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コトバ辞典
立ちて居(ゐ)てすべのたどきも今はなし妹(いも)に逢はずて月の経(へ)ゆけば(万葉集)
の、
立ちて居(ゐ)て、
は、
立ったり座ったりして、
の意味だが、
いたたまれず、
と訳し、
すべのたどきも今はなし、
の、
すべ、
は、
手段、
たどき、
は、
てがかり、
で、
もう何をどうしてよいかわからぬ、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
たどき、
は、
タヅキの転、
とあり、
方便、
とあてる(広辞苑)。
たづき、
は、古くは、
たどき、
といった(学研全訳古語辞典)とあり、中世には、
たつき、
と清音にもなり(仝上)、
たつぎ、
ともなった(精選版日本国語大辞典)とあるので、
たどき→たづき(→たつぎ)→たつき、
と、転訛したことになる。
語形はタヅキが古い形であろうが、母音が交替した形であるタドキも併存した、
とあり(精選版日本国語大辞典)、万葉集には、
大野らにたどきも知らず標(しめ)結ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは
を、
大野跡状不知印結有不得吾眷
と、
跡状(たどき)、
と表記した例があり、これは様子や状態の意を表わしたものであろう(仝上)としている。万葉集で、
たどき、
と使っている例をみると―、
逢はぬ日の数多(まね)く過ぐれば恋ふる日の重なりゆけば思ひ遣るたどきを知らに、
では、
手立てもわからず、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
大船(おほぶね)の思ひ頼むに思はぬにしま風のにふふかに覆ひ来(きた)れば為(な)むすべのたどきを知らに、
では、
どうしてよいのか手立てもわからず、
と訳し(仝上)、
妹に逢ふ時さもらふと我が衣手に秋風の吹きかへらへば立ちて居てたどきを知らに、
では、
気持のやりばもなく、
と訳し(仝上)、
立ちて居てたどきも知らず我(あ)が心天つ空なり地(つち)は踏めども、
では、
立っても居てもどうにもならず、
と訳し(仝上)、
思ひ遣るたどきも我(わ)れは今はなし妹に逢はずて年の経ぬれば、
では、
憂いを晴らす手だても私にもうない、
と訳し(仝上)、
曇り夜のたどきも知らぬ山越えています君をばいつとか待たむ、
では、
案内知らぬ山道を越えて、
と訳し、
あらたまの月の変われば爲(せ)むすべのたどきを知らに岩が根のこごしき道の、
では、
月が変わったらどうしてよいのか見当もつかないので、
と訳し(仝上)、
新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐(ゆき)の島行かむたどきも思ひかねつも、
では、
(いかに行きの島とはいえ)どこへどう行ったらいいのか、手だても思いつかない、
と訳し(仝上)、
昨日(きのふ)今日(けふ)君に逢わずてするすべのたどきを知らに音(ね)のみにしぞ泣く、
では、
どうしてよいのかわからず、
と訳し(仝上)、
占部(うらべ)をも八十(やそ)の衢(ちまた)も占問(うらと)へど君を相見(あひみ)むたどき知らずも、
では、
お目にかかる手だてなどあるはずがありません、
と訳し(仝上)、
大船(おほぶね)の上にし居(を)れば天雲のたどきも知らず歌乞はむ我が背、
では、
(天(そら)を流れる雲のように)よるべもない気持ちだ、
と訳し(仝上)、
心は燃えぬたまきはる命惜しけど爲(せ)むすべのたどきを知らに、
では、
どうしたらよいのか手がかりもわからず、
と訳し(仝上)、
そこになければ言ふすべのたどきを知らに心には火さへ燃えつつ、
では、
(呼び寄せる)手だてもないので、
と訳す(仝上)ように、
手がかり、
手段がない、
と、
すべて、それが分からない、
という形で使う(岩波古語辞典)。
たつき、
で触れたように、
たつき、
は、
「手付き」か、中世以降、タツキとも(広辞苑)、
「手(た)付(つ)き」の意。古くは「たづき」。中世以降「たづき」「たつき」。現代では「たつき」が普通(大辞林)、
「タ(手)+付き」、タズキとも。生活の手段・方便。生計をタツキといいます。これを暮らしのゐで使ったのは、明治大正期です。万葉期には、手がかり、手段の意の用例があります(日本語源広辞典)、
タ(手)とツキ(付)との複合語。とりつく手がかりの意。古くは、「知らず」「なし」など否定の語を伴う例(たづき無し)だけが残っている。中世、タツギ・タツキとも(岩波古語辞典)、
手着の義と云ふ(大言海)、
としており、
たづき、
も、
恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは我(あ)が身なりけり(万葉集)、
と、
手がかり、よるべき手段、方法、
の意や、
世の中の繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(万葉集)、
と、
様子・状態を知る手段、見当、
の意から、後に、
世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、
と、
生活の手段、生計、
の意に転ずる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ところで、
たつき、
の、
つく、
は、
つく、
で触れたように、おおまかに、
「付く・附く・着く・就く・即く」系、
と
「突く・衝く・撞く(・搗く・舂く・築く)」系、
に分けてみることができる。しかも、語源を調べると、「突く・衝く・撞く」系の、「突く」も、
付く、
に行き着くようなので、「手付」も「手着」も同じと見ていい。、
手着の義(言元梯・和訓栞・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
手付の義(和訓栞)、
タ(手)+付(日本語源広辞典)、
とある。しかし、この、
手付、
は、
手を使って事をする時の、手の恰好や動かし方、
の意味で、「手つき・腰つき」のそれである。そこから、
技倆、
という意味が派生するが、
たつき、
の意味とは少し離れている。ここからは億説だが、
手付き、
つまり、手の動きは、
生活の手段、
である。その意味で、技倆といっていい。そこから、
たつき(活計)、
までは、遠くはないように思う。
て(手)、
で触れたように、
て、
は、動作の、
取る、
執る、
捕る、
等々と関わる、とされる。まさに、生活の手立てである。
「便」(@漢音ヘン・呉音ベン・慣用ビン、A漢音ヘン・呉音ベン)の異体字は、
㤤、扸、浭、𠊳(本字)、𠷊、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%BF)。「便利」「便宜」や「胡兵便を伺ふ」の機会の意、「便衣(べんい 普段着)」、「大便」「幸便」の手紙の意等々では、@の音。「便便」(太っている)出ではAの音。我国では、「船や車の出る回数・順序」をいう「第一便」などと使う(漢字源)。字源は、多く、
会意文字。丙は、尻を開いて両股(もも)をぴんと両側に張ったさまを描いた象形文字。更(コウ)は「丙+攴(動詞の記号)」の会意文字で、ぴんと張るの意を含む。便は「人+更」で、かたく張った状態を人が平易にならすことをあらわす。かど張らないこと、平らに通ってさわりがないことの意を含む(漢字源)、
会意文字です(人+更)。「横から見た人」の象形と「台座の象形と右手の象形とボクッという音を表す擬声語」(「台を重ねて圧力を加え平らにする」の意味)から、人の都合の良いように変えるを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「つごうがよい」を意味する「便」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji563.html)、
会意。人と、㪅(こう)(=更。あらためる)とから成る。不都合を改めることから、都合よい意を表す(角川新字源)、
会意。人+更。更に更改の意がある。〔説文〕八上に「安んずるなり。人、不便なること有るときは、之れを更(あらた)む。人と更とに從ふ」とするが、その会意によって便安・便利の意となることを説きえない。金文の馬+𠂉+攴(ぎよ)は馬に鞭度(べんたく)を加える形であるが、その馬+𠂉+攴の従うところは更の字形に近く、便とは人に鞭度を加える意象の字であろうと思われる。ゆえに人を駆使する意となり、便利捷給の意となる。更は変更・更改の意で、もとその呪的な方法を示す字であった。鞭度を加えて祓い、安堵することから、他の諸義が生じたものであろう(字通)、
と、会意文字とするが、
形声。「人」+音符「𠓥 /*PEN/」。「程度が良い」を意味する漢語{便 /*bens/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BE%BF)、
と、形声文字としているものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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外目(よそめ)にも君が姿を見てばこそ我(あ)が恋やまめ命死なずば(一には「命に向かふ我(あ)が恋やまめ」といふ)(万葉集)
の、
命死なずば、
は、
ただしそれまでに恋死することがなかったら、
の意とし、
命の絶えることがなかったら、
訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。別稿の、
命に向かふ、
は、
命の限界に直面する、命がけ、
の意とし、
命がけの苦しい恋心もおさまることでしょう、
と訳し(仝上)、
まそ鏡直目(ただめ)に君を見てばこそ命に向ふ我(あ)が恋止まめ(万葉集)、
でも、
命がけの我が恋、
と訳す(仝上)。で、
命に向かふ、
は、
命に匹敵する。命がけである(学研全訳古語辞典)、
命に匹敵する(岩波古語辞典)、
命に匹敵する。命に等しい。命がけである(精選版日本国語大辞典)、
と、
命に値する、
つまり、
命がけ、
の意である。
むかふ、
は、
向かふ、
対ふ、
とあて(学研全訳古語辞典・広辞苑)、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
向き合ふの約、互いに正面に向き合う意。また、相手を目指して正面から進んでいく意(岩波古語辞典)、
向き合ふ(向合)の義(日本語原学=林甕臣)、
向き合ふの変化した語(日本語源広辞典・精選版日本国語大辞典)、
ムク(向)の連用形にアフ(合)が下接し縮約したもの(時代別国語大辞典−上代編)、
ムク(向)に接辞フのついたもの(角川古語大辞典)、
メアフ(目合)の義(言元梯)、
ミカハス(見交)の義(名言通)、
ムカフ(身交)の義(大言海)、
等々とあり、普通に考えれば、
向き合ふ、
意で、
尾張に直(ただ)に牟迦幣(ムカヘ)る尾津(をつ)の崎なる一つ松あせを(古事記)、
と、
ある者を相手にし、その真正面に向く、他の正面に対して自分の正面を向ける、完全に向き合う、
意や、
我(あ)が見し子にうたたけだに牟迦比(ムカヒ)居(を)るかもい添ひ居(を)るかも(古事記)、
と、
互いに相手を前にする、対座する、
意や、
都合其勢一千人、手々にたい松もって如意が峯へぞむかひける(平家物語)、
と、
その方を正面に見て進んでいく、その方向に面を向けて進む、おもむく、
意や、
テキニ mucǒ(ムカウ)(「日葡辞書(1603〜04)」)、
と、
はむかう、逆らう、はりあう、対峙する、
意や、
また秋のうれへの色にむかふなり尾花が風に庭の月影(玉葉和歌集)、
ハルニ mucǒ(ムカウ)(日葡辞書)、
と、
時が近づく、その時になろうとする、
また、
時が移ってその状態になろうとする、
意や、
直(ただ)に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向(むか)ふ我(あ)が恋止まめ(万葉集)、
と、
(二つのものの性質・能力が相対する意から)(二つのものが)肩をならべる、等しくなる、匹敵する、
意などで使い(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、ここでは、
命と比肩する、
意で使っている。ちなみに、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ
の、ハ行下二段活用の他動詞、
向かふ、
は、
川にむかへて、簾(すだれ)巻き上げて見れば(蜻蛉日記)、
と、
向かい合わせる、向ける、
意、
入道がもとへ討手(うつて)なんどやむかへんずらん(平家物語)、
と、
出向かせる、
意である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
いのち、
の、
ち、
は、
ち(血)、
で触れたように、
古形としてツ(血)が考えられる。身体内から出る液体として、チ・ツ(血)、チ(乳)、ツ(唾)に共通したtを認めることが出来るので、これらを同源とみることができる。また、血・乳とも、人(子供)・生命にとって重要な生命力の源であるからそれらを、さらにチ(霊)と同源と見なすことも可能であろう、
とあり(日本語源大辞典)、
いのち、
の、
ち、
は、
いかづち(厳(いか)つ霊(ち)。つは連体助詞)、
をろち(尾呂霊。大蛇)、
のつち(野之霊。野槌)、
ミヅチ(水霊)
等々の「ち」と重なり、
チ(血)、
は、
チは、生命のもと、
とし、
イノチと同根、
とする(日本語源広辞典)。で、
いのち、
の、
い、
は、
イは息(いき)、チは勢力、したがって「息の勢い」が原義。古代人は、生きる根源の力を目に見えない働きと見たらしい。だから、イノチも、きめられた運命・寿命・生涯・一生と解すべきものが少なくない、
とあり(岩波古語辞典)、
ち(霊)、
は、
自然物のもつはげしい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる、
とし、
いのち(命)、
をろち(大蛇)、
いかづち(雷)、
と通じるとした(仝上)。大言海も、
ち(霊)、
を、
持(もち)の約、
として、
神、人の霊(タマ)、又、徳を称へ賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ、野槌)、尾呂霊(ヲロチ、蛇)などの類の如し。チの轉じて、ミとなることあり、海之霊(ワタツミ、海神)の如し。又、轉じて、ビとなるこあり、高皇産霊(タカミムスビ)、神皇産霊(カムミムスビ)の如し、
と、
いのち、
は、やはり、
息(い)の内(うち)の約(大言海)、
と「息」とする。同様に、「息」説は多い。
イノウチ(息内)・イノチ(気内)の義(和訓栞・音幻論=幸田露伴)
イキウチ(息内)の約(名言通)、
いのちの「い」が「生く(いく)」「息吹く(いぶく)」の「い」で「息」を意味し、「ち」は「霊」の
意味とした、生存の根源の霊力の意味とする(語源由来辞典)、
イ(息)+ノ(連体助詞)+チ(霊)(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
イ(息)のノチ(後)(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
イノチ(息路)の義か(俚言集覧)、
イノチ(息続)の意(日本語源=賀茂百樹)、
イノチ(息力)の義か(和字正濫鈔)、
イノチ(息霊)の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
「イノチ(息+内+霊)」が有力。イキ、イキル、イク、イノチは同根(日本語源広辞典)、
等々がある。「生」に絡ませた、
イキノウチ(生内)の約(和句解・日本釈名・古語類韻=堀秀成)、
イノチ(生霊)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
イキネウチ(生性内)の約(日本語原学=林甕臣)、
とあるが、「いきる(生)」「いく(生)」は、
イキ(息)と同根、
とあり、「いく(生)」は、
イキ(息)、
と重なるので、「息」も「生」も、どちらともありえるようである。ついでに、
命に向かふ、
と似た意の、
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(古今集)、
と、
命があってのことだ、
の意で使う、
いのちなりけり、
は、
命があったればこそだ、
の意で、
寿命を長らえたことに対しての詠嘆のことば。
である(精選版日本国語大辞典)が、万葉集などでは、
たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思ふ、
君が家(いへ)に我が住坂(すみさか)の家道(いへぢ)をも我は忘れじ命死なずは、
朝霧の凡(おほ)に相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも、
等々、
命知らず、
命死なずは、
命死ぬべく、
というのが、
命がけの恋を表現する常套句、
であった(仝上)。それに対して、
いのちなりけり、
が出てくるのは、古今集あたりのようだ。それでも、八大集(古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集)でも、
八首、
しかない(仝上)。それを挙げると、
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見む事はいのちなりけり(古今集)、
今ははや恋死なましをあひ見むとたのめし事ぞいのちなりける(仝上)、
もみぢばを風にまかせて見るよりもはかなき物はいのちなりけり(仝上)、
年をへてあひみる人の別には惜しき物こそいのちなりけれ(後撰集)、
あふと見てうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞいのちなりける(金葉集)、
さりともと思ふ心にはかされて死なれぬものはいのちなりけり(仝上)、
まどろみてさてもやみなばいかがせむ寝覚めぞあらぬ命なりける(千載集)、
としたけて又こゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山(新古今集)
ながらへて世に住むかひはなけれどもうきにかへたる命なりけり(仝上)、
それが、『新古今集』成立後の勅撰集、『新勅撰集』から『新続古今集』までの十三代には、
三五首、
に増え、その二三首が「恋」の部に入れられている(仝上)という。
なりけり、
という表現は、
今初めてその事実に気づいたという詠嘆である(仝上)、
が、新古今以後定着したとするなら、あくまで表現のレトリックとして、
命と均衡、
するほどというメタファなのだろう。いわば、
命がけ、
を訴求していると言えるのだろう。
「命」(漢音メイ、呉音ミョウ)の異体字は、
𠋒(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)。字源は、「命婦」で触れたように、
会意。「あつめるしるし+人+口」。人々を集めて口で意向を表明し伝えるさまを示す。心意を口や音声で外にあらわす意を含む。特に神や君主が意向を表明すること。転じて命令の意となる(漢字源)、
とあり、「いのち」の意味はあるが、「天命」の意で、天からの使命、運命の意で、「命令」色が強い。
会意文字です(口+令)。「冠」の象形と「口」の象形と「ひざまずく人」の象形から神意を聞く人を表し、「いいつける」、「(神から与えられた)いのち」を意味する「命」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji51.html)、
という説明、あるいは、
会意。「人」(集める)+「口」(神託)+「卩」(人)、人が集まって神託を受けるの意。又は、「令」(人が跪いて聞く)+「口(神器)」の意(白川静)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)、
という説明が、その意味からみて、分かりやすい。字通では、
会意。令(れい)+口。令は礼帽を著けて、跪いて神の啓示を受ける形。口は祝詞を収める器のᗨ(さい)。神に祈って、その啓示として与えられるものを命という。〔説文〕二上に「使ふなり。口に從ひ、令に從ふ」とし、口を以て使令する意とするが、もと神意を意味する字である。卜文・金文に令を命の意に用い、令がその初文。周初の金文〔大盂鼎(だいうてい)〕に「天の有する大令(命)を受(さづ)けらる」とあり、のち〔賢𣪘(けんき)〕に「公、事を命ず」のように、命の字を用いる。天命の思想は〔大盂鼎〕をはじめ、〔也𣪘(やき)〕などにも「顯〃たる受令(命)」とあって、周王朝創建の理念として掲げられたものであった。人の寿夭も天与のものであるから、列国期の金文に「永命眉壽」を祈る語を著けるものが多い。金文にまた賜与の意に用い、〔献𣪘(けんき)〕「厥(そ)の臣、獻(人名)に金車を令(たま)ふ」のように用いる。天の命ずるところであるから、人為の及ばないところをすべて命といい、君子は命を知るべきものとされた、
としている。以上は会意文字説だが、他に、
会意形声。口と、令(レイ→メイ 人を使う)とから成り、人に言いつける意を表す(角川新字源)、
と、会意兼形声文字とする説、
形声。「口」+音符「令 /*RENG/」。「言いつけ」を意味する漢語{命 /*mrengs/}を表す字。もともと甲骨文字では「令」が{命|言いつけ}を表していたが、のち「口」が加えられ「命」字に分化した(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)、
と形声文字とする説もある。ついでに、「令」の字の字源もみておく。
「令」(漢音レイ、呉音リョウ)の異体字は、
㡵、聆、齢(の代用字)
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4)。字源は、
会意文字。「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと(漢字源)、
会意(OC/*riŋ/、 /*riŋ-s/)。「亼(「口」の顛倒形)」+「卩(人の跪く姿)」。人に命令を発している様で、本義は「命令」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4)、
会意。亼(しゆう)(=集。あつめる)と、卩(せつ 人がひざまずいた形)とから成り、人を集めて従わせる、いいつける意を表す(角川新字源)、
会意文字です(亼+卩)。「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味し、そこから、「命ずる・いいつける」を意味する「令」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji686.html)、
と、会意文字とするが、
象形。礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。〔説文〕九上に「號を發するなり。亼(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を亼
(あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて跪く形で、神意を承ける象とみられる。金文に「大令(命)」「天令(命)」のように命の字としても用い、西周後期に至って、祝禱の器の形をそえて命の字となる。鈴もはじめは令に従って鈴に作り、のちに金+命に作る。鈴は神を降し、また神を送るときに用いる。令・命は神意に関して用いる語である。神意に従うことから令善の意となり、また命令の意から官長の名、また使役の意となる(字通)、
と、象形文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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人言(ひとごと)はまこと言痛(こちた)くなりぬともそこに障(さは)らむ我(わ)れにあらなくに(万葉集)
の、
障(さは)らむ我(わ)れにあらなくに、
は、
障害を感じる私ではない、
の意で、
そんなことにこだわる私では決してない、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
障る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
触ると同源(広辞苑)、
サフ(障)の自動詞形で、行くてをさえぎるものに引っかかって行き悩むのが原義。転じて、ものごとに持続的に接触する意。類義語フル(触)は瞬間的にちょっと接触する意(岩波古語辞典)、
障(さ)ふの自動(終(ヲ)ふ、をわる。易(カ)ふ、かはる。加(くは)ふ、くははる)、ササハルと云ふは、此語が、サの発語を冠するなり。触るは、障るの転(大言海)、
サヘからサハとなり、ラ行に活用したもの(日本語源=賀茂百樹)、
サヘハル(塞張)の義(日本語原学=林甕臣)、
ハシハル(刺張)の義(名言通)、
先の張ったものは物にさわるところから、サキハル(先張)の義か(和句解)、
等々とあるが、はっきりしない。上述の、
ささは(さ障)る、
というのは、
「さ」は接頭語、
で、室町以降の用法で、
ちとそれに人の存分ささはり候へは、腹立之事(毛利家文書)、
あれもまだたっぷり穿ちがあるけれど、芝居へささはるを遠慮して大略した物さ(滑稽本「戯場粋言幕の外(1806)」)、
と、
自動詞ラ行四段活用、
の、
さまたげとなる、さわりとなる、じゃまが生じる、さわる、
意である。この自動詞、
障(さは)る、
のもととなった、他動詞、
さ(障)ふ(障う→障える)、
は、
塞ふ、
とも当て(大言海)、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、ハ行下二段活用、
で、
ちはやぶる神か離(さ)くらむうつせみの人か障(さ)ふらむ通(かよ)はしし君も来まさず(万葉集)、
と、
さまたげる、邪魔する、
意とともに、後に、
ひめがかたへ手をさへるを、扇でたたく(虎明本狂言「首引(室室町末〜近世初)」)、
と、
さわる、触れる、
意や、
さゆ(障)、
と、室町時代ごろからヤ行下二段にも活用し、
支ゆ、
扱ゆ、
とも当て、
進行するものの途中で妨害する、
という意味で、
いさかひ扱し棒の相伴(雑俳「篗纑輪(1707)」)、
と、
争いをやめさせる、仲裁する、
意でも使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
触(さは)る、
は、上述したように、
障(さは)る、
の、
転意した語、
である(大言海)が、
支障となる意が軽くなって派生した語と思われる。また、類義語の「ふれる(触)」との違いは、本来「さわる」が持続的に接触する動作であるのに対して、「ふれる」が瞬間的、すこしの時間接触するところにあると思われる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
