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コトバ辞典


こす


吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも(弓削皇子)

の、

こせ、

は、

… してくれの意の補助動詞コスの未然形、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。初出は、

うれたくも鳴くなる鳥かこの鳥も打ち止め許世(コセ)ね(古事記)、

とあり、

こす、

は、動詞の連用形に付いて、

相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、

を表わし(精選版日本国語大辞典)、

……してくれ、
……してほしい、

という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(仝上・広辞苑)。活用は、

未然形「こせ」・終止形「こす」・命令形「こせ」、

だけとされる(広辞苑)が、

助動詞下二段型、こせ/○/こす/○/○/こせ・こそ、

の活用で、相手に望む願望の終助詞「こそ」を、

「こす」の命令形、

とする説があり((学研全訳古語辞典))、また、

命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法、

とする説もある(精選版日本国語大辞典)。

また活用についても、下二段型とする説の他、

サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞、

とする説がある(精選版日本国語大辞典)。未然形「こせ」についても、

「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、終止形「こす」は、「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられる。命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、これを独立させて終助詞とする説もある(仝上)、

と、平安時代以降、

命令形に「こせ」、

の形が見られるようになる(仝上)とある。

冒頭の歌の、

吉野川逝く瀬の早みしましくも淀むことなく有り巨勢濃香問(コセヌかモ)、

の、

こせぬかも、

は、

助動詞「こす」の未然形「こせ」に打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」、詠嘆の助詞「かも」の付いたもの、

で、相手の動作・状態に対する希望を詠嘆的に表わし、

…であってくれないかなあ、

の意で、

我が背子(せこ)は千年五百年(ちとせいほとせ)ありこせぬかも(万葉集)、

と、

ありこせぬかも、

の形で用いることが多い(精選版日本国語大辞典)。この、

ぬかも、

は、

ぬかも

で触れたように、

ぬ-かも、
と、
ぬか−も、

があり、この歌は、

ぬか-も、

の可能性があることについては触れた。

こす、

は、その由来について、

呉れる、寄こす意のオコスのオが直前の母音と融合して脱落した形、希求の助詞コソと同根も他の動詞の連用形と連なった形で現れる。接尾語とする説もある(岩波古語辞典)、
オコス(送來)と同意、オコスは、此語に、オの添はりたるものなるべし、オの略せらるるは、おこおこし、おここし (厳)。思ふ、もふなどあり(大言海)、
「おこ(遣)す」の音変化、カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いたとみるなど、諸説がある(デジタル大辞泉)、
語源に関しては、( イ )寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、( ロ )カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、( ハ )「く(来)」の他動詞形、などの説がある。また、命令形「こそ」を、係助詞「こそ」の一用法とする説もある(精選版日本国語大辞典)、

などとある。因みに、

おこす、

は、

遣す、
致す、

と当て、

せ/せ/す/する/すれ/せよ、

の、他動詞サ行下二段活用で、

白玉の五百箇集(いほつつどひ)を手に結びおこせむ海人(あま)はむがしくもあるか(万葉集)、

と、

よこす、
届けてくる、

意だが、

空合はせ(=夢判断)にあらず、いひおこせたる僧の疑はしきなり(かげろふ日記)、
月の出(い)でたらむ夜は、見おこせ給(たま)へ(竹取物語)、

と、動詞の連用形に付いて、

せ/せ/す/する/すれ/せよ、

の、補助動詞サ行下二段活用で、

その動作が自分の方へ及ぶことを表す、

とし、

こちらへ…する、
…してくる、
こちらを…する、

意で使う(デジタル大辞泉、学研全訳古語辞典)とあり、これが、

こす、

へ転じたと見るのが、一番納得できる。なお、

後に、

こぜる、

ともいい、

こせる、

となる、

こす、

は、

いかにも連歌はこせずして長(たけ)高く幽玄を先とすべきものなり(古今連談集)、

と、

細かいことにこだわってゆとりを欠く、
こせこせする、

意で別語である。

「遣」(ケン)の異体字、

𠳋(古字)

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%A3より)。字源は、

会意兼形声。𠳋は「積み重ねた物+両手」からなり、両手で物の一部をさいて、人にやることを示す。遣は、それを音符として、辶(足の動作)を加えた字で、人や物の一部をさいて、おくりやること、

とあり(漢字源)、同じく、

会意兼形声文字です。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「両手で束ねた肉を手にする」象形(「肉を保存食として軍隊が遠征につく」の意味)から、「つかわす(行かせる)」を意味する「遣」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1140.html

も、会意兼形声文字とするが、他は、

形声。辵と、音符𠳋(ケン)とから成る。ときはなす、釈放する意を表す。ひいて「つかわす」意に用いる(角川新字源)、

形声。声符は𠳋 (けん)。𠳋は𠂤(し)(脤肉)を両手で奉ずる形。軍行のとき、軍社や廟に祭った脤肉を奉じて行動したが、𠂤はその祭肉である脤肉の象形で、師旅の師の初文。これを携行し、その所在に榜示する字は𠂤+朿(し)で駐屯地、これを建物の中におくときは官。軍を分遣するときは、その脤肉を頒かってこれを奉じた。ゆえに分遣の意となり、遣贈の意となる(字通)、

と、形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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すべをなみ


今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも(笠金村)

の、

すべをなみ、

は、

やるせないので、

と、注釈があり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ、

は、

楽しい今夜がまたたく間に明けてしまってはやるせないので、

と訳される(仝上)。

すべをなみ、

は、

術を無み、

と当て、冒頭の、

今夜の早く明けなば為便乎無三(すベヲなみ)秋の百夜を願ひつるかも(万葉集)、
道行く人も一人だに似てし行かねばすべをなみ妹が名喚(よ)び袖そ振りつる(仝上)、

などと、

どうにもしようがないので、
しかたがなくて、
しかたのなさに、

の意で(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)、上記注釈は、その意を汲んだ意訳になる。

なみ、

は、

形容詞「なし」の語幹に接尾語「み」のついたもの、

で、

なさに、
ないままに、
ないゆえに、

の意である(広辞苑)。「なみする」で触れたことだが、「なみ」は、

無み、

と当て、

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる(万葉集)、

と、

……ないので、
……ないままに、
……ないために、

といった意味で使う(明解古語辞典)。

なみする、
なみす、

は、

無みすの義、

とある(大言海)。つまり、

無いものと見做す、

というのが原義のようである。(多少価値表現が含まれるが)ただの状態表現が、

ないがしろにする、
軽んずる、

と意味の外延を広げ、価値表現の勝った使い方になっていったとみられる。

み、

は、

形容詞なしの語幹「な」に接尾語ミのついたもの、

とある(広辞苑・明解古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

接尾語「み」、

は、一つには、

春の野の繁み飛び潜(く)くうぐいすの声だに聞かず(万葉集)、

というように、

形容詞の語幹について体言を作る、

とあり、ふたつには、

黒み、白み、青み、赤み(ロドリゲス大文典)、

と、

色合いを表し、三つには、

甘み、苦み(仝上)、

と、味わいを表すとある(岩波古語辞典)が、どうも、「なみ」は当てはまらない。その他に、

采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(万葉集)、

と、

形容詞及び形容動詞型活用の助動詞の語幹につき、多くは上に間投助詞「を」を伴って、

のゆえに、
によって、
なので、

と、

原因・理由を表す(広辞苑・明解古語辞典)、

という接尾語があり、冒頭の、

今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも、

にも、これが該当し、

やるせないので、

という意訳になる。

術をな+み、

の、

術無し、

は、

しもと取る里長(さとをさ)が声は寝屋処(ねやど)まで来立ち呼ばひぬかくばかりすべなきものか世の中の道(貧窮(びんぐう)問答)、

と、

どうしてよいかわからず困りはてるさま、
ほどこす方法がなくせつない、
どうしようもない、

の意で使う。因みに、

術無し、

を、

ずちなし、

とも訓ませるが、これは、たぶん、

じゅつなし、

の転化だと思うが、これがさらに転訛して、

ずつなし、

ともなるが、

いずれも、

すべなし、

と同じで、

あまり責めしかば、喉腫れて、湯水通ひしも術無(ズチナ)かりしかど(梁塵秘抄口伝集)、
いもうとのありどころ申せ、いもうとのありどころ申せとせめらるるに、ずちなし(枕草子)、
ああずつない苦しいと悶えわななきそぞろ言(浄瑠璃「油地獄」)、

などと、

工夫したり対処したりする方法がなく、困りきってしまう、
どうしたらよいかわからなくて困る状態である、
なすすべを知らず苦しい、
どうにもやりきれない、
せつない、
つらい、

などといった意味になる。この、

ずつなし、

は、近世になると、

ずつない、

という形で上方語として用いられ、現在でも関西を中心に広い地域で使用がみられる(精選版日本国語大辞典)。ただ、

すべなし、

の、

「すべ」に「術」をあてたものが音読されて生じた、

と上述したが、

術に「すべ」の古訓はない、

とあり(仝上)、冒頭の歌の原文、

今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨

の、

為便乎無三(すべをなみ)、

の、

為便(すべ)、

に、どこかの時点で、

術、

を当てたところから、生じた派生語ということになる。

術、

と当てられた、

すべ、

は、

言はむ須部(スベ)もなく為(せ)む須倍(スベ)もしらに(続日本紀)、
言はむすべ為(せ)むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし(萬葉集)、

などとあり、後者だと、原文は、

将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之

とあり、

すべ、

は、

スベ(可為・為方)の義か(言元梯・大言海)、
スル(為)へ(方)の約、打消しの語を伴うことが多い(岩波古語辞典)、

と、

なすべき手だて、
そうすればよいというしかた、
手段、
方法、

で、多く打消を伴って用いられる(精選版日本国語大辞典)とあり、類聚名義抄(11〜12世紀)には、

将為、セムスベ、将之為、セムスベ、

とあり、

術、

を当てたのは、後世のことと思われる。なお、

術、

は、

ジュツ、

以外に、

ばけ、

とも訓ませ、

百姓(おほみたから)を寛(ゆたか)にするばけあらば(天武紀)、

とある。つまりは、後世に、

てだて、
すべ、
みち、
方法、

の意の用法に、

術、

を当てたが、和語としてもともとあった、

すべ、
や、
ばけ、

に、

術、

を当てた、ということなのだろう。

「術」(漢音シュツ、呉音ジュツ・ズチ)は、

会意兼形声。朮(ジュツ)は、秫(ジュツ)の原字で、茎にねばりつくもちあわを描いた象形文字。術は行(みち、やり方)+音符朮」で、長年の間、人がひとがくっついて離れない通路をあらわす。転じて、昔からそれにくっついて離れないやり方、つまり伝統的な方法のこと、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(行+朮)。「十字路」の象形(「道を行く」の意味)と「整然と実の並ぶもちきび(とうもろこし)」の象形から、整然とある行為を継続させていく為の、「みち」、「てだて」を意味する「術」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji780.html

と、会意兼形声文字とするが、

形声。「行」+音符「朮 /*LUT/」。「みち」を意味する漢語{術 /*lut/}を表す字。のち仮借して「わざ」を意味する漢語{術 /*lut/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%93

形声。行と、音符朮(シユツ)とから成る。集落のなかの小路の意を表す。借りて、すべの意に用いる(角川新字源)、

と、形声文字とするもの、

会意。行+朮(じゆつ)。朮は呪霊をもつ獣の形。この獣を用いて、道路で呪儀を行い、軍の進退などを決した。それで述󠄁・遂には、その決定に従い、ことを遂行する意がある。〔説文〕二下に「邑中の道なり」と道路の意とし、〔段注〕に「引伸して技術と爲す」とするが、本来は路上でその行為を決する呪儀であるから、呪術・法術の意をもつ字である。道は首に従い、異族の首を携えて祓う意。みな道路で行う呪儀に関する字である(字通)、

と会意文字とするものに分かれる。

「無(无)」(漢音ブ、呉音ム)は、「なみする」で触れたが、異体字は、

㷻、幠、无(簡体字)、、𠘩(古字)、𡙻、𣑨、𣚨、𣞣、𣞤、𣟒、𣠮、𤀢、𤍍、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1、字源は、

形声。原字は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、のちの舞(ブ・ム)の原字。無は「亡(ない)+音符舞の略体」。古典では无の字で、無をあらわすことが多く、今の中国の簡体字でも无を用いる、

とある(漢字源)。また、

日本語の「なし」は形容詞であるが、漢語では「無」は動詞である、

ともある(仝上)。しかし、他は、

象形。人が飾りを持って舞う様を象る。「まう」を意味する漢語{舞 /*m(r)aʔ/}を表す字。のち仮借して「ない」を意味する漢語{無 /*ma/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%84%A1

象形。両手を広げてまう人の形にかたどる。もと、舞(ブ)に同じ。借りて「ない」意に用いる。のち、舞とは字形が分化し、さらに省略されて無の字形となった(角川新字源)、

象形文字です。もと、「舞」という漢字と同形で、「人の舞う姿」の象形から「まい」を意味していましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ない」を意味する「無」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji730.html

と、象形文字とするもの、

仮借)文字。もと象形。人の舞う形で、舞の初文。卜文に無を舞雩(ぶう)(雨乞いの祭)の字に用い、ときに雨に従う形に作る。有無の無の意に用いるのは仮借。のちもっぱらその仮借義に用いる。〔説文〕六上に「豐かなり」と訓し、字を林に従う字とする。〔説文〕が林とするその部分は、舞袖の飾りとして加えたもので、金文にみえるその字形を、誤り伝えたものである。また、「豐かなり」の訓も、〔爾雅、釈詁〕「蕪(ぶ)は豐かなり」とみえる蕪字の訓である。〔説文〕にまた「或いは説(い)ふ、規模の字なり。大册に從ふは、數の積なり。林なる者は、木の多きなり。册と庶と同意なり」とし、「商書に曰く、庶草繁無す」と、〔書、洪範〕の文を引く。今本に「蕃廡(ばんぶ)」に作る。〔説文〕は字を林に従うものとして林部に属し、そこから繁蕪の意を求めるが、林は袖の飾り、字は人が両袖をひろげて舞う形。のち両足を開く形である舛(せん)を加えて、舞となる。いま舞には舞を用い、無は有無の意に専用して区別する(字通)

と、仮借(意味とは関係なく、似た発音の文字を借りて表記する)文字とするものとがあるが、「無」の字源は、「舞」の字源からみると、理解しやすいようだ。

「舞」(漢音ブ、呉音ム)の異体字は、

儛、午、𣄳、𦏶、𦐀、𦨅、𮎁(俗字)、

とある(仝上)。字源は、

会意兼形声。舛(セン)は、左足と右足を開いたさま。無(ブ)は、人が両手に飾りを持って舞うさまで、舞の原字。舞は「舛+音符無」で、幸いを求める神楽のまいのこと、

とあり(漢字源)、同じく、

会意形声。もと、無(ブ)(たもとを広げてまう人のさまの象形。無の灬のない字は省略形)が「まう」意を表したが、のち「ない」意に借用されるようになったため、さらに舛(あし)を加えて無と区別し、もっぱら「まう」意に用いる(角川新字源)、

と、会意兼形声文字とするものもあるが、

象形。人が飾りを持って舞う様を象る。もと「無」の異体字で、足の形である羨符「舛」を伴う(人を象る文字によく見られる)形。「まう」を意味する漢語{舞 /*m(r)aʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%9E)

象形文字です。「人が装飾のあるそでをつけて舞う」象形から、「まう」、「おどる」、「飛びまわる」を意味する「舞」という漢字が成り立ちました。(篆文になり、「左右の足」の象形が追加されました。)https://okjiten.jp/kanji1155.html

と象形文字とするもの、

会意。無+舛(せん)。無は舞の初文。両袖に呪飾をつけて舞う形。無がのち有無の無に専用されるに及んで、舞うときの足の形である舛をそえて舞となった。〔説文〕五下に「樂しむなり。足を用(もつ)て相ひ背く」といい「舛に從ひ、無(ぶ)聲」とする。〔荘子、在宥〕や〔山海経〕〔孔子家語〕には儛の字を用いるが、舞楽をいう後起の字とみてよい。無はもと舞雩(ぶう)という雨乞いの儀礼で、卜辞には舞雩のことが多くみえる。また羽をかざして舞うこともあって、〔説文〕に録する重文の字は羽+亡に作る。金文に辵(ちやく)に従って辶+舞に作る字があり、舞雩は特定の地に赴いて行われた。強く勢いをはげますことを鼓舞という(字通)、

と、会意文字とするものに分かれる。

「無」と「舞」は、

舞、

は、

無、

の異体字で、

無、

は、

舞、

の原字という関係になる。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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か(釀)む

 

君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして(大宰帥大伴卿)

の、

かむ、

は、

醸造する、

意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

か(醸)む、

は、

醸す、

の古語(岩波古語辞典)で、

「噛む」と同語源。酒は、古く、生米をかんで唾液とともに吐き出し、発酵させて造ったところから(デジタル大辞泉)、
上代、生米を噛んで吐き出し、それを瓶にためて発酵させたところから(精選版日本国語大辞典)、
釀(か)むは「かもす」の古語、もと米などを噛んで作ったことから(岩波古語辞典)、

などから、

須須許理(すすこり)が迦美(カミ)し御酒(みき)に我酔ひにけり(古事記)、

と、

酒を造る、
醸造する、

意の、

かもす

ことで(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、

醸(さけか)む、

ともいい、

発酵させる、
酒にかもし作る、

意となる(精選版日本国語大辞典)。平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898〜901)に、

釀、酘(かもす)也、曾比須(そひす)、佐介加牟(さけかむ)、

平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

釀、造酒也、佐計可无、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

釀、カム、サケカム、サケツクル、カモス、
釀酒、ツクリサケ、

とある。

かもす

で触れたように、

カム(醸)は、口で噛むという古代醸造法、

である(日本語源広辞典)が、当然、

か(醸)む、

は、

か(噛)む、

に由来する。

カム(噛む)はカム(嚼)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた。〈すすこりがカミし神酒にわれ酔ひにけり〉(古事記)。(中略)酒を造りこむことをカミナス(噛み成す)といったのがカミナス(醸み成す)に転義した。カミナスは、ミナ[m(in)a]の縮約で、カマス・カモス(醸す)になった、

という転訛とする説がある(日本語の語源)。しかし、上述のような、

米を歯でかんで作るところから(塵袋)

以外に、

石臼で米をかみつぶして酒を造るところから(俚言集覧)、
かびさせて作るところから(雅言考・和訓栞)、
カアム(日編)の約。日数を定め量って造るという義(国語本義)、
カメ(甕)で蒸すところから(本朝辞源=宇田甘冥)、

等々の異説もある(日本語源大辞典)。

他方、酒・味噌・醤油などに加工するため、

米こめ・麦むぎ・大豆といった穀類を蒸したものに、コウジカビなどの発酵に有効な黴かびを中心にした微生物を繁殖させたもの、

である、



からみるとどうか。「こうじ」は、

麹、
糀、

と当てるが、前述の古事記を引いたように、

応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して、酒蔵法を伝えて、麹カビを繁殖させることを伝えた、

とされる(たべもの語源辞典)ので、この説には説得力がある。しかし、和名類聚抄(931〜38年)に、

麹、加无太知、

平安時代の漢和辞書『類聚名義抄』も、

麹、カムタチ、カムダチ、

とあるところから、『大言海』は、

かうぢ(麹・糀、)、

を、

カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂと約転したる語、

とし、『日本語源広辞典』も、麹の語源を、

カビ+タチ、

とし、

カビタチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ→コウジの変化、

とし、『たべもの語源辞典』も、

カムタチ(醸立)→カムチ→コウジ、

とし、『語源由来辞典』も、

カビダチ(黴立)→カムダチ→カウダチ→カウヂ、

の音変化が有力としつつ、しかし、

中世の古辞書では「カウジ」しか見られず、「ヂ」の仮名遣いが異なる点に疑問の声もある、

とするし、

類聚名義抄などに「麹」を「カビダチ」(黴立ち)と訓ずるのに拠り、この転訛(カビダチ>カウヂ>コージ)とする説もあるが、このような変化は不規則であることに加え、「ヂ」で終わる語形は実際には確認されていないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9

とあるが、

こうじ、

の語源は、

かびだち(黴立ち)→かむだち→かうだち→かうぢ(大言海・日本紀和歌略註・類聚名物考・箋注和名抄・名言通・音幻論=幸田露伴・日本語源広辞典)、

とするのが多数派である。ただ漢字側からみると、

麹子(きくし)が訛って「コウジ」となり、日本語化した、

との見方がある(漢字源)、上述の、

応神天皇のころ朝鮮から須須許理(すずこり)という者が渡来して、酒蔵法を伝えて、麹カビを繁殖させることを伝えた、

とする(たべもの語源辞典)ので、この説も説得力がある。ただ、

かもす(醸す)の連用形「かもし」が、ウ音便化により、カモシ>カウジ>コージと、転訛した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%B9・語源由来辞典)、
カムシの転(語簏)、
口の中で噛んでつくったものであるから、カムダチである。カムダチ(醸立)がカムチとよばれ、コウヂとなった(たべもの語源辞典)、

とする説も、一応の説得力がある。特に、たべもの語源辞典の説は、

カビダチ→カムダチ→カウダチ→カウヂ、

の転訛ではなく、

カムダチ(醸立)→カムチ→カウヂ、

と、「醸す」を出発点とする考え方になる。しかし、古代醸造法である、

か(醸)む、

は、

米を噛んで酒をつくったことからカム(醸む)の語が生まれた、

という(日本語の語源)ように、あくまで、

醸造の方法、

を指していて、これ自体は、「麹」の由来の説明にはなりそうにない。

かもす、

の語源に、

かもす(醸す)の連用形「かもし」の変化(『語源由来辞典』)、
カムシの転(語簏)、
カウバシキチリ(香塵)の意から(和句解)、
キクジン(麹塵)の転(日本釈名)

等々の異説もある(日本語源大辞典)。上述したように、漢字側からの、

麹子(きくし)が訛って「コウジ」となり、日本語化した(漢字源)、

との見方があり、

か(釀)む、

のちの、

かも(釀)す、

という言葉があったのだから、それを表現する「麹」があったとみる見方もできるが、物事を抽象化する語彙力をもたない、我々の和語から考えると、

麹子(きくし)→こうじ、

の転訛は捨てがたい。ところで、

かむ

は、

噛(嚙)む、
咬む、
咀む、
嚼む、

等々と当てる。当てた漢字を見てみると、

「噛(嚙)」(コウ、漢音ゴウ、呉音ギョウ)は、

会意。「口+歯」。咬(こう)と近い。齧(ゲツ かむ)の字を当てることもある。、

で、かむ、意である。

「齧」(ケツ、漢音ゲツ、呉音ゲチ)は、

会意兼形声。丰は竹や木(|)に刃物で傷(彡)をつけたさまをあらわす。上部の字(ケイ・ケツ)はこれに刀をそえたもの。齧はそれを音符とし、歯を加えた字で、歯でかんで切れ目をつけること、

で、かむ、かんで傷をつける意である。

「咬」(漢音コウ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。口+音符交(交差させる)」で、上下のあごや歯を交差させてぐっとかみしめる、

で、かむ、かみ合わせる意。

「咀」(ソ、漢音ショ、呉音ゾ)は、

会意兼形声。且は、積み重ねた姿を示し、積み重ね、繰り返す意を含む。咀は『口+音符且(ショ・シャ)』で、何度も口でかむ動作をかさねること、

で、なんどもかむ意、咀嚼の咀である。

「嚼」(漢音シャク、呉音ザク)は、

会意兼形声。爵は、雀(ジャク 小さい鳥)と同系で、ここでは小さい意を含む。嚼は『口+音符爵』で、小さくかみ砕くこと、

で、細かく噛み砕く意である。和語、

かむ、

は、いわゆる「噛む」「噛み砕く」意から、舌をかむ、のように、

歯を立てて傷つける、

意、さらに、

歯車の歯などがぴったりと食い合う、

といった直接「噛む」にかかわる意味から、それをメタファに、

岩を噛む激流、

とか、

計画に関わる意の、

一枚噛む、

という意に広がり、最近だと、

台詞を噛む、

というように、台詞がつっかえたり、滑らかでない意にも使う。また、『岩波古語辞典』では、

鼻をかむ、

の「かむ」も「噛む」を当てているが、

洟擤(はなか)み、
擤(か)む、

と当てる(『大言海』は「洟む」と当てている)。

「擤」(コウ)は、

会意文字。「手+鼻」、

で、

鼻をつまんで鼻汁をだす、

つまり、

鼻をかむ、

意、

「洟」(イ)は、

会意兼形声。「水+音符夷(イ 低く垂れる)」、

で、

鼻じる、また、垂れるなみだ、

の意とある(漢字源)。ただ、涙の意の場合は、音が変わる(漢音テイ、呉音タイ)。

漢字を当て分けるまでは、つまり文字表現を得るまでは、「かむ」だけであった、と考えられるが、直接の対話相手には、それで、微妙な意味の違いは通じ合ったはずである。

かむ、

の由来は、

動作そのものを言葉にした語」です。カッと口をあけて歯をあらわす。カ+ムが語源です(日本語源広辞典)、
カム(醸)と同根。口中に入れたものを上下の歯で強く挟み砕く意。類義語クフは歯でものをしっかりくわえる意(岩波古語辞典)、
カは、物をかむ時の擬声音(雅語音声考・国語溯原=大矢徹・音幻論=幸田露伴・江戸のかたきを長崎で=楳垣実)、
ハマ(歯間)の転(言元梯)、
人の口は下あごばかり動き、上あごは働かないところから、カミ(上)へ向かうのゐか(和句解)、
歯にかけるをいうカケメ(掛目)から(名言通)、
ハム(食)の転声(和語私臆鈔)、

等々あるが、『日本語の語源』は、「かむ」の音韻変化を、

カム(噛む)は上下の歯をつよく合わせることで、「噛み砕く」「噛み切る」「噛み締める」などという。
カム(噛む)はカム(咬む)に転義して「かみつく。かじる」ことをいう。人畜に大いに咬みついて狂暴性を発揮したためオホカミ(大咬。狼)といってこれをおそれた。また、人に咬みつく毒蛇をカムムシ(咬む虫)と呼んで警戒した。
カム(咬む)はハム(咬む)に転音した。(中略)カム(噛む)はカム(嚼む)に転義して食物を噛み砕くことをいう。米を嚼んで酒をつくったことからカム(醸む)のごがうまれた。(中略)
カム(嚼む)はカム(食む)に転義した。(中略)
カム(食む)は母交[au]をとげて、クム・クフ(食ふ)に転音した。(中略)カム(食む)はハム(食む)に転音した。(中略)ハ(歯)はハム(食む)の語幹が独立したごであろう、

と、説いている。

はむ(食)→かむ(噛)、

なのか、

かむ(噛)→はむ(食)、

なのかを判別することは難しいが、いずれも、

噛む、

の語彙の外延にあることは間違いないだろう。ただ、

かむ、

という和語だけがあり、文脈を共にしている限り、会話の当事者には、それが何を意味するかははっきりしていた。文字表現に伴って、漢字を当て分けて行ったのである。

「釀」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)の異体字は、

酿(簡体字)、 醸(新字体)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%80。字源は、

会意兼形声。襄の原字は「土+交差した物+攴(動詞の記号)」から成り、土の中に肥料をわりこませること。壌の原字。のち「おおい+口二つ」を加えて襄(ジョウ 衣の中にくずわたをわりこませる、わりこむ)の字となった。釀は「酉(さけつぼ)+音符襄」で、酒つぼの中の材料に、酵母をじわじわとわりこませること、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(酉+襄)。「酒器」の象形と「衣服に土などのおまじない物を入れて邪気を払う象形と手の象形」(「邪気を払う、物をつめる」の意味)から、「酒つぼに原料をつめこんで酒をかもす(造る)」を意味する「醸」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1658.html

