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コトバ辞典


ゐで

 

初瀬川流るる水脈(みを)の瀬を早みゐで越す波の音(おと)の清(きよ)けく(万葉集)

の、

ゐで、

は、

木や石など、流れを堰く所、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ゐで、

は、

井手、
堰、

とあて、

堰止(ゐどめ)の約、

とされ(大言海)、

田の用水をせき止めてあるところ(広辞苑)、
用水をほかへ引くために、木・土・石などで川水をせき止めた所(学研全訳古語辞典)、
田の用水のため、河や池に、石や土を盛って、水の流れをせきとめ、用水をたたえておく所(精選版日本国語大辞典)、

で、

井堰(ゐせき)、

と同じ、とある(仝上)。和名類聚抄(931〜38年)に、

堰埭、堰埭壅水、以土遏水也、井世木、

平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

堰、ヰセキ・ミヅセキ・フサグ・フセグ・サクル、

新字鏡集(鎌倉時代)に、

堰、井世久(ゐせく)、

とある。

井堰、

は、

井堰(ゐせ)くの名詞形、正韻「雍水為埭曰堰」、

としている(大言海)。

なお、

井手、

は、後に、

ため池などの堤の堰(せき)から水を流通させるところ、

からのメタファとして、

商人より素人衆(しろとしゅ)がいでがづぶう成てきて(浮世草子「当世宗匠気質(1781)」)、

と、

取引、
かせぎ、

の意でも使ったようである(精選版日本国語大辞典)。

堰(せき)、

は、

堰(ゐ)、

とも訓ませ、新撰字鏡(平安前期)に、

井堰(ゐせき)に同じ、

とあり、

堰塞(ゐせき)の略(大言海)、
動詞「塞せく」の連用形から(広辞苑・デジタル大辞泉)、

という由来から、

塞(せき)、

とも当て、

堰、

の、

河や池に、石や土を盛って、水の流れをせきとめ、用水をたたえておく所、

の意をメタファに、

塞(せ)く、

の意から、

関(せき)、

にもつながる。和名類聚抄(931〜38年)に、

關、日本紀私記に云ふ、關門、世岐度(せきど)、

とある。

「井」(漢音セイ、呉音ショウ)は、

象形。井は、四角いわく型を描いたもので、もと、ケイと訓む。形や型の字に含まれる开印の原字丼は、「四角いわく+・印」の会意文字で、清水のたまったさまを示す。セイと訓み、のち、両者の字形が混同して井と書くようになった。井は、また、四角にきちんと井型の意を派生する、

とある(漢字源)。同趣旨で、

象形文字です。「井桁(いげた)」の象形から、「井戸」、「井の字の形に組んだもの」を意味する「井」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1211.html

象形。いど(井戸)のわくの形にかたどり、「いど」の意を表す(角川新字源)、

象形。井げたのわくの形。〔説文〕五下に「八家一井、構韓(こうかん)(井の垣)の形に象る」とする。篆字は丼に作り、丼中の点を「雝+缶(かめ)の象なり」と解し、伯益がはじめて井を作ったという起原説話をしるしている。卜文・金文には字を邢(けい)という国名に用いるほか、井の形には、人の首足に加える枷(かせ)の形で、のちの刑となるもの、鋳型のわくの形で、のちの形・型となるもの、陥穽として設けるもので、のちの穽となるものがあり、井は邢・刑・形・型・穽の初文である。〔孟子〕にみえるような井田法は、西周期の資料にその徴証を求めることはできず、文字が生まれた殷代には、もとより存しなかったものである(字通)、

ともあるが、

「井」には二種類の字が存在する(別字衝突)、

としてhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%95

象形。井戸を象る。「いど」を意味する漢語{井 /*tseŋʔ/}を表す字。漢の時代までは「丼」と書かれた。形声文字の音符として「青」「穽」などに含まれる、

象形。枠型を象る。「かた」を意味する漢語{型 /*ɡˤeŋ/}を表す字。形声文字の音符として「形」「刑」「耕」などに含まれる、

と、

井げたの枠、

と、

井戸、

とは別系というとする(仝上)説もある。

「堰」(@エン、A漢音エン、呉音オン)は、

会意兼形声。安は、女性を押えて家の中にとめるさま。晏(アン)は太陽が上から下に落ちて暮れるさま。匽は晏の略体に匸印(囲う)を加え、上から押さえ囲む意を表す。堰はそれを音符とし、土を加えた字で、土を固めてつくり、水流を押さえとめるせき。按(アン 押さえる)・遏(アツ 押さえ止める)とも近い、

とある(漢字源)。「堰堤」のように「水流をせきとめたり、調節したりするために土を盛ってつくったしきり」の意は@の音、動詞「せきとめる」意の場合は、Aの音、とある(仝上)。別に、

会意兼形声文字です(土+匽)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)と「ふたの象形とそこに物をしまいこむ事ができる場所の象形(「はこ形に区切られた囲い」の意味)とまるい敷物か枕をあててやすらぐ婦人の象形」(「囲いの中にとどめる」の意味)から、土を積んで水を「せき止める」を意味する「堰」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2410.html

と会意文字とする説もあるが、他は、

形声。「土」+音符「匽 /*ɁAN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A0%B0

形声。土と、音符匽(エン)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は匽(えん)。匽は秘匿のところで、女子に玉(日)を加えて魂振りする意。偃はそのとき偃臥すること。土堤を横たえて水を壅(ふさ)ぐを堰という(字通)

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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走井(はしりゐ)

 

この小川霧ぞ結べるたぎちたる走井(はしりゐ)の上(へ)に言挙(ことあ)げせねども(万葉集)

の、

言挙(ことあ)げせねども、

は、

言挙げをすれば霧が立つという信仰を背景とするか、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

走井、

は、

湧き水や川の流れを堰き囲んだ水汲場、

とある(仝上)。しかし、多く、

走井、

は、

湧き出て流れている泉(広辞苑)、
水がほとばしり出る泉(岩波古語辞典)、
湧き出て、勢いよく流れる泉。走るように湧く清水(精選版日本国語大辞典)、

とあり、上記歌の、

たぎちたる走井(はしりゐ)、

とある、

たぎつ(滾・激)

は、

たぎる(滾・沸)、

と同語源であり(精選版日本国語大辞典)、

たき(滝)と同源、

である(岩波古語辞典)、

水がわきあがり、逆巻き流れる、水があふれるように激しく流れる、

意である。

堰き囲んだ水汲場、

のイメージではない。

ちなみに、

泉、

は、湧出形態によって、

(1)逬出(へいしゆつ)泉 岩の裂け目や崖からほとばしり出るもので、日本ではこれを走井(はしりい)と称した。山岳地帯に多く、場所によっては瀑布を懸ける。富士山麓白糸の滝が代表、
(2)池状泉 釜、壺、湧壺とも称した。盆状のくぼんだ底から湧出し、水をたたえるもので、富士山麓の山中湖北西にある忍野八海(おしのはつかい)が有名、
(3)湿地泉 どことなく水がしみ出し湿地状をなすもので、扇状地などの長い斜面の基底部で地下水面が地表に達したところにみられる、

の、三つのタイプがあるとされる(世界大百科事典)。当然、

たぎつ走井、

なわけである。

ながれ井(大言海)、

とあるのが正確かもしれない。なお、

はしる(走・奔・趨)

は、

走る、
奔る、
趨る、

と当てるが、

ハス(馳)と同根。勢いよくとびだしたり、す早く動き続ける意(岩波古語辞典)、
ハスル(早進)の意(言元梯)、
ハヤセキアル(早激有)の義(名言通)、
ハは早の義、シはアシの上略か、ルは任るの意か(和句解)、
ハサマ・ハサム・ハシ(橋)等と同語原で、二点の閨A二点をつなぐなどの原義が共通するか(時代別国語大辞典−上代編)、
ハシ(粛・ひきしまる)+る(日本語源広辞典)、

等々とあるが、

勢いよく飛び出したり、素早く動き続けたりする意、

が原義なら、

はす(馳す)、

と同根というのが一番通りやすい。

はす、

は、

せ/せ/す/する/すれ/せよ、

の、自動詞サ行下二段活用、

走る、
駆ける、

意であり(学研全訳古語辞典)、

走る、

は、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、自動詞ラ行四段活用、

駆ける、
走る、

意とともに、

その火はしり経の二字に当たりて、その二字焼けにき(今昔物語)、

と、

はねる、
とび散る、
ほとばしる、

意でもある(仝上)。、

馳す、

は、

本来、自動詞「はしる」に対応した他動詞で、「はしる」が古代には、水、鮎、雹などの動きについて広く用いられていたのと同様に、馬、弓、舟、心などについて広く使われた。しかし、自動詞的にも用いられたために、「はしる」との関係が曖昧になり、「はしる」の他動詞形として「はしらす」「はしらかす」が一般的となった、

とあり(日本語源大辞典)、

馳す、

の口語、

は(馳)せる、

の語源には、

ハシラスの義、
ハシルの約、
ハシルと同源、

と、ほぼ「はしる」とつながっているようである。因みに、漢字の、「走」「奔」「趨」の違いは、

「走」は、かけゆく義。奔走、飛走と連用す。破れて逃げるにも用ふ、
「奔」は、走よりは更に勢いよくかけ出す義。事により趨くに後れんことを恐るる意なり。轉じて結婚に禮の備はるを俟たず、父母の家をかけおちするをも奔という、
「趨」は、早く小走りする義。貴人の前を過ぐる時の禮。論語「鯉趨而過庭」禮記「遭先生于道、趨而進」疾走して直ちに目的の處に至る義より、敬意をおぶ、

となるようだ(字源)。最勝王経音註(奈良時代)には、

走、八之流、

類聚名義抄(11〜12世紀)には、

走、ハシル、
犇、ハシル、

字鏡(平安後期頃)

走、ハス・イタル・サル・ハシル・オモムク・ユク、

とある。

はしる、

とほぼ同義で、

わしる(走る)、

がある。

わしる (走る)、

は、

ら/り/る/る/れ/れ、

と、自動詞ラ行四段活用で、

帰路に趍(ワシラ)むとするに(興聖寺本「大唐西域記巻十二平安初期点(850頃)」)、
近遠の邑人相ひ趨(わし)り輻湊(あつま)る(仝上)、

などと、多く、漢文訓読系で使うが、

ハシルとの区別は明確でない、

とあり(岩波古語辞典)、

放し馬の数百疋走(ワシリ)散たる中に(太平記)、
蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北にわしる(徒然草)、

と、

先を争うように早く歩く、
我先にと急ぎ歩く、

意や、それをメタファに、

いなびかり間なく走(ワシッ)て(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、

と、

光、水などが勢いよく流れる、

意、

まづしきものはせいろをわしりて出家之心なし(「宝物集(1179頃)」)、

と、

功をあせる、
うせってあくせくする、

意や、特定に、

今少しの事をわしりて、ききゃう屋の天職を、親方に断いふて、年符にしては請られしぞ(浮世草子「傾城色三味線(1701)」)、

と、

金利を稼ぐ、

意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この他動詞形は、

あしひきの山田を作り山高み下樋(したひ)を和志勢(ワシセ)(古事記)、

と、

わしす(走)、

となる。

動詞「はしる(走)」の連用形の名詞化である、

走り、

は、

すばやく進むこと、

だが、それをメタファに、

先がけ、
先ばしり、
はしりもの(はつもの)、

等々様々な意で使われるが、動詞「わしる(走)」の連用形の名詞化、

わしり(走)、

も、

百五十匁を旦那殿へたのんで、月一匁五分づつのわしりにかけ(浮世草子「立身大福帳(1703)」)、

と、

走る、

意の他に、

金を貸して利息をかせぐこと。金を有利に運用すること。また、その利息。

の意でも使う。この、

はしり、
わしり、

は、さまざまに使われ、

直走(ただばしり) まっしぐらに走ること、
直走(ひたばしり) いちずに走ること、
走馬(はしりうま) 走っている馬、くらべうま(競馬)、
走競(はしりくらべ) 競走、かけくらべ、
走競(はしりこぎり) =はしりくらべ(走競)、
徒走・歩走(かちはしり) 馬、車など乗り物に乗らずに足で走ること、

と、走ることだけではなく、それをメタファに、

走炭(はしりずみ) =はねずみ(跳炭)、火の中ではじけて飛ぶ炭
走火(はしりび) ぱちぱちと飛びはねる火、はね火、
湯走(ゆばしり) 熱した鉛などの金属が、溶けて流動すること、
開走(ひらきばしり) 帆船が横風を受けて帆走すること、
突走(つかせばしり) 帆船が強風にあったとき、船の安全をはかるため、帆を下げ船尾から風をうけて流しながら走ること、
夜走(よばしり) 乗物などで夜間も旅を続けること、
走書(はしりがき) 手早に筆を動かして文字を続けて書くこと、
走読(はしりよみ) 急いでおおざっぱに読むこと、
走星(はしりぼし) 流れ星、
走木(はしりぎ) 攻め寄せてくる敵を防ぐため、高い所から木をすべらせころがすこと、
鼠走(ねずばしり・ねずはしり) 門または出入り口の戸当たりの下部にあるもの(上にあるものは楣(まぐさ)という)、
戸走(とばしり) 「いぼたろう(水蝋蝋)」の異称。塗ると戸がよくすべるところから、
心走(こころばしり) 胸がどきどきすること、
胸走(むねはしり) 胸がどきどきして気持が落ち着かないこと、胸さわぎ、
走舞(はしりまい) もてなし、奔走
走夫婦(はしりみょうと) 正式な結婚をしないで、故郷を駆け落ちして夫婦となったもの、
走元(はしりもと) 流し元、また、台所、
走湯(はしりゆ) 湯が川となっていきおいよく流れるところから、温泉、
走絆(はしりほだし) 馬の前足をつなぎ止める縄、
金走(かねわしり) 金を動かして利殖すること、
遠走(とおばしり) 遠くまで出掛けること、
走船(はしりぶね) 早く走る船。また、櫓を漕いで走る船を押船と呼ぶのに対して、帆走している船をいう、
走櫓・走矢倉(はしりやぐら) 城の防御のための櫓で、弓・鉄砲などを射る際、内部で移動できるように横に長く作ったもの。多聞(たもん)の原形といわれる、
才気走(さいきばしる) いかにも才気がありそうな様子が現われる、
上走る(うわばしる) 物事のうわべばかりで深く究めようとしない、
甲走・癇走(かんばしる) 音声の調子が細く、高く、鋭くひびく、
苦み味走る(にがみばしる) 顔つきに渋みがある、
黄味走る(きみばしる) 黄色みを帯びる、
黒味走る(くろみばしる) 黒みを帯びる、
赤味走る(あかみばしる) 赤みを帯びる、

さらに、「はしる」機能の役職、またその人にも、

使走(つかいはしり・つかいばしり・つかいっぱしり) あちこちに出かけて使いの用事をすること、また、その人、
走下部(はしりしもべ) 走り使いをするしもべ、検非違使庁のしもべなどの称、
粉走(こばしり) 大嘗祭に奉仕する雑色人(ぞうしきにん)の一つ、粉をふるう役目の女。
走衆(はしりしゅう・はしりしゅ) 鎌倉・室町時代、将軍が外出する時、徒歩で随行し、前駆や警護をつとめた者、御走衆、江戸時代の徒組(かちぐみ)の組衆、
走笠(はしりがさ) 室町時代、走衆(はしりしゅう)がかぶった笠、
走付(はしりつき) 徒歩でつき従う身分の低い者、
走り童(はしりわらわ) 徒歩で斎王(いつきのみこ)の車などに従う女童(めのわらわ)、また、寺院などで、住職・高僧などに従う走り使いの児童、
地走(じばしり) 祭のとき土地っ子の練衆(ねりしゅ)が赤紋付の長柄の傘をさしかけて囃子方(はやしかた)とともに歩行してする踊り、また、その踊子。
先走(さきばしり) 武家時代、走衆(はしりしゅう)の傍に添って走り役を勤めたもの。また、徒歩で戦場に出た兵。足軽、

また、「はしり」を先走りの意で、

走穂(はしりほ・はしりぼ) 他に先がけていち早く出はじめた穂
走知恵(はしりぢえ) 早のみこみをして思慮の浅いこと、あさはかな知恵、
走梅雨(はしりづゆ) 五月下旬頃、梅雨に先立ってみられるぐずついた天候、
走汁(はしらかしじる) ざっと煮たたせるだけで手軽にこしらえた汁、
走性(はしりしょう) せっかちな気性、
走物(はしりもの) 初物(はつもの)。魚鳥、穀物、野菜などの、その季節にはじめてできたもの、はしり、
先走(さきばしり) 先に立って走るこ、前ぶれ、

また、「走り」を冠することで、強調する言い方もある。

走打(はしりうつ) 勢いよく打つ、

等々。

「走」(漢音ソウ、呉音ス)の異体字は、

赱、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0。字源は、

会意文字。「大または夭(人の姿)+疋(あし)」で、人が大の字に手足を広げて、足ではしるさま。間隔をちぢめて歩く、せかせかといくこと、

とある(漢字源)。別に、同趣旨で、

会意文字です(夭+止)。「走る人」の象形と「立ち止まる足」の象形から「はしる」を意味する「走」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji214.html

と会意文字とするものもあるが、他は、

初形は走る人を象る象形文字(現在の形の「土」の部分)で、のちに下側に移動を表す「止」を加える。「はしる」を意味する漢語{走 /*tsooʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0

象形。人が手を前後に振って、足あとを残しながらはしるさまにかたどる。「はしる」意を表す(角川新字源)、

象形。人が手を振って走る形。〔説文〕二上に「趨(はし)るなり」と訓し、次条の趨に「走るなり」と互訓。字形を「夭止に從ふ」とするが、全体を象形とみてよい。金文や〔詩、周頌、清廟〕にみえる「奔走」は祭祀用語。趨も儀礼の際の歩きかたをいう。わが国では「わしる」という。出幸の先駆を先馬走という(字通)、

と、象形文字としている。ただ、

夭、

字にあてる説は、

『説文解字』では初形の部分を「夭」(体を曲げる)と説明しているが、「夭」とは別字である、

と否定しているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B5%B0

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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がり

 

妹らがり我(わ)が通ひ道(ぢ)の小竹(しのすすき)我(われ)し通(かよ)はば靡(なび)け小竹原(しのはら)(万葉集)

の、

ら、

は、

接尾語、

とあり、

妹らがり、

は、

あの子のもとへ、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

妹がり、

の、

がり、

は、

妹許、

とあて、

親しい女(妻・恋人など)のいるところ、

の意で(広辞苑)、

いもらがり(妹(ら)許)、

は、

妻、恋人の住んでいる所(へ)。妹(いも)のもと(へ)、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

ら、

は、

あそこら(彼処ら)、

と、

代名詞を承けて、場所・方向の意を表す、

とされる接尾語と同じで、たとえば、

あそこ、

と比べると、

あそこら、

は、

「あそこ」よりもやや広い範囲の場所を漠然とさす、

とある(精選版日本国語大辞典)。

妹のいるあたり、

といった含意であろうか。

がり、

は、

ガアリ(処在)の約カリの連濁。一説に「り」は方向の意(広辞苑)、
通説ではガアリの約で、アリは名詞形、居所の意とするが、奈良時代にはアリの下に方向を示す助詞をすべてつけないところを見ると、ガリのリは、本来は、コチ・イヅチのチと同じく、方向の意か(岩波古語辞典)、
「かあ(処在)り」の音変化という(デジタル大辞泉)、
「が‐あり」または「か(処)‐あり」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、
處在(かあり)の約、在處(ありか)と同意、其人の居る處、許(もと)、他語につくときは連聲(れんじやう)にて、ガリと濁る(大言海)、

とされ、

ガアリ(処在)、

からきており、

許(もと)、

をあてる所以である。多く、

人を表す名詞や代名詞について、または助詞の「の」を介して、その人のいる所への意を表す(広辞苑)、
…のもと(へ)、…の所(へ)、多くは人を表す名詞・代名詞に格助詞「の」が付いた形に続く(学研全訳古語辞典)、
「行く」「通ふ」「遣る」など移動を示す動詞を伴う、(人を表す名詞・代名詞をうけて)……のところへ、(助詞「の」を介して)(……の)所へ(岩波古語辞典)、
代名詞または人を表わす名詞に付き、その人の許(もと)に、その人の所に、の意を表わす。格助詞「に」や「へ」を伴わないで、移動の意を含む動詞に直接に続く。この用法から変化して、人を表わす名詞に、格助詞「の」を介して付き、その人の許(もと)に、その人のいる所に、の意を表わす。形式名詞のように使われるようになったもの(精選版日本国語大辞典)、

という使い方をする。冒頭の歌が、名詞につく形で、

這ひ起きて約束の僧のがりゆきて、物をうち食ひてまかり出でけるほどに(宇治拾遺物語)、

と、助詞「の」がつく形でも用いられる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。これは、

上代では「がり」は接尾語の用法のみであったが、中古になると接尾語から変化した名詞の用法が生じた故、

と考えられる。接尾語とみる説もあるが、格助詞「の」を伴った連体修飾語によって修飾されているところから名詞ととらえる方が自然であろう(学研全訳古語辞典)とある。

「許」(漢音キョ、呉音コ)は、「許多(ここだ)く」で触れたように、

会意兼形声。午(ゴ)は、上下に動かしてつくきね(杵)を描いた象形文字。許は「言(いう)+音符午」で、上下にずれや幅をもたせて、まあこれでよしといってゆるすこと、

とある(漢字源)が、同じく、

会意兼形声文字です(言+午)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「きね(餅つき・脱穀に使用する道具)の形をした神体」の象形から、神に祈って、「ゆるされる」、「ゆるす」を意味する「許」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji784.html

と、会意兼形声文字とする解釈もあるが、他は、

形声。言と、音符午(ゴ)→(キヨ)とから成る。相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す(角川新字源)

形声。「言」+音符「午 /*NGA/」。「ゆるす」を意味する漢語{許 /*hngaaʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%B1

形声。言と、音符午(ゴ)→(キヨ)とから成る。相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す(角川新字源)

形声。声符は午(ご)。午に(御)(ぎよ)の声がある。〔説文〕三上に「聽(ゆる)すなり」とあり、聴許する意。〔書、金〕は、周公が武王の疾に代わることを祖霊に祈る文で、「爾(なんぢ)の、我に許さば、我は其れ璧と珪とを以て、歸りて爾の命を俟(ま)たん」とあり、また金文の〔毛公鼎〕に「上下の若否(諾否)を四方に虢許(くわくきよ)(明らかに)せよ」というのも、神意についていう。金文の字形に、午の下に祝詞の器の形であるᗨ(さい)を加えるものがあり、午は杵形の呪器。これを以て祈り、神がその祝禱を認めることを許という。邪悪を禦(ふせ)ぐ禦の初文は御、その最も古い字形は午+卩に作り、午を以て拝する形である。午を以て祈り、神がこれに聴くことを許という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あきさ

 

山の際(ま)に渡るあきさの行(ゆ)きて居むその川の瀬に波立なゆめ(万葉集)

の、

あきさ、

は、

あいさ、

のことで、

鴨に似る小さい鳥、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

アイサ、

は、

秋沙、

とあて、

アイサガモの古名、

とある(岩波古語辞典)が、

アイサ、

の古名は、

アキサ、

とする説(大言海)もある。江戸後期『玉勝閨x(本居宣長)には、

あいさト云フ一も種アリ、……萬葉集ニあきさトアル、此物也、

とある、

カモ目カモ科アイサ属に属する鳥、

の総称で、

他のカモよりくちばしが長く、先が鉤形に曲がり縁に鋸歯(きょし)状のきざみ目がある類称、

とされ(精選版日本国語大辞典)、世界中に7種が知られており、日本には、

ウミアイサ、
カワアイサ、
ミコアイサ、

の三種が分布している(世界大百科事典)。

その名の由来は、

「秋沙(あきさ)、」がなまったとされています。「秋」は季節の「秋」ですが、「沙」は「早い」を意味する説と「去る」を意味する説の2つがあります。前者は「秋早鴨(秋早くに渡ってくる鴨)」、後者は「秋去鴨(晩秋〜初冬に渡って来る鴨)」とみなせます。西宮(阪神間)での観察では、後者の方が実態に合っている感じがしますhttps://nisinomiyasizen.jimdofree.com/

とあるが、

秋早鴨(あきさがも)の音便、「あいさかも」の略、和訓栞、あいさ「秋早く出づるを以て、名を得しなるべし」(大言海・和訓栞)、
秋早く渡ってくる鴨、「秋早(あきさ)鴨」の意(岩波古語辞典)、
アキサの音韻変化(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
アキサ(秋頃)の意、サは間の意(日本古語大辞典=松岡静雄)、

と、多くは、

秋早鴨(あきさがも)、

としている。

カワアイサ(M.merganser)、

は、

全長約65センチメートル、北半球に広く分布し、おもに湖に冬季渡来し、阿寒湖では繁殖例がある。雄の頭部は緑黒色で、後頭部が大きいが羽冠にはならない。下面は白色で脂肪性のピンク色を帯び、背は黒く肩羽の内側は白い。雌は頭部が褐色で、後頭部は羽冠をなす。体は灰褐色で、嘴と足は赤い、

ウミアイサ(M.serrator)、

は、

全長、雄は約59cm、雌は約52cm。ユーラシア大陸および北アメリカの亜寒帯〜寒帯で繁殖し、冬には北半球の温帯地方へ渡る。日本では冬鳥として渡来し、海岸で見られる。漢字では「海秋沙」。頭部やくちばしの形がユニークで、愛嬌のある姿をしています。オス(奥の2羽)はカラフルで、頭は緑色、長めの冠毛があります、

