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コトバ辞典
時守(ときもり)が打ち鳴(な)す鼓(つづみ)数(よ)みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(万葉集)
の、
時守(ときもり)、
は、
令制における陰陽寮(おんようりょう)の職名の一つ、
で、
漏刻(ろうこく)博士の下に属し、漏刻の番をして、時刻を知らせる鐘や鼓を鳴らす役目、
また、
その人、
をいい、
守辰丁(しゅしんちょう)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。ここでは、
時にはなりぬ逢はなくもあやし、
を、
(時守の打ち鳴らす太鼓の音を数えてみると)とっくにその時刻になった、なのに、あの方がやってこないのはおかしい、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
漏刻博士(ろうこくはかせ)、
は、
時守博士(ときもりのはかせ)、
とも、
時守司(ときもりづかさ)、
ともいい、唐名で、
司辰(ししん)、
といい、
令制で、中務省配下の陰陽寮に属し、正官、権官各1名がおかれた。守辰丁(しゅしんてい、時守)20人を率い、漏刻を調べて、鐘や太鼓で時刻を報じた、中務省の陰陽寮所属の従七位下相当官、
である(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。平安時代中期以降すたれた(仝上)。
数(よ)む、
は、
よむ、
で触れたように、
読む、
詠む、
訓む、
誦む、
等々とあてる(広辞苑)。
よむ、
は、
一つずつ順次数えあげていくのが原義。類義語カゾフは指を折って計算する意、
とあり(岩波古語辞典)、その語意の広がりは、
声に出して言葉や数などを、一つ一つ順に節をつけるように区切りを入れながら(唱えるように)言う行為を表わすのが原義、
↓
(歌・詩・経典・文章などを)声を立てて、一区切りずつ、一音ずつたどりながらいう。声に出して唱えていく、
↓
文章など書かれた文字をたどって見ていく、
↓
文章・書物などを見て、そこに書かれている意味や内容を理解する、
という(この順で変化したという意味ではないが)流れが分かりやすい(日本語源大辞典)。本居宣長が、
凡て余牟(ヨム)と云は、物を數ふる如くにつぶつぶと唱ふることなり〈故物を數ふるをも余牟と云り、又歌を作るを余牟と云も、心に思ふことを數へたてて云出るよしなり〉、
といっていたこと(古事記伝)が、上記諸説の背景にあるようだが、
数を数える、
唱える、
歌を詠む、
が、原義としては同じとみなしていた(日本語源大辞典)。
漏刻、
は、
深更(しんこう)、
で触れたように、
管でつながった四つまたは三つの箱を階段上に並べ、いちばん上の箱に水を満たし、順に流下して最後の箱から流出する水を、浮箭(=矢 ふせん)を浮かべた容器に受け、矢の高さから時刻を知る、
とあり(百科事典マイペディア・世界大百科事典)、
1昼夜48刻に分け、4刻を1時(とき。辰刻)にはかる、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。
漏、
は、
計時用の漏壺を指し、
刻は、
時間の単位(1日は100刻が標準であるが、120刻、96刻、108刻とした時期があった)、
を意味する(仝上)、とある。日本の漏刻は、中国で発明・使用されたものを真似て、
斉明六年(660)中大兄皇子が製作したという所伝が初見。令制では陰陽寮に2人の漏刻博士があり、漏刻によって時刻をはかり、守辰丁(しんてい、ときもり)に鐘鼓を打たせて時を報じた、
とある(仝上)ので、一更、二更……を、一鼓、二鼓……と呼んだものと思われる。
更、
には、
初惠遠以山中不知更漏、乃取銅葉製器(唐國史補)、
とある、
更漏(こうろう)、
というように、
時を報ずる漏刻(みずどけい)、
の意があり(字源)、
更は、漏刻のかはる義、字典「因時變易刻漏曰更」、
とある(大言海)。
刻漏、
とは、
漏刻、
の意である。それが「變易」すること、つまり変わることを「更」というとある。これは、中国にて、
一夜を、五つに分くる称(仝上)、
の謂いであり、
初更、又一更、甲夜(こうや)は、午後八時、九時なり、
二更、又乙夜(いつや)は、十時、十一時なり、
三更、又丙夜(へいや)は、十二時、午前一時なり、
四更、又丁夜は、二時、三時なり、
五更、戊夜(ぼや)は、四時、五時なり、
とあるものの踏襲である。これを、
五夜(ごや)、
という(仝上)。また、
五更、
ともいい、
戊夜、
ともいう(仝上)。これを、
一夜五更、
というが、
漢魏以来、謂為甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戉夜、……亦云一更、二更、三更、四更、五更、皆以五為節(顔氏家訓)、
とある。
更、
とは、
一更ごとに夜番が更代(交代)する義、
であり(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)、
午後7時ないし8時から、午前5時ないし6時に至るまで、順次2時間を単位に、
初更(甲夜、一鼓)、
二更(乙夜、二鼓)、
三更(丙夜、三鼓)、
四更(丁夜、四鼓)、
五更(戊(ぼ)夜、五鼓)、
と区切ったところから由来する(仝上)。
漏刻のかはる時(大言海)、
とは交替する意でもある。
一更、二更、三更、四更、五更、
も、
一点、二点、三点、四点、五点、
も、時刻点を指す言葉ではなく、夜間を五等分した時間帯、をいうので、何時に当たるかには幅がある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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燈火(ともしび)の影にかがよふうつせみの妹が笑(ゑ)まひし面影に見ゆ(万葉集)
の、
燈火(ともしび)の影にかがよふ、
は、
燈の火影(ほかげ)に輝いている、
と訳し、
うつせみの、
は、
いきいきとした、
の意とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
うつせみ、
は、
うつしおみ、
うつそみ、
ともいい、
ウツシ(現)オミ(臣)の約ウツソミが更に転じたもの。「空蝉」は当て字、
とあり(岩波古語辞典)、
打蝉(うつせみ)と思ひし妹がたまかぎるほのかにだにも見えなく思へば(万葉集)、
と、
この世に生きている人、
生存している人間、
の意なので、
いきいきとした、
という訳はかなりの意訳になる。
笑(ゑ)まふ、
は、上代語で、
動詞「え(笑)む」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」の付いたもの、
で、
にっこりとほほえむ、
笑顔をする、
意(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)で、それをメタファに、
梅柳常より殊に敷栄、咲万比(ゑマヒ)開て(続日本後紀)、
と、
花が咲く、
花のつぼみがほころびる、
意でも使う(仝上・学研全訳古語辞典)。
ゑまふ、
の、
ふ、
は、
みなぎらふ、
さもらふ、
さひづらふ、
たなぎらふ、
まもらふ、
などで触れたように、
は・ひ・ふ・ふ・へ・へ、
と、動詞の未然形の下に付いて、四段活用の動詞を作り、
反復・継続の意、
を表し(岩波古語辞典)、
をとめの寝(な)すや板戸を押そぶら比(ヒ)我が立たせれば(古事記)、
秋萩の散ら敝(ヘ)る野辺の初尾花仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて雲離(くもばな)れ(万葉集)、
では、その動作が反復して行なわれる意を表わし、
しきりに…する、
何回も繰り返して…する、
意で、
楯並めていなさの山の木の間よもい行き目守(まも)ら比(ヒ)戦へば(古事記)、
では、その動作が継続して行なわれる意を表わし、
…し続ける、
ずっと…する、
意で、
常なりし笑(ゑ)まひふるまひいや日(ひ)異(け)に変はら経(ふ)見れば悲しきろかも(万葉集)、
では、その変化がずっと進行していく意を表わし、
次第に…する、
どんどん…していく、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。
かがよふ、
は、
耀ふ、
赫ふ、
とあて、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
かぎろひと同根(岩波古語辞典)
カガは、赫(かが)、ヨフは、揺らぐ、ただよふ、いさよふ、もこよふ(大言海)、
とあり(「もこよふ」は、うねりつつ行く意、類聚名義抄(11〜12世紀)に、「眩枠、モコヨフ、メグル」とある)、
静止したものが、きらきらと光って揺れる(岩波古語辞典)、
きらきら光って揺れる。きらめく(学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉)、
きらきら光ってゆれ動く。きらめきゆれる(精選版日本国語大辞典)、
きらきらとゆれて光る、ちらつく(広辞苑)、
といった意で使う。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
耀、カガヤカス、
赫、アカシ・カカヤク・サカリ・サカユ・アキラカナリ・アラハス・オコス・ハヤシ、
とある。
「耀」(ヨウ)の異体字 は、
燿
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%80)。字源は、
会意兼形声。「光+音符翟(テキ 高く上がる)」(漢字源)、
会意兼形声文字です(光+翟)。「火の象形と人の象形」(「人の頭上にひかる火」、「光」の意味)と「鳥の両翼の象形と小鳥の象形」(「高く踊り上がる」の意味)から、光が高く躍り上がる「かがやく」を意味する「耀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2663.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「光」+音符「翟 /*LEWK/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%80)、
形声。意符光(ひかり)と、音符翟(テキ→エウ)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は翟(てき)。翟に曜・燿(よう)の声がある。燿が正字であるが、いま多く耀を用いる。耀は〔説文〕にみえず、北魏の碑に至ってその字がある(字通)、
と、形声文字としている。
「赫」(漢音カク、呉音キャク)は、
会意文字。赤は「大+火」の会意文字で、火が燃え上がるときのあかあかとした色を示す。赫は「赤+赤」で、あかあきかとほてるさまをあらわす(漢字源)、
会意。赤+赤。二赤をならべた形。〔説文〕十下に「大赤の皃」(段注本)、〔繋伝〕に「火の赤き皃なり」とする。赤は火光を浴びている人の姿で、聖火で身を清める意。〔詩、邶風、簡兮〕「赫として渥赭(あくしや)の如し」とは、人の盛容盛徳をほめる語(字通)、
と、会意文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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あしひきの山田守(も)る翁(をぢ)が置く鹿火(かひ)の下焦(したこが)れのみあが恋ひ居(を)らく(万葉集)
の、
鹿火(かひ)、
は、
鹿を追う火、
とあり、
上三句は序、「下焦がれ」を起こす、
とし、
(翁(おきな)が焚く鹿遣(かや)り火が燻るように)胸の底でくすぶってばかり、恋いこがれている、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
鹿火、
は、
農作物を害する鹿や猪を追う火(広辞苑)、
田畑に近づく鹿を追うためにたく火(岩波古語辞典)、
鹿(しか)、猪(いのしし)などの獣の害を防ぐために、田畑でたく火(精選版日本国語大辞典)、
とあるが、一説に、
柴の屋のはひりの庭に置くかひの煙うるさき夏の夕暮(堀河百首)、
の、
蚊遣り火
とあり(広辞苑・岩波古語辞典)、
蚊火、
とも当て、和名類聚抄(931〜38年)には、
蚊遣火、加夜利比、一云、蚊火(かひ)、
とあり、
かび、
と訓ませている(大言海)。
下焦れ、
は、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞下二段活用の、
下焦(したこが)る、
の名詞形、
「した」は心の意(精選版日本国語大辞典)、
シタは隠して見せない所(岩波古語辞典)、
で、
心の中でひそかに恋いこがれること(精選版日本国語大辞典)、
とも、
人に知らせぬ恋(岩波古語辞典)、
ともあり、
玉梓の使(つかひ)絶えめや隠(こも)り恋ひ息づきわたり之多毛比(シタモヒ)に嘆かふわが背(万葉集)、
と、
したもひ(下思ひ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。
したもひ、
の、
した、
も、
心の意で(仝上)、
下思ひ(したおもひ)の約、
であり(仝上)、
港葦(みなとあし)に交じれる草のしり草の人みな知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは(万葉集)、
と、
心の中に隠していて、表には出さない思い、心の底に秘めた恋心(精選版日本国語大辞典)、
心の中に隠して表に出さない感情、人知れぬ恋(岩波古語辞典)、
の意である。なお、
下焦、
を、
げせう(げしょう)、
と訓ますと、
旦那は……六十にちかく、しかも下焦かれさせ給ひ、夜も昼も高いびきで寝てござんす計(浮世草子「忘花(1696))」)、
と、