手をささげて探(さぐ)り給ふに、手にひらめる物さはる時に(竹取物語)、
と、
手で触れる、軽く接触する、あたる、
意、
ゴヘン ナニノ ユエニカ sauararequeruzo(サワラレケルゾ)(「バレト写本(1591)」)、
と、
かかわりあう、関係する、よりつく、近づく、
意などで使う。なお、
障(さは)る、
は、転訛して、
鴫(しぎ)は佐夜良(サヤラ)ずいすくはしくぢら(鷹(くち)ら)佐夜流(サヤル)(古事記)、
と、ラ行四段活用の自動詞、
さや(障)る、
となり、
行手(ゆくて)をさえぎられる、またげられる。また、網、わななどにかかる、
意や、
百日(ももか)しも行(ゆ)かぬ松浦道(まつらぢ)今日(けぬ)行きて明日は来(き)なむを何か佐夜礼(サヤレ)る(万葉集)、
と、
さしつかえる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。
「障」(ショウ)は、「雨障(つつ)み」でふれたように、
形声。「阜(壁やへい)+音符章」で、平面をあてて進行をさしとめること。章(あきらか)の原義には関係がない、
とある(漢字源)。他も、
形声。阜と、音符章(シヤウ)とから成る。へだてる、ひいて、さえぎる、「ふせぐ」意を表す(角川新字源)
形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「墨だまりのついた大きな入れ墨ようの針」の象形(「しるし」の意味だが、ここでは「倉(ショウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしおおう」の意味)から、丘でかくし「へだてる」を意味する「障」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji989.html)、
形声。声符は章(しよう)。〔説文〕十四下に「隔つるなり」とあり、障壁をなすことをいう。〔左伝、定十二年〕の「保障」は「堡障」の意。鄣も声義同じ。土部十三下に「墇は擁(ふさ)ぐなり」とあって、これは壅塞(ようそく)することをいう。𨸏(ふ)は神の陟降する神梯の象であるから、障は聖域を壅ぎ衛る意である(字通)、
と、いずれも形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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いとのきて薄き眉根(まよね)をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ人かも(万葉集)
にある、
眉根(まよね)をいたづらに掻かしめ、
の、
眉根がかゆく、くしゃみが出、下紐が自然に解ける、
等々は、
人に逢える前兆とされた、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いとのきて、
は、
特別に、
の意とする(仝上)。
いとのきて、
は、
加之、
とあて(大言海)、
「のき」は除くの意(広辞苑)
最抽(いとぬ)きての転かと云ふ。野(ぬ)、の。ぬるし、のろし(鈍)。いとせめてと同趣の語なり(大言海)
イト(甚)ノキ(除)テの意(岩波古語辞典)、
「のきて」は動詞「のく(除・退)」の連用形に助詞「て」が付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
通常的、一般的なものから、それだけを、格別な特色があるとして区別し強調する意味で用いる、
として(精選版日本国語大辞典)、
ことのほか、いやがうえに、普通以上に(精選版日本国語大辞典)、
さらに加えて、とりわけ(広辞苑)、
とりわけ、特別に(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)、
といったいで使う。万葉集では、
ぬえ鳥(どり)ののどよひ居(を)るにいとのきて短き物を端(はし)切るといへるがごとくしもと取る里長(さとをさ)が声は寝屋処(ねやど)まで来立ち呼ばひぬ(万葉集)、
では、
格別に短いもののその端をさらに切り詰める、
平(たい)らけく安くもあらむを事もなく喪(も)なくもあらむを世の中の厭(う)けく辛(つら)けくいとのきて痛き瘡(きず)には辛塩を注(そそ)くちふがごとくますますも重き馬荷(うまに)に表荷(うはに)打つといふことのごと(万葉集)、
では、
格別にいたい傷に、
いとのきて薄き眉根(まよね)をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ人かも(万葉集)、
では、
とりわけ薄い眉、
鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきて愛(かな)しけ背ろに人さへ寄すも(万葉集)、
では、
とりわけいとしくて、
等々と訳しているので、文脈で、微妙にニュアンスが変わるようである。
いとのきて、
と同義とする、
いとせめて、
は、
最迫、
最せめて、
とあて(大言海・精選版日本国語大辞典)、
「せめて」は動詞「せむ(迫)」の連用形に助詞「て」が付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
副詞「いと」+動詞「せむ」の連用形+接続助詞「て」、
とあり、
いとせめてこひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる(古今和歌集)、
と、
甚だしく迫りて、せつなく、述なく、切羽詰まって(大言海)、
ひどくさしせまって。この上なくはなはだしく(精選版日本国語大辞典)、
とても切実に、きわめて(学研全訳古語辞典)、
の意で、上掲の歌では、
せめて、
は、
胸がつまりそうに、
の意として、
どうしようもなく恋しい時は、
と訳す(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。ちなみに、この、
夜の衣、
は、
今日の寝間着にあたるが、着るだけでなく、掛けたり、敷いたりもした、
とあり(仝上)、
夜の衣を裏返して着る、
というのは、
そうすると恋する相手が夢に見えるという当時の俗信によるものか、
とし、
白露のおきて逢ひ見ぬことよりは衣(きぬ)返しつつ寝なむとぞ思ふ(後撰和歌集)、
の例があるが、
万葉集では、
白たへの袖折り返し恋ふればか妹が姿の夢にし見ゆる、
我(わ)が背子が袖折り返す夜の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし、
と、
袖折返して寝る、
のが、
思う人に逢える、
とした(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
せめて、
は、
動詞「責せめる」の連用形に助詞「て」の付いたもの(デジタル大辞泉)、
迫(せ)めての義より転ずる(大言海)、
動詞「責む」の連用形に接続助詞「て」がついてできた語(広辞苑)
セメ(攻・迫)テの意。物事に迫め寄って、無理にもと心を尽くすが、及ばない場合には、少なくともこれだけはと希望をこめる意。また、力を尽くすところから、極度にの意(岩波古語辞典)、
動詞「せむ(迫)」「せめる(責)」の連用形に「て」が付いてできたもの。対象に間隔を置かず、さしせまって、逼迫(ひっぱく)して、の意から(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
さきざきかやうの事はいふものをと苦しけれどせめて賜へば、いとほしうて持て去ぬ(源氏物語)、
と、
推して、つとめて、無理に、
の意、
とみにも打ち出で聞え給はねど、せめて聞かせ奉らむの心あれば(源氏物語)、
と、
これだけでもと力や心をもちいているさま、どうしても、何としても、
の意、
都にては粟田口までと思ひ、粟田口にてはせめて関山・大津までと思ひ、うち送り申しけるか(平治物語)、
と、
(希望をこめて)すくなくとも……だけは、
の意、
いとせめてこひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる(古今和歌集)、
高麗の紙ノ薄様だちたるがせめてなまめかしきを(源氏物語)、
と、
極度に、非常に、
の意等々で使い(岩波古語辞典)、中古前期から副詞として用いられたが、もともとは、
派生する元の動詞「せむ(迫)」の意を残した情態副詞であったが、「ひじょうに」「ひどく」「はなはだしく」のように程度副詞としても用いられるようになった。「少なくとも天だけは」のような、現代語で使われる叙述限定を表わす用法は、中世からその用例がみられる、
とし(精選版日本国語大辞典)、この時期に、動詞から派生した副詞は、
併せて、
改めて、
強ひて、
等々数が多い(仝上)とある。で、
同じう失はるべくは、都近き此の辺にてもあれかしと、のたまひけるぞ、せめての事なる(平家物語)、
と、
せめての事、
という使い方があり、
不満足ながら、これだけでもと願う事柄。せめてものこと(デジタル大辞泉)、
他のことはがまんして、何としてもこれだけはということ。これだけはと切望すること。思いつめてのこと。最小限の事(精選版日本国語大辞典)
といった意である。なお、
責む、
については触れた。
「最」(サイ)の異体字は、
㝡、冣、撮、𣤜、𥦡、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%80)。字源は、「最手(ほて)」で触れたように、
会意文字。「おおい+取」で、かぶせた覆いを無理におかして、少量をつまみ取ることを示す。撮(ごく少量をつまむ)の原字。もと、極少の意であるが、やがて「少ない」の意を失い、「いちばんひどく」の意を示す副詞となった(漢字源)、
会意。冃(ぼう=冒。おかす意。曰は変わった形)と、取(とる)とから成り、むりに取り出す意を表す。「撮(サイ、サツ)」の原字。借りて、「もっとも」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(日(冃)+取)。「頭巾(ずきん)」の象形と「左耳の象形と右手の象形」(戦争で殺した敵の左耳を首代わりに切り取り集めた事から、「とる」の意味)から頭巾をつまむを意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、他と区別して特別とりあげる、「もっとも・特に」を意味する「最」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji661.html)、
会意。冃(ぼう)+取。取は耳をもつ形。戦場で敵を討ち取ったとき、その左耳を切って証とし、それによって軍功を定めた。〔説文〕七下に「犯して取るなり」とし、また冣字条七下に「積むなり」とするが、両字は声義同じく、もと同字である。冃・冖(べき)は上から覆う形。左耳を集めて、その数を軍功としたので、最とは首功、第一の功をいう。集める意もあり、撮の初文。副詞にして「もっとも」という(字通)、
と、多く会意文字としているが、
形声。「宀」+音符「取 /*TSOT/」、「宀」が変形して「曰」の形となった。「あつまる」を意味する漢語{最 /*tsoots/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%80)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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他国(ひとくに)によばひに行きて太刀が緒もいまだ解かねばさ夜(よ)ぞ明けにける(万葉集)
の、
よばひ行きて、
は、
妻どいに出かけて行ったが、
と訳し、
いまだ解かねば、
の、
ねば、
は、
逆接、
で、
まだ解きもしないうちに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
よばひ、
は、
婚、
とあてる(広辞苑)が、
私通、
とも(大言海)、
夜這、
とも(精選版日本国語大辞典)、
呼ばひ、
とも当て(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)、
「呼ばふ」の連用形から(広辞苑)、
「呼ぶ」に反復・継続の接尾語フの付いた形(岩波古語辞典)、
「よばひ」は「よぶ(呼)」の未然形に反復、継続の助動詞「ふ」が付いてできた「よばふ」の連用形の名詞化(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
麗(くは)し女(め)を有りと聞こして佐用婆比(サヨバヒ)に在立(ありた)たし婚(よば)ひにあり通(かよ)はせ(古事記)、
と、
異性に対して結婚を求めて声をかけること。言い寄ること。求婚すること、
の意や、
こもりくの泊瀬小国(はつせをくに)に夜延(よばひ)為(せ)す我(わ)がすめろきよ(万葉集)、
と、
恋人のもとへ忍んで通うこと。特に、夜、男が女の寝所へ忍び入って情を通じること、
の意で、
よばえ、
とも訛る(精選版日本国語大辞典)。
求婚のために夜に女の許へ忍んでいくこと、
の、
呼ばひ、
が、次第に、
夜這ひ、
と意識されるようになった(岩波古語辞典)とある。
よばひ、
と、同じ意味だが、
こもりくの泊瀬(はつせ)の国にさよばひに我(わ)が来(き)たればたな曇り雪は降り來(く)さ曇り(万葉集)、
と、接頭語「さ」をつけた、
さよばひ、
という使い方もある(大言海)。動詞、
よばふ、
は、だから、
婚(よば)ふ、
とも当てるが、もともとは、
呼(よば)ふ、
喚(よば)ふ、
とあて(大言海・広辞苑)、
「よぶ」に接尾辞「ふ」のついた語(広辞苑)、
動詞「よ(呼)ぶ」の未然形+接尾語「ふ」から(デジタル大辞泉)、
動詞「よぶ(呼)」の未然形に、反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたもので、古くは連語(精選版日本国語大辞典)、
で、色葉字類抄(平安末期)に、
呼、喚、號、ヨフ、ヨハフ、
字鏡(平安後期頃)に、
恍、驚也、與波不、與不、
と、
呼ぶ、
意とともに、色葉字類抄(1177〜81)に、
女+申+方、這、嫁、ヨハフ、
と、
求婚する、
意を載せている。また、和名類聚抄(931〜38年)に、
婚姻、今俗に阿比也計(あひやけ)と呼ぶ、
新字鏡集(鎌倉時代)には、
婚、婦人の父。志比止(しひと)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
婚、トツギ・トツク・ツルゴト・メマク・クナク・シウト・マク・コヒト、
とある。なお、
あひやけ、
とあるのは、
相舅、
相親家、
とあて、
嫁と婿双方の親同士が互いに相手を呼ぶことば、
で、
あいおや、
しゅうと同士、
また、
配偶者を介して義理の兄弟になる者同士の関係、
をもいう(精選版日本国語大辞典)とある。
よばふ、
の、
ふ、
は、
みなぎらふ、
で触れたように、
は・ひ・ふ・ふ・へ・へ、
と、動詞の未然形の下に付いて、四段活用の動詞を作り、
反復・継続の意、
を表し(岩波古語辞典)、
をとめの寝(な)すや板戸を押そぶら比(ヒ)我が立たせれば(古事記)、
秋萩の散ら敝(ヘ)る野辺の初尾花仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて雲離(くもばな)れ(万葉集)、
では、その動作が反復して行なわれる意を表わし、
しきりに…する、
何回も繰り返して…する、
意で、
楯並めていなさの山の木の間よもい行き目守(まも)ら比(ヒ)戦へば(古事記)、
では、その動作が継続して行なわれる意を表わし、
…し続ける、
ずっと…する、
意で、
常なりし笑(ゑ)まひふるまひいや日(ひ)異(け)に変はら経(ふ)見れば悲しきろかも(万葉集)、
では、その変化がずっと進行していく意を表わし、
次第に…する、
どんどん…していく、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。この、
よばふ、
は、上述したように、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、ハ行四段活用で、
呼(よば)ふ、
喚(よば)ふ、
とあて(学研全訳古語辞典)、
女の家の前で大声で名告るところから(伊勢物語私記=折口信夫)、
ヨハフ(彌間触)の義(言元梯)、
男求婚するに、女応ずれば、おのれが名をなのるなり、これヨバフことを云ふ(大言海)、
とあるように、本来は、
一般的な「呼び続ける」という動作を表していたのが、特定の場面、とりわけ女性に対して男性が呼び続ける例が多用され、「求愛」「求婚」の意味が付与されたものか、
とある(日本語源大辞典)。だから、自動詞として、
反側(こいまろ)ひ呼(ヨハヒ)号(おら)ひて頭脚(あとまくら)に往還(かよ)ふ(日本書紀)、
と、
呼び続ける。繰り返し叫ぶ。大声に叫び呼ぶ、
意や、他動詞として、
高姓の人伉儷(ヨバ)ふに、猶辞(いな)びて年祀(とし)を経たり(日本霊異記)、
をとこ、武蔵の国までまどひありきけり。さてその国に在る女をよばひけり(伊勢物語)、
と、
婚ふ、
夜這ふ、
とあて、
言い寄る。求婚する。女のもとに忍んで通う。特に、夜、男が女の寝所に忍び入って情を通じる、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。伊勢物語に、
女のえ得(う)まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうして盗みいでて、
と、
よばひわたる、
の例があり、この頃には、継続を示す「わたる」との複合形があるところから、この意味がかなり一般化していたことがうかがわれる、
ともある(精選版日本国語大辞典)。
よばひ、
が、
呼ばふ、
つまり、
呼び続ける、
ことであるのは、
霊魂信仰では、相手の名を呼び続けると、言霊(ことだま)の力によって霊魂を招き寄せることができると考え、そういう呪術(じゅじゅつ)的な行為から出た、
とみられる(日本大百科全書)。古代には、
よばひ、
に、上述したように、
婚、娉、結婚などの文字をあて、男が求婚し、また女のもとに通(かよ)って行くことであった。当時の女性は生家(せいか)との結び付きが強く、結婚してもなお生家にとどまっていたから、夫は毎夜、妻のもとに通っていた。このような婚姻形態を、
婿入り婚、
招婿(しょうせい)婚、
通い婚、
よばい婚、
母処婚(ぼしょこん)、
妻訪婚、
などという(仝上)。ただし女性が一生を生家で過ごしたという確証は得られず、子供ができたときとか、夫の親が隠退した時期を見計らって、妻が夫の家に入るのが一般であった(仝上)。中世以降、
武家を中心に男性支配が強まり、祭祀(さいし)や労働における女性の地位が低下するに伴い、結婚と同時に嫁が婿方に身柄を移す「嫁入り婚」が広く行われるようになった(仝上)、
という時代背景から、
村の男女が成人して、よばいなどの交際を重ねるうち、自然に自他ともに許す一組の夫婦ができあがっていたものが、世の中が厳密になり、極度に処女性が重んじられ、練習期間というべきものが認められなくなった。そういう時点で、相手の女性の同意さえ確認せず、深夜にしのび込むものだけをよばいとよぶことになり、「夜這(ば)い」などの文字をあてるようになった、
とある(仝上)。だから、現在「よばい」は猥雑な行為とみられているが、
かつては婚前交渉としてよばいがあり、それは配偶者選択のために社会的にみとめられた、一定の規律をもった制度であった。このようなよばいや妻訪い、およびそれにつながる妻訪婚は地域内婚制を背景とし、男女の自主的求愛が重視されるため仲人の役割はよわく、若者たちの関与が大きい。日本古代の婚姻は妻訪婚と考えられているが、この妻訪いが終生のものか一時的なものか議論が分かれる、
とある(世界大百科事典)。ついでに、
よばふ、
のもととなった、
よぶ、
は、
呼(よ)ふ、
喚(よ)ふ、
とあて、
ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ、
の、バ行四段活用の動詞で、
相手の注意・関心を自分の方へ向かせるために大声を立てるのが原義、
とあり(岩波古語辞典)、
よよと聲する意と云ふ(大言海)、
ヨヨと声を出す意(和訓栞・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴)、
ヨバフの略(名語記)、
ヨルベ(寄辺)の義(名言通)、
オヨブ(及)より出た語か(和句解)、
等々、いずれもいまだしの感がある。ただ、
月読(つくよみ)の光を清(きよ)み夕なぎに水手(かこ)の声欲妣(ヨビ)浦廻(うらみ)漕ぐかも(万葉集)、
に、バ四段活用の自動詞があり、
(水手たちが声)呼びかけ合って、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)のを見ると、
大声を立てる、
の意でなくては意味が通じまい。バ四段活用の他動詞でも、
粟島をそがひに見つつ朝なぎに水手(かこ)の声呼び夕なぎに楫(かぢ)の音しつつ波の上をい行きさぐくみ(万葉集)、
と、
大声を立てる、
意、
相模嶺(さがむね)の小峯(をみね)見退(みそ)くし忘れ来る妹が名呼びて我(あ)を音(ね)し泣くな(万葉集)、
と、
相手を求めて声を出す、
声をあげて他人の名前などを口にする、
意の他、派生的に、
高円(たかまと)の秋野の上の朝霧に妻呼ぶを鹿(しか)出(い)で立つらむか(万葉集)、
と、
声をかけたり、知らせを出したりして来させる。召し寄せる、
意や、そこから広がって、
ここかしこによばれ時めくにつけて、やすげもなし(枕草子)、
と、
招待する。招く。また、招いてごちそうする。供応する、
意、
たらちねの母が呼ぶ名を申(まを)さめど道行く人を誰と知りてか(万葉集)、
と、
名づける、称する、
意と、
声を上げる→知らせる→招待する→名づける、
と、抽象度を増していく。新撰字鏡(平安前期)には、
詔、奈豆久(なづく)、又與不(よぶ)、
とある。
「婚」(コン)の異体字は、
㛰、𡕼、𡕽、𡖀、𡝪(同字)、𤔿、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%9A)。また、『説文解字』の解釈では、
𡕼、𡕽、𤔿、𡖀、
といった異体字を「婚」の古字としているが、実際は「聞」の古字である、としている。なお「聞」の字源は、
片聞く、
で触れたように、
聞、
の異体字は、䎹(古字)、闻(簡体字)、𡕼、𡕽、𡖀、𤔿、𥹢(古字)、𦔴、𦔵(俗字)、𦕁、𦕌、𦖞、𦖫(古字)、𪖴(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%9E)。「婚」の字源は、
会意兼形声。昏(コン)は「日+音符民(目が見えない)」の会意兼形声文字で、何も見えないくらい夜の意。民の転音がコンの音をあらわす。唐の天子李世民の名を忌んで、字体を昏と改めた。婚は「女+音符昏(コン)」で、古代は夜暗くなって結婚の式を営んだので、昏(くらい)を含む(漢字源)、
会意形声。女と、昏(コン 夕ぐれ)とから成る。古代の結婚式は夕ぐれから行われたことから、よめとりの意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(女+昏)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「人の足元に日が落ちた」象形(「日暮れ」の意味)から、「えんぐみ」を意味する「婚」という漢字が成り立ちました(昔、結婚式が日暮れに行われていた事に由来します)(https://okjiten.jp/kanji1121.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
形声。「女」+音符「昏 /*MUN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%9A)、
形声。声符は昏(こん)。昏は昏夕(ゆうべ)。その時刻より婚儀が行われた。金文の字は象形。爵をもって酒を酌む形で、その儀礼のしかたを示す。籀文(ちゆうぶん)の字形はそれに近い。〔説文〕十二下に「婦の家なり。禮、婦を娶(めと)るに昏時を以てす。婦人は陰なり。故に婚と曰ふ」とし、昏の亦声とする。金文の勳(勲)の字形は婚の字形と近く、同じく爵を奉ずる形に作る。おそらくその儀礼に似るところがあったのであろう。婚儀には三飯三酳(いん)の礼が行われ、三酳はいわゆる三々九度にあたる(字通)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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他国(ひとくに)によばひに行きて太刀が緒もいまだ解かねばさ夜(よ)ぞ明けにける(万葉集)
の、
ねば、
は、
逆接、
で、
まだ解きもしないうちに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ねば、
は、
否定の助動詞「ず」の已然形「ね」に接続助動詞「ば」の接続した形。「ね」は口語では「ぬ」の仮定形(広辞苑)、
打消の助動詞「ず」の已然形+接続助詞「ば」(学研全訳古語辞典)、
打消しの助動詞「ず」の已然形+接続助詞「ば」。口語では、打消しの助動詞「ぬ」の仮定形+接続助詞「ば」(デジタル大辞泉)、
打消の助動詞「ず」の已然形に接続助詞「ば」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
ネは打消しの助動詞ズの已然形、バは助詞、古くは「……ないのに」「……ないから」の意を表していたが、その後「ね」の下に「ば」を添えるようになった(岩波古語辞典)、
とあり、用法は、第一に、打消の順接確定条件を表わし、
淡海(あふみ)の海(み)瀬田の渡りにかづく鳥目にし見え泥麽(ネバ)いきどほろしも(日本書紀)、
ことしこそなりはひにも頼むところ少なく、田舎(ゐなか)のかよひも思かけねば、いと心細けれ(源氏物語)、
と、
……ないので、
……ないから、
意、第二に、打消の恒常的条件を表わし、
たけばぬれたかねば長き妹が髪このころ見ぬにかき入れつらむか(万葉集)、
鼻ひたる時、かくまじなはねば、死ぬるなり(徒然草)、
と、
……ないと、
……ないとかならず、
……ないときは、いつも、
の意で、上掲の歌では、
たけばぬれたかねば、
は、
束ねようとすれば垂れ下がり、束ねねば長すぎる、
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。第三に、冒頭の歌、
他国(ひとくに)によばひに行きて太刀が緒もいまだ解かねばさ夜(よ)ぞ明けにける、
や、
太刀が緒もいまだ解かずて襲(おひす・おすい)をもいまだ解かねば、……青山に鵼(ぬえ)は鳴きぬ(古事記)、
我が宿の萩(はぎ)の下葉(したば)は秋風もいまだ吹かねばかくぞもみてる(万葉集)、
