして雨はピタリと止み、久しぶりに北京の街に、晴れ間が見えたのです。それ以来、人々は雨をやませるために犠牲になった晴娘を祀り、長雨のときには、紙で作った人形を、門にかけるようになったのだそうです。」 と。真偽はともかく,紙で作った人形というところは似ている。『大言海』には,「てるてる坊主」の意味に, 掃晴娘, をのせ,帝京景物略(明,劉洞)を引く。 「雨久,以白紙作婦人首,剪紅縁紙衣之,以苕菷苗縛小帚,令携之令攜之,竿懸簷際,曰婦晴娘」 とある。明代の風習とすると,江戸時代に入って来たものと思われる。とすると,あるいは, 掃晴娘, の由来話は,後世の創作の可能性がある。 ところで,童謡『てるてる坊主』(作詞・浅原鏡村)は, (1番) てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ (2番) てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ (3番) てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ だが,もともと「削除された幻の1番」というのがあって, てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう だそうだ(https://tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.html)。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
「くもる」は, 曇る, と当てる。『広辞苑』には, 雲を活用させた語, とある。「曇」(漢音ドン,呉音タン)の字は, 「『日+雲』で,雲が深くて日を隠すことを示す。底深く重い意を含む。雲が奥深く重なって重苦しいこと」 で,「雲」(ウン)の字は, 「云(ウン)は,立ち上る湯気が一印につかえて,もやもやとこもったさまを描いた象形文字。雲は,『雨+音符云』で,もやもやたちこめる水蒸気」 とある(『漢字源』)。しかし, https://okjiten.jp/kanji102.html は, 「会意兼形声文字です(雨+云)。『天の雲から雨水が滴(したた)り落ちる』象形と『雲が回転する様子を表した』象形から『くも』を意味する『雲』という漢字が成り立ちました。」 とする。しかし,「雲」の意味は, くも, 雲のようにもやもやしたもの, の意で,雨の落ちる意は含まない。後世の「字面」からの後解釈に思える。 さて,「曇る」であるが,『岩波古語辞典』『デジタル大辞泉』『大辞林』も, 「雲の動詞化」 とする。 『大言海』も, 「隠(くも)る義なりと云ふ(かくむ,かこむ。くくもる,くこもる)。曇ると云ふも,雲を活用せしめたる語なり。沖縄にて,クム,朝鮮にてクラム。」 と同様に,「雲の動詞化」説を採る。しかし,『日本語の語源』は, 「黒雲の中に(雨)コモル(籠る)は(天)クモル(曇る)に転音・転義をとげた。その名詞形のクモリ(曇り)は語尾を落としてクモ(雲)になった」 と真逆である。つまり, クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る), ではなく, コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲), ということだ。しかし,並べてみると,クモルあるいはコモルから「クモ」ができ,更にそれが動詞化するというよりは,クモルあるいはコモルから,クモルとなり,クモとなった方が,自然な気がするのだが,どうだろうか。 『日本語源広辞典』は,「雲」の語源を, 「隠る・籠る」と語源が等しいのだろうというのが通説, としており,それならなおさら, クモルあるいはコモル→くもり→くも, と見るのが妥当と思えるが,『日本語源大辞典』は,「雲の動詞化」以外, クモオフル(雲生)の義(東雅・類聚名物考), クモヰル・クモヲル(雲居)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣), クモ(雲)カサナルからか(和句解), コモル(籠)の義(志不可起・日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健), 「薫」(kum)の転音から(日本語原学=与謝野寛), 等々載せるが,「コモル」「クモル」以上の説は見当たらない。ただ,『日本語源広辞典』の,「くもり」について, 「語源は『雲+寄り』の変化です。『雲+り』で,曇天の意味を表します。『日+寄り』,つまり,日和に対する語です」 というら説明はちょっと気になるが,「日和」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%97%A5%E5%92%8C)の項 で取り上げたように,「日和」を「にわ」と訓ませ, 「万葉集の『にはよくあらし』を日の和(な)いだことと解して当てた字」(『大辞林』) 「日和の字は,万葉集256『飼飯の海の庭よく荒し』,同2609『武庫の海の爾波よくあらし』のニハを,後世,日の和らいだことと解して当てた『日和(ニハ)』という字面が,同義のヒヨリの語に当てられて新しく成立したもの」(『岩波古語辞典』) とあり, 海上の天気,または海上の天気の良いこと, の意味であり,「庭」を当て, 魚場, の意から転じて, 「風がなく海面の静かなさま」 という意味になる。