
コトバ辞典
初瀬川流るる水脈(みを)の瀬を早みゐで越す波の音(おと)の清(きよ)けく(万葉集)
の、
ゐで、
は、
木や石など、流れを堰く所、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ゐで、
は、
井手、
堰、
とあて、
堰止(ゐどめ)の約、
とされ(大言海)、
田の用水をせき止めてあるところ(広辞苑)、
用水をほかへ引くために、木・土・石などで川水をせき止めた所(学研全訳古語辞典)、
田の用水のため、河や池に、石や土を盛って、水の流れをせきとめ、用水をたたえておく所(精選版日本国語大辞典)、
で、
井堰(ゐせき)、
と同じ、とある(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)に、
堰埭、堰埭壅水、以土遏水也、井世木、
平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、
堰、ヰセキ・ミヅセキ・フサグ・フセグ・サクル、
新字鏡集(鎌倉時代)に、
堰、井世久(ゐせく)、
とある。
井堰、
は、
井堰(ゐせ)くの名詞形、正韻「雍水為埭曰堰」、
としている(大言海)。
なお、
井手、
は、後に、
ため池などの堤の堰(せき)から水を流通させるところ、
からのメタファとして、
商人より素人衆(しろとしゅ)がいでがづぶう成てきて(浮世草子「当世宗匠気質(1781)」)、
と、
取引、
かせぎ、
の意でも使ったようである(精選版日本国語大辞典)。
堰(せき)、
は、
堰(ゐ)、
とも訓ませ、新撰字鏡(平安前期)に、
井堰(ゐせき)に同じ、
とあり、
堰塞(ゐせき)の略(大言海)、
動詞「塞せく」の連用形から(広辞苑・デジタル大辞泉)、
という由来から、
塞(せき)、
とも当て、
堰、
の、
河や池に、石や土を盛って、水の流れをせきとめ、用水をたたえておく所、
の意をメタファに、
塞(せ)く、
の意から、
関(せき)、
にもつながる。和名類聚抄(931〜38年)に、
關、日本紀私記に云ふ、關門、世岐度(せきど)、
とある。
「井」(漢音セイ、呉音ショウ)は、
象形。井は、四角いわく型を描いたもので、もと、ケイと訓む。形や型の字に含まれる开印の原字丼は、「四角いわく+・印」の会意文字で、清水のたまったさまを示す。セイと訓み、のち、両者の字形が混同して井と書くようになった。井は、また、四角にきちんと井型の意を派生する、
とある(漢字源)。同趣旨で、
象形文字です。「井桁(いげた)」の象形から、「井戸」、「井の字の形に組んだもの」を意味する「井」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1211.html)、
象形。いど(井戸)のわくの形にかたどり、「いど」の意を表す(角川新字源)、
象形。井げたのわくの形。〔説文〕五下に「八家一井、構韓(こうかん)(井の垣)の形に象る」とする。篆字は丼に作り、丼中の点を「雝+缶(かめ)の象なり」と解し、伯益がはじめて井を作ったという起原説話をしるしている。卜文・金文には字を邢(けい)という国名に用いるほか、井の形には、人の首足に加える枷(かせ)の形で、のちの刑となるもの、鋳型のわくの形で、のちの形・型となるもの、陥穽として設けるもので、のちの穽となるものがあり、井は邢・刑・形・型・穽の初文である。〔孟子〕にみえるような井田法は、西周期の資料にその徴証を求めることはできず、文字が生まれた殷代には、もとより存しなかったものである(字通)、
ともあるが、
「井」には二種類の字が存在する(別字衝突)、
として(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%95)、
象形。井戸を象る。「いど」を意味する漢語{井 /*tseŋʔ/}を表す字。漢の時代までは「丼」と書かれた。形声文字の音符として「青」「穽」などに含まれる、
象形。枠型を象る。「かた」を意味する漢語{型 /*ɡˤeŋ/}を表す字。形声文字の音符として「形」「刑」「耕」などに含まれる、
と、
井げたの枠、
と、
井戸、
とは別系というとする(仝上)説もある。
「堰」(@エン、A漢音エン、呉音オン)は、
会意兼形声。安は、女性を押えて家の中にとめるさま。晏(アン)は太陽が上から下に落ちて暮れるさま。匽は晏の略体に匸印(囲う)を加え、上から押さえ囲む意を表す。堰はそれを音符とし、土を加えた字で、土を固めてつくり、水流を押さえとめるせき。按(アン 押さえる)・遏(アツ 押さえ止める)とも近い、
とある(漢字源)。「堰堤」のように「水流をせきとめたり、調節したりするために土を盛ってつくったしきり」の意は@の音、動詞「せきとめる」意の場合は、Aの音、とある(仝上)。別に、
会意兼形声文字です(土+匽)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)と「ふたの象形とそこに物をしまいこむ事ができる場所の象形(「はこ形に区切られた囲い」の意味)とまるい敷物か枕をあててやすらぐ婦人の象形」(「囲いの中にとどめる」の意味)から、土を積んで水を「せき止める」を意味する「堰」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2410.html)、
と会意文字とする説もあるが、他は、
形声。「土」+音符「匽 /*ɁAN/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A0%B0)、
形声。土と、音符匽(エン)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は匽(えん)。匽は秘匿のところで、女子に玉(日)を加えて魂振りする意。偃はそのとき偃臥すること。土堤を横たえて水を壅(ふさ)ぐを堰という(字通)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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この小川霧ぞ結べるたぎちたる走井(はしりゐ)の上(へ)に言挙(ことあ)げせねども(万葉集)
の、
言挙(ことあ)げせねども、
は、
言挙げをすれば霧が立つという信仰を背景とするか、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
走井、
は、
湧き水や川の流れを堰き囲んだ水汲場、
とある(仝上)。しかし、多く、
走井、
は、
湧き出て流れている泉(広辞苑)、
水がほとばしり出る泉(岩波古語辞典)、
湧き出て、勢いよく流れる泉。走るように湧く清水(精選版日本国語大辞典)、
とあり、上記歌の、
たぎちたる走井(はしりゐ)、
とある、
たぎつ(滾・激)、
は、
たぎる(滾・沸)、
と同語源であり(精選版日本国語大辞典)、
たき(滝)と同源、
である(岩波古語辞典)、
水がわきあがり、逆巻き流れる、水があふれるように激しく流れる、
意である。
堰き囲んだ水汲場、
のイメージではない。
ちなみに、
泉、
は、湧出形態によって、
(1)逬出(へいしゆつ)泉 岩の裂け目や崖からほとばしり出るもので、日本ではこれを走井(はしりい)と称した。山岳地帯に多く、場所によっては瀑布を懸ける。富士山麓白糸の滝が代表、
(2)池状泉 釜、壺、湧壺とも称した。盆状のくぼんだ底から湧出し、水をたたえるもので、富士山麓の山中湖北西にある忍野八海(おしのはつかい)が有名、
(3)湿地泉 どことなく水がしみ出し湿地状をなすもので、扇状地などの長い斜面の基底部で地下水面が地表に達したところにみられる、
の、三つのタイプがあるとされる(世界大百科事典)。当然、
たぎつ走井、
なわけである。
ながれ井(大言海)、
とあるのが正確かもしれない。なお、
はしる(走・奔・趨)、
は、
走る、
奔る、
趨る、
と当てるが、
ハス(馳)と同根。勢いよくとびだしたり、す早く動き続ける意(岩波古語辞典)、
ハスル(早進)の意(言元梯)、
ハヤセキアル(早激有)の義(名言通)、
ハは早の義、シはアシの上略か、ルは任るの意か(和句解)、
ハサマ・ハサム・ハシ(橋)等と同語原で、二点の閨A二点をつなぐなどの原義が共通するか(時代別国語大辞典−上代編)、
ハシ(粛・ひきしまる)+る(日本語源広辞典)、
等々とあるが、
勢いよく飛び出したり、素早く動き続けたりする意、
が原義なら、
はす(馳す)、
と同根というのが一番通りやすい。
はす、
は、
せ/せ/す/する/すれ/せよ、
の、自動詞サ行下二段活用、
走る、
駆ける、
意であり(学研全訳古語辞典)、
走る、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用、
駆ける、
走る、
意とともに、
その火はしり経の二字に当たりて、その二字焼けにき(今昔物語)、
と、
はねる、
とび散る、
ほとばしる、
意でもある(仝上)。、
馳す、
は、
本来、自動詞「はしる」に対応した他動詞で、「はしる」が古代には、水、鮎、雹などの動きについて広く用いられていたのと同様に、馬、弓、舟、心などについて広く使われた。しかし、自動詞的にも用いられたために、「はしる」との関係が曖昧になり、「はしる」の他動詞形として「はしらす」「はしらかす」が一般的となった、
とあり(日本語源大辞典)、
馳す、
の口語、
は(馳)せる、
の語源には、
ハシラスの義、
ハシルの約、
ハシルと同源、
と、ほぼ「はしる」とつながっているようである。因みに、漢字の、「走」「奔」「趨」の違いは、
「走」は、かけゆく義。奔走、飛走と連用す。破れて逃げるにも用ふ、
「奔」は、走よりは更に勢いよくかけ出す義。事により趨くに後れんことを恐るる意なり。轉じて結婚に禮の備はるを俟たず、父母の家をかけおちするをも奔という、
「趨」は、早く小走りする義。貴人の前を過ぐる時の禮。論語「鯉趨而過庭」禮記「遭先生于道、趨而進」疾走して直ちに目的の處に至る義より、敬意をおぶ、
となるようだ(字源)。最勝王経音註(奈良時代)には、
走、八之流、
類聚名義抄(11〜12世紀)には、
走、ハシル、
犇、ハシル、
字鏡(平安後期頃)
走、ハス・イタル・サル・ハシル・オモムク・ユク、
とある。
はしる、
とほぼ同義で、
わしる(走る)、
がある。
わしる (走る)、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
と、自動詞ラ行四段活用で、
帰路に趍(ワシラ)むとするに(興聖寺本「大唐西域記巻十二平安初期点(850頃)」)、
近遠の邑人相ひ趨(わし)り輻湊(あつま)る(仝上)、
などと、多く、漢文訓読系で使うが、
ハシルとの区別は明確でない、
とあり(岩波古語辞典)、
放し馬の数百疋走(ワシリ)散たる中に(太平記)、
蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北にわしる(徒然草)、
と、
先を争うように早く歩く、
我先にと急ぎ歩く、
意や、それをメタファに、
いなびかり間なく走(ワシッ)て(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、
と、
光、水などが勢いよく流れる、
意、
まづしきものはせいろをわしりて出家之心なし(「宝物集(1179頃)」)、
と、
功をあせる、
うせってあくせくする、
意や、特定に、
今少しの事をわしりて、ききゃう屋の天職を、親方に断いふて、年符にしては請られしぞ(浮世草子「傾城色三味線(1701)」)、
と、
金利を稼ぐ、
意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この他動詞形は、
あしひきの山田を作り山高み下樋(したひ)を和志勢(ワシセ)(古事記)、
と、
わしす(走)、
となる。
動詞「はしる(走)」の連用形の名詞化である、
走り、
は、
すばやく進むこと、
だが、それをメタファに、
先がけ、
先ばしり、
はしりもの(はつもの)、
等々様々な意で使われるが、動詞「わしる(走)」の連用形の名詞化、
わしり(走)、
も、
百五十匁を旦那殿へたのんで、月一匁五分づつのわしりにかけ(浮世草子「立身大福帳(1703)」)、
と、
走る、
意の他に、
金を貸して利息をかせぐこと。金を有利に運用すること。また、その利息。
の意でも使う。この、
はしり、
わしり、
は、さまざまに使われ、
直走(ただばしり) まっしぐらに走ること、
直走(ひたばしり) いちずに走ること、
走馬(はしりうま) 走っている馬、くらべうま(競馬)、
走競(はしりくらべ) 競走、かけくらべ、
走競(はしりこぎり) =はしりくらべ(走競)、
徒走・歩走(かちはしり) 馬、車など乗り物に乗らずに足で走ること、
と、走ることだけではなく、それをメタファに、
走炭(はしりずみ) =はねずみ(跳炭)、火の中ではじけて飛ぶ炭
走火(はしりび) ぱちぱちと飛びはねる火、はね火、
湯走(ゆばしり) 熱した鉛などの金属が、溶けて流動すること、
