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コトバ辞典


よほど


「よほど」は,

余程,

と当てるが,当て字である。

よっぽど,

とも言う。

「ヨキ(善)ホドの転。『余』は江戸中期以後の当て字」

とある(『広辞苑第5版』)。意味が変わっての当て字の転換と思われる。

程よきさま,

が『広辞苑第5版』には先ず載り,

「当年ほど瓜の見事に出来た事は御座らぬ,是はよほど色付た」(狂言・瓜盗人)

の例が載る。その後に,

かなり,ずいぶん,

の意が載り,

すんでのところで,よっぽど,

の意が載る。これは,

「よほど注意してやろと思った」

という最近の使い方になる。『江戸語大辞典』は,すでに,

だいぶ,かなり,

の意しか載らず,

よほど置いてきた代物,

という諺が載る。これは,

「だいぶ多量に知恵をどこかに居てきた人物」

という意味らしい。また,

よほどよりか,

という言い回しも載るが,

普通以上に,なみなみならぬ,

意で,今日は使わない。たとえば,

「三味線の手が余ほどよりか面白く付けてある」

という例が載る。『岩波古語辞典』には,「よっぽど」に,

「ヨキホドの転」

として,「よきほど」のいみにふさわしく,

ちょうどよいていど,頃合い,
いい加減に見当をつけたていど,おおよそ,

が載って,

かなりの程度,

の意が載る。もともとは,

程度や数量が適当するさま,よい程度であるさま,ほどよいさま。ちょうどよいさま,

適度を越えてかなりな程度であるさま,

となり,

ずいぶん,たいそう,

と転じ,

度を越えて十分すぎるのでもうやめたい,やめてもらいたいさま,

と意味が変じて,

大概,いいかげん,

の意に行き着く(精選版 日本国語大辞典),というところだろうか。

「『よっぽど・よほど』の意味は、古くは『良い程、良い頃合、適度』という本来の『よきほど』の意味を保っているが、近世に入ると次第に『適度を越えたかなりの程度』の意になっていく。」

ようである(仝上)。この変化の経緯は,

「中世以降の文献に現われ、意味的な関連から『良き程』の変化したものと考えられる。室町時代の抄物資料では『えっぽど』の形も見られる。『よほど』の形も中世から見られるが、これは、『よっぽど』の促音が、ヤッパリ⇔ヤハリ、モッパラ⇔モハラ等の対に類推して強調の表情音ととらえられたところから、その非強調形として『よほど』の語形が生まれたものと考えられる。近世以降現代に至るまで『よっぽど』が強調ニュアンスを伴うのに対して『よほど』は平叙的である。」

とか(仝上)。『笑える国語辞典』によると,江戸時代が転換点に見える。

「もとは『良き程』、つまり『よい程度』「適度」という意味の言葉だったものが、江戸時代に『適度を超えたはなはだしい程度』に変化したらしい。この変化は、もとはちょうどよい程度を意味していた『いい加減』や『適当』が、『あまりよくない程度』を意味するようになった変化を連想させる。」

とある。音韻の変化は,『日本語の語源』にこうある。

「平安時代には,物事を評価するばあいに,ヨシ(良し。すぐれている)・ヨロシ(宜し。悪くない)・ワロシ(悪し。よくない)・アシ(悪し。わるい)の四段階にわけるのを常とした。したがって,ヨキホド(良き程)といえば『すぐれた程度』という最上級をあらわす評語であった。<三月ばかりになるほどに,ヨキホドなる人になりぬれば>(竹取)は,竹の中から見つけてわずか三か月後にはカグヤ姫は早くも一人前の娘になったことをいう。
 ヨキホド(良き程)の語は,キを落としてヨホド(余程)になり,あるいは,キの促音便でヨッポド(余程)になった。物事の程度が非常・完全・最高・多数であるさまを示す副詞として『非常に。たいへん。立派に。すこぶる。たくさん』という意に用いられた。<今の針で痛みがヨホドニなおった>(狂言・針雷),<いやはや,これはヨッポドの系図でおじゃる>(狂言・酢はじかみ),<花のあと今朝はヨホド節も覚えたが>(浄瑠璃・二枚絵草子)。
 四段階の区別が乱れて,ヨキホド(良き程)がヨロシキホド(宜しき程)と同義語になると,ヨホド・ヨッポドは『だいぶ。相当。かなり。ずいぶん。いい加減。程よく』に転義した。<ヨホド待った。さあ汝持て>(狂言・荷なひ文),<ヨッポドにあがけよ,そこなぬくめ(ノロマメ)>(浄瑠璃・鑓権三)。
 『すぐれた程度の事』という意味のヨキホドノコト(良き程の事)は,ヨホドノコト,ヨッポドノコトに転化した。前者を早口に発音するときには,ホ・トを落とし,ドの撥音便化で,ヨンノコ・ヨンノクに転化した。(以下略)」

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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随分


「随分」は,文字通り,

分に随う,

で,

「随(したがう)+分(身の程)」

とある(『日本語源広辞典』)。

「分相応の意で,転じて,大変,非常に等の意を表す」

とある。

この「分」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E5%88%86)は,すでに触れたように,

分を弁える,

の意味で使う。意味は,

各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任など,

の意味で,分限・分際,応分・過分・士分・自分・性分・職分・随分・天分・本分・身分・名分等々という使われ方をする。

「分」(漢呉音フン,ブ,呉音ブン)の字は,

「八印(左右にわける)+刀」

で,二つに切り分ける意を示す(『漢字源』)。ここでの意味で言えば,

ポストにおうじた責任と能力

の意だが,「区別」「けじめ」の意味も含む。「身の程」「分際」という言葉とも重なる。それはある意味,

「持前」とも重なる。

分を守る,
とか
分を弁える,

という場合,上にか天にか神にか,分を超えたことへの戒めととらえることができる。

「身」という字は,

「女性が腹に赤子を身ごもったさまをえがいたもの。充実する,一杯詰まる,の意を含む」

とある。「身の程」は,身分がらとか地位の程度を指すようだが,

天の分,

を指すのではあるまいか。つまり,

天から分け与えられた,性質・才能,

の意味のそれではなく,

天から与えられた分限,職分,

の意である。

死生命有
富貴天に在り(『論語』)

の意である。

「随(隨)」(漢音ズイ,呉音スイ)の字は,

「会意兼形声。隋・墮(=堕,おちる)の原字は「阜(土盛り)+左二つ(ぎざぎざ,參差[シンシ]の意)の会意文字で,盛り土が,がさがさとくずれちることを示す。隨は『辶(すすむ)+音符隋』で,惰性にまかせて壁土がおちて止まらないように,時制や先行者のいくのにまかせて進むこと。もと,上から下へ落ちるの意を含む」

で,「したがう」という意ではあるが,

「なるままにまかせる」「他の者のするとおりについていく」「その事物やその時のなりゆきにまかせる」

という含意である。

とすると,「随分」は,

身分にしたがう,

とはいうが,

身分相応,
あるいは,
分相応,

と,逆らわず,そのままに,という含意になる。それが,

可能な限りぎりぎりの限界,

と意味の範囲を拡大し,そこから,調度視点を変えたように,価値表現に転じ,

程度が甚だしい,
ひどい,

という意味になる。既に『江戸語大辞典』には,

「助詞『と』を伴うこともある。かなり,相当」

と,意味を転じている。『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E9%9A%8F%E5%88%86)は,

「古くは文字通り『分(ぶん)に随(したが)う』、身分相応の意で使われていた。これが、分に応じてできる限り、極力の意になり、大いに、非常にの意にも使われるようになった。ひどいの意は明治時代に生じた。」

としている。江戸期には,まだ,

かなり,相当,

であったが,明治期,ついに,

ひどい,

にまで価値表現が深まった,ということらしい。つまり,

身分相応,

分に応じてできるかぎり,極力,

かなり,はなはだ,

ひどい,

と意味が変化した(『語源由来辞典』)。いまでは,

滅法(めっぽう),
物凄い(ものすごい),
やけに,
矢鱈(やたら),
余程(よほど ),

と同義語となっている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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はなはだしい


「はなはだしい」は,

甚だしい,

と当てるが,副詞に,

甚だ,

がある。形容詞「はなはだしい」は,

普通の程度をこえている,はげしい,

意であり,副詞「はなはだ」は,

程度が著しいこと,たいそう,非常に,

の意である。当てている「甚」(漢音ジン,呉音シン)の字は,

「会意。匹とは,ペアをなしてくっつく意で,男女の性交を意味する。甚は『甘(うまい物)+匹(色ごと)』で,食道楽や色ごとに深入りすること」

とあり(『漢字源』),「はなはだしい」の意である。これだと分かりにくいが,「匹」(漢音ヒツ,呉音ヒチ,慣ヒキ)の字は,

「会意。『厂(たれた布)+二つのすじ』で,もとは匸印を含まない。布ふた織りを並べべてたらしたさまで,ひと織りが二丈の長さだから,四丈で一匹となる。二つの物を並べてペアを成す意を含む」

とあり,対の意である(『漢字源』)。

『岩波古語辞典』は,「はなはだ」は,

「ハダ(甚)を重ねた語の転か。平安時代には漢文訓読体に使われた」

とし,

程度を大きく超えているさま,非常に,
全く,全然,
(打消の語を伴って)たいして,

の意とある。「はだ」には,

「ハナハダ(甚)のハダと同根」

とある。『語源辞典・形容詞篇=吉田金彦』も,

「上代,極端にの意を表す副詞ハダがあり,これはハ=端,ダ=接尾語である。このハダを重ねたハダハダからの変化」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ha/hanahadashii.html)も,

「甚だしいは,副詞「甚だ(はなはだ)」を形容詞化した語。上代に『極端』の意味を表す『は だ(甚)という語があり,それを重ね合わせた『はだはだ』が変化して『はなはだ』になったと考えられている。『はだ(甚)』の『は』は『端』の意味で,『だ』は接尾語である。また『はな(花)』は目立つものの形容にも用いられる語なので,甚だしいの『はなはだ』は『はな(花)』に『はだ(甚)』を合わせた合法俱考えられる。』

とする。ただ,『語源由来辞典』の,「『はな(花)』は目立つものの形容にも用いられる語なので,云々」は意味不明た。「はな」については,すでに触れた(http://ppnetwork.seesaa.net/article/449051395.html?1547249553)が,

「はな(鼻・端)」は,ともに,

「著しく目立つ意の,ハナ」

で,顔の真ん中で著しく目立つ,ところからとする。それが転じて先端の意となる,「はな(端)」も,

鼻の義(言元梯),

とされるほど,端と鼻は,ほぼ同源で,「はな(花)」は,

著しく現れ目立つ意で,ハナ(端)の義,

と,つまりは,

鼻→端→花,

意と転じている。目立つのは,「花」ではなく「鼻」であった。「はな」が,「はだ」とつながるのでなければ,この説明は意味を成さない。

『大言海』は,形容詞「はなはだし」と副詞「はなはだ」を別語源とする。副詞「はなはだ」は, 

「華やかなる意かと云ふ,或は,噫程(あなほど)の轉か」

とし,形容詞「はなはだし」は, 

「はだはだしの轉。いたたき,いなたき。へたたり,へなたり。したたり,しなたりと同趣」

とする。「はだはだし」は,

「いたしの重語のいたいたしの転」

とする。「いたし」は,

甚し,

と当てる。甚だしい意である。意味の流れから見れば,

甚し→甚甚し→甚だし,

と一見通るが,

いた→(はだ)→はなはだ,

の転だと,ちょっと無理がある気がする。「いた(甚)し」という語が,

いた(甚)し→いた(甚)→いと(甚),

と転嫁する流れはあるが(『日本語の語源』)。副詞「はなはだ」と形容詞「はなはだし」を別語源とするには,少し無理があるように思える。

副詞「はなはだ」について,『大言海』と同趣なのは,『日本語源広辞典』で,

「「ハナヤカの意のハナの繰り返し,『ハナハナ』の音韻変化です。」

とする。『日本語源大辞典』は,この他に,

ハナクハシ(花曲)の転か,またハナハダ(花膚)の義か,またハナバナシ(花々し)の転か(菊池俗語考),
ハナハタ(花発出)の義か(柴門和語類集),
アナアナ(呼那々々)の義(言元梯),
ハナヤカナルハダ(肌)の義か(和句解),
ハナホド(端程)の転か(国語の語根とその分類=大島正健),
アナガチ(強)の転か,また,アマハタ(天機)と同じか(和語私臆鈔),
ハタハタの転(日本古語大辞典=松岡静雄),
ハナレハナレシキ(離々如)の義(名言通),

等々。また『日本語の語源』は,音韻変化から,

「ハタ(将)は『その上にさらに加わること。その上また。さらにまた。』の意の副詞である。(中略)『たいそう。はなはだ』の意の副詞,ハダに転音・転義した。(中略)これを重ねたハダハダはハナハダ(甚だ)に転音した」

と,「ハダ(甚)」を,

ハタ(将)→ハダ(甚),

とする。諸説あり,決めてはないのだが,やはり,

「ハナハダ(甚)のハダと同根」

とする,上代の副詞ハダ(甚)の重語ハダハダがハナハダへ転訛したとみるのが,一番納得がいく。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いちじるしい


「いちじるしい」は,

著しい,

と当て,

はっきりとわかる,
顕著である,

という意である。「著」(チョ,漢音チャク,呉音ジャク)の字は,

「会意兼形声。者(シャ)は,柴をもやして,加熱をひと所に集中するさま。著は『艸+音符者』で,ひと所にくっつくの意を含む。箸(チョ 物をくっつけてもつはし)の原字。チャクの音の場合は,俗字の着で代用する。著はのち,著者の著の意味に専用され,チャクの意に使うときは,着を使うようになった」

とあり(『漢字源』),「あらわれる」「いちじるしい」の意である。「著し」について,

「近世以降シク活用も。古くはイチシルシと清音。一説に,イチはイツ(厳・稜威)の轉。シルシは他とまぎれることなくはっきりしている意」

で,また「著しい」は「シク活用」で,

語尾が「しく・しく・し・しき・しけれ・○」

と変化するが,もとは「ク活用」で,

語尾が「く・く・し・き・けれ・○」

と変化した。「著し」の意味は,

神威がはっきり目に見える,
(思いあたるところが)はっきりあらわれている,
思っちとおりである,
思ったことや感情をはげしくむき出しにする性質である,

と(『岩波古語辞典』),今日の意とは少し異なり,「はっきりわかる」ものが,具体的である。

「室町時代まで清音。イチはイツ(稜威)の轉。シルシははっきり,隠れもないの意」

とある(『岩波古語辞典』)。「いちしろし」が清音「いちしるし」の古形で,

イチシロシ→イチシルシ→イチジルシ,

と転訛したとする(『岩波古語辞典』)。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/ichijirushii.html)は,

「上代には『いちしろし』の形もみられるが,『いちしるし』の母音交替と見られる」

と,「いちしるし」の変形とみているようであるが。「稜威(いつ)」とは,

「厳霊なる威光」

の意で,

「漢書,李廣傳『威稜憺平隣国』注『李奇曰,神霊之威曰稜』

としている(『大言海』)。

その『大言海』は,

「最(いと)著(しる)しの轉。いちじろしは音轉(あるじ,あろじ。わるし,わろし)」

とし,「逸(いち)」の項で,こう述べる。

「最(イト)と音通なり(遠之日(ヲチノヒ),一昨日(ヲトトヒ)),イチジルシも,最著(いとしる)しなるべし,和訓栞,イチジルシク『著を訓めり,最(イト)白き義なり』,案ずるに,優れたる意にて,一なるべきかとも思はれ,又,普通に用ゐらるる逸(いつ)の字も,呉音は,イチなり(一(イツ),いち),正字通りに『逸,超也』とありて,逸才,逸品等々とも云ふ。然れども,上古にも見ゆる語なれば,漢字音を混ずべきにあらず」

「いちじるしい」は,「最」といっている。

『日本語源広辞典』は,しかし,三説挙げ,

説1,「イチ(いっそう)+シルシ(目立つ・著しい)」,
説2,「イト(たいそう・甚)+シルシ」
説3,「イチ(稜威)+シルシ」

『日本語の語源』,

「いとしるし(甚著し)はイチジルシ(著し)になった」

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/i/ichijirushii.html)は,

「著しいの『いち』は、『いとうつくし』『いとおいし』 の『いと』や、『いたく(甚く)感銘した』の『いたく』と同源で、程度が激しいことを表す「いち( 甚)」。」

と説2の「甚」を採る。「甚」と「最」と当てる漢字は違うが,「いと(甚)」は,

「極限・頂点を意味するイタの母音交替形」

で,「いた(甚)」は,

「イタシ(致)イタリ(至)イタダキ(頂)と同根」

とする。「イタ」と「イツ(チ)」と繋がりそうな気がする。『大言海』は,「いと」に,

最,
甚,
太,

の字を当てている。では,「しるし」は,何だろか。『岩波古語辞典』は,「しるし」に,

徴し,
標し,
記し,
銘し,

と当て,

「シルシ(著し)と同根」

とする。「しるし(著し)」は,

「シルシ(徴・標)と同根。ありありと見え,聞え,また感じ取られて,他とまがう余地が無い状態」

とする。その「しるし」を『大言海』は,

「知るの活用,効(しるし)と通ず,明白の義」

とする。「しるし(印・標・徴・籤・符・約・證)」は,

「記すの活用,記(しる)しの義」

とある。「効(しるし)」は,「効・験」と当て,

「著しに通ず」

とする。敢えて,順序づければ,

しるし(記)→しるし(印・標)→しるし(著)→しるし(効)→しるし(知),

という意味が転じたことになる。

『日本語の語源』は,

「『知る』を形容詞化したシルシ(著し)は「いちじるしい。はっきりしている」意である。これを強めたイトシルシ(甚著し)は,「ト」の母交(母韻交替)[oi]でイチジルシ(著し)に転化した」

とする。

「いと(甚・最)・しるし(著し)」

が,

いちじるし,

に転じた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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サムライ


「さむらい」は,

侍,
士,

と当てる。

「サブラヒの転」

とある(『広辞苑第5版』)。「さぶらひ」は

「主君のそば近くに仕える」

意であり,その人を指した。

「平安時代,親王・摂関・公卿家に仕え家務を執行した者,多く五位,六位に叙せられた」

つまり,「地下人」である。「地下(じげ)」とは,

「昇殿を許された者、特に公卿以外の四位以下の者を殿上人と言うのに対し、許されない者を地下といった。」

のである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E4%BA%BA)。さらに,

「武器をもって貴族まったく警固に任じた者。平安中期,禁裏滝口,院の北面,東宮の帯刀などの武士の称」

へと特定されていく。

「さむらい」に「士」と当てると,

「武士。中世では一般庶民を区別する凡下と区別される身分呼称で,騎馬・服装・刑罰などの面で特権的な扱いを受けた。江戸時代には幕府の旗本・諸般の中小姓以上,また士農工商のうちの士分身分の物を指す。」

とあり(『広辞苑第5版』。凡下(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E5%87%A1%E4%B8%8B)については触れたが,

「鎌倉幕府では、侍は僕従を有し、騎上の資格ある武士で、郎従等の凡下と厳重に区別する身分規定が行なわれた。しかし、鎌倉中期以降、その範囲が次第に拡大、戦国時代以降は、諸国の大名の家臣をも広く侍と称するようになり、武士一般の称として用いられるようになる。」(仝上)

という。

それをメタファとして,「さむらい」というと,

なかなかの人物,

の意で使うらしいが,「さむらい」を褒め言葉と思うのは,僕は錯覚だ思っている。かつて,いちいち言わなくても,侍は,侍であった。

「武家」という言い方をすると,

「日本における軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称。江戸時代には武家官位を持つ家系をいう。」

のも(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6),そこから来ている。

「平安時代中期の官職や職能が特定の家系に固定化していく『家業の継承』が急速に進展していた。しかし武芸を職能とする下級貴族もまた、『兵の家』として武芸に特化した家柄を形成し、その中から軍事貴族(武家貴族)という成立期武士の中核的な存在が登場していった。これらの家系・家柄を指して『武家』もしくは『武勇の家』『武門』とも呼ばれている。」

ということになる。「さぶらふ」者に変わりはない。「さぶらひ」は,

侍ひ,
候ひ,
伺ひ,

と当て,

「サモラヒの転。じっと傍で見守り,待機する意。類義語ハベリは,身を低くして貴人などのそばに坐る意」

とある(『岩波古語辞典』)。「さもらふ」は,

「サは接頭語。見守る意のモリに反復・継続の接尾語ヒのついた形」

とある(仝上)。接尾語「ひ」は,

「四段活用の動詞を作り,反復・継続の意を表す。例えば,『散り』『呼び』といえば普通一回だけ散り,呼ぶ意を表すが,『散らひ』『呼ばひ』といえば,何回も繰り返して散り,呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は四段活用の動詞アヒ(合)で,これが動詞連用形のあとにくわわって成立したもの。その際の動詞語尾の母音の変形に三種ある。@[a]となるもの。例えば,ワタリ(渡)がウタラヒとなる。watariafi→watarafi。A[o]となるもの。例えば,ツリ(移)がツロヒとなる。uturiafi→uturofi。B[ö]となるもの。例えば,モトホリ(廻)がホトホロヒとなる。mötöföriai→mötöföröfi。これらの相異は語幹の部分の母音,a,u,öが,末尾の母音を同化する結果として生じた」」

とある(仝上)。とすると,「モリ(守)に反復・継続の接尾語ヒのついた形」の

「もり+ひ」

つまり,「もらふ」である。「さ(sa)」を付けると,

samöriafi→samörafi→samurafi→saburafi→samurai,

といった転訛であろうか。その経緯は,

「「サムライ」は16世紀になって登場した比較的新しい語形であり、鎌倉時代から室町時代にかけては『サブライ』、平安時代には『サブラヒ』とそれぞれ発音されていた。『サブラヒ』は動詞『サブラフ』の連用形が名詞化したものである。以下、『サブラフ』の語史について述べれば、まず奈良時代には『サモラフ』という語形で登場しており、これが遡り得る最も古い語形であると考えられる。『サモラフ』は動詞『モラフ(候)』に語調を整える接頭辞『サ』が接続したもので、『モラフ』は動詞『モル(窺・守)』に存在・継続の意の助動詞(動詞性接尾辞ともいう)『フ』が接続して生まれた語であると推定されている。その語構成からも窺えるように、『サモラフ』の原義は相手の様子をじっと窺うという意味であったが、奈良時代には既に貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つという意味でも使用されていた。この『サモラフ』が平安時代に母音交替を起こしていったん『サムラフ』となり、さらに子音交替を起こした結果、『サブラフ』という語形が誕生したと考えられている。『サブラフ』は『侍』の訓としても使用されていることからもわかるように、平安時代にはもっぱら貴人の側にお仕えするという意味で使用されていた。『侍』という漢字には、元来 『貴族のそばで仕えて仕事をする』という意味があるが、武士に類する武芸を家芸とする技能官人を意味するのは日本だけである。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。

サモラヒ→サムラヒ→サブラヒ→サムライ,

と転訛したことになる(『日本語源広辞典』)。

「『初心仮名遣』には、『ふ』の表記を『む』と読むことの例の一つとして『さぶらひ(侍)』が示されており、室町期ころから、『さふらひ』と記してもサムライと発音していたらしい。一般的に『さむらひ』と表記するようになるのは、江戸中期以降である。」(『精選版 日本国語大辞典』『日本語源大辞典』)

「さぶらふ」(その名詞形「さぶらひ」)の原義,「主君の側近くで面倒を見ること、またその人」が,

「朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候した中下級の技能官人層を指すようになり、そこからそうした技能官人の一角を構成した『武士』を指すようになった。つまり、最初は武士のみならず、明法家などの他の中下級技能官人も『侍』とされたのであり、そこに武人を意味する要素はなかったのである。…『サブラヒ』はその後『サブライ』→『サムライ』と語形変化を遂げていったが、地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。 17世紀初頭に刊行された『日葡辞書』では、Bushi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ『武人』『軍人』を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(サブライ)は『貴人、または尊敬すべき人』と訳されており、侍が武士階層の中でも、特別な存在と見識が既に広まっていた。」

その時代,「凡下」も意味を変える。

「元は仏教用語で『世の愚かな人たち』『世の人』(『往生要集』)などを指す語として用いられていた。これが一般社会においては官位を持たない無位の人々(白丁)の意味で使われた。後に武士(侍)が力を持ち始めると、武士の身分と官位には関連性が無かったために武士の中には有位の者も無位の者もいた。そのため、無位を含めた武士層と対置する無位の庶民に対する身分呼称として雑人とともに凡下が用いられるようになった。」

武士の台頭によって,相対的に他を呼ぶ呼称が変わったことになる。

かつては,武家の従者の,地位の高い者を郎党、低い者を従類といった。武家の従者で主人と血縁関係のある一族・子弟を家子と呼んだ。従類は、郎党の下の若党、悴者(かせもの)を指す。家子・郎等・従類は、皆姓を持ち、合戦では最後まで主人と運命を共にする。この下に,中間、小者、あらしこ、という戦場で主人を助けて馬を引き、鑓、弓、挟(はさみ)箱等々を持つ下人がいる。身分は中間・小者・荒子(あらしこ)の順。あらしこが武家奉公人の最下層。中間(ちゅうげん)、小者(こもの)、荒子(あらしこ)まで武士身分に位置づけられる(天正19年(1569)の秀吉の身分統制令)。ここまでを武家奉公人と呼び,「士」とした。凡下ではないのである。だから,江戸時代以前では主家に仕える(奉公する)武士も含めて単に奉公人と呼んだが,江戸時代以降は中間や小者は非武士身分とされた。まあ,戦のない時代,武家にとって無用となったということだろか。

「江戸時代の法制面では、幕臣中の御目見(おめみえ)以上、即ち旗本を侍と呼び、徒(かち)・中間(ちゅうげん)などの下級武士とは明確に区別した。諸藩の家臣についても、幕府は中小姓以上を侍とみなした。」(仝上)

とある。江戸時代,「さむらい」の意味をまた変えたのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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傾く


「傾く」は,

かたむく,

と読むが,

「古くは,カタブク。『片向く』の意」

とある(『広辞苑第5版』)。「かたぶく」の項には,

「中世以降カタムクと両用される」

とある。『岩波古語辞典』には,「かたぶく」は,

「カタは一方的で不完全の意。ブキはムキ(向)の子音交替形。安定直立から斜めにずれて倒れそうになる意」

とある。

『大言海』は,

「偏(かた)向くの義」

とする。『日本語源広辞典』も,

「カタ(片)+ブク(向く・寄る)」

で,

一定の基準(水平または垂直)から片方へそれる,

つまり,

斜めになる,

意だが,それをメタファに,

考えや気持ちがある方面に引きつけられる,
陽が西に沈みかける,
(首を傾げる意から)不審に思う,
不安定になる,

等々の意を持つ。「傾く」は,

カブク,

とも訓む。やはり,

かたむく,

意だが,その「傾く」をメタファに,

異様身なり,異端の言動など,常軌を外れている,
自由放恣な行動をする,
ふざける,戯れる,

意から,

歌舞伎を演ずる,

意へとつながり,名詞化して,

歌舞伎,
歌舞妓,

と当て字することになる。この「歌舞伎」は,

「天正時代の流行語で、奇抜な身なりをする意の動詞「かぶ(傾)く」の連用形から」

とある(『広辞苑第5版』その他)。

ただ,この「かぶく」は,

「片向く」

ではなく,『大言海』には,

「頭(カブ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾),頭(かぶ)る(被)同じ),まくらく(枕),かづらく(鬘)の例なり,頭重く,ウハカブキになる意より,傾く義となる」

とある。「うはかぶき(上傾き)」とは,

物の頭がちにて,傾くこと,

つまり,

頭でっかち,

であり,さらに,

派手で上っ調子なこと,

の意がある。この意が,

かぶきもの(傾者),

異様な風体をして大道を横行する軽佻浮薄の遊侠の徒,

を指すのにつながる。「かぶく」

には,

傾く,

つまり,

常軌を逸する,

意と,そこに,

自由奔放さ,

へのちょっとした憧憬も含意している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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かぶく


「かぶく」は,「傾く」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E5%82%BE%E3%81%8F)で触れたように,『大言海』は,

「頭(カブ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾),頭(かぶ)る(被)同じ),まくらく(枕),かづらく(鬘)の例なり,頭重く,ウハカブキになる意より,傾く義となる」

とし,「うはかぶき(上傾き)」とは,

物の頭がちにて,傾くこと,

つまり,

頭でっかち,

であり,さらに,

派手で上っ調子なこと,

の意がある(『岩波古語辞典』)。この意が,

かぶきもの(傾者),

異様な風体をして大道を横行する軽佻浮薄の遊侠の徒,

を指すのにつながる。「かぶく」

には,

傾く,

つまり,

常軌を逸する,

意と,そこに,

自由奔放さ,

へのちょっとした憧憬も含意しているように思える。

「『かぶく』の『かぶ』は『頭』の古称といわれ、『頭を傾ける』が本来の意味であったが、頭を傾けるような行動という意味から『常識外れ』や『異様な風体』を表すようになった。」

とある(http://gogen-allguide.com/ka/kabuki.html)のは飛躍で,「傾く」自体に,

一定の基準(水平または垂直)から片方へそれる,

という意があり(『広辞苑第5版』),「かぶく」のもつ「傾く」意そのものに,

外れている,

という含意がある。

むしろ,

「かぶくとは、どっちかに偏って真っすぐではないさまをいい、そこから転じて、人生を斜(しゃ)に構えたような人、身形(みなり)や言動の風変わりな人、アウトロー的な人などを『かぶきもの』と呼んだ。」

というほうが正確である(http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/kabuki/kabuki040111.html)。

で,そこから転じて,

「風体や行動が華美であることや,色めいた振る舞いなどをさすようになり,そのような身なり振る舞いをする者を『かぶき者』といい,時代の美意識を示す俗語として天正(1573〜92年)頃流行した。」(仝上)

となる。「かぶき者(傾奇者、歌舞伎者とも表記)」は,

「戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年〜1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%81%8D%E8%80%85)。その風体は,

「当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。しかし、かぶき者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大きな刀や脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が『かぶきたるさま』として流行した。」

という(仝上)織田信長も「かぶき者」といわれるだけの風体だったことになる。

これが,現代の歌舞伎となったのは,

「17世紀初頭,出雲大社の巫女『出雲の阿国(おくに)』と呼ばれた女性の踊りが,斬新で派手な風俗を取り込んでいたためも『かぶき踊り』と称されたことによる。」

という(仝上)。これは,

「その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれていく。」

ことになる(仝上)。

『日本語源広辞典』は,「かぶき」の語源について,

「語源は,唐の時代の『仮婦戯(仮に女になる芝居)』で,中国語源です。通説は,『動詞カブクの連用形』ですが,疑問」

とする。しかし,唐代のものが,天正から,慶長にかけて流行った風体を「かぶき者」と呼んだ理由が,これでは説明が付かない気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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かぶり


「あたま」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%BE)で触れたように,「あたま」は,

「『当間(あてま)』の転で灸点に当たる所の意味や、『天玉(あたま)』『貴間(あてま)』の意味など諸説あるが未詳。 古くは『かぶ』『かしら』『かうべ(こうべ)』と言い、『かぶ』は 奈良時代には古語化していたとされる。『かしら』は奈良時代から見られ、頭を表す代表 語となっていた。『こうべ』は平安時代以降みられるが、『かしら』に比べ用法や使用例が狭く、室町時代には古語化し、『あたま』が徐々に使われるようになった。『あたま』は、もとは前頭部中央の骨と骨の隙間を表した語で、頭頂や頭全体を表すようになったが、まだ『かしら』が代表的な言葉として用いられ、『つむり』『かぶり』『くび』などと併用されていた。しだいに『あたま』が勢力を広げて代表的な言葉となり、脳の働きや人数を表すようにもなった。」

と,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と変遷したということらしい(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/a/atama.html)。「かぶ」は,『岩波古語辞典』には,

「カブラ(蕪)・カブヅチノカブと同根。塊になっていて,ばらばらに離れることがないもの」

とあるが,『大言海』は,

「かうべと云ふも,頭上(かぶうへ)の轉なり」

とある。この「かぶ」の転訛のひとつ「かぶり」は,

「頭振(かぶふり),又首(かうべ)振の約(紙縒(かみより),こより。杏葉(ぎゃうえふ),ぎょえふ)。カフリを振るは,重言なれど,熟語となれば,語原は忘れらる,博打を打つの如し」

となる(『大言海』)。しかも,「かぶる(被る)」は,『大言海』は,

「頭(かぶ)を活用せしむ」

とあり,「かぶく(傾)」の項に,やはり,

「頭(かぶ)を活用せしむ(頭(かぶ)す(傾く),頭(かぶ)る(被),同じ)」

とある。「かぶる」もまた,当たり前だが,頭とつながる。

「やぶれかぶれ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%82%84%E3%81%B6%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%82%8C)で触れたように,「かぶる(被)」は,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛している。この「かがふり」は,

冠,

につながる。「冠」の「かうぶる(冠・蒙)」は,

カガフリ→カウブリ→カウムリ→カンムリ→カムリ,

と転訛する(『岩波古語辞典』)。当然「かぶる」「かふり」は,

かぶと(兜),

につながる(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451755286.html)。「かぶと」には,

「朝鮮語で甲(よろい)をkap衣をotという。その複合語kapotを,日本語でkabutoとして受け入れたという」

ような(『岩波古語辞典』)朝鮮語源説もあるが,「かふり」「かぶ」との関連から見ると,

「カブ(頭,被る,冠)+ト(堵,カキ,ふせぐもの)」

と(『日本語源広辞典』)か,『日本語源大辞典』も,

カブは頭の意(古事記伝),
カフト(頭蓋)の音義(和語私臆鈔),
カブブタ(頭蓋)の約転(言元梯),
カブト(頭鋭)の意(類聚名物考),
カブは頭。トは事物を意味する接尾語(日本古語大辞典),
頭を守る大切なものという意で,カブ(頭)フト(太=立派なもの)か(衣食住語源辞典),
カブツク(頭衝)の義(名言通),

等々「『かぶ』は頭の意と考えるのが穏当であろうが,『と』については定説を見ない」が,「かぶ(頭)」とつながるとみていい。

次いでながら,「かずける」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%91%E3%82%8B)で触れたように,

被く,

と当てる「かづく(かずく)」(下二段)の口語,「かづく(かずく)」は,

「『潜(かず)く』と同源で,頭から水をかぶる意が原義,転じて,ものを自分の上にのせかぶる意」

とある(『広辞苑』)。「潜く」は,

「頭にすっぽりかぶる意」

であり(『岩波古語辞典』),その名詞形,

「かづき」(被)

は,被り物の意だが,

被衣,

とも当て,

衣被(きぬかづき),

の意でも使われる。によると,「かづき」は,

「室町時代頃から,『かつぎ』へと移りはじめたらしい」

とあり(『岩波古語辞典』),「衣被」も,

きぬかづき→きぬかつぎ,

と転じている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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かぶれる


「かぶれる」は,

気触れる,

と当てる。

漆にかぶれる,

の,「かぶれる」である。つまり,

漆または膏薬などの刺激で皮膚に発疹や炎症がおこる,

意であり,それをメタファに,

その風に染まる,感化される,

意でも使う。

あの思想にかぶれる,

という使い方をする。

『岩波古語辞典』は,

「黴と同根」

とする。「かび」は,

「ほのかに芽生える意」

とする。さらに,

「かもす,醸の字也。麹や米をかびざせて酒に造る也」(源氏物語・千鳥抄)
「殕,賀布(かぶ),食上生白也」(和名抄)

を引く。『大言海』は,「かび」の項で,

黴,
殕,

の字を当て,

黴(か)ぶるもの,

の意とするがどうも,この語源説は行き止まりに思える。

『大言海』は,「かぶれる」を,

「気触(けぶ)るの転」

とし,「か(気)」は,

気(け)の転,

ということらしい。

『日本語源広辞典』は,

「カ(感)+フレル(触)」

とする。「か」を,

気,

とするか,

感,

とするか,といなら,「気」に思える。その他に,

「蚊触」

とする説もある(和訓栞)し,

「香触」

といる説もある(俚言集覧)。「香」とするものに,

「カは香,ブルはクスブル,イブルのブルと同じ。またはカオブ(香帯)」

というのもある(音幻論=幸田露伴)。

「易林本節用集」も,

「蚊触」

と当てているらしく,「蚊」による仕業という認識があったらしい(『日本語源大辞典』)。

しかし,「感」はともかく,「香」はあるまい。ひとまず,『大言海』の,

「気触(けぶ)るの転」

を採る。この「かぶれる」をメタファにした,

思想にかぶれる,

の意は,「香」ではぴんとこまい。臆説かもしれないが,

被れる,

なのではないか,という気が少ししている。意味だけだが,「黴」が,

黴ぶる,

なら,

被る,

と重ねられる気がする。「かぶ(頭)」を活用させ,

カガフリ→カウブリ→カブリ,

と転訛した「被る」と重なって仕方がない。むろん臆説だが。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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カビ


「カビ」は,

黴,

と当てるが,『大言海』は,「カビ」に,

黴,
殕,

の字を当てている。

黴(か)ぶるもの,

の意とする。「かぶれる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%82%8C%E3%82%8B)で触れたように,『岩波古語辞典』は,動詞「かぶ(黴ぶ・上二 )」は,

「ほのかに芽生える意」

とする。さらに,

「かもす,醸の字也。麹や米をかびざせて酒に造る也」(源氏物語・千鳥抄)
「殕,賀布(かぶ),食上生白也」(和名抄)

を引く。『岩波古語辞典』がこれを引用したのは,

かぶ(黴),

かもす(醸),

との関連を示唆したかったからだろうか。現に,

「発酵する意のカモス(醸)の元のカム(醸)の異形カブ(醸)の連用形から名詞化したもの(語源辞典・植物篇=吉田金彦),

とする説もある。『岩波古語辞典』の「かむ(醸)」には,

「『かもす』の古語。もと米などを噛んでつくったことから」

とある。発酵と黴とが,

かぶ(黴),

かむ(醸す),

と同じであってもおかしくはない。

「バ行音(b)は鼻音のマ行音への転化,

はありる(『日本語の語源』)。ただ,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ka/kabi.html)は,

「発酵する意味の『カモス(醸す)』の元の形『カム(醸)』の異形が『カブ(醸)』で、発酵して カビが生えることを『カブ』といい、その連用形から名詞に転じたとする説が有力。」

としつつ,

「ただし、『古事記』の『葦牙の如く萌え騰る物に因りて』に見られる『牙』は『カビ』と読み、植物の芽を意味しており、『黴』と同源と考えられる。『牙』が『黴』と同源となると、『醸す』を語源とするのは難しい。」

とする。

動詞「かぶ(黴ぶ)」の名詞形が,

カビ,

だが,『岩波古語辞典』には,まず最初に,

芽,

の意があり,

「葦かびの如く萌え騰(あが)るもの」(古事記)

の用例が載るのは,上記の理由と思われる。この「芽」との関連で,「カビ」の語源を,

カは上の意。ヒは胎芽を意味するイヒの原語(日本古語大辞典=松岡静雄),

とする説もある。また『日本語源広辞典』も,

「カブ(膨れる・芽)」

とし,「かぶれる」と同源とする。『語源由来辞典』も,

「『牙』を考慮すると、毛が立って皮のように見えるところから『カハミ(皮見)』とする説(名言通)や『カ』は上を表し、『ヒ(ビ)は胎芽を意味する『イヒ』とする説(日本古語大辞典=松岡静雄)が有力」

とする。この他に,

カはア(上)の轉。密生して物の上を被ところから(国語の語根とその分類=大島正健),
キサビ(気錆)の義(日本語原学=林甕臣),
クサレフキから。クサの反カ。レは略。フキの約ヒ(和訓考),
ケフ(気生)の義(言元梯),

等々があるが,

かぶ(黴),

かもす(醸),



麹,

とつながると見るのが妥当ではあるまいか。『大言海』は,「かうぢ(麹)」の項で,

「かびたち,かむだち,かうだち,かうぢと約転したる語」

としている。考えれば,「麹」も,

コウジカビ,

である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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かもす


「かもす」は,

醸す,

と当てるが,古語は,

か(醸)む,

である(『岩波古語辞典』)。

「もと,米などを噛んで作ったことから」

らしい。『大言海』は,

「カム(醸)は,口で噛むという古代醸造法」

である(『日本語源広辞典』)が,当然「か(醸)む」は「か(噛)む」に由来する。『岩波古語辞典』には,「噛む」は,

「カム(醸)と同根」

とある。

「カム(噛む)はカム(嚼)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた。〈すすこりがカミし神酒にわれ酔ひにけり〉(古事記)。(中略)酒を造りこむことをカミナス(噛み成す)といったのがカミナス(醸み成す)に転義した。カミナスは,ミナ[m(in)a]の縮約で,カマス・カモス(醸す)になった」

という転訛のようである(『日本語の語源』)。しかし,

石臼で米をかみつぶして酒を造るところから(俚言集覧),
かびさせて作るところから(雅言考・和訓栞),
カアム(日編)の約。日数を定め量って造るという義(国語本義),
カメ(甕)で蒸すところから(本朝辞源=宇田甘冥),

等々の異説もある(『日本語源大辞典』)。

では,「こうじ」からみるとどうか。「こうじ」は,

麹,
糀,

と当てるが,「糀」は国字である。両者の区別は,意味上ないが,

「糀」 : 米を醸造して作った物
「麹」 : 大豆・麦を醸造して作った物
「こうじ」を醸造するための元になる菌(種)のことも「麹」の漢字を使用しています。

と,ある味噌屋のサイトでは区別していた(http://www.izuya.jp/daijiten/kouji-a_5.html)。

漢字側からは,「こうじ」は,

「麹子(きくし)がなまって,こうじとなり日本語化した」

とある(『漢字源』)。因みに「麹」(キク)の字は,

「会意兼形声。『麥+音符掬(キク 掬手でまるくにぎる)』の略体。ふかした麦や豆をまるくにぎったみそ玉」

である。

「応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して,酒蔵法を伝えて,麹カビを繁殖させることを伝えた」

とある(『たべもの語源辞典』)ので,この説に説得力がる。

しかし,『大言海』は,「かうぢ」(麹・糀,)の項で,

「カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂと約転したる語」

とし,『日本語源広辞典』も,

「カビ+タチ」

とし,

「カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ→コウジの変化」

とする。『たべもの語源辞典』も,

「カムタチ(醸立)→カムチ→コウジ」

とし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/kouji.html)も,平安時代の漢和辞書『類聚名義抄』の,

「麹 カムタチ カムダチ」

とあるとして,

「カビダチ(黴立)→カムダチ→カウダチ→カウヂ」

の音変化が有力としつつ,

「中世の古辞書では『カウジ』しか見られず,『ヂ』の仮名遣いが異なる点に疑問の声もある。」

とする。しかし,

かもす(醸す)の連用形「かもし」の変化(『語源由来辞典』),
カムシの転(語簏),
カウバシキチリ(香塵)の意から(和句解),
キクジン(麹塵)の転(日本釈名)

等々の異説もある(『日本語源大辞典』)。ただ,「かも(醸)す」という言葉があったのだから,それを表現する「麹」があったとみる見方ができる。ただ,物事を抽象化する語彙力をもたない,我々の和語から考えると,

麹子(きくし)→こうじ,

の転訛は捨てがたい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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かむ


「かむ」は,

噛(嚙)む,
咬む,
咀む,
嚼む,

等々と当てる。

「噛(嚙)」(コウ,漢音ゴウ,呉音ギョウ)の字は,

「会意。『口+歯』。咬(コウ)と近い。齧(ゲツ かむ)の字を当てることもある。」

で,かむ,意である。「齧」(ケツ,漢音ゲツ,呉音ゲチ)の字は,

「会意兼形声。丰は竹や木(|)に刃物で傷(彡)をつけたさまをあらわす。上部の字(ケイ・ケツ)はこれに刀をそえたもの。齧はそれを音符とし,歯を加えた字で,歯でかんで切れ目をつけること」

で,かむ,かんで傷をつける意である。

「咬」(漢音コウ,呉音キョウ)の字は,

「会意兼形声。『口+音符交(交差させる)』で,上下のあごや歯を交差させてぐっとかみしめる」

で,かむ,かみ合わせる意。

「咀」(ソ,漢音ショ,呉音ゾ)の字は,

「会意兼形声。且は,積み重ねた姿を示し,積み重ね,繰り返す意を含む。咀は『口+音符且(ショ・シャ)』で,何度も口でかむ動作をかさねること」

で,なんどもかむ意,咀嚼の咀である。

「嚼」(漢音シャク,呉音ザク)の字は,

「会意兼形声。爵は,雀(ジャク 小さい鳥)と同系で,ここでは小さい意を含む。嚼は『口+音符爵』で,小さくかみ砕くこと」

で,細かく噛み砕く意である。。

「かむ」意は,いわゆる「噛む」「噛み砕く」意から,舌をかむ,のように,

歯を立てて傷つける,

意,さらに,

歯車の歯などがぴったりと食い合う,

といった直接「噛む」にかかわる意味から,それをメタファに,

岩を噛む,
とか,
計画に関わる,

という意に広がり,最近だと,

台詞を噛む,

というように,台詞がつっかえたり,滑らかでない意にも使う。『岩波古語辞典』では,

鼻をかむ,

の「かむ」も「噛む」を当てているが,

洟擤(はなか)み,
擤(か)む,

と当てる(『大言海』は「洟む」と当てている)。あるいは,漢字を当て分けるまでは,同じ「かむ」であった,と考えられる。

「かむ」について,『岩波古語辞典』には,

「カム(醸)と同根。口中に入れたものを上下の歯で強く挟み砕く意。類義語クフは歯でものをしっかりくわえる意」

とする。『日本語の語源』は,「かむ」の音韻変化を,こう書いている。

「カム(噛む)は上下の歯をつよく合わせることで,『噛み砕く』『噛み切る』『噛み締める』などという。
カム(噛む)はカム(咬む)に転義して『かみつく。かじる』ことをいう。人畜に大いに咬みついて狂暴性を発揮したためオホカミ(大咬。狼)といってこれをおそれた。また,人に咬みつく毒蛇をカムムシ(咬む虫)と呼んで警戒した。
カム(咬む)はハム(咬む)に転音した。(中略)カム(噛む)はカム(嚼む)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を嚼くで酒をつくったことからカム(醸む)のごがうまれた。」

逆に言うと,「かむ」という語しかなかったということなのではないか。漢字を当てなければ,文脈を共にしなければ,意味が了解できない。

で,「かむ」の語源は何か。『日本語源広辞典』は,

「『動作そのものを言葉にした語』です。カッと口をあけて歯をあらわす。カ+ムが語源です」

とする。あり得ると思う。似ているのは,

カは,物をかむ時の擬声音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実),

という説がある(『日本語源大辞典』)。

かむ行為の擬態語,擬音語というのが一番妥当に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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かち


「かち」

徒,
徒歩,
歩行,

等々と当てる。

乗り物に乗らないで歩くこと,
陸路を行くこと,

の意で,

徒士,

と書くと,

徒士侍,

つまり,

騎乗を許されない武士,

の意となる。

『広辞苑第5版』には,「かち」は,

「『くがち(陸地)』の略『かち』の意が転じて」

とある。『大言海』も,

「陸(かち)の義,陸(かち)より行くと云ふべきを,略して云ふなり」

とあり,「かち(陸)」の項ては,

「陸地(くがち)の略ならむと云ふ。出雲(イヅクモ),イヅモ」

と載る。陸路を,

くがぢ,

と読む(『岩波古語辞典』)し,「陸」を,

くが,

と訓み,「くが」は,

「クヌガの約」

とあり(『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』),

「海・川などに対して」

陸地を指す(『岩波古語辞典』)。

歩行,

を,副詞的に,

かちより,

と訓ませる。万葉集に,「他夫(ひとづま)の,馬より行くに己夫(おのづま)の,歩従(かちより)行けば見る毎に.哭(ね)のみ泣(な)かゆ」という長歌があると『大言海』にある。『岩波古語辞典』には,

徒歩より,

と当て,

「ヨリは,ユに同じ」

つまり,

徒歩ゆ,

と同じで,

「ユは経過点・方法・手段を表す助詞」

で(『岩波古語辞典』)で,

歩いて,
徒歩で,

の意である

『日本語源広辞典』は,「かち」の語源を,

「カ(交,足の運び)+チ(道)」

とする。「交(か)ふ」というし,「道(ち)」もある(ただ,『岩波古語辞典』によれば,道を通っていく方向の意で,単独で使われた例はなく,大路(おおち)のように)ので,理屈は合うが,しかしちょっと理屈が過ぎまいか。

クガダチ(陸行)の反(名語記),
韓語カタ(行くの意)の転(日本古語大辞典=松岡静雄),
蹴分けて行く義(和訓集説),
カチ(駈道)の義(言元梯),

等々もあるが,

くが(陸),

にかかわる,

くがち(陸地),

の転訛とみていいように思う。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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徒士


「かち」に,

徒士,

と当てると,

徒士侍,
徒侍,
御徒(おかち),

の意である。今駅名に残る,御徒町は,この「御徒」に由来する。つまり,「徒士」は,

江戸時代,幕府・諸藩とも御目見得以下の,騎馬を許されぬ軽輩の武士,

を指すが,

御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来する,

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BE%92%E7%94%BA)。

「江戸幕府における徒歩組(かちぐみ)は、徳川家康が慶長8年(1603年)に9組をもって成立した。以後、人員・組数を増やし、幕府安定期には20組が徒歩頭(徒頭とも。若年寄管轄)の下にあり、各組毎に2人の組頭(徒組頭とも)が、その下に各組28人の徒歩衆がいた。徒歩衆は、蔵米取りの御家人で、俸禄は70俵5人扶持。礼服は熨斗目・白帷子、平服は黒縮緬の羽織・無紋の袴。家格は当初抱席(かかえぜき)だったが、文久2年(1862年)に譜代となった。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。この地名は城下町であればどこにでもある地名でもある,とか。

「徒士」つまり,徒歩の侍は,鎌倉・室町時代の,

走衆(はしりしゅう),

に由来する。

「将軍出行の際,徒歩で随行して,警固および諸雑用にあたる下級の職。徒士衆(かちしゆう),歩走(かちはしり)ともいい,…鎌倉将軍の上洛や出行などの供衆の行列の中に,しばしば〈歩走〉〈歩行衆〉とみえ,すでに鎌倉期の将軍出行に,徒歩で従う警固の士の存在がうかがわれるが,室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった。将軍の外出に際しては護衛として供奉(ぐぶ)し,つねにその身辺を警戒して狼藉(ろうぜき)者を取り締まる。」

