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コトバ辞典


道行き占

 

玉桙(たまほこ)の道行き占(うら)に占(うらな)へば妹は逢はむと我(わ)れに告(の)りつる(万葉集)

の、

道行き占、

は、

道を行く人の言葉で判断する占い(岩波古語辞典)、

で、

夕占

に同じとあり、

夕占(ゆふけ)、

は、

言霊の活動する夕方、辻で、行き交う人のことばの端から吉兆を占うこと、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。そして、

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の言も告(の)らなくに(万葉集)、

の、

道行く人の言も告(の)らなくに

は、

道行き占に占ったことを背景とする表現、

とあり、

道行く人が、あの人に逢えそうな言葉も口にしてくれない、

と訳す(仝上)。

玉桙、

については、

玉鉾

で触れたように、

道にかかる枕詞、

で、一般に、

たまぼこ、

と訓まれるが、この時代は、まだ、

たまほこ、

であろう(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。

たまほこ、

は、

玉鉾、
玉桙、
玉矛、

等々と当て、

たまは美称、

とあるが(大言海)、そのわけを、

タマ(霊)ホコ(桙)で、陽石(陽物の形の石)、

とあり(岩波古語辞典)、

上古、矛を携ふればなり、此語道に續くは、出征に矛を賜はるに因る。後に、節刀を賜はることとなれり。又、常の出行くの道にも手矛など持ち行きたるならむ。門の両旁の木をほこだちと云ふも、それを立ておきたる故の名なるべし、

とある(大言海)のは、

三叉路や村里の入口に玉桙の類を立てた、

ことによる(岩波古語辞典)とみられる。

言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆふけ)問ふ占(うら)まさに告(の)る妹は相寄らむ(万葉集)、

の、

言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)、

は、

言霊のふるい立つ四通八達の道筋、

で、

言霊の活動する夕方、辻で、行き交う人の言葉の片端から吉兆を占う、

という、

夕占、

が、

占(うら)まさに、

の、

まさに、

は、

占いの確かさをいう語、

なので、

はっきりと、

の意で、

占のお告げにはっきりと出た、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

夕占(ゆふけ)

は、

夕卜、
夕衢占、

とも当て(大言海・広辞苑)、後世は、

ゆうげ、

ともいう、

夕方、辻に立って、往来の人の話を聞き、それによって吉凶・禍福をうらなうこと、また、その占い(広辞苑)、
夕方、街の辻に立って道行く人の言語を聞いて吉凶を占うこと(岩波古語辞典)、
夕方道端に立って、一定の区域を定め、米をまき、呪文を唱えなどして、その区域を通る通行人のことばを聞いて吉凶禍福を占ったもの(精選版日本国語大辞典)、

をいい、いわゆる、

辻占、

のことで、

辻、

は、

六道の辻

で触れたように、

道路が十文字に交叉しているところ、

つまり、

四辻、

の意であるが、また、

道筋、
道端、
巷、

の意でもあり、

人だけでなく神も通る場所、

である。

ケは卦か、

とあり(大言海)、

夕方にする辻占、

のことなので、

ゆううら(夕占・夕卜)、
ゆうけのうら(卜)、
みちのうら、

ともいう(仝上・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、続後拾遺集に、

さし櫛もつげの歯なくて吾妹子がゆふけの卜を問ひぞわづらふ、

とあるように、

女子が、黄楊(つげ)の櫛を持ちて、辻に出て、道祖神を念じて櫛の歯を鳴らし、そこに見え來る人の語にて、吉凶を定ることあり、

ともある(大言海)。別称に、

朝占夕占(あさけゆうけ)、

というように、

朝方や夕方の人の姿がはっきりしない時刻に行われ、道行く人の無意識に発する言葉の中に神慮を感じとり、それを神の啓示とした、

とある(世界大百科事典)。万葉集でも詠われているように、起源は古代にさかのぼる。

月夜(つくよ)には門(かど)に出(い)で立ち夕占(ゆうけ)問ひ足卜(あうら)をそせし行かまくを欲(ほ)り、

などと、万葉集に多く見られるが、平安時代には廃れていたと見られる、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。後に、

辻占(つじうら)、

というが、これは、

古への夕衢占(ゆふけ)、辻に立ちて、往来(ゆきき)の人の無心の言語を聞きて事の吉凶を占ふこと(大言海)、
黄楊(つげ)の33櫛を持って四辻に立ち、道祖神に祈って歌を三遍唱え、最初に通りかかった人の言葉によって吉凶を判断したこと(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
四辻に立ち、初めに通った人の言葉を聞いて、物事の吉凶を反ずる占い(広辞苑)、

などとある。『絵本本津草』(享保十三年)には、

黄楊の櫛を持ちて、道祖神を念じて、四辻に出で、吾が思ふことの叶ふや否やを占ふ、辻や辻、四辻がうらの、市四辻、うら正しかれ、辻うらの神、かく三返唱へて、其辻へ先に來る人の言葉により、吉凶をうらなふ、

とあり、

辺を見れば黄楊の水櫛落てげり。あぶら嗅きは女の手馴し念記ぞ、是にて、辻占(ツヂウラ)をきく事もがなと(浮世草子「好色一代男(1682)」)、

と、

黄楊の小櫛、

ともいう(文明本節用集(室町中期))。なお、伴信友は『正卜考(せいぼくこう)』のなかで、

場所はかならずしも四つ辻とは限らず、また占いは女がするものとは決まっていない、

と述べている(世界大百科事典)。これが転じて、

とうふあきなふ商人のきらずきらずと声だかに。売辻占の耳に立心おくれと成やせん(浄瑠璃「堀川波鼓(1706頃か)」)、

と、

偶然に遭遇した物事によって将来の吉凶を判断すること、

をいうようになり、さらには、俗閧ノ、

辻占煎餅、

などという、

小さき紙に、種々の語句を記したるを、巻きたる煎餅などの内に挿み(これを辻占煎餅と云ふ)、あるいは、あぶり出しのような細工をほどこしたりして、偶然に探り取りて、當座の事を占ひて興とするもの、

という(大言海・精選版日本国語大辞典)、作為的な占へと転じて行く。

辻占、

も、別称に、上述したように、

朝占夕占(あさけゆうけ)、

ともいい、やはり、

朝方や夕方の人の姿がはっきりしない時刻に行われ、道行く人の無意識に発する言葉の中に神慮を感じとり、それを神の啓示とした、

というものだが、後に、行路の神である、

道祖神

塞の神

の託宣とされるようになり、さらに、上述のように、衢(ちまた)に出て黄楊(つげ)の櫛を持って、道祖神を念じつつ、見えて来た人の言葉で吉凶を占うようになるのは、

黄楊と「告げ」が結び付き、櫛という呪物も加えられた、

とある(江戸期『嬉遊笑覧』)。夜、花柳界などを中心に占紙を売り歩いた、

辻占売、

はこの流れを引くもので、

淡路島通う千鳥の恋の辻占、

などと呼び声をあげて縁起の良いものだけを売った。占紙には、あぶり出しや巻煎餅・干菓子・板昆布にはさんだもの、割りばしや爪楊枝(つまようじ)の袋に印刷したものなどがあった、

とある(世界大百科事典)。なお、

道行(みちゆき)、

は、

道行づと

で触れたように、

若ければ道行(みちゆき)知らじ賄(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ(万葉集)、

と、文字通り、

道を行くこと、

あるいは、

道の行き方、

の意(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)だが、

玉桙(たまほこ)の道行ぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも(万葉集)、

の、

道行ぶり

は、

道行触り、

とあて、

道行く人、

の意(岩波古語辞典)、ここでは、

すれ違い、

の意とし、

往来でのすれ違い、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。で、

道行人、

というと、

道を通る人、
旅する人、

の意になる。

「占」(セン)は、「夕占」で触れたように、

会意文字。「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、ある物やある場所を示す記号。卜(うらない)によって、一つの物や場所を選び決めること、