漢方でいう三焦の一つ、
で、諸説あるが、一般には、
臍(ヘそ)より下をいう、
とある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
三焦(さんせう)、
とは、
漢方で六腑(ろっぷ)の一つ。上・中・下の三つからなり、上焦は心臓の下、胃の上にあって飲食物を胃の中へ入れる器官、中焦は胃の中脘にあって消化器官、下焦は膀胱の上にあって排泄をつかさどる器官とされる、
とある(仝上)。
六腑(六府)、
は、
漢方で体内にある六つの内臓、大腸、小腸、胃、胆、膀胱(ぼうこう)、三焦、
をいう。
五臓六腑、
の、
五臓、
は、
肝、心、脾、肺、腎、
の5つを指す(仝上)。なお、
シカ、
蚊、
については触れた。
「鹿」(ロク)の異体字は、
䴪、廘、騼、𢊩、𪋵、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B9%BF)。字源は、
象形。しかの姿を描いたもの。細長くつらなって列をなすしか、
とある(漢字源)。他も、
象形。鹿を象る。「シカ」を意味する漢語{鹿 /*rˤok/を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B9%BF)、
象形。長い角(つの)をもったしかの形にかたどり、「しか」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「角のある雄しか」の象形から、「しか」を意味する「鹿」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1475.html)、
象形。鹿の形。〔説文〕十上に「獸なり。頭角四足の形に象る。鳥鹿の足は相ひ比す。比に從ふ」(段注本)とするが、比は鹿足の形で、相比する意ではない。卜文に鹿頭刻辞があり、また彝器(いき)に鹿頭・鹿文を文様として用いるものがある。〔詩、大雅、霊台〕は周の神都辟雍(へきよう)のさまを歌うものであるが、神鹿の遊ぶことが歌われている。祿(禄)・麓(ろく)と音が通じ、その意にも用いる(字通)、
と、象形文字としている。
「火」(漢音呉音カ、唐音コ)の異体字、
灬(部首の変形)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%AB)。字源は、
象形。火が燃えるさまを描いたもの、
とある(漢字源)。他も、
象形。燃える火の形を象る。「ひ」を意味する漢語{火 /*m̥ˤəjʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%81%AB)、
象形。燃え上がるほのおの形にかたどり、「ひ」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「燃え立つ炎」の象形から「ひ」を意味する「火」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji82.html)、
象形。〔説文〕十上に「燬(や)くなり。〜象形」とあり、火の燃える形。また「南方の行なり」とあり、五行思想によって、火は南方に配当される(字通)、
と、象形文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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十寸板(ソキいた)もち葺ける板目のあはざらは如何にせむとか我(わ)が寝そめけむ(万葉集)
の、
そきいた、
は、
薄くそいだ板、
を言い、
上二句は序、「あはず」を起こす、
とし、
(そぎ板で葺いた屋根の板目が合いにくいように)もしあの人が逢ってくれなくなったら、どのようにするつもりで共寝をはじめたのだろうか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
そきいた、
は、
削板、
枌板、
とあて、後に、
そぎいた、
と濁音化する(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。
そいだ薄い木の板。屋根などを葺くのに用いる(広辞苑)、
木を薄く削って作った屋根葺ふき用の板(デジタル大辞泉)、
木を薄くそいで作った板。屋根板などにする(岩波古語辞典)、
木を薄くそぎけずって作った板。屋根などを葺(ふ)くのに用いる(精選版日本国語大辞典)、
とあり、転訛して、
そぎた(削板)、
とも、
そぐ(削ぐ)、
の連用形から、
そぎ(削・枌)、
ともいうが、やはり、古くは、
其所作扉一枚、温船板并蘇岐(ソキ)等令持発遣、宜承知(正倉院文書)、
と、
そき、
といった(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。この板で葺いた屋根を、
そぎぶき(削ぎ葺き/枌葺き)、
といった(仝上)。なお、
枌、
について、新撰字鏡(平安前期)には、
枌、須木(すき)、又、屋乃衣豆利(やのえつり)、又、乃木須介(のきすけ)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
枌、ヤクレ・エツリ、
また、
掞、そぐ、
鎩、キル・ソグ・ヤフル、
ともあり、
字鏡(平安後期頃)に、
枌、ニレノキ・エツリ、
削、
について、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
削、キユ・サヤ・ケヅル、
字鏡(平安後期頃)に、
削、サク・カク・サヤ・キル・キザミ・ケヅル・ツクロフ
とある。動詞、
そぐ、
は、
削ぐ、
殺ぐ、
とあて、
が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、
の、他動詞ガ行四段活用である(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、『大言海』は、「そぐ」を、三項別にし、
削ぐ、
殺ぐ、
とあてる「そぐ」は、他動詞四段活用で、
康熙字典「殺、降也、減削也」、この場合の音は、サイなり、
とし、
いみじう、そがせ給へれど、御迎へに……人々多く参り(栄花物語)、
事ども、そぎ棄てて、世の煩(わづらひ)あるまじく省かせ給へど(源氏物語)、
と、
省き減らす、
薄く削り取る、
意、
殺ぐ、
削ぐ、
枌ぐ、
とあてる「そぐ」は、他動詞四段活用で、
竹串をそぐ、
というように、
物の末を尖らし、切る、
削り落とす、
意や、
切るを忌みてそぐと云ふ、
使い方で、
いと清らなる御髪(みぐし)をそぐ程、心苦しげなるを(源氏物語)、
と、
髪の末を切り落とす、
鋏ミ切る、
意、
削ぐ、
殺ぐ、
とあてる「そぐ」は、自動詞下二段活用で、
竹がそぐ、
というように、
削ぎたる状となる、
削られる、
意とに分けている。他動詞、
そぐ(削・殺)、
は、古くは、
そく、
で、大きく、二つの意味に分けられる。ひとつは、
(端を)削り落とす。切り落とす。特に、頭髪の先を切り落とす(学研全訳古語辞典)、
末端または突出部を削り落とす(岩波古語辞典)、
ななめにけずり落とす。鋭利な刃物を用いて、えぐるようにしてけずりとる(精選版日本国語大辞典)、
といった意の派生で、
尼にそきたるちごの、目に髪のおほひたるを、かきはやらで(「能因本枕(10C終)」)、
と、
髪の毛の端を切り落とす。髪の毛先を切ってそろえる、
意や、
窮鳥の趐(つばさ)を鎩(そ)がれたるが如に成ぬれば(太平記)、
と、
切りとる、薄くけずりとる、
意、
両の耳は竹を剥(そ)いで直に天を指し、双の眼は鈴を懸けて地に向ふ如し(太平記)、
と、
先端をとがるようにけずる、
意などで使い、第二には、
状態、また、気持などの一部を取って除く。もとの形や望ましいあり方が生かされなくなる(精選版日本国語大辞典)、
端々を省略する、略式にする(岩波古語辞典)、
意で、
院にまうけさせ給へりけることどもも、そぐと思ししかど(源氏物語)、
と、
省いて簡単にする、簡略にする、節約する、はぶく、
意で使う(精選版日本国語大辞典)。なお、
削ぐ、
は、
はぐ、
とも、
へぐ
とも訓ませるが、
八寸、
で触れたように、
折敷、
は、
片木(へぎ)を四方に折り廻して作った角盆、食器を載せるのに用いる。杉などのほか種々の香木でつくる(広辞苑)、
が、この、
へぎ、
は、
削ぎ、
とあて、名詞
へぎ、
は、
片木
片器、
と当てて、
薄く削いだままの板で作った折敷、
である(仝上)。『大言海』は、「へぎ」に、
折、
を当て、
折(へ)ぐこと、また、ヘギイタ、ソギ、片木、
としている。
「八寸」は、寸法の意から、「折敷」の意となり、さらに、
それに盛られる取肴、
意となり、さらに、
料理献立の一つ、
となる。ただ、この、
へぐ、
は、
そぐ、
ではなく、
剥(は)ぐ、
からきているのではないか。
へぐ、
は、
剝ぐ、
折ぐ、
とあて(学研全訳古語辞典)、さらに、
耗ぐ、
減ぐ、
とも当て(大言海)
が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、
の、他動詞ガ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
イタヲヘグ(「日葡辞書(1603〜04)」)、
と、
板のように薄くけずる、また、はりあわせたものなどをはがす、へがす、そぎとる、
意や、
其の二つの神郡より輸すべき、赤き引糸(ひきのいと)、参拾伍斤、来年(こむとし)より、当に其の代を折(ヘク)べし(日本書紀)、
と、
物の量などを少し減らす、少なくする、へずる、
意、
一日の日のきぬなどを、もののぐへきて着る(「たまきはる(1219)」)、
と、
着物などを脱ぐ、
意、
馬飼の者それを皆耗(ヘギ)て己が徳とし(仮名草子「浮世物語」)、
と、
他人の持物などをすばやく盗み取る、横取りする、
意でも使う(精選版日本国語大辞典)。その由来は、
減ると同根。一部を削り取る意(岩波古語辞典)、
ヒヱ、(聶)グを約めて活用す(聶(ひ)うは薄く小さく切る、剥ぐ意)(大言海)、
ヘアケク(戸開來)の義(日本語原学=林甕臣)、
からきているとあり、
はぐ(fagu)→へぐ(fegu)、
と転訛したのではないか、と憶説ながら、感じる。ちなみに、
はぐ、
は、
剥ぐ、
とあて、
が/ぎ/ぐ/ぐ/げ/げ、
の、他動詞ガ行四段活用で、
あしひきのこの片山のもむ楡(にれ)を五百枝(いほえ)波伎(ハキ)垂れ天照(あまて)るや日の異(け)に干し(万葉集)、
と、
離し取る、表面の部分をむき取る、はがす、
意、
和邇(わに)、我を捕へて悉に我が衣服(きもの)を剥(はぎ)き(古事記)、
と、
身につけたものを脱がせる、衣類をむきとる、はだかにする、ぬがす、はぎとる、
意、
公家に大納言の御用ありげに聞えければ、さだめてはかれ給なむずと世にいひけるに(古今著聞集)、
と、
官位などを取り上げる、
意などで使うが、
はぐ、
の、自動詞、
げ/げ/ぐ/ぐる/ぐれ/げよ、
と、ガ行下二段活用の場合、口語の、
剥げる、
に当たり、
(表面にあるものが)はがれる、はげる、
毛が抜け落ちる、はげる、
意となり、多く、
禿ぐ、
とあてる(仝上・精選版日本国語大辞典)。字鏡(平安後期頃)に、
㓟、物之加波波久、
とあるにように、この由来は、
ハ(端)の活用(大言海)、
ハは刃の義、グは活用語尾(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ハナシキ(離来)の義(名言通)、
ヘク(隔転)の義(言元梯)、
等々とあるが、意味からも音から見ても、
ヘグ(折)と同源(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)
というのが妥当なのではないか。
「枌」(漢音フン、呉音ブン)は、
形声。「木+音符分」、
とあり(漢字源)、木の名、とあり、楡の一種で、皮が白い、とある(仝上)。我国では、「そぎ」と訓ませ、薄くそいだ板、の意で使う(仝上)。
形声。「木」+音符「分 /*PƏN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9E%8C)、
形声。声符は分(ふん)。〔説文〕六上に「枌楡(ふんゆ)なり」(段注本)とあって、しろにれをいう。〔爾雅、釈木〕に「楡は白枌なり」とあり、枌楡と連言する。わが国では、そぎ板をいう(字通)、
と、他も形声文字としている。
「板」(漢音ハン、呉音ヘン、慣用バン)の異体字は、
鈑(の代用字)、闆(繁体字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%BF)。字源は、
会意兼形声。反は「厂(垂れた布)+又(手)」からなり、手で布をそり返えらせることを示す。板は、「木+音符反」で、そり返って張った木の板、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(木+反)。「大地を覆う木の象形」と「がけの象形と手の象形」(「かえす」の意味)から木を切る、削って(かえして)できたもの、すなわち「いた」を意味する「板」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji413.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「木」+音符「反 /*PAN/」。「いた」を意味する漢語{板 /*praanʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9D%BF)、
形声。木と、音符反(ハン)とから成る。木を割った平らな「いた」の意を表す。もと、版(ハン)の別体字(角川新字源)、
