吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも(弓削皇子) の、 こせ、 は、 … してくれの意の補助動詞コスの未然形、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。初出は、 うれたくも鳴くなる鳥かこの鳥も打ち止め許世(コセ)ね(古事記)、 とあり、 こす、 は、動詞の連用形に付いて、 相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、 を表わし(精選版日本国語大辞典)、 ……してくれ、 ……してほしい、 という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(仝上・広辞苑)。活用は、 未然形「こせ」・終止形「こす」・命令形「こせ」、 だけとされる(広辞苑)が、 助動詞下二段型、こせ/○/こす/○/○/こせ・こそ、 の活用で、相手に望む願望の終助詞「こそ」を、 「こす」の命令形、 とする説があり((学研全訳古語辞典))、また、 命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法、 とする説もある(精選版日本国語大辞典)。 また活用についても、下二段型とする説の他、 サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞、 とする説がある(精選版日本国語大辞典)。未然形「こせ」についても、 「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、終止形「こす」は、「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられる。命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、これを独立させて終助詞とする説もある(仝上)、 と、平安時代以降、 命令形に「こせ」、 の形が見られるようになる(仝上)とある。 冒頭の歌の、 吉野川逝く瀬の早みしましくも淀むことなく有り巨勢濃香問(コセヌかモ)、 の、 こせぬかも、 は、 助動詞「こす」の未然形「こせ」に打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」、詠嘆の助詞「かも」の付いたもの、 で、相手の動作・状態に対する希望を詠嘆的に表わし、 …であってくれないかなあ、 の意で、 我が背子(せこ)は千年五百年(ちとせいほとせ)ありこせぬかも(万葉集)、 と、 ありこせぬかも、 の形で用いることが多い(精選版日本国語大辞典)。この、 ぬかも、 は、 ぬかも、 で触れたように、 ぬ-かも、 と、 ぬか−も、 があり、この歌は、 ぬか-も、 の可能性があることについては触れた。 こす、 は、その由来について、 呉れる、寄こす意のオコスのオが直前の母音と融合して脱落した形、希求の助詞コソと同根も他の動詞の連用形と連なった形で現れる。接尾語とする説もある(岩波古語辞典)、 オコス(送來)と同意、オコスは、此語に、オの添はりたるものなるべし、オの略せらるるは、おこおこし、おここし (厳)。思ふ、もふなどあり(大言海)、 「おこ(遣)す」の音変化、カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いたとみるなど、諸説がある(デジタル大辞泉)、 語源に関しては、( イ )寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、( ロ )カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、( ハ )「く(来)」の他動詞形、などの説がある。また、命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法とする説もある(精選版日本国語大辞典)、 などとある。因みに、 おこす、 は、 遣す、 致す、 と当て、 せ/せ/す/する/すれ/せよ、 の、他動詞サ行下二段活用で、 白玉の五百箇集(いほつつどひ)を手に結びおこせむ海人(あま)はむがしくもあるか(万葉集)、 と、 よこす、 届けてくる、 意だが、 空合はせ(=夢判断)にあらず、いひおこせたる僧の疑はしきなり(かげろふ日記)、 月の出(い)でたらむ夜は、見おこせ給(たま)へ(竹取物語)、 と、動詞の連用形に付いて、 せ/せ/す/する/すれ/せよ、 の、補助動詞サ行下二段活用で、 その動作が自分の方へ及ぶことを表す、 とし、 こちらへ…する、 …してくる、 こちらを…する、 意で使う(デジタル大辞泉、学研全訳古語辞典)とあり、これが、 こす、 へ転じたと見るのが、一番納得できる。なお、 後に、 こぜる、 ともいい、 こせる、 となる、 こす、 は、 いかにも連歌はこせずして長(たけ)高く幽玄を先とすべきものなり(古今連談集)、 と、 細かいことにこだわってゆとりを欠く、 こせこせする、 意で別語である。 「遣」(ケン)の異体字、 𠳋(古字) とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%A3より)。字源は、 会意兼形声。𠳋は「積み重ねた物+両手」からなり、両手で物の一部をさいて、人にやることを示す。遣は、それを音符として、辶(足の動作)を加えた字で、人や物の一部をさいて、おくりやること、 とあり(漢字源)、同じく、 会意兼形声文字です。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「両手で束ねた肉を手にする」象形(「肉を保存食として軍隊が遠征につく」の意味)から、「つかわす(行かせる)」を意味する「遣」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1140.html)、 も、会意兼形声文字とするが、他は、 形声。辵と、音符𠳋(ケン)とから成る。ときはなす、釈放する意を表す。ひいて「つかわす」意に用いる(角川新字源)、 形声。声符は𠳋 (けん)。𠳋は𠂤(し)(脤肉)を両手で奉ずる形。軍行のとき、軍社や廟に祭った脤肉を奉じて行動したが、𠂤はその祭肉である脤肉の象形で、師旅の師の初文。これを携行し、その所在に榜示する字は𠂤+朿(し)で駐屯地、これを建物の中におくときは官。軍を分遣するときは、その脤肉を頒かってこれを奉じた。ゆえに分遣の意となり、遣贈の意となる(字通)、 と、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして(大宰帥大伴卿) 事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも(大伴百代) の、 老いなみ、 は、 老境、 とあり、 老いを明示する句はこの冒頭歌のみに見える、 と注記がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 老いなみ、 は、 老次、 とも当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、 老いの波、 老波、 と当て、 おいのなみ、 とも訓ませる(岩波古語辞典・大言海)。 老いの並、 と当てると、 老いの並に、言ひ過ぐしもぞし侍る(大鏡)、 と、 老人共通の癖、 の意となる(広辞苑)とあるが、 おいなみ、 に、 老い次、 老い並、 と当てて、 年老いること、 の意としている(学研全訳古語辞典)ものもあり、 老い波、 老い次、 老い並、 も、 老いの波、 老いの次、 老いの並、 も、いずれも、 老年のころ、 老境、 の意で使う。 年が寄るのを岸に波が寄ることにたとえたもの。また、顔に寄るしわからの連想(学研全訳古語辞典)、 老齢になること。「年寄る」の「寄る」の縁で「波」を出し、また顔に寄るしわから波を連想した言い方(デジタル大辞泉)、 年の寄るのを波が寄せるのにたとえた語、寄る年波(岩波古語辞典)、 顔の皺を、波に喩ふ(大言海)、 と、多く、 老の波磯額(いそびたひ)にぞ寄りにける哀れ恋しき若の浦かな(梁塵秘抄) 打つや打たずや、老なみの、立ち寄る影も夕月の(謡曲「天鼓(1465頃)」) と、 皺と波の喩え、 寄る年波の波、 と、 波、 と当てる理由を説く。しかし、 老次(おいなみ)、 の、 なみ、 は、 四段動詞「なむ(並)」の連用形の名詞化、 とし、 順序、段階、列の意、 から、 年老いたころ、 老境、 意となったとするものもある(精選版日本国語大辞典)。 飛ぶ鳥の明日香の河の上(かみ)つ瀬に石橋(いはばし)渡し(一には石浪(いしなみ)といふ)下(しも)つ瀬に打橋(うちはし)渡す石橋に(一には「石並に」といふ)(万葉集)、 と、 石浪(いしなみ)、 石並いしなみ)、 という言い方があり、この、 「なみ」は四段動詞「なむ(並)」の連用形の名詞化、 とあり、 川の浅瀬に石を置き並べて橋としたもの、 石橋(いわばし)、 の意である(精選版日本国語大辞典)。 松の木(け)の並みたる見れば家人(いはびと)の我れを見送ると立たりしもころ(万葉集)、 と、 並む、 は、 ま/み/む/む/め/め、 の、自動詞マ行四段活用で、 並ぶ。 連なる、 意なので、 老いに連なる、 意になると思う。 次、 を、 なみ、 と当てているのは、 次第に、つぎつぎなり、順次と用ふ、 とある(字源)ので、 老いの次位、 にあるという意味で、 なみ、 と訓ませているのであろうか。釈名(1480)に、 次は髪を次第にする(長短を揃える) とある(漢辞海)。 ちなみに、 事もなし、 は、冒頭の歌では、 何事もない、 無事である、 の意だが、 そこのとなりなりける宮ばらに、こともなき女どもの(伊勢物語)、 人にはぬけて、ざえなどもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば(源氏物語)、 と、 非難すべき点がない、 好ましい、 理想的だ、 の意で使うが、これは、 事も無し、 が、 「ことなし(事無)」を「も」で強調したもの。 で、 無事平穏の意から派生しているが、「源氏物語」では、 「ことなし」は多く平穏無事、 の意、 「こともなし」は多く欠点がない、 の意で、使い分けられている(精選版日本国語大辞典)とある。さらに、 こともなき女房のありけるが(古今著聞集)、 では、 これといってとり立てるところもない、 平凡だ、 の意、 龍(たつ)を捕へたらましかば、又こともなく我は害せられなまし(竹取物語)、 では、 わけもない、 たやすい、 容易だ、 の意で使う。いずれも、「事もなし」の意味の外延である。なお、 汝、何事(なにこと)が有(あ)りしとのたまふ。答へて云さく無(コトムナシ)也(日本書紀)、 の、 事むなし、 の、 「む」は助詞「も」の変化したもの、 で、 「事もなし」から転じた語形で、「こともなし」が和文にも見られるのに対し、「ことむなし」は漢文訓読系の文章にのみ見られる、 とある(精選版日本国語大辞典)。 「老」(ロウ)は、「老いらく」で触れたように、 象形。年寄が腰を曲げて杖をついたさまを描いたもので、からだがかたくこわばった年寄り、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%81・https://okjiten.jp/kanji716.html・漢字源)。別に、 象形。こしを曲げてつえをつき、髪を長くのばした人の形にかたどり、としよりの意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「腰を曲げてつえをつく老人」の象形から「としより」・「老人」を意味する「老」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji716.html)、 ともある。しかし、 会意。耂+𠤎 (か)。耂(老)は長髪の人の側身形。その長髪の垂れている形。𠤎は化󠄁の初文。化は人が死して相臥す形。衰残の意を以て加える。〔説文〕八上に「考なり。七十を老と曰ふ。人毛の𠤎(くわ)するに從ふ。須(鬚)髮(しゆはつ)の白に變ずるを言ふなり」とするが、𠤎は人の倒形である。〔左伝、隠三年〕「桓公立ちて、乃ち老す」のように、隠居することをもいう。経験が久しいので、老熟の意となる(字通)、 とするものもある。 なお、「老いさらばえる」で触れたように、漢字、 老、 には、老いる、老ける、という意味だけでなく、 長い経験をつんでいるさま(「老練」) 老とす(老人と認めて労わる、「老吾老、以及人之老」) 年を取ってものをよく知っている人、その敬称(「長老」「古老」) 親しい仲間を呼ぶとき(老李、李さん) といった意味がある。 「波」(ハ)は、 会意兼形声。皮は「頭のついた動物のかわ+又(手)」の会意文字で、皮衣を手で斜めに引き寄せてかぶるさま。波は「水+音符皮」で、水面がななめにかぶさるなみ、 とあり(漢字源)、同趣旨の、 会意兼形声文字です(氵(水)+皮)。「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する「波」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji405.html)、 と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、 形声。「水」+音符「皮 /*PAJ/」。「なみ」「水の流れ」を意味する漢語{波 /*paaj/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%A2)、 形声。水と、音符皮(ヒ)→(ハ)とから成る。「なみ」の意を表す(角川新字源) 形声。声符は皮(ひ)。皮に表面の、うねうねとつづくものの意がある。〔説文〕十一上に「水涌きて流るるなり」とするが、水流の動揺することをいう。派と声義近く、派は分流することをいう(字通) と、形声文字としている。 「並」(漢音ヘイ、呉音ビョウ)の異体字は、 傡、并(簡体字)、竝(旧字体)、 とあり、字 並、 は、 「竝」の略体、 で、「竝」の字源は、 会意文字。人が地上に立った姿を示す立の字を二つならべて、同じようにならぷさまを示したもの。同じように横にならぶこと。略して並と書く。また、併(ヘイ)に通じる(漢字源)、 「立(人の立った姿)」をならべて、人が同様に並ぶ様子を示した会意文字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A6)、 会意。立を二つ横にならべて、ならび立つ意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源) 会意文字です(立+立)。「並び立つ人」の象形から「ならぶ」を意味する「並」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1039.html)、 会意。旧字は竝に作り、立をならべた形。立は位。その位置すべきところに並んで立つことをいう。〔説文〕十下に「併(なら)ぶなり。二立に從ふ」という。幷は二人相並ぶ側身形。竝は相並ぶ正面形。从(從)・比は前後相従う形。みな二人相従う字である(字通)、 と同じ趣旨である。 「次」(慣用ジ、漢音呉音シ)の異体字は、 𠕞、𠤣、𣄭、𣬌、𦮏、𫠨、𫡜、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%A1)。字源は、 会意文字。「二(並べる)+欠(人がからだをかがめたさま)」で、ザッと身の回りを整理しておいて休むこと。軍隊の小休止の意。のち、物をざっと順序付けて並べる意に用い、次第に順序を表わすことばになった、 とある(漢字源)。他に、形声文字としながら、 形声。欠と、音符二(ジ)→(シ)とから成る。止まって休む、やどる意を表す。借りて、「つぐ」、順序の意に用いる(角川新字源)、 と、同趣の説明をしているが、これは、『説文解字』の、 「欠」+音符「二」との分析によっている。しかし、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「二」とは関係がない、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%A1)、 象形。口から息を吐き出す人のさまを象る。一説に、「なげく」を意味する漢語{咨 /*tsi/}を表す字。のち仮借して「つぎ」を意味する漢語{次 /*tshis/}に用いる(仝上) 象形文字です。「人が吐息(ため息)をつく」象形から「ほっとして宿泊する」を意味する「次」という漢字が成り立ちました。また、「斉(シ)」に通じ(同じ読みを持つ 「斉(シ)」と同じ意味を持つようになって)、「次に続く」、「順序良く整える」という意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji490.html)、 象形。人が咨嗟(しさ)してなげく形。口気のもれている姿である。〔説文〕八下に「前(すす)まず。精(くは)しからざるなり」とし、二(に)声とするが、二に従う字ではなく、〔説文〕の訓義の意も知られない。次は咨(なげ)き訴えるその口気を示す形。咨は祈るとき、その口気を祝詞のꇴ(さい)に加える形。神に憂え咨(なげ)いて訴え、神意に諮(はか)ることをいい、咨は諮の初文。そのたち嘆くさまを姿という。第二・次第の意は、おそらくくりかえすことから、また「次(やど)る」は軍行のときに用いるもので、古くは𠂤+朿(し)の字義にあたり、音を以て通用するものであろう。古文の字形は、他に徴すべきものがなく、中島竦の〔書契淵源〕に、婦人の首飾りを〔儀礼、士冠礼〕に次と称しており、その象形の字であろうという。〔説文〕の解は、〔易、夬、九四〕「其の行、次且(じしょ)」の語によって解したものであろうが、次且は二字連語、そこから次の字義を導くことはできない(字通) と、象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房)