『日本語源広辞典』の解釈は,こじつけということになる。 「くも」の語源は,『日本語源大辞典』に, コモル(隠・籠)の義(閑田耕筆・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海), 天体をコメル(籠)ところからクミと呼ばれ,それが転じたもの(日本古語大辞典=松岡静雄), クマ(隠)の転(言元梯), クグモルの義(桑家漢語抄), クモリの約(冠辞考), すべてをひきこめてしまうところからコムモロの反(名語記) といった,コモル・クモム系があり, 水気が集まってできるというところから,クム(組)の転(箋注和名抄・雅言考・碩鼠漫筆), クム(酌)から出た語。水をクミ(酌=雲)あげなければアム(浴=雨)ことができないことから(嚶々筆語), といった,クム系があり, 雲の姿から,クは内へまくり入る意,モは向かう義(仙覚抄), クはクラキの下略。モはモノ(物)か,モト(基)か,ヨモ(四方)のモか。また,いつも起こるところから,いつものモか(和句解), キムレヲリ(気群居)の義(日本語原学=林甕臣), 煙の上昇する意の「薫」(kum)の転音転義(日本語原学=与謝野寛), 朝鮮語で雲をいうkuramと同源か(万葉集=日本古典文学大系), クロシ(黒),クラシ(暗)等に含まれるアイヌ語に似た語根kurがあり,さらに朝鮮語kurum(雲)と比較すると,kumoはkur + moから来たか(日本語の系譜=服部四朗) 等々と諸説があるが,やはり,普通に考えれば, クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る), か, コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲), だろう。僕は,後者に与したい。 「おどし」は, 縅, と当てる。 鎧の札(さね)を糸または細い革で綴ること, である。 赤絲威(あかいとおどし)鎧, 等々といったりする。『平家物語』には, 「朽葉の綾の直垂に、赤革縅の鎧着て、高角打つたる甲の緒をしめ」 といった表現が載る。『広辞苑』は, 「『緒通し』の意。『縅』は国字。もと『威』と当てた」 とある。『漢字源』には, 「『糸+威』。をどしは,もと『緒通し』の意。意がおどし(威)に近く,また武具の部品であるので,『緒通し』を『威し』と考えてつくった字。威の訓を音符とした日本製の漢字」 とある。 とすると,『日本語源広辞典』の, 「鎧の札(サネ・鉄薄板)を,糸や革で綴ることをいいます。威光を示す意味から,次第に威しと意識されるようになった」 という説明は,前後が逆である。最初から,「威し」の意を含めて,「縅」の字を作っているのだから。 因みに「威」(イ)の字は, 「『女+戊(ほこ)』で,か弱い女性を武器でおどすさまを示す。力で上から抑える意を含む」 とある。「戊」(漢音ボ,呉音ム)は,十干の「つちのえ」だか, 「戉(エツ まさかり)に似た武器を描いたもので,その根元の穴が柄にかぶさるので,ボウ(=冒)という。のち十干の序数に当てられたため,原義は忘れられた。戈の一種で,矛(ボウ 突く武器)とは形が異なる。」 とある。 札(さね)は,『広辞苑』には, 「鉄または練革(ねりかわ)で作った鎧の材料の小板。上部を札頭(さねがしら),下部を札足(さねあし)と言う。これを横に重ねて革緒でからみ,糸または革の緒で縦に数段縅(おど)す」 とある。こうみれば,「おどし」は, 緒通す, で決まりのようだが,異説はある。 鎧の威の毛色で敵をおどすという意から(安斎雑考・両京俚言考), とある。しかし, 安斎雑考, は,江戸中期の有職故実研究書, 両京俚言考, は,江戸中期の国語辞典,である。いずれも,江戸期というところが鍵のようである。『図説日本甲冑武具事典』は, 「鎧の札板を上から下へ連接することをいう。江戸時代には『威し』の意味にしているが,『緒通し』の転訛である。」 としている。こんなものを「威し」とするほどに,江戸時代は戦いと無縁であったということかもしれない。 参考文献; 伊澤昭二監修『『図説戦国甲冑集』』(学習研究社) 笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
雉, 雉子, と当てる。日本の国鳥である。古語では, 雉子(きぎす), という。 きぎし, ともいう。 『岩波古語辞典』には,「きぎし」の項で, 鳴き声による名か, とある。『大言海』も,「きぎし」の項で, 「キギは鳴く聲。キキン,今はケンケンと云ふ。シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ),エビス),今は約めてキジとなる」 とある。 キギシ→キギス→キジ, という転訛である。『日本語源広辞典』も, 「キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語) とする。