とあり(『世界大百科事典 第2版』),室町期になると幕府職制として成立し,職掌も定まった,という。

「走衆」は,

徒士衆,
歩衆,

とも言い,

「歩とは江戸時代に徒士と書き,江戸幕府では将軍直属の歩兵隊員で,御譜代格の下級武士であるから御家人といい直参の総称に含まれる。安土桃山時代の各大名も用いている大名直属の歩兵隊員で,長柄組・鉄砲組・弓組と同格でありながら,矢張り直属という重みで待遇,格を異にする」

とある(『武家戦陣資料事典』)。要は,「徒士」は,

「主人直属の歩卒。歩衆は常に旗本にあって、警衛雑用を務める。室町幕府の走衆は、戦時に主君の旗本に備え、平時には行列供方(ともがた)の先導や主人の身辺警固にあたった。」

という(仝上)。この統率者を徒士頭、歩頭(ほがしら)という。これは,

「歩頭は物見使番の役たるべし。…歩者を預かる人は第一に物見、第二に伏、第三に夜討の心懸けあるべし、或は御馬のあたりを心掛け、退口、或は馬の不及(およばぬ)所をも、自由に働き潔し、されは歩(ほ)の衆といふ」

とある(軍侍用集)。伏(ふせ)は、伏兵。伏隠、待伏の意。

「近代軍制でいうと、馬上の資格がある侍(馬廻組以上)が士官に相当し、徒士は下士官に相当する。徒士は士分に含まれ、士分格を持たない足軽とは峻別される。戦場では主君の前駆をなし、平時は城内の護衛(徒士組)や中間管理職的な行政職(徒目付、勘定奉行の配下など)に従事した。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%92%E5%A3%AB)。足軽とは区別される。
足軽(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E8%B6%B3%E8%BB%BD)については触れた。

武士の身分,士分は,

「『侍』と『徒士(かち)』に分けられる。これは南北朝時代以降、戦場への動員人数が激増して徒歩での集団戦が主体となり、騎馬戦闘を行う戦闘局面が比較的限定されるようになっても、本来の武士であるか否かは騎馬戦闘を家業とする層か否かという基準での線引きが後世まで保持されていったためである。」

「侍」は,

「本来の武士であり、所領(知行)を持ち、戦のときは馬に乗る者で『御目見え』の資格を持つ。江戸時代の記録には騎士と表記され、これは徒士との比較語である。また、上士とも呼ばれる。『徒士』は扶持米をもらい、徒歩で戦うもので、『御目見え』の資格を持たない。下士、軽輩、無足などとも呼ばれる。」

という区別である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。

「『侍』の内、1000石程度以上の者は大身(たいしん)、人持ちと呼ばれることがあり、戦のときは備の侍大将となり、平時は奉行職等を歴任し、抜擢されて側用人や仕置き家老となることもある。それ以下の『侍』は平侍(ひらざむらい)、平士、馬乗りなどと呼ばれる。」

諸藩は多く、騎士(上士)・徒士(かち)(下士)・足軽(卒)と藩士を分け、

将・士・卒,

という言い方をするが,将とは,

上士,

を指し,


下士,

が,「徒士」に当たる。

卒,

は足軽で,足軽以下は軽輩と呼ばれ、士分とは見なされない。たとえば,

幕府の旗本は「侍」、御家人は「徒士」,
幕府の役所で,与力は本来は寄騎、つまり戦のたびに臨時の主従関係を結ぶ武士に由来する騎馬戦士身分で「侍」、同心は「徒士」,
代官所の下役である手付は「侍」、手代は「徒士」,

等々である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB)。この差は,維新後も,

一門以下平士ニ至ル迄総テ士族ト可称事,

とし,足軽以下は,

卒族,

とされた。それ以下は,

平民,

である。

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)

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ところてん


「ところてん」は,

心太,
瓊脂,

と当てる。

「『心太(こころぶと)』をココロティと呼んだものの転か」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』も,

「心太(ココロブト)を心太(ココロティ)と讀みたることより轉ず」

としている。ただ,これは,「心太」と当てた以降の転訛をいっているだけで,なぜ「心太」と当てたかはこれでは,わからない。

そもそも「ところてんは」,

「テングサを煮 溶かす製法は遣唐使が持ち帰った」

とされる(http://gogen-allguide.com/to/tokoroten.html)が,

「中国から伝わったとされる。海草を煮たスープを放置したところ偶然にできた産物と考えられ、かなりの歴史があると思われる。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A6%E3%82%93)。

「古く『和名類聚抄』(承平4年(934)頃成立。醍醐天皇第4皇女・勤子の依頼で作成した百科事典)にも読まれていますが、その語源はところてんの原料である天草(テンクサ)が煮るとドロドロに溶け、さめて煮こごる藻であるところから、こごる藻葉(コゴルモハ)と呼ばれ、これからできる製品を「ココロブト」と呼んでいました。」

とあり(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213754542),

「和名で『凝海藻(こるもは)』といい,また『こごろも』ともいう。これを煮るとこごる(凝る)からである。コゴロモをココロブトと訛って,俗に心太の二字を用いて,室町時代にはココロブトを訛ってココロティ,それをさらに訛ってココロテン,これがさらに訛って江戸時代にはトコロテンとなった」

とある(『たべもの語源辞典』)。「こるもは」というのは,

「『十巻本和名抄−九』に,『大凝菜 楊氏漢語抄云大凝菜(古々呂布度)本朝式云凝海藻(古流藻毛波 俗用心太読与大凝菜同)』とあるように凝海藻で作った食品を平安時代にはコルモハといい,俗に心太の字をあてて,ココロフトと称していたのである。この『凝海藻』の文字は古くは大宝令の賦役令にあらわれる。」

とある(『日本語源大辞典』)。この「こころふと」が,室町時代,

「『七十一番職人歌合-七十一番』の「心太うり」の歌には,

「うらぼんのなかばの秋のよもすがら月にすますや我心てい(略)右は,うらぼんのよもすがら,心ぶとうることしかり。心ていきく心地す」

と,ココロティとある(仝上)。で,

コゴルモハ→コルモハ→コゴロモ→ココロブト→ココロフト→心太→ココロティ→ココロテン→トコロテン,

という転訛,ということになる。「心太」と当ててから,

「ココロフト→ココロタイ→ココロテイ→→ココロテン→トコロテン,

と訓みが転訛しているだけだから,そもそも「こころぶと」となった謂れが,問題になる「ココロブト」となったのは,

「『こころふと』の『こころ』は『凝る』が転じたもので,『ふと』は『太い海藻』を意味していると考えられている」

ものの未詳(http://gogen-allguide.com/to/tokoroten.html)とし,それに「心太」と当て,湯桶読みで「こころてい」と呼ばれるようになった,とする。湯桶読みとは,

「日本語における熟語の変則的な読み方の一つ。漢字2字の熟語の上の字を訓として、下の字を音として読む「湯桶」(ゆトウ)のような熟語の読みの総称」

をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%A1%B6%E8%AA%AD%E3%81%BF)。

『日本語源広辞典』は,

「凝る(コゴル・トゴル・音韻変化トゴォロル)+テン(天・てんぐさ)」

とする。『日本語の語源』は,独自に,

「煮て溶解した天草のことをトクルテングサ(溶くる天草)といったのが,ク・ルの母交(母韻交替)[uo],クサの脱落で,トコロテン(心太)になった」

とするが,トクルテングサからいきなりトコロテンは,歴史的に見て,飛躍が過ぎる気がするが,

「古くは正倉院の書物中に心天と記されていることから奈良時代にはすでにこころてんまたはところてんと呼ばれていたようである。」

とも言われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%A6%E3%82%93)ので,なかなか難しい。

一応,

コゴルモハ→コルモハ→コゴロモ→ココロブト→ココロフト→心太→ココロティ→ココロテン→トコロテン,

という転訛になったとしておく。

江時代,暑さがやってくるころ「ところてん売り」が街中を歩いた,という。その売り声は、「ところてんや、てんや」。この売り声を, 
心天(ところてん)売は一本ン半に呼び(『誹風柳多留』)
詠(よ)んだ川柳があるとか。ところてんを数えるのを1本、2本と言ったようで、呼び声が一度と半分であることをうがった句であるとか(https://www.web-nihongo.com/edo/ed_p042/)。

「幕末近くの上方生まれの喜多川守貞(きたがわもりさだ)は随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』で、京都や大坂では砂糖をかけて食べ、ところてん1箇が1文(もん)で、江戸では白糖(精製した砂糖で贅沢品)か、醤油をかけて食べ、1箇が2文だと伝えている。今でも関西では、ところてんに甘い蜜をかけて食べるというが、江戸時代以来の食べ方である。」

という(仝上)江戸時代,「ところてんや」は,こんな売り声だったらしい。寅さんの口上である。

さあつきますぞ/\
音羽の滝のいとさくら
ちらちらおちるは星くだり
それ天上まてつきあげて
やんわりうけもち
すべるはしりもち
しだれ柳にしだれ梅
さきもそろうてきれぬをしようくわん
あいあい 只今 あげます/\

等々(https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/11-kinseiryukosyonin/20.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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ところで


「ところで」は,

所で,

と当てる。

「名詞『ところ』に助詞『で』のついたもの」

である(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』には,「連語」として,

〜ほどに,〜ゆえに,

で,例えば,

「無いトコロデ進ぜぬ」(ロドリゲス大文典),

の用例が載る。さらに,「接続詞」として,

ところが,然るに,

で,例えば,

こなたへは参り候まいと云ふぞ。トコロデ三度まで行かれたぞ」(蒙求抄)

が載る。接続詞としての使い方は,今もある。多くは,

(別な話題を持ち出す時に使う)時に,それはそれとして,

という使い方が多いのではあるまいか。前者の意味は,『広辞苑第5版』には,

〜によって,〜ので,

で,たとえば,

「終に持た事が御ざらぬトコロデ持ちやうを存ぜぬほどに」(狂言・鹿狩),

という使い方をする。これだと,「ところ」を,「〜の場合の意から転じて,接続詞的に用いる」のに似て,

きっかけになる事柄を示すのに用いる,〜すると,

で,たとえば,

「拝見仕候トコロ皆々様には」
「交渉したトコロ承諾した」

と似ており,さらに,「ところで」が,

(〜たところでの形で)仮定の事態を述べ,後にそれに反する事態が続くことを述べる語。もし〜としても,たとえ〜でも,〜したからといって,

で,たとえば,

「私が意見したしたトコロデ,彼は耳をかすまい」

という使い方をする。この遣い方は,今もするが,これも,「ところ」で,

(『〜どころか』『〜どころの』『〜どころではない』の形で多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらずもっと進んでいると強調する,

という使い方,たとえば,

「こどもドコロか大人まで」
「びた一文出すところか舌も出さない」

等々の使い方と重なるところがある。

「(形式名詞『ところ』+格助詞『で』から)過去の助動詞「た」の終止形に付く。ある事態が起こっても、何もならないか、または、好ましくない状態をひき起こすことを予想させる意を表す。…しても。…たとしても。『警告を発したところで聞き入れはすまい』『たとえ勝ったところで後味の悪い試合だ』」

とし(『デジタル大辞泉』),

「『ところで』は中世後期以降用いられ、初めは順接の確定条件を表した。『人多い―見失うた』〈虎明狂・二九十八〉。近世後期になって、逆接の確定または仮定条件が生まれた。近代以降は、もっぱら逆接の意にのみ用いられ、『ところが』の領域をも占めるようになった。現代語では、『たとえ』『よし』『よしんば』などの副詞と呼応して用いられることが多い。

とする(『デジタル大辞泉』)。「ところで」は「ところが」と重なるのである。

「ところが」は,

「〜したところ(が)」の形で後のことが続くことを示す,順接にも逆接にもなる。〜する,〜したけれども,

と,

仮定の逆接を表す,たとえ〜しても,

の意があり,そのため,接続詞「ところが」は,

然るに,そうであるのに,

という意味になる。「ところで」とほぼ重なるのである。この意味の変化の幅は,もともと,

「ところ(所)」

そのものの用い方の変化に内包されていたのではないか。「ところ」は,

「トコ(床)と同根。ロは接続語。一区画が高く平らになっている場所が原義。イヘツドコロ・オクツキドコロ・ミヤドコロ・ウタマヒドコロなど,くなっている区画にいう。転じて,周囲よりも際立っている区域,特に区別すべき箇所の意」

とあり,空間を意味した。それが,地位や貴人を示したが,

話題として取り上げる部分,
場合,

のような抽象的な使い方(「今日のところは大目に見る」というように)に広がり,

更に,漢文訓読で,

「受身を示す助字『所』をそのままトコロと訓んで,受身の意を示す」

使い方から,「ところ」が,

こと(事柄)の意となり,「〜の場合が転じて接続詞的」に用いて,

〜すると,
〜どころか,
〜どころではない,

など,

「(多く否定を伴って)ある事物を取り上げて,事の程度がそれにとどまらず,もっと進んでいると強調する」

使い方となり,「ところで」「ところが」の意味の変化に強い翳を落していると思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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「某」と書いて,

それがし,
なにがし,
くれ,

と訓ませる。「其」(漢音ボウ,呉音ム・モ)の字は,

「会意。『木+甘(口の中に含む)』で,梅の本字。なにがしの意味に用いるのは当て字で,明確でない意を含む」

とあり,

「人・物・時・所など,はっきりわからないときにもちいることば,また,わかっていても,わざとぼかすときに用いることば」

で,まさに,なにがし,それがし,の意で,某日,某所といった使い方をする。

「それがし」は,

「ガシは接尾語,ガは助詞,シは方向を示す語」

で(『岩波古語辞典』),本来,

「名の知れない人・物事を指し,または名をあげずに指す場合に用いる」

ので(『広辞苑第5版』),

誰それ,

の意味で使われる。その意味では,

なにがし,

と同意である。それが転じて,自称,

わたくし,

の意味で使うようになる。

「中世以降の用法。謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。主に武士の一人称として用いる。戦国時代などに多く使われた。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E

男性が少し謙遜して用いる「それがし」は,

「鎌倉時代以後。室町時代以後は(自称)の意のみとなり、(だれそれ)の意には『なにがし』が用いられる。」

という(『学研全訳古語辞典』)。つまり,「それがし」が自称の意に転じて以降は,本来の「だれそれ」の意は,

なにがし,

が受け継ぐことになったようであるが,

「『それがし』が自称にも用いられ始めたのは,『なにがし』の場合よりやや遅い」

とある(『日本語源大辞典』)ので,「なにがし」が自称に用いられるのに引きずられて,「それがし」も「自称」に用いられたのかもしれない。

「なにがし」は,

「ガシは接尾語,事物や人の名を明確に言わずに,おおよそその方をさしていう語」

とある。だから,「それがし」の誰それとはちょっと異なり, 

なんとか,なにやら,

と,

「人・事物・場所・方向などで、その名前がわからないとき、また、知っていても省略するとき用いる。」

には違いないが,敢えてぼかす含意が強いように思える(『岩波古語辞典』)。だから,「なにがし」が自称に転じて,

わたし,

の意味になっても,

「男性が自己をへりくだっていう」

含意が強く(『岩波古語辞典』),

「かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。たとえば諸葛亮(諸葛孔明)の出師の表では、皇帝にたてまつる文章であるので『臣亮もうす』という書き出しになっており、四庫全書総目提要は全て皇帝への上奏文であるから『臣ら謹んで案ずるに…編纂官、臣○○。臣☓☓。臣△△…』と自らの名(もしくは姓名)の前に『臣』を付けて名乗っている。かつての日本でもその影響で天皇に対する正式の自称は「臣なにがし」であった。」

(仝上)という使い方がよくわかる。

さて,「それがし」の語源であるが,『大言海』は,

「夫(そ)れが主(ぬし)の約かと云ふ」

とし(『日本語源広辞典』も「ソレガヌシ」とする),「なにがしも」も,

「何が主(ぬし)の約と云ふ」

とする)。『日本語源広辞典』は,

「ナニ(疑問)+カシ(接尾語,ぼかす)」

とするので,同趣旨と見ていい。「なにがし」「それがし」は,似た語源と考えると,『大言海』説に惹かれるが,『岩波古語辞典』の,

それ+接尾語かし,
なに+接尾語かし,

と同趣旨から,音韻変化を辿る『日本語の語源』の説明で見ると,『岩波古語辞典』の, 

それ+かし,
なに+かし,

説に軍配を上げたくなる。ただし「かし」の解釈は,両者全く異なるが。

『日本語の語源』は,こう展開している。

「平安初期に成立した終助詞『かし』は『…よ。…ね』と強く念を押し意味を強める作用をする〈深き山里,世離れたる海づらなどに,はひ隠れぬカシ(コッソリ隠れてしまうのですよ)〉(源氏・帚木)。
 人・物事・場所などの名がはっきりしないか,または,わざとぼかしていうとき,不定代名詞のナニ(何),ダレ(誰),指示代名詞のソレ(其),コレ(此),カレ(彼)に,終助詞をつけて強めたため,多くの不定呼称が成立した。
 『ナニ(何)・ソレ(其)』を強めたナニカシ・ソレカシは有声化してナニガシ(某)・ソレガシ(某)になった。〈富士の山,ナニガシの岳など,語り聞ゆるもあり〉(源氏・若紫)。〈帯刀の長ソレガシなどいふ人,使ひにて,夜に入りてものしたり〉(蜉蝣日記)。
 不定呼称のナニガシ・ソレガシは,ともに『わたくし。拙者』という自称代名詞(謙意をふくむ)の語義をはせいした。〈ナニガシに隠さるべきことにもあらず〉(源氏・夕霧)。〈ソレガシの烏帽子が剥げてあったが何とした物であらうぞ〉(狂言・烏帽子折)。
 ナニガシには数のほからないときにいう『いくら。若干』の意味も生まれた。
 ナニガシ・ソレガシの両語は平安中期に成立し,『源氏物語』から使用頻度がにわかに増大した」

なお,和語の一人称は,様々,膨大なバリエーションがあるが,その詳細は,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E7%A7%B0%E4%BB%A3%E5%90%8D%E8%A9%9E

に詳しい。

某,

を,「くれ」と訓むのは,

是れの轉(此者(こは),くは。此奴(こやつ),くやつ),

とあり(『大言海』),

何某(なにくれ),

と,

「何と云ふ語と幷べて用ゐて,その名を知らぬ人,又は其と定めぬに代えて云ふ」

とある(『大言海』)ので,「なにがし」と意味が重なる。「何某」と書くと,

なにくれ,

なにがし,
か,

その区別は,文脈に依るが,

「何の御子,くれの源氏と数たたまひて」(源氏物語)
「御隠身共もありし,何がし,くれがしと数へしは」(枕草子)

と,はっきり分かる形で用いられるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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無理


「無理」は,文字通り,

道理のないこと,理由の立たないこと,

の意(「無理もない」)よりは,

強いて行うこと,

の意の,

無理強い,
無理やり,
無理がきかない,

という使い方や,

することが困難なこと,

の意の,

無理な要求,
無理難題,
無理酒,
無理無体,

等々という使い方をすることが多い。この他に,さらに,「無理をして買った」とか「無理のないダイエット」というような,

心身や経済的能力などに過度の負担をかけること,

という意味を加えるものもある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1%E7%90%86)が,これは,強いるの延長戦上,ともいえる。

この意味の広がりは,

道理に合わないこと,

道理を逸脱して強引なこと,

(名詞に冠して)強いて行う意を表す,

過度の負担をかけること,

という流れで見ると(『岩波古語辞典』),意味の広がりが,理不尽な状態表現から,それを逸脱する価値表現に転じ,それを強いる(強いられる)主体的な(価値)表現にシフトしていくのがよく見える。

「理」(リ)の字は,

「会意兼形声。里は『田+土』からなり,すじめをつけた土地。理は『玉+音符里』で,宝石の表面に透けて見えるすじめ。動詞としては,すじをつけること」

とある(『漢字源』)。で,「玉理」というように「宝石のもよのすじめ」の意。そこから,「条理」というような「物事のすじみち」,「ことわり」の意。他方で,「きめ」の意は,宝石から来たのかもしれない。動詞は,「理財」のようでに,おめる,ただす意。その違いは,

修は,飭(ただす)なり,葺理なり,屋宅道路を修理する類,あしき所をなほす義。修身修道の類にも用ふ。
治は,乱の反。いり乱れたる事の,おちつきてをさまるなり,
理は,玉を治むる義。筋道を正してをさむるなり。理髪訟理の類,
収は,取り入るるなり,収蔵・収斂と連用する,
納は,いるるとも訓む。をさむと訓むときは,先方へ入れをさむるなり,
蔵は,見えぬやに蔵へかくし入るる義,

とある(『字源』)。筋道を正しておさめる意は,「理」のみのようである。「無理」の元々意味が,良く見える。中国の諺に(https://ja.wikiquote.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%AB%BA),

有理贏,無理輸

理があれば勝ち、理が無ければ負ける,

というのがあるそうだが,元来は,

筋が通らない,

ゐであったと思える。それが,和語では,「理」を,

強いる,

と受け止める,というのも,なかなか日本人を象徴している気がする。『大言海』の,

道理なきこと,

という意味も,状態表現よりは価値表現へシフトしていて,少し日本化した解釈に思える。『精選版 日本国語大辞典』も,

道理に反すること,

とする(文明本節用集)。しかし,引用されている『史記抄』の, 

「竇嬰灌夫二公は、無理なる罪に逢たぞ」( 韓愈‐答柳柳州食蝦蟇詩),

と比べると,ちょっと齟齬がある気がするのは,僕だけだろうか。

ただ,この意味解釈の流れからの方が,

強いる,

という感覚に近づくのかもしれない。因みに,「無理やり」というのは,

「『やり』を『矢理』と書く のは当て字で、本来は『遣る(やる)』の連用形『遣り(やり)』。『遣る』は、人を派遣したり物を送るといった意味であったが、中世頃より、何か事をなす意味で使われるようになった。この『無理』と『遣り』が合成され、近世頃から『無理やり』と使われ始めた。」

とある(http://gogen-allguide.com/mu/muriyari.html)。「無理強い」の関連語である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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なく


「なく」は,

泣く,
鳴く,
啼く,

と当てる。

「ネ(音)の古形ナを活用させた語か」

とある(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』)。

「人間が声を立てて涙を流す」意では,

泣く,

を当て(『大言海』は,哭,ともする),「鳥・獣・虫などが声を立てる」意は,

鳴く,

と当てる(『岩波古語辞典』)。「啼く」については,他は触れないが,『大言海』は,

「赤子,声を出す」

の意を載せ,その後に,

「禽,獣,蟲など,聲を出す」

意を載せる。漢字は,明確な区別がある。

「鳴」(漢音メイ,呉音ミョウ)の字は,

「会意。『口+鳥』で,取りが口で音を出してその存在をつげること」

で,鳥,獣のなくのを指す。

「啼」(漢音テイ,呉音ダイ)の字は,

「形声。『口+音符帝』。次々と伝えてなく,あとからあとから続けてなく」

で。鳥獣にも,人にも用いる。

「泣」(漢音キュウ,呉音コウ)の字は,

「会意。『水+粒の略体』で,なみだを出すことを表す。息をすいこむようにしてせきあげてなく」

で,「哭」(大声をあげてなく)の対。日本語では,「泣」と「哭」の区別をしない。

「哭」(コク)の字は,

「会意。『口二つ+犬』で,大声でなくこと。犬は大声でなくものの代表で,口二つはやかましい意を示す」

漢字のそれぞれの区別は,,

「鳴」は,鳥獣のなくなり,悲鳴にも,和鳴(鳥が声を合わせて鳴く)にも通じ用ふ。なると訓むときは,万物の声ををだしたること,又,名声の世上に聞ゆる意,
「啼」は,嗁(テイ さけぶ)と同時,声をあげてなくなり,悲しむ意あり,
「泣」は,涙を流し,声を立てずしてなくなり,
「哭」は,涙を流し,声をあげて,深く悲しみなくなり,

とあり(『字源』),「なく」の漢字は,かなり明確に区別されている。

「なく」は,「ね(音)」の活用というから,すべて,

音,

であったとも言えるが,面白いことに,「音」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8A%E3%81%A8)で触れたように,「音」の字を当てていても,

「おと」

は,

「離れていてもはっきり聞こえてくる,物のひびきや人の声,転じて,噂や便り。類義語ネ(音)は,意味あるように聞く心に訴えてくる声や音」

とあり(『岩波古語辞典』),

「ね」

は,

「なき(鳴・泣)のナの転。人・鳥・虫などの,聞く心に訴える音声。類義語オトは,人の発声器官による音をいうのが原義」

とあり,

「おと」は「物音」,
「ね」は,「人・鳥・虫などの音声」

という区分していた。「なく」は,

物音,

ではなく,

声,

とした。「こえ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba12.htm#%E3%81%93%E3%81%88)で触れたように,漢字「声」にはひろく,

「人の声,動物の鳴き声,物の響きを含めていう」

とあり,「音声」であるが,「こえ(ゑ)」は,

をみると,和語「こゑ」は,

人や動物が発する音声,

を指した(『岩波古語辞典』)。和語では,「こえ」と,

なく,

はかさなる「ね」なのである。「ね」が「なく」であり,「なく」が「ね」であり,「ね」が「こえ」であった。物の音とは区別しても,人も,鳥獣も,蟲も,「ね」であり,「なく」であった。虫の「ね」を愛でたことと通じる。

「音(ネ・ナ)+く」(『日本語源広辞典』)

であり,どういうなき声も区別しなかったのである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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無体


「むたい」は,

無体,
無代,
無台,

と当てる。

「中世ではムダイとも」
「古くは『むだい』とも」

とある(『広辞苑第5版』『デジタル大辞泉』)。意味の外延は,

形がないこと。無形(「無体物」)

道理に合わない・こと(さま)(無法。無理。「無理無体」「無体な要求」)

ないがしろにする・こと(さま)(人の世にある,誰か仏法を無体にし逆罪を相招く(盛衰記)」)

無駄にすること。かいのないこと。またそのさま(「起請に恐れば日頃の本意無体なるべし(盛衰記)」)

といった派生と考えると分かりやすい(『大辞林』)が,『大言海』は,

「無(ない)が代(しろ 蔑)を音讀したる語。多く,當字に無體など書す」

とする。「精選版 日本国語大辞典」の意味を,

(名詞)ないがしろにすること。無視すること。軽蔑すること。無にすること。むだにすること(「色葉字類(1177‐81)抄)

(形動) 無理なこと。無法なこと。また、そのさま。「よもその物、無台にとらへからめられはせじ、入道に心ざしふかい物也」(平家,十三世紀前半)

(形動) とりわけはなはだしいさま。むやみ。また、副詞的に用いられて、少しも。全然。「琴にはたまのことちに、あなを、あけて、絃をつらぬきたるとかや。無題にたふるることもなくて、よきにこそ」(塵袋(1264‐88頃))

(無体) 体をなさないこと。まとまった形になっていないこと。体系的でないこと。「二曲三躰よりは入門せで、はしばしの物まねをのみたしなむ事、無躰(ムタイ)枝葉の稽古なるべし」(至花道(1420))

仏語。実体がないこと。実在しないもの。無。「神は無方無体なれとも、人心に誠あれは、必す感応する所あり」(清原宣賢式目抄(1534))

(形動) 全くできないさま。「むだッ口やへらず口は、わる達者だが、少しまじめな事は無体(ムテヘ)なもんだぜ」(滑稽本・八笑人(1820‐49))

と,出典の時代別に並べてみると,「ないがしろ」の意味の用例が古いことがわかる。

ただ,「無体」の語源については,『大言海』の,

「『ないがしろ』に『無代』を当てて音読したという説と仏教語の『無体』に由来するという二説がある。後者は、法相宗で論理上許される法を『有体』、論理上許されない法を『無体』といい、ここから広く『道理の通らないこと』の意で『無体』が用いられ、その結果、「無理無体」といった表現も現われたとする。」

とあり(精選版 日本国語大辞典),『日本語源広辞典』は,

「『仏教語で,無体(論理上許されない法)』です。論理上許される法の有体に対する語です」

を採る。

しかし,

「無体」

を,ムダイと訓んだとされる以上,「無体」を「ムダイ」と訓むのは,何か訳があるのではないか,と思が,「大衆部」の説明で,

「仏陀の没後100年ほどして、十事の非法、大天の五事などの『律』の解釈で意見が対立して引き起こされた根本分裂によって生じた部派の名で、保守的・形式的な上座部と革新的な大衆部とに分裂して、部派仏教時代と呼ばれる。大衆部は、上座部の過去・現在・未来の三世にわたって法の本体は実在しているとする三世実有(じつう)・法体恒有(ほったいごうう)説を否定して、法は現在においてのみ実在し、過去・未来には非実在であるという現在有体(げんざいうたい)・過未無体(かみむたい)を主張し、大乗仏教の萌芽となった。大衆部からは一説部(いっせつぶ)・説出世部(せつしゅっせぶ)・鷄胤部(けいいんぶ)・多聞部(たもんぶ)・説仮部(せっけぶ)・制多山部(せいた せんぶ)・西山住部(せいせんじゅうぶ)・北山住部(ほくせんじゅうぶ)などに分派した。」

とあり(「仏教用語集」http://www.bukkyosho.gr.jp/pdf/%E4%BB%8F%E6%95%99%E7%94%A8%E8%AA%9E%E9%9B%86.pdfより)

過未無体,

から来たとする説にはちょっと説得力がある。「過未無体」とは,説一切有部の「三世実有,法体恒有」の説に対し,

「人間存在ないし現象界を構成するもろもろの要素 (法) は,現在現れているかぎりにおいては実有であるが,過去,未来においては無であるという」

主張である。ついでに,三世実有説とは,

「説一切有部の基本的立場は三世実有・法体恒有と古来いわれている。森羅万象(サンスカーラ、梵: saṃskāra)を構成する恒常不滅の基本要素として70ほどの有法、法体を想定し、これらの有法は過去・未来・現在の三世にわたって変化することなく実在し続けるが、我々がそれらを経験・認識できるのは現在の一瞬間である、という。未来世の法が現在にあらわれて、一瞬間我々に認識され、すぐに過去に去っていくという。このように我々は映画のフィルムのコマを見るように、瞬間ごとに異なった法を経験しているのだと、諸行無常を説明する。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AC%E4%B8%80%E5%88%87%E6%9C%89%E9%83%A8

『日本語源大辞典』も,

「語源については,『ないがしろ』に『無代』をあてて音讀したともいうが,仏教語の『無体』に由来すると考えたほうがよい。法相宗で論理上許される法を『有体』,論理上許されない法を『無体』といい,ここから広く『道理の通らないこと』の意で『無体』が用いられ,その結果,『無理無体』といった表現も現れた」

としている。

無理無体,

は,

強いて行うこと,
無法に強制すること,

の意で,

「乱暴、暴行、無法なさまなどについて言う表現。『ご無体』は主に目上の人に対して用いる。名詞を形容して『無体な仕打ち』『無体なこと』などと言うところを略した表現。『あまりに酷い』といった意味で『無体な仕打ち』などと表現することもできるが、時代劇で女中が悪代官に手籠めにされかけ……というようなシチュエーションが典型的な使用場面としては想起されやすいといえる。」

とある(『実用日本語表現辞典』)。どうやら,

ないがしろ,

は,

道理にあわない,

ことに対する主体的表現に転じて後の,使い方ということになる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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もののふ


「もののふ」は,

武士,

と当てるが,

サムライ,

とは由来を異にする。サムライ(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4)はすでに触れた。

『実用日本語表現辞典』には,「もののふ」は,

「武士」の読みの一種。武道を修めた戦士を指す語,

と,

「物部」の読みの一種,ニギハヤヒミコトを祖神とし、飛鳥時代前後に栄えた豪族,

の意が載る。ついでならが,知らなかったが,

「カタカナ表記で『モノノフ』と表記する場合は、女性アイドルグループ『ももいろクローバーZ』のファンならびにライブの観客を指すことが多い」

ともある。確かに,『岩波古語辞典』は,「もののふ」に,

武士,

物部,

を当てている。で,

「モノはモノノベのモノに同じ。はじめ武人の意。後に文武の官の意に広まった」

とある。枕詞の,

もののふ(物部)の,

は,

「武人の射る矢から『八十(やそ)』『矢野』『矢田野』『弓削』に『射(い)』から同音の地名『宇治』などにかかる」

とある(『広辞苑第5版』)。

『広辞苑第5版』に,

「上代,朝廷に仕えた官人」

とあるのはその意である。そこから,

「武勇をもって仕え,戦陣に立つ武人」

に広がり,

つわもの,
武士,

に意味が広がったものと思われる。

『大言海』は,

「兵器をモノと云ひ,フは丈夫の夫,即ち,物の夫の意。物の具と同趣。」

とある。『日本語源広辞典』も,

「モノ(兵器・武)+ノ+フ(夫)」

とする。この「モノ」の言い方は,

物頭(足軽大将),

の「物」と重なる。『大言海』は,

兵器,

を,

つわもの,

と訓ませている。

「物になるとは,然るべきものになる意,物のきこえとは,物事のきこえ人聞き,世情の評判」

と。「物」の項で書いている(『大言海』)。「もののふ」とは,

「古へ,武勇(たけ)き職を以て仕ふる武士(タケヲ)の称。一部となりて物部と云ひ,転じては,凡そ朝廷に仕ふる官人の称となれり」

とある。で,「物部(もののべ)」とは,

「武士部(もののふべ)のフの略。また,ベを略して,モノノフとも云ふ,共に兵器(つわもの)の羣(むれ)の義」

とある。

「初,饒速日(にぎはやひ)命,天上より率ゐられし廿五部の物部を獻りしより,武官の棟梁,輔佐の重職は,此氏の人,御代御代統べ来つれば,其職に就きて云ひしが,後,神武天皇の御時,可美眞手(うましまで)命,天(あまの)物部を率ゐて仕へ奉る。是れ物部氏の遠祖なり」

と,物部氏の由来とつながる,とする。ただ,『日本語源大辞典』は,

「『もの』は兵器の意かというが明らかではなく,『ふ』も未詳だが,上代,軍事警察の任に当たっていた『もののべ(物部)』と関係深い毎考えられる」

としている。ただ,「もののふ」という言葉は,必ずしも,

サムライ,

とはイコールではなかったらしく,サムライhttp://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4でも触れたように,「サムライ」を,

「地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。 17世紀初頭に刊行された『日葡辞書』では、Bushi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ『武人』『軍人』を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(サブライ)は『貴人、または尊敬すべき人』と訳されており、侍が武士階層の中でも、特別な存在と見識が既に広まっていた。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D)。

これは,サムラヒが,その振る舞いに由来(主君の側近くで面倒を見ること、またその人)するのに対して,「もののふ」は,「武」や「兵」や「兵器」という手段に由来してきた差ではないか,という気がする。ただ,『日本語源大辞典』は,「つわもの」の項で,

「古くは兵よりも武器そのものをさす(武器の)の場合が多かった。兵をさす場合は,類義語『もののふ』が『もののけ』に通う霊的な存在感を持つのに対して,物的な力としての兵を意味していたらしい」

とある。「もの」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%82%E3%81%AE)で触れたように,「もの」は,

「形があって手に振れることのできる物体をはじめとして,広く出来事一般まで,人間が対象として感知・認識しうるものすべて。コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるに対して,モノは推移変動の観念を含まない。むしろ変動のない対象の意から転じて,既定の事実,避けがたいさだめ,普遍の慣習・法則の意を表す。また,恐怖の対象や,口に直接指すことを避けて,漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。人間をモノと表現するのは,対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている。」

であったが(『岩波古語辞典』),大野晋の言うように,

「『もの』という精霊みたいな存在を指す言葉があって、それがひろがって一般の物体を指すようになったのではなく、むしろ逆に、存在物、物体を指す『もの』という言葉があって、それが人間より価値が低いと見る存在に対して『もの』と使う、存在一般を指すときにも『もの』という。そして恐ろしいので個々にいってはならない存在も『もの』といった。」

としている(http://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/oni/onitoyobaretamono.htm)と考えると,「もののけ」は,「もの」から分化したものと考えるべきで,「もののふ」の「もの」は,やはり,武器と見なすべきであろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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つわもの


「つわもの」は,

兵,

と当てる。

武具,武器,

の意であり(『岩波古語辞典』『広辞苑第5版』),

それが転じて,

武器をとり戦争に加わる人,兵士,

武士,

の意に転じ(『広辞苑第5版』),

武士,

の意となった(『岩波古語辞典』),と見ることが出来る。武器庫を,

つはものぐら(兵庫),

と呼ぶのはかなり古い。

つはもののつかさ(兵司),

とも言う。律令制下の八省の一つ,

兵部省,

を,

もののふのつかさ,
つわもののつかさ,

と呼ぶ(和名抄には「都波毛乃乃都加佐」)のは,

軍政(国防)を司る行政機関,

であり,武器の意味よりは,軍隊の意に転じていると見ていい。因みに,八省とは,

中務省・式部省・治部省・民部省(左弁官局管掌),
兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省(右弁官局管掌),

である。「つわもの」に,

強者,

とあてるのは,後の当て字である。

『大言海』には。「つはもの」を,

「鐔物(つみはもの)の略にて,兵器,特に鐔(つば)あれば云ふとぞ」

とある。字類抄には,

「兵,ツハモノ,兵仗劒戟也,物名也」

とある,とか。「兵仗」は,兵器,「劒戟」はつるぎとほこ,の意。「鐔(つば)」の呼名は,「ツミハ(ツミバ)」といい,

「刀劒の金具。扁(ひらた)くしてアナり,形,方,圓,種々なり。刀心(こみ)を貫きて刅(み)と柄との間に挿(は)めて,縁,四方へ余り出ヅ。握る手の防ぎとするなり」

とあるので,まさに「鍔」である。

『日本語源広辞典』は,

「ツワ(固い・強い)+者」

で,強い兵士の意とするが,

強者,

と当てた後の「強者」からの解釈に思える。『日本語源大辞典』の,

「古くは兵よりも武器そのものをさす…場合が多かった。兵をさす場合は,類義語『もののふ』が『もののけ』に通う霊的な存在感を持つのに対して,物的な力としての兵を意味していたらしい」

というように,「力」としての「つわもの」が始源であったとみていい。その意味で,

ツハモノ(器物)の略(日本釈名・草蘆漫筆・和訓考・語簏・ことばの事典=日置昌一),
ツミハモノ(鐔物)の略(古事記伝・俗語考・大言海),
ツはト(鋭)の転,ハモノは刃物の義(日本古語大辞典=松岡静雄),
打刃物の義(雅言考),

と,武器系の語源説に軍配だろう。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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武士


「武士」は,

もののふ,

と訓ませたりするが,由来は,漢語だと思われる。「史記」蘇秦傳に,

「武士二十萬」

とある(『字源』)らしい。『大言海』には,

「高祖令武士縛信,載後車」(漢書・韓信傳)
「先以詔書告示都,密徴求武士,重其購買,乃進軍」(後漢書・功都夷傳)

の例が載る。「武士」は,

武夫,

と同じらしい。「武夫」に,

もののふ,

の意として,周南の,

「赳赳武夫,公侯干城」

の詩句がある(『字源』)という。ただ,「武夫」は,

玉に似た美石,

の意もあるらしい(仝上)。「武人」も,

もののふ,

の意で,

「武人東征」

の詩句(小雅)がある。

武士,武夫,武人,

は,ほぼ同意である。

「武」(漢音ブ,呉音ム)の字は

「会意。『戈(ほこ)+止(あし)』で,戈をもって足で堂々と前進するさま。ない物を求めてがむしゃらに進む意を含む」

とあり,たけだしい意で,「猛」「勇」と類似する。当然,戦争や武器の意もある。まさに「武」である。

「士」(漢音シ,呉音ジ)の字は,

「象形。男の陰茎の突きたったさまを描いたもので,牡(おす)の字の右側にも含まれる。成人として自立するとこ」

とあり,我が国では,

サムライ,

の意で使うが,周代の諸侯―大夫―士の「士」であり,春秋・戦国以降の知識人を指す。「論語」に出る「士」は,

「士不可以不弘毅」(士は以て弘毅ならざる可からず)

サムライの意ではない。中国でいう,

士農工商,

の「士」は,「無論大家小家士農工商」(曾国藩)と,

知識人,

を指す。我が国では,「士」を,

サムライ,

とするが,「武士」と「サムライ」はイコールではなかったらしい。

「武士といふは,朝廷武官の人の総称にて,上古の書にも,武士といふ名目あり」

とある(安斎随筆)。「武士」という言い方は,

官人,

を指した。

「同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、『武士』に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者など)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない。」

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB。「サムライ」は,「サブラフ」から平安時代に「サブラヒ」という名詞に転じたが,

「その原義は『主君の側近くで面倒を見ること、またその人』で、後に朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候した中下級の技能官人層を指すようになり、そこからそうした技能官人の一角を構成した『武士』を指すようになった。つまり、最初は武士のみならず、明法家などの他の中下級技能官人も「侍」とされたのであり、そこに武人を意味する要素はなかったのである。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D

で,「サムライ」も,

「「朝廷の実務を担い有力貴族や諸大夫に仕える、通常は位階六位どまりの下級技能官人層(侍品:さむらいほん)を元来は意味した。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%8D

武士も,

「奈良時代に武士は『もののふ』と呼ばれ、朝廷に仕える『文武百官』のことで あった。」http://gogen-allguide.com/hu/bushi.html

つまり,「武士」も「サブラフ者(サムライ)」も,

地下人(じげにん),

であり,

清涼殿殿上(てんじょう)の間に昇殿することを許されていない官人,

であり,あるいは転じて,

位階・官職など公的な地位を持たぬ者,

の意であった。「武」の地位向上とともに,「サムライ」が,

武士,

「武士」が,

サムライ,

の意と重なる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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べそ


べそをかく,
なきべそをかく,

の「べそ」は,

こどもなどの泣き顔,

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』には,

「べし(壓)の轉か」

とあり,

小児の泣き顔になること,

の意と共に,

壓口(べしくち)をつくること,

の意が載る。「俚言集覧」には,

「へし口とは,口を壓へつくること也。能の面に大壓(オホヘシ)あり,口を結びたるを云,小児泣かんとする時の面つきを,ベソを作ると云ふも是也」

とある。

押し合いへし合い,

の「へし(圧)」という説である。

へしぐち(壓し口),

という言葉があり,

不興にて,強いて口をへの字に噤みて居ること,

とある(『大言海』)。

能面に,「小べし見」というのがあり,荒々しい力を宿す恐ろしい神を表した鬼神の面の1つで,「べし見」は、口を強くつぐむことを「へしむ」と言ったことに由来するとあるhttp://hikone-castle-museum.jp/cms/wp-content/uploads/2018/08/ca9fee3afa90d79ee664ce7abb9a33b5.pdf

『岩波古語辞典』には,

べしめん(壓面),

が載り,

べし口の表情の面,

とある。

「べそ」が,

ベシクチ(圧口)の轉(嬉遊笑覧・松屋筆記),
ベシ(圧)の転か(大言海),
ベレクチの訛。また口をへの字形にして泣くところから(ことばの事典=日置昌一),

という子供の泣き顔から来たのか,

能面のベシミ(圧面)の口のように口を結んでいるのをベシということから(俚言集覧),

の二説のいずれか,ということのようである。他に,

「べそ」 は 「めっそう(滅相)」 が転訛したもの,

という説もあるらしい(https://mobility-8074.at.webry.info/201501/article_6.html)が語呂合わせに思える。普通に考えれば,顔の形から来て,それをなぞって面が出来たということだろう。

「『へしくち』の『へし』と『べしみ』の『べし』は同源で,への字に曲げることを表しているため,これらの説を別物として扱う必要はない」

と『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/na/nakibesowokaku.html)であろう。方言に,

「『押す』ことを『おっぺす』と言うところがあります。この『ぺす』は『へす(圧す)』であり、強く押さえるという意味です。泣き出すときに口をゆがめるのが、口を押さえつけたようであることから『へし口』という言葉ができ、泣き出しそうになることを『へし口を作る』というようになって、『へし口を掻く(表現する・・・の意)』に転じ、『べそをかく』に変化したようです。」

という(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109875995)のが妥当である。ちなみに,「べそをかく」の「かく」は,

「漢字では『掻く』と書く。『掻く』は爪などで表面をこするという動作から,『事をなす』という意味でも使用し,『汗をかく』『いびきをかく』『恥をかく』など,好ましくないものを表面に出す表現で多く使われる」

とする(http://gogen-allguide.com/na/nakibesowokaku.html)。

「書く(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%8B%E3%81%8F%EF%BC%88%E6%9B%B8%E3%81%8F%EF%BC%89)で触れたように,「掻く」は「書く」と同源で,

「爪を立て物の表面に食い込ませてひっかいたり,絃に爪の先をひっかけて弾いたりする意。『懸き』と起源的に同一。動作の類似から,後に『書き』の意に用いる」

とあり(『岩波古語辞典』),「懸き」も,

「物の端を対象の一点にくっつけ,そこに食い込ませて,その物の重みを委ねる意。『掻き』と起源的に同一。『掻き』との意味上の分岐に伴って,四段活用から下二段活用『懸け』に移った。既に奈良時代に,四段・下二段の併用がある。」

としている。つまり,「書く」も「掻く」も「懸く」も「掛く」も「舁く」も「かく」で,幅広く動作を表現しており,

「好ましくないものを表面に出す表現」と強いていう必要はなく,「掻く」の,

「手を動かして目につく動作をする」

意から転じて,

「動作などが外に大きく現れる」

意の流れで,「鼾をかく」「恥をかく」と,たとえば「胡坐をかく」という動作になぞらえた表現とみていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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あそぶ


「あそぶ」は,

遊ぶ,

と当てるが,「遊」(漢音ユウ,呉音ユ)の字は,

「会意兼形声。原字には二種あって,一つは,『氵+子』の会意文字で,子供がぶらぶらと水に浮くことを示す。もう一つはその略体を音符とし,吹き流しの旗のかたちを加えた会意兼形声文字(斿)で,子どもが吹き流しのように,ぶらぶら歩きまわることを示す。游はそれを音符とし,水を加えた字。遊は,游の水を辶(足の動作)に入れ替えたもの。定着せずにゆれ動く意を含む」

とあり(『漢字源』),きまったところにむとどまらず,ぶらぶらする,という含意がある。

「あそぶ」は,

「日常的な生活から別の世界に身心を解放し,その中で熱中もしくは陶酔すること。宗教的な諸行事・狩猟・酒宴・音楽・遊楽などについて,広範囲に用いる」(『岩波古語辞典』)

「日常的な生活から心身を解放し,別天地に身をゆだねる意。神事に端を発し,それに伴う音楽・舞踊や遊楽などを含む」(『広辞苑第5版』)

「上代以来,管弦のほか,歌舞,狩猟,宴席などにもいい,本来は祭祀にかかわるものであったか。『日常性などの基準からの遊離』が原義か」(『日本語源大辞典』)

等々とあるが,

神遊び,つまり神楽を演じる(『岩波古語辞典』),
かぐらをする,転じて音楽を奏する(『広辞苑第5版』),

と,どうやら「あそぶ」は「遊」とは異なり,神事に由来する。「神遊び」という言葉があり,「あそび」は,

「神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事やそれに付随する芸能全体をさしていたと考えられる。その後平安時代にはやや限定的に楽舞を演じて楽しむことを意味し,『御遊 (ぎょゆう) 』ともいわれた。当時の宮廷社会には,定められた年中行事や儀式とは別に,『あそび』と称する響宴があり,そのありさまは『源氏物語』や『栄華物語』などの平安文学に叙述されている。なお,最も狭義には管絃の合奏をさす。」

とある(『ブリタニカ国際大百科事典』)。「あそび」の変化は,『大言海』の取り上げ方でよく分かる。『大言海』は,四項挙げ,いわゆる,

遊,
游,

の字を当てる,

己が楽しと思ふ事をして,心をやる,

という「あそぶ」(「あすぶ」)の他に,

漢籍訓(かんせきよみ)の語,遊(ゆう)の訓読,

として,遊学(イウガク 故郷を去り,他方に出でて,学問をすること)というような,

学術を学ぶ,

意の「あそぶ」を立てている。「遊ぶ」にある学術を学ぶのは,漢語由来らしい。この二つは,「遊」「游」の字を当てる。残りは,ひとつは,

神楽,

と当てて,

「喪葬の時にするは,天岩戸の故事の遺風にて,死者の,奏楽をめでてかへりたる事もやと,悲しみの余にするわざなりと云ふ」

とし,

神楽(かみあそび)す,神楽をす,

の意味とする。いまひとつは,

奏楽,

と当てて,

遊ぶより移る,楽は,遊ぶことの中に,最も面白きものなれば,特に云ふなりといふ」

とし,

絲竹の遊びをす,

の意を載せる。「絲竹」は,「絲竹(シチク)」の訓読で,

「絲は琴・琵琶などの弦楽器。竹は笙・笛などの管楽器」

で(『岩波古語辞典』),

楽器の総称,

である。「あそび」は,

神楽(かみあそび)→神楽(あそび)→奏楽(あそび)→遊び,

と転じてきたことになる。しかし,「あそぶ」は,そもそも天照大御神が,思ず,顔をのぞかせたり,死者が帰ってきたいと思ったりするほど,楽しいことであるのに違いはない。神事由来だが,天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし,神憑りして胸をさらけ出し,裳の紐を陰部までおし下げて踊ったことに淵源するように,厳かさよりは,底抜けの楽しさがある気配である。

となると,語源は,

足+ぶ(動詞化)(日本語源広辞典)
アシ(足)の轉呼アソをバ行に活用したもの(日本古語大辞典=松岡静雄),

辺りなのではないか。

やはり,

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」

という『梁塵秘抄』の歌は,やはり「あそび」の本質を衝いているようである。+

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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もさ


「もさ」は,

猛者,

と当てる。というより,「猛者」の訓み,

まうさ,

の略轉とある(大言海)ので,「もさ」は,

猛者,

の訓みの転訛ということになる。つまり,

まうじゃ→まうさ→もさ,

という転訛したものらしい。

「猛」(漢音モウ,呉音ミョウ)の字は,

「会意兼形声。孟は『子+皿(ふたをしたさら)』の会意文字で,ふたをして押さえたのをはねのけて,どんどん成長することを示す。猛は『犬+音符孟』で,尾さえをきかずにいきなり立って出る犬。激しく外へ発散しようとする勢いを意味する」