ともあるが、他は、

形声。酉と、音符襄(シヤウ)→(ヂヤウ)とから成る。酒を造る意を表す。常用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

形声。旧字は釀に作り、襄(じよう)声。襄にふくよかの意がある。〔説文〕十四下に「醞(かも)すなり。酒を作るを釀と曰ふ」とあり、次条に「醞は釀(かも)すなり」と互訓する。合わせて醞醸(うんじよう)という(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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老いなみ


事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも(大伴百代)

の、

老いなみ、

は、

老境、

とあり、

老いを明示する句はこの冒頭歌のみに見える、

と注記がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

老いなみ、

は、

老次、

とも当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

老いの波、
老波、

と当て、

おいのなみ、

とも訓ませる(岩波古語辞典・大言海)。

老いの並、

と当てると、

老いの並に、言ひ過ぐしもぞし侍る(大鏡)、

と、

老人共通の癖、

の意となる(広辞苑)とあるが、

おいなみ、

に、

老い次、
老い並、

と当てて、

年老いること、

の意としている(学研全訳古語辞典)ものもあり、

老い波、
老い次、
老い並、

も、

老いの波、
老いの次、
老いの並、

も、いずれも、

老年のころ、
老境、

の意で使う。

年が寄るのを岸に波が寄ることにたとえたもの。また、顔に寄るしわからの連想(学研全訳古語辞典)、
老齢になること。「年寄る」の「寄る」の縁で「波」を出し、また顔に寄るしわから波を連想した言い方(デジタル大辞泉)、
年の寄るのを波が寄せるのにたとえた語、寄る年波(岩波古語辞典)、
顔の皺を、波に喩ふ(大言海)、

と、多く、

老の波磯額(いそびたひ)にぞ寄りにける哀れ恋しき若の浦かな(梁塵秘抄)
打つや打たずや、老なみの、立ち寄る影も夕月の(謡曲「天鼓(1465頃)」)

と、

皺と波の喩え、
寄る年波の波、

と、

波、

と当てる理由を説く。しかし、

老次(おいなみ)、

の、

なみ、

は、

四段動詞「なむ(並)」の連用形の名詞化、

とし、

順序、段階、列の意、

から、

年老いたころ、
老境、

意となったとするものもある(精選版日本国語大辞典)。

飛ぶ鳥の明日香の河の上(かみ)つ瀬に石橋(いはばし)渡し(一には石浪(いしなみ)といふ)下(しも)つ瀬に打橋(うちはし)渡す石橋に(一には「石並に」といふ)(万葉集)、

と、

石浪(いしなみ)、
石並いしなみ)、

という言い方があり、この、

「なみ」は四段動詞「なむ(並)」の連用形の名詞化、

とあり、

川の浅瀬に石を置き並べて橋としたもの、
石橋(いわばし)、

の意である(精選版日本国語大辞典)。

松の木(け)の並みたる見れば家人(いはびと)の我れを見送ると立たりしもころ(万葉集)、

と、

並む、

は、

ま/み/む/む/め/め、

の、自動詞マ行四段活用で、

並ぶ。
連なる、

意なので、

老いに連なる、

意になると思う。

次、

を、

なみ、

と当てているのは、

次第に、つぎつぎなり、順次と用ふ、

とある(字源)ので、

老いの次位、

にあるという意味で、

なみ、

と訓ませているのであろうか。釈名(1480)に、

次は髪を次第にする(長短を揃える)

とある(漢辞海)。

ちなみに、

事もなし、

は、冒頭の歌では、

何事もない、
無事である、

の意だが、

そこのとなりなりける宮ばらに、こともなき女どもの(伊勢物語)、
人にはぬけて、ざえなどもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば(源氏物語)、

と、

非難すべき点がない、
好ましい、
理想的だ、

の意で使うが、これは、

事も無し、

が、

「ことなし(事無)」を「も」で強調したもの。

で、

無事平穏の意から派生しているが、「源氏物語」では、

「ことなし」は多く平穏無事、

の意、

「こともなし」は多く欠点がない、

の意で、使い分けられている(精選版日本国語大辞典)とある。さらに、

こともなき女房のありけるが(古今著聞集)、

では、

これといってとり立てるところもない、
平凡だ、

の意、

龍(たつ)を捕へたらましかば、又こともなく我は害せられなまし(竹取物語)、

では、

わけもない、
たやすい、
容易だ、

の意で使う。いずれも、「事もなし」の意味の外延である。なお、

汝、何事(なにこと)が有(あ)りしとのたまふ。答へて云さく無(コトムナシ)也(日本書紀)、

の、

事むなし、

の、

「む」は助詞「も」の変化したもの、

で、

「事もなし」から転じた語形で、「こともなし」が和文にも見られるのに対し、「ことむなし」は漢文訓読系の文章にのみ見られる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「老」(ロウ)は、「老いらく」で触れたように、

象形。年寄が腰を曲げて杖をついたさまを描いたもので、からだがかたくこわばった年寄り、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%80%81https://okjiten.jp/kanji716.html・漢字源)。別に、

象形。こしを曲げてつえをつき、髪を長くのばした人の形にかたどり、としよりの意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「腰を曲げてつえをつく老人」の象形から「としより」・「老人」を意味する「老」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji716.html

ともある。しかし、

会意。耂+𠤎 (か)。耂(老)は長髪の人の側身形。その長髪の垂れている形。𠤎は化󠄁の初文。化は人が死して相臥す形。衰残の意を以て加える。〔説文〕八上に「考なり。七十を老と曰ふ。人毛の𠤎(くわ)するに從ふ。須(鬚)髮(しゆはつ)の白に變ずるを言ふなり」とするが、𠤎は人の倒形である。〔左伝、隠三年〕「桓公立ちて、乃ち老す」のように、隠居することをもいう。経験が久しいので、老熟の意となる(字通)、

とするものもある。

なお、「老いさらばえる」で触れたように、漢字、

老、

には、老いる、老ける、という意味だけでなく、

長い経験をつんでいるさま(「老練」)
老とす(老人と認めて労わる、「老吾老、以及人之老」)
年を取ってものをよく知っている人、その敬称(「長老」「古老」)
親しい仲間を呼ぶとき(老李、李さん)

といった意味がある。

「波」(ハ)は、

会意兼形声。皮は「頭のついた動物のかわ+又(手)」の会意文字で、皮衣を手で斜めに引き寄せてかぶるさま。波は「水+音符皮」で、水面がななめにかぶさるなみ、

とあり(漢字源)、同趣旨の、

会意兼形声文字です(氵(水)+皮)。「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する「波」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji405.html

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「水」+音符「皮 /*PAJ/」。「なみ」「水の流れ」を意味する漢語{波 /*paaj/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%A2)

形声。水と、音符皮(ヒ)→(ハ)とから成る。「なみ」の意を表す(角川新字源)

形声。声符は皮(ひ)。皮に表面の、うねうねとつづくものの意がある。〔説文〕十一上に「水涌きて流るるなり」とするが、水流の動揺することをいう。派と声義近く、派は分流することをいう(字通)

と、形声文字としている。

「並」(漢音ヘイ、呉音ビョウ)の異体字は、

傡、并(簡体字)、竝(旧字体)、

とあり、字

並、

は、

「竝」の略体、

で、「竝」の字源は、

会意文字。人が地上に立った姿を示す立の字を二つならべて、同じようにならぷさまを示したもの。同じように横にならぶこと。略して並と書く。また、併(ヘイ)に通じる(漢字源)、

「立(人の立った姿)」をならべて、人が同様に並ぶ様子を示した会意文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%A6

会意。立を二つ横にならべて、ならび立つ意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)

会意文字です(立+立)。「並び立つ人」の象形から「ならぶ」を意味する「並」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1039.html

会意。旧字は竝に作り、立をならべた形。立は位。その位置すべきところに並んで立つことをいう。〔説文〕十下に「併(なら)ぶなり。二立に從ふ」という。幷は二人相並ぶ側身形。竝は相並ぶ正面形。从(從)・比は前後相従う形。みな二人相従う字である(字通)、

と同じ趣旨である。

「次」(慣用ジ、漢音呉音シ)の異体字は、

𠕞、𠤣、𣄭、𣬌、𦮏、𫠨、𫡜、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%A1。字源は、

会意文字。「二(並べる)+欠(人がからだをかがめたさま)」で、ザッと身の回りを整理しておいて休むこと。軍隊の小休止の意。のち、物をざっと順序付けて並べる意に用い、次第に順序を表わすことばになった、

とある(漢字源)。他に、形声文字としながら、

形声。欠と、音符二(ジ)→(シ)とから成る。止まって休む、やどる意を表す。借りて、「つぐ」、順序の意に用いる(角川新字源)、

と、同趣の説明をしているが、これは、『説文解字』の、

「欠」+音符「二」との分析によっている。しかし、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「二」とは関係がない、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%A1

象形。口から息を吐き出す人のさまを象る。一説に、「なげく」を意味する漢語{咨 /*tsi/}を表す字。のち仮借して「つぎ」を意味する漢語{次 /*tshis/}に用いる(仝上)

象形文字です。「人が吐息(ため息)をつく」象形から「ほっとして宿泊する」を意味する「次」という漢字が成り立ちました。また、「斉(シ)」に通じ(同じ読みを持つ 「斉(シ)」と同じ意味を持つようになって)、「次に続く」、「順序良く整える」という意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji490.html

象形。人が咨嗟(しさ)してなげく形。口気のもれている姿である。〔説文〕八下に「前(すす)まず。精(くは)しからざるなり」とし、二(に)声とするが、二に従う字ではなく、〔説文〕の訓義の意も知られない。次は咨(なげ)き訴えるその口気を示す形。咨は祈るとき、その口気を祝詞のꇴ(さい)に加える形。神に憂え咨(なげ)いて訴え、神意に諮(はか)ることをいい、咨は諮の初文。そのたち嘆くさまを姿という。第二・次第の意は、おそらくくりかえすことから、また「次(やど)る」は軍行のときに用いるもので、古くは𠂤+朿(し)の字義にあたり、音を以て通用するものであろう。古文の字形は、他に徴すべきものがなく、中島竦の〔書契淵源〕に、婦人の首飾りを〔儀礼、士冠礼〕に次と称しており、その象形の字であろうという。〔説文〕の解は、〔易、夬、九四〕「其の行、次且(じしょ)」の語によって解したものであろうが、次且は二字連語、そこから次の字義を導くことはできない(字通)

と、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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貫簀

 

古人(ふるひと)のたまへしめたる吉備の酒病(や)まばすべなし貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ(丹生女王)

の、

貫簀、

は、

洗い桶に敷く簀の子、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

(糸で)丸くけずった竹を編んだ簀、手洗いの水が飛び散ったり、自分に掛からないように、洗盤や角盥(つのだらひ)などにかけるもの、

である(岩波古語辞典・大言海・精選版日本国語大辞典)。

手洗いの時は、これを二つか三つかに畳み、先の方を盤の内の底につけておき、本の方は手洗ふ人の前の盤の縁におき、前さがりにし、膝に水のかからぬやうにし、又は、水の散るを避くるやうにす、ヌキスと云ひて、盥をこめて云ふ、

とある(大言海)。類聚名義抄(11〜12世紀)、色葉字類抄(1177〜81)にも、

貫簀、ヌキス、

とある。

簀(す)、

は、

簾、

とも当て(岩波古語辞典)、

簀巻き、
葭簀(よしず)、

のように、

細板(ほそいた)や割竹(わりだけ)、または葦などを併列して、糸で粗く編みつないだもの、

で(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、和名類聚抄(931〜38年)に、

簀、須乃古、床上藉竹名也、

とある。

透(すく)くの義(大言海・和句解・言元梯・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥・言葉の根しらべ=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹)、
スキ(隙)があるところから(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、

隙間が透けている、

というところから来たもののようである。その形態を他に応用して、

男いたくめでてすのもとにあゆみきて(源氏物語)、

と、

すだれ(すだれ)
たれす、

の意でも、

さてこの男、簀子によびのぼせて、女どもはすのうへに集まりて(大和物語)、

と、

莚(むしろ)、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。また、

簀、

を、

さく、

と訓ませ、

竹や木を編んで作った敷物で、おもに寝台の上に敷く、

箪(たかむしろ)、

の意でも使い、

簀(さく)を易(か)う、

と、

學徳ある人の死、

の意で使う(広辞苑)。ちなみに、

簟、

は、

竹莚、
竹席、

とも当て、

細く割った竹や籐(とう)で編んだむしろ、

で、

夏の敷物、

である(デジタル大辞泉)。

たらい

で触れたように、

たらい、

に当てる、

盥(カン)、

は、

会意。「臼(両手)+水+皿」。両手に水をかけ下に器を措いて水を受けるさま、

で、

手を洗う、
手に水を灌ぐ、

意とある。転じて、

手を洗うのに使う器、

古くは、洗った手をふって自然にかわかすのが習慣であった、

とある(漢字源)。

濯熱盥水(熱ヲ濯ヒテ水ニ盥ス)、
盥耳(カンスイ)(=洗耳、耳を洗う)、

などという。いわゆる、

たらい、

つまり、洗濯用の桶、

の意で使うのは、我が国だけである。ただ、「たらい」は、

テアライの約、

とある(広辞苑・大言海)ので、昔の人は、上手い字を当てたものだと感心する。

タは、

手の古形、

で、

手折る、
手枕、
手なごころ、
手挟む、

等々の複合語に残る。

水、又は湯を盛りて、手、又は面を洗ふに用ゐる扁(ひらた)き噐。左右にむ、持つべき二本づつの角の如きもの横出す、洗濯だらひなど出来て、これに別つために、角だらひの名あり(大言海)、
水や湯を入れて、手や顔を洗うための噐。歯黒や口を漱ぐためなどにも使った。普通、円形の左右に二本ずつの角のような取手があるので「つのだらい」ともいう(岩波古語辞典)、

などとあるので、その意味で、本来、「たらひ」は、

盥、

の漢字と同じ意味であった。で、

角盥(つのだらひ)、

は、

左右に二本ずつ角のように柄(え)の突き出た、小さいたらい、

で、多くは漆器で、うがい、手洗い、かねつけなどに用い (精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、また、歯ぐろめにも用いた(日本大百科全書)。

円形の胴部左右に2本ずつ、4本の手があたかも角(つの)が生えているように出ている形状は、

袖(そで)をかけて手を洗うに都合がよいため、

という説、

2人して持ち運ぶのに便利である、

という説とがある(仝上)。

盥に水を注ぐ際、水が散らぬように、糸で編んだ貫簀(ぬきす)を敷く。これに付属して、楾(はんぞう/はぞう 半挿・匜)が水・湯を入れ注ぐ器としてあり、また水瓶(すいびょう)がかわりに用いられる場合もある。そして、楾を盥の中に入れて持ち運ぶ。、『枕草子』に

楾に手水などいれて、たらゐの手もなきなどあり、

とあり、手のついた盥の角盥のほうが多く用いられていたことがわかる(仝上)。

「簀」(漢音サク、呉音シャク)は、

会意兼形声。「竹+音符責(績 積み重ねて編む)」、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「竹」+音符「責 /*TSEK/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B0%80

形声。声符は責(せき)。責に積・績のように、細小なるものを連ね重ねる意がある。〔説文〕五上に「牀の棧なり」とあり、簀牀(さくしよう)をいう。〔礼記、檀弓上〕に、曾子が病篤いとき、その用いている臥牀が「華にしてv(くわん)(美麗)たるは、大夫の簀(さく)か」と注意されて、簀を易(か)えて没した話がみえ、それで人の死を易簀(えきさく)という。また簀(す)の子の類をもいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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山菅

 

山菅(やますげ)の実ならぬことを我(わ)に寄(よ)そり言はれし君は誰(た)れとか寝(ぬ)らむ(大伴坂上郎女)

の、

山菅、

は、

「実ならぬ」の枕詞、

で、

山菅、

は、

山に生える菅の一般的呼称、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

山菅(やますげ)、

は、

咲く花は移ろふ時ありあしひきの夜麻須我(ヤマスガ)の根し長くはありけり(万葉集)、

とある、

ヤマスガの転、

とあり(岩波古語辞典)、

山に生えている野生のスゲの類、
山地に自生するスゲの類、

である(仝上・精選版日本国語大辞典)。

妹待つと御笠の山の山菅(やますげ)のやまずや恋ひむ命死なずは(万葉集)、

などと、「山菅」の、

根が長く、葉が乱れていることを歌に詠むことが多く、

平安時代には、

子の日にやますげを手まさぐりにして(栄花物語)、

と、

子の日などの祝儀につかわれる。呪力のある草と考えられていたらしい、

とある(岩波古語辞典)。

子の日

は、

正月の初めの子の日に、野外に出て、小松を引き、若菜をつんだ。中国の風にならって、聖武天皇が内裏で宴を行ったのを初めとし、宇多天皇の頃、北野など郊外にでるようになった、

とあり(岩波古語辞典)、この宴を、

子の日の宴(ねのひのえん)、

といい、

若菜を供し、羹(あつもの)として供御とす、

とあり(大言海)、

士庶も倣ひて、七種の祝いとす、

とある(仝上)。「七草粥」で触れたように、

羹として食ふ、万病を除くと云ふ。後世七日の朝に(六日の夜)タウトタウトノトリと云ふ語を唱へ言(ごと)して、此七草を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥と云ふ、

とある(大言海)、当初は、粥ではなく、

羹(あつもの)、

であり、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる。

山菅、

は、また、

やぶらん(藪蘭)」の古名、

ともされ(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、また、

ばくもんとう(麥門冬)、

の古名とされる(大言海)。和名類聚抄(931〜38年)に、

麥門冬、也末須介、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

麥門冬、夜末須介、

類聚名義抄(11〜12世紀)に、

麥門冬、ヤマスゲ、

とあり、

麥門冬、一名、ヤブラン、

ともある(大言海)。

藪蘭(やぶらん)、

は、

キジカクシ科ヤブラン属の多年草(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3・デジタル大辞泉)、
ユリ科の多年草(精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典)、

と、異同もあるが、

やぶに生え、葉の形がランに似ていることからこの名が付けられた、

と言われていて(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3)。地方により、

テッポウダマ(福島県)、ネコノメ(新潟県)ジャガヒゲ(岐阜県)、インノシポ(鹿児島県)、

などの名でも呼ばれる(仝上)が、

林下に生える。高さ三〇〜五〇センチメートル。根は黄白色で連珠状。葉は根生し広線形で長さ三〇〜六〇センチメートル。夏から秋にかけ、ごく小さな紫色の六弁花を球状に密集した花穂をつける。果実は球形で黒く熟す。球根は煎(せん)じて解熱・袪痰(きょたん)薬にされる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

麦門冬、

というのは、

ユリ科多年草のジャノヒゲあるいはヤブランの根を乾燥したもの、

をいい、漢方薬に用いる生薬(しょうやく)では、

麦門冬湯、

として、

咳(せき)止め、痰(たん)切り、滋養、強壮、利尿などの目的で用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)この名を、

ヤブランの漢名、

に当てるのは誤用だが、ジャノヒゲの根から得られる生薬を、

小葉麦門冬、

ヤブランの根から得られるものを、

大葉麦門冬、

と称する故のようである(精選版日本国語大辞典)。また、

月経不順、更年期障害、足腰の冷えに効く温経(うんけい)湯、
心臓神経症、動悸(どうき)、息切れに効く炙甘草(しゃかんぞう)湯、

等々にも含まれている(仝上)。

麦門冬、

は、一名、

ヤブラン、

ともされるが、漢方薬にもちいられることから、

ジャノヒゲ、

ともされる。

ジャノヒゲ、

は、

蛇の鬚、

と当て、

リュウノヒゲ、

ともいい、別名、

ヤブラン、

ともされる(大言海)のでややこしい。

キジカクシ科の常緑多年草(デジタル大辞泉)、
ユリ科(APG分類:キジカクシ科)の常緑多年草(日本大百科全書)、

で、

日本全土の平地や山林の樹陰内に自生し、民家の周辺にもよく集落する。葉は根茎上に群生し線形で暗緑色、長さ10〜20センチメートル、幅2〜3ミリメートルで弓形に外曲する。夏、葉間から7〜10センチメートルの花茎を伸ばし、淡紫色の小花が総状につき、下向きに開く。花弁は6枚で雄しべは6本、雌しべは1本。花期後に果実ができるが、果皮は発達せず、濃青紫色で光沢のある球形の種子が裸出してつく

とあり(仝上)、近縁種のに、

チャボリュウノヒゲ、

一名、

ギョクリュウ(玉竜)、

は葉の長さが5〜6センチメートルの矮性(わいせい)で繁殖力が強く、地被植物として利用される(仝上)。上述したように、漢方では、

ひげ根の一部分が紡錘状に肥大したところを集めて、麦門冬(ばくもんどう 中国では麦冬(ばくどう))と称して薬用とする。乾燥したものは淡黄色で長さ1〜3センチメートル、径4〜6ミリメートルで、中心部を通っている中心柱を抜き取ったものもある、

とあり(仝上)、

サポニン、粘液、ブドウ糖などを含んでいるので味は甘く、粘りがある。解熱、鎮咳(ちんがい)、去痰(きょたん)、強壮剤として百日咳(ぜき)、肺炎、肺結核、咳嗽(がいそう)、口渇、便秘などの治療に用いられる、

という(仝上)。ヤブランの塊根も同様に用いるために、

山菅、
ヤブラン、
麦門冬、
ジャノヒゲ、

の名前が混交されているようだ。

なお、

山菅の、

は、枕詞として、冒頭の、

山菅之(やますげの)実ならぬことを吾によそり言はれし君は誰とか寝(ぬ)らむ(万葉集)、

の歌のように、

山菅の実の意で、「実」にかかり、

山菅(やますげ)の乱れ恋ひのみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経につつ(万葉集)、

のように、

山菅の葉が繁く乱れて延びることから「乱る」にかかり、

山菅之(やますげの)止まずて君を思へかも吾が心どのこのころは無き(万葉集)、

のように、

「やますげ」の「やま」と同音の繰り返しで「止(や)まず」にかかり、「すげ」と類音の繰り返しで、「背向(そがひ)」にかかる(精選版日本国語大辞典)。

なお、

山菅、

に当てた、

八田の一本須宜(スゲ)は子持たず立ちか荒れなむあたら菅原(古事記)、

と、

すげ(菅)

は、古形は、

スガ、

で(岩波古語辞典)、

カヤツリグサ科スゲ属の多年草の総称、

で、至る所に生え、

カサスゲ・マスクサ・コウボウムギ・カンスゲ、

など日本には約200種ある。茎は三角柱で節はない。葉は線形で、根生。葉の間から茎を直立させ、小穂をつける。葉を刈って、笠・蓑みの・縄などの材料とする、

とある(デジタル大辞泉)。

この、

すげ、

は、和名類聚抄(931〜38年)に、

菅、須計、

字鏡(平安後期頃)に、

菅、須介、

とあり、

スガ(清)の転、スガは、清浄の義、神代紀「出雲清地、此云素鵝」、濯(スス)の約を重ねたる語(すがすが(清清)し)と云ふ、祭祀、苞苴(つと)の用に供す、菅の字、カヤ(萱)なるを誤用す(大言海)、
祓いの具として用いるところからスガ(清)の転(日本釈名・祝詞考)、
葉もなく、スグに立つくさであるところから(日本釈名)、
スグメ(直芽)の義(日本語原学=林甕臣)、
削り落とす意の動詞ソグ(殺)の連用形名詞ソギの変形(語源辞典・植物篇=吉田金彦)、

等々諸説あるが、

葉の間から茎を直立させ、小穂をつける、

という特徴を言っているのではあるまいか。

「菅」(漢音カン、呉音ケン、慣用カン)は、

会意兼形声。「艸+音符官(=管 丸い穴が通っている)」、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「艸」+音符「官 /*KWAN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%85

形声。艸と、音符官(クワン)→(カン)とから成る(角川新字源)、

形声文字です(艸+官)。「並び生えた草」の象形(「草」の意味)と「屋根・家屋の象形と祭り用の肉の象形」(軍隊が長くとどまる家屋の意味から、「役所」の意味を表すが、ここでは、「管(カン)」に通じ(同じ読みを持つ「管」と同じ意味を持つようになって)、「くだ」の意味)から、茎がくだ状になっている「すげ(植物の一種)」、「ふじばかま、あららぎ(キク科の多年草)」を意味する「菅」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2237.html

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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駅使(はゆまづかい)


草枕旅行く君を愛(うるは)しみたぐひてぞ来し志賀の浜辺を(大伴百代)

の、

たぐふ

は、

比ふ、
類ふ、

と当て、

は/ひ/ふ/ふ/へ/へ、

と活用する、自動詞ハ行四段活用で、

似つかわしいもの、あるいは同質のものが二つ揃っている意、類義語つ(連)るは、つながって一線にある意、なら(並)ぶは、異質のものが凹凸なくそろう意、ともな(伴)ふは。、主になるものと従になるものが一緒にある意、な(並)むは、横一線に並ぶ意、

とあり(岩波古語辞典)、

鴛鴦(をし)二つ居て偶(たぐひ)よく陀虞陛(タグヘ)る妹を誰か率(ゐ)にけむ(日本書紀)、

と、

並ぶ、
寄り添う、
いっしょにいる、
連れだっている、

意や、

道行く者も 多遇譬(タグヒ)てぞ良き(日本書紀)、

と、

伴う、
連れだつ、
いっしょに行く、
呼応する、

意や、

君達の上(かみ)なき御選びには、ましていかばかりの人かは、たぐひ給はん(源氏物語)、

と、

似あう、
かなう、
適合する、
相当する、

意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、ここでは、

たぐひてぞ来し、

を、

寄り添って来 てしまいました、

と訳している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

冒頭の歌の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、

大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰(すくね)百代(ももよ)ら、駅使(はゆまづかい)に贈る歌、

とある、

駅使、

とは、

駅馬で都から馳せ参じた使い、

と訳注がある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

はゆま、

は、

左夫流子(さぶるこ)が斎(いつ)きし殿(との)に鈴掛けぬ駅馬(はゆま)下(くだ)れり里もとどろに(万葉集)、

と、

駅馬、
駅、

と当て、

はいま、

ともいい、

はやうま(早馬)の音変化、

で、古代、

官吏などの公用の旅行のために、諸道の各駅に備えた馬、

をいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。いわゆる、

駅馬(えきば)、
伝馬(てんま)、

である。令制の駅伝制では、

官道三〇里ごとに設置された駅家に備えた、

とされ(仝上)、

公務出張の官人や公文書伝送の駅使が前の駅から駅馬に乗り駅子に案内されて駅家(うまや)へ到着すると、駅長は前の駅の駅馬をその駅子に送り返させ、当駅の駅馬に駅子を添えて次の駅まで送らせる。貸与する駅馬数は利用者が六〜八位なら3匹、初位以下なら2匹というように、位階によって定まっているが、案内する駅子は1人だったらしい、

とある(世界大百科事典)。大化改新後、駅ごとに常備すべき駅馬は、

大路の山陽道で20匹、中路の東海・東山両道で10匹、他の4道の小路では5匹ずつとし、駅の周囲には駅長や駅丁を出す駅戸を指定して駅馬を飼わせ、駅家(うまや)には人馬の食料や休憩・宿泊の施設を整えた、