開走(ひらきばしり) 帆船が横風を受けて帆走すること、
突走(つかせばしり) 帆船が強風にあったとき、船の安全をはかるため、帆を下げ船尾から風をうけて流しながら走ること、
夜走(よばしり) 乗物などで夜間も旅を続けること、
走書(はしりがき) 手早に筆を動かして文字を続けて書くこと、
走読(はしりよみ) 急いでおおざっぱに読むこと、
走星(はしりぼし) 流れ星、
走木(はしりぎ) 攻め寄せてくる敵を防ぐため、高い所から木をすべらせころがすこと、
鼠走(ねずばしり・ねずはしり) 門または出入り口の戸当たりの下部にあるもの(上にあるものは楣(まぐさ)という)、
戸走(とばしり) 「いぼたろう(水蝋蝋)」の異称。塗ると戸がよくすべるところから、
心走(こころばしり) 胸がどきどきすること、
胸走(むねはしり) 胸がどきどきして気持が落ち着かないこと、胸さわぎ、
走舞(はしりまい) もてなし、奔走
走夫婦(はしりみょうと) 正式な結婚をしないで、故郷を駆け落ちして夫婦となったもの、
走元(はしりもと) 流し元、また、台所、
走湯(はしりゆ) 湯が川となっていきおいよく流れるところから、温泉、
走絆(はしりほだし) 馬の前足をつなぎ止める縄、
金走(かねわしり) 金を動かして利殖すること、
遠走(とおばしり) 遠くまで出掛けること、
走船(はしりぶね) 早く走る船。また、櫓を漕いで走る船を押船と呼ぶのに対して、帆走している船をいう、
走櫓・走矢倉(はしりやぐら) 城の防御のための櫓で、弓・鉄砲などを射る際、内部で移動できるように横に長く作ったもの。多聞(たもん)の原形といわれる、
才気走(さいきばしる) いかにも才気がありそうな様子が現われる、
上走る(うわばしる) 物事のうわべばかりで深く究めようとしない、
甲走・癇走(かんばしる) 音声の調子が細く、高く、鋭くひびく、
苦み味走る(にがみばしる) 顔つきに渋みがある、
黄味走る(きみばしる) 黄色みを帯びる、
黒味走る(くろみばしる) 黒みを帯びる、
赤味走る(あかみばしる) 赤みを帯びる、
さらに、「はしる」機能の役職、またその人にも、
使走(つかいはしり・つかいばしり・つかいっぱしり) あちこちに出かけて使いの用事をすること、また、その人、
走下部(はしりしもべ) 走り使いをするしもべ、検非違使庁のしもべなどの称、
粉走(こばしり) 大嘗祭に奉仕する雑色人(ぞうしきにん)の一つ、粉をふるう役目の女。
走衆(はしりしゅう・はしりしゅ) 鎌倉・室町時代、将軍が外出する時、徒歩で随行し、前駆や警護をつとめた者、御走衆、江戸時代の徒組(かちぐみ)の組衆、
走笠(はしりがさ) 室町時代、走衆(はしりしゅう)がかぶった笠、
走付(はしりつき) 徒歩でつき従う身分の低い者、
走り童(はしりわらわ) 徒歩で斎王(いつきのみこ)の車などに従う女童(めのわらわ)、また、寺院などで、住職・高僧などに従う走り使いの児童、
地走(じばしり) 祭のとき土地っ子の練衆(ねりしゅ)が赤紋付の長柄の傘をさしかけて囃子方(はやしかた)とともに歩行してする踊り、また、その踊子。
先走(さきばしり) 武家時代、走衆(はしりしゅう)の傍に添って走り役を勤めたもの。また、徒歩で戦場に出た兵。足軽、
また、「はしり」を先走りの意で、
走穂(はしりほ・はしりぼ) 他に先がけていち早く出はじめた穂
走知恵(はしりぢえ) 早のみこみをして思慮の浅いこと、あさはかな知恵、
走梅雨(はしりづゆ) 五月下旬頃、梅雨に先立ってみられるぐずついた天候、
走汁(はしらかしじる) ざっと煮たたせるだけで手軽にこしらえた汁、
走性(はしりしょう) せっかちな気性、
走物(はしりもの) 初物(はつもの)。魚鳥、穀物、野菜などの、その季節にはじめてできたもの、はしり、
先走(さきばしり) 先に立って走るこ、前ぶれ、
また、「走り」を冠することで、強調する言い方もある。
走打(はしりうつ) 勢いよく打つ、
等々。
「走」(漢音ソウ、呉音ス)の異体字は、
赱、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0)。字源は、
会意文字。「大または夭(人の姿)+疋(あし)」で、人が大の字に手足を広げて、足ではしるさま。間隔をちぢめて歩く、せかせかといくこと、
とある(漢字源)。別に、同趣旨で、
会意文字です(夭+止)。「走る人」の象形と「立ち止まる足」の象形から「はしる」を意味する「走」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji214.html)、
と会意文字とするものもあるが、他は、
初形は走る人を象る象形文字(現在の形の「土」の部分)で、のちに下側に移動を表す「止」を加える。「はしる」を意味する漢語{走 /*tsooʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0)、
象形。人が手を前後に振って、足あとを残しながらはしるさまにかたどる。「はしる」意を表す(角川新字源)、
象形。人が手を振って走る形。〔説文〕二上に「趨(はし)るなり」と訓し、次条の趨に「走るなり」と互訓。字形を「夭止に從ふ」とするが、全体を象形とみてよい。金文や〔詩、周頌、清廟〕にみえる「奔走」は祭祀用語。趨も儀礼の際の歩きかたをいう。わが国では「わしる」という。出幸の先駆を先馬走という(字通)、
と、象形文字としている。ただ、
夭、
字にあてる説は、
『説文解字』では初形の部分を「夭」(体を曲げる)と説明しているが、「夭」とは別字である、
と否定している(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
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妹らがり我(わ)が通ひ道(ぢ)の小竹(しのすすき)我(われ)し通(かよ)はば靡(なび)け小竹原(しのはら)(万葉集)
の、
ら、
は、
接尾語、
とあり、
妹らがり、
は、
あの子のもとへ、
と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
妹がり、
の、
がり、
は、
妹許、
とあて、
親しい女(妻・恋人など)のいるところ、
の意で(広辞苑)、
いもらがり(妹(ら)許)、
は、
妻、恋人の住んでいる所(へ)。妹(いも)のもと(へ)、
の意となる(精選版日本国語大辞典)。
ら、
は、
あそこら(彼処ら)、
と、
代名詞を承けて、場所・方向の意を表す、
とされる接尾語と同じで、たとえば、
あそこ、
と比べると、
あそこら、
は、
「あそこ」よりもやや広い範囲の場所を漠然とさす、
とある(精選版日本国語大辞典)。
妹のいるあたり、
といった含意であろうか。
がり、
は、
ガアリ(処在)の約カリの連濁。一説に「り」は方向の意(広辞苑)、
通説ではガアリの約で、アリは名詞形、居所の意とするが、奈良時代にはアリの下に方向を示す助詞をすべてつけないところを見ると、ガリのリは、本来は、コチ・イヅチのチと同じく、方向の意か(岩波古語辞典)、
「かあ(処在)り」の音変化という(デジタル大辞泉)、
「が‐あり」または「か(処)‐あり」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
處在(かあり)の約、在處(ありか)と同意、其人の居る處、許(もと)、他語につくときは連聲(れんじやう)にて、ガリと濁る(大言海)、
とされ、
ガアリ(処在)、
からきており、
許(もと)、
をあてる所以である。多く、
人を表す名詞や代名詞について、または助詞の「の」を介して、その人のいる所への意を表す(広辞苑)、
…のもと(へ)、…の所(へ)、多くは人を表す名詞・代名詞に格助詞「の」が付いた形に続く(学研全訳古語辞典)、
「行く」「通ふ」「遣る」など移動を示す動詞を伴う、(人を表す名詞・代名詞をうけて)……のところへ、(助詞「の」を介して)(……の)所へ(岩波古語辞典)、
代名詞または人を表わす名詞に付き、その人の許(もと)に、その人の所に、の意を表わす。格助詞「に」や「へ」を伴わないで、移動の意を含む動詞に直接に続く。この用法から変化して、人を表わす名詞に、格助詞「の」を介して付き、その人の許(もと)に、その人のいる所に、の意を表わす。形式名詞のように使われるようになったもの(精選版日本国語大辞典)、
という使い方をする。冒頭の歌が、名詞につく形で、
這ひ起きて約束の僧のがりゆきて、物をうち食ひてまかり出でけるほどに(宇治拾遺物語)、
と、助詞「の」がつく形でも用いられる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。これは、
上代では「がり」は接尾語の用法のみであったが、中古になると接尾語から変化した名詞の用法が生じた故、
と考えられる。接尾語とみる説もあるが、格助詞「の」を伴った連体修飾語によって修飾されているところから名詞ととらえる方が自然であろう(学研全訳古語辞典)とある。
「許」(漢音キョ、呉音コ)は、「許多(ここだ)く」で触れたように、
会意兼形声。午(ゴ)は、上下に動かしてつくきね(杵)を描いた象形文字。許は「言(いう)+音符午」で、上下にずれや幅をもたせて、まあこれでよしといってゆるすこと、
とある(漢字源)が、同じく、
会意兼形声文字です(言+午)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「きね(餅つき・脱穀に使用する道具)の形をした神体」の象形から、神に祈って、「ゆるされる」、「ゆるす」を意味する「許」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji784.html)、
と、会意兼形声文字とする解釈もあるが、他は、
形声。言と、音符午(ゴ)→(キヨ)とから成る。相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す(角川新字源)
形声。「言」+音符「午 /*NGA/」。「ゆるす」を意味する漢語{許 /*hngaaʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%B1)、
形声。言と、音符午(ゴ)→(キヨ)とから成る。相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す(角川新字源)
形声。声符は午(ご)。午に(御)(ぎよ)の声がある。〔説文〕三上に「聽(ゆる)すなり」とあり、聴許する意。〔書、金〕は、周公が武王の疾に代わることを祖霊に祈る文で、「爾(なんぢ)の、我に許さば、我は其れ璧と珪とを以て、歸りて爾の命を俟(ま)たん」とあり、また金文の〔毛公鼎〕に「上下の若否(諾否)を四方に虢許(くわくきよ)(明らかに)せよ」というのも、神意についていう。金文の字形に、午の下に祝詞の器の形であるᗨ(さい)を加えるものがあり、午は杵形の呪器。これを以て祈り、神がその祝禱を認めることを許という。邪悪を禦(ふせ)ぐ禦の初文は御、その最も古い字形は午+卩に作り、午を以て拝する形である。午を以て祈り、神がこれに聴くことを許という(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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山の際(ま)に渡るあきさの行(ゆ)きて居むその川の瀬に波立なゆめ(万葉集)
の、
あきさ、
は、
あいさ、
のことで、
鴨に似る小さい鳥、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
アイサ、
は、
秋沙、
とあて、
アイサガモの古名、
とある(岩波古語辞典)が、
アイサ、
の古名は、
アキサ、
とする説(大言海)もある。江戸後期『玉勝閨x(本居宣長)には、
あいさト云フ一も種アリ、……萬葉集ニあきさトアル、此物也、
とある、
カモ目カモ科アイサ属に属する鳥、
の総称で、
他のカモよりくちばしが長く、先が鉤形に曲がり縁に鋸歯(きょし)状のきざみ目がある類称、
とされ(精選版日本国語大辞典)、世界中に7種が知られており、日本には、
ウミアイサ、
カワアイサ、
ミコアイサ、
の三種が分布している(世界大百科事典)。
その名の由来は、
「秋沙(あきさ)、」がなまったとされています。「秋」は季節の「秋」ですが、「沙」は「早い」を意味する説と「去る」を意味する説の2つがあります。前者は「秋早鴨(秋早くに渡ってくる鴨)」、後者は「秋去鴨(晩秋〜初冬に渡って来る鴨)」とみなせます。西宮(阪神間)での観察では、後者の方が実態に合っている感じがします(https://nisinomiyasizen.jimdofree.com/)、
とあるが、
秋早鴨(あきさがも)の音便、「あいさかも」の略、和訓栞、あいさ「秋早く出づるを以て、名を得しなるべし」(大言海・和訓栞)、
秋早く渡ってくる鴨、「秋早(あきさ)鴨」の意(岩波古語辞典)、
