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コトバ辞典


うづき


「うづき」は,

卯月,

と当てる。陰暦四月の異称である。陰暦四月には,この他,

陰月(いんげつ),植月(うえつき),卯花月(うのはなづき),乾月(けんげつ),建巳月(けんしげつ),木葉採月(このはとりづき),鎮月(ちんげつ),夏初月(なつはづき),麦秋(ばくしゅう),花残月(はなのこりづき),孟夏(もうか),

等々の異名があるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88)。

『広辞苑』には,「うづき」の由来を,

「十二支の卯の月,また,ナウエヅキ(苗植月)の転とも」

と載せる。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uzuki.html

は,

「卯月は、卯の花が咲く季節なので、『卯の花月』の略とする説が有力とされ、卯月の『う』 は『初』『産』を意味する『う』で、一年の循環の最初を意味したとする説もある。 その他、 稲を植える月で『植月』が転じたとする説もあるが、皐月の語源と近く、似た意味から別の月名が付けられたとは考え難い。 また、十二支の四番目が『卯』であることから、干支を 月に当てはめ『卯月』になったとする説もあるが、他の月で干支を当てた例がないため不自然である。仮に、卯月だけに干支を当てられたとしても、月に当てられる干支は一月から順ではなく、陰暦の四月が『巳』,『卯』は陰暦の二月である。」

と,「干支の卯」説には批判的である。『デジタル大辞泉』も,

「卯の花月。卯の花の咲く月の意とも、稲の種を植える植月(うつき)の意ともいう。」

と,「卯の花月」を採る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88

は,

「卯月の由来は、卯の花が咲く月『卯の花月(うのはなづき)』を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。『卯の花月』以外の説には、十二支の4番目が卯であることから『卯月』とする説や、稲の苗を植える月であるから『種月(うづき)』『植月(うゑつき)』『田植苗月(たうなへづき)』『苗植月(なへうゑづき)』であるとする説などがある。他に『夏初月(なつはづき)』の別名もある。」

と,やはり「卯の花月」に傾く。さらに,『日本語の語源』もまた,

「幹が中空であるところからウツロギ(空木)といったのがウツギ(空木)になった。初夏,白い鐘の形の花がむらがり咲く。それをウツギノハナ(空木の花)と呼んだのが,ウノハナ(卯の花)と略称された。陰暦四月をウノハナヅキ(卯の花月)といったのがウヅキ(卯月)になった。」

とする。しかし,『日本語源広辞典』は,三説挙げ,

説1 「雨+月」。雨の多い月の意,
説2 「植+月」。苗を植える月の意,
説3 「卯の花月」。卯の花の咲く月の意,

その上で,

「説3が通説ですが,当てた漢字が付会かもしれません」

としている。つまり,「卯月」と当てた字を以って後解釈なのかもしれない,という意である。「卯(漢音ボウ,呉音ミョウ[メウ])は,

「指示文字。門をむりに開けて中に入り込むさまを示す」

とある。干支の「卯」であるが,卯の花の意味は,ここにはない。「卯の花」とは,

ウツギ,

のことである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE

によると,

「ウツギ(空木、学名:Deutzia crenata)はアジサイ科ウツギ属の落葉低木。ウツギの名は『空木』の意味で、茎が中空であることからの命名であるとされる。 花は『うつぎ』の頭文字をとって『卯(う)の花』とも呼ばれ」

る,とある。因みに,「オカラ」を「卯の花」と呼ぶのは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89

によると,

「『から』の語は空(から)に通じるとして忌避され、縁起を担いで様々な呼び名に言い換えされる。白いことから卯の花(うのはな、主に関東)、包丁で切らずに食べられるところから雪花菜(きらず、主に関西、東北)などと呼ばれる。『おから』自体も「雪花菜」の字をあてる。寄席芸人の世界でも『おから』が空の客席を連想させるとして嫌われ、炒り付けるように料理することから『おおいり』(大入り) と言い換えていた。」

とある。『たべもの語源辞典』は,

「この花の色が白くておからに似ているところからの名である。おからのカラ(空)をきらって,ウ(得)の花としたという説もあるが,これは良くない。ウは『憂』に掛けたりすることが多い。」

としている。

しかし,どうも,「卯の花」説は,他の月の命名との一貫性が損なわれる気がする。

陰暦一月の 睦月(むつき http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D) で触れたように,『大言海』は,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし, 

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていたし,陰暦二月の如月 (きさらぎ http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%8E) も,

『大言海』は,

「萌揺月(きさゆらぎづき)の略ならむ(万葉集十五 三十一『於毛布恵爾(おもふえに)』(思ふ故に),ソヱニトテは,夫故(ソユヱ)ニトテなり。駿河(するが)は揺動(ゆする)河の上略,腹ガイルは,イユルなり,石動(いしゆるぎ)はイスルギ)。草木の萌(きざ)し出づる月の意。」

として,「むつき(正月)の語源を見よ」として,「むつき(睦月・正月)」との連続性を強調していた。当然陰暦十二月の師走(しわす http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%97%E3%82%8F%E3%81%99)も,『大言海』は,

「歳極(としはつ)の略転かと云ふ。或は,万事為果(しは)つ月の意。又農事終はる意か,ムツキを見よ。」

と,「睦月」との関連性を強調していた。陰暦三月の弥生(やよい)についても『大言海』は,

「イヤオヒの約転。水に浸したる稲の實の,イヨイヨ生ひ延ぶる意」

と,月名に農事との関わりを一貫して守り続けている。そして,「卯月」についても,

「植月(うつき)の義。稲種を植(う)うる月,ムツキ(睦月)の語源を見よ」

とし,睦月との一貫性を崩さない。突然四月になってウツギと関わらせるのは,どう考えても無理筋ではあるまいか。

『日本語源大辞典』には,『大言海』以外のものとして,農事と関わらせる説が,

すでに播いたものがみな芽を出すことから,ウミ月の略か(兎園小説外集),
ウは初,産などにつながる音で,一年の循環の境目を卯月とする古い考え方があって,その名残りか(海上の道=柳田國男),

がある。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると,「卯月」は,

「この月より季節は夏に入り、衣更(ころもがえ)をした。また、この月の8日を『卯月八日』といって、この日には近くの高い山に登り、花を摘んで仏前に供えたりする行事があった。この日はまた釈迦(しゃか)の誕生日でもあり、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭などといって、誕生仏を洗浴する儀式が行われ、甘茶などを仏像にかける風がある。参詣(さんけい)者はこの甘茶をもらって飲んだり、これで墨をすって、『千早振る卯月八日は吉日よかみさけ虫をせいばいぞする』と紙に書き、便所や台所に貼(は)って虫除(よ)けとする俗信があった。」

とある。それが「卯の花」とは到底思えない。翌「皐月」は,

「早苗月」

とも言うそうだから,なおさらである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE
https://ja.wikipedia.org/wiki/4%E6%9C%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%82%89
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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サザンカ


「サザンカ」は,

山茶花,

と書く。『広辞苑』は,

「字音サンサクワの転」

とある。「サザンカ」とは,

学名: Camellia sasanqua),ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹,

である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sazanka.html

は,

「サザンカは,中国語でツバキ科の木を『山茶』といい,その花を『山茶花』と称したことに由来する。『山茶』と呼ばれる由来は,端が茶のように飲料となることから,『山に生える茶の木』の意味である。日本では,中世に山茶花の名が現れるが,当時は『サンザクワ(サンサクワ)』と文字通りの発音であった。これが倒置現象によって,江戸中期頃から,『サザンクワ(ササンクワ)』となり,『サザンカ』となった。古く,『山茶花』は『椿』と同じ意味の漢語として扱われ,『日葡辞典』でも,『ツバキと呼ばれる木の花』と解説されていたが,江戸時代には入り,現在で言う『サザンカ』を指すようになった。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB

によると,

「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである『サンサカ』が訛ったものといわれる。もとは『さんざか』と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。」

とある。しかし,

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

によると,

「万葉時代、奈良朝では隋、唐に遣随使、遣唐使を派遣して日本の特産樹、特産油である椿、椿油が中国に渡ったが、当時の中国文化の中心は北方にあって、そこは温暖な地域で育つ椿の分布圏ではない。したがって、その漢名などあろうはずもなく、日本人のつけた漢名である海石榴、海石榴油の文字が椿、椿油といっしょに導入れたのだ,とされます。(中略)椿は日本から中国へ舶載された数少ない特産物の一つでありました。
 現代では、中国においてカメリア科、カメリア属を指す語は『茶』でありますが(茶科、茶属)、葉や新芽を摘んで茶にするものも『茶』、種子から油を採るものは『油茶』、花を鑑賞するものを「茶花」と呼んでいます。」

とあるので,「山茶花」のもとの「山茶」は,日本から伝来した「ツバキ」に由来するらしい。この説によると,「ツバキ」として献上され,「山茶花」として戻ってきたことになる。しかし,山茶花と椿は,別である。

「ツバキ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2

に,

「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。」

とあり,「サザンカ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB

に,

「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来」

とあり,中国へ伝播したときは,「ツバキ」だが,ツバキ類一般に概念が広がり,日本へ「山茶」として戻ってきたときは,「サザンカ」と限定された,ということになるのか。「ツバキ」については,別途触れるとして,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD#cite_note-2

に,サザンカとの見分け方として,

「・ツバキは花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが(花弁がばらばらに散る園芸品種もある)、サザンカは花びらが個々に散る。
・ツバキは雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが、サザンカは花糸がくっつかない。
・ツバキは、花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)。サザンカは、ほとんど完全に平開する。
・ツバキの子房には毛がないが(ワビスケには子房に毛があるものもある)、サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある
・ツバキは葉柄に毛が生えない(ユキツバキの葉柄には毛がある)。サザンカは葉柄に毛が生える。」

と載る。ツバキ(狭義のツバキ。ヤブツバキ)とサザンカはよく似ているが,特に,原種は見分けやすくても,園芸品種は多様性に富むので見分けにくい,とある。

さて,「サザンカ」の語源は,したがって,

http://yain.jp/i/%E5%B1%B1%E8%8C%B6%E8%8A%B1

の,

「中国で、葉が茶に似ていることから『山茶』とよばれ、その花を『山茶花』とした。日本では中世のころは『さんざか』と呼んでいたが、音位転換して現在の『さざんか』と呼ばれるようになった。」(『由来・語源辞典』)

に尽きているのかもしれない。ただ,『日本語の語源』は,異説を挙げ,

「花のない冬,四国・九州の暖地に美しい花が咲き乱れているところからサキサカル(咲き盛る)花と呼んだ。『キ』の撥音便でサンサカ(山茶花)になり,転位してサザンカ(山茶花)という」

としている。もともと「ツバキ」と「サザンカ」は別種としてある。とすれば,「山茶」として逆輸入されたとき,元々あった名を当てたと考えられなくもない。なぜなら,

「山茶は,ツバキ」

と,『字源』にはある。「山茶」が入ったとき,「ツバキ」とは区別するために「サザンカ」に,「山茶」を当てた,とも考えられる。

「音位転換」(おんいてんかん、英語: metathesis)とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E4%BD%8D%E8%BB%A2%E6%8F%9B

に,

「言語の、とりわけ語形の経時変化や発音・発語に関連した言葉で、語を構成する音素の並び順(以下、音の並び)が入れ替わってしまうこと。英語のまま『メタセシス』と呼ばれることもある。
かなとかなが入れ替わる形で(より正確にはモーラを単位として)起こることが比較的多いが、子音だけが入れ替わったり、複数のモーラがまとまって動くようなケースもなくはない。子どもがよく間違える。『タガモ(卵)』『すいせんかん(潜水艦)』『ふいんき(雰囲気)』など。アニメ映画『となりのトトロ』では妹のメイがトウモロコシをちゃんと言えずトウモコロシと言ったり、オタマジャクシをオジャマタクシと言ってしまったりする。北陸では「生菓子」を「ながまし」というように方言として定着する場合もある。」

とある。

http://studyenglish.at.webry.info/201310/article_3.html

には,「シミュレーション」を「シュミレーション」と言ってしまうのもその例としていたが,

「音位転換の中にはすっかり日本語として定着してしまって原形が忘れられているものもあります。(中略)「だらしない」はそもそも「しだらない」という言葉が変化したそうです。和語では濁音を文頭に置くと印象が強くなるためそうなったのではという説があります。」

として,音位転換の例を,

しだらない→だらしない
あらたし→あたらしい(新しい)
さんざか→さざんか
したつづみ→ したづつみ(舌鼓)
あきばはら→あきはばら

等々の例を挙げている。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ツバキ


「ツバキ」は,

椿,
海石榴,
山茶,

と当てる。「サザンカ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AB)の項 で触れたように,中国では,「つばき」を「山茶」と書く。でそれが,「サザンカ」の「山茶花」に当てられたことは,書いた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: Camellia japonica)は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に『椿』と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。」

とある。「サザンカ」で触れたことと重なるが,「ツバキ」は,「サザンカ」と違い,

花弁が個々に散るのではなく萼と雌しべだけを木に残して丸ごと落ちる,
雄しべの花糸が下半分くらいくっついているが,サザンカは花糸がくっつかない。
花は完全には平開しない(カップ状のことも多い)が,サザンカはほとんど完全に平開する,
子房には毛がないが,サザンカ(カンツバキ・ハルサザンカを含む)の子房には毛がある,
葉柄に毛が生えないが,サザンカは葉柄に毛が生える,

という。さて,「ツバキ」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsubaki.html

は,

「語源には、光沢のあるさまを表す古語『つば』に由来し、『つばの木』で『つばき』になったとする説。『艶葉木(つやはき)』や『光沢木(つやき)』の意味とする説。朝鮮語 の『ツンバク(Ton baik)』からきたとする説など諸説ある。漢字『椿』は、日本原産のユキツバキが早春に花を咲かせ春の訪れを知らせることから、日本で作られた国字と考えられている。一方中国では、『チン(チュン)』と読み、別種であるセンダン科の植物に使われたり、巨大な木や長寿の木に使われる漢字で、『荘子』の『大椿』の影響を受けたもので国字ではないとの見方もある。なお、ツバキの中国名は『山茶(サンチャ)』である。」

とある。『大言海』には,

「艶葉木(ツヤバキ)の義にて,葉に光沢あるを以て云ふか。椿は春木の合字なり,春,華あれば作る。或は云ふ,香椿(タマツバキ)より誤用すと。然れども,香椿は,ヒャンチンと,唐音にても云へば,後の渡来のものならむ。海石榴の如く,花木の海の字を冠するば,皆海外より来れるものなり」

とある。『日本語の語源』は,

「アツバキ(厚葉木)−ツバキ(椿)」

とし,『由来・語源辞典』

は,

http://yain.jp/i/%E6%A4%BF

「葉が厚いことから『厚葉木(あつはき)』、葉に光沢があることから『艶葉木(つやはき)』の意など、語源については諸説ある。『椿』と書くのは、春に花が咲く木の意で作られた国字。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

は,

「和名の『つばき』は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。」

としており,葉の厚さか,艶かのいずれかというところになるが,『日本語源広辞典』は,三説載せる。

説1は,「ツバ(唇)+木」。赤い唇のような花の木の意,
説2は,「ツハル(芽ぐむ)+木」。春の始め内部からツハル木,
説3は,「ツ(艶)+葉+木」。年中艶のある葉をもつ木,

『日本語源大辞典』は,上記以外に,

ツキヨキ葉の木の義か(和句解),
テルハギ(光葉木)の義(言元梯),
冬柏の意の朝鮮語ツンバクからか(語理語源=寺尾五郎),
葉の変らないところから,ツバキ(寿葉木)の義(和語私臆鈔),
ツ(処)ニハ(庭)キ(木),もしくはツニハ(津庭)キ(杵=棒)で,聖なる木,神木の意(語源辞典=植物篇=吉田金彦),
朝鮮語(ton-baik)(冬柏)の転(植物和語語源新考=深津正),

等々がある。ま,しかし,葉の特徴とみて,艶か厚さの何れかというのが妥当なのだろうと思う。

問題は,当てた「椿」の字である。

『広辞苑』は,

「『椿』は国字。中国の椿(ちゆん)は別の高木」

とするし,多く,中国では,別の木とする。「椿」(チン,漢音・呉音チュン)の字は,

「『木+音符春(シュン・チン)(ずっしりとこもる)』で,幹の下方がずっしりと太い木」

を意味し,センダン科の落葉高木。という別の木を指す。我が国では,「ツバキ」に当てたし,「闖入(ちんにゅう)」の「闖」に当てた誤用から,「不意の出来事,変ったこと」の意に用い,「珍事」に「椿事」,「珍説」に「椿説」と当てたりする(『漢字源』『字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「『椿』の字の音読みは『チン』で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお『椿』の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が『海榴』もしくは『海石榴』として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に『山茶』と書き表されている。『椿』の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、『芳椿』という東北地方の春の野菜が該当する。」

とあり,

「『つばき』は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字」

というのが妥当だろう。しかし,これまでいろんな面で見てきた渡来人を含めた古代の人々の知識から見て,既存の「椿」の字があるのに,作字するとは思えない気がする。

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

には,

「一つの有力な仮説として『朝鮮語が転訛したものである』という説があります。これは、椿が中国の沿海諸島から朝鮮半島南海岸地方を経由して日本に伝播したとするもので、椿に当たる朝鮮語の冬柏(ton baik:トンベイ)が転訛して日本語の『椿(つばき)』になったという説です。また、当時『つばき』を海石榴と書いていたことも、この説を有力なものとしています(なお、海石榴は正しい漢名ではなく日本人の付けた名前だとされます)。
 すなわち、この説によれば、つばきは海外すなわち朝鮮から入った石榴(ざくろ)の意味だというのです。三韓時代にはすでに朝鮮南部において、つばきの利用法や椿油の製法が発達していたものと推定され、わが国の椿油の貢献国(産油地でもある)がいずれも朝鮮半島に近接した地方であることから、これらと同時に『つばき』の名前がわが国に渡来したのだ、という訳です。)」

とある。これによれば,日本からの献上品の「ツバキ」が海石榴とよばれ,それが逆輸入されたことになる。サザンカと似た現象だが,「椿」の字が強く残ったのは,「椿」の字をすでに当てていたからかもしれない。

この「椿」が国字ではなく,

「『荘子』の『大椿』の影響を受けたもの」

とあるのは,

http://www.sato-tsubaki.co.jp/name.shtml

のいう,

「日本では朝鮮から来た石榴に似た木では漢名としては不合理なため、中国の架空の植物名で、迎春の花、長寿の花木である『大椿』の漢字を借りて、『日本の椿』にふさわしい『椿』の字を当てたものと考えられます。」

と,僕も思う。「大椿」は,『荘子』の「逍遥遊」篇の,

小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず
奚(なに)を以て其の然(しか)るを知る
朝菌(チョウキン)は晦朔(カイサク)を知らず
蟪蛄(ケイコ)は春秋を知らず
此れ小年なり
楚の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり
五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす
上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す
而して彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て特(ひと)り聞(きこ)ゆ
衆人これに匹(ひつ)せんとする、亦(ま)た悲しからずや (http://fukushima-net.com/sites/meigen/423より)

の,

上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す,

から来ている。「大椿」は,だから,

中国古代の伝説上の大木の名。8000年を春とし、8000年を秋として、人間の3万2000年がその1年にあたるという。転じて、人の長寿を祝っていう語(『大辞林』『デジタル大辞泉』)。

という意味になる。ここから,人間の長寿を祝って言う,

大椿の寿,

という諺がある。これを知らなかった,とは思えないのである。

なお,ユキツバキは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD

によると,

「別名、オクツバキ、サルイワツバキ、ハイツバキ。主に日本の太平洋側に分布するヤブツバキが東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に適応したものと考えられ、変種、亜種とする見解もある。」

とある。ここから,数々の園芸種が生み出された。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD%E5%B1%9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%90%E3%82%AD
http://fukushima-net.com/sites/meigen/423
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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イチジク


「イチジク」は,

無花果,
映日果,

と当てる。『広辞苑』には,

「中世ペルシャ語anjīrの中国での音訳語『映日果(インジークォ)』がさらに転音したもの」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF

にも,

「『無花果』の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する中国で名付けられた漢語で、日本語ではこれに『イチジク』という熟字訓を与えている。中国で『映日果』は、無花果に対する別名とされた。
『映日果』(インリークオ)は、イチジクが13世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語『アンジール』(anjīr)を当時の中国語で音写した『映日』に『果』を補足したもの。通説として、日本語名『イチジク』は、17世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで『エイジツカ』とし、それが転訛したものされている。中国の古語では他に『阿駔』『阿驛』などとも音写され、『底珍樹』『天仙果』などの別名もある。
伝来当時の日本では『蓬莱柿(ほうらいし)』『南蛮柿(なんばんがき)』『唐柿(とうがき)』などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。」

と,ペルシャ語由来,中国語経由説を採る。さらに,『日本語の語源』も,

「いちじくのルーツはイランで,かの地ではアンジーとかエンジーという。中国に渡来したとき,『映日』で表音してインジクォ(映日果。李時珍の『本草綱目』)といった。寛永年間にわが国に伝来したとき,発声を明確にするため,撥音をチに換えてイチジク(無花果)と唱えた(安藤正次『言語学概論』)。ペルシャ語が中国語を経由して日本語化したわけである。」

とし,『たべもの語源辞典』も同じ説を採る。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ichijiku.html

は,

「いちじくの漢字『無花果』は,花嚢の内部に無数の雄花と雌花をつけるが,外からは見えないことから付けられた当て字である。 いちじくは,ペルシャ語の『Anjir』がヒンズー語で『Injir』になり,中国語で『映日(イェンジェイ)』と音写し,更に『果(クォ)』が加えられた。『映日果(イェンジェイクォ)』が日本に入り,『イチジク』と呼ばれるようになった。また,『イェンジェイクォ』から『イチジク』の変化は,単に日本人が聞き取ったのが『イチジク』であったとする説と,いちじくのすこしずつ熟してゆく過程『一熟(いちじゅく)』の意味として捉えたため,『イチジク』になったとする説がある。」

として,少し含みを持たせている。『大言海』は,

「和漢三才圖絵(正徳)八十八,無花果『俗云一熟云々,一月而熟,故名一熟』。和訓栞,後編,いちじく『一熟の義』。重修本草綱目啓蒙(享和)廿二『無花果,いちじく』。佐渡志(文化)五『無花果,いちじく』音韻假字用例に,熟(じゅく),塾(じゅく),じくは,中略和音なりとあり,イチジュク,ジュクセイ(塾生)などと發音するものは一人もなし。以下略」

と記するのみで,「一熟」説を批判するにとどめている。なお,

「大和本草(正徳)十,無花果『寛永年中,西南洋の種を得て,長崎に植ふ。今,諸国に有之云々』」

と載せて,寛永年中(1624−43)に伝来したものらしい。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」

としている。僕は,

映日果(インジークォ)を意訳した語が無花果,

であり,

日本の犬枇杷と似ていたので無花果をイチジクとした,

というのが妥当だと思う。因みに,「犬枇杷」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%93%E3%83%AF

には,

「イヌビワ(犬枇杷、学名: Ficus erecta)は、クワ科イチジク属の落葉小高木。別名イタビ、姫枇杷。果実(正確にはイチジク状果という偽果の1種)がビワに似ていて食べられるが、ビワに比べ不味であることから『イヌビワ』の名がある。」

とあり,「びわ」より「イチジク」により似ている。そう命名したのがわかる気がする。

「映日果」の転音説,一熟説以外に,

イタメチチコボル(傷乳覆)の約転(名言通),

という説もある。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%83%93%E3%83%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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つばき(唾)


「つばき」は,

つば,

とも言う。

唾,

と当てる。『広辞苑』は,「つば」の項で,

古くはツハ,

とし,『日葡辞典』の「ツワ」を載せる。「つばき」の項では,

「動詞ツハクの連用形から。古くはツハキ・ツワキ」

と載せる。『岩波古語辞典』も,

「古くはツハキと清音。室町時代にはツパキ・ツワキの形が現れた」

とあり,室町末期の『日葡辞典』に「ツワキ」とあるのが納得できる。『岩波古語辞典』に, 

「古くは,ツだけで唾液を表したが,ツバ(唾)という用語もある。Tufaki」

とあり(『広辞苑』『岩波古語辞典』『大言海』ともに「つ」(唾)の項が載る), 

「液,小児口所出汁也,豆波木(つはき)」(新撰字鏡),
「唌,ツハキ」(名義抄),
「唾,ツワキ」(文明本節用集),
「唾,ツバキ」(明応本節用集),

と変化の跡を載せている。で,「つ」(唾)から,唾を吐く意の,

「つはき(唾吐き)」,

唾液を飲み込む意の,

「つ(唾)を引く」

という言い方があった。『学研全訳古語辞典』には,「つはく(唾吐く)」(カ行四段活用)の項で,「つばを吐く」意と載る。『広辞苑』の「ツハク」は,この意である。で,『日本語源広辞典』は,「つばき」の語源を,

「『ツ(唾)+吐き』の変化です。古語ツは,唾。ツバキとも。動詞のツハク(ツ+吐く)から,ク音脱落より,唾となった」

とする。「つばき」の語形変化については,『日本語源大辞典』は,

「『十巻本和名抄』に『都波岐』,『新撰字鏡』に『豆浪支』とツハキの語形が見える。院政期加点と目される『高僧伝長寛元年点』に,『唾手(ツワキハイテ)』の語形がみえるところから,ツハキ→ツワキの変化が私的できる。ツバキと濁音化した例は,室町時代からみられ,『堯空本節用集』に『唾 ツバキ』と見えるほか,『日葡辞典』の見出し語にも見える。室町時代には,ツバキのほかに,ツハキ,ツワキ,ツ,ツハ,ツバ,ツワの語形が存する。このような状態は江戸時代まで続くが,次第にツバキがツバと共に優勢となる。なお,ツハキ→ツハケ,ツバキ→ツバケの変化も室町時代以降に生じたものの,一般化せず『日本語俗語辞典』の域にとどまっていた。」

と載せている。しかし,「つばき」は,

ツ(唾)吐く,

意の略であって,

ツ(唾)吐く→(ツハク→ツワキ→ツバキ)→ツバ(唾),

と,変化したことの意味は分かるが,「つ」がツバの語源の謂れは明らかではない。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsuba.html

も,「つば」について,

「『つば』は『つばき』の『キ』が脱落した語。 古くは『ツハキ』と清音で 、『ツ』が『唾』、『ハキ』が『吐く』を意味し、唾を吐くという意味の動詞であった。 平安時代 頃より、『ツハキ』は『唾液』の意味で使われ始め、ハ行転呼音で『ツワキ』と、濁音化した『ツバキ』の形が見られるようになる。江戸時代に入ると、『キ』の脱落した形での使用が 増え、『つば』が一般的な呼称となった。」

とやはり,「つばき」の語形変化をたどるだけである。「唾吐き」以外の語源説は,

ツはイズ(出)の上略で,人体から出るものであるところから。ハキは吐の義(日本釈名),

のみである。後は,

ツバ気の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ツバは口・舌・脣の意。キは液汁をいう(国語の将来=柳田國男),

と,ちょと「つ(唾)」から外れていく気がする。「つ」が「イズ(出)」と言うのもいいが,和語が擬音語・擬態語が多いことから見ると,「つ」は擬態語なのかもしれない。臆説かもしれないが,擬態語に,

「つー」

というのがある。

「糸で引かれたように真直ぐに移動する様子」

を示すという。上記の『新撰字鏡』の,「液,小児口所出汁也,豆波木(つはき)」という「つば」の説明から考えると,これではないか,と独り合点するのだが。

因みに,「唾」の字は,

「垂は『作物の穂の垂れた形+土』の会意文字。唾は『口+音符垂』で,口からだらりと垂れさがるつば」

の意である。

https://99bako.com/2212.html

に,

「『つば』は漢字で『唾』と書き『つばき』がより正確な言葉です。(中略)『つば』は話し言葉です。書き言葉としてはふさわしくありませんので、かしこまった表現が求められる文書の中で『つば』を使うことはできません。」

とあるのは,如何なものか。語形変化からみたとき,こういう断定は,一方的に過ぎるし,ばかげている。今日の紺色一辺倒の終活服装と似た,頑迷固陋さを感じさせるだけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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まゆ(眉)


「まゆ」は,

眉,

と当てる。

眉毛(まゆげ),

とも言うし,

まよ,
まよね,
まみえ,
かうのけ,
まゆね,
まよね,

とも言うと,『大言海』には載る。言うまでも無く,

目の上部に弓状に生える毛のこと,

である。『岩波古語辞典』には,

古形マヨの転,

とあり,「まよ」には,

マユの古形,

とある。

『大言海』は,「まゆ」の語源を,

「目上(まうへ)の約転かと云ふ」

とするが,「まよ」が「まゆ」の古形なら,この説は成り立たない。しかし,「まよ」の項で,『古事記』から,

「麻用(まよ)がき濃に,かき垂れ,逢はししをみな」(応神),

を引用しており,「まよ」が『古事記』で使われていることを記している。

『日本語源広辞典』は,「まゆげ」の語源を,

「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」

とする。「まよ」と関わらせている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/mayuge.html

は,

「目の上にあることから、『マノウヘ(目の上)』『マウヘ(目上)』の意味と考えられる。 ただし、古くは『マヨ』と言い、音変化して『まゆ』となっているため、『マノウヘ』『マウヘ』が直接音変化したものではない。『マミ』とも読むことから、「眉」の 呉音『ミ』からとする説もある。 漢字は、目の上に毛があることを描いた象形文字である。」

と,『大言海』説では,「まよ」からの由来がはっきりしない。

『日本語源大辞典』は,「マウヘ」説以外に,

メウヘ(目上)の約転(日本釈名・名言通),
マユ(目上)の義(柴門和語類集),
マユ(目従)の義(和語私臆鈔),
マウヘゲ(目上毛)の義(日本語原学=林甕臣),
メウヘゲ(眼上毛)の義(本朝辞源=宇田甘冥),
マウヘノケの略転か(風土と言葉=宮良当壮),
マユ(蚕)の義,またマヨケ(両横毛)の義(言元梯),
「眉」の字音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),

とある。僕は,古形「まよ」から考えると,

マユ(蚕)の義,

というのは捨てがたい。「繭」の項で改めるが,「繭」も,

まよ,

と万葉集で言われていることもあり,「眉」と「繭」がつながる気がしてならない。ただの素人の語感,

眉という言葉の感覚,

繭という言葉の感覚,

の類似だけに依るのだが,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として,こう述べている。

「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」

漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。

因みに,「眉」(漢音ビ,呉音ミ)の字は,象形文字で,

「目の上のまゆがあるさまを描いたもので,細くて美しいまゆ毛のこと」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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まゆ(繭)


「まゆ」は,

繭,

と当てる。この「繭」(音ケン)の字は,

「『両側に垂れるさま+糸+虫』で,虫の糸が垂れて出てくるまゆをあらわす」

とある。

https://okjiten.jp/kanji1861.html

は,

「会意文字です。『桑』の象形と『より糸』の象形と『頭が大きくグロテスクな蚕(かいこ)』の象形から、糸を吐いて蚕が身を覆う『まゆ』を意味する『繭』という漢字が成り立ちました。」

と,より具体的である。

「まゆ(繭)」も「まゆ(眉)」と同様,

古形はマヨ(mayo),

である(『岩波古語辞典』)。『大言海』は,

「又,マヨ,訛して,マイ」

ともある。「まゆ(眉)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BE%E3%82%86%EF%BC%88%E7%9C%89%EF%BC%89)の項 でも触れたように,『日本語の語源』は,「マユ(繭・眉)」として,

「『万葉集』に,マユ(繭・眉)をマヨという。マヨゴモリ(繭籠り)・ニヒクハマヨ(新桑繭)。マヨネ(眉根)・マヨガキ(眉書)・マヨヒキ(眉引き)など。雄略記のマユワ(眉輪)王が『古事記』にはマヨワ(目弱)王にかわっている。」

と述べている。漢字を当てなければ,「繭」も「眉」も「まゆ(よ)」でしかない。同源の可能性は高い気がする。『日本語源大辞典』は,

形が人の眉に似ているところから(名語記),
マユフ(眉生)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

と,眉と関連させる説もあるが,大勢ではない。その他に,

マユウ(真木綿)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
マは形の丸いことからか(国語の語根とその分類=大島正健),
マは接頭語,ユはイの転で蚕の尻から出す粘液質の糸状のものをいう(日本古語大辞典=松岡静雄・風土と言葉=宮良当壮),
さなぎで籠っている丸い空間でマヨ(曲節)(衣食住語源辞典=吉田金彦),
「マ(丸)+ヤ(家・屋・舎)」の音韻変化で,「丸い蚕の家」の意(日本語源広辞典),

等々があるが,「古形がマヨ」ということを考えると,「マユ」で語呂合わせをしているものは,省いていいのではないか,と思う。「まゆ(眉)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BE%E3%82%86%EF%BC%88%E7%9C%89%EF%BC%89)の項 でも触れたが,『日本語源広辞典』は,「まゆげ」(眉毛)の語源を,

「マ(目)+ゆ・よ(そばにあるもの)+毛」

とする。「まよ」と関わらせている。とすると,「まゆ(眉)」の「ま」は,

丸,

で,「まゆ(繭)」の「ま」は,

目(「め」の古形),

ということになる。しかし,「まよ」で,「繭」と「眉」を指していた以上,「ま」は,両者に共通する別の意味なのかもしれない,という気がする。『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』に,接頭語「ま」について,

「御(ミ)また,實(ミ)に通ず」

として,「まことの,偽ならぬ」という意味が載る。「美(ほ)むる意」の発語,

「真(ま)」

にも転じている。とすると,「ま」ではなく「よ」の方に意味があったのかもしれないが,該当するものが見つからなかった。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%AD

に,

「日本では繭という言葉は、多くの場合にカイコのそれを意味する。その豊作を祈願して、繭を擬した白い玉をこの枝に飾ったものを繭玉と称し、神社等で縁起物として使用する例もある。」

とある。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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眉唾


「眉唾」は,

欺かれないように用心すること,

の意だが,よく唾を眉につける仕草で表現したりする。『広辞苑』には,

「眉に唾をつければ,狐狸にだまされないという俗信に基づく」

とある。『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』にも,

「眉に唾をつくれば,狐狸に魅せられずと云ふに出づ」

とある。

眉に唾をつける, 
眉に唾をする,
眉毛を濡らす,
眉を湿す,
眉に唾を塗る,

等々とも言う。『江戸語大辞典』に,多くの言い方が載っているところから見ると,この時代発祥かと思われる。で,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ma/mayutsuba.html

は,

「眉唾とは、騙されないよう用心すること。眉唾物の略で、真偽の確かでないもの。信用できないもの。眉唾もの。 」

と,意味を載せる。この意味の方が分かりやすい。その由来を,

「眉に唾をつければ狐や狸に 化かされないという俗信から生まれた言葉である。江戸時代には『眉に唾をつける』や『眉に唾を塗る』などと言っていたものが、明治時代に入り、『眉唾物』や『眉唾』という 言い方になった。」

とある。『故事ことわざ辞典』は,『俚言集覧』から,

「眉につばをする 眉に唾を塗れば狐に魅せられぬといへり。因って人に欺かれぬ用心に云ふ詞なり。彼を狐狸に比していふなり」

を引いている。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176353986

には,その謂れについて,

「狸や狐が人を化かすと信じられていた頃、眉につばをつけると化けているものの正体がわかるとされていた。よって、疑わしい物は眉につばをつけて見ると正体がわかることより、転じて疑わしい物を『眉唾もの』というようになった。 親から聞いたことですが、小さい頃から信じてます。
唾には、魔力を封じる力があると信じられていました。(平安時代、陰陽道が信じられていた時代です) (大ムカデ退治で、矢に唾を塗って射たら刺し貫けたというのもありますよね) そして、眉に唾を塗ると、魔術から開放されて、本当の姿が見えると信じられていたのです。ですから、「眉に唾を塗る」というのは「だまされている、たぶらかされているのではないかと疑って、その魔力から逃れようとする」という意味をもっているのです。そこから、眉唾ものというのは、信じられない(だまされている、たぶらかされている)もの という意味で使われるようになったのです。  
語源1・平安時代にいた豪傑が山で大ムカデに出会い、大ムカデの噴く炎で危うく自分の眉毛が焼けそうになった。そこで眉毛に自分のツバをつけてこれをしのぎ、さらに弓矢にもツバをつけて大ムカデを射殺したと言う話から、あまりに荒唐無稽な話を「まゆつば」と言う様になったと言う説。
語源2・ツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う説。 
昔の子供は転んで傷をつくったとしても、指で舐めてツバを付け、それを傷口に擦り付けおまじないを言ってそれで終わりだった。このツバを付けるという行為は、古代の日本では、ツバは神聖なもので霊力があるとさえ言われていて、霊力のあるツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う言い伝えも有る。 キツネ等が人を化かす時、その人の眉毛の数を数えて化けると言われていたので、数えられないように眉毛にツバを塗った事から『まゆつば』と言う言葉が誕生した。この化かす化かさないから、騙す騙さないとか真偽の程が不明な事に対して『眉唾、眉唾物』などと表現されるようになったとする説が一般的な様子です。江戸後期の人情本『春の若草』に「眉毛へツバを付て聞かねへと」等の用例が見受けられます。 他の説では、古代中国並びに平安時代に『眉毛にツバを付ける』ことで災難を逃れる逸話があって、どちらも余りにも荒唐無稽な話なので、ここから半信半疑で真偽の程がわからない事・物に対して『まゆつば』と表現されるようになったと有ります。」

と詳しい。「狐に魅せられない」云々は,

http://www.wikiwand.com/ja/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D

にあるように,「キツネは女に化けることが多い」からのようで,それは,

「キツネが陰陽五行思想において土行、特に八卦では『艮』に割り当てられることから陰気の獣であるとされ、後世になって『狐は女に化けて陽の存在である男に近づくものである』という認識が定着してしまったためと考えられる。関西・中国地方で有名なのは『おさん狐』である。このキツネは美女に化けて男女の仲を裂きにくる妖怪で、嫉妬深く男が手を焼くという話が多数残っている。キツネが化けた女はよく見ると、闇夜でも着物の柄がはっきり見えるといわれていた。」

とある。この他,

http://okiteweb.com/language/mayutsuba.html

には,「眉に唾つけると狐にだまされない」という俗信の由来について,二説挙げている。

「一つ目は、キツネは人の眉毛の数を数えて化けたり騙したりすると考えられていて、眉毛の数を数えられて化かされないように、眉毛に唾を塗ることで固めて、キツネに眉毛の数を数えさせないためという説です。
 二つ目は、平安時代の豪傑が、山の中で炎をふく大ムカデに出会い、炎に眉毛を焼かれそうになったので、眉毛に唾をつけてそれをしのいで大ムカデを倒したという話があり、そこから、そのような荒唐無稽な話のことを『眉唾物』「眉唾」というようになったという説です。」

さらに,

http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%C8%FD%C2%C3

は,

「語源1  平安時代にいた豪傑・俵藤太・藤原秀郷が近江三上山で大ムカデ退治をしたと言う逸話が伝承されている。どうも八又の大蛇(やまたのおろち)などと同じ様な豪傑が山に住む魔物を退治したパターンの荒唐無稽な英雄活躍談の1つなのだが、この時、大ムカデの噴く炎で危うく秀郷の眉毛が焼けそうになった。そこで秀郷は眉毛に自分のツバをつけてこれをしのぎ、さらに弓矢にもツバをつけて大ムカデを射殺したと言う。ここから、あまりに荒唐無稽な話を『まゆつば』と言う様になったと言う説があります。
語源2  古代中国の伝説では、鬼に出くわした時は、自分の眉毛にツバを付ければ必ず鬼が逃げ出したと言われていた。何故なのか判らないが、これは日本で1970年代末に流行った都市伝説『口さけ女』がポマードと言われると逃げ出すと言う伝承に近い物なのかも知れない。しかし、やはり荒唐無稽な話なので『まゆつば』と言われるようになったと言う説があります。
語源3  昔の子供は、転んで傷を作ったとしても、指に舐めてツバを付け、それを傷口になすりつけ『チチンプイプイ』とおまじないを言ってそれで終わりだった。実はこのツバを付けるという行為は、動物も行う自然治癒の方法だったりする。その為か、古代の日本では、唾(ツバ)は神聖なもので、霊力があるとさえ言われていた。『古事記』に書かれている海幸山幸?の逸話の中では、器の中に珠を入れ、さらにそこへツバを吐いて約束の強固なことを確かめたりしている。霊力のあるツバを眉毛に付ければ、キツネやタヌキに化かされないと言う言い伝えもある。
これはキツネなどが人を化かす時、その人の眉毛の数を数えて化けると言われていた(何故かは判りませんが)ので、数えられないように眉毛にツバを塗った事から『まゆつば』と言う言葉が誕生したと言う説もあります。」

と詳細な語源説を挙げている。「つばき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%81%8D%EF%BC%88%E5%94%BE%EF%BC%89)については, で触れたように,どちらかというと,古代,「つー」という唾の垂れる擬態語に近い。つまりさほどの霊力を示す謂れのある言葉には思えなかった。「唾」に霊力というのは,為にする説で,いささか「眉唾」な気がする。そもそも, 「きつね」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%AD) で触れたように,「きつね」の化けた女性は,情が深いのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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イチゴ


「イチゴ」は,

苺,

と当てる。「苺・莓」の字は,「苺」は,

「艸+音符母(どんどん子株を産み出す)」

で(「母」の字は,「乳首をつけた女性を描いた象形文字で,子を産み育てる意味を含む), 「莓」の字は,

「艸+音符毎(子を産む。どんどんふえる)」

とある(「毎」の字は,「頭に髪をゆった姿+音符母」で,母と同系であるが,特に次々と子を産むことに重点をおいたことば。次々と生じる事物をひとつひとつ指す指示詞に転用された)。いずれも,いちごの意味だが,バラ科の一群の植物の総称とある。我が国では,オランダイチゴのことを指す,とある(『漢字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「漢字表記の場合は、現代の中国語では、オランダイチゴ属は『草莓 拼音: cǎoméi ツァオメイ』とされる。明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では『苺』と表記される場合が多い。」

とある。なお,

https://okjiten.jp/kanji2331.html

に,「苺・莓」の字について,

「会意兼形声文字です(艸+母)。『並び生えた草』の象形(『草』の意味)と『両手をしなやかに重ねひざまずく女性の象形に二点加えた』文字(『おっぱいのある母』の意味[2点は両手で子を抱きかかえるさまとも、乳を子に与えるさまとも言われている])から、乳首のような形の実のなる『いちご』を意味する『苺』という漢字が成り立ちました。」

と,より精しい。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「漢字には『苺』と『莓』がある。これらは異字体で『苺』が本字である。辞典によっては『莓』が見出しになっていて『苺』は本字としていることがある。現代日本では『苺』、現代中国では『莓』を普通使う。」

とある。

我々の今日いう「イチゴ」は,

オランダイチゴ,

を指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

に,

「古くは『本草和名』(918年頃)や『倭名類聚抄』(934年頃)に『以知古』とある。日本書紀には『伊致寐姑(いちびこ)』、新撰字鏡には『一比古(いちびこ)』とあり、これが古形であるらしい。『本草和名』では、蓬虆の和名を『以知古』、覆盆子の和名を「加宇布利以知古」としており、近代にオランダイチゴが舶来するまでは『いちご』は野いちご全般を指していた。」

とある。それまでの「イチゴ」は,野イチゴを指すらしい。

また,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

には,

「狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier) を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。(中略)最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。」

江戸時代にオランダ人によってもたらされ,一般市民に普及したのは1800年代という。本格的に栽培されたのは1872年(明治5年)からである,とか。

『広辞苑』は,「類聚名義抄」を引いて,

「覆盆子,イチゴ」

と載せる。『岩波古語辞典』には,「枕草子」の,

「見るにことなることなきものの,文字に書きてことごとしきもの。覆盆子」

を引用している。「覆盆子」は,

木苺(木イチゴ 御所苺),

を指す。なお漢方で「覆盆子」は,

http://www.kanpoyaku-nakaya.com/fukubonsi.html

によると,

「「第二類薬品」
覆盆子は名医別録の上品に収載されている。
果実の形が伏せた盆に似ているところから覆盆子の名があるといわれる。
「基源」
1)中国産;バラ科のゴショイチゴの未成熟果実(偽果)の乾燥品である。
2)韓国産:バラ科のクマイチゴおよびトックリイチゴの未成熟果実の乾燥品。」

とある。結構高価である。

さて,『大言海』は, 「いちご(苺)」の項で,

和名抄「覆盆子,以知古」
枕草子,あてなるもの「いみじううつくしき兒の,いちご食ひたる」
本朝食鑑(元禄)「苺,訓以知古」
合類節合集「覆盆子,苺」

等々を引いているが,

「語原,考へられず,但し此の語は,イチビコの中略なるべし(濁音,顛倒す,臍(ほぞ),戸ぼそ,継(つぎつ)ぐ,つづく)。相新嘗(あひにひなめ),あひなめ。洗染(あらひぞめ),あらぞめなどの如き,中略あり」

とし,「いちびこ(蓬蔂)」の項で, 

「イチビの語源。詳ならず。但し,苺は,この語を中略したるなるべし。コは兒ならむ。物と云ふ意に添ふる例あり,大葉子,稲穂子,蒲穂子,の如し。」

とあり,『大言海』は,

いちびこ→いちび→いちご,

を採っている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/i/ichigo.html

は,

「いちご は、『日本書紀』には「伊致寐姑(イチビコ)」、『新撰字鏡』には『一比古(イチビコ)』、『和 名抄』には『伊知古(イチゴ)』とあり、『イチビコ』が転じて『イチゴ』になったと考えられる。いちびこの語源は諸説あり、『い』が接頭語、『ち』が実の赤さから『血』、『びこ』は人名に用いられる『ひこ(彦)』を濁音化したもので植物の擬人化とする説。『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。『いち』は、程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『び』は深紅色を表す『緋』、『こ』は接尾語か実を表す『子』の意味で、『甚緋子(とても赤い実)』とする説がある。
 現在、一般的に『イチゴ』と呼ばれるものは、江戸時代の終わり頃にオランダから輸入された『オランダイチゴ』であるが、それ以前は『野イチゴ』を指していた。オランダイチゴも赤い色が特徴的だが、野イチゴは更に濃い赤色であるため、いちびこ(いちご)の語源は『い血彦』や『甚緋子』など、実の赤さに由来する説が妥当。
 民間語源には、1〜5月に収穫されるから『いちご』などといった説もあるが、『イチビコ』の『ヒ』が何を意味したか、『5(ご)』を『コ』と言った理由など、基本的なことに一切触れておらず説得力に欠ける。
 漢字の『苺(莓)』は、『母』の漢字が『乳房』を表していることから『乳首のような実がなる草』と解釈するものもあるが、『苺』の『母』は『どんどん子株を産み出す』ことを表したものである。」

と詳しいが,『日本語源大辞典』に,

「『イチビコ』は,『書紀−雄略九年七月』に『蓬蔂,此をば伊致寐如(いちびこ)と云ふ』とある」

「イチゴ」の語源は,「いちびこ」から説き起こさなくてはなるまい。『日本語源広辞典』は,

「上代語の『イチ(美)+ビ(実)+コ(子)』です。『旨い実』が語源なのです。平安期にイチゴに変化しました。」

とする。『日本語源広辞典』は,「イチジク」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B8%E3%82%AF)の項で , 「語源は,『中世ペルシャ語anjiir アンジェール』です。中国音訳は,映日果インジークォ,意訳した語が『無花果』です。近世に渡来。日本で犬枇杷をイチジクと呼んでいましたが,これと似ていたので無花果をイチジクといいます。『イチ(美)+熟』で,『ウマク熟する実』です。イチゴ,イチビコのイチと同源です。ゆえに,直接のペルシャ語源と言えるかどうか疑問です。ちなみに,無花果と書きますが,果実そのものが,花で,花を食用としている果物なのです。」

として,「イチ」の解釈は一貫している。『日本語源大辞典』は,

イチビコ(蓬蔂)の略(東雅・大言海),
イチビコはイチビ(赤檮・檪)の転。イチビはイツイヒ(厳粒)の約(日本古語大辞典=松岡静雄),
イチビコ(甚緋子)の意(語源辞典・植物編=吉田金彦),

という「イチビコ」系以外に,

イツ(魚)の血ある子の如しというところから(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解),
ヨキチコリ(好血凝)の義(名言通),
イはイシイ(美味)の上略。チはチ(乳)の味。コは如の意(和句解),

を載せているが,どうも,

緋色や血の色(赤)系,
か,
味(美味,旨い)系,

に大別されそうだ。気になるのは,

「『いちび』は『一位樫(いちいがし)』のことで、『こ』は実を意味し、いちごの実が一位樫の実と似ていることから名付けられたとする説。」

である。『語源由来辞典』は,「イチイ・一位(いちい)」の項で,

「昔、笏の材料にしたことから、 位階の『正一位』『従一位』に因んだ名というのが通説。一説には、イチイの材は他の木材に比べ非常に赤いことから、『イチ』は程度の甚だしいことを意味する『いち(甚)』、『ひ』は深紅色を表す『ひ・び(緋)』で、『いちひ(甚緋)』が語源とも言われている。旧かなは『イチヒ』なので、音変化の点で問題なく、ブナ科の『イチイガシ』も赤いという点で一致しており、『いちひ(甚緋)』の説も十分考えられる。」

とあり,

「種子や葉 にはアルカロイドを含むが、薬用にもされる。実は秋に赤く熟し、多肉質で甘い。」

としていることだ。赤系と味系が,ここに合致している。人は,命名するとき,知っているものと関連づける。「イチイ(ひ)」の実と「いちびき」の実が似ているとすれば,「いちひ」には意味があるはずである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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よだれ


「よだれ」は,

古くは,「よだり」

と言ったそうだが,『岩波古語辞典』には,「よだり」の項に,

「平安時代にはヨタリと清音。タリは垂り」

とあり,

「涎 ヨタリ」(名義抄)
「涎 ヨダリ」(下学集)

を載せる。漢字は,

涎,

と当てる。「涎」(漢音セン,呉音ゼン)の字は,

「延は『止(あし)+廴』の会意文字に,引き延ばすことを表す記号ノを加えた会意文字。廴は足あとを長く引いた姿を示す。涎は『水+音符延』」

で,よだれ,もしくは,「長くのびるよだれ」「水が細長く流れるさま」の意である。『大言海』は,「よだり」の項で,

「よよむ口より垂りいづるしずくの意」

とあるので,漢字「涎」の意とほぼ重なる。「よよむ」とは,『大言海』には,

「(ヨヨは,明らかならぬ撥音に云ふ語)老人の歯の落ちたる口つきにて,脣動きて,舌出て,聲あやなし。」

とある。しかし,『岩波古語辞典』には,「よよみ」の項で,

「まがる,体が曲がる」

という意を載せ,「名義抄」の,

「斜,カタブク・ナナメナリ・ヨヨミ」

を載せる。いずれかの判断はつかないが,「よよ」について,『岩波古語辞典』は,

涙を流して激しく泣くさま,
よだれのしたたりおちるさま,
雫を垂らしながら,酒や汁をぐいぐい飲むさま,

とあり,どうやら擬態語らしい。『大言海』には,「よよ」について二項立て,

(涎(よだり)のヨ是なり)口にしまり悪しく,言葉,唾,涎などの洩れ出る状に云ふ語,
水の垂り落つるに云ふ語,

に続いて,別項は,

(前條の語の轉,泣けば,涙,涎,垂れば云ふと云ふ)泣く声,

と載る。どうやら,推測するに,「よよ」は,

よよと泣く,

というように,状態を示していた語が,そこで起こる,涙,華水,涎の垂れる状態へと転じ,その「よよ」と「垂れ」が結合して,

よよ+垂り,

となったようである。「垂れ」は,

「タリ(垂)より遅れて現れた形」

と『岩波古語辞典』にあるので,

よよ+た(垂)り→よたり→よだれ,

と転訛していったように思われる。あるいは,「よよ」の醜態は,老人のしまりのないさまに限定して指していたのが,一般化していったのかもしれない。いずれにしても,涎だけを指していたのではなく,涙,華水,果ては,飲んでいるものの滴り落ちるのも指したと思われる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/yo/yodare.html

は,

「よだれは、古くは『よだり』『よたり』と言い、平安時代以降『よだれ』に転じた。よだり(よ たり)の『たり』は、『垂れる』『垂らす』意味の動詞『垂る』の名詞形。 よだれの『よ』は、『緩む』『弱い』の意味など流れ出る箇所の状態を表しているとする説や、『よよ』と泣く時に 垂れるものの意味など、諸説あるが未詳である。『名義抄』では『鼻水』を表す『洟』や、『涙』を表す『涕』を『よたり』と読ませていることから、唾液だけではなく、鼻水や涙など垂れ流れるものを『よだれ』と呼んでいたようである。」

『日本語源広辞典』は,

「ヨ(複合語成分・穴・間)+垂れ」

トイウノハ,「ヨ」をそう解したということなのだろうか,少し意味が解らない。しかし,『日本語源大辞典』を見ると,諸説ある。

ヨヨム口から出り出づる滴(しずく)の意(山彦冊子),
ヨヨと泣く時垂れるものの意(箋注和名抄・日本語源=賀茂百樹),
よだれ(夜垂れ)の義(日本釈名・柴門和語類集),
ユルミウルホヒタレ(緩潤垂)の義(日本語原学=林甕臣),
ヨワタレ(弱垂)の義(名言通),
イヨタリ(弥垂)の約(隣女晤言),
ヨはヨロコブ(喜)の義。タレは垂の義(和句解),

結局,垂れている状態表現に変りはなく,恐らく,垂れるものすべてを指したと想像される。

垂涎( すいぜん・すいせん・すいえん)というと,

同じ垂らすのでも,物を欲しがっている状態表現になる。思わず,パブロフの犬を思い出すが,

http://kotowaza-allguide.com/su/suizennomato.html

によると,「垂涎(すいぜん・すいえん)の的」について,

「『賈誼新書』に『一国これを聞く者、これを見る者、涎を垂れて相告げん(国中でそれを聞いた者、見た者は、ごちそうを前にしたときのように涎を垂らして、互いに言い合うだろう)』」

とあるのに基づく,とある。こうなると,涎を流すのは,醜態であるという状態表現から価値表現へと転じている。さらに,

商いは牛の涎,

という諺もあるらしく,

http://kotowaza-allguide.com/a/akinaiwaushinoyodare.html

によると,

商いは牛の涎とは、商売をするには、せっかちであってはならず、気長に辛抱強く続けるべきである,

という意味だとか。涎より,四つの胃袋で徹底的に吸収する,牛の反芻の方が,諺になりそうな気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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うやむや


「うやむや」は,

有耶無耶,

と当てるらしい。

あるかないかはっきりしないこと,転じていいかげんなこと,曖昧なこと,
胸がもやもやしているさま(主として明治期に用いた),

と意味が載る。後者は,明治期の特有の意味かも知れない。『江戸語大辞典』には,

あるかないかはっきりせぬこと,転じて,もやもや,むしゃくしゃ,悲しみや怒りで胸の乱れるさま,

とあり,

うやもや,

とも言うとある。これをみると,はっきりしないという状態表現から,そのこと自体と似た心の乱れ,もやもや感という価値表現へとシフトした,と見ることができる。『岩波古語辞典』には載らないが,『広辞苑』には,

有耶無耶の関,

という項が載り,

山形・宮城の県境にある笹谷(ささや)峠(大関山)辺りにあった古関,

むやむやの関,
もやもやの関,
有也無也の関,

とも言うらしいが,別に,

出羽象潟(きさかた)の南にも同名の関があった,

とある。『大言海』には載り,その項に,

あやふや,むにゃむにゃ,

として,こう付記してある。

「陸前,柴田郡より羽前に超ゆる笹谷峠,古名,大關山と云ふ關ありて,有耶無耶と云ひしと伝ふ。その説あれど,附會なり」

『江戸語大辞典』には,「うやむやのせき」の項で,

(うやむやの)「意を,奥州の有耶無耶の関にかけていう」
あるいは,
「有や無しやの意を,有耶無耶の関に掛けていう」

とあり,「有耶無耶の関」があって,それに「うやむや」の意を掛けて使ったらしい。前者だと,

「轟く胸は有耶無耶の関に人目を忍ぶ身は,包むとすれど顕はるる目色を」(天保佳話十年・貞操婦女八賢誌),

後者だと,

「後にはあふ瀬の有や無やの,関も人目もいとはねども」(天保四年・仇競今様櫛)

と,用例が載る。このことは後で触れるとして,「うやむや」であるが,『デジタル大辞泉』は,

有るか無いかの意から,

としているし,『日本語源広辞典』も,

「『有りや無しや。有ヤ無ヤ』で,あるかないかわからないような曖昧模糊とした状態。漢語らしく有耶無耶としたのが語源」

とする。しかし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uyamuya.html

は,

「うやむやは、『もやもや』などと同系の和語と思われるが、はっきりしていない。『有りや無しや(ありやなしや)』を漢文調に書いた『有耶無耶』が、いつの間にか音読され『うやむや』になったとする説もある。しかし、『ありやなしや』を漢文調に書いたのではなく、元々『有耶無耶』は漢文で、その訓読が『ありやなしや』である。また、『うやむや』の当て字 として、意味的にもぴったりな『有耶無耶』が漢字表記として使われるようになったこと から、『有耶無耶』を語源とするのは間違いと考えられる。」