ミコアイサ(M.albellus)、

は、

全長、雄は約44cm、雌は約38cmと、もっとも小形で、雄は白色で胸側などに黒線があり、雌の頭部は褐色、体は灰褐色である。北海道では繁殖例が知られる。漢字では「巫女秋沙」。オスの白い体に黒の筋模様が走る姿を、白装束の巫女に見立てて名づけられました。メス(奥)は、頭が茶色で別種のカモのようです。オスは目の周りが黒色でパンダにそっくりで、最近ではパンダガモと呼んで親しまれています、

等々とある(https://nisinomiyasizen.jimdofree.com/・日本大百科全書・世界大百科事典)。

「秋」(漢音シュウ、呉音シュ)の異体字は、

秌(本字)、穐、鞦(繁体字/別字衝突)、鞧、龝、𤇕(別字衝突)、𤇫、𥣨、𥤚(古字)、𦂏、𧇸、𪔁、𪚰(古字)、𪚼(古字)、𪛁(本字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B。字源は、

会意文字。もと「禾(作物)+束(たばねる)」の会意文字で、作物を集めてたばねおさめること。穐は「禾(作物)+龜+火」で、亀(かめ)を火でかわかすと収縮するように、作物を火や太陽でかわかして収縮させることを示す。収縮する意を含む、

とある(漢字源)が、同じく、

会意。正字は禾+𪚰に作り、禾(か)+龜(亀)+火。龜は穀につく虫の形。〔説文〕七上に「禾穀熟するなり」とあり、秋の収穫時をいう。字を𪚰(しょう)の省声とするが、𪚰は亀卜の焦灼の字で、焦の音でよむ。卜文に、秋に虫害をなすものを焚く形の字があり、おそらく秋と関係ある字であろう。卜文に四季の名を確かめうる資料はない。〔書、盤庚上〕に秋を稔りの意に用いる。豊凶を定める重要な時であるから、「危急存亡の秋(とき)」のように用いる。秋は禾+𪚰の字形から、その螟螣(めいとく)(ずいむしと、はくいむし)などの形を除いた字形であろう(字通)、

と、会意文字とするものもあるが、他は、

会意兼形声文字です(禾+火+龜)。「穂の先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味)と「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「かめ」の象形(「亀(かめ)」の意味)から、カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が「あき」だった事と、穀物の収穫時期が「あき」だった事から「あき」を意味する「秋」という漢字が成り立ちました。「カメ」の部分は漢字の簡略化の為、のちになくなりましたhttps://okjiten.jp/kanji92.html

と、会意兼形声文字とし、ばらばらである。ただ、上記の各説の、

「𪛁」や「龝」に含まれる「龜」は「𬟏」に由来し、「かめ」を意味する「龜」とは関係がない、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B)、

象形。原字は「𬟏」で、秋に発生する害虫の一種を象る。のち「火」を加えて「𪚰」の字形となり、「禾」を加えて「𪛁」の字形となり、「𬟏」が省略されて「秋」の字形となる。「あき」を意味する漢語{秋 /*tsʰiu/}を表す字(仝上)、

と、象形文字しているもの、同じ趣旨ながら、

形声。禾と、𪚰音符(セウ)→(シウ)(龜・火は省略形)とから成る。いねの実りを集める、ひいて、その時期「あき」の意を表す(角川新字源)、

と、形声文字としているものがある。

「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、

会意文字。「水+少(ちいさい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、

とある(漢字源)。同じく、

会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2096.html

と、会意文字とするものもあるが、他は、

形声。「水」+音符「少 /*SAI/」。「すな」を意味する漢語{沙 /*srˤai/}を表す字。もと「少」が{沙}を表す字であったが、「水」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B2%99

形声。声符は少(しょう)。少に紗(さ)の声がある。少は小さな砂模様の形。砂浜の砂を沙、その粗なるものを砂という。〔説文〕十一上に「水の散らせる石なり」とあり、汀の砂をいう(字通)、

と、形声文字とするもの、

象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す(角川新字源)

と、象形文字とするものとに分かれる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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石橋

 

年月(としつき)もいまだ経(へ)なくに明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)渡しし石橋(いしばし)もなし(万葉集)

の、

石橋、

は、

川を渡るための飛び石、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

中国浙江省天台県の天台山にあった、

せっきょう、
しゃっきょう、

と訓ませる。

石橋

については触れた。

石橋、

は、

岩橋、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

いしばし、

と訓めば、文字通り、

石で作った橋、

の意だが、

いはばし(いわばし)、

と訓ませると、

川の浅瀬に飛石を並べて渡るようにしたもの(広辞苑)、
石を飛び飛びに置いて、伝っていくようにしたもの(デジタル大辞泉)、
川の浅瀬に石を並べて、それを踏んで渡るようにしたもの(精選版日本国語大辞典)、

をいい、いわゆる、

川の中の踏み石、
石(いし)並み、
飛び石、

あるいは、

澤飛(さはとび)、
磯飛(いそとび)、

のことで(仝上・大言海)、

これをも、

いしばし、

とも訓ませる(広辞苑)。

うつせみの人目(ひとめ)を繁(しげ)み石走(いはばし 石橋)の間近(まちか)き君に恋ひわたるかも(万葉集)、

と、

岩橋(いわはしの・いしばしの)の、

は、

飛び石と飛び石との間(デジタル大辞泉)、
石橋に竝みたる、石と石との間(大言海)、

という意から、

「間(ま)」「近し」「遠し」「竝み」にかかる枕詞、

として使われる(仝上・デジタル大辞泉)。

葛木(かづらき)や久米路(くめぢ)にわたすいはばしの中々にても帰りぬるかな(後撰和歌集)、

の、

いわばし、

は、

久米路の橋

で触れた、

久米の岩橋、

のことで、

久米路の橋、
葛城の久米の岩橋、

ともいい、

葛城山の東、高市郡に、久米郷、久米川あり、

とあり(大言海)、

大和国の歌枕、

で、「日本霊異記」、「今昔物語集」にある、

役(えん)の行者が葛城山の一言主神(ひとことぬしのかみ)に命じて、葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に架けさせようとしたが、醜貎を恥じた神が夜しか働かなかったので完成しなかったという伝説の橋、

である(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。後撰集にある、

葛城や久米路の橋にあらばこそ思ふ心を中空にせめ(読人しらず)、

も似た発想であるが、

架橋の工事が中断した、

という伝説から、多く、

男女の仲の成就しないたとえ、

として使われる(岩波古語辞典)。

「石」(漢音セキ、呉音ジャク、慣用シャク・コク)は、「石橋(せききょう)」で触れたように、

象形。崖の下に口型のいしのあるさまをえがいたもの、

とある(漢字源)。別に、

象形。厂(かん がけ)の下にあるいしの形にかたどり、「いし」の意を表す(角川新字源)、

ともあり、また、

会意。厂(かん)+口。厂は崖岸の象。口は卜文・金文の字形によるとᗨ(さい)に作り、祝禱を収める器の形。〔説文〕九下に「山石なり。厂の下に在り。口は象形なり」と口を石塊の形とするが、嚴(厳)・巖(巌)の従うところもの形であり、嚴は敢(鬯酌(ちようしやく)の形)に従っており、儀礼を示す字である。宕(とう)は廟、祏(せき)は祭卓の示の形に従い、宗廟の主、いわゆる郊宗石室の神主である。啓母石の神話をはじめ、石に対する古代の信仰を伝える資料が多い(字通)、

と会意文字とする説もあるが、いずれも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、

「口」をいしの象形として「厂」を崖と解釈している、

のによっている。しかし、

甲骨文字の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%B3

象形。「厂」の部分が原字で、いしの形を象る。のち羨符「口」を加えて「石」の字体となる。「いし」を意味する漢語{石 /*dak/}を表す字、

とする(仝上)。なお、

石橋(せつけう)、

つまり、

石造の橋、

には、志怪小説『述異記』(じゅついき 南朝斉の祖沖之選)に載る、

秦の始皇、石橋を海上に作り、海を過(よぎ)り、日の出づる處を観んと欲す。神人り、石を駈(か)る。去(ゆ)くこと速からず。神人之れを鞭(むち)うち、皆流血す。今石橋、其の色猶ほ赤し(字通)、

もある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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下樋(したび)

 

琴(こと)取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に妻やこもれる(万葉集)

の、

琴、

は、

倭琴(やまとこと)、

のことで、通常、

和琴(わごん)

といい、

日本の弦楽器、

で、

形は筝(こと)に似て、本の方が狭く、六絃、右手に爪(琴軋(ことさき 長さ7センチほどの鼈甲製の撥)を持って掻き鳴らし、左手は指先ではじく、

とあり(岩波古語辞典・大辞林)、色葉字類抄(平安末期)には、

倭琴、ワコン、

とある。

胴は桐製で全長190p前後、幅は本(もと 頭部)が約15cm、末(すえ 尾部)が約24cmであるが、古代のものははるかに小型。琴柱(ことじ)は楓の二股の小枝をそのまま利用、

とあり(広辞苑)、

尾端に櫛の歯型の切れ込みが 5ヵ所あり、それによって生じた6部分に分かれた凸部を、

弰頭(はずがしら)、

という。それより中央寄りに通弦孔が6個あり、本につけた横木にも通弦孔が6個ある。弰頭にかけた葦津緒(あしづお 白、黄、浅黄、薄萌葱の 4色のより糸)に弦を連結する、

もので(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典)、日本固有の楽器とされ、宮廷などで神楽(かぐら)歌・東遊(あずまあそび)・久米歌・大歌などの伴奏に用いる(仝上)。

東琴(あずづまごと)、
大和琴(やまとごと)、
六弦琴、

ともいう(仝上)。

筝(こと)、

については、

篳篥(ひちりき)

で触れたが、

箏の琴(しやうのこと)、

とよばれ(シヤウは呉音、サウノコトとも)、

十三絃琴、

である(岩波古語辞典)。「琴(きん)」の字を当てることもあるが、

箏、

は、

琴、

とは別の楽器で、最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く、弦を押さえる場所で音程を決める、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8F。雅楽で用いる、

筝、

は、

楽箏(「がくごと」または「がくそう」)、

呼ばれ(仝上)、枕草子、源氏物語、平家物語等では、

そう(箏)、
そう(箏)のこと、
きん(琴)のこと、
わごと(和琴)のこと、

などと呼ばれていた(仝上)。

下樋(したび)、

は、

したひ、

とも訓ませ、

琴の下樋、

というと、

琴の表板と裏板の間の空洞部、

を言い(精選版日本国語大辞典)、

霊魂がこもる場所、

といわれた(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。

下樋、

は、

水鳥(みづとり)の鴨(かも)の棲(す)む池(いけ)の下樋(したび)なみいぶせき君を今日見つるかも(万葉集)

では、

池の排水のために、(地中に)木や石で組んだ通水路のこと、

として詠われ、

鴨(かも)の棲(す)む池(いけ)の下樋(したび)が無いように、気持ちを流し去ることができなくて不安でどうしようもなかったのですけど、そんな風に想っていたあなたに今日お会いできました、

と注釈される(学研全訳古語辞典)。この、

下樋、

は、

地中に設けた樋(とい)、

つまり、

暗渠、

の謂いで、だから、

うづみひ(埋ひ樋)、
埋(うづ)み樋(とひ)、

ともいう(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

山田を作り、山高み、斯多備(したび)を走(わ)しせ(古事記)、

と、

暗渠、
のメタファとして、

琴の下樋、

という言い方が生まれたものだろう。

「樋」(漢音トウ、呉音ツウ)は、

会意兼形声。「木+音符通(トウ つきぬける)」、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(木+通)。「大地を覆う木」の象形と「立ち止まる足の象形と十字路の象形(「行く」の意味)と甬鐘(ようしょう)という筒形の柄のついた鐘の象形(「筒のように中が空洞である」の意味)」(つつのように空洞で障害物がなく、よく「とおる」の意味)から「水を通す木、とい」を意味する「樋」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2534.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「木」+音符「通」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A8%8B

形声。木と、音符通(トウ)とから成る(角川新字源)

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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こごし


神さぶる岩根(いわね)こごしきみ吉野の水分山(みくまりやま)を見れば悲しも(万葉集)
岩が根のこごしき山に入りそめて山なつかしみ出(い)でかてぬかも(仝上)

の、

水分山、

は、

吉野水分神社のある山、

岩が根のこごしき山に入りそめて、

は、

高貴な女を恋いそめた意、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

こごし

は、

凝し、

とあて(広辞苑・岩波古語辞典)、あるいは、

磊嵬、

とも当てる(大言海)。漢字、

磊嵬(かいらい)、

は、

高く険しいさま、

をいう(字通)。

こごし、

は、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

の、形容詞シク活用で、

凝り固まってごつごつしている、(岩が)ごつごつと重なって険しい(学研全訳古語辞典)、
山道などで、岩がごつごつと重なって険しい(精選版日本国語大辞典)、
凝り固まっている、ごつごつしている、険しい(岩波古語辞典・広辞苑)、

と、微妙に含意が異なるが、

凝り固まっている→ごつごつしている→けわしい、

といった、意味の外延の拡大とみることができる。

こごゆ(凍)・こごる(凝)と同根(岩波古語辞典)、
コゴは凝凝(こご)の義と云ふ、凝るの語根を重ねたる語(大言海)、
コゴ(凝々)の義で、コリ(凝)の語根コを重ねたもの、シは形容語尾(万葉集類林・日本古語大辞典=松岡静雄)、
動詞コゴルの形容詞形、コゴは曲・屈の義のクグ(ム)に由来する(続上代特殊仮名音義=森重敏)

等々とあるが、

こごゆ(凍)、

は、

寒さで身体の各部分が固くなる、

意で(岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

凍、コホル・コホリ・コル・サムシ・サユ・ココヒタリ・シミナ・コイタリ、

字鏡(平安後期頃)に、

凍、コル・コホリ・シシム・サムシ・コヒタリ・ツチノハジメテコホル、

とあり、

凍(こ)い凍(こ)ゆと重ねて、強めたる語、

となる(大言海)。

凍結、

とあてる、

こごる、

は、

凝る、
凍る、

と当て(岩波古語辞典)、

凍(こ)い凝るの義(大言海)、
コイコル(寒凝)の義(和訓栞)
語幹コゴは曲・屈の義のクグ(ム)に由来する(続上代特殊仮名音義=森重敏)
コゴユ・コゴシ(凝)と同根(岩波古語辞典)、

とある。

こごし、
こごる、

のもととなる、

こる、

は、

凝る、
凍る、

とも当て(学研全訳古語辞典)、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、自動詞ラ行四段活用で、

液体など、流動性をもって定まらないものが、寄り固まって一体となる、

意で(岩波古語辞典)、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

凝、コル・ヨル・ココル・コラス・ナル・トドム・サダム・サダマル、

字鏡(平安後期頃)には、

凝、トドム・コル・タカシ・コホリ・シヅカ・カタシ・コラス・ナスラフ・トドコホル・ココル・サダマル、

とある。

固まる、

という意味で、

凍る、
も、
凝る、

も、漢字をあてはめない以前は、共通して、

こる、

であり、それが、

こごし、
こごる、
こごゆ、

等々に変化したとみることができる。

「凝」(ギョウ)は、

会意兼形声。疑の左側は矣(アイ・イ)のもとの形。「子+止(あし)+音符矣(人が後ろを振り返って止まるさま)」の会意文字で、わが子に心が引かれて止まるさまを示す。凝は「冫(こおり)+音符疑」。氷がひと所にじっと封じ固まるように、止まって動かない意をあらわす、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(冫+疑)。「氷」の象形と「十字路の左半分の象形と人が頭をあげ思いをこらしてじっと立つ象形と角のある牛の象形と立ち止まる足の象形」(「人が分かれ道に立ち止まって、のろま牛のようになる」の意味⦆から、「水がこおる」、「かたまる」を意味する「凝」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1593.html

と、会意兼形声文字とする説もあるが、他は、

形声。「冫」+音符「疑 /*NGƏ/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%87%9D

形声。冫と、音符疑(ギ)→(ギヨウ)とから成る。氷がこりかたまる意を表す(角川新字源)、

形声。声符は疑(ぎ)。疑は人が顧みて凝然として立つ形。〔説文〕十一下に凝を冰の俗字とし、「水堅きなり。人+人(氷)に從ひ、水に從ふ。凝、俗に冰は疑に從ふ」とするが、凝・冰(氷)は声義ともに一字とはしがたい。〔玉篇〕に両字を別の字としており、漢碑にも用い方に分別がある(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ところづら

 

すめろきの神の宮人(みやひと)ところづらいやとこしくに我(わ)れかへり見む(万葉集)

の、

ところづら、

は、

やまいもの一種、

とあり、

ところの蔓、

で、ここでは、

「いやとこしくに」の枕詞、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ところづら、

は、

野老葛、
冬薯蕷葛、
薢葛、

などとあて(広辞苑・岩波古語辞典)、

トコロの古名、

とある(仝上)が、

おにどころ(鬼野老)の古名、

ともある(精選版日本国語大辞典)。

なづきの田の稲幹(いながら)に稲幹に這ひ廻(もとほ)ろふ登許呂豆良(トコロヅラ)(古事記)、

とあるように、多く、後述するように、

オニドコロ、

を指すことがあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%ADようである。

ところ、

は、

野老、

とあて、

ユリ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属 (Dioscorea)の蔓性多年草の一群、

を指し(仝上)、

原野に自生。葉は心臓形で先がとがり、互生する。雌雄異株。夏、淡緑色の小花を穂状につける、

とある(デジタル大辞泉)。

春旧根より苗を生じ、蔓、甚だ長く延ぶ。葉は互生して、楕円形にして尖り、たてすぢのみにして、やまいも(薯諸)の葉に似て大なり。根も相似たり、蒸せば黄色となり、髭ありて白く、味甘く、少し薟(えぐ)し。萆薢、又、鬼野老(おにどころ)あり、

とあり(大言海)、「〜ドコロ」と呼ばれる多くの種があるが、特に、

オニドコロ、

を指すことがある(仝上)とある。和名類聚抄(931〜38年)に、

薢、土古呂、俗用艹+宅字、用野老二字、

字鏡(平安後期頃)に、

薢、止己呂、

天治字鏡(天治本新撰字鏡)(898年〜901年)に、

艹+宅、止古呂、

『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、

薢、止己呂、萆薢、

等々とあり、出雲風土記に、

そのわたりの山に掘れる葛根(くずのね)・薯蕷(やまついも)・萆薢(ところ)、

とあるように、ヤマイモによく似た野生植物で食用になり、古くは、

トコロヅラ、

中古に、

トコロと呼ばれるようになった(精選版日本国語大辞典)。ただ、

ヤマノイモなどと同属だが、根は食用に適さない。ただし、灰汁抜きをすれば食べられる。トゲドコロは広く熱帯地域で栽培され、主食となっている地域もある。日本でも江戸時代にはオニドコロ(またはヒメドコロ)の栽培品種のエドドコロが栽培されていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD

苦みがあるので、生食にもとろろにも適さず、焼いて食べるのが一般的、

とあり、

ゆでててい水にさらしてから、煮物にしたり、飯に炊き込んだり、飴の材料として菓子にもちいたりした、

ともある(日本語源大辞典)。

野老、

とあてるのは、

根茎にひげ根が多い、

ため、その、

髭根を老人の髭に見立て、

て、

野老(やろう)、

とよび、正月の飾りに用い長寿を祝う(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

海老にたいして野老、

つま、

ノノオキナ(野老)、

とも呼ばれた(仝上)。この芋が、

きわめて長いので長命を連想させ、毎年掘り出す普通の芋に対し長く土中においておくほど大きくなるところから、年をとるほど栄える縁起物、

として正月飾りに用いられた(仝上・日本語源大辞典)。

野老、

とあてたのは上記の通り、

根に髭多し、故に、野老の字を用ゐる(大言海)、

のだが、もともとの、

ところ、

の由来には、諸説ある。

イトコリ(最凝)の義(日本語原学=林甕臣)、
根にかたまりができるところからトコリ(凝)の義、トはトダエ、トギレなどのトと同語(名言通)、
トロリとコ(凝)った汁になり、コロコロとしているところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
トケヲ(解麻)の義(言元梯)、
トキ(解)またはトロク(蕩)の転(日本語源=賀茂百樹)、
古語ト(解)クルの転訛(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、

と諸説あるが、語呂合わせに過ぎてはっきりしない。古く、

トコロヅラ、

と言っていたところをみると、

蔓、

とかかわるのだろうとは思うが、はっきりしない。ちなみに、多く「ところ」にあてられる、

鬼野老(おにどころ)、

は、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、

萆薢、於爾止古呂、

とあり、一名、

きどころ、
山萆薢、
ながどころ、

とあり(大言海)、

ヤマノイモ科のつる性多年草。各地の山野に生える。地下茎は長くはい、分枝する。地上茎は長さ数メートルに伸びる。葉は互生の心臓形で先がとがり長さ約一二センチメートル、幅約一〇センチメートルで長い柄がある。雌雄異株。夏、葉腋(ようえき)から長く伸びる花穂を出し、黄緑色の小花をつける。雄花序は分枝し、上を向くが、雌花序は分枝せず下垂する。果実は三枚のはねがあり、垂れ下がった花穂に上向きにつく。同類にキクバドコロ、タチドコロ、ヒメドコロなどがある、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

ひげ根のついた根茎を、老人のひげにたとえ長寿を祝うため正月の飾りに用いる、

とある(仝上)。ただ、漢名を当てた、

山萆薢、

は誤用とある(仝上)。多く、

ところづら、

とされる。なお、トコロのつく、

ハシリドコロ、

は有毒で、

トコロと名が付いているが、ヤマノイモ属ではなくナス目ナス科ハシリドコロ属である、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD

「野」(@漢音呉音ヤ、A漢音ショ、呉音ジョ)の異体字は、

㙒、埜(古字)、墅(いなかおの意)、𡌛(俗字)、𤝉(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E。字源は、

会意兼形声。予は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、のはらのこと、古字の埜(ヤ)は、「林+土」の会意文字、

とある(漢字源)。なお、「野原」「原野」「在野」「野生」「野心」など「ひろくのびた大地」の意、およびそれをメタファにした意味の場合は、@の音、「別野(別墅)」のように、田舎の家、畑の中の小屋の意の場合Aの音となる(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちましたまた、「埜」は、会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji115.html

と、会意兼形声文字とするものも、

形声。声符は予(よ)。〔説文〕十三下に「郊外なり」とあり、重文として埜+予を録する。埜に予(よ)声を加えた字である。卜文に埜の字がみえ、金文の〔大克鼎〕に地名に用いる。里は田土に従って、田社の意。埜は林社、叢林の社を意味する字である。都に対して鄙野・樸野、官に対しては在野という(字通)、

形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、

と形声文字とするものも、

「里」+「予」、

と分析しているが、これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)によるもので、この『説文解字』説の、

「里」+「予」との分析は、誤った分析である、

とし、

原字「埜」は会意文字、「林」+「土」。これに音符「予 /*LA/」を加えて「𡐨」の字体となった後、「林」の代わりに「田」を加えて「㙒」→「野」の字体となる。「の」「平原」を意味する漢語{野 /*laʔ/}を表す字、

として、

「土」と「田」は異なる時代に個別に加えられたものとするhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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なごり

 

名児(なご)の海の朝明(あさけ)のなごり今日(けふ)もかも磯の浦みに乱れてあるらむ(万葉集)

の、

名児、

は、

所在不明、

とあり、

なごり、

は、

波凝り、

で、

潮だまり、

の意、

乱れてある、

は、

無秩序にあちこちにあるさま、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

なごり、

は、ふつう、

余波、

と書く(精選版日本国語大辞典)とあり、その由来は、

ナミ(波)ノコリ(残)の約という(広辞苑・デジタル大辞泉)、
ナミ(波)ノコリ(残)の約という。波のひいたのち、なお残るもの。さらに、あることの過ぎ去ったのちまでも尾を引く物事や感情の意(岩波古語辞典)、
波残(なみのこり)の変化したものといわれる(精選版日本国語大辞典)、
波残りの約と云ふ(大言海)、
波残りの義(日本釈名・和訓考・和訓栞・柴門和語類集)、
ナコリ(波滞)の義(言元梯)、
ナリノコリ(形残)の義(日本語原学=林甕臣)、
ナリノコリ(成残)から(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ナノコリ(馴残)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
ナガヲリ(長居)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、
動詞ナガル(流)の四段活用連用形名詞法ナガリから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

等々とあるが、その原意は、

風しも吹けば名己利(なコリ)しも立てれば水底霧(みなぞこき)りてはれその珠見えず(催馬楽(7C後〜8C))、

とある、

風が吹き海が荒れたあと、風がおさまっても、その後しばらく波が立っていること。また、その波、

つまり、

なごりなみ、
なごろ、

の意で、

あなし吹く浦のなごろは高けれど月はのどかに澄みわたりけり(殿上蔵人歌合)、

と、

なごろ、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

波、ナゴロ、

とあり、

ナゴリの転、

で、やはり、

余波、

とあて(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

なぐら、
なぐれ、
なぐろ、

とも訛り、それが、意味を転じて、

難波潟潮干の名凝(なごり)飽くまでに人の見む児を吾(われ)し羨(とも)しも(万葉集)、

と、

浜、磯などに打ち寄せた波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水、


をいい、さらに転じて、

汐干たる後、磯の石閨A洲崎のくぼみなどに、波に遅れて残り居る、こち、きす、かれひ、ひらめ、などのやうの、沙に伏す魚、海藻類、

もいうようになる(精選版日本国語大辞典・大言海・岩波古語辞典)。この、

余波、

の意味をメタファにして、さらに転じて、

夕されば君来まさむと待ちし夜の名凝(なごり)そ今も寝(い)ねかてにする(万葉集)、

と、

ある事柄が起こり、その事がすでに過ぎ去ってしまったあと、なおその気配・影響が残っていること、

の意の、

余韻、
余情、

の意で使い、この場合、

名残(り)、

とあてる(精選版日本国語大辞典・大言海)。この意味のバリエーションは多く、

かくおびただしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その名残しばしは絶えず(方丈記)、

は、

余震、

の意、

いと重くわづらひ給つれど、ことなるなごり残らず、おこたるさまに見え給(源氏物語)