と、多く上に「も」を伴い、「ば」が逆接の確定条件のような意味を表し、
……ないのに、
まだ……ないでいるうちに、
の意で、上代に多く使われている(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
近世以降、現代では、
打消しの助動詞「ぬ」の仮定形+接続助詞「ば」、
と解され(デジタル大辞泉)、
返事を聞かねば帰りませぬ(歌舞伎「夕霧七年忌(1684)」)、
熱が上がらねば風呂に入ってよろしい、
と、打消の仮定条件を表わし、
……ないなら、
……ないうちは、
の意で使い、また、「ねばならぬ」などとつづけて、
さりながら、手ならひをすれば、しろひくろひをしらねはならぬが、なんぢはしったか(狂言「伊呂波(室町末〜近世初)」)、
と、義務・当然の意を表わす場合もある(この「ねばならぬ」は、打消の助動詞「ず」の已然形に接続助詞「ば」の付いた「ねば」に、動詞「なる」の打消「ならぬ」が付いたものだが、現代口語では、「ねばならない」となる)。また、
冬が終わらねば春にならない、
と、打消しの恒常的条件を表わし、
……ないと絶対に、
……ない場合はきまって、
の意(「この「ねば」は「にゃ」とも訛る)や、
画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ(夏目漱石「草枕」)、
と、否定的な事柄の並列を表わし、
……ないし、
といった使い方もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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他国(ひとくに)によばひに行きて太刀が緒もいまだ解かねばさ夜(よ)ぞ明けにける(万葉集)
の、
よばひ行きて、
は、
妻どいに出かけて行ったが、
と訳し、
いまだ解かねば、
の、
ねば、
は、
逆接、
で、
まだ解きもしないうちに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
太刀の緒、
は、
佩(は)き緒、
をいい(デジタル大辞泉)、
太刀のあし(足)に結び付けて腰にまとう紐、
であり、
革や組紐を使用した、
とある(広辞苑)。
佩き緒、
は、
太刀の帯取(おびとり)にからめて腰に付ける緒、
なので、
帯取(おびとり)の緒、
ともいい(精選版日本国語大辞典)、奈良時代には、
太刀の帯、
といい、平安・鎌倉時代には、
太刀の緒、
といった(仝上)。中世末期太刀より短くて軽量で徒戦(かちいくさ)に向いた打刀(うちがたな)が台頭していったが、その場合、刀は、腰にさす。その打刀の場合、
太刀の緒、
は、
刀の下緒(さげお)、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
帯取りの緒、
つまり、
佩(は)き緒、
には、
飾太刀は赤革、細太刀は紫革または青革、野太刀は黒革、白革などを用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
太刀の、
帯取の緒、
は、
足緒(あしを)、
あしのを、
ともいう(大言海)が、
太刀の足金物(あしかなもの)につけて、太刀を腰に帯びるための帯取のひも、
で、
足金物(あしかなもの)、
は、
足金(あしがね)、
ともいい、
太刀をつるす鞘口(さやぐち)に近い帯取りの足にする金物(足緒(かわお)を通す一対の金具)、
で、それにつけて佩緒を通す緒を、
足緒、
という。
足金、
は、太刀を、
足緒にて吊るが、二條(ふたすじ)なれば、両脚の意にもあるか、
として(大言海)、
鞘に付きて二所あり、鍔際にあるを一(いち)の足(あし)と云ひ、数寸距(さ)りてあるを二(に)の足と云ひ、其閧足閨iあしあひ・あしま)と云ふ、各、小さき輪あり、これにとほして腰に吊り佩く、
とある(仝上)。
太刀、
かたな、
打出の太刀、
だんびら、
来国光、
で触れたことだが、上述したように、
太刀(たち)、
は、
日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するもの、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80)、
腰に佩くもの、
を指す。腰に差すのは、
打刀(うちがたな)、
と言われ、打刀は、
主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀剣、
とされる(仝上)。
太刀、
は、
馬上では薙刀などの長物より扱いやすいため、南北朝期〜室町期(戦国期除く)には騎馬武者(打物騎兵)の主力武器としても利用されたらしいが、騎馬での戦いでは、打撃効果が重視され、「斬る物」より「打つ物」であったという。そして、腰に佩く形式は地上での移動に邪魔なため、戦国時代には、
打刀、
にとって代わられた(仝上)とある。和名類聚抄(931〜38年)に、
刀、劍に似て刃なるを刀と曰ふ。大刀、太知(たち)、小刀、賀太奈(かたな)。刀子、楊氏漢語抄に云ふ、刀子、賀太奈(かたな)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
刀、カタナ・フネ/太刀、タチ/小刀 カタナ。横刀、ヨコハギ/短刀、ノダチ/細刀、ホソダチ/剪刀 モノタチガタナ・ワル/竹刀 アラビヱ/削刀 チラシ/刀削 カタナモテケヅレリ、
字鏡(平安後期頃)に、
刀、カタナ・ミネ・サク、
とある。
「刀」(漢音トウ、呉音ト・トウ)の異体字は、
刂(部首の変形)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%80)。字源は、
象形。刃のそった刀を描いたもの(漢字源)、
象形。片刃の刃物を象る。「かたな」を意味する漢語{刀 /*taaw/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%80)、
象形。刃物の形にかたどり、「かたな」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「かたな」の象形から「かたな」を意味する「刀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji251.html)、
象形。刀の形。〔説文〕四下に「兵なり。象形」とあり、兵とは武器をいう。左右両刃は剣。刀は一刃、上部に握環がある。のち通貨にその形を用いて刀銭・刀幣という。また簡札を削るのに用いたので、書記のことを刀筆の吏という(字通)
と、すべて象形文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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いつまでに生(い)かむ命(いのち)ぞおほかたは恋ひつつあらずは死ぬるまされり(万葉集)
の、
おほかたは、
は、
だいたい、
概して言えば、
の意で、
言ってみれば、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
おほかたは何(なに)かも恋ひむ言挙(ことあ)げせず妹(いも)に寄り寝む年は近きを(万葉集)、
では、
世間並みに言えば、
と訳す(仝上)。さらに、
大かたはなぞやわが名の惜しからむ昔のつまと人にかたらむ(後撰和歌集)
では、
大体のところ、
と訳す(水垣久訳注『後撰和歌集』)。上例の、
おほかたは、
の、
おほかた、
は、副詞的に使っているが、名詞と見られ、
大方、
とあて、
おほかたの皆荒れにたれば、あはれとぞひとびといふ(土左日記)、
おほかたの風体、序破急の段に見えたり(風姿花伝)、
と、事柄の量、範囲などについて、その大部分をいい、副詞的にも用い、
あたり全体、あたり一帯、あらかた、ほとんど、全般的に、総じて、
の意や、上掲の、
おほかたは何かも恋ひむ言挙(ことあ)せず妹に寄り寝む年は近きを(万葉集)、
と、
事柄の質、関係、程度などが、特殊でなくて一般的なこと(精選版日本国語大辞典)、特別な事情関係などのないこと(岩波古語辞典)<
などの意で、副詞的にも用い、
世間一般、普通、並ひととおり、一般に、尋常に、
の意で使い、その延長で、近代になって、
どこがわるいといふ理くつも見出だし得ず謹んで大方の教を俟つ(「筆まかせ(1884〜92)」)、
と、
多くのひと、世間一般の人、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。この、
おほかた、
を、
副詞で使う場合、多く名詞の意味を反映しているが、
次に述べる事柄に関して、細かいことはともかく、大づかみにいえば、の気持を表わす。言いだしや書きだしに用いることが多い、
とされ、
おほ方わらはべなるほどの心地にも、親の昼寝したるはより所なくすさまじくぞありし(能因本枕)、
と、
だいたい、およそ、
の意で使い、たとえば、
書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ誰ならむと見給ふ(源氏物語)、
と、
全体として、
の意、
おほかた公卿にて三十年、大臣の位にて二十五年ぞおはする(大鏡)、
と、
全体で、
の意、
おほかた、振る舞ひて興あるよりも、興無くて安らかなるが、まさりたることなり(徒然草)、
と、
大体、大ざっぱに言って、
の意、
おほかたし給ふわざなど、いとさとく大人びたるさまに(源氏物語)、
と、
総じて、
の意等々と使われる。さらに、否定の語を伴って、
おほかた回(めぐ)らざりければ、とかく直しけれども(徒然草)、
すべて、蔬(くさびら)、おほかた見えず(宇治拾遺物語)、
などと、
ほとんど、全然、少しも、まったく、一向に、
といった意で使うし、また、推量の語を伴ったり、推量の意味の文脈に用いて、
大方世になありそとなんめりと、むつかしければ(狭衣物語)、
と、
たぶん、恐らく、きっと、
の意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。また、
おほかた、この所に住み始めし時は(方丈記)、
のように、
そもそも、総じて、
の意だが、
話題を改めたりするときに、接続詞的に用いたりする(学研全訳古語辞典)。ちなみに、
大方、
を、
たいはう、
と訓ますと、漢語で、
河伯始めて其の面目を旋(めぐ)らし、洋を望み、若に向ひて歎じて曰く、……吾(われ)子の門に至るに非ずんば、則ち殆(あやふ)かりしならん。吾、長く大方の家に笑はれんと(荘子・秋水)、
と、
大法、
大道、
学識のある人、
の意で、日本語でも、
度量が大きいこと。また、その人、
学問・見識の高い人、
の意でも使うが、
坎井(かんせい)の識、久しく大方に迷(まど)ふ(日本霊異記)、
と、
大きな道、立派な道、仏の道、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。
「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)の異体字 は、
亣(籀文)、𠘲(古字)、𦓐、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7)。字源は、
象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる(漢字源)、
象形。正面を向いた大人を象る。「おおきい」を意味する漢語{大 /*lˤath/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7)、
象形。人が両手・両足を広げて立っている形にかたどり、「おおきい」意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「両手・両足を伸ばした人」の象形から「おおきい」を意味する「大」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji120.html)、
象形。(三才(天地人)とされる)天は大きく、地は大きく、人も大きい。したがって「大」は人の形を象る(説文解字)、
と、象形文字としている。
「方」(@漢音呉音ホウ、A漢音ホウ・呉音ボウ)は、
「四方」「方角」「何方」など起点の両側から←→のように伸びた直線の向きの意、行先の意、「方國」のように国土の意、「方舟而済於河」と「並べる」意、「比方」と「比べる」意、「舫」(ホウ 二艘舟)にあてた「方」(いかだ)の意、「放」にあてた「やぶる」意、「方法」と遣り方の意、「処方」「藥方」と薬の調合のしかたの意、「技方」と技術やわざの意、「方述」「方士」と不老不死の術の意、「方正」とまっすぐで正しい意、「方形」と四角の意、「義方」と道徳の意、「平方」と二乗の意、「方南」と当たる意、等々では@の音、「放」「や「彷徨」の「彷」にあてて、さまよう意、ではAの音になる(漢字源)。「かた」と訓ませて、わが国では、「あの方」というように人を直接指すことを避け、その人のいる方角を指す敬語、「道具方」と係の意、人の家に住んでいるとき、「何々方」と、その家の主人の下につけたりする。また「夕方」というように「ころ」の意でも使う(仝上)。
字源は、「方人(かたうど)」で触れたように、
象形、左右に柄の張り出た鋤を描いたもので、←→のように左右に直線状に伸びる意を含み、東←→西、南←→北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、
とある(漢字源)が、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、
舟をつなぐ様、
死体をつるした様、
とする説(説文解字)の他、
「丙」の変形、
農具(鋤)の形、
「亡」(「芒」の原字)の変形、
等々多くの説があるが定説はない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9)とし、
のち仮借して「向き」「やりかた」を意味する漢語{方 /*pang/}に用いる、
としている(仝上)。そのため、
象形。二艘(そう)の舟の舳先(へさき 舟の先の部分)をつないだ形にかたどる。借りて、「ならべる」「かた」「くらべる」などの意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji379.html)、
象形。架屍(かし)の象。横にわたした木に、人を架した形。これを境界の呪禁とするので、外方・辺境の意となる。〔説文〕八下に「併(あは)せたる船なり。兩舟の、省きて頭を總(むす)びたる形に象る」と舟の意とし、重文として汸を録する。卜辞に外邦を土方・馬方のようにいい、遠方・方位・外邦の意となる。放逐の儀礼は方(架屍)を殴(う)つ形。微・微(懲)・徼(きよう)など、みな人を殴つ呪儀を示す字である(字通)
と、象形文字としつつ、それぞれ字源を異にしている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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愛(うつく)しと思ふ我妹(わぎも)を夢(いめ)に見て起きて探るになきが寂(さぶ)しさ(万葉集)
の、
愛(うつく)し、
は、
いとしい、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うつくし、
は、
愛し、
とも、
美し
とも当てるが、
美し、
は、
うるはし、
くはし、
いし、
よし、
とも訓ませ、
愛し、
は、
うるはし、
めぐし、
いとし、
はし、
をし、
とも訓ませ、その意味の違いはなかなかつかみがたい。
うつくし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、由来を見ると、
逸奇(いちく)しの転音、稜威霊(いつくしび)の義(大言海)、
イツクシ(厳)の母音交替形(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
ウツクシムと同語根(万葉集類林・槙のいた屋)、
イツクシムべきであることをいう(和句解・日本釈名)、
ウツは全、クシは奇、菅精の義から転じた(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウツクシ(現奇)の義(国語本義)、
ウツクシ(心着)の義(言元梯)、
ウはエミ(恵美)の約、ツはタル(多留)の約(名語記・万葉考)、
等々あるが、
「イツクシビ」「うつくしむ」です。小さい肉親への愛などが、語源と関わっているようです。「ウツ(内面)+クシ(奇し)」内面の良さを賞賛する意や、「イトシイ(愛しい)」気持ちをウツクシと表していたようです。小さくて愛らしい意が、語源に近いのです。ウツクシイが、美麗の意になるのは、中世から近世に入ってからであると言われています(日本語源広辞典)、
上代で優位の立場から目下に抱く肉親的ないし肉体的な愛情であった原義は一貫して残り、平安時代でも身近に愛撫できるような人や物を対象とし、中世でも当初は女性や美女にたとえられる花といった匂いやかな美に限定されており、目上への敬愛やきらびやかで異国的な美をいう「うるはし」とは対照的であった。やがて中世の末頃には、人間以外の自然美や人工美、きらびやかな美にも用いるようになり、明治には抽象的な美、そして美一般を表わすようになった(精選版日本国語大辞典)、
『万葉集』に「父母を見れば尊し妻子見れば米具斯宇都久志(めぐしうつくし)」とあるように、上代では妻子など自分より弱い者に対して抱くいつくしみの感情を表した。平安初期以降、小さいものや幼いものに対する「かわいい」「いとしい」といった感情を表すようになり、平安末期頃から「うつくしい」は「きれいだ」を意味するようになった(語源由来辞典)、
親が子を、また、夫婦が互いに、かわいく思い、情愛をそそぐ心持をいうのが、最も古い意味。平安時代には、小さいものをかわいいと眺める気持ちへと移り、梅の花などのように小さくてかわいく、美であるものの形容となり、中世に入って、美しい・奇麗だの意に転じ、中世末から近世にかけて、さっぱりとしてこだわりを残さない意も表した。類義語ウルハシは端正で立派であると相手を賞美する気持。イツクシは神威が霊妙に働き、犯しがたい威厳のある意。ただし、中世以降、ウツクシミはイツクシミと混同した。平安時代、かわいいの意のラウタシがあるが、これは相手をいたわりかわいがってやりたい意(岩波古語辞典)、
肉親への愛から小さいものへの愛に、そして小さいものの美への愛に、と意味が変わり、さらに室町時代には、美そのものを表すようになった(広辞苑)、
とあり、
うるわし、
言うるはしみ、
で触れたように、
うつくし、
が、
相手への感情表現から、相手の価値表現へシフトし、
うるわし、
は、
「うつくし」が愛すべきものをいうのに対し、「うるはし」は整った美しさをいう。上代には、立派なものとして賞揚する場合に多く用いられ、中古に至ると外見的な立派さ、しかつめらしい、儀式ばった感じに用いられた。の魅力的なあでやかさを含む美しさを表わすようになったのは、中世末期ごろからか。現在では「うるわしい友情」のように「心」に関して用いられることが多い(瀬精選版日本国語大辞典)、
(「うるはし」は)奈良時代に、相手を立派だ、端麗だと賞讃する気持から発して、平安時代以後の和文脈では。きちんと整っている、礼儀正しいという意味を濃く保っていた語。漢文訓読体では、「美」「彩」「綺麗」「婉」などの傍訓に使われ、多く仏などの端麗・華麗な美しさをいう。平安女流文学では、ウツクシ(親子・夫婦の情愛をいい、対象を可愛く思う気持)とは異なる意味を表した。今日のウルワシは漢文訓読体での意味の流れをひいている(岩波古語辞典)、
「うつくし(い)」は、かわいい、愛すべきだ、の意を表し、「うるわし(い)」は、整った、端正な美を表した。「うつくし(い)」が「きれいだ」となるのに対し、「うるわし(い)」は「りっぱだ」に近づく(デジタル大辞泉)、
とあり、
相手の状態表現から、相手の価値表現へとシフトし、価値表現そのものへと転換した、
ということになると思う。
うつくしい、
で触れたことだが、
いつくしむ、
は、古くは「うつくしむ」であったが、中世末ごろ、「いつくしむ」が生じて、
いつくし→うつくし、
へと転じた(日本語源大辞典)ことから、「うつくしむ」を「うつくし」との区別のために、「いつくしむ」と転訛させたと想像される。もともと、
厳し、
慈し、
美し、
とあてる、
いつくし、
は、
イツ(稜威)クシ(奇)が原義、神や天皇の霊威・威光が勢いが盛んで、鋭く、激しい意、転じて、威厳があり、荘厳である意。また気性や容貌が神の子のように凛とした気品にあふれた人並みと異なっているような気持が込められていた(岩波古語辞典)、
ので、
本来は神や天皇の威厳を示す意であり、平安朝においても皇族に用いられた例が多い(日本語源大辞典)、
のだが、室町時代以降、「大切にする」意の、
いつく、
や、慈愛の、
うつくし、
との混同が生じ、更にそれが進むと、
いつくしむ、
という動詞まで派生し、逆に本来的な霊威の概念は後退する(仝上)。で、
いつく→いつくし→うつくし→いつくし(慈し)、
いつく→いつくし→うつくし(美し)
と、意味に合わせて変化したということになる。もうひとつ、
斎(いつ)く、
について、
イツ(稜威)の派生語。神や天皇などの威勢・威光を畏敬し、汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する意。後に転じて、主人の子を大切にして、仕え育てる意、
とある(岩波古語辞典)が、こうした経緯を経て、相手への愛しい気持ちを表現する意味に変ったとみることができる。『大言海』が、
うつくし、
は、
逸奇(いつく)しの転音。稜威霊(いつくしび)の義、
としているのは、語源を反映させているように見える。
「いつくしむ」のもとになった「いつくし」の、
神意がいかめしい、また、威厳がそなわっている、
という意味から、
品があって、うつくしい、
へと広がったのだが、それは、下から、上へ崇めていた視線が、ほぼ180℃転倒して、上から、下へ、尊崇から、愛護へと転じ、その感情表現が、対象への美醜の価値を含み、ついには、対象そのものの価値表現へと転じた、ということになる。やがて、江戸語大辞典』には、現代と同じく、
(対象の)美の評価、
の意味しか載らない。
こうした経緯を持つ、
うつくし、
の用例を見ておくと、
于都倶之枳(ウツクシキ)吾(あ)が稚(わか)き子を置きてか行かむ(日本書紀)、
と、古くは、妻、子、孫、老母などの肉親に対するいつくしみをこめた愛情についていったが、
いづれも分かずうつくしく愛(かな)しと思ひきこえ給へり(源氏物語)、
と、次第に意味が広がって、一般に慈愛の心についていう、
かわいい、いとしい、愛らしい、
意となり、
うつくしきもの、瓜(うり)にかきたる児(ちご)の顔。雀の子のねず鳴きするにをどり来る(枕草子)、
と、幼少の者、小さい物などに対して、やや観賞的にいって、
様子がいかにもかわいらしい、愛らしく美しい、可憐である、
意や、
西京のそこそこなるいへに、いろこくさきたる木のやうたいうつくしきが侍りしを(大鏡)、
と、美一般を表わし、自然物などにもいい、室町期の「いつくし」に近くなり、
美麗である、きれいだ、みごとである、立派だ、
の意に転じ、
かくて大学の君、その日のふみ、うつくしう作り給て進士になり給ひぬ(源氏物語)、
と、不足や欠点、残余や汚れ、心残りなどのないのにいい、
ちゃんとしている、きちんとしている、
と、価値表現を強め、
こはう物を言はんすりゃ、何処までも腰押し、又美しう頼まんしたらば(歌舞伎「助六廓夜桜(1779)」)、
と、人の行為や態度、また、文章、音色などが好ましい感じであるという、美的感覚へとシフトしていく。
うつくし、
と同じく、
美し、
とあてる、
いし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
技能・細工の巧みなこと、から転じて、味わいの良さを形容する語、
とあり(岩波古語辞典)、
エシ(吉)、またはヨシ(美)の転ならむ(日吉(ひえ)、ひよし。住吉(すみのえ)、すみよし。さざえ、さざい)。東京にて美(よ)しを、いい(関西にて、えい)と云ひ、女詞に味旨きをおいしいと云ふ(団子、いしいし)、あつき、あつしき(篤)。かまびすき、かまびすしき(喧)などの例あり(大言海)、
イミジの略語(類聚名物考)、
等々の説があるが、
エシ(善)、ヨシ(良)と同源か、
とあり(日本語源大辞典)、もともとが、価値表現を意としたもののように思える。で、
歌の声のよさよ、いしういしうとほめられたり(源平盛衰記)、
鞠はいしいものかな。あれほど左衛門督をはしらすることよ(「弁内侍日記(1278)」)、
と、
よい、好ましい、見事、
の意、
馬をよく相して、この御馬はかさ驚きやし侍らんと申せば、いしく相したりとて(「中務内侍(1292)」)、
と、
じょうずだ、巧みである、うまい、
意から、
汝いしくまゐりたり。春日山のおく、しかじかの所也とをしへて(平治物語)、
と、
けなげである、殊勝である、神妙である、
に転じ、
いしかりしときは夢窓にくらはれて周済(しゅさい)計(ばかり)ぞ皿に残れる(太平記)、
と、室町時代に女房詞(ことば)として多く女性が用いられ、
美味だ、おいしい、うまい、
の意となり、のち接頭語「お」を付けて、現代語の、
おいしい、
となる(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。なお、
旨し、
甘し、
美し、
と当てる、
うまし、
については触れた。
美し、
には、このほか、
くはし、
とも訓ませるが、
くはし、
については触れた。
愛し、
には、
めぐし、
いとし、
はし、
とも訓ませるが、
愛し、
惜し、
と当てる、
をし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
と、形容詞シク活用で、
既に手中にしているものが大事で、手放せない感情をいう語、類義語アタラシはそのもののよさ美しさが生かされないのをもったいないと思う意(岩波古語辞典)、
(「をし」は)自然の推移や時間の経過により、変化したり消えたりしていく対象への、愛着の思いを表わす。類義語「あたらし(惜)」は、対象を立派ですばらしいものと評価する客観性を持ち、その評価にふさわしい扱いがされないことに不満をいだき訴え嘆く気持がこめられる(精選版日本国語大辞典)、
とあり、この原義に近いのは、
惜し、
とあて、
逢はずして行かば乎思家(ヲシケ)む麻久良我(まくらが)の許賀(こが)漕ぐ船に君も逢はぬかも(万葉集)、
では、
思うようにならなかったり、物事のねうちが生かされなかったりするのを残念に思う、心残りである、
意で、上記歌では、
心残りに思う、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、どちらかというと、
愛し、
とあてるにふさわしいのは、