と,事態は逆で,「うやむや」という和語に,「有耶無耶」を当てた,とする。たぶんこれが正しいのだと僕も思う。「うやむや」が,

むにゃむにゃ,

と同義とされるのは,逆に言うと,

むにゃむにゃ→うやむや→有耶無耶,

と転訛したということも言えなくもない。擬態語の宝庫である和語ならではの言葉に違いない。

ところで,「うやむや」は,「有耶無耶の関」が語源とされる説があり,手長足長という妖怪と関わるとされる。たとえば,

http://jimoto-b.com/3545

は,

「秋田県象潟町の『有耶無耶の関』が語源という説があります。その昔、手長足長という人喰い鬼が住んでいました。『手足が異常に長い巨人』という点では日本各地と共通していますが、手足の長い一人の巨人、または夫が足が異常に長く妻が手が異様に長い夫婦の巨人とも言われ、この点は各地で異なります。その手長足長という人喰い鬼は、秋田県と山形県の県境にある「鳥海山」に住んでおり、山から山に届くほど長い手足を持ち、旅人をさらって食べたり、日本海を行く船を襲うなどの悪事を働いていました。鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉(カラス)を遣わせ、手長足長が現れるときには『有や』現れないときには『無や』と鳴かせて人々に知らせるようにしました。国道7号線にある『三崎峠』が『有耶無耶の関』と呼ばれるのはこれが由来とされています。
それでも手長足長の悪行は続いたため、後にこの地を訪れた慈覚大師が吹浦(現・山形県 鳥海山大物忌神社)で百日間祈りを捧げた末、鳥海山の噴火で手長足長の鬼は吹き飛んで消え去ったと言われています。また消えたのではなく、大師の前に降参して人を食べなくなったともいわれ、大師がこの地を去るときに手長足長のために食糧としてタブノキの実を撒いたことから、現在でも三崎山にはタブノキが茂っているという一説もあります。」

この,「手長足長(てながあしなが)」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E9%95%B7%E8%B6%B3%E9%95%B7

に詳しいが,

秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人」

であり,

「その特徴は『手足が異常に長い巨人』で各地の伝説は共通しているが、手足の長い一人の巨人、または夫が足(脚)が異常に長く妻が手(腕)が異様に長い夫婦、または兄弟の巨人とも言われ、各地で細部は異なることもある。手の長いほうが『手長』足が長いほうが『足長』として表現される。」

各地の社伝,昔話に残っていて,秋田の伝説は,上記の通りだが,他に,

「福島の会津若松に出現したとされる手長足長は、病悩山(びょうのうざん、やもうさん、わずらわしやま。磐梯山の古名)の頂上に住み着き、会津の空を雲で被い、その地で作物ができない状態にする非道行為を行い、この状態を長期にわたり続けたという。その地を偶然訪れた旅の僧侶がことの事情を知り、病悩山山頂へ赴き、手長足長を病悩山の頂上に封印し、磐梯明神[1]として祀ったとされている。このことをきっかけに、病悩山は磐梯山と改められ、手長足長を封印した旅の僧侶こそ、各地を修行中の弘法大師だったと言われている。」

とここでは,慈覚大師が弘法大師に変っていたりする。しかし,この説話自体は,中国からの伝播だとされている。

「『大鏡』(11世紀末成立)第3巻『伊尹伝』には、硯箱(すずりばこ)に蓬莱山・手長・足長などを金蒔絵にして作らせたということが記されており、花山院(10世紀末)の頃には、空想上の人物たる手長・足長が認知されていたことがわかる。これは王圻『三才図会』などに収録されている中国に伝わる長臂人・長股人(足長手長)を神仙図のひとつとして描くことによって天皇の長寿を願ったと考えられる。天皇の御所である清涼殿にある『荒磯障子』に同画題は描かれており、清少納言の『枕草子』にもこの障子の絵についての記述が見られる。」

『日本伝奇伝説大辞典』によると,

「中国の外界(四界)に住むといわれる想像上の異常人。または神仙。『山海経(せんがいきょう)』巻六,海外南経に『長臂国在其東,捕魚水中,両手各操市魚』。郭璞注に,『旧説云,其人手下垂至地』とあり,すこぶる手が長い人間が住む国のことが記されている。次に,同書巻七,海外西経には,『長股之国,在雄常北』。郭璞注に,『長臂人身如中人而臂長二丈,以類推之,則此人脚過三丈矣』とあり,今度は足の長い国のことを記している。(中略)この長臂人・長股人を採り入れたのは,日本の内裏であった。ここで両人は手長・足長と名を改め,清涼殿の荒海の障子に二人の魚を捕る姿が描かれたのである。」

このことは,『枕草子』『大鏡』『古今著聞集』にも言及されていいる。これを描いたのは,

「手長・足長が不老長寿の神仙に比定された」

ものらしい。それが東北の果てに伝わったときは,民を悩ます厄介な巨人に堕したことになる。

手長足長(手長足長(秋田県、山形県、福島県、長野県、福井県などに伝わる伝説・昔話に登場する巨人)の昔話(福島県・猪苗代町,山形県)は,たとえば,

http://www.rg-youkai.com/tales/ja/07_fukusima/05_asinagatenaga.html
http://www.yamagata-info.com/story/tenagaasinaga/text.htm

に載る。

参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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もやもや


「もやもや」は,『デジタル大辞泉』には,副詞として,

煙や湯気などが立ちこめるさま。「湯気でもやもや(と)している浴室」
実体や原因などがはっきりしないさま。「もやもや(と)した記憶」
心にわだかまりがあって、さっぱりしないさま。もやくや。「彼の一言で、もやもや(と)していたものが吹っきれた」
毛や髪などが群がり生えるさま,「口髭のもやもやと生えた」〈紅葉・二人女房〉
色情がむらむらと起こるさま。「数々の通はせ文、清十郎ももやもやとなりて」〈浮・五人女・一〉
ごたごた言い争うさま。「人中でもやもや云ふほどが費 (つひえ) 」〈浮・新色五巻書・三〉

さらに,名詞化して,

わだかまりがあって心がさっぱりしないこと。「胸のもやもやを晴らす」
もめごと。ごたごた。「このもやもやはこの客からおこった事ぢゃ」〈浮・御前義経記・八〉

と,多様な意味を載せる。『江戸語大辞典』をみると,「もやもや」は,

心の結ぼれるさま,気がくしゃくしゃするさま,

を載せ,次いで「もやもやしい」が載り,

思い悩んで胸中が晴れ晴れとしない,

という意味になる。なお,「もやくや」もほぼ同義で,

心中のすっきりしないさま, 
ごたごたするさま, 

を指すが,「もやくる」と動詞化すると,

騒ぎを起こす,
気がむしゃくしゃする,

という意味になる。『江戸語大辞典』の「もやくや」には,

「くやは接尾語」

とある。また,『擬音語・擬態語辞典』によると,似た言い回しで,「むさむさ」もあり,「むさむさとした心もさっとはれやかになったぞ」(『四海入海』)という用例がある。

こうした流れから見れば,「もやもや」は,擬態語に思える。『擬音語・擬態語辞典』は,「もやもや」について,

@煙や湯気などが立ちこめてぼやけている様子,
A納得がいかなかったり,明確にならなかったりして,不満や不安が残っている様子,
B毛や草などが生い茂った様子,

と意味を載せた上で,

「『餅』と『もちもち』の関係のように,おそらく『靄(もや)』と関係のある語だろう。靄が立ち込めたように,ぼんやりとはっきりしない様子を表したのが原義で,それが比喩的に人の気持ちや物事の状態などに用いたものと思われる。Cの意味は,湯気が立ち上る様子からの転化ではないだろうか。
 江戸時代には,現代では見られない用法でのぼせたり情欲の起こったりする様子を表した例がある。ぼやけた様子からの類推で生まれた用法だろう。『おなつ便(よすが)を求めて数々の通わせ文,清十郎ももやもやとなりて』(浮世草子『好色五人女』)。また,不平を言ったりもめたりする様子も表した。現代語の『ごたごた』や『ごちゃごちゃ』にあたる。はっきりしない様子を転用したものと思われる。『人中(ひとなか)でもやもや云ふ程が費(ついえ=ごたごた言うだけ時間の無駄)』(浮世草子『新色五巻書』)。」

として,「靄」との関連を強調している。そして,同じ擬態語「もやっ」と比較して,

「『もやもや』は,その状態が持続していたり数量が多かったりして,動的・複数的なものとして捉えるのに対して,『もやっ』はまとまった静的なものとして捉えた表現」

で,「もやーっ」となると,「もやっ」よりはっきりしない状態が長く続く様子。となる。

「もやもや」は,擬態語で決まり,と思うが,『広辞苑』は,

@(疑問・推量の助詞モ・ヤを重ねた語から)分明でないさま,不確実なさま,朦朧,
A頭の働きが鈍っていたり気分・雰囲気などが重苦しかったりするさま,思い煩って心が結ぼれるさま,
B色情がむらむらと起こるさま,

という意味を載せる。これだと,

疑問・推量の助詞モ・ヤを重ねた語から,

が「もやもや」の語源と見なすことになる。この説の背景は,

もやもやもあらず,

という言葉から来ていると思われる。だから,『広辞苑』は,「もやもやもあらず」を,

「『もやもや』を強めた語」

と解釈する。「もやもやもあらず」は,『岩波古語辞典』には,

「モヤは係助詞モとヤとの複合。推測・疑問の意を重ねた語。不確実なので相手にただす意。日本書紀の訓読に使われた語。」

として,

ああかこうかと問いただすこともできない,不便だの意,

とある。

「御(おはしま)す所に遠ざかり居りては,政を行はむに不便(もやもやもあらず)」(天武紀)
「久しく老疾(おいやまい)に苦しぶる者は進止(ふるまい)不便(もやもやもあらず)(同)

という用例である。他でも,「不便」に,「もやもやもあらず」と訓ませている。

しかし,「もやもやもあらず」は,あくまで書紀の訓読で,ここは,

「モヤは係助詞モとヤとの複合」

とみなしていいが,「もやもや」は,やはり擬態語であり,『擬音語・擬態語辞典』の言うように,

靄(もや),

と見なすのが妥当ではあるまいか。「モヤは係助詞モとヤとの複合」というような,抽象度の高い表現は,意図的にしない限り,文脈依存の擬態語中心の和語にはなじまない。そして,「靄」自体が,

「もやもや(擬態語)の気象」

という『日本語源広辞典』の説が正しい。「もやもや」とした状態を,「もや」と呼び,「靄」の字を当てたに違いないのである。「靄」というような抽象度の高い概念は,中国由来と考えていい。「靄」(アイ,アツ)の字は,

「謁の字は,行く人をおしとどめること。遏(アツ おしとどめる)と同系のことば。靄は『雨+音符謁』で,雲がおしとどめられて,たちさらぬこと」

で,意味は,「雲やかすみがたちさりかねてたなびくこと」「もや」「低くたちこめた薄い霧や煙」と,この字を当てたのは当然である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つくし


「つくし」は,

土筆,

と当てる。

スギナの地下茎から早春に生ずる胞子茎,

を指す。

「スギナ(杉菜、学名:Equisetum arvense)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。生育には湿気の多い土壌が適しているが、畑地にも生え、難防除雑草である。その栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼ぶ」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AE%E3%83%8A)。

要は,「つくし」は,「スギナの繁殖器」(『たべもの語源辞典』)ということになる。

「つくし」は,筆頭菜(ひっとうさい),ツクシンボ,ツクヅクシ(また,ツクツクシ),ツクヅクシバナ(土筆花)とも言う。古名はフデツバナ(筆茅花・ヒツチカ)と呼んだ(『たべもの語源辞典』)とあるが,『広辞苑』には,「ツクシの古称」としては,「つくづくし」といい,「つくづくしばな」ともいう,とある。『岩波古語辞典』もそうとしているし,『大言海』も,「つくし」は「ツクヅクシの略」としている。『源氏物語』などの用例から見ても,古称は,「つくづくし」なのだろう。

『大言海』の「つくし」の項を見ると,

つくづくし(土筆)の略,

とあり,「つくづくし」の項には,

「突くを重ぬ,突出の意。その形,筆の頭に似る故に,土筆と書す。杉菜(スギナ)の花」

とあり,筆頭菜(ひっとうさい),つくしんぼとも言うとある。。『日本語源広辞典』も,

「ツク(突き立った)+シ(クシ・細い柱)」

とする。『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E5%9C%9F%E7%AD%86)も,

「古くは『つくづくし』といい、『つくし』はそれを略したもの。『つく』は『突く』で、地面から突き出ることからとされる。また、その形が航行する船に水脈を知らせるために立てる杭『みおつくし(澪標)』に似ているところからこの名があるとする説もある。地面に筆を立てたように見えることから『土筆』と当てて書く。」

とする。どうやら,

土筆,

は,後の当て字である。

http://www.asahi-net.or.jp/~uu2n-mnt/yaso/yurai/yas_yur_tukusi.html

は,

「スギナに付いているから『付く子』と呼ぶようになったという説や、土を突いて地表に出てくるから『突く子』と呼ぶという説、節のところで切り離しても継ぐことができるから『継く子』になったという説などがある。また漢字の『土筆』はその姿形が筆に似ているところからあてられた字である。スギナ(杉菜)は草の姿が杉の木に似ているところから付けられた名だそうだが、『継く子』と同じ理由で『継ぎ菜』になったという説もある。」

と他の説も挙げている。ミオツクシ(澪標)のツクシから柱の意,としたのは柳田國男(野草雑記)らしいが,『たべもの語源辞典』が,

「初めツクツクシと呼ばれたことを考えると,ミオツクシのツクシというのは文学的ではあるがよくない。」

と,一蹴しているように,古名「つくづくし」から,語源を探らなくては,意味がないだろう。『日本語源大辞典』は,

ツク(突く)を重ねた語で突出の意(大言海),

以外,

ツキツクシキ(突々如)の義か(名言通),
ツクツクシ(突之串)の義(日本語原学=林甕臣),
節がトクサに似ているところから,トクサフシの転(名語記),

と,「突く」に絡むものが大勢である。『日本語の語源』は,

「ウツクシ(愛し。美し)は『かわいい。いとしい』から『あいらしく美しい』に転義した形容詞である。…土筆は,そのかわいらしい姿から,はじめ,ウツクシキモノ(愛しき物)と呼ばれていた。語頭を落としてツクシンボーに転音し,さらに下部を省略してツクシになった。これを重言したのが『源氏物語』に見えているツクヅクシである。香川県では語尾を落としてツクツクという地方(中讃)がある。
ネギの頭を葱坊主と呼んでゐるが,ツクシの花も法師頭の連想から関西方言ではツクツクボーシ(法師)という。兵庫県美方郡・鳥取・岡山・広島方言では上部を省略してホーシ(法師)といい,兵庫・島根県安濃郡・広島・香川・徳島県祖谷・愛媛・大分県ではホーシコ(法師子)と呼んでいる。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AE%E3%83%8A

も,「地域によっては「ほうしこ」(伊予弁等とも呼ばれる)としているが,『たべもの語源辞典』は,

「ツクシがかわいらしい姿をしているからウツクシキモノ(愛らしい物)と呼んだが,ウを落として,ツクシンボーと転音し,更に下部を略して,ツクシニナッタモノデ,ツクシの重言がツクヅクシであるという説などがあるが,いずれも無理である。ツクシンボーは法師で,ツクシ(土筆)を筆と見ないで法師頭と見たところからの名である。またツクシが生まれてから,それを重ねていってツクヅクシと呼ぶというのも逆行している。ツクヅクシが簡単にツクシとなるのが自然であり,歴史的に見ても関東では江戸時代以前にツクツクシとよばれていた。京阪では,文化・文政(1804−30)ころになって,やっとツクシというよび方が始まる。」

として,「ツクヅクシ」は,

「ツクは,『突く』である。ヅクも突くで,突くを重ねていった。つまり,つくづくと重なって出るからツクヅクシといったのである。また,突き出るの意と言う説もあるが,日本名の土筆と考えると,突き出る説も良いが,ツクヅクシは,ツクツクと重ねたところに重きをおくほうが良いと考えられる。ツクツクシと最後にシをつけたのも,重なって突き出てくる状態をいったものである。」

としている。

要は,「突き出る」か「突く突く」かの違いかに絞られそうだが,「つくづくし」と呼んだからには,「突く」というのとは違うニュアンスを出したかったのではないか。とすれば,「突く」ではなく,「突く突く」だと見なすのが,確かに自然には思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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つくつくぼうし


「つくつくぼうし」は,

つくつく法師,

と当てる。

寒蝉,

とも当てるらしい。その名は,

「鳴き声からの名。『法師』は当て字」

と,鳴声から来ているらしい。『日本語源広辞典』も,鳴声からとしている。

『大言海』は,「つくつくほうし」に,

蛁蟟,

の字を当てている。しかし,これは,『大辞林』には,

みんみんぜみ(みんみん蟬)

とある。しかし,

https://furigana.info/w/%E8%9B%81%E8%9F%9F

をみると,

「蛁蟟(つくつくほうし)が八釜やかましいまで鳴いているが車の音の聞えぬのは有難いと思うていると上野から出て来た列車が煤煙を吐いて通って行った。」(根岸庵を訪う記 / 寺田寅彦)
「汽車がまた通って蛁蟟(つくつくほうし)の声を打消していった。」(同)

を引き,「蛁蟟」にわざわざ「つくつくほうし」とルビを振っている。「蛁蟟」は,『字源』には,

むぎわらぜみ,

とある。僕はあまり聞かないが,『大言海』には,

なつぜみ(夏蝉),

のことという。「なつぜみ」とは,『デジタル大辞泉』に,

夏に鳴く蝉。アブラゼミ・クマゼミ・ニイニイゼミなど,

とあり,別の蝉に行き着く。どやら,この漢字を当てる背景はあるのだと思う。 『大言海』は,「つくつくぼうし」の項で,やはり,

「其鳴聲,ツクツクボウシと聞ゆる故に名とす」

と説明し,別に,

くつくつぼうし,
ほうしいつくつく,
おうしいつくつく,
うつくし,
うつくしよし,

とも言う(『大言海』)として,以下を引用している。

「蛁蟟 ツクツクボウシ」(和玉篇)

http://hyogen.info/word/6749428

に,「つくつくほうし」として,

つくつく法師・寒蝉・蛁蟟,

と当て,

「セミ科の一種。夏の半ば過ぎから鳴く小形の蝉。体長3cmほど。『オーシーツクツク』と鳴くのが名前の由来。筑紫恋し。法師蝉。『蛁蟟』は『みんみんぜみ』とも読める。」

とある。本来,

おうしいつくつく,

であったのが,

おうしいつくつく→ほうしいつくつく→つくつくほうし,

と転じた,ということか。

しかし,『日本語源大辞典』は,

「@平安時代にはクツクツホウシ(ボウシ)と呼ばれていたようである。『高遠集』によれば,ウツクシともよばれたらしい。ウツクシという呼び名は和歌の世界で好まれ,ウツクシヨシという雅な鳴声の表現をも生み出した。A鎌倉時代になると,ツクツクの形も辞書にのり始め,ツクツクとクツクツの勢力争いといった形になる。しかし室町初期には『頓要集』などにツクツクの形のみ記したものも登場し,室町後半にはこれが主流となる。Bツクツクが主流となると,ツクシヨシという聞き方が現れた(『大和本草』)。これは,『筑紫,良し』ともとられ,さらにツクシコイシという聞きなしまで生み出された。『鶉衣‐前・下・四八・百虫譜』にそれがあるが,さらにそこで旅に死んだ筑紫の人がこの蝉になったという俗説も紹介している。C現代ではその鳴き声を『おーしいつくつく』と聞くこともある。」

としているので,事態は逆で,どうやら,

クツクツホウシ→ウツクシ(ウツクシヨシ)→ツクツクホウシ→ツクツクヨシ→オーシイツクツク,

と,いうことになるらしい。

所詮擬音語なので,どう聞くかは,人次第とはいえ,あまりにも差が大きい。この言葉に,ある意味日本語の特徴,文脈依存性(つまりその時,その場の状況次第)が象徴的に出ているといっていいのかもしれない。


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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セミ


「セミ」は,

蝉(蟬),
蜩,

と当てる。「蝉(蟬)」(漢音セン,呉音ゼン)の字は,

「『虫+音符單(薄く平ら)』。うすく平らな羽根をびりびり震わせて鳴く虫」

で,「せみ」を指す。「蟬」の字は,「嬋」に通ずというので「うつくし」という意味もある。なお,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1158236041

によると,「蟬」の字は,

「『せみ』の漢字『蝉』の音読は、漢音で『セン』です。この『蝉』という漢字は、クマゼミの鳴き声の『シャンシャンシャン』に由来します。
また『蝉』という文字は『虫』+音符『單』の会意形声です。蝉はお腹に有る特別な膜(背板の内側にある膜)震わせて鳴くので、まさに『單(震えるという意味がある)』です。震えて鳴く虫ということで『蝉』とう漢字ができたのです。
そして、クマゼミの鳴き声『シャンシャンシャン』から『センセンセン』という擬音になり、『セン』という漢音になりました。
ちなみに現代中国音では『チャン』です。」

としている。「蜩」(漢音チョウ[テウ],呉音ジョウ[デウ])の字は,

「『虫+音符周(シュウ)』で,せみの声をまねた擬声語。中国人はせみの鳴声をテウテウと聞き取った。今は,『知了(チーリァオ)』と聞く」

とあり,やはり「せみ」を指す。「寒蜩」で,初秋に鳴く「ひぐらし」を意味する。「蜩」を「ひぐらし」と特定して使うのは,そのせいかもしれない。ただ「寒蜩」を,『字源』は「つくつくぼうし」としているので,「寒蜩」で,晩夏の蝉をくくっているのかもしれない(ただ,『蜩』『茅蜩』を「ひぐらし」と『字源』は区別しているが)。

『広辞苑』は,「セミ」を。

「『蟬』の漢音が和音化したものという説と,鳴き声によるという説とがある」

としているし,『日本語源広辞典』も,

「漢字音,蟬sem+(母音)i 」
「蝉の鳴声」

の二説を挙げているが,『大言海』は,

「鳴く聲を名とす。ミハ,ムシの約。蟬(セヌ)の音轉なりと云ふは非なり。天治字鏡八廿二『蟬 世比』。沖縄にて,シミ」

と,漢音転訛を否定する。『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%9B/%E8%9D%89-%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

は,

「『せみ』の語源については、セミの鳴き声が『せみせみ(せんせん)』と聞こえたからだとする説などがある。セミと言えば、まず鳴き声が連想される(その次に連想されるのは、道ばたで死んでいること)ので、自然な語源ではないだろうか。現代中国語では「蟬」の他、「知了zhiliao(チーリャオ)」という言葉が特に口語で用いられているそうだ。これも鳴き声から来ているらしい…。」

とみている。『日本語源大辞典』の,

セミセミ・センセンという鳴声から(風俗歌考・箋注和名抄・天朝墨談・名言通・傭字例・本朝辞源=宇田甘冥)

の例を見ると,鳴声説が妥当な気がする。

因みにアブラゼミは,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/aburazemi.html

に,

「アブラゼミは、『ジジジジー』『ジージー』という鳴き声が、油で揚げる時の音に似ていることから付いた名 である。 『ミンミンゼミ』や『ツクツクボウシ』のように鳴き声のままでなく、『油』に喩えられ ている点で珍しい(『ジイジイゼミ』の別名はある)。 これは、翅に油の染みに似た紋が あることや、他のセミに比べて油っぽい印象があることも影響したと思われる。」

とあるように,「ひぐらし」の「かなかな」も含め,多く鳴声から来ている以上,「せみ」そのものが「蟬」の訓から来ているというのは,ちょっと解せない。あえて言うなら,「蟬」という抽象化した概念として,その言葉を使ったというなら話は別だが。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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うめ


「うめ」は,

梅,

と当てるが,「梅」(漢音バイ,呉音メ・マイ)の字は,

「『まげ+音符母』の会意兼形声文字で,母親がどんどん子を産むことを示す。梅は『木+音符毎』で,多くの実をならせ,女の安産を助ける木。」

とある。「梅」の字は,某とも楳ともつくるとある(『字源』)。

https://okjiten.jp/kanji304.html

には,

「会意兼形声文字です(木+毎)。『大地を覆う木』の象形と『髪飾りをつけて結髪する婦人』の象形(『草木が盛んに茂る』の意味)から、美しく茂る木、『うめ』を意味する『梅』という漢字が成り立ちました。」

とある。

「うめ」について,『広辞苑』には,

「『梅』の呉音メに基づく語で,古くはムメとも」

とある。『岩波古語辞典』も,

「『梅』の中国音muəiを写したもの。平安時代mme と発音したので,古写本には『むめ』と書くものが多い」

としている。「梅」自体が,平安時代,中国から入ったものだけに,この説が妥当性が高い。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%81

は,

「漢字『梅』の唐代の音muəiの音写「ムメ」からとの説あり。」

と,しているのも,符合する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1

も,

「『ウメ』の語源には諸説ある。ひとつは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(東北方言などにその名残りがある)ため、meを/mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが『ムメ』のように表記され、さらに読まれることで/mume/となり/ume/へと転訛した、というものである。上記のように『ンメ』のように発音する方言もまた残っている。」

とし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1

には,「うめ」は,

「中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語『塩梅(あんばい)』とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。また、話梅(広東語: ワームイ)と呼ばれる干して甘味を付けた梅が菓子として売られており、近年では日本にも広まっている。
さらに漢方薬の『烏梅(うばい)』は藁や草を燃やす煙で真っ黒にいぶしたウメの実で、健胃、整腸、駆虫、止血、強心作用があるとされるほか、『グラム陽性菌、グラム陰性の腸内細菌、各種真菌に対し試験管内で顕著な抑制効果あり』との報告がある。」

とあり,漢方薬として入ってきた可能性がある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/ume.html

も,

「実を薬用にする『烏梅(うばい)』の形で、平安時代以降に中国から伝来したとされる。 中国語では『ムエイ』のような発音だったものを日本人が『うめ』と聞き取ったために、『うめ』と呼ばれるようになった。『むめ』と読むのも『ムエイ』に由来するもので、平安時代 から見られる。 本来、薬用として伝来したものであるが、花のもつ気品や美しさから平安 時代の漢詩や和歌などで題材とされている。」

としている。『大言海』は,

「朝鮮語,梅(マイ),我が邦に野生なし,記,紀に見えず,萬葉集に,明日香藤原の朝よりの歌あり,初め,外来の烏梅(ウバイ)を薬用とし,字音にて,烏梅(ウメ)(薬名『取半黄梅實,籃盛置煙突上,燻乾則成黒色,故曰烏梅』。烏は黒色の意。梅の實の燻製)と云ひしに,薬用の必用なるより,其生實若しくは,苗木を取り寄せ植ゑて,烏梅(うめ)の木と云ひしが,遂に樹名(萬葉集,三,五十三『吾妹子が,植ゑし梅樹(うめのき),見る毎に,心咽(む)せつつ,涙し流る』。又,賀茂真淵の梅辭あり)となりしなり。象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」

と更に詳しい。「烏梅」(うばい)の項には,

「古へは,烏梅(うめ)と訓みき。烏は,黒き義。燻(ふす)べらして黒し」

とある。

「うめ」が外来ということでは違いないが,経路が,

中国語からか,
朝鮮語経由か

で別れるし,それも,

梅の木としてか,
烏梅としてか,

でわかれるようだ。それによって言葉の由来もわかれる。

『日本語源広辞典』は,中国語由来について,

「中国語音『m』の前にu,後にeが加わったとする説です。漢字が公式に日本に伝わったのは,古事記によると,百済の学者王仁が伝えた論語千字文だとされていますが,四百年ころのことと思われています。福岡県志賀島から発掘された『漢委奴国王』の金印は,五七年の史実と照応しあいますので,普及はしていなくても漢字が一部入ってきていたはずです。人類学的に『日本語・語源辞典』をみると,漢字はさておいて,中国語や中国音は,数千年以上も前から入ってきて,日本語を形成したり影響を与えたりしていたのでしょう。ウマ,ウメが,訓のように思われ,使われていたのは,そういうところに原因があります。」

としていて,実情に近いはずである。

『日本語の語源』は,中国語からの変化として,

「中国語のバイ(梅)・バ(馬)を国語化してウメ(梅)・ウマ(馬)という。『ウ』は語調を整えるための添加音であった。これに子音が添加されてムメ(梅)・ムマ(馬)になった。さらにム[mu]の母音[u]が落ちて撥音化したため,ンメ(馬)・ンマ(馬)という。」

と,辿ってみせる。どの時点で入ってきたにしろ,中国語を和語のように使いこなしていたらしい様子がよくうかがえる。「うま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%86%E3%81%BE) で触れたが,これも(モンゴルからの)外来であった。

中国由来以外の諸説は,いろいろあるが,ここでは省く。しかし,

http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3-4.htm#%E7%99%BA%E8%A6%8B

で触れたように,季節を愛でること自体を中国から学んだ。

春風先ず發く苑中の梅
桜杏桃梨次第に開く
薺花楡莢深村の裏
亦た道う春風我が爲に来たれりと

という白居易の詩は,梅に対する目を変えたはずである。それは,「梅」ということはだけでなく,梅に対する独特の風情をも輸入したのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
下定昌弘『漢詩集』(ちくま新書)

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さくら

 

「さくら」は,

桜(櫻),

と当てる。「桜(櫻)」の字は,

「嬰(エイ)は『貝二つ+女』の会意文字で,貝印を並べて。首に巻く貝の首飾りをあらわし,とりまく意を含む。櫻は『木+音符嬰』で,花が気をとりまいて咲く木」

を意味する。我が国では,「さくら」に当てる「桜(櫻)」だが,

「花が気を取り巻いて咲く『うすらうめ』」

を指す。中国では,「さくら」は,「桜花」(インホア)というらしい(『漢字源』『字源』)。

https://okjiten.jp/kanji305.html

には,

「会意兼形声文字です(木+嬰)。『大地を覆う木』の象形と『子安貝・両手を重ねひざまずく女性』の象形(女性が『首飾りをめぐらす』の意味)から、首飾りの玉のような実を身につける『ゆすらうめ』を意味する」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9

は,

「サクラを意味する漢字『櫻』は元はユスラウメを意味する文字だった。『櫻』の字は『首飾りをつけた女性、もしくは首飾りそのもの』を意味する『嬰』に木偏を付けたものであり、ユスラウメの実が実っている様子を指した漢字である。日本にユスラウメが入ってきたのは江戸時代後期頃のため、日本では『櫻』の字はサクラに転用された。」

とある。「ユスラウメ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%A1

に,

「ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅、学名:Prunus tomentosa)は、バラ科サクラ属の落葉低木の果樹。サクランボに似た赤い小さな実をつける。俗名をユスラゴともいう。樹は開帳性の2〜3mの低木でよく分枝する。葉は楕円形で、葉脈に沿って凹凸があり、全体に細かい毛を生じる。桜に似た白色または淡紅色の花が葉腋に1つずつ咲き、小ぶりの赤または白の丸い果実をつける。」

とある。「さくら」より「梅」に似ている。

さて,「さくら」の語源であるが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9

は,

「『サクラ』の語は有史以前からあり、『語源』があるのかどうかも不明である。としつつ,よく知られている,とする説を挙げている。:

「春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)である。これは天つ神のニニギと木花咲耶姫の婚姻の神話によるものが出どころ。
『咲く』に複数を意味する『ら』を加えたものとされ、元来は花の密生する植物全体を指した。
富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる、『コノハナノサクヤビメ(木花之開耶姫)』の『さくや』をとった。」

と挙げている。『大言海』は,

「咲麗(さきうら)の約と云ふ。或は木花開耶姫(このはなさくやひめ)のサクヤの轉(あざやか,あざらか)」

とし,「木花(このはな)」の項で,

「木(こ)の葉,木(こ)の間,同趣」

とあり,

「特に櫻の称」

とある。「木に咲く花」を「さくら」と呼んだというのは,魅力的だ。「はな」といえば,梅の花か桜の花だから。しかし,

「春の花として愛好されるようになるのは平安時代以降」(『岩波古語辞典』)

とあるので,この場合,語源的には,違うように思う

http://www.yamashin-sangyo.co.jp/cherry_sub/sakura_2.html

も,説を整理して,

【第1の説】古事記や日本書紀に登場する神話の美しい娘「木花開耶姫(このはなさくやびめ)」の「さくや」が「桜」に転化したものだという説です。「木花開耶姫」は霞に乗って富士山の上空へ飛び、そこから花の種を蒔いたと言われています。そして、富士山そのものをご神体とした富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)は、全国で千以上に及ぶ浅間神社の総本社で、木花開耶姫を祭神としています。
【第2の説】さくらの「さ」は「サ神様」(主に田の神様)の意味で、「くら」は神様の居場所「御座」(みくら)を意味するという説です。田の神が桜の花びらに宿り、田に下りて稲作を守護するというのです。稲作りの始まりと桜の咲く時期が同じころなので、満開に咲く花の下で豊作を願ったのだと言われています。
【第3の説】「咲く」に、「達」という意味の接尾語「ら」が加わったというものです。群れて咲く桜は古来より、咲く花の代表であったことをあらわしていると言われています。

とするが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sakura.html

は,

「語源は、動詞『咲く(さく)』に接尾語『ら』が付き、名詞になったものいわれる。さくらは奈良時代から栽植されたが、当時は田の神が来臨する花として、『信仰』『占い』のため に植えられることが多かった。そのため、『さ』は耕作を意味する古語『さ』、もしくは『神霊』を意味する『さ』を表し、『くら』は『座』を表すといった説もあるが、あまり有力とされてい ない。 古代に『サクラ』と呼ばれていたのは、現在の山桜のことであったとされる。」

と,「さく」「ら」説をとる。「さ」「くら(座)」説は,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E6%A1%9C

のいうように,

「『さ』はさがみ(田神)からで穀霊、『くら』は神のよりつく座(くら)で、桜は穀霊のよりつく座の意とする…。古人は桜の花の咲き具合からその年の稲の豊凶を占ったといい、また、桜を農作業の目安にする風習は今なお残っている。」

あるいは,

http://ktb.hatenablog.com/entry/20050326/sakura

の,

「『サ』は(稲穂の)穀霊を意味する言葉、『クラ』は稲の神様が降臨する磐座(イワクラ)の意味で、つまり『さくら』は稲、農耕の神様が宿る木という説。田植え前に豊作を祈願した神事が花見の起源ともいわれている。」

と言う説明がわかりやすい

しかし,『日本語源広辞典』は,

「『咲く+ラ(花)』の音韻変化」が有力です。…花の時期の短さ,咲き方の見事さが,さくらの語源となったと見るべきです。『サ(稲の神)+クラ(宿る)』説は疑問」

と,「サ」「クラ(座)」説を否定している。否定されているが,「木花開耶姫」転訛説は,

http://ktb.hatenablog.com/entry/20050326/sakura

の,

「『古事記』に登場する『木花咲耶姫(このはなさくやひめ)』の『さくや』が転訛したものだという説。桜の霊でもある木花咲耶姫が、富士山から最初の桜の種を蒔いたといわれており、『この花(桜)のように美しい姫』の名前が語源だともされている。あるいは『木花』とはサクラの花をことを意味し、『開耶』の音がそのままサクラの語源となったとも伝えられる。」

との説明はわかりやすい。しかし「『木花』とはサクラの花」というのは,花=櫻になって以降の付会に思える。

『日本語源大辞典』は,諸説を網羅して,以下のように挙げている。

@桜の靈である此花サクヤ(咲耶・開耶)姫から,サクヤの転(萍[うきくさ]の跡・茅窓漫録・名言通・和訓栞・大言海),
Aサキムラガル(咲簇)の約(萍の跡・茅窓漫録・和訓栞),
Bサキウラ(咲麗)の約(大言海),
Cよろずの花の中で勝れて美しい意から,サキハヤ(咲光映)の約転(古事記伝・菊池俗語考),
D咲くと花ぐもりとなるところから,サキクモル義(和句解・日本声母伝),
E咲クに接尾語ラがついたもの(語源辞典・植物篇=吉田金彦・暮らしのことば語源辞典),
F樹皮が横に裂けるのでサクル(裂)の転(日本釈名),
Gサケヒラク(割開)の略(柴門和語類集),
Hサクワウ(開王)の転(言元梯),
Iサキ(幸)の転声,ラは花カズラ,カツラのラ(和語私臆鈔),
J花の中で殊にすぐれているところからサはするどくあらわれたさま,ラはひらくさまの意(槙のいた屋),
Lサはサガミ(田神)のサで,穀靈の意。クラは神の憑りつくクラ(座)で,さくらは穀靈の憑りつく神座の意。桜に限らなかった(萬葉集東歌研究=桜井満),
M美しく光り輝く意の「灼燦」の別音sakuraから(日本語原学=与謝野寛),

しかしその他にも,

「咲くらむ(咲くだろう)」からきているという説,
サキウラ(割先・咲梢)の意で、花弁の先の割けた花が梢いっぱいに咲き匂う美しさをいう,
「サキハヤ(開光映)」に由来するという説,

等々もあるらしい(http://ktb.hatenablog.com/entry/20050326/sakura)。

しかし,やはり,接尾語「ら」が,複数の意の「等」ではなく,

「擬態語・形容詞語幹などを承けて,その状態をあらわす」

という意味によって,

まさに,花が咲いている,

という「サクラ」の開花状態をイメージするなら,

咲クに接尾語ラがついたもの,

が妥当に思える。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%A1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ぞう


「ぞう」は,

象,

と当てる。「象」(漢音ショウ[シャウ],呉音ゾウ[ザウ])は,

「ゾウの姿を描いたもの。ゾウは,最も目立った大きす身体をしているところんら,かたちという意味になった」

とある(『漢字源』)。

https://okjiten.jp/kanji302.html

にも,

「象形文字です。『長い鼻のぞう』の象形から『ぞう』を意味する『象』という漢字が成り立ちました。」とある。和語「ぞう」は,どうやら,呉音ゾウ(ザウ)の訓みそのままである。

実は,「うめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%86%E3%82%81) の項で,『大言海』は,

「朝鮮語,梅(マイ),我が邦に野生なし,記,紀に見えず,萬葉集に,明日香藤原の朝よりの歌あり,初め,外来の烏梅(ウバイ)を薬用とし,字音にて,烏梅(ウメ)(薬名『取半黄梅實,籃盛置煙突上,燻乾則成黒色,故曰烏梅』。烏は黒色の意。梅の實の燻製)と云ひしに,薬用の必用なるより,其生實若しくは,苗木を取り寄せ植ゑて,烏梅(うめ)の木と云ひしが,遂に樹名(萬葉集,三,五十三『吾妹子が,植ゑし梅樹(うめのき),見る毎に,心咽(む)せつつ,涙し流る』。又,賀茂真淵の梅辭あり)となりしなり。象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」

と記していた。つまり,「ぞう」の語源に関わって,

「象牙,渡りて,斑文あるに因りて,段(きさ)と呼びしが,象(ざう)の名ともなりしが如し」

と記していた。「ぞう」は,かつて,

きさ,

と呼んでいた。『岩波古語辞典』は,「ぞう」では載らず,「きさ」について,

「象の古名」

とある。『大言海』は「きさ」(象)の項で,

「橒(きさ)の義。初め,象牙,渡来し,牙に橒あれば名とす。牙をキサのキと云ふ。即ち,橒(きさ)の牙(き)なり。牙の名の,獣名に移りたるは薬用に渡来せしウメボシの烏梅(うめ)の,梅樹の名に移りたると同趣なるべし。又,梵語に,象(ザウ)を迦邪(Gaya)と云ふとぞ」

とあり,「橒」の項には,

「刻(きざみ)の義」

として,

「木目の文(あや)」

とあり,『和名抄』の,

「橒,木目の文也,木佐」

を引く。「ざう(象))の項では,『史記』の,

「大宛傳『其人民,乗象以戦』」

『和名抄』の,

「象,岐佐,獣名。似水牛,大耳,長鼻,眼細,牙長者也」

を引く。「ぞう」は,近代までは,『日本語源広辞典』の言うように,ほとんどの日本人にとって,想像上の動物でしかなかった,といっていい。よく描かれた虎も同じで,虎図が猫図にみえるのも当たり前であった。

「きさ」の説明は,

http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68492

で,

「象をキサというのは、象牙の横断面に橒(きさ)(木目の文)があるためである(『萬葉動物考』)。『和名抄』に『和名 伎左』とある。天智紀に『象牙(きさのき)』とあり、当時すでに象牙の輸入されていたことが知られる。『拾遺集』にも『きさのき』(巻7-390、物名)を詠んだ歌がある。その一方で、『名義抄』に『キサ キザ サウ』、『色葉字類抄』に『象 セウ 平声 俗キサ』とあり、平安期には『キサ』『キザ』の他に、『サウ』や『セウ』ともいったらしい。万葉集には、『象山(きさやま)』『象(きさ)の小川』『象(きさ)の中山』と見えるが、いずれも、現在の奈良県吉野郡吉野町にある喜佐谷周辺の地を指したもので、動物の象とは無関係。象山は、弓削皇子の歌(3-242)にも詠まれている三船山と向かい合っており、これらの山の間に象谷(喜佐谷)がある。『象(きさ)』の地名は、橒(きさ)(木目文)の如き、ギザギザと蛇行した谷に由来するという(『角川日本地名大辞典』)。象谷に沿って吉野川の支流である象川が流れている。象川が吉野川にそそぐところを『夢のわだ』といい、この地もまた万葉歌に詠まれている(3-335、7-1132)。」

と詳しい。

ただ,『日本語源大辞典』を見ると,「きさ」の由来は,「象牙」の何を採るかで微妙に違うようだ。

牙に木目のような筋があるところからキサ(橒)の義(東雅・和訓栞・大言海),

以外に,

牙サシ出ルの意(日本釈名),
キザシ(牙)の略(名言通),
ケサ(牙蔵)の義(言元梯),
キバヲサ(牙長)の義(日本語原学=林甕臣),

等々もあるようだ。まあ,「文(あや)」が妥当に思える。

ところで,こんな経緯から「象」の字は,例えば,『デジタル大辞泉』のように,

「きさ」 象(ぞう)の古名,
「しょう〔シヤウ〕」かたち。ありさま。易(えき)に表れた形,
「しょう」 物の形。目に見えるすがた(印象・気象・具象・形象・現象・事象・心象・対象・万象)。物の形をかたどる(象形・象徴),
「ゾウ」 動物の名
「ぞう」 物の形(有象無象(うぞうむぞう))
名前(名のり)かた・きさ・たか・のり,

等々とあり,椿象(かめむし),海象(セイウチ)などという当て字にも使われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ツバメ


「ツバメ」は,

燕,

と当てる。

つばくら,
つばくろ,
つばくらめ,

の異称がある。「つはくらめ」が「ツバメ」の古称とある(『広辞苑』)。「燕」(エン)の字は,象形文字で,

「つばめを描いたもので,その下部は二つにわかれた尾の形であり,火ではない」

とある(『漢字源』)。

『岩波古語辞典』の「つばくらめ」の項には,

「メは,カモメ・スズメ・ヤマガラメなど,鳥を意味する接尾語」

とある。『大言海』には,「つばめ」は,

「ツバクラメの略」

とあり,やはり,「メ」は,「ヤマカラメ,ヒカラメと同趣」

とあり,「ツバクラ」も「ツバクラメの略」とある。「ツバクラメ」の項では,

燕,
玄鳥,
乙鳥,

と当て,

「ツバクラは鳴く聲,メは群れの約と云ふ。或は,土喰黒女(つちばみくろめ),翅(つば)黒女,光澤(つや)黒女の略轉など云ふはいかがか」

とある。そして,

「ツバビラコ,ツバビラク,略してツバクラ,ツバクロ,ツバメ」

とする。そして, 

『倭名抄』「燕,豆波久良米」
『本草和名』「燕,玄鳥,都波久良米」
『字鏡』「乙鳥,豆波比良古」

を引く。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000067714

の言う,

「『日本語語源大辞典』『語源大事典』によると、土食み(つちくみ)の意味からか、ツバメの古名はツバクラメ。ツバクラになり、ツバメとなった。ツバクラメは土喰黒女(ツバクラメ)となるが、この呼び名は光沢のある黒い鳥を意味するともいわれている。
『ツバ』『クラ』『メ』の三語よりなっている。
「ツバ」・・・光沢のあること。
「クラ」…黒
「メ」・・・ススメやカモメなど群れる鳥を指す。
姿の黒い照り輝くところからの命名。また、「土」「喰」「黒」・・・ルバメクロ(メ)とも解するという。)」

の,「土喰黒女(ツバクラメ)」を『大言海』は否定していることになる。

「ツバクラは鳴く聲」というのは,『日本語源広辞典』のいう,

「チュバ(鳴声)+メ(小鳥の接尾語)」

と同趣だろう。

http://www.cec-web.co.jp/column/bird/bird57.html

も,

「ツバメの語源は、ツバクラメで、これが短くなったものとされています。時代的には、すでに奈良時代にはツバメとツバクラメが併用され、室町時代になってツバメが主流となったようです。もともとのツバクラメとは、ツバが鳴き声を表し、クラが小鳥の総称であり、メは群れを示す接尾語という解釈が今日代表的な見解のようです(「鳥の名前」東京書籍発行、「鳥名の由来辞典」柏書房)。」

とあるのも同じである。

http://www.nihonjiten.com/data/45823.html

は,

「古名『ツバクラメ』→『ツバクラ』→『ツバメ』と変化したとされる。古名『ツバクラメ』の語源は、『ツバ+クラ+メ』の説で、『ツバ』は光沢の意とする説、鳴声とする説、『クラ』は黒の意とする説、小鳥(カラ)の総称とする説、『メ』は群れる鳥を表す接尾語とする説がある。他に『ツチバミクロメ(土喰黒女)』、『ツフハクロメ(頬羽黒群)』、『ツハサクルフレム(翼狂群)』、『ツバサクリカヘリムレ(翼繰返群)』『ツバクロメ(翅黒女)』『ツヤクロメ(光沢黒女)』などの意とする説がある。 別に、古名『ツバクロ(メ)』→『ツバメ』と変化した説もあり、『ツバクロ』は嘴で土をくわえて巣をつくることから『土喰黒(ツチバミクロ)』の略とする説がある。」

と諸説を整理しているが,

ツバクラメ→ツバクラ→ツバメ,

ツバクロ(メ)→ツバメ,

の略轉説を整理しているが,「ツバクラメ」が古称なら,

ツバクラメ→ツバクロ(メ)→ツバクラ→ツバメ,

なのかもしれない。『日本語源大辞典』は,「つばくらめ」と「つばめ」を別に項を立てている。「ツバクラメ」の語源としては,

ツバクラは鳴声から,メはムレ(群)の約(箋注和名抄・音幻論=幸田露伴),
ツチバミクロメ(土喰黒女)・ツバクロメ(翅黒女)・ツヤクロメ(光沢黒女)の略轉(『大言海』が疑問視した),
ツバは鳴声から。クラはイタクラのクラと同じで小鳥の総称(野鳥雑記=柳田國男),
ツバは光沢のあるさまをいう語。クラは黒の義。メは鳥名につける語(東雅),
ツバクラは翅黒の義か,メはムレ(群)の義(上方語源辞典=前田勇),
ツチ(土)ハミクラフの略(関秘録),
ツチ(土)クラヒの義という(物類称呼),
ツバサクリカヘリムレ(翼繰返群)の義(日本語原学=林甕臣),
ツバサクルフムレ(翼狂群)の義か(名言通),
ツフハクロメ(頬羽黒群)の義(言元梯),

等々。いささか苦しいものもあるが,「クラ」は黒の意とする説でいいとして,

「メ」を鳥の総『ツバ』は光沢の意とする説、鳴声とする説、
「ツバ」は光沢の意とする説、鳴声とする説、

にわかれている。「ツバメ」の項で,

「@語形としては,『色葉字類抄』にツハメ・ツハクロメ・の語形が見られる。ツバメ・ツバクラメのメは,カモメ・スズメ・コガラメなどの,鳥類に共通する接尾語か。A鎌倉・室町期になるとツバメが勢力を増し,『節用集』ではツバメクラを圧倒してくる。江戸期にはツバクラメは古語となり,ツバメ・ツバクラ・ツバクロが主流となる。」

と述べている。「メ」について,群れか鳥の総称か,というのは,「メ」の意味が分からなくなったから,そう言っているだけなのかもしれない。『日本語の語源』は,音韻変化説をとり,こう述べている。

「『黒む』という動詞は『黒くなる。黒みを帯びる』という意味である。…春来て秋帰る燕は人家に巣くってかくべつ馴染みの深い小鳥であるが,大昔の人はこれをツバサクロム(翼黒む)鳥と呼んだ。『サ』を落としたツバクロムは『ロ』の母音交替[oa],『ム』の母音交替[ue]の結果,ツバクラメに転音した。(中略)さらに語尾を落としてツバクラ・ツバクロになった。(中略)ツバクラメの省略形がツバメである。(中略)筑後久留米(浜荻)・広島・愛媛・佐賀・長崎・香川県では,最古のツバサクロム鳥の省略語として,燕のことをツバサと呼んでいる。」

これだと,スズメ・カモメの「メ」はどう説明するのか,と思うが,「スズメ」については,

「『がやがや騒ぐ』ことをサザメクという。(中略)サザメキ鳥は語幹のサザメがスズメ(雀)になった。丹波国何鹿(いかるが)郡アササキ(吾雀)郷の地に式内社のアススキ(阿須須岐)神社があるのは,ササ・ススの転音を示唆している。」

とし,「カモメ」についても,

「鷗は夏,カムチャッカ・シベリヤ・カナダなどの海岸に繁殖し,冬は日本に現れて全国の海上に群棲している。翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子音交替[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。
カマメ(鷗)はさらにカモメ(鷗)になった。津軽地方では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」

と,一貫している。何でも不明だと,接尾語にするというのは,いかがかと思うので,聞くに値する。

因みに,「若いツバメ」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/wa/wakaitsubame.html


によると,

「明治時代の婦人運動・女性解放運動の先駆者 平塚雷鳥と、年下の青年画家 奥村博史 の恋に由来する。平塚が年下の男と恋に落ちたことで、平塚を慕う人々の間で大騒ぎ となり、奥村は身を引くことにした。 その時、奥村から平塚に宛てた手紙の中で、『若い 燕は池の平和のために飛び去っていく』と書いたことから流行語となり、女性から見て年下の愛人をいうようになった。」

とあり,『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/44wa/wakaitubame.htm

「若いツバメとは平塚雷鳥という婦人運動家と年下の奥村博史という画家との恋愛から生まれた『年上の女性の愛人である若い男性』という意味の言葉である。平塚はこの5歳年下の彼氏・奥村のことを『若いツバメ』や『弟』と呼んでいた。二人の関係が公になるにつれ、女性解放を謳う平塚の運動に参加していた者の間でこれが騒ぎとなり、奥村が身を引く決心をする。その時、奥村が平塚に宛てた手紙の『若いつばめは池の平和のために飛び去っていく』という文面から若いツバメは上記の意味で流行語となった。余談だが二人は最終的に結婚している。」

とある。「燕」を当てる字には,陰暦八月の「燕去り月」,燕合わせ(「つばめる」から来た当て字。燕算用も同じ),燕口,燕銛,燕返し等々数々ある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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スズメ


「スズメ」は,

雀,

と当てる。「雀」(慣音ジャク,漢音シャク,呉音サク)の字は,

「会意兼形声文字。もとは,上部が少ではなくて小。『隹(とり)+音符小』で,小さい小鳥のこと。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji1699.html

にも,

「会意文字です(小+隹)。『小さな点』の象形と『尾の短いずんぐりした小鳥』の象形から、小さい鳥『すずめ』、『すずめ色(赤黒色、茶褐色)』を意味する『雀』という漢字が成り立ちました。」

とある。

『岩波古語辞典』は,

「スズは,鳴声から付けた名か。メはき鳥を表す語。ツバメ,カマメなどのメに同じ。Suzumë」

とし,『大言海』も,

「スズは鳴く聲,メは群れの約,或は云ふ,篶群(すずむれ)の義なりと」

としている。「倭名抄」には,

「雀。須須米」

とあるそうだから,かつては濁っていなかった感じである。『日本語源大辞典』は,

「『本草和名』には『和名 須須美』とあり,そのほか『観智院本名義抄』『色葉字類抄』『日本書紀古訓』にも『ススメ』『ススミ』の両訓があるから,古くはスズミの形も存在したと思われる。」

としている。

さて,その語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suzume.html

も,

「スズメの『スズ』は、その鳴き声か、小さいものを表す『ササ(細小)』の意味。『メ』は『群れ』の意味か、ツバメ・カモメなど『鳥』を表す接尾語である。現代では、鳴き声が『チュンチュン』と表現されるが、平安時代から室町時代までは『シウシウ』、江戸時代から『チーチー』『チューチュー』と表現され、『チュンチュン』へと移り変わっている。古代のサ行は『si』ではなく『ts』の音であったといわれ、『シウシウ』は現在の『チウチウ』に近い音であったと考えられる。『スズ』は第二音節が清音で『ススメ』『ススミ』と呼ばれていたため、『シウシウ(チウチウ)』という鳴き声を写したものが『スス』と考えても不自然ではない。また、小さな意味の『ササ』は『ススキ』の語源にも通じ、身近にいる小鳥であることから、『ササ(細小)』の説も考えられる。」

と,「スス」は鳴き声,「メ」は,群れないし小鳥の意,とする。『日本語源広辞典』も,

「雀の鳴き声(チュンチュン・チュウチュウ)+メ(接尾語,小鳥)」

説を採る。『日本語源大辞典』も,大勢,

スズは鳴き声から。メはムレ(群)の約(箋注和名抄・言元梯・名言通・本朝辞源=宇田甘冥・日本古語大辞典=松岡静雄・大言海),
スズは鳴き声から,メは小鳥の義(音幻論=幸田露伴),
もとはチュンチュンと小さく鳴く小鳥の総称であったもの(国語史論=柳田國男)
ススはシュシュという鳴き声から出たか(名言通・国語溯原=大矢徹),
スズロムレ(漫群)の義(日本語原学=林甕臣),
スズムレ(篶群(すずむれ))の義か(大言海),
スズはササに通じ,小の意か。メは鳥をいう古語(東雅),
おどりながらススム(進)ところから(日本釈名),
雀は心たけくススムものであるところから(和句解),

鳴き声派で,「メ」を接尾語として,勝手に解釈している気がする。「メ」がはっきり分からないからといって,都合よくこじつけるのはいかがかと思う。「ツバメ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/458420611.html?1522264236

で触れたように,『日本語の語源』は,音韻変化説をとり,「つばめ」について,こう述べている。

「『黒む』という動詞は『黒くなる。黒みを帯びる』という意味である。…春来て秋帰る燕は人家に巣くってかくべつ馴染みの深い小鳥であるが,大昔の人はこれをツバサクロム(翼黒む)鳥と呼んだ。『サ』を落としたツバクロムは『ロ』の母音交替[oa],『ム』の母音交替[ue]の結果,ツバクラメに転音した。(中略)さらに語尾を落としてツバクラ・ツバクロになった。(中略)ツバクラメの省略形がツバメである。(中略)筑後久留米(浜荻)・広島・愛媛・佐賀・長崎・香川県では,最古のツバサクロム鳥の省略語として,燕のことをツバサと呼んでいる。」

そして,スズメについては,

「『がやがや騒ぐ』ことをサザメクという。(中略)サザメキ鳥は語幹のサザメがスズメ(雀)になった。丹波国何鹿(いかるが)郡アササキ(吾雀)郷の地に式内社のアススキ(阿須須岐)神社があるのは,ササ・ススの転音を示唆している。」

とし,さらに,「カモメ」についても,

「鷗は夏,カムチャッカ・シベリヤ・カナダなどの海岸に繁殖し,冬は日本に現れて全国の海上に群棲している。翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子音交替[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。
カマメ(鷗)はさらにカモメ(鷗)になった。津軽地方では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」

と,一貫して音韻変化から説いている。この方が筋が通る。なお,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%A1

によると,

「中文(中国語)では『麻雀』と表記する。麻雀(スズメ)は中国の古典では小さな鳥の総称のように用いられた。」

とある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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とり


「とり」は,

鳥,

と当てるが,「鳥」の字は,象形文字で,

「尾のぶら下がった鳥を描いたもの。北京語のniauは,ぶらりと垂れた男性性器(diau)と同音であるのを避けた意味言葉」

で,尾の垂れた鳥から,広く鳥の総称に用いられた,とある。「とり」には,「禽」の字もあるが,これは,

「もと『柄つきの網+音符今(キン)(ふさぐ)』の会意兼形声文字。のち,下部に禸(動物の尻)を加えたもので,動物を網でおさえて逃げられぬようにふさぎとめること。擒(キン とらえる)の原字」

とある。「とり」の意もあるが,「網やなわでとらえる動物,のち猟でとらえるとりのこと」とある。因みに,尾の短い鳥は,

隹(スイ),

の字で,

「尾の短い鳥を描いたもの。ずんぐりと太いの意を含む。雀・隼・雉などの地に含まれるが,鳥とともに広く,とりをいみすることばになった」

とある。

「とり」の語源について,『大言海』は,

「アイヌ語chiri」

とし,『倭名抄』の,

「鳥,禽,土里」

を載せている。『日本語源大辞典』によれば,その他,

トビカケリ(飛翔)の中略(日本釈名・柴門和語類集)。
トゾヲリ(飛居)の義(日本語原学=林甕臣),
トビヰル(飛集)の義か(和訓栞),
飛ぶところからか(和句解),
飛行がト(鋭)いところから。リは添えた語。また飛ぶときの羽音によるか(日本語源=賀茂百樹),
人がとるものであるところから,トリ(捕)の義か(円珠庵雑記),
トマリまたはトドマリの中略(滑稽雑談),
古く使いとして用いたところから,タヨリ(便)の義か(名言通),
鶏の意の朝鮮語talkiから(語源の研究=泉井久之助),

等々あるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/tori.html

の,

「『トビカケリ(飛翔)』の中略 をはじめ、『トビヰル(飛集)』や『トビヲリ(飛居)』の意味など、『飛ぶ』と関連付ける説が多い。その他、古代では特に狩猟の対象となる鳥を指すこともあったため、『とる(獲る)』の名詞形とする説や、朝鮮語で「鶏」を意味する『talk(talki・tark)』からといった説もある。『鳥』の『ト』と『飛ぶ』の『ト』はいずれも乙類で、鳥の特徴でまず挙げられるのは空を飛ぶことであるから、『ト』は『飛ぶ』の意味で間違いないと思われる。」