とあり(『漢字源』), 

猛虎,
猛犬,
猛士,
猛獣,

など,「たけだけしい」とか「はげしい」意であるが,

「猛者と書いて〈もさ〉と読みならわしているが,〈もうざ〉が略転したものとみられている。猛者(もうざ)の語は平安時代も後期に入ってからしだいに普及したようで,勇猛果敢な人,威徳のある人,有能な活動家,富裕な人などの意味で使われた。いわば〈男の中の男〉と同様の意味で,男性に対する美称の一つであった。特別の技能をそなえた勇者という点では新興の武士階級の〈名ある武者(むしや)〉をさすし,これに威徳・富裕ということもあわせみると,武力に富んで各地で威勢を張っていた〈富豪の輩(やから‖ともがら)〉が〈猛者〉像の中心をなしたのがわかる。」

とあり(『世界大百科事典 第2版』),どうも,単なる猛々しさ,

暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也

と孔子のいう,

暴虎馮河,

の類とはちょっと意味が違うようである。

『日本語源広辞典』は,

「猛者は,,近世語で日本人の造語かと考えます。杉本つとむ氏の,江戸方言の「もさ言葉」を語源とする説は,疑問です」

とする。「もさ詞」とは,

「終始語『もさ』を用いる方言」

とあり(『江戸語大辞典』),

文末にあって親愛の気持ちを表し,

「朝比奈だァもさ,一ばんとまつてくんさるなら,かたじけ茄子(なすび)の鴫焼だァもさのだぐひ猶あるべし,これをもさ詞といふ説うけがたし」(文化十四年・大手世界楽屋探)

の用例が載る。

「『歌舞妓年代記‐元祿元年』によると、中村伝九郎という役者が元祿年間(一六八八‐一七〇四)に朝比奈の役をつとめるにあたり、乳母の常陸弁をまねて『性はりな子だアもさア、いふことをお聞きやりもふさねへと、ちいちいに喰(かま)せるよ』と初めて歌舞伎の台詞の中に取り入れ、これが評判となって後に奴詞として定着したという。」

とある(『精選版 日本国語大辞典』)。

「申さん」の音変化か,

とされるが, その「もさ」が名詞化して,

「関東人をあざけっていう語。転じて,いなかもの」

というらしい。

「ヤイもさめ,この女郎こっちへ貰ふ」(女殺油地獄)

どう考えても,この「もさ」が,

猛者,

に転じるとは思えない。「もさ」は江戸期,「猛者」は平安で,由来を異にする。

むしろ「もさ」が,

盗人・てきや仲間の隠語として,

掏摸スル者ノコトヲ云フ,

とあり(『隠語大辞典』),その意味が,

「モサ(腹)立った俺は、矢萩のかわりにこの四・五・六を殺したくなった」(高見順)

という「腹をいう」意味で,いやな感じを指し,更に,

「俺のことか。モサナシ(度胸がない)とは俺のことか」(仝上),

と,度胸をいったりと隠語的に使われるのは,「奴詞」として普及した「もさ詞」の成れの果てである可能性は高い。そこから,「もさ」が,

懐中物ノコトヲ云フ,

に転じても,驚かない(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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太刀


かたな(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%AA)については既に触れたが,「太刀(たち)」は,

「太刀(たち)とは、日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するものを指す。」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80

で,腰に佩くものを指す。腰に差すのは,

打刀(うちがたな),

と言われ,

「打刀は、主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀剣である。」

とされる(仝上)。

「馬上では薙刀などの長物より扱いやすいため、南北朝期〜室町期(戦国期除く)には騎馬武者(打物騎兵)の主力武器としても利用された」

らしいが,騎馬での戦いでは,

打撃効果,

が重視され,「斬る物」より「打つ物」であったという。そして,腰に佩く形式は地上での移動に邪魔なため,戦国時代には打刀にとって代わられた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80)。

打刀(うちがたな),

は,

「反りは『京反り』といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている。」

といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80),やはり,これも,

「太刀と短刀の中間の様式を持つ刀剣であり、太刀と同じく『打つ』という機能を持った斬撃主体の刀剣である」

という(仝上)。ちなみに,

「通常 30cmまでの刀を短刀,それ以上 60cmまでを脇差,60cm以上のものを打刀または太刀と呼ぶ。打刀は刃を上に向けて腰に差し,太刀は刃を下に向けて腰に吊る。室町時代中期以降,太刀は実戦に用いられることが少い。」(ブリタニカ国際大百科事典)

とあり,「太刀」と「打刀」の区別は,例外があるが,「茎(なかご)」(刀剣の、柄つかの内部に入る部分)の銘の位置で見分ける。佩いた太刀の場合,名は,外側に位置する。

さて,その「太刀」は,何を見ても,

「『断ち』の義」

とあり,『広辞苑第5版』には,こうある。

「人などを断ち切るのに用いる細長い刃物。古くは直刀を『大刀』と表記し,平安時代以後のものを『太刀』と書く。儀仗・軍陣に用い,刄を下向きにして腰に帯びるのを例とする」

すでに,実戦向きではない。

『岩波古語辞典』は,「断ち」は,

「タエ(絶)の他動詞形」

とあるが,「たえ(絶)」をみると,

「タチ(絶)の自動詞形。細く長くつづいている活動とか物とかが,中途でぷっつり切れる意。類義語ヤミ(止)は,盛んな活動や関係が急に衰えて終りとなる意。ツキ(尽)は,力が消耗しきる意」

とあり,意味はクリアになるが語源は循環している。『日本語源広辞典』は,

断つ,
絶つ,
裁つ,

は,

「タツ・タチ(切り離す)」

とするが,なぜ,「たつ」が切り離すのかが説明できていない。『日本語の語源』は音韻変化から,

「上代,刀剣の総称はタチ(断ち,太刀)で,タチカフ(太刀交ふ)は,『チ』の母韻交替[ia]でタタカフ(戦ふ)になった。〈一つ松,人にありせばタチ佩けましを〉(記・歌謡)。平安時代以後は,儀礼用,または,戦争用の大きな刀をタチ(太刀)といった。
 ちなみに,人馬を薙ぎ払うナギガタナ(薙ぎ刀)は,『カ』を落としてナギタナになり,転位してナギナタ(薙刀・長刀)に転化した。」

とする。「断ち」の語源は,これではわからない。『日本語源大辞典』は,

力を用いて切る音から(国語の語根とその分類=大島正健),
タツ(立)の義,刀の刄が入りたつ意から(名言通),
ヘダツ(隔)の義(言元梯),

等々が載る。「たつ」は,もともと漢字が無ければ,

立つ
も,
絶つ
も,
経つ
も,
建つ
も,
発つ
も,
断つ

も,みな「たつ」である。「立つ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E7%AB%8B%E3%81%A4)は,既に触れたように,「立つ」は,の語源は,

「タテにする」
「地上にタツ」

らしい。「裁つ」「絶つ」「断つ」は,それとは別系統とされる。で,「かたな」の項では,

タチ切ル,

のタチから来ている,とした。その「タチ」は,臆説かもしれないが,

力を用いて切る音,

に関わらせるなら,「叩き斬る」の「叩く」なのではないか。太刀は,斬るのでは,「打つ」物であったのだから。

叩き斬る,

は,促音化すると,

たたっきる,

となる。

参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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こうもり


「こうもり」は,

蝙蝠,

とあてる。「蝙蝠」(ヘンプク)は,中国語そのものである。「蝠」(ふく)の字が「福」に通じるので中国では縁起が良いものとされている(『漢字源』)とか。

「古代中国では漢字で『蝙hen、蝠fuku、蝙蝠hen-puku、服翼fuku-yoku(以上の4語は『説文解字』A.D.100年許慎編纂)、伏翼fuku-yoku(『神農本草経』漢時代(B.C206-A.D220)編者不明)と書き、『蝙蝠』は唐代の長安地方の発音である『漢音』で、『ヘンプク』と発音した。その字義は『蝙』が『(扁)は平たい、(虫)は動物』、『蝠』が『へばり付く動物』の義で、『飛ぶ姿が平たく見え、物にへばりつく生態から』の当て字。『伏翼』は『昼伏し(休憩し)翼あるものの義』である。蝙蝠は古代中国で本草(薬物)の一つとして用いられており、現存する中国最古の薬物書である『神農本草経』に『伏翼』としてその名がある。『時珍(1518-1593)』編纂の『本草綱目(1596年刊)』には、『伏翼は形が鼠に似て灰黒色だ。薄い肉翅niku-shiがあり、四足、及び尾を連合して一hitotsuのようになっている。夏は出て冬は蟄し、日中は伏して夜間に飛び、蚊ka、蚋buyoを食物とし』とある。薬効として、『 目瞑癢痛ku-mei-you-tsuu』目を明にし、夜間物を視るに煙あらしめる。久しく服すれば人をして熹樂ki-rakuし、媚好bi-kouし、憂無urei-naからしめるとある。』

とか(http://www.yasei.com/koumori.html)。中国では蝙蝠も食した。

和語「こうもり」は,どうやら,古形は,

「かはほり(かはぼり、加波保利)」,

らしいが,

カハホリ(カハボリ)→カワボリ→カワブリ→カワモリ→カウモリ→コーモリ→コウモリ,

と変化してきたものらしい(『日本語源大辞典』)。こうある。

「古形のカハホリから現在のコウモリに至るまでの語形がさまざまに変化した。中古の文献では『カハホリ』の例が多いが,実際の発音はカハボリであった可能性が高い。その後,音韻の変化により,中古から中世にかけて,ハ行転呼によるカワボリ,オ段とウ段の交替によるカワブリ,バ行からマ行への変化によるカワモリ,カワ→カウの変化によるカウボリ,カウブリ,カウモリなどの変化が生じ,語形が揺れた。全体的には,中世にはカハホリよりもカウモリが多く行われるようになり,カワモリが普通語,カハホリは文章語という使い分けも行われた。中世から近世にかけては,カウモリからコーモリへと発音が変化し,近世には完全にコーモリとなったが,仮名遣いの規範意識によって,表記は『カウモリ』のものがほとんどである。近代に入って,カハホリは使われなくなり,コウモリのみが残って現在に至った。ただし,方言では様々な形がのこっている」

と。『日本語の語源』は,音韻変化については少し異説である。

「コウモリ(蝙蝠)の別名を畿内ではカクイドリ(蚊食鳥)といった。平安時代にはカワホリといった。(中略)蚊食鳥の名が示すとおり,コウモリの古名はカハフリ(蚊屠り)カハホリ・カワホリ・カワボリ・カワモリ・コウモリを経てコウモリ(蝙蝠)となった」

つまり,

カハフリ→カハホリ→カワホリ→カワボリ→カワモリ→コウモリ,

と転じたと,原初は,「蚊食鳥」の別名,

蚊屠り,

とする。

「『みなごろしにする』という意のホフル(屠る)は,古くは,ハフル(和名抄)」

というところからとする。と考えると,『日本語源広辞典』の,

「川+守り」

は,音韻変化の途中の「カワモリ」からの解釈に過ぎず,

「川辺の洞窟などにいて,川を守るものとみた」

というのは牽強付会となる。『岩波古語辞典』の「かはぼり」を,

川守の意,

も,『大言海』の「かはほり」を,

「川守(かはもり)の轉(守 (まぼ) る,まもる。『扇をかはもり』(壒囊抄))。井守(ゐもり),屋守(守宮 やもり)の例なり。河原の石間,橋下などに棲めば名とす。静岡にてカウブリという」

も,やはり音韻からみて,妥当とはいえない。

「平安時代はカハホリ(加波保利)と呼んでいたらしい。俳句の世界では過去形ではないが。
 かはほりや むかひの女房 こちを見る 蕪村
畿内ではカハボリと濁音化させたりしたようだ。それを考えると、語源をカワモリ(川守)と考えるのは一寸無理がありそう。イモリ(井守)、ヤモリ(家守)があるから、川守にしたくなる気持ちはわかるが。」

という(http://www.randdmanagement.com/c_japan/ja_108.htm)とおりである。

「日本では蚊食鳥(カクイドリ)とも呼ばれ、かわほりの呼称とともに夏の季語である。蚊を食すため、その排泄物には難消化物の蚊の目玉が多く含まれており、それを使った料理が中国に存在するとされる。
『強者がいない場所でのみ幅を利かせる弱者』の意で、『鳥無き里の蝙蝠』という諺がある。また、織田信長はこれをもじって、四国を統一した土佐の大名、長宗我部元親を『鳥無き島の蝙蝠』と呼んだ。この『鳥無き島の蝙蝠』のフレーズは、古くは『未木和歌抄』巻第二十七に平安末期の歌人和泉式部の歌に『人も無く 鳥も無からん 島にては このカハホリ(蝙蝠)も 君をたづねん』とあり、鎌倉期の『沙石集』巻六にも『鳥無き島のカハホリにて』とあることから、少なくとも12世紀には記されていたものとわかる。」

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%A2%E3%83%AA),

蚊屠り,

説(『日本語の語源』)が注目され,似たものに,

蚊を好むところから,カ(蚊)をホリ(欲)する義(日本釈名),
カモリ(蚊守)の義(柴門和語類集),
カ(蚊)ヲ−ホリの轉(和句解・滑稽雑誌所引和訓義解),
カハメリ(蚊食)の義(言元梯),

等々があるし,

「和語としては、1713年頃に寺島良安が編んだ江戸時代の百科事典ともいえる『和漢三才図会』に、<和名、加波保利(カハホリ)、今、加宇毛利(カウモリ)と云>とあり、当時既に方言は別として、二つの発音が流通していたといえよう。『コウモリ』の語源は岸田久吉氏(1924年)によると、『カハホリ』は『蚊(カ)、屠(ホフリ)』で、これが『カハホリ』と転じ、さらに転じて、『コウモリ』になったと、新井白石著(1719年)の「東雅」にあるという。」

も(http://www.yasei.com/koumori.html),

蚊屠り,

説だが(『東雅』の説はいつも当てにならないが),『語源由来辞典』は,

「『カハボリ』の『カハ』が『皮』のアクセントと一致することから,『蚊』に由来する説も難しい」

とし(http://gogen-allguide.com/ko/koumori.html),

「『皮(かは)』と『ほり』からなり,『ほり』は『張り』か『振り』が転じたもので,翼としている薄い皮膜に由来するものと考えられる」

と,自説を立てる。「皮」説は,

カハハリ(皮張)の轉(名語記・名言通),
カハハトリ(皮羽鳥)の義(和訓栞・日本語原学=林甕臣),

等々ある。しかし音韻ではなく,アクセントというのでは,「蚊食鳥」と呼び慣わしてきた流れを否定する根拠としては弱くはないだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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から


「から」は,

うから,
やから,
ともがら,
はらから,

の「から」で,

族,
柄,

とあてる。『岩波古語辞典』には,

「満州語・蒙古語のkala,xala(族)と同系の語。上代では『はらから』『やから』など複合した例が多いが,血筋・素性という意味から発して,抽象てきん出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる。助詞カラもこの語の転」

とあり,

「この語は現在も満州族。蒙古族では社会生活上の重要な概念であるが,日本の古代社会には,ウヂ(氏)よりも一層古く入ったらしく,奈良時代以後,ウヂほどには社会組織の上で重要な役割を果たしていない。なお朝鮮語ではkyöröi(族)の形になっている」

とある。助詞「から」についても,

「語源は名詞『から』と考えられる。『国から』『山から』『川から』『神から』などの『から』である。この『から』は,国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに,それらの社会的な格をも意味する。『やから』『はらから』なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から,自然のつながり,自然の成り行きの意に発展し,そこから,原因・理由を表し,動作の出発点・経由地,動作の直接続く意,ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意,手段の意を表すに至ったと思われる」

とする。『大言海』は,「から」に,

自・従,

と当てて,

「間(から)の轉用」

とするが,『広辞苑第5版』も,

「万葉集に助詞『が』『の』に付いた例があり,語源は体言と推定でき,『うから』『やから』『はらから』などの『から』と同源とも。『国柄』『人柄』の『柄(から)』と同源とも」

とする。「柄」が「族」と同源なら,元は一つということになる。『日本語源広辞典』も,

「『うから,はらから,やから』と同源で,『血の繋がり』から転じた語です。転じて自然の繋がりを意味し,原因理由を示す接続助詞になった語です」

とする。

この「から」の由来は,諸説あり,

ツングース所族にける外婚的父系同族組織のハラ(xala)の系統をひくもの(日本民族の起源=岡正雄),
一族を意味する満州族のハラ(hara),ツングースのピラル,クマル,興安嶺方言のカラ(kala),オロチ,ゴルジ,ソロンの方言のハラ(xala)と同じ起源(日本語の起源=大野晋),
カラ(体),また,コラ(子等)の転義(大言海),
「系」の字音カに,ラ行を添えたもの(日本語原学=与謝野寛),

などの中で,「から(族)」について,

子等(こら)の轉(大御田子等(オホミタコラ),オホミタカラ),子族(みより),

記すのが,一番気になる。音は,ツングース系かもしれないが,僕には,和語の文脈依存性からみて,もっと身近なところから意味が由来している,と思うからだ。『大言海』は,「みより」(身寄)に,

うから,

の意を載せる。「うから」は,

親族,

と当てる。

「奈良時代はウガラ。カラは血族集団の意」

とする。『大言海』は,

「生族(うみから)の略。子孫(うみのこ)の意(うみぢ,うぢ(氏)。ヤカラは家族(やから)なり)」

とする。これにも,大言海説以外に,諸説ある。

ウムカラ(生属)の義(和訓栞),
ウマレカラ(生族)の意か(古事記伝),
ウカラ(生幹)の義(国語の語根とその分類=大島正健),
ウは生,カラは自・間の意(東雅),
ウジカラ(氏族)の義(言元梯・名言通・俗語考),
内族の義(日本語源=賀茂百樹),
ウは大,カラは幹で,幹の意から団体の義に転用(日本古語大辞典=松岡静雄),
『嫗系』(U-Ka)にラ行を゜添えたもの。ウカラの原義は同じ母系の子(日本語原学=与謝野寛),

等々。やはり「うむ(生・産)」と関わるとみていい。「うむ」は,

「生を訓みて宇牟(うむ)と云ふ」

とあり(古事記),「うむ」の語源は,

「子を生む時に発するうなり声から出た語(国語溯原=大矢徹・日本語原学=林甕臣・国語の語根とその分類=大島正健),
「ウの音は最も発音しやすい音であるため。自然に行われる動作について,ウの音を語根とした」(俗語考),

と,どうも生まれるときの声なのではないかと推定される。「うから」はその声を同じくするものの意ではあるまいか。

ついでに,「ともがら」「やから」をみると,

「『うがら』は血族を指すが,『やから』は語構成からみてそれより広い範囲の同族を指はたらしい。その分『ともがら』に近く,そこから見下した語感が生じた」

とある(『日本語源大辞典』)。

はらから→うから→やから→ともがら,

といった意味の広がりではあるまいか。「はらから」は,広く同胞の意味で使われるが,

同じ母親から生れた兄弟姉妹,

を指す。『大言海』は,

同胞,

とともに,

同母,

とも当てる。

腹続(はらから)の義,

とする。「ともがら」は,

輩,
儕,
儔,
徒,
儻,

等々と当てる。『大言海』は,

伴族の義,

とする。

友族(俚言集覧・菊池俗語考・日本語源=賀茂百樹),

なども同じである。「やから」は,

族,
輩,

と当て,

ヤは家,

とある(『岩波古語辞典』)。

一族,

の意である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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あさまし


「あさまし」は,

浅まし,

と当てる。口語では,

浅ましい,

である。

「動詞アサムの形容詞形。意外なことに驚く意で,良いことにも悪いことにも用いる」

とある(『広辞苑第5版』)が,今日では,

なさけない,
見苦しい,
さもしい,
みっともない,

という含意で使うことが多い。意味の流れは,

意外である,驚くべきさまである(「思はずにあさましくて」),

(あきれるほどに)甚だしい(「あさましく恐ろし」),

興ざめである,あまりのことにあきれる(「つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり」),

なさけない,みじめである,見苦しい(「あさましく老いさらぼひて」),

さもしい,こころがいやしい(「根性が浅ましい」),

(あさましくなるの形で)亡くなる(「つひにいとあさましくならせ給ひぬ」),

と,驚くべき状態の状態表現から,その状態への価値表現へと転じたように見える。しかし,「あさまし」は,

「見下げる意の動詞アサムの形容詞形。あまりのことにあきれ,嫌悪し不快になる気持。転じて,驚くようなすばらしさにいい,副詞的には甚だしいという程度をあらわす」

とある(『岩波古語辞典』)ので,もともと,価値表現であった「あさむ」が,形容詞になって,状態表現へと転じ,再び,価値表現へとシフトしたということになる。

しかし『大言海』は,「あさまし」に,

驚歎,

と当て,

「元来,浅しと云ふ意の語なり,万葉集十四『遠江,引佐細江(イナサホソエ)の澪標(ミヲツクシ)(深きものに云ふ)我れを頼みて,安佐麻之(あさまし)ものを』(心の浅きを云ふ,空(むな)し車,悪し様などの用法なり)」

とする。「あさし」は,

浅し,

と当て,

「アは発語,ア狭しの義」

とあり(『大言海』),『岩波古語辞典』には,

「『深し』の対。アセ(褪)と同根。深さが少ない,薄い,低いの意」

とあり,当然予想されるように,浅いは,状態表現から,容易に価値表現へと転じ,

未熟,
地位が低い,
趣きがせ薄い,

という意味に轉ずる。だから,その動詞化,「あさむ(浅)」は,

人の行動を,浅い,情けないと見下げる,
あまりの出来事にあきれる,

という意になる。『大言海』になると「あさむ」は,

驚歎,

と当て,

あざむ,

と濁り,

「浅を活用シテ,アザムと云ふなり,あきれかえるに因りて濁る(淡い,あばむといふと同趣なり)。此語の未然形のアサマを形容詞に活用させてアサマシと云ふ(傷む,いたまし)。即ちアサマシク子なり,あざ笑ふもアザミ笑ふなり」

とするので,元々「あさまし」には,蔑み,見下す価値表現があることになる。

『日本語源広辞典』の,

「浅む(意外で驚く)の未然形+しい(形容詞)」

は,間違いではないが,そこに見下す含意があったことにふれなくては不十分ではあるまいか。

浅(あさ)を動詞化したアサムから生まれた形容詞,

ではなく,

アザム,

と濁った(『大言海』)ところから考えないと,「あさまし」の意味の幅は見えてこない気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ゆうまぐれ


「ゆうまぐれ」は,

夕間暮れ,

と当てる。

「『まぐれ』は目暗れ」の意」

とある(『広辞苑第5版』)。『大言海』も,

「目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか」

とし,『岩波古語辞典』も,

「目昏れの意」

とする。つまり,この「まぐれ」は,

目暗(昏)れ,

の意である。「昏」(コン)の字は,

「会意兼形声。民は,目を↑型の針でつぶしたさまを示す。目が見えず暗い意を含む。昏は『目+音符民』。物が見えないくらい夜のこと。のち,唐の太宗李世民が自分の名の民を含んでいるために,その字体を『氏+日』に代えさせた」

とあり(『漢字源』),暗につながる。「暗」(漢音アン,呉音オン)の字は,

「会意兼形声。音は,言の字の口に・印を加えた会意文字で,ものをいう口の中に何かを含んでくちごもるさま。諳(くちごもって明白に発音せず,頭の中で覚える)のものになる字。暗は『日+音符音』で,中に閉じこもって日光のささないこと」

とあり(仝上),闇につながる。この「まぐれ」は,

眩れ,

とあてる。

目が眩む,
眩暈,

意である。この「まぐれ」は,「まぐれ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%81%BE%E3%81%90%E3%82%8C)で触れたように,

紛れ,

と当てる「まぐれ」,

物の中に入り混じって目立たないようになる,しのび隠れる,
弁別できなくなる,
あれこれと事が多くて忙しい,
筋道が分からなくなる,
他の物事に心が移る,

という意味の「まぐれ」とつながる気がする。しかし,『大言海』は,

「目霧(まぎ)るの転訛と云ふ」

とし,他も,

目霧の義か(和訓栞),
メガヒアルル(目交荒)の義(日本語原学=林甕臣),
ミキレル(見切)の義(名言通),
マキル(間切)の義(言元梯・国語の語幹とその分類=大島正健)
マは間,ギは限を極めない意,マギルはマギ入の約(国語本義),

諸説,「紛れ」と「眩れ」は別とする。しかし,「眩れ」の語源,

マは目の義,クルはクラムの約,また暮れの義(名語記),
マグレ(目暗れ)ルの義(松屋筆記),
目暗れにて,目くれふたがりて,物の見えぬ頃なれば云ふか(大言海),

と比べた見たとき,

眩しさ,

紛れる,

との差は,はっきりしない。「紛れ」を,

「『眼前に霧がかかる』という意のマギル(目霧る)は『区別しがたい』意のマギル(紛る)・マギレル(紛れる)・マギレ(紛れ)になったが,それぞれマグル・マグレル・マグレに転音した。マグレアタリ(紛れ当たり)」

といい(『日本語の語源』),「眩れ」を,

「『目を離さないでじっと見つめる』ことをメモル(目守る)といったのがマモル(守る)になった。『目くらむ,めまいを感じる』意のメクル(目眩る)はマクル(眩る)になった。」

とする(仝上)。一方は,眩しくて,「まぐれ(眩る)」,他方は,物の形が定かならなくて,「まぐれ(紛れ)」,いずれも,定かに物の区別がつかない状態であることに変りはない。

少なくとも,「ゆうまぐれ」の「まぐれ」は,

眩れ,

というより,

紛れ,

に思える。前にも触れたが,一方は,眩しさで,「まぐれ(眩れ)」,他方は,ぼんやりと「まぐれ(紛れ)」まったく区別をつけたのは,「眩」と「紛」の漢字ではなかったのか。光りが眩しくて弁別が付かないのか,影と陰の区別がつかずぼんやりとしていて弁別が付かないのかの区別はなく,いずれも,

まぐれ,

だったのではあるまいか。もともとは,

まぎれ,

だったのではないか。「眩」と「紛」を当てはめることで,光の眩しさと,夕暮れの眩しさとが,区別された。「夕間暮れ」ににつて,

「『まぐれ』は目暗れの意」(『広辞苑』)
「マグレはマ(目)クレ(暗)の意」(『岩波古語辞典』)
「マグレは目暗(まぐ)れにて,目のくれふたがりて物の見えぬ比を云ふ」(『大言海』)

とあるのは,「眩れ」よりも「紛れ」の「まぐれ」に思えてならない。

なお,逢魔が時(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E9%80%A2%E9%AD%94%E3%81%8C%E6%99%82)については,すでに触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ゆうだち


「夕立」は,

ゆだち,

ともいい,『大辞林』に,

夏の午後から夕方にかけ,にわかに降り出すどしゃぶり雨。雷を伴うことが多く,短時間で晴れ上がり,一陣の涼風をもたらす,

とある。この場合,「夕」に騙されると,

夕方降る雨,

となるが,『日本語源広辞典』には,

「夕方でもないのに,庭か雨で一時的に暗くなって夕方らしくなる,が本義です。」

とある。

「夏の午後から夕方にかけ」

というのに意味がある。しかし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E7%AB%8B

には,

「古語としては、雨に限らず、風・波・雲などが夕方に起こり立つことを動詞で『夕立つ(ゆふだつ)』と呼んだ。その名詞形が『夕立(ゆふだち)』である。
ただし一説に、天から降りることを『タツ』といい、雷神が斎場に降臨することを夕立と呼ぶとする。」

とある。しかし,別名,

白雨(はくう),

とも言うところから見ると,明るい時刻に違いない。

http://yain.jp/i/%E5%A4%95%E7%AB%8B

は,

「夏の午後に、多くは雷を伴って降る激しいにわか雨。白雨(はくう)。」

とし,やはり,

「動詞『夕立つ(ゆうだつ)』の連用形が名詞化したもの。『夕立つ』は、夕方に風・雲・波などが起こり立つことの意。動詞『立つ』には現象が現れるという意がある。」

としているが,

http://mobility-8074.at.webry.info/201606/article_22.html

は,

「夕方に降るから『夕立』と言うというように何となく思っていましたが,語源を調べてみたら,ちょっと違うようです。まず,『立つ』には,〈隠れていたもの,見えていなかったものが,急に現れる,急に目立ってくる〉という意味があります。『目立つ』『きわ立つ』 の『立つ』です。
「夕立」 の 「立つ」 は, 〈雲 ・ 風 ・ 波などが,急に現れる〉 ことを言っています。ここで注意したいのは, 『夕立』は,本来は〈雨〉 のことではないということです。雲が現れた結果として雨になることが多いのですが,語源的には『ゆうだち』は雨ではありません。『夕立』の『夕』は,雲や風が現れるのが夕方ということではないのです。この『夕』は,〈夕方のようになる〉という意味での『夕』です。(中略)
で,『夕立』というのは,〈まだ昼間の十分に明るい時間帯なのに,突然,雨雲が湧いてきて,あたかも夕方を思わせるほどに薄暗くなる〉状態のことなのです。『ゆうだち』は,もとは『いやふりたつ (彌降りたつ)』だったという説です。この『彌』は〈いよいよ,ますます,きわめて,いちばん〉の意味の副詞です。つまり,〈きわめて激しく降り出した雨〉という意味の「いやふりたつ」が『やふたつ』→『ゆふたつ』→『ゆふだち』へと変化してきたという説です。」

としている。そう見ると,『大言海』が「ゆふだち」の意味に,

「雲にわかに起(た)ちて降る雨」

とあるのが生きてくる。『日本語源大辞典』には,「立つ」について,

「『万葉集』にすでに『暮立』の表記でみえる。ユウダチのダチ(立つ)は,自然界の動きがはっきりと目に見えることをいう」

とある。『広辞苑』の「立つ」には,

「事物が上方に運動を起こしてはっきと姿を表す」

意の中に,

雲・煙・霧などが立ち上る,

という意味が載る。

ただ気になるのは,『広辞苑』は,「夕立」の項で,

「一説に,天から降ることをタツといい,雷神が斎場に降臨することとする」

とあることだ。『岩波古語辞典』には,「立つ」について,

「自然界の現象や静止している事物の,上方・前方に向き合う動きがはっきりと目に見える意。転じて,物が確実に位置を占めて存在する意」

とある。とすると,

雲がにわかにむくむくと立ち上がるのを龍に見立てる,

ということはあるかもしれない。『日本語源広辞典』は,「たつ(竜)」の語源を,

「立つ」

としているので,「たつ(立つ)」と「たつ(竜)」がつながらないわけではない。龍については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/447506661.html

で触れたが,「龍」は,水と関わる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%9C

に,「龍」は,

「中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合した。中世以降の解釈では日本神話に登場する八岐大蛇も竜の一種とされることがある。古墳などに見られる四神の青竜が有名だが、他にも水の神として各地で民間信仰の対象となった。九頭竜伝承は特に有名である。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われている。」

とし,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%AB%9C

は,

「竜神は竜王、竜宮の神、竜宮様とも呼ばれ、水を司る水神として日本各地で祀られる。竜神が棲むとされる沼や淵で行われる雨乞いは全国的にみられる。漁村では海神とされ、豊漁を祈願する竜神祭が行われる。場所によっては竜宮から魚がもたらされるという言い伝えもある。一般に、日本の竜神信仰の基層には蛇神信仰があると想定されている。」

「仏教では竜は八大竜王なども含めて仏法を守護する天竜八部衆のひとつとされ、恵みの雨をもたらす水神のような存在でもある。仏教の竜は本来インドのナーガであって、中国の竜とは形態の異なるものであるが、中国では竜と漢訳され、中国古来の竜と混同ないし同一視されるようになり、中国風の竜のイメージに変容した。日本にも飛鳥時代以降、中国文化の影響を受けた仏教の竜が伝わっている。」

とある。

なお,

夕立は馬の背を分ける,

という言葉があるが,

https://www.waraerujd.com/blank-131

に,

「夕立は馬の背を分けるとは、夕立は馬の片身に降っても反対側の片身には降らないという意味で、夕立の局地性を表現したことわざ。」

である。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E3%82%92%E9%99%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%81%A6%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%AB%9C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%AB%9C
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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くれなずむ


「くれなずむ」は,

暮れ泥む,

と当てる。

日が暮れそうでなかなか暮れないでいる,

意味である。

「日没どき、日が暮れかけてから暗くなるまでの間の様子。『暮れ泥む』と書く。多くは春の夕暮れを表す。『泥む』とは物事が停滞すること」

とある(『実用日本語表現辞典』)ので, 

まだ,日は暮れていない,

状態を示している。だから,

「こちらはもうすっかり暮れなずんでおります」

という使い方はしない(https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/078.html),という。

「暮れ」は,

「クラシ(暗)と同根」

とある(『岩波古語辞典』)。『岩波古語辞典』は,「くれ」に,

眩れ,
暗れ,
暮れ,

を当て,いずれも,「暗くなる」意としている。

『日本語源大辞典』は,「くれ」の諸説を,

クロ(黒)の義(日本釈名),
クラ(暗・昏)の義(東雅・言元梯・名言通),
日没のあとをいうことから,クラはクラキ,レはカクレか(和句解),

と,大勢は「暗い」とつなげている。

「なず(づ)む」は,既に触れた(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%AA%E3%81%9A%E3%82%80)ように,

泥む,
あるいは
滞む,

と当てる。

行きなやむ,はかばかしく進まない,滞る,
離れずに絡み付く,
悩み苦しむ,気分が晴れない,
拘泥する,こだわる,
かかずらわって,そのことに苦心する,
執着する,思いつめる,惚れる,
なじむ。なれ親しむ,

あるいは,

植物がしおれる。生気がなくなる,

という意味になる。『日本語源大辞典』は,

「原義は人や馬が前へ進もうとしても,障害となるものがあって,なかなか進めないでいる意で,主に歩行の様子等に関して用いたが,平安時代には心理的停滞をも表した。現在では『暮れなずむ』のような複合動詞の中にのみ生きている。『執着する』の意の中から,思いを寄せる意が生じたのは近世で,それとの意味の近さ,また『なじむ』との音の類似から,幕末には『なじむ』意が生じた」

と,意味の変遷をまとめている。今日は,「なずむ」は,

馴染む,

と当てる「なじむ」に取って代わられている気がする。

「なずむ」は,『岩波古語辞典』には,

「ナヅサヒと同根。水・雪・草などに足腰を取られて,先へ進むのに難渋する意。転じて,ひとつことにかかずらう意」

とあり,「泥む」と当てたのには,意味がある。「ナヅサヒ」は, 

水に浸る,漂う,
(水に浸るように)相手に馴れまつわる,

意で,さらに,「ナヅミ」と同根の「なづさはり」という言葉があり,

なじみになる,

という意味が載る。すでに,「なづむ」は「なずさはる」を経て,「なじむ」と重なっているとみていい。

「なずむ」の語源について,『日本語源広辞典』は,

「ナ(慣れ)+ツム(動かず)」

とする。この「つむ」は「詰む」だろう。「水に浸る」意の,「なづさふ」よりは「なずむ」の原義に近い気がする。他には,

ナエシズミ(萎沈)の約(雅言考),
ナエトドム(萎止)の義(名言通),
ナツム(熱積)の義(柴門和語類集),
ナツウム(泥着倦)の義(言元梯),

等々,いずれもピンとこない。「暮れなず(づ)む」の語感に合う語源は,ちょっと見あたらなかった。勝手な臆説を述べるなら,「なじむ」(馴染む)に転じた意からみると,

昼と夜が馴染んでいる,

感覚である。

夜が昼に引っ張られているのか,昼が夜に引っ張られているのか,

というふうな感覚である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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血祭り


「血祭り」は,

血祭りに上げる,

などと物騒な言い回しをする。多くは,例えば,

「昔中国で,出陣のさいいけにえを殺し,その地を以て軍神に祀ったことから」

を由来とし,

戦場に臨む際に,縁起のため,間諜または敵方の者などを殺すこと,また戦場で,最初に敵を討ち取ること」

といった意味を載せる(『広辞苑第5版』)。あるいは,

「(昔、中国で、出陣に際し、いけにえを殺して軍神をまつったことから)出陣に際して、敵の者などを殺して士気を奮い立たせること。手始めとして敵をほふって気勢を揚げること。」

と(『大辞林』)いう意味になる。ただ,

血祭りに上げる,

の形は,

「昭和になってからで、近年は転じて単にひどい目にあわせる意でも用いられる。」

とある(『由来・語源辞典』)。たとえば,

「『やつらを血祭りに上げてやる」などと使うように、一人や 二人をやっつけて喜んでいるのではなく、全員を徹底的にやっつけるという意味あいのある威勢のいい言い方であり、あくまで『例え』にとどめておきたい言いぐさである。』

という((『笑える国語辞典』https://www.waraerujd.com/blank-59)のが今日の含意である。気になるのは,中国云々の由来だ。

「『血祭り』とは、古代中国で出陣の際、いけにえを殺してその血で軍神を祭る『血祭(けっさい)』に由来する。」(『由来・語源辞典』)
「『血祭り』は、生け贄の血を神に供えて祭る古代中国の『血祭(けっさい)』に由来」(『語源由来辞典』)

等々とある。確かめる手がないが,『字源』には,「血祭」(けっさい)の項で,

「いけにえを殺し血を取りてまつる」

とあり,周禮・春官の,

「以血祭一祭社稷語祀五嶽」

を引いている。軍神とはいささかも関係ない。で,我が国だけの使い方として,

「出陣の時,いけにへを殺して軍神を祭る。又其の敵とする者を殺してみせしめにする」

とある。軍神云々は,中国由来ではないことになる。

『続日本紀』には,出陣を,

「天平寳字三年(七五九)六月壬子令大宰府造行軍式以将伐新羅也」

とあり,行軍式といったらしい。出陣の儀礼化が進んだのは,室町以後で,

「管領為始宿老中に意見有御尋,時宜定めて以後,陰陽頭撰吉日,進時五日も十日も前に御陣奉行之右筆罷出,其國之守護代令同道寺家にても誘申,御陣奉行は其儘待可申鎌倉御立,當日御出之御酒として大草調進鮑勝栗昆布御肴にて御酒一献あり」

と,『鎌倉年中行事』にあるように,縁起を担ぎ,鮑,勝栗,昆布を食している(大草家は将軍家の調理を担当する)。その後,神仏に祈念し,武運長久を願う。

「茅の葉にて酒を注いで九万八千の軍神勧請常の如くなり」

と『鴉鷺合戦物語』にあり,室町頃から行なわれている。

血祭は,出陣に際してではないようである。

「敵の首を取ったとき味方の気勢を上げるために軍の神に供えるといういみでささやかな祭事を行うのを軍神への血祭りという」

とある(『武家戦陣資料事典』)。『軍侍用集』に,

「初めて捕えたる首を祭ることを血祭と云ふ也,九万八千の軍神に向かひ手を合せて南無摩利支尊天を初め奉り一切九万八千の軍神今日の首あたへ給の所偏へに武運高名之奇妙也,弥武運長久を祈り友引の方に向ひ四天王の八鬼を念九魔王神に供え祭りて味方の勝利我方の武運長久と守り給へ,急々加津令といのるべし,必ず破軍にむかふべからず」

とあり, 

初めて捕えたる首を祭ること,

を血祭といったとみえる。密教の秘法から出た祈りらしく,どうも,この頃活躍する兵道家・陰陽師が,権威づけに言ったのではないか,と思いたくなる。この嚆矢は,平安末期らしく,当初は,

「去らば軍神に祭らんとて暫く弓を引き持ち,表に進みたる伊藤六がまん中に押し當て発ちたり」(保元物語),

と,初戦に敵を殺して,軍神に捧げて加護を願うといった意味であった,と見られる。

兵道家・陰陽師が「こじつけ」形式化したようだが,結局,

「唯軍神へ血祭り明春越州江州邊に於て有無の一戦を致し首を取獄門に晒し可申」(松隣夜話)

というように,敵首を梟首して済ませたようである。後年,伊勢貞丈は,『軍神問答』で,

「佛家の説に九萬八千夜叉神と言ふは三宝荒神の眷属にて,具に言へば九億九萬八千七百七拾弐神あり,常に略してに九萬八千と言ふ」

としている。毛利元就の軍幡には

「頂礼正八幡大菩薩 南無九万八千軍神二千八百四天童市十 帰命摩利支尊天王」

とあるとか。武士は縁起をかついだのである。

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
笹間良彦『図説 日本戦陣作法事典』(柏書房)

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ちまた


「ちまた」は,

巷,
岐,
衢,

と当てる。

「道 (ち) 股 (また) 」の意,

らしい。どうやら,

道の分かれるところ(「八十の巷に立ちならし」),

(物事の分かれ目(「生死の巷をさまよう」))

町の中の道路,街路(「南北に大きなる一つの巷あり」),

人が大ぜい集まっているにぎやかな通り,町中 (まちなか)(「紅灯の巷」),

(ある物事が盛んに行われている)ところ,場所(「弦歌の巷」「修羅の巷」),

世間(「巷の噂」),

といった流れで,「岐路」に準えて,意味の外延がひろがっていったものらしい。

「『分かれ道』に集落,つまり街を形成することが多く,町の通り,街の意」

とある(『日本語源広辞典』)のが,分かれ道,街路,街とつながる意味が納得できる。

「巷」(漢音コウ,呉音ゴウ)の字は,

「会意兼形声。『人のふせた姿+音符共』。人の住む里の公共の通路のこと。共はまた,突き抜ける意から,突きぬける小路のことと解してもよい」

とあり,街路,世間,の意で分かれ道の意はない。

「岐」(漢音キ,呉音ギ)の字は,

「会意兼形声。支はも細い声だを手にした姿で,枝の原字。岐は『山+音符支(キ・シ)』で,枝状のまたにわかれた山,または,細い山道のこと」

で,枝道のこと,分岐,岐路と使う。

「衢」(漢音ク,呉音グ)の字は,

「会意兼形声。瞿(ク)は『目二つ+隹(とり)』からなり,鳥があちこちに目をくばること。衢は『行(みち)+音符瞿』で,あちこちが見える大通り」

で,四方に通じる大通り,巷の意で,直接的に分かれ道を示していない。巷,岐,衢と漢字を当て分けたのは,先人たちの苦労の跡,ということになるのかもしれない。

ミチマタ(道股)→チマタ(巷),

とする説(『日本語の語源』)もあるが,

道,

は,

ち,

とし,『大言海』は,「ち(道・路)」は,

ツ(津)に通ず,

とし,「道饗祭(ちあへ)」(祝詞)「道別(ちわき)」(神代紀)等々,

熟語にのみ用ゐる,

とする。また,

連声には濁る,

とする。例えば,「天漢道(あまのかはぢ)」「天道(あまぢ)」等々。『岩波古語辞典』には,「ち(道・方向)」は,

「道,または道を通って行く方向の意。独立して使われた例はない。『〜へ行く道』の意で複合語の下項として使われる場合は多く濁音化する」

とある。「道 (ち) 股 (また) 」でよさそうである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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みどり


「みどり」は,

緑,
翠,
碧,

と当てる。

「緑」(漢音リョク,呉音ロク)の字は,

「会意兼形声。右側の字(ロク・ハク)は竹や木の皮をはいで,皮が点々と散るさま。緑はそれを音符とし,糸を加えた字で,皮をはいだ青竹のようなみどり色に染めた糸を示す」

で,「竹や草の色で,青と黄の中間色」とある。

「翠(翆)」(スイ)の字は,

「会意兼形声。『羽+音符卒(シュツ ちいさい,よけいな成分を去って,小さくしめる)』。からだの小さくしまった小鳥のこと。また,汚れを去った純粋な色」

で,「よごれのないみどりの羽。『翡翠』(水辺に棲む小鳥の名。全身青緑色の美しい羽毛をもつ。雄を翡,雌を翠という),かわせみ」とある。

「碧」(漢音ヘキ,呉音ヒャク)の字は,

「会意兼形声。『玉+石+音符白(ほのじろい)』。石英のような白さが奥にひそむ青色。サファイア色」

で,「あおくすんで見える石。『碧玉』」とある(『漢字源』)。

「緑」は,萌黄,「翠」はかわせみ,「碧」は石,に由来する。

「みどりは」

「ミドが語根で,『瑞々し』のミヅと関係あるか」(『広辞苑第5版』)
「元来、新芽の意で、そこから色名に転じたといわれる」(『デジタル大辞泉』)
「本来色の名であるよりも,新芽の意が色名に転じたものか」(『岩波古語辞典』)

とあり,どうやら「みどり」は「緑」に合うように思えるが,『大言海』は,

「翠鳥色(そびどりいろ)の略轉かと云ふ,或は,水色の略轉か」

とするので,

翠,

が妥当ということになる。『日本語源広辞典』は,二説挙げている。

「水+トオル(通・透)の連用形」で,緑の字を当て,木の葉などが,水に濡れているようなミズミズシサをミドリといったのが語源です。洗い髪のみずみずしさを緑の黒髪,みずみずしいミドリゴ,みずみずしい松の若葉のミドリ,楓の若葉を下から見上げて透き通るようなミドリ」

と,いまひとつは,

「『カワセミの古語,ソニドリ,ソミドリ』が語源」

とする。「そにどり」は,

鴗鳥,

とあて,カワセミである。しかし,色は,今日でいう

青色,

である。「あお」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba3.htm#%E3%81%82%E3%81%8A)で触れたことだが,「あを」は,

「一説に,古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は,灰色がかった白色を言うらしい。」(『広辞苑第5版』)

とあり(『広辞苑第5版』),「あを」の範囲は広く,

晴れ渡った空のような色,
緑色,
青毛の略。馬一般にも言う。
若い,未熟の意,

とある。『日本語源大辞典』には,

「アカ・クロ・シロと並び,日本の木椀的な色彩語であり,上代から色名として用いられた。アヲの示す色相は広く,青,緑・紫,さらに黒・白・灰色も含んだ。古くは,シロ(顕)⇔アヲ(漠)と対立し,ほのかな光の感覚を示し,『白雲・青雲』の対など無彩色(灰色)を表現するのはそのためである。また,アカ(熟)⇔アヲ(未熟)と対立し,未成熟状態を示す。名詞の上につけて未熟・幼少を示すことがあるのは,若葉などの色を指すことからの転義ではなく,その状態自体をアヲで表現したものと考えられる」

としている。「あを」の中に,

みどり,

も含められていた,ということである。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/mi/midori.html)が,

「元来、『新芽』や『若枝』を 表す具体名詞であったことから、『みづみづし(みずみずしい)』と関係のある語と考えられている。『新芽』や『若枝』の色から、青色と黄色の中間色である『緑色』を表すようになった。それまで緑色を表していたのは『青』である。」

と,「緑色を表していたのは『青』である。」としているのはその意味である。『大言海』の語源説は,「アヲ」の包含されていた時代のことをいっているとしか思えない。その意味で,「あを」が広すぎて,

瑞々し,

を「みどり」色として分化させていったのだと思われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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みどりご


「みどりご」は,

嬰児,
緑児,

と当てる。

三歳くらいまでの幼児(『広辞苑第5版』),
四五歳くらいまでの幼児にもいう(『岩波古語辞典』)

の意とあるが,

生まれたばかりの子供,
あかんぼう,
ちのみご,

とある方が近いのかもしれない(『大辞林』)。

「近世初期まではミドリコ。新芽のように若々しい児の意」

とある(『広辞苑第5版』)のだから。

孩児(かいじ),

とも言う,とある。

「大宝令では三歳以下の男・女児を緑と称すると規定してあり、奈良時代の戸籍には男児を緑児と記している」

とある(『精選版 日本国語大辞』)ので,由来は古い。

りょくじ,

とも言う。万葉集に,

「彌騰里児(ミドリこ)の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてそ待つ」

とあるので,やはり,

乳飲み子,

のようだ。ただ幅は広く,『大言海』は,

「和訓栞『萬葉集に緑子と書り,稺弱(ちじゃく)にして松の蕋(みどり)などの如きを云ふなるべし』と嫩葉(わかば)の擬語」

としており,

小児の四五歳までの者の称,

とする。

「嬰児,孩児,美止利古,始生小児也」(和名抄),
「阿孩児,彌止利子」(字鏡),

を見る限り,幅があるように見える。

「嬰」(漢音エイ,呉音ヨウ)の字は,

「会意。嬰は『女+貝二つ(貝をならべた首飾り)』。首飾りをつけた女の子のこと。また,えんえんとなくあかごのなき声をあらわす擬声語ともかんがえられる」

とし,みどりご,あかごの意で,ここでもは幅ある。

「緑」(漢音リョク,呉音ロク)の字は,「みどり」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8Aで触れたように,

「会意兼形声。右側の字(ロク・ハク)は竹や木の皮をはいで,皮が点々と散るさま。緑はそれを音符とし,糸を加えた字で,皮をはいだ青竹のようなみどり色に染めた糸を示す」

で,「竹や草の色で,青と黄の中間色」とある。

「孩」(漢音ガイ,呉音カイ)の字は,

「会意兼形声。亥(ガイ)は,ぶたの骨組を描いた象形文字で,骸(ガイ 骨組)の原字。孩は『子+音符亥』で,赤子の骨組ができて,人らしい形になること」

で,ようやく骨組のできた乳飲み子の意。当てた漢字の意味の幅は,「みどりご」の年齢層の幅をしめしているようである。

「赤ん坊を『みどりご(みどりこ)』と呼ぶの は、大宝令で三歳以下の男児・女児を『緑』と称するといった規定があったことに由来する。大宝令で『緑』と称するようになったのは、生まれたばかりの子供は、新芽や若葉のように生命力にあふれていることから喩えられたものである。」

とする(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/mi/midorigo.html)は,説明が逆立ちはあるまいか。「みどり」で触れたように,

「ミドが語根で,『瑞々し』のミヅと関係あるか」(『広辞苑第5版』)
「元来、新芽の意で、そこから色名に転じたといわれる」(『デジタル大辞泉』)
「本来色の名であるよりも,新芽の意が色名に転じたものか」(『岩波古語辞典』)

という由来にあり,

「みどり(緑)+子」(『日本語源広辞典』)

と,新緑の緑のように瑞々しの未熟な子の意味であり,その背景があって,大宝令で『緑』と規定したに過ぎないのではあるまいか。しかし,もっと踏み込めば,古くは,「みどり」は「あを」に含められていた。その「あを」は,