では、

病気・出産などのあと、身体に残る影響。

の意、

いかなればかつがつ物を思ふらむなごりもなくぞ我は悲しき(大和物語)、

では、

物事の残り、もれ残ること、遺漏、

の意、

守(かみ)も、なくなりにしかば、やもめなれども、女(むすめ)どもあまた、ひろき家にすみみちて、うちうちは、なほそのなごりゆるるかにてある人なれば(浜松中納言物語)、

では、

あとに残していった物や資産、形見、

の意、

よべ入りし戸口より出でて、ふし給へれど、まどろまれず。なごり恋しくて……帰らむことも、物憂くおぼえ給(源氏物語)、

では、

人と別れるのを惜しむこと。また、その気持、また、人と別れたあと、心に、そのおもかげなどが残って、忘れられないこと、

の意で、

かたじけなくとも、昔の御名残におぼしなずらへて、気遠からずもてなさせ給はばなむ、本意なる心地すべき(源氏物語)、

では、

子孫、

の意、

なれなれてみしはなごりの春ぞともなどしら河の花の下かげ(新古今和歌集)、

では、

これで最後だという別れの時、

の意で使われている(精選版日本国語大辞典・大言海・岩波古語辞典)。今日も使う、

名残惜しい、

は、

匂ひけん盛りはみねど菊の花名残おしくも思ほゆるかな(古今和歌六帖)、

と、

過ぎ去る物事に心ひかれ、長くとどめたい、
また、
別離がつらく心残りである、

意で使い(仝上)、

名残を惜しむ、

は、

君にあひてなごりををしむけふしまたしばしとまらであきもいぬめり(「林下集(1179頃か)」)、

と、

別れがつらく、惜しいと思う、

意となる(仝上)。なお、

名残の袖、

というと、

わかれけんなこりのそでもかはかぬにおきやそふらむあきのしらつゆ(「大弍三位集(1082頃)」)、

と、

別れの心残りを惜しむことのたとえ、

としていい、

なごりのたもと、

ともいう(仝上)。

「余」(ヨ)の異体字は、

餘(旧字体/被代用字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%99

餘、

の異体字は、

余(新字体/簡体字/代用字)、

となるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A4%98

「余」の字源は、

会意文字。余は「スコップで土を押し広げるさま+八印(分散させる)」で、舒(ジョ のばす、ゆっり)の原字。ゆったりとのばし広げる意を含む。余・予をわれの意に用いるのは当て字であり、原意には関係がない、

とある(漢字源)が、他は、

象形。取っ手のついた刃物又は農具を象る。農具で土を押し退けること。「舒」の原字。「除」は土を押し退けること。自称に用いたのは音を借りたもの。又、押し退けられた土から「あまり」という意味にもなったhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%99

象形文字です。「先の鋭い除草具」の象形から、「自由にのびる」を意味する「余」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「我(われ)」の意味にも用いるようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji796.html

象形。柱で支えた屋根の形にかたどる。借りて、おもに、一人称単数代名詞「われ」の意に用いる(角川新字源)
とある

と、象形文字としている。

「餘」(ヨ)の字源は、

会意兼形声。餘は「食+音符余(ヨ)」で、食物がゆったりとゆとりのある意を示す。ゆとりがあることから、あまってはみでる意、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(食+余)。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした象形」(「食べ物」の意味⦆と「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる、豊か」の意味)から「食物が余る」、「豊か」を意味する「餘」というhttps://okjiten.jp/kanji796.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「食」+音符「余 /*LA/」。「食べ残し」「あまり」を意味する漢語{餘 /*la/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A4%98

形声。旧字は餘に作り、余(よ)声。〔説文〕五下に「饒(おほ)きなり」とあり、前条に「饒(ぜう)はくなり」とあって、食余をいう。すべて残余・余意の存する状態をいう。一人称の余とは別の字であるが、いま余の字を餘の常用漢字として用いる(字通)、

形声。意符食と、音符余(ヨ)とから成る。食物がありあまる、ひいて「あまる」意を表す。教育用漢字は、俗に餘の略字として余を用いたものによる(角川新字源)、

と、形声文字としている。なお、「波」は、

老いなみ

で触れた。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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真榛(まはり)

 

住吉(すみのえ)の遠里小野(とおさとおの)の真榛(まはり)もち摺れる衣(ころも)の盛(さか)り過ぎゆく(万葉集)

の、

住吉(すみのえ)の遠里小野、

は、

住吉、

は、

摂津国(今の大阪市南部の住吉区あたり)、

で、

遠里小野、

住吉南方の地、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

真榛(まはり)、

は、

はんの木、

を言い、

マは完全を示す接頭語、

とあり(仝上)、つまりは、

榛(はり)の美称、

で(広辞苑)、

はんの木の実や皮を染料にした、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。だから、

盛(さか)り過ぎゆく、

は、

色の盛りが褪せてゆく、

という意になる(仝上)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、

榛、ハシバミ・ハジカミ・トネリコ・オドロ/榛子、ハシバミ、

とあり、新字鏡集(鎌倉時代)に、

榛、波自加弥(はじかみ)、

とある。

榛(はり)、

は、

はんの木の異称(岩波古語辞典)、
はんの木の古名(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD)、

とあり、

はん(榛)の木、

は、

はりの木(榛木)の音便、

である(広辞苑・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD)。

ハンノキ、

は、

カバノキ科ハンノキ属の落葉高木。各地の山野の湿った所に生え、水田の畔に植えて稲掛け用としたり、護岸用に川岸に植えたりする。高さ一五メートル、径六〇センチメートルに達する。葉は有柄で長さ五〜一三センチメートルの長楕円形。縁に細鋸歯(きょし)がある。雌雄同株。早春、葉に先だって開花する。雄花穂は黒褐色の円柱形で尾状に垂れ、雌花穂は楕円形で紅紫色を帯び雄花穂の下部につく。果実は小さな松かさ状。樹皮・果実を古くは染料に用いた。材は薪炭・建築・器具用、

とある(仝上・精選版日本国語大辞典)。

はんの木、

にあてる、

榛、

は、

ハシバミ、

の漢名。これを、ハンノキに用いるのは日本独自の用法である(仝上)。また、

はんの木、

の漢名として、

赤楊、

とも当てる(字源)が、これは誤用とされる(仝上・精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

ハシバミ、

は、

カバノキ科の落葉低木。北海道、本州、九州の日当たりのよい山野に生え、ヨーロッパでは果実を食用にするため近縁種を栽培している。高さ三〜五メートル。葉はほぼ円形で先が急にとがり長さ約一〇センチメートル、縁に浅い欠刻があり、さらに細かい鋸歯(きょし)がある。雌雄同株。春、葉に先だって枝先に黄褐色の雄花を尾状花序に密生し、その下部に紅色の雌花を上向きにつける。果実は球形で堅く下部は葉状の二枚の総苞につつまれる、

とある(仝上)。この漢名が、

榛(シン)、

である。

ハンノキ、

の、

樹皮・果実を古くは染料に用いた、

とされるが、

蓁揩(ハリスリ)の御衣三具(よそひ)(日本書紀)、

とある、

蓁揩(ハリスリ)、

は、

模様を陽刻した型木に榛木(はんのき)の果実から採った染料をつけて麻布の上に押捺したもの、

をいい、

はりのきぞめ(榛木染)、
はりすり(榛摺)、

また、訛って、

はんずり、
はにすり、
はじすり、

といい、

佐伊波里(サイバリ)に衣は染めむ雨ふれど、雨ふれど移ろひがたし深く染めてば(神楽歌(9C後))、

とある、

さいばり、

は、

榛、
割榛、

とあて、

さきはり(割榛)の変化した語、

で、

榛(はん)の木を細くさいたときに出る液を染料としたもの、

である(精選版日本国語大辞典)。

ただ、

榛はしばみ(はり)で染めた色といっても、その種類や染色に使用した部分、採取した季節によってそれぞれ違った色合いに染まるので、一定の色を決めるのは難しいようです、

とありhttps://iroai.jp/hashibami/、『万葉集』の中の榛(はり)は、

榛(はり)だけに限らず、毛山榛(ケヤマハンノキ)、河原榛(カワラハンノキ)、夜叉五倍子(ヤシャブシ)、姫夜叉五倍子(ヒメヤシャブシ)、大葉夜叉五倍子(オオバヤシャブシ)などの榛の種類を総称して、榛はりと表わしたと考えられます、

とある(仝上)。また、

榛染(はりぞめ)の染色方法については、「染色・草木染めにおける榛(はしばみ・はり)。万葉集における榛の染色方法について」https://iroai.jp/hashibami/に詳しい。

「榛」(シン)は、

形声。「木+音符秦」、

とあり(漢字源)、他も、

「木」と「秦(シン)」による形声文字。音符は秦https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A6%9B

形声。声符は秦(しん)。〔説文〕六上に「木なり」とあり、はしばみ。また雑木林をいう(字通)、

形声。木と、音符秦(シン)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とするが、

会意兼形声文字です(木+秦)。「大地を覆う木」の象形と「きねを両手で持ち上げる象形(「上がる」の意味)と穂先が茎の先端にたれかかる稲の象形」(「稲が上へ上へと伸び茂る」の意味)から「木が伸び茂る」、「雑木林」を意味する「榛」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2527.html

と、会意兼形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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洲鳥(すどり)

 

円方(まとかた)の港(みなと)の洲鳥(すどり)波立てや妻呼び立てて辺(へ)に近づくも(万葉集)

の、

円方、

は、

三重県松阪市東黒部町、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

洲鳥、

は、

渚鳥、

とも当て、

洲にいる鳥、

の意で、

シギ・チドリの類、

を指し、

みさごの異称、

とも(広辞苑)、

かわせみ(翡翠)の異名、

ともある(「物類称呼(1775)」)。なお、シギについては、

鴫の羽掻

で、千鳥については、

千鳥

百千鳥

千鳥足

で、みさごについては、

みさご

で、それぞれ触れた。

鳥、

は、

海や川の州にいる鳥、

である、

シギ

チドリ

等々を指す(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

カワセミ、

の別名とも(デジタル大辞泉)、

みさご(鶚)、

の異名ともされる(広辞苑・大言海)。

かわせみ、

は、

翡翠、
川蝉、
魚狗、

等々とあて(広辞苑・大言海)、

ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に属する小型の鳥、

で、

全長約一七センチメートルで、スズメよりやや大きい。雌雄ともに頭部は暗緑色、背面は空色で腹面は橙色。くちばしは太く、長さは約四センチメートル。尾は短く、あしは赤い。水辺にすみ、川魚、カエル、昆虫などを食べ、土手やがけに横穴を掘って営巣する。日本全土にみられる留鳥(りゅうちょう)、

である(精選版日本国語大辞典)。

くちばしが長くて、頭が大きく、頸、尾、足は短い。オスのくちばしは黒いが、メスは下のくちばしが赤い。また、若干メスよりオスの方が色鮮やかである。頭、頬、背中は青く、頭は鱗のような模様がある。喉と耳の辺りが白く、胸と腹と眼の前後は橙色。足は赤い、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%BB%E3%83%9F、その、

鮮やかな青色は色素によるものではなく、羽毛にある微細構造により光の加減で青く見えるのは、シャボン玉がさまざまな色に見えるのと同じ原理、

で、構造色といい(仝上)、

両翼の間からのぞく背中の水色は鮮やかで、光の当たり方によっては緑色にも見える、

とある(仝上)。

古くは、和名類聚抄(931〜38年)に、

鴗、魚虎鳥、曾比(そび)、色青翠而食魚、

とあるように、

鴗(ソヒ 別訓ソニ)を以て尸者(ものまさ)と為(日本書紀)、
鴗(ソニ)を以て尸者(ものまさ)と為。雀を以て舂者(つきめ)と為(日本書紀)、

と、

そび(鴗)、
そに(鴗)、

また、

蘇邇杼理能(ソニドリノ)青き御衣をまつぶさに取り装ひ(古事記)、

と、

そにどり(鴗)

ともいった(大言海・精選版日本国語大辞典)。

古言、ソビが、セビ、又セミと転じ、更に、深山(みやま)せみ、ヤマセミに対し、川せみと云ふなり、

とある(大言海)。で、

カワセミ、

は、

セウビ、
カワセビ、
キヨモリ、
セウビン(翡翠)、

等々ともいう(大言海)。漢語では、

翡翠(ヒスイ)、

といい(字源)、

魚狗、
翠雀、
翠鷸、

とも当てる(仝上)。

ソビ(鴗)、

の由来は、

ソは小の義、ヒは鳥の意の古語(東雅)、
セヒ(背翡)の義(言元梯)、
ソニの転(大言海・岩波古語辞典)、
鳴き声から(名言通)、

とあるが、はっきりしない。

カワセミ、

の由来は、

カハソビ(川鴗)の転(言元梯)、
カハセミ(川蝉)の意(万葉代匠記)、
カホソビ(容鴗)の義(松陰随筆)、
カワセムグリ(川瀬潜)の義(日本語原学=林甕臣)、

と、

ソビ(鴗)、

からきている(日本語源大辞典)ようだ。

古くは「ソニ」(「新撰字鏡(平安前期)」)、「曾比(ソビ)」(「和名類聚抄(931〜38年)」)で、しょうびんはその変化したもの、カワセミのセミもソビの変化したもの、

とする説がある(仝上)とするが、上述の、

古言、ソビが、セビ、又セミと転じ、更に、深山(みやま)せみ、ヤマセミに対し、川せみと云ふなり(大言海)、

という説が妥当に思える。

カワセミ、

と、対にされる、

ヤマセミ、

は、

山翡翠、
山魚狗、

とあて、

みやまそび(深山魚狗、翡翠)、
やましょうびん、
やまぜみ、

ともいい、江戸末期の『本草綱目啓蒙』(1847⦆に、

魚狗、……翡翠、カホドリ、やましゃうびん、みやまそび、みやましゃうびん、

貝原益軒編纂の『大和本草(1708)』には、

魚狗(カハセミ)、大小二首り、小はカキセミと云、多し、是翡翠なるべし、……山せみ、……常の川せみに似て大也、

とある、

ブッポウソウ目カワセミ科に分類される鳥類、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%9F

川ではヤマセミよりも上流に生息する、

が、一部では混在するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%BB%E3%83%9F、山地の渓流に生息するカワセミの仲間であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%9F

体長は約38 cm。翼開長は約67 cm。カワセミの倍、ハトほどの大きさで、日本でみられるカワセミ科の鳥では最大の種類である。頭には大きな冠羽があり、からだの背中側が白黒の細かいまだら模様になっているのが特徴。腹側は白いが、あごと胸にもまだら模様が帯のように走っている。オスとメスはよく似るが、オスはあごと胸の帯にうすい褐色が混じる。日本では、留鳥として九州以北に分布、繁殖している、

とある(仝上)。

「洲」(漢音シュウ、呉音ス)は、

会意兼形声。州は、川の流れのなかすを描いた象形文字。洲は「水+音符州」で、水にとりまかれたなかすのこと、

とある(漢字源)。他は、

会意形声。水と、州(シウ)(なかす)とから成る(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+州)。「流れる水」の象形と「川の流れの中に囲まれた土地」の象形から、「川・湖・海の底に土砂がたまって高くなり水面上に現れたもの」を意味する「洲」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2556.html

と、会意兼形声文字とするもの、

形声。「水」+音符「州 /*TU/」。{洲 /*tu/}を表す字。もと「州」が{洲}を表す字であったが、水を加え、水で囲まれたしまを指すhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B4%B2

形声。声符は州(しゅう)。洲は州の俗字。のち州県の字と区別して、川の洲や大陸の名に用いる(字通)、

と、形声文字とするものにわかれる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
簡野道明『字源』(角川書店)

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あさり(漁)

 

あさりすと磯に我が見しなのりそをいづれの島の海(あま)人か刈りけむ(万葉集)

の、

あさり、

は、

漁、

とあて、

漁(あさ)ること、

である(広辞苑)。なお、

なのりそ

については触れた。

あさり(漁)、

は、

動詞「あさる(漁)」の名詞化、

で、

阿佐里(アサリ)する海人の子供と人は云へど見るに知らえぬうま人の子と(万葉集)、

と、

あさること、

つまり、

魚貝類をとること。また、えさを探すこと、

の意で、

すなどり、
いさり、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。また、それをメタファに、

あな物ぐるほし、盗人あさりすべしなどこそいふめれ(栄花物語)、

と、

捜し求めること、
探ること、

の意でも使う(仝上)。鎌倉前期の歌論書『無名抄』(鴨長明)に、

或人云く、あさりといひ、いさりといふは同じ事なり。それにとりて朝(あした)にするをばあさりと名づけ、夕(ゆふべ)にするをばいさりといへり。これ東の海士(あま)の口状なり、

とあるが、ここで、

「いさり」を夕漁、
「あさり」を朝漁、

とするのは、

いさり火、

朝(あした)は海辺(うみへ)にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁(かり)し羨(とも)しも(万葉集)、

からの連想で、

夕なぎにあさりする鶴(たづ)潮満(み)てば沖波(おきなみ)高(たか)み己(おの)が妻呼ぶ(万葉集)

という歌から見ても、

いさり、
あさり、

は、

朝夕に関わるのではない(精選版日本国語大辞典)とある。動詞、

あさる、

は、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、他動詞ラ行四段活用で、

漁る、

とあてる(学研全訳古語辞典)が、

朝食(あさけ)の、アサを活用せしめたるなるべし(雲る、蔭る、宿る)、鳥、獣、専ら棲(す)を出でて食を求むるを、本とせし語ならむ、人も、朝狩、朝鷹す(大言海)、
「動物が餌を探し求める」意を、漁師が魚を求める意に転用した(日本語源広辞典)、
アサリガヒ(求食貝)の義(桑家漢語抄・漢語抄・本朝辞源=宇田甘冥・日本語源=賀茂百樹)、
浅い水に住む貝の意から(本朝食鑑・日本語源=賀茂百樹)、
サリは砂利と同語、砂中にいる貝の意から(箋注和名抄)、

等々が由来とされ、本来、

餌を探り求む。鳥獣に云ひ、人にも云ふ、

とあり(大言海)、

春の野に安佐留(アサル)雉(きぎし)の妻恋(ご)ひにおのがあたりを人に知れつつ(万葉集)、

と、

鳥獣がえさを探し求める。また、つついたりほじったりして食べられるところをさがす、

意や、

伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり(源氏物語)、

と、

人が魚介、海藻などを探し採る、

意で使い、、

すなどる、
いさる、

と同義になり、やはり、この意をメタファに、

ぬす人いりまうで来て……かしこに侍るもののいささかなる調度など、みなあさりとりてまかりにしかば(宇津保物語)、

と、

人や物を捜し求める、
捜し歩く、

意で使い、

穴刳(あなく)る、

意からきた、

あなぐる(探る・索る)。

とも同義になる。

あさる、

は、今日でも、

古本をあさる、

といった使い方をするし、動詞連用形につけて、

買いあさる、
読みあさる、

と、

その動作をあちこちで繰り返す、
……して回る、

意で使う(広辞苑)。

あさり、

と同義の、

いさり、
すなどり、

も、

いさり、

は、動詞、

いさるの名詞形、

夜間、魚を誘い集めるために、漁船(いさりふね)にて焼く、炬火(たいまつ)、篝火(かがりび)の類、

である、

漁火(いさりび)、

とも使い、これは古くは、

イザリヒ、
イザリビ、

と濁音、

すなどり、

は、動詞、

すなどる(漁)の名詞形、

になる(大言海)。

いさる、

は、他動詞ラ行四段活用、

で、古くは、

いざる、

と濁音、その由来は、

磯求食(いそあさ)るが、イササル、イサルと約まれる語ならむ(こそあるらめ、こざるらめ。いくくむ、いくむ)、スナドルという語も、磯魚捕(いさなと)るの約、磯邊にて捕る語が移りて、沖にも云ふやうになれりと思はる(口論のイサカヒが、争闘の意となる)(大言海)、
磯あさるの約、上代では、沖とか遠洋に出る漁業は少なかったので(日本語源広辞典)、
磯アサルから(関秘録・本朝辞源=宇田甘冥)、
イサナトリの略、或はイソナトリの略(冠辞考。槻の落葉信濃漫録・箋注和名抄)、
イソカル(磯猟)の転(万葉考・和訓集説・和訓栞)、
オキ(沖)アサリの転(雅言考)、
イソから分かれ生まれた語か(北小浦民俗誌=柳田國男)、
イソオリ(磯下)の約か、または、イは接頭語で、原語はサリか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イスアルの約、イスは委しの意で魚の集まるところ(国語本義)、

等々諸説あるが、本来、

磯、

と関わらせるのが正解ではないか。それが、

海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に燈(とも)し伊射流(イザル)火は明(あ)かして燈(とも)せ大和島(やまとしま)見む(万葉集)、

と、

魚や貝をとる、
漁をする、

意に広げたとみていい(精選版日本国語大辞典・大言海)。

すなどり、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

漁、捕魚也、須奈度利、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

漁、スナトリ

とあり、その動詞、

すなどる、

は、色葉字類抄(平安末期)に、

漁、スナドル、イサル、

とある、

ら/り/る/る/れ/れ、

の、他動詞ラ行四段活用で、その由来は、

磯魚捕(いさなと)るの約(大言海)、
伊須魚取の上略(冠辞考)、
スナドリはイサナドリの略転(俗語考)、
スナドリはイソナトリ(磯魚捕)の義(言元梯)、
簀魚捕の義(和訓栞)、
サグリナトル(捜魚捕)の義(日本語原学=林甕臣)、
スは無意義の発語、ナは魚の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
スは海中に集まる意、ナは魚、トルは取(国語本義)、
水中の魚をスナへ取り上げてトルところから(和句解)、
スナ(海浜・砂州)+トル(収穫)、浜で魚をとるが語源(日本語源広辞典)、

等々とあり、

沙(ス)、
魚(ナ)

とが類推でき、

いさる、

と同様、本来は、

磯での漁、

であった可能性があるが、やはり、

沖方(へ)行き辺(へ)に行き今や妹がためわが漁有(すなどれる)藻臥束鮒(もふしつかふな こぶしの幅程の長さの鮒の意)(万葉集)、

と、

魚や貝をとる、
漁をする、

意に広がり、それをメタファに、

太守として、賦を重くし財を貪りて、国内に漁(スナトル)もの也(「将門記承徳三年点(1099)」)、

と、

片端からしぼり取る、
搾取する、

意で使う例もある(精選版日本国語大辞典)。

「漁」(漢音ギョ、呉音ゴ、慣用リョウ)の異体字は、

䱷、 渔(簡体字)、𣺆、𣿡、𤀯、𩵎、𩼪(篆書体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%81

会意兼形声。「水+音符魚」で、魚(さかな)から派生した動詞。雨(あめ)をあめが降るという動詞に用いるのと似た用法、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です(氵(水)+魚)。「流れる水」の象形と「魚」の象形から「生きている魚をとらえる」を意味する「漁」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji612.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「水」+音符「魚 /*NGA/」。「魚を捕獲する」を意味する漢語{漁 /*ng(r)a/}を表す字。https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%BC%81

会意形声。水と、魚(ギヨ)(うお)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は魚(ぎよ)。古い字形は釣魚の形に作るが、のちの字形は魚声。〔説文〕十一下に𩼪に作り、「魚を捕るなり」という。竹部篽字条五上に重文としてを魚+又録し、魚+又が漁の初文。篽は禁苑。魚は古く祖祭に用い、また霊沼に放ったもので、金文の辟雍(へきよう)儀礼をしるす〔「辶+矞」「皀+殳」(いつき)〕や〔井鼎(けいてい)〕には、王が辟雍の大池に漁し、また賜魚の礼をしるすものがある。〔詩、小雅、魚藻〕〔詩、周頌、潜〕は、その礼を歌う詩である(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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命婦

 

いひそめし昔の宿のかきつばた色ばかりこそ形見なりけれ(良峰義方)

の詞書(和歌や俳句の前書き)に、

藤原のかつみの命婦(みやうぶ)にすみ侍りける男、人の手にうつり侍りにける又の年、杜若(かきつばた)につけてかつみにつかはしける、

とある、

命婦、

は、

令制下において一定の地位をもつ女性の称、

をいい、

自らが五位以上を帯びる者を内命婦(ないみょうぶ)、
夫が五位以上である者を外命婦(げみょうぶ)、

と称した(日本大百科全書)。

外命婦、

は、

時々参内する故に、

とある(大言海)。一般に命婦という場合は、

内命婦、

を指すことが多い。『続日本紀』には、

内親王、女王、内命婦、

という序列づけが行われた例があるが、無位の女王を内命婦と呼んだ例もある(世界大百科事典)。彼女たちは必ずしも全員が後宮十二司に勤仕したわけではないが、朝会などの際には朝参を許された(仝上)とある。ちなみに、

後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)、

とは、

令制で規定された後宮関係の一二の司、

をさし、

内侍司(ないしのつかさ)・蔵司(くらのつかさ)・書司(ふみのつかさ)・兵司(つわもののつかさ)・闈司(みかどのつかさ)・薬司(くすりのつかさ)・殿司(とのもりつかさ)・掃司(かもりづかさ)・膳司(かしわでのつかさ)・水司(もいとりつかさ)・酒司(みきのつかさ)・縫司(ぬいつかさ)の総称、

をいい、後宮職員令に規定がある(精選版日本国語大辞典)とされる。

内命婦、
外命婦、

の制は中国のそれに範をとったものである(仝上)が、

中国の内命婦は皇帝のキサキの一員を指し、日本のそれとは意味を異にする、

とあり(仝上)、日本の場合は、

五位以上と六位以下に画然たる差を設ける官人秩序のあり方を反映している、

ともある(世界大百科事典)。この制度は、平安中期以降、後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)の解体に伴って新しい女官(にょかん)秩序が形成され、そのなかで、