説が一番説得力がある。『岩波古語辞典』が,「とり」を,「töri」と,乙類としていることとつながる。『日本語源広辞典』も「とり」の項で,

「ト(飛ぶ)+り(接尾語)」

としている。『岩波古語辞典』は「と」の項で,

「とり(鳥)が他の名詞の上について複合語を作る際,末尾のriと次に来る語頭の音とが融合した形」

とあり,「鳥狩(とがり)」を,

törikari→törkari→töngari→tögari,

と,更に「となみ(鳥網)」を,

törinöami→törnami→tönnami→tönami,

と音韻変化を例示して見せている。ただ,多く,接頭語で残っている言葉は,古形が残っている例が多いことを考えると,これは妥当に思われる。なお,ニワトリは,別に項を改めるが,

ニハツトリ,

の転訛のようである。

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ニワトリ


「ニワトリ」は,

鶏(鷄),

と当てる。「鶏(鷄)」の字は,

「奚(ケイ)は『爪(手)+糸(ひも)』の会意文字で,系(ひもでつなぐ)の異字体。鶏は『鳥+音符奚』で,ひもでつないで飼った鳥のこと。また,たんなる形声文字と解して,けいけいと鳴く声を真似た擬声語と考えることもできる。」

とある(『漢字源』)。

https://okjiten.jp/kanji326.html

には,

「会意兼形声文字です(奚+鳥)。『手を下に向けてつかむ象形とより糸の象形と人の象形』(『つながれた人、召し使い』の意味)と『鳥』の象形から、家畜としてつなぎとめておく鳥『にわとり』を意味する「鶏」という漢字が成り立ちました。」

とある。『広辞苑』には,

「庭鳥の意」

とあるが,『大言海』は,「にはとり」の項で,

「庭つ鳥,鷄(かけ),と云ふ枕詞を,直に鳥の名とす」

とし,

「本名,かけ,又くたかけ。異名,ながなきどり,ときつげどり,あけつげどり,ゆうつげどり,うすべどり,ねざめどり,はたたとり。」

と書く(『日本語源大辞典』は,その他,四境祭の故事に基づき『木綿(ゆふ)付け鳥』とも言ったとする)。そして,

『本草和名』「鷄,爾波止利」
『名義抄』「鷄,ニハトリ」

を引く。「にはつとり」の項では,

「人家の庭に居る意。野つ鳥(雉)の如し」

とし,「鷄(かけ)の枕詞」として,

「家鳥,鷄(かけ)とも云ふ。後には,ニハトリと云ひて,直に鷄(かけ)のこととするも,これに起こる」

とある。そして「かけ」(鷄)の項で,

「鶏鳴を名とす,カケロの條を見よ。家鷄の音と暗号」

として,「ニハトリの古名」とする。「かけろ」の項では,

「鶏(にはとり)のことを,カケと云ふは,此の語に起こる。」

要は,鶏の鳴声,「コッケッコウ」から来た擬声語ということになる。ただ,『擬音語・擬態語辞典』によると,今日,コケコッコーと聞こえるが,

「室町時代までは,『かけろ』。…室町時代から江戸時代にかけて,鶏の鳴き声は『とーてんこー』。『東天光』『東天紅』の漢字が当てられ,当時の辞書にまで掲載された。」

とあるので,

カケロ→カケ→(カケの枕詞)庭つ鳥→ニハツトリ→ニハトリ→ニワトリ,

と転訛していったということになる。

『岩波古語辞典』は,「にはつとり」の項で,

「nifatutöri」

として,

「(枕詞)庭にいる鳥の意から『鷄(かけ)』に掛かる」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA

には,

「ニワトリという名前については日本の古名では鳴き声から来た『カケ』であり古事記の中に見られる。雉を『野つ鳥雉』と呼んだように家庭の庭で飼う鶏を『庭つ鳥(ニハツトリ)』(または『家つ鳥(イヘツトリ)』)と言い、次第に『庭つ鳥』が残り、『ツ』が落ちて『ニワトリ』になったと考えられる。また『庭つ鳥』は『カケ』の枕詞であり『庭つ鳥鶏(ニハツトリカケ)』という表記も残っている。別の説では『丹羽鳥』を語源とするのもある。」

と整理されている。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ni/niwatori.html

は,「にはちつとり」ならんであった「いえつとり」が,

「ニワトリを表す言葉には、『家にいる鳥』を意味する『イヘツトリ』もあったが,『万葉集』には『ニワトリ』の古名『カケ(鶏)』を意味する言葉として,また『古事記』にも『カケ』の枕詞として『ニハツトリ』は用いられているように,『ニハツトリ』の方が多く用いられたため,『イエツトリ』は消えていったと考えられる。古名『カケ』は,その鳴き声から名づけられたとされ,『神楽酒殿歌』に,『鷄はかけろと(泣)なり』の例が見られる。」

と,消えた背景を推測している。『日本語源大辞典』は,

「古くから人間の生活と密接に結びついてきたために,単に『とり』というだけで鷄を指すことが多い。」

としているが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA

によると,

「日本列島に伝来した時代は良く分かっていない。…日本列島におけるニワトリは弥生時代(紀元前2世紀)に中国大陸から伝来したとする説がある。弥生時代には本格的な稲作が開始されるが、日本列島における農耕は中国大陸と異なり家畜の利用を欠いた『欠畜農耕』と考えられていた。…ニワトリに関しては1992年(平成4年)に愛知県清須市・名古屋市西区の朝日遺跡から中足骨が出土している。以後、弥生時代のニワトリやブタは九州・本州で相次いで出土している。弥生時代のニワトリは現代の食肉用・採卵用の品種と異なり小型で、チャボ程度であったとされる。出土が少量であることから、鳴き声で朝の到来を告げる『時告げ鳥』としての利用が主体であり、食用とされた個体は廃鶏の利用など副次的なものであったと考えられている。」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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とうがたつ

 

「とうがたつ」とは,

薹が立つ,

と当てる。

「野菜などのとうが伸びる。固くて食べられなくなる」

意で,そこから,喩えで,

「年頃が過ぎる。盛りが過ぎる」

の意で使う。

「薹」(呉音ダイ,漢音タイ)の字は,

「艸+音符臺(タイ 高い台座)」

で,「あぶらな」や「かさすげ」の意の他,

「ふき・ちさなどの野菜類の,花のつく茎が伸び出たもの,花のつく台」

の意である。ちなみに,「台(臺)」は,

「『土+高の略体+至る』で,土をく積んで人の来るのを見る見晴らし台を表す。のち,台で代用する。」

とある。「蕗の薹」でいう,「薹」(トウ)は,「花のつく茎がのびでたもの,花のつく台」の意味である。

「とう立ち(とうだち)」について,

https://engei-dict.882u.net/archives/2220

は,

「薹(とう)は花を咲かせる茎のことで、とうが伸びることを『とう立ち』という。とうが伸びて花が咲くと、種子に栄養が行ってしまい葉が硬くなったり、根菜類にすが入って繊維質になったりする。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/tougatatsu.html

は,

「『薹』は「ふきのとう」というように,フキやアブラナなど花をつける茎『花茎』のこと。薹が伸びると硬くなり,食べごろを過ぎることから,野菜などの花茎が伸びて食用に適する時期が過ぎたことを『薹が立つ』と謂うになり,人間の年にもあてはめ用いられるようになった。」

と,そのままの説明だが,『日本語源広辞典』は,二説載せる。

説1 「薹が立つ」で,花軸が伸びる意,
説2 「トウ(塔)が立つ」で,形が塔の九輪に似ている意,

後者の方は,九輪という仏教寺院建立以後のものを引き合いに出しているのは,いかがかと思う。「薹がたつ」という言い方が,我が国だけの言い回しのようであるので,「蕗」などから来たものと見ていいるのではない。

因みに,「蕗」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AD

に,

「日本原産で、北海道、本州、四国、九州及び沖縄県に分布し、北は樺太から朝鮮半島や中国大陸でも見られる。山では沢や斜面、河川の中洲や川岸、林の際などで多く見られる。郊外でも河川の土手や用水路の周辺に見られ、水が豊富で風があまり強くない土地を好み繁殖する。」

そして,

「葉の伸出より先に花茎が伸び出す。これを蕗の薹(フキノトウ)と呼んでいる。」

と。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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タンポポ


「タンポポ」は,

蒲公英,

と当てる。「文明本節用集」には,

「蒲公草 タンホホ」

とある(『広辞苑』)。『大言海』は,

蒲公英,
蒲公草,

と当てている。そして,

「古名,タナなり。タンはその轉にて,ホホは,花後の絮(わた)のホホケたるより云ふかと云ふ」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D

も,

「日本語では古くはフヂナ、タナと呼ばれた。タンポポはもと鼓を意味する小児語であった。江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていたことから、転じて植物もタンポポと呼ばれるようになったとするのが通説であるが、その他にも諸説ある。」

とし,その諸説の一つとして,

「和泉 晃一『タンポポの語源 小鼓の音階名「タ」と「ポ」に由来する』」

を載せている。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9F%E3%82%93%E3%81%BD%E3%81%BD

は,

「一説に、異称のつづみぐさより、鼓の音のオノマトペ(林甕臣、柳田國男等)。」

を紹介する。『日本語源広辞典』は,この説で,

「語源は,方言の『鼓草(蕾の形からの命名)の小児言葉』にあります。鼓を打つ擬音から,タンポポというのです。」

とする。また,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212075167

も,

「もともとは、子供の作った名前ではないかと言われています。たんぽぽは、方言によっては、鼓草(つづみぐさ)などとも言われます。たんぽぽを横から見た形(花が開きかけで、下にふくらんだ萼(がく)がついている、ちょうどXのような形)が、鼓の形をした草だということから、鼓をたたくリズミカルな『たん、ぽん、ぽん』という音のイメージからつけられたのではないかということです。ただ、たんぽぽのどの部分が鼓に似ているのかについては、諸説あって定説はありません。また、『たんぽ』穂、が語源であるとする説、『湯たんぽ』の『たんぽ』と同源ではないかなど、異説もいくつかあります。」

擬音語説で,『擬音語・擬態語辞典』によれば,鼓の音は,

「たんたん」

で,鎌倉時代から見られる,という。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tanpopo.html

も,

「タンポポは,漢字で『蒲公英』と表記するのは,漢方で開花前に採り乾燥させたものを『蒲公英(ホコウエイ)』と呼ぶことからである。タンポポの語源は諸説あり,タンポポの茎を鼓のような形に反り返らせる子供の遊びがあり,江戸時代には『タンポポ』を『ツヅミグサ(鼓草)』と言ったことから,鼓を叩く音を形容した『タン』『ポポ』という擬音語を語源とする説が通説となっているが未詳。」

としつつ,

「古く,タンポポは『タナ(田菜)』,『フジナ(藤菜)』や『フチナ(布知菜)』と称しており,タンポポの『タン』は『タナ』で,『ポポ』は花後の綿を『穂々』の説も考えられる。
 中国では,『タンポポ』を『ババチン(婆婆丁)』と呼ぶが,古くは『チンポポ(丁婆婆)』と言い,『チンポポ』から『タンポポ』になったとする外来説もある。『チンポポ』が『タンポポ』に変化することは十分考えられるが,中国で『チンポポ』が使われていた時期と日本で『タンポポ』と呼ばれるようになった時期に隔たりがあり,この説は採りがたい。」

とする。なぜ 「鼓草」 なのかについては,

http://mobility-8074.at.webry.info/201704/article_41.html

が,

@花茎を短く切って,その両端に切れ目を入れて水につけると,両端が放射状に反りかえって,鼓に似た形状になるから。
A花や蕾を 2 つ,背中合わせにつなげると鼓のような形になるから。

と,二説を紹介している。

結局,「タンポポ」の語源は,

「鼓草」からくる擬音語説(東雅・日本語原学=林甕臣・野草雑記=柳田國男・たべもの語源抄),
タンは古名タナの転。ホホは花後のワタがほほけているところからとする説(和訓栞・大言海),
タンポ穂の意で,球形の果実穂からタンポ(布で綿を包んで丸めたもの)を想像したとする説(牧野新日本植物図鑑),
「田の穂穂」説。ホホには,ホホケダツ(蓬起)物の意と,ホホ(孛々)と光が四方に放出する意とある(語源辞典・植物篇=吉田金彦),
タマツキフク(玉吹々)説(名言通),

等々に整理できる。「穂」の見方には,

「たな(田菜)」が花の後にできる種子の冠毛が 〈ほろほろと崩れる〉,

という見方と,

冠毛を〈穂〉 に見たてて 〈田んぼの穂々〉 という意味で 「田の穂々」 と呼んでいたことから,

とにわかれるが,要は,

鼓の擬音か,
綿毛(冠毛)の擬態か,

ということになる。個人的には,綿毛の「穂」が印象深いので,そこに由来する

「タンポ穂の意で,球形の果実穂からタンポ(布で綿を包んで丸めたもの)を想像した」

とする説に与したい。

なお,日本に古くからあった在来種のタンポポは,特に関東地方に多く見られたことから「カントウタンポポ」とも言われていたが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D

「在来種は外来種に比べ、開花時期が春の短い期間に限られ、種の数も少ない。また、在来種は概ね茎の高さが外来種に比べ低いため、生育場所がより限定される。夏場でも見られるタンポポは概ね外来種のセイヨウタンポポである。」

のが実情で,両者の見分け方は,

「花期に総苞片が反り返っているのが外来種で、反り返っていないのが在来種。在来種は総苞の大きさや形で区別できる。しかし交雑(後述)の結果、単純に外見から判断できない個体が存在することが確認されている。」

とか。

ちなみに,中国語でたんぽぽのことを「蒲公英」と言うについては,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212075167

によれば,

「この『蒲公英』ですが、古くは『蒲公草』だったようです。草が英に変わったのは『英』が『はなぶさ』と言うことですから、花の形を表現したと言えます。 …『蒲公』ですが、もともとの中国でさえ、わかっていないようです。
『蒲』は、水草の『ガマ』のこと。また『伏せる』という意味があります。また『公』には『雄(おす)』の意味があり、そこから『力強い』という意味を表します。そこから『蒲公英』とは『地に伏せた男性的な花』のことである」

とした説もあるとか。

参考文献;
http://mobility-8074.at.webry.info/201704/article_41.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%9D
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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タンマ


「タンマ」は,今日使われているかどうか知らないが,

ちょっとタンマ,

というように使う。「待った」の意味である。『広辞苑』には,

「(児童語)遊戯の中断,タイム」

の意とある。ネット上では諸説紛々。しかし,子どもの言葉と考えると,『デジタル大辞泉』の,

「子供が遊戯中に、一時中断を要求したり合図したりするときの語。『待った』の『ま』と『た』を逆にしたものからとも、『タイム』の音変化からともいう。」

というなら,

まった→たっま→たんま,

だと思う。

たいむ→たんま,

とは転嫁しにくい。『日本語源広辞典』は,

「鬼ごっこの際の『待った』です。これを『タッマと逆にした語の音韻変化』です。タメラフから出た語とする説は疑問です。タンコ,ミッキとも」

とする。『日本語源大辞典』も,

「『待った』の『ま』と『た』を逆にしてつくり出した語かという」

としている。「タメラフ」説は,柳田國男等が言っている説である(『国語の将来』『綜合日本民俗語彙』)。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/16ta/tanma.htm

にも,

「タンマとはゲームや鬼ごっこなど、遊びの途中で休止すること、また休止を求めたり、休止することを伝える言葉としても使われる。野球などスポーツにおける『タイム』と同様と考えてよい。タンマの語源は数多くあるが、有力なものとして『待った』の倒語説(註参照)、time(またはtime out)が音的に変化したものとする説がある。他にも『一旦待つ』の略。フランス語で無駄な時間、浪費させられた時間といった意味のtemps mort(タン・モォール)からきたとする説。短い間の休止・中断だからタンマ(短間)になったとするものなど、他にも説はあるが詳しいことはわかっていない。
註:倒語とは前後をひっくり返した言葉で、「まいうー(美味いの意)」「しーめ(飯の意)など業界用語としてよく使われる。」

とある。どうも江戸時代には遡れないようだが,せいぜい明治以降とおもわれる。「タイム」はともかく,他の外国語は考えにくい。

しかし,ネット上には,諸説あり,たとえば,

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1894913.html

は,

「time outが本流のようです。他にも説としては、
1.フランス語の『temps mort』から
2.「『短』い『間』」だからタンマ
3.仏教用語で「法」を意味するタンマが語源。
4.「待った」の反対語
他にも横浜の言葉だとか、名古屋発祥だとか、関西特有で使っているとかいろいろありました。」

とあるし,方言説も,

東京方言,

であるとして,他にも,「タンコ」、「タンチ」ともいう,とある(『東京方言辞典』)。だから,

「関西の人は『みっき』や『ちゅうき』、『ちゅうみ』という言葉を使う」

ともいう。

https://uranaru.jp/topic/1027063

によれば,

「『みっき』は「見切る」からきている言葉です。『ちゅうき』の『ちゅう』は『途中や中途』からきており、『き』は『切る』からきています。」

というし,さらに,「たんみ」「たんみー」という言葉を使う地域(京都?)もあるとしている。ただ「たんみ」は,「タンマ」の転訛と考えていい。

ちょっと興味深いのは,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107344240

に,

「器械体操の競技では、手足の滑り止めに白い粉の炭酸マグネシウムをつけます。それを略してタンマと言います。
以前NHKのクイズ日本人の質問で、語源はこれだと言っていました。有名な元選手も解説に出てきてました。体操は競技中に器具から落下しても一定の時間内に競技に戻れば問題ないので、”タンマ”をつける為にその場を離れたりします。その時タンマタンマなんて言ったりします。そこから何故か広まったらしいです。自分も昔部活で体操をやりながらタンマタンマなんて言ってました。」

という説である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%9E

に,「タンマ」には,

「炭酸マグネシウムの略称。
一時停止などを意味する俗語。『ちょっと待って』という呼びかけにも使われる。」

とある。

タンサンマグネシューム→タンマ,

と略した,ということになる。滑り止めの粉としていつごろから使われ出したかはわからないが,別系統の略語と見るべきではないか,と思う。

ネット上では,

Time out説,

に人気があるようだが,やはり「待った」の転倒と見るのが,児童語としては妥当だと思う。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107344240
http://www.yuraimemo.com/2089/

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リンゴ


「リンゴ」は,

林檎,
苹果,

と当てる,と『広辞苑』にある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ri/ringo.html

に,

「りんごは、古く中国を経由して渡来し、西欧系のリンゴの普及以前に日本でも栽培されていた。林檎は中国語で、『檎』は本来『家禽』の『禽』で『鳥』を意味し、果実が甘いので林に鳥がたくさん集まったところから、『林檎』と呼ばれるようになった。『檎』は、漢音で『キン』呉音で『ゴン』と読まれることから、『リンキン』や『リンゴン』などと呼ばれ、それが転じて『リンゴ』となった。 平安中期の『和名抄』では、『リンゴウ』と呼んでいる。
また中国語で林檎を『苹果』(pingguo)とも呼び、『林檎(リンゴン)』と『苹果』(pingguo)が混ざり,『リンゴ』と呼ばれるようになったとも考えられている。」

とあり,

林檎,
苹果,

いずれも,中国語由来,ということになる。ただ,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4

に,

「日本語では漢字で主に『林檎』と書くが、この語は本来、同属別種の野生種ワリンゴの漢名である。また、『檎』を『ご』と読むのは慣用音で、本来の読みは『きん』(漢音)である。
リンゴ(セイヨウリンゴ)の漢名及び中国語の繁体字表記は『蘋果』で、中華人民共和国で使われる簡体字では苹果(píng guǒ)と書かれる。日本で『りんご』とも読むが当て字で、本来の読みは『へいか』である。」

とあり,今日の「りんご」とは異なるようである。『日本語源大辞典』

には,

「@中国では、古く西洋から伝わったリンゴを『奈』『頻婆』『苹果』などと表した。それに対し、中国原産のものが『林檎』である。
A『十巻本和名抄―九』には『林檎子〈略〉利宇古宇りうこう』とあるが、平安期にリンドウが『りうたう』とも『りんたう』とも表記されていたように、『リンゴウ』と発音されていたとも考えられる。中世以降はリンキ、リンキンの形も見られ、リウコウから次第にリンキン・リンゴのような撥音形へ移っていったようである。近世に入ると、ほとんどの書物でリンゴを一般形としている。」

とある。また,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12159352962

には, 

「バラ科の落葉高木。アジア西部からヨーロッパ東南部の原産で、日本には中国を経由して古く渡来した。中国でこれを『林檎』と呼ぶのは、「檎」は本来「禽」で鳥をさし、果実が甘く諸鳥を林に来させることによるとされる。この「檎」は漢音でキン、呉音でゴンであることから、「林檎」はリンキンとかリンゴンとか読まれるが、後者が転じたのがリンゴである。なお、平安中期の『和名抄』ではリウゴウと読んでいる。」(『暮らしのことば語源辞典』)

を引用している。

つまり,日本では,区別せず,「林檎」と当てているが,中国原産の中国由来の「りんご」を「林檎」とあてる。今日の「りんご」(セイヨウリンゴ)は「苹果」と,中国では区別しているらしい。しかし,「林檎」も,元は西方由来である。めぐりめぐって,「林檎」と「苹果」が巡り合ったということになる。因みに,西洋リンゴは,日本へは江戸末期に渡来し、明治初期に栽培しはじめた,という。

http://www.kigusuri.com/kampo/nikaido/nikaido009-01.html

には,

「中国から渡来した林檎(りんきん)と蘋果(ひんか)は、その後、コーカサス地方原産で別種のセイヨウリンゴが輸入されると倭(わ)リンゴ、地(じ)リンゴと呼ばれるようになりました。『その果実が甘いので禽(きん、小鳥のこと)が、その林に来る』ことから林檎(りんきん)と言われたと中国の古書にあり、この林檎を音読みにした和名から転じて、現在リンゴに当てられている漢字の林檎(りんご)になったと言われています。
明治時代になって多数のリンゴの品種が輸入され、各地で栽培が盛んに行われるようになって、現在では7500種以上の品種が栽培されています。」

とある。「蘋果」は今日の略字で「苹果」である。

『たべもの語源辞典』の「リンゴ」の項の説明が,「リンゴ」にまつわる真偽の整理になっている。

「西洋から輸入したものを苹果・平果と書く。中国原産の和林檎とその近似種の総称が林檎である。中国名にビンクオ(平果)がある,バラ科の果樹でアジアの中西部からインド北部といわれる。ヨーロッパでは紀元前から賞味されていた。我が国には中国から奈良時代に渡来した。中国で初め来禽と書いた。これはこの果物がうまいので禽鳥が来たり集まるので来禽とした。『三才図絵』に『文林郎果…初め河中より浮き来る。文林改という人あり拾い得て是を種(う)う。因て以て名を文林郎果となす』とある。これがリンゴである。古名,りうごう・かたなし。来禽の禽を木に生ずる果だということで,檎とし,中国の黄河を流れてきたのを文林改が初めて種えたということで,『来』を林として林檎になった。これは陳蔵器の『本草』説である。『本草綱目』には,『この果味甘く衆禽を林に来たすより林檎の名あり』とある。漢名には,来禽をはじめとして,半紅・沙果・頻婆・文林果・相思果などがある。西洋種の林檎が日本に渡ったのは,文久二年(1862)ころ越前福井侯松平慶永がアメリカから,その苗木を輸入し,江戸巣鴨の別邸に移植のが最初であるが,成功しなかった。明治四年(1871)に北海道開拓使からアメリカに苗木を注文し,これを北海道に頒布したのが,外国種林檎栽培の始まりである。石川県能美地方・福井県丹生地方・石見などでビンゴナシ,島根県鹿足地方で,リンゴナシ,鹿児島県肝属地方では,リンゴミカンとよんでいる。リンゴは,中国から渡来してリウゴウとよばれ,カタナシともいわれていたが,林檎の文字が伝えられると,リンキン・リンキ・リンゴウ・リュウゴウからリンゴになった。」

最後に,「林檎」「苹(蘋)果」の字に当たっておく。「林」(リン)の字は,

「木を二つ並べて,木がたくさんはえているはやしを表したもので,同じものが並ぶ意を含む」

「檎」(呉音ゴン(ゴム),漢音キン(ゴム))は,

「木+音符禽」

「禽」の字は,

「もと『柄つきの網+音符今(キン ふさぐ)』の会意兼形声文字。のち,下部に,禸(動物の尻)を加えたもので,動物を網でおさえて逃げられぬようにふさぎとめること。擒(キン とらえる)の原字」

これだと解りにくいが,

https://okjiten.jp/kanji2539.html

に,

「会意兼形声文字です(木+禽)。『大地を覆う木』の象形と『ある物をすっぽり覆い含むさま(「含み込んで覆う」の意味)と取っ手のついた網の象形』(『鳥』、『鳥を網で取りおさえる』の意味)から、『鳥が集まる木、りんご』を意味する『檎』という漢字が成り立ちました。」

がわかりやすい。「苹」の字は,

「平は,屮型のうきくさが水面にたいらに浮かんだ象形文字。苹は『艸+音符平(ヘイ)』で,平らの元の意味をあらわす」

とある。「蘋」の字は,やはり「うきくさ」の意で,

「『艸+音符頻(ヒン すれすれにくっつく)』。あるいは,萍(ヒョウ みずくさ)の語尾が転じたことばか。」

とある。「果」の字は,象形文字で,

「木の上の丸い実がなったさまを描いたもの。丸い木の実のこと」

である。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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きびす


「きびす」は,

踵,

と当てるが,「踵」は,

かかと,

とも訓む。『広辞苑』の「きびす」の項には,

かかと,くびす,
履物のかかとに当たる部分,

の意味が載る。

踵を返す,
踵を接する,
踵をめぐらす,

といった言い回しがある。しかし,『岩波古語辞典』には,「かかと」は載らず,

きびす,
くびす,

が載る。「きびす」の項には,

「踵・跟 久比須,俗云岐比須」

と「和名抄」を引くので,「くびす」が元のようだ。「くびす」には,

「奈良時代はクヒスと清音」

とある。「名義抄」には,すでに,

「踵,クビス」

とある。「踵を接する」に似た言い回しで,

踵(くびす)を継ぐ,

とも言ったようだ。さらに,「くひひす」の項で,

「のちに『くびす』」

として,「新撰字鏡」の,

「跟,久比比須(くひひす)」

を引く。とすると,転訛は,

くひひす→くひびす(くびひす・くびびす)→くひす→くびす→きびす,

ということになろうか。多少の前後,使い分けがあったのかどうかは,ちょっと分からないが,『日本語源大辞典』は,

「上代のクヒビス(ないしクビヒス)がクビスやキヒヒスなどの形を経てキビスに変化した。中古以降クビスと並んで用いられるがクビスが規範的な形,キビスが日常的な形であったらしい。近世上方では次第にキビスが勢いを得,現代近畿方言につながる。」

としているので,

くひひす→くひびす(くびひす・くびびす)→きひひす→くひす→くびす→きびす,

という転訛だろうか。『大言海』は,「きびす」は,「くびす」に,「くびす」は,「くひびす」の項につなげ,「くびびす」の項で,

踵,
跟,

を当て,

「クビビは,縊頸(くびくび)の約にて(際際[キハキハ],きはは。撓撓[タワタワ],タワワ)足頸を云ふ,スは,居(すえ)の下略ならむ(杙末[クヒスエ],杌[クイゼ])。釋名『跟,在下方著地,一體任之,象木根也』。キビビスは,音轉(黄金[キガネ],コガネ,キガネ),クビス,キビスは,再び約れるなり」

として,意味を,

「くびす,きびびす,きびす。今,かかと,又あくと」

としているので,「かかと」という言い方は,後のもののように見える。「あくと」は,

「歩(あゆ)く所,足掻く所」

とあり,「和訓栞」の,

「あくと『三議一統に見ゆ。キビスを云へり。今も東国は,さも云ひ,またアドとも云ふ』」

また「物類称呼(安永)」の,

「跟『キビス,信州にて,オクツとも云ひ,越後にて,アグと云ひ,九州にてアドという』」

を引く。どうも方言の感じである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%8B%E3%81%A8

には,「かかと」の項で,方言として,

秋田県では「あぐど」
富山県では「けべす」
大分県では「あど」

と載る。

さて,「きびす」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ki/kibisu.html

は,

「上代には『くひびす』『くびひす』と呼ばれ、『くびす』『きひびす』などの形に変化し、中古以降に『きびす』にも変化した。その後『くびす』が基本の形として用いられ、『きびす』が 日常語として使われていたが、近世以降には、上方で『きびす』が基本的な形となり、西日本の方言となった。 全国的には、『きびすを返す』『きびすを接する』などの慣用句の中で用いられている。語源となる『くひびす』の『くひ(くび)』はくるぶしから先の部分や足をいう『くはびら』の『くは』、『びす(ひす)』は『節(ふし)』など関節を表す語系からといった説が有力とされる。その他,足首の下や足首の尻といった意味から『首下(くびし)』が転じたとする説や、足首のする場所の意味から『くびす』となり、『きびす』となったとする説もある。地方によっては、『くるぶし』を指すこともあり、『足首』の『首』が語源とも考えられるが、『くひ』の音や『ひす(びす)』が考慮されていない点で疑問が残る。」

と,

「『くひ(くび)』はくるぶしから先の部分や足をいう『くはびら』の『くは』、『びす(ひす)』は『節(ふし)』など関節を表す語系」

と言う説を言うが,これだと,『大言海』の,

「クビビは,縊頸(くびくび)の約」

もそうだが,

くるぶし(踝),

ではあるまいか。「くるぶし」と「きびす」との区別が曖昧だったということだろうか。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1 「クビ(足首)+ス(足の部分)」の音韻変化。足首の部分の意,
説2 「クル(くるぶし)+ス(足の部分)」の音韻変化。足のくるぶしの部分の意,

と,明らかに「くるぶし」と重ねる説を採る。『日本語源大辞典』は,

クビスの転(俚言集覧・大言海),
クツヒキ(沓引)セルの反。沓引所の義か(名語記),
クルス(踝末)の義(言元梯),
梁摺の義か(和句解),

と挙げているが,いずれもちょっと首を傾げざるを得ない。「くびす」「きびす」と「くるぶし」の区別がつかない。むしろ,「きびす」に当たる「かかと」が代替することで,「かかと」が「くるぶし」と分化し,「きびす」は「踵をせっする」といった言い回しの中だけで残っていくことになったのではないか,という気がする。

「かかと」は,『岩波古語辞典』には載らない。『大言海』には,

「足掻處(あがきと)の略転か(跡絶[あとた]ゆ,とだゆ。殯[もあがり],もがり。ときのま,つかのま)。仙台にて,アクトと云ふ。或は脚下處(カッカト)の約か」

として,こうある。『日本語源広辞典』は,

「『カカ(掛)+ト(ところ)』です。つまり,体重を掛ける部分,が語源」

と,『大言海』とも同様,「きびす」の足の部分の説明ではなく,機能の説明に転じているところが面白いが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kakato.html

は,

「足元のところを意味する『脚下処(かくかと)』から『かかと』になったという位置からみた説などあるが、基となる語の用例が見られないため疑問が残る。東日本を中心とした方言では『あくと』や『あぐど』と言い、九州・沖縄の方言では『あど』や『あどぅ』と言うことから、上記の中では『足掻処(あがきと)』の略転が有力。その他、くるぶしから先の部分や足を『くはびら』といい、『くはびら』の『くは』が音変化して『かかと』になったとする説がある。『くは』は『きびす(くびす)』の語源にも通ずることから、音変化の過程がはっきりすけば最も有力な語源と考えられる。

と,

「『足掻処(あがきと)』の略転」

を採っている。つまり,この説では,

あがきと→あくと,あくど→かかと,

と,地方に残った「あくと」「あくど」を原型と見ている,ということになる。『日本語の語源』も,

「カカト(踵)の方言として,三重・奈良・和歌山県ではアシノトモ(足の艫)といい,長崎県五島・種子島ではアシンカド(足の角)という。カカト(踵)の語源はアシカド(足角)で,『シ』を落として『アカト』になり,語中の『カ』の遡行同化の作用で,『ア』に子音[k]が添加されてカカトになったと思われる。」

としている。「あしのとも」「あしのかど」は,「あくど」「あくと」に転訛して,

あしのもと・あしのかど→あしかど→あかと→かかと→あくと・あくど,

等々と,方言に残ったと見るのも,面白い。

『日本語源大辞典』は,その他,

あかぎりの多く切れる箇所からいう(和訓栞),
カガミト(屈處)の意か。またはカクト(駈處)からか(日本語源=賀茂百樹),
脚踵の踵音kak-toと転化(日本語原学=与謝野寛),

等々が載るが,「あしのとも」「あしのかど」に惹かれる。最後に,漢字に当たっておくと,「踵(漢音ショウ,呉音シュ)」は,

「足+音符重(重みがかかる)」

で,足のかかとを意味する。「跟(コン)」は,

「足+音符艮(コン じっととまる)」

で,くびす。足の地面につく部分。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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くるぶし


「くるぶし」は,

踝,

と当てる。『広辞苑』によると,

くろぶし,
つぶぶし,
つぶなぎ,

とある。室町末期の「日葡辞典」には,

くるぶし,または,アシノクルブシ」

とあるので,この時期には,「くるぶし」と言っていたようだ。というのも,『岩波古語辞典』には,「くるぶし」は載らず,

つぶふし,

で載り,

「ツブ(粒)フシ(節)の意」

とある。「和名抄」を引き,

「踝,豆不奈岐(つぶなぎ),俗云豆布布之(つぶふし)」

とあるので,

つぶふし,
つぶなぎ,

が古称かと思われる。『大辞林』には,「踝」で,「くるぶし」の他に,

くろぶし  「くるぶし(踝)」の転
つぶなぎ (「つぶなき」とも)くるぶしの古名。つぶぶし。
つぶぶし  (「つぶふし」とも)「 つぶなぎ 」に同じ。

と整理しており,新潟県の一部の方言に,「くるぶし」「くろぶし」と言っているようなので,古称が地方に残る例かと思われる。

http://www.yuraimemo.com/38/

も,

「古くは『つぶふし』と言ったそうです。『つぶ』はそのまんま粒、『ふし』は節の意味。『くるぶし』に変化したのは室町時代ころからのようです。江戸時代には『くろぶし』とか『くろぼし』とも言った」

としている。『江戸語大辞典』に,「くろぶし」が載り,

くるぶしの訛,さらに訛って「くろぼし」とも,

とある。『日本語源大辞典』は,

「古くツブナキ(ツブナギ),ツブブシ(ツブフシ)などと呼ばれていたが,中世後期にはクルブシが見られるようになる。このクルブシとツブフシの混淆などをもとにツクブシという形も一時的に生じた。近世後期の江戸では,クロブシ,クロボシという転訛形も現れ,軌範的なクルブシに対して庶民の口語語として使用された。」

とある。しかし,「つぶぶし」「つぶなぎ」と「くるぶし」とでは,その部分のとらえ方が違うと見るべきである。

『大言海』は,「くるぶし」について,

「樞節(クルルブシ)の約(萬葉集廿,三十一『久留(樞)に打ち刺し』足首を俯仰もせしむる間接なり)」

とある。「樞」とは「とぼそ」のことであり,

「蝶番を用いない開き戸の、回転軸となる軸材」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%82%8B

の意味で,

「扉を開閉する装置。扉の端の上下に短い棒状の突起(とまら)をつけ,それを上下の枠の穴(とぼそ)にさしこんで回転するようにしたもの」(『大辞林』)

ある。「樞(枢)」は,

くるる,
くろろ,
くるり,

とも言う。つまり,その箇所を,「粒」という外見ではなく,回転する「くるる」(樞)の機能に着目した名づけに転じたのである。それが室町後期ということになる。

『日本語源広辞典』は,だから,語源は,

「クル(くるくる)」+節」

つまり,くるくる回る関節,とするのである。「くるくる」という擬態語は,平安時代から見られる語で,奈良時代には,「くるる」と言ったとある(『擬音語・擬態語辞典』)。それが「くるぶし」に当てはめるのに,ずいぶん時間がかかったことになる。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ku/kurubushi.html

は,「つぶ」から「くるる」への転換を,

「古くは『つぶふし』と言い、『つぶ』は『粒』の意味、『ぶシ』は『節』の意味で、『つぶなぎ(『なぎ』は不明)』という語も見られる。『くるぶし』の語は室町時代から見られ、近世後期の 江戸では庶民の口頭語として『くろぶし』『くろぼし』とも言われた。その丸みが『粒』とは 言い難いため、『つぶぶし』の『つぶ』が『くる』に変わったと考えられ、『くる』は物が軽やか に回るさまの『くるくる』や『くるま』などの『くる』とおなじであろう。近年,くるぶしが露出するスニーカーなどの靴との組み合わせに用いられる靴下を,若者言葉で『くるぶしソックス』と言うようになり,単に『くるぶし』とも言うようになった。」

としている。なお,『語源由来辞典』の言及する,最近の「くるぶし」については,『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/08ku/kurubusi.htm

が,

「くるぶしとは、スニーカーソックスのこと」

とし,

「くるぶしとは本来、足首の関節にある内外両側の突起部分のことだが、近年、この踝(くるぶし)が露出するほど短い靴下が流行っている。本来スニーカー・ソックスと呼ばれるものだが、これが若者の間でくるぶしソックスと呼ばれるようにり、後にそれを略してくるぶしと呼ぶようになった。」

と説いている。

なお,漢字の「踝」(漢音カ,呉音エ)は,

「果(カ)は,まるいくだものの実が,木になっているさまを描いた象形文字。踝は『足+音符果』で,丸い形をした足のくねぶしのこと」

と,外形に因っているのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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くるま


「くるま」は,

車,

と当てるが,「車」の字は,象形文字で,

「車輪を軸どめでとめた二輪を描いたもので,その上に尻(シリ)を据えて乗る,または載せるものの意。もと居(キョ)と同系。キョの音に読むことがあるのは,上古の音が残ったもの」

とある。

中國では,古くから車が登場する。。たとえば,戦車は商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代などで広く用いられた,とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88

には,

「中国では春秋時代までは戦車が主流であったが、都市国家から領域国家の時代に移行する戦国時代ころより歩兵戦が主流となった。趙の武霊王は紀元前307年に胡服騎射を取り入れ、これ以降は騎兵の時代となる。しかしながらそれ以降の前漢代以降も防御力・輸送力の高さから戦車は用いられており、屋根のある戦車や屋根の上に建物が立てられた戦車も用いられている。戦車は歩兵の指揮官用の指揮車としても使われた。『司馬法』では、戦車は密集すると守りが固くなるとされている。また『孫子』には戦車の戦力維持に要する膨大なコストに対する警告が見受けられる。」

しかし,日本では,『岩波古語辞典』の言うように,

「平安時代の仮名文では多く牛車(ぎっしゃ)をさす。」

「牛車」とは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E8%BB%8A

に,

「牛車は馬車とともに中国から伝わったと推定されている。牛車は大きく分けて荷車用と乗用の2つの要素があった。牛車は速度が遅い反面、大量の物資を運ぶのに向いていたため荷車として活用されて『石山寺縁起絵巻』や『方丈記』などにも登場する。運ぶ物資や速達性によって牛車と馬車の使い分けがされていたと推定され、中世に入るとそれぞれ車借・馬借と呼ばれる運送業者が成立することになった。
中国では196年に後漢の献帝が長安から洛陽へ脱出する途中、車を破損した献帝が農民の牛車に乗って洛陽に辿り着いたという故事から、貴人が牛に乗るようになったという伝承がある。中国の律令制を取り入れた日本でもこの影響を受けたと言われている。」

とある。

「くるま」の語源は,「くるぶし」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.html?1523042309

で触れたように,「くるま」の「くる」ま「くるくる」回るという擬態語から来ている。『擬音語・擬態語辞典』には,

「『くるくる』は平安時代から見られる語で,奈良時代には『くるる』と言った。「枢」(くるる)は,「くるぶし」て触れたように,

回転軸となる軸材,

の「まわる」機能からきている。『大言海』は,

「クルは,回轉(くるくる)の義,マは,輪と通ずと云ふ(磯間[いそま],磯曲[いそわ]。曲[ま]ぐる,わぐる)。或は,クルクル廻はる意か」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ku/kuruma.html

は,

「『くる』は物が 回転するさまを表す『くるくる』や、目が回る意味の『くるめく(眩く)』などの『くる』で擬態語。 『ま』は『わ(輪)』の転と考えられる。 漢字の『車』は、車輪を軸でとめた二輪車を描い た象形文字である。 単に「車」と言った場合、現在は自動車を指すことが多いが,中古・中世には『牛車(ぎっしゃ)』、明治・大正時代は『人力車』を指すのが一般的であった」

と,

「『くる』+『わ』(輪)」説,

を採り,『日本語源広辞典』も,

クルクル回る+ワ

を採る。それに似たのは,

クルワ(転輪)の義(和訓栞),
メグルワ(転輪)の略(関秘録・言元梯),

等々,しかし,『大言海』がもう一つ挙げていた,

「クルクル廻はる」説もある。

クルマ(転廻)の義(日本釈名),
クレマワル(転廻)の義(名言通),

等々。「廻る輪」を目にしているなら,わざわざ「ワ(輪)」をつける必要はない。文脈依存とは,文字を持たないので,その場その時に発語するもので,抽象レベルで堅固空間を駆使する意ではないのだから。

『日本語の語源』は,「クルクル回る」言葉の系譜を次のように整理している。

「クルクル回るという意味の動詞,クルメク(転く)は,その名詞形のクルメキが語尾を落としてクルメ・クルマ(車)になった。省略形のクマはコマ(独楽)・ゴマ(独楽,車輪)になり,クルメクの原義を温存している」

つまり,「クルクル回る」という意の動詞「くるめく」の名詞化の転訛,と言うのである。これが妥当と思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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ツツジ


「ツツジ」は,

躑躅,

と当てる。「躑(漢音テキ,呉音ジ[ヂ]ャク)」は,「短いきょりだけ,つっと進む」意で,「躅(漢音チョク[タク],呉音ドク[ダク])」は,「じっと立ち止まる」意で,「躑躅」で,

「二三歩いっては止まる,ためらう」

という意である(『漢字源』)。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsutsuji.html

は,

「『躑躅』(テキチョク)には『行っては止まる』『躊躇』という意味があり,見る人の足を引きとめる美しさから,この漢字が使われたといわれる。本来は『羊躑躅』で,葉を食べたヒツジが躑躅して死ぬことからという説もある。」

としている。

http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf

は,漢名の『躑躅』について,

「『躑』(テキ)は立ち止まる、または佇む意で、躑躅は足踏みをするという意味である。あまりの美しさに立ち止まって花に見とれたからとする説や、木の葉は有毒であるために、ヒツジがこの葉を食べて、足踏みをして苦しんだからという説などがある。しかしネコはこの葉をしばしば食べる。このため本来の漢名は『羊躑躅』であるともいわれ、学名は『Rhododendron』で、 赤い花が咲く木という意味である。」

和語「つつじ」の由来は,『大言海』は,

「羊躑躅(いはつつじ)の略」

とある。上記,漢字の由来を引きずっているということになる。

「本草和名」には,

「羊躑躅,羊誤食躑躅而死,故以名之,和名,以波都都之,又,之呂都都之,一名,毛知都都之」(和名抄),

「字鏡」には,

「茵芉,岡豆豆志,伊波都都自」

が引かれている。なお,「萬葉集」には,

青山を,振りさけみれば,都追慈(つつじ)花,にほえる少女,櫻花,栄える少女も

のほか,石乍自(いわつつじ)の用例もあるらしい。

上記の「茵芉」は,『出雲国風土記』(733 年)で,

「大原郡の山野に見られる植物として、『茵芋』(インウ=ツツジのことともマツカゼソウ科の常緑低木であるミヤマシキミともいわれ、葉は薬用になる)と記されている。」

とある(http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf)。

『日本語源広辞典』は,

「ツツ(筒)+ジ(接尾語)」

とし,筒状の花を語源と見なす。『語源由来辞典』『日本語源大辞典』等々を見ると,

ツヅキサキギ(続き咲き木)の義(日本語原学=林甕臣),
ツヅリシゲル(綴り茂る)の義(名言通),
つぼみの形が女性の乳頭に似ているところから,タルチチ(垂乳)の略転,またタクヒ(焚火)の転(滑稽雑誌所引和訓義解),
ねばりがあり,手にツキツキ(付付)てジッとつくところから(本朝辞源=宇田甘冥),
チョウセンヤマツツジをさす朝鮮語tchyok-tchyok,tchol-tchukの転訛(植物和名語源新考=深津正)

等々がある。しかし,

http://kakashi.sakura.ne.jp/100hana2014pdf/020101tutuji.pdf

は,

「『万葉集』には 10 首の歌が記載されており、『茵花』『都追茲花』『白管仕』『白管自』『丹管仕』『石管士』などの文字によって表記され、当時は『筒』も『管』も同じ音だったらしい。『茵芋』と『茵花』だけが、ツツジとの音の共通性がなく、また茵という字は『褥』(シトネ)もしくは『敷き物」を意味しており、花がびっしりと咲く様を敷物に例えたのか、あるいは違う植物だったのかもしれない。」

としており,『茵芋』は,今日の「つつじ」に当てはめていいかどうか,多少留保が要る。「ツツジ」を,敷物に喩えるのは,いくらなんでもちょっと違う気がする。

『日本語の語源』は,例によって,音韻変化から,

「花弁がその基部で癒着して筒状をなして咲く合弁の花,たとえばツツジの花の類をツツザキ(筒咲き)といった。ザキ[z(ak)i]が縮約され,ツツジ(躑躅)になった。」

とする。やはり,筒状の花の特徴に与したい。

ところで,ツツジは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%84%E3%82%B8

によると,

「ツツジ(躑躅)とはツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属(ツツジ属参照)の植物の総称である。…日本ではツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なる。」

としている。区別している,「シャクナゲ」は,

石南花,
石楠花,

と当てる。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/syakunage.html

は,「シャクナゲ」の由来を,

「『石南花』と呉音読みした『しゃくなんげ』が転じた名前である。中国では『石南』とか『石楠』という表記で、『石南花』、『石南草』といった呼び方がある。『石南』と書くのは、石の間に生えて、南向きの土地を好むことからである。
但し、語源は漢名からであるが、中国では『石南』は日本のシャクナゲ(石楠花)とは異なる品種で、誤って名づけられたものである。」

としている。その他,「尺にも満たない」とか「癪に効く」という語源説もあるらしいが,俗説とする。『日本語源広辞典』も,「石楠花」説を採る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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サツキ


「サツキ」は,

皐月,

と当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%84%E3%82%AD

には,

「サツキ(皐月、学名:Rhododendron indicum)はツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5〜6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。」

とある。「皐(皋)」(コウ[カウ])の字は,象形文字で,

「皋は『白+大+十(まとめる)』で,白い光のさす大きな台地を表す。明るい,い,広がるなどの意を含む。皐はその略体。」

とあり,

「さわ(沢)」や「沼」,「五月」を意味する。

https://okjiten.jp/kanji2606.html

には,

「『白い頭骨と四本の足の獣の死体』の象形から、『白く輝く』の意味を表し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、水面の白く輝く『沢』、『沼』を意味する『皐』という漢字が成り立ちました。」

とあり,少し解釈が違うが,「沼」の意味は,その由来がわからない。「皐然(こうぜん)」と言う言い方があり,「声を伸ばして大声で叫ぶ」という意味もあり,「皐門(こうもん)」という言い方で,「高い」意味もある,とある。

その「皐」を当てた,「サツキ」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/satsuki_ki.html

に,

「サツキは、『サツキツツジ』の下略。サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の 頃に咲くツツジということから、月の名『皐月』が転用されたものであるが、月名の『皐月』は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであるところから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。」

とある。「田植え」神事と皐との関わりをうかがわせるのは,

https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12150689917.html

に,

「田植えをするのは女性の仕事で、忌みごもりをして身を清めた早乙女たちが一列に並んで田に入り、苗代から取り分けた早苗を本田に植え替えていったという。では、なぜ忌みごもりをして身を清めた早乙女が田植えをするかというと、田植えは、実際の農作業であると同時に、田の神の祭りを行う大切な行事だったのです。
早乙女のサも早苗のサも、稲の穂を表していると言われている。
女の物忌みとして、田を植える五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある1日に「山籠り」として行われる。こうして、山から下りる時には、躑躅(ツツジ)の花をかざして来る。山籠りは、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。
皐月の田植え前に、五月処女(サウトメ)を定める為の山籠りをしたのである。この山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭して来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴(シルシ)で、処女が花を摘みに行って、花をかざして来る事は、神聖な資格を得た事であって、此時に『成女戒』が授けられるという。」

とあることである。折口信夫の『花の話』には,同趣のことが載る。

「女の物忌みとして、田を植ゑる五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある一日に『山籠り』として行はれる。さうして、山から下りる時には、躑躅の花をかざして来る。山籠りは、処女が一日山に籠つて、ある資格を得て来るのが本義である。けれども、後には、此が忘れられて、山に行き、野に行きして、一日籠つて来るのは、たゞの山遊び・野遊びになつてしまうた。『山行き』といふ言葉は、山籠りのなごりである。かうして山籠りは、一種の春の行楽になつて了うたが、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。即、皐月の田植ゑ前に、五月処女サウトメを定める為の山籠りをしたのである。
此山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭カザして来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴シルシである。そして此からまた厳重な物忌みの生活が始まるのである。此かざしの花は、家の神棚に供へる事もあり、田に立てる事にもなつた。此が一種の成り物の前兆になるのである。」

陰暦五月,田植えの時期,それを「皐月」というのにも,その時の頭にかざす花(サツキツツジであろう)を,「サツキ」というには,深いつながりがある。

参考文献;
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46314_25549.html
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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サツキ


「サツキ」は,

皐月,

と当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%84%E3%82%AD

には,

「サツキ(皐月、学名:Rhododendron indicum)はツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生する。盆栽などで親しまれている。サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5〜6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。」

とある。「皐(皋)」(コウ[カウ])の字は,象形文字で,

「皋は『白+大+十(まとめる)』で,白い光のさす大きな台地を表す。明るい,い,広がるなどの意を含む。皐はその略体。」

とあり,

「さわ(沢)」や「沼」,「五月」を意味する。

https://okjiten.jp/kanji2606.html

には,

「『白い頭骨と四本の足の獣の死体』の象形から、『白く輝く』の意味を表し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、水面の白く輝く『沢』、『沼』を意味する『皐』という漢字が成り立ちました。」

とあり,少し解釈が違うが,「沼」の意味は,その由来がわからない。「皐然(こうぜん)」と言う言い方があり,「声を伸ばして大声で叫ぶ」という意味もあり,「皐門(こうもん)」という言い方で,「高い」意味もある,とある。

その「皐」を当てた,「サツキ」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/satsuki_ki.html

に,

「サツキは、『サツキツツジ』の下略。サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の 頃に咲くツツジということから、月の名『皐月』が転用されたものであるが、月名の『皐月』は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであるところから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。」

とある。「田植え」神事と皐との関わりをうかがわせるのは,

https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12150689917.html

に,

「田植えをするのは女性の仕事で、忌みごもりをして身を清めた早乙女たちが一列に並んで田に入り、苗代から取り分けた早苗を本田に植え替えていったという。では、なぜ忌みごもりをして身を清めた早乙女が田植えをするかというと、田植えは、実際の農作業であると同時に、田の神の祭りを行う大切な行事だったのです。
早乙女のサも早苗のサも、稲の穂を表していると言われている。
女の物忌みとして、田を植える五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある1日に「山籠り」として行われる。こうして、山から下りる時には、躑躅(ツツジ)の花をかざして来る。山籠りは、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。
皐月の田植え前に、五月処女(サウトメ)を定める為の山籠りをしたのである。この山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭して来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴(シルシ)で、処女が花を摘みに行って、花をかざして来る事は、神聖な資格を得た事であって、此時に『成女戒』が授けられるという。」

とあることである。折口信夫の『花の話』には,同趣のことが載る。

「女の物忌みとして、田を植ゑる五月処女(サウトメ)を選定する行事は、卯月の中頃のある一日に『山籠り』として行はれる。さうして、山から下りる時には、躑躅の花をかざして来る。山籠りは、処女が一日山に籠つて、ある資格を得て来るのが本義である。けれども、後には、此が忘れられて、山に行き、野に行きして、一日籠つて来るのは、たゞの山遊び・野遊びになつてしまうた。『山行き』といふ言葉は、山籠りのなごりである。かうして山籠りは、一種の春の行楽になつて了うたが、昔は全村の女が村を離れて、山籠りをした。即、皐月の田植ゑ前に、五月処女サウトメを定める為の山籠りをしたのである。
此山籠りの帰りに、処女たちは、山の躑躅を、頭に挿頭カザして来る。此が田の神に奉仕する女だと言ふ徴シルシである。そして此からまた厳重な物忌みの生活が始まるのである。此かざしの花は、家の神棚に供へる事もあり、田に立てる事にもなつた。此が一種の成り物の前兆になるのである。」

陰暦五月,田植えの時期,それを「皐月」というのにも,その時の頭にかざす花(サツキツツジであろう)を,「サツキ」というには,深いつながりがある。

参考文献;
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46314_25549.html
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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つゆ

「つゆ」は,『広辞苑』は,

梅雨,
黴雨,

と当てる。

陰暦五月頃の降り続く長雨,

を指すが,

「六月から七月中旬にかけて、朝鮮南部・長江下流域から、 北海道を除く日本列島に見られる雨期」

どもある。別に,

「さみだれ(五月雨)」「ばいう(梅雨)」とも言う。

『大言海』は,

「露けき季節時節の義。梅實の熟(つ)ゆる時に寄せて云ふ」

とある。そして,

「さみだれ,さつきあめ,うのはなくたし,ついり,ばいう」

とも言うとする。「ついり」とは,

「梅雨(つゆ)いりの約」

「うのはなくたし」とは,

卯花腐,

で,

「卯の花は,陰暦四月に咲き,五月に散りたるを,霖雨の腐らす意なるべし,又,梅雨に限らずとも云ふ」

とある。なお,「梅雨」は,「梅」(漢音バイ,呉音メ・マイ)が,「六月ごろ実が黄色く熟す」ので,この頃のことを指すと,『漢字源』には載るが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E9%9B%A8

には,

「中国では『梅雨(メイユー)」、台湾では『梅雨(メイユー)』や『芒種雨』、韓国では『장마(長霖、チャンマ)』という。中国では、古くは『梅雨』と同音の『霉雨』という字が当てられており、現在も用いられることがある。『霉』はカビのことであり、日本の『黴雨』と同じ意味である。中国では、梅が熟して黄色くなる時期の雨という意味の『黄梅雨(ファンメイユー)』もよく用いられる。」

とある。さらに「梅雨」の表記の語源についても,

「漢字表記『梅雨』の語源としては、この時期は梅の実が熟す頃であることからという説や、この時期は湿度が高くカビが生えやすいことから『黴雨(ばいう)』と呼ばれ、これが同じ音の『梅雨』に転じたという説、この時期は『毎』日のように雨が降るから『梅』という字が当てられたという説がある。普段の倍、雨が降るから『倍雨』というのはこじつけ(民間語源)である。このほかに『梅霖(ばいりん)』、旧暦で5月頃であることに由来する『五月雨』、麦の実る頃であることに由来する『麦雨(ばくう)』などの別名がある。」

としている。さて「つゆ」の語源であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsuyu.html

は,

「梅雨は、中国から『梅雨(ばいう)』として伝わり、江戸時代頃より『つゆ』と呼ばれるよう になった。 『日本歳時記』には、『此の月淫雨ふるこれを梅雨(つゆ)と名づく』とある。 中国では、黴(かび)の生えやすい時期の雨という意味で『黴雨(ばいう)』と呼ばれていたが、カビでは語感が悪いため、同じ『バイ』で季節に合った『梅』の字を使い、『梅雨』になった説。『梅の熟す時期の雨』という意味で、元々『梅雨』と呼ばれていたとする説がある。
 日本で『つゆ』と呼ばれるようになった由来は,『露(つゆ)』からと考えられるが、梅の実が熟し潰れる時期であることから,『潰ゆ(つゆ)』と関連付ける説もあるが,梅雨の語源は未詳部分が多い」

とする。『日本語源広辞典』は,「露」説を採り,

「『ツユ(露けき時節)』が,有力です。どことなく湿っぽく露を持つ季節の意です。『潰ゆ(万物が腐る時期の意)』説は疑問です。」

とする。中国語でも,「黴」の意の「黴雨」から,意味を避けて同音「梅」にしたくらいだから,やはり「露」説が妥当かもしれない,と思えてくる。『日本語源大辞典』の,「露」説は,

露けき時節の義(大言海・日本語源=賀茂百樹),
ツユ(露)の義(日本釈名・滑稽雑談所引和訓義解),

といったところである。その他,

物がしめりくさるところから,ツイユ(潰)の義(志不可起),
梅がつはり熟すところから,ツハルの約(松屋筆記),
梅が熟する意で,ツヒル(潰)の義(名言通・難波江),
ツヘル(潰)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ツユ(熟)の義(言元梯),

しかし,『日本語の語源』は,例によって,独自の音韻変化から,「つゆ」を辿ってみせる。これを見ると,「露」説,「潰ゆ」説,「梅」説は,すべてが語呂合わせに見えてくる。