「アカ・クロ・シロと並び,日本の木椀的な色彩語であり,上代から色名として用いられた。アヲの示す色相は広く,青,緑・紫,さらに黒・白・灰色も含んだ。古くは,シロ(顕)⇔アヲ(漠)と対立し,ほのかな光の感覚を示し,『白雲・青雲』の対など無彩色(灰色)を表現するのはそのためである。また,アカ(熟)⇔アヲ(未熟)と対立し,未成熟状態を示す。名詞の上につけて未熟・幼少を示すことがあるのは,若葉などの色を指すことからの転義ではなく,その状態自体をアヲで表現したものと考えられる」

という(『日本語源大辞典』),「あを」のもつ,

未熟・幼少を示す,

という含意の翳を,「みどり」も引きずっているとみていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ちび


「ちび」は,

身体のちいさい,

意だが,

幼い,

意でも,

軽んずる,

意にも,

親しみをこめる,

意でも使う。

ちびっちょ,
ちびっこ,
ちび助,

等々ともいう。

禿び,

と当てて,

ちびたもの,すりへったもの,

の意で,

多く他の語に付いて,

ちび下駄,
ちび鉛筆,

等々と用いられる。

たとえば,

「動詞『禿びる(ちびる)』の 連用形が名詞化した語で、漢字では『禿び』とも書かれる。動詞『禿びる』は先がすり切れて短くという意味で、名詞の上に付いて擦り減ったものを表す言葉に『ちび下駄』や『ちび鉛筆』がある。『小さくなる』『短くなる』という意味が転じ、小さい物や背の低い人などを『ちび』と言うようになった」

という(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/ti/chibi.html)説がある。やはり同様に,

「チビとは先がすりへる、すり切れるといった意味の『禿びる(ちびる)』からきた言葉で、小さいという意で使われる。例えば、年齢が小さいということから、幼い子供をチビと呼んだり、背が低い人のこと指して用いる。また、人以外でも小さい物を指しても用いる(『ちびっこい』ともいう)。」

とある(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/17ti/chibi.htm)。『日本語源広辞典』も,

「チビル(すりきれて小さくなるの連用形)」

を採る。しかしどうも,「小さい」状態を指す,

ちび助,

の「ちび」と,小さくなったという変化を指す,

ちび下駄,

の「ちび」は,語感が異なる気がする。確かに,「禿」を当てる,

ちび,

は,「擦り減る」意で,

古形ツビ(禿)の転,

とあり(『岩波古語辞典』),「つび(禿)」は,

ツビ(粒)の動詞形,

で,

角が取れて丸くなる,

意である。これは,

ちび下駄,

の含意と合う。ついでだが,「禿」(トク)の字は,

「会意。『禾(まるいあわ)+儿(人の足)』。まるぼうずの人をあらわす」

で,「ちび下駄」の含意とも重なる。しかし,

小さい,

意の,「ちび」は別系統ではないか。『日本語の語源』は,

「チヒサシ(小さし)は,関東ではチッサイ・チッチャイになり,上の二音のチヒをとってチビになった」

とし,『日本語源大辞典』は,

チビリ・チビルなどの語源で,チョビに同じく小・少の意の擬態語(上方語源辞典=前田勇),

を挙げる。『日本語源大辞典』は「ちび(禿)る」の語源は,別に,

ツブルと通ずる(和句解・和訓栞),
キフル(髪斑)の義(言元梯),

を載せるが,こちらの「ちび」は,

粒,

から来ているとみていい。「つぶ」は,

「ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」

とし(『岩波古語辞典』),

ツブラ(円)義(東雅・夏山談義・松屋筆記・箋注和名抄・名言通・国語の語根とその分類=大島正健・大言海),

等々から見て,「粒」の意から出ているとみていい。ややこしいのは,

「ちび(チビ)とは、身長の低いこと、また身長の低い人、あるいは、子どもを呼ぶときの愛称としても用いられる。チビの語源は『丸くて小さいもの』を意味する「ツブ(粒)」の動詞形で『角がすりへって丸くなる』という意味の『つび(禿び)』であり、すり減って小さくなるところから『ちび』となったものという。」

とある(『笑える国語辞典』)ように,

粒→小さい→擦り減る,

と意味ありげに繋がることだ。しかし,

ちびちび飲む,

という擬態語の「ちび」は,

少ない,
小さい,

の意味である。「ちびちび」は,

(おしっこを)ちびる,

の「ちび」で,

少しずつだす,
出し惜しむ,
少しずつ飲む,

意で,擦り減る意の,

ちび(禿)る,

とは,今日でも使い分けている。同じ「ちび」のはずはない。「ちびちび」について,

「江戸時代に現れる語で,『少しずつ出す』意を表す『ちびる』という語『おしっこをちびった』の『ちびる』も是と関係がある。『和漢語林集成』には『金をちびちび渡す』と,『ちびちび酒を飲む』の例が挙がっている」

とある。「ちび助」の「ちび」は,

ちびちび,

の「ちび」であり,「ちび鉛筆」の「ちび」は,

ちびる(禿),

の「ちび」と別系統である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つぶら


「つぶら」は,

円ら,

と当てる。

まるい,

意である。

つぶらな瞳,

という言い方をする。そのさまを,

つぶらか,

とも言ったらしいが,今日あまり使わない。

『岩波古語辞典』には,

「ツブ(粒)と同根」

とあるが,

『大言海』は,

「水觸(みずぶれ)の略轉。楫(かじ)に觸れて圓(まろ)きこと。水の鳴る音より云ふか」

とあり,

「角なくなりて圓(まろ)きこと,まどか,略してつぶ」

という意味が載るが,「つぶらに」の項では,

「粒の如き意」

が載る。

つぶらかに,
まどかに,

という意味が重なる。どうやら,

粒,

とつながるが,語源は,擬音らしい,と思われる。「まどか」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba4.htm#%E5%86%86%E3%81%8Bについては,触れたが,

「平面としての『円形のさま』は,上代は『まと』,中古以降は加えて,『まどか』『まとか』が用いられた。『まと』『まどか』の使用が減る中世には,『丸』が平面の意をも表すことが多くなる。」

と(『日本語源大辞典』),本来,「まろ(丸)」は,球状,平面の円形は「まどか(円)」と,使い分けていたが,「まどか」の使用が減り,「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた,ということのようだ。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して,「まどか(まとか)」の項には,

「ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま」

とある。平面は,「円」であり,球形は,「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは,「まどか」と「まる」の区別が必要であったが,「円」「丸」で表記するようになれば,区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませたということか。『日本語源大辞典』には,

「『まと』が円状を言うのに対して『まろ』は球状を意味したが,語形と意味の類似から,やがて両者は通じて用いられるようになる」

とある。なお,「まとか」が,「まどか」と濁音化するのは,江戸時代以降のようである。

「つぶ」は,『大言海』は,

つぶら(圓)の義,

とし,『岩波古語辞典』は,「つぶ」に,

丸,
粒,

とあて(『岩波古語辞典』),

「ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根」

とある。「ツブシ」が粒と関わるのは,「くるぶし」http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%B6%E3%81%97で触れたように,「くるぶし」は載らず,

つぶふし,

で載り,

「ツブ(粒)フシ(節)の意」

とある。「和名抄」を引き,

「踝,豆不奈岐(つぶなぎ),俗云豆布布之(つぶふし)」

とあるので,

つぶふし,
つぶなぎ,

が古称かと思われ,その箇所(くるぶし)を,「粒」という外見ではなく,回転する「くるる」(樞)の機能に着目した名づけに転じて,「くるぶし」となったからである。

「つぶら」は,擬音由来かどうかははっきりしないが,「つぶら」は,

粒,

と関わるとされ,「ツフ」は,

ツブラ(円)の義,

とされる。「ツブ」は,

ツブラ(円),

と関わる。「粒」は,

円いもの,

と,何やら同義反復めくが,ほぼ同じと見なしたらしいのである。そう思うと,「つぶらな瞳」には,丸い意だけではなく,粒の含意がありそうな気がする。

なお,「まる(円・丸)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%BE%E3%82%8B%EF%BC%88%E5%86%86%E3%83%BB%E4%B8%B8%EF%BC%89)は触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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やおら


「やお(を)ら」は,

そろそろ,
おもむろに,
やわら,
しずかに,

といった意味で,

やおら立ち上がる,
とか,
御硯をやをら引き寄せて,

等々といった使い方をする。文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で「彼はやおら立ち上がった」を,「ゆっくりと」と「急に,いきなり」のどちらの意味だと思うかを尋ねたところ次のような結果が出た,

【平成18年度調査】 【平成29年度調査】
ゆっくりと(本来の意味とされる) 40.5パーセント 39.8パーセント
急に、いきなり(本来の意味ではない) 43.7パーセント 30.9パーセント

という(『デジタル大辞泉』)。つまり,「おもむろに」の意味が「やにわに」と重なったということらしい。意味は,誤解かどうかとは別に,通用する意味でなくては会話が成り立たない。意味は,変っていくのだと思われる。

すくなくとも,「やおら」は,

物事が静かに進行するさま,

を元々は,示していた(『学研全訳古語辞典』)が,

「谷の底に鳥の居るやうに、やをら落ちにければ」(宇治拾遺)

で,『徒然草』には一例もなく,平安時代の、女性的な感じの強い語である(仝上)らしい。しかしすでに,

現代では悠然としたさまをいうことが多い,

とすでに変っており(『日本語源大辞典』),さらに,それが,

急に,

と変じても驚くまい。『精選版 日本国語大辞典』も,「やをら」を,

「歴史的仮名遣いは,従来『やをら』とそれに従ったが,『疑問仮名遣い』の指摘のように『やはら(柔)』と同源だったとすれば,『やはら』の可能性がある」

としつつ,その意味自体が,

「御後の方よりやをらすべり入るを」(宇津保)

という「静かに身を動かすさま、また、徐々に事を行なうさまを表わす語。そろそろと。おもむろに」から,

「上人の御ふねやをら岸遠くはなるるに立ちむかひて」(春雨物語),

と,時間の経過とともに変化,進展し,ようやくその状態になるさま,事態が変わるさまを表わす語,

へと転じている,とする。つまり,すでに,

事態が変わるさまを表わす語,

と変じている以上,それが,

急に,

となるのは,自然な流れに見える。まして,「やはら」が「やをら」と,文字化された時点で間違っていた可能性すらあるのである。

『大言海』も,

「弱(よわら)の轉と云ふ,されどヤハラと云ふも同語なるべければ,柔(やはら)なるべし」

とする。『日本語源広辞典』も,

「語源は,『柔ら』でヤハラ>ヤホラ>ヤヲラの変化です」

とする。これが大勢のようで,

「『やおら』は『やわら』(柔ら/和ら)と同じところから起こった言葉という説があり、『やわら』と同じく『柔らかな』あるいは『穏やかな』という意味だったことから、現在の意味になったと考えられています。また、『ようやく』(古語では『やうやく』)との関連を指摘する説もあるようです。」

ともある(https://wisdom-box.com/origin/ya/yaora/)。で,二説挙げているのが,

「@『やおら』は『やを』 に,状態を示す接尾語の『ら』 がついたことばです。『やを』は『やをやく』が縮まったもので,『やをやく』は現代語の『ようやく (漸く) 』です。『漸く』ですから,それなりの時間がかかる状態,つまり『ゆっくりと』というような意味になります。
 A『やおら』は『やはら』と同源のことばです。『やはら』は『柔ら』あるいは『和ら』で,態度や様子が〈ものやわらかな〉〈おだやかな〉状態をいいます。」

とする(https://s.webry.info/sp/mobility-8074.at.webry.info/201706/article_23.html)。ただ,

事態が変わるさまを表わす語,

は,既に意味が転じた後の意味なので,「やうやく」は,後の意味からの解釈に思える。

『日本語源大辞典』は,

ヤハラ(柔)の義(大言海),
ヤハラカ(和)の意からか(松屋筆記),
弱い意で,ヤヲはヨワに通ず(和訓栞),
オモムロニ(徐)の義(国語の語根とその分類=大島正健),

を挙げている。以上から見ると,

静かに身を動かすさま,

という当初の意味から見れば,

柔ら,

和か,

なのだろう。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ずんぐりむっくり


「ずんぐりむっくり」は,

ずんぐりして肉が盛り上がっているさま,

の意(『広辞苑第5版』)だが,人の体格を言い表わすのに使う。「ずんぐりむっくり」は,

「ずんぐり」を強めていう語,

ともある(『大辞林』)。「ずんぐり」が,

太くて短いさま,

というか,

太って背の低い人,

を意味するので,それに「むっくり」を加えて,

横巾の広い筋骨の逞しさ,

を加味しているのだろうか。二葉亭四迷『浮雲』には,

「横巾の広い筋骨の逞しい、ズングリ、ムックリとした生理学上の美人で」

とあるので,男性ばかりを指したのではなかったらしい。

「むっくり」は,

唐突に起き上がるさま,
肉づきよく肥えたさま,

の意で,「むっちり」とは違う。「むっちり」は,

肉づきがよく弾力があるさま,

とある(『広辞苑第5版』)。『擬音語・擬態語辞典』には,

「むっちり」は,

腕や腿などの肉づきがよく中味が詰まった感じの様子,

とあり,それに準えて,

張りと重量感があって歯ごたえがある様子,

の意で使う。

むっちりした歯ごたえのある,

とたべものの表現に使うが,

むっくりした歯ごたえ,

とは言わない。「むっくり」は,「むくり」「むくっ」と同様,動作の擬態表現から来ている。

「『むっくり』は動作が大きいのに対して,『むくり』はそれより動作が小さい。促音「っ」が入ることで動作が大下差になる例には,『がくり−がっくり』『ぐたり−ぐったり』などがある。また『むっく』は『跳ね起きる』にかかる例が目立つので,『むっくり』よりも勢いよく起き上がる様子を表す」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。「むっくり」は,「ずんぐりむっくり」と, 

「背が低くて太った意の『ずんぐり』と組み合わせて使われる場合が多い」

らしく,この場合は,動作の表現ではなく,「太った」の強調の意味になっている。そして,

「『ずんぐり』と『むっくり』の単独例は江戸時代からあるが,『ずんぐりむっくり』の例は,明治以降である」

とあり(『江戸語大辞典』は,「ずんぐり」「むっくり」で載る),

「『ずんぐり』と『むっくり』は共に太っている様子を示し,その二語を重ねて強調した」

言い回し,とある。二葉亭の表現も,

ズングリ、ムックリ,

と切れているので,使われ始めのように見える。『岩波古語辞典』には,「ずんぐり」は載らず,「むっくり」の代わりに,「むくっと」が載り,

むくとの促音化,

とあり,『大言海』も,

むくと,
むくっと,
むっくりと,

と転訛のプロセスを載せている。何れも擬態語と見ていい。「ずんぐり」は載らず,「ずんぐりのむっくり」が,

背が低くて,肥満(ふと)りたる體を云ふ語,

と載る。「むっくり」は,

むくと→むくっと→むっくりと,

と,擬態語とみていい(独楽の古名『つむくり』で独楽の形から」(語源由来辞典)とする説もあるが)。ただ,「ずんぐり」は,『日本語源広辞典』に,

「『ずん(くひせれていない)+ぐり(盛り上がっている)』です。短身で太っている様子を表す言葉です」

とある。これだと分からない。「ずんどう」ということばがあり,

寸胴,

と当てる。

腹から腰にかけて同じように太くて不格好なこと,

の意(『広辞苑第5版』)が載る。「寸胴」には,

「陶芸界では、焼き物(陶磁器)を形成する際の途中の形で、円筒形のものを寸胴(ずんどう)と言う。」
「直径と深さがほぼ同じ、円筒形の深鍋は、寸胴鍋(ずんどうなべ)あるいは単に『寸胴』といわれる」

等々がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%B8%E8%83%B4)が,「ずんぐり」の語源には,

「上から下まで太さが変わらない意味の『ずんど・ずんどう(寸胴)』の『ずん』と,擬態語の語尾に使われる『くり・ぐり』が組み合わさった」(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/su/zungurimukkuri.html

とある。しかしこれは,「寸胴」を前提にしているような気がする。

『日本語源広辞典』は,「ずんどう」について,

「『髄(真ん中)+胴』の変化です。真ん中を輪切りにした胴の意です。腰の括れていない胴を言います」

とある。この輪切りを,

ずんどぎり(寸胴切),

といい,

ずんぎり(寸切),

という。「寸切」は,

「『髄(ずん)切り』の意。『寸』は当て字という。一説に『すぐきり(直切り)』の音変化とも」

とあり(『デジタル大辞泉』),『大言海』には,「すんきり」を,

「直切(すぐぎり)の音便転かと云ふ」

とし,

「勾配も無く,面も取らず,真直ぐに断ち切ること。つつぎり」

とある。筒切り,つまり,

輪切りである。この表現は,室町末期の『日葡辞典』に,

まるくて長いものを横に切ること,

とあり,この断ち方から,

大木の幹を切って下だけ残し,茶室の庭などに植えて飾りとするもの,

とか(『デジタル大辞泉』),

筒型の花活けの総称,

とか(『江戸語大辞典』),

茶桶の蓋を立上がりがほとんどない程浅くした「頭切(ずんぎり)」(筒切・寸胴切),

というのは,あくまで,筒切りになぞらえたことばと見ていい。どうやら,「ずんぐり」は,

寸胴(ずんどう),

に行き着くが,微妙なのは,「寸胴」について,

「太鼓の音から,太鼓そのもの,さらにその形状に似たものをいうようになった(松屋筆記),

とあることだ(『日本語源大辞典』)。ふと,太鼓が先かもしれない,と思えてくる。となると,擬音ということになる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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ゆらぐ


「ゆらぐ」は,

揺らぐ,

と当てる。「揺(搖)」(ヨウ)の字は,

「形声。䍃は『肉+缶(ほとぎ)』の会意文字で,肉をこねる器。ここでは音をあらわす。搖は,ゆらゆらと固定せず動くこと。游(ユウ ゆらゆら)と非常に近い。」

とある。

「ゆらぐ」は,上代,

ゆらく,

と清音だったらしい。

ゆれる,
ぐらつく,

という意味だが,

玉などが触れ合っ音をたてる,

という意で,

手に取るからにゆらく玉の緒,

という万葉集の用例が載る(『広辞苑第5版』)。語源と関わるのかもしれない。

『岩波古語辞典』には,「揺らぎ」の項で,

「ユラは擬音語。キは擬音語をうけて動詞化する接尾語」

とある。つまり,擬態語ではなく,

音を立てる,

意なのである。「ゆらき」を他動詞化した,

ゆらかす,

も,

鳴らす,

意である。

『大言海』は,「ゆらぐ」に,

搖鳴,

と当てて,

ゆるぎ鳴る意,

とする。

鏘鏘(ゆらゆら)と鳴り響くゆらゆらとして音す,ゆらめく,ゆるぐ,

の意とする。「ゆら」は,

玉などが触れ合った鳴るさま(足玉も手玉(ただま)もゆらに織る機を(万葉集)),

の意と,それを擬態化した,

ゆるやかなさま(大君の心をゆらみ臣の子の八重の柴垣入り立たずあり(記紀歌謡)),

の意がある(『岩波古語辞典』)。

ゆらに,

と副詞化した場合も,

緒に貫ける玉の相触れて鳴り響(ゆら)ぐ音に云ふ語。ゆららに,モを冠らせてモユラニとも云へり,

とある(『大言海』)。つまり,「ゆら」は,

擬音語,

であった。だから「ゆらく」と濁らなかった。しかし,「ゆらぐ」

動ぐ,

と当てる頃には,

ゆるやかなさま,

の擬態語に転じ,

ゆらゆら,
ゆらら,
ゆらりと,

は,

「髪は扇をひろげたるやにユラユラとして」(源氏)

として揺れる擬態語として使われている。


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ゆるがせ


「ゆるがせ」は,

忽せ,

と当てる。

心をゆるめるさま,
おろそかにするさま,
いいかげんなこと,
なおざり,

といった意で,

ゆるがせにしない,

と否定形で使うことが多い。室町末期の『日葡辞典』に,

一字一句ユルカセにしない,

と載る。

室町時代まで清音,

で,

イルカセの轉,

とある(『広辞苑第5版』)。

「忽」(漢音コツ,呉音コチ)の字は,

「会意兼形声。勿(ブツ)は,吹き流しがゆらゆらしてはっきり見えないさまを描いた象形文字。忽は『心+音符勿』で,心がそこに存在せず,はっきりしないまま見過ごしていること」

とある。で,

たちまち,
いつのまにか,
うっかりしているまに,

という意味である。

「ゆるがせ」は,

イルカセの轉,

で,「いるかせ」が,室町時代まで,

ユルカセ,

で,その後,江戸時代以降,

ユルガセ,

となって(『岩波古語辞典』),

イルカセ(室町時代まで)→ユルカセ→ユルガセ(江戸時代以降),

という転訛してきた。「いるかせ」は,

なおざり,
おろそか,

の意である。

「忽,軽,イルカセ」

とある(名義抄)。『大言海』は,

「縦(ユル)す意」

とし,「忽諸(イルガセ)」の項で,

「緩めて,厳(おごそか)ならすと云ふ,俗に,ユルガセニとも云ふ,諸は助字なり」

とするし,『日本語源広辞典』も,「イルカセ」の轉の他に,

「緩い枷」

とするが,上記の,

イルカセ(室町時代まで)→ユルカセ→ユルガセ(江戸時代以降),

の転訛から見て,

「『いるかせ』が『ゆるかせ』に転じるのは,古辞書や『平家物語』の諸本などから,室町期に入ってからと考えられる。語源を『ゆる(緩)』と関係づけることには問題がある」

のである(『日本語源大辞典』)。では「いるかせ」は,何処から来たのか。しかし,

緒のカセのゆるむことからいったか(カタ言),
緩きにすぎて怠る意(国語の語根とその分類=大島正健),
ユルカセ(緩為)の義(言元梯),

と「緩む」意から抜け出せていない。「いるかせ」の謂れは分からなくなっている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ゆるむ


「ゆるむ」は,

緩む,
弛む,

と当てる。「緩」(漢音カン,呉音ガン)は,

「会意兼形声。『糸+音符爰(エン 間に仲介をはさむ,ゆとりをおく)』で,結び目の間にゆとりをあけること」

で,ゆるい,時間的空間的精神的にゆとりのある,意である。「弛」(シ,チ)の字は,

「会意兼形声。也は,平らに長く伸びたさそりを描いた象形文字。弛は『弓+音符也』で,ぴんと張った弓がだらりと長く伸びること」

で,ゆるむ,だが,張っていた力が抜ける意である。「弛緩」と使うが,同じ「ゆるむ」でも,意味が,ゆとり,と,だらける,で少し異なる。

『大言海』は,「ゆるむ」に,

緩,
弛,
縦,

と当てる。「縦(縱)」(ジュウ,漢音ショウ,呉音シュ)の字は,

「会意兼形声。从(ジュウ)は,Aの人のあとにBの人が従うさまを示す会意文字。それに止(足)と彳印を加えたのが從(従)の字。縱は『糸+音符從』で,糸がつぎつぎと連なって,細長くのびること。たてに長く縦隊をつくることから,たての意となり,縦隊は,どこまでものびるので,のびほうだいの意となる」

とある。上下前後の方向にまっすぐ伸びる,ほしいままの意である。この場合,ゆるむというよりは,気まま,の意である。

「ゆるむ」は,

「ゆるぶの轉」

と『広辞苑第5版』にある。『岩波古語辞典』は「ゆるひ(緩)」の項で,

「ユルシ(許)と同根」

とある。さらに,

「後世ユルビと濁音化」

とあるので,

ユルフ→ユルブ→ユルム,

と転訛したことになる。「ゆる(緩)」は,形容詞化して,

緩し,

動詞化して,

緩ふ,

となったようである。「ゆる(緩)」は,

「ユルシ(許)」と同根,

で,

引き締められず,ゆとりがあるさま,
おろそか,
寛大である,

の意とある。「ゆとり」は,見る視点から,寛大にも,怠惰にも,緩やかにも見える。そしてそれが,

ゆるし,

に通ずる。『岩波古語辞典』は「ゆるし」に,

許し,
緩し,

を当て,

緊張や束縛の力を弱めて,自由に動けるようにする,
他のものの権利・自由などを認め,受け入れる,

の意とする。『日本語源広辞典』は,「許す」を,

「『緩う+す』です。固く締めたものを,緩くすることを,ウ音便でユルウスと言います。罪人の束縛を,ユルスルことを,音韻変化でユルスとなった」

とする。「ゆるむ」は,

「ユル(緩)+ム(動詞化)」

とする。どうも一貫性に欠けて,恣意的に見える。『日本語の語源』は,音韻変化から,次のように辿ってみせる。

「『冷たさがゆるくなる。水温があがる』ことをヌルム(微温む)といった。〈君恋ふる涙は春ぞヌルミける〉(御撰)。温度の低い湯をヌルムユ(微温む湯)といったのが,『ム』が母交(母韻交替)[ua]をとげてヌルマユ(微温湯)になった。さらに,ヌルマ(微温。愚鈍)・ノロマ(愚鈍)に転音・転義した。
 ヌルム(微温む)を形容詞化したヌルシ(微温し)は『なま暖かい』さまをいう。〈昼になりて(寒気)がヌルクユルビもて行けば〉(枕草子)。
 ヌルシ(微温し)はヌルシ(緩し)に転義して『ゆるやかである。きびしくない』さまを形容する。ひじょうにきびしくないさまをイタヌルシ(甚緩し)といったのが,タヌルシ・テヌルシ(手緩し)になった。ヌルシ(緩し)はさらにヌルシ(鈍し)に転義して,『にぶい。愚鈍である』さまをいう。〈心のいとヌルキぞくやしき〉(源氏・若菜)。さらに母交(母韻交替)[uo]をとげてノロシ(鈍し)になり,動作のにぶい様子をノロノロ(鈍々)という。
 ヌルム(微温む)は『ヌ』が子交(子音交替)[nj]をとげてユルム(微温む)になった。なまぬるい水のことをユルムミヅ(微温む水)といったのがユミズ(湯水。竹取)に省略され,ユ(湯)になった。
 ユルム(微温む)はユルム(緩む・弛む)・ユルブ(弛ぶ)に転義して弛緩を表す動詞になった。〈御琴どものユルベる緒ととのへさせ給ひなどす〉(源氏・初音)。イタユルブ(甚緩ぶ)はイ・ルを落してタユブ・タユム(弛む),または,イ・ユを落してタルブ・タルム(弛む)の語形に分かれた」

これで考えると,「緩む」のメタファとして,「許す」が生まれたということになる。この方が,

「緩む」

「許す」

が同根というより自然な気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「峠」は,和製の会意文字である

「山+上+下」

「裃」が,同じく,

「衣+上+下」

の和製会意文字なのと同時である。和製漢字(https://kanji.jitenon.jp/cat/kokuji.html)は,

桁,
榊,
糀,

等々,結構ある。「峠」は,

「タムケ(手向け)の轉。通行者が道祖神に手向けをするからいう」

とある。『岩波古語辞典』も,

「タムケ(手向)の轉。室町時代以降の形」

とある。正直,ちょっといかがわしくないか。手向けるのは,峠とは限らない。ましてや「道祖神」は,

「道路の悪霊を防いで行人を守護する神」(『広辞苑第5版』)

である。峠とは限らない。

「道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9E

とあり,山の神にもつながらない。どちらかというと,

「厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている」(仝上)

と,村と関わる「道の神」である。

「中国では紀元前から祀られていた道の神『道祖』と、日本古来の邪悪をさえぎる『みちの神』が融合したものといわれる」

道陸神,
賽の神,障の神,
幸の神(さいのかみ,さえのかみ),

が特に峠とつながらない限り,

手向け,

説はちょっと疑わしい。ただ,

「峠は多く村境になっており,村人は旅から帰った人をここで坂迎えする習俗があった。また峠には地蔵など村境の神を祀る例も多い (境の神 ) 。峠を境にして気象などの自然現象を異にすると同時に民俗のうえでも差異をみせる例が多い。」(『ブリタニカ国際大百科事典』)

との説明なら,納得がいく。大勢は,だから,手向説で,『大言海』も,

手向の轉,

とし,「立向く」を見ると,

「手に捧げて供えれば云ふとぞ。これ多くは,山,又は津にて,さへの神,海(わた)の神へ,我が旅行の恙なからむを祈るになす」

とある。『語源由来辞典』( http://gogen-allguide.com/to/touge.html)も,

「『万葉集』に『多武気』の例があるとおり、古くは『たむけ』といい、室町時代以降、『たむけ』 が『たうげ』に転じ、さらに『とうげ』に変化した。『たむけ』とは『手向け』のことで、神仏に 物を供える意味の言葉である。これは、峠に道の神がいると信じられており、通行者が旅路の安全を祈って手向けをしたからと考えられている」

とする。しかし,旅の安全を,旅の途中の峠で,手向ける意味は,これでは見えない。だからか,『大言海』は,「手向けの音便」としつつ,

「又,嶽(たけ)の延か」

と加えている。この方がまだわかる。また,

「峠の語源は『手向け(たむけ)』で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。」

としつつ,(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0),

「異説として北陸から東北に掛けた日本海側の古老の言い伝えがある。『たお』は湾曲を意味していた。稜線は峰と峰をつなぐ湾曲線を描いており、このことから稜線を、古くは『たお』と呼んでいたと言う。『とうげ』とは、『たお』を越える場所を指し、『たおごえ』から、『とうげ』と変化した。従って、稜線越えの道が無い所は、峠とは呼ばないのが本来である。同じように『たお』から変化したものとして、湾曲させることを『たおめる』→『たわめる』、その結果、湾曲することを『たおむ』→『たわむ」と言う。或いは実が沢山なって枝が湾曲する状態を『たわわ』と言うようになったと説明している。』(仝上)

とする。説得力がある。どうやら,語源説は

「たむけ説」(峠は境界なので,境の神,塞(さい)などが祀られるので,安全を祈って手向(たむ)けをする説)

「たわむ説」(山鞍部をタワと呼ぶところから,そこを越えるのでタワゴエが転じてトウゲとなったという説)

があるらしい(『ブリタニカ国際大百科事典』『世界大百科事典 第2版』)。旅人視点で,「手向け」は矢張り妙だ。村人視点なら,村境に焦点が当たる。どちらかと言うなら,

たわむ説,

に惹かれる。

「低い鞍部は古語で『タワ』『タオリ』『タル』『タオ』などとよばれ、トウゲはタムケ(手向)の転化ともいわれるが、むしろ「タワゴエ」や「トウゴエ」が詰まったものと考えられている。」

という(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)のでいいのではないか。「たわ」は,

「タワミ(撓)・タワワのタワ。タフリと同根」

とある(『岩波古語辞典』)。これは,柳田國男の,

「タワ(乢・鞍部)+越え」

でもあり,

タ,ワゴエ→タウゴエタウゲ→トウゲ,

の転訛説である。実は,鞍部説には,いまひとつ,

「タワ(乢)+ケ(処)」

で,山路の鞍部を指す(『日本語源広辞典』)。

「国字の字源からすると,『山+上+下』山越え通で,上りと下りと変るところが語源」(仝上)とする説がある。敢えて,「越え」を加える必要はない,ということか。

音韻変化から,それを跡づけると, 

「山の尾根の線がくぼんで低くなった所,たわんでいる鞍部をタヲリ(撓り)といった。〈足引の山のタヲリ〉(万葉集),〈山のタヲリより〉(紀)。その省略形をタヲ(撓・田尾)・タワ(撓・多和)といった。そこを通る山越え道をタヲゴエ(撓越え)といったのが,ゴエ[g(o)e]の縮約でタヲゲ(峠)になり,トウゲに転音した」

となる(『日本語の語源』)。「たわむ」説に軍配である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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さか


「さか」は,

坂,
阪,

と当てる。「坂」(阪)(バン,漢音ハン・ベン,呉音バン)の字は,

「会意兼形声。反はそりかえって弓型に傾斜する意を含む。坂は『土+反(そりかえる,傾斜する)』」

で,さか,あるいは,⌒型にそりかえった丘,傾斜した山道,の意である。

『大言海』は,

「級處(シナカ)の約と云ふ(然(しか),さ)」

とする。

『日本語源大辞典』に載る,

サはサキ(割)などの原語で,刺・挿の義。カは処を意味する語。分割所の意から境の意を生じ,さらに山の境の意から坂の義に転じた(日本古語大辞典=松岡静雄),
サカヒ(堺・境)の転義(古事記伝・山鳥民譚集=柳田國男),

という「境」説は,

「傾斜地,上り下りする道をさす語であるところから,古来さまざまな意味合いで用いられてきた。語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。」

とする考え(『世界大百科事典 第2版』)からみると,重要で,『岩波古語辞典』は「さか(境)」の項,で,

「サカ(坂)と同根」

とし,

「古くは,坂が区域のはずれであることが多く,自然の境になっていた」

とある。「さか(坂)」と「さか(境・堺)」は,漢字を当てはめる前は,いずれも「さか」であったのではないか。その場に居合わせた人にとって,会話の文脈上,その意味の区別は明確であった。

坂の意のサに場所の意のカが複合した語(角川古語大辞典),

る近縁の説である。

他の語源説には,

登降しがたいところから,サカフ(逆)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子),

がある。『日本語源広辞典』は,「サカフ」説を採り,

「逆さが坂の語源」

とし,

「サカ波,サカ落とし,サカ立ち,などみな逆の意のサカです。下り道の方向を順と考えますと,坂は,逆(サカ)が語源だとするのが。自然な帰結です」

とい。しかし,「サカ立ち」の「さか」と「サカ道」の「さか」が同じというのは,言葉の感覚としても,体感覚としても,ちょっと合わない気がする。逆さは,あくまでひっくり返る感じである。坂に,そんな感覚はない。険しい坂道でも,あくまで傾斜道でしかない。

サカシキ(嶮・嵯峨)意から(和句解・日本釈名・東雅・国語の語根とその分類=大島正健),
サガル(下)の義(言元梯),
シナカの急呼。シナは階級・科,カは処の義(箋注和名抄・大言海),
「さ」は方角を意味する(精選版 日本国語大辞典)

等々の諸説も,ちょっと説得力に欠く。

「坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないこと」

から見て,

さか(坂)

さか(境・堺)

とは同意であったのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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さかひ


「さかひ(い)」は,

境,
界,
堺,

等々と当てる。「境」(呉音キョウ,漢音ケイ)の字は,

「会意兼形声。竟(キョウ)は『音+人の形』の会意文字。また『章(音楽のひと区切れ)の略体+人』と考えてもよい。人が音楽の一楽章を歌い終って区切りを付けるさまを示し,『おわる』と訓じる。境は『土+音符竟』で,土地の区切り」

とあり,「国境」の意のさかいであり,「境内」の一定の範囲の場所,「環境」の周りの状態の意である。

「界」(漢音カイ,呉音ケ)の字は,

「会意兼形声。介(カイ)は『人+ハ印』の会意文字で,人が両側から挟まれた中に介在するさま。逆にいうと,中に割り込んで両側に分けること。界は『田+音符介』で,田畑の中に区切りを入れて,両側にわけるさかいめ」

とあり,「境界」のさかいめ,「業界」のように,区切りの中の領域や社会の意。

「堺」(漢音カイ,呉音ケ)の字は,

「会意兼形声。介(カイ)は『人+ハ印(左右にわける)』をあわせて,人を中心にして,その両側を区切ることを示す。界は,それに田を添えて,他の区切りを示す。堺は『土+音符界(他の区切り)』で,土地の区切りのこと」

とある(『漢字源』)。

「さか」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%95%E3%81%8B)で触れたが,

さか(坂)

さか(境・堺)

とは同意であったのではないか,と思うが,『広辞苑第5版』には,

「サカフの連用形から」

とある。

土地の区切り,
わかれ目,

を指す。『岩波古語辞典』の「さかひ」(動詞,四段)に,

「サカ(坂)アヒ(合)の約」

とある。「サカフの連用形」とはこの意である。しかし,『大言海』は,逆で,

「境(サカ)を活用す(色ふ,歌ふ,顎(あぎと)ふ)」

とする。名詞「さかひ(境・界・堺・疆」を見ると,

「境ふの名詞形。此語坂合(さかあひ)の約なりと云ふ説もあれど,境界は山に限らず,平地にもあり」

とする。因みに,「疆」(漢音キョ,呉音コウ)の字は,

「会意兼形声。畺(キョウ)は『田二つ+三本の線』の会意文字で,くっきりと田畑を区切ること。彊(キョウ)はそれを音符とし,弓を加えた会意兼形声文字で,かっちりとした弓を示す。強・剛と同系のことば。疆は『土+音符彊』で,土地にくっきりとかたく区切りをつけたことを示す。」

とあり,「疆界」「無疆」など,境目,限りの意である。

「さか(境・界)」は,『大言海』は,

「サは,割くの語根,割處(さきか)の義なるべし。塚も,築處(つきか),竈尖(くど)も,漏處(くきど)なり(招鳥(ヲキドリ),をどり。引剥(ひきはぎ),ひはぎ)。此語に活用を付けて,境ふ,境ひと云ふ」

とするし,『日本語源広辞典』も,

「サ(割き・裂き)+カ(場所)」を語源とするサカフの連用形サカイ,

とする。「さか」そのものの語源としては妥当かもしれないが,もともと,『岩波古語辞典』の,「さか(境・界)」は,「さか(坂)」で触れたように,

「さか(坂)と同根」,

とし,

「古くは,坂が区域のはずれであることが多く,自然の堺になっていた」

こと,さらに,

「坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないこと」(『世界大百科事典 第2版』)

からみて,「さか(境)」と「さか(坂)」は,漢字が無ければ,同じ「さか」であったのではないか,と思う。この語源が,

割く處,

というのは,「さか(坂)」と「さかい(境)」の意味から考えても,妥当だとは思うが,説は,

堺ふの名詞形(大言海),
サカアヒ(坂合・坂間)の約(和字正濫鈔・和語私臆鈔・古事記伝・名言通・和訓栞・柴門和語類集),

以外に,

「さか(逆・傾斜地)」+「ヰ(用水)」で、傾斜地周辺の土地を意味する(https://folklore2017.com/gogen/004.htm),
土地と土地とかサカフ(逆)ことをいうところからで,ヒはアヒダ(間)の上下略か(和句解),
サハアヒ(放合)の義(言元梯),

等々があるが,やはり,「さか(坂)」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%95%E3%81%8B)の結論と同じく,

さか(坂)

さか(境・堺)

とは同意であったのではないか,と思う。

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正念場


「しょうねんば」は,

正念場,

とともに,

性念場,

とも当てる。

「歌舞伎・浄瑠璃で,主人公がその役の性根を発揮させる最も重要な場面。性念場,性根場」

とあり,転じて,

ここぞという大事な場面,局面,

の意となった,とある(『広辞苑第5版』)。しかし,たとえば,

「正念場は『性根場』とも書き、本来『正念』は仏教語で、悟りにいたるまでの基本的な 実践目得『八正道(はっしょうどう)』のひとつ。『八正道』にある『正念』を除いた残り七つ は、『正見』『正思惟』『正語』『正業』『正命』『正精進』『正定』という。正念とは、雑念を 払い仏道を思い念ずることで、正しい真理を思うことを意味し、修行の邪魔となる雑念に乱れない信心も意味する。そこから、『正しい心』『正気』が必要な場面を『正念場』というようになった。また、正念場は歌舞伎や浄瑠璃名などで、主人公が役柄の神髄を見せる最も重要な場面をいう語でもあるが、それらから『正念場』の語が生まれたわけではなく、仏教語が演劇の中で用いられたため、一般にも広く用いられるようになったものである。」

という(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/si/syounenba.html)説が結構ある。例えば,

「正念場は歌舞伎なのだが、正念は仏教なのである。(中略)ちなみに歌舞伎では正念場のことを『性根場』(しょうねば)ともいうらしい。しかしこの『性根』も、じつはもともとは仏教の用語なのである。」

としている。『舞台・演劇用語』でも,

「歌舞伎や浄瑠璃で、その役の『性根』を最もよく発揮する場面、または1曲・1場のうち、最も大切な場面のことを『性根場(しょうねば)』、もしくは『性念場(しょうねんば)』と言ったそうです。『性根』を表す『場』ということですね。これが転じて、『ここぞ!』という大切な場面を表すことを『正念場』と言い、広く一般になっていったと言われています。」

としている(http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/shounenba.htm)。

しかし,本当だろうか。

まず,仏教由来とされる「性根」(しょうね)だが,確かに,

正念の轉,

とする説もある(『岩波古語辞典』)。

根本的な心の持ち方,根性,
正気

の意から,それをメタファに,

物事の根元,

という意味になる。しかし『大言海』は,「性根」の,

「ネは,根(コン)を和訓したるものか」

とし,

根性,

の意と同じとする。ただ,「根性」は,

「『根』は力があって強いはたらきをもつもの。『性』は性質」

の意の 仏語。

仏の教えを受ける者としての性質や資質,

を指す(真如観(鎌倉初)「但し根性(コンジャウ)の勝劣に随ふに」 〔説無垢称経‐二〕)。そして,

「本来は仏教語で、好悪いずれの感じをも伴っていなかったが、中世になると、(生まれつきの性質。多く、好ましくない人の性質についていう。こころね。しょうね)のように次第に悪い意味を伴った形で用いられることが多くなる。近世の浄瑠璃や川柳などでは悪い意が主となり、それが現代にまで続き『盗人根性』『野次馬根性』『根性悪(わる)』などとも用いられる。」

とある(『精選版 日本国語大辞典』)が,「性根」は,「正念」の転訛よりは,

「ショウ(本性)+ネ(根)」,人間の根源的な性質,根性(コンジョウ),本性(ホンショウ)も同源(『日本語源広辞典』),
シウネン(執念)の義か(嗚呼矣草(おこたりぐさ)),
セイコン(性根)に由来するすか,あるいは正念に由来するか,両者の混淆も考えられる(角川古語大辞典),

という他説もある。

「正念」は,

八正道(はっしょうどう),

の一つとされる(詳しくは,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93に譲る)。仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目,

正しい見解 (正見) ,
正しい思惟 (正思) ,
正しい言語行為 (正語) ,
正しい行為 (正業) ,
正しい生活 (正命) ,
正しい努力 (正精進) ,
正しい想念 (正念) ,

の1つである。

「釈迦(しゃか)の教説のうち、おそらく最初にこの『八正道』が確立し、それに基づいて『四諦(したい)』説が成立すると、その第四の『道諦(どうたい)』(苦の滅を実現する道に関する真理)はかならず『八正道』を内容とした。逆にいえば、八正道から道諦へ、そして四諦説が導かれた。」

とかで(『ブリタニカ国際大百科事典』),「四諦(したい)」とは,

四聖諦(ししょうたい),

を,略して四諦 (したい) という。即ち,

「真理を4種の方面から考察したもの。釈尊が最初の説法で説いた仏教の根本教説であるといわれる。(1) 苦諦 (この現実世界は苦であるという真理),(2) 集諦 (じったい。苦の原因は迷妄と執着にあるという真理),(3) 滅諦 (迷妄を離れ,執着を断ち切ることが,悟りの境界にいたることであるという真理),(4) 道諦 (悟りの境界にいたる具体的な実践方法は,八正道であるという真理) の4種。」

とある(仝上)。要は,「正念」とは,

「四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態(マインドフルネス)でいることが『正念』である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93)。

意識が常に注がれている状態,

がマインドフルネスであるとすると,どこか正念場とは合わない気がする。もちろん,気力充実している状態はわかるか,

正念場,

とは別ではあるまいか。『日本語源広辞典』のいう,

「『性根+場』で,なまってショウネンバです。劇中重要な見せ場,聞かせどころをいいます。失敗を許されない場面です。正念場を当てますが,これは仏教語で雑念を払った正しい心です。本来は別語です」

が正確だと思う。

なお性根(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba2.htm#%E6%80%A7%E6%A0%B9)は触れたことがある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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剣が峰


「剣が峰(剣ヶ峰)」(けんがみね)は,

「噴火口の周縁、主として富士山山頂にいう」

とある(『広辞苑第5版』)。つまり,

「富士山の最高峰であり、日本の最高標高地点3,776 mのことである。八神峰(はっしんぽう)の1つでもある。」

ということになる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%A5%9E%E5%B3%B0)。

したがって,

「日本に複数存在する峰(山岳で、周囲より高まっている部分。頂き)や山の名前としての剣ヶ峰(けんがみね)および剣ヶ峯(けんがみね)は、古くからあった呼称から、あとあと名付けられたものと考えられる。」

ようである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E3%83%B6%E5%B3%B0)。

そこから転じて,

相撲で,土俵のたわら。また,そこに足がかかって後がない状態をいう,

に転じる。つまり,

「ここを境にして体(たい)が残るか否かで勝敗が分かれる土俵際(どひょうぎわ)の、特に土俵の円周を形成する俵の一番高い所(上面)の呼称であり、『剣が峰でこらえる』などと用いられる」

とある(仝上)。これをメタファに,

事が成るか成らぬかのぎりぎりの分かれ目,
それ以上少しの余裕も無いぎりぎりの状態,
絶体絶命,
成否の決する瀬戸際,

等々意味で使われる。その意の慣用句として,

剣が峰に立つ,
剣が峰に立たされる,

がある。

「足がかりが無く、もう後の無い状態になる」(仝上)

という言い回しは,正に土俵際のメタファである。

かたな(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%AA)については触れたが,「諸刃の剣」という意は,

「《両辺に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、自分をも傷つける恐れのあることから》一方では非常に役に立つが、他方では大きな害を与える危険もあるもののたとえ。」(『デジタル大辞泉』)

とあり,「両刃」の意となっている。だから,両刃は,

剣(つるぎ),

と呼ぶ。刀は,剣と対比されている。『岩波古語辞典』には,「つるぎ」について,

「(古事記・万葉集にツルキ・ツルギ両形がある)刀剣類の総称。のちに片刃のものができてからは,多く両刃(もろは)のものをいう。」

とあり,「かたな」については,

「カタは片,ナは刃。朝鮮語nal(刃)と同源。古代日本語文法の成立の研究の刀剣類は両刃と片刃とがあった。」

とある。『大言海』の「つるぎ(劒)」の項に,

「吊佩(つりはき)の約,即ち,垂佩(たれはき)の太刀なり。御佩刀(みはかし)と云ふも,佩かす太刀の義。古くは,太刀の緒を長く付けて,足の脛の辺まで垂らして佩けり。法隆寺蔵,阿佐太子筆聖徳太子肖像,又,武烈即位前紀『大横刀を多黎播枳(たれはき)立ちて』とあるに明けし」

とある。「剣」とは,

もろ刃の太刀,

を指す。太刀は,

「刀剣の形式を区分上でいう太刀は,長さがだいたい六〇糎以上で,刃を下に向けて佩いた場合に茎(なかご)の銘が外側に位置するものをいう。」

と定義される。「剣」は,

劒,
剱,

とも書く。「剣」(漢音ケン,呉音コン)は,

「会意兼形声刀『刀+音符僉(ケン・セン そろう)』で,両刃のまっすぐそろった刀」

である(『漢字源』)。「剣」は,

つるぎ,

と訓ませるが,「けん」は,漢音そのものである。

「みね」は,

峰,
峯,
嶺,

とも当てる。

山の頂,

の意である。それをメタファに,

物の高くなった所,

の意で使い,

刀の刃の背,棟(むね),
烏帽子の頂上,
櫛の背,

等々にも使う。「峰(峯)」(ブ,漢音ホウ,呉音フ)の字は,

「会意兼形声。夆は,△型に先の尖った穂の形を描いた象形文字に夂(足)印を加えて,左右両方から来て△型に中央で出あうことを示す。逢(ホウ 出会う)の原字。峰はそれを音符とし,山を加えた字で,左右の辺が△型に頂上で出あう姿をした山。封(ホウ △型の盛り土)ときわめて縁が近い」

とある(『漢字源』)。「嶺」(漢音レイ,呉音リョウ)の字は,

「会意兼形声。領(レイ)は,人体の上部,頭と胴をつなぐ首のこと。嶺は『山+音符領』で,人体の首に当たる高い峠」

で,「峰」は△型にとがった山,いただき,「嶺」は,いみねの続きで,少し含意はずれるが,いずれも,「みね」の意。

それを「みね」に当てた,その「みね」を,『大言海』は,

「ミは発語,ネは嶺なり」

とするが,『岩波古語辞典』は,

「ミは神のものにつける接頭語。ネは大地にくいいるもの,山の意。原義は神聖な山」

とする。『日本語源広辞典』は,

「ミ(御)+ネ(嶺・どっしりした高い山の頂)」

とし,「神格化された頂上」とする。かつて山はご神体であった。三輪山は,大物主大神を祀る大神神社の,

「神体山として扱っており、山を神体として信仰の対象とするため、本殿がない形態となっている。こうした形態は、自然そのものを崇拝するという特徴を持つ古神道の流れに大神神社が属していることを示すとともに、神社がかなり古い時代から存在したことをほのめかしている。」

というように(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1)。

「ね」は,

嶺,

と当てるが,

「ネ(根)と同根。大地にしっかりと食いこんで位置を占めているものの意。奈良時代には東国方言になってらしく,独立した例は東歌だけに見える。大和地方ではミネという。類義語ヲ(峰)は稜線の意」

とある(『岩波古語辞典』)。

富士の高嶺,

の「ね」である。

剣ヶ峰,

が富士山の頂上を指すのは,富士山が,

神体山,

であったことともつながっているとみていい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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むぎ


「むぎ」は,

麦(麥),

と当てる。和名抄(和名類聚抄)に,

「麥,牟岐,今按,大小麥之㵤總名也。大麥。布土無岐,小麥,古牟岐」

とあり,本草和名に,

「大麥,布止牟岐,小麥,古牟岐」

とあり,名義抄に,

「麥,ムギ,大麥,フトムギ,小麥,コムギ,マムギ」

とある。「麦(麥)」は,

「コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクなどの、外見の類似したイネ科穀物の総称」

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AE)。

「『古事記』に保食神(けもちのかみ)の陰(ほと)に麦が生(な)ったとあるが,米を表とすれば麦は裏といった考えであろう。異名は,コゾクサ(去年草),トシコエグサ(年越草),トシコシグサ,また,チャセングサ(茶筅草)という。大麦をカチカタ(搗難)またはフトムギというが,小麦に対してのことばである。コムギの古名はマムギである。」