命婦、

は、

内侍(ないし 掌侍(ないしのじょう))に次いで位置づけられる四、五位クラスの女房の称、

として使用されるが、これは、

内命婦、

の平安時代的な変身の姿とみられる(日本大百科全書)。鎌倉時代の儀式書『禁秘抄』(順徳天皇)に、

中搶蘭[の前身、

とあり、中世の、

中臈(ちゅうろう)、

とされる女房に相当し、

侍臣の女(むすめ)、

以下とされる(仝上)とある。また、

命婦、

は、

気比宮の白鷺、稲荷山の名婦(ミャウフ)、比叡山の猿、社々の仕者(太平記)、

と、

稲荷(いなり)の神の使とされる狐(きつね)、

ともされ、その場合、

名婦、

とも当てる(大言海)。また、

夫よりこの神の命婦は、宮司のかざらん限りは、親子たがひにみゆまじとちかへり(「和歌童蒙抄(12C前)」)、

と、

奥州、塩竈神社の女神職、

の意もある(精選版日本国語大辞典)。

漢語では、

命婦、

は、

めいふ、

と訓ませ、

宮中につかえる妃嬪の属、

とある(字通)が、

大夫の妃の称、

とあり(儀礼・喪服)、わが国では、上述したように、

五位叙爵の官女の称、
内侍司の雑仕の女官、
稲荷の神の使いといふ狐の称、

等々とされる(字源)。「稲荷の使い」については「つかはしめ」で触れた。

なお、高位の女官の意の、

女掾iじょろう)

については触れたが、

身分の高きを、

上掾A

といい、さらに、転じて、

女房の通称、

として、

二位、三位の典侍、

をいい、公卿の女を、

小上掾A

と云ふ(大言海)とある。「女房」の、

「房」は部屋、

の意で、

宮中・院中に仕える女官の賜っている部屋、

の意味から、

一房を賜っている高位の女官、

で、

上掾E中掾E下揩フ三階級、

がある。

なお、「杜若」については、

いずれ菖蒲か

で触れた。

「命」(漢音メイ、呉音ミョウ)は、「命なりけり」で触れたが、

会意。「あつめるしるし+人+口」。人々を集めて口で意向を表明し伝えるさまを示す。心意を口や音声で外にあらわす意を含む。特に神や君主が意向を表明すること。転じて命令の意となる、

とあり(漢字源)、「いのち」の意味はあるが、「天命」の意で、天からの使命、運命の意で、「命令」色が強い。

会意文字です(口+令)。「冠」の象形と「口」の象形と「ひざまずく人」の象形から神意を聞く人を表し、「いいつける」、「(神から与えられた)いのち」を意味する「命」という漢字が成り立ちました、

という説明https://okjiten.jp/kanji51.html、あるいは、

会意。「人」(集める)+「口」(神託)+「卩」(人)、人が集まって神託を受けるの意。又は、「令」(人が跪いて聞く)+「口(神器)」の意(白川静)、

という説明https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BDが、その意味からみて、分かりやすい。字通では、

会意。令(れい)+口。令は礼帽を著けて、跪いて神の啓示を受ける形。口は祝詞を収める器のᗨ(さい)。神に祈って、その啓示として与えられるものを命という。〔説文〕二上に「使ふなり。口に從ひ、令に從ふ」とし、口を以て使令する意とするが、もと神意を意味する字である。卜文・金文に令を命の意に用い、令がその初文。周初の金文〔大盂鼎(だいうてい)〕に「天の有する大令(命)を受(さづ)けらる」とあり、のち〔賢皀+殳(けんき)〕に「公、事を命ず」のように、命の字を用いる。天命の思想は〔大盂鼎〕をはじめ、〔也皀+殳(やき)〕などにも「顯〃たる受令(命)」とあって、周王朝創建の理念として掲げられたものであった。人の寿夭も天与のものであるから、列国期の金文に「永命眉壽」を祈る語を著けるものが多い。金文にまた賜与の意に用い、〔献皀+殳(けんき)〕「厥(そ)の臣、獻(人名)に金車を令(たま)ふ」のように用いる。天の命ずるところであるから、人為の及ばないところをすべて命といい、君子は命を知るべきものとされた、

と、会意文字としている。他に、

会意形声。口と、令(レイ)→(メイ)(人を使う)とから成り、人に言いつける意を表す(角川新字源)、

と、会意兼形声文字とする説、

形声。「口」+音符「令 /*RENG/」。「言いつけ」を意味する漢語{命 /*mrengs/}を表す字。
もともと甲骨文字では「令」が{命|言いつけ}を表していたが、のち「口」が加えられ「命」字に分化したhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%BD

と形声文字とする説もある。ついでに、「令」の字の字源もみておく。

「令」(漢音レイ、呉音リョウ)の異体字は、

㡵、聆、齢(の代用字)

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4。字源は、

会意文字。「△印(おおいの下に集めることを示す)+人のひざまずく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと、

とある(漢字源)が、他は、

会意(OC/*riŋ/、 /*riŋ-s/)。「亼(「口」の顛倒形)」+「卩(人の跪く姿)」。人に命令を発している様で、本義は「命令」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A4

会意。亼(しゆう)(=集。あつめる)と、卩(せつ)(人がひざまずいた形)とから成り、人を集めて従わせる、いいつける意を表す(角川新字源)、

会意文字です(亼+卩)。「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味し、そこから、「命ずる・いいつける」を意味する「令」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji686.html

と、会意文字とするが、

象形。礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形。古くは令・命の二義に用いた。〔説文〕九上に「號を發するなり。亼(しふ)卩(せつ)に從ふ」と会意に解する。人を亼 (あつ)めて玉瑞の節(卩)を頒かち、政令を発する意とするが、卜文・金文の字形は、神官が目深に礼帽を著けて跪く形で、神意を承ける象とみられる。金文に「大令(命)」「天令(命)」のように命の字としても用い、西周後期に至って、祝禱の器の形をそえて命の字となる。鈴もはじめは令に従って鈴に作り、のちに金+命に作る。鈴は神を降し、また神を送るときに用いる。令・命は神意に関して用いる語である。神意に従うことから令善の意となり、また命令の意から官長の名、また使役の意となる(字通)、

と、象形文字とするものもある。
 

「婦」(漢音フ、呉音ブ)は、

会意文字。「女+帚(ほうきをもつさま)」で、掃除などの家庭の仕事をして、主人にぴったりと寄り添う嫁や妻のこと、

とある(漢字源)。他は、解釈は似ているが、

会意。女と、帚(そう)(箒(そう)〈ほうき〉の原字)とから成る。神聖な祭壇の清掃・管理に当たる女、ひいて、一家の祭事をつかさどる女の意を表す(角川新字源)

会意文字です(女+帚)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「ほうき」の象形から、ほうきを持つ女性を意味し、そこから、「主婦」、「嫁」、「妻」、「女」を意味する「婦」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji895.html

と、会意文字とするものと、

形声。旧字は女+帚に作り、帚(ふ)声。帚は女+帚の初文で、卜辞には帚好・帚女+井(ふけい)のように帚を女+帚の字に用いる。〔説文〕十二下に「服なり。女の帚(はうき)を持つに從ふ。灑埽(さいさう)するなり」とあり、服従と灑埽をその義とする。帚は掃除の具ではなく、これに鬯酒(ちようしゆ 香り酒)をそそいで宗廟の内を清めるための「玉ははき」であり、一家の主婦としてそのことにあたるものを女+帚という。〔爾雅、釈親〕に「其の妻を女+帚と爲す」とあるのは、子の婦、よめをいう。金文の〔令皀+殳(れいき)〕に「女+帚子後人」の語があり、宗廟につかえるべきものをいう。殷代の婦は、その出自の氏族を代表する者として、極めて重要な地位にあり、婦好の卜辞には外征を卜するものがある(字通)、

と、形声文字とするものがあるが、そのいずれでも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に倣って、

箒を持った女性、

と説明している。しかしこれは、

誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A9%A6

形声。「女」+音符「帚 /*PƏ/」。「結婚している女性」を意味する漢語{婦 /*bəʔ/}を表す字、

とする(仝上)。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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まさきく

 

ま幸(さき)くてまたかへり見むますらをの手に巻き持てる鞆(とも)の浦みを(万葉集)

の、

まさきく、

は、

真幸、

とあて、

「ま」は接頭語、

で、

「さきく」を強めたいい方、

になり、

マ(真)サキ(栄)の意、

で(岩波古語辞典)、

無事に、
しあわせに、
さいわいに、

という意味になる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

さきく、

は、

行矣(さきくませ)

で触れたように、

「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、

で、

御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、

などと、

さいわいに、
平穏無事に、
変わりなく、
つつがなく、
繫栄して、

等々、

旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。

さき(幸)、

は、

幸はふ

で触れたように、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意、類義語サチは狩猟の獲物の豊富から受ける幸福(岩波古語辞典)、
和訓栞、さき「幸、又、福を訓むも、先の字に通へり」、第一と云ふ意なるか、尚、考ふべし、幸(さき)はふ、さきはひ、ともなる(大言海)、

とあり、

さち、
と、
さき、

を由来が異なるとする説もあって、意味は似ていても、

さき→さち、

といった音韻変化とは異なるようである。

幸、

を、

さつ、

と訓む、

幸、

については、

さつや

で触れたように、

さつ、

は、

さち(幸)と同源(広辞苑)、
サツはサチ(矢)の古形(岩波古語辞典)、
サチ(幸)は獲物の意(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)、

などとあるが、

「さち」の母音交替形「さつ(幸)」に「矢」がついたもの(精選版日本国語大辞典)、

とする説、

(「さちや」の「サチ」は、)サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、

とする説とに分かれ、

矢を意味する古代朝鮮語(sal)に求める(あるいはこれに霊威を表わす「ち」が付いたものとする)説がある。ただし「さつ矢」の他、「さつ弓」という語もあり、「さつ(ないし「さ」)」がただちに「矢」を意味する語であったとするには疑問が残る、

とあり(精選版日本国語大辞典)、はっきりしないが、いずれにせよ、

猟矢、
幸矢、

などと当て(仝上・デジタル大辞泉)、

猟に用いる矢(大言海・広辞苑)、
威力ある矢、縄文時代からあった石の矢じりの矢に対して、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意(岩波古語辞典)、
サチ(幸)を得るための狩猟用の矢(日本語源大辞典)、

とあり、意見が分かれるが、

さつ、
と、
さち、

は、狩猟関連で、

さつや→さちや、

と転訛し、

狩猟用の矢、

の意である(岩波古語辞典)ので、

さつ→さち、

と転訛したとみることができる。で、

さち、

の由来は、

サツヤ(猟矢)・サツヲ(猟人)のサツ(矢)の転(岩波古語辞典)、
幸取(さきとり)の約略、幸(さき)は、吉(よ)き事なり、漁猟し物を取り得るは、身のために吉(よ)ければなり(古事記伝の説、尚、媒鳥(をきどり)、をとり。月隠(つきこもり)、つごもり。鉤(つりばり)を、チと云ふも、釣(つり)の約、項後(うなじり)、うなじ。ゐやじり、ゐやじ。サチを、サツと云ふは、音転也(頭鎚(かぶづち)、かぶつつ。口輪(くちわ)、くつわ)(大言海)、
サキトリ(幸取)の約略(古事記伝・菊池俗語考)、
サキトリ(先取)の義(名言通)、
山幸海幸のサチ、猟師をいうサツヲと関係ある語か(村のすがた=柳田國男)、
サツユミ(猟弓)、サツヤ(猟矢)、サツヲ(猟夫)などのサツの交換形(小学館古語大辞典)
矢を意味する古代朝鮮語salから生じた語か(日本語の年輪=大野晋)、
サチ(栄霊)の義(日本古語大辞典=松岡静雄)、
サは物を得ることを意味する(松屋筆記)、
サキの音転、サチヒコのサチは襲族の意(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

等々諸説あるが、

さち、

は、

火遠理命(ほおりのみこと)、其の兄火照命(ほでりのみこと)に、各佐知(サチ)を相易へて用ゐむと謂ひて(古事記)、

と、

獲物を取る道具(広辞苑)、
狩や漁の道具、矢や釣針、また獲物を取る威力(岩波古語辞典)、
獲物をとるための道具。また、その道具のもつ霊力、漁や狩りの獲物の多いこと(精選版日本国語大辞典)、
上古、山に狩(かり)して、獣を取り得る弓の称(大言海)、

とされる。しかし、

威力あるものだけに、その矢にしろ、釣り針にしろ、その、

霊力、

を、

さち、

といい、さらに、その、

矢の獲物、

さらに、転じて、

幸福、

をも言うようになった(広辞苑)という意味の転化は納得がいく。だから、本来、

情態性(心の様子)を表わす「さき(幸)」とは、関係ない語であった、

とあり、

音声学上、第二音節の無声子音の調音点のわずかな違いをのぞけば、ほぼ同じ発音であることなどから、「さち」に「幸いであること」「したわせ」の意味が与えられるようになったと推定される、

と、

上代の文献には、狩りや漁に関係しない、純然たる「幸せ」の意味の確例は見られない、

とある(精選版日本国語大辞典)。あえて言えば、

さき、

は、

サク(咲)・サカユ(栄)・サカリ(盛)同根、植物の生長によって得る繁栄・幸福の意(岩波古語辞典)、

から見て、

農耕系、

の、

収穫・繁栄→幸福、

を指していたのかもしれない。

サキ、

サツ→サチ、

は、別系統からきているが、意味が似ているために、

サキ→サチ、
サツ→サチ、

と、両者が、

幸、

の字を当てたために、どこかで、

サチ、

へと混同されるに至ったとみていい。

「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、その異字体に、

𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、

とあるがhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、「幸はふ」で触れたように、

象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がやや広がったもの、

とある(漢字源)。同趣旨で、

象形文字です。「手かせ」の象形でさいわいにも手かせをはめられるのを免れた事を意味し、そこから、「しあわせ」を意味する「幸」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji43.html

象形。手械(てかせ)の形。これを手に加えることを執という。〔説文〕十下に「吉にして凶を免るるなり」とし、字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従い、夭死を免れる意とするが、卜文・金文の字形は手械の象形。これを加えるのは報復刑の意があり、手械に服する人の形を報という。幸の義はおそらく倖、僥倖にして免れる意であろう。のち幸福の意となり、それをねがう意となり、行幸・侍幸・幸愛の意となるが、みな倖字の意であろう(字通)、

ともあるが、別に、

会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせ()の象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、

と会意文字とするものもある。しかし、

手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8、また、

『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である、

ともあり(仝上)、

「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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かし(戕牁

 

舟泊(は)ててかし振り立てて廬(いほり)りせむ名児江(なごえ)の浜辺(はまへ)過ぎかてぬかも(万葉集)

の、

かし、

は、

舟を繋ぐ棒杭、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

かし、

は、

戕牁、
牫牁、
杵、

とあて、

船をつなぐために水中にたてるくい(広辞苑)、
船をつなぐために水中に立てる杭(くい)、または、棹(さお)。船に用意しておき、停泊地で水中に突き立てて用いる(精選版日本国語大辞典)、
船をつなぎとめるために、水中に立てる杭くい、または棹(さお)(デジタル大辞泉)、
船を繋ぎ止むべきために、立つる杙(くひ)、もやひぐひ。今も、舟人の、棹をは水中に植(た)てて、舟を繋ぐを、かしをふる、又、かしをつく、と云ふ(大言海)、

などとあり、

もやいぐい(舫杭)、
かせ、

ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、

牫牱、所以繫舟、加之(かし)、

とある。中国の字書『玉篇』(543年 梁・顧野王撰)に、

戕牁、繋船大杙也、、

あるので、

戕牁、

は、

漢語を当てたと思われるが、

此(か)くて堅め立てし加志(カシ)は(出雲風土記)、

と使う、和語「かし」の由来は、

カシ(枷)の転義(俗語考)、
カはカイ、カコの原語で舟を進める意。シは桿の義でハシの約か(日本古語大辞典=松岡静雄)、
カハサシ(河差)の反(名語記)、

などとあり、はっきりしない。ただ、古代には、

かし、

が一種の呪力を有しており、

停泊地の海底に穴をあけて清水を噴出させた(肥前国風土記)、
海の向こうから国引きしてきた土地を固め立てた(出雲国風土記)、

等々という、

かし立て説話、

がある。杖の有する同じような呪力は、杖が古代的土地占有のシンボルとして大地に立てられたことに起因するが、

かし、

も、船に乗って海辺の土地を占定していく際のシンボルであった(世界大百科事典)とされ、中世の特権漁民として有名な賀茂社神人(じにん)は、

「櫓(ろ)棹(さお)杵(かし)の通路の浜」に対する漁場占有を主張したが、その際の「杵」にも同様の意味が込められている、

とあり、また、

海のかし立てを限る、

という、

中世荘園の境界・四至表示は、「かし」の届く水深の水域の領有を示している、

等々があり(仝上)、「かし」の由来も、そうしたものとつながっている可能性はある。この、

かし(戕牁)、

が、転じて、

かし(河岸・川岸)、

となった。

戕牁(かし)を立つる處の義(大言海・東雅・俗語考)
戕牁を立てる所の意からか(デジタル大辞泉)、
カシハギの約(箋注和名抄・言葉の根しらべ=鈴木潔子)、

とあるが、

かしは江戸中の浜の事也(浮世草子)、
江戸にて、かしといふ。本町河岸或は浜町がしなど云。大坂にて、はまといふ……京にて、川ばたといふ(「物類称呼(1775)」)、

と、

川の岸。また、特に(水辺の手舟を寄せて)舟から人や荷物の上げ下ろしをするところ、

をいい、転じて、

海や湖の岸、

にもいう(精選版日本国語大辞典・大言海)。この用例は、江戸時代からとされるが、

西日本周辺部にも同形の方言があり、遡って、上代に見られる「かし(戕牁)」(船をつなぐために水中に立てる杭の意)の転義で用いられるようになったものか、

とある(日本語源大辞典)。さらに、

川岸の船着き場は物流の要であるところ、

から、

川岸に立つ市場、

の意に転じ、

かしのさかなで、なんとあたらしからうがや(黄表紙「辞闘戦新根(1778)」)、

と、特に、

魚類の商いが行なわれたので

魚市場(うおがし)、

の意が生じ(仝上)、

日本橋・魚河岸、
大坂・雑喉場(ざこば)、

が有名(精選版日本国語大辞典)、 さらに、

まだ川岸が戻らぬと(歌舞伎「夢物語盧生容画(1886)」)、

と、

そこへ買い出しに行くこと、およびその人、

の意でも使われる。また、

くにといふかしの女良が油火にむかひて文書るさま(浮世草子「新吉原常々草(1689)」)、

と、

江戸新吉原を囲むお歯黒どぶに沿って東西の溝に面した通り、また、そこにある遊女屋、

をもいい、

郭内でも下級の店が多かった、

とされ、

河岸店(見世)、

ともいい(仝上)、江戸では、

河岸狂い、
河岸女郎、
河岸端(かしばた・かしっぱた)、

などの語も生まれた(仝上)とある。

河岸をかえる、

という言い方があるが、これは、

泊處を転ずる意より、場處を移す、

意(大言海)とあり、

船頭などの語から出たのであろう、

とあり(江戸語大辞典)、

稼ぎ場所を変える、

意、または、

行き先を変える、

意で使う(仝上)。また、

河岸を突く、

という言い方は、正確には、

戕牁を突く、

で、上述したが、船頭が、

棹を突き立てて舟を繋ぐ、

意である(仝上)。

「戕」(ショウ)

は、

爿+戈、

とあり、そこなう、傷つける、殺害する、意とあるhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiw/11221

戕残(しょうざん) そこなうこと、きずつけること、
戕害(しょうがい) そこないきずつけること、きりころすこと、
戕賊(しょう‐ぞく) 人を切り殺すこと。殺害すること、

という語がある(精選版日本国語大辞典)。

「牫」(@カ、Aソウ)は、

形声。「牛+音符筏」、

とある(漢字源)。群がる角の意である(仝上)。

「牁」(カ)は、

会意兼形声。「爿+音符可(┐型に曲がる)」、

とある(漢字源)。「舟をつなぎとめるくい」「舟つなぎ」の意である(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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つと

 

つともがと乞(こ)はば取らせむ貝拾(かひひり)ふ我れを濡らすな沖つ白波(しらなみ)(万葉集)

の、

つと、

は、

土産、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

苞豆腐

で触れたように、

つと、

は、

苞、
苞苴、

と当て(「苞苴」は「ほうしょ」とも訓む。意味は同じ)、

わらなどを束ねて物を包んだもの、

で、

藁苞(わらづと)、
荒巻(あらまき 「苞苴」「新巻」とも当てる)、

とも言う(広辞苑)が、「苞」には、

土産、

の意味がある(広辞苑)のは、

歩いて持ってくるのに便利なように包んできたから、

という(たべもの語源辞典)。土産の意では、

家苞(いえづと)、

ともいう(広辞苑)。「苞」は、また、

すぼづと、

ともいう(たべもの語源辞典)が、

スボというのはスボミたる形、

から呼ばれたらしい(仝上)。

苞(つと)、

は、

つつむ

で触れたことだが、

沖行くや赤ら小船(をぶね)に裹(つと)遣(や)らばけだし人見て開き見むかも(万葉集)、

と、

ツツム(包)のツツと同根、包んだものの意、

とあり(岩波古語辞典)、

包(ツツ)の転(大言海)、
ツツムの語幹、ツツの変化(日本語源広辞典)、

と、「つつむ」とつながる。

つつむ、

は、

裹む

で触れたように、

包む、

とも当てるが、

雨障み

で触れたように、

愼(つつ)む、
障(つつ)む、
恙(つつ)む、

と繋がり、

裹(包)む、

の、

ツツ、

は、

ツト(苞)と同根、

愼(つつ)む、

は、

ツツ(包)ムと同根、悪いことが外に漏れないように用心する(岩波古語辞典)、
人の感情や表情を内におさえて、外に表われないようにする(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

障(つつ)む、
恙(つつ)む、

は、

ツツム(包)と同根、こもって謹慎する意、

とある(岩波古語辞典)。

つつむ、

は、

詰め詰むの略、約(つづ)むに通ず(大言海)

とする(大言海)が、

約(つづ)む、

は、

詰め詰むるの略、ちぢむ(縮)と通ず、

とあり(仝上)、

縮(ちぢ)める、

意なので、

ちぢむ、

は、

しじむ、

の転ずる(岩波古語辞典)。

しじむ、

は、

蹙む、

とも当て、「顰蹙」の「蹙」で、

しかめる、

意である。しかし、「つつむ」を「縮める」とするのは、ちょっとずれている気がする。むしろ、「苞」との関連の方が、「つつむ」の語感にはあうのではないか。

ツツム(包・裹・障)で、隠して見えなくするのが語源です。とりかこむ、おおって入れる、広げた布の中に入れて結ぶなどは、後に派生したか、

とする(日本語源広辞典)のは、語源の説明になっていないが、語感としてはこんな感じである。

tuto→tutu、

あるいは、

tutu→tuto、

の転訛はあり得るのではないか。「苞」の項で、大言海は、

包(つつ)の転、

とする。そして、「つつ」で連想する、

筒(つつ)、

の項で、矛盾するように、

包む意ならむ、

という。とすると、

tutu→tuto、

だけでなく、

tutu→tutumu、

と、「つつ」を活用させたとみることもできる。いずれも、

物をおおって中に入れる、

意(「つつむ」の意味)である。「つつむ」は、「苞(つと)」と同根であり、「筒(つつ)」ともつながるとすれば、「つつむ」は、

苞、

筒、

の動詞化なのではあるまいか。

つと(苞・苞苴)、

は、上述したように、

わらなどを束ねて、その中に魚・果実などの食品を包んだもの、

の意だが、

消(け)残りの雪にあへ照るあしひきの山橘を都刀(ツト)に摘み来な(万葉集)、

と、

他の場所に携えてゆき、また、旅先や出先などから携えて帰り、人に贈ったりなどするみやげもの、

の意もあり、また、

なむあみだ仏なむあみだ仏と申て候は、決定往生のつととおぼえて候なり(「一言芳談(1297〜1350頃)」)、

と、

旅行に携えてゆく、食糧などを入れた包み物、

の意もあり、

旅苞(たびづと)、

というと、

たびつつみ(旅包)、

と同義で、

旅行中携行するつつみ物、

の意だが、

旅つとにもたるかれひのほろほろと涙ぞおつる都おもへば(「久安百首(1153)」)、

と、

家苞(いえづと)、

と同義で、

旅行先から持ち帰るみやげ、

の意もある。その同じ意味で、

女郎花(をみなへし)秋萩折れれ玉桙の道去裹(みちゆきづと)と乞はむ児のため(万葉集)、

と、

道行苞(みちゆきづと)、

ともいう。

草苞(くさづと)、

というと、

松か崎是も都の草つとに氷をつつむ夏のやま人(「草根集(1473頃)」)、

と、

草で包んだ土産物、

の意だが、

虚病をかまへ、軍役をかき、武具をも嗜まねば……出頭衆へ草づとを恵(「甲陽軍鑑(17C初)」)、

と、

つかいもの、賄賂、

意もある。

浜苞(はまづと)、

というと、

潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜褁(はまづと)乞はば何を示さむ(万葉集)、

と、

浜のつと、

ともいい、

浜のみやげ、

つまり、

海辺から持ってくる土産物、

の意、

老苞(おいづと)、

は、

おいづとに何をかせまし此の春の花待ちつけぬ我が身なりせば(「西行家集(12C後)」)、

と、

おいのつと、

ともいい、

老人の持ってくるみやげ

の意、

黄泉苞(よみづと)、

というと、

あが君や、よみづとにし侍らんずるなり(栄花物語)、

と、

黄泉(よみ)へゆくみやげもの、

つまり、

冥土への土産、

の意等々、

みやげもの、

の意や、転じて、

賄賂、

の意になったりする(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。なお、

火苞(ひづと)、

は、

山野・田畑などで、蚊や蚋(ぶゆ)を防ぐためにくゆらす、藁・草木の根などを束ねた苞、

の謂いである(仝上)。

つと、

にあてる、

苞苴、

は、

ほうしょ、

とも訓ませ、

凡以弓劔苞苴箪笥問人者(曲禮)、

と漢語で、

おくりもの、

の意で、

苞はつと、苴はわらをしたにひく、

とある(字源)。

苞苴、

は、転じて、

苞苴行耶、宮室営耶、女謁盛耶(説苑)、

と、

賄賂、

の義となる(仝上)。日本でも、

苞苴する、

という言い方で、

苞苴、

は、

わらなどを束ねて、その中に魚、果物などの食品を包むこと、また、その包んだもの、

の意で使い、

あらまき、
つと、

と同義であるが、転じて、

海物一拾箇效苞苴之貢(「惺窩文集(1627頃)」)、

と、

つとに入れたみやげもの、また一般に、贈答品、

の意や、

蓋苞苴行歟、女謁進歟(「性霊集(835頃)」於大極紫震両殿請百僧雩願文)、

と、

賄賂、音物(いんぶつ)、

の意で使うが、いずれも漢文脈である。なお、

音物(いんぶつ)、

は(「いん」「ぶつ」は「音」「物」の漢音)、

好意を表わすためのおくりもの、また、目上の者が賞与として授ける品物、

の意で、

進物、

の意の他に、

賄賂、

にもいう(精選版日本国語大辞典)。

なお、

つと、

には、

髱、

と当てる、

日本髪の後ろに張り出した部分(岩波古語辞典)、
日本髪で、襟足にそって背中の方に張り出した部分(デジタル大辞泉)、

を指す意味がある。これは、関西での言い方らしい(デジタル大辞泉)が、

たぼ(髱)、
たぼがみ、
たば、
たぶ、

ともいい(仝上・岩波古語辞典)、

ツト(苞)と同根、形の類似によって名づけたるもの(岩波古語辞典)、
ツト(苞)の意(大言海)、
結髪のツツミたるさまから(日本語源=賀茂百樹)、

と、その形からきているようでうある。

この髪型は、貞享(1684〜88)のころに生まれ、優美なカーブを描く洗練された髱として、セキレイの長い尾の形をした、

せきれい髱、

とか、カモメの舞い飛ぶ姿からとった、

かもめ髱、

などの名で呼ばれた(世界大百科事典)とある。関西では髱を「つと」と呼んだことは前述した。もともと、

中世以降、女性は下げ髪(垂髪)であったが、のち唐輪髷(からわまげ)となって髷ができても髱はなかったが、江戸時代初期の被(かぶ)り物禁止以降、素顔で歩くようになって、後頭部に髪をまとめることがおこり、これを髱(たぼ)とよんだ、