古人(ふるひと)のたまへしめたる吉備の酒病(や)まばすべなし貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ(丹生女王)
山菅(やますげ)の実ならぬことを我(わ)に寄(よ)そり言はれし君は誰(た)れとか寝(ぬ)らむ(大伴坂上郎女) 草枕旅行く君を愛(うるは)しみたぐひてぞ来し志賀の浜辺を(大伴百代) の、 たぐふ、 は、 比ふ、 類ふ、 と当て、 は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、 と活用する、自動詞ハ行四段活用で、 似つかわしいもの、あるいは同質のものが二つ揃っている意、類義語つ(連)るは、つながって一線にある意、なら(並)ぶは、異質のものが凹凸なくそろう意、ともな(伴)ふは。、主になるものと従になるものが一緒にある意、な(並)むは、横一線に並ぶ意、 とあり(岩波古語辞典)、 鴛鴦(をし)二つ居て偶(たぐひ)よく陀虞陛(タグヘ)る妹を誰か率(ゐ)にけむ(日本書紀)、 と、 並ぶ、 寄り添う、 いっしょにいる、 連れだっている、 意や、 道行く者も 多遇譬(タグヒ)てぞ良き(日本書紀)、 と、 伴う、 連れだつ、 いっしょに行く、 呼応する、 意や、 君達の上(かみ)なき御選びには、ましていかばかりの人かは、たぐひ給はん(源氏物語)、 と、 似あう、 かなう、 適合する、 相当する、 意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、ここでは、 たぐひてぞ来し、 を、 寄り添って来 てしまいました、 と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 冒頭の歌の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰(すくね)百代(ももよ)ら、駅使(はゆまづかい)に贈る歌、 とある、 駅使、 とは、 駅馬で都から馳せ参じた使い、 と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 はゆま、 は、 左夫流子(さぶるこ)が斎(いつ)きし殿(との)に鈴掛けぬ駅馬(はゆま)下(くだ)れり里もとどろに(万葉集)、 と、 駅馬、 駅、 と当て、 はいま、 ともいい、 はやうま(早馬)の音変化、 で、古代、 官吏などの公用の旅行のために、諸道の各駅に備えた馬、 をいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。いわゆる、 駅馬(えきば)、 伝馬(てんま)、 である。令制の駅伝制では、 官道三〇里ごとに設置された駅家に備えた、 とされ(仝上)、 公務出張の官人や公文書伝送の駅使が前の駅から駅馬に乗り駅子に案内されて駅家(うまや)へ到着すると、駅長は前の駅の駅馬をその駅子に送り返させ、当駅の駅馬に駅子を添えて次の駅まで送らせる。貸与する駅馬数は利用者が六〜八位なら3匹、初位以下なら2匹というように、位階によって定まっているが、案内する駅子は1人だったらしい、 とある(世界大百科事典)。大化改新後、駅ごとに常備すべき駅馬は、 大路の山陽道で20匹、中路の東海・東山両道で10匹、他の4道の小路では5匹ずつとし、駅の周囲には駅長や駅丁を出す駅戸を指定して駅馬を飼わせ、駅家(うまや)には人馬の食料や休憩・宿泊の施設を整えた、 とあり、その結果、 もっとも速い飛駅(ひえき・ひやく)という駅使は、大宰府から4〜5日、蝦夷に備えた陸奥の多賀城からでも7〜8日で都に到着することができた、 という(仝上)。駅馬は、国司の判断で実情に即した増減が可能であり、 10世紀初頭の延喜式では40匹から2匹までが全国で402の駅に配置され、総数は4000匹に達した、 という(仝上)。この駅馬は、 筋骨強壮、 でなければならず、 国司が毎年検査して、年を取りすぎたり病気だったりすると市場で買い換え、代価の不足分は駅稲で支払う。駅家や利用者の不注意で死損させれば、もちろん原因者に補償させた、 という(仝上)。しかし、駅家は、 律令制の崩壊とともに衰微し、鎌倉時代以降、代わって宿が発達すると、官制に限らず、民間の宿駅の馬についても(駅馬が)用いられるようになった。 とある(精選版日本国語大辞典)。 駅使(はゆまづかい)、 は、 はいまづかい、 うまやづかい、 とも訓ます(精選版日本国語大辞典)が、 漢語では、 えきし、 と訓ませ、 駅使不伝南国信、黄昏和月看横斜(蕉堅藁)、 と、中国で、 郵便・荷物などを宿駅ごとに運んだ人のこと、 をいう(仝上)が、我が国では、 往来駅使合頭壱拾人……往来伝使合頭肆拾弐人(正倉院文書・天平八年(736)薩摩国正税帳)、 と、 古代、駅鈴(えきれい)を下付され、駅馬を使用して街道の各駅で宿泊、食糧の供給を受けて旅行する公用の使者、 を指し、 伝馬を使う伝使に比べて緊急の場合が多い、 とある(仝上)。因みに、 伝使(でんし)、 は、 令制で、伝符(でんぷ)を携行し、伝馬(てんま)を利用して公用の旅行をする官人。不急の公使である新任国司の任地赴任、諸種の部領使(ことりづかい)、相撲人など、 とある(仝上)。つまり、 驛馬には、驛鈴(えきれい)、 傳馬には、傳符(でんぷ)、 が給せられることになる(大言海)。日本古代の駅伝制では、 中央の兵部(ひようぶ)省の所管で緊急の公務出張や公文書伝送、 にのみ使われた、 駅馬、 のほかに、 全国各郡の郡家(ぐうけ)に5疋(ひき)ずつ用意し、国司の赴任や国内巡視、 などに使われた、 傳馬、 があった(世界大百科事典)。この伝馬は、 官営の牧場で繁殖させ、軍団の兵士の戸で飼育させる官馬の中から選ぶが、適当な官馬がなければ郡稲という財源で民間から購入し、郡家付近の豊かで人手のある戸に飼育させる。購入価格は駅馬の場合よりも平均2割安い。伝馬の利用には伝符(てんぷ)を必要とし、伝馬1疋につき伝馬子または伝馬丁と呼ばれる馬丁がふつうは6人ずつ指定されており、交代で手綱をとり、働いた日数だけ雑徭が免除される、 とある(仝上)。律令制の崩壊とともに駅制は崩れ、代わって荘園や寺院の施設が休泊に利用されるようになった。そして平安末期ごろから、 宿、 が、 駅、 に代わって用いられ始め、 駅馬、 よりも、 伝馬、 の称呼が使われるようになった(仝上)とある。なお、 駅(うまや)の設備のある幹線道路、 は、 藤野郡者。地是薄塉。人尤貧寒。差科公役。触途忩劇。承山陽之駅路。使命不絶(続日本紀・天平神護二年(766)五月丁丑)、 駅路(エキロ)に駅屋の長もなく(太平記)、 と、 駅路(はゆまじ・はいまじ・うまやじ・えきろ)、 という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、 駅伝(えきでん・やくでん)制、 は、7世紀後半の律令国家形成期に、駅鈴によって駅馬を利用しうる道を北九州との間だけでなく東国へも延ばしはじめ、8世紀初頭の大宝令では唐を模範とした駅制を全国に拡大し(世界大百科事典)、その財源として、 駅起稲(えききとう)、 駅起田(えききでん)、 を設置する。これは、後の養老令では、 駅稲(えきとう)、 駅田(えきでん)、 を各国に設置させ、 畿内の都から放射状に各国の国府を連絡する東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7道をそのまま駅路、 とし、上述したように、駅路には原則として30里(約16km)ごとに駅を置かせた(仝上)。 「驛(駅)」(漢音エキ、呉音ヤク)の異字体は、 㶠、 墿、駅(新字体)、驿(簡体字)、𩢋(朝鮮での略字)、𩦯、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%85)。字源は、 会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」の会意文字で、罪人を次々連ねて面通しすることをあらわす。驛は「馬+睪」で、―・―・―状につながるの意を含む(漢字源)とある。同じく、 会意兼形声文字です(馬+尺(睪))。「馬」の象形と「人の目の象形と手かせの象形」(「罪人を次々と面通しする・たぐりよせる」の意味)から、馬を乗り継ぐ為に用意された所、「宿場」を意味する「駅」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji462.html)、 と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、 形声。「馬」+音符「睪 /*LAK/」。「釋」に同音の「尺」をあて「釈」としたことから、「睪」に替え「尺」の文字を当てるようになった。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%85)、 形声。旧字は驛に作り、睪(えき)声。睪は獣屍の象で、解けほぐれて、ながくつづくものの意があり、駅とは長く乗りつぐ駅車、駅伝をいう。〔説文〕十上に「置騎なり」とあり、駅伝をいう。次条の「馬+日」(じつ)にも「驛傳なり」とみえる(字通)、 形声。馬と、音符睪(タク)→(エキ)とから成る。馬を用意しておく宿場の意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、 といずれも、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
韓人(からひと)の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも(門部石足)
まそ鏡見飽かぬ君に後(おく)れてや朝夕(あしたゆうへ)にさびつつ居(を)らむ(沙弥満誓) 草香江(くさかえ)の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして(大伴旅人) の、 たづたづし、 は、 上三句は序。同音で「たづたづし」を起す、 とあり、 旅人に置き去りにされての悲しみを述べる、 ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり(沙弥満誓) という、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、 大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓(まんぜい)、卿に贈る歌二首、 のうちの、 満誓の第二首に応ずる歌である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 たづたづし、 は、 たづたづし(上代語) ↓ たどたどし(中古) ↓ たどたどしい、 と変化し、 たづたづし、 は、 たどたどしの古形、 で、 たどたどし、 は、 タヅタヅシの母音交替形、 で タドル(辿)と同根か、 とあり、 夕闇は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我が背子その間にも見む(大宅女)、 と、 夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう、 とし(岩波古語辞典)、 辿る状なり、おぼつかなし、 とある(大言海)。 たづたづし(上代語)、 は、 ((しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、 の、形容詞シク活用で、その母音交替形、 たどたどし、 も、 (しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、 と、形容詞シク活用と同じであり、 たどたどし、 は、 いざ、しるべし給へ、まろはいとたどたどし(源氏物語)、 と、 不案内である、 土地、場所の様子がよくわからない、 意や、 経など習ふとて、いみじうたどたどしく、忘れがちに(枕草子)、 と、 不確かである、 あぶなっかしい、 たどたどしい、 おぼつかない、 意や、 花は皆散り乱れ、霞たどたどしきに(源氏物語)、 しのびたる郭公の、遠くそらねかとおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらんは(枕草子)、 と、 ぼんやりして様子がよく見えない、 直接に、はっきりそれと知ることができない状態になっている、 意といった、状態表現の一方で、それをメタファに、 これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらんも、いと見ぐるしと、思ひまはす程もなく(枕草子)、 と、 学問・技芸などに十分に習熟していない、 その道に精通していない、 未熟である、 意や、 いと慰めかねぬべき旅の空も、あまりによろづたどたどしかりしかば(「小島のくちずさみ(1353)」)、 と、 未熟なために進行などが、なめらかにいかない、 のろのろしてはかどらない、 意といった価値表現へも広げて使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。 たどたどし(→たどたどしい)、 の語源は、前にも少し触れたが、 辿る+辿る+シイ、動作が未熟で不安定な様子をいいます(日本語源広辞典)、 タヅタヅシの母音交替形、タドル(辿)と同根か、夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう(岩波古語辞典)、 タドルから(和訓栞)、 手遠の義の古語から(名語記)、 「たどる」「たぢろぐ」「たづぬ」と同根、また、あるいは、「たづき」とも同根か。「すくすく」などに対して、目標や手がかりをさぐりながら、行き悩む意が原義と考えられる(日本語源大辞典)、 と、 たどる、 や、 たぢろぐ、 たづぬ、 たづき、 ともかかわるとされる。最もかかわりの深いと思われる、 たどる、 は、 辿る、 と当て、 タ(手ガカリ)+どる(取る)、手がかりになるものを求めて進む意です(日本語源広辞典)、 不明な状況の中で、手がかりを探りながら行く意、タドタドシと同根か(岩波古語辞典)、 手取る義(名言通・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、 立ち止まる意(日本釈名)、 タトル(佗所人)の義(言元梯)、 歩行の音たどたどから(国語の語根とその分類=大島正健)、 「たづぬ」「たづたづし(たどたどし)」と同根(日本語源大辞典)、 手取る義(大言海)、 といった由来とされ、 手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、 手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、 といった含意で、 あるは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心心を見たまひて、さかし、愚かなりとしろしめしけむ(古今和歌集・仮名序)、 と、 迷いながら手探りで歩く、 意や、 あやし。ひが耳にやと、たどるを聞き給ひて(源氏物語)、 と、 はっきりしないことを跡づけていく、 不十分な情報をたよりに、あれこれ実体を考える、 意や、 あまの河あさせしら浪たどりつつわたりはてねばあけぞしにける(古今和歌集)、 と、 行くべき道を迷いながら捜す、 また、 迷って行きなやむ、 意といった状態表現から、それを派生させて、 京へ出る人多ければ、其に伴ひて、我が宿坊にたどり来て(太平記)、 と、 正気をなくしたり、気もそぞろになったりした状態で、道をふらふらと歩いていく、 茫然自失して歩く、 意や、 我が身こそあらぬかとのみたどらるれとふべき人にわすられしより(「類従本小町集(9C後か)」)、 と、 状況、事態、物の筋道などがわからなくなり、解決を求めてあれこれと考え迷う、 どうしたらよいのかわからないで迷う、 また、 途方に暮れる、 意や、 ほの心うるも思の外なれど、おさな心地に深くしもたどらず(源氏物語)、 と、 次から次へと筋道に添って深く考える、 考えをあれこれと及ぼしていく、 考究する、 また、 詮索する、 意、さらに、 時世のよせ今一きはまさる人には、……その心むけをたとるべき物なりけり(源氏物語)、 と、 他人のやっていることを自己流になぞって習い覚える、 意と、価値表現へとシフトしていく(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、 たどる、 から、副詞の、 たどるたどる(辿る辿る)、 が派生し、 くれぬとてねてゆくべくもあらなくにたどるたどるもかへるまされり(後撰和歌集)、 と、 行くべき道がわからず、迷い迷い尋ねていくさま、苦労を重ねてさぐりさぐり行くさま、まごまごしながらすこしずつ進むさまを表わす語、 として使ったり、 教ふる人だに侍らばたどるたどるも仕うまつるべきにこそ(狭衣物語)、 と、 不確かなことなどを、あれかこれかと思い迷いながら行なうさまを表わす語、 として使ったりする。