玉櫛笥(たまくしげ)みもろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ(万葉集) の、 さな葛、 は、 びなん葛か、 とあり、 上三句は序。類音で「さ寝ずは」を起す。サナは美称、 とし、 かつましじ、 の、 カツはできる意の下二段補助動詞、マシジは打消の推量の助動詞、 としている(伊藤博訳注『新版万葉集』)。ちなみに、 玉葛(たまかづら)実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに(大伴宿禰)、 玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我(あ)は恋ひ思ふを(巨勢郎女) の問答歌の、 玉葛実ならぬ木、 の、 玉葛、 は、 さな葛、 をいい、 「実」の枕詞、 になるが、 さね葛の雌木は実をつけ、雄木は花だけが咲く、 とある(仝上)。 さなかづら、 は、 さねかづらの古名、 とあり、 佐那葛(サナかづら)の根を舂(つ)き、其の汁の滑(なめ)を取りて(古事記)、 と使われるが、上述の注釈とは異なり、 サは発語(サ衣、、サ牡鹿)、ナは滑(な)のナ、滑葛(なめりかづら)の意(古事記伝)。滑(なめり)多きものなり、さねかづらと云ふは、音転なり(偏拗(かたくね)、かたくな。神祈(かんねぎ)、かんなぎ)、 とする説もある(大言海)。 さなかづらの、 さねかづらの、 で、 狭根葛(さねかづら)後もあはむと大船(おほぶね)の思ひたのみてたまかぎるいはかきふちのこもりのみ(万葉集)、 大船の思ひ頼みてさな葛いや遠長く我が思へる君によりては言の故もなくありこそと(仝上)、 などと、 蔓が長く伸びるので「遠長く」に、分れてまた会うので「会ふ」にかかる(岩波古語辞典)、 はい回った蔓が末で逢うということから「逢う」「のちも逢う」にかかる。また、蔓をたぐるということから、「繰(く)る」と同音の「来る」にかかる(精選版日本国語大辞典)、 枕詞として使われる。ただ、中古以降の用法は、 つれなきを思ひしのぶのさねかつらはては来るをも厭なりけり(後撰和歌集)、 あふ事は絶にし物をさねかつらまたいかにして苦しかるらん(木工権頭為忠百首)、 と、 「来る」「苦し」「絶ゆ」などを掛詞や縁語として多用し、「さね」に「さ寝」をかけたりして用いられた(仝上)とある。 さなかづら、 の転訛とされる、 さねかづら、 は、 真葛、 実葛、 と当て(精選版日本国語大辞典)、 五味子髪を結ふにびなんかづらとて南五味子の茎を水に漬しそのねばり汁を用ゆ(「嬉遊笑覧(1830)」)、 と、 サネカズラの茎をこまかく切り、水につけてつくった頭髪油として髪を整えた、 ので、上述の注釈にある、 美男葛(びなんかずら)、 ともいい(デジタル大辞泉・仝上)、 五味、 とも(大言海)、 とろろかづら、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(931〜38年)に、 五味、作禰加豆良、 とあり、 マツブサ科の蔓性つるせいの常緑低木。暖地の山野に自生。葉は楕円形で先がとがり、つやがある。雌雄異株で、夏、黄白色の花をつけ、実は熟すと赤くなる(デジタル大辞泉)、 ともあるが、 モクレン科のつる性常緑木。関東以西の本州、四国、九州の山地に生える。枝は褐色で皮に粘液を含む。葉は互生し柄をもち革質で厚く、長さ五〜一〇センチメートルの楕円形の両端がとがり、縁にまばらな鋸歯(きょし)があって裏面は紫色を帯びる。雌雄異株(雄花と雌花が別の株に咲く)。夏、葉腋(ようえき)に淡黄白色で径約一・五センチメートルの広鐘状花を下向きに単生する。花被片は九〜一五枚、雌雄蕊は多数。果実は径約五ミリメートルの球形の液果で、ふくらんだ花托(かたく)のまわりに球状に多数つき赤熟する。果実を干したものを南五味子と呼び北五味子(チョウセンゴミシ)の代用として健胃・強壮薬にする。古来枝の皮に含まれる粘液物を髪油や製紙用の糊料に用いた、 とある(https://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/wild_p100/autumn/14_sanekazura.html・精選版日本国語大辞典)。漢方に、 五味子(ごみし)、 があり、 サネカズラ、 また、 チョウセンゴミシ、 の種子をいう(仝上)。 酸味・塩から味・甘味・苦味・辛味があるといい、漢方では鎮咳・強壮薬などに用いる、 とあり(仝上)、前者を、 南五味子、 後者を、 北五味子、 というとある(仝上)。 さねかづら、 は、上述したように、 さなかづらの音転、 とされているが、それ以外に、 ナメリ(滑)があるところから、サネはサナメ(真滑)の約(古事記伝)、 マヌル(真滑)の義(雅言考)、 サネカヅラ(実葛)の義(名語記・言元梯・名言通)、 サネ(実)のあらわになった葛の意(植物和名の語源=深津正)、 サネ、またサナという名の蔓草の義(万葉集講義=折口信夫)、 等々、その生態からとする説が多いようだが、古名が、 さなかづら、 なのだから、そこから由来を説かなくては、先後が逆である。 なお、 真葛、 を、 ま葛延ふ小野の浅茅を心ゆも人引かめやも我がなけなくに(万葉集)、 と、 まくづ、 と訓ませると、 「ま」は接頭語、葛の美称(デジタル大辞泉)、 と、 くづ、 のことである。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) み薦刈る信濃の真弓引かずして弦(を)はくるわざを知ると言はなくに(石川郎女) の、 み薦刈る、 は、 信濃の枕詞、 で、 上三句は女を本気に誘わないことの譬え、 とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 みこも、 は、 水菰、 水薦、 と当て、 水中に生える菰、 をいい、 みこも刈る、 で、 コモが多く生え、それを刈る地、 である、 信濃、 にかかる枕詞として使う(岩波古語辞典・広辞苑)。 こも、 は、 薦、 菰、 と当て、 まこも(真菰)の古名、 である(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。 イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一〜二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五〜一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、 とあり、漢名、 菰、 という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。 マコモの種子、 は、 米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている、 とある(日本大百科全書)。江戸時代にも、『殖産略説』に、 美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある、 という。 真弓(まゆみ)、 については、は「梓の真弓」で触れた。 弦(を)はくる、 の ヲ、 は、 弦、 の他、多く、 緒、 とも当て(大言海・精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)、 撚り合わせた繊維、一筋に続くものとして、「年の緒」「息の緒」など、切れず、長く続くものの意に転用された。類義語ヒモ(紐)は、物の端につけてむすぶためのもの、ツナ(綱)は、ヲよりも丈夫な太いもの、 とある(岩波古語辞典)。由来については、 麻・麻の繊維の事をいうヲ(麻)であろう(時代別国語大辞典-上代編)、 ヲ(尾)かりら(言元梯・名言通)、 ヰト(糸)の反(名語記・和訓集説)、 チョ(緒)の音(和句解)、 と諸説あるが、 麻、 は、古語、 總(ふさ)、 といい(平安時代の『古語拾遺』)、 を(麻・苧)、 そ(麻)、 とも言った。だから、 ヲ(麻・苧)・ヲ(尾)・ヲ(緒)は、同源の可能性がある、 というのが妥当だろう。上述のように。、 ヲ、 は、 太刀が遠(ヲ)も未だ解かずて(古事記)、 玉こそはをの絶えぬればくくりつつまた逢ふといへ(万葉集)、 と、 糸やひもなど細長いもの、 物を結びとめるもの、 の意、 ひとり寝(ぬ)と薦(こも)朽ちめやも綾蓆(あやむしろ)をになるまでに君をし待たむ(万葉集)、 と、 撚った繊維、 の意、冒頭の、 みこも刈る信濃の真弓引かずしてをはくるわざを知ると言はなくに、 や、 穴あるものは吹き、をあるものは弾き(宇津保物語)、 と、 弓や琴などの弦(つる)、 の意、 あらたまの年の乎(ヲ)長くあはざれど異(け)しき心は吾(あ)が思(も)はなくに(万葉集)、 と、 物事の長く続くこと、 また、 その続いているもの、 の意、さらに、転じて、あるいは、 玉(魂)をつなぐもの、 の意から、 御真木入日子(みまきいりひこ)はや己(おの)が袁(ヲ)を盗み殺(し)せむと後(しり)つ戸よい行き違(たが)ひ前つ戸よ い行き違ひ(古事記)、 と、 いのち、 生命、 玉の緒、 の意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 玉の緒、 は、文字通り、 玉を貫き通した緒、 で、 首飾りの美しい宝玉をつらぬき通す紐、 または、 その宝玉の首飾りそのもの、 をも指し(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、中古以後には、転じて、 草木におりた露のたとえ、 として用いられるようになり(精選版日本国語大辞典)、 玉をつなぐ緒が短いところ、 からも、 さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと(万葉集)、 逢ふことは玉の緒ばかり思ほえてつらき心の長く見ゆらむ(伊勢物語)、 と、 短いことのたとえ、 に用い、 魂(たま)を身体につないでおく緒、 つまり、 魂の緒、 の意で、 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする(新古今和歌集)、 ぬきもあへずもろき涙の玉の緒に長き契をいかが結ばむ(源氏物語)、 と、 生命。いのち、 の意で使った(仝上)。なお、 梓弓弦(つら)緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く(万葉集)、 陸奥の安太多良真弓弾(はじ)きおきて反(せ)らしめきなば都良(ツラ)着(は)かめかも(万葉集)、 の、 弦(つら)、 は、上代語の、 弓のつる、 を意味する。 連(つら)の義、蔓(つら 連(つら)の義)と通ず(大言海)、 ツル(釣)・ツル(弦)・ツレ(連)・連(ツラナリ)と同根(岩波古語辞典)、 とあり、 蔓を垂れて魚を取り、また物を引っ張り上げる、 のに使ったろうし、 弓の弦、 ともなっただろう、 蔓、 とつながるようだ(仝上)。「梓弓」については、 梓の真弓、 で触れた。 弦(を)はく、 の、 はく、 は、 佩く、 帯く、 着く、 穿く、 掃く、 吐く、 刷く、 等々と、漢字を当て分けて、意味を使い分けるが、ここでは、 佩く、 帯く、 着く、 穿く、 と、 着ける、 に関わり、 弦を張る、 意である。今日、 矧(は)ぐ、 と濁音だが、古くは、 ハク、 と清音、 であり(広辞苑・岩波古語辞典)、 佩くと同語(広辞苑)、 刷くと同根(岩波古語辞典)、 とある。 淡海(あふみ)のや矢橋(やばせ)の小竹(しの)を矢着(やは)かずてまことありえめや恋しきものを(万葉集)、 と、他動詞四段活用に、 竹に矢じりや羽をはめて矢に作る、 意で(岩波古語辞典・学研全訳古語辞典・広辞苑)、天正十八年(1590)本節用集に、 作矢、ヤヲハグ、 とある。さらに、それをメタファとして、冒頭の、 み薦(こも)刈る信濃の真弓引かずして弦(を)はくるわざを知ると言はなくに、 や、 梓弓弦緒取波気(つらをとりはけ)引く人は後の心を知る人ぞ引く(万葉集)、 のように、他動詞下二段活用に、 填(は)む、つくる、引き懸く(大言海)、 の意に、更に、 弛(はず)せる弓に矢をはげて射んとすれども不被射(射られず)(太平記)、 と、 弓を矢につがえる(広辞苑)、 意でも使う。 なお、「はず」、「弓矢」、については触れた。 「弦」(漢音ケン、語音ゲン)は、「弦打ち」で触れたように、 会意兼形声。玄(幺(細い糸)+−印)は、一線の上に細い糸の端がのぞいた姿で、糸の細いこと。弦は「弓+音符玄」で、弓の細い糸。のち楽器につけた細い糸は、絃とも書いた、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(弓+玄)。「弓」の象形と「両端が引っ張られた糸」の象形から、「弓づる」を意味する「弦」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1648.html)が、別に、 会意。弓と、𢆯(べき 細い絹いとを張った形で、糸(べき)の古字。玄は変わった形)とから成る。弓に張ったつるの意を表す、 とも(角川新字源)、 形声。声符は玄(げん)。〔広雅、釈器〕に「索(なは)なり」という。強く糸を張った状態のものをいい、弓には弦という。通用の字である(字通)、 ともある。 「緒」(漢音ショ、呉音ジョ、慣用チョ)は、「玉の緒」で触れたように、 会意兼形声。「糸+音符者(シャ 集まる、つめこむ)」。転じて糸巻にたくわえた糸のはみ出た端の意となった、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(糸+者(者))。「より糸」の象形と「台上にしばを集め積んで火をたく」象形(「煮る」の意味)から、繭(まゆ)を煮て糸を引き出す事を意味し、そこから、「いとぐち(糸の先端)」を意味する「緒」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1798.html)が、別に、 形声。糸と、音符者(シヤ)→(シヨ)とから成る。糸のはじめ、「いとぐち」の意を表す。常用漢字は省略形による(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B7%92・角川新字源)、 形声。声符は(者)(しや)。〔説文〕十三上に「絲の耑(はし)なり」とあり、糸の末端をいう。者に堵塞(とそく)の意があり、緒は糸を結びとめるところ。ゆえに端緒・緒余の意がある。心のほぐれてあらわれることをたとえて、心緒・情緒のようにいう(字通)、 と、形声文字とする説もある。 「矧」(シン)は、「矧(は)ぐ」で触れたように、 会意文字。「矢+音符引」で、矢を引くように畳みかける意をあらわす(漢字源)、 会意。正字は矤に作り、弓+矢。〔説文〕五下に「況詞なり」(段注本)とあり、「況(いは)んや」という語詞に用いる。語詞の用法はおそらく仮借。別に本義のある字であろう。〔方言、六〕に「長なり。東齊にては矤と曰ふ」とあり、また〔広雅、釈詁二〕に「長なり」と訓しており、弓を強く引きしぼる意のようである。〔礼記、曲礼上〕「笑ふも矧に至らず」は、齗(ぎん)(はぐき)の字の仮借。「況んや」という用法は〔書、康誥〕などにもあり、古くからみえる(字通)、 とあり、 至誠感神、矧茲有苗(至誠神ヲ感ゼシム、イハンヤコノ苗ヲヤ)(書経)、 と、 いわんや、 の意味で使い、 況、 と同義である。これを、 矢を矧ぐ、 と、羽をつける意で用いたのは、なかなかの見識である。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 東人(あずまひと)の荷前(のさき)の箱の荷(に)の緒(を)にも妹(いも)は心に乗りにけるかも(久米禅師) の、 荷前、 は、 毎年諸国から献げる貢の初物、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。また、 心に乗る、 は、 男が女に対してのみいう。独詠の歌で結んでいる、 とある(仝上)。この歌は、 久米禅師、石川郎女を娉(つまど)ふ時の歌五首、 と詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)のある、 み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも(久米禅師)、 から始まる五首の締めの歌になっているが、この五首は、 妻どいの歌の典型として享受された歴史を持つ、 と注記がある(仝上)。 のさき、 は、 荷前、 荷向、 と当て、 毎年諸国から奉る貢(みつぎ)の初物、 で、 のざき、 はつお、 はつに、 ともいい 律令制下、当年の調庸の初荷から、山陵等の供献用に納入時に前もって抜き取り別置した初物のこと、 をいう(世界大百科事典)とあるが、平安時代以後、 天皇および外戚(がいせき)の墓(十陵八墓)に献ずる儀式、 として(日本大百科全書)、 荷前の繊維製品(荷前の幣)を、年末に、天智・光仁・桓武・崇道・仁明・光孝・醍醐各陵や藤原鎌足墓をはじめとする特定の陵墓へ頒け献ずるようになり、これを、 荷前、 というようになる。荷前の幣には諸陵墓へ各陵墓の預人を使者として献ずる、 常幣、 と、常幣のほかに近陵と近墓へ荷前使(のさきのつかい)を分遣して献ずる、 別貢幣(べっこうへい)、 とがあり、常幣は、 陰陽寮が占って定めた12月吉日に、参議以上の者が大蔵省に出向いて授け、 別貢幣は、 常幣と同じ日に、天皇が建礼門前へ出御し大臣以下列席して授けた、 とある(世界大百科事典)。 荷前使(のさきのつかい)、 は、 山科(やましな)山陵(天智(てんじ)天皇)のみは中納言(ちゅうなごん)以上、その他は参議以上、四位、五位、内舎人(うどねり)、大舎人などが務めた、 とある(日本大百科全書)。荷前使の当日は、 天皇が建礼門前の幄(あく)に出御され、大臣以下も列席、その幄舎に幣帛(へいはく)が並べられる。天皇の拝ののち、使いがこれを受け、各陵墓に供える、 という(日本大百科全書)。中には、 (荷前使の)役目を闕怠(けたい)する者があったので、《延喜式》には闕怠者の罰則を設けている、 という(世界大百科事典)。時代が降るにつれ、 使者は発遣されても陵所まで行かなくなり、1350年(正平5・観応1)には荷前使の発遣もできなくなり(仝上)、中世になると行われたようすはみえない(日本大百科全書)とある。 大神宮式・新嘗祭に、 絹・絲・綿・布・木綿・麻……熟海鼠・堅魚・鰒・鹽・油・海藻、 とある、その注記に、 已上諸国封戸調荷前也、 とあり、祈年祭祝詞に、 陸より往く道は、荷緒(にのを)縛(ゆ)ひ堅めて、……荷前は皇大御神の大前に、横山のごと打積み置きて、 とある。この、 荷前、 は、 ノはニ(荷)の古形、サキは最初、第一の意(岩波古語辞典)、 荷先(ニサキ)の転、貢物の荷の最先(いでさき)に到れるを取分けたるもの(大言海) ニサキ(荷先)の転(日琉語族論=折口信夫)、 ノリサキ(登先)の約(松屋筆記)、 とあり、上述の、 当年の調庸の初荷から、山陵等の供献用に納入時に前もって抜き取り別置した初物のこと ということからみると、 貢物の荷の最先(いでさき)に到れるを取分けたるもの、 という説明が最も近い気がする。 「荷」(漢音カ、呉音ガ)は、 会意兼形声。「艸+音符何(人が直角に、にもつをのせたさま)」で、茎の先端に直角にのったような形をしている蓮の葉のこと。になう意は、もと何と書かれたが、何が疑問詞に使われたため、荷かになう意に用いられるようになった、 とある(漢字源)。同趣旨で、 会意兼形声文字です(艸+何)。「並び生えた草の象形」と「人が肩にになう象形」から「になう・かつぐ」を意味する「荷」という漢字が成り立ちました。(また、「ハスの花」の意味も持ちます)、 ともある(https://okjiten.jp/kanji452.html)が、他は、 形声。「艸」+音符「何 /*KAJ/」。