とあり、その結果、

もっとも速い飛駅(ひえき・ひやく)という駅使は、大宰府から4〜5日、蝦夷に備えた陸奥の多賀城からでも7〜8日で都に到着することができた、

という(仝上)。駅馬は、国司の判断で実情に即した増減が可能であり、

10世紀初頭の延喜式では40匹から2匹までが全国で402の駅に配置され、総数は4000匹に達した、

という(仝上)。この駅馬は、

筋骨強壮、

でなければならず、

国司が毎年検査して、年を取りすぎたり病気だったりすると市場で買い換え、代価の不足分は駅稲で支払う。駅家や利用者の不注意で死損させれば、もちろん原因者に補償させた、

という(仝上)。しかし、駅家は、

律令制の崩壊とともに衰微し、鎌倉時代以降、代わって宿が発達すると、官制に限らず、民間の宿駅の馬についても(駅馬が)用いられるようになった。

とある(精選版日本国語大辞典)。

駅使(はゆまづかい)、

は、

はいまづかい、
うまやづかい、

とも訓ます(精選版日本国語大辞典)が、

漢語では、

えきし、

と訓ませ、

駅使不伝南国信、黄昏和月看横斜(蕉堅藁)、

と、中国で、

郵便・荷物などを宿駅ごとに運んだ人のこと、

をいう(仝上)が、我が国では、

往来駅使合頭壱拾人……往来伝使合頭肆拾弐人(正倉院文書・天平八年(736)薩摩国正税帳)、

と、

古代、駅鈴(えきれい)を下付され、駅馬を使用して街道の各駅で宿泊、食糧の供給を受けて旅行する公用の使者、

を指し、

伝馬を使う伝使に比べて緊急の場合が多い、

とある(仝上)。因みに、

伝使(でんし)、

は、

令制で、伝符(でんぷ)を携行し、伝馬(てんま)を利用して公用の旅行をする官人。不急の公使である新任国司の任地赴任、諸種の部領使(ことりづかい)、相撲人など、

とある(仝上)。つまり、

驛馬には、驛鈴(えきれい)、
傳馬には、傳符(でんぷ)、

が給せられることになる(大言海)。日本古代の駅伝制では、

中央の兵部(ひようぶ)省の所管で緊急の公務出張や公文書伝送、

にのみ使われた、

駅馬、

のほかに、

全国各郡の郡家(ぐうけ)に5疋(ひき)ずつ用意し、国司の赴任や国内巡視、

などに使われた、

傳馬、

があった(世界大百科事典)。この伝馬は、

官営の牧場で繁殖させ、軍団の兵士の戸で飼育させる官馬の中から選ぶが、適当な官馬がなければ郡稲という財源で民間から購入し、郡家付近の豊かで人手のある戸に飼育させる。購入価格は駅馬の場合よりも平均2割安い。伝馬の利用には伝符(てんぷ)を必要とし、伝馬1疋につき伝馬子または伝馬丁と呼ばれる馬丁がふつうは6人ずつ指定されており、交代で手綱をとり、働いた日数だけ雑徭が免除される、

とある(仝上)。律令制の崩壊とともに駅制は崩れ、代わって荘園や寺院の施設が休泊に利用されるようになった。そして平安末期ごろから、

宿、

が、

駅、

に代わって用いられ始め、

駅馬、

よりも、

伝馬、

の称呼が使われるようになった(仝上)とある。なお、

駅(うまや)の設備のある幹線道路、

は、

藤野郡者。地是薄塉。人尤貧寒。差科公役。触途忩劇。承山陽之駅路。使命不絶(続日本紀・天平神護二年(766)五月丁丑)、
駅路(エキロ)に駅屋の長もなく(太平記)、

と、

駅路(はゆまじ・はいまじ・うまやじ・えきろ)、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。なお、

駅伝(えきでん・やくでん)制、

は、7世紀後半の律令国家形成期に、駅鈴によって駅馬を利用しうる道を北九州との間だけでなく東国へも延ばしはじめ、8世紀初頭の大宝令では唐を模範とした駅制を全国に拡大し(世界大百科事典)、その財源として、

駅起稲(えききとう)、
駅起田(えききでん)、

を設置する。これは、後の養老令では、

駅稲(えきとう)、
駅田(えきでん)、

を各国に設置させ、

畿内の都から放射状に各国の国府を連絡する東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7道をそのまま駅路、

とし、上述したように、駅路には原則として30里(約16km)ごとに駅を置かせた(仝上)。

「驛(駅)」(漢音エキ、呉音ヤク)の異字体は、

㶠、 墿、駅(新字体)、驿(簡体字)、𩢋(朝鮮での略字)、𩦯、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%85。字源は、

会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」の会意文字で、罪人を次々連ねて面通しすることをあらわす。驛は「馬+睪」で、―・―・―状につながるの意を含む(漢字源)とある。同じく、

会意兼形声文字です(馬+尺(睪))。「馬」の象形と「人の目の象形と手かせの象形」(「罪人を次々と面通しする・たぐりよせる」の意味)から、馬を乗り継ぐ為に用意された所、「宿場」を意味する「駅」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji462.html

と、会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「馬」+音符「睪 /*LAK/」。「釋」に同音の「尺」をあて「釈」としたことから、「睪」に替え「尺」の文字を当てるようになった。https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A7%85

形声。旧字は驛に作り、睪(えき)声。睪は獣屍の象で、解けほぐれて、ながくつづくものの意があり、駅とは長く乗りつぐ駅車、駅伝をいう。〔説文〕十上に「置騎なり」とあり、駅伝をいう。次条の「馬+日」(じつ)にも「驛傳なり」とみえる(字通)、

形声。馬と、音符睪(タク)→(エキ)とから成る。馬を用意しておく宿場の意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

といずれも、形声文字とする。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)

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韓人(からひと)の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも(門部石足)

の、

紫、

は、

三位以上の礼服の色、

であり、この歌は、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、

大宰帥(だざいのそち)大伴卿、大納言に任(ま)けらえて京に入る時に臨み、府の官人ら、卿を筑前の国蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして餞する歌四首、

とあるように(「駅家」については駅使(はゆまづかい)で触れた)、ここでは、大伴卿、即ち、

正三位(大伴)旅人を匂わす、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

紫、

は、上述のように「色」の名だが、

むらさき草、

の意で、

紫草の根で染めた色、

を、

紫、

という。

ムラサキ(紫)は、

ムラサキ科の植物の一種。多年草で、

とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%AD)、各地の山地に生え、

根は太く、乾燥すると暗紫色になる。茎は高さ三〇〜五〇センチメートル。全体に剛毛を密布。葉は披針形(細長く、先がとがり、基部がやや広い形)で厚い。夏、包葉の間に先の五裂した白い小さな漏斗状花が咲く。果実は卵円形で淡褐色に熟す、

とある(精選版日本国語大辞典)。昔から、根は、

紫色の染料、

とされ、また漢方で、

紫根、

といい(大言海)、

解熱・解毒剤とし、皮膚病などに用い、特に、紫根と当帰を主薬とした軟膏は火傷、凍傷、ひび、あかぎれに効く、

とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、漢名に、

紫草、

をあてるが、正しくは別種の名(仝上)ともある。

みなしぐさ、
紫草 (ムラサキ・ムラサキソウ)、

ともいう(仝上・大言海・動植物名よみかた辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、

紫草、無良散岐、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

紫草、无良佐岐、

とあり、万葉集では、

无良佐伎(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)を終(を)へなくに、

と詠われている。古くから、

むらさきのひともとゆゑに武蔵野(むさしの)の草はみながらあはれとぞ見る(古今和歌集)、

と、

「武蔵野(むさしの)」の名草として有名、

とある(学研全訳古語辞典)。

この草の根で染めたのが、色の、



で、染め方は、

椿などの木の灰汁(あく)を媒染剤とし、紫草の根から紫液を採って染色した、

とされ、万葉集で、

紫は灰(はひ)さすものぞ海石榴市(つばいち=椿市)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる子や誰れ、

と詠われている。その色は、

赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた(学研全訳古語辞典)、
赤と青との間色、色調は赤黒くくすんでいた。そのため、のちの明るい紫を江戸紫・京紫などと呼び、古い色調を古代紫と呼んで区別することがある(精選版日本国語大辞典)、
赤と青との關F、紫(支那にて、古く紫(シ)と云へるは、赤色の濃きもの。今云ふ深紅なり。論語・陽貨篇に、「惡紫之奪朱」と見へたり、天武天皇の御宇、遣唐使たる粟田眞人は、正四位下にして深緋袍なりしを、唐書に、紫袍を着たりときせり、達磨の国に其被りたる衣の赤色なるは、梁の武帝の贈れる紫衣なり、これにて、古への紫は、赤きを云ふ證とすべし。後には、黒み深きを、古代紫と呼ぶ(大言海)、
(紫草で)浅く染めた場合は赤味をもち、深く染めるほど黒味を増す(岩波古語辞典)、
紫根(しこん)で染められた絹のような赤と青の中間の色のことです。飛鳥時代にはその名が見られる非常に古い色https://irocore.com/murasaki/

などとあり、現代の紫色とは異同があるが、

「延喜式」では、紫根(しこん)の単一染めを「深紫(こきむらさき)」と「浅紫(あさむらさき)」の二級にわけていますが、この中間にあたる「中紫」が一般的な「紫色」にあたります、

とある(仝上)。「紫系」の日本の伝統色「59色」については、「紫系の色」(https://irocore.com/category/violet/)に詳しい。なお、「袍(ほう)」は、「うへのきぬ」で触れたように、

束帯や衣冠などの時に着る盤領(まるえり)の上衣、

で、

束帯や衣冠に用いる位階相当の色による、

位袍、

と、位色によらない、

雑袍、

とがあり、束帯の位袍には、

文官の有襴縫腋(ほうえき 衣服の両わきの下を縫い合わせておくこと)、



武官の無襴闕腋(けってき)、

の二種がある(精選版日本国語大辞典)。束帯、衣冠については「衣冠束帯」で触れた。

紫色、

は、宮廷の位階の色である当色(とうじき)において上位の色であり、衣服令では、時代で異同があるが、

一位、深紫(ふかきむらさき)、
二位、浅紫(あさきむらさき)、
三位、浅紫、
四位、深緋(あけ)、
五位、浅緋、
六位、深緑、
七位、浅緑、
八位、深縹(はなだ)、
初位、浅縹、

等々と、

紫→赤→緑→縹(はなだ)(うすい藍色)

という尊貴の順序が決められていて(有職故実図典)、

濃(こき)といえば濃紫(こきむらさき)、
薄色といえば薄紫、

をさした(世界大百科事典)。なお、「縹(はなだ)」については触れた。

平安時代には、

花も糸も紙もすべて、なにもなにもむらさきなるものはめでたくこそあれ(枕草子)、

とあるように、深紫が禁色の一つとされ、高貴な色としての扱いが定着する一方で、浅紫は「ゆるし色」となって広く愛好された(精選版日本国語大辞典)とある。なお、

紫、

を、女房詞で、

いはし。むらさき。おほそとも。きぬかづき共(「大上臈御名之事(16C前)」)、

と、

鰯(いわし)、

をいい、

おむら、

ともいい、

鰯多く集まる時は、海水、紫の色をなすと云ふ、もと下品の食とする隠語なるべし、

とある(大言海)。江戸初期の噺本『醒睡笑(安楽庵策伝)』に、

鰯ヲバ、上臈方ノコトバニ、むらさきトモテハヤサルル、ムラサキノ色ハ、鮎(藍ニカク)ニハマダシと云フエントヤ、

とある。つまり、

アイ(鮎)にまさるところから紫は藍(アイ)にまさるとかけていったもの、

である(梅村載筆(ばいそんさいひつ)・嘉良喜(からき)随筆)。また、色が紫色であるところから、

特に牛肉店等の如きを通じて、肉を生(なま)、葱を五分(ごぶ)、醤油を紫(ムラサキ)、これに半、味淋を加へたるを割下、香の物を「しんこ」といふ(「東京風俗志(1899〜1902)」、

と、

醤油、

をもいう(精選版日本国語大辞典・仝上・広辞苑)。なお、

紫、

の語源は、

叢咲の義、花に黄白粉紅あれば云ふと云ふ、或いは、辨萼層層して開けば云ふか、或は又、羣(むら)薄赤きの約轉と云ふ(大言海)、
叢咲の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ムレサキ(群咲)の義(名言通・日本語原学=林甕臣)、
紫陽花をいうムラサキ(叢咲)の義から(日本古語大辞典=松岡静雄)、
薄く濃くムラムラ咲の意か(和句解)、
モロサキ(諸幸)の転(和語私臆鈔)、
諸色群れた中にサラリと清い色であるところからか(本朝辞源=宇田甘冥)、

等々とされ、大勢は、

群れて咲くことから「群ら咲き」、

とするが、図鑑(大嶋敏昭監修『花色でひける山野草・高山植物』)等には紫色の根が由来と説明するものもあるとしているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%82%AD

「紫」(シ)は、

会意兼形声。此(シ)は「止(趾 あし)+比(ならぶ)の略体」の会意文字で、両足がそろわず、ちぐはぐに並ぶこと。紫は「糸+音符此」で、赤と青をまぜて染めた色がそろわず、ちぐはぐの中間色になること、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「糸」+音符「此 /*TSE/」[字源 1]。「むらさき」「紫色の刺繍」を意味する漢語{紫 /*tseʔ/}を表す字。
「会意形声文字」と解釈する説がある[字源 2]が、誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B4%AB

形声。糸と、音符此(シ)とから成る(気角川新字源)

形声文字です(此+糸)。「立ち止まる足の象形と年老いた女性の象形」(「ここ」の意味だが、ここでは、「觜(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「觜」と同じ意味を持つようになって)、「くちばし」の意味)と「より糸」の象形から、くちばしのような色「むらさき」を意味する「紫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1352.html

形声。声符は此(し)。〔説文〕十三上に「帛(きぬ)の赤色なるものなり」とあり、紫宸・紫禁など宮廷、また紫霞・紫微など神仙のことをいう語に用いる。間色の美しいものであるので、〔論語、陽貨〕に「紫の朱を奪ふことを惡(にく)む」という語がある(字通)、

と、形声文字としている。

紫、

は、

青と赤の混じった色(漢字源)、
青と赤との關F(字源)、

で、孔子は、

惡紫之奪朱也(紫の朱を奪うを惡む)、

と、紫を憎んだが、孟子も、

惡紫、恐其亂朱也(紫を惡むは、その朱を乱るを恐るればなり)、

としたが、

紫は高貴の色として珍重された(漢字源)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)

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まそ鏡

 

まそ鏡見飽かぬ君に後(おく)れてや朝夕(あしたゆうへ)にさびつつ居(を)らむ(沙弥満誓)

の、

まそ鏡、

は、

「見」の枕詞、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

ます鏡

で触れたように、

ます鏡、

は、

真澄の鏡、

の意で、

澄みきって、ものがよく映る、

で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

真澄鏡、
十寸鏡、

等々と当て、

まそかがみ、

の転とある(岩波古語辞典)。また、

たらちねの母が形見と吾が持てる真十見鏡(まそみかがみ)に(万葉集)、

と、

まそみかがみ(真澄鏡)、

ともいう例がある(精選版日本国語大辞典)。で、

まそかがみ、

も、

真澄鏡、
真十鏡、

と当て(広辞苑)、萬葉集では、

麻蘇鏡、
末蘇鏡、
清鏡、
白銅鏡、
銅鏡、
真素鏡、
真祖鏡、
真鏡、

等々もあるhttps://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304が、

真十鏡、

が最も多い(仝上)とある。この由来は、

マソはマスミの転、ますみのかがみの転、一説に、完全の意(広辞苑)、
マソはマスミの転、マソミの約(岩波古語辞典)、
マスミノカガミ(真澄鏡)の約(大言海)、
「ますみのかがみ」と同義とも、「まそ」は十分整った意ともいう(大辞林)、
真+ソ(澄み)+鏡、清らかで曇りのない鏡(日本語源広辞典)、

等々とあり、

ますみのかがみ(真澄鏡)、

は、

殊に善く澄みて、明なる鏡、

であり、

まそみのかがみ、
まそひのかがみ、
てるのかがみ、

等々とも言い(大言海)、易林節用集(慶長)には、

真角鏡、マスミノカガミ、十寸鏡、ますかかみ、

とある。しかし、

「ますかがみ」の変化したものとする説は、「ますかがみ」の確実な例が平安時代以降にしか見られないので疑問、

ともあり(精選版日本国語大辞典)、語源は未詳ながら、一説に、

「ま」は接頭語で、「そ」は完全な、そろった、などの意で、よく整った完全な鏡の意とする、

とあり(仝上)、また、

万葉集にある「ますみの鏡」(吾が目らは真墨乃鏡吾が爪は……)という語が日本書紀の神代紀の古訓(白銅鏡、私注「曼須美乃加加見)や『新撰亀相記』にも見えることから、「まそかがみ」はその転訛と考える説もあるが、「まそかがみ」の例に集中することから、むしろ「ますみの鏡」は語源解釈の結果生まれた語形であろう。おそらく接頭語「まそ」は真+具の意で、足り備わったさま、十全なさまをあらわすのであろう、

ともあるhttps://jmapps.ne.jp/kokugakuin/det.html?data_id=32304

いずれにしても、

白栲(しろたへ)のたすきを掛け麻蘇鏡(まそかがみ)手に取り持ちて(万葉集)、

と、

澄み切った、明なる鏡、

の意ではあり(大言海)、

鏡の美称、

であることは間違いない。そして、枕詞として、

曇りなく光らせてある、

ところから(岩波古語辞典)、

鏡を月にたとえて、

我妹子(わぎもこ)や吾れを思はば真鏡(まそかがみ)照り出づる月の影に見え来ね(万葉集)、

と、

清き月夜、
照り出る月、

に、

鏡は箱に入れてあるところから、「蓋(ふた)」と同音を含む地名に、

娘子(とめら)らが手に取り持てる真鏡(まそかがみ)二上山に木の暗(くれ)の繁き谷辺を(万葉集)、

と、

二上(ふたかみ)、二上山(ふたがみやま)、

に、

みることから、

真祖鏡(まそかがみ)見とも言はめや玉かぎる石垣淵(いはかきぶち)の隠りたる妻(万葉集)、

と、

見、

に、

真十鏡(まそかがみ)敏馬(みぬめ)の浦は百船(ももふね)の過ぎて行くべき浜ならなくに(万葉集)、

と、それと同音の地名、

敏馬(みぬめ)、南淵(みなふち)、

に、

鏡に映る影の意から、

里遠み恋ひわびにけり真十鏡(まそかがみ)面影去らず夢(いめ)に見えこそ(万葉集)、

と、

面影、

に、

床のそばに置くの意で、

里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ(万葉集)、

と、

床の辺さらずに、鏡を掛けて使うので、

まそ鏡懸けて偲(しぬ)へとまつり出す形見のものを人に示すな(万葉集)、

と、

かく、

に、

鏡を磨(と)ぐの意で、

真十鏡(まそかがみ)磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験(しるし)あらめやも(万葉集)、

と、

磨ぐ、

にそれぞれかかる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

「鏡」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、「ます鏡」で触れたように、

会意兼形声。竟は、楽章のさかいめ、区切り目を表わし、境の原字。鏡は「金+音符竟」。胴を磨いて明暗のさかいめをはっきり映し出すかがみ、

とある(漢字源)。ただ、他は、いずれも、

形声。「金」+音符「竟 /*KANG/」。「かがみ」を意味する漢語{鏡 /*krangs/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%8F%A1

形声。金と、音符竟(ケイ、キヤウ)とから成る。かげや姿を映し出す「かがみ」の意を表す(角川新字源)、

形声文字です(金+竟)。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「取っ手のある刃物の象形と口の象形(「言う」の意味)の口の部分に1点加えた形(「音」の意味)と人の象形」(人が音楽をし終わるの意味だが、ここでは、「景(ケイ)」に通じ(同じ読みを持つ「景」と同じ意味を持つようになって)、「光」の意味)から、姿を映し出す「かがみ」を意味する「鏡」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji555.html

形声。声符は竟(きよう)。〔説文〕十四上に「景なり」とあり、畳韻の訓。古くは鑑といい、金文には監という。監は皿(盤)に臨んで見る形。古い鏡銘には略体としての竟字を用いる(字通)、

と、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。

「眞(真)」(シン)は、「真如」で触れたように、

会意文字。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。充填の填(欠け目なくいっぱいつめる)の原字。実はその語尾が入声に転じたことば、

とあり(漢字源)、

会意。匕(ひ)(さじ)と、鼎(てい)(かなえ)とから成り、さじでかなえに物をつめる意を表す。「塡(テン)」の原字。借りて、「まこと」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(匕+鼎)。「さじ」の象形と「鼎(かなえ)-中国の土器」の象形から鼎に物を詰め、その中身が一杯になって「ほんもの・まこと」を意味する「真」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji505.html

会意。旧字は眞に作り、⼔(か)+県(けん)。⼔は(化)の初文で死者。県は首の倒形で倒懸の象。顚死(てんし)の人をいう。〔説文〕八上に「僊人なり。形を變へて天に登るなり」とし、八は乗物、これに乗じて天に登る意とするが、当時の神仙説によって説くものにすぎない。顚死者は霊威の最も恐るべきもので、慎んでこれを塡めて鎮(しず)め、これを廟中にゥ(お)き、その瞋(いか)りを安んじ、玉を以て呪霊を塡塞(てんそく)するを瑱という。眞に従う字は、みなその声義をとる字である。〔荘子、秋水〕に「其の眞に反る」、〔荘子、大宗師〕に「眞人有りて、而る後に眞知有り」など、絶対の死を経て真宰の世界に入るとする思弁法があって、真には重要な理念としての意味が与えられるようになった(字通)、

等々と、会意文字説が大勢だが、

形声。当初の字体は「𧴦」で、「貝」+音符「𠂈 /*TIN/」。「𧴦」にさらに音符「丁 /*TENG/」と羨符(意味を持たない装飾的な筆画)「八」を加えて「眞(真)」の字体となる。もと「めずらしい」を意味する漢語{珍 /*trin/}を表す字。のち仮借して「まこと」「本当」を意味する漢語{真 /*tin/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%9F

甲骨文字や金文にある「匕」(さじ)+「鼎」からなる字と混同されることがあるが、この文字は「煮」の異体字で「真」とは別字である。「真」は「匕」とも「鼎」とも関係がない、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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たづたづし


草香江(くさかえ)の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして(大伴旅人)

の、

たづたづし、

は、

上三句は序。同音で「たづたづし」を起す、

とあり、

旅人に置き去りにされての悲しみを述べる、

ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり(沙弥満誓)

という、詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、

大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓(まんぜい)、卿に贈る歌二首、

のうちの、

満誓の第二首に応ずる歌である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

たづたづし、

は、

たづたづし(上代語)

たどたどし(中古)

たどたどしい、

と変化し、

たづたづし、

は、

たどたどしの古形、

で、

たどたどし、

は、

タヅタヅシの母音交替形、



タドル(辿)と同根か、

とあり、

夕闇は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我が背子その間にも見む(大宅女)、

と、

夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう、

とし(岩波古語辞典)、

辿る状なり、おぼつかなし、

とある(大言海)。

たづたづし(上代語)、

は、

((しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

の、形容詞シク活用で、その母音交替形、

たどたどし、

も、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

と、形容詞シク活用と同じであり、

たどたどし、

は、

いざ、しるべし給へ、まろはいとたどたどし(源氏物語)、

と、

不案内である、
土地、場所の様子がよくわからない、

意や、

経など習ふとて、いみじうたどたどしく、忘れがちに(枕草子)、

と、

不確かである、
あぶなっかしい、
たどたどしい、
おぼつかない、

意や、

花は皆散り乱れ、霞たどたどしきに(源氏物語)、
しのびたる郭公の、遠くそらねかとおぼゆばかり、たどたどしきを聞きつけたらんは(枕草子)、

と、

ぼんやりして様子がよく見えない、
直接に、はっきりそれと知ることができない状態になっている、

意といった、状態表現の一方で、それをメタファに、

これが末を知り顔に、たどたどしき真名に書きたらんも、いと見ぐるしと、思ひまはす程もなく(枕草子)、

と、

学問・技芸などに十分に習熟していない、
その道に精通していない、
未熟である、

意や、

いと慰めかねぬべき旅の空も、あまりによろづたどたどしかりしかば(「小島のくちずさみ(1353)」)、

と、

未熟なために進行などが、なめらかにいかない、
のろのろしてはかどらない、

意といった価値表現へも広げて使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研全訳古語辞典)。

たどたどし(→たどたどしい)、

の語源は、前にも少し触れたが、

辿る+辿る+シイ、動作が未熟で不安定な様子をいいます(日本語源広辞典)、
タヅタヅシの母音交替形、タドル(辿)と同根か、夕闇の中を手探りで行くような気持ちをいう(岩波古語辞典)、
タドルから(和訓栞)、
手遠の義の古語から(名語記)、
「たどる」「たぢろぐ」「たづぬ」と同根、また、あるいは、「たづき」とも同根か。「すくすく」などに対して、目標や手がかりをさぐりながら、行き悩む意が原義と考えられる(日本語源大辞典)、

と、

たどる、

や、

たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

ともかかわるとされる。最もかかわりの深いと思われる、

たどる、

は、

辿る、

と当て、

タ(手ガカリ)+どる(取る)、手がかりになるものを求めて進む意です(日本語源広辞典)、
不明な状況の中で、手がかりを探りながら行く意、タドタドシと同根か(岩波古語辞典)、
手取る義(名言通・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、
立ち止まる意(日本釈名)、
タトル(佗所人)の義(言元梯)、
歩行の音たどたどから(国語の語根とその分類=大島正健)、
「たづぬ」「たづたづし(たどたどし)」と同根(日本語源大辞典)、
手取る義(大言海)、

といった由来とされ、

手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、
手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、