とあり(日本大百科全書)。当時の髱は鴎(かもめ)の腹の形から、

鴎髩(かもめづと)、

といった。18世紀に入ると、髱が垂れ下がって着物の襟を汚すところから、髱差しを利用して反り返る形をとるようになり、せきれい髱、雀(すずめ)髱が生じ、18世紀後半になると、鬢(びん)が張り出してきた結果として髱は小さくなり、19世紀に入ると鬢が縮小したのにつれて、髱差しが再度利用されることになった(仝上)。これを、

たぼ(髱・髩)、

と呼んだのは、

タワム(撓)の義のタワの転、

とある(俗語考・厭世女装考・大言海)。

たぼさし(髱刺・髱差)、

は、その、

髱を張り出すために、髪の内へ入れる結髪具、

をいい、

針金で形を作って綿で包み、紙を張って黒漆を塗ったもの。古くは鯨のひげを使った、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

すみやり、
つとばり、
つとさし、
たぶさし、
つとこうがい、
つとはね、
つとばり、

ともいった(精選版日本国語大辞典・大言海)。

文化の初めより、針金にて剣術のときに用いる面の如く作り、紙を巻きて漆塗にしたるものあり、又、撞木(しゅもく)の如くにし、頭の両端尖りて内に反り、尾も少し反れるものあり、髻(もとどり)に差して、結へるなるべし、

とあり(大言海)、

鯨細工、

だが、

上等品は水牛で作り、下等品は針金を綿で包み紙を巻き漆を塗ったものを用いる、

とある(江戸語大辞典)。江戸後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗、事物を説明した類書(百科事典)『守貞謾稿』には、

物類称呼云、畿内にてツトサシ、東国にてタボサシ、中国、西国とものにツトハネ、……賎の緒手巻云、貞享の頃也けり、女子のたぶさしという物、始めて流行出で、京より下りしを、母も女子も珍しがりて、もてはやしぬ、鯨にて拵たるもの也、

とある。

「苞」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、

会意兼形声。「艸+音符包(つつむ)」

とある(漢字源)。「茅の一種」、「ぞうり・むしろなどをつくるのに用いる」とあり、それを材料にして包むせいか、「つつみ」「つと」「みやげもの」の意にも使う(仝上)。

「苴」(漢音ショ、呉音ソ)は、

会意兼形声。「艸+音符且(ショ かさねる)、

とあり(漢字源)、麻、また麻の実の意、また麻の繊維で編んだ衣、さらか、履物の中に重ね敷く草履のふみしろを作る草の意(仝上)で、「苞苴」は、つつみ草としき草の意から、転じて、前述したように、贈答品、また賄賂の意である(仝上)。他は、

形声。「艸」+音符「且 /*TSA/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%B4

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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帯刀(たちはき)

 

五月雨(さみだれ)に春の宮人(みやびと)くる時はほととぎすをや鶯にせむ(大春日師範)

の詞書(和歌や俳句の前書き)に、

朱雀院の春宮(とうぐう)におはしましける時、帯刀(たちはき)ら五月ばかり御書所にまかりて、

とある、

帯刀(たちはき)、

は、

(春宮の)護衛の武士、

とあり、歌にある、

宮人、

は、

春宮の役人(ここでは帯刀)、

とある(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

帯刀、

は、

たちはき、

と訓み、文字通りには、

太刀佩きの義、

で(大言海)、

斎ひ来し神は祭りつ明日よりは組の緒垂でて遊べ多知波幾(タチハキ)(「神楽歌(9C後)」)、

と、

太刀(たち)を帯びること、また、その人、

の意だが、

たちはき(帯刀)の舎人(とねり)、

の略で、

授刀舎人、
帯剣舎人、

ともいい、

武器を帯びて、主に天皇の身辺および宮中の警衛にあたった下級官人、

をいい、のち、

中衛(ちゅうえ)舎人とならんでその任にあたり、ともに近衛舎人の前身となった、

とあり、それで、

近衛舎人、

のこともそう称した。このうち、大臣・納言に下賜されるものを、

たちはきの資人(とねり)、

という(精選版日本国語大辞典)。また、

東宮舎人のうち武器を帯びて東宮の身辺および御所の警備にあたるもの、

の謂いでもあり、

宝亀七年(776)にはじめて10人置き、大同元年(806)に20人となり、天安元年(857)には30人となった、

とあり(精選版日本国語大辞典)、特に、

東宮帯刀、

という。帯刀の長は、

帯刀先生(せんじよう)、
帯刀の長(おさ)、

と呼ばれ、この下に、

部領(ことり)左右2人、
脇左右2人および連(つれ むらじ)、

が属した(世界大百科事典)。なお、

帯刀、

には、

帯刀の役(たちはきのやく)、

の略とされるものもあり、これは、鎌倉・室町時代に、

将軍の参内・社参などの晴れの時に、太刀を帯びて供をした役、

をいい、承久元年(1219)将軍実朝が鶴岡八幡宮参詣の時、暗殺されたため設けられたものとされる(仝上)。

帯刀、

の訓みは、

たちはき→たてはき→たてあき→たてわき、

と転訛している(仝上)。

帯刀(たいとう)、

は、漢語では、

帯剣、

に同じで(字源)、字通に、「帯刀」について、

帯剣。〔隋書、礼儀志七〕周の武帝の時、百官燕會に竝びに刀を帶びて座に升る。開皇の初めに至るも、式に因し、朝服登殿に亦た解かず。十二年〜始めて制して、〜劍履にす、

とある。

「帯」(タイ)の異体字は、

带(簡体字⦆、帶(旧字体/繁体字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%AF

「帶」(タイ)の異体字は、

带(簡体字)、帯(新字体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%B6

会意文字。「ひもで物を通した姿+巾(たれた布)」。長い布のおびでもっていろいろな物を腰につけることをあらわす、

とある(漢字源)。しかし、他は、

象形。結んだ帯を象る。「おび」を意味する漢語{帶 /*taats/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B8%B6

象形。かざりをつけたおびからぬの(巾)が下がっているさまにかたどる。「おび」の意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

象形文字です。「おびに飾りのたれ布が重なり、垂れ下がった」象形から「おび・おびる」を意味する「帯」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji634.html

象形。鞶帯(ばんたい)に巾(きん)を帯びている形。巾は礼装に用いる前かけ。〔説文〕七下に「紳(しん)なり。男子は帶、婦人は帶絲。佩(はい)繫(か)くるの形に象る。佩には必ず巾有り」という。男女の帯にはいずれも佩巾を繫けるので、その形をも含めた象形の字である(字通)、

と、象形文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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おぼめく

 

郭公(ほととぎす)はつかなる音(ね)をききそめてあらぬもそれとおぼめかれつつ(伊勢)

の、

おぼめく、

は、

はっきりせず、不審に思う、

ほどの意味(水垣久訳注『後撰和歌集』)とある。

おぼめく、

は、

か/き/く/く/け/け、

と、自動詞カ行四段活用だ(学研全訳古語辞典)が、

オボはオボロ(朧)のオボと同根、メキは、春メキ・秋メキのメキと同じで、それらしい様子を表す語(岩波古語辞典)、
朧(おぼ)めくの意か(大言海)、

とあるので、

おぼろ(朧)、

の、

おぼ、

と同じとみていい。

おほほし

で触れたように、

おぼろ

は、

朧、

とあてるが、朧月の「おぼろ」の意味で、

はっきりしないさま、
ほのかなさま、
薄く曇るさま、

の意の他に、いわゆる料理の、

おぼろ

つまり、

エビ・タイ・ヒラメなどの肉をすりつぶし味をつけて炒った食品。でんぶ、

の意味もある。この、

オボ、

は、

オボホレ(溺)・オボメキのオボと同根。ロは、状態を示す接尾語、

とあり(岩波古語辞典)、

ぼんやりしたさま、

という意味になる(仝上)。

あやしきまで言少(ことすく)なに、おぼおぼとのみものし給ひて(源氏物語)、

と、

おぼ、

を重ねて、

おぼおぼと、

と、副詞として使う例もあるが、

ぼんやりと、
おぼろげに、
はきはきとしないで、

の意になる(精選版日本国語大辞典)。

おぼめく、

の、

めく、

は、接尾語カ行四段活用で、

春めく、人めく、なまめく、ことさらめく、ざわめく、ほのめく、いまめく、

等々、名詞や形容詞・形容動詞の語幹、副詞、擬声語、語根などに付いて動詞をつくり、

そのような状態になる、
それに似たようすを示す、

などの意を表わし、

…らしくなる、
…のように見える、

意で使い、さらに、

そよめく、きらめく、ひしめく、

等々、擬声語・擬態語に付いて、

…という音を立てる、
…のような状態になる、

意でも使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。で、

おぼめく、

は、

おぼ+めく、

と、

ぼんやりした、はっきりしない状態、動作を表わす、

意で、

御遊び始まりて、うへ琵琶(びは)の御こと、……源氏に琴(きん)の御こと賜ひて遊ばす。つつむことなく、おぼめくことなし(宇津保物語)、

と、

頼りなく自信なげにふるまう、

意や、冒頭の、

ほととぎすはつかなる音を聞きそめてあらぬもそれとおぼめかれつつ(後撰和歌集)、

と、

はっきりわからず判断しにくいと思う、
おぼつかなく思う、
事の真偽の見分けがつかなくなる、そうかもしれない、あるいはそうでないかもしれないと疑わしくなる、

といった意や、

わかやかなるけしきどもして、おぼめくなるべし、ほととぎす言問ふ声はそれなれどあなおぼつかなさみだれの空(源氏物語)、

と、

知っていながらよくわからないようなふりをする、
そらとぼける、
はぐらかす、

意でも使う。ここまでは、

おぼろ、

の意味の範疇と思うが、

良清驚きて、入道は……ことなる消息をだに通はさで久しうなり侍りぬるを、波のまぎれにいかなることかあらむ、とおぼめく(源氏物語)、

の、

納得できなくて不思議そうにする、
不審がる、
いぶかしがる、

意は、価値表現に転じていて、少し意味が外れる。そのせいか、『大言海』は、

はっきりしない、

意の、

おぼめく、

と、

疑い思う、

意の、

おぼめく、

とは項を分けている。

はっきりしない→おぼつかない→疑わしい、

といった意味のつながりが見えなくもないが。

げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして(徒然草)、

と、

うちおぼめく、

という言い方がある(「うち」は接頭語)。

そらとぼける、
はっきりわからないようなふりをする、

意だが、

うち

は、

おぼめく、

を強調する意だけでなく、より主体の意思が強まる表現になる。ちなみに、

此の鉤は、淤煩鉤(オボち)、すす鉤、貧鉤(まぢち)、うる鉤、と云ひて後手(しりへ)に賜へ(古事記)、

と、

おぼち、

という言い方がある。

おぼ、

は、

分別がつかない、ぼんやりの意(精選版日本国語大辞典)、
心のふさがる意(デジタル大辞泉)、
オボロカのオボと同根、はっきりしない意(岩波古語辞典)、

と、少し解釈が分かれるが、

ち、

は、

釣り針、

で、

釣り針をのろっていう語、

とされ、

持ち主を不幸にするよくない釣り針(デジタル大辞泉)
分別がつかなくなる釣り針。所持者の不幸を祈る呪的性格を帯びた釣り針(精選版日本国語大辞典)、

等々とあるが、

のろまで効能の少ない釣り針、

つまり、

よい漁ができないことを呪って言う語(岩波古語辞典)、

のようである。

「朧」(漢音ロウ、呉音ル)は、

会意兼形声。龍(リュウ・リョウ)は大きくかすんで、得体のしれない竜のこと。朧は、「月+音符龍」で、月が取り留めなく霞んで見えること、

とある(漢字源)。別に、

形声。「月」+音符「龍 /*RONG/」。「おぼろ」を意味する漢語{朧 /*roong/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%A7

とある。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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あ(敢)ふ

 

さみだれのつづける年のながめには物思ひあへる我ぞ侘しき(よみ人知らず)

の、

物思ひあへる、

は、

他例ない語で難解、

とあり(水垣久訳注『後撰和歌集』)、

動詞の連用形に付く「敢ふ」は「すっかり… し切る」「最後 まで…する」「… するに堪える」、

といった意で、

長々と降り続く雨に、自分の物思いも尽きずに続くと嘆く心か、

とし、

「ながめ」は「長雨」「眺め(物思いに耽る意)」の掛詞、

と注釈する(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

敢ふ

は、

合うと同根(広辞苑)
合ふと同根、事の成行きや、相手・対象の動き・要求などに合わせる、転じて、ことを全うし、耐えきる意(岩波古語辞典)、
敢ふ(合)義で、能力のあること、力で合わせる義か(万葉集辞典=折口信夫・国語の語根とその分類=大島正健)、

なととあり、

合う、

の派生語のようである。

合う、

は、

「会う」と同語源、

とある(デジタル大辞泉)ように、

会ふ、
逢ふ、
遭ふ、
遇ふ、

とも当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、大きく分けて、

合う、

とあてて、

物と物とが一つになる、また、物と物とが釣り合う、

意と、

会ふ・逢ふ・遭ふ、

とあてて、

顔が合う、男女が会う、
また、
力と力がぶつかる、
ある物事や時期に偶然ぶっかる、

意味とに分かれる(日本語源大辞典)が、

合う、

の意の、

二つのものがぴたりとぶつかる、
とか、
二つのものが近寄って一つになる、

といった意のメタファとして、

会ふ・逢ふ・遭ふ、

の意の、

出会う、
顔が合う、
男女が合う、
ある物事や時期に偶然ぶつかる、

として使われている、とみることができる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

野菜や魚などを塩・みそ・ごまなどでまぜあわせる、

意の、

和(あ)ふ、

食物を作ってもてなす、

意の、

饗ふ、

も、

合う、

のメタファの流れの中にあるとみることができる(「あえる」)。

あふ(敢ふ)、

は、

思ひあへず

あへなし

で触れたように、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

肯、アフ、アヘテ、
敢、アヘテ、

とあり、上述した、

合ふと同根、事の成り行きを、相手・対象の動き・要求などに合わせる。転じて、ことを全うし、堪えきる(岩波古語辞典)、

と、

事態に合わせる→(それによって)→ことを全うし、堪えきる、

と、状態表現から価値表現へと転じていく。で、たとえば、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、自動詞ハ行下二段活用として、

大船のゆくらゆくらに面影にもとな見えつつかく恋ひば老い付く我が身けだし堪へむかも(万葉集)、

と、

(事態に対処して)どうにかやりきる、
どうにかもちこたえる、

意から、

秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ(万葉集)、

と、

こらえきる、

意となり、さらに、

へ/へ/ふ/ふる/ふれ/へよ、

の、補助動詞ハ行下二段活用として、動詞連用形に続いて、

神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの(万葉集)、

と、

……しきれる、

意や、

足玉(あしだま)も手玉(てだま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫ひもあへむかも(万葉集)、

と、

すっかり……する、

意で使う。この、

あう(敢)、

の補助動詞としての使い方は、

あふ(合)、

の、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、補助動詞ハ行四段活用の、

紐の緒のいつがり安比(アヒ)てにほ鳥のふたりならびゐ奈呉の海の奥(おき)を深めて(万葉集)、

と、二つ以上のものが同じ動作をすることを表わし、

ともに…する、
一同が…する、

意で、ここでは、

くっつきあって、

訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)使い方と、

二人河原へ出であひて、心行くばかりつらぬきあひて、共に死ににけり(徒然草)、

と、

互いに…する、

の意の使い方とが対になっているようである。

なお、

あふ(敢)、

には、

「あふ(敢)」の未然形に、打消の助動詞「ず」の付いた、

あへず(敢)、

があり、

今は身も不敢(あへず)あるらむものを、夜昼退(まか)らずして護り助け仕へ奉るを見れば(続日本紀)、

と、「あふ(敢)」が独立した動詞の形での、

耐えられない、
がまんできない、

意の他に、動詞の連用形に付いて補助的に用い、上述した、

神南備(かむなび)に神籬(ひもろき)立てて斎(いは)へども人の心はまもり不敢(あへぬ)もの(万葉集)、

の、

…しきれない、
…しおおせない、

意や、

𣑥領布(たくひれ)の白浜波の寄りも不肯(あへず)荒ぶる妹に恋ひつつそ居(を)る(万葉集)、

と、

…できない、

意で使い、また、動詞の連用形に係助詞「も」を添えた形に付けて(「あへねば」の形をとることもある)、

妻室聞きもあへず、只涙の床(ゆか)に臥し沈みて(太平記)、

と、

…するや否や、
…も終わらぬうちに、

の意で使い、中世以後この用法だけに固定化して使用された(精選版日本国語大辞典)とある。また、

動詞「あふ(敢)」の連用形に助詞「て」が付いて一語化し、

いざ児等(こども)安倍而(アヘて)漕ぎ出む庭(には)も静けし(万葉集)、

と、

(肯定にも否定にも)困難な状況をおして、積極的に、力いっぱいに、

の意や、否定辞と呼応して、

成出で清げならぬをばあへて仕うまつらせ給ふべきにもあらず(栄花物語)、

と、強めて、

いっこうに、さっぱり、決して、

の意や、

敢えて驚くにはあたらない、

というように、ふつうは、そうでないのではないかと思われることでも、取り立てて異をさしはさまない態度を、積極的に示し、

別に、取り立てて、わざわざ…するというのではない、

といった意でも使う(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。これは、

「不敢」「不肯」等の訓読に用いられ、「アヘテ…ズ」などとなる。仮名文でも、「敢ふ」は用いられるが、この場合も否定語を伴った「…あへず」「え…あへず」が多い、

とある(仝上)。また、

あしかるべくは、よかれと思ふともまどひなん。よかるべくは、おそろしき物の中にすてたりともあへなむ。ただ神ほとけにまかせたてまつる(宇津保物語)、

と、「あふ(敢)」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」と、推量の助動詞「む」の付いた、

敢なむ、

という言い方もあり、

がまんできるだろう、差しつかえないだろう、

の意で使う(仝上)。

「敢」(カン)は、「あへなし」で触れたように、

会意兼形声。甘は、口の中に含むことを表す会意文字で、拑(カン 封じこむ)と同系。敢は、古くは「手+手+/印(はらいのける)+音符甘(カン)」で、封じ込まれた状態を、思い切って手で払いのけること、

とあり(漢字源)、

函(カン 封じ込める)・檻(カン 押し込める)・掩(エン 抑え込む)などの仲間から派生して、その押さえおしのける意に転じたたことば、

ともある(仝上)。別に、

形声。意符𠬪(ひよう 上下から手をさしだしたさま)と、音符古(コ)→(カム)とから成り、進んで取る意を表す。のち、敢の字形に変わり、借りて、おしきってする意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(又+又+占の変形)。「口」の象形と「占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目を無理矢理、両手で押し曲げた」象形から、道理に合わない事を「あえてする」を意味する「敢」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1613.htmlあるが、他は、

象形。狩猟具を持って動物を捕まえるさまを象る。「つかまえる」を意味する漢語{揜 /*ʔˤamʔ/}を表す字。のち仮借して「あえて」を意味する漢語{敢 /*kˤamʔ/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%A2

象形。金文の字形は、杓を以て鬯酒(ちようしゆ)をそそぎ、儀礼の場所を清める灌鬯の礼を示す。厳恭の意で、極度につつしむ意。敢てその尊厳のことを行うので、つつしんでの意より、敢てするの意となる。「敢て」とは、つつしんでの意。周初の〔令彝(れいい)〕に「敢て明公尹の休(たまもの)に揚(こた)へ」「敢て明公の賞を父丁に追(およ)ぼし」というのは、「つつしみて」の意。〔説文〕四下に「進み取るなり」と敢為の意とするのは、のちの転義。本来は神事に関していう。金文の〔彔戈+冬卣(ろくしゆうゆう)〕に「淮夷、敢て内國を伐つ」とあるのは、本来あるべからざる行為を、敢てなすことをいう(字通)、

と、象形文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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とこなつ

 

とこ夏の花をだに見ばことなしにすぐす月日も短かりなむ(よみ人知らず)

の、

とこ夏、

は、

なでしこの異称、

とあり(水垣久訳注『後撰和歌集』)、

夏の間咲き続けるゆえの名とされる、

とある(仝上)。

常夏(とこなつ)に思ひそめては人しれぬ心のほどは色にみえなむ(後撰和歌集)

の、

常夏に、

は、

常夏(撫子)の花が夏中ずっと咲くように、

というほどの意とし。また、

鮮やかな色の花の名として、「色にみえなむ」にもかかわる語、

と注釈する(仝上)。

常夏、

は、文字通り、

夏がいつまでもつづく、

意だが、

ナデシコの花の盛りが春から秋にわたるからその名がある(岩波古語辞典・広辞苑)、

という。

秋深く色移り行く野邊ながらなほとこなつに見ゆる撫子(源順集)、

と、

野生の撫子(なでしこ)の異名、

とある(大言海)のが正確なのかもしれない。和名類聚抄(931〜38年)に、

瞿麥、奈天之古、一云、止古奈豆、

とある(「瞿麥(クバク)」は)撫子の漢名、「其の実は燕麦に似たり」(字源)とある)。また、家経朝臣和歌序には、

鐘愛抽衆草、故撫子、艶色契千年、故曰常夏、

とあり、

又此草の花、形、小さく、色愛すべきものゆゑ、愛児に擬し、ナデシコと云ふ、

とある(大言海)。また、鎌倉時代の古今集注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」(藤原定家)に、

にほひ久しければ常夏といへり、

また、鎌倉時代の歌学書「八雲御抄」(順徳天皇)には、

とこ夏は四時花とかけり。夏秋は歌によむ。春冬いまだよまず、

とあり、

長く咲き続ける花である、

ことがその由来とみなされる。

なでしこ

で触れたことだが、撫子は、

ナデシコ科ナデシコ属のカワラナデシコの異名、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%B7%E3%82%B3が、

牛麦 、
瞿麦(くばく)、
蘧麦(きょばく)、
洛陽花、

ともいい、

ひぐらしぐさ、
なつかしぐさ、

の名も持つ(精選版日本国語大辞典・大言海)。日本には、

ヒメハマナデシコ、
シナノナデシコ、

という日本固有種(日本にのみ自生)の他、

カワラナデシコ(ナデシコ、ヤマトナデシコの異名)、
ハマナデシコ、

が分布する(仝上)とある。

唐綾のなでしこのうちき(宇津保物語)、

とあるように、

撫子、

の異名なので、

常夏、

も、

撫子、

と同様、装束の襲(かさね)の色目の名もあり、若年の色とされ、

青系統と赤系統、

があり、

青系は多く男子の襲とし、表を紫の薄色、裏を青または紅梅
赤系は女子に多く表を紅梅、裏を赤または青、

とし、

なでしこがさね、

という(精選版日本国語大辞典)。襲の色目には、

白撫子(しろなでしこ) 表は白で、裏は蘇芳(すおう)。夏に用いる、
花撫子(はななでしこ) 表は紫、裏は紅。夏用いる、
唐撫子(からなでしこ) 表裏ともに紅色。一説に、表は紫、裏は紅ともいう。夏に着用する、