「早苗を植える陰暦五月をサナヘヅキ(早苗月),略称してさつき(早月)という。三十日間降り続くサミダレ(五月雨)のことをサツキフリ(早月降り)ともいった。これを早口に発音するとき,サ・キを落してツフリになった。さらに,フの子音[f]が落ちてツウリに転音し,母韻交替をとげてツイリになった。〈双六の相手よびこむツイリかな(嚝野集・元禄)〉。〈ツイリ。霖雨〉(易林節用集・慶長)。
 さきのツウリの語形は,子音[j]が添加されてツユリになった。三重県志摩郡・和歌山県東牟婁郡の方言として残っている。一般的には語尾を落としてツユ(梅雨)という。理論的には,ツフリのフの子音交替[fw]・[wj]でツユに転音。
 うめの実の熟するころに降る長雨だから『梅雨』と書き,唐の太宗の詠雨詩に『梅雨芳田に灑(そそ)ぐ』と見えている。ツユの語源について『露けき時節の義』(大言海)とあるが,『露』は秋のものである。」

確かに,「露」は,「秋」である。万葉集にも,

「露こそば 朝に置きて,夕には 消ゆといへ
 霧こそば 夕に立ちて,朝には 失すといへ」(柿本人麻呂)

と,春の霧と秋の露とを,儚いものとして対比しているのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2

に,「露」について,

「地面やその近くのものが冷えて、これらに接した空気の温度が露点以下に下がり、空気中にある水蒸気が水滴となって、地表付近の物体の表面についたもの。特に夏の終わりから秋の早朝に露が降りやすい。冬には凝結して水滴になるのではなく、氷になるので、これを霜と呼ぶ。」

とある。「露」は「梅雨」のものではないのである。昔の人がそれがわからぬはずはないのである。季節の基本中の基本だからである。この転訛説で,初めて,『大言海』の「ついり」の説明,「梅雨(つゆ)いりの約」とは異なる位置づけが得られるのである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E9%9B%A8
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つかのま


「つかのま」は,

束の間,

と当てるが,

つかのあいだ,

とも言うらしい。

ちょっとの間,
ごく短い時間,

の意味で言うが,『広辞苑』には,

一束ほどの短い間の意,

とあるが,他の辞書(『デジタル大辞泉』『大辞林』)には,

一束(ひとつか)、すなわち指4本の幅の意から,
指四本で握るほどの長さの意,

とあるので,「一束」とは,空間的な意味である。それを時間的に転用したのだと分かる。「束」は,「握ったときの四本の指程の長さ」という意味の他に,

束ねた数の単位,
短い垂直の材,束柱,
(製本用語)紙を束ねたものの厚み,転じて書物の厚み,

といった意味がある。そもそも「束」は,

「『木+たばねるひも』で,たきぎを集めて,その真ん中にひもをまるく回して束ねることを意味する。ちぢめてしめること」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9F

には,「束(そく、たば、つか)」について,

(そく、たば)ひとまとめにすること。花束(ブーケ)など。
(つか)建築用語で、梁と棟木との間に立てる短い柱。束柱の略。
(つか)製本用語で、本の厚みのこと。
(そく)古代日本で用いられた稲の単位。→束 (単位)。
(そく)束 (数学): 日本語で束と訳される数学上の概念は複数ある,

等々とあり,「束」は別の意味をいろいろ持たせられている。また,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9F_(%E5%8D%98%E4%BD%8D)

に,束と呼ばれる単位にも,

束(そく/つか)→穎稲の収穫量を量る容積単位,
束(そく/たば)→同一物をまとめた計数単位,
束(そく/つか)→矢などの長さを表す長さ単位,

等々がある。ここで,「束の間」で使われたのは,原始的な測定の単位,

握った指四本の長さ,

である。握るほどの長さの意である。「尺」が,「人の手幅の長さ」としたのと,類似である。『岩波古語辞典』には,

束,
柄,

と当て,

ツカミと同根,

とある。「束」が握った手なら,「つか(摑)み」と同じであるのは当然と思えるし,「柄(つか)」とつながるのも自然である。で,

「一握り四本の幅。約二寸五分」

と『岩波古語辞典』にはある。『大言海』は,

柄,
握,

を別項を立てている。「握」の字を当てているのが「束」に当てたもので,

「四指を合わせて握りたる長さの名」

とある。語源は,これで尽きているようだが,『日本語源大辞典』には,

一握・一束(ひとつかね)ほどの間の意(万葉集類林・類聚名物考・雅言考・和訓栞・大言海),
ツカはトキ(時)に通じるか(名語記・和訓栞・),
ツカム(捉)の義(名言通),
ツク(着)の義(言元梯),
ハツカノマの略か(雅言考),

とある。確かに,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/tu/tsukanoma.html

のいう,

「つかの間の『つか』は『束』と書き、上代の長さの単位。一束が指四本分の幅、つまり一 握り分ほどの短い幅のことである。 幅の長さから時間の長さにたとえられ、『束の間』と用いられるようになった。」

とするのでいいと思うが,「つか」と「つかむ」の関係は逆かもしれない。「つかむ」の語源は,

束の活用化(俚言集覧),
ツカム(束)の義(言元梯),
ツカヌ(束)と同根(小学館古語大辞典),
ツメカム(爪噛)の義か(和句解・和訓栞・大言海),
ツメカガム(爪屈)の義(名言通),
ツメでシガラムの意(和句解),

等々とあるが,「つかむ」が先にあって,つかんだ指を単位にしたのが「束」かもしれないのである。『日本語源広辞典』が,

「手でツカムほどの長さ+時間」

としているのは,意外と正しいのかもしれないのである。「つかむ」という動作を言語化するのと,その握った指の幅を単位とするには,径庭がある。「つかむ」は動作をそのまま言語化したものだか,それを単位とするには,一定のメタ化,つまり抽象化がいる。その意味で,

束の動詞化,

は,逆に思える。

なお,『笑える国語辞典』

https://www.waraerujd.com/blank-91

は,

「『束』は古代の長さの単位で、指の直径4本分の長さ(つまり拳を握ったときの幅である)。『古事記』で、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した『十束の剣(とつかのつるぎ)』は、指の幅40本分の長さの剣(と言われても長いのか短いのかよくわからないが、要するに『長剣』という意味らしい)ということ。」

とある。

ツカム→ツカ,

と考えるのが妥当のようである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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スイカ


「スイカ」に,『広辞苑』は,

西瓜,
水瓜,

を当てる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB

によると,「スイカ」は,

「原産は、熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯。日本に伝わった時期は定かでないが、室町時代以降とされる。西瓜の漢字は中国語の西瓜(北京語:シーグァ xīguā)に由来する。日本語のスイカは『西瓜』の唐音である。中国の西方(中央アジア)から伝来した瓜とされるためこの名称が付いた。」

とある。『広辞苑』も,

「スイは『西』の唐音」

とある。『日本語源広辞典』も,

「中国語で,『西域から伝わった瓜』が語源です。約四千年前エジプトで栽培,三世紀に中国に入り,日本には十六世紀に伝来したと伝えられます。」

とある。『たべもの語源辞典』には,

「『守貞漫稿』には,スイカは初め新羅から琉球に伝わり,薩摩に伝わった。日本に初めて植えたの寛永四年(1627)である,と書かれた。禅僧義堂(1325‐88)が『西瓜』という名称をその詩に使っているので,足利義満のころにスイカが渡って,その後絶えたのであろうともいわれた。京都にスイカがひろまったのは寛文から延宝(1661−81)のころで,江戸(東京)にひろまったのは万治(1658−61)以後と書かれている。…林立路『立路随筆』は,『西瓜は寛永年中(1624−44),西洋国より始めて渡る。薩摩に植えたので,さつま種を上品とす』とある。江戸に来たのが慶安の頃で,由比正雪の乱の翌年(1652),とある。ところが,飛喜百翁が千利休を招待したとき,スイカに砂糖をかけて出した。利休は,砂糖のかかっていないところを食べて帰って,門人に百翁は人を饗応することを知らない。スイカに砂糖をかけて出したが,スイカにはスイカのうまみがあることを知らないのだと笑った,という話がある(柳沢里恭『雲萍雑誌』)。千利休がスイカを食べていたとなると,秀吉時代にスイカが日本にあったことになる。スイカは,熱帯アフリカを原産とする。四千年以前にエジプトで栽培されていたことが壁画で明らかにされているといわれ,ギリシャ・ローマには一世紀の初め,ヨーロッパには一六世紀,一五九五年にイギリスに渡来,アメリカへはアメリカ大陸発見後,中国には十一世紀ころに,西戎回紇(せいじゅうかいこつ ウイグル)から伝来したと言われ,西方から伝わったことから『西瓜(シイグァ)』とよばれ,それが日本に伝わったてサイカとよばれたのがスイカと変化した。中国から日本に渡来したのは天正七年(1579)といわれる。」

とある。

中国語「西瓜(シイグァ)」→(西瓜の訓)サイカ →スイカ,

と転訛したということになる。「水瓜」と当てるについては,

http://gogen-allguide.com/su/suika.html

が,

「日本では『水瓜』とも表記されるが、当て字で、その由来は『スイカ』の音からや、英語 でも『watermelon(ウォーターメロン)』と称されるように、水分を多く含むためであろう。」

としているように,「スイカ」と転訛した後,当てたものと見られる。

因みに,「瓜」の字は,象形文字で,

「つるの間にまるいうりがなっている姿を描いたもので,まるくてくぼんでいる意を含む」

とある。

和語「うり」は,『岩波古語辞典』は,

「朝鮮語ori と同源」

としているが,『大言海』は,

「潤(うる)に通ず(あるく,ありく)。實に光澤あり」

とし,『日本語源広辞典』も,

「ウルオウ(潤)の変化」

と,水分の多さから来ているとしている。「スイカ」を「西から来た」「瓜」とした所以である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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瓜二つ


「瓜二つ」は,

縦に二つに割った瓜のように,親子・兄弟などの顔かたちがよく似ていることのたとえ,

という意味だが,『広辞苑』には,

「瓜を二つに割った形がそっくりなところから,兄弟などの容貌が甚だよく似ていることにいう」

とある。この場合,「瓜」とはどの瓜を指すのであろうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%83%AA

には,

「古くから日本で食用にされ、古くは『うり』と言えばマクワウリを指すものだった。 他、アジウリ(味瓜)、ボンテンウリ(梵天瓜)、ミヤコウリ(都瓜)、アマウリ(甘瓜)、カンロ(甘露)、テンカ(甜瓜)、カラウリ(唐瓜)、ナシウリ(梨瓜)といった様々な名称で呼ばれる。」

とある。さらに,

「種としてのメロン (Cucumis melo) は北アフリカや中近東地方の原産であり、紀元前2000年頃に栽培が始まった。そのうち、特に西方に伝わった品種群をメロンと呼び、東方に伝わった品種群を瓜(ウリ)と呼ぶ。マクワウリもその一つである。」

とある。この「メロン」は,

「インドから北アフリカにかけてを原産地とし、この地方で果実を食用にする果菜類として栽培化され、かなり早くにユーラシア大陸全域に伝播した。日本列島にも貝塚から種子が発掘されていることや、瀬戸内海の島嶼などに人里近くで苦味の強い小さな果実をつける野生化した『雑草メロン』が生育していることから、既に縄文時代に伝わり、栽培されていたと考えられている。日本では古来『ウリ(フリとも)』の名で親しまれてきた。また、中国では『瓜』の漢字があてられた。」

とある。近代以降、ヨーロッパや西アジアの品種群が伝えられると、生物の種としては同じなのだが,

「日本の在来品種より芳香や甘みが強いことが注目されて西欧諸語起源のメロンの名で呼ばれるようになった」

が,日本では,

「生で甘みや清涼感を味わうマクワウリなどの品種群の他に、キュウリ(Cucumis sativus)やシロウリのように熟しても甘みに乏しく、野菜として食べたり、未熟なうちに漬物にする品種群も発達した。」

とか。さて,「瓜二つ」は,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/urifutatsu.html

に,

「瓜を二つに割ると、切り口がほとんど同じであることから、よく似ているさまのたとえとなっ た。 瓜以外の果実でも断面は似ており、瓜が選ばれた理由は不明であるが、古くから 美人の一つとされる形容に『瓜実顔』があり、そのような良い意味でたとえられる果実であれば、すんなり受け入れられる。 それが『カボチャ二つ』などと言ってしまえば、不細工な二人を表しているとも受け止められる。 余分な印象を与えず、似ていることを表現するのであれば、悪い意味を含まない『瓜二つ』が適している。『瓜二つ』の形が見られるようになるのは、近世に入ってからで、1645年刊の『毛吹草』には、『売りを二つに割りたる如し』とあり、江戸時代の人形浄瑠璃時代物の『源頼家源実朝鎌倉三代記』には,『見れば見るほど瓜を二つ』という形で見られる。」

とあるので尽きる。「瓜」の字は,「スイカ」の項,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/458821689.html?1523818263

で触れたように, 象形文字で,

「つるの間にまるいうりがなっている姿を描いたもので,まるくてくぼんでいる意を含む」

とある。

和語「うり」は,『岩波古語辞典』は,

「朝鮮語ori と同源」

としているが,『大言海』は,

「潤(うる)に通ず(あるく,ありく)。實に光澤あり」

とし,『日本語源広辞典』も,

「ウルオウ(潤)の変化」

と,水分の多さから来ているとしている。しかし,『日本語源大辞典』は,その他,

ウルミ(熟実)の意か(東雅),
口の渇きをウルホスより生じた語か(名言通・和訓栞),
ウム(熟)ランの反(名語記),
ウツクシの約転(滑稽雑誌所引和訓義解),
ウカリウカリと幾つもなるので,ウカリと名づけたものの中略か(本朝辞源=宇田甘冥),
ヘウリ(匏)の略(言元梯),
朝鮮語oi-ori(瓜)と同源(世界言語概説=河野六郎・万葉集=日本古典文学大系),

とあるが,そのみずみずしさの体感覚から来た,と見たい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

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キュウリ


「キュウリ」を,『広辞苑』は,

胡瓜,
黄瓜,
木瓜,

と当てている。

「『黄(き)瓜(うり)』の意」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%AA

には,

「『キュウリ』の呼称は、漢字で『木瓜』または『黄瓜』(きうり、現代中国語でも『黄瓜』)と書いていたことに由来する。上記の通り現代では未熟な実を食べる事からあまり知られていないが、熟した実は黄色くなる。今と異なり古い時代はこれを食べていた。尚、現代では『木瓜』はパパイアを指す。」

とあり,キュウリ(胡瓜)は,

「かつては熟した実を食用とした事もあったが、甘みが薄いためにあまり好まれず、現在では未熟な実を食用とするようになった。インド北部、ヒマラヤ山麓原産。日本では平安時代から栽培される。胡瓜の『胡』という字は、シルクロードを渡って来たことを意味している。」

とある。「胡瓜」は,中国語表記で,「シルクロードを渡って来たこと」とは,中国から見て,の意である。『日本語源大辞典』には,

「中国へは漢の頃,張騫(ちょうけん)が西域から持ち込んだと伝えられ,そのため『胡瓜』と表記されたという。」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ki/kyuuri.html

は,「胡瓜」の「胡」を,

「『胡麻』や『胡椒』,『胡桃』とおなじく,中国周辺外位置を意味する」

としている。そして,『たべもの語源辞典』には,

「中国南北朝時代の王,石勒(せきろく 273-332)が胡人の出てあったことから,胡瓜の名を忌み『黄瓜』と改称したという。」

とある。漢名には,

胡瓜,
刺瓜,
王瓜,
黄瓜,

等々があるらしい。

「紀元前4000年前にメソポタミアで盛んに栽培されており、インド、ギリシア、エジプトなどでも栽培された。その後、6世紀に中国、9世紀にフランス、14世紀にイングランド、16世紀にドイツと伝播していった。(中略)中国ではかつて、ビルマ経由で伝来した水分の少ない南伝種が普及し、シルクロード経由の瑞々しい北伝種の伝来まで、この南伝種を完熟させてから食べるのが一般的であった。のちに南伝種は漬物や酢の物に、北伝種は生食に使い分けられることになる。」

らしい。日本には,『たべもの語源辞典』には,

「朝鮮から顕宗天皇の御代に渡来したが,天平時代の文書に黄瓜の文字が見られる」

とするし,『日本語源大辞典』には,

「『和名抄』の記載や平城宮跡から種子が出土したことから,日本へは十世紀以前に伝来したとされる。この品種は,東南アジア,中国南部経由の華南型で,日本では長い間完熟したものを食しており,近世まで野菜として重視されなかった。明治以降,中国北部経由の華北型が導入され,各地に広まった。」

とあり,更に『たべもの語源辞典』に,

「江戸時代に胡瓜の初物を川に流し河伯(かっぱ)に供する慣わしが始り,胡瓜をカッパと呼ぶようになった。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%AA

には,

「南伝種の伝来後、日本でも江戸時代までは主に完熟させてから食べていたため、黄瓜と呼ばれるようになった。日本では1500年ほどの栽培の歴史を持つが、完熟した後のキュウリは苦味が強くなり、徳川光圀は『毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず』、貝原益軒は『これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり』と、はっきり不味いと書いているように、江戸時代末期まで人気がある野菜ではなかった。これには、戦国期の医学者曲直瀬道三の『宣禁本草』などに書かれたキュウリの有毒性に関する記述の影響があると見られている。安土桃山時代以前にはキュウリに禁忌は存在せず、平安後期の往来物『新猿楽記』に登場する美食趣味の婦人『七の御許』が列挙した好物の一つに『胡瓜黄』が入っており、イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書『日欧文化比較』(1585)で『日本人はすべての果物は未熟のまま食べ、胡瓜だけはすっかり黄色になった、熟したものを食べる』と分析している。」

とある。『たべもの語源辞典』には,

「『京都祇園の氏子は胡瓜を食べることを嫌った。祇園祭の行列も,畑に胡瓜の花が咲いている手前までを氏子の境界とみなした。これは胡瓜の切り口が祇園さまの御紋に似ているからというのであるが,この紋は,織田信長が京都に入ったときの幟印の紋であるから愚かなことである』と寺島良安の『和漢三才図絵』に書かれている。江戸でも徳川家の三つ葉葵が胡瓜の切り口に似ているというので旗本直参連中は権現様の印紋を食べては罰が当たると胡瓜を断った。また,胡瓜の切り口は桔梗の紋にも似ているので,光秀の紋が桔梗なので三日天下ということから胡瓜が嫌われた。」

ともある。

ところで,『大言海』は「きうり」の項で,

「黄瓜の義,熟すれば,黄なり。黄烏瓜も同意」

とあり,古名は,

からうり,
そばうり,

とある。『たべもの語源辞典』は,

カラウリ(韓瓜・熟瓜),
ソバウリ(稜瓜),

と当てている。カラウリは,

「朝鮮からわたったことをしめした」
「昔は文字通り黄瓜として食べたようである。熟瓜と書いてカラウリとよませるのもその食べごろを示しているとおもわれる。」

で,「ソバウリ」は,

「ナマコのような外皮にイボがあることからの名」

としている。

『日本語源大辞典』に,

「『Qiuri(キウリ)』(『日葡』),『Qivriキウリ』(羅葡日)の例から考えると,キューリという長音ではなく,キ・ウ・リと発音されたと考えられる。」

とある。

キウリ(黄瓜)の義(東雅・箋注和名抄・重訂本草綱目啓蒙・柴門和語類集・大言海),
キウリ(木瓜)の義(柴門和語類集),
臭気があることから,漢で臭をキという(東雅),

にわかれるが,『たべもの語源辞典』が「黄瓜」以外を否定している通り,やはり「黄瓜」に思われる。『日本語源広辞典』も,「黄+瓜」を採り,

「キュウリモミなどにして食べます。…胡瓜揉みは,薄く刻んで塩で揉み,三杯酢に浸したものをいいます。」

とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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クリ


「クリ」は,

栗,

と当てる。「栗」の字は,

「『木+ざるの形』。クリの実がはじけてざるのような形をしたイガが木の上に残っているさまをあらわす」

とある。

『岩波古語辞典』には,

「古くは「くる」といった。」

とある。「くる」の項に,

栗栖野(くるすの),
栗本(くるもと),

などの複合語に残っている,とする。『大言海』は,

「黯(クリ)の義。クリの木と云ふが,成語なるべきか,樹の皮は黒灰色にて,實の鬼皮の色は赭黒なり」

とある。「鬼皮」とは,

「栗の實の皮」

の意である。渋皮に対して堅い外皮をいうらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA

に,

「日本において、クリは縄文時代初期から食用に利用されていた。長野県上松町のお宮の裏森遺跡の竪穴式住居跡からは1万2900年前〜1万2700年前のクリが出土し、乾燥用の可能性がある穴が開けられた実もあった。縄文時代のクリは静岡県沼津市の遺跡でも見つかっているほか、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリの実のDNA分析により、縄文時代には既にクリが栽培されていたことがわかっている。」

とある。

『たべもの語源辞典』には,

「山中自然生の小さい栗の実を柴栗,または笹栗・山栗・ヌカグリ・モミジグリなどといい,漢名は茅栗(ぼうりつ)である。ササグリのササは小さいという意味である。(中略)柴栗というのは,柴柯(しばのえだ)に実るからの名である。漢名を柯栗という。日本の在来栗は,小さい柴栗と中位の土用栗と大きい丹波栗の三種である。丹波栗を料理栗,またテウチグリという。握って手の中が一杯になる手内栗の義である。」

とある。在来種の栗の方が,アメリカ種かヨーロッパ種より,味も形も勝るらしい。

さて,「クリ」の語源であるが,『日本語源大辞典』は,

果皮の色から,クリ(涅・黯)の義(燕石雑志・大言海),
果皮の色から,クロ(黒)の転(和句解・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・箋注和名抄・和訓栞),
落ちた実が地にあるさまが石のようであるところから,石を意味する古語クリの転義(東雅),
果実のさまから,コリ(凝)の義(名言通),
樹木を意味するクラと通じるか(日本古語大辞典=松岡静雄),
カツ(搗)ラシの反(名語記),
果皮の色から,黒の意の梵語クリから(和語私臆鈔),
朝鮮語kul(クリの意)からという(木の名の由来=深津正),

と諸説挙げ,その他に,『日本語源広辞典』は,

ク(外殻,容器)+リ(接尾語),

を挙げるが,『たべもの語源辞典』は,

「僧契沖の説に『くりは涅なり。その色をもて名づく』とある。涅(くり)は水中の黒い土である。涅はくらき色を染める物である。その色は栗の皮に似ている。これを,滝沢馬琴が『燕石雑志』に『物の名』で書いている。(中略)要するにクリの名は,果皮の黒っぽいという特色からでたものと考えられる。」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ku/kuri.html

も,

「石を意味する古語『クリ』は、水底によどむ黒い土を表す『くり(涅)』と同源であるため、『クリ』は色の『黒』や石の『クリ』と同系と考えられる。」

としている。

「あか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8Bで 触れたように, 

「古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とする」

という。で,「黒」は,

「『くら(暗)』と同源か。またくり(涅)と同源とも」

とある。「涅」は,水底に沈んだ黒い土,涅色を指し,明暗の意である。『日本語の語源』は,

「栗の実は焦げ茶色,胡桃の核は褐色であるが,ともにクロミ(黒実)といった。ロミ[r(om)i]の縮約でクリ(栗・万葉)になり,『ロ』が母韻交替[ou]をとげてクルミ(胡桃。源)になった。」

とある。単純に,

くら(暗)→くろ(黒)→くり(栗),

と考えてもいいのかもしれない。古形「クル」を考えると,

くら(暗)→くろ(黒)→クル→くり(栗),

かもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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モモ


「モモ」(漢音トウ,呉音ドウ)は,

桃,

と当てるが,「桃」の字は,

「兆(チョウ)は,ぱんと左右に二つに離れるさま。桃は『木+音符兆』で,その実が二つに割れる桃の木」

とある(『漢字源』)。

https://okjiten.jp/kanji308.html

は,

「『大地を覆う木』の象形と「うらないの時に亀の甲羅に現れる割れ目」の象形(『前ぶれ』の意味だが、ここでは、『2つに割れる』の意味)から、2つにきれいに割れる木の実、『もも』を意味する「桃」という漢字が成り立ちました。」

としている。「二つに割れる」というのが印象深い。漢名は,仙果,仙木,仙桃,金桃,仙果花,洞中仙,瓶子桃,仙人桃等々あり,古名は,

「三千年草(ちとせぐさ),三千代草,御酒古(みきふる)草。また,毛桃とも呼ばれたが,これは果実が大きく毛があったからである。油桃(あぶらもも)というのは赤くて油を塗ったようだというのでこの名がある。これをズバイモモともいう。」(『たべもの語源辞典』)

とある。さらに,

「弥生時代の遺跡からモモの果核が出土するのでコダイモモ(古代桃)が日本に自生していたという。また,牧野富太郎『新日本植物図鑑』によると『日本では丸くて中のかたいものをモモといい,今日のヤマモモを単にモモといっていたのに対して,大陸から本種が入り,それにとってかわったものであるとの説が最も妥当と考えられる』という。『古事記』には意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を賜ったことが記されている。」(『たべもの語源辞典』)

とあり,ヤマモモから中国から入った桃(黄河上流域原産とか,北京付近原産とかといわれる)に入れ替わったということらしい。『広辞苑』に,

「古くから日本に栽培,邪気を払う力があるとされた」

とあるが,

「桃に魔除けの力があるという思想は,中国からきたものであろう。中国では桃を果実の王とした。十二月と二月の八日に枝を切って門口に立てる風習があるというが,桃符からきたものである。」

ということらしい。

「モモ」語源は,『大言海』には,

『眞實(まみ)の轉,褒めて云ふかと云ふ。又,燃實(もえみ)の意かと云ふ。或は,實の多きにより百(もも)の義か。沖縄にて,ムム』

と三説載せる。和名抄には,

「桃子,毛毛」

と載るらしい。しかし,「モモ」の語源説は,すさまじい数がある。『日本語源大辞典』には,

マミ(真実)の轉(大言海),
実の赤いところからモエミ(燃実)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
赤いところからモミジ-ミ(実)の義(日本釈名・柴門和語類集),
カムミ(殕実)の義(日本語原学=林甕臣),
二拍目のモは実の義(桃の伝説=折口信夫),
実の多いところからモモ(百)に通ず(東雅・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
実に毛のあるところからのモモ(毛毛)の義(滑稽雑誌所引和訓義解),
マロマロ(丸丸)の意(名語記),
モリモリの義,モリはモグの意(名言通),
モルモノ(盛物)の義(和句解),
『日本書紀』の記述から,モオフ(鬼遂)の義(言元梯),
果肉中に核があり,その中に仁のあるものの総称(東雅),
朝鮮語to-mo(桃毛)から,桃の毛には邪気を払う威力があるとされる(木の名の由来=深津正),

等々を載せるが,その他にも,

ウマミ(旨実)が語頭をおとしたマミはマメ(豆)になるとともに他方ではモモ(桃)に転音した(日本語の語源)
「旨uma,実mi」。母音uが落ち,mamiとなり,転じてmamo,momoと音韻変化した(日本語源広辞典)
「古くからモモは、民話『桃太郎』で子供が生まれたり、日本神話で悪魔払いに用いられる など、花や木よりも果実に重点が置かれており、実に意味があると考えられるため、『モ』 は『実』の転であろう。沢山成ることから『実』を強調した『実々(みみ)』を軸に、『百(もも)』にも通じる語と思われる。」(語源由来辞典)

等々,数えきれない。しかし,どうやら,『たべもの語源辞典』の言う,

「…方言から考えると,スモモをカタチモモ(山口県大島),カラモモ(長野県),桑の実をクワノモモ(静岡県),サクラの実をサクラボボ(千葉県),椿の実をアブラモモ(隠岐),タカシモモ(島根県),槇の実をサルモモ(山口県)。長野県上田地方では,アンズやウメをモモと呼んだ。また長野県南安曇野地方では,クリをクリモモといった。したがって,モモは,桃ではなく果物の意味に用いられていることがわかる。」

のが妥当のように思える。文字での表現を要しない会話では,その場で,何の果実のことを指しているかは,明確だからだ。

http://www.minpo.jp/pub/topics/time/2014/08/post_22.html

も,

「桃は木であり、きれいな花も咲くが、日本人は昔から果実にだけ注目し、強い関心を持っていたようだ。国文学者の鈴木棠三氏は桃について、『もとはモモに限らず赤らんだ木の実・草の実を一般にモモと呼んだらしく、その証拠にはいまも中国・四国以東の各地方で果実の総称がモモである』と述べている。
 確かに『日本方言大辞典』を見てみると、木や草の実、果実、果物を『モモ』と呼んでいる地域は、全国23府県にあり、『梨のもも』、『椿のもも』、『南天のもも』、『梅のもも』という用例もあるし、三重県には果物屋を『モモヤ』と呼んでいる地域もある。(中略)
 大昔の日本人は、身近な木の実や果実を、発音しやすい『モモ』や『モンモ』と呼んでいたのだろう。『モンモ』は本県のほか、茨城、栃木、埼玉、千葉、和歌山、島根でも使われている桃の方言である。」

とある。では,桃の「モモ」はどう呼んでいたのか。どうやら,

ケモモ,

であったらしい。『たべもの語源辞典』は,

「『万葉集』にはケモモ(毛桃)の歌が三種ある。『はしきやしわぎへの毛桃本しげく花のみ咲きてならざらめやも』(巻七),『わが宿の毛桃の下に月夜さししたなやましもうたてての頃』(巻十),『大和の室原(むろふ)の毛桃本繁く言ひてしものをならずば止まじ』(巻十一)などがあり万葉時代にはケモモが多く植えられていたことがわかる。…モモとという名称がつく果実には,スモモ(別名ソモモ)とかカラモモ(杏)などがある。モモは果実の意であったが,桃(ケモモ)が果実を代表した日本人の生活に密着してくると,昔,鬼の親方が桃の棒でなぐり殺されたので鬼共が桃を恐れるようになったという中国伝説から桃太郎伝説がつくられる。(中略)ケモモがモモとして独立したのは古い。桃をモモとよぶのは日本人のよび方であって渡来語ではない。」

と締めくくる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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サクランボ


「サクランボ」は,

桜ん坊,
桜桃,

と当てる。「もも」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%A2%E3%83%A2)の項 で触れたように,「もも」は実全体を指していて,たべもの語源辞典』は,

「…方言から考えると,スモモをカタチモモ(山口県大島),カラモモ(長野県),桑の実をクワノモモ(静岡県),サクラの実をサクラボボ(千葉県),椿の実をアブラモモ(隠岐),タカシモモ(島根県),槇の実をサルモモ(山口県)。長野県上田地方では,アンズやウメをモモと呼んだ。また長野県南安曇野地方では,クリをクリモモといった。したがって,モモは,桃ではなく果物の意味に用いられていることがわかる。」

と述べており,梨のもも,椿のもも,南天のもも,梅のもも等々の流れから,

桜のもも,

なのではないか,と思うのだが,どうもそうとは言えないらしい。『大言海』は,

「擬人したる語,圓顱に寄せても云ふか。吉野山の櫻本坊を,サクランボウと云ふとぞ(酸模[すいば],すかんぼう。みずすまし,あめんぼう)」

と,「桜ん坊」の「坊」を取って,擬人化と見なす。

「サクランボ」は,桜桃とも言うが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C

によると,

「中国には昔から華北・華中を中心に、支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)がある。…江戸時代に清から日本に伝えられ、西日本でわずかに栽培されている。…『桜桃』という名称は中国から伝えられたものである。セイヨウミザクラが日本に伝えられたのは明治初期で、ドイツ人のガルトネルによって北海道に植えられたのが始まりだとされる。」

とし,

「サクランボは、桜の実という意味の『桜の坊』の『の』が撥音便となり、語末が短母音化したと考えられている。」

と,擬人化説を採る。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/sa/sakuranbo.html

も,

「『桜ん坊(さくらんぼう)』とも言うとおり、『さくらんぼう』の『う』 が落ちた語で、語源は、ミザクラの果実を擬人化したか、その形を坊主の丸い頭に 見立てたとされる。 その他の説では、桜モモが転訛したとする説や、果実を意味する『ボボ』が『ボウ』になったとする説、桜干(さくらぼし)の意味からなど諸説ある。」

と,擬人説に肩入れする。『日本語源広辞典』には,

擬人化して言った語(大言海),
円顱[えん](坊主頭)に寄せて言ったもの(大言海),
サクラボシ(桜干)の義か(擁書漫筆),
桜モモの転(江戸のかたきを長崎で=楳垣実),
ボウは果実を意味するボボから(語源大辞典=堀井令以知),
幼児語に発するか(角川古語辞典),

と諸説載る。『日本語の語源』は,

「モノ(物。者)をボーという例がある。ドロボー(盗る者)・アマエンボー(甘える者)・オコリンボー(怒る者)・シワンボー(吝い者)・アバレンボー(暴れる者)…」

と並べて「サクランボ」を挙げるが,人の言動・振る舞いを擬人化するのと同列に置くのはいかがかと思う。

『日本語源広辞典』は,

「『桜の桃』です。桜+の(no→n)+もも(桃・果実)」が語源です。

とし,「momo→bobo→bo」と転訛したとしている。僕は,これが妥当だと思う。あるいは,「さくらぼぼ」と転訛したとき,「坊」を当てて,擬人化したという見方もできる。

「もも」が果実一般を指していたからこそ,

ウメもも,
クリもも,

と呼んでいた,その流れから見て,

サクラモモ,

と呼んでいたのを起源とするのが,妥当ではないか。擬人化は後の作為とみる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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つばさ


「つばさ」は,

翼,

と当てるが,「はね」との違いについて,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BC

は,

「日本語では、『鳥の翼』(英語: wing)を表す言葉には『つばさ(翼)』『はね(羽)』の2語があり、いずれも万葉集より用例がある。
葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ (13#3345)
梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る (10#1840)
『つばさ』がもっぱら『鳥の翼』の意味であったのに対し、『はね』はより広い語義をもち、『昆虫の翅』を指すのにも用いられる。さらに、『矢羽根』『赤い羽根』『羽根ペン』というように、『羽根』と書けば 英語: feather の意味になる。英単語 feather 『羽根』がギリシア語 pteron 『翼』と同じ語源をもち、古くは複数形で『翼』を意味したことからも分かるように、『翼』と『羽根』とは互いに距離の近い概念であると言えよう。」

としている。「はね」は,

羽,
羽根,
翅,

と当てる。「翼」(漢音ヨク,呉音イキ)は,

「原字はつばさを描いた象形文字。のちそれに立をそえて,つばさを立てることを示す。竓(ヨク つばさ)はその系統を引く字。翼は『羽+音符異(イ)』で,ひとつのほかにもうひとつ別のがあるつばさ」

とある(『漢字源』)しかし,

https://okjiten.jp/kanji1455.html

は,

「『鳥の両翼』の象形と『人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている』象形(「敬い助ける」の意味)から、
『両翼・つばさ』を意味する『翼』という漢字が成り立ちました。」

とする。いずれかの判断はつきかねるが,「ふたつ」の意味で,『漢字源』のように思える。

「羽」(漢呉音ウ)の字は,

「二枚のはねをならべたもの」

で,両翼の象形文字。この字は,虫の羽根の意でも使う。

「翅」(漢呉音シ)の字は,

「羽根+音符支(江田まっすぐで短い)」

で,「鳥・昆虫」のまっすぐ伸びた短い羽を意味する。魚の鰭の意もある。

さて,「つばさ」の語源であるが,『日本語源大辞典』は,

トブサ(鳥総)の転か(名言通・和訓栞・大言海),
鳥羽総の義(日本語源=賀茂百樹),
トブフサデ(飛房手)の義(日本語原学=林甕臣),
ツヨキハサキの義か(和句解),
ツは鳥に関する名称に付ける接頭語。ハサはハサキ(羽先)の略か(万葉集類林),
ツラハ(連羽)の義(言元梯),
ツバフサ(強羽総)の約(日本古語大辞典=松岡静雄),
鳥をハサムの義から(日本釈名),

と諸説挙げるが,決め手がない。『日本語源広辞典』は,

「ツ(鳥)+フサ(総)」。鳥の総の意,
「ツ(飛)+フサ(総)」。飛ぶための総の意,

の二説を挙げる。確かに,

とり

の項で触れたように,「とり」は,『ト』は『飛ぶ』の意味で,

「ト(飛ぶ)+り(接尾語)」

なのだとすれば,「とり」の「と」が「つ」転訛,たとえば,

tobusat(飛ぶ)→tubasa(翼),

という転訛はなくはないが,むしろ「つばめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%A2%E3%83%A2)で触れた『日本語の語源』が,「つばめ」の音韻変化説を, 

「『黒む』という動詞は『黒くなる。黒みを帯びる』という意味である。…春来て秋帰る燕は人家に巣くってかくべつ馴染みの深い小鳥であるが,大昔の人はこれをツバサクロム(翼黒む)鳥と呼んだ。『サ』を落としたツバクロムは『ロ』の母音交替[oa],『ム』の母音交替[ue]の結果,ツバクラメに転音した。(中略)さらに語尾を落としてツバクラ・ツバクロになった。(中略)ツバクラメの省略形がツバメである。(中略)筑後久留米(浜荻)・広島・愛媛・佐賀・長崎・香川県では,最古のツバサクロム鳥の省略語として,燕のことをツバサと呼んでいる。」

として,ツバメの転訛としての「ツバサ」の方が,無理に接頭語や言葉合わせをするよりも,飛ぶものの代表として「つばめ」が妥当かどうかは措くとして,興味が引かれる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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はね


「はね」は,

羽根,
羽,
翅,

と当てる。「つばさ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%A4%E3%81%B0%E3%81%95)の項 で触れたように,「羽」(漢呉音ウ)の字は,

「二枚のはねをならべたもの」

で,両翼の象形文字。この字は,虫の羽根の意でも使う。

「翅」(漢呉音シ)の字は,

「羽根+音符支(江田まっすぐで短い)」

で,「鳥・昆虫」のまっすぐ伸びた短い羽を意味する。魚の鰭の意もある。

『岩波古語辞典』も『広辞苑』も,

「鳥の羽の根もと」

の意があり,「和名抄」

「翮,八禰,羽根也」

を引く。鳥の羽根,翼,虫の翅,羽毛の意を含んでいる。『大言海』も,

「鳥の葉の根,ハダキ,翮」

とする。「翮(カク,レキ)」の字は,

「はねのくき(羽莖),はねのもと(羽本)

を意味する。

つまり,こう見てくると,「はね」に「羽」を当てたとき,実は「翮」の意味だったのではないか,ということを窺わせる気がする。「羽根」と当てるには,意味があった,ということである。『日本語源広辞典』は,

「羽(薄くて平たいもの)+ネ(根)」

としている。『日本語源大辞典』は,「はね」の語源を,

ハヤノへ(速延)の反(名語記),
ハノテ(羽之手)の義,また,ヒラニコゲ(平柔毛)の義(日本語原学=林甕臣),
ツクバネの略か(守貞漫稿),
はねることから(和句解),

何れも語呂合わせに過ぎない。「はね」が「羽の根」とわざわざ限定したのは,『岩波古語辞典』が言うように,「は」が,

「鳥の全身をおおう毛,転じて翼・翅など空中を飛行するためのもの」

という意だったからに違いない。とすると,「は」が問題になる。「は」も,

羽,

と当てるが,『大言海』は,

「平(ヒラ)の約,扇(はふ)るの意」

とある。「はふる」は,

羽振る,

で,「羽を活用」するもので,「はばたく」意である(「平」は,歯の語源もまた「平」らしいのはおもしろい)。『日本語源広辞典』の,「羽(薄くて平たいもの)」とも通じる。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hane.html

は,

「羽の語源には、『ハヤノヘ(速延)』の反や、跳ねるところからとする説もあるが、漢字で『羽根』とも表記するように、『ハネ』は『ハ』という不安定な一音節を避けるため、接尾語『ネ』を付けたものである。『ハ』の語源には、『ヒラ(平)』『ハル(張・発)』『ハ(葉)』などの 意味とする説があり、一音節からなる言葉の由来を特定する事は難しいが、広がりの あるものを表す語には『h』の音で始まる語が多く、擬態語に似た表現が元になっていると考えられる。」

と,「は」を安定させるための「ね」で,「ね」自体には意味がないとするのも一説ではあるが,それは,「は」が羽根から,翼にまで意味を拡げたこと,さらには矢に付ける矢羽根の意味にまで分化したことに対応しているのかもしれない。「はね」が羽の根から,翼に間で意味を拡げたように,「は」も,全身の毛から,翼にまで意味を拡げて,「はね」と意味が重なったとみられる。

『日本語源広辞典』は,「は」を,

「薄くて平らなもの」

としたが,それは,

ヒラヒラ,

のような擬態語に由来するとみられるが,「歯」も「平」とつながるところから見ると,ただ,平らな状態の,

ヒラ,

と言った方がいいように思う。「ひら」は,『岩波古語辞典』では,

薄くてたいら,
物の平らな面,

を指す,だから,

葉,

ともつながる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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トンボ


「トンボ」は,

蜻蛉,
蜻蜓,

と当てる(『広辞苑』)。「蜻蛉」は,

かげろう,

とも訓ませる。

トンボの古名,

である。さらに,「蜻蛉」を,

あきづ(つ),

と訓ませる。「トンボ」の意味である。これも「トンボ」の古名である。『大言海』は,「ツは,濁音なるべし」としているが,「新撰字鏡」は,「阿支豆」と当て,akidu,と濁ったようである。『日本語源大辞典』は,

「字音かな表記から,上代ではアキヅであったと推測されるが,後に清音になりアキツとなった」

とある。「あきつ」の由来は,『大言海』は,

「秋之蟲の下略(仲之子[ナカツコ],仲子[ナカテ]。河之蛙[カハヅカエル],河蝦[カハヅ])。蜻蛉洲(アキツシマ)を,秋津島と記すも是なり。大同類聚方…『阿支豆牟之』(アキヅムシ)」,名義抄『蜻蛉,アキムシ』,藻鹽草…蜻蛉『秋つむし,かげろふ』…」

としている。これを見ると,どうも,「トンボ」をトンボとして認知していたというより,「あきつむし」つまり,秋の虫としか認識していなかった嫌いかある。あるいは,赤とんぼ,を指していたのかもしれない。「アキツムシ」とは,「秋の虫の下略」(『大言海』『東雅』『物類称呼』『和訓集説』)だが,「ツ」は,「集まり群がる意がある」(草鹽漫筆)とか「アキツドヒムシ」(名言通)とかと見ると(よけいに赤とんぼのようにも思えるが),どうやら,

あきづ,

は,必ずしも「トンボ」に特定していたとは限らないのかもしれない。『日本語源大辞典』は,

「上代は『蜻蛉』の文字に『あきづ』の訓が付けられていたが,平安時代以降,同じ『蜻蛉』に「かげろふ」の訓が付いた」

とする。どうやら,この辺りで,「秋の虫」から「トンボ」が分化し,「かげろう」も分化した,ということなのかもしれない。

「かげろう」は,

蜉蝣,

とも当てる。「蜻蛉(セイレイ)」は,中国語では「とんぼ」。「かげろう」に当てるのはわが国だけである。本来は,「ゆらゆら飛ぶ昆虫」を指し,「かげろう」に絞られたようである。ただ,『岩波古語辞典』には,「陽炎(かげろふ)」の項で,

「別に,朝生まれて夕方死ぬとされていたヒヲムシ(蜉蝣)を当てる説もあるが,カゲロフとヒヲムシとは平安文学の中で区別して使われている。」

とあるので,「トンボ」の古名はともかく,「カゲロウ」については,別途考える必要がある。

先に漢字に当たっておくと,「蜻」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は,

「虫+音符(セイ きよらか,すずしい,すみきった)」

で,「蛉」(漢音レイ,呉音リョウ)の字は,

「虫+音符令(細くて清らか)」

で,「蜻蛉(セイレイ)」は,スッキリした形をしたトンボを指す。

「蜓」(エン)の字は,

「虫+音符延(エン のびる)」

で,龍や蛇などがうねうねと長いさまを意味する。

「蜉」(漢音フ,呉音ブ)の字は,

「虫+音符孚(フ うかぶ)」

で,空中に浮遊する虫。「蝣」(漢音ユウ,呉音ユ)と組んで,「蜉蝣」で,「カゲロウ」を指す。

さて「トンボ」の語源であるが,「蜻蛉返り」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E8%9C%BB%E8%9B%89%E8%BF%94%E3%82%8A) や,尻切れ蜻蛉(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E5%B0%BB%E5%88%87%E3%82%8C%E8%9C%BB%E8%9B%89) で「トンボ」を意識した上での言い回しなので,かなり古く遡れそうな気がする。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445607834

によれば,

「とんぼう、という言葉が最初に現れるのは、『梁塵秘抄』「いよいよ”とうほう”よかたしをまいらん…」とされています。」
「同時代の『袖中抄』にも、『あきつはとはとばうと云う虫のうすき羽と云う也』とあります。」

とあるので,平安末期と見ていい。『日本語源大辞典』には,

「古くはトンバウという形であり,それがトンボウを経てトンボになったのは,近世初期頃のようである。」

とある。

トンバウ→トンボウ→トンボ,

という転訛である。『岩波古語辞典』は,「とんぼう」の項で,『古今序注』を引いて,

「此の国の形とんぼうに似たり。故に此の虫の形になぞらへて,蜻蛉国と云へり。あづまの方より出で来る故に,東方と云ふ也」

としている。「東方」の転訛というのは,いささか首を傾げる。しかし,結構大真面目に,

蜻蛉は一名アキツといわれ,秋津島つまり日本は唐の東方にあるところから東方の義(南留別志・類聚名物考),
秋津島の地形が,蜻蛉が東に向いたさまに似るところから東方の訛(滑稽雑誌所引和訓義解),

と,諸説ある。しかし,これは採れない。地形を俯瞰するだけでなく,唐からそれを見るなどと,そんな抽象度の高い名づけをするとは到底思えない。古形が,「とんばう」ならなおさらだ。『大言海』は,

「飛羽(とびは)の音便延(縫物,ぬんもの。追物射[おひものい],おんものい。布衣,ほうい。牡丹,ぼうたんと同趣)。今トンボと云ふは,却って本語に近きなり。昔蜻蜓をヱバと云ひき(これがヱンバとなり,ヤンマとなる)。」

とある。更に「アカヱンバ(赤蜻蛉)」の項には,こうある。

「東雅(享保)廿,蜻蛉『萬葉集抄(仙覚)に,アキツと云ふは,東詞には,ヱンバと云ふなり,と見えたり。赤卒,アカヱンバは,東國の方言に,今も,ヱンバと云ひ,童部のヤンマと云ふは,轉ぜしなり。ヱンバは即ち,ヱバなり。ヤヘバ(八重羽)と云ふが如し。世の常の蟲の羽は,多くは二つあるを,此蟲の羽,四つあれば重なれると云ふなり』。赤トンボの古名。黄トンボの古名をキヱンバと云ふ。」

別名「やんま」は,別途触れるとして,これは,別系統から来ていることがわかる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/tonbo.html

は,

「トンボの最も古い呼称は,奈良時代の『アキヅ(秋津)』で,その後『セイレイ・カゲロフ(蜻蛉)』、『ヱンバ(恵無波)』の語が現れる。 古くは『トンバウ』の語形で,平安時代には『トウバウ』『トバウ』などが見え,江戸時代から『トンボ』と呼ばれている。」

としているので,

トンバウ→トウバウ→トンボウ→トンボ,

とは別系統で,

ヱバ→ヱンバ→ヤンマ,

となったとみていい。今日,トンボ科とヤンマ科は,別に分類されているので,ある意味別系統に分岐したのには意味がある。

そこで,「とんぼ」に戻すと,『日本語源広辞典』は,「飛羽」説以外に,

「飛ん坊」

という説を挙げる。飛びまわる虫という意味である。その他,

ヤヘバ(八重羽)の転ヤウンバの訛。羽が四枚あり,重なっているところから(嗚呼牟草・俗語考),
アトネブリトビ(尻舐飛)の義(日本語原学=林甕臣),
トンボ(飛炎)の義(言元梯),
い空中から飛び降りる様子を形容したツブリ・トブリの転(少年と国語=柳田國男),

等々ある。『語源由来辞典』は,

http://gogen-allguide.com/to/tonbo.html

「『トン』が『飛ぶ』,『バウ』が『棒』の意味で,『飛ぶ棒』が変化したという説が多く,この虫の印象から正しいように思えるが,『バウ(棒)』は漢語,『飛ぶ』が和語で,漢語と和語が結び付けられることは時代別国語大辞典的に早すぎるために考え難い。『トン』は『飛ぶ』の意味であろうが,『バウ』は…和語である『ハ(羽)』の変形であると考える方が妥当であろう。」

と,「飛羽」説を採る。

しかし,

http://www.tombow.pippo.jp/hojo/index.html

で北條忠雄氏は,

「秋田県では蜻蛉をアゲズ・アゲズコという地域もあるが、これは古語のアキツが多少訛って今に残ったのである。その外の地域では)ダンブリ・ダンブ・ジャンブ・ザンブ・ドンブ・ドブ・ドブリンコなどいい、これに類した呼称は東北の各地にも見えている。他、山形・会津などではドンバというらしい。これらの呼称は決して新しい発生ではなく、文献にトンバウの見える平安末期或はそれ以前にあらわれたものであって、トンバウが伝播していく間に転々と訛っていったものとは考えにくい。蜻蛉の語原は正しくこのあたりから考えられそうである。岩手県ではヤチ(湿地・本来アイヌ語)にいる蜻蛉をヤチコといい、秋田の平鹿郡ではヤンマのことをノンマというが、それはノマ(沼)のあたりを飛翔するところから来ている。岩手でヤンマをヌマダンブリというのも同じである。これらは蜻蛉の発生し飛翔し或は更に産卵する場所から来た命名で、いわば棲息地域から名づけたものといえる。ところで、ダンブリ・ダブ・タンボ・ドバ・ドンブ・ドンボというような語が、全国でどんな意味に用いられているかというと、それは悉く湿地・淵・泉・淀・沼・池・水たまりなどの意味に用いている。大阪ではボウフラ(蚊の幼虫)をドンブリというところがあるらしいが、これはドブに棲息するからであろう。こう考えて来ると、蜻蛉をダンブリ・ダブ・ドンブ・ドンバなどいうのは、大阪のボウフラと同じく、それが泉・淵・溝・湿地等に発生し飛翔し産卵するから名づけられたことが明らかである。即ちこれも棲息地域による命名である。」

と,ヤンマが,

ノマ(沼)→ノンマ→ヤンマ,

であり,「トンボ」は,

ドンバ(ドンボ・ドンブ)→ドンボウ→トンボ,

と,その生息地を指していたとする説を採られている。僕はこの説に惹かれる。日常「トンボ」を見ているのは,下々の民であり,彼らこそが名づけるはずだからである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ヤンマ


「ヤンマ」は,トンボの異称である。

『大言海』は,「ヤンマ」で,

「古名,ヱンバの轉」

とするが,「トンボ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C)の項 で触れたように,「とんぼ」の項で,

「飛羽(とびは)の音便延(縫物,ぬんもの。追物射[おひものい],おんものい。布衣,ほうい。牡丹,ぼうたんと同趣)。今トンボと云ふは,却って本語に近きなり。昔蜻蜓をヱバと云ひキ(これがヱンバとなり,ヤンマとなる)。」

とし,さらに,「アカヱンバ(赤蜻蛉)」の項で,

「東雅(享保)廿,蜻蛉『萬葉集抄(仙覚)に,アキツと云ふは,東詞には,ヱンバと云ふなり,と見えたり。赤卒,アカヱンバは,東國の方言に,今も,ヱンバと云ひ,童部のヤンマと云ふは,轉ぜしなり。ヱンバは即ち,ヱバなり。ヤヘバ(八重羽)と云ふが如し。世の常の蟲の羽は,多くは二つあるを,此蟲の羽,四つあれば重なれると云ふなり』。赤トンボの古名。黄トンボの古名をキヱンバと云ふ。」

と,

ヱバ→ヱンバ→ヤンマ,

と転訛したとするのである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%9E

で,

「ヤンマ(蜻蜓)はトンボ目 不均翅亜目 ヤンマ科(Aeshnidae)の昆虫の総称を指す。大概はヤンマといえばオニヤンマ科の昆虫も含む。広義にはエゾトンボ科やサナエトンボ科などの昆虫も含む。」

とし,

「ヤンマ科の昆虫はアオヤンマなどを除いて胸に接した腹節が胸の方向にくびれており、その他は節によって太さに差がないのが特徴である。地色は未熟なものでは黄色のものが多く、成熟したものは種によってさまざまな色に変化する。また、ほぼ全ての種において腹部に明色の紋がある。トンボ科の昆虫などより相対的に長い腹部を持ち、頭部はトンボ科の昆虫に似ておおむね球形である。」

「トンボ」は,

「大型のヤンマ科と比べて小さく、全長6 cm以下の小型から中型のトンボ。体色は金属光沢の単純な色調、黄色、赤色、青色など変異に富む。…。シオカラトンボやハラビロトンボのように羽化した時のオスがメスと同色で、成熟するとオスの体色が大きく変わるものが多い。」

と。やはり,大きさて,「ヤンマ」と「トンボ」を区別していたのであろうか。

『日本語源大辞典』は,

羽が四枚あるところから言ったヤヘバ(八重羽・弥重羽)の訛り(俗語考・上方語源辞典=前田勇),
古名ヱンバの転(万葉代匠記・物類称呼・箋注和名抄・言元梯・天野政徳随筆・比古婆衣・俚言集覧(増補)・大言海),
ヤマヱンバ(山蜻蛉)の義(日本語原学=林甕臣),

を挙げる。『日本語源広辞典』は,

「古語,八重羽」

を採る。その他,

羽の美しい意で「笑羽(ヱバ)」からとする説,

もあるようだが,どうも語呂合わせでは実態がつかめない気がする。「トンボ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C) でも触れたが,

http://www.tombow.pippo.jp/hojo/index.html

での北條忠雄氏の説,

「秋田県では蜻蛉をアゲズ・アゲズコという地域もあるが、これは古語のアキツが多少訛って今に残ったのである。その外の地域では)ダンブリ・ダンブ・ジャンブ・ザンブ・ドンブ・ドブ・ドブリンコなどいい、これに類した呼称は東北の各地にも見えている。他、山形・会津などではドンバというらしい。これらの呼称は決して新しい発生ではなく、文献にトンバウの見える平安末期或はそれ以前にあらわれたものであって、トンバウが伝播していく間に転々と訛っていったものとは考えにくい。蜻蛉の語原は正しくこのあたりから考えられそうである。岩手県ではヤチ(湿地・本来アイヌ語)にいる蜻蛉をヤチコといい、秋田の平鹿郡ではヤンマのことをノンマというが、それはノマ(沼)のあたりを飛翔するところから来ている。岩手でヤンマをヌマダンブリというのも同じである。これらは蜻蛉の発生し飛翔し或は更に産卵する場所から来た命名で、いわば棲息地域から名づけたものといえる。ところで、ダンブリ・ダブ・タンボ・ドバ・ドンブ・ドンボというような語が、全国でどんな意味に用いられているかというと、それは悉く湿地・淵・泉・淀・沼・池・水たまりなどの意味に用いている。大阪ではボウフラ(蚊の幼虫)をドンブリというところがあるらしいが、これはドブに棲息するからであろう。こう考えて来ると、蜻蛉をダンブリ・ダブ・ドンブ・ドンバなどいうのは、大阪のボウフラと同じく、それが泉・淵・溝・湿地等に発生し飛翔し産卵するから名づけられたことが明らかである。即ちこれも棲息地域による命名である。」

と,「トンボ」は,

ドンバ(ドンボ・ドンブ)→ドンボウ→トンボ,

であり,ヤンマが,

ノマ(沼)→ノンマ→ヤンマ,

と,その生息地を指していたとする説に,ここでも与したい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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カゲロウ


蜻蛉は,

トンボ,

とも訓ませるが,

かげろう,

とも訓ませる。「カゲロウ」は,また,

蜉蝣,

とも当てる。

「とんぼ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C)の項 で触れたが,「蜻」(漢音セイ,呉音ショウ)の字は,

「虫+音符(セイ きよらか,すずしい,すみきった)」

で,「蛉」(漢音レイ,呉音リョウ)の字は,

「虫+音符令(細くて清らか)」

で,「蜻蛉(セイレイ)」は,スッキリした形をしたトンボを指す。

「蜉」(漢音フ,呉音ブ)の字は,

「虫+音符孚(フ うかぶ)」

で,空中に浮遊する虫。「蝣」(漢音ユウ,呉音ユ)と組んで,「蜉蝣」で,「カゲロウ」を指す。

『広辞苑』には,

「飛ぶさまが陽炎(かげろう)のひらめくように見えるから」

と,「陽炎」との繋がりを示唆している。ただ,ややこしいのは,「カゲロウ」は,

トンボの古名,

でもあり,それで,「蜻蛉」の字を当てている,と見られる。「蜻蛉」と当てた「かげろふ」について,『大言海』は,

「カギロウの轉」

とし,「とんばうの古語」とする。「かぎろふ」(陽炎)の項では,

「カギロヒの轉」

とし,

「春の長閑なる日に,空中にチラチラと立上りて見ゆる気。イトユフ」

とある。「いとゆう(糸遊)」とは,「かげろう(陽炎)」の意味である。

「『遊子(ゆうし)』からか」

と,『広辞苑』にはある。『大言海』には,「いとゆふ」(陽炎)は「あそぶいと」(遊絲)と訓ませ,

「漢語の遊絲(ゆうし)の文字読みなり」

と,「陽炎の異称」とする。「かぎろひ」は,『大言海』は,

火光,

と当て(『広辞苑』は「陽炎」とも当て,『ちらちら光るもの』の意とする),

「爀霧(かがきらひ)の約轉ならむ(軋合ひ,きしろひ)。此語は,カゲロフと云ふ動詞の名詞形なるか。カゲロフと云ふ動詞あり,此轉なるべし」

とする。「かぎろひ」は,『岩波古語辞典』には,

「カガヨヒ・カグツチと同根。揺れて光る意。ヒは火」

とあり,「かがよひ」は,

「《カギロヒと同根》静止したものが,きらきらと光って揺れる」

意であり,「かぐつち」は,

「《カグはカガヨヒのカガと同根光のちらちらする意。ツは連体助詞。チは精霊》火の神。」

とあり,「かぎろひ」「かがよひ」は,

炎,
立ちのぼる水蒸気に光が当たり,光が複雑に屈折して揺らめいて見えるもの,陽炎,
あけぼのの光,

と,どちらから光のちらちらする物を広く意味している。「輝く」は,かつて「かかやく」と清音で,この語とは起源的に別(『岩波古語辞典』)とされ,「かがやく」と「かげろひ」とは区別されていたらしい。