「ウグイス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)の項で, ウクイという鳴く聲,スは鳥の接尾語,「カラス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)の項で , 鳴き声「ころ」「から」+ス,「ホトトギス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9)の項で, 「ホトホト」という鳴き声+「ス」というのと同系と見ることができる。 ただ『日本語の語源』は,鳴声説だが,別の音韻変化説を採る。 「〈雉子も鳴かずば討たれまい〉(狂・禁野)というが,その鳴き声をとってキキトリ(鳥)といった。トリ[t(or)i]の縮約でキキチ・キギシ(雉子)・キギスに転音した。〈春の野にあさるキギシ(雉)の妻恋に〉(万葉)。さらに,『キ』を落としてキジ(雉)になった。」 キキトリ→キキチ→キキシ・キギス→キジ, という転訛を採った。 『日本語源大辞典』に, 「万葉東歌,記紀歌謡の仮名表記には『きぎし』とあり,古くは多く『きぎし』と呼ばれていたが,『古今六条』には『きじ』が六首,『きぎす』が二首見られる。後者は共に万葉の歌だが,『きぎし』から『きぎす』に移行した時期は不明」 とある。それでも,鳴き声以外の説を立てるのもあり, 低く飛ぶところから,ヒキシ(低)の上略(滑稽雑誌所引和訓義解), 子を思うあまり,野火にヤキシヌ(焼死)ところからか(和句解), と,なかなか苦しい。 ケン・ケーン, といまは聞くが,かつては, キキン, キンキン, と聞えたということだろう。『擬音語・擬態語辞典』には, 江戸時代中頃から,キジの雄鶏の鳴き声を, れんけん, と写すようになった,とある。因みに, 「けんけんほろろ」 は,雉(雄)の鳴き声と羽音だが,「けんもほろろ」は, 「『けんけん』に『けんけんほろろ』が重ねあわされて誕生した」 とある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店)
「やぶる」は, 破る, 敗る, と当てる。「やぶる」は,『岩波古語辞典』に, 「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」 とある。だから,まずは,物理的に, (堅いものを)くだく,こわす, (布・紙など平らなものを)裂く, という状態表現から,それをメタファに, 人を傷つける, ヒトの心に反するようなことをする, 妨げてダメにする, 守るべきものに反する,犯す, (固め・備え・護りなどを)突破する, さらに,意味の外縁を拡げて, 戦いや勝負ごとに相手を負かす, 相手を言い負かす, といった意味になり,ここで「敗る」と当てる。「破」(ハ)字は, 「『石+音符皮』。皮(曲線をなしてかぶせるかわ)とは直接の関係はない。」 とあるが,これではよくわからない。 https://okjiten.jp/kanji847.html には, 「形声文字です(石+皮)。『崖の下に落ちている石』の象形(『石』の意味)と『獣の皮を手ではぎとる』象形(『皮』の意味だが、ここでは『波』に通じ(『波』と同じ意味を持つようになって)、『波(なみ)』の意味)から、くだける波のように石が『くだける』を意味する『破』という漢字が成り立ちました。」 とする。「やぶる」「表面をやぶる」「こわす」という意味から見ると,後者の方がわかりやすい。 「敗」(漢音ハイ,呉音ヘ・ベ)は, 「貝(ハイ・バイ)は,二つに割れた貝を描いた象形文字。敗は『攴(動詞の記号)+音符貝』で,まとまったものを二つにわること。または二つにわれること。六朝時代は,割ることと割れることの撥音に区別があった。」 とある。 https://okjiten.jp/kanji671.html には, 「形声文字です(貝+攵(攴))。『子安貝』の象形(貝の意味だが、ここでは『敝(へい)』に通じ(『敝』と同じ意味を持つようになって)、『やぶれる』の意味)と『ボクッという音を示す擬声語・右手の象形』(『手で打つ・たたく』の意味)から『やぶれる』を意味する『敗』という漢字が成り立ちました。」 とある。「破」も「敗」も,「やぶる」意であり,それが,「敗」は「敗る」意へとシフトしたものらしい。『字源』には, 破は,わる,われるなり。又,裂なり。破竹,破甕,破卵,傘破の類。 敗は,成または勝の反。物のつぶれる義。急に物をわりやぶるは,破なり。いつとはなしにつぶれやぶれるは,敗なり。…破軍は,急に打ち破るなり。敗軍は漸くに敗りたるなり。 と,両者の区別をしている。『大言海』は,「やぶる」に, 破, 敗, の他に, 壊, 傷, 残, 敝, 裂, の字を当てている。『字源』によると, 壊は,くずれ毀(そこな)われるなり。やぶるとも訓む。破壊,敗壊,崩壊などと用ふ。 傷は,きずつきやぶれるなり, 敝は,完の反。衣服の古びやぶれる義。敝衣,敝箒。 裂は,ひきさくなり,大小に通じて広く用ふ。 残は,そこなふとも訓む。あれのこる義, さて,「やぶる」の語源であるが,『大言海』は, 破毀(やれこぼる)の義, とする。他に, イタハグラス(板剥)の反(名語記), 矢触の義か(和訓栞), ヤベアル(矢方有)の義(名言通), ヤフル(屋古流)の義(柴門和語類集), ヤブル(屋古)の義か(和句解), ヤブル(弥古)の義か(和語私臆鈔), ヤブウル(得)の約で,ヤはイヤ(弥)の略,ブは広がり進む意(国語本義) 等々と諸説あるが, 「やる」で, 破る, と当てる。