この、 たどりたどり、 が転訛して、 たどりたどり(辿り辿り)、 たどろたどろ(辿ろ辿ろ)、 となり、 細道をしるべに、たどりたどりと歩み給ふ程に(御伽草子「梵天国(室町末)」)、 と、 道を捜し捜しするさま、道に迷いながら尋ねゆくさま、難渋するさまを表わす語、 や、 たとろたとろ政長に参り、此由を申(「長祿記(1466〜82)」)、 と 難儀な状態で歩行がはかどらないさま、ふたしかな足どりで迷い歩くさまを表わす語、 などへと転じていく。 自信がなくたどたどしく書くこと、 へたに書くこと、 また、 その書いたもの、 を、 たどり(辿)、 とか、 たどりがき(辿書)、 と言ったり、 一字一字たどりながら読むこと、 やっと読むこと、 を、 たどりよみ(辿読)、 と言ったりするところをみると、 たどたどし、 の、 たどたど、 は、 辿り辿り、 とつながるのは明らかに思える。しかし、同じく同根とされる、 たぢろぐ、 たづぬ、 たづき、 は、少し系統が違う気がするのだが、それぞれしらべてみると――。 たぢろぐ、 の語源を見ると、 たじろぐ、は室町時代まではタヂロクと清音(広辞苑)、 タヂロは擬態語、タヂタヂのタヂと同根(岩波古語辞典)、 たぢたぢは平安時代から見え、「文の道は、少したぢろく」(宇津保物語)の形で、もとは能力や水準の低いことを表した。鎌倉時代以降、現代と同じ「ひるむ」意を表すようになるが、室町時代には、「足がたぢろく」(日葡辞書)と、足取りが不安定な様子も表し、「たぢめく」という類義語もあった(擬音語・擬態語辞典)、 (逡巡・退轉)立ち働く意と云ふ、身じろぐ、目(ま)じろぐなど同じ(大言海)、 タチシリゾク(立退)の義(名言通・和訓栞)、 タチノク(立除)の義(言元梯)、 手退クの義か(俚言集覧)、 タジ(たじたじと)+ろぐ(動詞化)、たじたじとしてしりごみすることをいいます(日本語源広辞典)、 などとあり、 ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、 御物怪にて御薬しげければ、何となくたちろきけるころにや(愚管抄)、 と、 ある水準から後退したり、衰えたりする、 衰微してだめになる、 意や、 朝夕につたふいたたの橋なれはけた(桁)さへ朽てたちろきにけり (堀河院御時百首和歌)、 と、 衰えて傾いたりよろめいたりする、 また、多く打消の形で、 重い物あるいはかたい物が少し動くことをもいう、 意や、 散々に討退けタジロク処について出(幸若「本能寺(室町末‐近世初)」)、 と、 前から押されたり、自ら動揺したりして、後退したり、よろめいたりする、 また、 困難や予期しないことにぶつかって困惑する、ひるむ、 意など(精選版日本国語大辞典)、どちらかというと、 手がかりになるものを求めて進む、 意の、 辿る、 より、 後ずさる、 意が強いが、しかし、上述の、 ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、 では、 能力や水準の低いこと、 を表わし、 たどたどし、 と重なる部分が確にある(擬音語・擬態語辞典)。また、日葡辞書(1603〜04)には、 足がたぢろく、 と載り、 足取りが不安定な様子も表していたし、 たぢめく、 等々という言い回しもあり、 たぢろく、 と、 たどたどし、 とのつながりを類推させるし、この たぢろく(たじろぐ)、 の語幹、 たじ、 と重なる、 たぢたぢ(たじたじ)、 は、室町時代から見られ、江戸時代になると、 相手の言動や雰囲気に圧倒され、萎縮して何もできないでいたり、引き下がったりする様子、 引き下がったりする、 という意味になるが、日葡辞書(1603〜04)には、 たぢたぢ、 は、 弱弱しく歩き、倒れそうな様子、 とあり、当時は、 足取りが不安定で倒れそうな様子、 を表したと見られるので、ここで、 たぢたぢ、 も、 たどたどし、 とがつながってくるようである(仝上)。では、 たづぬ(尋・訊・訪)、 はどうか。その語源を見ると、 「たどる、とう」の約、手がかりを探し求めると、人の許を訪問するとは同じ語原です。方言で、タネル、タンネルなどという(日本語源広辞典)、 何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、 タ(接頭語)ツナ(綱)を活用させた語か、綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する意、類義語モトムは、モト(本・根本)を得ようとするのが原義(岩波古語辞典)、 タヅはタドル(辿)のタドと同じく歩行の音から出たもの(国語の語根とその分類=大島正健)、 テトルユルキ(手取緩)の義(名言通)、 手着ヌの義(日本語源=賀茂百樹)、 タツネ(手著根)の義(言元梯)、 トヒトハシキの約略(和訓集説)、 タツネル(多草根得)の義(柴門和語類集)、 などとあり、 何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、 綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する(岩波古語辞典)、 という含意で、 辿る、 との関わりが推定できる。意味は、 先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、 ↓ 物事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようと探り求める、 ↓ 訪問する、 といった変化で、 この御足跡(みあと)をたづね求めてよき人のいます國にはわれも参てむ(仏足石歌)、 君が行き日(け)長くなりぬ山多都禰(タヅネ)迎へか行かむ待ちにか待たむ(万葉集)、 と、 先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、 目ざし求める人や所へ、心配りながら進んでいく、 道を求めていく、 意や、 うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を多豆禰(タヅネ)な(万葉集)、 老いたる父母のかくれ失せて侍る、たづねて都に住ますることをゆるさせ給へ(枕草子)、 と、 目ざすもの捜し出す、 事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようとして探り求める、 意から、 いかでありつる鶏(とり)ぞなどたづねさせ給ふに(枕草子)、 と、行為から姿勢そのものに転じて、 問いただす、 質問する、 意や、 みわの山いかにまちみん年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今和歌集)、 と、その行為そのものの意にシフトして、 訪問する、 人のもとをおとずれる、 意に転ずる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)ように、 たづぬ、 そのものは、 たどだどし、 とは、直截には重ならないが、 辿る、 の、 手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、 手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、 とは重なる気がする。では、 たづき、 は、どうか。その語源は、 タ(手)+付き、万葉時代は。手がかり、手段の意、これを生活の手段、方便、生活のタツキの意で使ったのは、明治大正期です(日本語源広辞典)、 (方便)手付きか、中世以降、タツキとも(広辞苑)、 タ(手)とツキ(付)との複合、とりつく手がかりの意、古くは「知らず」「なし」など否定の語を伴う例だけが残っている。中世、タヅク、タツキとも(岩波古語辞典)、 手着の義と云ふ(大言海)、 とされ、後世は、 たつき、 たつぎ、 ともなり、 方便、 活計、 跡状 と当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、 恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは吾が身なりけり(万葉集)、 又もとはやむごとなきすぢなれど、世にふるたつきすくなく(源氏物語)、 学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ(徒然草)、 などと、 手がかり、 よるべき手段、 事をしはじめる方法、 の意や、 世の中の繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(万葉集)、 あかときのかはたれ時に島陰を漕ぎにし舟のたづき知らずも(仝上)、 と、 様子・状態を知る手段、 見当、 の意で使い、これを、 世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、 つひに貞七に暇を出しぬ。されば貞七は活計(タツキ)失ひ(坪内逍遙「当世書生気質(1885〜6)」)、 と、 生活の手段、 の意で使うのは、近世以降のようである(仝上)。 こうみてみると、 たづき、 は、語源的にも、意味的にも、 たどたどし、 とも、 たどる、 や たづぬ、 と重ならないが、 たどる、 や たづぬ、 の、 何かを求めていく、 ときの、 手だて、 という意味で、強いていえば、 たどる、 たづぬ、 と重なると言えるかもしれない。で、 たどたどし、 たどる たぢろぐ、 たづぬ、 たづき、 の関係は、中心に、 たどる、 があり、それとの関係で、 たどる→たづき→たどたどし、 たどる→たづき→たぢろぐ→たどたどし、 たどる→たづき→たづぬ、 といった関係が見えてくるようである。 「辿」(テン)の異体字は、 𨔢、 とある(https://jigen.net/kanji/14495)。字源は、 会意文字。「辵+山」、山道を歩いて足がとどこおることをあらわす、 とあり(漢字源)、 辿、 は、 ゆっくり歩く(漢辞海)、 ゆるゆるあゆむ(字源)、 尻が重い、足を止めて進まない(漢字源)、 静かに歩く(https://kanji.jitenon.jp/kanjif/2772)、 と、 足取りがのろい、 意味で、和語、 辿る、 の、 分かりにくい道を探しながらゆっくり進む、 次々に現れる目じるしを追って、たずね求める、 という意味とはギャップがある。他にも、 会意文字です(辶(辵)+山)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「山」の象形(「山」の意味)から、山を「ゆっくり歩く」、「たどる(道をたずねたずねして行く)」を意味する「辿」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2297.html)、 と、会意文字とするものもあるが、 形声。辵と、音符山(サン)→(テン)とから成る。もと、㢟(テン)の別体字(角川新字源)、 とするものもある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
相見(あひみ)ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ(大伴稲公) 我が命(いのち)の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも(笠郎女) の、 日に異(け)に、 は、 日に程度が異なって、日増しに、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 日(け)、 で触れたように、この、 ひにけに、 の、 け、 は、 異、 の意で、 ke、 の音、 け(日)、 は、 kë、 の音と(岩波古語辞典)、上代、 「け(異)」は甲類音、 「け(日)」は乙類音、 と別であり、 日に日(け)に、 とは別語である(精選版日本国語大辞典)。 日に日(け)に、 は、 日毎に、 毎日、 の意だが、 日に異(け)に、 の、 ケは異なっている意、 で(岩波古語辞典)、 日々に変って、 が転じて、 日増しに、 あるいは、 日がたつにつれて、 一日一日と、 また、 毎日毎日、 連日、 の意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 あしひきのこの片山のもむ楡(にれ)を五百枝(いほえ)剝(は)き垂れ天照るや日の異(け)に干し(万葉集) ひのけに(日異)、 という言い方もあるが、 日に異に、 と同じで(精選版日本国語大辞典・伊藤博訳注『新版万葉集』)、 日増しに、 と訳す(仝上)。これを、 日の気に、 と解する説もあるが、 「け(気)」は乙類音、 「け(異)」は甲類音、 なので誤りとしている(精選版日本国語大辞典)。また、 月に日に異に(つきにひにけに)、 という言い方もあり、この場合、 月がたち日がたつにつれて、 月ごと日ごとに、 毎月毎日、 の意で、 春日野に朝ゐる雲のしくしくに吾は恋ひまさる月に日に異に(つきニひニけニ)(万葉集)、 では、 月日が経つにつれてだんだんと、 と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 恋にもぞ人は死にする水無瀬川下(した)ゆ我れ瘦(や)す月に日に異に(万葉集) では、 (私は痩せ細るばかりです)月ごと日ごとに、 と訳す(仝上)さらに、 辺(へ)つ波のいやしくしくに月に異に(つきニけニ)日に日に見とも(万葉集)、 と、 月に異に(つきにけに)、 という言い方も、 月ごとに、 月がたつにつれて、 の意で、 月ごと、 と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 異(け)、 は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 異、コトニ・コトナリ・ケニ、 とあり、 奇(く)し、異(け)しの語根(大言海)、 「怪」の音転(和訓集説)、 カ(気)の変化した語(国語溯原=大矢徹)、 斎・浄に相反する概念を示す語で、ケガレ(穢)の原語。凶異の意にも転用された(日本古語大辞典=松岡静雄)、 などとあるが、 奇(く)し、異(け)しの語根、 というのが意味的にも妥当な気がする。 け(異)、 は、 其の烟気(けぶり)、遠く薫(かを)る。則ち異(ケ)なりとして献る(日本書紀)、 妹が手を取石(とろし)の池の波の間ゆ鳥が音(ね)異(けに)鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、 と、 普通、一般とは違っているさま、 いつもと変わっている、 他のものとは異なっているさま、 意の状態表現から、それをプラスに意味づけて、価値表現に転じ、 秋と言へば心そ痛きうたて家爾(ケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(万葉集)、 と、 自分でも不思議なほど奇妙 に、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、 ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま、 きわだっているさま、 の意で、多く、 連用形「けに」の形で、特に、一段と、とりわけなどの意で用いられる、 とある(精選版日本国語大辞典)。さらに、 行ひなれたる法師よりは、けなり(源氏物語)、 御かたちのいみじうにほひやかに、うつくしげなるさまは、からなでしこの咲ける盛りを見んよりもけなるに(夜の寝覚)、 と、 能力、心ばえ、様子などが特にすぐれているさま、 すばらしいさま、 の意でも使う(仝上)。 「異」(イ)の異字体は、 㔴、异(簡体字)、潩、熼、霬、𠔱、𢄖、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)。字源は、 会意文字。「おおきなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物をもつさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、 とある(漢字源)。他は、 会意兼形声文字です(羽()+異)。「鳥の両翼」の象形と「人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている」象形(「敬い助ける」の意味)から、「両翼・つばさ」を意味する「翼」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1455.html)、 と、会意兼形声もじながら、「面」と解し、同趣しながら、他は、 象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0)、 象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮(ふん)する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)。 象形。〔説文〕三上に「分つなり」と分異の意とし、字を畀(ひ)(与える)+廾(きよう)(両手)の会意とする。卜文・金文の字形によると、鬼頭のものが両手をあげている形。畏はその側身形。神異のものを示す(字通)、 と、象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
沖辺(おきへ)行き辺(へ)を行き今や妹(いも)がため我が漁(すなど)れる藻附(もふし)束鮒(つかふな)(高安王)、