磯の裏(うら)に常(つね)よひ来棲む鴛鴦(おしどり)の乎之伎(ヲシキ)我(あ)が身は君がまにまに(万葉集)、
では、
事物を愛するあまりに手放しにくい、心をひかれて手ばなしにくい、
意で、
(おしどりのように)惜しいこの身、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
汝命(いのち)と婦(たをやめ)と孰(いづれ)か尤(はなはた)愛(ヲシキ)(日本書紀)、
と、この場合は、
愛し、
とあて、
いつも自分のものにしておきたいほどかわいい、いとしい、
意で使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。
愛し、
を、このほかに、
めぐし、
いとし、
はし、
などと訓ませるが、
めぐし、
については触れた。
愛し、
とあてる、
はし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
白妙の袖折り返しぬばたまの黒髪敷きて長き日(け)を待ちかも恋ひむ愛(は)しき妻らは(万葉集)、
と、
愛らしい、いとおしい、慕わしい、
意で、
欲しに通ず、
とある(大言海)。この、
はし、
とつながるのが、
はしきやし、
で、
愛しきやし、
と当て、
「愛(は)し」の連体形に間投助詞「や」および強めの副助詞「し」の付いた(広辞苑)、
ヨシ、ヤシは間投助詞(岩波古語辞典)、
形容詞「はし(愛)」の連体形「はしき」に助詞「や」「し」が付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
「や」「よ」は感動詞、「シ」は助辞(大言海)、
で、
はしやけや吾家(わぎえ)の方よ雲居起ち来(く)も(古事記)、
と、
は(愛)しけやし、
あるいは、
はしきよしかくのみからに慕ひ来(こ)し妹が心のすべもすべなさ(万葉集)、
と、
は(愛)しきよし、
ともいい、
愛すべきである、
いとおしい、
意だが、
愛哉、
とも当て(大言海)、
「よ」「や」感動詞、「し」は助辞。愛(は)しと思うよ、いとほしき哉(大言海)、
形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(デジタル大辞泉)、
「は(愛)し」の連体形に間投助詞「や」および強めの「し」のついたもの(広辞苑)、
愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている(学研全訳古語辞典)、
我家、妻、妹などにかかる連語で枕詞に近い。別にハシケヤシ、ハシキヨシの形もある。ハシキヤシ、ハシケヤシは挽歌のような悲痛な感情を表現する場合に用いられ、ハシキヨシは祝宴の歌に用例を見るなど意味の分化があるという説がある(精選版日本国語大辞典)、
「ああ」という嘆息の語とほとんど同義になる例が多い。亡くなったものを哀惜しまた自己に対して嘆息する意に多く使う(岩波古語辞典)、
などとあるので、
ああ、いとおしい、
ああ、なつかしい、
ああ、いたわしい、
といった(学研全訳古語辞典)語感になる。
愛し、
とあて、
憐し、
とも当てる(大言海)、
いとし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
イトホシの約(広辞苑・大言海)、
イトホシの転(岩波古語辞典)、
とあり、
散々に申しておい出て御ざるが、いとしひ事を致た(狂言「鈍太郎(室町末〜近世初)」)、
と、
かわいそうだ、ふびんである、痛わしい、
の意や、
いとしうもなひ物、いとおしいといへどなう、ああ勝事(「閑吟集(1518)」)、
と、
かわいい、慕わしい、
の意で使うが、
用法としては古くは親から子に対するものが多かった。のち男女間に、近世には子・従者から親・主人にも用いられるようになる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
いとほし、
で触れたように、
いとほし、
は、
いたはし、
の母音交替形と考えられているが、平安時代になって多用され、「いたはし」とも併用されている。「いたはし」は、「いたはり・いたはる」が富を背景とした物質的な待遇を表わすのに応じて対象を価値あるものとして認め、大切にしようとするのに対して、「いとほし」は、あくまでも精神的な思いやりとして表現される、
とあり(仝上)、和歌には用いられない、とある。中世から近世初期ころに、
いとほし、
は、
ハ行音転呼によって、
イトヲシ、
となり、さらに長音化して、
イトーシ、
と発音され、
いじらしい・いとしいの意が強くなって、
イトシ、
となった(精選版日本国語大辞典)とある。「今昔物語集」から、
糸惜、
と漢字表記され、近世には、
いとをし、
いとうし、
の両形で表記されている(仝上)としている。
「愛」(漢音アイ、呉音オ・アイ)の異体字は、
㤅(小篆)、爱(簡体字)、𢙴、𢛭、𢜤、𢟪、𤔠、𤔤、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%84%9B)。字源は、
会意兼形声。旡(カイ・キ)とは、人が胸を後ろにのけぞったさま。愛は「心+夂(足をひきずる)+音符旡」で、心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま(漢字源)、
本字は、会意形声。夊(すい あるく。夂は変わった形)と、㤅(アイ ふりかえろうとする気持ち)とから成り、ふりかえりつつ歩く、ひいて、心にかける意を表す。のち、𢜤に代わって、愛が用いられる(角川新字源)、
会意兼形声文字です。「頭を一生懸命巡らせる人」の象形と「心臓」の象形と「足」の象形から「大事・大切にする・好きな気持ちが相手に及ぶ」事を意味する「愛」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji3.html)、
と、会意兼形声文字とする説と、
形声。「心」+音符「⿱旡夂 /*KƏT/」。「このむ」「めぐむ」を意味する漢語{愛 /*ʔəəts/}を表す字。
音符「⿱旡夂」は、「旡」の異体字の一種(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%84%9B)、
と、形声文字とする説と、
会意。旡+夊(あい)+心。旡+夊は後ろを顧みて立つ人の形。それに心を加え、後顧の意を示す。〔説文〕五下に「愛は行く皃なり」とするのは、㤅に「惠なり」とし、㤅を愛の義とし、愛を別義の字としたものであろうが、㤅・愛は同じ字である(字通)、
と、会意文字とする説とに分かれている。ちなみに、音訓篇立(字鏡(平安後期頃)の抄略では、
愛、メグム・ウツクシ・アハレブ・ヨシ・チカシ・ヤスシ・ヲシム、
字鏡(平安後期頃)は、
𢟪、ヲモフ・メグム・アハレブ・ユク・カスム、愛同じ、
としている。
「美」(漢音ビ、呉音ミ)は、その異字体は、
㺯、 媺、 嬍、 羙、 𡙡、 𡠾、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%8E)。字源は、「うまし」で触れたように、
頭に飾りをつけた人間の形。のちに「大」+「羊」という形に変化したため、従来は{大きい羊、立派な羊}を表すと考えられたが、その用例が未発見であることや、甲骨文中で「大」が{大きい}という意味の義符として普通用いられないことからその仮説は棄却された、
とあり(仝上)、いまのところ、
「羊」の象形、
または、
「大」きい「羊」を意味する会意、
の二説がある(仝上)ようだが、いずれでも、
古代周人が、羊を大切な家畜と扱ったことに由来する、
としている(仝上)。しかし、
象形。羊の全形。下部の大は、羊が子を生むときのさまを羍(たつ)というときの大と同じく、羊の後脚を含む下体の形。〔説文〕四上に「甘きなり」と訓し、「羊大に從ふ。羊は六畜に在りて、主として膳に給すものなり。美は善と同なり」とあり、羊肉の甘美なる意とするが、美とは犠牲としての羊牲をほめる語である。善は羊神判における勝利者を善しとする意。義は犠牲としての羊の完美なるものをいう。これらはすべて神事に関していうものであり、美も日常食膳のことをいうものではない(字通)、
は、象形説を採っている。ただ、多くは、会意文字説を採り、
会意。羊と、大(おおきい)とから成り、神に供える羊が肥えて大きいことから、「うまい」「うつくしい」意を表す(角川新字源)、
会意文字。「羊+大」で、形のよい大きな羊をあらわす。微妙で繊細なうつくしさ(漢字源)、
は、
「大」きい「羊」、
を採っている。別に、
会意文字です(羊+人)。「羊の首」の象形と「両手両足を伸びやかにした人」の象形から大きくて立派な羊の意味を表し、そこから、「うまい」、「うつくしい」を意味する「美」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji44.html)、
は、
羊+人、
を採っているが、意味からは、
大、
を含意しているようだ。いずれにせよ、
義、善、祥などにすべて羊を含むのは、周人が羊を最も大切な家畜したためであろう、
とある(漢字源)。ちなみに、類聚名義抄(11〜12世紀)では、
美、ウルハシ・ヨシ・ホム・アマシ・コトモナシ・アザヤカナリ・カホヨシ・ムマシ、
音訓篇立(字鏡(平安後期頃)の抄略では、
美、アサヤクアマシ・ヨシ・ホム・ウマシ、
字鏡(平安後期頃)では、
美、コトモナシ・カホヨシ・アマシ・ウルハシ・ヨシ・ホム・ウマシ、
とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
玉かつま逢はむと言ふは誰(た)れなるか逢へる時さへ面隠(おもかく)しする(万葉集)
の、
玉かつま、
は、
立派な籠、
の意で、
蓋と身が合う、
という意から、
「逢ふ」の枕詞、
である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
たまかつま、
は、
玉勝間、
玉籠、
とあて、
勝間(竹籠)に身と蓋とあることに云ふ、
とある(大言海)。
勝閨A
は、
目の細かい竹籠(岩波古語辞典)、
で、
かつま、
かたみ、
ともいう(仝上)ので、
堅閨iかたみ)に同じ、
とあり(大言海)、
堅閨iかたみ)、
は、
筐、
ともあて、
かたま、
籠、
のこととし、
勝間(かつま)、
は、
筐(かたみ)の古名、
で、その転が、
筐、
とする(或は、「堅網(かたあみ)」の約、とも)(大言海)。和名類聚抄(931〜38年)に、
苓箐、賀太美、小籠也、
とある。また、『日本書紀』に、
一に云はく、無目堅間(まなしカタマ)を以て、浮(うけ)木に為りて、細縄を以て火火出見尊を繋(ゆ)ひ著けまつりて沈む。所謂る堅間は、是れ、今の竹の籠なり、
とある。
「まこも(真菰)」の古名、
とされる、
かつみ、
については、別に、
花かつみ、
で触れた。
玉、
は、美称(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・大言海)で、
カツマ、
は、
籠の意(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)、
目の細かい竹籠(広辞苑)、
編み目の細かい竹籠(デジタル大辞泉)、
とあり、枕詞として、
竹かごは蓋(ふた)と身とが合うことから「逢(あ)ふ」、「逢ふ」に似た音の地名「安部(あべ)」にもかかり(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、また、かかる理由は未詳ながら、
玉勝かつま島熊山の夕暮にひとりか君が山道(やまぢ)越ゆらむ(万葉集)、
と、
「しま」「し」、地名「鳥熊山(とりくまやま)」にかかる(仝上・広辞苑)。
なお、
美称、
とされる、
玉、
は、
たま(魂・魄)、
で触れたように、
たま、
は、
魂、
魄、
霊、
と当てるが、
たま(玉・珠)、
で触れたように、
玉、
球、
珠、
とも当て、
球体・楕円体、またはそれに類した形のもの、
をいうが、もともと、
たま(玉・珠)、
は、
タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、
とある(岩波古語辞典)。依り代の「たま(珠)」と依る「たま(魂)」というが同一視されたということであろうか。
呪術・装飾などに用いる美しい石、宝石、
であり、
特に真珠、
を指し、転じて、
美しいもの、
球形をしたもの、
と意味が広がったと見られる。
なお、形の丸については、
まる(丸・円)、
で触れたように、「まる」「まどか」という言葉があり、
中世期までは「丸」は一般に「まろ」と読んだが、中世後期以降、「まる」が一般化した。それでも『万葉−二〇・四四一六』の防人歌(草枕旅ゆく背なが丸寝(まるね)せば家(いは)なる我は紐解かず寝(ね)む(久佐麻久良|多比由苦世奈我|麻流祢世婆|伊波奈流和礼波|比毛等加受祢牟))には「丸寝」の意で「麻流禰」とあり、『塵袋−二〇』には「下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ」とあるなど、方言や俗語としては「まる」が用いられていたようである。本来は、「球状のさま」という立体としての形状を指すことが多い、
とあり(日本語源大辞典)、更に、
平面としての「円形のさま」は、上代は「まと」、中古以降は加えて、「まどか」「まとか」が用いられた。「まと」「まどか」の使用が減る中世には、「丸」が平面の意をも表すことが多くなる、
と(仝上)、本来、
「まろ(丸)」は球状、
「まどか(円)」は平面の円形、
と使い分けていた。やがて、「まどか」の使用が減り、「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して、「まどか(まとか)」の項には、
ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま、
とある。平面は、「円」であり、球形は、「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは、「まどか」と「まる」の区別が必要であったが、「円」「丸」で表記するようになれば、区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。
とすると、本来「たま」は「魂」で、形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが、
丸い石、
を精霊の憑代とすることから、その憑代が「魂」となり、その石をも「たま」と呼んだことから、その形を「たま」と呼んだと、いうことのように思える。その「たま」は、単なる球形という意味以上に、特別の意味があったのではないか。
たま、
は、
魂、
でもあり、
依代、
でもある。何やら、
神の居る山そのものがご神体、
となったのに似ているように思われる。しかし憑代としての面影が消えて、形としては、「たま」は、「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。ただ、
掌中の珠、
とは言うが、
掌中の丸、
とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。
さて、そうした陰影のある「たま」の美称をもつ、
玉かつま、
は、
枕詞、
に転じ、上述したように、
「逢(あ)ふ」、「安部(あべ)」「しま」「し」、地名「鳥熊山(とりくまやま)」にかかるが、
玉、
持つ意味の陰翳も引きずっているように思う。
同じ美称の、
玉、
をもつ、
玉かぎる、
玉かづら、
玉匣(たまくしげ)、
玉串、
玉くせ、
たま、
に、
霊、
を当てる、
霊(たま)ぢはふ、
たまきはる、
魂、
を当てる、
たまげる、
については触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
死なむ命(いのち)ここは思はずただしくも妹に逢はざることをしぞ思ふ(万葉集)
の、
死なむ命(いのち)、
は、
死ぬべき命だが、
で、
死んでいきべき身の自分のいのち、そのことは何とも思いません、ただしかし(あなたに逢えなくなることが心残りです……)、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
ただし、
は、
ただしかし、
の意(仝上)とする。
物皆は新しきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし(万葉集)、
でも、
物はすべてあたらしいのがよい、ただしかし(ひとだけは古びたさまがよろしい……)、
と、
ただしかし、
と訳す(仝上)。
ただしくも、
の、
ただし、
を、
ただし(正し)、
とみなし、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
ただしく+も、
とみると、
〜正しいけれども、
の意と読めなくもないが、
ただしく、
は、
但しく、
とあて、
ただ(唯)を強めた語、
とある(広辞苑)。とすると、
但しく+も、
ということになる。他をみても、
ただしくも=但し(https://sakuramitih32.blog.jp/archives/70524.html)、
ただしくも、ただし、副詞語尾「く」がついた形(https://www.c-able.ne.jp/~y_mura/manyou/man010.html)、
ただしく(但く)=ただし(但)(精選版日本国語大辞典)、
等々と、ほぼ同じ説を取っている。
ただし、
は、
但し、
唯し、
とあて(岩波古語辞典)、
「ただ」に助詞「し」のついたもの(広辞苑)、
副詞「ただ」に副助詞「し」がついて一語化したもの(学研全訳古語辞典)、
副詞「ただ」に副助詞「し」が付いたものから(デジタル大辞泉)、
副詞「ただ」に助詞「し」のついてできたもの、「ただ」の意を強めたもの。多く、漢文訓読語として用いられた(精選版日本国語大辞典)、
シは抑ふる意なる助詞のシならむ(大言海)、
タダ(唯)と強めの助詞シとの複合、古くは漢文訓読体で使われ、平安時代の女流の和文脈では使わない語(岩波古語辞典)、
とある。上掲の歌の用例だと接続詞的に使っており、
仰の事はいともたふとし。ただし此の玉たはやすくえ取らじを(竹取物語)、
と、先行の事柄について補説するとき用い、その一つが、
前述の事柄に対して、その条件や例外などを示す(デジタル大辞泉)、
先行する事柄に対して、逆接的に、それに付随する条件または、例外などを追補する場合(精選版日本国語大辞典)、
文の叙述が終わった後に、ただひとつこれだけは、と留保の条件を言い添えるに使う(岩波古語辞典)、
上の文を受けて、補足・条件・例外を付け加える時に、その初めに用いる語(広辞苑)、
と、
そうでありながら、
しかしながら、
とはいうものの、
もっとも、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)。上掲の歌は、この例になる。さらに、
十月を神無月と言ひて神事にはばかるべきよしは、記したる物なし。本文(もとぶみ)も見えず。ただし、当月、諸社の祭りなき故(ゆゑ)にこの名あるか(徒然草)、
と、先行の事柄についての補説でも、
前文を受け、推量や疑問の内容を加えることを表す(学研全訳古語辞典)、
先行の事柄に対し、推量や疑問を加えつつ補説する場合(精選版日本国語大辞典)、
推量または疑問・仮定を表す語句の上に添えて(岩波古語辞典)、
上の文を受け、それに対する疑問・推量を付け加える場合に用いる語、
前述の事柄に対する推量や疑問を導く(デジタル大辞泉)、
と、
もしかすると、
もしかしたら、
あるいは、
ひょっとすると、
の意でも使い(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・学研全訳古語辞典・広辞苑)、さらに、
かかれば、このふたところの御ありさま、かくのごとし。ただし、殿の御まへは卅より関白せさせたまひて(大鏡)、
と、先行の事柄に関連して、話題をかえたり、一つの事をとりあげたりするとき用い、
ところで、
さて、
の意や、
酒が飲れぬか、せめてひとり成とも出ぬか、ただしかへれといふ事か(浮世草子・好色一代女)、
と、
どちらとも判断しかねて、並列あるいは対立する事柄をあげる時用い(精選版日本国語大辞典)、
前述の事柄に対して、別の事柄を並立させ(デジタル大辞泉)
または、
それとも、
ただしは、
あるいは、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。
ただし、
を、副詞的に使う場合、
副詞「ただ」に副助詞「し」が付いたもの、
なので、
「ただ」を強めた語、
となり(デジタル大辞泉)、多く、漢文訓読語として用い、
愛するに偏党無きこと、羅怙羅をしたまふが如くいますものならば、唯し願ふ世尊、我に一の願を施したまへ(「西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)」)、
さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ(「正法眼蔵(1231)」)、
と、
ひたすら、
専一に、
の意や、
ただし諸仏のみは能く法を分別したまふ智有(い)ます(成実論)、
と、多く助詞「のみ」と呼応して、
たった、
わずかに、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、
但、タダシ・タダニ・ツタナシ・ニフシ・ミナ・トモ・シカル・ヌグ、
とある。なお、
かも……かも、
で触れたように、
ただしくも、
の、
も、
は、
疑問詞を承ける係助詞の一つ、
で(岩波古語辞典)、やはり、種々の語に付く(デジタル大辞泉)。
「も」は、承ける語を不確実なものとして提示し、下にそれについての説明・叙述を導く役割をする。これも格に関係なく、主格にも目的格にも補格にも用いる。承ける語を不確実なものとして提示するばかりでなく、下文も、打消・推量・願望などの不確実な表現で終わるものが多い。「も」は承ける語を不確実なものとして扱うので、否定の形となる時には、全面的な否定になる。(中略)或ることを確実であると確信できない意味を表す「も」の用法から、「これもあれも」と不確実なものを二つ並べる気持ちを表し、「も」は並立の意味を表したり、類例を暗示したりするのにも用いられた、
とある(岩波古語辞典)。係助詞、
も、
は、
体言・副詞・形容詞や助詞などを受ける。「は」と対比される語で、「は」が幾つかの中から一つを採り上げる(それ以外は退ける)語であるのに対して、「も」はそれを付け加える意を表す。格を表す語ではなく、主格・目的格・補格など種々の格に当たる部分につかわれる。「も」を受けて結ぶ活用語は、意味に応じて種々の活用形となるが、通常は終止形で結ぶ(広辞苑)、
「も」は、文を言い切る力が文末にかかっていって、文末の述語は終止形となる。このような働きがあるところから、「も」は係助詞とされる(「は」も同様である)。このときの結びは終止形で、普通の文の言い切りの形(終止形)と同じである。この点が、連体形結び・已然形結びになる他の係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」とは異なっている。また、係助詞「ぞ」「こそ」が付いた、「もぞ」「もこそ」は不安や懸念の意を表すことが多い。(学研全訳古語辞典)、
などとあり、文中用法は、まず、文中の種々の連用語を受け、
太刀が緒母(モ)いまだ解かずて襲(おすひ)を母(モ)いまだ解かねば(古事記)、
と、
…も、
の意で、
同類のものが他にあることを前提として包括的に主題を提示する。従って多くの場合、類例が暗示されたり、同類暗示のもとに一例が提示されたりする。類例が明示されれば並列となる。単文の場合は活用語を終止形で結ぶ、
使い方や、
沖つ鳥胸(むな)見る時羽叩(はたた)ぎ母(モ)こはもふさ(適)はず(古事記)、
と、
主題を詠嘆的に提示、
したり、
我が命謀(モ)長くもがと言ひし匠(たくみ)はや(日本書紀)、
と、
願望の対象を感動的に提示する、
使い方がある(精選版日本国語大辞典)。また、
男も女も恥ぢかはしてありけれど(伊勢物語)、
と、列挙・並列の意で、
…も…も、
家に預けたりつる人の心も荒れたるなりけり(土佐日記)、
と、添加の意で、
もまた、…も、
帳(ちやう)の内よりも出(い)ださず、いつき養ふ(竹取物語)、
と、類推の意で、
…でも、…さえも、
家に行きて何を語らむあしひきの山ほととぎす一声も鳴け(万葉集)、
と、最小限の希望の意で、
せめて…だけでも、
何も何も、小さきものは皆うつくし(枕草子)、
と、不定の意を表す語に付いて、
…もみな、
限りなく遠くも来にけるかな(伊勢物語)、
と、感動をこめて意味を強め、
…もまあ、
の意等々で使う(学研全訳古語辞典)。係助詞、
も、
の、文末用法は、文末、文節末の種々の語に付いて(学研全訳古語辞典)、
はしけやし我家(わぎへ)の方雲居立ち来母(モ)(古事記)、
と、
…なあ、…ね、…ことよ、
と、詠嘆の意を表すが、
文末の終止形(文中に係助詞がある時はそれに応ずる活用形)およびク語法を受けて詠嘆を表わす。体言を受ける場合は同じく詠嘆を表わす他の係助詞が上接して「かも」「はも」「そも」などの形となる。終助詞とする説もある、
とある(精選版日本国語大辞典)ように、係助詞、
も、
の、文末用法も、
終助詞、
も、
との区別が付けにくい。終助詞、
も、
は、
終助詞、活用語の終止形(係結びでは結びの形)、ク語法について、詠嘆の意を表す。体言には「かも」「はも」などの形で用いる。「かも」は平安時代には「かな」に代わる(広辞苑)、
終助詞。文末で、活用語の終止形、助詞、接尾語「く」に付く。感動・詠嘆を表す。…ことよ。…なあ。「かも」「ぞも」「はも」「やも」、主に上代の用法で、その後は「かな」に代わった。係助詞の終助詞的用法ともいう(デジタル大辞泉)、
などとあり、
春の野に霞たなびきうら悲(がな)しこの夕影にうぐひす鳴くも(万葉集)、
では、
鶯が鳴いているなあ、
といった意味になる。
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも(万葉集)、
というような、
終助詞としては、主に奈良時代に例があって、形容詞終止形を承けるものが極めて多い。動詞終止形、あるいは否定形を承けることもあるが、これらの「も」は、用言の叙述を言い放たずに、不確定の意を添えてその表現をやわらげるものと思われる。平安時代以後、文末にはあまり使われなくなった、
とある(岩波古語辞典)。
ただしくも、
の、
も、
は、
ただし、
という以上に、
も、
を添えることで、まさに、
「も」は、承ける語を不確実なものとして提示し、下にそれについての説明・叙述を導く役割をする、
機能をはたしているといえるのではないか。
「但」(漢音タン、呉音ダン)は、
形声。「人+音符旦(タン)」で、もと、袒(タン 肌を外にあらわす)と同じ。しかし、のちに単一の単(ただ一つ)と同じで、ただひとつだけの意に用い、副詞や接続詞になった(漢字源)、