植物の「はす」を意味する漢語{荷 /*gaaj/}を表す字。のち仮借して「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*gaajʔ/}に用いる(もともとは「何」がこの単語を表す字であった)(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8D%B7)、 形声。艸と、音符何(カ)とから成る。「はす」の意を表す。借りて、「になう」意に用いる(角川新字源)、 形声。声符は何(か)。〔説文〕一下に「芙渠(ふきょ)の葉なり」とみえる(字通)、 と、いずれも形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 我が里に大雪(おほゆき)降れり大原の古りにし里に降らまくは後(のち)(天武天皇)、 の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、 天皇、藤原夫人(ふぢはらのぶにん)に賜 ふ御歌一首、 とある、 夫人、 は、 天皇妻妾の第三位、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 藤原鎌足の娘、五百重娘。新田部皇子の母、 という(仝上)。 ぶにん、 は、 「ぶ」「にん」は、「夫」「人」の呉音、 で、 夫人、 は、 ふじん、 とも訓ますが、もともとは、 夫人、 の、 夫、 は、漢語で、 夫は扶にして道を以て良人を扶くる義(字源)、 夫は扶なり、能く良人の徳を扶け成すの意(大言海)、 と、古くは、 進百金者、将為用夫人麤糲之費、得以交足下之歎(史記・刺客傳)、 と、 人の母の称、 や、 汝南傳云、元義謂人曰、此我故婦非有他過、家夫人、遇之實酷(後漢書・應奉傳「注」) と、 おのれの母、 をいったが、 夫人以勞諸侯(周禮・考工記)、 と、 天子の妾、后の次位、 の意や、 天子之妃曰后、諸侯曰夫人(曲禮)、 と、 諸侯の正妻、また貴人の妻、 を指し(字源)、 漢魏以来、諸侯の妻にあらざるも広く貴人の妻の敬称とす、 とある(仝上)。。 中国で、古代天子の妃または諸侯の妻、 の称である、 夫人、 を、日本では、 大臣の娘などで、後宮に入った三位以上の女官、 に当てた(仝上・広辞苑)とある。 夫人、 は、 皇后、妃につぎ、嬪(ひん)の上に位置し、令の規定では三位以上の女性から選ばれ、三人置くことができた、 という(「令義解(718)」)。 聖武(しょうむ)天皇の夫人藤原光明子(こうみょうし)をはじめ、夫人から皇后にのぼった例も二、三あるが、平安初期から現れた、 女御(にょうご)・更衣制度、 が導入されると、この地位がしだいに向上し、嵯峨(さが)天皇の夫人藤原緒夏(おなつ)を最後として廃絶した(日本大百科全書)とある。なお、天皇の母にして夫人位にあるものを、 皇太夫人、 といい、とくに中宮職(ちゅうぐうしき)を付置されて后位に准ずる優遇を受けたが、これも醍醐(だいご)天皇の養母藤原温子(おんし)を最後として廃絶した(仝上)。 女御、 は、 にょご、 とも訓ませ、延喜式(927成立)には、 妃、夫人、女御(にようご)、 の后妃がみえるが、定員のない女御は光仁朝に登場し、平安初期に、 更衣(こうい)、 が生まれて、妃、夫人の称号は廃絶した(山川日本史小辞典)とある。 女御、 は、令制の、 妃(ひ)、夫人(ぶにん)、嬪(ひん)の下位に位置づけられた、 が、その子は必ず親王とされ、嵯峨朝以降の源氏賜姓からも除外された。女御には位階や定員についての規定もなく、比較的自由な任命が可能であった(世界大百科事典)とされ、初見は、 桓武朝における紀乙魚(おといお)、 とするが、実質的には光仁朝においてすでに存在した(仝上)とある。淳和朝以降、 妃、夫人、嬪、 などがほとんど置かれなくなり、ときとして皇后すら置かれなかったこともあったから、後宮における女御の地位は徐々に高まった。10世紀に入ると皇后も女御から昇進するようになり、位階も、やがて入内と同時に従三位に叙せられるようになった。女御には摂関大臣等有力貴族の女が任用された(世界大百科事典)。 妃、夫人、嬪、 が置かれなくなって以降は、 皇后・中宮の下で更衣の上、 の位置で、 おおむね内親王・女王および親王・摂関・大臣の子女で、平安中期以後は、次いで皇后に立てられるものも出た(精選版日本国語大辞典)。因みに、 中宮、 は、 皇后と同格の后(きさき)、 をいい、 新しく立后したものを皇后と区別していう称、 とある(広辞苑)。一条天皇のとき、 藤原定子と彰子の2人が皇后に立つことになったので彰子を中宮と称してから、皇后につぐ后をさすようになった。皇后と同じ資格・待遇を与えられた、 とある(旺文社日本史事典)。 更衣、 は、 古代の天皇の令外の〈きさき〉の称、 で、 女御(にようご)の下位にあり、ともに令制の嬪(ひん)の下位に位置づけられた。位階は五位または四位止りであった。皇子女をもうけた後は御息所(みやすどころ)とよばれたが、出身が皇親氏族・藤原氏・橘氏など有力氏族以外の更衣所生の皇子女は源氏となった、 とある(山川日本史小辞典)。なお、 ふうし、 と訓ます、 孔子、 を指す、 夫人 については、別に触れた。 「夫」(@フウ、A漢音フ・呉音ブ)は、 象形。大の字に立った人の頭に、まげ、また冠のしるしをつけた姿をえがいたもので、成年に達した男をあらわす、 とある(漢字源)。「人夫」「丈夫」というように、「成年に達したおとこ」の意、「おっと」の意は、@の音、助詞の「それ」「かな」、指示代名詞の「かの」は、Aの音となる(仝上)。同趣旨で、 象形。頭部にかんざしをさして、正面を向いて立った人の形にかたどる。一人まえの男の意を表す。借りて、助字に用いる(角川新字源)、 象形。もと「大」と同形で、大人の形。意味のない装飾的な横棒を加えて「夫」の字体となる。甲骨文字では「大」と「夫」の両字は厳密な使い分けがされていなかったが、のちに用法に従って区別するようになった。「成人男子」を意味する漢語{夫 /*p(r)a/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)、 象形。大は人の正面形。その頭に髪飾りの簪(かんざし)を加えて、男子の正装の姿を示す。妻は女子が髪飾りを加えた形。夫妻は結婚のときの男女の正装を示す字形である。〔説文〕十下に「丈夫なり。大に從ふ。一は以て簪(しん)に象るなり」という。金文に人を数えるとき、〔鼎(こつてい)〕「厥(そ)の臣二十夫」「衆一夫」のようにいう。夫は労務に服するもの、その管理者を大夫という。夫人とは「夫(か)の人」、先生を「夫子(ふうし)(夫(か)の人)」というのと同じく、婉曲にいう語法である。「それ」は発語、「かな」は詠嘆の助詞(字通)、 と、象形文字とするが、 指事文字です。「成人を表す象形に冠のかんざしを表す「一」を付けて、「成人の男子、おっと」を意味する「夫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji41.html)、 と、指示文字とするものもある。ただ、 『説文解字』では簪を挿した人の姿と解釈されているが、これは誤った分析である。簪は「幵」と書かれ、単なる横棒で表現されることは無い、 としている(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AB)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) やすみしし我が大君し夕されば見(め)したまふらし明け来れば問ひたまふらし神岳(かみをか)の山の黄葉(もみち)を今日(けふ)もかも問ひたまはまし明日(あす)もかも見したまはましその山を(持統天皇) の、 やすみしし、 は、 八隅知し(八隅知之)、 安見知し(安見知之)、 安美知し(安美知之)、 などと当て(大言海・広辞苑)、 八隅を治める、また、心安く天の下をしろしめす(広辞苑)、 万葉集に「八隅知之」と書かれているのは八方を統べ治める意によるという(岩波古語辞典)、 という意で、 わが大君、 わご大君、 にかかる枕詞として使われる(仝上)。で、 やすみしし、 の由来は、 安見(やすみし 見しは、左行四段の見すの敬語、名詞形)を為(し)(為(し)はスの連用形)たまふの意(「豊明見為(みしせ)す)今日は、国見之勢(しせ)して」などの類)、即ち、心安く天の下を知ろしめすの義(大言海)、 ヤスミシラシ(八隅知)の略(万葉代匠記)、 大八洲を知ろしめすの義(和訓栞)、 天下を安國と看し知ろし行わすところから(日本語源=賀茂百樹)、 ヤスミはあるきまった晩に神が降臨する意の動詞か(日本文学史ノート=折口信夫)、 ヤスミチシ(弥生主其)の転。ヤスミは大住宅の意で皇居を表す古語。シは接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄)、 イヤスミ(彌隅)はヤスミ(八隅)になった。すみずみまでお治めになるという意味のヤスミシラス(八隅知らす)はヤスミシシに転音して「大君」の枕詞になった(日本語の語源) 等々、上述の、万葉集の表記、 八隅知之、 安見知之、 などから、確かに、 八隅を治める、安らかに見そなわす、 の意が考えられるが、 これらの表記は当時の解釈を示したものと見るべきで、原義は確かではない、 とある(日本語源大辞典)。なお、 八隅、 の表記は、中国の影響を受けたものとする説もある(仝上)。 八隅、 を、 天の下八隅の中にひとりますしまの大君万代までに(夫木集)、 と、 天皇の統治する国の四方八方のすみずみ、 の意で解するのも、 「やすみしし」の「やすみ」を、万葉集で「八隅」と表記した、 ところから後に生まれたものであり、 今は八隅(やすみ)しる名を逃れて、藐姑射(はこや)の山に住みかを占めたりといへども(新古今和歌集・仮名序)、 と、 八隅知る、 と、 ら/り/る/る/れ/れの、 自動詞ラ行四段活用で使うのも、 「やすみしし」に当てた漢字の「知」を「しる」とよんでできたもの、 である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 「八入」で触れたように、「八」(漢音ハツ、呉音ハチ)は、異体字が、 捌(大字)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AB)、 指事。左右二つにわけたさまを示す(漢字源)、 指事。たがいに背き合っている二本の線で、わかれる意を表す。借りて、数詞の「やつ」の意に用いる(角川新字源)、 指事。両分の形。左右に両分して、数の八を示した。〔説文〕二上に「別るるなり」と近似音の別によって解するが、別は骨節を解くことである。半(半)は八に従い、牛牲を両分する意(字通)、 とあるが、別に 象形文字です。「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する「八」という漢字が成り立ち、借りて、数の「やっつ」の意味も表すようになりました(https://okjiten.jp/kanji130.html)、 象形。二つに分かれる線を記したもの。「わかれる」を意味する漢語{別 /*bret/}を表す字。のち仮借して「8」を意味する漢語{八 /*preet/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%AB)、 と象形文字とする説がある。 「隅」(慣用グウ、漢音呉音グ)は、 会意兼形声。禺(グウ)は、頭の大きい人まねざるを描いた象形文字で、似たものが他にもう一つあるの意を含む。隅は「阜(土盛り)+音符禺」で、土盛りをして□型や冂型にかこんだとき、一つ以上同じようなかどのできるかたすみ、 とある(漢字源)。また、 会意兼形声文字です(阝+禺)。「段のついた土山」の象形(「丘」の意味)と「大きな頭と尾を持ったサル、おながざる又は、なまけもの」の象形(「にぶい・はっきりしない」の意味)から丘のはっきり見えない「すみ」を意味する「隅」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1531.html)、 ともあるが、他は、 形声。「阜」+音符「禺 /*NGO/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9A%85)、 形声。阜と、音符禺(グ)とから成る。谷川の曲がった所、ひいて「すみ」の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は禺(ぐ)。〔説文〕十四下に「陬(すう)なり」、前条の陬に「阪隅なり」とあり、山隅の意とする。およそ僻隅のところは神霊の住むところで、字もまた神梯を示す阜(ふ)に従う。禺は顒然(ぎょうぜん)たる木偶の意があり、神異のものを示すとみられる(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも(弓削皇子) 秋山に散らふ黄葉(もみじば)しましくはな散り乱(まが)ひそ妹があたり見む(柿本人麻呂) の、 しましく、 は、 暫しく、 とあて、 しばらくの間、 少しの間、 の意である(広辞苑)。 しましく、 の、 クは副詞語尾、 とあり(岩波古語辞典)、 しましく、 の、 しまし、 は、 霍公鳥(ほととぎす)間(あひだ)之麻思(シマシ)置け汝が鳴けば吾が思ふ心いたも術(すべ)無し(万葉集)、 と、 しましく、 と同義で、上代語で、 しばし(暫し)、 の古形(精選版日本国語大辞典)、 限定された少時間内、 の意を表わし、 わずかの間、 少しの時間、 少時、 当分、 の意になる。 シマル(締まる)と同根、緊密で、隙間のないこと、転じて、時間の詰まっている状態、 とある(岩波古語辞典)が、 シバシナルコト(暫しなる事)、シバシナラク(暫しならく)、「シナ」を脱落してシバラク(暫らく)、また「なら」を脱落して(シバシク)・シマシク(暫く)に転音して、共に副詞化した、 とする説は、 しばし、 は、 「しまし(暫)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、 シマシ(暫)の転、平安女流文学で使われた(岩波古語辞典)、 「しまし」は「しばし」の古語(大言海)、 とされる、 しまし→しばし、 の転訛と先後が逆なのではないか。 「暫」(漢音ザン、呉音サン)は、 会意兼形声。斬(ザン)は「車+斤(おの)」からなり、刃物で車に切り込みを入れることを示す。中間に割り込む意を含む。暫は「日+音符斬」で、仕事の中間に割り込んだ少しの時間、 とある(漢字源)。同じく、 会意兼形声文字です(斬+日)。「車の象形と曲がった柄の先に刃をつけた斧の象形」(「刀で斬る」の意味)と「太陽」の象形から、斬りとられた時間を意味し、そこから、「しばらく」を意味する「暫」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1660.html)、 ともあるが、他は、 「会意形声文字」と解釈する説があるが、誤った分析である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%AB)、 として、 形声。「日」+音符「斬 /*TSAM/」。「一時」「短い時間」を意味する漢語{暫 /*dzaams/}を表す字(仝上)、 形声。日と、音符斬(サム)とから成る。わずかの時間の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は斬(ざん)。斬に一時断絶した状態にあることを示す意がある。〔説文〕七上に「久しからざるなり」という。漸と声義近く、漸は次第に他に及ぶ意で、暫が時間的であるのに対して、漸は場所的に浸透することをいう(字通)、 と、いずれも形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 田井信之『日本語の語源』(角川書店) 橘の蔭踏む道の八衢(やちまた)に物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずして(三方沙弥) の、 橘の蔭踏む道の、 の、 上二句は序、 八衢に(あれやこれやと)、 を起す(伊藤博訳注『新版万葉集』)とある。 八衢(やちまた)、 は、神代紀に、 八達之衢(やちまた)、 とあり、 道が八つに分かれたところ、 また、 道が幾つにも分かれたところ、 をいい(広辞苑)、冒頭のように、 橘の影踏む道の八衢に物をそ思ふ妹いもに逢はずして(万葉集)、 と、 迷いやすいたとえ、 として使う(仝上)。 ちまた、 は、 巷、 岐、 衢、 と当て、字鏡(平安後期頃)に、 岐、知万太、 とあり、 チマタは道の分かれる所(岩波古語辞典)、 通股(みちまた)の意(広辞苑・大言海・精選版日本国語大辞典)、 チマタ(道股・路股・道俣・道胯)の義(日本釈名・万葉代匠記・万葉集類林・箋注和名抄・言元梯・和訓栞・柴門和語類集・日本語原学=林甕臣・日本語源=賀茂百樹)、 と、ほぼ由来ははっきりしている。 麗美(うるは)しき嬢子(をとめ)、其の道衢(ちまた)に遇ひき(古事記)、 と、 道がいくつかに分かれるところ、また、その道、 をいい、 分かれ道、 分岐点、 辻、 岐路、 をいう(精選版日本国語大辞典)が、転じて、和名類聚抄(931〜38年)に、 巷、知万太、里中道也、、 とあるように、 門の内の南北に大きなる一つのちまたあり(今昔物語)、 前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ(奥の細道)、 と、 町の中の道路、また、にぎやかな所、 をいい、転じて、 世の中、 世間、 の意でも使い、 鬨声矢さけびの音のみやん事なく、修羅のちまたとなれり(北条五代記)、 と、 ある物事の行なわれているところ、その場所、 の意や、 この浦は源平両家の合戦のちまたと承り及び候(謡曲・八島)、 と、 戦場などのように、互いに激しく争い合う場所、 の意などで使う(仝上・岩波古語辞典)。 さへの神、 で触れたように、 衢神(ちまたのかみ)、 というと、 道の分岐点を守って、邪霊の侵入を阻止する神、 で、 道祖神、 塞(斎)の神、 道陸神(どうろくじん)、 ちぶりの神、 塞大神(さえのおおかみ)、 などともいう。なお、 大八衢(オホヤチマタ)にゆつ磐(いは)むらの如く塞(さや)ります(延喜式(927)祝詞)、 と、 大八衢(おおやちまた)、 というと、 おお、 は、 接頭語で、 八衢(やちまた)の美称、 で、 方々に通じる道が分かれるところ、 をいう(精選版日本国語大辞典)。 「衢」(漢音ク、呉音グ)は、 会意兼形声。瞿(ク)は「目二つ+隹(とり)」からなり、鳥があちこちに目をくばること。衢は「行(みち)+音符瞿」で、あちこちが見える大通り、 とあり(漢字源)、「通衢(つうく)」(大通り)、「街衢(がいく)」(まち)、「康衢(こうく)」(太い真っ直ぐな大通り)等々と使う(仝上)。別に、 形声。声符は瞿(く)。瞿は鳥が左右視して驚く意。「瞿+戈」(く)は矛刃の四出するもので、瞿に左右旁出の意がある。〔説文〕二下に「四達、之れを衢と謂ふ」とあり、〔爾雅、釈宮〕の文による。〔左伝、襄十一年〕「諸(こ)れを五父の衢に詛す」、また〔昭二年〕「諸(こ)れを周氏の衢に尸(さら)す」とあり、衢はその地の氏族の名でよばれ、呪詛や処刑を行う場所であった。わが国の辻にあたる語である(字通)、 とする。 「岐」(漢音キ、呉音ギ)は、異体字に、 㞿(同字)、 㟚、 歧、 𡹉、 𨙸、 𪨵、 があり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B2%90)、 会意兼形声。支は、細い小枝を手にした姿で、枝の原字。岐は「山+音符支(キ・シ)」で、枝状のまたにわかれた山、または細い山道のこと、 とある(漢字源)。また、同趣旨で、 会意兼形声文字です(山+支)。