我がたもとまかむと思はむますらをはをち水求め白髪(しらが)生(お)ひたり(万葉集)、 絶ゆと言はばわびしみせむと焼太刀(やきたち)のへつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君(万葉集)、 の、 わびしみせむと、 は、 私がしょんぼりすると思って、 と訳され、 焼太刀の、 は、 へつかふ、 の枕詞(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 へつかふ、 は、 そばにちかづく、 意で(広辞苑)、 へつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君、 は、 私にいつもくっついていますが、それでもお宅は平穏ですか、 と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 へつかふ、 は、 辺付かふ、 と当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 動詞「へつく(辺付)」の未然形に反復・継続の意を表わす助動詞「ふ」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、 へつく(邊付)の延(大言海)、 と、異同があるが、 そばに近づく、 意で、 辺付かふ、 と当てているように、 鯨魚取(いさなと)り近江(あふみ)の海を沖放(さ)けてこぎ来る船辺附(へつき)てこぎ来る船沖つ櫂(かい)いたくな撥ねそ辺(へ)つ櫂いたくな撥ねそ若草の夫(つま)の思ふ鳥立つ(万葉集) では、 辺附(へつき)て、 を、 岩辺に沿うて と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)ており、 岸に近づく、 特に、 舟が岸べに近づいてくる、近寄る、 意でもある(精選版日本国語大辞典)。なお、この歌の、 辺(へ)つ櫂、 の、 辺、 は、 海の岸辺、 岸に近いところ、 海のほとり、 になる。 辺(へ)つ櫂、 の、 辺(へ)つ、 の、 つ、 は、 「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研全訳古語辞典)、 「つ」は連体助詞(岩波古語辞典)、 「つ」は「の」の意の古い格助詞(デジタル大辞泉)、 「つ」は格助詞で、「の」に相当する(精選版日本国語大辞典)、 と異同はあるが、 奈良時代に多くもちいられた助詞で、位置とか、存在の場所とかを示すことが多い、 とあり、 天つ神・国つ~、 置つ櫂・辺(へ)つ櫂、 内つ宮・外(と)宮、 山つみ・海(わた)つみ、 上つ瀬・中つ瀬・下つ瀬、 のように対になった語が多い(岩波古語辞典)。 で、 辺(へ)、 の対は、 沖(奥 おき)、 で、 沖にある、 沖の、 の意、 辺(へ)つ櫂、 は、 岸辺をこぐ櫂、 沖つ櫂、 が、 沖をこぐ(舟の)櫂、 となる。 辺(へ)つ櫂・沖つ櫂 と似たセットは、 辺(へ)つ方・沖つ方、 辺つ波・沖つ波、 辺つ藻・沖つ藻、 辺つ風・沖つ風、 辺つ宮・沖つ宮、 辺鏡(へつかがみ)・奥鏡(おきつかがみ) 等々がある。 「邊(辺)」(ヘン)の異体字は、 边(簡体字)、辺(新字体)、邉(俗字)、𦍇(古字)、𨓉、𨕙、𨖂、𨘢(本字)、𨘳、𫟪、𬪟、𮞰、𮞽、𮞾(同字)、𮟗、𮟚、𮟣(俗字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%82%8A)。字源は、 会意兼形声。臱(ヘン・メン)は「自(鼻)+両側にわかれるしるし+方(両側に張り出る)」の会意文字で、鼻の両脇に出たはなぶたのはしをあらわす。邊はそれを音符とし、辶(歩く)を加えた字で、いきづまるはてまで歩いて行ったそのはしをあらわす。辺は、宋・元の頃以来の略字、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です(辶(辵)+刀(臱))。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「鼻の象形と台の象形とはりつけになった人の象形」(「邪神の侵入を防ぐ境界におかれたおまじない」の意味)から「ほとり(あたり、そば)」を意味する「辺」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji559.html)、 と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、 形声。「辵」+音符「𦤝 /*PEN/」。「そば」「さかい」を意味する漢語{邊 /*peen/}を表す字。(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%82%8A)、 形声。辵と、音符臱(ヘン)とから成る。道のかたわら、ひいて「ほとり」の意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、 形声。旧字は邊に作り、臱(へん)声。臱はまた𦤝に作る。自は鼻の象形。下は台架の形。鼻穴を上にして台上におかれた屍体の形で、首祭として知られている祭梟の俗を示す。いわゆる髑髏棚(どくろだな)である。臱は架屍の象。方は人を磔(たく)する形。これを外界と接する要所に設けて、呪禁とした。それで境界の意となり、辺境の意となり、辺端の意となる。〔説文〕二下に「垂崖を行くなり」とし、辺崖の意とする。〔説文〕四上は𦤝 (へん)に「宮見えざるなり。闕」としており、𦤝の形義について説解を加えていない。〔爾雅、釈詁〕「垂なり」、〔広雅、釈詁四〕「方なり」は、両者を合わせて外方の意となるが、邊は本来祭梟(さいきよう)を行う塞外の地をいう語である。金文の〔大盂鼎(だいうてい)〕に「殷の邊侯甸(でん)」の語があり、辺境の諸侯をいう。侯は候望の意。辺塞をまた辺徼(へんきよう)という。徼もまた髑髏の形である白と、架屍(かし)の象である方とに従い、これを攴(う)つ祭梟の俗を示す字で、辺塞の呪禁をいう(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 我妹子(わぎもこ)に恋ひて乱ればくるべきに懸けて撚らむと我(あ)が恋ひそめし(湯原王) の、 くるべき、 は、 糸車、 で、 我が恋ひそめし、 は、 別れるときはこうでも言おうと思っていたの表現で、一種の負け惜しみ、 と注釈し、 乱れ心を糸車にかけて、うまいこと搓り直せばよいと、そう思って恋い初めただけのこと、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 くるべき、 は、 反転、 と当て、 糸を繰る道具、 で、 台に短いさおを立て、その上に回転するわくをつけたもの、 とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 くるべき、 は、 まひば、 の古名なるべしと云ふ、 とある(大言海)。新撰字鏡(898〜901)には、 反転、久留戸木(くるべき)、 東雅(江戸中期 新井白石)には、 此語を、カセワとも云ひ、また、マヒバとも云ふなり、……今、東国の方には、クルベキと云ふなり、 江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)には、 今俗、呼萬比波者、盖是、 箋注和名抄(江戸後期)には、 反轉、久流閉枳、 などとある。 クルマキ(車木)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、 とする説もあるが、 くるべき、 は、 くるべく(回転)の名詞形(名語記・大言海)、 とみてよく、 くるべく、 は、 か/き/く/く/け/け、 の、自動詞カ行四段活用で、その連用形の名詞化である。 くるべく、 は、 転べく、 と当て、 見も知らぬくるべくもの、二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくてわらふ(枕草子)、 と、 くるくる回る、 意で、 鉢独楽(こまつぶり)のやうにくるめきて、唐の僧の鉢よりも速く飛びて、物を受けて帰りぬ(宇治拾遺物語) と、 くるめく(転めく)、 ともいう。ただ、 くるめく、 は、 この女、暁たたんまうけなどもしにやりて、いそぎくるめくがいとほしければ(宇治拾遺物語)、 と、 あわててさわぎまわる、 せわしく立ちまわる、 意や、多く、 メガ kurumei(クルメイ) テ タオレ(「和英語林集成(1867)」)、 と、 めくるめく、 の形で用いたりする(精選版日本国語大辞典)。 まひば、 は、 まいば、 ともいい(大言海)、 舞羽 と当て、 蝠車(まいのは)、 ともいい、 巻羽(まきば)の音便、 とされ(仝上)、 古へ、反轉(くるべき)、と云へる、之かと云ふ、 とあり(仝上)、 臺に短き竿を立て、其上に十字形の木匡(わく)を挿(は)め、木匡の四端に竹を挿して、之に絲を掛け、木匡を廻らしながら糸を絡(まと)ふもの(大言海)、 短い竿を立てて、上に枠を添えて回す、糸を巻く器具(広辞苑)、 糸を巻く道具。台に立てた短い竿(さお)の上に十字形の枠(わく)を載せて回し、枠の四端に差した竹に糸を掛けて巻き取るようにしたもの(精選版日本国語大辞典)、 とあり、書言字考節用集(江戸中期)には、 撥柎、マイバ、マキソク、巻絲具也、蟠車、同、 和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)には、 蟠車、まいのは、俗云、末以乃波、……按、今所用木綿蟠車、以譃(かせ)絡縷於篗(わく)者也、其車如十字而端穿穴、彎(ソリタル)竹四柱挿之、使不乱、其竹名曰止宇土、 とある。これには、 撥車(かせくるま、はっしゃ)(『機織彙編』『和漢三才図絵』) 械棒(かごめぽう、か入めぼう、かがめぽう、まひぽう)(『越能山津登』) 蝠車(まいのは、まひば)(『倭漢三オ図絵』『訓蒙図彙』『機織彙編』) 撥柑(はっぷ)(『倭漢三才図絵』『訓蒙図彙』) 車柑(しゃふ)(『倭漠三才図絵』) なかて(『民俗選集』) かせぽう(『越能山都登』) まわしぼう(『越能山都登』 等々の名がある(角山幸洋「出土『舞羽』について」www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/publication/asset/bulletin/25/17kakuyama.pdf)。 「反」(漢音ハン、呉音ホン、慣用タン)の異字体、 叛(別字/被代用字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%8D)。字源は、 会意文字。「厂+又(て)」で、布または薄い板を手で押して、そらせた姿。そったものはもとにかえり、また、薄い布や板はひらひらとひるがえるところから、かえる・ひるがえるの意となる、 とある(漢字源)。他も、 会意。「厂 (崖)」+「又 (手)」、崖に手をかけてよじ登るさまを象る。「よじる」「よじ登る」を意味する漢語{攀 /*phraan/}を表す字。のち仮借して「くつがえす」「かえる」を意味する漢語{反 /*panʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%8D)、 会意文字です(厂+又)。「がけの象形」と「手の象形」から、のしかかる岩のような重圧で手を「かえす、くつがえす」を意味する「反」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji411.html)、 会意。厂(かん)+又(ゆう)。厂は崖の形。反はそこに手(又)をかけて攀援(はんえん)する(よじのぼる)形。そのような地勢のところを坂といい、もし聖所ならば阪という。阪の従う𨸏(ふ)は聖梯の形。聖所に攀援することを試みるような行為は、反逆とみなされた。〔説文〕三下に「覆(くつがへ)すなり。又に從ひ、厂は反する形なり」とする。〔繁伝〕にも厂を「物の反覆するに象る」とするが、その形とはみえない。金文の〔小臣単觶(しようしんたんし)〕に、厂下に土を加えている字形があり、土は社の初文で聖所を示す字とみられる。〔小臣「言+速」「皀+殳」(しようしんそくき)〕に「東夷、大いに反す」のように、叛逆の意に用い、また〔頌鼎(しようてい)〕「瑾璋(きんしやう)(灌鬯(かんちよう)のための玉器)を反入(へんなふ)(返納)す」のように往反の意に用いる(字通)、 と、会意文字とするが、 形声。又と、音符厂(カン)→(ハン)とから成る。手のひらを返す、ひいて「かえる」意を表す(角川新字源)、 と、形声文字とするものもある。 「轉(転)」(テン)の異体字は、 転(新字体)、转(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BD%89)。字源は、 会意兼形声。專(専)の原字は、つり下げたまるい紡錘を描いた象形文字。專はそれに寸(手)をそえたもので、まるく回転する意を含む。轉は「車+音符專(セン・タン)」で、車のように回転すること、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(車+專)。「車」の象形と「糸巻きの象形と手の象形」(「糸を糸巻きにぐるぐる巻きつける」の意味)から、車を「まわす、めぐる」を意味する「轉/転」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji482.html)、 と、会意兼形声文字とするが、他は、 形声。「車」+音符「專 /*TON/」。「まわる」「めぐる」を意味する漢語{轉 /*tronʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BD%89)、 形声。車と、音符專(セン)→(テン)とから成る。車がまわる、ひいて「ころがる」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、 形声。旧字は轉に作り、声符は專(専)(せん)。專に團(団)(だん)・傳(伝)(でん)の声がある。〔説文〕十四上に「運ぶなり」という。專は囊(ふくろ)の中のものをうちかためて円くする意で、「專」の寸を取った字((けい)が囊の形。專に円転の意がある。車輪を用いて運送することを転という。また回転すること、事態の変化推移することをいう(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 玉守(たまもり)に玉は授(さず)けてかつがつも枕と我れはいざふたりねむ(大伴坂上郎女) の、 かつがつも、 は、 ともかくも、 の意、 心底からは納得しない気持ち、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 かつがつ、 は、 且且、 克克、 と当てる(広辞苑)。 一説に、「耐える」意の「かつ」を重ねたもので、本来、「こらえこらえ」の意か(広辞苑)、 耐える意の動詞「かつ」の終止形を重ねたものか(精選版日本国語大辞典)、 動詞カツ(克・耐)の終止形カツを重ねて副詞としたもの。原義はこらえこらえ、 とあり、 加都賀都(カツガツ)も最(いや)前(さき)立てる兄(え)をし枕(ま)かむ(古事記)、 と、 ある事態が不十分ながら成り立つことを表わす語、 として、 不満足に耐えながら、 どうにかこうにか、 まあ、ともかくも、 わずかに、 やっと、 といった意や、 ささして、まゐり給ことあなり。かつがつまゐりて、とどめきこえよ。ただ今わたらせ給ふ(蜻蛉日記)、 と、 ある事態を不十分ながらもすばやく成り立たせる時の、とり急いだ気持を表わす語、 として、 とりあえず、 差し当って、 急いで、 といった意、さらに、 夕ま暮ならす扇の風にこそかつがつ秋は立ちはじめけれ(「六百番歌合(1193頃)」)、 と、 待っていた状態がようやく到来したことを表わす語、 として、 (時期が未だ至らないのに)早くも、 今からもう、 という意や、 残りの命うしろめたくて、かつかつ物ゆかしがりて、慕ひまゐり給ふなりけり(源氏物語)、 と、 ある事態が、他の事態に並行して、それを補助する形で成り立つことを表わす語、 として、 それにまた、 加えてまた、 あわせて、 の意や、 住吉の御願かつかつはたし給はむとて(源氏物語)、 と、 ある事態が、時間の経過に伴って量的に充実の度を加えることを表わす語、 として、 おいおいに、 少しずつ、 徐々に、 だんだん、 次第に、 の意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。原義の、 こらえこらえ、 の、 なんとかかんとか、 という含意から、 ともかくも、 ↓ とりあえず、 ↓ 早くも、 ↓ 少しずつ、 といったような、その過ぎていく時間の対する心理的過程が、言葉のニュアンスの差になっていると見ることができる。この、 かつがつ、 の変化した語と目される、 かつかつ、 は、「に」を伴って用い、 「脚病ひさしくたちて無術候」とて、「かつかつ拝さふらはん」とて、いそぎ拝せられけり(「愚管抄(1220)」)、 と、 ある事態、主として暮らしが不十分ながら成り立つさま、 どうにかこうにか成り立つさま、 また、 やっと、といったさまを表わす語、 として、また、 ハマは、やっと時間かつかつに間に合ったのを欣(よろこ)びながら(井上友一郎「湘南電車(1953)、 ようやく、 やっと、 ぎりぎり、 と、今日でも、この言い方は使う(精選版日本国語大辞典)。