とある(『たべもの語源辞典』)。

「麦(麥)」(漢音バク,呉音ミャク)の字は,

「会意兼形声。來(=来)は,穂が左右に出たむぎを描いた象形文字。麥はそれに夂(足)をそえたもの。遠くから歩いてもたらされたむぎをあらわす。がんらい來が『むぎ』,麥が『くる,もたらす』の意をあらわしたが,いつしか逆になった。賚(ライ もたらす→たまわる)と同系で,神が遠く西方からもたらした収量ゆたかな穀物のこと。來(ライ)と麥(バク)は,上古音では同じであった」

とある(『漢字源』)。「麥」の字は,、紀元前 1500 年の殷の時代甲骨文字からうまれたとされ,古い。

「殷の時代では『來』、周の時代には『牟』となり、その後、來(むぎ)と夊(くる)が合体して『麥』」

になったらしい(https://www.pref.ehime.jp/h35118/1707/siteas/11_chishiki/documents/11_mugi_2.pdf)。さらに,

「紀元前 1050 年から始まる周の時代に原始的な漢字『金文』が成立し、その周王朝の初代王には『我に來牟(らいぼう)を胎る』とする伝承が残されています。牟(ぼう)とは、芒(のぎ)、すなわち麦穂にみられる細長いヒゲのことをさし、麦を表わします。來(らい)とは、殷の時代には麦を表しますが、周の時代には「来(くる)」に転じます。」(仝上)

「來牟(らいぼう)」とは西方から良い麦の種子がやって来たことを表わすのだ,という。

この「麦」は,

バク・ミャク・マク・ムク・マイ,

等々と訓ませるのは,

「有史以前に中国から朝鮮半島を経て渡来したもので,ムギという名称も,中国語・朝鮮語などの影響を考えねばなるまい」

とする(仝上)。で, 

「朝鮮語mil(麦)と同源か」(『岩波古語辞典』)

「漢音のカツ(葛)をクツ・クヅ・クズといい,同じくバク(麦)をマク・ムク・ムギという」(『日本語の語源』)

という由来説もある。

「ムギの字音は,英語・デンマーク語・アイヌ語・蒙古語・満州語などの麦の名称ににている」

ともある(仝上)ので,由来は,中国以西にたどれるのかもしれない。だから麦の語源を,

「モキ(衣着)の義とか,実木だとか,ムレゲ(群毛)の義とか,ムラゲ(叢毛実)の義とか,ムは高いの意の古語で,キは芒の義とかいう。その他,冬雪中に萌え出すところから,モエキ(萌草)の約,またムレノギ(群芒)の略とか,ムクカチの略とか,また,秋になると我先に蒔くところから,マクカチ(蒔勝)の略とか,ムキノギの略とか,聚芒(むのき)だとか,他の穀類にくらべて幾度も皮をつき剥ぐところからムキ(剥)の意であるとかのしょせつがある。」

とはしつつ,何れにも否定的である。『大言海』も,

「他の穀は,一度,穀を去れば可(よ)きに,麥は幾度も皮を搗き剥ぐ,故に剝(ムキ)の意,大麥に搗難(カチカタ)の名もあり,或は云ふ,萌草(モエキ)の約,三冬雪中に萌ゆれば云ふ,或は,羣芒(むれのぎ)の略と云ふ,いかがか」

と少し否定的である。『日本語源大辞典』には,上記列挙の諸説が載るが,やはり語呂合わせに見える。

そして,上記を否定した後に,『たべもの語源辞典』は,

「麦は中国語ではマイとよむ。奈良では麦をウラケという。稲のことをホンケとよぶから麦がウラケになったのであろう」

と付け加える。これは,

「バク(麦)をマク・ムク・ムギという」(『日本語の語源』)

とする中国由来説とつながる。『日本語源広辞典』は,

中国古代音melog−meg,

を有力とする。その『日本語源広辞典』が指摘する通り,

「大陸からの外来種なのでこれが語源と考えるのは合理的です。」

ということだろう。これだと,『岩波古語辞典』の,

朝鮮語mil,

由来とする説ともつながる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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いきどおる


「いきどおる」は,

憤る,

と当てる。

激しく腹を立てる,憤慨する,

の意が載る(『デジタル大辞泉』)が,

気持ちがすっきりしないで苦しむ,

の意も載る(仝上)。しかし,

「いきどほる心の内を思ひ延べ」

という用例(万葉集)から見ると,単純な怒りとは違う。『広辞苑第5版』には,まず,

思いが胸につかえる,思い結ぼれて心が晴れない,

という意味が先ず載る。

「事の成らざるを悲しび憤(イキドホリ)恚(ふつく)みて死ぬ」

という用例から見ると,怒りの感情よりは心の塞ぐ状態に焦点が当たっている。その後,

怨み怒る,憤慨する,

の意味があり,更に,

奮起する,

の意味もある。「怒り」とは少しニュアンスが異なる。

「憤」(漢フン,呉音ブン)の字は,

「会意兼形声。奔(ホン)は『人+止(足)三つ』の会意文字で,人がぱっと足で走り出すさま。賁(フン)は『貝+音符奔(ひらく,ふくれる)の略体』の会意兼形声文字で,中身の詰まった太い貝のこと。憤は『心+音符賁』で,胸いっぱいに詰まった感情が,ぱっとはけ口を開いて吹き出すこと」

とあり,忿と同,怒と類,とある(『漢字源』)。心に詰まった感情が吐き出される意で,「憤慨」といきどおるもあるが,「発憤」といきり立つ意もあり,

不憤不啓,不悱不発,不以三隅反,則不復也(憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず、一隅を挙げて、三隅を以て反らざれば、則ち復(また)せざるなり),

という「不憤」は,奮い立つ意だが,そこには,

「心が一杯になること」(貝塚茂樹)

と,心の中で思い屈し,考えあぐねているさまがある。漢字では,

怒は,喜の反。はらたつと訳す。立腹の外にあらはるるなり。書経「帝乃震怒」,
忿は,立腹して恨むこと怒り外にあらわれぬなり。易経「君子以懲忿室欲」,
憤は,内に鬱積し発する怒なり。論語「發怒忘食,楽以忘憂」,
慍は,怒りを含みむっとする意。怒より軽し,憤に近し。論語「人不知而不慍」,
悶・懣は,同じ。心に煩鬱して,気のもやもやする義。鬱悶・煩懣と用ふ,
恚は, 恨み怒るなり。怒の跡へ残る気味あり,
嗔は,盛んに怒気の目元に見ゆるなり,瞋に近し,

等々と区別する(『字源』)。

『大言海』は,「いきどほる」を,項を改め,正確に意味の変化を辿ってみせる。まず,

憤,
悒(うれえる),

の字を当て,

「懐悒(いきだは)しと通ず(説文『悒,不安也』玉篇『憂也』)」,

とし,

鬱悒(いぶせ)く思ふ。思ひむすぼほる」

の意を載せ,いまひとつの「いきどほる」は,

憤,

を当て,

「前條の語より移る。怒るも,思ひむすぼほるより起るなり」

とし,

怒る,

意とする。「いきだはし」は,『岩波古語辞典』は,

息だはし,

とするが,『大言海』は,

息急,

と当て,

「息労(いきいたはし)の約なるべし(來到(いきた)る,きたる。引板,ひきた),イキドホシは,音轉なり(いきだはし,いきどほろし。いたはし,いとほし)。和訓栞『いきだわし,いきどをしとも云へり』」

として,

息,急(せわ)し,

で,つまり,

呼吸がせほしい,

意である。

「室町時代『いきだうし』,近世『いきどし』ともいう」

とある(『岩波古語辞典』)。

こうした「いきどおる」の意味の奥行を見ると,

「『息+トオル(徹る)』です。つまり「怒りの息が強く突きとおる」

とする説(『日本語源広辞典』)は,到底受け入れられない。むしろ,

イキトドコホル(息滞)の義(言元梯),

の方がましだ。怒りの表出は,後の意味の転化後だ。むしろ,心屈して鬱屈に焦点が当たっているのではないか。

なお,

「イキホヒ(勢)のイキ,イカリ(怒)のイカとは同源か」

とある(『日本語源大辞典』)。発憤とつながる以上,当然想定される。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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あせ


「あせ」は,

汗,

と当てる。

「汗水たらす」「汗を流す」「血と汗の結晶」「額に汗する」

とか,

「手に汗握る」「冷や汗をかく」「汗顔の至り」

といった汗にまつわる言い回しは少なくない。

「汗」(漢音カン,呉音ガン)の字は,

「形声。干(カン)は,敵を突いたり,たてとして防いだりする棒で,桿(カン こん棒)の原字。汗は『水+音符干』で,かわいて熱したときに出る水液。すまりあせのこと」

とある。

「あせ」は,

「血を阿世と称す」(延喜式斎宮寮)

と,斎宮の忌詞であったらしい(『岩波古語辞典』)が,「あせ」の語源は載せるものがほとんどない。

アはアツキ(熱),セはシと相通で汁(日本釈名),
アシ(熱水)の轉(言元梯),
アツシメリ(熱湿)の義(箋注和名抄・名言通・和訓栞),
アは暑い時出る故か,セはホセか(和句解),
アセミヅ(息迫水)の略(日本語源=賀茂百樹),

といずれも,苦しい。要するにはっきりしない。

汗衫,

とあてる「かざみ」は,

字音カンサムの轉,

とある(『岩波古語辞典』)が,『大言海』は,

汗衫,

を,

カニサムの略轉(案内,あない。本尊,ほぞん),

とし,「かにさむ(汗衫)」の項で,

「汗衫(カヌサム)の転。蘭(ラム),らに。錢,ぜに。約転してカザミと云ふは,衫(さむ)の轉。燈心,とうしみ」

とするので,『岩波古語辞典』と同じである。「汗衫」とは,

古くは,汗取りの服,

で,

「麻の単の一種です。奈良時代より一般の男女が夏に着ました。表着にも内衣にも用います。」

とあるhttp://www.so-bien.com/kimono/%E7%A8%AE%E9%A1%9E/%E6%B1%97%E8%A1%AB.html

後に,

「平安時代中期以後、後宮(こうきゆう)に仕える童女の正装用の衣服。「表着(うはぎ)」または「衵(あこめ)」の上に着用する、裾(すそ)の長い単(ひとえ)のもの。」

となる(『学研全訳古語辞典』)。

「脇縫いのない袖の長いもので、組みひもを袖につけたり、わざと縫いほころばしたり、さまざまな縫い方があります。男子服に似た仕立てで、婚礼、五節に用いられました。」

とある(仝上)。

「汗衫装束(かざみしょうぞく)の特色は少女の中性的な面をよく表し、女子の服でありながら男子の服装の趣を多くもつことにあります。」

とある(仝上)。


熱けくにあせかきなげ,

と万葉集にあるほど,「あせ」は古くから使われていて,語源ははっきりしないが,「汗が滲む」のを,

汗あゆ,

といった。「あゆ」は,

零,

と『大言海』は当てるが,宮にはじめてまゐりたるころ,

「いかで立ちいでしにかと、あせあえていみじきには」

と枕草子にあるのは,零れるより,「滲む」の方が含意としてはふさわしいかもしれない。

しかし「あゆ」は,

「アヤシ(落)の自動詞形。アヤフシ(危)・アヤブミのアヤと同根」

とある(『岩波古語辞典』)ので「こぼれる」が意味としては正しいようだ。

汗を使った慣用表現は多く,中国からも, 

綸言汗の如し,
とか,
汗牛充棟,

等々がある。「綸言汗の如し」は,我が国では今日死語同然だが,

「『漢書‐劉向伝』の『号令如汗、汗出而不反者也、今出善令一、未能踰時而反、是反汗也』から) 君主の言は、一度出た汗が再び体内にもどらないように、一度口から出たら、取り消すことができない。」

で(『精選版 日本国語大辞典』),「汗牛充棟」は,つい密集している喩えに使いそうだが,

「心をおさめんために、汗牛充棟(カンキウシウトウ)に及ぶ書を尽しみるといふとも」

と「信長記」にあるように,

蔵書が非常に多いことのたとえ,

で,

「柳宗元『唐故給事中陸文通墓表』の『其為書、処則充棟宇、出則汗牛馬』から出たことばで、ひっぱるには牛馬が汗をかき、積み上げては家の棟木(むなぎ)にまで届くくらいの量の意) 蔵書が非常に多いことのたとえ。」

とか(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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おもねる


「おもねる」は,

阿る,

と当てる。「阿」(ア)の字は,

「会意兼形声。『阜(おか)+音符可(かぎ形に曲がる)』。かぎ型の台地。また,かぎ形に入り込んだ台地」

である(『漢字源』)。「阿諛」の「阿」である。どうやら本来は,

くま,

の意で,

おかのはざま,
山や川の曲がって入り組んだ所,

の意である。「くま」には,

隈,
阿,
曲,

が当てられている。そこから,

原則を曲げてつき従う,
おもねる,へつらう,迎合する,

の意に広がったようですある。

「おもねる」は,

「一説に,『おも』は面,『ねる』は練る,顔を左右に向ける意」

とあり(『広辞苑第5版』『岩波古語辞典』『日本語源広辞典』),

機嫌を取って相手の気に入るようにする,
へつらう,
追従する,

の意が載る。『大言海』は,

「おもへり(顔色)の轉にて,令色,阿容のいならむか」

とし,

他の意に靡きて媚ぶ,

とする。「おもへり」は,

面へり,

と当て,

「オモヒアリの約。心の中の情が面にあらわれる意」

とある(『岩波古語辞典』)。つまり,

顔つき,

の意である。『大言海』は,「おもへり」に,

顔色,

と当て,

「思ふの完了形のおもへりの名詞形(雄略記『神面不變(おもへらひ)』)。思ひ面にあらはるる意」

とし,やはり,

顔色,おももち,

とする。相手の顔色をうかがう意としても,「おもねる」とでは,行為主体と,その対象の表情と視点が違い過ぎる気がする。

大勢は,

面+練る,

だか,「ねる(練)」は,

「糸・布・金属・土・などを柔らかにし,粘り強さを与えるのが原義」

とあり(『岩波古語辞典』),

糸・布などを灰汁で煮て柔らかくする,
こねあわせてつくる,

意があるにしても,少し語呂合わせで,穿ち過ぎる気がする。他には,

おもなる(面馴)の轉(名語記),
オモナレアル(面馴在)の義(日本語原学=林甕臣),
オモヌメル(面滑)の義(名言通),
オモヒネル(思練)の義か(和句解),
オモ(懐)ニ・イル(入)の義(言元梯),

と,いずれも,

オモテ(面),

にこだわっている感じがある。そのながれでいうなら,

顔色をうかがう,

といういみで,

おもへり,

の転訛という説もありうるか,と結論は出ない。それにしても,

おもねる,
へつらう,
こびる,
とりいる,

類語が多い。この違いを,考えるのは,次項に譲る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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へつらう


「へつらう」は,

諂う,
諛う,

と当てる。

人の気に入るように振舞う,媚びる,おもねる,

意である。

「諂」(テン)の字は,

「会意兼形声。臽(カン・タン)は,くぼむ,穴に落すの意をあらわす。諂はそれを音符とし,言を加えた字。わざとへりくだって足いてを穴に落すこと」

とあり(『漢字源』),へつらう,人の気にいるようなことをいってこびる意である。

「諛」(ユ)の字は,

「改憲形声。臾(ユ)は,両手の間から物がくねくねとぬけることを示す会意文字。諛は『言+音符諛(くねくねとすりぬける)』」

とあり(仝上),意味は,へつらうだが,言葉を曲げて相手のすきにつけこむ,とあるので,「諂」より,多少作為が際立つのかもしれない。

『大言海』には,

「謙(へ)りつらふの略。…ほとりへつくやうの略。とかくに君の方によりそひて,心をとらむとする形容より云ふ」

とあり,

利のために,他の心を喜ばせ敬う,

意とある。さらに,「つらふ」において,

拏,

と当てて, 

「万葉集『散釣相(サニツラフ)』同『丹頬合(につらふ)』の釣合(つら)ふにて,牽合(つりあ)ふの約(関合(かかりあ)ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり。」

と指摘し,

「争(すま)ふ。かにかくとあつかふ。此語,他語と熟語となりて用ゐらる。『引つらふ』(牽)。『挙げつせふ』(論),『関づらふ』『為(し)つらふ』『詫びつらふ』『言ひづらふ』『謙(へ)つらふ,へつらふ』(諂)などの類あり」

とする。「へ(謙)る」は,

減ると同根,

らしく(『岩波古語辞典』『大言海』),

おのれを卑下す,

つまり,

おのれを削る,

意である。こう見ると,

へつらう,

は,

おのれを引き下げて,相手を持ち上げ,あれこれと言葉と振舞いで「つらひ」て,媚びる,

意となり,同義の,

おもねる,

の,

迎合する,

意に比べると,かなり意図的に自分を下げ,相手を持ち上げている作為が目立つ。

諂う,
諛う,

の字を当てた所以である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「へ(謙)+つらふ」,
説2は,「へ(辺)+つらう(連なる),

『日本語源大辞典』は,これを,

「動詞『へる(謙)』の連用形『へり』に接尾語『つらふ』が結合した説」
「動詞『へつかふ』と語構成が類似し,意味にも共通性がかんじられるところから,『あたり』を意味する『へ(辺)』に『つらふ』が連接したとみる説」

と整理する。しかし「へつかふ」は,

そばにつく,
舟が岸につく,

意である。そこにへりくだる意はない。語呂からの類推に過ぎない気がする。

「『阿る』は『上司に阿る』『権力に阿る』といったように人に対しても見えないものに対しても使いますが、『諂う』は『権力に諂う』といったように見えないものに対しては使いません。『上役に諂う』『リーダーに諂う』と人に対して使います。『諂う』は『人に気に入られるように、自分を必要以上に卑下して振る舞う』と、マイナスな意味が含まれます。『阿る』よりも『諂う』の方が、自尊心の低さや偏屈さが感じられます。」

と比較している(https://eigobu.jp/magazine/omoneru)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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こびる


「こびる」は,

媚びる,

と当てる。

相手の歓心を買うために,なまめかしい態度をする,
いろっぽくふるまう,

意で,それをメタファに,

相手に迎合しておもねる,へつらう,

意に広がったとみえる。

「媚」(漢音ビ,呉音ミ)の字は,

「会意兼形声。『女+音符眉(ビ 細く美しいまゆ)』で,細やかな女性のしぐさのこと」

とある。だから,

眉目秀麗,

と顔や姿のこまやかで美しいことをいい,

風光明媚,

と風景にそれを転用するが,

閹然媚於世也者是郷原也(閹然として世に媚ぶる者はこれ郷原なり)

と,もともと,

なまめなしさでたぶらかす,諂って人の気を引く,

の意味があるようだ。それを当てた。「こびる(こぶ)」に,媚の字を当てただけの謂れがあるはずである。

『岩波古語辞典』は,語源を載せないが,

相手の気にいるようになまめかしくふるまう,
相手に迎合しておもねる,
成熟する,
大人びる,こまっしゃくれる,
上品ぶる,

と意味の変化を載せる。これをみると,

「動詞の『こびる』は、何か下心があって、対等または下の者が喜ぶよう、褒めたり優遇したりする意に用いる。これに対して『へつらう』は、目上の者に気に入られようとして、お世辞を言ったりする意となる」

とする解釈(大辞林)は,意味が,「迎合しておもねる」に転じて以降の説明でしかない。「媚」の字を当てている意味がこれでは見えない。むしろ,

「『へつらう』『こびる』『おもねる』は、どれも相手に気に入られるように振る舞う意を表わし、非難する意がこめられている。『こびる』は、女性が男性の気をひこうとしてなまめかしく振る舞う意でも用いる。」

との説明のほうが,「媚」を当てた意味が見える。

『大言海』は,「こぶ(媚)」について,

「戀ぶるの約(言ひさかふ,いさかふ。哀ぶ,鄙ぶ)。戀ふる風(ふう)する意。和訓栞,こび『媚を讀めり,戀ぶり也』」

とする,

戀するふりする,

とは言い得て妙,上手過ぎて,ちょっと眉に唾付けたくなる。しかし,『日本語源広辞典』も,

「恋ヒ+ブ(動詞化)」

とし,
人の機嫌を取り,気に入るようにする,

意とする。

コビはコヒ(恋)ブリの義(和訓栞),
彼方よりコヒブ(恋)られんとすること(俚言集覧),
コヒベ(恋方)の義(名言通),
コフル(恋)から出た語(国語の語根とその分類=大島正健),

等々「恋」と絡める説は多い。しかし,「こふ(恋)」は,

「ある,ひとりの異性に気持も身もひかれる意。『君に恋ひ』のように助詞ニをうけるのが奈良時代の普通の語法。これは古代人が『恋』を,『異性ヲ求める』ことでなく,『異性ニひかれる』受身のことと見ていたことを示す。平安時代からは『人を恋ふとて』『恋をし恋ひば』のように動詞ヲを受けるのが一般。心の中で相手ヲ求める点に意味の中心が移って行ったために,語法も変わったものと思われる。」

とある(『岩波古語辞典』)。「こふ(乞う・請う)」とは別語源で,「こふ(乞う・請う)」は,

「神仏・主君・親・夫などに対して,人・臣下・子・妻などが祈り,また願って何かを求める意」

とあり,この「こふ」でもない。

「こびる」の語源は,どうやら途切れてしまうようである。もし「こぶ(媚)」が,平安時代以降に始原をもつのなら,「恋」説は,ありえる。『岩波古語辞典』には,「こぶ」の用例が,

「その女,壮(おとこ)にこびなつき」(霊異記),
「いかなる知者かはこびたる形を見て目を悦ばしめざる」(発心集)

が載る。『日本霊異記』は平安前期,『発心集』は鎌倉初期である。恋説の可能性は残る。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ごまをする


「ごまをする」は,

他人におもねりへつらって,自分の利益を計る,

意だが,この語源は,

「昔商人が、お世辞をいいながら売り込むときに、もみ手をしていた。もみ手の様子を、左手をすり鉢、右手をすりこぎに見立ててごますりと称した。」

とする説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114763916)もあるが,

「炒った胡麻をすり鉢ですると、内側に胡麻がくっつくことから、人にべたべたと擦り寄り、へつらう意味に用いられるようになった。おべっかを使う人のことは『胡麻すり』という。」

とする説(http://yain.jp/i/%E8%83%A1%E9%BA%BB%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B)が,大勢のようだ。『大言海』も,

「擂鉢の内にて,炒れる胡麻の子(み)を擂り潰すに,鉢の四方につく,ミソスリに同じ」

とあり,

「あちらにも屬(つ)き,こちらにも屬(つ)き,彼人に諂ひ,此人に諂ふ者を呼ぶ,ウチマタガウヤク」

と載る。

「煎ったゴマをすり鉢 ですり潰すと,あちこちにゴマがくっつくことから,人にへつらう意味で用いられた言葉である。また,商人などの手を揉む仕草がゴマをする姿に似ていることから,その仕草を語源とする説もあるが,あまり有力とされていない。江戸末期の『皇都午睡(こうとごすい)』にもみられ,『追従するをおべっかといひしが,近世,胡麻を摺ると流行詞(はやりことば)に変名しけり』とある」

と,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ko/gomawosuru.html)も,揉み手説には否定的である。

『江戸語大辞典』によると,天保頃からの流行語とあり,

おべっか,

の意と,

告げ口,密告,

の意が載る。まあ,密告とは,権力者への諂いなので,あり得る意味と思う。

「種々(さまざま)胡麻をすりければ」(天保十五年『魂胆夢輔譚』)

の「ごますり」は,

「ごまをするといふは言告口をきく通言」

と注記がある(『江戸語大辞典』)。

では,「ごま(胡麻)」の語源は何か。『大言海』は,

「和名抄『胡麻,本出大宛,故地名之』,箋注和名抄『胡麻,載在本草経,恐非本出大宛,蓋胡之言,烏也,以其色黒,有是名』。さらば,ウゴマと云ふは,烏胡麻(ウゴマ)なるか,重言となれど,胡麻の語原は,知らず,又,忘れられたるなり。淡海(アフミ),雁音(かりがね)の声の類か」

と,諸説挙げ,分からない,とする。

『日本語源広辞典』は,

「中国語の『胡(えびす・西域)+麻』です。漢の張騫が西域から持ち帰った麻に似た植物」

とし,

「インド・エジプト原産で、漢の張騫(ちょうけん)が西域から持ち帰ったとされ、中国では西域の異民族を「胡」と呼び、「胡から伝わった麻の実に似た種子」 という意味から「胡麻」と名づけられた。」(『由来・語源辞典』)

「ごまは 中国を経由して日本に伝わった植物で,漢語の『胡麻』を音読みしたものが『ごま』である 。中国では西域の諸国を「胡」といい,『胡瓜(きゅうり)』『胡椒(こしょう)』『胡桃(くるみ)』と同じく,胡から持ち帰ったものには『胡』が冠される。ゴマの実は,麻の実に似ていることから,胡から持ち帰った麻に似た植物ということで『胡麻』と称されるようになった」(『語源由来辞典』)

等々,

胡麻→こま→ゴマ,

という中国由来ということのようである(和名抄,五万,訛云,宇古末(うごま))。『岩波古語辞典』は,「うごま」の項で載る。

「奈良時代には濁音で始まる和語は極めて少なかったので,gomaと発音しにくかったため,前に母音uをつけてugomaとしたものであろう」

とある。とすると,

胡麻→うごま→ごま,

の転訛なのかも知れない。

「胡という字は烏のことで,黒いところからつけられた名であるとの説もあるが,ゴマは黒ばかりではないから,面白くない。(中略)古名のウゴマは烏胡麻だというが,またゴマの音を訛ってウゴマという説もある。コミアサ(コミアサ)がゴマになったとの説もあるが良くない」

とし,張騫が西域から持ち帰った「胡の「麻に似た植物の名を胡の麻」とした,としている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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おべんちゃら


「おべんちゃら」は,

口先ばかりで実意のないお世辞を言う,

意である。あまり辞書には載らないが,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/o/obenchara.html)は,

「おべんちゃらは、『べんちゃら』に接頭語の『お(御)』が付いた語。『べんちゃら』は江戸時代、『おべんちゃら』は明治以降に見られる。べんちゃらの『べん』は、『ものの言いよう』『話しぶり』を表す『弁(べん)』。『ちゃら』は、『出まかせを言うこと』『でたらめ』の意味の『ちゃら』である」

とする。似た説は,

「『べん』は漢字にすると『弁』で…。話しぶりなどを意味する表現です。『ちゃら』はでまかせやでたらめなどの意味…。元々は江戸時代から使われていたと言われており、『べんちゃら』=『でたらめやでまかせを言う』という意味で使われていました。それが、明治時代には接頭語の『お』がついて、今の形のおべんちゃらになりました。」

とある(https://memolog.info/archives/2351)。ちょっと異説は,

「阿はオと読み『迎合する、おもねる』の意味です。…弁はビィエン、講はチャンと読み、共に『話す、語る、いう、しゃべる』などの意味であり、孌はランと読み『美しい』の意味です。つまり、オベンチャラとは、阿弁講孌の多少の訛り読みであり、直訳すると「迎合していう美しいこと」、少し意訳すると「迎合して美味しいことをいう」の意味であり、これがこの言葉の語源です。」

と,ある(https://ameblo.jp/chandan-neko/entry-12387444011.html)。少し曲芸的な論で,如何かとは思うが,説としては面白い。

弁口たくみに言うチャラの意。チャラはでたらめ・冗談の意(上方語源辞典=前田勇)

とあるのが,正当な説なのだろう。「ちゃらい(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba1.htm#%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%89%E3%81%84)」で触れたように,「ちゃら」は,

口からでまかせに,出鱈目をいうこと,また,それを言う人,
偽物,
差し引きゼロにすること,

の意で,『江戸語大辞典』にも,

ごまかし,うそ,でたらめ,

という意味が載る。そのせいか,「ちゃら」にかかわる言い回しは,

ちゃらかす(出鱈目を言う,冗談を言う)
ちゃらくら(口から出まかせを言う)
ちゃらける(チャラを言う,出鱈目を言う)
ちゃらつかす(出鱈目を言ってごまかす,ちゃらちゃら音を立ててある意思を示す)
ちゃらっぽこ(でたらめ,うそ。またでまかせを言う人)
ちゃらほら(「ほら」は接尾語。口から出まかせを言う)

等々,碌な意味はない。「ちゃら」は,『岩波古語辞典』には,

ちゃり,

として,

ふざける,

という意味が出ており,その名詞は,

茶利,

と当て,

滑稽な文句または動作,ふざけた言動,おどけ,
(人形浄瑠璃や歌舞伎で)滑稽な段や場面,または滑稽な語り方や演技,

という意味がある。「ちゃり」の動詞化の「ちゃら」という連想も捨てがたい。「ちゃら」に関わる語は,「おべんちゃら」以外にも,

べんちゃら(口先だけで上手いことを言ってへつらうこと)
へいっちゃら(ものともしないさま,平気)
へっちゃら(ものともしないさま,平気)

と,まあ,口先三寸,でまかせ,無責任,という意味が,一貫している。

どうも,「ちゃら(い)」は,類語で言うと,

うすっぺら,
ぺらぺらな,
浅はかな,
軽い,
安っぽい,

というよりは,

嘘っぽい,
無責任,

というニュアンスが強い気がする。ご破算のいの「ちゃら(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba5.htm#%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%89)」も,それとつながる。

「ちゃら」は, 江戸時代以降に使われているとして,こう解説されている。

「 [1] ちゃらとは出鱈目(でたらめ)・出任せ(でまかせ)といった信頼に値しないいい加減な軽口・嘘といった意味で江戸時代から使われている。ちゃらんぽらんのちゃらはここからきたものである。またここから、偽物のこともいう。
 [2] ちゃらとは発生している貸し借りや損得を差し引きゼロの状態にすることやなかったことにすることを言う。『ちゃらにする』という言い方をするが、大抵は交換条件を満たした上でなかったことにする場合が多い(例:欲しい情報や人・物などを渡す代わりに借金はなかったことにするなど。逆に心意気からちゃらにするといったような、交換条件なしで行う場合もある。)」(『日本語俗語辞典』http://zokugo-dict.com/17ti/chara.htm

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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おべっか


「お べっか」は,

へつらうこと,また,そのことば,

とある(『広辞苑第5版』)が,

上の人の御機嫌をとったり、へつらったりすること,おべんちゃら,

というのが正確かもしれない。対等な相手に言うのではない。

『江戸語大辞典』には,

語源不詳,

と載る。その他に,「お べっか」の動詞化で,

お べっかう,

という言葉もあったらしい。『大言海』は,

諂諛,

の字を当てている。へつらう(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%B8%E3%81%A4%E3%82%89%E3%81%86)で触れたように,

「諂」(テン)の字は,

「会意兼形声。臽(カン・タン)は,くぼむ,穴に落すの意をあらわす。諂はそれを音符とし,言を加えた字。わざとへりくだって足いてを穴に落すこと」

とあり(『漢字源』),へつらう,人の気にいるようなことをいってこびる意である。

「諛」(ユ)の字は,

「改憲形声。臾(ユ)は,両手の間から物がくねくねとぬけることを示す会意文字。諛は『言+音符諛(くねくねとすりぬける)』」

とあり(仝上),意味は,へつらうだが,言葉を曲げて相手のすきにつけこむ,とあるので,「諂」より,多少作為が際立つのかもしれない。

『大言海』は,「お べっか」の項で,

「顔見世狂言の初めに,役者,囃子方,皆別火(べっか)にて斎戒(ものいみ)して,式三番を勤めたり。何事のときにかありけむ,囃子方の頭某に,常に諂ふ性の者あり,座元の許に行き,例に因りて御別火(おべっか)にて勤めます,頻りに云ひしより,楽屋詞に,御別火を云ふとて,諂ふ意とせしに起ると,或書にて見たることあり。又或は越前にてアベコキとも云へば語原は別にあるか」

と,結局曖昧である。「別火(ベッカ)」とは,

「神事を行う者が,穢れにふれないように別にきり出した火で食物を調理して食すること。また,穢れのある人が炊事の火を別にすること」

とある(『広辞苑第5版』)。「式三番」(しきさんばん)は,

「能・狂言とならんで能楽を構成する特殊な芸能の一つ。能楽の演目から転じて、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ芸能である。なお、現代の能楽師たちはこの芸能を、その文化を共有する人たちにだけ通じる言葉、いわゆる符牒として『翁』『神歌』(素謡のとき)と呼んでおり、『式三番』と呼ぶことはほとんど無い。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E4%B8%89%E7%95%AA)。「翁」というのは,


「能が成立する以前の翁猿楽(老人の面を付けた神が踊り語って祝福を与えるという芸能)の様式を留める芸能が式三番である。」(仝上)

『日本語源広辞典』は,方言説を採り,

「お(接頭語)+ヘツ(諂 ヘツラウ)+か(人)」

とし,

「過度に諂う人を軽蔑する意の方言オヘツが現在,中部近畿,南部四国にあります。近畿中北部のオベッカと語原が通じるのでしょう」

としている。

しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/o/obekka.html)は,

「おべっかの語源は、口のきき方・言い方のほか、口のきき方がうまいことを意味する『弁 口(べんこう)』に、接頭語の『御(お)』が付いた『御弁口(おべんこう)』が変化した言葉で あろう。 北海道の方言で、おべっかを『べんこ』というのも、『弁口』からと思われる。」

とし,

「神事・祭事の際に炊事の火を別にすることをいう『別火』(べっか)に由来し,別火を知らない人が,調子よく「おべっか」と言ったことからとする説や,服従する意味の英語『obey』からという説もあるが,考え難い」

とする。「おべんちゃら」は,

弁がちゃらい,

の意で良いが,

弁口,

は,

口のきき方を言っているだけの状態表現で,そこに,価値表現はない。それを,

御弁口,

と言い,それが,

御弁巧,

の意へと,

転じた経緯がはっきりしなければ,ただの語呂合わせでしかないように思える。『大言海』がいうように,方言の可能性が高いが,『江戸語大辞典』に載る以上,それが一般に通用していた,ということだろう。そう考えると,

ヘツラフ→オヘツラヒ→オベッカ,

の転訛があり得る気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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さかい


「大阪で生まれた女やさかい」という歌詞があったが,その「さかい」である。

さかひ,

とも書く。

さけ,
しゃけ,

ともいったりする(『広辞苑第5版』)らしい。

「上方で,サカイニ・サカイデのニ・デを省いて用いるもの」

とあり(『岩波古語辞典』),

〜ので,〜から(「本になさるとおっしゃるさかい,随分吟味致しました」(咄・枝珊瑚集)),

の意味である。

「畿内近国の助詞にサカイと云ふ詞有り。関東にて,カラと云ふ詞にあたる也」

ともある(物類称呼)。で,「さかいで」と使うと,

〜ので,〜から(「今まで宮崎殿に逢ひましたサカイ,(アナタニ遭ウコトガ)なりませなんだ」(評判・難波鉦)),

という意味で,「さかいに」と使うと,

「サカヒ(境)ニの意」

で,

時に,場合に(「習ふまいさかい」(ロドリゲス大文典)),
(理由をあらわす)〜ので,〜から(「さしのぶる事を得いで仕ったさかい,あまり気にかかりませらせぬ」(コリヤード懺悔録),
「その事をさうしたさかいと云ふべきを,さかいでと云ふは如何」(俳・かたこと)),

という意味で使うとある(仝上)。この区別の語感は,文脈依存なので,よく分からないが,しかし,

「『堺(境)』からしょうじたのか。上方語」

として,

「物事の理由・原因を表す語。によって,ので,から」

と括ってしまう(『広辞苑第5版』)と,上記の差異が消えてしまわないか,と思うが,

「室町時代、名詞『さかい(境)』から転じたという。『さかいで』『さかいに』(『で』『に』ともに格助詞)の形でも使われる。近世、上方語として用いられ、現在では主に関西地方で用いられる。」

という(『デジタル大辞泉』)のが大勢のようである。『大言海』も,
「境の義にて,書状文に,何何に候間(アヒダ)と用ゐると同じかるべし」

とする。「語源に関しては、名詞「境」から転じたものという。」として,

「そしてまた上方の『さかい』とはなんだへ」「『さかい』とはナ、物の境目じゃ。ハ。物の限る所が境じゃによって、さうじゃさかいに、斯(かう)した境(サカイ)と云のじゃはいな』」(『滑・浮世風呂‐二』)

の例は近世の語源意識をうかがわせる(『精選版 日本国語大辞典』),とする。

物事の切れ目,

が,

その流れで,という経緯で,

と,その理由にも,言い訳にもなるし,

その境目,

が,時間的にも,場所的にも,使われる,ということか。とすると,事態は,

境,

のメタファとして接続詞化したということになる。

「境(さかひ)と言う単語は、『境界』そのものを意味する単語でしたが、やがて、『境界で区切られた領域』を意味するようにもなりました。そして、更に抽象度が高まり、『境遇』『境地』という意味へ発展しました。この結果、『…さかいで』『…さかいに』などの語が『・・・と言う境遇につき』と言う意味で用いられるようになったようです。これが理由を示す接続助詞『さかい』の発生と見られています。」

との説明(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10156745325)もある。

「『けに』の誤れる回帰である『かいに』に、『し』と同系語の『さ』がついて生まれた。『よって』と同様。雨降るさかいきょうはやめとき、あした行くさかいな、せやさかいに、など後に続く言葉を省略することも可能。理由、説明、念押し、言い訳、納得、などの意味が含まれる。古くは『さかいで』とも言った。京都では『さけ』と訛るが、大阪では『はかい』『さかえ』『はかえ』と訛る。南大和で『すかい』、播磨や紀北、近江などで『さけー』、紀伊で『さか』、但馬で『しけー』、北陸や北西奥羽で『さけー』『はけー』、越後で『すけー』が話され、和泉や大和で『よって』、越中呉東で『さからいに』、『から』は関東や南東奥羽、甲斐、伊豆の言葉で、日向で『かり』『かい』、北近畿や伊勢、東海、東山、南九州などでは『で』、信濃で『で』『に』、中国、四国、北九州では『けん』『けー』『きに』『きー』など『けに』系が使われる。奄美、宮古で『ば』、沖縄で『くとぅ』『く』、八重山で『きい』『ば』『ふいりゃあ』など。上方では東京との交流が西日本の他の地域と比べて多かったため、若者だけでなく年輩層でも『から』を使う割合が高くなっている。」

とある(https://www.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%AB)が,『日本語の語源』は,

「カラニ(故に)は『ゆえに。ために』という意味の接続助詞である。〈などかは女と言はむからに世にある事の公私につけて無下に知らず至らずしもあらむ〉(源氏・帚木)。このカラニ(故に)は,カの母交(母韻交替)[ae],ラの脱落の結果,ケニに転音し,『故。ので。から』という音の方言として,四国・岡山・鳥取・出雲・壱岐でおこなわれている。〈あなたが言ったケニわかった〉。ニが撥音化して備中(俚言増補)・鳥取・出雲・岡山県小田郡・広島・四国・九州ではケンという。四国ではまたケが母交(母韻交替)[ei]をとげてキニ・キンという。」

とケニ系を辿るが,「さかい」は,それとは別に,次のように音韻変化を遂げたものとする。

「『…でございます故』という丁寧語のサウラフカラニ(候ふ故に)を早口でいう場合,サ・カ・エだけが残り,ニのイ音便でサカイに変化した。」

とし,さらに,「さかい」の,

「サカイはカイ[kai]の母韻の融合でサケに転音し,(中略)サカイはまた,サが子交(子音交替)[sh]をとげてハカイになり,…サケもマタハケに転音」

と地域ごとの転訛に触れている。

丁寧語のサウラフカラニ(候ふ故に),

は『大言海』の,

書状文,

と通じるようである。境の転訛というよりは,

候ふ故に,
あるいは,
候ふ間に,

の転訛の方が説得力がある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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はこべ


「ハコベ」は,

繁縷,
蘩蔞,

と当てる。ナデシコ科ハコベ属(Stellaria)の総称。別名,コハコベ(小繁縷)。茎が緑色なのでミドリハコベともいう。ただ,漢字名の「繁縷(ハンロウ)」は、生薬の名前だとか。

ハコベラ,
または,
アサシラゲ,

の古名がある。

芹なずな 御形はこべら 佛の座、すずなすずしろ これぞ七草,

の歌にある,

春の七草,

の一つである。ちなみに,「御形」はハハコグサ、「佛の座」はコオニタビラコであるとするのが定説,とか。

「平安時代の後期の文献に『君がため 夜越しにつめる 七草の なづなの花を 見てしのびませ』の歌があるとされるので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあったと考えられます。ただ、七草の対象となっていた草本はまちまちで、地方によっても異なっていたようです。」

とある(http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/kohakobe.html)し,

「平安時代から食用の記録が残り、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には野菜(当時は文字どおりの野の菜)の一つとして、波久倍良(はくべら)の名が載る。鎌倉後期の『年中行事秘抄』には、宮中で用いる七種菜(ななくさのな)に(はこべら)の名があがる。ハコベは異名や方言が多いが、ハコベの名は『下学集(かがくしゅう)』に初見する。江戸時代には種子を播(ま)いて育てたことが『百姓伝記』にみえ、はこべ汁(『料理物語』)などにして食べられた。また、干して粉にしたのを塩と混ぜたハコベ塩を歯みがきに使う習俗もあり、現在も歯茎の出血を防ぐ目的で使われることがある。」

とあり(日本大百科全書(ニッポニカ)), 

「花期の3〜6月に地上部の茎葉を刈り取り、水洗い後、天日干しにしたものを生薬名『繁縷(ハンロウ)』といい、産後の浄血薬、催乳薬、胃腸薬や湿疹などの皮膚炎の治療薬として用いられてきました。また、同粉末に適量の塩を混ぜたものを『ハコベ塩』と呼び、これを指に付けて、歯茎をマッサージすることにより、歯茎からの出血、歯槽膿漏の予防に用いられてきました。江戸時代には既に使われていた葉緑素入りのハコベ塩はまさしく『歯磨き粉の元祖』とも言えます。」

ともあり(https://www.pharm.or.jp/flowers/post_6.html),古くから馴染みがある。

『大言海』は,「はこべら」の項で,

はくべら(繁蔞)に同じ,

とする。名義抄には,

「繁蔞,はこべら,ハクベラ」

と載る。「ハクベラ」の項で,「ハコベ」の古名で,

「葉配(ハクバリ)の転かと云ふ」

とある。倭名抄には,

「繁蔞,鶏腸草,八久倍良」

本草和名には,

「繁蔞,一名,鶏腸,波久邊良」

和訓栞には,

「はくべら,…葉をくばりしくりーの義にや,いまは,ハコベといへり」

等々とあるという(仝上)。「鷄腸草」も「蘩蔞」と同じく,由来のようである。どうやら,

波久倍良(ハクベラ)→ハコベラ→ハコベ,

という転訛らしい。微妙に違うのは,

「ハビコルナ(蔓延る菜)は,ルナ[r(un)a]が縮約されてハビコラに転音し,『ビコ』の転位でハコビラ・ハコベラ(繁蔞)・ハクベラ(和名抄)などの語形を経てハコベになった」

とする(『日本語の語源』)説だ。しかし,繁茂しているさまは,確かに,蔓延(はびこ)る感じではある。

はびこる→はこびる→はこべら→はこべ,

の転訛もある。同じく生態をとらえた、

はいずる→へえずるの派出とみられるへずる、ひずる系の方言,

が西日本に多い(日本大百科全書(ニッポニカ)),とある。

茎は柔らかく地表をは,

という生態からの見方の方が自然に思える。

『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ha/hakobe.html)は,

「ハコベは,『ハクベラ』が転じた『ハコベラ』が更に転じた語で,春の七草のひとつとして挙げる際には『ハコベラ』と呼ぶことが多い。ハクベラ(ハコベ)の語源は諸説あり,『葉配り』の轉とする説。『ハク』は『帛』で茎から出ている白い糸を『帛(絹)』に見立てたもの,『ベラ』は群がる意の古語とする説。『ハク』は漢字の『繁』の漢音『ハン』で草が茂ること,『ベラ』は漢字『婁(ル)』で茎が長く連なった草の意のことで,漢語『ハンル(繁婁)』の音変化とする説。『ハク』は二股に分かれた茎に小さな葉がつき,小さな飾りの袴を腰に穿いているようであることから,『穿く・佩く(はく)』の意味,『ベラ』は股の外側に付いた葉っぱを指したもので『花弁(はなびら)』や『草片(くさびら)』の『びら』と同源とする説がある。漢語『ハンル(繁婁)』の説は,ハコベの漢字『繁縷』にも通じ,意味も分かりやすく発音も近いように思えるが,『ハクベラ』への音変化は難しい。『ベラ』は『花びら』などの『びら』と同源とするのが一番自然に思えるが,『ハク』については判定が難しい」

と,諸説を挙げるが,「はこべ」は花ではなく,葉の方に人の関心が向いている。花びらとつなげるのは,食用ハコベ実態と離れている。

「ユーラシア原産で、農耕に伴って世界中に広まった史前帰化(しぜんきか)植物とされています。ハコベの和名は古名の『はこべら』や『はくべら』が転訛したものですが、語源は『蔓延芽叢(はびこりめむら)』、『歯覆(はこぼるる』、『葉采群(はこめら)』などの諸説があります。ハコベは食用や薬用にしたり、柔らかい草質からニワトリや小鳥のえさとしてよく知られており、『ハコビ』、『ヒズリ』、『ヘズリ』、『アサシラベ』、『ヒヨコグサ』など各地でそれぞれの方言で呼ばれています。英語でもハコベを「chickweed(=ヒヨコの草)」と呼んでいます。」

とする(https://www.pharm.or.jp/flowers/post_6.html)説から見て,

はびこる,

と絡めるのが妥当に思えてならない。

参考文献;
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)

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なでしこ


「なでしこ」は,

撫子,

と当てる。当て字である。当て字から解釈する,

撫で撫でして、いつくしみ、かわいがる子。それほどかわいい花,

というのは,ほぼ切り捨ててよいと,僕は思った。ところが,

ナデシコの由来

「花が小さくて色も愛すべきところから、愛児に擬して『撫でし子』となった」

という説が有力だという。

「花が小さく色も愛すべきところから,愛児に擬した『撫でし子』が有力である。万葉集の和歌には,撫でるようにしてかわいがる子(女性)と掛けて詠んだものがみられるが,それは現在でいう『カワラナデシコ(河原撫子)』を指した。古くは,夏から秋にかけて花をつけることにちなみ,『トコナツ(常夏)』とも言った」

とか(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/na/nadeshiko.html),

「ナデ(撫でる)+シ+子」

とか(『日本語源広辞典』),正に絵に描いたように,この字を当てた者の罠にはまっている。『大言海』も,

「家経朝臣和歌序『鐘愛抽衆草,故撫子,艶色契千年,故曰常夏』,又此草の花,形,小さく,色愛すべきものゆゑ,愛児に擬し,ナデシコと云ふ」

と,珍しく何も語源の根拠を示せていない。

因みに,

和撫子(やまとなでしこ),

というのは,

唐撫子(石竹),

に対していう(仝上),とある。

セキチク(石竹.)は,原産は中国で,日本では平安時代には栽培されてきた,という。

どうしても,撫子という当て字に引きずられた解釈が多く,愛児に擬して,ナデシコが大勢で,それ以外に,

ナデサスリクサ(撫擦草),
ナテチクソウ(南天竺草),

もあるが,同類である。しかし当て字解釈よりは,

密集するところからナヅミンゲ(泥茂),

と,草の生態の方がました。漢字を当てると,その意味に引きずられるのはやむをえないとしても,

「『撫でし子』と語意が通じることから、しばしば子どもや女性にたとえられ、和歌などに多く参照される。古く『万葉集』から詠まれる。季の景物としては秋に取り扱う。『枕草子』では、『草の花はなでしこ、唐のはさらなり やまともめでたし』とあり、当時の貴族に愛玩されたことがうかがえる。また異名である常夏は『源氏物語』の巻名のひとつとなっており、前栽に色とりどりのトコナツを彩りよく植えていた様子が描かれている。」

と,すでに,撫子からの解釈から出られなくなっている。当否は別にしても,

「淡紅色の花の優雅さを眺めて,アテサク(貴咲く)花といったのが,子音[n]を添加してナデサクとなり,『サ』の母交(母韻交替)[ai]でナデシコ(撫子)になった。〈野辺のナデシコの散らまく惜しも雨な降りそね〉(万葉集)」(『日本語の語源』)

という解釈の方を採りたい。

「あて(貴)」は,

「『いやし』の対。高い血筋にふさわしい上品さ。必ずしもヤンゴトナシのような第一級の尊貴をさすものではない」

とある(『岩波古語辞典』)。

上品,

という意味である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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なずな


「なずな」は,

薺,

と当てる。春の七草の一つである。田畑や荒れ地、道端など至るところに生える,

ぺんぺん草,
三味線草,

である。

「若苗を食用にする。かつては冬季の貴重な野菜であった。貝原益軒は『大和本草』で宋の詩人蘇軾を引用し『「天生此物為幽人山居之為」コレ味ヨキ故也』(大意:『天は世を捨て暮らしている人の為にナズナを生じた』これは味が良いためである)と書いている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%BA%E3%83%8A)。ただ,「曾丹集(十一世紀初)」に,

「み園生のなづなのくきも立ちにけりけさの朝菜に何を摘ままし」

とあり,

「朝の菜として食したことがわかる。ただし、この詞書には『三月終』とある。『万葉集』には見えず、八代集でも『拾遺集‐雑春』の『雪を薄み垣根に摘めるからなづななづさはまくのほしききみ哉〈藤原長能〉』の一首が見えるだけであるが、これは『なづさふ』を導き出す序詞なので、平安前期は和歌の景物、春の七草という意識はなかったらしい。その後、和歌に用いられる時は『摘む』物として取り上げられ、平安後期になって『君がため夜ごしにつめるなな草のなつなの花を見て忍びませ』〔散木奇歌集‐春〕のように、七草の一つと考えるようになったらしい。」

とある(『精選版 日本国語大辞典』)ので,七草入りは,平安後期以降らしい。

「薺」(漢音セイ,呉音ザイ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符齊(セイ そろってならぶ)』で,小さな花をつけた茎が揃って並ぶ,なずな」

の意である。

「ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した史前帰化植物と考えられている」

とあり(仝上),かなり古くからある。

「民間薬として陰干ししたのちに煎じたり、煮詰めたり、黒焼きするなどしたものは肝臓病・解熱・血便・血尿・下痢・高血圧・止血・生理不順・腹痛・吐血・便秘・利尿・目の充血や痛みに効き、各種薬効に優れた薬草として用いられる。」