「山」の象形と「竹や木の枝を手にする」象形(「枝を払う・わける」の意味)から、「山のえだ道・分かれ道」を意味する「岐」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1423.html)、 ともあるが、他は、 形声。「山」+音符「支 /*KE/」。山の名前を表す固有名詞{岐 /*ge/}を表す字。のち仮借して「わかれみち」を意味する漢語{歧 /*ge/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B2%90)、 形声。山と、音符支(シ)→(キ)とから成る。山の名。歧(キ)に通じて、わかれる意に用いる(角川新字源)、 形声。声符は支(し)。支に伎・庋(き)の声がある。〔説文〕六下に字を「支+阝」に作り、「周の文王の封ぜられし所」、すなわち岐山の地であるとする。分岐を意味する字は〔説文〕二下に「跂は足に指多きなり」とあり、字はまた歧に作る。〔爾雅、釈道〕に「二達を岐旁と曰ふ。物兩なるを岐と爲し、邊に在るを旁と曰ふ」とあり、岐をその意に用いる(字通)、 と形声文字とする。 「巷」(漢音コウ、呉音ゴウ)は、 会意兼形声。「人のふせた姿+音符共」。人の住む里の公共の通路のこと。共はまた、突き抜ける意を含むところから、突き抜ける小路のことと解してもよい、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(共+邑)。「大きな物を両手で捧げる」事を示す文字(「ともにする」の意味)と「特定の場所を示す文字と座りくつろぐ人の象形の変形したもの」(「人が群がりくつろぐ所」、「村」の意味)から、村の人が共有する「村中の道」を意味する「巷」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2435.html)、 ともあるが、他は、 形声。「邑」+音符「共 /*KONG/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B7)、 形声。意符邑(ゆう)(巳は省略形。むら)と、音符共(キヨウ)→(カウ)とから成る。村の中を通りぬけている道の意を表す(角川新字源)、 と形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 風流士(みやびを)と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士(石川郎女) の、 おその風流士、 の、 おそ、 は、 遲の意、 とあり、 のろまなこと、 とする(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 おそ、 は、 遲、 鈍、 と当て、 おそしの語幹、 とあり(広辞苑)、 あさ(浅)の母音交替形、 ともある(岩波古語辞典)。 風流士、 は、 教養ある風雅の士。道徳面から好色面まで幅広く用いる、 とし、ここは、 好色面をちらつかせている、 と注釈する(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 みやびを、 は、 風流士、 の他、 雅男、 遊士、 風流人、 遊子、 等々と当て(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)、 風流を解する男、 風流を好む男、 風流人、 みやびやかな男、 洗練された風雅な男性、 といった意味である(仝上・精選版日本国語大辞典)。 みやび、 は、 里び、 鄙び、 の対で、由来については、 ミヤは宮(岩波古語辞典)、 動詞ミヤフの連用形の名詞化(広辞苑・小学館古語大辞典・精選版日本国語大辞典)、 ミヤブリ(宮振)の義(雅言考・名言通・和訓栞)、 ミヤ(御屋)ブリの義か。ミヤは都の義(俚言集覧)、 ミヤフリ(京風俗)の義(言元梯)、 ミヤコ(都)ビタ意(袖中抄・万葉集類林)、 と、諸説あるが、 び、 は、 接尾語ミ(廻)の転、めぐり、めぐっている所(岩波古語辞典)、 名詞に付いて、そのまわり、ほとりの意を添える(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、 とあり、 川び、 浜び、 丘び、 などと使い、 奈良時代にべ(辺)という類義語があるが、べ(辺)はbeの音、ビ(廻)はbïの音で別語。べ(辺)は、はずれの所、近辺の意、ビ(廻)は周回の意(岩波古語辞典)、 意味的には「へ(辺)」(「へ」の甲類音)に近いものであるが、上代特殊仮名遣からみると、同じ乙類音の「み(廻)」との関連が考えられる(精選版日本国語大辞典)、 とあり、 廻、 傍、 と当て、 当該地域まわり、 といった意味になる。 鄙、 の対になる、 みやこ、 は、 都、 宮、 京師、 等々と当て(岩波古語辞典・大言海)、 宮處(みやこ)、または宮所の義(大言海・広辞苑・日本釈名・東雅・類聚名物考・言元梯・和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健・ことばの事典)、 「みや」は宮、「こ」は場所の意(精選版日本国語大辞典)、 ミヤは宮、コはココ・ソコのコ(岩波古語辞典) と、ほぼ 宮、 と見ていいのだが、場所を示す、 こ、 は、 上代において乙類であり、「みやこ」の「こ」は甲類であるが、「や」の母韻に引かれて甲類に転じた、 とする説がある(日本語源大辞典)。いずれにしろ、 みやび、 は、 宮+び、 と見ていいのではないか。ちなみに、動詞、 みやぶ、 は、 ミヤは宮。ブは、……らしい様子を示す意(岩波古語辞典)、 の、 宮+ブ、 で、この、 ブ、 は、 名詞、または形容詞の語幹などの名詞的な語に付いて、上二段活用の動詞をつくる、 とされ、 そのようなふるまいをすること、 そういう様子てどあることをはっきり示す、 意を表し(仝上)、 荒び、 うつくしび、 鄙び、 宮び、 都び、 など、 そのもののように、 そのような状態に近くふるまう、 意味で使う(精選版日本国語大辞典)。現代の口語では、 びる、 に当たり、 おとなびる、 いなかびる、 ふるびる、 あらぶ、 等々と使う(仝上)。なので、 是に、月の夜に清談(ものかたり)して、不覚(おろか)に天暁(あ)けぬ。斐然(ふみつくる)藻(ミヤヒ)、忽に言に形(あらは)る(日本書紀)、 と、 宮廷風で上品なこと、 都会風であること、 また、 そのさま、 で、 洗練された風雅、 優美、 の意だが、敷衍して、 昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなん、しける(伊勢物語)、 と、 恋の情趣を解し、洗練された恋のふるまいをすること、 の意や、 大王(きみ)は風姿(ミヤヒ)岐嶷(いこよか)にまします(日本書紀)、 と、 すぐれた風采(ふうさい)、 りっぱな姿、 の意でも使う(仝上)。 みやび、 は、本来、 広く都(みやこ)風宮廷風の事柄・事物についていう、 物だが、漢文訓読史で、 風流、 閑雅、 などの漢語に、 みやびかなり、 の訓が付けられ、万葉集で、冒頭のように、 風流士 遊士、 を、 みやびを、 と訓ませたりした。これらは、いずれも、 奈良の都の文化の生み出したもの、 とある(世界大百科事典)。平安時代には、上述、伊勢物語の、 昔人は、かくいちはやきみやびをなん、しける、 という一例以外、 「竹取物語」「宇津保物語」「落窪物語」などには「みやび」の語は見いだせず、「源氏物語」でも「みやび」およびその派生語は15例を数えるにすぎない、 とある(仝上)。ただ、これは、 あらゆる面で「みやび」が自明の前提だったからと解される(仝上)。周知のように、この語は近世、国学の興隆とともに、それまでとは異なる意味を持たされ、本居宣長は平安時代の和歌、物語を含む古代文化の中心にあるものを、 みやび、 と呼び、それを儒教、仏教とは異なる「神の道」すなわち神道にも通ずる、日本人の精神の基盤と考えた(仝上)のはまた別の話になる。なお、万葉集では、 風流、 を、 みやび、 と訓ませ、 情け、好き心、 などの意も含んでいた(仝上)が、平安末期から中世にはもっぱら、 ふりゅう、 と訓ませ、祭りの山車(だし)や物見車に施された華美な装飾、その警固者の奇抜な衣装、宴席に飾られた洲浜台(すはまだい)の趣向などを総称するようになったことは、 風流、 で触れた。 なお、 みやび、 の対語である、 鄙び、 は、 田舎めく、 意、 鄙、 は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 鄙、ヰナカ、ヒナ、 とあり、 都の外の地の称、 とあり(大言海)、その由来も、 隔(へナ)の転という、天離(アマザカ)るの意(大言海)、 ヰナカの略転(和句解・菊池俗語考)、 タヰナカ(田居中)の略転(冠辞考)、 ヰナカと同語源(古代日本語文法の成立の研究=山口佳紀)、 本来は賤しい人の意で、ヒはヒクキ(低)のヒに通じ、ナはオトナ(大人)・ヲミナ(女)のナに同じ(国語の語根とその分類=大島正健)、 ヒナ(日無)の義、天子のいない所の意(東雅・言元梯・名言通・和訓栞・柴門和語類集・本朝辞源=宇田甘冥・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、 ヒノホカ(日之外)の義(日本語原学=林甕臣)、 ヒノシタ(日下)の約(日本紀和歌略註・箋注和名抄・和訓集説)、 ヒナガ(日永)の略、辺土では日が長く感ぜられるところから(柴門和語類集)、 等々諸説あるが、語呂合わせが多く、 隔(へナ)の転、 が真っ当に見える。で、 都から遠く離れたところ、 開けていない、未開の地、 支配が及んでいない土地、 意になる(日本語源大辞典・岩波古語辞典)。 里び、 は、 田舎風をおびる、 里の風に馴れる、 といった意(大言海・岩波古語辞典)で、 さと、 は、 里、 郷、 と当て、 人の住めない山や野に対して、人家の集落をなしている場所、育ち、生活し、生存する本拠となる所、転じて、宮仕えの人や養子・養女・嫁・奉公人などからみて、自分の生まれ育った家、 の意(岩波古語辞典)である。で、 人家の集っているところ、 人里、 の意から、 生活・生存の本拠となる所、 家郷、 生まれ育った家、 の意、都に対して、 田舎、 在郷、 村里、 の意で使う(岩波古語辞典・大言海・精選版日本国語大辞典)。その由来は、 多處(サハト)の約(多蠅(サハバへ)、さばへ)、多居の義。人の集まり住みて、聚落をなせる地の意(大言海)、 サト(小所・小処)の義(日本釈名・言元梯・柴門和語類集)、 サトコロ(小処)の義から(名言通)、 サト(狭所・狭処)の義(東雅・箋注和名抄・碩鼠漫筆・和訓栞)、 辺土には小家ばかりあるところから、サト(小戸)の義(和句解)、 サト(狭戸)の義(桑家漢語抄)、 サト(幸所)の義。原義はさきところ(幸処)で、サは人の居住している地を祝していったもの。あるいはサタ(栄田)の音便か(日本古語大辞典=松岡静雄)、 ソト(疏土)の転か(和語私臆鈔)、 離れた場所の意のサト(闖)の義(国語の語根とその分類=大島正健)、 スミドコロの約(冠辞考続貂)、 スマトコロ(住所)の約(和訓集説)、 サは一種の霊の名、トはト(座)で、神座の意。サの霊を齋く場所の意のサトを中心に郷里生活がけいせいされたところから(六歌仙前後=高崎正秀)、 等々諸説あるが、語呂合わせに過ぎ、ちょとどれも取りにくい。原義から考えれば、 多處(サハト)の約、 だろうか。 「雅」(@漢音ガ・呉音ゲ、A漢音ア・呉音エ)は、 形声。牙(ガ)は、交互にかみあうさまで、交差してすれあうの意を含む。雅は「隹(とり)+音符牙」で、もと、ガアガア・アアと鳴く鴉のこと。ただし、おもに牙の派生語である「かみあってかどがとれる」の意に用いられ、転じて、もまれてならされる意味となる、 とある(漢字源)が、よく意味が分からない。「風雅」「爾雅」など、みやびやか、みやこめく、上品の意は、@の音、からすの意はAの音、である(仝上)。他も、 形声。「隹」+音符「牙 /*NGRA/」。「カラス」を意味する漢語{鴉 /*qraa/}を表す字。のち仮借して「ただしい」「みやびやか」を意味する漢語{雅 /*ngraaʔ/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%85)、 形声。隹と、音符牙(ガ)→(ア)とから成る。みやまがらすの意を表す。借りて「みやびやか」の意に用いる(角川新字源)、 形声。声符は牙(が)。〔説文〕四上に「楚烏なり」という。牙は鴉の従うところと同じく、その鳴き声(字通)、 と形声文字だが、 会意兼形声文字です(牙+隹)。「からすの鳴き声を表す擬声語」と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、「からす」を意味する「雅」という漢字が成り立ちました。また、みやびやかな夏祭りの意味の「夏」に通じ(同じ読みを持つ「夏」と同じ意味を持つようになって)、「みやびやか」の意味も表します(https://okjiten.jp/kanji1301.html)、 は、会意兼形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 丹生(にふ)の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋(こひ)痛(いた)し我が背(せ)いで通ひ来(こ)ね(長皇子) の、 ゆくゆくと、 は、 行く行くと、 で、 心はやる意か、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 ゆくゆく、 は、 動詞「行く」を重ねた語、 で(精選版日本国語大辞典)、 ゆくゆくその惡もあらわれ候事(沢庵書簡)、 或は今善き事もゆくゆくのためにあしく(玉くしげ)、 と、 行く末、 やがて、 将来、 の意で、今日でも、 ゆくゆくは大物になるだろう、 などと使う(岩波古語辞典・広辞苑)。また、 臥しつつ泣き行(ゆくゆく)号(おら)びて(顯宗紀)、 紀小弓宿禰等即ち新羅に入りて行(ユクユク)傍の郡を屠(ほふ)りとる(雄略紀)、 と、 ゆきながら、 道すがら、 の意と、副詞的に使う(仝上)。しかし、多く、 と、 を伴なって、 ゆくゆくと、 と使われるが、その意味は、 未詳、 とされ、はっきりしない(広辞苑)。一説に、冒頭の歌のように使われ、 心が動揺しているさま、 また、 ずんずん、 の意とも言うとある(広辞苑)。で、 何事にかはとどこほり給はん、ゆくゆくと、宮にも愁へきこえ給ふ(源氏物語)、 と、 遠慮せずにずかずかと、 他をはばからないさま、心のままであるさまを表わす、 との含意で、 ずんずん、 ずけずけ、 の意で使う。また、 御腹はゆくゆくと高くなる(宇津保物語)、 では、 滞りなく物事の進行するさまを表わす、 との含意で、 ずんずん、 どんどん、 の意で使っている(仝上・精選版日本国語大辞典)。しかし、冒頭の、 丹生(にふ)の河瀬は渡らずて由久遊久(ユクユク)と恋ひいたき吾が背いで通ひ来(こ)ね(万葉集)、 では、上記の訳注者とは異なり、 心が落ち着かず定まらないさまを表わす語か(精選版日本国語大辞典)、 気持ちが安定しないようす(デジタル大辞泉)、 心が動揺しているさま(広辞苑)、 として、 悶々(もんもん)と、 の意とする説もある(デジタル大辞泉)。歌の、 ゆくゆくと恋痛し、 からみると、 心が落ち着かず定まらないさま、 を表し(精選版日本国語大辞典)、 悶々と思い惑う、 の方がすんなり通る気がするがどうだろう。だから、 我が背いで通ひ来ね、 と促したているのではないか。 なお、 行行、 を、 コウコウ、 と訓むと、 行行として重ねて行行たり(海道記・序)、 と、 しだいに進んでいくさま、 また、 どこまでも歩いていくさま、 の意となり(精選版日本国語大辞典)、 行行、 を、 いけいけ、 とよますと、 動詞「いく(行)」の命令形を重ねた名詞、 で、 さうして十年も家へ往(い)なずに、後はどうなった、どうなったやらいけいけぢゃ(歌舞伎「桑名屋徳蔵入船物語(1770)」)、 と、 ほったらかしのこと、 を意味し、 受け渡しや損益の差し引きがゼロである、 という、 相殺(そうさい)、 の意でも使うが、 いけいけどんどん、 と、今日でも、 やたらに威勢がいいこと、 の意でも使う(精選版日本国語大辞典)。 「行」(「ゆく」「おこなう」意では、漢音コウ、呉音ギョウ、唐音アン、「人・文字の並び、行列」の意では、漢音コウ・呉音ゴウ・慣用ギョウ)は、異字体は、 𧗟、 𬠿(同字)、 とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%8C)。「正行」で触れたように、 象形。十字路を描いたもので、みち、みちをいく、動いで動作する(おこなう)などの意を表わす。また、直線をなして進むことから、行列の意ともなる、 とある(漢字源)。他も、 象形。四方に道が延びる十字路の形にかたどり、人通りの多い道の意を表す。ひいて「ゆく」、転じて「おこなう」意に用いる(角川新字源)、 象形文字です。「十字路の象形」から「みち・いく」を意味する「行」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji364.html)、 象形。十字路の形。交叉する道をいう。〔説文〕二下に「人の歩趨なり」とあり、字を彳(てき)、亍(ちょく)の合文とするものであるが、卜文・金文の字形は十字路の形に作る。金文に先行・行道のように用いる。呪力は道路で行うことによって、他の地に機能すると考えられ、術・衒など呪術に関する字に、行に従うものが多い(字通)、 といずれも象形文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 和田津(にきたつ)の荒磯(ありそ)の上にか青く生(お)ふる玉藻沖つ藻朝羽振(はふ)る風こそ寄らめ夕(ゆふ)羽振る波こそ来寄れ(柿本人麻呂) の、 はふる、 は、 翥る、 羽振る、 と当て、 鳥がはばたきをする、 意である(岩波古語辞典)。また、 朝羽振る風こそ寄せめ夕羽振る波こそ来寄れ波のむたか寄りかく寄り(万葉集)、 朝羽振る波の音騒くあさはふるなみのおとさわく(仝上)、 などと、 鳥が羽を振るように立つ波・風の形容、 としても用いる(広辞苑)。 平安初期の『日本霊異記』の、 嬰児の女有り。中庭に匍匐ふを、鷲擒(と)りて空に騰りて、東を指して翥(ハフ)り、 の訓釋に、 翥、波不利、又云、加介利伊久、 和名類聚抄(平安中期)に、 翥、波布流、飛挙也、俗云、波豆豆、 字鏡(平安後期頃)に、 翥、擧也、、翔也、波不利止比伊奴、 類聚名義抄(11〜12世紀)に、 翥、トブ、ハフル、 などとある。この、 はふる(羽振)、 は、 はふる(放)、 はふる(溢)、 はふる(屠)、 はぶる(葬)、 とは、清濁の決定し難い面もあるが、 基点とする場所から離れる、または離れさせるという意味を共通に持っているので、語源を同じくすると考えられる、 とある(精選版日本国語大辞典)。大言海には、 羽振る、 の他、 はふる、 と訓ませるものを、 扇る、 放る、 葬る、 投る、 屠る 被る、 溢る、 と挙げている。 扇る、 は、 羽(は)を活用す、羽振るの意、 とする、 起り触る。 扇(アフ)がれて振ひうごく、 意、 放(抛)る、 は、 大君を島に波夫良(ハブラ)ば船余りい帰り来むぞ我が疊(たたみ)ゆめ(古事記)、 と、 遠くへ放ちやる、 意や、 みまし大臣の家の内の子等をも、波布理(ハフリ)賜はず(続日本紀)、 と、 うちすてる、 閑却する、 すてておく、 意となり、 葬る、 は、 はぶる、 ほぶる、 と訓ませ(広辞苑)、 はぶる(放)と同根、 はふる(放)の語意と同じ、即ち、古へ、死者を野山へ放(はふ)らかしたるにより起こる(大言海)、 と、 死者を埋めること、 野山へ送り遣ること、 転じて、 葬る、 意となり、 投る、 は、 放(はふ)る意(大言海)、 放(はふ)る意、 とあり、 衣の上に投げかける、 羽織る、 意と共に、 投げ遣る、 意もある。 