形声。「人」+音符「旦 /*TAN/」。金文では人名に用いられる。のち仮借して「ただ」を意味する漢語{但 /*daanʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%86)、
形声。人と、音符旦(タン)とから成る。かたぬぐ意を表す。借りて、助字の「ただ」「ただし」の意に用いる(角川新字源)、
形声。声符は旦(たん)。〔説文〕八上に「裼(かたぬ)ぐなり」とあり、「一に曰く、徒なり」(小徐本)という。徒は「ただ」。字はまた袒・襢に作り、〔詩、鄭風、大叔于田〕に「襢裼(たんせき)して虎を暴(てうち)にす」と襢を用いる(字通)、
と、多く形声文字とするが、
会意兼形声文字です(人+旦)。「横から見た人」の象形と「太陽の象形に地平線を示す一を加えた象形」(「太陽が地平線から上る早朝」の意味)から、「肌脱ぎ(和服の袖(そで)から腕を抜いて上半身の肌をあらわにすること)」を意味する「但」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ただ」の意味も
表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1928.html)、
と、会意兼形声もじとするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
新村出編『広辞苑(第7版)』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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世の中に恋繁けむと思はねば君が手本(たもと)をまかぬ夜もありき(万葉集)
の、
恋繁けむ、
は、
恋というものがこんなに激しいものだとは、
という意味とし、
゛
人の世で恋の苦しみがこんなにひどいとは思ってもみなかったので、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
伊勢の海の海人(あま)の島津(つまつ)が鰒(あわび)玉採(たまと)りて後(のち)もか恋の繁けむ(仝上)、
の、
恋の繁けむ、
は、
(この立派な玉は、手に入れてのちでも)慕わしい思いを募らせるのであろうか、
と訳し(仝上)、
月変えて君をば見むと思へかも日も変えずして恋の繁けむ(仝上)、
では、
(あの方に逢えないと思うからでしょうか、別れたその日も改まらないうちから)恋しくてならないのは、
と訳す。
まそ鏡手に取り持ちて朝な朝(さ)な見む時さへや恋の繁けむ(仝上)、
では、
(毎朝あなたを見るようになってからでさえも)恋心はますます募ることでしょうか、
と訳す(仝上)。似た言い方で、
君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)絶ちたる恋の繁きころかも(仝上)、
では、
(絶ち切ったはずの)恋心がしきりに募るこのごろです、
と訳し、
まそ鏡見しかと思ふ妹も逢はぬかも玉の緒の絶えたる恋の繁きこのころ(仝上)、
では、
(玉飾りの紐が切れるように)途絶えている恋心がしきりにつのるこのごろ、
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、
恋繁けむ、
恋の繁けむ、
の、
繁(しげ)けむ、
を、
直(ただ)に逢はずあるは諾(うべ)なり夢(いめ)にだに何(なに)しか人の言(こと)の繁(しげ)けむ(万葉集)、
の、
人の言の繁けむ、
と使う例があり、ここでは、
(夢の中でまで)あの人のよからぬうわさが激しいのか、
と訳し(仝上)、
石(いは)そそき岸の浦みに寄する波辺に来寄らばか言の繁けむ(仝上)、
では、
人の噂が絶えないことだろう、
と訳し、
しましくも見ねば恋しき我妹子を日(ひ)に日(ひ)に来(き)なば言の繁けむ(仝上)、
では、
世間の噂がやかましいことだろうな、
と訳す(仝上)。この
繁けむ、
の、
けむ、
は、
「繁し(しげし)」という形容詞に助動詞「けむ」がついた形です、
との説もみられる(Copilot)が、
けむ、
は、
過去を回想する「き」の要素と推量の「む」との結合したもので、過去のことを、確かにそう断定できないという、疑念をもって述べる語(広辞苑)、
とあり、
……ただろう、
と、
過去の事態に関する不確実な想像・推量を表す、
ので、上掲の諸歌の、
恋の繁(しげ)けむ、
の使い方とは異なっている。むしろ、
けむ、
で触れたように、
けむ、
には、
命のまた祁牟(ケム)人は畳薦(たたみこも)平群(ヘぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉をうずに挿せその子(古事記)、
と使う、
形容詞および形容詞型活用の助動詞の上代における未然形語尾「け」に、推量の助動詞「む」の付いたもの、
であり(精選版日本国語大辞典)、この場合、
(形容詞の語根に添ひて)未来の意を云ふ、
となる(大言海)。で、
繁けむ、
は、
「繁し」の未然形「け」+推量の助動詞む
と、未来への推量、つまり、
……(となる/とする)のだろう、
の意となる。この助動詞、
む、
は、
(ま)|○|む(ん)|む(ん)|め|○、活用語の未然形に付く(デジタル大辞泉)、
活用は「ま・◯・む・む・め・◯」。四段型活用(精選版日本国語大辞典)、
とあるが、
動詞・助動詞の未然形を承ける語で。む・む・め、と活用する。「ま」という活用語があるように見えるが、それは、「行かまく」「見まく」など、「まく」の形の場合であり、これはいわゆるク語法(用言の語尾に「く」を伴って名詞化する文法。)による語形変化で、未然形ではない(岩波古語辞典)、
未然形「ま」は、上代のいわゆるク語法の「まく」の形に現われるものだけである(精選版日本国語大辞典)、
とある、
推量の助動詞、
で、
現実に存在しない事態に対する不確実な予測、
を表わす(精選版日本国語大辞典)が、
一人称の動作につけば、
秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ(万葉集)、
と、
……(し)よう、
……(し)たいね
……するつもりだ、
と話し手の意志や希望を表し(仝上・岩波古語辞典)、
二人称の動作につけば、
い及(し)けい及(し)け吾(あ)が愛(は)し妻にい及(し)き逢(あ)は牟(ム)かも(古事記)
などかくはいそぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ(宇津保物語)、
と、
……してくれ、
……してもらいたい、
と、
相手や他人の行為を勧誘し、期待する意を表わす。遠まわしの命令の意ともなる。また、
三人称の動作につけば、
推量の意、
を表わし(仝上)、たとえば、
山処(やまと)の一本薄(ひともとすすき)項傾(うなかぶ)し汝が泣かさ麻(マ)く朝雨の霧に立た牟(ム)ぞ(古事記)、
端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからんよ(枕草子)、
と、目前にないこと、まだ実現していないことについて想像し、予想する意を表わし、
…だろう、
の意、
かくの如名に負は牟(ム)とそらみつ大和の国を蜻蛉(あきづ)島とふ(古事記)、
をとここと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて(伊勢物語)、
と、原因や事情などを推測する場合に用い、
……だろう、
……なのであろう、
の意、
命(いのち)の全(また)け牟(ム)人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)にさせその子(古事記)、
大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして(徒然草)、
と、
(連体法に立って)断定を婉曲にし、仮定であること、直接経験でないことを表わし、
……であるような、
……といわれる、
……らしい、
の意で使う(仝上)。この、
む、
は、古くは、
ム、
と発音されたが、平安時代中期には、muの発音が m となり、さらに n に変わったので、
ん、
に転じ、また m は ũ から u に転じて、鎌倉時代には、
う、
を生み、やがて u の発音は前の語の末の母音と同化して長音化するようになった(仝上)。
mu→m→n→u、
と転訛し、今日の、
う、
に続いている(仝上)。
繁(しげ)けむ、
の、
繫し、
は、
茂し、
稠し、
蕃し、
とも当て(精選版日本国語大辞典)、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、形容詞ク活用で、
空間的・時間的に、物事が次から次へと生起し、相互に密接して隙間のない意(岩波古語辞典)、
とあり、
小筑波(をづくは)の之気吉(シゲキ)木の間よ立つ鳥の目ゆか汝(な)を見むさ寝ざらなくに(万葉集)、
と、
草木など、葉が茂り重なって多い、
草木などが密生している、
意、
食国(をすくに)天下を恵み賜ひ治め賜ふ間に、万機(よろづのまつりごと)密久(しげク)多くして、御身敢へ賜はずあれ(続日本紀)、
と、
数量が多い、
たくさんある、
豊富である、
また、
豊かである、
意、
天離(あまざか)る鄙(ひな)ともしるくここだくも之気伎(シゲキ)恋かも和(な)ぐる日もなく(万葉集)、
と、
回数が多い、
たび重なる、
絶え間がない、
しきりである、
意、
人言(ひとごと)の繁(しげき)時には我妹子し衣(ころも)なりせば下に着ましを(万葉集)、
と、他の人が見、聞き、話すことのわずらわしさをいとう気持にいい、
あまり多くてわずらわしい、
うるさい、
くだくだしい、
意、
御帳(みちやう)のめぐりにも、人々しげく並(な)み居たれば(源氏物語)、
と、
込みあっている、
密集している、
意などで使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。で、たとえば、
さやうのことしげき職には堪えずなむ(源氏物語)、
と、
ことしげし(事繁し)、
だと、
する事が多くて忙しい、
また、
物事が頻繁である、
せわしい、
意や、
御門のみゆきよりもことしげからぬものから、はなやかにめずらしく(今鏡)、
と、
おおげさである、
ぎょうぎょうしい、
意の他に、
ことしげき里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひてゆかましものを(万葉集)、
では、
事繁し、
に、
言繁し、
ともあて、
人のうわさがやかましい、
評判がうるさい、
意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
人しげきところなれば、……帰り出でたるに(平中物語)、
ては、
人繁し、
と、
人が大勢いる、
人気(ひとけ)が多い、
意や、
敵手繁(テシゲ)くよするならば、様あるまじ、押並て組で落、腰刀にて勝負をし給へ(源平盛衰記)、
では、手をゆるめないで繰り返し繰り返しするさまにいい、
度数が多い、
意、
いとこしげき中より、篝火どものかげの、遣水の蛍に見えまがふもをかし(源氏物語)、
と、
木繁し、
木茂し、
では、元の意の、
木がしげっている、
枝葉がおいしげっている、
意で使う(仝上)。
「繁」(@漢音ハン、呉音ボン、A漢音ハン、呉音バン)の、異体字は、
䋣(本字)、緐(別体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)。字源は、「しみみに」で触れたように、
会意兼形声。毎は子を産むように、草のどんどんふえること。繁の字の音符は「糸+毎(ふえて多い)」の会意文字で、ふさふさとした紐飾り。繁はそれに支(動詞の記号)を加えた字で、どんどんふえること(漢字源)、
とあり、「繁茂」「繁盛」「繁文縟礼」「頻繁」などは@の音、馬のたてがみにつけるふさふさとした飾りの意の時は、Aの音とある(仝上)。他に、同じく、
会意兼形声文字です(毎(每)+攵(攴)+糸)。「髪飾りをつけて結髪する婦人」の象形(「髪がしげる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「手でボクッと打つ」の意味)と「より糸」の象形から、「しげる」を意味する「繁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1353.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、また、
会意、糸と每(たくさんあるさま)とから成る。多くの糸をつけることから、馬のたてがみのかざりの意を表す。転じて、「しげる」、さかんの意に用いる。旧字は、形声で、糸と、音符敏(ビン→ハン)とから成る。常用漢字はその省略形による(角川新字源)、
会意。敏(敏)(びん)+糸。敏は婦人が祭事にあたって髪に盛飾を加える形で、祭事に奔走することを敏捷という。疌(しよう)はその側身形に足を加えた形。髪に糸飾りをつけて繁という。繁は繁飾の意。〔説文〕十三上に緐を正字とし「馬の髦飾(ばうしよく)なり。糸毎に從ふ」(段注本)とし、〔左伝、哀二十三年〕「以て旌緐(せいはん)に稱(かな)ふべけんや」の文を引くが、馬飾の字は樊(はん)に作り、樊纓(はんえい)といい、繁とは別の字である。樊纓は馬の「むながい」。紐を縦横にかけたもので、樊がその義にあたる。婦人の盛飾を每(毎)といい、その甚だしいものを毒といい、祭事にいそしむを敏捷といい、その髪飾りの多いことを繁という(字通)、
と、会意文字とする説もあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B9%81)、
形声。「攴」+音符「緐 /*PAN/」。「しげる」を意味する漢語{繁 /*ban/}を表す字(仝上)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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みどり子(こ)のためこそ乳母(おも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が乳母(おも)求むらむ(万葉集)
悔(くや)しくも老いにけるかも我が背子が求むる乳母(おも)に行かましものを(仝上)
の、
みどりこ、
は、
一〜三歳の子供、
とあり、
乳母(おも)求むらむ、
は、
(私のような)乳母をお求めになるのですか、
と訳し、
求むる乳母(おも)に行かましものを、
は、
もっと若かったら乳母として参じように、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
はは、
は、
母、
と当てるが、上代、「母」を、
オモ、
とも訓ませた(岩波古語辞典)。
おも、
は、
わが門(かづ)の五本柳(いつもとやなぎ)いつもいつも母(おも)が恋(こひ)すす業(な)りましつしも(万葉集)、
と、
はは、
の意であったが、同じく、冒頭のように、
緑児のためにこそは乳母(おも)は求むといへ乳(ち)飲めや君が乳母(おも)求むらむ(万葉集)、
とあるように、
乳母(うば)、
の意でもあった(広辞苑)。ここでは、この、
乳母、
である。和名類聚抄(931〜38年)に、
乳母、米乃止、嫋母、知於毛(ちおも)、今案即乳母也、
字鏡(平安後期頃)に、
阿嫋、乳母、又云、女乃止、
嫋、乳母、女乃止、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
嫋、乳母、チオモ、メノト、
とある。
乳母、
は、文字通りには、
親母にもあれ、乳母(ちおも)にもあれ、乳を飲むに就きて呼ぶ語なりと云ふ(大言海)、
とあるように
乳を飲ませる者(精選版日本国語大辞典)、
だが、
母親の代わりに子供に乳を飲ませて育てる女(デジタル大辞泉)、
をいい、
彦火火出見尊、婦人(おむな)を取りて乳母(チオモ)、湯母(ゆおも)、及び、飯嚼(いひかみ)、湯坐(ゆゑひと)としたまふ(日本書紀)」、
と、
ちおも、
(僧都の君の)御乳母(めのと)のままと、御匣殿(みくしげどの)の御局(みつぼね)に居たれば(枕草子)、
と、
まま、
幼き心にあさましくなげきて、うばにともすれば訴(うれ)へ怠状(たいじやう)しけれども(古今著聞集)、
と、
うば、
世の中などさわがしと聞こゆる頃は、よろづのことおぼえず。また、ものいはぬちごの泣き入りて、乳も飲まず、乳母(めのと)のいだくにもやまで久しき(枕草子)、
と、
めのと、
ともいい、
彼娘の乳母(ニウホ)(地蔵菩薩霊験記)、
武帝少(わか)き時、東武侯の母、常に帝を養ふ。壯なりし時、之れを號して大乳母と曰ふ(「史記」滑稽伝・褚少孫論)、
と、
にゅうぼ、
にゅうも(「も」は「母」の呉音)、
乳媼(チウバ)をとりてそだてしに(浮世草子「西鶴諸国はなし」)、
ちうば、
ともいい、また、
ちも、
おんば(「オウバ」の転)、
おも、
ちもち、
という言い方もするが、いずれも、
乳母、
の字を当て、
ちおや(乳親)、
乳人(ちひと)、
乳の人(ちのひと)、
乳主(ちぬし)
という言い方もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E6%AF%8D・広辞苑)。
乳母、
というのは、
現在のような良質の代用乳が得られない時代には母乳の出の悪さは乳児の成育に直接悪影響を及ぼし、最悪の場合はその命にも関わった。そのため、皇族・王族・貴族・武家、あるいは豊かな家の場合、母親に代わって乳を与える乳母を召し使った。また、身分の高い女性は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりとした女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから、乳離れした後、母親に代わって子育てを行う女性も乳母という、
とあり(仝上)、これは、
古代オリエント、古代ギリシア、ローマ、中世ヨーロッパ、カフカス、西アジア、インド、中国、朝鮮、日本、マレー、ポリネシア、古代インカに分布していた。この分布からみて古代文明とその周囲に特徴的な制度である。しかも乳母は王族や支配者、貴族のところで行われるのがふつう、
ともある(世界大百科事典)。日本では、上述の、
彦火火出見尊、婦人(おむな)を取りて乳母(チオモ)、湯母(ゆおも)、及び、飯嚼(いひかみ)、湯坐(ゆゑひと)としたまふ(日本書紀)、
と、彦火火出見尊が婦人を集め、乳母(ちおも)・湯母・飯かみ・湯人を決め、養育し、これが世の中で乳母を決め、子を育てることの始まりである(仝上)、とあり、律令時代の日本では、
大和国葛上郡の鴨君粳女(かものきみぬかめ)が一度に2男1女を産んだため、(以下略)乳母一人を賜った(文武天皇4年(700年)11月28日)、
美濃国安八郡の人、国造千代の妻である如是女(にょぜめ)が一度に3人の男子を産んだので、稲四百束と乳母一人を支給した(和銅元年(708年)3月27日)、
と、一度に多産をした家には、朝廷から乳母一人を支給されていたとある(続日本紀)。また、
律令によれば親王およびその子には乳母が給されることになっていた、
とあり、
乳母と被扶養者との関係は非常に親密で、近親に近い扱いをうけた。9世紀の初めころまでは、例えば、阿倍内親王(のち孝謙天皇)と阿倍朝臣石井のように、親王の名に乳母の氏族名を付けることもごくふつうに行われた。また天皇や院、摂政、関白の乳母およびその一族は特別な優遇を受け、破格の昇進をすることも多く、政治的に大きい力をふるうこともあった。院政期において院近臣として権勢を誇った白河上皇の乳母従二位藤原親子の子藤原顕季の一族の場合などはその顕著な例である。平安時代中期以降、天皇の乳母は典侍となる例が多い、
とある(世界大百科事典)。平安中期以降貴族中心に乳母が養育に重点をおいて盛行するにともない、その夫である、
乳母夫(めのとぶ)、
も、役割の同一性から、
乳母(めのと 乳父)とよばれ、さらに貴人の子の養育にあたる男性一般をも、
傅、
の字を用いながら、
めのと、
とよぶようになったとある(仝上)。この、
傅(めのと)、
は、武士が社会的に成長する平安後期以降は武家の間にもひろまり、
乳母、
傅、
は、
貴族、武家をとわず、通常親族または従者、郎等格のもののうちから、とくに当該父母の信頼を受けた者があたり、身分の高い場合ほど幼少時の実生活全般を見る傾向が強い。その教育範囲は読書、作文はもちろん、貴族の場合は詩歌、管絃、武家の場合は武芸にまで及んだ。この結果乳母、傅と被養育者の結びつきは、実父母以上に強いことが珍しくなく、乳母、傅の家族、とくに乳母、傅の子は、「乳母子(めのとご)」「乳兄弟(ちきょうだい)」とよんで実の兄弟姉妹以上のきずなで結ばれることもあった。乳母、傅およびその一族は、幼少期の以上のような強い関係を背景に、被養育者の成人後も公私両面にわたって支え、また支えられる関係を維持するのが通例であった、
とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E6%AF%8D)。ただ、貴族の社会では、
外戚が招婿婚などを背景に乳母、傅をこえる力を発揮することが多かった、
が、武家の社会では、
外戚をおさえて父権を強化しようとする傾向がより強かった、
から、
源頼朝の乳母を出した比企一族のように、乳母、傅が外戚に匹敵する力をもって政治的な発言力を得ることさえあった。南北朝・室町時代以降、父系の家が強化された父権の下に家政機構をともなって世襲的に確立されるようになると、乳母、傅の役割は一般的には固定、縮小される傾向をたどる、
とある(仝上)。したがって、平安時代から鎌倉時代にかけて、
めのと、
と呼ぶ場合には、
うば、
よりも範囲は広く、「養育係」の意味もあり、女性だけではなく夫婦でそれに当たるケースが多い。で、
めのと、
には、
上述の、
乳母、
とあてる、
雇われて母親に代わって自分の乳を飲ませ、幼児を養い育てる女、
また、
幼時から貴人の子どもを養い育て、現在でもその世話をしている女、
をいい、
これが、上に挙げた、
おも、
うば、
ちおも、
ちのひと、
という言い方をする。この由来は、
メ(妻)ノオト(弟)の約か(岩波古語辞典・大言海)、
メ(妻)ノオト(若い女)の音変化(日本語源広辞典)、
メノオト(妻弟・妻妹)の義(万葉代匠記・日本釈名・俚言集覧・箋注和名抄・言元梯・俗語考・和訓栞・日本語源=賀茂百樹・日本文学史ノート=折口信夫)、
等々とあるが、
をとこ、
で触れたように、
をとめ、
をとこ、
の、
をと、
は、「をつ」の名詞形、
であり、
をつ、
は、
変若つ、
復つ、
と当て、
変若(お)つること、
つまり、
もとへ戻ること、
初へ返ること、
で、
我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(大伴旅人)、
と、
若々しい活力が戻る、
生命が若返る、
意であり(仝上・大言海)、
若い、
未熟、
の含意である。どうみても、
若い女性、
の意であろう。しかし、これとは別に、上述のように、
傅、
とあてる、
めのと、
は、
傅役(もりやく)、
守役(もりやく)、
後見(こうけん)、
ともいい、
御めのとは、代々なきにはあらぬを、近衛のすけなど、かりそめにもあらで(今鏡)、
と、
男性で、貴人の子を養育する任にあたる人、
であり、乳親族、従者・郎等格の者のうち、父母の信頼を受けた者があたったが、江戸時代にも将軍家や諸大名もこの慣習を行い、徳川家光の乳母、
春日局(かすがのつぼね)、
のように大きかったが、乳母は選ばれると扶持(ふち)を支給されたものの、自分の家を放棄し、自分の子は里子に出さねばならなかったので敬遠された。『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によると、
江戸では乳母は奉公人中もっとも給金が高く、乳母の子の養育費も支給するのが普通であった、
とあり、上流の豪農、豪商、商家などでも乳母を置き、この風は明治以降も続き、子供がだいじに育てられることを、
乳母(おんば)日傘(ひがさ)、
といった。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
傅、ツク・カシツク・ツカフ・ミヤツカヘ、
字鏡(平安後期頃)に、
傅、ツタフ・タスク・ツク・ツカフ・カシヅク・タタ・ワカツ・タノム・ミヤヅカヘ・トトノフ、
とある。なお、
おふくろ、
はは、
おも、
については触れた。
「傅」(フ)は、
会意兼形声。尃(フ)は、物を手にぴたりとあてがう、たすけるの意。補(ホ ぴたりと布をあてる)・敷(フ ぴたりと面にあてる)・膚(フ ぴたりとからだにひっついたはだ)と同系のことば。特に、補導の補とは縁が深い。傅は「人+音符尃」で、ぴったりとつきそうおもり役(漢字源)、
と、会意兼形声文字とするが、他は、
形声。「人」+音符「尃 /*PAK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%82%85)、
形声。声符は尃(ふ)。尃は若木の根を包んで扶植する形で、ものを扶持する意がある。〔説文〕八上に「相(たす)くるなり」とあり、輔相することをいう。金文の〔叔夷鎛(しゆくいはく)〕に「女(なんぢ)我を囏卹(かんじゅつ)に尃(たす)けたり」とあり、尃を傅の意に用いる(字通)、
と、形声文字としている。
「乳」(漢音ジュ・呉音ニュウ)の異体字は、
㳶、𠂏(古字)、𡲐、𦜘、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%B3)。字源は、
会意文字。孚は子供を手でおおってかばうさまで、孵化の孵(卵を抱いて育てる)の原字。右の部分は、乙鳥の乙(つばめ)の変形。中国ではつばめは子授けの使いだと信じられた。あわせて子を育てるの意を示し、やわらかくねっとりしたの意味を含む(漢字源)、
会意。乚(=𠃉(あつ)。つばめ)と、孚(ふ)(孵(ふ)に同じ。卵をかえす)とから成り、人・鳥などが子を生み育てる意を表す。古代、つばめがわたって来るころ、子授けを神に祈ったことによる。ひいて「ちち」の意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(爪+子+乙)。「手を上からかぶせ下にある物をつまみ持つ」象形と「頭部が大きく、手足のなよやかな乳児」の象形と「おっぱい」の象形から、赤子をおっぱいに向けるさまを表し、そこから、「ちち(おっぱい)」、「ちちを飲ませる」、「養う」を意味する「乳」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji284.html)、