とある(漢字源)。他も、


会意。卜と、口(くち)とから成り、うらないの結果を判断して言う意を表す(角川新字源)、

会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji1212.html

会意。卜(ぼく)+口。卜は卜兆の形。口はᗨ(さい)で、祝詞の器。神に祈って卜し、神意を問うことを占という。〔説文〕三下に「兆(てう)を視て問ふなり」とあり、会意とする。その卜占の辞は、のち神託にふさわしい神聖な形式、韻文で示されることが多く、卜筮の書である〔易〕の爻辞(こうじ)は、多く有韻である(字通)、

と、会意文字とするが、

形声。「𡆥 /*LIU/」+羨符「口」。のち筆画を省略して現在の字形となる。「うらないの言葉」を意味する漢語{繇 /*lriu(k)-s/}を表す字。引伸して「予言する」「予見する」を意味する漢語{占 /*tem/}を表すのにも用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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さ(障)ふ

 

はしきやし誰(た)が障(さ)ふれかも玉桙(たまほこ)の道見忘れて君が來(き)まさぬ(万葉集)

の、

はしきやし

は、

愛すべきである、
いとおしい、

意だが、

愛哉、

とも当て(大言海)、

愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある(大言海)、
「ああ」という嘆息の語とほとんど同義になる例が多い。亡くなったものを哀惜しまた自己に対して嘆息する意に多く使う(岩波古語辞典)、

などとあるので、

ああ、いとおしい、
ああ、なつかしい、
ああ、いたわしい、

といった(学研全訳古語辞典)語感であろうか。ここでは、反語で、

ああ悔しい、

と意訳する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

障(さ)ふれかも、

は、

障(さ)ふればかも、

とし、

どこのどなたが邪魔立てするのか、

と訳す(仝上)。

障ふ、

は、

塞ふ、

とも当て(大言海)、

つかえる、

意の、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、

ハ行下二段活用の自動詞、

と、

妨げる、

意の、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、

ハ行下二段活用の他動詞、

がある(学研全訳古語辞典)。ここでは、他動詞形の、

障ふ、

である。で、

さはる(障)の他動詞形、中世にはヤ行下二段活用にも活用(岩波古語辞典)、
発語を冠して、ササフとも云ふ、遮(さへぎ)るも、塞(さ)へ限(ぎ)るなり、自動(詞)に、さほる(障)と云ふ(大言海)、

とある。和名類聚抄(931〜38年)に、

障、障泥、阿布利(あぶり)、障子、楊氏漢語抄に云ふ、障子、屏風の屬なり、

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

遮闌、佐不、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

障、サフ・サハリ・サハル・カクル・サヘ・、
隔、サフ、フサグ、

とあり、

塞き止む(大言海)、
進行するものの途中で妨害する(岩波古語辞典)、

意で、

ちはやぶる神か離(さ)くらむうつせみの人か障(さ)ふらむ通(かよ)はしし君も来まさず(万葉集)、

と、

さまたげる、邪魔する、ふせぐ、

という意(精選版日本国語大辞典)だが、後に、転じて、

ひめがかたへ手をさへるを、扇でたたく(狂言「首引(室町末〜近世初)」) 、

と、

物に、身体またはその一部を触れる、

意で、

さわる、触れる、

意や、それをメタファに、

忠信殿気に障(サ)へて下さんすな(浄瑠璃「右大将鎌倉実記(1724)」)、

と、

(「気にさえる」などの形で)感情を害する、気にさわる、

意などでも使う(精選版日本国語大辞典)。中世には、

え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ、

と、

ヤ行下二段活用の、

さゆ(障)、

として使われ、日葡辞書(1603〜04)にには、

Saye、uru、eta(サユル)、

とあり、

爰をばひたすら自にゆるさせ給へと、さゆる体にもてなし(幸若「和田宴(室町末‐近世初)」)、

と、

さまたげる、邪魔する、ふせぐ、

意や、

まづ言訳を御聞とたってさゆれば(浄瑠璃「堀川波鼓(1706頃)」)、

と、

引き止める、

意や、

キニ sayete(サエテ)(気にさえて)(「ロドリゲス日本大文典(1604〜08)」)、

と、

感情を害する、気にさわる、

意で使う(仝上)。ちなみに、

さ(障)ふ、

の自動詞は、

刺櫛(さしぐし)すりて磨く程に、ものにつきさへて折りたる心地(枕草子)、

と、

ひっかかる、つかえる、

意や、

天下の為の謀(はかりごと)御心にさへ給ふなと、忿をなだむる頓智の詞(浄瑠璃「一谷嫰軍記(1751)」)、

と、

気にさわる、感情を害す、

意で使う(仝上)。

「障」(ショウ)は、「雨障(あまつつ)み」で触れたように、

形声。「阜(壁やへい)+音符章」で、平面をあてて進行をさしとめること。章(あきらか)の原義には関係がない、

とある(漢字源)。他も、

形声。阜と、音符章(シヤウ)とから成る。へだてる、ひいて、さえぎる、「ふせぐ」意を表す(角川新字源)

形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「墨だまりのついた大きな入れ墨ようの針」の象形(「しるし」の意味だが、ここでは「倉(ショウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしおおう」の意味)から、丘でかくし「へだてる」を意味する「障」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji989.html
形声。声符は章(しよう)。〔説文〕十四下に「隔つるなり」とあり、障壁をなすことをいう。〔左伝、定十二年〕の「保障」は「堡障」の意。鄣も声義同じ。土部十三下に「墇は擁(ふさ)ぐなり」とあって、これは壅塞(ようそく)することをいう。𨸏(ふ)は神の陟降する神梯の象であるから、障は聖域を壅ぎ衛る意である(字通)、

と、いずれも形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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はた

 

世の中は常(つね)かくのみと思へどもはたた忘れずなほ恋ひにけり(万葉集)

の、

はた、

は、

一方では、

の意の副詞で、

た忘れず、

の、

た、

は、

接頭語、

はたた忘れず、

は、

その反面、どうしても忘れられず、

とし、

(男女の仲は、いつもこうしたものだと思って見るけれど)そのまた半面、どうしても忘れられず、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

た、

は、

た廻(もとほ)る

で触れたように、

接頭辞(精選版日本国語大辞典)、
接頭語(岩波古語辞典)、
発語(大言海)、

とあり、

たわらは、
たゆたに、
た靡く、
た遠み、
た謀(ばか)る、
た易い、
たゆらに、

等々と用い、

名詞・副詞・動詞・形容詞の上に付いて、語調を整え、意味を強める(学研全訳古語辞典)、
名詞・動詞・形容詞の上に添えて、語調を整え強める(広辞苑)、
動詞・形容詞・副詞などに付いて、語調を整える(デジタル大辞泉)、
動詞・形容詞・副詞などの上に付けて、語調をととのえる(精選版日本国語大辞典)、
動詞形容詞に冠する接頭語、意無し(大言海)、
動詞・形容詞の上につく、意味は不明(岩波古語辞典)、