また、 渇渇、 と当てる、 かつかつ、 も、 カツガツの転か、 とされ(岩波古語辞典)、 貧しき人を、住まひのかつかつとあると申しならはせる(名語記)、 と、 ほとんど飢えんばかりであること。貧しくて物のないこと、 の意で使う(仝上)。この、 かつかつ、 は、 予算はかつかつ、 というように、今日も使い、上記の、 かつかつ、 の意味と通じるようである。 克つ、 と当てる、 かつ, は、 て/て/つ/つる/つれ/てよ、 の、補助動詞タ行下二段活用、 で、 玉櫛笥みもろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(万葉集)、 と、 カツ、 は、 できる意の下 二段補助動詞、マシジは打消の推量の助動詞、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、 打消しの助動詞と共に使われることが多い、 とされ(岩波古語辞典)、 じっとこらえて相手に負けない意、転じて物事をなし得る意、他の動詞の連用形につく(仝上)、 未然形「かて」に打消の助動詞「ず」の上代の連用形「に」や連体形「ぬ」を伴う「かてに(がてに)」や「かてぬ」、あるいは終止形「かつ」に打消推量の助動詞「まじ」の古い形「ましじ」を伴う「かつましじ」の形で使われることが多い(学研全訳古語辞典)、 とあり(仝上)、 ……できる、 ……に耐える、 ……することができる、 ……られる、 である(仝上・学研全訳古語辞典)。 「且」(@漢音・呉音シャ、A漢音ショ、呉音ソ)は、「かつ」で触れたように、異体字は、 𠀃(古字)、𠀇(古字)、𣅂、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%94)、字源は、 象形。物を積み重ねた形を描いたもので、物を積み重ねること。転じて、重ねる意の接続詞となる。また、物の上に仮にちょっとのせたものの意から、とりあえず、間に合わせの意にも転じた、 とあり(漢字源)、接続詞として「かつ」「その上に」が@の音、「其樂只且(其れ楽しまんかな)」(詩経)と、詩句で語調を整える助辞の場合は、Aの音、とある(仝上)。他も、 象形。もと「俎」の略体で、小さな台を象る。「まないた」を意味する漢語{俎 /*tsraʔ/}を表す字。のち仮借して「かつ」「さらに」を意味する接続詞{且 /*tshaʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%94)、 象形。肉を入れて神に供える、重ね形になっている器の形にかたどる。「俎(シヨ、ソ)」の原字。借りて「かつ」「かりに」などの意の助字に用いる(角川新字源)、 象形文字です。「台上に神へのいけにえを積み重ねた」象形から、「まないた」を意味する「且」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「かつ(さらに、その上)」、「まさに・・・す(今にも・・・しようとする)」などの意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji1789.html)、 象形。俎(そ)の初形。まないた。俎は且上にもののある形。〔説文〕十四上に「薦(すす)むるなり」とあり、几(き)(机)の形であるとする。且は卜文に祖の意に用いる。且に物をのせ薦めて、祀る意であろう。金文に祖考を「且+又考」に作り、且を奉ずる形に作る。郭沫若は且を男根の象と解するが、奇僻にすぎる。祖廟に阝+𢍜宜(そんぎ)するを宜といい、宜もまた且に従う(字通)、 と、何れも象形文字としている。 剋(繁体字)、𠅔(古字)、𠅡(古字)、𠧳(古字)、𠧻(古字)、𡱠(同字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B)。字源は、 会意文字。上部は重い頭、または兜で、下に人体の形を添えたもので、人が重さに耐えてがんばっているさまを示す。がんばって耐える意から、かつ意となる。緊張して頑張る意を含む、 とある(漢字源)が、 不詳。複数の説が存在するが定説はない、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B)。しかし、他の多くは、 象形。人が甲冑(かつちゆう)を着けた形にかたどり、甲冑の重さに耐える、ひいて「かつ」意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「重いかぶとを身につけた人」の象形から、「重さに耐える」、「打ち勝つ」を意味する「克」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1497.html)、 象形。木を彫り刻む刻鑿(こくさく)の器の形。上部は把手、下は曲刀の象。〔説文〕七上に「肩(かつ)ぐなり。屋下の木の刻形に象る」とあり、支柱の意とする。しかし金文の字形では、下部が曲刀をなしており、また〔説文〕古文の第二字は明らかに刻彔の形、すなわち錐もみの器である。刻鑿・掘鑿(くつさく)に用いる。〔詩、大雅、雲漢〕「后稷(こうしよく)克(しる)さず」の〔鄭箋〕に「克は當(まさ)に刻に作るべし。刻は識(しる)すなり」とあり、克はその克識を施すための器である。ものを刻することから、克能・克勝の意となり、また克己のように用いる(字通) と、象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 相見ては月も経(へ)なくに戀ふと言はばをそろと我(あ)れを思ほさむかも(大伴駿河麻呂) の、 をそろ、 は、 おそ、 は、 軽率、 ろ、 は接尾語、とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 おそろ、 は、 「おそ(軽率)」に接尾辞「ろ」の付いた語(広辞苑)、 ロは助辞、ヲソ(虚言)と云ふに同じ(大言海)、 「ろ」は接尾語、軽率の意の名詞「おそ」に同じ(精選版日本国語大辞典)、 ヲソはワサ(早稲・早熟)の母音交替形、ロは性質・状態をあらわす接尾語(岩波古語辞典)、 とあるように、 おそ+ろ、 で、 おそ、 は、 「わさ(早稲)」と同語源か(精選版日本国語大辞典)、 ワサ(早熟)の転(広辞苑)、 ワサ(早稲・早熟)の母音交替形(岩波古語辞典)、 と、 わさ、 の転とされるが、大言海は、 虚言、 嘘、 と当てて、 空(うそ)に通ず、空言(そらごと)なり、 とし、 うそ(嘘)、 の意として、冒頭の歌を引いている。しかし、 早稲(わせ)、早熟であること、 転じて、 軽率、 軽率であること、 の意とする(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が大勢のようである。 冒頭の歌は、 うそ、 空言、 というよりは、 かるはずみ、 せっかち、 の意の方が納得がゆく。 おそ、 は、 おそろ、 おおおそど、 など、複合語として用いられる(精選版日本国語大辞典)。 大輕率鳥(おほをそどり)、 で触れたことだが、 「おそ」は未詳(日本国語大辞典)、 とする説もあるが、 「おそ」はかるはずみの意(デジタル大辞泉)、 ヲソは軽率の意(時代別国語大辞典-上代編) ヲソはワサ(早熟・軽率)の母音交替形、軽はずみの意(岩波古語辞典)、 啼声のコロクをク(来)と聞き、その人が来なければ嘘なりと戯れていう意か(大言海)、 大虚言鳥の義(和訓栞)、 オオキニキタナキトリの意、オソは物食いのきたないことを言う(袖中抄)、 等々、由来には諸説あり、 音の類似から、オソをウソ(嘘)の転とする説が唱えられてきたが、万葉集(四・六五四)の「咲く花も乎曾呂(ヲソロ)は飽きぬ晩(おくて)なる長き心になほしかずけり」のオロソと関連づける説が有力、 とされている(日本語源大辞典)。万葉集の大伴坂上郎女の歌は、 咲く花も乎曽呂(をそろ)はいとはし晩生(おくて)なる長き心になほしかずけり、 と表記されたりするが、 乎曽呂(をそろ)、 は(https://art-tags.net/manyo/eight/m1548.html)、 せっかち、 早熟、 軽率、 の意で、上記歌意は、 早咲き、 の意となる(仝上・https://bonjin5963.hatenablog.com/entry/2022/07/11/000000)。 おそ、 に転訛した、 わさ、 は、 わせ(早稲)の転(大言海)、 わせ(早稲)の古形(広辞苑・岩波古語辞典)、 で、 わさ飯(いい)、 わさ瓜、 わさ米、 わさ酒、 わさ萩、 わさ穂、 わさ物、 等々、 他の語に冠して複合語を作り、植物などが早く熟する意を表わす、 とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 「輕(軽)」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、 会意兼形声。巠(ケイ)は、工作台の上に縦糸をはったさまで、まっすぐの意を含む。輕は「車+音符巠」で、まっすぐにすいすい走る戦車、転じて身軽なこと。なお、剽軽(ヒョウキン うわついて軽い)のキンは唐音、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(車+圣()。「車」の象形と「まっすぐ伸びる縦糸の象形」(「まっすぐで力強い」の意味)から、「敵陣にまっすぐ突進していく車」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「かるい」を意味する「軽」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji481.html)、 ともあるが、他は、 形声。「車」+音符「巠 /*KENG/」。「かるい」を意味する漢語{輕 /*kheng/}を表す字。「車」は、この単語が車の一種を指す語として使われたことによる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BC%95)、 形声。車と、音符巠(ケイ)とから成る。まっすぐかろやかに走る戦車、ひいて、「かるい」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、 形声。旧字は經に作り、(けい)声。魔ヘ織機のたて糸を張りかけた形で、たて糸。經の初文。金文の「徳經」「經維」の字を魔ノ作るものがある。〔説文〕十三上に「織るなり」とするが、横糸の緯と合わせてはじめて織成することができるので、合わせて経緯という。〔太平御覧〕に引く〔説文〕に「織の從絲(たていと)なり」に作る。交織の基本をなすものであるから、経紀・経綸・経営の意に用い、経書の意となり、経緯より経過・経験の意となる(字通)、 と、形声文字としている。 「率」(@漢音リツ・呉音リチ、A漢音ソツ・呉音ソチ・シュチ、Bスイ)は、「率(あども)ふ」で触れたように、 会意文字。「幺または玄(細いひも)+はみ出た部分を左右に払いとることをあらわす八印+十(まとめる)」で、はみでないように、中心線に引き締めてまとめること、 とあり(漢字源)、「確率」「比率」の、「全体のバランスからわりだした部分部分の割合」の意の場合は、@の音。この意の時は、律(きちんと整えた割合)と同系。「引率」「率先」の、「ひきいる」「はみ出ないようにまとめて引き締める」意、「率直」の、そのままにまかせる意、「卒然」「軽率」の、「はっと急に引き締まる」意の場合、Aの音、「将率(将帥)」の、率いる人の場合、Bの音になる(仝上)とする。しかし、 象形。鳥をとるあみの形にかたどる。捕鳥あみの意を表す。借りて「おおむね」「わりあい」の意に用い、また、「ひきいる」、「したがう」意に用いる(角川新字源)、 象形文字です。「洗った糸の水をしぼる」象形から、1ヵ所にひきしめる事を意味し、そこから、「ひきいる」、「まとめる」を意味する「率」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji748.html)、 象形。糸束をしぼる形。糸束の上下に小さな横木を通し、これを拗(ね)じて水をしぼる形。〔説文〕十三上に「鳥を捕る畢(あみ)なり。絲罔(しまう)(網)に象る。上下は其の竿柄なり」と鳥網(とあみ)の形とするが、その義に用いた例がない。糸束をひき絞る形で、卜文・金文には左右に水点を加えている。金文に「率(ことごと)く」「率(したが)ふ」の義に用いる。しぼり尽くすので、率尽・率従の意となる(字通)、 と、他は何れも象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも(大伴坂上郎女)
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%94%90)、字源は、「からくれない」で触れたように、
あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくあらばしゑや我(わ)が背子奥もいかにあらめ(大伴坂上郎女) 汝(な)と我(あ)を人ぞ離(さ)くなるいで我(あ)が君人の中言(なかごと)聞きこすなゆめ(大伴坂上郎女) の、 聞きこすなゆめ、 は、 耳を貸してくださるな、決して、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 こす、 は、 下手に出て希求する意、 とある(仝上)。 こす、 は、上代の特殊活用の、 こせ・〇・こす・〇・〇・こそ(こせ)、 と活用し、 未然形、「こせ」、終止形「こす」、命令形「こせ」だけの活用、 で(終助詞「こそ」を命令形とする説もある)、活用については、 サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞とする説、 下二段型とする説、 に分かれ、動詞の連用形に付いて、 相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、 を表わし、 ……してくれ、 ……してほしい、 という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 未然形「こせ」は、 「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、 終止形「こす」は、 「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられ、 命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、 これを独立させて終助詞とする説もある。平安時代以降、命令形に「こせ」の形が見られるようになる、 とある(精選版日本国語大辞典)。この語源は、 寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、 カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、 「く(来)」の他動詞形、 等々の説がある(精選版日本国語大辞典・大言海)が、意味的には前者の気がするが、ちょっと判断がつかない。 中言、 は、 中事、 とも当て(岩波古語辞典)、 双方の間に立って、一方の人のことを他方の人に悪く言うこと、 どちらにも相手の悪口を言うこと、 つまり、 中傷、 の意で、 なかあいごと、 という言い方もするが、。後には、 他人が中口(ナカグチ)を聞く故、到頭敵味方の様に(人情本「貞操婦女八賢誌(1834〜48頃))、 の、 中口(なかぐち)、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。で、 八幡別当慶清夜討ちを為す。木津殿より武士等群り来り、兼て依り中言有れば、……合戦に及ぶ(吉記)、 と、 不仲、 仲違い、 の意でも使う(岩波古語辞典)。 中言、 を、 ちゅうげん、 と訓ませると、 義仲一人、漏其人数之間、殊成奇之上、又有中言之者歟(玉葉和歌集)、 と、 両者の中に立って告げ口すること、 つまり、 なかごと、 と同義でも使うが、 御中言(ごチウゲン)ではござりやすが、下十五日わたしのかたとおっしゃれば、もし小の月だと、此はう一千日の損(滑稽本「続々膝栗毛(1831〜36)」)、 と、 他人のことばの途中に口をはさむこと、 他人の談話中に話しかけること、 の意で、 ちゅうごん、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 「中」((チュウ))の異字体は、 𠁦(籀文)、𠁧(古字)、𠁩(古文)、𠔈(同字)、𠔗、𡖌(俗字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%AD)。字源は、「中陰」で触れたように、 指事。縦棒の中間点に○印をつけたもの。{中 /trung/}を表す字。甲骨文字や金文の「𠁩」は旗竿を象った字(一説に{幢 /droong/}を表す字)と組み合わさったもの、 とする説と、 象形。旗ざおを枠に突き通した様、 の二説がある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%AD)ようだが、 象形。もとの字は、旗ざおを枠の真ん中につきとおした姿を描いたもので、真ん中の意をあらわす。また、真ん中を突きとおす意をも含む。仲(チュウ)・衷(チュウ)の音符となる(漢字源)、 指事文字です。「軍の中央に立てる旗」の象形から(https://okjiten.jp/kanji121.html)、 象形。旗竿の形。卜文・金文には、上下に吹き流しを加えたものがあり、中軍の将を示す旗の形。