会意。爪(そう 手の指)+孔(こう)。孔は乳子の象。それに手を加えて愛撫している形。卜文の字形は女子が授乳していることを示す象形字で、爪の部分はおそらくもとその毛髪の形であろう。〔説文〕十二上に「人及び鳥の子を生むを乳と曰ひ、獸には産と曰ふ」とし、字形について「孚(ふ)に從ひ、𠃉(いつ)に從ふ。𠃉なる者は玄鳥(燕)なり。明堂月令に、玄鳥至るの日、高禖(かうばい)に祠りて以て子を請ふ。故に乳は𠃉に從ふ。〜𠃉は春分に來り、秋分に去る。生を開くの候鳥なり」とあり、その俗は〔礼記、月令〕仲春の月にしるされている。〔説文〕の字説はその俗に附会したものであるが、字は𠃉に従う形ではない。〔説文〕は母字条十二下に「牧(やしな)ふなり。女に從ひ、子を褱(いだ)く形に象る。一に曰く、子に乳するに象るなり」とあり、その一曰の義は、乳の字の解に施すべきものである(字通)、
と、会意文字とするもののほか、
象形。母親が子に乳を飲ませるさまを象る。「ちち」を意味する漢語{乳 /*noʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%B3)、
と、象形文字とするものがある。甲骨文字(殷)を見る限り、
母親が子に乳を飲ませるさまを象る、
とする象形文字説に軍配が上がるのではないか。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
新村出編『広辞苑第七版』(岩波書店)
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あらたまの年の緒(を)長くいつまでか我(あ)が恋ひ居らむ命知らずて(万葉集)
の、
命知らずて、
は、
恋の苦しみに自分の生死を考えるゆとりもないさま、
と注釈し、
命のかぎりもわからぬままに、
の意で、
命のことも顧みないで、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
命知らず、
は、
命不知、
とあて、
命の危うきを顧みずして、敢えてコトを行ふこと(大言海)
危険に身をさらし、一命を顧みないこと、また、そのような人(岩波古語辞典)、
生命の危険をかまわずに事をすること、また、そういう人(広辞苑)、
生命の危険を顧みないで、事を行なうこと。無鉄砲なふるまいをすること。また、その人や、そのようなさま(精選版日本国語大辞典)、
生命の危険をも考えずに振る舞うこと。また、その人や、そのさま(デジタル大辞泉)、
と、ほぼ含意は同じで、
命を顧みない、
意だが、それをメタファに、
この手紬(てつむぎ)の碁盤嶋は、命知らずとて親仁の着られしか(日本永代蔵)、
と、
丈夫でいつまでも永持ちするもの、
の意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。この、
命知らず、
の意では、
敢死之士数百騎、介冑(かいちう)を被(かうぶ)り驊騮(くゎりう 駿馬)に策(むちう)ち(古今著聞集)、
李同曰く、邯鄲(かんたん)の民、骨を炊き、子を易(か)へて食ふ。急なりと謂ふべし〜と。是(ここ)に於て平原君之れに從ふ。敢死の士三千人を得たり(史記・平原君伝)
と、
敢死(かんし)、
という言葉があり、
死を覚悟すること、
決死、
必死、
決死の人、
の意(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・字通)で、
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり(西郷隆盛)、
の意味である、
命知らず、
とは、少し意味が異なるような気がする。むしろ、
子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、必也臨事面懼、好謀而成者也(論語・述而篇)、
の、
暴虎馮河、
つまり、
虎を手討ちにし、河を徒渡りして、死んでも後悔しない(貝塚茂樹訳注『論語』)、
の意が、
命知らず、
に近いだろう。しかし、冒頭の歌や、
たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ心は長くとそ思ふ(万葉集)、
の、
命知らず、
は、上述した後世の、
命を顧みない、
意ではなく、上掲の歌を、
(人間の命というものは)短いものだ、(松が枝を結ぶ心のうちは)ただ命長かれと願ってのことだ)、
と訳すように、
命がいつまで続くかわからない。
と、文字通り、
命(の長さ)もわからない、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。だから、万葉集では、上掲の、
たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとそ思ふ、
の、
命は知らず、
のほか、
君が家(いへ)に我が住坂(すみさか)の家道(いへぢ)をも我は忘れじ命死なずは、
朝霧の凡(おほ)に相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも、
外目(よそめ)にも君が姿を見てばこそ我(あ)が恋やまめ命死なずば、
等々、
命死なずは、
命死ぬべく、
と使うのと同様、、
命がけの恋を表現する常套句、
として使われる(佐藤雅代「『命なりけり』の歌の系譜」)。万葉集では、このほかにも、
命に向かふ、
で触れた、
外目(よそめ)にも君が姿を見てばこそ我(あ)が恋やまめ命死なずば(一には「命に向かふ我(あ)が恋やまめ」といふ)(万葉集)
の、
命しなずは、
の別稿として、
命に向かふ、
があるが、
命の限界に直面する、命がけ、
の意とし、
命がけの苦しい恋心もおさまることでしょう、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
まそ鏡直目(ただめ)に君を見てばこそ命に向ふ我(あ)が恋止まめ(万葉集)、
でも、
命がけの我が恋、
と訳す(仝上)。この、
命に向かふ、
は、
命に匹敵する。命がけである(学研全訳古語辞典)、
命に匹敵する(岩波古語辞典)、
命に匹敵する。命に等しい。命がけである(精選版日本国語大辞典)、
と、
命に値する、
つまり、
命がけ、
の意である。それが、古今集あたりから、万葉集の、
命死なずは、
命死ぬべく、
命知らず、
命に向かふ、
に代わって、
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見む事はいのちなりけり(古今集)、
今ははや恋死なましをあひ見むとたのめし事ぞいのちなりける(仝上)、
もみぢばを風にまかせて見るよりもはかなき物はいのちなりけり(仝上)、
と、
いのちなりけり、
が使われる。表現のレトリックとして、
命が短い、
からこそ、その、
命と均衡、
するほどの「恋」というメタファなのだろう。いわば、
命がけ、
を訴求している。
命知らず、
は、恋の歌では、
いのちなりけり、
と同趣の表現方法と見ていい。
いのち、
命なりけり、
命に向かふ、
については触れた。
「知」(チ)の異体字 は、
智(の代用字)、
とあり、
「智」の略体。「知」に要素を加えて「智」の文字が作られたのではなく、「智」が省略されて「知」という字が生まれた、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A5)。しかし、
会意。矢(すばやい)と、口(ことば)とから成る。ことばを即座に理解する、「しる」意を表す。(「智」は)「知(チ)」の後にできた字(角川新字源)、
と、「智」→「知」ではなく、「知」→「智」とするほか、
会意文字。「矢+口」で、谷之うにまっすぐに物事の本質を言い当てることをあらわす(漢字源)、
会意文字です(矢+口)。「矢の象形」と「口の象形」から矢をそえて祈り、神意を知る事から「しる」を意味する「知」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji376.html)、
会意。矢(し)+口。矢には矢誓の意があり、誓約のときに用いた。口は祝詞を収める器のᗨ(さい)。神かけて誓うことで、これによって相互の意思を確認する意である。〔説文〕五下に「詞なり」、また智字条四上に「識る詞なり」とあり、〔段注〕に知・智は同訓であるべきであるという。智は知に更にその誓書を加えた字である。〔玉篇〕に「識(し)るなり、覺(さと)るなり」と訓するのは、動詞とする意であろう。〔左伝、襄二十六年〕「子産、其れ將(まさ)に政を知らんとす」は司る意。知事・知県のように用いる(字通)、
と、会意文字として、「智」とは別由来とする説が多い。
「智」(チ)の異体字は、
知(代用字)、𢜔(俗字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%BA)。字源は、
会意兼形声。知とは「矢+口」の会意文字で、矢のようにずばりとあててしいうこと。智は「曰(いう)+音符知」で、知と同系。ずばりといいあてて、さといこと。適(まっすぐ)はその入声(ニッショウ つまり音)のことばであり、聖(ずばりと見通す)は、その語尾が鼻音となったことば(漢字源)、
会意形声。口・白(ことば、いう。曰は変わった形)と、𥎿(チ)(知は省略形。しる)とから成る。知恵の意を表す。また、知の優れている意に用いる。「知(チ)」の後にできた字(角川新字源)、
と、会意兼形声文字とするもの、
会意文字です(知+日)。「矢の象形と口の象形」(矢をそえて祈り、神意を知る事から「知る」の意味)と「太陽」の象形から、「知恵のある人、賢い人」を意味する「智」という漢字が成り立ちました。太陽の象形ではなく、「口と呼気の象形」(「発言する」の意味)という説もある(https://okjiten.jp/kanji2490.html)、
会意。字の初形は矢(し)+干(かん)+口。矢と干(盾)とは誓約のときに用いる聖器。口はᗨ(さい)その誓約を収めた器。曰(えつ)は中にその誓約があることを示す形。その誓約を明らかにし、これに従うことを智という。知に対して名詞的な語である。〔説文〕五下に「知は詞なり」、〔玉篇〕に「知は識(し)るなり」とあり、智には〔説文〕四上に「識る詞なり」とするが、詞の意が明らかでない。また字を白部に属するのも誤りである。〔墨子〕に知と通用し、「智る」のように用いている例が多い(字通)、
と、会意文字とするものに分かれるが、いずれも、「知」と「智」は別系統としている。しかし、
甲骨文字に見られる原字は、「子」+「大」+「口」(言葉)から構成される会意文字で、大人が子供に知識を与えるさまを象る。のち羨符(意味を持たない装飾的要素)の「甘」を加えて、「子」が「于」と書かれ、「大」が「矢」と書かれ、「甘」が「曰」と書かれるようになり、『説文解字』に見られる「𥏼」の字体となった。さらに「于」が省略されて「智」となり、「曰」が省略されて「知」となった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%BA)、
とし、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、
変化後の字体に基づいて「白」+「亏 (于)」+「知」と説明されているが、上記のようにこれは誤った分析である、
とし、また、上記の「智」「知」の字源に見られる、
「矢」を形声文字の音符と解釈する説があるが、上記のように「矢」は「大」が変化したものであるため誤りである。また「矢」と「智」は声母・韻母ともに異なっており諧声原則を満たさないため音符ということはありえない、
と否定しており(仝上)、
智→知、
への変化を主張している。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
佐藤雅代『「命なりけり」の歌の系譜』(https://www.jstage.jst.go.jp/article/sanyor/26/0/26_189/_pdf)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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我妹子に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢(いめ)に見えきや(万葉集)
我が背子が袖返す夜(よ)の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし(仝上)
白栲(しろたへ)の袖折り返し恋ふればか妹が姿の夢(いめ)にし見ゆる(仝上)
あらたまの年行き返(がへ)り春花(はるはな)のうつろふまでに相見ねばいたもすべなみ敷栲の袖返しつつ寝る夜(よ)おちず夢(いめ)には見れどうつつにし直(ただ)にあらねば恋しけく(仝上)
の、
袖返し、
は、
袖を折り返して寝ると、思う人が夢に現れると信じられた、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
袖返す、
は、文字通りには、
袖を折り返して裏側を表に出す、
意だか、上代、
こうして寝ると、恋人を夢に見る(岩波古語辞典)、
または、
思う人の夢に自分が現われることができる(精選版日本国語大辞典)、
という俗信があったとある。
袖を返す、
という所作は、
立ちてのどかにそでかへす所をひとをれ気色ばかり舞ひ給へるに(源氏物語)、
と、
舞なとで袖をひるがえす、
意でもある(仝上)。これが、古今和歌集では、
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る(小野小町)
とあり、
夜(よる)の衣(ころも)、
は、
今日の寝間着にあたるが、着るだけでなく、掛けたり、敷いたりもした、
もので、
夜の衣を裏返して着るのは、そうすると恋する相手が夢に見えるという当時の俗信によるものか、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。さらに、後撰和歌集では、
白露のおきてあひみぬ事よりは衣(きぬ)返しつつ寝なむとぞ思ふ(よみ人知らず)、
と、
衣(きぬ)返し、
は、
夜着を裏返すことで、夢で恋人に逢えるまじないであったらしい、
とあり(水垣久訳注『後撰和歌集』)、
夜(よる)の衣(ころも)を返す、
と同じ意(精選版日本国語大辞典)で、
(白露の)起きていて逢わない、ことになるよりは、夜着を返したまま、寝てしまおうと思う(そして、夢で逢えることを期待しよう)、
と訳す(仝上)。万葉集では、
商返(あきかへ)しめすとの御法(みのり)あらばこそ我(あ)が下衣(したごろも)返し給はめ(万葉集)
とある、
下衣、
は、
下着、
の意で、
愛の証として交換された、
と、より現実的であった(伊藤博訳注『新版万葉集』)。似た言い方に、
恋ひわびてうちぬるなかに行きかよふ夢のただぢはうつつならなむ(古今和歌集)、
と、
夢の中で恋しい人のもとへ通ずるまっすぐの道、
の意から、
直道(ただち)、
住の江の岸に寄る波夜さへや夢の通ひ路人目よくらむ(古今和歌集)、
と、
夢の中の想う相手へ通う路、
の意の、
夢の中の通ひ路、
あるいは、
思いやるさかひははるかになりやするまどふ夢路にあふ人のなき(古今和歌集)
の、
夢路、
も同じで、
春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空(新古今和歌集)、
と、
夢の浮橋、
という言い方もある。なお、
袖、
については触れたことがあるが、
衣服で、身頃(みごろ)の左右にあって、腕をおおう部分。和服には、袂(たもと)の長さや形によって、大袖、小袖、広袖、丸袖、角袖、削(そぎ)袖、巻袖、元祿袖、振袖、留袖、筒袖などの種類があり、袂を含んでいうことがある。洋服には、長短により長袖、七分袖、半袖などの別があり、袖付や形によっても種々の名称がある、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
ころもで(衣手)、
衣袖(いしゅう)。
ともいい、この、
袖、
のメタファで、
鎧(よろい)で、綿上(わたがみ)に付けて、手楯(てたて)の代用ととし、袖の緒(お)で胴に結びとめる付属具(左を射向(いむけ)の袖、右を馬手(めて)の袖という)、
牛車(ぎっしゃ)の車の箱の出入り口の左右にあって、前方または後方に張り出した部分の名(前方にあるのを前袖、後方にあるのを後袖(あとそで)という)、
文書(もんじょ)や書巻の初めの端の余白となっている部分、
建造物、工作物の両わきの部分、
舞台の両わきの部分、
などにもいう(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、
袂、曾天、所以受手也、
字鏡(平安後期頃)に、
袂、袖末也、曾氐、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
袂、ソデ、タモト、
とあり、由来は、
ソ(衣)テ(手)の意。奈良時代にはソテ・ソデの両形がある(岩波古語辞典)、
衣手(そで)の意。奈良時代にはソテとも(広辞苑)、
そで(衣手)の義(東雅・安斎随筆・燕石雑志・箋注和名抄・筆の御霊・言元梯・名言通・和訓栞・弁正衣服考)、
衣の左右に出た部分をいうところから、ソデ(衣出)の義(日本釈名・寒緋録・守貞謾稿・柴門和語類集・上代衣服考=豊田長敦)、
ソトデ(外出)の義、またシモタレ(下垂)の反(名語記)、
ソはツボマル、テは手(槙のいた屋)、
ソ(衣)手。上代仮名遣いが甲乙矛盾するのが難点ですが、他に適した説が見つかりません。異説として、ソ(衣)
+出、でころものうち手の出る部分の意(日本語源広辞典)、
とあるが、語源説にもあるように、
「そて(衣手)」とする説、
は、
上代特殊仮名遣では、「そ(衣)」は乙類音で、「そで」の「そ」は甲類音であるから疑問、
とされてはいる(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)が、
衣手(ころもで)、
が、
夕されば衣手(ころもで)寒みしよしのの吉野の山にみ雪降るらし(古今和歌集)、
と、
着物の手、
の意から(精選版日本国語大辞典)、
袖、
の意としていた(広辞苑)のだから、語源として、
衣+手、
に固執するのはわからなくもない。なお、
袂、曾天、所以受手也(和名抄)、
袂、袖末也、曾氐(字鏡)、
と、
袂、
と
袖、
がほとんど同義になっているように見えることについては、
手本(たもと)、
たもと、
で触れたように、
たもと、
は、
手本(たもと)の意(広辞苑)、
タ(手)モト(本)の意(岩波古語辞典)、
手本(たもと)の義。手末(たなすゑ)に対す(大言海)、
テモト(手許)の轉(和語私臆鈔)、
とあり、
たなすゑ、
は、
手端吉棄、此をば多那須衛能余之岐羅毗(たなすゑのよしきらひ)と云ふ(古事記)、
と、
手之末の義、
で、
手の端、
手の先、
手先、
の意である(大言海)。岩波古語辞典には、
手末、
手端、
と当て、
タは手の古形。ナは連体助詞、
とする。だから、「たもと」の本来の意味は、
肘より肩までの間、即ち肱(かいな)に当たるところ、
を指すとし、
上古の衣は、筒袖にて、袖の肱に当たる邊を云ひしが如し(大言海)、
とする。つまり、
かいなの部分→そこを覆う着物の部分、
となり、さらに、
袖、
の意にまで広がり、
袖の形が変わるにつれ、下の袋状の部分をいうようになる、
という(岩波古語辞典)経緯で、平安時代以降、
和服の袖付けから垂れ下がった部分、
をも表すようになった(語源由来辞典)ものらしい。
和名類聚抄(931〜38年)に、
袂、開張以臂屈伸也(一本、屈伸の上に受の字あり、臂受の誤倒かと云ふ)、
とある。だから、
袖口の下の方、
の意、
つまり、
たもと、
の意で、
そでたもと(袖袂)、
という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、上にある、
かいな、
は、
たぶさ、
二の腕、
でふれたように、
一の腕、
を、
手首から肘まで、
つまり、
ただむき、
を言ったのに対して、
かいな、
は、
二の腕、
といったものらしい(日本語源広辞典)。
「袖」(漢音シュウ、呉音ジュ)は、「袖の別れ」で触れたように、
会意兼形声。「衣+音符由(=抽 抜き出す)」。そこから、腕が抜けて出入りする衣の部分。つまりそでのことか(漢字源)、
会意兼形声文字です(衤(衣)+由)。「身体にまつわる衣服のえりもと」の象形と「底の深い酒つぼ」の象形(「穴が深く通じる」の意味)から、人が腕を通す衣服の部分、「そで」を意味する「袖」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2061.html)、
と、会意兼形声文字とあるが、他は、
形声。衣と、音符由(イウ)→(シウ)とから成る。「そで」の意を表す(角川新字源)、
形声。「衣」 + 音符「由 /*LIUK/」。「そで」を意味する漢語{袖 /*sliu(k)h/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A2%96)、
形声。声符は由(ゆう)。由に岫(しゅう)の声がある。〔説文〕八上に正字を褎に作り、「衣の袂(たもと)なり。衣に從ひ、爫+禾(すい)聲」とし、「袖、俗に褎は由に從ふ」とする。爫+禾は穂の初文で声も異なり、〔段注〕には褎を衣爫+禾の会意字であり、「衣の褎有るは、猶ほ禾の爫+禾有るがごときなり」というが、やはり形声とみるべきであろう。〔漢書、董賢伝〕に褎の禾の部分を由に作る字があり、爫+禾声より由声に移る過程をみることができる。袖は漢以後の文献にみえ、〔釈名、釈衣服〕に「袖は由なり。手の由りて出入する所なり」とする。岫は岩穴をいう語で、衣服の袖口をもその名でよんだものであろう。由は瓜の油化した状態をいい、中空の意のある語である(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
新村出編『広辞苑第七版』(岩波書店)
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恋(こひ)と言へば薄きことなりしかれども我(わ)れは忘れじ恋ひは死ぬとも(万葉集)
の、
薄きことなり、
は、
薄っぺらなことに思われよう、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
しかれども、
は、
けれども、
と訳す(仝上)。
しかれども、
は、
然れども、
雖然、
とあて(大言海)、
シカアレドモの約、
とあり(岩波古語辞典)、
この泊り、……いとおもしろし。かかれども苦しければ、なにごともおもほえず(土左日記)、
の、
「かくあれども」の音変化、
とされる、
かかれども、
と似た転訛で、
先行の事柄に対し、後続の事柄が反対・対立の関係にあることを示す。逆態の確定条件、
で、
そうではあるが、
しかしながら、
されども。
の意、平安時代には、漢文訓読系の用語とされる(岩波古語辞典)が、万葉集では、冒頭の歌や、
大海(おほうみ)の波は畏(かしこ)ししかれども髪を斎(いは)ひて舟出(ふなで)せばいかに
はろはろに思(おも)ほゆるかもしかれども異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに
梓弓末(すゑ)はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを
白玉は緒(を)絶(だ)えはまことしかれどもその緒また貫き人持ち去(い)にけり
天離(あまざか)る鄙(ひな)に月経(へ)ぬしかれども結(ゆ)ひてし紐を解きも開(あ)けなくに
等々、結構使われているし、古事記でも、
女人(をみな)先に言へるは良からずとのりたまひき。雖然(しかれ)とも久美度邇〈くみど 此の四字は音を以ゐよ〉興(おこ)して生める子は、水蛭子(ひるこ)、
と使っている。この、
しかれども、
は、
主(ぬし)を見進(たてまつり)て既に年来に成ぬ、主も亦輔公を見て久く成ぬらむ。然れば、互に情(こころ)无き事をば否不用ぬ也。然れども、只今有心(うしん)にて、此の弁へ畢(は)てよ(今昔物語集)
と、
然れば、
と同じ用法があるとする説もある(精選版日本国語大辞典)。
しかれば、
は、
然れば、
とあて、
しかあればの約、
とされ(岩波古語辞典)、
譬へば山川の流れを見て水上ゆかしく、霧のうちの梢を望みて、いづれのうゑ樹としらざるが如し。然れは此等の集にのせたる歌は必ずしもさらず(後拾遺和歌集)、
あしき事もよき事も、長くほめられ、長くそしられず。しかれば、わが子のみにしたがひふるまふべきなり(宇治拾遺物語)、
と、
先行の事柄の当然の結果として、後続の事柄が起こることを示す。順態の確定条件、
で、
そうであるから、
だから、
されば、
意で用い、
しかれども、
とは用例が異なる。また、
しかれば、胡国の軍強うして従ふことを期し難し、
と、先行の事柄を一応おさめて、話題を転じるのに用い、
そうして、
さて、
ところで、
の意でも使っており、用法は同じとはいえない(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
然れば、
と約した、
しかあれば、
も、
然あれば、
とあて、
われら昔の犯(をかし)の深さによりて、悪しき身を受けたり。しかあれば、忍辱の心を思ふ輩(ともがら)にあらず(宇津保物語)、
と、
接続詞的に用いて、先行の事柄の当然の結果として、後続の事柄が起こることを示す。順態の確定条件、
で、
そうであるから、
そうだから、
だから、
しかれば、
の意で用いる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
しかれども、
しかれば、
しかあれば、
の、
しか、
は、
然、
爾、
と当て、
「し」は「さ」と同義の副詞、「か」は接尾辞(広辞苑)、
代名詞シと、状態を示す接尾語かとの複合。すでに述べた状態を指示する語。上代では歌にも使われたが、平安時代には漢文訓読に使い、平安女流文学ではこれに当たる語は「さ」で、「しか」は男性の言葉として使われることが多い(岩波古語辞典)
指示代名詞「し」+接尾語「か」から(デジタル大辞泉)、
指示語「し」に接尾語「か」の付いたもの。物をさし示し、感動的意味が伴う(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
などとあり、
香具山は畝傍を惜しと耳成(みみなし)と相争ひき神代よりかくにあるらしいにしへも然(しか)にあれこそうつせみも妻を争ふらしき(万葉集)、
後の世の聞き継ぐ人もいや遠(とほ)に偲ひにせよと黄楊小櫛(つげをぐし)しか挿しけらし生ひて靡けり(万葉集)、
と、
そう、
そのように、
そのごとく、
さように、
かように、
の意や、漢文訓読体で、
過に於て既に耳(シカなり)。况や法に依りてをや(「蘇悉地羯羅経延喜九年点(909))」)、
相似たること既に爾(シカ)あり(「法華二十八品略釈延久二年点(1070)」)、
と、「しかあり」「しかなり」の形で
そうである、
もっともだ、
たしかだ、
この通りだ、
などの意に用い(精選版日本国語大辞典)、さらに、
生むこと奈何(いかに)とのりたまへば、伊邪那美の命、然(しか)善けむと答曰(こた)ヘたまひき(古事記)、
と、会話文で、言い切りの形で用い、承諾を示す応答のことばとして、感動詞的に用いて相手の言葉を肯定し、
そう(です)。
その通り、
そのように、
の意で使う(仝上・岩波古語辞典)。
しか、
の、
か、