としている。

やすし、

たやすし、

はかる、

た謀る、

では語調が強まるのは確かだが、本来は、何か意味があったのではないかという気がするが。原義は探りようがない。

はた、

は、

将、
当、

とあて(デジタル大辞泉)、

はたやはた

でふれたように、

甲乙二つ並んだ状態や見解などが考えられる場合、甲に対してもしや乙はと考えるとき、あるいは、やはり乙だと判断するときなどにつかう(岩波古語辞典)、
他の事柄と関連させて判断したり推量したり、あるいは列挙選択したりするときに用いる語(精選版日本国語大辞典)、
邊(はた)、端(はた)、殆(ほとほと)のホトなどに通ず、其邊に近づかむとする意、将、為當の字を記すも、将(まさに)云々、為(セムトス)當(まさに)云々(セムト)の意なりと云ふ(大言海)、
一説に、「はた(端)」が語源で、「ふち(縁)」「ほとり(辺)」などと関係がある(広辞苑)、
ハタ(将)は「その上にさらに加わること。その上また。さらにまた」の意の副詞である。〈道理を失はせ玉ひ、今ハタかく世の中の事をもおぼし捨てたるやうになりゆくは〉(源氏物語)。「たいそう。はなはだ」の意の副詞、ハダに転音・転義した。〈わがゆゑにハダな思いそ〉(万葉集)、〈ほととぎす來鳴き響(とよ)めばハダ恋ひめやも〉(万葉集)。これを重ねたハダハダはハナハダ(甚だ)に転音した。〈はなはだも降らぬ雨ゆゑ〉(万葉集)(日本語の語源)

等々の原意から、

さ男鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君が当(はた)逢はざらむ(万葉集)、

と、

(あるいは)ひょっとして、
もしかして(一方で)、

と、事の成否を危惧しながら推量するときに用いたり、

女もはたいと逢はじとも思へらず(伊勢物語)、

と、下に否定語を伴って

まさか、
よもや、

の意や、

男の御かたち・有様、はたさらにもいはず(源氏物語)、

と、

やはり、
さすがに、
思ったとおり、
はたして、

と、当然のこととして肯定する気持を表わしたり、

ほととぎす初声聞けばあぢきなくぬし定まらぬ恋せらるはた(古今和歌集)、

と、

他に考えてもやはり、
(別の事を考えてみても)どう思ってもやはり、

と、肯定する気持を感動的に表わしたり、

げにさせばやと思せど、数より外の大納言になさん事は難し、人のはたとるべきにあらず(落窪物語)、

と、先行の事柄と類似の事柄をさらに想定してみるときに用い、

そうはいうものの、
しかしながら、

と、打消表現と呼応して、それもだめだという気持を表わしたり、

是の諸の行相は一人に具せりとや為む、当(ハタ)多人に具せりとや為む(「蘇悉地羯羅経略疏寛平八年点(896)」)、

と、

はたまた、
それともまた、
あるいは、
それとも別に、

と、二つの事柄のどちらを選ぶか迷う気持を表わしたり、

この男はた宮仕へをば苦しき事にして、ただ逍遙をのみして(平中物語)、

と、先行の事柄と類似の事柄を列挙するときに用いて、

また、
同様に、

と、それもまた同様であるという気持を表わしたり、

例の遊び、はたまして、心に入れてし居たり(宇津保物語)、

と、

その上にまた、
さらにまた、
いっそう、

と、さらに類似のことが加わることを表わしたりする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。なお、

はた、

を強めるいい方には、

貧賤の報のみづから悩ますか、はたまた妄心の至りて狂せるか(方丈記)、

と、

将また、

とあて、

それともまた、
もしくは、
あるいは、

という意の、

はたまた、

という言い方がある。

将又、

とも当て、

夢か将又幻か、

という言い方をする(デジタル大辞泉)。また、

はたやはた

でふれたように、

はたや

は、

将や、

とあて、

「や」は疑問の助詞、

で、

み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜(こよひ)も我(あ)が独り寝む(万葉集)、

と、

もしかしたら、
ひょっとして、
あるいは、

の意(広辞苑・学研全訳古語辞典)で、

疑い・危惧(きぐ)の念を強く表す、

とあり(仝上)、

さ雄鹿(をしか)の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ(万葉集)、

の、

ひょっとすると、
もしかして、
やはり、
やはり…なあ、

といった意の、

はた(将)、

の危惧の気持を強めたいい方である(デジタル大辞泉)。ちなみに、上述、

はた、

の由来に関連して、

邊(はた)、端(はた)、殆(ほとほと)のホトなどに通ず、其邊に近づかむとする意、

とある(大言海)、

ほとり
ほとほと

については触れた。

ほとり

は、

辺、
畔、

と当て、

ほど近い所、あたり、そば、
(「畔」とあてる)水際、岸、
都から遠く離れた所、かたいなか、
きわみ、際限、
身近な縁故のある人、

の意である(広辞苑)。

ホトはハタ(端)の母音交替形。リは方向をいう接尾語(岩波古語辞典)
ホトはハタの転か(国語の語根とその分類=大島正健)
はた(端)に通じるか(大言海)、
ホト(ハタ・端・辺・傍・側)+リ(接尾語)(日本語源広辞典)
ホカトホリ(外通)の義(名言通)、
ヘワタリの略転(松屋筆記)、

とあり、

はた(端)、

とつながる。和名類聚抄(931〜38年)に、

邊鄙、師説、阿豆万豆(あづまつ)、文選西京の賦の附訓に安川万宇止(あづまうど)とみえる、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

邊、サカヒ・ハカリ・スツ・ホトリ、兩邊、コナタカナタ、
際、キは、ホトリ、

字鏡(平安後期頃)に、

邊、トホシ・ハカリスツ・カタハラ・サカヒ・ハカル・ホトリ・サカシ、

とある。

はた(端)、

は、

傍、
側、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

内側に物・水などを入れてたたえているものの外縁・側面。ハ(端)・ハシ(端・末)と同根(岩波古語辞典)、
へた(蔕)の転(大言海)、
ハタ(端処)の義(国語溯原=大矢徹)、
「はし」と同根(広辞苑)、

とあり、

物のへり・器(うつわ)などのふち、
ある場所のほとり・川や池などのふち、
直接には関わりのない、または本系からはずれた立場、また、その人・かたわら・そば・わき・第三者、

といった意で、

何かの端、へり、

を指している、と見ることができる。ある場合は、「水辺」のように、

水の端、

であり、ある場合は、「都の涯」というように、

片田舎、

になる。あくまで、その人にとっての境界域の縁、ということになる。

ほとほと

は、

殆、
幾、

と当て、

今少しで、すんでのところで、
大体、ほとんど、
本当に、非常に、

という意味があるが、

邊邊(ほとり)の意と云ふ(大言海)、
ホトホト(辺・側のホトリのホトの畳語)(日本語源広辞典)、
ハツハツ(端端)の義(国語溯原=大矢徹)、
ハタハタ(端端)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
辺や側を示す「ほとり」の語基「ほと」……で、「境界をなす部分(周縁)において」を原義とする(日本語源大辞典)、

などとあり、すべては、

境、
端、

につながる。それが、

甲乙二つ並んだ状態や見解などが考えられる場合、甲に対してもしや乙はと考えるとき、あるいは、やはり乙だと判断するときなどにつかう(岩波古語辞典)、

の、

はた、

の、

もしや一方で、あるいはひょっとして、
それとも別に、
やはり、

と、

境目に立って、どちらかが拮抗している地点での揺れる判断状態につながるようである。

「將(将)」(@漢音ソウ・呉音ショウ、A漢音ショウ・呉音ソウ)の異体字は、

将(簡体字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%87。字源は、「はたやはた」で触れたように、