かぎろひ・かがよい→かげろひ→かげろふ,

と転訛する中で,

光りがほのめく,
ぼんやりと姿が動く,
光りがかげになる,

と,ちらちらとする意が鮮明に分化されていくように見える。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kagerou.html

は,

「『万葉集』の「今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなり にしものを」の例があるように、かげろうを古くは「かぎろひ」と言った。 同じ『万葉集』の 柿本人麻呂の歌には、『東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ』とあり、ここでは明け方の東の空にさしはじめる光(太陽)』を意味している。『かきろひ』の『すかぎ』は、『きらきら光って揺れる』『ちらつく』を意味する『かがよう』の『かが』と同源で、『かげ(影)』や『仄かに光を出す』意味の『かぎる』も同源と考えられている。『かぎろひ』の『ひ』は『火』で,かげろうは揺れて光る炎に見立てた語と考えられる。」

と,陽炎の分化を説いている。

ところで,『岩波古語辞典』は,「かげろふ」の項で, 

「カギロヒの転。ちらちらと光るものの意が原義。あるかなきかの,はかないものの比喩に多く使う」

とし,

ちらちらと立つ光,陽炎,
《羽根がキラキラと光るところから》とんぼの一種,

としている。ここで,いわゆる「カゲロウ」のイメージと重ねたくなるが,『岩波古語辞典』はこう指摘している。

「別に,朝生まれて夕方死ぬ虫とされていたヒヲムシ(蜉蝣)を当てる説もあるが,カゲロフとヒヲムシとは平安文学の中でくべつして使われている。また,蜘蛛のはく糸のかたまってただよう『いとゆう』とする説もあるが,それを平安時代カゲロフと呼んだ例はないようである。」

と。蜻蛉,蜉蝣と同じ字を当てているので,トンボを指しているのか,カゲロウを指しているのか,じつは区別がつかない。「カゲロウ」の語源にも,その混乱がある。

『大言海』は,「かぎろひ」について,

蜻蛉,

と当て,「かぎろひ」(火光)の,

「曙光(かぎろひ)の轉(鵠[くくい]を,コヒともコフとも云ふ)」

として,

「此蟲,常に日影を求めて。陽炎(カギロヒ)の如くとびひらめけば,カギロヒ蟲と云ひけむ。故に萬葉集に,陽炎に蜻火の字を当てたるあり。此語転じて,カゲロフとなりしと思ふ」

とし,意味は,

アキツ,
トンバウ,

とする。つまり,意味の説明は「カゲロウ」だが,意味は,トンボとなっている。因みに萬葉集にあるのは,

香切火,
蜻火,

で,陽炎を指す。ところが,「かげろふ」は,

蜉蝣,
白露蟲,

と当てて,

「命のはかなきを,陽炎の忽ち消ゆるが如きに譬えて云へる名なるべし」

として,

ヒヲムシ,
イサゴムシの羽化,
あさがお(カゲロウの古名),

と,完全に「かぎろひ→かげろふ」と,「陽炎」とダブらせて,「カゲロウ」の意味になっている。

どうやら,陽炎が分化し,イメージが明確になるにつれて,「ヒラムシ」類に,その儚いイメージを重ねていったらしく,「カゲロウ」の語源は,陽炎に重なっていく。もともとは,

飛ぶさまが陽炎のようにひらめくところから,

であっのだから,「蜻蛉」は,トンボ一般を指したに違いない。しかし,

かぎろひ→かげろふ,

と,光のキラキラする意から,微妙なたゆたいを見せるひかりの揺れ動くさま,に分化していくことで,そのもつイメージから,トンボ一般(カゲロウはトンボの古名でもある)から,カゲロウ(蜉蝣)へと焦点が絞られたように見える。『日本語源広辞典』の説が,なかなか象徴的である。

「翔ケロフと陽炎の混淆」

ゆらゆら飛ぶ幻影のような蜻蛉。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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「は」に当てるには,

羽,
歯,
刃,
葉,

等々がある。「は(羽)」については,「はね」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%AF%E3%81%AD)の項 で触れたが,『大言海』は,

「平(ヒラ)の約」

としていた。『日本語源大辞典』によると,

羽,
歯,
葉,

は,

「ヒラ(平)の約」

とされ,

刃,

は,

「ハ(歯)」

とつながる。異説もあるが,『大言海』も,「刃」は「歯の義」としており,直感と合うのではあるまいか。さらに,『大言海』は,「歯」は,

「平の約,端の義」

とする。「端」も「は」である。「は(端)」は,

邊(へ)に通ず,

とする。「へ(邊・辺)」は,

端方(はしへ)の意,

とするとする。『岩波古語辞典』は,「へ」に,

端,
辺,
方,

を当て,

「最も古くは『おき(沖)』に対して,身近な海辺の意。亦,奥深いところに対して,端(はし)・境界となるところる,或るものの付近。また,イヅヘ(何方)・ユクヘ(行方)なと行く先・方向・方面の意に使われ,移行の動作を示す動詞と共に用いられて助詞『へ』へと発展した」

とあるので,「はし(端)」の位置が遠くへ延長されていった,と見ることができる。当然,他の「は」からは遠ざかる。

ついでに,「ひら」は,

薄くて平ら,

という意味だが,擬態語「ひらひら」とつながるのではないか,と思う。

それぞれの語源説を拾っておくと,まず「羽」の語源説は,

ヒラ(平)の約(名語記・大言海・国語の語根とその分類=大島正健),
ヒラケ(平気)の下略(日本語原学=林甕臣),
ハル(張)の義(名言通),
ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ハ(葉)の義(言元梯),
フワフワしているところから(国語溯原=大矢徹),

と『日本語源大辞典』。『日本語源広辞典』は,

「ハ(動物の薄く平らなもの)です。ヒラヒラしたもの。『ヒラ』の変化」

とする。

次に,「葉」の語源説は,『日本語源大辞典』は,

薄くてたいらであるところから,ヒラ(平)の反(名語記・日本釈名・国語本義・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・国語の語根とその分類=大島正健・大言海),
落ちて再び生ずるところから,ハ(歯)にたとえたもの(九桂草堂随筆),
ヒラヒラしているところから,ヒラの義(名言通・日本語原学=林甕臣),
ハラハラしているところから(日本語源=賀茂百樹),

と並べ,『日本語源広辞典』は,

「『ハ(植物の薄く平らなもの)』です。見た感じの「ヒラヒラ」もしくは『ハラハラ』が語源に関わっているわうです。」

とする。『語源由来辞典』,

http://gogen-allguide.com/ha/ha_syokubutsu.html


は,

「一音の語の語源を特定することは難しいが、枝や茎から出る『葉』と歯茎から出る『歯』は類似しており、関係があると思われる。 ただし、語源が『歯』という訳ではなく、『歯』と同源であろう。『は』の音には『生じるもの』の意味があり,『はゆ(生)』の『は』ではないだろうか。」

と,「はゆ(生)」説を挙げる。

「は(歯)」の語源説は,

ヒラ(平)の義(名語記・国語本義・名言通・大言海),
ハ(葉)の義。抜け落ちる様子が,秋の落葉に似るところからか(和句解・玄同放言・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ハ(端)の義(国語の語根とその分類=大島正健・日本語原学=林甕臣),
ハ(刃)の義(言元梯),
ハサムの略。食物を上下ではさむところから(日本釈名),
ハム(喰)の義(日本語原学=林甕臣),

と列記する。『日本語源広辞典』は,

「『口にくわえるものが,ハ』です。ハ(喰)む,口にハさむの『ハ』です」

とし,散る葉と抜ける歯の類比説を否定している。「歯」が「刃」とつながるのなら,繋がりを見ていない説は捨てるほかない。

「刃」の語源説は,

物を断つところから,ハ(歯)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
ハ(端)の義(国語の語根とその分類=大島正健),

と,『日本語源大辞典』。『日本語源広辞典』は,

薄くて平らな,切り離すもの。葉と同源,
噛み切るところから,歯と同源,

を挙げる。

「は」というだけで意味が通じたのは,文字を持たず,その場での会話を通してだから,通じたというべきである。「は」の区別は,漢字がなければ,文字化したとき区別はつかない。

しかし,上記で見れば,

「は(葉)」と「は(羽)」は「ひら」に通じ,

「は(歯)」と「は(刃)」は,「ハ(喰)」に通ず,

ということではなかろうか,そして,「は(葉)」「は(羽)」「は(歯)」「は(刃)」に共通するのは,「ひら」ではなかろうか,そして「ひらひら」「ひらめく」という擬態語につながっている。

最後に,「は」に当てた漢字に当たっておく。「羽」(ウ)の字は,象形文字。

「二枚の翅を並べたもので,鳥のからだにおおいかぶさるはね」

「葉」(ヨウ・ショウ)の字は,

「枼(ヨウ)の字は,三枚の歯が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし,艸を加えた字で,薄く平らな葉っぱのこと。薄っぺらの意を含む」

「歯(齒)」(シ)の字は,

「古くは口の中の歯を描いた象形文字。のち,これに音符の止(とめる)を加えた,『前歯の形+音符止(とめる)』。物をかみとめる前歯」

「刃(刄)」(漢音ジン。呉音ニン)の字は,

「刀の刃のあるところを,ヽ印で指し示したもの。刃こぼれのしないように,鍛えて粘り強くした刀の刃のこと」

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ちょう


「ちょう」は,旧かなづかいでは,

てふ,

となる。

安西冬衛の有名な一行詩,

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた(『軍艦茉莉』「春」)

を思い出す。

ちょうちょう,

とも言う。

胡蝶(蝴蝶),

とも言う。「ちょう」は,どうやら,漢字「蝶」の音を使っているらしい(『日本語源大辞典』『日本語源広辞典』)。「蝶」(漢音チョウ[テフ],呉音ジョウ[デフ])の字は,

「『虫+音符葉(薄い木の葉,うすっぺらい)の略体』で,木の葉のように薄い羽をもつ虫」

とある。「枼」の字は,

「三枚の葉が木の上にある姿を描いた象形文字。葉はそれを音符とし,艸を加えた字で,薄く平らな葉っぱのこと。薄っぺらの意を含む。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji2721.html

も,

「『頭が大きくてグロテスクな、まむし』の象形(『虫』の意味)と『木の葉』の象形(『薄くて平たい』の意味)から、薄くて平たい虫『ちょう』を意味する『蝶』という漢字が成り立ちました。」

としている。

『大言海』は,「てふ」の項で,「字鏡」を引き,

「蝶,加波比良古」

とある。「ちょう」の古名は,

かはびらこ,

であるらしい。他に,

てふま,

とも,相模。下野,奥羽地方の方言とある(『大言海』)。他の辞書には載らないが,『大言海』は,「かはびらこ」の項で,

「川辺にひらひら飛ぶ意か。ツバビラコ(燕)もあり,コは大葉子,巣守子,殻子(かひこ)などのコと同じ」

とある。「こ(子)」は,『大言海』では,接尾語として,

「其物事の體を成さしめ,名詞を形作らしむる語なるが如し,漢字の冊子,帷子,帽子,瓶子,雉子,椅子,茄子,などの子と,其意同じ。和漢暗合なり」

とする。他にも,

猿子(ましこ)・猫子(ネコ,ネウ鳴声)・猪子(いのこ)・鹿子(かこ)・雛子(ひよこ,鳴声)・桑子・泥子(ひぢりこ)・梯子・団子・切子・張子・入子・呼子・根子(ねっこ)・隅子(すみっこ)・面子,

等々を挙げている。そう考えなくても,

親愛なるものの意,

で,夫子(せこ),我妹子の「こ」と考えてもいいし,「娘っ子」「ひよっこ」の「子」「こ」でもいい。

そう考えると,どうやら,

ひらこ,

に意味がある。つまり,

ひら+こ,

である。「ひらこ」の「ひら」は擬態語「ひらひら」の「ひら」,「ひらめく」のひら」でもある。「ひよこ」は,その鳴き声「ひよひよ」の「ひよ」に,

「親愛に情を表す接尾語『こ』がついた語で,猫を言う『にゃんこ』などとおなじ御構成。室町時代から見られる。」

という(『擬音語・擬態語辞典』)。ちなみに,雛鳥の鳴声には,「ぴよぴよ」と「ひよひよ」があり,明治以前は,「ひよひよ」を当て,『枕草子』にも,

「にはとりのひなの…ひよひよとかしがましふ鳴きて」

とある,という。この「ひよ」とって,「ひよこ」とした,ということになる。

ところで,

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14129542989

に,

「蝶…と言う漢字が奈良時代頃に日本に入り、『てふ』と記されるようになりました。時代が下るにつれてこれが、『てふ→てう→ちょう』と言う具合に変化していったのです。この発音変化は江戸時代頃におよそ完了したと考えられていますが、文字表記(仮名遣い)としては、戦前まで残っていたわけです。」

とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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かわ(川)


「かわ」は,

川,
河,
江,

と当てるが,「川」の字は,旧字は,

巛,

である。「川(巛)」(セン)の字は, 

「〈印は違いの間を縫って流れる川の象形。川は三筋の〈印で川の流れを描いたもの。貫(つらぬく)と同系であろうか〉

とある。

「河」(漢音カ,呉音ガ)の字は, 

「原文字は『水の流れ+˥ 型』の会意文字で,直角に˥ 型に曲がった川のこと。黄河は西北中国の高原に発し,たびたび直角に屈折して,曲がり角で水はかすれて激流となる。のち,『水+音符可』」

とあり,黄河を指す。

「江」(コウ)の字は,揚子江の意味であるが,全体は長江,下流域を揚子江という。

「工は,上下の面に穴をあけて突き通すことを表す指事文字。江は『水+音符工』で,突き通す意味を含む。大陸を貫く大河」

とある。わが国では,「川」の意味よりは,「入り江」の意味で,「海や湖の水が陸地に入り込んだところ」の意で使う。

さて,その字を当てた「かわ」の語源であるが,『大言海』は,「かは」の項で,

「水の流るる音か,がはがは」

と,擬音と見る。『日本語源広辞典』も,

「『川の水音』のガワガワ,カワカワ,語源説が有力」

とする。その他に,

「『カ(気・水気)+ハ(ハウ・延フ)』で,水が長く延び続けたもの」

という説も載せる。『日本語源大辞典』によると,

水が日夜カハルものであるところから(日本釈名・和語私臆鈔・言元梯・名言通・本朝辞源=宇田甘冥),
川水と海水がカハルところから(桑家漢語抄),

等々もあるらしいが,やはり擬音から来ているのではないか。日本の川は,狭く,細く,浅い急流が多い。瀬音は確かに喧しい。

がはがは,

とは,音感的にも合う気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かわ(皮)


「かわ」には,

皮,
革,

の字を当てる。「革」(漢音カク,呉音キャク)の字は,象形文字。

「動物の全身のかわをぴんと張ったさまを描いたもの。上部は頭,下部は尻尾と両脚である。張りつめた意を含む。」

とある(『漢字源』)。

https://okjiten.jp/kanji944.html

には,

「『改』に通じ(『改』と同じ意味を持つようになって)、『あらたまる』、『あらためる』の意味も表すようになりました。」

ともある。「皮」(漢音ヒ,呉音ビ)の字は,

「『頭のついた動物のかわ+又(手)』で,動物の毛皮を手で体にかぶせるさま。斜めにかける意を含む。」

とある(『漢字源』)。しかし,

https://okjiten.jp/kanji525.html

は,逆に,

「獣の皮を手ではぎとる」象形から,

とする。真逆である。『字源』を見ると,「かわ」には,

韋,革,皮,

があり,「韋」は,

「毛を去りしかは。革を柔らかにしたるなめしがは」

とある。「皮」は,

動物の毛皮,

で,「被う」という意味があり,「革」は,

つくりかわ(獣皮の毛を取り去ったもの),

で,「改まる」という意味がある,ということらしい。「皮」が総称,ということだろうか。

和語「かわ」の語源について,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kawa_hi.html

は,

「革は、『皮』と同源。皮の語源は諸説あるが、大きく分けると、表面を包むものなので『外側』の『かは(側)』とする説と、肌の上に被るものなので、『か』は『かぶる(被る)』の 意味、もしくは『上』を意味する言葉に付く『か』で、『わ』は『はだ(肌)』の意味とする説になる。『かわ』の旧かなは『かは』なので、両説とも不自然ではなく、意味としても説得力がありきめがたい。」

とし,『大言海』は,

「動物・植物の體の,表面(そとがは)を包めるもの。倭名抄『皮,被體也。賀波(かは)』」

側説を採る。『日本語源広辞典』は,「ガワ(側)の変化」説ともう一つ説を立てる。

中国語「カク,カウが語源で,カワとなった」

と,中国語由来説を立てる。

念のため,「がわ・かわ(側)」の語源説を見てみると,『大言海』は,「かは」(側)の項で,

「カタハラの略か,すゑそぎ,すそ(裾)。はたばり,はば(幅)」

と,同じ「かわ」でも,「かたわら」が「かわ」に転訛するのは少し難がある。『日本語源広辞典』も,

「かわ(側面)」

とする。「かわ(側)」→「かわ(皮)」は,意味からは少し難があると思う。しかし,もしあるとすると,

とがは(外側)→がは(側)→かは(皮)→かわ(皮),

という転訛なのかもしれない。

その他の説としては,『日本語源大辞典』が,

カブルの義(言元梯),
カブル(被)のカとハダ(肌)のハから。上肌の義(国語の語根とその分類=大島正健),
カはカロキ(軽),ハはハダヘ(肌)の義(和句解),
ホカハルの上下略。身の外をはる義(日本釈名),
カタチハテ(形果)の義(名言通),
ケハダ(毛肌)の義。マタハ,ケヘ(気戸)の義。マタ,キサヘ(気寒)−へ(戸)の義(日本語原学=林甕臣),
キハハダ(際膚)の反(名語記),
「革」の別音「kap」がkapaに転化したもの(日本語原学=与謝野寛),

と諸説並べるが,どうも屁理屈にしか見えない。敢えて考えれば,

被る,

という言葉との類縁が考えられる。「かぶる」は,『岩波古語辞典』には,

「カウブリの転。」

とある。「カウブリ」は,「カガフリ」の転である。

カガフリ(ル)→カウブリ(ル)→カブリ(ル),

と,転訛したことになる。しかし,奈良時代,平安時代は,「かがふる」である。という(『日本語源大辞典』)。それなら,「カブル(被)のカとハダ(肌)のハから」は,難がある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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はだ


「はだ」は,

肌,
膚,

と当てる。「肌」(キ)の字は,

「几(キ)は四角い机の姿を描いた象形文字。肌は,『肉+音符几』で,机とは関係ない」

とある(『漢字源』)が,

https://okjiten.jp/kanji1865.html

に,

「形声文字です(月(肉)+几)。『切った肉』の象形と『脚が伸び、しかも安定している机』の象形(『机』の意味だが、ここでは、「緊」に通じ(『緊』と同じ意味を持つようになって)、『ひきしまる』の意味)から、生きた肉体を覆う引き締まった『はだ』を意味する『肌』という漢字が成り立ちました。」

とあり,意味の外延がよくわかる。「膚」(フ)の字は,

「『肉+盧(つぼ)の略体』」・つぼの外側のように肉体を外から覆う皮」

とある(『漢字源』)。「盧」(ロ)の字は,

「『いれもの+皿+音符虎(コ)の略体』で,丸い壺型をした飯器のこと。昔は盧一字で壺盧にあたる音を表し,のちに二字に分けて壺盧と書くようになった。うつろな壺の中がくらい(くろい)ことから,くらい意もあらわす。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji294.html

は,

「会意兼形声文字です。『グルッと一回りする事を意味する擬態語(事物の状態や身ぶりなどの感じをいかにもそれらしく象形文字で表したもの)』と『切った肉』の象形から、肉体を包む『はだ』を意味する『膚』という漢字が成り立ちました。」

と,ちょっと違う解釈をしている。

さて,和語「はだ」だが,「はだ」は,

はだへ,

とも言う。『大言海』は,「はだ」の項を二つ立て,

皮,
肌,

を当てる「はだ」は,

「端の義と云ふ」

とし,

肌,

を当てる「はだ」は,

「はだへの略」

とする。『岩波古語辞典』は,「はだへ」は,

「ハダ(膚)へ(上)が原義か。後世はハダと同じに使われた。」

とする。ただ,『大言海』の後者の「はだ」(「はだへの略」)は,しかし,

膚(はだへ)を以て気象を代表するに云ふ語,風采(ふり),
其の身に應じたる気性の品別に云ふ語,気質,

と,明らかに,「はだ(はだへ)」は,肌そのものではなく,その人自身のメタファとして使っているようである。今日の,

学者肌,

という言い回しにそれが残っている。あるいは,

木肌,

と言うように,物の表面を言う言い回しも含めて,「肌」の我が国だけで使う意味のようである。更に,

地肌,

というのも,大地の表面から,「はだへ」の意味に近い,人の生地のような意味に使われている。

で,「はだへ」とも言われた「はだ」の語源だが,『大言海』の「端」以外,

ハシタ(端絶)の義(名言通),
ハタ(端)の義(和訓栞),
ハタ(樸)の義(玄同放言),
ハテベ(東方)の義(名言通),
カハト(皮所)の義(言元梯),

と,「端」説に靡きそうになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hada.html

は,語源は未詳としつつ,

「体の内から端にあることから『はた(端)』や『はて(果)』からであろう。『皮』も体の表面を覆っているものであるが、肌は表面上見える内側までを指すことが多く、それを覆う薄いものを『皮』と言うことが多い。これは、『肌』が体の内から外に向かって端にあるもので、『皮』が外から見て内を覆うものと考えられたためではないであろうか。『姉御肌』など『気質』や『気性』といった『中身』を表すのに対し、『皮』は『化けの皮』など『剥がれるもの』『覆っているもの』として表現されるのも、内から外に向かって生まれた言葉と、外側から見て生まれた言葉の違いが関係しているように思われる。また、『肌』は『はだへ』とも言い、『へ(え)』は『辺』『方』の意味で、『はだへ』は『端辺(果辺)』『端方(果方)』と考えられるため、はだの語源は『端』や『果』からと考えてよいであろう。」

とする。「はた(端)」は,『岩波古語辞典』には,

「内側に物・水などを入れてたくわえているものの外縁・側面。ハ(端)・ハシ(端・末)と同根」

とあり,『大言海』は,

へたの転,

とする。やはり,

「内側に物・水などを入れてたくわえているものの外縁・側面」

である「はた」が,「はだ」の語源と見ていいようである。『日本語源広辞典』の説明が的確である。

「語源は,『ハダは,本来二音節語』です。ハダ+エ(接尾語)も同源です。傍証として,バダ+アカ(赤・明)が,音韻変化でハダカとなり,同じように,ハダアカシの略のハダ+足が,ハダシとなった」

と。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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はだか


「はだか」は,

裸,

と当てるが,「裸」(ラ)の字は,

「『衣+音符果(カ・ラ 丸い実,中身)』。衣服を脱いで,丸い肩や乳などの,まるまるしたからだのなかみを外へあらわすこと。」

とある(『漢字源』)。異体字に,

躶,
臝,

がある(いずれも「ラ」と訓む)。「果」が入っているのが特徴である。

https://okjiten.jp/kanji1785.html

には,

「会意兼形声文字です(衤(衣)+果)。『衣服のえりもと』の象形(『衣服』の意味)と『木に実のなる』象形(「外の皮をむいた木の実」の意味)から、『はだか』、『はだかにする」を意味する『裸』という漢字が成り立ちました。』

と,意味の形成は,こちらの方がわかりやすい。

『大言海』は,「はだか」を,

「膚明(ハダアカ)の約」とする。『日本語源広辞典』も,

「肌+アカ(明・赤)」

で,

「皮膚が現れて明るい状態」

を意味する,とする。「あか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8B)で触れたように,

「赤(アカ)は,『明』が語源で,暗・黒(クラ・クロ)が,これに対する語」

であり,さらに,「真っ赤な噓」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E7%9C%9F%E3%81%A3%E8%B5%A4%E3%81%AA%E3%81%86%E3%81%9D) で触れたように,「あか」には,

「『明らか』と同源で『全く』『すっかり』などの意味がある」

つまり,「明るい」というニュアンスと,「すっかり」という含意がある。『日本語源大辞典』には,

「アカ(赤)もアカ(明)も語源上はつながりがある。なお古くは名詞の用法が乏しい」

とあり,「はだか」が何かの形状を形容する意味で使われていたものらしい。『岩波古語辞典』には,

「相撲(すまひ)なども,清涼殿にて中宮は御覧ず。はだかなる姿どもの並み立ちたるぞ,うとましける」(栄花根合)

を引き,「新撰字鏡」の,

「躶,波太加奈利(はだかなり)」

を載せる。その意味で,語源は,

ハダアカ(肌赤)の義(和句解・日本釈名・類聚名物考・俚言集覧・名言通・国語学=折口信夫・猫も杓子も=楳垣実),
ハダアカ(膚赤)の義(和訓集説・俗語考・和訓栞・大言海),
古くは形容動詞の用法のみ。ハダに形容動詞語幹を作るカが付いたものか(小学館古語大辞典),
カは,オロカ(愚)・ハルカ(遥)などのカで,オロク・ハルクのように動詞語尾へも転通しうる接尾語(続上代特殊仮名音義=森重敏),

の何れか,ということになるのだろう。

肌赤,

膚赤,

という気がするのだが,『日本語の語源』は,

「着物を脱いで裸になることをハダアケ(肌開け)と言った。その縮約形のハダケがハダカになった。履物を脱いだハダアカシ(裸足)はハダシ(跣)に転音した。」

とある。「開く」という意味の,

はだけ(開),
はだ(開)かる,

とつなげるのは面白いが,

立ち開かる,

と言うように,「はだく」は,開く意味で,脱ぐ意味ではない。少し難がある気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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はだし


「はだし」は,

裸足,
跣,

と当てる。「跣」(セン)の字は,

「先の地の上部は,足先の部分,下の儿印は人体の足の部分,足の指がわかれ出た足先をあらわす。跣は『足+音符先』。先が,広く物の先端をあらわすようになったので,跣の字でその原義を示すようになった。」

とある。「素足」の意味である。「先」の字が,「足+人の形」で,跣の原字,しかし「先」の字の意味が広がったため,さらに「足」偏をつけた形になる。

跣足,

とも書くから,屋上屋の屋,という感じ(漢字)になる。

「はだし」は,

『日本語源広辞典』の説明が的確である。

「語源は,『ハダは,本来二音節語』です。ハダ+エ(接尾語)も同源です。傍証として,バダ+アカ(赤・明)が,音韻変化でハダカとなり,同じように,ハダアカシの略のハダ+足が,ハダシとなった」

『大言海』は,

膚足(はだあし)の約,

とし,

名義抄(平安末期)「徒跿,ハダシ,スアシ」
字鏡(平安後期)「跣,波太志」
易林節用集(慶長)「徒跿,裸足,ハダシ」

を載せる。他方,『日本語の語源』は,

「履物を脱いだハダアカシ(裸足)はハダシ(跣)に転音した。」

とする。

膚(肌)足,
か,
裸足,

とにわかれるらしい。

『日本語源広辞典』は,

「ハダカ+アシ」

とし,

ハダカアシ→ハダアシ→ハダシ,

と音韻脱落により変化した,とする。他方,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ha/hadashi.html

は,

「はだしは漢字で『裸足』と表記するため、『はだかあし(裸足)』の 変化した語と思われがちだが、『はだあし(肌足)』の略である。 現代では足に履物を履か ない『素足』と同様の意味でも用いられるが、本来は素足のまま歩くことに関して用い られた。」

と,「裸足」を否定し,「肌足」説を採る。 

『日本語源大辞典』は,

「平安時代初期から,訓点資料で『跿』『徒跿』『践』『蹤』などの訓として現れるが,『徒跿』は,徒の字義の誤解から,鎌倉時代に『かちはだし』の語が生み出された。語源説を反映する『裸足』(『易林本節用集』など),『膚足』(『文明本節用集』など)といった表記は室町時代以前には見られない。」

とする。で,『日本語源大辞典』は,

ハダアシ(肌足・膚足)の義(俚言集覧・言元梯・松屋筆記・語簏・和訓栞(増補)・日本語原学=林甕臣・大言海・日本語源=賀茂百樹・猫も杓子も=楳垣実),
ハダカアシ(裸足)の約(海録・柳亭記・名言通・和訓栞),
タダアシ(徒足)の義(言元梯),

を挙げる。「裸足」は,漢字が入ってからの解釈ではあるまいか。「裸の足」という言い方をするとは思えない。「肌の足」の言い方の方が自然なのではあるまいか。やはり,ここは,

はだ(のままの)足,

という言い方でいいように思える。しかし,「裸足であること」を意識するのは,履き物を履くことを知ってからのはずで,卑弥呼の時代,

倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣

とある。裸足なのである。だから,裸足が普通なので,そのことを特に意識しない。漢字を知ってから,それを意識したに違いない。ちょうど,中国で,漢字を,

字,

としかよばなかったのに,他国がそれを真似するようになって,

漢字,

と,漢民族の字を意識したようなものだ。とすると, あるいは,

裸の足,

を意識したのかもしれない。とすると,

はだかあし→はだあし→はだし,

というのは捨てがたいのかもしれない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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みなづき


「みなづき」

は,

水無月,

と当てる。異称には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%88

に,

弥涼暮月(いすずくれづき),炎陽(えんよう),風待月(かぜまちづき),建未月(けんびづき),水月(すいげつ),涼暮月(すずくれづき),蝉羽月(せみのはつき),田無月(たなしづき),旦月(たんげつ),常夏月(とこなつづき),鳴神月(なるかみづき),晩月(ばんげつ),伏月(ふくげつ),松風月(まつかぜづき),陽氷(ようひょう),

等々,丁度新暦の七月の感覚がよくわかる異称である。

さて,「みなづき」の語源であるが,『日本語の語源』の言うように,

ミヅノツキ(水の月)→ミノツキ→ミナヅキ(水無月),

と転じたと,されることが多い。『岩波古語辞典も,

「ミは水,ナは連体助詞,多に水を湛える月の意か」

とする。『日本語源広辞典』も,「水+の+月」で,

「農民にとって,耕地に水の最も欲しい,水が重要な月の意です。水無月は当て字です。」

としている。睦月(むつき)以来,旧暦の語源は,ほぼ農事と関わってきた。そのことは,一月から五月まで,

睦月(陰暦一月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D
如月(陰暦二月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%8E
弥生(陰暦三月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%84%E3%82%88%E3%81%84
卯月(陰暦四月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%86%E3%81%A5%E3%81%8D
皐月(陰暦五月 http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D

で触れた通り,一貫している。六月もまた同様,農事と関わるとみてよい。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/mi/minazuki.html

も,

「水の無い月と書くが、水が無いわけではない。水無月の『無』は、神無月の『な』と同じく『の』にあたる連体助詞『な』で、『水の月』という意味である。 陰暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。旧暦の六月は梅雨が明けた時期になるため、新暦に当てはめて解釈するのは間違いで、水無月は『水の無い月』とするものもある。 しかし、『水の月』説は新暦以前から伝えられており、新暦に合わせたものではない。また,『水の無い月』の説は梅雨を基準にされているが、梅雨の時期である旧暦五月『皐月』が梅雨に関係していないため不自然で考え難い。」

と,「水の月」説を採る。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E6%B0%B4%E7%84%A1%E6%9C%88

も,

「水無月の由来には諸説ある。文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いが、逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月『水張月(みづはりづき)』『水月(みなづき)』であるとする説も有力である。」

としている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%88

も,

「水無月の由来には諸説あるが、水無月の『無』は『の』という意味の連体助詞『な』であり『水の月』であるとする説が有力である。神無月の『無』が『の』であり、『神の月』であるということと同じである。田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月『水張月(みづはりづき)』『水月(みなづき)』であるとする説もある。」

と,同様である。

『大言海』は,

「田水之月(たみのつき)の轉。田に水を湛ふる月の意と」

とし,「むつき」との関連を強調している。「むつき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%80%E3%81%A4%E3%81%8D) で触れたように,『大言海』は,「むつき」の項で,

「實月(むつき)の義。稲の實を,始めて水に浸す月なりと云ふ。十二箇月の名は,すべて稲禾生熟の次第を遂ひて,名づけしなり。一説に,相睦(あひむつ)び月の意と云ふは,いかが」

とし, 

「三國志,魏志,東夷,倭人傳,注『魏略曰,其俗不知正歳四時,但記春耕秋収為年紀』

を引いて,多数派の「相睦(あひむつ)び月の意」に疑問を呈して,「實月」説を採っていた。『大言海』は,一貫して農事とのつながりを主張している。「ことば」の言い回しはともかく,趣旨は「水の月」説である。

それでも,異説はあり,例えば,『日本語源大辞典』には,

暑さで水が涸れるところからミズナシヅキ(水無月)の義(奥義抄・和歌色葉・和邇雅・日本釈名・日本語源=賀茂百樹)・滑稽雑誌・東雅・ことばの事典=日置昌一),
ミズナヤミヅキ(水悩月)の義(日本語原学=林甕臣),
農事を皆し尽きる月の義(奥義抄・和歌色葉・日本釈名・古今要覧稿・ことばの事典=日置昌一),
カミナリヅキ(雷月・神鳴月)の略(語彙考・類聚名物考・黄昏随筆・百草露・菊池俗語考・和訓栞),
真夏月の義か。ミとマと通ず(類聚名物考),
巳の月の義(南留別志),
コエミナツキ(声皆月)の義。郭公の鳴きやむ意(名語記),
ミナツヅキ(看懐月)の義(嚶々筆語),

等々。その他,

田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」

というのもある。何やら苦心の程にパッとしない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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ふづき


「ふづき」は,

文月,

と当てる。

ふみづき,
ふつき,
ふんづき,

とも言う。陰暦七月を指す。「七」は「なな」とも呼称するが、歴史的には「しち」の方が古い,という。他に,

女郎花月(おみなえしづき・をみなえしづき),建申月(けんしんげつ),親月(しんげつ),七夕月(たなばたづき),桐月(とうげつ),七夜月(ななよづき),はつあき(初秋),文披月(ふみひろげづき),愛逢月(めであいづき),蘭月(らんげつ),涼月(りょうげつ),相月(そうげつ),申の月(さるのつき),親月(おやづき),

等々とも言うらしい。陰暦七月からは,秋なのである。


https://ja.wikipedia.org/wiki/7%E6%9C%88

によると,

「文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから『含み月』『穂含み月』の意であるとする説もある。また、『秋初月(あきはづき)』、『七夜月(ななよづき)』の別名もある。」

とある。「ふづき(ふみづき)」は,古くからあったはずで,それに音と意味が重なる「文月」の文字を当てたのはないか,と思う。となると,「みなづき」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%A5%E3%81%8D) でも触れたように,一貫して,「むつき(一月)」以来一貫して,農事に関わってきた名づけである以上,「ふ(み)づき」もまた,そうだと考えるのが妥当であろう。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hu/fumizuki.html

は,

「短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の 行事に因み、『文披月(ふみひらきづき)』が転じたとする説が有力とされる。その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、『穂含月(ほふみづき)』『含月(ふくみづき)』からの転とする説。 稲穂の膨らみを見る月であるため、『穂見月(ほみづき)』からの転と する説もある。」

は,「文月」という文字と一緒に「七夕」が入って以降の後解釈でしかない。その前から,我々の祖先は,月々を名づけていたということが,念頭に浮かばないのであろうか。

『大言海』は,

「稲の穂の含月(ふふみづき)の義。一説に,七月七日,牽牛,織姫の二星に,詩歌の文を供へて祭るより起こる名と云ふ」

とする。その上で,

八雲語抄「七月,ふみづき,本は,フム月なり」
語意考「七月を布美月と云ふは,保布布美(ほふふみ)の上下を略きて云ふ也。稲は七月に穂を含めり云々」
下學集「文月,此月,七夕,諸人以詩歌之文献於二星,或晒書篇以供星,故云文月也」
古今要覧稿「フミヅキの名は,フクミ月の義にとるかたしかるべし,此月,稲穂を含めり,八月穂を張り,九月かりとるなり」

等々を引く。「七夕」の風習が中国より入る前から「ふみづき」という呼び名があったとすると,「含む」月というのは,至極自然に見える。

『日本語源広辞典』は,

「「フフミ(含み)+月」

とし,

「稲の穂の膨らむ月です。フフミは,平安中期まで存在した語です。文月は当て字です。七夕伝説が中国から伝来し,星に詩歌(ふみ)を祭るところからの貴族の趣味による用字とおもわれます。」

とする。「ふふ(含)む」は,『岩波古語辞典』によると,

ふくむ,

意で,

花や葉がまだ開き切らない,

状態を指す。『日本語源大辞典』に,その語源を,

物を口内にふくむ形声から(国語溯原=大矢徹)。
ホホエミ(頬笑)の義(言元梯),

とある。なるほど,咲(わら)いが開花する前の蕾を「ほほえみ」とはよく言った,という感じである。

『日本語の語源』は,

(籾が実を)フフミヅキ→フミヅキ(文月)→ふづき(文月),

と端的である。それでも,

七夕に詩歌のフミ(文)を供えるところから(壒嚢鈔),
フミヒロゲ月の義(名語記),
七月に書物の虫干しをするところから(和邇雅),
七夕に書物を供える意からフミヒラキヅキの誤り(奥義抄),
秋風の立つ月の意でフミ(風微)月の義(和語私臆鈔)
墓参の習慣のある月という意からフヅキ(親月)の義(壒嚢鈔),

等々の説はあるが,ふふむ(含む)だけではないが,稲穂に絡むとする説が大勢である。

稲の穂のフフミヅキ(含月)の義(語意考・類聚名物考・古事記伝・黄昏随筆・兎園小説外集・百草露・菊池俗語考・日本語原学=林甕臣・大言海),
ホミヅキ(穂見月)の義(古今要覧稿・嚶々筆語・和訓栞),

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ナス


「ナス」は,

茄子,

と当てるが,『広辞苑』には,

「なすび」とも,

とある。しかし,『大言海』は,「なす」は,

茄,

と当て,

「なすび(茄子)の略」

とある。

倭名抄「茄子,奈須比」
本草和名「茄子,奈須比」

を見ると,「ナスビ」が元なのかもしれない。『たべもの語源辞典』は,

「茄もナスと読む。古くはナスビ,近くはナスと呼ばれる。茄子・七斑・紫瓜・落酥・草鼈甲,いずれもナスのことである。」

とある。『日本語源大辞典』には,

「古くはナスビといったが,その語末のビは,アケビ(木通),キビ(黍)などの植物名に通じるものか。後に,『御湯殿上日記』などにみられる女房詞の『ナス』が全国的に広まり,近代以降はナスが主流となる。ただ現在でも西日本ではナスビ,東日本ではナスの形を用いる傾向がみられる。」

とあり,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9

に,

「元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。」

とある。

「茄」(漢音カ,呉音ケ)の字は,

「艸+音符加(上にのせる)」

とある。で,

はちす,上に花の座をのせるはちすのくき,
なす,

の意がある。

これだと分かりにくいが,

https://okjiten.jp/kanji2229.html

には,

「『力強い腕の象形と口の象形』(『力と祝詞(のりと)で、ある作用を加える』の意味)から、草に力が加わってできる『なす、なすび』、『はすのくき』、『はす』を意味する「茄」という漢字が成り立ちました。」

とある。

「インド原産といわれ,…中国から八世紀ころ日本に渡った。正倉院の古文書に出ている。」(『たべもの語源辞典』)

というが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9

には,

「平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には『天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文』をはじめとして多数の『茄子』の記述がみられる。これらのことから、日本では奈良時代すでにナスの栽培が行われていたことがわかる。」

とあるので,既に租庸調として納めていたことから見ると,栽培していたというのが正しいようだ。

『大言海』は,

「中酸(ナカス)實の約略かと云ふ」

とする。

http://gogen-allguide.com/na/nasu.html

も,

「実の味から『中酸実』(なかすみ)が語源とされる。」

とするが,『日本語源広辞典』は,三説載る。

説1,「ナス(夏)+実」。夏の実,
説2,「生ス・成ス+実」。よく成る実,
説3,梨と茄子は同源,

「夏に採れる野菜『なつのみ』から『なす』に転訛した」というのが有力らしい。『たべもの語源辞典』も,

「夏とれる野菜,ナツミ(夏の実)からナスミとなり,ナスビとなった」

とするし,『日本語の語源』も,

「夏の野菜・果物をナツミ(夏実)といったのがナスミ・ナスビ(関西)・ナス(茄子)・ナシ(梨)になった。」

とする。区別せず,「夏の実」と言ったのが,「茄子」と「梨」に分化した,というのは,文脈依存の和語らしく,僕には説得力がある,と思える。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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フーテン


「フーテン」というと,映画『男はつらいよ』シリーズの,

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天 で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」

寅さんということになるのだろうが,僕にとっては,永島慎二の

「フーテン」

である。

「フーテン」は,もともと,

瘋癲,

と当てる。谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』の「瘋癲」である。『大言海』は,

風癲,

とも当てている。

「韻會學要『風,狂疾也』韻會『癲,囘顚,狂也』」

を引くので,

狂気,

を意味する。「風」事態に,「瘋」の意味がある。

『広辞苑』には,

精神状態が正常でないこと,またそういう人,癲狂,
定まった仕事を持たず,ブラブラしている人,

と意味が載る。今日の「フーテン」は,後者の意味である。「風」(呉音フウ・フ,漢音ホウ)の字は,

「大鳥の姿,鳳の字は大鳥が羽ばたいて揺れ動くさまを示す。鳳(おおとり)と風の原字はまったく同じ。中国ではおおとりを風の使い(風師)と考えた。風はのち『虫(動物の代表)+音符凡(ハン・ボン)』。凡は広く張った帆の象形。はためきゆれる帆のように揺れ動いて,動物に刺激を与えるかぜをあらわす。」

とある。「瘋」は,風に疒(やまいだれ)をつけた字。「狂気」の意味である。「癲」は,「疒+音符顚(テン 仆れるさかさになる)」である。「顚」の字は,「頂」の意味であり,「顛倒(転倒)」の「顚」でもある「顚」(テン)の字は,

「眞(真)は『匕(さじ)+鼎』の会意文字。鼎(かなえ)の中にさじで物を満たすことを表す。また,のち『人+首の逆形』の会意文字となり,人が首を逆さにして,頭の頂を地につけ,倒れることを示す。顛は『頁(あたま)+音符眞(さかさにしてみたす,たおれる)』で,真の本来の意味を表す」

とある。

さて,「フーテン」であるが,辞書には,『広辞苑』以上には載らないが,『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%B5/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/

には,

「フーテンとは、定まった仕事や住所を持たない人のこと。もとは『瘋癲(ふうてん)』で、精神の均衡を失っていること、またはそういう人をいうが、『風来坊(ふうらいぼう)』や『プータロー(風太郎)』などの連想からか、1960年台に新宿に集ったヒッピー風の若者たちを『フーテン族』と呼ぶようになった。この『フーテン』には、『頭のイカれたヤツ』という本来の意味あいが十分に含まれていたように思われる。しかし、1968年にテレビドラマとしてスタートし、その後国民的映画シリーズとなった『男はつらいよ』の主人公車寅次郎の愛称『フーテンの寅さん』の登場で、『イカれたヤツ』のイメージは薄れ、旅から旅への自由気ままな暮らしを送っている心持ちの優しい『フーテン』のイメージが定着した。精神の均衡を失っているという意味の「瘋癲」は、マゾなじいさんの性欲を描いた谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』などに、そのおもかげをとどめるのみである。」

と説く。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/28hu/huuten.htm

も,

「フーテンとはもともと瘋癲と書き、精神状態が異常なこと及び、そういった人をさした。ここから1967年の夏、新宿東口に集まる長髪にラッパズボン、(妙なデザインの)サングラスといった格好をし、定職にも就かず、ブラブラしている無気力な若者集団をフーテン族と呼ぶようになる。瘋癲がカタカナ表記されたフーテンはこうしてアメリカのヒッピーに近いイメージで使われた。」

と同趣のことを書く。しかし,「フーテンの寅さん」を演じた渥美清は,かつて闇市で働いていた時,自分を「フーテン」と呼んでいたと語っていたことがある。この「フーテンの寅さん」の命名自体に関わっていたかもしれない渥美清の発言を信ずるなら,「フーテン」は,もっと古く,アウトローの世界の俗語として使われていた可能性がある。それが,1960年代に一般化したのではあるまいか。

因みに,プータローは,

http://homepage-nifty.com/osiete/s528.htm

によると,

「『風来坊』だそうです。意味は『失業者』『定職を持たずフラフラと暮らしている人』『アルバイト生活者』など。」

とか。

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垢ぬける


「垢ぬける」は,

(垢が抜けてさっぱりとしている意から)気がきいている,素人くさくない,洒脱である,

と,意味が転じる。要は,

洗練されること,

を意味する。『江戸語大辞典』を見ると,

垢が抜ける,

で,

垢がとれて清潔になる意,転じて,容貌・技芸などが,洗練される俗っぽいところがなくなる,,洒脱になる,

とある。どうやら,清潔になる,という状態表現に,綺麗になるという価値表現へ転じ,さらにそれをメタファに,

洗練される,
とか,
素人さがなくなる,

といった意味に広がったものと見える。『日本語源大辞典』には,

「技芸の拙劣未熟な状態を『垢』にたとえる記述は『風姿花伝』に見える。のち,芸能以外にも,容姿,態度,趣味などの洗練された状態を『垢の抜けた』という句で表現したことが,既に『日葡辞典』に載せられている。『垢ぬけ』という一語の表現は近世になってからである。」

とあり,室町末期以前に遡ることがわかる。

その「あか」に,

垢,

を当てたが,「垢」(漢音コウ,呉音ク)の字は,

「后(コウ)は『人のしりを開いた姿+口(あな)』の会意文字で,人体の後ろ,低いところにあってよごれた肛門を示す。垢は『土+音符后』で土砂が低いところにたまってよごれたものの后こと。厚(土が低くたまる→分厚い)と縁が近い。」

で,「あか」だけではなく「土埃や塵のたまったもの」を意味し,そのメタファで,「けがれ」「はじ」といった意味もある。

『大言海』は,

「和訓栞,アカ『垢を訓むは,汗氣(あせか)の義なるべし』。又或は明(あか)の義,穢を忌みて反対に云ひし語ならむか,鯔(いな)を名吉,梨(なし)をアリノミと云ふ類」

と,確信なげである。『日本語源広辞典』は, 

説1は,「梵語アカ(煩悩・けがれ・よごれ)」説,
説2は,「ア(浮)+カ(汚水)」説,

と,二説挙げるが,どうもこじつけに見える。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/aka_yogore.html

は,

「語源は諸説あり未詳で あるが、『アセカ(汗気)』の意味、『アカ(悪所)』の意味、『アクタ(芥)』の略などの説が 妥当であろう。『水垢』や『湯垢』など、水中の含有物が付着したものをいう『垢』の語源 には、仏に供える水やその容器を意味する『閼伽(あか)』と関連付けた説がある。しかし、『水垢』や『湯垢』は、皮膚の垢から派生した語であることや、汚れと仏の水には接点がないため考え難い。」

と,『大言海』の「アセカ(汗気)」を採る。

『日本語源大辞典』には,「汗氣(あせか)」説以外に,

アは接頭語,カはケ(藝)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
アカキ(赤)の転,
ケガレ(汚)の反語アカ(清)(古語類韻=堀秀成・日本語源=賀茂百樹),
アカ(悪所)の義(言元梯),
アクタ(芥)の約か(万葉考),

等々載せる。少なくとも,「赤」はない。色としての赤ではなく,明るいの「アカ」しか和語は持たなかったのだから,「垢」に明るいはない。

こうみてみると,「アセカ(汗気)」説に与したくなるが,気になるのは,

垢,

を「ふけ」とも訓んでいたことだ。普通は,

頭垢,

と当てるのだが。「ふけ」は別途触れるとして,「垢」にかかわる説話がある。

垢太郎(あかたろう),

という。

こんび(垢)太郎,
力太郎(ちからたろう)

とも言うらしいが,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E5%A4%AA%E9%83%8E

によると,長い間入浴していなかった翁と老婆の垢をかき集め、それを粘土のように固めて人形を作るとそれが超人的能力を持つ人間となる,という物語である。そして,

「老夫婦に百貫目…の金棒を買ってもらい、旅の途中に御堂コ太郎と石コ太郎と出会い、…家来にしながら最終的に長者の娘を生贄につれていこうとした鬼(ただの化け物とする説もあり)を退治するというものである。」

という。

「垢から生まれたこんび太郎、婆のすねから生まれた脛こたんぱこ、竈から生まれた火太郎などさまざまな名を有しているがそれらは一様に力持ちであり、道中家来になるものたちも御堂こ太郎、石こ太郎、岩こ太郎など大力を表す名が多い。」

という。この話の分布はそのほとんどが東北地方に限られており,グリム童話集の「六人組世界歩き」「六人の家来」と同型であり世界的には広く分布する類型,という。これ自体面白いが,

http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/momo/00_2.html

に譲る。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ふけ


「ふけ」は,『広辞苑』によると,

雲脂,
頭垢,

と当てるらしいが,「垢」だけで,「ふけ」とルビを振っているのもあって,どうせ当て字ではあるが,和語らしい。

「垢」(漢音コウ,呉音ク)の字は,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459242476.html?1525719864

で触れたように,

「后(コウ)は『人のしりを開いた姿+口(あな)』の会意文字で,人体の後ろ,低いところにあってよごれた肛門を示す。垢は『土+音符后』で土砂が低いところにたまってよごれたものの后こと。厚(土が低くたまる→分厚い)と縁が近い。」

で「あか」だけではなく「土埃や塵のたまったもの」を意味し,そのメタファで,「けがれ」「はじ」といった意味もある。ついでながら,「脂」(シ)の字は,

「旨は『人+口(または甘)』の会意文字で,人の口にうまい,こってりした味のこと。脂は『肉+音符旨』で,こってりときめ細かい充実したあぶら肉のこと。」

で,ついでながら,「肪」(漢音ボウ,呉音ホウ)は,

「『肉+音符方(張り出る)』で,からだが肥えてパンパンに張ること」

とある。「脂」と「肪」の違いは,中身と見かけ,ということらしい。

さて,『大言海』は,

雲脂,

と当て,

陳化(フケ)の義か,

とする。少し語意をこじつけた気味がある。なお,

「箋注和名抄…『雲脂,頭垢謂之雲脂,加之良之阿加,一云,以路古』注箋『今俗呼不計』」
「書言字考節用集『雲脂,頭垢,フケ』

を引いている。

『日本語源大辞典』は,「陳化」説以外に,

フケ(浮垢)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
フルアカムケ(古垢剥)の義(日本語原学=林甕臣),
フコ(鮒甲)の義(言元梯),
コケ(苔)の転(少年と国語=柳田國男),

を載せる。『日本語源広辞典』は,

「フは浮の音,ケは垢」

とし,

「頭の皮膚に浮いてくるコケを,植物のコケと区別してフケという」

とするが,解釈的だが,「垢」と同じと見ているところは,まだましに思える。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/hu/fuke.html

は,

「『ふけ(陳化)』や『ふるあかむけ(古垢剥)』の意味、『ふけ(浮垢)』の意味や『こけ(苔)』の 転など諸説ある。 垢に似たもので剥がれて浮き上がってくることから、この中では『浮垢』の意味が有力と思われる。ただし、『垢』は『あ』の音が強いため、ふけの『け』は『垢剥』の意味で『古垢剥』か『浮垢剥』が良いかもしれない。また、体から出るものではないが、印象的に『苔』も近いものがあり、『浮苔』で『ふけ』になったとも考えられる。漢字の『雲 脂』は白く雲のようであるところからの当て字で、『頭垢』は意味からの当字である。」

と,「ふけ(浮垢)」説に肩入れする。「ふけ」という言葉があったものに,字を当てて解釈しているような気がしてならない。ただ,

垢,

に「ふけ」と訓ませたところが気になる。「頭垢」と言っているのは,理屈であって,頭であれ,体であれ,同じ,

垢,

と見たということだ。しかし,「ふけ」と名づけた由来は,見えてこない。強いて言うと,

浮垢(フコウ)→フケ,

だろうか。

ところで,「フケ」という言葉には,競馬好きの人にはよく御存じの,

雌馬の発情,

の意味もある。

http://www.equinst.go.jp/JP/arakaruto/yuusyun/yu200804.pdf

によると,この語源は,東北地方の方言で,「ふける」が,

鳥が交尾期にさえずる,
鳥獣が発情する,

意味で使われ,これが馬産地経由で,厩舎用語となった,とある。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ふける


「ふける」というと,自動詞なら,

逃げる,

という意味だが,他動詞だと,

みせびらかす,

という意味らしく,古く日葡辞典に,

「チャワン(茶碗)をフケル」

と載る。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/28hu/hukeru.htm

は,「ふける」について,

「ふけるとは逃げる、行方をくらます、駆け落ちするといった意味で江戸時代から使われた言葉である。逃げる、行方をくらますという意味では主に盗人の間で使われたが、1970年代末から1980年代のツッパリブーム時になると、その派生として授業を途中抜けしてサボるという意味で不良を中心に若者の間で普及。この場合、フケるという表記が好んで用いられた。」

とある。『江戸語大辞典』をみると,「ふける」には,「逃げる」意の他に,

逸れる,
退屈する,
漁師用語。舟が出せる,漁に出られる,

等々が載る。どうも由来がわからないが,「ふける」という言葉は,

更(深)ける
耽る,
蒸ける,

と当て分けて,意味を使い分けている。「更ける」「深ける」は,

夜中に近くなる,
季節が深まる,
齢が長ける,歳をとる,

意であり,「老ける」は,

年を取る,意である。「老ける」は,「更ける」「深ける」から意味が分化したということがわかる。「蒸ける」

蒸されて熱が通り,柔らかくなる,

意であり,「耽ける」は,

心を注ぐ,没頭する,
心を奪われ,自制心をなくす,おぼれる,
囀る,特に鶉(うずら)が鳴く,

という意である(以上『広辞苑』)。面白いことに,この「ふける」には,東北地方の方言で,

鳥が交尾期にさえずる

という意もある(この「ふける」が厩舎用語の「フケ」とつながる)。「耽る」の字を当てると,何だか意味深である。『大辞林』は,「耽る」を当てた「ふける」の意味に,

逃げる,姿をくらます,

の意を載せている。結局「ふける」は,『大言海』が,「耽る」で,

「深(ふ)け入るの義」

に,絞られていくように見える。古語で言うと,「ふく」になるが,「ふく」を,『大言海』は,

深く,
化く,

を当て分けているが,「深く」は,

「深(ふか)の活用」

とし,

深くなる,たけなわになる,
専ら,夜に言う,
専ら,齢に言う,

とし,「化く」は,「深く」の語意と同じ,としながら,

蒸れ古びて形を変ふ,陳化,
空気に晒されて解けて粉となる,風化,

の意を載せる。「深(ふか)」は,他の語について,

深情け,
深緑,
深入り,
深手,
深酒,
深間,
深読み,

等々,単なる深浅の意味から,それをメタファに深みにはまる意味まで広い。その「深」の活用とするなら,

更(深)ける
耽る,
蒸ける,

のすべては,「深」から来ているとみていい。逃げる意の「ふける」も「化く」つまり,「化ける」と当ててみると,その含意が深まる。

http://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_63.html

が,「更ける」「老ける」「耽る」「蒸ける」を,

「これらの語のもとは『深ける』です。この場合の『深ける』 は〈時間的に深くなる〉,つまり〈時間が進行する〉というような意味です。」

としているのは妥当だろう。

「更ける」は,

フカ(深)から,

「耽る」は,

フカ(深)入り,

と考えると,「蒸ける」も,時間を掛ける意に繋がっていく。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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勝手


「勝手」というのは,「使い勝手」「勝手が悪い」というような,

便利,
都合の良い,

という意味もあれば,「自分勝手」「勝手な奴」と言うように,

わがまま,

という意味がある。この意味の幅は,単に便利さという状態表現の振幅が,それに是非を入れた価値表現に転じたという意味で,ある程度了解できる。さらに,「勝手が違う」「勝手がわからない」というような,

模様,具合,事情,

という意味もある。更に「お勝手」というような,

台所,

の意味と,「勝手向き」というような,

家計,

という意味になると,ちょっと語源が違う感じである。

さらに,「引手」の意味で,

勝手,

とも使う。つまり,「弓を射るとき,弦を引っ張る方の手」で,つまり右手の意味である。この意味は,「便利」「都合」の意味の外縁とつながらなくもない気がする。

「勝手」は,

便利,都合, 

といった意味の流れと,

事情,模様,

という意味と,

台所,家計,

の意味の流れがあり,恐らく,同じ「勝手」を当ててはいるが,由来を異にすると想定できる。

『岩波古語辞典』は,一項目でしか載せないが,『大言海』は,二項に分けて載せる。一つは,台所の意だが,この「勝手」は,

「粮所(かってどころ)などの略,竈の名に移り,更に厨(くりや)に移れる語。字類抄『竈,カマ,カマド,カッテ』」

とある。「粮所(かってどころ)」の「かって(粮)」は,

「乾飯代(カレヒテ)の約なる,糧(かりて)の音便(更に略して粮(かて))」

とある。『岩波古語辞典』にも,「かて(糧)」の項で,

カリテの略,

とある。本来,「かて」と訓んでいる「糧・粮」は,

かりて,

と呼んでいたものらしい。つまり,食糧を指す。その意味で,この「勝手」の系譜は,家計や生活の意味をもつようになるのは当然である。

『大言海』は,しかしもうひとつの「勝手」については,由来を何も触れていない。

『日本語源広辞典』は,「勝手」を一つの語源で解釈しようとして,三説を立てている。

説1は,「弓を引く手」が語源。右手のことです。そのことから,勝手(都合・便利)がよいことを表します。さらに,暮らし向き,生活の意から,台所の意へ転じた,
説2は,「カテ(食糧)+所」が語源。台所を指す,
説3は,「カテ(釜・竈)+所」が語源。