形声。声符は反(はん)。薄くそぎとった木片をいう。金文の図象に、木に手斧の類を加えている形があり、木を剃ぎとる意を示す。それが板の初文であろうが、のち反声の字となったのであろう。〔詩、大雅、板〕「上帝板板(はんはん)たり 下民卒(ことごと)く癉(や)む」とその疾威を形容し、また〔詩、秦風、小戎〕に「其の板屋に在りて 我が心曲を亂る」と板の意に用いる。板屋はおそらく殯屋(ひんおく)。死者の屍(しかばね)をおいて、その風化を待つところである。〔詩、小雅、鴻鴈〕「百堵皆作(おこ)る」の〔毛伝〕に「一丈を版と爲す」とあって、版築に用いる木をいう。古く用例のみえる字であるが〔説文〕未収。〔説文〕はおそらく板を、版の一体とみているのであろう。〔玉篇〕に「片木なり。版と同じ」とみえ、〔説文〕の旧本を承けるものと思われる。「板板」は〔爾雅、釈訓〕〔広雅、釈訓〕に「版版」に作り、「僻なり」「反なり」のように乖反(かいはん)の意とする(字通)、
と、形声文字としている。
「削」(@漢音シャク・呉音サク、A漢音呉音ショウ)は、「削減」「削除」など、けずる、意や、「痩削(ソウサク)」と、細い、意は@の音、鞘(ショウ)にあてて、細いさや、の意の場合、Aの音になる(漢字源)。字源は、
会意兼形声。小は、真ん中のh印をけずって、その細片の散るさまを示す。肖は、肉を細くけずること。削は「刀+音符肖(ショウ)」で、刀で細くけずること。小・肖の原義をあらわす(仝上)、
会意兼形声文字です(肖+刂(刀))。「小さな点の象形と切った肉の象形」(骨肉の幼く小さいものの意味から、「小さい」の意味)と「刀」の象形から、「刀で小さくする」、「けずる」を意味する「削」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1636.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「刀」+音符「肖 /*SEW/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%89%8A)、
形声。刀と、音符(セウ)とから成る。刀のさやの意を表す。借りて「けずる」意に用いる(角川新字源)、
と、形声文字とするもの、
会意肖(しよう)+刀。肖は筋のついた小肉。刀を加えてその肉を削ぎ取る意である。〔説文〕四下に「鞞(さや)なり」と刀室の意とし、また「一に曰く、析(さ)くなり」という。字形よりいえば削除・削減が字の本義。鞞の義は鞘(さや)の義に通用したものである(字通)、
と、会意文字とするものとに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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難波人(なにはひと)葦火(あしひ)焚(た)く屋(や)の煤(す)してあれどおのが妻こそ常(つね)めづらしき(万葉集)
の、
上二句は序、「煤して」を起こす、
とあり、
煤してあれど、
は、
煤ける古びているけれど、
と訳し、
葦火、
の、
葦、
は、
難波の名産、
とあり、
(葦火を焚く部屋のように古びているけれど)おれの妻はいつもいつもかわいくて一番いい、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
煤(す)す、
は、
さ/し/す/す/せ/せ、
の、自動詞サ行四段活用で、
すすける、
古びる、
意である(学研全訳古語辞典・広辞苑)。名詞、
煤(すす)、
は、
登陀流(とだる)天(あめ)の新巣(にひす)の凝烟〈凝烟を訓みて州須(スス)と云ふ〉の、八拳(やつか)垂る摩弖(まで)焼(た)き挙げ(古事記)、
と、
物が燃える際に、煙とともに出る黒い炭素の微粒子、また、それが梁の上、天井、煙突等に付着したもの、
と言い(精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、
炲煤、須須、灰集屋也、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
煤、スス・スヒ・ア(カ)マノアカ、
とある。由来は、
朝鮮語sus(炭)と同源(岩波古語辞典)、
巣炭(ススミ)の意かと云ふ、又、巣に棲む義か(大言海)、
ススミ(巣炭・巣墨)の義(名言通・和訓栞)、
フス(爝)の義(言元梯)、
フスボリツモリの義、あるいはフスボリスミの義(日本釈名)、
前のスはフスの義、後のスはスガルのスか(和句解)、
巣のようになった炭の意の、「巣炭」が語源、焚火が日常茶飯事であった頃、農家などでは、梁や天井裏にクモの巣ができ、ススが多くたまったのです。これをスミの巣と意識した言葉(日本語源広辞典)、
などとあるが、はっきりしない。
巣炭、
は、どうもいただけない。
煤、
は、
すすけ、
とも訓ますが、これは、動詞「すす(煤)く」の連用形の名詞化で、
衣もしろめず、おなじすすけにてあれば、いづち遣(や)りてけんなどにくむ(枕草子)、
と、
すすけていること、すすけて黒くなっていること、うす汚くよごれていること、
の意になる(精選版日本国語大辞典)。
煤(すす)く、
は、
け/け/く/くる/くれ/けよ、
の、自動詞カ行下二段活用で、
御薪(みかまぎ)にすすけたれば、黒戸といふとぞ(徒然草)、
と、
すすがしみついて黒ずむ、すすける、
意や、
衣(きぬ)は、雪に逢(あ)ひてすすけまどひ(源氏物語)、
と、
よごれてすす色になる、古くよごれた状態になる、
意である(学研全訳古語辞典)。ちなみに、
煤色(すすいろ)、
は、
淡い黒色、うすずみ色、
をいう(精選版日本国語大辞典)。
葦火、
は、古くは、
あしひ、
後に、
あしび、
と、濁音化、
干した葦の幹を薪として焚くこと、
である(大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。上代、東国形は、
家(いは)ろには安之布(アシフ)焚けども住み好(よ)けを筑紫に至りて恋(こふ)しけもはも(万葉集)、
と、
あしふ、
で、
「ふ」は「ひ(火)」の上代東国語形、
とある(精選版日本国語大辞典)。
「煤」(漢音バイ、呉音マイ・メ)は、
会意兼形声。某(バイ・ボウ)は「甘(口に含む)+木」の会意文字で、口に含んで味わう梅のこと。梅の古字。のち墨(くろいすみ)・霉(バイ 暗い)などと同型のことばをあらわすのに転用され、某日・某人などのように、暗くてよくわからないことをあらわす。煤「火+音符某(暗い・黒い)」で、黒いもえかすつまりすすのこと、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(火+某)。「燃え立つ炎」の象形と「口中に一線引いた象形(食物を口にはさむさまを表し、「うまい」の意味だが、ここでは、「祈りの言葉」の意味)と大地を覆う木の象形(「木」の意味)」(子が授かるように祈るのに用いる木「梅」の意味)から、梅の木を燃やした際に出る黒い物質「すす」を意味する「煤」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2572.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。火と、音符某(バイ)とから成る(角川新字源)
形声。声符は某(ぼう)。〔呂覧、任数〕に「煤炱(ばいたい)、甑(そう)中に入る」の語があり、〔玉篇〕に「炱煤なり」という。煙のすすの意(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
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馬の音(おと)の跡杼(とど)ともすれば松蔭に出(い)でてそ見つるけだし君かと(万葉集)
の、
とど、
は、擬音語、
馬の音がどとっと聞こえようものなら、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
とど、
は、擬音語で、多く、
と、
を伴って、冒頭の、
馬の音(おと)の跡杼(とど)ともすれば松蔭に出(い)でてそ見つるけだし君かと(万葉集)
奥山の真木(まき)の板戸とどと押(し)て我(わ)が開(ひら)かむに入(い)り来て寝(な)さね(仝上)
などと、
戸をたたく音や馬の駈ける足音など、とどろき響く音を表わす語、
で(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
どんどん、
とど、
の意とする(仝上・岩波古語辞典)。後には、
右の足を揚げて長尾をむずと蹈む。ふまれて下りに弓長(ゆんだけ)三杖ばかりとど走りて倒れにけり(源平盛衰記)、
と、
よろめくさまを表わす語、
に転じ、
よたよたと、
とぼとぼと、
の意と変わる(仝上)。万葉集の擬音語の用例は、たとえば、
烏とふ大をそ鳥(おおおそどり)の麻佐侵(まさで)にも来まさぬ君を児ろ来(ころく)とそ鳴く(万葉集)
と、
ころく、
は、
自来(ころく)の意か、
とある、
自らやってくる、
と掛けて、烏の鳴き声を、
ころく、
としている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。奈良時代は、烏(からす)の鳴き声を、
ころ、
から、
と聞いていて、
カラス、
大輕率鳥(おほをそどり)、
で触れたように、
カラス、
の、
から、
は、
その鳴き声から(雅語音声考・擁書漫筆・箋注和名抄・名言通・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴)、
鳴声のカラにスを付したもの(円珠庵雑記・甲子夜話・大言海)、
コクロと表現される鳴声から(能改斎漫録・松屋筆記)、
カラスノカラと鳴声のコロクのコロとが形の上で関係のあるものとみることもできるが、鳴き声の擬声語化したカラに接尾語スが付いたものか(時代別国語大辞典=上代編)。
擬声語kara、kura+接尾語(日本語源広辞典)、
と、この擬声、
から、
ころ、
からきており、接尾語、
ス、
は、
カケス、キギス、ウグイス、
の、
ス、
と同じく、鳥の名を表す、とする。平安時代は、
暁がたにいささかうち忘れ寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに(枕草子)、
と、
かか、
鎌倉・室町時代から江戸時代にかけては、
こかこか、
こかあこかあ、
江戸時代になって、
かあかあ、
と聞くようになる(山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』)。また、
ぬばたまの黒髪山の山菅(やますげ)に小雨降りしきしくしく思ほゆ(万葉集)
の、
しくしく、
は、動詞「しく(頻)」を重ねた、
物事があとからあとから重なり起こるさま、
の意の、
しくしく、
を、
小雨が降る擬音語、
しくしく、
に掛けて使っている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)
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夜並(よなら)べて君よを来ませとちはやぶる神の社(やしろ)を禱(の)まぬ日はなし(万葉集)
我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社に禱(の)まぬ日はなし(仝上)
の、
のむ、
は、
祈む、
とも(岩波古語辞典・広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
乞む、
ともあて(大言海)、
ま/み/む/む/め/め、
の、他動詞マ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
首を垂れて祈る(岩波古語辞典)、
頭を垂れて祈る(広辞苑)、
頭を下げて請い願う、頭をたれて神仏に祈る(学研全訳古語辞典)、
頭を下げて祈る(デジタル大辞泉)、
頭を下げてこいねがう(精選版日本国語大辞典)、
と、
祈る、
と
同義ではあるが、
不得免(まぬかるましきこと)を知(し)りて、叩頭(ノミ)て曰はく「我君(あかきみ)」といふ〈叩頭(たたくかうへ)此をば迺務(ノム)と云ふ〉(「日本書紀(北野本訓)」)、
大縣主懼畏(かしこみて)稽首(のみ)自(まをさく)(古事記)、
とあるように、
頭を下げる、ひれ伏すなどの動作を主体とした語であると考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。由来は、
歎きのナをニに転じて活用す(大言海)、
ノム(叩頭)の義(言元梯)、
のめりこむような動作をいうノム(叩頭)からの分義で、ノムは前に倒れ掛かる意のノメル、そうさせる意のノメスから考えられる動詞(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
我身の憂をノム(歎)の意(日本語源=賀茂百樹)、
ノはヌカヅキのヌキの約ニの転(万葉考)、
イノリミル(祈見)の義(日本語原学=林甕臣)、
とあるが、万葉仮名で、
叩頭、
を、
のむ、
と訓んだことからの発想以上に出ていないように感じる。
祈る、
ということは、
うけふ、
で触れたことだが、
いのる(祈・禱)、
が、
イはイミ(斎・忌)・イクシ(斎串)などのイと同じく、神聖なものの意、ノリはノリ(法)・ノリ(告)などと同根か、みだりに口にすべきでない言葉を口に出す意、
であり、
呪う、
は、
みだりに口に出すべきでない言葉、
というところから、意味が転じて、
呪う、
呪詛する、
意味になる。
呪
は、
口+兄、
で、もともとは、
祈、
と同じで、
神前で祈りの文句を称えること
なのだが、後に、
「祈」は、幸いを祈る場合、
「呪」は、不幸を祈る場合、
と分用されるようになった。
どちらも、神に祈る行為の延長線上で、
自分の幸、
ではなく、
他人の不幸、
を祈るところへシフトする。しかも、
他人の不幸を実現することで自分の幸を実現しようとする、
という、屈折した祈りになる。新撰字鏡(平安前期)には、
祈、伊乃留(いのる)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
