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コトバ辞典
秋風の千江の浦廻(うらみ)の木屑(こつみ)なす心は寄りぬ後(のち)は知らねど(万葉集)
の、
木屑(こつみ)、
は、
木屑(こっぱ)、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
木屑(こつみ)なす心は寄りぬ、
を、
浦辺にに寄せてくる木っ端のように、私の心はすっかりあの人に寄ってしまった、
と訳す(仝上)。
こつみ、
は、
木積、
木屑、
とあて(学研全訳古語辞典)、
こづみ、
とも訓み、
海や川の岸などに流れ寄る木のくず、木くず
の意である(岩波古語辞典)。
コはキ(木)の古形、
とあり(岩波古語辞典)、
木(こ)の葉、
こずゑ(梢)、
このしたがくり、
このま、
このみ、
こがくれ、
こだかし、
こづたい、
こぬれ、
等々多く複合して用いられ、
き(木)の交替形で、イ列乙類の音がオ列に転ずる例の一つ、
とある(精選版日本国語大辞典)。で、
こつみ、
の由来は、
木の屑が積もったものの意(和訓栞)、
木屑の寄り積むものなりと云ふ、或は云ふ、木端(コツマ)の転と(傴僂(クヅミ)、くづま。隈處(クマド)、くみど)(大言海)、
とする。また、
鳴る瀬ろに木都(こツ)の寄すなすいとのきて愛(かな)しけ背ろに人さへ寄すも(万葉集)、
と、
こつ(木屑)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
木積、
を、
きづみ、
と訓ませると、
炭坑で、採炭した坑道の天井岩を支えるために材木を井桁(いげた)に積むこと。また、その井桁、
を言い、
こづみ、
とも訓ませ(ブリタニカ国際大百科事典)、井桁の中に廃石を詰めたものを実木積(みこづみ)、何も詰めないものを空木積(からこづみ)という。
きつもり、
と訓ませると、
工事に用いる木材の寸法や数量などを見積もること、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。また、
木屑、
を、
きくづ、
こくづ、
と訓めば、
材木を切ったり削ったりするときに出るくず、
の意である(デジタル大辞泉)。
「屑」(漢音セツ、呉音セチ)は、
会意兼形声。肖(ショウ)は、小と同系で、小さい意を含む。屑は「尸(からだ)+音符肖」で、人体の細かい部分を示す。転じて、小さい破片を意味する(漢字源)、
会意文字です(尸+肖)。「死んで手足を伸ばした人」の象形(「死体」の意味)と「小さな点の象形と肉の象形」(「背肉の中の幼く小さなもの」の意味)から、「肉体をこなごなにする」事を意味し、そこから、「細かい」、「くず」
を意味する「屑」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2424.html)、
形声。尸と、音符㞕(キツ)→(セツ)(肖は変わった形)とから成る(角川新字源)、
と、漢字の造字法についての解釈は異にするが、等しく、
尸+肖、
とする説は、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
「尸」+音符「䏌」と説明されているが、これは誤った分析である、
とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%91)、
「𬌍」の略体。「𬌍」中の「⿱兔月」が変化したもの。「佾」「屑」は元は一字分化で、古代楽舞の行列を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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霰(あられ)降り遠つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに(万葉集)
の、
上三句は序、同音で「よしも寄す」を起こす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
霰(あられ)降り、
は、
「遠つ」の枕詞、
とし、
霰の音を「とお」と聞いたか、
と解する(仝上)。
よしも寄すとも、
は、
よしたとえ、
の意で、
寄する波よしも寄すとも、
を、
うち寄せる波ではないが、よしたとえ、二人の仲を人が言い寄せたとしても、
と訳す(仝上)。
遠つ、
の、
ツ、
は、
連体助詞(古語大辞典)、
「つ」は「の」の意の格助詞(デジタル大辞泉)、
「つ」は「の」の意の古い格助詞(精選版日本国語大辞典)、
「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研全訳古語辞典)、
と、意見が分かれるが、都に近い琵琶湖を、
近(ちか)つ淡海/近江、
というのに対し、浜名湖、また浜名湖のある遠江(とほたふみ)を、
遠(とほ)つ淡海(あふみ)、
というように、
近つ、
と対して、
とほつ沖、
とほつ祖先(おや)、
と、
名詞の上に付いて、そのものが距離的に遠いこと、時間的に古いことを表わす。特に、地名などに冠せられる時は、その場所が「近つ…」と呼ばれる場所にくらべて、都からの距離が遠いことを示し(精選版日本国語大辞典)、
て、
関係がたどれなくなるほど隔たっている、遠い彼方にある、
遠くの、
の意である。
よしも、
は、
縦も、
とあて、
ヨシは許容・容認する意、モは係助詞(岩波古語辞典)、
副詞「よし」+間投助詞「も」から(デジタル大辞泉)、
副詞「よし」に助詞「も」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
たとい、
かりに、
の意で、
よしゑやし、
で触れた、
よし(縦)や、
も同義で(岩波古語辞典)、
ヨシは許容・容認する意。ヤは間投助詞(岩波古語辞典)、
副詞「よし」に助詞「や」の付いてできたもの(精選版日本国語大辞典)、
「や」は間投助詞(広辞苑)
縦(よし)に感動詞のヤを添えたるもの(是非もなしの意)(大言海)、
副詞「よし」+間投助詞「や」から(デジタル大辞泉)、
とあり、
よしゑやし、
と似た用法で、
流れては妹背(いもせ)の山の中に落(お)つる吉野の川のよしや世の中(古今和歌集)、
と、
不満足ではあるが、やむをえないと考えて、放任・許容するさま、
の意で、
まあいい、
(どうなろうとも)ままよ、
仕方がない、
の意の他に、
吉野川よしや人こそつらからめはやく言ひてし言(こと)は忘れじ(古今和歌集)、
と、
逆接の仮定条件を表わす語、
として、
もし、
かりに、
たとい、
万一、
よしんば、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、前掲の、
よしや人こそつらからめ、
を、
たとえあの人がつれなくても、まあ仕方ないけれど、
と訳しており(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
よしんば→(どうなろうとも)ままよ、→仕方がない、
と、
よしゑやし、
と、意味はほぼ重なってしまっているように見える。
よしも、
よしや、
よしゑやし、
の、
よし、
は、
縦し、
とあて、
形容詞「よし」から。「可(よ)し」と仮に許す意(精選版日本国語大辞典)、
形容詞「よし」から。仮に宜(よ)しと許す意(広辞苑)、
形容詞「よし」から。「可(よ)し」と仮に許す意(デジタル大辞泉)、
可(よ)しと縦(ゆる)す意。心には叶はねど、せむ方も無ければとて、打任する意を云ふ語(大言海)、
形容詞ヨシ(宜)の転用、他人の判断や行動を許容・容認し、また、自分の決意・断念を表現する語。下に、逆接仮定条件を表す「とも」を伴うことが少なくない(岩波古語辞典)、
とあり、
人皆は萩を秋と云ふよし我(わ)れは尾花が末(うれ)を秋とは言はむ(万葉集)、
と、
満足ではないが、仕方がないとして放任・許容するさま(精選版日本国語大辞典)、
「よし」と仮に許可するの意(学研全訳古語辞典)、
で、
まあいい、
ままよ、
かまいはしない、
それはともかく、
さもあらばあれ、
よしんば、
といった意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉)で使い、上掲の歌は、
なに、かまうものか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ほか、
多く下に逆接の仮定条件を表わす語を伴って、
人はよし思ひ息(や)むとも玉葛(かづら)影に見えつつ忘らえぬかも(万葉集)、
と、
たとい(もし仮に、万が一)……でも(かまわない)、
の意で使い(仝上)、上掲の歌は、
人はたとえ悲しみを忘れようとも(それはかまわない)、私は忘れようにも忘れられない、
と訳す(仝上)。類聚名義抄(11〜12世紀)には、
縱、タトヒ・ホシイママニ・ハナツ・ミダル・ツク・ユルス・イトド・タタサマ・タタシサマ・カムツツミス・ユルナリ、
縱使、タトヒ、
字鏡(平安後期頃)に、
縱、モシ・オク・トサマ・ハナツ・タタサホル・ユルス・ツク・シタル・カムツツニス・ホシイママ・タトヒ・ユルウス・タタシ、
とある。なお、
よしも、
の、
も、
は、
かも……かも、
で触れたように、
疑問詞を承ける係助詞の一つ、
で(岩波古語辞典)、種々の語に付く(デジタル大辞泉)が、
「も」は、承ける語を不確実なものとして提示し、下にそれについての説明・叙述を導く役割をする。これも格に関係なく、主格にも目的格にも補格にも用いる。承ける語を不確実なものとして提示するばかりでなく、下文も、打消・推量・願望などの不確実な表現で終わるものが多い。「も」は承ける語を不確実なものとして扱うので、否定の形となる時には、全面的な否定になる。(中略)或ることを確実であると確信できない意味を表す「も」の用法から、「これもあれも」と不確実なものを二つ並べる気持ちを表し、「も」は並立の意味を表したり、類例を暗示したりするのにも用いられた、
とある(岩波古語辞典)。
も、
は、
体言・副詞・形容詞や助詞などを受ける。「は」と対比される語で、「は」が幾つかの中から一つを採り上げる(それ以外は退ける)語であるのに対して、「も」はそれを付け加える意を表す。格を表す語ではなく、主格・目的格・補格など種々の格に当たる部分につかわれる。「も」を受けて結ぶ活用語は、意味に応じて種々の活用形となるが、通常は終止形で結ぶ(広辞苑)、
「も」は、文を言い切る力が文末にかかっていって、文末の述語は終止形となる。このような働きがあるところから、「も」は係助詞とされる(「は」も同様である)。このときの結びは終止形で、普通の文の言い切りの形(終止形)と同じである。この点が、連体形結び・已然形結びになる他の係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」とは異なっている。また、係助詞「ぞ」「こそ」が付いた、「もぞ」「もこそ」は不安や懸念の意を表すことが多い。(学研全訳古語辞典)、
などとあり、承ける、
よし、
を、
不確実なものとして提示、
する機能を果たしている。
「縱」(慣用ジュウ、漢音ショウ、呉音シュ)は、「よしゑやし」で触れたように、
会意兼形声。从(ジュウ)は、Aの人のあとにBの人が従うさまを示す会意文字。それに止(足)と彳印を加えたのが從(従)の字。縱は「糸+音符從(ジュウ)」で、糸がつぎつぎと連なって、細長くのびること。たてに長く縦隊をつくるから、たての意となり、縦隊はどこまでものびるので、のびほうだいの意となる(漢字源)、
会意兼形声文字です(糸+従)。「より糸」の象形(「たて糸」の意味)と「十字路の左半分の象形と立ち止まる足の象形と横から見た人の象形」(人の後に人が従うさまから「したがう」の意味)から、たてに人が従う事を意味し、そこから、「たて」を意味する「縦」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji924.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「糸」+音符「從 /*TSONG/」。「ゆるめる」を意味する漢語{縱 /*tsongs/}を表す字。のち仮借して「たて」を意味する漢語{縱
/*tsong/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B8%B1)、
旧字は、形声。糸と、音符從(シヨウ)とから成る。ゆるめる意を表す。借りて、「たて」の意に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。声符は從(従)(じゆう)。從は二人相従う意。縦にならぶことをいう。〔説文〕十三上に「緩やかなり」というのは、縦糸をゆるやかに張る意であろう。また「一に曰く、舍(はな)つなり」と放縦の意とする(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
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沖つ波辺波(へなみ)の来寄(きよ)る左太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも(万葉集)
の、
上三句は序、「定」を起こす、
とあり、
さだ、
は、
盛りの時の意か、
として、
さだ過ぎて、
を、
あなたと会っているこのひと時がすぎてしまえば、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
さだ、
は、
時、
とあて、多く、
さだ過ぐ、
と使う(学研全訳古語辞典)が、冒頭の歌のように、
時、時期、機会、
の意の他に、
年はややさだ過ぎゆくに(更級日記)、
さだ過ぎたりとつきしろふもしらず、扇をとり、たはぶれごとのはしたなきも多かり(紫式部日記)、
と、
盛りの年齢、
若い盛んな年ごろ、
の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
さだ、
は、
シダ(時)の母音交替形、
とある(岩波古語辞典)。
しだ、
も、
時、
とあて、
篠原(しのはら)の弟姫の子をさ一夜(ひとゆ)も率寝(ゐね)てむ志太(シダ)や家にくださむ(肥前風土記)、
我(あ)が面(おも)の忘れむ之太(シダ)は国溢(はふ)り嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ(万葉集)、
と、
……の際、
……する時、
……の頃、
の意で、
万葉集の東歌(あずまうた)と肥前風土記のみにみられる語、
とあり(デジタル大辞泉)、
接尾語「しな」の古語(広辞苑)、
サダと同根、「行きしな」「帰りしな」などのシナの古語(岩波古語辞典)、
「あぜと言へかさ寝に逢はなくにま日暮(ひく)れて宵(よひ)なは來(こ)なに明けぬしだ來る」(万葉集)と詠まれているシダ(時。ころ)は、シが母音交替(ia)をとげて、サダ(時)になった。「沖つ波辺波(へなみ)の来寄(きよ)る左太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも」(万葉集)。〈かなしけシダ(恋しい時)〉〈明けぬシダ(夜の明けた時分)〉など、上代東国方言に多いシダ(時。頃。折)を用いて、今も高知方言では、〈行きシダ〉〈帰りシダ〉という。サダ(時)はその転音である。古語のシダは形を変えて各地の方言に残っている。シダ(時)は子音交替(dn)をとげてシナ(時)になった。福島・尾張・香川地方では、「行きシナに。いきシに」「帰りシナに。帰りシに」という。シナ(時)はさらに子音交替(nm)をとげて、シマ(時)になった。福島県伊達郡・静岡・愛知・岐阜・福井県では「帰りシマに寄ってきた」といい、夕方・夕暮をバンゲシマ(晩方時)といい、静岡県田方郡ではバンシマ(晩時)という。母韻交替(ia)をとげてバンゲサマ(晩景時)というのは福島・静岡県志太郡・淡路島・岡山・鳥取県八頭群である。(日本語の語源)、
とある。
シダ⇔サダ→シナ→シマ、
と、転訛したことになる。
行きしな、の「しな」、
道すがら、の「すがら」、
通りすがり、の「すがり」、
通りがかり、の「かかり」、
行きがかり、の「かかり」、
行きがけ、の「がけ」、
を比較した、
しな・すがり・すがら、
で触れたように、
しな、
は、接尾語であり、動詞の連用形に添えて(広辞苑・岩波古語辞典)、
行きしな、
帰りしな、
寝しな、
というように、
…するとき、
…するついで、
…しがけ、
などの意を表す(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。語源的には、
「しな」は、「しに(途中)」の音韻変化、
とする説もあるようだが、
シダ(時)の転(広辞苑・岩波古語辞典)、
シダ(時)は鼻音化してシナになり、「行きシナ・帰りシナ・起きシナ・寝シナ」(香川方言)という。大分県では子音交替(nm)をとげてシマ(時)になり、「行きシマ」という。各地の方言では、バンゲシマ・ヒグレシマという。関西では、四月から六月まで、タイ・サワラの大漁期をウオジマ(魚島)という。八十八夜前後に産卵のため大量に魚群が瀬戸内海に入り込むころをウヲシダ(魚時)といったのが、子音交替(dn)をとげてウオシナに、さらに子音交替(nm)をとげてウオシマ(魚島。春の季題)になった(日本語の語源)、
シダ(時)の転です。行きシ、行きシダ、行きシナ、があります。しかけ、途中の意です(日本語源広辞典)、
時の意を云ふ古語の、シダの転(むだ、空(ムナ)。いただき、いなたき。わだく、わなく)(大言海)、
とあり、
「しだ」の変化したものと説くものもあるが、古代の地方語と近世の語法と直ちに結びつけられるか疑問である、
との異論(精選版日本国語大辞典)は、古語が方言の中に残っている痕跡からみて、不思議ではない気がする。
上述したように、
さだ、
は、冒頭の歌のように、
さだ過ぐ、
という使い方をするが、
沖つ波辺波(へなみ)の来寄(きよ)る左太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも(万葉集)、
出でにける門の外をし知らぬ身は問ふべき程もさだすぎにけり(和泉式部集)、
では、
それに適した、またはつごうのよい時が過ぎる、
時機を失する、
意、
いとさだすぎ、ふるぶるしき人の、髪なども我にはあらねばにや、所々わななきちりぼひて大かた色ことなるころなれば(枕草子)、
では、
盛りの年齢をすぎる、
年老いる、
ふける、
また、
年寄りじみる、
意となる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・大言海)。
定、
とあて、
たしかに、
実に、
の意で使う、
さだ、
については触れた。
「時」(漢音シ、呉音ジ)の異字体は、
㫭、司(「司」の通字)、塒(「塒」の通字)、时(簡体字)旹、蒔(「蒔」の同字)、𣅱(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%82)。「時つ風」で触れたように、
会意兼形声。之(シ 止)は足の形を描いた象形文字。寺は「寸(手)+音符之(あし)」の会意文字で、手足をはたらかせて仕事をすること。時は「日+音符寺」で、日がしんこうすること。之(いく)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という(漢字源)、
会意兼形声文字です(止+日)。「立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線」(出発線から今にも一歩踏み出して「ゆく」の意味)と「太陽」の象形(「日」の意味)から「すすみゆく日、とき」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「止」は「寺」に変化して、「時」という漢字が成り立ちました(「寺」は「之」に通じ、「ゆく」の意味を表します)(https://okjiten.jp/kanji145.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%82)、
形声。「日」+音符「寺 /*TƏ/」。「とき」「時間」を意味する漢語{時 /*də/}を表す字(仝上)、
形声。日と、音符寺(シ)とから成る。日の移り変わり、季節、時期などの意を表す(角川新字源)、
形声。声符は寺(じ)。寺に、ある状態を持続する意があり、日景・時間に関しては時という。〔説文〕七上に「四時なり」と四季の意とする。〔書、尭典〕「敬(つつし)んで民に時を授く」は農時暦の意。古文の字形は中山王鼎にもみえ、之(し)と日とに従う。之にものを指示特定する意があり、〔書、舜典〕「百揆(き)時(こ)れ敍す」、〔詩、大雅、緜〕「曰(ここ)に止まり 曰に時(を)る」のような用法がある(字通)、
といずれも、形声文字とする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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白波の来寄する島の荒磯(ありそ)にもあらましものを恋ひつつあらずは(万葉集)
の、
荒磯、
は、
無情な物の代表、
と注記し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
荒磯ででもあったほうがまだましだ、
と訳す(仝上)。
あらまし、
は、
有らまし、
とあて(岩波古語辞典)、
「あり」に助動詞「まし」のついたものか(広辞苑)、
ラ変動詞「あり」の未然形+反実仮想の助動詞「まし」(学研全訳古語辞典)
で、
こうありたいと願う、
かねて思いもうける、
意で、
神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか來けむ君もあらなくに(万葉集)
で、
伊勢の國にいたほうがむしろよかったのに、
と訳(伊藤博訳注『新版万葉集』)すように、
あろう、
…であろうに、
…であればよいのに、
といった意味に使う(学研全訳古語辞典)。
あらまし、
の、
まし、
は、
(ませ)ましか|○|まし|まし|ましか|○、
と活用する助動詞だが、
動詞・助動詞の未然形を承け、奈良時代には未然形「ませ」、終止形「まし」、連体形「まし」しかなかったが、平安時代に入ると、已然形「ましか」が発達し、それが未然形に転用された、
とされ(岩波古語辞典)、已然形の「ましか」は、
我にこそ開かせ給(たま)はましか(宇津保物語)、
といった例があり(学研全訳古語辞典)、
未然形「ませ」「ましか」は「ば」を伴って、「ませば」「ましかば」の形で用いられるが、「ませ」は主に奈良時代に用いられ、平安時代以降は和歌以外には用いられなくなる。また、已然形「ましか」は、ほとんど係助詞「こそ」の結びとして用いられる(デジタル大辞泉)、
「ませ」は主に奈良時代に用いられ、平安時代以降は和歌以外には用いられなくなる。また、已然形「ましか」は、ほとんど係助詞「こそ」の結びとして用いられる(学研全訳古語辞典)、
未然形「ませ」は、中古以降次第に使われなくなる。已然形「ましか」は中古に発生したもので、已然形のほかに未然形にもこの形を認める説がある(精選版日本国語大辞典)、
などとある。
まし、
は、多く、
反実仮想の助動詞、
と言われる(岩波古語辞典)が、それは、
かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける(万葉集)
と、
こんなにも苦しく恋い焦がれなければならぬものと、前々からわかっていたら、あなたなぞ見知るべきではなかった、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、
現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立していたのだったら、これこれの事態(A)が起こったことであろうに」と想像する気持を表明するものである、
という意味になり(岩波古語辞典)、
(客観的に確定された事実があり、その事実が何であるか、何故であるかを推量する)「らし」が現実の動かし難い事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これは何故かと問うて推量するのに対し、「まし」は動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合起こるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである、
とあり(岩波古語辞典)、通説として、語源は、
助動詞「む」の形容詞的な派生とする(精選版日本国語大辞典)、
とあるように、
「行く」から「ゆかし」(見たい、聞きたいと思う意。原義はそちらに行きたい)、「うとむ」から「うとまし」、「睦(むつ)ぶ」から「むつまし」、「つつむ」から「つつまし」などの形容詞がつくられた造語法(yuku+asi→yukasi)と同一の方法によって、推量の「む」から転成した(mu+asi→masi)と思われる、
とある(岩波古語辞典)。その用例は、第一には、事実に反する事態、または事実と矛盾するような事態の想像を表わし(精選版日本国語大辞典)、実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べて(学研全訳古語辞典)、
一つ松人にありせば大刀(たち)佩け麻斯(マシ)を衣(きぬ)着せ麻斯(マシ)を一つ松あせを(古事記)、
草枕旅行く君と知らませば岸の埴生(はにふ)ににほはさましを(万葉集)、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(伊勢物語)、
あらかじめ君來まさむと知らませば門(かど)にやどにも玉敷かましを(万葉集)、
昼ならましかば、のぞき見たてまつりてまし(源氏物語)、
などと、仮定の条件句を作り、または仮定条件句と呼応して、現実でない事態を想像し、
(実際にそうではないけれど)もし…であったら、…であろう、…であっただろう、…であるだろう、
の意で(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
ませば…まし、
ましかば…まし、
せば…まし、
などの類型が多い。逆接の仮定条件の句をうけた「…とも…まし」の呼応の例も中古には見える(精選版日本国語大辞典)。また、第二に、
仮定条件句を伴わないで、
見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむのちぞ咲かまし(古今和歌集)、
思ひけむ人をぞともに思はましまさしやむくひなかりけりやは(仝上)、
ひとりのみ眺むるよりは女郎花(をみなへし)我が住む宿に植ゑて見ましを(仝上)、〈
と、
現実にない事態を想像し、それが現実でないことを惜しむ意(精選版日本国語大辞典)、
事実とは反対の状態を想像して希望する(デジタル大辞泉)、
実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意(学研全訳古語辞典)、
を表わして、悔恨や希望の意の、
もし…であればよいのに、…であったならばよかったのに、…ならよかったのに、
…したらよかったのに、…すればよいのに、
の意で使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉・広辞苑)。
この木なからましかばと覚えしか(徒然草)、
のように、反実仮想の表現形式反実仮想を表す形式で、条件の部分、あるいは結論の部分が省略される場合、
前者が省略されていたなら、上に「できるなら」を、後者が省略されていたなら、「よいのになあ」を補って訳す、
とある(学研全訳古語辞典)。第三に、
十月(かむなづき)雨(あま)間(ま)も置かずふりにせばいづれの里の宿か借らまし(万葉集)、
あな恋し行きてや見まし津の国の今もありてふ浦の初島(後撰和歌集)、
と、
疑問の助詞「か」あるいは「や」を共に用いて「……か……まし」となった場合、及び「……ましや」と用いた場合、迷い・ためらいの気持ちを表す(岩波古語辞典)、
上に疑問語を伴って、疑いためらう気持ちを含む意志を表す(デジタル大辞泉)、
(疑問の助詞や疑問語と呼応して)その実現の不確かさを嘆き、また実行を思い迷う意を表わす(精選版日本国語大辞典)、
多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う(学研全訳古語辞典)
場合、
…しようかしら、…したものだろうか。
…すればよいだろう(か)、…したものだろう(か)、
…しようかしら、
と、ためらい・不安の念の意となる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。第四に、
行(ゆ)き暮れて木(こ)の下かげを宿とせば花や今宵(こよひ)のあるじならまし(平家物語)
と、主として中世以降、擬古文などで、「む」とほぼ同じ推量や意志を表わすことになる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。中古においては、和文文学作品の会話・心話に多く用いられた。漢文訓読にも用いられるが、さほど多くない。中世以降は、擬古文に用いられ、口頭語の世界からは姿を消すことになる(精選版日本国語大辞典)。