アキサの音韻変化(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
アキサ(秋頃)の意、サは間の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
と、多くは、
秋早鴨(あきさがも)、
としている。
カワアイサ(M.merganser)、
は、
全長約65センチメートル、北半球に広く分布し、おもに湖に冬季渡来し、阿寒湖では繁殖例がある。雄の頭部は緑黒色で、後頭部が大きいが羽冠にはならない。下面は白色で脂肪性のピンク色を帯び、背は黒く肩羽の内側は白い。雌は頭部が褐色で、後頭部は羽冠をなす。体は灰褐色で、嘴と足は赤い、
ウミアイサ(M.serrator)、
は、
全長、雄は約59cm、雌は約52cm。ユーラシア大陸および北アメリカの亜寒帯〜寒帯で繁殖し、冬には北半球の温帯地方へ渡る。日本では冬鳥として渡来し、海岸で見られる。漢字では「海秋沙」。頭部やくちばしの形がユニークで、愛嬌のある姿をしています。オス(奥の2羽)はカラフルで、頭は緑色、長めの冠毛があります、
ミコアイサ(M.albellus)、
は、
全長、雄は約44cm、雌は約38cmと、もっとも小形で、雄は白色で胸側などに黒線があり、雌の頭部は褐色、体は灰褐色である。北海道では繁殖例が知られる。漢字では「巫女秋沙」。オスの白い体に黒の筋模様が走る姿を、白装束の巫女に見立てて名づけられました。メス(奥)は、頭が茶色で別種のカモのようです。オスは目の周りが黒色でパンダにそっくりで、最近ではパンダガモと呼んで親しまれています、
等々とある(https://nisinomiyasizen.jimdofree.com/・日本大百科全書・世界大百科事典)。
「秋」(漢音シュウ、呉音シュ)の異体字は、
秌(本字)、穐、鞦(繁体字/別字衝突)、鞧、龝、𤇕(別字衝突)、𤇫、𥣨、𥤚(古字)、𦂏、𧇸、𪔁、𪚰(古字)、𪚼(古字)、𪛁(本字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B)。字源は、
会意文字。もと「禾(作物)+束(たばねる)」の会意文字で、作物を集めてたばねおさめること。穐は「禾(作物)+龜+火」で、亀(かめ)を火でかわかすと収縮するように、作物を火や太陽でかわかして収縮させることを示す。収縮する意を含む、
とある(漢字源)が、同じく、
会意。正字は禾+𪚰に作り、禾(か)+龜(亀)+火。龜は穀につく虫の形。〔説文〕七上に「禾穀熟するなり」とあり、秋の収穫時をいう。字を𪚰(しょう)の省声とするが、𪚰は亀卜の焦灼の字で、焦の音でよむ。卜文に、秋に虫害をなすものを焚く形の字があり、おそらく秋と関係ある字であろう。卜文に四季の名を確かめうる資料はない。〔書、盤庚上〕に秋を稔りの意に用いる。豊凶を定める重要な時であるから、「危急存亡の秋(とき)」のように用いる。秋は禾+𪚰の字形から、その螟螣(めいとく)(ずいむしと、はくいむし)などの形を除いた字形であろう(字通)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
会意兼形声文字です(禾+火+龜)。「穂の先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味)と「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「かめ」の象形(「亀(かめ)」の意味)から、カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が「あき」だった事と、穀物の収穫時期が「あき」だった事から「あき」を意味する「秋」という漢字が成り立ちました。「カメ」の部分は漢字の簡略化の為、のちになくなりました(https://okjiten.jp/kanji92.html)、
と、会意兼形声文字とし、ばらばらである。ただ、上記の各説の、
「𪛁」や「龝」に含まれる「龜」は「𬟏」に由来し、「かめ」を意味する「龜」とは関係がない、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B)、
象形。原字は「𬟏」で、秋に発生する害虫の一種を象る。のち「火」を加えて「𪚰」の字形となり、「禾」を加えて「𪛁」の字形となり、「𬟏」が省略されて「秋」の字形となる。「あき」を意味する漢語{秋
/*tsʰiu/}を表す字(仝上)、
と、象形文字しているもの、同じ趣旨ながら、
形声。禾と、𪚰音符(セウ)→(シウ)(龜・火は省略形)とから成る。いねの実りを集める、ひいて、その時期「あき」の意を表す(角川新字源)、
と、形声文字としているものがある。
「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、
会意文字。「水+少(ちいさい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、
とある(漢字源)。同じく、
会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2096.html)、
と、会意文字とするものもあるが、他は、
形声。「水」+音符「少 /*SAI/」。「すな」を意味する漢語{沙 /*srˤai/}を表す字。もと「少」が{沙}を表す字であったが、「水」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B2%99)、
形声。声符は少(しょう)。少に紗(さ)の声がある。少は小さな砂模様の形。砂浜の砂を沙、その粗なるものを砂という。〔説文〕十一上に「水の散らせる石なり」とあり、汀の砂をいう(字通)、
と、形声文字とするもの、
象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す(角川新字源)
と、象形文字とするものとに分かれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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年月(としつき)もいまだ経(へ)なくに明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)渡しし石橋(いしばし)もなし(万葉集)
の、
石橋、
は、
川を渡るための飛び石、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
中国浙江省天台県の天台山にあった、
せっきょう、
しゃっきょう、
と訓ませる。
石橋、
については触れた。
石橋、
は、
岩橋、
とも当て(精選版日本国語大辞典)、
いしばし、
と訓めば、文字通り、
石で作った橋、
の意だが、
いはばし(いわばし)、
と訓ませると、
川の浅瀬に飛石を並べて渡るようにしたもの(広辞苑)、
石を飛び飛びに置いて、伝っていくようにしたもの(デジタル大辞泉)、
川の浅瀬に石を並べて、それを踏んで渡るようにしたもの(精選版日本国語大辞典)、
をいい、いわゆる、
川の中の踏み石、
石(いし)並み、
飛び石、
あるいは、
澤飛(さはとび)、
磯飛(いそとび)、
のことで(仝上・大言海)、
これをも、
いしばし、
とも訓ませる(広辞苑)。
うつせみの人目(ひとめ)を繁(しげ)み石走(いはばし 石橋)の間近(まちか)き君に恋ひわたるかも(万葉集)、
と、
岩橋(いわはしの・いしばしの)の、
は、
飛び石と飛び石との間(デジタル大辞泉)、
石橋に竝みたる、石と石との間(大言海)、
という意から、
「間(ま)」「近し」「遠し」「竝み」にかかる枕詞、
として使われる(仝上・デジタル大辞泉)。
葛木(かづらき)や久米路(くめぢ)にわたすいはばしの中々にても帰りぬるかな(後撰和歌集)、
の、
いわばし、
は、
久米路の橋、
で触れた、
久米の岩橋、
のことで、
久米路の橋、
葛城の久米の岩橋、
ともいい、
葛城山の東、高市郡に、久米郷、久米川あり、
とあり(大言海)、
大和国の歌枕、
で、「日本霊異記」、「今昔物語集」にある、
役(えん)の行者が葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)に命じて、葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に架けさせようとしたが、醜貎を恥じた神が夜しか働かなかったので完成しなかったという伝説の橋、
である(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。後撰集にある、
葛城や久米路の橋にあらばこそ思ふ心を中空にせめ(読人しらず)、
も似た発想であるが、
架橋の工事が中断した、
という伝説から、多く、
男女の仲の成就しないたとえ、
として使われる(岩波古語辞典)。
「石」(漢音セキ、呉音ジャク、慣用シャク・コク)は、「石橋(せききょう)」で触れたように、
象形。崖の下に口型のいしのあるさまをえがいたもの、
とある(漢字源)。別に、
象形。厂(かん がけ)の下にあるいしの形にかたどり、「いし」の意を表す(角川新字源)、
ともあり、また、
会意。厂(かん)+口。厂は崖岸の象。口は卜文・金文の字形によるとᗨ(さい)に作り、祝禱を収める器の形。〔説文〕九下に「山石なり。厂の下に在り。口は象形なり」と口を石塊の形とするが、嚴(厳)・巖(巌)の従うところもの形であり、嚴は敢(鬯酌(ちようしやく)の形)に従っており、儀礼を示す字である。宕(とう)は廟、祏(せき)は祭卓の示の形に従い、宗廟の主、いわゆる郊宗石室の神主である。啓母石の神話をはじめ、石に対する古代の信仰を伝える資料が多い(字通)、
と会意文字とする説もあるが、いずれも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、
「口」をいしの象形として「厂」を崖と解釈している、
のによっている。しかし、
甲骨文字の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%B3)、
象形。「厂」の部分が原字で、いしの形を象る。のち羨符「口」を加えて「石」の字体となる。「いし」を意味する漢語{石
/*dak/}を表す字、
とする(仝上)。なお、
石橋(せつけう)、
つまり、
石造の橋、
には、志怪小説『述異記』(じゅついき 南朝斉の祖沖之選)に載る、
秦の始皇、石橋を海上に作り、海を過(よぎ)り、日の出づる處を観んと欲す。神人り、石を駈(か)る。去(ゆ)くこと速からず。神人之れを鞭(むち)うち、皆流血す。今石橋、其の色猶ほ赤し(字通)、
もある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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琴(こと)取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に妻やこもれる(万葉集)
の、
琴、
は、
倭琴(やまとこと)、
のことで、通常、
和琴(わごん)、
といい、
日本の弦楽器、
で、
形は筝(こと)に似て、本の方が狭く、六絃、右手に爪(琴軋(ことさき 長さ7センチほどの鼈甲製の撥)を持って掻き鳴らし、左手は指先ではじく、
とあり(岩波古語辞典・大辞林)、色葉字類抄(平安末期)には、
倭琴、ワコン、
とある。
胴は桐製で全長190p前後、幅は本(もと 頭部)が約15cm、末(すえ 尾部)が約24cmであるが、古代のものははるかに小型。琴柱(ことじ)は楓の二股の小枝をそのまま利用、
とあり(広辞苑)、
尾端に櫛の歯型の切れ込みが 5ヵ所あり、それによって生じた6部分に分かれた凸部を、
弰頭(はずがしら)、
という。それより中央寄りに通弦孔が6個あり、本につけた横木にも通弦孔が6個ある。弰頭にかけた葦津緒(あしづお 白、黄、浅黄、薄萌葱の
4色のより糸)に弦を連結する、
もので(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典)、日本固有の楽器とされ、宮廷などで神楽(かぐら)歌・東遊(あずまあそび)・久米歌・大歌などの伴奏に用いる(仝上)。
東琴(あずづまごと)、
大和琴(やまとごと)、
六弦琴、
ともいう(仝上)。
筝(こと)、
については、
篳篥(ひちりき)、
で触れたが、
箏の琴(しやうのこと)、
とよばれ(シヤウは呉音、サウノコトとも)、
十三絃琴、
である(岩波古語辞典)。「琴(きん)」の字を当てることもあるが、
箏、
は、
琴、
とは別の楽器で、最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く、弦を押さえる場所で音程を決める、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8F)。雅楽で用いる、