といった含意で、

あるは月を思ふとてしるべなき闇にたどれる心心を見たまひて、さかし、愚かなりとしろしめしけむ(古今和歌集・仮名序)、

と、

迷いながら手探りで歩く、

意や、

あやし。ひが耳にやと、たどるを聞き給ひて(源氏物語)、

と、

はっきりしないことを跡づけていく、
不十分な情報をたよりに、あれこれ実体を考える、

意や、


あまの河あさせしら浪たどりつつわたりはてねばあけぞしにける(古今和歌集)、

と、

行くべき道を迷いながら捜す、
また、
迷って行きなやむ、

意といった状態表現から、それを派生させて、

京へ出る人多ければ、其に伴ひて、我が宿坊にたどり来て(太平記)、

と、

正気をなくしたり、気もそぞろになったりした状態で、道をふらふらと歩いていく、
茫然自失して歩く、

意や、

我が身こそあらぬかとのみたどらるれとふべき人にわすられしより(「類従本小町集(9C後か)」)、

と、

状況、事態、物の筋道などがわからなくなり、解決を求めてあれこれと考え迷う、
どうしたらよいのかわからないで迷う、
また、
途方に暮れる、

意や、

ほの心うるも思の外なれど、おさな心地に深くしもたどらず(源氏物語)、

と、

次から次へと筋道に添って深く考える、
考えをあれこれと及ぼしていく、
考究する、
また、
詮索する、

意、さらに、

時世のよせ今一きはまさる人には、……その心むけをたとるべき物なりけり(源氏物語)、

と、

他人のやっていることを自己流になぞって習い覚える、

意と、価値表現へとシフトしていく(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、

たどる、

から、副詞の、

たどるたどる(辿る辿る)、

が派生し、

くれぬとてねてゆくべくもあらなくにたどるたどるもかへるまされり(後撰和歌集)、

と、

行くべき道がわからず、迷い迷い尋ねていくさま、苦労を重ねてさぐりさぐり行くさま、まごまごしながらすこしずつ進むさまを表わす語、

として使ったり、

教ふる人だに侍らばたどるたどるも仕うまつるべきにこそ(狭衣物語)、

と、

不確かなことなどを、あれかこれかと思い迷いながら行なうさまを表わす語、

として使ったりする。この、

たどりたどり、

が転訛して、

たどりたどり(辿り辿り)、
たどろたどろ(辿ろ辿ろ)、

となり、

細道をしるべに、たどりたどりと歩み給ふ程に(御伽草子「梵天国(室町末)」)、

と、

道を捜し捜しするさま、道に迷いながら尋ねゆくさま、難渋するさまを表わす語、

や、

たとろたとろ政長に参り、此由を申(「長祿記(1466〜82)」)、



難儀な状態で歩行がはかどらないさま、ふたしかな足どりで迷い歩くさまを表わす語、

などへと転じていく。

自信がなくたどたどしく書くこと、
へたに書くこと、
また、
その書いたもの、

を、

たどり(辿)、

とか、

たどりがき(辿書)、

と言ったり、

一字一字たどりながら読むこと、
やっと読むこと、

を、

たどりよみ(辿読)、

と言ったりするところをみると、

たどたどし、

の、

たどたど、

は、

辿り辿り、

とつながるのは明らかに思える。しかし、同じく同根とされる、

たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

は、少し系統が違う気がするのだが、それぞれしらべてみると――。

たぢろぐ、

の語源を見ると、

たじろぐ、は室町時代まではタヂロクと清音(広辞苑)、
タヂロは擬態語、タヂタヂのタヂと同根(岩波古語辞典)、
たぢたぢは平安時代から見え、「文の道は、少したぢろく」(宇津保物語)の形で、もとは能力や水準の低いことを表した。鎌倉時代以降、現代と同じ「ひるむ」意を表すようになるが、室町時代には、「足がたぢろく」(日葡辞書)と、足取りが不安定な様子も表し、「たぢめく」という類義語もあった(擬音語・擬態語辞典)、
(逡巡・退轉)立ち働く意と云ふ、身じろぐ、目(ま)じろぐなど同じ(大言海)、
タチシリゾク(立退)の義(名言通・和訓栞)、
タチノク(立除)の義(言元梯)、
手退クの義か(俚言集覧)、
タジ(たじたじと)+ろぐ(動詞化)、たじたじとしてしりごみすることをいいます(日本語源広辞典)、

などとあり、

ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、
御物怪にて御薬しげければ、何となくたちろきけるころにや(愚管抄)、

と、

ある水準から後退したり、衰えたりする、
衰微してだめになる、

意や、

朝夕につたふいたたの橋なれはけた(桁)さへ朽てたちろきにけり (堀河院御時百首和歌)、

と、

衰えて傾いたりよろめいたりする、
また、多く打消の形で、
重い物あるいはかたい物が少し動くことをもいう、

意や、

散々に討退けタジロク処について出(幸若「本能寺(室町末‐近世初)」)、

と、

前から押されたり、自ら動揺したりして、後退したり、よろめいたりする、
また、
困難や予期しないことにぶつかって困惑する、ひるむ、

意など(精選版日本国語大辞典)、どちらかというと、

手がかりになるものを求めて進む、

意の、

辿る、

より、

後ずさる、

意が強いが、しかし、上述の、

ふみの道はすこしたちろくとも、そのすぢはおほかり(宇津保物語)、

では、

能力や水準の低いこと、

を表わし、

たどたどし、

と重なる部分が確にある(擬音語・擬態語辞典)。また、日葡辞書(1603〜04)には、

足がたぢろく、

と載り、

足取りが不安定な様子も表していたし、

たぢめく、

等々という言い回しもあり、

たぢろく、

と、

たどたどし、

とのつながりを類推させるし、この

たぢろく(たじろぐ)、

の語幹、

たじ、

と重なる、

たぢたぢ(たじたじ)、

は、室町時代から見られ、江戸時代になると、

相手の言動や雰囲気に圧倒され、萎縮して何もできないでいたり、引き下がったりする様子、
引き下がったりする、

という意味になるが、日葡辞書(1603〜04)には、

たぢたぢ、

は、

弱弱しく歩き、倒れそうな様子、

とあり、当時は、

足取りが不安定で倒れそうな様子、

を表したと見られるので、ここで、

たぢたぢ、

も、

たどたどし、

とがつながってくるようである(仝上)。では、

たづぬ(尋・訊・訪)、

はどうか。その語源を見ると、

「たどる、とう」の約、手がかりを探し求めると、人の許を訪問するとは同じ語原です。方言で、タネル、タンネルなどという(日本語源広辞典)、
何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、
タ(接頭語)ツナ(綱)を活用させた語か、綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する意、類義語モトムは、モト(本・根本)を得ようとするのが原義(岩波古語辞典)、
タヅはタドル(辿)のタドと同じく歩行の音から出たもの(国語の語根とその分類=大島正健)、
テトルユルキ(手取緩)の義(名言通)、
手着ヌの義(日本語源=賀茂百樹)、
タツネ(手著根)の義(言元梯)、
トヒトハシキの約略(和訓集説)、
タツネル(多草根得)の義(柴門和語類集)、

などとあり、

何かを手づるにして源を求めていく(広辞苑)、
綱につかまって先へ行くように、物事や人を追求する(岩波古語辞典)、

という含意で、

辿る、

との関わりが推定できる。意味は、

先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、

物事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようと探り求める、

訪問する、

といった変化で、

この御足跡(みあと)をたづね求めてよき人のいます國にはわれも参てむ(仏足石歌)、
君が行き日(け)長くなりぬ山多都禰(タヅネ)迎へか行かむ待ちにか待たむ(万葉集)、

と、

先に行ったものや所在のはっきりしないものを、何かを手がかりに捜し求める、
目ざし求める人や所へ、心配りながら進んでいく、
道を求めていく、

意や、

うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を多豆禰(タヅネ)な(万葉集)、
老いたる父母のかくれ失せて侍る、たづねて都に住ますることをゆるさせ給へ(枕草子)、

と、

目ざすもの捜し出す、
事のみなもと、状況、道理などを明らかにしようとして探り求める、

意から、

いかでありつる鶏(とり)ぞなどたづねさせ給ふに(枕草子)、

と、行為から姿勢そのものに転じて、

問いただす、
質問する、

意や、

みわの山いかにまちみん年ふともたづぬる人もあらじと思へば(古今和歌集)、

と、その行為そのものの意にシフトして、

訪問する、
人のもとをおとずれる、

意に転ずる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)ように、

たづぬ、

そのものは、

たどだどし、

とは、直截には重ならないが、

辿る、

の、

手がかりを探りながら行く(岩波古語辞典)、
手がかりになるものを求めて進む(日本語源大辞典)、

とは重なる気がする。では、

たづき、

は、どうか。その語源は、

タ(手)+付き、万葉時代は。手がかり、手段の意、これを生活の手段、方便、生活のタツキの意で使ったのは、明治大正期です(日本語源広辞典)、
(方便)手付きか、中世以降、タツキとも(広辞苑)、
タ(手)とツキ(付)との複合、とりつく手がかりの意、古くは「知らず」「なし」など否定の語を伴う例だけが残っている。中世、タヅク、タツキとも(岩波古語辞典)、
手着の義と云ふ(大言海)、

とされ、後世は、

たつき、
たつぎ、

ともなり、

方便、
活計、
跡状

と当てる(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、

恋ふといふはえも名づけたり言ふすべの多豆伎(タヅキ)もなきは吾が身なりけり(万葉集)、
又もとはやむごとなきすぢなれど、世にふるたつきすくなく(源氏物語)、
学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ(徒然草)、

などと、

手がかり、
よるべき手段、
事をしはじめる方法、

の意や、

世の中の繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の多附(たづき)知らずも(万葉集)、
あかときのかはたれ時に島陰を漕ぎにし舟のたづき知らずも(仝上)、

と、

様子・状態を知る手段、
見当、

の意で使い、これを、

世渡るたづき中々にとめぬ月日の数そへて(浮世草子「宗祇諸国物語(1685)」)、
つひに貞七に暇を出しぬ。されば貞七は活計(タツキ)失ひ(坪内逍遙「当世書生気質(1885〜6)」)、

と、

生活の手段、

の意で使うのは、近世以降のようである(仝上)。

こうみてみると、

たづき、

は、語源的にも、意味的にも、

たどたどし、

とも、

たどる、

たづぬ、

と重ならないが、

たどる、

たづぬ、

の、

何かを求めていく、

ときの、

手だて、

という意味で、強いていえば、

たどる、
たづぬ、

と重なると言えるかもしれない。で、

たどたどし、
たどる
たぢろぐ、
たづぬ、
たづき、

の関係は、中心に、

たどる、

があり、それとの関係で、

たどる→たづき→たどたどし、
たどる→たづき→たぢろぐ→たどたどし、
たどる→たづき→たづぬ、

といった関係が見えてくるようである。

「辿」(テン)の異体字は、

𨔢、

とあるhttps://jigen.net/kanji/14495)。字源は、

会意文字。「辵+山」、山道を歩いて足がとどこおることをあらわす、

とあり(漢字源)、

辿、

は、

ゆっくり歩く(漢辞海)、
ゆるゆるあゆむ(字源)、
尻が重い、足を止めて進まない(漢字源)、
静かに歩くhttps://kanji.jitenon.jp/kanjif/2772

と、

足取りがのろい、

意味で、和語、

辿る、

の、

分かりにくい道を探しながらゆっくり進む、
次々に現れる目じるしを追って、たずね求める、

という意味とはギャップがある。他にも、

会意文字です(辶(辵)+山)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「山」の象形(「山」の意味)から、山を「ゆっくり歩く」、「たどる(道をたずねたずねして行く)」を意味する「辿」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2297.html

と、会意文字とするものもあるが、

形声。辵と、音符山(サン)→(テン)とから成る。もと、㢟(テン)の別体字(角川新字源)、

とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
 

 

 

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もとな

 

相見(あひみ)ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ(大伴稲公)
さ夜中に友呼ぶ千鳥物思(も)ふとわびをる時に鳴きつつもとな(大神郎女)

の、

もとな、

は、

元無く、

で、

むやみに、

の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。又、後者の歌の古義には、

もとな鳴きつつの意、

とある(大言海)。

もとな、

の、

「もと」は根元または根拠の意。「な」は「無し」の語幹、「もとづくところなく」が原義(広辞苑)、
「モト(元、本、根拠)+ナ(無)」、わけもなく、根拠もなく、むやみに、しきりに、やたらに、の意(日本語源広辞典)、
モトは根本・性根。ナは無しの語幹。性根もなくてどうにもならぬ、の意(岩波古語辞典)、
基(もと)なくの略(大言海)、
「もと」は根本の意。「な」は形容詞「無し」の語幹(デジタル大辞泉)、
「もと」は根元・根拠の意、「な」は形容詞「無し」の語幹で、理由なく、根拠なくの意から(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、解釈は多少異なるが、原義は、

玉かぎるほのかに見えて別れなば毛等奈(もとな)や戀ひむ逢ふときまでは(萬葉集)、
紫の帯の結びも解きもみず本名(もとな)や妹に戀ひわたりなむ(仝上)、

と、

なんのわけもなく、
よしなく、
とめどもなく、

といった意味が、シフトして、

心なき秋の月夜(つくよ)の物思(も)ふと寝(い)のねらえぬに照りつつもとな(万葉集)、
いづくより来りしものそ眼交(まなかひ)に母等奈(モトナ)かかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ(仝上)、

と、

やたらに……してどうにもならない、
しきりに、
みだりに、
無性に、

の意で使われる(大言海・広辞苑・岩波古語辞典)。多く、

自分には制御のきかない事態をあきれて眺めているさまに用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「元」(漢音ゲン、呉音ガン、慣用ゴン)の異体字は、

圓(繁体字)、玄(語義)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%83

圓、

は、

中国における貨幣単位、圆の別表記、

で、

玄、

は、

「玄」の避諱字。宋の時代では聖祖の諱「玄朗」を避けるため、清の時代では康熙帝の諱「玄Y」を避けるためと言われる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%83。字源は、

象形。丌(人体)の上にまるい印(あたま)を描いたもので、人間の丸い頭のこと。頭は上部の端にあるので、転じて先端、はじめの意となる、

とある(漢字源)。他も、

象形。頭を強調した人体を象る。「あたま」を意味する漢語{元 /*ngon/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%83

象形。人の首の部分をまるく大きな形で示し、その下に人の側身形を加える。首の意。元首という。〔説文〕一上に「始なり」と元始の意とする。戦場で命を全うして無事に帰還し、廟に報告することを完といい、結髪してに廟報ずるを冠といい、虜囚を廟に献じてこれを殴(う)つことを寇という。元に正・嫡・長・大の意があり、みな頭首の意から出ている。自然界にも適用して、元気・太元のようにいう(字通)、

と、象形文字とするが、

指事。儿と、二(頭部を示す)とから成り、人の頭、ひいて、おさ、「もと」などの意を表す(角川新字源)、

と、解釈は似ているが、指事文字(抽象的概念を点や線の位置関係等で示す方法)とするものもある。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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日に異(け)に


我が命(いのち)の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも(笠郎女)

の、

日に異(け)に、

は、

日に程度が異なって、日増しに、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

日(け)

で触れたように、この、

ひにけに、

の、

け、

は、

異、

の意で、

ke、

の音、

け(日)、

は、

kë、

の音と(岩波古語辞典)、上代、

「け(異)」は甲類音、
「け(日)」は乙類音、

と別であり、

日に日(け)に、

とは別語である(精選版日本国語大辞典)。

日に日(け)に、

は、

日毎に、
毎日、

の意だが、

日に異(け)に、

の、

ケは異なっている意、

で(岩波古語辞典)、

日々に変って、

が転じて、

日増しに、

あるいは、

日がたつにつれて、
一日一日と、

また、

毎日毎日、
連日、

の意で使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

あしひきのこの片山のもむ楡(にれ)を五百枝(いほえ)剝(は)き垂れ天照るや日の異(け)に干し(万葉集)

ひのけに(日異)、

という言い方もあるが、

日に異に、

と同じで(精選版日本国語大辞典・伊藤博訳注『新版万葉集』)、

日増しに、

と訳す(仝上)。これを、

日の気に、

と解する説もあるが、

「け(気)」は乙類音、
「け(異)」は甲類音、

なので誤りとしている(精選版日本国語大辞典)。また、

月に日に異に(つきにひにけに)、

という言い方もあり、この場合、

月がたち日がたつにつれて、
月ごと日ごとに、
毎月毎日、

の意で、

春日野に朝ゐる雲のしくしくに吾は恋ひまさる月に日に異に(つきニひニけニ)(万葉集)、

では、

月日が経つにつれてだんだんと、

と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

恋にもぞ人は死にする水無瀬川下(した)ゆ我れ瘦(や)す月に日に異に(万葉集)

では、

(私は痩せ細るばかりです)月ごと日ごとに、

と訳す(仝上)さらに、

辺(へ)つ波のいやしくしくに月に異に(つきニけニ)日に日に見とも(万葉集)、

と、

月に異に(つきにけに)、

という言い方も、

月ごとに、
月がたつにつれて、

の意で、

月ごと、

と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

異(け)、

は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

異、コトニ・コトナリ・ケニ、

とあり、

奇(く)し、異(け)しの語根(大言海)、
「怪」の音転(和訓集説)、
カ(気)の変化した語(国語溯原=大矢徹)、
斎・浄に相反する概念を示す語で、ケガレ(穢)の原語。凶異の意にも転用された(日本古語大辞典=松岡静雄)、

などとあるが、

奇(く)し、異(け)しの語根、

というのが意味的にも妥当な気がする。

け(異)、

は、

其の烟気(けぶり)、遠く薫(かを)る。則ち異(ケ)なりとして献る(日本書紀)、
妹が手を取石(とろし)の池の波の間ゆ鳥が音(ね)異(けに)鳴く秋過ぎぬらし(万葉集)、

と、

普通、一般とは違っているさま、
いつもと変わっている、
他のものとは異なっているさま、

意の状態表現から、それをプラスに意味づけて、価値表現に転じ、

秋と言へば心そ痛きうたて家爾(ケニ)花になそへて見まく欲(ほ)りかも(万葉集)、

と、

自分でも不思議なほど奇妙 に、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、

ある基準となるものと比べて、程度がはなはだしいさま、
きわだっているさま、

の意で、多く、

連用形「けに」の形で、特に、一段と、とりわけなどの意で用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。さらに、

行ひなれたる法師よりは、けなり(源氏物語)、
御かたちのいみじうにほひやかに、うつくしげなるさまは、からなでしこの咲ける盛りを見んよりもけなるに(夜の寝覚)、

と、

能力、心ばえ、様子などが特にすぐれているさま、
すばらしいさま、

の意でも使う(仝上)。

「異」(イ)の異字体は、

㔴、异(簡体字)、潩、熼、霬、𠔱、𢄖、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0。字源は、

会意文字。「おおきなざる、または頭+両手を出したからだ」で、一本の手のほか、もう一本の別の手をそえて物をもつさま。同一ではなく、別にもう一つとの意、

とある(漢字源)。他は、

会意兼形声文字です(羽()+異)。「鳥の両翼」の象形と「人が鬼払いにかぶる面をつけて両手をあげている」象形(「敬い助ける」の意味)から、「両翼・つばさ」を意味する「翼」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1455.html

と、会意兼形声もじながら、「面」と解し、同趣しながら、他は、

象形文字。鬼の面をかぶって両手を挙げた形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0

象形。人が大きな仮面をかぶって立っているさまにかたどる。神に扮(ふん)する人、ひいて、常人と「ことなる」、また、「あやしい」意を表す(角川新字源)。

象形。〔説文〕三上に「分つなり」と分異の意とし、字を畀(ひ)(与える)+廾(きよう)(両手)の会意とする。卜文・金文の字形によると、鬼頭のものが両手をあげている形。畏はその側身形。神異のものを示す(字通)、

と、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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裹む

 

沖辺(おきへ)行き辺(へ)を行き今や妹(いも)がため我が漁(すなど)れる藻附(もふし)束鮒(つかふな)(高安王)、

の、

束鮒、

は、

こぶし幅程の長さの鮒、

で、

謙遜、

とあり、

藻附(もふし)束鮒(つかふな)、

を、

藻の中に潜んでいるちっぽけな鮒、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

束、

は、

握、

で、

八束

で触れたように、

握った解きの四本の指の幅程の長さ、

をいう(広辞苑)。

この歌の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、

裹(つつ)める鮒を娘子(をとめ)に贈る歌一首、

とある。この、

裹む、

は、

包む、

とも当てるが、「雨障み」で触れたように、

愼(つつ)む、
障(つつ)む、
恙(つつ)む、

と繋がり、

裹(包)む、

の、

ツツ、

は、

ツト(苞)と同根、

愼(つつ)む、

は、

ツツ(包)ムと同根、悪いことが外に漏れないように用心する(岩波古語辞典)、
人の感情や表情を内におさえて、外に表われないようにする(精選版日本国語大辞典)、

などとあり、

障(つつ)む、
恙(つつ)む、

は、

ツツム(包)と同根、こもって謹慎する意、

とある(岩波古語辞典)。

苞豆腐

で触れたように、

苞(つと)、

は、

苞苴、

とも当て(「苞苴」は「ほうしょ」とも訓む。意味は同じ)、

わらなどを束ねてその両端を縛り、中間部で物をくるむもの、

で、

藁苞(わらづと)、
荒巻(あらまき 「苞苴」「新巻」とも当てる)、

とも言う(広辞苑)が、「苞」には、

土産、

の意味がある(広辞苑)のは、

歩いて持ってくるのに便利なように包んできたから、

で(たべもの語源辞典)、土産の意では、

家苞(いえづと)、

ともいう(広辞苑)。「苞」は、また、

すぼづと、

ともいう(たべもの語源辞典)が、

スボというのはスボミたる形から呼ばれた、

かららしい(仝上)。

苞(つと)、

は、

つつむ

で触れたように、

ツツム(包)のツツと同根、包んだものの意、

であり(岩波古語辞典)、

包(ツツ)の転(大言海)、
ツツムの語幹、ツツの変化(日本語源広辞典)、

と、

つつむ、

とつながる。

つつむ

は、

詰め詰むの略、約(つづ)むに通ず(大言海)

とする(大言海)が、

約(つづ)む、

は、

詰め詰むるの略、ちぢむ(縮)と通ず、

とある(仝上)。

つづむ、

は、

縮(ちぢ)める、

意なので、

ちぢむ、

は、

しじむ、

の転ずる(岩波古語辞典)。

しじむ、

は、

蹙む、

とも当て、「顰蹙」の「蹙」で、

しかめる、

意である。

包む、

の語源には、他にも、

乱れないようにツヅメル(約)の意(日本語源=賀茂百樹)、
ツム(詰む)から(国語溯原=大矢徹)、
タタム(畳)の転(和語私臆鈔)、

などと、「つづめる」「詰む」に関わらせる説は多い。しかし、「つつむ」を「縮める」とするのは、ちょっとずれている気がする。むしろ、「苞」との関連の方が、「つつむ」の語感にはあうのではないか。

ツツム(包・裹・障)で、隠して見えなくするのが語源です。とりかこむ、おおって入れる、広げた布の中に入れて結ぶなどは、後に派生したか、

とする(日本語源広辞典)のは、語源の説明になっていないが、語感としてはこんな感じである。

tuto→tutu、

あるいは、

tutu→tuto、

の転訛はあり得るのではないか。「苞」の項で、大言海は、

包(つつ)の転、

とする。そして、「つつ」で連想する、

筒(つつ)、

の項で、矛盾するように、

包む意ならむ、

という。とすると、

tutu→tuto、

だけでなく、

tutu→tutumu、

と、「つつ」を活用させたとみることもできる。いずれも、

物をおおって中に入れる、

意(「つつむ」の意味)である。「つつむ」は、「苞(つと)」と同根であり、「筒(つつ)」ともつながるとすれば、「つつむ」は、

「苞」

「筒」

の動詞化なのではあるまいか。また、

つつむ、

は、

慎む、

とも当てる。だから、「包む」の語源を、

ツツシムからか(和句解)、

とする説もある。

慎(つつ)む、

も、

つつむ(包)と同根、悪いことが外に漏れないように用心する意、

と、

包む、

とつながるが、さらに、

恙む、
障む、

と当てる、

つつむ、

も、

包むと同根、こもって謹慎する意、

とある(岩波古語辞典)が、大言海は、

斎(つつ)むより轉ず

としている。ただ、辞書には載らず、確かめようがない。

包む、

は、

ま/み/む/む/め/め、

の、他動詞マ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、

ある物を別の物で覆ったり囲んだりする、

意で、

白玉を都々美(ツツミ)て遣(や)らば菖蒲草(あやめぐさ)花橘にあへも貫(ぬ)くがね」(万葉集)、

と、

物の全体を布、紙などの中におおいかこむ、
おおってその中にいれる。

意、

敵に後をつつまれじと思ければ、一戦もせで兵庫を指て引退く(太平記)、

と、

まわりをとりかこむ、
周囲をとりまく、

意、

白鳥(しろとり)の羽が堤を都都牟(ツツム)ともあらふまもうきはこえ(常陸風土記)。

と、

土を盛ったりして水の流れを囲んでせきとめる、
堤をきずいて水を防ぐ、

意で、

一面には温容あれども威厳を包める斉武の全権委員威波能(「経国美談(1883‐84)」)、

の、

中にふくみもつ、
ふくむ、

意のように、

お車代として1万円つつむ、

の、

謝意または慶意や弔意を示すために、お金をのし紙などにくるんで渡す、

意などは、比較的新しい使い方である(精選版日本国語大辞典)。

慎(つつ)む、

は、

ま/み/む/む/め/め

の、他動詞マ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、

人の感情や表情を内におさえて、外に表われないようにする、

意で、

たらちねの母にも言はず褁有(つつめり)し心はよしゑ君がまにまに(万葉集)、

と、

表面にあらわさないで心の中にかくす、
心にひめる、

意で、涙をこらえることにもいい、日葡辞書(1603〜04)には、

Tçutçumazu(ツツマズ)モノヲユウ、

とある。また、

昔思いでらるるにえつつみあへで、寄りゐ給へる柱もとのすだれの下より、やをらおよびて御袙(あこめ) をとらへつ(源氏物語)、

と、

感情の高ぶりをこらえる、
堪えしのぶ、

意、

人目も今はつつみ給はず泣き給ふ(竹取物語)、

と、

他人の思わくを気づかって用心する、
人目をはばかる、
つつしむ、
気がねする、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

恙(つつ)む、
障(つつ)む、

は、

ま/み/む/む/め/め、

の、自動詞マ行四段活用で(学研全訳古語辞典)、

青海原(あをうなはら)風波(なみかぜ)なびき行(ゆ)くさ来(く)さ都々牟(ツツム)ことなく船は早けむ(万葉集)、

と、

さしさわる、
さしつかえる、
故障をおこす、
障害をうける、

意や、

罷りまさむ道は平らけく幸く都都牟(ツツム)事無く(続日本紀)、

と、

わずらう、
病気になる、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

「包」(漢音ホウ、呉音ヒョウ)は、「負ひみ抱(むだ)きみ」で触れたように、

象形、からだのできかけた胎児(巳)を子宮膜のなかにつつんでみごもるさまを描いたもの、胞(子宮でつつんだ胎児)の原字(漢字源)、

巳は胎児の象形。音符の勹は、人が腕をのばして、抱えこんでいるいる形にかたどり、つつむの意味。みごもるさまから、一般に、つつむの意味をあらわす(漢語林)、

象形。人が子を身ごもっているさまにかたどる。みごもる、ひいて「つつむ」意を表す(角川新字源)、

象形。人の腹中に胎児のある形。〔説文〕九上に「人の褱妊(くわいにん)するに象る。巳(み)、中に在り。子の未だ成らざる形に象る。元气は子(ね)に起る。子は人の生まるる所なり」とし、なお十二支との関連を説くが、関係のないことである。うちに包蔵する意より、包括・包囲の意となる(字通)、

とあり、別に、同じ解釋ながら、

会意兼形声文字です(己(巳)+勹)。「人が腕を伸ばしてかかえ込んでいる」象形と「胎児」の象形から、「つつむ」を意味する「包」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji672.html

と、会意兼形声文字とする説もある。しかし、これらの、

胎児が子宮に包まれている様子を描いた象形文字という説があるが、甲骨文字や金文などの資料とは一致していない誤説である、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%85

象形。人が子を抱く様子。「だく」「いだく」を意味する漢語{抱 /buuʔ/}を表す字。のち仮借して{包 /*pruu/}に用いる(仝上)、

としている。

「裹」(カ)の異字体は、「くぐつ」で触れたように、

果、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%B9)。字源は、

形声。「衣」+音符「果 /*KOJ/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A3%B9

会意文字。衣+果。果を衣中に加えるのは、招魂のための魂振り儀礼。死喪のとき行ったものであろう。〔説文〕八上に「纏(まと)ふなり。果聲」とするが、哀・襄・褱などの構造から考えると、この字も会意である(字通)、