「やる」と「やぶる」の何れが古いのかは,わからないが,『岩波古語辞典』は,他動詞「や(破)り」と自動詞「や(破)れ」を載せ,前者は, 「紙や布などの,漉きめ織り目を無視して引きちぎる」 意とあり, 「めでたき御紙づかひ,かたじけなき御言の葉を尽くさせ給へるを,斯くのみヤラせ給ふ,なさけなきこと」(源氏) と用例を載せ,後者は, 「(紙や布地・垣根などが)裂け目ができてちぎれる」 意とし, 「衣こそばそれヤれぬれば,継ぎつつもまた合ふといへ」(万葉) と用例を載せる。どうやら「やぶる」と「やる」は併存してきた。とすると,「やぶる」の語源の説明は, や(破)る, について,説明できなくてはならない。『日本語源広辞典』は,「やぶれる」の項で,『大言海』の「やりこぼつ」を, 「音韻変化上,疑問です。」 としながら, 「紙,布などを裂く,裂いてだめにするヤブルが,語源に近く,平滑な板状のものをこわすのをヤブル,戦いをしてヤブル(破る・敗る)も同源と考えます。」 とあるのは,説明になっていない。 「や(破)る」を考えたとき,「や」の動詞化,ということを思いつく。ここからは臆説である。で,「や」を「弥」と考えるか,「矢」と考えるか,といえば,「矢」であろう。「弓矢」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E5%BC%93%E7%9F%A2) で触れたが,「矢」の語源には, ヤリ(遣)の義(名言通・大言海), ヤル(遣)の義(日本釈名・日本声母伝・天朝墨談), ヤ(破)の義(東雅), ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ), ハヤ(早)の義(言元梯), 竹を並べたところが胡簶(やなぐい)に似ているところから,ヤナの反(名語記), イヤル(射遣)の義(言葉の根しらべ), イヤリ(射遣)の義(日本語原学), イル(射る)の転,イラの約(和訓集説), 射る時の音からか,また,ハ(羽)の転か(和訓栞), 当たるか当たらぬかはさだめがたいところから,疑問詞のヤ(国語本義), 等々ある中で, ヤ(破)の義(東雅), ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ), の説が気になる。「やる」は, 矢, の動詞化なのではないか,と思うのである。 矢る→や(破)る→やぶ(破)る, と。臆説ではある。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 簡野道明『字源』(角川書店) 「あおる」は, 煽る, と当てるが, 風や火の勢いで物を動かす, 物を前に進めようと手や足を動かす, そそのかす, 鐙で泥障(あおり)を蹴って馬を急がせる, 写真撮影で低い位置からカメラを上向きにする, 等々の意味がある。『由来・語源辞典』 http://yain.jp/i/%E7%85%BD%E3%82%8B は,「煽る」の語源を, 「もとは、乗馬で、鐙(あぶみ)で障泥(あおり)を蹴って馬を急がせることをいった。障泥は、馬の両脇腹を覆う革製の泥除けのこと。」 とする。『岩波古語辞典』も,「あふ(煽)り」の項で, 鐙で馬の原を蹴って進ませる, 風などが吹き動かす, と意味を並べている。『日本語源大辞典』も, 「鐙で馬の泥障(あおり)を蹴って急がせる」 と載せる。「あおり」は, 障泥, 泥障, と当てる。「泥障」は, 鞍の下に切付(きりつき)・肌付(はだつき)という韉(したぐら)を載せる。泥障は革製のものを言い,切付が小型化したため,鐙は重みで内屈して乗りにくくなるので,それを支えるために堅い革板を垂れたのが始まりであり,また鐙で馬に合図するのに,重い鐙で馬腹を傷つけるのを防ぐために付けた, とされる。室町時代末期,つまり戦国期に流行した,という。しかし,『大言海』は,「あふる」について, 「あふる(翻る)」 あふぐ(扇ぐ)の自動詞。風に吹かれて動く, 「あふる(煽る・翻る)」 「あふ(翻)るの他動詞。吹き動かす。 「あふる(足触る)」乗馬して両の鐙にて馬の両脇を挟み打つ, と,別項を立てる。「あふる(足触る)」は, 「足触(あしふ)るの略(足塞(なへ)ぐ,あなへぐ)。名詞形に足觸(アフリ,障泥と云ふ,四段活用の,触るなり。自動を他動に用ゐる…,アオルと発音するは,倒(たふ)る,たおる。扇(あふ)ぐ,あおぐの例なり) とある。 『日本語源大辞典』に,「あおる(煽る)」の語源は, アシフル(足振)か(名語記), アシフル(足觸)の略(大言海), 「あおり(泥障)」の語源は, アオ(煽)ルの連用形から(広辞苑), アフル(足触)の名詞形(名語記・東雅・大言海), アブミスリの中略であろう(類聚名物考), アハリ(足張),またはアヲリ(足折)の義(日本釈名), 馬に乗る時のに足を折りかがめる意のアヲリ(足折)からか(和句解) 等々あるが,普通に考えれば, アフル(足触), だろう。しかし,それと, あおる(煽る), という言葉の, 風や火の勢いで物を動かす, 物を前に進めようと手や足を動かす, そそのかす, という意味とはつながらない。腹を蹴って,馬に合図するのは,進めという意ではあっても,必ずしも「煽る」意ではない。「煽」(セン)字は, 「扇は,『戸+羽』の会意文字で,門に付けられた羽のような扉をあらわし,扉に似た形をしてぱちぱちと風をあおるうちわもあらわす。煽は『火+音符扇』で,火をあおること」 で,明らかに, 扇ぐ, 意である。それなら, 煽る, に通じる。『日本語源広辞典』は, 「アフル(風を起こして物を動かす)です。」 とし,それが, 呷る, にも通じるとする。これが正解だろう。因みに,「アオリイカ」の「アオリ」とは, 泥障, の意である。「幅広いヒレ」が泥障(あおり)に似ているからとか。 参考文献; 笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