屠(屠)る、 は、 窮刀極俎、既屠且膾(欽明紀)、 と、 ほふ(屠)る、 意、また、 切散(キリハフリ)、其蛇(古事記)、 と、 切り散らす、 意でもある。 溢る、 は、類聚名義抄(11〜12世紀)に、 灑、ハフル、 とあり、 葦鶴のすだく池水溢(はふ)るともまけ溝の辺(へ)に吾れ越えめやも(万葉集)、 と、 溢れる、 意である。 放(はぶ)る、 は、 溢(はふ)るの転なるべし、此の放るると同意なるあふるると云ふ語あり(大言海)、 とあり、 つながるものの放れ散る、 鎮まり居るものの散り乱れる、 意が、転じて、 親なくして後に、とかく、はふれて、人の国に、はかなき所にすみけるを(大和物語)、 と、 家を離れてさまよう、 さすらう、 流離する、 意、さらに転じて、 落ちぶれる、 零落、 流離、 意で使う。 「翥」(ショ)は、 形声。「羽+音符者」、 とある(漢字源)。「高く飛びあがる」意であるが、 鳳翥(ほうしょ・ぼうしょ)、 というと、 鳳凰(ほうおう)が高く飛びあがること、 をいい、転じて、 龍潜王子、翔雲鶴於風筆、鳳翥天皇、泛月舟於霧渚」(懐風藻(751)序)、 と、 人物や書画などの品格がきわめて高いことのたとえ、 として使う(精選版日本国語大辞典)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) つのさはふ石見の海の言(こと)さへく唐(から)の崎なる海石(いくり)にぞ深海松(ふかみる)生(お)ふる荒磯(ありそ)にぞ玉藻は生ふる(柿本人麻呂)、 の、 つのさはふ、 は、 石見の枕詞、 で、 草の芽を遮る意か、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 言さへく、 は、 唐の枕詞、 で、 言葉が騒がしく通じにくいの意、 とある(仝上)。 唐(から)の崎、 は、 島根県江津市大鼻崎あたりかという、 とある(仝上)。 海石(いくり)、 は、 海中の岩、 暗礁、 とある(広辞苑)。なお、 海松、 については、 みるめ、 で触れたように、 海松、 水松、 と当て(岩波古語辞典)、 ミルメ(海松布)の略、分岐して生えているところからマル(散)と同義か(日本語源=賀茂百樹)、 ムルの転。ムルはマツラクの反、松に似ているところから(名語記)、 海に居て形が松に似ているから(https://www.flower-db.com/ja/flowers/codium-fragile)、 「水松」を「うみまつ」と読ませ、「俗にいう海松」と説明している(和漢三才図絵)。 とあり、おそらく、 ミルメ(海松布)の略、 かと思われる。 ミルは、 学名:Codium fragile、 世界中の温かい海に生息する緑藻という海藻の一種、日本各地の海の潮間帯下部〜潮下帯の岩礁に生息し、色は深緑で二分枝しながら長さ40cm程に成長します。枝の断面は太さ1cm程で丸く長いのが、人間の指の様に見えます。以前は食用として食べられていましたが現在では日本では食用としていません、 とある(https://www.flower-db.com/ja/flowers/codium-fragile)。 つのさはふ(つのさわう)、 の、 つの、 は、 つな、つた、つると同源(広辞苑)、 ツノはツナ(綱)の母音交替形、サハフはサハ(多)、ハフ(這)の約か(岩波古語辞典)、 とあり、 菟怒瑳破赴(ツノサハフ)磐之媛(いわのひめ)がおほろかに聞こさぬ末桑(うらぐは)の木寄るましじき川の隈々(くまくま)寄ろほひ行くかも末桑の木(日本書紀)、 と、 人名「磐之媛(いはのひめ)」、地名「磐余(いはれ)」「石見(いはみ)」など、語頭に「いは」をもつ語にかかる、 とあり(精選版日本国語大辞典)、これを受ける人名・地名は、 「いは」を共有しているので、「岩」の意を介して続くと思われる、 とある(仝上)。 つのさはふ、 は、 冒頭の歌の他、「万葉集」中の五つの例、つまり、 つのさはふ磐余(いわれ)の道を朝去らず行きけむ人の思ひつつ通(かよ)ひけまくはほととぎす、 つのさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ、 夢かもうつつかもと曇り夜の迷へる間にあさもよし城上(きのへ)の道ゆつのさはふ磐余を見つつ神葬り葬りまつれば、 つのさはふ磐余の山に白栲にかかれる雲は大君にかも、 のすべてが、 角障経、 という表記であるところから、 「つの」は植物の芽、「さはふ」は「障(さ)はふ」で、芽の伸びるのをさまたげる岩の意で係るとする説、、 「つの」は岩角、「さは」は多で、角のごつごつした岩の意で係るとする説、 「つの」を「つな」「つた」と同源で、蔓性の植物とし、「さはふ」は「さは(多)・はふ(延)」の変化したものとして、蔦のからみついた岩の意で係るとする説、 などがある(仝上)が、上述した、 (「つの」は)つな、つた、つると同源(広辞苑)、 ツノはツナ(綱)の母音交替形、サハフはサハ(多)、ハフ(這)の約か(岩波古語辞典)、 つる。つた。葛蔓、「つのさわう」の形で枕詞として用いられる(精選版日本国語大辞典)、 と、 つる、 の可能性が高いが、 語義・かかりかた未詳、 というところのようだ(精選版日本国語大辞典)。 ことさへく、 は、 「こと」は「言」。「さえく(さへく)」はやかましくしゃべる意)から、外国人のことばがわかりにくく、やかましく聞こえるところから、よくしゃべる意(精選版日本国語大辞典)、 「さへく」は、囀る意、外国人のことばの聞き分けにくい意(広辞苑)、 ことは、言なり、さへくは、四段活用の動詞にて(名詞形に、佐伯(さへき)となる)、囀る、喧擾(さばめ)くと通ず、ザワザワと物言う義にて、外国人の言語の、聞き分けがたき意(大言海)、 サヘクはサヘズル(囀)と同根。コトサヘクは意味の分からない言葉をぺちゃくちゃ言うこと(岩波古語辞典)、 などから、 「韓(から)」「百済(くだら)」、同音語を持つ地名「からの崎」「くだらの原」にかかる、 枕詞として使われる。後世、 むつかしやことさやく唐人(からひと)なればお言葉をも、とても聞きも知らばこそ(光悦本謡曲「白楽天(1464頃)」)、 と、訛って、 ことさやく、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 さへく、 は、 喧く、 と当て、 さわがしい声で物を言う、 聞き分けにくいように物を言う、 である(仝上・デジタル大辞泉)。 類義語、 さわぐ、 については、触れた。 「囀」(テン)は、 会意兼形声。「口+音符轉(テン)」。轉は、ころがす意を含むが、囀はそれと同義、 とある(漢字源)が、 形声。声符は轉(転)(てん)。〔玉篇〕に「鳥鳴くなり」とあり、鳴きつづける鳥の声をいう(字通)、 と、形声文字とするものもある。 「喧」(漢音ケン、呉音コン)は、 形声。「口+音符宣(セン・ケン)」。口々にしゃべる意。歡(歓 口々に喜ぶ)とも縁がちかい、 とある(漢字源)。 形声。口と、音符宣(セン)→(クヱン)とから成る。(角川新字源) 形声。声符は宣(せん)。宣に諠(けん)の声がある。喧・諠は声義同じく、大声で喧嘩することを、また諠譁という(字通)、 と形声文字とするものの他に、 会意兼形声文字です(口+宣)。「口」の象形と「屋根・家屋の象形と、物が旋回する象形(「めぐりわたる」の意味)」(部屋で、天子が家来に自分の意思をのべ、ゆきわたらせる事から、「のべる」、「広める」の意味)から、「大声で述べる・広める」事を意味し、そこから、「やかましい、うるさい」を意味する「喧」という漢字が成り立ちました、 と、会意兼形声文字とするものもある(https://okjiten.jp/kanji2396.html)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊(とま)りに標(しめ)結(ゆ)はましを(額田王) の、 詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)にある、 天皇の大殯の時、 の、 大殯(おほあらき)、 は、 天皇の殯、 をいい、 殯、 は、 新城、 で、 葬る以前の復活を祈る儀式、 をいう。この天智天皇(天命開別天皇 あめのみことひらかすわけのすめらみこと)の、 殯宮、 は大津の宮で営まれたらしいとある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 大殯(おほあらき)、 は、 大皇(おほきみ)の命かしこみ大荒城(おほあらき)の時にはあらねど雲隠ります(万葉集)、 と、 大荒城、 とも当て、 荒城(あらき)を敬っていう語、 で、 古代、貴人の死後、葬るまでの間、屍(しかばね)を仮に棺(かん)に収めて安置しておく所、 また、 その期間、 をいう(精選版日本国語大辞典)が、 かくしてやなほやなりなむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の杜(もり)の標(しめ)にあらなくに(万葉集)、 と、 大荒城の場所としていわれる地名、 をもいい、 奈良県五條市今井の荒木神社のある所、 とも、 京都府、 ともいい、また一般に、 古墳の所在地をいった、 とも考えられる(仝上)とある。 あらき、 は、 殯、 荒城、 などと当て、 殯(もがり)、 仮殯(かりもがり)、 ともいい、 殯、置き奉る仮宮、 で、 荒城の仮宮、 を、その場所を尊んで、 殯の宮(あらきのみや)、 といい(岩波古語辞典・大言海・広辞苑)、 崩御、薨去ありて、尊骸を、数日閨A御棺に収め、仮に置き奉ること、この間に、御葬儀の設備、陵墓の経営などあるなり、 とある(大言海)。 殯宮、 では、 誄(しぬびごと)や歌舞などが献奏された(日本大百科全書)が、葬祭までは、 生前と同じく朝夕の食膳を供え、呪術的歌舞を行って霊魂をしずめた、 とある(世界大百科事典)。 殯宮の儀は、 天武天皇の殯宮の喪儀は2年2か月、 持統天皇の場合は1年、 文武天皇の例では5か月、 元明(げんめい)天皇は6日、 と、その期間に長短がある(日本大百科全書)が、 期間は一定せず、大化前代では一年程であったが、後世では短縮され(精選版日本国語大辞典)、646年の薄葬令や仏教の葬送儀礼・火葬の影響で衰え、元明天皇以後造られなくなった (旺文社日本史事典) とある。 あらき、 は、 生死の境にいる者に対する招魂、蘇生の儀礼の行なわれる期間とみられ、生物的死から社会的死への通過期と考えられている、 とあり(精選版日本国語大辞典)、その由来は、 アラはアライミ(粗忌)のアラと同根。略式の意、キは棺(岩波古語辞典)、 アラキ(新棺・新城)の義、キは奥城(オクツキ)の意、説文「殯、死在棺、将遷葬棺、賓遇之(大言海・大日本国語辞典・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、 アラガキ(荒籬)の略(万葉考・松屋筆記)、 などあり、どれとは定めがたいが、「万葉」には、冒頭のように、 大荒城、 とあり、 新城、 の意とされ、 墳墓をオクツキ(奥つ城)というのに対する、 とある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、 あらいみ、 は、 粗忌、 散斎、 と当て、 真忌(まいみ)の対、 で、引折で触れたように、 真、 は、 真正に厳密(オゴソカ)にする、 意で、 荒、 は、 粗(アラ)、 で、 真に対して軽い、 意で、 いみ、 は、 斎戒(ものいみ)なり、真忌は真正に厳密(おごそか)にする意なり、騎射を行ふ、荒手番(アラテツガヒ)、真手番 まてつがひ)なども同例なり、 とあり(大言海)、 あらいみ、 は、 大忌(おほいみ)、 ともいい、 祭祀あるとき、神事に與(あづか)るひとの、まへかたよりする斎戒(ものいみ)、 で、 この閧ヘ、諸司の政務は執れども、仏事にあづかり、喪を弔ひ、病を訪ひ、肉を食ふ等の事を禁ず、尚、音楽、死刑を停め、すべて穢れに触れざるやう謹慎す、 とある(大言海)。 真忌、 は、 小忌(をみ)、 致斎(ちさい)、 ともいい、 あらいみの後、祭事の前三日間服する厳重な斎戒、 をいい(岩波古語辞典)、 祭祀だけを行ない、祭事にたずさわらない官人も、職務を止めて謹慎する。、 という(精選版日本国語大辞典)。 うつせみのからはきごとにとどむれど魂(たま)のゆくへを見ぬぞかなしき(古今和歌集)、 で、 きごとに、 は、 木に「棺(き)」を掛けている(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)ように、 き、 は、 棺、 と当て、 棺(かん)のこと、 である(岩波古語辞典)。こうみると、意味は、 アラキ(新棺・新城)、 だが、この閧フ、それを、 祭祀、 する側からみると、 アライミ(粗忌)、 という含意なのではないか、という気がする。なお、 殯、 は、 もがり、 とも訓ませ、 あらき、 と同義で、 貴人の葬儀の準備などが整うまで、遺体を棺におさめてしばらく仮に置いておくこと。また、その所、 の意だが、その由来は、 「も(喪)あ(上)がり」の音変化した語(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、 もあがり(喪上)の約、アガリはカムアガリのアガリで、貴人の死をいう(岩波古語辞典)、 モアガリの略、モは凶事、アガリは崩御(かむあがり)の義(无火殯斂(ほなしあがり)のあがりと同趣(大言海)、 モグ(捥)ぐと同源(嬉遊笑覧)、 モバカリ(喪許)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、 カリモ(仮喪)の倒置(上代葬儀の精神=折口信夫)、 マガアリ(凶在)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、 モカリ(最仮)の義(柴門和語類集)、 の諸説は、多く語呂合わせで、はっきりしないが、 も(喪)あ(上)がり、 がまっとうに見える。因みに、 无火殯斂(ほなしあがり)、 は、 竊かに天皇の屍を収めて……豊浦宮に殯(もがり)して、无火殯斂〈无火殯斂、此をば褒那之阿餓利(ホナシアガリ)と謂ふ〉を為(日本書紀)、 とあり、 死を秘するために、灯火をたかないで殯(もがり)をすること、 である(精選版日本国語大辞典)。この、 殯、 は中国の葬送儀礼に倣っているようにみえるが、『魏志』東夷伝(とういでん)倭人(わじん)の条に、 始め死するや停喪十余日、時に当りて肉を食はず、喪主哭泣(こっきゅう)し、他人就(つ)いて歌舞飲酒す、 とみえ、また『隋書(ずいしょ)』東夷伝倭国の条にも、 貴人は三年外に殯し、庶人は日を卜(ぼく)してうづむ、 と記しており(日本大百科全書)、必ずしもそうではないかもしれない。 「殯」(ヒン)は、「もがり」で触れたが、 会意兼形声。「歹」+音符賓(賓 ヒン お客、そばにいる相手)」で、死人をそばにいる客として、しばらく身辺に安置すること、 とある(漢字源)が、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AE%AF)、 形声。「歹」+音符「賓 /*PIN/」(仝上)、 形声。声符は賓(賓)(ひん)。賓に賓迎・賓送の意がある。死者に対する殯送の礼をいう。〔説文〕四下に「死して棺に在り。將(まさ)に葬柩に遷さんとして、之れ賓遇す。歺(がつ)に從ひ、賓に從ふ。賓は亦聲なり」とし、また「夏后は阼階(そかい)(主人の階)に殯し、殷人は兩楹(えい)(廟の柱)の閧ノ殯し、周人は賓階に殯す」という〔礼記、檀弓上〕の文を引く。殯礼の次第は、〔儀礼、士喪礼〕に詳しい。殯礼が終わって、死者ははじめて賓として扱われる。卜辞に、祖霊を祭るとき「王、賓す」と賓迎の礼を行うことをいう。〔詩、秦風、小戎〕は武将の死を弔う葬送の曲で、板屋に殯葬することを歌う。「かりもがり」は本葬以前に、屍の風化を待つ礼で、板屋に収めてその風化を待ったのであろう。殯礼は、古く複葬の形式が行われたことを示すものである(字通)、 は、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 萬葉集の詞書(和歌や俳句の前書きで、万葉集のように、漢文で書かれた場合、題詞(だいし)という)に、 (天武)天皇の崩(かむあが)りましし後の(持統)八年九月九日の奉為(おほみため)の御斎会の夜に、夢の裏に習ひたまふ御歌一首、 とある、 御斎会(ごさいゑ・おさいゑ・みさいゑ)、 は、 宮中公事の一つ、 で、 精進潔斎の法會、 とある(大言海)。 冒頭の題詞(だいし)にいう、 御斎会、 は、 天皇などの追福のために、宮中で左右を集め斎食(とき)を施す行事、 をさす(「斎(とき)」については触れた)が、一般には、 御斎会、 というと、 正月八日から七日間、大極殿(のちには清涼殿、御物忌の時は紫宸殿)に、衆僧を召して斎食(とき)を設け、国家安寧、五穀豊饒の祈願をした法会、 をいい、 盧遮那仏(るしゃなぶつ)を本尊として読経供養し、金光明最勝王経を講じた、 とあり(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、平安時代初頭からは、 結願(けちがん)の日には、御前で内論議(うちろんぎ)が行われた、 とので、 御斎会論義、 ともいい(デジタル大辞泉・広辞苑)。講師には、 前年興福寺維摩(ゆいま)会の講師を勤めた僧を充てることが839年(承和6)12月の勅で決まり、恒例化した、 とある(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BF%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%88・世界大百科事典)。 年中行事となったのは、神護景雲二年(七六八)以来で(天平神護二年(766)始まりとする説もある)、のちに、 興福寺維摩会(ゆいまえ)、 薬師寺最勝会(さいしょうえ)、 とともに、 南京三会(なんきょうさんえ)、 の一つに数えられた(仝上・精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 御斎講、 おおみおがみ、 さいえ、 という言い方もする。類聚名義抄(11〜12世紀)には、 御斎會、ミヲガミ、 とある。因みに、 内論議、 は、 ないろんぎ、 とも訓ませ、 正月一四日の御斎会(ごさいえ)の結願(けちがん)の日や五月吉日の最勝講に、高僧を召して、問者・講師の役を定め、天皇の御前で最勝王経の経文の意義を論争させたこと、 をいい、 初めは大極殿、後には清涼殿で行なわれた。また、八月の釈奠(せきてん・しゃくてん)の翌日、紫宸殿に博士を召して釈奠の内論議がある、 といい(精選版日本国語大辞典)、平安時代、貴族の私邸で行なわれたこともあるようだ(仝上)。 年中行事として恒例化して以降、 年中行事第一の大事、 とさえいわれ、《延喜式》玄蕃寮の項に詳細な規定があり、 講師・読師・咒願師各1人、法用僧4人、聴衆25人のあわせて請僧32人と従僧34人、 によって構成された(世界大百科事典)。読師は、 内供奉十禅師や智行具足の僧、聴衆は南都六宗の学僧を主体として、諸寺の学僧、 請じて行い、813年(弘仁4)には結願の14日に、 高徳学僧11人を紫宸殿に招いてさらに論義を行わせたが、これが恒例化したので、いわゆる、 内論義(うちろんぎ)、 と称せらることになったが、鎌倉時代以後、南北朝の抗争などで衰微し、室町時代に至って中絶した(仝上)。当会の僧に対する布施も莫大なものであったらしく、 布施物を以て、殆ど一堂を建つ。近代の陵夷なり、 と批判された(仝上)とある。 南都三会(なんとさんゑ)、 のうち、 御斎会、 のほか、 薬師寺の最勝会、 は、 830年(天長7)6月薬師寺仲継の発議により当寺の教学興隆に資するため、檀主直世王の上奏により始められた。