なお、
思ひつつぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを(古今和歌集)、
と、
打消の助動詞「ず」の補助活用の未然形「ざら」に、推量の助動詞「まし」、間投助詞「を」の付いた、
ざらましを、
は、仮定条件の結びに用いられ、現実の事態に反する推量を詠嘆的に表わし、
…しなかったであろうものを、
…なかっただろうになあ、
の意で使う(精選版日本国語大辞典)。
「有」(漢音ユウ、呉音ウ)は、「時しもあれ」で触れたように、
会意兼形声。又(ユウ)は、手で枠を構えたさま。有は「肉+音符又」で、わくを構えた手に肉をかかえこむさま。空間中に一定の形を画することから、事物が形をなしていることや、わくの中に抱え込むことを意味する(漢字源)、
会意形声。肉と、又(イウ ナは変わった形。すすめる)とから成り、ごちそうをすすめる意を表す。「侑」(イウ)の原字。転じて、又(イウ ある、もつ、また)の意に用いる(角川新字源)、
会意兼形声文字です(月(肉)+又)。「右手」の象形と「肉」の象形から肉を「もつ」、「ある」を意味する「有」という漢字が成り立ちました。甲骨文では「右手」だけでしたが、金文になり、「肉」がつきました(https://okjiten.jp/kanji545.html)、
とあり、「有」に「月(肉)」が加わった由来がわかる。しかし、これらの、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%89)、
形声。「肉」+音符「又 /*WƏ/」。「(肴や酒を)すすめる」を意味する漢語{侑 /*wəs/}を表す字。のち仮借して「ある」「もつ」を意味する漢語{有
/*wəʔ/}に用いる(仝上)、
と、形声文字としている。他に、
会意。又(ゆう)+肉。肉を持って、神に侑薦する意。〔説文〕七上に「宜しく有るべからざるなり」とし、「春秋傳に曰く、日月(月の字は衍文)之れを食する有り」の文を引いて、有とは異変のある意とし、字は「月に從ひ、又聲」とするが、月に従う字ではない。卜文には有無の字に又を用い、金文に有を用いる。〔玉篇〕に「不無なり、果なり、得なり、取なり、質なり、宷(しん)なり」の訓がある(字通)、
と、会意文字とするものもある。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
春過ぎて夏来(きた)るらし白栲の衣干(ほ)したり天の香久山(万葉集)
の、
白栲の、
は、
真っ白い、
の意、
栲、
は、
楮の樹皮で作った白い布、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
衣干したり、
を、
白い布を斎衣(さいい)と見たものか、
と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
白栲、
は、
しらたへ、
とも訓ませ、
白妙、
白細、
とも当てる(大言海)が、
妙、
細、
は、借字とある(仝上)。
しきたへ、
で触れたように、
栲(たへ)、
は、
𣑥、
とも当て、
たく、
ともいい(大言海)、
楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、
梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、
殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、
古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、
等々とあり、
コウゾの古名(デジタル大辞泉)、
「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、
ともあるのは、
カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
純白で光沢がある、
ため(仝上)、
色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる、
とあり(大言海)、
白栲(しろたへ)、
和栲(にぎたへ)、
栲(たへ)の袴、
栲衾(たくぶすま)、
などという(仝上・字源)。
栲、
は、
上代において、衣料の素材として用いられていたため、「白栲」は、「万葉集」では、
衣服に関する語の枕詞として多用される。実生活に即した語ではあるが、一方で「白妙」という美称的表記も用いられ、歌語としての萌芽が認められる、
とある(精選版日本国語大辞典)。時代が下ると、
「栲」が生活に用いられることはなくなり、それに伴って「白栲」は観念的なものとなっていき、歌語としては白色のみが強く意識され、白の象徴としての枕詞になっていく、
とある(仝上)。
らし、
は、
〇・〇・らし・らし・らし・〇、
と活用し、
ラ変動詞・形容詞(カリ活用)・形容動詞およびラ変型の活用をする助動詞には連体形、右以外の動詞・助動詞には終止形に付く(精選版日本国語大辞典)、
連体形「らしき」は、奈良時代にわずかに例がある(広辞苑)、
連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた(デジタル大辞泉)、
ラ変型活用の語は連体形を承ける(「あり」「居り(をり)」「侍り(はべり)」「いまそかり」という「ラ変型」、つまり、ラ行変格活用をする語の活用語尾は、「ら/り/り/る/れ/れ」なので、「る」の形になる)。上代では、上一段活用の動詞は、「らむ」と同様、連用形を承ける(岩波古語辞典)、
上代の連体形には「らしき」があったが、係助詞「か」「こそ」の結びのみで、しかも用例は少ない。係助詞「こそ」の結びの場合、上代では、形容詞型活用の語の結びはすべて連体形であるので、これも連体形とされる(学研全訳古語辞典)、
などとある、
推量の助動詞、
である。上代の「らし」の古い活用は、終止形「らし」連体形「らしき」であるが、
やすみしし我が大君し夕されば見(め)したまふらし明け来(く)れば問ひたまふらし神岳(かみをか)の山の黄葉(もみぢ)を(万葉集)、
と、
連体形に「らし」のままの形もあり、
香久山は畝傍(うねび)を惜しと耳成(みみなし)と相争ひき神代(かみよ)よりかくにあるらし古(いにしへ)もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき(万葉集)、
と、
係助詞「こそ」の係結びに「らしき」を用いた例もある(岩波古語辞典)。これは、
「らし」がシク活用の形容詞と同型の活用をする結果で、シク活用の形容詞は、「うまし国」「遠々(とほどほ)し越の國」のように、体言にかかる場合に、終止形そのままを用いる場合がある。それと同様に「らし」がそのまま連体形として使われた。また、「こそ」の係りに連体形「らしき」で結んだ例があるのは、形容詞已然形の発達が遅かった結果で、連体形がそのまま後世の已然形の位置にあり、「鮎こそば島べも良(よ)き」などと同様の例である、
とある(仝上)。また、
ラ変型活用の語の連体形に付く場合、活用語尾の「る」が省略されて、「あらし」「けらし」「ならし」などの形になる傾向が強い(仝上)、
とあり、ために、語源として、
「あり」を形容詞化した「あらし」とする説、「あるらし」「けるらし」「なるらし」の縮約形とする説(精選版日本国語大辞典)、
「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説(デジタル大辞泉)、
「らむ」と「かし」との合か、此の語語尾の変化なし(大言海)
などがあるとされるが、はっきりしない。ただ、音韻変化から、
(反実仮想の助動詞「まし」は)発音運動の衰弱化にともない、脣音の「ま」は子音交替(mn)をとげて舌音の「な」にかわったため、「まし」は「なし」に転音した。しかし「無し」と一致するためその助動詞化は実現せず、「な」が弱化の子音交替(nr)をとげて「らし」に転音した。接続は「べし」と同じ(終止形接続)。「ひさかたの天の香具山この夕(ゆふへ)霞たなびく春立つらしも」(春が来るに違いない)(万葉集)。香具山にたなびく夕霞という確実な根拠にもとづいて「春立つらしも」と確信のある推量をしたものである、
と、
まし→なし→らし、
と転訛したとする説(日本語の語源)もある。なお、「まし」については、
あらまし、
で触れた。
らし、
は、
客観的に確定された事実があり、その事実が何であるか、何故であるかを推量するものである。たとえば、(冒頭の歌のように)白妙の衣が乾してあるという客観的事実を見て、これは何であるかと心の中で問い、「これは春が過ぎて夏が来たとということらしい」と推測する。また、(「玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に來鳴かずあるらし」では)このわが里に、ほととぎすが来て鳴かないという事実の理由を、「花橘が少ないと思ってであるらしい」と原因を推量する。「らし」は、平安時代には「らむ」と「めり」に圧されて和歌以外の女流文学では例が少ない。鎌倉・室町時代には一般に用いられず、「らしい」の形で、接尾語として「男らしい」「まことらしい」などと使われた。現代に用いる「らしい」は、江戸時代以後、新たに発達したものである(岩波古語辞典)、
奈良時代に用いられ、散文では例は少なく、もっぱら美文調の中に見られる。平安時代には古語化した。室町時代に使われ始めた接尾語「らしい」は、現代語「らしい」に続いている。江戸時代になって再び助動詞として用いられ、動詞・助動詞の終止形(ラ変は連体形)に付き、現在の状態について確実性のある推定を示す。疑問の語とともに用いられることはなく、根拠・理由の表現を伴うことが多い(広辞苑)、
確定的な事実に対する推量を表わすが、思いをめぐらして想像するといったものではなく、事実に対する志向作用を表わす。そこで「らし」の表わす推量を特に「推定」と呼ぶことが多い。上代では、確定的な事実に対する推量であるが、「疑」字を「らし」と読む場合もある。中古には、疑問表現を受ける例も現われ、確定的な事実ばかりでなく、未定の事実も対象とするようになった。中古半ばには、すでに古語(歌語)であり、現代語の助動詞「らしい」は、近世以後成立した別語である。しかし、意味の上ではかなり近い(精選版日本国語大辞典)、
「らし」が用いられるときには、常に、推定の根拠が示されるので、その根拠を的確にとらえることである(学研全訳古語辞典)、
奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた(デジタル大辞泉)、
と、こんにちの、
らしい、
との直接的なつながりは微妙なようである。
らし、
の用例については、
けらまし、
でも触れたが、
根拠を示し、現実の状況を推定する意を表わす場合、
は、
推定、
の意で、冒頭の歌もそうだが、
浅茅原小谷を過ぎて百(もも)伝ふ鐸(ぬて)ゆらくも置目(おきめ)来(く)良斯(ラシ)も(古事記)、
と、根拠と事実とを二文または条件句などを用いて示したり、
縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島こぎみる舟は釣しす良下(ラしも)(万葉集)、
と、根拠と事実とを係助詞「は」などを介して一文で表わし、
…らしい、
きっと…しているだろう、
…にちがいない、
といった意(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)、また、
原因・理由の推定、
の意で、
汝(な)が御子や遂に知らむ雁は卵産(こむ)良斯(ラシ)(古事記)、
と、
確定的な事実の原因・理由を推定する意を表わし、
(…であるのは)…であるかららしい、
(…しているのは)きっと…というわけだろう、
(…ということで)…らしい、
といった意(仝上)、さらに、
古(いにしへ)の七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしある良師(ラシ)(万葉集)、
原因や根拠などにかかわらず、ある事柄について推定する意を表わし、
……であったらしい、
の意で使う(精選版日本国語大辞典)。ただ、平安時代に古語化して以降は、
らし、
は、
家々の言の葉、浦々の藻塩草かきあつめたてまつるべきみことのりをもうけたまはれるならし(千載和歌集・序)、
ほのぼのと春こそ空にきにけらし天の香具山かすみたなびく(新古今和歌集)、
と、
表現に荘重・優美な感じをもたらすために添える働き、
で使われた(広辞苑)。なお、今日の、
らしい、
は、
近世になって、古語の「らし」と、活用があって形容詞を作る接尾語「らしい」との類推から生まれたといわれる。連用形は、「ございます」「存じます」に続くときに「らしゅう」となる。仮定形として「らしけれ」が考えられるが、代わりに「ようなら」を使うことが多い。なお、近世以降、同源の文語形推量の助動詞としての「らし」も用いられた。「このころとられたらしき中間が封じ文出して」(好色盛衰記)。また、「名探偵らしい推理だ」という使い方は、接尾語(「男らしい」「ばからしい」)との区別のつかない場合もある(デジタル大辞泉)、
中世後期に成立した接尾語「らしい」が近世以降に助動詞化したもの。成立については、上代から中古にかけて用いられた推量の助動詞「らし」と結び付ける説もある。しかし、「らし」は中古中期以降、口頭語では用いられず、古語として意識されていたことなどから疑問(精選版日本国語大辞典)、
とあり、中世に登場した、接尾語、
らしい、
は、
形容詞をつくる。平安時代まで行われた推量の助動詞「らし」の転。鎌倉時代頃からわずかながら接尾辞として用いられるようになり、室町時代以後広く使われた(広辞苑)、
形容詞シク活型活用(しく・しく・し・しき・しけれ・○)、
で、
女さへ見ればびろびろと性のわるい、ちと嗜(たしな)ましゃれ)半之丞聞き「はて仔細らしい」(歌舞伎・万歳丸)、
あほうらしい、男らしい、にくらしい、
などと、
形容詞や形容動詞の語幹、名詞などに付いて、形容詞をつくる。近代では「わざとらしい」などのように副詞に付くこともある、
いかにも…の様子である、…にふさわしい、…と感じられる、
…としての資質を十分に備えている、…と呼ぶにふさわしい、
などの意を表わし、これが転じて、こんにちの、
らしい
は、形容詞口語形活用で、
ばからしい、
人間らしい、
など、
いかにもそのようである、
…という気持ちを起こさせる、…と感じられる、
意を表す(広辞苑・デジタル大辞泉)。また、助動詞の、
らしい、
は、口語形が、
〇・らしかっ、(らしゅう)、らしく・らしい・らしい・らしけれ・〇、
の活用、文語形、
らし、
は、
らしから・らしかり、らしく・らし・らしかる、らしき・〇・〇、
の活用となるが(精選版日本国語大辞典)、
仮定形「らしけれ」はほとんど用いられず、仮定表現には「らしかったら」「らしいなら」の形が用いられる。ただし、接尾語「らしい」では「男らしければ」のように「らしけれ」も用いられる、
とある(仝上)。で、
動詞・形容詞・助動詞「れる」「られる」「せる」「させる」「ない」「たい」「た」「ぬ(ん)」の終止形、体言、形容動詞の語幹、一部の副詞などに付く(デジタル大辞泉)
体言・形容動詞の語幹、また、動詞・形容詞の終止形に付く。推量の助動詞。客観的な根拠に基づいた推量を表わす。伝聞による事実などが根拠になることもあり、また、根拠ある推量表現が婉曲な断定として用いられることもある(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
知行から、此比とられたらしき中間が封じ文出して(浮世草子・好色盛衰記)、
定めし美麗婦人(すごいしろもの)らしいよ(西洋道中膝栗毛)、
などと、
…と判断される様子である、…と思われる、
意で使うが、この現代語、
らしい、
は、
古典語「らし」とは違って「明日雨が降るらしい」のように未定の事実を対象とする推量にも用いられる。ただし、その場合でも「空模様があやしい」といった現在の事実を手がかりにする意味合いが強い、
とある(精選版日本国語大辞典)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
風をいたみいたぶる波の間(あひだ)なく我(あ)が思ふ君は相(あひ)思ふらむか(万葉集)
の、
上二句は序、「間なく」を起こす、
とあり、
いたぶる波、
は、
激しく揺れる波、
とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いたぶる、
は、
甚振る、
とあて、
「いたく(甚)+振る」の変化です。激しく揺さぶる。転じて、脅して金銭を取るいです。ユスルと同じ意味に使います(日本語源広辞典)、
「いた」は形容詞「いたい」の語幹から(精選版日本国語大辞典)、
とある。
いたぶる、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用は、冒頭の、
風をいたみいたぶる波の間(あひだ)なく我(あ)が思ふ君は相思ふらむか(万葉集)、
のように、
激しく揺れ動く、
意、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、他動詞ラ行四段活用は、比較的新しく、
いたぶりて寝る鴨起せ春の海(俳諧「発句類聚(1807)」)、
と、
激しく揺り動かす、
意から、それをメタファに、
伯父御(をぢご)でもいたぶらねえきゃあ、出所(でどころ)がねへはな(浮世風呂)、
と、
脅迫して金品をせびる、ゆすり取る、
意や、
辨天島の綺麗な後家神に、いたぶられたらう、ぐずぐずしよると生命がないぞ(田中貢太郎「黒雨集(1923)」)、
と、
いじめる、いやがらせをする、
という今日の意につながる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
いたぶる、
の、
いた、
は、
いたい、
いたみ、
いたも、
いたわる、
などで触れたように、
イタイ(程度が甚だしい)(日本語源広辞典)、
が語源とし、激しい程度の意を先とする。同じく、
痛むと同根の、程度の甚だしさを意味するイタから派生した形容詞(日本語源大辞典)、
とし、必ずしも、痛みを指していたのではなく、
ひどい、
はげしい、
はなはだしい、
という状態全部を指していた状態表現から、「傷み」や「悼み」が分化してきた、ということになる。しかし、
いたわる、
で触れたように、『大言海』は、
いたむ(痛む)、
いたむ(傷む)、
いたむ(傷む)、
の三項にわけて載せる。原点は、
いたむ(痛む)、
であり、
いたい、
で触れたことと重なり、
至(いた)るの語根(いた)を活用せしむ(強〔つよ〕る、つよむ)。切に肉身に感ずるなり、
とあるが、この、
いた、
は、
ヒタ(直)の語頭子音hが脱落したもの(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
とする説はあるが、
極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形(岩波古語辞典)、
イタル(到)・イタス(致)・イタム(痛)などの語根。物のイタリ(至)きわまったさまをいう(日本語源=賀茂百樹)
とあり、
「至る」の語根(大言海)、
とはその意味である。
いたい、
の体の痛覚である、
いたむ(傷む)、
は、転じて、
心切に思い悩むなり。爾雅、釋訓「傷、憂思也」、
と(大言海)、心の痛みに転化していく。最後の、
いたむ(傷む)、
は、他動詞として、他者を、対象を痛める。壊す意となる。
さらに、「いた」を形容詞した、
いたし、
も、『大言海』は、
いたし(痛)、
いたし(痛切甚)、
いたし(傷)、
の三項立て、
いたし(痛)、
は、
至るの語根を活用せしむ(涼む、すずし。憎む、にくし)。切に肉身に感ずる意、
であり、「いた(痛)む」と同様に、痛覚が出自である。それが、転じて、
いたし(痛切甚)、
は、
事情の甚だしきなり。字彙補「痛、甚也、漢書、食貨志、市物痛騰躍」(痛快、痛飲)、
となり、最後の、
いたし(傷)、
は、身体の痛覚が転じて、
切に心に悩むなり。爾雅、釋訓「傷、憂思也」、
となる。しかし、上述したことと重なるが、
いたい、
で触れたように、
必ずしも、具体的な、「痛み」「傷み」を指していたのではなく、
ひどい、
はげしい、
はなはだしい、
という状態全部を指していた状態表現から、具体的な、「痛み」「傷み」や「悼み」が分化してきた、ということなのではないか。『岩波古語辞典』が、
極限まで行き着く、
意の、動詞、
いたす(致)、
の、
いた、
を、上述したように、
極限・頂点の意。イタシ(致)・イタリ(至)・イタダキ(頂)と同根。イト(甚・全)はこれの母音交替形、
としているが、この、
いた、
が、
いたし(甚)、
の、
いた、
とも重なるとみると、『大言海』の、
至(いた)るの語根(いた)を活用せしむ、
の、
いた、
とも重なり、
ひどい、
はげしい、
はなはだしい、
の、状態表現の、
頂点、
の意になるのではないか。なお、
いた、
は、
三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり(竹取物語)、
の、
程度がはなはだしいさま、
をいい、
非常に、
とても、
の意の副詞、
いと(最・甚)、
とは、
母音交替の関係で、語源的にもつながると思われる(日本語源大辞典)、
極限・頂点を意味するイタの母音交替形(岩波古語辞典)、
とあり、やはり、
イタハシ、イタシなどの語幹イタの転語で、イチ、イツと同根(俚言集覧・和訓栞)
としている。
「甚」(@漢音シン・呉音ジン、A唐音ソモ)の異体字は、
𠯕(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9A)。字源は、「いとどし」で触れたように、
会意文字。匹とは、ぺあをなしてくっつく意で、男女の性交を示す。甚は「甘(うまい物)+匹(色ごと)」で、食道楽や色ごとに深入りすること、
とある(漢字源)。なお、形容詞で「甚だしい」意の場合@の音、副詞で「なに」「どんな」の俗語ではAの音、となる(仝上)。同趣旨で、
会意。甘(楽しみ)と、匹(夫婦)とから成り、夫婦の楽しみ、ひいて「はなはだ」の意を表す(角川新字源)、
と、会意文字とするもの、
象形文字です。「かまどの上に水をいっぱいに入れた器を載せ、下で火をたく」象形から、「おきかまど」の意味を示しましたが、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「耽(たん)」に通じ(「耽」と同じ意味を持つようになって)、「はなはだしい(度を越えている・ひどい)」、「はなはだ(非常に・ひどく)」を意味する「甚」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1607.html)、
象形。竈(かまど)の上に烹炊の器をかけている形で、烹飪(ほうじん)の意。〔説文〕五上に「尤も安樂するなり。甘匹に從ふ。匹は耦なり」と甘匹の会意とし、男女相女+甚(たの)しむ意とする。女+甚の意を以て解するが、古文の字形は竈に鍋をかけた形。斗を以てこれをくむを斟酌(しんしやく)という。〔左伝〕にみえる裨ェ(ひじん)は、裨竈(ひそう)と同一人であるらしく、甚・竈対待の名字をもつ人であろう。煮すぎることを過甚という(字通)、
と、象形文字とするものとに分かれるが、以上の根拠となる、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、
「甘」+「匹」、
との説明は、
金文の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%9A)、
とし、字源は、
不詳、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
上へ
大船(おほふね)のたゆたふ海にいかり下(お)ろしいかにせばかも我(あ)が恋やまむ(万葉集)
の、
上三句は序、同音で「いかに」を起こす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いかにせばかも、
は、
いかにしたなら、(この苦しい思いは静まる)であろうか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
せば、
は、
一つ松人にあり勢婆(セバ)太刀佩(は)けましを衣(きぬ)着せましを一つ松あせを(古事記)、
と、
過去の助動詞「き」の未然形「せ」に接続助詞「ば」の付いたもので、現実に反する事態を仮定条件として表わす。多く推量の助動詞「まし」と呼応して用いられる、
と、
過去の助動詞「き」の未然形「せ」+接続助詞「ば」、
と見て、
もし…だったら、
もし…なら、
もし…たなら、
の意とみる説があるが、別に、冒頭の歌のように、
仮定条件が過去に限定されないところから「せ」をサ変動詞「す」の未然形、
として、
サ変の未然形「せ」+接続助詞「ば」、
と見る説あり、また、
「せば」を一語の助詞として取り扱う、
とする説もある(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉)。ただ、
せば、
は、主として上代・中古の和歌に用いられ、多くは、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(伊勢物語)、
というように、
なかりせば、
として、
形容詞「なし」の補助活用((く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、の)連用形に過去の助動詞「き」の未然形、接続助詞「ば」の連なったもの、
と、
下に反実仮想の助動詞「まし」をともない、事実と反する事柄や実現しそうもないことを仮定し、その上で推量する意、
を表し(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
もし、なかったとしたなら、
の意で使うが、中古以降は、
かかるべしと知りたりせば、なにしか身命を捨てけんと後悔すれどもかひぞなき(平家物語)、
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(古今和歌集)、
と、
ラ変型の語に付く場合が圧倒的に多く、「まし」と呼応して、反実仮想を表わすのが普通だが、中世にはいると、「む」などと呼応する例も現われる(精選版日本国語大辞典)とある。
せば、
の、
ば、
は、
活用語の未然形を承ける場合と、已然形を承ける場合との二種ある、
が、
未然形を承ける用法が先に発達したと思われる、
とあり(岩波古語辞典)、
妻ごもる屋上(やかみ)の(一には室上山といふ)山の雲間より渡らふ月の惜しけども隠(かく)らひ来れば天(あま)伝ふ入日(いりひ)さしぬれますらをと思へる我(わ)れも敷栲の衣の袖は通りて濡れぬ(万葉集)
とあるように、
用言の已然形は、古くは「ば」「ど」「ども」などを従えることなしに既定条件を示しうる形式だったからである、
とする(仝上)。
ば、
が、
命あらば逢ふこともあらむ我(わ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば(万葉集)
と、
未然形を承けて成立する条件句は、仮定の条件を示す、
が、これは、
「ば」が推定の助動詞「む」の連体形「む」と助詞「は」との結合「は」の融合(mu-fa→mfa→mba→(m)ba)に発するものだからだと思われる、
とし、
「ば」が已然形を承けて成立する条件句、
は、
山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏(とも)しくもあるか(万葉集)、
と、
既定条件を示し、「すでに……だから」という確定条件を示す場合、
と、それから転じて、
家なれば笥に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(万葉集)、
と、
「……ので」という恒常の条件を示す場合、
石走(いはばし)る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ(万葉集)、
と、
「いつも……する」あるいは「……すると」の意を表す場合、
等々がある(岩波古語辞典)。最後の用法は、
仮定の条件を示すのと大差がない、
ので、やがて多く使われるようになり、
已然形と「ば」とによる仮定条件を表す一般的な語法となり、未然形と「ば」とによる仮定条件表現は少なくなっていった(仝上)
とあり、次第に「已然形+ば」の形で順接の仮定条件を表すようになる。これが現代語の、
雨ならば行く、
の、「仮定形+ば」につながる、
とある(学研全訳古語辞典)。なお、
秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝(ね)ぬる朝明(あさけ)の風は手本(たもと)寒しも(万葉集)、
と、