〔説文〕一上に「而なり」、〔繁伝〕に「和なり」とするが、宋本に「內なり」とするものがあり、而は內(内)の誤字であろう。また字形について「口とh(こん)とに從ふ。上下通ずるなり」とするが、卜辞では中を中軍の意に用いる。「中に立(のぞ)まんか」とは、中軍の将たる元帥として、その軍に@(のぞ)む意であろう。元帥とする者を謀る意であろうと思われる。すべて中央にあって中心となり、内外上下を統べ、中正妥当をうることをいう。〔説文〕に収める字形はすべて(さい)に従うが、それは史・事の従うところで、旗竿の象ではない。旗竿には偃游(えんゆう)(吹き流し)のほかに、旗印をつけた(字通) は後者、前者の、 指事。もと金文の字、甲骨文字の字とを区別したが、のちに合して中の一字となる。中は、物(口)の内部を一線でつらぬき、「うち」の意を示す。金文の字は、軍の中心に立てる旗で、ひいて、中央の意を示す(角川新字源)、 とする説が「中」に至る経緯をよく説明している。要は、「金文」の字と甲骨の字とは区別していたことから生じている。 「言」(@漢音ゲン・呉音ゴン、A漢音ギン・呉音ゴン)は、「人事」で触れたように、 会意文字。「辛(きれめをつける刃物)+口」で、口をふさいでもぐもぐいうことを音(オン)・諳(アン)といい、はっきりかどめをつけて発音することを言という、 とあり(漢字源)、曰(えつ)・謂(い)と同義の、「いふ」意、「遺言」「言行一致」など「口に出す」意、「五言絶句」「一言」など「言葉や文字の数」の意、「言刈其楚」と「ここ」の意、「言言(げんげん)」と「いかめしい」意の場合は、@の音、慎む意の「言言(ぎんぎん)」の場合は、Aの音となる(仝上)とある。他に、 会意。辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器のꇴ(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。〔周礼、秋官、司盟〕に「獄訟有るは、則ち之れをして盟詛(めいそ)せしむ」とみえるものが、それである。〔説文〕三上に「直言を言と曰ひ、論難を語と曰ふ」とし、また字を䇂(けん)声に従うとするが、卜文・金文の字は辛に従う。かつ言語は、本来論議することではなく、〔詩、大雅、公劉〕は都作りのことを歌うもので、「時(ここ)に言言し 時に語語(ぎよぎよ)す」というのは、その地霊をほめはやして所清めをする「ことだま」的な行為をいう。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった(字通)、 会意文字です(辛+口)。「取っ手のある刃物」の象形と「口」の象形から悪い事をした時は罪に服するという「ちかい・ことば」を意味する「言」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji198.html)、 と、会意文字とするものもあるが、 『説文解字』では「䇂」+「口」と分析されており、「辛」+「口」と解釈する説もあるが、甲骨文字の形とは一致しない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%80)、 とあり、 辛(しん)+口、 を否定し、 「舌」+「一」。「いう」を意味する漢語{言 /*ngan/}を表す字。もと「舌」が{言}を表す字であった(甲骨文字に用例がある)が、区別のために横画を加えた(仝上)、 としている。それと同趣旨なのは、 象形。口の中から舌がのび出ているさまにかたどる。口からことばを発する意を表す(角川新字源)、 で、象形文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房)
あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ(春日王) 月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山きへなりて遠からなくに(湯原王) の、 月読、 は、 月を神に見立てた呼名、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 山きへなりて、 は、 山が隔てとなった遠いみちのりでもないのに、 と訳し、 き、 は、 不明、 とする(仝上)。 つくよみ、 は、 つきよみ、 ともいう(大言海)が、 月読、 月夜見、 月夜霊、 などとあて(広辞苑)、 天橋も長くもがも高山も高くもがも月夜見(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)い取り来て(万葉集)、 と、 天つ月を保ち知らしめす神の御名、 として(大言海)、 月の神、 の意、さらに、冒頭の歌のように、神に見立てて、 月、 の別称として使う(大言海・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。この、 ツク、 は、 「つき」の古形、 で、 よみ、 は、 数えること、また別に、月の意のツクヨに神の意のミがついた形、古く二つの語源意識があり、混同されたらしい(岩波古語辞典)、 月を数える意からか、また月の意の「つくよ」に神の意の「み」がついた形か(広辞苑)、 月夜霊(ツクヨミ)の義、日禮(ヒルミ 日霊(ヒルメ))に対す、夜と云ふは、夜の食國(ヲスクニ)を、知らすめすより云ふなり(大言海)、 とあり、 数える、 意と、 月の意の「つくよ」に神の意の「み」がついた形、 とは、明らかに、由来を異にする。どこかで、混同されていったものとみられる。 月夜(つくよ)、 は、 古言には、月をツクと云ふ、ツクヒ(月日)、但し熟語に限る、黄金(キガネ)を久我禰と云ふ嶺なり、槻弓、ツクユミなどもあり(大言海)、 ツクはツキ(月)の古形。のちにはユウヅクヨなど複合語の中に残るだけで、多くはツキヨが使われた(岩波古語辞典)、 とある。なお、 月、 については触れた。また、 月を擬人化、 して、 月夜見男(つくよみおとこ)、 ともいい、 天にいます月読壮士(つくよみをとこ)賄(まひ)はせむ今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ(湯原王)、 と、 月を男~と見た呼名の、 つきひとをとこ(月人壮士)、 と同じ(大言海)で、 月の桂、 で触れた、 桂男(かつらおとこ・かつらを)、 につながる(仝上)。 月の神、 というと、古事記と日本書紀・一書第六で、 伊邪那岐命のみそぎの際生まれた、 と伝え、日本書紀本文では、 伊邪那岐命・伊邪那美命の間の子、 と伝える、 月読尊(つくよみのみこと)、 がある。この神は、 天照大神、 素戔嗚尊、 とともに世界を分治した三神の一つ。元来は、 月を読む、 すなわち、 月齢を数える義(「よみ」の「よ」は乙類の仮名表記)、 であったが、のちに、 月夜の神霊、 すなわち、 月の神の義(「つくよ」の「よ」は甲類の仮名表記。「み」は神霊の意)、 となり、ヨの甲類の音はユと交替しやすいために「つくゆみ=月弓」の語形にも変化した(精選版日本国語大辞典)とある。 農耕、漁猟の暦をつかさどるため月齢をかぞえる神、 から、単に、 月の神、 の意となったわけで、 月弓(つくゆみ)尊、 月の神、 とも呼ばれる。 「月」(漢音ゲツ、呉音ゴチ、慣用ガツ)の異字体は、 㬴、玥、𡆦、𡆽、𡇹、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88)。字源は、 象形。三日月を描いたもので、丸くえぐったように、中が欠けていく月、 とあり(漢字源)、他も、 象形。「夕」と同様、三日月を象る。「つき」を意味する漢語{月 /*ngwat/}、および「くれ」「よる」を意味する漢語{夕 /*slak/}を表す字。もともと「月」と「夕」の両字は区別されていなかったが、西周以降「月」を{月}に用いて、「夕」を{夕}に用いるようになった(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88)、 象形。つきが欠けた形にかたどり、「つき」の意を表す(角川新字源) 象形文字です。「つきの欠けた」象形から「つき」を意味する「月」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji88.html)、 象形。月の形に象る。〔説文〕七上に「闕(か)くるなり。太陰の奄ネり。象形」という。〔釈名、釈天〕に「月日は實なり」「は闕なり」とあり、当時行われた音義説である。卜文の字形は時期によって異なり、月と夕とが互易することがあるが、要するに三日月の形である(字通)、 と、象形文字としている。 「讀(読)」(@漢音トク・呉音ドク、A漢音トウ・呉音ズ)の異字体は、 読(新字体)、读(簡体字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AE%80)。字源は、 会意兼形声。賣(イク・トク)は、途中でしばしばとまる音を含む。讀は、それを音符とし、言を加えた字で、しばし息を止めてくぎること、 とあり(漢字源)、「読書」「熟読」など、「よむ」意は、@の音、「とまる」「ポーズをとる」と、動詞の場合は、Aの音、となる(仝上)。他は、 形声。「言」+音符「賣 /*LOK/」。「よむ」を意味する漢語{讀 /*look/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AE%80)、 形声。言と、音符𧶠(イク)→(トク)とから成る。書物から意味を引き出す、ひいて、声を出して「よむ」意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、 形声文字です(言+売)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「足が窪(くぼ)みから出る象形(「出る」の意味)と網の象形と貝(貨幣)の象形(網をかぶせ、財貨を取り入れる、「買う」の意味)」(買った財貨が出る、すなわち、「売る」の意味だが、ここでは、「属」に通じ、「続く」の意味)から、「言葉を続ける・よむ」を意味する「読」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji200.html)、 形声。声符は竇(しよく)。竇に瀆・牘(とく)の声がある。〔説文〕三上に「書を誦するなり」、また籀(ちゆう)字条五上に「書を讀むなり」とあり、声義が近い。〔史籀篇〕の「大史籀書」とは、王国維の説に、「大史、書を籀(よ)む」の意であるという。〔穀梁伝、僖九年〕に「書を讀みて牲の上に加ふ」とあり、祝詞や盟誓の文をよみあげることをいう。金文の冊命形式の文は、王が史官にその冊命をよませるのが例で、〔免皀+殳(めんき)〕に「王、作册尹(さくさくゐん)に書を受(さづ)け、免に册命(さくめい)せしむ」とみえる。それが「大史、書を籀む」であった(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我(あ)が恋ひわたる(安倍虫麻呂) の、 ここだく、 は、 許多(ここだ)く、 幾許く、 と当て、 ここだ(幾許)、 は、 こんなに数多く、 こんなに甚だしく、 の意で、 ココダに副詞を作る語尾ク、 のついた副詞、 ここだ(幾許)く、 も、同じ意味になる(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 しつたまき、 は、 倭文(しつ)で作った腕輪、 の意(精選版日本国語大辞典)で、 粗末な布製の腕輪、 なので、 賎(しつ)手纏(たまき)、 の含意となり(https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/musi_abe.html)、 数にもあらぬ、 の枕詞である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 腕輪としては玉で作ったものが高級品で、布製は粗末なものとされていたところから、 数にもあらぬ、 の他、 いやしき、 にもかかる(精選版日本国語大辞典)。 しつたまき、 は、奈良時代は清音で、 倭文手纏、 と当て、後に、 しづたまき、 と濁音化する。 しつたまき、 は、 倭文織(しづおり)、 の意だが、 賎(しつ)手纏(たまき)、 つまり、 粗末な環、 の意になる。 倭文(しづ)、 については、 倭文の苧環、 倭文機、 で触れたように、 日本古来の織物の一つで、模様を織り出したもの、 で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奈良時代は、 ちはやぶる神のやしろに照る鏡しつに取り添へ乞ひ禱(の)みて我(あ)が待つ時に娘子(おとめ)らが夢(いめ)に告(つ)ぐらく(万葉集)、 と、 しつ、 と清音で、後にも、新古今和歌集でも、 それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしつのをだまき、 と、 しつ、 と、 詠われる。 倭文、 は、 古代の織物の一つ、 で、 穀(かじ)・麻などの緯(よこいと)を青・赤などで染め、乱れ模様に織ったもの(広辞苑)、 梶木(かじのき)、麻などの緯(よこいと)を青、赤などに染め、乱れ模様に織ったもの(精選版日本国語大辞典)、 栲(たへ)、麻、苧(からむし)等、其緯(ヌキ 横糸)を、青、赤などに染めて、乱れたるやうの文(あや)に織りなすものといふ(大言海)、 カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物(デジタル大辞泉)、 等々とあり、多少の差はあるが、 上代、唐から輸入された織物ではなく、それ以前に行われていた織物、 を指している(岩波古語辞典)。で、 異国の文様、 に対する意で、 倭文、 の字を当てた(デジタル大辞泉)といい、 あやぬの(文布・綾布)、 しづはた(機)、 しづり(しつり)、 しづの、 しづぬの、 しとり(しどり)、 しづおり、 等々とも言う。 たまき、 は、 手纏、 環、 鐶、 射韝、 と当て(広辞苑)、上代、 玉、又は、鈴を緒に貫きて、筒袖の上、肘の邊に巻きたり、足結(あしゆひ)の如く、袖を結び、固むる用なるべし、 とあり、 クシロ、 タダマ、 コヂマキ、 タユヒ、 ともいう(大言海)、いわゆる、 腕輪、 のことで、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 釧、タマキ、ヒヂマキ、 字鏡(平安後期頃)に、 釧、太萬支、 華厳経音義私記(奈良時代)には、 釧、手巻、 とある。 釧(くしろ)、 は、 釧(くしろ)、 で触れように、手首や臂(ひじ)につける輪状のかざり、 で、字鏡(平安後期頃)には、 釧、太万支、又、久自利 とあるように、 くしり、 たまき、 くじり、 ひじまき、 ともいった(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。つまり、 釧、 は、 手纏、 の謂いである。ただ、 手纏、 は、 後に、転じて、 専ら、射藝の具、 である、 小手、 ともいう、 射韝、 とも当てる、 弓籠手(ゆごて)、 を指すようになり(大言海)、和名類聚抄(931〜38年)に、 射韝、多末岐、一云、小手、射臂沓也、 とある。なお、 足結(あしゆひ)、 は、 あゆひ、 あよい、 とも訓ませる、 動きやすいように、袴はかまのひざの下の辺りをくくり結ぶこと、また、そのひも、 である(精選版日本国語大辞典)。 「手」(漢音シュウ、呉音シュ・ス)の異字体は、 扌(部首の変形)、𠂿、𡴤(古字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B)。字源は、 象形、五本の指のある手首を描いたもの、 とある(漢字源)。他も、 象形。五本指のある手を象る。「て」を意味する漢語{手 /*hluʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B)、 象形。手のひらを開いた形にかたどり、「て」、また、手に取る意を表す(角川新字源)、 象形文字です。「五本の指のある、て」の象形から「て」を意味する「手」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji13.html)、 象形、手の形。手首から上、五本の指をしるす。〔説文〕十二上に「拳なり」とするが、指を伸ばしている形である。金文に「拜手𩒨(稽)首(けいしゆ)」のようにいい、ときに「拜手𩒨手」「拜𩒨手」のようにしるすことがあるのは、手・首が同声であるからであろう(字通)