毎年3月7日から13日にわたって行われ、源氏の氏人が勅使となり下向したが、供料として播磨国賀茂郡の水田70町が充てられ、南都三会(さんえ)の一つとして、官僧の登竜門となった、 とあり、 興福寺の維摩会、 は、 毎年10月10日より7日間、《維摩経》を講説する大会、藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし、百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み、658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える、 とある(世界大百科事典) なお、 斎会(さいゑ)、 は、 既に訳し畢ぬるを皇帝聞き給て、歓喜して斎会(さいゑ)を設て供養し給はむとす(今昔物語集)、 と、 衆僧に斎食(さいじき 午前中の食事)を供養する法会、 をいい、もともとインドでは、 貴賤僧俗を区別せずに斎食を布施して、大きな法会を営むことが多く、これをパンチャ・パリシャドPañca-pariṣadと称し、中国では無遮会(むしやえ)と訳されていた、 とあり(世界大百科事典)、 梁の武帝が527年(大通1)に行った無遮大会、 などが有名(仝上)とある。道教でも、その祭りは、 斎、 とか、 会(かい)、 と呼ばれる。三洞珠囊(さんどうしゆのう)巻六の〈斎会品〉と称する章によれば、 斎には参加人数の制限や導師その他の役割分担が規定されているが、〈会〉にはそのような規定がなく、ただ「集まって散財し、道士賢者に食事を供する」だけだという。しかし、三元の日(1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元)には必ず「斎会」せよ、 といい、《雲笈七籤(うんきゆうしちせん)》巻三十七にも、春分・秋分に行われる社の大祭を、 斎会、 というとあるので、この言葉は道教の祭りをも指すと考えてよい(仝上)とある。 「斎(齋)」(漢音サイ、呉音セ)は、「斎」は「斎(とき)」で触れたように、 会意兼形声。「示+音符齊(サイ・セイ きちんとそろえる)の略体」。祭りのために心身をきちんと整えること、 である(漢字源)。別に、 形声。示と、音符齊(セイ、サイ)とから成る。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す。転じて、はなれやの意に用いる、 とも(角川新字源)、 会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(『祖先神』の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1829.html)、 とあり、また、 会意。旧字は齋に作り、齊(斉)(せい)の省文+示。齊は神事に奉仕する婦人が、髪に簪飾(しんしよく)を加えている形。簪(かんざし)を斜めにして刺す形は參(参)。示は祭卓。祭卓の前で神事に奉仕することを齋と……いう。〔説文〕一上に「戒潔なり」とするが、字の原義からいえば斎女をいう。祭祀に先だって散斎すること七日、致斎すること三日、合わせて十日にわたる潔斎が必要であった。重文の字形は眞(真)に従う。眞はおそらく尸主(ししゆ)(かたしろ)の意であろう(字通)、 ともある。やはり、心身を浄め整える意味がある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 高照らす日の御子は明日香の清御原(きよみ)の宮に神ながら太敷きましてすめろき(天皇)の敷きます国と(万葉集)、 の、 太敷く、 は、 か/き/く/く/け/け と活用する、 他動詞カ行四段活用、 で、 ふと(太)、 は、 形容詞「ふとし」の語幹相当部分、 で(精選版日本国語大辞典)、 物の直径が大きい意、接頭語的に使う、 とあり(岩波古語辞典)、 績麻(うみを)なす長柄(ながら)の宮に真木柱太高敷(ふとたかしき)て食国(をすくに)を治めたまへば(万葉集) と、 直径が大であること、 の意、そこから転じて、 あきづ島大和の国の橿原(かしはら)の畝傍(うねび)の宮に宮柱(みやばしら)太(ふと)知り立てて天(あめ)下知らしめしける(万葉集)、 と、 (柱などの直径が大きい意から)建物などがどっしりと壮大であること、 また、 しっかりしていること、 の意となり、それをメタファーに、 中臣の太祝詞(ふとのりとごと)言ひ祓(はら)へ安賀布(あかふ)命も誰(た)がために汝(なれ)(万葉集)、 と、 荘重で立派なこと、 の謂いで使う(岩波古語辞典)。で、 ふとのりと、 ふとたすき、 ふとしる、 など、 神や天皇などに関する名詞・動詞などの上に付けて、壮大である、立派に、などの意を添え、これを賛美する意を表わす、 のに使う(精選版日本国語大辞典)。 ふとしく、 の、 しく、 は、 しる(領)と同じ、 とある(岩波古語辞典)。 しる、 は、 知る、 領る、 と当て、 物事をすっかり自分のものにする、 意(精選版日本国語大辞典)で、ここでは、 統治する、 支配する、 という意で、 ふとしく、 は、 吉野の国の花散らふ秋津の野辺に宮柱太敷(ふとしき)ませば(万葉集)、 と、 宮殿などの柱をしっかりとゆるがないように地に打ちこむ、 宮殿を壮大に造営すること、 にいい。 ふとしきたつ、 ふとしりたつ、 ふとしる、 ふとたかしく、 ともいう(仝上)。これをメタファに、 やすみしし我(わ)が大君高照らす日の皇子神ながら神さびせすと太敷(ふとしか)す京を置きて(万葉集)、 と、 居を定めて天下を統治する、 意、つまり、 ふとしる、 と同義である(精選版日本国語大辞典)。 「太」(漢音呉音タイ、慣用タ・ダ)の異体字は、 大、夳、態、泰、𡘙、𡙒、𣡳、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AA)、 「泰」の略字体、 「大」と同義、 とあり(仝上)、その字源は、 会意文字。太は、泰の略字。泰は「水+両手+音符大」の会意兼形声文字、 とある(漢字源)。また、 (「泰」は)「大」に「水」と「廾」を加えた異体字。秦の政治改革に際して作られた文字で、「水」は水徳を表し、「廾」は「秦」の文字に似せるために加えられた、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%B0)あるが、 形声。声符は大(たい)。〔説文〕水部泰字条十一上に「滑らかなり」とあり、その古文として太の字形をあげている。泰は水の上に、人を両手でおしあげている形で、人を水没から救い、安泰にする意。大の下の点は、水の省略形とみてよい。もと泰と同義の字であるが、のちその副詞形、また修飾語的な用義の字となった。〔玉篇〕大部に太を録して「甚なり」といい、副詞とする。古い時期には大・太を厳密に区別することがなく、金文に大宗・大子・大室・大廟・大史の字は、すべて大に作る。漢碑には大守・大尉をまた太守・太尉としるすことがあり、太守の例が多く、ほぼその慣用字となる。太・泰はもと一字、大・太・泰は声義近く通用の字であるが、それぞれ慣用を異にするところがある(字通)、 は、形声文字とし、 指事。大に、重複の記号の(丶は省略した形)をそえて、大きい意を強調する(角川新字源)、 は、指事文字とし、 会意兼形声文字です(二+大)。「両手両足を伸びやかにした人」の象形(「大きい」の意味)と「2本の横線」(「2倍にする」の意味)から「大きい上にも大きい」すなわち「ふとい」を意味する「太」という漢字が成り立ちました、 は、会意兼形声文字(https://okjiten.jp/kanji164.html)とするなど、ばらばらである。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 夢(いめ)にだに見ずありしものをおほほしく宮出(みやで)もするかさ檜(ひ)の隈廻(くまみ)を(万葉集) 朝日照る島の御門におほほしく人音(ひとおと)もせねばまうら悲も(仝上)、 の、 宮出(みやで)もする、 は、 真弓の殯宮に出仕する意、 とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 檜(ひ)の隈廻(くまみ)、 は、 明日香の檜前(ひのくま)。真弓の東隣、 と注記がある(仝上)。 おほほし、 は、前者では、 こころも晴れやらず、 と訳注され、後者は、 うっとうしくも、 と訳注され、 賑わしかるべき御殿のひそまりかえった重苦しさをいう、 としている(仝上)。 おほほし、 の、 ホホの清濁不明、 とある(広辞苑)が、 おぼぼし、 とするものもある(岩波古語辞典)。 おぼろ、 で触れたことだが、 おぼろ、 は、 朧、 とあてるが、朧月の「おぼろ」の意味で、 はっきりしないさま、 ほのかなさま、 薄く曇るさま、 の意の他に、いわゆる料理の「おぼろ」、つまり、 エビ・タイ・ヒラメなどの肉をすりつぶし味をつけて炒った食品。でんぶ、 の意味もある。この、 オボ、 は、 オボホレ(溺)・オボメキのオボと同根。ロは、状態を示す接尾語、 とあり(岩波古語辞典)、 ぼんやりしたさま、 という意味になる(仝上)。濁点の、 おぼほし、 は、 溺ほし(オボホルの他動詞形)、 と当てる、 溺れるようにする、 の意の、 おぼほし、 と、 ぼんやりしているさま、 の意の、 おぼほし、 があり、後者は、 オボは、オボロ(朧)・オボメキ・オボロケのオボと同根。ぼんやりしているさま。奈良時代にはおほほしの形であったかもしれないが、オホ(大)とはアクセントの異なる別語、 とあり(岩波古語辞典)、前者の自動詞は、 おぼほ(溺)る、 で、 オホ(朧)ホレ(惚)の意。古くは、 オホホレと清音か、 とあり(仝上)、 ぼんやりとして気を失った状態になる意、 としている(仝上)。つまり、どちらも、 ぼんやりしたさま、 を含意していることになる。因みに、料理でいう、 おぼろ、 つまり、 でんぶ、 は、 田麩、 と当て、 魚肉または畜肉加工品のひとつ。佃煮の一種。日本では魚肉を使うことが多く、江戸前寿司の店ではおぼろと称するほか、一部では力煮(ちからに)ともいう。中国や台湾では豚肉を使うことが多いが、鶏肉、牛肉を使うものもある、 とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%BA%A9)、日本の「田麩」については、 日本の田麩は魚肉を使うことが多い。三枚におろした魚をゆで、骨や皮を取り除いた後、圧搾して水気をしぼってから焙炉にかけてもみくだき、擂り鉢で軽くすりほぐす。その後、鍋に移して、酒・みりん・砂糖・塩で調味し煎りあげる。鯛などの白身魚を使用したものに食紅を加えて薄紅色に色付けすることもある。薄紅色のものは、その色から「桜でんぶ」と呼ばれる。(中略)伝説によれば、京のあたりの貞婦が、病気で食の進まない夫のために、産土神の諭しにしたがって、土佐節を粉にして、酒と醤油とで味をととのえ供したところ、夫の食欲は進んで病気もなおった。そして自分でも試み、人にもわけたのが初めであるという。もしこれが事実となんらかの関係があるとすれば、おそらく田麩のおこりはカツオであろうという。北海道の一部の地域などでは、単に そぼろ と呼ぶ場合がある、 とある(仝上)が、なぜ「おぼろ」と呼ぶかはわからない。ただ、 そぼろ、 について、 そぼろは、豚や鶏の挽肉、魚肉やエビをゆでてほぐしたもの、溶き卵などを、そのままあるいは調味して、汁気がなくなりぱらぱらになるまで炒った食品、 とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%BC%E3%82%8D)。「おぼろ」の含意から、牽強付会すれば、 原形をわからなくする、 という意味なのかもしれない。『大言海』は、 おぼろ、 を、 おほほろほろの約、 という、「おほほろほろ」は見当たらないが、おぼろに、という意味の、 おぼおぼし、 おぼほし、 という言い方がある。いずれも、「おぼろ(朧)」の「おぼ」である。この、 おぼ、 とつながる、 おぼほし、 は、 鬱し、 朧し、 朦し、 と当て(大言海・精選版日本国語大辞典)、 おほほし、 ともいい、 (しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ の形容詞シク活用で(学研全訳古語辞典)、 ぼんやりした状態、 の意だが、 海女(あま)をとめ漁(いざ)りたく火の於煩保之久(オボホシク)つのの松原思ほゆるかも(万葉集)、 と、 対象の形、様子がはっきりしない、 ぼんやりして明らかでない、 という外界の状態を表す状態表現、 であったものが、それをメタファにしてか、 国遠き路の長手(ながて)を意保保斯久(おほほしく)今日や過ぎなむ言問(ことど)ひも無く(万葉集) と、 心が悲しみに沈んで晴れない、 うっとうしい、 と、心の状態表現に転じ、さらに、 はしきやし翁の歌に大欲寸(おほほしき)九(ここの)の児らや感(かま)けて居(を)らむ(万葉集) と、 愚鈍である、 間抜けである、 という、価値表現へと転じている。 「鬱(欝)」(漢音ウツ、呉音ウチ)の、異字体は、 鬰 、 欝󠄁(俗字)、 欝(俗字)、 菀 、 䖇 、 罻 、 𮫘(俗字)、 𩰪 、 𣝪 、 𣟜 、 𣡡 、 𣠵、郁(簡体字(別字衝突))、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1)、 鬱、 は、 所謂康煕字典体であり、本来は手書きで書く字体ではない。もし手書きで書く場合は、「缶、木(左側、右側)、冖、鬯、彡」の順に書く、 とある(仝上)。その字源は、 会意兼形声。鬱の原字は、「臼(両手)+缶(かめ)+鬯(香草でにおいをつけた酒)」の会意文字で、かめにとじこめて酒ににおいをつける草。鬱はその略体を音符とし、林を添えた字で、木々が一定の場所にとじこめられて、こんもりと茂ることをあらわす。中に香りや空気がこもる意を含む、 とある(漢字源)。別に、 形声。意符林(はやし)と、音符𩰪(ウツ)(は省略形)とから成る(角川新字源)、 会意兼形声文字です。「大地を覆う木の象形と酒などの飲み物を入れる腹部の膨らんだふたつき土器の象形」(「柱と柱の間にある器」の意味)と「穀物の粒と容器の象形とさじの象形と長く流れる豊かでつややかな髪の象形」(「におい草」の意味)から、「立ち込めるよい香り」、「(よい香りが)ふさがる」を意味する「鬱」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2081.html)、 会意。林+缶(ふ)+冖(べき)+鬯(ちよう)+彡(さん)。〔説文〕六上に「木、叢生する者なり」とし、𩰪 (うつ)の省声に従うとする。鬯は酒をかもす形。彡はその酒気。密閉して香草を加え、その醞醸を待つ意。もとに𩰪作り、臼(きよく)に従う。蔚と通じ、醞茂の意に用い、字形も鬱を用いる(字通)、 等々と、会意文字、会意兼形声文字、形声文字と、字の成り立ちについての解釈の違いはあるが、いずれも、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の解釈に依拠している。しかし、 『説文解字』では、「林」と音符「𩰪」から構成される形声文字と分析されているが、甲骨文字や金文などの資料とは一致しない誤った分析である。また、「𩰪」なる字の実在は確認されていない、 とし(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%AC%B1)、 甲骨文字・金文は「林」+「勹」(かがんだ人)+「大」(立った人)、人が生い茂った草木の中に隠れる様子を象る。「茂る」を意味する漢語{鬱 /*ʔut/}を表す字。「爵」の略体を加えて「鬱」となる、 とする(仝上)。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 玉藻なすか寄りかく寄り靡(なび)かひし夫(つま)の命(みこと)のたたなづく柔肌(にきはだ)すらを剣(つるぎ)大刀身添へ寝(ね)ねば(柿本人麻呂) の、 剣(つるぎ)大刀、 は、 身に添ふ、 の枕詞、 たたなづく、 は、 柔肌、 の枕詞、 身体を豊かに包んでいる意か、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 たたなづく、 は、 畳づく、 と当て、 たた(畳)ぬと同根(岩波古語辞典)、 委就(たたなはりつ)くの約という、タタは重なる意(大言海)、 タタナハリ(畳)ツクの義か(和訓栞)、 タタナハリ(委・畳)ナヅクの略。ナヅクはナミツク(靡附)の義(雅言考)、 「たたな」は、「たたぬ」「たたむ」などと語根を同じくするもので、たたみ重なる意を表わし、「づく」は「付く・着く」の意であろうという(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、 とあり、 大和は国のまほろば多多那豆久(タタナヅク)青垣山ごもれる大和しうるはし(古事記)、 と、 たたなはり周(めぐ)れる山の中なる国に、名づくる語、 として(大言海)、 幾重にも重なっている意で、「青垣」または「青垣山」にかかる、 枕詞であり、冒頭の、 玉藻なす彼(か)寄りかく寄り靡(なび)かひし夫(つま)の命の多田名附(タたなづく)柔膚(にきはだ)すらをつるぎ大刀身に添へ寝ねば(万葉集)、 と、 柔肌(にきはだ)」にかかる、 枕詞でもあるが、 かかり方未詳、 とする(精選版日本国語大辞典)。また、この歌が、 「柔肌」にかかる『万葉集』唯一の例、 である(学研全訳古語辞典)ところから、この用法は、 人麻呂が古い枕詞を転用させたものかといわれるが、そのかかり方は衣が重なったように柔らかになびく意からとか、身を折りかがめる意からなど、諸説ある、 とある(仝上)。ただ、以上の、 たたなづく、 の、二つの用法自体、 枕詞としない、 とする説も多い(仝上)とある(岩波古語辞典・広辞苑は枕詞としていない)。語源説にある、 たたぬ、 は、 畳ぬ、 と当て、 ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ、 の、 他動詞ナ行下二段活用、 で、 畳む、 意である。因みに、 たたむ、 は、自動詞、他動詞ともに、 ま/み/む/む/め/め、 の、 マ行四段活用、 で、 冬の装束(さうぞく)一具(ひとくだり)を、いと小さくたたみて(宇津保物語)、 と、 幾重にも折り重ねる、 折り畳む、 意である(学研全訳古語辞典)。また、 たたなはる、 は、 畳はる、 委はる、 と当て(大言海)、 タタは重なる義、ナハルは、おそなはる、うごなはる、あざなはる、のナハルと同意、 とあり(大言海)、 なはる、 は、 他の語について、状態表現を云ふ語、 とある(仝上)。また、 畳ぬ、 と同根で、 高殿を高知りまして登り立ち国見をせせば畳(たたな)はる青垣(あをかき)山山神(やまつみ)の奉(まつ)る御調(みつき)と春へは花かざし持ち秋立てば黄葉(もみち)かざせり(柿本人麻呂)、 と、 山などが幾重にも重なり合ってつらなる、 重畳する、 意で、それをメタファに、 かうぶりたたなはり、つるばみのきぬやれくづれ(宇津保物語) 紅梅の織物の御衣に、たたなはりたる御髪のすそばかり見えたるに(堤中納言物語)、 と、 本来長いもの、広いものが、一か所にたたみ重なる、 意で使う(精選版日本国語大辞典)が、 「たたなづく」と同じように、「たたぬ」や「たたむ」と関連があると思われるが、語源は明らかではない。「青垣(山)」を形容するのも「たたなづく」と同じである、 とし(仝上)、 畳(たたな)はる青垣(あをかき)山、 の、 たたなはる、 は、原文、 「畳有」を「畳付」の誤りとして「たたなづく」と訓む説もある、 とある(仝上)。また、人麻呂が、 「そらみつ」を「そらにみつ」と変化させたように、「たたなわる」を「たたなづく」に変化させたという説もある、 とある(仝上)。 「疊」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、正字である、 疊、 の異字体である。