「ば」が已然形を承けて逆接になる語法が奈良時代にあったが、これは、
「も……ば」の形をとるものが多い。「幾日もたっていないから」ではなく「幾日もたっていないのに」の意である。已然形という活用形は、本来、既定条件の順接でも逆接でも表しうる形であったが、「幾日も」というように、上にある「も」との呼応によって、「幾日もあらね」という形で、これだけで逆接の意を表し得たが、そこへ助詞「は」を添えて強調したのがはじめで、その「は」が濁音化したものと考える。
とあり(岩波古語辞典)、
卯の花もいまだ咲かねばほととぎす佐保の山辺(やまへ)に來(き)鳴き響(とよ)もす
と、
上に投入された「も」は後にははぶかれるものもあった(岩波古語辞典)。
ば、
の用例を、具体的に見ていくと、まず、
活用語の未然形に付く場合、上掲の、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(伊勢物語)、
名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(仝上)、
前妻(こなみ)が肴(な)乞(こ)はさ婆(バ)立柧棱(たちそば)の実の無けくを扱(こ)きしひゑね(古事記)、
と、未成立の事柄を成立したものと仮定する、順接の仮定条件を表わし、
……ならば、
……たら、
……なら、
の意、これが、口語なら、
暇ができれば行く、
雨天ならば中止する、
と、仮定形につく(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。次に、
活用語の已然形(口語では仮定形)に付く場合、
い行(ゆ)き目守(まも)らひ戦へ婆(バ)我(われ)はや飢(ゑ)ぬ(古事記)、
と、順接の確定条件、原因・理由を表わし、
……ので、
……から、
の意、
瓜食(は)め婆(バ)子ども思ほゆ栗食め婆(バ)まして偲(しの)はゆいづくより來(きた)りしものぞ(万葉集)、
と、恒常的な条件を表わし、
……と、
……時はいつも、
……と決まって、
の意、
秋萩の恋も尽きね者(ば)さを鹿の声い繼(つ)ぎい繼(つ)ぎ恋こそまされ(万葉集)、
と、(多くは打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」に付いて)逆接の確定条件のような意を表わし、
……のに、
の意。この、
ば、
については、
上代では打消の語に付き「ねば」の形で現われる。この用法は「…のに」と訳すと最もわかりやすいところから、一般に逆接条件を表わすとされるので一応そこにおさめたが、元来の表現としては、条件というよりむしろ単純な接続であり、「…(ない)で」「…と」などとほぼ同様の意として理解し得る(精選版日本国語大辞典)、
この已然形接続の「ば」は普通は順接の確定条件であるが、逆接の確定条件を示すかのように訳した方がよい場合もある。この場合は、多く、打消の助動詞「ず」の已然形「ね」に付いた「ねば」の形をとり、「…のに」「…にもかかわらず」などと訳す。「秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝ぬる朝けの風は袂(たもと)寒しも」(万葉集)〈秋になってまだ幾日もたっていないのに、この寝ているところに吹く夜明けの風は、袂に寒く感じられるよ〉(学研全訳古語辞典)、
などとある。さらに、
天の原ふりさけ見れ者(ば)白真弓(しらまゆみ)張りて懸けたり夜道(よみち)はよけむ(万葉集)、
と、事柄の継起的関係や、ある事態に気づく契機となった行動を示して、
……と、
……したところが、
の意等々と使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。中世以降になって、
ふるき都はあれゆけば、いまの都は繁昌す(平家物語)、
と、事柄の並列を表わし、
……し、
の意の使い方が現れる。なお、
形容詞の連用形や打消しの助動詞「ず」に付く係助詞「は」を接続助詞「ば」と解して仮定条件を表すこともあった、
とあるのについては、
打消しの助動詞の「ず」の下、または形容詞未然形の下には、従来「ば」が接続するとされてきているが、万葉集の例などでは、
我(わ)が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝とらずは行かじ(和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比
等良受波由可自)、
その花妻(はなづま)にさ百合花(ゆりばな)ゆりも逢わむと慰(なぐさ)むる心しなくは天離(あまざか)る鄙に(ひな)に一日(ひとひ)もあるべくもあれや(曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也)、
などと、すべて清音の「は」の万葉仮名(波)で書いてある。これによれば「は」は係助詞で、未然形に「ば」がついたとは見えず、連用形に「は」がついたと見る方がよい。こう考えると、形容詞未然形や「ず」の未然形は他に例がないから、この活用形はなかったことになる、
としている(岩波古語辞典)。直接関係ないが、
ば、
の濁音化には、
秋山の木の葉を見ては黄葉(もみぢ)を婆(バ)取りてぞしのふ青きを者(ば)置きてそ歎く(万葉集)、
と、
係助詞「は」が格助詞「を」の下に付いて連濁を起こした、
ものがある(精選版日本国語大辞典)。
せばかも、
の、多く、詠嘆の意で、
…かなあ、
…だなあ、
の意の、
かも、
については、
かも……かも、
で触れた。
なお、仮名、
せ、
の字源は、
「世」の草体(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%9B)、
は、
の字源、
は、
「波」の草体(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%AF)、
とある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(伊勢物語)、
は、古今和歌集には、在原業平の歌として載り、
なかりせば、
の、
せば、
は、
下の「まし」と呼応して反実仮想の構文になる、
とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、
世の中にまったく桜というものがなかったならば、
と訳す(仝上)。
なかりせば、
は、
「せ」は助動詞「き」の未然形(広辞苑)、
形容詞「なし」の連用形+過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」(デジタル大辞泉)、
形容詞「なし」の補助活用連用形に過去の助動詞「き」の未然形、接続助詞「ば」の連なったもの(精選版日本国語大辞典)、
形容詞「なし」の連用形+過去の助動詞「き」の未然形+接続助詞「ば」で、多く、仮定の条件を表し、「まし」で文章を結んで、「せば…まし」の形で反実仮想(事実と反対のことを想定すること。「もし〜だったら…だろうに」のような言い方)の表現となる(学研全訳古語辞典)、
等々とあり、
なかったなら、
(もし)なかったならば、
もし、なかったとしたなら、
などの意(広辞苑・学研全訳古語辞典)となる。なお、
せば、
は、
「せ」をサ変動詞「す」の未然形とする(学研全訳古語辞典)、
セは回想の助動詞キの未然形とも、サ変動詞シ(為)の未然形ともいう(岩波古語辞典)、
との説があることについては触れた。
なかりせば、
は、
漢文訓読体では、
微、
とあて、
微(なかりせば)管仲吾其被髪左衽矣(管仲微(なか)りせば、吾それ髪を被(こうむ)り衽(じん)を左にせん)、
と訓ます(貝塚茂樹訳注『論語』)が、これが、促音便を起こし、
ナカッセバ、
と訓み、それを、
吾が狄の土を獲たるは子が功なり、子、微(なか)せば、吾、伯氏(はくし)を喪(うしな)はまし(群書治要)、
と、
なかせば、
と表記することが多かった(岩波古語辞典・大言海)とある。
なかりせば、
の、助動詞、
き、
は、
けらし、
で触れたように、基本、
人言(ひとごと)を繁(しげ)みこちたみ逢はずありき心あるごとな思ひわが背子(万葉集)、
と、
「き」の承ける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は、
「……だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い、
とある(仝上)。しかし、自分の経験しえない、また目撃していない事柄についても、
音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領布(ひれ)振りきとふ君松浦山(きみまつらやま)(万葉集)、
と、
みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて、「……だったそうだ」の意を表現した、
とある(仝上)。だから、
き、
が、
回想の助動詞、
といわれる所以である。で、
き、
は、
話し手または書き手の過去の直接経験を回想的に表す(デジタル大辞泉)、
今から過去にあったことを思い起こす(回想する)意を表す。室町時代以降は「た」と同じ意味で用いた(広辞苑)、
表現で、
存在態の「あり」を含む「けり」に対して、「あり」を含まない「き」は、出来事が時間的に隔たって存在し、目の前にないことを表わす、
ともあり(精選版日本国語大辞典)、
……た、
……たなあ、
……だった、
といった意となる(デジタル大辞泉・広辞苑)。その活用は、第一に、
〇/〇/き/し/しか/〇、
とするもの(岩波古語辞典)、第二に、
せ/〇/き/し/しか/〇、
とするもの(広辞苑・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)、第三に、
(せ・け)/○/き/し/しか/○、
とするもの(デジタル大辞泉)があり、その付き方は、
活用語の連用形に付く。ただしカ変動詞には「こし」「こしか」「きし」「きしか」、サ変動詞には「せし」「せしか」「しき」のように付く(広辞苑)、
動詞・助動詞の活用語を承ける。「き・し・しか」という活用形だけをもつ。なお、「き」の未然形として、「せ」を認める説もあるが、これは動詞「す」の未然形とする見解もあって未だ決定的ではない。「き」がカ変・サ変の動詞に付く場合には、接続上特殊な変化があり、カ変は「こし」「こしか」「きし」「きしか」、サ変は「せし」「せしか」「しき」となる(岩波古語辞典)、
用言および助動詞の連用形に付く。ただし、カ変には「こ‐し、こ‐しか、き‐し、き‐しか」の両様の付き方があり、サ変には「せ‐し、せ‐しか、し‐き」のように付く。「き」の活用は、カ行系の活用とサ行系の活用の取り合わせである。そのうち、少なくとも「し」は、「みつみつし久米の子らが垣下(かきもと)に植ゑ志(シ)椒(はじかみ)口ひひく吾は忘れじ撃ちてし止まむ」(古事記)などの例に見られるように古くは変化の結果の状態(口語の「…している」の意味)を表わした。なお、後世にも、「我がそのの咲きし桜を見渡せばさながら春の錦はへけり」(為忠集)のように、変化の結果の状態の意味を表わす例が存在するが、これは口語の「た」の用法に引かれこうした用法が生じたものである(精選版日本国語大辞典)、
活用語の連用形に付くが、カ変・サ変動詞に付く場合、連体形「し」と已然形「しか」がカ変の未然形「こ」・連用形「き」に付く。終止形「き」はカ変には付かない。サ変に付く場合 連体形「し」と已然形「しか」がサ変の未然形「せ」に、終止形「き」がサ変の連用形「し」に付く(学研全訳古語辞典)、
等々とあり、未然形、
せ、
を認める場合、上述したように、
せば、
せば
で触れたことと重なるが、
未然形の「せ」は、接続助詞「ば」を伴って反実仮想の表現に限って用いられる。その「せば」は、「まし」の前提条件となっており、サ変動詞「す」の未然形とする説もある(学研全訳古語辞典)、
未然形「せ」は、常に接続助詞「ば」に連なって「…せば」の形をとり、多くは「まし」と対応して、現実には存在しない事柄を仮想する条件句を作る。上代語、および中古の和歌に主として用いられる。「一つ松人にあり勢(セ)ば太刀(たち)佩(は)けましを」(古事記)、「十月(かむなづき)雨間(あまま)もおかず降りに西(セ)ばいづれの里の宿か借らまし」(万葉集)、「世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集)などがある。なお、この「せ」は、古代日本語においてサ変動詞と関係があったとする説がある(精選版日本国語大辞典)、
とある。また、上代には、
あらさかの神の御酒をたげと言ひ祁(ケ)ばかもよ我が酔ひにけむ(常陸風土記)、
根白(ねじろ)の白腕(しろただむき)枕(ま)かず祁(ケ)ばこそ知らずとも言はめ(古事記)、
とある「け」を、仮想的意味になるので、「き」の未然形とする説があり(精選版日本国語大辞典)、未然形に、
せ、
け、
を認める場合、
未然形の「せ」「け」は上代に「せば」「けば」「けく」の形で用いられ、「せば」は中古の和歌にも見られる。「け」「き」はカ変動詞から、「せ」「し」「しか」はサ変動詞から出たものという。カ変連用形からの接続形「きし」「きしか」という形が見られるのは中古からであるが、「きし」は「きし方かた」だけ、「きしか」は「着しか」の掛け詞としたものだけであるところから、「きし」を動詞「く(来)」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の連用形、過去の助動詞「き」の連体形の付いた「きにし」の音変化「きんし(じ)」の撥音無表記であるとして、カ変動詞の連用形からの接続を認めないという説もある(デジタル大辞泉)、
とある。また、文末連体形、
し、
は、鎌倉時代以降、係助詞「ぞ」などがなくても、連体形「し」で文を終止するものが見られ、
君は、御直衣(なほし)姿にて、御随身(みずゐじん)どももありし(源氏物語)、
と、「連体止」による詠嘆的表現、また、中世以降の、
その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし(徒然草、
貧者は我と身を引て、わづか成乱銭(みだけぜに)のそばへも寄かね、心にやるせなかりし(西鶴織留)、
などの例は、口語動詞の連体形が終止形にとって代わったのと相応じて、単なる終止用法へと変化したものと考えられる、
とある。(精選版日本国語大辞典)
き、
は、中世以降は文語の和歌や軍記では用いられていたが、その用法は限られており、軍記では、
城中の搆を推し出して、水を留て候しに依て、敵程なく降参仕候き(太平記)、
と、待遇表現をともなう丁重な会話文に用いられるのみであったし、近世以降、サ行四段活用の動詞に付く場合、
これ経をかへせし諛言(おもねり)の罪を治めしなり(雨月物語)、
と、
「…しし」とならないで「…せし」となる場合が多くなる。明治三八年(1905む)の「文法上許容すべき事項」には、
佐行四段活用の動詞を助動詞の「し・しか」に連ねて「暮しし時」「過ししかば」などいふべき場合を「暮せし時」「過せしかば」などとするも妨なし、
とある(精選版日本国語大辞典)。こうした背景に鑑みて、改めて、
き、
の用例をみると、
香具山と耳梨山と闘(あ)ひ之(シ)時立ちて見に来(こ)之(シ)印南国原(いなみくにはら)(万葉集)、
と、
話している時点からみて、その出来事が現在から切り離された過去の事実であることを表わす。和歌や会話文に用いられ、話し手の直接に見聞したことを表わし、
(印南国原は、阿菩大神(あぼのおおかみ)が御輿をあげて)見にやって来たという地だ、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、また、
かく上る人々の中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき(土左日記)、
と、
物語の現段階からみて、ある出来事がそれより以前に起こったことを表わす。物語・日記・随筆などの地の文に用いられ、語り手が直接見聞した以外のことも表わす、
という用法になる(精選版日本国語大辞典)。
ちなみに、同じ過去の助動詞、
けり、
との違いは、
しく、
で触れたように、
けり、
は、動詞・助動詞の連用形を承け、
「き(来)」に「あり」が結合したもの、
とも、
過去の助動詞「き」に「あり」が結合したもの、
ともいわれ(精選版日本国語大辞典)、
けら・○・けり・ける・けれ・◯、
と活用し(精選版日本国語大辞典)、
事態の成り行きがここまできていると、今の時点で認識する、
という意味が基本であり、
この花の一節(ひとよ)のうちは百種(ももくさ)の言持ちかねて折らえけらずや(万葉集)、
と、
そういう事態なんだと気づいた、
という意味で、
……ていたのだな、
……たのだな、
と、
気づいていないこと、記憶にないことが目前に現れたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現することが少なくない、
とあり(岩波古語辞典)、
けり、
が、
詠嘆の助動詞、
とされる所以である。ただ、
世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり(万葉集)、
と、
見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにしたとき、
や、
遠き代にありけることを昨日(きのふ)しも見けむがごとも思ほゆるかも(万葉集)、
と、
真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現するとき、
にも用いる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、
けり、
の場合は、
気づいた事態や筋道は目の前に存在したり、ありありと意識されたりすることを表わす(精選版日本国語大辞典)。
き、
の字源は、
幾の草体、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8D)。
参考文献;
石田穣二訳注『伊勢物語』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
鱸(すずき)取る海人(あま)の燈火(ともしび)外(よそ)にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ(万葉集)
の、
上二句は序、「外に見る」を起こす、
とし、
外(よそ)にだに見ぬ人ゆゑ、
を、
遠く外目からさえ見たことのないひとなのに、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
鱸、
は、
和名類聚抄(931〜38年)に、
鱸、須須支、崔禹食經云、貌似鯉、而鰓(あぎと)大開者也、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
鱸、須須岐、
字鏡(平安後期頃)に、
鱸、須須支、
新字鏡集(鎌倉時代)に、
鱸、須受支(すずき)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
鱸、スズキ
などとある。
鱸、
とあてる、
すずき、
は、
スズキ科の海産魚。全長約一メートルに達する。体は細長い紡錘形。口は大きく、下あごは上あごより突出する。背部は灰青色で腹部は銀白色。幼魚では体側や背びれに黒褐色の小点が散在。冬季、湾口部で産卵する。幼魚は春から夏に湾内、さらに河口部などに侵入する。一部は河川をさかのぼる。親魚も春から夏に湾内に入り、潮通しのよい岩礁域に群れる。ともに、秋の水温の低下とともに沖の深みから湾口に移動し、越冬する。動物食で魚類、甲殻類などを丸のみにする。北海道から九州までの沿岸に分布する、
とあり(精選版日本国語大辞典)、いわゆる、
スズキ型の美しい体形、
の、
硬骨魚(硬骨の骨格をもつ魚類)、
とある(広辞苑)。主として海岸近くに棲むが、夏季には川に遡り、秋になって海に帰るが、これを、
落スズキ、
という(たべもの語源辞典)。また、日本では、
出世魚、
で、成長とともに呼び名が変わる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD_(%E9%AD%9A))が、地方によって呼び名は様々に異なる。たとえば、関東では、
幼魚をコッパ、1年ものと2年もので全長20
〜30センチメートル程度までのものをセイゴ(鮬)、2、3年目以降の魚で全長40 〜60センチメートル程度までをフッコ(福子)、それ以上の大きさの通常4
〜5年もの以降程度の成熟魚をスズキと呼んでいる、
とあり(仝上・たべもの語源辞典)。関西ではフッコの代わりにハネというが、東海地方では、60センチメートル程度までを一律にセイゴ、それ以上の大きさの成熟魚をマダカと呼んで二分することが多い(仝上)とある。また、同族の、
ヒラスズキ、
との混同を避けて、
マルスズキ、
とも呼ぶ(広辞苑)。
スズキ、
を、
松江魚、
と書くのは、
中国地方の呉の松江産のスズキが千波とされたからで、出雲松江宍道湖のスズキも名高い、
とある(たべもの語源辞典)。
スズキ、
の名の由来は、
進(すす)くの活用の、進(すす)きの義か、或は、スズキコの略か、名言通「筋雪(すじゆき)の転、スジユキは古名なり、セイゴはスズキコ(鱸子)なり、一説に、出雲國松江の産を美味とす、セイゴは松江の字音なるべしと云ふ、未だ、肯ふべからず」とみえたり(大言海)、
ススイだように身が白いところから(日本釈名)、
ススは小の意で、口の大きいのに比べて尾翼の小さすぎることから(東雅)、
鱗がススケ(煤)たような色をしているところから(滑稽雑誌所引和訓義解)、
「スズ(純白)+キ(魚)」です。白身の魚、魚肉は純白。スズは、雪ぐ(すすぐのスス)、清々雪(スズユキ)、のスズ(白)で、同源(日本語源広辞典)、
古名筋雪(すぢゆき)から転じた(たべもの語源辞典)、
身が白いことからスズキのススは清(すず)しという意であり、キも清らかの意である。つまり、肉がすずしく清らかだという意でつけられた名称である。古名が筋雪(すぢゆき)から考えても、涼しく清らかなことをいったもの(たべもの語源辞典)
ススミ説(出世魚で出世に進むことに由来するとの説)、スサマジグチ説(口が凄まじく大きいことに由来するとの説)
ススギ説(鱗がすすいだように白いことに由来するとの説)、ススジ説(すずしく清らかな身であることに由来するとの説)等々がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD_(%E9%AD%9A))、
等々あるが、たべもの語源辞典が述べる。
清(すず)し、
筋雪(すぢゆき)の転訛、
といったところが妥当なのではあるまいか。
『平家物語』巻第一の、平清盛が船で熊野権現に参拝する際、
清盛公いまだ安芸守たりしとき、伊勢国安濃の津より、船にて熊野へ参られけるに、大きなる鱸の船へをどり入つたりければ、先達申しけるは、「これはめでたき御事なり。急ぎ参るべし」と申しければ、さしも十戒を保つて、精進潔斎の道なれども、「昔、周の武王の船にこそ、白魚は躍り入つたるなれ。」とて、調味して我が身食ひ、家の子郎等どもに至るまで食はせらる。その故にや吉事のみうちつづいて、太政大臣まで極めさせ給ひ、子孫の官途も龍の雲にのぼるよりはなほ速やかなり。九代の先蹤を越え給ふこそめでたけれ、
とあるように、
スズキ、
は、縁起のいいものとみなされていたようである。
「鱸」(漢音ロ、呉音ル)の異体字は、
B、鲈(簡体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B1%B8)。字源は、
会意兼形声。「魚+音符廬(コンロのように丸い)」(漢字源)、
と、
形声。「魚」+音符「盧 /*RA/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B1%B8)、
形声。声符は盧(ろ)。呉中松江の名産で、〔晋書、張翰伝〕に、斉王竦(しよう)が秋風によって呉中の鱸魚の膾(なます)を思い、官をやめて東帰した話をのせる。わが国の島根県松江も、鱸を産するので、呉中松江の名をとったという(字通)、
とに分かれている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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庭清み沖へ漕ぎ出(づ)る海人舟(あまぶね)の楫(かぢ)取る間なき恋もするかも(万葉集)
の、
庭、
は、
海面の仕事場、
の意、
上三句は序、「楫取る間なき」を起こす、
とし(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
楫(かぢ)取る間なき、
は、
絶え間なく、ひっきりなしに、
の意としている(仝上)。
庭、
は、
場、
とも当て(広辞苑)、和名類聚抄(931〜38年)に、
庭、邇波、屋前也、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
庭燎、ニハビ、
字鏡(平安後期頃)に、
庭、ニハ・タダシ・ナホシ・オホシ・オホキナリ、
とあり、由来は、
土閨iはにま)の略転(大言海)、
ニマ(土間)の義(言元梯)、
ニハ(土場)の義(日本語源=賀茂百樹)、
埴場の義(名言通)、
ニ(土)+ハ(平面状の場所)です。農家の土間、作業場。家の周りの庭園などを言います(日本語源広辞典)、
神事を行うところからイムバ(斎場)の転(東雅)、
ネギラヒバ(慰場)の義(日本語原学=林甕臣)、
ニはノビ・ノシ(伸)の語幹ノの転。ハはマ(間)の音便(日本古語大辞典=松岡静雄)、
見てニッコリとなる場であるところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
ニワ(和輪)の義で、和廻(やわらぐめぐり)の意(柴門和語類集)、
ニはナの転。ハは延の義で、広がる所に用いる接尾語(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々とあるが、
埴生、
で触れたように、
はに(埴)、
の、
に、
にあてる字は、
土、
丹、
で、
土・丹の意をなす「な」の転(広辞苑)、
に(丹)はニ(土)と同根(岩波古語辞典)、
ニ(丹)は赤土(アカニ)に起こる(大言海)、
とあり、両者の関係は深いが、
土(に)、
は、
櫟井(いちひゐ)の丸邇坂(わにさ)の邇(ニ)を端土(はつに)は膚赤らけみ底土(しはに)はに黒きゆゑ三栗のの中つ邇(ニ)を(古事記)、
と、
土、特に赤い色の土、
また、
取り佩ける大刀の手上に丹(に)画き著け(古事記)、
と、
辰砂(しんしゃ)あるいは、赤色の顔料、
つまり、
あかに、
を言い(日本語源大辞典)、
丹(に)、
は、
海は即ち青波浩行(ただよ)ひ、陸は是れ丹(に)の霞空朦(たなび)けり(常陸風土記)、
と、
赤い色(日本語源大辞典)、
あるいは、
朱色の砂土、顔料にした(岩波古語辞典)、
を言うので、
赤色の土→赤色→顔料、
という意味の転訛が通底しているのだと思う。だから、
ニ(土。丹と同根)+ハ(場)、
とする(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)のが妥当だろう。
場、
は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
場、サカヒ・ニハ・ミチ・ツチクレ、
音訓篇立(字鏡(平安後期頃)の抄略に、
場、サカヒ・ミチ・バ・ミギリ・ニハ、
とある。だから、
家などの生活空間の周辺にあって、狩猟、農事などを行う地域を表すのが原義(日本語源大辞典)、
堂屋階前の平地の稱(大言海)、
作業・仕事する平らな一定の地域。神事・狩猟・漁業・農事作業などが行われる。転じて、今日の庭の意(岩波古語辞典)、
とあり、原意は、
すなはち霊畤(まつりのにわ)鳥見山呑む中に立てて、……用(も)て皇祖天神をまつりたまふ(日本書紀)
と、
神事の場、
の意であり、
何かを行なうための場所。何かの行事の行なわれるその場所。「かりにわ(狩庭)」「さにわ(清庭)」などと熟して用いることが多い。現代語の場(ば)にあたる、
とある(精選版日本国語大辞典)。そこから、意味が広がり、
庭に立つ麻手(あさで)刈り干し布曝(さら)す東女(あづまをみな)を忘れたまふな(万葉集)、
と、
邸内の、農事をする平らな場所、
の意や、
猟場(には)のたのしびは、膳夫(かしはで)をして鮮(なます)を割(つく)らしむ(日本書紀)、
と、
狩猟の場、
の意(岩波古語辞典)、冒頭の歌や、
飼飯(けひ)の海の庭(には)よくあらし苅薦(かりこも)の乱れて出(い)づ見ゆ海人(あま)の釣船(万葉集)、
と、
漁をする海、
の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)で使う。この海面を指す用例は、
眼前の一部の海面であり、海人にとっての生活の場・作業場・漁場としての意味、
と解される(精選版日本国語大辞典)。この意味の、
には、
は、転じて、
日和、
とあて、
海上の風波静まりてなぎたるをばにはと云ふ(仙覚抄)、