「さえずる」は, 囀る, と当てる。「囀」(テン)の字は, 「『口+音符轉(テン)』。轉(転)は,転がす意を含むが,囀はそれと同義」 で, 玉を転がすように続けて鳴く, 意らしい。 ところで,鳥の鳴き方には, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E7%94%A8%E8%AA%9E#%E3%81%95%E3%81%88%E3%81%9A%E3%82%8A によると,「さえずり」と「地鳴き」がある。「さえずり(英:bird song)」は, 「主に縄張り宣言や雌を呼ぶために、繁殖期の雄が発する鳴き声。中でも鳴禽類は鳴管の筋肉がよく発達しており、高度なさえずりをする種がある。」 で,「地鳴き(じなき、英:bird call)」は, 「さえずり以外の鳴き声。主に繁殖期以外での鳴き声を言う。一例として、ウグイスのさえずりが「ホーホケキョ」、地鳴きが「チャッチャ、チャッチャ」。ほかには警戒や威嚇の際の鳴き声、雛を呼ぶときなどの鳴き声を言う。状況に応じ使い分ける。」 とある。「地鳴き」は比較的「さえずり」に比べると,僕には四十雀が象徴的だが,地味かもしれない。 さて,「さえずる」は,『広辞苑』には, 「サヒヅルの転」 とある。『岩波古語辞典』には,「さひづり」は。 「サヘヅリの古形」 とある。『大言海』は, 「サヘは,喧語(さへ)くの語根…,ツルは,あげつらふ(論),引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比は,閇(へ)の音に用ゐたるなり」 とあり,「喧語(さへ)くの語根」との関連で,「コトサヘク」の項で, 「コトは,言ナリ,サヘクは,四段活用の動詞ニテ(名詞形に,佐伯となる)囀る,喧(さばめく)と通ず。」 とあり, 「つらふのツラフと通づ」の項で, 「萬葉集『散釣相(サニツラフ)』『丹頬合(ニツラフ)』の釣合(ツラフ)にて,牽合(ツリア)フの約(関合[かかりあ]ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり」 として, 喧語(さへ)く+縺合(もつれあ)ふ, とする。鳥が騒がしく喋りまくっている,という感じであろか。よく主意は伝わる。『日本語源広辞典』は, 「擬音さへ+ク(動詞語尾)」 が語源とし, 「さわがしく物を言う意で,これにズル(動詞化)をつけた再動詞」 とするのも,構造は同じである。これと類する説を,『日本語源大辞典』は, サヘは擬声語か(時代別国語大辞典−上代編), サヘは擬声語で,ヅルは音ヅルなどと同じか(小学館古語大辞典), サヘはサヘク(喧語)の語根。ツルはアゲツラフ,ヒヨ(引)ツラフのツラフと通じる(大言海), の諸説以外に, 障りて通じがたいところからサヘ(障)出るの義(和句解), サヘツル(栄連)の義(言元梯), サヘツレル(清連)の義(名言通), 曲節をつける意で,シハユリナクランの反(名語記), 弁舌をよくするものの意で,サヘツル(才出)の義か(和句解), も載せるが, さわがしい+連, か 擬声語+連, というところなのではないか。それなら,「囀」の字の意味と重なる。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社) 「はれる」(はる)は, 晴れる, 霽れる, と当てる。 雲や霧が消えて去ってなくなる, 雨や雪が降りやむ, とい意味だが,それをメタファに, 心のわだかまりが解けさる, 疑いなどが解けて潔白になる, 視界が開ける, といった意味にも使う。『岩波古語辞典』の「はれ」の項には, 「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって広々となるさま」 とある。「はら(原)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%82%89%EF%BC%88%E5%8E%9F%EF%BC%89) の項で触れたように,「腹」の語源の一つには,「ハラ(原)」があり,人体の中で広がって広いところ,の意,という説がある。『大言海』は, 「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」 とし,「原」の項では, 「廣(ひろ),平(ひら)と通ず。或いは開くの意か。九州では原をハルと云ふ。」 とある。これは,『岩波古語辞典』の, 「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって,広々となる意」 と通ずる。