異字体には、 叠(簡体字)、疉(本字)、疂(俗字)、曡、 などがある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%8A)。字源は、 会意文字。「日三つ、または田三つ(いくつも重なること)+宜(たくさんかさねる)」で、平らにいく枚もかさなること。宜の中の部分はもと多の字であり、ここでは多いことを示す、 とある(漢字源)。他も、 会意。晶(畾は変わった形。かさなる)と、宐(ぎ)(=宜。≠ヘ宜の省略形。ただしい)とから成る。つみかさねる意を表す。常用漢字は省略形による(角川新字源)、 会意文字です(畾(晶)+宜)。「澄み切った星の光」の象形(「ひかり・あきらか」の意味だが、ここでは、「同じものを重ねる」の意味)と「まないたの上に肉片をのせた」象形から、まないたの上に重なる美食を意味し、そこから、「かさねる」を意味する「畳」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1362.html)、 会意。旧字は疊。正字は曡に作り、晶(しよう)+宜(ぎ)。晶は玉光。宜は祭肉を俎上に載せて供薦する意。玉をその上に加えるので、畳累の意となる。〔説文〕七上に「楊雄説に以爲(おも)へらく、古、理官は罪を決(さだ)むること三日、其の宜しきを得て、乃ち之れを行ふ。晶(三日)に從ひ、宜に從ふ。亡新(王莽)以爲へらく、曡の三日に從ふは、太(はなは)だ盛んなりと。改めて三田と爲せり」とするが、俗説である。金文に曡に従う字があり、後漢の〔孔龢碑(こうわひ)〕にも曡の字があって、改字説は甚だ疑うべきである。震畳の意は慴・讋(しよう)の通仮の義。わが国では敷物の名に用いる(字通)、 と、会意文字とするが、「田三つ」ではなく、「晶」を採っている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 絶ゆれば生(お)ふる打橋に生ひををれる川藻もぞ枯るれば生ゆるなにしかも(柿本人麻呂) の、 生ひををれる、 は、 茂り撓む意の「ををる」に完了の「り」のついた形、 で、 生い茂っている、 と訳される(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 ををる、 は、 ら/り/る/る/れ/れ、 と活用する、自動詞ラ行四段活用で、 撓る、 生る、 と当て(学研全訳古語辞典・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、 いっぱい茂り合う(岩波古語辞典)、 花や葉がおい茂って枝がしなう、また、枝がしなうほど茂る(精選版日本国語大辞典)、 (たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる(学研全訳古語辞典)、 たわむほどに茂る(デジタル大辞泉)、 と、微妙に意味にずれがあるが、 いっぱい茂り合い→(花や葉の重みで)枝がしなう、 という意味の変化だろうか。ただ、 春去者花咲乎呼里(ハナサキヲヲリ)秋付者丹之穗尓黄色(ニノホニニホフ)味酒乎(ウマザケヲ)(春されば花咲きををり秋づけば丹(に)のほにもみつ味酒(うまざけ)を)、 では、 乎遠里(ヲヲリ)、 と当てており、 花が枝もたわわに、 と注釈している(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 撓、 と当てているところを見ると、 たわわ(撓)、 に力点があり、 たわわに茂る、 意の方が強いのかもしれない。 たわわ、 は、 タワタワの約、 とあり(岩波古語辞典)、 足引の山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝も多和多和(たわたわ)に雪の降れれば(万葉集) の、 たわたわ、 は、 とをとを、 とも表記されるが、 木の枝などのたわみしなうさま、 をいう、 擬態語、 である。そうみると、 (花や葉の重みで)枝がしなう→いっぱい茂り合う、 という変化の方が強いのかもしれない。因みに、 撓る、 を、 しをる、 と訓ませると、 風は軒端の松をしをる夜に月は雲居をのどかにぞ行く(玉葉和歌集)、 と、他動詞 ラ行四段活用の、 しなわせる、 たわめる、 意で、 しわる、 と訓ませると、 さあ、これは屋根裏が腐った故、此の大雪でしわらうかと(歌舞伎「吾嬬下五十三駅(天日坊)(1854)」)、 と、自動詞ラ行四段活用の、 しなう、 たわむ、 意で、 しなる、 と訓ませると、 櫓ろをしならせて力一杯漕ぐ、 と、自動詞 ラ行五(四)段活用の、 しなう、 意になる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉・学研全訳古語辞典)。 「撓」(漢音ドウ、呉音ニョウ、慣用トウ)は、 形声、「手+音符堯(ギョウ)」で、柔らかく曲げること(漢字源)、 形声。「手」+音符「堯」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%92%93)、 形声。声符は堯(尭)(ぎよう)。堯に鐃(どう)・饒(じよう)の声がある。〔説文〕十二上に「擾(みだ)すなり」という。堯は窯に土器を積み重ねておく形。ゆえに撓(たわ)む意となる。これを窯中に遶(めぐ)らし、高熱を加えて焼く。土器を所狭く並べたてるので、「擾る」という訓を生ずるのであろう。人に及ぼしては嬈(じよう)といい、猥(みだ)りがわしいことをいう(字通)、 と、いずれも、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 我が大君の立たせば玉藻のもころ臥(こ)やせば川藻のごとく靡(なび)かひし(柿本人麻呂)、 の、 もころ、 は、 如く、 の意の古語(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあり、 如、 若、 と当て、上代、 ごと(如)、 にあたり、 同じような状態、 よく似た状態、 の意で、 ……の如く、 と、 常に他語による修飾をうけ、副詞的に用いる、 とある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。 モは亦(も)にて、相似たる意、コロは比(ころ)の意にて、相比ぶる義、等比(ひところ)ふといふ動詞あり、懇(ねみころ)と云ふ副詞あり、 とある(大言海)。 ひところふ、 は、 僭ふ、 と当て、 ヒトは等しの語根なり、ころふは類(たぐ)ふの義、 とあり(大言海)、 臣としての分限を越えて君主になぞらえる、 僭す、 匹敵する、 の意である(岩波古語辞典・仝上)。類聚名義抄(11〜12世紀)に、 偶、タクヒ、トモガラ、ヒトコロヘリ、ヒトコロフ、 匹、ヒトコロヘリ、トモ、ナラブ、タクラブ、トモガラ、 配、タグヒ、 とあり、色葉字類抄(1177〜81)に、 偶、ヒトコロイ、両人臥時之詞也、、 偶、ヒトコロフ、両人共臥也、、 和玉篇(倭玉篇、わごくへん 室町中期の漢和字書)に、 僭、ヒトコロヒ、 等々とある。 ころふ、 は、 比、 頃、 と当て、 経過していく時間・季節について、およその見当をつけ、一点を中心に、その前後をひとかたまりとして把握する語。後世は程度についても言う、 とある(岩波古語辞典)ので、時代的に先後が逆かもしれないが、 コは、ケ(来歴(へ)の約)の転にて(松の木(き)、まつのけ。木(こ)の葉)、来(こ)しの意なるか(年来(としごろ)、日来(ひごろ))。ロは添へたる辞、 とし(大言海)、古く、 コロと云ひしは、物事の、程の相如(あいし)くの意の語なり、比の字を記す、是なり、 とする(仝上)。 天仰ぎ叫びおらび足ずりし牙喫(きか)み建(たけ)びて如己男(もころを)に負けてはあらじと(万葉集) と、 自分と同様の男、 自分に匹敵する相手、 相手になり得る男、 の意で(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、 如己男(もころを)、 という言葉があるが、この、 モコロのコロなども、稀に見ゆ、コロフと動詞に作りて、等(ひと)ころふ、日ころふ(孛)ともなる、 とある(大言海)。因みに、 ごと(如)、 は、 道の後(しり)古波陀嬢女(こはだをとめ)を雷(かみ)の碁登(ゴト)きこえしかども相枕まく(古事記)、 梅の花今咲ける期等(ゴト)散り過ぎず我が家(へ)の園に有りこせぬかも(万葉集)、 と使い、助動詞、 ごとし、 の語幹で、本来、 同じ、 の意を表わす「こと」の濁音化したもので、体言的性格をもつ、 とあり、 ごとく、 ように、 同じく、 の意である(精選版日本国語大辞典)。なお、 如、 を、 ジョ、 と訓ませると、 如上、 というように、 そのとおり、 …のごとく、 の意で、また、 晏如(あんじょ)、 欠如、 突如、 躍如、 鞠躬如(きっきゅうじょ)、 等々、 状態を表す語に添えて調子を助ける語、 としても使い、 にょ、 とも訓ませ、 如実、 如法、 如来、 如是我聞(にょぜがもん)、 一如、 真如、 不如意、 等々、 そのとおり、 そのまま、 …のごとく、 意だが、仏教語では、 如(にょ)、 は、 ありのままであること、 の意の、梵語 tathāの訳語、 で、 一切の存在の真実の姿、 一切のものに通じる不易不変の理法、 不変不易の真理、 の意(字源・広辞苑・精選版日本国語大辞典)、つまり、 有作無作(うさむさ)の諸法の相を見ざる所、如なり、相なり、解脱なり、波羅密なり(栄花物語)、 と、 真如、 如如、 の意で(仝上)、 にょにょ(如如)、 も、仏語で、 同覚我々之幻炎、頓入如々之実相(「性霊集(835頃)」)、 と、 真如のこと、 如、 の意である(仝上)。なお、 有作無作、 については、 無作(むさ)の大善、 で触れた。 「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、「真如」で触れたように、 会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもないものをさす指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B(AはほぼBに同じ、似ている)」という不足不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も、現場にないものをさす働きの一用法である、 とあり(漢字源)、また、 会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji1519.html)が、 形声。音符「女 /*NA/」+羨符「口」。「もし〜なら」「〜のような、ごとし」を意味する助詞の{如 /*na/}を表す字。もと「女」が仮借して{如}を表す字であったが、「口」(他の単語と区別するための符号)を加えた、 とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82)あり、また、 会意。女と、口(くち)とから成り、女が男のことばに従う、ひいて、したがう意を表す。借りて、助字に用いる、 と(角川新字源)、 会意。女+口。女は女巫。口はᗨ(さい)、祝禱を収める器の形。巫女が祝禱を前にして祈る形で、その手をかざして舞う形は若。〔説文〕十二下に「從ひ隨ふなり」とあり、〔段注〕に「隨從するに必ず口を以てす。女に從ふ者は、女子は人に從ふ者なればなり」とするが、如・若に従う意があるのは、巫によって示される神意に従うことをいう。〔爾雅、釈詁〕に「謀るなり」とは、神意に諮(と)う意。〔郭璞注〕に茹と同声とし、茹(はか)る意。茹は若と同構の字。卜辞に「王は其れ如(はか)らんか」という例があり、巫によって神意を諮う意であろう。神意を受けて従うので、また従順の意となり、「如くす」の意となる。「如何(いかん)」とは、神意を問うことをいう。字の用義は若と近く、形義に通ずるところがある(字通)、 と、会意文字ともある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 御食向(みけむか)ふ城上(きのへ)の宮を常宮(とこみや)と定めたまひてあぢさはふ目言(めこと)も絶えぬ(柿本人麻呂)、 の、 御食向ふ、 の、 みけ、 は、 神や天皇の食事、食膳の意、 向う、 は、 食膳で種々の食物が向かい合っていること、 の意で(精選版日本国語大辞典)、その中に、 葱(き ねぎ)・粟(あわ)・蜷(みな にな))・䳑(あぢ)などがあること(広辞苑・岩波古語辞典)、 とも、 食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むこと(学研全訳古語辞典)、 とも、 御食の時の、キ(木・酒・葱)、アヂと云ふ(大言海)、 とも、 食膳で向かい合っている食物の中に粟・葱(き)・蜷(みな)がある(デジタル大辞泉)、 ともあり、さらに、同音を持つ地名、 「城(き)の上(え)」「淡路(あはじ)」「南淵(みなぶち)」「味生(あじふ)」、 などにかかる枕詞とある(仝上)。たとえば、冒頭の、 御食向(みけむかふ)城の上の宮を常宮と定め給ひて(万葉集)、 では、 「葱(き)」と同音を含む「城上宮(きのへのみや)」、 にかかり、 御食向(みけむかふ)淡路の島にただ向ふ敏馬(みぬめ)の浦の(万葉集)、 では、 「粟(あは)」と同音を含む「淡路(あはじ)」、 にかかり、 聞く人の見まく欲(ほ)りする御食向(みけむかふ)味原(あぢふ)の宮は見れど飽かぬかも(万葉集)、 では、 鳥の名「䳑(あぢ)」と同音を含む「味原(あぢふ)」、 にかかる(精選版日本国語大辞典)。 あぢさはふ、 の、 さはふ、 は、 障ふ、 の未然形に接尾辞「ふ」がついたもの、 で、 あぢ、 は、 巴鴨(ともえがも)、 の別名、 巴鴨を夜昼遮りつづけている網の目という意から(広辞苑)、 では、よく意味が分からないが、 アヂガモが夜昼網の目にかかる意から(岩波古語辞典)、 「さわう」はさえぎる意とし、水鳥をさえぎる網の目の意から「目」にかかり、また網は昼夜を分かたず張るので「夜昼」にかかる (デジタル大辞泉)、 として、 「め(目)」「妹が目」「よるひる(夜昼)知らず」にかかる、 枕詞とされる(岩波古語辞典・広辞苑)。たとえば、冒頭の、 御食(みけ)向かふ きのへの宮を常宮(とこみや)と定め給ひて味沢相(あぢさはふ)目言(めこと)も絶えぬ(万葉集)、 では、 目、 にかかり、 春鳥のねのみ泣きつつ味沢相(あじさはふ)夜昼知らずかぎろひの心燃えつつ歎く別れを(万葉集)、 では、 夜昼知らず、 にかかる(精選版日本国語大辞典)。 あぢ、 は、 䳑、 と当て(広辞苑)、 あぢがも(味鴨)、 ともいい、 ともえがも(巴鴨)の別名、 とされ、 カモ科の鳥。全長約四〇センチメートルの小形の美しいカモ。雄の背面は灰褐色で、顔に緑、黄褐色、黒からなる巴形の斑紋がある。雌はコガモの雌に似ているが、くちばしの基部の両側に白斑がある。湖、川、湿原などで草の実や小動物を食べる。雄はコロコロと鳴く。シベリア中東部で繁殖し、日本には秋に本州以南の各地に渡来するが数は少ない、 とある(精選版日本国語大辞典)。 「䳑」(漢音ユウ、呉音ウ)は、 形声。「鳥+音符有」、 で、 翼の白いキジの一種、 の、 白鷴(ハッカン)、 の意とある(漢字源)。日本では、上述のように、 あじ、 に当て、 ともえがも、 の別名とされる(仝上)。 参考文献; 利伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) かけまくもゆゆしきかも(一には「ゆゆしけれども」といふ)言はまくもあやに畏(かしこ)き(柿本人麻呂) は、この長歌の、結びの、 天のごと振り放(さ)け見つつ玉たすき懸けて偲はむ畏(かしこ)くあれども、 の五句と響き合う(伊藤博訳注『新版万葉集』)とあり、冒頭は、 心にかけて思うのも憚り多いことだ。(憚り多いことであるけれども)ましてや口にかけて申すのも恐れ多い、 との訳があり、結びは、 天つ空を仰ぎ見るように振り仰ぎながら、深く深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども、 と訳される(仝上)。この、 かけまく、 言はまく、 の、 まく、 は、「見まく」で触れたように、 推量の助動詞ムのク語法、 で、 梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林に鶯なくも(万葉集)、 見渡せば春日の野辺(のへ)に立つ霞見まくのほしき君が姿か(仝上)、 と、 ……しようとすること、 ……だろうこと、 の意となる(岩波古語辞典)。 む、 は、動詞・助動詞の未然形を承ける語で、 む・む・め と活用し、 行かまく、 見まく、 の、 ま、 は、ク語法の語形変化であり、「む」の未然形ではない(仝上)とある。 老いらく、 おもわく、 ていたらく、 すべからく、 などで触れたことだが、 ク語法、 は、今日でも、 いわく、 恐らく、 などと使うが、奈良時代に、 有らく、 語らく、 来(く)らく、 老ゆらく、 散らく、 等々と活発に使われた造語法の名残りで、これは前後の意味から、 有ルコト、 語ルコト、 来ること、 スルコト、 年老イルコト、 散ルトコロ、 の意味を表わしており、 ク、 は、 コト とか、 トコロ、 と、 用言に形式名詞「コト」を付けた名詞句と同じ意味になる、 とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E8%AA%9E%E6%B3%95・岩波古語辞典)、後世にも漢文訓読において、 恐るらくは(上二段ないし下二段活用動詞『恐る』のク語法、またより古くから存在する四段活用動詞『恐る』のク語法は『恐らく』)、 願はく(四段活用動詞「願う」)、 曰く(いはく、のたまはく)、 すべからく(須、『すべきことは』の意味)、 等々の形で、多くは副詞的に用いられ、現代語においてもこのほかに 思わく(「思惑」は当て字であり、熟語ではない)、 体たらく、 老いらく(上二段活用動詞『老ゆ』のク語法『老ゆらく』の転)、 などが残っている(仝上)。 かけまく、 は、 動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」、 で(学研全訳古語辞典)、 掛けまく、 と当て、 助詞「も」を伴って用いられることが多い、 とある(精選版日本国語大辞典)が、上述の通り、 心にかけること、 また、 じかに言葉にすること、 の意で、 かけまくはあやに畏(かしこ)し藤原の都しみみに人はしも満ちてあれども君はしも多くいませど(万葉集)、 と、 神や天皇を話題にするときに使う慣用表現、 とある(岩波古語辞典)。 言はまく、 も、 四段動詞「いふ(言)」の未然形に、推量の助動詞「む」の付いた「いはむ」のク語法 で(精選版日本国語大辞典)、 口に出して言うこと、 で、 もし口に出して言うならば、その言うことは、 の意となる(仝上)。 かけまくもゆゆしきかも言はまくもあやに恐(かしこ)き明日香の真神の原(まかみのはら)にひさかたの天つ御門(みかど)を恐(かしこ)くも定めたまひて神さぶと岩隠ります(万葉集)、 と、「万葉集」の中で、 「言はまくも」と「かけまくも」とは対で、神や天皇(または、これに準ずるもの)の行為などを「ゆゆし」「かしこし」とたたえるために使われている(仝上)。 「掛」(慣用カ、漢音カイ、呉音ケ)は、 会意兼形声。圭(ケイ)は、△型に高く土を盛るさま。転じて、∧型に高くかけること。卦(カ)は、卜(うらない)のしるしをかけること。掛は「手+音符卦」で、∧型にぶらさげておくこと、 とある(漢字源)が、他は、 形声。「手」+音符「卦 /*KWE/」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%8E%9B)、 形声。手と、音符卦(クワ)→(クワイ)とから成る。手で物をひっかける意を表す。もと、挂(クワイ)の俗字(角川新字源)、 形声文字です(扌(手)+卦)。