会意兼形声。爿(ショウ)は、長い台をたてに描いた文字で、長い意を含む。将は「肉+寸(手)+音符爿」。もと一番長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物をもつ、長となって率いるなどの意味が派生する。持つ意から、何かでもって処置すること、これから何かの動作をしようとする意を表す助動詞となった。将と同じく「まさに……せんとす」と訓読することばには、且(ショ)がある、

とあり(漢字源)、「上将」「将軍」「将(ひき)いる」は、@の音、「将(もち)ふ」「将(と)る」「将(おく)る」「将(まさに)……せんとす」「将(まさに)……ならんとす」「将(はた)」などの意の場合はAの音、となる(仝上)。同趣旨で、

会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1013.html

ともあるが、他は、

形声。寸と、音符醬(シヤウ)(は省略形)とから成る。「ひきいる」、統率する意を表す。借りて、助字に用いる。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

会意。旧字は將に作り、爿(しよう)+肉+寸。爿は足のある几(き)(机)の形で、その上に肉をおいて奨(すす)め、神に供える。軍事には、将軍が軍祭の胙肉(そにく)を奉じて行動した。その胙肉を𠂤(し)といい、師の初文。帥(そつ)もその形に従う。これを以ていえば、將とはその胙肉を携えて、軍を率いる人である。殷器には●を標識として用いるものがあり、王族出自の親王家を示す図象であるらしく、その身分のものが軍将に任じ、作戦の中核となった。將・壯(壮)の字に含まれる爿は、その図象と関係があるものと思われる。〔説文〕三下に「帥(ひき)ゐるなり」と訓し、醬(しよう)の省声とするが、醬は將声に従う字であるから、將が醬の省声ということはありえない。奬(奨)は將の繁文。將は訓義多く、字書に列するものは五十数義に及ぶが、将帥が字の原義である(字通)、

と、会意文字と形声文字に割れている。ただ、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に由来する、

「寸」+音符「醬」の略体、

との分析は、誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%87とし、

原字は「肉」+「廾」から構成される会意文字で、肉を差し出すさまを象る。それに音符「爿」を加えて「將」の字体となる。「すすめる」「ささげる」を意味する漢語{將 /*tsang/}を表す字。

とある(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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利心(とごころ)

 

いで何かここだはなはだ利心(とごころ)の失(う)するまで思ふ恋ゆゑにこそ(万葉集)

の、

いで何か、

は、

さあ何で、

の意で、

思ふに続く、

とし、

利心、

は、

正気、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

聞きしより物を思へば我(あ)が胸は破(わ)れて砕(くだ)けて利心(とごころ)もなし(万葉集)

の、

利心、

は、

鋭い心、しっかりした心、

と訳す(仝上)。

利心、

は、

鋭心、

とも当て(デジタル大辞泉)、

するどい心、
しっかりした心、
確かな心、

の意である(仝上・岩波古語辞典)

朝夕(あさよひ)に音(ね)のみし泣けば焼き大刀(たち)の利心(とごころ)も我あれは思ひかねつも(万葉集)、

では、

(朝(あした)も夕(ゆふべ)にも、ただ声をあげて泣いてばかりいるので)焼き太刀のようなしっかりした心などとても持ち続けられない、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

焼太刀、

は、古くは、

やきたち、

のちに、

やきだち、

と濁るが、

鍛えて打ちあげてから加熱して、ぬるま湯で冷却して堅くした太刀、

を言い、それをメタファに、

利心、

を、

理性、

と解している(仝上)。

利心、

を、

りしん、

と訓ませると、

君子は庖廚を遠ざくると云へる事あり。……君子是れを近づけては必ず利心きざして、或は吝惜の心も生じ(「山鹿語類(1665)」)、

利益を追求する心、
利にさとい心、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。

利心、

を、ひっくり返して、

出で立たむ力をなみと隠(こも)り居(ゐ)て君に恋ふるに許己呂度(ココロド)もなし(万葉集)、
ねもころに片思(かたもひ)すれかこのころの我(あ)が心どの生けるともなき(仝上)、

と、

心利(こころど)、

とすると、

こころと、

とも訓み、

「ど」は形容詞「とし(利)」の語幹と同根か(精選版日本国語大辞典)、
「ど」は形容詞「と(利)し」の語幹という。一説に「ど」は所の意とする。万葉集では、あとに打消しの語を伴う(デジタル大辞泉)、
利(と)く張ること。利心(とごころ)と同じ(大言海)、

とあり、やはり、

心に気力が満ちていること、
しっかりした心、
気力、
気合、
心の張り、

といった意になる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

心利、

を、

こころきき、

と訓ませると、

こころぎき、

とも訓ませ、

気がきくこと。また、その人、

の意で、

利発、
気転、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。
利心、
心利、

の、

利、

は、

と、

と訓ませ、

鋭、
疾、

とも当て(広辞苑・デジタル大辞泉)、

衾路(ふすまぢ)を引出(ひきで)の山に妹を置きて山路(やまぢ)思ふに生ける刀(ト)もなし(万葉集)、

と、

形容詞「とし(利)」または「とし(疾)」の語幹から(精選版日本国語大辞典)、
形容詞「と(利)し」の語幹から(デジタル大辞泉・広辞苑)、

と、

するどいこと、また、しっかりした心、

の意で使うが、多く、

するどい、すばやい、しっかりした、

等々の意で、

とめ(利目)、
とかま(利鎌)、
とごころ(利心)、

のよう複合語の形で用いられる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

利心、

の、

利、

は、形容詞、

と(利)し、

の語幹を使っているが、

とし

で触れたように、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、形容詞ク活用で、

利し、鋭し、
疾し、鋭し、
疾し、迅し、
敏し、聡し、

等々と当て分け、

「利し」「鋭し」は、

鋭い、よく切れる(万葉集「剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君によりては」)、

の意であり、

「疾し」「鋭し」は、

激しい、強烈だ(万葉集「ぬば玉の夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾(と)き」)、

「疾し」「迅し」は、

すばやい、進みが早い(土佐日記「ふねとくこげ、日のよきに」)、

意と、

時期が早い(徒然草「とき時は則ち功ありとぞ論語と云ふ文にも侍るなり」)、

「敏し」「聡し」は、

悟ることが早い、畏い、鋭敏だ(枕草子「大蔵卿ばかり耳とき人はなし」)、

意と、当てる漢字で、意味が微妙に変わる。

「とし」の語源はあまり触れてあるものが少ないが、

トグ(磨)と同根。即座に鋭く働きかける力のあるさま(岩波古語辞典)、

とある。意訳すると、

即応する働き、

といった含意になる。その、

とぐ、

は、

研ぐ、
磨ぐ、

と当て、

トシ(利)と同根(岩波古語辞典)、
と(利)を活用す(大言海)

とあり、

砥石ですって鋭くする、

意であり、

と(砥)

は、

トシ(利)・トグ(磨)と同根、

とある(岩波古語辞典)。

とぐ、

の語源には、

トク(利・鋭)する義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
トシ(利)と同根(岩波古語辞典)、
トク(砥)の義(言元梯)、
トは砥石の意のトと同じ(時代別国語大辞典−上代編)、