面白いのは,『大言海』は「はる」の項で, 墾, 治, という字を当てるものは, 「開くの義,開墾の意,掘るに通ず」 とし, 晴, 霽, の字を当てるものは, 「開くの義,履きとする意」 として,いずれも「開く」につながるのである。その意味は, パッと視界が開く, 晴れ晴れ, という感じと似ているが,それは, 開いた(開墾した), という含意があることらしい。つまり,開く(開墾する)ことで,開けたという意味である。 『大言海』の「はる(晴る・霽る)」に, 「開(はる)くの義。はきとする意」 通ずる気がする。「はるく」 開く, は, 晴れる, 意とある。『日本語源広辞典』に,「晴れ」について, 晴・墾・原と同源, とし, 「空に障害物,雲,霧などがなく,ハレバレとした様」 とあるのも同旨である。 『日本語源大辞典』には, ハルカアル(遥有)の転か(名言通), ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子), ハルク(開)の義(大言海), ハアル(開生)の義(国語本義), ハラフ(払)の義(言元梯), 払い除けられたように散る意から(国語の語根とその分類=大島正健), ハル(墾)・ハラ(原)と同根か(岩波古語辞典), とあるが,「開く」という感覚が,一番しっくりくる。『岩波古語辞典』が「晴れと同根」とする「はるか」を,『大言海』は, 開處(はるか)の義, とするが,それも「開く」ところから来ているとみていい。 『日本語源広辞典』は,「はるか」について, 「ハル(ハルバルの意)+カ(接尾語)」 で,遠く離れた状態をあらわす,という。もとは,空間的な意味だが,時間的にも使う,とある(『岩波古語辞典』)。その, 人からの遥かに離れた感覚, が, 広がり, を感じさせ, はるけき, はるかす, といった遠い感じだけでなく,視界が開く感じにも,意味はつながっていく。「はるか」に開いた「晴れ」だからこそ,「はら(原)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%82%89%EF%BC%88%E5%8E%9F%EF%BC%89) で触れたように,「ハレ(晴れ、霽れ)」は,普段の生活である「日常」(「ケ(褻)」)の軛から脱するとき開放感を表してしている。僕には, はれ, はるか, はるばる, は,そういう気分や状態を表す擬態語だったのではないか,という気がしてくる。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 「あめ」は, 雨, と当てる。 「雨」(ウ)の字は, 「天から雨の降るさまを描いたもので,上から地表を覆ってふる雨のこと」 とある(『漢字源』)が, https://okjiten.jp/kanji103.html は, 「天の雲から水滴が滴(したた)り落ちる」 象形を描いてわかりやすい。『岩波古語辞典』は, 「アマ(天)と同根」 とする。『大言海』は, 「天水(アマミズ),アマミ,アメと約転したる語。東雅,雨『アメとは,天水也』。萬葉集に『妹が目(メ)を欲り』など云へるメは,目見(マミ)の約なり,…ツを略するば,出水(イズミズ),泉。水草,みくさの例あり。雨を,天津水(あまつみず)と云ひ,天水(てんすゐ)と云ふ。沖縄にて,アミ」 とある。 『語源由来辞典』 http://gogen-allguide.com/a/ame.html の言う通り, 「雨は、古くから草木を潤す水神として考えられており、雨乞いの行事なども古くから存在する。『天』には『天つ神のいるところ』といった意味もあるため、雨の語源は、 上記『天』『天水』のいずれかであると考えられる。」 雨の語源は、大別すると、 「天(あめ)」の同源説 と 「天水(あまみづ)」の約転とする説 にわかれる。しかし, http://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.html に, 「雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。『天』には『天つ神のいるところ』との意味があり、そのため雨の語源と考えられている。」 とあるように,「天」そのものと見るか,その降らせる水にするかの違いで,両者にそれほどの差はない。 『日本語源広辞典』は, 「語源は,天(アメ,アマ)と共通の語源であろうという説が有力です。大言海は『アメ(天)+ミ(水)』説です。アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水が,雨なのです」 とまとめる。 アマミズ(天水)の約転(名語記・東雅・言元梯・名言通・和訓栞・大言海・国語の語根とその分類=大島正健)。 アメ(天)と同語(和句解・日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄), の二説が大勢だが,しかし,これ以外にも, アム(浴)の転(嚶々筆語), という説もある。 アマモレ(天降)の約(和訓集説), は,天水と同じだろ。 因みに,「雨」が頭にくると, 「雨模様」 は, 「あまもよう」 と訓む。