「纏」(漢音項テン、呉音デン)の異字体は、 海(わた)の底奥(おき)を深めて我(あ)が思へる君には遭はむ年は経ぬとも(中臣郎女) の、 わた、 は、 奥(心の底)の枕詞、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 わた、 は、 わたのはら(海の原)、 海(わた)の底、 わたつみ(海神)、 わたなか(海中)、 わたつうみ(海)、 等々と使い、 わたつうみ、 うみ、 で触れたように、後世、 わだ、 ともいい、 海、 を当てているが、この語源は、 渡るの意と云ふ、百済語ホタイ、朝鮮語バタ(大言海)、 船で渡るところからワタ(渡)の義(色葉和難集・冠辞考・俚言集覧・月斎雜考・答問雜稿・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄)、 ワタ(渡)。島々を渡っていくウミを意識した語根、ワタノハラという言い方もある(日本語源広辞典)、 腸のワタに通じ、ものの内容を表す。水を海のハラワタに見立てたものか(風土と言葉=宮良当壮)、 ワタ(内蔵、内容物、ハラワタ)です。大海を生命体と意識した語根(日本語源広辞典)、 「わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、現代朝鮮語「바다(/pada/ 海)」の祖語との説は根拠が無い(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF)、 ワダとも、朝鮮語pata(海)と同源(岩波古語辞典)、 ナタ(洋)の義(言元梯) 等々のほか、 一説に、ヲチ(遠)の転(広辞苑)、 遠方、他界を表すヲト・ヲチ(遠)と同根(日本語源大辞典)、 と見る説もあるが、いずれも、広い大海を意識した言葉で、和語、 ウミ、 の語源の、 大水、 とは発想を異にする。どうも渡来人のもたらした言葉なのかもしれない。ちなみに、 うみ、 の語源は、 大水(おほみ)の約轉。「おほみ」の「おほ」は、約められて「う」となり、「大」と当てる(おほけ、うけ(食)。おおほみ、うみ(海)。おほし、うし(大人)。おほば、うば(祖母)。おほま、うま(馬)。おほしし、うし(牛)。おほかり、うかり(鴻)。沖縄にて、おほみづ、ううみづ(洪水)。おほかり、ううかめ(狼)。)接頭語禮記、月令篇、『爵(すずめ)入大水為蛤、註「大水、海也」(大言海) 「う」は「大」の意味の転、「み」は「水」の意味で、「大水(うみ・おほみ)」を語源とする説が有力とされる。 「産み」と関連付ける説もあるが、あまり有力とはされていない。 古代には 、海の果てを「うなさか」といい、「う」だけで「海」を意味した。 また、現代でいう意味以外に、池や湖など広々と水をたたえた所も「海」といった(語源由来辞典) 「溟」meiに、母韻uが加わり、umeiとなり、umiと変化した(荒川説)、 「ウ(大)+ミ(水)」説。「万葉期、沼、湖、海、のことを、ミとか、ウミとか言ったようです。ウミを一語と見て、分解しないのがいいのかもしれません。大いに水をたたえているところの意です(日本語源広辞典) ウミ(大水)の意(東雅・日本古語大辞典・日本声母伝・大言海)、 オホミ(大水)の約転か(音幻論=幸田露伴)、 アヲミ(蒼水)の約転(言元梯)、 ウミの語源はミで、マ・メと同根。マは間・場の意でこれに接頭詞ウを添えたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、 ウミ(産)の義。イザナギ・イザナミの神が初めて産み出したことから(和句解・和訓栞)、 ウクミチ(浮路)の反(名語記)、 ウミ(浮水)の義(関秘録)、 ウカミ(浮)の略(桑家漢語抄・本朝語源)、 ウツミ(全水)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべ・国語の語幹とその分類)、 ウキニ(浮土)の転呼か(碩鼠漫筆)、 等々、諸種挙げるが、「大水」以外は、どうも、語呂合わせが過ぎるようである。ちなみに、 わたつうみ、 は、 海神、 の意、 転じて、 海、 の意で使われている。 わたつうみ、 は、 わたつみの転か、 とあり、 わだつうみ、 ともいう(広辞苑)とある。ただ、 ワタツウミの語形、 は、 ミをウミ(海)のミと俗解したところから現れたもので平安時代以降にみえる、 とあり(日本語源大辞典)、それは、 わたつみ、 が、 渡津海、 綿津海、 などと書くため、 「み」が「海」の意に意識されてできた語、 なのである(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 わたづうみ、 わだつうみ、 も、その転訛である(仝上)。 うみ、 で触れたように、 わたつうみ、 は、 海神、 海津見、 綿津見、 等々と当て、 わだつみ、 わたづみ、 わだづみ、 ともいい(精選版日本国語大辞典)、 海(わた)つ霊(み)の意。ツは連体助詞(岩波古語辞典)、 ツは助詞「の」と同じ、ミは神霊の意(広辞苑)、 「つ」は格助詞、「み」は神霊の意(大辞林)、 「つ」は「の」の意の古い格助詞。「海つ霊(み)」の意。後世は「わたづみ」「わだづみ」「わだつみ」とも(精選版日本国語大辞典)、 ツは之、ミは霊異(クシビ)のビと通ず、或は云ふ、海(ワタ)ツ海(ウミ)と(大言海)、 わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、「つみ」は同系語に、山の神を意味する「やまつみ(cf.オオヤマツミ)」等が見られるように、「つ」は同格の助詞「の」の古形であり、「み」は神霊を意味する(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF)、 ワタ(海)+ツ(の)+ミ(水)、ワタノハラとも(日本語源広辞典)、 ワタツカミ(海津神)―ワタツミ(綿津見)(日本語の語源)、 ワタツミ(海之龍)の義(名言通)、 ワタツモリ(海之守)の義(日本語原学=林甕臣)、 等々あるが、ほぼ、 ツはの、ミは霊(ミ)、 と解されている。個人的には、 ワタツカミ(海津神)→ワタツミ(綿津見)、 と、神の名から転じたと見るのが、意味から見ても妥当な気がする。ただ、『古事記』には、 綿津見神(わたつみのかみ)、 綿津見大神(おおわたつみのかみ)、 と表記されているのが、ダブりになるので難点ではある。ともかく、 ミをウミのミと俗解した、 というのは、「海津神」が、意識されなくなったところから来ているのだろう。 「海」(カイ)の異字体は、 𣳠、𣴴、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%B7)、字源は、「わたつうみ」で触れたように、 会意兼形声。「水+音符毎」で、暗い色のうみのこと。北方の中国人の知っていたのは、玄海、渤海などの暗い色の海だった。音符の毎は、子音が変化し、海・晦・悔などにおいてはカイの音を表す、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(氵(水)+每)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「髪飾りを付けて結髪する婦人」の象形(黒い髪を結髪する様(さま)から「暗い」の意味)から、広く深く暗い「うみ」を意味する「海」という漢字が成り立ちました、 とある(https://okjiten.jp/kanji79.html)が、他は、 形声。「水」+音符「每 /*MƏ/」。「うみ」を意味する漢語{海 /*hməəʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%B7)、 形声。水と、音符每(バイ)→(カイ)とから成る。くろぐろと深い「うみ」の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は每(毎)(まい)。每に晦・悔悔(かい)の声がある。〔説文〕十一上に「天池なり。以て百川を納るる者なり」とあり、天池とは大海をいう(字通)、 も、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 直(ただに)逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向(むか)ふ我(あ)が恋やまめ(中臣郎女) の、 命に向ふ、 は、 命を的にする、 命がけの、 の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 たまきはる、 は、 魂極る、 玉極る、 霊極る、 魂剋る、 玉きはる、 魂きはる、 などと当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)、この、 タマは魂、キハルは刻む、または極まる意(岩波古語辞典)、 魂来經(タマキフ)るの転と云ふ、魂極るの義にて、生るるより死ぬるまでの内(大言海)、 等々とあり、 たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ心は長くとぞ思ふ(大伴家持)、 たまきはるうちの限りは平(たひ)らけく安くもあらむを事もなく喪(も)なくもあらむを世の中の(山上憶良)、 たまきはる幾代經(へ)にけむ立ちて居て見れども異(あや)し峰高み谷を深みと(大伴家持)、 たまきはる内の朝臣(あそ)が波邏濃知(ハラヌチ)はいさごあれや(日本書紀)、 たまきはる我が山の上(うへ)に立つ霞立つとも居(う)とも君がまにまに(万葉集)、 等々と、 「枕」、「命」、「よ(世)」、「うち(うつつ 現)」、「昔」・「幾代」、地名「内」、 などにかかり、さらに、 イノチと同音をもつ「磯宮」 にもかかる枕詞とされ、また、 タマは玉で、玉の輪を刻む、 意で、 「我(わ)」、 にかかるとされ(岩波古語辞典)、 たまきはる、 は、 「魂きはまる」で生まれてから死ぬまでの意、 とするが、諸説があり、 語義・かかり方未詳、 とされる(精選版日本国語大辞典)。 「内」にかかる例は、 多麻岐波流(タマキハル)内の朝臣(あそ)汝(な)こそは世の長人(ながひと)そらみつ大和の国に雁卵(こ)産(む)と聞くや(古事記)、 たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて朝蹈(ふ)ますらむその草深野(くさふかの)(万葉集)、 の、前者は枕詞としない(精選版日本国語大辞典)ともされるが、後者は、玉作りの本拠地である「宇智」へかかる。 「命(いのち)」にかかる例は、 かくのみし恋ひし渡れば霊剋(たまきはる)命も吾は惜しけくもなし(万葉集)、 「磯(いそ)」「幾世(いくよ)」にかかる例は、 冬夏と別(わ)くこともなく白たへに雪は降り置きていにしへゆあり來(き)にければこごしかも岩の神(かむ)さび多末伎波流(タマキハル)幾代経にけむ(万葉集)、 「世(よ)」「憂(う)き世」にかかる例は、 玉切(たまきはる)世までと定め頼みたる君によりては言(こと)のしげけく(万葉集)、 「我が」「立ち帰る」「心」などにかかる例は、 霊寸春(たまきはる)吾が山の上に立つ霞立つとも坐(う)とも君がまにまに(万葉集)、 恋しとも言はでぞ思ふたまきはる立ち帰るべき昔ならねば(新勅撰和歌集)、 とある(精選版日本国語大辞典)が、 たまきはる、 を、 魂(たま)極る(命)、 と解したところから、 本の身ながら玉きはる、魂は善所におもむけども、魄は修羅道に残って(車屋本謡曲「朝長(1432頃)」)、 と、 魂がきわまる、 命が終わる、 意と解した(仝上)が、この意識は、「万葉」にも、原文に、 霊剋、 玉切、 等々と当てるところに、すでにうかがわれる(仝上)とある。 「魂」(漢音コン、無呉音ゴン)の異体字は、「和魂(にきたま)」で触れたように、 䰟、䲰、𠇌、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82)。字源は、「たま(魂・魄)」で触れたように、 会意兼形声。「鬼+音符云(雲。もやもや)」、 とあり(漢字源)、雲と同系で、「もやもやとこもる」意を含む、渾(コン もやもやとまとまる)と、非常に縁が近い(仝上)ともある。「たましい」、「人の生命のもととなる、もやもやとして、決まった形のないもの、死ぬと、肉体から離れて天にのぼる、と考えられていた」の意とある(仝上)。 とある(漢字源)。なお、 「魂」は陽、「魄」は陰で、「魂」は精神の働き、「魄」は肉体的生命を司る活力人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが、なおしばらくは魄は地上に残ると考えられていた、 ともある(仝上)。同じく、 会意兼形声文字です(云+鬼)。「雲が立ち上る」象形(「(雲が)めぐる」の意味)と「グロテスクな頭部を持つ人」の象形(「死者のたましい」の意味)から、休まずにめぐる「たましい」を意味する「魂」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1545.html)、 ともあるが、他は、 形声。「鬼」+音符「云 /*WƏN/」。「たましい」を意味する漢語{魂 /*wəən/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82)、 形声。鬼と、音符云(ウン)→(コン)とから成る。「たましい」の意を表す(角川新字源)、 と、形声文字とする説、 会意。云(うん)+鬼(き)。云は雲の初文で、雲気の象。人の魂は雲気となって浮遊すると考えられた。〔説文〕九上に「陽气なり」とあるのは、次条の魄字条に「陰~なり」とあるのに対するもので、白とは生色のない頭顱(とうろ)(されこうべ)の形。〔荘子、馬蹄〕に~(神)・魂・云・根を韻しており、云・魂は畳韻の語であった(字通)、 と、会意文字とする説がある。 「極」(漢音キョク、呉音ゴク)は、 会意兼形声。亟(キョク)の原字は、二線の間に人を描き、人の頭上から足先までを張り伸ばしたことを示す会意文字で、極は「木+音符亟」で、端から端まで引っ張ったしん柱、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です(木+亟)。「大地を覆う木」の象形と「上下の枠の象形と口の象形と人の象形と手の象形」(口や手を使って「問いつめる」の意味)から屋根の最も高い所・二つの屋根面が接合する部分「棟(むね)」、「きわみ」を意味する「極」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji575.html)、 ともあるが、他は、 形声。「木」+音符「亟 /*KƏK/」。「棟木」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}を表す字。のち仮借して「きわみ」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%B5)、 形声。木と、音符亟(キヨク)とから成る。棟木(むなぎ)の意を表す。棟木が最も高いところにあることから、ひいて「きわめる」意に、また、最高・最上の意に用いる(角川新字源) 形声。声符は亟(きよく)。亟は二(上下)の間に人を幽閉し、前に呪詛の祝詞を収めた器((ᗨさい))をおき、後ろからは手を加えて、これを殛死させる意の字。極とはその場所をいう。〔説文〕六上に「棟なり」とあり、棟字条にも「極なり」と互訓するが、棟梁は後起の義。罪人を窮極することから、いたる、きわめての意となる。棘と声が通じ、すみやかの意となる(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) けだしくも人の中言(なかごと)聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ(大伴家持) の、 けだしくも、 は、 ひょっとしたら、 と訳し、 中言、 は、 中傷、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 中言(なかごと)、 についてはで触れた。 けだしくも、 は、 蓋しくも、 と当て、 副詞「けだしく」+係助詞「も」から(デジタル大辞泉)、 (「けだしく」の)「く」は副詞語尾。多く「も」を伴って用いる(精選版日本国語大辞典)、 モは疑問の意の強い係助詞(岩波古語辞典)、 とあり、 あとに推量または疑問の意味を表す語、 を伴って、 推量の意を表す語、 として、 なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野(あきの)の萩や繁(しげ)くちるらむ(万葉集)、 と、 おそらく、 ひょっとしたら、 の意や(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、 そこ故に慰めかねてけだしくも逢ふやと思ひて玉垂(たまだれ)の越智の大野の朝露に(万葉集)、 と、 疑いの強い推量の意を表す語、 として、 ひょっとすると、 の意や、 よひよひにわが立ち待つにけだしくも君来まさずは苦しかるべし(万葉集)、 と、 あとに仮定の意味を表す語を伴って、 万一を仮定する語、 として、 もしや、 の意で使う(仝上)。 けだしくも、 の、 「けだしく」+係助詞「も」、 の、 けだしく、 は、 蓋しく、 と当て、 クは副詞語尾(岩波古語辞典)、 「く」は副詞語尾。多く「も」を伴って用いる(精選版日本国語大辞典)、 とあり、 あとに推量の意味を表す語を伴って、 判断を下す時の、多分に確信的な推定の気持を表わす語、 として、 吾妹子が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きて盖(けだしく)実にならじかも(万葉集)、 と、 おそらく、 多分、 おそらく、 思うに、 の意で、 けだし、 と同じ意味で使い、さらに、 あり得る事態を想定する時の、肯定的な仮定の気持を表わす語、 として、 古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)盖(けだし)や鳴きし吾が思へる如(ごと)(万葉集)、 ひょっとすると、 もしかすると、 の意で、 けだし、 と似た使い方になる。なお、 けだし、 については触れた。 「蓋」(@慣用ガイ・漢音呉音カイ、A漢音コウ、呉音ゴウ)の異字体は、 乢、廅、盖(簡体字/俗字)、篕、葐、葢(同字)、𢅤、𤇁、𤇙、、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B)。