「5本の指のある手」の象形と「縦横の線を重ね幾何学的な製図の象形と占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目の象形」(「占いの時に現れる割れ目の形」の意味だが、ここでは、「系」に通じ(「系」と同じ意味を持つようになって)、「かける」の意味)から、「手で物をひっかける」を意味する「掛」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1604.html)、 形声。声符は卦(か)。卦は卜兆の数を土版にしるすもので、易の卦爻(かこう)をいう。〔易、繋辞伝上〕に「一を掛けて以て三に象る」とあり、筮竹を指にはさんで分ける意。のち懸繋の意となり、縊死することを「枝に掛く」のようにいう(字通)、 と、何れも形声文字とする。 「懸」(漢音ケン、慣用ケ、呉音ゲン)は、 会意兼形声。県は、首という字の逆形で、首を切って宙づりにぶら下げたさま。縣(ケン)は「県+系(ひもでつなぐ)」の会意文字で、ぶらさげる意を含み、中央政府にぶらさがるひもつきの地方区のこと。懸は「心+音符縣」で、心が宙づりになって決まらず気がかりなこと。また縣(宙づり)の原義をあらわすことも多い、 とある(漢字源)。また、 会意兼形声文字です(縣+心)。「大地を覆う木の象形と糸の象形と目の象形」(木から髪または、ひもで首をさかさまにかけたさまから、「かける」の意味)と「心臓」の象形から、「心にかける」、「つり下げる」を意味する「懸」という漢字が成り立ちました、 も、会意兼形声文字とする(https://okjiten.jp/kanji1856.html)が、他は、 形声。「心」+音符「縣 /*WEN/」。「かける」を意味する漢語{懸 /*ween/}を表す字。もと「縣」が{懸}を表す字であったが、混同しないよう、「心」を加えた。縣(あがた)と懸(かけ‐る)は間違った変換等により、混同されるが懸(かけ)は縣(あがた)とは読まない(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%87%B8)、 形声。心と、音符縣(クヱン)とから成る。心にかける意を表す。(角川新字源)、 形声。声符は縣(県)(けん)。縣は𥄉 (きよう)(首の倒形)を懸け垂れた形で、懸の初文。逆吊りすることを倒懸という。庾信〔詠懐に擬する詩〕「遙かに塞北の雲を看て 懸(はる)かに關山の雪を想ふ」は懸絶、はるかの意である(字通)、 と、形声文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 木綿花(ゆふばな)の栄ゆる時に我が大君皇子(みこ)の御門を(一には「刺す竹の皇子の御門(みかど)を」といふ)神宮(かむみや)に装(よそ)ひまつりて(柿本人麻呂)、 の、 木綿花(ゆふばな)、 は、 ゆうはな、 とも訓ませ、 木綿(ゆう)の白さを花にたとえた語、 とある(デジタル大辞泉)が、一説に、 木綿で作った白い造花(仝上・広辞苑)、 楮(こうぞ)の繊維で作った白い造花(岩波古語辞典)、 楮(こうぞ)の皮をさらしたりして紐状にした四手(しで)(精選版日本国語大辞典)、 などとあり、諸説分かれるが、 女性の髪飾りとした(広辞苑)、 古へ、専ら玩弄とせしものならむ、又、婦人の頭の装飾ともせり、後の削花(けずりばな)はこの遺風なり(大言海)、 などとあり、 ゆうしで、 白(しら)木綿花、 ともいい(精選版日本国語大辞典・大言海)、 その白さを花に見立てたもの、 とされる(仝上)。「削花」については、「めどに削花」で触れたが、 古への木綿花(ゆふばな)にして、後世のけづりかけと云ふ、是なり、 とあり(大言海)、 丸木を削りかけて、花の形に作れるもの、 で、多く、 十二月の御仏名(みぶつみょう)に供へらるるものに云ふ(生花なきときなればなり)。翌朝、これを奉るを、馬道(めだう)などに挿して、御遊びあそばしなどす、 とある(仝上)。 その白さを花に見立てた、 とするなら、 木綿で作った白い造花、 ではおかしいので、 楮(こうぞ)の皮をさらしたりして紐状にした四手(しで)、 なのかもしれないとは思うが、 初瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふはな)み吉野の滝の水沫(みなは)に咲きにけらずや(万葉集) では、 造花の感じではある。なお、 木綿花(ゆふばな)の、 で、冒頭の歌のように、 木綿花が枯れずにいつまでも美しいところから、「栄(さか)ゆ」にかかる枕詞、 である(伊藤博訳注『新版万葉集』・デジタル大辞泉)。 「綿」(漢音ベン、呉音メン)の、異体字は、 绵(簡体字)、緜(本字)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%BF)、 会意文字。緜は「帛(白い布)+系(いとがつながる)」で、白布を織る長い糸を示す。緜は綿の本の形、 とある(漢字源)。他も、 会意。系(糸をつなぐ)と、帛(はく)(きぬ)とから成り、糸を連ねて絹を作る、ひいて「つらなる」意を表す。教育用漢字は俗字による。(角川新字源)、 会意文字です。「頭のしろい骨の象形と頭に巻く布にひもをつけ帯にさしこむ象形」(「白ぎぬ」の意味)と「つながる糸を手でかける象形」(「つなぐ」の意味)から、白ぎぬを作る時につながってできる、「まわた(くず繭などを煮て引き伸ばして作った綿)」を意味する「綿」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji744.html)、 会意。正字は緜に作り、帛(はく)+系(けい)。〔説文〕十二下に「聯(つら)ぬること微(わづ)かなり。系に從ひ、帛に從ふ」という。聯緜(れんめん)は連なること。双声・畳韻の字を聯緜字という。いま綿の字を用いる。綿はきぬわた、棉はきわたをいう(字通)、 とすべて会意文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(ゐかひ)の岡の寒くあらまくに(穂積皇子) の、 あはに、 は、 数量の多いことを言う副詞、 で(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 多く、 たくさん、 の意であり(広辞苑)、一説に、 深く、 の意とある(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。 あはに、 は、 「さわに」と同源か、 とある(精選版日本国語大辞典)が、 サハニのサ行頭子音のないもの。アハとサハは、イシ(助詞)、ウウ(植)・スウ(据)などの関係に同じ、 とある(岩波古語辞典)。 さはに(さわに)、 は、 さは、 で触れたように、 平面に広がり散らばって数量・分量のおおくあるさま、 たくさん、 の意で、 人・鳥・里・山などにいう、 とあり、 類義語シジニは、ぎっしりいっぱいにの意。ココダは、こんなに甚だしくの意、 とする(岩波古語辞典)。 近江(あふみ)の海(み)八十(やそ)の湊(みなと)に鶴(たづ)さはに鳴く(万葉集) と使う、 さは、 多、 と当てるが、その語源については、 眞多(さおほ)の意。サホ、サハと転じたる語か(眞(さあを、さを。ほびこる、はびこる。ほどろ、はだれ))(大言海)、 物の多いのは前に進むときなどにサハル(障)ところから(名言通)、 ソレハソレハ沢山の意から(言元梯)、 シハ(数)の転。シバシバ(屡)の意から転じて多数の意となったもの(日本古語大辞典)、 と載るが、いずれも語呂合わせのようで、現実感がない。 さは、 には、上述の、 多、 と当てる、 さは、 の他に、 沢、 とあてる、 さは、 があり、和訓栞は、 多を、サハと訓めり、……澤も、多の義、藪澤の意也、 とし、同じように、 さは(澤)、 の語源を、 さわ(多)、 とし、 山間の広く浅い谷の水たまり、のことで、植物の繁茂が多いのが語源かと考えます。みずたまり、と、多い、との二つの意味を持つ言葉です、 とするものもある(日本語源広辞典)。では、 さわ(澤)、 の語源はどうかと言うと、 桑家漢語抄、澤「本用多字云々、水澤、生物繁多也、故曰佐和」、和訓栞、さは「多を、サハと訓めり、云々、澤も、多の義、藪澤の意也」イカガアルベキカ(大言海)、 生物が繁茂するところから、サハ(多)の義(桑家漢語抄・東雅・和訓栞)、 サカハ(小川)の義(言元梯・二本語原学)、 サケハナル(裂離)の義(名言通)、 いつも風があたり、波がサハガシキところからか(和句解)、 と諸説ある(『日本語源大辞典』)が、僕は、僭越ながら、 さは(多)、 は、 さわ(沢)、 から出たのだと思う。抽象語から、具体語になるのは逆である。「さわ(沢)」のイメージが「さわ(多)」という言葉を生んだ、と考えるのが順当ではないか。 多を、サハと訓めり、云々、澤も、多の義、藪澤の意也、 とする『和訓栞』の説に妥当性を感じる。 澤は山林藪澤と総称されるように、山や森林・湖泊・低湿地などを複合的に有する自然環境を示す、 という表現もあり(村松弘一「漢代准北平原の地域開発」)、 たくさん、 の意の、 さわやま、 に、 澤山、 多山、 と当てる例もあり、少なくとも、 多(さは)、 と、 澤(さは)、 は、同源と見ることはできる気がする。 「多」(タ)の、異体字は、 夛、𭐴(俗字)、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A)、字源は、 会意文字。夕、または肉を重ねて、たっぷりと存在することを示す、 とあり(漢字源)、他も、 会意。「夕(=肉)」を重ねて数多いことを意味(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%9A)、 会意。夕の字を二つ重ねて、日数が積もり重なる、ひいて「おおい」意を表す。一説に、象形で、二切れの肉を並べた形にかたどり、物が多くある意を表すという(角川新字源)、 会意文字です(夕+夕)。「切った肉、または、半月」の象形から、量が「おおい」を意味する「多」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji156.html)、 会意。夕+夕。夕は肉の形。多は多肉の意。〔説文〕七上に「重ぬるなり。重夕に從ふ。夕なる者は、相ひ繹(たづ)ぬるなり、故に多と爲す」と夕・繹(えき)の畳韻を以て解する。また「重夕を多と爲し、重日を曡と爲す」といい、多・曡を夕・日を重ねる意とするが、多は多肉、曡は玉を多く重ねる意。宜の初文は、俎上に多(肉)をおいて廟前に供える意。曡はそれに玉飾を加える形である。宜の初形は、卜文・金文においては多に従う。牲薦の肉の多いことから、のちすべて繁多・豊富の意となる(字通)、 と、いずれも、会意文字としている。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館) 増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房) そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しくは今ぞ悔しき(柿本人麻呂) の、 おほに見し、 は、 ぼんやりと、 の意とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 そら数ふ、 は、 空で数えると大凡である、 の意とあり、 大津、 にかかる枕詞とある(仝上)。 そらかぞふ、 は、 空數ふ、 と当て、 語義・かかる理由未詳、 とされる(デジタル大辞泉)が、 おおよそに数える意からか(広辞苑)、 そらにおおよそ数える意から(精選版日本国語大辞典)、 不確かに数える意から(岩波古語辞典)、 等々により、 おおよその意の「凡(おお)」と同音であるところからか、地名の「大津」「大坂」など、「大(おお)」を語頭に持つ語にかかる、 とされる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 空がらくる、 空おぼれ、 で触れたように、 空(そら)、 は、 天と地との間の空漠とした広がり、空間、 の意だが(岩波古語辞典)、 アマ・アメ(天)が天界を指し、神々の国という意味を込めていたのに対し、何にも属さず、何ものもうちに含まない部分の意、転じて、虚脱した感情、さらに転じて、実意のない、あてにならぬ、いつわりの意、 とあり(仝上)、 虚、 とも当てる(大言海)。で、由来は、 反りて見る義、内に対して外か、「ら」は添えたる辞(大言海・俚言集覧・名言通・和句解)、 上空が穹窿状をなして反っていることから(広辞苑)、 梵語に、修羅(スラ Sura)、訳して、非天、旧訳、阿修羅、新訳、阿蘇羅(大言海・日本声母伝・嘉良喜随筆)、 ソトの延長であるところから、ソトのトをラに変えて名とした(国語の語根とその分類=大島正健)、 ソラ(虚)の義(言元梯)、 間隙の意のスの転ソに、語尾ラをつけたもの(神代史の新研究=白鳥庫吉)、 等々諸説あるが、どうも、意味の転化をみると、 ソラ(虚) ではないかという気がする。それを接頭語にした「そら」は、 空おそろしい、 空だのみ、 空耳、 空似、 空言(そらごと)、 等々、 何となく、 〜しても効果のない、 偽りの、 真実の関係のない、 かいのないこと、 根拠のないこと、 あてにならないこと、 徒なること、 などと言った意味で使う(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。 「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、 会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、 とある(漢字源)。また、 会意兼形声文字です(穴+工)。「穴ぐら」の象形(「穴」の意味)と「のみ・さしがね」の象形(「のみなどの工具で貫く」の意味)から「貫いた穴」を意味し、そこから、「むなしい」、「そら」を意味する「空」という漢字が成り立ちました、 ともある(https://okjiten.jp/kanji99.html)が、 形声。穴と、音符工(コウ)とから成る。「むなしい」、転じて「そら」の意を表す(角川新字源)、 形声。声符は工(こう)。工には虹・杠のようにゆるく彎曲する形のものを示すことがあり、穴󠄁のその形状のものを空という。〔説文〕七下に「竅(けう)なり」、前条の竅字条に「空なり」とあって、空竅互訓。竅とは肉の落ちた骨骼のように、すき間のある穴。はのち天空の意に用いる(字通)、 と、形声文字とするものがあり、 象形、洞窟あるいは穴居を象る。「あな」を意味する漢語{穴 /*wiit/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%B4)、 と、象形文字とするものもある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 那珂(なか)の港ゆ船浮けて我が漕ぎ来れば時つ風雲居に吹くに沖見ればとゐ波立ち辺(へ)見れば白波騒く(柿本人麻呂)、 の、 時つ風、 の、 時つ、 の、 時、 は、 時刻、 の意(精選版日本国語大辞典)、 「つ」は「の」の意の格助詞、 で、名詞の上に付けて、 時つ海、 時つ國、 などと、 その時期にかなった、 その時にふさわしい、 などの意を表し(デジタル大辞泉)、 ほめことばのように用いられる、 とある(精選版日本国語大辞典)。また、 時つ風吹飯(ふけひ)の浜に出で居つつ贖(あか)ふ命(いのち)は妹がためこそ(万葉集)、 と、時つ風が吹く意から、 地名の「吹飯(ふけひ)」にかかる、 枕詞としても使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。 冒頭の、 なかの港ゆ舟浮けて吾が漕ぎくれば時風(ときつかぜ)雲ゐに吹くに、 は、本来、 潮が満ちてくる時刻頃吹く風、 その時になると吹く風、 潮時の風、 を指す(大言海・精選版日本国語大辞典)が、中世以降、「論衡‐是応」の、 太平之世、五日一風十日一雨、 などの語句を意識して、 時、 を、 時節・時候、 などの意に用いて、 四海波静かにて国も治まる時つ風、枝も鳴らさぬみ代なれや(謡曲「高砂(1430頃)」)、 のように、 その季節や時季にふさわしい風、 の意、さらに、この、 謡曲・高砂、 の語句から、 ことさら天下の町人おもふままなる世に住めるは有かたき時津風(浮世草子「懐硯(1687)」)、 と、 平和でありがたい世の中、 世間、 あるいは、 快適な風潮、風習、 の意に広げて使うに至る(精選版日本国語大辞典)とある。なお、 時風、 を、 じふう、 と訓むと、 時風加而茂草靡、震雷動而蟄虫驚(「類聚三代格・延喜格序(908)」)、 と、 その時節にかなった風、 時節の風、 の意もあるが、 是等は時風なり。後々はあるべからず(「遊楽習道風見(1423‐28頃)」)、 と、 その時代の風習、時の風趣、 時流、 また、 流行、 の意となる(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。 なお、「風」については触れた。 「時」(漢音シ、呉音ジ)の異字体は、 时(簡体字)、旹、𣅱(古字)、㫭、𭥱(同字)、塒(「塒」の通字)、司(「司」の通字)、蒔(「蒔」の同字)、 とある(https://www.facebook.com/toshihiko.sugiura.14)。「時」で触れたように、 会意兼形声。之(シ 止)は足の形を描いた象形文字。寺は「寸(手)+音符之(あし)」の会意文字で、手足をはたらかせて仕事をすること。時は「日+音符寺」で、日がしんこうすること。之(いく)と同系で、足が直進することを之といい、ときが直進することを時という、 とある(漢字源)。別に、 会意兼形声文字です(止+日)。「立ち止まる足の象形と出発線を示す横一線」(出発線から今にも一歩踏み出して「ゆく」の意味)と「太陽」の象形(「日」の意味)から「すすみゆく日、とき」を意味する漢字が成り立ちました。のちに、「止」は「寺」に変化して、「時」という漢字が成り立ちました(「寺」は「之」に通じ、「ゆく」の意味を表します)、 ともある(https://okjiten.jp/kanji145.html)が、 かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、 とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%99%82)、 形声。「日」+音符「寺 /*TƏ/」。「とき」「時間」を意味する漢語{時 /*də/}を表す字(仝上)、 形声。日と、音符寺(シ)とから成る。日の移り変わり、季節、時期などの意を表す(角川新字源)、 形声。声符は寺(じ)。寺に、ある状態を持続する意があり、日景・時間に関しては時という。〔説文〕七上に「四時なり」と四季の意とする。〔書、尭典〕「敬(つつし)んで民に時を授く」は農時暦の意。古文の字形は中山王鼎にもみえ、之(し)と日とに従う。之にものを指示特定する意があり、〔書、舜典〕「百揆(き)時(こ)れ敍す」、〔詩、大雅、緜〕「曰(ここ)に止まり 曰に時(を)る」のような用法がある(字通)、 といずれも、形声文字とする。 「風」(漢音ホウ、呉音フウ・フ)の異字体は、 メi古字),凮,飌, 风(簡体字)、 とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8)、「風」で触れたように、字源は、 会意兼形声。風の字は大鳥の姿、鳳の字は大鳥が羽搏いて揺れ動くさまを示す。鳳(おおとり)と風の原字は全く同じ。中国では、おおとりを風の遣い(風師)と考えた。風はのち「虫(動物の代表)+音符凡(ハン・ボン)」。凡は広く張った帆の象形。はためきゆれる帆のように揺れ動いて、動物に刺激を与える「かぜ」をあらわす、 とある(漢字源)。同趣旨の解釈は、 もと、鳳(ホウ、フウ)(おおとり)に同じ。