祈、コフ・イノリ・ムクユ・ネガハクハ・モトム
とある。なお、
禱(の)む、
と、似た言葉に、
こ(祈)ふ、
がある。やはり、
禱ふ、
とも当て(大言海)、普通は、
乞ふ、
請ふ、
とあてる、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、他動詞ハ行四段活用で、
神仏・主君・親・夫などに対して、人・臣下・子・妻などが祈り、または願って何かを求める意(岩波古語辞典)、
神に冥助を請ふ意より移る(大言海)、
とあり、
恋(こ)ふ、
とは、同音ながら、
語源が別、
とある(仝上)。で、
敬びて雨を祈(コハ)しむへし(日本書紀)、
天地(あめつち)の神を許比(コヒ)つつ吾(あれ)待たむ早来ませ君待たば苦しも(万葉集)、
と、
望みがかなうように神仏に求める、
意、つまり、
祈る、
意で、そこから、広く、
木綿(ゆふ)畳(たたみ)手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも(万葉集)、
前妻(こなみ)が肴(な)許波(コハ)さば立柧棱(たちそば)の実の無けくを扱(こ)きしひゑね(古事記)、
と、
他者に、物を与えてくれるよう求める、
意、いわゆる、
乞う、
意や、
請(コ)フ、姉(なねのみこと)、天国(あまつくに)を照(てら)し臨(のそ)みたまはんこと(日本書紀)、
と、
ある事の実現を他人に願い求める、願い望む、
意、いわゆる、
請う、
意で使う。なお、
祈る、
の語源を、
「い」は神聖、斎の意。「のる」は宣るの意、
とする説があり、
天地(あめつし)のいづれの神を以乃良(イノラ)ばか愛(うつく)し母にまた言問はむ(万葉集)、
の、
神を祈る、
といった表現から、
神の名を口にする、
ことが本来の意義であったと考えられる。その後、平安時代には、
神に祈る、
という形で用いられ、願い事の成就を神に「対して」要求する意味を表わすようになる(精選版日本国語大辞典)としている。
「祈」(漢音キ、呉音ゲ・ギ)の異体字は、
𣄨、𧘻、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%88)。字源は、「祈(こ)ふ」で触れたように、
会意兼形声。斤は、物におのの刃を近づけたさまを描いた象形文字で、すれすれに近づく意を含む。近の原字。祈は「示(祭壇)+音符斤(キン・キ)」で、めざす所にちかづこうとして神にいのること(漢字源)、
と、会意兼形声文字とするが、他は、
形声。「示」+音符「斤 /*KƏJ/」。「いのる」を意味する漢語{祈 /*ɡəj/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%88)、
形声。示と、音符斤(キン)→(キ)とから成る。神に福を願い求める意を表す(角川新字源)、
形声文字です(ネ(示)+斤)。「神にいけにえをささげる台」の象形(「先祖神」の意味)と「曲がった柄の先に刃をつけた斧」の象形(「斧」の意味だが、ここでは、「近(キン)」に通じ(同じ読みを持つ「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかづく」の意味)から、幸福に近づく事を願う事を意味し、そこから、「いのる」、「いのりを意味する「祈」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1156.html)、
形声。声符は斤(きん)。斤に圻・沂(き)の声がある。〔説文〕一上に「福を求むるなり」とあり、前条の祓に「惡を除く祭なり」とあるのと合わせて、祭にはこの二義があった。金文に𣄨字をに作り、後期の器銘には𬀍・旂などの字を用いる。みな軍行に当たって、あるいは遠行に際して無事を祈願したものであろう。金文にまた勹+亡・介・乞・害などの字を祈求の義に用いる。みな声の近い字である(字通)、
と、形声文字としている。
「禱(祷)」(トウ)の異体字は、
祷(簡体字/簡易慣用字体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%B1)。字源は、字源は、「祈(こ)ふ」で触れたように、
会意兼形声。壽の原字は「長い線+口二つ」の会意文字で、長々と告げること。音は、トウ。祷の本字は、それを音符とし、示(祭壇)を加えた字で、長々と神に訴えていのること(漢字源)、
会意兼形声文字です(示(ネ)+壽)。「神にいけにえをささげる台」の象形(「祖先の神」の意味)と「つえをつく老人の象形と長くつらなる道の象形」(「年老いるまで生命が長くつらなる」、「寿命が長い」の意味)から長生きできる事を「いのる」を意味する「禱」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2622.html)、
と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「示」+音符「壽 /*TU/」。「いのる」を意味する漢語{禱 /*tuuʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%B1)、
形声。示と、音符壽(シウ)→(タウ)とから成る。神にいのる意を表す(角川新字源)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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霊(たま)ぢはふ神も我(われ)をば打棄(うつ)てこそしゑや命(いのち)の惜しけくもなし(万葉集)
の、
霊(たま)ぢはふ、
は、
神の枕詞、
とし、
霊験あらたかな神様も私を見捨ててください、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
霊ぢはふ(霊じわう)、
魂ぢはふ(岩波古語辞典)、
霊幸はふ(広辞苑)、
とも当て、
「ぢはふ」の「ぢ」は神霊の意(精選版日本国語大辞典)、
チは霊、ハフは動詞化する語尾(岩波古語辞典)、
神は人の霊を幸(ちは)ひ保つ意といふ(大言海)、
等々とあり、
霊の力で守る、助ける(精選版日本国語大辞典)、
霊力を動かす、霊力で加護する(広辞苑)、
霊力をふるって守る(岩波古語辞典)、
と、微妙に含意が違う。一説に、冒頭の歌の注釈のように、
「かみ(神)」にかかる枕詞とする説もある、
とあり(精選版日本国語大辞典)、『大言海』は、
枕詞、
としつつ、
此語、皆枕詞とすれど、、或は、平語ならむか、さるは其用例、萬葉集、一處の外に見當らたらずして、且、歌詞も、霊と命とを対照せしめて、十分に意味あればなり。試みに、千速振ると代えて見よ、歌意の索漠たるを覚えむ、
としている。
ちはふ、
は、
幸ふ、
とあて、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、自動詞ハ行四段活用で、
サチはフの略、いちはやぶる、ちはやぶるの例(大言海)、
チは霊力の意(広辞苑・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
チは霊力、ハフはそれの働く意(岩波古語辞典)、
とあり、
神の威力が働く、加護がある(広辞苑)
霊力を現して加護する(学研全訳古語辞典)、
霊力を現わす、また、神が霊力を発揮して加護を垂れる(精選版日本国語大辞典)、
幸を與ふ(かみより)(大言海)、
意で、新撰字鏡(平安前期)に、
影護、知波不(チハフ)、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
援、チハフ・タスク、
とある。なお、
ちはふ、
には、
寺の躰を見に、極て貴き事无限(かぎりな)し。東は近江の江を護(ちは)ヘたり(今昔物語集)、
と、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、ハ行下二段活用の他動詞があり、
霊力によって守る、
意である(精選版日本国語大辞典)。なお、
ちはふ、
の、
はふ(わう)、
は、五(四)段・下二段型活用の動詞、
はう(延う)、
から出た語とされ、
あたりに這うように広がる意を添えて動詞を造る(岩波古語辞典)、
名詞または体言的な造語要素について、その状態が進展する、または、その状態を進展させる意を表わす(精選版日本国語大辞典)、
名詞またはそれに準じる語に付いて、その状態が進展する、または、その状態を進展させる意を表す(デジタル大辞泉)
とされ、
あじわふ、
さきはふ、
にぎはふ、
等々がある。で、
はう(這・延)、
も、
へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、
の、ハ行下二段活用の他動詞と、
は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、
の、ハ行四段活用の自動詞とがあるが、ここでは、自動詞の、
はふ、
で、
谷狭(せば)み嶺に波比(ハヒ)たる玉葛絶えむの心我(わ)が思はなくに(万葉集)、
と、
蔓草や綱などが、物に絡みついて伝わっていく(岩波古語辞典)、
植物の根や蔦(つた)の類が地面や木などにまつわりついてのびる(精選版日本国語大辞典)、
意で、
一面にのび広がる、
意で使い、それをメタファに、
年九十ばかりにて、雪をいただきたるやうなる女翁、はいにはいきて(宇津保物語)、
と、
人がうつぶせに伏した状態になる。また、その状態で手足をつかって動きまわる、
意や、
神風(かむかぜ)の伊勢の海の大石(おいし)に這(は)ひ廻(もとほ)ろふ細螺(しただみ)のい這(は)ひ廻(もとほ)りて撃ちてし止まむ(古事記)、
と、
獣・虫・貝など動物が地面などに体をすりつけるようにして進む、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。また、
なほこの内侍に思ひ離れずはひまぎれ給ふべき(源氏物語)、
と、他の動詞の上について、
そっと……する、
意でも使う(岩波古語辞典)。他動詞、
はふ、
は、
またさらに大御神(おほみかみ)たち船舳(ふなのへ)に御手(みて)うち懸けて墨縄(すみなは)を播倍(ハヘ)たる如く(万葉集)、
と、
糸・紐(ひも)・綱や、布・袖などを長く引きのばす、のばしひろげる、長くはわせる、
意や、転じて、
蓴(ぬなは)繰り波閇(ハヘ)けく知らに我が心しぞいや愚(をこ)にして今ぞ悔しき(古事記)、
と、
心情、ことばなどを相手に届くようにする、心をよせる、ことばをかける、
意でも使う(精選版日本国語大辞典)。なお、
ちはふ、
の、
ち、
は、
霊、
とあてるが、
持(モチ)の義、神、人の霊(たま)、又徳を称え賛(ほ)めて云ふ語。野之霊(ノツチ 野槌)、水霊(ミヅチ)、尾呂霊(ヲロチ 蛇)などの類の如し、チの転じて、ミとなることあり、高皇産霊(タカミムスビ)、神皇産霊(カムミムスビ)の如し(大言海)、
自然の事物などの名詞の下に付いて、それが神秘的な力をもつ意を表す。「いかず霊(雷)」「おろ霊(大蛇)」「みず霊(水霊)(デジタル大辞泉)、
神や自然の霊の意で、神秘的な力を表わす。「みずち(水霊)」「のつち(野霊)」「いかずち(雷)」「おろち(大蛇)」。「わたつみ」「やまつみ」「ほほでみ」の「み」と同じ(精選版日本国語大辞典)、
原始的な霊格の一。自然物の持つ激しい力・威力をあらわす語。複合語に用いられる。「いかづち(雷)」「をろち(蛇)」「いのち(命)」「たまぢはふ」など(岩波古語辞典)、
複合語として用いる。自然物の威力・霊力を表す語。「いかづち(雷)」「おろち(蛇)」など(広辞苑)、
とある。また、
霊、
については、和名類聚抄(931〜38年)に、
靈、日本紀私記に云ふ、美太万(みたま)、一に云ふ、美加介(みかげ)、又、魂魄の二字を用ふ、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
靈、ミタマ・ミカゲ・スダマ・ネガフ・アヤシ・メヅラシ・タマシヒ・アキラム・カミ、
産靈、ムスビノカミ、
精霊靈、タマシヒ、
蒭靈、クサヒトカタ、
とある。この和語の、
霊(たま)、
は、
たま(魂・魄)、
で触れたように、
魂、
魄、
とも当て、
たま(玉・珠)、
と同根、
とあり、
人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、
とある(岩波古語辞典)。依り代の、
たま(珠)、
と、依る、
たま(魂)、
が同一視されたということであろうか。本来「たま」は「魂」で、形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが、
丸い石、
を精霊の憑代とすることから、その憑代が「魂」となり、その石をも「たま」と呼んだことから、その形を「たま」と呼んだと、いうことのように思える。その「たま」は、単なる球形という意味以上に、特別の意味があったのではないか。この、
たま(玉・珠)、
は、
魂、
でもあり、
依代、
でもある。何やら、
神の居る山そのものがご神体、
となったのに似ているように思われる。
未開社会の宗教意識の一。最も古くは物の精霊を意味し、人間の生活を見守り助ける働きを持つ。いわゆる遊離靈の一種で、人間の体内から脱け出て自由に動き回り、他人のタマとも逢うこともできる。人間の死後も活動して人を守る。人はこれを疵つけないようにつとめ、これを体内に結びとどめようとする。タマの活力が衰えないようにタマフリをして活力をよびさます、
ともある(仝上)。だから、いわゆる、
たましい、
の意であるが、
物の精霊(書紀「倉稲魂、此れをば宇介能美柂麿(うかのみたま)といふ」)、
↓
人を見守り助ける、人間の精霊(万葉集「天地の神あひうづなひ、皇神祖(すめろき)のみ助けて」)、
↓
人の体内から脱け出して行動する遊離靈(万葉集「たま合はば相寝むものを小山田の鹿田(ししだ)禁(も)るごと母し守(も)らすも」)、
↓