他にも, 「雨粒 (あまつぶ) 」 「雨脚 (あまあし) 」 「雨傘 (あまがさ) 」 「雨靴 (あまぐつ) 」 「雨垂れ (あまだれ) 」 「雨合羽 (あまがっぱ) 」 「雨蛙 (あまがえる) 」 等々。「あま」は, あめ(雨), の古形ではあるが,同時に, アメ(天)の古形, でもある。「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には, 「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。」 とある。とすると, 雨=天, ではなく,やはり, 天水, と考えるのが妥当のように思える。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 「天児」は, あまがつ, と訓む。 天倪, 尼児, とも当てる。『広辞苑』には, 古く。祓(はらえ)に子供の傍に置き,形代(かたしろ)として凶事をうつし負せるために用いた人形。」 とある。『人形事典』には, 「平安時代からある。形代から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられるもので、日本の人形の祖型の一つである。」 とある。 『日本大百科全書(ニッポニカ)』には, 「幼児の守りとして身の近くに置き、凶事をこれに移し負わせるのに用いる信仰人形。幼児用の形代(かたしろ)として平安時代に貴族の家庭で行われた。『源氏物語』などの諸書には、幼児の御守りや太刀(たち)とともにその身を守るまじない人形の一種として登場する。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道祐(どうゆう))によると、30センチメートルほどの丸い竹1本を横にして人形の両手とし、2本を束ねて胴として丁字形のものをつくり、それに白絹(練り絹)でつくった丸い頭をのせる。頭には目鼻口と髪を描く。これに衣装を着せて幼児の枕元(まくらもと)に置き、幼児を襲う禍(わざわい)や穢(けがれ)をこれに負わせる。1830年(文政13)刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節(きたむらのぶよ))には子供が3歳になるまで用いたとある。天児を飾ることは室町時代に宮中、宮家などで続いてみられ、江戸時代には民間でも用いられるようになった。また天児と同じ時期に発生した同じような人形に縫いぐるみの這子(ほうこ)があり、江戸時代に入ると天児を男の子、這子を女の子に見立てて対(つい)にして雛壇(ひなだん)に飾り、嫁入りにはこれを持参する風習も生まれた。」 と詳しい。「這子(ほうこ)」は, はいこ, とも訓み,文字通り, 這っている人形, 幼児の這い歩く姿をかたどった人形, である。 御伽(おとぎ)這子, とも言った。『人形辞典』には,「這子・婢子」と当てて, 「平安時代(794〜1192年)からある小児の遊び物。はじめは天児と同様、小児の祓いの人形だった。首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒糸、這う子にかたどってあるので、こう名付けられた。別名をお伽婢子(ほうこ)ともいう。」 とある。将に,人形のはしりである。 「天児」と「這子」は,『大辞林』には, 「古代,祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き,形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形」 であった「天児」が, 「後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて,幼児のはうような形に作り,幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。」 とある。 「孺形(じゆぎよう)」 ともいうらしい。 「形代」とは, 「神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種。人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた物を指す。」 元々は,神を祭る際に,神霊の代わりとして据えたもの, を指すが,みそぎ・禊(はらえ)などに用いた人形(ヒトカタ)を指すようになる。で, 「人の身についた穢れや厄を託して,海や川に流すもの。神霊の依代 (よりしろ) の一種と考えられている。多くは紙の小さな人形 (ひとがた) であるが,ところによってはわら人形や,食物に託すこともある。鳥取県の流し雛も形代の一種で,川に流したり,氏神様の境内に納めたりする。疫病神や悪霊の依代とされて,毎年村境に送られるわら人形や,神聖なものとされている削り掛けや鏡,玉,臼,杵なども形代の一つである。しかし一般には,なで物といわれる,穢れを託して送ってしまうものをさす場合が多い。」(ブリタニカ国際大百科事典) さて,では「天児」の語源は,何か。『大言海』は, 「春雨抄(寛永)に,天兒,源氏物語,河海抄に,尼兒と記せり。或は,天聞勝(あまかつ),天目勝(あまかつ)などともあり,語原詳ならず。先輩の明解も索め得ず,強いて言はば,天禍津靈(アママガツビ)の約略(河津蛙[かはずかへる],河蝦[カハズ]。