と、

とし(利・鋭)、

とつなげるものが多い。つまり、逆にいうと、岩波古語辞典の言うように、「とし」は、

磨ぐ、

と深くつながる。その意味で、

とし、

の原意は、

研いだ刃のように鋭い、

という状態表現であったと推測できる。

切れ味鋭い、

が、刃だけではなく、それをメタファに、

頭の切れ、
才能の鋭敏さ、

をも指すように、意味の外延を広げ、価値表現になったことが推測できる。あるいは、漢字、

利・鋭、
疾・迅、
敏・聡、

を当てはめたことで、その漢字の意味を持つようになったということもあるように思える。なお、

こころ

については触れた。

「利」(リ)は、

会意文字。「禾(いね)+刀」。稲束をするどい刃物でさっと切ることを示す。一説に、畑を鋤いて水はけや通風をよくすることをあらわし、刀はここでは鋤を示す。すらりと通り、支障がない意を含む。転じて、刃がすらりと通る(よく切れる)、事が都合よく運ぶ意となる、

とある(漢字源)。他も、

会意。「禾 (穀物)」+「刀」で、穀物を鋭い刃物で収穫するさまを象る。「するどい」を意味する漢語{利 /*rits/}および「もうけ」を意味する漢語{利 /*rits/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A9

会意。刀と、禾(か、いね)とから成り、すきで田畑を耕作する意を表す。「犂(リ すき)」の原字。ひいて、収益のあること、また、すきのするどいことから「するどい」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(禾+刂(刀))。「穂先がたれかかる稲」の象形と「鋭い刃物」の象形から、稲を栽培し、鋭い刃物(すき)で土を耕す事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「するどい」・農耕に「役立つ」を意味する「利」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji592.html

会意。禾(か)+刀。禾を刈る意。〔説文〕四下に「銛(するど)きなり。刀に從ふ。和して然る後利あり。和の省に從ふ」とするが、和は軍門媾和(こうわ)の意で、その禾は軍門の象。利は刀を以て禾穀を刈るので鋭利の意があり、収穫を得るので利得の意がある。金文の字形は犂鋤(りじよ)の形で禾+勹+ノ(り)に作り、それが初形。鋭利の義よりして、刀に従う字となった。本来は釐・剺(り)などと同じく、治める意の字である(字通)、

と、すべて会意文字としている。

「心」(シン)の異体字は、

㣺(部首の変形)、忄(部首の変形)、腎(の代用字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%83。字源は、「心にくし」で触れたように、

象形。心臓を描いたもの。それをシンというのは、沁(シン しみわたる)・滲(シン しみわたる)・浸(シン しみわたる)などと同系で、血液を細い血管のすみずみまでしみわたらせる心臓の働きに着目したもの、

とある(漢字源)。他も、

象形。心臓の形にかたどる。古代人は、人間の知・情・意、また、一部の行いなどは、身体の深所にあって細かに鼓動する心臓の作用だと考えた(角川新字源)、

象形。心臓を象る。「こころ」を意味する漢語{心 /*səm/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%83

象形文字です。「心臓」の象形から、「こころ」、「心臓」を意味するhttps://okjiten.jp/kanji5.html

象形。心臓の形に象る。〔説文〕十下に「人の心なり。土の蔵、身の中に在り。象形。博士説に、以て火の蔵と爲す」とあり、蔵とは臓の意。五行説によると、今文説では心は火、古文説では土である。金文に「克(よ)く厥(そ)の心を盟(あき)らかにす」「乃(なんぢ)の心を敬明にせよ」のように、すでに心性の意に用いている(字通)

と、すべて象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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玉くせ

 

玉くせの清き河原にみそぎして斎(いは)ふ命は妹がためこそ(万葉集)

の、

玉くせ、

は、

美しい川筋、

とあり、

くせ、

は、

広い平地を川が幾筋も流れている地形か、

として(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

美しい川筋、その清らかな川原に出てみそぎして、

と訳す(仝上)。

たまくせ、

は、

玉曲瀬、
玉久世、

等々とあて(大言海・精選版日本国語大辞典)、

「たま」は美称、

で(仝上)、

浅瀬の砂や石の多いところ、
河原、

をいう(仝上)とある。

くせ、

は、

曲瀬、

とあて、

屈瀬(くぐせ)の略ならむ、蹲(うづくぐま)る、うづくまる。崎嶇(さぐく)む、さくむ、

とあり(大言海)、

川瀬の曲がれる所、曲(わた)(大言海)、
川の、水が浅く砂や石の集まったところ。川原(広辞苑)、
川や海の浅瀬の、砂や岩が多く集まった所(デジタル大辞泉)、
川や海の浅瀬の、砂や石が多く集まった所。河原(精選版日本国語大辞典)、

等々の意味があるが、上記の歌から見ると、

川原、

ではおかしい。

玉、

の美称をつけていること、また、

曲、

の字を当てているところからも、

浅瀬の、砂や岩が多く集まった所、

ではないのではないか。その意味で、

川瀬の曲がれる所、曲(わた)、

とする『大言海』が正確な気がする。

曲、

は、

わだ、

とも、

わた、

とも訓ませるが、

地形が入り曲がっていること、またそのところ(広辞苑)、
入り江など、曲がった地形の所(学研全訳古語辞典)、
入り曲がっていること。また、その所(デジタル大辞泉)、
地形の入り曲がっているところ。入江などにいう(精選版日本国語大辞典)、
地形が湾曲しているところ、入江などをいう(岩波古語辞典)、
曲るところ、わだかまる處、曲がりて水の淀む處、曲がりたたなはりたる(重なりあって連なる)處(大言海)、

をいい、

囘所(わと)の転(大言海)、
ワタ(曲処)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ワタハミ(輪撓)の義(名言通)、

という由来から見ても、単なる、

河原、

のはずはなく、冒頭の歌で、

美しい川筋、

と訳した(伊藤博訳注『新版万葉集』)のが正鵠を射ている。

「曲」(漢音キョク、呉音ギョク)の異体字は、

𠚖、 𨴈(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B2。字源は、

象形。まがったものさしを描いたもので、曲がって入り組んだ意を含む、

とある(漢字源)。解釈は異なるが、

象形。木や竹などで作ったまげものの形にかたどり、「まがる」「まげる」意を表す。転じて、変化があることから、楽曲・戯曲の意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「木や竹で作ったまげもの細工」の象形から「まがる」を意味する「曲」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji475.html

象形。竹などで編んで作った器の形。〔説文〕十二下に「器の曲りて物を受くる形に象る」とあり、一説として蚕薄(養蚕のす)の意とする。すべて竹籠の類をいい、金文の簠(ほ)はその形に従う。簠の遺存するものは青銅の器であるが、常用の器は竹器であったのであろう。それで屈曲・委曲の意となり、直方に対して曲折・邪曲の意がある(字通)

と、同じく、象形文字とするものの他、

形声。「𱍫」+音符「玉 /*ŊOK/」。「まがる」を意味する漢語{曲 /*kʰ(r)ok/}を表す字。原字「𱍫」は象形文字で、曲がったものを象るhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B2

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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高麗錦

 

垣(かき)ほなす人は言へども高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解(と)き開(あ)けし君ならなくに(万葉集)

の、

垣(かき)ほなす、

は、

垣根のようによってたかって、

の意、

紐解き開けし、

は、

紐をほどいて、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

高麗錦紐解き開けて夕(ゆふへ)だに知らずある命(いのち)恋ひつつかあらむ(万葉集)