死後もこの世にとどまって見守る精霊(源氏物語「うしろめたげにのみ思しおくめりし亡き御霊にさへ疵やつけ奉らんと」)、
と変化していくようである。そこで、
生活の原動力。生きてある時は、體中に宿りてあり、死ぬれば、肉體と離れて、不滅の生をつづくるもの。古くは、死者の魂は、人に災いするもの、又、生きてある閧ノても、睡り、又は、思なやみたる時は、身より遊離して、思ふものの方へゆくと、思はれて居たり。生霊などと云ふ、是なり。故に鎮魂(みたままつり)を行ふ。又、魂のあくがれ出づることありと、
ということになる(大言海)。また、
和魂(にきたま)、
で触れたように、
和魂(にきたま)、
は、
にぎみたまは王身(みついで)にしたがひて寿命(みいのち)をまもらむ(日本書紀)、
と、
にきみたま(和魂)、
とも訓ませ(岩波古語辞典)、
温和な徳を備えた神霊、
の意で(岩波古語辞典)、日本書紀の神功皇后のくだりは、
あらみたまは先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ(日本書紀)
と続き、
和魂、
は、
荒魂(あらみたま)、
と対で、
物事に対して激しく活動する神霊、
をいう。
あらみたま、
は、
神の御霊の徳用(はたらき)に就いて云ふ語、御霊の時として荒びて外に現し、強暴なるものを打伏せむとしたまふが、即ち、荒御霊なり。御霊が、内に和(にぎ)びて鎮まりましてあるを、和御魂(にぎみたま)と云ふ。又、和御霊の徳用に、二様あり、人の身を守りて幸(さき)くあらしめたまふを、幸御霊(さきみたま)、又幸魂(さきたま)と云ひ、奇(く)しき徳用を以て、事業を成さしめたまふを、奇御霊(くしみたま)と云ふ、
とある(大言海)。つまり、
古く日本人は神の霊魂の作用および徳用を異なる作用を持つ霊魂の複合による、
と考え、
和魂、
は、主として、
神霊の静的な通常の状態における穏和な作用、徳用、
をさし、これに対して、
荒魂、
は、
活動的で勇猛、剛健な作用、
をさしていう(世界大百科事典)。
その作用をおこさせる原動力は個別に存在するものと考えられ、神霊も平常のときには一つの神格に統一され別個のはたらきは見せないが、時と場合に応じて分離し、単独に一個の神格としてはたらくものと信じられたのである。そこで、神をまつるにあたっても、和魂だけをまつる場合も、荒魂だけをまつる場合もある、
とあり(仝上)、神功皇后は、出兵に際して、
にぎみたまは王身(みついで)にしたがひて寿命(みいのち)をまもらむ、あらみたまは先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ(日本書紀)、
と、
あらみたま、
にぎみたま、
を列記しているし、
あらみたま、
は、
死者と死霊の中間にあり、たたりの可能性があるとされる新霊にも通じる、
とあり(ブリタニカ国際大百科事典)、これは、
疫神(ヤクジン)の神霊、又は、死者の怨霊(ヲンリヤウ)(疫神となりたる)の敬称、
である、
をごりょう、
と訓ませる、
御霊、
につながる。この、
御霊、
については、
御霊会、
で触れた。
魂魄、
たま(魂・魄)、
和魂(にきたま)、
言霊、
たまきはる、
については触れた。
「霊」(漢音レイ、呉音リョウ)の異体字は、
灵(俗字/簡体字)、靈(旧字体/繁体字)、
とあり、
霊、
の字源は、
「靈」の略体、
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%8A)。
「靈」(漢音レイ、呉音リョウ)の異体字は、
䨩、灵(簡体字)、霊(新字体)、霛、𠳄、𡀓、𢩙、𤫊、𤴤、𦊄、𧈀、𧨈、𩂊、𩂳(俗字)、𩃏、𩄀、𩄇、𩆜、𩆮(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%88)。字源は、
会意兼形声。霝(レイ)は、「雨+〇印三つ(水たま)」を合わせた会意文字で、連なった清らかな水たま。零と同じ。霊は「巫(みこ)+音符霝」で、神やたましいに接するきよらかなみこ。転じて、水たまのように冷たく清らかな神の力やたましいをいう。冷(レイ)とも縁が近い。霊はその略字。灵は中国での霊の簡体字、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(霝+巫)。「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味し、そこから、「神の心」、「巫女」を意味する「霊」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1219.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、
形声。「巫」+音符「霝 /*REŊ/」。「みたま」「たましい」を意味する漢語{靈 /*rˤeŋ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%88)、
旧字は、形声。意符巫(ふ)(みこ)と、音符霝(レイ)とから成る。雨ごいするみこの意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、
と、形声文字とする説、
会意。旧字は靈に作り、霝(れい)+巫(ふ)。霝は祝禱の器である差ᗨ(さい)を列して、雨乞いを祈る意。巫はその巫祝をいう。その雨をまた霝雨という。〔説文〕一上に字を𤫊に作り、「𤫊巫なり。玉を以て神に事(つか)ふ」とし、重文として靈をあげている。金文には字を霝に作り、また示を加え、心を加え、玉を加えるなどの字形がある。霝が初文、他はその繁文とみるべき字である(字通)、
と、会意文字とする説とに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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霊(たま)ぢはふ神も我(われ)をば打棄(うつ)てこそしゑや命(いのち)の惜しけくもなし(万葉集)
の、
打棄(うつ)てこそ、
の、
こそ、
は、
希求、
とし、
見放したまえ、
と訳す(仝上)。
しゑや、
は触れたが、
ああ、いやだ、
ええい、もう、
といった意になるが、ここでは、
ええいこんな命なんか惜しくはありません、
と訳す(仝上)。
打棄(うつ)つ、
は、
「う(打)ちう(棄)つ」の音変化(デジタル大辞泉)。
「うち(打)うつ(棄)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
ウチウツの約(岩波古語辞典)、
打棄(ウチス)つの約(大言海)、
とあり、
打ち、
で、
棄(う)つ、
を強めて(広辞苑)、
五月蠅(さばへ)なす騒く子どもを宇都弖(ウツテ)ては死には知らず見つつあれば心は燃えぬ(万葉集)、
と、
見捨てる、
打ち捨てる、
見捨ててかえりみない、
見殺しにする、
意となる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。
棄(う)つ、
は、
て/て/つ/つる/つれ/てよ、
の、他動詞タ行下二段活用で、
捨てる、
意だが、
打つ、
の単独用例はなく、他の動詞と複合して用いられる。「投げうつ」「脱ぎうつ」「流しうつ」など、
とあり(学研全訳古語辞典)、
打ち、
で触れたように、この、
接頭語「うち」、
は、動詞に冠して、
その意を強め、またはその音調を整える(打ち興ずる、打ち続く)
瞬間的な動作であることを示す(打ち見る)、
と(広辞苑)あり、
平安時代ごろまでは、打つ動作が勢いよく、瞬間的であるという意味が生きていて、副詞的に、さっと、はっと、ぱっと、ちょっと、ふと、何心なく、ぱったり、軽く、少しなどの意を添える場合が多い。しかし和歌の中の言葉では、単に語調を整えるためだけに使ったものもあり、中世以降は単に形式的な接頭語になってしまったものが少なくない、
として(岩波古語辞典)、
さっと(打ちいそぎ、打ちふき、打ちおほい、打ち霧らしなど)、
はっと、ふと(打ちおどろきなど)、
ぱっと(打ち赤み、打ち成しなど)、
ちょっと(打ち見、打ち聞き、打ちささやきなど)、
何心なく(打ち遊び、打ち有りなど)、
ぱったり(打ち絶えなど)、
といった意味をもつとしている(仝上)。動詞、
うつ、
は、
打つ、
撃つ、
とあて、
相手・対象の表面に対して、何かを瞬間的に勢い込めてぶつける意。類義語タタクは比較的広い面を連続して打つ意、
だが(岩波古語辞典)、その意味の幅は、
あるものを他の物に瞬間的に強く当てる(打・撃)、
(釘や杭、針を)たたきこむ、差し込む(打)、
傷つけ倒す(撃・討)、
(網などを)遠くへ投げる意から(打・射)、
(門・幕などを)設ける(打)、
(もも・筵などを)編む(打)、
(転じて)あること(芝居などを)行うこと(打)、
とあり、接頭語「うつ」に、この意味の何がしかは反映している。たとえば、
打ち興ずる、
打ち続く、
のように、
その意を強め、またはその音調を整える、
ほかに、
打ち見る、
のように、
瞬間的な動作であることを示す、
使い方をする(広辞苑)。
「棄」(キ)の異体字は、
弃(簡体字/古字)、毀(の代用字)、甭、𠆉(籀文)、𢍞、𣓪(俗字)、𨓋(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%84)。字源は、
会意文字。「子の逆形→生まれたばかりの赤子→ごみとり→両手」で、赤子をごみとりにのせてすてるさまをあらわす、
とある(漢字源)。他も、
会意。「𠫓」(「子」を上下反転したもの)+「𠀠」(ちりとり、「箕」の原字)+「𠬞」(両手)、子供を捨てるさまを象る。「すてる」を意味する漢語{棄 /*khis/}を表す字。字形は、迷信や生活の困難等の理由により嬰児を捨てることがしばしばあった古代社会を反映したもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%84)
会意文字です。「子を流す」象形と「ごみを押しのける道具」の象形と「両手」の象形から、生まれた子をすてるさまを表し、そこから、「すてる」を意味する「棄」という漢字が成り立ちまいた(https://okjiten.jp/kanji1553.html)、
会意。旧字は棄。𠫓
(とつ)+●(はん)+廾(きょう)。〔説文〕四下に「捐(す)つるなり。廾に從ふ。●を推して之れをつ。𠫓に從ふ。𠫓は逆子なり」とあって、逆子(さかご)であるからこれを悪(にく)んで棄てる意とする。𠫓は子の出生のときの姿で、育、流はその形に従う。生子を棄てることは古俗として行われたことがあり、周の始祖説話として、后稷がはじめ棄てられて棄と名づけられたとされ、他にもその類話が多い。一種の厄よけの方法として、のち厄年の婦人の生んだ子を、一度棄てる形式をとる民俗もある。●はもっこ。卜文の字は其(箕)に従う形に作る。のち流棄の意に用い、金文の〔散氏盤〕に、契約に違反するときの自己詛盟の語として、「之れを傳棄せん」という。のちすべて放棄する意に用いる(字通)、
と、会意文字としているが、
象形。ちり取りに入れた子供を捨てるさまにかたどる。ごみを集めて「すてる」意を表す。古代には、生まれたばかりの子供を一度捨てたのちに拾いあげる習俗があった(角川新字源)、
と、象形文字とする説もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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霊(たま)ぢはふ神も我(われ)をば打棄(うつ)てこそしゑや命(いのち)の惜しけくもなし(万葉集)
の、
打棄(うつ)てこそ、
の、
こそ、
は、
希求、
とし、
見放したまえ、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
こそ、
は、終助詞で、
語源については定説を得ない、
とあり、
係助詞「こそ」の文末用法とする説、
「来為(こそ)」とする説、
助動詞「こす」の命令形の古形とする説、
等々がある(広辞苑)。このことは、
ありこせぬかも、
こせぬかも、
で触れたように、
こす、
は、上代語で、動詞の連用形に付いて、
相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、
を表わし(精選版日本国語大辞典)、
……してくれ、
……してほしい、
という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(仝上・広辞苑)。活用は、
未然形「こせ」・終止形「こす」・命令形「こせ」、
だけとされる(広辞苑)が、
助動詞下二段型、こせ/○/こす/○/○/こせ・こそ、
の活用で、相手に望む願望の終助詞「こそ」を、
「こす」の命令形、
とする説があり((学研全訳古語辞典))、また、
命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法、
とする説もある(精選版日本国語大辞典)。
また活用についても、下二段型とする説の他、
サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞、
とする説がある(精選版日本国語大辞典)。未然形「こせ」についても、
「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、終止形「こす」は、「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられる。命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、これを独立させて終助詞とする説(仝上)、
もあり、平安時代以降、命令形に、
こせ、
の形が見られるようになる(仝上)とある。ともあれ、終助詞、
こそ、
は、
終助詞。奈良時代、動詞の連用形について、他へ求め願う意を表し、……してほしい、……してくれ(広辞苑)