「覆蓋(フクガイ)」、「遮蓋(シャガイ)」のように、「覆う」意、また「天蓋」のように「ふた」「かさ」の意の場合は、@の音、草ぶきの屋根の意や、なんぞ……せざるという用法の場合はAの音となる(漢字源)。字源は、 会意兼形声。盍(コウ)は「去+皿(さら)の会意文字で、皿にふたをかぶせたさま。かぶせること。蓋は「艸+音符盍」で、むしろや草ぶきの屋根をかぶせること、 とある(漢字源)。同じく、 会意形声。艸と、盍(カフ)→(カイ)(ふたをする)とから成る。草のふた、ひいて「おおう」意を表す。「盍」の後にできた字。借りて、助字に用いる(角川新字源)、 会意兼形声文字です(艸+盍)。「並び生えた草」の象形と「覆いの象形と食物を盛る皿の象形」(「覆う」の意味)から、「草を編んで作った覆い」、「覆う」、「かぶせる」、「ふた」、「覆い」を意味する「蓋」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2099.html)、 ともあるが、 形声。「艸」+音符「盍 /*KAP/」。「ふた」を意味する漢語{蓋 /*kaaps/}を表す字。もと「盍」が{蓋}を表す字であったが、「艸」を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B)、 形声。声符は盍(こう)。盍は器物に蓋をする形。その声義を承ける。〔説文〕一下に「(とま)なり」とあり、ちがやの類。屋根を蓋うのに用いる(字通)、 と、他は形声文字足としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 春日野に朝居(ゐ)る雲のしくしくに我(あ)れは恋ひ増す月に日に異(け)に(大伴像(かた)見) 春雨のしくしく降るに高円(たかまど)の山の桜はいかにかあるらむ(河辺東人) の、 しくしく、 は、 しきりに、 の意で、 上二句は序、しくしくを起こす、 とあり、 月に日に異(け)に、 は、 月日が経つにつれてだんだんと、 と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 日に異(け)に、 日(け)、 で触れたことだが、 ひにけに(日異)、 の、 け、 は、 異、 の意で、 ke、 の音、 け(日)、 は、 kë、 の音と(岩波古語辞典)、上代、 「け(異)」は甲類音、 「け(日)」は乙類音、 と別であり、 日に日に、 とは別語である(精選版日本国語大辞典)。 月に日に異に(つきにひにけに)、 は、 月がたち日がたつにつれて、 月ごと日ごとに、 毎月毎日、 の意で、 春日野に朝ゐる雲のしくしくに吾は恋ひまさる月に日に異に(つきニひニけニ)(万葉集)、 では、 月日が経つにつれてだんだんと、 と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 恋にもぞ人は死にする水無瀬川下(した)ゆ我れ瘦(や)す月に日に異に(万葉集) では、 (私は痩せ細るばかりです)月ごと日ごとに、 と訳す(仝上)さらに、 辺(へ)つ波のいやしくしくに月に異に(つきニけニ)日に日に見とも(万葉集)、 と、 月に異に(つきにけに)、 という言い方も、 月ごとに、 月がたつにつれて、 の意で、 月ごと、 と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 日に異に(ひにけに)、 は、 吾が命の全けむかぎり忘れめやいや日異(ひにけに)は思ひ益すとも(万葉集)、 は、 日ましに、 日がたつにつれて、 一日一日と、 また、 毎日毎日、 連日、 の意となる(精選版日本国語大辞典)。 日異、 を、 ひのけに、 と訓ませる場合も、 もむ楡を五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ天照るや日乃異爾(ひノけニ)干しさひづるや(万葉集)、 ひにけに(日異)、 と同義であり、 白栲に衣(ころも)取り着て常なりし笑ひ振舞ひいや日異けに変はらふ見れば悲しきろかも(万葉集)、 と、 弥日異に(いやひにけに) では、 日を追っていよいよ、 日増しに、 日一日と、 の意で使う(デジタル大辞泉・伊藤博訳注『新版万葉集』)。 しくしく、 は、 頻頻、 と当て、 動詞「しく(頻)」を重ねたものから、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 物事があとからあとから重なり起こるさま、 をいい、 奈呉(なご)の海の沖つ白波志苦思苦(シクシク)に思ほえむかも立ち別れなば(万葉集)、 と、「に」「も」「と」を伴って用いることもあり、 何度も繰り返し行なわれるさまを表わす語、 として、 あとからあとから、 しきりに、 たえまなく、 の意で、後に、 アメガ shikujiku(シクジク)フル(改正増補「和英語林集成(1886)」)、 と、 しくじく、 とも使い、さらに、 遊びにいて酒など呑を推じゃ心得違へたる人有、しくしく気を付てわきまへたまへ(洒落本「間似合早粋(1769)」) と、 十分に行き届くさまを表わす語、 として、 よくよく、 とっくりと、 の意や、 腰元はしくしくをどり(浮世草子「御前義経記(1700)」)、 と、 嬉しさにこらえきれないで、しきりに心のふるえるさまを表わす語、 としても使う(精選版日本国語大辞典)。この場合、 じくじく(ぢくぢく)躍り上がりて面白がるは尤も至極(仮名草子・都風俗鑑(1681))、 と、濁音で、 嬉しさに小躍りするさま、 の意でも使う(岩波古語辞典)。この、 しくしく(頻々)、 は、 及く及く、 とも当て、 奥山のしきみが花のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ(万葉集)、 と、 次から次へとしきりに、 と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 波の押し寄せて來るように、あとからあとから絶えないで、 の意で使う(岩波古語辞典)。この、 及く及く、 は、 山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ(万葉集)、 では、 重々、 と当て、 おいおいに、 引きも切らず、 の意で使う(大言海)。この、 頻々、 は、だから、 シクシク(及々)の義(大言海)、 シはシメ領(おさ)める義、クは付止る義(国語本義)、 などとあるように、 物事があとからあとから重なり起こるさま、 をいった和語、 しくしく、 に、意味の重なる、 及々 重々、 頻々、 と当てたということなのだろうが、 頻く波の(しくなみの)、 の、 しく、 が、 動詞「しく(頻)」の連体形、 で、 住江の岸の浦みに布浪之(しくなみの)しくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、 と、 あとからあとからと押し寄せる波のように、 の意で、 序詞の一部として「しきりに」の意の「しくしく」にかかる、 とされる(精選版日本国語大辞典)ので、この、 し(頻)く、 を重ねた語と見ていいのではないか。で、 頻々、 を、 しきしき(頻頻)、 と訓ませ、 しくしく、 と同じ意の、 春雨のしきしき降るに高円の山の桜はいかが有らむ(歌仙本家持集)、 と、 しきりであるさま、しばしばであるさまを表わす語、 としても使う(仝上)。 し(頻)く、 は、 茂く、 とも当て(岩波古語辞典)、 しく(及・敷)と同根、 とあり、 し(及)く、 は、 追って行って、先行するものに追いつく、 意、 しく(敷)、 は、 一面に物や力を押し広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす、 意とある(仝上)。 し(頻)く、 は、自動詞カ行四段活用で、 動作がしばしば繰り返される、 たび重なる、 しきりに……する、 意で、 英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ち之伎(シキ)寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも(万葉集)、 と、 ひっきりなしに……する、 また、 一面に……する、 意で、多く補助動詞のように用いる(精選版日本国語大辞典)とあり、また、 住吉(すみのえ)の岸の浦回(うらみ)に布(しく)浪(なみ)のしくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、 と、 波があとからあとから寄せる、 意や、 やすみしし吾が大君高照らす日の皇子茂(しき)座(いま)す大殿の上(うへ)に(万葉集)、 と、 草木が繁茂する、 また、 開花する、 意でも使う(仝上)。 この、 しく、 を重ねた、 しくしく(頻々)、 は、当然、 物事があとからあとから重なり起こるさま、 の意の延長で、 しくしくと泣く、 の、 しくしく、 と重なり、 「しくしく(頻頻)」と同語源か(精選版日本国語大辞典)、 シクシク(頻々)の義(日本語源=賀茂百樹)、 シクはシキル(急)の義(秋長夜話)、 と諸説あるが、 たえまなく、 の意で、さまざまな泣き方に使われる。 たえがたくかなしくて、しくしくとなくよりほかの事ぞなき(建礼門院右京大夫集)、 と、 勢いなくあわれげに泣くさまを表わす語、 や、 きゃつが相撲はふしぎなすまふじゃ。……何とやら身うちがしくしくとすると思ふたれば、目がくるくるとまふた(狂言「蚊相撲(室町末〜近世初)」)、 と、 たえずさしこむように、にぶく痛むさまを表わす語、 としても使い、果ては、 御互も、かうやって三十年近くも、しくしくして…(「虞美人草(1907)」)、 と、 決断できないで、態度、気持などがはっきりしないさまを表わす語、 である、 ぐずぐず、 じくじく、 に繋がっていく(仝上)。擬態語としては、 物事があとからあとから重なり起こるさま、 は、 一つの状態がつながっている、 のと重なっていくのである。 「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)の異体字は、 频(簡体字)、𩕘(古体)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB)、 瀕の略体、 とある(仝上)。字源は、 会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、みずぎわぎりぎりに迫ること、 とある(漢字源)。他も、 「瀕」の略体。のち仮借して「しきりに」を意味する漢語{頻 /*bin/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB)、 会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、 会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました。「頻」は「頻」の旧字(以前に使われていた字)です(https://okjiten.jp/kanji1877.html)、 と、会意文字としている。 「瀕」(ヒン)は、 会意兼形声。歩は、右足と左足であるくことをあらわす会意文字。頻は「歩+水+頁(かお)」の会意文字で、歩いて水際すれすれまで行くことを示す。頁印を加えて、顔のしわをすれすれにくっつけてしかめること(頻蹙(ひんしゅく)の頻)をも示す。瀕は「水+音符頻(ヒン)」で、水際すれすれに接すること、 とある(漢字源)。同じく、 会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、 会意文字です(渉+頁)。「流れる水」の象形と「左右の足跡」の象形と「人の頭部を強調した」象形から川を渡る時の波のように顔にしわをよせる⇒「しわのように波のよる、みぎわ」を意味する「瀕」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2568.html)、 会意。步(歩)+頁(けつ)。〔説文〕十一下に瀕を正字とし、「水香iすいがい)なり。人の賓附(ひんぷ)する(近づく)所なり。顰戚(ひんしゆく)して前(すす)まずして止まる。頁に從ひ、涉(せふ)に從ふ」(段注本)とするが、その説くところは、形義ともに明らかでない。金文に「順子」の順を涉(渉)に従って瀕の字形にしるすことがあり、おそらく水辺における弔葬の礼に関する字であろう。〔玉篇〕に別に頻字を録し「詩に云ふ、國歩斯(ここ)に頻(あやふ)し。頻は急なり」とし、次に〔説文〕の文を引く。〔広雅、釈詁三〕に「比なり」と訓するのは「しきりに」の意。〔説文〕に「顰戚」の語を以て解するのは、あるいは瀕がもと弔葬に関する字であったことと、関連があることかもしれない。頁は儀礼の際の儀容。水に臨んでその儀容を用いるのは弔葬のことであるらしく、孝順の順が金文に瀕の形にしるされるのも、そのためであろうと思われる。渉は水渉り。聖俗のことに関する民俗として、古く行われることが多かった(字通)、 と、会意文字としているが、これは中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に拠っている。『説文解字』では、 「頁」+「涉」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「涉」とは関係がない、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%80%95)、 原字は「水」+「步」から構成される会意文字で、水際を歩くさまを象る。西周時代に「頁」を加えて「瀕」の字体となる。「水辺」を意味する漢語{瀕 /*pin/}を表す字、 としている(仝上)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つく)さく思へば(大伴家持) の、 うはへなき、 は、 かわいげのない、 と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 うはへなし(うわえなし)、 は、 無情、 とも当て(大言海)、 上重(ウハヘ)なしにて、露骨(ムキダシ)なる意にもあるか、 とあり(仝上)、 愛想がない、 すげない、 意で(仝上・広辞苑)、 上辺無し、 と当てる(精選版日本国語大辞典)ともあり、 表面をかざらない、 苛酷だ、 の意もあり(仝上)、 宇波弊無(ウハヘなき)ものかも人はしかばかり遠き家路を帰(かへ)さく思へば(万葉集)、 では、 上っ面の愛想の意か、 ともあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 不愛想、 と訳す(仝上)。語源については、通常、 表辺無し、 と説かれ、 ただうはべばかりの情けに、手走り書き、をりふしの答へ心得て、うちしなどばかりは、随分によろしきも多かりと見たまふれど(源氏物語)、 では、 「うはべ」が「ない」の意と思われる、 とあり(精選版日本国語大辞典)、 表面の情愛、 と訳される。 うはべ(うわべ)、 は、 上辺、 と当て、 白き紙のうはべはおいらかにすくすくしきに(源氏物語)、 と、 物の表面、 外面、 おもて、 の意で、 うしろやすくのどけき所だに強くは、うはべの情けは、おのづからもてつけつべきわざをや(源氏物語)、 と、 内実とは違った見かけ上の様子や事情、 の意で使い、 うわつら、 うわっぺら、 うわべら、 等々と訛る(精選版日本国語大辞典)。どうやら、 うはへなし、 の含意には、 御愛想、 は、 表面上のもの、 という含みがあり、 それさえない、 という意味で、冒頭の、 かわいげがない、 という意訳になったものと思われる。 上辺、 は、 かみべ、 古くは、 かみへ、 とよますと、 下辺(しもべ)、 の対で、 かみの方、 川の上流、 の意になる(仝上)。 じょうへん、 とよますと、 上のあたり、 の意となり、 囲碁の盤面の大まかな区分の一つ、 で、 棋譜に向かって上になる辺、 をさす(仝上)。なお、 うへ、 については触れた。 「上」(漢音ショウ、呉音ジョウ)の異体字は、 丄(篆書体)、𠄞、𨑗(古字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8A)。字源は、 指事(点画の組み合わせなどによって、位置・数量などの抽象的な意味を直接に表しているもの)。ものが下敷きの上にのっていることを示す。うえ、うえにのる意を示す。下の字の反対の形、 とあり(漢字源)、他も、 指事(「何かを指し示す」という意味。抽象的なものを点や線で示して、それを文字化したもの)、物が下敷きに載っている様を表す(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8A)、 指事。「下」の字とは逆に、高さの基準の横線の上に短い一線(のちに縦線となり、縦線と点とを合わせた形となる)を書いて、ものの上方、また「あげる」意を表す(角川新字源)、 指事。掌上に指示点を加えて、掌上の意を示す。〔説文〕一上に古文の字形をあげ、「高なり。此れ古文の上、指事なり」という。卜文の字形は掌を上に向け、上に点を加え、下は掌を以て覆い覈(かく)す形で、下に点を加える。天子の意に用いるときは、清音でよむ(字通) 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) |
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