筝、
は、
楽箏(「がくごと」または「がくそう」)、
呼ばれ(仝上)、枕草子、源氏物語、平家物語等では、
そう(箏)、
そう(箏)のこと、
きん(琴)のこと、
わごと(和琴)のこと、
などと呼ばれていた(仝上)。
下樋(したび)、
は、
したひ、
とも訓ませ、
琴の下樋、
というと、
琴の表板と裏板の間の空洞部、
を言い(精選版日本国語大辞典)、
霊魂がこもる場所、
といわれた(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。
下樋、
は、
水鳥(みづとり)の鴨(かも)の棲(す)む池(いけ)の下樋(したび)なみいぶせき君を今日見つるかも(万葉集)
では、
池の排水のために、(地中に)木や石で組んだ通水路のこと、
として詠われ、
鴨(かも)の棲(す)む池(いけ)の下樋(したび)が無いように、気持ちを流し去ることができなくて不安でどうしようもなかったのですけど、そんな風に想っていたあなたに今日お会いできました、
と注釈される(学研全訳古語辞典)。この、
下樋、
は、
地中に設けた樋(とい)、
つまり、
暗渠、
の謂いで、だから、
うづみひ(埋ひ樋)、
埋(うづ)み樋(とひ)、
ともいう(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。
山田を作り、山高み、斯多備(したび)を走(わ)しせ(古事記)、
と、
暗渠、
のメタファとして、
琴の下樋、
という言い方が生まれたものだろう。
「樋」(漢音トウ、呉音ツウ)は、
会意兼形声。「木+音符通(トウ つきぬける)」、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です(木+通)。「大地を覆う木」の象形と「立ち止まる足の象形と十字路の象形(「行く」の意味)と甬鐘(ようしょう)という筒形の柄のついた鐘の象形(「筒のように中が空洞である」の意味)」(つつのように空洞で障害物がなく、よく「とおる」の意味)から「水を通す木、とい」を意味する「樋」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2534.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「木」+音符「通」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%8B)、
形声。木と、音符通(トウ)とから成る(角川新字源)
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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神さぶる岩根(いわね)こごしきみ吉野の水分山(みくまりやま)を見れば悲しも(万葉集)
岩が根のこごしき山に入りそめて山なつかしみ出(い)でかてぬかも(仝上)
の、
水分山、
は、
吉野水分神社のある山、
岩が根のこごしき山に入りそめて、
は、
高貴な女を恋いそめた意、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
こごし
は、
凝し、
とあて(広辞苑・岩波古語辞典)、あるいは、
磊嵬、
とも当てる(大言海)。漢字、
磊嵬(かいらい)、
は、
高く険しいさま、
をいう(字通)。
こごし、
は、
(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、
の、形容詞シク活用で、
凝り固まってごつごつしている、(岩が)ごつごつと重なって険しい(学研全訳古語辞典)、
山道などで、岩がごつごつと重なって険しい(精選版日本国語大辞典)、
凝り固まっている、ごつごつしている、険しい(岩波古語辞典・広辞苑)、
と、微妙に含意が異なるが、
凝り固まっている→ごつごつしている→けわしい、
といった、意味の外延の拡大とみることができる。
こごゆ(凍)・こごる(凝)と同根(岩波古語辞典)、
コゴは凝凝(こご)の義と云ふ、凝るの語根を重ねたる語(大言海)、
コゴ(凝々)の義で、コリ(凝)の語根コを重ねたもの、シは形容語尾(万葉集類林・日本古語大辞典=松岡静雄)、
動詞コゴルの形容詞形、コゴは曲・屈の義のクグ(ム)に由来する(続上代特殊仮名音義=森重敏)
等々とあるが、
こごゆ(凍)、
は、
寒さで身体の各部分が固くなる、
意で(岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
凍、コホル・コホリ・コル・サムシ・サユ・ココヒタリ・シミナ・コイタリ、
字鏡(平安後期頃)に、
凍、コル・コホリ・シシム・サムシ・コヒタリ・ツチノハジメテコホル、
とあり、
凍(こ)い凍(こ)ゆと重ねて、強めたる語、
となる(大言海)。
凍結、
とあてる、
こごる、
は、
凝る、
凍る、
と当て(岩波古語辞典)、
凍(こ)い凝るの義(大言海)、
コイコル(寒凝)の義(和訓栞)
語幹コゴは曲・屈の義のクグ(ム)に由来する(続上代特殊仮名音義=森重敏)
コゴユ・コゴシ(凝)と同根(岩波古語辞典)、
とある。
こごし、
こごる、
のもととなる、
こる、
は、
凝る、
凍る、
とも当て(学研全訳古語辞典)、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、自動詞ラ行四段活用で、
液体など、流動性をもって定まらないものが、寄り固まって一体となる、
意で(岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)には、
凝、コル・ヨル・ココル・コラス・ナル・トドム・サダム・サダマル、
字鏡(平安後期頃)には、
凝、トドム・コル・タカシ・コホリ・シヅカ・カタシ・コラス・ナスラフ・トドコホル・ココル・サダマル、
とある。
固まる、
という意味で、
凍る、
も、
凝る、
も、漢字をあてはめない以前は、共通して、
こる、
であり、それが、
こごし、
こごる、
こごゆ、
等々に変化したとみることができる。
「凝」(ギョウ)は、
会意兼形声。疑の左側は矣(アイ・イ)のもとの形。「子+止(あし)+音符矣(人が後ろを振り返って止まるさま)」の会意文字で、わが子に心が引かれて止まるさまを示す。凝は「冫(こおり)+音符疑」。氷がひと所にじっと封じ固まるように、止まって動かない意をあらわす、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(冫+疑)。「氷」の象形と「十字路の左半分の象形と人が頭をあげ思いをこらしてじっと立つ象形と角のある牛の象形と立ち止まる足の象形」(「人が分かれ道に立ち止まって、のろま牛のようになる」の意味⦆から、「水がこおる」、「かたまる」を意味する「凝」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1593.html)、
と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、
形声。「冫」+音符「疑 /*NGƏ/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%87%9D)、
形声。冫と、音符疑(ギ)→(ギヨウ)とから成る。氷がこりかたまる意を表す(角川新字源)、
形声。声符は疑(ぎ)。疑は人が顧みて凝然として立つ形。〔説文〕十一下に凝を冰の俗字とし、「水堅きなり。人+人(氷)に從ひ、水に從ふ。凝、俗に冰は疑に從ふ」とするが、凝・冰(氷)は声義ともに一字とはしがたい。〔玉篇〕に両字を別の字としており、漢碑にも用い方に分別がある(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)上へ
すめろきの神の宮人(みやひと)ところづらいやとこしくに我(わ)れかへり見む(万葉集)
の、
ところづら、
は、
やまいもの一種、
とあり、
ところの蔓、
で、ここでは、
「いやとこしくに」の枕詞、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
ところづら、
は、
野老葛、
冬薯蕷葛、
薢葛、
などとあて(広辞苑・岩波古語辞典)、
トコロの古名、
とある(仝上)が、
おにどころ(鬼野老)の古名、
ともある(精選版日本国語大辞典)。
なづきの田の稲幹(いながら)に稲幹に這ひ廻(もとほ)ろふ登許呂豆良(トコロヅラ)(古事記)、
とあるように、多く、後述するように、
オニドコロ、
を指すことがある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD)ようである。
ところ、
は、
野老、
とあて、
ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属 (Dioscorea)の蔓性多年草の一群、
を指し(仝上)、
原野に自生。葉は心臓形で先がとがり、互生する。雌雄異株。夏、淡緑色の小花を穂状につける、
とある(デジタル大辞泉)。
春旧根より苗を生じ、蔓、甚だ長く延ぶ。葉は互生して、楕円形にして尖り、たてすぢのみにして、やまいも(薯諸)の葉に似て大なり。根も相似たり、蒸せば黄色となり、髭ありて白く、味甘く、少し薟(えぐ)し。萆薢、又、鬼野老(おにどころ)あり、
とあり(大言海)、「〜ドコロ」と呼ばれる多くの種があるが、特に、
オニドコロ、
を指すことがある(仝上)とある。和名類聚抄(931〜38年)に、
薢、土古呂、俗用艹+宅字、用野老二字、
字鏡(平安後期頃)に、
薢、止己呂、
天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、
艹+宅、止古呂、
『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
薢、止己呂、萆薢、
等々とあり、出雲風土記に、
そのわたりの山に掘れる葛根(くずのね)・薯蕷(やまついも)・萆薢(ところ)、
とあるように、ヤマイモによく似た野生植物で食用になり、古くは、
トコロヅラ、
中古に、
トコロと呼ばれるようになった(精選版日本国語大辞典)。ただ、
ヤマノイモなどと同属だが、根は食用に適さない。ただし、灰汁抜きをすれば食べられる。トゲドコロは広く熱帯地域で栽培され、主食となっている地域もある。日本でも江戸時代にはオニドコロ(またはヒメドコロ)の栽培品種のエドドコロが栽培されていた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD)。
苦みがあるので、生食にもとろろにも適さず、焼いて食べるのが一般的、
とあり、
ゆでててい水にさらしてから、煮物にしたり、飯に炊き込んだり、飴の材料として菓子にもちいたりした、
ともある(日本語源大辞典)。
野老、
とあてるのは、
根茎にひげ根が多い、
ため、その、
髭根を老人の髭に見立て、
て、
野老(やろう)、
とよび、正月の飾りに用い長寿を祝う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。
海老にたいして野老、
つま、
ノノオキナ(野老)、
とも呼ばれた(仝上)。この芋が、
きわめて長いので長命を連想させ、毎年掘り出す普通の芋に対し長く土中においておくほど大きくなるところから、年をとるほど栄える縁起物、
として正月飾りに用いられた(仝上・日本語源大辞典)。
野老、
とあてたのは上記の通り、
根に髭多し、故に、野老の字を用ゐる(大言海)、
のだが、もともとの、
ところ、
の由来には、諸説ある。
イトコリ(最凝)の義(日本語原学=林甕臣)、
根にかたまりができるところからトコリ(凝)の義、トはトダエ、トギレなどのトと同語(名言通)、
トロリとコ(凝)った汁になり、コロコロとしているところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
トケヲ(解麻)の義(言元梯)、
トキ(解)またはトロク(蕩)の転(日本語源=賀茂百樹)、
古語ト(解)クルの転訛(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、
と諸説あるが、語呂合わせに過ぎてはっきりしない。古く、
トコロヅラ、
と言っていたところをみると、
蔓、
とかかわるのだろうとは思うが、はっきりしない。ちなみに、多く「ところ」にあてられる、
鬼野老(おにどころ)、
は、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
萆薢、於爾止古呂、
とあり、一名、
きどころ、
山萆薢、
ながどころ、
とあり(大言海)、