終助詞、動詞こす(遣す)の古い命令形ともいう。奈良時代、動詞の連用形をうけ、他への希望を表す。……してほしい(岩波古語辞典)、
終助詞、上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。動詞の連用形に付く。他に対する願望で、……てほしい。……てくれ(学研全訳古語辞典)、
終助詞、上代語、用言の連用形に付く。願望を表す。……てほしい。……てくれ(デジタル大辞泉)、
終助詞、文末の連用形をうけ、他に対する希望の意を表わす。上代だけに見られる用法(精選版日本国語大辞典)、
と、その用法、意味は共通している。ちなみに、係助詞、
こそ、
は、
多くの中からある内容を強く指示する働きがある。指示した物事以外との間に対比(逆接)の関係が生じ、その結果、結びが活用語の時は、逆接を表す機能もある已然形の形が使われ、「こそ……已然形」の係結びの関係ができることになる。ただし、奈良時代は結びが形容詞および形容詞型活用の助動詞の場合、「難波人葦火焚く屋の煤(す)してあれどおのが妻こそ常(つね)めずらしき」(万葉)のように連体形となった例もある。平安時代には、已然形の機能の変化に伴い、「子ある仲なりければこまかにこそあらねど時々ものいひおこせり」(伊勢物語)のように、結びの部分に逆接を表す語が補われる言い方が現れ、徐々に「こそ」の係結びに乱れが生ずる。口語では、特殊の成句のほかは、已然形で結ぶことは行われない(広辞苑)、
古語では、文中にあって「係り」となり、文末の活用語尾を已然形で結ぶ。また、上代では連体形で結ぶこともある。係助詞「ぞ」「なむ」に比し、強調の度合いが強いといわれる(デジタル大辞泉)、
文中で係りとなる用法。これとかかわりをもつ文末活用語は已然形をとる。ただし、上代では已然形の発達の遅れている形容詞および形容詞型活用の語の場合は連体形。@文中の「こそ」をうけて形容詞または形容詞型活用の語の連体形で結んだ例として、「書紀‐仁徳二二年正月・歌謡」の「衣虚曾(コソ)二重も良きさ夜床を並べむ君はかしこきろかも」、「万葉‐二七八一」の「海(わた)の底おきを深めて生ふる藻のもとも今社(こそ)恋はすべ無き」などがある。A「こそ…已然形」の呼応には、中古から破格の例が見えはじめる。その最も早い例は、句点に関して異論もあるが「竹取物語」の「さればこそ異物の皮なりけり」で、「源氏‐行幸」にも「内侍のかみあかばなにがしこそ望まむと思ふを」の例が見られる。「今昔物語集」以後、次第にその例が多くなるが、結びの活用語が動詞、形容詞の場合はほとんどなく、「けり」「なり」(伝聞、または推定)などの断定性の弱く、感動性を含む助動詞、および推量の助動詞からはじまる。中世以降は破格化が進み、断定性の強い助動詞や形容詞にもおよぶ。B中古以後、逆接の意味を接続助詞の「ど(も)」「とも」「に」などによって表わす例が現われる。「源氏‐東屋」の「守こそおろかに思ひなすとも我は命を譲りてかしづきて」、「太平記‐一九」の「後は山により、前は水を堺ふ事にてこそあるに」など(精選版日本国語大辞典)、
@係り結び(結びは已然形) ただし、上代では形容詞・形容詞型活用の助動詞が「こそ」の結びになる場合は、連体形で結んだ。A結びの省略 「こそ」を受けて結びとなるはずの文末の語句が省略されて、「こそ」で言い切った形になることもある。たとえば「この殿の御心かばかりにこそ」(徒然草)〈この殿のお心はその程度でいらっしゃったのだ〉の「かばかりにこそ」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形で、下に「おはしけれ」(「けれ」が結びで已然形)が省略されている。B結びの消滅 「こそ」が文中にあっても、それを受ける結びの語が接続助詞に続くなどして文が終止しない場合は、係り結びは成立しない。たとえば「たとひ耳鼻こそ切れ失(う)すとも」(徒然草)〈たとえ耳や鼻なんかがちぎれてなくなったとしても〉で、文が「こそ」を受ける文節で終止するなら「失すれ」と已然形になるはずであるが、「とも」という接続助詞に連なるため終止形「失す」になり、結びは消滅する(学研全訳古語辞典)、
社、乞(とあてる)。此(こ)は其(そ)なり、と指す意なりと云ふ。他に対して、特に、其物、其事を撰りわけて、確かに云ふ意の辞。ゾの意の更に強きもの。(また)請ひ願ふ意を云ふ辞。動詞の連用形に付きて言切る。是れも、其事をと指す意なり。和訓栞「萬葉集に、乞の字を讀めり、字の如く、乞ひ願ふ辞、……社を讀むは、……神社は祈請の所なれば、乞の字、義通へり」(大言海)、
等々とあるが、係助詞、
こそ、
が入る効果について、
順直な表現ならば、(万葉集の「大君の辺にこそ死なめかへり見はせじと言(こと)立て」の)「大君の辺に死なむ」(万葉集の「川沿ひの岡辺の道ゆ昨日こそ我が越え來しか一夜(ひとよ)のみ寝たりしからに峰(を)の上(うへ)の桜の花は滝のゆ散らひて流る」の)「丘辺の道を昨日越え來ぬ」とする表現において、上に強調の「こそ」が投入されると、「大君の辺にこそ死ぬだろう」「昨日こそ越えた」となる。(中略)この「こそ」の投入は「大君の辺にこそ死ぬだろうが、故郷を顧みたりはしない」「たった昨日山をこえたばかりなのに(一夜寝ただけで)今日は桜が散って流れている」という意味になる。つまり、「こそ」の投入は、「こそ」と已然形との協同によって逆接の既定条件句らを成立させた。これが「こそ」の係結びの古い用法で、万葉集の「こそ」のほとんどすべてはこの逆接の用法である、
としている(岩波古語辞典)。しかし、やがて、逆接の条件句という用法は忘れられ、
此の山のいやつぎつぎに斯(か)くしこそ仕へまつらめいや遠長(とほなが)に(万葉集)、
では、
「こそ」は単純な強調の辞として投入され、已然形も、普通の終止法の一変形とみなされている、
とし(岩波古語辞典)、
梅こそただ今はさかりなれ(枕草子)、
でも、「こそ」の係結びが単純な強調となっている(仝上)。鎌倉時代になると、「こそ」の係結びは、
単純な強調、
と意識されることが多くなる(仝上)とある。
ただ、
係助詞「こそ」、
には、
小里なる花橘を引きよぢて折らむとすれどうら若み許曾(コソ)(万葉集)、
と、
文末にあって詠歎的強調を表わす、
用法があり、これと、
終助詞の「こそ」、
との区別はつけにくい。この、
こそ、
は、現代でも、
これはこれは、ようこそ、
いや、こちらこそ、
といった、
文末にあって、言いさして強める意を表す、
使い方があり、これも、強調になっているが、これは、
「こそ」に続く述語部分を省いたもので、古語では、「あれ」「あらめ」「言はめ」が省かれることが多い、
とある(デジタル大辞泉)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)の朝影(あさかげ)に我(わ)が身はなりぬ汝(な)を思ひかねて(万葉集)
の、
上二句は序、「朝」を起こす、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
夕月夜、
は、
夕暮に出ている月、
の意だが、
陰暦10日頃までの夕方の時刻に、空に出ている上弦の月。また、その月の出ている夜。
とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。
唯、夕の月なり、夜と云ふ語に、意なしと見るべし、
とあり(大言海)、古言に、
月をつく、
と云ふ(仝上)ともいい、
夕付日、
というと、
夕方になってゆく陽の光、
つまり、
夕日(夕陽)、
をさす(仝上・広辞苑)。
夕月夜、
の、
上弦の月、
は、
早く出でて(夕月夜)、早く入れば、暁は闇となる。下弦の月は遅く出でて(夕闇・宵闇)、暁まで残り、暁月(あかつきづくよ)、朝月(あさづくよ)、有明の月となる、
とある(大言海)。で、
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)、
は、
夕方には月があるが、明け方近く闇になる、月初めの状態、
をいい、
夕方出ていた月が沈んで暁の闇が明けた朝、
と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
朝影、
は、
その朝の日に映る影法師、
と訳す(仝上)。
あかとき、
で触れたように、上代は、
あかつき、
は、
明時(アカトキ)の義、あかつきの本語なり、
とある(大言海)ように、
あかとき、
で、中古以後、
あかつき、
となる。もともとは、古代の夜の時間を、
ユウベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタ、
という区分した中の「あかつき」(因みに、ヒルは、アサ→ヒル→ユウ)で、
夜が明けようとして、まだ暗いうち、
を指し(岩波古語辞典)、
ヨヒに女の家に通って来て泊まった男が、女の許を離れて自分の家へ帰る刻限。夜の白んでくるころはアケボノという、
とする(仝上)が、
明ける一歩手前の頃をいう「しののめ」、空が薄明るくなる頃をいう「あけぼの」が、中古にできたため、次第にそれらと混同されるようになった、
とある(日本語源大辞典)。
アシタ、
は、「ヒル」の時間帯を指す、
アサ→ヒル→ユウ、
の「アサ」と同じで、古く、アシタとアサとは、
同じ「朝」の時間帯を指したが、アサが「朝日・朝霧・朝曇(あさぐもり)・朝夕」など複合語の前項として多く用いられ、平安時代以前には単独語の用例がまれだったのに対し、アシタは単独語としての使用が普通で、複合語としては「朝所(あしたどころ)」くらいであるという違いがあった、
とあり(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、
アシタ、
は、
「夜が明けて」という気持ちが常に常についている点でアサと相違する。夜が中心であるから、夜中に何か事があっての明けの朝という意に使う。従ってアクルアシタ(翌朝)ということが多く、そこから中世以後に、アシタは明日の意味へと変化し始めた(岩波古語辞典)、
とし、
アサには「明るい時間帯の始まり」の意識が強い(「あさまだき」「朝け」)に対し、「アシタ」には「暗い時間帯の終わり」に重点があった。そのため、前夜の出来事を受けて、その「翌朝」の意味に用いられることが多く、やがて、ある日から見た「翌日」、後には今日から見た「明日」の意に固定されていく。この意味変化と呼応しつつ、アサが専ら「朝」を指す単語となり、ユフヘが「昨夜」を示すようになった(精選版日本国語大辞典)、
とあるので、
アカツキ→アシタ、
の幅は、
ヤハン過ぎから、夜明け近くのまだ暗い頃まで(日本語源大辞典)、
と幅広いが、
「あけぼの」よりやや早い時刻をいう、
とある(学研全訳古語辞典)。
あかときやみ(暁闇)、
の、
あかとき、
は、
明時(アカトキ)の義、あかつきの本語なり、
とある(大言海)ように、
あかつきやみ(暁闇)、
のことで、
暁に月がなく、真っ暗なこと、月が早く没する陰暦13日ころまで(岩波古語辞典)、
夜明け前、月がなく辺りが暗いこと。陰暦で、1日から14日ごろまで、月が上弦のころの現象(デジタル大辞泉)、
明け方、月がなく、あたりが暗いこと。また、そのころ。陰暦で、一日から一四日ごろまでの夜明け方をいう(精選版日本国語大辞典)、
月のない明方、陰暦で月の14日ごろまで(広辞苑)、
暁に月なきを云ふ語。上弦の月は早く出て、(夕月)夜(ゆふづくよ)に早く入れば、暁には闇となる、下弦の月は遅く出て(夕闇(ゆふやみ)、宵(よひ)闇)暁まで残り、暁月(あかつきづくよ)、朝月(あさづくよ)、ありあけのつきとなる(大言海)、
とあるように、
暁闇⇔夕闇(宵闇)、
夕月夜⇔暁月夜(朝月夜)、
と対になり、
夕月夜→暁闇、
暁月夜→夕闇(宵闇)、
となる。
暁月夜(あかときづくよ)、
は、
あかつきづくよ、
あさづくよ、
とも訓ませ(岩波古語辞典・大言海)、
夜と云ふに意味なし、有明の月に同じ、
とある(大言海)ように、
朝月夜(あさづくよ)、
と同じ、
有明の月、
の意で、
陰暦17、8日以後は月の出が遅く、暁に月が残っている、それで、
暁月夜、
夕闇(ゆふやみ)、
という(岩波古語辞典)が、これに対して、
陰暦12、3日以前は月の出が早く、暁には月が沈んでいる、
ので、
夕方の時刻に、空に出ている上弦の月。また、その月の出ている夜、
を、
夕月夜、
暁闇(あかときやみ・あかつきやみ)、
という(仝上)。
暁に月が残っている、
暁月夜、
は、逆に言うと、
特に月の出の遅い陰暦二十日前後、日が暮れてから月が出るまでの真暗な状態、またその時間、
を、
夕闇、
あるいは、
宵闇(よいやみ)、
という(仝上)。
旧暦一五日を過ぎると月の出が夜とともに遅くなり、二〇日過ぎともなると一〇時を過ぎないと上がらない、
という(精選版日本国語大辞典)。それに対し、
月が早く没する陰暦十三日ころまでの、暁に月がなく真暗なこと、
を、暁には月が沈んでいるので、
暁闇(あかときやみ・あかつきやみ)、
という(岩波古語辞典)。この、
朝月夜、
の対になる、
暁闇(あかときやみ・あかつきやみ)、
は、
陰暦で、1日から14日ごろまで、月が上弦のころの現象、
になり(精選版日本国語大辞典)、冒頭の、
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)の朝影に我(あ)が身はなりぬ汝(な)を思ひかねて〈万葉集〉、
と、
上弦の月は早く出でて(夕月夜(ゆふづくよ))、夜に早く入れば、、暁は闇となる。下弦の月は遅く出でて(夕闇(ゆうやみ)・宵闇(よひやみ))、暁まで残り、暁月(あかつきづくよ)、朝月(あさづくよ)、有明の月となる、
のである(大言海)。ちなみに、
類聚名義抄(11〜12世紀)は、
闇、クラシ・ヤミ・ソラニ・オボツカナシ、
暗、クラシ・ヤミ・ソラ・ムナシ・ホノカナリ/闇、ヨル、
字鏡(平安後期頃)は、
闇、ヤミ・クラシ・ヲボツカナシ・カスカナリ・ハルカナリ・ソラニ・カドドヅ、
としている。
「闇」(漢音アン、呉音オン)の異体字は、
暗(別字/代用字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87)。字源は、