と別れている。なお、晋平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)には、

裹 豆々牟(つつむ)、

類聚名義抄(11〜12世紀)には、

裹 ツツム・マトフ・メグル・ハナフサ・フサ、

とある。

「愼(慎)」(漢音シン、呉音ジン)は、

会意兼形声。眞(シン)は、欠けめなく充実したこと。愼は「こころ+音符眞」で、心が欠けめなくすみずみまでゆきとどくこと、

とある(漢字源)。別に、同じ会意兼形声文字でも、

会意兼形声文字です(忄(心)+真(眞))。「心臓」の象形と「さじの象形と鼎(かなえ)-中国の土器の象形」(「つめる」の意味)から、心のすみずみまでつめこむ事を意味し、そこから、「つつしむ」を意味する「慎」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1266.html

との解釈もある。しかし、他は、

形声。「心」+音符「眞/*TIN/」。「つつしむ」を意味する漢語{愼/*dins/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B0%E4%BD%93%E5%AD%97

形声。心と、音符眞(シン)とから成る。「つつしむ」意を表す(角川新字源)、

形声。旧字は愼に作り、眞(真)(しん)声。眞とは顚死(てんし)者をいう。〔説文〕十下に「謹むなり」とあり、謹字条三上に「愼むなり」とあって互訓。顚死者はおそるべき呪霊をもつものであるから、慎重に塡(うず)め、祭所にゥ(お)き、その瞋(いか)りを鎮めまつる必要があった。〔説文〕に古文としてみえる形は、金文にもみえるもので、日はおそらく玉の形、人に玉を加えて、魂振りする形かと思われる(字通)、

と形声文字としている。

雨障(あまつつ)み」で触れたように、

「障」(ショウ)は、

形声。「阜(壁やへい)+音符章」で、平面をあてて進行をさしとめること。章(あきらか)の原義には関係がない、

とある(漢字源)。他も、

形声。阜と、音符章(シヤウ)とから成る。へだてる、ひいて、さえぎる、「ふせぐ」意を表す(角川新字源)

形声文字です。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「墨だまりのついた大きな入れ墨ようの針」の象形(「しるし」の意味だが、ここでは「倉(ショウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしおおう」の意味)から、丘でかくし「へだてる」を意味する「障」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji989.html)、
形声。声符は章(しよう)。〔説文〕十四下に「隔つるなり」とあり、障壁をなすことをいう。〔左伝、定十二年〕の「保障」は「堡障」の意。鄣も声義同じ。土部十三下に「墇は擁(ふさ)ぐなり」とあって、これは壅塞(ようそく)することをいう。𨸏(ふ)は神の陟降する神梯の象であるから、障は聖域を壅ぎ衛る意である(字通)、

と、いずれも形声文字とする。

恙無し」、「布帆無恙」で触れたことだが、

恙無し、

は、中国の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、

恙、憂也、

とあり、中国最古の字書『爾雅』(秦・漢初頃 周代から漢代の諸経書の伝注を採録したもの。東晋の郭璞 (かくはく) の注がある)釈詁下篇の注には、

今人云無恙謂無憂也(今人無恙と云うは、憂いの無きを謂うなり)、

とある。漢・六朝から、

相手の安否を尋ねる手紙の常套句となった、

という(仝上)。

「恙」(ヨウ)は、

形声。「心+音符羊」(漢字源)、

形声。声符は羊(よう)。〔説文〕十下に「憂ふるなり」、〔玉篇〕になお「病なり」の訓を加える。〔詩、邶風、二子乗舟〕「中心養養(やうやう)たり」の〔毛伝〕に「養養然は憂へて定むる所を知らず」とあり、養は恙の意。〔呂覧、異用〕に、孔子が弟子を迎えるとき、「子(し)の父母、恙(つつが)有らざるか」と問うたという。恙虫は「けだに」の幼虫、風土病の病原体を媒介するものとしておそれられた(字通)、

などとあり、

ツツガムシ、

の意とある(漢字源)が、

伝説上の害虫、

とし、

上古より、人の心を食うとされ、これに噛まれることをおそれた、漢代頃から、(上述のように)人をねぎらう語として「無恙」が書簡などに用いられた、

とある(漢辞海)ので、この、

恙、

は、現実の

ツツガムシ、

とは別のものを指していた可能性がある。で、

越後国に、害虫に、つつがと名づくるは、(拠なき説の)誤りを受けたるなり、

とある(大言海)のが正しいようだ。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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をち水

 

我がたもとまかむと思はむますらをはをち水求め白髪(しらが)生(お)ひたり(万葉集)、

の、

をち水、

は、

月にある若返りの水、

を指す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

をちみづ、

は、

復(ち)水、
変若(ち)水、

と当て、

飲むと若返るという水、

をいい、

天橋(あまはし)も長くもがも高山(たかやま)も高くもがも月夜見(つよくみ)の持てるをち水い取り来 て君に奉りてをち得てしかも(万葉集)、

と、

上代、月にあると信じられていた水で、欠けた月がまた満ちることを生き返ると考えたところから生じたという(精選版日本国語大辞典)、
月は欠けて、また満ちるところから、月の神が持っているとされた(デジタル大辞泉)、
月神が持つとされた。月は欠けてまた満ちるので若返るものとみられたらしい(岩波古語辞典)、

と解されている。

をち水、

の、

おち、

は、

ち/ち/つ/つる/つれ/ちよ、

と、自動詞タ行上二段活用の、

をつ、

の連用形、

をつ

は、

復つ、
変若つ、

と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、

「をとめ」の「をと」と同根(広辞苑)、
ヲトコ・ヲトメのヲトと同根(岩波古語辞典)、
(「をとめ」の)「をと」は若返る意の動詞「をつ(復)」と同源という。「未通女」とも表記し、結婚適齢期の女性の意(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

若々しい活力が戻る、
若返る、

意で(仝上)、

をとこ
をとめ

でふれたように、

をとこ、
をとめ、

の、

をと、

は、

「をつ」の名詞形、

であり、

をつ、

は、

変若(お)つること、

つまり、

もとへ戻ること、
初へ返ること、

で、

我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ(大伴旅人)、

と、

若々しい活力が戻る、
生命が若返る、

意であり(岩波古語辞典・大言海)、

若い、
未熟、

の含意である。

「復」(@漢音フク、呉音ブク、A漢音フウ、呉音フク、慣用フク)は、「を(復)つ」で触れたように、

会意兼形声。复(フク)は「夂(あし)+音符畐(フク)」の形声文字。畐は腹のふくれたほとぎ(湯水を入れる器)で、ここは音を示すだけで、意味には関係ない。報道の報(仕返す)と同系のことばで、↓の方向にきたものを↑の方向にもどすこと。復は、さらに彳(いく)を加えたもので、同じコースを往復すること、

とあり(漢字源)、「復帰」「回復」等々の「かえる」「許の状態表現にもどる」などの意の場合、@の音。「不可復」のように、もう一度繰り返す意の場合、Aの音。俗に「フク」と訓む(仝上)。また、

会意兼形声文字です(彳+复)。「十字路の左半分」の象形(「道を行く」の意味)」と「ふっくらした酒ツボの象形と下向きの足の象形」(「ひっくり返った酒ツボをもとに戻す」の意味)から、「もとの道をかえる」、「ふたたび」を意味する「復」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji758.html

ともあるが、他は、

形声。「彳」+音符「复 /*PUK/」。{復 /*b(r)uk/}を表す字。もと「复」が{復}を表す字であったが、行人偏を加えた(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%A9)

形声。彳と、音符复(フク)とから成る。もとの道をもどる、ひいて、「ふたたびする」意を表す(角川新字源)、

形声。声符は复(ふく)。复は量器を反覆する形。道路の意の彳(てき)を加えて、往来反復の意とする。〔説文〕二下に「往來するなり」と訓し、復帰の意。金文に「厥(そ)の絲束を復せしむ」「則ち復命せしむ」のように、返付・返報の意に用いる。もとの状態に回復することをもいい、招魂の儀礼を復という。復するときは屋上に上って北嚮導し、衣を以て招き、「皋(ああ)、某復(かへ)れ」とよぶ(字通)

と、形声文字としている。なお、

复、

の異字体は、

復(繁体字)、複(繁体字)、覆(繁体字)

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%8D)

形声。「夊」+音符「𠰞 /*PUK/」。{復 /*b(r)uk/}を表す字、

とある(仝上)。

「水」(スイ)の異体字は、

氵(部首の変形)、氺(部首の変形)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4。字源は、

象形。みずの流れの姿を描いたもの(漢字源)、

象形。水流を象。「みず」を意味する漢語{水 /*stujʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4

象形。水が流れるさまにかたどり、河川・水液の意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「流れる水」の象形から、「みず」を意味する「水」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji83.html

象形。水の流れる形に象る。〔説文〕十一上に「準(たひ)らかなるなり」と水準の意とする。〔周礼、考工記、輈人、注〕に「故書に準を水に作る」とあって、水を水準の器に用いた。〔説文〕にまた「北方の行なり」というのは、五行説では水を北に配するからであるが、「衆水竝び流れ、中に微陽の气(き)有るに象る」といい、中の一画を陽、両旁を陰の象とし、坎の卦にあてて解するのは、拘泥の説である(字通)、

と、全て象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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へつかふ


絶ゆと言はばわびしみせむと焼太刀(やきたち)のへつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君(万葉集)、

の、

わびしみせむと、

は、

私がしょんぼりすると思って、

と訳され、

焼太刀の、

は、

へつかふ、

の枕詞(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

へつかふ、

は、

そばにちかづく、

意で(広辞苑)、

へつかふことは幸(さき)くや我(あ)が君、

は、

私にいつもくっついていますが、それでもお宅は平穏ですか、

と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

へつかふ、

は、

辺付かふ、

と当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

動詞「へつく(辺付)」の未然形に反復・継続の意を表わす助動詞「ふ」の付いたもの(精選版日本国語大辞典)、
へつく(邊付)の延(大言海)、

と、異同があるが、

そばに近づく、

意で、

辺付かふ、

と当てているように、

鯨魚取(いさなと)り近江(あふみ)の海を沖放(さ)けてこぎ来る船辺附(へつき)てこぎ来る船沖つ櫂(かい)いたくな撥ねそ辺(へ)つ櫂いたくな撥ねそ若草の夫(つま)の思ふ鳥立つ(万葉集)

では、

辺附(へつき)て、

を、

岩辺に沿うて

と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)ており、

岸に近づく、

特に、

舟が岸べに近づいてくる、近寄る、

意でもある(精選版日本国語大辞典)。なお、この歌の、

辺(へ)つ櫂、

の、

辺、

は、

海の岸辺、
岸に近いところ、
海のほとり、

になる。

辺(へ)つ櫂、

の、

辺(へ)つ、

の、

つ、

は、

「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研全訳古語辞典)、
「つ」は連体助詞(岩波古語辞典)、
「つ」は「の」の意の古い格助詞(デジタル大辞泉)、
「つ」は格助詞で、「の」に相当する(精選版日本国語大辞典)、

と異同はあるが、

奈良時代に多くもちいられた助詞で、位置とか、存在の場所とかを示すことが多い、

とあり、

天つ神・国つ~、
置つ櫂・辺(へ)つ櫂、
内つ宮・外(と)宮、
山つみ・海(わた)つみ、
上つ瀬・中つ瀬・下つ瀬、

のように対になった語が多い(岩波古語辞典)。

で、

辺(へ)、

の対は、

沖(奥 おき)、

で、

沖にある、
沖の、

の意、

辺(へ)つ櫂、

は、

岸辺をこぐ櫂、

沖つ櫂、

が、

沖をこぐ(舟の)櫂、

となる。

辺(へ)つ櫂・沖つ櫂

と似たセットは、

辺(へ)つ方・沖つ方、
辺つ波・沖つ波、
辺つ藻・沖つ藻、
辺つ風・沖つ風、
辺つ宮・沖つ宮、
辺鏡(へつかがみ)・奥鏡(おきつかがみ)

等々がある。

「邊(辺)」(ヘン)の異体字は、

边(簡体字)、辺(新字体)、邉(俗字)、𦍇(古字)、𨓉、𨕙、𨖂、𨘢(本字)、𨘳、𫟪、𬪟、𮞰、𮞽、𮞾(同字)、𮟗、𮟚、𮟣(俗字)、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%82%8A)。字源は、

会意兼形声。臱(ヘン・メン)は「自(鼻)+両側にわかれるしるし+方(両側に張り出る)」の会意文字で、鼻の両脇に出たはなぶたのはしをあらわす。邊はそれを音符とし、辶(歩く)を加えた字で、いきづまるはてまで歩いて行ったそのはしをあらわす。辺は、宋・元の頃以来の略字、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(辶(辵)+刀(臱))。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「鼻の象形と台の象形とはりつけになった人の象形」(「邪神の侵入を防ぐ境界におかれたおまじない」の意味)から「ほとり(あたり、そば)」を意味する「辺」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji559.html

と会意兼形声文字とするものもあるが、他は、

形声。「辵」+音符「𦤝 /*PEN/」。「そば」「さかい」を意味する漢語{邊 /*peen/}を表す字。https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%82%8A

形声。辵と、音符臱(ヘン)とから成る。道のかたわら、ひいて「ほとり」の意を表す。教育用漢字は俗字による(角川新字源)、

形声。旧字は邊に作り、臱(へん)声。臱はまた𦤝に作る。自は鼻の象形。下は台架の形。鼻穴を上にして台上におかれた屍体の形で、首祭として知られている祭梟の俗を示す。いわゆる髑髏棚(どくろだな)である。臱は架屍の象。方は人を磔(たく)する形。これを外界と接する要所に設けて、呪禁とした。それで境界の意となり、辺境の意となり、辺端の意となる。〔説文〕二下に「垂崖を行くなり」とし、辺崖の意とする。〔説文〕四上は𦤝 (へん)に「宮見えざるなり。闕」としており、𦤝の形義について説解を加えていない。〔爾雅、釈詁〕「垂なり」、〔広雅、釈詁四〕「方なり」は、両者を合わせて外方の意となるが、邊は本来祭梟(さいきよう)を行う塞外の地をいう語である。金文の〔大盂鼎(だいうてい)〕に「殷の邊侯甸(でん)」の語があり、辺境の諸侯をいう。侯は候望の意。辺塞をまた辺徼(へんきよう)という。徼もまた髑髏の形である白と、架屍(かし)の象である方とに従い、これを攴(う)つ祭梟の俗を示す字で、辺塞の呪禁をいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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くるべき


我妹子(わぎもこ)に恋ひて乱ればくるべきに懸けて撚らむと我(あ)が恋ひそめし(湯原王)

の、

くるべき、

は、

糸車、

で、

我が恋ひそめし、

は、

別れるときはこうでも言おうと思っていたの表現で、一種の負け惜しみ、

と注釈し、

乱れ心を糸車にかけて、うまいこと搓り直せばよいと、そう思って恋い初めただけのこと、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

くるべき、

は、

反転、

と当て、

糸を繰る道具、

で、

台に短いさおを立て、その上に回転するわくをつけたもの、

とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

くるべき、

は、

まひば、

の古名なるべしと云ふ、

とある(大言海)。新撰字鏡(898〜901)には、

反転、久留戸木(くるべき)、

東雅(江戸中期 新井白石)には、

此語を、カセワとも云ひ、また、マヒバとも云ふなり、……今、東国の方には、クルベキと云ふなり、

江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安)には、

今俗、呼萬比波者、盖是、

箋注和名抄(江戸後期)には、

反轉、久流閉枳、

などとある。

クルマキ(車木)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、

とする説もあるが、

くるべき、

は、

くるべく(回転)の名詞形(名語記・大言海)、

とみてよく、

くるべく、

は、

か/き/く/く/け/け、

の、自動詞カ行四段活用で、その連用形の名詞化である。

くるべく、

は、

転べく、

と当て、

見も知らぬくるべくもの、二人して引かせて、歌うたはせなどするを、めづらしくてわらふ(枕草子)、

と、

くるくる回る、

意で、

鉢独楽(こまつぶり)のやうにくるめきて、唐の僧の鉢よりも速く飛びて、物を受けて帰りぬ(宇治拾遺物語)

と、

くるめく(転めく)、

ともいう。ただ、

くるめく、

は、

この女、暁たたんまうけなどもしにやりて、いそぎくるめくがいとほしければ(宇治拾遺物語)、

と、

あわててさわぎまわる、
せわしく立ちまわる、

意や、多く、

メガ kurumei(クルメイ) テ タオレ(「和英語林集成(1867)」)、

と、

めくるめく、

の形で用いたりする(精選版日本国語大辞典)。

まひば、

は、

まいば、

ともいい(大言海)、

舞羽

と当て、

蝠車(まいのは)、

ともいい、

巻羽(まきば)の音便、

とされ(仝上)、

古へ、反轉(くるべき)、と云へる、之かと云ふ、

とあり(仝上)、

臺に短き竿を立て、其上に十字形の木匡(わく)を挿(は)め、木匡の四端に竹を挿して、之に絲を掛け、木匡を廻らしながら糸を絡(まと)ふもの(大言海)、
短い竿を立てて、上に枠を添えて回す、糸を巻く器具(広辞苑)、
糸を巻く道具。台に立てた短い竿(さお)の上に十字形の枠(わく)を載せて回し、枠の四端に差した竹に糸を掛けて巻き取るようにしたもの(精選版日本国語大辞典)、

とあり、書言字考節用集(江戸中期)には、

撥柎、マイバ、マキソク、巻絲具也、蟠車、同、

和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)には、

蟠車、まいのは、俗云、末以乃波、……按、今所用木綿蟠車、以譃(かせ)絡縷於篗(わく)者也、其車如十字而端穿穴、彎(ソリタル)竹四柱挿之、使不乱、其竹名曰止宇土、

とある。これには、

撥車(かせくるま、はっしゃ)(『機織彙編』『和漢三才図絵』)
械棒(かごめぽう、か入めぼう、かがめぽう、まひぽう)(『越能山津登』)
蝠車(まいのは、まひば)(『倭漢三オ図絵』『訓蒙図彙』『機織彙編』)
撥柑(はっぷ)(『倭漢三才図絵』『訓蒙図彙』)
車柑(しゃふ)(『倭漠三才図絵』)
なかて(『民俗選集』)
かせぽう(『越能山都登』)
まわしぼう(『越能山都登』

等々の名がある(角山幸洋「出土『舞羽』について」www.kansai-u.ac.jp/Tozaiken/publication/asset/bulletin/25/17kakuyama.pdf)。

「反」(漢音ハン、呉音ホン、慣用タン)の異字体、

叛(別字/被代用字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%8D。字源は、

会意文字。「厂+又(て)」で、布または薄い板を手で押して、そらせた姿。そったものはもとにかえり、また、薄い布や板はひらひらとひるがえるところから、かえる・ひるがえるの意となる、

とある(漢字源)。他も、

会意。「厂 (崖)」+「又 (手)」、崖に手をかけてよじ登るさまを象る。「よじる」「よじ登る」を意味する漢語{攀 /*phraan/}を表す字。のち仮借して「くつがえす」「かえる」を意味する漢語{反 /*panʔ/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%8D)

会意文字です(厂+又)。「がけの象形」と「手の象形」から、のしかかる岩のような重圧で手を「かえす、くつがえす」を意味する「反」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji411.html

会意。厂(かん)+又(ゆう)。厂は崖の形。反はそこに手(又)をかけて攀援(はんえん)する(よじのぼる)形。そのような地勢のところを坂といい、もし聖所ならば阪という。阪の従う𨸏(ふ)は聖梯の形。聖所に攀援することを試みるような行為は、反逆とみなされた。〔説文〕三下に「覆(くつがへ)すなり。又に從ひ、厂は反する形なり」とする。〔繁伝〕にも厂を「物の反覆するに象る」とするが、その形とはみえない。金文の〔小臣単觶(しようしんたんし)〕に、厂下に土を加えている字形があり、土は社の初文で聖所を示す字とみられる。〔小臣「言+速」「皀+殳」(しようしんそくき)〕に「東夷、大いに反す」のように、叛逆の意に用い、また〔頌鼎(しようてい)〕「瑾璋(きんしやう)(灌鬯(かんちよう)のための玉器)を反入(へんなふ)(返納)す」のように往反の意に用いる(字通)、

と、会意文字とするが、

形声。又と、音符厂(カン)→(ハン)とから成る。手のひらを返す、ひいて「かえる」意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とするものもある。

「轉(転)」(テン)の異体字は、

転(新字体)、转(簡体字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BD%89。字源は、

会意兼形声。專(専)の原字は、つり下げたまるい紡錘を描いた象形文字。專はそれに寸(手)をそえたもので、まるく回転する意を含む。轉は「車+音符專(セン・タン)」で、車のように回転すること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(車+專)。「車」の象形と「糸巻きの象形と手の象形」(「糸を糸巻きにぐるぐる巻きつける」の意味)から、車を「まわす、めぐる」を意味する「轉/転」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji482.html

と、会意兼形声文字とするが、他は、

形声。「車」+音符「專 /*TON/」。「まわる」「めぐる」を意味する漢語{轉 /*tronʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BD%89

形声。車と、音符專(セン)→(テン)とから成る。車がまわる、ひいて「ころがる」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

形声。旧字は轉に作り、声符は專(専)(せん)。專に團(団)(だん)・傳(伝)(でん)の声がある。〔説文〕十四上に「運ぶなり」という。專は囊(ふくろ)の中のものをうちかためて円くする意で、「專」の寸を取った字((けい)が囊の形。專に円転の意がある。車輪を用いて運送することを転という。また回転すること、事態の変化推移することをいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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かつがつ


玉守(たまもり)に玉は授(さず)けてかつがつも枕と我れはいざふたりねむ(大伴坂上郎女)

の、

かつがつも、

は、

ともかくも、

の意、

心底からは納得しない気持ち、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

かつがつ、

は、

且且、
克克、

と当てる(広辞苑)。

一説に、「耐える」意の「かつ」を重ねたもので、本来、「こらえこらえ」の意か(広辞苑)、
耐える意の動詞「かつ」の終止形を重ねたものか(精選版日本国語大辞典)、
動詞カツ(克・耐)の終止形カツを重ねて副詞としたもの。原義はこらえこらえ、

とあり、

加都賀都(カツガツ)も最(いや)前(さき)立てる兄(え)をし枕(ま)かむ(古事記)、

と、

ある事態が不十分ながら成り立つことを表わす語、

として、

不満足に耐えながら、
どうにかこうにか、
まあ、ともかくも、
わずかに、
やっと、

といった意や、

ささして、まゐり給ことあなり。かつがつまゐりて、とどめきこえよ。ただ今わたらせ給ふ(蜻蛉日記)、

と、

ある事態を不十分ながらもすばやく成り立たせる時の、とり急いだ気持を表わす語、

として、

とりあえず、
差し当って、
急いで、

といった意、さらに、

夕ま暮ならす扇の風にこそかつがつ秋は立ちはじめけれ(「六百番歌合(1193頃)」)、

と、

待っていた状態がようやく到来したことを表わす語、

として、

(時期が未だ至らないのに)早くも、
今からもう、

という意や、

残りの命うしろめたくて、かつかつ物ゆかしがりて、慕ひまゐり給ふなりけり(源氏物語)、

と、

ある事態が、他の事態に並行して、それを補助する形で成り立つことを表わす語、

として、

それにまた、
加えてまた、
あわせて、

の意や、

住吉の御願かつかつはたし給はむとて(源氏物語)、

と、

ある事態が、時間の経過に伴って量的に充実の度を加えることを表わす語、

として、

おいおいに、
少しずつ、
徐々に、
だんだん、
次第に、

の意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。原義の、

こらえこらえ、

の、

なんとかかんとか、

という含意から、

ともかくも、

とりあえず、

早くも、

少しずつ、

といったような、その過ぎていく時間の対する心理的過程が、言葉のニュアンスの差になっていると見ることができる。この、

かつがつ、

の変化した語と目される、

かつかつ、

は、「に」を伴って用い、

「脚病ひさしくたちて無術候」とて、「かつかつ拝さふらはん」とて、いそぎ拝せられけり(「愚管抄(1220)」)、

と、

ある事態、主として暮らしが不十分ながら成り立つさま、
どうにかこうにか成り立つさま、
また、
やっと、といったさまを表わす語、

として、また、

ハマは、やっと時間かつかつに間に合ったのを欣(よろこ)びながら(井上友一郎「湘南電車(1953)、

ようやく、
やっと、
ぎりぎり、

と、今日でも、この言い方は使う(精選版日本国語大辞典)。また、

渇渇、

と当てる、

かつかつ、

も、

カツガツの転か、

とされ(岩波古語辞典)、

貧しき人を、住まひのかつかつとあると申しならはせる(名語記)、

と、

ほとんど飢えんばかりであること。貧しくて物のないこと、

の意で使う(仝上)。この、

かつかつ、

は、

予算はかつかつ、

というように、今日も使い、上記の、

かつかつ、

の意味と通じるようである。

克つ、

と当てる、

かつ,

は、

て/て/つ/つる/つれ/てよ、

の、補助動詞タ行下二段活用、

で、

玉櫛笥みもろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(万葉集)、

と、

カツ、

は、

できる意の下 二段補助動詞、マシジは打消の推量の助動詞、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、

打消しの助動詞と共に使われることが多い、

とされ(岩波古語辞典)、

じっとこらえて相手に負けない意、転じて物事をなし得る意、他の動詞の連用形につく(仝上)、
未然形「かて」に打消の助動詞「ず」の上代の連用形「に」や連体形「ぬ」を伴う「かてに(がてに)」や「かてぬ」、あるいは終止形「かつ」に打消推量の助動詞「まじ」の古い形「ましじ」を伴う「かつましじ」の形で使われることが多い(学研全訳古語辞典)、

とあり(仝上)、

……できる、
……に耐える、
……することができる、
……られる、

である(仝上・学研全訳古語辞典)。

「且」(@漢音・呉音シャ、A漢音ショ、呉音ソ)は、「かつ」で触れたように、異体字は、

𠀃(古字)、𠀇(古字)、𣅂、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%94、字源は、

象形。物を積み重ねた形を描いたもので、物を積み重ねること。転じて、重ねる意の接続詞となる。また、物の上に仮にちょっとのせたものの意から、とりあえず、間に合わせの意にも転じた、

とあり(漢字源)、接続詞として「かつ」「その上に」が@の音、「其樂只且(其れ楽しまんかな)」(詩経)と、詩句で語調を整える助辞の場合は、Aの音、とある(仝上)。他も、

象形。もと「俎」の略体で、小さな台を象る。「まないた」を意味する漢語{俎 /*tsraʔ/}を表す字。のち仮借して「かつ」「さらに」を意味する接続詞{且 /*tshaʔ/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%94

象形。肉を入れて神に供える、重ね形になっている器の形にかたどる。「俎(シヨ、ソ)」の原字。借りて「かつ」「かりに」などの意の助字に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「台上に神へのいけにえを積み重ねた」象形から、「まないた」を意味する「且」という漢字が成り立ちました。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「かつ(さらに、その上)」、「まさに・・・す(今にも・・・しようとする)」などの意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji1789.html

象形。俎(そ)の初形。まないた。俎は且上にもののある形。〔説文〕十四上に「薦(すす)むるなり」とあり、几(き)(机)の形であるとする。且は卜文に祖の意に用いる。且に物をのせ薦めて、祀る意であろう。金文に祖考を「且+又考」に作り、且を奉ずる形に作る。郭沫若は且を男根の象と解するが、奇僻にすぎる。祖廟に阝+𢍜宜(そんぎ)するを宜といい、宜もまた且に従う(字通)、

と、何れも象形文字としている。

剋(繁体字)、𠅔(古字)、𠅡(古字)、𠧳(古字)、𠧻(古字)、𡱠(同字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B。字源は、