は、接尾語で、
しか、
で触れたように、
カアヲ・カボソシなど接頭語のカと同根、
とあり、
のどか、
ゆたか、
なだらか、
など、
物の状態・性質を表す擬態語などの下につき、それが目に見える状態であることを示す、
とあるが(岩波古語辞典)、いかかであろうか。
其気(そけ)の転(大言海)、
シは発語、カは古語カレ(故)のカと相通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、
シカ(息香)の義。息は水、香は火をいい、万事は皆水火をもととするため、種々品々をさしてシカという(柴門和語類集)、
イカスガ、またはサスガの略(類聚名物考)、
の語原説は、あまりにもひねくりすぎて首をかしげるが、
か、
が、
接頭語「か」と同根、
とある(岩波古語辞典)。接頭語「か」は、
アキラカ・サヤカ・ニコヨカなど、接尾語カと同根、
とあり、
か細し、
か弱し、
等々のように、
目で見た物の色や性質などを表す形容詞の上につき、見た目に……のさまが感じられるという意を表す、
とあり、
転じて、ケ(気)となる、
とある。接尾語「か」も、
後に母音変化を起こして、「け」となり、「あきらけし」「さやけし」などのケとして用いられ、「さむげ」などのゲに転じた、
とある(仝上)。とすると、
其気(そけ)の転(大言海)、
はあり得るが、しかし「しか」の「し」が指示詞なら、「か」は、
ありか(有處)、
すみか(住處)、
かくれが(隠處)、
の、
處、
とあてる接尾語「か」ではあるまいか。
處(こ)に通ず、
とあり(大言海)、「しか」は、
指示「し」+か(處)、
の方が意味が一貫する気がするのだが、もちろん勝手な憶説ではある。
しか、
の、
然、
は、上述したように、
さ、
とも訓ませ、
上の言葉を受けて、その事態を指し示す副詞。主に平安時代以後に用いられた(広辞苑)、
上の語の意を受けて、下に移す語(大言海)、
すでにある事物・状態などをうけて、それを指示する語(デジタル大辞泉)、
とあり、
いとゐておはしましがたくや侍らんと奏す。みかどなどかさあらん、猶ゐておはしまさんとて(竹取物語)、
と、文脈上または心理的にすでに存する事物、事態を、実際的に指示し、
そのように、
そんなに、
そう、
の意や、
かめをおまへにもていでて、ともかくも言はずなりにければ、つかひのかへりきて、さなんありつると言ひければ(古今和歌集・詞書)、
と、文脈上または心理的に問題になっていることの、性質や程度を抽象的に指示し、その通りと認めて、
その如く、
そんなにも
いかにも、
の意で使い(精選版日本国語大辞典・大言海)、
然(しか)の約なりと云ふ、其(そ)にも通づるか(ささやく、そそやく)(大言海)、
シカ(然)の約(本朝辞源=宇田甘冥)、
シカ(然)の反(名語記・言元梯)、
「諸」の別音saから(日本語原考=与謝野寛)、
三人称の代名詞ソ・シと同根(岩波古語辞典)、
代名詞ソからの分化(角川古語大辞典)、
とあり、
奈良時代には、「しか」が主流で、「さ」は「さて」や「さても」のように複合した形でしかみえない。平安時代に入っても、和歌については「しか」が優勢で、物語などの散文で「さ」が発達してから和歌にも浸透し、一二世紀から一三世紀にかけて用例が激増した。それに対し、「しか」は漢文訓読文や和漢混交文に残るだけとなる(精選版日本国語大辞典)、
平安時代には(「さ」は)女流仮名文学に多く使われる。漢文訓読体ではシカをつかう(岩波古語辞典)、
とされ、
室町時代後期になると「さう」の例が見えはじめ、「さ」で表現すべきところを次第に「さう」で表現するようになる。現代では「そう」を用い、「さ」は「さよう」「さほど」などの複合語として残るのみで、単独では用いない、
とあり(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
しか→さ→そう、
と、転訛していったようである。
さ、
は、
さほど(然程・左程)
さ(然)はれ(副詞「さ」に、助詞「は」とラ変動詞「あり」の命令形が付いた「さはあれ」が変化したもの)、
さ(然)あらぬ(連体修飾語に用いる慣用の形で、「顔」「態」「様子」など抽象的な名詞に続く)
さ(然)るに(サアルニの約)、
さ(然)あれば(「あれ」は已然形、「ば」は助詞。接続詞のように用いる)
さ(然)すれば(副詞「さ」+サ変動詞「す」の已然形+接続助詞「ば」)、
さ(然)なくば(古くは「さなくは」とも)、
さ(然)もなくば、
等々と使う(仝上)。この
然(さ)の延(大言海)、
然(さ)の長音化(岩波古語辞典)、
然(さ)の転(広辞苑)、
が、
さう、
で、
然う、
とあて、
身共はあきんどじゃ。そういふてしかとたつまひか(狂言・「鍋八撥(室町末)」)、
と、前の語・文脈などを受けて
そのように、
そのようで、
の意や、
盗物では有るまいし、半分殻(から)でもそふは売らない(談義本「根無草(1763)」)、
と、連用修飾語として用いる時、その被修飾語を省略してその意味を含める。たとえば「そう多くは」「そう安くは」の「多く」「安く」などが省略される形で、
そのように……の状態、
の意、
イヤイヤ、さふじゃさふじゃ(歌舞伎「幼稚子敵討(1753)」)、
と、何かを思い出したり、相手のことばに応答したりする時に感動詞のように用いる。「そう」の指示内容は必ずしも明確に文面に表われない使い方をし、さらに転じて、
名詞の返答に、しか也と云心をそうといへり、心、如何。これはそといふを、そうといひなせる也。そはそのの反(名語記)、
と、
相手のことばに対する肯定や問い返し、または半信半疑の気持、感動などを表わす、
使い方もする(精選版日本国語大辞典)。たとえば、
そう(然)あれば、
は、
世には思も不依人があるものぞ。さうあれは思不依事があるぞ(史記抄)、
と、前の事柄の結果として、後の事柄が起こることを示し、
そうすると、
それで、
の意や、
はるばるの所を大儀にこそあれ。さう有れば、折ふし頼ふだ人表へ出られた。白砂(しらす)まで出て目見へをせい(狂言「今参(室町末)」)、
と、前の事柄に対し、話題をやや転換することを示し、
さて、
そこで、
の意で使う。ただ、
然(さ・しか)、
を当てていても、たとえば、
そうではあるが、
の意の、
さるを(然るを)、
は、
動詞「さ(然)り」の連体形+接続助詞「を」から、
であり、
ある、
某、
の意の、
然有(さる)、
は、
動詞「さり(然有)」の連体形から、
で、特にその名前や事柄を明らかにする必要のない場合、あるいは、はばかる場合などに多く用いるし、
相応である、
意の、
さ(然)るべし、
も、
動詞「さり」の連体形+推量の助動詞「べし」、
で、
そうであるから、
の意の、
さ(然)れば、
も、
動詞「さ(然)り」の已然形+接続助詞「ば」から、
であり、
当然である、
意の、
しか(然)るべし、
も、
動詞「しかり(然有)」の連体形「しかる」に助動詞「べし」のついたもの、
である(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
さる(然る)、
は、
さりけれど、このもとの女、悪しと思へるけしきもなくて(伊勢物語)、
と、
ら・り・り・る・れ・れ、
ラ変活用で、
シアリの約、
とされ、
そうである、
意と、
終止形は肯定の返事として感動詞的に使われる、
とあり(岩波古語辞典)、
しかる(然る)、
も、
しかりといへども、ただもとの國にあらむと願はしめ給へば(今昔物語集)、
と、
同じくラ変活用で、
そのとおりである、
意となる(岩波古語辞典)。
「然」(漢音ゼン、呉音ネン)は、「さぶ」で触れたように、
会意。上部はもと厭の厂を除いた部分と同じで、犬の脂肪肉を示す会意文字。然は、その略体で、脂(あぶら)の肉を火で燃やすことを意味する。燃の原字で、難(自然発火した火災)と同系、のち然を指示詞ゼン・ネンに当て、それ・その・その通りなどの意をあらわすようになった。そのため燃という字でその原義(もえる)を表すようになった、
とある(漢字源)。で、「しかり」と肯定・同意するときの言葉、転じて、「そう、よろしい」と引き受けるのを「然諾」といい、イエスかノーかを「然否」という、とある(仝上)。別に、
会意文字です。「切った肉」の象形と「耳を立てた犬」の象形と「燃え立つ炎」の象形から、いけにえとしての犬の肉を火で焼く、すなわち、「もやす」を意味する「然」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「しかり(そのとおり)」、「しかも」、「そして」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji707.html)、
会意。肰(ぜん)+火。肰は犬肉。犬肉を焼いて、その脂が燃える意で、燃の初文。〔説文〕十下に「燒くなり。火に從ひ、肰聲」とするが、犬の肉を焼く意で、天を祀る祭儀などに用いた。卜辞に犬牲を燎(や)いて天を祀る祭儀があり、文献にいう類(類)・⺬+類(るい)にあたる。類は米と犬と頁(けつ)とに従い、天を祀る礼。天神は犬牲を燎く臭いによって、その祭儀を享けるとされた。「しかり」「しかれども」は通用の訓であるが、その本義ではない。また形況の語の接尾語に用い、突然・端然のようにいう(字通)、
と会意文字とするもの、同趣しながら、
会意形声。火と、肰(ゼン、ネン)(犬の肉)とから成る。いけにえとして供えられた犬の肉を焼くことから、火をもやす意を表す。「燃(ゼン、ネン)」の原字。借りて、是認の意に、また、助字として用いる(角川新字源)、
と会意兼形声文字とするものもあるが、上述の各説の、
この文字を会意文字とみなして「肉を炙るさま」と解釈する説があるが、「肰」という文字の存在が示すように「然」は形声文字である。また、漢語{燃 /*nan/}は物を火に当てることではなく直接発火することを意味する、
と(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%B6)、
肉を炙るさま、
との解釈を否定し、
形声。「火」+音符「肰 /*NAN/」。「もえる」を意味する漢語{燃 /*nan/}を表す字。のち仮借して虚詞の{然
/*nan/}に用いる、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
新村出編『広辞苑第七版』(岩波書店)
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我が背子に恋ふとにしあらしみどり子(こ)の夜泣きをしつつ寐寝(いね)かてなくは(万葉集)
の、
あらし、
は、
あるらしい、
で、
心底恋いこがれているらしい、
と訳し、
寐寝(いね)かてなくは、
は、
眠ろうにも眠られずにいるのは、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、
寐寝(いね)かつ、
の
寐寝、
とあてている、
いぬ、
は、
寝(い)を寝(ぬ)、
で触れたように、
い、
は、
寝、
で、
眠ること、
を、
寝(い)を寝(ぬ)、
といった(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。
寝寝(いぬ)、
は、
寝ぬ、
とも当て、
ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ、
の、自動詞ナ行下二段活用で、
名詞「い(寝)」+動詞「ぬ(寝)」(デジタル大辞泉)、
名詞「い(寝)」と動詞「ぬ(寝)」との複合語(精選版日本国語大辞典)、
「寝(い)」と下二段動詞「寝(ぬ)」が複合した語(学研全訳古語辞典)、
であり、
い(寝)をぬ(寝)る義(大言海)、
で、
イは睡眠、ヌは横になる、
意(岩波古語辞典)、
家思ふと伊乎禰(イヲネ)ずをれば鶴(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に(万葉集)、
と、
横になって眠る、
つまり、
寝る、
眠りにつく、
意である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
あらし、
は、
有らし、
とあて(岩波古語辞典)、
アルラシの約(仝上・広辞苑・日本語の語源)
ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形(学研全訳古語辞典)、
動詞「あり」に推量の助動詞「らし」の付いた「あるらし」の音変化(デジタル大辞泉)、
動詞「あり(有)」に推量の助動詞「らし」の付いた「あるらし」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
とあり、一説に、
ラ変動詞「あり」の形容詞化した形、
とする説もある(仝上・学研全訳古語辞典)とされるが、
あるらしい、
あるにちがいない、
の意となる(仝上)。
ある、
は、
有る、
在る、
と当てる。しかし、「ある」は、
生る、
現る、
とも当てる。ただ、文語では、
有り、
在り、
で、
ら/り/り/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行変格活用で、
生る、
現る、
は、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用になる。
あり、
にあてる、漢字、
有、
在、
の違いは、
ある、
で触れたように、
在、
は、
あり(居・存・住)、ゐます、
意、
有、
は、
空間の中にある形をなして存在している、
意とある(字源)。漢字「在」と「有」の使い分けは、
「有」は、無に対して用ふ、左伝「有文在其手、曰爲魯夫人、
「在」は、没または去と対す、有の字の下は物なり、在の字の下は居處なり。「市有人」、「人在市」、また「死生有命、富貴在天」などにて、その別を知るべし。在は俗に、にあり、といふ、
としており(仝上)、
有の字の下は、物なり、
在の字の下は、居處なり、
として、
市有人、人有市
死生命有、富貴在天、
を例示する(仝上)。この区別は、日本語、
ある、
にはないが、
在(ざい)の字の意なる時は、辞(テニハ)のニに応ず、故に、在(ざい)の字をニアリと呼ぶ、家有人、人在家、
とあり(大言海)、漢字に即して使い分けていたようだ。
あり、
は、
奈良・平安時代にはラ行変格活用をしていたが、鎌倉時代頃から四段活用(ら・り・る・る・れ・れ)と同じになった、
とあり、
あり→ある、
意転じたことになり、
空間的時間的に存在し持続する意が根本で、それから転じて、…ニアリ、…トアリの形で、…であるという陳述を表す点では英語のbe動詞に似ている。ニアリは後に指定の動詞ナリとなり、トアリは指定の助動詞タリとなった。また完了を表すツの連用形テとアリの結合から助動詞タリ、動詞連用形にアリが結合して(例えば、咲キアリ→咲ケリ)完了・持続の助動詞リ、またナリ・ナシ(鳴)の語幹ナ(音)とアリの結合によって伝聞の助動詞ナリが派生した、
とされ(岩波古語辞典)、
ある、
は、
有無の「有」、在没の「在」の意味をともに持っていた、
ことになる。当然、
あり、
は、
語形上、アレ(生)・アラハレ(現)などと関係があり、それらと共通なarという語幹を持つ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを、成り出る、出現するという意味でとらえる傾向が古代にさかのぼるほど強いので、アリの語根も、そのarであろうと考えられ、朝鮮語のal(卵)という語と、関係があると思われる。朝鮮語の名詞で日本語に入って動詞として使われている例としては、朝鮮語ip(口)→日本語ipu(言ふの古形)などいくつもある(岩波古語辞典)、
と、
在、
の意味と重なるように思われる。となれば、
生る、
顕(現)れる、
の意味とつながるのは当然に思われる。ちなみに、今日、
「有る」は権利・財産・資格・品格など、何かを所有していたり、備わっていることを表します。
「在る」は環境・場所・地位における事物の存在を表します。
と、使い分けを指示している説もある(https://gimon-sukkiri.jp/have_exist/)が、漢字程分明とはいえないような気がする。
有る、
在る、
と、
生る、
現る、
との関係を整理しておくと、
ある(在・有)、
は、
賢し女をありときかして(古事記)、
と、
ものごとの存在が認識される。もともとは、人・動物も含めてその存在を表したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識しての「いる」と使い分ける。人でも、存在だけを言う時には「多くの賛同者がある」のように「ある」ともいう(広辞苑)、
古語の「あり」は生物・無生物いずれにも用いるが、現代語の「ある」は無生物や植物に限り、人や動物の場合は「いる」を使う。逆に古語の「ゐる」は、生物・無生物いずれにも用いる(学研全訳古語辞典)、
「ある」は、鎌倉時代以前には、人か物事かに関わらず、存在を表わすために「あり」が用いられた。敬語形としては、尊敬語の「おはす」「いますがり」「ござる」、謙譲語の「はべり」「候」等が用いられ、時代・文献によって変遷がある。江戸時代以後、特定の時間・場所を占める存在の意味ではもっぱら「いる」が用いられるようになった。しかし現代語でも抽象的な存在を表わす場合や漠然と有無を問題にする場合には、人間を主語とする場合でも「ある」が用いられる。「相手のあることだけに」「兄弟が三人ある」など(精選版日本国語大辞典)、
「ある」は、広く、五感などを通して、空間的、時間的に事物・事柄の存在が認められる意がおおもと。古くは「昔、男ありけり」(伊勢物語)のように、人に関しても用いたが、現在ではふつう人間・動物以外の事物についていい、人間・動物については「いる」を用いる。しかし、「予想外の参加者があった」「強い味方がある」など、人に関しても「ある」が用いられることがあり、この場合は人が概念化・抽象化した立場でとらえられていたり、所有の意識が認められていたりする。補助動詞としての「つつある」は英語などの進行形の直訳的表現。文語の補助動詞「あり」は一部の副詞「かく」「しか」「さ」などや、助動詞の「ず」「べし」の連用形に付いて用いられることがある。「けり」「たり」「なり」「めり」などのラ変型活用の助動詞および形容詞語尾「かり」、形容動詞語尾「たり」「なり」などは、いずれも「あり」が他の要素と結合してできたものである。ふつう、存在する意の場合は「在」を、所有する意の場合は「有」の字を当てるが、かな書きにすることも多い。なお、「ある」の打消しは文語では「あらず」であるが、口語では「あらない」とはいわず、形容詞の「ない」を用いる(デジタル大辞泉)、
とあり、この由来は、
arに、「出現」の意を持つのがアルの語源です。出現している、存在している、所有している意です。アル(生)、アラワル(出現・露・現)、またナリ(生・成)などと関連があると思われます。ひいて、存在する意になったのでしょう。日本語では所有のアルと存在のアルを区別できません。それで漢字を借りて、下記のように区別し表現する。「有」、「肉+手」、肉を自分の所有とする意、例、「有無」。「在」、「才(ふさがる)+土」、土が積もってふさがる意、転じて、移動しないで底に存在する意、例、存在。日本語では、現在は、「ある」と平仮名書きだが、「一億円有る」「別荘が有る」は、所有である。「本社は東京に在る」「逆境に在る」は、存在を表す(日本語源広辞典)、
ナル(生)の転アル(生)(日本釈名・国語本義・和訓栞)、
アは補助者として語頭に加わったもので、ルが本義を表す(国語の語根とその分類=大島正健)、
ナシ(無)の反対で、口を閉じる音ナに対してアは口を大きく開く音で表す(国語溯原=大矢徹)、
明から出た語。暗いと何も見えないので無いのと同じで、明るければみな存在が目に見えるから(和句解)、
アアリ(鳴然)の義(日本語原学=林甕臣)、
「有」の別音aiの約音Aの動詞化(日本語原考=与謝野寛)、
の諸説があり、
ある(現る・生る)、
は、
その御子は生(あ)れましつ(古事記)、
と、
神聖なものの出現に使われる(広辞苑)、
「生(あ)る」は、神霊の出現あるいは神霊の意志の顕現を意味することが多く、元来は「うまれる」とは異なる意である。類語「うまる」は元来出生を意味する(精選版日本国語大辞典)、
とあり、この由来は、
ナル(生)に通づと云ふ(豈(あに)、何(なに)。などか、あどか)新たに生(な)る意(大言海)、
アラ(新)と通じる、この身の新たになること(雅言考)、
朝鮮語al(卵)と関係があるか(万葉集=日本古典文学大系)、
アレ(阿礼)およびミアレなどと起源を同じくするもので、朝鮮語al(卵)とも関係があろう。類義語ウ(生)マルは母胎から胎生する意(岩波古語辞典)、
賀茂の賢木(=阿礼木)についての名。雷神の住む所ということからアレは住居の意(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
アリに対立して、アリという状態の成立を意味するか。神霊自体、あるいはその意志をこの世に顕するものの名として使われた(時代別国語大辞典-上代編)<
等々諸説あるが、要は、
ある(現る・生る)⇔ある(在・有)、
の深いつながりである。
語形上、アレ(生)・アラハレ(現)などと関係があり、それらと共通なarという語幹を持つ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを、成り出る、出現するという意味でとらえる傾向が古代にさかのぼるほど強い、
とある(岩波古語辞典)意味が納得できる気がする漢字で当て別ける前は、いずれも、
ある、
としか言っていなかったが、文脈依存型の、文字をもたないわれわれは、その場にいる人には、何を言っているかは共有できていたということなのだろう。
「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、「時しもあれ」で触れたように、
会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する(漢字源)、
会意形声。肉と、又(イウ ナは変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました(https://okjiten.jp/kanji545.html)、
と、会意兼形声文字とし、また、同じ字解ながら、
会意。又(ゆう)+肉。肉を持って、神に侑薦する意。〔説文〕七上に「宜しく有るべからざるなり」とし、「春秋傳に曰く、日月(月の字は衍文)之れを食する有り」の文を引いて、有とは異変のある意とし、字は「月に從ひ、又聲」とするが、月に従う字ではない。卜文には有無の字に又を用い、金文に有を用いる。〔玉篇〕に「不無なり、果なり、得なり、取なり、質なり、宷(しん)なり」の訓がある(字通)、
と、会意文字とするものもあり、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。しかし、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89)、
形声。「肉」+音符「又 /*WƏ/」。「(肴や酒を)すすめる」を意味する漢語{侑 /*wəs/}を表す字。のち仮借して「ある」「もつ」を意味する漢語{有
/*wəʔ/}に用いる(仝上)、
と、形声文字としている。
「在」(漢音サイ、呉音ザイ)の異体字は、
扗(古体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%A8)。字源は、「ありさりて」で触れたように、
会意兼形声。才(サイ)の原字は、川の流れをとめるせきを描いた象形文字で、その全形は形を変えて災(成長進行をとめる支障)などに含まれる。才は、そのせきのかたちだけをとって描いた象形文字で、切り止める意を含む。在は「土+音符才」で、土でふさいで水流を止め進行を止めること、転じて、じっと止まる意となる(漢字源)、
会意兼形声文字です(士+才)。「まさかり(斧)」の象形と「川の氾濫をせきとめる為に建てられた良質の木」の象形から、災害から人を守る為に存在するものを意味し、そこから、「ある」を意味する「在」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji861.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。音符「才 /*TSƏ/」+音符「士 /*TSƏ/」。「ある」を意味する漢語{在 /*dzəəʔ/}を表す字。もと「才」が仮借して{在}を表す字であったが、音符を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%A8)、
形声。土と、音符才(サイ)とから成る。地上にとどまっている意から、「ある」、いる、存在する意を表す(角川新字源)、
と形声文字とし、字通では、
才+士。才は神聖を示す榜示の木で、在の初文。卜文・金文では、才を在の字義に用いる。士は鉞頭の形。その大なるものは王。王・士もまた聖器で、身分象徴に用いた。神聖の表示である才と士とを以て、その占有支配の意を示したものと思われる。〔説文〕十三下に「存なり」とし、「土に從ひ、才聲」とするが、金文の字形は士に従う。金文には才声の字である載・鼒・才+食+丮をみな在の意に用いる。〔師虎𣪘(しこき)〕「先王に十+戈+食(あ)り」、〔段𣪘(だんき)〕「王、畢に鼒(あ)り」、〔卯𣪘(ぼうき)〕「乃(なんぢ)の先祖考に才+食+丮(あ)り」などの例があるが、それらはみな才・在と通用する用義である。在にまた在察・存問の意があり、〔儀礼、聘礼〕「子(し)、君命を以て寡君を在(と)ふ」、〔書、舜典〕「璿璣玉衡(せんきぎよくかう)を在(あき)らかにす」のように用いる。子に聖記号として才を加えた存の字にも、存問の義がある(字通)、
と説く。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
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玉梓の君が使(つかひ)を待ちし夜(よ)のなごりぞ今も寐寝(いね)ぬ夜(よ)の多き(万葉集)
の、
なごり、
は、
習慣の残り、
の意で、
なごり、
とし、
あなたのお使いをいつもお待ちしていた夜の名残りに違いありません、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
玉づさ、
は、
玉梓、
玉章、
とあてる。その由来は、
たまづさは飛翔(とぶつばさ)の略転(ハヤツバサ、ハヤブサ)。古事記、軽太子の御歌に、「阿麻陀牟(アマダム)、軽嬢女(かるのおとめ)」(雁にかけたり)、又「阿麻登夫(アマトブ)、鳥も使ぞ」(使は速く行くを主といれば、鳥を使いとあるなり)、神代紀に、雉の頓使(ヒタヅカヒ)とあり、萬葉集「天飛ぶや雁を使ひにえてしかも奈良の都に言告げやらむ」などとあるより起こりたるなり(大言海)、
タマツサ(賜従者)の義(言元梯)、
タマツタヘクサ(奇伝草)の義(柴門和語類集)、
等々の諸説もあるが、