ともある(仝上)。なかなか重宝な植物である。

「薺は生ゆること済々たり故に之を薺と謂う」

と『本艸』にあるとか。で,

「ナズナを行燈につり置くと虫よけになるという」

とか(『たべもの語源辞典』)。

『大言海』は,

「撫菜(なでな)の義にて,愛ずる意かと云ふ」

とある。「撫子」を「愛児に擬し」愛ずる意としたのに似て,いささか,いかがわしい気がする。「倭名抄」には,

「薺,奈都那」

とある。『語源由来辞典』も,諸説挙げつつ,

「ナズナの歴史的仮名遣いは『ナヅナ』で,その語源には、撫でいつくしむ草の意味で『撫で菜』とする説。ナズナは夏に枯れるところから,『夏無(なつな)』とする説。苗が地について縮まっているところから,『滞(なず)む菜』の意味とする説。『野面菜(のつらな)』が変化し,『ナヅナ』になったとする説がある。ナズナ(ナヅナ)の後方の『ナ』は『菜』のことと考えるのが自然で,枯れる時期が名前になることはまずないため,『夏無』の説は考え難い。断定は難しいが,ナズナは古くから薬用として食べられ,音変化も自然なことから『撫で菜』の説がゆうりょくであろう。」

と,撫菜説を権威ぶって請け合うが,「薬用として食べ」ることと「撫ぜる」こととどうつながるのか,ほとんど説明がない。この説の根拠を説明するのは,

「菜を摘んで細かく刻んで七草粥に入れた。ナヅ(ズ)ナは,菜が美味なところから,撫で愛でる菜の意の『なで菜』からである。」

という(『たべもの語源辞典』)ことだろう。薬用ということだけと撫でたとは思えない。『たべもの語源辞典』が,夏無説,夏無き説,と並んで挙げた,

ノツラナ(野面菜),

が,僕には生態をよく示していると感じられてならない。

『日本語源広辞典』は,

「ナヅ(撫で愛ず)+ナ(菜)」

説以外に,

「朝鮮語nasi nasinの変化」

を挙げる。大勢は,

撫で愛ずる説,

のようだが,「撫子」にも使った語源説で,撫でるのはナズナやナデシコだけではあるまい。僕は,

ノツラナ(野面菜),

に与する。こんなにあちこちに見かける草はない。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ホトケノザ


「ホトケノザ」と今日いうのは,

サンガイグサ(三階草),

とも呼ばれる,シソ科オドリコソウ属の,

仏の座(学名: Lamium amplexicaule)

である。この「ホトケノザ」は,

「子供が花びらを抜き取り、それを吸って蜜を味わって遊ぶことがある」

らしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%88%E3%82%B1%E3%83%8E%E3%82%B6)が,この「ホトケノザ」は,春の七草の「ほとけのざ」と異なり,食用ではない。

いわゆる,春の七草,で知られる, 

せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草,

の,

ほとけのざ,

と別である,ということになっている。

ごぎょうはハハコグサ,
はこべらはハコベ,
ほとけのざはタビラコ,
すずなはカブ,
すずしろは大根,

とされている(『世界大百科事典 第2版』)。「タビラコ(田平子)」は, キク科ヤブタビラコ属,

コオニタビラコ(小鬼田平子),

ともいい,

ホトケノザ(仏の座),

ともいうとされるのが紛らわしい。春の七草の一つとして知られているのは,この「ホトケノザ」である。

コオニタビラコ,

は,キク科ヤブタビラコ属である。これは,食用にされた。

「正月7日の朝に粥(かゆ)に入れて食べる7種の野草、もしくはそれを食べて祝う行事。この日、羹(あつもの)にした7種の菜を食べて邪気を避けようとする風は古く中国にあり、おそらくその影響を受けて、わが国でも、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが、貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる。七草の種目は、一般にはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの7種だとされているが、時代や地域によってかならずしも一定せず、そのうちのいくつかが含まれていればよいと考える所もある。」

とか(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。

今日の「ホトケノザ」は,その形をみると,納得できるが,コオニタビラコは,なぜ「ほとけのざ」と言われたのかがはっきりしない。

「『ホトケノザ』という名は、ロゼット葉の姿からつけられたものと思われるが、現在ではシソ科の雑草であるホトケノザ(Lamium amplexicaule L.)に与えられ、そちらが標準和名となっている。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A9%E3%82%B3)。ロゼッタ葉というのは,

「バラの花の形を意味する言葉であるが、『ロゼット葉』は地面に葉が広がって立ち上がっていない状態を指している。」

とか(http://had0.big.ous.ac.jp/ecologicaldic/r/rozetto/rosette.htm),

「短い茎の部分に多数の葉が密集し全体として丸い形状をなすもの」

とある(https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=226),あるいは,

「若葉はもっとしっかり地面に貼りついている。もう少し仏様が座りやすい形にも見えるだろう。」

とある(http://www.mokichi.net/flowers/annex/koonitabirako.html)ので,葉の形なのかもしれない。しかし,他にも,タンポポなどのキク科植物やキャベツなどのアブラナ科の植物など身近にある。あえて「ホトケノザ」とこれを比定したのは何によるのだろう。昔の人の観察眼は,細かくて,鋭いときがある。葉の広がった状態ではなく,この花そのものに,謂れがあるのではないか,とふと思った。

この花は,

「一つの花に見えるのは6〜9個ほどの花の集まりだ。花びらのように見えるのが花だ。一つの花には合着した5枚の花弁があり、雄しべとめしべがある」

とある(https://kobehana.at.webry.info/201403/article_28.html)。つまり,花弁状に見えるのが,一つの花で,だから,雄しべとめしべは,花弁の数だけある。そうみると,花弁状の花(舌状花)についた雄しべ(黒い部分)とめしべ(黄色の部分)が仏に見えなくもない。

「たびらこ」の謂れは,

「『タビラコ(田平子)』の名は、田面に張り付くように放射状に根生葉を広げる様子を現した名であるというのが通説です。」

と(http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/koonitabirako.html),

地面にはいつくばった姿,

を指していて,分かりやすい。

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ブリ


「ブリ」は,

鰤,

と当てるあの「ブリ」である。「鰤」(シ)は,

「一説に,これを食うと死ぬという毒魚」

とある(『漢字源』)。また,漢字の「鰤」のつくり,

「『師』は年寄りの意味を表し、年をとった魚・老魚の意味がある。また、冬は特においしいので『師走しわすの魚』ということも表している。」https://zatsuneta.com/archives/001770.html

「ブリは出世魚と呼ばれ最終的にたどり着いたところが『ブリ』。つまり人間でいうところの先生(師)の位に辿り着いたわけ。だから魚に師と書いて鰤」https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10167227310

等々とこじつけるものもある。

この魚は,出世魚といわれるほど,成長するにつれて名前が変わる。たとえば,

ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ(東京地方),
ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ(大阪地方)

とある(『広辞苑第5版』)。その変化は,

関東 - モジャコ(稚魚)→ワカシ(35cm以下)→イナダ(35-60cm)→ワラサ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)
北陸 - コゾクラ、コズクラ、ツバイソ(35cm以下)→フクラギ(35-60cm)→ガンド、ガンドブリ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)
関西 - モジャコ(稚魚)→ワカナ(兵庫県瀬戸内海側)→ツバス、ヤズ(40cm以下)→ハマチ(40-60cm)→メジロ(60-80cm)→ブリ(80cm以上)
南四国 - モジャコ(稚魚)→ワカナゴ(35cm以下)→ハマチ(30-40cm)→メジロ(40-60cm)→オオイオ(60-70cm)→スズイナ(70-80cm)→ブリ(80cm以上)

等々https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AAに譲るが),地域差が大きいが,成魚(80cm以上)を「ブリ」というのは同じようである。

「ブリの古名は,ハリマチである。小さいものをワカナゴと呼んだが,これがワカシとなった。ハリマチの名は今はハマチ(魬)とになった」

とある(『たべもの語源辞典』)。「和漢三才図絵」には,

「鰤,…和名波里萬知,略曰波萬知」

とある。「ハリマチ」は平安時代には,使われている。古名が,端々に,出世魚の中に残っていることになる。

『大言海』は,

アブラの略轉か,

とするが,これは,

「江戸時代の本草学者である貝原益軒が『脂多き魚なり、脂の上を略する』と語っており、『アブラ』が『ブラ』へ、さらに転訛し『ブリ』となったという説」

とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA)通じる。『語源由来辞典』は,

「ブリは,年を経た魚の意味で『フリウヲ(経魚)』と呼ばれ,『フリ』が濁音化され『ブリ』になったと考えられる。中国ではブリは『老魚』と言われていたため,日本でそれを言い表わしたのが『経魚』で代表的な出世魚であるため有力な説である。漢字の『鰤』が『魚』に『師』であることも,『老魚』や『経魚』の意味に通じる。ただし,中国にブリが入る時には,非常に大きく毒を持つとも言われているため,解釈は日本のものとは異なる。」

と(http://gogen-allguide.com/hu/buri.html),出世の「経年」を採る。また,

「老魚の意をもって年経りたるを 老りにより『ふり』の魚という」(「日本山海名産図絵」)

と記述されている,ともいう。

『たべもの語源辞典』は,

「年を経たという意で,フリが濁ってブリになった。九州でブリを大魚というので,鰤という字は,老魚・大魚の意であるというが,面白くない説である。ブリは,師走に最も味が良くなる魚,寒ブリと呼ばれるゆえんである。その師走の魚という意で,鰤としたとの説がよい。また,ブリはあぶらの多い魚なので,アブラのアを略し,ラとリが通じるのでブリとなったとの説は良くない。アブリ(炙)の上略という説もいただけない。体が大きいところからフクレリの略とか,ミフトリ(身肥太)の義とかの説があるが,いずれね良くない。」

と,「経年」のふり説なのか,師走の魚説なのかが,判然としないが,素人ながら,こういう語呂合わせにもったいぶった理屈をつける説は,あまり語感からみても良くない,と思うが如何であろうか。

『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「アブラ(脂)の変化」説,つまり,アブラ→ァブラ→ァブリ→ブリ,と。
説2は,アブリの変化,

である。

アブラ(脂)

アブリ(炙)

ふり(経)


というところだが,古名「ハリマチ」は平安時代には,使われているが,「ブリ」という名は,鎌倉時代の辞書が初見,ハマチは室町時代,とある(http://www.pref.kagawa.jp/suisan/kensan/files/hamachinohanashi.pdf)。経年を意識したのは,鎌倉時代末期,ブリの大きさによって名前を変えた,という。とすると,ブリの名は新しいのではないか。経年を意識したのと,ブリの名とが,何れが先かで,かなり変わる。僕は,

ハリマチ,

が,

ハマチ,

と転じる前に,ブリが意識されたとみていい。それは,「ハリマチ」を年経るながれの中に,位置づけ直した(室町時代)ということである。ブリは,その前に名があった(鎌倉時代),とみるのが自然になる。とすれば,

アブラ(脂)

アブリ(炙)

とみるのが順当に思るが,如何であろうか。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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あえる


「あえる」は,

和える,

と当てる。「和え物」の「あえ(へ)る」である。「和え物」は,

「アエル(和える)+物」

「和える」は,

混ぜ合わす,

意である。「和」の字を当てたのは,「和」(呉音ワ,唐音オ,漢音カ)の字は,

「会意兼形声。禾は粟(アワ)の穂のまるくしなやかに垂れたさまを描いた象形文字。窩(カ 円い穴)とも縁が近くかどだたない意を含む。和は『口+音符禾』」

で,やわらぐ,丸くまとまった状態の意の他に,一緒に解けあったさま,また,成分の異なるものをうまく配合する,またその状態,の意があるためかと思われる。それにしても,「あう(ふ)」という字に当てた漢字の多いこと。かつて柳田國男が,

「日本語の表記で『どんな漢字を使うんですか』という質問をする人がいますが、これを柳田國男は『どんな字病』とよんでなげいていました」

とか(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317424013)。和語は,文字を持たなかったので,その場にいる人に通じさえすればよかった,文脈依存性が強いので,

会う,
遭う,
遇う,
逢う,
合う,

も,「あう」でしかなかった。

「合う」は“一つに合する。調和する。適合する”の意。「彼とは気が合う」「サイズが合う」「相性が合う」 
「会う」は“顔を合わせる。対面する”の意。「先輩に会う」「打ち合わせのため喫茶店で会う」
「逢う」は“出会う。落ち合う”の意。「恋人に逢う」「会う」とも書く。
「遭う」は“好ましくないことに出会う”の意。「にわか雨に遭う」「交通事故に遭う」

等々(大辞林 第三版)とか,

ぴったりあう,互いに〜する意は「合」,
人とあう意は,「会」「逢」
偶然あう場合は,「遭」「偶」

等々(『広辞苑第5版』)という区別は,漢字によって,使い分けたにすぎない。『岩波古語辞典』は,

二つのものが互いに寄っていき,ぴったりぶつかる意,
二つのものが近寄って,しっくりと一つになる,

と大きく意味を二つに分けるが,そんな微妙な差は,口頭での会話では,言外に共有し合っていた。文字として,それを表現するのでなければ,それで済んだ。ちょうど,

さよなら,

が,

さようなる次第ですのでお別れします,

の「左様なる次第」を共有できているから,「さようなら」「さらば」で済んだりと似ている。このことは「さようなら」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/402221188.html)で触れた。

『大言海』は,「あふ」について,

「合ふ」
「嫁ふ」(合ふの意)
「會ふ」「遭ふ」「遇ふ」(顔の合の意)
「闘ふ」(會ふの意)
「饗ふ」(遭ふの他動,待遇の意)
「和ふ」「韲ふ」(合ふの他動詞,雑ズの意)
「敢ふ」

と,項を分けている。出発点は,「合」を当てた「あう」である。『日本語源広辞典』は,

「上下の唇が自然に相寄る音,あるいは様子から」

というのが有力な説,とする。

「『二つのもののアイ(間)がなくなること』がアウです」

とする。これを,漢字で意味を使い分けなければ,文字化したとき意味が伝えられないからに他ならない。当てた漢字は,たとえば,

「遇」はふと生きふなり,期せずして會するを遇といふ,偶字の意を兼ぬ,
「逢」「遭」「値」は,略々同じ,両方り行き逢うなり,
「合」は,ひたりと符を合わせる如く,よく合ふなり,吻合,符合と連用す,
「會」は,総べ聚る義,會計は総算用なり,朝會,會同と熟す,

とある(『漢字源』)。「あう」の語源は,二つの唇説以外に,

フタアエフ(二肖経)の上略(日本語原学=林甕臣),
アアフツの略。フツはフタツ(二つ)の意(本朝辞源=宇田甘冥),
アイ(間)からアフ(逢)からアイ(間)となった(和句解),

等々ある(『日本語源大辞典』)が,やはり,

上下のが唇自然に相寄るときの音,あるいは様子,

がいいのではないか。因みに,「饗ふ」は,

アフ(遇)の他動詞,
アハセ(合)の義,

であり,「敢ふ」は,

合ふの義,

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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フグ


「フグ」は,

河豚,
鰒,
鮐,
魨,
鯸,
鯺,

等々と当てるらしい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B0)。古くは,

フク,

といったとあり(『広辞苑第5版』),

「平安時代の文献『本草和名』『倭名類聚秒』には、フク(布久)またはフクベ(布久閉)と記されていた記録があります。フクが濁って『フグ』と呼ばれるようになったのは江戸時代頃からです。ただし、関西では古来より『フク』という呼び方を用い、今でも下関や九州ではフクと呼ぶ方も少なくありません。」

ということらしい(https://www.fugu-sakai.com/magazine/learn/1426/)。

「河豚」と表記することについては,中国由来であり,

「漢字が、『河』と書くのは中国で食用とされるメフグが河川など淡水域に生息する種であるためで、また、このメフグが豚のような鳴き声を発することから『豚』の文字があてられているとされる。」

とある(仝上)。「河」は黄河を指すが,ここでは大きな河の意か。

「河という字が使われているのは、中国では揚子江や黄河など、海よりも河に生息するふぐが親しまれていたからだそうです。」

とある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410857504)。さらに,

中国語では,「フグ」は,

「『河豚』『河豚魚』『河魨』という表記を使っている」

とある(仝上)。日本で「フグ」に当てている,

鰒(漢音フク,呉音ブク),

は,

とこぶし,

とあり,

一説に,

あわび,

ともある(『字源』)。すくなくとも,「フグ」の意ではないが,漢音で「フク」と発音することから,古名「フク」に当てたのかもしれない。

鮐(イ,タイ),
魨(トン),
鯸,

は,「フグ」の意である。鯺(ショ)は昆虫を指すらしい。この辺りは,

「漢字は『河豚』と書くのが普通だが、魚へんの漢字『鰒』『鯸』『魨』も『ふぐ』と読む。『鰒』は本来アワビを指す漢字であるが、『フク』と音読みすることから、フグを表す漢字として使用されるようになった。室町時代の国語辞典『節用集(せつようしゅう)』に『鰒(ふぐ)』が始めて現れる。『鯸』は、つくりの『侯』が『膨れる』という意味を表すことから『大きく膨れる魚』=フグとなった。『河豚』は中国の揚子江や黄河の中流域までメフグが棲んでいたことから『河』、膨れた姿が豚に似ていることから『豚』が使用されるようになった。また、豚の異体字を『豘』と書くことから『河魨』の表記が生まれ、『魨』の一文字が独立するようになった。」

と詳しい(https://zatsuneta.com/archives/001931.html)。なお,「鮭」(ケイ,ケ)も,

フグ,

をさす(『山海経』などの古典ではフグに『鮭』の字を当てている),とか(仝上)。

当てた漢字はさておき,「フグ」の語源は,『大言海』は,

「怒れば,腹,脹るる故に云ふと」

と,脹れるを語源とする。その他,

口の形が「吹き付ける」のに適しているところから、「フキツケル→ フク→ フグ」という説
「腹を含ませる(フク)」から“フク“となり「フク→ フグ」という説
膨らんだフクが「瓢箪・フクベ」のようだから「フクベ→ フク→ フグ」という説
フクルルトト(脹るる魚)からフクトと呼ばれた。「フクト→ フク→ フグ」という説
韓国語で「ポク」はフグのこと。そこから「ポク→ フク→ フグ」という説

等々(http://allfishgyo.com/595.html),さらに,

シブク(渋)の義(和句解),
フド(斑魚)の義(言元梯),
ブス(毒)の転(和語私臆鈔),

等々もある(『日本語源大辞典』)。

「膨らむものを意味するものの多くは『ふく』が使われているため、ふぐも『ふく』と呼ばれたとする」

説からする(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410857504)と,

袋(ふくろ),
脹脛(ふくらはぎ),
ふくよか,
膨れる(ふくれる),
ふくべ(瓢箪)
脹る,

等々の諸説は「ふくらむ」の「ふく」に含まれる。どうやら,

「平安時代には『布久(ふく)』『布久閉(ふくべ)』と呼ばれていた。江戸時代中頃から,関東で『フグ』と呼ぶようになり全国へ広がったが,現在でも下関や中国地方の一部では『ふく』と呼ばれている。『ふく』の語源は,海底で砂を吹き出てくるゴカイ類を食べる性質があるため,『吹く』と呼ぶ説や,『袋(ふくろ)』『脹脛(ふくらはぎ)』『ふくれる(膨れる)』など膨らむものを意味するものの多くに『ふく』が使われており,フグも膨らむのでこの語幹からとする説がある。『瓢箪』を『瓠瓢(ふくべ)』と呼んだことから,形が似ているため『ふぐ』を『ふくべ』と呼び,『ふく』になったとする説もあるが,『瓠瓢』は膨らむものと同じ由来になるので,この説は違うとみてよいだろう。」

と整理(http://gogen-allguide.com/hu/fugu.html)してみると,「ふくらむ」の「ふく」に傾く。

「フグは,『吹く』で,膨れる,フクベと同源です」

とある(『日本語源広辞典』)のをみると,「吹く」と「膨らむ」が重なるように見える。しかし,『岩波古語辞典』には,「膨る」は,

フクダムと同根,

とある。「フクダム」は,

毛羽立たせる,
毛がそそけだって膨らんだようになる,

ことである。「吹く」は,あくまで,

口をすぼめて息を吐く,

意で,膨らむのは逆に吸い込むで,別のことである。やはり,

膨らむの「ふく」

でいいのではあるまいか。

「空気をのみこんてだ体をふくらすので,フクルルトト(脹るる魚)といったのが,フクト・フグトに転音した。…さらに,語尾を落してフク(布久。和名抄)・フグ(河豚)になった」

とある(『日本語の語源』)のは,時間経緯が多少怪しいが,「ふくらむ」説の傍証となる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ふく


「ふく」は,

吹く,
噴く,

と当てる。

「吹」(スイ)の字は,

「会意。『口+欠(人のからだをかがめた形)』。人が体をかがめて口から息を押し出すことを示す」

とある(『漢字源』)。「息をふく」「風がふく」意である。「噴く」(フン,ホン)は,

「会意兼形声。賁(ホン)は『貝(たから)+音符奔(吹き出す,ふくれる)の略体』で,はじけそうに膨れた宝貝のこと。噴は『口+音符賁』。ぷっとはじけるように口から吹き出すこと」

漢字を当てなければ,「噴く」と「吹く」の違いのニュアンスは。その場にいるものに「ふく」だけで伝わった。文字表現ではないのだから,その場にいるものに通じればよかったのである。

『岩波古語辞典』は,

「口をすぼめて息を吐く意。また,風の起こる意」

とし,

「神話では息を吹きだすことは生命の象徴だったので,息・風・霧などは生命の誕生と結びつけられた」

とある。『広辞苑第5版』は,

「語幹フは風が樹木などを吹いて立てる音の擬声音か」

とする。

息を吹く擬態,
か,
風の音の擬音,
か,

ということのようである。『大言海』は,

「脣の所作の聲」

とするので,擬音説である。

『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「ビュウ・フウ(擬音,pju→hju→hu)+く」で,擬音に語尾「く」を加えた語,
説2は,「フ(含み)+ク(動詞化)」口の中の含みを出す意,

とする。しかし,「含み」は,

「内に物を包み込んで保つ」

意で,「吹く」動作とは異なるのではないか。

大勢は,

フーという擬音から(国語溯原=大矢徹・国語の語根とその分類=大島正健・日本語原学=林甕臣・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実),
フクフクという風の音から(和句解),

と擬音説のようである。しかし,他に,

ハルキル(春剪)の反(名語記),
フキク(吹気来)の義(日本語原学=林甕臣),
フク(風来)の義(言元梯),
フレキ(触来)の義(名言通),
フは広がる意,クはうきあがり,また,かきわく意(槙のいた屋)
風に当たると万物が傾くところからカタフク(傾)の上略か(和句解),
フは進行の義。進む所に付止まる義(国語本義),
風の意の中国語fengから(外来語辞典=荒川惣兵衛),

等々珍説がある(『日本語源大辞典』)。風の音くらい,わざわざせ中国から持ってこなくても,吹いているものに名ぐらい付けるだろう。

個人的には,「ふーっ」「ふーふー」という擬態語か擬声語ではないか,と思う。風音はともかく,「ふーっ」は音というよりその恰好

「脣の所作」

ではないか。あるいは,『大言海』の,

「脣の所作の聲」

というところかもしれない。「ふーっ」は,

「口をすぼめて,軽く息を吹きかける音」

とある(『擬音語・擬態語辞典』)。どちらかというと擬態に近いような気もする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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葺く


「葺く」は,

屋根を葺く,

の「葺く」である。「葺」(シュウ)の字は,

「会意兼形声。下部の字は,寄せ集める意を含む。葺はそれを音符とし,艸を加えた市場で,かや草などを寄せ集めること」

とある(『字源』)。

「名義抄」には,

「葺,フク,カサヌ」

とある。

『日本語源広辞典』には,

「カタフク(傾く)の下の二音節」

とあり,

萱,茅,葦,板,瓦などを傾けて置き,屋根を覆う意,

とある。しかし,ちょっと,

kamuku→muku,

とするのは,どうだろ。他には,

もる雨をフセグ(防)義か,またフサグ(塞)の義か(和句解),
フク(吹)の転。雨が淀みなき所に付止る義(国語本義),
覆の音から(外来語辞典=荒川惣兵衛),

等々がある。ちょっと「覆」の音というのは惹かれるが,屋根葺が渡来とはがぎらない。

「日本でも縄文時代には茅を用いた屋根だけの住居が作られていたと考えられている。奈良時代以降の場合は板葺や樹皮葺であった可能性が検討されるが、弥生時代以前の遺跡(登呂遺跡など)で復元される竪穴式住居などの屋根は通常茅葺とされる。」

とある(仝上)ように,登呂の遺跡の再現には,少し疑問があるにしても,古くから葺いていたことはの間違いない。

「吹く」は,基本的に,息を吹く,とか,風が吹く,とか,精々法螺を吹く,程度の意味の外延しかなく,屋根を「ふく」に転用できるとは思えない。ただ,

葺く,

の意味に,

草木などを軒端などにさし飾る,

意がある(『岩波古語辞典』)。

紅葉を葺きたる船の飾りの,錦と見ゆるに(源氏物語),
あやめ葺く軒場涼しき夕風に〈玉葉集〉,
五月(さつき)、あやめふくころ、早苗とるころ(徒然草)

等々という用例もある。強引に「吹く」とつなげられなくもないが,無理筋だろう。

「屋根をおおうことを『葺(ふく))」

という(http://japanmeguri.seesaa.net/article/407274668.html),とある。とすると,

覆,

につながるが,これも,漢字を持たない時代を考えると,「覆」につなげるのは無理がある。結局分からないが,あるいは,漢字を持たない時,

葺く,

吹く,

拭く,


同じ「ふく」であった。あるいは,「振る」の古語,

振く,
揮く,

も「ふく」である。どうやら,「ふく」は広く使われていたらしい。臆説を挙げるなら,「振る」にある,

振り分ける,
割り当てる,

とつなげれば,「葺く」にもつながらなくもない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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拭く


拭く,

葺く,

吹く,

噴く,

振く,
も,

全て,

ふく,

であった。あるいは,語源は一つではないか,という気がしないでもない。文字を持たない祖先にとって,言葉は口頭での会話だけであった。文脈を共有する当事者にとって,「ふく」で,何を指しているかは明確で,区別の必要はなかった。文字表現になって初めて,意味の限定を必要とした。漢字は,不可欠となる。

「拭く」の「拭」は,

ぬぐう,

とも訓ませる。

「どちらも汚れ・水気などを取り去るために布や紙などを表面に当てて動かすことだが、『窓をふく』『食器をふく』のように、隅々までこすって全体をきれいにする意では『ぬぐう』は使いづらい。『ぬぐう』は部分的な汚れ・水気を取り去るという意が強い。…『ぬぐう』は、汚点やよくない印象などマイナス面を取り去る意にも用いられる。」

とある。あくまで,和語では,「ふく」と「ぬぐう」は別だったものに,「拭」の字を当てるから,面倒になっただけである。

「拭」(漢音ショク,呉音シキ)は,

「会意兼形声。式(ショク,シキ)とは『弋(クイ)+工』からなり,棒杙(ボウグイ)で工作すること。のち人工を加えて整える意となる。拭は『手+音符式』で,人工を加えときれいにすること」

とある(漢字源)。ふく,意も,ぬぐう,意もある。「ふく」と「ぬぐう」の区別は,文字化するとたいした差ではなく,眼前にそれを見ているものにとって,そのわずかな差のニュアンスが問題になるのではないか。

「拭く」は,

「拭き拂う意かと云ふ」

とあり(大言海),

ぬぐうと同じ,

とある(仝上)。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,拭き払うの変化,布を使い埃をとってきれいにすること,
説2は,「払の音(フツ)」の動詞化,拭い取る意,

とする。しかし,「払の音」を動詞化したというには,「払」が,「ふく」と同じ意で使われていること,つまり,説1と同じく「はらう」意だということを前提にしないと,説2は成り立たない。説2は,穿ち過ぎではないか。それなら,むしろ,「拭く」は,

吹く,

の意だったのではないか。つまり,「拭く」と「吹く」は同源だったのではないか。

ただ,『岩波古語辞典』には,

「ふく」

は載らず,

のごふ,

が載り,

「ぬぐふの古形」

とある。あるとすると,元々和語には,「ふく」意味の言葉は,

のごふ,

のみあったのかもしれない。としても,

払,

とはつながらない。因みに,「ぬぐう」は,

のごふの転,

とある(大言海)が,「のごふ」の語源は分からない。しかし,この言葉は,

てぬぐい(手拭い),

の中に残っている。「てぬぐい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%81%A6%E3%81%AC%E3%81%90%E3%81%84)で触れたように,「てぬぐい」は,

てのごひ,

また,

たのごひ,

とも(岩波古語辞典)いった,とある。「て(手)」は,古形が「た」なので,「たのごひ」というのも「てぬぐい」のことである。しかしこれ以上には辿れない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ヒラメ


「ヒラメ」は,

鮃,
平目,
平魚,

等々と当てる。「鮃」は,

「会意兼形声。『魚+音符平(たいら)』」

で,「ヒラメ」を指す。ヒラメとカレイの総称とか(『漢字源』)。「鮃」は平たい魚の意ということである。比目魚ともいうらしいが,「目が並んでいる魚」の意らしい(『たべもの語源辞典』)。

左ヒラメに右カレイ,

といい,

「黒いほうを上にし,腹を手前に置いて目が左にくればヒラメ,反対に右ならカレイ」

とか(『たべもの語源辞典』)。

しかし,ことはそう簡単ではないらしい。

「干ガレイ(デビラとかコノハガレイともいう)やカワガレイは目が左にある。ヒラメとカレイは稚魚の項ロバ,メは左右についている。海底生活をするようになって砂に接する側(裏)が白くなり反対のほうが黒っぽくなる。眼鏡の左・右ではカレイとヒラメの区別はむずかしい。むしろ,口の大きさでヒラメは大きくカレイは小さいというほうがよい。春夏にうまいのがカレイで,ヒラメは秋冬がうまい。」

ということらしい(仝上)。

「古くは,ヒラメとカレイの間の区別は明確ではなく,ヒラメはカレイの一種という扱いであった」

らしい(『日本語源大辞典』)。

「漢字の『鰈(カレイ)』は『葉っぱのように平たい魚』という意味。現在ではヒラメ(鮃)とカレイ(鰈)で別々の漢字を用いて区別しているが、昔は区別していなかった。江戸初期の辞書『倭爾雅わじか』(1694年)では『比目魚ひもくぎょ』をカレイと読ませており、その際、カレイとヒラメは区別していない。」

ともある(https://zatsuneta.com/archives/001840.html)。両者の区別は,あまりされていなかったようである。

さて,「ヒラメ」の語源説は,

・平たく薄い魚だから(平魚と書き,特殊な眼鏡の付き方によって平目魚から)「ヒラメ」(になった)という説,
・目が並んでいるところから「比目魚」と書いて「ヒラメ」と呼んだという説,
・平見え「ヒラミエ→ ヒラメ」になった説,
・カタヒラ(半平)に目(メ)があるからという説,
・ヒラ(左片)に両目(メ)があるからという説,
・平べったい魚から,ヒラメとしたという説,
・平たい体に目が二つ並んでいることから「平目」とする説,

等々ある(http://allfishgyo.com/557.html,その他)らしいが,『大言海』は,

「片片(カタヒラ)に目ある意」

とし,『たべもの語源辞典』も,

「魚の名称は,その魚の特徴をつけるものなので,平たくて目が片側にあるというカタヒラメを略してヒラメというとしたい」

と,カタヒラメ説を採る。『日本語の語源』は,

「カタミエ(平見え)魚はヒラメ(比目魚。鮃)になった」

と,平らに見える状態から来たとする。『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/hi/hirame.html)は,

「古語では,『平らなさま』を『ひらめ』というため,そのまま『平らな魚』で『ひらめ』。また,ヒラメの『メ』は『ヤマメ』『アイナメ』などと同じく,『魚』を意味する『メ』で『平らなメ(魚)』からとも考えられる」

と,平らになる,平らにするという動詞「平む」(自動詞,他動詞)からきたとする。名詞形は平らなさまの「ひらめ」である。

『日本語源広辞典』は,

「ヒラ(平ら)+メ(接尾語)」の,平らな魚,
「かたひらに目がある魚」

の二説挙げる。確かに,平らな魚の形態から,

ヒラメ,

もあるが,特徴を,目と見れば,

カタヒラメ→ヒラメ,

もある。どちらとも言い難いが,平らよりは,目の特徴を採ってみる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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カレイ


「カレイ」は,

鰈,

と当てる。「鰈」(トウ,チョウ)の字は,

「会意兼形声。枼は,薄くて平らなとの基本義をもつ。鰈はそれを音符とし,魚をくわえた字」

とあり(『漢字源』),カレイの意であるが,ひ「ひらめやかれての類の総称」で,「比目魚」ともとあるので,ヒラメとの区別は曖昧である。

「『鰈』の『枼』は葉に由来し薄いものの意。王が魚を半分食べたところを水に放すと泳ぎだしたとの中国の故事から『王余魚、王餘魚』とも書くが、ヒラメをも含めた言い方である。このほか『鰕魿』『嘉列乙』『嘉鰈』『魪』『鮙』『鰜魚』などの漢字表記もある。漢名は『鰈』であるが、ヒラメとの混称で『偏口魚』『比目魚』などとも呼ばれる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%A4)し,

「漢字の『鰈』は『葉っぱのように平たい魚』という意味。現在ではヒラメ(鮃)とカレイ(鰈)で別々の漢字を用いて区別しているが、昔は区別していなかった。江戸初期の辞書『倭爾雅わじか』(1694年)では『比目魚ひもくぎょ』をカレイと読ませており、その際、カレイとヒラメは区別していない。」

ともある(https://zatsuneta.com/archives/001840.html)。両者の区別は曖昧であった。

「この魚は扁(ひらた)く薄くて,頭が小さい。身の右の一面が黒く左の一面は白く,白いほうを地にすりつけて泳ぐ」

とあり(『たべもの語源辞典』),

「体は平たく、両目は、ヌマガレイなどの一部の例外を除き、原則として体の右側の面に集まっている。逆にヒラメ類では、目は体の左側側面に集まる。しかし、個別の個体では偶発的に逆となる変異現象(reversal of sides)がある。両目のある側を上にして海底に横向きになり、砂や泥に潜るなどして潜む。体の目のある側は黒褐色から褐色。特有の斑点を持つものもある。」

ともある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%A4)。

「カレイ」は,

カラエイの転,

とある(『広辞苑第5版』)。『語源由来辞典』も,

「古名は『カラエヒ(イ)』で,これが転じて『カレイ』になった。平安中期の『本草和名』にも,『加良衣比』sある。」

とし,『大言海』も,

「古語カラエヒの転」

とある。「カラエヒ」の項に,

「槁鱏(カラエヒ)の義。痩せ枯れたる意ならむ。…鱏(エヒ)に似て,甚だ小さし」

とある。「から」は,

涸,
枯,
乾,

と当て,接頭語で,

「涸(カレ)の転。群,むら雲,末(ウレ),うら葉。稀人,まらうど(賓客)の例なり(竹,たかむら。船,ふなばたの類)。枯,乾(カレ)の,カンラとなるも同じ。空(から),殻(から)も,乾(カラ)より移れるなり」

とある(『大言海』)。随って,

「『かれい』は『唐鱏』(からえい)または『涸れ鱏』の転訛とされる」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%82%A4)「唐」は,

「唐とあてるのは間違いである。舶来とか新むとかいう意味のとき唐がつけられる。カラエイには,そういう意味はない」

ようである(『たべもの語源辞典』)。当然,

「韓に多くいたエイ類の海魚である。「サカタザメ」をいう韶陽魚(こまめ)に似ているところからカラエイ(韓鱏)の約(和字正濫鈔・東雅・名言通・国語学通論=金沢庄三郎),

と「韓(から)」につなげるのも間違いとなる。またも古名が,「カラエヒ」である事を考えると,

カタワレイヲ(片割魚)の略(日本釈名・物類称呼・俚言集覧・重訂本草綱目啓蒙・柴門和語類集),

の説も採れない。『日本語源広辞典』は,

「カタエイ,カラエイ(片側魚),の変化」

とするが,エイ」は「鱏(エイ)」の意なので,この説は,採れまい。

「古名のカラエイがカレエイとなり,エが略されてカレイとなった。この魚をカラエイとよんだのは,エイという肴に似ているが,小さくてエイよりは涸れているからだある。カラはカレテル,涸れる,しめり気の乾くことといった意もである」

という(『たべもの語源辞典』)のが,結論だろう。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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カツオ


「カツオ」は,

鰹,
松魚,
堅魚,

などと当てる。「鰹」(ケン)の字は,

「会意兼形声。『魚+音符堅(肉がしまっている)』」

で(『漢字源』),

「胴の大いなるもの」

の意(『字源』)で,

「おおうなぎ」

とする(『漢字源』)ものもあり,少なくとも,

カツオ,

でないことは確かである。もともと,

堅魚,

と書いていたものが,一字化し,

鰹,

となった(木工→杢,麻呂→麿)もののようである。

「カツオ」は,

カタウオの約,

とある(『広辞苑第5版』)。

「日本では古くから食用にされており、大和朝廷は鰹の干物(堅魚)など加工品の献納を課していた記録がある。カツオの語源は身が堅いという意で堅魚(かたうお)に由来するとされている。『鰹』の字も身が堅い魚の意である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%82%AA)から,あえて,「鰹」の字をあてたのだろう。吉田兼好が,

「鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなりと申しき。かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ候れ。」

と書いており(『徒然草』),かつては見向きされなかったものらしい。ただ鰹節(干鰹)は,

「神饌の一つであり、また、社殿の屋根にある鰹木の名称は、鰹節に似ていることによると一般に云われている。戦国時代には武士の縁起かつぎとして、鰹節を『勝男武士』と漢字をあてることがあった。織田信長などは産地より遠く離れた清洲城や岐阜城に生の鰹を取り寄せて家臣に振る舞ったという記録がある。」

という。そんな「カツオ」も,江戸時代には人々は初鰹を特に珍重したとかで,

目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお),

という句(山口素堂)もある。

「江戸においては『粋』の観念によって初鰹志向が過熱し、非常に高値となった時期があった。『女房子供を質に出してでも食え』と言われたぐらいである。1812年に歌舞伎役者・中村歌右衛門が一本三両で購入した記録がある。」

とか(仝上)。

『大言海』は,

「頑魚(カタクナウヲ)の略轉」

とし,

「高橋氏文『以角弭之弓,當遊魚之中,即着弭而出,忽獲數隻,仍名曰頑魚(カタウヲ),此今諺曰堅魚』。今も牛角の鈎ニテ釣るなり,鰹は,借字の堅魚の合字なり,鰹節に因りて,堅き魚の義とする説あれど,海中に腊(きたひ 干物の意)なるはなし」

とあるので,

愚かであることから,カタウヲ(頑魚)の転,

説だが,この説明で,「カタウヲ」説にも,『大言海』が批判するように,

干すると堅くなる,

の「カタウヲ」説があり,

「干すと堅くなるので『かたうを』と呼ばれていた」(日本語源大辞典)
「古くは生で食べることはなく、干して食用にしたことから、堅い魚の意の『堅魚(かたうお)』が変化した語とされる(由来・語源辞典http://yain.jp/i/%E9%B0%B9)。

とするものがある。しかし,

「『カタシ(堅し)』の『カタ』に『ウヲ(魚)』で『カタウヲ』となり、転じて『カツヲ(カツオ)』になっ たといわれる。加工されていないカツオは,鎌倉時代まで低級な魚として扱われ,主に干し固めて食用としていたことや,肉がしまっていること,『万葉集』などには『堅魚(カツオ)』といった表記があることから,『カタウヲ』説は有力」

という説明(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/ka/katsuo.html)などから見ると,大言海の揶揄にもかかわらず,

干すと堅くなる,

肉がしまっている,

の両方の意味が重なっていそうである。その他,『大言海』の,

愚かであることから,カタウヲ(頑魚)の転(高橋氏文・箋注和名抄・松屋筆記),
カツオは疑似餌ぎじえでどんどん釣れるくらい「頑かたくなな魚」だから、「カタウオ」(頑魚)→「カツオ」になったという説(https://zatsuneta.com/archives/001714.html),

以外に,

カチ(濃紺)+魚(日本語源広辞典),
釣り上げると木の棒で叩いたり,ぶつけたりして処置しておくことから,棒などで打ち叩く意味の『カツ(搗つ)』に『魚(うを)』で『カツウヲ』となり,転じて『カツヲ』となった(語源由来辞典・衣食住語源辞典=吉田金彦),
弱いイワシに対して、強い魚だから、「勝つ魚」→「カツオ」となったとう説がある。江戸時代には「勝つ魚」と語呂がよいことから武士の間で好まれた(https://zatsuneta.com/archives/001714.html),

等々もある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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イルカ


「イルカ」は,

海豚,

と当てる。和名抄では,

江豚 伊流可,

古事記では,

入鹿魚,

と表記している。

「海豚(カイトン)」は,中国語である。

「宛字、〈海豚・江豚〉は中国人の用語で、イルカを〈豚〉に似た形と断じての命名であろう」

と(語源海),とある。「イルカ」に当たる漢字は,一字だけで表す字が数種あるらしい。

「イルカ」の定義は,曖昧で,

「哺乳綱鯨偶蹄目クジラ類ハクジラ亜目に属する種の内、比較的小型の種の総称(なお、この区別は分類上においては明確なものではない)。」

とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%AB),

「分類学上は『イルカ』に相当する系統群は存在しない。一般的にはハクジラ亜目に属する生物種のうち比較的小型の種を総称して『イルカ』と呼ぶことが多いが、その境界や定義についてははっきりしておらず、個人や地域によっても異なる傾向がみられる。」

日本では,

「日本語では、成体の体長でおよそ4mをクジラとイルカの境界と考えることが多い。」

という。総じて,

小形のハクジラ類の総称,

ということらしい。この「イルカ」の定義同様,「イルカ」の語源も,例えば,『語源由来辞典』が挙げるのは, 

@イルカ漁をすると大漁の血が流れたり,辺り一面が血の臭いになることから「チノカ(血臭)」が転じた,
A「行く」を意味する「ユルキ」が転じた,
B海面に頭を出し入れすることから,一浮一没の魚の意味で「イリウク(入浮)」が転じた,
Cよく入江に入ってくるので「イルエ(入江)」が転じた,
Dイルカの「イル」は,「イヲ(魚)」で,「カ」は食用獣をいう語,

の五説で,「イルカ」の語源説のすべてである。最も有力な説は,Dとし,

「古く『ウロコ』は『イロコ』と呼ばれており,『イル』や『イロ』『イヲ』は魚を表す言葉に用いられる。また,食べ物の神は『ウカノミタマ(食稲神)』と呼ばれ,『ウカ』には『食』の意味があり,『稲』が陸上の食『ウカ』とすれば,水中のウカが『イルウカ』や『イロウカ』と呼ばれ,転じて『イルカ』になったことは十分考えられる」

としている(http://gogen-allguide.com/i/iruka.html)。「行く」説も,地方によっては,「イルカ」を「ユルカ」と呼ぶところもある,としている(仝上)が,『日本語源広辞典』は,

「イル(湾や入江に入る)+カ(動物)」

とする。

カは食用獣をいう語(日本古語大辞典=松岡静雄),

とする根拠は分からないが,それを前提にすると,

イル,

が,

行く(ユルキ),

入る,

イヲ(魚),

となるが,僕は,「イヲ(魚)」と思える。「ゆく」は,

「現在の地点を出発点または経過点として,進行・移動が,確かな目標あるいは広い前方に向かって持続される意。また,時の経過とともに現在の状態が持続し,その程度が増大する意。奈良時代以降,同義のイク(行)よりも広く使われ,特に漢文訓読体ではユクの形を用いた」

とある(『岩波古語辞典』)。「入る」というのは常時ではないので,消極的に「イヲ」かと。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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あげつらう


「あげつらう」は,

論う,

と当てる。「論」(ロン)の字は,

「会意兼形声。侖(リン)は『まとめるしるし+冊(文字を書く短冊)』の会意文字で,地を書いた短冊をきちんと整理して,まとめることをあらわす。論は『言+音符侖』で,ことばをきちんと整理して並べること」

とある(『漢字源』)。「評論」「討論」の「筋道を立ててきちんと整理して説く」意であり,「理論」の「理くつをたてたはなし」の意である。「勿論(ロンナク)」は,いうまでもないの意であり,日本語ではモチロンと訓ます。

「論」は,論ずる意で,

あげつらう,

に当てて,

物事の理非をあれこれ言い立てる
とやかく言いたてる,

の意で,「論」の意味からは,少しずれる。しかし,『岩波古語辞典』は,

論ずる,
あれこれと言い合う,

意とするので,もともとは,今日の,どちらかというと,

為にする,

ような意の「あげつらふ」とは違ったのかもしれない。

「『あげ』は挙,『つらう』はあれこれとする意」

とある(『広辞苑第5版』)。『岩波古語辞典』は,

「アゲはコトアゲ(言挙げ)のアゲ,ツラフはイヒヅラヒ・ヒコヅラヒのツラフに同じ」

とする。これだと分かりにくいが, 「ヒコヅラフ」を見ると,

あれこれと力を入れてひっぱってみる,

意で,

「ツラフは連り合ふの約,アゲツラヒフ・カカヅラフのツラフと同じ」

とあり,「イヒヅラフ」は,

あれこれ言う,

意で,

「ツラフはアゲツラフ・ヒコヅラフのツラフと同じ」

とある。「ツラフ」は『岩波古語辞典』には載らないが,『大言海』に,

拏ふ,

と当て,

「萬葉集『散釣相(サニツラフ)』,『丹頬合(ニツラフ)』の釣合(ツラフ)にて,牽合(つりあ)ふ約(関合ふ,かからふ),縺合(もつれあ)ふの意なり。同趣にて,しらふ,しろふという語あり」

とし,

爭(すま)ふ,

の意とし,

「此語,他語と熟語となりて用ゐらる。『引(ひこ 牽)づらふ』『挙げつらふ』『関づらふ』『為(し)づらふ』『詫びづらふ』『言ひづらふ』『譲(へ)つらふ』などの類なり。」

とある。「言挙げ」は,

声高く言い立てること,

であるので,どうやら,元々,

「あげつらふ」

には,

事々しく,ああだこうだと言い立てる,

意があったものと思われる。「論」は「論」でも,

論争,

に近い。『日本語源大辞典』は,

「『あげ』は『挙げ』,『つらふ』は『引こづらふ』などの『つらふ』で動作や状態が強く長く続くことを表す」

とする。『日本語源広辞典』は,

「アゲ(言挙げ)+ツラウ(連なり合う)」

とし,良い悪いを言い立てる,

意とする。「あげ」は,「挙げ」ではなく,「言挙げ」でなくては,意味が通じまい。ただ,

「もともとは負のイメージはなかったが、近世以降、非難をこめて述べ立てる含みが込められるようになり、『欠点をあげつらう』などのように用いられるようになった。」(『由来・語源辞典』)

というように(http://yain.jp/i/%E8%AB%96%E3%81%86),単に言い立てるという状態表現であったのが,事々しく言い立てる価値表現へと転じたということのようである。

因みに,「つらふ」は,

色の映合(さしあ)ふ,

意にも用い,「しらふ」は,

他の色の地に白く出(いで)たる斑(ふ),

と同趣という意味である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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皮肉


「皮肉」は,

皮と肉。転じて,からだ,

の意であり,

(骨と髄にまで達していない意)うわべ,表面,理解や解釈の浅い所,

の意まではよく分かる。しかし,

意地のわるい言動。骨身にこたえるような痛烈な非難。また,遠まわしに意地悪を言ったりしたりすること。また,そのさま。あてこすり,

さらに,それをメタファにした,「運命の皮肉」というような,

思いどおりにならず,都合の悪いこと,また,そのさま,
物事が予想や期待に相違した結果になること,

という意味(『広辞苑第5版』『精選版 日本国語大辞典』)に使う語原が分からない。『字源』には,

いぢわるく,あてこすりに云ふ,

は,我が国だけの使用とある。どこから来たのか。『字源』には,

皮肉之見,

という言葉が載る。

あさはかなる悟り,

の意味として,『傳燈録』から,

「達磨欲西返天竺,乃命門人曰時将至矣,汝等蓋各言所得乎,時門人道副對曰,如我所見,不執文字不離文字,而為道用,師曰,汝得吾皮,尼総持曰,我今所解,如慶喜見阿閦佛國。一見更不再見,師曰,得吾肉,道育曰,四大本空,五陰非有,而我見處無一法可得,師曰,汝得吾骨,最後慧可禮拝後依位而立,師曰,汝得吾髄」

を引く。つまり,

「道副は『文字に執せず、文字を離れず、而も道用を為す』(仏法は言葉ではないが、そのことを言葉で徹底的に説明することも必要である)と言った。これに対して達磨は『汝吾が皮を得たり』と言った。
 尼総持は『慶喜(釈尊の弟子「阿難」)の阿シュク仏国(理想世界)を見るに一見して再び見ざるが如し』(阿難が釈尊に阿シュク仏国(理想世界)を見せてもらった故事を踏まえて、私は理想を追い求めない)と言った。これに対し達磨は『汝吾が肉を得たり』と言った。
 道育は『四大(肉体)本空、五陰(「色受想行識」即ち精神作用)有に非ず、而も吾が見處、一法の得可き無し』(肉体も本来一時的な存在であるし、精神作用も実在ではない、従って『これこそ絶対真実』というようなものはない)と言った。これには達磨は「汝吾が骨を得たり」と言った。
 慧可は前に進み出て達磨に礼拝して後、『位に依って立つ』(依位而立)即ち師に侍立した場合に弟子の居るべき定位置即ち師の斜め左後に立った。そこで達磨は『汝吾が髄を得たり』と言い,慧可に伝法付衣(袈裟)した。」

というエピソードである(http://zazen-ozaki-syokaku.c.ooco.jp/zen.html)。

この達磨大師の「皮肉骨髄」を,「皮肉」の語源とする説が,ネット上では大勢である。たとえば,

「その由来について調べていると、中国禅宗の達磨大師の言葉「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」からくる仏教用語であることがわかった。…『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』。弟子たちの修行を評価した達磨大師の言葉である。ただその意味するところはたいへん深く、骨や髄は『要点』や『心の底』のたとえつまり本質を理解しだしたということを意味するというのだ。たいして皮や肉は表面にあることから本質を理解していないという意味の非難の言葉。皮 肉 骨 髄 と四段階評価と行きたいところだが、肉と骨の間は途方もなく広いようである。これこそ皮肉かな悪い批評の言葉である骨と皮だけがセットとして残り、欠点などを非難する意味で使われるようになってしまったというわけ。」(https://www.yuraimemo.com/2686/