説1は,『日本語源大辞典』でも,

弓を引く手を「勝手」といい,右手が都合がよいことから,都合がよい,気ままの意になり,内情をよく知っていて都合がよいということから,暮らし向き,様子となり,また生計の意から台所の意に変った(小学館古語大辞典),

を載せるが,引手が都合がいいというのは如何であろうか。矢を番え,弓をもって標的に向ける弓手(左手)の方が主で,弦を引っ張る引手は,それに合わせるという意味で従,ではあるまいか。さらに, 

生計→台所,

という抽象→具体という意味の変化は如何であろうか。

台所→家計,

という意味の変化の方が自然ではあるまいか。字類抄「竈,カマ,カマド,カッテ」と言っており,『大言海』の言う通り,

かりて(粮)→かって(粮)

の変化と見れば,「かって」というのが,食糧を指していたことを考えれば,説2説3は,ほぼ同じことを言っているにすぎない。「弓手」を「勝手」といったのは,すでに人口に膾炙する「勝手」の意味があって名づけたと見る方がいい。つまり,「弓手」は「勝手」の語源ではないように思う。

「勝手」の語源は,意味毎に系列を異にするのだと思う。その点で,「『日本語の語源』は,説得力がある。

「『勝手な振舞』『勝手がわからぬ』『お勝手(台所)』は明らかに語源・語義を異にする同音異義語である」

とした上で,三者の語源をこう説く。まず,「きまま」「わがまま」の意の「勝手」については,

「他人のことはかまわず,自分の都合のよいことだけをおこなう自己本位の行動をワガミカタヨリ(我身片寄り)といった。下部を省略したワガミカタは,タの母交(母韻交替)[ae]でワガミカテになり,促音を添加してワガミカッテ(我身勝手)になった。
 その省略形として,ワガカッテ(我が勝手)・ミガッテ(身勝手)に両分された。〈ひとといふものはワガカッテによい事はしたがるものでござる〉(狂・布施無縁)。〈郡役を勤める身でミガッテなことを申すも如何〉(菅原伝授手習鑑)。
ミガッテ(身勝手)は語尾を落とすとともに促音を直音に変えてミガツ・ミガチ(身勝ち)に転音した。〈そなたがミガチな,そちへばかり水を取るものか〉(狂・水掛聟)。〈時景もとよりミガチ者〉(天鼓・近松)。〈ミガチに見えて見苦しく〉(浮・新可笑記)。
『身』を落としたカッテ(勝手)は形容動詞化して『勝手な振舞』『勝手に決める』といい,『わがまま。きまま。心のままに振舞うさま』をいう。
ひどくほがままなことをイトカッテ(甚勝手)といったのが,母交(母韻交替)をとげてエテカッテ(得手勝手)になった。
さらに,『都合のよいこと。有利なこと』の意味を派生した。〈私はそなたの広い屋敷より,こなたの狭い屋敷が勝手でござる〉(狂・武悪)。
カタヨリ(片寄り。偏り)のカタ(片)の部分がカテ・カッテ(勝手)に変化したわけである。」

とし,「勝手がわからない」の「模様」「事情」の意の「勝手」については,

「『ものの形状。姿。かたち。模様』の意のカタ(形・象)もカテ・カッテ(勝手)になり,『様子。もよう。ぐあい』の意の名詞になった。〈只今これへ参ったことでござれば,諸事カッテも存ぜず〉(狂・賽目)。〈されども,カッテあしく,所にて商売なりがたく〉(織留・西鶴)。」

とし,「台所」の意の「勝手」は,

「旅の食糧をいうカリテ(糧)はカテ(糧・食糧)になった。食糧を貯蔵し炊事する台所をカテドコロ(糧所)といったのがカッテドコロ(勝手所)・カッテ(勝手)になった。
 台所が生活の中心であるところから,勝手は『生計・家計・暮らしむき』の意になった。」

この説の是非はともかく,意味の違いを一緒くたにしたのでは,語源は縺れるだけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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買って出る


「買って出る」は,「買う」の意味の中にある,

進んで身に引き受ける,

の意味であるが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kattederu.html

によると,

「買って出るは、単に『買う』でも自ら進んで引き受ける意味があるので、特に語源が無いように思える言葉だが、花札から出た言葉である。花札は三人で勝負するため、参加者が四人以上いる場合は、親から数えて四人目以降の下座の者は外される。どうしても下座の者が勝負に参加したい場合は、代償として上座の者から役札を買い上げること から、自ら進んで引き受けることを『買って出る』と言うようになった。」

とある。これは,『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E8%B2%B7%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%87%BA%E3%82%8B

にも,

「もとは花札で、定員三人に対して、参加者がそれ以上いた場合、四人目以降の下座の人は外れることになるが、どうしてもやりたければ上座の人から役札を買い上げて参加できることから、たとえていうようになったもの」

とあるので,出自は賭博用語らしい。

「かう」というのは,

買,

と当てるが,『広辞苑』には,

「『替ふ』と同源」

とある。そして,その「替ふ」は,

替,
換,
代,
変,

と当て替える。一応,

替,換,代,

は,事物を互いに入れ違わせる意であり,

変,

は,事物の状態・質をそれまでと異なったものにする意となる(『広辞苑』)。『大言海』を見ると,前者には,

易,

の字も当てる。さらに,

渫,

の字を当てた「かふ」は,

「易の義」

で,さらう(浚う)意である。どうやら,「変」以外のすべては,

交,

に行きつくようである。『岩波古語辞典』は,「かふ」は,

交,替,買,

の字を当て,

「甲乙二つの別のものが互いに入れ違う」

とする。当然語源は,

交ふ,

となる。『日本語源広辞典』は,

「物々交換時代には,交・替・換・代,共通で一語の意味でした。古代には交換することをカフといっていました。後に,代金という概念が出てきて,購入するにもカフを用い,『買う』という字を使うようになったものです。」

とある。漢字は,

変は,移り変わる意,
易は,一物体の変ずるにも他物の振り替わるにも用いる,
替は,彼と此れとなり代わる,
代は,同じようになるものがなり代わる,
換は,彼と此れを交換する,
買は,かひてあきなひする,

の使い分けがあるが,われわれは,漢字の意味の陰翳を承けて,使い分けをしているようである。。

「買」(漢音バイ,呉音メ)の字は,

「网(あみ)+貝(貨幣)」

であり,初めから売買をイメージしている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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カラス


「カラス」は,

烏,
鴉,

と当てる。他に,

鵶,
雅,

とも当てる。

「烏」(ウ)の字は,

「からすをえがいたもの。アと鳴く声をまねた擬声語」

である。「鴉」(漢音ア,呉音エ)の字は,「みやまがらす」「はしぶとがらす」(『字源』)「こくるまがらす」『漢字源』と,特定種の名が上がる。

「『鳥+音符牙』アアと鳴く声をまねた擬声語」

とあり,「鵶(ア)」の字も,「亞+鳥」なので,同じと考えてよい。『漢字源』には,

「烏(ウ)も古くはアと発音した。烏・鴉は全て鳴声をあらわす擬声語」」

とあるが,「雅」(漢音ガ,呉音ゲ)の字も,「カラス」の意味があるが,「アア」と鳴くかららしい。「雅」の字は,

「牙(ガ)は,交互にかみ合うさまで,交差してすれあう意を含む。雅は『隹(とり)+音符雅』で,もと,ガアガア・アアと鳴くカラスのこと。ただし,おもに牙の派生義である『かみあってかどがとれる』の意に用いられ,転じてもまれてならされる意味となる。」

とある。

「カラス」は,古来八咫烏や熊野権現の牛王の神符に図案化されるなど,神的,霊的存在と見られてきたようだが,『日本語源大辞典』には,

「『萬葉集東歌』で『おほをそどり(をそ=軽率の意,おおあわてもののとり)』と呼ばれたり,『枕草子』に『にくきもの』として挙げられたりする」

ということを指摘している。

当然和語も擬声語が想定されるが,必ずしもそうではなく,擬声語と羽色(黒色)の二説に大別されるようである。まずは,「鳴き声由来」説は,

その鳴き声から(雅語音声考・擁書漫筆・箋注和名抄・名言通・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴),
鳴声のカラにスを付したもの(円珠庵雑記・甲子夜話・大言海),
コクロと表現される鳴声から(能改斎漫録・松屋筆記),
カラスノカラと鳴声のコロクのコロとが形の上で関係のあるものとみることもできるが,鳴き声の擬声語化したカラに接尾語スが付いたものか(時代別国語大辞典=上代編)。

その他『日本語源広辞典』も,

「擬声語kara,kura+接尾語」

とし,接尾語「ス」は,

「カケス,キギス,ウグイス」

等々鳥の名を表す,とする。『大言海』は,鳴き声は,「カ」で,

「ラは添えたる語」

とし,『枕草子』の,

「鴉のいと近く,カラと鳴くに」

を引く。「ス」は,『日本語源広辞典』と同じく,鳥に添える語とし,

「禽蟲の名の下に添ふる語(萩(はぎ),荻(おぎ),薄(すすき)の,キの如し)」

として,

「『うぐいス』『ほととぎス』『きぎス』『からス』『きりぎりス』『ぎズ』『もズ』『みみズ』。又『めス』『をス』『かけス』も此の類なるべし。」

と付説する。また「ら」についても,

「語の末に付けて,云ふ助詞。普通意味なきものあり,親愛の意あるもあり」
として,

ましラ(猿)

等々を挙げる。鳴声の言語化の流れは,『日本語源大辞典』に,

「鳴声は古く『コロク』と聞きなされたこともあるが,『枕草子・あさましきもの』には『かかと鳴く』とあり,又,中世には,『コカコカ』(虎明本狂言・花子)などの形もある。現代一般的な『カアカア』は,『新ばん浮世絵尽』(18世紀前)に『かあかあすこし水をくれぬ』とあり,江戸時代からみられるものである。」

とある。『擬音語・擬態語辞典』は,もう少し詳しく,

「奈良時代には烏の声は普通『ころ』『から』と聞いていたと考えられる。」

さらに,

「平安時代には,烏の鳴声は,『かか』。『枕草子』に『暁がたにうち忘れ寝入りにけるに,烏のいと近かかと鳴くに』とある。鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて烏の声は『こかこか』,『こかあこかあ』。」

で,江戸中期,『カアカア』となる。

『擬音語・擬態語辞典』は,したがって,「『からす』の『から』は。鳴き声である。『す』は鳥であることを示す接尾語」

と,鳴声説を採る。

「羽色(黒色)」由来説は,

クロシ(黒)と相通ず(和句解・日本釈名・東雅・柴門和語類集),
カラス(黒羽)の義(和語私臆鈔),
カラはクロ(黒)の転,スはシと通音で鳥の意(国語学通論=金沢庄三郎)

等々あり,『日本語の語源』も,

「クロトリ(黒鳥)は,トリ[t(or)i]の縮約で,クロチ・クロスを経て,カラス(烏)になった」

とする。色の黒い鳥は,烏(う)を初め他にもいる。

ここは,

「から+す」

説に与したい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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「う」は,鳥の,

鵜,
烏,

の意である。「烏」(呉音ウ,漢音オ)の字は,

カラス,

の意であり,「鵜」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は,

がらんちょう,

つまり,

ペリカン,

を指す。それを「う」に当てるのは,我が国だけである。この字は,

「『鳥+音符弟(テイ 低,背が低い)』。足が短くて背の低い鳥。」

の意である。「烏」の字を当てたのは,「ウ」という音が重なるからと推測できるが,「鵜」の字は,

「水鳥の一種,口ばしが長く,あごの下が大きく膨らんでいる」

というこの鳥を「う」と読み違えたとしか思えない。『大言海』も,

「鵜鶘(テイコ)は,ガランテウなり。亦能く鳥を捕ふるに因りて,字を誤用せらる」

といっている。

「漢字の『鵜』(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し、『う』は国訓である。ウを意味する本来の漢字は『鸕』(ロ)である。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91

らしい。しかし,「う」は,

ペリカン目ウ科,

なので,当たらずと雖も遠からず,というところだろうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E7%A7%91

には,

「鵜飼い」で知られる漁法は,日本では少なくとも5世紀以降、ヨーロッパでは17世紀以降には行われていた,という。中国はカワウを使うが,我が国ではウミウを使うらしい。

さて,「う」の語源であるが,『日本語源広辞典』は,

「ウ・ウカ(うかがう)」で,「うかがう鳥」の意味です。」

とある。この意味は,鵜の目鷹の目,の「う」という含意を前提にしているように思える。「鵜の目鷹の目」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E9%B5%9C%E3%81%AE%E7%9B%AE%E9%B7%B9%E3%81%AE%E7%9B%AE)については で触れた。『日本語源大辞典』は,

ウク(浮)の義か(滑稽雑誌所引和訓義解・東雅),
ウム(産)の義(名言通・和訓栞・釣書ふきよせ・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ウヲ(魚)を好むためか(和句解),
ウヲカヅク(魚潜)の約(和訓集説),
ウ(魚)ヲ-ノ(呑)ミの下略(日本語原学=林甕臣),
ウット丸呑みにするから(本朝辞源=宇田甘冥),
クロ(黒)の義(言元梯),
ウは自然に発せられる安らかな音であるため,物をたやすく呑む鳥の意(俗語考),

と諸説挙げるが,どうもいま一つである。確かに,『日本語源大辞典』の言うように,

「一拍語であるため,諸説の判定は難しい」

のは確かだが,音だけの語呂合わせではなく,別のアプローチもあるのではないか。かつて,

「鵜の羽で産屋の屋根をふく風習もあった」(『岩波古語辞典』)

という。それで思い出すのは,

ウガヤフキアエズ(日子波限建鵜草葺不合命・彦波瀲武盧茲草葺不合尊),

の名である。神武天皇の父である。

彦火火出見尊(山幸彦)と、海神の娘である豊玉姫の子,

であり,『古事記』では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、『日本書紀』では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と表記される,という。

この場合,鵜の羽の屋根を葺き終わる前に産まれたので,

「鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」

と名がついた。

http://nihonsinwa.com/page/1050.html

に,

「鵜は大きな口を開けて、食べた魚を吐き出すことから、「安産」の霊力があると考えられている。鵜の羽で「産屋」を葺いたのはそのためかと。」

とある。「鵜」と「安産」と関係があるということは,稲作の豊作祈願とも関わるのではないか。とするなら,「う」は,

産む,

とつなげてみたい気がする。根拠は薄いが,「鵜飼」という漁法が,稲作とともに,中国から伝わったともされるだけに,何となく縁を感じる。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ウグイス


「ウグイス」は,

鶯,

と当てるが,「鶯」(漢音オウ,呉音ヨウ)の字は,

コウライウグイス,
チョウセンウグイス,

を指す。スズメ目コウライウグイス科に分類される。「ウグイス」は,スズメ目ウグイス科である。

で,この字は,

「鶯の上部は(音エイ・ケイ)は,ぐるりととりまくさま。鶯はそれを音符とし,鳥を加えた字で,輪状の羽模様が,首のまわりをとりまいた鳥のこと」

で,「からだは黄色で,尾は黒が混じる」鳥を指す。

「両者とも美声を愛でられる鳥だが、声も外見も非常に異なり分類的な類縁はない。」

とのこと。コウライウグイスの別名は,

黄鳥(コウチョウ),金衣公子(キンイコウシ),

等で,後述の「ウグイス」の別名とは大きな違いががあり,「ウグイス」とは別物である。

さて,「ウグイス」は,

春鳥(ハルドリ)・春告鳥(ハルツゲドリ)・花見鳥(ハナミドリ)・歌詠鳥(ウタヨミドリ)・経読鳥(キョウヨミドリ)・匂鳥(ニオイドリ)・人来鳥(ヒトクドリ)・百千鳥(モモチドリ)・愛宕鳥(アタゴドリ),報春鳥(ホウシュンドリ),初音(ハツネ),

等々,別名は多い。『日本語源大辞典』に,

「鶯の鳴声は,ホーホケキョ,ヒトクヒトクなどと聴き取られ,『饗み鳥』『人來鳥』は鳴声に由来する異名である」

とある。この,

ホーホケキョ,

は江戸時代から使われ出した。それ以前,

「平安時代は,鶯の声を『ひとく』と聞いた。『梅の花 見にこそ來つれ 鶯のひとくひとくと厭ひしもをる』(『古今和歌集』)。『ひとく(人が来る)』の意味に掛けて用いられる。『ひとく』は江戸時代まで用いられ続けた。鎌倉室町時代には,鶯を飼ってよい声で囀るように躾けることが流行った。『つきひはし(月日星)』と聞こえるように鳴く鶯が最高であった。(中略)
 江戸時代になると,『ほーほけきょー』と写され,『法華経』の意味を掛けて聞いた。」

とある(『日本語源大辞典』)。

「ウグイス(ウグヒス)」の「ス」は,「カラス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9) で触れたように,「鳥を表す語」(『岩波古語辞典』)で,カケス・キギス・カラス・ホトトギス等に見られる。で,『大言海』は,

「ウクイは,鳴く聲,スは鳥の接尾語(ほととぎス,からス,きぎス)。古今集,十,物名,ウグヒス『心から,花の雫に,そぼちつつ,ウグヒスとのみ,鳥の鳴くらむ。』承暦二年殿上歌合『いかなれば,春來る毎に,ウグヒスの,己れが名をば,人に告ぐらむ』(名言通)」

とする。『擬音語・擬態語辞典』も,

「鳴声を『うーぐい』と聞いたところから」

と,鳴声説を採る。鳴声説が,

鳴声から(擁書漫筆・箋注和名抄・言元梯・古今要覧稿・松屋筆記),
ウグヒは啼声,スは鳥の名につく接尾辞(雅語音声考・嚶々筆語・名言通・大言海・日本古語大辞典=松岡静雄),

と大勢である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/u/uguisu.html

も,「ウグヒ+ス」と鳴声説を採る。

http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC78.HTML

も,「うくひす」は,

「昔の『う』の発音は、『fu』に近いものであり、『い』の発音も『hi』に近いものでした。(中略)そこで、『うぐいす』の発音を大ざっぱに遡っていくと、『うくひす』『ふくぴちゅ』の順に古くなるわけですが、お気付きのようにフークピチュ(声に出して見ればよくわかる)という鳴き声からきているものです。」

と,鳴声説を採る,それ以外にも,

ウクは奥,ヒスは出づ。奥出づの意(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解),
ウはフ(生)の転。スは巣。茂みに巣をつくる鳥(東雅),
愛飲巣または,愛作巣の意から(和字正濫鈔・和語私臆鈔・円珠庵雑記・燕石雑志),
卯の方に巣をくう鳥か。陽気を好む鳥(和句解),

等々があるが,最も説得力のあるのは,『日本語源広辞典』の,

「中国語の黄鶯子(wung yen su)」

語源説だが,「鶯」(この字のみでコウライウグイスを指す)の呼び名ではなく, 

黄鶯(こう おう),

という屋上屋を重ねた名の音なのか,の説明がなければ,こじつけになるのではないか。やはり,「ウグイス」は鳴き声であり,鳴き声由来と考えるのが,妥当ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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ホトトギス


「ホトトギス」は,『広辞苑』を見るだけでも,

杜鵑,
霍公鳥,
時鳥,

の他,

子規,
杜宇,
不如帰,
沓手鳥,
蜀魂,

と異名を挙げる。「ホトトギス」の異名は挙げてみると,

文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・卯月鳥(うづきどり)・勧農鳥(かんのうちょう)・早苗鳥(さなえどり)・子規(しき)・死出田長(しでのたおさ)・蜀魂(しょっこん)・黄昏鳥(たそがれどり)・橘鳥(たちばなどり)・偶鳥(たまさかどり)・夜直鳥(よただどり)・魂迎鳥(たまむかえどり)・杜宇(とう)・時鳥(ときつどり)・沓手鳥(くつてどり),

等々,凄い数に上る。このうち,「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづくらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9

によると,

「長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり『望帝』と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、『不如帰去』(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」

と。なお,平安時代以降には「郭公」の字が当てられることも多いが,これはホトトギスとカッコウがよく似ていることからくる誤りによるものと考えられている。松尾芭蕉もこの字を用いている。『大言海』は,

郭公,

は,「カッコウ」なり,としている。

「ホトトギス」は,そのイメージとは異なり,「ウグイスなどに托卵する習性で知られている,結構えげつない鳥でもある。

http://www.inter-link.jp/back_no/zipang/zipang_18.html

「ホトトギスの習性としてよく知られているのが托卵である。ホトトギスはウグイスなどの巣に卵を産み付け、ウグイスに我が子を育てさせる。驚くのがホトトギスのヒナで、生まれて直ぐにヒナは巣の中のウグイスの卵を背中にのせ巣から放り出すという荒業をやってのける。結果、悲しいかなウグイスは自分の体の2倍の大きさに成長するホトトギスを育て上げることになる。親子そろって非常に狡賢い鳥なのである。」

と。しかしもうひとつ特徴的なのはその鳴き声である。『広辞苑』は,「ホトトギス」の語源を,

「鳴声による名か,スは鳥を表す接尾語」

とする。「カラス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9)「ウグイス」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)で触れたことと重なるが,これが妥当なのだろうと思う。『語源由来辞典』 が,

「ホトトギスの名は,『ホトホト』と聞こえる鳴き声からで,『ス』はカラス・ウグイスなどの『ス』と同じく,小鳥の類を表す接尾語と考えられる。漢字で『時鳥』と表記されることから『時(とき)』と関連付ける説もあるが,ホトトギスの仲間の鳴き声を『ホトホト』と表現した文献も残っているため,鳴き声からと考えるのが妥当であろう。
 江戸時代に入ると,ホトトギスの鳴き声は,『ホンゾンカケタカ(本尊かけたか)』『ウブユカケタカ(産湯かけたか)』,江戸時代後期には,『テッペンカケタカ(天辺かけたか)』などと表現されるようになり,名前が鳴き声に由来することがわかりづらくなった。『トッキョキョカキョク(特許許可局)』という鳴き声は,戦後から見られる。
 ホトトギスには,『杜鵑』『時鳥』『不如帰』『子規』『杜宇』『蜀魂』『田鵑』など多くの漢字表記があり,『卯月鳥(うづきどり)』『早苗鳥(さなえどり)』『魂迎鳥(たまむかえどり)』『死出田長(しでのたおさ)』など異名も多い。

とまとめているのが的確である。「ホトホト」と聞えたのである。『大言海』に,

「歌に『己が名を名のる』と詠める多し」

とあるが,萬葉集の, 

「名告り鳴くなる保登等藝須」

等々,名乗っているとみていたものらしい。それにしても,

ホトホト→ホンゾンカケタカ・ウブユカケタカ→テッペンカケタカ→トッキョキョカキョク,

とは聞こえ方の差が大きい。結局ヒトの知覚,認知は,知っているものを聞く,ということだろう。

「『キョッキョッ キョキョキョキョ!』と聞こえ、『ホ・ト・…・ト・ギ・ス』とも聞こえる。」

というのが,その辺の事情を表していなくもない。

鳴声説が大勢だが,その他に,

ホトトキス(火時鳥)の義(柴門和語類集),
梵語から(秉燭譚),

という異説もある。

参考文献;
http://www.inter-link.jp/back_no/zipang/zipang_18.html
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%81%8E%E3%81%99
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ほとほと


「ほとほと」は,擬音のそれではなく,『広辞苑』で

殆,
幾,

と当てる「ほとほと」である。

今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,
本当に,非常に,

という意味があるが,今日では,

ほとほと困った,
ほとほとあきれた,

という意味でしか使わないように思う。「大体」「すんでのところで」はあくまで状態表現だが,「本当に」は,その状態に対する価値表現になっている。意味の視点が,客体表現から,主体表現に転じている,と見ることができる。

『岩波古語辞典』には,

「事の進みがぎりぎりの所まで,立ち至っている状態に言う」

とあり,

あやうく(…するところだ),

が,

大体,

に転じるところまでしか,『岩波古語辞典』には載らない。

「平安時代末期には,ホトホド・ホトヲトなどと発音されていたらしい。後にホトンドに転ずる」

とある。『日本語源大辞典』によると,

「院政時代から鎌倉時代にかけて,『ほとほど』(『観智音本名義抄』)や『ほとをと』(『色葉字類抄』『名語記』)となり,室町時代中期以降『ほとんど』(『文明本節用集』)の形を取り,今日に至っている。」

とある。

こうみると,「ほとんど」に転じた段階で,

今少しで,すんでのところで,
大体,ほとんど,

という状態表現の意味を「ほとんど」に移行し,「ほとほと」が,主体表現の,

非常に,本当に,

の意味に純化したというように見える。「ほとほと」の転じた「ほとんど」は,

殆,

と当て,

大方,大略,
今少しのところで,

という意味で,「ほとほと」の「ほとんど」への転訛で,意味がシフトしたことがよくわかる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ho/hotondo.html

は,「ほとんど」の項で,

「『ほとほと』は、…『もう少しで』というところから、『だいたい』や『危ういところで』の意味を表すようになった。 現代語では『ほとんど』がこの意味を 引き継ぎ、『ほとほと』は意味が変化し『まったく』『つくづく』など困り果てた気持ちを表す。」

とまとめている。

『大言海』は,「ほとほと」を,

「邊邊(ほとり)の意と云ふ」

とするし,『日本語源広辞典』も,

「ホトホト(辺・側のホトリのホトの畳語)」

とする。『岩波古語辞典』の「ほとり」の項に,

「ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語」

とある。「はた(端)」は,

「内側に物・水などを入れてたたえているものの外側。へり」

とある。どうやら,「ほと」を重ねて,その近くにある,間近,という意味を擬態語として表現したものらしい。

ほぼほぼ,
あつあつ,
とってもとっても,
さらさら,

と同趣旨の,強調表現と見ることができる。『日本語源大辞典』は,

「辺や側を示す『ほとり』の語基『ほと』の畳語で,『境界をなす部分(周縁)において』を原義とする。」

とし,

ホトリ(辺辺)の意という(大言海),

以外に,

ハツハツ(端々)の義(国語溯原=大矢徹),
ハタハタ(端々)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ホトはハト(端処)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),

を挙げ,「ホトリのホトをハタ(端)の母音交替形とする説に従えば」,「端」に関わる語源説も有力,とする。

なお,今日ではほとんど使わないが,「ほとほと」を,形容詞で使うと,

ほとほと(殆・幾)し,

となり,

ほとんど…しそうだ,すんでのところで…である,
もう少しで死にそうである,
極めて危ない,

という意味になる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ほとり


「ほとり」は,

辺,
畔,

と当てる。しかし,「辺」は,

あたり,

とも訓ませる。「あたり」と「ほとり」の違いが気になった。「邊(辺)」の字は,

「邊の右側の字(臱 ヘン・メン)は,『自(鼻)+両側にわかれる印+方(両側に張り出る)』の会意文字で,鼻の両わきに出た鼻ぶたのはしを表す。邊はそれを音符とし,辶(歩く)を加えた字で,いきづまる果てまで歩いて行ったその端を表す。辺は宋・元の頃以来の略字。」

とある。「辺」の含意は,果て,らしい。

「ほとり」は,『広辞苑』によれば,

ほど近い所,
水際,岸,
都から遠く離れた所,かたいなか,

とある。この意味の幅はかなり主観的だ。『岩波古語辞典』は「ほとり」の項で,

「ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語」

とある。「はた(端)」は,

「内側に物・水などを入れてたたえているものの外側。へり」

とある。「ほとり」意味は,

涯,辺際,
境目の所,
そばにいる人,
縁故あるもののはしくれ,

とある。後者二つは,「はて」「際」からのメタファと見ると,

何かの端,

を指している,と見ることができる。ある場合は,「水辺」のように,

水の端,

であり,ある場合は,「都の涯」というように,

片田舎,

になる。あくまで,その人にとっての境界域の縁,ということになる。『大言海』には,

「端(はた)と通じるか」

として,

程近き処,
あたり,
そば,

という意味しか載せない。では,「あたり」はどうか。『広辞苑』には,

基準または着目する物に近い範囲,
およその目安をあげて所・時・数量,時には事物を示す語,

とある。『岩波古語辞典』には,

「動詞アタリ(当)と同根。見当をつけた場所の意。上代には,自分の家,妻の家などを遠くから見当をつけていう場合に多く使う。平安時代には,人を婉曲に指すのにも使う。類義語ヘ(辺)は,はずれた所,はしの所の意。ホトリは山や水のそばをいい,ワタリは『六条わたり』など,地名を承けて漠然と広い地域を言う」

とある。『大言海』も,

「其処に当たりの義。当所の義」

とある。どうやら,主体にとって,自分の家のように明確な一ヵ所を,外から「あたり」というのに対して,「ほとり」は,逆に内(主体)から外に向かって,何かを指す,という感じのようである。「あたり」は点なのに対して,「ほとり」は面を指している,という含意もある。『日本語源大辞典』が,

「『あたり』が,基準となる場所も含めて付近一帯を指すのに対して,『ほとり』は,基準になるもののはずれ,ないし,その近辺を指している。」

とするのも,近い語感である。これは,「あたり」の語源と関わっていると思う。

『日本語源広辞典』は,「あたり」は,

「空間的な『当り』です。おおよその目あてとする場所」

とし,『日本語源大辞典』も,

アタリ(当)と同根(小学館古語大辞典・岩波古語辞典),
ソコ(其処)ニ−アタリ(当)の意。当所の意(花鳥余情・和訓栞・大言海),

と,当該の目標がはっきりしている含意が強い。『日本語源大辞典』に,

「平安時代までは『わたり』とほぼ同じ意味に使われている」

とするが,「六条わたり」と地名につく,という意味で,目標ポイントが狭く限定されていることをよく示す。

それに対して,「ほとり」は,『日本語源広辞典』は,

「ホト(ハタ・端・辺・傍・側)+リ(接尾語)」

とし,『日本語源大辞典』は,

ホトはハタ(端)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
ホカトホリ(外通)の義(名言通),
ヘワタリの略転(松屋筆記),

と,主体から距離を示している感じが強い。逆に言うと,「ほとり」は客観的な縁ではなく,あくまで主観的な縁感覚ということだが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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あたりめ


「あたりめ」は,

鯣(するめ)の忌詞,

と『広辞苑』にある。『大言海』には,「あたりみ」に,

擂肉(すりみ)の異名,

とあり,「あたりばち」を見ると,

擂鉢(すりばち)の異名,

として,

「耗(す)るに通づるを忌み,言ひかへて云ふ。」

とある。

擂木(すりこぎ),
擂薯(あたりいも),
擂肉(あたりみ),

といった類例が並ぶ。「あたりめ(鯣)」もその流れになる。で,『大言海』は,

「随って,硯箱(すずりばこ)を,アタリバコと云ひ,鯣(するめ)をアタリメなどと云ふ」

と。「當(当)る」の項で,「忌詞」に対応させる意味が,載る。ひとつは,

果実などがいたむ(たとえば,ミカンがタル),

で,いまひとつは,

「(他動詞的に使って)剃る,擂る。商家で『する』『そる』というのを嫌って言う」

とある(『広辞苑』)。『大言海』にも,例えば,「擂る」なら,

味噌をあたる,
薯をあたる,

などと使い,

「随って,擂鉢をアタリバチ,擂木(すりこぎ)をアタリギ,擂肉(すりみ)をアタリミ,鯣(するめ)をアタリメ,硯箱をアタリバコなどとと云ひ,又,髭を剃るを髭をアタルと云ふ。」

とある。要は,

「『する(擦る・摺る・擂る)』は『(お金を)する』に通ずるので、縁起の良い『あたり』に置き換えた。」(『大辞林』)

ということで,スリッパを,

アタテリッパ,

というところまでいくと,いささか滑稽ではある。「そる」は,「逸る」を忌むということだろうか。

なお,

http://www.zen-ika.com/ikaQA50/ikaQA-4.html#Q45

に,

「するめは昔の儀式や結納の際の縁起物として使われてきましたが、これは室町時代にお金のことを『お足』といっていたことによるらしく、足がたくさんあるイカは縁起が良いということになったようです。また、するめは保存性のいい食べ物なので幸せが長く続くという意味にも通じます。結納の時には寿留女と書いて昆布(子生婦)とともに使われたりもします。ただ,『するめ』という言葉は『お金を掏る』ということにも通じますので、これも縁起を担いで、逆に『あたりめ』というようにもなりました。葦のことを地方によっては『よし』というのと同じことです。」

とあり,どうやら「するめ」を縁起物ににつかったから,尚のこと,「する」を忌んだとみていい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1

には,

「日本においては古くからイカを食用としており、保存ができる乾物加工品としてのスルメも古い歴史がある。古典的な儀式や儀礼の場では縁起物として扱われ、結納の際に相手方に納める品としても代表的なものである。結納品の場合には寿留女の当て字を用い、同じく結納品である昆布(子生婦)とともに、女性の健康や子だくさんを願う象徴となっている。また大相撲の土俵にはスルメが縁起物として埋められている。」

とし,

「縁起物であるとする理由は諸説有るが、日持ちの良い食品であることから末永く幸せが続くという意味とする説、室町時代の頃からお金を「お足」といい、足の多いスルメは縁起が良いとする説などがある。」

とあり,しかし,その「するめ」は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB

によると,

「現在では、加工後の干物を『するめ』と呼び、その材料になる生物、すなわち本種を『スルメイカ』と呼ぶのが普通だが、古くは加工前のイカ自体をも『するめ』と呼んだ。後に干物との呼び分けの必要が生じて、『するめいか』という合成語が使われるようになったらしい。なお、平安時代の辞書『和名類聚抄』を見ると、『小蛸魚』の項に訓じて『知比佐岐太古、一云須流米』(ちひさきたこ、するめともいふ)とあり、『するめ』は古くには、さらに異なる意味をもっていたことがうかがわれる。」

とある。『たべもの語源辞典』も,

「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだとなると,スルメイカの名から『するめ』という名ができたのではないということになる。」

としている。和名鈔を信ずるなら,「するめ」は,

小さいタコ,

を指していた。今日言うヒダコなのかもしれない。縁起物として足の多さを吉とするのなら,蛸でもかまわないのだから。そう言えば,「凧」は,かつて(関西では),

いかのぼり,

と呼んでいた。「たこ」と「いか」は交換可能だったのかもしれない。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/atarime.html

によると,「あたりめ」は,

当たりめ,

と当てるらしい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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スルメ


「スルメ」については,「あたりめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%82%81) で触れたように,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB

によると,

「現在では、加工後の干物を『するめ』と呼び、その材料になる生物、すなわち本種を『スルメイカ』と呼ぶのが普通だが、古くは加工前のイカ自体をも『するめ』と呼んだ。後に干物との呼び分けの必要が生じて、『するめいか』という合成語が使われるようになったらしい。なお、平安時代の辞書『和名類聚抄』を見ると、『小蛸魚』の項に訓じて『知比佐岐太古、一云須流米』(ちひさきたこ、するめともいふ)とあり、『するめ』は古くには、さらに異なる意味をもっていたことがうかがわれる。」

とある。『たべもの語源辞典』も,

「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだとなると,スルメイカの名から『するめ』という名ができたのではないということになる。」

としている。和名鈔を信ずるなら,「スルメ」は,

小さいタコ,

を指していた。今日言うヒダコなのかもしれない。そう言えば,「凧」は,かつて(関西では),

いかのぼり,

と呼んでいた。「たこ」と「いか」は交換可能だったのかもしれない。

で,「スルメ」の語源は,

「墨を吐き、群れる事から来る『スミムレ(墨・群れ)』が「スミメ」を経て転訛したものと考えられている」

というが,これは,生きている「イカ」,「スルメイカ」を指しているのではないのだろうか。しかし,『たべもの語源辞典』が指摘するように,「スルメ」が「スルメイカ」から来たのではないとすると,「スルメ」の語源は別途考えるべきなのに,たとえば,『日本語源広辞典』は,

「墨+群れ」

と,「墨を吐くものの群れ」の意図していると,『日本語源大辞典』も,

スミメ(隅群)の義(言元梯),
スミムレ(墨群)の約転(大言海),

あるいは,

スルドムレ(鋭群)の義(日本語原学=林甕臣),

も,同じく,「スルメ」と「スルメイカ」を混同している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%AB

にあるように,「スルメイカ」は,

「古来、日本人はこれを食してきた。今日においても最も消費量の多い魚介類である。また、東アジアでは中国北宋時代以降(蘇頌が編纂した『本草図経(中国語版)』の刊行[西暦1061年]以降)、もしくは、遅くとも日明貿易以降、日本産のイカとして知られている。真イカのこと。」

とあるが,それはイコール「スルメ」ではない。

言うまでもなく,「スルメ(鯣)」は,

「イカの内臓を取り除いて素干しや機械乾燥などで乾燥させた加工食品。乾物の一種。古くから日本、朝鮮半島、中国南部および東南アジアにおいて用いられている食品で長期保存に向いている。日本では縁起物とされ結納品などにも用いられ寿留女と表記される。俗語としてアタリメとも言う。」

である。「鯣(するめ)」(漢音エキ,呉音ヤク)の字は,「魚の名」らしいが,いわゆる「スルメ」の意で用いるのは,我が国だけらしい。

http://zatsuneta.com/archives/001945.html

に,

「『鯣』の字は本来ウナギを指す漢字であるが、日本ではこの字をスルメに当てている。この字は室町時代の国語辞書『下学集(かがくしゅう)』(1444年)に記載があり、『易』には『変わる』という意味があり、『イカがスルメに変わる』ことに由来する。」

とあるが,加工は変わるのではなく,変えるのであって,どう考えてもこじつけである。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/surume.html

は,

「スルメイカを干して乾燥させたところから付いた名。 ただし、ケンサキイカを使ったするめ が最高級品とされているため、スルメイカを使ったするめは『二番するめ』で、 ケンサキイカを使ったするめが『一番するめ』と呼ばれる(ヤリイカを『一番するめ』と呼ぶ こともある)。 その他、シリヤケイカなどコウイカを使ったものは『甲付するめ』、外套(胴) を開かずに乾燥させるミズイカやアオリイカは『袋するめ』や『おたふくするめ』と呼ばれる。」

と,「スルメ」を「スルメイカ」から来たことを前提に解いているように見える。しかし,他のイカのも「スルメ」と呼ぶところを見ると,「スルメ」の語源は,別に考えるべきだ。『たべもの語源辞典』の,

「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだ」

ことから考えるなら,『日本語源大辞典』の,

スリメ(研理)の義か(名言通),

という説も,少し首を傾げる。

しかし,『たべもの語源辞典』は,「スミムレ」説を最終的には採る。

「スルメの語源はスミムレ(墨群)であろう。スミムレの転じたものがスルメとなる。昔は墨を吐くものの群れをスミムレとよんだ(イカ,タコ)。これがスミメ・スルメとされたのが名称の起こりで,『するめ』という製品ができると,今日のスルメイカとよばれる種類のイカが最も多くその原料となったので,この製品名がコノイカにつけられてスルメイカと呼ぶようになったのである。」

しかし,「イカ」はともかく,群れていないものを「群れ」と名づけるとは思えない。それならば,「いか(烏賊)」の語源は何か。『大言海』は,

「語源知るべからず,和訓栞『形もいかめしく,骨も異様(ことやう)なれば,名づくるなるべし』。肯はれず,(中略)説文『烏賊魚』正字通『墨魚,一名墨魚』とあり,烏とは黒き義,腹中の墨を云ふなり。」

とし,語源を語らない。「するめ」を「墨群」とした『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,イカ(厳しの語幹),
説2は,「イ(息・墨の意)+カ(吹きかける)」

『日本語源大辞典』は,諸説挙げるが,

イは白いこと,カは背の堅いことをいう(柴門和語類集),
「烏」は黒い意で,墨の色を表すか(たべもの語源抄=坂部甲次郎),

以外見るべきものはない。諸家は,「スルメ」と「イカ」を対比しながら,考えないのだろうか。「イカ」の語源には,

墨群,

こそがふさわしく,「スルメ」は,別にあるのではあるまいか。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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たこ(蛸)


「たこ」は,

蛸,鮹,章魚,鱆,

と当てるらしいが,辞書には,「蛸」「鮹」が載る。「蛸」の字は,

「『虫+音符肖(ショウ 細い,小さい)』。たまごからかえったばかりの小さく細い虫の子」

で,「くもやかまきりのたまごを表す熟語に使う。」

とある。たとえば,「蠨蛸」(あしたかぐも),「螵蛸」(かまきりのたまご)等々。「タコ」に当てるのはわが国だげである。

「鮹」の字は,「魚+音符肖」で,『漢字源』は「からだの細い魚」で,「タコ」と使うのは,我が国だけとするが,『字源』は,

閩書『鮹魚,一名望潮魚』=章魚,

とする。「タコ」の意でも使われているらしい。『大言海』も,

「蛸は,漢名,海蛸子の略。蠨蛸(あしだかぐも)に似て,海中にあれば云ふ。魚偏に作れるは和訓なり」

とある。和訓とは,その漢字をタコと訓んだという意味である(「鮹」は,「ショウ」である)。倭名抄に,

「海蛸子,太古」

とあり,本草和名に,

「海蛸,多古」

とあるらしい(『大言海』)。『たべもの語源辞典』には,

「海蛸子が漢名であるが,これは海の中にいるアシダカグモに似たものというので名づけられ,これを略して『蛸』一字でタコと呼んだ。蠨蛸がアシダカグモの漢名である。蛸ソウとかショウとよみ,国訓がタコである。章魚と書くのは,蛸魚が,蛸と章と音が通ずるからであろう。(中略)タコが虫偏ではおかしいというので『鱆』という文字も生まれ,また章魚を一字にして鱆という新しい字もできた。」

とある。「タコ」の漢字の由来がよくわかる。

さて,「タコ」の語源であるが,『日本語源大辞典』は,

タはテ(手)の転,コはココラ(許多)の意(日本釈名・大言海),
タは手,コは語助。手が多いところからの名(東雅),
タは手,コは海鼠の義か(大言海・日本語源=賀茂百樹),
タは手,コはナマコ・カイコのコと同じ。手を持った動物の意(たべもの語源抄=坂部甲次郎),
手を縦横に動かす意の動詞タク(綰)から(語源辞典・動物篇=吉田金彦),
テ(手)ナガの略転という(日本釈名),
テコブ(手瘤)の義(和句解・名言通・日本語原学=林甕臣),
たこの手は物に凝り付くところからもタコ(手凝)の義(柴門和語類集),
鱗のない魚であるところから,ハタコ(膚魚)の義(言元梯),
足が多いところから,タコ(多股)の義(和語私臆鈔),

と諸説載せる。『日本語源広辞典』は,

「た(手)+コ(接尾語)」

である。「た」は,

ての古形,

で,他の語の上について複合語をつくる(『岩波古語辞典』)。「足袋」の「た」,「手綱」の「た」,「手力」の「た」,「手挟む」の「た」と,「た」が手であることには,違いない。問題は,「こ」である。

『たべもの語源辞典』は,

「コは,『ここら』という語から来たと考えられる。『ここら』とは,程度の甚だしいさまをいう語で,大層という意であり,数量の多いことをいう。タコの手(足)が多いことをコで示したのである。」

とする「ココラ」は,『岩波古語辞典』に,

「ラは幾ラのラ。ココバの平安時代以降の形」

で,「これほど多く」「これほど甚だしく」の意である。「ココバ」は,

幾許,

と当て,

「バはソコバ・イクバクノバに同じ。量・程度についていう接尾語。ココバは話し手の身近な存在,または,話し手に関係深い事柄について,多量である,掌意とが甚だしいのにいう語。平安時代以後はココラ」

とある。『大言海』は,「ココラ」について,

幾許,

と当て,「ソコバク」と関連づけ,こう書く。

「ソ,コは,其,此にて,ソコ,ココなり,バクはバカリ(程度の意。ソコハカ,イクバク,イカバカリ…)にて,ソコラココラ程の意。(中略)又,ココバクと云ふも,其,此と云ふにて,意は同じ。ココバ,ココダク,ココダ,ムココラ…など云ふも…同列なり」

と。どうやら,「ココバは話し手の身近な」事柄を指さして,言っていた状況が目に浮かびそうである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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たこ(凧)


「たこ」は,

凧,

と当てる「たこ」である。「凧」の字は,

「風の略形と巾(ぬの)を合わせたもので,日本製の漢字。」

で,中国では,

風箏(ふうそう),

という,とある(『漢字源』)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A7

には,

「半ば伝説的だが、中国で最初に凧を作った人物は、後代工匠の祭神として祭られる魯班とされている。魯班の凧は鳥形で、3日連続で上げ続けることができたという。ほぼ同時代の墨翟が紀元前4世紀に3年がかりで特別な凧を作った記録がある。魯班、墨翟のどちらの凧も軍事目的だった。」

とあり,中国の凧は昆虫,鳥,獣、竜,鳳凰などの伝説上の生き物など様々な形状を模している,とある。日本には,

「平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』に凧に関する記述が紙鳶、紙老鳶(しろうし)として登場し、その頃までには伝わっていたと思われる。」

とある。さらに,

http://iroha-japan.net/iroha/B04_play/14_takoage.html

には,

「日本では江戸時代直前まで貴族や武士の一部で遊ばれていただけで、一般にはあまり遊ばれていませんでした。しかし江戸時代に入ると、大人から子供まで身分の差なく流行し、烏賊〔いか〕形の凧や、金銀をちりばめた豪華な凧など、多種多様な凧が現れました。」

とし,

「日本で凧が正月の遊びとなったのは江戸時代後期のことです。昔から『立春の季に空に向くは養生の一つ』と言いますが、凧はそのようなまじない的要素を兼ね備えた、新年の遊びとして江戸の人々を始め全国で親しまれました。」

とある。

「中国の北宋時代(960-1127)に、度々盗賊による被害を受けていた地域で、占いの指示に従って全住民が凧揚げを行ったところ、他の地域は盗賊に教われましたが、凧揚げを行った地域は危険を回避することができたという言い伝えがあります。」

といった,元々占いやまじないの要素があった名残かもしれない。

さて,「たこ」は,

凧幟(たこのぼり),

といい,上方では,「いかのぼり」

烏賊幟,
紙鳶,

といっていたものを指す。

「凧を『タコ』と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では『イカ』「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と明治初期まで呼ばれていた。江戸時代になると『紙鳶』と書いて『いかのぼり』と読むようになった。」

とある。

http://www.jlds.co.jp/ebiken/blog/2015/01/post-275.html

には,

「凧揚げが庶民の間で盛んになったのは江戸時代になってからです。明暦元年の頃にはイカのぼり禁止令、つまり凧揚げ禁止になったほど盛んだったんですね。この頃から江戸では"イカ"から"たこ"になったようです」

とある。ただ,長崎では,

「14世紀頃から交易船によって、南方系の菱形凧が長崎に持ち込まれ始めた。江戸時代の17世紀には、長崎出島で商館の使用人たち(インドネシア人と言われる)が凧揚げに興じたことから、南蛮船の旗の模様から長崎では凧を「ハタ」と呼び、菱形凧が盛んになった。」

とある。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ta/tako.html

は,

「凧を『タコ』と呼ぶのは関東方言で、関西方言では『イカ』と呼ばれ、18世紀後半の方言集『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』には、『イカノボリ』の例も見られる。 凧が、『タコ』や『イカ』と呼ばれ始めた由来は不明だが、紙の尾を垂らして揚がる姿が、『蛸(タコ)』や『烏賊(イカ)』に似ていることから名付けられたと考えられる。中国では漢代から『紙鳶(しえん)』として用いられ、平安時代初頭に日本へ伝来した。現代でも『凧』は、『紙鳶』と 表記されることがあり、938年成立の『和名抄(わみょうしょう)』には、『紙老鴟』(しらうし)としてあげられている。『鳶』や『鴟』は『トビ』のことで、紙製のトビを意味する。『タコ』の呼称が出現するのは,江戸時代以降のことである。」

とある。『江戸語大辞典』の「たこ」の項には,

「はじめ蛸の形につくったのでいう」

として,

「いかのぼり。紙鳶。絵凧・字凧の二種類がある。」

とある。『大言海』は,

「縄の尻尾数條を附く,状,蛸の如くなれば云ふか」

とし,『日本語源大辞典』も,

長い尾をつけたさまがタコ(蛸)に似るところから(俗語考・松屋筆記),

と,凧を飛ばしているさまを,蛸や烏賊に見立てたとする。しかし,「するめ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%A1)の項 で触れたように,

「現在は干したタコはヒダコである。昔,小さいタコの干したものをスルメと呼んだ」

とあり,干しタコからの名づけと見るのが妥当に思える。

『日本語源広辞典』は,

「方言,イカノボリ,タコノボリ,を考えると,『干した蛸の形から』という語源説が正確です。凧の尻尾を,イカやタコのアシと見ているのです。」

とある。

飛んでいる凧を烏賊や蛸に見立てる,
か,
干したイカやタコを凧に見立てる,

の違いだが,鍵は「のぼり」にある。「幟」は,

上り,

と同源とある。後は,勝手な解釈だが,

干しタコを揚げた,

から,

タコのぼり,

なのではあるまいか。『日本語の語源』は,

「高く昇ったイカノボリを京都府与謝郡ではタカノボリ(高昇り)といっており,上州および信州(物類呼称)・長野県南佐久郡・香川・徳島・壱岐・天草・種子島では。下略してタカ(高)という。カが母交(母韻交替)[ao]をとげて,タコ(凧)になった。したがって,タコの語源はタコ(蛸)ではなかった。」

とするが,これではイカノボリを説明できまい。しかも地方ばかりを引いても,傍証にはならない。

因みに,カイトは,

http://www.yuraimemo.com/1815/

によると,

「NASAの元技術者が開発したというキャッチコピーと共に鳴り物入りで登場した」

のだそうだ。あれはもう凧ではない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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のぼり


「のぼり」は,

幟,

と当てる。『広辞苑』には,

昇り旗の略,

とある。「旗」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%81%9F)触れた ように,『大言海』は,

「風にはためくものか,或は云ふ,潤iはた)を用ゐれば云ふか」

とし,

はたはた,

という擬音語と,「潤iはた ソウ)」,「帛,つまり絹布からとしている。『魏志倭人伝』で,倭の難升米に黄幢を帯方郡に託して授けた「黄幢」は帛であった可能性が高い。それは,旗ではなく吹き流しのような形状だったと考えられている。「はた」の語源として捨てがたい。『日本大百科全書(ニッポニカ)』に,

「おもに縦長で、上辺の旗上(はたがみ)を竿(さお)に結ぶ流旗(ながればた)、鉾(ほこ)などにつけた比領(ひれ)という小旗などが古い形式である。のちに上辺と縦の一辺を竿につける、やはり縦長の幟旗(のぼりばた)とよばれる形が現れ、さらに正方形に近い形など、さまざまな種類も生じた。」

とあるように,「のぼり」(幟旗)は,「旗」の延長線上にある。

「幟」(シ)の字は,

「右側の字(音 ショク)の原字は,Y型のくいを立てて,目印とすることを示す。のち音印を加え,ことばで目じるしをつけること。つまり『識』の意を表した。幟はそれを音符とし,巾(ぬの)を加えた字で,布のめじるし」

とある。「目印のために立てる旗」を意味し,「旗幟」といった使い方をする。同じような意味の字で,「幡」「幢」がある。「幡」(漢音ハン,呉音ホン)は,

「番は播(ハ)の原字で,田に種をまきちらすこと。返・版・片などに通じて,平らに薄く,ひらひらとする意を含む。幡は『巾+音符番』で,薄く平らで,ひるがえる布のはたのこと。翻ときわめて近い」

とあり,「色のついた布に字や模様を書いて垂らしたはた」の意だが,「幡然」と言うように,ひらひらとひるがえるさま」の意である。「幢」(漢音トウ,呉音ドウ)は,

「『巾(ぬの)+音符童(突きぬく,筒型)』で,筒型の幕のこと。また中空で,筒型をしたものがゆらゆらと揺れるさま」

とあり,『魏志倭人伝』の「黄幢」はこれである。「旗」には違いないが,「絹の幕で筒型に包んで垂らした飾り」とあり,朝廷の儀仗や行列の飾りに用いる,とある。「羽葆幢」(うほどう)という。

さて,「のぼり」であるが,もともとは,

「平安時代以来、武士たちは軍容を誇示したり、自軍と敵軍との識別をおこなうために、長い布の短辺に木を通して紐で吊り上げて風になびかせる、丈の高い流れ旗を軍団の象徴として掲げた。」

が,それに,

「布地の長辺の一方と上辺のあわせてふたつの辺を旗竿に結びつけることで流れ旗との識別を容易にした幟が発案され、全国の武家へと徐々に広まっていった」

とされる。「のぼり」は、旗の形式のひとつ,で,

長辺の一方と上辺を竿にくくりつけたもの,

を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%9F)。で,

「綿もしくは絹の織物を用いた。布の寸法は由来となった流れ旗に準じ、高さを1丈2尺(約3m60cm)、幅を二幅(約76cm)前後が標準的であった。このほか、馬印や纏に用いられる四方(しほう)と呼ばれるほぼ正方形の幟や、四半(しはん)と呼ばれる縦横比が3対2の比率(四方の縦半分ともされる)の幟が定型化する。(中略)また旗竿への留め方によって、乳(ち)と呼ばれる布製の筒によって竿に固定する乳付旗(ちつきばた)と、旗竿への接合部分を袋縫いにして竿に直接縫い付けることによって堅牢性を増した縫含旗(ぬいふくめばた)に区別できる。旗竿は千段巻と呼ばれる紐を巻いた漆塗りの樫材や竹を用い、幟の形態に応じて全体をトの字型あるいはΓ字をにした形状にして布を通した。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%9F

とある。しかし,「のぼり」は,

「乳付旗(ちつきばた)

と,限定されることが多いようだ(『旗指物』)。『軍用記』(伊勢貞丈)に,

「乳付旗のこと。のぼりともいう。これは東山殿(足利義政)御代,康生二年畠山左衛門督政長,はじめて旗に,乳を付け候いけるにより起こるなり。旗の長さは前のごとし。乳数は上の横五ツ,五行にかたどる。縦は十二なり。十二月,または十二支をかたどるなり。」

とある。もっとも乳数はいろいろのようだが。

竿に止めるための筒状の布部分を「乳」(ち)と呼ぶ謂れは,

http://www.callmyname-rec.com/archives/28.html

に,

「一説によれば『犬の乳首の様に行儀よく並んでいるため』であることから」

とあるが,『広辞苑』は,単純に,

「形が乳首に似ているところから」

としているし,『岩波古語辞典』も,同趣旨で,さらに,「のぼり」だけではなく,

幕・わらじ・蚊帳などの縁につけた小さな輪。綱・紐などを通すためのもの,みみ,
釣鐘の表面に並んでいるいぼ状の突起,

とし,『大言海』は,

「手(テ)の転」

とする。恐らく,こうしたものに付いた名を「のぼり」にも転用したものと見ることができる。

さて,「のぼり」の語源であるが,『大言海』は,

「昇旗(のぼりはた)の略。乳に竹を通して,順に昇るより云ふ」

とある(本朝軍器考・蒼梧随筆・和訓栞)。もう一説は,

「旗が風に吹き上げられて竿を伝ってのぼるところからか」(古今要覧稿)

である。「うなぎのぼり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%86%E3%81%AA%E3%81%8E%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A) の項で触れたが,『岩波古語辞典』に,

鰻幟,

の字を当て,

「近世,端午の節句に揚げた,ウナギのように長くなびくようにつくった紙幟」

とある。用例に,

「釣竿と見ゆるは鰻幟かな」(俳・口真似草)

とある。「うなぎのぼり」も,「のぼり」つまり「乳付旗」は決して下がらない,ところから来ていると思われる。その意味では,『広辞苑』の,

昇り旗,

も同趣の考えである(『日本語源広辞典』も,「ノボリ+旗」とする)。武将たちが「馬印」に,旗印に,「のぼり」を使った意味がわかる気がする。「のぼり」は,けっして下がらない。風に吹かれても,上に巻き上がるばかりである。

参考文献;
高橋賢一『旗指物』(人物往来社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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カモ


「カモ」は,

鴨,

と当てる。「鴨」(漢音オウ,呉音ヨウ)の字は,

「『鳥+音符甲』。あっぷあっぷという鳴き声をまねた擬声語」

とある。不思議なことに,

「古くはカモとカモメの区別があいまいで、カモメの語源と同じとする説もある。」
「水面に浮かんでいるカモメの姿は、意外なほどカモに似ています。このため、万葉の時代にはカモとカモメが同族と見なされていて、あまり区別されていなかったのではないかと推察している研究者のかたも、かなりおられます。」

という説がある。どう見ても愚かとしか言えない。「カモ」は,『岩波古語辞典』に,

「マガモ・コガモ・カルガモ・トモエガモ・アイサなどの総称。…秋から冬にかけて北から渡来し,春,北に帰るものが多い。雁が秋の訪れと結びつけられるのに対して,賀茂は多く冬のものとされる。」

とある。季節感の鋭い古代の人にとって,「カモ」と「カモメ」を混同することはあり得ない。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ka/kamo_tori.html

は,

「地方によっては『カモ』を『カモメ』と呼び、『カモメ』を『カモ』と呼ぶ地方もあることから、古くは,『カモ』と『カモメ』の区別が曖昧であったとの見方もあり、『カモメ』と同源で『かま(囂)』とも考えられる。ただし、『カモメ』の語源には『カモの群れ』とする説もあり、この説をとれば呼称が同じになることは当たり前のことなので、『カモメ』と同源という見方はできない。」