もある(仝上・https://whatsinaname.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%8B%E3%81%95%E3%81%AD%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE)なお、

撫子色(なでしこいろ)、

は、

撫子の花のような少し紫みのあるピンク系統の薄い赤色、

をさすhttps://mbp-japan.com/miyazaki/ptech/column/5096709/

なでしこ

でふれたように、

和撫子(やまとなでしこ)、

というのは、

唐撫子(石竹)、

に対していう(大言海)とある。ややこしいのは、

ナデシコ、

の異名、

瞿麦、

を、

せきちく(石竹)の漢名、

ともする(精選版日本国語大辞典)ところだろう。

セキチク、

は、

石竹、

とあて、ナデシコ科ナデシコ属、

葉が竹に似ていることからこの名がついた、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%81%E3%82%AF、日本では平安時代には栽培されていたという(仝上)。

茎は高さ三〇センチメートルぐらいになり、葉ともに粉白色を帯びる。葉は線状披針形で、対生。五〜六月ごろ、茎頂に縁が鋸歯(きょし)状に裂けた径二〜三センチメートルの五弁花を開く。花色は紅・淡紅・白・紫紅色など、

があり、

イセナデシコ、
トコナツ、

など多数の園芸品種がある(精選版日本国語大辞典)。

「撫」(漢音呉音フ、慣用ブ)は、

形声。「手+音符無」。もと摸や摩(なでる)と同じく、手でなでること。のち、相手の頭や肩にやさしくあてる意に用いる、

とある(漢字源)。他も、

形声。「手」+音符「無 /*MA/」。「なでる」を意味する漢語{撫 /*ph(r)a/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%92%AB

形声。手と、音符無(ブ)→(フ)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(扌(手)+無)。「5本指のある手」の象形と「人の舞う姿」の象形(もと、「舞」の字と同形で「まい」の意味を表したが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ない、おおいかぶせる」の意味)から、「手でおおいかぶせて、なでる」を意味する「撫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2474.html

形声。声符は無(ぶ)。〔説文〕十二上に「安んずるなり」、また「一に曰く、循(したが)ふなり」とし、古文として亡+辶をあげている。攴部三下に「亡+攵(ぶ)は撫するなり」とあり、亡+攵がその初文であろう。亡+攵は死体(亡)に手を加え、撫してこれを哀しむ意象の字。撫はその形声の字。〔国語、晋語八〕に「叔向(しゆくしやう)、司馬侯の子を見て、撫して泣く」とは哀撫の意。のち撫育・撫養、また安撫・慰撫の意より卹撫・循撫の意となる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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たく(

 

娘子(をとめ)らが織る機(はた)の上(うへ)を真櫛(まくし)もち搔上(かか)げ栲島(たくしま)波の間(ま)ゆ見ゆ(万葉集)

の、

栲島(たくしま)、

にかけた、

たく、

は、

機の糸筋を整える、

意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあり、

「搔上げ」まで序。「栲島」(所在未詳)を起す、

とある(仝上)。また、

大船(おほぶね)を荒海(あるみ)に漕ぎ出や船たけ我(わ)が見し子らがまみはしるしも(万葉集)

では、

船たけ、

は、

一心に漕いでいるけれど、

と訳し、

「や」は「いや」、「たく」は手を働かす、

とある(仝上)。

たく、

は、

綰く、

とあて、

か/き/く/く/け/け、

の、他動詞カ行四段活用、

で、

手を活用せる語か(大言海)、
手(て)を動詞化した語(精選版日本国語大辞典)、

とあるように、

腕を動かしてことをする意、

で、

手でする動作が幅広く意味の範囲に入っている、

気がする。たとえば、

多気(タケ)ばぬれ(ほどけ)多香(タか)ねば長き妹が髪この頃見ぬに掻きれつらむか(万葉集)、

では、

髪をかきあげたばねる、

意に、上述の、

大船(おほぶね)を荒海(あるみ)に漕ぎ出や船たけ我(わ)が見し子らがまみはしるしも(万葉集)

では、

力いっぱい舟を漕ぐ、
全力で漕ぐ、

意に、

思ひきやひなのわかれにおとろへてあまのなはたきいさりせんとは(古今和歌集)〈、

では、

網などをたぐりあげる、

意に、

石瀬野(いはせの)に馬太伎(ダキ)行きて遠近(おちこち)に鳥踏み立て白塗(しらぬり)の小鈴(をすず)もゆらに(万葉集)、

では、

馬の手綱(たづな)をあやつる、
手綱をとる、

意に(この場合「だく」とも)、

手寸(たき)十名相(そなへ)植ゑしくしるく出(い)で見れば宿の初萩咲きにけるかも(万葉集)、

では、

掘る、

意で、冒頭の、

娘子(をとめ)らが織る機(はた)の上(うへ)を真櫛(まくし)もち搔上(かか)げ栲島(たくしま)波の間(ま)ゆ見ゆ(万葉集)、

では、

機にかけた織り糸の上を、櫛で掻き上げ、糸筋を整える、

意で使っている(大言海・精選版日本国語大辞典)。つまり、

手(て)を動詞化した語で、手を用いて何かをする意を表わすと考えられる、

とある(精選版日本国語大辞典)が、「て」の古形、

た、

を動詞化しているのではあるまいか。

頂髪(たきふさ)の中より、設(ま)けし弦を採り出して(古事記)、
四天王の像を作て、頂髪(たきふさ)に置て、誓を発て言(日本書紀)、

の、

たきふさ、

は、

髻、

とあて、

タキは腕を使って髪をあげる意、フサは房、

で、

髪をあげてたばねたもの、

をいい、やはり、手の動作を幅広く意味の外苑に含めているようだ。

綰ぐ、

を、

わぐ、

と訓ませると、

たわめ曲げる、
わげる、

意になる。

綰ぬ、

を、

たがぬ、

と訓ませると、

細長いものを曲げて輪にする、

意になり、

綰む、

を、

わぐむ、

と訓ませると、

輪のように曲げて丸くする、

意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

「綰」(漢音ワン、呉音エン)は、

会意兼形声。「糸+音符官(まるくまとめる)」、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「糸」+音符「官 /*KWAN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%B0

形声。声符は官(かん)。その語頭子音を脱落したもの。〔説文〕十三上に「惡しき絳(あか)なり」(段注本)とあり、また〔広雅、釈詁三〕に「縮むなり」、〔玉篇〕に「貫くなり」とあり、糸を引いて結ぶことをいう字であろう。金文に「綽綰(しゃくわん)」という語があり、〔蔡姞𣪘(さいけつき)〕「用(もつ)て眉壽を希求し、永命を綽綰し、厥(そ)の生を彌(をふ)るまで靈終ならん」とあって、綽綰はそれをたぐり寄せ、つなぎとめる意。「璽を綰(むす)ぶ」「髪を綰ぶ」のように用いる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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何しかも

 

佐保川(さほがは)に鳴くなる千鳥何しかも川原(かはら)を偲(しの)ひいや川上(のぼ)る(万葉集)
何しかもここだく恋ふるほととぎす鳴く声聞けば恋こそまされ(大伴坂上郎女)

の、

何しかも、

は、

何でそんなに、

と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

何しかも、

の、

モは詠嘆の助詞(岩波古語辞典)、
「何しか」を強めたいい方(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

何然毛(なにしかモ)吾が大君の立たせば玉藻のもころ臥(こ)やせば川藻の如く靡(なび)かひしよろしき君が朝宮(あさみや)を忘れ給ふや 夕宮(ゆふみや)を背(そむ)き給ふや(万葉集)

と、

どうしてまた(…なのか)、
なぜまた(…するのか)、
どうしてまあ(…なのか)、

の意である(伊藤博訳注『新版万葉集』・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

何しか、

は、

シは意を強めて指す辞(大言海)、
「し」は強意の副助詞、「か」は係助詞(デジタル大辞泉)、
シは強め、カは疑問の助詞(岩波古語辞典)、
「し」は強めの助詞(広辞苑)、
「しか」は、副助詞「し」に係助詞「か」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、

で、

神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを奈何可(なにしカ)来けむ君もあらなくに(万葉集)、

と、

理由・目的を不明のものとして指示し、

どうして(…なのか)、
なぜ(…するのか)、

の意である。疑問の、

何か、

を強めて、

し、

を加え、それを嘆く、

も、

を加えたのが、

何しかも、

ということになる。

何か、

は、

副詞「なに」+助詞「か」、

で、

疑問・反語の意、

を表し(学研全訳古語辞典)、

霍公鳥(ほととぎす)思はずありき木(こ)の暗(くれ)の斯(か)くなるまでに奈何(なにか)来鳴かぬ(万葉集)、

と、原因・理由を問い、疑問・反語表現に用い、

どうして(…するか)、
なぜ(…するのか)、

の意で使う(「か」は係助詞)。また、

命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし(古今和歌集)、

と、反語の意を表し、

どうして…か、いやそんなことはない、

の意で使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。この、

なに、

は、

など、

と訛り、

藤波の繁りは過ぎぬあしひきの山ほととぎす奈騰可(ナドカ)来鳴かぬ(万葉集)、

と、

などか、

となり(副詞「など」に助詞「か」の付いてできたもの)、疑問、反語の意を強めたいい方として使う(仝上)。さらに、

なにか、

は、後には、現代でも、

何か気味が悪い、

という言い方をするように、はっきりした訳もなく、ある感情が起こるさまを言い、

どことなく、
なんだか、

の意で(「か」は副助詞)、多く、

…やなにか、
…かなにか、

の形で、

それそのものではないが、それに類するもの、

の意でも用いる(仝上)。この、

なにか、

も、

なんか、

とも訛る。

「何」(漢音カ、呉音ガ)は、

象形。人が肩に荷をかつぐさまを描いたもので、後世の負荷の荷(になう)の原字。しかし普通は、一喝するの喝と同系のことばにあて、のどをかすらせてはあっとどなって、いく人を押し止める意に用いる。「誰何(スイカ)する」という用例が原義に近い。転じて広く相手に尋問することばとなった、

とある(漢字源)。

象形。戈を担いだ人を象る。「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*ɡˤajʔ/}を表す字。のち仮借して疑問詞の{何 /*ɡˤaj/}に用いる。のち疑問を表す符号として振り返る頭を加えて「⿰旡丂」の字形となり、羨符「口」を加えて「𣄰」の字形となり、筆画中の「旡」が「人」に、「可」が音符「可 /*KAJ/」に訛変し「何」の字形となるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BD%95

象形文字です。「人が肩に物を持って運ぶ象形」から「になう」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「なに」を意味する「何」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji276.html

と、象形文字とするものと、

形声。人と、音符可(カ)とから成る。背に荷物を負う意を表す。もと、「荷(カ)(になう)」の原字。借りて、疑問詞「なに」の意に用いる(角川新字源)、

形声。声符は可(か)。〔説文〕八上に「擔(にな)ふなり」とあり、荷担する意。〔詩、商頌、玄鳥〕「百祿を是れ何(にな)ふ」、〔詩、商頌、長発〕「天の休(たまもの)を何(にな)ふ」とあり、古くは何をその義に用いた。卜文の字形は戈(ほこ)を荷(にな)うて呵する形に作り、呵・荷の初文。金文に旡+可に作る形があり、顧みて誰何(すいか)する形。のち、両字が混じてひとつとなったものであろう(字通)、

と、形声文字とするものとに分かれる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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目並ぶ

 

西の市にただひとり出でて目並(めなら)べず買ひてし絹の商(あき)じこりかも(万葉集)

の、

目並べず、

は、

見比べもせず、

の意、

商(あき)じこり、

は、

買い損ない、

の意で、

歌垣で選んだ相手が見掛け倒しであったことをいう、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

目並ぶ、

は、

見え並ぶの意、

で、

多くの人の目で見る、
見比べる、
熟視する、

意とある(広辞苑)。

目並ぶ、

は、

べ/べ/ぶ/ぶる/ぶれ/べよ、

の、他動詞バ行下二段活用で、

見え並ぶの意(広辞苑)、

とあるが、

多くの人の目を経る(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、
多くの人の目で見る(デジタル大辞泉・広辞苑)

の意と、また別に、一説に、

並べてよく見くらべる(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
見比べる、熟視する(広辞苑・岩波古語辞典)、

の意ともある。

あしひきの山櫻花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも(万葉集)、

に、

日並ぶ、

という言い方があり、これは、

幾日もずっとこのように咲いているのなら、

と訳し(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

日を並べての意、夜並而もあり、

とあり(大言海)、

日を重ねて、
毎日毎日、
幾日も続けて、

の意とする(仝上)。これと類推して、

目並ぶ、

も、

屡、よくみる、
熟視する、

意とし、また、

見比ぶる物となる意と云ふ、

として、

目に見え並ぶ、

の意とする(仝上)。目を横に重ねれば、

多くの目を経る、

になるし、目を縦に重ねれば、

熟視する、

になり、逆に、対象を並べて、

見比べる、

意ともなる。いずれなのかは、はっきりしないが、

多くの目を経る、

では、世評という感じになるが、歌から見ると、

多くの物を並べてみる、

という意で、

見比べる、

ということではないだろうか。

目並ぶ、

には、いくまひとつ、後世、

花がたみめならぶ人のあまたあれば忘られぬらむ数ならぬ身は(古今和歌集)、

と、

ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ、

の、自動詞バ行四段活用の用例がある、この、「古今集」の例は、

見くらべる、
大勢の人を見る、

など、古来さまざまな解釈が行なわれているが、契沖が「古今余材抄」に引用している「菅家文草‐四・冬夜有感簡藤司馬」の、

更有何人比目看(更に何人か目を比(なら)べて看ること有らむ)、

という例を参考にすると、

二人の目が並ぶ、

つまり、

ともに見る、

の意から、

親しくする、
仲が良い、

などの意になるかと考えられる(精選版日本国語大辞典)とある。もっとも、上記歌を、

見比べる、

意と解して、

あなたには見比べる人が何人もいるので、きっと忘れられてしまうだろう、ものの数でない私は。

と訳す例(学研全訳古語辞典)もあって、はっきりしない。

見比べる、

は、

対象を並べてみる、

という意で解しているのに対して、

ともに見る、

では、

目を横に並べて、

を、

目の並び、

と取り、

共に見る、

と、もともとの意味にあった、180度ひっくり返した解釈の対立がそのまま続いていることになる。ま、

目並ぶ、

の、主体からの意味からみれば、

見比べる、

の方が妥当な気がする。

「並」(漢音ヘイ、呉音ビョウ)の異体字 は、

傡、并(簡体字)、竝(旧字体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A6。字源は、

会意文字。人が地上にたった姿を示す立の字を二つ並べて、同じようにならぶさまをしめしたもの。同じように横に並ぶこと。略して並と書く。また併(ヘイ)に通じる、

とある(漢字源)。他も、

「竝」の略体。「竝」は「立(人の立った姿)」をならべて、人が同様に並ぶ様子を示した会意文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A6

旧字は、会意。立を二つ横にならべて、ならび立つ意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、

会意文字です(立+立)。「並び立つ人」の象形から「ならぶ」を意味する「並」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1039.html

会意。旧字は竝に作り、立をならべた形。立は位。その位置すべきところに並んで立つことをいう。〔説文〕十下に「併(なら)ぶなり。二立に從ふ」という。幷は二人相並ぶ側身形。竝は相並ぶ正面形。从(從)・比は前後相従う形。みな二人相従う字である(字通)、

と、すべて会意文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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商(あき)じこり

 

西の市にただひとり出でて目並(めなら)べず買ひてし絹の商(あき)じこりかも(万葉集)

の、

目並べず、

は、

見比べもせず、

の意、

商(あき)じこり、

は、

買い損ない、

の意で、

歌垣で選んだ相手が見掛け倒しであったことをいう、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

あきじこり、

は、

商誤、

とあて、

商売上のしくじり、
かいそこない、

とあり(広辞苑)、その由来は、

アキは商ヒのアキ、ジは動詞のシ(為)の連用形の連濁、コリは懲りの意(岩波古語辞典)、
「あき」は商い、「じこり」は、しそこないの意で、動詞「しこる」の連用形の名詞化(精選版日本国語大辞典)、
商(あき)しこる(誤る)、商變(あきかへし)と同趣旨語(大言海)、

とある。

商変(あきかはり)領(を)すとの御法(みのり)あらばこそわが下衣(したごろも)返し賜はめ(万葉集)、

と、

商変(あきがわり)、

という言い方もあり、

あきがえし(商変)、

とも言い、

いったん取引の済んだ売買を解約して、品物を返したり、代価を取り返したりすること、

の意である(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

しこる、

は、

シ(為)コリ(懲)の意か(岩波古語辞典)、
サ変動詞「す」の連用形に「懲(こ)る」のついたもの(広辞苑)、
「為凝る」として一つの事に熱中する意とする説、「しきおり(及居)」の変化した語として勢いが強大となるの意とする説など、諸説ある(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

わが背子が来(こ)むと語りし夜は過ぎぬしゑやさらさら思許理(シコリ)来(こ)めやも(万葉集)、

は、

語義未詳、

とされ、一応、

しそこなう、
まちがえる、

の意か(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)とされている。

あきなひ、

は、

商ひ、

とあて、和名類聚抄(931〜38年)に、

商 商賈、師説、阿岐比斗(あきひと 商人)、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

商 アキヒト(商人)・ハカル・アキナフ・アキ

とあるように、

商売をする、

意になるが、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

商、アキ、

とあるように、古くは、

アキ、

といい、

物と物とを交換すること、

であり、後世、

物を売買すること、

つまり、

あきない、

の意だが、多く、

「あきひと」「あきじこり」など他の語と複合して用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

稲を交換の具としたのでいう、

とある(岩波古語辞典)。この、

アキ、

は、

アキ(秋)と同根(岩波古語辞典)、
秋の義、米穀の秋熟を交易するより起これる語(大言海)、
秋に産物の交易がおこなわれたから(東雅・和語私臆鈔・箋注和名抄・柴門和語類集)、

とある。で、

あきない、

は、動詞、

「あきなう(商)」の連用形の名詞化、

で、

秋と同根、収穫物の交換期の意、ナヒは行なう意の接尾語、ウラナヒ・トモナヒのナヒの類(岩波古語辞典)、

とされ、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

貝+匽、以財相當也、、阿支奈比波加利須(あきなひばかりす)、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

交易、アキナヒ、

などとある。

あきなふ、

は、平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)、

估(あきふ)、商也、、交易也、阿支奈不、

ともあるが、この由来は、

秋と同根、収穫物の交換期の意、ナフは行なう意の接尾語、ウラナヒ・トモナフのナフの類(岩波古語辞典)、
(商(アキ)に)「あがなふ」「おこなふ」などと同じで、接尾語「なふ」がついた語(日本語源大辞典)

で尽きると思うが、別に、

アカフ(贖)のアカと同源(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、
動詞アクから出た語幹。アは間で、アキは間に立つ義。ナフは語尾(国語の語根とその分類=大島正健)、
アキナヒのナヒはイトナミ(営)のナミの転か、また一筋の縄をナフ(綯)ようにの意からか(両京俚言考)、
アキは飽く意。互いに利を得ることから(和句解・名言通)、

等々あるが、どうだろう。なお、

ナフ、

については、

商う

で触れたように、

「なう」は、

あがなう、
おこなう、
になう、
ともなう、
つぐなう、
いざなう、
おぎなう、
そこなう、
うべなう、
うらなう、

等々でも使われ、

名詞を承けて四段活用の動詞を作る、

とされ、

綯うと同根か、手先を用いて物事をつくりなす意から、上の体言の行為・動作をする意に転じたものであろう、

とある(岩波古語辞典)。また、

あがふ

でふれたように、

あがふ、

とあるのは、

贖ふ、
購ふ、

と当て、

あがなうの古形、

で、

平安時代以後、漢文訓読語として用いた、

とあり(日本国語大辞典)、

財物を代償として出して罪をつぐなう、

意で(広辞苑)、また、その派生として、

物を神に捧げて、罪を払い、命の長久を求める、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。

中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)いひ祓(はら)へ贖(あか)ふ命も誰(た)がために汝(なれ)(万葉集)、
韓媛(からひめ)と葛城(かつらき)の宅七区(ななところ)とを奉献りて、罪(しぬつみ)を贖(あかは)むことを請(う)けたまはらむ(日本書紀)、

と、古く、

あかふ、

と、

清音である(岩波古語辞典)。華厳私記音義(奈良時代)に、

救贖、出金而贖罪也、倭云阿可布(アカフ)、

字鏡(平安後期頃)にも、

贖、阿加不、

類聚名義抄(11〜12世紀)にも、

贖、アカフ、ツクノフ、

などとあり、平安末頃まで第二音節は清音と考えられる(精選版日本国語大辞典)。

室町時代に成立した一群の部首引きの漢和辞典『和玉篇(倭玉篇 わごくへん)』には、

贖、アガナフ

とあり、室町後期頃には、

あがなふ、

が用いられるようになり、近世になると、

あがふ、

を使う例は稀になる(精選版日本国語大辞典)。この変化は、

うら(占)ふ→うらなふ、
あざ(糾)ふ→あざなふ、

などの動詞が、

あがふ→あがなふ、

の派生に影響を与えた(日本語源大辞典)とある。また、

うらなう

は、

ウラ(心、神の心)+ナウ、

で(日本語源広辞典)、

ナウは「する」、

意なので、

「卜」をする、

という意味になる。

「商」(ショウ)の異体字は、

謪、 𠘾(同字)、 𠹧(古字)、 𠼬、 𠾃(古字)、 𠿧(古字)、 𡂦(古字)、 𡃬(古字)、 𡄚(古字)、 𡅟(古字)、 𥫐、 𧶜、 𧷞、 𨝗、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%95%86。字源は、

形声。「高い台の形+(音符)章の略体」で、もと、平原の中の明るい高台。殷人は高台に聚落(しゅうらく)をつくり商と自称した。周に滅ぼされたのち、その一部は工芸品を行商するジプシーと化し、中国の商業がはじまったので、商国の人の意から転じて、行商人の意となった、

とあり(漢字源)、同じく、

形声。意符㕯(とつ=吶。ゆっくり話す)と、音符章(シヤウ)の省略形とから成る。外から内を推し量る意を表す。転じて「あきなう」意に、借りて国名に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(章+冏)。「大きな入れ墨用の針」の象形(「目立つ」の意味)と「高殿(高い建物)」の象形から、どこからでも目立つ高殿を意味し、「殷(中国の王朝)の首都の名前」を意味する「商」という漢字が成り立ちました。のち、殷が亡びてその亡民が行商を業とした為、「あきない」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji507.html

と、形声文字とするもの、

会意。辛(しん)+冂+ハ+口。辛は把手のある大きな辛器で、入墨に用いるもの。刑罰権を示す。冂+ハはこれを樹てる台座の形。その前に、神に祈る祝詞の器(ᗨ(さい))をおく。神に「商(はか)」ることを原義とする字である。遹(いつ)の従うところの矞と似ており、矞は台座の上に矛(ほこ)を立て、祝詞をそえた形。遹は神威を奉じて巡察遹正(いつせい)を加えることをいう。商は殷王朝の正号。その都を卜辞に「大邑商」という。〔説文〕三上に「外よりしてを知るなり」という。すなわち商搉すること、推測の意とするが、神意を問うことを原義とする。商は古くは賞の意に用い、商の下に貝を加えた。……賞は報償として与えられることが多く、また償の意となる。商をその義に用い、ついに商賈の意となる。商賈の意は最も後起の義である(字通)、

と、会意文字とするものもあるが、

不詳。甲骨文字の形は「䇂」(また一説に音符「章」の略体)と「丙」とから構成される。『説文解字』では「㕯」+音符「章」から構成される形声文字と説明されているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「㕯」とは関係がない。また、上部を「辛」と解釈する説があるが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「辛」とは関係がないhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%95%86

と、上述のいずれの字解も、否定している。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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まよひ

 

今年(ことし)行く新島守(にひしまもり)が麻衣(あさごろも)肩のまよひは誰(た)れか取り見む(万葉集)

の、

新島守、

は、

辺境に新しく派遣される島守、

をいい、

麻衣肩のまよひ、

は、

貧しい麻衣の肩のほつれ、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

まよひ、

は、

動詞「まよふ(迷)」の連用形の名詞化、

である。

まよふ、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、

迷ふ、
紕ふ、

とあてる(広辞苑・学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、

紕、漢語抄云、萬與布(まよふ)、一云、與流(よる)、女~壊也、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

紕、マヨフ・ヨル・クミス、

とあり、

布の織目がゆるんで糸がかたよるというのが原義(日本語源大辞典)、
布の織目がゆるんで薄くなり、糸が片寄るのが原義(広辞苑)、
たて糸・よこ糸が乱れて片寄る意、また髪がほつれる意(岩波古語辞典)、
布の織目がゆるんで糸が片寄るというのが原義(精選版日本国語大辞典)、

と、

布帛の経緯の乱れて片寄ること、また、皺よること(大言海)、

の意で、冒頭の歌も、その意味である。それが転じて、

物事や心の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のたに、「まどう(惑)」と混同された(日本語源大辞典)、
物事の整理がつかなくなる意、後に「まどう(惑)」と混同(広辞苑)、
抽象的には心が乱れる意、後にマドフ(惑)と混同(岩波古語辞典)、
物事や心の整理がつかなくなる、の意に用いられるようになり、のちに「まどう(惑)」と混同された(精選版日本国語大辞典)、