と、
風がなく、海面の穏やかなさま、
の意になる(岩波古語辞典)。この意味の、神事・農事・狩猟・戦争・教育など、物事が行われる場所、
という意味の、
庭、
は、広く、
場、
の意味で、
合戦のにはに出(い)でて(保元物語)、
と、
合戦の場、
の意、
その場に道俗男女、皆驚き騒ぐ事限りなし(今昔物語集)、
道場をば、法(のり)の庭と読むなり(法華経直談鈔)、
と、
説教の場、
の意でも使う。さらに、
臣(おみ)の子は栲(たへ)の袴を七重をし儞播(ニハ)に立たして足結(あよひ)撫(な)だすも(日本書紀)、
と、
家屋の周りの空地、
をいい、これが、のちに、
遊ぶ内(うち)の楽しき庭に梅柳折りかざしては思ひなみかも(万葉集)、
と、
(邸内・階前などの平らな)庭園、
つまり、
前栽、園生(そのふ)など、家の前後の空き地に、草木を植え、草石、築山、泉水などの景色をつくる所、
を言うようになる(大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。ついには、
庭(ニハ)に追おうして、下女のごとくに遣へども(浮世草子「好色二代男(1684)」)、
と、
土間(どま)や三和土(たたき)、
意でも使うに至る(仝上)。つまり、
屋前の平坦地から邸内の平坦地に変化して現代語の「庭」の意味となり、さらにその範囲を狭めて、家の中の土の面であり、ある種の作業場でもある土間の意を生んだ、
ということになる(精選版日本国語大辞典)。
「庭」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、
会意兼形声。廷(テイ)の右側の字(字音テイ)は、壬(ジン)とは別字。挺(テイ まっすぐ)の原字で、人が足をまっすぐ延ばして立つときのすねの部分を示した字。廷は、それに廴印(横に伸ばす)をつけ、まっすぐ平らに伸びた所を示す。庭は「广(いえ)+音符廷」で、屋敷の中の平らにまっすぐ伸ばした場所、つまり中にわのこと。もと廷(テイ)と書いた(漢字源)、
会意形声。广と、廷(テイ)(宮殿内の中庭)とから成る。宮中の意を表す(角川新字源)
会意兼形声文字です(广+廷)。「屋根」の象形と「階段(宮殿)の前から突き出たにわ」の象形から「にわ」を意味する「庭」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji522.html)、
とある、会意兼形声文字とする説は、
会意形声。「广」+音符「廷」(にわ)。語源と字源は別であるためこれは誤りである、
誤説とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%AD)、
形声。「广」+音符「廷 /*LENG/」。「にわ」を意味する漢語{庭 /*leeng/}を表す字、
とする(仝上)。同じく、『字通』も、
形声。声符は廷(てい)。廷は公宮の中庭、儀礼を行うところで、庭の初文。金文にみえる冊命(さくめい)廷礼の儀礼などは、すべて中廷で行われている。のち屋廡の广(げん)を加えて庭となった。〔説文〕九下に「宮中なり」という。のち庭園の意に用いる(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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朝柏(あさかしは)潤八(うるや)河辺(かはへ)の小竹(しの)の芽の偲(しの)ひて寝(ぬ)れば夢(いめ)に見えけり(万葉集)
の、
上三句は序、
潤八(うるや)河辺(かはへ)、
は、
秋柏(あきかしは)潤和川辺(うるはかはへ)の小竹(しの)の芽の人には忍び君に敢(あ)へなくに(万葉集)
で、
潤和川辺、
ともあり、この、
潤和川、
は、所在不明とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
秋柏(あきかしは)、
は、その枕詞とされるので、その転訛と目される、
朝柏(あさかしは)、
も、同様と見ることができる(仝上)とある。
小竹、
とあてる、
しの、
は、
篠、
とあてる、
篠竹(しのだけ)、
のことかと思われる。
稈(かん)が細く、群がって生える竹類、
で、
篠の小笹、
篠の葉草、
しぬ、
しのべ、
ともいい(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
靡、
とあて、
しぬの転、
シヌはシナフ(靡)の意(冠辞考・古事記伝・古今要覧稿・名言通)、
とし、
薄、葦、細き竹などの靡き撓うものの稱、
ともある(大言海)が、より特定して、
物の名となり(仝上)、
メダケ、
ヤダケ、
等々(岩波古語辞典)、あるいは、
笹、
を指し(大言海)、
矢をつくる、
とある(岩波古語辞典)。
神篠、小竹也、細竹也。此をば斯奴(シノ)と云ふ(日本書紀)、
とあり、和名類聚抄(931〜38年)に、
篠、之乃、俗用小竹二字、謂之佐佐、
新撰字鏡(平安前期)に、
篻、竹也、細竹也、篠也、志乃(しの)、
字鏡(平安後期頃)に、
篻、細竹也、篠也、又保曾太介、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
シノ・ササ・アジカ、
等々とある。ちなみに、
篻(ヒョウ)、
は、
竹の名。中空でなく強靭な竹。矢を作るのに適している、
とある(https://kanji.jitenon.jp/kanjir/8899)。ただ、上記したように、
篠、
には、
笹、
の意もあり、
小竹、
を、日本書記は、上述のように、
しの、
と訓ますが、古事記では、
小竹を訓みて佐々(ササ)と云ふ、
とあり、篠竹と笹との相違は明確ではない(精選版日本国語大辞典)。「万葉集」の人麻呂詠歌や「人麻呂歌集」においては、
篠を「細竹」、
笹を「小竹」、
と書き分けているとする説もあるが、「小竹」の訓を「ささ」とする積極的根拠にはなり得ていない(仝上)とある。
箆(の)、
で触れたように、
鷲の本白(もとじろ)を、くわうたいくわうの箆(の)に矧ぎて、宮の御前を押開き、無道(ふとう)射させんとぞ思ふ(梁塵秘抄)、
の、
箆、
は、和名類聚抄(平安中期)に、
箆、乃、箭竹名也、
とあり、
ヤダケの古名、
であるが、
やだけ、
は、
矢竹、
箭竹、
と当て、
篠の類、形、雌竹に似て細く、葉は、ちまきざさ(粽笹)の如し、高さ、丈に過ぎず、幹、強くして、節の闥キく、多く矢の幹に作る、
とある(大言海)、
矢に用いる竹、
の意から、
矢に用いる竹の部分、
のため、
矢柄(やがら)、
の意となり、
箆、
も、
馬の額を箆深に射させて(平家物語)、
と、
矢柄(やがら)、
の意で使い、
箆、一名のだけ、一名やだけ、一名やのたけは漢名を菌簬、一名筓箭、一名箭幹竹といふ、
と(古今要覧稿)、
やだけ、
と
箆、
はほぼ同義となっている(広辞苑・大言海)。
ささ、
は、
笹、
篠、
筱、
筿、
小竹、
などとあて(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B5)、
イネ科タケ亜科に属する植物のうち、その茎にあたる稈(かん)を包んでいる葉鞘が枯れる時まで残るものの総称、
とある(仝上)。由来を見ると、大言海は、「ささ」を二項に分け、
小竹、
細竹、
と当てる、
ささ、
は、
細小竹(ささたけ)の下略。或は云ふ、葉の風に吹かれて相觸るる音を名とし、竹の異名としたるなりと、
し、
ささだけ、又は竹の異名、
とする。いまひとつは、
笹、
と当て、
(小竹)の語の、一種の竹の名に移りしなり(神榊(さかき)の榊となり、薄(すすき)の芒(すすき)となりし類)。細小(ささ)は、自ら低きをいふこととなる、笹の字は、和字なり(節(よ)を世(よ)に寄せて作れるか)、
とあり、『日本語の語源』も、
いささたけ(細小竹)、
から、
ささ、
となったとしている。どうやら、
一般に丈の低いタケ類、
というところである(デジタル大辞泉)。
高さ〇・二〜〇・六メートル。根茎は地中を横にはう。稈(かん)は細長い中空の円柱形で節がある。葉は先のとがった狭長楕円形で基部は鞘(さや)となって稈を包む。タケに対してふつう稈がのびきるまで竹の子の皮が落ちない。稈はパルプにしたり種々の家具や器具をつくったりする。葉は防腐作用があり、粽(ちまき)や鮨(すし)、和菓子を包むのに用いる、
クマザサ、
チシマザサ、
チマキザサ、
ミヤコザサ、
アズマネザサ、
ミヤコザサ、
ネザサ、
等々種類が多い(精選版日本国語大辞典)。
篠、
とあてる、
ささ、
は、
甲斐にをかしき山の名は、白根波埼塩の山、室伏柏尾山、すずの茂れるねはま山(梁塵秘抄)、
と、
すずたけ(篠竹)の異名、
となり、
すずたけ(篠竹)、
は、
みすずたけ、
すず、
みすず、
などともいい、
イネ科の植物。日本特産で、各地の山地の森林の下草として群生する。高さ一〜三メートル。稈は径五〜八ミリメートル。葉は長さ二五センチメートル、幅六センチメートルに達し、葉鞘は紫色を帯びる。小穂は紫色の五〜一〇小花からなり円錐形に集まってつく、
とある(精選版日本国語大辞典)。
篠竹、
を、
しの竹のふしはあまたにみゆれともよよにうとくも成まさる哉(「元良親王集(943頃)」)、
と、
しのだけ、
と訓ませると、上述したように、
根笹の仲間の総称。細くて、群がって生える竹(精選版日本国語大辞典)、
小さき竹の、節高からず、皮、白くして、脱せざる(大言海)、
をいい、
篠(しの)、
篠笹、
等々とも言い、
ヤダケ、
メダケ、
等々を指すが、
篠竹、
を、
しのめだけ、
と訓ませると、その、
やだけ(矢竹)、
めだけ(女竹)、
の異名となる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
ヤダケ(矢竹)、
は、
常緑多年生のタケ亜科の植物。タケ(竹)と付いているが、成長しても皮が桿を包んでいるため笹に分類される(大型のササ類)、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%80%E3%82%B1)、
高さ2〜5メートル、径0.5〜1.5センチメートル、上方で1節から通常1本ずつ枝を出す。竹の皮は堅く、伏した長毛を密生し、ざらざらしている。葉は披針(ひしん)形で長さ25〜35センチメートル、幅約3センチメートル、先はしだいに長くとがり、革質で表面は光沢がある。葉鞘(ようしょう)の上縁部にまれに肩毛があるが、落ちやすい、
とあり、
稈(かん)はまっすぐで、主として上方から1節に1本の枝が出る。細長い葉が垂れ下がり、美しい。名のように昔から弓の矢に用いられる、
とある(世界大百科事典)。
メダケ(雌竹)、
は、
シノタケ(篠竹)、
オンナダケ、
メダケ(女竹)、
ニガタケ(苦竹)、
カワタケ(川竹)、
ナヨタケ、
等々の別名を持ち(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%80%E3%82%B1)、
イネ科の大型のササ。タケの名をもつが竹の皮が長いあいだ、稈(かん)につくところから、植物学上はササに分類される。とりわけ若竹の竹の皮は白くて美しい。川端によく育つので、川竹(かわたけ)ともいう。大きいものは稈の直径3cm、高さ8mにもなる。節ごとの枝の数は3〜7本。花穂は茎の節に密につき、おしべは3本。材は笛の重要な素材で、壁の下地にも用いる。産地は日本では中部以南の各地。中国では名笛竹とよばれ、笛の貴重な素材とされる、
とある(世界大百科事典)。
にがたけ、
で触れたように、
めだけ(女竹・雌竹)、
は、
をだけ(雄竹)、
つまり、
マダケ、
に対して言う、
篠竹の類、
をいい(大言海)、
マダケ(真竹)、
は、
常の竹を、他名に対して云ふ称、
で、学名、
Phyllostachys bambusoides、
は、中国原産とも日本自生とも言われる、
イネ科マダケ属の竹の一種、
で、
稈(かん)の最大の直径20cmぐらい、高さ20m。節の部分は2環状になる。葉はモウソウチクよりも大きく、肩毛が直角につく。竹の皮に暗褐色の大きな斑紋のあることが特徴である。一定の周期で開花するが、花はモウソウチクに似ておしべは3本、
とある(世界大百科事典)。なお、
竹、
弓矢、
については触れた。
「篠」(ショウ)の異体字 は、
筱(簡体字)、筿(拡張新字体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AF%A0)。字源は、
会意文字。「竹+條(細いすじ)」(漢字源)、
と、会意文字とする説、
会意形声。竹と、條(テウ→セウ 細長いもの)とから成る(角川新字源)、
会意兼形声文字です(竹+條)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「横から見た人の象形とボクッという音を表す擬声語と右手の象形と水の省略形(人の背に水を流して手で洗うさまから、「長いすじとなって流れる水」の意味)と大地を覆う木の象形」(「木の長いすじ」、「えだ」の意味)から「えだのような細い竹:しの」を意味する「篠」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2643.html)、
と、会意兼形声文字とする説、
形声。声符は條(条)(じよう)。條は細長い枝などをいう。修祓のとき束ねて用い、それで身を滌(あら)った。篠は條のように束ねて用いる草の意であろう。また脩は長く切ったほし肉で、長く細いものの意がある。〔説文〕五上に筱の字を録し、「箭(や)の屬なり。小竹なり」とあり、矢に用いるしの竹をいう。わが国では湯神楽(ゆかぐら)に小竹葉(ささば)を用いた(字通)、
と、形声文字とする説とに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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我(わ)がやどの穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘(つ)み生(おほ)し実になるまでに君をし待たむ(万葉集)
の、
古幹(ふるから)摘(つ)み生(おほ)し、
は、
古い茎の実を採りそれを蒔いて育てて、
の意で、
穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育てて、やがてまた実を結ぶようになるまでも、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
穂蓼、
は、
タデの、花穂が出たもの、
つまり、
タデの花、
をいい(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、この、
穂の出た蓼(たで)は、辛味があり、鮓(すし)・膾(なます)などに用いたり、また塩漬けにする、
とある(岩波古語辞典)。
花穂(かすい)、
というのは、
花が稲穂のように、長い花軸に群がってつく花序、
の謂いで、
中でも一本の軸に多数の花が密に付いて穂状に見えるものをさすことが多い、
とある(仝上)。
穂蓼、
は、
蓼穂(たでほ・たでぼ)、
ともいい(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、
蓼紅葉、
ままこのしりぬぐい、
ともいう(https://kigosai.sub.jp/001/archives/4043)。
花は赤と白がある。ままごとの赤飯として使わ れ、アカノママという種類もある。田の畦や道端など人の暮らし
の近くに自生するが観賞用としても栽培される。粒状の小さな花 をつけた花穂が可愛いらしい、
とあり(仝上)、
タデの花を指す場合、一般的にはタデ科イヌタデ属植物を示す。イヌタデ属の中で最も身近で代表的な種は、イヌタデである。別名として、アカノマンマ(赤飯 アカマンマ)と呼ばれている、
ともある(仝上)。
蓼(たで)、
は、だから、
タデ科イヌタデ属の植物の総称、
で、
イヌタデ(犬蓼)・ハナタデ(花蓼)・オオケタデ(大毛蓼)・サクラタデ(桜蓼)、
等々をさし、また特に、葉を和風香辛料とする、
ヤナギタデ(柳蓼)、
等々をさす(デジタル大辞泉)。
蓼食う虫も好きずき、
という諺の語源であるのはこの種で、
辛味のある葉が薬味として利用され、刺し身のつまにしたりするほか、すり潰して酢に混ぜることでアユ等の魚の塩焼きに使用する蓼酢となる。刺身のつまとして使われるのは、ヤナギタデの変種であるムラサキタデが多い、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%87)。日本では、平安時代から香辛料として利用された(仝上)ともある。この、
ヤナギタデの別名、
が、
本蓼(ホンタデ)
真蓼(マタデ)、
カワタデ(川蓼)、
ナガボヤナギタデ、
ともいう(仝上)。で、
蓼、
を、狭義には、
ヤナギタデのことをいう、
ともある(精選版日本国語大辞典)。
蓼食う虫、
でも触れたが、
蓼、
は、
タデ科イヌタデ属、
のもの(の一部)をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%87)が、
路傍や水辺に生える。一般に、葉は細長く節にさや状の托葉があり、枝先に小花を密生した花穂をつける。花は単弁花で花弁はなく、萼(がく)が花弁状に発達している。ヤナギタデ(別名マタデ、ホンタデ)やアザブタデは、葉を香辛料として生食するほか、蓼酢を作るのに用いられ、民間薬として虫さされや利尿剤として用いられる種類もある、
とあり(精選版日本国語大辞典)、陸地生と水辺生に大きく分けられ、陸地生はすべて一年生で、
茎や葉に毛の多いオオケタデ、ニオイタデ、ネバリタデ、オオネバリタデと、茎や葉に毛がないか少ないアイ(タデアイ)、イヌタデ(アカマンマ)、ハナタデ、ハルタデ、サナエタデ、オオイヌタデ、
などがあり、水辺生には、
多年生で地下茎を引くエゾノミズタデ、サクラタデ、シロバナサクラタデと、一年生で地下茎を引かないヌカボタデ、ヤナギヌカボ、ヤナギタデ、ボントクタデ、ホソバイヌタデ、ヒメタデ、シマヒメタデ、
などがある(日本大百科全書)とされる。
蓼、
の効用としては、
食欲増進や抗菌、解熱、利尿などの作用があり、これによって食欲不振、むくみの解消などに役立ちます、
とあり、外用としては、
煎(せん)じた汁は食あたりに、絞り汁は虫刺されや打ち身、ねんざ、皮膚病などに効果があります、
とある(食の医学館)。なお、和名類聚抄(931〜38年)には、
蓼、多天、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
蓼實、多天、
字鏡(平安後期頃)に、
蓼、太氐、
とある。
万葉集では、冒頭の歌のほか、
みてぐらを奈良より出でて水蓼(みづたで)穂積(ほづみ)に至り鳥網(となみ)張る、
と、
地名「穂積」にかかる枕詞「水蓼(みずたで)」として用いられるなど、あくまでも「穂をつむ」ものとして扱われている(精選版日本国語大辞典)とある。
ちなみに、
蓼、
の語源は、
爛れの意にて、口舌に辛きより云ふと云ふ(大言海・名言通)、
タダアレ(直荒)→タダレ(爛)→タデ(蓼)の変化か(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
二葉の時から辛味をもってでるところから、タテ(持出)の義(柴門和語類集)、
十勝アイヌ語で「蓼」をタンテという(北海道あいぬ方言語彙集成=吉田厳)、
等々があるが、はっきりしない。
ヤナギタデ、
の和名は、
葉がヤナギに似ていることから、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%87)。
「穂」(漢音スイ、呉音ズイ)の異体字は、
穗(旧字体)、穟、𥝩、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%82)、
「穗」の略体(「惠」→「恵」の類推)、
とある(仝上)。
「穗」(漢音スイ、呉音ズイ)の字源は、「丹のほ(穂)」で触れたように、
会意文字。「禾(いね)+惠(=慧、ほそい、細かい)」(漢字源)、
会意。正字は𥝩(すい)に作り、爪+禾(か)。禾穂を摘み采る意。〔説文〕七上に「禾成りて秀あり。人の收むる所以(ゆゑん)なり。爪禾に從ふ」とし、また穗の字形をあげて惠(恵)声とするが、声が合わない。〔慧琳音義〕に引く〔倉頡篇〕に穗・穟を同訓としており、𥝩・穗・穟は同字異文と考えられる。惠に三隅矛(みつめぼこ)の意があり、禾麦の穗がそのような形に出ていることを、惠の字形によって示したものであろう。金文の惠の字に、上を三穂の形に作るものがあり、繫縛の縛も、古くは上部に三本の紐が出ている形であった(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、
形声。「禾」+音符「惠 /*WIT/」。「ほ」を意味する漢語{穗 /*swits/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%97)、
もと、𥝩と書き、会意で、禾と、爪(そう)(とる)とから成り、人がとるいねの「ほ」の意を表す。旧字は、𥝩の俗字で、形声。禾と、音符惠(クヱイ)→(スイ)とから成る。常用漢字は省略形による(角川新字源)
と、形声文字とするもの、
会意兼形声文字です(禾+恵(惠))。「穂の先が茎の先端に垂れかかる穀物」の象形(「稲」の意味)と「糸巻きの象形と心臓の象形」(「いちずな心を傾ける・めぐみ(幸福・利益をもたらすもの)」の意味)から、穀物のめぐみを意味し、そこから、「ほ(穀物の茎の実のつく部分)」を意味する「穂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1343.html)、
と、会意兼形声文字とするものに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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葦垣(あしかき)の中のにこ草(ぐさ)にこやかに我(わ)れと笑(え)まして人に知らゆな(万葉集)
の、
上二句は序、「にこやかに」を起こす、
とあり、
にこ草、
は、未詳とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、万葉集で、
似兒草、
と表記し、
小草の生えそめてやわらかなもの(広辞苑)、
葉や茎の柔らかな草(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
小草の生ひそめて、やはらかきを云ふ語かと云ふ、或はゑみぐさ(笑草)に同じきかとも云ふ(大言海)、
で、
和草、
とあて、一説に、
ハコネシダ、
または、
アマドコロ、
の古名(広辞苑)とある。また、
ゑみぐさゑみ(笑草)、
は、
あまどころ(甘野老)」の異名(和名抄)、
なるこゆり(鳴子百合)の異名、
ぼたんづる(牡丹蔓)の異名(本草和名)、
りんどう(龍胆)の異名(色葉字類抄)、
などとある(精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典)。
にこ草、
は、多く序詞として、
足柄(あしがり)の箱根の嶺(ね)ろのにこ草(ぐさ)の花(はな)つ妻なれや紐解かず寝(ね)む、
射(い)ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ川辺(かはへ)のにこ草(ぐさ)の身の若かへにさ寝(ね)し子らはも、
と、
単独、または「にこぐさの」の形で序詞の末に置かれ、同音の「にこ」や「若かへ」「花つ妻」を引き出すのに用いる、
とある(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
ハコネシダ(箱根羊歯)、
は、
イノモトソウ科の常緑多年生のシダ。本州の関東以西、四国、九州の暖地の山中の崖や岩上にはえる。葉は三回羽状複葉。葉柄は黒褐色で光沢を帯びる。裂片は長さ一・五センチメートル内外の扇形でイチョウの葉に似ている。胞子嚢群は裂片の裏面の先端中央の少しへこんだ所に一個ずつ付き、そり返った葉縁で覆われる。全草を産前産後の薬に用いる。和名は、ドイツの博物学者ケンペルが元祿(1688〜1704)の頃、箱根山で採集したことによる、
とあり(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、別名、
ハコネグサ、ハコネソウ、イチョウグサ、イチョウシノブ、オランダソウ、
とされ、漢名、
單蓋鐵綫蕨(タンガイテツセンケツ)、
大和本草(貝原益軒1709年刊)に、
和草(ニコクサ) 藻鹽草曰、爾許(ニコ)草ハ萬葉ニハ和(ニコ)草トカケリ・・・アヲ根トモ古歌ニヨメリ 篤信云、和(ニコ)草、是俗ニ云ハコネ草ナルヘシ、箱根草ハシノフニ似テ小ナリ・・・、
とある(http://www.atomigunpofu.jp/ch5-wild%20flowers/hakoneshida.html)。
アマドコロ(甘野老)、
は、
ユリ科の多年草。各地の山野に生える。高さ五〇センチメートル。葉は長楕円形で裏面は緑白色。初夏、細長い鐘形の白い花が、葉腋(ようえき)から二個または一個ずつ垂れ下がる。根茎はトコロに似て甘いので、アマドコロといわれ、澱粉を採るほか、すり下ろして腰痛、打撲傷、乳幼児の湿疹(しっしん)に外用する、
とあり(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)、別名、
からすゆり、えみぐさ、鳴子蘭(なるこらん)、
漢名は、
根茎を萎蕤(いずい)、また玉竹(ぎょくちく)、女萎(じょい)、
と称し、中国では強壮、鎮咳(ちんがい)、清熱剤として使用する(日本大百科全書)。江戸後期の本草学研究書『本草綱目啓蒙』(小野蘭山「本草綱目」の口授「本草紀聞」を整理したもの)に、
萎蕤、エミグサ、アマナ、アマドコロ、カラスユリ、
とある。
ナルコユリ(鳴子百合)、
は、
ユリ科(クサスギカズラ科)の多年草。本州・四国・九州の山野に生える。高さ五〇〜一〇〇センチメートル。根茎は横にはい、節があり、節間は短い。茎には稜がない。葉は長さ一〇〜一五センチメートルの披針形で裏面に白粉を生じ、葉脈上に突起がある。初夏、各葉腋から花柄を出し、先に長さ約二センチメートルの緑白色の筒状花を数個たらす。花糸は無毛で花筒の中部に付く。果実は大豆大で黒い、
とあり(精選版日本国語大辞典)、漢方では根茎を、
黄精、
といい強壮薬に使う。漢名に黄精を用いるが、正しくは中国産の同属の別種の植物の名(仝上)。別名、
エミグサ、オオエミ、
とする(仝上)。
ボタンヅル(牡丹蔓)、
は、
キンポウゲ科のつる性多年草。本州・四国・九州の日当たりのよい山野に生える。葉は三出複葉で長柄をもち対生し、各小葉は卵形で長さ四〜八センチメートル、しばしば三裂し縁はあらい鋸歯(きょし)状。夏、茎梢の葉腋に白い小さな花が円錐状に集まって咲く。四個の萼片は平開し、花弁はない。果実には白い短毛が羽状につく、
とあり(精選版日本国語大辞典)、別名、
わくのて、わくづる、えみぐさ、ツリガネソウ、ツリガネニンジン、
漢名に、
女萎、
をあてる(精選版日本国語大辞典・大言海)とある。江戸後期の本草学研究書『本草綱目啓蒙』に、
女萎、ぼたんづる……夏秋の閨A花を開き穂を成す、白色、叉浅紫碧色なるものあり、皆四出にして下垂す、俗にツリガネサウと呼ぶ、
とある。
リンドウ(龍胆)、
は、
リンドウ科リンドウ属の多年生植物。本州・四国・九州の山野に生える。高さ二〇〜六〇センチメートル。葉は対生し披針形で先は尖り、目立つ三条の脈が走る。秋、青紫色で先の五裂した狭鐘形の花を開く。果実は紡錘形。根は龍胆(りゅうたん)と称し、赤褐色で苦味が強く健胃薬に使われる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、その名は、漢方名の、
龍胆(りゅうたん)、
の音読みに由来し、「リウタム・リウタウ」と表記してできた語、
とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A6)。別名、
エヤエミグサ(疫病草、瘧草)、ニガナ(苦菜)、ミガナ、ササリンドウ(笹竜胆)、リュウタン(竜胆)、リュウドウ(竜胆)、ヤマヒコナ(山彦菜)、タツノイグサ(龍胆草)、
とある(仝上・大言海)。
かつては水田周辺の草地やため池の堤防などにリンドウやアキノキリンソウなどの草花がたくさん自生していたが、それは農業との関係で定期的に草刈りがなされ、草丈が低い状態に保たれていたためだった。近年、そのような手入れのはいる場所が少なくなったため、リンドウをはじめこれらの植物は見る機会が少なくなってしまい、リンドウを探すことも難しくなってしまっている、
という(仝上)。康頼本草に、
龍胆、リンタウ、美加奈、爾加奈、
とある(大言海)。
なお、冒頭の歌の、
人に知らゆな
は、
(他動詞ラ行四段活用の)知るの未然形「知ら」+助動詞ゆ、
で、
(まわりの人に)それと知られないようにしたくださいね、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、
ゆ、