会意文字。上部は重い頭、または兜で、下に人体の形を添えたもので、人が重さに耐えてがんばっているさまを示す。がんばって耐える意から、かつ意となる。緊張して頑張る意を含む、

とある(漢字源)が、

不詳。複数の説が存在するが定説はない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B。しかし、他の多くは、

象形。人が甲冑(かつちゆう)を着けた形にかたどり、甲冑の重さに耐える、ひいて「かつ」意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「重いかぶとを身につけた人」の象形から、「重さに耐える」、「打ち勝つ」を意味する「克」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1497.html

象形。木を彫り刻む刻鑿(こくさく)の器の形。上部は把手、下は曲刀の象。〔説文〕七上に「肩(かつ)ぐなり。屋下の木の刻形に象る」とあり、支柱の意とする。しかし金文の字形では、下部が曲刀をなしており、また〔説文〕古文の第二字は明らかに刻彔の形、すなわち錐もみの器である。刻鑿・掘鑿(くつさく)に用いる。〔詩、大雅、雲漢〕「后稷(こうしよく)克(しる)さず」の〔鄭箋〕に「克は當(まさ)に刻に作るべし。刻は識(しる)すなり」とあり、克はその克識を施すための器である。ものを刻することから、克能・克勝の意となり、また克己のように用いる(字通)

と、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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をそろ


相見ては月も経(へ)なくに戀ふと言はばをそろと我(あ)れを思ほさむかも(大伴駿河麻呂)

の、

をそろ、

は、

おそ、

は、

軽率、

ろ、

は接尾語、とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

おそろ、

は、

「おそ(軽率)」に接尾辞「ろ」の付いた語(広辞苑)、
ロは助辞、ヲソ(虚言)と云ふに同じ(大言海)、
「ろ」は接尾語、軽率の意の名詞「おそ」に同じ(精選版日本国語大辞典)、
ヲソはワサ(早稲・早熟)の母音交替形、ロは性質・状態をあらわす接尾語(岩波古語辞典)、

とあるように、

おそ+ろ、

で、

おそ、

は、

「わさ(早稲)」と同語源か(精選版日本国語大辞典)、
ワサ(早熟)の転(広辞苑)、
ワサ(早稲・早熟)の母音交替形(岩波古語辞典)、

と、

わさ、

の転とされるが、大言海は、

虚言、
嘘、

と当てて、

空(うそ)に通ず、空言(そらごと)なり、

とし、

うそ(嘘)、

の意として、冒頭の歌を引いている。しかし、

早稲(わせ)、早熟であること、

転じて、

軽率、
軽率であること、

の意とする(広辞苑・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が大勢のようである。

冒頭の歌は、

うそ、
空言、

というよりは、

かるはずみ、
せっかち、

の意の方が納得がゆく。

おそ、

は、

おそろ、
おおおそど、

など、複合語として用いられる(精選版日本国語大辞典)。

大輕率鳥(おほをそどり)、

で触れたことだが、

「おそ」は未詳(日本国語大辞典)、

とする説もあるが、

「おそ」はかるはずみの意(デジタル大辞泉)、
ヲソは軽率の意(時代別国語大辞典-上代編)
ヲソはワサ(早熟・軽率)の母音交替形、軽はずみの意(岩波古語辞典)、
啼声のコロクをク(来)と聞き、その人が来なければ嘘なりと戯れていう意か(大言海)、
大虚言鳥の義(和訓栞)、
オオキニキタナキトリの意、オソは物食いのきたないことを言う(袖中抄)、

等々、由来には諸説あり、

音の類似から、オソをウソ(嘘)の転とする説が唱えられてきたが、万葉集(四・六五四)の「咲く花も乎曾呂(ヲソロ)は飽きぬ晩(おくて)なる長き心になほしかずけり」のオロソと関連づける説が有力、

とされている(日本語源大辞典)。万葉集の大伴坂上郎女の歌は、

咲く花も乎曽呂(をそろ)はいとはし晩生(おくて)なる長き心になほしかずけり、

と表記されたりするが、

乎曽呂(をそろ)、

https://art-tags.net/manyo/eight/m1548.html

せっかち、
早熟、
軽率、

の意で、上記歌意は、

早咲き、

の意となる(仝上・https://bonjin5963.hatenablog.com/entry/2022/07/11/000000)。

おそ、

に転訛した、

わさ、

は、

わせ(早稲)の転(大言海)、
わせ(早稲)の古形(広辞苑・岩波古語辞典)、

で、

わさ飯(いい)、
わさ瓜、
わさ米、
わさ酒、
わさ萩、
わさ穂、
わさ物、

等々、

他の語に冠して複合語を作り、植物などが早く熟する意を表わす、

とある(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

「輕(軽)」(漢音ケイ、呉音キョウ)は、

会意兼形声。巠(ケイ)は、工作台の上に縦糸をはったさまで、まっすぐの意を含む。輕は「車+音符巠」で、まっすぐにすいすい走る戦車、転じて身軽なこと。なお、剽軽(ヒョウキン うわついて軽い)のキンは唐音、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意兼形声文字です(車+圣()。「車」の象形と「まっすぐ伸びる縦糸の象形」(「まっすぐで力強い」の意味)から、「敵陣にまっすぐ突進していく車」を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「かるい」を意味する「軽」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji481.html

ともあるが、他は、

形声。「車」+音符「巠 /*KENG/」。「かるい」を意味する漢語{輕 /*kheng/}を表す字。「車」は、この単語が車の一種を指す語として使われたことによるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BC%95

形声。車と、音符巠(ケイ)とから成る。まっすぐかろやかに走る戦車、ひいて、「かるい」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

形声。旧字は經に作り、(けい)声。魔ヘ織機のたて糸を張りかけた形で、たて糸。經の初文。金文の「徳經」「經維」の字を魔ノ作るものがある。〔説文〕十三上に「織るなり」とするが、横糸の緯と合わせてはじめて織成することができるので、合わせて経緯という。〔太平御覧〕に引く〔説文〕に「織の從絲(たていと)なり」に作る。交織の基本をなすものであるから、経紀・経綸・経営の意に用い、経書の意となり、経緯より経過・経験の意となる(字通)、

と、形声文字としている。

「率」(@漢音リツ・呉音リチ、A漢音ソツ・呉音ソチ・シュチ、Bスイ)は、「率(あども)ふ」で触れたように、

会意文字。「幺または玄(細いひも)+はみ出た部分を左右に払いとることをあらわす八印+十(まとめる)」で、はみでないように、中心線に引き締めてまとめること、

とあり(漢字源)、「確率」「比率」の、「全体のバランスからわりだした部分部分の割合」の意の場合は、@の音。この意の時は、律(きちんと整えた割合)と同系。「引率」「率先」の、「ひきいる」「はみ出ないようにまとめて引き締める」意、「率直」の、そのままにまかせる意、「卒然」「軽率」の、「はっと急に引き締まる」意の場合、Aの音、「将率(将帥)」の、率いる人の場合、Bの音になる(仝上)とする。しかし、

象形。鳥をとるあみの形にかたどる。捕鳥あみの意を表す。借りて「おおむね」「わりあい」の意に用い、また、「ひきいる」、「したがう」意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「洗った糸の水をしぼる」象形から、1ヵ所にひきしめる事を意味し、そこから、「ひきいる」、「まとめる」を意味する「率」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji748.html

象形。糸束をしぼる形。糸束の上下に小さな横木を通し、これを拗(ね)じて水をしぼる形。〔説文〕十三上に「鳥を捕る畢(あみ)なり。絲罔(しまう)(網)に象る。上下は其の竿柄なり」と鳥網(とあみ)の形とするが、その義に用いた例がない。糸束をひき絞る形で、卜文・金文には左右に水点を加えている。金文に「率(ことごと)く」「率(したが)ふ」の義に用いる。しぼり尽くすので、率尽・率従の意となる(字通)、

と、他は何れも象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

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はねず

 

思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも(大伴坂上郎女)

の、

はねず色、

の、

はねず、

は、

にわうめ、か、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

うつろひやすき、

の枕詞とある(仝上)。

『論語』子罕篇に、

可与共学、未可与適道、可与適道、未可与立、可与立、未可与権、唐棣之華、偏其反而、豈不爾思、室是遠而、子曰、未之思也、夫何遠之有哉(子曰く、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適く(ゆく)べからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべきも未だ与に権(はか)るべからず。唐棣(とうてい)の華、偏(へん)としてそれ反せり、豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなり。子曰く、未だこれを思わざるなり、それ何の遠きことかこれあらん)、

とある、

唐棣(とうてい)、

は、注に、

郁李(イクリ)也、

とあり、

郁李(にはうめ)なりと云ふ、

とあり(大言海)、

李の一種、郁李(あまなし)なり、

とも(字源)、

にわざくら、

ともあり(貝塚茂樹訳注『論語』)、

スモモの一種、また、ニワザクラまたはニワウメとも、

とあるが、

唐棣(とうてい)、

は、

バラ科ザイフリボク属(唐棣屬)、

とされ、和名は、

采振り木ノ意ニシテ花穗ヲ采配卽チ麾ニ擬セシナリ。四手櫻ハ同ジク其花穗ノ見立テニシテ白木綿又ハ白紙ノ四手ヲ掛ケシ如ク白ク見ユル故云フ(牧野日本植物圖鑑)、

とあり、

シデザクラ、

ともいう。『詩経』国風・召南・何彼襛矣(かひじょうい)に、

何ぞ彼の襛(ぢよう)たる、唐棣(たうてい)の華、・・・、 何ぞ彼の襛たる、華は桃李の如し、

とありhttp://www.atomigunpofu.jp/ch6-foreign%20flowers/chn-tangdi.htm、漢名は、

唐棣(トウテイ)、
棣(テイ)、
棠棣(トウテイ)、
扶蘇 (フソ)、
栘(イ)、
枎栘(フイ)、
紅栒子(コウシュンシ)
東亞唐棣(トウアトウテイ)、

等々とある(仝上

ただ、『万葉集』では、

夏まけて咲きたる唐棣(はねず)ひさかたの雨うち降らばうつろひなむか(大伴家持)、

と、

唐棣、

を、

はねず、

と訓ませ、

ニワウメ(庭梅)、

であるとしている(仝上)が、

今のニワウメか、また、その変種のニワザクラとも、

とあり(岩波古語辞典)、どちらとも言い難い。

春、紅色の花が咲く、

とある(仝上)。

ニワウメ、

は、

バラ科 サクラ属、

落葉潅木。株立状になる、葉は互生し、卵形、重鋸歯があり、表面は緑色無毛、裏面は葉腋上に毛がある。花は4月頃淡紅色の5弁花の小花を開く。果実は8月頃成熟する。核果、球形、鮮紅色、生食できる、

とありhttps://www.ffpri.affrc.go.jp/kys/business/jumokuen/jumoku/zukan/niwaume.html、変種に、

ニワザクラ、

があり、

木、花ともにニワウメより少し大形で観賞価値もすぐれている(仝上)とある

ニワザクラ、

は、

ニワウメの変種、

で、

バラ科スモモ属、

樹高は0.7〜2m。株立状になる。葉は互生し、長さ5〜9cmの長楕円形から長楕円状披針形で先端は尖る。葉縁には細かい重鋸歯があり、葉の裏面には毛がある。側脈は4〜5個。葉に先立つかほとんど同時に、葉腋に径1~1.5cmの白色〜淡紅色の花を付ける。日本で植栽されているものは、普通八重咲きで結実しない、

とあるhttp://momo1949.3zoku.com/cgi/plantsdb/start.cgi?m=DetailViewer&record_id=6120。室町時代にすでに観賞に植栽されていたらしい(仝上)とあるので、万葉集のいう、

はねず、

ニワウメ、

とみられる。

はねず、

は、

浄位より已上(かみつかた)は、並に朱華を著る。(朱華、此をば波泥孺(ハネズ)と云ふ)(日本書紀)、

と、

唐棣(花)、
棠棣、

のほか、

朱華、

とも当てる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)が、さらに、

波泥孺、
翼酢、

等々とも当てhttps://irocore.com/hanezu/

うつろひやすき、

の枕詞とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)ように、その色は、

褪色(たいしょく)しやすかった、

とあるhttps://irocore.com/hanezu/

はねず色、

は、

山吹のにほへる妹が翼酢色(はねずいろ)の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ(万葉集)、

とあるように、

ハネズの花のような、白みを帯びた赤い色。色があせやすいという(デジタル大辞泉)、
唐棣花の花のような赤い色。白みを帯びた赤い色。その色はたいへんさめやすいという(精選版日本国語大辞典)、
黄色がかった薄い赤色https://irocore.com/hanezu/

等々とあり、その色合いを、

郁李(にわうめ)の花弁の色味に由来する薄い紅色の唐棣色(にわうめいろ)と同じとする説、
山吹(やまぶき)の匂へる妹が朱華色(はねずいろ)の赤裳(あかも)の姿夢にみえつつという一首から黄色とする説、

どがあり、現在でもはっきりしていないhttps://irocore.com/hanezu/。ただ、

天武天皇の頃、親王や諸王の衣装の色として定められ、3年ほどの短い期間ですが『紫色』の上に朱華の服が着られていた、

とあり(日本書紀)、持統天皇の色制でも親王の色とされており、平安時代には、

禁色(きんじき)、

のひとつとされていた。文武天皇頃より、

黄丹(おうに)、

と呼ぶようになるが、

朱華(はねず)と黄丹(おうに)では色合いにかなりの違いがあるため、同じ紅花(べにばな)と支子(くちなし)で染められるものですが、その配合の比率が変わったものでしょう、

とある(仝上)。

なお、各色の詳細は、

唐棣色(にわうめいろ)https://www.color-sample.com/colors/3943/
朱華(はねず)(https://irocore.com/hanezu/)
黄丹(おうに)(https://irocore.com/oni/)

に詳しい。

「唐」(漢音トウ、呉音ドウ)は、異体字は、

啺、𡃯、𥏬(古字)、

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%94%90)、字源は、「からくれない」で触れたように、

会意。「口+庚(ぴんとはる)」で、もと、口を張って大言すること。その原義は「荒唐」という熟語に保存されたが、単独ではもっぱら国名に用いられる。「大きな国」の意を含めた国名である、

とあり(漢字源)、別に、

会意文字です(もと、庚+口)。「きねを両手で持ち上げつき固める」象形と「場所を表す」象形から、「つき固めた堤(堤防)」を意味する「唐」という漢字が成り立ちました。「塘(とう)」の原字である。また、「蕩(トウ)」に通じ(同じ読みを持つ「蕩」と同じ意味を持つようになって)、「大きな事を言う」という意味も表しますhttps://okjiten.jp/kanji1413.html)

会意。庚(こう)+口。庚は康の従うところで、杵(きね)で脱穀する形。口は祝禱を収める器(ꇴ(さい))の形。その前に杵をおいて祈る意。〔説文〕二上に「大言なり」と訓し、〔荘子、天下〕にいう「荒唐の言」にあたる。殷の始祖大乙は、卜辞には「唐」、金文には「成唐」、〔詩〕〔書〕には「湯・成湯」という。〔爾雅、釈宮〕に「廟中の路、之れを唐と謂ふ」とあり、また隄唐(ていとう)・場ともいう。場は祭祀壇場の意で、唐と声義が通じる。それで殷の唐を、のち湯と称するのであろう。唐の古文は口+昜に作る(字通)、

ともあるが、

会意文字と解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%94%90)

形声。「口」+音符「庚 /*LANG/」、

とし(仝上)、

形声。口と、音符庚(カウ)→(タウ)(は省略形)とから成る。大言する意を表す。転じて、おおきい意に用いる、

と(角川新字源)、形成文字としている。

「棣」(@漢音テイ・呉音ダイ、A漢音タイ・呉音ダイ)は、

会意兼形声。隶は逮(とどく)の原字で、前のものに後のものがとどくこと。棣は「木+音符隶(タイ・テイ)」。次々に花が並んで列をなす木、

とあり(漢字源)、「棠棣(トウテイ)」「郁李(イクリ)」の、ニワウメの意、また車台の下の木、の意や、「棣棠(テイトウ)」というと、山野に自生する落葉低木、やまぶきの意で使う、こうしたの場合@の音、「威儀棣棣(威儀棣棣たり)」(詩経)のように、「棣棣(タイタイ)」と使う場合、順序正しく並んで乱れないさま、の意で、この場合Aの音になる(仝上)。他に、

形声。声符は隶(たい)。〔説文〕六上に「白棣なり」という。〔詩、小雅、常棣〕「常棣(じやうてい)の華 鄂不(がくふ)韡韡(ゐゐ)たり」は、華のそろい咲く美しさを、兄弟の親しみ合うのにたとえて歌うもので、兄弟の情を棣鄂(ていがく)という。棣棣(ていてい)は人の威儀あるさまを形容する語。字はまた逮逮に作る(字通)、

と、形声文字とする説もある。

「棠」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

形声。「木+音符尚」、

とあり、「甘棠(カントウ)」は、バラ科の落葉高木、やまなし、「海棠(カイトウ)」は、バラ科の落葉低木、薄紅色のきれいな花をつける。「沙棠(サトウ)」は、果樹の名、材は舟を作るのに用いる、とある(漢字源)。他も、

形声。「木」+音符「尚 /*TANG/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A3%A0

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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しゑや

 

あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくあらばしゑや我(わ)が背子奥もいかにあらめ(大伴坂上郎女)

の、

しゑや、

は、

ちぇ、
ああしゃくだ、

の、感嘆詞、

奥、

は、

将来、

の意(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。

しゑや、

は、

よしゑむやしの略、

ともある(大言海)が、

シもヱもヤも感動詞、

とあり、

断念・放任・決意を表現するときに発する掛け声、ええい、ええいままよ、

とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。冒頭の歌が、

嘆息の声、

で(大言海)、

ああ、いやだ、

と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)が、

秋萩に恋尽さじと思へどもしゑやあたらしまたも逢はめやも(万葉集)、

では、

口惜し屋と云ふ意、ままよ、

とある(大言海)が、

いやはや、

と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

我が背子が來(こ)むと語りし夜(よ)は過ぎぬしゑやさらさらしこり来(こ)めやも(万葉集)、

では、

許す辞、縦(よしや)、

とあり(大言海)、

ちぇっ、今更もう、と吐き捨てたる気持ちを表す、

として(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

ええいもう、いまさら、

と訳され(仝上)、多少の含意は異なるが、感歎、嗟嘆、詠嘆などさまざまな感歎辞として使われている。

奥、

は、

「外(ト)」「端(はし)」「口(くち)」の対、「沖(おき)」と同源(岩波古語辞典)、
「沖」「遅る」などと同語源か、入り口や表などから遠くはいった所をさしていう(精選版日本国語大辞典)、
トホク(遠)の上略か(言元梯)、
数の果てという義でオク(億)か(和句解)、
オク(置)の義、物を蔵し置くをいう(名言通)、
オはすぼまった象、クはクライ象(槙のいた屋)、

等々、語呂合わせを除くと、

「外(ト)」「端(はし)」「口(くち)」の対、「沖(おき)」「遅る」と同源、

とみられ、

空間的には、入口から深く入ったところで、人に見せず大事にする所をいうのが原義、そこに届くには多くの時間が経過するので、時間の意に転ずると、晩(おそ)いこと、また、最後、行く先、将来の意、

とする(岩波古語辞典)のが妥当に思え、

空間的に、表・入口から深く入ったほう、

時間的に、現在から遠い先のこと(過去には用いない)、

抽象的に奥深いこと、内部、内面などをさしていう(心の底、芸の秘奥)、

といった流れになる(日本語源大辞典)。

「奧(奥)」(@漢音呉音オウ、慣用オク、A漢音イク、呉音オク)の異字体は、

奥(新字体/簡体字)、𠆇、𠆑、𡪃、𡪿(同字)、𢍢(本字)、𫯱(俗字)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%A7

会意文字。釆は、播(ハ)の原字で、こまごましたものが散在するさま。奥は「宀(おおい)+釆+両手」で、屋根に囲まれたへやのすみにあるこまごまとしたものを、てさぐりするさま、

とあり(漢字源)、空間的なおくまったところの意は、@の音、澳(イク)に当てる、くま(川のおくふかく無入り込んだ所、山際の奥深く入り込んだ所)の意の場合は、Aの音、となる(仝上)。また、

旧字は奧に作る。宀(べん)+釆(べん)+廾(きよう)。〔説文〕七下に「宛なり。室の西南隅なり」とするが、宛は字の誤りであろう。宀は神聖な建物。釆は獣掌の象で膰肉の類。廾はこれを神に薦める意。その祀所を奧という(字通)、

ともあるが、しかし、

「奧の「匊」は、「掬」「鞠」「菊」などに従う「匊」とは無関係(掬、鞠は後述)。「釆」も無関係。「宀(屋根・屋内)」+「釆(「播」の原字、細々としたもの)」+「大(人が手を広げた様)」で、暗い屋内で手を広げ細々したものを探る様子とも言われるが、この記述は資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていないhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%A7

とあり、

会意。「匊」+「廾(𠬞)(物を捧げる両手の形)」で、米を奥にしまう形から成る、

としているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A5%A7。別に、

形声。意符宀(へや)と、音符𢍏(クヱン)→(アウ)とから成る。家屋の西南の隅、ひいて、おくぶかい意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声文字です(審の省略形+廾)。「屋根・家屋の象形と種を散りまく象形と区画された耕地の象形」(「探・播」に通じ(「探・播」と同じ意味を持つようになって)、「くわしく知る」の意味)と「両手」の象形から、目がとどかず、手で詳しく知る事ができない事を意味し、そこから、「おく」を意味する「奥」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1210.html

と、形声文字とする説もある。因みに、

「掬」(キク)は、

形声。「手」+音符「匊 /*KUK/」。{掬 /*kuk/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8E%AC)

「鞠」(@(名詞まり)漢音キク、呉音ギク、A(動詞まるくする)キク)は、

形声。音符「(⿰革勹) /*KUK/」+音符「匊 /*KUK/」。{鞠 /*kuk/}を表す字。
形声。「米」+声符「(⿰革勹) /*KUK/」。本義は{麹|こうじ}。仮借して蹋鞠とうきく(けまり)を表す。

声符となっている「(⿰革勹)」の「革」の部分は、元は「𰇶」で首枷くびかせのついた手枷てかせの形({梏/*kˤ(r)uk/}の表意字)。「(⿰革勹)」は首枷付き手枷がはめられている人の側身形(画像参照)で拘禁を表す字。「革(かわ)」とは無関係。「掬」「麴」「菊」などに従う「匊」は、「鞠」の省形分化字、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9E%A0)

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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中言


汝(な)と我(あ)を人ぞ離(さ)くなるいで我(あ)が君人の中言(なかごと)聞きこすなゆめ(大伴坂上郎女)

の、

聞きこすなゆめ、

は、

耳を貸してくださるな、決して、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

こす、

は、

下手に出て希求する意、

とある(仝上)。

こす、

は、上代の特殊活用の、

こせ・〇・こす・〇・〇・こそ(こせ)、

と活用し、

未然形、「こせ」、終止形「こす」、命令形「こせ」だけの活用、

で(終助詞「こそ」を命令形とする説もある)、活用については、

サ変の古活用の未然形「そ」を認めてサ変動詞とする説、
下二段型とする説、

に分かれ、動詞の連用形に付いて、

相手の動作、状態が自分に利益を与えたり、影響を及ぼしたりすることを望む意、

を表わし、

……してくれ、
……してほしい、

という、相手に対する希求、命令表現に用いられる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

未然形「こせ」は、

「こせね」「こせぬかも」のように、希求を表わす助詞などとともに用いられ、

終止形「こす」は、

「こすな」のように、禁止の終助詞「な」とともに用いられ、

命令形「こそ」は最も多く見られる活用形で、

これを独立させて終助詞とする説もある。平安時代以降、命令形に「こせ」の形が見られるようになる、

とある(精選版日本国語大辞典)。この語源は、

寄こす意の下二段動詞「おこす」のオが脱落した、
カ変動詞「こ(来)」にサ変動詞「す」が付いた、
「く(来)」の他動詞形、

等々の説がある(精選版日本国語大辞典・大言海)が、意味的には前者の気がするが、ちょっと判断がつかない。

中言、

は、

中事、

とも当て(岩波古語辞典)、

双方の間に立って、一方の人のことを他方の人に悪く言うこと、
どちらにも相手の悪口を言うこと、

つまり、

中傷、

の意で、

なかあいごと、

という言い方もするが、。後には、

他人が中口(ナカグチ)を聞く故、到頭敵味方の様に(人情本「貞操婦女八賢誌(1834〜48頃))、

の、

中口(なかぐち)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。で、

八幡別当慶清夜討ちを為す。木津殿より武士等群り来り、兼て依り中言有れば、……合戦に及ぶ(吉記)、

と、

不仲、
仲違い、

の意でも使う(岩波古語辞典)。

中言、

を、

ちゅうげん、

と訓ませると、

義仲一人、漏其人数之間、殊成奇之上、又有中言之者歟(玉葉和歌集)、

と、

両者の中に立って告げ口すること、

つまり、

なかごと、

と同義でも使うが、

御中言(ごチウゲン)ではござりやすが、下十五日わたしのかたとおっしゃれば、もし小の月だと、此はう一千日の損(滑稽本「続々膝栗毛(1831〜36)」)、

と、

他人のことばの途中に口をはさむこと、
他人の談話中に話しかけること、

の意で、

ちゅうごん、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

「中」((チュウ))の異字体は、

𠁦(籀文)、𠁧(古字)、𠁩(古文)、𠔈(同字)、𠔗、𡖌(俗字)、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%AD)。字源は、「中陰」で触れたように、

指事。縦棒の中間点に○印をつけたもの。{中 /trung/}を表す字。甲骨文字や金文の「𠁩」は旗竿を象った字(一説に{幢 /droong/}を表す字)と組み合わさったもの、

とする説と、

象形。旗ざおを枠に突き通した様、

の二説があるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADようだが、

象形。もとの字は、旗ざおを枠の真ん中につきとおした姿を描いたもので、真ん中の意をあらわす。また、真ん中を突きとおす意をも含む。仲(チュウ)・衷(チュウ)の音符となる(漢字源)、

指事文字です。「軍の中央に立てる旗」の象形からhttps://okjiten.jp/kanji121.html

象形。旗竿の形。卜文・金文には、上下に吹き流しを加えたものがあり、中軍の将を示す旗の形。〔説文〕一上に「而なり」、〔繁伝〕に「和なり」とするが、宋本に「內なり」とするものがあり、而は內(内)の誤字であろう。また字形について「口とh(こん)とに從ふ。上下通ずるなり」とするが、卜辞では中を中軍の意に用いる。「中に立(のぞ)まんか」とは、中軍の将たる元帥として、その軍に@(のぞ)む意であろう。元帥とする者を謀る意であろうと思われる。すべて中央にあって中心となり、内外上下を統べ、中正妥当をうることをいう。〔説文〕に収める字形はすべて(さい)に従うが、それは史・事の従うところで、旗竿の象ではない。旗竿には偃游(えんゆう)(吹き流し)のほかに、旗印をつけた(字通)

は後者、前者の、

指事。もと金文の字、甲骨文字の字とを区別したが、のちに合して中の一字となる。中は、物(口)の内部を一線でつらぬき、「うち」の意を示す。金文の字は、軍の中心に立てる旗で、ひいて、中央の意を示す(角川新字源)、