会意兼形声。「門+音符音(オン・アン 口を閉ざして声だけ出す。ふさぐ)」で、入口をとじて、中を暗くふさぐこと、暗とまったくおなじことば、
とあり(漢字源)、
「暗・暗夜」など、「暗」に書き換えることがある、
とある(仝上)。しかし、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%97%87)、他は、すべて、
形声。「門」+音符「音 /*ɁUM/」。「門をとじる」を意味する漢語{闇 /*ʔuums/}を表す字。のち仮借して「やみ」を意味する漢語{闇
/*ʔuums/}に用いる(仝上)、
形声。門と、音符音(イム)→(アム)とから成る。門を「とじる」意を表す。転じて「くらい」意に用いる(角川新字源)、
形声文字です(門+音)。「左右両開きになる戸」の象形(「門」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口に一点加えた文字」(「音」の意味だが、ここでは、「暗」に通じ(「暗」と同じ意味を持つようになって)、「暗い」の意味)から、「門を閉じて暗くする」、「暗い」、「光がない」を意味する「闇」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2193.html)、
形声。声符は(音)(おん)。〔説文〕十二上に「門を閉ざすなり」とあり、閉門の意とするが、閉門には閉の字があり、音に従うこの字には別の義があるべきである。音は言(祝詞)が音を発する意で、神の「音なひ」を示す。門は廟門。祭祀は夜行われ、廟門に祝詞をおいて、神の訪れを待った(字通)、
と、形声文字としている。
「暗」(漢音アン、呉音オン)の異体字は、
晻(被代用字)、 闇(被代用字)、𣆛、𣈇、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%97)。字源は、
会意兼形声。音(オン)は、言の字の口の中に丶印を加えた会意文字で、ものをいう口の中に何かを含んで口ごもるさま。諳(アン 口ごもって明白に発音せず、頭の中で覚える)のもとになる字。暗は「日+音符音」で、中に閉じこもって日光のささないこと、
とある(漢字源)が、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%97)、他は、
形声。「日」+音符「音 /*ɁUM/」。「くらい」を意味する漢語{暗 /*ʔuums/}を表す字(仝上)、
形声。日と、音符音(イム)→(アム)とから成る。日がかくれて「くらい」意を表す(角川新字源)
形声文字です(日+音)。「太陽」の象形と「取っ手のある刃物の象形と口の象形(「言う」の意味)の「口」の部分に1点加えた形」(「音」の意味だが、ここでは、「陰」に通じ(同じ読みを持つ「陰」と同じ意味を持つようになって)、「くもる」の意味)から、曇りの為、太陽の光がない、「くらい」を意味する「暗」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji264.html)、
形声。声符は音(おん)。音は、形がみえず、音のみ聞こえる意。暗は、日の光がなく、冥暗の意。闇と声義が同じ。〔説文〕七上に「日に光無きなり」とみえる(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)上へ
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)の朝影(あさかげ)に我(わ)が身はなりぬ汝(な)を思ひかねて(万葉集)
の、
上二句は序、「朝」を起こす、
とあり、
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)、
は、
夕方には月があるが、明け方近く闇になる、月初めの状態、
で、
夕方出ていた月が沈んで暁の闇が明けた朝、
と訳し、
朝影、
は、
その朝の日に映る影法師、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
朝影(あさかげ)、
は、
朝蔭、
とも当て(広辞苑)、文字通りには、
あさかげにはるかに見れば山のはに残れる月もうれしかりけり(宇津保物語)、
と、
朝日の影、
つまり、
朝日の光、
の意になり、その対は、
夕影、
になる(デジタル大辞泉)が、用例をみると、古くは、
桃の花紅色(くれなゐいろ)ににほひたる面輪(おもわ)のうちに青柳の細き眉根(まよね)を笑み曲がり朝影見つつ娘子(をとめ)らが手に取り持てるまそ鏡二上山(ふたがみやま)に木(こ)の暗(くれ)の茂き谷辺(たにへ)を呼び響とよめ(万葉集)、
と、
朝、鏡などに映した姿(学研全訳古語辞典)、
朝、水や鏡などに映った姿(デジタル大辞泉)、
朝、鏡や水に映る顔かたちや姿(精選版日本国語大辞典)、
朝、鏡に映りたる身の影(大言海)、
朝、鏡や水にうつった姿(広辞苑・岩波古語辞典)、
と、
朝の映し姿、
を言ったもののようで、そこから、冒頭の、
夕月夜暁闇(あかときやみ)の朝影(あさかげ)に我(わ)が身はなりぬ汝(な)を思ひかねて、
と、
朝日の光によってできる細長い影。恋にやつれ、身がやせほそった姿をたとえていう(学研全訳古語辞典)、
朝日のうつつ影が細長いからとも、朝日の光が薄いからともいい、恋にやつれたさまにたとえる(広辞苑)、
人の身に、朝日の映れば、影の細長く見ゆるより、恋に痩せ細りたるに云ふ(大言海)、
朝、のぼりはじめたばかりの太陽の光をうけてできる、その細い影、身がやせ細り、恋にやつれた形容として使うが、朝日のほのかな弱々しい光のように、の意とする説もある(岩波古語辞典)、
朝日によってできる細長く弱々しい影。恋の悩みなどでやせ細った人の姿をたとえていう(精選版日本国語大辞典)、
朝日が人影を細長く映すところから、恋のためにやせ細っている人の姿(デジタル大辞泉)、
と、文字通り、
朝日のによる影、
の意を、
その細い姿形、
から、メタファとして、
恋にやつれた姿、
の意で使った。そこから、
朝日の光、
に転じ、また、
朝蔭、
ともあて、
七月ばかりに京になすべきことありて、あさかげに大宮の大路を南ざまへおはしけるに(発心集)、
と、
朝、日の射してこない涼しい時分、
と、
朝日の働き、
の意から、
朝の時間帯、
の意に転じる。
「影」(漢音エイ、呉音ヨウ)の異体字は、
𢒈(俗字。「形」の古字と同じ形)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%B1)。字源は、「影向の松」で触れたように、
会意兼形声。景は「日(太陽)+音符京」からなり、日光に照らされて明暗のついた像のこと。影は「彡(模様)+音符景」で、光によって明暗の境界がついたこと。とくに、その暗い部分(漢字源)、
会意兼形声文字です(景+彡)。「太陽の象形と高い丘の上に建つ家」の象形(「光により生ずるかげ」の意味)と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形(「模様・色どり」の意味)から、「かげ」を意味する「影」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1289.html)、
会意形声。彡と、景(ケイ)→(エイ)(ひかり)とから成り、光、転じて物の「かげ」の意を表す。「景」の後にできた字(角川新字源)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、
形声。「彡 (色彩)」+音符「景 /*KRANG/」。「かげ」を意味する漢語{影 /*ʔrangʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BD%B1)、
と、形声文字とするもの、
会意。景+彡(さん)。景は望楼状のアーチ門である京の上に日をしるし、日影をはかる意で、影の初文。彡は光や音をしるす記号(字通)、
と、会意文字とするものもある。ちなみに、
「景」(@漢音ケイ・呉音キョウ、A漢音エイ・呉音ヨウ)の異体字は、
暻(俗字)、𠑱、𦚎(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%AF)。ひかり、ひかげ、日光によって生じた明暗のけじめ、めいあんによってくっきり浮き上がる形の意、「光景」「景物」と、けしきの意、「景福(大きい幸い)」の意などの場合は@の音、影の意の場合は、Aの音、となる(漢字源)。字源は、多く、
形声。京とは、高い丘にたてた家をえがいた象形文字。高く大きい意を含む。景は「日+音符京」で、大きい意に用いた場合は、京と同系。日かげの意に用いるのは、境(けじめ)と同系で、明暗の境界を生じること(漢字源)、
形声。「日」+音符「京 /*RANG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%AF)、
形声。日と、音符京(ケイ)とから成る。太陽の光の意を表す。ひいて「けしき」、転じて、光によってできる「かげ」の意に用いる(角川新字源)、
形声。声符は京(けい)。〔説文〕七上に「光なり」とし、京声とする。〔周礼、地官、大司徒〕に「日景を正して、以て地の中を求む」と日景測量のことをいい、地上千里にして日景に一寸の差があるという。京がもし京門を意味するとすれば、それを日景観測に用いることも考えられる。卜辞に磬京(けいけい)・義京の名があり、京はアーチ状の軍門、その配置のしかたによって観測の方法も可能であろうが、詳しいことは知られない。卜辞に「五百四旬七日」という日数の表示があり、それは一年半の日数五四七・八七五日に相当する。当時日景による日数測定の法があったのであろう。〔周礼〕にみえる日圭の法は、方位や距離の測定に用いたものであろう(字通)、
と、形声文字としているが、
会意兼形声文字です(日+京)。「太陽」の象形と「高い丘の上に建つ建物」の象形(「高い丘」の意味)から高い丘で高まる「ひざし」・「ひかり」・「けしき」を意味する「景」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji690.html)、
と、会意兼形声文字としているものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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夜昼といふわきを知らず我(あ)が恋ふる心はけだし夢(いめ)に見えきや(万葉集)
月しあれば明(あ)くらむわきも知らずして寝(ね)て我(わ)が来(こ)しを人見けむかも(仝上)
の、
わき、
は、
区別、
とあり、上の歌では、
夜か昼かの見境もつかずに、
と訳し、
後者では、
月しあれば明(あ)くらむ、
は、
夜明けまで月が明るい、
意なので、
夜が明けたことも気づかないで(寝過ごして)、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
わき、
は、
別き、
分き、
とあて、四段活用動詞、
わく(別・分)、
の連用形の名詞化で、
区別、
差別、
けじめ、
の意だが、のちに、
我は子をうむわきもしらざりしに(大鏡)、
と、
差異の認識、
つまり、
けじめ、
の意になっていく(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。動詞、
わく、
は、
分く、
別く、
とあて、
か/き/く/く/け/け、
の、他動詞カ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、
ワク(下二段活用)の古形、相違を見て明確に区別する意(岩波古語辞典)、
ワカルの他動詞形(大言海)、
とあり、
白雲の千重(ちへ)を押し別(わ)け天(あま)そそり高き立山冬夏と別(わ)くこともなく白栲に雪は降り置きて古(いにしへ)ゆあり来(き)にければ(万葉集)、
と、
はっきり区別する、
意から、
ちはやぶる神世には歌の文字も定まらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし(古今和歌集・序)、
と、
けじめをつける、
わきまえる、
違いを識別する、
物事を判断する、
判別する、
といった意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
他動詞カ行下二段活用、
の、
わく、
は、
け/け/く/くる/くれ/けよ、
で、
一体であるものに筋目を入れて二つまたはそれ以上に離す意、
とあり(岩波古語辞典)、口語の、
分(別)ける、
に当たり、
をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露和気(ワケ)鳴かむ高円(たかまと)の野そ(万葉集)、
と、
一つのもの、一面にあるものに力を加えて、左右に押し開く、
意や、
思へども身をしわけねば目離(めか)れせぬ雪のつもるぞわが心なる(伊勢物語)、
と、
別々に区切って分割する、
意、
飢(やわ)しと申せば分(ワケ)て給ひし母氏は我は食はねども我子にを給はむとぞ宣ける(「東大寺諷誦文平安初期点(830頃)」)、
と、
いくつかに分割して配る、
分配する、
意、
御かたがたもさるべき事どもわけつつ、のぞみつかうまつり給ふ(源氏物語)、
と、
所属、役割などを別にする、
手分けをする、
また、
ある基準によって分類する、
意、
何れを二王、何れを孫三郎とも分(ワケ)兼たり(太平記)、
と、
物事を判断して見わける、
判断して区別する、
意、こうした意をメタファに、
其上にて互の理非をきひてわけう程に、先某にあづけひ(狂言「茶壺(室町末〜近世初)」)、
と、
争いごとなどの仲裁や、是非のさばきを行なう、
意、
分られた角力たがひに笑顔持(雑俳「紀玉川(1819〜25)」)、
争っているものを、勝負がつかないとして、やめさせる、