タマアヅサ(玉梓)の略(万葉集類林・類聚名物考・円珠庵雑記・玉勝間・和訓栞・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
の説が大勢で、タマは美称、
で(広辞苑・小学館古語大辞典)、
梓の杖は使者の持ち物だった。古く文字のない社会では使者が伝言などを口で伝えたところから(岩波古語辞典)、
古代、手紙を梓の木などに結びつけて使者が持参したことから(広辞苑・大辞林)、
「玉+梓」です。便りを運ぶ使者の持つ梓の杖、転じて便り、手紙の意です。玉章と書きます(日本語源広辞典)、
「たま(玉)あづさ(梓)」の変化した語。便りを運ぶ使者は、そのしるしに梓の杖を持ったという(学研全訳古語辞典)、
と、
梓、
の解釈には差があるが、
こもりくの泊瀬の山に神さびにいつきいますと玉梓(たまづさ)の人そ言ひつる(万葉集)、
とあるので、
便りを運ぶ使者の持つ梓(あずさ)の杖、
が、転じて、
その杖を持つ人、
使者、
の意となり、転じて、
秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらん(古今集)、
と、
手紙、書簡、便り、
また、
文章、
の意となり、さらに、後には、
日比秘蔵の猫の首玉に、こがるるとの玉章(タマヅサ)をむすび付おこしけるを(判記「役者二挺三味線(1702)」)、
と、
手紙の真中を捻(ひね)り結んだもの、
という、多く、
恋文、
艶書、
にいうようになる(精選版日本国語大辞典・大言海)。江戸後期の『嬉遊笑覧』には、
艶書をば、文の真中をねじりて結ぶあり、俗に是を玉づさと云、
とある。さらに、形が結び文ににていることから、
カラスウリの種子、
さらに転じて、
からすうり(烏瓜)の異名
ともなる(仝上)。
なお、「梓」は、
梓の真弓、
で触れたように、
カバノキ科の落葉高木、
で、
古く呪力のある木とされた、
とあり(岩波古語辞典)、古代の「梓弓」の材料とされ、和名抄には、
梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、
とある。この「梓」には、古来、
キササゲ、
アカメガシワ、
オノオレ、
リンボク(ヒイラギガシ)
などの諸説があり一定しなかったが、白井光太郎氏による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、
ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、
が通説となっている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93)とある。
たまづさ(玉梓・玉章)の、
は、冒頭の歌もそうだが、
黄葉葉(もみぢば)の散りゆくなへに玉梓之(たまづさの)使を見れば逢ひし日思ほゆ(万葉集)、
と、
梓の木を杖にして使者に立ったので(岩波古語辞典)、
手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから(学研全訳古語辞典)、
古代、使者が、そのしるしに梓(あずさ)の木を携える風習があったとして、手紙を結びつけて運ぶのにも用いたとか、呪力を持つものとされていたとかいわれ(精選版日本国語大辞典)、
使ひ、
にかかる枕詞として使い、また、この用法の、
使者が二人の間に通う連想から(岩波古語辞典)転用として(精選版日本国語大辞典)、
玉梓能(たまづさノ)妹は玉かもあしひきの清き山辺(やまへ)に蒔けば散りぬる(万葉集)、
と、
妹、
にかかる枕詞としても使う(仝上・岩波古語辞典)。
「章」(ショウ)は、
会意文字。「辛(鋭い刃物)+模様の印」の会意文字で、刃物で刺して入れ墨の模様をつけること。また、は「音+十印(まとめる)」で、ひとまとめをなした音楽の段落を示す。いずれもまとまってくっきりと目立つ意を含む(漢字源)、
とあるが、他は、
象形。工具の形を模した玉器を象る。一種の玉器を意味する漢語{璋 /*taŋ/}を表す字。のち仮借して「くぎり」を意味する漢語{章
/*taŋ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%A0)、
象形。入れ墨用の大きな針に墨だまりがついている形にかたどる。「あや」「しるし」の意を表す。借りて、文章・楽節などの区切りの意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「墨だまりのついた大きな入れ墨用の針」の象形から、「美しい模様(彩-あや)・しるし」を意味する「章」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji508.html)、
象形。入墨の器である辛(しん 針)の針先の部分に、墨だまりを示す肥点を加えた形。これによって入墨を行う。その文身の文彩あるものを文章といい、その美しさを彣彰(ぶんしよう)という。〔説文〕三上に「樂の竟(をは)るを一章と爲す。音と十とに從ふ。十は數の終りなり」とし、楽章の意とするが、音とは関係のない字形である。入墨の美を章といい、その賦彩を示す彡(さん)を加えて彰となる。入墨は刑罰の他にも、通過儀礼として、社会生活上の身分的なしるしとして多く用いられた。それで章明・喪章の意より、章程・憲章をいい、また詩文の章節・楽章の意となる。文が文身の意より文雅・文章の意となったように、章も入墨の意から諸義が展開する。その展開の過程は、両者に似たところがある(字通)
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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うたて異(け)に心いぶせし事計(ことはか)りよくせ我(わ)が背子逢へる時だに(万葉集)
の、
うたて、
は、
妙なことに、
と訳し、
いつはなも恋ひずありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁しも(万葉集)、
では、
うたて、
は、
どういうわけだか、
と訳し、
三日月のさやにも見えず雲隠(くもがく)り見まくも欲(ほ)しきうたてこのころ(万葉集)、
では、
うたて、
を、
何だか不思議に、
と訳すが、ここでは、
うたて異に、
は、
妙なことに常とは違って、
の意で、
うたて異(け)に心いぶせし、
は、
今夜(こよい)はいつもと違ってやたらとうっとおしい気分です、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
事計(ことはか)り、
は、
気分を楽しくさせる算段、
の意で、
事計(ことはか)りよくせ、
は、
はればれするようにもっと工夫してください、
と訳す(仝上)、
いぶせし、
については触れた。似た言い方の、
心ぐし、
も触れたことがある。
事計り、
は、
外(よそ)に居(ゐ)て恋ふれば苦しわぎもこを継(つぎ)て相見(あひみ)む事計(ことはかり)せよ(万葉集)、
で、
工夫してください、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、
事をとりさばくはからい(岩波古語辞典)、
の意で、
事の運び、はかりごと、計画、段取り、
の意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
うたて異に、
は、
なにやらいよいよ、
なぜかことさら、
の意とあり(精選版日本国語大辞典)、
秋といへば心そ痛き宇多弖家爾(ウタテケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(万葉集)、
では、
ただならず、いつもとちがって、
の意で、
自分でも不思議なほど奇妙に、
と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うたて異に、
の、
異に、
は、
名詞の異(け)に、辞(テニハ)のニの添ひたる語、
とするものもある(大言海)が、形容動詞、
「け(異)なり」の連用形、
で、副詞的に用いる(学研全訳古語辞典)とあり、
異なり、
は、
殊なり、
とも当て(岩波古語辞典)、
なら/なり・に/なり/なる/なれ/なれ、
の、形容動詞ナリ活用で、
其の烟気(けぶり)、遠く薫(かを)る。則ち異(ケ)なりとして献る(日本書紀)、
妹が手を取石(とろし)の池の波の間(ま)ゆ鳥が音(ね)異(け)に鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、
と、
普通、一般とは違っているさま、
他のものとは異なっているさま、
といって、
(普通とは)違っている、
変わっている、
意や、上掲の、
秋と言へば心そ痛きうたて家爾(ケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(万葉集)、
と、
ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま、
きわだっているさま、
を言い、多く、連用形、
けに、
の形で、
特に(すぐれている)、
一段と(まさっている)、
とりわけ、
などの意で用いられる(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。上掲した、
うたて異(け)に心いぶせし事計(ことはか)りよくせ我(わ)が背子逢へる時だに、
では、
うたて異に、
の、
ただならず、
いつもと違って、
の意を
自分でも不思議なほど奇妙 に、
と訳していた(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うたて、
は、
転、
とあて、
ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま。それに対していやだと思いながら、諦めて眺めている意を含む(広辞苑)、
原型は「うたた」で、「いよいよ、ますます」の意の副詞だが、その用法は悪い意味に偏り、良い方向の例は極めてまれである。(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
ウタタの転。平安時代には多くは「うたてあり」の形で使われ、事態のひどい進行を諦めの気持で眺めている意(岩波古語辞典)、
と、
うたた→うたて、
への転訛とするが、『大言海』のみ、
うたて、
を、
轉(うつ)りての略転、うつつね、うたたね(仮寝)。うつかた、うたかた(泡沫)。あつまりて、あつまて。きりて、きて。
とし、
うたた、
を、
うたての轉、あわて、あわただし、
と、
うたて→うたた、
としている。
うたた、
は、
轉、
漸、
とあて(岩波古語辞典)、
ウタウタの約。ウタは、ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま。「うたたあり」の形でも使い、のちに「うたて」と転じる。(岩波古語辞典)、
「うたた」の「うた」は轉と当て、ウタタ(轉)・ウタガヒ(疑)・ウタ(歌)のウタと同根、無性に(古事記「この御酒(みき)の御酒のあやにうた楽し、ささ」)、の意味である(仝上)。
何となく、むしょうにの意のウタの畳語(時代別国語大辞典−上代編)、
うたての轉、あわて、あわただし(大言海)、
ウタ(自分の気持をまっすぐに表現する)のくりかえし、ウタウタの約。物事に感じる心情がはなはだしく進む様子の意(日本語源広辞典)、
平安初期、「転」「転々」をウタタ・ウタウタと訓じるが、「観智院本名義抄」などは「転」をイヨイヨとも訓んでいる。語形に関して、「いかが」「いとど」「しとど」と同じく、「うた」(『古事記』の歌謡にある「うただの(楽)し」の「うた」)の末音が疊加されたものとする説があるが、ウタウタ訓の存在を考えると疑問。事態がどんどん進むさまを表わすが、多くは、そのことに否定的、批判的な気持を伴う(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
ウツラ(移)ウツラの約(名語記・国語溯原=大矢徹)、
ウツリ・ウツシ(語幹)ウツから転じたウタの畳語。移の義から転々の意を生じた(名語記・日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健)、
ウはウキ(憂)・ウレシ(嬉)のウ、タタは、疊の意(雅言考)、
等々諸説あるが、
其の後は徒衆転(ウタタ)多ければ得法転少きと言へり(「雑談集(1305)」)、
うたた同情の念に堪えない、
などと、
(事態が甚だしくてどうにもできず)不愉快なさま(岩波古語辞典)、
ある状態がずんずん進行して一層はなはだしくなるさま、いよいよ、ますます(広辞苑)、
ある状態が、どんどん進行してはなはだしくなるさま。いよいよ。ますます。転じて、そうした状態の変化を前にして心が深く感じ入るさまにいう(デジタル大辞泉)、
状態がどんどん進行していっそうはなはだしくなる意を表わす。いよいよ。ますます。なおいっそう(精選版日本国語大辞典)、
等々、おおよそ、
事態が自分の意に染まず、進んでいく、
といった含意になる。また、多く、
うたたあり、
の形で、
花とみて折らんとすれど女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ(古今和歌集)、
例の人にてはあらじと、いとうたたあるまで世を恨み給ふめれば(源氏物語)、
と、
(事態がはなはだしく進んで)気に染まないこと(広辞苑)
(「うたてあり」の転か。多く、「うたたある」の形で)状態の異常さに心を動かす意を表わす。いやな気を起こさせるように。意外にも。ひどく。変に(精選版日本国語大辞典)、
(「うたたあり」の形で)不快な感じをもたらすさま。嫌な気を起こさせるように。ひどく(デジタル大辞泉)、
の意で使い、上掲の、
花とみて折らんとすれど女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ、
では、
何とも困った名前なのだった、
と訳しており(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、さらに、
ウタタゴコロ」(「日葡辞書(1603〜04))」、
うたた今昔の感に堪えない、
というように、
なんとなく心動くさま、
そぞろに、
の意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。こうみると、
うた(轉)、
で、
無性に、
の意味で使われていたことを思えば、
何となく、むしょうにの意のウタの畳語(時代別国語大辞典−上代編)、
ウタウタの約。ウタは、ウタ(歌)・ウタガヒ(疑)のウタと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。副詞としては事態がまっすぐに進み、度合いが甚だしいさま(岩波古語辞典)、
ウタ(自分の気持をまっすぐに表現する)のくりかえし、ウタウタの約(日本語源広辞典)、
という説が妥当なのではないか。また、
うたがふ、
と触れたが、
うたがふ、
の、
うた、
は、
ウタは、ウタ(歌)・ウタタ(轉)などと同根。自分の気持をまっすぐに表現する意。カフは「交ふ」の意。従ったウタガフは、事態に対して自分の思う所をまげずにさしはさむ意、
という説(岩波古語辞典)もあり、気持ちの表出という意味で重なるような気がする。だから、
うたた、
は、
自分ではどうにもならない事態の進行を、不安と、諦めと、しかし不快感を持って見守る、
という、ちょっと複雑な心象表現の言葉に思える。語源はともかくとして、その意味では、「転(轉)」の字が、
天運地轉(転は運(めぐ)り地は轉(うつ)る)、
と、
転がるように、次々と移っていく、
回り舞台のように付次々と変わる、
という意味(漢字源)で、「うたた」にこの字を当てた言外のニュアンスがよく伝わる気がする。その意味で、
うたたね、
に、
転寝
と、「転」をあてたのも意味があり、「うたた」のもつ、
(眠気が)どうにも止まらない諦め、
という含意があり、語源として、言葉の奥行を感じる。さて、その、
うたた、
の転が、
うたて、
である。その由来は、上述した、
ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま。それに対していやだと思いながら、諦めて眺めている意を含む(広辞苑)、
原型は「うたた」で、「いよいよ、ますます」の意の副詞だが、その用法は悪い意味に偏り、良い方向の例は極めてまれである。(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
ウタタの転。平安時代には多くは「うたてあり」の形で使われ、事態のひどい進行を諦めの気持で眺めている意(岩波古語辞典)、
のほか、
ウタタの転(言元梯・花鳥余情)、
とは見ず、
ウタタわずらわし、の後略で、はなはだしくわずらわしく思う意、関西方言に、ウタテイ、ウタテがあり、平安時代の古語以来広く使われている(日本語源広辞典)、
ウツ(轉)リテの略転(大言海)、
ウクタヘル(憂湛)の義(名言通・和訓栞)、
ウト(疎)の畳語ウトトの転(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウタはウタフ(歌)と同源で心の奥におのずから湧き起ってくるものの意か(源氏物語語義の研究=山崎良幸)、
等々もあるが、ちょっと無理筋の気がする。
うたた、
が、
状態の変わりゆきのはなはだしいことをいう、
のに対して、
うたて、
は、抽象度が増し、
程度や量の増大のはなはだしさ、
をいい、さらに、
不快な気分に傾いている点に相違がある(精選版日本国語大辞典)、
とあるように、上掲の、
いつはなも恋ひずありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁しも(万葉集)、
と、
度合いがとどめようもないさま(岩波古語辞典)、
物事の度合が異常に進んではなはだしい意(精選版日本国語大辞典)、
を表わし、
なぜか非常に、
ますますひどく、
いよいよただならず、
の意、
あはれてふことこそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ(古今和歌集)、
と、気持の負担となり、気に入らない意を表わし、
情けなく、つらく、いとわしく、いやなことに、
の意、
このあるじの、またあるじのよきを見るに、うたて思ほゆ(土佐日記)、
と、否定的な方向に進んだ異様な気持を表わし、
気味悪く、変に、ろくでもなく(精選版日本国語大辞典)
普通でなく、異様に(岩波古語辞典)、
の意、
うたてある主(ぬし)のみもとに仕うまつりて、すずろなる死(し)にをすべかめるかな(竹取物語)
と、こちらの気持にかまわずにどんどん進行していく事態に出会って
いたたまれないさま、なんともしょうがないさま、
の意(岩波古語辞典)、
うたて物云ふ王子(みこ)ぞ。故(かれ)慎み給ふべし(古事記)、
と、
笑止に、片腹痛く、
の意(大言海)、
鷺はいとみめも見苦し。まなこゐなどもうたてよろづになつかしからねど(枕草子)
と、
いやで気に染まないさま、なじめず不快に、
の意(岩波古語辞典)、
あれ程不覚なる者共を合戦の庭に指しつかはす事うたてありや、うたてありやと言って(平家物語)、
と、
嘆かわしく、なさけなく、
の意(仝上)の他に、
あなうたて、こはなぞ(源氏物語)、
あなうたて、さる心やは見えし(宇津保物語)、
あなうたてや。ゆゆしうも侍るかな(源氏物語)、
と、
あなうたて、
うたてやな、
などと、「あな〜」「〜やな」の形で軽く詠嘆的に(「や」は感動の助詞。下にさらに感動の助詞「な」を伴うこともある)、
いやなことよ、ああ情けないこと、忌まわしいことよ。
の意でも使う(岩波古語辞典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。また、
うたて、
は、
原形は副詞の「うたた」だが、古くから形容詞的な意味を含み、中古以来、「うたてあり」「うたてし」の形を派生した。「源氏物語」では、「ゆゆし」「心憂し」「恐ろし」などの語とともに用いられ、対象をうとましいものとして拒否・警戒する気持を表わす、
とあり、上述した、
うたてある主(ぬし)のみもとに仕うまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな(竹取物語)、
と、
うたてあり(転有り)、
は、
副詞「うたて」+ラ変動詞「あり」、
で、
ひどい、いやだ、嘆かわしい、困ったことである、よくない、情けない、
といった意で、
中古、和文系の文に頻用され、「(瘧病を)ししこらかしつる時はうたて侍を」〔源氏‐若紫〕など、「うたて侍り」の形をとることもある。しかし、中世、形容詞「うたてし」にその地位を譲って衰退、
とあり、それに遅れて、
うたてし、
は、
(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、
の、形容詞ク活用で、
「うたて」の形容詞化。中古、「うたてあり」にやや後れて発生。中世、シク活用が現われ、「平家物語」には両活用が混在し、「日葡辞書」も両形を併記するが、近世、江戸語では衰退した、
とあり(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
宮づかへにとて出し立てたれど……常に思なげくと聞き侍れば、いとうたてくなん(宇津保物語)、
と、
いやだ、情けない、ひどい、困った、
意や、
女ふしたるが、うたてくおぼゆれ、起くれば(落窪物語)、
と、
気に入らない、変だ、よくない、なげかわしい、
意や、
ミヤノゴウンノホドガ vtatei(ウタテイ)(「天草本平家(1592)」)、
と、
心が痛むさま、気の毒だ、気がかりだ、
の意、後には、
うたてひお年寄の分別顔(浮世草子「世間娘容気(1717)」)、
と、
気味が悪い、感じがよくない、異様だ、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。その、
形容詞「うたてし」の語幹を、述語に用い、
あなわびし、あなうたて(落窪物語)、
と、
情けない、なげかわしい、気に入らない、
意や、
ことしもあれ、うたての心ばへや、と笑まれながら(源氏物語)、
と、多く「の」を伴って連体修飾語に用い、
いやらしい、
といった意や、
それにはかくやはせんずる。うたてなりける心なしのしれ者かな(宇治拾遺物語)、
と、形容動詞ナリ活用で、
情けないさま、困ったさま、
の意で使う(精選版日本国語大辞典)。また、
形容詞「うたてし」の語幹に接尾語「がる」の付いた、
此は只には非ず、物に狂ふ也けり、と転(うたて)がりて穢(きたな)がりけり(今昔物語集)、
と、自動詞 ラ行四段活用の、
うたてがる、
があり、
いやがる、いとわしく思う気持を態度に表わす、敬遠の素振りを見せる、
意で使う。また、
うたて人、
という言い方もあり、
いやだと思う人。なんとなく、いやな感じを覚える人。いとわしい人、
の意で使う。かように、
うたて、
の意味の外延は広く、多く、文脈に依存して、意味の陰翳を変えていくのが厄介で、意味の限定がなかなかむつかしい気がする。で、冒頭の、
うたて異(け)に心いぶせし事計(ことはか)りよくせ我(わ)が背子逢へる時だに(万葉集)
秋といへば心そ痛き宇多弖家爾(ウタテケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(仝上)、
の、
うたて異(け)に、
は、
なにやらいよいよ、
なぜかことさら、
の意(精選版日本国語大辞典)だが、上掲の歌は、それぞれ、
ただならず、いつもと違って、
妙なことに、いつもと違って、
と訳していた(伊藤博訳注『新版万葉集』)。以上の次第で、
うたて、
は、上述したように、
ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま。それに対していやだと思いながら、諦めて眺めている意を含む(広辞苑)、
原型は「うたた」で、「いよいよ、ますます」の意の副詞だが、その用法は悪い意味に偏り、良い方向の例は極めてまれである。(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
ウタタの転。平安時代には多くは「うたてあり」の形で使われ、事態のひどい進行を諦めの気持で眺めている意(岩波古語辞典)、
と、
度合いがとどめようもないさま、ますます、いよいよ激しく、
普通でなく、異様に、
(こちらの気持にかまわずにどんどん進行していく事態に出会って)いたたまれないさま、なんともしょうがないさま、
いやで気に染まないさま、なじめず不快に、
嘆かわしく、なさけなく、
と、ある意味、意に染まぬ進行に、
不愉快、
いたたまれない、
嫌で気に染まない、
なげかわしい、
といった気持を言外に表し、その感情が、不快感から、嫌悪感、そして蔑み、へと意味が変わっていく感じである。
どんどん、
とか、
甚だしい、
という副詞的な背後にも、
どうにもならない、
という気持ちがある。「うたた」よりは、「うたて」の意味の外延の方が、広く大きい。このことからも、
うたた→うたて、
の転訛と思わせるのではないか。
「異」(イ)の異字体は、
㔴、异(簡体字)、潩、熼、霬、𠔱、𢄖、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)。字源は、「日に異(け)に」で触れたように、
会意文字。「おおきなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物をもつさま。同一ではなく、別にもう一つとの意(漢字源)、
とあるが、別に、
会意兼形声文字です(羽(秩j+異)。「鳥の両翼」の象形と「人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている」象形(「敬い助ける」の意味)から、「両翼・つばさ」を意味する「翼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1455.html)、
と、会意兼形声もじながら、「面」と解し、同趣しながら、他は、
象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)、
象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮(ふん)する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)。
象形。〔説文〕三上に「分つなり」と分異の意とし、字を畀(ひ)(与える)+廾(きよう)(両手)の会意とする。卜文・金文の字形によると、鬼頭のものが両手をあげている形。畏はその側身形。神異のものを示す(字通)、
と、象形文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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