は、
ゆ(助動詞)、
で触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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我妹子に恋ひつつあらずは刈(か)り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを(万葉集)
の、
刈り薦の、
は、
「思ひ乱る」の枕詞、
とあり、
恋ひつつあらずは、
は、
恋い焦がれてばかりいないで、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
刈り薦、
は、
刈り菰、
とも当て、
かりこも、
と訓ませるが、後世は、
かりごも、
ともいい、
刈り取った真菰(まこも)、また、それで織ったむしろ、
をいう(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。
かるこも、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
刈り菰(薦)の、
で、冒頭の歌のように、
刈った真菰(まこも)は乱れやすい意から、「乱る」にかかる、
枕詞として使う(岩波古語辞典・仝上)が、枕詞としては、
夏麻引(なつそび)く命(いのち)かたまけ借薦之(かりこもの)心もしのに人知れずもとなそ恋ふる息の緒にして(万葉集)、
と、
刈ったこもがしおれやすいところから、「心もしのに」にかかる。一説に、「篠(しの)」の意をかけるともいう、
使い方もする(精選版日本国語大辞典)し、
沼水に君は生ひねどかるこものめに見す見すも生ひまさるかな(「平中(へいちゆう)(965頃)」)、
と、刈った菰から芽が出るところから、
「芽」と同音の「目」にもかかる、とされる(仝上)。
刈菰、
は、上述したように、
刈薦の一重(ひとへ)を敷きてさ寝(ぬ)れども君とし寝(ぬ)れば寒さむけくもなしか(万葉集)、
と、
刈り取った真菰、
または、
それで作ったむしろ、
で(仝上・大言海・岩波古語辞典)、
真菰、
とも、
真薦、
とも当てる、
まこも、
の、
ま、
は、
接頭語(岩波古語辞典)、
まは発語と云ふ(大言海)、
マは美称の接頭語(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、
とあるが、
真鳥、
で触れたように、
ま玉、
ま杭(ぐい)、
ま麻(そ)、
ま葛(くず)、
等々と同様、
立派である、美しいなどの意を込めて、ほめことば、
として用いている。別名、
ハナガツミ、
といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%A2)、
かつみ、
はなかつみ、
まこもぐさ、
かすみぐさ、
伏柴(ふししば)、
サムコマイ、
マコモノミ、、
等々ともいう(仝上・広辞苑・大言海)が、イネとは異なり、
真菰、
は、古くから、
神が宿る草。
として大切に扱われ、しめ縄としても使われてきた(https://www.biople.jp/articles/detail/2071)。
こも、
は、
薦、
菰、
と当て、
マコモ、
あらく織ったむしろ、
とあり(広辞苑)、
まこも(真菰)の古名、
ともいい(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一〜二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五〜一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、
とあり、漢名、
菰、
という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。
マコモの種子、
は、
米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている、
とある(日本大百科全書)。江戸時代にも、『殖産略説』に、
美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある、
という。中国では、マコモの種子を、
菰米、
と呼び、古く『周礼(しゅらい)』(春秋時代)のなかに、
供御五飯の一つ、
とされているし、『斉民要術(せいみんようじゅつ)』(6世紀)には、菰飯の作り方の記述がある(仝上)。なお、茎頂にマコモ黒穂菌が寄生すると、伸長が阻害され、根ぎわでたけのこ(筍)のように太く肥大する。これを、
マコモタケ、
菰角(こもづの)、
という。内部は純白で皮をむいて輪切りにし、油いためなど中国料理にする。根と種子は漢方薬として消化不良、止渇、心臓病、利尿の処方に用いられる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%A2・マイペディア)。
こも、
の由来は、
クミ・クム(組)の転か(碩鼠漫筆・大言海)、
キモ(着裳)の転呼、被服に用いた編物から、さらにその材料となる植物をいうようになった(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コモ(薦)に用いるところから(和訓栞)、
もと、茂る意の動詞カムから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々あるが、
こも、
には、上述の、
「まこも(真菰)」の古名、
の意の他に、「まこも」で作った、
あらく織ったむしろ、
の意がある。今は藁を用いるが、もとはマコモを材料とした(精選版日本国語大辞典)。で、
コモムシロ(菰蓆)の下略(大言海)、
コモで編んだところから(東雅・松屋筆記)、
コアミ(小編)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
等々「こも」から「蓆」のプロセスを意識した由来説になる。
ただ、
こも、
で触れたように、『大言海』は、
菰・蒋、
の字を当てる「こも」と、
薦、
を当てる「こも」と、
藺、
を当てる「こも」を項を分けている。
菰、
蒋、
の、
こも、
は、
クミの轉か(拱(コマヌ)クもクミヌクの転なるべし。黄泉(よみ)、よもつ)。組草などと云ふが、成語なるべく、葉を組み作る草の意。即ち、薦(こも)となる。菰(かつみ)の籠(かつま)に移れるが如きか(藺(ゐ)をコモクサと云ふも、組草、即ち、薦草(こもくさ)ならむ)。マコモと云ふやうになりしは、海蓴(コモ)と別ちて、真菰(まこも)と云ふにか。物類称呼(安永)三「菰、海藻にコモと云ふあり、因りて、マコモと云ふ、
とある。江戸中期の方言辞書『物類称呼』に、
菰、海藻に、コモと云ふあり、因りて、マコモといふ、
としているが、字鏡(平安後期頃)に、
蒋、己毛、
『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
菰根、一名、蒋、古毛乃禰、
和名類聚抄(931〜38年)に、
菰、古毛、
とある。しかし、海藻の、
こも、
は、
海蓴、
とあて、
石蒓、
ともいい、
小藻か、籠藻か、
とあり、細く切って、羹(あつもの)にすべし、とあるので、食用だったと見なされる。「蓴」は、「ぬなわ」で、「じゅんさい(蓴菜)」である。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)、和名類聚抄(931〜38年)に、
石蒓、一名海蓴、古毛、
とある。これと、区別するために、
マコモ、
としたというのはどうだろうか。
薦、
と当てる、
こも、
は、
菰蓆(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと)、のりと。辛夷(こぶしかじかみ)、こぶし)、菰の葉にて作れるが、元なり、神事に用ゐる清薦(すごも)、即ち、菰蓆(みもむしろ)なり、
とあり、和名類聚抄(931〜38年)に、
薦、席也、古毛、
江戸中期の有職故実研究書『安斎随筆』(安斎筆記)に、
薦席(こもむしろ)、まこもと云ふ草を編みて席にしたる也、禁中神事に用之事あり……今、江戸にて聖霊棚に薦を敷くは、遺風也、
とある。
藺、
の字を当てる、
こも、
は、
薦に組み作る草の意、
で、
薦草、
といい、
藺(ゐ)の一名、下略して、こも、
とする。天治字鏡(平安中期)に、
藺、己毛久佐、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
藺、己毛、
とある。
とある。これが、いわゆる、
こも、
を指すと思われる。
真、
を冠する以上、
まこも、
も、
大切な意味を込めていたに違いない。それが忘れられて、色葉字類抄(1177〜81)には、
菰、マコモ、コモ、
とあり、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
薦、コモ・ムシロ、
とあるように、
まこも、
は、単に、
「こも」の古名、
へと変じてしまったように見える。神事で、用いていたのだから、「菰」は、大切なものだったに違いない。しかし、稲作とともに、藁が潤沢となり、
菰席(こもむしろ)、
は、
蓆、
に堕ち、
薦被り、
と「おこもさん」まで、堕ちるということか。
薦の上から、
という言い方は、お産のとき、こもむしろを敷いたところから、
生まれたときから、
の意で使い、
薦を被(かぶ)る(被(かず)く)、
というと、
こもをかぶる身となる、
意で、
身躰残らずうち込み菰をかぶるより外はなし(好色二代男)、
と、
乞食(こじき)になり下がるのである。
「薦」(セン)は、「刈菰」で触れたが、多く、
会意。「艸+牛に似ていて角が一本の獣のかたち」で、その獸が食うというきちんとそろった草を示す(漢字源)、
会意。艸と、廌(ち)(しかに似たけもの)とから成り、廌が食う細かい草の意を表す。借りて「すすめる」意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(艸+廌)。「並び生えた草」の象形と「一本角の獣」の象形から、「一本角の獣が食べる草」を意味する「薦」という漢字が成り立ちました。また、「饌(せん)」に通じ(同じ読みを持つ「饌」と同じ意味を持つようになって)、「すすめる」、「供える」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1962.html)、
会意。艸(そう)+廌(たい)。廌は解廌(かいたい)、神判のときに用いる神羊。〔説文〕十上に「獸の食する所の艸なり。廌艸に從ふ。古は神人、廌を以て黄帝に遣(おく)る。帝曰く、何をか食らひ、何(いづ)くにか處(を)ると。曰く、廌を食らひ、夏は水澤に處(を)り、冬は松柏に處る」という語を載せる。金文の字形に、艸中に廌をおく形があり、白茅を以て犠牲を包み薦める意であろう。〔周礼、天官、亠+邊人(ヘんじん)〕に「凡そ祭祀には、其の亠+邊の薦羞の實を共(供)す」という語があり、まだ飲食しない初物を薦、他を進という。供薦の意より、薦進の意となる。荐(せん)と通用し、副詞に用いる(字通)、
と、会意文字としているが、
形声。「艸」+音符「廌 /*TSƏN/」。「むしろ」を意味する漢語{薦 /*tsəəns/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6)、
と、形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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我妹子に恋ひつつあらずは刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを(万葉集)
の、
恋ひつつあらずは、
は、
恋い焦がれてばかりいないで、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
あらずは、
の、
ずは、
は、
なかなかに人とあらずは酒壺(さかつぼ)になりてしかも酒に染(し)みなむ(万葉集)
と、
打消しの助動詞ずの連用形ズと係助詞ハとの複合、
で、
……でなくて、
……せずに、
と、条件句を示す(岩波古語辞典)。上代の語法で、
連用修飾または連用中止法の「ず」に「は」が付いて強調、提示の役割を果たす、
とある(精選版日本国語大辞典)。現在では、
ずわ、
と読んでいるが(仝上)、中世も、
「ずわ」と発音したが、室町末期以降、音変化して「ざ」としても用いられた。下に推量・願望を表す語を伴うことが多い、
とある(デジタル大辞泉)。ちなみに、
連用中止法、
とは、
読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法です。例えば、
天高く、馬肥ゆる秋、
の、「高く」の部分が連用中止法。「高く」は形容詞ク活用の連用形になる(https://okwave.jp/qa/q656800.html)とある。
ずは、
には、このほかに、別に、
真楫(まかぢ)貫(ぬ)き舟し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿(やど)りせましを(万葉集)、
と、打消の順接仮定条件を表し、
もし……でないならば、
もし……なかったら、
の意となり、この歌では、
(左右の櫂を舷(ふなばた)いっぱいに取り付けて)船が漕ぎ進みさえしなかったら、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。この、
は、
も、もと清音で後にワに転じたものと認められる(精選版日本国語大辞典)とあり、
近世の口語では、ズワはさらにザア・ザに転じている。また、近世の文語では「ずは」がズバと読まれた例が見られる。富士谷成章は「あゆひ抄(稿本)」で「あらましの内すはなくはなどは半濁也」といって、ズワと読むべきことをわざわざ注意しており、本居宣長は「詞の玉緒」ではズバとしている、
とする(精選版日本国語大辞典)。で、
ずは、
の、
は、
は、
係助詞の「は」だが、後に動詞を受ける接続助詞「ば」に混同されたものと考えられる、
ともある。ただ、「は」を係助詞と見ず、
「ず」の未然形に「は」という接続助詞が付いたものとする、
説もある(仝上・デジタル大辞泉)。なお、古今和歌集の、
けふ来ずは明日は雪とぞ散りなまし消えずはありとも花と見ましや、
の、
来ずは、
は、
もし私が来なかったら、
と、打消しの順接仮定条件を表すとみるが(学研全訳古語辞典)、
消えずはありとも、
は、
消えずとも、
を、
係助詞「は」で強調した、
例で、上述の「ずは」とは異なる(精選版日本国語大辞典)としており、
今日来なかったら明日は雪となって降っていたことでしょう。たとえ消えないとしてもそれを花と思って見ることができましょうか、
と訳されている(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
あらずは、
の、
あらず、
は、
有ず、
とあて、
ある(有)の否定形、
で、
実質的な「存在」の意を失って陳述だけを表わす「ある・あり(有)」に打消の助動詞「ず」の付いたもの、
とある(精選版日本国語大辞典)。本来、
ある、
は、
鶏(とり)が鳴く東(あづま)の国の陸奥(みちのく)の小田(をだ)なる山に金(くがね)ありと申したまへれ(万葉集)、
はしきやし妹がありせば水鴨(みかも)なすふたり並び居(ゐ)手折(たを)りても見せましものを(仝上)、
と、
空間的・時間的に存在する。或いは存在が認識される、
という意味で、前者なら、
(そこに)ある、存在する、
意、後者なら、
この世に生きている、
といった意になるが、
王(おほきみ)の心緩(ゆら)み臣(おみ)の子の八重の柴垣入り立たずあり(古事記)、
渡り守(もり)舟も設(まう)けず橋だにも渡してあらばその上(へ)ゆもい行(ゆ)き渡らしたづさはりうながけり居て(万葉集)、
と、
……である、
……している、
意で、陳述を表して、
その状態が存在又は存続していることを表す使い方になる(岩波古語辞典)。なお、
女あるじにかはらけとらせよ、さらずは飲まじ(伊勢物語)、
このごろの波の音に、かの物の音(ね)を聞かばや。さらずはかひなくこそ(源氏物語)、
の、
さらずは、
は、
さらずば、
ともいうが、
そうでない、
意の、
さあらず、
の約、
さらず(然らず)、
は、
ラ変動詞「さり」の未然形+打消の助動詞「ず」の連用形+係助詞「は」、
で(学研全訳古語辞典)、
そうでなければ、
そのようでなければ。
そうでないときは、
との意になる、「さらず」の仮定表現となる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
打消しの助動詞、
ず、
は、
動詞・助動詞の未然形を承けて、承ける語の動作・作用・状態を否定する意を表す。形容詞の場合は、「思ふそら安くあらねば嘆(なげ)かくを留(とどめ)めもかねて」「若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに」のように、形容詞の連用形の下に「あり」を加え、「あらず」の形で否定する、
とあり(岩波古語辞典)、
……ない、
……ぬ、
の意味になる(学研全訳古語辞典)。その活用については、
〇・ず・ず・ぬ・ね(岩波古語辞典)、
ず・ず・ず・ぬ・ね・○(精選版日本国語大辞典)、
異同があり、この活用の前に、古い活用形と思われる、
昨日(きのふ)今日(けふ)君に逢わずてするすべのたどきを知らに音(ね)のみしぞ泣く、
と、
に、
の形があり、打消しの助動詞には、
に・ぬ・ね、
の系列があって、この方が古く、後に「ず」が発達したものと思われる(仝上)とあるが、この活用を、
「ず」の活用は「ず」の系列「(ず)・ず・ず・〇・〇・〇」
と、
「ぬ」の系列「(な)・(に)・〇・ぬ・ね・〇」
と区別し(デジタル大辞泉)、さらにその不備(「ず」が他の助動詞などに接続しにくい)を補うため、連用形「ず」に動詞「あり」の付いた「ずあり」の音変化形、
「ざり」系列「ざら・ざり・〇・ざる・ざれ・ざれ」、
が生じた(仝上)とする。ただ、「に・ぬ・ね」の系列の未然形「な」については、
他国(ひとくに)に君をいませていつまてか我(あ)が恋ひ居(を)らむ時の知らなく(万葉集)、
しかれども谷片付(かたづ)きて家居(を)れる君が聞きつつ告げなくも憂し(仝上)、
と、「なく」の形で使われるもので、
「ず」の連用形「の」のク語法、
のひとつである、と「な」を否定する説もある(岩波古語辞典)。また、「ず」には未然形がない、という説(仝上)では、「ざり」系列についても、
「ず」の未然形としては「ざり」の未然形「ざら」を使い「行かざらむ」「咲かざらば」のように用いる、
としている(岩波古語辞典)。また、連用形「ず」は、
連用中止法として、主として書きことばに用いられている。また、助詞「に」「と」を伴って、「ずに」「ずと」となることも多い(学研全訳古語辞典)とある。
なお、「ざり」系は、
上代には例が少なく、形容詞の補助活用と同様に、「ず」の補助活用として中古以降多く用いられた、
とある(精選版日本国語大辞典)。また、「ず」には未然形がない、という説(岩波古語辞典)は、
ず、
の成立についても、
さす竹の皇子の宮人ゆくへ知らにす(万葉集)、
という形は、意味上、
ゆくへ知らず、
と同じなので、古い打消しの「に」に「す」が結合して、
nisu→nzu→zu、
という変化によって、
ず、
という形が成立した(岩波古語辞典)とみなすのに対して、「ぬ」系列の未然形を認める説(デジタル大辞泉)では、
未然形「な」と連用形「に」は奈良時代に用いられたが、「ず」は、この「に」に動詞「す」が付いて成立したものという、
という見方(デジタル大辞泉)もある。そして、この未然形、
な、
は、
接尾語「く」の付いた「なく」の形で後世にも用いられた。また、中世以降、終止形は「ず」に代わり「ぬ」が用いられるようになり、未然形「ず」は室町時代以降「ずば」の形で用いられた。なお、現代では、連用形「ず」は中止法として主に書き言葉で用いられ、終止形は「べからず」の形で禁止の意を表すのに用いられる、
とする(デジタル大辞泉)。この「ぬ」の系列の活用は、
未然形としては、上代、いわゆるク語法の「なく」や東国方言の「なふ」の「な」をあてることができ、連用形の「に」は、上代に「しらに」「かてに」などの連用修飾法、また、万葉集に「梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽か爾(ニ)せむ」の例があって、四段活用と認められる。ただし、終止形、命令形の確かな例は見あたらない、
とある(精選版日本国語大辞典)。「ざり」系については、
連体形「ざる」に推定・伝聞の助動詞「なり」や推定の助動詞「めり」が付く場合、「ざるなり」「ざるめり」となるが、撥(はつ)音便化して「ざんなり」「ざんめり」となり、さらに「ん」が表記されないで「ざなり」「ざめり」となることが多い(学研全訳古語辞典)、
とも、中世以後の口語では、
「ざり」系では主として「ざった」が目立つほか、連体形の「ぬ」の終止法が一般化した。中世末期には関東では、「ない」が一般化し、関西系の「ぬ」と対立するようになった。関東でも、「ませぬ」の変化した「ません」は広く用いられており、その他慣用的な用法としては「ぬ」系も残っているが、明治以後、国定の読本をはじめ、口語文の標準としては、「ない」に代わられたといってよい、
とある(精選版日本国語大辞典)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
上へ
道の辺(へ)のいつ柴原のいつもいつも人の許さむ言(こと)をし待たむ(万葉集)
の、
上二句は序、「いつもいつも」を起こす、
とあり、
柴原、
は、
雑木林、
いつ、
は、
繁茂を示す接頭語、
とし、
道端の、茂りに茂った雑木林ではないが、いつもいつも、あの人が「はい」と言ってくれる返事をじっと待とう、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
いつしば、
は、
いち柴、
ともいい、
五柴、
とも当て、万葉集の注釈・研究書『万葉集古義』(鹿持雅澄(かもちまさずみ)著、1844年(弘化元)完成)に、
五十之(いつ)萊草(しば)の義と云ふ、
とある(大言海)が、
いつ、
は、
繁茂の意(広辞苑)、
繁く生ひたる莢草(しば)(大言海)、
「いつ」は勢い盛んな、の意(精選版日本国語大辞典)、
イツは稜威。神や自然の勢威(岩波古語辞典)、
茂っている灌木。イツは繁茂をほめる接頭語。(伊藤博訳注『新版万葉集』)
で、
いつ柴、
いち柴、
は、
勢いが盛んに茂った小木(広辞苑・岩波古語辞典)、
茂った小さい雑木(精選版日本国語大辞典)、
繁く生ひたる萊草(しば)(大言海)、
「いつ」は繁茂の意(広辞苑)、
とあり、
雑草と小木ではちょっと違うが、
雑木、
というところなのだろう。で、
いちしばの、
いつしばの、
で、
大原のこの市柴乃(いちしばノ)何時しかと我(あ)が思(も)ふ妹にこよひ逢へるかも (万葉集)、
と、
「いち」と類音の「いつ」を持つ「いつしか」にかかる枕詞、
として使われる。
いつ、
は、
厳、
稜威、
とあて(広辞苑)、
自然・神・(神がこの世に姿を現した)天皇が本来持つ、盛んで激しく恐ろしい力。激しい雷光のような威力。イチシロシ・イチハヤシのイチはこのイツの転(岩波古語辞典)、
漢書・李広傳「威稜憺乎隣国」註「李奇曰神霊之威曰稜」、文選「稜威」(大言海)、
とあり、その由来は、
イタル(至)の義(碩鼠漫筆)、
イキイヅの約(祝詞考)、
気出の義(大言海)、
イツ(息強)の意(日本語源=賀茂百樹)、
イキツヨ(勢強)の略(言元梯)、
勢力より出た語(国語の語根とその分類=大島正健)、
イツは汚れを清めてある意で、アキヅ(明津)の約。イヅ(稜威)はたけだけしいことをいう(古事記伝)、
イはユ(斎)と同語、ツはイツ(出)からか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
神の憑りくることを動詞化してイツといったか(若水の話=折口信夫)、
と、諸説あるが、
神霊之威、
のもつ、
たけだけしさ、
脅威、
が見えない気がして、どれも納得できない。
いつ、
は、
斬(き)りたまひし刀(たち)の名は、天之尾羽張(あめのをはばり)と謂ひ、亦(また)の名は伊都(イツ)之尾羽張と謂ふ(古事記)、
稜威、此れをば伊都(いつ)といふ(神代紀)、
と、
神霊の威光・威力(岩波古語辞典)、
の、
淡雪なす蹴散(くゑはらら)かして稜威の男建(をたけび)蹈(ふ)み建(たけ)びて(古事記)、
と、
勢いの激しいこと、
激しい力のあること、
また、
尊厳な性質があること、
をいい(仝上・大言海・精選版日本国語大辞典)、それを敷衍して、冒頭の歌や、
天霧(あまぎ)らし雪も降らぬかいちしろくこのいつ柴に降らまくを見む(万葉集)、
と、
自然の勢威の盛んなこと、
植物などが激しく生長すること、
の意で使い(岩波古語辞典・広辞苑)、
イツカシ・イツシバのように複合語となる、
とある(仝上)。だから、
弱肩爾太襷取掛天、伊都幣能緒結(出雲国造神賀詞)、
と、
忌む浄むること(大言海)、
神聖であること(岩波古語辞典)、
斎(い)み浄められていること(広辞苑)、
の意味は、
神威、
の故に、後から出てくる意味と思われる。なお、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
威、イカメシ・ヨソホヒ・カカヤク・オソロシ・カシコシ・カシコマル・オドス・オヅ・サトル・スナハチ・イカメシ・ヒトシ、
不威、カシコマラズ、
疾威、スミヤカニス
嚴、カザル・ヨソフ・イツクシ・ハゲシ・トトノフ・キビシ・ウヤマフ・タフトシ・スミヤカナリ、
字鏡(平安後期頃)に、
威、カシコシ・ヲドス・カシコマル・サトル・ヨソホヒ・カカヤク・ホコソル・チカラナリ・イカメシ・ヒトシ・スナハチ
とある。
「厳」(漢音ゲン、呉音ゴン)異体字は、
嚴(旧字体/繁体字)、
とあり、字源は、
「嚴」の略体、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%B3)。
「嚴」(漢音ゲン、呉音ゴン)の異体字は、
䉷(「䉷」の同字)、严(簡体字)、厳(新字体)、澉(「澉」の通字)、𡃫(同字)、𡅮(古字)、𡅴(同字)、𡅾(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%B4)字源は、「いち柴」で触れたように、
会意兼形声。𠪚(ガン)は、いかつくどっしりした意を含む。巌(ガン 岩)の原字。嚴は、それを音符とし、口二つ(口やかましい)を加えた字。いかついことばを使って口やかましく厳しく取り締まることを示す(漢字源)、
会意兼形声文字です(山+厳)。「連なった、やま」の象形(「山」の意味)と「口の象形×2」(「きびしくつじつまを合わせる」、「きびしい」の意味)から、厳しい山を意味し、そこから、「高い」、「険しい」、「いわお」を意味する「巌」という漢字が成り立ちました。「厂+敢」は音を明らかにする為に後で追加されました(https://okjiten.jp/kanji2431.html)、
と、会意兼形声文字とあるが、他は、
形声。「喦」+音符「敢 /*KAM/」。「おごる」「誇張する」を意味する漢語{譀 /*gaams/}を表す字。のち仮借して「きびしい」を意味する漢語{嚴
/*ngam/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%B4)、
形声。意符吅(けん)(言いたてて責める)と、音符𠪚(ガム)→(ゲム)とから成る。きびしく命令する意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、
形声。声符は𠪚(げん)。𠪚は嚴の初文。嚴は𠪚の上に祝の禱器(ᗨ(さい))を並べた形。金文には三口(ᗨ(さい))を列する形がある。𠪚は〔説文〕厂(かん)部九上に「崟(きん)なり」と巉巌の意とし、また嚴二上には「ヘ命急なるなり」とするが、𠪚・嚴の字義に関するところがない。𠪚は嚴の初文で、金文に敢・𠪚・嚴を同義に用いる。「敢て」というのは「粛(つつし)みて」というのと同じ。敢は鬯酒(ちようしゆ)(におい酒)を酌(く)む形で灌鬯(かんちやう)の儀礼を示す。厂は崖下の聖所を示す形であるが、金文の字形は廟屋に従う。廟中で灌鬯の儀礼を厳修する意。金文の〔犭+首鐘(はつしよう)〕に「先王其れ嚴として帝の左右に在り」とみえ、多く神事に関して用いる(字通)、
と、形声文字としている。
「威」(イ)は、
会意文字。「女+戌(ほこ)」で、か弱い女性が武器でおどすさまを示す。力で上から押さえる意を含む(漢字源)、
会意形声。女と、戌(シユツ→ヰ こわがらせる)とから成り、おそれさせる、おびやかす意を表す(角川新字源)、
会意文字です(女+戉)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「大きな斧」の象形から、女性を斧でおどすさまを表し、そこから、「おどす」を意味する「威」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1284.html)、