ヤマノイモ科のつる性多年草。各地の山野に生える。地下茎は長くはい、分枝する。地上茎は長さ数メートルに伸びる。葉は互生の心臓形で先がとがり長さ約一二センチメートル、幅約一〇センチメートルで長い柄がある。雌雄異株。夏、葉腋(ようえき)から長く伸びる花穂を出し、黄緑色の小花をつける。雄花序は分枝し、上を向くが、雌花序は分枝せず下垂する。果実は三枚のはねがあり、垂れ下がった花穂に上向きにつく。同類にキクバドコロ、タチドコロ、ヒメドコロなどがある、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
ひげ根のついた根茎を、老人のひげにたとえ長寿を祝うため正月の飾りに用いる、
とある(仝上)。ただ、漢名を当てた、
山萆薢、
は誤用とある(仝上)。多く、
ところづら、
とされる。なお、トコロのつく、
ハシリドコロ、
は有毒で、
トコロと名が付いているが、ヤマノイモ属ではなくナス目ナス科ハシリドコロ属である、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD)。
「野」(@漢音呉音ヤ、A漢音ショ、呉音ジョ)の異体字は、
㙒、埜(古字)、墅(いなかおの意)、𡌛(俗字)、𤝉(同字)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)。字源は、
会意兼形声。予は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、のはらのこと、古字の埜(ヤ)は、「林+土」の会意文字、
とある(漢字源)。なお、「野原」「原野」「在野」「野生」「野心」など「ひろくのびた大地」の意、およびそれをメタファにした意味の場合は、@の音、「別野(別墅)」のように、田舎の家、畑の中の小屋の意の場合Aの音となる(仝上)。同じく、
会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちましたまた、「埜」は、会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji115.html)、
と、会意兼形声文字とするものも、
形声。声符は予(よ)。〔説文〕十三下に「郊外なり」とあり、重文として埜+予を録する。埜に予(よ)声を加えた字である。卜文に埜の字がみえ、金文の〔大克鼎〕に地名に用いる。里は田土に従って、田社の意。埜は林社、叢林の社を意味する字である。都に対して鄙野・樸野、官に対しては在野という(字通)、
形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、
と形声文字とするものも、
「里」+「予」、
と分析しているが、これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、この『説文解字』説の、
「里」+「予」との分析は、誤った分析である、
とし、
原字「埜」は会意文字、「林」+「土」。これに音符「予
/*LA/」を加えて「𡐨」の字体となった後、「林」の代わりに「田」を加えて「㙒」→「野」の字体となる。「の」「平原」を意味する漢語{野 /*laʔ/}を表す字、
として、
「土」と「田」は異なる時代に個別に加えられたものとする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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名児(なご)の海の朝明(あさけ)のなごり今日(けふ)もかも磯の浦みに乱れてあるらむ(万葉集)
の、
名児、
は、
所在不明、
とあり、
なごり、
は、
波凝り、
で、
潮だまり、
の意、
乱れてある、
は、
無秩序にあちこちにあるさま、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
なごり、
は、ふつう、
余波、
と書く(精選版日本国語大辞典)とあり、その由来は、
ナミ(波)ノコリ(残)の約という(広辞苑・デジタル大辞泉)、
ナミ(波)ノコリ(残)の約という。波のひいたのち、なお残るもの。さらに、あることの過ぎ去ったのちまでも尾を引く物事や感情の意(岩波古語辞典)、
波残(なみのこり)の変化したものといわれる(精選版日本国語大辞典)、
波残りの約と云ふ(大言海)、
波残りの義(日本釈名・和訓考・和訓栞・柴門和語類集)、
ナコリ(波滞)の義(言元梯)、
ナリノコリ(形残)の義(日本語原学=林甕臣)、
ナリノコリ(成残)から(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ナノコリ(馴残)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
ナガヲリ(長居)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、
動詞ナガル(流)の四段活用連用形名詞法ナガリから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
等々とあるが、その原意は、
風しも吹けば名己利(なコリ)しも立てれば水底霧(みなぞこき)りてはれその珠見えず(催馬楽(7C後〜8C))、
とある、
風が吹き海が荒れたあと、風がおさまっても、その後しばらく波が立っていること。また、その波、
つまり、
なごりなみ、
なごろ、
の意で、
あなし吹く浦のなごろは高けれど月はのどかに澄みわたりけり(殿上蔵人歌合)、
と、
なごろ、
は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、
波、ナゴロ、
とあり、
ナゴリの転、
で、やはり、
余波、
とあて(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
なぐら、
なぐれ、
なぐろ、
とも訛り、それが、意味を転じて、
難波潟潮干の名凝(なごり)飽くまでに人の見む児を吾(われ)し羨(とも)しも(万葉集)、
と、
浜、磯などに打ち寄せた波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水、
をいい、さらに転じて、
汐干たる後、磯の石閨A洲崎のくぼみなどに、波に遅れて残り居る、こち、きす、かれひ、ひらめ、などのやうの、沙に伏す魚、海藻類、
もいうようになる(精選版日本国語大辞典・大言海・岩波古語辞典)。この、
余波、
の意味をメタファにして、さらに転じて、
夕されば君来まさむと待ちし夜の名凝(なごり)そ今も寝(い)ねかてにする(万葉集)、
と、
ある事柄が起こり、その事がすでに過ぎ去ってしまったあと、なおその気配・影響が残っていること、
の意の、
余韻、
余情、
の意で使い、この場合、
名残(り)、
とあてる(精選版日本国語大辞典・大言海)。この意味のバリエーションは多く、
かくおびただしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その名残しばしは絶えず(方丈記)、
は、
余震、
の意、
いと重くわづらひ給つれど、ことなるなごり残らず、おこたるさまに見え給(源氏物語)
では、
病気・出産などのあと、身体に残る影響。
の意、
いかなればかつがつ物を思ふらむなごりもなくぞ我は悲しき(大和物語)、
では、
物事の残り、もれ残ること、遺漏、
の意、
守(かみ)も、なくなりにしかば、やもめなれども、女(むすめ)どもあまた、ひろき家にすみみちて、うちうちは、なほそのなごりゆるるかにてある人なれば(浜松中納言物語)、
では、
あとに残していった物や資産、形見、
の意、
よべ入りし戸口より出でて、ふし給へれど、まどろまれず。なごり恋しくて……帰らむことも、物憂くおぼえ給(源氏物語)、
では、
人と別れるのを惜しむこと。また、その気持、また、人と別れたあと、心に、そのおもかげなどが残って、忘れられないこと、
の意で、
かたじけなくとも、昔の御名残におぼしなずらへて、気遠からずもてなさせ給はばなむ、本意なる心地すべき(源氏物語)、
では、
子孫、
の意、
なれなれてみしはなごりの春ぞともなどしら河の花の下かげ(新古今和歌集)、
では、
これで最後だという別れの時、
の意で使われている(精選版日本国語大辞典・大言海・岩波古語辞典)。今日も使う、
名残惜しい、
は、
匂ひけん盛りはみねど菊の花名残おしくも思ほゆるかな(古今和歌六帖)、
と、
過ぎ去る物事に心ひかれ、長くとどめたい、
また、
別離がつらく心残りである、
意で使い(仝上)、
名残を惜しむ、
は、
君にあひてなごりををしむけふしまたしばしとまらであきもいぬめり(「林下集(1179頃か)」)、
と、
別れがつらく、惜しいと思う、
意となる(仝上)。なお、
名残の袖、
というと、
わかれけんなこりのそでもかはかぬにおきやそふらむあきのしらつゆ(「大弍三位集(1082頃)」)、
と、
別れの心残りを惜しむことのたとえ、
としていい、
なごりのたもと、
ともいう(仝上)。
「余」(ヨ)の異体字は、
餘(旧字体/被代用字)、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%99)、
餘、
の異体字は、
余(新字体/簡体字/代用字)、
となる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A4%98)。
「余」の字源は、
会意文字。余は「スコップで土を押し広げるさま+八印(分散させる)」で、舒(ジョ のばす、ゆっり)の原字。ゆったりとのばし広げる意を含む。余・予をわれの意に用いるのは当て字であり、原意には関係がない、
とある(漢字源)が、他は、
象形。取っ手のついた刃物又は農具を象る。農具で土を押し退けること。「舒」の原字。「除」は土を押し退けること。自称に用いたのは音を借りたもの。又、押し退けられた土から「あまり」という意味にもなった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%99)、
象形文字です。「先の鋭い除草具」の象形から、「自由にのびる」を意味する「余」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「我(われ)」の意味にも用いるようになりました(https://okjiten.jp/kanji796.html)、
象形。柱で支えた屋根の形にかたどる。借りて、おもに、一人称単数代名詞「われ」の意に用いる(角川新字源)
とある
と、象形文字としている。
「餘」(ヨ)の字源は、
会意兼形声。餘は「食+音符余(ヨ)」で、食物がゆったりとゆとりのある意を示す。ゆとりがあることから、あまってはみでる意、
とある(漢字源)。同じく、
会意兼形声文字です(食+余)。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした象形」(「食べ物」の意味⦆と「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる、豊か」の意味)から「食物が余る」、「豊か」を意味する「餘」という(https://okjiten.jp/kanji796.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「食」+音符「余 /*LA/」。「食べ残し」「あまり」を意味する漢語{餘 /*la/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A4%98)、
形声。旧字は餘に作り、余(よ)声。〔説文〕五下に「饒(おほ)きなり」とあり、前条に「饒(ぜう)はくなり」とあって、食余をいう。すべて残余・余意の存する状態をいう。一人称の余とは別の字であるが、いま余の字を餘の常用漢字として用いる(字通)、
形声。意符食と、音符余(ヨ)とから成る。食物がありあまる、ひいて「あまる」意を表す。教育用漢字は、俗に餘の略字として余を用いたものによる(角川新字源)、
と、形声文字としている。なお、「波」は、
老いなみ、
で触れた。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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住吉(すみのえ)の遠里小野(とおさとおの)の真榛(まはり)もち摺れる衣(ころも)の盛(さか)り過ぎゆく(万葉集)
の、
住吉(すみのえ)の遠里小野、
は、
住吉、
は、
摂津国(今の大阪市南部の住吉区あたり)、
で、
遠里小野、
住吉南方の地、
とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、
真榛(まはり)、
は、
はんの木、
を言い、
マは完全を示す接頭語、
とあり(仝上)、つまりは、
榛(はり)の美称、
で(広辞苑)、
はんの木の実や皮を染料にした、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。だから、