とする説が「中」に至る経緯をよく説明している。要は、「金文」の字と甲骨の字とは区別していたことから生じている。

「言」(@漢音ゲン・呉音ゴン、A漢音ギン・呉音ゴン)は、「人事」で触れたように、

会意文字。「辛(きれめをつける刃物)+口」で、口をふさいでもぐもぐいうことを音(オン)・諳(アン)といい、はっきりかどめをつけて発音することを言という、

とあり(漢字源)、曰(えつ)・謂(い)と同義の、「いふ」意、「遺言」「言行一致」など「口に出す」意、「五言絶句」「一言」など「言葉や文字の数」の意、「言刈其楚」と「ここ」の意、「言言(げんげん)」と「いかめしい」意の場合は、@の音、慎む意の「言言(ぎんぎん)」の場合は、Aの音となる(仝上)とある。他に、

会意。辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器のꇴ(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。〔周礼、秋官、司盟〕に「獄訟有るは、則ち之れをして盟詛(めいそ)せしむ」とみえるものが、それである。〔説文〕三上に「直言を言と曰ひ、論難を語と曰ふ」とし、また字を䇂(けん)声に従うとするが、卜文・金文の字は辛に従う。かつ言語は、本来論議することではなく、〔詩、大雅、公劉〕は都作りのことを歌うもので、「時(ここ)に言言し 時に語語(ぎよぎよ)す」というのは、その地霊をほめはやして所清めをする「ことだま」的な行為をいう。言語は本来呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった(字通)、

会意文字です(辛+口)。「取っ手のある刃物」の象形と「口」の象形から悪い事をした時は罪に服するという「ちかい・ことば」を意味する「言」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji198.html

と、会意文字とするものもあるが、

『説文解字』では「䇂」+「口」と分析されており、「辛」+「口」と解釈する説もあるが、甲骨文字の形とは一致しないhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A8%80

とあり、

辛(しん)+口、

を否定し、

「舌」+「一」。「いう」を意味する漢語{言 /*ngan/}を表す字。もと「舌」が{言}を表す字であった(甲骨文字に用例がある)が、区別のために横画を加えた(仝上)、

としている。それと同趣旨なのは、

象形。口の中から舌がのび出ているさまにかたどる。口からことばを発する意を表す(角川新字源)、

で、象形文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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山橘

 

あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ(春日王)

の、

山橘、

は、

やぶこうじ、

とあり、

上二句は序、「色に出づ」を起こす、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

序、

は、

あることばを導き出すためにその前に置く修飾のことば、

で、

序詞、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

じょのある句はことはり少たたぬなり(「砌塵抄(1455頃)」)、

とあり、

表現効果を高めるために、譬喩・懸詞・同音の語などを用いて、音やイメージの連想からある語を導くもの、

で、

枕詞と同じ働きをするが、枕詞がおおむね定型化した句であるのに対し、序詞には音数制限がなく、導く語への続き方も自由である、

とあり(マイペディア)、

枕詞が1句以内であるのに対し、2句以上にわたる、

とされ、序詞と主想とのつながりは文法的な正接の法によらず、

(1)形容・比喩(ひゆ)、
(2)懸詞(かけことば)、
(3)同音・類音の反復、

の三つに分類される(日本大百科全書)とある。

山橘(やまたちばな)、

は、文字通り、

山にある橘、
野生の橘、

の意だが、天治字鏡(平安中期)に、

牡丹、山橘、

とあるように、

ぼたん(牡丹)の異名、

ともされ、また、

やぶこうじ(藪柑子)の異名、

ともされる(精選版日本国語大辞典)が、後者は、専ら赤い実を詠まれる点が、花を詠まれる橘と異なる(仝上)とある。冒頭の歌のように、

「山橘」の「山」のために枕詞「あしひきの」が付くことが多く、実の赤さを、恋の思いに掛けることがほとんどである、

ともあり(仝上)、

やぶかふじ(藪柑子)に同じ、

とある(大言海)ように、

冬、赤い小さな球状の実を結ぶ、

藪柑子、

とみていい(岩波古語辞典)。

藪柑子(やぶこうじ)、

は、古くは、

ヤブコウジ科の常緑の草状小低木(精選版日本国語大辞典)、
ヤブコウジ科の常緑小低木(動植物名よみかた辞典)、

とされたが、最新では、

サクラソウ科の常緑小低木、

に分類され(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%B8・デジタル大辞泉)、別名、

ヤマタチバナ、
十両(ジュウリョウ)、

とあり(仝上)、

やぶたちばな、
あかだまのき、

ともよび(精選版日本国語大辞典・仝上)、

各地の山林内に生える。高さ一〇〜三〇センチメートル。長い匍匐枝をのばす。葉は柄をもち茎の上部に輪生状につく。葉身は長楕円形で縁に細鋸歯(きょし)がある。夏、葉腋から花柄が伸び、先の五裂した白い小花が下向きに咲く。果実は径約五ミリメートルの球形で赤く熟す。正月の飾りに用いる、

とある(仝上・デジタル大辞泉)。根茎、または全草の乾燥品は、

紫金牛(しきんぎゅう)、

と称する生薬になり、回虫、ギョウチュウ駆除作用(虫下し)や、のどの腫瘍、慢性気管支炎の鎮咳、去痰に効用があるといわれ、副作用がなく安全とされる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%96%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%B8

牡丹、

については、その異名とされる、

深見草

で触れた。本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、

牡丹、和名布加美久佐、一名、也末多加知波奈(やまたちばな)、

などとある。しかし、箋注和名抄(江戸後期)は、

この「牡丹」はもともとの「本草」では「藪立花」「藪柑子」のことで、観賞用の牡丹とは別物であるのに、「和名抄」が誤って花に挙げたために、以後すべて「ふかみぐさ」は観賞用の牡丹として歌に詠まれるようになった、

とする(精選版日本国語大辞典)。確かに、「深見草」は、

植物「やぶこうじ(藪柑子)」の異名、

でもある。しかし出雲風土記(733年)意宇郡に、

諸山野所在草木、……牡丹(ふかみくさ)、

と訓じている(大言海)ので、確かなことはわからないが、色葉字類抄(1177〜81)は、

牡丹、ボタン、

とある。しかし、

牡丹、

より、

深見草、

の方が、和風のニュアンスがあうのだろうか、和歌では、

人知れず思ふ心は深見草花咲きてこそ色に出でけれ(千載集)、
きみをわがおもふこころのふかみくさ花のさかりにくる人もなし(帥大納言集)、

などと、

「思ふ心」や「なげき」が「深まる」意を掛け、また「籬(まがき)」や「庭」とともに詠まれることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典・大言海)。

牡丹、

は、

ボタン科ボタン属の落葉低木、

または、

ボタン属の総称、

とされ、漢名も、

牡丹、

であり、別名には、

花神、花王、洛陽花、百花公主、国色天香、花開富貴、富貴草、名取草、深見草、二十日草、廿日、忘れ草、鎧草、ぼうたん、ぼうたんぐさ、

等々、多数の呼び名があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E6%A4%8D%E7%89%A9)

茎は分枝し、古くなると高さ3m、太さ15cmくらいになる。葉は互生し2回3出複葉、葉柄の基部は広がって茎を抱く。小葉は卵形、上部で3または5浅裂、または分裂せず、基部は丸いかくさび状、鋸歯はない。晩春より初夏に、新しく伸びた枝の先に花をつける。花は大きく、直径10〜20cm。萼片は5枚、厚くて緑色、反曲し、花後も落ちずに残る。花弁は野生品では5〜10枚、白色ないし淡紅色であるが、栽培品ではふつう、より多数で、色の変化も多い。倒卵形で先は丸くて鋸歯がある。おしべは多数、花糸は糸状、葯は細長くて黄色。めしべは3〜5本、褐色の毛を密生し、花柱は短く、外曲する。おしべとめしべの間にある花盤は膜質、伸び出して袋状になり、柱頭部を残してめしべを包む。授粉は花粉を食いにくる甲虫による。果実は袋果、褐色の毛を密生し、裂開する。果皮は厚く内面は赤い。種子は黒色、球形、直径5〜6mm、胚乳がある。古くより中国で栽培され、前漢時代すでに根皮を薬材にしていた、

とある(世界大百科事典)。初め中国で薬用として栽培されていたが、唐代以後観賞用となり、日本には8世紀に渡来し、江戸時代に流行した(日本大百科全書)。ただ、平安時代には栽培されたといわれるが、『延喜式(えんぎしき)』(927)や『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918)などに載せられた牡丹(ぼたん)は、今日のボタンではなく、

カラタチバナ、

であるとの説がある(仝上)。

鎌倉、室町時代には寺院や庭園などに広く植えられるようになった。江戸時代の元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)年間(1688〜1711)には花の観賞が盛んになり、『花壇地錦抄(じきんしょう)』(伊藤三之丞、1695)には、白牡丹の仲間179品種、紅牡丹の仲間160品種、筑前(ちくぜん)牡丹138品種を載せている(仝上)とある。その、

カラタチバナ(唐橘)、

は、

サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑小低木(古くは、ヤブコウジ科としていた)、

で、

タチバナ、
コウジ(柑子)、

ともいい、
同属のマンリョウ(万両)に対して、別名、

百両(ヒャクリョウ)、

ともいう、

高さ30〜60センチメートルになり、枝を分けない。葉は互生し、濃緑色で質が厚く、つやがある。広披針(こうひしん)形で先は細くとがり、縁(へり)に波状の歯牙(しが)と腺体(せんたい)がある。7月ごろ、長さ4〜7センチメートルの柄の先に約10個の小さい白色花を散形につける。花冠は星形に深く5裂し、雄しべ5本、雌しべは1本。果実は球形、径6〜7ミリメートルの液果で、11月に赤く熟し、年を越しても残る、

とある(日本大百科全書)。

たちばな(橘)、

は、

やまとたちばな、
にほんたちばな、

ともいう、

ミカン科の常緑低木、

で、

日本で唯一の野生のミカンで近畿地方以西の山地に生え、観賞用に栽植される。高さ三〜四メートル。枝は密生し小さなとげがある。葉は長さ三〜六センチメートルの楕円状披針形で先はとがらず縁に鋸歯(きょし)がある。葉柄の翼は狭い。初夏、枝先に白い五弁花を開く。果実は径二〜三センチメートルの偏球形で一一月下旬〜一二月に黄熟する。肉は苦く酸味が強いので生食できない、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「山」(漢音サン、呉音セン)の異字体は、

屾、𡶸(同字)

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%B1。字源は、

象形、△型の山を描いたもの。△型をなした分水嶺のこと、

とある(漢字源)。また、傘(サン △型のかさ)・散(サン △型の両側にちり落ちる)と同系とあり、

峰は、△型に先のとがったやま、
嶺(レイ)は、高く切り立ったやま、
岳は、ごつごつしたやま、
丘は、盆地を囲む外輪のやま、
岡は、やまの背の高く平らな台地、
陵は、筋張ったやまの線、
巓(テン)は、山の頂上、

とある(仝上)。

象形。山岳の形を象る。「やま」を意味する漢語{山 /*sran/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%B1

象形。山岳のそびえているさまにかたどる。「やま」の意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「連なったやま」の象形から「山」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji77.html

都、何れも象形文字としている。

「橘」(漢音キツ、呉音キチ)の異字体は、

桔(二簡字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%98。字源は、

会意兼形声。「木+音符矞(キツ 丸い名をあける、丸い)」で、丸い実のなる木、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(木+矞)。「大地を覆う木」の象形と「台座にたてた矛の象形」(「突き刺す」、「おどかす」の意味)から「人をおどかすようなとげのある、たちばな」を意味する「橘」という漢字が成り立ちました、

とするものもあるhttps://okjiten.jp/kanji2535.htmlが、他は、

形声。木と、音符矞(クヰツ)とから成る(角川新字源)、

形声。声符は矞(いつ)。矞に譎(けつ)・走+矞(きつ)の声がある。〔説文〕六上に「橘果なり。江南に出づ」とあり、わが国の蜜柑にあたる。〔楚辞、九章、橘頌〕にその樹徳を頌しているのは、そのような賦誦の文学が、魂振り的な機能をもつものとされたからであろう。〔周礼、考工記、序官〕に「橘、淮(わい)を踰(こ)えて北するときは枳(からたち)と爲る」とあり、〔菟玖波集、雑三〕に「難波の葦は伊勢の濱荻」というのと同じ。橘はわが国では花橘をいう(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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月読


月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山きへなりて遠からなくに(湯原王)

の、

月読、

は、

月を神に見立てた呼名、

とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

山きへなりて、

は、

山が隔てとなった遠いみちのりでもないのに、

と訳し、

き、

は、

不明、

とする(仝上)。

つくよみ、

は、

つきよみ、

ともいう(大言海)が、

月読、
月夜見、
月夜霊、

などとあて(広辞苑)、

天橋も長くもがも高山も高くもがも月夜見(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)い取り来て(万葉集)、

と、

天つ月を保ち知らしめす神の御名、

として(大言海)、

月の神、

の意、さらに、冒頭の歌のように、神に見立てて、

月、

の別称として使う(大言海・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。この、

ツク、

は、

「つき」の古形、

で、

よみ、

は、

数えること、また別に、月の意のツクヨに神の意のミがついた形、古く二つの語源意識があり、混同されたらしい(岩波古語辞典)、
月を数える意からか、また月の意の「つくよ」に神の意の「み」がついた形か(広辞苑)、
月夜霊(ツクヨミ)の義、日禮(ヒルミ 日霊(ヒルメ))に対す、夜と云ふは、夜の食國(ヲスクニ)を、知らすめすより云ふなり(大言海)、

とあり、

数える、

意と、

月の意の「つくよ」に神の意の「み」がついた形、

とは、明らかに、由来を異にする。どこかで、混同されていったものとみられる。

月夜(つくよ)、

は、

古言には、月をツクと云ふ、ツクヒ(月日)、但し熟語に限る、黄金(キガネ)を久我禰と云ふ嶺なり、槻弓、ツクユミなどもあり(大言海)、
ツクはツキ(月)の古形。のちにはユウヅクヨなど複合語の中に残るだけで、多くはツキヨが使われた(岩波古語辞典)、

とある。なお、



については触れた。また、

月を擬人化、

して、

月夜見男(つくよみおとこ)、

ともいい、

天にいます月読壮士(つくよみをとこ)賄(まひ)はせむ今夜(こよひ)の長さ五百夜(いほよ)継ぎこそ(湯原王)、

と、

月を男~と見た呼名の、

つきひとをとこ(月人壮士)、

と同じ(大言海)で、

月の桂

で触れた、

桂男(かつらおとこ・かつらを)、

につながる(仝上)。

月の神、

というと、古事記と日本書紀・一書第六で、

伊邪那岐命のみそぎの際生まれた、

と伝え、日本書紀本文では、

伊邪那岐命・伊邪那美命の間の子、

と伝える、

月読尊(つくよみのみこと)、

がある。この神は、

天照大神、
素戔嗚尊、

とともに世界を分治した三神の一つ。元来は、

月を読む、

すなわち、

月齢を数える義(「よみ」の「よ」は乙類の仮名表記)、

であったが、のちに、

月夜の神霊、

すなわち、

月の神の義(「つくよ」の「よ」は甲類の仮名表記。「み」は神霊の意)、

となり、ヨの甲類の音はユと交替しやすいために「つくゆみ=月弓」の語形にも変化した(精選版日本国語大辞典)とある。

農耕、漁猟の暦をつかさどるため月齢をかぞえる神、

から、単に、

月の神、

の意となったわけで、

月弓(つくゆみ)尊、
月の神、

とも呼ばれる。

「月」(漢音ゲツ、呉音ゴチ、慣用ガツ)の異字体は、

㬴、玥、𡆦、𡆽、𡇹、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88。字源は、

象形。三日月を描いたもので、丸くえぐったように、中が欠けていく月、

とあり(漢字源)、他も、

象形。「夕」と同様、三日月を象る。「つき」を意味する漢語{月 /*ngwat/}、および「くれ」「よる」を意味する漢語{夕 /*slak/}を表す字。もともと「月」と「夕」の両字は区別されていなかったが、西周以降「月」を{月}に用いて、「夕」を{夕}に用いるようになったhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%88

象形。つきが欠けた形にかたどり、「つき」の意を表す(角川新字源)

象形文字です。「つきの欠けた」象形から「つき」を意味する「月」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji88.html

象形。月の形に象る。〔説文〕七上に「闕(か)くるなり。太陰の奄ネり。象形」という。〔釈名、釈天〕に「月日は實なり」「は闕なり」とあり、当時行われた音義説である。卜文の字形は時期によって異なり、月と夕とが互易することがあるが、要するに三日月の形である(字通)、

と、象形文字としている。

「讀(読)」(@漢音トク・呉音ドク、A漢音トウ・呉音ズ)の異字体は、

読(新字体)、读(簡体字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AE%80。字源は、

会意兼形声。賣(イク・トク)は、途中でしばしばとまる音を含む。讀は、それを音符とし、言を加えた字で、しばし息を止めてくぎること、

とあり(漢字源)、「読書」「熟読」など、「よむ」意は、@の音、「とまる」「ポーズをとる」と、動詞の場合は、Aの音、となる(仝上)。他は、

形声。「言」+音符「賣 /*LOK/」。「よむ」を意味する漢語{讀 /*look/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AE%80

形声。言と、音符𧶠(イク)→(トク)とから成る。書物から意味を引き出す、ひいて、声を出して「よむ」意を表す。教育用漢字は省略形による(角川新字源)、

形声文字です(言+売)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「足が窪(くぼ)みから出る象形(「出る」の意味)と網の象形と貝(貨幣)の象形(網をかぶせ、財貨を取り入れる、「買う」の意味)」(買った財貨が出る、すなわち、「売る」の意味だが、ここでは、「属」に通じ、「続く」の意味)から、「言葉を続ける・よむ」を意味する「読」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji200.html

形声。声符は竇(しよく)。竇に瀆・牘(とく)の声がある。〔説文〕三上に「書を誦するなり」、また籀(ちゆう)字条五上に「書を讀むなり」とあり、声義が近い。〔史籀篇〕の「大史籀書」とは、王国維の説に、「大史、書を籀(よ)む」の意であるという。〔穀梁伝、僖九年〕に「書を讀みて牲の上に加ふ」とあり、祝詞や盟誓の文をよみあげることをいう。金文の冊命形式の文は、王が史官にその冊命をよませるのが例で、〔免皀+殳(めんき)〕に「王、作册尹(さくさくゐん)に書を受(さづ)け、免に册命(さくめい)せしむ」とみえる。それが「大史、書を籀む」であった(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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しつたまき


しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我(あ)が恋ひわたる(安倍虫麻呂)

の、

ここだく

は、

許多(ここだ)く、
幾許く、

と当て、

ここだ(幾許)、

は、

こんなに数多く、
こんなに甚だしく、

の意で、

ココダに副詞を作る語尾ク、

のついた副詞、

ここだ(幾許)く、

も、同じ意味になる(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

しつたまき、

は、

倭文(しつ)で作った腕輪、

の意(精選版日本国語大辞典)で、

粗末な布製の腕輪、

なので、

賎(しつ)手纏(たまき)、

の含意となりhttps://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/musi_abe.html

数にもあらぬ、

の枕詞である(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

腕輪としては玉で作ったものが高級品で、布製は粗末なものとされていたところから、

数にもあらぬ、

の他、

いやしき、

にもかかる(精選版日本国語大辞典)。

しつたまき、

は、奈良時代は清音で、

倭文手纏、

と当て、後に、

しづたまき、

と濁音化する。

しつたまき、

は、

倭文織(しづおり)、

の意だが、

賎(しつ)手纏(たまき)、

つまり、

粗末な環、

の意になる。

倭文(しづ)、

については、

倭文の苧環

倭文機

で触れたように、

日本古来の織物の一つで、模様を織り出したもの、

で(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奈良時代は、

ちはやぶる神のやしろに照る鏡しつに取り添へ乞ひ禱(の)みて我(あ)が待つ時に娘子(おとめ)らが夢(いめ)に告(つ)ぐらく(万葉集)、

と、

しつ、

と清音で、後にも、新古今和歌集でも、

それながら昔にもあらぬ秋風にいとどながめをしつのをだまき、

と、

しつ、

と、

詠われる。

倭文、

は、

古代の織物の一つ、

で、

穀(かじ)・麻などの緯(よこいと)を青・赤などで染め、乱れ模様に織ったもの(広辞苑)、
梶木(かじのき)、麻などの緯(よこいと)を青、赤などに染め、乱れ模様に織ったもの(精選版日本国語大辞典)、
栲(たへ)、麻、苧(からむし)等、其緯(ヌキ 横糸)を、青、赤などに染めて、乱れたるやうの文(あや)に織りなすものといふ(大言海)、
カジノキや麻などを赤や青の色に染め、縞や乱れ模様を織り出した日本古代の織物(デジタル大辞泉)、

等々とあり、多少の差はあるが、

上代、唐から輸入された織物ではなく、それ以前に行われていた織物、

を指している(岩波古語辞典)。で、

異国の文様、

に対する意で、

倭文、

の字を当てた(デジタル大辞泉)といい、

あやぬの(文布・綾布)、
しづはた(機)、
しづり(しつり)、
しづの、
しづぬの、
しとり(しどり)、
しづおり、

等々とも言う。

たまき、

は、

手纏、
環、
鐶、
射韝、

と当て(広辞苑)、上代、

玉、又は、鈴を緒に貫きて、筒袖の上、肘の邊に巻きたり、足結(あしゆひ)の如く、袖を結び、固むる用なるべし、

とあり、

クシロ、
タダマ、
コヂマキ、
タユヒ、

ともいう(大言海)、いわゆる、

腕輪、

のことで、類聚名義抄(11〜12世紀)に、

釧、タマキ、ヒヂマキ、

字鏡(平安後期頃)に、

釧、太萬支、

華厳経音義私記(奈良時代)には、

釧、手巻、

とある。

釧(くしろ)

は、

釧(くしろ)

で触れように、手首や臂(ひじ)につける輪状のかざり、

で、字鏡(平安後期頃)には、

釧、太万支、又、久自利

とあるように、

くしり、
たまき、
くじり、
ひじまき、

ともいった(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。つまり、

釧、

は、

手纏、

の謂いである。ただ、

手纏、

は、

後に、転じて、

専ら、射藝の具、

である、

小手、

ともいう、

射韝、

とも当てる、

弓籠手(ゆごて)、

を指すようになり(大言海)、和名類聚抄(931〜38年)に、

射韝、多末岐、一云、小手、射臂沓也、

とある。なお、

足結(あしゆひ)、

は、

あゆひ、
あよい、

とも訓ませる、

動きやすいように、袴はかまのひざの下の辺りをくくり結ぶこと、また、そのひも、

である(精選版日本国語大辞典)。

「手」(漢音シュウ、呉音シュ・ス)の異字体は、

扌(部首の変形)、𠂿、𡴤(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B。字源は、

象形、五本の指のある手首を描いたもの、

とある(漢字源)。他も、

象形。五本指のある手を象る。「て」を意味する漢語{手 /*hluʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%89%8B

象形。手のひらを開いた形にかたどり、「て」、また、手に取る意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「五本の指のある、て」の象形から「て」を意味する「手」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji13.html

象形、手の形。手首から上、五本の指をしるす。〔説文〕十二上に「拳なり」とするが、指を伸ばしている形である。金文に「拜手𩒨(稽)首(けいしゆ)」のようにいい、ときに「拜手𩒨手」「拜𩒨手」のようにしるすことがあるのは、手・首が同声であるからであろう(字通)
 

「纏」(漢音項テン、呉音デン)の異字体は、

纒(俗字)、缠(簡体字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BA%8F。字源は、

会意兼形声。「糸+音符廛(テン ある所にへばりつく)」。ひもや布を一か所にへばりつくようにまきつけること、

とある(漢字源)が、他は、

形声。「糸」+音符「廛 /*TAN/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BA%8F

形声。糸と、音符廛(テン)とから成る(角川新字源)

形声文字です(糸+廛)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「屋根の象形と区画された耕地の象形と2つに分れているものの象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「1家族に分け与えられた村里の土地」の意味だが、ここでは、「帯」に通じ(「帯」と同じ意味を持つようになって)、「おびる」の意味)から、「糸を帯びる」、「まとう」を意味する「纏」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2660.html

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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わた


海(わた)の底奥(おき)を深めて我(あ)が思へる君には遭はむ年は経ぬとも(中臣郎女)

の、

わた、

は、

奥(心の底)の枕詞、

とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

わた、

は、

わたのはら(海の原)、
海(わた)の底、
わたつみ(海神)、
わたなか(海中)、
わたつうみ(海)、

等々と使い、

わたつうみ

うみ

で触れたように、後世、

わだ、

ともいい、

海、

を当てているが、この語源は、

渡るの意と云ふ、百済語ホタイ、朝鮮語バタ(大言海)、
船で渡るところからワタ(渡)の義(色葉和難集・冠辞考・俚言集覧・月斎雜考・答問雜稿・名言通・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄)、
ワタ(渡)。島々を渡っていくウミを意識した語根、ワタノハラという言い方もある(日本語源広辞典)、
腸のワタに通じ、ものの内容を表す。水を海のハラワタに見立てたものか(風土と言葉=宮良当壮)、
ワタ(内蔵、内容物、ハラワタ)です。大海を生命体と意識した語根(日本語源広辞典)、
「わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、現代朝鮮語「바다(/pada/ 海)」の祖語との説は根拠が無いhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF
ワダとも、朝鮮語pata(海)と同源(岩波古語辞典)、
ナタ(洋)の義(言元梯)

等々のほか、

一説に、ヲチ(遠)の転(広辞苑)、
遠方、他界を表すヲト・ヲチ(遠)と同根(日本語源大辞典)、

と見る説もあるが、いずれも、広い大海を意識した言葉で、和語、

ウミ、

の語源の、

大水、

とは発想を異にする。どうも渡来人のもたらした言葉なのかもしれない。ちなみに、

うみ

の語源は、

大水(おほみ)の約轉。「おほみ」の「おほ」は、約められて「う」となり、「大」と当てる(おほけ、うけ(食)。おおほみ、うみ(海)。おほし、うし(大人)。おほば、うば(祖母)。おほま、うま(馬)。おほしし、うし(牛)。おほかり、うかり(鴻)。沖縄にて、おほみづ、ううみづ(洪水)。おほかり、ううかめ(狼)。)接頭語禮記、月令篇、『爵(すずめ)入大水為蛤、註「大水、海也」(大言海)
「う」は「大」の意味の転、「み」は「水」の意味で、「大水(うみ・おほみ)」を語源とする説が有力とされる。 「産み」と関連付ける説もあるが、あまり有力とはされていない。 古代には 、海の果てを「うなさか」といい、「う」だけで「海」を意味した。 また、現代でいう意味以外に、池や湖など広々と水をたたえた所も「海」といった(語源由来辞典)
「溟」meiに、母韻uが加わり、umeiとなり、umiと変化した(荒川説)、
「ウ(大)+ミ(水)」説。「万葉期、沼、湖、海、のことを、ミとか、ウミとか言ったようです。ウミを一語と見て、分解しないのがいいのかもしれません。大いに水をたたえているところの意です(日本語源広辞典)
ウミ(大水)の意(東雅・日本古語大辞典・日本声母伝・大言海)、
オホミ(大水)の約転か(音幻論=幸田露伴)、
アヲミ(蒼水)の約転(言元梯)、
ウミの語源はミで、マ・メと同根。マは間・場の意でこれに接頭詞ウを添えたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
ウミ(産)の義。イザナギ・イザナミの神が初めて産み出したことから(和句解・和訓栞)、
ウクミチ(浮路)の反(名語記)、
ウミ(浮水)の義(関秘録)、
ウカミ(浮)の略(桑家漢語抄・本朝語源)、
ウツミ(全水)の義(名言通・和訓栞・言葉の根しらべ・国語の語幹とその分類)、
ウキニ(浮土)の転呼か(碩鼠漫筆)、