会意。「戌」(武器)+「女」。{威 /ʔui/}(おどす)や{畏 /ʔuis/}(おそれる)を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A8%81)、
会意。戉(えつ)+女。〔説文〕十二下に戌と女との会意とし、「姑なり。〜漢律に曰く、婦は威姑に告ぐ」と漢律の語を引く。西周の金文に「威義」の語があり、〔詩〕〔書〕には「威儀」に作る。字形を以ていえば、戉は鉞(まさかり)。女子が廟事をつとめるとき、聖器としての鉞で清め、その威儀を正す意。威儀のあることを原義とする(字通)
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
真野(まの)の池の小菅(こすげ)を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか(万葉集)
の、
縫ふ、
は、
契ることの譬え、
とし、
その菅を笠に編みあげもしないように、
と、
訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
遠名、
は、
噂、
とし、
遠くまで広がる私の噂を立ててよいものか、
と訳す(仝上)。
遠名、
は、
広く世間に知れわたっている名、
遠くまで広まっている評判、
の意で、
八島國(やしまくに)妻枕(ま)きかねて遠遠(とほとほ)し高志(こし)の國に賢(さか)し女(め)ありと聞かして(古事記)、
と、
いかにも遠い、きわめて遠方であること、また、そのさま、
意、また、
世の有様など、覚し分くまじくは見奉らぬを、うたて、とほとほしくのみ、もてなさせたまへば(源氏物語)、
と、
いかにも疎遠である、久しく音信がないこと、また、そのさま、
の意などで使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)、
遠遠(とほとほ)し
も、
遠名、
も、
遠し、
の語根と思われるが、
遠し、
は、
近し、
の反で(大言海)、
二つのものが空間的、時間的に、また心理的に離れているさま(デジタル大辞泉)、
関係が切れてしまうほど相手との間に距離がある意。空間的にも時間的にも、心理的関係などにも用いる。類義語ハル(遥)ケシは、両者の中間に広々とした何もない空間が広がって存在する意(岩波古語辞典)、
とある。
椽(たりき)に結ひし髪を解かす間に、遠く逃げたまひき(古事記)、
と、
空間・距離のへだたりが大きい、はるかに離れている、へだたっている、
意や、
天地(あめつち)の遠き初めよ世の中は常なきものと語り継ぎ流らへ来たれ天の原振り放(さ)け見れば(万葉集)、
と、
時間のへだたりが大きい、ほど久しい、
意とともに、それをメタファに、
明日香川明日(あす)も渡らむ石橋の遠(とほき)心は思ほえぬかも(万葉集)、
と、
心のつながりが緊密でない、親しくない、うとい、
と、心理的な距離にも使う(精選版日本国語大辞典)。
「遠」(漢音エン、呉音オン)の異体字は、
远(簡体字)、逺(俗字)、𢕱、𨖸、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%A0)、字源は、
会意兼形声。「辵+音符袁(エン 間があいて、ゆとりがある)」(漢字源)、
会意兼形声文字です(辶(辵)+袁)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「足跡の象形と玉の象形と身体にまつわる衣服のえりもとの象形」(衣服の中に玉を入れ、旅立ちの安全を祈るさま(様)から、「とおざかる」の意味)から、「とおくへ行く」を意味する「遠」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji212.html)、
と、会意兼形声文字とするものがあるが、他は、
形声。「辵」+音符「袁 /*WAN/」。「とおい」を意味する漢語{遠 /*wanʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%A0)、
形声。辵と、音符袁(ヱン)とから成る。距離が長い、ひいて「とおい」意を表す(角川新字源)
形声。声符は袁(えん)。〔説文〕二下に「遼(はる)かなり」とし、遼と互訓。袁は死者の衣襟のうちに玉(〇)を加え、枕もとに之(あし、はきもの)を加えて、遠く送る意。それより遠方・遐遠の意となる(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
上へ
さす竹の節(よ)隠(ごも)りてあれ我(わ)が背子が我がりし來(こ)ずば我(あ)れ恋ひめやも(万葉集)
の、
さす竹の、
は。
節(よ)の枕詞、
さす竹の節(よ)隠(ごも)りてあれ、
を、
生(は)え立つ竹の節(ふし)の間にこもるというではないが、
と訳し、
節(よ)隠(ごも)りてあれ、
を、
男女のことに関係せず引き隠っていてほしい、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
よごもる、
は、
語義未詳。竹の節(よ)の中にこもる、また、そのようにこもる意か、
とある(精選版日本国語大辞典)が、
節隠り、
とあて、
節(ふし)の中にこもる、
意としている(岩波古語辞典)ものもある。原文は、
刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方
で(https://manyoshu-japan.com/10805/)、
歯隠(よごもり)、
となっていて(精選版日本国語大辞典)、
伸びて天を刺す竹の子の葉が巻き隠れているように(https://manyoshu-japan.com/10805/)、
しっかりした竹の節に隠れるように(https://manyoshu-japan.com/10805/)、
といった訳になっている。「隠る」のメタファのもとがわからないので、解釈が異なっている。
さす竹(たけ)の、
は、
さすだけの、
ともいい(岩波古語辞典)、
刺竹(さすたけ)の君はや無き飯(いひ)に飢(ゑ)臥(こや)せるその旅人(たびとむ)あはれ(日本書紀)、
そこ故に皇子(みこ)の宮人(みやひと)行方知らずも〈一に云ふ刺竹之(さすたけの)皇子の宮人ゆくへ知らにす〉(万葉集)、
と、
竹が勢いよく生長することから、繁栄を祝っていう(広辞苑)、
「瑞枝さす」「五百枝さす」などの「さす」と同語で、竹が勢いよく生長することから宮廷をほめたたえる事柄に用い、それを舎人などにも転用したと考えられ、「さす」は生え伸びる意で、竹が勢いよく生長するところから、君・宮廷をたたえる意で用いたものという(精選版日本国語大辞典)、
サスは「水枝さす」のサス、生えて伸びる意。竹は勢いよく生長するので、領主・宮廷などの長寿繁栄をねがうほめことばとして使われた(岩波古語辞典)、
根ざし、枝ざし、葉ざし繁れる竹の如きの意(和訓栞)。「發(さ)す」は發(た)つと音通(八雲立つ、八雲發(さ)す。腐(くた)る、くさる。塞(ふた)ぐ、ふさぐ)(万葉集「み雪降る冬の朝(あした)は刺し柳(やなぎ)根張(ねは)り梓を大御手(おほみて)に取らしたまひて遊ばしし」「さす竹の節(よ)隠(ごも)りてあれ我(わ)が背子が我がりし來(こ)ずば我(あ)れ恋ひめやも」)。繁栄を以て、君(キミ 天皇)、皇子(みこ)を称(たた)え、皇子の宮なるを、言馴れては、略して、さすだけの大宮と云ひ、叉、大宮を略して、さすだけの舎人とかかるなり、あしびきの山を略して、あしびきの(山の)木間(このま)と云ひ、ぬばたまの夜なるを、ぬばたまの(夜の)夢と云ふが如し(大言海)、
などとあり、
「君」「皇子(みこ)」「大宮」「宮人」「舎人(とねり)」などにかかる枕詞、
である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。さらに、冒頭の歌のように、
「さすたけ」を「刺竹」と解して竹の節(ふし)を「よ」というから、同音を含む「よごもる」にかかるか。一説に「さすたけのよ」までを「こもる」の序詞とする、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
「よごもる」にかかる枕詞、
とも解される(精選版日本国語大辞典)。また、後世、
散りもせじ衣に摺れるささ竹の大宮人のかざす桜は(新勅撰集)、
ささ竹の大宮人は訪ひも来(こ)ず葉分けの月を独りこそ見れ(続千載集)、
と、
此枕詞を、ささ竹の、と転じて、歌に詠めり、
とあり(大言海)、和訓栞は、
篠竹也、大宮人とつづけるば、もと、さすたけなるを、仙覚抄ささ竹と読めり、是れは万葉集「左檜隈(さひくま)檜隈川(さ檜(ひの)隈檜(くまひの)隈川(くまがは)に馬留(とど)め馬に水飼(か)へ我(わ)れよそに見む)」とあるを、古今和歌集「ささのくま檜隈川(ひのくま)に駒とめてしばし水かへ影をだに見む」ととしたるに同じかるべし、
としている。
さす、
さす、
で触れたように、
さす、
に当てる字は、
止す、
刺す、
挿す、
指す、
注す、
点す、
鎖す、
差す、
捺す、
等々とある(「令(為)す」という使役は別にしているが、大言海は、そのほか、「發す」「映す」「フす(ささげる意)」を載せる)。文脈依存で、会話では「さす」で了解しあえても、文字になった時、意味が多重すぎる。で、漢字を借りて、使い分けたとみえる。しかし、「さす」は、連用形「さし」で、
差し招く、
差し出す、
差し迫る、
と、動詞に冠して、語勢を強めたり語調を整えたりするのに使われるが、その「さし」は、使い分けている「さす」の意味の翳をまとっているように見える。
さす、
は、最も古くは、
自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向がはたらき、目標の内部に直入する意、
とある(岩波古語辞典)。で、
射す、
差す、
と当てる「さす」は、
自然現象において活動力が一方に向かってはたらく、
として、
光が射す、枝が伸びる、雲が立ち上る、色を帯びる、
等々といった意味があり(仝上)、
指す、
差す、
と当てる「さす」は、
一定の方向に向かって、直線的に運動をする、
として、
腕などを伸ばす、まっすぐに向かう、一点を示す、杯を出す、指定する、指摘する、
等々といった意味がある(仝上)。
刺す、
挿す、
と当てる「さす」は、
先の鋭く尖ったもの、あるいは細く長いものを、真っ直ぐに一点に突き込む、
として、
針などをつきさす、針で縫い付ける、棹や棒を水や土の中に突き込む、長いものをまっすぐに入れる、はさんでつける、
等々といった意味がある。
さす竹、
に、
刺す、
を当てている所以である。
鎖す、
閉す、
と当てる「さす」は、
棒状のものをさしこむ意から、ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする、
として、
錠をおろす、ものをつっこみ閉じ込める、
といった意味がある(仝上)。
注す、
点す、
と当てる「さす」は、
異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる、
として、
注ぎ入れる、火を点ずる、塗りつける、
といった意味がある(仝上)。
止す、
と当てる「さす」は、
鎖す意から、動詞連用形を承けて、
として、
途中まで〜仕掛けてやめる、〜しかける、
という意味がある。
こう見ると、「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが、
何かが働きかける、
という意味から、それが、対象にどんな形に関わるかで、
刺す、
や
挿す、
や
注す、
に代わり、ついには、その瞬間の経過そのものを、
〜しかけている、
という意味にまで広げた、と見れば、意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると、
「刺す」
と
「指す・差す・射す・挿す・注す」
と、項を分けている説もある(日本語源広辞典)が、結局、
刺す、
を原意としている。
刺す、
を、
表面を貫き、内部に異物が入る意です。または、その比喩的な意の刺す、螫す、挿す、注す、射す、差すが同語源です、
とある(仝上)。別に、
刺す・鎖す
と
差す・指す・射す、
と項を別にしつつ、
刺すと同源、
としている(日本語源大辞典)ものもあり、結局、
刺す、
に行きつく。では「刺す」の語源は何か。
サス(指)の義(言元梯・国語本義)、
指して突く意(大言海)、
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健)、
物をさしこみ、さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹)、
進み出す義(日本語源=賀茂百樹)、
サカス(裂)の義(名言通)、
サはサキ(先)の義、スはスグ(直)の義(和句解)、
等々と諸説あるがはっきりしない。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると、
物をさしこみ、さしたてる際の音から、
というのは捨てがたい気もする。
さす、
を、
「指す」は基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのです、
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味です、
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです、
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります、
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること、
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと、
「点す」は目薬をつけることを表します、
と、意味の使い分けを整理している(http://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.html)が、単に、現時点での漢字の使い分けに従っているに過ぎない。漢字は、
「刺」は、朿(シ)の原字は、四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。「刺」は「刀+音符朿(とげ)」。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は、束ではない。もともと名詞にはシ、動詞にはセキの音を用いたが、後に混用して多く、シの音を用いる、
「挿(插)」は、臿(ソウ)は「臼(うす)+干(きね)」からなり、うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち、手を添えてその原義をあらわす、
「指」は、「手+音符旨」で、まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は、ここでは単なる音符にすぎない、
「差」は、左はそばから左手で支える意を含み、交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差して支えると、上端は]型となり、そろわない、そのじくざぐした姿を示す、
「注」は、「水+音符主」。主の字は、「ヽは、じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は、灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので、じっとひとところにとどまる意を含む」で、水が柱のように立って注ぐ意、
「点(點)」は、占は「卜(うらなう)+口」の会意文字で、占って特定の箇所を撰び決めること。點は「黒(くろい)+音符占」で、特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く、
「鎖」は、右側の字(音サ)は、小さい意。鎖は素家を音符とし、金を加えた字で、小さい金輪を連ねたくさり、
といった由来があり、多く漢字の意味に依存して、「さす」を使い分けたように見える。
ちなみに、
差す、
は、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、自動詞サ行四段活用、
刺す・挿す、
注す・点す、
指す・差す、
は、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、他動詞サ行四段活用である(学研全訳古語辞典)。なお、
よ(節)、
節、
を、
よ、
と訓ませると、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
節、両節間、ヨ、
和名類聚抄(931〜38年)にも、
節、両節間、輿、
とあるように、
節(ふし)と節の間、
の意だが、そこから、転じて、
おおきなる竹のよ(節)をとほして入道の口に当て、もとどりを具してほりうづむ(平治物語)、
と、
節(ふし)、
そのものの意でも使う。この、
よ(節)
は、
代・世、
と当てる、
よ、
と同根、
とされ(広辞苑・岩波古語辞典)、
よ(代・世)、
もまた、
ヨ(節)の義(俚言集覧・大言海・海上の道=柳田国男)、
ヨは間の義(松屋筆記)、
ヨ(間)の義、年と年との間の義(言元梯)、
ヨ(代・世)、ヨ(節)はともにヤ(弥)を語源とする(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
と、
よ(節)、
につなげる説が大勢である。思うに、
節と節の間、
をメタファにして、
よ(世・代)、
の意味に敷衍したと思われる。それは、
ふし(節)、
せつ(節)、
等々の意味の広がり方とも通じる気がする。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
上へ
海原(うなばら)の沖つ縄海苔(なはのり)うち靡(なび)き心もしのに思ほゆるかも(万葉集)
の、
上二句は序、「うち靡く」を起こす、
とあり、
縄海苔、
は、
縄状の細長い海藻、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
心もしのに、
は、
心が萎(しを)れて、
の意とある(斎藤茂吉「万葉秀歌」)。
しの、
は、
草や藻などが風や波などになびきしなうさまをいう、
とある(精選版日本国語大辞典)ので、
心もしなうばかりに、
心もぐったりして、
という意になるが、
心もうちひしがれて、
心もしおれるように、
のほうが(学研全訳古語辞典)ぴったりくる気がする。ここでは、
縄海苔が揺れで靡くように、ただ慕い寄って、心がしおれるばかりに、
と訳す(仝上)。
沖つ縄海苔(おきつなわのり)、
は、
沖に生えている縄海苔の、そのようすから「なびく」の、また、縄海苔をたぐることから「来る」「繰る」の序詞としても用いられる、
とある(精選版日本国語大辞典)。
なはのり、
は、
縄海苔、
とあて、
縄のように細長い海藻。海索麺(うみぞうめん)のことをいうか(精選版日本国語大辞典)、
縄のように細長い海藻。うみそうめん(アメフラシの卵塊)のことともいう(デジタル大辞泉)、
海素麺(うみそうめん)の古名(広辞苑)、
縄のように細長い海苔の意、ウミゾウメンの古名(岩波古語辞典)、
今のウミサウメン(海素麺)ならむと云ふ(大言海)、
とあり、
本州各地海岸の干潮線付近の岩に生える円柱状・暗紅色の海藻、食用にする、
という(岩波古語辞典)。
縄海苔の、
は、
朝なぎに來寄(きよ)る深海松(ふかみる)夕なぎに來寄(きよ)る縄海苔(なはのり)深海松(ふかみる)深めし子らを縄海苔(なはのりの)引けば絶ゆとや(万葉集)、
と、
なわのりは引くと切れやすい意から、「引けば絶ゆ」にかかる枕詞、
としても使う(デジタル大辞泉)。
うみぞうめん、
とも、
うみそうめん、
とも訓む、
海索麺、
は、
海産の紅藻類、ウミソウメン科の海藻。北海道以南の外洋で干満線間の岩上や貝殻の上に密生する。長さ一〇センチメートルから、まれに三〇センチメートルに達し、直径二ミリメートルくらいで濃紅紫色のひも状。体はほとんど分岐せず寒天質で粘性がある。夏採集して、塩漬けまたは乾燥して貯蔵し、三杯酢で食べる、
とある(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)が、別に、俗に、
ウミソウメン、
といっているものに、
アメフラシ・タツナミガイなどの卵塊、
がある。
ゆでたそうめんのような形をし、色は紅・黄・橙色など種々、膠質の紐の中に包み込まれている卵から幼生が孵化する。三〜五月に海岸の岩の下や海藻の間などにみられる、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
アメフラシ、
は、
雨虎、
雨降、
とあて、
うみうさぎ、
ともいい、
腹足綱アメフラシ科の腹足類。巻貝の仲間で、退化した薄い貝殻が体内にある。体長20〜30センチメートル、ナメクジに似て軟らかく、暗紫色の地に鮮やかな細かい多数の白色斑紋がある。春、磯で見られ、強く触れると、濃紫色の汁を出す。海藻を食べるが、特に緑藻を好む。黄色い卵塊を海素麺という。雌雄同体で、数尾連鎖交尾を行う、
とある(広辞苑)。近縁に、
アマクサアメフラシ・ジャノメアメフラシ、
などがある(デジタル大辞泉)。
うみうさぎ、
というのは、英語で、
Sea hare(Hareは野ウサギのこと)、
と呼ぶためで、上に突き出した触角がウサギの耳に見えるからだという(https://www.tajima.or.jp/nature/animal/119345/)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
上へ
海(わた)の底奥(おき)を深めて生(お)ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき(万葉集)
の、
上三句は序、同音で「もとも」を起こす、
とあり、
もとも、
は、
最も、
とし、
もっとも激しく、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
もとも、
は、
尤も、
最も、
とあて、
元(もと)よりもの略か、或は云ふ、真(ま)に通ふも(最中(もなか)など)を、最(も)と最(も)と重ねたる語ならむ、
とあり(大言海)、
第一にすぐれて、
の意で、転訛して、
もっとも、
となる(広辞苑・大言海)。聚名義抄(11〜12世紀)に、
尤、モトモ、
最、モトモ、
色葉字類抄(1177〜81)に、
尤、モトモ、最、
とある。
もとも、
は、副詞として、かなり、
もっとも、
の意味と重なるところがあり、たとえば、
げにあはれに悲しき事なり。されど世間を見思には、もともこれあべき事なり(栄花物語)、
では、
本当に、
いかにも、
なるほど、
の意、冒頭の歌では、
非常に、
とりわけ、
たいそう、
他をこえて、
他のすべてにまさって、
といった意になるが、名詞として、
御らんぜんにもともなりけりなどいへど(蜻蛉日記)、
と、
当然、
当然そうあるべきであること、
あたりまえ、
の意で使うが、
もとも、
では、他に、副詞として、
もとも心ふかからぬ人にて、慣らはぬつれづれのわりなくおぼゆるに、はかなきことも目とどまりて(和泉式部日記)、
と、
もともと、
本来、
の意味で使う(精選版日本国語大辞典)。
もとも、
の転訛した、
もっとも、
は、
モトモの促音化(岩波古語辞典)、
モ(この上なく。一番。まこと)+ともの促音化(日本語源広辞典)、
「モト(本元・原初)にモを加えた副詞。本、元、初が、最高だという思いによる語(仝上)
(名詞「もっとも」は)最の義、理に合ふより転ず、(副詞「もっとも」は)もともの音便(大言海)、
モ(最)を重ねた語(国語の語根とその分類=大島正健)、
最ツ最の義(日本語源=賀茂百樹・俚言集覧)、
韓語で長・初の意のマトに助語モを添えたもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
マトモノモト(実本)の反(名語記)、
モトヲモツ(本持)の義か(和句解)、
モトオモ(本重)の義(名言通)、
モツオモ(持重)の約(国語本義)、
オモ(思)ツテモの義(言元梯)、
等々とあり、どうやら、
モト、
という語にかかわるとは推定できるが、どうもすっきりしない。
もと、
は、
本・元・原・基・許・素・源・根・幹・下・因、
等々とあて(岩波古語辞典・広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)、
草木の株・根本が原義、古くは「うら(末)」「すゑ(末)」の対。立っているものが地面や床に接する所の意に広がり、人の本拠とする所、居所、根本、基礎などの意に発展、時間に転じて、本来、昔、以前などの意、
とあり(岩波古語辞典)、
持處(もつと)の略か、或は、真處(まと)の転かと云ふ(大言海)、
語源はモト(下)です。立っているものの下部、根の回り、根拠地の意(日本語源広辞典)、
最所の義(俚言集覧・名言通・和訓栞)、
マト(真処)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
モはシモ(下)の略、トはトコロの略(日本釈名)、
ウムト(産所)の義(言元梯)、
木の根本の方は丸くて強いところからマロツヨ(円強)の反、またモトトモ(本友)の反(名語記)、
樹木の萌芽するところの意でモト(萌処)の義(国語溯原=大矢徹)、
マタ(股)の転(和語私臆鈔)、
モツトコロの義(和句解)、
等々の所説はどれもいかがわしい、音だけからいえば、
持處(もつと)、
だが、意味が分からない。単純に、
もと、
の派生と見て、
もとは、
もとに、
もとも、
等々、助詞がついたと見た方がいいような気がする。
閑話休題、
で、
もっとも、
の用例を見ておくと、厳密には、
尤も、
とあてる、
もっとも、
は、
まことにさにこそ候ひけれ。もっとも愚かに候ふ(徒然草)、
と、
その事柄について疑問がなく、同感・肯定できるさま、
に対し、
本当に、
いかにも、
なるほど、
当然、
の意で、その名詞的使い方が、
数千人の大衆先陣より後陣まで、皆尤々とぞ同じける(平家物語)、
と、
道理にかなっていること、なるほどその通りだと思われること、
その事柄がなんら疑問の余地のないこと、当然そうあるべきであること、
に対して、
当然、
当たり前、
の意で、
尤もな言い分、
いやがるのも尤もなことだ、
と使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉)。この用法に、やがて、
いかにも…であるが、
の意で後ろに逆接で続く文、フレーズに含まれるものが目立つようになり、それが、近世になると、
是程まで身をこらし浅ましき勤め、尤(モットモ)給銀は三百目五百目八百目までも段々取しが(浮世草子・好色一代女)、
と、逆接の接続詞として、
前の事柄を受けながらも、それに対立的・反対的な条件や補足をつけ加えることを示し、前の事柄を肯定しつつ、例外あるいは一部相反する内容を補足する、
ときに用い、
なるほどそうだが、
そうはいうものの、
一方で、
ただし、
という意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)にいたる。
最も、
とあてる、
もっとも、
は、肯定文の中で用いる副詞として、
まづ世に四恩候ふ。…その中にもっとも重きは朝恩なり(平家物語)、
と、程度のはなはだしいさまを表し、
非常に、
とりわけ、
たいそう、
他をこえて、
他のすべてにまさって、
の意で使い、否定文では、
をかしき事にもあるかな。もっともえしらざりけり。興あること申たり(竹取物語)、
と、
少しも、
全然、
決して、
全く、
の意で使う(仝上・学研全訳古語辞典)。なお、
もっとも、
は、院政期頃より、慣用的に、
もっともしかるべしとて、一門五十余人、いでたちたり(曾我物語)、
と、「しかるべし」を修飾する用法が増加して、「もっとも」一語で、
もっともしかるべし、
の意味を表わすようになる(精選版日本国語大辞典)。中世後期には、
今夜の発向尤也(保元物語)、
と、
「もっとも」を語幹とする形容動詞、
もっともなり、
が成立する(仝上)。
もっともらしさ、
で触れたが、
最も、
と当てる、
最、
は、
最上、
最初
という意味で、「最」は、
おおい+取る
で、かぶせたおおいをむりやりにおかして、少量ずつ、つまみ取ることを示す、という。もともとは、「極少」の意味なのに、「少ない」の意を失って、「いちばんひどく」の意となったとされる(漢字源)。日本語で言うと、
最、
は、
「いとど」と訳す。はなはだの意で、優れて異なる、という意味、日本語で言うと、
けやけし、
になる。
けやけし、
とは、
異様だ
際立つ
こしゃくである
と辞書にある。「もっとも」と言いつつ、
確かに理屈に合っているが、小癪、小賢しい、と感じているということだ。つまりは、心のどこかで、
?