あるいは,

「皮肉は、中国禅宗の達磨大師の『皮肉骨髄(ひにくこつずい)』が語源で、仏教用語。『皮肉骨髄』とは、『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』と大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。
骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから「本質を理解していない」といった非難の言葉であった。そこから、皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった。」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418752854

こうした語源説の淵源は,

「皮肉は、中国禅宗の達磨大師の『皮肉骨髄(ひにくこつずい)』が語源で、元仏教語。『皮肉骨髄』とは、『我が皮を得たり』『我が肉を得たり』『我が骨を得たり』『我が髄を得たり』と、大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。 骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから『本質を理解していない』といった非難の言葉であった。そこから,皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった」

である(『語源由来辞典』http://gogen-allguide.com/hi/hiniku.html)。しかし,

「骨や髄は『要点』や『心の底』の喩えで『本質の理解』を意味し、皮や肉は表面にあることから『本質を理解していない』といった非難の言葉であった。」

というのは,『語源由来辞典』の書き手の主観ではあるまいか。この達磨の言葉を見ると,神髄は,

「慧可が、ただ黙って達磨に礼拝して、もとの位置につく。それをみて、『汝はわが髄を得たり』」

にのみ焦点を当てているし,現に,

「達磨大師が慧可を後継者としたのは、釈尊がある日、弟子に説法しているとき、一本の花をひねって見せたが、誰もその真意が分からず沈黙していたときに、摩訶迦葉だけがにっこりと笑った。釈尊は、言葉で言い表せない奥義を理解できる者として、彼に伝法の奥義を授けた。この拈華微笑(ねんげみしょう)の故事から、他の三人が論を立て、悟りの中身を言葉で伝えようとしたのとは対照的に、慧可が黙って達磨に礼拝して元の位置についたことは、以心伝心を尊ぶ禅の不立文字(ふりゅうもんじ)の真髄を表している。」(https://shorinjikempo.or.jp/magazine/vol-46%E3%80%80%E7%9A%AE%E8%82%89%E9%AA%A8%E9%AB%84%E3%81%AE%E8%A8%93%E6%88%92.html)。

とあるように,後継者になったのは,慧可である。しかし,

「達磨は各門人の修行の成果を表す陳述に対し、達磨自身の皮肉骨髄、即ち道副は皮、尼総持は肉、道育は骨、慧可は髄、つまり各々仏法を受け継いだとして各人に印可を授与した。」

のである(http://zazen-ozaki-syokaku.c.ooco.jp/zen.html)。つまり,

「ここで特に注意すべきは、通常一般の解釈は、彼等弟子たちの間に優劣を認め、髄を得た慧可が最高であるから達磨の法を継いだとする。然し道元禅師は『皮肉骨髄』に『浅深』の格差はないとされる。即ち身体において皮肉骨髄は等しく必要なものであり、どれひとつ欠けても身体は成り立たない。これらに格差を認める考え方は、比較分別に終始する自我中心の人間世界の立場であって、尽十方界即ち仏法を学んだことのない者の考えであると言われる。」

のである(仝上)。

では,

皮肉之見,

が,今日の,

あてこすり,

嫌味,

イロニー,

の「皮肉」になったと言っていいのか。「皮肉之見」は,ただ皮相ということをいっている状態表現だが,それが価値表現へ転じた,ということでいいのだろうか。その可能性はあるが,それを言っているのは,『語源由来辞典』のみであるのに,いささかためらう。ここは,よく謬説を流布するから。

実は,

意地のわるい言動。骨身にこたえるような痛烈な非難。また、遠まわしに意地悪を言ったりしたりすること。また、そのさま。あてこすり。
思いどおりにならず、都合の悪いこと。難儀。また、そのさま。「運命の皮肉」

の意で使う(精選版 日本国語大辞典)用例は,ほぼ江戸時代以降なのである。『江戸語大辞典』には,

@芝居者用語。意地の悪い言葉,風刺的(「劇場にては意地ろき皮肉といふ」(文政八年・兎園小説),「誠に皮肉な唄だねへ」天保六年・春色辰巳園),
A難儀(「高くとまって,芸者や幇間に難儀(ひにく)をさせるお客なら」天保十年・梅の春),

とある。これがどこから来たかは定かではないが,仏教用語のみとは思えない。『日本語源広辞典』が,

「中国語で『皮+肉』が語源です。もとは身体の意です。
説1は,『怨恨が多の肉体に乗り移る,の肉体』の意です。
説2は,『文字通り,皮と肉と離れるように,つらく苦しい』意です。
説3は,『骨髄に対してうわべ,表面』の意です。
説4は『皮と肉の間の境めのきわどい,微妙さ』の意で,痛いところ,弱み,急所をいいます。ところが近世にはいって,意地の悪い言動にも使うようになり,明治以後,現在に至るまで,上記3の意の発展形として,『骨身にこたえるような痛烈な避難』とか,4の発展として,『遠まわしに微妙に意地悪を言ったりする』とかの表現に発展したものと思われる」

とする。説3は「皮肉之見」から来ている。説1は,謬説のように見えるが,『江戸語大辞典』に,

皮肉に分け入る,

という言葉があり,

一念が,相手の身体の中に侵入する,他人の肉体に乗り移る,

意で使われている(「法外(人の名)がひにくにわけいり,われわれが道にいざなはん」安永5年・高漫斉行脚日記)。これは,皮と肉の間とも読める。説4は,

皮肉も離るる,

という言葉があり,

辛く苦しい形容,

として使われる(「恩愛切なる歎きのうへに,かかるかなしき調べをきけば,皮肉もはなるるここちして」分化3年・昔話稲妻表紙)。

こうみると,「皮肉之見」も流れとしてあるかもしれないが,

皮肉も離るる,
皮肉に分け入る,

という状態表現の,

辛く苦しい,
一念が相手に入り込む,

意が,価値表現として,

嫌味,
あてこすり,
イロニー,

の意へと,混ざり合ったというのが正確にようである。江戸時代に淵源がある以上,無論,

皮肉之見,

を権威づけに使ったのかもしれない。しかし,少なくとも,

皮相,

の含意は,今日薄い。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ためらう


「ためらう」は,

躊躇う,

と当てる。

「躊」(漢音チュウ,五音ジュウ)の字は,

「会意兼形声。『足+音符壽(長くのびる))』」

とある。「壽」(呉音ジュ,漢音シュウ)は,

「会意兼形声。下部は,長く曲がって続く田畑の中のあぜ道を表し,長い意を含む(音トウ,チュン)。壽はそれを音符とし,老人を示す老印を加えた字で,老人の長命を示す。」

とあり(『漢字源』),たちもとほる(徘徊する),意である(『字源』)。

「躇」(漢音チョ,呉音ジョ)は,

「会意兼形声。『足+音符著(くっつける,止める)』」

とあり(『漢字源』),立ち止まる,意である。「躊躇(チュウチョ)」とは,二三歩一手は止まる,躊躇って行き悩む,意である。漢書の,李夫人伝,

「哀「囘以躊躇」

から来ている(『字源』)。『岩波古語辞典』は,

「タメはタメ(矯)と同根。つのる病勢や高ぶる感情などを押える意。転じて、行動に突き進むことをひかえ、逡巡する意」

とする。どうやら,

「@(感情などを)おさえる。静める。「〔ツノル悲シミヲ〕ややタメラヒて仰言伝へ聞ゆ」〈源氏・桐壺〉
 A(病勢などを)落ちつかせる。静養する。「風(感冒)おこりてタメラヒ侍る程にて」〈源氏・真木柱〉」

とある,感情を鎮める,落つかせる,という意味が古く,転じて,

「B(行動に移ることを)躊躇する。「別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすく〔言葉ニ〕うち出でんもいかがかとタメラヒけるを」〈徒然231〉
 C(進路に迷って)同じ所をさまよう。ゆきつもどりつする。「五六度まで引き返し引き返しタメラヒゐたり」〈盛衰記20〉」

と,躊躇する意となっていくが,あるいは,

鎮める・落ちつかせる→ゆきつもどりつ→躊躇する,

ではなく,

鎮める・落ちつかせる,

意の「ためらふ」に「躊躇」を当てたことで,「躊躇」の意味の,

ゆきつもどりつ,

の意味が現出したのかもしれない。ただ,「矯め」は,

タミ(廻)と同根,

つまり,

ぐるっと廻る,

意である。躊躇の原意と重なるのも,意味の外延としては分かりやすい。

『大言海』も,

依違,
躊躇,
踉蹡,

の字を当て,

「矯めて居る意か。潘岳,射雉賦『踉蹡而(タメラヒテ)徐來』徐爰註『乍行乍止,不迅疾之貌也』」

とするし,『日本語源広辞典』も,

「タム(矯ム)の未然形タメラ+フ(継続反復)」

と,行動の気持ちを押さえつづける」意とする。

@矯めて居る意か〈大言海〉,タメル(矯)の義〈名言通〉,タメはタム(矯)と同根〈岩波古語辞典〉,

とする以外に,

Aタチメグラフ(立回)の略か〈和訓栞(増補)〉,
Bタメネラヒオフ(矯狙追)の義〈日本語原学=林甕臣〉,
Cタメリアフ(揉合)の義〈日本語源=賀茂百樹〉,
Dタユメル(撓)の義〈言元梯〉,
E溜る方に顕れ進む意のタメルアフ(溜顕)の約。タメはタムエ(溜得)の約〈国語本義〉,

等々が挙がる(『日本語源大辞典』)が,『岩波古語辞典』の,

@(感情などを)おさえる。静める,
A(病勢などを)落ちつかせる,静養する,

が他動詞で, 

B(行動に移ることを)躊躇する,
C(進路に迷って)同じ所をさまよう,ゆきつもどりつする,

が自動詞で,

「他動詞の方が古く、その後自動詞としても使われるようになって、現代では他動詞として使われる事は無くなったという事のようですね。」

とみる(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10151426380)のが妥当のようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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そしる


「そしる」は,

謗る,
誹る,
譏る,
毀る,

等々と当てる。「謗」(ボウ,呉音・漢音ホウ)の字は,

「会意兼形声。『言+音符旁(ボウ 両脇,脇に広げる)』」

誹(ヒ)の字は,

「会意兼形声。非(ヒ)は,鳥の羽が左右反対側にわかれるさまを描いた象形文字。誹は『言+音符非』で,ことばを操って二つの仲をさくこと。また,人の非(筋違いを言い立てること)」

「譏」(漢音キ,呉音ケ)の字は,

「会意兼形声。『言+音符幾(近くに迫る)』で,相手に鋭く迫って問いただすこと」

「毀」(キ)の字は,

「会意兼形声。『土+音符毀の土の部分を米に変えた字の略体』で,たたきつぶす,また,穴をあけてこわす動作を示す」

とある(『漢字源』)。和語では「そしる」ですんでしまうが,漢字には微妙なニュアンスがある。

「誹」は,人の非をさしてそしるなり。非に通用す。漢書の腹誹の註に『口不言,心非之也』とあり,
「非」は,誹に同じ,
「謗」は,陰口を言い,人をそしるなり。誹謗と連用す。誹謗之木は湿性らば,書きしるして諌むる爲,宮門にたてたる柱なり。人のことを悪しくつげあげたる書を謗書といふ。戦国策「文侯示之謗一筺」,
「毀」は,誉の反。人を毀ちやぶる如く,ひどくそしるなり,
「譏」は,先方のおちどをとがめそしるなり,詩譜序「刺過譏失,所以匡救其惡」,

と,使い分ける(『字源』)。『日本語源広辞典』は,

誹は,人の非を指摘して,ソシル
謗は,陰口を言ってソシル,
譏は,他人の欠点を細かく言いたててソシル,

と区別している。

和語「そしる」は,そんなニュアンスの翳はないが,『大言海』は,

背後言(そしりごと)の略転,褒むの反,

とし,『日本語源広辞典』も,

背後言(そしりごと)を約した動詞がそしる,

とする。しかし,背後言を,

そしりごと,

と訓ませたのは,すでに「そしる」という言葉があったからではないのか。これは,と自己撞着に陥っているように見える。

「そしりごと」という訓以外には,

ソトサル(外去)の義(名言通),
ソシは祖師か,ルハアヤマルの意か(和句解),
ソシイル(外誣)の義(柴門和語類集),
ソシユル(其誣)の義(言元梯),
ソグ(削)と関係のある語。ソはソヨナフ(害)のソに通ずる(国語の語根とその分類=大島正健),

等々ある(『日本語源大辞典』)が,何れも語呂合わせに思える。

結局,「そしる」の語源はっきりしないが,素人の臆説ながら,

そしり,

の「そ」は,「背」ではあるまいか。「せ(背)」は,古名,

ソ,

である。しかし,この先を続けると,語呂合わせの轍のに嵌りそうである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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たしなめる


「たしなめる」は,

窘める,

と当てる。

苦しめる,悩ます,
咎める,叱る,戒める,

という,意味ちょっと繋がりの分かりにくい意味を持つ。「たしなめる」は,文語では,

たしなむ,

である。「たしなむ」は,

嗜む,

とも当てる。この両者は,つながっている。「たしなむ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba8.htm#%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AA%E3%82%80)で触れたように,『岩波古語辞典』には,「たしなむ(嗜む)」

タシナシの動詞形,

とあり,

困窮する,窮地に立つ,
苦しさに堪えて一生懸命つとめる,
強い愛情をもって心がける,
かねて心がけ用意する,
気を使う,細心の注意を払う,
つつしむ,

の意味が載り,「たしなむ(窘む)」は,

タシナシの他動詞形,

とあり,

困窮させる,
苦しめる,

という意味が載る。「タシナシ」は,

「タシはタシカ(確)・タシナミなどのタシ。窮迫・困窮,またそれに堪える意。ナシは甚だしい意」

とあり,

窮迫状態にある,
はげしく苦しい,
老いやつれて病み,また物事に失意のさまである,

という意味になる。『大言海』は,「たしなし」に,

無足,

と当て,

乏し,少なし,窮乏,

の意味を載せる。あるいは,乏しい,という状態表現が,転じて,困窮,という価値表現へと意味が転じた言葉なのかもしれない。

ということは,「たしなむ」は,

(乏しい→)困窮状態にある→それに堪えて懸命につとめる→かねて心がけ用意する→いましめ,つつしむ,

等々と,困窮の状態表現から,それに堪える価値表現へと転じ,そういう状態にどれだけ予め備える心がけへと転じ,それを戒めとか慎みといった価値表現まで広げた,という流れになる。そう考えると,

窘む,

と当てた方が,原義に近く,

嗜む,

は,その意味が拡大し,心がけの価値表現へと転じた意味だと知れる。『日本語源広辞典』は,「たしなむ(嗜む)」

「タシナム(堪え忍ぶ)」の変化,

とあり,転じて,

深く隠し持つ,(常に)心がける,つつしむ,遠慮する,身辺を清潔にする,細かく気を使う,ある事に打ち込む,

の意となるとし,「たしなめる」(窘める)は,

「タシナムの転意」

とするが,逆のように思える。

『大言海』は,「たしなむ」で,四項別に立てている。まず,

窘む,

と当てて,

「足無(たしなみ)の意か」

とした上で,

窮して,苦しむ,
研究す,

の意味を載せる。次に,

矜持,

と当てて,

行儀の正しからむやうにする,

の意を載せる。その次に,

嗜む,

と当てて,

「窘(たしな)みて好む意か」

とし,

たしなむ,好む,
転じて,予(かね)て心掛く,
戒む,
つつしむ,

の意を載せる。そして,最後に,

窘む,

と当てて,

苦しむ,悩ます,困らす,

の意を載せる。どうやら,「矜持」は,「たしなみ」の心がけの延長線上にあるとして,「窘む」と「嗜む」と当てる字を分けて区別しているが,

たしなむ(tasinamu),

という和語が,そもそも端緒としてあるということを思わせる。「たしなむ」の語源について,「窘む」は,

タシナシ(足無)の意か(大言海・国語の語根とその分類=大島正健),

以外には,

足らぬをタシテイトナムの意から(和句解),
タタシナム(直死)の義(言元梯),

しかないので,「乏しい」というのを原義と考えると,

無足,

という大言海解説に傾く。「嗜む」の語源は,

タシナム(手為狎)の義(言元梯),
タシナム(立息嘗)の義(柴門和語類集),
タシナム(饜嘗)の義(語簏),
窘みて好む意か(大言海),

とある。しかし,「嗜む」と「窘む」は,もともと「たしなむ」であった。その意は,

たしなし,

を,

無足(大言海),

タシはタシカ(確)・タシナミなどのタシ。窮迫・困窮,またそれに堪える意。ナシは甚だしい意(岩波古語辞典),

にしろ,

乏しい,
困窮,

の意味が,その意味の外延を伸ばし,

(乏しい→)困窮状態にある→それに堪えて懸命につとめる→かねて心がけ用意する→いましめ,つつしむ,

と拡大したと,考えていいのではないか。因みに,「嗜」の字は,

「耆(キ)は『老(としより)+旨(うまい)』の会意文字で,長く年がたって深い味のついた意を含む。旨は『匕(ナイフ)+甘(うまい)』の会意文字で,ナイフを添えたうまいごちそう。嗜は『口+耆』で,深い味のごちそうを長い間口で味わうこと。旨(シ)と同系のことばだが,『主旨』の意に転用されたため,嗜の字でうまい物を味わうという原義をあらわした。」

とあり,

それに親しむことが長い間の習慣になる,

という意味となる。「窘」の字は,

「『穴(あな)+音符君』。君は(尹は,手と丿印の会意文字で,滋養下を調和する働きを示す。もと,神と人との間をとりもっておさめる聖職のこと。君は『口+音符尹(イン)』で,尹に口を加えて号令する意を添えたもの。人々に号令して円満周到におさめるひとをいうので)丸くまとめる意を含む。穴の中にはいったように,まるく囲まれて動けないこと」

で,

「外を取り囲まれて,動きが取れなくなる,自由がきかないさま」

の意となる(『漢字源』)。「たしなむ」の意味の変化に合わせて,上手い字を当てたものである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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すずな


「すずな」は,

菘,
鈴菜,

と当てる。

カブラ,

とも言うが,

かぶ(蕪),

のことである。春の七草,

せり (芹),なずな (薺),ごぎょう (御形・五形),はこべら (繁縷・蘩蔞),ほとけのざ (仏の座),すずな (菘/鈴菜),すずしろ (蘿蔔・清白),

の一つとされる。

原産地は地中海沿岸、南ヨーロッパ地帯,アフガニスタン地方,

といわれている(食の医学館),とか。

「中国へは約2000年前に伝播し、『斉民要術(せいみんようじゅつ)』(530頃)には栽培や利用に関する詳細な記述がある。『三国志』で有名な蜀の軍師諸葛孔明が行軍の先々でカブをつくらせ、兵糧の助けとしたので、カブのことを諸葛菜(しょかつさい)とよぶというエピソードがある。」

とか(日本大百科全)。わが国に伝わったカブは

「ヨーロッパ型(小カブ)とアジア型(大カブ)の2種で、関ヶ原付近を境に分布が東西にわかれているといいます。朝鮮半島から渡来したヨーロッパ型は東日本に分布し、中国経由で渡来したアジア型は、西日本に定着しました。」

という(仝上)。

「日本へは中国を経て、ダイコンよりも古く渡来した。『日本書紀』には、持統天皇の7年3月に、天下に詔して、桑、紵(からむし)、梨、栗、蕪菁(あをな)などを植え、五穀の助けとするよう勧めるとの記載がある。平安時代の『新撰字鏡(しんせんじきょう)』や『本草和名(ほんぞうわみょう)』には阿乎奈(あをな)とあり、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』では蔓菁、和名阿乎菜、蔓菁根(かぶら)、加布良(かぶら)とある。『延喜式(えんぎしき)』には、根も葉も漬物にして供奉されたとの記載があり、種子は薬用にもされていたほか、栽培法の概要も記されており、平安中期にはかなり重要な野菜であったことがわかる。平安末期の『類聚名義抄(るいじゅうみょうぎしょう)』では、蔓菁根、蕪菁、蕪菁子(なたね)と使い分けの生じたことが知られる。江戸時代には『本朝食鑑』『和漢三才図会』『成形図説』『百姓伝記』『農業全書』『菜譜』などに品種名を伴った記載があり、当時すでに品種が分化していたことがわかる。」

とある(仝上)。とにかく古い。「鈴菜」は当て字と思われるが,「菘」(呉音スウ,漢音シュウ)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符松(たてに長い)』」

とあり,

「たぅな,葉は蕪菁(かぶら)に似て,青白し」

とあり,

「よく寒に耐ふ,松の操あり,故に字松に从(したが)ふ」

ともある(字源)。「かぶ」そのものを指すのではないらしい。

「すずな」の語源は,

小菜(ささな)の義ならむ,

とある(大言海)。

「スズナの『スズ』は、『ササ(細小)』が変化した語と考えられているが、スズナ(カブ)が他の植物に比べ、圧倒的に小さいと言えるほどではないため難しい。スズナが『鈴菜』とも 表記されるところから考えれば、『鈴花菜(すずはなな)』の略。もしくは、『鈴』は楽器ではなく『錫』のことで、スズナが錫型の丸い容器に似ているところから付いた名sも考えられる」

とする(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/su/suzuna.html),「鈴」説を採るのが,

「鈴+菜」

とする『日本語源広辞典』である。

「神楽の鈴のような葉の菜」

という。しかし,「葉」を指しているので「鈴」ではないようである。さらに,

スズハナナ(鈴花菜)の略(日本語原学=林甕臣),

と四弁の菜の花のような「すずな」の花説を採るものもあって,「すずな」の語源説ははっきりしない。「鈴」説としても,葉あり,花あり,実あり,で確定しがたい。

神楽の鈴,

というなら,実のことだろうとは思うが,こんなふうに鈴なりになるわけではない。。

「すずな」は,後世,

かぶら(蕪菁,蕪),

と呼ばれる。「かぶら」は,

かぶらな(蕪菜)の略,

とされる。「かぶらな」は,

「根莖菜(カブラナ)の義」

とあり(大言海),「かぶら」は,

根莖,

と当て,

カブは,頭の義。植物は根を頭とす,ラは意なき辞,

とする(大言海)。「かぶ」は,

「カブ(頭・株)と同根」

とする(岩波古語辞典)と重なる。「かぶ」と「かぶら」のつかいわけは,

「『かぶら』の女房詞『おかぶ』から変化した語か。類例に『なすび』の女房詞『おなす』から『なす』が出来た例がある」

とある(日本語源大辞典)ので,

かぶらな→かぶら→おかぶ→かぶ,

という転化してきたものらしい。ただ,「かぶ」については,かぶ(頭)説以外に,

カブは根の意(志不可起),

説があるが,やはり,「かぶり」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%82%8A)で触れたように,

かぶ→かしら→こうべ→(つむり・かぶり・くび)→あたま,

と転じた「かぶ」頭説でいいのではないか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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すずしろ


「すずしろ」は,

蘿蔔,
清白,

等々と当てる。春の七草の一つ「すずしろ」である。

大根,

の意である。「蘿蔔(ラフク)」は,漢名である。

「蘿菔(ラフク)とも書く。蘿蔔は中国でロープと訓まれた。千切りにした大根を北京語でセンロープといった。それが訛って千六本といわれた」

とある(たべもの語源辞典)。原産地は,

「確定されていないが、地中海地方や中東と考えられている。紀元前2200年の古代エジプトで、今のハツカダイコンに近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後ユーラシアの各地へ伝わる。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3)。とても古い。日本には,

「弥生時代には伝わっており、平安時代中期の『和名類聚抄』巻17菜蔬部には、園菜類として於保禰(おほね)が挙げられている。」(仝上)

古名は,

オオネ,

で,それに当てた,

大根,

の音読が「ダイコン」である。では,

スズシロ,

は何か。『大言海』は,

「菘代(スズナシロ)の義にて,蘿蔔を以て,あをな,すずなに代へ用ゐるより名ありしならむ」

とあるが,よく分からない。「すずほり(菹)」を見ると,

「菘鹽入(すずなしほり)の約にもあるか,菘代(スズナシロ)同じ」

とあり,

「鹽漬の菜。多くは,あをな,即ちスズナを用ゐる」

とある。つまり,

スズナ(蕪)に代えて,用いるから,菘代(スズナシロ),

ということらしい。ちょっと無理筋ではないか。大根は,大根であって,蕪の代用ではあるまい。しかし,

「スズシロノ『スズ』は『涼しい』の『スズ』,『シロ』は根の白さで,ずすがしく白い根を表した『涼白(すずしろ)』を語源とする説がある。漢字で『清白』と表記することや,単純で分かりやすいことから上記の説が有名であるが,『清白』は当て字で,『涼白』の意味が先にあったものか,『清白』が当てられ『涼白』がの説が考えられたか,その前後関係は不明である。『涼白』の説より,『スズナ(カブの別名)』に代わるものの意味で,『菘代(スズナシロ)』が語源と考えるほうがいいだろう」

とする(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/su/suzushiro.html)説もある。蕪の代用にされたかどうかは,事実の問題で,解釈の問題ではない。といって,

「スズシロの『スズ』は『涼しい』『涼む』の『すず』で清涼の意。『シロ』は根の白さで、すがすがしく白い根から『涼白(すずしろ)』が名前の由来とされる。」

という(由来・語源辞典 http://yain.jp/i/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%B7%E3%83%AD)のも,理屈が過ぎる。蕪だって白い。

この他に,

スズはスズナと同じく小さい意。シロは根が白いところから(滑稽雑誌),

もある。しかし,もともと。

おほね,

という言葉があった。「すずしろ」は後から付けた名ではないか。七草は,

「現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる(ただし、歌の作者は不詳とされている)。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89)。

芹,なづな,御行,はくべら,仏座,すずな,すずしろ,

の語呂と,

芹,なづな,御行,はくべら,仏座,すずな,おほね,

では,語呂が悪い。

「日本では古くから七草を食す習慣が行われていたものの、特に古代において『七草』の詳細については記録によって違いが大きい。『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で『七種粥』が登場し、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物で、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」が振舞われていた。この餅がゆは毎年1月15日に行われ、これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。」

とある。

米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆,

の七種であったり,

「旧暦の正月(現在の1月〜2月初旬ころ)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また地方によっても異なっていた。」(仝上)

のであり,もともと,年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習に由来するが,これ自体,

「六朝時代の中国の『荊楚歳時記』に『人日』(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、『七種菜羹』という7種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、『四季物語』には『七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや』とある。このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の『七種菜羹』が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。」(仝上)

何を入れるかを勝手に,

「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」

と確定させたとき,「おほね」を「すずしろ」と替えた。とすると,

蕪の代替,

と勝手に作者が決めたのかもしれない。白さでも,蕪も大根も区別がないのだから。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

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太鼓持ち


「太鼓持ち」とは,

幇間,

の意である。

遊客の機嫌を取り,酒興を助けるのを仕事にする男,

とある。

末社,
太鼓,

とも言う。それをメタファに,

人に追従しそのご機嫌取りをする者,
太鼓叩き,

の意でも使う。ただ,

太鼓を持つこと,

という意味もある(岩波古語辞典)。人に太鼓を持たせる意は,しかし,

「昔は太鼓,人に持たせて打つ。太鼓持ちと藝なき者を云ふは,右の如く太鼓持たせ打ちし故なり」(わらんべ草)

とあるところから見ると,

(太鼓の持ち手にしかなれない)「藝なきもの」

を指した,ということのようである。

「太鼓もち」と同義語の「末社」とは聞き慣れないが,

大尽をとりまく,遊里で客の取り持ちをする人,

で,たいこもちの意である。

「大尽の音が大神に通うのでこれを本社に擬し,その取り巻きを末社にぎして呼ぶ」

とある(江戸語大辞典)。それに擬して,転じて,

太鼓持ち,
幇間,

の意に広げたもののようである。ちなみに,

「太鼓持ちは俗称で、幇間が正式名称である。」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%87%E9%96%93)。

「『幇』は助けるという意味で、『間』は人と人の間、すなわち人間関係をあらわす。この二つの言葉が合わさって、人間関係を助けるという意味となる。宴会の席で接待する側とされる側の間、客同士や客と芸者の間、雰囲気が途切れた時楽しく盛り上げるために繋いでいく遊びの助っ人役が、幇間すなわち太鼓持ちである」

ともされる,と(仝上)。さらに,幇間は,

「別名『太鼓持ち(たいこもち)』、『男芸者』などと言い、また敬意を持って『太夫衆』とも呼ばれた」

とあるが(仝上),

「座敷を盛り上げるのが、彼らの仕事です。男芸者も座敷を盛り上げますが、太鼓持の方がランクは下になります。
具体的に、男芸者は吉原に住んでいる三味線や踊りで盛り上げるプロの芸人です。妓楼に属する内芸者と吉原見番から2人1組で派遣される見番芸者がいました。一方、太鼓持はおしゃべりや酒の相手が主な仕事で、さらに下のランクになると、裸踊りをする者もいたとか。つまり、特に何か芸を身に付けているわけではなく、お調子者で世渡り上手なことが大事だったのです。」

ともあり(https://mag.japaaan.com/archives/79815),

太鼓持ち,

男芸者,

とは別,とする説もある。しかし,『江戸語大辞典』『大言海』は,「太鼓もち」の別称として,

男芸者,

としている。また,

「京坂の俗言にはたひこもち又やつことも云也。江戸にて芸者と云は大略女芸者のこと也。幇間は必ず男芸者或は太夫とも云也。京坂にて芸者とのみ云ば幇間也。女芸妓は芸子とも云也。京坂には野幇間と称すること之無,然れども其業をなす者は往々之有」(守貞漫稿)

とあり,

「地域にもよるが,『やっこ』『芸者』『男芸者』『太夫』ともよばれてしいたこと」

とあり(日本語源大辞典),厳密な区別は,その当人たちだけのことで,いずれも,外から見れば,「太鼓持ち」と括れられたのかもしれない。なお落語に出てくる「野太鼓」というのは,プロの幇間ではなく,

素人,

を指すらしい(江戸語大辞典)が,

「内職として行っていた」

ともある(日本語源大辞典)ので,どちらかというと,

幇間自体を卑しめて呼ぶ称,

というのが正しいのかもしれない。

さて,「太鼓持ち」の語源は,

「太鼓持ちの語源は安土桃山時代まで遡る。豊臣秀吉が関白から太閤になった時、お伽衆であった曽呂利新左エ門が「太閤、いかがで。太閤、いかがで。」とご機嫌をとっていたことが起源といわれている。その太閤を持ち上げている様子を『太閤持ち』から『太鼓持ち』となった。」

という説(https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%AA%E9%BC%93%E6%8C%81%E3%81%A1)から, 

タイコは,話の相槌・応答の意。持つはそれで仲を取り持つ意(上方語源辞典=前田勇),
六斎念佛や紀州雑賀踊りでは,鉦を持たないものが太鼓を持つところから,金持ちの遊興の席で機嫌を取る,金を持たない者をいった(色道大鏡・大言海・松屋筆記),
昔,太鼓の名人が,常に自分の気に入りの一人の弟子にのみ太鼓を持たせたので,腹を立てた相弟子らがそれを太鼓持ちといったところから(洞房語園),
人に物を与えることを打つというところから,遊客がよく打てば鳴るとの意でいったもの。また打つ人つまり遊客の心にあうようにふるまうところからか。また,この職の者はうそをついて人の心を慰めるところから,タイコは大虚の義か(好色由来揃),
田楽や風流踊で太鼓を打つ役の名から(演劇百科事典),
太夫をこころよくのせて廻し,大尽の気に入るように拍子をとるので,能の太鼓打ちになぞらえたもの(嬉遊笑覧),

等々まで諸説ある。しかし,

「古来諸説あれど,いずれも付会の感が強い」

とする(江戸語大辞典)ように,どうも理屈をこねるものに,正解はない。もともと,

「昔は太鼓,人に持たせて打つ。太鼓持ちと藝なき者を云ふは,右の如く太鼓持たせ打ちし故なり」(わらんべ草)

とあるところから見ると,

(太鼓の持ち手にしかなれない)「藝なきもの」

を指した,ということのようである(岩波古語辞典)。その意味では,

六斎念佛や紀州雑賀踊りでは,鉦を持たないものが太鼓を持つところから,

というのが実態に沿うのではないか。ただ,「藝無き」ものではなく,

「芸としては,地口,声色(こわいろ),物真似・舞踊・のほか,扇子や衣桁などの身近な物を用いた演技や狂態など,滑稽なものが主である。ただし,多くは,一中節・清元などの音曲を身に着けていた」

とある(日本語源大辞典)。確かに,

男芸者,

である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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「春」(シュン)の字は,

「萅」の略体,

で,「萅」の字は,

「会意兼形声。屯(トン・チュン)は,生気が中にこもって,芽がおい出るさま。春はもと『艸+日+音符屯』で,地中に陽気がこもり,草木がはえ出る季節を示す。ずっしり重く,中に力がこもる意を含む」

とある(漢字源)。春とは,

「冬と夏の間の季節。現行の太陽暦では三月から五月まで。陰暦では正月から三月まで。また、二十四節気では立春から立夏の前日まで。天文学上では、春分から夏至(げし)の前日まで。」

とか(http://www.7key.jp/data/language/etymology/h/haru.html)。

三春,

といい,

初春 (孟春)は,旧暦1月、または、立春から啓蟄の前日まで,

仲春 (仲陽)は,旧暦2月、または、啓蟄から清明の前日まで,

晩春 (季春)は,旧暦3月、または、清明から立夏の前日まで,

とか(仝上)。和名抄には,

「正月,初春,二月,仲春,三月,暮春」

とある。

「春」の字を得て,やっと春を得た感じだが,和語「はる」の語源は,『日本語源広辞典』は,

説1は,水田に水をハル季節。これに対して田がアク季節がアキ,
説2は,木々の芽がハル季節で,通説。木の芽が膨れる季節の意,
説3は,田をホル(墾)時節。
説4は,ハエル(映)季節。自然のあらゆるものが映える季節,

と四説挙げ,

「農民の季節意識から」

説1を採る,とする。しかし,季節感が異なりはしまいか。さらに,「ハル」が「張る」なら,

「『張る』とする説は,アクセントの転から成立困難」

とする説もある(岩波古語辞典)。『大言海』は,

「萬物發(は)る侯なれば,云ふと云ふ」

とする(日本声母伝・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)。「張る」には,「木の芽が張る」とする説もある(和句解・国語蟹心鈔・類聚名物考・言元梯・名言通・菊池俗語考・本朝辞源=宇田甘冥・日本古語大辞典=松岡静雄)が,「張る」については,否定説がある。

その他諸説,

春は晴天が多イトコロカラ,ハル(晴)の義(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・本朝辞源=宇田甘冥),
年が開ける意で,ハル(開)の義(東雅),
畑をハル(墾)の義(南留別志・言葉の根しらべの=鈴木潔子),
ヒエサル(冷去)の義(日本語原学=林甕臣),
ハラフと同系語ではらひすてて出現する意から(宮廷と民間=折口信夫),
年のハジマルの略か。また,葉ツハルの義か。またアラハルの義か(和句解),
ヒヤワラグ(日和)の約(和訓集説),
ハは含んだものがアラハルル意,ルは万物が生成して動き落ち着かぬ意(槙のいた屋),
Paru(春)のpaは光の義(神代史の新研究=白鳥庫吉),

があるが,中では,「晴れ」の語感に惹かれる。言語学者の阪倉篤義氏は,

春の語源は動詞の「晴る」だと推測している,

という(https://japanese.hix05.com/Language3/lang307.haru.html)。

「晴れる」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba10.htm#%E3%81%AF%E3%82%8C%E3%82%8B)で触れたように,「はる(晴る)」は,

「ハラ(原)と同根か。ふさがっていた障害となるものが無くなって広々となるさま」

とあり(岩波古語辞典),「はる」に,

墾,
治,

という字を当てるものは,

「開くの義,開墾の意,掘るに通ず」

晴,
霽,

の字を当てるものは,

「開くの義,履きとする意」

として,いずれも「開く」につながるのである(大言海)。その意味は,

パッと視界が開く,

晴れ晴れ,

という感じと似ているが,それは,

開いた(開墾した),

という含意がある。つまり,開く(開墾する)ことで,開けたという意味である。「はる(晴る・霽る)」に,

「開(はる)くの義。はきとする意」

とあるのに通ずる気がする。さらに,

開く,

と当てる「はるく」は,

晴れる,

意とある。つまり,「はれ」は, 

晴,
墾,
原,

と同源なのである。

「空に障害物,雲,霧などがなく,ハレバレとした様」

とは,まさに,春ではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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「夏」は,天文学的には,

夏夏から立秋(の前日)まで,

太陽暦では,

6月から8月,

陰暦では,

4月から6月,

ということになるらしい。

孟夏,
仲夏,
季夏,

とも別ける。

う「夏」(漢音カ,呉音ゲ)の字は,

「象形。頭上に飾りをつけた大黄な面をかぶり,足をずらせて舞う人を描いたもの。仮面をつけるシャーマンの姿であろう。大きなおおいで下の物をカバーするとの意を含む。転じて,大きいの意となり,大民族を意味し,また草木が盛んに茂って大地をおおう季節をあらわす」

とある(漢字源)。

「なつ」は,

「暑(アツ)の轉。冬の冷ゆるに対す。漢語熱(ネツ)と暗合す」

とある(大言海・日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解・南留別志・百草露・柴門和語類集)。

「アツ」を熱とするもの(東雅・和語私臆鈔・俚言集覧・名言通・日本語源=賀茂百樹),「アツ」を温とするもの(言元梯),「アツ」を熱(ネツ)とするもの(和語私臆鈔)等々があるが,『日本語源広辞典』は,

「暑いのアツが語源」

とし,

「ネツ,アツ,ナツ,同じ語源」

とする。「暑」「熱」「温」は同じとみていい。似たものに,

「ゲニアツキトキ(実に暑き季)は『ゲ』『キトキ』を脱落した省略形のニアツの部分が,ニア[n(i)a]の縮約でナツ(夏)になった」

がある(日本語の語源)。また,

アナアツ(噫暑)の義(日本語原学=林甕臣),

も,「暑い」説の変形と見られる。また,

「朝鮮語nyörɐm(夏)と同源」

とする(岩波古語辞典),外国語由来とする説もあり, 

「朝鮮語の『nierym(夏)』,満州語の『niyengniyeri(春)』などアルタイで『若い』『新鮮な』の原義の語という同系」

とする(語源由来辞典)。しかし,どうだろう,もし季節感が,外国由来なら,夏だけが,外来語というのは変ではあるまいか。

この他には,

草木がナリイズル(造出)の義(類聚名義抄),
稲がナリタツ(成立)の義(古事記伝・菊池俗語考),
成の義(和訓栞),
稲がナリツク(生着)の義(和訓集説),
ナはナユルのナ,ツは助語(日本声母伝),

と植物と関わらせるもの,

ナデモノ(撫物)のナヅと関係のある語。接触によって穢れを落す,季節の祭祀から出た語か(続万葉集講義=折口信夫),
na-tuの複合語。naはudaru(煮)・iteru(凍)などと同語(神代史の新研究=白鳥庫吉),

等々があるが,

atu(あつ)→natu(なつ),

が自然に思える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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あつい(暑・熱)


「あつい」は,

暑い,
熱い,

と当てる。「暑」(ショ)の字は,

「会意兼形声。者は,こんろで柴を燃やすさま。火力を集中する意を含み煮(にる)の原字。暑は『日+音符者』で,日光のあつさが集中すること」

とある。まさに「暑い」と当てたわけである。「熱」(呉音ネツ・ネチ,漢音セツ)の字は,

「形声。埶は,人がすわって植物を植え育てるさま。その發音を借りて音符としたのが熱の字。もと火が燃えてあついこと。燃の語尾がつまったことば」

とある。まさに「熱い」と当てたわけだ。

和語は,

あつ(暑)い(あつし),

あつ(熱)い(あつし),

と同源とされている。和語では,「暑い」と「熱い」は区別がない。

『大言海』も『岩波古語辞典』も語原を載せない。『日本語源広辞典』は,

「アツイは,『火熱のアツ』が語源」

とし,

「中国では,『太陽の暑さ』と,『火の熱さ』は区別しているのですが,日本では,古くは,区別していなかった」

とする。しかし,これでは,

アツ,

がなんだか分からない。『日本語源大辞典』は,「アツ」について,諸説挙げる。

まず,アツ=当説。

アツはアタル(当),シは退く(和句解),
アツシ(熱)と同じく,火にアツル(当)から出た形容詞(国語の語根とその分類=大島正健),
アツ(当)と関連があるか(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

擬声説。

「喝」Atの語尾を添えて形容詞化したもの(日本語原学=与謝野寛)
手を火に付けて,アアと驚き,手をツツーと引くことから生じた(本朝辞源=宇田甘冥),
熱烈な熱火に対する自然の叫び声。転じて,暑気の強いこと,意思の烈しいこと,疎からず濃いことなどにアツという(日本語源=賀茂百樹),

外来説。

梵語か(和訓栞),

外来説には,

アイヌ語の「火(ape)」やタガログ語の「火(apoy)」またはインドネシア語の「火(api)」に関係がある,

とする説(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13147599383)もある。

その他,

アツシキ(厚如)の意。衣服を厚く感じるのは暑いから(名語記),

というのもあるが,「あつい(厚)」と「あつい(暑)」は,アクセントも異なり,別語とみられる(日本語源大辞典)。

ナツ(夏)の転(言元梯),

というのもあるが,「夏」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E5%A4%8F)で触れたように,夏の語源説に「あつい」があり,これでは堂々巡りになる。

結局はっきりしないが,「火」が古くから人類にあるのであれば,

アツ,

は,意外と,

擬声,

なのではあるまいか。とすると,やはり,

火,

と関わっている,とみてよさそうに思えるが。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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あつい(篤・厚)


「あつい」は,

厚い,

と当てる「あつい」である。

熱い,
暑い,

とは,

「アクセントが異なるうえ,語源も関連づけにくいため」

別語と考えられる(日本語源大辞典)。

篤い,

と当てる,「病が,篤い」の「あつい」は,かつて,

アヅシ,

とも言ったらしい(岩波古語辞典)が,

「アツユの轉。連用形しか文献に見えない」

あつ(篤)い,

という言い方もあったらしい(岩波古語辞典)。

容態が重くなる,

意だが,

「中世にはすでに難解な語だったらしく,古写本の本文にアツカヒと訂している本もある」

ほど使われていない。「あつゆ」は,

あつえひと(篤癃),

しか載らず,

「アツエはアツ(篤)に自発のユ(見ユ・肥ユ。映ユなどのユ)の付いた語。おのずと病が篤くなる意。『癃』は病の重い意」

とある。しかし「あつゆ」は,

「熱(アツ)を活用す」

とあり(大言海),「篤し」は,

「(暑い・熱いの)語の活用を変じて(著(いちぢる)き,いちじるしき。喧(かまびす)き,かまびすしき),ただ病の重ぐなる意となれるなるべし(類聚名物考)。悶熱(あつか)ふ,あつゆ,あつしるなども同趣也,説文『人疾甚曰篤』。」

とある(大言海)のを見ると,「篤い」は,「熱い」「篤い」からの転化という見方もできる。漢方では,

「寒けのする病を寒といい,発熱する病を熱という」

とある(漢字源)のとも関わるかもしれない。『日本語源広辞典』は,

「アツ(厚い・篤い)は,主題とするものが『集まり重なる』意の『アツ』」

と,

篤い,

厚い,

を同源とするが,上記に見たように,「厚い」の語源としてはともかく,「篤い」の語源は別と掌考えるべきだろう。他には,

アツル(当)から出た形容詞。当てた物が重なったさまをいう(和句解・国語の語根とその分類=大島正健),
アツムルシキ(集如)の義。ツムの反ツ。シキの反シ(和訓考・名言通),
アツム(弥積)の約(言元梯),
イヤツミシ(弥積如)の義(日本語原学=林甕臣),
アメツチ(天地)の略伝(和語私臆鈔),

等々ある。どうも多くは,

集む,

と関わらせる。「集む(める,まる)」は,

厚(あつ)の活用か(長むる,広むる),

としている(大言海)ので,「集む」と「厚い」は重なる気配である。『日本語源広辞典』は,二説挙げる。

説1は,「アツ(厚くなる・重なる)」+ム」。厚と集が同じアツの語源。同じ物質がどんどんむ集まると厚くなるという語が生まれ,人がどんどん多くなり厚くなると,集まるという語がうまれた,
説2は,「ア(接頭語)+積む」,

あ,積む,

は,『大言海』も挙げる,和訓栞の説だが,面白いが,如何であろうか。しかし,

集む,

厚い,

がかなり重なり,それが,

積む,

とも意味が重なるようである。そう見ると,

面の皮が厚い,

の意味は,なかなか厚みが増す。

「厚」(漢音コウ,呉音グ)の字は,

「会意。厚の原字は,の字をさかさにした形。それに厂(がけ,つち)を加えたものが厚の字。土がぶあつくたかまったがけをあらわす。土に高く出たのを高といい,下にぶあつくたまったのを厚という。基準面の下にぶあつく積もっていること」

「篤」(トク)の字は,

「会意兼形声。竹は周囲を欠けめなくとりまいたたけ。篤は『馬+音符竹』。全身に欠けめのない馬のことをいい,行き届いた意」

とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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積む


「つむ」という和語に当てる漢字には,

集む,
詰む,
摘む,
抓む,
積む,

等々がある(この他にも,切む,齧むもある)。ここでは「積む」を取り上げてみるが,「摘む」は,「爪」と関わるので,除外できるとしても,上記のいずれかと,語源が重なりそうな気がする。直感的には,

集む→詰む→積む,

といった意味の流れがある気がするが,「積む」は,

「数あるもの,量るものを一まとめにうず高く重ねて置く意。類義語カサネは,ものを,その上その上と順序をもって置く意」

とある(岩波古語辞典)。「詰む」は,

蔵む,

とも当て,

「一定の枠の中に物を入れて,すき間・ゆるみをなくす意」

とある(岩波古語辞典)。「詰む」には,

集(つど)う,

の意味があり(大言海),「集む」は,

あつむ(集)の約,

とある(大言海)ので,「詰む」と「集む」はつながるようである。

「集」(漢音シュウ,呉音ジュウ)の字は,

「会意。もとは『三つの隹(とり)+木』の会意文字で,たくさんの鳥が木の上にあつまることをあらわす。現在の字体は隹を二つ省略した略字体」

とある(漢字源)。「詰」(漢音キツ,呉音キチ)の字は,

「会意兼形声。吉(キツ)は,口印(容器のくち)の上にかたいふたをしたさまを描いた象形文字で,かたく締めるの意を含む。結(ひもで口をかたくくびる)が吉の原義をあらわしている。詰は『言+音符吉』で,いいのがれする余地を与えないように締め付けながら,問いただすこと。また,中に物をいっぱいつめこんで入口をとじること」

とある(仝上)。日本語にある,

間を詰める,

というような間を狭める,意は元々ない。また「江戸詰」という「詰める」の用法も,「大詰め」というドンヅマリの意も,元々持っていない。

「積」(漢音セキ,呉音シャク)の字は,

「会意兼形声。朿(シ セキ)と,とげの出た枝を描いた象形文字で,刺(さす)の原字。責はそれに貝を加えて,財貨の貸借が重なって,つらさや刺激を与えること。積は『禾(作物)+音符責』で,末端がぎざきざとしげきするようにぞんざいに作物を重ねること」

とある(仝上)。

「つむ」(積む)は,他動詞としては,

置いてあるものの上に重ねて置く,

意だが,自動詞としては,

重なって次第に高く積もる,

意となる。「つむ」の語源は,他の辞書にはあまり載らないが,『日本語源大辞典』は,次のように挙げる。

上に先の伸びる意のツム(積)は,伸びるのを阻んで切る意のツム(摘)と同源(続上代特殊仮名音義=森重敏),
ツモルの約(名語記・類聚名物考),
アツムの略(和句解・日本釈名・類聚名物考),
ツム(集群)の義で,一箇ずつ重ねる意からツ(箇)の活用語化(日本語源=賀茂百樹),
一点一個の義のツから(国語溯原=大矢徹),
ツはテ(手)の轉。手で重ね上げる意から(国語の語根とその分類=大島正健),
ツメキ(築目)の義(名言通),
トム(富)の転か(和語私臆鈔),
ツ-ウム(産)の約(国語本義),
タム,マス(名語記),

正直,是非を判別する根拠はない。しかし,へ理屈,こじつけ,語呂合わせは,経験的に無理筋な気がしている。まっとうで,らしく思えるのは,

アツムの略,

ではあるまいか。

集むの略,

だからこそ,

積む,
集む,
詰む,

の意味の重なりと一致する。もちろん素人の臆説である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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摘む


「つむ」という和語は,

集む,
詰む,
摘む,
抓む,
積む,
切む,
齧む,

と当て分けているが,

摘む,

とあてる「つむ」は,

抓む,

とも当てる。

指先または詰め先で挟み取る,
つまみ切る,

意であるが,転じて,

ハサミなどで切り取る,刈り取る,

意でも使うし,

爪先や箸で取る,

意にも使う。更にそれに準えて,

摘要,

の意にも広げる。

「摘」(漢音テキ,タク,呉音チャク)の字は,

「会意兼形声。帝は,三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は,それに口を加えた字。摘はもと『手+音符啻』で,何本もの指先をひとつにまとめ,ぐいと引き締めてちぎること。」

とあり,「指先をまとめてぐっとちぎる,つまむ」意である。

「抓」(漢音ソウ,呉音ショウ)の字は,

「会意兼形声。爪(ソウ)は,指先でつかむさま。抓は『手+音符爪』で,爪の動詞としての意味をあらわす」

で,「つまむ,つかむ」意である。

「つむ」(口語つまむ)は,

つま(爪)を活用させた語,

である(広辞苑第5版)。

「指の先で物を上へ引っ張り上げる意。転じて,植物などを指の先で地面から採取する意」

ともある(岩波古語辞典)。「つま(爪)」は,

「ツマ(端)・ツマ(妻・夫)と同じ。『つめ』の古形。複合語として残る」

とあり,「つま(爪)音」「「つまさき(爪先)」「つまづき(爪突き 躓き)」「つまぐる(爪繰る)等々に残る。

大勢は,

ツメ(爪)の活用語化(国語本義・国語溯原=大矢徹・大言海),
ツマ(爪)を活用させた語。指の先で物を上へ引っ張り上げる意(岩波古語辞典),
ツマメ(爪目)の義(名言通),
爪で毟る意か(和句解),