引きわける、
意や、
コトヲvaqete(ワケテ)マウセバ(天草本「伊曾保(1593)」)、
と、
事(こと)を分(わ)ける、
つまり、
道理を説く、
訳をよく言ってきかせる、
意などで使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。
わかる(別る・分かる)、
は、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用で、口語の、
わか(別)れる、
に当たり、
わく(分)と同根。入りまじりいったいとなっているものごと・状態が、ある区切り目をもって別のものになる意、
とあり(岩波古語辞典)、
天地(あめつち)の分(わかれ)し時ゆ神さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を天の原振り放(さ)け見れば(万葉集)、
と、
(ある線を境として)はっきりと別々のものになる、
分離する、
また、
区分される、
意、
したのおびの道はかたがたわかるともゆきめぐりてもあはんとぞ思ふ(古今和歌集)、
と、新撰字鏡(平安前期)に、
派、水出流也、美奈万太和加留也、
あるように、
道や流れなどが、ある所からいくつかに分岐する、
意、これをメタファに、
たらちねの母を和加例(ワカレ)てまことわれ旅の仮廬(かりほ)に安く寝むかも(万葉集)、
と、
ある人やある場所から離れて立ち去る、
別離する、
また、
縁を切る、
意や、
一世(ひとよ)にはふたたび見えぬ父母をおきてや長く我(あ)が和加礼(ワカレ)なむ(万葉集)、
と、
死別する、
意で使い、
むらさきの色こき時はめもはるに野なるくさ木ぞわかれざりける(古今和歌集)、
区別がつく、
差別ができる、
差異が生じる、
意などで使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。この動詞、
わかる、
の連用形の名詞化、
が、
昔より言ひける言(こと)の韓国(からくに)の辛くも此処に和可礼(ワカレ)するかも(万葉集)、
と、
別離、
の意の、名詞、
別れ、
分かれ、
になり(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、やはり、
瀬をせけば淵となりてもよどみけり別れをとむるしがらみぞなき(古今和歌集)、
と、
死別、
の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この動詞、
わかる、
の類義語、
内裏(うち)の御猫の、あまたひき連れたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが(源氏物語)、
とある、
あかる(離る・別る)、
も、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用で、
ひとつ所に集まっていた人が、そこから散り散りになる意(岩波古語辞典)、
「あかつ」に対する自動詞で、集まっている複数のものが、いくつかに分かれてどこか別々の場所に分散するの意(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
わかる、
と、
あかる、
の違いは、両語とも複数のものが複数にわかれることを表わす点では共通するが、
「あかる」は単に複数にわかれるだけでなく、わかれたもの(主に人、ほかに琴、猫など)が、どこかある場所に向かって行ったり、家に帰ったり、あるいは貰われていって散り散りになったりすること(移動・帰着)をも表わして使われる。それに対して、「わかる」は単なる別離・分化のみを表わし、特に移動・帰着の意味を持たず、その場所・方向を表わす格助詞「に」「へ」などを伴う例はまれである(精選版日本国語大辞典)、
「あかる」は「つどふ」の反対語で、多くの人々が集まった場所から離れて別れていく意味を表し、主語が複数の場合に使われている。それに対して「わかる」は、「あふ」の反対語で、一つのものが別々になる意味が原義であり、単数の主語にも使われる(学研全訳古語辞典)、
とある。なお、似た言葉に、
妹が見し楝(あふち)の花は知利(チリ)ぬべしわが泣く涙いまだ干(ひ)なくに(万葉集)、
と、
ちる(散る)、
がある。これは、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
固まっていたものが、砕けて、四方に飛ぶ意、
とあり(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典)、
はなればなれになって落ちたり、飛んだりする。特に、花や葉が草木から離れ去る、
意で、そこからメタファで、
こなたかなたに、かかる物どもの、ちりつつ(源氏物語)、
と、
散らばる、
意や、
おのづから参りつきてありしを、みな次々にしたがひて散りぬ(源氏物語)、
と、
離散する、
意などで使うが、
わく、
わかる、
とは、原意は異にしている。なお、
あかる(離る・別る)、
と似た語に、
廿人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで来ず(竹取物語)、
と、
ある(散る・離る)、
がある。これは、
れ/れ/る/るる/るれ/れよ、
の、自動詞ラ行下二段活用で、
あらける、
と同義で、
遠のく、
離れる、
意で、少し意が異なる。
「別」(漢音ヘツ、呉音ベチ、慣用ベツ)の異体字 は、
别(簡体字)、𠔁(古字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A5)。字源は、
会意文字。冎は、骨の字の上部で、はまりこんだ上下の関節骨。別は、もと「冎+刀」で、関節を刀でばらばらに分解するさまを示す(漢字源)、
会意。「冎」(骨の象形)+「刀」(刃物の象形)から構成され、刀で骨(と肉)を切り分けるさまを象る。「わける」を意味する漢語{別 /*pret/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A5)、
会意。刀と、冎(か)(𠮠は変わった形。骨の原字)とから成り、刃物で骨と肉とを分ける、ひいて、わきまえる、転じて「わかれる」意を表す(角川新字源)、
会意文字です。「肉を削り取り、頭部を備えた人の骨」の象形と「刀」の象形から、骨から肉を「わけとる・わける」を意味する「別」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji640.html)、
会意。冎(か)+刀。冎は上体の骨の形。骨節のところを刀で分解する意。牛角を刀で解くことを解といい、骨間をわかつことを別という。〔説文〕四下に「分解するなり」とあり、分離解体することを原義とする。〔書、康誥〕に「別(あまね)く先哲王に求め聞く」の「別」は、辨(弁)・偏と通用の義がある(字通)、
と、すべて、会意文字としている。
「分」(漢音呉音フン・慣用ブ、漢音フン・呉音ブン慣用ブ)の異体字は、
份(別字/被代用字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%86)。字源は、
会意文字。「八印(左右に分ける)+刀」で、二つに切りわける意を示す。払(フツ 左右にわけてはらいのける)は、その入声(つまり音)に当たる。また半・班(わける)・判(わける)・八(二分できる数)・別とも縁が近い(漢字源)、
会意。「八」(左右にわけるの意)+「刀」(分ける道具)。「わける」を意味する漢語{分 /*pən/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%86)、
会意。刀と、八(わける)とから成り、刀で切りわける意を表す(角川新字源)、
会意文字です(八+刀)。「刀で二つに切り分ける」象形から「わける・時間を分ける(時間の単位)」を意味する「分」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji146.html)、
会意。八+刀。八は両分の形。刀でものを両分する意。〔説文〕二上に「別つなり」とし、「刀は以て物を分別するなり」という。分割・分異の意より、その区分に従うこと、身分・名分などの意となる(字通)、
と、すべて会意文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
地大槻文彦『大言海』(冨山房)
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月しあれば明(あ)くらむわきも知らずして寝(ね)て我(わ)が来(こ)しを人見けむかも(万葉集)
の、
わき、
は、
区別、
とあり、
夜か昼かの見境もつかずに、
と訳し
我(わ)が来(こ)しを人見けむかも、
は、
私は帰ってきたが、人は見なかったであろうか、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
助動詞、
けむ、
は、活用は
〇/〇/けむ(けん)/けむ(けん)/けめ/〇、
の、不完全な四段活用で、
活用語の連用形に付く。過去を回想する「き」の要素と推量の「む」との結合したもので、過去のことを、確かにそう断定できないという、疑念をもって述べる語。平安中期以降、発音に従って「けん」とも表記されるようになる(広辞苑)、
過去の助動詞「き」の未然形の古形「け」+推量の助動詞「む」から。活用語の連用形に付く。過去の助動詞の終止形「き」に推量の助動詞の古形「あむ」が付いた「きあむ」の音変化ともいう。主として中世以後は「けん」とも表記。なお、未然形の「けま」は上代に「けまく」の形で用いられた(デジタル大辞泉)、
動詞・助動詞の連用形を承ける。語源は、回想の助動詞「き」の終止形「き」に、推量の助動詞「む」が加わったものと推測される(岩波古語辞典)、
活用語の連用形に付く。平安時代にkemu→kem→kenのようになっている、過去の推量を表わす助動詞(精選版日本国語大辞典)、
とされ、語源については、
(イ)過去の助動詞「き」の未然形として「け」を認め、それに推量の助動詞「む」の付いたものとする説、
(ロ)「来経(きへ)」の融合したものに「む」がついたとする説、
(ハ)
推量の助動詞の原形を「あむ」とし、それが過去の助動詞「き」の終止形について母音融合したとする説、などがある(仝上)、
とあり、上代には、
打消の助動詞「ず」に続く場合、「ずき」と同様に、「松反(まつがへ)りしひにてあれかもさ山田の翁(をぢ)がその日に求めあは受家牟(ズケム)」(万葉集)と、「ずけむ」の形で用いられた(仝上)、
といい、
事実そのものを推量するほか、原因・理由などの推量にも用いられる点は、現在の推量を表わす「らむ」の場合とほぼ同様である。「鷲の即ち噉(く)ひ失ふべきに、生乍ら樔(す)に落しけむ、希有の事也」(今昔物語集)などの例について、「いかに(いかにして)落したのであろう」という推量が、「落とした(という)のは」という伝聞事実の叙述に重なっているとの指摘がある(精選版日本国語大辞典)、
とされる。この用法は、第一は、
この御酒(みき)を醸(か)み祁牟(ケム)人はその鼓(つづみ)臼(うす)に立てて歌ひつつ醸みけれかも舞ひつつ醸みけれかも(古事記)、
真木の葉のしなふ背の山しのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ(万葉集)、
と、過去の推量として、
過去の事態に関する不確実な想像・推量を表す(岩波古語辞典)、
過去の事柄として推量、想像することを表わす(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
……ただろう、
……だっただろう、
の意、第二は、
山の名と言ひ継げとかも佐用姫(さよひめ)がこの山の上(ヘ)に領布(ひれ)を振り家無(ケム)(万葉集)、
御湯まゐれなどさへ扱ひ聞え給ふを、いつならひ給ひけんと人々あはれがり聞ゆ(源氏物語)、
と、過去の原因の推量として、
過去の事態の理由・原因を想像する(岩波古語辞典)、
過去の事柄について、原因・理由や、時・所・人・手段・方法などの条件を設定して、こうした条件のもとだから、その事柄が成立したのだと推量する。疑問詞を含む場合には、どういう条件のもとで、その事柄が成立したかを推量する意味になる(精選版日本国語大辞典)、
とあり、
それで……なのであろう。
……たというわけなのだろう、
(……というので)…たのだろう、
の意、第三は、
我(あ)を待つと君が濡(ぬ)れ計武(ケム)あしひきの山のしづくにならましものを(万葉集)、
前(さき)の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子(をのこみこ)さへ生まれ給(たま)ひぬ(源氏物語)、
と、過去の伝聞として、
過去のことに関する伝聞を述べる(岩波古語辞典)、
過去の事柄を伝聞によって想像することを表わす。連体修飾または体言と同様の資格で用いる場合の用法(精選版日本国語大辞典)、
で、
……たとかいう、
……だったそうだ
……とかいう、
意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。なお、過去の伝聞の用法は、
名詞の上にあることが多い、
ようである(学研全訳古語辞典)また、
けむ、
には、
命のまた祁牟(ケム)人は畳薦(たたみこも)平群(ヘぐり)の山の熊白檮(くまかし)が葉をうずに挿せその子(古事記)、
と使う、
形容詞および形容詞型活用の助動詞の上代における未然形語尾「け」に、推量の助動詞「む」の付いたもの、
もあり(精選版日本国語大辞典)、この場合、
(形容詞の語根に添ひて)未来の意を云ふ、
となる(大言海)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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