を感じている、という意味だ。
もっともらしい、
とは、兎角言い得て妙である。ちなみに、
もっとも、
を使うフレーズには、
もっと(尤)もごかし(何事にも「御尤も」と言って、人の意を迎えること)、
もっと(尤)も至極(非常にもっともであること、もっとも千万)、
もっと(尤)も千万(仝上)、
もっと(尤)も役(「御尤も」と相槌を打つぐらいしかせりふのない端役)、
もっともらしい(いかにも道理にかなったようである)、
等々がある。
「尤」(漢音ユウ、呉音ウ)は、
会意文字。「手のひじ+一印」で、手のある部分に、いぼやおできなど、思わぬ事故の生じたことを示す。災いや失敗が起こること。肬(ユウ こぶ)・疣(ユウ こぶ)の原字。転じて、とりわけ目立つ意となる(漢字源)、
とあるが、他は、
象形。手の指にいぼができている形にかたどる。いぼの意を表す。「肬(イウ)」の原字。ひいて、突出している意に用いる(角川新字源)
象形。呪霊をもつ獣の形。その呪霊によって、人に尤禍をもたらすことができた。〔説文〕十四下に「異なるなり。乙に從ひ、又(いう)聲」とするが、祟(すい)と同じく、呪儀に用いる獣の象形。求もそのような呪獣の形で、それを殴(う)つ共感呪術は救、その法は術、また祟を殴つ字は殺で、減殺(げんさい)、他からの禍殃を減殺する意である。卜辞に「尤山+丄(あ)るか」のように尤禍の意に用いる。その呪霊は畏るべきものであるから尤異の意となり、尤甚の意となる(字通)、
と、象形文字とするもの、
指事文字です。「手の先端に一線を付けてた文字」から、「異変(異常な現象)としてとがめる」を意味する「尤」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2423.html)、
と、指事文字(抽象的概念を点や線の位置関係等で示す)とするものとに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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隠(こも)りには恋ひて死ぬともみ園生(そのふ)の韓藍(からあゐ)の花の色に出(い)でめやも(万葉集)
の、
み園生以下二句は序、「色に出(い)づ」を起こす、
とあり、
思いを内に隠したまま恋い焦がれて死んでしまおうとも、お庭に咲く鶏頭の花の色のようにはっきり顔に出したりなどいたしましょうか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
韓藍、
は、
「けいとう(鶏頭・鶏冠花)」の古名、
である(精選版日本国語大辞典・大言海)。その由来は、
外来の藍の意。その紅色の花汁をうつし染めに用いたところから(精選版日本国語大辞典)、
赤藍(あからあゐ)の上略、葉、藍に似て、花、赤き意なるべし(大言海)、
もともと韓の地から渡って来たので、韓藍の義(東雅・尾崎雅嘉随筆・槻の落葉信濃漫録・万葉集の恋歌=折口信夫)、
韓渡来の藍の意で。呉の藍すなわちクレナヰに対する(時代別国語大辞典−上代編)
葉の形状が、強い辛味のある蓼に似るので、辛藍(アラアヰ)というか(東雅)、
等々諸説あるが、単純に、外来なので、
韓(から渡来の)藍、
でいいのではないか。
園生、
は、
園(その)に同じ、
とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)にも、
園、ソノ・ソノフ、
苑囿、ソノフ、
とある。
生(ふ)、
は、
植物の生えている所の意(岩波古語辞典)、
フ(生)はオフ(生)の略にて、草木の萌え出づる義、転じて其處(大言海)、
とある。
浅茅生(あさぢふ)、
で触れたことだが、
フ、
は、
芝生、園生(そのふ)の生(ふ)なり、
とあり(大言海)、
生(フ)、
は、
生(お)ふの約、音便に、ウと云ふ、
ともあり(仝上)、
生えた所、
の意(岩波古語辞典)である。で、
園生、
は、
植物を植えて栽培する庭園、その(デジタル大辞泉)、
植物を栽培する園。その。庭(精選版日本国語大辞典)、
ということになる。
その、
は、
園、
苑、
とあて、
花卉(かき)・果樹・野菜などを植える庭園(岩波古語辞典)、
野菜・果樹・花卉などを栽培するための一区画の地、庭園(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
で、
園芸・茶園・菜園・田園・農園・薬園、
等々にあてている(デジタル大辞泉)。和名類聚抄(931〜38年)には、
園圃、所以城養禽獣也、曾乃布、
とあるので、
鳥や獣などを飼うために囲った一区画の土地、
の意でも使ったようだ(精選版日本国語大辞典)。今日、
園地・園庭・開園・学園・公園・造園・庭園・梅園・閉園・名園・楽園・霊園・動物園、
等々、
一定の目的でこしらえた庭や区域、
に、「園」を当てる(デジタル大辞泉)のはこの意味の延長線上にある。また、この意から少し意味の外延を広げて、
歴く文の囿(ソノ)を観泛く辞の林を覧るに(猿投本「文選正安四年点(1302)」)、
と、
特定の場所。何かが行われる場所、また、ある特定の世界、
の意で使うが、今日、
学びの園、
いくさの園(増鏡)、
女の園、
といった使い方をする。この他に、斎宮の忌詞(いみことば)、
として、
穴をいう(俚言集覧)、
ともある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
園、
の由来は、
背野(その)の義にて、後園の意、前栽に対する語とも云ふ(大言海)、
「ソ(背・後)+野」です。後の野、後背地にあるの、の意です(日本語源広辞典)、
後園をいうソノ(背野)から(和訓栞)、
背野とする説は、誤り。背野ならば、sönoだが、園はsönö(岩波古語辞典)、
ソ(苑)という語にノ(野)が結合。ノはもと甲類であるが、乙類ソの母音同化によって乙類となる(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
後園をいふソノフの約、ソは背、ノは詞助、フはアハフ(粟田)、マメフ(豆田)のフ(東雅)、
クサオフシノ(草花生為野)、またソトニハオフ(外庭生)の義(日本語原学=林甕臣)、
スゴクノドカの意のスコノトの反(名語記)、
家に添ってあるところから、ソフノ(添野)の義(名言通)、
側野の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
サノ(狭野)の義(言元梯)、
ソナヒ(具)したところ(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々とあり、はっきりしない。ちなみに、
前栽(ぜんざい)、
は、平安時代は、
ぜんさい、
と清音で、
やり水かきはらひ、せんさいのもとだちもすずしうなしなどして(源氏物語)、
と、
建物の前庭・中庭などに植えこんだ草木、また植込のある庭、
をいう(岩波古語辞典)。
園(その)、
は、
薗、
とも書き、
日本の古代・中世における畠地の一種、
で、本来
園地(えんち 園、園圃)、
は、律令国家は、
主として園地に桑とウルシの栽培を指定した。それらの栽培作物は調庸収奪の不可欠な原料であったが、当時の農民にとって生活必需物ではなかったから、政府が桑漆帳を進上させるなどの実状把握に努めたにもかかわらず、その栽培状況は必ずしも十分ではなかった。むしろ実際には、果樹、蔬菜、雑穀などが園地でつくられていたのである。また園地以外の古代の畠地としては、令外の制である陸田があったが、それとは輸地子地(ゆじしち)でない点と栽培物の種類とが異なっていた、
とあり(世界大百科事典)、律令体制の崩壊にともなって、特定地方を除いては史料上から消えていった(仝上)とある。
「園」(漢音エン、呉音オン)の異体字は、
园(簡体字)、苑(の代用字)、薗、𡈤(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%92)。字源は、
会意兼形声。袁(エン)は、ゆったりと体を囲む衣。そのは「囗+音符袁」(漢字源)、
以外は、すべて、
形声。「囗」+音符「袁 /*WAN/」。「その」を意味する漢語{園 /*wan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9C%92)、
形声。囗と、音符袁(ヱン)とから成る。果樹・野菜などを植える「その」の意を表す(角川新字源)、
形声文字です。「周辺を取り巻く線」(「囲(かこ)い」の意味)と「足跡・玉・衣服」の象形(衣服の中に玉を入れ、旅立ちの安全を祈るさま(様)から、「遠ざかる」の意味だが、ここでは、「圜(えん)」に通じ(同じ読みを持つ「圜」と同じ意味を持つようになって)、「巡る」の意味)から、囲いを巡らせた「その」を意味する「園」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji270.html)、
形声。声符は袁(えん)。〔説文〕六下に「果を樹(う)うる所以なり」とする。園廟・園陵・園塋など墓域に関する語が多く、もと墓地に植樹する意の字であろう(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして(万葉集)
の、
乱れなば、
は、
再燃してまた乱れたら、
と解し、
死なまくのみぞ、
を、
もはや死ぬしかない、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
玉の緒、
は、文字通り、
玉を貫き通した緒、
で、
首飾りの美しい宝玉をつらぬき通す紐、
または、
その宝玉の首飾りそのもの、
をも指し、
玉飾り、
ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。中古以後には、転じて、
草木におりた露のたとえ、
として用いられるようになり(精選版日本国語大辞典)、
玉をつなぐ緒が短いところから、
短いことのたとえ、
に用いるようになる(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。さらに、
魂(たま)を身体につないでおく緒、
つまり、
魂の緒、
の意で、
生命。いのち、
の意で使い、枕詞として、
玉の緒の、
は、
玉の緒が切れる、
の意で、
新世(あらたよ)に共にあらむと玉緒乃(たまのをノ)絶えじい妹と結びてし言(こと)は果さず(万葉集)、
と、「絶ゆ」にかかる(精選版日本国語大辞典)。
死なまく
の、
死ぬ、
は、
な/に/ぬ/ぬる/ぬれ/ね、
と、自動詞ナ行変格活用で、その、
しぬ(死ぬ)の未然形+まく、
で、
まく、
は、
推量の助動詞「む」のク語法、
と、
……しようとすること、
……だろうこと、
の意となる(広辞苑・デジタル大辞泉)。助動詞、
む、
は、
(ま)|○|む(ん)|む(ん)|め|○、活用語の未然形に付く(デジタル大辞泉)、
活用は「ま・◯・む・む・め・◯」。四段型活用(精選版日本国語大辞典)、
とあるが、
動詞・助動詞の未然形を承ける語で。む・む・め、と活用する。「ま」という活用語があるように見えるが、それは、「行かまく」「見まく」など、「まく」の形の場合であり、これはいわゆるク語法(用言の語尾に「く」を伴って名詞化する文法。)による語形変化で、未然形ではない(岩波古語辞典)、
未然形「ま」は、上代のいわゆるク語法の「まく」の形に現われるものだけである(精選版日本国語大辞典)、
とある、
推量の助動詞、
で、
現実に存在しない事態に対する不確実な予測、
を表わす(精選版日本国語大辞典)が、
一人称の動作につけば、
秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ(万葉集)、
と、
……(し)よう、
……(し)たいね
……するつもりだ、
と話し手の意志や希望を表し(仝上・岩波古語辞典)、
二人称の動作につけば、
い及(し)けい及(し)け 吾(あ)が愛(は)し妻にい及(し)き逢(あ)は牟(ム)かも(古事記)
などかくはいそぎ給ふ。花を見てこそ帰り給はめ(宇津保物語)、
と、
……してくれ、
……してもらいたい、
と、
相手や他人の行為を勧誘し、期待する意を表わす。遠まわしの命令の意ともなる。また、
三人称の動作につけば、
推量の意、
を表わし(仝上)、たとえば、
山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき)項傾(うなかぶ)し汝が泣かさ麻(マ)く朝雨の霧に立た牟(ム)ぞ(古事記)、
端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからんよ(枕草子)、
と、目前にないこと、まだ実現していないことについて想像し、予想する意を表わし、
…だろう、
の意、
かくの如名に負は牟(ム)とそらみつ大和の国を蜻蛉(あきづ)島とふ(古事記)、
をとここと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて(伊勢物語)、
と、原因や事情などを推測する場合に用い、
……だろう、
……なのであろう、
の意、
命(いのち)の全(また)け牟(ム)人は畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉を髻華(うず)にさせその子(古事記)、
大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして(徒然草)、
と、
(連体法に立って)断定を婉曲にし、仮定であること、直接経験でないことを表わし、
……であるような、
……といわれる、
……らしい、
の意で使う(仝上)。この、
む、
は、古くは、
ム、
と発音されたが、平安時代中期には、muの発音が m となり、さらに n に変わったので、
ん、
に転じ、また m は ũ から u に転じて、鎌倉時代には、
う、
を生み、やがて u の発音は前の語の末の母音と同化して長音化するようになった(仝上)。
mu→m→n→u、
と転訛し、今日の、
う、
に続いている(仝上)。
ク語法、
は、
見まく、
かけまく、
おもわく、
ていたらく、
すべからく、
などでも触れたことだが、
今日でいうと、
いわく、
恐らく、
などと使うが、奈良時代に、
有らく、
語らく、
来(く)らく、
老ゆらく、
散らく、
等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、
有ルコト、
語ルコト、
来ること、
スルコト、
年老イルコト、
散ルトコロ、
の意味を表わしており、
ク、
は、
コト
とか、
トコロ、
と、
用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、
恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞「恐る」のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞「恐る」のク語法は「恐らく」)、
願はく(四段活用動詞「願う」)、
曰く(いはく、のたまはく)、
すべからく(須、「すべきことは」の意味)、
等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに、
思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、
体たらく、
老いらく(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)、
などが残っている(仝上)。
ク語法、
と呼ばれるのは、
「く」を添えて動詞を名詞化する、
ので呼ばれるが、
か行延言、
とも呼ばれ、その接続には、諸説あり、
@四段活用・ラ変動詞・助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形(「いふ」に対して「いはく」)、形容詞には古い未然形「け」にそれぞれ接尾語「く」が付き、その他の場合には、終止形に接尾語「らく」が付き(「す」に対して「すらく」)、助動詞「き」は例外として連体形に付く(「申しき」に対して「申ししく」)とする、
A活用語の未然形に、推量の助動詞「む」の零表記を媒介として、「こと」を意味する不完全名詞の「く」が付いたとする、
B活用語の連体形に接尾語「く」が付くとする、
C活用語の連体形に形式名詞「あく」が付くとする、
とある(精選版日本国語大辞典)。この背景にあるのは、奈良時代の特色の一つに、
母音が二つ連続することを極度に嫌う発音上の習慣があった。だから、もしも母音が二つ連続すると、
(イ)一方が脱落する、多くの場合、前の母音が脱落して後の母音が残る、
(ロ)二つの母音が融合して別の母音をつくる、例えば、iとaという母音が連続する場合には、二つが融合して、ia→eという変化を起こす、
のどちらかであった、
とあり(岩波古語辞典)、たとえば、
ク、
がついたとする場合、
四段活用の動詞に付いて「言はく」「思はく」など、その他の動詞に付いて「恋ふらく」「見らく」など、助動詞に付いて「知らなく」「有らなく」(打消)、「掛けまく」「散らまく」(推量)、「来しく」「寝しく」(過去)など、…こと。…すること。…するもの(精選版日本国語大辞典)、
活用する語に付いて名詞化する。四段・ラ行変格活用の動詞や助動詞「けり」「り」「む」「ず」などはその未然形に付き、形容詞にはその古い未然形「け」に付く。ただし、助動詞「き」には、その連体形に付く(デジタル大辞泉)、
四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付いて、…こと。…すること、と上に接する活用語を名詞化する(学研全訳古語辞典)、
とあり、
ひ/ひ/ふ/ふる/ふれ/ひよ、
の、他動詞ハ行上二段活用の、
恋ふ、
の場合、
恋ふらく、
は、
恋ふる+く kofuru+ku→kofuraku、
となるし、
らく、
が付いたとする場合、
上一段活用動詞の未然形、上二段・下二段・カ行変格・サ行変格・ナ行変格活用の動詞および助動詞「つ」「ぬ」「しむ」「ゆ」などの終止形に付いて、活用語を体言化し、…すること、の意を表す(デジタル大辞泉)、
上一段動詞の未然形、上二段・下二段・カ変・サ変・ナ変動詞の終止形や、助動詞「つ」「ぬ」「ゆ」「しむ」などの終止形に付いて、…することと、上に接する活用語を名詞化する(学研全訳古語辞典)、
ので、
恋ふの終止形(恋ふ)kofu+raku→kofuraku、
となるが、一説に、
らく、
を、
こと、
の意の名詞、
あく、
が、
活用語の連体形に付いて変化したものの語尾という、
ともあり(学研全訳古語辞典)、この説を採って、
アクガルという古い動詞がある。居るところを離れて浮かれ出るとか、物事から心が離れてさまようとかいう意味の語である。これはアクとカルとの複合語で、カルは「離(か)る」という動詞であろうから、アクは「所」とか「事」とかいう意味の名詞と見られる。アクという名詞はこの複合語に残った他は亡びてしまって、単独に用いられた例は、文献に見えない。しかし、これが活用するごの連体形を承けたものと考えるなら、ク語法は統一的に説明できる、
とし(岩波古語辞典)、
四段活用動詞「いふ」の場合、未然形+「く」ではなく、連体形「いふ」+「あく」で「いはく」となる
ifu + aku → ifuaku → ifaku、
サ変活用動詞「する」の場合、終止形+「らく」ではなく、連体形「する」+「あく」で「すらく」となる
suru + aku → suruaku → suraku、
形容詞「安し」の場合、連体形「安き」+「あく」で「安けく」となる
yasuki + aku → yasukiaku → yasukeku、
打ち消しの助動詞「ず」の場合、連体形「ぬ」+「あく」で「なく」となる
nu + aku → nuaku → naku、
と、ただ一つの例外を除いて、他は全部説明できる、
としている(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95)。
恋ふ、
なら、
恋ふる(「恋ふ」の連体形)kofuru+aku→kofuruaku→kofuraku(こふらく)、
となろうか。その例外は、
回想の助動詞キの連体形シ+アク、
の場合で、
si+aku→siaku→seku、
つまり、
セク、
とはならず、
シク、
という形になる。これは、
「き」の連体形「し」の発音が、本来はイ列乙類の母音(ï)であり、乙類母音イの次に母音アは続かない例であったために起こったことで、この場合は「あく」と同じく「事」や「場所」を表す接尾語「く」(何処(いづく)の「く」)が接続したものであるとされる(sï
+ ku → sïku → siku)、
とし(仝上)、この例以外は説明できるとしている(仝上)。ちなみに、
あくがる、
で触れたように、
アク、
は、
アクの語源は諸説あり不明であるが、あるいは場所にかかわる語か(日本語源大辞典)、
「あく」は「ところ」、「かる」は「離れて遠く去る」意(広辞苑)、
(浮宕、憧憬と当て)在處離(ありかか)るの略転と云ふ。アコガルルも同じ(假事〔かりごと〕、かごと。若子〔わかご〕、わくご。其處〔そこ〕、此處〔ここ〕)。宿離(か)レテ、アクガレヌベキ、など云ふは、重言なれど、アクガルの語原は忘れられて云ふなり(大言海)、
アクは事、所などの意の古語。カルは離れて遠く去る意(日本語の年輪=大野晋)、
アは在、クは処、カルは離の意(槻の落葉・信濃漫録・雅言考・比古婆衣)、
アク(間隔が空く)+カレ(離れる)。距離が遠くなればなるほど強く惹かれる心情(日本語源広辞典)、
アク(足・踵)+カレ(離れる)。足が地から離れるほど引きつけられる心情(仝上)、
ア(接頭語)+焦がれる(吉田金彦説)、
アクは空の義。これを語源として動詞のアクグル、アクガルが生まれた(国語の語根とその分類=大島正健)、
ウカルルと同意。ウの延アク(名言通・和訓栞・槙のいた屋)、
等々諸説あるが、
(本来居る)所、または事の意をもつ古語。単独の用例はなく、アクガレ(憧)に含まれている。また、いわゆるク語法の曰ハク・恋フラクのク・ラクの語根、
とした(岩波古語辞典)ものとなる。
ク語法の接続について、いずれの説が妥当かはわからないが、
ク、
ラク、
アク、
いずれにしても、名詞化の機能を果たしているが、平安時代になると、ク語法は一般にすたれて、主として漢文訓読に残るようになり、そこで用いられる「おそるらくは」「…すらく」などから、
終止形+らく、
という分析が生じて、後には「惜しむらく」「望むらく」など、四段活用の終止形に「らく」の付いた形が現われた。多くは、下に助詞「は」を伴って用いる、
とある(精選版日本国語大辞典)ので、
ラク、
は、比較的後のもののようにも見える。
ク、
を接続したとみるものの用例を見ると、第一は、
あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜(よ)渡る月の隠ら久(ク)惜しも(万葉集)、
と、主語または連用修飾語となって、
…こと、…すること、…するもの、
の意を表したり、
梅の花散ら久(ク)はいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ(万葉集)、
と、
…するところ、…する場所、
の意を表し、
み吉野の山の嵐の寒け久(ク)にはたや今宵も我(あ)が一人寝む(万葉集)、
と、
…する時に、…する時、
の意を表す。
第二には、「言ふ」「思ふ」などの意の動詞に付いて、引用文を導き、
寺々(てらでら)の女餓鬼(めがき)申さ久(ク)大神(おわみわ)の男餓鬼(おがき)賜(たば)りてその子産(う)まはむ(万葉集)、
と、
…することには、…するのは、
の意を表す。
第三に、引用文の末尾に置かれ、引用句を形成する場合、
皇御孫命(すめみま)のみことのうづの幣帛(みてぐら)を朝日の豊さか登りに称辞竟(たたへごとをへまつら)くと宣る(祝詞・祈年祭)、