と、今日の、

迷う、

意へと変わっていく。たとえば、

白き御衣(みそ)に、髪はけづることもし給はで、ほど経ぬれでまよふ筋なくうちやられて(源氏物語)、

と、冒頭の歌の、

(織り糸が)乱れて片寄ること

(髪の毛などの)ほつれ、乱れ、

に転じやすいが、

峯巖(たけいはほ)紛(マヨヒ)錯(まし)りて(日本書紀)、

では、

物が複雑に入りまじる、
錯雑する、

意で、

けはひ広々として、まかで参りする車、多くまよふ(源氏物語)、

では、

物が入り乱れて、移り動く、
さまよう、
右往左往する、
混雑する、

意で使われ、

わだの原こぎ出でて見ればひさかたの雲井にまよふ沖つ白浪(今鏡)、

では、

まぎれて区別がつかないようになる、
まがう、

意となり、抽象度が上がり、

いづかたの雲路に我もまよひなむ月の見るらむこともはづかし(源氏物語)、

では、

目標が不確かなためにまごまごする、
さまよう、

意に、

しめゆひし小萩がうへもまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ(源氏物語)、

では、

判断を下しかねる、
どうしてよいかと心が乱れる、
あれこれと思い悩む、
途方(とほう)にくれる、

と、心の内の錯綜に転じ、

まよひけるぞや、生死(しょうじ)の海山を離れやらで帰る八島の恨めしや(謡曲・八島)、

と、

煩悩や悪い誘惑などに心をまどわす、
煩悩に妨げられて悟れない、
成仏できない、

意に、さらに、今日の、

金にまよう、
女にまよう、

というような、

誘惑される、

意に使われる(精選版日本国語大辞典・広辞苑・岩波古語辞典)。

惑ふ、

の意味と重なっていくには、それなりに訳がある。

惑ふ

は、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

の、自動詞ハ行四段活用で、奈良時代は、「古事記‐上」に見える神名「大戸惑子神」の訓注に、

訓惑云麻刀比、

とあるところから、

まとふ、

と、清音で(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、本来は、

事態を見極められず、混乱して応対の仕方を定めかねる意(広辞苑)、
事態をじゅうぶん把握できずに対処のしかたに迷う意(精選版日本国語大辞典)、
事態を見極め得ずに混乱して、応対の仕方を定めかねる意、類義語マヨフは、本来は、布が薄くなって織糸が片寄り乱れる意(岩波古語辞典)、

とあり、

秋山の黄葉を茂み迷(まとひ)ぬる妹を求めむ山道知らずも(万葉集)、

と、

どの道を進んだらよいかわからなくなる、
道に迷う、

意や、

月読(つくよみ)の光は清く照らせれど惑(まとへ)る心思ひあへなくに(万葉集)

と、

考えが定まらずに、思案する、
分別に苦しむ、
途方に暮れる、

意や、

あのくしの箱得んとあめりとのたまへば、まどひ持て来て(落窪物語)

と、

どうするという考えもないうちに、まごつきながら行動する、
あわてる、

意だが、平安時代後期になると、

その胸をやみ給ひし夜は、いみじうまどひて(落窪物語)、

と、

あれこれ難儀する、
苦労する、
苦しむ、
なやむ、

意と、

まよふ(迷)、

との区別が薄れ、

御髪の久しう梳(けづ)りなどもせさせ給はねど、まどへる筋なくゆらゆらとして(狭衣物語)、

と、

髪などが乱れる、
ほつれる、

意でも使うに至る(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。両者の差は、

まよう(まよふ)、

が、

進む道や目標がわからずあちこち動き回るという行動に重点がある、

のに対して、

まどう(まどふ)、

は、どちらかというと、

どうしたらよいかわからずおろおろするという心理状態に重点がある、

とされる(精選版日本国語大辞典)。

「紕」(@漢音ヒ・呉音ビ、A漢音呉音ヒ)は、

会意兼形声。「糸+音符比(ならぶ)」、

とあり(漢字源)、動詞「紕(ひ)す」の、糸を並べて紐をくむ、意の場合@の音、名詞で、布端のほつれ、転じてもつれ、乱れの意の場合はAの音になる(仝上)。しかし、他は、

形声。「糸」+音符「比 /*PI/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%95

形声。声符は比(ひ)。〔説文〕十三上に「氐人(ていじん)の糸+罽(けい)(毛織物)なり」とするが、〔詩、鄘風、干旄〕に「素絲、之れを紕にす」とあり、〔伝〕に「紕は組を織る所以(ゆゑん)なり」と組紐(くみひも)として飾る意とし、その用義が古い。〔方言、六〕に「紕は〜理(をさ)むるなり。秦・晉の閧ノは紕と曰ふ」とみえる(字通)、

と、形声文字としている。

「迷」(慣用メイ、漢音ベイ、呉音マイ)は、

会意兼形声。「辵+音符米(小粒で見えにくい)」、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

会意兼形声文字です(辶(辵)+米)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「道を行く」の意味)と「横線が穀物の穂、六点がその実(米)を表す」象形(「多くのもの」の意味)から、道が多すぎて「まよう」を意味する「迷」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji739.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。辵と、音符米(ベイ)とから成る。「まよう」意を表す(角川新字源)、

形声。「辵」+音符「米 /*MI/」。「まよう」を意味する漢語{迷 /*mii/}を表す字。
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BF%B7

形声。声符は米(べい)。〔説文〕二下に「或(まど)ふなり」とあり、〔玉篇〕に「亂るるなり」とする。〔詩、小雅、節南山〕「民をして迷はざらしむ」、また〔書、無逸〕「殷王受(紂)の、迷亂して、酒徳に酗(よ)へるが若(ごと)くすること無(なか)れ」のように、徳の乱れることをいう。詐(いつわ)って狂することを迷陽といい、生きかたを誤ることを迷途という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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さひづらふ

 

住吉(すみのえ)の波豆麻(はづま)の君が馬乗衣(うまのりころも)さひづらふ漢女(あやめ)を据ゑて縫へる衣(ころも)ぞ(万葉集)

の、

さひづらふ、

は、

さえずるように賑やかな、

の意で、

「漢女」の枕詞、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

さひづらふ、

の、

フは接尾語、

とあり、

外国人の言葉がわかりにくいのを鳥の囀り、

にたとえて、

あや(漢)、

にかかる(広辞苑)。

さひづらふ、

は、

サヒヅルに反復・継続の接尾語フのついた形、

で、

さひづる、

は、

サヘヅルの古形、

で、

意味のわからないことばをしゃべる、

意である(岩波古語辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、

囀、鳥吟也、佐閉都流、

字鏡(平安後期頃)に、

囀、左戸豆留、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

詠、ウタフ・サヘヅル、

とある。

さひづらふ、

は、ラ行四段活用の自動詞

さひづる、

の未然形に、接尾語、

ふ、

のついたもので、この、

ふ、

は、

四段活用の動詞を作り、反復・継続の意を表す、

とあり(岩波古語辞典)、

糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひてしはぶかひ(貧窮問答)

では、

繰り返し…する、
何度も…する、

と、反復の意で、

三輪山(みわやま)をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万葉集)、

では、

…し続ける、
ずっと…している、

と、継続の意で使われている。

例えば、「散る」「呼ぶ」と言えば普通一回だけ、散り、呼ぶ意を表すが、「散らふ」「呼ばふ」といえば、何回も繰り返して散り、呼ぶ意をはっきりと表現する。元来は、四段活用の動詞アフ(合)で、これが動詞連用形のあとに加わって成立したもの、

とあり(岩波古語辞典)、その際の動詞語尾の母音の変形に三種あり、

[a]となるもの ワタルがワタラフとなる、
[o]となるもの ウツルがウツロフとなる、
[Ö]となるもの モトホル(廻)がモトホロフとなる、

例があるが、これは、

末尾の母音を同化する結果生じた、

とする(仝上)。この接尾語とされる、

ふ、

は、上代、

助動詞として用いられた、

とされ(学研全訳古語辞典)、中古になると、

語らふ、
住まふ、
慣らふ、
願ふ、
交じらふ、
守らふ、
呼ばふ、

等々、特定の動詞の活用語尾に残るだけとなり、接尾語化した(仝上)とされ、。中古以降は一語の動詞の一部分と化した。

囀る

で触れたが、

さへづる、

は、『大言海』に、

サヘは、喧語(さへ)くの語根…、ツルは、あげつらふ(論)、引(ひこ)つらふのツラフと通づ…。佐比豆留とある比は、閇(へ)の音に用ゐたるなり、

とあり、「喧語(さへ)くの語根」との関連で、「コトサヘク」の項で、

コトは、言ナリ、サヘクは、四段活用の動詞ニテ(名詞形に、佐伯となる)囀る、喧(さばめく)と通ず、

とし、「つらふのツラフと通づ」として、「ツラフ」の項で、

萬葉集「散釣相(サニツラフ)」「丹頬合(ニツラフ)」の釣合(ツラフ)にて、牽合(ツリア)フの約(関合[かかりあ]ふ、かからふ)、縺合(もつれあ)ふの意なり、

として、

喧語(さへ)く+縺合(もつれあ)ふ、

とする。鳥が騒がしく喋りまくっている、という感じであろか。よく主意は伝わる。他は、

「擬音さへ+ク(動詞語尾)」、さわがしく物を言う意で、これにズル(動詞化)をつけた再動詞(日本語源広辞典)
サヘは擬声語か(時代別国語大辞典−上代編)、
サヘは擬声語で、ヅルは音ヅルなどと同じか(小学館古語大辞典)、
サヘはサヘク(喧語)の語根。ツルはアゲツラフ、ヒヨ(引)ツラフのツラフと通じる(大言海)、
障りて通じがたいところからサヘ(障)出るの義(和句解)、
サヘツル(栄連)の義(言元梯)、
サヘツレル(清連)の義(名言通)、
曲節をつける意で、シハユリナクランの反(名語記)、
弁舌をよくするものの意で、サヘツル(才出)の義か(和句解)、

等々載せるが、

さわがしい+連、

擬声語+連、

というところなのではないか。それなら、「囀」の字(「口+音符轉(テン)」。轉(転)は、転がす意を含むが、囀はそれと同義」)の意味と重なる。ちなみに、

さへく、

は、

言(こと)さへく

でで触れたように、

「こと」は「言」。「さえく(さへく)」はやかましくしゃべる意)から、外国人のことばがわかりにくく、やかましく聞こえるところから、よくしゃべる意(精選版日本国語大辞典)、
「さへく」は、囀る意、外国人のことばの聞き分けにくい意(広辞苑)、
ことは、言なり、さへくは、四段活用の動詞にて(名詞形に、佐伯(さへき)となる)、囀る、喧擾(さばめ)くと通ず、ザワザワと物言う義にて、外国人の言語の、聞き分けがたき意(大言海)、
サヘクはサヘズル(囀)と同根。コトサヘクは意味の分からない言葉をぺちゃくちゃ言うこと(岩波古語辞典)、

などから、

「韓(から)」「百済(くだら)」、同音語を持つ地名「からの崎」「くだらの原」にかかる、

枕詞として使われる。後世、

むつかしやことさやく唐人(からひと)なればお言葉をも、とても聞きも知らばこそ(光悦本謡曲「白楽天(1464頃)」)、

と、訛って、

ことさやく、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

さへく、

は、

喧く、

と当て、

さわがしい声で物を言う、
聞き分けにくいように物を言う、

である(仝上・デジタル大辞泉)。

類義語、

さわぐ

については、触れた。

「囀」(テン)は、「言さへく」で触れたように、

会意兼形声。「口+音符轉(テン)」。轉は、ころがす意を含むが、囀はそれと同義、

とある(漢字源)が、

形声。声符は轉(転)(てん)。〔玉篇〕に「鳥鳴くなり」とあり、鳴きつづける鳥の声をいう(字通)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)

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うら(心)

 

夏蔭(なつかげ)の妻屋(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁つ我妹(わぎも)うら設(ま)けて我(あ)がため裁たばやや大(おほ)に裁て(万葉集)

の、

うら設(ま)けて、

は、

心積もりして、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

うら、

は、

心、

と当て、

表に見えないものの意、

で、

こころ、
おもい、

の意である(広辞苑)が、

裏、
浦、

と同源で、

裏、

とも当てる。『大言海』は、「うら」は、

事の心(うら)の意、

とし、

心(うら)、

は、

裏の義。外面にあらはれず、至り深き所、下心、心裏、心中の意、

としている。「古今集」など、和歌では、「うら」が「心」の意と「浦」や「裏」の意味を掛けて使われ、

いさなとり海の浜辺にうらもなく臥(ふ)したる人は母父(おもちち)に愛子(まなこ)にかあらむ(萬葉集)、

では、「心」と「浦」を掛け、

何も気にかけず、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。上代、

うら(心)思(も)い、
うら(心)思(も)ふ、
うら(心)許(もと)無し、
うら(心)無し、

等々、多くは語素としての用法である(精選版日本国語大辞典)。また造語要素としては、

うらあう、
うらがなし、
うらぐわし、
うらごい、
うらさびし、
うらどい、
うらなき、
うらまつ、
うらもう、
うらやす、

等々、形容詞およびその語幹、動詞の上に付いて、

心の中で、
心から、
心の底からしみじみと、

の意を添えて使われる(仝上)。この、

うら(心・裏)、

は、平安時代までは、

「うへ(表面)」の対、

院政期以後、次第に、

「おもて」の対、

となっていく。

表に伴って当然存在する見えない部分、

をいう(岩波古語辞典)。

下笑(したゑ)まし

で触れたように、

した、

は、上代において、

人に隠した心、

の意で(岩波古語辞典)、

心の中に喜びが満ちあふれるさまである、
心ひそかににこにこしたくなる、

の意で使う(仝上・精選版日本国語大辞典)が、この、

した、

と、

うら、

の違いは、

うら、

が、

意識して隠すつもりはなくても表面にはあらわれず隠れている心である、

のに対し、

した、

は、

表面にあらわすまいとしてこらえ隠している心である、

とする(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

語素としての「うら」の結合範囲は、中古以後ほとんど形容詞に限られ、「うら」の意味も弱まって、

おのずと心のうちにそのような感情がわいてくる、

意となり、

ものがなし(物悲し)、

などの、

もの、

と類似した意味にとれるが、

もの、

は、

情意、状態の対象を漠然と示して外的である、

のに対し、

うら、

は内面的である、

という違いがある(仝上)とする。ちなみに、

うらなう

で触れたように、

うらなふ、

の、

ナウ、

は、

「する」意(広辞苑)、
アキナフ・ツミ(罪)ナフのナフと同じ。事をなす意(岩波古語辞典)、
占(うら)を行ふ。罪なふ、商(あき)なふ、寇(あた)なふ(大言海)、

なので、「うらなう」は、

「卜」をする、

意になり、占いや占うの、

占(うら)、

は、

心(うら)、

である。

心(うら)、

は、

表に出さない裏の心、
外面に現れない内心、

の意味になる(語源由来辞典)。

かお

で触れたことだが、

うら(心・裏・裡)、

の語源は、

顔のオモテに対して、ウラは、中身つまり心を示します(日本語源広辞典)、
ウは空の義から。ラは名詞の接尾語(国語の語幹とその分類)、
衣のウチ(内)ラの意のウラ(裡)か(和訓栞)、
ウラ(浦)と同義か(和句解)、

の諸説がある(日本語源大辞典)。これと同源とされる、

ウラ(浦)、

の語源は、

裏(うら)の義。外海の面に対して、内海の意。或は、風浪和らぎてウラウラの意。船の泊する所(大言海)、
「ウ(海、湖)+ラ(ところ)」。海や湖で、陸地に入り組んだところ(日本語源広辞典)、
ウラ(裏)の義。外海の面に対して、内海の意(箋注和名抄・名言通)、
ウチ(内)ラの意(和訓栞・言葉の根しらべ)、
風浪がやわらいで、ウラウラする意(大言海・東雅)、
ウ(上)に接尾語ラを添えた語であるウラ(末)の転義(日本古語大辞典)、
ムロ、フロ、ホラ、ウロ等と同語で、ここに来臨する水神をまつり、そのウラドヒ(占問)をしたところから出た語(万葉集叢攷)、
ウは海、ラはカタハラ(傍)から(和句解・日本釈名)、
ウラ(海等)の義(桑家漢語抄)、
ウはワタツの約、ウラはワタツラナリ(海連)の義(和訓集説)、
蒙古語nura(湾)から(日本語系統論)、

と諸説あるが、

ウラ(浦)、

を、

うら(心)、

のアナロジーとして使うには、そういう意味が、「うら(浦)」に内包されていなくてはならない。とすれば、

外海⇔内海、

が、ぴたりとする気がする。しかし、上述したとおり、古くは、

うへ⇔うら

と、「うら」の対は、「うへ」である。「うち」と「うら」とが通じるのかどうか。「そと」は、「うち」の対だが、古くは、「と」と言い、「うち(内)」「おく(奥)」の対とある。

うち、

の語原は、

古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分から或る距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは「と(外)」と対にして使い、中世以後「そと」または「ほか」と対する、

とする(岩波古語辞典)。かろうじて、

うら―うち、

がリンクするかに見える。

うら(心)、

は、

内心、

だが、

裡、

とも当てる、

うら(裏)、

の意味の範囲は広い。平安時代まで、

うへ(表面)の対として、

和名類聚抄(931〜38年)に、

裏、衣内也、宇良、

とあるように、

針袋(はりぶくろ)取り上げ前に置き返さばおのともおのや裏(うら)も継ぎたり(万葉集)、

と、

(衣服の)内側の布、裏地、

の意、

天地(あめつち)の底ひのうらに我(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ(万葉集)、

と、

内側、なか、

の意、

うらもなく我(わ)がゆく道に青柳(あおやぎ)の萌(は)りて立てれば物思(ものも)ひ出(で)つも(万葉集)、

と、

人に見えない内心の心、気持ち、

の意で、

多く、形容詞や動詞と複合為る形をとる、

とある(岩波古語辞典)。これが、やがて、

おもて(表)の対、

として、

点がちにて、うらには、まことや、くれにもまゐりこむと思う給へたつは、……とてまた端(はし)にかくぞ(源氏物語)、

と、

物の正面の反対側、通常目に見える面の反対側。また、後ろ側、

の意、

あながち悪をも嫌ふべからず。善のうらなり(お伽草紙「三人法師」)、

と、

物事の裏面、裏返し、

我が詞の裏にはなんでかあるらう(「四河入海(17C前)」)、

と、

物事の表面にあらわれないところ、隠れているところ、

の意、

拍子に、本、末、上、中、下、裏、表、やこゑにも、うくると、うけざると、陰、陽、順、逆あり(「わらんべ草(1660)」)、

と、

表だたない、簡略にされた物事、本格的でない技術や方法、

の意、

うらの広き家を買てもらひます(浮世草子・好色盛衰記)、

と、

家屋の大通りに面していない部分、玄関と反対の側、

の意、特に、

大をくびゃうなる侍、夜うらへ行に気味わるく思ひ(咄本・鳥の町)、

と、

便所、

をさしたりする(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。また、

うらはら、
うらうえ、

と、

逆、反対、

の意、

Vrauo(ウラヲ) ユウ(「日葡辞書」、

と、

本心とはかけ離れたこと、

の意や、

うらをかく、
うらへ回る、
うらを行く、

等々、

相手の予想に反する、

意でも使う(仝上)。なお、



については触れた。

「裏」(リ)の異体字は、

裡(俗字/台湾の標準字体)、里(簡体字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%8F。字源は、

会意兼形声。里(リ)は、たてよこのすじめのついた田畑。裏は「衣+音符里」で、もと、たてよこのすじめの模様(しま模様)の布地。しま模様の布地は、衣服のうら地に用いた、

とある(漢字源)。また、同じく、

会意兼形声文字です(衣+里)。「衣服のえりもと」の象形と「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「整ったすじ」の意味)から、衣服のえりもとのすじの内側を意味し、そこから、「うら」、「うち」を意味する「裏」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1066.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「衣」+音符「里 /*RƏ/」。衣服などの「うら」を意味する漢語{裏 /*rəʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%8F

形声。衣と、音符里(リ)とから成る。衣の「うら」、ひいて「うち」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は里(り)。〔説文〕八上に「衣の内なり」とあり、〔詩、邶風、緑衣〕に「緑衣黄裏」のようにいう。衣の裏地である。金文の車服の賜与に「虎冟 (こべき)熏裏(くんり)」のように、虎皮に赤地の裏をつけたものを多く用いた。里をそのまま裏に用いている例もある。裡は俗字(字通)

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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はしたて

 

はしたての倉橋山(くらはしやま)に立てる白雲見まく欲(ほ)り我(わ)がするなへに立てる白雲(万葉集)
はしたての倉橋川(くらはしがは)の石の橋はも男盛(をざか)りに我(わ)が渡してし石の橋はも(万葉集)

の、

はしたて、

は、

倉橋山、
倉橋川、

の枕詞(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。

はしたて、

は、

故諺に曰はく、神の神庫(ほくら)も樹梯(ハシタテ)の随(まま)にといふは、此れ其の縁なり(日本書紀)

と、

梯立、
梯、

とあて、

梯子を立てかけること、

また、

その様をしめしたもの、

とあり(広辞苑)、和名類聚抄(931〜38年)に、

梯、加介波之、木階所以登高也、

新撰字鏡(平安前期)に、

梯、波志(はし)、

字鏡(平安後期頃)に、

梯、カケハシ・ハシ・キノハシ、

などとあり、

架階(かけはし)の義、

とする(大言海)。

梯立の、

で、枕詞として、

波斯多弖能(ハシタテノ)倉梯山を嶮(さが)しみと岩懸きかねて我が手取らすも(古事記)、

と、

古代の倉は高床式で、梯(はし)、つまり、はしごをかけたところから、倉にかけるはしごの意の「倉梯」と同音の地名、

倉梯(くらはし)にかかる、

また、

破始多氐能(ハシタテノ)嶮(さが)しき山も我妹子と二人越ゆれば安席(やすむしろ)かも(日本書紀)、

と、

はしごを立てたようなというところから、けわしい意の、

険(さが)し、

にかかる。

楯(はしたての)熊来酒屋(くまきさかや)に真罵(まぬ)らる奴(やっこ)わし誘(さす)ひ立て率(ゐ)て来(き)なましを真罵(まぬ)らる奴わし(万葉集)、

と、

熊來(くまき)、

にかかる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)とある。

梯立、

は、

はしたて、

と訓むが、後世、

はしだて、

とも訓む。上述のとおり、

はしごを立てること、
立っているはしご、

の意だが、また、

その形に似たもの、

をもいう(精選版日本国語大辞典)。ただ、この、

はしたて、

の、

はし、

については、

桟(かけはし)、

の意と見る説もある。また、

VまたはY字形をしたものが「はし」で、先端の分かれた樹枝などをいい、古代にはその分かれ目を呪力の象徴と見ていたもので、これに境界を守る力を託して立てた、

というところから、

「隅(くま)」や「嶮(さが)しき山」にかかり、「座(くら)」にかかる、

とする説もある(仝上)とされる。ちなみに、

かけはし、

は、

懸橋、
梯、

とあて、

架階(カケハシ)の義(大言海)、
かけわたして、そこを登ったり通ったりするもの(岩波古語辞典)、

とあり、上述の、和名類聚抄(931〜38年)の、

梯、加介波之、木階所以登高也、

は、この意と見た方がいいのかもしれないので、

はし、

を、

桟(かけはし)、

とみる説は、故なしとしない。ただ、通常、

かけはし、

は、

巖(いはを)嶮(さかし)く磴(カケハシ)紆(めぐり)て、長(ふか)き峯(たけ)数千(ち)、馬頓轡(なづ)みて進(ゆ)かず(日本書紀)、

と、

谷をまたいで懸け渡した橋、粗末な板や材木、蔦(つた)などで、仮に作ってあるものをいう場合が多い、

の意で、また、

崖(がけ)に沿った険しい道に、板などを棚のように掛け渡して道としたもの、

つまり、

桟道、
かけじ(懸路)、

の意もある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)が、

広さ一丈五尺、長さ二十丈余に梯(カケハシ)をぞ作らせける(太平記)、

と、階段状の、いわゆる、

はしご。

をも言うのでややこしい。その、

梯子(はしご)、

は、古く、

はしのこ、

と呼ばれ、

こ、

は、「木の葉(このは)」などと同じく、

木(き)の古形、

であり、

はし、

は、

端、橋などと同根、

で、

端と端の間に渡す、

という意味で、

はしのこ、

は、

端と端の間に渡した横木、

を指したが、これがいつしか梯子全体を指すようになった。で、その梯子を立てることを、

梯立(はしたて)、

というわけである。なお、

はし

でふれたように、

はし、

は、

橋、
箸、
端、
梯、
嘴、
階、
閨i間)、

は、語源として深くつながっている、とみられ、

端、

は、縁、辺端、といった意味だが、

間、

の意味もあり、万葉集には、

まつろはず立ち向ひしも露霜の消(け)なば消(け)ぬべく行く鳥の争う端に渡會(わたらい)の斎の宮ゆ神風(かむかぜ)にい吹き惑はし(柿本人麻呂)、
くもり夜の迷へる閧ノ朝もよし城上(きのえ)の道ゆつのさはふ磐余(いわれ)を見つつ、

の例があり、「はし」に、



端、

を使っているし、古事記には、

關l(はしびと)穴太部王、

という例もあり、

端、

閨A

は、「縁」の意と「間」の意で使っていたように思われる。だから、大言海は、

橋、

を、

彼岸と此岸との閨iはし)に架せるより云ふ、

としている。「柱」もまた、

天と地のハシ(閨j、

であった。これから考えれば、母船から陸に荷物を運ぶ、

はしけ(艀)、

も、

沖合と波止場とのハシ(閨j、

の意味と重なるだろう。

梯、
階、

の「はし」は、

ハシ(橋)と同源(東雅・大言海)、
ハシ(端)の意(名言通)、
ハシ(閨jの義(言葉の根しらべの=鈴木潔子・大言海)、

と、ほぼ「橋」とつながり、たぶん、

柱、

ともつながるようである。

「梯」(漢音テイ、呉音タイ)は、

会意兼形声。「木+音符弟(きょうだいのうち背の低い者)」。低(ひくい)と同系で、低いところから上れるようにした木製のはしご、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意兼形声文字です(木+弟)。「大地を覆う木」の象形(「木」の意味)と「矛(ほこ)になめし皮を順序良く螺旋(らせん)形に巻きつけた形」(「順序」の意味)から、順序を踏んで上がったり下がったりする「はしご」を意味する「梯」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2773.html