盛(さか)り過ぎゆく、
は、
色の盛りが褪せてゆく、
という意になる(仝上)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、
榛、ハシバミ・ハジカミ・トネリコ・オドロ/榛子、ハシバミ、
とあり、新字鏡集(鎌倉時代)に、
榛、波自加弥(はじかみ)、
とある。
榛(はり)、
は、
はんの木の異称(岩波古語辞典)、
はんの木の古名(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD)、
とあり、
はん(榛)の木、
は、
はりの木(榛木)の音便、
である(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD)。
ハンノキ、
は、
カバノキ科ハンノキ属の落葉高木。各地の山野の湿った所に生え、水田の畔に植えて稲掛け用としたり、護岸用に川岸に植えたりする。高さ一五メートル、径六〇センチメートルに達する。葉は有柄で長さ五〜一三センチメートルの長楕円形。縁に細鋸歯(きょし)がある。雌雄同株。早春、葉に先だって開花する。雄花穂は黒褐色の円柱形で尾状に垂れ、雌花穂は楕円形で紅紫色を帯び雄花穂の下部につく。果実は小さな松かさ状。樹皮・果実を古くは染料に用いた。材は薪炭・建築・器具用、
とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。
はんの木、
にあてる、
榛、
は、
ハシバミ、
の漢名。これを、ハンノキに用いるのは日本独自の用法である(仝上)。また、
はんの木、
の漢名として、
赤楊、
とも当てる(字源)が、これは誤用とされる(仝上・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、
ハシバミ、
は、
カバノキ科の落葉低木。北海道、本州、九州の日当たりのよい山野に生え、ヨーロッパでは果実を食用にするため近縁種を栽培している。高さ三〜五メートル。葉はほぼ円形で先が急にとがり長さ約一〇センチメートル、縁に浅い欠刻があり、さらに細かい鋸歯(きょし)がある。雌雄同株。春、葉に先だって枝先に黄褐色の雄花を尾状花序に密生し、その下部に紅色の雌花を上向きにつける。果実は球形で堅く下部は葉状の二枚の総苞につつまれる、
とある(仝上)。この漢名が、
榛(シン)、
である。
ハンノキ、
の、
樹皮・果実を古くは染料に用いた、
とされるが、
蓁揩(ハリスリ)の御衣三具(よそひ)(日本書紀)、
とある、
蓁揩(ハリスリ)、
は、
模様を陽刻した型木に榛木(はんのき)の果実から採った染料をつけて麻布の上に押捺したもの、
をいい、
はりのきぞめ(榛木染)、
はりすり(榛摺)、
また、訛って、
はんずり、
はにすり、
はじすり、
といい、
佐伊波里(サイバリ)に衣は染めむ雨ふれど、雨ふれど移ろひがたし深く染めてば(神楽歌(9C後))、
とある、
さいばり、
は、
榛、
割榛、
とあて、
さきはり(割榛)の変化した語、
で、
榛(はん)の木を細くさいたときに出る液を染料としたもの、
である(精選版日本国語大辞典)。
ただ、
榛はしばみ(はり)で染めた色といっても、その種類や染色に使用した部分、採取した季節によってそれぞれ違った色合いに染まるので、一定の色を決めるのは難しいようです、
とあり(https://iroai.jp/hashibami/)、『万葉集』の中の榛(はり)は、
榛(はり)だけに限らず、毛山榛(ケヤマハンノキ)、河原榛(カワラハンノキ)、夜叉五倍子(ヤシャブシ)、姫夜叉五倍子(ヒメヤシャブシ)、大葉夜叉五倍子(オオバヤシャブシ)などの榛の種類を総称して、榛はりと表わしたと考えられます、
とある(仝上)。また、
榛染(はりぞめ)の染色方法については、「染色・草木染めにおける榛(はしばみ・はり)。万葉集における榛の染色方法について」(https://iroai.jp/hashibami/)に詳しい。
「榛」(シン)は、
形声。「木+音符秦」、
とあり(漢字源)、他も、
「木」と「秦(シン)」による形声文字。音符は秦(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A6%9B)、
形声。声符は秦(しん)。〔説文〕六上に「木なり」とあり、はしばみ。また雑木林をいう(字通)、
形声。木と、音符秦(シン)とから成る(角川新字源)、
と、形声文字とするが、
会意兼形声文字です(木+秦)。「大地を覆う木」の象形と「きねを両手で持ち上げる象形(「上がる」の意味)と穂先が茎の先端にたれかかる稲の象形」(「稲が上へ上へと伸び茂る」の意味)から「木が伸び茂る」、「雑木林」を意味する「榛」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2527.html)、
と、会意兼形声文字とするものもある。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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円方(まとかた)の港(みなと)の洲鳥(すどり)波立てや妻呼び立てて辺(へ)に近づくも(万葉集)
の、
円方、
は、
三重県松阪市東黒部町、
とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。
洲鳥、
は、
渚鳥、
とも当て、
洲にいる鳥、
の意で、
シギ・チドリの類、
を指し、
みさごの異称、
とも(広辞苑)、
かわせみ(翡翠)の異名、
ともある(「物類称呼(1775)」)。なお、シギについては、
鴫の羽掻、
で、千鳥については、
千鳥、
百千鳥、
千鳥足、
で、みさごについては、
みさご、
で、それぞれ触れた。
洲鳥、
は、
海や川の州にいる鳥、
である、
シギ、
チドリ、
等々を指す(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、
カワセミ、
の別名とも(デジタル大辞泉)、
みさご(鶚)、
の異名ともされる(広辞苑・大言海)。
かわせみ、
は、
翡翠、
川蝉、
魚狗、
等々とあて(広辞苑・大言海)、
ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に属する小型の鳥、
で、
全長約一七センチメートルで、スズメよりやや大きい。雌雄ともに頭部は暗緑色、背面は空色で腹面は橙色。くちばしは太く、長さは約四センチメートル。尾は短く、あしは赤い。水辺にすみ、川魚、カエル、昆虫などを食べ、土手やがけに横穴を掘って営巣する。日本全土にみられる留鳥(りゅうちょう)、
である(精選版日本国語大辞典)。
くちばしが長くて、頭が大きく、頸、尾、足は短い。オスのくちばしは黒いが、メスは下のくちばしが赤い。また、若干メスよりオスの方が色鮮やかである。頭、頬、背中は青く、頭は鱗のような模様がある。喉と耳の辺りが白く、胸と腹と眼の前後は橙色。足は赤い、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%BB%E3%83%9F)、その、
鮮やかな青色は色素によるものではなく、羽毛にある微細構造により光の加減で青く見えるのは、シャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理、
で、構造色といい(仝上)、
両翼の間からのぞく背中の水色は鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見える、
とある(仝上)。
古くは、和名類聚抄(931〜38年)に、
鴗、魚虎鳥、曾比(そび)、色青翠而食魚、
とあるように、
鴗(ソヒ 別訓ソニ)を以て尸者(ものまさ)と為(日本書紀)、
鴗(ソニ)を以て尸者(ものまさ)と為。雀を以て舂者(つきめ)と為(日本書紀)、
と、
そび(鴗)、
そに(鴗)、
また、
蘇邇杼理能(ソニドリノ)青き御衣をまつぶさに取り装ひ(古事記)、
と、
そにどり(鴗)
ともいった(大言海・精選版日本国語大辞典)。
古言、ソビが、セビ、又セミと転じ、更に、深山(みやま)せみ、ヤマセミに対し、川せみと云ふなり、
とある(大言海)。で、
カワセミ、
は、
セウビ、
カワセビ、
キヨモリ、
セウビン(翡翠)、
等々ともいう(大言海)。漢語では、
翡翠(ヒスイ)、
といい(字源)、
魚狗、
翠雀、
翠鷸、
とも当てる(仝上)。
ソビ(鴗)、
の由来は、
ソは小の義、ヒは鳥の意の古語(東雅)、
セヒ(背翡)の義(言元梯)、
ソニの転(大言海・岩波古語辞典)、
鳴き声から(名言通)、
とあるが、はっきりしない。
カワセミ、
の由来は、
カハソビ(川鴗)の転(言元梯)、
カハセミ(川蝉)の意(万葉代匠記)、
カホソビ(容鴗)の義(松陰随筆)、
カワセムグリ(川瀬潜)の義(日本語原学=林甕臣)、
と、
ソビ(鴗)、
からきている(日本語源大辞典)ようだ。
古くは「ソニ」(「新撰字鏡(平安前期)」)、「曾比(ソビ)」(「和名類聚抄(931〜38年)」)で、しょうびんはその変化したもの、カワセミのセミもソビの変化したもの、
とする説がある(仝上)とするが、上述の、
古言、ソビが、セビ、又セミと転じ、更に、深山(みやま)せみ、ヤマセミに対し、川せみと云ふなり(大言海)、
という説が妥当に思える。
カワセミ、
と、対にされる、
ヤマセミ、
は、
山翡翠、
山魚狗、
とあて、
みやまそび(深山魚狗、翡翠)、
やましょうびん、
やまぜみ、
ともいい、江戸末期の『本草綱目啓蒙』(1847⦆に、
魚狗、……翡翠、カホドリ、やましゃうびん、みやまそび、みやましゃうびん、
貝原益軒編纂の『大和本草(1708)』には、
魚狗(カハセミ)、大小二首り、小はカキセミと云、多し、是翡翠なるべし、……山せみ、……常の川せみに似て大也、
とある、
ブッポウソウ目カワセミ科に分類される鳥類、
で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%9F)、
川ではヤマセミよりも上流に生息する、
が、一部では混在する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%BB%E3%83%9F)、山地の渓流に生息するカワセミの仲間である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%9F)。
体長は約38 cm。翼開長は約67
cm。カワセミの倍、ハトほどの大きさで、日本でみられるカワセミ科の鳥では最大の種類である。頭には大きな冠羽があり、からだの背中側が白黒の細かいまだら模様になっているのが特徴。腹側は白いが、あごと胸にもまだら模様が帯のように走っている。オスとメスはよく似るが、オスはあごと胸の帯にうすい褐色が混じる。日本では、留鳥として九州以北に分布、繁殖している、
とある(仝上)。
「洲」(漢音シュウ、呉音ス)は、
会意兼形声。州は、川の流れのなかすを描いた象形文字。洲は「水+音符州」で、水にとりまかれたなかすのこと、
とある(漢字源)。他は、
会意形声。水と、州(シウ)(なかす)とから成る(角川新字源)、
会意兼形声文字です(氵(水)+州)。「流れる水」の象形と「川の流れの中に囲まれた土地」の象形から、「川・湖・海の底に土砂がたまって高くなり水面上に現れたもの」を意味する「洲」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2556.html)、
と、会意兼形声文字とするもの、
形声。「水」+音符「州 /*TU/」。{洲 /*tu/}を表す字。もと「州」が{洲}を表す字であったが、水を加え、水で囲まれたしまを指す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B4%B2)、
形声。声符は州(しゅう)。洲は州の俗字。のち州県の字と区別して、川の洲や大陸の名に用いる(字通)、
と、形声文字とするものにわかれる。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)
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あさりすと磯に我が見しなのりそをいづれの島の海(あま)人か刈りけむ(万葉集)
の、
あさり、
は、
漁、
とあて、
漁(あさ)ること、
である(広辞苑)。なお、
なのりそ、
については触れた。
あさり(漁)、
は、
動詞「あさる(漁)」の名詞化、
で、
阿佐里(アサリ)する海人の子供と人は云へど見るに知らえぬうま人の子と(万葉集)、
と、
あさること、
つまり、
魚貝類をとること。また、えさを探すこと、
の意で、
すなどり、
いさり、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。また、それをメタファに、
あな物ぐるほし、盗人あさりすべしなどこそいふめれ(栄花物語)、