…すること(と申し上げる)、
意を表し、また第四には、文末に位置し、文全体を名詞止めの感動文とする場合、
苦しくも暮れ行く日かも吉野川清き河原を見れど飽かな君(くに)(万葉集)、
と、
…することよ、…であることよ、
の意を表すが、多く、「…くに」「…くも」の形で用いて、特に万葉集では否定の助動詞「ず」の未然形とともに、「なくに」の形で用いられることが多い(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)とある。
ラク、
の用例は、名詞化された語が、主語や連用修飾語となる場合は、
潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き(万葉集)、
と、多くは、
…すること、
の意だが、時には「…する時」などの意となる場合もある。また、「告ぐ」「申しつ」などに付いて、引用文を導く場合、
神代より言ひ伝(つ)て来らく、そらみつ大和の国は皇神(すめかみ)の厳(いつく)しき國(万葉集)、
と、
…することには、
という意を表す。さらに、文末、特に歌の末にあって、
天の川なづさひ渡り君が手もいまだまかねば夜のふけぬらく(万葉集)、
と、名詞止めの感動表現とし、
…することよ、…であることよ、
の意を表すが、
夜(よる)は夜(よ)の明くるきはみ思ひつつ寐(い)も寝(ね)かてにと明かしつ良久(ラク)も長き此の夜を(万葉集)、
と、
…らくに、
…らくも、
の形をとることも多い(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。ただ、
らく、
は、
いわゆるク語法の一形態として説明されるもの、
であるが、
「く」とともに独立して意識されるので、接尾語として扱った、
とするものもあり(精選版日本国語大辞典)、そうした意識の延長線上で、平安時代になると、上述したように、
ク語法は一般にすたれて、主として漢文訓読に残るようになり、そこで用いられる「おそるらくは」「…すらく」などから「終止形+らく」という分析が生じて、後には「惜しむらく」「望むらく」など、四段活用の終止形に「らく」の付いた形が現われた。多くは、下に助詞「は」を伴って用いる、
にいたる(仝上)。
また、ク語法は、平安時代以降には化石化して実体がわかりにくくなったので、誤用が多数発生した。例えば、
「惜しむらく」はよく使われるが、「惜しむ」は四段活用動詞だから、「惜しまく」(osimu + aku)が正しい。「惜しむらく」の語形は、-aku
に関する語源意識が失われて以降、漢文訓読等に見られる「おそるらく」(osoruru + aku)等を「恐る(終止形)+らく」等とする異分析が生じ、この「らく」が類推によって他語にも広がったものとされる(なお、「おそるらく」自体は後に音の摩滅によって「おそらく」となった)。「望むらく」や「疑うらく」等も同様に本来の形は「望まく」、「疑はく」である。また「安けし」というのは「安し」のク語法「安けく」を連用形と誤認し、形容詞として逆成したものである。形容動詞語幹「安らか」「さやか」を形容詞化して「安らけし」「さやけし」とする語法があり、これからの類推による。「願わくば」も本来の形は「願わくは」である、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95)。
「玉」(漢億ギョク、呉音コク)の異体字は、
玊、軉、𨉗(軉の類推簡化字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89)。字源は、「五月(さつき)の玉」で触れたように、すべて、
象形。細長い大理石の彫刻をえがいたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。楷書では王と区別してヽ印をつける(漢字源)、
象形。複数の玉を紐で連ねたさまを象る。「たま」を意味する漢語{玉 /*ŋ(r)ok/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%89)、
象形。たまをいくつもひもで通した、かざりだまの形にかたどる。「たま」の意。楷書では、王(おう)とのまぎらわしさを避けるため、点を加えて玉と書く(角川新字源)、
象形文字です。「3つの美しいたまを縦に紐(ひも)で通した」象形から「たま」を意味する「玉/⺩」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji190.html)、
象形。玉を紐で貫いた形。佩玉の類をいう。〔説文〕一上に「石の美なるもの、五徳有る者なり」とし、「潤澤にして以てなるは仁の方なり」など、仁義智勇汲フ五徳を説く。そのことは〔荀子、法行〕〔管子、水地〕にみえる。玉は魂振りとして身に佩びるほか、呪具として用いられたもので、殷の武丁の妃とされる婦好墓からは、多くの精巧な玉器が発見されている。玉の旧字は王。王は完全な玉。玉は〔説文〕一上に「朽玉なり。王に從うて點有り。讀みて畜牧(きうぼく)の畜の若(ごと)くす」(段注本)とあり、瑕(きず)のある玉をいう。〔詩、大雅、民労〕「王、女(なんぢ)を玉にせんと欲す」の玉は、おそらくその畜の音でよみ、「好(よみ)す」の意に解すべきであろう(字通)、
と、象形文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
上へ
隠(こも)りづの沢たつみなる石根(いはね)ゆも通して思ふ君に逢はまくは(万葉集)
の、
沢たつみ、
は、
隠りどの沢泉(さはいづみ)にある岩根ゆも通してぞ思ふ我(あ)が恋ふらくは(万葉集)
の、
沢泉に同じか、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。しかし、
隠りどの沢泉(さはいづみ)、
は、
人目につかぬ谷間の激流、
とし、
隠(こも)りづの沢たつみ、
は、
人目につかぬ谷間の泉、
としている(仝上)。歌の意味から見ると、
沢たつみ、
も、
沢泉(さわいずみ)、
も、
泉、
なのではなかろうか。
隠(こも)りづ、
は、
隠処、
とあて、
こもりどの転、
とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、
隠れたところ、
の意である。
こもりど、
は、やはり、
隠処
とあて、
物などのかげになって人に見えないところ、
の意だが、
人目につきにくい場所、
隠れて人目につきにくい所、
の含意で(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
こもりづ、
とも訓ませる(岩波古語辞典)とある。
そこでも触れたが、
沢泉(さはいづみ)、
は、文字通り、
沢にある泉、
の意だが(岩波古語辞典)、
沢にわき出る水、
ともある(精選版日本国語大辞典・大言海)。ただ、
こもりづ、
は、
隠水、
とあて、
草などにおおわれて見えない水の流れ。また、かくれた水<
とするものもあり(精選版日本国語大辞典)、そうなると、冒頭の歌の、
隠(こも)りづの沢たつみ
は、
泉、
が重なることになるのではないか。やはり、
こもりづ、
は、
隠り処、
隠り所、
ともあてるように、
草木などに覆われて、他から見えない場所(デジタル大辞泉)、
の意でいいのではないか。ただ一説に、
水草に覆われて見えない沼や沢、
があるにしても(仝上)、この歌の文脈では、
隠れたところ、
でないとおかしい。
さわたつみ、
は、
沢潦、
とあて、
さわたづみ、
ともよませ(広辞苑・岩波古語辞典)、
沢に湧く水(岩波古語辞典・広辞苑)、
沢にわきでる水(精選版日本国語大辞典)、
とあるので、
沢にわき出る水、沢にある泉、
の意の、
沢泉(さはいづみ)、
と重なる。
たつみ、
は、
たづみ、
ともいい、和訓栞に、
南伊勢の俗に淵をたづみといふ、
とあり、
地にあふれ流れる水、地上の水たまり、
の意の他に、
水の静止していて深いところ、淵(ふち)、
の意がある(精選版日本国語大辞典)。
沢たづみ、
は、
後者かと思える。。
にはたつみ、
は、
潦、
行潦、
庭潦、
庭水、
などとあて(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、
潦、爾八太豆美(にはたづみ)、雨水也、、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
潦、ニハタヅミ・アマミヅ、
字鏡(平安後期頃)に、
潦、ススグ・イタム・アマリミヅ・ウツクシビ・アマミヅ・コミノミヅ・ナミ・ニハタヅミ・ユルブ、
とあり、
雨が降ったりして、地上にたまった水、または、あふれ流れる水、
水たまり、
の意の他に、
庭中に跪(ひざまづ)きし時、にはたづみ腰に至りき(古事記)、
と、
急にひどく降る雨、
急にひどく降ってあふれ流れる水、
の意もある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、
にはたづみ、
の由来が、
ニハはニハカ(俄)同根(岩波古語辞典)、
「には」は俄か、「たづ」は夕立ちの「たち」、「み」は水の意というが、平安時代には「庭只海」と理解されていたらしい(広辞苑)、
俄泉の意と云ふ、或は云ふ、場立水(ニハタツミズ)の義と(大言海)、
ニハカ(俄)ツ-ミ(水)の転で、ツは語助(東雅)、
俄立水(万葉集類林・日本語源=賀茂百樹)、
ニハタツミヅ(場立水・庭立水)の義(万葉集類林・日本語源=賀茂百樹)、
庭+タズミ(淵)、雨が降って地上に流れ溜まった水のこと(日本語源広辞典)、
ニハタマリミヅ(庭溜水)の義(日本語原学=林甕臣)、
ニハツイヅミ(庭津水)の義(冠辞考続貂)、
ニハカイテミツ(俄出水)の義(名言通)、
俄泉の転(冠辞考・類聚名物考・言元梯)、
タツミはチカタルウミの反(名語記)、
等々、諸説あるが、
「には」は「にはか(俄)」とする説もあるが、その文字表記や、「書陵部本名義抄」に記されているアクセントなどから「庭」と関連づける説が有力、
とされる(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。
はなはだも降らぬ雨故(あめゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく(万葉集)
の歌の原文は、
甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知
で、
庭立水、
とあてた万葉仮名が、正鵠を射ているのかもしれない。とみると、
溜まり水、
の意ではなかろうか。そうみれば、
にはたつみ、
は、
庭の溜まり水、
で、
沢たつみ、
は、
沢泉、
ということになる。
「潦」(ロウ)は、「にはたつみ」で触れたように、
会意兼形声。「水+音符ォ(リョウ・ロウ ま長く続く)」(漢字源)、
とある。「長雨」、「路上や庭にたまった水」の意である(仝上)。ただ、他は、
形声。「水」+音符「ォ /*REW/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BD%A6)、
形声。声符はォ(りよう)。〔説文〕十一上に「雨水の大いなる皃なり」とあり、行潦をいう。溢流する水で「にわたずみ」の意。〔詩、召南、采蘋〕「于(ここ)に以て藻を采る 彼の行潦に」は、谷川のささやかな流れをたとえていう。その水藻は「澗溪(かんけい)沼沚(せうし)の毛(水草)」として、神饌とした。潦倒は人のうらぶれた、しどけない姿をいう。落托と似た語である(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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住吉(すみのえ)の浜に寄るといふうつせ貝(がひ)実なき言(こと)もち我(あ)れ恋ひめやも(万葉集)
の、
上三句は序、「実なき」を起こす、
とあり、
うつせ貝、
は、
空ろな貝、
つまり、
貝殻、
の意であり、
(うつせ貝のように)実のない空ろな気持ちで恋い慕っているのではない、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うつせがい、
は、
虚貝、
空貝、
とあてている(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)ところを見ると、原義は、
海岸に打ち寄せられた、からになった貝(デジタル大辞泉)、
海辺などにある、肉がぬけて、からになった貝(精選版日本国語大辞典)、
つまり、
貝殻、
の意だが、
ルリガイ・アサガオガイなどの巻貝の殻であろうという(岩波古語辞典)、
古くは特に海辺にある巻き貝の殻をいう(精選版日本国語大辞典)、
とあるので、特定の貝を指していたものらしい。ただ、
からをだに尋ねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなる様にて、いづれの底のうつせにまじりけむ(源氏物語)、
と、
うつせ(空・虚)、
ともいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、
中身の殻の貝殻、
のメタファから、冒頭の、
住吉の浜に寄るといふうつせ貝(がひ)実(み)なき言(こと)もち我(あ)れ恋ひめやも(万葉集)、
と、
実のない、むなしいことのたとえ、
としても使う(岩波古語辞典・広辞苑)。また、歌では、
よしおもへあまのひろはぬうつせがひむなしき名をば立つべしや君(大和物語)、
と、「実なし」「むなし」を言い起こす序詞に用いられるし、
思ひいづやあら磯波のうつせ貝われても逢し昔かたりは(新後拾遺和歌集)、
と、
(離れ離れになった二枚貝の殻の意から)「あわず」「われる」などを言い起こしたり、
住の江のしほにただよふうつせがひうつし心もうせはてて(千載和歌集)、
と、同音反復で「うつし心」「うつつ」などを言い起こすのに使ったりする(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。しかし、
うつせがひ、
は、
「つめたがい(砑螺)」の異名、
「うずらがい(鶉貝)」の異名、
ともされている。
つめたがい(砑螺)、
は、
津免多貝、
とも当て、
タマガイ科の巻き貝。貝殻は球形で殻径6センチくらい。殻表は滑らかで栗色をし、底面は白色。潮間帯の砂泥地にすみ、アサリなどを食害する。卵塊は砂泥をかためてつくり茶碗を伏せた形なので、砂茶碗という、
とあり(デジタル大辞泉・広辞苑)。
軟体の足部は大きく紫灰色、前部は楯状で砂泥中をはうのに適する。足は左右両側、後方ともよく発達し、それで殻を後方から包み、ヒトデなどに襲われてもとらえられないで逃れることができる、
とある(世界大百科事典)。
うつせがい、
つべた、
つべたがい、
うつぼがい(靫貝)、
ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。
うずらがい(鶉貝)
は、
ヤツシロガイ科の巻き貝。浅海にすむ。長卵形で大きく、殻高12センチくらい。殻は薄く、白地に褐色の斑紋が並び、ウズラの羽模様に似る。本州中部以南に分布。肉は食用、殻は貝細工用、
とあり(デジタル大辞泉)、
殻口は広くて蓋(ふた)はなく、外唇も薄い。水管溝の湾入があり、はうときは、ここからシュノーケルのような長大な水管が出ている。長い吻(ふん)を出して、ヒトデやナマコ類を捕食する、
とある(日本大百科全書)。ちなみに、
貝(かひ)、
は、
介、
とも当てる(広辞苑)が、
かひ、
は、
貝、
のほか、
殻、
卵、
匙、
とも当て(大言海)、
殻(かひ)、
は、
殻(から)。貝(かひ)、卵(かひ)などすべて云ふ、
とあり(大言海)、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
宇牟岐乃加比(白蛤(ウムキ)の殻(から)を、薬用とするなり)、
和名類聚抄(931〜38年)に、
貝、加比、殻、與貝同、虫之皮甲也、
箋注和名抄(箋注和名類聚抄 江戸後期の辞書注釈書)には、
稃、以禰乃加比(イネノカヒ)、米甲也、
とあり、殻のあるものすべてを言うようだ。
貝(かひ)、
は、
殻(かひ)あるものの義、貝(バイ)はこやすがひなり、
とし(大言海)、和名類聚抄(931〜38年)に、
貝、加比(かひ)。水物なり
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
貝、カヒ・カヒツモノ、
とある。
卵(かひ)、
は、
殻(かひ)あるものの義、
匙(かひ)、
は、
殻(かひ)を用ゐたるに起これるか、形の似たるより云ふか、沖縄にて、匙をケエと云ふ、
とある(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)に、
匙、匕、賀比、所以取飯也、
とあり、字鏡(平安後期頃)に、
角+兆、匕(さじ)也、藥乃加比、
枸(杓の誤り)、杯也、加比、
とある。
貝・介、卵・殻と同語源、
とあり(日本語源大辞典)、
殻の古代語の「介」(ヨロイの中に入ったもの、二枚貝)説が有力です。卵のカラ、籾のカラ、虫の外皮なども、古代には、カイと読んでいました(日本語源広辞典)
「交イ換イ」が語源。物々交換の時代に使いましたから、交イ換イが貝の語源(仝上)、
カヒ(殻)のあるところから(箋注和名抄・大言海・和訓栞)、
カヒ(甲)の義(言元梯)、
カラアヒ(殻合)の略(和訓考・日本語原学=林甕臣)、
殻を背負って歩くところからカラハヒ(柄這)、又はカライリ(柄入)、又はカキラユキの反(名語記)、
アヒ(合)の義(名言通)、
這い歩かないで堅く居るところからカヰという(本朝辞源=宇田甘冥)、
カはカラ(殻)の下略、イは家の意。又、「介」の音が「貝」の訓となる(日本釈名)、
カライヘ(柄舎)から(柴門和語類集)、
カはカシ(炊)の原語。ヒは容器を意味するヘの転(日本古語大辞典=松岡静雄)、
古く、物と物を交換したところからカヘ(替)の義(関秘録)、
数個取り集める時、、カフカフ、カヒカヒ、と音がするところから(国語溯原=大矢徹)、
「鳥の羽交ひ」「目(ま)な交ひ」などの「交ひ」からの命名か(暮らしのことば語源辞典)、
等々種々あるが、
殻(かひ)、
から始まったとして、その、
殻(かひ)
の語原がはっきりしない。
殻、
は、
から、
とも訓ませ、
體、
骸、
とも当てる(岩波古語辞典・広辞苑)。
からだ(體)、
なきがら(亡き骸)、
の、
から、
でもあり、
水分・生命がすっかり失われて、抜けがらとなったもの、後世、空(から)の意に転じる、
とあり(岩波古語辞典)、
外殻、
ぬけがら、
を指し(仝上)、
外部を覆っている固いもの、
外皮、
の意で、この、
から、
は、
「空(から)」と同語源(デジタル大辞泉・日本語源大辞典)、
「カラ(空、中身のない、空虚の意のカラ)」。ヌケガラ、ナキガラ、モミガラ、カイガラ、オガラ、などすべて同じ語源。助詞のカラも、体言を格助詞、接続助詞に転用したもの(日本語源広辞典)、
内部の空虚なものであるところから、カラ(空)と同語原(箋注和名抄・俚言集覧・言元梯・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
カレ(涸)の転のカラ(乾)より転義したもの(古事記傳・大言海)、
原語は幹・稈の義で、カンという字音も同源。それが転義したもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
空虚なものはカラカラト音がするから(日本語源=賀茂百樹)、
枯茎がカラカラと鳴る音から(国語溯原=大矢徹)、
カワラ(伽和羅)の略訓(俚言集覧)、
カル(仮)の義(名言通)、
カハ(皮)の義(言元梯)、
殻の別音kaに、ラ行の階音を添えた語(日本語原考=与謝野寛)、
カラ(柄)が、本体の出た後に残された外皮、外殻の意に転じたものか(時代別国語大辞典−上代編)
等々とあるが、到底、
から(殻)→かひ(殻)、
と、音韻変化を見通せる語源は見当たらない。むしろ、
から(殻)、
は、漢字、
殻、
の音(漢音カク、呉音コク)から来たと見たらどうだろう。とすれば、
カヒ(貝)、
も、漢字、
貝、
の音(漢音・呉音ハイ、慣用バイ)から、
ハイ→カヒ
と見てもいいのだが、もちろん、憶説である。
「貝」(漢音呉音ハイ、慣用バイ)の異体字は、
贝(簡体字)、𪚾(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%9D)。字源は、
象形。われめのある子安貝、または二枚貝を描いたもの。古代には、貝を交易の貨幣に用いたので、貨・財・費などの時に貝印を含む(漢字源)、
象形。一種の海の貝を象る。「かい」を意味する漢語{貝 /*pˤat-s/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%9D)、
象形。子安貝(インド洋に産するたから貝)のからの形にかたどり、子安貝、ひいて「かい」の意を表す。古代には、子安貝のかいがらが貨幣の役目をしたことから、たからものの意に用いる(角川新字源)、
象形文字です。「子安貝(こやすがい)」の象形から「かい」を意味する「貝」という漢字が成り立ちました。子安貝
は、小型ではあるが非常に美しい貝です。古代中国(紀元前17〜10世紀)では貨幣として使用されていました(https://okjiten.jp/kanji60.html)、
象形。子安貝の形。子安貝は古くは呪器とされ、また宝貝とされた。〔説文〕六下に「海の介蟲なり。陸に居るものを猋(へう)と名づけ、水に在るものを蜬(かん)と名づく。象形。古は貝を貨とし、龜を寶とす。周よりして泉有り。秦に至りて貝を廢して錢を行ふ」という。卜文・金文の貝の字形は子安貝。金文の賜与に「貝三十朋」「貝五十朋」のようにいい、〔詩、小雅、菁菁者莪〕に「我に百朋を錫(たま)ふ」の句がある。朋は前後両系に貝を綴じたもので、金文にはこれを荷(にな)う図象の銘識がある。またその十数朋を以て彝器の製作の費用に充てることを記す銘文もあり、当時はなはだ貴重なものであった。子安貝の原産地は沖縄であったと考えられ、これを入手することはかなり困難であったらしく、殷・周期の装飾品には、玉石を以てその形に模したものが多い。のちの財宝関係の字は、多く貝に従う(字通)、
と、象形文字としている。
「介」(漢音カイ、呉音ケ)の異体字は、
㝏、𡗟、𡗦、𡗲、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%8B)。字源
会意文字。「人+八印(両側にわかれる)」で、両側に二つに分かれることは、両側から中のものを守ることでもあり、仲に介在して両側を取り持つことでもある(漢字源)、
会意。人と、八(わける)とから成り、人が分け入る意を表す。ひいて、なかだちする、転じて、くぎる意に用いる(角川新字源)、
と、会意文字とするもの、
象形文字です。「よろいの中に入った人」の象形から、「よろい」、「くぎる」、「なかだちする」を意味する「介」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1099.html)、
象形。身の前後によろいをつけた人の象。〔説文〕二上に「畫(かぎ)るなり」、畫字条三下に「界なり」とあってかぎる意とするが、介冑(かいちゆう)の介を本義とする(字通)、
と、象形文字とするものに分かれるが、
構形本義不詳。甲骨文字では「人」の左右に2つまたは4つの点があるが、それが何を表しているのかは分かっていない。点々を皮膚から剥がれ落ちた落屑らくせつと解し、{疥}の表語文字とする説などがある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%8B)、
と、不詳としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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