としている。「kamo」「kamome」の音が似ているだけで同源とするのも早とちりといっていい。

『大言海』は,

「萬葉集に,カモドリと云へるが,成語なるべし。浮かぶ鳥,浮かむ鳥の略転。御孫命(みうまのみこと),みまのみこと。御産(みうぶ),乳部(みぶ)。萬葉集…に,モテハヤサムを,『持賞毛(もちはやさも)』同…に,棲むを『沖に須毛(すも)小鴨(をがも)』同…『鴨じもの,浮寝をすれば』」

とする。『日本語源大辞典』は,

カモドリが成語で,浮ブ鳥,浮む鳥の略転(滑稽雑誌所引和訓義解・大言海),
カム(頭群)の義(言元梯),
波をカウブル義(名言通),
頭のが,藻をカフリタルようだという意からか(和句解),
カキモガクの略,水上で足をかきもがくところから(本朝辞源=宇田甘冥),
ガン(雁)と同源。古語では濁ることを好まなかったのでカムと発音し,それが転じたもの(日本古語大辞典=松岡静雄),
やかましいのカマ(囂)の変化したものか(衣食住語源辞典=吉田金彦),

と諸説載る。この「カマ(囂)」について,『日本語源大辞典』は,

「『語源辞典・動物篇』(吉田金彦)では,『新撰字鏡』の『鴨 宇弥加毛』を手がかりに,カモメと同源と見ている。」

とある。これが「カモ」「カモメ」同源説の淵源らしい。『日本語源広辞典』は,これを取り,

「カマ(囂,やかましい)」の変化,

を挙げる。「万葉集に群れて鳴く鳥をさして,カマメの語があります。やかましい海鳥がカモメということになります。」

とし,もうひとつ,

「カ(毛)+モ(ふわふわ)」

を挙げ,「字鏡」の「鴨 加毛」を手がかりにしている,とする説も挙げる。確かに,

「カマ(囂,やかましい)」→カモ,
「カマ(囂,やかましい)」→カモメ,

と同源がなくもないが,やかましい鳥はもっといるのではあるまいか。それよりは,

カモの語源には、「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になった,

とする説に,個人的には肩入れしたい気がする。

ところで,「カモ」には,「カモにする」「鴨が葱を背負ってぐる」といった,

組みやすい相手,
騙しやすい人物,

という意味がある。『岩波古語辞典』には載らないが,『江戸語大辞典』には載る。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/06ka/kamo.htm

には,「江戸時代」以降として,

「鴨という鳥は鳥類の中でも比較的捕まえやすく、デコイと呼ばれる囮(おとり)を使ったデコイング猟から騙されやすい鳥として知られる。ここから騙しやすい人、利用しやすい人のことを鴨という。簡単に詐欺にひかかる人、度々詐欺にあうような人を指して使うことが多い。」

とある。そういう言葉になったのは江戸時代としても,その鴨の特徴は,わかっていたはずではないかという気がする。「かもる」は,

http://zokugo-dict.com/06ka/kamoru.htm

鴨に動詞化する接尾語『る』を付けたのがカモるである(正確には『カモにする』の略)。つまり、カモるとは簡単に騙せそうな人を利用したり、騙して利益を得ることをいう。逆に騙されたり、利用されることをカモられるという。」

とある。「鴨が葱を背負ってくる」は,

鴨葱,
カモネギ,

とも言う。『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%8B/%E9%B4%A8%E3%81%8C%E8%91%B1%E3%82%92%E8%83%8C%E8%B2%A0%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8B-%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

に,

「鴨が葱を背負ってくる(略してカモネギ)とは、鴨鍋の付きものであるネギをカモ自身が背負って食べられにやってくるというシュールな状況を描いたことわざで、運の強いやつのところへ運の悪いやつが運の悪い友だちをつれて麻雀をしにやってきたような状況をいう。ここで『運の悪いやつ』は『かも』、つれられてやってきた『運の悪い友だち』は『ネギ』、『運の強いやつ』は鴨鍋をおいしくいただく食客であることはいうまでもないが、このようなキャストを社会の様々な状況にあてはめた例えが『鴨が葱を背負ってくる(カモネギ)』である。
カジノや賭場にやってきていつも大負けする客を『カモ』というが、これは鴨がおとりにつられて捕獲されやすいことからきた隠語だという。この『カモ』という言葉が先にあったから、『カモネギ』というシュールでナンセンスなシーンが生まれたのだと考えられる。」

とある。「カモ」がそういう性癖と解っていたら,やかましさよりは別の表現をしたのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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カモメ


「カモメ」は,

鷗(鴎),

と当てる。「鷗(鴎)」(漢音オウ,呉音ウ)の字は,

「『鳥+音符區(ク オウ)』。ウ・オウと鳴くかもめの鳴き声をまねた擬声語」

である。

https://okjiten.jp/kanji2802.html

も,

「『尾を引いた亀の甲羅』の象形(『甲羅』、『殻』の意味だが、ここでは『あひるの鳴き声の擬声語』)と『鳥』の象形から『あひる』を意味する『鴨』という漢字が成り立ちました。)

としている。

「カモメ」の語源については,「カモ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%AB%E3%83%A2) の項で触れたように,

「古くはカモとカモメの区別があいまいで、カモメの語源と同じとする説もある。」
「水面に浮かんでいるカモメの姿は、意外なほどカモに似ています。このため、万葉の時代にはカモとカモメが同族と見なされていて、あまり区別されていなかったのではないかと推察している研究者のかたも、かなりおられます。」

という説がある。「カモメ」は,『大言海』も,

「鴨群(かもむれ)の約にて(あぢむら,すずめ,つばくらめ),小さき意にもなるか」

とする。確かに,「かも」も「カモメ」も鳴き声がうるさいとして,

「カマ(囂,やかましい)」→カモ,
「カマ(囂,やかましい)」→カモメ,

と同源がなくもないが,しかしやかましい鳥はもっといるのではあるまいか。それよりは,

カモの語源には、「浮ぶ鳥」「浮む鳥」の略転「カモドリ」が略され、「カモ」になった,

とする説に,個人的には肩入れしたい気がする,と「かも」の項で述べた。しかし,「かも」と絡ませる語源説は多い。『日本語源広辞典』は,

「カマ(囂,やかましい)+メ(群鳥・小鳥)」

説を採る。「メ」については,「スズメ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%A1)「ツバメ」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%A1)等々 で触れたように,「トリ」を示したが,しかしツバメ・スズメ・ヤマガラメはともかく,それと同列に「カモメ」の「メ」を持ってくるのはどうであろうか。「メ」が付くものの,大きさが違いすぎる。

確かに,『日本語源大辞典』の挙げる説も,「カモムレ」説(大言海)以外にも,

カモは鳬,鷖に通ずる名で鷖(鳧)は鴨のこと。メは群鳥を呼称するときに用いる語(日本古語大辞典=松岡静雄),
鴨に似て型の小さいところからカモメ(鴨妻)の義(東雅),
鴨に連なり行く姿が,雄に雌がそうようでうるところから,カモメ(鴨女)の義(円珠庵雑記),

と,「カモ」と絡ませる説がある。その他には,

カモメ(員百群)の義(言元梯),
米をかむように,この鳥が目をしばたたいて眠るところから,カモ(醸)スル目の義か(和句解),
カモメの古形はカマメであることから,カマ(囂)と同源か。メは「群れ」か(語源辞典・動物篇=吉田金彦),

がある。「カマメ」は確かに「カモメの古形」(『岩波古語辞典』)であるので,

「カマ(囂,やかましい)」+メ→カマメ→カモメ,

の転訛は,ひとつ説得力がある。しかし,「メ」がつくだけで,スズメ,ツバメと同列の「メ」とするのには抵抗がある。『日本語の語源』は,全く別の音韻変化説を採る。

「鷗は,(中略)翼が長くて飛翔力があるので,大昔の人はナガバネ(長羽)鳥と呼んでいた。語頭の『ナ』を落としたガバネは,ガバネ・カマネに転化するとともに,『マ』の子音の順行同化の作用で語尾の『ネ』が子交(子音交替)[nm]をとげた結果,カマメ(鴎。上代語)になった。〈うなばらにカマメたちたつ〉(万葉)。
 カマメ(鴎)はさらにカモメ(鴎)になった。津軽方言では,カモ[k(am)o]が縮約されてコメ・ゴメになった。」

としている。つまり,

ナガバネ(長羽)→ガバネ・カマネ→カマネ(カモメの古形)→カモメ

と転訛したということになる。

カマ(囂,やかましい)+メ(鳥)→カマメ→カモメ,

ナガバネ(長羽)→ガバネ・カマネ→カマネ(カモメの古形)→カモメ

ということだ。決定的な説はないが,「メ」に違和感があるので,後者に与する。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ツル


「ツル」は,

鶴,

と当てる。「鶴」(漢音カク,呉音ガク)の字は,

「隺(音カク)は,鳥が高く飛ぶこと。鶴はそれを音符とし,鳥を加えた字。確(堅くて白い石)と同系なので,むしろ白い鳥と解するのがよい」

とある。

https://okjiten.jp/kanji2168.html

は,

「『横線1本、縦線2本で『はるか遠い』を意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形』(『鳥が高く飛ぶ』の意味)と『鳥』の象形から、その声や飛び方が高くて天にまでも至る鳥『つる』を意味する「鶴」という漢字が成り立ちました。」

とより精しい。

「ツル」の語源は,件の落語「つる」に,

「鶴が唐土(もろこし)から飛んで来た際、「雄が『つー』っと」、「雌が『るー』っと」飛んで来たために『つる』という名前になった。」

とあるが,『広辞苑』は,

「一説に,朝鮮語turumiと同源。また鳴き声を模したものという」

とある。「ツル」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E3%81%A4%E3%82%8B) で触れたことがあるが『古語辞典』には,

「万葉集には,助動詞ツルという箇所に『鶴』の字を宛てた例があるから,当時ツルという語はあったと思われるが,歌の中ではすべてタヅと詠んで,ツルと詠んだ例はない。タヅが歌語であったからだとされている。古今集以後は,歌の中にもツルを用いるが,やはりタヅの方がずっと多く使われている。朝鮮語(turumi 鶴)と同源。」

とある。「タヅ」は,

田鶴,
とも
鶴,

とも,当てる。『大言海』には,

「声を以て名とす。古今集注(顯昭)に,鶯,郭公,雁,鶴は我名をなくなりとあり。朝鮮語つり」

とあり,「たづ」も,

「鳴く聲かと云ふ」

とあり,「ツル」も「タヅ」も,鳴き声から来ている可能性があるる。そして「ツル」が,朝鮮語由来なら,

朝鮮では,「ツル」

と聞こえ,

われわれには,

「タヅ」

と聞こえたということになるのだろうか。しかし,『日本語源広辞典』は,

「連ル」

を採る。

「連れだって飛来する鳥の意」

とし,さらに,古名「たづ」も,

連れの意,

とし,

「『蔓』の語源として,蔓のようにのびた鳥の意だとする説もあるが疑問」

と付け加える。「ツル」の語源は,鳴き声が多数派で,

その鳴き声から(名語記・箋注和名抄・言元梯・嚶々筆語・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海・音幻論=幸田露伴),

と諸家が採る。その他に,

連なり飛ぶところから,連なるの義(日本釈名・東雅),
諸鳥に優れて大きいところから,スグルの略転か(日本釈名),
群れの意の朝鮮語ツルミから(ニッポン語の散歩=石黒修),
くびが長いところから,ツツラ(蔓)の義か(名言通),
漢語「露禽」の訳語「ツユ(露)」(の禽)きから(続上代特殊仮名音義=森重敏)。

等々ある。しかし,「古今集注」の,

「鶴は我名をなくなり」

がインパクトがある。

『日本語の語源』は,例によって全く別の由来を説く。

「鶴の古名をタヅ(多津・田鶴・多頭)という。長い脚で水辺に佇立する姿を見てタツトリ(佇つ鳥)といったのが,タヅトリ・タヅ・ツル(鶴)に転化したと推測される。」
「タツトリ(佇つ鳥)の転とされるタヅ(田鶴)は,語頭の母交(母韻交替)[au]をともなってツル(鶴)に転音した。」

と。しかし,ここは,鳴き声切に与しておく。

ところで,「鶴は万年,亀は万年」は,『淮南子(えなんじ)』説林訓の「鶴の寿は千歳」などから来ているとされる。「淮南子」の第十七説林訓には,

「鶴歳千歳、亀歳三千歳」

とあるとか。これに加筆したのが,江戸時代の臨済宗古月派の禅僧で,画家の仙豪`梵(せんがい ぎぼん)。

「鶴は千年、亀は万年、我は天年」

この場合,「天年」は,天命の意という。そのことは、「天」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E5%A4%A9) で触れた,

死生命有
富貴天に在り(『論語』)

である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

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藪医者


「藪医者」(やぶいしゃ)は,

藪薬師,
庸医,
草医,

ともいう。「庸医(ようい)」とは,

凡庸な医者,

ということで,

治療のうまくない医者,

藪医者,と重なる。ニュアンスとしては,「庸医」の方が,「藪医者」よりはましな気がするが。

拙医,

の含意がある。「草医」の「草」は,

草野球,
草競馬,

といったように,接頭語として,

本格的な物に準ずるもの(『広辞苑』),

というよりは,この場合,

似て,真ならぬもの。犬蓼,犬ほうずきの,犬に似たり(『大言海』),

という意味の方が正確だろう。つまりは偽医者である。因みに,「薬師」とは,

医者,

の意である。

『広辞苑』に,

「『藪』は野巫(やぶ)の意で,当て字。」

とある。しかし,落語などでは,人名になぞらえて,

藪井竹庵(やぶい ちくあん),

と言ったりする。しかし「藪」を当て字とせず,兵庫県の養父市の「養父」(やぶ)とする説がある。

http://www.city.yabu.hyogo.jp/7190.htm

によると,俳人で松尾芭蕉の門弟である森川許六が編纂した『風俗文選』(ふうぞくもんぜん)という俳文集に,

「薮医者ノ解」

と題する一節があり,

「世に藪(やぶ)醫者と號するは。本(もと)名醫の稱にして。今いふ下手(へた)の上にはあらず。いづれの御ン時にか。何がしの良醫。但(たん)州養父(やぶ)といふ所に隱れて。治療をほどこし。死を起(をこ)し生に回(かへ)すものすくなからず。されば其風をしたひ。其業を習ふ輩。津々浦々にはびこり。やぶとだにいへば。病家も信をまし。藥力も飛がごとし。」

と(これに言及しているのは許六の門弟、許六と同じく近江彦根藩士「汶村(ぶんそん)」)。つまり,

「世の中で『薮医者』というのは、本来名医を現す言葉で,ある名医が但馬の養父という所にひっそりと隠れるように住み、死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなく,その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。」

というわけである。しかし,名医のブランドとしての「養父医者」を騙る医者が相次いだため信用が失墜し逆の意味になった結果,

養父医者→藪医師,

と転じた,というわけである,と。しかし,眉唾の気味がある。騙ったところで,それは「偽養父医者」であって,養父医者が藪医者に転ずるとは思えない。

『大言海』には,こうある。

「藪は,摩訶止観,七『如野巫唯解一術,方救一人獲一脯胖,何須神農本草邪』の草閧フ巫師たる野巫に基づくと云ふ(古への醫術中に,呪法を行へり,呪も醫療の中なり)。野巫醫にて,薬法に呪,加持等を加へて療する意にて,拙醫に限らぬ稱と云ふ(近代世事談)。或は云ふ,無學の醫を,僧の罵り呼びし隠語に起こるかと」

これは,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E5%8C%BB%E8%80%85

に,

「白杉悦雄によれば、藪はもともと仏教語の野巫の当て字であり、織田得能『仏教大辞典』に、野巫とは『草野の巫師。唯一術を解するもの、以て寡聞の禅人に譬える』とある。出典は智『摩訶止観』で、『又野巫の如きは、唯だ一術を解して、方に一人を救い、一の脯胖を獲。何ぞ神農本草を学ぶことを須いんや。大医と為らんと欲せば、遍く衆知を覧て、広く諸疾を療せよ。転た脈し転た精しく、数しば用い数しば験あれば、恩救博し』(『摩訶止観』巻七下)とある。つまり『ただ一つの術』しかわかっていないものが「野巫」である。」

とあることと重なる。そしてその由来は,

「『庭訓往来』に「藪薬師」という言葉(藪医者に同じ)が見えることから、十四世紀末から十五世紀頃を目安としてよいだろう、という。そして寺島良安『和漢三才図会』(1713)にいたって、「一般に庸医を野巫医と称するが、その呼び方は天台止観から出ているという。思うに、野巫とは祭主の卑賤なもののこと、唯一つの術だけを解し、一人だけを救い、それで自分の療法はすぐれていると考える類である。大医になろうと志すものは、ひとえにいろいろな治療を覧、広くいろいろな疾を治療し、こうして道を体得するべきである」(巻七)と記される。」(仝上)


しかし,これも,

養父医者→藪医師,

の変化と似ていて,

呪術を用いる(しかも一術しかない)野巫→藪,

と言い切るのは無理筋に思える。しかし,『日本語源広辞典』も,

「野巫+医者」

を採り,

「呪術で治療を行った田舎医者の意です。このヤブに,野夫,藪を当てて,熟達していない医者を嘲った表現」

とし,『日本語源大辞典』も,同趣旨で,

「田舎医者とあざけっていったものか」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yabuisya.html

も,

「『野巫医者(やぶいしゃ)』を語源とし、『藪』は当て字とする説が有力とされる。 野巫は『田舎の巫医(ふい)』とも言われ、呪術で治療する田舎 の医師のこと。 あやしい呪術で治療することから『いい加減な医者』、たった一つの呪術しかできなかったことから『下手な医者』といった意味で,野巫医者という言葉が生まれたとされる。」

とする。ただし,

「『野巫』という語そのものが用いられた例が少ない」

として断定を避けている。どの視点から蔑むかがはっきりしない。官についている立場なのか(たとえば,典薬寮の「クスリノツカサ(久須里乃豆加佐)」),貴人に雇われた薬師の立場なのか。呪術を使っているから蔑まれるというのはないはずである。治せるかどうかである。後世になっても,加持祈祷に頼んだりするので,それだけで,

野巫=草医,

にはならない。この説は,おかしいと思う。『日本語源大辞典』に揚げている諸説は,

ヤブイ(野巫医)の義(本朝世事談稿・牛馬問・俚言集覧(増補)所引秇苑日渉・大言海),
ヤブ(草沢)深い僻地の医者の意(於路加於比),
ヤブはサビの転で,似ているものの意(勇魚鳥),
ヤブはヤフ(庸)の転か(愚雑俎),
大家には招かれず,常に田夫野人を治療するのみであるところから,ヤブは野夫の義(安斎随筆),
但州ヤブ(養父)にいた良医からそれにあやかろうとしてヤブの名が蔓延したもの(風俗文選),
丹波の国の名医の名を弟子たちが勝手に用いたところからか(話の大辞典=日置昌一),
貧しいために藪の中から種々の草根木皮を取り集めて薬としたところからか(勇魚鳥所引醍醐随筆・話の大辞典=日置昌一),

となるが,結局なぜ,藪と貶められたかがはっきりしない。僕は,『日本語の語源』の,

「方言には強化の母交(母韻交替)[uo]例が多い。『いなかおやじ』のことをヤフ(野夫)といったのがヤホ・ヤボ(野暮)に転音して,『世情にうといこと。気がきかないこと』を言うようになった。ちなみに,へたな医者をヤブイシャ(藪医者)というのは『野夫医者』であった。」

というシンプルな転訛説が,意味の転化も通るので,妥当ではないか,という気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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「ら」は,

等,

と当てる接尾語「ら」である。「等」は,

とう,

とも,

など,

とも訓ませるが,少し意味が変わる気がする。由来を異にするかもしれない。ここでは,「ら」を考えてみる。

「等」(トウ)の字は,

「『竹+音符寺』で,もと竹の節,または,竹簡の長さが等しく揃ったこと,転じて,同じものを揃えて順序を整える意となった。寺の意味(役所 ジ・シ)は直接の関係はない。」

で,「ひとしい」「ひとしくそろえる」という意味だが,助詞として,「ほかにも同じものがあることをあらわすことば」とあり,和語「ら」に当てた意味がある。

https://okjiten.jp/kanji532.html

には,

「形声文字です(竹+寺)。『竹』の象形(『竹簡-竹で出来た札』の意味)と『植物の芽生えの象形(「止」に通じ、「とどまる」の意味)と親指で脈を測る右手の象形』(役人がとどまる『役所』の意味)から、役人が書籍を整理するを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、『ひとしい』を意味する『等』という漢字が成り立ちました。」

とある。「ら」には,多様な意味があるが,『岩波古語辞典』は,

@擬態語・形容詞語幹などを承けて,その状態を表す(「やはわ[擬態語やは+ら]」「さかしら」[形容詞賢し+ら]),
A代名詞を承けて,場所・方向の意を表す(「いづら」「あちら」「こちら」),
B複数を示す。尊敬を含まず,人を見下げたり,卑下したりする感じで使うことが多い(「私ら」「憶良ら」),
C事物を複数形で表現して婉曲に言う(「君ら」「者ら」)

とあるが,人を表す名詞や代名詞などに付く場合,卑下や謙遜以外,

子ら,

のように,親愛の意を表す表現にも使う。

この「ら」について,『大言海』は,

羣(むら)の略と云ふ,

とある。「羣」(漢音グン,呉音クン)は,「群」の異体字である。

「君(クン)は『口+音符伊(イン)』からなり,丸くまとめる意を含む。群は,『羊+音符君』で,羊がまるくまとまってむれをなすこと」

である。「羣れ」は,だから,

むれをなすこと,
なかま,

である。「むれ」は,

村と同源,

ともされるから,「複数」という含意があるのだが,『日本語源広辞典』には,

「語調を整える」

とある。

「我等」
「僕等」
「子ら」
「(山上)憶良ら」

という時,複数とか謙譲とかという含意とは別に,語調を整える,という趣旨が強いことはある。「群れ」から転訛したのだとすると,確かに背景に同じものがいる(ある)ことを示す意図はあるが,それが背景に引っ込んで,その文脈の中で,

あちら,

というとき,「あっち」というだけではなく,「あっちの方面」とちょっと曖昧化する含意がある。それは,現代語でも,

とか,

というのが,単なる「例示」「など」の含意とは別に,ニュアンスをぼかすところがあるのと似ていると言えば言えるのだろう。『広辞苑』には,「とか」について,

「『と』も『か』も並立を表す」

とあり,

例示,
等,

の意味だが,

…という,

といったあいまいさを表現する含意があり,それが,今日一層強まっていると言える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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など


「など」は,

等,
抔,

と当てる。「等」(トウ)の字は,「ら」

http://ppnetwork.seesaa.net/article/459648659.html?1527532850

で触れたように, 

「『竹+音符寺』で,もと竹の節,または,竹簡の長さが等しく揃ったこと,転じて,同じものを揃えて順序を整える意となった。寺の意味(役所 ジ・シ)は直接の関係はない。」

で,「ひとしい」「ひとしくそろえる」という意味だが,助詞として,「ほかにも同じものがあることをあらわすことば」とあり,和語「ら」や「など」に当てた意味がある。

しかし,「抔」(漢音ホウ,呉音ブ)の字は,

「不は,まるくふくれたつぼみの形を描いた象形文字。抔は『手+音符不』で,両手をまるくふくらませてすくうこと」

で,「すくう(掬う)」意味である。「など」に当てるのは,我が国だけの用法である。

「など」は,『広辞苑』によると,

「副助詞。『何』に助詞『と』が付いたものの転。平安時代に使われ出した語。本来なかった『などと』の例が,鎌倉時代以後に見られる。」

とし,以下の意味を載せる(『広辞苑』『デジタル大辞泉』)。

@ある語に添えて,それに類する物事が他にもあることを示す。「赤や黄などの落ち葉」「寒くなったのでこたつを出しなどする」
Aそれだけに限定せずやわらげていう。「お茶など召しあがりませんか」「今インフレになどなったら大変」
B(引用句をうけて)大体そんなことをの意を示す。「断る―とは言っていられまい」
Cその価値を低めて言う。相手の言ったことを退ける気持ちで,特に取り立てて示す。否定的反語的表現を伴うことが多い。「わたしのことなどお忘れでしょう」「金などいるものか」

こうみると,「ら」の使い方と似ているだけではなく,こんにちの「とか」とほとんど重なる気がする。

『岩波古語辞典』には,「ナニトの約」として,

nanito→nanto→nando→nado

とし,『日本語源広辞典』は,

ナニト→ナンゾ→ナンド→ナゾ→ナド,

と音韻変化させている。『岩波古語辞典』は「など」は平安時代に生じた語で,

「『鹿島の娘といふところに,守(かみ)のはらから,また他(とこ)人,これかれ酒なにと持て追ひきて』(土佐日記)のような『なにと』がもとの形である。このことからわかるように,『など』は複数を示すものではなくて『大体のところ…である』の意である。また,『一例をあげれば』と訳してあたることが多い。例として示すのであるから,これと明確に限定するものではなく,人の言葉や物事を,ややぼんやりと示すのにも使う。」

とする。つまり,初めは,

例示,

「酒など」という言い方で,「酒を初めとして」という言い回しである。ある意味,状態表現を枚挙せず,代表的な何かを例示したことになる。それが,

「等々」

と,背後に複数存在する含意を持つに至るのは自然である。そこまでは状態表現である。それが価値表現へと転ずると,それ自体が,意味を持つと,その曖昧さは,

婉曲化,

であったり,

謙譲,

であったり,

貶しめ,

であったりする陰翳をもつことになる。ますます「とか」と重なるといっていい。

「とか」は,『広辞苑』によると,

「と」も「か」も並立を表す助詞,

で,

@例示し,列挙するのに用いる,例示する事項の後に〜「とか」を付けるのが本来の使い方だが,最後の例示の後に付けないことがある。「雪とか雨とか」「地位とか名誉」
A一つの物事だけを挙げ,他を略して言う,またはそれと特定しないで,言う表現。「コーヒーとか飲んだ」

格助詞「と」に係助詞「か」が付いたもの(多く「言う」「聞く」等々を伴う,

で,

内容が不確かである意を表す。「うまくいったとかいうことだ」「結婚したとか」

とあが,二者を区別しなくても,「とか」が,例示から曖昧化へと転じていくのは良く見える。この「とか」は,最近の使われ方かと思うと,

海原(うなはら)の沖行ゆく船を帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫(まつらさよひめ)」(万葉集 八七四)

は,

〔(文中にあって)不確定な推量を表す〕…と…であろうか。

とし,さらに,

「琴(きん)はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか」(源氏物語 若菜)

に,

〔(文末にあって)伝聞を表す〕…とかいうことだ。

という用例がある(『学研全訳古語辞典』)。さらに,「とか」を,

格助詞「と」+係助詞「か」

が成り立ちと,している(仝上)。

ということは,「など」が例示から曖昧化していったのとは異なり,「とか」は,初めから,

不確かな伝聞・推測,

からスタートしているという意味では,「とか」が今日,いろいろな形の曖昧表現に多用されるのは,元々の意味を引きずっているといっていいが,むしろ,その「とか」の含意を使って,はっきり分かっていることでも,

とか,

と使うことで,ある場合は,

婉曲,

になり,ある場合は,

謙譲,

にもなる意味の翳をうまく使っているともいえる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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てるてる坊主


てるてる坊主は,晴天を祈って,軒先に吊るしておく。

『広辞苑』には,

「晴天となれば,晴(ひとみ)をかきいれ神酒を供えた後,川に流す」

とある。その風習は知らない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%9D%8A%E4%B8%BB

には,

「照る照る坊主(てるてるぼうず)は、日本の風習の一つである。翌日の晴天を願い、白い布や紙で作った人形を軒先に吊るすもので、『照る照る法師』、『照れ照れ坊主』、『日和坊主(ひよりぼうず)』など地域によって様々な呼称がある。」

とあり,

「てり雛・てり法師・てりてり坊主・てるてる・てるてる法師・てるてる坊主・てれてれ法師」

といった異称があるらしい。そして,

「江戸中期既に飾られていたようである。この頃の人形は折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願した。19世紀はじめの『嬉遊笑覧』には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。」

とある。『江戸語大辞典』は,「てるてる法師(照々法師)」「てるてる坊主(照々)坊主」が載り,

「児女などが晴天を祈って軒下などにつるす紙人形。祈って天気となれば晴(ひとみ)を書き入れ神酒を供えた後,川に流す」

とある。

紙人形であった,

ことと,晴れになったら,

晴(ひとみ)を入れて,
神酒を供えて,
川に流す,

というのが,風習としてあったということになる。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/te/teruterubouzu.html

は,

「てるてる坊主は、中国から入った風習といわれる。 中国では、白い紙で頭を作り、赤い紙の服を着せ、ほうきを持たせた女の子の人形(『雲掃人形』や『掃晴娘』と呼ばれる)を 、雨が続く時に軒下につるして晴れを祈る風習があった。 ほうきを持っているのは、雨雲を掃き,晴れの気を寄せるためという。この風習が江戸時代に伝わり(一説には平安時代とも),当初は『照る照る法師(てるてるぼうし)』と呼ばれていたものが、『照る照る坊主(てるてるぼうず)』になった。現在でも地域によって『てるてる法師』や『てれてれ坊主』、『日和坊主』などと呼ばれる。
女の子から男の子に変化した理由は定かではないが、日照りを願う僧侶や修験者が男であったことからや、人形が頭を丸めた坊主のようであるところからと考えられている。」

とある。しかし,今日中国ではその風習はすたれ,今では中国でも日本から伝わったてるてる坊主のほうがメジャーだとか(一説にアニメ『一休さん』の影響らしい)。

「掃晴娘」の由来については,大体似た話が載るが,たとえば,

https://wabisabi-nihon.com/archives/14405

に,

「昔々のある年の6月に、中国の北京は、これまでにない大雨に見舞われます。雨はいつまでもいつまでも降り続き、止む気配はありませんでした。大雨を降らせた『東海龍王』は、北京城内を雨水であふれさせ、人々を苦しめます。
そんなある夜、晴娘(ちんにゃん)という娘が、天に向かって祈りました。
「この雨が、一刻も早くやみますように・・・!」
すると、突然空からお告げがあったのです。
「晴娘よ、東海龍王の太子の妃になれ。もしも従わなければ、北京を水没させるぞ。」
その声を聴いた晴娘は、答えました。
「命に従って天に上ります。ですから、どうか雨をやませてください。」 
その瞬間、突風が吹き、晴娘の姿は消えました。そして雨はピタリと止み、久しぶりに北京の街に、晴れ間が見えたのです。それ以来、人々は雨をやませるために犠牲になった晴娘を祀り、長雨のときには、紙で作った人形を、門にかけるようになったのだそうです。」

と。真偽はともかく,紙で作った人形というところは似ている。『大言海』には,「てるてる坊主」の意味に,

掃晴娘,

をのせ,帝京景物略(明,劉洞)を引く。

「雨久,以白紙作婦人首,剪紅縁紙衣之,以苕菷苗縛小帚,令携之令攜之,竿懸簷際,曰婦晴娘」

とある。明代の風習とすると,江戸時代に入って来たものと思われる。とすると,あるいは,

掃晴娘,

の由来話は,後世の創作の可能性がある。

ところで,童謡『てるてる坊主』(作詞・浅原鏡村)は,

(1番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
(2番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
(3番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ

だが,もともと「削除された幻の1番」というのがあって,

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう

だそうだ(https://tenki.jp/suppl/usagida/2015/05/14/3771.html)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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てる


「てる」は,

照る,

と当てる。「照」(ショウ)の字は,

「召は『口+音符刀』からなり,刀の刃の曲線のように,半円を描いて招きよせること。昭は『日+音符召』の会意兼形声文字で半円を描いて,右から左へと光りがなでること。照は『灬(火)+音符昭』。昭が明らかの意の形容詞にもちいられるため,さらに火を加えてすみからすみまで半円形にてらすことを示す。」

とある。「遍く照らす」といった含意でり,あえて言えば,照らす主体からの視点と見ていい。

「てる」は,

太陽や月が光を放つ,
晴れる,
光を受けて美しく輝いて見える,映える,
(面照るの略)能楽で,顔面が少し上向きになるのをいう(対は曇る),

とどちらかというと,状態表現である。他の辞書には載らないが,『学研全訳古語辞典』に,

とる(照る),

が載る。

「てる」の上代の東国方言,

として,万葉集の,

日がとれば雨を待(ま)とのす君をと待とも

が載る。

さて,「てる」の語源について,『大言海』は,

「テラテラする意」

とある。『擬音語・擬態語辞典』は,

「てらてら」について,

「『照る』の未然形『てら』を重ねてできた語。すでに室町時代には使われ,夕陽や月が『てらてら』輝くと表した。
 一方,連用形『てり』を重ねた『てりてり』という語も室町時代に見られた。『絹のてりてりと光色のあるに』(四河入海)」

とある。素人が言うのもおこがましいが,普通は逆ではあるまいか。

てらてら,てりてり→てる,てり,

と動詞化するのではあるまいか。『日本語源広辞典』は,

「テ(つや・光)+ル(動詞化)」

としている。『日本語源大辞典』は,

タヘ(妙)の反テを活用したもの(和訓栞),
足りて余光のある意からタル(足)の義(日本語源=賀茂百樹),
ツテアル(伝有)の義(名言通),
光を形容した語テラを活用したもの(国語の語根とその分類=大島正健),
テラテラと光る意から(国語溯原=大矢徹),
テンハルル(天晴)の義(和句解)

とあるが,どうも,

テラテラと光る,

という擬態語が気になる。「照る」に似た言葉に,

きらめく(煌めく),
かがやく(輝く),

がある。「きらめく」は,「きら」からきている。「きら」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8D%E3%82%89) で触れたように,

キラキラと見えるもの,また光のきらめき,

の意であるが,また,その状態から,

雲母(うんも),

を指す。あるいは,モノとしての雲母から,「きら」という言葉ができたのかもしれない。雲母は,

きらら,

とも呼ぶ。『大言海』には,

「煌煌(きらきら)の約。うらうら,うらら。きはきは,きはは」

と載る。雲母の「きらら」自体が「きらきら」という状態をそのまま名づけたように見える。「かかやく」も,

カガ・カガヤ(眩しい・ギラギラ)+ク(日本語源広辞典),
カガは赫,ヤクはメクに似て発動する意(大言海)
カクエキ(赫奕)の転(秉穂録),光の目に強く感ずるさまと,カ音の耳に強く感ずる趣の相似ていることから(国語溯原=大矢徹),

等々と,擬態語からの動詞化,形容詞化への変化とみられる。とすると,類似語「てる」も,

テラテラ・テリテリ→テル,

という変化と見たいが,どうだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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くもる


「くもる」は,

曇る,

と当てる。『広辞苑』には,

雲を活用させた語,

とある。「曇」(漢音ドン,呉音タン)の字は,

「『日+雲』で,雲が深くて日を隠すことを示す。底深く重い意を含む。雲が奥深く重なって重苦しいこと」

で,「雲」(ウン)の字は,

「云(ウン)は,立ち上る湯気が一印につかえて,もやもやとこもったさまを描いた象形文字。雲は,『雨+音符云』で,もやもやたちこめる水蒸気」

とある(『漢字源』)。しかし,

https://okjiten.jp/kanji102.html

は,

「会意兼形声文字です(雨+云)。『天の雲から雨水が滴(したた)り落ちる』象形と『雲が回転する様子を表した』象形から『くも』を意味する『雲』という漢字が成り立ちました。」

とする。しかし,「雲」の意味は,

くも,
雲のようにもやもやしたもの,

の意で,雨の落ちる意は含まない。後世の「字面」からの後解釈に思える。

さて,「曇る」であるが,『岩波古語辞典』『デジタル大辞泉』『大辞林』も,

「雲の動詞化」

とする。

『大言海』も,

「隠(くも)る義なりと云ふ(かくむ,かこむ。くくもる,くこもる)。曇ると云ふも,雲を活用せしめたる語なり。沖縄にて,クム,朝鮮にてクラム。」

と同様に,「雲の動詞化」説を採る。しかし,『日本語の語源』は,

「黒雲の中に(雨)コモル(籠る)は(天)クモル(曇る)に転音・転義をとげた。その名詞形のクモリ(曇り)は語尾を落としてクモ(雲)になった」

と真逆である。つまり,

クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る),

ではなく,

コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲),

ということだ。しかし,並べてみると,クモルあるいはコモルから「クモ」ができ,更にそれが動詞化するというよりは,クモルあるいはコモルから,クモルとなり,クモとなった方が,自然な気がするのだが,どうだろうか。

『日本語源広辞典』は,「雲」の語源を,

「隠る・籠る」と語源が等しいのだろうというのが通説,

としており,それならなおさら,

クモルあるいはコモル→くもり→くも,

と見るのが妥当と思えるが,『日本語源大辞典』は,「雲の動詞化」以外,

クモオフル(雲生)の義(東雅・類聚名物考),
クモヰル・クモヲル(雲居)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣),
クモ(雲)カサナルからか(和句解),
コモル(籠)の義(志不可起・日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健),
「薫」(kum)の転音から(日本語原学=与謝野寛),

等々載せるが,「コモル」「クモル」以上の説は見当たらない。ただ,『日本語源広辞典』の,「くもり」について,

「語源は『雲+寄り』の変化です。『雲+り』で,曇天の意味を表します。『日+寄り』,つまり,日和に対する語です」

というら説明はちょっと気になるが,「日和」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E6%97%A5%E5%92%8C)の項 で取り上げたように,「日和」を「にわ」と訓ませ,

「万葉集の『にはよくあらし』を日の和(な)いだことと解して当てた字」(『大辞林』)
「日和の字は,万葉集256『飼飯の海の庭よく荒し』,同2609『武庫の海の爾波よくあらし』のニハを,後世,日の和らいだことと解して当てた『日和(ニハ)』という字面が,同義のヒヨリの語に当てられて新しく成立したもの」(『岩波古語辞典』)

とあり,

海上の天気,または海上の天気の良いこと,

の意味であり,「庭」を当て,

魚場,

の意から転じて,

「風がなく海面の静かなさま」

という意味になる。『日本語源広辞典』の解釈は,こじつけということになる。

「くも」の語源は,『日本語源大辞典』に,

コモル(隠・籠)の義(閑田耕筆・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海),
天体をコメル(籠)ところからクミと呼ばれ,それが転じたもの(日本古語大辞典=松岡静雄),
クマ(隠)の転(言元梯),
クグモルの義(桑家漢語抄),
クモリの約(冠辞考),
すべてをひきこめてしまうところからコムモロの反(名語記)

といった,コモル・クモム系があり,

水気が集まってできるというところから,クム(組)の転(箋注和名抄・雅言考・碩鼠漫筆),
クム(酌)から出た語。水をクミ(酌=雲)あげなければアム(浴=雨)ことができないことから(嚶々筆語),

といった,クム系があり,

雲の姿から,クは内へまくり入る意,モは向かう義(仙覚抄),
クはクラキの下略。モはモノ(物)か,モト(基)か,ヨモ(四方)のモか。また,いつも起こるところから,いつものモか(和句解),
キムレヲリ(気群居)の義(日本語原学=林甕臣),
煙の上昇する意の「薫」(kum)の転音転義(日本語原学=与謝野寛),
朝鮮語で雲をいうkuramと同源か(万葉集=日本古典文学大系),
クロシ(黒),クラシ(暗)等に含まれるアイヌ語に似た語根kurがあり,さらに朝鮮語kurum(雲)と比較すると,kumoはkur + moから来たか(日本語の系譜=服部四朗)

等々と諸説があるが,やはり,普通に考えれば,

クモル(隠る)→クモ(雲)→クモル(曇る),

か,

コモル(籠る)→クモル(曇る)→クモ(雲),

だろう。僕は,後者に与したい。

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おどし


「おどし」は,

縅,

と当てる。

鎧の札(さね)を糸または細い革で綴ること,

である。

赤絲威(あかいとおどし)鎧,

等々といったりする。『平家物語』には,

「朽葉の綾の直垂に、赤革縅の鎧着て、高角打つたる甲の緒をしめ」

といった表現が載る。『広辞苑』は,

「『緒通し』の意。『縅』は国字。もと『威』と当てた」

とある。『漢字源』には,

「『糸+威』。をどしは,もと『緒通し』の意。意がおどし(威)に近く,また武具の部品であるので,『緒通し』を『威し』と考えてつくった字。威の訓を音符とした日本製の漢字」

とある。

とすると,『日本語源広辞典』の,

「鎧の札(サネ・鉄薄板)を,糸や革で綴ることをいいます。威光を示す意味から,次第に威しと意識されるようになった」

という説明は,前後が逆である。最初から,「威し」の意を含めて,「縅」の字を作っているのだから。

因みに「威」(イ)の字は,

「『女+戊(ほこ)』で,か弱い女性を武器でおどすさまを示す。力で上から抑える意を含む」

とある。「戊」(漢音ボ,呉音ム)は,十干の「つちのえ」だか,

「戉(エツ まさかり)に似た武器を描いたもので,その根元の穴が柄にかぶさるので,ボウ(=冒)という。のち十干の序数に当てられたため,原義は忘れられた。戈の一種で,矛(ボウ 突く武器)とは形が異なる。」

とある。

札(さね)は,『広辞苑』には,

「鉄または練革(ねりかわ)で作った鎧の材料の小板。上部を札頭(さねがしら),下部を札足(さねあし)と言う。これを横に重ねて革緒でからみ,糸または革の緒で縦に数段縅(おど)す」

とある。こうみれば,「おどし」は,

緒通す,

で決まりのようだが,異説はある。

鎧の威の毛色で敵をおどすという意から(安斎雑考・両京俚言考),

とある。しかし,

安斎雑考,

は,江戸中期の有職故実研究書,

両京俚言考,

は,江戸中期の国語辞典,である。いずれも,江戸期というところが鍵のようである。『図説日本甲冑武具事典』は,

「鎧の札板を上から下へ連接することをいう。江戸時代には『威し』の意味にしているが,『緒通し』の転訛である。」

としている。こんなものを「威し」とするほどに,江戸時代は戦いと無縁であったということかもしれない。

参考文献;
伊澤昭二監修『『図説戦国甲冑集』』(学習研究社)
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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やはり


「やはり」は,

矢張り,

と当てるが,『日本語源広辞典』の,

「矢を張ってじっと静かに待っている」

というのは如何であろうか。「矢張り」は,当て字なので,それを解釈するというのは。

「やはり」が音韻変化して,

やっぱり,

とも言う。

ヤッパシ,
ヤッパ,

も同じである。

もとのまま,前と,あるいは他と,同じに,
思った通りに,案の定,

といった意味である(『広辞苑』)。しかし,『デジタル大辞泉』は,この他に,

さまざまに考えてみても結局は同じ結果になるさま,つまるところ,
動かずにいるさま,

の意味も加える。『大言海』は,

「彌張(やは)りの意にもあらむか」

と書く。『岩波古語辞典』は,

「ヤはヤハヤハ・ヤハラなどのヤハに同じ」で,

ゆったりとしているさま,静かにじっとしているさま,
依然として。転じて,予想通り,案の定,

と意味を載せる。「やはら」は,

柔ら,

と当て,

「ヤハは擬態語。ラは状態を表す接尾語」

とあり,

ふんわりしている状態,

を意味する。「やはやは」は,

いかにも柔らかなさま,

の意である。どうやら,「やはり」の「やは」は,今日言う,

やわやわ,

という擬態語と通じる。

柔らかでしなやかな様子,
穏やかでゆったりとした様子,
力を加減して穏やかに物事を行う様子,

の意である。とすると,「やはり」は,その「やは」の状態を示す,状態表現として,

ゆったりとしているさま,静かにじっとしているさま,

を示していた。それが,視点を転じて主体表現となると,

依然として,そのまま,

となり,その状態が続いていると予想する通りの

予想通り,案の定,

という価値表現へと転じたということだろうか。『日本語源大辞典』は,

「やおら」「「やわら」と同源,

とも書く。「やおら(やをら)」は,

そっと,おもむろに,

の意で,『岩波古語辞典』の言う,

力を加減して穏やかに物事を行う様子,

という意に通じる。『大言海』は,

「弱(よわら)の転と云ふ。サレド,ヤハラと云ふも同語なるべければ,柔(やはら)なるべし」

と,「やはら」とつなげている。

例によって,『日本語の語源』は独自の音韻変化をたどってみせる。

「ナホ(尚,猶)は『やはり,以前として』という意の副詞である。『依然として存在している』という意のナホアリ(猶在り)は,ホア[h(o)a]の縮約でナハリに転音するとともに,『ナ』が子交(子音交替)[nj]をとげてヤハリ(矢張り)・ヤッパリになった。」

とする。しかし,これだと,「やはり」の状態表現から価値表現への変化が説明できない。後世の意味からの後解釈ではなかろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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ななめ


「ななめ」は,

斜め,
傾,

と当てる。

傾いている,

意であるが, 

陽が西に近づく(陽が傾く),
(人の気持ちなどが)普通とは違っている・こと(さま)
ひと通り,世の常,
(ななめならずとおなじ)ひととおりでないさま,はなはだしいさま,

の意が載る(『広辞苑』『大辞林』)。『岩波古語辞典』を見ると,

「『ナノメ』の母音交替形」

とあり,「なのめ」には,

「日本人は垂直・水平であることを,きちんとしてよいこととしたので,ナノメは,いい加減,おろそか。どうでもよい扱いの意となった。ナナメは漢文訓読体に使い,ナノメは平安女流の仮名文学でもちいた」

とあり,『日本語源大辞典』には,

「『なのめ』より遅れて,平安後期になって生じた語。当初は主に漢文訓読文に用いられたが,中世になって『なのめ』が勢力を失うに伴って『なのめ』の表していた意味・用法を包含し優勢になった」

とある。

ひと通り,世の常,
の意と,
ひと通りでないさま,はなはだしいさま,

と真逆で使われているのは,「斜めならず」が,

ひと通りでないさま,はなはだしいさま,

で使われたために,「ななめ」自体の意味に紛れ込んだと見れば,不思議ではない。むしろ,『岩波古語辞典』の説明とは異なり,「ななめ」に,

いい加減,おろそか,

だけでなく,

ひと通り,尋常,

の意があることが不思議である。「なのめ」も「ななめ」も,

傾き,

の意から,

おろそか,いい加減,

の意を持つ。この「ななめ」の意味の特徴は,類義語「そば(稜・傍)」を見るとよく分かる。『岩波古語辞典』「そば」には,

「ソハと同根。原義は斜面の意。また鋭角をなしている角,斜めの方向の意。日本人は水平または垂直を好み,斜めは好まなかったので,斜めの位置,とがったかどの場所の意はやがて,はずれ・隅っこの意に転じ,さらに少しばかりのものなどを指すようになった。また,はずれた所の意から,物の脇・物の近くの意を生じた。ソバ(蕎麦)・ソビエ(聳)も同根」

とある。「そば(蕎麦)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%9D%E3%81%B0)については で触れた。「そば」という位置という状態表現が,価値表現へと転じる経緯がよくわかる。しかし,「ななめ」は,それなら,なぜ,たとえば,

「わが為にも人のもどきあるまじななめにてこそよからめ/源氏 浮舟」
「わが娘はななめならむ人に見せむは惜しげなるさまを/源氏・東屋」

というような,

ありふれているさま,平凡,普通,尋常,ひと通り,

等々の意味で使われるのか。『日本語源広辞典』は,「ななめ」について,

「『ナ(斜)』+の+モ(面)」が,ナノメ,ナナメと音韻変化した語です。普通と違っている意です。中世以後,御機嫌の場合は,『機嫌がよい』意でつかうようになります。」

でも,それなら,ますます「尋常」のを持つ意味がわからない。たとえば,『日本語源大辞典』は,

十のうち五,六を峠とするとナナ(七)は下りでナナメになるところから(日本釈名),
七眼の義。七つ時は日の傾く頃であるところから(和訓栞),

とし,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/na/naname.html

は,

「『なのめ』の『なの』は『なのか(七日)』の『なの』と同じ『七』のことで,七つ時が日の傾くころであるところからといわれている。10のうち5,6を峠とすると,7は下り坂で斜めになるところからといった説もあるが,登りも斜めであるし,他の数でも斜めであると言えるので考慮しがたい。七つ時が有力であると思えるが,『なのめ』は『傾く』の意味よりも,ありきたりのさまや,いい加減なさまの意で用いられているため断定は難しい。」

と,「七つ時」つまり,午後五時頃とする。これでは,

尋常,

という意味の謂れが説明できない。それに唯一答えを出しているのは,『日本語の語源』である。

「なみなみ(並々)は,語中の『ミ』を落としてナナミ・ナナメ(並々)に転音した。ナナメナラズ(並々ならず)は,ひと通りではない。はなはだしい」という意味で,〈木曽義仲都にて狼藉ナナメナラズ〉(盛衰記)という。
 ナナメはナノメ(並々)に転音した。『世の常。ひととおり。人並み』の意の副詞として〈つらきことありとも念じて(がまんして)ナノメニ(人並みに)思ひなりて〉(源氏・帚木(ははきぎ))という。
 ナナメナラズ(並々ならず)もナノメナラズに転音して『並々でない。ひととおりでない。格別だ。きわだっている』という意味で〈家中富貴してたのしいことナナメナラズ〉(平家),〈主上ナナメナラズ御嘆きあって〉(平家)という。
 現代語ではナナメ(並々)をナナメ(斜)とみて,機嫌が悪いことをゴキゲンナナメといい,大変機嫌のよいことをゴキゲンナナメナラズという。」

この説に依るなら,

斜めの「ななめ」

並々の「ななめ」
とは,由来を異にするのかもしれない。それが「斜め」の中に,交じりあってしまったのかもしれない。つまり,

なのめ(斜め)→ななめ,
と,
ななめ(並々)→なのめ→ななめ,

と転訛する中で,両者が捩れあい,「斜め」の意と「並々」の意とが「ななめ」の中で交じりあった。と。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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キジ


雉,
雉子,

と当てる。日本の国鳥である。古語では,

雉子(きぎす),

という。

きぎし,

ともいう。

『岩波古語辞典』には,「きぎし」の項で,

鳴き声による名か,

とある。『大言海』も,「きぎし」の項で,

「キギは鳴く聲。キキン,今はケンケンと云ふ。シはスと通ず。鳥に添ふる一種の音。…キギシのキギスと轉じ(夷(えみじ),エビス),今は約めてキジとなる」

とある。

キギシ→キギス→キジ,

という転訛である。『日本語源広辞典』も,

「キギ(金属的な鳴声)+ス(鳥の意味の接尾語)

とする。「ウグイス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)の項で, ウクイという鳴く聲,スは鳥の接尾語,「カラス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%82%B9)の項で , 鳴き声「ころ」「から」+ス,「ホトトギス」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%83%9B%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%AE%E3%82%B9)の項で, 「ホトホト」という鳴き声+「ス」というのと同系と見ることができる。

ただ『日本語の語源』は,鳴声説だが,別の音韻変化説を採る。

「〈雉子も鳴かずば討たれまい〉(狂・禁野)というが,その鳴き声をとってキキトリ(鳥)といった。トリ[t(or)i]の縮約でキキチ・キギシ(雉子)・キギスに転音した。〈春の野にあさるキギシ(雉)の妻恋に〉(万葉)。さらに,『キ』を落としてキジ(雉)になった。」

キキトリ→キキチ→キキシ・キギス→キジ,

という転訛を採った。

『日本語源大辞典』に,

「万葉東歌,記紀歌謡の仮名表記には『きぎし』とあり,古くは多く『きぎし』と呼ばれていたが,『古今六条』には『きじ』が六首,『きぎす』が二首見られる。後者は共に万葉の歌だが,『きぎし』から『きぎす』に移行した時期は不明」

とある。それでも,鳴き声以外の説を立てるのもあり,

低く飛ぶところから,ヒキシ(低)の上略(滑稽雑誌所引和訓義解),
子を思うあまり,野火にヤキシヌ(焼死)ところからか(和句解),

と,なかなか苦しい。

ケン・ケーン,

といまは聞くが,かつては,

キキン,
キンキン,

と聞えたということだろう。『擬音語・擬態語辞典』には,

江戸時代中頃から,キジの雄鶏の鳴き声を,

れんけん,

と写すようになった,とある。因みに,

「けんけんほろろ」

は,雉(雄)の鳴き声と羽音だが,「けんもほろろ」は,

「『けんけん』に『けんけんほろろ』が重ねあわされて誕生した」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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まこと


「まこと」は,

誠,
真,
実,
信,


等々と当てる。『広辞苑』『岩波古語辞典』『大言海』に,

「ま(真)こと(事・言)の意」

とある。かつて,「言」は「事」であったので,「こと(事・言)」としている,と見ていい。『岩波古語辞典』には,

「古代社会では口に出したコト(言)はそのままコト(事実・事柄)を意味したし,また,コト(出来事・行為)は,そのままコト(言)として表現されると信じられていた。それで,言と事は未分化で,両方ともコトという一つの単語で把握された。従って,奈良・平安時代のコトの中にも,言の意か事の意か,よく区別できないものがある。しかし。言と事が観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると,コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり,コト(事)と別になった。コト(事)は,人と人,人と物の関わり合いによって,時間的に展開・進行する出来事,事件などをいう。時間的に不変の存在をモノという。」

とある。

『日本語源広辞典』にも,

「『眞事,眞言,正事,正言』の文字通りです。正しい事実,正しい言葉,いずれもマコトである。うそごまかしのないこと。副詞のマコトニは同源です。日本人は,マコトの微妙な違いは,中国語源で区別しています。」

とある。この使い分けは, 

信は,信実と熟す。間違いなき義。實より軽い,
眞は,ほんまにと訳し,偽の反と註す,うぶのままにてすこしもつくろわざる義,天真,性真などと熟す,
誠は,詐の反。眞と同用,眞誠と熟するにても知るべし,
實は,虚の反,充満して欠ける無きをに云ふ,
忠は,真心,心の中心,汚れなき心,

とある(『字源』)。

「信」(シン)の字は,

「言は,言明(はっきり言う)の意。信は『人+言』で一度言明したことは押し通す人間の行為を表す。途中で屈することなく,まっすぐのび進の意を含む。信義の信はその派生語」

「眞(真)」(シン)の字は,

「『匕(さじ)+鼎(かなえ)』で,匙(さじ)で容器に物を満たすさまを示す。充填の填(かけめなくいっぱいつめる)の原字。實(ジツ)はその語尾が入声(つまり音)に転じた言葉」

「誠」(漢音セイ,呉音ジョウ)の字は,

「成(セイ)は『戈(ほこ)+音符丁(とんとうつ)』からなり,道具でトントンと打ち固めて城壁をつくること。かけめなくまとまるの意を含む。誠は『言+音符成』で,かけめない言行。」

「實(実)」(ジツ,漢音シツ,呉音ジチ)の字は,

「『宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)』で,家の中に財宝を一杯満たす意を示す。中身が一杯で,欠け目がないこと,また,真(中身がつまる)は,その語尾がnに転じた言葉」

「忠」(チュウ)の字は,

「中とは,なか・中身などの意。忠は『心+音符中』で,中身が充実して欠け目のない心」

とある(『漢字源』)。

漢字では,

實>信,
真⇔偽,
誠⇔詐,
實⇔虚,

と使い分けていることになるが,微妙に日本語とは違うかもしれない。日本語では,

事実の通りであること,嘘でないこと,
偽り飾らない情,

と『広辞苑』には意味が載る。

本来は,

マ(真)+コト(言・事),

と,言葉と事実は区別されないにしろ,

言ったこと,
と,
行ったこと,

とは重なった意味で,あくまで,状態表現であった。しかし,コトが,言と事と区分するようになると,マコトは,心の問題へとシフトしていく。

『学研全訳古語辞典』によると,「まこと」は,

「日本の文芸全般を通じての、根本的な美的理念。真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。特に『万葉集』を中心とする上代文学に見られ、文学用語としては『古今和歌集』の仮名序に現れるのが最初。平安時代の『もののあはれ』や、中世の『幽玄』などの美的理念の基調ともなった。江戸時代の俳論や歌論などにもしばしば説かれ、その根底になっている。」

としている。

「真実の姿・感情を尊重し理想とする精神で、感情と理性とが自然に一体となった境地のこと。」

とは,

「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」(徒然草)
「あづま人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」(仝)

と,しかし,それ自体が,

虚実の境,

の絵空事(虚構)に思えるが

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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やぶさか


「やぶさか」は,

吝か,

と当てる。「吝嗇」の「吝」の字である。今日,

やぶさかでない,

という言い回しで使う。

協力するに吝かではない,

といった場合,

…する努力を惜しまない,
喜んで…する,

と辞書には意味が載るが,本当にそうなら,まさに,「二つ返事」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E4%BA%8C%E3%81%A4%E8%BF%94%E4%BA%8B) で触れたように,

ためらうことなく,すぐ承諾する,

と言うはずで,

吝かではない,

という言い方には,どこか物惜しみする含意がなくはない。『日本語源広辞典』には,

「やぶさか(物惜しみする)+で+ない」

で,「少しも惜しまない」いとする。しかし,それならそうとはっきり言ってもらった方がいい。どこか奥歯に物の挟まったような言い方である。やはり,「やぶさか」の意味,

物惜しみするさま,けちなこと,
未練なさま,思い切りのわるいさま,

が翳を落としていると思う。それに当てた「吝」(リン)の字は,

「『文+口』。文は修飾を意味する。口先を飾って言い訳し,金品を手放さない意を示す。憐(レン 思い切り悪く,心を悩ます)ときわめて近い」

とある。「やぶさか」に当てたのは正鵠を射ている。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%82%84/%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