では、

高麗錦紐解き開けて、

を、

高麗錦の紐を自分でほどいたままで、

と訳す(仝上)。

高麗錦、

は、

高句麗様式の高級な紐、

としている(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)には、

暈繝錦、高麗錦、

とあり、『うつほ物語』には、

樓の天井には、鏡形、雲形を織りたるこまにしきを貼りたり、

とある。

高麗の國より渡せる錦、疊に、高麗縁(かうらいへり)とて用ゐるもの、これより移れるなるべし(大言海)、
「高麗錦」は、高麗(高句麗:朝鮮半島市北部)から渡来した錦で、錦は、金銀等の糸で模様を織り出した厚地の織物。衣の紐としたことから「紐」の枕詞(Copilot)
高麗錦=朝鮮半島北部の高句麗で、さまざまな色糸を 用いて織られた高級絹織物ですhttps://www.city.hidaka.lg.jp/hidaka_rekishi/monogatari_ichiran/27808.html
高麗の国から渡来した錦。また、高麗ふうの錦。袋・紐ひもや畳のへりなどに用いた(デジタル大辞泉)、
古く、高句麗(こうくり)から渡来した錦。また、高麗風の錦のこともいう。多く、紐(ひも)や剣を入れる袋、畳の縁(へり)などに用いた(精選版日本国語大辞典)、
高麗(こま)から伝わった錦。紐(ひも)や剣を入れる袋などに用いた(学研全訳古語辞典)、

とあり、冒頭の歌のように、

高麗の錦で作った紐の意から「紐」にかかる枕詞、

としても使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、

高麗、

は、

高句麗、

を指すが、

「高麗」とは、高句麗(紀元前37〜668年)、渤海(698〜926年)、高麗(こうらい)(918〜1392年)の三国に対する名称であることが注意される。平安時代(794〜1192年)と時代が重なるのは渤海と高麗であるが、平安時代の文学作品において語られる「高麗」の語は、高句麗(あるいは百済・新羅を含めた韓半島)と渤海を指す場合が多い、

とあり、平安文学における「高麗」の用例は、

和歌では『古今集』以下、八代集には全く見られない。物語では、『うつほ物語』に18例、『源氏物語』に20例、『狭衣物語』に3例、『堤中納言物語』に1例が見られる。他に『枕草子』に4例が見られる、

とされ、また、「高麗」という表現は、

概して異国・異国人としての「高麗」「高麗人」、舞楽関連の「高麗楽」「高麗笛」、「高麗錦」「高麗の紙」「高麗端」などの文物関連において用いられている、

が、「高麗の錦」は、

『うつほ物語』に2例、『源氏物語』に3例の用例が見られる。たとえば、絵合巻、冷泉帝の前での絵合の場面で、左の源氏方の「唐の錦」に対して、右の権中納言方の「高麗の錦」が対比されて語られるなど、いずれも舶来の最高の品というイメージがある、

としている(金裕千「平安文学に見られる『高麗』」)。なお、

解き開く(ときあく)、

は、文字通りには、

高円(たかまど)の尾花吹き越す秋風に紐等伎安気(トキアケ)な直(ただ)ならずとも(万葉集)、

と、

紐の結び目を解く、
紐をといて衣服を楽にひろげる、

意で、上記歌では、

着物の紐を解き放ってくつろごうではありませんか(いい人に直に逢うのでなくとも)、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、それをメタファに、冒頭の歌のように、

男女が下紐を解き放って共寝をする、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

「麗」(@漢音ライ・呉音ライ、A漢音呉音リ)の異体字は、

䴡(俗字)、丽(簡体字)、𠀙(古字)、𠧥(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BA%97。「美麗」のように、うるわしい意、「為魚麗之陳」のように、並ぶ意、「日月麗乎天」のように、くっつく意、「其麗不億」のように、連なった意、などの場合は@の音、ひっかかる意や高句麗の場合、「麗歴」(リレキ きれいに連なる)、などの場合はAの音となる(漢字源)。字源は、

象形。麗は、鹿の角が奇麗に二本並んだ姿を描いたもの。連なる、並ぶなどの意を表す、

とある(漢字源)。他も、

象形。角を強調した鹿を象る。のち角の部分が音符「𠀙 /*RE/」に変形音化して「麗」の字形となる。「うるわしい」を意味する漢語{麗 /*rˤeh/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BA%97

象形文字です。「美しい角が出そろった雄しか」の象形から、「うるわしい」、「連なる」を意味する「麗」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1476.html

象形。字の上部の丽(れい)が、麗の初文。鹿皮を並べた形とされるが、卜文・金文の字形は、鹿角を示すものとみられる。〔説文〕十上に「旅(なら)びて行くなり」とあり、「鹿の性、食を見ること急なれば、則ち必ず旅(なら)び行く」とする。また古文として丽をあげ、「禮、麗皮もて納聘(なふへい)す。蓋(けだ)し鹿皮なり」といい、鹿皮を以て納徴する意とする。〔詩、小雅、魚麗〕に「魚、罶(あみ)に麗(かか)る」、〔周礼、秋官、大司寇〕「凡そ萬民の罪過有りて、未だ灋(はふ)に麗(かか)らず、州里に害ある者」、また〔礼記、祭義〕「既に廟所に入りて、碑に麗(つな)ぐ」などが古い用法で、〔儀礼、士昏礼〕「納徴に玄纁(げんくん)束帛(そくはく)儷皮」と一対の鹿皮の意に用いるのは、後の用義である。それより夫婦を伉儷(こうれい)という。鹿皮も美しいが、鹿角一双もまた美しいもので、もとは鹿角の美を麗といったのであろう(字通)

と、象形文字としているが、

会意形声。鹿と、丽(レイ)(ふたつ)とから成る。二頭のしかが連れ立って移動する意を表す。ひいて「つらなる」、また、「うるわしい」意に用いる(角川新字源)、

と、会意兼形声文字と解するものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
金裕千「平安文学に見られる『高麗』」(www.pu-kumamoto.ac.jp/users_site/tosho/file/pdf/kbs/5/515.pdf)

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八占(やうら)

 

積(ももさか)の船隠(かく)り入る八占(やうら)さし母は問ふともその名は告(の)らじ(万葉集)

の、

百積(ももさか)の船、

は、

百石積の船、

をいい、

上二句は序、浦の意で、「八占」を起こす、

とあり、

八占、

は、

さまざまの占いを行う意か、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

やうら、

は、

弥占、

ともあて、

さまざまに占うこと、多くの占い(広辞苑)、
幾度も占うこと。さまざまに占ってみること(デジタル大辞泉)、
「や」は数の多いこと、幾度も占うこと。また、さまざまに占うこと。一説に、「や」は矢で、矢を用いてする占い(精選版日本国語大辞典)、
ヤはいや(彌)の義、いやが上にも占ふこと、あまたたび占ふこと(大言海)、
いろいろの占い(岩波古語辞典)。

などとあるが、

やうら、

に、

八、

彌(弥)、

を当てることには意味がある。

八つ当たり
真っ赤な嘘
八入(やしほ)

などで触れたように、

や(八)、

は、

八つ、

の意だが、

ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根(岩波古語辞典)、
ヤ(弥)と同源(広辞苑)、

とあり、

「八」という数の意、

の他に、

八重(やえ)、
八岐(やまた)の大蛇(おろち)、
八雲、

など、名詞・助数詞の前に直接つけて用い、

無限の数量・程度を表す、
具体的な数ではなく数の多いことを表わす(精選版日本国語大辞典)、

とされる(精選版日本国語大辞典)。で、

もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、

とする(仝上)。なお、「彌」と同根とする説については、

此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田(いほしろをだ)」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、

と、反対とする説がある(大言海)。その上、

副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、

としている(日本語源大辞典)。

よ(四)の母音交替形としてその倍数を表わしたもの(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、

と、

ひとつ→ふたつ、
みつ→むつ、
よつ→やつ、

と、倍数と見るなら、語源を、

ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、

とするのには意味がなくなるのかもしれない。また、「七」との関係では、

古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、「夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を」(古事記)の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、

とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。

八占、

は、そう見ると、ただ、多数回という以上の含意が込められているのかもしれない。

正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、

とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。

八占(やうら)さし、

の、

さす

は、

止す、
刺す、
挿す、
指す、
注す、
点す、
鎖す、
差す、
捺す、

等々と当て別けて使っているが、

最も古くは、自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向がはたらき、目標の内部に直入する意、

とする(岩波古語辞典)。で、

射す・差す、

は、

自然現象において活動力が一方に向かってはたらく、

として、光が射す、枝が伸びる、雲が立ち上る、色を帯びる等々といった意味を挙げる。次いで、

指す・差す、

は、

一定の方向に向かって、直線的に運動をする、

として、腕などを伸ばす、まっすぐに向かう、一点を示す、杯を出す、指定する、指摘する等々といった意味を挙げる。次いで、

刺す・挿す、

は、

先の鋭く尖ったもの、あるいは細く長いものを、真っ直ぐに一点に突き込む、

として、針などをつきさす、針で縫い付ける、棹や棒を水や土の中に突き込む、長いものをまっすぐに入れる、はさんでつける等々といった意味を挙げる。さらに、

鎖す・閉す、

は、

棒状のものをさしこむ意から、ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする、

として、錠をおろす、ものをつっこみ閉じ込めるといった意味を載せる。さらに

注す・点す、

は、

異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる、

として、注ぎ入れる、火を点ずる、塗りつけるといった意味を載せる。最後に、

止す、

は、

鎖す意から、動詞連用形を承けて、

途中まで〜仕掛けてやめる、〜しかける、という意味を載せる(岩波古語辞典)。

こう見ると、「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが、

何かが働きかける、

という意味から、それが、対象にどんな形に関わるかで、

刺す、

挿す、

注す、

に代わり、ついには、その瞬間の経過そのものを、

〜しかけている、

という意味にまで広げた、と見れば、意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると、『日本語源広辞典』は、

「刺す」

「指す・差す・射す・挿す・注す」

と、項を分けているが、結局、

刺す、

を原意としている。

刺す、

に、

表面を貫き、内部に異物が入る意です。または、その比喩的な意の刺す、螫す、挿す、注す、射す、差すが同語源です、

とある(日本語源広辞典)。『日本語源大辞典』も、

「刺す・鎖す」

「差す・指す・射す」、

と項を別にしつつ、

刺すと同源、

としている。では、

刺す、

の語源は何か。『日本語源大辞典』では、

サス(指)の義(言元梯・国語本義)、
指して突く意(大言海)、
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健)、
物をさしこみ、さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹)、
進み出す義(日本語源=賀茂百樹)、
サカス(裂)の義(名言通)、
サはサキ(先)の義、スはスグ(直)の義(和句解)、

等々と挙げている。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると、

物をさしこみ、さしたてる際の音から、

というのは捨てがたいが、未詳ということになる。

「指す」「差す」「挿す」「刺す」、

の違いについて、

「指す」のほうは基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのですね。
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味ですね。
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです。
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります。
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること。
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと。
「点す」は目薬をつけることを表します。

と、意味の使い分けを整理しているhttp://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.htmlものがあるが、漢字は、

「刺」は、朿(シ)の原字は、四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。『刺』は『刀+音符朿(とげ)』。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は、束ではない。もともと名詞にはシ、動詞にはセキの音を用いたが、後に混用して多く、シの音を用いる、
「挿(插)」は、臿(ソウ)は「臼(うす)+干(きね)」からなり、うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち、手を添えてその原義をあらわす、
「指」は、「手+音符旨」で、まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は、ここでは単なる音符にすぎない、
「差」は、左はそばから左手で支える意を含み、交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差して支えると、上端は]型となり、そろわない、そのじくざぐした姿を示す、
「注」の字は、「水+音符主」。主の字は、「ヽは、じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は、灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので、じっとひとところにとどまる意を含む」で、水が柱のように立って注ぐ意、
「点(點)」は、占は「卜(うらなう)+口」の会意文字で、占って特定の箇所を撰び決めること。點は「黒(くろい)+音符占」で、特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く、
「鎖」は、右側の字(音サ)は、小さい意。鎖は素家を音符とし、金を加えた字で、小さい金輪を連ねたくさり、

とあり(漢字源)、多く漢字の意味に依存して、「さす」を使い分けたように見える。結局、どの字を使っても、

刺す、

に至るようであるが、「さし」を接頭語にした語の多くは「差し」の字を当てる。『大言海』は、「差す」について、

其職務を指して遣はす意ならむ。此語、ササレと、未然形に用ゐられてあれば、差の字音にはあらず、和漢、暗合なり。和訓栞、サス「使いをサシつかはす、人足をサスなど云ふは、差の字なり。匡謬正俗に、科發士馬、謂之為差と見ゆ、官府語也、日本紀に、差良家子為使者、軍防令に、凡差兵士と見えたる、是也」。陔餘叢考「官府遣役曰差」、品字箋「差遣、役使也」、

として、

充てて、遣る。つかわす、
押し遣る、また、行(や)る、行う、
前へ伸ばす、
突き張る、

といった意味を載せる。この「差」には、意図して、何かをする、何かをさせる、という含意が強い。では、

八占(やうら)さし、

の、

さまざまの占いを行う、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

さす、

は、

意図して、何かをする、何かをさせる、

という含意に鑑みると、

差す、

なのだろう。なお、

うらなう
歌占
夕占
道行占

については触れた。

「占」(セン)は、「道行き占」で触れたように、

会意文字。「卜(うらなう)+口」。この口は、くちではなく、ある物やある場所を示す記号。卜(うらない)によって、一つの物や場所を選び決めること、

とある(漢字源)。他も、

会意。卜と、口(くち)とから成り、うらないの結果を判断して言う意を表す(角川新字源)、

会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji1212.html

会意。卜(ぼく)+口。卜は卜兆の形。口はᗨ(さい)で、祝詞の器。神に祈って卜し、神意を問うことを占という。〔説文〕三下に「兆(てう)を視て問ふなり」とあり、会意とする。その卜占の辞は、のち神託にふさわしい神聖な形式、韻文で示されることが多く、卜筮の書である〔易〕の爻辞(こうじ)は、多く有韻である(字通)、

と、会意文字とするが、

形声。「𡆥 /*LIU/」+羨符「口」。のち筆画を省略して現在の字形となる。「うらないの言葉」を意味する漢語{繇 /*lriu(k)-s/}を表す字。引伸して「予言する」「予見する」を意味する漢語{占 /*tem/}を表すのにも用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%A0

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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ふ(嚔)

 

眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我(われ)を(万葉集)

の、

眉根(まよね)掻き鼻ひ紐解け、

は、

眉を掻き、くしゃみをし、ひもも解けて、

と訳し、

眉根(まよね)がかゆく、くしゃみが出、下紐が自然に解けるのは、人に逢える前兆とした、

とあり、

男の歌、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

鼻ひ、

の、

ひ、

は、

嚏(ふ)、

とあて、

他動詞ハ行上二段活用で、

くしゃみをする、

意である(学研全訳古語辞典)。上代、

終止形が「ふ」、

で、冒頭の歌のように、

連用形に「鼻火」の形があり、「火」が特殊仮名づかいで「ひ」の乙類を表わす仮名であるところから、上二段活用であったと考えられる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、それが、和名類聚抄(931〜38年)に、