と、会意兼形声もじとするものもあるが、他は、

形声。「木」+音符「弟 /*LI/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A2%AF

形声。木と、音符弟(テイ)とから成る(角川新字源)

形声。声符は弟(てい)。弟に次第の意がある。〔説文〕六上に「木階なり」とあり、梯子(はしご)をいう。攻城の具に用い、〔墨子〕に〔備梯〕〔備高臨〕の篇がある。階梯とはてびきの意。蜀道の険を通ずるには、天梯石桟を用いた(字通)、

と、形声文字としている。

「棧」(@漢音サン・呉音ゼン、A漢音セン・呉音ゼン)の異体字は、

栈(簡体字)、桟(新字体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%A7。字源は、

会意兼形声。戔(サン・セン)は、戈(ほこ)二つによって、切って小さくする意をあらわした会意文字。棧は、「木+音符戔」で、小さく切った木、

とある(漢字源)。「短く切った木」、「桟道(サンドウ)」(「かけはし」の意)、「客桟(キャクサン)」(切った木を渡して並べた板の間、転じて「商人宿」の意)、「短い木を渡して作った棚」の意の場合、@の音、短い木で作った柵、「馬桟(バセン)」(馬小屋)の意の場合、Aの音となる(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(木+戔)。「大地を覆う木」の象形と「矛を重ねて切り込んでずたずたにする」象形(「薄く平らに削る」の意味)から、「木を平らに並べた架け橋」を意味する「桟」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1811.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「木」+音符「戔 /*TSAN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%A7

旧字は、形声。木と、音符戔(サン)とから成る。木を組み合わせた「かけはし」「たな」などの意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声。旧字は棧に作り、戔(さん)声。戔に浅小・偏薄のものを連ねる意がある。〔説文〕六上に「棚なり」とあり、棚状のものをいう。また「竹木の車を棧と曰ふ」とあり、すべて材質の小さなものをしき並べて作るものをいう。巴蜀に通じる道には、険絶のところに、棚状に突出する桟道を作って、わずかに通ることができた(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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若草

 

春日(はるひ)すら田に立ち疲(つか)れ君は悲しも若草の妻なき君し田に立ち疲る(万葉集)

の、

春日、

は、

はるび、
しゅんじつ、

と訓ませ、

春の日射し、

また、

春の一日

の意(デジタル大辞泉)だが、ここでは、

豊作を予祝して村中が春山で遊ぶ日、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

その春日にすら誰にも相手にされぬ男をからかう形で楽しまれた歌垣歌か、

と注記がある(仝上)。「歌垣」については触れた。

若草の、

は、

「妻」の枕詞、

とある(仝上)。

わかくさ、

は、

若草、
嫩草、

とあて(広辞苑)、

庭もやうやう青み出づるわかくさみえわたり(源氏物語)、

と、

芽を出して間のない草(仝上)、
春になって新しく生えてきた草(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

の意で、和歌では多く、

手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺のわかくさ(源氏物語)、
おひたたむありかもしらぬわか草をおくらす露ぞきえんそらなき(仝上)、

などと、

うら若い女性、

にたとえる(仝上)。

若草色、

というと、

若菜色(わかないろ)、

ともいい、

若草のような淡い緑色、

をさす(仝上)。また、

若草、

は、襲(かさね)の色目の名でもあり、

表は薄青、裏は濃い青、

で、正月・二月のころに用いる(精選版日本国語大辞典)。

襲の色目、

については、襲(かさね)の色目のうち、

同系色のグラデーション、

をさす、

匂ひ

で触れた。襲の色目には、

女房装束の袿の重ね(五衣)に用いられた襲色目の一覧、

をいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%B2%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%9B%AE

小袿

で触れたように、

正式の女房装束は袿(うちき)の上に「表着」や「小袿」、さらに「唐衣」を着用しますから、表面に表れる面積では「五衣」は少ないのですが、袖などに表れるこの部分の美しさを女房たちは競いました、

とあるhttp://www.kariginu.jp/kikata/5-2.htm。平安時代は、グラデーションを好んだようで、その配色の方法で、「匂ひ」の他、

薄様(うすよう グラデーションで淡色になり、ついには白にまでなる配色)
村濃(むらご ところどころに濃淡がある配色です。「村」は「斑」のこと)
単重(ひとえがさね 夏物の、裏地のない衣の重ねです。下の色が透けるので微妙な色合いになる)、

等々がある(仝上)。

枕詞の、

若草の、

は、

汝(な)こそは男(を)にいませばうち廻(み)る島の崎々かき廻る磯の崎落ちず和加久佐能(ワカクサノ)妻持たせらめ(古事記)、

と、初生の草が多くは二葉で、柔らかくみずみずしいところから、

配偶者の意の「つま(妻・夫)」、まれに「いも(妹)」、

にかかる。「仁賢紀」に、

弱草、

とあり、その古注に、

古者以弱草喩夫婦、故以弱草為夫(つま)、

とある。また、

若草乃(わかくさノ)新手枕(にひたまくら)を巻きそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに(万葉集)、

と、若草の新鮮なところから、新手枕(にひたまくら)の、

新(にひ)、

にかかり、

藤波の思ひもとほり若草乃(わかくさノ)思ひつきにし君が目に(万葉集)

と、心がひかれる、愛情をよせるの意の、

思ひつく、

にかかり、

大君の命(みこと)かしこみ食(を)す国のこと取り持ちて和可久佐能(ワカクサノ)足結(あゆひ)手作(たづく)り(万葉集)、

と、

足結(あゆひ)、

にかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「若」(@漢音ジャク・呉音ニャク、A漢音ジャ・呉音ニャ)の異体字は、

叒(原字)、𠭀(本字)、𠭞、𠰥(俗字)、𡧻、𡻦(訛字)、𣞆、𥉧、𦱡、𦱢(籀文)、𦱶、𦴈、𧁇(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5。字源は、

象形。しなやかな髪の毛をとく、からだの柔らかい女性の姿を描いたもの。のち、草かんむりのように変形し、また口印を加えて若の字となった。しなやか、柔らかくしたがう、遠まわしに柔らかく指さす、などの意を表す。のち、汝(じょ)・如(ジョ)とともに「なんじ」「それ」をさす中称の指示詞にあてて用い、助詞や接続詞にも転用された、

とある(漢字源)。音は、「老若(ロウジャク・ロウニャク)」「若(なんじ)」「有若(ユウジャク 順調な)」「不若(フジャク)」「若人(かくのごときひと)」「もしくは」「もし」「ごとし」「自若」「若干」等々の用法では@の音、梵語の音訳「般若(ハンニャ)ではAの音、となる(仝上)。他も、

象形。もと、髪をふり乱し、両手を前にさし出した巫女(みこ)の形(艹+ナ)にかたどり、のち、口(お告げ)が加えられた。神託を受けた者、転じて、かみ(神)、「したがう」の意を表し、借りて、助字に用いる(角川新字源)

象形文字です。「髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女」の象形から、神意に「したがう」を意味する「若」という漢字が成り立ちました。また、「弱(ジャク)」に通じ(同じ読みを持つ「弱」と同じ意味を持つようになって)、「わかい」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji947.html

象形。巫女が両手をあげて舞い、神託を受けようとしてエクスタシーの状態にあることを示す。艸はふりかざしている両手の形。口は(さい)、祝禱を収める器。〔説文〕一下に「菜を擇(えら)ぶなり。艸右に從ふ。右は手なり」という。〔詩、周南、関雎〕「參差(しんし)たる荇菜(かうさい)は 左右に之れを采る」などの詩句によって解したものであろうが、卜文の字形は巫女の舞い、忘我の状態にある形で、神託を求める意。神が祈りをうけ入れることを諾といい、卜文・金文には、若を諾の意に用いる。卜辞に「王、邑を作るに、帝は若(よし)とせんか」「帝は若を降さんか、不若(ふじやく)を降さんか」のようにいい、不若とは邪神、邪悪なるものをいう。〔左伝、宣三年〕「民、川澤山林に入るも、不若に逢はず。魑魅(ちみ)罔兩(まうりやう)(怪物)も能く之れに逢ふ莫(な)し」とみえる。金文に「上下の若否」というのは、上下帝の諾否(だくひ)の意である。神意に従うことより若順の意となり、神意のままに伝達することから「若(かく)のごとし」の意となる。王が神意によって命を発することを、金文では「王、若(かく)のごとく曰く」といい、〔書〕〔詩〕にもその形式の語が残されている。「若(わか)し」は神託を受ける女巫が若い女であることから、「若(ごと)し」はそのエクスタシーの状態になって神人一如の境にあることからの引伸義であろう。「若(なんじ)」「若(も)し」などは仮借。如も若と同じく女巫が神託を求める象で、両字通用の例が多い(字通)、

と、象形文字とするが、字解の、

手を挙げて祈る巫女を象る、

という説については、それを支持する証拠はない、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5

原字の「叒」はひざまずいて髪に手をやるさまを象る象形文字、のち羨符「口」(他の字と区別のための装飾的記号)を加えて「若」の字体となる。「したがう」を意味する漢語{若 /*nak/}を表す字。のち仮借して接続詞の{若 /*nak/}に用いる。また一説に、「叒」とは異なる起源を持ち、草を手で選び取るさまを象る象形文字ともある、

としている(仝上)。

「嫩」(漢音ドン、呉音ノン)の異体字は、

嫰、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AB%A9。字源は、

会意兼形声。敕はもとは「面(ひげ)+大」で、柔らかく垂れたもものをあらわす。それを音符とし、女を加えたのが、嫩のもとの字、

とある(漢字源)が、他は、

形声。元の形は「㜛」で、「女」+音符「軟 /*NON/」[字源 1]。「やわらかい」「軟弱」を意味する漢語{嫩 /*nuuns/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AB%A9

と、形声文字としている。

「草」(ソウ)の異体字は、

䓍、䓥、屮、艸(原字)、蔁、𢂉、𤆊、𦯑、𦯨、𦱤、𦳕、𦳱、𦷣、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%89。字源は、

形声。「艸+音符早」。原義はくぬぎ。または、はんのきの実であるが、のち、原義は、皁(ソウ)の字であらわし、草の字を古くから、艸の字を当てて代用する、

とある(漢字源)。他も、字解は異なるが、いずれも、

形声。「艸」+音符「早 /*TSU/」。「どんぐり」を意味する漢語{皁 /*dzˤuʔ/}を表す字。仮借して「くさ」を意味する漢語{草 /*tsʰˤuʔ/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%89

形声。艸と、音符早(サウ)とから成る。どんぐりの意を表す。借りて「くさ」の意に用いる(角川新字源)、

形声文字です(艸+早)。「並び生えた草」の象形(「くさ」の意味)と「太陽の象形と人の頭の象形」(人の頭上に太陽があがりはじめる朝の意味から、「早い」の意味だが、ここでは、「艸(そう)」に通じ、「くさ」の意味)から、「くさ」を意味する「草」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji67.html

形声。声符は早(そう)。〔説文〕一下に「草斗、櫟(くぬぎ)の實なり」とし、また「一に曰く、斗の子(み)に象る」とする。櫟の実で染めて黒色となるを皁(そう)というが、その字と解するものであろう。草は艸の俗字。また草昧・草稿・草書・草次などの意に用いる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ものうし

 

花鳥(はなとり)の色をも音(ね)をもいたづらに物うかる身はすぐすのみなり(藤原雅正)

の、

物うし、

は、

億劫な、

と訳される(水垣久訳注『後撰和歌集』)。

ものうし、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

嬾、モノウシ、モノクサシ、

字鏡(平安後期頃)に、

慵、嬾也、毛乃宇志、

とあり、

物憂し、
懶し、
慵し、

とあて(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、形容詞ク活用で(学研全訳古語辞典)、

なきとむる花しなければ鶯もはてはものうくなりぬべらなり(古今和歌集)、

と、

気がすすまずおっくうである、
何となく倦(う)みつかれて身心がすっきりしない、
だるく大儀である、

意や、そんな状態表現から、

春雨のくもりつづくは物うきにおぼろなるにも月をまたばや(菟玖波集)、

と、価値表現に転じて、

何となく心がはればれとしない、
憂鬱である、

意や、

数ならぬ身のみ物うく思ほえて待たるるまでもなりにけるかな(後撰和歌集)、

と、

何となくつらい、
いやである、
やりきれない、
わびしい、
苦しい、

といった意に転じていく(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この派生語に、

浅葱(あさぎ)の心やましければ、内裏(うち)へ参ることもせず、ものうがり給(たま)ふを(源氏物語)、

と、動詞化し、

ら/り/る/る/れ/れ、

と、自動詞ラ行四段活用の、

なんとなくおっくうがる、
気が進まないと思う、

という意の、

ものうがる(物憂がる)、

や、形容詞の、

ものうげ、

名詞の、

ものうさ、

がある(精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。

ものうし、

の語幹、

物憂(ものう)、

だけでも、

あな物うや、ここにとまりなばや(宇津保物語)、

と、

ものういこと、

の意で使うし、また、

なま物うくすずろはしけれど(源氏物語)、

などと、

なまものうし(生物憂し)、

という言い方もあり、「なま」は接頭語で、

なんだかもの憂い、
いやにおっくうである、

と、

ものうし、

の、

何だか、

を強調した言い方になる。

なま

には、

中途半端に、なんとなく、わずかながら、

の意があり、

なまじっか

の、

なまじひ(い)、

も、

ナマは中途半端の意。シヒは気持ちの進みや事の進行、物事の道理に逆らう力を加える意。近世の初期まで、ナマジヒ・ナマシヒの両形あった。近世ではナマジとも、

とある(岩波古語辞典)し、

なまなか(生半)、

も、

中途半端、

の意になる。

ものうし、

の、

もの、

は、

接頭語、

で、

名詞のモノは、漠然と一般的存在として捉えた表現をすることがあるから(岩波古語辞典)、

ということから、主として形容詞、形容動詞、または状態を示す動詞の上に付いて、

なんとなく、そこはかとなく、そのような状態である意、

を表わし、

物悲し、
物寂し、
ものはかなし、
もの清げ、
もの恐ろし、
物思はし、
ものぐさし(懶)、
物覚ゆ、
物あはれ(哀)、

と、

漠然とした様態を表すとともに、

ものあたらし
ものさぶ、
物めずらし、
物すさまじ、
ものまめやか、
物静か、

と、

いかにもそうであるという意をも表す(仝上・デジタル大辞泉)。

うら

で触れたことだが、

うらあう、
うらがなし、
うらぐわし、
うらごい、
うらさびし、
うらどい、
うらなき、
うらまつ、
うらもう、
うらやす、

等々、形容詞およびその語幹、動詞の上に付いて、

心の中で、
心から、
心の底からしみじみと、

の意を添えて使われる(精選版日本国語大辞典)、

うら、

が、中古以後ほとんど形容詞に限られ、その意味も弱まって、

おのずと心のうちにそのような感情がわいてくる、

意となり、

ものがなしい、

などの、

もの、

と類似した意味になってゆく。違いは、

うら、

が、

内面的である、

のに対して、

もの、

は、

情意、状態の対象を漠然と示して外的である、

という違いがある(仝上)。

もの

で触れたように、

もの、

には、

形があって手に振れることのできる物体をはじめとして、広く出来事一般まで、人間が対象として感知・認識しうるものすべて。コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるに対して、モノは推移変動の観念を含まない。むしろ変動のない対象の意から転じて、既定の事実、避けがたいさだめ、普遍の慣習・法則の意を表す。また、恐怖の対象や、口に直接指すことを避けて、漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。人間をモノと表現するのは、対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている、

という意味がある(岩波古語辞典)。上述の、

もの、

に、

なんとなく、

の意味がある背景を、

名詞のモノは、漠然と一般的存在として捉えた表現をすることがあるから(岩波古語辞典)、

としたのは、この、

もの、

の、

漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた、

を指している。なお、コトが、言であり、事であったことについては、

こと(事・言)

で触れた。

ものうし、

の、

うし、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

憂、ウレフ・ウレヘ・イタハル・ウレハシキ・ユク、

とあり、

(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ、

の、形容詞ク活用で(学研全訳古語辞典)、

ウム(倦)と同根、事の対応に疲れ、不満がいつも内攻して、つくづく晴れない気持ち、類義語ツラシは他人のわが身に対する仕打ちについていう(岩波古語辞典)、
倦(う)むと同源。心外なことばかりで疲れ、心が閉ざされるように感じること。また、そのような感じを起させる状態を表す(広辞苑)、
「倦(う)む」と同根か。物事が思いのままにならないことを嘆きいとう心情を表わす。また、そのような心情を起こさせる物事の状態についても用いる。類義語の「つらし」が他人が冷淡・無情であるのを恨む外因的なものであるのに対して、「うし」は内因的で思いのままにならない状況や環境を自分のせいだととらえる。中世になるとこの区別が薄れ、やがて「つらし」に併合されていく(精選版日本国語大辞典)、

という語で、

世の中を宇之(ウシ)と恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(万葉集)、

と、

ある状態をいとわしく、不愉快に思うさま、
憂鬱だ、
いやだ、
煩わしい、

意や、

逢はなくも懈(うし)と思へばいやましに人言繁く聞こえ来るかも(万葉集)、

と、

心が重苦しく閉ざされたさま、
気持ちの晴らしようがなくて、つらく、やりきれない、

意、

身のうきをもとにてわりなきことなれどうちすて給へるうらみのやるかたなきに(源氏物語)、

と、

つらい、やりきれないと思うような不本意な状態、自身にとっては、不遇、不運を嘆く、

意となり、他に対しては、みじめなさま、無残なさまを気の毒に思う意となる使い方や、

あまのとをおし明けがたの月みればうき人しもぞ恋しかりける(新古今和歌集)、

と、

(自分に憂い思いをさせる意から)恋愛の相手の態度が無情だ、つれない、

意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、こうした主体の心情表現から、180度変わって、室町時代以降、

愛し、

とあて、

一段うい奴じゃ、

といった言い方で、目下をほめて、

殊勝だ、
けなげだ、
可愛い、

の意で使う(岩波古語辞典・広辞苑)が、この場合も、

自分に気がかりな思いをさせる(仝上)、

という主体の心情表現を、相手に向けているという意味では、意味の外苑に収まってはいる。なお、

うし、

は、動詞の連用形に付いて、

はかなくてゆめにも人をみつるよはあしたのとこぞ起きうかりける(古今和歌集)、

と、

そうすることがためらわれる、いやだ、おっくうだなどの意、

を添えたり、

ここをまた我住みうくてうかれなば松はひとりにならんとすらん(山家集)、

と、

そうしていることがやりきれない、つらいなどの意、

を添えて使われる(精選版日本国語大辞典)。この使い方も、

止むなくそうせざるを得ないのだが、自分の感情としては、……しづらい、……したくない、

といった、心情表現を反映しており、

うし、

の意味の翳をまとっている(仝上・岩波古語辞典)。

 
「物」(漢音ブツ、呉音モツ・モチ)は、

会意兼形声。勿(ブツ・モチ)は、いろいろな布で作った吹き流しを描いた象形文字。また、水中に沈めて隠すさまともいう。はっきり見分けられない意を含む。物は「牛+音符勿」で、色合いの定かでない牛。一定の特色がない意から、いろいろなものを表す意となる。牛は、ものの代表として選んだに過ぎない、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(牜(牛)+勿)。「角のある牛」の象形と「弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)から、清められたいけにえの牛を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「もの」を意味する「物」という漢字が成り立ちました(
https://okjiten.jp/kanji537.html)、

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「牛」+音符「勿 /*MƏT/」。「雑色の牛」を意味する漢語{物 /*mət/}を表す字。のち仮借して「もの」を意味する漢語{物 /*mət/}に用いる(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9


形声。牛と、音符勿(ブツ)とから成る。毛が雑色の牛の意から、転じて、さまざまのものの意を表す(角川新字源)、

形声。声符は勿(ぶつ)。〔説文〕二上に「萬物なり。牛を大物と爲す。天地の數は牽牛より起る。故に牛に從ひ、勿聲」とする。牽牛の星座を首として天地が左動するというような考えかたは、戦国期以後のものである。勿を〔説文〕九下に三游(吹き流し)の象とし、物を勿声とするが、卜辞に牛と物とを対文として用いる例があり、物とは雑色の牛、その従うところは勿ではなく(り)(耒(すき)、犂(すき))である。物はもと物色の意に用い、〔周礼、春官、人〕「其の物を辨ず」、〔春官、保章氏〕「五雲の物を以てす」は、みな色を以て区別することをいう。それで標識の意となり、〔左伝、定十年〕「叔孫氏の甲に物有り」、〔周礼、春官、司常〕「雜帛(ざつぱく)を物と爲す」、〔儀礼、郷射礼記〕「旌(はた)には各其の物を以てす」のようにいう。物を氏族標識として用いることになって、それはやがて氏族霊を象徴するものとなった。〔周礼、秋官、司隷〕「其の物を辨ず」の〔注〕に、「物とは衣服、兵器の屬なり」とあり、それらに氏族霊を示す雑帛がつけられた。さらに拡大して万物の意となる。〔詩、大雅、烝民〕「物有れば則(のり)有り」とは、存在のうちに、存在を秩序づける原理があるとの意である。また特に霊的なもの、すなわち鬼をもいう。わが国の「もの」にも、無限定な一般の意と、「物の化」という霊的な、識られざるものの意とが含まれている(字通)

と、形声文字としている。
 

「憂」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

忧(簡体字)、𠪍(古字)、𩕂(同字)、𠮕(同字)、

が異体字とあり(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%82)
、字源は、「まうし」で触れたように、

会意文字。「頁(あたま)+心+夂(足をひきずる)」で、頭と心が悩ましく、足もとどこおるさま。かぼそく沈みがちな意を含む、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意。心と、頁(けつ)(あたま)とから成り、心配なことが顔に出ることから、「うれえる」意を表す。常用漢字は、のち、夊(すい)(あし。夂は変わった形)が加わった会意形声字で、おだやかに歩く意を表したが、借りて「うれえる」意に用いられる(角川新字源)、

会意。頁+心(ゆう)+夊(すい)。頁(けつ)は儀礼の際の人の姿、夊はたちもとおる形、それに心を加えた形であるから、正確にいえば、一+自(しゆ)+夊+心である。ただ憂の初文は頁+心、〔説文〕十下に頁+心を正字とし、「愁ふるなり。心頁に從ふ。頁+心ひの心、顏面に形(あら)はる。故に頁に從ふ」(小徐本)とするが、頁は儀礼に従うときの人の姿である。金文の字は頭に喪章の衰絰(さいてつ)を加える形で、象形。その廟中にある形は寡で、未亡人をいう。〔説文〕はまた夊部五下に憂を録し、「和の行なり。夊に從ひ、頁+心聲」とするが、和とは優字の訓である。金文の〔毛公鼎〕「先王の憂」の憂は象形。煩擾の意を示す。優・擾はみな憂に従う(字通)、

と、会意文字としているが、ただ、

会意。「頁(=頭)」+「心」+「夊(=足:歩む様)」、思い悩みふらふらと歩くさま。「心」+「夊」は「愛」の構成要素でもある。この記述は金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%82)、

と、確定していないとする。別に、

形声。「心」+音符「夒 /*NU/」。また一説に、「心」+音符「頁(首) /*LU/」。{憂 /*ʔ(l)u/}を表す字、

会意兼形声文字です(頁+心+夂(夊))。「人の頭部を強調した」象形と「心臓」の象形と「下向きの足」の象形から、「頭・心を悩ます・心配する」を意味する「憂」という漢字が成り立ちました。また、「優(ユウ)」に通じ(同じ読みを持つ「優」と同じ意味を持つようになって)、「おだやかに行われる」の意味も表すようになりました、

と(
https://okjiten.jp/kanji1776.html
)、形声文字、あるいは会意兼形声文字とする説もあるが、いずれも、確定していない、

頁+心+夂(夊)、

とされる、同じ字解をしている。
 

「嬾」(ラン)の異体字は、

懶(正字)、

とある(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AC%BE
)。

「懶」(@漢音呉音ラン、A漢音呉音ライ)は、

会意兼形声。頼は「貝+音符剌(ラツ)」からなり、ずるずると負債を他人におしつけること。懶(ラン)は、「心+音符頼」で、他人任せの、ものうい気持ちのこと、

とある(漢字源)。「おこたる」(嬾)意の場合、@の音、「いとう」意の場合、Aの音となる(仝上)。他は、

形声。声符は(頼)(らい)。に嬾(らん)の声がある。〔説文〕十二下に「懈(おこた)るなり。怠るなり」とし、また「一に曰く、臥するなり」とあって、嬾惰(らんだ)をいう。字が女に従うことについて、徐は「女性に怠多し」とする。古い用例がなく、おそらく六朝後期ごろから用いられた字であろう(字通)、

と、形声文字としている。

 
「慵」(慣用ヨウ、漢音ショウ、呉音ジュ)は、

会意兼形声。庸は、でこぼこなく平均することで、凡庸の意を含む。慵は「心+音符庸」で、こころに起伏がなく、刺激のないこと。転じて、はりがないだるい感じ、

とある(漢字源)。別に、

形声。「心」+音符「庸」(
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%85%B5
)、

と、形声文字としている。

参考文献;
水垣久訳注『後撰和歌集』(Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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