が言うように,

「困っている人を援助するとき、『吝かでない』『微力ながら』『陰ながら』などと、あまり積極的に人助けをしたくないようなことを言う日本人のために弁護しておくと、これらは自慢げに人助けをするべきではないという『陰徳(隠れてする善行)』の美学を表した言い方だと解釈することもできる。つまり、「たいしたことはできない」と言いつつ精一杯力を尽くすのがカッコいいと、われわれは考えているのである。」

という解釈も成り立つが,それなら,

微力ながら,お手伝いさせていただきます,

というだろう。それと,

吝かではない,

を同列には置けない。やはり,

「努力を惜しまない、喜んでするという意味。けち、出し惜しみすること、ためらうことという意味の『吝か』を否定したもの。『御社の再建にあたって協力するに吝かでない』『あなたの努力を認めることに吝かでない』などと用いるが、ほんとうに喜んで協力したり、認めたりしたいなら、『全面的に協力します』『喜んで認めます』とズバリ言うべきで、出し惜しみするとかためらうという意味の『吝か』を持ち出すのは、『ほんとうは吝かだけれども、タテマエ上言ってみました』的なホンネをのぞかせた言い方であると言えよう。」(『笑える国語辞典』)

といっている通りである。文化庁が発表した,平成25年度「国語に関する世論調査」では,

「協力を求められればやぶさかでない」を、本来の意味とされる「喜んでする」で使う人が33.8パーセント、本来の意味ではない「仕方なくする」で使う人が43.7パーセントと、逆転した結果が出ている,

とあるが,「吝かでない」の本来の意を汲んでいるといっていい。やりたければ,「微力ながら」とは言っても,「やぶさかではない」などと持って回った言い方はしまい。『実用日本語表現辞典』

https://www.weblio.jp/content/%E5%90%9D%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84

には,

「形容動詞『吝か(である)』の否定形で、多くの場合『やりたい』というおおむね積極的な意思を示す表現。
『吝か』は、それ自体『気が進まない』『気乗りしない』『あまりやりたくない』といった後ろ向きな気持ちを示す。これを『吝かではない』と、否定形によって表すことで、『やりたくないわけではない』、『やってもよい』、あるいは、『どちらかと言えばやりたい』、『むしろ喜んでする』といった肯定的・積極的な姿勢を婉曲的に表す。
『吝かではない』のように否定的表現を否定する修辞法は『緩叙法』とも呼ばれる。例えば『嫌いではない』(わりと好きだ)、『悪くない』(けっこう良いと思う)などのような表現でも緩叙法が用いられている。」

とある。ここから読めるのは,せいぜい,

やりたくないわけではない,
やってもよい,

という消極的な意思に思える。

『岩波古語辞典』には,

「論語建武本や文明本節用集にはヤブサカとあるが,名義抄にはヤフサガルとあり,鎌倉時代以降,清濁が写ったらしい」

とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/ya/yabusaka.html

は,

「やぶさかは、平安時代の言葉で、物惜しみする 意味の動詞『やふさがる』,けちである意味の形容詞『やふさし』と同源と考えられている。鎌倉中期以降,『やふさがる』『やふさし』は用いられなくなり,『やふさ』に接尾語の『か』がついた『やふさか』『やっさか』という語が生まれたが,『やっさか』は消滅した。やがて『やふさか』の二音節が濁音化され,『やぶさか』となった。」

と,その経緯を詳説しているが,『日本語源大辞典』は,やはり,

「古く,『物惜しみする』『物語惜しい』の意味の動詞,形容詞形として,『やぶさがる『やふさし』があった。鎌倉中期以降,この両語があまり使われなくなって,かわって『やぶさか(なり)』という形容動詞形が発生した。
 文明本節用集には『吝 ヤツサカナル』『吝 ヤブサカナラバ』の二形が併記されているが,これは,『やふさし』『やふさがる』の語幹『やふさ』に接尾語『か』が付いて,『やふさか』が成立し,それが一方で『ふ』が促音化して『やっさか』,一方で『ふ』が有声音化して『やぶさか』となったもの。このうち,『やっさか』は消滅し,現在は『やぶさか』のみが残る。」

とする。やはり,「やぶさか」の意味が翳を落としている。

さて,「やぶさか」の語源は,『大言海』は,

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

とある。しかし,この語源も一筋縄ではいかない。

物を惜しんで人に与えずその仲が遠ざかるところからヤブリサガル(傷離)の義(名言通),
ヤブレサカル(破離)の義か(和訓栞・大言海)
イヤフサガル(弥塞)の義(東牖子),
藪険の義か(俚言集覧),
ヤヒナサカ(弥鄙性)の義(言元梯)

等々,いずれもいま一つである。『岩波古語辞典』は,「やふさがり」に,

慳り,

「やふさし」に,

慳し,

と当てる。しかし「やふさし」の古形は,

やひさし,

で,それは,

吝し,

と当てている。「慳」(漢音カン,呉音ケン)は,

「心+音符堅(かたい)」

で,心が妙にひねくれて堅いこと,である。けちの意味もあるが,どちらかというと,頑なという意味である。そこで,『大言海』の

「破れ離(さか)る意かと云ふ」

が思い起こされる。「離(さか)る」は,「サケ(離・避)の自動詞形」で,

遠くに離れる,

意である。「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある(以上『岩波古語辞典』)。ここからは,推測になるが,「やふさがり」「やふさし」に,「慳」を当てたのは,物惜しみだけではなく,非協力な頑なさを評していたのではあるまいか。それに価値表現が強まり,物惜しみにシフトしていった,と。ま,臆説ではあるが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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やぶれかぶれ


「やぶれかぶれ」は,『江戸語大辞典』は,

破れ被れ,

と当てている。

やけを起こし,自暴自棄であるさま,
望みを失いやけな振舞に出ること,

といった意味である。『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/36ya/yaburekabure.htm

に,

江戸時代から,

とあるように,『江戸語大辞典』に,

「サア殺せ,やぶれかぶれの捨て鉢も」

と。文政時代の用例が載る。『日本語俗語辞典』には,

「やぶれかぶれとは自棄になることや自暴自棄なさまを表す言葉だが、破れかぶれと書く通り、単に自棄になるというより、何かに破れ(=敗れる)たり、失敗したり、思い通りにいかないなど、物事が悪い方向へ向いてしまったことによる際に使われる。警官に囲まれた犯人が凶器を無闇に振り回すさまなどがこれに当たる。また、時代劇で悪人に捕まった町人が『こうなったらやぶれかぶれだ。煮るなり焼くなり好きにしやがれ』といったセリフを言うことがある。このように『開き直り』、さらに『居直り』といった意を含んで使われることも多い。」

と説明されるが,語源が定かではない。「破れ」はいいとして,『江戸語大辞典』以外は,

被れ,

と当てる例はない。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10125350065

は,

「『やぶれ』の『破れる』は物事が成立しないことで『破綻』の意のほか、『負ける』の意の『敗れる』もあり、『かぶれ』は接尾語的に用いて、『その影響を強く受けて悪く感化されること』を表すので、負けたりして破綻した人がその影響を強く受けて、どうにでもなれという気持ちになることからでしょうか。」

とある。『岩波古語辞典』の「破る」には,

「破る」は,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とあるが,その自動詞形「破れ」には,破綻の意味もあるが,

崩れ乱れる,

という意味がある。自動詞の用例に,

やぶれかぶれ,

が載る。その意味で,「破れ」は,

崩れ乱れる,

意味があるが,その背景には,

敗れ,
ダメになる,

といった意味の陰翳があるように思える。「被れ」の「被る」は,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛している。「被る」にも,

頭の上に被う,

という意味だけではなく,

しくじる,失敗する(多く主人や親に対して),

という意味がある。ここから億説だが,

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した,

という状態表現が,価値表現へと転じ,そのことの絶望的な状況から,自暴自棄の表現へと転じた

(戦に)敗れて(主人に対して)失敗した→絶望的状態→自暴自棄,

という変化と見たが,どうであろうか。

「なげやり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%AA%E3%81%92%E3%82%84%E3%82%8A)の項 で触れたように,類義語「投げやり」が,

投げ遣り,

で,

投げ捨てる,

という意味で,そこから,

投げ捨てておくこと→結果はどうなっても構わない→物事をいいかげんに行うこと→成り行き任せ→無責任,

といった意味の,状態表現から価値表現への変化とよく似ている。似た言葉の「捨て鉢」は,

http://yaoyolog.com/%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%EF%BC%9F%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8/

に,

「ここでいう『鉢』とは、お坊さんが一般家庭を回って食べ物などを分けてもらう『托鉢(たくはつ)』に使う鉢の事を指しているのだそうです。中には托鉢に対して否定的な方もいらっしゃるようで、ひどい罵声を浴びせられることもあったのだとか。そのような事も含め、辛い修行を投げ出しドロップアウトする事を、『鉢を捨てる』と例えたところから、『捨て鉢(すてばち)』と言う様になったのだそうです。」

とあるが,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%B0%E3%81%A1

に,

「修行僧が、唯一有することを認められる鉢を捨てて修行を投げ出すことから、との説があるが、有力な出典はなく、又、『鉢』の字を当てるのは明治以降であって、江戸期は『捨罪(「罰ばち」の誤りか?)』などの記法もあり、語源俗解の疑いがある。『すてっぱち』の例もあり、『やけっぱち』『やけのやんぱち』『うそっぱち』等にみられる『はつ(=はてる)』に由来する『はち、ぱち』を、『すてる』に付し、強調したものではないか。」

とあるので,鉢であるかどうかは疑わしいが,「投げ捨てる」ということにウエイトがある。となると,「なげやり」と含意は重なる。

さらに,類義語「やけくそ」は,『日本語源大辞典』が,

「火災などで焼損した貨幣を焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)といい,略して『焼け』と呼んだ。表面の文字が焼けただれて不分明となり,撰銭(えりせん)の対象として排斥されたことから,『焼けになる』の語と関係があるか。」

としている。『江戸語大辞典』の「焼け」の項には,「自暴自棄」の意味の他に,

焼金(やけがね)・焼錢(やけぜに)の略,

が載る。「棄てざるをえない銭」から来たというのが語源なのかもしれない。因みに,

焼けのやん八,
焼けの勘八,

という言い方は,『江戸語大辞典』によると,

「『やけ』の縁語で,『かんぱちこ』(カラカラに乾いたさま)と言い続け,それを人名に模した語」

とある。で,自棄(やけ)度は,

なげやり→すてばち→やけくそ→やぶれかぶれ,

と高まっていく,と見たがどうであろうか。

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やぶる


「やぶる」は,

破る,
敗る,

と当てる。「やぶる」は,『岩波古語辞典』に,

「固いもの,一つにまとまっているものなどの一部分を突いて傷つけ,その全体をこわす意。類義語ヤリ(破)は,布などの筋目を無視して引きちぎる意。サキ(割)は切れ目から全体を引き離す意」

とある。だから,まずは,物理的に,

(堅いものを)くだく,こわす,
(布・紙など平らなものを)裂く,

という状態表現から,それをメタファに,

人を傷つける,
ヒトの心に反するようなことをする,
妨げてダメにする,
守るべきものに反する,犯す,
(固め・備え・護りなどを)突破する,

さらに,意味の外縁を拡げて,

戦いや勝負ごとに相手を負かす,
相手を言い負かす,

といった意味になり,ここで「敗る」と当てる。「破」(ハ)字は,

「『石+音符皮』。皮(曲線をなしてかぶせるかわ)とは直接の関係はない。」

とあるが,これではよくわからない。

https://okjiten.jp/kanji847.html

には,

「形声文字です(石+皮)。『崖の下に落ちている石』の象形(『石』の意味)と『獣の皮を手ではぎとる』象形(『皮』の意味だが、ここでは『波』に通じ(『波』と同じ意味を持つようになって)、『波(なみ)』の意味)から、くだける波のように石が『くだける』を意味する『破』という漢字が成り立ちました。」

とする。「やぶる」「表面をやぶる」「こわす」という意味から見ると,後者の方がわかりやすい。

「敗」(漢音ハイ,呉音ヘ・ベ)は,

「貝(ハイ・バイ)は,二つに割れた貝を描いた象形文字。敗は『攴(動詞の記号)+音符貝』で,まとまったものを二つにわること。または二つにわれること。六朝時代は,割ることと割れることの撥音に区別があった。」

とある。

https://okjiten.jp/kanji671.html

には,

「形声文字です(貝+攵(攴))。『子安貝』の象形(貝の意味だが、ここでは『敝(へい)』に通じ(『敝』と同じ意味を持つようになって)、『やぶれる』の意味)と『ボクッという音を示す擬声語・右手の象形』(『手で打つ・たたく』の意味)から『やぶれる』を意味する『敗』という漢字が成り立ちました。」

とある。「破」も「敗」も,「やぶる」意であり,それが,「敗」は「敗る」意へとシフトしたものらしい。『字源』には,

破は,わる,われるなり。又,裂なり。破竹,破甕,破卵,傘破の類。
敗は,成または勝の反。物のつぶれる義。急に物をわりやぶるは,破なり。いつとはなしにつぶれやぶれるは,敗なり。…破軍は,急に打ち破るなり。敗軍は漸くに敗りたるなり。

と,両者の区別をしている。『大言海』は,「やぶる」に,

破,
敗,

の他に,

壊,
傷,
残,
敝,
裂,

の字を当てている。『字源』によると,

壊は,くずれ毀(そこな)われるなり。やぶるとも訓む。破壊,敗壊,崩壊などと用ふ。
傷は,きずつきやぶれるなり,
敝は,完の反。衣服の古びやぶれる義。敝衣,敝箒。
裂は,ひきさくなり,大小に通じて広く用ふ。
残は,そこなふとも訓む。あれのこる義,

さて,「やぶる」の語源であるが,『大言海』は,

破毀(やれこぼる)の義,

とする。他に,

イタハグラス(板剥)の反(名語記),
矢触の義か(和訓栞),
ヤベアル(矢方有)の義(名言通),
ヤフル(屋古流)の義(柴門和語類集),
ヤブル(屋古)の義か(和句解),
ヤブル(弥古)の義か(和語私臆鈔),
ヤブウル(得)の約で,ヤはイヤ(弥)の略,ブは広がり進む意(国語本義)

等々と諸説あるが,

「やる」で,

破る,

と当てる。「やる」と「やぶる」の何れが古いのかは,わからないが,『岩波古語辞典』は,他動詞「や(破)り」と自動詞「や(破)れ」を載せ,前者は,

「紙や布などの,漉きめ織り目を無視して引きちぎる」

意とあり,

「めでたき御紙づかひ,かたじけなき御言の葉を尽くさせ給へるを,斯くのみヤラせ給ふ,なさけなきこと」(源氏)

と用例を載せ,後者は,

「(紙や布地・垣根などが)裂け目ができてちぎれる」

意とし,

「衣こそばそれヤれぬれば,継ぎつつもまた合ふといへ」(万葉)

と用例を載せる。どうやら「やぶる」と「やる」は併存してきた。とすると,「やぶる」の語源の説明は,

や(破)る,

について,説明できなくてはならない。『日本語源広辞典』は,「やぶれる」の項で,『大言海』の「やりこぼつ」を,

「音韻変化上,疑問です。」

としながら,

「紙,布などを裂く,裂いてだめにするヤブルが,語源に近く,平滑な板状のものをこわすのをヤブル,戦いをしてヤブル(破る・敗る)も同源と考えます。」

とあるのは,説明になっていない。

「や(破)る」を考えたとき,「や」の動詞化,ということを思いつく。ここからは臆説である。で,「や」を「弥」と考えるか,「矢」と考えるか,といえば,「矢」であろう。「弓矢」 (http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E5%BC%93%E7%9F%A2) で触れたが,「矢」の語源には,

ヤリ(遣)の義(名言通・大言海),
ヤル(遣)の義(日本釈名・日本声母伝・天朝墨談),
ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),
ハヤ(早)の義(言元梯),
竹を並べたところが胡簶(やなぐい)に似ているところから,ヤナの反(名語記),
イヤル(射遣)の義(言葉の根しらべ),
イヤリ(射遣)の義(日本語原学),
イル(射る)の転,イラの約(和訓集説),
射る時の音からか,また,ハ(羽)の転か(和訓栞),
当たるか当たらぬかはさだめがたいところから,疑問詞のヤ(国語本義),

等々ある中で,

ヤ(破)の義(東雅),
ヤブル(破)の義(古今要覧稿・言葉の根しらべ),

の説が気になる。「やる」は,

矢,

の動詞化なのではないか,と思うのである。

矢る→や(破)る→やぶ(破)る,

と。臆説ではある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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あおる


「あおる」は,

煽る,

と当てるが,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,
鐙で泥障(あおり)を蹴って馬を急がせる,
写真撮影で低い位置からカメラを上向きにする,

等々の意味がある。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%85%BD%E3%82%8B

は,「煽る」の語源を,

「もとは、乗馬で、鐙(あぶみ)で障泥(あおり)を蹴って馬を急がせることをいった。障泥は、馬の両脇腹を覆う革製の泥除けのこと。」

とする。『岩波古語辞典』も,「あふ(煽)り」の項で,

鐙で馬の原を蹴って進ませる,
風などが吹き動かす,

と意味を並べている。『日本語源大辞典』も,

「鐙で馬の泥障(あおり)を蹴って急がせる」

と載せる。「あおり」は,

障泥,
泥障,

と当てる。「泥障」は,

鞍の下に切付(きりつき)・肌付(はだつき)という韉(したぐら)を載せる。泥障は革製のものを言い,切付が小型化したため,鐙は重みで内屈して乗りにくくなるので,それを支えるために堅い革板を垂れたのが始まりであり,また鐙で馬に合図するのに,重い鐙で馬腹を傷つけるのを防ぐために付けた,

とされる。室町時代末期,つまり戦国期に流行した,という。しかし,『大言海』は,「あふる」について,

「あふる(翻る)」 あふぐ(扇ぐ)の自動詞。風に吹かれて動く,
「あふる(煽る・翻る)」 「あふ(翻)るの他動詞。吹き動かす。
「あふる(足触る)」乗馬して両の鐙にて馬の両脇を挟み打つ,

と,別項を立てる。「あふる(足触る)」は,

「足触(あしふ)るの略(足塞(なへ)ぐ,あなへぐ)。名詞形に足觸(アフリ,障泥と云ふ,四段活用の,触るなり。自動を他動に用ゐる…,アオルと発音するは,倒(たふ)る,たおる。扇(あふ)ぐ,あおぐの例なり)

とある。

『日本語源大辞典』に,「あおる(煽る)」の語源は,

アシフル(足振)か(名語記),
アシフル(足觸)の略(大言海),

「あおり(泥障)」の語源は,

アオ(煽)ルの連用形から(広辞苑),
アフル(足触)の名詞形(名語記・東雅・大言海),
アブミスリの中略であろう(類聚名物考),
アハリ(足張),またはアヲリ(足折)の義(日本釈名),
馬に乗る時のに足を折りかがめる意のアヲリ(足折)からか(和句解)

等々あるが,普通に考えれば,

アフル(足触),

だろう。しかし,それと,

あおる(煽る),

という言葉の,

風や火の勢いで物を動かす,
物を前に進めようと手や足を動かす,
そそのかす,

という意味とはつながらない。腹を蹴って,馬に合図するのは,進めという意ではあっても,必ずしも「煽る」意ではない。「煽」(セン)字は,

「扇は,『戸+羽』の会意文字で,門に付けられた羽のような扉をあらわし,扉に似た形をしてぱちぱちと風をあおるうちわもあらわす。煽は『火+音符扇』で,火をあおること」

で,明らかに,

扇ぐ,

意である。それなら,

煽る,

に通じる。『日本語源広辞典』は,

「アフル(風を起こして物を動かす)です。」

とし,それが,

呷る,

にも通じるとする。これが正解だろう。因みに,「アオリイカ」の「アオリ」とは,

泥障,

の意である。「幅広いヒレ」が泥障(あおり)に似ているからとか。

参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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逐電


逐電は,『広辞苑』に,「ちくてん」で載り,

「チクデンとも。稲妻を追いかける意」

とあり,『デジタル大辞泉』には,

「古くは『ちくてん』とも。」

とある。今日だと,

行方をくらます,

意で用いることが多いが,

極めて早く行動すること,

という意味も載る。『岩波古語辞典』には,「ちくてん」で,

「電光を逐(お)う」

とある。「逐電」の「逐」(漢音チク,呉音ジク)の字は,

「『豕(いのしし)+辶(すすむ)』で,いのししを追いつめることを表す。」

で,あとをつけて一歩一歩追いつめる,という意味である。

「電」(漢音デン,呉音テン)の字は,

「原字は申で,いなずまの姿をえがいた象形文字。のち『臼(両手)+|(のばす)』の会意文字。電は『雨+音符申(のびる)』で,さっと長くのびるいなづま」

を示し,稲妻,雷の光,を意味する。つまり,逐電は,

雷光を逐う,

という意であり,そこから,

極めて早く行動すること,

とつながったと思われる。『字源』は,「逐電」を,

電光を遂ふ如く極めて早し,

としている。これが原義と思われる。因みに,「逐う」の類語は,

追う,

だが,「追う」は,

逃げるものを追いかけ捕える義,

とあり,「逐う」は,

此の方より,物をおひ払う義。駆逐と連用す。逐臣とは,国外へ,逐ひ払ひたる臣を云ふ。また追と同じくものを追い回す義にも用ふ」

とある。「逐」には,「放逐」とか,追放の含意があることは,着目していい。

なお『大言海』には,こうある。

「相馬の語に起こる。劉勰,新論『九方諲之相馬也,雖未追風逐電,絶塵滅影,而迅足之勢固已見矣』。朱子題跋『天馬脱銜,追風逐電』」

「新論」は,北齊·劉晝「新論·知人」らしい。これを見る限り,

追風逐電,

と対句になってしいて,とかく迅速であることを言っているようだ。

追風逐電

が成語であるらしく,

https://tw.18dao.net/%E6%88%90%E8%AA%9E%E8%A9%9E%E5%85%B8/%E8%BF%BD%E9%A2%A8%E9%80%90%E9%9B%BB

形容速度極快,多指馬飛速賓士,

と釋義が載っている。

追風逐日,

とも言うらしい。この限りでは,迅速さを言うのみだから,

御使逐電帰参,

という用例が載る。「逐」の字の持つ,

追放,

の含意のせいだろうか,

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2010/03/post-ebf6.html

に,

「逐 は『追いかける』意なので、逐電 は『稲妻を追いかけるごとく素早く逃げる』語意になるのだが、これとて『逃げる』という意味はこの二文字のどこにもないわけで、実際もともとの中国の用法では『逃げる』の意は含まれない。だからこれは、日本での慣用によってたまたま定着した意味なのであろう。」

とあるように,日本では,

「未だ了(をは)らざるに成通卿逐電」

と,逃げる意に転じている。「逐」には元々「追う」意であり,せいぜい追い払われる意があっても,逃げるでは,180度変わっている。この転換は,視点が,

追われる,

という状態表現から,主体の,

逃げる,

という表現に転換しているところも,面白い。

なお,類義語「駆落ち」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E9%A7%86%E8%90%BD%E3%81%A1) で触れたが,「駆落ち」も,本来,

戦いに負けて他所へ逃げ走ること,没落,

という意味なのに,逃げる意味が,

「恋し合う男女が連れだって密かに他の地へ逃亡すること」

へと転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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さえずる


「さえずる」は,

囀る,

と当てる。「囀」(テン)の字は,

「『口+音符轉(テン)』。轉(転)は,転がす意を含むが,囀はそれと同義」

で,

玉を転がすように続けて鳴く,

意らしい。

ところで,鳥の鳴き方には,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E%E7%94%A8%E8%AA%9E#%E3%81%95%E3%81%88%E3%81%9A%E3%82%8A

によると,「さえずり」と「地鳴き」がある。「さえずり(英:bird song)」は,

「主に縄張り宣言や雌を呼ぶために、繁殖期の雄が発する鳴き声。中でも鳴禽類は鳴管の筋肉がよく発達しており、高度なさえずりをする種がある。」

で,「地鳴き(じなき、英:bird call)」は,

「さえずり以外の鳴き声。主に繁殖期以外での鳴き声を言う。一例として、ウグイスのさえずりが「ホーホケキョ」、地鳴きが「チャッチャ、チャッチャ」。ほかには警戒や威嚇の際の鳴き声、雛を呼ぶときなどの鳴き声を言う。状況に応じ使い分ける。」

とある。「地鳴き」は比較的「さえずり」に比べると,僕には四十雀が象徴的だが,地味かもしれない。

さて,「さえずる」は,『広辞苑』には,

「サヒヅルの転」

とある。『岩波古語辞典』には,「さひづり」は。

「サヘヅリの古形」

とある。『大言海』は,

「サヘは,喧語(さへ)くの語根…,ツルは,あげつらふ(論),引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比は,閇(へ)の音に用ゐたるなり」

とあり,「喧語(さへ)くの語根」との関連で,「コトサヘク」の項で,

「コトは,言ナリ,サヘクは,四段活用の動詞ニテ(名詞形に,佐伯となる)囀る,喧(さばめく)と通ず。」

とあり,

「つらふのツラフと通づ」の項で,

「萬葉集『散釣相(サニツラフ)』『丹頬合(ニツラフ)』の釣合(ツラフ)にて,牽合(ツリア)フの約(関合[かかりあ]ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり」

として,

喧語(さへ)く+縺合(もつれあ)ふ,

とする。鳥が騒がしく喋りまくっている,という感じであろか。よく主意は伝わる。『日本語源広辞典』は,

「擬音さへ+ク(動詞語尾)」

が語源とし,

「さわがしく物を言う意で,これにズル(動詞化)をつけた再動詞」

とするのも,構造は同じである。これと類する説を,『日本語源大辞典』は,

サヘは擬声語か(時代別国語大辞典−上代編),
サヘは擬声語で,ヅルは音ヅルなどと同じか(小学館古語大辞典),
サヘはサヘク(喧語)の語根。ツルはアゲツラフ,ヒヨ(引)ツラフのツラフと通じる(大言海),

の諸説以外に,

障りて通じがたいところからサヘ(障)出るの義(和句解),
サヘツル(栄連)の義(言元梯),
サヘツレル(清連)の義(名言通),
曲節をつける意で,シハユリナクランの反(名語記),
弁舌をよくするものの意で,サヘツル(才出)の義か(和句解),

も載せるが,

さわがしい+連,

擬声語+連,

というところなのではないか。それなら,「囀」の字の意味と重なる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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はれる


「はれる」(はる)は,

晴れる,
霽れる,

と当てる。

雲や霧が消えて去ってなくなる,
雨や雪が降りやむ,

とい意味だが,それをメタファに,

心のわだかまりが解けさる,
疑いなどが解けて潔白になる,
視界が開ける,

といった意味にも使う。『岩波古語辞典』の「はれ」の項には,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって広々となるさま」

とある。「はら(原)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%82%89%EF%BC%88%E5%8E%9F%EF%BC%89) の項で触れたように,「腹」の語源の一つには,「ハラ(原)」があり,人体の中で広がって広いところ,の意,という説がある。『大言海』は,

「廣(ひろ)に通ず,原(はら),平(ひら)など,意同じと云ふ。又張りの意」

とし,「原」の項では,

「廣(ひろ),平(ひら)と通ず。或いは開くの意か。九州では原をハルと云ふ。」

とある。これは,『岩波古語辞典』の,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって,広々となる意」

と通ずる。面白いのは,『大言海』は「はる」の項で,

墾,
治,

という字を当てるものは,

「開くの義,開墾の意,掘るに通ず」

とし,

晴,
霽,

の字を当てるものは,

「開くの義,履きとする意」

として,いずれも「開く」につながるのである。その意味は,

パッと視界が開く,

晴れ晴れ,

という感じと似ているが,それは,

開いた(開墾した),

という含意があることらしい。つまり,開く(開墾する)ことで,開けたという意味である。

『大言海』の「はる(晴る・霽る)」に,

「開(はる)くの義。はきとする意」

通ずる気がする。「はるく」

開く,

は,

晴れる,

意とある。『日本語源広辞典』に,「晴れ」について,

晴・墾・原と同源,

とし,

「空に障害物,雲,霧などがなく,ハレバレとした様」

とあるのも同旨である。

『日本語源大辞典』には,

ハルカアル(遥有)の転か(名言通),
ハル(発)の義(言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ハルク(開)の義(大言海),
ハアル(開生)の義(国語本義),
ハラフ(払)の義(言元梯),
払い除けられたように散る意から(国語の語根とその分類=大島正健),
ハル(墾)・ハラ(原)と同根か(岩波古語辞典),

とあるが,「開く」という感覚が,一番しっくりくる。『岩波古語辞典』が「晴れと同根」とする「はるか」を,『大言海』は,

開處(はるか)の義,

とするが,それも「開く」ところから来ているとみていい。

『日本語源広辞典』は,「はるか」について,

「ハル(ハルバルの意)+カ(接尾語)」

で,遠く離れた状態をあらわす,という。もとは,空間的な意味だが,時間的にも使う,とある(『岩波古語辞典』)。その,

人からの遥かに離れた感覚,

が,

広がり,

を感じさせ,

はるけき,
はるかす,

といった遠い感じだけでなく,視界が開く感じにも,意味はつながっていく。「はるか」に開いた「晴れ」だからこそ,「はら(原)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%AF%E3%82%89%EF%BC%88%E5%8E%9F%EF%BC%89) で触れたように,「ハレ(晴れ、霽れ)」は,普段の生活である「日常」(「ケ(褻)」)の軛から脱するとき開放感を表してしている。僕には,

はれ,
はるか,
はるばる,

は,そういう気分や状態を表す擬態語だったのではないか,という気がしてくる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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あめ(雨)


「あめ」は,

雨,

と当てる。

「雨」(ウ)の字は,

「天から雨の降るさまを描いたもので,上から地表を覆ってふる雨のこと」

とある(『漢字源』)が,

https://okjiten.jp/kanji103.html

は,

「天の雲から水滴が滴(したた)り落ちる」

象形を描いてわかりやすい。『岩波古語辞典』は,

「アマ(天)と同根」

とする。『大言海』は,

「天水(アマミズ),アマミ,アメと約転したる語。東雅,雨『アメとは,天水也』。萬葉集に『妹が目(メ)を欲り』など云へるメは,目見(マミ)の約なり,…ツを略するば,出水(イズミズ),泉。水草,みくさの例あり。雨を,天津水(あまつみず)と云ひ,天水(てんすゐ)と云ふ。沖縄にて,アミ」

とある。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame.html

の言う通り,

「雨は、古くから草木を潤す水神として考えられており、雨乞いの行事なども古くから存在する。『天』には『天つ神のいるところ』といった意味もあるため、雨の語源は、 上記『天』『天水』のいずれかであると考えられる。」

雨の語源は、大別すると、

「天(あめ)」の同源説

「天水(あまみづ)」の約転とする説

にわかれる。しかし,

http://www.7key.jp/data/language/etymology/a/ame2.html

に,

「雨が多く、水田や山林など生活に雨が大きく関係している日本では、古くから雨のことを草木を潤す水神として考えられた。雨が少い場合は、雨乞いなどの儀式が行われ、雨が降ることを祈られた。『天』には『天つ神のいるところ』との意味があり、そのため雨の語源と考えられている。」

とあるように,「天」そのものと見るか,その降らせる水にするかの違いで,両者にそれほどの差はない。

『日本語源広辞典』は,

「語源は,天(アメ,アマ)と共通の語源であろうという説が有力です。大言海は『アメ(天)+ミ(水)』説です。アマ(非常に広大な空間)から落ちてくる水が,雨なのです」

とまとめる。

アマミズ(天水)の約転(名語記・東雅・言元梯・名言通・和訓栞・大言海・国語の語根とその分類=大島正健)。
アメ(天)と同語(和句解・日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄),

の二説が大勢だが,しかし,これ以外にも,

アム(浴)の転(嚶々筆語),

という説もある。

アマモレ(天降)の約(和訓集説),

は,天水と同じだろ。

因みに,「雨」が頭にくると,

「雨模様」 は,

「あまもよう」 

と訓む。他にも,

「雨粒 (あまつぶ) 」 「雨脚 (あまあし) 」 「雨傘 (あまがさ) 」 「雨靴 (あまぐつ) 」 「雨垂れ (あまだれ) 」 「雨合羽 (あまがっぱ) 」 「雨蛙 (あまがえる) 」

等々。「あま」は,

あめ(雨),

の古形ではあるが,同時に,

アメ(天)の古形,

でもある。「あま(天)」の項で,『岩波古語辞典』には,

「『天つ』『天の』の形で他の語に冠する。アマは,何もないという意のソラ(空)とは異なり,奈良時代及びそれ以前には,天上にあるひとつの世界の意。天上で生活を営んでいると信じられた神々の住むところを指した。」

とある。とすると,

雨=天,

ではなく,やはり,

天水,

と考えるのが妥当のように思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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天児


「天児」は,

あまがつ,

と訓む。

天倪,
尼児,

とも当てる。『広辞苑』には,

古く。祓(はらえ)に子供の傍に置き,形代(かたしろ)として凶事をうつし負せるために用いた人形。」

とある。『人形事典』には,

「平安時代からある。形代から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられるもので、日本の人形の祖型の一つである。」

とある。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』には,

「幼児の守りとして身の近くに置き、凶事をこれに移し負わせるのに用いる信仰人形。幼児用の形代(かたしろ)として平安時代に貴族の家庭で行われた。『源氏物語』などの諸書には、幼児の御守りや太刀(たち)とともにその身を守るまじない人形の一種として登場する。1686年(貞享3)刊の『雍州府志(ようしゅうふし)』(黒川道祐(どうゆう))によると、30センチメートルほどの丸い竹1本を横にして人形の両手とし、2本を束ねて胴として丁字形のものをつくり、それに白絹(練り絹)でつくった丸い頭をのせる。頭には目鼻口と髪を描く。これに衣装を着せて幼児の枕元(まくらもと)に置き、幼児を襲う禍(わざわい)や穢(けがれ)をこれに負わせる。1830年(文政13)刊の『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節(きたむらのぶよ))には子供が3歳になるまで用いたとある。天児を飾ることは室町時代に宮中、宮家などで続いてみられ、江戸時代には民間でも用いられるようになった。また天児と同じ時期に発生した同じような人形に縫いぐるみの這子(ほうこ)があり、江戸時代に入ると天児を男の子、這子を女の子に見立てて対(つい)にして雛壇(ひなだん)に飾り、嫁入りにはこれを持参する風習も生まれた。」

と詳しい。「這子(ほうこ)」は,

はいこ,

とも訓み,文字通り,

這っている人形,
幼児の這い歩く姿をかたどった人形,

である。

御伽(おとぎ)這子,

とも言った。『人形辞典』には,「這子・婢子」と当てて,

「平安時代(794〜1192年)からある小児の遊び物。はじめは天児と同様、小児の祓いの人形だった。首と胴は綿詰めの白絹、頭髪は黒糸、這う子にかたどってあるので、こう名付けられた。別名をお伽婢子(ほうこ)ともいう。」

とある。将に,人形のはしりである。

「天児」と「這子」は,『大辞林』には,

「古代,祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き,形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形」

であった「天児」が,

「後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて,幼児のはうような形に作り,幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。」

とある。

「孺形(じゆぎよう)」

ともいうらしい。 「形代」とは,

「神霊が依り憑く(よりつく)依り代の一種。人間の霊を宿す場合は人形を用いるなど、神霊が依り憑き易いように形を整えた物を指す。」

元々は,神を祭る際に,神霊の代わりとして据えたもの,

を指すが,みそぎ・禊(はらえ)などに用いた人形(ヒトカタ)を指すようになる。で,

「人の身についた穢れや厄を託して,海や川に流すもの。神霊の依代 (よりしろ) の一種と考えられている。多くは紙の小さな人形 (ひとがた) であるが,ところによってはわら人形や,食物に託すこともある。鳥取県の流し雛も形代の一種で,川に流したり,氏神様の境内に納めたりする。疫病神や悪霊の依代とされて,毎年村境に送られるわら人形や,神聖なものとされている削り掛けや鏡,玉,臼,杵なども形代の一つである。しかし一般には,なで物といわれる,穢れを託して送ってしまうものをさす場合が多い。」(ブリタニカ国際大百科事典)

さて,では「天児」の語源は,何か。『大言海』は,

「春雨抄(寛永)に,天兒,源氏物語,河海抄に,尼兒と記せり。或は,天聞勝(あまかつ),天目勝(あまかつ)などともあり,語原詳ならず。先輩の明解も索め得ず,強いて言はば,天禍津靈(アママガツビ)の約略(河津蛙[かはずかへる],河蝦[カハズ]。秋津蟲,蜉蝣[あきつ])。禍津靈を負はする物の意か。牽強ならむか,再考に付す」

と,苦しげである。

『日本語源大辞典』には,

目勝(アマカツ,あるいはマナカツとよむか)の義,一説にアヅマワラハ(東豎子)を模すともいう(和訓栞),
アマガメ(天母形)の転(嬉遊笑覧),
アメガチコの約転(貞丈雑記),
アマガツ(天勝)の義(名言通),
オモガタ(母像)の転か(日本語源=賀茂百樹),

と諸説載るが,確かに苦しい。

天兒,

は当て字なので,ここから探るのは難しいのだろうか。

なお天児(あまがつ)と這子(ほうこ)については,

https://www.hinaningyou.jp/know02.html

に詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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ほうき


「ほうき」は,

箒,
帚,

と当てる。「帚」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,

「柄つきのほうきうを描いたもので,巾(ぬの)には関係がない。巾印は柄の部分が変形したもの。掃(ソウ はく)・婦(ほうきをもつ嫁)の字の右側に含まれる。」

とある。「箒」(ソウ,漢音シュウ,呉音ス)は,帚の異体字。

「ほうき」は,ほとんどの辞書が,

ハハキの転, 

としている。『日本語源大辞典』は,

「語形としては『十巻本和名抄−四』『色葉字類抄』『観知院本名義抄』などには『ハハキ』とある。節用集や下學集の中には『ハハキ』『ハワキ』とするものがあるが,室町時代には『ハウキ』が優勢となっていた。『日葡辞典』では,『Foqi(ハウキ)』となっている一方,『fauaqigui(ハウキギ)』『tambauaqi』(タマバワキ)などハワキの形も見られる。」

と,語形変化を説く。

ハハキ→ハワキ→ハウキ・ハワキ→ホウキ,

といった変化であろうか。

「ははき」は,『岩波古語辞典』に,

「羽掃きあるいは葉掃きか」

とある。『日本語の語源』は,

「落葉を掃き寄せる道具をハハキ(葉掃き)といったのがホホキ・ホフキ・ホウキ(箒)になった」

としている。『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E7%AE%92

「もとは鳥の羽を用いたことから、『羽(は)+掃(は)き』と考えられる。」

とする。

羽掃き,

葉掃き,

かの断定は難しそうだ。ただ,

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%8D

には,

「『ほうきで掃く』を意味する動詞『ははく(>はわく)』の連用形名詞化。」
「羽箒を用いた掃き掃除を意味する『ははき(羽掃き)』から転じた言葉とも。」

とあるので,あるいは,用途に応じて,素材を変えていたということも考えられる。たとえば,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%92

には,

座敷箒(ざしきぼうき)
土間箒(どまぼうき)
庭箒(にわぼうき)
荒神箒(こうじんぼうき)
茶道具の羽箒,

等々がある。

http://azumahouki.com/know/history/

には,

「古くは実用的なお掃除道具ということ以上に、神聖なものとして考えられており、箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると言われていました。日本最古の書物『古事記(712年 奈良時代)』には、『玉箒』や『帚持(ははきもち)』という言葉で表現されており、実用的な道具としてではなく、祭祀用の道具として登場しています。」

とあり,荒神箒は,その名残りかも知れない。『世界大百科事典 』には,

「正倉院には、養蚕儀礼用ではあるが、『子日目利箒(ねのひのめのとぎぼうき)』という奈良時代の箒が残っている。これはキク科のコウヤボウキの茎を束ねて根元を革紐(ひも)で結んだもので、ガラスの小玉の飾りがついており、柄はついていない。また、民俗的な伝承が多く、妊婦の腹を箒でなでたり、産室にこれを立てておくと安産になるといった出産に関する信仰が古くからある。これは古くは産室にカニをはわせる習慣があり、そのために箒を使ったことからきており、カニの脱殻作用を霊肉の更新と結び付けた古代人の信仰によるものといわれる。」

ともある。『日本語源大辞典』には,

「『古事記上』に,天若日子の死に際して鷺を『箒持(ははきもち)』としたことが述べられ,『古語拾遺』(嘉禄本訓)には豊玉姫命の出産に際して天忍人命が『箒(ははき)』で蟹を払ったことが記されている。後世箒を逆さに立てて長居の客を帰すまじないにもみられるように,『ほうき』は呪術的な意味を持つ道具であったことがわかる。」

とある。もともと「掃く」という行為は,浄めるという含意がある。「掃く」こと自体が,特別な動作だったのかもしれない。その道具「ほうき」も特別な物だったといっていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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あめ(飴)


「あめ」は,

飴,

と当てる「あめ」だが,古くは,

糖,
餳,

とも書いた,とある(『広辞苑』)。「飴」(シ)の字は,

「『食+音符台(人工を加えて調整する)』。穀物に人工を加て柔らかく甘くした食物」

である。

https://okjiten.jp/kanji2275.html

には,

「会意兼形声文字です(食+台)。『食器に食べ物を盛りそれに蓋をした』象形と『農具:すきの象形と口の象形』(『大地にすきを入れて柔らかくする、やわらか』の意味)から、やわらかな食品『あめ』を意味する『飴』という漢字が成り立ちました。」

と異なる由来が載る。『たべもの語源辞典』には,

「台には『よろこぶ』という意味があり,食べてよろこぶものが,飴である。」

とある。しかし,『漢字源』には,「台」は,

「もと『口+音符厶』。厶(イ)は,曲がった棒でつくった耜(シ すき)のこと。その音を借りて一人称代名詞にあてた。」

とある。「臺」(台)の方は,

「『土+高の略体+至』で,土をく積んで人の来るのを見る見晴らし台をあらわす。のち台で代用する。」

とあり,そんな意味はないのだが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%B4

によると,

「文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に、『大和高尾』の地で『水無飴』を作ったという記載が、『日本書紀』の「神武紀」にある。
われ今まさに八十平瓮をもちて、水無しにして飴を造らむ
この『飴』は『たがね』と読む。『日本書紀』は神話であり、『神武天皇の時代』とされる紀元前7世紀については不明であるが、同書が編纂された720年(養老4年)には、既に飴が存在していたことになる。
正倉院に収蔵されている古文書に阿米(あめ)という記載があり、飴を意味していると考えられており、8世紀前半には日本で飴が作られていた事が分かる。この当時の飴はいわゆる水飴であったというのが研究者の一致した見解となっており、『阿米』という記載から伺えるように米を原料としていたと考えられている。」

とあり,さらに,『たべもの語源辞典』には,

「飴を『たがね』とよませたのは,米飴(たがね)すなわち『こめもやし』で飴をつくったからである。」

ともある。因みに,「もやし」とは,米を発芽させたもので,

「『米もやし』を使ってでんぷんを糖に変える」

のである(後年には麦芽が使われるようになる)。

既に,

「平安時代には西の京の市に飴市があった。この時代は米のもやしでドロドロの飴をつくった。鎌倉時代には,地黄煎(きおうせん)という飴があった。穀芽の粉末に薬草でもある地黄の汁を合わせて飴にしたものが起こりで,京稲荷前で製したものを,江戸では下り飴といった。職人尽の絵に地黄飴(あまいせんねん)とある。元禄(1684−1704)のころには『あまい』とも『せんねん』ともよんだ。細長い飴袋に『千歳飴』と書く名称の起こりはこれによる。糯米をよく煮て,麦麹の粉と冷湯とを合わせて甘酒のようにして濾過して練ったものを水飴または湿(しる)飴と称した。これをさらに練って固くしたものが堅飴で,膠飴(くろあめ)と称した。さらに練ると白色に変じ,それが白飴である。元和元年(1615)大阪の浪人平野甚左衛門重政が水飴を創製し,伏見に伝わり,後,重政は江戸に出て浅草寺でつくった。それが千歳飴である。」

と飴の歴史である。

さて,「あめ(飴)」の由来である。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/ame_candy.html

は,

「 あまい(甘い)」の「あま」が交替した語。」

とあり,『たべもの語源辞典』も,

「マイのアマがアメになった」

としているが,『大言海』は,

「日本釈名(元禄)下,飲食,飴『アメは,アマ也。アマキ意。メと,マと通ず』。俗語考(橘守部)『アメ,アマメ「飴也」云々,田舎人の,アマメとも云ふことのあるを思へば,甘滑(あまなめ)の約れる言なるべし。云々,味噌豆より出る滑(なめ)を,直にナメと云ふ類也』。又,或は,甘水(あまみ)の約転か(雨も,天水(あまみ)の約転)。沖縄にては,アミと云ふ」

と,定めていない。

『日本語源大辞典』は,

「(あまいの)語根『あま』(甘)に,名詞を形成する接辞iが付き,転成したもの」

としつつ,諸説を載せている。

アマ(甘)の転(日本釈名・東雅・箋注和名抄・言元梯・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄),
アマナメ(甘滑)の約(俗語考),
アマケ(甘食)の転(名言通),
アは甘,メはなめて食べるからか(和句解),
アメ(雨)と同源。雨は万物を養うことからという(古語類音=堀秀成),
アマミチ(甘満)の反(名語記),

等々。やはり,「甘い」の「あま」からは抜け出せない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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あまい


「あまい(あまし)」は,

甘い,

と当てる。「甘」(カン)の字は,

「『口+・印』で,口の中に・印で示した食物を含んで味わうことを示す。ながく口中で含味する。うまい(あまい)物の意となった。」

とある(『漢字源』)。これを見ると,漢字字体に,

味覚の甘さ,

と同時に,

うまい,おいしい,

とい意味が入っていることがわかる。ただ,日本語で言う,

脇が甘い,
天が甘い,
子供に甘い,

等々といった「厳しくない」という意にまで,メタファとして使うのは,我が国だけのようである。

『大言海』は,「あまし」に,

甘し,
甜し,

を当てる。「甜」(漢音テン,呉音デン)は,

「『甘(あまい)+舌』で,舌にへばりつくようなあまさ」

とある(『漢字源』)。「ねっとりとあまったるい」意なので,甘味が濃厚といことだろか。この字にも,「うまし」(美味)の意がある(『字源』)。

『大言海』は,「あまし」は,

「旨(うま)しと通ず」

とする。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/a/amai.html

も,

「甘い味は『美味』の意味で多く用いられることや、熟した果実の甘い味を『うまい』と表していたことから,『うまい(うまし)』が転じて『あまい(あまし)』になったと考えられる。また,『あじ(味)』の『あ』は『あまい』の『あ』に通じるため,『あ』の音に『味わい』の意味があり,『うまい』と合わさったとも考えられる。味覚を表す他の語と同じく『甘い』も時代が新しくなるにつれ,味覚以外に様々な表現に用いられるようになった。」

うまし→あまし,

とする。あるいは,大括りな「うまい」という表現から,味覚の甘さだけが分化して,

あまい,

と際立ったのかもしれない。実際,『岩波古語辞典』の「うまし」は,

甘し,
旨し,
美し,

を当てる。美味の旨いから味覚の甘いに焦点があわされ,それをメタファに,優れているという価値表現へと転じ(うまし國),巧み,さらに,(技倆が)優れている,上手(「巧い」「上手い」)の意味へと転じていく。旨い,甘い,が心持へ,更に技倆へと拡大された。

『日本語源広辞典』も,

「『ウマシとアマシ』は,語源が近いというのが大言海の説です。そうした『甘美な物を食べる口形から出た語』であろうというのが有力な語源説です。方言で,アマー,アミャー,ウミャーなどという言葉が生きています。アマエル,アマヤカスも同源の動詞です。」

とする。しかし,「うまい」については,三説挙げる。

説1は,「ウム(熟むの未然形)+シ(形容詞化)」。果実の熟した味の良さをいう形容詞で,後にアマイと混用した,
説2は,「倦む+シ」。飽きるほどの味の良さをいう,
説3は,「ウ(大)+マ(間)+シ」。たいそう立派な空間の意味(うまし國等々)。後に,良い,美味に転じた,

『日本語源大辞典』は,「うまい」の語源を,

ウマは,熟した果実の味をいうウム(熟)から。アマシと通じる語か(日本釈名・国語の語根とその分類=大島正健),
ウミシキ(熟知)の義(名言通),
アマシと同源(和句解),
クハシ(妙)の転(言元梯),
アマムカハシキ(甘向及)の約転(和訓集説),

と諸説挙げるが,常識的だが,

熟した果実の味をいうウム(熟)から,

が妥当に思える。「甘い」側も,

ウマシと通ず(日本釈名・大言海),

と,

あまし⇔うまし,

が互換的のようだが,

うまい→あまい,

と分化したと,見たい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
 

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あま


「あま」は,

海人,

と当てるが,

蜑,

とも当てる。『広辞苑』は,

あまびと(海人)の略,

とある。『岩波古語辞典』には,

白水郎,

とも当てるとし,

「白水は中国鄮県の地名。白水郎は海上交通の役を司った者,るいは白水の漁夫の意。鄮県の白水郎の名に親しんだ日本の留学生が,それをアマの表記に用いたものであろうという。」

とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

には,

「九州の一部などでは白水郎と記されている。このことから、中国・四国地方より東では潜水する海人を海人と呼び、九州地方では白水郎と呼んでいたことが伺える。」

とある。

『大言海』は,

白水郎,
泉郎,

とも当てる。

「海人(あまびと)と云ふが成語なるべし。アマビトを下略して,アマとのみ云ふは,杣人(そまびと)ヲ,ソマとも云ふが如し。…アマウドは,アマビトの音便(旅人,たびうど,商人,あきうど)」

とあり,

字類抄「海人,漁人,アマビト」
庭訓往来(元弘)「水主(カコ),楫取(カンドリ),漁客(スナドリ),海人(アマウド)」,
箋注和名抄「泉郎,阿万」

等々を引く。ただ,『日本語の語源』は,

「漁夫のことをウミビト(海人)といったのがアマビト・アマ(海士。海女)になった。」

と,

ウミビト→アマビト→アマ,

と転じたとする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E4%BA%BA

によると,

「男性の海人を『海士』、女性の海人を『海女』と区別して記されることがあるが、いずれも『あま』と呼ばれる。海士を一文字にした『塰』という和製漢字(合字)があり、鹿児島県種子島の塰泊(あまどまり)という地名に用いられている。
中国の水上生活者を意味する『蜑』(たん)、『蜑家』、『蜑女』という表記を用いて、『あま』と読む例が近世の文書に見られる。例えば、『南総里見八犬伝』に、『蜑家舟』と書いて『あまぶね』と読む語が登場する。
その他、『海人』と書いて、うみんちゅ(沖縄方言)、かいと(静岡県伊豆地方など)と読む場合もある。大韓民国では済州島などに『海女(ヘニョ)』と呼ばれる女性を中心とした海人がいる。」

とあり,『魏志倭人伝』には,

倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。

とある。海人である。

アマビト→アマ,

ウミビト→アマビト→アマ,

で決まりかと思うが,その他にも,

アヲミ(蒼海)の轉語アマ(海)から転じた(和訓栞),
アはアヲウミ(蒼海),マはスマヰ(住居)の略(日本釈名・関秘録),
ウナベ(海部)の約転か(雅言考),
アマヘ(蜑戸)の略(名言通),
アフギマネク(仰招)の意(和句解),

等々。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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すっぽかす


「すっぽかす」は,

そのままにして捨て置く,
約束などをしておいて,それを履行しないで放っておく,

といった意味になる。最初は,

ほったらかす,

という状態表現であったものが,価値表現へと転じ,

約束を破る,

といった意味ににシフトしたと見える。『大言海』は,

素放,

と当てている。で,

物をそのままににす,
投げ遣りにす,

という意味しか載らない。『岩波古語辞典』には載らず,『江戸語大辞典』「すっぽかし」の項に,

素っぽかし,

と当てて,

「動詞『すっぽかす』の連用形名詞」

とあり,

うそ,
うそつき,
愚弄,

と意味が載る。ということは,現代の方がソフトな意味に転じていて,もともとは,

うそ,
ないし,
うそつき,

を直接指していた,ということだろうか。『日本語源広辞典』は,

「すっかり+ほったらかす」の簡約変化,

とするが,『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/su/suppokasu.html

の,

「すっぽかすの『すっ』は、『素っ裸(すっぱだか)』『すっ飛ばす』『素っ頓狂(すっとんきょう)などの『すっ(素っ)』と同じく、言葉の前についてその意味を強める語。すっぽかすの『ぽかす』は、捨てる意味の『ほかす(放す)』を破裂音化したもので、『素っ放かす』と漢字表記もする。」

という説明の方が納得できる。「す」は,

「後世『素』と当て字」

と,『岩波古語辞典』にあり,

ただそれだけの,また生地のままの意を表す(素顔,素肌),
なにも伴わないこと(素で踊る,すうどん,素手),
(他の語の上につけて)軽蔑の意をこめと,ただの,みすぼらしいなどの意(素寒貧,素町人),
程度の甚だしいことを示す(素早い,すばしこい),

といった使い分けになる。やはり,「ほかす」を強めた,というのが妥当だろう。「素」の字は,

「より糸にする前の元の繊維。繭から引き出した絹の原糸」

で,

しろ,

を意味する。うまい当て字ではある。

『笑える国語辞典』

https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%99/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B/

は,

「すっぽかすとは、程度が激しいことを意味する『す(素)』と、捨て去るという意味の『ほかす(放下す)』からなる慣用語で、すべきことをしないで放置する、約束を破るという意味あいで使用されるが、例えば『仕事をすっぽかす』とか『デートの約束をすっぽかす』のように、仕事をしなかったり、約束を破ったりすることにたいして理由もなく、理由を相手に説明して許しを得ようという気持ちもない場合、つまり『かったるくて仕事したくねえ』とか『あんたなんかとつきあうつもりないから』という気分のときに用いる。

とある。故意で約束を破る,という意味では,一種の意思表示ではある。約束したときは,断れなかった,弱気のつけでしかない,とも言える。

「ほかす」は,

放下す,

と当てる。

「ほうかの転」

である。『大言海』は,

「ほほかす」の転,

としているが,

放置,

の意であるが,「放下」とは,ただの放置ではなく,

投げ捨てる,

意である。禅宗でいう「放下」(ハウカ,ハウゲ)は,

「一切を放り投げて無我の境地に入ること」

を意味したようだから,一種,

すっぽかす,

も決断といってもいい。そこから派生して,

放下師,

という大道芸になるが,それはまた別の話。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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放下


「放下」は,

ほうげ,

と訓む。また,

ほうか,

とも訓む。「ほうげ」と訓むと,

投げ捨てること,
禅宗で,心身共に一切の執着を捨ていること,また,その禅僧,

を意味するが,「ほうか」と訓むと,投げ捨てる意味の他に,「放家」とも当てて,

中世・近世の芸能,

を指す。『広辞苑』には,

「手品や曲芸を演じ,小切子(こきりこ)を操り,小歌を歌い,八桴(やつばち)を打ちなどした。その演者を,放下師または単に放下ともいい,僧形のものが多かったので,放下僧とも呼んだ。僧形でも烏帽子を被ったり,笹を背負うなど,異形の姿だった。」

とある。

『岩波古語辞典』には,

「又,一種の国賊あり,放下の基と号して,三衣一鉢を捨てて,身に衣を着ずして,或,烏帽子を着,或は,狗・猫・兎・鹿(しし)の皮を着て,舞いを為し,歌を歌ひて,正法を謗し,人家の男女を誑譃(わうご)して世を渡る類あり」(塩山和泥合水集)

とある。

もともとは,

「手より物を投げ放ち捨つる」(『大言海』)

意味でしかないが,禅家で,特殊な意味を込めたのは,

『五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)』にある趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん 778〜897年)の逸話に依るらしい。

http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060801.html

には,

放下著(ほうげじゃく),

というらしく,

厳陽尊者(げんようそんじゃ)という修行者が趙州和尚に問います。
「一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)の時、如何いかん」
趙州和尚が答えます。
「放下著」
更に問います。
「既に是れ一物(いちもつ)不将来(ふしょうらい)、箇(この)什麼(なに)をか放下せん」
するとこう答えた,と。
「放(ほう)不(ふ)不(ふ)ならば担取(たんしゅ)し去され」

これだけ棄てて無一物になった,という自我(自恃)をも「棄てろ」というのが,

放下著,

であるらしく,それがわからないようなら,そいつ(無一物)を担いでされ,とまで言われた,というわけである。

それが大道芸の放下に使われたについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%B8%8B

に,

「『放下』の語はもともと禅宗から出た言葉で、一切を放り投げて無我の境地に入ることを意味したが、『投げおろす』『捨てはなす』の原義から派生して鞠(まり)や刀などを放り投げたり、受けとめたりする芸能全般をあらわすようになったと考えられる。」

とあるが,それだけではなく,通常の世界から放下されたもの,という意が込められていたのではあるまいか。

その芸については,

「放下師(放下)がおこなった芸には、中国から渡来した鼓のようなかたちの空中独楽の中央のくびれ部分に紐を巻き付けて回転させたり、空中高く飛ばしたりして、自在に使い分ける輪鼓(りゅうご)や田楽芸の『高足』から転じた連飛(れんぴ)、また、鞠・短刀などを空中に投げ上げて自在にお手玉する品玉(しなだま)、八ツ玉、手鞠、弄丸(ろうがん)などがあり、従来の散楽や田楽から学び習った曲芸や奇術を専業化し、人びとが行き交う大道や市の立つ殷賑の地などでこれを演じて人気を博した。また、『こきりこ』(筑子)と称される、長さ30センチメートル・太さ1センチメートルほどの竹の棒2本を打ち合わせたり、拍子をとったりして物語歌をうたい歩き、あるいは辻に立って歌い、特に子女からの人気を集めた。」

と詳しい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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