古代には、鳳がかぜの神と信じられていたことから、「かぜ」の意を表す。のち、鳳の鳥の部分が虫に変わって、風の字形となった、 がある(角川新字源)。別に、 形声。「虫」+声符「凡/*[b]rom/」。「かぜ」を意味する漢語{風/*prəm/}を表す字。もと「鳳」字が{風}を表していたが(仮借)、数百年の空白を経て戦国時代に「虫」に従う「風」字が現れた。「虫」に従う理由は、有力な説として以下の2つがある。 @西周金文の「鳳」字の、尾羽末端の飾り羽根が変化して「虫」になったという説(字形の演変を参考)。音韻学的には、「風/*prəm/」の原字は「凡/*[b]rom/」を声符にしていたが、「風」の発音が*prəm > *prum > *pruŋと変化したため、「鳳」の飾り羽根の部分が(不完全な)声符化を起こして「虫(蟲の省体)/*C.lruŋ/」になったと説明される。文字の一部が変化して声符化する現象「音化」は珍しくない、 A「風」は、{堸/虫の巣}または{𧍯/虫の巣穴}の表意文字で、{風/かぜ}の意は仮借という説、 とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A2%A8)。また、字通は、 〔説文〕に飆・飄・颯・飂など十二字、〔新附〕に三字を属し、〔玉篇〕に九十七字を属する。〔玉篇〕に風の古文として録する飌は、〔周礼、春官、大宗伯〕に「槱燎(いうれう)を以て司中・司命・飌師(ふうし)・雨師を祀る」とみえるもので、なお字形中に鳥の形を残している。字が風に作られるのは、雲が竜形の神と考えられていたので、のち竜蛇の類とされたのであろう。虹・霓(げい)も、卜文に竜蛇の形としてしるされている、 と説いている。別に、 会意兼形声文字です(虫+凡)。甲骨文では「風をはらむ(受ける)帆」の象形(「かぜ」の意味)でしたが、後に、「風に乗る、たつ(辰)」の象形が追加され、「かぜ」を意味する「風」という漢字が成り立ちました、 と「帆」を始原とする説(https://okjiten.jp/kanji100.html)もある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 那珂(なか)の港ゆ船浮けて我が漕ぎ来れば時つ風雲居に吹くに沖見ればとゐ波立ち辺見れば白波騒く(柿本人麻呂)、 の、 とゐ波、 は、 跡位浪(とヰなみ)、 と表記され、 高くうねり立つ波、 高く盛りあがる波、 の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)だが、 とゐ、 は、 上二段動詞「とう」の連用形から(精選版日本国語大辞典)、 撓(たわ)むの「たわ」と同源(広辞苑)、 とをを(撓)と同根、トヲヲは「たわわ」の母音交替形(岩波古語辞典)、 などとあり、 とう、 は、 自動詞ワ行上二段活用、 の、 畝火山昼は雲登韋(トヰ)夕されば風吹かむとぞ木の葉さやげる(古事記)、 と、 うねり動く、 動揺する、 意とあり(精選版日本国語大辞典)、 撓(たわ)むの「たわ」と同源、 の、 たわ、 は、 撓、 と当て、 タワム(撓)・タワワのタワ、タヲリと同根、 とあり、 山の多和(タワ)より御船を引き越して逃げ上り行でましき(古事記)、 と、 山の尾根などのくぼんで低くなった所、 山の鞍部(あんぶ)、 をいい、 たをり、 たを、 ともいい、それをメタファに、 忘れずもおもほゆるかな朝な朝なしが黒髪のねくたれのたわ(「順集(983頃)」)、 と、 枕などに押されて髪についた癖、 をもいう(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。 たをり、 は、 撓、 と当て、 動詞「たおる(撓)」の連用形の名詞化、 で(精選版日本国語大辞典)、 タワと同根、撓んだところ、 とあり(岩波古語辞典)、 あしひきの山のたをりにこの見ゆる天の白雲海神(わたつみ)の奥津宮(おきつみや)辺に(万葉集)、 と、 もののたわんで低まった所、 山の稜線の低くくぼんだ所、 の意で(精選版日本国語大辞典)、 高山(たかやま)の峰にたをりに射目(いめ)たてて鹿(しし)待つがごとく(万葉集)、 と、 鹿や猪などの山越えの通路、 ともあり(岩波古語辞典)、また、 山の峰、 峠、 たわ、 の意でもある。因みに、 射目(いめ)、 は、 鳥獣を射るために隠れる場所(伊藤博訳注『新版万葉集』)、 獲物を狙って、射手が身を隠すための設備(広辞苑) 狩りで獲物を待ちぶせて射るために、身を隠しておく所。身を隠すための設備をもいう(精選版日本国語大辞典)、 などとある。 たを、 は、 たをり(撓)の略 、 で、 撓、 と当て、日葡辞書(1603〜04)に、 Tauouo(タヲヲ)コユル、 とあり、 山頂の道のあるところ、 峠、 をいい、 たを、山の低き処を云名。多和美、多遠牟、登遠々なと活(はたら)けり(菊池俗言考(1854))、 と、 山と山の間のくぼまっている所、 鞍部、 をもいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。 たわわ、 は、 撓、 と当て、 タワタワの略、 とあり、 折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の枝もたわわにおける白露(古今和歌集)、 と、 実の重さなどで木の枝などがしなうさま、 をいい(広辞苑)、 とをを、 は、 たわわの母音交替形、 で、 秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも(万葉集)、 と、 たわみ曲がるさま、 の意である(岩波古語辞典・広辞苑)。 こうみると、すべては、自動詞ワ行上二段活用の、 とう、 からきていると見ていい。これは、 たう(撓)、 であり、 たわむ、 たわめる、 意である。 波のうねり、 を、 山並の凹部、 に見立てたということであろう。 「撓」(漢音ドウ、呉音ニョウ、慣用トウ)は、「ををる」で触れたように、 形声、「手+音符堯(ギョウ)」で、柔らかく曲げること(漢字源)、 形声。「手」+音符「堯」(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%92%93)、 形声。声符は堯(尭)(ぎよう)。堯に鐃(どう)・饒(じよう)の声がある。〔説文〕十二上に「擾(みだ)すなり」という。堯は窯に土器を積み重ねておく形。ゆえに撓(たわ)む意となる。これを窯中に遶(めぐ)らし、高熱を加えて焼く。土器を所狭く並べたてるので、「擾る」という訓を生ずるのであろう。人に及ぼしては嬈(じよう)といい、猥(みだ)りがわしいことをいう(字通)、 と、いずれも、形声文字とする。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 天皇(すめろき)の神の御子(みこ)のいでましの手火(たひ)の光りぞここだ照りてある(万葉集)、 の、 手火、 は、 葬送の時、手に持つ松明、 とあり、 ここだ、 は、 こんなにも激しく、 の意とあり(伊藤博訳注『新版万葉集』)、この、 ここだ、 は、 御笠山(みかさやま)野辺行く道はこきだくも茂り荒れたるか久(ひさ)にあらなくに(万葉集)、 の、 こきだくも茂り荒れたるか、 の、 こきだくも、 は、 ここだ、 と同義とあり、 も……か、 は、 疑問的詠嘆、 とある(伊藤博訳注『新版万葉集』)。 ここだ、 は、 幾許、 と当て、 こんなに多く、 こんなに甚だしく、 の意、 ここだく、 は、 幾許く、 許多く、 と当て、 ここだ、 と同じとある。 許多(ここだ)く、 で触れたように、 ここだ、 ここだく、 に当てる、 許多、 は、漢語で、 忽與郷曲歯、方驚年許多(范成大詩)、 きょた、 と訓み、 あまた、 甚だ多し、 の意味である(字源)。ただ、「許多」の訓みは、 あまた 56.8% ここだ(く) 13.5% きよた 5.4% とある(https://furigana.info/w/%E8%A8%B1%E5%A4%9A)、「ここだく」と訓ませる例がないわけではないようだ。 また、 幾許、 も、漢語で、 河漢清且浅、相去復幾許(古詩)、 と、 ききょ、 と訓み、 いくばく、 の意で、 幾何(きか)、 若干(じゃっかん)、 と同義であり、「いくばく」は、また、 幾許 幾何、 とも当てる(仝上)。 ここだ(幾許)、 は、 こんなに数多く、 こんなに甚だしく、 の意で、 夕影に来(き)鳴くひぐらし幾許(ここだ)くも日ごとに聞けど飽かぬ声かも(万葉集)、 と、 ココダに副詞を作る語尾ク、 のついた副詞、 ここだ(幾許)く、 も、同じ意味になる。 ここだ、 は、 ココバ・ココラより古い形、ダは、イクダ(幾)のダに同じく、ラに通じる。自分の経験内のものについて、程度の甚だしいのにいう、 とあり(岩波古語辞典)、この、 ここだ、 は、 秋の夜を長みにかあらむ何ぞ許己波(ココバ)寝(い)の寝(ね)らえぬも独り寝(ぬ)ればか(万葉集)、 と、 ここば(幾許)、 とも、また、 もみぢばのちりてつもれる我やどにたれをまつむしここらなくらん(古今集)、 と、 ここら(幾許)、 と訛り、同じく副詞の用法も、 渚にはあぢ群騒き島廻(み)には木末(こぬれ)花咲き許己婆久(ココバク)も見の清(さや)けきか(万葉集)、 と、 ここばく(幾許く)、 とも言う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。 ここば、 は、 バはソコバ・イクバクのバに同じ。量・程度についていう接尾語。ココバは、話し手の身近な存在、または話し手に関係深い事柄について、多量である、程度が甚だしいのにいう語。平安時代以後はここら、 とあり(岩波古語辞典)、 ここら、 は、 ラは幾らのラ、ココバの平安時代以後の形、 とあるので、 ここだ→ここば→ここら、 と転訛したことになる。さらに、 幾許、 は、 はねかづら今する妹は無かりしをいづれの妹そ幾許(そこば)恋ひたる(万葉集)、 と、 そこば、 とも訓ませ、「く」をつけた副詞、 そこばく、 は、また 若干、 と当てる。この、 そこば—そこばく、 は、 ここだ―ここだく、 ここば―ここばく、 の関係に等しい(精選版日本国語大辞典)。 源氏殿上ゆるされて、御前にめして御覧ず。そこばく選ばれたる人々に劣らず(宇津保物語)、 と、 数量などを明らかにしないで、おおよそのところをいう、いくらか。いくつか、 の意と、 そこばくの捧げ物を木の枝につけて(伊勢物語)、 と、 数量の多いさま、程度のはなはだしいさまを表わす、 意とがある。前者は、「幾許」と当てても、「若干」の意に転じている。さらに、 幾許、 を、 わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪のうれしからまし(万葉集)、 と、 いくばく、 とも訓ませ、また、 幾何、 とも当てる(広辞苑)。この、 いくばく、 の、 ば、 も、やはり、 量・程度を示す接尾語、 である(岩波古語辞典)。 こうみると、 ここだ(く)→ここば(く)→ここら、 と、 そこば(く)、 いくばく、 とは明らかに音韻的なつながりがあるとみられるが、 ここだ、 を、 ココダクの下略(大言海)、 ココは古韓語コ(大)の畳語で、多大の意。ダはタダ(唯)の原語で接尾語(日本古語大辞典=松岡静雄)、 ココノ(九)からの分義(続上代特殊仮名音義=森重敏)、 とし、 そこばく、 を、 ソ、コは其(そ)、此(こ)にて、ソコ、ココなり、バクはばかり(程度の意、そこはか、いくばく、いかばかり、万葉集「わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪のうれしからまし」「幾許(いかばかり)思ひけめかも」)にて、そこら、ここら程の意(今も五十そこそこの年などと云ふ、是なり)、 としたり(大言海)、 いくばく、 を、 幾許(イクバカ)の転、かがまる、くぐまる、 とする(仝上)ばかりで、相互の関連を見るものは、 これほどまでの、こんなにもの意のカクバカリの語形が変化したもの、 とする(語源を探る=田井信之)のみだ。その説を詳しく見ると、そのもとは、 短き物を端切るといへるがごとくしもと取る里長(さとおさ)が声は寝屋処(ねやど)まで来(き)立ち呼ばひぬかくばかりすべなきものか世間(よのなか)の道(山上憶良)、 の、 これほどまでに、 こんなにも、 の、 斯く許り、 で、 バカリ(許り)は「程度・範囲」(ほど、くらい、だけ)、および「限度」(のみ、だけ)を表す副詞である。カリ[k(ar)i]の縮約で、バカリはバキに変化し、さらに、バが子交(子音交替)[bd]をとげてダキ・ダケ(丈)に変化した。「それだけ読めればよい」は程度を示し、「君だけが知っている」は限定を示す用法である。 ばかり(許り)は別に「バ」の子交[bd]でダカリ・ダカレになり、「カレ」の子音が転位してダラケ(接尾語)になった。 カクバカリ(斯く許り)という副詞は、カ[ao]・ク[uo]の母交(母音交替)、カリ[k(ar)i]の縮約でココバキ・ココバク(幾許)になり、さらに語頭の「コ」が子交[ks]をとげてソコバク(許多)に転音した。すへて、「たいそう、はなはだ、たくさん」という意の副詞である。「ココバクのしゃうの御琴など、物にかき合わせて仕うまつる中に」(宇津保物語)、「この山にソコバクの神々集まりて」(更級日記)。 ココバク(幾許)が語尾を落としたココバ(幾許)は、「バ」が子交[bd]をとげてココダ(幾許)になり、さらに子交[dr]をとげてココラに転音した。「などここば寝(い)のねらえぬに独りぬればか」(万葉)、「なにぞこの児のここだ愛(かな)しき」(万葉)、「さが尻をかきいでてここらの公人(おおやけびと)に見せて、恥をみせむ」(竹取)。「幾許」に見られるココバ[ba]・ココダ[da]・ココラ[ra]の子音交替は注目すべきである。 ココダク(幾許)は、語尾の子交[ks]、ダの子交[dr]の結果、ソコラクに転音した。「このくしげ開くな、ゆめとそこらくに堅めしことを」。 ココラは語頭の子交[ks]]でソコラに転音した。「そこらの年頃そこらの黄金給ひて」(竹取)。 スコシバカリ(少し許り)は、「シ」の脱落、カリ[k(ar)i]の縮約で、スコバキ・ソコバキ・ソコバク(若干)に転音した。ソコバク(許多)とは同音異義語である。「いくらか、多少」の意味で、「そこばくの捧物を木の枝につけて」(伊勢物語)という。 イカバカリ(如何許り)は、カリ[k(ar)i]の縮約でイカバキになり、イカバクを経てイクバク(幾許)に転音した。「どれくらい、何ほど」の意の副詞として「わがせこと二人見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし」(万葉)という。語尾を落としたイクバは、バの子交[bd]でイクダ(幾許)、さらにダの子交[dr]でイクラ(幾ら)になった。 とある(日本語の語源)。上述した、 ラは幾らのラ、ココバの平安時代以後の形、 ここだ(く)→ここば(く)→ここら、 という用例の時代変化と多少の齟齬はあるが、 斯く許り→ココバク(幾許)→ソコバク、 ココバ(幾許)→ソコバ、 ココダク(幾許)→ソコダク、 ココダ(幾許)→ソコラ、 少し許り→スコバキ→ソコバキ→ソコバク(若干)、 イカバカリ(如何許り)→イカバキ→イカバク→イクバク(幾許)、 といった大まかな音韻転訛の流れをみることができる。 ある意味で、「ここだ」(幾許)が、指示代名詞「こ」の系統に属する語、 というのはある(精選版日本国語大辞典)し、だから、 身近な見聞、体験の中に、程度のはなはだしいものを発見したときの、その程度のはなはだしさをさしていう、 のである(仝上)のは、 斯く許り、 という、 これほどまでに、 こんなにも、 という出発点の語義の外延ということなのだろう。その限りで、「そこばく」を、 ソ、コは其(そ)、此(こ)にて、ソコ、ココなり、 とする説(大言海)は、「ここだ」(く)の、「ここ」にも当てはまる。 「幾」(漢音キ、呉音ケ)は、「許多(ここだ)く」で触れたように、 会意。幺二つは、細く幽かな糸を示す。戈は、ほこ。幾は「幺二つ(わずか)+戈(ほこ)+人」で、戈の刃が届くさまを示す。もう少し、近いなどの意を含む。わずかの幅をともなう意からはしたの数(いくつ)を意味するようになった、 とある(漢字源)が、別に、 会意。𢆶(ユウ かすか)と、戍(ジュ まもり)とから成る。軽微な防備から、あやうい意を表す、 とも(角川新字源)、 会意文字です。「細かい糸」の象形と「矛(ほこ)の象形と人の象形」(「守る」の意味)から、戦争の際、守備兵が抱く細かな気づかいを意味し、そこから、「かすか」を意味する「幾」という漢字が成り立ちました。また、「近」に通じ(「近」と同じ意味を持つようになって)、「ちかい」、「祈」に通じ、「ねがう」、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「いくつ」の意味も表すようになりました、 とも(https://okjiten.jp/kanji1288.html)、 会意。𢆶 (し)+戈(か)。〔説文〕四下に「微なり。殆(あやふ)きなり。𢆶 (いう)に從ひ、戍(じゅ)に從ふ。戍は兵守なり。𢆶(幽)にして兵守する者は危きなり」という。𢆶を幽、幽微の意より危殆の意を導くものであるが、𢆶は絲(糸)の初文。戈に呪飾として著け、これを用いて譏察のことを行ったのであろう。〔周礼、天官、宮正〕「王宮の戒令糾禁を掌り、〜其の出入を幾す」、〔周礼、地官、司門〕「管鍵を授けて、〜出入する不物の者を幾す」など、みな譏呵・譏察の意に用いる。ことを未発のうちに察するので幾微の意となり、幾近・幾殆の意となる(字通)、 ともある。 「許」(漢音キョ、呉音コ)は、「許多(ここだ)く」で触れたように、 会意兼形声。午(ゴ)は、上下に動かしてつくきね(杵)を描いた象形文字。許は「言(いう)+音符午」で、上下にずれや幅をもたせて、まあこれでよしといってゆるすこと、 とある(漢字源)が、「言」と組んでいることから、 相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す、 という解釈もあり得る(角川新字源)。別に、 会意兼形声文字です(言+午)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「きね(餅つき・脱穀に使用する道具)の形をした神体」の象形から、神に祈って、「ゆるされる」、「ゆるす」を意味する「許」という漢字が成り立ちました、 とする解釈(https://okjiten.jp/kanji784.html)もあるが、 形声。声符は午(ご)。午に御󠄀(御)(ぎよ)の声がある。〔説文〕三上に「聽(ゆる)すなり」とあり、聴許する意。〔書、金縢〕は、周公が武王の疾に代わることを祖霊に祈る文で、「爾(なんぢ)の、我に許さば、我は其れ璧と珪とを以て、歸りて爾の命を俟(ま)たん」とあり、また金文の〔毛公鼎〕に「上下の若否(諾否)を四方に虢許(くわくきよ)(明らかに)せよ」というのも、神意についていう。金文の字形に、午の下に祝詞の器の形であるꇴ(さい)を加えるものがあり、午は杵形の呪器。これを以て祈り、神がその祝禱を認めることを許という。邪悪を禦(ふせ)ぐ禦の初文は御、その最も古い字形は午+卩に作り、午を以て拝する形である。午を以て祈り、神がこれに聴くことを許という(字通)、 と形声文字とする説もある。 参考文献; 伊藤博訳注『新版万葉集』(全四巻合本版)(角川ソフィア文庫)Kindle版) 大槻文彦『大言海』(冨山房) 大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店) 前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
|
ご質問・お問い合わせ,あるいは,ご意見,ご要望等々をお寄せ戴く場合は,sugi.toshihiko@gmail.com宛,電子メールをお送り下さい。 |