等々、諸種挙げるが、「大水」以外は、どうも、語呂合わせが過ぎるようである。ちなみに、

わたつうみ

は、

海神、

の意、

転じて、

海、

の意で使われている。

わたつうみ、

は、

わたつみの転か、

とあり、

わだつうみ、

ともいう(広辞苑)とある。ただ、

ワタツウミの語形、

は、

ミをウミ(海)のミと俗解したところから現れたもので平安時代以降にみえる、

とあり(日本語源大辞典)、それは、

わたつみ、

が、

渡津海、
綿津海、

などと書くため、

「み」が「海」の意に意識されてできた語、

なのである(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

わたづうみ、
わだつうみ、

も、その転訛である(仝上)。

うみ

で触れたように、

わたつうみ

は、

海神、
海津見、
綿津見、

等々と当て、

わだつみ、
わたづみ、
わだづみ、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

海(わた)つ霊(み)の意。ツは連体助詞(岩波古語辞典)、
ツは助詞「の」と同じ、ミは神霊の意(広辞苑)、
「つ」は格助詞、「み」は神霊の意(大辞林)、
「つ」は「の」の意の古い格助詞。「海つ霊(み)」の意。後世は「わたづみ」「わだづみ」「わだつみ」とも(精選版日本国語大辞典)、
ツは之、ミは霊異(クシビ)のビと通ず、或は云ふ、海(ワタ)ツ海(ウミ)と(大言海)、
わた(さらに古形は「わだ」)」は海の非常に古い語形、「つみ」は同系語に、山の神を意味する「やまつみ(cf.オオヤマツミ)」等が見られるように、「つ」は同格の助詞「の」の古形であり、「み」は神霊を意味するhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%BF)
ワタ(海)+ツ(の)+ミ(水)、ワタノハラとも(日本語源広辞典)、
ワタツカミ(海津神)―ワタツミ(綿津見)(日本語の語源)、
ワタツミ(海之龍)の義(名言通)、
ワタツモリ(海之守)の義(日本語原学=林甕臣)、

等々あるが、ほぼ、

ツはの、ミは霊(ミ)、

と解されている。個人的には、

ワタツカミ(海津神)→ワタツミ(綿津見)、

と、神の名から転じたと見るのが、意味から見ても妥当な気がする。ただ、『古事記』には、

綿津見神(わたつみのかみ)、
綿津見大神(おおわたつみのかみ)、

と表記されているのが、ダブりになるので難点ではある。ともかく、

ミをウミのミと俗解した、

というのは、「海津神」が、意識されなくなったところから来ているのだろう。

「海」(カイ)の異字体は、

𣳠、𣴴、

とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%B7)、字源は、「わたつうみ」で触れたように、

会意兼形声。「水+音符毎」で、暗い色のうみのこと。北方の中国人の知っていたのは、玄海、渤海などの暗い色の海だった。音符の毎は、子音が変化し、海・晦・悔などにおいてはカイの音を表す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+每)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「髪飾りを付けて結髪する婦人」の象形(黒い髪を結髪する様(さま)から「暗い」の意味)から、広く深く暗い「うみ」を意味する「海」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji79.htmlが、他は、

形声。「水」+音符「每 /*MƏ/」。「うみ」を意味する漢語{海 /*hməəʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%B7

形声。水と、音符每(バイ)→(カイ)とから成る。くろぐろと深い「うみ」の意を表す(角川新字源)、

形声。声符は每(毎)(まい)。每に晦・悔悔(かい)の声がある。〔説文〕十一上に「天池なり。以て百川を納るる者なり」とあり、天池とは大海をいう(字通)、

も、形声文字(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた文字)としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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たまきはる


直(ただに)逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向(むか)ふ我(あ)が恋やまめ(中臣郎女)

の、

命に向ふ、

は、

命を的にする、
命がけの、

の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

たまきはる、

は、

魂極る、
玉極る、
霊極る、
魂剋る、
玉きはる、
魂きはる、

などと当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大言海)、この、

タマは魂、キハルは刻む、または極まる意(岩波古語辞典)、
魂来經(タマキフ)るの転と云ふ、魂極るの義にて、生るるより死ぬるまでの内(大言海)、

等々とあり、

たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ心は長くとぞ思ふ(大伴家持)、
たまきはるうちの限りは平(たひ)らけく安くもあらむを事もなく喪(も)なくもあらむを世の中の(山上憶良)、
たまきはる幾代經(へ)にけむ立ちて居て見れども異(あや)し峰高み谷を深みと(大伴家持)、
たまきはる内の朝臣(あそ)が波邏濃知(ハラヌチ)はいさごあれや(日本書紀)、
たまきはる我が山の上(うへ)に立つ霞立つとも居(う)とも君がまにまに(万葉集)、

等々と、

「枕」、「命」、「よ(世)」、「うち(うつつ 現)」、「昔」・「幾代」、地名「内」、

などにかかり、さらに、

イノチと同音をもつ「磯宮」

にもかかる枕詞とされ、また、

タマは玉で、玉の輪を刻む、

意で、

「我(わ)」、

にかかるとされ(岩波古語辞典)、

たまきはる、

は、

「魂きはまる」で生まれてから死ぬまでの意、

とするが、諸説があり、

語義・かかり方未詳、

とされる(精選版日本国語大辞典)。

「内」にかかる例は、

多麻岐波流(タマキハル)内の朝臣(あそ)汝(な)こそは世の長人(ながひと)そらみつ大和の国に雁卵(こ)産(む)と聞くや(古事記)、
たまきはる宇智(うち)の大野に馬並(な)めて朝蹈(ふ)ますらむその草深野(くさふかの)(万葉集)、

の、前者は枕詞としない(精選版日本国語大辞典)ともされるが、後者は、玉作りの本拠地である「宇智」へかかる。

「命(いのち)」にかかる例は、

かくのみし恋ひし渡れば霊剋(たまきはる)命も吾は惜しけくもなし(万葉集)、

「磯(いそ)」「幾世(いくよ)」にかかる例は、

冬夏と別(わ)くこともなく白たへに雪は降り置きていにしへゆあり來(き)にければこごしかも岩の神(かむ)さび多末伎波流(タマキハル)幾代経にけむ(万葉集)、

「世(よ)」「憂(う)き世」にかかる例は、

玉切(たまきはる)世までと定め頼みたる君によりては言(こと)のしげけく(万葉集)、

「我が」「立ち帰る」「心」などにかかる例は、

霊寸春(たまきはる)吾が山の上に立つ霞立つとも坐(う)とも君がまにまに(万葉集)、
恋しとも言はでぞ思ふたまきはる立ち帰るべき昔ならねば(新勅撰和歌集)、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

たまきはる、

を、

魂(たま)極る(命)、

と解したところから、

本の身ながら玉きはる、魂は善所におもむけども、魄は修羅道に残って(車屋本謡曲「朝長(1432頃)」)、

と、

魂がきわまる、
命が終わる、

意と解した(仝上)が、この意識は、「万葉」にも、原文に、

霊剋、
玉切、

等々と当てるところに、すでにうかがわれる(仝上)とある。

「魂」(漢音コン、無呉音ゴン)の異体字は、「和魂(にきたま)」で触れたように、

䰟、䲰、𠇌、

とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82)。字源は、「たま(魂・魄)」で触れたように、

会意兼形声。「鬼+音符云(雲。もやもや)」、

とあり(漢字源)、雲と同系で、「もやもやとこもる」意を含む、渾(コン もやもやとまとまる)と、非常に縁が近い(仝上)ともある。「たましい」、「人の生命のもととなる、もやもやとして、決まった形のないもの、死ぬと、肉体から離れて天にのぼる、と考えられていた」の意とある(仝上)。

とある(漢字源)。なお、

「魂」は陽、「魄」は陰で、「魂」は精神の働き、「魄」は肉体的生命を司る活力人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが、なおしばらくは魄は地上に残ると考えられていた、

ともある(仝上)。同じく、

会意兼形声文字です(云+鬼)。「雲が立ち上る」象形(「(雲が)めぐる」の意味)と「グロテスクな頭部を持つ人」の象形(「死者のたましい」の意味)から、休まずにめぐる「たましい」を意味する「魂」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1545.html

ともあるが、他は、

形声。「鬼」+音符「云 /*WƏN/」。「たましい」を意味する漢語{魂 /*wəən/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AD%82

形声。鬼と、音符云(ウン)→(コン)とから成る。「たましい」の意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とする説、

会意。云(うん)+鬼(き)。云は雲の初文で、雲気の象。人の魂は雲気となって浮遊すると考えられた。〔説文〕九上に「陽气なり」とあるのは、次条の魄字条に「陰~なり」とあるのに対するもので、白とは生色のない頭顱(とうろ)(されこうべ)の形。〔荘子、馬蹄〕に~(神)・魂・云・根を韻しており、云・魂は畳韻の語であった(字通)、

と、会意文字とする説がある。

「極」(漢音キョク、呉音ゴク)は、

会意兼形声。亟(キョク)の原字は、二線の間に人を描き、人の頭上から足先までを張り伸ばしたことを示す会意文字で、極は「木+音符亟」で、端から端まで引っ張ったしん柱、

とある(漢字源)。同じく、

会意兼形声文字です(木+亟)。「大地を覆う木」の象形と「上下の枠の象形と口の象形と人の象形と手の象形」(口や手を使って「問いつめる」の意味)から屋根の最も高い所・二つの屋根面が接合する部分「棟(むね)」、「きわみ」を意味する「極」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji575.html

ともあるが、他は、

形声。「木」+音符「亟 /*KƏK/」。「棟木」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}を表す字。のち仮借して「きわみ」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%B5)

形声。木と、音符亟(キヨク)とから成る。棟木(むなぎ)の意を表す。棟木が最も高いところにあることから、ひいて「きわめる」意に、また、最高・最上の意に用いる(角川新字源)

形声。声符は亟(きよく)。亟は二(上下)の間に人を幽閉し、前に呪詛の祝詞を収めた器((ᗨさい))をおき、後ろからは手を加えて、これを殛死させる意の字。極とはその場所をいう。〔説文〕六上に「棟なり」とあり、棟字条にも「極なり」と互訓するが、棟梁は後起の義。罪人を窮極することから、いたる、きわめての意となる。棘と声が通じ、すみやかの意となる(字通)、

と、形声文字としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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けだしくも


けだしくも人の中言(なかごと)聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ(大伴家持)

の、

けだしくも、

は、

ひょっとしたら、

と訳し、

中言、

は、

中傷、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

中言(なかごと)

についてはで触れた。

けだしくも、

は、

蓋しくも、

と当て、

副詞「けだしく」+係助詞「も」から(デジタル大辞泉)、
(「けだしく」の)「く」は副詞語尾。多く「も」を伴って用いる(精選版日本国語大辞典)、
モは疑問の意の強い係助詞(岩波古語辞典)、

とあり、

あとに推量または疑問の意味を表す語、

を伴って、

推量の意を表す語、

として、

なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野(あきの)の萩や繁(しげ)くちるらむ(万葉集)、

と、

おそらく、
ひょっとしたら、

の意や(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)、

そこ故に慰めかねてけだしくも逢ふやと思ひて玉垂(たまだれ)の越智の大野の朝露に(万葉集)、

と、

疑いの強い推量の意を表す語、

として、

ひょっとすると、

の意や、

よひよひにわが立ち待つにけだしくも君来まさずは苦しかるべし(万葉集)、

と、

あとに仮定の意味を表す語を伴って、

万一を仮定する語、

として、

もしや、

の意で使う(仝上)。

けだしくも、

の、

「けだしく」+係助詞「も」、

の、

けだしく、

は、

蓋しく、

と当て、

クは副詞語尾(岩波古語辞典)、
「く」は副詞語尾。多く「も」を伴って用いる(精選版日本国語大辞典)、

とあり、

あとに推量の意味を表す語を伴って、

判断を下す時の、多分に確信的な推定の気持を表わす語、

として、

吾妹子が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きて盖(けだしく)実にならじかも(万葉集)、

と、

おそらく、
多分、
おそらく、
思うに、

の意で、

けだし、

と同じ意味で使い、さらに、

あり得る事態を想定する時の、肯定的な仮定の気持を表わす語、

として、

古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)盖(けだし)や鳴きし吾が思へる如(ごと)(万葉集)、

ひょっとすると、
もしかすると、

の意で、

けだし、

と似た使い方になる。なお、

けだし

については触れた。

「蓋」(@慣用ガイ・漢音呉音カイ、A漢音コウ、呉音ゴウ)の異字体は、

乢、廅、盖(簡体字/俗字)、篕、葐、葢(同字)、𢅤、𤇁、𤇙、、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B。「覆蓋(フクガイ)」、「遮蓋(シャガイ)」のように、「覆う」意、また「天蓋」のように「ふた」「かさ」の意の場合は、@の音、草ぶきの屋根の意や、なんぞ……せざるという用法の場合はAの音となる(漢字源)。字源は、

会意兼形声。盍(コウ)は「去+皿(さら)の会意文字で、皿にふたをかぶせたさま。かぶせること。蓋は「艸+音符盍」で、むしろや草ぶきの屋根をかぶせること、

とある(漢字源)。同じく、

会意形声。艸と、盍(カフ)→(カイ)(ふたをする)とから成る。草のふた、ひいて「おおう」意を表す。「盍」の後にできた字。借りて、助字に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(艸+盍)。「並び生えた草」の象形と「覆いの象形と食物を盛る皿の象形」(「覆う」の意味)から、「草を編んで作った覆い」、「覆う」、「かぶせる」、「ふた」、「覆い」を意味する「蓋」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2099.html

ともあるが、

形声。「艸」+音符「盍 /*KAP/」。「ふた」を意味する漢語{蓋 /*kaaps/}を表す字。もと「盍」が{蓋}を表す字であったが、「艸」を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%93%8B

形声。声符は盍(こう)。盍は器物に蓋をする形。その声義を承ける。〔説文〕一下に「(とま)なり」とあり、ちがやの類。屋根を蓋うのに用いる(字通)、

と、他は形声文字足としている。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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しくしく


春日野に朝居(ゐ)る雲のしくしくに我(あ)れは恋ひ増す月に日に異(け)に(大伴像(かた)見)
春雨のしくしく降るに高円(たかまど)の山の桜はいかにかあるらむ(河辺東人)

の、

しくしく、

は、

しきりに、

の意で、

上二句は序、しくしくを起こす、

とあり、

月に日に異(け)に、

は、

月日が経つにつれてだんだんと、

と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

日に異(け)に

日(け)

で触れたことだが、

ひにけに(日異)、

の、

け、

は、

異、

の意で、

ke、

の音、

け(日)、

は、

kë、

の音と(岩波古語辞典)、上代、

「け(異)」は甲類音、
「け(日)」は乙類音、

と別であり、

日に日に、

とは別語である(精選版日本国語大辞典)。

月に日に異に(つきにひにけに)、

は、

月がたち日がたつにつれて、
月ごと日ごとに、
毎月毎日、

の意で、

春日野に朝ゐる雲のしくしくに吾は恋ひまさる月に日に異に(つきニひニけニ)(万葉集)、

では、

月日が経つにつれてだんだんと、

と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

恋にもぞ人は死にする水無瀬川下(した)ゆ我れ瘦(や)す月に日に異に(万葉集)

では、

(私は痩せ細るばかりです)月ごと日ごとに、

と訳す(仝上)さらに、

辺(へ)つ波のいやしくしくに月に異に(つきニけニ)日に日に見とも(万葉集)、

と、

月に異に(つきにけに)、

という言い方も、

月ごとに、
月がたつにつれて、

の意で、

月ごと、

と訳されている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

日に異に(ひにけに)、

は、

吾が命の全けむかぎり忘れめやいや日異(ひにけに)は思ひ益すとも(万葉集)、

は、

日ましに、
日がたつにつれて、
一日一日と、
また、
毎日毎日、
連日、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

日異、

を、

ひのけに、

と訓ませる場合も、

もむ楡を五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ天照るや日乃異爾(ひノけニ)干しさひづるや(万葉集)、

ひにけに(日異)、

と同義であり、

白栲に衣(ころも)取り着て常なりし笑ひ振舞ひいや日異けに変はらふ見れば悲しきろかも(万葉集)、

と、

弥日異に(いやひにけに)

では、

日を追っていよいよ、
日増しに、
日一日と、

の意で使う(デジタル大辞泉・伊藤博訳注『新版万葉集』)。

しくしく、

は、

頻頻、

と当て、

動詞「しく(頻)」を重ねたものから、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

物事があとからあとから重なり起こるさま、

をいい、

奈呉(なご)の海の沖つ白波志苦思苦(シクシク)に思ほえむかも立ち別れなば(万葉集)、

と、「に」「も」「と」を伴って用いることもあり、

何度も繰り返し行なわれるさまを表わす語、

として、

あとからあとから、
しきりに、
たえまなく、

の意で、後に、

アメガ shikujiku(シクジク)フル(改正増補「和英語林集成(1886)」)、

と、

しくじく、

とも使い、さらに、

遊びにいて酒など呑を推じゃ心得違へたる人有、しくしく気を付てわきまへたまへ(洒落本「間似合早粋(1769)」)

と、

十分に行き届くさまを表わす語、

として、

よくよく、
とっくりと、

の意や、

腰元はしくしくをどり(浮世草子「御前義経記(1700)」)、

と、

嬉しさにこらえきれないで、しきりに心のふるえるさまを表わす語、

としても使う(精選版日本国語大辞典)。この場合、

じくじく(ぢくぢく)躍り上がりて面白がるは尤も至極(仮名草子・都風俗鑑(1681))、

と、濁音で、

嬉しさに小躍りするさま、

の意でも使う(岩波古語辞典)。この、

しくしく(頻々)、

は、

及く及く、

とも当て、

奥山のしきみが花のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ(万葉集)、

と、

次から次へとしきりに、

と訳され(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

波の押し寄せて來るように、あとからあとから絶えないで、

の意で使う(岩波古語辞典)。この、

及く及く、

は、

山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ(万葉集)、

では、

重々、

と当て、

おいおいに、
引きも切らず、

の意で使う(大言海)。この、

頻々、

は、だから、

シクシク(及々)の義(大言海)、
シはシメ領(おさ)める義、クは付止る義(国語本義)、

などとあるように、

物事があとからあとから重なり起こるさま、

をいった和語、

しくしく、

に、意味の重なる、

及々
重々、
頻々、

と当てたということなのだろうが、

頻く波の(しくなみの)、

の、

しく、

が、

動詞「しく(頻)」の連体形、

で、

住江の岸の浦みに布浪之(しくなみの)しくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、

と、

あとからあとからと押し寄せる波のように、

の意で、

序詞の一部として「しきりに」の意の「しくしく」にかかる、

とされる(精選版日本国語大辞典)ので、この、

し(頻)く、

を重ねた語と見ていいのではないか。で、

頻々、

を、

しきしき(頻頻)、

と訓ませ、

しくしく、

と同じ意の、

春雨のしきしき降るに高円の山の桜はいかが有らむ(歌仙本家持集)、

と、

しきりであるさま、しばしばであるさまを表わす語、

としても使う(仝上)。

し(頻)く、

は、

茂く、

とも当て(岩波古語辞典)、

しく(及・敷)と同根、

とあり、

し(及)く、

は、

追って行って、先行するものに追いつく、

意、

しく(敷)、

は、

一面に物や力を押し広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす、

意とある(仝上)。

し(頻)く、

は、自動詞カ行四段活用で、

動作がしばしば繰り返される、
たび重なる、
しきりに……する、

意で、

英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ち之伎(シキ)寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも(万葉集)、

と、

ひっきりなしに……する、
また、
一面に……する、

意で、多く補助動詞のように用いる(精選版日本国語大辞典)とあり、また、

住吉(すみのえ)の岸の浦回(うらみ)に布(しく)浪(なみ)のしくしく妹を見むよしもがも(万葉集)、

と、

波があとからあとから寄せる、

意や、

やすみしし吾が大君高照らす日の皇子茂(しき)座(いま)す大殿の上(うへ)に(万葉集)、

と、

草木が繁茂する、
また、
開花する、

意でも使う(仝上)。

この、

しく、

を重ねた、

しくしく(頻々)、

は、当然、

物事があとからあとから重なり起こるさま、

の意の延長で、

しくしくと泣く、

の、

しくしく、

と重なり、

「しくしく(頻頻)」と同語源か(精選版日本国語大辞典)、
シクシク(頻々)の義(日本語源=賀茂百樹)、
シクはシキル(急)の義(秋長夜話)、

と諸説あるが、

たえまなく、

の意で、さまざまな泣き方に使われる。

たえがたくかなしくて、しくしくとなくよりほかの事ぞなき(建礼門院右京大夫集)、

と、

勢いなくあわれげに泣くさまを表わす語、

や、

きゃつが相撲はふしぎなすまふじゃ。……何とやら身うちがしくしくとすると思ふたれば、目がくるくるとまふた(狂言「蚊相撲(室町末〜近世初)」)、

と、

たえずさしこむように、にぶく痛むさまを表わす語、

としても使い、果ては、

御互も、かうやって三十年近くも、しくしくして…(「虞美人草(1907)」)、

と、

決断できないで、態度、気持などがはっきりしないさまを表わす語、

である、

ぐずぐず、
じくじく、

に繋がっていく(仝上)。擬態語としては、

物事があとからあとから重なり起こるさま、

は、

一つの状態がつながっている、

のと重なっていくのである。

「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)の異体字は、

频(簡体字)、𩕘(古体)、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB

瀕の略体、

とある(仝上)。字源は、

会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、みずぎわぎりぎりに迫ること、

とある(漢字源)。他も、

「瀕」の略体。のち仮借して「しきりに」を意味する漢語{頻 /*bin/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB

会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました。「頻」は「頻」の旧字(以前に使われていた字)ですhttps://okjiten.jp/kanji1877.html

と、会意文字としている。

「瀕」(ヒン)は、

会意兼形声。歩は、右足と左足であるくことをあらわす会意文字。頻は「歩+水+頁(かお)」の会意文字で、歩いて水際すれすれまで行くことを示す。頁印を加えて、顔のしわをすれすれにくっつけてしかめること(頻蹙(ひんしゅく)の頻)をも示す。瀕は「水+音符頻(ヒン)」で、水際すれすれに接すること、

とある(漢字源)。同じく、

会意。頁と、涉(しよう)(=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(渉+頁)。「流れる水」の象形と「左右の足跡」の象形と「人の頭部を強調した」象形から川を渡る時の波のように顔にしわをよせる⇒「しわのように波のよる、みぎわ」を意味する「瀕」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2568.html

会意。步(歩)+頁(けつ)。〔説文〕十一下に瀕を正字とし、「水香iすいがい)なり。人の賓附(ひんぷ)する(近づく)所なり。顰戚(ひんしゆく)して前(すす)まずして止まる。頁に從ひ、涉(せふ)に從ふ」(段注本)とするが、その説くところは、形義ともに明らかでない。金文に「順子」の順を涉(渉)に従って瀕の字形にしるすことがあり、おそらく水辺における弔葬の礼に関する字であろう。〔玉篇〕に別に頻字を録し「詩に云ふ、國歩斯(ここ)に頻(あやふ)し。頻は急なり」とし、次に〔説文〕の文を引く。〔広雅、釈詁三〕に「比なり」と訓するのは「しきりに」の意。〔説文〕に「顰戚」の語を以て解するのは、あるいは瀕がもと弔葬に関する字であったことと、関連があることかもしれない。頁は儀礼の際の儀容。水に臨んでその儀容を用いるのは弔葬のことであるらしく、孝順の順が金文に瀕の形にしるされるのも、そのためであろうと思われる。渉は水渉り。聖俗のことに関する民俗として、古く行われることが多かった(字通)、

と、会意文字としているが、これは中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に拠っている。『説文解字』では、

「頁」+「涉」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「涉」とは関係がない、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%80%95

原字は「水」+「步」から構成される会意文字で、水際を歩くさまを象る。西周時代に「頁」を加えて「瀕」の字体となる。「水辺」を意味する漢語{瀕 /*pin/}を表す字、

としている(仝上)。

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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うはへなし


うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つく)さく思へば(大伴家持)

の、

うはへなき、

は、

かわいげのない、

と訳す(伊藤博訳注『新版万葉集』)。

うはへなし(うわえなし)、

は、

無情、

とも当て(大言海)、

上重(ウハヘ)なしにて、露骨(ムキダシ)なる意にもあるか、

とあり(仝上)、

愛想がない、
すげない、

意で(仝上・広辞苑)、

上辺無し、

と当てる(精選版日本国語大辞典)ともあり、

表面をかざらない、
苛酷だ、

の意もあり(仝上)、

宇波弊無(ウハヘなき)ものかも人はしかばかり遠き家路を帰(かへ)さく思へば(万葉集)、

では、

上っ面の愛想の意か、

ともあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、

不愛想、

と訳す(仝上)。語源については、通常、

表辺無し、

と説かれ、

ただうはべばかりの情けに、手走り書き、をりふしの答へ心得て、うちしなどばかりは、随分によろしきも多かりと見たまふれど(源氏物語)、

では、

「うはべ」が「ない」の意と思われる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

表面の情愛、

と訳される。

うはべ(うわべ)、

は、

上辺、

と当て、

白き紙のうはべはおいらかにすくすくしきに(源氏物語)、

と、

物の表面、
外面、
おもて、

の意で、

うしろやすくのどけき所だに強くは、うはべの情けは、おのづからもてつけつべきわざをや(源氏物語)、

と、

内実とは違った見かけ上の様子や事情、

の意で使い、

うわつら、
うわっぺら、
うわべら、

等々と訛る(精選版日本国語大辞典)。どうやら、

うはへなし、

の含意には、

御愛想、

は、

表面上のもの、

という含みがあり、

それさえない、

という意味で、冒頭の、

かわいげがない、

という意訳になったものと思われる。

上辺、

は、

かみべ、

古くは、

かみへ、

とよますと、

下辺(しもべ)、

の対で、

かみの方、
川の上流、

の意になる(仝上)。

じょうへん、

とよますと、

上のあたり、

の意となり、

囲碁の盤面の大まかな区分の一つ、

で、

棋譜に向かって上になる辺、

をさす(仝上)。なお、

うへ

については触れた。

「上」(漢音ショウ、呉音ジョウ)の異体字は、

丄(篆書体)、𠄞、𨑗(古字)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8A)。字源は、

指事(点画の組み合わせなどによって、位置・数量などの抽象的な意味を直接に表しているもの)。ものが下敷きの上にのっていることを示す。うえ、うえにのる意を示す。下の字の反対の形、

とあり(漢字源)、他も、

指事(「何かを指し示す」という意味。抽象的なものを点や線で示して、それを文字化したもの)、物が下敷きに載っている様を表すhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8A

指事。「下」の字とは逆に、高さの基準の横線の上に短い一線(のちに縦線となり、縦線と点とを合わせた形となる)を書いて、ものの上方、また「あげる」意を表す(角川新字源)、

指事。掌上に指示点を加えて、掌上の意を示す。〔説文〕一上に古文の字形をあげ、「高なり。此れ古文の上、指事なり」という。卜文の字形は掌を上に向け、上に点を加え、下は掌を以て覆い覈(かく)す形で、下に点を加える。天子の意に用いるときは、清音でよむ(字通)

参考文献;
伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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