と、
捜し求めること、
探ること、
の意でも使う(仝上)。鎌倉前期の歌論書『無名抄』(鴨長明)に、
或人云く、あさりといひ、いさりといふは同じ事なり。それにとりて朝(あした)にするをばあさりと名づけ、夕(ゆふべ)にするをばいさりといへり。これ東の海士(あま)の口状なり、
とあるが、ここで、
「いさり」を夕漁、
「あさり」を朝漁、
とするのは、
いさり火、
や
朝(あした)は海辺(うみへ)にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁(かり)し羨(とも)しも(万葉集)、
からの連想で、
夕なぎにあさりする鶴(たづ)潮満(み)てば沖波(おきなみ)高(たか)み己(おの)が妻呼ぶ(万葉集)
という歌から見ても、
いさり、
あさり、
は、
朝夕に関わるのではない(精選版日本国語大辞典)とある。動詞、
あさる、
は、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、他動詞ラ行四段活用で、
漁る、
とあてる(学研全訳古語辞典)が、
朝食(あさけ)の、アサを活用せしめたるなるべし(雲る、蔭る、宿る)、鳥、獣、専ら棲(す)を出でて食を求むるを、本とせし語ならむ、人も、朝狩、朝鷹す(大言海)、
「動物が餌を探し求める」意を、漁師が魚を求める意に転用した(日本語源広辞典)、
アサリガヒ(求食貝)の義(桑家漢語抄・漢語抄・本朝辞源=宇田甘冥・日本語源=賀茂百樹)、
浅い水に住む貝の意から(本朝食鑑・日本語源=賀茂百樹)、
サリは砂利と同語、砂中にいる貝の意から(箋注和名抄)、
等々が由来とされ、本来、
餌を探り求む。鳥獣に云ひ、人にも云ふ、
とあり(大言海)、
春の野に安佐留(アサル)雉(きぎし)の妻恋(ご)ひにおのがあたりを人に知れつつ(万葉集)、
と、
鳥獣がえさを探し求める。また、つついたりほじったりして食べられるところをさがす、
意や、
伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり(源氏物語)、
と、
人が魚介、海藻などを探し採る、
意で使い、、
すなどる、
いさる、
と同義になり、やはり、この意をメタファに、
ぬす人いりまうで来て……かしこに侍るもののいささかなる調度など、みなあさりとりてまかりにしかば(宇津保物語)、
と、
人や物を捜し求める、
捜し歩く、
意で使い、
穴刳(あなく)る、
意からきた、
あなぐる(探る・索る)。
とも同義になる。
あさる、
は、今日でも、
古本をあさる、
といった使い方をするし、動詞連用形につけて、
買いあさる、
読みあさる、
と、
その動作をあちこちで繰り返す、
……して回る、
意で使う(広辞苑)。
あさり、
と同義の、
いさり、
すなどり、
も、
いさり、
は、動詞、
いさるの名詞形、
夜間、魚を誘い集めるために、漁船(いさりふね)にて焼く、炬火(たいまつ)、篝火(かがりび)の類、
である、
漁火(いさりび)、
とも使い、これは古くは、
イザリヒ、
イザリビ、
と濁音、
すなどり、
は、動詞、
すなどる(漁)の名詞形、
になる(大言海)。
いさる、
は、他動詞ラ行四段活用、
で、古くは、
いざる、
と濁音、その由来は、
磯求食(いそあさ)るが、イササル、イサルと約まれる語ならむ(こそあるらめ、こざるらめ。いくくむ、いくむ)、スナドルという語も、磯魚捕(いさなと)るの約、磯邊にて捕る語が移りて、沖にも云ふやうになれりと思はる(口論のイサカヒが、争闘の意となる)(大言海)、
磯あさるの約、上代では、沖とか遠洋に出る漁業は少なかったので(日本語源広辞典)、
磯アサルから(関秘録・本朝辞源=宇田甘冥)、
イサナトリの略、或はイソナトリの略(冠辞考。槻の落葉信濃漫録・箋注和名抄)、
イソカル(磯猟)の転(万葉考・和訓集説・和訓栞)、
オキ(沖)アサリの転(雅言考)、
イソから分かれ生まれた語か(北小浦民俗誌=柳田國男)、
イソオリ(磯下)の約か、または、イは接頭語で、原語はサリか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イスアルの約、イスは委しの意で魚の集まるところ(国語本義)、
等々諸説あるが、本来、
磯、
と関わらせるのが正解ではないか。それが、
海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に燈(とも)し伊射流(イザル)火は明(あ)かして燈(とも)せ大和島(やまとしま)見む(万葉集)、
と、
魚や貝をとる、
漁をする、
意に広げたとみていい(精選版日本国語大辞典・大言海)。
すなどり、
は、和名類聚抄(931〜38年)に、
漁、捕魚也、須奈度利、
類聚名義抄(11〜12世紀)に、
漁、スナトリ
とあり、その動詞、
すなどる、
は、色葉字類抄(平安末期)に、
漁、スナドル、イサル、
とある、
ら/り/る/る/れ/れ、
の、他動詞ラ行四段活用で、その由来は、
磯魚捕(いさなと)るの約(大言海)、
伊須魚取の上略(冠辞考)、
スナドリはイサナドリの略転(俗語考)、
スナドリはイソナトリ(磯魚捕)の義(言元梯)、
簀魚捕の義(和訓栞)、
サグリナトル(捜魚捕)の義(日本語原学=林甕臣)、
スは無意義の発語、ナは魚の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
スは海中に集まる意、ナは魚、トルは取(国語本義)、
水中の魚をスナへ取り上げてトルところから(和句解)、
スナ(海浜・砂州)+トル(収穫)、浜で魚をとるが語源(日本語源広辞典)、
等々とあり、
沙(ス)、
魚(ナ)、
とが類推でき、
いさる、
と同様、本来は、
磯での漁、
であった可能性があるが、やはり、
沖方(へ)行き辺(へ)に行き今や妹がためわが漁有(すなどれる)藻臥束鮒(もふしつかふな こぶしの幅程の長さの鮒の意)(万葉集)、
と、
魚や貝をとる、
漁をする、
意に広がり、それをメタファに、
太守として、賦を重くし財を貪りて、国内に漁(スナトル)もの也(「将門記承徳三年点(1099)」)、
と、
片端からしぼり取る、
搾取する、
意で使う例もある(精選版日本国語大辞典)。
「漁」(漢音ギョ、呉音ゴ、慣用リョウ)の異体字は、
䱷、 渔(簡体字)、𣺆、𣿡、𤀯、𩵎、𩼪(篆書体)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%81)。
会意兼形声。「水+音符魚」で、魚(さかな)から派生した動詞。雨(あめ)をあめが降るという動詞に用いるのと似た用法、
とあり(漢字源)、同じく、
会意兼形声文字です(氵(水)+魚)。「流れる水」の象形と「魚」の象形から「生きている魚をとらえる」を意味する「漁」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji612.html)、
と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、
形声。「水」+音符「魚 /*NGA/」。「魚を捕獲する」を意味する漢語{漁 /*ng(r)a/}を表す字。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%81)、
会意形声。水と、魚(ギヨ)(うお)とから成る(角川新字源)、
形声。声符は魚(ぎよ)。古い字形は釣魚の形に作るが、のちの字形は魚声。〔説文〕十一下に𩼪に作り、「魚を捕るなり」という。竹部篽字条五上に重文としてを魚+又録し、魚+又が漁の初文。篽は禁苑。魚は古く祖祭に用い、また霊沼に放ったもので、金文の辟雍(へきよう)儀礼をしるす〔「辶+矞」「皀+殳」(いつき)〕や〔井鼎(けいてい)〕には、王が辟雍の大池に漁し、また賜魚の礼をしるすものがある。〔詩、小雅、魚藻〕〔詩、周頌、潜〕は、その礼を歌う詩である(字通)、
と、形声文字としている。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
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いひそめし昔の宿のかきつばた色ばかりこそ形見なりけれ(良峰義方)
の詞書(和歌や俳句の前書き)に、
藤原のかつみの命婦(みやうぶ)にすみ侍りける男、人の手にうつり侍りにける又の年、杜若(かきつばた)につけてかつみにつかはしける、
とある、
命婦、
は、
令制下において一定の地位をもつ女性の称、
をいい、
自らが五位以上を帯びる者を内命婦(ないみょうぶ)、
夫が五位以上である者を外命婦(げみょうぶ)、
と称した(日本大百科全書)。
外命婦、
は、
時々参内する故に、
とある(大言海)。一般に命婦という場合は、
内命婦、
を指すことが多い。『続日本紀』には、
内親王、女王、内命婦、
という序列づけが行われた例があるが、無位の女王を内命婦と呼んだ例もある(世界大百科事典)。彼女たちは必ずしも全員が後宮十二司に勤仕したわけではないが、朝会などの際には朝参を許された(仝上)とある。ちなみに、
後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)、
とは、
令制で規定された後宮関係の一二の司、
をさし、
内侍司(ないしのつかさ)・蔵司(くらのつかさ)・書司(ふみのつかさ)・兵司(つわもののつかさ)・闈司(みかどのつかさ)・薬司(くすりのつかさ)・殿司(とのもりつかさ)・掃司(かもりづかさ)・膳司(かしわでのつかさ)・水司(もいとりつかさ)・酒司(みきのつかさ)・縫司(ぬいつかさ)の総称、
をいい、後宮職員令に規定がある(精選版日本国語大辞典)とされる。
内命婦、
外命婦、
の制は中国のそれに範をとったものである(仝上)が、
中国の内命婦は皇帝のキサキの一員を指し、日本のそれとは意味を異にする、
とあり(仝上)、日本の場合は、
五位以上と六位以下に画然たる差を設ける官人秩序のあり方を反映している、
ともある(世界大百科事典)。この制度は、平安中期以降、後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)の解体に伴って新しい女官(にょかん)秩序が形成され、そのなかで、
命婦、
は、
内侍(ないし 掌侍(ないしのじょう))に次いで位置づけられる四、五位クラスの女房の称、
として使用されるが、これは、
内命婦、
の平安時代的な変身の姿とみられる(日本大百科全書)。鎌倉時代の儀式書『禁秘抄』(順徳天皇)に、
中搶蘭[の前身、
とあり、中世の、
中臈(ちゅうろう)、
とされる女房に相当し、
侍臣の女(むすめ)、
以下とされる(仝上)とある。また、
命婦、
は、
気比宮の白鷺、稲荷山の名婦(ミャウフ)、比叡山の猿、社々の仕者(太平記)、
と、
稲荷(いなり)の神の使とされる狐(きつね)、
ともされ、その場合、
名婦、
とも当てる(大言海)。また、
夫よりこの神の命婦は、宮司のかざらん限りは、親子たがひにみゆまじとちかへり(「和歌童蒙抄(12C前)」)、
と、
奥州、塩竈神社の女神職、
の意もある(精選版日本国語大辞典)。
漢語では、
命婦、
は、
めいふ、
と訓ませ、
宮中につかえる妃嬪の属、
とある(字通)が、
大夫の妃の称、
とあり(儀礼・喪服)、わが国では、上述したように、
五位叙爵の官女の称、
内侍司の雑仕の女官、
稲荷の神の使いといふ狐の称、
等々とされる(字源)。「稲荷の使い」については「つかはしめ」で触れた。
なお、高位の女官の意の、
女掾iじょろう)、
については触れたが、
身分の高きを、
上掾A
といい、さらに、転じて、
女房の通称、
として、
二位、三位の典侍、
をいい、公卿の女を、
小上掾A
と云ふ(大言海)とある。「女房」の、
「房」は部屋、
の意で、
宮中・院中に仕える女官の賜っている部屋、
の意味から、
一房を賜っている高位の女官、
で、
上掾E中掾E下揩フ三階級、
がある。
なお、「杜若」については、
いずれ菖蒲か、
で触れた。
「命」(漢音メイ、呉音ミョウ)は、「命なりけり」で触れたが、
会意。「あつめるしるし+人+口」。人々を集めて口で意向を表明し伝えるさまを示す。心意を口や音声で外にあらわす意を含む。特に神や君主が意向を表明すること。転じて命令の意となる、
とあり(漢字源)、「いのち」の意味はあるが、「天命」の意で、天からの使命、運命の意で、「命令」色が強い。
会意文字です(口+令)。「冠」の象形と「口」の象形と「ひざまずく人」の象形から神意を聞く人を表し、「いいつける」、「(神から与えられた)いのち」を意味する「命」という漢字が成り立ちました、
という説明(https://okjiten.jp/kanji51.html)、あるいは、
会意。「人」(集める)+「口」(神託)+「卩」(人)、人が集まって神託を受けるの意。又は、「令」(人が跪いて聞く)+「口(神器)」の意(白川静)、
という説明(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)が、その意味からみて、分かりやすい。字通では、