嚔、波奈比流、噴鼻也、

とあるように、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

で、

鼻をいと高うひたれば、あな、心憂(う)(枕草子)、

と、他動詞ハ行上一段活用化し、

嚔(ひ)る、

となった。なお、

くしゃみをするのは、良くない事が起こる前ぶれとか、恋人が訪れる前ぶれなどといわれていた、

などともある(学研全訳古語辞典)が、上代では、

人に恋され、また、恋人が訪れる前兆とみなされた、

らしい。それが、平安時代以後は、

悪い事の起こる前兆と考えられた、

とある(岩波古語辞典)。枕草子の例は、後者とみられる。

ふ(嚔)、

は、

簸(ふ)と同根(岩波古語辞典)、

とある。

簸(フ)、

は、

上一段のフ(嚔)と同根、

で、

箕(み)で穀物を勢いよく振って、籾殻(もみがら)・屑などを除く、

意(岩波古語辞典)で、

奈良時代には上二段活用であった(仝上)、

「簸」を動詞として、上二段に活用した例はないが、「書紀‐神代上」の「簸之河」が、古事記に「肥河」、出雲風土記に「斐伊河」とあり、「肥」「斐」は上代特殊仮名づかいで、乙類の仮名であるところから、「簸」も同様の乙類のヒであったと見られ、したがって、古くは上二段活用であったと考えられる(精選版日本国語大辞典)、

とあり、後に、新撰字鏡(平安前期)で、

簸、米(よね)比留、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

簸、ヒル、

と、上一段化した(仝上・岩波古語辞典)。で、

簸(ひ)る、

は、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

の、他動詞ハ行上一段活用で(学研全訳古語辞典)、

糠(ぬか)のみ多く候へば、それをひさせんとて置きたる物をば(古今著聞集)、

と、

箕(み)で穀物などをあおり振るって、屑(くず)を除き去る、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。しかし、

ひる、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

屁、放屁、倍比流(へひる)、下部出気也、

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

放屁、戸比留、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

屁、放屁、ヘヒル、

とあるように、

放る、

とも当て、

體中より外へ放つ、

意(大言海)とし、

嚔(ひ)る、

は、

放(ひ)るの語意に同じ、

とする説がある(仝上)。前出の、和名類聚抄(931〜38年)の、

嚔、波奈比流、噴鼻也、

とある意味と重ならなくもなく、

簸(ひ)る、

の意よりは、意味上、重なり合いが大きい気がする。現に、

くしゃみをする意の「ひる(嚔)」と同語源。「新撰字鏡」に「放屁 戸比留」、「十巻本和名抄‐二」に「放屁 倍比流」の例もある。これらは「戸比利虫」(新撰字鏡)、「久曾比理乃夜万比」(和名抄)などの「ひり」から推して、中古早くから四段活用だったと思われるが、より古くは、「ひる(嚔)」と同じく上一段活用(上代は上二段活用)だったかと考えられる、

としている(精選版日本国語大辞典)ので、

放(ひ)る、
と、
嚔(ひ)る、

は、意味の上からも、音の上からも、同語源と考えていいのではないか。

嚏(ひ)る、

は、

やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば(徒然草)、

と、

はな(嚔)ひる、

とも訓ませ、

ひ/ひ/ひる/ひる/ひれ/ひよ、

の、自動詞ハ行上一段活用だが、やはり、奈良時代は、

はな(嚔)ふ、

で、上二段活用であったとされる(学研全訳古語辞典・岩波古語辞典)。

嚔(はな)ふく、

で、

つぎねふ山城に蜻蛉(あきつ)波奈布久(ハナフク嚔(はな)ふとも(「琴歌譜(9C前)」)、

と、

はなふく、

と訓ませ、

「鼻吹く」の意、

で、

くしゃみをする、
はなひる、

意である(精選版日本国語大辞典)。

くしゃみ

は、古くは、

くさめ、

といい、本来、

くしゃみをしたときに唱える呪文、

とされる(岩波古語辞典)。名語記に、

鼻ひたる時、くさめとまじなふ、如何。…又、休息万命、急急如律令と唱ふべきを、くさめとは言へりといふ説あり

とあり、

休息命(くそくみやう)の急呼。国府、こふ。脚絆(きゃくはん)、きゃはん。ささめく、そそめく。通夜(つうや)、つや、

と、

嚔(はなひ)りたるときに唱ふべき、厭勝(まじなひ)の呪文。命(いのち)長かれと云ふ意なり。嚔ひれば命終はると云ふ、天竺の伝説あるに因りて、斯かる呪文あるなり。千萬歳(せんまんざい)とも呪(じゅ)じ、今、小兒、はなひれば、母、とこまんざい、とも呪ず、

とある。「とこまんざい」は、「徳万歳」と当て、

小兒のくさめする時、まじなひに云ふ語、

らしい。しかし、

「休息万命(くそくまんみやう)」のくずれた形と言うが、本来は、「糞食(は)め」で、くしゃみに対する罵言(ばげん)か、

とする(岩波古語辞典)見方もある。くしゃみをして、「くそ」とか「くそったれ」とかいう類なのではないか、ということだ。柳田国男は(『少年と国語』)で、

いまある辞典や註釈の本を見ると、クサメという語の起りは、休息万命(きゆうそくばんみよう)、急々如律令(きゆうきゆうによりつりよう)と言うとなえごとを、まちがえたものだと、どこにも出ている。そんなおろかしい説明をまに受けて、ちっともうたがわない人があるのだろうか。休息万命なんかは、漢字を知っている者にも、なんのことを言うのかまるでわからない。そうしてまったく字を知らぬ者が、じつはむかしから、クシャミをおそれていたのである。こんなおかしな文句をもっともらしく本に書き残したのは、むしろ、クサメがすでにひさしく存して、もはや、その心持がかれらには、くみとれなくなっていたからで、いわば、あべこべに休息万命が、クサメをこじつけたものとも取れるのではないか。
呪文なんだから「休息万命」が意味がわかんないことばでもいいんじゃないかとおもうけど、それはそれとして、それじゃあ「くさめ」の語源がなんだっていってるかっていうと、
 クサメの糞くそはめであり、クソヲクラエと同じ語だったことは、気をつけた人がまだないようだが、おおよそはまちがいがあるまい。沖縄でも、首里しゆりのよい家庭で、クシャミをしたときには、クスクエーと言うならわしがあった。これを、魔物のさせるわざと言って、子どもなどのまだ自分ではそう言えない者が、クシャミをしたときには、おとながかわって、このとなえごとをすることになっていた。食うは、この島ではあまり使われず、クラウと同じに、やや悪いことばであって、ふつうにはカム・カミーと言っていた。すなわち、こちらで言うハム・ハメと同じ語である。クソは悪いものだが、かならずしも悪いことばではない。ただ、相手にそれを食え、またはハメと言うにいたって、最大級の悪罵(あくば)ともなれば、また少しもおそれていないという、勇気の表示ともなるのである。必要があるならば、女でもこれを用いたろうが、さすがに、あとあとは少しばかりことばをちぢめ、または、知らずにまねをしていたのがクサメであろうと、私は思う。

と批判しているhttp://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2010/05/post-8b67.html。これが正解だろう。岩波古語辞典は、この説を取っている。

「嚔」(漢音テイ、呉音タイ)の異体字は、

嚏(俗字)、𤴡、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%94。字源は、

会意兼形声。𤴡(テイ)は「つかえるしるし+止」の会意文字で、仕えて止まる意、嚔は、それを音符とし、口を添えたもの、

とある(漢字源)。他は、

形声。「口」+音符「𤴡」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9A%94

とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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