と,「ツメ」または「ツマ」に関係づける。異説は,

つむ(積む)と同源,

とし,

上に先の伸びる意の〈積ム〉のを,阻んで切る〈摘ム〉から(続上代特殊仮名音義=森重敏),

とする説がある。つまり,「積む」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E7%A9%8D%E3%82%80)で触れたように,

集む→詰む→積む,

の先に,

集む→詰む→積む→摘む,

と意味を拡げたという意である。面白いが,少し理屈に傾き過ぎではあるまいか。やはり,その語意から見ても,

ツマ(爪),

の動作から来ている,

爪ム,

でいいのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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スミレ


「スミレ」は,

菫,

と当てる。「菫」(漢音キン,呉音ゴン)の字は,

「会意兼形声。『艸+音符僅(キン 小さい)の略体』で,小さい野菜」

とある(漢字源)。「スミレ」の意ではあるが,「とりかぶと」の意でもあり,「むくげ(槿)」の意でもあり,「菫菜(キンサイ)」というと,セロリを意味する(仝上)。

「『スミレ』の名はその花の形状が墨入れ(墨壺)を思わせることによる、という説を牧野富太郎が唱え、牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とは言えない」

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%AC)。

「スミレ」の名は,それ以前にもあったはずで,

墨入れ(墨壺)を思わせる,

という文献でもあったのだろうか。

春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来(春の野にすみれ摘みにと来しわれそ、野を懐かしみ一夜(ひとよ)寝にける)山部赤人

山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利(山吹(やまぶき)の、咲きたる野辺(のへ)の、つほすみれ、この春の雨に、盛りなりけり)高田女王

茅花拔 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波(つばな抜く、浅茅が原のつほすみれ、今盛りなりわが恋ふらくは)大伴田村大嬢

の他に長歌が一首のみ(https://art-tags.net/manyo/eight/m1449.html)と,少ないながら,「須美礼」とある。因みに,「つぼすみれ」(都保須美礼)は,ごく小型で、長く茎を出し、白い花をつける,「スミレ」の一種。

万葉集期に,「スミレ」と「ツボスミレ」が区別されているほど,すでに知られた花であった。「墨壺」は,

「日本では、法隆寺に使われている最も古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があり、この時代から使われていたとされる。」

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%A3%BA)ほどで,あったとしても一般的ではないのではあるまいか。

しかし,「墨壺」ではなく,

「花の形,墨斗(スミツボ)の墨芯(すみさし)に似たれば,墨入筆(スミイレフデ)など云へる,略ナラムカト云へる」

とある(大言海)し,『日本語源広辞典』は,それを引き継ぎ,

「墨入れ(筆)の音韻変化」

とする。どうやら,音からきたもののようである。

スミイレフデ(墨入筆)→スミレ(大言海・千草の根ざし),
スミイレ(墨入)→スミレ(日本語原学=林甕臣),

のようである。しかし,筆指は,

「墨さしは、一端がヘラ状、反対側が細い棒状になっています。墨汁を付けて、ヘラ状の側で線を、棒状の側で記号、あるいは文字を書くのに使用します。墨壺、朱壺と共に用いられます。
材質は竹でできています。ヘラ状の側は巾約10〜15mm、先端から約1〜2cmの深さまで縦に薄く割り込みをいれ、ヘラ先の部分を斜めに切り落としています。この部分を曲尺などに沿わせて線を引きます。熟練者は、割り込みを30〜40枚位に極めて薄くいれるといいます。」

とあって(https://www.dougukan.jp/tools/tools_01_02),ペンナイフのように薄いモノだ。どこを指して,「スミレ」が「墨指」に似ているとしたのだろう。墨壺の「池」と呼ばれる墨の入っている部分か,あるいは,墨を蓄える墨入れと、筆を収納する棹部分からなる「矢立」なら,何となく花の形が似ていなくもないが。

他に,「ツボスミレ」の略,という説(名言通)もある。これ自体,

壺墨入の略(大言海),

とあって,堂々巡りに陥る。納得しかねるが,他に,

スは酸の義。ミレはニレの転で,楡のように滑るところからか(東雅),
ソミレ(染)の義(言元梯),
子供たちが 「相撲 (すまひ)とれ、相撲とれ」と、はやし立てて遊んだ。その「相撲とれ」の転訛(和泉晃一),

という説しかない。ただ,

「花の形が大工道具の『墨入れ(すみいれ・墨壺)』に似ていることからこの名があるとされる。ほかに、古くは春の野に出て若菜を摘む習慣があり、すみれもその若菜の一つとされ、『摘入草(つみいれぐさ)』の『つみれ』が『すみれ』に変化したとする説もある。」

とあり(http://yain.jp/i/%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%8C),

つみいれぐさ→つみれ→すみれ,

説なら,消去法ながら,なんとか納得できる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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つまびらか


「つまびらか」は,

詳らか,
審らか,

と当てる。もともと清音で,

つまひらか,

だったらしい。

つばひらかの転,

ともある(大辞林)。

「つばひらか」の音変化。古くは「つまひらか」

ともある(デジタル大辞泉)。

つまひらか→つばひらか→つまびらか,

ということか。

「ツバヒラカの轉。鎌倉時代にはツマヒラカと清音」

とある(岩波古語辞典)ので,

つばひらか→つまひらか→つまびらか,

なのかもしれない。「つばひらか(審らか・審らか)」は,

平安時代,漢文訓読に用いられた語,

とある(仝上)ので,一般化して,

つばひらか(平安時代)→つまひらか(鎌倉時代)→つまびらか,

と,転訛したとみていいようだ。

「詳」(漢音ショウ,呉音ゾウ)の字は,

「会意兼形声。羊は,欠けめなく姿の整ったひつじ。詳は『言+音符羊』で,欠けめなく行き届いて論じることをあらわす」

とある(漢字源)。「審」(シン)の字は,

「会意。番(ハン)は,穀物の種をたにばらまく姿で,播(ハ)の原字。審は『宀(やね)+番』で,家の中に散らばった細かい米粒を,念入りに調べるさま」

とある(仝上)。

「つまびらかに」は,

委曲(ツバラニ)に通ず,

とある(大言海)。「つばらに」は,

詳,
委曲,

と当て,

つまびらかにと同じ,

という(大言海)。『岩波古語辞典』は,「つばら(委曲)」は,

ツバヒラカと同根,

とし,

つばらか(委曲か),
つばらつばらに,

という言い回しがあった,とする。

つばら,
つばひらか,

の,「つば」はどこから来たのか。『日本語源広辞典』は,

「ツバラ(詳・委曲)+ヒラク(開く)」

と,

詳しく開いていく,

意とする。「つばら(委曲・詳ら)」は,

ツはヒトツフタツ(一箇一箇)のツ,ハラはハラハラ(散々)のハラの意,

とする(大言海)。「つばらかに」は,万葉集にもある古い言葉で,

つばらに,
つぶさに,
つぶつぶに,

と同義で,「つばらつばらに」は,

ツバラツバラは,つぶつぶ(委曲)の転音に,ラの接尾語を添えたるもの。重ねて意を強くする,

とある。つまり,「つばら」の「つば」は,

粒,

とする(大言海)。「つば」を,

ツブラ,

とする(日本語源=賀茂百樹)のも,「つぶら」は,「粒」なので同趣になる。

ツバは先鋭の意のムツマの転(日本古語大辞典=松岡静雄),

とみると,「つばらかに」は,

つまびらか,

と重なってくる。現に,「つばら」を,

ツマビラカの略,

と見る説もある(冠辞考・万葉考)。だから,「つまびらか」は,

ツバヒラケシのバがマに変化したツマヒラカニが元になった語。ツマは詳しくの意で,ヒラは開くの意(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦),

とする説もある。「ツバヒラケシ」は「ツバヒラカ」の形容詞形なので,「つまびらか」と「つばらか」とは重なってくることになる。「つばら」「つばらか」は古い言葉なので,

ツバラカの転,

とする説(国語の語根とその分類=大島正健)もあり,

つばら(つばらか)→つばひらか(平安時代)→つまひらか(鎌倉時代)→つまびらか,

と,もともとあった「つばら」が出発点とみてみたが,どうであろか。

「ひら」は,

開く,

とする(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦,日本語源広辞典,和訓栞)のに従ってみる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かまびすしい


「かまびすしい」は,

喧しい,
囂しい,

と当てる。

やかましい,
さわがしい,

意である。「喧」(漢音ケン,呉音コン)の字は,

「形声。『口+音符宣(セン・ケン)』。口々にしやべる意。歡(=歓。口々に喜ぶ)と縁が深い」

とある(漢字源)。「囂」(ゴウ,キョウ)の字は,

「会意。『口四つ+頁(あたま)』

とある(仝上)。いずれも,がやがやとさわがしい意である。

「かまびすしい」の,

「カマは,カマシ(囂)・ヤカマシのカマ同じ。古くは,シク活用。中世以降ク活用」

とあり(岩波古語辞典),

かまみすし,

とも言うとある(仝上)。「かまし」は,

囂し,

と当て,「やかましい」の意で,

「カマはカマビスシ・ヤカマシのカマと同じ」

として,

「『あま,かま』という慣用句の存在からも,古くはク活用であった可能性が高い」

とある(仝上)。「ク活用」とは,語尾が

く(未然形)く(連用形)し(終止形)き(連体形)けれ(已然形)

と変化する。因みに,シク活用は,

しく(未然形)しく(連用形)し(終止形) しき(終止形)しけれ(已然形)

と変化する。

どうやら,

かまびすしい,

やかましい,

かしましい,
も,

すべて,

かま(囂)し,

に端を発している気配である。「かま(囂)し」は,

「カマは,騒がしき音なるべし,カヤカヤ(ガヤガヤ)と通ず(名義抄『硍,カマ,カマナリ(字鏡ニ,硍ハ石聲,雷聲,鐘聲なりとあり)』)。カマシカマシと重ねて,カマカマシとなり,略して,カシカマシとなり(わたかまる,わたまる),又略して,カシマシとなる。カマビスシとも云ふは,カマビスカシの略(名義抄『囂,ヒスカシ』),ヤカマシと云ふは,彌(いや)カマシの略なり」

と,その転訛を説明している(大言海)。「かまびすし」は,

カマシ→カマビスカシ→カマビスシ,

という転訛した,ということになる。

カマシカマシ→カマカマシ→カシカマシ,

の転訛はすっと落ちるが,

カマシ→カマビスカシ,

は,少しスッキリしない。しかし,「かまし」の「かま」は,

擬音,

から来ているということを前提にして,

「カマシ(騒がしい音)+ビシ(きしむ音)+シ」

とする(日本語源広辞典)説も成り立つ。確かに,これだと,

カマシ→カマシ+ビシ→カマビスカシ,

と,不連続がつながる。しかし「ビシ」と人の声以外がはさまるのは,如何であろうか。

「カマシ」からの変化の流れが見えないからだろうか,

釜の中で煮えくりかえるように人が集まり騒ぐさまをいうところから,,カマは釜の義,ビはブリの約,スは集まるの義。またカミは獣類が食を争ってかみあうのにたとえ,カマはカミアの約(国語本義),
ガタビツシの義(言元梯),

等々というのはどうだろ。やはり「かまし」を中心に,

かまし,
やかまし,
かしまし,

というの言葉の周囲に,

かまびすし,

もあるとみていいのではないか。「やかましい」「かしましい」は,別項に改める。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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かしましい


「喧しい」は,

かまびすしい,

とも訓ませるが,

やかましい,
かしましい,

とも訓ませる。「かしましい」は,

喧しい,
囂しい,

と当てるが,どちらかというと,

姦しい,

とあてることが多い。「姦」(漢音カン,呉音ケン)の字は,

「会意。女三つからなるもので,みだらな行いを示す。道を干(オカ)す意を含む。奸(おかす)と同じ」

とあり,「姦」に,「かしまし」と,やかましい意に訓ませるのは,我が国だけのようである。

「かまびすしい」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba13.htm#%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%B3%E3%81%99%E3%81%97%E3%81%84),

で触れたように,「かま(囂)し」に端を発しである。「かま(囂)し」は,

「カマは,騒がしき音なるべし,カヤカヤ(ガヤガヤ)と通ず(名義抄『硍,カマ,カマナリ(字鏡ニ,硍ハ石聲,雷聲,鐘聲なりとあり)』)。カマシカマシと重ねて,カマカマシとなり,略して,カシカマシとなり(わたかまる,わたまる),又略して,カシマシとなる。カマビスシとも云ふは,カマビスカシの略(名義抄『囂,ヒスカシ』),ヤカマシと云ふは,彌(いや)カマシの略なり」

と,その転訛を説明している。「やかましい」の項では,

「噫喧(あなかま)しの轉と云ふ,或は云ふ,彌喧(やかま)しの義」

としている。大言海説では,「やかまし」は,

噫喧(あなかま)し→やかまし,
彌囂(いやかま)し→彌喧(やかま)し→やかまし,

と,いずれも感嘆詞を付けた,いうことになる。ただ,「あな」は,

「広く喜怒哀楽の感情の高まりに発する声。多ぐ下に形容詞の語幹だけが来る。中世以後次第に,『あら』にとってかわられた」

とある(岩波古語辞典)が,「いや」は,感嘆詞もあるが,「彌」と当てた,

「イヨ(愈)の母音交替形。物ごとの状態が無限であるさま。転じて,物事の状態が甚だしく,激しくつのる意」

の,「弥増しに」とか「彌栄え」の「いや」のようである。「彌々」で,ますます,の意になる。

「やかなし」は,

「イヤ(彌)かまし(囂)の轉」(岩波古語辞典),
「アナ+カマシイの音韻変化」「アナ+カマビスの音韻変化シ」(日本語源広辞典),

と,イヤかアナかにわかれるが,何れかになるようである。「イヤ」は,

イヤカマシキ(彌囂)の略(俗語考),
ヤカマカシ(彌囂)の義(言元梯),
イヤカマビスシ(彌囂)の義(名言通・日本語原学=林甕臣),
ヤカマシ(彌喧)の義(俚言集覧・和訓栞),

「アナ」は,

アナカマシ(噫喧)の轉(和訓栞),

「ヤ」を呼びかけのヤとし,カマを喧とする(異説まちまち・勇魚鳥・国語の語根とその分類=大島正健),

もある。「かまし」を強調する意では,同じであろうか。これをみても,かまびすし,やかまし,は紛れあっているのがわかる。

「かしまし」は,

カマシカマシ→カマカマシ→カシカマシ→カシマシ,

とするのが大言海説であるが,『日本語源広辞典』も,

「カマ(喧し)+カマ(喧)+シ」

の変化とし,「カマシカマシ→カマカマシ」が逆になって,

カマカマシ→カマシカマシ→マ音脱落→カシガマシ→ガ音脱落→カシマシ,

とするが,大言海説の方が自然ではあるまいか。

カシガマシの略(菊池俗語考),

もあるので,

カマシカマシ→カシガマシ→カシマシ,

といった転訛なのではあるまいか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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畳む


「畳む」は,

折り返して重ねる,
積み重ねる,

という意味だが,それをメタファに,

心の中に秘めておく,
閉じて引き払う,
始末する(日葡辞典に,「イエ,また,シロヲタタム」と載る),
(重ねてつぼます)すぼめる,
いじめる,弱らせる,
(結末をつける意から)手ひどくいためつける,殺す,

等々と,意味の外延が広い。『江戸語大辞典』を見ると,

分散になる,破産する(百万両の身代今たたむ事なれば)天明元年・見徳一炊夢),
足腰立たぬようにやっつける,殺す。無頼の徒の用語(「エゝ面倒な,畳んで仕舞へ」文化十二年・婦身噓),

と載るのみで, 

分解して片づける,

意が室町末期にある(「会所急ぎ畳み申すとの事候」天正十九年・北野社家日記)が,「破産する」という意は江戸期から使われ始めたのではないか。

「たたきのめす」という言い回しは,

無頼の徒の用語,

というあるように隠語的な用例のようである。

さて,「たたむ」は,

タタヌ,タタナハリと同根,

とある(岩波古語辞典)。「たた(畳)ぬ」は,

タタナヅク,タタナハルと同根,

とあり,

たたむ,

意である。「たたな(畳)はる」は,

タタヌ(畳)と同根,

で,

より合い重なる,

意であり,「たたな(畳)づく」は,

タタヌ(畳)と同根,

重なり合う,

意であり,「畳む」は,上代,

畳ぬ,

であり,それに関連して,

たたなづく,
たたなはる,

という言葉があったと見ることが出来る。

くりたたぬ(繰り畳ぬ),

という言葉があり,

引き寄せて畳む,

意である。「たたむ」は,

「タタ(叩と同根)+ミ・ム(折り重ね)」

とし,

叩いて折り重ねる,

意とする(日本語源広辞典)のは如何であろうか。「たた(叩)く」の「たた」は,

「タタは擬音語。クは擬音語・擬態語を承けて動詞を作る接尾語」

とある(岩波古語辞典)。「轟く」「そよぐ」「騒ぐ」など類語がある。積み重ねたり,折り重ねたりに,「叩く」は必要だろうか。別に項を改めるが,「たたく」の「た」は,「て」の古形で,

他の語の上について複合語をつくる,

とある(岩波古語辞典)。「手玉」「他力」「手枕」「手挟む」等々。「たたむ」は,

タワム(撓)の義(言元梯),
タタアム(平編)の約(国語本義),
タカタカメ(高々目)の義(名言通),

と,「畳む」状態を示す方がまだいいのではないか。あるいは,

たた,

は,

楯,
縦,

の意である。関係あるのだろか。

「畳(疂・疊・疉)」(呉音ジョウ,漢音チョウ)の字は,

「会意。『日三つ,または田三つ(いくつも重なること)+宜(たくさん重ねる)』で,平らにいく枚もかさなること。宜の中の部分はもと多の字であり,ここでは多いことを示す」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)

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たたく


「たたく」は,

叩く,
敲く,

と当てる。「叩」(漢音コウ,呉音ク)の字は,

「形声。卩印は,人間の動作を示す。叩は『卩(人間のひざまずいた姿)+音符口』。扣(コウ)と通用する」

で(漢字源),「たたく」「ノックする」意だが,「ひれ伏して,頭で地面をたたくようにお辞儀する(「叩首(こうしゅ)」「叩頭(こうとう)」)意でもある。

「敲」(漢音コウ,呉音キョウ)の字は,

「形声。『攴(動物の記号)+音符高』」

で,「たたく」「ノックする」意である(仝上)。

叩は,聲也。たたくうつ,叩門,叩首と用ふ。論語「以杖叩其脛」。
敲は,たたきて音聲を出す。叩より重し。敲金,敲門と用ふ。
扣は,叩に通ず。晉書・張華傳「扣之則鳴矣」。

と,三者に微妙な違いがある(字源)。擬態を示すより,音を表すようである。

和語の「たた(叩)く」の「たた」も,

「タタは擬音語。クは擬音語・擬態語を承けて動詞を作る接尾語」

とある(岩波古語辞典)。これに似た言葉に,

轟く,
そよぐ,
騒ぐ,

などがある。「とどろく」は,擬音語,

とどろ(轟)にク(擬音語・擬態語をうけて動詞を作る接尾語),

どあるし,「そよぐ」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba7.htm#%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%90)は,すでに触れたように,

サヤグの母韻交替形,

であり,

そよそよと音を立てる,

意であり,

ソヨ(擬態・そよそよ)+ぐ(動詞化)

であり(日本語源広辞典),

ソヨガス,ソヨフク,ソヨメクと同源,

とある。「そよ」は,

揺られて物の軽く触れ合うさま,

である。「たたく」の「た」は,「て」の古形で,

他の語の上について複合語をつくる,

とある(岩波古語辞典)。「手玉」「他力」「手枕」「手挟む」等々。「たたく」も,「手」の動作に絡んだ擬音と推測出来る。

「叩くは,『タ(手)+ク(ハタク)』が語源です。手ではたくように打つ意です。さらに,打つ,なぐる,やっつける,非難する,安くさせる,質問する,また憎まれ口をいう意にも使います。造語成分として複合語を作ります。例::タタキ上げ(長く苦労して一人前になった人),タタキ込む,…タタキ大工,タタキ出す,タタキつける,タタキなおす,…タタキのめす」

とある(日本語源広辞典)。「たたく」は,音から来て,

太鼓をたたく,
手をたたく,
金槌でたたく,
頭をたたく,
アジをたたく,

と,音から擬態へ転じていく。そこから,メタファとして,

意見をたたく,
師の門をたたく,
徹底的にたたく,
値をたたく,

となり,更に,そういう状態表現から,価値表現へと転じて,

大口をたたく,
無駄口をたたく,

等々へと広がっていく(大辞林)。『大言海』は,

「風のタタクとは,風の吹く意。水のタタクとは,水の打つ意。口をタタクとは,せわしくいいつづくる,物言ふを罵り云ふにも用ゐる。その説をタタクとは,その説を問ふ意」

と書く。「たたく」の意の範囲は広い。さらに「叩く」を,

はたく,

と訓ませると,微妙に意味がずれる。「はたく」と「たたく」とは,別語である。「はたく」は,

砕く,
撃く,

と当て,「うつ」意の,

頰をはたく,

以外に,

塵をはたく,
有り金をはたく,

の意があり(大辞林),もともと音ではなく,擬態であったことがわかる。それが価値表現へと転じると,「はたきさうな芝居」というように,

失敗する,

意になる。

る。「たたく」と「はたく」とが,意味が混ざり合っているのがわかる。しかし,「たたく」は,

興行する,一芝居打つ,
叩き売る,

意はある(江戸語大辞典)が,「はたき」の,

興行に失敗する,

意はない。それは,「たたく」は打つ(興行を打つ)と重なるが,「はたく」は,払う意が強いからと思われる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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さわぐ


「さわぐ」は,

騒ぐ,

と当てる。「騒」(ソウ)の字は,

「会意兼形声。蚤(ソウ)は『虫+爪』から成り,のみにさされてつめでいらいらと掻くことをあらわす。騒は『馬+音符蚤』で,馬が足掻くようにいらだつことをあらわす」

とある(漢字源)。さわぐ,意だが。いらだちや落着かないさまをも意味する。漢字には,「さわぐ」意の物がいくつかあり,

騒は,騒動する義。いそがはしく,みだる,騒乱と熟す,
擾は,かきみだす,義。煩也,亂也と註す。紛擾,煩擾と熟す,
噪は,鳥などの羣がり鳴くをいふ。蟬噪と熟す。譟と通ず,
譟は,人々のやかましくわめく義。羣呼煩擾也。また,聒(かまびすしい)也,擾也と註す。鼓譟と熟す,
躁は,落ち着かざる義,静の反なり。あがくとも訓む。軽躁と熟す,

と区別している(字源)。

和語「さわぐ」は,

「奈良時代にはサワクと清音。サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語」

とある。「サワ」は,

さわさわ,

という擬態語と思われるが,今日,「さわさわ」は,

爽々,

と当て,

さっぱりとして気持ちいいさま,
すらすら,

という擬態語と,

騒々,

と当て,

騒がしく音を立てるさま,
者などが軽く触れて鳴る音,
不安なさま,落ち着かないさま,

の擬音語とがある。「擬音」としては「さわさわ」は,

騒がしい,

というより,

軽く触れる,

という,どちらかというと心地よい語感である。むしろ,

ざわざわ,

というところだろう。しかし,

「古くは,騒々しい音を示す用法(現代語の『ざわざわ』に当たる)や,落ち着かない様子を示す用法(現代語の『そわそわ』に当たる)もあった。『口大(くちおお)のさわさわに(佐和佐和邇)引き寄せ上げて(ざわざわと騒いで引き上げて)』(古事記)。『さわさわ』の『さわ』は『騒ぐ』の『さわ』と同じものであり,古い段階で右のような用法を持っていた」

とある(擬音語・擬態語辞典)。「さわさわ」は,

「音を云ふ語なり(喧喧(さやさや)と同趣),サワを活用して,サワグとなる。サヰサヰ(潮さゐ),サヱサヱとも云ふは音轉なり(聲(こゑ),聲(こわ)だか。据え,すわる)」

とあり(大言海),「さいさいし」が,

「さわさわの,さゐさゐと転じ,音便に,サイサイとなりたるが,活用したる語」

と,「さわさわ」と関わり,

「『万葉集』の『狭藍左謂(さゐさゐ)』,『佐恵佐恵(さゑさゑ)』などの『さゐ・さゑ』も『さわ』と語根を同じくするもので,母韻交替形である。」

とある(日本語源大辞典)。

因みに,「さやさや(喧喧)」は,

「サヤとのみも云ふ。重ねたる語。物の,相の,触るる音にて,喧(さや)ぐの語幹」

であり,「さやぐ(喧)」と動詞化すると,

さわさわと音をたてる,

意となる。

さわさわ→ざわざわ,

と擬音が意味をシフトしたために,その語感がぴんと来ないが,

「古くは,『さわさわ』も,騒々しい音や落ち着かない様子を示した例がある」

とあり(仝上),「さわさわ」で「ざわざわ」をも含意させていたように思える。上代,清音が多いのは,上代倭人は,濁音を苦手としたのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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堪能


「堪能」を,

たんのう,

と訓ませるのは,完全な当て字である。本来,「堪能」は,漢語で,

かんのう,

と訓む。『広辞苑第5版』は,両者を分け,「たんのう(堪能)」は,

「足リヌの音便足ンヌの転訛。『堪能』は当て字」

とあり,

十分にみちること,あきたりること,
また,気のすむようにすること,

の意で,

「かんのう(堪能)と混同して,技能に長ける意にも誤用」

とある。「かんのう(堪能)」は,仏教用語で,

忍耐力,

だが,漢語の本来の意味は,

深くその道に達して上手なこと,またその人,

の意で,

其文武堪能,随才銓用(宋書,明帝紀)

と使う(字源)。

つまるところ,和語「足りぬ」に,「堪能」の字を当てたことで,ややこしくなった。『大言海』は,

「たんぬ」の項,
と,
「たんのう」の項,
と,
「かんのう」の項,

を別に立てる見識を示す。「たんぬ」は,

「足りぬの音便,知りぬ,しんぬ。去りぬる十日,さんぬる十日の類」

とし,「たんのう」は,

「かんのうの語讀。事を為すに堪へて能くする意」

とし,「かんのう」は,

「事を為すに堪へて能くすること,技に,妙に巧みなること,

とする。つまり,和語「たんのう」に,

堪能,

という漢字を,

「意味の近い漢語」(日本語源広辞典)

当てはめたことが,間違いのもとということになる。何でも漢字を当てはめたり,探したりするのを柳田國男が嘆いていたことを思い出す。

「平安後期の『観智院本名義抄』に載っている『たんぬ(足んぬ)』は,中世後期になると抄物や『日葡辞典』に『する』を伴った形でつかわれており,一般化したとみられる」(日本語源大辞典)

のが「たんのう」の端緒,つまり,

たりぬ→たんぬ→たんぬする,

といった転訛と思われる。それが,

「この『たんぬする』は江戸時代に入ると,『たんの(する)』の形に変化し,更に長音化し『たんのう(する)』となった」(日本語源大辞典)

のである。つまり,

たりぬ→たんぬ→たんぬする,→たんうする→たんのうする,

という転訛する。そして,

「江戸中期の『志不可起』には『たんなふ』の見出しがあり,『足んぬ』との関わりが述べられている。また漢字表記についても触れてあり,語源から『胆納』の表記をてようとしている。『たんのう』は現在『堪能』と表記するが,これはあて字で,江戸時代には『胆納』の他に,『湛納』『堪納』といった表記もされた」(日本語源大辞典)

とある。少なくとも,江戸時代後半に,

たんのう,

となったもので,『江戸語大辞典』は,「堪能」と当てているが,

満足すること(「御遊興はいつ迄なされても,是を胆納と申事はなきものにございます」安永九年・初葉南志),
満腹すること(「丁度幸ひ寮番の内儀さんに乳があれば,たんのうさせて上げんせう」安政七年・三人吉三),

と,「足りぬ」の意味でしか使われていない。「かんのう」の,

「『堪』にタンの音はなく,『湛』にタンがあることによる誤用に基づくあて字」(日本語源大辞典)

であり,明治までは,辞書に「湛能」を上げるものもあったという。今日では,その区別も無視されて,誤用が罷り通っている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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あに


「あに」は,

兄,

と当てる。「兄」(漢音ケイ,呉音キョウ)の字は,

「象形。兄は頭の大きい子を描いたもので,大きいの意を含む」

とある。

「あには『おとうと』の対」

とある(岩波古語辞典)ので,「おとうと」とセットで考える必要がある。「おとうと」は,

「オトヒトの転。『あに』『あね』の対。また,『このかみ』の対。同性のきょうだいの年下の者をいう」

とあり(仝上),「おとひと」の,

おと,

あるいは,

おとと,

とも言う。因みに,「このかみ」とは,

兄,
氏上,

と当て,

「子の上(かみ)の意」

で,

長男,
あるいは,
兄,姉,

を指す。

「おとと」は,

「おとうとの転。もと,同性のきょうだいの年下の者にいう。アニオトトのオトトは弟,アネオトトのオトトは妹をさす。中世以後は,もっぱら兄からみて弟にいうようになり,さらに姉から見て弟にもいうようになった」

とある(仝上)。で,「おと」は,

「『え(兄・姉)』の対。オトシ(落)・オトリ(劣)のオトと同根」

とある(仝上)。「え(兄・姉)」は,

「同母の子のうち年少者から見た同性の年長者。弟から見た兄,妹から見た姉」

を指す。つまり,下から見て,「え」という。「うへ(上,古くはウハ)」という意味ではあるまいか。『大言海』も,

「上(うへ)の約(貴(あて)も,上様(うはて)の約ならむ)」

としている。

逆に,年上見て,下のものを「おと」という。

「え」は,弟から見た兄,妹から見た姉
「おと」は,兄から見た弟,姉から見た妹,

となる。

因みに,

「セは,同母の兄弟姉妹のうち姉妹から見た兄弟で,イモは兄弟から見た姉妹で,年齢の上下を問わずにいう」

とある(仝上)。

「せ」は姉妹から見た兄・弟,
「イモ」は兄弟から見た姉・妹,

となる。

「『おとうと』の語は平安時代から見られるように なるが、男に限定して用いられるようになったのは江戸時代以降である」

という(語源由来辞典)。

とすると,「あに」を,

「吾兄(あのえ)の約転」

とする(大言海)のは,「え(兄)」の語源の説明になっていない。

エ(兄・姉)→アニ・アネ,

へとどう轉じたかの説明について,しかし「あに(兄)」の語源説は,

アは大の意(東雅・国語の語根とその分類=大島正健),
長子は大いに父に似るという義(関秘録),
カミの音転(日本釈名),
アト(後)ニの義。あとに弟を持つから(和句解),
アはアガムル,ニは陽(日本声母伝),
ワガニギシ(我和)の義(名言通),
アアとほめるほどにニコヤカ(和)なもの(本朝辞源=宇田甘冥),
アネから分派した語(日本古語大辞典=松岡静雄),
ア(阿)は親愛の冠詞,ニは爾(日本語原学=与謝野寛),

と,理屈をひねって,的を外している。「あね(姉)」の語源説は,

アニ(兄)の轉語(日本釈名・和訓栞),
アはア(吾)で接頭語。ネは美称(雅言考・言元梯・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹),
男女の区別を表すのに,ニとネの音を用いた(関秘録),
アニメ(兄女)の約(国語蟹心鈔・箋注和名抄・国語本義・名言通・大言海),
アは兄,ネはネル(寝る)(和句解),
ア(阿)は親愛の冠詞,ネ(嬭)は字書に姉,之を嬭と謂うとある(日本語原学=与謝野寛),

と,これもひねくり回すばかりで,珍説ばかりである。これなら,最初退けて取り上げるきがしなかったが,

「語源は中国語音『アン』です。an−が年上の意なのです。an−+イは,男性で兄,an−+エは,女性で姉を,表します」

と,中国由来とする説のほうが,まっとうに見える。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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豈図らんや,

の「豈」である。「豈図らんや」は,

どうしてそんなことが予想できようか,

つまり,

思いがけず,

という意味である。多く,反語表現として,

@推量の助動詞「む」に助詞「や」を添えた形をあとに伴う場合(「価無き宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に豈(あに)まさめやも」万葉集),
A打消の助動詞「ず」に助詞「や」を添えた形をあとに伴う場合(「豈空といふ論も此と過亦斉(ひとし)きにあらずや」大乗広百論釈論),

あるいは,あとに打消表現を伴って,

けっして(「夏蚕(なつむし)の 蝱(ひむし)の衣 二重著て隠(かく)み宿(やだ)りは 阿珥(アニ)良くもあらず」書紀・歌謡),

という意味で使われる。

「豈」(漢音キ,呉音ケ,呉・漢音カイ,慣音ガイ)の字は,

「象形。喜の字の上部や,鼓の字の左の部分とよく似た形で,神楽の太鼓をたてた姿を描いた象形文字であろう。もと,賑やかな軍楽のこと」

とあり(漢字源),

豈其然乎(あに,それしからんや),

という(論語)ように,多く,文末に乎,哉などの助辞を添える。つまり漢文脈で使う。

「平安時代以後,女流仮名文学には使われず,漢文訓読体に使われ,反語となるものがほとんどである」

とある(岩波古語辞典)。あるいは,

「中古以降は、漢文訓読関係の文脈にのみ固定して用いられ、和文脈には用いられなくなる。『豈』字を訓で読み、反語表現の用法が圧倒的に多い。」

とある(精選版 日本国語大辞典)。

しかし,「豈」の字を当てたが,和語「あに」は,もともとあったはずで,

「打消・反語と呼応する。朝鮮語の打消の副詞aniと同源であろう」

とする(岩波古語辞典)説もあるが,

「なに,なんぞ,いかで,なんとして(下,反語に應ず)」

という意味から見て,

「何(なに)と通ず」

とする(大言海)のが妥当に思える。「あぞ」という,

何ぞの轉,

という言葉がある。これは,

なぜ→あぜ,
など→あど,

という転訛と繋がり,

なに→あに,

ではないか,という(大言海)のである。

「上代語では『なに』の異形と見られ、『あに』の呼応は反語にする例も見えるが、打消と呼応し平叙する例が多い。」

ともある(精選版 日本国語大辞典,日本語源大辞典)。

つまり,「あに」という和語が,

打消と呼応し平叙する,

使われ方をしていたのが,「豈」と当てたことで,反語的な用法に転じた,ということなのだ。その用法に転じたのが,

「漢文訓読文脈にのみ固定して用いられ,和文脈にはもちいられなくなる」

のである(日本語源大辞典)。「なに」が,朝鮮語由来かどうかは分からないが,少なくとも,

なに→あに,

の転訛が基軸とみていいのではないか。「中国語辞典」(https://cjjc.weblio.jp/content/%E8%B1%88)をみると,「豈(岂)」は,文語文脈で,

(常に反語文に用い,‘岂有(是・能・敢・容)…[吗]’の形で否定を強調し;どうして)…か.
(常に反語文に用い,‘岂不(不是・非)…[吗]’の形で肯定を強調し)…でなかろうか,…じゃないか.

とある。その用法の影響とみてよさそうである。

イカニの転(和訓栞・名言通),
ア,ニともに歎辞(日本語源=賀茂百樹),
アニ(兄)と同語(和句解),

といった語源説は,ちょっといただけない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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むらさき


「むらさき」は,

紫,

と当てるが,色としての「紫」の意味と,その根から染色する,

ムラサキ科のムラサキ,

の意と,

鰯,

の意と,

醤油,

の意とがある。「紫」(シ)の字は,

「会意兼形声。此(シ)は『止(趾。あし)+比(並ぶ)の略体』の会意文字で,両足がそろわず,ちぐはぐに並ぶこと。紫は『意と+音符此』で,赤と青をまぜて染めた色がそろわず,ちぐはぐの中間色となること」

とある(漢字源)。孔子は,中間色として憎んだという(「悪紫恐其乱朱也」孟子)。

「むらさき」の語源が,色を指しているのか,花を指しているのか,はっきりしないのは,たとえば,『大言海』は,

「叢咲くの義,花に黄白粉紅あれば云ふとも云ふ,或は瓣萼層層して開けば云ふか,或は羣薄(ムラウス)赤きの約略という」

とあるのをみると,「むらさき」の根から「紫色」を染め出すので,その色をいうのは,草の名か色の名かははっきりしなくなる。

「植物のムラサキが群れて咲くことから『群れ咲き』の意味とする説と、花の色がムラに なって咲くことから『むらさき』になったとする説がある。 色の紫は、ムラサキの根に含ま れる色素によって染められた色で、植物名が染色名に転用されたものである。 」

とある(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/mu/murasaki.html)ように,その色から草の名が出来たとするとしても,その色の名をもっていなければ名づけようはない。

紫陽花(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba9.htm#%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4)で触れたように,アジサイの語源にも,

「『藍色が集まったもの』を意味する『あづさい(集真藍)』がなまったものとする」

説があったし,

「古く『あづさヰ(あじさヰ)』であった。『あづ(あぢ)』は集まるさまを意味し,特に小さいものが集まることを表す語。『さヰ』は『真藍(さあい)』の約。もしくは,接頭語の『さ』と『藍(あい)』の約で,い小花が集まって咲くことから,この名が付けられたとされる。」
「『あじ(あぢ)』は『あつ』で集まること,『さい』は真藍(さあい)の約で,い花がかたまって咲く様子から名づけられたとする説が有力か」

説もあって,紫陽花も,

アヅサヰの約転。アヅはアツ(集),サヰはサアヰ(真藍)の略,

と集まって咲く意である。しかし,「むらさき」は,紫陽花のように花が群がっている感じはない。

「『ムラ(群ら)+サキ(咲き)』です。群がって咲く花の色です」(日本語源広辞典)

という説は誤解ではあるまいか。根は太く紫色だが,花の色は白色である。

諸色蒸れた中にサラリと清い色であるところからか(本朝辞源=宇田甘冥),

の方が実態に合う。

アジサイをいうムラサキ(叢咲)の義から(日本古語大辞典=松岡静雄),

の方が,色といい状態といい,妥当に思える。あるいは,

「紫陽花,藤,のように総房花序の色をいったものか」

ということ(日本語源広辞典)なのかもしれない。

「むらさき」を鰯というのは,女房詞らしいが,

「いわし,むらさき,おほそとも,きぬかづきとも」

とある(大上臈御名之事)。「いわし」(http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba11.htm#%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B7)で触れたように,「むらさき」説は,

「紫式部が夫の宣孝の留守にイワシを焼いて食べていたら,夫が帰ってきた。そんな卑しいものを食べてと叱ると,『日のもとにはやらせ給ふいはし水まいらぬ人はあらじとぞ思ふ』と歌で抗議した。紫式部の好きな鰮だから紫といった」

という俗説がある(たべもの語源辞典,日本語源大辞典)が,

鰯の集まる時は海面が紫になるから(牛馬問答),
アイ(鮎)にまさるところから紫はアイ(藍)にまさるとかけていったもの(梅村載筆・嘉良喜随筆),

等々もある。かつては,紫式部の夫が批難するほど下品な魚だったので,

隠語,

ではないか(大言海)とするのが腑に落ちる。醤油をいうのも,その色から来ているが,

「もとは花柳界や様々な飲食店で使われていたが、現代では寿司屋や一部の食通が使う程度となっている。」

と(日本語俗語辞典 http://zokugo-dict.com/33mu/murasaki.htm),やはり隠語である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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のろま


「とんま」は,

のろまの転,

と,『大言海』はした。その「のろま」は,

鈍間,
野呂松,

と当てるが,『江戸語大辞典』は,

野呂松人形の略(「のろまは可咲(おかしき)演劇(きょうげん)より発(おこ)る」(文化十一年・古今百馬鹿)),

転じて,

緑青を吹いた銅杓子(かなじゃくし)の形容(「銅杓子かしてのろまにして返し」(明和二年・柳多留)),

さらに別に,野呂松(野呂間)人形の意味より転じて,

愚鈍なもの,あほう,まぬけ,

さらに,遊里語として,

野暮,

という意味が転じたとする。野呂松人形の意味より転じたとする説は,

「寛文・延宝頃,江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が遣い始めたという,黒い変てこな顔つきの道化人形,滑稽な狂言を演じた」

というもので,この人形は,

「頭が平たく,顔が黒い愚鈍な容貌の古人形」

で,それに基づいて,

気のきかぬこと,
まぬけ,

の意に転じたとする。『江戸語大辞典』は,さらに,「野呂松人形」の項で,

「江戸和泉太夫座で野呂松(のろまつ)勘兵衛が遣い始めた操り人形。頭部扁平で顔面黒く,道化役を演じた。間の狂言で鎌斎左兵衛の遣う人形の賢役なるに対し,これは愚昧な人物を演じたので,ついに野呂松(のろま)が愚者の異称となったという」

と,念押ししている。

しかし,『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/no/noroma.html)が,

「のろまは、江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が演じた『間狂言』の『野呂間人形(のろまにん ぎょう)』に由来する。『野呂間人形』は平らで青黒い顔をし愚鈍な仕草をする滑稽な人形 なので、『のろま』になったとするものである。 『野呂松』や『野呂間』とも書くことから、『野呂松人形』の説は喩力と考えられる。」

としつつ,

「『のろ』は速度や動きが遅いことを意味する形容詞の『鈍(のろ)し』、『ま』は状態を表す接尾語『間』とする説もある。『のろろする』など動作が遅いことには『のろ』が用いられる」

とも付言している。『日本語源広辞典』は,その「のろ」を採る。

「ノロマのノロは,ノロイで,速度の遅い意です。ノロマは,『ノロ(形容詞ノロイの語幹)+マ(者の接尾語)』」

とする。接尾語「ま」は,

「形容詞語幹・動詞の未然形・打消しの助動詞『ず』,接尾語『ら』などに接続して状態を表す語」

である(『岩波古語辞典』)。『大言海』の,

「鈍間抜(のろますけ)の下略なるべし」

とやはり「のろ」は,「鈍」から来ているとみる。

同様に,『由来・語源辞典』(http://yain.jp/i/%E3%81%AE%E3%82%8D%E3%81%BE)も,

「形容詞『のろい(鈍い)』の語幹に、状態を表す接尾語の『ま』がついた語。「鈍間」は当て字。」

とみる。「のろい」は,あるいは,擬態語,

のろのろ,
のろくさ,
のろり,

等々からきたのかもしれない。『擬音語・擬態語辞典』には,

「この『のろい』は江戸時代,異性に甘いという意味もあり,『のろける』はそこから来た語」

とある。『江戸語大辞典』をみると,

のろ作,
のろ助,
のろつく,
のろっくさい,
のろっこい,

など,「のろさ」を嘲り,罵る語に事欠かない。この「のろ」を「野呂松人形」とつなげるのは,サカサマのように思える。つまり,「のろい」という言葉があったからこそ,

野呂松(間)人形,

の「のろ」の意味がよく伝わったはずなのである。あらかじめ,

「高さ一尺五寸許りにて,頭偏く,色黒き,木偶を舞はして,痴駭(たはけ)たる狂言を演ずる」(大言海)

「ふざけた狂言」と言っているようなものである。

野呂松勘兵衛,

という名も,そう考えれば,意味がよく伝わる。

因みに,「のろし」について,

「ヌルシ(緩し)はさらにヌルシ(鈍し)に転義して,『にぶい,愚鈍である』さまをいう。〈心のいとヌルキぞくやしき〉(源・若菜下)。さらには母交(母韻交替)をとげてノロシ(鈍し)になり,動作の鈍い様子をノロノロ(鈍々)という。」(『日本語の語源』)

とある。擬態語は,「鈍し」から出た,という説である。

「野呂松人形」は,人形浄瑠璃の間(あい)狂言を演じたが,「間(あい)狂言」とは,

「能では,シテの中入のあと狂言方が出て演じる部分をいうが,能のアイ(間狂言)のみならず近世初頭の諸芸能では,たて物の芸能の間々に,種々の雑芸が併せて演じられた。それを〈アイの狂言〉または〈アイの物〉と呼ぶ。歌舞伎踊や浄瑠璃操り,幸若舞,放下(ほうか),蜘(くも)舞などの諸芸能の間でも,それぞれ間狂言がはさまれ,物真似(ものまね)狂言,歌謡,軽業,少年の歌舞などが演じられた。」(『世界大百科事典 第2版』)

とある。「野呂松人形」と相次いで,「そろまにんぎょう」「むぎまにんぎょう」が起こったとある(大言海)が,今日,

「新潟県佐渡市の説経人形の広栄(こうえい)座、宮崎県都城市山之口町の麓文弥(ふもとぶんや)人形で、間狂言(あいきょうげん)として演じられている。石川県白山市の東二口(ひがしふたくち)文弥人形、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市東郷町の斧淵(おのぶち)文弥人形にも人形だけが遺存する。」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

という。

「古浄瑠璃(こじょうるり)時代の道化人形芝居の一つ。浄瑠璃操りの成立以前には能操りがあって狂言操りも併演されていたが、明暦(めいれき)・万治(まんじ)(1655〜61)ころに歌舞伎(かぶき)の猿若(さるわか)が道化方に変じ、人形芝居に影響して道化人形芝居が成立した。西六(さいろく)、藤六、万六(まんろく)、太郎ま、麦ま、米(よね)ま、五郎まなどいろいろあったが、延宝(えんぽう)(1673〜81)ごろに上方(かみがた)に、そろま、江戸に、のろまが現れた。青塗りが愚鈍な容貌(ようぼう)の一人遣いの小人形で、愚直な主人公の展開する滑稽科白(こっけいせりふ)劇である。野呂松勘兵衛、のろま治兵衛らが知られているが、1715年(正徳5)の『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』上演からこれらの人形は除かれ、姿を消していった。佐渡へ伝わったのは享保(きょうほう)(1716〜36)ごろという。」(仝上)

「人形は4体1組。木之助が彫像形式で、手足が紐(ひも)でぶらりとつけられている。芝居の最後に男根を出して放尿するので有名。」(仝上)

と,この出し物の品がわかる。「のろい」というより「とろい」「とろくさい」という感じかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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すべた


「すべた」は,

スベタ,

と表記されることが多い。

「espada ポルトガル・スペインの転。剣の意。もとカルタ用語」

とあり(『広辞苑第5版』),

花札で,点数にならないつまらない札。素札(すふだ),

の意で,この「素札(すふだ)」が転じて,

スブタ,

と,

女性を罵る言葉,

になったと見ることができる。江戸時代には既に使われていたらしく,『江戸語大辞典』の「すべた」の項に,よりい

「めくりカルタで,数にならぬ札。四十八枚中,二十四枚ある。素札」

とあり,

「詰まらない男また女を罵って言う語」

とある。女性に限らなかったらしく,つまらない客の意で,

すべた客,

つまらぬ男の意で,

すべた野郎,

という言葉もあった(『江戸語大辞典』)。『大言海』は,カルタの「スベタ」と別に「スベタ」の項を立て,カルタの項では,

「鋤の西班牙語,espada(英語spqde)の訛にて,其の象を牌面に記したるものより云へるか」

とし,

「西洋骨牌(カルタ)に云ふ語。一枚が,一にならでは値せぬ平凡(へぼ)なる牌の称」
とし,もうひとつの「すべた」は,

素女,

と当て,

「安永七八年頃より,美(よ)からぬ女を,ソベタと云ふは,(スベタの)骨牌よりでたる詞とぞ(醜を,ヘチャとも云ふ)」

とし,別に

「伊豆にて。色情深き女(男の,スケベヱに対す)」

とある。そういう含意かと,よく分かる。『日本語源大辞典』には,

「特に外形面の非難が強く,行動や精神面の軽はずみへの非難を示す『蓮葉』と対照的に使用された」

とあり,これだとただ外面の良し悪しを言っていることになる。しかし『江戸語大辞典』の,男性に使った含意は,

つまらない,
取るに足りない,

という含意であるから,初めは,そういう含意だったのが,外面の,

良し悪し,

に転じたものに思われる。

エスパーダ→素札(すふだ)→すべた,

の転は,美醜を指してはいない。

役に立たない,
つまらない,

の意である。

なお,「めくりカルタ」については,

「『めくり』は明和期(1764-1772)の中頃に登場し、安永、天明(1781-1789)のいわゆる田沼時代に大ブームを巻き起こしました。この頃の黄表紙、洒落本、噺本等の文芸作品にも数多く登場し」

たとあり,こう説明されていますhttp://www.geocities.jp/sudare103443/room/mein/mein-01.html

「『めくり』は三人で競技しますので『胴三』は無く『親』『胴二』『大引』のみとなります。カルタ一組四十八枚(時に「鬼札おにふだ」と呼ばれる一枚を加える事も有り)を使用し、各人に手札として七枚づつ配り、場札として六枚を表向けに晒し、残りは山札として裏向きに積んでおきます。競技は『親』から開始します。手札の中に場札と同じ数(ランク)の札が有ればそれを出し、場札と合わせて取る事が出来ます。同じ数が無い場合は任意の一枚を場に表向けに捨て、以後この札も場札となります。次に山札の一番上の札をめくり、場に同じ数の札が有れば二枚合わせて取る事が出来ますが、無ければその札も場札に加えられます。続いて『胴二』『大引』の順に同じ手順を繰り返し、七順で一勝負(番個ばんこと呼ぶ)が終了します。」

とある。

聖杯(骨扶/乞浮)、
刀剣(伊須/伊寸)、
貨幣(於留/遠々留)、
棍棒(巴宇),

の4スート、1から9の数札と,

女王(十)、
騎士(馬/牟末)、
国王(切/岐利),

の絵札からなり,

合計48枚,

ということらしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F

なお,方言ではこの「スベタ」を,

ずべっこ(新潟県)
ずべろく(新潟県西頚城郡)
ずべたら(栃木県、埼玉県秩父郡、東京都八王子市、山梨県南巨摩郡、静岡県榛原郡)
ずべたらもの(群馬県勢多郡=道楽者の意)
ずべくら(熊本県下益城郡)
ずべとこ(富山県東礪波郡)
ずべたこ(兵庫県西宮市)

等々というとある(http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/0701-0800/0761.html)。

この「すべた」が,

すべた→すべ→ズベ公,

と,「ズベ公」という言葉につながるらしい。

参考文献;
http://www.geocities.jp/sudare103443/room/mein/mein-01.html
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

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