会意。令(れい)+口。令は礼帽を著けて、跪いて神の啓示を受ける形。口は祝詞を収める器のᗨ(さい)。神に祈って、その啓示として与えられるものを命という。〔説文〕二上に「使ふなり。口に從ひ、令に從ふ」とし、口を以て使令する意とするが、もと神意を意味する字である。卜文・金文に令を命の意に用い、令がその初文。周初の金文〔大盂鼎(だいうてい)〕に「天の有する大令(命)を受(さづ)けらる」とあり、のち〔賢皀+殳(けんき)〕に「公、事を命ず」のように、命の字を用いる。天命の思想は〔大盂鼎〕をはじめ、〔也皀+殳(やき)〕などにも「顯〃たる受令(命)」とあって、周王朝創建の理念として掲げられたものであった。人の寿夭も天与のものであるから、列国期の金文に「永命眉壽」を祈る語を著けるものが多い。金文にまた賜与の意に用い、〔献皀+殳(けんき)〕「厥(そ)の臣、獻(人名)に金車を令(たま)ふ」のように用いる。天の命ずるところであるから、人為の及ばないところをすべて命といい、君子は命を知るべきものとされた、
と、会意文字としている。他に、
会意形声。口と、令(レイ)→(メイ)(人を使う)とから成り、人に言いつける意を表す(角川新字源)、
と、会意兼形声文字とする説、
形声。「口」+音符「令 /*RENG/」。「言いつけ」を意味する漢語{命 /*mrengs/}を表す字。
もともと甲骨文字では「令」が{命|言いつけ}を表していたが、のち「口」が加えられ「命」字に分化した(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD)、
と形声文字とする説もある。ついでに、「令」の字の字源もみておく。
「令」(漢音レイ、呉音リョウ)の異体字は、
㡵、聆、齢(の代用字)
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4)。字源は、
会意文字。「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと、
とある(漢字源)が、他は、
会意(OC/*riŋ/、 /*riŋ-s/)。「亼(「口」の顛倒形)」+「卩(人の跪く姿)」。人に命令を発している様で、本義は「命令」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4)、
会意。亼(しゆう)(=集。あつめる)と、卩(せつ)(人がひざまずいた形)とから成り、人を集めて従わせる、いいつける意を表す(角川新字源)、
会意文字です(亼+卩)。「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味し、そこから、「命ずる・いいつける」を意味する「令」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji686.html)、
と、会意文字とするが、
象形。礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。〔説文〕九上に「號を發するなり。亼(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を亼
(あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて跪く形で、神意を承ける象とみられる。金文に「大令(命)」「天令(命)」のように命の字としても用い、西周後期に至って、祝禱の器の形をそえて命の字となる。鈴もはじめは令に従って鈴に作り、のちに金+命に作る。鈴は神を降し、また神を送るときに用いる。令・命は神意に関して用いる語である。神意に従うことから令善の意となり、また命令の意から官長の名、また使役の意となる(字通)、
と、象形文字とするものもある。
「婦」(漢音フ、呉音ブ)は、
会意文字。「女+帚(ほうきをもつさま)」で、掃除などの家庭の仕事をして、主人にぴったりと寄り添う嫁や妻のこと、
とある(漢字源)。他は、解釈は似ているが、
会意。女と、帚(そう)(箒(そう)〈ほうき〉の原字)とから成る。神聖な祭壇の清掃・管理に当たる女、ひいて、一家の祭事をつかさどる女の意を表す(角川新字源)
会意文字です(女+帚)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「ほうき」の象形から、ほうきを持つ女性を意味し、そこから、「主婦」、「嫁」、「妻」、「女」を意味する「婦」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji895.html)、
と、会意文字とするものと、
形声。旧字は女+帚に作り、帚(ふ)声。帚は女+帚の初文で、卜辞には帚好・帚女+井(ふけい)のように帚を女+帚の字に用いる。〔説文〕十二下に「服なり。女の帚(はうき)を持つに從ふ。灑埽(さいさう)するなり」とあり、服従と灑埽をその義とする。帚は掃除の具ではなく、これに鬯酒(ちようしゆ 香り酒)をそそいで宗廟の内を清めるための「玉ははき」であり、一家の主婦としてそのことにあたるものを女+帚という。〔爾雅、釈親〕に「其の妻を女+帚と爲す」とあるのは、子の婦、よめをいう。金文の〔令皀+殳(れいき)〕に「女+帚子後人」の語があり、宗廟につかえるべきものをいう。殷代の婦は、その出自の氏族を代表する者として、極めて重要な地位にあり、婦好の卜辞には外征を卜するものがある(字通)、
と、形声文字とするものがあるが、そのいずれでも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に倣って、
箒を持った女性、
と説明している。しかしこれは、
誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%A6)、
形声。「女」+音符「帚 /*PƏ/」。「結婚している女性」を意味する漢語{婦 /*bəʔ/}を表す字、
とする(仝上)。
参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)上へ
ま幸(さき)くてまたかへり見むますらをの手に巻き持てる鞆(とも)の浦みを(万葉集)
の、
まさきく、
は、
真幸、
とあて、
「ま」は接頭語、
で、
「さきく」を強めたいい方、
になり、
マ(真)サキ(栄)の意、
で(岩波古語辞典)、
無事に、
しあわせに、
さいわいに、
という意味になる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。
さきく、
は、
行矣(さきくませ)、
で触れたように、
「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、
で、
御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、
などと、
さいわいに、
平穏無事に、
変わりなく、
つつがなく、
繫栄して、
等々、
旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。
さき(幸)、
は、
幸はふ、
で触れたように、
サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意、類義語サチは狩猟の獲物の豊富から受ける幸福(岩波古語辞典)、
和訓栞、さき「幸、又、福を訓むも、先の字に通へり」、第一と云ふ意なるか、尚、考ふべし、幸(さき)はふ、さきはひ、ともなる(大言海)、
とあり、
さち、
と、
さき、
を由来が異なるとする説もあって、意味は似ていても、
さき→さち、
といった音韻変化とは異なるようである。
幸、
を、
さつ、
と訓む、
幸、
については、
さつや、
で触れたように、
さつ、
は、
さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、
などとあるが、
「さち」の母音交替形「さつ(幸)」に「矢」がついたもの(精選版日本国語大辞典)、
とする説、
(「さちや」の「サチ」は、)サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
とする説とに分かれ、
矢を意味する古代朝鮮語(sal)に求める(あるいはこれに霊威を表わす「ち」が付いたものとする)説がある。ただし「さつ矢」の他、「さつ弓」という語もあり、「さつ(ないし「さ」)」がただちに「矢」を意味する語であったとするには疑問が残る、
とあり(精選版日本国語大辞典)、はっきりしないが、いずれにせよ、
猟矢、
幸矢、
などと当て(仝上・デジタル大辞泉)、
猟に用いる矢(大言海・広辞苑)、
威力ある矢、縄文時代からあった石の矢じりの矢に対して、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意(岩波古語辞典)、
サチ(幸)を得るための狩猟用の矢(日本語源大辞典)、
とあり、意見が分かれるが、
さつ、
と、
さち、
は、狩猟関連で、
さつや→さちや、
と転訛し、
狩猟用の矢、
の意である(岩波古語辞典)ので、
さつ→さち、
と転訛したとみることができる。で、
さち、
の由来は、
サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
等々諸説あるが、
さち、
は、
火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、
と、
獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力、漁や狩りの獲物の多いこと(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、
とされる。しかし、
威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、
霊力、
を、
さち、
といい、さらに、その、
矢の獲物、
さらに、転じて、
幸福、
をも言うようになった(広辞苑)という意味の転化は納得がいく。だから、本来、
情態性(心の様子)を表わす「さき(幸)」とは、関係ない語であった、
とあり、
音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に「幸いであること」「したわせ」の意味が与えられるようになったと推定される、
と、
上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる「幸せ」の意味の確例は見られない、
とある(精選版日本国語大辞典)。あえて言えば、
さき、
は、
サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意(岩波古語辞典)、
から見て、
農耕系、
の、
収穫・繁栄→幸福、
を指していたのかもしれない。
サキ、
と
サツ→サチ、
は、別系統からきているが、意味が似ているために、
サキ→サチ、
サツ→サチ、
と、両者が、
幸、
の字を当てたために、どこかで、
サチ、
へと混同されるに至ったとみていい。
「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、その異字体に、
𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、
とあるが(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、「幸はふ」で触れたように、
象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、
とある(漢字源)。同趣旨で、
象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji43.html)、
象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、
ともあるが、別に、
会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、
と会意文字とするものもある。しかし、
手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8)、また、
『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、
ともあり(仝上)、
「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、
としている(仝上)。
参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
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