秋津蟲,蜉蝣[あきつ])。禍津靈を負はする物の意か。牽強ならむか,再考に付す」 と,苦しげである。 『日本語源大辞典』には, 目勝(アマカツ,あるいはマナカツとよむか)の義,一説にアヅマワラハ(東豎子)を模すともいう(和訓栞), アマガメ(天母形)の転(嬉遊笑覧), アメガチコの約転(貞丈雑記), アマガツ(天勝)の義(名言通), オモガタ(母像)の転か(日本語源=賀茂百樹), と諸説載るが,確かに苦しい。 天兒, は当て字なので,ここから探るのは難しいのだろうか。 なお天児(あまがつ)と這子(ほうこ)については, https://www.hinaningyou.jp/know02.html に詳しい。 参考文献; 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 「ほうき」は, 箒, 帚, と当てる。「帚」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は, 「柄つきのほうきうを描いたもので,巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる。」 とある。「箒」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,帚の異体字。 「ほうき」は,ほとんどの辞書が, ハハキの転, としている。『日本語源大辞典』は, 「語形としては『十巻本和名抄−四』『色葉字類抄』『観知院本名義抄』などには『ハハキ』とある。節用集や下學集の中には『ハハキ』『ハワキ』とするものがあるが,室町時代には『ハウキ』が優勢となっていた。『日葡辞典』では,『Foqi(ハウキ)』となっている一方,『fauaqigui(ハウキギ)』『tambauaqi』(タマバワキ)などハワキの形も見られる。」 と,語形変化を説く。 ハハキ→ハワキ→ハウキ・ハワキ→ホウキ, といった変化であろうか。 「ははき」は,『岩波古語辞典』に, 「羽掃きあるいは葉掃きか」 とある。『日本語の語源』は, 「落葉を掃き寄せる道具をハハキ(葉掃き)といったのがホホキ・ホフキ・ホウキ(箒)になった」 としている。『由来・語源辞典』 http://yain.jp/i/%E7%AE%92 「もとは鳥の羽を用いたことから、『羽(は)+掃(は)き』と考えられる。」 とする。 羽掃き, か 葉掃き, かの断定は難しそうだ。ただ, https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8D には, 「『ほうきで掃く』を意味する動詞『ははく(>はわく)』の連用形名詞化。」 「羽箒を用いた掃き掃除を意味する『ははき(羽掃き)』から転じた言葉とも。」 とあるので,あるいは,用途に応じて,素材を変えていたということも考えられる。たとえば, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%92 には, 座敷箒(ざしきぼうき) 土間箒(どまぼうき) 庭箒(にわぼうき) 荒神箒(こうじんぼうき) 茶道具の羽箒, 等々がある。 http://azumahouki.com/know/history/ には, 「古くは実用的なお掃除道具ということ以上に、神聖なものとして考えられており、箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると言われていました。日本最古の書物『古事記(712年 奈良時代)』には、『玉箒』や『帚持(ははきもち)』という言葉で表現されており、実用的な道具としてではなく、祭祀用の道具として登場しています。」 とあり,荒神箒は,その名残りかも知れない。『世界大百科事典 』には, 「正倉院には、養蚕儀礼用ではあるが、『子日目利箒(ねのひのめのとぎぼうき)』という奈良時代の箒が残っている。これはキク科のコウヤボウキの茎を束ねて根元を革紐(ひも)で結んだもので、ガラスの小玉の飾りがついており、柄はついていない。また、民俗的な伝承が多く、妊婦の腹を箒でなでたり、産室にこれを立てておくと安産になるといった出産に関する信仰が古くからある。これは古くは産室にカニをはわせる習慣があり、そのために箒を使ったことからきており、カニの脱殻作用を霊肉の更新と結び付けた古代人の信仰によるものといわれる。」 ともある。『日本語源大辞典』には, 「『古事記上』に,天若日子の死に際して鷺を『箒持(ははきもち)』としたことが述べられ,『古語拾遺』(嘉禄本訓)には豊玉姫命の出産に際して天忍人命が『箒(ははき)』で蟹を払ったことが記されている。後世箒を逆さに立てて長居の客を帰すまじないにもみられるように,『ほうき』は呪術的な意味を持つ道具であったことがわかる。」 とある。もともと「掃く」という行為は,浄めるという含意がある。「掃く」こと自体が,特別な動作だったのかもしれない。その道具「ほうき」も特別な物だったといっていい。 参考文献; 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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